小説ーとある魔法禁書目録22

とある魔術の禁書目録22

鎌池和馬

   c o n t e n t s
 
第九章  巨大な歪みを正す時  Broken_Right_Hand.
第一〇章 最終術式下準備完了  Rebirth_the…
第一一章 黄金に輝く天空にて  Star_of_Bethlehem.
第一二章 北極海の最後の決着  Last_Fight.
終章   静寂と少年の終わり  Silent_to_Small_Fire.

戦況報告

 右方のフィアンマ。
 彼の企てていた『計画』が、いよいよ本格的に始動する。
 手始めに起こったのは、全世界のローマ正教系の教会や聖堂から必要なパーツを片っぱしからかき集め、儀式ぎしきに必要な要塞ようさいを建造する事だった。
 浮上する要塞にすくい上げられた上条当麻かみじょうとうまは、そこで宿敵の声を聞く。
『では歓迎しようか。俺様の城、「ベツレヘムの星」へ』
 脅威きょういはその要塞だけではない。
フィアンマはさらなる切り札を投入する。
『出ろよ大天使「神の力ガブリエル」。すべて吹き飛ばせ』

 エリザリーナ独立国同盟の野戦病院までやってきた浜面はまづら仕上しあげは、魔術師まじゅつしエリザリーナの世話になり、滝壷たきつぼ理后りこうの体をむしばんでいた『体晶たいしょう』の悪影響あくえいきょうを可能な限り取り除く事に成功する。
だが、浜面たちは独立国同盟内に送られたクレムリン・レポートの文書を読み、ロシア軍による特殊作戦の発動準備を知る。
 細菌兵器を利用した核発射施設防衛マニュアル。その非情な作戦の決行予定地点は、ディグルヴ達の暮らす集落のすぐ近くだった。
「あの集落ではほとんど会話もできなかったけど、でも、あそこの人達がしてくれた事はちゃんと覚えている。私だって、あの人達のために戦いたい」

一方、同じエリザリーナ独立国同盟に滞在する一方通行アクセラレータだったが、エリザリーナの解毒げどく技術をもってしても、打ち止めラストオーダーを助ける足掛かりにはならなかった。
 彼女を助けるには、やはり羊皮紙ようひしを解読するしかない。
 そう思っていた一方通行アクセラレータに、エリザリーナからの警告が飛ぶ。
『逃げなさい!! もうすぐここへ「ヤツら」が来る。「ヤツら」が本格的に侵攻してきたら、私達だけでは止められない!「ヤツら」のねらいは、あなたの持っている羊皮紙よ!!』

大天使の猛威がロシアをおそう。
だが天使とはミーシャ=クロイツエフだけを指し示す言葉ではない。
もう一人。
科学技術を用い、AIM拡散力場を利用して作り出された風斬かざきり氷華ひょうかが、水の天使へ立ち向かう。
「……そのために、私の大切な『友達』を傷つけるというのであれば、私は持てる力の全てを使ってあなたを止めます」

 別の場所では別の戦いもり広げられていた。
 バチカンでは、ローマ教皇という己の立場すらもかなぐり捨て、ただの十字教徒としてもう一度戦う事を決めたマタイ=リースが、枢機卿すうききょうペテロ=ヨグディスと対峙たいじしていた。
「良いか。これはお前を生き延びさせるための戦いだ。だから、戦争が終わるその時まで、絶対に死ぬんじやないぞ」

 ロシアの宮殿では、計画から切り捨てられたニコライ=トルストイ司教が、怒りに身をふるわせていた。
「『蓄え』を出せ。今すぐあの要塞ようさいを吹き飛ばしてやる!! 今すぐだ!!」

そしてロシアヘ到着した御坂みさか美琴みことは、妹達シスターズからロシアの独立部隊の動きを聞かされる。
「 Nu‐AD1967 。旧ソ連製の戦略核弾頭の準備が進められています、とミサカは内容をまとめて報告します」

 複数の場所で、様々な戦いは起こる。
 当人たちは知らず、しかし大天使ミーシャ=クロイツエフを倒すため、多くの者がつどっていた。

 一方通行アクセラレータはミーシヤと風斬の間に割って入った。

 後方のアックアは『水』を司る共通点から、ミーシヤの体を作る『天使の力』を自分の体内へ誘導する事で、大天使の力を強引にぎ落とそうとした。

 上条当麻かみじょうとうまは『ベツレヘムの星』の儀式場ぎしきじょう破壊はかいする事で大天使ヘダメージを与えようとした。

 結果、
「そんな簡単に進むと思ってんのか? ミーシャはもういないぞ。どうしてここまで上手うまく話が転がったのかは今でも分からねえけど、人間は大天使に勝ったんだ。どう考えたって、天秤てんびんはこっちに傾いている」
 だが終わらない。

 たとえ大天使という莫大ばくだいな戦力を失っても、『ベツレヘムの星』で上条かみじょう対峙たいじするフィアンマの精神は揺らがない。
「ミーシヤ=クロイツエフの役割は、この大空を夜に変えた時点で終わっていた。第一段階終了といった所だが、この時点でも俺様にはちょっとした特典がつく」
 二つの右腕が激突するその間際まぎわ
 右方のフィアンマはただ告げる。
「正しい力とは、正しい世界でこそ万全に振るえるものだ。さあ、正しい力の意味を知ってもらおうか」

第九章 巨大な歪みを正す時  Broken_Right_Hand.

 麦野沈利むぎのしずり
 第四位の超能力者レベル5。『原子崩しメルトダウナー』を自在に扱う正真正銘しょうしんしょうめいの怪物。そして、かつて浜面はまづらが二回ほど打ち負かした因縁いんねんの宿敵。日本の学園都市から遠いロシアまで逃げ続けてきた浜面の前に現れたのは、史上最悪と言っても過言ではない猟犬りょうけんだった。
 浜面の知っている限り、麦野は片腕を失っていたはずだった。
 見れば、黄色いコートのそでの部分が、妙にだぶついていた。ひょっとすると、人間の形に整えられているのは手首の部分だけで、内側はロボットアームのような物なのかもしれない。
「くふ」
 言葉などなかった。
 うつむいた麦野の肩だけが、不気味に、機械的に上下していた。
「ふふふ。くっははははははははははははははははははははははははははっ!!!!!!」
「---ッ!!」
 顔を上げた麦野は、大きく舌を出していた。
 れた赤い肉の上に、小さなケースがあった。シヤーペンの芯を入れるような、小さな四角いケースだ。中には白い粉末のような物が入っていた。浜画の良く知る物だった。
体晶たいしょう』。
 滝壷理后たきつぼりこうを苦しめていたもの。能力を意図的に暴走させるための薬品(?)のようなもの。その副作用と戦うため、浜面たちは今もロシアの中をさまよっているというのに、麦野沈利は再びすべての元凶を持ち込んできた。
 思わず。
 無能力者レベル0だの超能力者レベル5だのといった垣根かきねを忘れていた。
 そう言えば、滝壷はどこへ行ったのだ。本当に無事なのか。誰かにひどい事をされていないのか。
 浜面は頭の沸騰ふっとうするままに言葉をき出していた。
「このに及んで、まだそんなつまんねえモンを滝壷に使うつもりかり!? 何の合理性もない、ただ俺達を少しでも長くつらく苦しめる、それだけのためにッッッ!!!!!!!」
 激昂げっこうに対し、麦野はニヤリと嘲笑あざわらった。
 彼女は口を動かした。
 しかし何も答えなかった。何故なぜならば、言葉をつむぐために口を動かしたのではないからだ。

 ベキリ、と。
 麦野沈利むぎおのしずりの上の歯と下の歯が、『体晶たいしょう』のケースをみ砕いた。

 浜面はまづらひとみが、信じられないものを見るように揺らぐ。
 そうしている間にも、ジャリジャリガリガリという小さな音が続く。麦野の口の中からだ。砕け、鋭い破片となったケースの残骸ざんがい咀嚼そしゃくされていく音だ。当然、人間の口の中はそれほど頑丈ではない。おそらく麦野のロの中は血の味でいっぱいになっているはずだ。
 なのに。
 怪物の表情には、張り付いたような笑みしかない。
「……滝壷たきつぼだあ? 何でそんな小物の事を、いちいち気に掛けなくちやあならないのよ……」
 ブツッブツッ……と、口の中で繊維せんい千切ちぎるような音を鳴らしながら、麦野はつぶやく。
 何かが満たされていく。
 麦野沈利という女の体の中に、得体えたいの知れないものが循環を始める。
「『体晶』……。能力者を意図的に暴走させる成分。何とかいスキューだとかいう、どっかの研究者は絶対能力レベル6への道とか言ってたっけか。『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』からの絶望的な答えさえ無視して、共鳴だの精神感応テレパスだの使って悪あがきをしていやがった所を見ると、『休晶』の周りにはまだまだ裏がありそうだけど、私はそこまで複雑には考えない」
 浜面仕上しあげは、勘違かんちがいをしていた。
 第四位の超能力者レベル5を二度も倒したという意味が、どれほど深刻なものかを。そして、彼ら強者のステージに立ってしまったら、強者はどれほど全力を注いで無能力者レベル0を排除しようと思うかを。

「なあ浜面。第四位の超能力レベル5をどうしようもないほど暴走させちまったら、どれほど被害が拡大していくと思う?」

 ゴバッ!!!!!!!! と。
 あまりにも恐ろしい、白い光が噴き出した。
 一本二本ではない。
 麦野沈利という女を中心として、数千、数万にも及ぶ莫大ばくだいな光が、全方位へと。

 上条当麻かみじょうとうまと右方のフィアンマ。
 『ベツレヘムの星』の上で、二人の男は対峙たいじしていた。
 ピリピリとした殺気が、フィアンマを中心にして、全方向へと放たれている。その力の象徴である『第三の腕』に、異様な力が集められていた。それは魔術まじゅつの詳しい仕組みを知らない上条でも簡単に分かってしまうほど、あまりにも圧倒的なものだった。
 そんな相手に、上条は一人で立ち向かうしかない。魔術師のレッサーは『ペツレヘムの星』にはいない。先ほどまでいたサーシャ=クロイツェフも、フィアンマが砕いた床の亀裂きれつみ込まれ、要塞ようさいの下層へと落ちてしまった。だれもあてにできる人物はいないのだ。
 だが気圧けおされる事はない。
 上条は眼前の敵に対し、強く右拳みぎこぶしを握りめる。
 フィアンマは手の中の霊装れいそうを転がしていた。一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょの知識を得るため、インデックスを遠隔えんかく制御しているものだ。
 手を伸ばすだけで、今にも届きそうな位置。
 しかし、フィアンマという戦力の壁は実際の難易度を跳ね上げているはずだ。闇雲やみくもに突っ込んだだけで簡単に解決できる問題ではないのは分かっている。
 じりじりと。
 向き合ったまま少しずつ距離きょりを測っていく上条に、フィアンマは笑い掛ける。
 酷薄こくはくな。
 それでいて、自分の側には何の悪意も存在しないと信じている者の笑み。
「『ベツレヘムの星』は浮上した。『神の力ガブリエル』を利用した天体制御も終わった。四つの属性はすべて正しい位置へと戻った」
 ヒュン、と風を切る音が聞こえた。
 軽く振ったフィアンマの『第三の腕』が、淡くかがやいていた。
「お膳立ぜんだてはもう終わった。そろそろ、その右腕をいただこうか。お前の腕を媒体ばいたいに、俺様の中に定着している『力』を振るえば、それでプロジェクト=ベツレヘムは完成する」
「……そうまでして、ローマ正教の勝利ってのが欲しいのか」
 ギリギリと、上条は右拳に力を加えていく。
 しかしフィアンマはわずかに首を横に振った。
「ローマ正教などどうでも良い。まあ、もっと広い意味での十字数社会の事を考えていないと言えばうそにはなるが、基本的には俺様の行動は俺様のためのものだよ」
 一秒も間を空けず、フィアンマはすらすらと言う。
「加えて言えば、俺様は戦争の原因ではない」
 あらかじめ用意していたスピーチとも違う。単に暗記しているだけではない。その根底となっている思想が、フィアンマという男の隅々にまで浸透している。だからこそ、彼のロ調には寸分のよどみもないのだ。
「確かに引き全は引いたかもしれんが、戦争の根底となる憤怒ふんぬ怨嵯えんさ嫉妬しっと、そうした負の感情の渦は、元々世界全域の人間に根付いているものに過ぎん。そうでもなければ、いくら暴力で戦争をあおったとしても、こうも短期間に戦火が広まっていくものか」
 両者の間に、フィアンマの声だけが流れていく。
「俺様は免罪符だ」
「………、」
「本当はやりたくなかったけど、どこかの誰かに命令されたから。そういう風に言い訳すれば、どこまでも残虐ざんぎゃくな内面を表出させる事ができる。人間とはそこまで醜い生き物なんだよ」
「だから、今までお前がやってきた事が正当化できるとでも?」
「思っておらんよ。思う必要すらないからな」
 簡単に、フィアンマは言う。
「第三次世界大戦には、二つの目的がある。一つ目は、計画に必要な物資や資料を『戦争に必要だから』という名目で片っぱしからかき集めるため。そして二つ目は、この俺様の『倒すべき敵』を表に引きずり出すための儀式ぎしき
 その『第三の腕』。
 彼を特別たらしめている『象徴』が、弱く強く、鼓動のように光を明滅させる。
「いくら悪魔の王を断り伏せる剣を持っていたとしても、悪の権化ごんげが目の前にいないのであれば、剣を振り下ろす事はできんのだからな」

 直後だった。
 斬撃ざんげきが、来た。

 真横からの一撃。
 距離きょりなど関係なかった。そもそも、一室の中に収まりきっていなかった。壁を貫くように現れた巨大な『何か』が振るわれた途端とたん、部屋は丸ごと引き裂かれ、『ペツレヘムの星』自体が大きく削り取られていた。
 ゴバッ!! という轟音ごうおんが、後から遅れてひびき渡る。
 紫電のようなまたたきがあった。
 上条かみじょうの右手では打ち消しきれない。まともに受け止めようとすれば、押し流されるように彼の体はぎ払われ、そのまま数千メートル飛ばされたのち、地面にたたきつけられていたかもしれない。
 しかし。
「ほう」
 フィアンマの笑み。
 ぎ払われた部屋の中、上条当麻かみじょうとうまは立っていた。あまりにも巨大な攻撃こうげきを打ち消せないと分かった上で、真横から来た攻撃に対し、真下からアッパーカットのような一撃を見舞ったのだ。結果、フィアンマの攻撃はわずかに軌道が上にれ、上条の頭上を突き抜ける事になった。
 つまり、
「単に消去させるだけでなく、受け流す術を覚えたか」
 感心したようにフィアンマが言う。
 その時だった。
 次にやって来た攻撃は、その場のだれも予想できないものだった。
 上条でも、フィアンマでもない。
 それ以外の何者か。
 こわれた天井てんじょうの向こうに広がる天空で、何かがまたたいた。
 白い光だった。
 上条の頭がそう認識した直後、純白の巨大な光の柱が、一直線にフィアンマヘと降り注ぎ、その全身をおおい尽くした。
 ジィィィワァァァァァァァ!! という中華なべの上で油がはじけるような音が、遅れて上条の耳にこびりつく。
「なん……ッ!?」
 爆発があった。
 溶接のように莫大ばくだいな光に、上条は思わず両手で顔をかばう。あまりの閃光せんこうに頭痛すら感じたその時、上条の両足が宙に浮いた。直後に彼の体が数メートルも後方へ薙ぎ払われる。
 これはただの余波。
 あまりの熱で空気が爆発し、その衝撃波しょうげきはを浴びただけで人間一人の体が飛ばされたのだ。
 だが、
「学園都市の光学兵器か」
 爆発的な閃光の中から、涼しげな声が飛んできた。
 なぞの攻撃を受けているはずの当人、フィアンマの口ぶりは何一つ変わっていなかった。
「公式発表では人工衛星の数は四基との話だったが……』の分だと予想通り、宇宙の勢力分布図には大きなズレがあるらしい。おそらく、巨大なステーションを中心に、小型の衛星や宇宙船を展開させているのだろうが」
 頭上から一直線に落ちてきた純白の光は、フィアンマの肩口にらいついているはずだった。
 しかし違う。
 実際には、肩口から生えた『第三の腕』が真上に掲げられていた。まるで巨大な日傘ひがさだ。降り注ぐ光からの侵食を許さない。そしてフィアンマは何気なく右手を振った。それだけだった。
 にも拘らず。
 ゴッ!!!!!! と、空気が揺さぶられた。
 『第三の腕』に吹き散らされていた純白の光が、指ではじかれた消しゴムのカスのように飛ばされた。それっきりだった。あれだけの猛威を振るっていた莫大ばくだいな光の照射が消えせた。上条かみじょうの視力は常人並なので、流石さすがに大気圏の外で起こっている事までは視認できない。だが分かる。
フィアンマは、目の前の男は、たったあれだけの動作で衛星を一つ撃ち落としたのだ。
おどろくような事ではない」
 右方のフィアンマは、『第三の腕』をゆらりと動かす。
「むしろ、気恥ずかしいほどだ。このように半端はんぱな出来の右腕をさらさなければならんとはな」
「お前……」
「エリザリーナ独立国同盟でも披露ひろうしたはずだぞ。俺様の右腕は、必要に応じて、試練や困難のレベルに合わせて、最適な出力を行う。光学兵器だろうが何だろうが、この俺様の敵ではないのは当然の事だ」
 まともじゃない、と上条は思う。
 後出しジャンケンどころの話ではない。言うなればフィアンマは万能なのだ。こちらがグーを出してもパーを出してもチョキを出しても、フィアンマが手を出せば『勝ち』になってしまう。五本の指がどのような形を作っているかは関係ない。とにかく挑戦した時点で『勝ち』なのだ。
 だからフィアンマには、本来必要であるはずの事柄が必要ない。
 速度。
 硬度。
 知能。
 筋力。
 間合。
 人数。
 得物えもの
 手を出せば戦いが終わってしまうフィアンマにとって、こういった細かい勝利のための積み重ね、勝つための要因、戦うために用意するべき手札などは何一つ縁がない。彼が勝利のために行う事はただ一つ。右手を振ればハイおしまい。それだけの事なのだ。以前は回数制限のようなものがあったようだが、それもインデックスの知識で補強する事で克服してしまっている。今のフィアンマは、望む数だけ望む勝利を手に入れられるのだ。 それは『個人としての勝利』のみで、『政治的な勝利』とは違うのかもしれない。だからフィアンマはローマ正教やロシア成教を必要としていたのだろう。だがこの状況ならフィアンマはあまりにも有利すぎる。
 こんな相手にどうやって戦えば良い。
 ひとまず同じ舞台に立ったのと、相手に確実に勝てる手段を手にする事は全くの別問題だ。
「とはいえ、誇るが良い」
 異形過ぎる右腕を持つフィアンマが、楽しげに語る。
 上条かみじょうとの戦いが楽しい訳ではない。
 単に、欲しい物へ手が届く。その事を楽しんでいるだけだ。
流石さすがは俺様の見込んだ右腕だ。そのこぶしに関しては、俺様の右腕はどのように出力するべきか迷っているようだぞ」
 ドッ!!と。
 横薙よこなぎの一撃いちげきが来た。
 当然ながら、上条の右腕では受け止められない。フィアンマの腕はそんな簡単に作られていない。上条は自分の右手を前へ突き出した。フィアンマの『第三の腕』の先端せんたんに触れるか触れないかの所で、上条はてのひらをフィアンマの腕に洽わせてすべらせるように軌道をじ曲げつつ、自分の体を強引に横滑りさせる。
 寿命が縮むような、猛烈な緊張感きんちょうかんが全身をむしばむ。
 だが、あれだけの右腕に対し、挑戦をできるという時点で、やはり上条の右手もまともではないのか。
「……ッ!!」
 そこまでの事をしても、上条にはフィアンマヘ反撃する事ができなかった。
 すでに、フィアンマの体は消えていた。
 フィアンマは上下移動はできないが、水平距離きょりに関しては望む距離を移動できる。彼は後方三〇〇〇メートルヘー気に下がると、『ベツレヘムの星』内の別の建物の屋根へと着地した。
 同時に、次の攻撃を放つ。
 光を放ったのは、フィアンマの手の中にある遠隔えんかく制御霊装れいそうだった。
「警告、第二二章第一節。命名、『神よ、何故私を見捨てたのですかエリ・エリ・レマ・ザバクタニ』---完全発動まで七秒」
 ゴッ!!!!!! と、血のように赤い閃光せんこうほとばしった。
 フィアンマの前方に現れた魔法陣まほうじんから飛び出した光の柱が、はるか先にいる上条へとぐに突き進む。
 上条の背筋に何かが走った。
 記憶きおくとして見覚えはないはずなのに、本能に近い部分が猛烈な拒絶反応を示している。
「---ッ!?」
 とっさに右手をかざすが、待っていたのは指を折りかねないほどの重圧だった。
 吹き飛ばし切れない。
 (こい、つ……ッ!!)
 上条かみじょうは歯を食いしばる。
 (右腕だけにたよらない!? あれだけのものを持っておいて、やっぱりあいつにとっては『不格好な未完成品』に過ぎないって言うのか!?)
 さらに、

「やはり、単純な術式では分が悪い、か」

 真後ろ。
 声のした方を振り返る余裕はなかった。すでにフィアンマはそこにいた。第三の腕は光でできた巨大な剣を従っていた。それは、上条の首をめがけて水平に振るわれた。
 上条の幻想殺しイマジンブレーカーは、多方向から同時に来る攻撃に弱い。
 双方を同時に打ち消すのは難しいし、そもそもこのレペルならどちらか片方だけでも、まともにやり合えば押しつぶされてしまうはずだ。
 しかし上条に選択の余地などない。
 こうしている今も血のように赤い光線は上条の体を押し潰そうとし、真後ろから首をねるための大剣は正確に追っている。
「おおおおおおおおおおッッッ!!」
 叫び、上条は右手を前に突き出したまま、体を大きく回した。
 『神よ、何故私を見捨てたのですかエリ・エリ・ レマ ・サバクタニ』の光線に対し、九〇度直角の位置へ移動するべく、上条は右手を中心に足を運ぶ。
 そして光線から右手をはなした。
 真正面から受け止めるのではなく、わずかに光線のはしかすめるように、右手の位置取りを変更させる。
 直後だった。
 カッ!! と赤い光線の軌道が強引にじ曲げられた。
 ボーリングで、わざとピンのしんを外すようにボールを当て、横方向へはじくのにも似ていた。進路を曲げた光線は、斜めにいなされる格好で上条の後方へと流れていく。
 そう。
 彼の首を切断しようとしていたフィアンマに向けて。
 (やっ---)
 爆音と共に振り返った上条は、しかし成果を確認する前に目を見開いた。
 右方のフィアンマは、自分に迫る赤い光線も無視して、そのまま第三の腕を水平にいでいた。光の大剣は赤い光線を一撃いちげきで吹き散らし、さらに上条かみじょうの体をねらって空を裂く。
 右手を構えているひまもなかった。
 足運びで回避かいひする余裕などある訳がなかった。
「ッ!!」
 自らの足を払うように、上条は迷わず床へ倒れた。直後に真上を大剣が通過した。要塞ようさいの壁が容赦ようしゃなく破断されていくのが分かった。爆音は衝撃波しょうげきはのように上条の体をたたいた。
 フィアンマがうすく笑う。
 大剣を振り抜いた格好で、彼は遠隔えんかく制御霊装れいそうもてあそぶ。
「……長距離ちょうきょりからの進撃は精度が落ちる。エジザリーナの国で確認した事だったか」
 遠隔制御霊装が、不自然に、赤い光を淡く発した。
「警告、第二九章第三三節。『ペクスデヤタヴアの深紅石』---完全発動まで七秒」
 (なん……ッ!?)
 ギョッとした上条は、すぐさま次の行動に移るために床に靴底を押し付け、起き上がろうとする。
 直後だった。
 ビキビキビキッ!! と、上条の足の指から足首、すねひざへと、何か強烈な激痛がい上がってきた。それは骨の関節を強引にずらす痛みに近い。何か目に見えないものが床を伝って足から体内へもぐり込んで来ているかのようだった。
「くっ……がァァァァああああああああああああああああッ!!」
 上条は自分の太股ふとももへ握りこぶしを叩きつける。
 足元から伝播でんぱしてくる激痛が、その一撃で唐突に打ち消された。
 片膝をつく上条だが、フィアンマはそこで留まらない。
「警告、第三五章第一ハ節。『硫黄いおうの雨は大地を焼く』---完全発動まで五秒」
 オレンジ色に灼熱しゃくねつする、矢のような物が降り注いだ。
 一つ二つではなかった。
 天井てんじょう近くから現れた五〇近い矢が、り天井のように上条へおそいかかる。
 (……こいつ、『神の右席』のほかにも、インデックスの知識を次々と……ツ!?)
 歯噛はがみした上条は、倒れたまま右腕を振るう。
 いくつかの矢がオレンジ色の火花となって飛沫しぶきのように吹き飛ばされた。それらの微細な粒子は続けて標的を狙おうとしていた別の矢の群れに激突し、空中で意味のない誘爆ゆうばくを引き起こしてしまう。
 それでもすべてはち落とせない。
 少年の体のすぐ横をオレンジ色の矢が突き抜け、石の床を容赦なく砕いていった。鋭い破片に身を打たれながらも、上条かみじょうは転がるように後方へ移動し、二本の足で立ち上がる。
 上条当麻とうまと右方のフィアンマ。
 両者は間にある白い煙幕を透かして、互いの目をにらみつける。
「いかんな。予行練習などできる状況ではなかったとはいえ、理論値との誤差は正しく認識せねば。これでは表に引きずり出した『倒すべき敵』に申し訳がない」
 部屋も要塞ようさいも真っ二つにされ、上条のすぐ足下に天空のがけが生じた。
 崖の切れ目の向こうでは、白い雲やロシアの大地が切り裂かれている。
 一歩み外せば一万メートル近い高度から飛び降り自殺をする羽目になる状況で、しかし上条もフィアンマもお互いの顔から目をはなさない。
 フィアンマの手足の動きそれ自体は、神裂かんざきやアックアのような素早さはない。上条と同じ、普通の人の普通の動き。にもかかわらず、山が砕け大地が裂ける。そのアンバランスさが逆に異様だった。
 その恐ろしさを認識しつつも、上条当麻のくちびるが小さく動いた。
「『倒すべき敵』だって?」
「そうだとも。別に、おお袈裟げさな事は言っておらんよ。世界征服がしたいとか人類抹殺まっさつがしたいとか、そんな事を望んでいる訳ではない。むしろ、俺様はそうした『変化』から、最も遠い位置にいると言っても良い。あるべきものを、あるべきままに流す事を目的に掲げているのだからな」
 これまでの言動とは明らかに不釣り合いな台詞せりふだった。
 しかし、次に続いた言葉が彼の不穏ふおんさを浮き彫りにする。
「この世界はゆがんでいるよ」
 一言だった。
 素気ない言葉が、逆にフィアンマの内面を寒気がするほど伝えてきた。
「前に言った四大属性のズレといい、第三次世界大戦の『根底』にあるドロドロとした莫大ばくだいな負の燃料といい、どうしようもなく歪んでいる。原因は一つ二つではなく、方々で様々な問題が噴出している。まるで、世界そのものが老朽化してガタがきてしまったようにな。神様とやらは完璧かんぺきなシステムを作り、すべてが正しく回るように歯車を配していた。にも拘らず、どうしてここまで簡単に歪んでしまう? ……答えは簡単だ。歯車のいくつかが、限界に達しているからだ」
 だから、それを元に戻す。
 言葉にすれば簡単な目的。
 しかし、フィアンマがこれまでどれほどの犠牲ぎせいいてきたかを考えれば、その過程がどれほどまともではないかがうかがえるだろう。
「歯車を交換する必要もあるし、場所によっては新たな機構を設置する必要もあるだろう。古い家を改修する際、内部の配線に多少手を加えるようなものか。第三次世界大戦による『悪意の表出』も、言ってしまえば目詰まりしたほこりを取り出す程度の行為に過ぎん」
 フィアンマはさして重要でもないようなロ調で、そんな事を言う。
「歯車についた汚れをすべて洗い流した後に、改めて十字教規範という潤滑油じゅんかつゆを差して、元の軽快な動きを取り戻す。まあ、たとえるなら、そんなものか。ノアの方舟はこぶねに比べればまだまだつつしみ深い方だと思うぞ。……もっとも、大水で世界を洗い流しても、こうしてこびりついた悪意はのちの世界にまで残されていたようだったがな」
「……潤滑油」
 つぶやき、上条かみじょうはフィアンマの顔をにらみつける。
「それは大覇星祭だいはせいさいの『使徒十字クローテェ・ピエトロ』みたいに、人の心を都合の良いように組み替える魔術まじゅつでも使うって言うのか」
「そんな複雑な話じゃないさ。思い知らせる。それが一番伝わりやすい。なあに、俺様の『完全な腕』をたった一回でも振るえば、それでいやというほど実力の差を思い知るだろうさ。……さて、人類はどこまでおびえれば現実に気づくかな。俺様が行っているのは規範を破る者の頭上へ落雷を見舞う神話のばつと同じもので、従いさえすれば俺様が世界中の人間を救う瞬間しゅんかんを見られるのだという事に。『ベツレヘムの星』が夜空にかがやいたその時点で、すでに新しい時代は始まってしまっているのだという事に」
 結局、右方のフィアンマとは十字教徒だったのだろうか。
 それとも、神様の作った歯車はゆがんでいると、それを人間が手を加えて『直せる』と思っているのは、最大級の冒涜ぼうとくにあたるのだろうか。
 しかし、上条が気になったのはそこではない。
「世界中の人間を救う、ね」
 フィアンマの想像出来る範囲のみの幸福で、世界中をおおってしまう。
 それ以外の価値観は一切認めない。
 そういった世界。
 ある意味においての理想郷。
 幸福以外が絶滅した惑星。
「お前、『世界中』なんていうものを、本当にくまなく見て回った事なんてあるのか? そこでどれだけの人が笑っているのか、見た事はあるのか?」
「なるほど、興味深い意見だ」
 ニヤリ、とフィアンマは笑う。
「だが、そいつは世界を救ってから考える事にしよう」
 直後だった。
 真下から真上へ巨大な剣が跳ね上がった。
 それは上条の右のわきの下を潜る形で、一気に右肩へと向かって行った。
 回避かいひする時間も、受け流す余裕もなかった。

 トン、と。
 信じられないほど軽い音と共に、上条当麻とうまの右腕が肩の所から切断された。

 一方通行アクセラレータは、水の天使を打ち倒す事に成功した。
 ロからは荒い息がれている。『向きベクトル』を操作しているにもかからず、雪をむ二本の足は疲労でがくがくとふるえていた。
 成果はあったはずだ。
 水の天使の起爆は最小限にとどめる事ができた。
 本来ならば周辺数百キロはちりも残さずに消滅していたロシアの大地も、そこに住む人々も、とりあえずは守る事ができた。
 にも拘らず。
 一方通行アクセラレータの心臓は止まるかと思った。
 前方。
 雪の壁にぶつかるような格好で、一台の車がまっていた。番外個体ミサカワーストが運転し、打ち止めラストオーダーを乗せていたはずの車だった。明らかにまともな状況ではない。前部は大きくへこみ、フロントガラスは砕けていた。
 周囲の木々は同じ方向へまとめてぎ倒されていた。
 一方通行アクセラレータ達の戦いの余波だ。
 打ち止め達ラストオーダーは、その衝撃波しょうげきはをまともに浴びてしまったのだ。
「---、」
 つえをつく一方通行アクセラレータの体が、そのまま折れて雪の中に沈みそうになった。
 これでは、何のために戦ってきたのか分からない。
 番外個体ミサカワースト打ち止めラストオーダーも車内でぐったりとしていた。深刻なダメージを負った事は間違いないだろう。特に打ち止めラストオーダー。元々、エイワスの影響えいきょうで内側からのめ付けがあった所へ、さらに外部からダメージが加わった。彼女の体がどれだけ危険な状態にあるか、想像するのも恐ろしい。
 どうにかできるのか。
 羊皮紙ようひしの使い道はいまだに分からない。戦争は際限なく激化していく一方だ。そんな中で、打ち止めラストオーダー番外個体ミサカワースト戦闘せんとうを経てボロボロになっていく。『糸口』とやらを見つけて、それを具体的な『解決方法』 へと導くまでに、打ち止めラストオーダーの体はつのか。
「……何とか、できるかもしれません……」
 と、そんな声が聞こえた。
 弱々しい女の声だった。
「あなたにも、自らの手で助けたい人がいるんですね。私は厳密には人間ではありませんが、そういう人間の思考は理解できます」
 追い詰められ、必要以上に攻撃的になったひとみで振り返った一方通行アクセラレータは、そこで科学の天使を見つけた。彼女の体は不自然な半道明に透けている。
「そういう人になら、私の目的も託せるかもしれません。私は消耗し過ぎました。これで存在が消える事はありませんが、しばらく外界へ出力するのは難しくなるでしょう」
「何を言っている? 何とかできるってのは何なンだ!!」
「九月三〇日」
 科学の天使の告げた一言に、一方通行アクセラレータの目が大きく見開かれる。
 木原数多きはらあまた打ち止めラストオーダーを誘拐した日。一方通行アクセラレータにとって、その日付は人生の中でもとくに重要な意味を持つ。
「インデックスという、私の『友達』は……その子の頭の中に入っていたウィルスを、特定の歌を聞かせるという形で取り除いていました」
 そして、インデックス。
 エイワスとあの無能力者レベル0が共に言及していた一つのキーワード。
 もはや無視できるレベルの情報ではなかった。まるで吸い込まれるように、一方通行アクセラレータの意識が科学の天使の方へと向けられていく。
 だと言うのに。
 まるでたよりない蝋燭ろうそくの火のように、科学の天使の輪郭はどんどん頼りなくなっていく。
「……『歌』の内容自体は、その子の……ウィルスと、連動していた私の頭の、中にも……入っています。オリジナルの……ものは……『私』に、対応してい……るため、『私』か、ら、派生し……た『あの怪物』に……は通用しな……いかもしれ……ませんが、『歌』のパ……ラメータを書き……換えれば……」
 (歌? 五感を剌激して精神状態を制御する方法論か? 俺が天井あまいのウィルスに対抗したのと同じ、頭に直接作用させて……)
 消える。
 間に合わない。
 いちいち『歌』とやらを一から一〇まで教えてもらうだけの時間がない。
「……大丈だいじょう……」
 科学の天使は、自分のこめかみに人差し指を当てた。
 その指先も、ほとんど消えかけていた。
「『歌』……は、治療ちりょう……を受け……た、その子の……頭の……中……に……記---」
 気弱そうな笑みも、ブレる。
「パ、ラ……メータについ……ても、あなた……は、知」
 消滅した。
 見えなくなった。
 声らしい声も全く聞こえなくなった。
「---、」
 一方通行アクセラレータは電極のスイッチを入れ、周囲のベクトルを確認する。今まで学園都市と同じように満たされていたAIM拡散力揚が丸ごと消えていた。あの科学の天使は『消えた』……いや、強制的に学園都市へ『帰った』のだろうか。
 彼は少しだけ考えた。
 それから、故障して停車した自動車の運転席へ声をかける。
 ぐったりとした番外個体ミサカワーストへ。
「……生きてるか?」
生憎あいにくと。死んだふりして楽をしようと考えた時期もあったけど」
 むくりと顔を上げた少女は、意外に軽快な動きでつぶれた運転席から雪の上へと体を出す。
一方通行アクセラレータは特に気遺わず、
「なら、話は聞いていたな」
最終信号ラストオーダー記憶きおく領域には、ウィルスを除去するために使用した『歌』のデータが残っている」
 番外個体ミサカワーストは適当な調子で答えた。
「そいつを抽出すれば治療ちりょうの役に立つかもしれないって話の事かな。おやまあ、学園都市第一位っていうのは脳内の電気信号のベクトルを読み取って他人の記憶を盗み出す事までできるんだ。すっごーい」
「……俺のベクトル操作能力は、あくまでも電気信号の有無、〇と一の信号の羅列られつだけを抽出する。それが具体的にどんな記憶につながっているか、その再生機能は存在しねェ。CDの表面を見ただけで音楽を思い浮かべられる人間がいるか? それと同じだ」
「ならどうするの?」
「オマエの力を使う」
 一方通行アクセラレータは間髪入れずにそう言った。
「同じ妹達シスターズのシリーズなら、ミサカネットワークっていう大きな情報源に直接アクセスできるはずだ」
最終信号ラストオーダーは最上位の個体。通常アクセス権限しか持たないミサカじゃ、司令塔の頭の中はのぞけないよ。それができていたら、最終信号ラストオーダーを操ってあなたをおそわせていた」
「このガキの中までもぐる必要はねェ。こいつは自分の記憶をほか妹達シスターズと共有させてバックア
ップを取るくせがある。つまり、ネットワークを介して他の妹達シスターズに潜る事ができれば、『歌』のデータに触れられる可能性は高い」
「そりゃ不用心な。司令塔がバックアップに触れるタイミングに合わせれば、司令塔によからぬデータを埋め込めるチャンスが出てきそうだね」
「あァ。だが一般的には、その不用心は信頼しんらいって呼ばれているらしいな」
 き捨てるように一方通行アクセラレータは言う。
「そのおかげで、ギリギリの活路が見えてきた」
「けけっ。でも、仮に『歌』が見つかったとしても、そのままじゃ使えないって話じゃなかったっけ。内容変更のための追加パラメータはどこから手に入れるつもりなの?」
「分かってる」
 一方通行アクセラレータふところに手を伸ばした。
 羊皮紙ようひし
 科学では説明できないもの。
 だが。
 それは、そもそも学園都市の怪物エイワスについても同じ事が言えるのではないか。いかにAIM拡散力場をベースにしているとはいえ、アレを『科学的』と呼べるのか。第一位であるはずの一方通行アクセラレータがああも簡単に撃破げきはされた事も、『一つのルールの外にある存在』と仮定すれば、すんなりと理解できる節がある。
 だとすれば……。
「パラメータについては、こいつを探れば見つかるかもしれねェ。学園都市と、その『外』にあるもう一つの技術。組み合わせれば解決の道につながる可能性がある」

 麦野むぎの沈利しずりが『炸裂さくれつ』した。
 彼女を中心に、四方ハ方へ白い光の砲撃を放っている。
 時間帯を無視した不気味な夜空も、そこにかがやく四色の不自然な軌跡も、それらの超常現象を片っぱしからぎ払う、圧倒的な光の洪水だった。都会の夜景が星々を消してしまうのと同じく、麦野沈利の力は負の科学の象徴として、このロシアの大地に君臨する。
 荒れ狂う光の放射はやがて一カ所へと集束されていく。それは一本の腕。二〇メートル近い直立した構造物。見上げるほどの威容を浜面はまづらが感じ取った直後、まるでビルが倒壊とうかいするように、勢い良く閃光せんこうの腕が真上からおそいかかってきた。
「---!!!???」
 あわてて横に転がる。
 原子崩しメルトダウナーのアームは、分厚い雪どころか地面の奥までまとめて溶かし尽くした。
 爆音が炸裂する。
 大の男が一〇メートル以上吹き飛ばされる。恐怖で大声を発しようとしたまま口が奥まで固まっていた。水分がごっそりと失われている事に気づく。
 張り付いたのどを無理矢理に動かし、息を吸い込みながら、浜面はまづらは思う。
 直撃したのではない。
 そうなっていれば、バラバラになっていただろう。
 (水蒸気爆発……ッ!!)
 上半身全体がヒリヒリと剌すような痛みを発していた。背骨全体がきしんでいる。しかし苦痛を訴えているひまはない。
 次の一撃が来る。
 不幸中の幸いは、自ら暴走した麦野自身に、細かいねらいをつけられない事か。
 ただし、不幸と幸いのウェイトに差がありすぎる。
 すでに、麦野むぎの沈利しずりは見えなかった。
 彼女の閃光のアームはほどけ、再び全身からあらゆる方向へ、何千本、何万本もの光線が一斉に発射された。それは一瞬いっしゅんの事ではない。ロボットアニメのサーベルのように、永続的な放射が続く。麦野という女性の体の輪郭すらも塗りつぶしていた。浜面はまづらの視界はすさまじい光の乱舞によって残像が焼きつき、まともに機能しなくなっている。鋭い頭痛すら誘発ゆうはつさせる閃光せんこうの渦の中、彼はとにかく身を伏せた。鋼鉄すらも一瞬いっしゅん融解ゆうかいさせる麦野の攻撃こうげきが浜面の体を両断しなかったのは、奇跡以外の何物でもなかった。
 近づけない。
 接近は間違いなく死を意味している。
 今までの戦闘せんとうでだって、麦野の原子崩しメルトダウナーは圧倒的だった。何しろ、遮蔽物しゃへいぶつごと相手の体を貫通させるような砲撃を好き勝手に放てるのだ。吐息といきの音一つ聞かれただけで死がつきまとう。そんなレベルの相手だった。
 しかし、今は違う。
 さらに違う。
 あれはもう溶鉱炉や太陽と同じだ。息を殺して死角から近づくとか、心理的なすきを突いて攻撃するとか、そんなチャンスすらも残されていない。あまりにも莫大ばくだいな光。下手へたに近づいただけで、人体は致命的な傷を負うだろう。触れればどうなるかなど論じるまでもない。
 しかも。
「……はーまづらぁ……」
 爆発的な騒音そうおんの中、それでもかすれた声が浜面の耳に届く。その声が近づいてくるのが分かる。そう、近づいてくる。あれだけ『炸裂さくれつ』している麦野沈利しずりは、ゆっくりとこちらへ向かって来ているのだ。近づくだけで人体が焼けつく溶鉱炉が、死神となって歩いてくる。
 これが『体晶たいしょう』。
 これが原子崩しメルトダウナー
 元々、悪魔あくまのように強大な能力だった。そこへさらに破滅的な効果を生む薬品(?)を上乗せしたらどうなるか。この世の地獄となった麦野むぎの沈利しずりがそのすべてを余す事なく表現している。
「……私は、ここまで捨てたぞ」
 悪夢のような声だった。
 声色だけで、ちっぽけな男の心臓を丸ごと鷲掴わしづかみにしてくる。
「『体晶』を使えばどうなるか。それぐらいは分かっている。でも、私はきちんと捨てたぞ、浜面はまづら。相応のものを支払って私はここに立っている。これでお前の方が無傷ってのはおかしいだろ。……まさか、何も捨てずに場を収められるとは思っていないよなあ……?」
 同じ人間なのか。
 浜面は、素直にそう思った。もはや、スキルアウトのころに抱いていた、強大な能力者に対する漠然とした対抗心など欠片かけらも存在しなかった。こんなヤツらは正気じゃない。生きている世界が違い過ぎる。がけまでの距離を競い合うチキンレースをしているはずなのに、麦野沈利は背中のつばさを羽ばたかせて崖の先を悠々と飛んでいる。そんな怪物相手にマシンを走らせた所で、待っているのは崖下一直線だけだ。
 勝てない。
 どうにもできない。
 雪の上にいつくばったまま、身動きが取れない。
 ここでアサルトライフルの引き金を引いてありったけの弾丸を放った所で、あんな怪物相手に何になる。すきもない。死角もない。三六〇度全方向へ永久に死の攻撃こうげきを放ち続ける超能力者レベル5へ、一体どうやればかすり傷を負わせる事ができるというのだ。
「……はまづら……」
 死が名前を呼んでいる。
 死がこちらへ近づいてくる。
「はまづら」
 背中を見せても意味はない。この雪の中、徒歩で距離きょりを取ろうとした所で、麦野がちょっと意識を集中させて『砲撃』すれば努力は無に帰す。同様に、林の木陰に隠れようとしても、木の幹ごと貫かれる。
 遠くへ逃げても殺される。
 しかし、だからと言って立ち向かえば寿命を縮めるだけ。
 ならば。
 一体、どうすれば良いのだ……ッッッ!!!???
「はーまづらあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
 咆哮ほうこう
 あれだけ視界を塗りつぶしていた白色が、一気に消失していく。いいや違う。全方向に放たれていた攻撃が、一点に集約されていっているのだ。浜面仕上はまづらしあげを真正面から貫くために。ターゲットの胴へ、確実に巨大な風穴を空ける、それだけのために。
 今さらどこへ逃げても無駄むだ
 遮蔽物しゃへいぶつなどまとめて貫通する死の攻撃。
 (死、---んッ!?)
 呼吸は止まったが、それでも浜面の両手は跳ね上がった。安全装置がどうなっているかも確認せず、とにかくアサルトライフルの銃口を麦野へと突きつける。一%でも、〇・一%でも、滝壷理后たきつぼりこうが生き残れる可能性を作るために、浜面は引き金を引こうとする。
 そして。
 麦野むぎの沈利しずりの咆哮が爆発的に広がっていく。
「ああああォォああああああああああああああああああオオオオああああああああああああああォォォォォああああああああああああああォォォああああああああああァァァあああああああああああああああァァァ---ッ!!」

 唐突に、すべての光が消えた。
 かくん……と、麦野沈利の体が雪の中へと崩れ落ちていった。

「は……?」
 目の前の光景が、理解できなかった。
 浜面はまだ引き全を引いていない。第三者が突然現れて麦野を攻撃こうげきした訳でもない。だれも、何もしていなかった。なのに、麦野は勝手に力を失い、糸の切れた操り人形のように倒れてしまったのだ。
 何が、と思うだけの余裕はなかった。
 (……助か……った……?)
 それだけを、ただ思った。
 そこで気づく。
 雪の中に沈んだ麦野沈利の体がガクガクと小刻みにふるるえている事に。特殊メイクのがれた顔は、極寒ごっかんのロシアには似合わないほど大量の汗が噴き出していた。まるで高熱にうなされているような顔色だった。浜面は知っている。彼女と良く似た状態の少女を、ずっと近くで見てきたからだ。
 『体晶たいしょう』。
 それは、元々能力者を意図的に暴走させるために開発されたものだ。ごくまれに、暴走状態の方が強力な能力を行使できる者がいるため、滝壷たきつぼのような一部の能力者へ支給されていたが、本来は適性のない能力者が使って良いものではない。
 麦野むぎの沈利しずりには、そのような『特徴』は存在しなかったのだ。
 『体晶』は、資質を持った滝壷の体さえも徐々にむしばんでいった。何の資質も持たない麦野が強引に使えば、どれほど強い弊害へいがいこうむるかは問うまでもない。
 麦野沈利はそこまでした。
 もはや第四位程度の力では足りないと。二度敗北させられた浜面仕上はまづらしあげを確実にたたき殺すためなら、その後の肉体などどうなっても構わないと。そうぃう風に考え、麦野は『体晶』を使っていたのだろう。
 (……麦野も、元々立っているのが精一杯だったのか)
 そもそも、無能力者レベル0の浜面には分かっていた事ではなかったか。
 そう簡単に、何のリスクもなく、能力の強さを引き上げられるような物があれば誰も苦労はしないと。
「なん、で……だよ……」
 雪の中で、何かがもぞもぞとうごめいていた。
 それは、かつて『アイテム』という組織を統率していた女王の末路だった。
「何でだよ、クソが。クソがクソがクソがクソがっっっ!!!!!! 『体晶たいしょう』……『体晶』はどこ行きやがった。あと少し……あと一〇秒で全部綺麗きれいに終わっていたのに……ッ!!」
「……、」
 事態を知り、浜面の手がふるえた。アサルトライフルの銃口がたよりなさそうに揺れる。今も雪の中でもがいている麦野への射線が大きく開かれるのを感じる。
 今なら殺せる。
 ここで殺せば自分も滝壷もこれ以上ねらわれる事はなくなる。
 引き全にかかる人差し指が痙攣けいれんした。
 しかし。

 本当に、殺してしまって良いのか。
 ロシアに来る直前、再会した麦野沈利と殺し合った事を後悔していたのはどこのだれだ?

 浜面は、改めて倒れ込んだ麦野に目をやった。
 元々は、女の子たちで構成された『アイテム』の中でも一番グラマーな少女だったはずだ。服のセンスも悪くなかった。手足がスラリと長くて、一つ一つの挙措に優美な色がついていた。完全にしたに見られていた浜面はまづらは、彼女の生い立ちなんて聞かされた事もない。それでも、どこかのお嬢様じょうさまみたいだなと予想はつけられた。
 それなのに。
「浜面ァァァあああああああああああッ!! 見下してんじやねえぞクソが! テメェだけは……テメェだけは、何があっても私の手で殺す!! あそこで全部つまずいたんだ。あの植物性エタノールエ場でテメエにたれたあの時から!! テメェをたたつぶさなきや頭ん中のイライラが収まらねえんだよォォォォォォ!!」
 今も麦野むぎのはボロボロだった。腕を一本失い、片目も潰していた。顔にはひどい火傷やけどがある。外側だけでそれだ。内側だってどうなっているか分からない。内臓は本当に正しい位置に収まっているのか。そもそも数はそろっているのか。得体えたいの知れないモノが付け加えられていたりしないか。それすらも分からない。浜面の見ていない間に、一体どれほどの事があったのか。あれだけの重傷から、何度も何度も『起き上がってくる』事自体が普通ではないのだ。その、普通ではない事を支えるために、どれほどグロテスクな技術が投入されているかは想像もつかない。
 極めつけに、『体晶』。
 もう見る影もなかった。体の中央にしんが通っていない。ちょっと指先で肌をつついただけで、腐ったゼリーのようにずぶずぶと沈み込んでいきそうな感じすらした。今まで立っていた方がおかしかったのだ。学園都市の『やみ』は、完全に彼女を使い捨ての道具にした。
 ---何で、ここまでひどい怪物になっちやったのかな。
 第二三学区で、麦野沈利しずりはそう言っていなかったか。その言葉を聞いた時、自分は一体何を考えた。学園都市を飛び出した時、もう路地裏の殺し合いなんてごめんだとは思わなかったか。
「麦野……」
 ここで殺してしまったら、何も変わらないのではないか。
 もう、学園都市の『闇』に背中を押されるままに血を流すのはいやだから、自分はロシアまでやってきたのではなかったのか。
「麦野ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 気がつけば、浜面は駆け寄っていた。アサルトライフルなど投げ捨てた。こんな物などいらなかった。
 あれだけ強大な壁として立ちふさがってきた麦野からは、何の攻撃こうげきも来なかった。彼女はただ、ビクビクと小刻みにふるえただけだった。
 浜面は麦野へ近づき、身をかがめ、背中に手を回して雪の中から起き上がらせる。
 自然と抱き寄せるような格好になると、女性らしい柔らかい感触のほかに、何か、ゴツッと硬い違和感がてのひらに伝わった。 最初、コートの裏に何かを隠し持っているのかと思った浜面はまづらだったが、すぐにそうではない事に気づいた。
 体内に何かある。
 麦野むぎのの顔色は変わらない。彼女にとってはもう当たり前すぎて、いちいち論じる事ではないのかもしれない。ショックを受ける浜面の顔を見て、彼女は震えるくちびるを動かしてこう言ってきた。
「……何の、つもり……?」
「もう嫌だ……」
 絞り出すように、浜面は本心をき出した。
「何で俺たちがこんな風に殺し合いをしなくちゃならないんだ!! そもそも対立のきっかけになった『アイテム』だの『スクール』だのの戦いだって、ホントは学園都市の大人達が解決するはずの問題じゃなかったのかり‥ あいつらの欲望が、あの街の『闇』を作っていたんだろ。何でその尻拭しりぬぐいのために、俺達がこごまでしなくちゃならないんだ!!」
「……、」
「麦野も、滝壷たきつぼも、絹旗きぬはたも、フレンダだって、あんなに仲が良かったじゃないか!! 四人全員がそろっていたころなんて俺はそれほど知らないけど、俺が『アイテム』の下に就く前からお前達はずっと背中を預け合っていたじゃねえか!! 何でだ。何でこうなった!! 単にお前が短気でフレンダをぶっ殺しちまったってだけじやねえ。学園都市の上層部が本当にあの戦いすら掌握しょうあくしていたっていうなら、細かい勝敗はどうあれ、元々『アイテム』が『スクール』に負ける事だって仕組まれていたんじやないのかり‥ 追い詰められた俺たちは、互いに殺し合うように設計されていたんじやねえのかよ!!」
 神様みたいに人の運命を操作している学園都市の上層部は、こんな会話すらも予測しているのだろうか。そして暗い部屋の中でくつろぎながら、ボロボロの言葉を聞いて嘲笑あざわらっているのだろうか。
「なあ。俺のみじめめな所を見たいならいくらでも見せてやる。死ぬほど頭を下げるし、靴底だって気が済むまでめ回してやるし、預金通帳にライターで火をけたって構わねえ。そんなもんで戦いが終わるんだったら、俺は何でもやってやる」
 胸の奥から本音をき出しながら、浜面は『本当の敵』の輪郭が徐々に浮き彫りになっていく感覚をつかんでいた。それは麦野みたいな怪物ではない。たった一人の女の子を、怪物に作り変えてしまった連中だ。
 社会や生活環境が悪かったんです、などという台詞せりふを吐くつもりはない。麦野レベルの災厄さいやくは、自然環境では絶対に発生しない。彼女はそういう規模の悪夢だったのだ。
 ただし。
 路地裏の不良や能力者の周辺のすべてを作為的に組み替えて悲劇を作り出し、自らの利益に還元している何者かがいるのだとすれば。
 それは単なる怪物などよりも、よっぽど恐ろしい『悪意のかたまり』なのではないだろうか。
「だから、もうやめよう」
 戦う必要なんてなかった。
 命のやり取りを行った所で、得をするのは絶対に手の届かない所でつめみがいているお歴々。何故なぜ、彼らの宝石や絵画の数を増やすためだけ仁、自分達が血で血を洗う闘争とうそうを行わなければならない。一体どんな理由があれば、一人ぽっちの女の子が怪物に作り上げられ、その女の子を怪物呼ばわりして銃口を向けなければならないのだ。
 だから、浜面はまづらは言う。
 ようやく、学園都市という巨大な『やみ』が張り遣らせた精神的なくさりを完全に断ち切った浜面は、一人の人間として、ごく当たり前の事をロに出す。

「もう、殺し合いなんてやめよう」

 しばらく、麦野むぎの沈利しずりだまっていた。
 怨敵おんてきに体を抱き寄せられたまま、普段ふだんの彼女であれば指先一本動かさずにターゲットを瞬殺しゅんさつできる距離きょりで、しかし超能力者レベル5の怪物は無能力者レベル0の少年に体重を預けていた。
 やがて、彼女はくちびるを開く。
 その首を、横に振る。
「……何を言っているのよ、浜面はまづら……」
 絞り出すような言葉だった。
 自分自身の心を粉々に砕き、その奥にあるものをさらけ出すような声だった。
「お前は、滝壷たきつぼを選んだじゃないか。あいつを助けるために、お前は二度も私をったじゃないか。その浜面が、今さらこんな私を助けるって言うの……?」
「そうだ……」
 うめくような声を出して、浜画はうなずいた。
「そうだよ!! 俺は滝壷を選んだ! 命をけて守るって誓った!! その事は今も変わらない!! だから俺は、今さらお前の事なんか選び直せない!! 事実は何も変わらない。俺は、滝壷を守るためにお前を見捨てたんだ!!」
 どんなみじめめな事でも受け入れる、と浜画は言っていた。それで争いが止まるのなら、と。彼は自分の振るった暴力の重みを理解している。そう気づいた麦野の唇のはしが、ほんのわずかに、注意しないと分からないほど繊細せんさいゆるんだ。
 そしてかえりみれば、彼女の体はボロボロだった。
 単に片目と片腕を失っただけではない。そんな事が問題にならないぐらい、麦野沈利しずりの体内は無茶苦茶むちゃくちゃにかき回されている。学園都市の得体えたいの知れない医療いりょう技術に、全身を駆け巡る『体晶たいしょう』の猛威。その無残な現状を思い返しながら、麦野むぎのはポツリとつぶやいた。
「……勝手な野郎ね」
「分かってる。多分、俺は学園都市の中でも最低な人間だ」
「私は、フレンダを殺したぞ。『アイテム』もバラバラに引き裂いた。滝壷たきつぼの命をねらったのだって一度じゃない。そんな私を、お前はどうやって救うって言うのよ」
「ただで済むとは思ってない。それは俺も、お前もおんなじだ」
「……?」
「だから、お前は絹旗きぬはたに死ぬほど謝って、滝壷にも頭を下げて、フレンダの墓の前で涙を流して許しをえ。そうしたら……」
 そこで、浜面はまづらは一度だけ言葉を切った。
 無能力者レベル0の不良が、足りない頭をフルに使って、伝えるべき言葉をつむぎ出していく。

「そうしたら、俺たちはもう一度『アイテム』になれる。必ずなれる!!」

 反論などなかった。
 それ以前に、麦野沈利しずりの思考が完全に停止していた。
 そんな沈黙ちんもくの中、浜面の言葉だけが続く。
「それまでの間なら、俺がお前の命を守ってやる! お前も、滝壷も、絹旗も、みんなが『アイテム』に戻るためだったら、俺は自分の命をけられる!! だから立てよ麦野。たのむよ、もう一回だけ、本当に自分の足で立ってくれよ!! 学園都市の連中が生み出した、ゆがんだ精神的な鎖プライドなんて断ち切ってくれよ!!」
「……無能力者レベル0の浜面が、超能力者レベル5の私を守るだって……?」
 そこまでつぶやくと、麦野はニヤリと笑った。
 麦野沈利、絹旗最愛さいあい、フレンダ、滝壷理后りこう
 彼女たち一緒いっしょにファミレスで作戦会議をしていたころと同じ笑みだった。
「冗談じゃない。私をそこまで低く見るなよ」
 浜面の手を押しのけ、麦野はゆっくりとした動作で雪の上に立ち上がった。その体がふらりと揺れる。あわてて体を支えようとする浜面を片手で制すると、麦野はあごを使って、不気味な四色の光の軌跡を走らせる夜空を示した。
 学園都市製の超音速爆撃機ばくげききが通り過ぎようとしていた。
 その爆撃機の針路に合わせて、三体のかたまりが一直線に降下してくるのが見えた。
 ジリジリジリ!! という耳障みみざわりな音が聞こえた。雪の上に落ちていた、ロシア軍工作部隊の無線機からだ。何者かがジャミングを仕掛けている。これから起きるであろう非人道的なすべての出来事を、欠片かけらも外部へらさないようにするために。
 ひどいぬめりのヘドロに触れたような、嫌悪感けんおかんがあった。
 プライベーティアと対峙たいじした時と同じ、あの『におい』がする。同じ学園都市の兵器のはずなのに、ロシア軍工作部隊を撃退したあの怪物航空機の時とは印象が正反対だ。あれは頼んでもいないのにスチームディスペンサーを爆破してくれるような、優しい相手ではない。
 確実に殺しに来る。
 それだけを目的にしている。
 浜面はなづらはそう直感した。
 麦野むぎのは不気味な夜空を見上げながら、ボソリと呟く。
「……元々、私は使い捨てだったらしい。ガラクタが成果を発揮する前に全壊ぜんかいしたって判断されたんだろ。第二プランとやらが降ってくるぞ。どうする浜面?」
「言ったはずだ」
 浜面は少しはなれた所に投げ捨てていたアサルトライフルを再び拾い上げた。
「俺達がみんなそろって『アイテム』に戻るためなら、命を懸けても良いって」
「……ふん。良い度胸ね」
 麦野は浜面には届かないよう、口の中だけで呟いた。
 一方の浜面は周囲を見回していた。学園都市の暗殺者達が降下完了するまで、若干じゃっかんのタイムラグがある。その間に、まずは雪崩なだれの余波ではぐれてしまった滝壷たきつぼを見つける。そうしたら、今度は夜空からおそいかかってくる学園都市の暗殺者たち迎撃げいげきするための作戦を練らなければならない。
 与えられた時間は少ない。
 麦野沈利しずりの代わりとなるほどの『やみ』が、間もなく浜面達をみ込もうと迫り来る。

 聖ジョージ大聖堂、地下。
 インデックスの猛攻に容赦ようしゃはなかった。
 彼女は『ステイル=マグヌスは、炎の巨神をえて三体ワンセットにする事で、三位一体の構造を作り、結果として通常よりも負担を軽減させている』事を即座に看破。その構造を崩すため、一体の『魔女狩りの王イノケンテイウス』だけを集中攻撃したのだ。
 三体でステイルの負担を軽減させていた『魔女狩りの王イノケンテイウス』は二体に減らされ、安定を失った負荷がまともに彼を苦しめていた。
 しかし戦いは止まらない。
 休んでいるだけの時間はない。
  一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょをフルに駆使するインデックスの猛攻はそんなひまを与えない。
 異質なものがまとわりついていた。
 感情のないひとみの中には魔法陣まほうじんかがやき、ぐにゃりとしんを失った背には赤いつばさが生え、その周囲には光の粒子のようなものが集まって形作られた西洋剣が複数漂っている。どれも敵対者を徹底的てっていてき殲滅せんめつするために機能しており、今現在の標的はステイル=マグヌスだった。
「く……ッ!!」
 こうしている今も赤い血の翼が何度も振るわれ、光の粒子でできた細長い剣のようなものを多角的に突き込まれた。剣はインデックスの手の中にはない。彼女の周囲に浮かんでいた。ステイルは豊穣神ほうじょうしんフレイの持つ、自動的に戦い自動的に敵を殺す剣を連想した。
 (天使の翼に豊穣神の剣……ッ!! 十字数と北欧神話を組み合わせる僕に、良くもまぁ合わせて来てくれたものだ!!)
 北欧神話の中で、あの剣を敗北させた伝説は存在しない。最後の戦いラグナロクにおいても、『フレイは戦争が始まる前に、その剣を他者に預けてしまったから負けたのだ』とあるだけで、あの剣に勝つにはどうすれば良いのか、その方法はどこにも記述されていないのである。
 そう。
 主神オーディンも雷神トールも、その武具と共に敗北したにもかかわらず、あの剣だけが。
 『魔女狩りの王イノケンテイウス』だけでは足りない。
 あっという間にすり減らされ、回復を待たずに消滅させられてしまう。
 そうなったら、だれがインデックスを止める。
 どうやって彼女を助ける。
 そう思ったステイルは、

 ごう!!‥ と。
 迷わず炎剣を生み出し、インデックスと『魔女狩りの王イノケンテイウス』の間に割って入る。

 炎の巨神が二体だから、回復の時間をかせげなかった。
 インデックスのラッシュに修復が間に合わず、えぐり取られるように勢いを失っていった。
 ならば、その分をほかの手段で補ってしまえば戦える。
 回復させるための時間さえ稼げれば、ローテーションは成立する。
 ザンガンザンガンギンガンゴン!! と複数の断撃ざんげきが走り、血のつばさや巨神の腕が振るわれた。ステイタの体がさらに内側からめ付けられ、いやな汗が伝う。炎剣も万全ではなかった。インデックスの攻撃を受けてり飛ばされる事もあった。ギリギリの所で身をひねり、ステイルはかろうじて戦闘を続行させていく。
 しかし。
 一〇万三〇〇〇冊を奪おうとする者を、個人だろうが結社単位だろうがまとめて殲滅せんめつするために作られた『自動書記ヨハネのペン』モード。その彼女に対し、ステイル=マグヌス一人で対応できているという事実そのものが、異常と言えば異常だった。
 単にステイルの成長だけでは説明がつかない。
 明らかに、インデックスは不調だった。
 (遠隔えんかく制御霊装れいそう弊害へいがいだな)
 たった一人で一〇万三〇〇〇冊を切り崩すという偉業を成し遂げておきながら、ステイルは自己の能力を過大評価しなかった。
 (意識に無駄むだな割り込みがかかっているせいで、精度と速度が劣っている。あの時、あの右手と共に戦った状態であれば、こんな小細工は通用しなかっただろう)
 とはいえ、感謝するつもりはない。
 そもそも、あんな物がなければ彼女が苦しめられる事もなかったのだから。
 ステイルは大きくみ込む。
 一瞬いっしゅんすきだった。
 ここで炎剣を爆発させれば、彼女の意識を奪う事ができる。いくら魔術的まじゅつてきに強大な存在であっても、その本質は華奢きゃしゃな少女だ。衝撃波しょうげきはをまともに浴びれば行動不能に追い込む事もできるはずだ。そして、その間に追加のターンのカードをり付けて精神的に拘束する。
 それで終わりだった。
 にもかからず、土壇場どたんばでステイルの意識がわずかに引っ掛かった。
 たとえ、彼女を守るためとはいえ。
 遠隔えんかく制御霊装れいそうのせいで、望まぬ戦いをいられているとはいえ。

 今までだって、この子をたくさん傷つけてきた。
 これ以上、傷一つでも与える事を、ステイル=マグヌスの魔法名まほうめいは許容できるのか?

 考えてはいけない事だった。
 こんな事で消費してはいけない時間のはずだった。
 そして。
「第三二章第四四節。反撃はんげきのための準備が整いました」
 守るべき少女の、冷酷れいこくな声が届いた。

行間 六

 学園都市の戦車を奪うのは簡単だった。
 元々、美琴みことは電気を操る能力者のトップで、戦車はディーゼルをメインの動力にしていたものの、大部分が電子化されているのも事実だった。ケーブルなしでダイいクトにハッキングを行う美琴にとって、これらの兵器は敵ではない。
 世の中には、対電気系能力の装備として、ありとあらゆる電磁波を徹底的てっていてきはじく装甲板で身を守ったり、薬品によって化学性スプリングを収縮させる方式に特化させた駆動鎧パワードスーツなども存在するのだが、その手の対策は車両にまではほどこされていないようだった。
 遠方からエンジンを止め、ハッチのロックを外し、中に乗り込んで乗組員をたたき出す。
 彼らは異状を知らせようとするが、その無線通信に対しても美琴は干渉を行っている。戦場を俯瞰的ふかんてきにモニタリングしているレーダーや、UAVからの空中撮影についても同様だ。戦線を離脱りだつしても気づかれる事はない。
「ふうん。戦車ってのは意外に早く進むもんなのね」
 妹達シスターズが操る戦車の中で、美琴はそんな事をつぶやいた。
「元々、近代的な戦車は高速道路を問題なく走れる程度の出力は保有していますが、この雪道で時速一五〇キロを叩き出せるのは学園都市の技術の賜物たまものでしょう、とミサカは適当に報告します」
「ま、一台七〇億の鉄のかたまりなんだから、これぐらい役に立ってもらわないと困るわよね」
「複合素材ですお姉様オリジナル、とミサカは訂正します。近頃ちかごろの戦車の主砲はマッハ四・五ぐらいは出しますよ、とミサカはボソッと付け足します。お姉様の超電磁砲レールガン以上の出力です」
「べっつに速度だけで勝負している訳じゃないし」
 それは電気系能力の象徴として名乗っているだけであって、別にそれ一種類にあらゆるプラ
イドが凝縮ぎょうしゅくされている訳ではないのだ。むしろ複数の用途で多角的に敵を叩く手数の多さにこそ、彼女の真骨頂はある。
 (……だから、まあ、どんな手を使っても片っぱしから打ち消していくあの馬鹿ばかが格別に引っ掛かる訳なんだけどさ)
「ごにょごにょ言っている所申し訳ないのですが」
「うにやあ!?」
「核弾頭 Nu‐AD1967 の準備を進めている独立部隊の方に目視で勘付かんづかれたようです、とミサカは報告します」
 全力疾走しっそうあだとなったか。キャタピラに舞い上げられた雪煙を暗視スコープか何かで見られたようだ。
 遠方から、何かが発射された。
 核弾頭の事ばかりで頭がいっぱいになっていた美琴みことの背筋に緊張きんちょうが走るが、どうやら本命ではないらしい。それにしてはミサイルは小さく、そして数も多かった。
「空爆用の地対地ミサイルのようです、とミサカは警告します。数はおよそ三〇から四〇」
「にゃるほど」
「さっきから猫っぽくなっているようですが、いかがいたしましょう、とミサカは行動を促します」
「もちろん」
 言いながら、美琴は頭上のハッチに手を掛けた。
 小型のマンホールのような円形のハッチを大きく開け、主砲の砲塔上部から上半身を外へ出した美琴は、
「得意分野で料理してやるわよ!!」
 叫び声と同時に、前髪から火花が散った。
 放たれたのは雷撃らいげきやりではない。前方広範囲へ甚大じんだいな電磁波が照射されたのだ。空中を音速の二倍以上で進む地対地ミサイルがターゲットを素敵する、レーダーそのものに干渉するよう
な形で。
 ミサイルは即座に目標を見失い、あらぬ方向へと落ちていく。
 複数の爆音が炸裂さくれつし、直撃していないにもかかわらず美琴のほおに平手打ちをらったような衝撃しょうげきが走り抜けたが、彼女は無視して前方を見据えた。
「このまま前進!! 後ろへ下がっても次の弾幕を準備させるだけよ! ここで一気に片を付ける!!」
「み、ミサ……」
「?」
「ミサ深刻なカミ電波障害サカミのネットワークがサカミサカ断線ミサ緊急カミサ復帰作業をカミサカぶくぶく」
「わわわ!! アンタ何いきなりぶっ飛んでんのよ!? は? 同系統最大能力による高出力ジャミングに対して脆弱性ぜいじゃくせいがある事に今気づいた?」
 運転席でガクガクとトランスを始めた妹達シスターズに、美琴はあわてて電磁波の照射を中断させる。
「ふ……所詮しょせん量産型ではお姉様オリジナルには敵わないという事なのですね、とミサカは自嘲じちょう気味に自らのポジションを再確認します」
 しかし当然ながら、ジャミングを中断すれば相手の空爆を思い切り受ける羽目になる。
「とにかく突っ込んで!!」
 美琴みことは叫ぶ。
「一定の距離きょりまで近づいてしまえば、自分たちを爆風に巻き込む事を恐れて大規模な爆撃ばくげきは行わなくなる!!」
 ガォン!! とディーゼルエンジンが応じるようにうなりを上げた。地対地ミサイルが発射された地点まで、もうニキロもない。
 独立部隊の方も爆撃はあきらめたようだが、代わりに丘の陰に隠していた戦車隊を移動させてきた。多少の被弾は覚悟しても、数十の主砲を集中させてこちらを確実に吹き飛ばす腹だ。
「推測しますが、五〇〇メートルも進まない内に二〇回は爆破されるとミサ」
「なら、その前にケリをつける!!」
 ゾワリ、と美琴の戦車の周囲で黒い影がうごめいた。
 いや違う。
 それは雪の下に眠っていた、大量の砂鉄だ。周囲二〇〇メートルほどから徹底的てっていてきにかき集め、磁力を利用して随伴ずいはんさせているのだ。
 相手からすれば、壁のように見えたはずだ。
 陸地をおそう直前の、巨大な津波のように絶望的な壁。
 これこそが第三位の超能力者レベル5
 単なる砲撃だけではない。
 この応用力をもってしても、最後の最後まで全く対処のできなかった者を、美琴は二人しか知らない。正と負。双方の極に立つ能力者だけである。
「行っっっけェェェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
 叫び声と共に、膨大ぼうだいな砂鉄が上方から美琴を追い抜き、一足先に敵陣へと突っ込んだ。うねりを上げる津波のように、あるいは生物的なへびのように、高速振動しながら拠点を席巻する砂鉄の山に、ロシア軍の独立部隊も対処できなかったらしい。
 当たり前だ。
 どれだけの砲撃を浴びせても、砂鉄の渦はびくともしないのだから。
 混乱する敵陣の中央へと、妹達シスターズの操る戦車は悠々と突っ込んでいった。美琴はハッチから完全に体を乗り出し、真正面を見据える。
 敵陣中央に、巨大なトラックのような車両があった。タイヤの数が二〇以上もある、列車の客車一両以上もの大きさのある特殊な車だった。ただし荷台に当たる部分には、長大な円筒が搭載されていた。油圧シリンダーを使って垂直に立てられたそれは、おそらく Nu-AD1967 を積んだミサイルだろう。
 まるで状況にかされるように、その後部から爆炎が放たれた。
 雪の上を横滑よこすべりする戦車の上から、美琴は勢い良く跳んだ。
 (……大陸間弾道ミサイルだろうが『外殻』を詰め替えた戦略核弾頭だろうが、基本的には電子制御。雷撃らいげきやり一発で使い物にならなくなる)
 下手へた超電磁砲レールガンを使おうとしないのは、核物質の漏出ろうしゅつを防ぐためだ。あくまでも制御用の回路のみを破壊はかいしてガラクタに変える方が、ここでは安全で確実だ。
 ミサイルを固定するためのアーームが切りはなされるかどうかの所で、空中の美琴みことは前髪に意識を集中させる。
 青白い火花と共に、美琴はありったけの力を込めて叫んだ。
「---吹っ飛べ!!」

第一〇章 最終術式下準備完了  Rebirth_the…

 サーシャ=クロイツェフは『ベツレヘムの星』の中を走っていた。
 十字教史上でも類を見ないほど大規模な神殿である『ベツレヘムの星』。しかしその中は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。僧兵一人見当たらない。暗に、この要塞ようさいを築き上げた右方のフィアンマという人物の深部が浮き彫りになっているような気がした。あの男は、根本的な所で『仲間』というものを信じていない。だからこそ、こんな構成になってしまったのだ。
 学園都市の学生とおぼしき少年とは、フィアンマの攻撃こうげきによって分断されてしまった。
 本当なら今すぐ加勢するべきだが、真正面から戦っても勝ち目がない事はエリザリーナ独立国同盟で思い知らされている。あのフィアンマという男は、怪物だ。魔術まじゅつという理屈を、ほとんど超えかけてしまっている。
 ただし。
 相手が右方のフィアンマ個人でなければ、話は別だ。
 (……私見ですが、プロジェクト=ベツレヘムの根幹に、この神殿と変異した夜空が深くかかわっている。そして、その制御を行うためにフィアンマと『ベツレヘムの星』は魔術的にリンクしている可能性が高い)
 油断なく周囲を観察しながら、サーシャは高速で神殿の廊下を走り抜ける。
 (……補足説明しますと、真正面からでは太刀打たちうちできないフィアンマに対しても、『ペツレヘムの星』を迂回うかいした間接的な攻撃なら『通る』可能性も出てきます)
 とにかく急がなければならない。
 あの少年の素性すじょうについて詳細は分からないが、魔術を知っている風ではなかった。ならば、本来は非現実オカルトの検閲と削除をむねとするロシア成教の手で守られるべき存在である。あれはどの怪物の『時間かせぎ』として素人しろうとを使う事自体、自発的に己を処罰すべき事態だった。
 (……しかし、具体的にはどこをねらう!? 『ベツレヘムの星』は半径四〇キロ以上の大規模な神殿です。的確なポイントを探すだけでも相当の時間を使ってしまいます!!)
 あせるサーシャは、そこで横合いの柱の陰から奇妙な声を間いた。
「じゃんじゃっじゃじゃじゃーん!!」
「っ!?」
 ビクツ!! とおどろいた猫のように体を強張こわばらせ、思わず腰のベルトからL字の釘抜きバールを抜いてしまうサーシャ。しかし日本の居合のようにスイングされた鋼鉄のかたまり先端せんたんは、声の主の体を貫く事はなかった。
 『はがねの手袋』。
 機械的なパーツを強引に組み合わせて作った腕の模型のような霊装れいそうと、拷問ごうもん用に改造された釘抜きバールとが激突し、空中で派手な火花を炸裂さくれつさせる。
 声の主は、ラクロスのユニフォームにジャケットを足したような服装の少女だった。ミニスカートのしりの部分から、人工的な『尻尾しっぽ』のようなものが揺れているのが特徴的だ。
「いやー。『ベツレヘムの星』浮上時に、『鋼の手袋』を使って外壁につかまったまでは良かったんですけどね。地上のベイロープたちと連絡を取るためのラインを構築しようとしたんですが、予想以上にこの要塞ようさいのガードが堅くて穴を空けられませんでした。今は、のちのイギリスのために、この要塞のテクノロジーを少しでも頭にたたき込んでいる最中です。肝心の少年ともはぐれてしまいましたし、ちょいと迷子を捜しつつ寄り道をさせてもらっている訳です」
 黒髪の少女は釘抜きバールでぶん殴られた事も気に留めず、
「ロシア成教の方ですね? お困りのようでしたので料金プランについて説明しに来ましたよ。オススメは途中下車コースです。今ならお安くしときますぜ」
「……?」
 小さく首をかしげるサーシャに、黒髪の少女は『尻尾』を器用に動かし、その先端である方向を示した。そちらは神殿の下部だった。何か四角いコンテナのようなものがいくつもぶら下がっているのが見えた。
緊急きんきゅう用の脱出装置みたいですねえ。バスとパラシュートを組み合わせたような感じでしたよ。まあ、放っておいてもフィアンマは計画が成就じょうじゅするか、少しでもさまたげになった途端にロシア成教の魔術師まじゅつしを『ベツレヘムの星』からそのまま放り捨てそうな感じでしたので、その前にご案内させてもらいましたがね、へっへ」
「……第一の質問ですが、料金プランというのは?」
「いいやあ、別に金を取るって訳じやあありませんよ。私はイギリスのためになる事をするっていうのを生きがいにしてましてね。ここで恩を売る代わりに、後日イギリスのピンチの際には力を貸してもらうって宣誓をしてほしい訳なんですよ」
 ニヤリと笑って黒髪の少女は言う。
 ミニスカートから伸びる『尻尾』とあいまって悪魔あくまのような印象だが、どうにも細部の詰めが甘くて可愛かわいげがある。まさに小悪魔だ。そもそも、口約束だけしてシラを切ったらどうするつもりなのだろうか。
 とはいえ、イギリスの事情なんぞ知った事ではないので、サーシャは特に言及しない。
「第一の解答ですが、戦線離脱りだつを希望する者はすみやかに脱出を。補足説明しますが、私はまだここを出るつもりはありません。せめて右方のフィアンマに一矢むくいなければ」
「えへへ、了解しました。この貸しは後日、表から裏からきちんと申請しますからお忘れなきように」
 ガコンッ!! という音と共に神殿の真下に懸架けんかされていた複数のコンテナが夜空へ放たれていった。地上も地上で戦火に包まれているが、そちらの心配までしてやる義理はない。彼らもロシア成教が誇るプロの魔術師まじゅつしである。
 黒髪の少女は『尻尾しっぽ』を軽く振りながら、
「で、フィアンマに一矢むくいるというのは?」
「第二の解答ですが、別にあなたに答える必要性は感じません」
「何かイライラしていますね。ガムでも食べますか?」
 すると、サーシャは前髪で隠れた顔をわずかにくもらせ、
「……第三の解答ですが、そんな合成物のかたまりを口に含む人間の気が知れません」
「新約聖書のマナのころから、十字教徒は甘味が大好物って相場は決まっているものなんですけどねぇ」
 サーシャは付きまとってくる黒髪の少女を無視して、さらに『ベツレヘムの星』の内部を走る。この神殿の構造は完全に掌握しょうあくした訳ではないが、目的の装置デバイスはおおよそ目星がついている。
 右方のフィアンマと神殿をつなぐもの。
 この『ペツレヘムの星』が、十字教ベースの近代西洋魔術における『神殿』に対応していると仮定した場合、いくらサイズが巨大であったとしても、『神殿』を構成する各々おのおの々のパーツの数、色、配置、などは変わらないはずである。
 ようは、世界各地から最高級の素材をかき集め、最大規模のスケールに拡大させているものの、元となっているレシピ自体は同じものを使っているのだ。だとすれば、見た目の派手さ巨大さにごまかされる必要はない。魔術師サーシャ=クロイツェフの中にある知識だけで、十分に対抗できるはずだ。
 その時だった。
 サーシャは唐突に足を止めた。そこは彼女の知識の中にある『神殿の重要な位置』ではなかった。サーシャが見ているのは窓だ。その向こうには暗い夜空が広がっていて、はるか先に別の棟が見えている。
 壁や天井てんじょうの大半が崩れ、ここからでも内部の様子は見えていた。
 右方のフィアンマは夜空の向こうにかき消えるほど長大な剣を振るっていた。
 そして。
 対峙たいじする少年の右腕が、肩の所から綺麗きれいに切断される瞬間しゅんかんを、サーシャは見た。

 ロシア成教の特殊部隊『殲滅白書Annihilatus』のリーダーである女性、ワシリーサはモスクワに到着した。赤い修道服をさらに汚すように、いくつもの紅のみがあった。引き結んだ唇くちびるはしからも、同じ色の液体が伝っていた。
 ただし。
 それらはすべて、彼女の血ではない。
 両手のつめの中まで真っ赤に染め上げたワシリーサは、その手を使って巨大な宮殿の正面扉を開け放つ。途端とたんに数名の刺客しかくおそいかかってきたが、彼女は気に留めなかった。相手の戦力も、相手が元は自分の味方であった事も。
 ぎ払う。
「一本足の家の人喰い婆さん---」
 童女のような歌声があった。
 ワシリーサの声色に合わせて、千切ちぎれる影をまと老婆ろうばが宮殿内に猛威を振るう。巨大な炎のかたまりが爆発し、プロの魔術師まじゅつしが床の上を引きずり回され、悲鳴と怒号が連続する。
 彼女の足が宮殿の奥深くへ到達した時、前方から太い男の声が飛んできた。
「来たか」
 忌々いまいましげな言葉。
 司教クラスの、金のかかった装束しょうぞくをまとった中年の男だった。
「人喰いの怪物に見初みそめられた魔女まじょめ。オカルトつぶしを極めた末に得だのが、としを取らぬその身体からだか」
「童話のヒロインと呼んでほしいわね、ニコライ司教。これでも一応国民的アイドルなのよ?」
「ほざけ。母と姉を焼いて幸せを手に入れた童女の残骸ざんがいが」
 ワシリーサは無視した。
 視線を投げると、応じるように怪物の影が動く。一直線に、ニコライの元へと突き進む。
 襲いかかる魔女を見ながら、ニコライは口を開く。
「人喰いの魔女は有名だ。それだけ強い。ロシアには様々な民話が残っているが、大抵の場合は人喰いに喰われるか、見逃されるのかの二択のみ。人の側から勝利する事はほとんどない」
 ボン!! という音と共に、人喰い魔女が爆発した。
「ところが、人喰い魔女にも例外的な殺し方がある」
 同時、ニコライの周囲に何かが渦を巻いた。それは透明な水だ。ただしまともなものではない。出現と同時に、床を飾っていた絨毯じゅうたんが焼けげていた。
「人喰い魔女が出てくる話の一つ。魔女は永遠の寿命を与える『命の水』と、寿命を断つ『死の水』の泉を管理していた。騎士達きしたち魔女まじょへ『命の水』 への案内役をたのみ、最後の最後で魔女を『死の水』へと突き落として『命の水』を独占した」
 透明な液体の中にみ込まれ、人喰ひとくい魔女が消失する。ニコライはさらに指を鳴らした。途端とたんに異様な水が津波のようにワシリーサヘ向かい、頭から彼女を包み込んでいく。
「これが、極めてまれな、人の手による勝利というものだよ」
 無残な光景が広がっていた。
 ワシリーサの左半身が、まとめてごっそりと消失していた。腕は丸ごと骨となり、胸から腹にかけて女性的な輪郭は崩れ、サイケデリックな色彩の『中身』がこぼれ落ちそうになっている。しかも、こうしている今もワシリーサの分解は進んでいる。一分もしない内に、髪の毛一本残らなくなるだろう。
「この大戦はロシアという国家の、それを束ねるロシア成教の、中心人物たる総天主教自らがサインし実行に移した国策だ」
 き捨てるように、ニコライは告げる。
「何を思ったかは知らないが、それを止めようという考えそのものが何を示しているか、少しは頭を使ってみるべきだったな」
 だが。
 そこで、司教はまゆをひそめた。
 おかしい。
 体の半分を溶かされたはずのワシリーサの顔に、苦痛や恐怖といった表情が浮かばない。相変わらず、何を考えているか分からない笑みが張り付いている。
 そして。
 肺すら失われたはずのワシリーサのくちびるが、明確にうごめく。

「あら。小細工された署名は無効になるものと、世間一般では認識されているものよ?」

 ゾッと。
 ニコライが一歩後ろへ下がった瞬間しゅんかん、ワシリーサの傷口が盛り上がった。ボコボコボコッ!と得体えたいの知れない音を鳴らし、えぐられた部位に挟られた分だけの血肉が整えられていく。
「戦争関連の書面は、ロシア成教系の命令系統ではなく、軍部の命令系統を使用していた。そしてネットワークを介した命令に総天主教は慣れていない。………例えば、適当なダミー書類にタブレットで電子サインを行った後、その筆跡データを、もっと危険な書類に添付されてしまう可能性を考える事ができなかった」
 純真無垢むくな子ってきらいじやないんだけどね、とワシリーサは適当につぶやく。
 異常な方法で生み出されたにもかかわらず、新たに現れた部位は、それまでよりも瑞々みずみず々しく、生気に満ちていた。一〇代前半の、何をしなくても水をはじく柔らかい肌だ。
 まるで、童話のヒロインのような。
「そして、そういった小細工ができたのは、ロシア成教と軍部のパイブ役として任命されていた、ニコライ=トルストイ司教。あなたが一番怪しかった訳なんだけど、ねらいは何だったのかしら。総大主教の玉座とか? となるとどさくさにまぎれて暗殺とか考えてた?」
「何だ、それは」
 ニコライは、部分的に異様な白さとかがやきを見せる肌を、信じられないものを見るような目で凝視ぎょうしする。
「私の『死の水』は完璧かんぺきだった!! 貴様の魔女まじょに対応するため、わざわざ僻地へきち捜索そうさくさせて取り寄せた素材で作り上げた霊装れいそうだ!! 貴様があの魔女の庇護下ひごかにあるワシリーサ本人なら、『死の水』を回避かいひするのは不可能なはずだ!!」
「やれやれ。ニコライ、あなたは自分で言った事を忘れたの?」
 中途半端はんぱに脱皮したような、質感の違う二つの肌を共有するワシリーサは、笑顔で首を横に振った。
人喰ひとくい魔女は、『命の水』と『死の水』を管理していたって」
「……まさか」
「そりやそうよね。あのお話の核は『永遠の命を得るアイテム』であって、『魔女を殺す方法』はハッピーエンドのための小道具に過ぎないもの。私の肉体は不老不死なんて大仰なものではないけれど、どちらが重要で、どちらが強いのかなんて、論じるまでもないでしょう?」
 だとすれば、ニコライの手持ちのカードでワシリーサを殺害するのは不可能だ。彼は『死の水』以外にも万全の装備を整えていたが、そのすべてを使ってでも、彼女はズタズタにされたまま進軍を続けるだろう。
 そして、ワシリーサはニコライの逃走を許すような腕の魔術師ではない。
「一本足の家の人喰いばあさん」
 笑顔でにじり寄る童話のヒロインは、可憐かれんな歌声を宮殿の中へとひびかせていく。
「誠実で非力な娘に力を貸してくださいな。不実でみにくい大人をグッシャグシャにつぶしてハッピーエンドにするための、圧倒的な魔女の力を」

 くるくると。
 血のラインを描きながら、上条当麻かみじょうとうまの右腕は宙を舞っていた。細く赤いラインが輪のようにとどまり、奇怪な芸術を築き上げていく。
 右方のフィアンマは、軽く手を差し出す。
 吸い込まれるように、上条かみじょうの右腕がつかみ取られた。
 幻想殺しイマジンブレイカー
 科学でも魔術まじゅつでも説明のできなかった、あらゆる異能の力を打ち消す特異な右手。
「掴んだ………」
 フィアンマのくちびるが、愉快げにゆがむ。
 ぱん、と。
 水風船が割れるような音と共に、切断された右手はバラバラにはじけ飛び、血と肉と骨と血管と神経を綺麗きれいに分解・展開させていく。
「世界環境は『ベツレヘムの星』によって整えた。そして媒体ばいたいとなるべき右手も切断した。俺
様の内に宿っている力は、お前の右手を経由しなければ一〇〇%の力を発揮する事はできんか
らな。幻想殺しイマジンブレイカーとは、神聖なる右手が自然と備えてしまった浄化作用の一種だったのだろう
が、俺様にとっては、むしろ備蓄を削り取る食糧庫のネズミに過ぎん。だがその不要な性能も、本来のピースである俺様の力を受け入れる事で、その役を終える。……それで右手は完成する。後は、俺様の身の内にある『本来あるべき力』を全出力で振るえば、すべての救済は完了する。この俺様の腕には、本来ならば世界全土を救うだけの力が宿っているのだからな。それを人は『神上かみじょう』とでも呼ぶのかもしれんが……俺様としてはどうでも良い。並ぶつもりも超えるつもりもない。ただ、今ある力を集めて世界を救えれば成功だ」
 それらは右方のフィアンマの有眉から伸びた『第三の腕』へとみ込まれていく。
 苦悶くもんがあった。
 常に余裕を失わなかった彼のまゆが、ほんのわずかに、不快げに歪む。
 組み込んだ血肉は完璧かんぺきだったが、『幻想殺しイマジンブレイカー』の力が右方のフィアンマを特別にしている、その源を削り始めているのだ。
 しかし、即座に力を失わなかった事は特筆に値するだろう。
 つまり、フィアンマの中に眠っている力は、『幻想殺しイマジンブレイカー』の効力だけでは消滅させられないほど莫大ばくだいな力を常に生み出しているのだ。
 (……こればっかりは小手先の技術でどうにかなるものではなかったが、運と実力は俺様に味方したようだ。もっとも、この程度の出力がなければ、『神の子』が振るうべき力などと呼称できんのだが)
 ズグン、と右方のフィアンマの体が揺れた。
 心臓だけではない。『第三の腕』を中心に、全身が収縮したのだ。それは、彼の中心に収まっていた力が、血肉を得た『第三の腕』 へと大きく移動した反動なのだろう。
 その証拠に。
 世界を変える力の降臨を証明するかのような、大きな変化が生じた。
 フィアンマの体に、ではない。
 彼を迎えるこの惑星の方に、だ。

 天空が、大きく開く。

 赤、青、黄、緑。明らかにこの世のものとは違う、人為的に配置された夜空のやみが、ぽっくりと裂けた。古いストッキングが破れていくように、方々から巨大な亀裂きれつが生まれ、音もなく広がっていく。
 その向こうから現れるのは、黄金の光だ。
 まさしく神話。宗教画の中の世界。降り注ぐ光のカーテンは、まるで天と地がつながったかのような光景だった。事情を知らぬ者が見れば、雲の上の天使がこぼれ落ちてきそうだと錯覚さっかくしたはずだ。実際には、神や天使は物理的な高度ではなく、赤外線や紫外線のように、見えない位相の向こうにいる訳だが……本質では似たようなものかもしれない。あの黄金の光の正体は、莫大ばくだいな『天使の力テレズマ』そのものなのだから。
 別に天使を呼んだ訳ではない。
 天使のいる世界を呼び出したようなものに近いのかもしれない。
 右方のフィアンマはみじめったらしく何度もドアをノックして、重たい扉が開くのを待っていた訳ではない。彼の立っている場所そのものが、『相応ふさわしいように』変貌へんぼうを遂げつつあるだけだ。
 十字教のとある聖女が、いやがらせのために無理矢理娼館しょうかんに連れて行かれた途端とたん、その娼館が光りかがやく説教の場へと変化したのと同じように。
 傷つけられた別の聖女が汚く冷たい牢獄ろうごくへ放り込まれた途端、光り輝く天使の力で空間全体が清浄な春のように満たされ、彼女の傷が優しくいやされたのと同じように。
 (天は染まった)
 正しい者の周囲は正しく染まる。
 その事実を確認した右方のフィアンマのくちびるが、愉快げにゆがむ。
 (後は地の底を組み替えれば、すべての歯車の再調整と円滑のための機構の設置は終わり、この世界はただ『そうであるように』再び正しく回り始める)
 となれば、右腕を失った少年になど用はない。
 右腕をこの世にとどめるためのアダプターに過ぎなかった肉塊にくかいなど、すみやかに退場してもらうに限る。
 (俺様はこの世界を救う。そのためには、もはやお前は不要なんだよ)
 今も断面から大量の血を噴き出す少年に向けて、フィアンマはこれまでとは違う、明らかに実体を持った『第三の腕』を突きつけた。
「光栄に思え、肉塊。お前の人生の価値は、無事に刈り取れたぞ」
 それで決着はつく。
 不格好で揺らぎ続けてきた、半端はんぱな『第三の腕』とは違う。
 一〇万三〇〇〇冊程度の知識量で生み出せる破壊はかいとも違う。
 これこそが世界を救う力。
 一つの神話の中心たる力。
 『神上かみじょう』と称されるもの。
 必要であれば惑星一つをちりにするほどの圧倒的な光の爆発が、用済みのアダブターを問答無用で粉微塵こなみじんに変える。

 そうでなければおかしかった。

「……?」
 その瞬間しゅんかん
 右方のフィアンマが最初に感じたのは、怒りでも恐怖でもなく、疑問だった。
 消し炭になるはずだった少年の体には、傷一つない。
 それどころか。
 フィアンマの放った莫大ばくだいな光の渦が、真正面から、二つに引き裂かれて少年の左右へ散らばっていた。惑星を消し飛ばすほどの、十字教におけるあらゆる神話を再現するほどの莫大な力を放ったにもかかわらず。
 まるで。
 まるで、少年の肩の断面から伸びた、見えない右手にはじき飛ばされるように---ッ!!
「なん、だ……?」
 いまだに実感を抱けないまま、右方のフィアンマはつぶやいた。
 ひとりでにこぼれ出た言葉は、彼自身にすらもき止める事ができず、まるで坂道を転げ落ちる雪だるまのようにふくれ上がっていく。
「お前の右手は取り込んだ。だというのに、どうしてお前はまだ『力』を持っている!?」
 返答などなかった。
 己の血でほほらす少年は、ただうつむいた。
 その右腕に。存在しないはずの、傷口の向こうに。
 ゾゾゾゾゾゾゾぞゾゾゾゾゾざザザザザザザザザザザざザザザザザざザザザザザ!! と、見えない力が集束していく。
 (………、)
 フィアンマは眼球だけを動かし、己の右肩から生えているものを見た。
 確かに、あの少年の右手は手に入れた。己の血肉に変えたその手には、あらゆる異能の力を打ち消す特異な力、『幻想殺しイマジンブレイカー』が残っている。
 では。
 フィアンマの眼前の敵へとかき集められつつある力は、一体何だ?
 (何か……)
 パキパキと、急速にくちびるが乾いていくのをフィアンマは感じた。ようやく入手した『幻想殺しイマジンブレイカー』の右腕。さんざん大仰なお膳立ぜんだてをして、全すべての準備を整えた上で、最後のカギとしてつかみ取った奇怪な右手。右方のフィアンマの力と、一度バラバラに分解し、霊装れいそうとして再編した『少年の右腕』さえあれば世界を丸ごと救済できる。それほどの価値のある物を手に入れたというのに……。
 見劣りした。
 かすんで見えた。
 目の前の少年の肩ロヘと圧縮されていく莫大ばくだいな力の渦は、フィアンマの手にしている全てから色を失わせていくほどの脅威きょういを感じられた。
 (透明な)
 右方のフィアンマは、改めて少年の顔を見る。
 うつむいたまま表情の見えない顔。
 その身に宿っているのは、単なる『幻想殺しイマジンブレイカー』だけとは思えなかった。ただ『異能の力を打ち消す』だけで、これほどフィアンマの心を揺さぶり警戒させられるとは思えなかった。今も、肌にはビリビリとした痛いほどの錯覚さっかくが伝わっている。まるで間近で打ち上げ花火を見たような、腹の底に深くひび衝撃しょうげきは、ほとんど透明な壁にも近かった。
 (『何か』がある!!)
「---、」
 少年、上条当麻かみじょうとうまはゆっくりと顔を上げる。
 大仰な動作はない。鋭い速度もない。特殊で規則性のある動きでもない。
 ただ、顔を上げる。
 それだけで。
 右方のフィアンマは、肩から首筋にかけて筋肉が強張こわばるのを自覚する。
 来る。
 何だか分からないが、とにかく警戒すべき何かが来る。
 そして。

 ボンッッッ!!!!!! と。
 上条当麻は、自らの力で『見えない何か』を握りつぶす。

 棒立ちの上条の肩口に集約しつつあった莫大な力を、さらにその上から現れた別の力が巨大な口のように開き、丸ごとみ込んでしまったのだ。まるで、咀嚼そしゃくするかのように。肩口付近の空気は、砂糖水のように揺らいでいた。
 あれだけの力が。
 ほんの一瞬いっしゅんで。
 粉々に。
「……『テメェ』が」
 ぼそり、と。
 上条かみじょうくちびるが動いた。
「『テメェ』がどこのだれかなんて知らねえ」
 決して大きな言葉ではない。
 にもかかわらず、フィアンマの耳の奥まで突き刺さった。指先の動き、まぶたまたたきさえ見逃せば戦況に大きくかかわると、彼の心が自分でも抑えられないほどの警告を発している。
「『テメェ』が何をやろうとしていたのかも知った事じやねえ」
 上条は、『神の右席』でも最強の力を持つ、右方のフィアンマを見ていなかった。
 彼が『何』に対して声を放っているのか、それすらも分からなかった。
「ただ」
 それは、上条当麻とうまにしか理解できなかったのかもしれない。
 とにかく彼はこう告げた。

「……ここでは黙ってろ。こいつは俺が片付ける」

 ずるずるずるずる!! と湿った音が発せられた。そう思った時には、すでに上条当麻の肩口から右腕が伸びていた。あれだけあった莫大ばくだいな力を食い潰つぶし、新たに肉体の一部が生み出されたのだ。
 (捨て、た……?)
 フィアンマはつぶやこうとして、言葉が出ていない事に遅れて気づいた。
 のどの奥が渇き、張りつくような感触だけが残っていた。
 (あれだけの力をわざわざ棒に振って、『幻想殺しイマジンブレイカー』を取り戻した……?)
 つかみ取った少年の右腕へ目をやる。
 こうしている今も、フィアンマは『幻想殺しイマジンブレイカー』の右腕をバラバラに分解し、己の体内に取り込んでいる。しかし、手に入れた血肉から徐々に力のかがやきが失われつつある事を、彼は自覚した。これはどの特異な力は、同じ世界に二つも存在できない。そんな概念がいねんのようなルールを感じさせる光景だった。そして、ルールは『上条当麻という少年に取り付けられた右腕にこそ本物の力が宿る』とでも言っているかのようだった。
 失う訳にはいかない。
 『幻想殺しイマジンブレイカー』自体が惜しいのではない。むしろ、いずれ体内に取り込んだ『腕』からその機能は排除する予定だった。フィアンマの体内の力を注ぎ込む過程では邪魔じゃまになるだけだからだ。しかし、『右腕』そのものが急速に劣化していると仮定した場合、フィアンマの力を受け止める器としての機能さえも崩壊ほうかいが進んでいるかもしれない。それでは困る。彼の目的のためにも。
 その時、上条かみじょうつぶやいた。
「……ようやく、少しは分かってきたぞ」
「何をだ」
随分ずいぶんと大仰な計画だとは思っていた。この『ベツレヘムの星』にしても、第三次世界大戦にしても、ローマ正教やロシア政教の同盟にしても、何もかも」
 上条はわずかに息を止める。
 再び出てきた言葉は、質問の形でフィアンマに突きつけられる。
「『ベツレヘムの星』は、何故なぜこれほど巨大にしなければならなかった? ここは、テメエの魔術まじゅつを安全かつ確実に実行するための儀式場ぎしきじょうなんだろ。だけど、本当に『右方のフィアンマ』が最強の存在だったら、わざわざ世界中の教会やら聖堂やらからパーツをむしり取って、かき集めてくる必要なんてなかったんじやないのか」
  一つ一つ。
 リストにチェックを入れるような調子で、上条は告げる。
「第三次世界大戦はどうして引き起こされた? テメェはこう言った。世界各地から必要な物資を集めさせ、同時に自分の『倒すべき敵』を浮き彫りにさせるためだと。ただ、それはこうぃう風にも解釈できる。『右方のフィアンマ』の力は、敵対者の難易度に合わせて自動的に腕の力の強さを調整する。つまり、強い敵が現れれば現れるほど、テメェの力はより強力に引き出される。……でも、そこまでして無理矢理に力を引き出さなければならない理由は何だ?」
 そして。
 その一つ一つが、的確にフィアンマを削り取り、その内側にあるものを浮き彫りにさせていく。
「そもそもローマ正教とロシア成教が同盟を組んだのは何故だ? 二〇億人の信徒を抱えるローマ正教だけでなく、わざわざ他宗派の組織へ窓口を開いてまで戦力を欲しがった理由は?『右方のフィアンマ』が本当に無敵で、あらゆる敵対者を片っぱしからぎ倒せるような存在なら、そもそも『部下』なんて用意する必要があったのか」
 つまり、と上条当麻とうまは告げる。
 右方のフィアンマにとって、致命的になるであろう言葉を続けるために。
「……アメェはおびえていたんじやないのか」
 真正面からフィアンマをにらみつけ、上条は言い放つ。
「本当に、自分の体の中に『世界を救えるほどの力』があるかどうか分からないから」

 ゴッ!! と光の爆発が飛んだ。
 右方のフィアンマの『第三の腕』から鋭いつめが伸び、その先端せんたんから上条当麻かみじょうとうまに向けて莫大ばくだい攻撃こうげきが放たれた。
 しかし上条は粉砕されない。
 前に差し出した右のてのひらで光のあらしを押さえつけると、手首をねじり、そのベクトルを斜め後方へと無理矢理に逃がす。
 傷一つない。
 それこそが、あらゆる幻想を殺す力に相応ふさわしい結果とでも言うかのように。
 よって、彼の言葉は止まらない。
 考えてみれば、当たり前だったのだ。
 右方のフィアンマが『その確信』を得られないのは、ごくごく自然な事なのだ。
 何故なぜならば。
「世界が終わった事なんてない」
 上条の言葉が続く。
「大昔の神話の時代がどうだったかは知らないが、少なくともこの現代で、神話に描かれるような世界崩壊ほうかいが起こったなんて話は聞いた事がない」
 難攻不落のフィアンマヘ切り込むための、突破口を探るための言葉が。
「そして、世界が終わるほどの危機が訪れなければ、『世界を救えるほどの力』を発揮する機会にだって恵まれない。俺の『幻想殺しイマジンブレイカー』が、超能力者や魔術師まじゅつしに囲まれなければ『力があるように見えない』のと同じように」
 つまり、こういう事だった。
 右方のフィアンマがありとあらゆる方策を積み重ね、大仰な計画を実行に移しだのは、本当
に本当に簡単な、以下のような理由だったと言える。

「一度も世界を救った事のないヤツに、『世界を救えるカ』があるかどうかなんて分かるはずねえだろ」

「……、」
 右方のフィアンマは、しばらくだまっていた。
 やがて、彼の肩がふるえた。
 赤、右、火、そして『神の如き力ミカエル』をつかさどる男は、低く静かに笑っていた。
「……だからどうした」
 ポツリと、言葉がれる。
 世界中の騒乱そうらん誘発ゆうはつし、その流れを完全に掌握しょうあくする男のロから、得体えたいの知れない怨念おんねんのようなものがこぼれ出てくる。
「俺様に限った話ではない。この惑星で生きている以上、死なずに生存している時点で、だれも彼もが神話的破滅を経験している訳がない。それを言うなら、お前には俺様を糾弾きゅうだんする資格などあるのか。お前は『世界を救えるほどの力』を実感した事があるとでも言うのか」
「あるに決まってんだろ」
 しかし、フィアンマの予想をくつがえす返答があった。
 上条当麻かみじょうとうまは一秒も間を空けずに、そう断言したのだ。
「この地球に住む全人類なんて大仰なものじやない。人工衛星みたいなもので惑星を眺めれば、ちっぽけにしか見えないものだったかもしれない。でも、俺は助けたぞ。ちっぽけだろうが何だろうが、一人分の『世界』を救った瞬間しゅんかんってヤツを目撃もくげきした事があるぞ」
 そうだ。
 これまで何度も何度も事件に巻き込まれてきた。目の前で知り合いが血まみれになるのがいやだから必死でこぶしを握ってきた。病院になんてしょっちゆう運び込まれたし、右腕だって切断されたし、記憶きおくなんて途中からぶっつり切れて何も思い出せない。
 対して、手にする事ができたのは、本当に些細ささいなものだっただろう。割に合わない事をしている自覚ぐらいはある。単純に、自分がもっと強ければスマートに解決できただろう。もっと賢ければ多くのものを手に入れる事ができたかもしれない。
 でも。
 だからこそ、得られる実感もある。
 つたない手で、必死につかみ取ったものが、決して無価値ではなかった事を、上条当麻は知っている。
 もしもフィアンマが『世界』なんて大きなくくりにとらわれず、目の前の人に手を差し伸、べていたとしたら、『世界を救えるほどの力』の実感などにおびえる必要はなかっただろう。大仰な計画なんてなくても、大規模な神殿なんてなくても、特別な資質なんてなくても、奇妙な右腕なんてなくても、疑問に思う事なんてなかっただろう。
 だが、彼はそうしなかった。
 だから、見えない。
 絶対に。
「世界を『救ってやる』なんて思っているヤツに、この世界は守れない」
 当たり前の事だった。
 そんな考えで動いていれば、上条だってすべてを失っていただろうから。
 黄金の天空の下で。
 今まで何も手に入れてきた事のない、手を伸ばした事すらありえなかった孤独な男に向けて、上条当麻かみじょうとうまは静かに告げた。

「そんな野郎に救われなければならないほど、俺たちの世界は弱くなんかない」

行間 七

 美琴みことは正面を見据えた。
 何やら夜空が奇怪な黄金の光を放っているが、彼女は異常気象について言及している余裕はない。今まさに核爆発が起きるか起きないかの瀬戸際せとぎわでそんな事を考えられる人間がいるとしたら、そいつはそれだけでギネスブックに載せられると思う。
「……、」
  Nu-AD1967 を積んだ弾道ミサイルからは、噴射炎は消えていた。垂直に立てられた大型ミサイルはアームを切りはなそうとする不安定な状態を長時間維持できなかったらしく、ゆっくりと、だが確実に傾いた。それが一定に達した所で、きこりに切られた大木のように、地面へ向かって倒れていった。
 これでもうミサイルは発射できない。
  軽く息をき、彼女は周囲へ目をやった。
 黒煙が上がっていた。独立部隊が操っていた戦車や装甲車の残骸ざんがいから立ち上っているものだった。アサルトライフルや予備の拳銃けんじゅうに至るまで、高速振動する砂鉄の摩擦まさつによって綺麗きれいに切断されていた。この状況で死人が出ていないのが不思議なぐらいの状況だった。
「……ま、こんなもんよね」
 適当な調子でつぶやくと、美琴は妹達シスターズを捜した。
 彼女は敵陣中央に停車してある戦車のハッチから、顔だけをのぞかせていた。
「二〇〇人規模の一個中隊相手にこの一方的な暴れっぷり。ここまでやられると流石さすがにコンプレックスを感じずにはいられません、とミサカは多少しょんぼりしてみます」
「何言ってんの。アンタらの戦力、全部集めりや一万人近い旅団クラスでしょ。しかも能力使えて、ネットワークで連携して、学園都市最新鋭の戦術をインブットしている。こいつらとはけたが違うわ」
 やっぱりこれぐらいの個性が欲しいものです、とごにょごにょ言っていた妹達シスターズだったが、彼女はピクンとまゆを動かした。ヘッドセットに手を添える。
「何よ、またロシア軍の通信でも傍受したの?」
「……首謀者しゅぼうしゃおぼしきニコライ=トルストイなる人物と連絡が取れないという混乱が生じている模様です、とミサカは真顔で報告します」
「アンタいつでも同じ顔じやない。それってつまり、相手が勝手に自滅したって事? 学園都市の部隊が突入作戦でもやったのかな」
「詳細は不明ですが、このまま作戦を続行するかいなか、部隊の中で意見が割れているようです、とミサカは付け足します」
「……ほかにも部隊がいるのか。でも、ボスキャラが勝手にやられたって事は、つまり」
「続行の方向で話がまとまったみたいです、とミサカは結論付けます」
「ええいクソ! やたらと熱心なヤツらですこと!!」
 忌々いまいましそうに八つ当たりの火花をあちこちに飛ばす美琴みことだったが、
「それで! 次の部隊はどこにいるのり‥ まさか複数の場所から同時にNu-AD1967を発射できるとかって言うんじやないでしょうね!!」
「通信の内容から察するに、そこまでの事はなさそうです、とミサカは否定します。残りは独立部隊の将校クラスのみ一〇名前後、直接的な戦力ではありません。Nu-AD1967 もそこで転がっている一基のみが運用可能な状況らしいです、とミサカは通信内容に耳をそばだてます」
 弾頭やミサイルは複数あっても、関連車両の配置やら制御用基盤の電子調整やらで、発射までにいくつかのプロセスをむ必要があるらしい。そして、それらの技術を持つ人員は先ほど美琴が全員まとめてたたき伏せてしまった。残った将校たちは新しいミサイルをセットできないし、弾頭の運搬うんぱんも行えない訳だ。
「でも、ミサイルってもう倒れちやったから発射はできないわよね?」
「将校クラスはその事実に気づいておらず、遠隔地えんかくちから強引に発射命令を下そうとしているらしいです、とミサカはあきれ返ります」
 ぱちぱち、と美琴はまばたきをした。
「それってつまり……」
緊急きんきゅう用のリモート命令を下してもミサイルは飛びませんが、この場で弾頭は起爆するのではないでしょうか、とミサカは自らの予想を発言します」
「待って待って待って待って待って!!」
 美琴はあわてて横倒しのミサイルの方へ目をやった。
「死ねって! そんな事になったら絶対死ぬ!! リモート命令って言ったわよねり‥ それなら私の能力でジャミング仕掛けちやえば……ッ!!」
「赤外線を利用した光学通信ですので、お姉様オリジナルの電磁波式のジャミングだと通用しないのでは、とミサカは忠告します」
「ぐわーもう! テレビのリモコンかよ!!」
 まさかそう簡単に放射能がれるとは思えないが、おっかなびっくり核ミサイルの周囲を回り、観察を始める美琴。このミサイルだけで全長二〇メートル以上ある。
「通信用の回路って、さっきの雷撃らいげきやりでショートしてなかったのかしら……?」
「主要な回路は分厚い鉛と強化ガラスの層で保護されているはずです、とミサカは報告します。それに大陸間弾道ミサイルは積乱雲の中に突き剌さっても誤作動が起こらないように設計されているため、高圧電流には強い作りになっているはずです、とミサカは当たり前の事を発言します。先ほどミサイルが停止しだのは車両発射型のランチヤーのシステムが吹き飛んだだけでは?」
「赤外線式って事は受光部があるはずよね。そこに丸めた布を詰め込むだけでも通信は妨害できるはず!」
「間に合いますかね、とミサカはため息混じりに応援します。がんばれー。はぁ、でもいつになったらあの人に会えるのやら」
「余裕だなおい!!」

第一一章 黄金に輝く天空にて  Star_of_Bethlehem.

 一方通行アクセラレータの胸に、強烈な圧迫がおそいかかった。
 呼吸が止まる。
 一体どういう理屈なのか、一面の夜空は大きく引き裂かれ、そこから莫大ばくだいな黄金の光があふれ出していた。太陽光と大気の屈折率の関係から、地球上では絶対にありえないはずの色が天空を埋め尽くし、この世界からやみという闇を駆逐くちくしていた。闇の色に染まっていた先刻とは違い、天空を占有する要塞ようさいの威容が、これまでよりもはっきりと視界に飛び込んでくる。
 今までの夜空だって、本来の時刻を考えれば十分に異常だった。
 まるで人の手で張り付けたような不気味な夜空は、天文学的に考えれば絶対にありえない星の配置だっただろう。
 しかし。
 この黄金は格が違った。そもそも天文学という枠組みで語ろうとする事自体が間違っているような、『常識的に考えて、ある訳がないのだが、それでも目の前にあるのだから仕方がない』と世界中の科学者がさじを投げてしまうような、そんなイメージしか与えてこない。
 何もかもがイカれている。
 科学の基本的な法則が通用しない光景もさる事ながら、それはどの現象が一切だれの手でも隠されず、世界中の空へ広がっている状態も含めて何もかもがイカれていた。
 学園都市の『闇』の中で、ありとあらゆる事件やその元凶たる超能力、先進技術が隠蔽いんぺいされていくのをの当たりにしてきた一方通行アクセラレータからすれば、あまりにも馬鹿馬鹿ばかばかしい光景だった。
 この一秒、この一瞬いっしゅん
 今この時を境に、世界というものはガラリと変貌へんぼうしてしまったのかもしれない。
 だが。
 (……知った事か)
 一言で、一方通行アクセラレータはこれはどの変貌を切り捨てた。
 細い手で己の胸の辺りをつかみ取るような仕草をしながら、彼は荒い息をく。
 こうしている今も、打ち止めラストオーダーの命は危険な状態にあった。
 一刻も早くその元凶を取り除かなければ、取り返しのつかない事になるほどに。
 身勝手だとは思う。
 それでも。
 世界なんて漠然としたものの変貌へんぼうなど知った事か。それを自己中心的な悪と断じる者がいるのなら、学園都市最強の怪物はその全員と戦う覚悟がある。何を敵に回しても、自分がどれほどのものを失ってでも、彼には絶対に成し遂げなければならない事がある。
 打ち止めラストオーダーという少女を、この理不尽りふじんな世界のすべてから助け出す事。
 一方通行アクセラレータは今一度、己の生きる意味を確認する。
番外個体ミサカワースト木原数多きはらあまたのウィルスを駆除した『歌』のデータってのは手に入ったか?」
「ミサカネットワークの割と浅い所に。どうやら、ネットワークという形の『一つの大きな意思』も、この『歌』の違和感に気づいていたみたい。各妹達シスターズの演算能力を再編し、並列式に日頃ひごろから解析を試み続けていたんでしょうね。おかげで深部にもぐる事なく、新参のミサカにもデータを入手できた」
 ダウンロード済み、とつぶやきながら己のこめかみに人差し指を当て、番外個体ミサカワーストは人の悪い笑みを浮かべる。
 一方通行アクセラレータは礼もねぎらいもせずに、
「データを」
「少しは聞きなって。無駄むだなうんちくは知的労働のご褒美ほうびだよ? 残業明けの一杯みたいなものなのに」
 あきれたように彼女は息をくと、真っ白な戦闘用せんとうようの衣服のポケットから携帯端末たんまつを取り出した。
「『歌』は手に入ったけど、ミサカのスペックじや表現できない。のどの使い方っていうより、呼吸の方法、体内での音のひびかせ方からして普通じゃない。これなら電子信号にしてスピーカーで出力した方が手っ取り早いね。楽譜、疑似音声データ、サウンド振幅グラフ、どれがお好み?」
「全部出せよ。出し惜しみは三下さんしたのする事だ。そォいう小物は、お行儀ぎょうぎ良くしていりやめられンのに、わざわざ格好つけよォとして失敗し、せっかくの功績を台無しにするモンだ」
「とことんいやなヤツ。そっちの方が居心地良いけど」
 ジジッ、とノイズのような音が走る。途端に携帯端末の画面に変化が生じた。いくつかのファイルが追加されている。
 一方通行アクセラレータは携帯端末を受け取ると、指先で画面を操作する。番外個体ミサカワーストは横から小さなモニタをのぞき込みながら、
「でも、この『歌』だけじや話にならないんでしょ。専用のパラメータを置き換える必要があるとか何とか。そっちはどうなってんの?」
 少女の後頭部が邪魔じゃまなので携帯端末を振り回して追い払いながら、一方通行アクセラレータは答える。
「どォにかなる」
 取り出しだのは羊皮紙ようひしの束だ。
 粘つくような黒いインクで記されているのは、どこのものとも知れない不気味な呪文じゅもんだの魔法陣まほうじんだの。学園都市の最先端さいせんたん技術の結晶である最終信号ラストオーダーとは、あまりにも不釣り合いで意味不明な記述内容を目にして、流石さすが番外個体ミサカワーストまゆをひそめる。
「……ミサカの事バカにしてんの?」
「感情表現豊かで何よりだ。だがほかの人形どもには見習わせたくはねェな」
「親御さんみたいな事言ってないでさ。そのオカルト臭みなぎる悪魔あくま召喚テキストに必要なパラメータが隠されているっての。はん、一日二〇分のお勉強で胡散臭うさんくさいスピリチュアルの専門家になれて、五芒星ごぼうせいの中から出てきたムキムキの山羊頭やぎあたまに何でも願いを叶えてもらうとか?」
「そォじゃねェ」
「そもそもさ」
 人の話を聞かず、番外個体ミサカワーストは悪意丸出しで言葉をかぶせてくる。
最終信号ラストオーダーの問題は学園都市内部に元凶があるんでしょ。なのに、こんな遠くはなれた場所に解決のマニュアルがポンと置いてあるって何? それも、たまたまロシアに行ったらたまたまカッチリ適合する解決法とぶつかった? まるでテレビゲームね。進行ルートにはご丁寧ていねいにヒントが用意されている。ゾンビと戦うための鉄砲、大魔王だいまおうを倒すための勇者の剣、研究者とか賢者とかのメモなんかがそろっていれば完璧かんぺきね。このシビアな現実世界で、そんな都合の良い事があると思ってんの」
「……そォじやねェっつってンだろ」
「オウ、問答無用で眉間みけんに銃口を押し付けるのはどうかと思うよ親御さん。他のミサカと平等に扱ってほしいね」
 つえをついている方のわきで携帯端末や羊皮紙ようひしの束を挟んだ一方通行アクセラレータに、金属のかたまりでおでこの中央ちょっと下辺りをグリグリされながらうめ番外個体ミサカワーストだが、ここまでわずらわせられてまだ引き金を引かれていない事自体が、以前の彼ならありえない事だった。怪物も色々あってちょっぴり丸くなったものである。
「コンピュータ上の高度なセキュリティ暗号だろォが、ダ=ヴィンチの時代の図面の暗号だろォが、基本的には数学の世界だ。ちょいと桁数けたすうに違いがあるだけで、根っこの所は変わらねェ。ケータイのブライバシーを保護している暗号だって、単純計算のり返しで解けちまう。それが『安全』だと思われているのは、単に数列が膨大ぼうだい過ぎて解くのに時間がかかり過ぎるってだけだ。『暗号方式』そのものがすさまじく複雑って訳じやねェ」
「それが?」
「だから数学で対処した。すべての情報を○と一に分解して、頭の中でパズルを組ンだ。常識的に考えればそれで解けるはずだった。少なくとも、暗号方式の糸口ぐらいはつかめなくちやおかしい。……実際の数列が膨大で何百年かかるかどォかはさておいてな」
「はずだった、って所がミサカ好みの不幸と挫折ざせつにおいを感じさせるね」
「パズルが解けない」
 一方通行アクセラレータは簡単に肯定した。
「数学だけじやピースが足りない。一定までは何とかなるンだが、決定的な何かがズレている。円周率を計算してみたら、何度やっても一〇〇けた目で誤差が出ちまうみてェにな。何か他ほかの法則が混じってやがる。欠けたピースを埋めねェ限り、この誤差は修正できねェ。計算を進めるたびに誤差はドンドン広がっていって、全体像が見えなくなっちまう」
「じやあ羊皮紙ようひしの内容はどうあれ、必要なパラメータは手に入らないって事?」
「数学じや何とかならねェ。だが、何とかしてこいつを解かなきやならねェ。だから俺は、俺の中にある、ありとあらゆる知識を総動員した。こォ見えても学園都市第一位のアタマだ。自慢じまんじやねェがいろンなモンが詰まってる。そォして、頭の隅から隅まで自己検索して、ありとあらゆる知識を引っ張り出して、引っ張り出して、引っ張り出して、引っ張り出して、引っ張り出した」
 言葉だけが続いた。
 番外個体ミサカワーストはその意味を知っているはずだ。彼の演算能力と言語能力は一万人弱の妹達シスターズ余剰よじょう計算領域で捕われている。つまり本来の彼の知的スペックはそれほどに強大なのだ。
「そこでふと気づいた訳だ」
「何に?」
「俺はすでに、俺の中に理解のできねェものを入力していた事に」
「……、」
「きっかけはついさっきの水の天使と科学の天使の戦いだったがな。だがあれは正解じやねェ。それより前に、ずっと前に、俺はこの身で理解していたはずだった」
 何かを思い出すように、一方通行アクセラレータは言う。
「そう」
 己の敗北を語る事自体、かつての彼ならありえなかっただろう。
 だが今は優先順位が違う。
 プライド一つで小さな命を守れるのなら、彼は迷わずかなぐり捨てる。
「実際には『反射』なンてできなかった。正体不明の攻撃こうげきは素通りして、そのまま俺の体を真っ二つにしやがった。対抗策なンざ何一つ浮かばなかった。あの時の俺は、完璧かんぺきたたつぶされていた」
 今の自分には笑みすら浮かべる余裕がある。
 彼は自分で自分の背中を押し、もう一歩、確実に前へと歩を進める。

「---だが、ペクトルが『なかった』訳じやねェ。俺はあの時、エイワスから受けた『正体不明の法則』を自分の体に入力していたはずだったンだ」
 改めて考えてみれば、そういう事だったのだ。
 あの無能力者レベル0のように、能力そのものをかき消されていた訳ではない。
 木原数多きはらあまた垣根帝督かきねていとくのように、能力の裏をかかれた訳でもない。
 エイワスは真正面から攻撃こうげきを振るい、そのベクトルでもってストレートに一方通行アクセラレータを打ちのめしていた。ならば、その情報は一方通行アクセラレータに伝わっていたはずだったのだ。
 最初からヒントは頭の中にあった。答えは自分の中にあった。エイワスはロシアヘ行けと言ったが、そこに打ち止めラストオーダーを助けるための解決方法が丸ごとドカンと置いてあるとは断言していなかった。あの化け物が提示したのは、あくまでも金庫のかぎだったのだ。
 正体不明と割り切るな。
 ブラックボックスの中に放り込むな。
 違和感を違和感として処理できる、架空のベクトル軸を設定しろ。虚数のような『実世界には存在しない、机上の計算を解き明かすためだけの数字』を思い浮かべろ。目の前のベクトルから数値を逆算し、それを生み出すための法則を浮き彫りにしろ。エイワスだけでは分からない。あれは規格外の怪物だ。莫大ばくだいな熱で変質した小惑星の破片は、それ自体なら単なる岩石に過ぎない。そこに高度な数式をぶち込む事で、ビッグバンからの字宙の広がり全体を推測する鍵になる。
 もちろん完璧かんぺきな像は浮かび上がらないのかもしれない。しかし、限りなく真実に近い推論を組み立てる事はできる。
 宇宙の始まりとされるビッグバンも、いまだに大爆発そのものが証明された訳ではない。爆発直後にあったであろうと仮定される、いくつかの物理的な現象が巨大なリング状の粒子加速装置内アクセラレイターで再現・確認されただけだ。
 物理学者はそこから逆算していき、原初の爆発を可能な限りリアルに頭の中で思い浮か、べる作業をり返し、細部を少しずつ詰めていく訳である。
 同じ事をすれば良い。
 力の『向きベクトル』を集中制御して攻撃力に変換するスキルなど、単なる付加価値に過ぎない。おそらく彼の存在理由の核はここにこそ眠っている。
 その能力の名を。
 自然とつけた時点で、きっと自分は本能的に知っていた。一方通行アクセラレータはもう一度、それを改めて強く自覚し直しただけだ。
羊皮紙ようひしの中身は虚数に似た架空の数字を織り交ぜた、たった一行の『特異な物理公式』を入力すりやあ浮かび上がる。だがそンなモンは重要じやねェ。自分の組み立てたルールでパズルが解けた時点で、俺の頭の中にある『不可思議エイワスのベクトル』は、ビッグバンの仮説と同じレベルの『限りなく本物に近い推論』に削り出す事ができたって訳だ」
 つまり、と一方通行アクセラレータは一拍置いて、

「このガキを助けるために必要なパラメータは手に入った。ここから先は逆転する番だ」

 彼は向き合う。
 こうしている今も不条理に苦しめられている小さな少女へと。
 自分が戦うべき、真の戦場へと。
 九月三〇日。『猟犬部隊ハウンドドック』を率いる木原数多きはらあまた対峙たいじした際には、冥土帰しヘブンキャンセラーという医者には随分ずいぶん面白おもしろくない所を突かれたが、今なら胸を張って同じフィールドに立つ事ができると、彼は思う。一つの命を守るために戦う事、その命をつなぎ止めるための努力の尊さを、一方通行アクセラレータは理解している。
 なぐり合うだけが戦いではない。
 他人から奪うだけが勝利ではない。
 これまでは、大切な人たち理不尽りふじんな『やみ』から守り抜くために、『悪党』の頂点に君臨すると誓っていた。血みどろの裏路地で自分と似たようなクソ野郎どもと殺し合いを続け、死闘しとうの勝利と引き換えに多くのものを失い、さらに深い『闇』へとみ込まれ続けてきた。
 しかし、この戦いは違う。
 今の彼は、もう『悪党』である必要はない---ッ!!
「……ふン」
 うつむいて、一瞬いっしゅんだけ一方通行アクセラレータはその意味をめた。
 深く、深く。
 再び顔を上げた彼の眼には、ロシアをさまよっていたころの揺らぎは存在しない。
「始めるぞ」
 声は短かった。
 特別に派手な挙動など必要なかった。
 ひとみを閉じ、ただ頭の中にある『答え』を音声の形でつむぎ出せば良い。
 それで終わる。
 すべて終わる。
 ブヮッ!!!!!! と。莫大ばくだいな数式が、歌唱データという形でこの世界へと出力されていく。
 そばで見ている番外個体ミサカワーストおどろいているだろうか。しかし特別な事ではない。そもそも、一方通行アクセラレータは以前に天井亜雄あまいあお製のウィルスを自力で駆除した経験がある。単に方式が違うだけ。ならばできるはずだ。必要な物はすべそろっている。後はベストなコンディションを最後まで保ち、機械のように成果を発揮すれば事足りる。
 そのはずだった。
 なめらかに動いていたはずの機構に、わずかな引っ掛かりを感じた。
 列車が派手に脱線する、その前兆にも似た不吉な微振動。
 (黄金の空……ッ!?)
 真上からのしかかる重圧にも、エイワスと同様の『不可思議なベクトル』が存在していた。なるほど、これだと自分や打ち止めラストオーダーにわずかな干渉が起きても不思議ではない、と一方通行アクセラレータは考える。高圧電流の流れる送電線の近くではテレビやラジオにノイズが走る。それと同じ。即座にそう判断した彼は、計算式に細かい修正を加えていく。
 下りの坂道を転がるボールを連想した。
 坂の向こうは崖下がけしただ。
 このまま計算式を修正していけば、自分は何か決定的な一線を越えてしまう。何を解析した所で、今の一方通行アクセラレータは『普通の物理法則』の中で生きている存在だ。『不可思議な法則』は知っているだけで、自分自身が浸っている訳ではない。
 その一線を越える。
 『不可思議な法則』にみ込まれる。
 分かっていながら、しかし一方通行アクセラレータは止まらなかった。さらに先へ進む。下りの坂道を一直線に突き進む。崖はもう見えている。その深い穴を、一方通行アクセラレータはゲートと受け止めた。迷わず前を向き、そして底知れぬやみへと飛び込む。
 一気にくぐり抜けた。
 直後に、異変があった。
「---!!!???」
 ビキリ、と体の内側で何かが悲鳴を上げた。手の甲の血管が異様にふくらむ。指先から肩口まで、太い血のパイブが走っている事を強く自覚させられる。そう思った直後に、破裂が起きた。皮膚ひふが内側から破られ、赤黒い液体が一気に噴出する。
 彼は気づいただろうか。
 常人には不可能な呼吸を行い、のどだけでなく体内全体で音という振動を大きく振るわせ、口から発せられるその特殊すぎる音声が、生命力から魔力まりょくを精製し、術式を組み立て、この現実世界へと出力されていく現象……つまり、正真正銘しょうしんしょうめい魔術まじゅつである事を。
 能力者に魔術は使えない。
 無理矢理に行使すれば、待っているのは甚大じんだいな拒絶反応である。
 被害は一ケ所にとどまらなかった。全身へ蜘蛛くもの巣のように張り巡らされた動脈と静脈、そして神経の流れが不気味な脈動や苦痛と共に意識の表面へ浮かび上がってくる。内臓の収縮からその位置を強く自己主張させられる。全身からサウナに入るよりも大量の汗が一気に噴き出す。その透明で不快な液体が、別の赤いものと混ざり合う。体のあちこちが小規模の爆発を起こしていると一方通行アクセラレータは思った。その予想は間違いではなかった。
 しかし続ける。
 この場に止まる必要がないからだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおゥゥゥゥゥゥゥゥゥあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァァァ!!!!!!」
 先住民族の原始的な舞踊曲にも似た、荒々しくも荘厳そうごんな声色が白い大地へと広がった。全身の至る所を血に染め、無数の傷口を内側から押し広げながら、だがその音色には一瞬いっしゅんのブレすらも存在しない。それは彼の意思の力だった。とある一人の小さな少女を助けたい。そのおもいだけが、現実的な苦痛をも超越し、寸分の誤差もなく高度な精神的作業を行っているのだ。
 こんな話がある。
 十字教がまだローマ人に迫害されていた時代、凄惨せいさん拷問ごうもんを受けていた多くの信徒たちはたびたび『天使の影』を目撃もくげきしていたらしい。
 最低最悪の痛みから逃れるため、必要以上に脳内物質を分泌させた際の幻覚だ、とする夢のない意見もある。何しろ、天使の出現があまりにも都合が良すぎるからだ。天使なんて生き物が本当に存在するのなら、そんなに強大な存在が味方をしてくれるなら、そもそもローマ人をその場で抹殺まっさつしていなければおかしい、と。
  一部では当たっているのかもしれない。
 しかし、極限の心境に達した信徒達が、無自覚に複雑強大な術式を精巧に実行するだけの精神的作業を実行し、一時的に『天使の力テレズマ』を操り高度な召喚行為を行っていたとしたら。もう少しは、夢の残る対抗意見にはならないだろうか。声なき声にこたえるため、信徒のつむいだつかの術式を伝って、一瞬だけでも本物の天使がやってきてくれたと、そう解釈する事はできないだろうか。
 そう。
 一方通行アクセラレータは、祈っていた。
 一心不乱に。ほかの何も求めずに。己の痛みすらも気に留めないで。ただただ、自分の命よりも大切なものを守り抜くために、学園都市最強の怪物はひたすらに祈り続けていた。
 その白い天使は、莫大ばくだいな悪意によって地の底までとされ、光を求めてい上がろうとした所で、別の怪物につばさも折られてしまった。
 だが、この血まみれの顔を見ても、まだ彼が『堕ちた』と思う者はいるだろうか。
 たとえ地獄の底まで堕ちても、そのかがやきはくもらなかったと思うべきではないだろうか。
 例えば。
 多くの信徒達がその身をおとしめられ、ろうの中へ、娼館しょうかんの中へと放り込まれながら、そのみにくく汚い場所を一転して光り輝く信仰の場へと変貌へんぼうさせてしまったのと同じく。
 立ち位置程度でたましいけがされない。
 罪人はその罪と向き合い、命をけてあがなおうと努力を続ける事で、その黒いやみを洗い流す。
 ただのパフォーマンスではない。
 だれかに無理矢理いられるのでもない。
 真に自分の心の内から猛省し、心を入れ替えようとあらがい続け、己の宿命を断ち切ろうとする者に救いを与えぬほど、この世界は冷たくはない。十字教の歴史的重要人物の中には、元々はローマ人として十字教徒を苦しめていた立場の者もいる。彼らは己の所業を生涯しょうがいいながら、それでもつぐない切れぬ罪を少しでも償おうと抗い続けた結果、苦難と共に救済の道を突き進んだ。
 今の一方通行アクセラレータは、何者なのだろうか。
 善人か、悪人か。
 人間か、怪物か。
 科学か、魔術まじゅつか。
 問われれば、彼は迷わずこう答えただろう。

 決まっている。俺は俺という言葉以外に表現なンざできねェ、と。

「がァァァァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
 血みどろの道を歩んだ末に、一方通行アクセラレータは彼自身をしばりつけていた、ありとあらゆるくさりを断ち切った。
 もう彼を制限するものは何もなかった。
 どこまでも突き進む。
 打ち止めラストオーダーという小さな命を助けるために、ただひたすらに己の信じた道を突き進む。
 彼は血まみれになり。
 彼は歌い続けて。
 そして。

 滝壷理后たきつぼりこうはどこへ行ったのだ。
 麦野むぎのとの戦いを終え、爆撃機ばくげききから追加の襲撃者しゅうげきしゃの降下すら確認されている現状、浜面仕上はまづらしあげのやるべき事は一刻も早く滝壷と合流する事だ。対策を講じるにしても、はなばなれのままにはしておきたくはない。
「ちくしょう!! どこだ!? 滝壷! どこにいるんだよ!?」
 大声で名前を呼びながら、浜面は太い枝をつかんでいた。雪崩なだれを起こして大量の雪がかぶった山のふもとをザクザクと掘り続けている。滝壷たきつぼは麦野むぎのとの戦いの前後にはぐれてしまった。辺りをさんざん捜索し、大声で名前を呼んでも一向に返事がないという事は、雪の中に埋まってしまった可能性もある。
 極寒の地で作業していても汗はかくし、のども渇く。浜面はまづらはビンに入った炭酸水をロに含む。水が水のままでいられるのは、パーカーの内側にしまっていたからだろう。その辺に置いておけば、すぐに凍りつくはずだ。
  一方。
 ちょっとはなれた所では、麦野沈利しずりが退屈そうな様子で、狼狽ろうばいする浜面を眺めていた。
「なあ!! 麦野も一緒いっしょに捜してくれよ!! 滝壷が全然見つからないんだ! どこにいるのか見当もつかねえよ!! だから手伝ってくれよ! 少しでも人手が欲しいんだ!!」
「何で私が?」
「どうしようどうしよう。滝壷は『体晶たいしょう』の負荷を軽減させたとはいえ本調子にはまだまだ遠いしこんな寒い所で放っておくなんて考えられないし早く温めてあげないと滝壷はか弱いんだからか弱い女の子なんだから『体晶』のせいで大変な事になっている女の子なんだから」
「……、」
 学園都市第四位の超能力者レベル5、麦野沈利は『原子崩しメルトダウナー』をブチかました。
 ゴッ!! という爆音と共に、浜面のすぐ近くの雪のかたまりが、一直線に蒸発させられた。あまりの猛威に水蒸気爆発が巻き起こり、浜面の体が宙を舞う。
 麦野はふらりと頭を揺らしながら、
「や、ヤベぇ。頭がくらくらする。こりゃあ『体晶』の……た・い・しょ・う、の影響えいきょうかもしんないわね。ほかにも体の駆動方式とか色々ありそうだが、ううん、そろそろ可憐かれんに倒れてしまうかもしれないわ」
「ナニしちやってんのよ麦野ォォォォォ!! どこにか弱いウサギちやん系の滝壷が埋まっているか分からないっつったでしょうよーもォォォォォ!!」
 浜面は地面に突っ伏したまま、女の子のような裏声で叫びを放つ。
「……面倒せぇな。だから掘るの手伝ったろ」
「きぃぃぃぃぃ!! ギャグとそうでないものの線引きぐらいは自分でなさい!! 駄目だめだ、やっぱり俺には人畜無害ないやし系が必要なんだああああああ!!」
 すると麦野はとてつもなくやる気のない顔で浜面の背後を指差し、
「音もなく接近してんじやん」
「うわああ!?」
 ひっそりと間近に追っていた幽霊ゆうれい少女の滝壷理后りこうに、思わず浜面は絶叫する。
 ともあれ、これで全員そろった。
 麦野と三人で、状況を確認する。

 彼は黄金の空を見上げた。
 サイケデリックな景色の中、投下された学園都市の襲撃者しゅうげきしゃが少しはなれた地面へ着地しようとしているのが分かる。服装は白い雪原には似合わない、黒の戦闘服せんとうふくだった。都市型の特殊部隊に支給されるようなものだ。銃器らしいものはない。
「……、」
 先ほどは勢いで発射していたようだが、麦野沈利むぎのしずりの『原子崩しメルトダウナー』は本来、もう戦闘では使い物にならないはずだ。
 二、三発程度『つ』事は可能でも、『体晶たいしょう』でボロボロになった体の方はその辺りが限界なのだ。止まっている的をねらうならまだしも、高速で不規則に動き回る本物の敵に当てられるかどうかも分からない。いくら何でも、そこまで回数制限のきつい攻撃だけで、これからやってくる襲撃者を全滅させるのは難しいだろう。
 滝壷理后たきつぼりこうは最初から戦力にならない。ある程度は『体晶』の悪影響を緩和かんわできたとはいえ、根本的な治療ちりょうには至っていない。それに、仮に全力の状態だったとしても、元々彼女は後方支援向きだった。能力を戦闘に使う事はおろか、手足を使った近接格闘も得意なイメージはない。
 襲撃者はそれを知っている。
 だからこそ、これ見よがしに爆撃機から降下してきたのだろう。そうでもなければ、接近にももう少し気を使うはずだ。
 浜面はまづらは針葉樹の林の中へと飛び込む。
 数十メートル先。
 雪の上をゆっくりと移動し、徐々にだが確実にこちらへ近づいてくる影を、浜面は息を殺して凝視ぎょうしする。
 まともな兵士ではなかった。
 黒一色の服装の中、顔をおおうのっぺりとした仮面だけが金と白で、縦の長さが顔の二倍以上ありそうな、異様なものだった。目や口のための穴も存在しない。携帯電話のLEDデコレーションのように、仮面全体を人工的にかがやかせ、複数の色の光で模様を描く事ができるらしい。どんな意味があるのかは知らないが、時折意味不明な淡い光を発している。体格や、仮面で隠し切れない頭部や頬骨ほおぼねの形から察するに、おそらく襲撃者しゅうげきしゃは男だろう。
「………」
 敵ばかりを眺めていても事態は好転しない。
 彼は周囲の状況と、使える武器を確認する。
 麦野むぎの滝壷たきつぼも使い物にならない以上、一緒いっしょに戦うのは得策ではない。彼女たちは林の近くにあった洞窟どうくつへと避難ひなんさせた。浜面は襲撃者と戦わなければならない一方、彼らの意識を洞窟から遠ざける必要もあった。
 アサルトラィフルを両手でつかみ、無骨な安全装置を親指ではじく。
(……装甲を犠牲ぎせいにしてでも軽快な運動性能を追求したかったのか)
 得体えたいの知れない仮面の襲撃者を、数十メートルはなれた木々の合間から睨みつける浜面。
 あそこまで薄手うすでだと、防弾用のプレートを埋め込む事も難しそうだが、この局面で出てくるような装備品だ。ろくでもない技術でろくでもない効果が付加されていると考えた方が良いかもしれない。
 (特殊な繊維せんいで弾は抑えられるかもしれないが、衝撃しょうげきは通るか? だったら七・六二ミリ弾でやれる。単純な厚さなら警備員アンチスキルのプロテクターの方が良さそうだ。相当俊敏に動きそうだが、気づかれる前に仕掛けちまえば何とかなるかもしれねぇ)
 その時だった。
 ぐるん!! と襲撃者の首がこちらへ回った。銃器らしい物を握ってはいなかったが、仮に発条包帯ハードテーピングなどの電気伸縮式スプリングで補強していた場合、素手でも人間の胴体を真っ二つに引き裂ける。
 猶予ゆうよはなかった。
 浜面は両手を跳ね上げると、襲撃者に銃口を向けて引き金を絞った。
 右肩になぐられたような衝撃が走る。
 一発目は途中にあった木の幹にぶつかった。
 二発目がぐ襲撃者へと突き進む。
 甲高かんだかい音と火花が散った。
 ライフル弾が襲撃者しゅうげきしゃを貫く事はない。のっぺりした金と白の仮面の真ん中から突如とつじょ伸びた、極めて生物的な外見のつばさたてのように広がり、スリムな体躯たいくをカバーしたのだ。
「な---ッ!?」
 浜面はまづらは息が止まるかと思ったが、それは単純に有機的な翼が出現した事に対してではなかった。
 襲撃者の顔をおおうように配された仮面に、見覚えのある光の文字が浮かび上がっていたのだ。

  Equ.DarkMatter ダークマター
 それは、麦野沈利むぎのしずり対峙たいじした学園都市第二位の超能力者レベル5の異名ではなかったか。

 ギチッ、という音が聞こえた。
 襲撃者が、こちらへ突撃するための準備を整えようとしている。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 浜面は叫びながら、フルオートで弾丸をち続ける。
 ガガガガガギギギギギギギギギッ!! と金属の削り飛ばされるような音が連続した。き出される薬莢やっきょう同士が空中でぶつかり合って、銃声の中に鈴に似たひびきを付け加えていく。
 しかし、襲撃者の体が粉砕される音ではない。
 のっぺりとした巨大な仮面からあふれ出した複数の白い翼が、片っぱしからライフル弾をはじき落とす音だった。
 届かない。
 浜面の胸に絶望がわだかまった直後、襲撃者が動いた。
 ごう!! と。
 何枚もの翼をはばたかせ、ほんの一瞬いっしゅんで数十メートルの距離を詰めてくる。
 ける余裕はなかった。
 そのまま砲弾のように突っ込んできた。
 浜面の上半身の内側から、鈍いきしむような音が炸裂さくれつする。
「がああああっ!?」
 叫ぶ事ができたのはまだマシだったのか。
 浜面の体が数メートルも宙を舞い、雪の上に倒れた。硬い根の感触を背中に感じ取った。今の一撃だけで、血の味が口の中に広がる。
 ヒュウン、と風を切る音が浜面の耳に響く。
 襲撃者の金と白の仮面から数枚の翼が伸び、むちのようにしなって周囲一帯へ解き放たれた。
 のどに張りつく絶叫を押し殺し、浜面はまづらは地面を転がる。
 林を構成する複数の針葉樹がスルリと切り裂かれた。間近の地面をえぐり取られ、なおも転がり続ける浜面の周囲へ、バキバキと音を立てて太い木が倒れかかってくる。
 白いつばさと仮面は同じ材質だった。
 あめ細工を熱で伸ばしたような、不自然な広がりがあった。
「違う……」
 浜面はつぶやく。
 彼は垣根かきね帝督ていとくが具体的に能力を使っていた所を見た事はない。だが、そんな状態でも分かるほどの、根本的な違和感があった。
未元物質ダークマターどころか、学園都市の超能力じゃない……?」
 襲撃者しゅうげきしゃは答えなかった。
 返事の代わりに、仮面から伸びた複数の白い翼をゆっくりと浜面へ向ける。
「ッ!?」
 浜面はあわてて起き上がり、距離きょりを取るため後ろへ下がろうとしたが、そこで真後ろから別の衝撃しょうげきおそいかかってきた。襲撃者は一人ではない。今さらその事に気づいた浜面だったが、もう遅かった。背後の針葉樹の幹が一斉に切り裂かれ、真後ろから複数の白い翼が襲いかかってくる。
 白い翼ではなく、切り裂かれた木の幹の方がぶつかったのは幸いだっただろう。
 しかし、それでもハンマーでなぐられたような衝撃が浜面をぎ倒す。
 今度こそ、叫ぶ余裕もなかった。
 白い雪の上に倒れた浜面は、自分の周囲に赤い汚れがある事に気づく。己の体が出血しているという事実が、少し遅れて知覚されるほどに、彼は痛めつけられていた。
 倒れたまま、眼球だけを動かして周囲を確認する。
 見えるだけで三人。
 最後の一人は、いつどこにひそんでいたのかも分からなかった。
「超能力とは炎に似ている」
 襲撃者の一人がそんな事を言った。
 同じ仮面のせいで、だれが口を開いているか浜面には区別がつかなかった。
「炎は確かに人間だけが制御できる強い力だ。だが炎をそのまま振りかざすのは原人の松明たいまつに過ぎん。文明人は炎を使って鉄を打つ。それと同じ事だよ」
 そうか、と浜面は思った。
 麦野むぎの沈利しずり原子崩しメルトダウナー垣根帝督かきねていとく未元物質ダークマターのような超能力レベル5は、もはやありふれた物理法則を超えた効力を生み出す。ならば、その力を使って製造された新物質は? ビッグバンから連なる素粒子・原子・分子の派生を一切合財いっさいがっさい無視した、全く新しい構造の物質が出来上がるのではないだろうか。
 カーボンナノチューブが単なる炭のかたまりとは違うように。高速演算を行う半導体が単なるガラスの塊とは違うように。高度な熱処理をほどこしたはがねが、単なる柔らかい鉄とは違うように。
 この世のものではないェネルギーを利用して加工された新物質には、この世のものではない性質が宿る。
 真の超能力者レベル5を『原人の松明たいまつ』とまで揶揄やゆするほどに。
「……余裕じゃねえか」
 き捨てるように、浜面はまづらは言う。
麦野むぎのに『体晶たいしょう』を渡したのは、第四位という炎を兵器として扱い、ナフサを詰めた火炎放射器みたいにしたかったからか。それが上手うまくいかなかったから、火種が消える前に回収に来た。今度はどうするつもりだ。医療いりょう機器にでもつなげて新物質製造のための『溶鉱炉』に変える気か」
 だとすれば、そのプロジェクトに浜面は必要ない。
 元々、学園都市から追われていた身だ。彼らは間違いなく無能力者レベル0の自分を殺すだろう。
 三方から包囲をせばめてくる仮面の襲撃者達。
 アサルトラィフルー丁だけでは彼らには勝てないだろう。元となった超能力者レベル5でさえ、たった一人で軍の部隊と戦えるほどの戦力なのだ。戦車や榴弾砲りゅうだんほうを持ち出しても、襲撃者一人倒す事はできないはずだ。
 そう。
 真正面から戦うとすれば。
 浜面仕上しあげとて、ただだまって殺されるために突っ立っていた訳ではない。
「よお」
 倒れたまま、手足の力を抜き、浜面は言う。
「派手にその辺を転がったせいで、ポケットの中身がどっかに行っちまったんだがよ。どこに落ちているか知らねえか」
 襲撃者は気に留めなかった。
 反逆者二人をさっさと殺して、麦野沈利しずりを回収して帰還する。
 それだけを考えていた襲撃者だが、ふと足元でジャリッという硬い感触を感じ取った。
 透明な鋭い破片だった。砕けたガラスの容器の残骸ざんがいのようだった。
「ちくしょう、最後の希望だったんだぞ」
 何かをあきらめたように、浜面はつぶやく。
「……せっかく学園都市と交渉するためのアイテムを手に入れたのに、なんて事をしてくれるんだよ」
 不吉な予感が一気にふくらむ。
 絶対的優位に立っていたはずの襲撃者達しゅうげきしゃたちに向けて、浜面はまづらは倒れたままこうつぶやいた。

「ロシアの工作部隊がばらこうとしていた『細菌の壁』のパッケージ。わざわざ俺の目の前でみにじらなくても良いだろうがよ」

 周囲の空気が一瞬いっしゅんで凍り付いた。クレムリン・レポートで使用される『細菌の壁』についてのスペックは、学園都市の暗部にいた襲撃者達にも伝わっていた。
 空気感染するタィプのウィルスで、感染者の死亡率は八〇%以上。高温に対する耐性も極めて強く煮沸程度では効果がないため、殺菌には有毒の高濃度オゾンを使用する必要がある。さらに特記事項として、ウィルスには油分を分解する力があり、既存のBC兵器用マスクや車両・建造物のフィルターなどを食い破ってしまうリスクがある。保存時は極端きょくたんに水分を省いて活動しにくくするそうだが、一度パッケージの外に出て空気中の水分に触れれば、もうその活動を阻害そがいする事はできなくなる。

 特殊なマスクやスーツで全身をおおっていても、感染の危険がある!!
「くそっ!!」
 初めて襲撃者達にあせりの感情がにじんだ。無駄むだと知りつつも、少しでも砕けたガラス容器から遠ざかろうと動き出す。
 その時だった。
 浜面仕上しあげはアサルトライフルをつかんだ両手を素早く振った。
うそだよ、間抜け。そりや炭酸水のビンだ」
「!?」
 襲撃者が気づいた時には遅かった。
 浜面は倒れている状態から、雪の上に膝立ひさだちになり、体を強引に前へ押し出した。白いつばさと翼の間にライフルの銃身を突き込み、襲撃者の腰の辺りへ、無理矢理に射線を確保する。
 迷うひまはなかった。
 引き金を引く。
 鋭い銃声と共に、乱暴にドアを開閉するように襲撃者が雪の上へ倒れ込む。襲撃者は白い翼に守られていた。それ以外の部分に銃弾を浴びせれば、どうなるかは一目瞭然いちもくりょうぜんである。
「貴様!!」
 まさか自分達の側から犠牲者ぎせいしゃが出るとは考えもしなかったのだろう。あわてて残る二人の襲撃者が白い翼をはばたかせる。
 そのままなら浜面の体はバラバラに切り裂かれていたはずだ。針葉樹の太い幹も、彼らの白い翼の遮蔽物しゃへいぶつにはならない。
 しかし、浜面はまづらの足元には同じテクノロジーを使っていた人間の死体が転がっている。浜面は身をひるがえし、地面の死体からいまだに伸び続ける白いつばさの陰へと飛び込んだ。すべてを切断するはずの白い翼は、同じ材質の翼にはばまれ、はじき返された。
 浜面は死体を蹴飛けとばし、首の角度……より正確には仮面から伸びた翼の角度を大幅に変える。首の向きに合わせて、まるでギロチンのように真上から白い翼が襲撃者しゅうげきしゃへ襲おそいかかる。
 両者の武器は同じものだ。
 従って、振り下ろされた白い翼は、襲撃者側も受け止める事ができる。
 仮面から複数の白い翼を生み出し、全力で受け止める襲撃者。そう、全力。これ以上の余裕のない状況。そこへ、わきから差し込むように浜面はアサルトライフルの銃口を向ける。
 絶叫が迸るほとばしった。
 短い速射と共に赤い液体がき散らされ、二人目の襲撃者が雪の上を転がった。
 だが、そこが限界だった。
 三人目の襲撃者が反撃に転じる。複数の白い翼がうごめき、浜面ではなく、彼の足元の地面を大きくえぐり取った。バランスを崩してしまえば浜面のアサルトライフルはねらいを定める事ができなくなり、完全に無力になる。襲撃者はまず自分の身の安全を確保した上で、迷わず前へ出た。浜面の首を片手でつかみ、半身を前へ突き出すような格好で、この戦闘せんとうの中でかろうじて残っていた針葉樹の幹へ背中をたたきつける。
「がっ!?」
 衝撃しょうげきが走り、呼吸が止まり、アサルトライフルのグリップがすべり落ちた。浜面の両足が地面から浮いていた。襲撃者は何も言わず、仮面から伸びる白い翼を大きく広げた。そこに一切の容赦ようしゃは感じられなかった。
「……重要な事を忘れてんじやねえのか?」
 だが浜面は笑う。
 笑って言う。
「いくら『体晶たいしょう』のせいで体のバランスが不安定になっていたって、麦野沈利むぎのしずりは第四位だ。二、三発程度なら何とか撃てるぞ」
「……、」
 襲撃者は浜面の体を片手でり上げたまま、仮面の顔をわずかに揺らした。
「ハッタリだ。同じ手を二度も使えると思うな。貴様程度に敗北した時点で、麦野沈利の性能は知れている」
「そうかよ。そりや残念だ」
 浜面は、両手の力を抜いた。
 だらりと手足を下げたまま、彼は最後にこう言った。
「なら、勝ち誇ったままち抜かれちまいな」

 すさまじい光線がほとばしった。
 襲撃者しゅうげきしゃがそう知覚した時には、すでに終わっていた。
 右半身を前に出し、浜面はまづらの首をつかんでいた襲撃者の右腕が、肩の所から吹き飛ばされた。そう思っていたが、実際には違った。肩と一緒いっしょに右胸もまとめて引き千切ちぎられている。首の真下まで空洞と化していた。
 ドサリという音と共に浜面が地面に落ちる。彼の首には、まだ千切れた腕がくっついていた。
「な……に……?」
 驚愕きょうがくと共に光線の発射元を視線で辿たどると、数百メートル先に、二人の少女が立っていた。一人はぐったりした黄色いコートの少女で、もう一人がピンク色のジャージの少女。ジャージの少女は肩を貸し、黄色いコートの少女の体を支えている。
 麦野むぎの沈利しずりは、『体晶たいしょう』のせいでバランスが不安定になり、細かい照準を定められる状態ではなかった。二、三発程度の余力があったとしても、当たらないのであれば問題はなかった。
 だから、
 (滝壷たきつぼ理后りこう……。あの第四位が、他者の力を借りて照準を補正しただと……?)
 自分の言葉が、すでに口から声として出ていない事に襲撃者は気づかない。

 (いいや、それだけじやない。『細菌の壁』のハッタリさえ……布石の一つに過ぎなかった。麦野むぎの沈利しずりがこちらをねらっているという情報が分かれば、対処は簡単だった……。それをこいつは、『派手な可能性はハッタリに過ぎない』とこちらに思い込ませ……油断させる事で、じっくり狙って確実に当てるための『機会』をつかみ取った……)
 二、三発もあれば、襲撃者達しゅうげきしゃを全滅できた。
 そのすべてを確実に当てる事さえできれば。
 一回でもけられれば終わり。いいや、『仮面』から伸びる白いつばさを使えば、今の『原子崩しメルトダウナー』ぐらいならはじき返す事もできたはずだ。
 (だから……)
 浜面はまづらがアサルトライフルで襲撃者を倒してしまったのは、本来の作戦以上の幸運に過ぎなかった。彼の役割は襲撃者の足を止め、時間をかせぎ、麦野の力でとどめを刺させる事だったのだ。
 手負いの第四位は、そのままでは戦えない。
 そこで、傷ついた彼女でも戦えるように、舞台そのものを作り変えた。
 襲撃者達は、まんまとその策に引っ掛かった訳だ。
「クソッ……たれ……」
 大きくえぐり取られた襲撃者の体が、ぐらりと横に揺れ、そのまま雪の上へと倒れ込んだ。
 それでも仮面を動かす。
 残った力で、道連れを捜そうとする。
 そこで、襲撃者は仮面の横……側頭部の辺りに硬い感触を感じ取った。
 アサルトライフルの銃口だ。
「な、んて……事だ……」
 襲撃者は、今さらながら後悔した。
 彼らは第一目標として『学園都市の反逆者、浜面仕上しあげ滝壷理后たきつぼりこう抹殺まっさつ』を命じられていたはずだった。しかし相手を無能力者レベル0あなどった結果、正しい戦力分析をおこたっていたのだ。
「これが、浜面仕上……」
「いいや、違うな」
 ふらつく体でアサルトライフルの銃口を下方へ向ける少年は、一言でさえぎった。
 彼は言う。

「これが『アイテム』だ。地獄へ落ちても忘れるな」

 理由なんてなかった。
 ただ、自分の右腕には特別な力が宿っていた。
 例えば、目の前で核ミサイルが発射されようとしているとする。自分の手の中には制御キーが握られていて、目の前に発射管制用の制御盤があったとする。
 この時、キーを挿して発射を食い止めようとするのは、不自然な事だろうか。私は専門家じゃないので分かりません。軍人や警察官ではないので命をける義務はありません。そんな事を言って何もせずにボーっと突っ立っている事は、『理由がないからやらない』というのは、そちらの方が本当に不自然な事ではないのだろうか。
 そんなヤツは人間ではない。
 ただの動力の切れたオモチャに過ぎない。
 戦う事に理由などいらなかった。むしろ、大きな危機の前で何もしない事に罪悪感を覚えた。そして、彼は必要な物を必要な分量だけ集めた。決して最初から手の届かない所にある物へ手を伸ばそうとせず、木箱を並べて階段を作るように、長い時間をかけてゆっくりと準備を進めてきた。
 たった一度の成功のために。
 理由のいらない勝利のために。
 あいつだって同じはずだ、と彼は思う。彼らは両者ともに、性質こそ違えど特異な性能を持った右腕を保有している。そして実際に、その右腕の力を利用して闘争とうそうを続けてきた。その過程で理由に疑問を抱く事はなかっただろう。何故なぜならば、考える必要がないのだから。むしろ、立ち止まる理由がないのだから。
 だから、彼らは同じように戦う。
 そのはずだった。
 なのに。

 ゴッキィィィィィィィィン!! という甲高かんだかい音が『ベツレヘムの星』にひびき渡る。
 上条当麻かみじょうとうまの右手が、右方のフィアンマの『第三の腕』の流れをはじいた音だった。
 上条の幻想殺しイマジンブレイカーでは、あまりにも莫大ばくだいな力を一度に打ち消す事はできない。彼はその条件を逆手に取り、フィアンマから攻撃こうげきが来ると、その側面にてのひらを置き、列車のレールを切り替えるように押して、すべらせて、その圧倒的な攻撃の軌道をらしているのだ。
 何故だ、とフィアンマは思う。
 彼の右腕は『倒すべき敵の強度』によって表出する力の強さが変動する。そして、今のフィアンマは己の敵を『第三次世界大戦という、一つの惑星を破壊はかいし、周辺の宇宙空間を大量のデプリで汚染するほどの大災厄だいさいやく』と定めていた。『ベツレヘムの星』、ミーシャ=クロイツェフ、そして幻想殺しイマジンブレイカーの器となっていた右腕の血肉。これらを組み合わせ、適切な性能を引き出す事に成功しているのだとすれば---現在のフィアンマは、科学と魔術まじゅつ、そのすべてが入り混じる大戦そのものに、たった一人で勝利できる戦力を保有しているはずだった。
 それは、地球全人類をほうむり去る力に等しい。彼はそれを救いのために使用しようとしているが、使い方次第では確実に人間の歴史をこの一瞬いっしゅんで終わらせられるだろう。
 だが、
「……何故なぜ、受け止められる」
 ポツリと、フィアンマはつぶやいた。
 彼は遠隔えんかく制御霊装れいそうつかみ直す。
 天空では黄金の光が集束し、フィアンマの『第三の腕』の動きに合わせて一直線に上条当麻かみじょうとうまへと降り注いでいく。
「それほどの性能か? たかが異能を消去するだけの力だろう!! 打ち消し切れぬ力を掴んでひねる程度の力だろう!! ……俺様の右腕は一振りで大陸を海に沈めるはずだ。一突きで海を干上ひあがらせるはずだ!! お前は規定の時間まで右腕の血肉をつなぎ止めるだけのアダプターだった。収穫が終われば土にかえる、いもつるに過ぎなかった!!」
 一〇万三〇〇〇冊に導かれ、救済の力がきばく。
 黄金の雨が落ちた。
 『べツレヘムの星』の半分近くの面積へまともに降り注いだ。石造りの建造物のかたまりが次々に倒壊とうかいし、上条とフィアンマの立つ床にも大きな亀裂きれつが走る。爆風が圧力を伴って四方ハ方へき散らされ、フィアンマでさえ、思わず『第三の腕』で顔をかばうほどの破壊が吹き荒れた。
 しかし。
 上条当麻は倒れない。
 その右腕は真上に向けられていた。最初の一撃いちげきを無理矢理にはじき、ミルククラウンのように炸裂さくれつさせた。その余波を続く『豪雨』へと直撃させ、光線の軌道をまとめてじ曲げたのだ。
 何故だ。
 あの少年の右腕には、これはどの性能は備わっていなかったはずだ。
 そもそも、現状のフィアンマの攻撃を一撃でもいなせる人類が存在するはずがないのだ。前方のヴェントだろうが後方のアックアだろうが、右腕を一度振るえば始末できるはずなのだ。
「まだ分かんねぇのか?」
 天からの空爆で天井てんじょうすら失った廃墟はいきょの中で、上条当麻はロを開く。
 その声は、低く重い。
「テメェはこう言ったはずだ。その右腕の性能は敵対者の実力によって変動する。相手が強ければ強いほど引き出せる力も増す。そして、腕の力を最大限に発揮するため、第三次世界大戦を引き起こし、人々の悪意を増大させた。『倒すべき敵』の輪郭を明確にし、設定を完了させるために」
 だからどうした。
 現にこうしている今も第三次世界大戦は続いている。悲劇は悲劇を生み出し、惑星の隅々にまで悪意の渦は広がっている。フィアンマはそのみにくさに呼応する形で神聖なる力を倍増させ、準備完了と共に世界をまとめて浄化する。
「でも、それならこうも言えるはずだ」
 上条かみじょうは肩の調子を確かめるように右腕を回し、ゴキゴキと関節を鳴らしながら、続けてこう言った。

「もしも、みんなの心の中に、テメエが思っているほどの悪意がなかったとしたら。テメエが想定しているほどの力は引き出せねえってな」

 フィアンマのまゆが、ひそかに動いた。
 彼は砕けた壁の向こうに広がる、はるか下方の地上へ目をやった。黄金の空に照らされながら、その奥は見えない。空気中のちりや水蒸気の粒が重なり合い、スクリーンとなっているのかもしれない。まるで戦争を起こし殺し合う人々の精神から噴き出す黒煙が、世界を覆っているかのような光景だった。
「……それは、前提が間違っている」
 右方のフィアンマは、『第三の腕』を揺らす。
 莫大ばくだいな知識の支援を受けるため、遠隔えんかく制御霊装れいそうを強く握る。
 そのひとみに、明確な憎悪ぞうおが宿る。
「この世界はゆがんでいる。もはや統制は取れん状況になっている。基幹となる四大属性だって俺様が修復しなければ決定的に破裂していた。資源の残量も、民族の対立も、宗教の差異も、食料の不足も、国家の闘争とうそうも、環境の破壊はかいも、すべてがからみ合い、一つ一つの問題を順番に解決できるような状態ではなくなっている」
「……、」
「こんな世界で、想定していた量の悪意を収穫できなかっただと? 冗談じやない。それは悪意という言葉の意味を知らん者の寝言に過ぎん!! 現にこうして大戦は継続している。そして大きな争いは皆を正直にしている!! 国家、民族、宗教、男女、言語、資合、血統、才能、各々おのおの々の心の中にあった小さなとげを、余す事なく外界へ出力し始めた!! ……人間の心の奥底が、そんなに綺麗きれいなものだと信じたいのか? これほどの事をやってのける人間の心のどの辺りが!?」
「確かに、人間の心なんて外から見れるものじやない。その本性はドロドロした黒いものかもしれない。自分自身だって気づいていないだけで、俺の中には自分でも信じたくないような悪意が眠っているかもしれない」
 でも、と上条は続けた。
 そこで終わる事はなかった。
「人の本性は、それだけじやない」
「何、だと……?」
「人の内側が、どうして一面しかないと断言できる。俺たちの心の底に真っ黒な悪意があったとして、それ以外の側面が一つも存在しないなんて、どうして宣言できる」
 そうだ、と上条かみじょうは思う。
 人の心の中には、どうしようもないほど深いやみが広がっている。人間は他人とつながる事だけを考える生き物ではない。身を守るため、安全を保つため、何かを独占するため、様々な名目で、他人を遠ざけようとする性質を持つ。人を傷つけたり排除しようとしたり、そういった行動を自然と取るようにできているのである。
 でも、それと同じか、それ以上の光も同時に眠っている。普段ふだんは恥ずかしくて口にも出そうとしないような善意。わざわざアピールする必要すら感じないほどの正義。そうしたものは必ず存在する。見えないだけで絶対にある。
 そうでなければおかしいのだ。
 人の心の中に、本当に他者を殺し奪うだけの悪意しかないのなら、とっくの昔に人類は勝手に争って勝手に滅んでいたはずだ。自分達が今日まで生きてこられた事が、歴史が途絶えずに続いている事が、滅びようとする心よりも繋がろうとする心の方が強かったのだと、きちんと証明してくれている。
「理由なんていらなかったんだ」
 上条当麻とうまは改めて右拳みぎこぶしを握り直す。
「俺が強かった訳じやない。テメェが勝手に失敗したんだ。人間っていうのは、理由なんてなくても、大切な人のために戦える。特別な力なんてなくても、守りたいもののために戦える。その力に救われたんだよ、俺は」
「理由もなく?」
 フィアンマが、信じられないものを見るような目を上条に向けた。
「それは俺様達だけに当てはまる結論だろう。例えば、合にも発射されようとしている核ミサイルがある。俺様達の手には制御キーがあって、目の前には制御盤がある。確かに、キーを挿してミサイルの発射を阻止そししようとする事に理由はいらん。だが、キーを持っておらん人間には、ミサイルを止める事などできはしない」
「キーなんていらないんだよ」
 反論には一秒もかからなかった。
「鍵穴に針金を差し込んでも良い。制御盤のふたを開けてパソコンのケーブルを突き剌しても良い。何なら発射寸前のミサイルそのものに砲弾をブチ込んでも良い。キーのあるなしなんてのは、解決手段の一つに過ぎない。そこで立ち止まる理由も、発射されるミサイルをだまって見送る理由も、どこにも存在しない。……だれだって、戦って良いんだ。たとえ世界を敵に回してでも、これだけは命をけて守りたいと、そう認めたもののために」
 馬鹿ばかな、とフィアンマはつぶやいた。
 彼は、自分が予測していた上条当麻かみじょうとうまという生き物が、根本的に自分とは違う精神を抱いていた事に、改めて気づかされていた。
「インデックスは返してもらうぞ」
 宣言があった。
 上条当麻は、一歩、大きく前へみ出す。
「それだけじやない。イギリスと学園都市、ローマ正教とロシア成教。そんな風にいがみ合うのも、科学と魔術まじゅつで争い合うのも、第三次世界大戦で世界中の国々がつぶし合うのも、全部ここで終わらせてやる」
「できると思っているのか」
 踏み込んでくる上条に応じるように、右方のフィアンマは『第三の腕』を大きく広げた。
 人間の悪意に比例して破壊力はかいりょくを増大させる必殺の腕を。
「これだけの大規模闘争とうそうの中、何一つ失う事なく勝利できるとでも思っているのか!! 第三次世界大戦などは所詮しょせん下拵したごしらえ』の一つに過ぎん。天空の『ベツレヘムの星』と呼応するように、地上の浄化もすでに始まっている。それでもなお安直な勝利など実現できるとでも!?」
「できるさ」
 片や、空中神殿『ベツレヘムの星』、第三次世界大戦を経て浮き彫りにされた世界規模の悪意、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょの知識、『神の右席』の資質、切断し奪った特異な右腕の血肉などで徹底的てっていてきに補強された、十字教最大派閥の陰のトップ。
 片や、特殊な右手を持っているとはいえ、それ以外には何の特徴もない高校生。
 しかし、おくする必要はなかった。
 だから上条は、さらに前へと突き進む。
「俺はテメェと違って、人間の強さってヤツを信じてる」

 その時。
 バルセロナの海岸線を突き破るように、異形の陰が顔をのぞかせた。
 一〇〇メートル前後の、巨大な腕のような、巨大なへびのような、黄合の異形だった。宙へと伸ばされた手は、五本の指を中途半端はんぱに開いたまま、何をつかむ事もなく屹立きつりつしている。
 怖々こわごわ々と、その場にいた皆が注目していた。
 大戦の最中、比較的戦火からははなれた地域だ。周囲も厳戒態勢ではない。
 多くの民間人が観察する中、黄合の腕に変化があった。
 ボコボコボ!!!!!! と。
 地面から指先に向かって、黄合の腕が内側から爆発的にふくらんでいく。あっという間にてのひらの形が崩れ、巨大な風船のように変貌へんぼうする。
 ミチミヂと、いびつな球状が限界の音を発する。
 そして。

 その時。
 日本海の海面から飛び出した一〇〇メートルの腕の先端せんたん--原形を失い、歪な球状となった掌が、自らを押しつぶすように勢い良く拳を握りめた。
 直後に起きたのは破裂。
 同時に、一〇〇メートルの巨大な腕白身すらも粉々に突き崩す形で、莫大ばくだい衝撃波しょうげきはが四方ハ方へとき散らされる。
 ゴッ!!と。
 この世に現れた災害は、高波という名をもって出力された。まるで、巨大な宇宙ステーションが海面に衝突したように。
 三〇メートル以上の海水の壁が、円形に平等にきばく。
 空母、護衛かん強襲きょうしゅう揚陸艦、戦艦、巡洋艦……様々な鋼鉄の船を並べていがみ合っていた、学園都市もロシア軍も丸ごとみ込む形で。
「どうなってんだ……?」
 眼前に迫る巨大な災害を見て、学園都市協力機関の航海士がうめき声を上げた。
 艦の中に退避たいひするのが正しいのか、救命胴衣を着て海へ飛び込むのが正しいのか。そんな判断すらも迷う状況で。
「もう戦争どころじやねえぞ! 世界は今どうなってんだ!?」

 その時。
 東欧の戦線でも、同じように黄合の腕が破裂していた。
 ただし、こちらで巻き起こったのは高波ではない。
 破裂した腕を中心に放射されたのは、標高〇メートル下における雷雲だった。黒々とした水蒸気のかたまりは爆発的に地表をめ、それと同時に空間全体に異様な音が鳴り響ひびく。それは火花だ。億を超えるボルト。その圧倒的な高圧電流は、黒雲に呑み込まれた人間を粉々に破裂させ、兵器に搭載されたあらゆる電子機器を焼き切るだろう。
うそだろ……」
 岩陰に隠れていた学園都市の男は、接近してくる黒雲を前に、呆然ぼうぜんつぶやいた。
 災害の規模が大きすぎる。左右ヘキロ単位に膨張ぼうちょうする雷雲は、今さらどこへ走った所で回避かいひなどできない。そしてみ込まれれば数秒で生身の肉体は破裂する。
 あまりの事態に、口元にうすい笑みすら浮かべる男だったが、その時、何者かに足首をつかまれた。そちらは破壊はかいされたロシア軍の装甲車の下だった。バランスを崩され、そのまま引きずり込まれる。
 直後に黒雲が前方から後方へと一気に突き抜けた。
 バチバヂバヂィ!! と列車の電線がショートするような不気味な音が連続した。車体の下にいても無傷では済まなかった。地面を伝って登ってきた電流の一部が、容赦ようしゃなく男の全身を貫いていく。
 だが死ななかった。
 うめく学園都市の男は、そこでようやく事態に気づいた。
「お前……」
 自分を引きずり込んだロシア軍の女性兵士を見て、男は思わず呟く。
「分かっているのか。俺てきは敵同士だぞ。お前にとっては憎い侵略者だ」
「わざわざクレムリン・レポートを阻止そししてくれる侵略者か? それに、もう戦争がどうのこうの言っている場合じゃない。指揮系統もメチャクチャだ。世界のあちこちで似たような事が起こってるって未確認情報も飛び交ってる」
 紫電の余波の残る、帯電した地吹雪じふぶきにらみつけながら、女性兵士はき捨てるように言う。
「こっちも家族を守るために戦争やってるんだ。ここまで来て世界の終わりだの人類滅亡だの、そんなのに付き合ってられるか!!」
 パキパキパキパキ、と水が急速に氷結していくような音が耳についた。
 直後、ズドン!! というすさまじい音がひびき渡る。
 装甲車の下から覗ける地表部分に、何か巨大なリングが生じていた。純金にも似た素材、半径は一〇〇メートル以上、幅だけでも二車線の車道を超えるほどの巨大な輪が、地面に対して斜めに突き剌さっている。
 まるで天使の輪のようだ、とロシア軍の女性兵士は思った。
 だが、変化が一カ所だけではない。
 先ほどの地表をめる雷雲の効果範囲をなぞるように、巨大な輪、弧を描き先端せんたんとがった何かしらの肋骨ろっこつのようなパーツ、川のような曲線を描く布の束などが、次々と生み出されては地面をえぐり出し針葉樹の森を吹き飛ばし、強引にこの世界へと押し出てくる。それらは巨大なおもちゃ箱をひっくり返すようにも見えた。全方位へと広がる巨大構造物の洪水だ。何もかもがケタ外れのサイズだった。
 学園都市の男は渇くのどを無理矢理に動かして言葉を紡ぐ。
「……どうなってやがるんだ、ちくしょう」
「知るか」
 ロシア軍の女性兵士は突き放すように答えた。
「不幸中の幸いは、ここが雪原だった所か。都市部でこの現象が起こっていれば、建造物をまとめて倒壊とうかいさせられていたぞ」
「しかも」
 轟音ごうおん震動しんどう炸裂さくれつした。
 黒雲は過ぎ去ったが、危機はここで終わらない。
 黄金の腕は一本限り、なんてルールはない。
 あの巨大な腕が地面から飛び出してくる限り、危機などいくらでも訪れる。
「また出てきやがった。どうする!?」
 学園都市の男が尋ねると、ロシア軍の女性兵士は対戦車用のロケット砲を指でなぞり、
「決まっているだろう。破裂する前にケリをつける!! 手伝え学園都市。お前たちの火力が必要だ!!」
「ちくしょう。こっちはクレムリン・レポートの阻止そしだけで忙しいっつーのによ!!」
「目的は同じだろう。不要な死人を作り出すようなものは、オカルトだろうが『細菌の壁』だろうが片っぱしからぶっこわして食い止めるだけだ!!」

 その時。
 ドーバー海峡では、破裂寸前の黄金の腕が、半ばから斜めに切り裂かれて海へと沈んでいった。
 民間人も、軍人も、だれもが唖然あぜんとしていた。
 そんな中、黄金の腕に引導いんどうを渡した少女だけが、くるくると一本のつえを回していた。
 一二歳前後の少女だ。
「おいマーク!! 象徴武器シンボリックウエポンの整備をおこたったな。おかげで出力がハ○%も出ていないぞ!!」
「ボス。象徴武器シンボリックウエポンの製造と聖別は本来、使用者自らの手で行うべしとあるはずですが?」
「チッ。それにしても、何だな。まさかこの私が世界のために一肌脱ぐ羽目になるとは」
「状況から察するに、右方のフィアンマは地上浄化の策として、清浄なる『天使の力テレズマ』を散布し、基礎構造から変質させる事で、この世界を救済したがっているようですからね」
 土台が変われば、その上に載っている構造も全部変わるって思っているんですかね、とマークはつぶやき、
「……ただし、量が量です。これだけの『天使の力テレズマ』を拡散させれば、破壊を伴う結果が生じてしまう。おまけに『天使の力テレズマ』は人の体内で精製される魔力まりょくと違って、最初から属性という色がついているから、各属性か、あるいはそこからの派生的な現象が巻き起こってしまいます」
「言ってしまえば、ノアの箱舟の洪水だな。やり過ぎた清潔感など、みにくい人間にとっては災厄さいやくと変わらん」
 ボスと呼ばれた金髪の少女は、年齢に似合わない邪悪な笑みを浮かべる。
 それでいて、この可憐かれんな顔立ちにはこれ以上相応ふさわしい表情はない、と思わせるほどの迫力も伴っていた。
「そして、醜い人間とは往生際おうじょうぎわが悪いから醜いと評されるのさ」
 ドォ!! という爆音が、遠くはなれた所から少女の耳を叩く。
 水平線の方だ。流石さすがに彼女でも、すべての黄金の腕を排除する事はできない。人も船もいない海上については、優先度が低いため、ああした『爆発』が断続的に起こっているのだ。
 災害の効果範囲をなぞるように、遅れて巨大な天使の輪や骨のような物が次々に生み出されていく。
「……なるほど。アフターケアもぬかりなしか。洗い流した後の『復興』に使う資源までご用意していただけるという訳だ。純金よりもプラチナよりもタングステンよりも高価で便利な素材がてんこ盛りじやないか」
「まあ、『天使の力テレズマ』は、天使の体から、衣服、武器、その全てを構成していますから、物質化も可能なんでしょうけど……『人間の魔術まじゅつ』を使っている身としては、スケールが違い過ぎて唖然あぜんとするばかりですね」
「だが無意味だよ」
 金髪の少女は、静かに告げる。
「確かに、地球全人類を一人一人満足させるだけの資源があれば、この世の争いの大半は解決するかもしれん。個人が個人のまま完結してしまうからな。だが駄目だめなんだ。人は資源を得れば、その資源を使って支配範囲を広げてしまう。ロケットを作って月面を支配したって人は止まらない。月の重水素を使って今度は火星を付けねらう。だから資源の大小では争いは止められない。ただ争いの規模が変わるだけだ」
「その上、天使の武具や防具と同一の素材なんて、そもそも人類の技術では加工できません。レーザーやダイヤモンドを利用したって傷もつけられませんし、人間の魔術で天使の体をどうにかできるとも思えません。そんなものは、もう資源でも何でもありません。ただのかさばる粗大、コミです」
「まあ、我々の最終目標は魔術サイドも科学サイドも問わず、あらゆる世界を掌握しょうあくする事だ。綺麗きれいに洗い流された上、使えもしない積み木だらけになった世界なんぞ支配してもつまらんからな。ここは慈善事業に精を出すとしようか」
 ゴバッ!! と、さらに複数の黄合の腕が地面や海上から飛び出してくる。
 少女は気にも留めなかった。
 くるくると回していたつえを肩でかつぎ、迷わず前へみ出す。
 礼服の男から手渡された拡声器を使い、彼女は戦場全体にその声を届かせる。
「イギリス軍でもフランス軍でも学園都市でもロシア軍でも良い!! とにかく動ける兵隊は赤外線照準情報送信装置でサポートしろ! 標的の座標情報を受信次第、ありったけの支援攻撃こうげきを行ってやる!! さあ、ここから先は人民の人民による人民のための爆撃の時間だ!! 派手に行こうぜベイビーッ!!」
 腰を抜かしていたイギリス軍の兵士たちが、放つべき言葉の整理もできないまま、それでも口を開く。
「な……なん……何が……。アンタら、一体……?」
 対して、少女は振り返らない。
 多くの礼服の男達を伴ったまま、彼女は背中越しにこう語る。
 拡声器を口元に寄せ、歌うように。
魔術まじゅつ結社だよ。『明け色の陽射ひざし』」

 その時。
 白い雪原に立つ後方のアックアは、地面の雪を突き破って異形の陰が顔をのぞかせるのを目撃した。
 もはや学園都市も、ロシア軍も、科学も、魔術も、関係などなかった。
 皆が一丸となって黄金の腕へと突き進む。
 さらなる大規模な破裂が起こる前に、災厄さいやくの源を粉砕するべく武器を振るう。
 これ以上被害を拡大させないために。
 大切な者を守り抜くために。
(……おろかであるな、フィアンマ)
 アックアは、かすかに笑った。
 普段ふだん滅多めったに表情を変えぬこの男が、ほんの少しだけ、しかし確かに笑った。
(世界を救うのは私でも貴様でもない。何をこわしても、何を恵んでも、もはや民はなびかない。世界に住む者がその世界を守る事など、考えてみれば当然の事であったか)
 ならば、自分もその一員として力を振るうべき時が来たのだ。
 もはやアックアは『聖人』ではない。『神の右席』でもない。自らの最大の武器であったアスカロンを振り上げるほどの筋力もないし、精製できる魔力まりょくの量も人並みの魔術師まじゅつしレベルのものでしかない。
 だからどうした。
 『聖人』だから、『神の右席』だから、アックアは戦うのではない。お世辞にもめられた人生を歩んできたとは思っていないが、生憎あいにくと、彼にも守りたい者を思い浮かべる程度には、この世界に未練がある。

 その時。
「いたいた。ようやく見つけたぜ」
 双眼鏡を顔からはなし、老人は静かにつぶやいた。
 たかわらにいた若者が、そんな老人に向けてあきれたように呟く。
「良いんですかね。よりにもよってロシアに戻ってきちやって。あなたたちの旧名である占星施術旅団、いまだに連中のブラックリストに登録されっ放しだってウワサもあるぐらいなのに」
「うるせぇな。いい加減にめ込んだ霊装れいそうを自分のために使ったって構わねぇだろ。そもそもウィリアム=オルウェルがロシアヘ向かったって情報をつかんだ時、テメェは報告もしねぇでそのまま後を追おうとしたじやねぇか」
「まあ、頭に血が上っていた事は認めますよ。オルレアン騎士団きしだんの時の借りが残ったままですからね。返せぬままでは後味が悪い」
 答える若者は、コリシュマルドという、スポーツ用の道具から派生したフランスの剣を手にしていた。そして傍らには、『ダルクの神託』という術式の素質を持つ女性がたたずんでいる。
 彼らだけではない。
 多くの者がつどっている。あの傭兵ようへいが歩んできた道のりの中で、それだけ多くの者が助けられていた。
「例の傭兵はどうしています」
「毎度の傭兵をやってやがるよ。だが様子がおかしいな。あの程度でじゃれつくような性能じゃあねえような気がするんだが」
「心配ですか」
「まさか」
 老人は適当に息をくと、肩で担いでいた日本刀を軽く振る。
 雷切らいきり
 天からの一撃いちげきすら迎撃した逸話を基に作られた、近代の量産型霊装である。
 呼応するかのように。
 老人の背後で、数百の人影が思い思いの武具を構える。
「あれぐらい可愛かわいげがある方が加勢のし甲斐がいがあるってもんだ」
「しかし」
 青年は呟く。
「このような対症療法りょうほうだけで、次から次へと世界規模でいて出る災害を終息させられるとも思えませんが」
「分かってる。そのための『元』占星施術旅団さ。世界を自由に渡って来たヤツには、それなりのネットワークがある。なまじ根を張って一ケ所を守る意固地な道中だけじやあ、つながりようのないラインも自由に組み込む事ができる」
「?」
「ま、こんな老いぼれにできんのは、細い細い糸を繋げる事ぐらいさ。本当に難しい事は、もっと相応ふさわしい人間がやってくれる。……あいつらも、根っこの所は馬鹿ばかじゃあねえだろうからな」
 言うだけ言うと、老人は『雷切らいきり』を軽く振った。
「俺たち、自由人のやるべき事は簡単だ。何だか分かるか若人わこうどよ」
「難しい事は考えるな」
 青年も笑って、コリシュマルドを似たように振るう。
「守るべき者がいれば剣を取れ、ですね」
 行くぞ、という一言があれば十分だった。
 彼らは一つの力となって戦場へと突き進む。

 その時。
 ロシア成教特殊部隊『殲滅白書Annihilatus』の長である女性・ワシリーサは、かつての部下だった魔術師まじゅつしの女を思い切り蹴飛けとばし、砲弾のように両開きのドアヘとブチ当てて、施錠せじょうされた扉を強引に破壊はかいした。
 モスクワの宮殿の中である。
 ドバン!! という豪快な音と共に、室内に軟禁されていた人物がビクリと肩をふるわせた。それは一五歳ぐらいの少年だった。線は細く、本物の女性であるワシリーサよりも曲線的な美が備わっていて、外に放り出せば三日で永遠の眠りに就いてしまいそうなほど線が細かった。総大主教のために用意された荘厳そうごん装束しょうぞくも、小さな子供が父親のスーツを引きずって遊んでいるよりも似合っていない。
 ワシリーサは口の中にまった血を適当に床へき捨てながら、にっこりと笑みを浮かべる。
「はあい、ロシア成教のトップ様。こんな豪奢ごうしゃ鳥龍とりかごの中に放り込まれちやって、よっぽど大切に扱われていたみたいね。童話の少年とヒロインの立場とは丸っきり逆になったけど、とりあえず魔王まおうの城から助け出しに来ちやったわよん」
「……私をまだ総大主教と呼んでくれる者が残っていたとはな。実際、私には何の力もなかったよ。どれだけ叫んでも、だれ一人武器を置いてくれる者はいなかった。皆が都合の良い『細工済みの調印』を免罪符に掲げ、撤回てっかいの言葉を聞いてはくれなかった」
可愛かわいので許す」
 丸っきりふざけた調子でワシリーサはさえぎった。
「それに、まだやれる事は残っている。総大士教のあなただけがやれる事が」
「?」
 サーシャ=クロイツェフ一筋のワシリーサの心がグラリと揺れそうになるほど可憐かれんに、総大主教は小さく首をかしげる。彼女がどういう理由で所属勢力を決めているかはとてもシンプルだ。彼女は思わず顔に手をやり、鼻血が出ていないか確認しながら、
(……もー、やめてよね。ただでさえ出血激しくて血が足りないって時に……)
「あれが見える?」
 とりあえず身悶みもだえしそうになる心を押さえつけ、ワシリーサは窓の方を指差した。
 この距離きょりからでも、黄金の天空に浮かぶ要塞ようさいは目視できた。それほどまでの規模と高度。残された断片的な資料から『ペツレヘムの星』と呼称されるようになった、『神の右席』右方のフィアンマの神殿である。
「あの要塞は世界中にある十字教の教会や聖堂から、必要なパーツを必要なだけかき集めて形成された。でも、各々おのおの々の建造物には各々の様式がある。ただ一ケ所にまとめただけで、綺麗きれい融合ゆうごうできる訳じゃあないわ」
「それが……どうしたというのだ?」
つなげるための術式がある」
 ワシリーサは小さく指を振りながら、
「フィアンマはローマ正教とロシア成教に通じていた。つまり、双方の術式を最大限に利用して、あの要塞の建造を目論もくろんだ」
「つまり……」
「解折してしまえば、要塞のジョイントを切り崩す事ができる。おそらくロシア成教式はニコライ=トルストイから提供されたものでしょうけど、あいつの宮殿にはそれっぽい資料は存在しなかった。とはいえ、別にそこであきらめる必要はない。言っている意味分かるかしら?」
 当然、使われている術式はロシア成教の中でも秘中の秘だろう。簡単に解折される程度のものを、あのフィアンマが最終手段のかぎに使おうとは考えない。
 だが、
「そうか」
 総大主教は、細い指を動かして己のあごを軽くさする。
「確か、この近くに現象管理縮小再現施設があったな。亡霊ぼうれいや心霊にまつわる現象の発生条件を探るため、一分の一スケールのジオラマ施設を作って諸々もろもろ々の実験を行う……」
「リミッターを外せば、人間が扱うロシア成教式の魔術まじゅつに対しても適用させられるわ。そしてシミュレートに成功すれば、フィアンマが利用した術式が何であったのかを逆算できる」
「私に外せという事か」
「できるかにゃーん? 『一本足の家の人喰ひとくばあさん』がいるとはいえ、身の安全を確実に保証できるとは限らないけど」
 頭をでられそうになった総大主教は、ひょいっと首を動かしてワシリーサの手から逃れ、部屋の出口へと向かう。その仕草が逆に彼女をゾクゾクさせている事に気づかないまま、ロシア成教のトップはこう尋ねた。
「しかし、『ベツレヘムの星』のジョイントには我々ロシア成教式のほかに、ローマ正教式の魔術まじゅつも利用されているのだろう。我々だけでは弱体化できぬかもしれないぞ」
「……その点に関しては大丈夫だいじょうぶ。基本頑固がんこジジィのくせに、妙に顔の広い奇怪な老人の手を借りて、『細い細い糸』をつなげてもらったから」
「?」
 ワシリーサはしわくちゃの老婆ろうばの幻影を引き連れ、総大主教の後を追いながら簡単に答えた。
「みんなが思っているより、あの連中も腐ってはいないって事なのよん」

 その時。
 ローマ教皇という立場を捨てた老人、マタイ=リースは、半壊はんかいしたバチカン大聖堂の地下へともぐり込んでいた。目的は、フィアンマが計画の中で使用していた術式の解析。あれだけの大規模な計画は、『神の右席』個々人の術式だけではカバーしきれないだろう。中心にあるものはさておき、外堀を埋めるために既存のローマ正教式の魔術が使用されている可能性は高い。
『はあい、ダンディな紳士様。そっちの調子はいかがかしらん』
「ふん。繋ぐ相手は私で良いのか? 私はもはや教皇ではないぞ」
『私は名実ともにローマ正教のトップだと思っている相手と話しているつもりだけど? そもそも、ペテロ=ヨグディスじゃあウチの可愛かわい総大主教とは釣り合わないわよん』
「その調子だと総大主教との謁見には成功したか。こちらも主要な書物の選別は終了した。今はロシア上空の『ベツレヘムの星』へ干渉できるよう、超長距離ちょうきょり術式用の陣を構築している所だ」
『おや便利。やっぱりバチカンって色々切り札が眠っているみたいねえ。ウチの部署もそれぐらい予算をいただけるとやりたい放題なんだけど』
「それより、『ペツレヘムの星』から力を奪えば地上の異変も停止するという仮説の信憑性しんぴょうせいはどの程度のものなのだ。こうしている今も、各地からは災害を生み出す黄金の腕の報告が挙げられているのだぞ」
『んー? 大丈夫じゃない? 天空の異変と呼応する形で地上の異変も起きている訳だし。天空の異変を止めれば地上の異変も止まるっていうのも間違っていないと思うわよ』
「それなら良い。フィアンマを止めた所で、皆に犠牲ぎせいいては何の意味もないのだからな」
『ところでさ、ローマ正教としてはオッケーな訳?』
「何の話だ」
『右方のフィアンマは我々とは相容あいいれない。でも一方で、合の今までローマ正教に莫大ばくだいな恩恵を与えていたのも事実。その基盤を自ら砕くという事は、これより先のローマ正教は、以前と同じ繁栄はんえいを築けるとは限らないって事になるんじゃないかしら』
「構わんさ。……皆を守らぬ力など、持っていても意味はない。民を救うためならば、ローマ正教としての力をいででもフィアンマを食い止めてみせる」
可愛かわいって罪よね』
「……唐突に何の話をしている?」
『いやウチのトップの話。おじーちゃんにもさ、あんな時期ってあった訳?』
「人にはしたわれるタチではあったが、そのような評価とは無縁だよ。何しろ教皇に選ばれたほどだからな。厳格な父性の象徴とでも思われていたのだろう」
『おっ、その台詞せりふにウチの可愛い父性の象徴がムクれているよ。だが可愛い!! そして抱きめる!!』
「……そもそも、『そういう評価』に最も縁があるのは、童話のヒロインではないのかね?」
 半ばあきれたように言いながら、マタイ=リースは、地下に眠っていた膨大ぼうだいな資料へと目を通す。
 かつて、禁書目録という小さな少女を招いた事もある巨大な書庫の蔵書だ。
 フィアンマの使用術式が分かれば、そこから反撃はんげきできるかもしれない。
 この大きな戦争を止められるかもしれない。
 だが、それが意味するのは……、
「我々は、自らの敗北のために力を貸しているのですね」
 マタイ=リースの後をついてきた若い神父が、絞り出すようにつぶやいた。
「敗北ではない」
 他者の迷いすら立ち切るほどの強さで、マタイ=リースは訂正した。
「我々は勝利のために戦っている。こうしている今も」
「その勝利は、我々に何も与えません」
「本当にそう思っているのなら、君は私と同じ行動を取ってはいないだろう」
 若い神父は、わずかにだまった。
 ページをめくる音だけが続いた。
「……我々は、もう一度やり直せるのでしょうか」
「できるさ」
 一言で、マタイ=リースは応じる。
 老人の顔には小さな笑みすらあった。
「必ずできる」
 その時だった。
 マタイ=リースはわずかに顔をしかめた。直後に、突き剌すような頭痛がこめかみから頭蓋骨ずがいこつの内側へと突き込まれてくる。ここは禁書目録を招くほどの『純度の高い』知識の宝庫だ。いかにかつての教皇とて、長時間の閲覧は肉体と精神に深刻な悪影響あくえいきょうを招く。
「まだやれる」
 あわてて介抱しようとする若い神父を片手で制し、マタイ=リースは口を開く。
「まだ戦える。希望ある明日への道を開くためにも、ここでとどまる訳にはいかん」
 だが、懸念けねんがあるのも事実だ。
 ローマ正教の秘儀ひぎと、ロシア政教の叡智えいち
『ベツレヘムの星』に利用されているこれらの技術情報を逆手に取れば、深刻なダメージを与える事はできるだろう。
 だが、明確に落とせるかどうかとなると、確証はない。
 何故なぜならば、
(使われている技術は、それだけではない……)
 右方のフィアンマは、禁書目録の遠隔えんかく制御霊装れいそうを強奪したという報告を受けている。
 となると、使われている技術は、ローマ正教、ロシア成教だけとは限らない。

 最後のかぎは。
「イギリス清教の、最大主教アークビショップか……」
『ねーねー。どっちがあの女狐めぎつねに話しかけるか、ジャンケンで決めない?』

 その時。
 ロシア上空に浮かぶ『ベツレヘムの星』の中で、サーシャ=クロイツエフは腰のベルトから様々な工具を引き抜いた。L字の釘抜きバールで床を傷つけ、巨大な魔法陣まほうじんを描いていく。
 慌てたのは脱出用のコンテナの準備を進めていたレッサーだ。
 要塞ようさいの下部には巨大なパラシュートの備わった金属製のコンテナのような物がいくつもぶら下がっていた。レッサーはその使用準備を進めていたのだ。
 ここには彼女たちほかにも、フィアンマに使い捨てられたロシア成教系の魔術師まじゅつしが二〇〇人以上いる。フィアンマに処分される前に、彼らを地上へ逃がさなくてはならない。
 それに。
 仮にフィアンマを倒せる状況になったとしても、脱出手段を確保しなければどうにもならない。
 ここは高度一万メートルなのだ。
「ちょっと! 何をするつもりか知りませんけど、『最終便』の発車は間もなくですよ!!」
「第一の解答ですが、私だって好きでこんな場所にいる訳ではありません。補足説明しますと、一刻も早くはなれられるならさっさと離れてしまいたいというのが本音です」
 サーシャはそう答えながらも、工具を操る手を止めない。
「私見ですが、しかし一方で、このまま何もしないで逃走する事で抵抗を覚えているのも事実なのです。今、こうして、現実にフィアンマに対抗しているのはあの少年だけです。プロの魔術師まじゅつしとして、せめて悪あがきの支援ぐらいはしなくては」
「どうやって!?」
「第二の解答ですが、フィアンマは、私の肉体を利用して『神の力』を呼び出し、空一面の環境を自分の望むように変化させました。……ならば、私が、私自身が、フィアンマの計画にくさびを打ち込む要因になるかもしれません」
 どこまで影響えいきょうを及ぼせるかは分からない。
 少なくとも、サーシャ=クロイツェフの行動だけでフィアンマの大仰な計画が頓挫とんざする事はありえないだろう。
 だがやる。

 前髪に隠れたサーシャの眼光が、不安に揺らぐ事はない。
 レッサーの方は自分の髪を適当にくと、
「ええいくそ!! じやあ手早く終わらせますよ!!」
「?」
「こっちも、可能ならギリギリまで粘りたいと思っているのは事実なんです。あの少年は、我々イギリスのために有益な人物になりそうですからね。だから、限界まで待つための時間つぶしとしてなら付き合います」
「第三の解答ですが、そこまでしてもらう必要は……」
「どのみち、あなたがその道を選んだ事で、脱出計画も一時停止は確定してしまったようなんですよ」
 レッサーは親指を使って、自分の背後を指差した。
 そちらには、脱出用のコンテナからわざわざ降りて、こちらへ近づいてくるロシア成教系の魔術師まじゅつしたちがいた。
 サーシャの描こうとした魔法陣まほうじんを、さらに複雑に広げていくために。
 おどろくサーシャに、レッサーはニヤニヤと笑いながらこう言った。
「こうなったら、結果を出すまで『流れ』は変わらないでしょう。だから、さっさとフィアンマの計画に一矢をむくいるとしましょうよ」

 その時。
 黒を基調とした修道服をまとった少女達の集団が、ロシアの雪原を高速で移動していた。
 服装はローマ正教のものと思われたが、彼女達の現在の所属はそことは離れている。
 元アニェーゼ部隊だ。
 二〇〇人ものシスター達が向かっているのは、学園都市やロシア軍の兵士達が倒れている場所だ。
 戦いとは、何も敵を殺すだけで決まるものではない。
 彼女達には彼女達の戦いがある。
「シスター・アニェーゼ。救助対象を発見。そのすべてを『爆発』の効果圏外へ逃がす事は不可能です。予定通り、救助対象の分布図からポイントを算出し、シェルターを建造してください!!」
「良いですか、シスター・アンジェレネ。シェルターには『神の子』の産着うぶぎ飼葉桶かいばおけの理論を応用します! 聖母系のエクス=ヴォトの取り扱いを得意とする修道女は各々おのおの々のシェルター建造に際し、指示を出してください!!」
「救護用の大型ヘリは三〇〇〇メートル後方に待機させています! 重傷者は次の爆発が起こる前に搬送はんそうさせてしまってください!!」
「軽傷については各シェルターヘー 全員を搬送させている時間的余裕はありません!!」
 あっという間だった。
 彼女たちが『シェルター』と呼んでいるものの正体は、木の骨組みと大きな白い布を組み合わせたテントのようなものに過ぎなかった。ただし、それにしても数秒から十数秒で設営できるものではないだろう。事情を知らずにはたで見ている分には、バネ仕掛けの玩具おもちゃが自動的に展開されていくように見えたかもしれない。
 戦場の真ん中に作られたシェルターヘ、倒れて動けない兵士達が次々と運ばれていく。
 目を白黒させているのは、学園都市もロシア軍も同じだった。
 ある一つの状況に対し、同じ感想を抱く同じ人間。
 その事にもっと早く気づいていれば、ここまで派手な戦争にはならなかったのだろうか。
「……なん、だ。お前ら……」
 声を絞り出しているのは、学園都市の駆動鎧パワードスーツを操っていた人聞だった。
 体のあちこちに包帯を巻きつけられながらも、彼は疑問を発する。
「所属、は……? お前ら、どっちの味方だ……」
「そんな事を論じるためにここまで来たのではないのでございますよ」
 応じたのは、黒い修道服の一人だった。
えて答えるなら、戦争の被害を少しでも一人でも軽減させる事。私達の目的はそこにしかございません」
「………」
 見慣れた抗生物質ではなく、草木から作り出した薬品を取り扱う修道女に、言葉を失う兵隊。その沈黙ちんもくを埋めるように、木と布のシェルター内に通信が入る。
 機材のようなものは見当たらない。
 シェルターの柱にり付けられたカードのような物から、男の声がひびいている。
『やれやれ。綺麗きれい好きのフィアンマの野郎、まさかここまで大掃除のスケールを大きくするとは参ったのよ』
「やはり、これはフィアンマの浄化作戦の一環だと?」
『そう考えるのが無難よな。予定調和の破壊はかいに加えて、再建のために必要な物資の生産まで行ってやがる。……とはいえ、人類のだれにも破壊できない新物質など与えられた所で、誰にも加工できんのなら、ただのデカいゴミなのよ』
 ゴゴン……ッ!! と、鋭く重たい震動が雪原を揺さぶったのは直後だった。
 すぐ近くの地面から、黄金の腕が突き出たのだ。
 寝台に寝かされていた学園都市の男は、痛みに顔をしかめながらも起き上がる。それはとなりの寝台で手当てを受けていたロシア兵も同じだった。
「くそ、銃をよこせ」
 男はうめきながらも、片手を修道女へ伸ばす。
「やられっ放しで終わってたまるか。どこのだれだか知らねえが、お前らは大きなお世話と呼べるぐらいには良いヤツだ。お前らが逃げ出すぐらいのすきは俺が用意してやる」
 だが、学園都市やロシア兵が決死の突撃とつげきを仕掛ける必要はなかった。
 それだけのひますらも与えられていなかった。
 まさに、一瞬いっしゅんだった。

 ゾン!! と。
 一本の長大な刀が、黄金の腕を根元から切断したのだ。

 簡易テントにも似たシェルターの布の隙間から見えた、外の威容。
 二メートルもの長さの刀を振り回す東洋人の女性も異常であったが、それよりも、たった一撃で黄金の腕が切り裂かれた方が、やはり異常だった。
 黄金の腕の長さは一〇〇メートルを超す。太さについてもそれに見合った大きさにふくれ上がっている。たとえ二メートルの刀に恐るべき切れ味があったとしても、単純な太さの問題で、黄金の腕を切断できる訳がないはずなのだ。
 なのに……、
『ようは、ビニール袋の切り口と同じ理屈です』
 柱にり付けられたカード状の通信装置から、女性の声が聞こえた。
『標的に小さな傷をつけた上で、後は標的自身の重さに任せて切りロを強引に裂いてしまう。古今東西の神話において、明らかに剣の大きさよりも巨大すぎる悪竜などを切断する逸話では必須の技能と言えるでしょう』
 唖然あぜんとする学園都市の男の全身へ、黒い服の修道女は、カンテラと言うのだろうか、古めかしい照明の光を当ててきた。懐中かいちゅう電灯のような円形の光が体の上をう。傷の有無でも確かめているのかと思ったが、様子がおかしい。円形の光が通り過ぎた後も、体の表面がうっすらとかがやいているのだ。
 まるで、体を外側から支えるように。
「生き残るためにせよ、強敵の前に立ちふさがるにしても、まずは五体満足に体を動かせる環境を整えなければならないのでございますよ」
 手当てを受けながら、学園都市の男は、シェルターの外の雪原の様子を思い出していた。
 まだ使える戦車や駆動鎧パワードスーツがどこに放置されているかを、できるだけ正確に頭の中に浮かべていく。
 間もなく、男は出撃の準備を終える。
 今度の敵は、ロシア軍などではない。

 その時。
 二本の剣が、地面から生えた巨大な黄金の腕を切断した。
 イギリスの剣・カーテナ=セカンドの破片から伸びた光の剣。
 フランスの剣・デュランダル。
 それぞれを操るのは、両国の代表である第二王女キャーリサと『傾国の女』だ。大天使ミーシャ=クロイツェフから受けた傷もえていないが、彼女たちの立ち振る舞いにおとろえはなかった
「天使の次は『右腕』の象徴か。つくづく『天使の力テレズマ』にこだわる野郎だし」
 キャーリサは退屈そうな調子で、光の剣を軽く振った。
「移動要塞グラストンベリの配置をBからCへ。調子を確かめろ。ここで誤作動を起こされても面倒だし」
「……グラストンベリの高度制限を解除できれば、手っ取り早くフィアンマの神殿へ乗り込む事もできそうですが」
 『傾国の女』は頭上を見上げている。その先---一万メートル以上の上空には、『ベツレヘムの星』と呼称される要塞が、今も高度を上げている。
「そー都合良くできればだれも苦労はしないの。そもそもグラストンベリは地上の領土制圧を目的に開発された移動要塞だし。高高度の空中戦は想定されてない」
 キャーリサはグラストンベリの方を振り返る。
 そのまま、彼女はポツリとつぶやいた。
「……それにしても、『ベツレヘムの星』か。良くロシア成教とローマ正教が情報を開示したものだ」
「利用されていたのは同じ事。これだけの計画にただだまって追従するほど、彼らも救いのない存在ではなかったというだけの話でしょう」
 ヒュンヒュン、と手首だけで剣を軽く回転させながら、『傾国の女』は思案する。
(……そういえば、この辺りには妹の独立国があったはず)
 ふむ、と適当に自分の中で区切りを設けてから、
(ここで恩を売っておけば、フランスの国益につながるかもしれませんね)
(ちょっと姉さん。西欧代表国の一角が小国からむしり取ろうとしないでもらえるかしら。大人げない)
(おやエリザ。最初にノックぐらいするのがマナーだと思いますが)
(そこ、私の『砲撃ほうげき』の術式有効圏内なのよ)
(……あなたがそこまで優秀なら、フランス政府も離脱りだつを認めなかったと思いますが)
 元々そこは対フィアンマ用の戦場にする予定の場所だったから、ウチの兵隊が色々と物騒ぶっそうな品を仕掛けておいたって訳。結局、使う前にフィアンマの方から侵攻され、サーシャ=クロイツェフを奪われた訳だけど。ともあれ、そのポイントにだけなら『砲撃ほうげき』術式は届く)
(私に恩を売るつもりですか?)
(小国から西欧代表国の一角をむしる方が、まだしも自然だと思うけど?)
 バチバチ、と火花を散らす姉妹。
 と、キャーリサの方にも通信が入ったようだ。ただし、彼女の場合は魔術的まじゅつてきなものはない。第二王女は電子音に反応し、胸元に忍ばせていた無線機を取り出している。
 『傾国の女』は下品な水着でも見るような目をキャーリサに向けて、
「……ずっとずっとずっと言ってきましたが、そこに収納する必要性はあるのですか?」
「やかましいな。お前は私の母上か。……生憎あいにくとドレスにはポケットのたぐいがなくてな。ショーツに挟むのとどちらが良いか、これでも良識にのっとって判断してるつもりだし」
 無線機を抜き取ったキャーリサは、どうやらロンドンと連絡を取り合っているらしい。
「そーかそーか、なるほど。つまり『ベツレヘムの星』を落とすためには、ローマ正教、ロシア成教だけでなく、イギリス清教の技術や知識も提出する必要が出てきた訳だな」
 ふんふんと小さくうなずいていた第二王女だったが、
「ならば『清教派』のトップにはこー伝えておけ。早急に必要な情報を開示しなければ、『王室派』の第二王女、『軍事』のキャーリサがカーテナをケツから突っ込んでやるとな」
 言うだけ言うと、キャーリサは無線を切った。
「---という訳だ。陥落のための準備は進んでるよーだが、ただ待ってるだけでは被害を拡大させる一方らしいの」
「となれば、やるべきは一つですか」
 き捨て、二人は再び神話クラスの剣を構え直す。
 その周囲を取り囲むように、複数の黄金の腕が地中から現れた。
 互いに背中を預けながら、彼女たちは語る。
「『ベツレヘムの星』へ直接侵攻しなくても、フィアンマの目論見もくろみを妨害する術はあるし」
「……すなわち、地上で発生する黄金の腕を片っぱしから破壊はかいして回る事、ですね」
 複数の斬撃ざんげきが走り、ほんの一瞬いっしゅんで異形の包囲網ほういもうが崩壊する。
騎士派きしは』の男達や『必要悪の教会ネセサリウス』、そしてフランスの魔術師まじゅつし達もその後に続く。
 彼女達の侵攻が始まった。

 その時。
 イギリスの聖ジョージ大聖堂で、魔術師ステイル=マグヌスの肩から胸に掛けて、光の粒子のようなものでできた細い西洋剣が容赦ようしゃなく食い込んでいた。豊穣神ほうじょうしんフレイの剣。自動的に動き、相手の急所へ確実にり込む霊装れいそうが、ステイルの鎖骨さこつを裂き、太い動脈や内臓をまとめて引き千切きぎっていく。
 インデックスという少女の表情は止まったままだった。
 ステイルの動きが止まる。
 そして、その間にも多数の攻撃こうげきは続いていた。
 さらに二本の剣がステイルの腰や背中に突き刺さり、とどめとばかりに、血のように赤いつばさが振り下ろされた。どうしようもないほど圧倒的な攻撃。それは人肉を丸めてたたつぶすと同時に、魔力まりょくの源となる生命力そのものへ致命的なダメージを与える連撃だった。
 だが。
 表情のないインデックスが、かすかに首をかしげるような動作を行った。
 確かに複数の剣や翼はステイルの体の内部へとすべり込んだ。にもかかわらず、それ以上の変化がない。あまりにもスムーズ過ぎる。血も流れないし肉も潰れない。人間の体は、こんなヨーグルトにスプーンを通すように切断できるものではないのに。
 判断が遅れた。
 それが魔術的まじゅつてきな工作であると気づいた時には、次の動きがあった。
蜃気楼しんきろうだよ。良くある手だ」

 背後からの声。
 そして少女は背骨の辺りに違和感を覚える。
 直後に、ズドン!! という雷撃に似た爆音が炸裂さくれつした。ステイルが拘束用にり付けたルーンのカードの本領を発揮させたのだ。
 ギチギチギチギチギチ!!!!!! と、インデックスは弓なりになった背骨をきしませる。
「警告、第四七章第ハ○節。心理的効果による心身の拘束効果を確認。思考能力に影響えいきょうあり。拘束効果をダミー領域へ誘導ゆうどうし、術式の逆算行動能力の確保を優先します」
 仕掛けた側から、ラミネート加工のカードに記されたルーンが、まるで長期間日差しを浴びせたポスターのように色褪いろあせていった。ルーンの重要事項である『染色』が解かれ始めているのだ。当然、色が抜ければ効果は切れる。長くはたない。
(……遠隔えんかく制御霊装れいそうの割り込みで弱体化しているとはいえ、腐っても一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょ図書館。この程度で封じられるとは思っていない)
 できる事は時間かせぎ。
 根本的な所で、ステイル=マグヌスではインデックスには勝利できない。
 ただし、
「それで構わない」
 ふところから新たなルーンのカードを取り出しながら、ステイルは小さく笑う。
「その間にあの忌々いまいましい男が片を付ければ、それで僕たちの勝ちだ」
 カツン、という足音が聞こえた。
 ステイルがそちらを見ると、ローフ目‥スチュアートが微笑ほほえんでいた。
 彼女は手にした何かを軽く振っている。
 遠隔えんかく制御霊装れいそうかと思ってギョッとしたステイルだったが、そうではなかった。
 ローラが手にしているのは、カード状の通信用霊装だった。
「ご褒美ほうびよん」
 と、彼女は言う。
 ローマ正教とロシア成教。
 それぞれのトップとつながった通信用霊装にくちびるを寄せながら。
「ま、ノルマは達成したるようだし、こちらも魔道書まどうしょ図書館の回収のために尽力したるわよ」

 そして。
 イギリス清教、ローマ正教、ロシア成教。
 十字教三大宗派が、ついに手を取り合った。
 目的は一つ。
 右方のフィアンマの居城である『ベツレヘムの星』から力を奪い、これ以上の暴虐ぼうぎゃくを食い止めるために。
 世界をしばりつけていたくさりを引き千切ちぎり、彼らは動き出す。

 上条当麻かみじょうとうまと右方のフィアンマは、互いの『腕』を振り回す。
 複数の衝撃波しょうげきはが周囲をふるわせ、魔術まじゅつの余波は光の洪水となって辺りへとき散らされていく。直接的な激突のほかにも、彼らの周囲では断続的に光がまたたき、複数の方向から血のように赤い光線が放たれていた。一○万三〇〇〇冊の魔道書を利用した攻撃だ。
 しかし、両者の激突は桔抗きっこうしていなかった。
 少しずつ。
 まるで鋭いくちばしで柔らかい肉をついばんでいくかのように、衝突のたびにフィアンマの『第三の腕』から力がげていく。様々な儀式ぎしきを経て特別な血肉を手に入れたフィアンマの腕が、ボロボロと突き崩されていくのが分かる。
 上条の力が特別なのではない。
 右方のフィアンマを支えていた力の源が、砕けつつあるのだ。
 何故なぜだ、とフィアンマは考える。
 絶大な力を生み出すはずの『第三の腕』の出力はどんどん落ちてきている。世界中の教会や聖堂の要所を組み合わせた『ベツレヘムの星』はあちこちで亀裂きれつが走り、本来のかがやきを失ってしまっている。黄金の天空と同じように変質するはずだった地上は、いつまで経っても制圧できない。それどころか、黄金の天空のあちこちに、小さなくすみのようなものが生じていた。何かがおかしい。歯車一つの回転が止まってしまった事が、ありとあらゆる機械仕掛けの動きを阻害そがいしてしまったようだった。
 何もかもが思い通りにいかない。
 このままでは追い着かなくなる。
 力の供給よりも放出の方が大きくなり、結果としてフィアンマは弱体化してしまう。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
 絶叫し、さらに強く速く『第三の腕』を振るうフィアンマ。
 しかしその行動が矛盾むじゅんしている事に、彼自身気づいている。元々、彼の腕は万能だった。振れば当たるのだから速度はいらない。たたけばつぶせるのだから威力を求める必要もなかった。にもかかわらず、今のフィアンマは安直な腕力にたよっている。その腕に宿っていたはずの『本質』が揺らいでいる証拠だった。
 ズズン!! という低い震動しんどうがあった。
 『ベツレヘムの星』全体が揺れている。だがそれは、上条かみじょうとフィアンマの戦いによるものではない。完全に独立した震動だった。要塞ようさいそのものが崩壊ほうかいを迎えようとしていた。
 要塞内のスピーカーが勝手に起動した。
 フィアンマは知らなかったが、それはレッサーという少女の声だった。
 『イギリス清教、ローマ正教、ロシア成教が「ベツレヘムの星」のジョイント用術式の解除を始めました! 私と、ええと、ロシア成教のサーシャ=クロイツェフは解除用術式の中継ポイントを埋め込んだのち、脱出用のコンテナに乗り込みます。コンテナは数がもうありません! あなたも急いでください!!』
 まただ。
 右方のフィアンマが考えてもいなかったイレギュラーが、彼の計画にダメージを与える。
 善意という名の因子が。
「終わりだ、フィアンマ」
 上条は右拳みぎこぶしを構え、静かに言った。
「計画の中心になっていたテメェの右腕から力は失われつつある。儀式場ぎしきじょうである『ベツレヘムの星』も使い物にならなくなりつつある。何より、本当に世界を救いたかったんなら、人の心の中にある善意が悪意に勝ったこの状況を、喜ばなくちやならなかった。……それができない時点で、テメェの幻想はすでに破綻はたんしている」
「確かに」
 フィアンマは、くすりと笑う。
「この状況は劣勢だ。根本の所にある力ががれてしまうのであっては、俺様の計画を続行する事はできん。地上の『浄化』もとどこおっている。……急速に力を失う『右腕』を今さら振るっても、地上を道連れにする事すらできんはずだ。このままでは何もかもが有耶無耶うやむやのままに崩落していく事だろう」
「………」
「そう、このままではな」
 不吉な言葉だった。
 直後。
 ゴッ!! と、上空にある黄金の天空が揺らいだ。そのかがやきに濃淡が生じる。そして一斉に、光のかたまりが『ベツレヘムの星』 へと向かった。後から後から生み出されるエネルギーの塊を次々に取り込み、『ベツレヘムの星』の内部に圧縮されていく。
 顔色を変える上条かみじょうに、フィアンマは遠隔えんかく制御霊装れいそうを軽く振り、
「言っておくが、これを使った訳ではないぞ。これはお前たちが招いた結果だ」
「なん、だと……?」
「何物からの協力も取り付けられなかったが、時間は俺様に味方した」
 フィアンマはつぶやく。
 彼は天国の扉を開けるのではない。あまりにも神聖な存在となった彼の周囲の世界が、天国のように作り変えられるのだ。
 時間の経過と共に進行する変貌へんぼうが、一定のラインを越えた。
「本来は段階を経て少しずつ地上も変質するはずだった。しかしお前達の言う『善意』とやらがそれを拒み続けた結果、大陸のプレートがたわんで力を蓄えるように、天空と地上の間で不自然な歪ゆがみを生み出してしまった」
 こうしている今も、『ベツレヘムの星』 へは大量の力が注がれている。それが許容量を超えれば、『蓄え』を抑えておく事はできなくなる。
「結果、天使の力テレズマの蓄積された天空から、蓄積のされていない地上へ、電流が流れるように莫大ばくだいな力が降下する羽目になった。……正直、俺様の予想していたルートとは違うが、地上が光で満たされるのであれば、結果は変わらん。いまだにこの世界は変貌を続けている」
「何が起こるか、分かっているのか?」
 上条は、歯軋はぎしりしながら呟いた。
「天使の体を作っているのと同じ、莫大なエネルギーの塊だぞ。あんな物が地上に落下したら、変質がどうとか言う前に、メチャクチャな爆発が地表をめつくすに決まってる!! 『御使堕しエンゼルフォール』の時のミーシャもそうだった。あのレベルの莫大ばくだいな力は、制御もされずにそのまま荒れ狂ったら、それだけで人間の文明をまとめて破壊はかいしかねないんだ!!」
「そうだ、残念だとも。お前にとってはな。力の量から察するに、少なくともユーラシア大陸の全土は光にみ込まれるだろう」
 フィアンマの眼光には、いまだに力がある。
 あきらめないという言葉が、これほど邪悪に映ったのはこれが初めてだった。
「いかにこの戦争の中、多少の『善意』が芽生えつつあったとしても、圧倒的な破壊はそれを上から塗りつぶす。やはり駄目だめだったのだと、『善意』など振りかざした所で悲劇は止められんのだと……そう気づいた先にある絶望は、最初から存在する『悪意』よりもはるかに深く、重たいものへと変わっていくだろう」
 そして、諦めが生む濃度の高い悪意のかたまりは、フィアンマの内側にある力を大きく刺激する。これまで以上に。フィアンマがシミュレートしていたものよりも強く。彼はこの惑星に住む全すべての生き物の頂点に立ち、自らが望むままにその力を振るって世界を変貌へんぼうさせていく事だろう。
「あまりにも強力な天罰てんばつは、人々の結束など簡単に突き崩す。バベルの塔の破壊によって、人のつながりが分断されてしまったのと同じように。そこで生み出される悪意に反応して、再び俺様は莫大な力を引き出す事ができるようになる」
「……フィアンマ……」
「お前の方法で、世界を救うには遅過ぎた」
 これまで以上に強くこぶしを握る上条かみじょうに、フィアンマは笑みすら浮かべてこう言った。
 莫大な力の供給を保証された、余裕ある感情と共に。
「これで、俺様の勝ちだ」

行間 八

  Nu-AD1967 の弾頭側面にあった小さな窓のようなくぼみに布を突っ込んだ美琴みことは、そこでようやく息をいた。
「……ぜえぜえ。これで、いい加減に弾頭は無力化できたんでしょうね。さらに超音波式とか色々出されても困るわよ」
「通信内容の混乱ぶりから察するに、これ以上の策はなさそうです、とミサカは報告します。いつまでっても何も起こらない事で相当あせっているようです、とミサカは感情的な情報を付け加えます」
「そいつら、次の手を打って出ると思う?」
「実行部隊を失った事で、逃走に移る様子のようです、とミサカは予測をつけます。このサイズの弾頭を運ぶだけの余力がないため、核兵器は放棄ほうきする模様です、とミサカは通信内容に耳を傾けます」
「とはいえ、放っておくと後で痛い目を見そうよね」
「……という判断をロシア軍の別派閥も行ったようで、実は将校クラスの周囲を特殊部隊が取り囲んでいます、とミサカは別の通信を傍受します。建物から出てきた所を『特殊鎮圧ちんあつ作戦』で押さえるようです、とミサカは報告します」
「建物に直接み込まないのは、えて余裕を感じさせる事で、核爆弾の起爆のタイミングを与えないようにするためかな。車内で即時起爆できるものじゃないし」
 美琴は布を押し当てた上から、妹達シスターズに投げてもらったスコップの先端せんたんを押し当てた。戦車のボディに取り付けてあったものだ。美琴はそのまま磁力を操り、受光部の強化ガラスを粉々に砕く。
「なら、この弾頭のコネクタを破壊はかいすればおしまいね」
 さらにコンピュータと接続するためのポイントを三ヶ所ほどつぶすと、美琴は妹達シスターズの方を振り返った。
「はいおしまい。これで弾頭は使い物にならない。別の『外殻』に、また詰め直されたら話は変わるけどね」
「弾頭だけで二トンはありますし、クレーンもなしに持ち運ぶ事はできないでしょう、とミサカは予測をつけます」
「念のために、ロシア当局か学園都市にここの場所を流しておいて」
 これでひとまず核兵器を巡る問題は解決した。
 ここからだ。
 いよいよ本番だ。
 そもそも御坂美琴みさかみことはこんな事をするためにロシアまでやってきた訳ではない。ツンツン頭のあの馬鹿ばかと顔を合わせて一発ぶん殴るためにやってきたのだ。
 彼女はぐるりと周囲を見回し、
「アンタ、兵器の取り扱いは一通りインストールされてんのよね」
「必要があれば、ミサカネットワークから追加で取得する事も可能ですが、とミサカはアルバイト代の交渉をどう進めるべきかほかの個体と相談を行います」
「高校生以下には払えないからタダ働き」
 ……それは色々と本末転倒なのでは? とブツブツ言っている妹達シスターズを無視して、美琴はある方向を指差した。
「航空戦力のつもりか移動手段のつもりかは知らないけど、あそこにVTOL機があるでしょ。あれ使えば天空の要塞まで飛んで行けるんじゃない?」

第一二章 北極海の最後の決着  Last_Fight.

 白い雪原を、静寂が包んでいた。
 一方通行アクセラレータの歌はんでいた。地面について体を支えていたつえ先端せんたんすべる。膝から落ちた一方通行アクセラレータの全身は、赤い血にまみれていた。色づく事すら許さぬ白い地獄の中、彼だけがその傷と痛みによって自己の色を発していた。
 限界を超えたのどから、ヤスリで削ったようにかすれた息がき出される。体の内側すらも傷つけているのか、吐息といきに混じって赤い液体が断続的にあふれ出す。
 これ以上は歌えない。
 体の中の管に、何か粘ついたような物が詰まっている。
 しかし。
 一方通行アクセラレータの赤黒く汚れたくちびるは、わずかにゆるんでいた。そうだ、と彼は思う。これ以上歌う必要はない。何故なぜならば、

「……だい丈夫じょうぶ……? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」

 あやふやな視界の中で、小さな声が聞こえた。
 ずっとずっと聞きたかった少女の言葉。つい先ほどまで意識を保つ事すら許されず、最低限の命の保証もされなかった少女の台詞せりふ。その声色に、細いながらもしんが取り戻された事を一方通行アクセラレータは確信した。
 揺らぎ、いつ消えるかも分からなかった、恐ろしいほどたよりない存在。その中心に、決して消える事のない柱が通ったのだと。
 もう打ち止めラストオーダーは安定した。
 これ以上、彼女が理不尽りふじんな暴力に苦しめられる事はない。
 その事実を、一方通行アクセラレータは深くめた。そして、気がついた時には動いていた。かつて学園都市最強の怪物と呼ばれていたその超能力者レベル5、震ふるえる両手を伸ばし、いまだにぐったりと体の力を抜いている打ち止めラストオーダーの小さな体を抱き寄せた。
 強く。
 二度とはなさぬように。
「……良かった……」
 ポツリと、言葉がれる。
 彼の声はふるえていた。体を内外からズタズタにされた影響えいきょうだけではなかった。
「ちくしょう。良かった。本当に良かった……ッ!!」
 本来の一方通行アクセラレータならありえない言葉だったのかもしれない。
 しかし、何をもって『本来の』などと言えるのだろうか。もしかしたら、これが本当の彼なのではないか。すべての悲劇が始まる前、学園都市の『やみ』が幼い超能力者レベル5み込む前、『本来の』彼はありふれた事で笑い、ありふれた事で泣く子供だったのではなかったのか。
 圧倒的な悪に染まりながら、『それ』は変わらず一方通行アクセラレータの中にあった。
 残っていた。
 芳川よしかわ桔梗ききょう黄泉川よみかわ愛穂あいほが見ていたものは、そして『大人の社会』の中で保護しようとしていたものは、これだったのかもしれない。
 長い間、断続的にしか意識をつなぎ止められなかった打ち止めラストオーダーは、詳しい顛末てんまつを何も理解できていなかったはずだ。
 だが関係なかった。
 抱きめられた打ち止めラストオーダーは、その小さな手を一方通行アクセラレータの背中に回し、ゆっくりとでる。
 受け入れるように。
 おそらくは、一番最初に彼の中に残っていたものを見つけた時と同じように。
「---、」
 ようやく取り戻したぬくもりを確かめながら、一方通行アクセラレータは思う。
 確かに、この世界は冷たく、厳しく、どうしようもないほど悪意に満ちていた。
 しかし、同時に救いもあった。
 自らの意思で手を伸ばせば。歯を食いしばって前へ進み続ければ。あがいてあがいてあがいた先に、必ず光は存在する。その一筋の光すらも奪い去るほど、この世界は絶望的ではなかったのだ。
「感動の再会をしている最中に水を差すようで申し訳ないんだけどさ」
 その時だった。
 かたわらにいた番外個体ミサカワーストが、警戒のとげを含む調子で言葉をつむいだ。
「このクソッたれの戦争は、このままハッピーエンドで終わってくれる感じじゃなさそうよ」
 首を回し、周囲の様子を確かめる前に一方通行アクセラレータは異変を感じ取った。
 ゾワリ!! と。
 全身の肌を通り抜けて冷たいものが入り込んでくるようないや錯覚さっかくがした。いや逆か。体の内側から発した震えが皮膚ひふ外へあふれ出しているのか。どちらでも構わない。とにかく普通の五感ではなかった。受け取ってはいけない情報を無理に受け取った結果、体のセンサーや脳の演算回路に誤作動が生じたようなニュアンスだった。
 真上から、莫大ばくだいな重圧を感じた。
 海原光貴うなばらみつき、水の天使、羊皮紙ようひし。それらから放射されていたものを、さらにすさまじく濃縮したような……。
 一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーを抱き留めたまま、天空へ視線を投げる。
 巨大な要塞ようさいが浮かんでいた。
 大空を埋め尽くす黄金の光が、要塞へとみ込まれていく。一点に集束された莫大な力の圧が、ビリビリと一方通行アクセラレータ皮膚ひふ錯覚さっかくを送る。矛先ほこさきを感じ取った。あの得体えたいの知れない力のかたまりは、地上へ照準を合わせている。
 あの要塞が何を意味しているかは分からない。
 地上へ向けられた矛先が、どんな効果を生むかも理解できない。
 だが、
「……発射されれば、まともな結末にはなりそォにねェな」
 単純な破壊はかいだけが目的ではないのかもしれない。何か特別な効果を生むものなのかもしれない。それでも結果は同じだった。あれだけの力が地上に落ちれば、どこまで被害が拡大するか。しかも、皮膚感覚に従って『単純に科学的な力』とは違うエネルギーだと仮定した場合、あの力には一方通行アクセラレータの『反射』は通じない。
 貫かれれば皆が死ぬ。
  一方通行アクセラレータも、番外個体ミサカワーストも、打ち止めラストオーダーも……一人残らず。
「……ふざけやがって」
 つぶいた直後だった。
 ボン!!!!!! と、爆発するような音を立てて、一方通行アクセラレータの背中から真っ黒なすみのようなつばさが噴き出した。彼の怒りの象徴である黒い翼。単純にミサカネットワークの力を借りているだけとも思えず、打ち止めラストオーダーからの強制停止もできるかどうか分からない、なぞに満ちた莫大な力。実際、この翼が現れた時は、一方通行アクセラレータ自身、必ずと言っていいほど精神の均衡きんこうを失うような事態に見舞われていた。あらゆる主義主張をかなぐり捨ててでも目の前の相手を殺したいと願った時。胸の内から噴き出す殺意は黒い翼という形を伴って世界を蹂躙じゅうりんする。そういう、どうしようもない力だった。
 まるで、天空の要塞からの重圧によって、体の内側から絞り出されたようだった。
 あのエイワスと対峙たいじした時と同じように。
 しかし。
「……番外個体ミサカワースト
 一方通行アクセラレータの言葉は、ささやくように静かだった。
「俺はあれを止めてくる。このガキを任せられるか」
「ロシア側から? それとも学園都市側から?」
すべてからだ」
 無茶苦茶むちゃくちゃな命令に、番外個体ミサカワーストは息をいた。両陣営を敵に回すという事は、第三次世界大戦の参戦勢力全てと戦えと言っているようなものだ。
 だが、彼女は悪意に満ちた笑みを浮かべると、ポケットの中の鉄釘を取り出しながら、
「……まあ、連中にづらをかかせるとは決めている訳だし、やる事は変わらないか。最終信号ラストオーダーやミサカネットワーク内の『歌』の情報を解析すれば、『学園都市にはないテクノロジー』を入手するチャンスにも恵まれる訳だし」
 目まぐるしく状況が進行していく事に、打ち止めラストオーダーは不安を覚えたのかもしれない。その小さな手で、一方通行アクセラレータの服をぎゅっとつかむ。
「どこへ行くの、ってミサカはミサカは質問してみたり」
 腕の中で、こちらを見上げるひとみは揺らいでぃた。
 おそらく、彼女はこれから一方通行アクセラレータが行おうとしている事を理解している。分かっているから食い止めようとしているのだ。
「どこへも行かないよね、ってミサカはミサカは確認を取ってみる」
「心配はいらねェよ。すぐに終わらせる」
 戻ってくるとも、帰ってくるとも言わない一方通行アクセラレータ
 黒いつばさを生やした怪物は、自分の服を掴む少女の指を、一本一本優しく外していく。彼をこの地上にとどめていた、最後のかせを振り切るように。
いやだよ」
 打ち止めラストオーダーが、か細い声でつぶやく。
「ずっと一緒いっしょにいたいよ、ってミサカはミサカはお願いしてみる」
「……そォだな」
 一方通行アクセラレータも、認めた。
 最後の最後で、彼は子供のような笑みを浮かべてこう答えた。

「俺も、ずっと一緒にいたかった」

 バキバキバキバキ!! と氷に亀裂きれつを入れるような音と共に、怪物の翼の色が変わっていく。すみのような漆黒しっこくから、雪のような純白に。根元から先端せんたんまで、ものの一瞬いっしゅんで外見の色彩から内面の本質まで、その全てが切り替わっていく。
 その頭部のすぐ上に、同色の小さな輪が生じていた。
 それが彼の変化。
 この現実世界に特異な力を吐き出す源となっていた、精神の変異。

 一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの小さな肩に両手を乗せ、軽く押すと、無重力空間の宇宙飛行士のように、その反動で彼の体がふわりと宙に浮いた。
 打ち止めラストオーダーの小さな手が、空中の一方通行アクセラレータの方へと伸ばされる。
 しかし届かない。
 もう一方通行アクセラレータは数メートルも浮上している。
 これで良い。
 そう確信した一方通行アクセラレータは、白いつばさをはばたかせる。一○○メートル台の巨大な翼は単純な風の力ではなく、もっと得体えたいの知れないエネルギーを浮力に変えた。地上へは一切の力を加えず、しかし一方通行アクセラレータの体を砲弾のように真上へ突き上げた。
 一瞬いっしゅんで。
 三〇〇〇メートルも上昇し、一方通行アクセラレータはそのまま天空にかかろうとしていた分厚い雲のはしを吹き散らす。
 同時に天空の要塞ようさいが動いた。
 上部から取り込み下部にめ込んでいた黄金の力のかたまりが、容赦ようしゃなく投下される。ビリビリというしびれるような圧力をほおに感じ取った。やはりあれは一方通行アクセラレータの白い翼同様、まともな力ではない。おそらく『反射』も通じない。エイワスにやられた時と同じように、そのまま貫かれてしまうだろう。
 だからどうした。
 一方通行アクセラレータはさらに白いつばさを動かし、上昇速度を跳ね上げる。何の小細工もなしに、投下されてくる黄金のかたまりへとぐ向かう。彼の口元には、わずかな笑みすらあった。
 そォか、と今さらながら一方通行アクセラレータは思った。
 これが、何かを守るための戦いなのか、と。

 直後だった。
 上空八〇〇〇〇メートルで、二つの巨大な力が激突した。

 ズズゥゥゥゥン!!!!!! という莫大ばくだい衝撃しょうげきが、『ベツレヘムの星』を大きく揺るがした。
 黄金の光の爆発があった。
「なん、だ……?」
 しかし、右方のフィアンマが予想していたような大災害が地上をおそうような事はない。そして天空のように、地上が黄金に染まる事もなかった。『ベツレヘムの星』から投下された大規模な天使の力テレズマは、何らかの原因で阻害そがいされてしまったのだ。
「必要な出力は満たしていたはずだ!! 地上には戦略上の条件を満たすだけの破壊はかいが起こり、俺様の勝利を後押しするはずだった!! それなのに一体何が……ッ!?」
 望んでいた悲劇は起こらなかった。
 悪意の増幅は認められず、逆に悲劇が食い止められてしまった事で、人々の心の中から黒い部分が払拭ふっしょくされつつあった。
 それはあくまでも一時的な、たとえるならスポーツの祭典の時にだけ感じる世界との一体感にも似た、狂騒きょうそうの熱のようなものに過ぎないのかもしれない。
 だけど。
 つかに過ぎなくとも、地上の人々はこう思ったはずだ。
 この世界は、自分たちだけでも大丈夫だいじょうぶだ。
 上から目線の救いなどクソらえだと。
「もう良いか」
 上条当麻かみじょうとうまは、こぶしを握ったまま前へみ出した。
 一歩、二歩、三歩。
「もう、この辺りがお前の幻想の引きぎわだよ」
 ドンッッッ!!!!!! と、そのまま一気に駆け出す。
 余計な小細工などいらなかった。ただ真正面から最短距離きょりで接近する。対して、右方のフィアンマはその力の象徴である『第三の腕』を思い切り振り回した。そこに込められた莫大ばくだいな力は、幻想殺しイマジンブレイカーであっても打ち消す事はできない。軌道をらす事に失敗すれば、その右腕ごとすりつぶす事ができる。フィアンマはそう考え、力技で目の前の障害を排除しようとしたのかもしれない。
 しかし上条かみじょうは止まらなかった。
 おそいかかる『第三の腕』へ真正面から右拳みぎこぶしたたきつけた途端とたん、フィアンマ最大の武器である異形の腕が、真正面から吹き飛ばされた。
 血肉と鮮血が舞う。
 かろうじて受肉していた『第三の腕』がしろを失い、空中で苦しげに身をふるわせた。
「な、に!?」
 得体えたいの知れない激痛が雪崩なだれのように襲いかかってきたのか、顔の皮膚ひふを乱雑にゆがめながらフィアンマが叫ぶ。
 別に、上条の力が増加された訳ではない。
 幻想殺しイマジンブレイカーはあくまでも幻想殺しイマジンブレイカーでしかない。
 悪意に呼応するフィアンマの『第三の腕』が、幻想殺しイマジンブレイカーでも破壊はかいできるぐらいに弱体化していたのだ。小さな善意がさざ波のように広がり、地上をおおい尽くしていった結果、フィアンマの力を支えていた軸が折れてしまったのである。
 右方のフィアンマを特別にしていた力は、すでに存在しない。
 『第三の腕』による直接的な攻撃こうげき行為はもちろん、水平方向へ一気に移動し、数キロ単位で距離きょりを取る回避かいひ行動すらもおぼつかない。
 そうなれば、上条当麻とうまの進行を阻止そしするものは何もない。
「チ---ッ!!」
 フィアンマはインデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうを前へ突き出した。一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょの知識を利用し、向かってくる上条を迎撃しようとしたのだ。『特別な力』を失った事で防備も手薄てうすになったのか、すさまじい頭痛が突き刺さったが、フィアンマは無視して知識の検索を続行しようとした。何があっても目の前の敵を殺すと、その眼光は告げていた。
 だが、そこでフィアンマは声を聞いた。
 魔術的まじゅつてきに接続しているはずの魔道書図書館のものだった。
(---警告、第八八章第一節。検索作業中の『本体』に異状あり。外的な刺激を強く受け過ぎた影響えいきょうで、作業効率に深刻な弊害へいがいが発生しています)
「……ッ!?」
 禁書目録の本体は聖ジョージ大聖堂に保管されているはずだ。外的な刺激でエラーが発生したという事は、イギリス清教の魔術師が何らかの手を打ったのだろう。
 最後の手段も断たれた。
 これが両者の違い。
 あくまでも頂点に立つ一人として力をみがき続けた者と、皆の力を借りてその頂点へ立ち向かおうとあがき続けた者の、決定的な違い。
 ちっぽけな高校生が、右のこぶしを握りめて、世界を操る王へと走っていく。
 深く。
 鋭く。
 何人なんびとも近づける事を許さなかった、その玉座のふところまで。
 その時だった。
 ずっ……ッ!! と、上条かみじょうの足元がいきなり沈んだ。
 『ベツレヘムの星』が弱体化しているのだ。
 右方のフィアンマからの力の供給を断たれ、自然と崩壊ほうかいが始まっているのである。
 最後の最後で、上条当麻とうまの足を止めたもの。
 その名は、
(不幸)
 フィアンマのくちびるが、不気味にゆがむ。
 彼は手の中にある遠隔えんかく制御霊装れいそうへ、もう一度意識を集中させる。
(五秒、一○秒かせげればそれで良い。その間に魔道書まどうしょ図書館の設定を強引に組み替える!! たとえ高負荷で一〇万三〇〇〇冊が焼き切れても構わん。ここで目の前の『敵』を洗い流す!!)
「お」
 だが。
 上条当麻の進軍は、そこでとどまらなかった。
 少年は叫び、さらに前へと突き進む。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

 だんっ!! と。
 大きな音を立て、今まさに崩れそうになっていた足場から上条が跳んだのだ。
 両者を断絶する亀裂きれつを越えるため。
 前へ、フィアンマの元へ、それこそ矢のように。

 そしてフィアンマは知る。
 目の前の『敵』が、本質的にどのような存在であるかを。
(ふざ、けるな……)
 インデックスの遠隔制御霊装は間に合わない。
 それだけのひまを与える事も、あの『敵』は許さない。
(俺様が『神の子』の奇跡や恩恵を最大限に利用して様々な現象を起こそうとしているのに、この野郎、お構いなしだ!? 幸運も不幸も関係ない、こいつはそういった『曖昧あいまいなもの』を全部自分の足で踏破とうはする力を持ってやがる---ッ!!)
「テメェが、そんな方法でなけりや誰一人救えねえって思ってんなら」
 上条当麻かみじょうとうまの腹の底から、言葉があふれた。
 その激情に逆らわず、彼は右のこぶしすべての力を乗せる。

「まずは、その幻想をぶち殺す!!」

 轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 何者の攻撃こうげきも受け付けなかったフィアンマの顔面に拳をたたき込んだ上条は、そのままの勢いで強敵をぎ倒す。
 この世界へこびりつこうとしていた『第三の腕』の残滓ざんしは、空気に溶けるように、今度こそ完全に消滅した。
 同時に。
 その手から、インデックスを操っていた遠隔えんかく制御霊装れいそうがこぼれ落ちた。

 右方のフィアンマから『第三の腕』が失われた事によって、彼の要塞ようさいである『ベツレヘムの星』にも大きな影響えいきょうが出た。今まで以上に不安をあおる大きな揺れが頻発ひんぱつする。今まで続いていた要塞の上昇もピタリと止まる。これだけの質量を浮かべるだけの源が失われつつあるのだ。このままではいずれ下降が始まる。その前に脱出しなければ助からないだろう。
 フィアンマは倒れたまま、自分の手へ目を向ける。
 遠隔えんかく制御霊装れいそうはない。
 なぐられた時の衝撃しょうげきで手をはなしてしまっていた。転がった霊装は、床の亀裂きれつからどこかへと落ちていった。おそらくまだ要塞内に残っているだろうが、どこへ行ったのかは見当もつかない。
 あれさえあれば、通常の魔術まじゅつで反撃できたかもしれない。
 そう思うフィアンマだったが、もはや手足に力は残っていなかった。『第三の腕』さえ失われてしまえば、フィアンマは単なる人間と変わらない。軽い脳震盪のうしんとうであっても、その動きを阻害そがいするには十分だ。
 朦朧もうろうとする意識の中で、声が聞こえた。
 『ベツレヘムの星』の各所に設置されたスピーカーからだ。
『時間がなかったので、私と……ええと、サーシャさんでしたっけ……とにかく、私たちは先にコンテナを使って脱出を済ませました。あなたも急いでください。もう「ベツレヘムの星」の降下が始まります。要塞自体、あちこちにガタがきていますから、使えるコンテナにも限りがあります』
 砕けた床の向こうに、要塞最下層のフロアが見えた。いくつかの金網かなあみ状の床が重なり合っているだけで、一番下はそのまま大空へつながっている。脱出用のコンテナもぶら下がっていたが、そのほとんどが使い物にならなくなっていた。コンテナ自体がつぶれていたり、投下用のフック部分がこわれて作動できない状態だったりするのだ。
 使えるコンテナは、おそらく一つだけ。
 しかもたよりなく揺れているそれは、公衆電話程度のサイズの小型のものだった。一度に五〇人以上運べる大型コンテナではない。あれには一人しか乗れないはずだ。『第三の腕』を失い、ただの人間となったフィアンマには、これだけの高度から自力で降下する事もできない。
 上条当麻かみじょうとうまと右方のフィアンマ。
 どちらがコンテナに乗り、どちらが要塞と共に破滅するか。
 考えるまでもない事だった。
(……ここまでか)
 フィアンマはそれだけ思った。
 この世界に住むすべての人間が救いを拒むというのであれば、もはや構わない。自らが選んだ道に従って、勝手に滅びへ突き進むが良い。
 全身からゆっくりと力を抜き、ひとみを閉じるフィアンマ。
 そこで、ぐいっと襟首えりくびつかまれた。
「おい、行くぞ」
 上条当麻かみじょうとうまだった。
 彼は血まみれの体でフィアンマを強引に起こすと、力の出ない彼を引きずるように歩き出す
「……何を、している……?」
「時間がない。もうすぐ『ベツレヘムの星』は降下を始める。それまでに脱出しないと巻き込まれちまう」
「状況が分からんのか」
 すがままの状態で、フィアンマは言う。
 彼はあごを動かし、行く先を指し示しながら、
「脱出用のコンテナは使い物にならん。個人用の物を一基動かせるかどうかといった所だ。俺様か、お前か。どちらか片方しか助からん」
「らしいな」
 上条は一度だけ息をく。
 それから言った。
「なら、お前が脱出しろ。いずれにしても時間がない。早く行くぞ」
「……、」
 今度こそ、フィアンマは絶句して上条の横顔を見ようとした。
 そうしている間にも、彼はフィアンマを引きずりながら最下層のフロアヘと降り、脱出用のコンテナヘと向かっていく。
 上条は本気だ。
 この局面で虚勢を張る必要などない。全ての元凶であるフィアンマを放り出して脱出用のコンテナに乗ってしまえば、上条は生還できる。皆が認めるヒーローになれる。フィアンマを見殺しにした事などだれも非難しないだろう。むしろ、これだけの悲劇を生んだ首謀者しゅぼうしゃにとどめを剌した事を賞賛する者の方が多いに違いない。
 なのに。
 何故なぜ、この局面でそんな言葉が出てくる。
 いくら考えても、フィアンマにはその答えが分からなかった。そして答えも出ない内に、彼らは脱出用コンテナの前まで到着した。上条は恐る恐るといった調子で、コンテナの扉に手を伸ばす。右手の力でコンテナが破壊はかいされる事はなかった。
 扉を開けると、上条は迷わずフィアンマの体をコンテナの中へと詰め込んだ。
 こいつはまともじゃない。
 コンテナから抜け出そうとしたが、重いダメージを受けたフィアンマの体はもう動かなかった。
 フィアンマは、思わず首を横に振った。
 何を否定しようとしたのか、自分でも理解できなかった。
「……良いのか……?」
「何が」
「俺様は、『世界中』なんていうのが、どれだけ広い場所なのかも分からん人間だぞ」
「そうか」
 つぶやいて、上条かみじょうはわずかに笑う。
 彼は何故なぜ笑ったのか、フィアンマには最後まで全く分からなかった。

「なら、これからたくさん確かめてみろよ」

 脱出用コンテナの扉が外側からロックされた。直後に、短いレールをすべってコンテナが大空へと投げ出される。
 降下し、小さくなっていくコンテナを、上条はしばらく見送っていた。
 やがて、振り切るように上条は視線を上げる。
 最後のコンテナは射出された。
 もう、安全に要塞ようさいから脱出するためのすべは存在しない。
 その時だった。
 ゴッ!!!!!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。吹きすさぶ風の方向が変わった。思わず両手で顔を庇かばった上条は、そこで一機の戦闘機せんとうきを見つけた。VTOL機と呼ばれる、ヘリコプターのように垂直に上昇し、空中で静止できるタイプの機体だ。
 コックピットに乗っている人物の顔に、見覚えがあった。
 あれは……、

「もっと右!!‥ もうちょい!! もっと近くに寄って!!」
御坂美琴みさかみことは、後部の座席から身を乗り出しながら、操縦桿そうじゅうかんを握る妹達シスターズへ声を放つ。
やっとだ。
ここに来てやっと。
あの馬鹿ばかと同じ時間、あの馬鹿と同じ空間に到達できた!!
お姉様オリジナル、顔がニヤけて不気味です、とミサカは指摘します」
「ぶふっ? そ、そんな事にゃい!! そもそも比較対象がアンタだからおかしな判断になってるだけよ!!」
 美琴みことあわてて自分のほおを引っ張って調子を確かめながらも、
「ええい! 何がどうなってんのよ!! ついさっきまでふわふわ浮かんでいたじゃない。あの要塞ようさい、何で今になって降下を始めてんのよ!?」
「ヒートアップしている所申し訳ないのですが、コックピットの風防キャノピーを開けない限りお姉様オリジナルの声が向こうに届く事はありませんよ、とミサカは指摘します」
「どれ? どのボタン!!」
 と尋ねておいてから、美琴はふと疑問に思った。
 ここは高度一万メートルを超える高空だ。外気はマイナス五〇度以下、気圧もかなり低く、酸素の量も少ない。このまま風防キャノピーを開けても大丈夫だいじょうぶなのだろうか。
 開けなければ届かない。だが開ける事は許されない。
 すさまじいジレンマにおそわれる美琴に、妹達シスターズは無表情で耳をそばだてながら、
「……エンジン音のひびき方に違和感がある、とミサカは報告します」
「?」
「一気圧下、マイナス七度の伝導パターンです、とミサカは明確に計算を終えます。どういう仕組みかは不明ですが、高度一万メートル以上であるにもかかわらず、外は地表とほぼ同様の環境が整えられているようです、とミサカは結論を報告します」
「つまり」
風防キャノピーを開けても問題はなさそうです、とミサカは伝言します」
 直後。
 ラグビーボールを縦に真っ二つにしたような風防キャノピーが、真上に開いた。妹達シスターズがボタンを操作したようだった。
 妹達シスターズの言った通り、呼吸に問題はなかった。肌寒さは感じるものの、マイナス何十度というほどではないだろう。
 妹達シスターズはわずかに機体を傾けるような格好で、VTOL機をゆっくりと移動させていく。要塞に対して機首を向けるのではなく、垂直に……つまり、右の主翼しゅよくはしを近づけていくような格好で、じりじりと接近させているのだ。
 あと数メートル。
 一〇〇センチの何倍か。
 要塞は不安定に揺れているため、正確な距離きょりはその都度つど変わる。
 だが、学園都市でウジウジしていたころに比べれば、格段に近い。
「ここがギリギリ……着陸は難しいかもしれません、とミサカは操縦桿そうじゅうかんを握りめます」
 その時、妹達シスターズがそんな事を言った。
 戦闘機せんとうきの動きが、空中でピタリと止まる。
 もうあと少しで、要塞ようさいに到着するという所だった。
「VTOLは地表にゆっくりと着陸させるためのものです、とミサカは説明します。このように大きく上下する要塞の上へ無理に着陸させようとすれば、胴体の下面を激突させてしまうリスクが生じます、とミサカは懸念けねんを口に出します」
「もっと広い所ならどう? これだけ巨大な要塞よ。一度上に上がれば、そこらの牧場よりも大きなスベースがあるはずよ」
「要塞の震動しんどう自体は変わりませんから、どこであっても墜落ついらくのリスクはけられません、とミサカは否定的な意見を返します。そして、たとえ要塞に到達できたとしても、戦闘機の飛行機能が失われれば、脱出は不可能となります、とミサカはまゆをひそめます」
「なら良いわ」
 美琴みこと風防キャノピーを開けたまま、ベルトの金具に手を伸ばした。
「できるだけバランスを保たせて! 私が直接、主翼しゅよく辿たどって、あの馬鹿ばかを引きずり上げる!!」
 美琴は座席から腰を浮かし、四つんいで主翼へと移動する。
 磁力によって足と主翼をくっつけられるためか、予想よりも恐怖は感じなかった。
 じりじりと進む。
 ツンツン頭の少年までの距離きょりを、詰める。
(届け……)
 がくん、と要塞が大きく震動した。
 高度が下がっている。
 先ほどまでの安定感はない。
 まるで。
 要塞を支えていた見えない糸が、一本ずつ千切ちぎれていくかのような、不安を増大させる揺れ方だった。
(届け!!)
 ぐらぐらと機体を揺らしながら、主翼に美琴を張り付けたVTOL機は少しずつ要塞へと近づいていく。
 その時だった。
 あの馬鹿と目が合った。
 ツンツン頭のあの少年は、突然降っていた脱出手段を前に、戸惑っているようだった。元元どうするつもりだったんだ馬鹿、と心の底から思わなくもないが、今はそんな事に拘泥こうでいしているひまはない。説教は後で死ぬほどやる。
 主翼の先端せんたんまでやってきた美琴は、限界まで手を伸ばす。
 届くか、届かないか。
 ギリギリの所まで指先が近づく。
 だが。
 そこで、少年は思いもよらない行動に出た。
 首を左右に振ったのだ。
 そして、伸ばされかけていたはずの少年の手が、止まる。
(なん……ッ?)
 美琴みことがギョッとしたその時、少年のくちびるがわずかに動いた。
 言葉は聞こえなかった。
 だが、その唇の動きで理解できた。

 まだ、やるべき事がある。

 ゴゴン!! と要塞ようさいが大きく震動しんどうした。先ほどよりも、さらに大きく、不安定に、地表へ向けての降下を進行させている。坂道の上から転がした大きな玉が、取り返しのつかない速度を出そうとしているようだった。ここであの馬鹿ばかを回収しなくてはならない。これ以上進行すれば手の出しようがなくなる。美琴はほとんど直観でそう判断した。
 しかし。
 VTOL機が、突然大きく動いた。まるで要塞から遠ざかるように機体が揺れる。
「ちょっと!! どういうつもりなのよ!?」
「要塞の震動が一定値を超えました、とミサカは報告します。これ以上接近を続ければ、この機体が激突する恐れがあります」
「---ッ!!」
 美琴は揺れ動く主翼しゅよくに張り付いたまま、てのひらをかざして磁力を操る。
 強引でも何でも構うものか。
 学生服のボタン、ベルトの金具、とにかく何でも良い。磁力で引きずり上げて、あの少年を要塞から脱出させる。
 そう思っていた。
 だが実際には、美琴とあの少年をつないでいた磁力の糸が、突然ブツリと切れてしまった。
「え……?」
 意味が分からずキョトンとする美琴。
 直後に何が起きたかを理解する。
 あの少年は、美琴のあらゆる能力を無効化させる、なぞの力を保有している。
 それが最後の命綱いのちづなを断ってしまったのだ。
 チャンスは失われた。
 たとえどれほどの戦車をまとめて相手にするほどの力でも、核ミサイルの発射すら阻止そしするほどの力であっても。
 たった一人の少年を、救い出すには足りなかったのだ。
 不安定に降下を続ける要塞ようさいからVTOL機が遠ざかる。妹達シスターズは機体を大きく揺らし、主翼しゅよくの上にたたずんでいた美琴みことをコックピットヘと落とすと、風防キャノピーを閉める。要塞がまとっていた、なぞのフィールドの恩恵はすぐさま失われた。
 理由は簡単。
 それだけの距離きょりが開いてしまったからだ。
 まだやるべき事があるとつぶやいたあの少年を、要塞に残したまま。
 御坂みさか美琴の絶叫だけが、後にひびき渡った。

(……まだやるべき事がある)
 遠ざかるVTOL機。
 脱出のための、最後の手段だったかもしれない戦闘機せんとうき
 しかし上条かみじょうは自ら背を向けた。
 ここでは終われない。
 『ベツレヘムの星』。半径四〇キロ以上の、これほどの建造物を自由落下させれば、地球という天体にどれだけ深刻なダメージを与えるか分かったものではない。この問題をどうにかしない限り、今回の戦争は終わった事にならない。
(それに……)
 上条は周囲を見回し、目的の物を探す。インデックスを外部から操るための、遠隔えんかく制御霊装れいそう。最後の一撃いちげきの後、床の亀裂きれつからどこかへと落ちてしまった。それを探して破壊はかいする必要がある。
 ガクン、と足元が揺らいだ。
 一定の速度で動いていたエレベーターが急停止したような、不安をあおる揺れ方だった。
 この要塞はもうたない。
 改めてその事を気づかされた上条の耳に、少女の声が響いてきた。
 だれもいないはずの要塞の中で。
『とうま』
 ずっと聞きたかったはずの声だった。
 遠隔制御霊装はフィアンマの手をはなれたが、まだ起動しているのだろう。誰の手にも収まらなくなった少女の意識が、霊装の周囲を漂っているのだ。
『とうま』
 ゆらり、と。
 空気から浮かび上がるように、透き通る少女の体が生じた。重力を無視し、それは逆さまのまま上条かみじょうの顔を見ている。
 彼女は言う。
『どうして脱出しなかったの?』
「何も終わっていないからだ」
 上条は答え、さらに『ベツレヘムの星』の中を進む。闇雲やみくもに探すのではない。少女の存在そのものが、目的の霊装れいそうへといざなってくれる。
「お前の霊装の事もそうだけど、この要塞ようさいそのものの面倒も見なくちゃならないしな」
 そこまで言うと、上条はふと表情をくもらせた。
 右方のフィアンマとの戦いの中で、一つだけ解消しなかった事があったのだ。
「……ごめんな」
 記憶喪失きおくそうしつである事。
 今までずっとそれを隠し続けてきたが、それは本当に正しかったのか、という事。
 インデックスを傷つけたくなかった。彼女の信じている上条当麻とうまでありたかった。でも、本当は、それは上条白身がショックを受けたインデックスの顔を見たくなかっただけなのではないか。自分の元からはなれてしまうのが怖かっただけなのではないか。
 フィアンマとの戦いを終えた今なら、分かる。
 本当に彼女のためを思うなら、乗り越えろ。
 つらい事も、苦しい事も、すべて。
 自分の立ち位置の事など、恐れるな。
「お前にひどい事をしてきた。ずっと、お前をだまし続けてきたんだ。今から、全部話す。『ベツレヘムの星』から帰還できる保証なんてない。だから、話せる内に話しておく」
 ほんのわずかに、上条はうつむいた。
 それから、もう一度、彼は自分の意思で顔を上げた。
「俺は」
 告げる。
 そのために口を開く事が。
 こんなにも勇気のいる事だと思ったのは。
 これが初めてだった。
「俺は」
 今までずっと隠してきた事。
 記憶喪失。
 その事実を。


 口を動かし、声をつむぎながら、上条かみじょうはこう思った。
 長かった、と。
『良いよ』
さえぎるように、インデックスの声が聞こえた。
『そんなの、もう、どうでも良いよ。いつものとうまが帰って来てくれたら、何でも良いよ』
「……、」
 ほんのわずかに、彼はだまった。
 この優しさに甘えるなと、強く思った。
「必ず、戻る」
 ただし、自分に厳しくする事と、悲観的になるのは別だ。
 絶対に生きて帰る。
 そのためなら、上条当麻とうまはこう約束するべきだ。
「こんな霊装れいそう越しだけじやない。戻ったら、ちやんと、お前の前で頭を下げるから」
 上条は近くの柱にあるパネルに目をやる。『ベツレヘムの星』の各所にあるスピーカーヘ音声を流すための、マイクを含めた通信装置だ。ロシア語の表記は読めなかったが、一緒いっしょに書かれた数字なら理解できた。
「イギリス清教の方に伝えてくれ。周波数五〇・九メガヘルツ。それでここのスピーカーとつなげられる。これだけの大質量がそのまま落下したら、どれだけ被害が拡大するか分かったもんじやない。ゆっくりと、段階的に速度を落として、安全な場所へと降下させるしかない。そしてここで動けるのは俺だけだ。だからそのためのアドバイスが欲しい」
『できないよ』
 少女は、困ったような口調になった。
『私は自分の意思で体に戻る事ができない』
「だよな」
 上条はあっさりと言った。
 彼の視線の先、床の上に、忌々いまいましい円筒形の霊装があった。
「だから、一足先に戻ってくれ」
右手を伸ばし、小さな円筒形の霊装をつかみ取る。
それだけだった。
ボロボロと霊装が崩れ、同時に少女をいましめていた力も失われた。半透明だった少女の体も、消しゴムをこすりつけるように消えていく。
 正真正銘しょうしんしょうめい、これで一人きりだ。
 『ベツレヘムの星』は、こうしている今も降下を続けている。その速度も徐々に上がって来ている。それが一定のラインを越えてしまえば、後は本当に自由落下に近い形で地表へ激突する羽目になるのだろう。
 半径四〇キロを超える大質量の直撃ちょくげき
 そんな事態になれば、隕石いんせき衝突しょうとつが水河期を招いた事を、この二一世紀の地球で証明する事になる。一部の歴史学者は喜ぶかもしれないが、多くの人間にとっては悲劇にしかならない。
 最後の戦いが始まる。
 けの報酬ほうしゅうとして差し出されたのは、この惑星の命運だった。

『ローマ正教とロシア成教から提示された情報によると、「ベツレヘムの星」は二〇機の大型上昇用霊装れいそうで空中を漂っている。。フイアンマから力が失われた事によって、連鎖的れんさてきに「ベツレヘムの星」の出力も低下中。このままではおよそ一時間後には完全に浮力を失い、地表へと自由落下していくはずだ』
 要塞ようさいの各所にあるスピーカーから、ステイル=マグヌスの声が聞こえていた。彼にはインデックスの護衛を任せていた。遠隔えんかく制御霊装れいそうを破壊した事で、その役割を終えたのだ。
『しかし、二〇ある大型上昇用霊装の中で、任意の物を破壊すれば、「ベツレヘムの星」の向きや進行方向をこちらで操る事ができる。君の右手にはおあつらえ向きという訳だ』
「具体的な破壊ポイントは?」
『待て。今、図面が送られてきた。あくまで予想図だから実際のモデルとは違うかもしれない。違和感があれば随時ずいじ報告するんだ』
 上条かみじょうはステイルの指示に従って施設内のモノレールを利用し、それだけでは進めない所を二本の足で走り続ける。時間はもうない。失敗すれば六〇億人の命にかかわる。
『詳しい位置は口頭で伝えるが、南方にある三番、九番、一三番を破壊するんだ。それで「ベツレヘムの星」の軌道に変化が生じる。北極海のはしまで向かわせろ。ギリギリまで速度を落とし、水面に着水させる事で衝撃を殺す。高度と質量から考えて、それ以外に地球環境への甚大じんだいなダメージを回避かいひするすべはない』
「大型上昇用霊装の数を減らす事で、かえって落下速度を速める事にはならないのか?」
『動力源は同じだ。大型上昇用霊装の数が減れば、それだけ一つごとの出力が増す。もちろん、一つごとの限界というのはあるが、動力そのものが弱体化している今では気にする必要はない。かえって、間引いた方が瞬間的しゅんかんてきな出力は上がるかもしれないな』
「海に落とした場合、津波なんかが発生する可能性は?」
『北極海沿岸の各都市には、今現在も避難ひなん勧告を送っている。ローマ正教やロシア成教の連中が気持ち悪いほど協力的で助かっているよ。そうでなければ最低限の被害を意識しなければならなかった』
 そうこうしている内に、上条かみじょうは目的の三番霊装れいそうに辿り着いた。
 工場のようだった。
 学校の校舎よりも巨大な施設が定められた空間にいくつも並び、太いパイプが何十本も走っていた。中には金属製の階段や通路がからみつくように備えられている。時折ちらつく緑色の光の粒子のようなものが、この巨大な要塞ようさいを浮かばせているのだろうか。
 バン!! と。
 上条は、手近にあったパイプヘてのひたたたきつける。
 それだけだった。それだけでパイプに無数の亀裂きれつが走り、石造りの四角い建物が大きく傾き、その内部で派手な爆発が何度も発生した。巻き込まれないように上条は遠ざかり、次の九番霊装へと走る。
『……まさか、最後の最後で君と共闘きょうとうする事になるとはね』
 ポツリと、ステイルがそんな事を言った。
『僕じゃなくても良かったはずだ。ようやく目を覚ましたあの子からも、断片的に報告を受けている。あの時、あの子の意識は「ベツレヘムの星」にあった。彼女の知識にたよる形でも事態を解決できたんじやなかったのか』
「冗談じゃねえ。あんな状態のインデックスを、一分でも長く苦しめられるかよ」
『なるほどな。君のような人間に借りを作るのは僕の流儀りゅうぎじゃないが、今回だけは受け入れよう』
「本気でそう思っているなら、降下予想地点の近くに回収用の部隊でも展開してくれねえかな。厳寒の氷水の中で待機するなんてのは勘弁かんべんしてほしいもんだ」
『そっちについては何とかする』
 静かに、ステイルは答えた。
『段階的な降下作業を順調に進められれば、海面に着水しても死なずに済むはずだ』
 そうしている間にも、上条は『ベツレヘムの星』の中を必死で走る。
 九番霊装はすぐそこだ。
 何とかなる、と上条は思った。ローマ正教とのいさかいから始まった大きな戦争は、どれもこれもひどいものばかりだった。でも、最後には何とかなる。必ずそうする。そう信じて、上条はひたすら前へ前へと走り続ける。
 その時だった。
『何だこれは……』
 スピーカーから、あせるような声が飛んできた。
 走りながらも、上条かみじょうはそれを耳にする。
『おかしい。何か巨大な……天使の力テレズマ? 何故なぜこんなものが ---?』
 不吉な予感がした。
 しかし今さら止まれない。九番霊装れいそうへと向かう上条に、ステイルはこう言った。
『何で合さら、ミーシャ=クロイツエフが浮上しつつあるんだ!?』

 その時。
 右方のフィアンマに協力していた大天使は、冬のロシアの大地で、再びその体を取り戻そうとしていた。
 フィアンマの手によって、四大属性の揺らぎが修正された。今の彼女は『神の如き者ミカエル』と『神の力ガブリエル』が混ざり合った『ミーシャ』ではなく、純粋な意味での大天使だった。その点では彼女の目的はある程度は達成されたと言っても間違いではないだろう。
 だが足りない。
 完璧かんぺきではない。
 彼女の目的は、あくまでも自分の存在を本来ある『座』へと帰す事。一度レールから外れかけた彼女は、もうそれ以外の目的が見えていないし、その目的の過程でどれほどの被害が発生するかも考慮こうりょしていない。ただ、帰る。それだけのために、再び大天使は動き出す。
 周囲に散らばった莫大ばくだい天使の力テレズマが一点へと集束されていく。
 科学的な怪物たちの力によって一度は引き裂かれた大天使だったが、それは彼女の本質を傷つけていた訳ではない。水に向かってこぶしを振り下ろせばはじけ飛ぶが、別に水の量そのものが減じるのではない。それと同じ事だ。
 だが足りない。
 完璧ではない。
 一度その行動を阻害そがいされた事で、大天使はさらなる即物的な力の増量を望んだ。そのための材料が何であるか、大天使は良く知っている。彼女は『水』をつかさどるのだ。冬のロシアには一面をおおうほどの雪があったが、それを溶かすだけでは足りないだろう。
 だが足りない。
 完璧ではない。
 だが足りない。
 完璧ではない。
 だが hwsr 足りない。
 完 zvdf 壁では zdfb ない。
 だ ggggggggggggggggggggggggggggggaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa 。

 そう。
 圧倒的な力で状況を逆転させるには、念には念を入れる必要がある。
 特別な記号や象徴を含む莫大ばくだいな氷。
 例えば、惑星の極点に存在する特別な氷などが、だ。

「……どうなっている……」
 ロンドン、聖ジョージ大聖堂で、二〇歳程度のシスターがうめき声を上げた。ロシアの魔術的まじゅつてきな力の流れをモニターしていた人間だ。
「ミーシャ=クロイツェフ、高速で北方へ移動を開始!! 同時に北極の氷が急速に融解ゆうかいを始めています!! 両者の間に強大な天使の力テレズマのラインも確認!! 明らかに相互干渉を引き起こしている!!」
「新しい力を……いや、肉体を補充するつもりか」
 ステイルは顔をしかめてつぶやいた。
 単純に考えて、あの天使が北極海の氷を瞬間的しゅんかんてきに溶かしてしまったら、北極海に面した地域では大規模な津波に似た現象が起こるだろう。状況が極端きょくたんに進行すれば、半径数千キロにわたって、とてつもない水蒸気爆発が巻き起こるかもしれない。
 しかも、そんなシンプルには進まない。ただでさえ凶暴だったミーシャ=クロイツェフが、北極海を崩壊ほうかいさせるほどの水と氷を大量摂取したとしたら、その力がどれだけふくらむか。フィアンマが敗北した今、あの大天使の目的が何なのか。もしかしたら目的など存在しないのか。何もかもが分からないが、その結果として生み出される末路なら明白だ。
 耐えきれない。
 そもそも、この物質世界にある素材だけで、神が作った天使の全容量を抱えられるとは思えない。『御使堕しエンゼルフォール』の時のミーシャ=クロイツェフですら、『不完全な』顕現に過ぎなかったのだ。想定されていた量の、さらにその上の出力を無理に引き出そうとすれば、ミーシャを構成している肉体そのものが爆発し、大量の天使の力テレズマを放出する事になるだろう。
 北極点を中心にした、惑星の起爆。
 最低でも北半球の全生命体の死滅。下手へたをすれば惑星そのものの公転軌道に深刻な誤差が生じ、太陽系から外れてしまうかもしれない。
(しかし、どうやって止める)
 ステイルはホワイトボード上で自動的に動くマグネットに目をやりながら、
(旧来のミーシャでさえ、我々が組織的に応戦しても食い止められるかどうか分からない。あんな手負いの状態の大天使とぶつかった場合、こちらの被害が拡大するだけだ)
 かと言って、このままだまっていれば間違いなく破滅的な結末を迎えてしまう。
 その時だった。
「……おい、何をしている?」
 ステイルは思わずつぶやいた。
 順調に進んでいたはずの『ベツレヘムの星』軌道に変化があった。ステイルたちの計画とは明らかに違うルートを進み始めている。要塞ようさいの方に不具合があったかと思ったが、こうしてモニタする限り、そういったトラブルも認められない。
 明らかに、内部にいる上条当麻かみじょうとうまが大型上昇用霊装れいそうに手を加え、自らの意思で安全なルートから外れようとしている。
 北極海へ向かってくるミーシャ=クロイツェフをはばむように。

 落下速度は増していた。
 そんな要塞の中を、上条当麻は全力で走っていた。
 北極海の沿岸、海面と陸地の挟間はざま。そこで無理矢理に大型上昇用言装を破壊はかいし、降下軌道をじ曲げた上条は、大天使に立ち向かうため、ただひたすらに走り続ける。
 地表には異変があった。
 何か小さな影が、高速で接近してくる。
 低空をすさまじい速度で突き進む何者かの動きに合わせて、進路上にある白い雪がごっそりとえぐり取られていくのが見えた。単純に吹き飛ばされているのではない。『彼女』を中心に数百メートル……いやキロ単位の範囲の雪が、まとめて吸収されていくのだ。
 白い大地に、太く長いラインを描きながら、大天使は向かってくる。その進行を止められる者はいない。中には魔術まじゅつらしい光を飛ばす人影もあったようだが、大天使は見向きもしなかった。ただ通過しただけで、プロの魔術師達はぎ払われていった。
 大天使が、沿岸から北極海へと到達する。
 同時。

 真上から、『ベツレヘムの星』がそのまま落下した。

 ズズン!! という轟音ごうおんと共に、大天使ごと巨大な要塞が海へと落ちた。沈み行く要塞の中を、上条は更に下へ下へと全力で向かう。莫大ばくだいな重圧に耐えられず、要塞内部の壁や柱が次々とつぶれていった。極寒ごっかんの海水が流れ込んでくるが、上条は気に留めない。ひたすらに下へ。底へ。海抜〇メートル以下まで落ちていく。
 もはや照明すらなかった。
 広がる暗闇くらやみの中、一つだけ光点があった。
 青く深い、月光をイメージさせる静かな光。
 上条当麻かみじょうとうまは全力で右拳みぎこぶしを握る。向こうもこちらには気づいている。暗闇の中で両者の眼光だけが一足先に激突した。莫大ばくだいな殺意があふれ出す中、ただの人間の少年は最後まで足を止めずに突き進んだ。

 ここに来るまで、色々な事があった。

 そもそもの始まりが記憶きおくを失った所からのスタートだった。とある一人の少女を悲しませないようにうそをつく事から前へ進む事にした。特別な『血』を持つ少女を助けるために錬金術師れんきんじゅつしと戦った。第三位の超能力者レベル5や彼女の妹達シスターズを助けるために、最強の怪物とも戦った。海の家ではクラスメイトの裏切り者と死闘しとうり広げた。八月三一日にはいろんな事があった。AIM拡散力場の集合体たる『ともだち』を助けるために本物のゴーレムに立ち向かった。『法の書』を解読できるという触れ込みのシスターを助けるために十字教最大宗派にケンカを売った。常盤台ときわだい中学の少女の後輩とかかわった事もあった。大覇星祭だいはせいさいでは運営委員やクラスメイトが巻き込まれる事態になりながらも『使徒十字クローチェディピエトロ』の脅威きょういから学園都市を守った。イタリアのキオ
ッジアではかつて敵だった少女を助けるために氷の艦隊かんたい突撃とつげきした。九月三〇日には変わり果てた『ともだち』を助けるため、『神の右席』の女と激突した。クラスのみんなと食べたすき焼きは美味おいしかったし、常盤台中学の少女の母親を助けるためにスキルアウトともぶつかった。フランスのアビニョンではC文書を巡って『神の右席』と戦った。学園都市の地下街では天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきょう一緒いっしょに強大な『聖人』と戦った。イギリスのロンドンでは第二王女が主導するクーデターを食い止めた。
 そして今。
 長かった、と思う。
 ここまで来る間の出来事は、決して楽しい事ばかりではなかった。
 何度も何度も他人を傷つけ、他人に傷つけられ、そんな事を繰り返してきた。
 だけど。
 上条当麻はまだ走れる。
 それらの行動が、決して少なくない人たちを助けてこれたのだという事を知っているから。
 最大の敵、大天使に向かってぐ突き進む事ができる。

 (……確かに、この世界はいつか滅んでしまうかもしれない。惑星にだって寿命はあるし、その前にふくらんだ恒星にみ込まれるって事も分かっている。そんな風になる前に、地球の表面から生き物がいなくなってしまう確率の方が高いのかもしれない)
 でも、とこぶしを握って突っ込みながら、上条かみじょうは思う。

 何も、こんな悲劇的な結末じやなくても良いはずだ。
 そいつを食い止めるために、戦ったって良いはずだ。

 ドン!!!!!! と、二つの影が最短距離きょりで激突した。
 同時に、落下の衝撃しょうげきを最大限に伝えた『ベツレヘムの星』の巨体がグシャグシャにひしゃげ、潰れていった。
 そして。

 一〇月三〇日。
 学園都市とイギリス清教。
 ローマ正教とロシア成教。
 二つの勢力の争いが生み出した第三次世界大戦は終結した。
 終戦間際まぎわ、北極海に要塞ようさい『ベツレヘムの星』の落下を確認。
 沿岸部の各都市で若干じゃっかんの水の被害が確認されたが、死者が出るには至らなかった。
 着水時の衝撃で同要塞は完全に崩壊ほうかい
 北極海に向かっていた大天使ミーシャ=クロイツェフの反応は消失。その存在を支えていた力を失い、ただのエネルギーとなって別の位相へ帰ったものと推測される。同海域で進行していた氷の融解ゆうかいの停止も確認された。
 同海域において、生存者の反応はなし。
 十字教三大勢力の連合による捜索隊が派遣されたが、水温二度の海水の中から生存者が発見される事はなかった。
 上条当麻とうま
 彼は、二度目の『死』を迎える事となる。

終章 静寂と少年の終わり  Silent_to_Small_Fire.

「あの野郎……」
 ロンドンの聖ジョージ大聖堂で、ステイル=マグヌスはうめくようにつぶやいた。
 『ベツレヘムの星』が墜落ついらくし、ミーシャ=クロイツェフを上からたたつぶしたという報告は受けていた。しかし、いかに大質量であっても本物の天使が単純な重圧に負けるとは思えない。激突と同時に、あの右手を振るって怪物と戦ったのだろう。
 思えば、最初に出会ったころから、あの男はそういうやり方を選択してきたではないか。
 インデックスという一人の少女を救うため、彼はたとえ自分の記憶きおくが失われるほどの衝撃しょうげきを受けても、迷わず前へ進んですべてのくさりを引き千切ちぎっていたではなかったか。
 大聖堂の中に、勝利を祝う喧噪けんそうとは切りはなされた、重苦しい空間が生じていた。ミーシャ=クロイツェフは消失し、四大属性は元の位置へと再配置されました、という事務的な報告だけが続いた。
 ガタリという物音が聞こえた。
 ステイルが振り返ると、力の抜けたインデックスがこちらへやってきた所だった。小さな手を石の柱へとつき、ふらふらとした足取りで、彼女はホワイトボードヘ目をやっている。
「とうまはどこ?」
 だれにも答えられない質問だった。
 インデックスは大聖堂で目を覚ました直後、ベッドの上から起き上がる事もできないまま、ステイルに『ベツレヘムの星』とつながる周波数を教えていた。その後の事は何も伝わっていないのだろう。ここへ来る間も、ほかの神父やシスターは真実を口に出せなかったのかもしれない。そして、ようやくインデックスはこの部屋へとやってきた。全ての結果が分かって、重苦しい空気しか残らなくなったこの部屋へ。
 彼女はもう一度だけ周囲を見回し、そこにいる全員の顔を見て、改めて質問をした。
「とうまはどこ?」

 逃げるためのアシを探さなければならない。
 浜面はまづら仕上しあげは太い枝を使って雪を掘っていた。
 麦野むぎの沈利しずり襲撃しゅうげきされる直前、ロシア軍の工作部隊は学園都市の超大型戦闘機せんとうきに空爆を受けていた。スチームディスペンサーや『細菌の壁』などの主要設備は残らず吹き飛ばされたし、少しはなれた所にいた工作部隊も無力化されたが、その部隊が逃走用に使おうとしていた車両は雪崩なだれに巻き込まれるように雪の下に埋まっているはずだった。
 結局何も見つからなかった。
 細菌兵器の散布、第四位との戦い、未元物質ダークマターを使ってきたえ上げられた『この世のものではない』兵器を扱う学園都市の部隊の撃破げきは
 一見すれば無能力者レベル0という評価をくつがえす大戦果に思えるかもしれない。しかし、浜面達はまづらたちの本来の目的は『学園都市上層部と取り引きを行えるほどの「交渉材料」を見つけ出す事』だった。彼らは単に脇道わきみちに入っていただけで、本道を進んでいた訳ではなかったのだ。
 交渉材料は見つからなかった。
 このままここにいたら殺されてしまう。
 一刻も早く立ち去らなければならない。
 一心不乱に雪を掘り続ける浜面の近くでは、似たように太い枝を持って、滝壷たきつぼ麦野むぎのが同じ作業を行っていた。学園都市第四位の超能力者レベル5である麦野だが、彼女も『体晶たいしょう』と先ほどの戦闘せんとうを経て、すぐには原子崩しメルトダウナーを使用できる状態ではなさそうだった。
 滝壷は乱れかけたマフラーを巻き直しながら、浜面に向かってこんな事を言う。
「はまづら。これからどうする。襲撃しゅうげき部隊が使っていた『仮面』でも回収して、交渉材料への足掛かりにする?」
「拾える物は拾っておくけど、多分それだけじや足りない。そもそも、そんなアキレスけんを敵陣のど真ん中に放り込んでくるか。あの街の深い『やみ』にとっては、あのレベルであってもまだ許容範囲内なんだ」
「私の血を保険にしよう」
 麦野は太い枝を動かしながら会話に参加する。
「第四位のDNAマップよ。血痕けっこんのついたチップを三人でそれぞれ持っておけば、私達が分断された時に牽制けんせいできるチャンスが広がるかもしれない」
「……クソッたれ」
 しかし浜面は彼女達から目をらしていた。雪を掘る手も止まっている。どこか遠い所にある物を見ている。滝壷と麦野がそう思い、浜面の見ているものを目で追い掛けようと首を動かした。
 その時だった。
 ザザッ!! と雪を蹴散けちらす足音が複数ひびいた。気がついた時には、浜面達の周囲一〇メートルほどを、半円状に男達が取り囲んでいた。頭のてっぺんからかかとの下まで白一色で統一された、学園都市の暗殺部隊。覆面ふくめんとゴーグルで目鼻まで分からなくなっている男達の手には、消音器を取り付けたカービン銃が握られていた。
 今まで、浜面達を二重、三重の態勢で監視してきたのだろう。
 麦野むぎの沈利しずりや『仮面』の男たちなど、特大の戦力を投入してきた学園都市暗部の人間からすれば、今回の襲撃者しゅうげきしゃはシンプルな構成だった。こちらの疲労度を完璧かんぺき把握はあくした上で、最適の兵力を差し向けてきた訳である。
 タイムリミットだ。
 そう自覚した瞬間しゅんかん酷使こくしし続けた体よりも、その奥にあるはずの心が一気に折れかかった。いまだに戦意のある眼光で敵対者をにらみつけている滝壷たきつぼや麦野がうらやましいぐらいだった。
 いや、彼女達は理解しているはずだ。
 学園都市のやみで重要な役割を果たしていた滝壷理后りこうや麦野沈利には、利用価値がある。今まで通りとは言わないまでも、『回収』されるだけの余地は残っている。しかし、浜面はまづらだけが違うのだ。今まで舞台の上に立っていたのがおかしかったのだ。たとえ上層部が『殺さずに回収』の選択肢を選んだ所で、それは滝壷と麦野しか通用されない。浜面だけは、ここでゴミクズのように射殺されるだろう。
 だから二人は余計に闘争とうそうの意思を表している。
 それはうれしい。
 だが、同時に浜面はどこかで安堵あんどしている自分を感じていた。上手に立ち回れば、犠牲ぎせいは最小限で済む。上層部との『交渉材料』を見つけられなかったのは、自分の不手際ふてぎわだ。だから、これ以上の被害は絶対に阻止そしする。浜面の中で、明確な目的が生まれていた。
「……まったく、面倒な事をしてくれましたね」
 一〇人の男達に取り囲まれる浜面達に近づくように、新たな人影が現れた。チョコレートのような色合いの、上品なスーツを着た女だ。ただし、その雰囲気ふんいきを台無しにするように、顔の所にはフルフェイスのヘルメットをかぶっていた。育ちの良さを感じさせる仕草が、逆に不自然に浮いて見える造形だった。
「しかしまあ、逆に言えばこの程度で抑えられた事で、我々のセキュリティの強度を証明できたのかもしれません」
だれだ?」
「同類です」
 ヘルメットのスーツ女は即座に答えた。
「ひょっとすると命令系統も重複しているかもしれませんね」
「そいつの口癖くちぐせは」
「こいつと来たら」
 返答に、麦野と滝壷が顔を見合わせた。とはいえもちろん、共通の知り合いがいた程度で見逃してもらえるはずはない。そんなに甘い世界ではないのだ。
 ヘルメットのスーツ女は続けて言う。
「今後の『振り分け』は大体想像できていますね」
「……、」
麦野むぎの沈利しずり滝壷たきつぼ理后りこうは即時回収。浜面はまづら仕上しあげに関しては難しい所ですが……まあ、条件は合致しないでしょうねえ。滝壷に対する人質として使える程度の人間関係は構築できているようですが、そもそも滝壷理后の基本的な運動性能は低い。精神的なかせを用意しなくても、コンクリートの部屋に隔離かくりするだけで研究は進められますし、何らかの行為を強要するのであれば、脳内に極小のバルーンでも埋め込んで、遠隔操作で大脳皮質の圧迫と弛緩しかんり返すだけでも事足ります」
「待て」
 浜面はさえぎるように言った。
「研究? 滝壷を? 麦野じゃなくてか」
「少なくとも、そちらの二人は気づいていると思いますが」
「何をだ」
垣根かきね帝督ていとく未元物質ダークマターきたえ上げた『仮面』の部隊の撃破げきは時、麦野沈利は原子崩しメルトダウナーを使用しています。でも、それは単に滝壷が言葉で指示を出しただけじゃあない。AIM拡散力場に干渉する彼女の能力迫跡AIMストーカーが、麦野沈利の『自分だけの現実パーソナルリアリティへ影響えいきょうを及ぼし、半ば強制的に照準を合わせていたんです。……というより、一時的に補正用情報を『書き換えていた』と言っても良いぐらいにね」
 まさか、と浜面は思う。
 垣根帝督と戦うために、滝壷はそんな事を行おうとしていたらしい、という話を聞いた事がある。
 そして、麦野沈利は『体晶たいしょう』を所持していた。
「違う」
 しかし、浜面の顔色を見て麦野はあっさりと否定した。
「滝壷は『体晶』を使っていない。と言うより、私たちも作戦があって行動していた訳じゃない。最初から超能力者レベル5への干渉法が確立されていれば、『アイテム』の中での役割も変わっていたわ。……何しろ、それができたら強化も暴走も思いのままなんだから」
 ヘルメットのスーツ女は、肩をすくめてこう付け足した。
「本来は滝壷を『八人目』にする計画は、『体晶』とは切りはなされていたんですがね。『樹形図の設計者ツリーダイアグラム』のシミュレート結果は出ていたのですが、現実的な条件がシビア過ぎて我々の手には届かなかった。かろうじて『似たような効能』を持つ『体晶』に着目した訳です。……まあ、その場合のシミュレート結果もほとんど絶望的でしたがね」
「……にもかかわらず、お前達は滝壷の体をいじり続けた」
「あまりにも惜しい可能性だったから、ですよ。何しろ、彼女が進化を続けて『八人目』になれば、AIM拡散力場を媒介ばいかいにして、他者の『自分だけの現実パーソナルリアリティ』そのものを自在に制御する事ができる。これが、何を意味しているか分からないほど馬鹿ばかではないでしょう?」
 もしも、そんな事ができたら。
 『自分だけの現実パーソナルリアリティ』は、この現実世界にありとあらゆる能力・現象を生み出すための源だ。それを制御する事は、単に能力のレベルを増減するだけにとどまらない。簡単に言おう。浜面はまづら仕上しあげ超電磁砲レールガンの能力を与え、麦野むぎの沈利しずり無能力者レベル0に降格させる。能力を交換させたり系統を変更させたりも思いのまま。『多重能力者デュアルスキル』の現実すら視野に入る。そういった、適正も才能も無視したデタラメな結果を生み出す事ができるという訳だ。
 好きな時に好きな能力を与え、好きな場所で好きな能力を奪う。自分の都合に合わせて超能力者レベル5部隊を増員させ、敵対する能力者については、たとえ第一位の一方通行アクセラレータであっても、『自分だけの現実パーソナルリアリティ』を丸ごと削り取って無力化してから殺害してしまう。
 それは、もう学園都市の女王どころの話ではない。
 その存在を指し示す言葉はただ一つ。
滝壷たきつぼ理后りこうはですね……たった一人で、学園都市の全機能をまかなえる人材なんですよ」
 彼女の答えを、ヘルメットのスーツ女は告げる。
「いいえ、希望の種類の希望のレベルの能力を一瞬いっしゅんで生産でき、また不要になったものを一瞬で廃棄はいきできる観点からすれば、現状の学園都市よりはるかに高度な超能力者レベル5養成機関として君臨する事でしょう」
 圧倒的な価値を持つ人間。
 七人しかいない超能力者レベル5、という前提をくつがえすほどの。
「元々、滝壷にはまれな『素養』があったのですが、開花させるのが難しかったんです。禁忌きんきとされる木原きはら一族の研究を掘り返し、リスクを承知で『体晶たいしょう』まで引っ張り出しましたが、望む効果を得るには刺激が足りなかった。……けれど、これで『八人目』 への道は開けました。あなたたちの美しい人間関係と、この過酷な戦争のおかげでね」
 浜面の知る限り、滝壷が他者のAIM拡散力場へ本気で干渉しようと思って行動したのは、第二位の垣根かきね帝督ていとくに浜面が殺されそうになった、あの時だけだった。学園都市上層部はその事を参考にして、わざと浜面達を泳がせて開花の『きっかけ』を与えようとしていた訳か。
 そして滝壷は小さなかぎを手に入れた。
 合はまだ難しくても、研究が進めば『八人目』に達する。『体晶』を使わなくても、学園都市中の能力者を完全掌握しょうあくする事のできる、恐るべき怪物へと。
 たった一人。
 たった一つの能力によって。
 学園都市の超能力者レベル5養成機関としての全機能と同等か、それを凌駕りょうがするほどの性能を実現する存在。
 学園都市に対する、学園個人。
 しかし。
 浜面はまづら仕上しあげが一番おどろいていたのはそこではなかった。
 『八人目』というインパクトに押されて隠れそうになっているが、ヘルメットのスーツ女は看過できない事を言っていた。落ちこぼれとはいえ、学園都市の能力者には絶対に認められない事を。
「……元々、滝壷たきつぼにはまれな『素養』があった?」
 ふるえる声で、浜面は確かめる。
 そう、

「つまり、時間割りカリキュラムに参加する前から分かっていたっていうのか? どれだけ努力しても、どれだけ勉強しても、成功するヤツは成功するし、失敗するヤツは失敗するって」

 地獄よりも恐ろしい答えだった。
 もちろん、学園都市には身体測定システムスキャンという制度がある。様々な方法を使って能力者の『適性』を調べ、今のレベルはどの辺りか、能力の種類は何か、伸びやすい人間か伸びにくい人間か、その辺りを調べるためのものだ。
 だが、それはあくまでも大雑把おおざっぱな『目安』のはずだった。無能力レベル0低能力レベル1と呼ばれた学生だって、努力をすれば伸びるものだと信じられていた。だから努力をする事ができた。いつかはむくわれるから。いつかは開花するから。それだけを願って。
 なのに。
 努力をして無能力者レベル0から超能力者レベル5になれた人間は、『最初から超能力者レベル5になれる』と設定されていただけに過ぎないのか。勉強をする前から、入学する前から、個人の中に眠っている『素養』ですべて決まってしまうのか。努力で才能を補えるという神話は、あらかじめ定められた上限の中で踊らされているだけの話だったのか。
 なら。
 生まれた時から無能力者レベル0と決めつけられた人間に、希望なんてあるのか?
「……そういえば、おかしいとは思っていたわ」
 麦野むぎの沈利しずりが、何かを思い出すように言った。
「私は第三位にかかわるプロジェクトをのぞいた事がある。第三位が幼少期のころだまされ、提供したDNAマップを基に軍用の体細胞クローンを量産する計画。……でも、冷静に考えれば時期がおかしかった。あの第三位は、低能力者レベル1から時間をかけて超能力者レベル5になったはず。つまり、DNAマップを提供した段階では、彼女はまだ超能力者レベル5じゃなかったのよ」
 軍用クローン人間という言葉も衝撃的しょうげきてきだったが、学園都市の技術なら不可能ではないだろう、と浜面は思う。
「つまり、こういう事かよ。最初から研究者は知っていたって事なのか……。その子がいずれ超能力者レベル5になる事が分かっていたから、DNAマップの値が上がる前に手を打つために……」
 対して、スーツ女はヘルメットの中で、こもった息をいた。
「まあ、『素養格付パラメータリスト』にも弊害へいがいはありますがね。例えば、超能力者レベル5のDNA特許や生物資源は莫大ばくだいな利益を生みますが、確保するには相応の資金がかかる。ですが、『将来、超能力者レベル5になれる可能性を持つ低能力者レベル1』なら、低い予算で入手できますからね。断片的なリストが流出するたびに、一攫千金いっかくせんきんねらうために裏で血が流れるなんて問題も発生しています」
「……、」
「しかしまあ、総合的に見ればプラスに働いていると思いますよ。始めから伸びもしない人間を複雑な時間割りカリキュラムに組み込んでも、時間・予算・機材、すべ無駄むだになります。それなら、その無駄になってしまう分を有用な能力者へ重点的に割り振った方が、はるかに効果的でしょう」
「こ、の……野郎……ッ!!」
 叫んだのは、浜面はまづらではなく麦野むぎのだった。
 激昂げっこうする彼女を滝壷たきつぼが取り押さえようとする。そんな様子を見て、ヘルメットのスーツ女は愉快げな声を発した。
「らしくない反応ですね。戦闘せんとうを経て弱者の気持ちに共感できるようにでもなりましたか?」
だまれ!!」
 片方しかないひとみに怒りを乗せて、麦野は叫ぶ。
「つまり、浜面がこんな所まで落ちちまったのは、お前たちが勝手に諦めたからじゃないか!!私や滝壷は自分でこの道へと突き進んだ。道のりも環境も複雑で、一つの問題をクリアした程度で軌道を修正できるとも思っていない。でも、浜面を後押ししていたのは『力がなかった』って事だけだ! お前達が勝手にそう判断して、時間割りカリキュラムの手を抜いたからだ!! 確かに超能力者レベル5になんてなれなかったかもしれない。半端な所で止まってしまったかもしれない。でも、きちんと平等な機会を与えていれば、少しでも伸びる可能性はあったのに!! もしも、もしもそうなっていれば……ッ!!」
 浜面仕上しあげは、武装無能力集団スキルアウトなんかに入らなかったかもしれない。
 『アイテム』なんて、さらに深いやみみ込まれる必要もなかったかもしれない。
 学園都市から追われる必要もなく、ごく普通の学園生活を送れたかもしれない。
 ……この場のだれつかむ事のできなかった、退屈だけど幸福な世界を、当たり前のように手に入れていたのかもしれない。
「良いんだ」
 浜面は、首を横に振って麦野に言う。
 彼女が、この状況でまっとうに怒る事を思い出してくれた方が、浜面にはうれしかった。
「俺達は『アイテム』だ。その事に後悔はしていない。だから、良いんだ」
 麦野むぎのの方が、耐えられないように顔をらした。
 今の自分がどんな顔をしているかも分からないまま、浜面はまづらは話題を変える。
「それより、気になる事を言っていたな」
 頭の中で。
 条件を確認しながら。
「『素養格付パラメータリスト』。具体的なファイルがある訳か。そいつの存在は、学園都市に住むすべての学生を絶望と無力感のどん底へ突き落とす事になるだろうな。お前たちの上層部が何をしようとしているかは知らないが、街の機能が止まるほどのリスクは望んでいないだろう。つまり、俺達にはまだ『交渉の余地』が残されているって訳だ」
「不確定な情報ならともかく、現物を手に入れる機会があるとでも? あなたのような学生には特に触れられないように体制は整えていますし、何より……」
 ガチャガチャ、と複数の金属音が鳴った。
 浜面達を取り囲む白い戦闘服せんとうふくの面々が、銃口をこちらへ向けた音だった。
「お忘れですか? 少なくとも、あなたの人生はここで終わりです」
 麦野の原子崩しメルトダウナーは使えない。
 滝壷たきつぼ能力追跡AIMストーカーは能力者以外には一切の効力を持たない。
 浜面も、たった一人でプロの戦闘集団一〇人を同時に片付ける事はできない。
 そして、
「お前こそ、何か忘れてんじゃないのか」
「?」
「そんな薄汚うすよごれた世界に住んでいると見えなくなっちまうのかもな。でも、俺が今立っているこの場所は、学園都市じゃない。そこまで冷酷れいこくなステージじゃないんだ。そもそも、俺は単なる無能力者レベル0だ。自分一人の力だけでこんな大きな争いを切り抜けられるほど、特別な力なんて持っていなかった」
「---、」
 これ以上聞く意味はないと感じたのか、ヘルメットのスーツ女はほんのわずかに腕を上げた。
 それだけだった。
 浜面達を取り囲んでいた白い戦闘服の男達は、一斉にカービン銃の引き金に指をかける。

 タァァァァン!! と。
 白い雪原に、突き剌さるように鋭い銃声が鳴りひびいた。

 純白の景色をゆがめるように、赤い色彩が散った。
 浜面は目をつぶらなかった。
 閉じる必要がなかったからだ。
「な……」
 おどろいた声を出したのはヘルメットのスーツ女だった。それもそのはず、銃声と共に倒れたのは浜面はまづらではない。滝壷たきつぼ麦野むぎのでもない。彼らを取り囲んでぃたはずの、一〇人の男たちの内の数人だったからだ。
 同時。
 林の木立の陰に隠れるように、盛り上がった丘の向こうで伏せるように、浜面達を取り囲んでいた男達をさらに大きな輪で包囲する形で、三〇人ぐらいの男女がアサルトライフルをこちらへ向けていた。彼らはロシア人だが、正規の軍人ではなさそうだった。服装は民間人のものだし、ライフルにも複数の傷があり、妙な生活感を感じさせている。
「生きているか、浜面!!」
 日本語でそう叫んだのはディグルヴだった。
 そのわきで同じようにライフルをつかんでいたグリッキンが、舌打ちしながら言う。
「お前は逃げろっつったけどよ、結局みんなで舞い戻って来ちまったよ。お前だけを見捨てる事はできないってな!! で、そいつらがスチームディスペンサーを仕掛けようとしている工作部隊の仲間か!?」
「……ズレた事を言っているがありがとう。お前達のおかげで命拾いした」
 浜面はゆっくりと息をいて、体の力を抜いた。
 ヘルメットのスーツ女達と話している間に、風景の中にちらつく影を見つけていたのだ。後は彼らの配置が終わるまで、浜面は会話を長引かせる必要があった。
「……何故なぜ?」
 女は、純粋に疑問を感じているようだった。
「大戦中、学園都市とロシア軍の戦況は常に一方的だったはず。ここに来て、こうも簡単に私達が窮地きゅうちに立たされるはずが……」
「学園都市が戦争の中で優位に立っていられたのは、大規模な連携行動で互いを高度にフォローし合っていたからだ。……お前達みたいに、単独行動に走る独立部隊までが、どいつもこいつも無敵状態って訳じやあない」
 浜面は、いまだに強張こわばほおの筋肉を無理に動かして笑みを作る。
「そうだろう? 本当にだれでも彼でも無敵状態だったら、そもそも俺や滝壷が学園都市から脱出できたはずがねぇんだからな」
「これで勝ったとでも?」
 せせら笑うように、ヘルメットのスーツ女は言った。
 倒れた同僚どうりょうを気に留めている様子はなかった。
「今まであなた達をモニタしていたシステムは生きています。すぐに増援は来る。戦況は何も変わりませんよ」
「だろうな。……だからその前に片を付ける」
 そこまで言うと、浜面はまづらは集落の人々の方へ声をかけた。
「ディグルヴ、グリッキン。お前たちは白い戦闘服せんとうふくの連中をしばりつけて、妙な動きをしないように見張っててくれ」
 続けて、『アイテム』の方へ首を振る。
麦野むぎの滝壷たきつぼを押さえてろ。これからちょっと剌激の強い事をしてくるから」
「何を……」
 ヘルメットのスーツ女が何か言い掛けたが、浜面はそちらには答えなかった。
 言葉の代わりに、拳銃を抜いて右肘みぎひじ右膝みぎひざを一気にち抜いた。
 パンパン!! と乾いた銃声が二回ひびき、ヘルメットのスーツ女の絶叫が続く。浜面の表情は変わらなかった。彼は両手でスーツのえりつかむと、雪の上を強引に引きずって進む。
「……一〇〇メートルぐらい先に、ちょっとした洞窟どうくつがある。続きはそっちでやろうか」
 どこまでも平坦へいたんで、感情のこもっていない声だった。
「じきに学園都市の追撃ついげき部隊がやってくる。それまでに『交渉材料』を手に入れなくちゃならねえ。だから、そのためにできる事は何でもやるつもりだ。目標は『素養格付パラメータリスト』。紙に出力した現物でも、ネット上のデータに触れるためのパスワードでも良い。とにかく知っている事を全部しゃべってもらう。気がついたら自然と口を開いていた、ぐらいの事はさせてもらう」
「ひ、ひ」
「人間ってのは怖いよな」
 ヘルメットの側面に口を寄せ、滝壷や麦野には聞こえないほど小さな声で、浜面は言う。
 どこまでも、平べったい声で。
「大切な者を守る、って言い訳ができれば、どんなに残忍な事でもできる。そんな気がする。今から人間がどれほど残酷ざんこくなのかを見せてやる」

 一方通行アクセラレータは丘の上に倒れていた。
 打ち止めラストオーダーも、番外個体ミサカワーストもここにはいない。ただ白い雪だけがどこまでも広がっている。上空八〇〇〇メートルで要塞ようさいから放たれた正体不明のエネルギーのかたまりと激突した一方通行アクセラレータだったが、その後どうなったのか、自分でも理解できていなかった。白いつばさも背中から消えてしまっている。少なくとも、自分がこうして生きているという事は、ギリギリの所で大きな破壊はかいを止められたのだろう、と判断する。
 大きな音が聞こえた。
 ローターの二つついた、輸送用の大型ヘリコプターだ。倒れたまま上空へ目をやる一方通行アクセラレータの近くへと、巨大な鉄のかたまりがゆっくりと降下してくる。スライド式のドアが開き、そこから出てきたのは兵隊というよりも災害救助隊のような連中だった。宇宙服のようにぶかぶかの防護スーツを着た複数の人間が、ベルトのついたストレッチャーを下ろしているのが分かる。
 回収。
 一方通行アクセラレータは、九月三〇日に木原きはら数多あまた撃破げきはした時の事を思い出した。あの時と同じだ。大きな争いを経て、大きな混乱を招いた。その処理を託す代わりに、身柄を学園都市暗部にゆだねて汚れ仕事を引き受ける。
 結局、どれだけあらがってもどこまで逃げても、学園都市をはなれて日本を脱出しても、あまりにも巨大なサイクルからは外れられない。薄々うすうす々は勘付かんづいているはずだった。自分の事よりも、妹達シスターズ打ち止めラストオーダーを取り巻く環境や条件は、あまりにもシビア過ぎる。学園都市という後ろだてなしでまっとうな生活を送れるとも思えない。
 力の抜けた体を持ち上げられ、ストレッチャーの上に乗せられる。その上から、何重にも分厚いベルトを巻きつけられる。道具……いや兵器の輸送のように扱われる一方通行アクセラレータの体が、巨大なヘリの中へと収容される。
 抵抗はしなかった。
 派手な揺れと共に輸送ヘリは地上をはなれていく。
 ベルトで固定されたまま、一方通行アクセラレータはぼんやりとした調子でつぶやいた。
「あのガキどもは?」
「別働隊が」
 短い言葉だけが返ってきた。
 ふん、と一方通行アクセラレータは短い息を吐く。
「……なら、これだけ確約しろ。今後、あのガキや妹達シスターズを盾に使って命令を飛ばすな。第三次製造計画サードシーズンも凍結しろ。殺すも作るも関係ねェ。オマエ達の都合で、これ以上一人でもあいつらの命をもてあそぶな」
「……、」
「俺と似たよォな境遇の道中も解放しろ。だれかしら、何かしらの盾を使って無理矢理に『やみ』の世界で汚れ仕事を押し付けるのは許さねェ。一つの事例でも確認できたら、俺は問答無用でオマエ達にきばく。何度でも、何十度でも、暴虐ぼうぎゃくの数だけオマエ達をたたつぶす」
「何も分かっていないようですね。取り引きができるような立場だとでも?」
「オマエの方こそ、何も分かっていねェよォだな」
 一言だった。
 そこに危険な色を感じ取ったのか、防護スーツの研究員は即座に一方通行アクセラレータの首の横に手をやった。彼の能力は、ミサカネットワークの代理演算によって成り立っている。ネットワークヘアクセスするための電極のスイッチの様子を確かめようとしたのだ。
 しかし。
 よりにもよって、一方通行アクセラレータはその心理を逆手に取る。
 研究員の指先がスイッチを押さえた瞬間しゅんかん一方通行アクセラレータはベルトで固定されたまま、首を大きく振った。その結果、スイッチを押さえるための指によって、スイッチが最大までスライドされてしまう。
 力が戻る。
 彼の体をいましめていた黒いベルトが、一瞬ではじけ飛んだ。防護スーツの男はヘリの壁まで吹き飛ばされ、はめ込まれていた強化ガラスの窓に深刻な亀裂きれつを走らせた。周囲の同僚達どうりょうたちあわてて立ち上がるが、もう遅い。
「これは、交渉でも、提案でも、取引でも、懇願こんがんでも、協定でも、妥協だきょうでも、降伏でもない」
 一方通行アクセラレータの腕が、輸送ヘリの壁に触れた。
 まるで紙を裂くように、簡単に軍用機の鉄の壁が破壊はかいされていく。莫大ばくだいな冷気が吹き込んでくるが、防護スーツの面々はそんな事を気にしていられなかった。いつヘリが墜落ついらくするかも分からない恐怖が機内を席巻していく。
 そんな中で、畏怖いふの上に君臨する怪物の王が、ただこう宣言した。

凱旋がいせんだ、クソ野郎」

 指一本で輸送ヘリの最低限の空カバランスをもてあそびながら、引き裂いたような笑みを浮かべて、一方通行アクセラレータはこう語る。
「じゃあ、手始めにあのガキと番外個体ミサカワーストを救う所から始めよォか」

 右方のフィアンマは、ふるえる手で鉄の扉を内側から開けた。
 全身をむしばむダメージのせいで、起き上がる事もできない。転がるように脱出用コンテナから外へ出る。
 低い山の上だった。
 自らが作り上げた『ベツレヘムの星』はどこにもない。天空の色も元に戻っていた。辺りで絶え間なく鳴りひびいていた砲撃音ほうげきおんも、今は聞こえなかった。静寂の白。脱出用コンテナの外に広がっていたロシアの景色を眺め、フィアンマは漠然とした答えを得た。
 すべて、終わったのだ。
 これから世界がどうなっていくのか、フィアンマには分からない。あの時点で、確かに自分は最良の選択肢を取っていた。それが弾かれた以上、この世界はこうしている今も下り坂をすべり続けているはずだ。どこまで落ちていくのか、あるいは落ちる過程で脱線するように別のルートヘと外れていくのか、そのすべてが予測できない。
 こんな世界を生きていけと、あの男は提示した。
 ただの綺麗事きれいごとではない。唯一の脱出の機会を他人にゆずってまで、あの男は全力で貫き通した。
 なら、これからたくさん確かめてみろよ。
 最後の言葉がいやに耳に残った。よって、フィアンマはこのまま雪の中に埋もれていく事もなく、目的を失った今も地面の上に転がっていた。言うまでもなく、これからの道は険しいものになるだろう。世界を混乱させ、戦争を引き起こした大罪人として追われる事になる。ローマ正教やロシア成教の協力も取り付けられない。『神の右席』も存在しない。インデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうも失われた。いかにフィアンマの腕に特殊な力が宿っていたとしても、制限つきの状況で、無尽蔵むじんぞうに現れる敵と戦い続ければいつか息切れを起こす。勝利者たちの世界で、フィアンマは唯一残った汚点として扱われる事になるだろう。
 逃亡生活は、体を表面から削り落としていくようなものになるはずだ。
 そんな泥沼の中で、あの男が提示したようなものが見つかるとも思えない。
「……、」
 しかし、何故なぜだかフィアンマは、他者が命懸いのちがけで残した可能性を簡単には捨てられなかった。あの時、あの男はフィアンマに見えないものを確実に見ていた。それを知る事もなく、ただ捨ててしまう事にためらいがあった。
 先の事は、先に進んでから決める。
 そう思い、全てを失った右方のフィアンマは自分の足で、もう一度ゆっくりと全身に力を入れて、よろめきながらも立ち上がり、一歩目を踏み出した。
 その時だった。

 ドッ!! と。
 唐突に、右方のフィアンマの右腕が、肩の所から切断された。

 魔術まじゅつの発動を、その前兆を、全く感知できない一撃いちげきだった。フィアンマの後方から放たれた攻撃が、容赦ようしゃなく彼の五体を切りはなす。右腕。彼の力の象徴。それを失ったフィアンマは、白い雪に赤い血をき散らしながら絶叫した。
 もう片方の手で傷口を押さえつけ、フィアンマは振り返る。
 異様な魔術師が存在した。
 腰まで届く、色の抜けた銀色の髪。表情のうかがえぬ端整たんせいな顔。この厳寒の中、緑色の手術衣だけをまとった格好。男性にも女性にも、大人にも子供にも、聖人にも罪人にも見える奇妙な雰囲気ふんいき
 知っている。
 右方のフィアンマはこの魔術師まじゅつしを知っている。
 だが、
「……アレイスター=クロウリー……?」
「やはり、『容器』を抜けると正しく認識されるらしい。生命維持装置を使って魔力まりょくの基となる生命力そのものを機械的に生み出す事で、あらゆる探査をかいくぐってきた訳だが、この状態では加護は受けられなくても当然、か」
「貴様は、そうか、だが、その理論だと矛盾むじゅんが生じる。ここにいる理由が説明できん」
「何もおかしな所はなかろう」
 学園都市の中心部、窓のないビルの中にいなければおかしいはずの魔術師は、さも当然のように質問に答えた。
「シークレットチーフとの『窓口』としての役割を全うし、『黄金』の結社の設立にも協力したアンナ=シュプレンゲルという女は、最後には実在すらも怪しい存在と称された。……私もまた、シークレットチーフの一学説であるエイワスの『窓口』として機能していた者だ。正直、あれが『全世界の魔術結社の設立の許可を出す』などといった、大仰で、真面目まじめくさった役割を負うとは思えんし、そもそもそんな許可など取る必要もないのだが、まあ、アンナが語っていた存在と同質ではあるだろう。となれば、〇と一だけで表現できる域を超えていたとしても、何ら不思議ではあるまい」
 アレイスター=クロウリーはこうしている今も学園都市の中央に存在する。
 しかし同時に、アレイスター=クロウリーはこうしている今もフィアンマの前に存在する。
 クローン人間のように、複数の個体が存在する訳ではない。
 ただ、一体の彼が複数の場所に存在する。
 数を数えるという基本的な概念がいねんが崩れてしまっているような現象だが、それこそが頂点の領域なのだった。そもそも『生命の樹セフィロト』には様々な言葉や数字で霊的れいてき世界の説明がなされているが、一定以上の上部組織については『言葉で説明できない』ものであるとして、意図的に省かれてしまっている。
 その領域に足を突っ込んだ者が上部組織へ到達するのか、上部組織に到達するとその領域に変換されてしまうのか。
 ともあれ、クロウリーは次元の違う所にいた。
 世界全人類を救済する力を持っていると宣言しておきながら、いまだにこの世界の数で数えられる程度の存在であったフィアンマよりも、高い場所に。
「……何故なぜだ?」
 フィアンマはつぶやく。
「俺様にはできなかった。『神の子』と同じ、この世界を救うだけの力があったはずなのに。俺様にそれはできなかった」
「それは、力の質や量というよりも、使い方の問題に過ぎんよ」
 アレイスター=クロウリーはつまらなさそうな調子で言った。
「私の持論は、『法の書』の完成と共に十字教術式の時代は終わった、というものでね。実際、君は良い所まで行っていたと思うよ。『神上かみじょう』という着眼点も含めてね。オシリスの時代……つまり十字教単一支配下の法則ではなく、その先のホルスの時代をフォーマットに定めていれば、私と似たような地点を目指していたかもしれないな」
 科学によって異能の力を作るもの。
 その集合によって天使を築くもの。
 『神の如き者ミカエル』をつかさどる右方のフィアンマには、その意味が分かる。天使の製造とは単なる新種生物を作るだけではない。世界を構成する属性の象徴。人の手でそれを作るというのは、つまりこの世界の根幹たるシステムヘ人為的に千渉する事を意味している。
 神が作り上げたからくり細工に、人の手で作った歯車を埋め込み、オルゴールを時限爆弾に作り変えようとする所業。
 オカルトを肯定した上で、そこへ精密機器をねじ込もうという発想。
 旧時代であれば、考えるだけで処刑台へ案内されてしまう思考回路。
「……エイワスは、そこまで魅力的な存在か」
 フィアンマは質問した。
「聖書や神学では説明のできん天使。それもまた、神に作られた世界の中で、その神の手を外れた属性の象徴であり、神の定めた運命を切り崩す糸口となる。……お前は、『法の書』が欲しかったんじゃない。『法の書』を授けるほどの異形の天使そのものが欲しかったんだ」
 アレイスターは肯定も否定もしなかった。
「まあ、本来ここは私の出てくるべき段階ではないのだがね」
 魔術まじゅつ史上最悪と称される魔術師は語る。
「ものの価値も分からんとはいえ、少々君はあの右手に深入りし過ぎた。単なる『異能の力を打ち消す右手』として認識されていれば良かったものを、君はその奥にあるものを垣間かいまただろう。流石さすがに放置はしておけん。まったく不本意だが、私の出る幕となった訳だ」
「奥に、あるもの……?」
「おまけにこの結末。よもや、私の手元からはなれるとは。おかげで大分『回り道』をしなくてはならなくなった。……そうか、私という生き物は月並みに怒りを自覚しているのかもしれん」
「……、」
 フィアンマのまゆが、かすかに動いた。
 あの少年の右腕を切断した時、その奥からあふれ出した『何か』を思い出したからだ。
「あれは何だ」
「分かっているだろう」
 き捨てるような返答があった。
「君のやろうとしていた事は、基幹となっていたフォーマットそのものが古すぎたという事を除けば、私のプランと似通っていた。異形の力で満たされた神殿を用意し、その中で右腕の力を精練し、その力でもって位相そのものの厚みを再調整し、結果として世界を変ずる思想。学園都市というある種の力を封入された小世界とどう違う? 君は、自らの行動を別の視点でとらえ直すだけで良い。それだけで、あの力の本質を理解できていたはずだ。……もっとも、それが成功できていれば、君は私よりも一足早く目的を達していたかもしれないな」
 だからこそ、アレイスターはここへ来た。
「あの羊皮紙ようひし。ロシア成教の手でまとめられた不出来なものだが、あれをイギリス清教のような対魔術師まじゅつし機関に解析されるのも問題でな。今回は少々派手に部隊を動かしたが、まあ、最終的には回収できて何よりだった。……が、それだけでは足りない。何を言いたいかは分かっているかな?」
 フィアンマがどうこうではない。彼の起こした不出来な事件から、アレイスターの計画を逆算される可能性を、少しでも確実にたたつぶすために。よって、魔術勢力に身柄を移す事すらも許さない。この時、フィアンマはまさに世界の真実へ最も近づいていたのだ。
「そうか」
 片腕しかない状態で、しかし右方のフィアンマはゆっくりと首を横に振った。
「……だが、もはやそんな事はどうでも良い」
 不思議と、これまであった異様な熱が引いたような顔色だった。
 き物が、落ちたかのような。
「お前の顔を見ていると、自分がやってきた事のむなしさを感じるよ。多分、俺様もそんな顔をしていたんだろう。そして、本当に世界を救う人間はそんな顔はしない。……あの時、あの場所で、あいつはだれにも追い着けん所に立っていた」
 自分に足りなかったものが、少しだけ理解できた気がした。
 そう思ったフィアンマは、出血を押さえるために傷口をふさいでいた左手を、自らの意思ではなした。同時に、ボン!! という爆音が炸裂さくれつする。噴き出す血が、透明で巨大な腕の輪郭を浮かび上がらせた。『第三の腕』。もはや自らの意思で制御もできない力だが、今ならまだ戦える。
無駄むだだと思うがね」
 アレイスター=クロウリーは構えも取らなかった。その手の指を動かし、ゆっくりと見えない物をつかみ取る。パントマイムのような仕草の中に、フィアンマはおかしなものを知覚した。あるはずのないつえにじみ出た気がするのだ。いいや、確かに現実世界には存在していない。にもかかわらず気配や雰囲気ふんいきといった未分類情報のせいで、『銀』という色までついた幻覚があるように見えてしまうのだ。
 衝撃の杖ブラスティングロッド
 究極の悪人と称されたあのクロウリーが、純粋な尊敬から師と仰ぐ事を決めた古い魔術師まじゅつしの伝説にある、一本のつえ
無駄むだかどうかは問題じゃなかったんだ」
 フィアンマは静かに言った。
 おそらく、アレイスターには一〇〇年かかっても分からなかっただろう。
 本当に助けたいというおもいが先行していれば、勝算なんて二の次にならなければおかしいはずだった。
 なら、これからたくさん確かめてみろよ。
 『世界中』なんてものの広さも分からないと言った敵対者に、迷わずそう答えられる人間は、多分、もっとたくさんの事を知っていたのだろう。魔道書まどうしょの『原典』にも記されていない事をいっぱい知っていたのだろう。フィアンマにはその片鱗へんりんも理解できたか怪しかったが、だからこそこう思う。
 みにじらせる訳にはいかない。
 たとえ、正真正銘しょうしんしょうめいの怪物と向き合う事になってでも。
 あの男が命をけて救った世界を、これ以上踏みにじらせる訳にはいかない。
 勝敗など、一目瞭然いちもくりょうぜんだった。
 二つの影が激突し、その内の片方が山の斜面から転がり落ちた。

 ロシアの白い風景に、再び静寂が戻ってきた。
 勝者はただ斜面の下ヘチラリと視線を向け、空気にその身を溶かしながらつぶいた。
「……たかが十字教程度で、あの右手や幻想殺しイマジンブレイカー……そして『神浄』を説明しようと考えた事。それ自体が、君の失敗だ」

 そして、遠くはなれたロンドンで笑う影があった。
「反応ありました!! 七〇〇秒程度ですが、確かにこの波長は間違いありません。魔術師アレイスター=クロウリーのものです!!」
 聖ジョージ大聖堂。
 イギリス清教のシスターからの報告を受けながら、最大主教アークビショップのローラ=スチュアートはくちびるゆがめて笑みを作っていた。
 死んだはずの男。
 イギリス清教の剌客しかくの手でほうむられたはずの魔術師。
 すでに六〇年以上前に死亡したと公式報告は出ていたが、彼の後継者を名乗る魔術結社や、彼自身の生存説に対処するため、クロウリー専門の部署は存続していた。そして、個別に設定された探査用の霊装れいそうが、思わぬ結果をはじき出したのだ。
 もっとも。
 ローラ=スチュアートにとっては宇宙の発生原因と同じ、仮説はあっても証明手段が見つからなかった、という意味での『思わぬ結果』に過ぎなかったが。
 遠視を利用したサーチ術式はほとんど使い物にならず、浮かび上がった像は輪郭すらぼやけている。ターゲットはだれかと会話をしていたようだが、両者共に詳細な事まではつかめない。
 にもかかわらず、ローラはそのわずかな情報で確信した。
 随分ずいぶんと顔立ちは変わっていた。
 その上、今の今まで何らかの手段を用いてこちらの認識能力を阻害そがいしていた節もある。
 だが、
(……やはり、生きたりていたか)
 やはり、とローラは前置きしたのだ。
 その存在の消滅を、彼女は信じていなかったという訳である。
 確かに、この第三次世界大戦を経て、最も得をしたのは戦勝者の学園都市だろう。今後、魔術まじゅつサイドと科学サィドの関係は、科学側へ大きく天秤てんびんが傾く事になるのはけられない。ローマ正教・ロシア成教の力が弱体化し、イギリス清教は戦勝とはいえ、あくまでも十字教『三大』勢力の一角に過ぎない。対して、学園都市は科学『一大』組織のトップ。単純な力の配分の問題で、戦勝側の世界支配の割り振りは、どう考えても学園都市の方が上回る。
 だが、こんな所では終わらない。
 仮に学園都市統括理事長の正体がローラのにらんだ通りだとすれば、彼女にはクロウリーを討つ権利が生じる。そして伝統的に、魔女まじょ狩りの対象者は教会に資産を没収されるものと相場は決まっている。
 つまり。
 最大の戦勝者である学園都市と科学サイドを、丸ごと奪い取るチャンスが残っている。
 もちろん、『仮に』そうだとしても、相手も大人しく従うとは思えない。第四次の戦争が起こる可能性も否定できない。しかしそんな事は関係ない。きっかけさえあれば、世界全土を手中に収めるための糸口になれば、それで全く問題はない。
 第三次世界大戦では、学園都市が勝ってもローマ正教が勝っても、イギリスは弱体化の道を歩まされると『王室派』は危惧きぐしていた。第二王女などは、クーデターまで引き起こしたほどだ。
 それに対するローラ=スチュアートの答えがこれだ。
 ならば、戦勝者からむしり取れば良い。
 持っている物を、何もかも。
 そもそも、魔術師まじゅつしアレイスター=クロウリーを処刑し、その危険な財産を保管する権限は、対魔術師機関であるイギリス清教の特権なのだから。
 ローマ正教が勝ってしまっては、『十字教世界の決定的な拡大と、魔術サイドの世界支配』という方向に話が動いてしまうため、イギリス清教とはいえ十字教の一派である彼女には、口実を作るのが難しくなってくる。少なくとも、宗教裁判を利用した横取りは使えないだろう。
 だからこその学園都市だ。
 そして、状況は愉快な道筋へと都合良く転がってくれた。
「……さあて。面白おもしろくなりけるのはこれからよ、統括理事長アレイスター」

 ふふ、という小さな笑い声があった。
 学園都市のビルの屋上。
 エイワスと呼ばれるその存在は、自分の両手に目をやって笑っていた。明確に、楽しそうに。一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの意識に千渉した事で、エイワスの存在をつなぎ止める力は大幅に削り取られていた。じきにエイワスは、一度『表面』から離脱りだつする。にもかかわらず、エイワスは楽しげだった。
「……楽しそうですね」
 声が聞こえた。少女のものだ。
 風斬かざきり氷華ひょうか
 眼鏡の奥にある眼光には、いつもおびえている少女にはめずらしく、鋭い光がある。
「愉快だとも」
 対して、エイワスの方は両手を軽く広げてこんな事を言った。
「と言うより、正確には愉快な時間が長引きそうで喜んでいる。アレイスターは少々急ぎ過ぎだよ。あの方法ではあっという間に終わってしまう。それも、大した数のドミノを並べない内に、はじからはじいてしまうようなものだな。状況を楽しむためなら、私は一度奥深い所へもぐった方が良い。家畜は太らせてから食べるに限る」
「そのために」
「そうだとも。私の出現の有無に拘らず、あの司令塔は長持ちしなかった。ドミノを並べるには強度が足りなかった。よって、必要な強度を与えるためのヒントを提示してやった、という訳だ。……そして、彼は良くやってくれた。この方法は私を排除するというより、別の領域へ移すという形に近いが、まあここまでやれれば上出来だ」
 価値と興味を感じるかいなか。
 それだけのために動き、不要とあらば即座に惑星を砕きかねない存在。
「あなたはもう少し、人間というものを知った方が良いと思います」
「?」
「本来、知っていなければおかしかった。私たちの肉体は、彼らの力によって支えられているのだから。彼らには私達を形成するほどの可能性が眠っている。言うまでもなく、人間はとても強い生き物です………あなどっていると、あっという間に胸を突かれるかもしれませんよ」
「何を言う」
 エイワスは、風斬かざきりの視線を受けながらも昂揚感こうようかんを抑えずにこう答えた。
「もしも、本当に、脆弱ぜいじゃくな人間にそんな事ができるとしたら……それもまた、とても興味深い事例だとは思わないのかね?」

 御坂みさか美琴みことは沿岸へと辿たどり着いた。
 と百っても、日本の海水浴場とは大きく違う。一応小さな漁港という事だったが、この時期は活動しているのだろうか。何しろ、海は一面が白い氷でおおわれていた。流氷である。
 VTOL機の燃料が不足したため、地上に着陸せざるを得なかった。
 高速の貨物列車に乗り込んだが、それでも決定的に遅れてしまった。
 空飛ぶ要塞ようさいが向かったという方角へ突き進んで突き進んで突き進んで、ぶち当たったのがこの漁港だった。
 要塞墜落ついらく間際まぎわ避難ひなん勧告が出ていたせいか、周囲に人はいなかった。辺りの路面がやけに凍りついているのは、津波がおそった後に冷気が水分を凍らせたからかもしれない。
 あの少年の手掛かりになるようなものなんて、欠片かけらも見当たらなかった。
 途方に暮れたように周囲を見回していた美琴だったが、やがて彼女は大きな棒を拾い上げた。コンクリートで固められた堤防から棒を伸ばし、喫茶店のソーダのように表面が氷で包まれた海水をかき回す。
 棒の先端せんたんに、何か小さな合成樹脂のかたまりが引っ掛かっていた。
 それは何ですか、とかたわらにいた妹達シスターズが尋ねてきた。
 美琴は答えられなかった。
 見覚えはあった。

 それは、強い力でひもの部分が引き千切ちぎられた、ゲコ太のストラップだった。
 九月三〇日に、二人で一緒いっしょに手に入れたはずの物だった。

終戦宣言

 これ以上、不毛な争いを続けさせる訳にはいかない。
 我々は学園都市側から提示された条件を精査し、会談の席へ着く事を了解した。詳細についてはこれから詰めていくが、ロシアにとって不利益にはつながらない事を宣言する。
 かつての我々は、皆の言葉に耳を傾ける事もなく、少数の意見によって取り返しのつかない選択を行ってしまった。それがどれはどの惨事さんじを招いたかは、我々よりも皆の方が強く実感していると思う。この歴史的な誤りについて、私には弁解する言葉を持たない。
 せめて我々にできる事は、一刻も早くこの異常な事態を終息させ、当たり前のように平和を享受できる世界を再び回復させる事だけだ。
 すべてが終わった後で、我々はどのような裁きも受ける。
 だからそれまでの間、しばし私に猶予ゆうよを与えてほしい。
 一部の者は、この終息に納得できないかもしれない。武器を置くという行為に違和感を覚えるかもしれない。だが、冷静に考えてほしい。これは何のための戦いなのかと。家族を、友人を、恋人を、大切な者を守るための戦いだというのであれば、今まさにこの時こそ、『それ』を獲得できる瞬間しゅんかんである。これ以上の戦闘せんとう行為は、逆に『それ』を遠ざけてしまう事にしかならない。
 その事実に気づかせてくれたのは、戦地での皆の働きだった。
 大戦終盤に起きた超自然災害下において、我々よりもはるかに『正しい』選択を行い、敵味方の区別なく手を差し伸べ合った皆ならば、この結末を受け入れてくれるものと信じている。

 現時刻をもって、あらゆる戦闘行為の終息を宣言する。
 皆で獲得したこの選択が、のちの平和な世から正しかったと歴史に記される事を願って。

一〇月三〇日    ロシア成教総大主教 クランス=R=ツァールスキー

 ボロボロに打ちのめされていた。
 右腕は切断されていた。
 切り裂くような冷気を浴びても、もう指一本動かす事ができない。このまま吹雪ふぶきの中に埋もれていくのを自覚した。
 その時だった。
 雪をむ足音が聞こえた。そう思った直後、仰向あおむけの彼の視界に人影があった。歩いて接近してきたというよりは、知覚と同時に出現したかのような、不自然な現れ方だった。
 奇妙な二人組だった。
 一人は金髪の女。額の上に押し上げたゴーグル、深い色の実用的で分厚い生地のジャケットとズボンの上から、作業用のエプロンを身に着けている。外見は粗雑だが、その挙措に品を感じた。イギリス製の侍女じじょのような印象だ。
 もう一人は金髪の男だった。うすい水色のシャツの上から、ベージュ系のベストを羽織った格好だ。
 人の事を言えた義理ではないが、どちらもこの極寒ごっかんの中で移動できるような服装ではなかった。にもかかわらず、彼らの表情は変化しない。

 女の方が言った。
「一応、まだ息はあるみたいだね」
「純粋に彼の実力だろう。あの場面で手を抜く理由がない」
 男の方が答え、そして倒れている彼の顔へ目をやった。
「さて、やられっ放しで終わるのもいやだろう。少なくとも、こっちはそろそろ限界だ。……当面の住み家と身の安全は保障しよう。代わりに、君が見聞きしたものを教えてほしい。君のいたオシリスの時代から、その先のホルスクロウリーの時代を読み取る事もできるかもしれないからな」
だれ、だ……?」
 彼は。
 右方のフィアンマは、かすれた声でそう質問した。
「オッレルス」
 そして、回答は短かった。
 その言葉に、すべてが凝縮ぎょうしゅくされていた。
「かつて魔神まじんになるはずだった……そして、隻眼せきがんのオティヌスにその座を奪われた、みじめな魔術師まじゅつしだよ」

あとがき

 一冊ずつご購入いただいたあなたはお久しぶり。
 二四冊もまとめてご購入いただいたあなたは初めまして。
 鎌池かまち和馬かずまです。
 本編は二二巻です。これでひとまず『神の右席』編は終了です。……一一巻ぐらいからヴェントについての言及が始まっていたので、かれこれ本編だけで一〇冊も続いていた訳ですね。
 今回はせっかくですので、三人の主人公について言及してみようと思います。

 上条当麻かみじょうとうまについて。
 彼はどこまで行っても『相対的』なキャラクターです。周りに異能の力を持った魔術師まじゅつしや能力者がいなければ、『それを打ち消す』能力の存在すら認識されない。信念と信念がぶつかり合う時も、大抵の場合は自分から仕掛けるのではなく、相手の言い分に応じる形で表出される。もしも、ぐな信念を持った人間が何の特別な力もない握りこぶしで向かってきたら、上条は間違いなく敗北していたでしょう。……そもそも、そんな人間相手なら『戦う理由がない』のかもしれませんが。
 現状の、ある程度成長した浜面はまづら仕上しあげが普通のケンカで上条に勝ったりすると、三人の主人公のパワーバランスが三つどもえになって面白おもしろくなるんじやないかなぁと思うのですが、いかがでしょう?
 今回の巻で、もしかしたら上条の雰囲気ふんいきに違和感を覚える読者さんもいるかもしれません。しかし、これは上条が成長したというよりは、敵が異常だったというのが大きかったと思います。『すごい力に対処できるからもっとすごい』という風に見えてしまい、相対的に上条の立ち位置も上昇させられてしまった訳ですね。
 本来の彼は、立ち位置の不明なキャラクターです。
 飼い猫が逃げたという話を聞けば全力で捜し出しますし、世界の危機が訪れれば全力で阻止そしします。いつも本気のはずなのに、事件の性質によって本気の方向性がガラリと変わる、奇妙な人物だと思います。
 また、この作品には『上条の対極』と称されるキャラクターが何人も登場します。これは上条当麻という人物のどこを切り取るか、という事で変化するのですが、つまりそれだけ上条には色々な側面が備わっている、という訳ですね。
 とある魔術の禁書目録の世界は、大きなストーリーラインの中に登場人物がいるのではなく、主人公に設定した登場人物の周りにストーリーが発生するものをイメージしています(SS2が一番顕著な例です)。それぞれの主人公には、その主人公が一番かがやくストーリーが付随ふずいする訳ですが、この上条かみじょうなら砲弾飛び交う戦争から中華なべおどる料理対決まで、何でもこなせそうな気がします。……様々な才能がある、という話ではなく、素人しろうとのままでも構わず突き進む、という姿勢が『お話の主人公』として、書きやすいのでしょうね。なまじ『何かの専門家』だと、それ以外の分野に挑戦するのに何らかの深い事情を用意しなくてはなりませんし。

 一方通行アクセラレータについて。
 本編ではダークヒーローのような描かれ方をしていた一方通行アクセラレータですが、別の切りロから見ると、聖者としての側面も出てきます。いわゆる『大きな罪』を犯した者が、その罪をあがなうために苦難の道を進むタイプの人物像ですね。
 苦難を乗り越えたあかしとして、つばさの色を大きく変える……という演出は、ずっと前からやりたかった事でした。
 一方通行アクセラレータが心の底から欲しているのは恋人ではなく家族です。しかし彼は家族というものを知らないため、打ち止めラストオーダーに対しては親のように接する一方(しかも父性なのか母性なのかも定まっていないまま)、芳川よしかわ黄泉川よみかわには子供のように扱ってもらうと身を預けてしまう(原作一五巻で、黄泉川に拳銃を取り上げられる場面などが顕著ですね)、どこか矛盾むじゅんした場所に立っていました。
 悪党というフレーズは、彼の過去を象徴すると同時に、都合の良い逃げ道を提供するものでもありました。今回の二二巻で善と悪のコンプレックスを自ら破壊はかいた一方通行アクセラレータは、今後何の言い訳をする事もなく、『家族』と向き合わなくてはならないでしょう。

 浜面はまづら仕上しあげについて。
 今回の戦争では上条当麻とうま一方通行アクセラレータもイレギュラーな側にてっしていたため、少しでも『戦争』のにおいを感じさせる役割を押し付けています。
 彼の抱えていたコンプレックスは言うまでもなく学校の成績である、『無能力者レベル0』の恪印らくいんです。しかし、時間割りカリキュラム身体測定システムスキャンの結果は、学園都市上層部が与えた『大人の都合で子供の未来を導くためのガイドライン』に過ぎなかった事を自覚する事で、彼は自分をいましめていた心のくさりを自らの手で引き千切ちぎり、同じように『超能力者レベル5のエリートという鎖』にしばられていた仲間を助ける事に成功します。
 魔術まじゅつサイドにも科学サイドにも特化していた訳ではない浜面サイドですが、話の後半では結構核心に迫るものと遭遇そうぐうしています。『超能力レベル5を利用してきたえ上げられた特殊素材』などですね。未元物質ダークマターはかなり特殊な例になり検証不能になってしまっていますが、一方通行アクセラレータ超電磁砲レールガンなども、単純な生物資源のほかに、工業などの分野の観点から見ても『おいしい』と思うのですが、いかがでしょう。SS2に出てきた第七位は相当強いはずなのに何で七番目なの? という疑問も、この考え方を当てはめれば理解していただけると思います。……一見、物理的な干渉ができないため付加価値の低そうな第五位なども、スポーツや医療いりょうでは莫大ばくだいな利益を生み出しそうですしね。
 ……あと、余談ですが、男女の関係やその価値観については、浜面はまづらが一番進歩していると思います。この話の中で、『だって、お前は○○を選んだじゃないか』という超シビアな台詞せりふに、きちんとした答えを返せた主人公は彼だけでしょう。どこかのツンツン頭の少年にもぶつけてみたかったものです。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。『神の右席』編のラストという事で、結構大掛かりなギミックも多く、イラストにしていただくのも大変だったのでは、と思います。
今回も面倒なオーダーにこたえてくださり、本当にありがとうございました。
 そして読者の皆様にも感謝を。『神の右席』編の風呂敷ふろしきをここまで広げられたのは、皆様の応援があってこそです。ここまで好き勝手にやれる環境を後押ししてくださり、本当にありがとうございました。

 それでは、今回はここでぺージを閉じていただいて。
 次回もページを開いていただける事を願いつつ。
 この辺りで、筆を置かせていただきます。

 次は『救った後』の世界です!!鎌池和馬

底本:「とある魔術の禁書目録22」電撃文庫、アスキーメディアワークス
   2010年10月10日初版第1刷発行
2011年02月24日作成
2011年03月03日校正

小説ーとある魔法禁書目録21

とある魔術の禁書目録21
鎌池和馬

c o n t e n t s

 
戦況報告1
第五章 戦場という複雑な盤 Enter_Project.
第六章 展開される本物の闇 Up_the_Castle.
第七章 天空に皆殺しの天使 MISHA_the_Angel_”GABRIEL”.
第八章 彼らの多角的な反撃 Combination.
戦況報告2

とある魔術の禁書目録21

 一〇月三〇日。第三次世界大戦が開戦して、一一日が経った。三人の少年たちは、それぞれの想いを秘め、炎上するロシアを駆けていた。
 元『アイテム』小間使い・浜面仕上は、滝壷理后の治療に奔走するも、糸口は見つからない。キーとなるのは、元『神の右席』の聖人アックアとの出会い。
 最強の超能力者レベル5一方通行アクセラレータは、最弱の好敵手との交戦を経て、エリザリーナ独立国同盟に移送された。未だ打ち止めラストオーダーを救う手だては見えない。キーとなるのは、魔術が記述された謎の羊皮紙。
 そして上条当麻は、ついにフイアンマと邂逅するも、手加減された上に逃亡を許してしまう。インデックスを元に戻すことは、未だ叶わない。キーとなるのは、“天使”と呼ばれる別次元の住人。
 三者三様の想いを秘め、科学と魔術が交差するとき、物語は始まる―――!

鎌地和馬かまちかずま

今回の敵はあの大天使です。だけど味方にも人工的な天使がいたり、その力を思う存分振り回す第一位がいたり、敵側の大天使を弱体化させるヤツがいたりと大忙し。科学サイドと魔術サイド、両方合わせたパワーバランスの順位を推測できるという意味では、ちょっと特徴的なお話だったのかも?

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

テレビは余り観ないですが、旅関係とサッカーは別腹。コレを書いてる時点ではW杯もまだ終わっていません。優勝してるのはドコかなぁ。旅行に行きたいなあ。

  とある魔術の禁書目録21

戦況報告1

 ついに第三次世界大戦が始まってしまった。
 うすっぺらな液晶テレビの中では、吹雪ふぶきと黒煙を背景に、マイクを持った女性レポーターが真面目まじめ腐った顔で突っ立っていた。
『開戦より一一日。一〇月三〇日となった現在でも、こちらエリザリーナ独立国同盟の国境付近では戦火が衰える様子はありません!! うわっ、今見えたのは学園都市の爆撃機ばくげききでしょうか!? 日本国政府は再三にわたって交戦の意志を否定しており、今回の一件は学園都市の独走であるとの―――』
 あわてているのは民間人だけではない。
 日本海上空で実際に戦っているロシア空軍の女性パイロットも歯噛はがみしていた。
「何が防衛上必要最低限の戦力投入だ。ヤツら、ロシア全土を一〇回以上火の海にできる火力を投入しているじゃないか!!」
『こちら学園都市の亀山琉太かめやまりゅうた。優しく落としてやるから安心しろ、おじょうちゃん。光の速度で飛ぶレーザーからは逃げ切れんぞ』
 そんな戦争の中心地、ロシアの白い雪原の中を、ツンツン頭の少年・上条かみじょう当麻とうま魔術師まじゅつしの少女・レッサーは歩いていた。
「またフィアンマだ。ローマ・ロシア勢力の裏から、学園都市に戦争を仕掛けたんだ」
「根っからの魔術サイドの人間であるフィアンマが、軍を動かす事だけを目的としているようには見えませんけどね。禁書目録の一〇万三〇〇〇冊とアクセスできる遠隔えんかく制御霊装れいそうを手にしたタイミングと重なる所も気になりますし」
「何にしても、やる事は一つだ。……フィアンマをぶんなぐってインデックスを助け出す」
 同時期。
 ロシアとエリザリーナ独立国同盟の国境近く。
 浜面はまづら仕上しあげ滝壺たきつぼ理后りこうの二人もまた、盗難車を使って戦場を走っていた。
「どっちみち、学園都市の技術がなけりゃ俺たちはやってけねえ。あの街を倒す事が、俺達の目的にはならねえんだ」
「はまづら、この戦争の中で交渉材料を探すの。学園都市とロシアの戦いはどこが一番ネックになっていて、どう触れれば戦局を左右できるか。それをピンポイントで探せば……」
 ロシア国内。
 ユーラシア大陸を横断する路線を走る貨物列車の中では、一方通行アクセラレータがほとんど意識を失い掛けた打ち止めラストオーダーを抱えてうずくまっていた。超自然的な存在であるエイワスの出現以降、ミサカネットワークに莫大ばくだいな負荷がかかったため、小さな少女にも壮絶なダメージが加わっているのだ。
 貨物列車をおそ駆動鎧パワードスーツの一団を撃破げきはした一方通行アクセラレータは、襲撃者しゅうげきしゃ強奪ごうだつし掛けたトランクの中身を確認しながら、エイワスの言葉を思い出す。
羊皮紙ようひし、ね。これがあのガキを救う突破口になるっつゥのか」

 フィアンマの計画をつぶすため、その計画に必要となる修道女・サーシャ=クロイツェフを保護しにエリザリーナ独立国同盟までやってきた上条かみじょうとレッサー。しかし現れたフィアンマは居合わせた魔術師まじゅつし・エリザリーナと前方のヴェントを難なく撃破すると、サーシャを強奪し、去りぎわに上条へこんな言葉を放つ。
すべてに気づいた一〇万三〇〇〇冊がお前をどうばつするのか。今から楽しみだ」
 国境近くの集落。
 突然、容態の悪化した滝壺たきつぼを手当てするため、浜面はまづらはディグルヴという男に案内され、エリザリーナ独立国同盟との国境付近にある小さな集落にある診療所しんりょうじょの世話になる。しかし、その集落をロシア軍の外国人傭兵ようへい部隊・プライベーティアが急襲する。
「どうする。どこまで逃げたって、空からたれればおしまいだ。皆殺しにされるぞ!!」
「高射砲を使おう。連中が残した車両を使えば、攻撃ヘリにも反撃できる!!」
 ロシア空軍基地跡地近辺の雪原。
 羊皮紙の輸送先を辿たどってロシアの雪原を進む一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーは、そこで学園都市側からの襲撃を受ける。襲撃者の正体は『番外個体ミサカワースト』。ありえないはずの、第三次製造計画サードシーズンによって作られた体細胞クローンだった。
「処分が決まったんだよ。使い物にならない旧シリーズは全て抹殺。ミサカたち、新シリーズがネットワークを更新するんだって」
 集落近辺の針葉樹の林。
 ほとんど半壊はんかい状態の高射砲の車両の中で、浜面は呆然ぼうせんとしていた。
 空気を切り裂いて天空を舞う攻撃ヘリの胴体が、側面から巨大な剣で貫かれたのだ。
 爆破し炎上するヘリの残骸ざんがいから剣を抜いたのは、屈強な傭兵だった。
「この後方のアックア。借越せんえつながら助力しよう」

 ロシアの国境から市街へと向かう道路上。
 上条当麻とうま一方通行アクセラレータ激闘げきとうを眺めていたレッサーは、ゴクリとのどを鳴らした。
 無数に分裂し、様々な方向から同時におそ一方通行アクセラレータの黒いつばさに対し、上条かみじょうは右手で打ち消しきれない事を承知でそれを逆手に取り、黒い翼を『つかんで』強引にねじったのだ。
 しかし、
(……本当に、それだけで説明できるんですか……?)
 エリザリーナ独立国同盟。
 打ち倒された一方通行アクセラレータが目を覚ますと、そこはトラックの荷台だった。かたわらで眠る打ち止めラストオーダーの近くに、小さなメモがあった。そこには汚い文字でこんな事が記されていた。
 Index-Librorum-Prohibitorum。
「禁書目録……」

 そして、戦争はさらに多くの人を巻き込み、また自発的に動かしていく。
 日本海上空で戦う戦闘機せんとうき同士の通信には、困惑の色があった。
「クレムリン・レポートだと……?」
『「細菌の壁」を使った核発射施設防衛マニュアルさ。殺人ウィルスで人間だけを殺して施設を無傷で取り返す。敗戦ムードを感じ取ったロシア軍部が早くも使用を検討しているらしい。付近の住民への避難ひなん勧告も済ませないままな』
 イタリア首都の病院で眠り続けていたローマ教皇は、ゆっくりと目を覚ます。彼は病室の窓を開け、抜け出すための準備をしながら、魔術的まじゅつてきな方法でロシア成教の魔術師・ワシリーサと通信を交わす。
「今の私は、もう権威など失ったも同然だ。私の言葉一つで戦争が終結する事はないだろう」
『それでも止めるために立ち上がった訳だ。それならまだ利用価値はあるかもね』
 学園都市。
 第二三学区の滑走路からは、新たに二機の超音速爆撃機ばくげききが飛び立とうとしていた。
 その内の一機には、学園都市第四位の超能力者レベル5麦野沈利むぎのしすりが乗り込んでいた。
 片腕と片目を失った彼女が狩るべきは、ロシアの軍人ではない。
「……楽しみだね、はーまづらぁ」
 もう一機の爆撃機には第三位の超能力者レベル5御坂みさか美琴みことが乗り込んでいた。
 本来乗るべきであった、上条当麻とうつま討伐部隊を全員機内で撃破して、だ。
「いい加減こっちもブチ切れてるからさ。さっさとロシアへ行ってくれないと痛い目を見るわよ」

 ロシア国境付近の基地。
 居城へと戻る右方のフィアンマは、ロシア成教の司教・ニコライ=トルストイと魔術的まじゅつてきな通信を交わしていた。
『無人兵器を含む学園都市の戦力は圧倒的だ。貴様の口車に乗って戦争を促したが、このままではどういう末路を辿たどるのか理解しているのだろうな!!』
あわてるなよ。大天使『神の力ガブリエル』。これがあってもまだ寝言をくつもりか?」
(……もっとも、アレはそんなつまらん事のために入手した訳ではないがね)
 もう一つの法則で作られた天使、学園都市のAIM拡散力場の集合体・風斬氷華かざきりひょうかは背からつばさを伸ばし、日本海上空を突っ切っていた。
 理由は一つ、彼女の『友達』を助けるために。
「私の『友達』には、手を出さないでください。……手を出せば、たとえ『共食い』になったとしでも、私はあなたの敵に回ります」
 イギリスの首都にある聖ジョージ大聖堂では、魔術師・ステイル=マグヌスが怒りにふるえていた。彼の目の前で、不自然な挙動でむくりと起き上がる小さな人影があった。
 一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょを脳内に記憶きおく・保管する少女、インデックスだ。
「―――敵性を、確認。これより……使用術式の解析、及び……対応した特定魔術ローカルウエポンの、構築を実行します」

 巨大な戦争を利用し、すべてを手に入れつつある右方のフィアンマ。
 そんな彼の居城へと向かう上条かみじょう当麻とうまは、ポツリとこんな事を言った。
「確かに俺はインデックスをだましているクソ野郎かもしれない。だが、俺が頭を下げるべき相手は、右方のフィアンマなんかじゃない」

第五章 戦場という複雑な盤 Enter-Project.

  1

 真っ白な雪におおわれた街に、数台のトラックが縦列で停車していた。
 その内の一台に、ツンツン頭の少年、上条かみじょう当麻とうまは乗り込んでいる。車内には肉とソースのにおいが充満していた。かたわらにいる魔術師まじゅつしの少女・レッサーは、世界的にチェーン展開しているファストフード店の紙袋をゴソゴソとあさっていた。戦時下だが、まだ物流に影響えいきょうは出ていないようだ。
 上条は赤いソースをつけたナゲットを口の中に放り込みながら、
「しっかし、ロシアまで来てこの味をたしなむ事になるとはなあ。せめてロシア限定ボルシチバーガーとかないもんなのか」
「いやぁ、世界全土で変わらない味っていうのも便利なものなんですよ。現地の料理が口に会わない時には重宝します」
 目的のポテトを見つけたレッサーは適当な調子でそんな事を言うが、上条は海外出張多めな国際的サラリーマンではない。むしろ積極的にロシア料理にトライしてみたかったのだが。
 もっとも、悠長に食事を楽しんでいる状況ではない事も理解している。
 レッサーは上条の持っている赤いソースにポテトの先端せんたんを突き刺しながら、真面目まじめな顔でこんな事を言ってきた。
「戦時中の団体旅行、密入国ブローカーにまぎれてここまでやってきましたが、車両で進むのはこの辺りが限界でしょうね。フィアンマのいるロシア軍基地まではおよそ四〇キロ。前に侵入した時と同じく、地下にある資材搬入はんにゅう用の列車を使って潜入せんにゅうしましょう」
「……前に侵入したのとは違う方角じゃないか? こんな街なんてなかったぞ」
「全く同じルートから入ったら速攻でバレるでしょう。あそこの発着駅じゃロシア成教の魔術師を一人拘束している訳ですし」
 レッサーはポテト一本では不足と感じたのか、四、五本を一気にくわえてガトリング砲のように頬張ほおばっていく。
「連中の言葉遣いのかすかななまりから、ほぼ確実にこの街に住む魔術師を動員している事は分かっています。となれば、この街、あるいはその近辺に別の地下鉄が用意されていると考えるべきです」
「そんなもんなのか?」
「ええ。秘密基地っていうのは、当人たちに使いやすいようにカスタマイズされていくものなんですよ。迷路やトラップだらけにするのは簡単ですが、そこを通るのに毎回二時間三時間もかけてたら迅速じんそくな作業なんてできないでしょ。こいつはイギリス国内でこっそり拠点を構えて活動していた私なら断言できます」
 ふうん、と上条かみじょうは最後のナゲットをロに放りながら相槌あいづちを打つ。
「……エリザリーナからの指示で、トラックで一緒いっしょに来てくれた人たちはどうするんだ?」
「あの人達は、密入国ブローカーのふりをしてくれるための劇団員みたいなもんです。多少の軍隊経験はありますが、第一線のロシア軍にはかないませんし、ましてロシア成教のプロの魔術師まじゅつしには手も足も出ません。私達がここまで接近できた時点で役目は終了。後は『お客』を乗せた演技をしながらエリザリーナ独立国同盟まで帰ってもらいます」
 不安が増すような、それでいてホッと安堵あんどするような、複雑な心境が上条の胸中に渦巻いた。
 相手は魔術サイドの中でもトップクラスの怪物、右方のフィアンマだ。
 勝てる保証なんて全くない。単なる高校生の上条は少しでも戦力が欲しい。しかし一方で、あれだけの怪物と括抗きっこうできる人間を思い浮かべるのは難しい。一緒に戦いたいと言ってくれるような人達を、盾に使いたくないのも事実なのだ。
 それを言ったら、かたわらにいるレッサーだって当てはまるのだが。
 チラリとレッサーの顔を見る上条に、彼女は塩まみれのポテトを口の中に突っ込みながら、
ふぉうふいふぁんれすどうしたんです?」

「いや」
 キョトンとした顔のレッサーに、上条かみじょうは話題を変えるように言う。
「それにしても、密入国ブローカーなんてな」
「ありゃ、開き慣れません? 日本なんてメチャクチャ緑がありそうですけどねえ」
 レッサーはポテトをみ込むと、軽い調子で言う。
「元々、陸地で地続きの国境が伸びる国では、夜中にフェンスを越えるだけで手軽に不法移民になれますからね。まして、今は戦争ど真ん中。鈍い爆音に押されるように『国を出たい』と思う人は後を絶ちませんよ」
「……エリザリーナ独立国同盟に流れていく人っていうのは、そんなに多いのか」
「あるいは、その逆も」
 他人事ひとごとな感じでレッサーは言う。
「ロシアか学園都市か、どっちが勝つにしても、短期決着するだろうって事ぐらいは素人しろうとでも分かります。だれもが『敗戦国の国民』にはなりたくないんです。国外脱出はそのためのギャンブルなんですよ。戦争が終わった時にどこに立っているかで、その後の人生は大きく分かれてしまう。読みを間違えれば、せっかく国を脱出した所で『敗戦国』の烙印らくいんを押されてしまうから、注意深くもなりますがね。……中には、二つの国を何度も何度も行き来している人もいるようですよ。まるで椅子いす取りゲームで曲が終わるのをそわそわしながら待っているみたいにね」
「……、」
 いやな流れだ、と上条は思う。
 国から国へと移動している人々は、誰に強制された訳でもなく、自分の考えで、幸せを手に入れるために行動しているのだろう。しかし、その根底にあるのは不安や恐怖だ。本来なら、家や故郷だって捨てなくても良かったはずなのだ。
 誰もが、そうなのかもしれない。
 本来だったら捨てなくても良かったものを、光りかがやいているものを、『自分の意思で』と勘違かんちがいしたまま投げ捨ててしまっている。それが、この大きな戦争なのかもしれない。
「さっさと終わらせちゃいましょうよ」
 レッサーはファストフードの紙袋に腕を突っ込んでゴソゴソやりながら、気楽なトーンでそんな事を言った。
「どうせ、戦争の裏じゃフィアンマが糸を引いているんでしょう。あの野郎をぶっ飛ばして、手っ取り早く戦争を終わらせて、世界中を平和にして、ついでに戦後処理でイギリスがガッポリ賠償金ばいしょうきんをもぎ取れればカンペキです」
「……そうだな」
 賠償金がどうだとかは知らんけど、と上条は心の中で付け加えながら、レッサーの意見に賛同する。何がどうなった所で、上条がやるべき事は変わらないのだ。
「とっととフィアンマぶんなぐって、インデックスを助け出すか」
「そうと決まれば、パパッと栄養補給を済ませてしまいましょう。このトリプルなヤツでっ!!」
「おいおい。そんな跳び箱みたいなハンバーガー、分解しないと食べられないんじゃないのか」
 特に、小柄なレッサーの小さなくちびるでは絶対に入らないと思うのだが、
「ご安心ください。こう見えて私は周りのみんながびっくりするほど大きなものを頬張ほおばれるのが自慢じまんなんです。多少卑猥ひわいな想像をしてもらっても構いません」
 相変わらず意味不明な事を言いながら三段重ねのハンバーガーにかぶりつくレッサー。巨大な食べ物はレッサーの口を中心にくの字に折れ曲がっていく。
 直後。
 びゅるっ!!と、レッサーがかぶりついたハンバーガーの反対側から、入りきらなかった牛挽肉ひきにくかたまりが発射された。ジューシーなハンバーグは上条かみじょうの学生服の上に着弾する。
「……、」
 わずかな沈黙ちんもく
 とても残念そうな顔で自分の服とレッサーの顔を交互に見る上条。
 そこでレッサーが、
「チャっ、チャンス!! 体で支払います!!」
「何でひとみにお星様をキラッキラかがやかせて舌舐したなめずりなんだよっ!? ちっとも反省してねえだろお前!!」

  2

 爆音は鳴りまなかった。
 ロシアは空も大地も自一色だった。エリザリーナ独立国同盟の国境から二五キロほど北方へはなれた場所だ。その統一された純白の色彩をかき乱すように、体に悪そうな黒煙がき出されていた。雪の上に転がっているのは、歯車でつぶされた空き缶のようになった戦車や装甲車。ほかに散らばっているのは、元々は建物の壁や天井てんじょうに使われていたコンクリートの塊だろうか。それらの残骸ざんがいから、白を塗り潰す黒煙は生み出されている。
 死のにおいだ。
 浜面はまづら仕上しあげはそう思う。
 とはいえ。
 それは、浜面たちの集落をおそったものではなかった。

 プライベーティアの駐留基地だ。
 ロシア製の最新装備で固められた要塞ようさいが、破壊はかいの渦にみ込まれているのだ。

 当然ながら、浜面達はまづらたちにはそんな事などできない。
 プライベーティアは二度にわたって集落をおそったが、それが動員できる全兵力という訳ではない。何しろ待機している人数の方が多いのだ。おそらく蓄えている兵力だけなら五倍、一〇倍は軽く超えるだろう。基地を効率良く回すためには、必要最低限な数というものが存在する。
 ならばだれが。
 その疑問に対する答えは、双眼鏡を持つ浜面の眼前に広がっていた。
 青い服。
 巨大な剣。
 傭兵ようへいと名乗った大男。
 この戦闘せんとうが始まる前に、攻撃こうげきヘリを落とした大男とは多少言葉を交わしていた。が、浜面には何が何だかサッパリ分からなかった。聖人だ魔術まじゅつだと、もう文化圏が丸ごと違うような調子だったのだ。
 分かった事は少ない。
 大男はアックアと呼称されている事。超能力とは違う、何らかの力を持っている事。そして浜面達の味方であり、これからプライベーティアの駐留基地に強襲きょうしゅうを仕掛けるという事。
 何もかもが冗談のようだった。
 しかし……、
(……ふざけてんのか。どんな方式か知らねえが、ウチの超能力レべル5だってあんな一方的に事が進むか分からねえぞ)
 彼が剣を一度振るうたび、大量の雪が溶けて数十トンの水のかたまりが戦車や装甲車へ襲いかかって行った。ヘリから放たれる無数のロケット砲には、その倍の数の氷のやりが片っぱしから迎撃に向かい、敵陣の中央で水蒸気が球状に破裂したと思ったら、分厚い強化コンクリートでできた要塞ようさいが台風に吹き飛ばされるビニール傘のように突き崩されていく。
 超自然現象。
 天災。
 数十、数百メートルに及び、重力を無視して浮かび上がる大質量の水の攻撃は、まさにそのものだった。巨大なへびによる捕食だ。つい先ほどまでプライベーティアとは殺し合っていたが、こうまで一方的な虐殺ぎゃくさつを見ると、流石さすがに背筋が寒くなった。
「……何だ、ありゃ……」
 同じ高射砲に乗るディグルヴが、うめくようにつぶやいた。
「あれが、学園都市で開発してる超能力者ってヤツか……?」
 違う、と浜面は思う。
 しかし具体的に反論する前に、勝負は終わってしまった。
 いや、勝負になっていなかった。
 駆逐くちく。排除。討伐とうばつ
 実時間にして二〇分程度の戦闘せんとうは、そんな言葉しか受け付けていなかった。
「……ひとまずは、といった所であるか。腐っても大国、人員などすぐに補充されそうなものではあるが」
 肩に大剣をかついだ青い傭兵ようへいは、抑揚のない声でそんな事堂言う。
 いつ現れたのか分からなかった。
 先ほどまで、双眼鏡でやっとのぞける地点に立っていたはずだったのだ。
 その傭兵は息一つ乱れていなかった。今まで命をけて戦ってきた事が馬鹿馬鹿ばかばかしくなってくるほどの状態だった。
(……どうなってんだクソ……)
 浜面はまづら天井てんじょうのハッチを開けて体を外へ乗り上げた。途端とたんに切り裂くような冷気と、先ほどまでの数倍の濃さの煙のにおいを受けて、彼は顔をしかめる。
 青い服を着た大男の手には、巨大な剣が握られていた。全長だけで三メートルオーバー、重さは何百キロあるかも分からない。どう考えでも人間が片手で持てるサイズではなかった。
 浜面は呆然ぼうぜんつぶやく。
「改めて聞くけどよ。アンタ、一体何なんだ」
「後方のアックア。傭兵崩れのごろつきである」
 本人は質問に答えているつもりのようだが、何の疑問も解決されなかった。明らかに人体の限界を突破した筋力の仕組みや、そもそもどこに所属していてだれの味方なのかといった根本的な事まで、何一つ分からないままだ。
(超能力……?)
 浜面は先ほどディグルヴが言っていたのを思い出す。
 今まで学園都市に住んでいた浜面は、自然と『不可思議な現象』に対して、そういう納得の仕方をしようとする。
 だが、違う。
 こうしている今も、大男の周囲には無重力空間のように水のたまが取り巻いていた。攻撃こうげきヘリが爆破した時、熱や炎、衝撃波しょうげきはなどから彼の身を守っていたものだ。
 能力者は、二つの能力を扱う事などできない。
(体内の水分を制御して筋力を上乗せしている? いや、人間の体ってのは内圧には弱い。そんな事をすりゃ血管や細胞が破裂するだけだ。それじゃ説明できねえ。となると……)
 そこまで考えて、浜面は改めて混乱の渦に放り込まれそうになった。
 まさか。
 学園都市の超能力とは別に、通常の物理法則を超越する未知の『何か』が存在するとでも言うのか?
浜面はまづら
 と、そこで高射砲の車内から声が掛かった。
 共に戦っていたロシア兵のグリッキンだ。彼は緊張きんちょう強張こわばった顔を浜面の方に向けて、
「ヤバいな……。無線が何か電波を拾ったぜ。暗号でガードされてて内容は分からねえが、徐々に強くなってきてる」
「近づいてきているんだ」
 やはり、同じ高射砲に乗っていたディグルヴがそう告げる。
「またプライベーティアの増援か?」
「待て」
 浜面はさえぎるように言う。
 無線通信している者の正体が分かったのだ。
 双眼鏡で確認すると、白い地平線の辺りに何かがあった。三〇台以上の戦車がこちらに近づいてきているのが分かる。浜面の乗っている高射砲とは、テクノロジーの根幹が異なっていた。
設計はもちろん、装甲の材質からして、全くケタが違っていた。
 しかも、軍勢は戦車だけにとどまらない。
 先行する戦車の陰に隠れるように、複合素材でできたよろいのようなものを着込んだ複数の歩兵の影が見えた。並走している砲のついていない装甲車の正体は、各種ハイテク兵器に電力を供給するための電源車両か。彼らの上空には全長三〇センチ程度の、簡単なラジコン飛行機のような物が飛び交っている。偵察用のUAVのようだが、中にはつばさに細い筒を備えたモデルもあった。おそらくダーツの矢のような尾翼びよくをつけたグレネードなどを滑空させ、簡易爆撃ばくげきができるように作られているのだ。
 今までのプライベーティアとは違う。
 一種の兵科だけではない。
 複数の種類の兵士・兵器を投入し、互いの弱点を補いながら戦うための布陣だった。装備に『遊び』が全く存在しない。付け入るすきがないのだから、寄せ集めの浜面たちに勝ち目があるとは思えなかった。
 浜面はゴクリとのどを鳴らし、それからポツリとつぶやいた。
「プライベーティアじゃねえ……」
「何だって?」
 まゆをひそめるディグルヴに、浜面は改めて答える。

「あれは学園都市の軍勢だ」

 浜面はまづらが目をつけたのは、戦車の陰に隠れて行軍している歩兵だ。彼らは複合素材で作られたよろいのような物を着ていた。学園都市製の駆動鎧パワードスーツだ。戦車の細かい形式や型番が分からない浜面でも、これだけは断言できる。あんな物を実用化させているのは学園都市ぐらいだ。
(……『表』の一般兵みたいだな。俺たちみたいな暗部がかかわってるって訳じゃなさそうだ)
 浜面は適当に予測をつける。
 もちろん暗部の人間が一般的な学園都市の装備を使っているだけ、という可能性もあるにはあるが、浜面は知識ではなく嗅覚きゅうかくでそれを否定した。浜面のような暗部の人間は、あんな風に堂々とは歩かない。そういう風に振る舞おうとしても、『におい』はどこかに残るものだ。
「どうやら、この場を占拠しに来たようであるな」
 アックアは巨大な剣を肩でかついだまま、平坦へいたんな声でそう告げた。
「どうする。蹴散けちらすか」
「……いいや。アンタの目的と合致するかどうかは知らねえが、あの集落を守るってだけなら、このまま抵抗しない方が良い」
 浜面は首を横に振って、
「アンタの正体が何なのかは分からねえが、怪物だってのは認める。学園都市に住んでた俺にも仕組みがサッパリ分かんねえレベルでのな。でも、アンタだっていつまでも一ヶ所で守りを固め続ける訳にはいかねえだろ。だったら、学園都市の軍をえてここに駐留させちまった方が良い。ここは一旦いったん占拠されるけど、ヤツらなら何ヶ月だってここを防備できる。プライベーティアが追加の軍勢を招集したって対処できる。下手へたに俺達が暴れたって、あの集落の状況は好転しない」
「……、」
 ふん、とアックアは小さくうなずいた。浜面の意見を認めたらしい。
「しかし」
 と、そう言ったのはディグルヴだ。
「浜面。お前は、その学園都市から追われているんじゃなかったのか」
 その質問に、浜面はわずかに動きを止めた。
 だが、それも数秒の事だ。
「……仕方ねえさ」
 プライベーティアほどではないが、学園都市の性質も一筋縄ひとすじなわではいかない。そこから逃げてきた浜面はその事も知っている。だが、少なくともロシア……特にプライベーティア側からの横暴を食い止める防波堤としては機能するだろう。
 あの集落は居心地の良い場所だった。突然やってきた滝壺たきつぼの体調を、みんなが心配してくれた。だが、浜面や滝壺はここで学園都市の人間に捕まる訳にはいかない。『交渉材料』を見つけるまでは、絶対に捕まってはならない。
 だから、逃げるしかないのだ。
 浜面はまづら自身が、命をけて守ろうとした、この集落から。
「連中は多分、俺の事はつかんでいないと思う。でも、複雑なセンサーでこの近辺の痕跡こんせきを探せば判明する確率は高い。学生が動員されてる可能性は低いけど、読心能力者サイコメトラーでもいたら一発だろうし。だからお前たちは情報を伏せるな。ここであった事を全部話せ。兵隊に不信感を抱かせるなよ。協力的な態度を取れば、学園都市はお前達を守ってくれる」
 自分の考えを検証しつつ、浜面は当面の方針をディグルヴに告げる。
「もちろん学園都市は正義の味方って訳じゃない。ロシアとは別の種類の戦力ってだけに過ぎない。でも、自分達の味方をする『使える人間』は手元に置こうとする。だから俺の情報を売れば、ディグルヴ達も連中を利用できる」
「ふざけるな」
 ディグルヴは、静かに、しかし怒りにふるえる声で告げた。
「我々が、自分の都合だけで、共に戦った者を見捨てるとでも思っているのか」
「ならどうする? プライベーティアはいつ補充されるか分からない。明日かもしれないし一週間後かもしれない。何百人かもしれないし何千人かもしれない。それを全部、俺達だけで戦って退けるって言うのか? どう考えたって現実的じゃねえだろ」
「……それは……」
「俺はこのとしで寿命を中断させるつもりはねえし、お前達にそんなもんを強要させる気もねえよ。必ず生き延びてやる。そのためなら、どこまででも逃げ続けてやる」
 言いながら、浜面は伸ばした手で、傷だらけの高射砲の装甲を軽くたたくと、
「だから、一度で艮いから俺の事を信じてくれ。簡単にあきらめんなよ。俺達が抱えてるもんは、『戦争』なんて単語を言い訳にして、簡単に捨てちまえるほど安くはねえはずだ」
 すまない、という言葉が高射砲の方から聞こえたような気がした。
 気がしただけなので、浜面は聞こえなかった事にした。ここはディグルヴ達が謝るような場面ではないからだ。
 彼は後方のアックアと、目を合わせる。
「言い忘れてた」
「何であるか」
「ありがとう。アンタが来てくれたから、俺も、集落の連中も、俺がれてる女も、みんな死なずに済んだ。……いつか礼は返させてもらうぜ」
 相手の返事を待っているひまはない。学園都市の軍勢は、遠からずあの集落を占拠し、周辺の交通もう封鎖ふうさしてしまうだろう。その前に集落にいる滝壺たきつぼを回収し、この地方から移動しなくてはならない。
 アックアと別れ、高射砲を集落の近くまで走らせた浜面は、鋼鉄の車両から降りると深い雪の上を走る。住人は破壊はかいされた建物の方にはいない。南方の林の方へ避難ひなんしてもらっていたはずだ。浜面はまづらはそちらへ急いで向かう。
 見えない重圧に背中を押されているようだった。途中で何度も足を取られ、雪の上を転がりながら、浜面は必死で林に向けて足を運ぶ。
 目的の林に着くと、息を押し殺すような音がいくつも聞こえた。木々の陰に、チラホラと人の顔が見える。集落の人たちだ。彼らはおどり込んできた人物が浜面であるのに気づくと、あわてて飛び出してきた。だれかがロシア語で叫ぶと、小さな子供を連れた母親がこちらにやってきた。
 彼女はぐったりした滝壺たきつぼ理后りこうを抱えていた。
大丈夫だいじょうぶか、滝壺」
「はまづらこそ、生きてて良かった」
「悪い。また面倒な事になっちまった」
 事情を聞いた滝壺は、汗だらけの顔をしかめたまま、それでもゆっくりとくちびるを動かした。
「……エリザリーナ独立国同盟」
「何だって?」
「ロシア国内は、学園都市に制圧されつつある。このままじゃ、どこに逃げても学園都市の駐留部隊と、そのパトロール範囲から逃げられない。でも、国境の外に出てしまえば、学園都市は攻め込む口実を失う」
 確か、この近辺にはエリザリーナ独立国同盟という国との国境があったはずだ。陸で地続きの国境なら、それほど警備も厳重ではないだろう。どうにかしてそこを突破するしかない。国境線を利用して、一度学園都市の追っ手をかわしてから、改めてロシア国内に入って『交渉材料』を探し直すのだ。
 方針が分かれば、いつまでもぐずぐずしていられない。
 自分の足でろくに歩く事もできない滝壺の体を背負い、浜面は再び雪の上を歩き出そうとする。目的の国境まで、何キロ、いや何十キロあるだろうか。
 そこで、集落の中の一人、小柄な老人が、浜面に向けて銀色の光る物を軽く放り投げた。
 慌てて受け取ると、それは車のキーだった。
 ロシア語で何か言いながら笑いかけてくる老人の言葉を、滝壺が翻訳ほんやくしてくれる。
「集落の外れにめてある、青い4WDのかぎだって」
「いや、困る」
 浜面はうろたえた。
「学園都市は、多分俺達を追い掛けてる。これを受け取っちまうと、集落の人達は逃亡を手助けした事になる。そうなったら部隊が保護してくれるかどうか分からなくなるだろ」
 すると、老人はまたロシア語で何か言う。
 滝壺が言うには、
「だったら、かぎを使わずにエンジンをかければ良い、だって。勝手に奪われた事にするみたい」
「言ってくれるぜ。高性能マイクや精神感応テレパスでこの会話を聞かれてたらどうするつもりなんだ」
 とはいえ、相手は軍用車両や駆動鎧パワードスーツだ。ぐったりした人間一人を背負ったまま、深い雪の上を徒歩で移動するだけでは絶対に逃げ切れない。
 鍵は老人に返すが、好意には甘えて4WDを奪わせてもらった方が良さそうだ。
 浜面はまづらが林から集落の方へと足を向けると、いくつもの視線が見送ってくれた。小さな女の子が浜面の服をつかもうとしたが、その母親が押しとどめた。プライベーティアの高射砲に追われていた母娘だ。
 滝壺たきつぼを背負い直し、振り切るように先を急ぎながら、浜面はポツリとつぶやいた。
「……情けねえよな。結局、中途半端はんぱに放り出すのが最良の選択なんてよ」
大丈夫だいじょうぶだよ、はまづら」
 ぐったりしたままの滝壺が、浜面の耳元にロを寄せるような格好で答えた。
「はまづらは今も、私を守るために戦ってくれてる。だから、情けなくなんかない」
 その言葉に押されるように、浜面は走り続ける。
 当面の目的地はエリザリーナ独立国同盟。
 学園都市の重装備の追っ手から逃げ切るため、まずは逃走用の4WDを手に入れる。

  3

 石でできた狭い部屋だった。
 元はとりでか何かだったのだろう。
 数百年以上前の建物が、特に保存作業もせずに『実用品』として使われ続ける光景は、地震じしん頻発ひんぱつする土地に木造住宅ばかり建てる日本人には異様に思えるかもしれない。
 蛍光灯やエアコンといった、後から取り付けられた生活用品だけが、妙に浮いた現代の空気を作り出していた。
 エリザリーナ独立国同盟は数年前にできた新興国家だ。
 近代的な軍用基地を建造する前に、第三次世界大戦という大きすぎる情勢の変化が起こってしまったため、急遽きゅうきょ『今存在する建造物』にレーダー類などの軍用品を持ち込み、急造の軍事施設として使用しているようだった。この古い砦もその一つ。ドアから別のドアへと行き交う人々の大半が、泥臭どろくさい迷彩服を着た男女だった。
 そんな中に、一方通行アクセラレータはいた。
 ロシアの雪原で無能力者レベル0の少年に敗北した一方通行アクセラレータだったのだが、戦闘せんとう後、気を失っている間にエリザリーナ独立国同盟へと運び込まれていたのだ。どうやら、無能力者レベル0の少年が話をつけたおかげで、独立国同盟の兵士たちに移されていたようだった。
「バッテリーは……こンなモンか」
 一方通行アクセラレータは首筋の電極に手をやっていた。
 度重たびかさなる戦闘せんとう消耗しょうもうしていたバッテリーだったが、仮の休憩所を手に入れた事で、充電する機会に恵まれた。日本とは電圧・電流、そしてプラグの形が違うため、そのままの機材を使う事はできなかったが、現地のアダプターを分解し、中身を調整して事なきを得た。
 普段ふだんの調子を取り戻した一方通行アクセラレータは、木製のテーブルの上に数十枚の羊皮紙ようひしを広げる。
 ロシア軍が貨物列車を使って輸送しようとしていた物だ。
 羊皮紙に描かれているのは、ホラー映画にでも出てきそうな、オカルトじみた紋様や筆記体の呪文じゅもんなどだ。一つ一つの図面はろうのように粘つくインクを使って手描きで記されているのは分かるのだが、そのアナログな手法に反して、恐ろしく正確な物だった。文字の方は基本的に崩したラテン語だが、所々にロシア語の小さな文字で注釈が付け加えられている。
 具体的な内容は分からない。
 そもそも、具体的な意味があるのかどうかも不明だ。
 だが。
 率直に、羊皮紙を改めて眺めた一方通行アクセラレータの印象はこうだった。
(……取扱説明書みてェな感じだな。何かの手順をむよォに連続描写してンのは分かるンだが……)
 ジロリと周囲を見回すと、一山いくらの迷彩服を身に着けた白人の男が、何やら神妙な顔で羊皮紙をにらんでいた。遺跡と言っても過言ではない、数百年レベルの石造りの建物には不釣り合いな蛍光灯が、兵士の肌をさらに青白く演出している。
 一方通行アクセラレータはロシア語で尋ねた。
「分かるのか?」
 しかし、わざわざ相手に合わせたというのに、兵士の方はビクリと肩をふるわせた。単におびえている事に加え、一方通行アクセラレータがいきなりロシア語で話しかけてきた事におどろいたようだった。
 兵士は一方通行アクセラレータの頭のてっぺんから足の先まで眺め、
「……日本人、だったよな?」
 すると、白い髪に赤いひとみの怪物は兵士を軽く見返し、質問に質問を返した。
何人なにじんに見える?」
 瞳の奥に危険な苛立いちだちを発見したのだろう。兵士はそれ以上話を脱線させる事はなかった。念には念を入れる形で、一方通行アクセラレータはもう一度、ご丁寧ていねいに羊皮紙を指差して言う。
「分かるのか?」
「いいや……」
 兵士は首を横に振った。
「ただ、これは魔術まじゅつの変換条件みたいなもののリストのようだ。ローマ正教式の術式をロシア成数式の規格で実行するには、どことどこをどう置き換えれば良いか、っていう記述だとは思う。ただ、これが具体的に『どんな術式』の発動法を伝達しようとしているかまでは分からない」
「―――、」
 怪訝けげんな顔になる一方通行アクセラレータだったが、兵士は顔を青くしつつも首を横に振った。これ以上は期待するな、と言いたいらしい。周囲で複数の男女の兵士たちあわただしく動く中、一方通行アクセラレータ達だけが立ち止まって会話を続けていく。
 兵士はこう続けた。
「そんな顔はしないでくれ。俺はエリザリーナ様と違って、こういう方面にはうといからな。身辺警護の折にチラッと見ていた程度で、きちんと基礎から学んでいた訳じゃない。呪文じゅもんを唱えててのひらから炎が出せるなら、ほら……こんな風に、いちいち手摺弾しゅりゅうだんなんて持ち歩いてないだろ」
 どうやら期待していた答えを提供できなかったせいで機嫌きげんを損ねたのだと勘違かんちがいしているようだが、一方通行アクセラレータまゆをひそめた理由はそこではない。

 この白人の兵士は、さっきから何を言っている?

 魔術? 術式? 変換条件のリスト? ローマ正教式? ロシア成教式? 発動法? こういう方面? チラッと見ていた? 基礎から学ぶ? 呪文を唱えて掌から炎?
 さも当然のように兵士の口から出てきた言葉は、どれもこれも一方通行アクセラレータの理解の範囲を超えていた。単なるその場限りのガセではない。精神論や宗教観の話でもない。この兵士は、『現実に使えるテクニック』として、得体えたいの知れない単語を羅列られつしていた。口調で分かるのだ。今のは、肉料理の隠し味でなべにいつワインを注ぎ込むかのタイミングの話をしている時と全く変わらなかった。
 理解できない。
 しかし、科学的なテクノロジーの結晶である、学園都市第一位の怪物でも理解できないものが実在するのだとすれば。
 やはり、それが突破口の見えない打ち止めラストオーダーの問題を打破するかぎになるかもしれない。
 エイワスの言っていた『ロシアへ行け』という言葉。
 そして無能力者レベル0の少年が残した『Index-Librorum-Prohibitorum』というメモ。
 それらを一直線につなげる、鍵が。
「……エリザリーナってのは?」
「魔術師……いや、魔導師まどうしだったかな。個人で使うより後進を育てる事に重点を置く術者はそう呼ばれるらしい。イギリス清教辺りが知ったら恐ろしい猟犬りょうけんを放たれそうだがな。エリザリーナ様は同盟内の宗教基盤を再調整し、実戦的な魔術師まじゅつしの育成と量産を成功させた立役者、って所だ。まぁ、三大宗派のロシア成教と真正面からぶつかれる訳はないんだが、少なくとも遠方からの形の見えないじゅはじくぐらいの防衛線は築けてる。『精神文化的にも成熟した歴史ある国家』を名乗るための最低限のラインってヤツだ」
 ……もはやプログラム言語で話をしてくれた方が分かりやすいとまで思う一方通行アクセラレータ。文化の違いの一言ではみ込めない所まで突っ走ってしまっている。
「とにかく、そのエリザリーナって野郎なら、この羊皮紙ようひしを解読できンだな?」
「話ができればな」
 兵士はため息をついて、
「あの人は今、野戦病院のベッドの上だ」
「チッ。訳も分からねェ内にこンな場所まで連れてこられたと思ったら、よりにもよってたのみのつなの説明役が病室でうめいていやがるとはな」
「君の連れの方は大丈夫だいじょうぶなのか?」
 兵士が言っているのは、打ち止めラストオーダーの事だ。
 一〇歳前後の外見をした少女は今、同じ室内の壁際かべぎわにあるソファの上に寝かされている。ぐったりと体を預けた打ち止めラストオーダーは、身じろぎ一つしなかった。完全に意識が失われているのである。人間としての『気配』が感じられない状況を思い出すたびに、一方通行アクセラレータはその静寂せいじゃくにうすら寒いものを感じる。
「大丈夫なよォに見えンのか。こっちは国外脱出までしてすがりつきに来てンだぞ」
「だとすれば、なおさら動かせないだろ」
 白人の兵士は一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの顔を交互に見て、
「これからどう動くにしても、そっちの子を連れ回したままじゃまずいんじゃないのか? そりゃあ学園都市の最新テクノロジーとは比べられないが、ウチの病院に預けた方が良いかもしれない。ベッドがあるだけでも随分ずいぶん違うぞ」
「……、そもそも長居も殺し合いもするつもりはねェンだがな。ここがゴール地点で、スッキリ全部解決して、そこのクソガキがにくたらしく大騒おおさわぎするってのが一番手っ取り早い展開なンだが」
 頭をガリガリと一方通行アクセラレータは、そこで思い出したように質問した。
「エリザリーナ以外に、この羊皮紙を解読できるヤツは?」
「……ウチに所属してる魔術師たちは、現場の実戦使用だけを想定した訓練を受けてるから、正統な学問についてはうとい所がある。この手の解読作業は、やはりエリザリーナ様じゃないと難しいだろうな」
 となると、やはり怪我人けがにんが目を覚ますのを待つしかなさそうだ。
 独立国同盟をはなれて別のヒントを探す……という選択肢せんたくしもあるにはあるが、先ほど白人の兵士が言った通り、打ち止めラストオーダーの体調は予断を許さない。具体的な目標もなく引きずり回せるような状態ではないのだ。
(……利害の関係とはいえ、まさか、この俺が他人をあてにしてスケジュールを空ける日が来るとはな)
「眠り姫はいつ起きる?」
「順調に行けば一時間から三時間。それでエリザリーナ様の全身麻酔ますいが抜ける。……とはいえ術後だ。文字を目で追うぐらいが限度だろう。絶対安静の身だから、本来ならそれすらもけてほしい所だがな」
「なるほど」
「そっちの子はどうする? ベッドがいるなら早い内に言ってもらいたい。君もユーラシア大陸を横断してきたんだから、今の情勢は分かっているだろう。戦時中だ。いつでもベッドに空きがあるって保証はない」
「……確かに、ガキを背負って殺し合いってのも間抜けな構図だ。こいつの体調を考えれば、病院にでも放り込んでおいた方が良いのかもしれねェ」
 が、と一方通行アクセラレータは付け加え、

 パパンパンパン!! と。
 唐突にズボンのベルトに挟んだ拳銃けんじゅうを取り出し、近くにいた別の兵の両足をち抜いた。

 突然の事に、つい一瞬いっしゅん前まで一緒いっしょに会話していた白人の兵士は反応できなかった。
 その間にも、一方通行アクセラレータはさらに二人、三人と室内にいる男女の足を撃っていく。
「スパイだよ」
 けだるそうな調子で、一方通行アクセラレータは口を開く。
「ガキを預けるとすりゃ、綺麗きれいさっぱりクリーンな環境を整えなくちゃならねェよな」
 一方通行アクセラレータは倒れて動けなくなった男を軽く足でる。服の内側には、芸能人が使うような小型マイクと録音・送信媒体ばいたいがケーブルでつながっていた。エリザリーナ側の兵力の動きを、ここからモニタしてロシア側へ回していたのだ。あるいは、助言やにせ情報を使って誘導ゆうどうしていた可能性もある。
 白人の兵士はあわててほか怪我人けがにんふところを探る。やはり、全員が似たような機材を隠し持っていた。
「通信機の範囲は狭い。おそらく外に、本格的な装置を持った通信兵がいるはずだ」
「当然、さわぎには気づいているから逃走準備を始めてンだろ。あるいは、玉砕ぎょくさい覚悟で『ロシアのために』なる行動を起こすかもしれねェ」
 一方通行アクセラレータつえをついて部屋の出口へと向かいながら、
「宿代の代わりだ。一掃してやる。東西三〇〇キロに伸びる独立国同盟全体を洗うひまはねェが、この広場近辺の害虫躯除くじょなら済ませてやるよ。ついでに、害虫の見分け方もレクチャーしてやる。後は勝手にするンだな」
何故なぜ分かった? スパイには二種類ある。一つ目はKGBやCIAのように大規模に組織化する事で力を発揮するもの。二つ目は名前も構築された組織も存在せず、公式記録に残ると国際問題になる仕事ばかりを引き受けるもの。こいつらは明らかに後者だ。日本のティーンエイジャーに見分けられるレベルじゃない」
「そォでもねェよ。細かい特徴や仕草を観察すりゃあ、周りから浮いてるヤツは自然と見つかる」
 適当な調子で一方通行アクセラレータは答えた。
 世間話のような気軽な口調に、白人の兵士は戦慄せんりつする。
「オマエたちの立ってる場所だけが地獄って訳じゃねェンだよ。俺に言わせりゃ、この程度の『やみ』はまだまだ薄味うすあじだぞ」
 その口ぶりがハッタリかどうかは、すぐに分かる。
 最先端さいせんたんのテクノロジーと最大級の悪意の中で、ひたすらに『閣』を駆逐くちくしてきた怪物の『地均じならし』が始まる。

  4

 ロンドン、聖ジョージ大聖堂。
「第八章第二五節。遠隔地えんかくちによる閲覧作業の妨害ぼうがいとなる人物の排除を開始。敵対者の術式の構成の逆算作業に入ります」
 少女の声がなめらかに流れていた。
 つい先ほどまであった、傷ついたレコード盤のような雑音は存在しなかった。
 そして。
 ごう!!という莫大ばくだいな風と共に、白い修道服の少女の背中から赤いつばさが生じた。炎よりも、血に近い色彩。瞳孔どうこうの中に複雑な魔法陣まほうじんを明滅させながら、少女はゆっくりと首を回して周囲を観察する。
 インデックス。
 その変わり果てた様子を見て、ステイル=マグヌスはわずかに顔をしかめた。敵対する魔術師まじゅつしを表情一つ変えずに焼き尽くす彼が、体の内側から来る痛みを抑えるように顔にしわを作った
のだ。
世界を構築する五大元素の一つMTWOTFFTO偉大なる始まりの炎よIIGOIIOF
 それでいて、ステイルは戦闘せんとう行動をめなかった。
 彼女の命を、託されていたからだ。
 彼は、一枚のルーンのカードを取り出す。
それは生命を育む恵みの光にしてIIBOL邪悪を罰する裁きの光なりAIIAOE
 それは穏やかな幸福を満たすと同時IIMH冷たき闇を滅する凍える不幸なりAIIBOD
 その名は炎IINFその役は剣IIMS
 顕現せよICR我が身を喰らいて力と為せMMBGP!!」
 いや、カードは一枚ではない。
 気がついた時には、部屋の中のありとあらゆる場所へとカードがり付けられていた。今まで気づかなかった方が異常なぐらいの枚数だった。
 炎が渦を巻く。
 三メートルを超す爆炎のかたまりが生じていた。それは人の形をしていた。摂氏三〇〇〇度の炎の塊には、『魔女狩りの王イノケンティウス』と名付けていた。
 くんっ……と、インデックスの首がわずかに動き、標的を見定める。
 直後だった。

 ゴッ!!!!!! と。
 轟音ごうおん炸裂さくれつしたと思った時には、すでに『魔女狩りの王イノケンティウス』はぎ払われていた。

 少女の背から生えた赤いつばさを振り回された。たったそれだけの挙動で、数千枚のカードに支えられていたはずの炎の巨神が一瞬いっしゅんで引き裂かれたのだ。自動修復すらも許さない。『魔女狩りの王イノケンティウス』が受けた負荷が逆流する形で、周囲のカードも黒く変色し、使い物にならなくなっている。
 これが魔道書まどうしょ図書館、禁書目録。
 一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を自在に振るい、あらゆる簒奪者さんだつしゃから知識の宝庫を守り抜く、最強の防衛装置。
 だが、ステイルにそれを冷静に分析するだけの余裕はなかった。
 薙ぎ払われた『魔女狩りの王イノケンティウス』は四散し、爆風を伴って使用者へときばいた。
「―――ッ!?」
 ノーバウンドで壁まで飛ばされた。
 背中に重たい衝撃しょうげきを受け、呼吸すらも止まる。そんなステイルの様子を、魔法陣を秘めるひとみで少女は冷静に観察する。
「第一〇章第三節。現行の術式の効果を確認。威力と範囲を伸長し、敵対因子の生命活動を停止させる事が、最も有効な解決策であると判断します」
 グバァ!! と複数の赤いつばさが一気に伸びた。
 大聖堂の天井てんじょうかすめるほどに拡大された翼は、まるでとらばさみのように勢いをつけてステイルへとおそいかかる。
 術式など考えているひまもなかった。
 殴打おうだによって力を失い掛けた体を強引に動かし、ステイルは床を転がる。
 複数の翼が落ちた。
 直撃ちょくげきしなかったのは幸運以外の何物でもなかっただろう。
 だが、

 物の崩れる大音響だいおんきょうと共に、聖ジョージ大聖堂の床が大きく砕けた。
 石の足場も、ステイル=マグヌスも、すべてをみ込んで地下へと落ちていく。

 受け身という概念がいねんすら存在しなかった。
 呼吸の中に血の味が混じっていた。
 仰向あおむけに倒れるステイルは、何秒も遅れてからようやく自分のおちいった事態を自覚する。
 ここは地下の霊装れいそう保管庫だ。
 インデックスの一撃は、聖ジョージ大聖堂の建築の根幹となる基礎構造そのものにダメージを与えていたのだ。
(……が、は。くそ、いくつの防壁を用意していると思っている。対魔術師まじゅつし用の総本山である聖ジョージ大聖堂を、一発で崩落させるだなんて……ツ!!)
 元々、彼女は世界的な魔術結社の手に、重要な技術や知識を渡さないようにするため開発された防衛装置だ。
 一対一万でもまだ甘い。
 一対一ではの骨頂。
自動書記ヨハネのペン』としての彼女と戦うとは、つまり一つの戦争を迎えるのと同じ事なのだ。
 かつては、神裂かんざき火織かおりという聖人がいた。上条かみじょう当麻とうまという幻想殺しイマジンブレイカーがあった。
 だが今回は違う。
 そんなイレギュラーにはたよれない。
 ザリ、という音が聞こえる。
 上方からだ。
 仰向けのまま見上げれば、崩落した穴のふちから、小柄な少女がこちらを見下ろしていた。
 そのくちびるが、動く。
「第一一章第二節。有効な破壊力はかいりょくを確認。体勢を立て直す暇を与えず、連撃でたたみかける事が最善の策であると判断します」
 がけのような段差から、ためらいなく飛ぶ魔道書まどうしょ図書館。
 ステイルは全力で横へ転がる。
 直後、一瞬いっしゅん前まで彼の転がっていた場所を、容赦ようしゃなくインデックスの両足がつぶした。

  5

 アクセルペダルがこわれるんじゃないかと思うほど強く踏み込んでいた。
 浜面はまづら仕上しあげは4WDのハンドルを小刻みに回して、雪の上で車体がバランスを崩すのを必死に抑え込む。日本国内では使用が禁止されているスタッドタイヤが使われていたが、分厚い雪の層はこうしている今も車体を横滑よこすべりさせようとしていた。
 そこまでして危険な運転を続けている理由は何か。
 答えはルームミラーの中に映っている。
「くそっ!! 引きはなすためのきっかけすらつかめねえ!!」
 浜面は歯噛はがみしながら叫ぶ。
 後方五〇メートルの距離きょりから迫っているのは、学園都市製の駆動鎧パワードスーツだった。戦隊モノの主人公チームよろしく五機ワンセットの怪物たちが、機械のスーツを動かして高速で接近してくる。スケートのように滑り、三段跳びのように跳躍ちょうやくし、二本の足で走る追っ手は浜面達を正確に追い掛けてくる。包囲もうを安全に抜けられなかったのだ。敵の戦力にも余裕がある。4WD一台なら歩兵が五人もいれば何とかなる。そうあなどられているのだ。
 とはいえ、間違っても全力で来いなどとは言わない。
 あんなもの、正面切って戦ったら一機だけでも瞬殺しゅんさつされる。五機もまとめてやってきたら瞬の五分の一だ。なんて表現して良いのか、浜面の語彙ごいでは見つからないほどだった。
 律儀りちぎにシートベルトをめ、助手席に座っている滝壺たきつぼが声を掛けてくる。彼女はひぎの上の地図から顔を上げ、
「はまづら、少しずつだけど距離を詰めてきてる」
「分かってるよ!! くそ、そろいも揃ってアイススケートみたいなフォームで追い掛け回しやがって!! ああいう無遠慮ぶえんりょなテクノロジーの大公開が変な都市伝説を増やしてんじゃねえだろうな!?」
「エリザリーナ独立国同盟との国境まで五〇〇メートルぐらい。しのげる?」
 答えるひまはなかった。
 今までかろうじてバランスを保っていた4WDが、ついに横滑りを始めてしまった。浜面はあわててハンドルを回して挙動を取り戻すが、草はフェンスもガードレールもない道路を大きく外れて針葉樹の森の中へと突っ込んでいく。
 ブレーキを踏んでいる余裕はない。
 アクセルを底までみ続けなければ駆動鎧パワードスーツに追い着かれる。
 風景が変わると、体感速度が一気に増した。
 電柱よりも太い木々が恐ろしい速さで4WDのすぐ両脇りょうわきをすり抜けていく。
(五〇〇メートル……)
 駆動鎧パワードスーツは意に介さない。
 浜面達はまづらたちと同じ速度で森の中を突っ切っているくせに、駆動鎧パワードスーツは安全なジェットコースターのレールの上を走っているかのように、迷いなく迫ってくる。雪におおわれた地面どころか、時には太い木の枝や幹をって大胆にショートカットしてくる。単に筋力を機械で増加されているだけではない。情報を取得するためのセンサーや思考・判断能力を高めるための処理装置までがズバ抜けているのだ。直接、脳に働きかける電極などもあるのかもしれない。
(五〇〇メートル!!)
 その時、車体がふわりと浮いた。
 森の中はアスファルトのように平らではない。
 わずかに盛り上がった起伏をジャンプ台にして、4WDが大きく跳び跳ねたのだ。
「や、ば……ッ!?」
 言い終える前にタイヤが再び地面に着地する。
 先ほどとは比べ物にならないほど大きく車体がすべる。必死にハンドルを操作するが、あっという間に九〇度真横を向く。
 しかし、運は浜面達に味方した。
 直後に、彼らの車は勢い良く森を突き抜けて雪原へ飛び出した。
 その先にあるのはエリザリーナ独立国同盟との国境だ。
 両国の間には有刺鉄線で補強された二メートル前後の金網かなあみのフェンスが張られていたが、浜面はもはや無視した。下手に挙動を取り戻そうとすれば、その分だけ時間をロスしてしまう。
 ならばいっそ、
(このまま滑り込め!!)
 横向きのまま突っ込んだ。
 駆動鎧パワードスーツの太い指先が、すんでの所で空を切る。
 金網のフェンスを巻き込み、運転席側の窓ガラスが派手な音を立てて砕け散った。そのまま4WDは勢い良くエリザリーナ独立国同盟の領土へと飛び込んでいく。フェンスの残骸ざんがいを前輪がんだのか、異様な音がひびいた。そう思った直後、ついに4WDのバランスが完全に失われる。車はそのまま三回転以上回り続け、最終的にロシア側の国境の方へ鼻先を向けて停車する。
 逃げ切った。
 4WDはエリザリーナ独立国同盟側へ、二〇メートルほどだが確実にもぐり込んだ。駆動鎧パワードスーツ―――というより、学園都市の大義名分は『ロシアとの戦闘せんとう』だけであり、エリザリーナ独立国同盟での行動はできない。
 だが、
うそだろ……」
 運転席の浜面はまづらは、思わずうめき声を上げる。
 手出しできないはずの駆動鎧パワードスーツは、容赦ようしゃなくこちらに向かって歩いてくる。
 国境の事に気づいていない訳はないだろう。
 知った上で、無視しようとしている。
 機械の指が何かを握っていた。
 あまりにも巨大なリボルバーだ。砲口はコーヒーの缶がそのまま入りそうなほど大きい。おそらくはグレネードか何かだろう。仮に散弾銃だったらどれほどの威力が出るか分かったものではない。いずれにしても、何の防弾装備もほどこしていない4WDでは、一発で火の玉になる。
 砲口が迷わずこちらへ向いた。
 威嚇いかくや警告の音声は発せられなかった。
 とっさに運転席のドアノブに視線が行くが、ドア付近は破れたフェンスの残骸ざんがいが巻きついており、開けようと思ってもがっちりと固定されて動かなかった。
(忘れてた)
 死へとつながるトンネルのような砲口を呆然ぼうぜんと見ながら、浜面は思う。
 これはスポーツではない。
 カードゲームでもない。
 実戦。
 弱者や敗北者がルール違反だと叫んだ所でだれも調停にはやって来ない事ぐらい、街の裏路地でさんざん逃げ回っていた自分は良く分かっていたはずじゃないか。
 のど干上ひあがるのを認識する事すらできなかった。
 巨大なリボルバーの引き金に掛かった駆動鎧パワードスーツの太い指が、動く。
 その時だった。
 浜面は、打ち上げ花火のような音を聞いた。大輪が咲く時の爆発音ではない。地面から花火の玉が空高くへ打ち上げられる時のような音だ。
 まゆをひそめた。
 方角を探る余裕はなかった。
 直後、

 グワッ!! と。
 駆動鎧パワードスーツを巻き込むように、国境線上が横一線の炎の海に包まれた。

 冗談のような光景だった。
 普通に四方八方へ広がる爆炎ではない。まるで油でラインを引いたような、不自然に広がる炎だった。高さは一〇メートル前後、長さは四、五〇〇メートルにも及んでいた。フロントガラスが粉々に砕け散る。多少の距離きょりがあったのに、莫大ばくだいな光と熱の余波が浜面達はまづらたちの顔に吹き付けられた。雪の上で停車していたはずの4WD自体が、衝撃波しょうげきはで数センチすべるのを感じた。
「なん、だ?」
 浜面は、自分ののどがまだ使える事を確認しながら、助手席の滝壺たきつぼに話しかける。
「ナパーム……?」
「直前に聞こえた音から察するに……、液化爆薬を積んだロケット砲みたい」
 滝壺の方も、息も絶え絶えといった調子だった。
 だが、まだ生きている。
 だれが何をやったか知らないが、とにかく使い物にならなくなった自動車から降りて、エリザリーナ独立国同盟の内部へ身を隠そう。そう思った浜面だったのだが……。
 ゴン!!という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 金属をつぶすような音だった。
 4WDのボンネットの上に、何者かが立っていた。信じられない事だが、空から降ってきた人間がそのまま着地したかのような挙動だった。
 運転席からでは、細い足しか見えない。
 こちらにかかとを見せている事から、おそらく液化爆薬の炎の壁の方を眺めているのだろう。
 炎の中では、複数の駆動鎧パワードスーツうごめいていた。
 あれだけの爆炎の中にいながら、駆動鎧パワードスーツはまだ正常に起動していた。彼らはボンネットの上に乗った人物を見据えると、じり……と後ろへ一歩下がる。直前に、一瞬いっしゅんだけ彼らの動きが止まるのを浜面は目撃していた。まるで無線か何かで命令を聞いたかのような仕草だった。そのまま、炎の壁の奥へ引っ込むように、駆動鎧パワードスーツ撤退てったいして行った。
 ボンネットの上にいる人物は、浜面達の窮地きゅうちを救ってくれたようだった。
 一体誰だ。
 その疑問はすぐに解消された。
 こちらに踵を向けていた人物は、その踵を使って、フロントガラスの砕けた窓枠を軽く引っかけた。そういう風に見えた。しかし直後に、軽く引っかけたはずの踵が大きく自動車の屋根がベキベキと音を立てて車体から分断させられた。
 バガン!! というすさまじい音と共に、視界が一気に広がる。
 君臨するのは、白い髪に赤いひとみの怪物。
 浜面仕上しあげには心当たりがあった。
 その怪物の正体は、
一方通行アクセラレータ……ッ!?」
「チッ。身内の中からスパイを捜してる最中に、外から余計な面倒事を持ち込みやがって」
 心の底から鬱陶うっとうしそうな調子で、怪物は言う。
「全部話せ。洗いざらいだ」

  6

「参ったわね」
 野戦痛院……というより、何百年も前からある石造りのとりでの中に、強引に医療いりょう機器を持ち込んだだけの建物の中で、金髪碧眼へきがんの女性が日本語でつぶやいた。
 ベッドの上で体を起こしている女性は、あちこちに包帯を巻いていた。しかし、それを差し引いても体は良さそうに見えない。白というより青ざめた肌、目の下の大きなくま、スリムといっても、体の線どころか骨の線まで見えてしまいそうな体つき。全体的に、ちゃんこなべを半年ぐらい食べさせ続けたらきちんとした美人になりそうな人……といった感じだ。
 エリザリーナ。
 同盟の名にもなっている女性は憂鬱ゆううつそうな調子で、ほっそりとした手で頭を抱え、
「……回復魔術まじゅつを使える機会があるなら、まず真っ先に私自身を何とかしたい状況なのに」
「はぁ、すんません」
「頭を下げる必要はないわよ。そもそも、私は休む必要はないと言っていたのに、側近の手で強引に緊急手術させられていただけなんだから」
 どうやら彼女も彼女でダメージを負っているようだが、滝壺たきつぼのために応対してくれるらしい。心の中で感謝しつつも、しかし浜面はまづらは心の中で首をかしげていた。
 カイフクマジュツって何だ?
 一瞬いっしゅん、何かしら間違った日本語を覚えているのかとも思った浜面だが、相手は明らかにアホな浜面よりも日本語を知っていそうな調子だ。となると、言葉通りだとすると……一体、どういう事だ?
 思わず一方通行アクセラレータの方を見ると、舌打ちされた上に顔をらされた。
 彼からは、エリザリーナ独立国同盟には、学園都市にはない特殊な医療技術があるかもしれない、といった話を聞いていた。それが滝壺の病状を緩和かんわできるかどうかは分からないが、詳しく話を尋ねてみるだけの価値はある。そう思って、とりあえずぐったり状態の滝壺を背負って、野戦病院までやってきたのだが……。
(カイフク? カイフクマジュツって、あの回復魔術って事で良いのか? RPGみたいな? それとも医療関係だと……開腹? でも、マジュツって何だそんな医療用語でもあんのか?)
 頭の中が『?』でいっぱいになっている浜面だが、すぐさま疑問が口から出てこなかったのは、エリザリーナがあまりにもスラスラと自然に話していたからだ。これは詐欺さぎにも通じる話だが、口を挟むすきを与えずに言葉だけを並べられると、何となくそこに一定の論理があるように思えてしまうものなのだ。
 エリザリーナは、そんな浜面はまづらを無視して首を動かした。
 彼女が眺めているのは、かろうじて小さな椅子いすに座っている滝壺たきつぼと、完全にベッドの上に寝かされている一〇歳前後の少女だ。ラストオーダーなどという奇怪極まりない名前で呼ばれていたが、何かしらの能力名なのだろうか?
「結論を言うわね」
 ベッドの上のエリザリーナは、滝壺と打ち止めラストオーダーを順番に指差し、
「そっちのジャージの子は何とかなりそう。そっちの小さい子は難しそう。以上よ」
「……、」
 壁に背を預けたままの一方通行アクセラレータまゆが、ピクリと動いた。
 打ち止めラストオーダーは第一位の連れだったはずだ。
 冷静な、言い換えれば残酷ざんこくな調子で断言したエリザリーナに、浜面は目を白黒させて、
「あ、え? どういう……、何が何とかなりそうだって?」
魔術まじゅつと言っても分からないわよね」
「は?」
「魔術と言っても分からないわよね」
 エリザリーナはもう一度繰り返した。何らかのリアクションを返さないと話を先に進ませないつもりらしい。浜面はとにかくうなずいた。マジュツって何だマジュツって。
「『それ』が実在するかどうかはさておいて」
 彼女は適当な調子で、核心だけを切り取って話す。
「昔から、魔女まじょだの何だのといった連中が、オカルト的な儀式ぎしきを行ってきた、っていうのは分かるわよね。実際の効果があるかどうかは別として、『それ』が信じられていた時代には、ある一定の手順をんで行われる儀式があったって」
「何だ。わし鼻のばあさんがデカいなべをぐるぐるかき回すとか?」
「そういった儀式には、各種の薬草……というか、現代ではほとんど麻薬と呼ばれているものに近い植物や、動物から取り出した毒素なんかが利用されていたっていうのは?」
「??? ちょっと待ってくれよ。その話が滝壺の症状とどう関係しているっていうんだ」
 滝壺の症状の原因は、学園都市の科学技術で作られた『体晶たいしょう』だ。得体えたいの知れないオカルトののろいの話をされたって、そこに解決の糸口があるとは思えない。
「実際に、『それ』が単なる幻覚なのか、本当に物理現象を超えた効力を得られたのかどうかは、ここではさておくとして」
 変に含みのある調子で、エリザリーナは言う。
「……そういった毒素を扱う儀式ぎしきが横行していた以上、安全に行うための方法は口伝で伝えられているという事よ。例えば、少しずつ毒素に体を慣らしてそう簡単にはイカれないようにするための鍛練法たんれんほうとか。例えば、体の中にまった毒素を抜き取って治療ちりょうする解毒法げどくほうとか」
「それは、え、どういう……」
 ガタン、と浜面はまづら椅子いすから立ち上がりそうになった。
「つまり、治るってのか!?」
 エリザリーナはそれを片手で制して、
「そういう事。ジャージの子と小さい子は、それぞれ症状が違う。小さい子の方は恒久的に毒素を注入され続けているような状態だから、一時的に『抜いて』も、すぐに補充されてしまう。でも、ジャージの子の方は、体の中に溜まっているものを一回『抜いて』しまえば何とかなりそうね。完全に治癒ちゆできるという訳ではないけれど、でも、今までよりは大分マシになるはずよ」
エリザリーナは『体晶たいしょう』の事を言っているのだろうか。
 確かに、滝壺たきつぼの体の中から『体晶』を抜く事ができれば、彼女の症状は完治とまではいかなくても、一気に改善するだろう。最先端さいせんたんの学園都市の『体晶』に対して、民間療法がどこまで通用するかは怪しいものだが、一見すると眉唾まゆつばものな健康法が、きちんと調べてみると科学的な根拠があったりするし、そういった突破口を基に、新しい医療技術が考案される事も珍しくない。
「……そっか」
 じわじわと、浜面の体の内側から希望がにじんできた。
 彼は思わずかたわらにいた滝壺の体を抱きめ、
「そっか!! やったぞ滝壺。予定とは少し違うけど、やっぱり俺たちはロシアに来て正解だったんだ!」
「はまづら。苦しいよ」
「悪い! でも俺さ、俺……ッ!!」
 目元から涙すら浮かべそうになっている浜面を見て、滝壺は口では苦しいと言いながらも、わずかにほおゆるめて彼の背中を軽くさすった。
「―――、」
 一方で、学園都市最強の超能力者レベル5は壁に背を預け、静かに腕を組んでいた。
 ここでも打ち止めラストオーダーを助けるための糸口は見つからない。
 つい数時間前までなら、激しいあせりと恐怖で身を焼かれていただろう。あるいは無駄むだなあがきでも良いから、とにかく一瞬いっしゅん一秒でも打ち止めラストオーダーから痛みを取り除けと言って暴れていたかもしれない。
 彼の中で、何かが少しずつ変わりつつあるようだった。
一度激しく熱した鉄を急速に冷ます事によって、はがねの質が変化するように。
(……大声を張り上げて地団太じだんだンだ所で、状況が好転する訳じゃねェ)
 めるように、一方通行アクセラレータは思う。
(どのみち、時間が少ねェのは分かってる。なら、なおさら無駄むだな事に時間をいているひまはねェ。『その場凌しのぎ』のためにかせげる時間以上の労力を使ってたンじゃ、最後の最後で追い詰められちまう)
 即決すると、一方通行アクセラレータふところから羊皮紙ようひしの束を取り出した。
治療ちりょうについては、そっちの方針で構わねェ。だがその前に質問に答えろ。オマエはこいつが読めるのか?」
「時間をかければ、読める可能性もあるといった所ね」
 エリザリーナはかすかに首を動かしてうなずき、
「表面上の文字列は暗号解読のための足掛かりに過ぎない。見た所、フォーマットはロシア成教式だろうから解けない事はないけれど、時間はかかりそうよ。それでも私に預けてみる?」
「いいや」
 一方通行アクセラレータは取り上げるように、羊皮紙を持った手を軽く上げた。
「『解ける』って事さえ分かりゃあ良い。オマエは治療の方に専念しろ」
「あ……」
 と、そこで今まで話を聞いていた浜面はまづらが口を開いた。
 彼は具体的に言葉をつむげない。
 一方通行アクセラレータは鼻で笑った。ひょっとするとあの男は、自分の連れが助かる事を単純に喜ぶのは、糸口の見えない一方通行アクセラレータの傷に塩を塗る事になるかもしれない、とでも思ったのだろうか。
「こっちも暇じゃねェンだ。もォ行かせてもらうぜ」
 つえをついてドアの方に向かう一方通行アクセヲレータに、言葉のない浜面ではなくエリザリーナの方が、特に気負わずにこう尋ねた。
「あてはありそう?」
「なけりや見つける」

 病室の外へ出た一方通行アクセラレータは、通路を歩いていた兵士を呼び止めた。ここは平和的な医療施設ではない。元々、軍事利用していたとりでの中に医療機器を持ち込んだだけだ。性質は『軍』の方に近い。
「俺が洗い出したスパイ連中は?」
「じ、尋問は行っていますが、かんばしくはありませんね。我々は口を割らせるためのエキスパートではありませんし、そもそも一つの作戦を細かくブロック化して担当しているロシアのスパイは、必要最低限の情報しか知らない可能性もあります」
 萎縮いしゅくする兵士に、一方通行アクセラレータは素気なく言葉を返す。
「そォかよ」
「あなたはどちらへ? のぞくつもりならご案内しますが」
「いいや」
 一方通行アクセラレータは適当に片手を振って制した。
「俺はもォ少しまともな情報源を辿たどってみるよ」
 まゆをひそめる兵士だが、それ以上詳しく説明してやる義理もない。
 兵士と別れた一方通行アクセラレータは、長い通路を歩いてエリザリーナとは別の病室の前までやってきた。ノックもしないで扉を開ける。
 拘束されていない方が不思議な相手だった。
 そこにはやはり、あの無能力者レベル0の意思がかかわっているのだろうか。
「……『番外個体ミサカワースト』」
一方通行アクセラレータつぶやくと、ベッドに腰掛けていた高校生ぐらいの少女はさげすむような目で、ジロリと彼の方をにらみ返してきた。
 第三位の超能力者レベル5の体細胞を基に、第三次製造計画サードシーズンというプロジェクトで生み出された特殊なクローン人間。
 白系の戦闘せんとう用の衣服に身を包んだ少女だったが、右腕はギプスとベルトでられていた。戦闘の過程で、ブチ切れた一方通行アクセラレータにへし折られたのだ。ほかにも、耳の裏から首の後ろにかけて、大きなガーゼをり付けてある。
 敵と敵。
 互いに一言も断りを入れずに、心臓へ刃物を突き立ててもおかしくない相手。
「お望みの品は何かな」
 番外個体ミサカワーストは、皮膚ひふを数ミリ動かすだけで確実に人を不快にさせる表情を作り出す。
 まるで、あらかじめ準備を整えていたかのような調子だった。
「あの状況でミサカを助けたのだとしたら、価値は『情報』しかないものね。でも生憎あいにくとミサカには素直にしゃべるような機能はついていない。となれば、後の展開は火を見るより明らかね。まぁ、必要とはいえ治療ちりょうしてからこわし直すなんて、良いセンスしているよ」
「協力しろ」
「何に? 何で? どうやって?」
「ロシア製の盗聴器とうちょうきをいくつか見つけて回収した。ヤツらは有象無象うぞうむぞうの情報の断片をく。オマエはその情報の仕分けをやれ。オマエの知識があれば糸口が見つかるかもしれねェ」
「根拠は?」
「オマエの襲撃しゅうげきのタイミングだ」
一方通行アクセラレータは丸めた羊皮紙ようひしの束を軽く振り、
「ヴォジャノーイとか呼ばれてたヤツに、羊皮紙ようひしの詳細を尋ねよォとした直後だった。割り込みのタイミングに作為を感じる。オマエは詳細を知らないまま、『糸口』を封じるよォに操られていたのかもしれねェ。オマエの頭の中にある情報と、ロシアのスパイの情報を照らし合わせりゃ、何かが出てくる可能性はある」
「そっちじゃなくて、ミサカが協力しなくちゃならない根拠は?」
 ニヤニヤと番外個体ミサカワーストは笑う。
 わざわざ自分を窮地きゅうちに立たせるような言葉だった。悪意に塗りつぶされた目で世界を眺めた人間は、自分の身が傷つく事にもためらいを覚えなくなるのだろうか。
 しかし。
一方通行アクセラレータは、表情を変えずにこう答えた。
第三次製造計画サードシーズンは、別に勝ち組って訳じゃねェ。オマエもそれに気づかねェほど馬鹿ばかじゃねェだろ」
「……、」
「学園都市の連中は、ミサカネットワークを使って『何か』をするつもりらしい。そンな中で不都合の生じたネットを張り直すために、オマエは俺やあのガキの命をねらってきた。……でも、それが何だ? 第三次製造計画サードシーズン本格稼働かどうしたら何万の体細胞クローンが作られるかは知らねェが、新しく張り直されたオマエたちの末路は同じだよ。どっかのだれかの利潤のために使い潰されるか、そこに達する事もできずに何度でも『張り直される』か。いずれにしても行き止まりだ。元々、二万体の人形を皆殺しにして『成功』って拍手するよォな連中の価値観だ。まともな使い方はされねェって事ぐらい分かってるよな?」
「だから協力しろと?」
 番外個体ミサカワーストは鼻で笑った。
「よりにもよって、悪意ど真ん中の相手と手を結べと?」
「オマエは、あのネットワークから悪意だの憎悪ぞうおだの、負の感情を優先的に拾い上げる機構が備わっているンだったな」
「だったら?」
「そのクソツたれのドス黒ブレインは、自分を使い捨てのこまにするご主人様に死ぬまで忠誠を尽くす、なンて殊勝な事を考えてやがるよォなタマかよ? 俺はあのガキから、『これ以上は一人だって死んでやる事はできない』って聞いた事があるぞ」
「仮にそうだとして、あなたに従う事で解決できるとは思えないけど。むしろ、ミサカの寿命を縮めるだけじゃないの」
「そォか。じゃあ取り引きの時間だ」
「はぁ?」
暗闇くらやみの五月計画」
「……、まさか」
「俺の能力制御法を応用し、能力者の『自分だけの現実バーソナルリアリティ』を強化しよォとしたプロジェクトだ。一定の成果は出ていたよォだが、超能力者レベル5へはつながらなかったみてェだがな。オマエが代用不可能な人材になるには、ほか妹達シスターズとは違う性能を得るしかねえ。どォする。俺の戦い方を分析すりゃあオマエは活路を見出みVいだせるかもしれねェぞ」
「……、」
 数秒、沈黙ちんもくがあった。
 それは思考のための時間ではない。
 命など惜しいのではない。
 これまでの言動をかんがみればだれでも分かる事だろう。
 取り引きのための天秤てんびんは、それが楽しいかいなか。学園都市という巨大な組織に背いてでも味わうべき価値があるのかどうか。
 つまり、吟味ぎんみだ。
 口の中で悪意のかたまりを転がし、その味が『相応ふさわしい』かどうかを確かめているのだ。
 そして、笑みがあった。
 番外個体ミサカワーストは製造目的の通り、悪意に従って行動を再開する。
「なるほど。……確かにそれは、このミサカらしい。愛くるしい容姿の司令塔の苦しむ顔を引き合いに出して、善意や博愛に訴えるよりも効果的かな」
「俺はあのガキの『症状』を打ち消すための糸口を見つける。オマエは使いつぶされるしかねェ道から別のルートを模索もさくする。だから学園都市と戦う。ヤツらの裏をかく。これで利害は一致した。分かったら、駄々だだをこねるひまで動け」
「それにしても、まぁ」
 番外個体ミサカワーストは腰掛けていたベッドから立ち上がり、ギプスで固定された右腕をひじの所で軽く揺すりながら、
「学園都市第一位を殺すためだけに調整されたこのミサカが、まさかこんな目にってでも愛想あいそ笑いを浮かべる日が来るとはね」
 当てつけのような言葉は、ネットワークから負の感情を表出しやすい彼女の特性のようなものだろう。意図するしないにかかわらず神経を逆撫さかなでする。特に、一方通行アクセラレータにとっては、必ずそうなるように仕向けられている。
 対して、一方通行アクセラレータ番外個体ミサカワーストのギプスを眺めると、ほとんど口を動かさないでポツリとつぶやいた。

「……悪かったな。ありゃヤツらの口車に乗せられた俺のミスだ」

 一瞬いっしゅん
 悪意に塗りつぶされた番外個体ミサカワーストの顔が、本当に何も考えていない、思考が停止したような表情になった。ていな言葉を使ってしまえば、キョトンという表現が似合うほどに。
「ぶっひゃ」
 そして。
 一度床に足をつけて立ち上がったはずの番外個体ミサカワーストが、そのままコロンと後ろに転がるように、再びベッドの上へ倒れ込んだ。
「あひゃひゃひゃひゃ!! 何だそりゃ!? なぁんだぁそりゃあああーっ!! こっちはわざわざ肉体一つ用意して、専用のチューニングをほどこして戦場に投入させられているっていうのに!! 最低限、うらまれる対象として悪のてっぺんに君臨しておいてほしいものだけどね! そんなしおらしいツラを見せられるとこっちの存在理由がうすぅくなっちゃうでしょうがよおおおおーっ!! ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!」
「……何が悪党だ」
 腹を抱え、両足をバタバタさせている番外個体ミサカワーストに、一方通行アクセラレータき捨てるように応じた。
「そンなモンを究めた所で、ガキの安全一つ確保できなかった。こだわる理由がすでに存在しねェンだよ」
 そう。
 あの無能力者レベル0にしても、エイワスという怪物にしても、大前提として善悪のどちらにも属していなかった。そんな状態の相手と戦うためには、分かりやすいサイドに属するだけでは駄目だめなのだ。
 ひとみに涙まで浮かべ、嘲笑ちょうしょうとは対照的に、妙にスッキリした声色で番外個体ミサカワーストは尋ねてくる。
「ここまでドロッドロに染まってしまった怪物が、今さら暗闇くらやみのフィールドを抜け出てどこへ行くと?」
「知るかよ。行き先はこれから探す」
 答えるのも億劫おっくうそうな調子で一方通行アクセラレータは応じた。
「俺もオマエも、学園都市の連中から意図的に悪意をセッティングされた怪物だ。……それだけで責任を全部放棄ほうきできるとは思わねェし、思いたくもねェが、少なくともお膳立ぜんだてはあって、俺たちはそいつに乗っちまった。―――って事は何だ。悪の道を究めるってのはよ。ヤツらへの反抗どころか、順調にレールを突っ走ってるってだけじゃねェかよ」
「……、」
「だから今度こそづらをかかせる。本当の意味で反撃はんげきする。てのひらの上で踊らされるのはいい加減にもォ飽きた。そのためなら、らしくねェ事をやる羽目になっても構わねェ」
 そう言って。
 一方通行アクセラレータは、つえをついていない方の手をゆるやかに伸ばした。
 まるで、背中を預ける戦友に握手でも求めるかのように。
「頼む」
 その瞬間しゅんかん番外個体ミサカワーストは時間が停止したようにだまり込んだ。
 だがそれも数秒たなかった。
 こらえていた本音を一気にき出すように、番外個体ミサカワーストは腹を押さえてベッドの上で二本の足をバタバタと振り回し、目尻めじりに涙すら浮かべ、
 「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!! ばっかじゃねえの? ばっかじゃねええええええええええええええのォ!? スゲェ! 馬鹿ばかの真顔ちょースゲェ!! あっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!」
 ベッドの上を転がっている番外個体ミサカワーストは、今度こそ横隔膜おうかくまくこわれたんじゃないかと思うほど奇怪な笑い声を出し続けていた。
 が、やがて体を丸めると、そこから一気に体を起こした。
 差し伸べられた手を、彼女は力強くつかむ。
 パァン!! と。
 野球のグローブでボールを捕らえた時にも似た、小気味の良い音が病室にひびいた。
 悪意にまみれていた彼女にとっても、だれかの手を掴むというのは、それなりに覚悟のいる行為だったのだろう。そして番外個体ミサカワーストは乗り越えた。つないだ手が、かつて命をねらい合った敵同士

の握手が、それを証明している。
 エスコートされる貴婦人のように、手を取られたまま立ち上がる番外個体ミサカワースト。彼女はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、己の宿敵だった人物に話しかける。
「ミサカもそうだけどさ。こんな風に他人の手を握るなんて、これが初めてなんじゃないの?」
「……、いいや」
 わずかに視線をらし、一方通行アクセラレータは小さな声でつぶやいた。
「今までだって、たくさンあった。オマエと良く似た顔つきの、憎たらしいガキとならな」
 つないだ手の感触から一人の少女を思い出し、改めて覚悟を決める。
 これで終わりじゃない。
 もう一度。
 必ず。

第六章 展開される本物の闇 Up_the_Castle.

  1

 周囲には何もない。
 元々この辺りは雪原ばかりなのだが、フィアンマのいる基地の周辺は徹底的てっていてき遮蔽物しゃへいぶつが取り除かれていた。人工的な建造物はもちろん、針葉樹すらもない。一面に広がっているなだらかな雪原は、すみやかに接近する者の位置を見定め、確実にミサイルをち込むために用意されたものなのだ。
 そんな火力の壁の効果範囲ギリギリの所で、上条かみじょう当麻とうまは雪で白く埋もれた地面をのぞき込んでいた。
 巨大な穴がある。
 元々は低い丘のような地形だったのだろう。その斜面に、漠然と直径二メートル前後の横穴が空いている。穴はぐではなく、さらに下方へと続いているようだった。
「……あるもんだなぁ」
 半分呆あきれたような調子で彼はつぶやく。
「そこらじゅう、秘密基地だらけじゃないか」
「何言ってんですか。日本の学園都市なんてこんなもんじゃないでしょう。あの街なら湖が割れて巨大ロボが出てきたっておどろきませんよ」
 適当な調子でレッサーは答えながら、上条のわきを通って横穴の中へもぐり込んでいく。
 上下左右を完全に雪でおおわれた横穴の中は真っ暗ではなかった。壁際かべぎわに、一定の間隔で裸電球が下げられている。奥へ奥へと進んでいくと、少しずつ空間は広がっていった。五〇メートルも歩くと、貨物列車用の発着駅に辿たどり着く。
 しかし、
「……だれもいないな」
「列車もありませんね」
 最初はそれなりに物陰に隠れて様子をうかがおうとしていた二人だったが、辺りに人の気配が全くない事に気づくと、顔を見合わせて発着駅の中へと足をみ入れた。
 以前忍び込んだ所とは別の発着駅だが、作りは似ていた。違うのは貨物列車や積み荷の木箱などが一切ない、という事ぐらいか。複数の電球で照らされた空間は、住人が電気を消し忘れて出かけてしまった家のような、不自然な違和感すら覚える。
 上条かみじょうは引き込まれた金属製のレールの手前でかがみ、冷たいレールに耳を当ててみるが、
「振動は全然ないな。ディーゼルの排煙のにおいもしない。……近くを走っているって雰囲気ふんいきでもないぞ」
「……ひょっとすると、フィアンマの基地へ最後の資材を運び終えてしまった後なのかもしれませんねえ」
「って事は……」
 上条とレッサーは顔を見合わせていやな顔になった。
 ここからフィアンマの基地までは、およそ四〇キロ程度ある。貨物列車に忍び込めない以上、雪の洞窟どうくつを歩いて進むしかない。たとえ下がアスファルトだったとしでも、大地震おおじしんが起きたら帰宅困難者に指定されてもおかしくない距離きょりである。
 レッサーは『はがねの手袋』を肩でかつぎ直し、
「分かった、分かりました。私に一つ提案があります」
「そっ、そうだよな。流石さすがはプロの魔術師まじゅつし、何か代替案があるのか。こんな所で地味に体力を消耗して、ふくらはぎをパンパンにしたままフィアンマとぶつかるなんてのは情けなさすぎるぞ」
「おんぶしてください」
「ぶっ飛ばすぞこの野郎」
 一瞬いっしゅんでも期待した自分をくやみながら、上条は長い長いレールの向こうを見る。
 やはり歩いて行くしかなさそうだ。
 地上を進んで基地を警備する榴弾砲りゅうだんほうの雨を浴びるよりはマシか、と割り切って、無理にでも上条はやる気を出す。
「行くぞレッサー。それともここで留守番するか」
「へいへい。ちゃんと記憶きおくとどめてくださいよ。あなたのレッサーは文句一つ言わず健気けなげに付き従いましたって」
 そんな事を言って上条のとなりに並ぶレッサーだが、何故なぜか彼女は『鋼の手袋』を逆さまに構え、上手にバランスを取って、魔女まじょのホウキのようにの部分をまたいでいた。四本の刃が、まるで指のようにガシャガシャとうごめいて彼女の体を前へ進めている。
 上条は裏切り者でも発見したかのような目で、
「……レッサー、何それ?」
「何って、『鋼の手袋』はこういう使い方もできるんですよ。ちょっと色々と食い込むのがアレですが。ベイロープなんか、こいつを乗り回してロンドンの地下鉄を駆け巡っていましたし―――ってやめてくださいやめてください!! あなたには無理です右手が当たったらバラバラになります我慢して歩いてください一人きりで!!」
 バクバタと暴れる上条とレッサーだったが、長くは続かなかった。
 とはいえ、別に幻想殺しイマジンブレイカーが『ほがねの手袋』を破壊はかいしてしまった訳ではない。

 こわれたのは前方の通路。
 ゴツ!! という爆音と共に、いきなり雪でできた天井てんじょうが崩落した。

 一〇〇メートルほど先だった。おそらく魔術的まじゅつてきなもので支えられているであろう、分厚く白い天井が、まるで巨大なシャッターのようにいきなり落ちたのだ。
 あっという間に通路がふさがった。
 それだけでは終わらなかった。
 さらに立て続けに、鼓膜こまくを破るような爆音が炸裂さくれつした。
 まるでこちらに近づいてくる巨人の足のように、次々と通路の天井が破れて落ちてくる。
 このまま巻き込まれたら生き埋めだ。
「ヤバい!! とにかく出入口まで戻ろう!!」
「言われなくてもそのつもりです!!」
 上条とレッサーは回れ右して全力で走る。その間にも通路やレールが低く震動しんどうし、雪の天井が雪崩なだれとなって彼らをみ込もうとしてくる。ほとんど怪物の口に追われているようなものだった。
「何だ!? やっぱ俺の右手が雪を支えている魔術を打ち消しちまったのか!?」
「あるいはフィアンマ側からの素敵すてきなアトラクションかもしれません!! 同じ手を使おうとしたのはまずかったかも……っ!!」
 ズズン……という低い震動が続く。
 上条もレッサーも全力で走る。
 間近に迫った崩落のせいか、細かい氷の粒が粉塵ふんじんのように舞い上がり、上条たちを追い抜いた。
 もう巻き込まれる。
 そう思った矢先、上条の体が出口の外へと飛び出した。となりでは、勢いを殺せずにレッサーが雪の上を盛大に転がっていた。下着が見えているのは果たして偶然か。
(た、助かった……?)
 ひぎに両手をついて荒い息をいていた上条は、仰向あおむけになって呼吸を整えているレッサーへ手を差し伸べようとする。
 しかし、その動きが途中で固まった。
 気づいたからだ。
 崩落の原因は、上条の右手が雪を支える魔術を打ち消してしまったからではなかった。かといって、フィアンマ側が上条達の侵入を阻止そしするために通路を爆破した訳でもなかった。
「ちくしょう……」
 上条かみじょう甲高かんだかい笛のような音を耳にしながら、呆然ぼうぜんつぶやいた。
 真の原因は、

「学園都市の砲撃ほうげきかよ!!」

 倒れたままのレッサーの襟首えりくびつかみ、上条はそのまま振り回すように、横穴の入口だった丘の斜面へと体を押し付けた。
 直後だった。
 白い雪雲におおわれた空で、何かがまたたいた。一つではない。最低でも五〇以上はある。笛のように甲高い音の正体は、金属かいが音速以上の速度で空気を引き裂いている音だ。そして、金属塊は落下砲だ。直径一五センチ、全長七〇センチほどの砲弾を一度火薬の力で五〇〇メートルほどまで打ち上げ、そこから尾翼びよくの動きで正確に誘導ゆうどうして地上の標的を爆破するための兵器である。
 どの辺りに落ちるか、考えているひまはなかった。
 そもそもが細かくターゲットを定めている訳ではなく、基地そのものと周辺に配備されたセンサーなどを片っぱしから吹き飛ばすための砲撃なのだろう。
 五感の許容量を超えた光と音が炸裂さくれつし、上条やレッサーの体を揺さぶった。光は激痛で、音は衝撃しょうげきだった。圧倒的過ぎる白一色の閃光せんこうに、上条は自分が目を開けているのか閉じているのかも判別できなくなった。体を丘の斜面に押し付けていたにもかかわらず、両手の中からレッサーの感覚がするりと抜けていくのが分かった。いや違う。覆いかぶさるような姿勢だった上条の体の方が、爆風にあおられて宙を舞ったのだ。
 三〇秒以上も、自失の状態が続いた。
 いや、実際には一瞬いっしゅんの事で、焼きついた残像が五感を奪い続けていたのかもしれない。
「レッ……サー……」
 絞り出した声は、異様にしわがれていた。蛍光灯を長時間眺めたように、こめかみの辺りにじんじんとした痛みが走る。
 傷ついた体をゆっくりといたわっている暇はなかった。
 ギャラギャラギャラギャラ!! という、重たいキャタピラの音が上条の耳についた。
 白い雪景色の中、胸がむかつくような排気のにおいが混ぜ合わされる。
(学園都市の機甲部隊……ッ!!)
 体温が奪われるのも気にせず、上条は深い雪の中に体を沈めて身を隠す。
 上条はロシアへ密入国している。この状態で発見されたら間違いなく拘束される。インデックスを助けるためにも、ここで捕まる訳にはいかない。
 キャタピラ音や排気ガスの正体は、一種類だけではなかった。
 おそらく輸送機や爆撃機ぼくげききから投下するためなのだろう、小型の空挺くうてい戦車を前面に、長射程のミサイルやロケット砲を積んだ特殊車両がその後に続く。駆動鎧パワードスーツを二〇機以上積んだ兵員輸送用のトラックもたくさんあった。武装のない八輪の装甲車は、駆動鎧パワードスーツやUAVなどに電力を供給するための電源車両だろうか。大量のアンテナを積んでいるのは、周囲に展開された無人機用の統制車両なのかもしれない。
 対抗するように、基地の方からも散発的な砲撃が始まった。
 ロシア軍からの反撃だ。
 しかし心許無こころもとない。学園都市側からの第一波で、向こうの一般的な兵力はかなりがれてしまったのだろう。だが、放物線を描く爆発物が一発でも間近に落ちれば、上条達かみじょうたちなどグシャグシャの肉のかたまりになってしまう。
「(……チャンスです!!)」
 と、いつの間にか接近してきたレッサーが、同じように丘の斜面の雪の中に身を沈めながら、上条へ話しかけてくる。
 彼は目をいた。レッサーの言っている言葉の意味が分からなかった。
「(……どの辺がだ!! ロシア軍の方からも砲撃が始まっているじゃないか。このままじゃ戦車同士の乱戦になるぞ!!)」
「(……だからそのどさくさにまぎれてフィアンマの基地にもぐり込むんです)」
 レッサーはトラックから降りて戦闘せんとう態勢に入る駆動鎧パワードスーツをじっと見ながら、
「(……何で防衛にロシア軍が出てきたと思います? フィアンマが動きたくないからですよ。ここに潜伏せんぷくしている事を知られたくないか、それとも何らかの魔術的まじゅつてきな作業を行っているのか。とにかく今なら地上から基地へ向かえます。地下のルートを封じられた以上、ここから行くしかありません)」
 学園都市とロシア軍の砲撃戦が始まった。
 しかし、数十キロ先とはいえ、基地が兵器の射程に収まっている時点で、もう勝負は決したようなものだ。本来、防衛ラインはそれより手前に設けるものである。学園都市はすでに防衛ラインの部隊を撃破したか、あるいは超音速爆撃機を使って防衛ラインの内側へ急降下したか、といった所なのだろう。
 確かに、突入時の混乱に乗じて施設内に入れるかもしれない。
「(……具体的にどうするんだ? いくら連中が戦闘に没頭しているからつて、このままの格好で基地に向かえばすぐに気づかれてねらちされるぞ)」
「(……駆動鎧パワードスーツを奪います)」
 レッサーは『はがねの手袋』を両手でつかみ直した。
「(……あれは複雑な操縦技術を必要とする訳じゃないんでしょう。手足の動きに合わせて動くのなら、特に訓練を積んでいない私達でも操る事ができるはずです)」
「(……簡単に言うけどな、あれは三〇ミリのガトリングガンぐらいなら何とか耐えるレベルだぞ。俺の右手も全く通用しない。どうやって倒すんだ)」
「(……私が倒すに決まっているでしょう)」
 のそりと、レッサーは得物えものを手にした状態で、肉食じゅうのように体勢を低く保つ。
「(……彼らがあの基地の重要性を知っているかどうかは分かりませんが、あの装備ではフィアンマには勝てません。今は何らかの理由でフィアンマは動きたがらないようですが、本格的に基地が劣勢に立たされれば出てきます。そうなる前に侵入できなければ皆殺しになりますよ)」
「(……レッサーッ!!)」
「(……おめの言葉なら、ベッドの中で頭をなでなでしてもらいながら聞きますよ)」
 上条かみじょうの制止の声を無視して、レッサーは音もなく移動を始めてしまう。ねらいはすぐ近くを通り過ぎ、こちらに背を向けている駆動鎧パワードスーツのようだが、その機械の手には巨大なショットガンが握られていた。フランスのアビニョンでも見かけた、対シェルター用の兵器だ。
 一発でも浴びれば、人間など葬式に出せない状態になる。
 今のレッサーは、原始的なやり棍棒こんぼうで大型の肉食獣を仕留めるようなものだ。そういう伝統技術もあるのかもしれないが、はたで見ている分にはほとんど曲芸と変わらない。
「(……くそっ)」
 上条は雪の中に身を沈めたまま、口の中でつぶやく。
 レッサーのほかにも、懸念けねんがあった。
 そう、
「(……フィアンマの基地には、ロシア軍の他にも魔術師まじゅつしだっているはずだ。前に忍び込んだ時、フィアンマのいた大部屋には二〇〇人近いロシア成教の魔術師がいたんだから。そっちが出てきたら学園都市の優勢だってくつがえされてしまうかもしれない。にもかかわらず、その気配もない。その気配もないだけで、すでに戦線に投入されているのか。それとも、ロシア成教はまだ出てきていないのか。だとしたら、その理由は? フィアンマだって、あの基地を落とされたいとは思わないはずだ。なのに何でみすみす学園都市の軍勢を招くようなやり方で『温存』する必要がある?)」
 答えを期待するような言葉ではない。
 自分の頭の中の疑問を、自分の言葉で再確認するような作業に過ぎない。
 なのに、

『ん? 決まっているだろう。重要な右腕を持ったお前を招くためだよ』

 返答があった。
 ギョッとした上条は音源を探る。前後左右のどこでもなかった。声がしたのは上条の服の中からだ。
『俺様が誘導ゆうどうした大戦とはいえ、その辺の過当な砲撃ほうげきに巻き込まれて右腕を失われるのも困るしな。「何に使うかは知らないが、右方のフィアンマの計画に必要なものらしいから、とりあえずあのガキをぶっ殺しておくか」とか主張する連中が出てきても面倒だ。手っ取り早く回収するために、わざと「穴」を空けておいたという所かな』
 あわてて上着に手を差し込むと、そこには小麦粉を練って作られた小さな人形があった。
 それは上条かみじょうが右手で握った途端とたん、サラサラと崩れて冷たい風に流されてしまった。
「……、」
 エリザリーナ独立国同盟で、上条はフィアンマと遭遇そうぐうしていた。一応引き分けに終わったものの、サーシャ=クロイツェフは奪われ、一同はボロボロにされた。実質的には負けたも同然の戦いだった。
 あの時。
 妙にあっさり下がるな、とは思っていたのだ。
 フィアンマは上条の右腕を欲していて、戦闘せんとうでも庄倒していた。にもかかわらず、サーシャと上条の右腕を同時に運ぶのは効率が悪いというだけで、上条は見逃されていた。
 右方のフィアンマが、あの接触で何かの策を講じないとは考えなかったのか。もちろん、悪趣味あくしゅみなメッセージを残す、ただそれだけのためではないだろう。
 居場所を探る。
 探ればいつでも攻撃できる。
 正確に、精密に。
(まずい……ツ!!)
 笛のように甲高かんだかい音が上空から何重にも聞こえた。
 上条はとっさに顔を上げようとする。
 だが遅い。
 ゴツ!! と、白い大地を揺さぶるような震動しんどうひびき渡る。
 足元から。

  2

 セリック=G=キールノフはうめき声を上げた。
 ここはどこだ、と彼は思う。
 暗い部屋の中だった。中央に置いてある椅子いすに、セリックの体はしばり付けられている。前方、少しはなれた所に、四角い光の枠があった。おそらくは扉だろう。その隙間すきまから外の光がれているのだ。光源はそれだけしかなかった。窓も裸電球もないため、周囲にある物はぼんやりとしたシルエットしか見えない。
 鉄のような血のような。
 胸を圧迫するそのにおいに、セリックは不吉な予感を覚えていた。
 元々。
 彼には心当たりがあったからだ。
「……手短に済まそォか」
 声が聞こえた。
 ゴトリという音も続いた。
 音源は前だ。木の椅子いすを床に置いた何者かが、そこに腰掛けたようだった。ほとんど光源のない中、一対の赤いひとみだけが、真正面からセリックの顔をのぞき込んでいる。
「正直に言っても良い。うそをついても構わねェ。黙秘もくひでも問題はない。何にしても、俺の質問に対する反応から、オマエの頭の中を計測する。嘘発見器の発展系だ。どォせすぐに終わる」
 パチン!! という青白い閃光せんこうが、一瞬いっしゅんだけセリックの視界をおおった。
 カメラのフラッシュかと思った。
 だが違う。その正体は、高圧電流の火花だった。赤い瞳の人物のすぐ後ろに立っていた、別の少女の体から発せられたものだった。
 赤い瞳の人物は、肩越しに自分の親指で背後を示し、
「こいつは電気を操る。そォいう種類の能力者だ。能力者。分かるよな? 大覇だいは星祭せいさいぐらいはこっちでも中継しているンだろォし……何より、オマエの職業なら知ってて当然だ」
「……、」
 ぶわっ、とセリックの顔から汗が噴き出した。
 赤い瞳の人物は無視して語る。
「俺は、どォしてオマエみてェなのがこの辺りにもぐっていたのかを知りてェンだ。……ああ、だからなンて答えても構わねェぞ。どォせ後ろのガキが脳内の電気信号を全部計測しちまうンだからな。そう、そォだな。それじゃこォしよう。手順はこォだ。俺が質問する。オマエは何を探るためにエリザリーナ独立国同盟へやってきたのですか? オマエはこォ答える。上司の命令で重要な事を探っていました。これで良い。後は自分の口で言った内容を頭の中でどの程度肯定・否定するか、そのレベルをキーにして、後ろのガキがオマエの記憶きおく領域を探ればおしまいだ。多少デリカシーのない調べ方をするが、まァ気にすンな」
 しゃべるな、という訓練ならさんざん受けてきた。
 白状したと思わせておいて、虚偽の情報を流すための訓練も同様だ。
 しかし。
 賛同しても拒否しても、いずれにしても頭の中を探るなどと言われた場合、どうすれば阻止そしできるというのだろうか?
 セリック=G=キールノフはとにかくこう考えた。
 手順をませるな。
 敵が無条件で心の中を読み取れるのなら、意識を失っている間に情報を抜き取られていたはずだ。わざわざこうして『質問』しているのは、それが必要だからだ。なら、情報を入手するための手順を踏ませなければ、死守する事もできるかもしれない。
 抵抗の意思が宿る。
 反撃はんげきの糸口を見つける。
 そこで。
 一言も発していないセリックの内心を読んだかのように反応した赤いひとみの人物は、すいっと、人差し指をセリックの顔へ向けた。
 いや。
 厳密には、セリックの後ろに、だ。
(何が……)
 椅子いすに体をしばられているため、首を回しでも、背後については良く見えない。視界のはしにチラチラと何かが映るぐらいだ。
 ミシミシ、という音が聞こえたのはその時だった。
 細いひもで何かをきつく縛るような音にも似ていたが、もっと重く、不気味なひびきだった。
 有刺鉄線。
 鉄のような血のようなにおいが、改めてセリックの鼻から肺へもぐり込んだ。
 同時に、チラチラと見えていた物の正体が分かってきた。
 天井てんじょうの金具から垂れ下がった、何本もの有刺鉄線。その鋭い針金によって、一抱えほどもある肉のかたまりが縛り付けられていた。何の肉かは分からなかった。赤黒く、表面の皮はすべて取り払われているようだった。ぶら下がった肉の塊のあちこちには、わずかな布のような物が付着していた。
 そう。
 まるで。
 人間の頭と手足を切断し、皮膚ひふという皮膚をがし、有刺鉄線で縛ってぶら下げたらあんな感じになるのではないだろうか。
「―――ッ!!!???」
 セリック=G=キールノフは呼吸がおかしくなりそうだった。改めて見れば、有刺鉄線はほかにもぶら下がっていた。そちらには肉塊はなかった。代わりに、床には七つの塊が引き裂かれて転がっていた。重さに耐えられなかったのだろう。ぶら下がっている物と落ちている物と合わせて八つ。その数には覚えがあった。セリックたちのチームの人数だった。どれもこれも、肉塊には赤黒い布切れのようなものがまとわりついていた。随分ずいぶんと変色しているが、それにも見覚えがある。元々は、彼らが着ていたはずのものだ。
 薄暗うすぐらい部屋の中、赤いひとみだけを際立きわだたせる怪物が、静かに告げる。
「どいつもこいつも非協力的でな。後ろのガキに頭ン中を読ませるのが一番手っ取り早いのは分かっていても、ついつい暴力的になっちまう」
 がっがっがっががががががががっ、という奇怪な音が聞こえた。
 音源はセリックの足元。得体えたいの知れないふるえにおそわれた彼に連動するかのように、椅子いすの脚が床をたたいているのだ。
 それを無視して、赤い瞳の人物は口を裂くように笑うと、セリックの間近に顔を寄せてこう言った。
「もォ人質がいないンだ。あまり俺を困らせないでくれ」

 一方通行アクセラレータ番外個体ミサカワーストの二人はドアを開けて外へ出た。
 今まで彼らがいた場所は陰惨いんさん拷問ごうもん部屋などではなく、食肉保存用の倉庫だった。というより、エリザリーナ独立国同盟には、そもそも拷問部屋は存在しないらしい。
「しかしまぁ、あっさりしていたねえ。つまんにゃーい」
 番外個体ミサカワーストがそんな事を言う。
「曲がりなりにも、対拷問用の訓練を受けたロシアのスパイでしょ? 肉体的な暴力には耐性があるものだとばかり思っていたんだけど」
詐欺さぎの手法は昔から変わらねェ。正常な判断能力を与えるすきを奪う事だ」
 単純になぐるの暴力では、あのスパイの口を割る事はできなかっただろう。実際に刃物を使って皮膚ひふいでも無理だったかもしれない。
 だからこそ、ハッタリを使う必要があったのだ。
 百戦錬磨れんまのロシアのスパイだって、学園都市の能力者への対抗策など分かるはずもない。しかし、分からないなりに未知の存在と戦うためにロジックを構築しようとするだろう。
 そこへ、全く別方向からのショックを与える。
 そのために、わざわざ牛肉をブロック状に切って衣服の破片を取り付け、有刺鉄線でしばり付けておいたのだ。
 かくして、大きく揺さぶられたスパイの精神はあっさりと許容量を超えてしまい、パニック状態におちいってしまった。軍人にしろスパイにしろ、彼らが苦痛に強いのは痛覚が鈍いからではない。そうした苦痛に耐える精神を事前に整えているからだ。逆に言えば、その根本の所をかき乱せれば、泣き虫の子供と同じぐらいまで耐久力を落とす事もできる訳である。何しろ、軍人だろうが民間人だろうが、生物としての構造はあくまでも同じ人間なのだから。
 壁に背中を預ける一方通行アクセラレータ
 そんな彼に、まるで馬鹿ばかにしたような調子で番外個体ミサカワーストが口を開いた。
「けけっ。お優しい事で」
「あン?」
「ミサカはあなたに対抗するため、その行動パターンをある程度入力されている。打ち止めラストオーダーだの民間人だのならともかく、自分と敵対するプロの人間相手に、暴力を使わないでケリをつけるなんていうのは初めてなんじゃないの?」
「効率悪りぃ事やっても意味ねェだろォがよ。人肉で遊ぶよォな気分でもねェしな」
 き捨てるように一方通行アクセラレータは答えた。
「それとも何か、おじょうちゃンにゃ刺激が少なくて物足りなかったか?」
「いいやぁ。ミサカ、人をだますの大好き♪ それなりにプライドの高いプロの人間が、ありもしない恐怖におそわれて涙と鼻水だらけになる所なんてもうサイコーでしょ。きゃは☆」
 ぐにゃり、と。
 つぶれた果実のような笑みを浮かべる番外個体ミサカワースト
一方通行アクセラレータはわずかに舌打ちして、
「……その泣き虫野郎の話、どォ思う?」
「不自然な所だらけ。そもそも、ロシア軍はこの戦争に乗じて、前々から手に入れようとしていたエリザリーナ独立国同盟へ、空爆を含む本格的な侵攻作戦を展開させようとしていたんだよね。そんな状況でスパイを送り込む事自体が変でしょ。普通は空爆の前にスパイを撤退てったいさせるんじゃないかな。……使い捨てでもない限りは、けけっ」
「元々、撤退予定だったスパイたちは、数時間前に急きょ居残りを命じられた。しかも、それに合わせて追加のスパイまでエリザリーナ独立国同盟へもぐって来た始末だ」
「わお。まるで、ミサカ達がこの国へやって来たのと合わせたみたい」
 そういう見方もある。
 だとすれば、この軍事施設の中にひそんでいたスパイ達も気が気ではなかっただろう。
 空爆前にはエリザリーナ独立国同盟をはなれたい。だけどターゲットは自ら最も危険な場所へとみ込んでしまった。目的を果たすためには、スパイ達も一方通行アクセラレータの後を追わなくてはならない。
 だが。
「……それにしちゃあ、あのスパイは簡単に術中にハマり過ぎていた。思い描いていたよォに能力者と戦えなかったというよりは、そもそも能力者と戦う可能性を考えていなかった所に鉢会わせたよォな感じだった」
「機密レベルの関係で、ミサカ達をねらうにもかかわらず、ターゲットの詳細を説明されていなかったのかも? 詳しくは現場で無線でお知らせします、とか」
 番外個体ミサカワーストは適当に言う。
「あのスパイに与えられていた任務内容は何だったかにゃーん?」
「エリザリーナ独立国同盟の軍事施設内部の撮影。小型カメラを使った盗撮ミッションだ」
「何のために?」
「本格的な空爆の前に施設内部から機密文書を持ち出し、所定のポイントまで運ぶ事。具体的な指示は、モニタの向こうのだれかさンがやるはずだった」
 自分で言っておきながら、一方通行アクセラレータは首をひねりそうになった。
 彼が持っている『文書』と言えば、例の羊皮紙ようひしぐらいしかない。ロシア軍の上層部にとっては、そんなに重要な物なのだろうか。
「何にしても」
 一方通行アクセラレータは壁から背中をはなし、改めてつえに重心を預ける。
「その所定のポイントとやらに行けば、あの羊皮紙を必要としている人間に会える。つまり、解読方法も使い方も分かっている連中と、だ」
 それが、今も意識を失っている打ち止めラストオーダーを助けるための糸口にもつながっているかもしれない。となれば、向かわない訳にはいかないだろう。利己的だろうが何だろうが、軍の施設をおそってでも羊皮紙の中身についてかせる必要がある。
「ミサカ、そういう自分勝手な展開に色んな所がっちゃいそう☆」
「うるせェな。羊皮紙を運ぶ所定のポイントってのは、国境近くにあるロシア軍の前線基地だったな。俺はそっちを襲撃しゅうげきする。オマエはオマエの好きなよォにしろ」
「もっちろん、より血の流れそうな方についていくに決まっているじゃん。そういえば打ち止めラストオーダーはどうするの?」
「オマエに任せたらどォなる?」
「退屈しのぎに目も当てられない事になると思う」
 けけけと笑う番外個体ミサカワーストをぶんなぐってやろうかと思ったその時、一方通行アクセラレータの視界がふらっと揺れた。
 いや、違う。
 揺れているのは一方通行アクセラレータの視界ではない。
 これは、

  3

 ロシアとエリザリーナ独立国同盟の国境近くにある軍事基地。その奥深くにいる右方のフィアンマは、本の形をした霊装れいそうを使って通信を行っていた。
 相手はロシア成教の重鎮じゅうちん、ニコライ=トルストイ司教だ。
「さて、これでようやく面白おもしろくなってきたな」
 フィアンマは簡素な椅子いすに腰掛け、テーブルの上に置いた霊装れいそうへ声をかける。
「正直、協力しておいてもらって何だが、このロシアでのお前たちの戦果はお世辞にもめられん。面倒だが、この辺りで俺様がスコアの再調整を行うとしよう」
『どう言ってくれても結構』
 ニコライの口調は硬い。
『出し惜しみをするな。貴様はこう言ったのだぞ。サーシャ=クロイツェフを確保したと。ならば即刻あの兵器を投入しろ!! こうしている今もロシア側の兵力は削られつつあるという事を忘れるな!!』
出撃しゅつげき準備は終えている。すぐに出すさ。それで戦況は再び『見えなくなる』。学園都市お得意のコントロールはもうかん、真の戦争になる訳だ」
『何であれ、私は私の目的さえ達せられれば問題ない。その近道となる間であれば、貴様への助力も継続しよう』
「総大主教か。そこまでしてなりたいものか? 俺様の知っているローマ教皇は、それほど楽しそうな顔はしていなかったがな」
『たかがローマのトップと、我々ロシアのトップを混同してもらっては困る』
「そんなものか」
『それよりも』
 ニコライ=トルストイは声のトーンを低くして、ゆっくりとした口調で尋ねてくる。
『貴様、今はどこにいる?』
「知ってどうする」
『例の基地ではあるまい。その座標から貴様の反応は消えている』
「はは」
 確かに、『基地』の奥深くにいるはずのフィアンマは、小さく笑ってこう答えた。
「すぐに分かるさ。……いやでもな」

 起きた現象を目撃する事は容易だったかもしれない。しかし、それが具体的に何を意味していたかを知る事ができた者は少なかっただろう。
 おそらく、一番初めに気づいたのは、フィレンツェの市民団体の男性だっただろう。
 彼は歴史遺産保護のために、ほかの仲間達と共に、古い教会の前までやって来ていた。大戦の最中ではあるが、イタリアはまだ大々的な戦火には包まれていない。だが市内はピリピリとした空気に包まれていた。何がきっかけで大規模な暴動が起こるか分からなかった。
 時折感じる震動しんどうのようなものは、混乱に乗じた略奪行為で建物に火をけられ、都市ガスなどに引火したものだとウワサされていた。その中年男性もそう思っていた。
 しかし、中年男性がふと気づいた『それ』は、これまでのものとは違った。
 市街の少しはなれた所……『外』から伝わってくるものではなかった。
 『内』。
 つまり、教会の中からひびいてきたものだったのだ。
「……?」
 中年男性はゆっくりと振り返る。
 何かいやな予感がする。
 ミシミシ、という音が聞こえた。
 彼が守ろうとしていたもの。
 荘厳そうごんな教会の核とも言える、歴史ある尖塔せんとうが半ばから折れていた。重力を無視し、ふわりと浮かぶ構造物の中には、街の時間を告げ続けていた巨大なかねも含まれていた。
 何故壊なぜこわれたのか。
 何故浮かんでいるのか。
 彼の中にあった、常識が粉々に砕けていくのを自覚していた。
 そして、

 その時。
 フランスのモン=サン=ミシェル修道院から、巨大な尖塔が引き千切ちぎられた。

 その時。
 イタリアの聖マリア教会から、複数の柱が抜き取られた。

 その時。
 インドの聖ヨセフ教会から、荘厳なパイプオルガンが飛び出した。

 二〇億人以上の信徒を抱えるローマ正教は、長い歴史の中で世界各地にたくさんの教会や修道院を建造していた。様式も設計思想も、土地や時代、文化によって様々で、それが各々おのおのの建造物の個性を生み出していた。
 それらの教会や修道院から、特に重要とされる物品が取り外された。
 まるで磁石で吸い寄せられるかのように、そうした物品は一点へ飛来していった。
 ロシアへ。
 右方のフィアンマの待つ、極寒ごっかんの基地へと。
 数千、数万、数十万とかき集められた各文化の結晶は、一ヶ所に集まると複雑にからみ合った。始めから整えられたジグソーパズルのようではない。こわれた精密時計のために小さな歯車を自作するかのように、本来ならばその使い方をしないであろうパーツを、無理矢理にめ込めて別の新しい機能を生み出そうとしている。
 巨大な構造物の山は、一辺一〇キロ以上の基地の敷地しきち内にとどまらなかった。
 それ以上に膨張ぼうちょうした。
 そして、変化はそこに留まらなかった。
 さらに……。

 ゴッ!! という轟音ごうおん上条かみじょうの真下からひびき渡った。
 その事に気づいた時には、すでに上条の体は宙に浮かんでいた。
 そう錯覚さっかくした。
 しかし実際にはそうではなかった。上条が今の今まで立っていた雪の大地そのものが、地盤を大きく崩すように持ち上がったのだ。地面の下に埋まっているのは、学園都市の落下砲でつぶされた地下鉄の路線だ。そちらがフィアンマの基地の変化に合わせて、何かしらの動きを見せたのかもしれない。
 ふわり、と。
一瞬いっしゅんだけ、上条は重力を感じなくなった。
 直後だった。
 上条の立っていた場所が、がけのように切り立った。すぐ近くで駆動鎧パワードスーツ奇襲きしゅうを仕掛けようとしていたレッサーが、こちらを振り返って呆然ぼうぜんとしていた。手を伸ばそうとしたようだが、あまりにも距離きょりは遠い。レッサーは『崖』の下へ取り残されている。
「なん、だ……ッ!?」
 すさまじい震動しんどうに、上条はそれ以上立っていられなくなった。同じように持ち上げられていた学園都市の戦車や駆動鎧パワードスーツが、バラバラと崖のふちから落ちていくのが見えた。
 飛んでいる。
 上条の立っている地面と、フィアンマがいるであろう基地のあった地盤が。
 中央のロシア軍基地の施設や兵器を、雪と一緒いっしょに落としながら。
 一気に一〇メートルほど浮かび上がり、そこで最後の抵抗を引き千切ちぎった。ぐんっ! と加速度が増し、上条の周囲がきりのようなものに包まれた。異様な重圧に上条の体が地面へと押し潰されそうになる。しかし混乱しているひまはない。目を白黒させていると、いきなり現れた霧はすでに消えていた。
 青空が見えた。
 先ほどまでの、白い雪雲に包まれた景色はどこにもなかった。
 凍りつくような空気がのどを痛め、肺が上手うまく息を吸い込んでくれない。
 その意味を、上条かみじょうは知った。
(雲の上に……出た!?)
 ドンッ!!という爆音が上条の耳を打つ。
 つい先ほどまで空の一点にしか見えなかった超音速爆撃機ばくげききが、随分ずいぶんと大きく見えた。向こうも突然の状況に対して、あわてて回避かいひ行動を取ったのだろう。
 音はそれだけではない。
 ガシャガシャガチャガチャ!! と石の歯車をみ合わせるような低い轟音ごうおんが鳴りひびいていた。上条の立っている場所は、石を組んで作った巨大な橋のような場所だった。その橋の先、数十キロ先に、巨大なかたまりが見える。鮮明に映るのは、場所が空中であるため、地平線や建物などに視界がはばまれる事もなかったためでもあったが、それよりも構造物があまりにも巨大すぎたからだという事が挙げられる。
 城のような『本体』は中央にあり、そこから四方へ長い長い橋がかっている。長さは均一ではなく、一方だけ二倍以上の長さがあった。要塞ようさいの進んでいる方向を『前』とした場合、上条のいる場所が『後方』で、一つだけ異様に長いのが『右方』となるか。文化も時代も違う教会の壁や扉や尖塔せんとうなどを強引にかき集め、こうしている今も複雑に形を変えつつある。
 そういった数百年単位の重みを持つ構造物のほかに、鉄骨やパイプ、照明器具など、近代的な物体もかき集められていた。こちらは元々、地上の基地にあった備品か何かだろうか。全体的に、古い教会の修復工事をしている場面にも似た、奇妙な融合ゆうごうげている。
 成長しているのか、互いに共食いをしているのか。
 目の前の光景の意味すらつかめない上条の耳に、どこかから声が聞こえてきた。
 この空飛ぶ城の各所に、スピーカーでも取り付けられているのかもしれない。以前使われていた小麦粉の人形と違い、音声にはノイズが含まれていた。
『準備していたのは、巨大な霊装れいそうや施設などではない』
 右方のフィアンマ。
 大空に幻想殺しイマジンブレイカーという標的を閉じ込めた事で満足しているのか、彼の声の調子もどこか楽しげな色があった。
『こいつを組み上げるための空間さ。蓄えなど世界各地にあるからな。俺様は自分の貯金を切り崩すだけで良い。ただ、構築のためには無菌室のように作業場を整えなくてはならんのでな。そのための聖別に、莫大ばくだいな費用と時間、人手が必要になった訳だ』
 こうしている今も、上条の見ている前でなぞの要塞は膨張ぼうちょうしていた。
 それはほとんど、石を使った爆風だった。
『素材の量は問題じゃない。重要なのは、自己膨張するためのサイクルを作ってしまう事だ。そのサイクルを一度完成させてしまえば、後は補給なしに必要な分だけ拡張できる』
 ドッ!!と石の爆風が上条かみじょうのいる場所を突き抜けた。
 つい先ほどまで石の橋の上に立っていたはずの彼は、いつの間にか古めかしい室内にいた。フィアンマの基地からここまでは、数十キロの距離きょりがあった。すでにフィアンマの要塞ようさいは、ここまで拡張されてしまったという事か。
「……俺を乗せた事は間違いだったんじゃないのか?」
『逆だ。俺様の目的のためには、お前の右腕は絶対に必要な物なんだからな』
 含み笑いすら交えて、フィアンマの声はこう告げた。

『では歓迎しようか。俺様の城、「ベツレヘムの星」へ』

 ベツレヘムの星。
 右方のフィアンマが持ち出してきた以上、その名前にも宗教的・魔術的まじゅつてきな深い意味が込められているのだろう。
 彼の口ぶりからすれば、ローマ正教を操り、インデックスやサーシャをさらい、第三次世界大戦まで引き起こし、上条かみじょうの右腕を奪おうとする、一連の行動すべてに深く関係していそうな様子すらあった。
 この、上空三〇〇〇メートル以上、雲の上にまで出た要塞ようさいが。
 サイズは半径数十キロ。
 下手をすると学園都市がそのまま浮かんでいるかのような、圧倒的に不可解な情景。
 もちろん。
 目の前にある質量・重量に対し、浮力を得るために必要な機構を備えれば、どこまでサイズがふくらんだって物体は浮かぶ。小さかろうが大きかろうが風船は浮かぶのと同じ事だ。それが科学というものである。だから、巨大な物が浮かんでいる、というだけで大騒おおさわぎするのはナンセンスかもしれない。
 だが、そうした理論や理屈がどうだとか言う以前の問題として、これほどの人工物が安定感をもって大空に浮かんでいる……などという事実が、これまでの人類の歴史の中で存在しただろうか。
 史上初、という意味。
 船舶が生まれた時、自動車が生まれた時、飛行機が生まれた時。
 それと同じ。
 何かしら、人間というモノが支配できる領域を、決定的にじ曲げてしまうほどの破壊力はかいりょくを持った『きっかけ』が生まれてしまったのではないか。
 いやが応でもそう思わされるほどの異物感が全身を包む。
 確かに偉大な功績なのかもしれないが、同時にそれと匹敵するほどの負の側面をも抱えさせられるのではないかという巨大な不安がおそいかかってくる。
「……、」
 しかし、上条の心はそこで折れなかった。
 拘泥こうでいしなかった。
 やるべきは、フィアンマを倒してインデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうを破壊する事だけだ。
 けたの違い過ぎる要塞に閉じ込められた事で気が動転しそうになっていたが、冷静になれば、地上に取り残されるよりも希望は残されているはずだ。
 上条は一度だけ短く息をき、ようやく立ち上がった。
 いきなり上空に放り出されたので高山病のようにならないか不安だったが、若干じゃっかんこめかみの辺りに痛みが走る程度で、深刻な吐き気や呼吸障害、視野狭窄きょうさくなどは起こっていない。行動する分には問題ないだろう。
(……気圧や気温は地上と同じまま……? 要塞ようさいに変な結界でも張ってあるのか?)
 そういえば、要塞が雲を突き抜けた瞬間しゅんかん、雲が不自然な裂かれ方をしていた……ような気がする。もしかすると、球を上下からつぶしたような形のフィールドか何かで守られているのかもしれない。
 それが魔術的まじゅつてきにどれだけの労力を課すものか、具体的な計算はできない。
 だが、これだけの要塞を浮かばせている事と同様に、莫大ばくだいな資源や労力を要しているはずだ。
 二〇億人の信徒を束ねる大組織の力。
 その象徴と表現できるほどに。
(……わざわざこんな馬鹿ばかデカい施設を用意したんだ。フィアンマの最終的なねらいは分からないけど、そいつを成就じょうじゅするために、この『ベツレヘムの星』っていうのも必要なんだろう)
 考えながら、上条かみじょうは自分の右手に目をやる。
 適当な壁へてのひらを押し当てると、オレンジ色の光の亀裂きれつが走り、周囲一メートル程度が砕けた。しかし何らかの力が働いているのか、破片は落下せずに空中に浮かび、再び元の位置へ戻ろうとしている。おそらく、何らかの核があるのだ。
(……なら、そいつを破壊はかいする事で、フィアンマにもダメージを負わせられるって訳だ。フィアンマを捜すついでに、あちこちでやれる事は全部やっておこう。敵の戦力として配備されているものを、そのまま放っておく必要もないからな)
 当面の方針を決めた、その時だった。
 ゴツ!! という爆音が、上条の耳をたたいた。
 石の部屋には窓がめられていたが、そちらのガラスが粉々に砕けた。思わず耳をふさいだ上条が外へ目をやると、青空に複数の戦闘機せんとうきが舞っていた。
 学園都市製の戦闘機だ。
 ロシアの空を縦横に駆け巡っていた、最新鋭の科学の結晶。
 フィアンマの方もその機体を確認したのか、わずかに感情の起伏を抑えた声でこう告げた。
 盛り上がっていた所に水を差されたような調子だった。
『天使の媒体ばいたいサーシャ=クロイツェフ。一〇万三〇〇〇冊の遠隔えんかく制御霊装れいそう儀式場ぎしきじょうのベツレヘムの星。そして俺様の力を振るうに相応ふさわしいお前の右腕。必要な物はすべて手に入った事だし、そろそろ脇役わきやくにはご退場願おうか』
 いやな予感がした。
 しかし広大な要塞のどこにフィアンマがいるかもつかめていない以上、彼の言葉を止めるすべを上条は持たなかった。
 そして。
 右方のフィアンマは、静かにこう告げた。

『出撃だ、大天使「神の力ガブリエル」。全部吹き飛ばせ』

 ドンッ!!!!!! と。
 世界が夜へと変じた。
 一瞬いっしゅんにして黒く塗りつぶしたような夜空へと変質していた。
「うそ、だろ……」
 地球と月と太陽の位置関係すら手中に収める強大な魔術まじゅつ。それをの当たりにして、上条かみじょう呆然ぼうぜんつぶやいた。
 目の前の現象を理解できなかったのではない。
 知っていたからこそ、上条当麻とうまは限界まで目を見開いて、小刻みにふるえていたのだ。
 彼は目撃もくげきした事がある。
 天使の術式。
 天体の動きそのものに干渉し、自身の力を強化させ、指先一本動かさなくても地球人類を滅ぼすに足る、さらに強大な術式『一掃』への橋渡しとした超常現象。そもそも、これは正真正銘の天使の術式なのだ。ならば、それを扱う存在が何と呼ばれているかは明白だろう。
 夜空よりも顔を蒼白そうはくにした上条の耳に、フィアンマの言葉だけが届く。
 楽しそうに。
 演習で自慢じまんの兵器を見せびらかす軍人のように。

『いいや、この場合はミーシャ=クロイツェフと呼んだ方が良いのかな?』

 直後だった。
 漆黒しっこくの夜空に、何かしらの青い光点が垣間かいま見えた。
 凝視ぎょうしすれば、それは人の形に見えたかもしれない。それぐらいに距離きょりの開いた、ただの点にしか見えないほど小さな光。
 だが。
 音が消えた。
 青い光点から伸びた巨大なつばさのようなものが、見渡す限りの天空を水平に引き裂いた。
 爆音は、遅れて上条の耳に炸裂さくれつした。
 ロシアの高空を席巻していた無人戦闘機せんとうきの編隊が、数十機ほどまとめて爆散させられていた。一部生物的な動きを見せたのは有人機だろうか。それらのいくつかも主翼しゅよくを切断され、あわてたようにパラシュートで脱出していくのが分かる。
 破壊はかいはそこにとどまらない。
 あの青い光点は、あくまでも向かってくる無人戦闘機せんとうき編隊を吹き飛ばすためだけに巨大なつばさを振るったのだろう。しかし巨大な翼は途中で自壊じかいし、半分より先が折れてそのまま飛ばされていった。着弾点である地平線の近くで、巨大な爆発が起こった。
 莫大ばくだいな土のかたまりが舞い上げられる。
 山が一つ、丸ごと吹き飛ばされていた。
『ま、基とした「御使堕しエンゼルフォール」自体、偶発的な術式でしかなかったからな。そこからさらに派生させた召喚法では、安定に多少の問題はあるか』
 まともではなかった。
 数の差など一瞬いっしゅんで巻き返された。
 これでこそ天使。
 ただ圧倒的に君臨する者。
『とはいえ、これで多少は面白おもしろくなっただろう? 科学サイドには色々と秘密兵器を開陳かいちんしていただいたからな。魔術まじゅつサイドとしても、そろそろ本気を出させてもらおうか』

 そしてフィアンマは要塞ようさいの奥で笑う。
(……『ベツレヘムの星』はまだ不完全だ。学園都市の地上部隊にかされる形での浮上となったが、ミーシャ=クロイツェフを動かせた時点で俺様の勝ちは揺るがなくなった)
 そう。
 足りない物がある。
「あの羊皮紙ようひし
 フィアンマが手に入れた霊装れいそうは、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょを収めるインデックスへ自由にアクセスするための物だ。だがこれだけでは足りない。『天使』や『神の右席』など、本当の深奥しんおうに関する知識のいくつかが抜け落ちている。それを補完するための羊皮紙なのだ。あの知識の架け橋を手に入れ、『ベツレヘムの星』へフィードバックしてこそ、右方のフィアンマの計画は成就じょうじゅする。
「さて」
 右方のフィアンマはゆったりとした口調で告げる。
「それじゃあ『回収』と行こうか、ミーシャ=クロイツェフ。弱者といえど容赦ようしゃをする理由にはならん。遠慮えんりょなく、全力で取り戻して来い」

行間 四

 その変化は、御坂みさか美琴みこと目撃もくげきしていた。
 彼女は学園都市の超音速爆撃機HsB-02に乗り込んでいた。もちろん上層部の命令で軍事作戦に参加している訳ではない。やっているのはほとんど……いや完璧かんぺきにハイジャックだった。本来この機に乗るはずだった暗部の特殊部隊の連中は、第二三学区の格納庫に放置してある。
 爆撃機という特性からか、全長八〇メートルを超える巨体の割に、窓は最前部のコックピットにしか存在しない。美琴がそのコックピットにいたのは偶然だった。窓のほかにも、まともな座席のある場所がここしかなかったのだ。
 美琴は携帯端末たんまつの画面をパイロットに見せながら、
「とりあえず、ここまで近づいて。後は私が勝手にパラシュートで降りる。目的を済ませたら好きにして良いわよ」
 画面に映っているのは、録画したニュース番組の静止映像だった。
 雪原をバックにレポーターが何かを報告しようとしている所だが、画面のはしに、民間人とおぼしき東洋人の少年が映っていた。
 申し訳程度のテロップで、どこの都市から中継をしているのかも表示されていた。そこまで行けというのが、この可愛らしい暴君のご命令だった。
「……、こ、こんな事をして、自分がどれほどのリスクを負っているか分かっているのか?」
「こんな事?」
 美琴はまゆをひそめ、
「アンタこそ、こんな事をしようとしていた自分に何とも思わない訳? 元々はプロの暗殺部隊を、一介の高校生にぶつけようとしていた訳よね。その事に対して、何も」
「……、」
「リスクがどうのこうのなんて話は関係ないのよ。どこにでもいる高校生を殺すために全力を尽くすのと、どこにでもいる高校生を助けるために全力を尽くすの。アンタはどっちにつきたいと思う? どっちの方が胸を張れると思う?」
 淡々と問いかけると、パイロットはだまってしまった。
 美琴は自分が善人だとは思わないし、視界に入ったすべての他人が例外なく善意のかたまりだとは思っていない。『妹達シスターズ』や一方通行アクセラレータかかわったあの事件を経て、学園都市を取り巻く環境がどれほどどす黒いか、人間という生き物がどこまで容赦ようしゃがないのかは理解している。
 ただし。
 同時に、彼女はこうも思っているのだ。
 この世にいるありとあらゆるすべての人間が、例外なくどす黒いのではないのだと。あの地獄の『実験』から右手を差し伸べて美琴達みことたちを救ってくれた少年がそうであったように、美琴の呼びかけに応じてもう一度立ち上がってくれた『妹達シスターズ』のように、多くの人々の心の中には、どうしようもないやみや欲望と一緒いっしょに、ちっぽけだが力強い光が宿っているのだという事を。
 実際、パイロットがだまったのもそういう事だろう。
 暗部組織の『闇』に身を浸しながらも鼻で笑う事ができなかったのも、そういう事だろう。
 (……あーあ。こういうモードは私の柄じゃないんだけどな。変なもんが感染したか)
 美琴はガシガシと頭をいて、
 (それもこれも全部あの馬鹿ばかのせいだ! とりあえず発見次第ぶんなぐる!! 以上作戦会議終わり!!)
 その時だ。
 突然だった。
 ゴオッ!! と。眼下の白い雲の中から、何か巨大な物が急速に持ち上がってきたのだ。この超音速爆撃機ばくげききも全長八〇メートルを超える大型機だが、それが小さな羽虫はむしに見えるほどのスケールだった。一〇キロ単位の巨大構造物。街を丸ごと一つ浮かべているかのような、(ただでさえ常識外れと椰輸やゆされる学園都市の)科学の常識を無視した光景だった。
 無茶苦茶むちゃくちゃなデザインだった。
 時代も文化も違う、石造りの建物を無理矢理に引きはがして粘土のかたまりのようにね合わせた、まさに『塊』だった。しかも、こうしている今も歯車のように生物のように、刻一刻と形を変えつつある。
(……何よ、あれ)
 美琴は強化ガラスへ身を近づけ、食い入るように『塊』を眺める。
 あれほどの構造物が空に浮かんでいるのは、もはやギネス記録に載るのではないだろうか。つばさやロケットエンジンのようなものは見当たらないが、となると、浮力はどうやって確保しているのだろう。中身は空洞で、気球や飛行船のようになっているのだろうか。
 さらに、
(……何でうごめいてんのよ。それとも、自律型のロボットの集合体みたいなもんなの?)
 だが、美琴が本当におどろいていた理由は、その巨大な『塊』そのものではない。
『塊』のはし
 石橋のように伸びた構造物の先端せんたんに、見慣れたツンツン頭の少年の顔が見えた……ような気がしたのだ。
(う、そ……ッ!?)
 美琴があわてて確認しようとした時には、すでに猛烈な速度で超音速爆撃機はそのポイントを通過していた。窓の位置が限られるので、首を巡らせてももう見えない。
 思いもよらぬ光景を前にほうけていた美琴みことだったが、パイロットの方はそうのんびりと構えていられなかった。
かたまり』から真横に突き出した尖塔せんとうが、超音速爆撃機ばくげききの胴体に激突しそうになったからだ。
 あわてて操縦桿そうじゅうかんを動かすと、ぐんっ!! と一気に慣性の力が働いた。シートベルトをめていなかった美琴にとっては、ほとんど無重力を経験するのにも等しい。数秒だが、確実に彼女の体は宙を浮いていた。
 ドスンと座席の上に落ちた美琴だったが、文句を言っているひまはなかった。
 変化はとどまらない。
 今度は、雲の上に出た事で、あらゆる天候を無視した青空が、いきなり電灯のスイッチを切ったかのような真夜中に変じたのだ。一〇キロ単位の巨大構造物と会わせて、もう冗談のような光景にしか思えなかった。
 やみの中に、光があった。
 暗い空に浮かぶ月のようなかがやき。
 だが違う。
 その正体は……重力を無視してふわりと浮かぶ、人のようなシルエットだった。あまりにも距離きょりはなれていて顔ははっきりと分からない。だがこれだけは言える。あれはまともな人間ではないだろう。
 何故なぜならば。
 その背中から、つばさのようなものが生えていたからだ。
 水晶のような孔雀くじゃくのような、不可思議な翼。短いものは一メートル以下、長いものは一〇〇メートル以上。それら長さの不均一な翼が、数十本も生えている。
 疑問を感じる暇はなかった。
 翼が振るわれた。
 いかに巨大なサイズとはいえ、一〇〇メートル程度など、『大空』のスケールでは間合いの内には入らない。現に、超音速爆撃機ははるかに離れた所を飛んでいたはずだ。
 にもかかわらず。

 パカァン!! と。
 最新の非金属素材で作られたHsB-02の胴体が、いきなり真っ二つにされた。

 コックピットを縦に裂く斬撃ざんげきだった。いいや違う。今の一撃で、たった一発で、八〇メートル近い巨体が完全に切り裂かれてしまっていた。
うそでしょオイ!!」
 高空特有の、突き刺すような冷気を美琴みことほおに感じた。
 次の瞬間しゅんかんには、彼女の体は機内から三〇〇〇メートルの空へと放り出されていた。
 叫び声を上げる事すらできなかった。
 視界のはしで同乗していたパイロットがパラシュートを背負ったまま錐揉きりもみ状態になっているのが見えた。彼は助かりそうだが、この場ではあてにならないだろう。そもそも、美琴を助ける義理すらないのだから。
 だが美琴は、落下の恐怖よりも、あの巨大構造物からはなれてしまう怒りの方が強かった。彼女の小さな体は、こうしている今も雲を突き抜けて地面へ向かっている。やっとつかんだと思っていた物が、するりと抜け出ていくのを明確に感じる。
 とはいえ、このまま墜落死ついらくししては仕方がない。
(くっ!! ど、どうする!?)
 美琴は意識を切り替え、目線を地面へと向ける。もう激突まで一〇〇〇メートルもない。そして、はるか下方に金属のかたまりを見つけた。
 攻撃こうげきヘリだ。
 学園都市かロシア軍か、どちらのものかは分からなかったが、利用できる以上は利用させでもらう。
 美琴は磁力を操作した。
 攻撃ヘリに張りつくためではない。この高度と速度だ。接触すれば生身の体などつぶれてしまう。重要なのは、明確に張りつかない程度の半端はんぱな磁力なのだ。
 彼女の体が攻撃ヘリのすぐ真横を突き抜ける。
 同時に自分の体と攻撃ヘリの間に磁力線をつなげ、強力に干渉していく。
 明確に張りつかず、しかし確実に美琴の体を攻撃ヘリの方へ押し上げようとする力。それは、クッションのように柔らかく美琴の落下速度を落としていった。段階的に力を強め、『減速の衝撃しょうげきで自分の体を潰さない、しかし確実に墜落死を回避かいひできる程度』の加減を繊細せんさいに調整しながら、美琴は白い雪原に向けて迷わず進んでいく。
 ガクン、とヘリの方もわずかに高度を下げた。
 はたから見れば、透明なロープでヘリから降下しようとしているように感じられたかもしれない。
 美琴は雪の上に足を乗せると、完全に磁力を遮断しゃだんした。
「さて……」
 戦場のど真ん中だった。人工物のほぼ存在しない原野のそこかしこに、学園都市とロシア軍の戦車や装甲車などが展開されている。やはりと言うべきか、破壊はかいされているのはロシア側の兵器ばかりだ。
 美琴みことは燃料の燃えるいやにおいを鼻に感じながら、真上を見上げていた。
 彼女の強力な磁力を使ってでも、流石さすがにここから三〇〇〇メートルまで飛び上がるのは無理だろう。
 「どうやって雲の上を目指そうかしらね」
 ポツリとつぶやいた美琴は、そこで背後からくしゃりと雪をむ音を聞いた。
 磁気の状態から、一〇メートルほど後方に人体の反応がある事を確認する。
 鋭く振り返ると、
 「……アンタ……」
 美琴はそこで動きを止めた。
 相手の表情は変わらない。
 学園都市製のF2000Rではなく、カラシニコフとか呼ばれている木と鉄を組み合わせたライフルを持った少女は、こんな事を言ってきた。
「ミサカの検体番号シリアルナンバーは一〇七七七号です、とミサカは言葉を詰まらせたお姉様オリジナル懇切丁寧こんせつていねいな答えを返します」
「ひょっとして、ロシアの学園都市協力機関にいた訳!?」
「そちらの撤退てったい戦が完了しましたので、後はプライベートな時間を過ごす事にしました、とミサカは物騒ぶっそうなライフル片手にバカンス気分を報告します」
「プライベートって……」
 あきれたように言う美琴に、一〇七七七号は真上を指差し、
お姉様オリジナルもプライベートでは? とミサカは確認を取ります」
「……そりゃ仕事じゃないけどさ」

第七章 天空に皆殺しの天使 MISHA_the_Angel_”GABRIEL”.

  1

 巨大な震動しんどうは、エリザリーナ独立国同盟の野戦病院にもおそいかかった。
 その時、浜面はまづら仕上しあげは、エリザリーナが滝壺たきつぼ理后りこうへ『治療ちりょう』を行うのを、少しはなれた所で眺めていた。
 滝壺は応急用のストレッチャーの上に乗せられたまま、酸素吸引用の透明なマスクをつけられていた。チューブの先には酸素ボンベではなく、複数の乾燥した植物をすりつぶした香のようなものにつなげてある。エリザリーナの話によると、これで滝壺の体の中にまった『体晶たいしょう』を取り除けるらしいのだが……。
 そこへ激震が襲った。
 ストレッチャーの上から、滝壺の体が床へと落ちる。
「ちくしょう、何だ!? 滝壺!!」
 悲鳴のような声を上げて彼女の元へ駆け寄ろうとした浜面だったが、エリザリーナは片手で制した。
 エリザリーナは、その病的に細い指で滝壺のマスクを外しながら、
「問題はないわ。処置も完了。これで、この子の体の中にあった毒素は取り除かれた」
「……、」
 あまりにもあっさりと言われて、浜面は実感がかなかった。
 あれだけ浜面や滝壺の前に立ちふさがっていた『体晶』の問題。
 それが。
 こんなにも、簡単に……?
 そこへ、エリザリーナは注釈するように付け加える。
「とはいえ、これは未消化の毒素を取り除いただけ。すでにむしばまれた部位を丸ごと交換した訳じゃない。体調はある程度回復するけど、それで完治という訳じゃないわ。薬物の後遺症のようなものについては、別のアプローチから治療法を探すしかない」
 香の中でくすぶっている小さな火種を消し、エリザリーナはつぶやく。
「……無理矢理な方法でステータスを高めても反動が大きくなるだけなのに。科学的な効率っていうのは、いつになっても好かないわね」
 部屋のドアが、バン!! と勢い良く開かれた。
 顔を出したのは一方通行アクセラレータだ。
「おい、外の様子は確認したか!? どォなってやがンだ、くそったれが!!」
「フィアンマね。まさか四界を揺るがすとは……」
 まゆをひそめると、エリザリーナは一方通行アクセラレータのいるドアの向こうへと消えていった。野戦病院とはいえ、元々は古いとりでのような場所だ。ここには窓がないので、外の様子は分からない。
 浜面はまづらも気になったが、今はそれよりも滝壺たきつぼだ。
 床に倒れた滝壺をストレッチャーの上へ戻そうと、浜面は彼女の体を抱えようとした。と、そこで違和感に気づく。今までのように、泥の詰まった袋を持ち上げようとするような感触はない。もっと軽かった。滝壺自身が体重を移動させようと気を配っているからだ。
 体の隅々にまで、彼女の意思が戻っている。
 浜面には、その事が何よりも大きな変化の象徴のように思えた。
「はまづら……?」
大丈夫だいじょうぶだ」
 言った浜面の方が、安堵あんどのあまり力が抜けてしまった。
 逆に滝壺の小さな手で抱きめられるような格好になったまま、浜面はとにかく口を動かす。
「後で詳しい事は全部話す。だから今は、これだけ言わせてくれ。もう大丈夫だ。まだ完治とは言えないし、やっぱり後遺症みたいなものを全部いやすには、学園都市の力がいるとは思う。でも、とりあえず、『体晶たいしょう』のせいで、これ以上体調が悪化する事はもうない。命の危機だって去った。だから大丈夫だ。……ここから先は、俺たちの方が仕掛ける番だ」
 久しぶりに感じた滝壺の体温は、ありきたりな女の子のものだった。
 風邪かぜのように不自然な高熱はない。
 しばしその事を確かめていた浜面は、やがてゆっくりと引きはなすように、滝壺の体から離れた。
 彼女はもう、自分の足で起き上がる事ができた。
 ストレッチャーに腰掛ける滝壺に、浜面は改めてゆっくりと声をかける。
「今、看護師を呼んでくる。水はいるか? 食欲があるようなら、果物とかももらってくるけど」
「はまづら。これからどうするの?」
「本気で学園都市とやり合うなら、いつまでもここにはいられない。予定通り、エリザリーナ独立国同盟を介する事で、学園都市の追っ手をく事はできたんだ。もう一度ロシアに入って、彼らと交渉するための材料を探す」
 そこまで告げると、浜面は言葉を切った。
 滝壺の目を見て言う。
「でも、それは二人一緒いっしょにやらなきゃいけない訳じゃねえ。お前はまだみ上がりだ。ここで待ってくれても……」
「はまづら」
 滝壺たきつぼさえぎるようにこう答えた。
「口づけと平手打ち、どっちをすれば目が覚める?」
「そういう事を言われると、逆に置いて行きたくなるよ」
 浜面はまづらは乱暴な手つきで滝壺の頭をでると、ドアの方を見た。
「アシを探そう。恩人の車を盗むのは気が引けるけどな」
 と。
 その時だった。
 浜面の視界のはしに、散らばった書類が見えた。ここは臨時の野戦病院だが、本来はエリザリーナ独立国同盟の軍が機材を持ち込んで利用していた軍事施設だ。急遽医療きゅうきょいりょう施設として使い始めたため、軍関連の機材や資料も残っているようだ。
 問題となっているのは、ファックスの束だ。
 浜面にロシア語は読めないが、一緒いっしょに添付された写真には見覚えがあった。
 ディグルヴたちのいる集落だ。
「……独立国同盟の加入希望地域と、その問題点について」
 浜面の後ろからのぞき込んだ滝壺が、報告書に書かれていたロシア語を読んでくれた。浜面はまゆをひそめて、
「つまり……ディグルヴ達の集落が、エリザリーナ独立国同盟に入りたがっていたっていうのか?」
 元々、エリザリーナ独立国同盟との国境に隣接りんせつしている集落で、ロシア軍から接収されそうになっていた土地だ。いやがらせのように地雷をかれ、プライベーティアからの襲撃しゅうげきもあった。エリザリーナ独立国同盟の一員となる事で、ロシア側の横暴から逃れたいと思うのは、そう不可解な意見ではない。
 しかし、あの集落の現状をかんがみれば分かる通り、この国の人々は、国境のすぐ外で苦しんでいるディグルヴ達の集落を受け入れてはくれなかった。
 報告書にある『その問題点』とは何なのだろうか。
「集落や、そこに住んでいる人達に問題がある訳じゃないみたい」
「どういう事だ?」
「集落の近くに、冷戦当時の核ミサイル発射サイロがあるの。その性質上、普通の基地とははなされて、森の中に隠してあるんだって」
 滝壺の口から飛び出してきた言葉に、浜面はギョッとした。
 彼女は報告書をめくりながら、
「サイロ自体は、放置されて何十年も経過している。ミサイル自体も撤去てっきょ済み。ただの廃墟はいきょだね。でも、あの集落や周辺の土地を独立国同盟として加入させてしまうと、『エリザリーナ独立国同盟は、ロシアの核発射施設のノウハウを手に入れようとしている』と判断されてしまう懸念けねんがある。だから、あの集落がどれだけ求めてきても、手を差し伸べる事はできないんだって」
「ふざけやがって……」
 思わずき捨てるように、浜面はまづらつぶやいていた。
 核発射サイロなんて、ディグルヴたちの持ち物ではない。ロシア軍が勝手に作った施設なのに、そのせいでディグルヴ達は自由を失い、地雷やプライベーティアの脅威きょういにさらされている。学園都市の駐留軍が到着したから良かったものの、それが遅れていれば彼らは皆殺しにされていたかもしれなかったのだ。
「クレムリン・レポート……?」
 しかし、理不尽りふじんはそこにとどまらなかった。
 滝壺たきつぼはさらに別の報告書を手に取り、こんな事を言ってきたのだ。
「……まずいよ、はまづら」
「何だよそのレポート。この辺の気象データみたいな図がついてるけど」
「風向きと気温、湿度の数値みたい。細菌の拡散状況を予測するためのデータなんだと思うけど」
「……、細菌だって?」
 不穏ふおんな言葉に肩を強張こわばらせる浜面。
 滝壺はクレムリン・レポートなるファックスの束に目をやったまま、
「送信元はロシア軍。クレムリン・レポートのオリジナルと、補足資料をまとめてファックスしている。自国内で行う正規の軍事作戦を正当化させるため、形式的だけでも『警告』を発するパフォーマンスをしたいみたい。実際、送信時間はたった数時間前で、こんなものを見せられても大規模な避難ひなん活動なんてできるはずもないけど。おそらくこれは、エリザリーナ独立国同盟に対するおどしなんだと思う。次はお前だ、って示すために」
「細菌って何の事だ? それがディグルヴ達とどうかかわっているっていうんだ!!」
「ロシア軍で、クレムリン・レポートっていう核発射施設防衛マニュアルが発令されたみたい。細菌兵器を散布する事で、占拠された、あるいは占拠されそうになっている発射施設を取り戻すための計画。それが……」
「ディグルヴ達の集落の近くにある、核発射サイロに使われるのかよ!? 自分の国だぞ。ロシア軍の人間は見境なしに細菌兵器をばらくつもりか!!」
 眩暈めまいがしそうになった。
 しかし、核発射サイロと、ディグルヴの集落を守るために駐留している学園都市の部隊の位置関係をかんがみると、そのクレムリン・レポートとやらの対象になる可能性は否定できない。
「あのサイロは使われなくなって何十年もっているって話じゃなかったのか? ミサイルだって撤去てっきょされているって」
「発射機能自体は生きている。ミサイルだって外部から持ち込める。近年ようやく試作型の投入にこぎつけたロシアのミサイル防衛もうは国境線に集中配備していて、国内のサイロから発射される事については考慮こうりょされていない」
「……、つまり、あのサイロから発射されるミサイルは、どこでも自由に落とせるって訳か」
「弾道ミサイルが素通りする恐怖は、当の開発者であるロシア軍上層部が一番理解しているはず。彼らはその阻止そしのためなら、何だってやると思う」
「ちくしょう……」
 このままでは、ロシアの国土を守るなんて大義名分を掲げられて、核発射サイロの周辺に殺人ウィルスをばらかれてしまう。そうなったらディグルヴたちの集落だって巻き込まれる。わざわざ『兵器』と銘打つほどのウィルスだ。どれほどの死亡率を誇っているかは想像もしたくない。
「散布予定時刻は?」
「分からない。ただ、風向きの関係でエリザリーナ独立国同盟へ細菌兵器がやってくる可能性は少ないようだけど、本当に危険な状態になれば、あのエリザリーナって人は民間人に避難ひなん勧告を送ると思う」
 いつ散布されるかは分からない。
 こうしている今にも作戦は決行されるかもしれない。浜面はまづら達が止めるために動き出した所で、タイミングを会わせたように巻き込まれてしまう可能性だって否定できない。
 しかし、
滝壺たきつぼ。ここで待っていてくれるか」
「クレムリン・レポートに使われる『細菌の壁』の軍事技術を学園都市との交渉材料にするの? でも、軍用細菌学自体なら学園都市にとって特別な事では―――」
「そうじゃない」
 浜面は一言で否定した。
「ディグルヴ達を放っておけない。俺達にとってはリスクにしかならないのは承知している。でも、あいつらを見捨てたくない。だって、こんなの間違ってるだろ!! 俺だって今までまともな道を進んできた訳じゃない。暴力を使ってたくさんの人を苦しめてきた。でも、こいつはそんなレベルを軽く超えてる。止めるのが異常なんじゃない。本来なら起きる事が異常なはずなのに!! 何でどいつもこいつも真顔で進める方向になってんだ!?」
「……、」
 滝壺埋后りこうはしばらく浜面の目を見ていた。
 やがて彼女もうなずいた。
「分かった。私も行く」
「滝壺?」
「あの集落ではほとんど会話もできなかったけど、でも、あそこの人たちがしてくれた事はちゃんと覚えている。私だって、あの人連のために戦いたい」
「後悔はしないな」
「はまづらこそ」
 彼らは互いの顔を見てうなずくと、二人そろって病室の出口へ向かう。
 こんな事をしている場合ではないのは分かっている。学園都市との交渉材料は依然見つからないし、戦争の本格化したロシアでは自分達とは全然無関係な戦闘せんとうに巻き込まれただけでも簡単に命を落としかねない。そんな中で、余計な回り道をしても寿命を縮めるだけだ。
 浜面はまづら仕上しあげは、そういった条件をすべて頭の中で確認する。
 その上で、彼はもう一度、強く思った。
 だが借りがある。

  2

 叫び声が聞こえた。
 人間のものではない。
 もっと異質で、人間の心の中へと抵抗なくすべり込み、否応いやおうなく感情を揺さぶってしまう咆哮ほうこう。黒板をつめで引っく音よりも拒絶したいのに、それを拒絶する事すらもものすごい罪悪感の伴う、受け入れがたく切り捨て難い不可解な叫び。人間の声帯の限界を軽く突破したその声が、墨汁ぼくじゅうで塗りつぶしたような夜の戦場へひびき渡る。
 天使。
 神の力ガブリエル
 ミーシャ=クロイツェフ。
「や、めろ」
 上条かみじょうの口が、思わず動いていた。
 やみの中にあるただ一つの光のように、広大な戦場の中に何かが浮かび上がっていた。それは青白い光だった。高度三〇〇〇メートル以上の空で不自然に静止しているのは、人の形にも似たシルエットだった。
 シルエットの背中から、つばさが生えていた。
 水晶のような氷の翼。
 長さは不均一だった。数十センチ程度の物もあれば、一〇〇メートルを超える物もある。それぞれ独立した動きを見せる不揃いの翼は、ギチギチと互いの身をぶつけ会い、不気味な火花を散らせていた。その翼の全てが、触れただけで山を切断するほどの破壊力はかいりょくを秘めている事を、上条は知っていた。
 ギチギチとしなり、ほんのわずかにつばさが力を蓄えた。
 それだけで、十分だった。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおツツツ!!!!!!」
 ちっぽけな人間の声になど、何の意味もなかった。
 翼は振るわれた。
 破壊はかい斬撃ざんげきあらしが生み出された。
 最新のテクノロジーで作られた学園都市の戦闘機せんとうきや超音速爆撃機が輪切りにされた。いくつかの氷の翼は意図的に分解し、数百数千の破片の刃となって、地上で展開していた機甲部隊の真上へ降り注いだ。莫大ばくだい衝撃波しょうげきはが発生し、大空を飛んでいるはずの『ベツレヘムの星』にまで細かい揺れがおそいかかってきた。
 ガラスの割れた窓から下をのぞくが、分厚い雲におおわれて様子は見えなかった。所々に切れ目があるが、そこからでもやはり安否はつかめない。地上で莫大な量の雪が舞い上げられており、カーテンのようになっていたからだ。
「くそ……」
 遠くに見える大天使の真下だけ、分厚い雲が半径数十メートル単位で、ぽっかりと穴が空いていた。大量の破片をち下ろした時に、局地的に雲を吹き散らして天候そのものをじ曲げてしまったのだろう。
 輪切りにされた戦闘機から、パラシュートで見知らぬパイロットが脱出していた。
 大天使は気に留めない。
 氷の翼を向ける事もない。
 しかしそれは慈悲や優しさによるものではなかった。『神の力ガブリエル』が別の爆撃機に氷の翼を振るうと、鉄塔のような翼によって発生した突風だけでみくちゃにされ、パラシュートの浮力を失ってしまったのだ。
 予備のパラシュートがあれば助かるかもしれないが、そうでなければ死への道をけられない。
 戦争、という言葉では収まらなかった。
 天罰てんばつ
 無理矢理に刻みつけられた言葉に、上条かみじょうはゴクリと息をむ。
(……『ベツレヘムの星』だけじゃない。フィアンマの野郎、サーシャをさらったのは、あれだけの大天使を戦力として投入するためか!?)
「くそっ!!」
 ほうけている場合ではない。上条はとにかく石の室内を飛び出して、『ベツレヘムの星』を走る事にした。あの天使はフィアンマの命令を受けているようだった。しかしいつでも使える戦力であれば、もっと早い段階から使っていただろう。
『ベツレヘムの星』の浮上と関係しているかもしれない。
 大天使を動かすかぎのような物があるのだとすれば、それを破壊はかいするか、使用者であろうフィアンマ自身を倒す事で『神の力ガブリエル』を止められるかもしれない。
 もちろん、上条かみじょう魔術まじゅつサイドの事は良く分からない。
 しかし、
(関係ない)
 今も聞こえる複数の爆音を耳にして、上条は走りながら歯を食いしばる。
(だったら、あの天使が動かなくなるまで重要そうな物は片っぱしからぶっこわしてやる!!)
 いくつかの部屋を抜けると、その先は大空だった。
 道幅の広い石橋だったが、左右に手すりのようなものはない。突風と爆発の衝撃波しょうげきはが、上条の体を横から揺さぶろうとしていた。暗い空は、深夜の海のような底なしの不安を与えてきた。
 いちいち止まっているひまはない。
 いかに学園都市の精鋭部隊とはいえ、あんな怪物相手では太刀打たちうちできないだろう。このままでは良いようにデモンストレーションの的に使われてしまうだけだ。直接的には戦えなくても、間接的にあの天使を止められる可能性を手にしているのは、上条だけである。
 一〇〇メートルほどの長さの石橋を一気に走り抜ける。
『対岸』にあった別の部屋へと扉を開ける上条。
 パイプオルガンのような複雑な機構が一面に広がっていた。魔術的なものかもしれないし、パズルのように組み立てられた装飾の一つに過ぎないかもしれない。仮に魔術的なものだったとしても、天使とは関係ないかもしれない。
 確かめる方法は簡単だった。
 とにかく右手で触って、壊れるかどうか確かめれば良い。
 そう思って部屋の奥へとみ込んだ上条だったが、
「―――ッ!?」
 そこで、彼の息が詰まった。
 真横。礼拝堂のように、部屋に並べられた長椅子ながいすの陰に隠れていた人物から、いきなり脇腹わきばらへ体当たりを浴びせられたからだ。
 二人して床へとたたきつけられる。
 衝撃で呼吸困難におちいった上条の体は反射的に息を吸い込む動作を求めたが、彼は無理にそれを押しとどめて、息を止めたまま床を転がろうとした。倒れ込んだ状態では、どちらの体が上になるかで勝負が決まってしまう。襲撃者しゅうげきしゃも同じ事を考えているらしく、転がるように体勢の取り合いを行おうとする。
 しかし、襲撃者しゅうげきしゃの体が長椅子ながいすにぶつかった。
 動きが止まった所で、上条かみじょうおおかぶさるように体を襲撃者の腹へ乗り上げた。
 こんな所にいるという事は、ローマ正教かロシア成教の精鋭か。
 思わずこぶしを振り下ろそうとした上条だったが、
「あれ……?」
 そこで、ピクリと動きが止まった。
 見覚えのある顔だったからだ。
 目元を隠すようなウエーブの長い金髪。拘束具のような黒いベルトと、インナーそのもののような赤い透ける素材の衣装。年齢は上条よりも幼かった。腰のベルトには金槌かなづちのこぎりなど、工具を人体用に改造した拷問具ごうもんぐが差し込んであった。
 厳密には、見覚えのあると言っても知り合いではない。
 何しろ、上条が彼女を初めて見た時、彼女は『入れ替わっていた』のだから。
 一瞬いっしゅん、名前を混同しそうになるが、上条はどうにか襲撃者の名前をつぶやいた。
「サーシャ=クロイツェフ……?」

  3

 エリザリーナは重苦しい野戦病院の中を早足で歩く。
 元々、古い時代のとりでを利用した軍事施設だった事もあり、窓の数は限られていた。その小さな窓をのぞく前から、違和感はあった。しかし明確に窓の外へ目をやり、『目撃者』となったエリザリーナは、ほとんど自分の意思とは無関係にくちびるを動かしていた。
「なんて事……」
 夜が広がっていた。
 星一つない暗闇くらやみの中に、世界中の教会や修道院をかき集めたような、巨大な城が浮かんでいた。
 そして。
 異様な夜を照らす月のように、青白い『何か』が闇の中を泳いでいた。

 巨大なつばさを備えた、人間のシルエット。
 天使。
天使の力テレズマ』として部分的に扱う事はあっても、それそのものを直接目にする機会など、通常ならまず考えられない事だった。首謀者しゅぼうしゃフィアンマが何を考えているか知らないが、あれはもう小惑星の衝突しょうとつよりも重大な危機だった。刃向かう敵を倒すために、地球全体に氷河期を招くようなものなのだ。
「……、」
 そんなエリザリーナを、一方通行アクセラレータは壁に背を預けて観察していた。とはいえ、彼も数少ない窓に吸い寄せられただけだ。意識の大半はエリザリーナの背中ではなく、窓の外へと向けられている。
 なぞの存在エイワスは、ロシアへ行けと言っていた。
 そこで見つけた羊皮紙ようひしは、国境付近にあったロシア軍の前線基地から空へと浮かんだ、あの要塞ようさいへ届けられる予定らしかった。
 その要塞から、あの『天使』らしきものが現れ、こうしている今も学園都市の精鋭へ大規模な攻撃こうげきを仕掛けているようだった。
 そう。
 天使。
(……まさにドンピシャ。俺や、あのガキが無理矢理にかかわらせられた『なぞ』の中心核)
 九月三〇日には、木原きはら数多あまたとの戦いの過程で一方通行アクセラレータは『巨大な光のつばさの乱舞』を目撃している。その出現には打ち止めラストオーダーが関わっているらしい。そして、ヒューズ=カザキリというらしい、その『巨大な光の翼の乱舞』を基に、あのエイワスは現れた。
 今、ロシアの夜空を蹂躙じゅうりんしているあの『天使』が同質の存在であるとすれば。あの巨大な要塞には、その『天使』を出現させたり、制御させたりするための手段があるとすれば。
(その技術は、『天使』の動きを抑制したり、追い出したりするためにも応用できるかもしれねェ。『天使』だ何だで苦しめられているあのガキにとって、まさに突破口になる!!)
 そこで窓の外を眺めていたエリザリーナが、不意にこちらへ振り返った。
 彼女は言う。
「逃げなさい」
「何だって?」
「早く!! 今すぐ行方をくらまさないとヤツらが来るわ!!」
「ヤツらってのはどこのだれだ!? 俺がねらわれる理由は!?」
 互いに叫ぶが、先に頭を冷やしたのはエリザリーナの方だった。彼女は努めて冷静な声で、
「……この戦争を起こした元凶となる人物は、おそらくあの城の中にいるわ。仮に『天使』を自在に操れるとしたら、いかに学園都市でも絶望的ね。もしも彼らがその脅威きょういを正しく理解しているのだとすれば、核弾頭が使われる可能性も考慮こりょした方が良い。でも」
「でも、何だ」
「あの城は、まだ完成していない」
 エリザリーナはチラリと窓の方へ目をやり、
「あなたの持っていた羊皮紙ようひしがそれを証明している。あれが、首謀者しゅぼうしゃフィアンマが軍を使ってでも自分の手元へ運ばせたかった重要書類だとしたら、羊皮紙がフィアンマの元に届いていない時点で、すべてのピースが集まっていない事を示しているでしょう」
 一方通行アクセラレータは自分のふところにある、使い道も分からない羊皮紙の束へ意識を集中させる。
「……わざわざ、秘密裏に運ばせよォとしていた資料」
「どんな目的で使うものにせよ、フィアンマの大仰な計画に必要であるなら、彼らは『最後のピース』を取り戻すために、全兵力を注ぐはずよ。……下手へたをすると、『天使』を使ってでも」
 エリザリーナはゆっくりと話す。
「今のインデックスの一〇万三〇〇〇冊は、フィアンマがほぼ完壁かんぺき掌握しょうあくしている。しかし過去の事例から、『天使』や『神の右席』に関する深い情報までは収録されていない可能性もあるらしいわね。その羊皮紙は、抜け落ちた『穴』をふさぐためのものではないかしら。一〇万三〇〇〇冊と組み合わせる事で、最大の効果を発揮する『知識の架け橋』なのよ」
「インデックス……?」
 一方通行アクセラレータひとみが、かすかに危険な光を帯びた。
 エイワスは、禁書目録という言葉を覚えておけと言っていた。
 学園都市最強の超能力者レベル5を倒した無能力者レベル0は、Index-Librorum-Prohibitorumという文字を残していた。
 ここでもまた、つながった。
 世界の暗部と。
 一方通行アクセラレータですら全貌ぜんぼうの分からない、しかし確かに一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーの根幹にかかわっているであろう、未知なる法則と。
(……あのクソ野郎の無能力者レベル0。一体、俺の何歩先まで進ンでいやがったンだ……?)
 そんな一方通行アクセラレータの思考に気づかないまま、エリザリーナは続けて言う。
「だからあなたの身が危ないの。どんな風貌の人間が奪ったか、それぐらいの情報は向こうにも報告されているはずだし、残念ながら私の拠点にもスパイはもぐり込んでいた。今すぐ羊皮紙を手放したとしても、行方を探るためにあなたを捕らえかねない」
「手放すかよ……」
 一方通行アクセラレータはポツリと呟いた。
「あのガキを、『天使』だなンてふざけたメルヘンから解き放つための、最後のかぎになるかもしれねェンだ。だったら、なおさら手放せるかよ」
「なら急ぎなさい。正直に言うわ。フィアンマやロシア軍が本腰を入れたら、独立国同盟だけでは守りきれない。ここで玉砕するつもりがないのなら、反撃はんげきのためにも姿を隠すべきよ」
 エリザリーナの言葉に触発されるように、一方通行アクセラレータは視線を別の方向に向けた。
 応じたのは番外個体ミサカワーストだ。
「あいよー。最終信号ラストオーダーは回収してくる」
 彼女はひらひらと手を振り、病室の方へと足を向けながら、気軽な調子でこう続けた。
「しかし武器は欲しいね。旧式の銃器でも良い。でもこっちのライフルは反動が大きいって話だし、片腕が折れている今じゃ逆にお荷物になるのかねえ。かといって拳銃けんじゅうだけだとパワーに不安があるし、困った困った。AKのイメージが強いせいかもしれないけど、こっちのサブマシンガンって良いのそろってるの?」
「?」
 まゆをひそめるエリザリーナの方も見ずに、番外個体ミサカワーストはなれた所にある打ち止めラストオーダーの病室のドアを開けながら、
「どうせ、ミサカを助けるほどのお人好ひとよしの事だ。できるだけ羊皮紙ようひしを持っている所をロシア側に見せつけながら逃亡して、独立国同盟から兵を遠ざけようと考えるに決まっているしね。いひひ」
 おどろいたエリザリーナが詳細を尋ねようとした時には、もう番外個体ミサカワーストは病室の中へと入ってしまっていた。代わりに、エリザリーナは一方通行アクセラレータの方へ振り返る。
 彼はギチギチと歯軌はぎしりをしながら、
「(……あの野郎。本当にイイ性格をしていやがる。俺を困らせる事しか考えちゃいねェ)」
「ど、どういう事なの? 彼女の言っている事が本当だとすれば、それはあまりにも無謀むぼうすぎるわ!!」
 大声で言うエリザリーナへ追い払うように手を振りながら、一方通行アクセラレータはいかにも言いたくなかったような調子で短くつぶやいた。
「……サービスだよ、クソッたれが」

  4

 本来の時刻に会わない夜空。浮かび上がる『ベツレヘムの星』。そして人工的な手段で引きずり降ろされた、不完全なる大天使。
 何もかもがゆがみ切った世界を、かつて後方のアックアと呼ばれていた傭兵ようへい、ウィリアム=オルウェルは静かに見据えていた。プライベーティアの駐留基地をつぶした後、フィアンマの要塞ようさいへと向かう途中の雪原だったが、どうやら間に合わなかったようだ。
 右方のフィアンマはここまで来た。
 己が目的のために『天使の力テレズマ』を利用するのは、近代西洋魔術まじゅつではめずらしい事ではない。だが、それもここまでの総量となれば話は別だ。ここまでの事態はまともではない。技術の問題でできるできないという事もそうだが、それ以上に、世界全人類を残さず虐殺ぎゃくさつできるほどの力を、こうも簡単に取り出して使用してしまう事も驚異的きょういてきだった。
 とはいえ。
 大天使は大天使。
 相手は『神の子』の受胎を通達し、十字教の始まりに深くかかわった者として畏敬いけいの念を集める一方、悪逆の都へ天のばつを執行した事で恐れられるほどの存在だ。いかに『聖人』といえど、『神の右席』といえど、真正面からそのままぶつかって勝てるような相手ではない。いいや、ありとあらゆる人間の力を結集させたとしても、あの大天使を倒せるかどうかはなぞだった。
 端的たんてきに言おう。
 あの大天使は、個人で第三次世界大戦を終わらせるほどの力がある。
 勝ちとか負けとかの問題ではない。
 すべての勢力の全ての人間を皆殺しにして、戦争を継続できない状況におちいらせるという意味での『終わらせる』だ。
(なるほど、フィアンマが増長するのもうなずける)
 ウィリアム=オルウェルは率直に認めた。
 認めた上で、彼の決意は揺らぐ事を知らない。
(だが忘れたのか。この私が、一体『神の右席』の何をつかさどっていたのかを)

  5

 バチカン市国。
 ペテロ=ヨグディス枢機卿すうききゅうは聖堂の中央から窓へと近寄った。ここからではロシアの状況を見る事はできない。そして魔術的まじゅつてきなモニタリングならだまっていても部下から報告が上がってくる。しかし、老人は思わず窓へ駆け寄っていた。そうせざるを得ないほどの、莫大ばくだいな力の圧力を受け取っていた。
 神々こうごうしき力の奔流ほんりゅう
 大天使。
 神の力ガブリエル
「おお……」
 枢機卿ののどから感嘆の声がれる。彼の周囲にいる司祭や司教といった面々も、ある者はゆっくりとした動作で十字を切り、ある者は新約の一節を口ずさんでいた。常に偉大な父に見守られているとはいえ、それらの存在をこれほど強く感じられる機会はまれだ。敬虔けいけんな者であれば、涙を流しても何ら恥じる事のない場面だった。
 ただし。
 ペテロ=ヨグディスだけは、ほかとは全く違う感動を抱いていた。
 彼は『黒幕』の計画の詳細を知らない。協力関係もない。しかし右方のフィアンマという人物が起こしているらしき事は理解している。そして、これから起こる事が何であれ、それがペテロ=ヨグディス自身にとってプラスに働くものであれば、何であっても構わない。
 つまり。
 この機に乗じて、教皇の座を奪えるのなら。
 ロシア成教の司教と通じる思考になったのは、境遇に共通項があるからか。
(……ロシアでの学園都市部隊の活動記録を追っていた時は多少あせりもしたが、これで我々の勝利は確定ではないか! 教皇選挙も私のにらんだ通りに始まろうとしている。この私こそが次代の教皇として世界を導く存在になれる!!)
 イタリア全土では暴動のきぎしが見えているようだが、枢機卿すうききょうの知った事ではなかった。昼から夜へ、急激に景色が切り替わった事も混乱に拍車をかけるだろう。ハレー彗星すいせいの存在が社会規模の不安を生み出したのと同じように。だが関係はない。民衆の中には、『暴動が適度なレベルにとどまるように』ローマ正教のエージェントをもぐらせてあるし、その程度では制御しきれなくなっても、それより優先すべき事がある。まずは自分の立場を固める。その上で、ローマ正教の部隊を投入して市民をだまらせる。それで何も問題はない。被害は許容の範囲に収まり、瓦礫がれき一緒いっしょに死体の処分を済ませたころには、ペテロ=ヨグディスの名は世界で最も主に近い位置まで上り詰めている。
 だが。
「ペテロ=ヨグディス枢機卿!!」
 突然、この場には相応ふさわしくない身分の僧兵が駆け込んできた。
緊急きんきゅう事態です!! 教皇選挙は一時中断されます! 我らで守りを固めますので、枢機卿は奥へお下がりください!!」
「……、」
 わずかな苛立いらだちがつのった。
 窓のそばにいたペテロ=ヨグディスは、天空に向けていた視線を地上へと下ろす。分厚い壁にはばまれてローマ市内の様子は見えなかったが、喧噪けんそうらしきものは聞こえてきた。暴動だ。素直にローマ市内で暴れていれば良かったものを、バチカンの方へ流れを変えたらしい。やはり、民衆の中に潜らせておいたローマ正教のエージェントだけでは抑えられなかったようだ。
「教皇選挙は予定通り実施する」
「し、しかし!!」
「ローマ正教の部隊を動かして鎮圧ちんあつしろ。烏合うごうの衆は血の洗礼で黙るものだ。我らの大きな流れをくつがえすには至らん」
「無理です!! その指示は我々の命令系統上、競合を起こしています!! 我々はあの集団に対して防備を固める事はできても、ほこを向ける事はできません!!」
 なに? とペテロ=ヨグディスの表情がくもった。
 理解のできない返答だった。現状、ローマ教皇が不在の中ではペテロ=ヨグディスたち枢機卿すうききょう』が最大の発言権を持つ。そして、彼は数多くの枢機卿の中で最も強い力を持った人物だった。つまり、『表向きの力』なら、ペテロ=ヨグディスの命令は絶対であるはずだった。
 しかし、僧兵は従わない。
 彼はその理由をこう述べた。
「ローマ教皇です……」
 絞り出すような声。
 それでいて、心のどこかでは待ち望んでいたかのような声。
「我らがローマ教皇が、暴走しかかっていた市民を一声で沈静化させたのです!! 彼は今からこちらへ入国します! 我らにその歩みを止めるすべはありません!!」

 ローマ教皇。
『彼』がローマの市街で行った事は、そんなに特別なものではなかった。
 皆に声を掛け、近づき、話を聞き、逆立っていた神経をゆっくりと時間をかけてなだめていく
 それだけだった。
 普通であれば、五万人規模の暴動にふくれ上がろうとしていた民衆に袋叩ふくろだたきにされてもおかしくない状況だった。それどころか、彼の言動をきっかけに壊滅的かいめつてきな爆発が起こっていたかもしれなかった。
 にもかかわらず。
 戦時中の、戦う事こそが当然で、立ち止まる事だけで悪とみなされるような、異様な熱を持った特殊な集団心理の中でさえ。
 その言葉に、皆が『人間』を取り戻した。魔術的まじゅつてきに感情を揺さぶる効果を与えた訳でもない、集団心理に作用するように計算された演説用の原稿を読み上げている訳でもない。たった一人の老人の言葉は、ただゆっくりと皆の間へみ渡り、広まっていき、一人、また一人と銃や刃物を下ろしていった。
 もちろん。
 世の中はシンプルな善と悪の天秤てんびんだけで構成されている訳ではない。市民の中には、意図的に暴動を望む方向へあおっていたローマ正教のエージェントも混じっていた。彼らは無秩序むちつじょな暴動の広がりは求めていないが、民衆がローマ教皇の力として静かに吸収される事はもっと危険視した。だからこそ、不利になった状況をくつがえすため、『一発の銃声』を使おうとした。一度安定しかかった群衆へさらに刺激を与える事で、より強力な跳ね返りを引き起こそうとしたのである。こういう時は、未知の魔術まじゅつを使うよりも分かりやすい銃声の方が大きなパニックを誘発ゆうはつしやすい。二〇億人という大集団を束ねる術をマニュアル化したローマ正教の面々は、そこまで考慮こうりょして『一発の銃声』を選択したのだ。
 なのに。
(ダメだ……)
 プロの暗殺者は、ふところへ手を伸ばす事もできなかった。多くの市民をなだめ、決着は私が着けると語るローマ教皇を、だれねらつ事はできなかった。
 根底にあるのは恐怖だった。
 腹の奥から来る鉛のような重圧が、本物の暗殺者の指先をも止めていたのだ。
 ただし、その恐怖は幾度となく殺し合いを続けてきた暗殺者たちが、一度も味わった事のない奇妙なものだった。

(この人だけは、この人が作る小さな流れだけは、絶対に断ち切らせてはダメだ……ッ!!)

 そして、ローマ教皇の進軍が始まった。
 行く手には分かりやすい刺客しかくも、分かりにくい刺客も、多くの人間が立ちふさがっていた。しかしローマ教皇は何も言わなかった。構えも取らなかった。ただ、前へと進んだ。それだけで、皆が道をゆずり、武器や霊装れいそうを取り落とし、中には涙ながらに俄悔ざんげする者もいた。いつの間にか、老人の通る道をなぞるように、多くの者が付き従った。熱病のような感情の渦に心を支配された訳ではない、ただ静かな歩みだった。
 バチカン市国の国境となる正門を守っていた僧兵達は、ローマ教皇の帰還を前に、ゆっくりと十字を切った。
 き事が訪れますように、との声もあった。
 老人は突き進む。
 その一歩一歩が、世界大戦という大きな魔物まものに対する人間の抵抗だった。
 剣と銃の代わりに、理性と博愛を武器とする、人としての価値が試される戦いだった。
「……いやだ……」
 ペテロ=ヨグディスは真正面から聖堂に入ってきた老人を見て、首を横に振った。
 泣き出す寸前の子供のような表情だった。
「嫌だ!!!!!! わっ、私はっ、この私が次の教皇だ!! もう決まった事だ!! 貴様はただの亡霊だ! もう出番などない!! こっ、殺せ。こんなヤツがいたからローマ正教の混乱は起こったのだ!! 私が教皇になれば、今の何倍も何十倍も豊かな暮らしを約束してやる!! だから殺せェェェええええええええええええええええええええええええッ!!」
「……、」
「何をしている!! 僧兵、貴様らに託したやりは何のためにあるものだ!? 敵を突け!! 付き従う愚民どもも串刺くしざしにしろ!! そうでなければならんのだ!! この私が治める世界のためにはそれしかないのだ!!」
「案ずるな」
 重々しい老人の声が、癇癪かんしゃくを起こしたようなペテロ=ヨグディスを一瞬いっしゅんだまらせた。
「教皇選挙が行われるのなら、私にそれを止める意思はない。ローマ正教混乱の責任を問うのであれば、死刑台に向かう事も視野に入れよう。私は、もはやローマ教皇などではない。一人の信徒、マタイ=リースとして、この戦争を止めるためにここへ来た」
「な、に……?」
「フィアンマの手で半壊はんかいされた聖ピエトロ大聖堂の地下には、かつてイギリス製の禁書目録を案内したほどの、莫大ばくだいな知識量を誇る大書庫があったはずだ。それを閲覧させてもらおう。フイアンマの神殿にあらがうための策が眠っているかもしれないからな」
 そこまで言うと、マタイ=リースは前へみ出した。
 ペテロ=ヨグディスは磁石の同じ極同士を近づけるように後ろへ下がる。しかしすぐに壁へぶつかった。首を横に振る枢機卿すうききょうへ、老人はさらに接近する。
 殺される。
 頭の奥から自然と、そんな思いが浮かび上がってきた。ここまでやってきた事を考えれば当然の事だった。マタイ=リースの手に武器や霊装れいそうはないが、そんなものは何の気休めにもならない。彼の魔術まじゅつの腕は知っていたし、そんな物を使わなくても、号令一つで市民も、僧兵も、司教たちも、皆我を失ってペテロ=ヨグディスを八つ裂きにするだろう。結局、彼には本当の味方などだれもいなかった。
 なのに。
 ぽん、とマタイ=リースはペテロ=ヨグディスの肩に手を置いた。それだけだった。柔らかい動作だった。そして、自ら教皇の座を捨てた男は、それを奪おうとした男へこう言ったのだ。
「このつらい情勢の中、よく二〇億人の信徒達を束ねておいてくれたな。私が眠っている間、ここにいる皆が生き延びてこれたのは、まぎれもなくお前の手腕のおかげだろう。お前の言う通り、私は無能な指導者だった。私だけでは、おそらくもっと被害を拡大させていたはずだ」
 笑顔だった。
 相手をあぎむくための演技でも、皮肉や嘲弄ちょうろうを含むゆがんだものでもない。ただの信徒となったマタイ=リースは、心の底からペテロ=ヨグディスの躍進やくしんを祝福していた。
「教皇選挙の際は、是非ぜひ私も呼んでくれ。私はお前に投票しよう。一番苦しい矢面やおもてに立って、極限の選択を何度も行い、皆の命を守ってきたお前には、それだけの資格がある。微力ながら、お前の進む道へ協力させてくれ」
 それだけ言って、マタイ=リースは身をひるがえした。
「良いか。これはお前を生き延びさせるための戦いだ。だから、戦争が終わるその時まで、絶対に死ぬんじゃないぞ」
 教皇という立場を捨てたはずなのに、マタイ=リースの力強い背中には、ペテロ=ヨグディスが求めていたもののすべてが備わっているように見えた。
 信じるもののために新たな戦場へと向かって行った一人の老人を見送る事もできずに、財を求めて奔走ほんそうし続けたペテロ=ヨグディスは泣き崩れた。

  6

「サーシャ=クロイツェフ……?」
 上条かみじょう当麻とうまは馬乗りになったまま、ポツリとつぶやいた。
 思考はまとまらなかった。
 ミーシャ=クロイツェフと呼ばれる大天使は、こうしている今も人工の夜空を舞い、学園都市の勢力をたたつぶそうとしているはずだ。
 しかし、サーシャ=クロイツェフは彼の目の前にいる。
 拘束具のような衣装で華奢きゃしゃな体をめ付けている金髪の少女は、かすかに首をかしげると、
「第一の質問ですが、あなたは何故なぜ私の名前を知っているのですか?」
「どこから説明すりゃ良いんだ……? ええと、実は八月の終わりに会った事はあるんだけど、でもあれは厳密にはミーシャ=クロイツェフであって、俺とお前は直接的に話をした事はないんだけど、でも『入れ替わる』前の元の肉体がサーシャ=クロイツェフだっていうのは神裂かんざき土御門つちみかどから聞いていて―――」
「……、」
 話が終わる前に、サーシャは身をひねって、上に乗っかっている上条を振り落とすように回転した。ぎゃあ! と叫び声を上げる上条を長い前髪の奥から不審そうな目で見る。
「第一の解答ですが、あなたからはかんばしい説明は得られないものと判断しました。補足説明しますと、この『ベツレヘムの星』に搭乗している以上、敵性人物である可能性も極めて高いと推測しています。これは儀式場ぎしきじょうから逃亡した私を捕縛ほばくしに来た要員でしょうか」 ジャギンッ!! と腰のベルトからのこぎりとL字の釘抜きバールを引き抜いた。
 上条の頭から血の気が引いていく。
「わあ!! ミーシャになってもサーシャになってもこんな感じか!? 大体、あの天使は一体何なんだ!? お前とは本当に関係がないのか!!」
 ほとんどパニック状態で口を開く上条に対し、サーシャはわずかに沈黙ちんもくした。じり、と警戒するけもののような感じで、数歩後ろへ下がりながら、
(……この男が不審人物であるのは変わりなさそうですが、彼は私の『体質』について、何かを知っている素振りにも見えます……)
 引っ掛かったのは、八月の終わり、という所だ。
 ちょうど、その辺りを境にサーシャは妙な『体質』を得ている。他者の魔力まりょく霊装れいそうに近づくと、胸に圧迫を感じる、というものだ。ロシア成教の分析班の話だと、どうも『大天使』クラスの膨大ぼうだいな力が体内に収まっていたような反応があったらしいのだが……。
 サーシャはチラリと拷問ごうもん用ののこぎりに目をやり、
(……ここで話を聞き出す事もできますが、この男、単なる馬鹿ばかなのか意図して諷々ひょうひょうとしているのかつかみ切れません。あからさまに正面から質問はしない方が、正しい答えへの近道になるのかも)
 無言で方針を固めるサーシャに、上条かみじょうはこんな事を尋ねた。
「右方のフィアンマって男を知っているかエリザリーナ独立国同盟から、お前をここまでさらってきたヤツなんだけど」
「……?」
「そいつが何かをしているはずなんだ」
 上条は、この石造りの部屋のドアの方に目をやり、
「そうでもないと、あんな怪物が出てくるはずがない。フィアンマはお前を『天使の媒体ばいたい』とか何とか呼んでいた。率直に言う。あいつはお前を使って天使を呼び出したりしなかったか?」
 天使の召喚。
 ……などと呼んでしまうといかにも馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれない。しかし上条はその恐ろしさを知っている。魔術的まじゅつてきには八月の終わりの『御使堕しエンゼルフォール』の事件で、科学的には九月三〇日のヒューズ=カザキリで。
 フィアンマが行っているのは、そのレベルの脅威きょういだ。
 と同時に、上条はこうも考えていた。天使というのは、そうそう簡単に扱えるものではない。必ず『下地』がいる。それはミーシャ=クロイツェフの時の『御使堕しエンゼルフォール』の魔法陣まほうじんでもあるし、ヒューズ=カザキリの時のAIM拡散力場でもある。何にしても、大規模な仕込みに支えられていて、それを取り除かれると、少なくともこの世界では行動ができなくなる。
 今回のかぎは分かっている。
 サーシャ=クロイツェフ。
 彼女を起点に驚異的きょういてきな天使が出現したのであれば、サーシャは何か重要な霊装などと接触していたかもしれない。『もしもそんなものがあれば』という前提はつくが、天使を行動不能に追いやるために何を破壊はかいすれば良いか、サーシャは知っている可能性が出てくる。
「良いか。何でも良いんだ。まず、フィアンマはこの『ベツレヘムの星』のどこで天使を呼び出す魔術……この場合は儀式ぎしきって言うのか? とにかくアクションを起こした場所を教えてほしい。あと、大雑把おおざっぱで良いから手順も。その時、どんな道具をどういう風に使っていたかも知りたい」
 当然ながら、上条かみじょう魔術まじゅつなんて知らない。
 しかし、彼の右手は知る知らないなどかかわりなく、異能の力に関する現象・物品を打ち消し、破壊はかいする効力を持つ。話に出てきた物を片っぱしから破壊していけば、ミーシャの撃破げきはつながっていくかもしれなかった。
 サーシャは突然こんな事を言ってきた上条に、まだ不審がっているようだった。
 が、こうしている今も、大空では大天使が飛び回り、学園都市の航空部隊やロシアの地上に向けて、大規模な攻撃を放っているのは震動しんどうで分かるのだろう。『共通の利害』を接点に、サーシャはポツリポツリと口を開く。
「……第二の解答ですが、私が目を覚ました時には、すでに儀式ぎしきは終わっていました。だからこそ逃亡できたのかもしれません。周囲には首謀者しゅぼうしゃほかに多数のロシア成教の魔術師まじゅつしが存在し、通常であればここまで逃げられなかったでしょう。言ってしまえば、難事を終えた後、一瞬いっしゅんだけ緊張きんちょうの糸がゆるんだすきに、私は儀式場を飛び出しただけなのですから」
「それでも良い。逃げる前に、儀式場で何かを見なかったか?」
 あのフィアンマがそんな簡単に隙を見せるだろうか、そして、数キロの距離きょりを一瞬で詰めるフィアンマから『逃げる』事などできるのだろうか、と上条は内心でいぶかしんだが、ここでは口には出さなかった。天空の要塞ようさいに閉じ込めた事で逃げ場はないと判断したのかもしれない。
 サーシャの方は、そんな上条の考えに気づいていないようで、
「第三の解答ですが、儀式場は十字教系の様式でした。四大属性の内、特に『火』を集中的に運用する奇妙な作り……。本来、攻撃手段としての極端きょくたんな使用法を別にすると、儀式では四大属性は四つワンセットそろって初めて効果が得られるとされていますが、その、フィアンマと呼ばれる男の儀式場は、あまりにも一色で統一されていて……」
 そんな説明が続いた。
 しかし上条は、ふと自分の右手に目をやった。
 別の方法があるかもしれない。
 フィアンマはサーシャを使ってあの大天使を呼び出した。今回は『御使堕しエンゼルフォール』のようにサーシャの体内に宿ったのではなく、純粋な大天使が外気に露出ろしゅつしている。しかし一方で、『サーシャを利用してミーシャを呼び出した』のなら、同一の理屈が応用されている可能性は高い。やはり、大天使の存在を安定させるためにサーシャは必要だったのだ。
 だとすると、幽体離脱のようにサーシャとミーシャは繋がっているのかもしれない。その場合、上条の幻想殺しイマジンブレイカーが使える。サーシャと接触する事で、ミーシャに直接ダメージを与えられるかもしれない。何しろ、天使とは魔術的な力のかたまりのような存在らしいのだから。
(……こうしている今も、ミーシャ=クロイツェフは辺りへメチャクチャな攻撃を行っている。学園都市やロシア軍はもちろん、周りの民家にも被害が出ているかもしれない)
 上条かみじょうは調子を確かめるように、右手を閉じたり開いたりしながら、
 (だったら、試せる事は全部試すしかない。今ここで動けるのは、俺たちしかいないんだ!!)
「補足説明しますと、儀式場ぎしきじょうの場所は……要塞ようさいの進行方向から見ると、この『ベツレヘムの星』の最右部のはし。おそらく、これも『火』を象徴する天使『神の如き者ミカエル』の記号を利用しようとしているのでしょう。かなり徹底てっていしたやり方ですが、一方で、今戦場を舞っている天使は『神の力ガブリエル』、つまり『水』を意味する所に私はとても強い違和感を覚えていま―――ひゃわんっっっ!?」
 突然サーシャが背筋を強張こわばらせ、変な声を出した。
 上条の右手が彼女のほっぺたに伸びたからだ。
 小刻みにふるえるサーシャの様子に気づかず、上条はさらに頭、肩、わき、おなか太股ふとももなどをぺたぺたと触っていき、
「……違う。ここも違う、ここも、ここも。くそ、ミ-シャの方に変化はないな。この方法じゃ駄目だめなのか。一応背中の方も試してから。それにしてもなんてメチャクチャな衣装なんだ……」
「……、」
 ブツブツ言っている上条に対し、サーシャは無言でL字の釘抜きバールをブン回した。
 バガン!! と。峰打ち状態にし、直角に折れた角の部分を使った横殴よこなぐりの一撃いちげきが、上条かみじょうのこめかみへ容赦ようしゃなくクリーンヒットする。
「……第二の質問ですが、あなたはワシリーサと同じたましいを持つ者ですか?」

「ぎゃぶっ!? なに、こっふ! 何だって、わしりーさ!?」
 床に転がりびくびくと手足をふるわせながら、上条は朦朧もうろうとした調子で叫ぶ。サーシャはさらに釘抜きバールの直角部分を一、三回ほど振り下ろしたが、ここでメタメタにしても事態は進展しないと感じたのだろう、顔を真っ赤にしながらもひとまず拷問具ごうもんぐをベルトにしまう。
「第四の解答ですが、フィアンマなる人物の儀式場ぎしきじょうは高級ではありましたが、使っている霊装れいそうそのものはポピュラーなものでした。あれだけで『天使』ほどの存在を制御できるとは思えません」
 ……『特別製』はサーシャ本人であり、その性能を引き出すための道具は、普通の性能でも十分だったのかもしれない。
「ただ、補足説明しますと、見た事のない霊装が一つだけありました」
「霊装!?」
 上条は思わずいついた。
 インデックスの遠隔えんかく制御霊装にかかわっているかもしれない。
「第五の解答ですが、具体的には『つえ』です。いいえ、元々、『火』の象徴武器シンボリックウエポンは『棒』や『杖』ですので、それ自体は不思議な事ではありません」
「それが、どう引っ掛かっているんだ」
「補足説明しますと、通常、『火』の象徴武器シンボリックウエポンとしての『杖』は、赤く塗った本体の先端せんたんに、棒磁石を差し込む事で完成させます。しかし、あの『杖』はそうではありませんでした」
「?」
「さらに補足説明しますと、具体的には、こう、てのひらに収まるサイズの円筒形で、側面には細いリングがいくつもありました。ダイヤル式の南京錠なんきんじょうに似ている感じです。それを、儀式場の中央にはめ込んでいました」
「……、」
 その霊装には心当たりがある。
 インデックスの遠隔制御霊装。
 フィアンマは一〇万三〇〇〇冊の知識を使ってミーシャ=クロイツェフの召喚儀式を行ったのだろうか。一瞬いっしゅん、そう考えた上条だったが、サーシャの説明に違和感を覚える。
 フィアンマは、手元の霊装を操作するだけでインデックスを支配していた。必要な知識を手に入れる事だってできるはずだ。
 わざわざその霊装に手を加え、『杖』の一部として組み込むとはどういう事なのだろうか。
 上条は少し考え、そしてポツリとつぶやく。
「……まさか、『遠距離えんきょりから他者を操る』霊装れいそうの効力そのものを応用して、ミーシャ=クロイツェフを制御しているっていうのか……?」

  7

「これでようやく逆転、か……」
 モスクワの宮殿で、ロシア成教の司教、ニコライ=トルストイはつぶやいていた。
 彼が手にしているのは本の形をした通信用の霊装だ。
 今は右方のフィアンマとつながっている。
「ミーシャ=クロイツェフの顕現はこちらでも確認した。あれだけの『天使の力テレズマ』を、よくもまぁ一ヶ所にまとめられたものだ。とはいえ、戦力として使えるのであれば問題はない。早速さっそく、学園都市側をたたつぶすために協力してもらおう」
 ニコライは通信用霊装のほかに、いくつもの地図や資料をテーブルに広げ、
「連中の大多数はAIと遠隔えんかく操縦を組み合わせた無人機部隊だ。まずはこの指令所から潰してもらおう。最優先は東欧ルートからモスクワへ迫ろうとするEU戦線の崩壊ほうかい。それが終われば北極海上空を通過する航空部隊の排除だ。地図と部隊の動きについてはそちらへ送る。それを見たらすぐに―――」
『くく』
 その時だった。
 確かに、ニコライはフィアンマの笑い声を聞いた。
『よもや、不完全とはいえ水の大天使を手中に収めておきながら、考える事はその程度だとはな』
「何を……言っている?」
『それでは司教止まりというのもうなずける。世の中は不条理だらけだが、これについては正しいかもしれんな。お前に総大主教は似合わんよ。間違いなく組織が崩壊を始める』
「何を言っている!? フィアンマ!!」
 コンプレックスである階位の事まで突かれ、ニコライは思わず激昂げっこうした。
 だが変化はない。
 右方のフィアンマの笑みは止まらない。
『なぁニコライ。俺様が、この俺様が、自分自身の財産をお前たちロシアのために支払うとでも思っていたのか? それはないだろう、逆のパターンはあったとしても』
「き、さま」
『俺様の財産は俺様の目的のために使うよ。総括しようか。時間かせぎご苦労だった、ニコライ=トルストイ司教殿。お前には、それぐらいの役割がお似合いだ。後は勝手に学園都市と戦い、勝手に滅ぶと良い』
「ふ」
 ニコライの感情が爆発した。
 ただし怒りではない。
 この時のために準備しておいたものが無駄むだにならなかったという喜びだ。
馬鹿ばかかフィアンマ!! 貴様は根本的な事を誤っているぞ! その手で浮上させた要塞ようさいに、我らロシア成教の術式が組み込まれている事を忘れたのか!?」
『……、』
「そちらに派遣した二〇〇名の魔術師まじゅつしは、すべて私の手駒てどまとして動いている。何の小細工もしないとでも思っていたのか? 私の命令一つでその要塞は即刻分解し、無数の部品となって地上に降り注ぐ羽目になるぞ」
『神の右席』は常人には扱えない特殊な魔術を扱う代わりに、普通の魔術師が使うような術式は使用できない。フィアンマがロシア成教から魔術師の協力を求めたのも、そういう事情がある。つまり、要塞の建造には『普通の術式』が必要不可欠だったのだ。
 そして。
 要塞建造用の術式の中にまぎれた、『ニコライによるトラップ』を解除するためにも、同様に。
「どうするフィアンマ?」
 ニコライは、いたぶるように告げる。
 常に漁夫の利をねらい続けてここまで上り続けてきた男は、こうした駆け引きには慣れている。
「貴様がその要塞を使って何をしようとしているのかは知らん。だがそこまで周到に準備を進めて浮上させた以上、貴様の計画に必要なパーツなのだろう。それをこわされて良いのか?」
 勝った、とニコライは思う。
 主導権は完全につかみ取った。
「我々ロシアの意に従えば、その要塞を分解する必要はない。なに、物事には優先順位があるという話だよ、フィアンマ。まずはロシアだ。その後に余裕があれば、貴様は貴様の目的を実行すれば良い。ロシアの迷惑にならない範囲でな」
『はは』
 フィアンマの小さな笑い声があった。
 ニコライはまゆをひそめる。
 予想とは違った。
 あきらめの感情を乗せた、自暴自棄じぼうじきの笑みではなかった。フィアンマは、本当に、くだらないジョークを聞かされた直後のように、思わずといった調子の笑い声を出したのだ。
 つまり。
 失笑を。

『真剣に考えてその程度の策しか浮かばんというのなら、お前はもう司教でも場違いだよ』

 直後だった。
 ブチィ!! という、何か繊維せんいを引き千切ちぎるような音がニコライの耳にこびりついた。いやな予感がした。要塞ようさい建造用術式を分解させるために必要な、魔術的まじゅつてきなラインが切断されている。
『単なる「神の右席」には一般的な術式は使えん。その通りではあるが、それでは辻褄つじつまが会わんだろう。俺様は何のためにイギリスへ攻め込み、一〇万三〇〇〇冊の遠隔えんかく制御霊装れいそうを入手したと思っている』
「ま、さか……」
 のど干上ひあがる。
 つかんでいたはずの主導権が、きの良い魚のように手の中からすり抜けていくのが分かる。
『俺様は四大属性の中でも「火」をつかさどるが、それだけにはとどまらん。元々、四大属性は各々おのおのの方角の先端せんたんであると同時に、その中にほかの属性も含んでいるものと判断される。魔術を使うために必要なものはすべそろっているんだよ』
「使える……? 貴様は、『神の右席』としての力の他に、まさか!?」
『「神上かみじょう」になるためには切りはなすべきではあるがな。ようは使い分けの問題だよ。適切に分別する事さえできていれば、人間としての知識を蓄える事は不可能ではない。もっとも、全てが完成した時には、神聖な光が自然と人の知識というちっぽけなやみを吹き飛ばすだろうが』
 つまり、とフィアンマはつぶやいた。
 浅はかな司教へ、とどめを刺すために。
『魔術師の要請をしたのは、必要な術式の技術情報を得るため、そしてロシア側を油断させるため。……という訳で、すまんがお前の役割はここで終わりだ。しがみつこうとしていた命綱いのちづなも、たった今千切れた所だしな。二〇〇人の魔術師についてはこちらで処分しておこう。だから、まぁ、気にするな。存分に玉砕すると良い』
 通信が切れた。
 一方的だった。
 世界における彼我ひがの価値の違いを、まざまざと突きつけられたような気分になった。片や世界の命運を左右する『神の右席』のトップ。片や掃いて捨てるほどいる司教の中の一人。
 しばし、ニコライ=トルストイはその事を考えていた。
 そして完全に怒りを爆発させた。
 本の形をした通信用霊装をテーブルから払いのけ、今度は携帯電話を掴む。政府高官用の暗号通信チップを組み込まれた電話を使って、彼は別の部下へと指示を出す。
「『蓄え』を出せ」
 恐るべき意味を含んだ言葉だった。
 ニコライはその指示がどれだけロシアを窮地きゅうちに立たせるかすら無視し、ただ叫ぶ。
「今すぐあの要塞ようさいを吹き飛ばしてやる!! 今すぐだ!!」

  8

 聖ジョージ大聖堂では、インデックスとステイルの戦いが続いていた。
 ただしその戦いは括抗きっこうしていない。
 一介の魔術師まじゅつしであるステイルと、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょを自在に操る魔道書図書館では、元から釣り合いなど取れる訳がないのだ。
「第一三章第九節。飛び道具によるリーチの維持を実行します」
 バン!! とインデックスの背にある赤いつばさはじけ飛んだ。
 血飛沫ちしぶきのように舞う赤い光が、レーザーのようにステイルをおそう。一発二発では済まない。様々な角度から、数十もの攻撃こうげきが同時に、だ。
「……ッ!!」
 ステイルが即死しなかったのは、場所の恩恵もあっただろう。
 一階部分の床を崩されていたため、ステイルたちは地下の霊装れいそう保管庫へと落ちていたのだ。
 とっさにつかんだ霊装に魔力を通し、発動させる。
『フルングニルの石材』と名付けられたブロック状の石は青白く発光し、インデックスの放った赤い光を四発まで弾く事に成功した。
 残るすべてが殺到し、霊装ごと青白い光は砕かれる。
 身をひねり、ステイルはかろうじて必殺の光線を回避かいひする。
(……見た所、肉体の制御そのものはあの子の脳を使っている。遠隔えんかく制御霊装はあくまでも必要な信号を送っているだけで、行動に必要なパラメータはインデックスの体内にあるものを利用している訳だ。それなら、インデックスの意識を落とせば動きが止まるか)
 これ以上の負荷をかけるのは心苦しいが、やるしかないだろう。ステイルはふところにあるルーンのカードを確かめる。炎だけではない。『人払い』を中心に、ほかの効果を生むカードもそろえてある。組み合わせ次第で様々な効果を生み出す事ができ、その中には、特定の人間を精神的に拘束するものもある。
 今までは遠隔制御霊装との相性などが不明でリスクの計算ができないため先送りしてきたが、もはや迷っている時間はない。すみやかにインデックスを無力化し、精神的に拘束する。
 問題は、
(あれだけの連撃の前に、どうやってあの子の懐までもぐり込む!?)
 ドバン!! という大きな音が鳴ったのはその時だった。
 地下霊装れいそう保管庫の扉を開け放ち、複数のシスターたちみ込んできた音だった。
「ステイル、援護します!! 態勢の立て直しを―――ッ!!」
「よせ!!」
 ステイルが叫び返した時には、もう遅かった。
「第八章第四三節。魔力まりょくの精製を感知。力を内包する者を敵性人物と認識し、行動能力の排除を実行します」
 バヂッ、とインデックスの額の辺りで火花が散った。
 直後に、インデックスから大きく扇状に衝撃波しょうげきはが走り抜けた。それはある程度の霊装で保護されていたはずのシスター達をまとめてぎ払い、地下霊装保管庫の壁を一面吹き飛ばし、敵対する者をブルドーザーのように遠くへ押しやってしまう。
 (主要な戦闘せんとう要員はドーバー海峡や国外へ向かっている。ここに残っているのは通信や連絡要員が多い。このままではやられる一方か!!)
 ぐるん、とインデックスは周囲を見回す。
 壁や天井てんじょう……その向こうにある魔力の反応を感知し、
 「第八章第四七節。敵性に回る可能性の高い要因を続けて排除します」
 ゴッ!! ドバッ!! と、立て続けに太いビームのようなものが発せられた。それらは魔術的な防壁で守られた壁や天井を容赦ようしゃなく貫通させ、聖ジョージ大聖堂の魔術的な機構を次々と破壊はかいしていく。
 (まずい。このままでは前線をサポートしている大規模霊装にも支障が出かねない!!)
 その時だった。
 崩落した天井部分のふちに、がれかが立った。ローラ=スチュアート。イギリス清教のトップ『最大主教アークビショップ』だ。
(……援、護……?)
 わずかに期待したステイルだったが、直後に間違いだと気づく。
 彼女は軽く手を振り、何かを誇示する。
 これみよがしに。
(あの子の……遠隔えんかく制御霊装!!)
 援護なんてとんでもない。
 無言の提示が差すのは、とても簡単な意思表示だ。

 早く動かないと、こいつを使うぞ、と。

 ステイルは奥歯をめる。
 実際に、ただでさえ負荷のかかっているインデックスへ、さらに重ねるように遠隔制御霊装を使えばどうなるかは目に見えている。
 彼はふところからルーンのカードを取り出し、強引に魔力々まりょくをを通す。
 炎の剣が生じた。
 釣られるように、インデックスの両目がこちらを見た。
「第二〇章第六節。最優先標的を再設定。危険度の高い因子の再計算が終了しました」
 ステイルは相手が自分に注目するのを待ってから、地下霊装れいそう保管庫の出口へと走った。ここにいては被害が拡大する一方だ。ひとまず最適な戦場へさそい込む所から始めなくてはならない。
 そんなステイルの背中に、少女の無慈悲むじひな声が掛けられる。
「準備終了。攻撃こうげきを実行します」

行間 五

 白い雪原の上で、御坂みさか美琴みことは頭上を見上げていた。
 こうしている今も、あのツンツン頭の少年を乗せていた巨大な要塞ようさいは高度を上げているようだった。せっかくロシアまで来ても、このままではいつまでっても合流する事はできない。
(……ええい!! ここまで来て蚊帳かやの外とか絶対にありえない!! どうにかして近づく方法を考えないと!!)
 どう考えでもあのツンツン頭の少年はこの騒乱そうらんのど真ん中にいる。第三次世界大戦の中心に位置するなんて、どんだけスケールが違うんだあの馬鹿ばかと思わなくもないが、説教をするのは安全な所まで引きずり出してからだ。
 その時、かたわらにいた妹達シスターズがこんな事を言ってきた。
「ジャケットのポケットから飛び出している、このカエルのストラップは一体何なのですか、とミサカは好奇心旺盛おうせいな質問をしてみます」
「あん? ゲコ太っていうのよ。九月三〇日にあの馬鹿を引っ張り出して、携帯電話のキャンペーンでゲットしたヤツ」
「……一〇〇三二号のネックレスといい、このストラップといい……やはり学園都市組がどうしても有利なようです、とミサカは戦略の練り直しを示唆しさします。遠距離えんきょりはきついぜ」
「いやあの、戦略?」
 美琴が目をパチパチさせるが、ロシア製のアサルトライフルをぬいぐるみのように抱える妹達シスターズはそれ以上答えない。
 彼女は頭上の要塞へ目をやって、
「どうにかしてあの人の支援をしたいのですが、とミサカは議題を提案します」
「……それはそうだけど、具体的にどうやって近づくかが問題なのよね。そろそろ五〇〇〇メートルぐらいに届きそうじゃない。私の磁力も、流石さすがにあそこまでは届かないわよ」
「空中に『中継点』をいくつか用意して、段階的に高度を上げれば可能なのでは? とミサカは適当にアイデアを出します」
「どうやって?」
 美琴が質問すると、妹達シスターズはぐるりと周囲を見回し、半壊はんかいしたロシア製の短距離ミサイルランチャー車両を指差し、
「まずはあのミサイルを発射し」
「死ぬ」
 かぶせるように否定する美琴みこと
「でも、普通の軍用ヘリコプター程度じゃ届かなさそうよね。密閉性がないし、要塞は今も高度を上げてるみたいだし。本気で行くなら飛行機が必要、か」
「(……、絶対無理という環境で颯爽さっそうと現れれば遠距離えんきょりのハンデを一発で逆転させるビッグチャンスになるかもしれません、とミサカはぐふふとよからぬ妄想もうそうをネットワーク内に垂れ流し始めます)」
「おい、なんかダダれになっているわよ」
 あきれたように言う美琴だったが、その時、妹達シスターズがピクンと顔を上げた。
 彼女はヘッドセット状の無線装置に意識をきながら、
「ロシア側の通信を傍受しました、とミサカは報告します。一般的な軍用通信とは暗号の方式が異なります。ニコライ=トルストイという人物名が複数回登場していますが、おそらくこれは何かしらの独立部隊の通信でしょう、とミサカは推測します」
「?」
「どうやら上空で浮遊している要塞ようさいに対し、地上から大規模な攻撃こうげきを行おうとしている模様です、とミサカは具体的な内容を要約します」
「ふうん。まずいわね。あそこにいるあの馬鹿ばかも巻き込まれそうな雰囲気ふんいきじゃない」
 正直、あんな奇怪な要塞がどうなろうが知った事ではないが、知り合いと一緒いっしょに爆破されるのは流石さすがに寝覚めが悪い。上空の要塞へ向かう方法を模索もさくするのも大事だが、まずは地上からの攻撃を阻止そししなくてはならないかもしれない。
「で、そいつらの使おうとしている兵器は? さっきから短距離の地対空ミサイルぐらいは発射されているけど、それぐらいじゃびくともしていない感じよね」
「Nu-AD1967」
「何よそれ?」
「アメリカ側の呼び名ですね、とミサカは説明を続けます。こちらでは『アパースナスチ』と呼ばれているようです、とミサカは通信の内容に耳を傾けます」
「だから何なの?」
「旧ソ連製の戦略核弾頭です、とミサカは報告します」

第八章 彼らの多角的な反撃 Combination.

  1

 ミーシャ=クロイツェフ。
 その天使は、体の大きさそのものはそれほど異様でもなかった。二メートル前後。女性的なシルエットを保っているのは、神話の中で唯一女性形の天使として描かれている存在だからか。
 だが細部が明らかに人間とは違う。
 皮膚ひふの代わりにすべすべした布で体表をおおい、顔には眼も鼻も口もついていなかった。それらすべての器官を布の凹凸だけで正確に表現しているのである。髪の代わりとなるのは、後頭部からさらに後ろへ流れるように形作られる、ラッパのように広がる布だった。
 肌と装束しょうぞく厳密げんみつな区分はない。一体化している。白い布の表面に、金色の葉脈ようみゃくのようなものが走り、所々が同色のピンで留められている。全体的には白か灰色に近い色だが、全身から淡く青い光が放たれているため、まるでスクリーンのようにイメージを変貌へんぼうさせていた。
 つばさは氷。
 数は一〇〇前後。
 サイズは数十センチから一〇〇メートル以上まで。
 まるで天に刃向かう巨大な剣山のようにそびえる無数の翼は、結晶構造特有の美が備わっていた。人間がいくら再現しようとした所で『天然』との格差を突きつける、宝石としての美だ。
 だが。
 ロシアの地で部隊を展開させる学園都市の面々は、それに見惚みとれる事はなかった。
 彼らはその恐ろしさを知っていた。
 いいや、思い知らされていた。

 ゴッ!!!!!! と。
 無数の氷の翼が、雪の大地を強引に揺さぶらせる。

 ミーシャの取った行動は単純だった。
 戦車や駆動鎧パワードスーツなどの密集する敵陣の中央へ、上空から一直線に降下する。小惑星のように着弾すると同時、その背から伸びた三けたの翼を四方八方へと乱雑に振り下ろす。
 それだけだった。
 巨大なスタンプを押すような挙動だけで、今の今まで大国ロシアを席巻していた学園都市の部隊が、子供に蹂躙じゅうりんされるありの行列のように吹き散らされた。
『うおおおおおおおおおおおお!?』
距離きょりを取れっ! 砲撃ほうげきするにしても近すぎる!!』
『そんなひまがあるとでも思ってんのか!?』
 危うく味方の駆動鎧パワードスーツを巻き込みかねないほどの勢いで戦車は後退しつつ、砲塔を正確に旋回させていく。
 砲口が火を噴いた。
 バゥン!! という内臓をかき回すような砲撃音と共に、装甲内部に喰い込んでから起爆するタイプの砲弾が勢い良く空気を引き裂く。
 天使は首を回す事すらしなかった。
 鉄塔のように巨大なつばさが、ただ振るわれる。音速を超え、大気をかき乱し、飛行機雲のような残滓ざんしすら残して。圧倒的な出力で放たれた翼の一撃は、ちっぽけな戦車の砲弾を軽々とち落とす。
 反撃はなかった。
 そもそもミーシャはこの行動を勝ち負けのある戦闘せんとう行為などとはとらえていなかった。
「anhwr次nxdp」
 ドンッ!! という爆音が生じたと思った時には、すでにミーシャの体は上空一〇〇〇メートルまで飛翔ひしょうしていた。
 学園都市の部隊の展開状況は、たかが一〇〇メートル程度では収まらない。
 クレーターのように欠けた群衆とは別の地点に、ミーシャは次の着弾ポイントを見定める。
 直後だった。
 ミーシャ=クロイツェフは先ほどと同様、一直線に部隊のど真ん中へと突撃していく。
「nipserg次nsig」
「sbrg次snmtph」
「nithg次gbsvrfl」
 バン!! ボン!! と立て続けに学園都市の部隊がえぐり取られた。ミーシャに敵味方の概念がいねんがあるかどうかは怪しかった。乱戦に持ち込まれ、右往左往していたロシア側の戦車や装甲車もまとめてぎ払われていく。
 圧倒的な光景だった。
 千切ちぎられた空き缶のようになった戦車の中からい出てきた学園都市の戦車兵は、そこでへたり込むロシア軍の歩兵と目が会った。だが彼らは互いの胸に銃口を突きつける事はない。ロシア人の歩兵は、ただ呆然ぼうぜんと首を横に振っていた。学園都市の戦車兵もその心境を理解できた。
 もはや戦争どころではない。
 戦争という行為ですら、人と人が作り出していた生活リズムの一つに過ぎない。
 本物の災厄さいやく
 それを前にしては、人の営みなど続行できるはずもない。
「hbsugzevnzf次sboisngrger」
 放たれる言葉。
 人の耳では聞き取れず、人の頭では理解する事のできない言語。
 まるで喉元のどもとに刃物の先端せんたんを突きつけられたような思いで、兵士たちは上空を仰いだ。破壊はかいの天使が君臨していた。ミーシャの動きは変わらない。攻撃こうげき方法を気紛きまぐれに変更する事もない。退屈な事務作業のような感覚なのだろうか。ミーシャの顔がこちらを向いたと思った直後、その体が小惑星のように迷わず突っ込んできた。
 次は助からない。
 今まで生きていたのが奇跡に等しい。
 幸運はもう底を尽きた。
「……、」
 学園都市の戦車兵の全身から力が抜け、口元には何故なぜか笑みが浮かんでいた。
 おそらくロシア軍の歩兵も似たような表情になっているだろう。
 そして直後に大天使が降り注いだ。
 容赦ようしゃなく。
 あらゆる生物へ死を与えるために。

 ゴッ!! という爆音が炸裂さくれつした。
 ただし、それはミーシャ=クロイツェフが地表へ着弾した音ではない。
 何者かが、空中で大天使とぶつかり合った音だった。

 何が起きたか、学園都市の戦車兵にもロシア軍の歩兵にも理解できなかった。自分の寿命がまだ続いているという単純な事実の認識にすら時間がかかるほどの状況だった。
 大天使と括抗きっこうしたのは、一人の女だった。
 燃えるように赤いドレスをまとい、右手に閃光せんこうの剣を手にした金髪の女。
 上空三〇〇メートルという、生身の人間の行動可能範囲を明らかに逸脱した場所であるにもかかわらず、ロケットのように射出された女は一対一で大天使と括抗したのだ。
 初めて、ミーシャの軌道がれた。
 威力と速度の大半を失い、軌道を横方向へスライドさせられたミーシャ=クロイツェフの体は、垂直ではなく斜めに地面へ突き刺さった。今度はクレーターは作り出されない。二回、三回とバウンドするミーシャは、氷のつばさを地面に突き刺して強引にその動きを止めた。大天使の周囲から、あわてて両軍の兵隊が遠ざかっていくのが分かる。
 何だ。
 何が起きた。
 動揺する学園都市の戦車兵だったが、深く考える時間も精神を安定させる余裕もなかった。上空でミーシャと打ち合った赤いドレスの女は、戦車兵のすぐ近くへと着地したのだ。
 パラシュートも何も使わず。
 ただ二本の足でふわりと。
「ひっ、ひぃ、ひいッ!?」
 ガクガクとふるえる戦車兵が尻餅しりもちをついたまま後ろへ下がろうとするが、女の方は気にも留めない。閃光せんこうでできた剣を軽く振るい、彼女はただ大天使の方へ目をやる。
 あんな、一瞬いっしゅん一秒ですら視界に収めたくない恐怖の対象に。
「……やれやれ。神の使いっ走りとやらも、これではただのモンスターと一緒いっしょだし。伝令の天使らしく、天国の裏話でも聞こーかと思ってたが、まさかろくに言葉も通じないとはな」
 丸っきり小馬鹿こばかにしたような声だった。
 さらに、
「仮にも一国の姫ならば、少しはつつしみを持ってはいかがですか? ……とはいえ、その口車に乗せられて、ナポレオンもうんざりしたような場所までやってきた私も人の事を言えた義理ではありませんが」
(なんっ!? ……何だ、いつ現れた!?)
 別の女の声を認識して振り返った戦車兵は、そこでゆったりとした白い布の装束しょうぞくをまとった顔色の悪い女に初めて気づいた。
 いや、それだけではない。
「それにしても、この条件で『打ち合う』というのは由々ゆゆしき事態ですね。やはり、敵方が用意したのはカーテナと同程度か、それ以上の純度を誇る個体のようです」
 今度は男の声だ。そこで高そうなスーツの男を先頭に、数百数千の人員が控えている。信じられなかった。多少の起伏はあるとはいえ、基本的には平原だ。これほどの人数を隠しておける遮蔽物しゃへいぶつなど存在しないにもかかわらず……。
 だが赤いドレスの女や顔色の悪い女、スーツの男にとっては、いちいち語って聞かせるような事態ではないらしい。
 涼しい顔で彼女たちは言葉を交わす。
「やはり、お前の武器無効化術式は通じないの?」
「恐れながら、格が違いすぎます。しかもあの翼は武器ではなく肉体の一部であると認識されているかもしれません」
「『必要悪の教会ネセサリウス』は何をしている? あそこの『聖人』は投入できないの?」
「学園都市とロシア軍、双方の負傷者の応急手当を最優先させているようです。彼女にとっては、戦闘せんとうは救援の手段の一つであり、この場では『ほかの方法』の優先順位の方が高く設定されているようですね」
 騎士団長ナイトリーダーの言葉に、キャーリサはわずかに舌打ちした。
『傾国の女』はピクリとまゆを動かし、
「『清教派』の対応としては、むしろ順当なのでは?」
 第二王女にジロリとにらまれるのも構わず、フランスの聖女は続けて言う。
「そもそも、あそこの部署は今までが殺し過ぎだったんです」
「言われなくても分かってる」
 キャーリサはボソリとつぶやいて、
「ふん。となると、やはりこいつで何とかするしかないか」
 ビュン!! と閃光せんこうの剣を一度振った。
 彼女は装飾をほどこされた剣を握る、病弱そうな肌の女へと目を向けて、
「行けるかフランス人」
移動要塞ようさいグラストンベリのパラメータをいじっておいて、今さら何を言っているのです。デュランダルへフランス国内の力を注いでいる時点で、私を使いつぶす気まんまんでしょう」
 ギシギシミチミチ、という異様な音がひびき渡った。
 はなれた所へ落ちたミーシャが、地面から氷のつばさを引き抜いた音だった。
 赤いドレスの女は閃光の剣の先端せんたんを突きつけ、不敵に宣言する。
「来やがれ怪物。我が手にも同じ大天使の力が集約されてる事を知らしめてやるの」

  2

 イギリスの第二王女キャーリサ。
 フランスの聖女である『傾国の女』。
 彼女たちが取った行動は、単純なものだった。

 真正面からミーシャ=クロイツェフへと突撃とつげきする。

 ッッッドン!!!!!! という爆音が、彼女達の行動よりも遅れて戦場へ炸裂さくれつした。砲撃音にも似た大音響だいおんきょうの正体は、音速を超えた事による衝撃波しょうげきはだ。大天使の間近でそれぞれ左右へ分かれたキャーリサと『傾国の女』は、巨大なハサミのようにミーシャ=クロイツェフの首をねらう。
 だれもが目を見開いた。
 二人の剣は、それぞれミーシャの氷のつばさへとめり込んでいた。
 それも一瞬いっしゅん
 雑草を刈るような勢いで無数の翼をり飛ばした二人の剣が、そのまま一気にミーシャを絶命させようとする。
 ミーシャ=クロイツェフの両手が動いた。
 まるで電車の扉をはぼむように、両手のてのひらをそれぞれ外側へ向ける。
 それだけだった。
 死を招く氷の翼を次々と切断したカーテナとデュランダルだったが、大天使の掌にかすり傷を負わせる事すらできなかった。吸いつくように優しく、二本の剣の動きが止められる。
 天使の首がなめらかに動き、眼球のないひとみでキャーリサを見据える。
 直後。
 ゴッ!! という轟音ごうおんひびき渡った。
 キャーリサと『傾国の女』が、それぞれ剣の力を爆発させ、左右へ大きく距離きょりを取った音だった。地面を転がる事はなかったが、靴底が雪の上をすべり、掌にはビリビリとした衝撃しょうげきが残る。
「hboirg優nbugb先voraghv」
 コキリ、と首をわずかに傾け、ミーシャ=クロイツェフがつぶやく。
 その体が、キャーリサの方へ向き直る。
「nriosgn優先iorseog」
 大天使のてのひらが突きつけられた。
 何かが起きた。
 ヂッ!!!!!! とキャーリサのほおを何かがかすめ、彼女の背後にあった丘が粉々に爆発した。
 反応が追い着かない。
 その事実を認識するかしないかの所で、ミーシャは掌をわずかに揺らした。
 軌道を修正したのだ。
「ッッッ!! どきなさい野蛮人やばんじん!!」
 発射寸前で、『傾国の女』が音速以上の速度で動いた。大天使の周囲を回り込む形で、キャーリサへ横から飛びりをらわす。並の人間なら爆発してもおかしくない状況だが、彼女たちにとってはこのレベルでも『善意による行動』だった。
 直後に大天使の掌から何かが射出される。
 雪と土のかたまりが派手に吹き飛ばされるが、二人とも五体満足のままだ。
「何だありゃ。視認もできなかったの」
「『神の力ガブリエル』は伝令の御使い。情報の送受信にけているのでしょう。かんや予兆といった情報をデコイとして加工し、好きな方向・距離きょり・タイミングで受信させる。純粋な五感にたよりなさ

い。第六感に頼るとタイミングを外されますよ」
「hbwiora有vbsitbg効oargwerge」
「ヤバいぞ。味を占められたみたいだし」
貴方あなたが調子に乗らせたんですよ野蛮人」
 グバァ!! とミーシャの背のつばさが大きく展開された。そのすべてに違和感がある。先ほど掌から射出された何かと同じく、『翼から得られる予兆の取得速度』を速く遅く、変更させられているのだろう。
 先手は打てない。
 先読みしようとすれば裏目に出る。
 そう覚悟を決めた直後、ミーシャの翼が動いた。
 音速を超えるほどの速度で、一〇〇以上の翼が一斉におそいかかる。
「―――ッ!!」
 ドガガガガザザザザザガガガガギギギッッッ!!!!!! と無数の火花が散る。ガトリング砲を一発一発はじいているような状況に近いが、それらが生物のように動き回るとなれば難易度は跳ね上がる。その動きについていけているだけでも十分に人間としてめられるべきだが、キャーリサや『傾国の女』の顔色はすぐれない。
 先読みに用いる予兆にデコイが混じっているため、どうしても初動にタイムラグが生じる。
 そのせいで迎えつ事はできでも、反撃はんげきに転じるだけの余裕がない。
 一方的にミーシャからの攻撃を受け止めるだけの状態で戦況が固定されてしまい、スタミナの奪い会いにおちいってしまっている。
 戦況が固定される、というのは良い事態ではない。
 反撃の糸口が全くつかめていない事を示しているのだから。
「どうしました野蛮人やばんじん!! カーテナには敵と同じ大天使の力がたらふく詰め込まれているはずでは!?」
「チッ。単純な総量ならそこそこらいついてるよーだけど、私に天使の知識はないし。力ではなく技術の面で負けてるよーだ。お前の方は?」
つかに埋め込んだ『遺物』だけでは力が追い着きませんよ! そもそも私たちの目的は大天使の殺害などという夢物語ではないはずです!!」
 ヂッ!! と何かがこすれるような音が聞こえた。
 凹凸だけで表現された顔の内、くちびるに当たるパーツがモゾモゾとうごめいた。
「bzso速gz度euipgh上e昇rug」
「この、野郎……ッ!! まだ底が見えな―――ッ!!」
 キャーリサの顔が強張こわばったが、ミーシャはさらに彼女の予想を上回る。
 大小一〇〇を超える氷のつばさ
 それを。
 キャーリサや『傾国の女』ではなく、いきなり学園都市やロシア軍の方へと向けたのだ。
(……馬鹿ばか野郎……ッ!!)
 直後、第二王女は音速以上の速度の中、無理矢理に自分の体の軌道をじ曲げ、強引に大天使と兵隊の間に割って入る。
 天使の横暴から、人々の命を守るために。
 ミーシャ=クロイツェフは容赦ようしゃをしない。
 大天使はまさしく、そのすきねらっていたのだから。
(なるほど)
 その瞬間しゅんかん
 何故なぜか、キャーリサは不自然にゆっくりと流れる時間の中で、こんな事を思った。
(……大天使という武力を使用した軍事行動。私が民衆に押し付けていた『変革』の正体は、こんなくだらないものだった訳だ)
 一〇〇の翼が同時に振り下ろされる。
 だれかの叫び声が聞こえた。
 そして。

 ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!! という絶大な震動しんどうがロシアの大地をおそう。

 キャーリサは歯を食いしばったが、くちびる隙間すきまから粘つく鮮血があふれ出した。
 背骨全体がミシミシときしんでいる。
 カーテナの力を使って強引に受け止めたが、上から加わる力と大地の間に挟まれ、危うく中身の詰まった缶ジュースを押しつぶすように内臓を噴き出す所だった。
 だが一番恐ろしいのはそこではない。
 第二王女のてのひらから血がこぼれていた。
 閃光せんこうの剣を生み出していたカーテナの欠片かけらそのものが、重圧に耐えきれずに破砕してしまったのだ。
「vndo効果lg確認bsdog」
 ミーシャ=クロイツェフは冷静に観察する。
 そして、
「bguzsegb攻撃こうげきrig続vb行rgb」
 グワッ!! と、再び一〇〇のつばさが襲いかかった。
 効果のあった攻撃を何度でもり返す、という意思を示すように。
 だが、すでにキャーリサの手に閃光の剣はない。
 それを生み出すカーテナの欠片もない。
 襲いかかる。
 あらゆる物を破壊はかいする、絶対の翼の攻撃が。

 今度こそ。
 音すらも消えた。

 その場が凍り付いた。
『傾国の女』を始めとするフランス勢力、騎士団長ナイトリーダーを代表とするイギリス勢力、そして魔術まじゅつというものの存在すらも正しく認識していなかった学園都市やロシア軍の兵隊に至るまで。目の前で起きた出来事を前に、その全員の身動きが止まっていた。
 ただし。
 それはミーシャ=クロイツェフの生み出した破壊力に対してではない。
「……確かに、私の剣はカーテナ=セカンドの欠片を迂回うかいする形で、イギリス全土の力を借り受けたものだ。それを破壊されれば力を失う事も道理だが」
 声が聞こえた。
 赤いドレスの。
 女王の国の姫君の。
『軍事』をつかさどる女性の声が。
「何も、カーテナ=セカンドの欠片かけらは一つしかないとは限らないし」
 カッ!! と純白の閃光せんこうが噴き出していた。
 一本だけではない。
 左右の手に一本ずつ。さらにドレスのスカートを飾るように、一〇本の剣が腰から後方へと流れている。
「―――こっちも国をけた王女の一角だし。そう簡単にくたばるとでも思ったの」
「hdtrn損b傷gurg確認htr」
 ジヤッカ!! と甲高かんだかい音を立て、ミーシャは氷のつばさを一斉に構え直す。
「bauo攻撃こうげきgrln続jj行yhbasedfvg確tgseag実trrhgs粉砕yr」
 キャーリサは鼻で笑った。
 ガクガクと、重いダメージの影響えいきょうで小刻みに足をふるわせながらも、彼女は決して笑みを崩さなかった。
 一跳びでかたわらへ着地した『傾国の女』へキャーリサは声を掛ける。
「……『本命』が終わるまで、後どれぐらいかかると思う?」
 撤退てったい準備は進んでいた。
 学園都市にしてもロシア軍にしても、イギリスやフランスの手によってすみやかに後退させられている。こわれた駆動鎧パワードスーツから兵士が引っ張り出され、まだ動ける戦車の上には怪我人けがにんが乗せられていた。
「どこまで逃げれば安全なのかという定義にもよります。地球の裏側まで逃げても駄目だめだと言われればそれまでです」
「余裕だな」
「そんな風に見えますか」
 大天使と二人の女性が再び激突する。
 剣を振るうキャーリサにしても『傾国の女』にしても、無傷ではなかった。ただでさえ超高速で動くミーシャの氷の翼に、さらにデコイの予兆でタイミングを外されているのだ。致命傷こそけているものの、その体には徐々に微細な傷が蓄積していく。氷の翼が直撃しているというよりは、互いの刃をぶつけた結果、破砕した氷の破片に傷つけられているようなものだ。
 それでも削り取られている事に変わりはない。
 このまま行けば確実にキャーリサたちは消耗し、動きが決定的に鈍り、致命的な一撃を受ける羽目になるだろう。
 とはいえ。
 無論、キャーリサ達も自殺がしたくて大天使の前に立った訳ではないのだが。
 閃光せんこうの剣を大きく振るい、一度距離きょりを取るキャーリサと『傾国の女』。
「さて」
 キャーリサはドレスの胸元から小型の通信機を取り出し、
「これでも命は惜しいものでな。そろそろ次善の策とやらを使わせてもらおーか」
「……そこから取り出すのはやめませんか。同じ女性としてどうかと思います」
 キャーリサは無視して無線機に告げる。

「待機中の『ペレットクロスボウ』全車両に告ぐ。地対空ミサイルを即時発射せよ」

 戦場から五キロほどはなれた丘の陰に、ミサイル発射用の車両、レーダーなどの補助照準用車両、交換用の弾薬を搭載したトラック、装填そうてん用のクレーン車などを含め、三〇台以上の車両群が停車していた。
 メインとなる車両はキャタピラ式のトラックのような、イレギュラーな形状の車両だった。そして荷台の代わりに設置されていたのは、二〇本の円筒形の筒を束ねた、はちの巣のようなミサイル射出コンテナだった。
 一発二発、などと景気の悪い事は言わない。
 一つの車両から立て続けに二〇発の噴射炎が飛び出した。さらに並列していたほかの車両からも同時にミサイルが射出された。白く細長い煙が大空を汚していく。一〇〇発以上のミサイルが天空を舞う。
 ミーシャ=クロイツェフは当初、首を動かす事すらなかった。
 全発直撃ちょくげきしても問題ないと判断したのだろう。
 だがすぐに状況に気づく。
 あのミサイルは『地対空』である事。つまり地上にいるミーシャではなく、大空に浮上している『ベツレヘムの星』をねらっているという事。
「人の言葉が通じるかどーかは疑問だが、一応言ってやろう」
 キャーリサは閃光の剣を振るいながら、可能な限り邪悪な笑みを浮かべた。
「こんな所で油を売ってて良いの? 本拠地の防衛はそこそこ優先度が高そーだけど?」
「buigbsuiezgs失utrsethtsrth」
「そう怒るなよ」
 ゾワリと放たれる殺気すらも、第二王女は軽々といなした。
「さっき、お前がやった事と同じじゃーないか?」
 バヂィ!! という爆音が生じた。
 大天使を中心に、小規模な爆発が起こったのだ。
 キャーリサと『傾国の女』が同時に後方へとはじかれる。
 構え直す余裕はなかった。
 ミーシャ=クロイツェフは真上を見上げると、氷のつばさを使って一気に上空へとはばたく。ロケットのような勢いで、『ベツレヘムの星』をねらう地対空ミサイルの群れを迎撃げいげきするために。
『傾国の女』はデュランダルを下ろしつつ、空を見上げ、
「……あの程度で落ちる要塞ようさいとも思えませんが」
ゆがんでいよーが何だろーが、天使は天使。目上の指示で操縦され、プログラムで条件を判断する使いっ走りに過ぎない。黒幕があの神殿で何かしらの儀式ぎしきを行おーとしてる以上、その儀式を失敗させないよーにコマンドリストを組み上げるのは予測できない事じゃないし」
 告げたキャーリサは、ふらりと体を揺らした。
(……思った以上に負荷がかかったか)
 大天使などというイレギュラーな敵と戦った事もある。そもそもカーテナの『欠片かけら』だけで力を引き出し続けるのも無理があった。
 ただし、ここで下がる訳にはいかない。
 戦争とはそんな簡単なものではないと、『軍事』の第二王女は知っている。
「地対空ミサイルも国の資源だ。無限に出せはしないし。今の内に負傷者を下げられる所まで下げておけ。あの『標的』はいつまでも足止めできる訳じゃないの」
 無線機を使って部下へ適当な発破を掛けながらも、しかしキャーリサは思う。
(怪物め)
 口の中にまった血を軽くき捨てる。
 第二王女の右手にある閃光せんこうの剣にも、国家を束ねるに相応ふさわしい、莫大ばくだいな力が込められているはずだ。
 ただし、それは人が作った人の力。
 本物の大天使はさらに次元が一つ違う。
(実際問題どうするんだ。人の手で倒すための糸口すら見えなかったし)

  3

 低い震動しんどうが断続的に続いていた。
 天空に浮かぶ『ベツレヘムの星』に乗っていても身がすくむほどの揺れ方だ。地上が一体どうなっているのか、上条かみじょうは想像するのも恐ろしかった。
「……さらに高度が上がっているな」
 石造りの通路を走りながら、等間隔とうかんかくで並ぶ窓の方に目をやって上条はつぶやく。
 何もない空を眺めるだけでは、高さの感覚はつかみにくい。が、雲のある高さは一定なので、そこからはなれていく事で『ベツレヘムの星』が上昇しているのがうかがえた。
「第一の解答ですが、『ベツレヘムの星』とは、元々、預言者が目撃もくげきした天体です。この星のかがやきによって、預言者は『神の子』の誕生を確信しました」
「人工的な方法で浮かびつつある星、か。とてつもなく不幸な感じだ。衛星軌道上まで飛んでいったり、巨大隕石いんせきみたいに氷河期のお手伝いをしないように祈るしかないな」
 こうしている今も通路はギシギシときしんだ音を立てて形を変えていた。が、一時の爆発的な膨張ぼうちょうはもうない。誕生後の星が冷えて安定したような感じだ。
 サイズは大体、半径四〇キロほど。
 一番最初に上条かみじょうがいた位置は全体的に一言えば、後方に近い場所だ。対して、サーシャが言っていた『儀式場ぎしきじょう』は一ヶ所だけ異様に長い最右部のはし。フィアンマが別の目的地を目指していない限り、彼はその近くにいるだろう。今も暴れ回っている大天使、ミーシャ=クロイツェフを止めるためにはフィアンマがいると思われる『儀式場』へ向かう必要がありそうだが、その辺の高校生が徒歩で走破できるような距離きょりではない。
 しかし、
(……そもそもサーシャは、その最右部の儀式場から、俺のいた場所まで逃げてきたんだよな)
 彼女が驚異的きょういてきな走力を持っていれば話は別だが、そうでなければ、『ベツレヘムの星』内を高速で移動するための手段が用意されている、という事になる。
「第二の解答ですが、個人的には、わざわざ距離をはなしたのに、元の場所へ戻るという選択はあまり有益とは思えませんが」
「なら、サーシャはここで待っていても構わないぞ」
「第三の解答ですが、それができれば苦労はしません」
「それもそうか……。パラシュートでも見つけない限り、ここから逃げる事もできないしな。フィアンマの馬鹿ばか野郎をぶんなぐったら、そっちについても本格的に考えないと」
 言いながら、上条はサーシャに案内されるように広い要塞ようさいの中を進んでいく。
「この要塞、数十キロあるんだよな。フルマラソンの世界だ。走り回るだけで体力なくなりそうじゃないか」
「第四の解答ですが、私もそこまで体力に自信はありません。移動手段はこちらにあります」
 やがて、見つかったのはモノレールの車両だった。本当に移動目的しかないのか、一両しか用意されていなかった。列車というよりは、車の親戚しんせきのように見える。
 当然、魔術的まじゅつてきな品ではない。
 面喰めんくらう上条に、サーシャは首をかしげて、
「第一の質問ですが、乗らないのですか?」
「いや、乗るよ。乗るけどさ……。何で、こんな遺跡のかたまりみたいな場所にモノレールが?」
「第五の解答ですが、私に聞かれても困ります」
 考えてみれば、フィアンマの基地の中も、遺跡のような内装に、工事で使う足場や鉄骨が張り巡らせてあった。始めから、こういう設計を考えてあんな『組み合わせ』をほどこしていたのだろうか。
(……ロシア成教の魔術師まじゅつしは二〇〇人以上いるってレッサーが言っていたし、施設を効率良く回すためには、既存のインフラを整備する必要もあったのか?)
 上条達かみじょうたちはモノレールに乗り込む。
 操縦方法など分からなかったが、それはサーシャも同じらしい。目的地を指定すると、後は機械が勝手にやってくれるらしかった。どちらかと言うと、エレベーターみたいなものなのかもしれない。
 モノレールはしばらく要塞ようさいの中を進んでいたが、やがてトンネルを飛び出すような格好で、天空へと車両をさらけ出した。要塞の下部を走るレールに沿って進んでいるらしい。
一面の空。
 真っ黒に塗りつぶした、星一つない暗黒の空だった。
「ベツレヘムの星……」
 サーシャが、意図的に作られた暗闇くらやみを眺めてポツリとつぶやく。
「第一の私見となりますが……『神の子』の到来を伝える星。フィアンマなる者は、人工物のみでそれを再現しようとしているのでしょうか」
 下は分厚い掌だったが、所々に切れ目があった。その先に見えるのは、ポツポツと見える赤い光。それは夜景などではない。おそらくは炎だ。何かのテレビ番組で、衛星から見たアマゾンというのをやっていたのを上条は思い出す。焼き畑をやっている地域が赤くかがやいていたのだ。
 ギリ……と、わずかに奥歯をむ上条。
 その時だった。
 地表の赤い輝きの近くから、何か水蒸気のようなものが噴き出た。直後に雲が流れて見えなくなったが、いきなりその分厚い雲が引き裂かれた。中から鈍く輝く、円筒形の物体が飛び出してくる。
「地対空ミサイル……ッ!?」
 一つ二つではない。五〇、一〇〇の噴射炎が夜の闇に風穴を空ける。
 起死回生の一手のつもりかもしれないが、そのミサイルの一部は上条達の乗るモノレールの走行している要塞下部一面へおそいかかってきていた。このままでは直撃ちょくげきだ。仮に車両に当たらなかったとしても、レールが破壊はかいされてしまえば、一緒いっしょに落ちてしまうかもしれない。
 しかし、今さら回避かいひのしようがない。
 狭い箱であるモノレールの中では、どこにも逃げ場はない。
 爆発音が炸裂さくれつした。
 モノレールのガラスがまとめて粉々に砕け散る。車内に突風が入り込んでくる。耳を押さえてうずくまろうとした上条は、そこで気づく。
 ミサイルは直撃ちょくげきした訳ではない。
 そうであれば、モノレールはつぶれた空き缶のようになっていただろう。上条かみじょうやサーシャだって即死していたはずだ。
 何者かに、ミサイルはち落とされたのだ。
 上条は見る。
 氷点下の車内で、彼の呼吸が止まりそうになっていた。

 その正体は大天使ミーシャ=クロイツェフ。
 巨大なつばさを備えた怪物が、モノレールに速度を合わせて並走していたのだ。

 立て続けに爆発するミサイルや、その爆音さえ上条は気にならなくなった。
 それほどの緊張きんちょうが走り抜けた。
 そうしている今も、大天使は次々と翼を振るい、最新のテクノロジーで作られた無数のミサイルを、片っぱしから迎撃していく。
「……、」
 改めて間近で見ると、その威容におどろかされる。
 遠くからは『人型のシルエットに大きな翼が生えている』ようにしか見えなかったが、こうして観察してみると、サーシャとは似ても似つかない事が分かった。そもそも、身長が二メートル近くある。神裂かんぎきの話では『神の力ガブリエル』は女性的な天使らしいのだが、実際に見ると、その顔はのっぺりとしていた。まるで製作過程の西洋人形の顔のようだ。中途半端はんぱに浮かび上がる凹凸が、かえって妙ななまめかしさを感じさせる。
 女性的と言えば女性的ではあるが、女性よりも女性的というのは、ある種の不気味さを感じさせるものらしい。
 肌と装束しょうぞくに区別はなく、すべすべした白い布がボディラインを表していた。布の所々は金色のピンで留められていた。全体的なカラーは白と金だが、体からあふれる青白い光のせいで、スクリーンのように印象を変えてしまっている。
 髪の毛に当たる部分は、白い布が後方へラッパのように広がって表現されていた。百合ゆりの花にも見えるのだが、何か宗教的な意味でもあるのかもしれない。
 その髪の邪魔じゃまにならない所に、水でできた小さな輪が浮かんでいる。何らかの法則でもあるのか、天使の動きに応じて回転速度が速くなったり遅くなったり変動していた。
 生粋きっすいの十字教徒であるサーシャは、その天使を見て何を思っているだろうか。
 上条には確かめる時間がなかった。
 大天使と視線がぶつかった。
 その顔には凹凸だけしかなく、眼球と呼べる部位は存在しなかったのに、上条はゾクリと背筋にいやな感覚が走るのを確かに感じた。
 ミーシャ=クロイツェフは、わずかに首をかしげるような仕草をした。
 直後だった。
 その背にある巨大なつばさが、弓をしならせるように力を蓄えた。明らかに、こちらのモノレールへ攻撃こうげきを加えようとしている動きだ。
(……まずい……ッ!?)
 右方のフィアンマは、上条かみじょうの右腕やサーシャの肉体は、自分の計画に必要だと言っていた。
 しかし。
 ミーシャ=クロイツェフには、そんな都合など関係ないのかもしれない。
 凹凸だけで表現された顔は、上条の右手を注視しているようだった。
 あらゆる異能の力を打ち消す事のできる右手。
『彼女』からすれば、天敵とも呼べる存在に吸い寄せられるように、ミーシャ=クロイツェフは翼を振るってしまう。

 ゴッギィィィィィ!! と、岩と岩をぶつけるようなすさまじい音が炸裂さくれつした。

一瞬いっしゅん
 おどろきのあまり心臓が止まったかと思った上条だったが、実際にはそんな事はなかった。
 今のは、ミーシャ=クロイツェフが上条たちへ攻撃を加えた音ではなかったのだ。
 むしろ逆。
 横から割り込んだ何者かが、猛烈な速度でくいのような飛びりを放ち、ミーシャ=クロイツェフをぎ払った音だったのだ。
「だっ、第二の質問ですが、一体何が……ッ!?」
 サーシャが、うめくような声を出す。
 大天使なんてものへ有効打を加えられる存在なんて、まともなはずがない。しかも、ここは高度五〇〇〇メートルを超える高空だ。こんな所までやって来れる事自体、普通の魔術師まじゅつしでは難しいはずなのだ。
 しかし上条は知っていた。
『聖人』すらも圧倒する、魔術的な天使であるミーシャ=クロイツェフと、唯一対抗できそうな存在を。
 それは科学によって作られた存在。
 AIM拡散力場の集合体。
 紫電をき散らす、数十の翼を背中から生やしている者。
風斬かざきり氷華ひょうか……ッ!!」
 モノレールの速度によって吹きすさぶ烈風の中、上条かみじょうはその名を叫ぶ。
 (……あいつ、何でここに……ッ!?)
 聞こえるとは思えなかった。
 しかし、彼女は一度だけ、こちらをチラリと見た。
 ほんのわずかに、その顔にいつもと同じ気弱そうな色が浮かんだ。
 直後、ミーシャと向き直った風斬かざきりは、見た事もないほどの闘争心とうそうしんがあった。
 九月三〇日。天使のつばさを生やした状態の風斬は、第三者の手で無理矢理に操られていた。だが、その視線からは、そういった危うい光は感じられなかった。生まれた方法は違っても、体の構造は違っても、彼女の目には人としてのかがやきがあった。髪は金色に変色し、頭上には輪が、背中には翼があったが、彼女は間違いなく上条の知る風斬氷華ひょうかだ。
 交差は一瞬いっしゅん
 ミーシャの追撃ついげきを押しとどめるために、その場で静止したメガネの少女から、モノレールはあっという間に距離きょりはなしてしまう。
 トンネルの……要塞ようさいの別の入口が、間近に迫っていた。
 しかしそこへ飛び込む寸前に、吹き飛ばされたミーシャ=クロイツェフが弧を描いて風斬へ向かっていくのが見えた。応じるように、風斬の右手から、禍々まがまがしい翼を変形させたような、奇怪な剣が伸びるのも。
 彼女たちがどうなったかは分からない。
 直後、モノレールは暗いトンネルの中へと突入していたからだ。
 そして。
 ズズゥゥゥゥン!!!!!! という、すさまじい震動しんどう炸裂さくれつしたのは、その直後だった。トンネルに入っていなければ、その余波だけで車両がレールからはじかれていたかもしれない。
「くそっ!!」
 上条は車両の最後部へと走ったが、やはり天空で何が起こっているのか、ここからでは何も分からない。
(……何だ? 何がどうなってやがる!?)
 続けて二回、三回と同様の衝撃波しょうげきはが走り抜けている事から、決着はついていないらしい。
 学園都市のAIM拡散力場に支えられた風斬がどうしてここにいるのか、そもそもあの気弱な少女が何故なぜ戦っているのか。上条には何も分からなかった。
 とにかく、やるべき事は一つ。
 インデックスだけではない。彼女の『友達』を守るためにも、一刻も早くミーシャ=クロイツェフの動きを止めなくてはならない。

  4

 風斬氷華かざきりひょうか
 背中から異様なサイズのつばさを伸ばした少女だが、実際に天空を舞うのはこれが初めてだった。そもそも、この翼にそういった一般的な機能があるのかどうかさえ、彼女は知らなかった。しかし、問題はない。使い方を思い出したのでも、新たに会得したのでもない。まるで風斬の望む効果を発揮するために作り変えられたがごとく、紫電を散らす無数の翼は彼女の『思い通り』に浮力を生む。
『友達』を守る。
 そのおもいでここまでやってきた風斬だったが、彼女はそこで見つけたのだ。自分と同じような存在を。さらに、モノレールに乗った風斬の恩人を殺そうとしている存在を。
 高度五〇〇〇メートル以上の大空で、彼女は正面の敵をにらみつける。
 似た者同士だった。
 人とは違うもの。女性的に見えるもの。背中から巨大な翼を生やすもの。頭上に小さな輪を冠するもの。ある種の力のかたまりによってその存在を支えられているもの。あまりにも莫大ばくだいな力を持ち、容易たやすく人を傷つけられるかもしれない危険性を抱えるもの。
 対峙たいじして、似ていると思って、そして風斬氷華は気づかされる。

 そうか。
 まるで天使のようなんだ、と。

 それは目の前の敵に対する感想なのか、それとも自分自身に対する感想なのか。風斬氷華は厳密には区別をしなかった。する必要もなかった。おそらく彼女に対する印象はすべて自分にも当てはまり、自分に対する印象は全て彼女にも当てはまる。彼女たちとは、つまりそういう事なのだと、風斬は漠然と知った。
 向こうはどう思ったのだろうか。
 何かを思うだけの思考はあるのだろうか。
 それは自分にも当てはまるのだろうか。
 自分は本当に己の心の奥底から何かを思う事に成功しているのだろうか。
 深く考え始めると無限のループの中に閉じ込められそうになる状況の中、空中で静止していた怪物同士は、やがてゆるやかに動き出す。
 風斬氷華は、翼と同じ材質でできた『剣』を握る手に力を込める。
 対して、水の天使は何も持たない右手を緩やかに振るい、氷の剣を虚空こくうから生み出す。
 合図はいらなかった。
 片方が動いた時には、もう片方も動いていた。
 そういう関係の二人が、真正面から激突した。

 ゴッ!! と。
 球状の衝撃波しょうげきはが、どこまでもどこまでも広がっていった。

 ビリビリと空気がふるえた。
 ほとんど壁のような厚みを持った衝撃波が、空中に浮かぶ石造りの要塞ようさいすらも揺さぶった。いくつかの部屋が押しつぶされ、しかし破片が地上に降り注ぐ事はなく、無重力下で液体が浮かぶように静止し、再び要塞の中へと取り込まれていく。
 ぼんやりと眺めているひまはない。
 こうしている今も戦いは続いている。
 二本の剣で鍔迫つばぜり合いを行う中、怪物たちの背にある巨大なつばさが、生き物のようにうごめく。
 うなった。
 そしてたたきつけられた。
 バガン!! ドガザザガガガガッギギギギ!!!!!! と、音速を超えるほどの勢いで、数十の刃

がそれぞれ別の角度から標的をおそう。だが勝負は決まらない。何故なぜならば、両者ともにその猛攻を繰り出し、その猛攻をしのぐだけの戦力を保有していたからだ。
 氷のつばさが振るわれ、氷の翼が引き千切ちぎられ、紫電の翼が襲いかかり、紫電の翼が砕かれる。切り落とされ主を失った残骸ざんがいは空中で細かい粒子となって散らばり、辺り一面に光の雪となっていろどりを加えていった。それは白い鳥が羽ばたいた後に残る小さな羽のようにも見えた。
 無数の翼を振るいながら、なおも水の天使は手にした水の剣を水平に振るい、風斬かざきりの首を切断しようとする。風斬はそれを自分の剣ではじきながら、新たな攻撃こうけきの準備に入る。
 間近にいる天使の顔は、のっぺりとしていた。
 作りかけの人形のような、なまめかしい凹凸はあるものの、目や鼻や口といった独立パーツの存在しない顔。つるりとした仮面にも見えるその顔の、口に当たる凹凸が小さくうごめいている。
 ブツブツと、小さな声が聞こえた。
 どこの国のものでもなかった。人間には聞き取れない音域なのかもしれなかった。
 しかし風斬には聞こえる。分かる。伝わる。
 もちろん一から一〇まで完全に理解できるのではない。同じ言葉で話してみろと言われても難しいだろう。しかし、文章の中にある単語を、ブツ切りの状態で聞き取る事ぐらいなら何とかなった。
「hbo……帰……fbyuo……」
 始めは感情の色だった。
 その色が分かると、その色を生み出している言葉も浮かび上がってくる。
「帰る。fr位置。正しい。座。uj。天界。元の。あるべき。qe場所」
 何かがブレていた。
 一人と思っていた水の天使の輪郭が、わずかに揺らいでいた。
 何かが重なっているのではない。飛び出ようとしているのでもない。物質としての肉体を持っていない風斬だからこそ、その正体を看破する事ができた。
「……違うフォーマットの力が、強引に混ざっている……?」
 火が見えた。
 水と油のような存在だった。
 コップの中に二種類の力が注がれ、そのままかき回され、一度は綺麗きれいに混ざり会っていたはずの天使。しかし時間の経過と共に再び両者は分かたれ、二つの力は同じ容器の中で一定のラインを作ろうとしていた。
一つの容器に、二つの力を入れてはならない。
 その純粋さは、ありとあらゆるAIM拡散力場の『集合体』である風斬とは対極と言えるかもしれない。一見同じように思えて、実はその根幹は全く異なる者。お互いにはしと端にいるからこそ、似ているのかもしれなかった者。風斬と天使の関係はそんなものだったのかもしれない。
 それは、彼女にとっては冒涜ぼうとくに値するのか。
 言葉をつむぐ天使には、怒りの色があった。
「戻る。必要。作業t。行う。フィアンマ。利用。利害。接点。y計画。協力」
「……そのために、私の大切な『友達』を傷つけるというのであれば、私は持てる力のすべてを使ってあなたを止めます」
「被害。無視。優先。帰る。正しい。位置。必要。邪魔じゃま。悪。同義。判断。全て」
 ゾワッ!! と水の天使の中から、絶大な力の渦が巻き起こった。
 水の剣が一際ひときわ大きく振るわれ、風斬かざきりの羽の剣と激突し、両者はわずかに距離きょりを取る。
 水の天使は、その剣を頭上に掲げていた。
 その時だった。
 ピクン、と水の天使の首がかすかに動いた。集中が、風斬ではなく別のものへとれる。
「捕捉」
 口が開かれる。
 己の目的のみしか見えなくなった、大天使の口が。
「必要。情報。羊皮紙ようひし。入手」

  5

 打ち止めラストオーダーを抱えたまま、一方通行アクセラレータは雪の上にめてあった乗用車へ乗り込む。彼は助手席、番外個体ミサカワーストが運転席だ。
「どちらまで?」
「コソコソ逃げ回ったって消耗するだけだ。一刻も早くケリをつけるためには、さわぎのど真ん中へ飛び込むのが手っ取り早い」
 りょーかい、と適当な調子で応じた番外個体ミサカワーストは、エリザリーナに手渡されたキーを差し込んでエンジンをける。オートマチックであるためか、片腕だけでも運転に支障はないようだった。
 不自然なほど真っ暗になったやみの中に、切り裂くようなヘッドライトの光がおどる。番外個体ミサカワーストの操る乗用車はあっという間に小さな市街地を抜け、雪原へと飛び込んでいく。
「国境まで五分ぐらい。……それにしても、ここからでも分かるぐらいぶっ飛んでる戦場だよね。非科学的にも程がある」
 暗闇の空に、巨大な要塞ようさいが浮かんでいた。
 あまりにも大きい。かなりの距離がはなれているはずだが、まるで積乱雲が頭上にかぶってきたかのように、空の一角をおおい隠してしまうほどのサイズがある。
 さらに、その要塞ようさいをバックに、淡く光る二体の天使が空中で激突を繰り返していた。互いのつばさからみ合い、むしり取り、衝撃波しょうげきはのような絶叫が辺りへとき散らされていく。しまいには、黒々とした夜空へ、これまた自然のものとは思えない星空が広がっていく。
「が、あ……っ!?」
 海原うなばらに近づいた時と同じ、しかし圧倒的に物量の違う莫大ばくだいな『圧迫』が、助手席に座る一方通行アクセラレータの胸をめ付けた。心臓がどうにかならない方が不思議なぐらいの感覚だった。あの星空は何かがおかしい。
 胸の圧迫にうめきながら、一方通行アクセラレータはこんな事を言った。
「……オマエ、本当にあれに心当たりはねェのか? ミサカネットワークから悪意を取り出しやすい体質って事は、そこから情報を取得する事もできるンだろォがよ」
「それはどっちの天使について? あっちの氷の翼の方? それとも、雷の翼の方?」
「……、」
「ついでに言えば、学園都市に情報があるからと言って、それが必ずしも科学的とは限らないとも思うけどね」
 ……だとすれば、『それ』そのものに深くかかわっている打ち止めラストオーダーを助けるためには、そもそも科学『だけ』では地力が足りなくても当然なのかもしれない。
 あれが。
 あの怪物たちが舞う天空が、打ち止めラストオーダーを苦しめている元凶の住む世界だ。
 ならば、そこから打ち止めラストオーダーを助けるために、一方通行アクセラレータもあの領域まで昇らなければならないのだろうか。
 どうやって?
 エイワスの力は圧倒的だった。一方通行アクセラレータの『黒い翼』程度では、手も足も出なかった。悪党などという冠では、小さな少女は守れなかった。ならば、どうすれば良い。どうすればこの理不尽りふじんな世界から、彼女の笑顔を守り抜く事ができる。
 ふところに隠した羊皮紙ようひしの束が、嫌味いやみなぐらい存在感を主張している。
 そこに描かれた落書きのような呪文じゅもん魔法陣まほうじんが、九月三〇日の木原きはら数多あまたが生み出した『天使』と同レベルか、それ以上の『なぞ』を行使する連中の技術へとつながっている。セオリーの通じない問題に、セオリーを無視した方法で対抗する。未知のリスクを多く含む危険なけだ。本来なら、そんなものに打ち止めラストオーダーの命運を預けるのは絶対にけるべきだ。しかし、やはり、もうそこにしか勝機はないのかもしれない。真の暗闇くらやみの中、どこが崖下がけしたに繋がっているかも分からない状況で、手探りで前へと進んでいくのと同じ感覚だった。
 と。
 その時だ。
 上空で戦っていた二体の怪物たちは、互いにからみ合いながら一気に急降下してきた。宗教家が見たら神話に新しい一ページでも追加しそうな光景だったが、一方通行アクセラレータはそこで感動の涙を流したりはしない。そんなひまはない。あのつばさを生やした怪物達は、どう考えても一方通行アクセラレータ達の車の方へと向かって来ている。
 より正確には、片方が一方通行アクセラレータ達をねらい、もう片方がその後を追っているといった所か。
「……この羊皮紙ようひしの『におい』につられて来やがったか?」
 ふところの感触を確かめ、一方通行アクセラレータは邪悪に笑う。
 確か、この状況を作り上げているロシアの組織は、羊皮紙を回収しなければ自分達のプロジェクトを完遂かんすいさせられない可能性がある、などとエリザリーナは言っていた。
 ハンドルを握りながら、運転席の番外個体ミサカワーストが口笛を吹く。
「ひゅう!! どうするどうする、ハリケーンが向かってくるよりヤバいかもよこれ!!」
「天災と人災の違いは簡単だ」
 一方通行アクセラレータは助手席の窓を開けながらつぶやく。
 切り裂くような冷たい烈風も気に留めず、
「殺す敵がいるかいねェか。明確なターゲットが目の前にいるのは幸せだ。やり場のない怒りなンて厄介やっかいなものにしばられる必要がねェンだからな」
 言うだけ言うと、彼は助手席から上半身を乗り出した。大昔の暴走族のように、窓枠へと腰掛ける。
「このガキはオマエに預ける。俺がケリをつけるまで足で時間をかせげ」
信頼しんらいされても困るなあ。ミサカそういうの一番苦手なのに」
「利用価値のある人間は運が良い。くだらねェジョークを言っても殺されずに済むチャンスが残っているンだからな」
「うん。ミサカそういう方が好き」
 それ以上の世間話に応じるひまはない。間もなく二体の怪物達がこちらへ激突する。
 一方通行アクセラレータは電極のスイッチを切り替えた。
 空気の流れを制御し、四本の竜巻を翼のように背中から伸ばして、彼は車の窓枠から身を投げた。
 地面にぶつかる事はない。
 彼の体が、ロケットのように戦場を突き抜ける。
 怪物同士の戦いの中に、さらなる化け物が追加される。

  6

 日蝕にっしょくのように、時間帯を無視して暗闇くらやみが広がっていた。その上、出来損ないのブラネタリウムのように、星座を無視した不自然な光点が大量にまたたいていた。しかし、不気味とも神秘的とも表現できる光景へ素直に喜んでいられる者は少ない。こうしている今も、遠方からは様々な爆音や震動しんどうひびいている。
 そんな中、グリッキンは雪の森を歩いていた。
 プライベーティアに襲撃しゅうげきされていた集落を守るため、浜面はまづら、ディグルヴと共に高射砲を操っていたロシア軍の兵士である。
 現在は学園都市の部隊が駐留した事によって、ロシア側から追撃される危険性は減った。彼らが仮設の住居を建造してくれたおかげで、ほとんどの木造建築物を破壊はかいされた集落の人々も、吹雪ふぶきの中で凍え死ぬ心配をする恐れもなくなった。
「……、」
 しかし、グリッキンは素直にその恩恵を受け取る事はできなかった。
 彼は元々ロシア軍の人間だ。そして、彼の所属していた空軍基地は学園都市によって襲撃された。使っている装備や挙動はまるで別物だったし、集落の人々へ救援物資を送っている人たちと、あの無慈悲むじひな殺し屋どもは丸っきり『公式』と『非公式』の別人・別部隊のように思えたのだが、それでも単純に心を許せる状態ではない。
 怒りとは違う。
 根底にあるのは恐怖だ。
(……元々、プライベーティアと交戦した時点で、ロシアには俺の居場所はねえ。だったら、早い内にこのままエリザリーナ独立国同盟へ向かった方が良いかもしれない)
 そう考えているグリッキンだが、今、彼がこうして雪の森を歩いているのは、集落をはなれるためではない。エリザリーナ独立国同盟へ行くにしても、恩人である集落の人達に挨拶あいさつをしないのは筋が違うと思っている。
 では、何故なぜグリッキンはこんな所をうろうろしているのか。
(あのガキ、どこまで行きやがったんだ……?)
 迷子である。
 集落の中には子供もいた。そして、プライベーティアがおそってきた極限の緊張きんちょう状態から解放されれば、再び遊ぶために動き出すのが子供というヤツである。命の危機が去った事で、余計にテンションが上がっていたのかもしれない。集落の大人達でさえ、酒盛りの雰囲気ふんいきになっていたのだから。
 そんな折、一〇歳ぐらいの女の子が消えた。
 一緒いっしょに遊んでいた子供達も彼女がどこへ行ったか見ておらず、いつの間にかいなくなってしまった、という事らしい。
 この不自然な夜空は、グリッキンのような大人なら(した所でどうにもならないのを理解した上で)多少は警戒していただろう。しかし消えた女の子はまだ子供だ。サンタクロースだって信じている年代である。何かしらの希望を持って夜空を見上げたまま、ふらふらと遠くへ行ってしまった可能性もある。
 しかし、ロシアの冬は厳しい。寒さもそうだし、空爆や砲撃ほうげきの爆音で冬眠から目を覚ました肉食じゅう遭遇そうぐうする可能性も低くはない。おまけに、この辺りには地雷がかれているという話もあった。安心して子供を遊ばせておける環境ではない。
 女の子の母親は捜索そうさくに参加しようとしていたようだったが、それはみんなで止めた。子供の命も大事だが、寒さや地雷などで二重遭難のような状況になっては元も子もない。よって、グリッキンを始めとした少数が、集落のあちこちを見て回っている訳だ。
 人員が少ないので、ここにはグリッキンしかいなかった。
 集落から三キロほど歩き通したが、女の子らしい影は見当たらない。この雪の積もった中、小さな子供の足ではここまで来れるものだろうか、とも思う。死ぬ気で歩くという覚悟があれば子供の体力でも可能だろうが、『遊びに行っている内に』という理由なら、ここに来るまでにモチベーションが低下して、集落へ戻ろうと考えるのが普通だ。
 一度戻るか。
 そう考え始めたグリッキンは、吹雪ふぶきの向こうに、ゆらりとうごめく人影を確認した。
 ただし大きい。
「!?」
 とっさに樹木の陰へ隠れた彼は、その時、くまか何かを発見してしまったかと思った。だが違う。野生の熊は極寒ごっかん仕様の白い戦闘服せんとうふくなど身にまとわない。意匠からロシア軍のものだというのは分かるが、グリッキンはあんな高級な品にそでを通した事もない。
(……非公式戦の工作部隊!? 『東側の死神』 って呼ばれていた部隊のヤツじゃねえのか!!)
 主に狙撃そげきや爆破工作などによって、他国の要人を暗殺したり、ロシアに不都合をもたらす国同士の戦争を誘発ゆうはつさせたりしてきた部隊である。冷戦当時は、その名を紙に書くだけで同部隊が直々に暗殺しに来てくれるという都市伝説まであったと言われている。
 いくら戦時中とはいえ、何の理由もなく遭遇できる相手ではない。あの部隊があの服を着て歩いている時点で、すでにくさりつながれた悲劇が後ろをついてきているようなものだ。
 何故なぜここにいる。
 しかも、車を降りて徒歩で移動している理由は何だ。
 どうしても、前線基地を作るためにねらわれていたディグルヴたちの集落や、そこに駐留している学園都市の事を考えてしまうグリッキン。
 だが、ここで空軍基地の内勤だったグリッキンが、少数精鋭の工作部隊に勝負を挑んでも勝ち目はないだろう。今見えているのは一人だけだが、何らかの軍事作戦を展開させているのなら、いくら非公式戦でも向こうは複数人で行動しているはずだ。
一刻も早くここをはなれ、集落に戻った方が良い。
 不本意だが、学園都市の連中が動けば工作部隊は何とかなる。彼らは大々的な兵力で勝負をするのではなく、少人数でこっそりと小細工を行って、敵の軍勢を混乱におとしいれるプロなのだ。居場所や襲撃しゅうげきのタイミングさえ分かっていれば、物量勝負で押し返せる。
一歩、樹木の陰からはなれるようにグリッキンは動いた。
 しかし二歩目をむ事はできなかった。
 吹雪ふぶきの向こうにいた人影が、ピタリと動きを止めていた。ヤバい、とグリッキンは思う。重圧を受ける。それは視線だ。周りに人間がいないからこそ、一直線に突きつけられるその視線をグリッキンは明確に感じ取っていた。
「……、」
 結構な距離きょりが離れていたのに、その時、両者は互いの沈黙ちんもくを読み取った。
 直後、工作部隊の人間はアサルトライフルのストックを肩に当て、その銃口を容赦ようしゃなくグリッキンの方へ向けてきた。
 「ちくしょう!!」
 心臓がめ付けられるような恐怖を無理矢理に抑えつけ、グリッキンは背を向ける。つい先ほどまで寄り添っていた樹木の幹に、ライフル弾が突き刺さった。銃声と共に木の皮がはじけてグリッキンのほおを浅く裂く。しかし直撃しなかっただけでも幸運だ。その幸せをみ締めるひまもなく、グリッキンはただ雪の森の中を走り続ける。
 勝機があるとは思えなかった。
 単に背後から追ってくる兵士一人から逃げ切れば助かるという話ではない。
(無線で連絡された)
 恐怖にすくみそうになる足を必死に動かしながら、グリッキンは考える。
(向こうに何人いるか知らねえが、囲まれたら逃げられねえ!!)
 逃げるグリッキンの足元の雪が、ライフル弾で吹き飛ばされる。ほとんど転がるような格好で走り続けるグリッキンは、そこで本当に足をからめて雪の上に倒れ込んだ。しかし立ち止まっている余裕はない。こうしている今も背後からはこちらをねらう敵が迫っている。距離が縮まれば縮まるだけ死の確率も跳ね上がる。ところが雪まみれの体を無理矢理に起こして再び駆け出そうとした彼に、さらなる障害が立ちふさがった。
 敵ではない。
 今まで迷子になっていた女の子だった。
 雪の森にひびき渡った轟音ごうおんを聞いて、こちらへやってきてしまったのだろう。グリッキンにとっては最悪の展開だった。自分一人の足でも逃げ切れる保証はほとんどないのに、子供に足を引っ張られた状態では絶対に追い着かれてしまう。
 だが、だからといって置き去りにはできない。
 工作部隊はこちらの素性すじょうを確認しないで発砲してきた。目撃者はすべて消す対応だった。それは民間人だろうが子供だろうが関係ないだろう。
「くそっ!!」
 キョトンとした顔の子供を強引に抱え上げ、さらに走ろうとするグリッキン。だが深い雪に足を取られ、予想外に重たい子供にバランスを崩されるように、彼の体が雪の中を転がった。
 工作部隊の兵士が迫る。
 アサルトライフルの引き金にかかった指が動くのが、この距離きょりからでも明確に分かる。
 そして。

 タァァァン!! という銃声が雪の森へとひびき渡る。

 思わず目をつぶったグリッキンだったが、痛みはなかった。恐る恐る目を開けると、はなれた所で工作部隊の兵士が地面に倒れてもがいているのが見えた。枝の上に積もっていた一〇キロ近い雪の塊々かたまりが、突如とつじょとして頭上へ降り注いだのだ。
 当然、間抜けな自然現象ではない。
 今の銃声は、兵士の手にあるアサルトライフルのものとは違う。どこかから、第三者が工作部隊の近くにあった木の幹をったのだ。常に動く小さな標的をねらうより、ピクリと止まっている大きな標的を狙った方が確実だから。
「無事か!?」
 叫び声が聞こえた。この辺りではめずらしい日本語だった。さらに銃声が鳴る。起き上がろうとしていた工作部隊の間近の地面の雪が散った。屈強な兵士が両手を挙げるのが分かる。
「グリッキン、そいつをしばれ!! 今のはたまたま奇襲きしゅうが成功しただけだ。まともにやり合ったら対処できない!!」
 その声には聞き覚えがある。グリッキンが声のした方を見ると、木々の隙間すきまうように、浜面はまづら仕上しあげが走ってくる所だった。彼の手には拳銃けんじゅうがあった。いつまでっても動かないグリッキンに苛立いらだったように、浜面は工作部隊の兵士の両手を針金で縛る。
「……何で……?」
 グリッキンはほうけたようにつぶやいたが、そこで状況を思い出した。
 彼はかばうように抱えていた女の子を引きがしながら、
「いや、どうでも良い。とにかくここを離れよう。お前が今縛ったのはロシア軍の工作部隊だ。さっきの銃声や、無線の応答の有無で連中の仲間もすぐに気づく。囲まれる前に逃げねえと」
「俺もそいつらに用がある」
「?」
 グリッキンがまゆをひそめると、浜面を追って来るように、一人の少女が近づいてきた。名前は滝壺たきつぼだったか。少し前まで病人のようだったはずだが、今は体調が回復したらしい。
 浜面はまづら滝壺たきつぼの方を見ると、滝壺は女の子の手を取った。そのまま自然な仕草で距離きょりを取る。まるで、これからの話を女の子に聞かせないように。
「クレムリン・レポートだ」
「何だって?」
「この集落の近くに、使われなくなった核発射用サイロがある。ロシア軍上層部は学園都市がその施設を奪うかもしれないって考えていて、先手を打つために辺り一帯に細菌兵器をばらこうとしているらしい。そういう対応マニュアルが、事前に設定されていたんだと」
「……クソッたれ……」
 うめくようにグリッキンは声をらした。
 普段ふだんだったら、こんな話はすぐには信じられなかっただろう。しかし一瞬いっしゅん前まで自分の命をねらってきた、あの非公式戦の工作部隊の存在が、あまりにも不吉だった。
「じゃあ、あの工作部隊の連中が極悪ごくあくなウィルスを持ち込んでいるって訳か!? 今から集落の人たち避難ひなんさせたって間に合うかどうか分かんねえぞ!!」
「いいや、滝壺がロシア語のレポートを読んだんだが、どうも細菌兵器の散布には段階をむ必要があるらしい。被害予想の報告書では、風向きのほかに気温や湿度に関するデータもあった。感染を広めるにあたっては湿度―――空気中の水分が重要になるらしいんだが、この寒さの中じゃダイヤモンドダストになっちまう可能性も高い」
「それなら……」
「でも、大量の蒸気を使って気温や湿度を調整してやれば、感染の勢いは爆発的に広がっていく。だから連中は、標的の地点の風上から保温性の高いジェルを粒子状にして散布するつもりだ。この寒さの中でも凍らないように調整されたジェルでな。該当するエリアの気温と湿度を最適値に整えた上で、問題の細菌兵器を解き放つ。一度人の体の中に入ってしまえば、後は感染者の体温と水分でウィルスは保護されてしまう」
「じゃあ、初期段階の保温性ジェルの散布さえ妨害できれば、何とかなるかもしれないんだな」
「スチームディスペンサーって書かれていた。ジェルを粒子状にして空気中に解き放つ装置だ。特殊な加湿器みたいなもんか。とにかく、その、工作部隊だったか。そいつが行動を起こす前に、どうにかして装置を破壊はかいしないといけない」
 どうにかして。
 簡単には言うが、それはあの工作部隊と戦って勝つ事を意味している。敵が集団で動く以上、こちらの人数だけでは奇襲きしゅうで済ませられるとは思えない。
「……どうする。集落に駐留している学園都市の連中を呼ぶか?」
「時間がない。それに、大々的に動けば工作部隊の連中は散布作業のスケジュールを早めるかもしれない。スチームディスペンサーの大まかな位置は、地形や気象データから風向きを算出すればつかめる。でも、明確な設置ポイントが分かった訳じゃない。今すぐ工作部隊が動き始めたら、もう間に合わなくなる」
 それに……と浜面はまづらは言葉を切った。
 グリッキンはその沈黙ちんもくに対し、わずかに顔を伏せた。
「済まねえ……」
大丈夫だいじょうぶだ。でも、残りの連中が不審がる前に行動した方が良い。グリッキン、車は運転できるか。かぎはこれだ。三〇〇メートル西に4WDを隠してある。アンタはあの子を連れて、一度集落に戻るんだ」
「でも、それじゃ浜面は……ッ!?」
「あの部隊の仲間がうろついているかもしれないから、あの子をここには置いておけない。歩いて帰らせるのも危険だし、戦場に連れていくなんて論外だ。アンタがエスコートしてくれ。こっちでしばった兵も一緒いっしょたのむ」
 そこまで言うと、浜面は携帯電話を取り出した。
「電話番号を交換しよう。この辺り何にもないけど、中継アンテナのおかげで電波がつながるらしい。スチームディスペンサーを見つけたら連絡する。その段階なら学園都市が動き出した事に連中が気づいても、散布作業前にケリをつけられるからな。そしたらアンタは、何が何でも学園都市の兵士を説得して、集落の人たちを大移動させるんだ。三〇分以内に連絡がなかった時も同じだ。風向きに注意しろ。実際に細菌兵器が散布されたら気休めにもならないかもしれないけど、何も考えずに行動するよりかはマシだと思う。本当はすぐにでも逃げてほしいけど、闇雲やみくもに逃げた先にスチームディスペンサーがあったら元も子もないからな。分かったか?」
「……、」
「分かったか、グリッキン!!俺に何かあった時、アンタがきちんと動いてくれないと集落のみんなに被害が拡大するかもしれないんだ!!」
「……、」
「ロシア軍の連中だって、みんながみんな細菌兵器なんて使いたいとは思ってないと思う! だから一番最初の散布作戦には非情な任務を負う部隊が投入されたんだ!! ここで『一定の成果』とやらが確認されれば兵士達のタガが外れちまう!! ロシア中で同じ事が起こるって訳だ!! そんな事はけないとダメだ。学園都市の兵士も、集落のみんなも、一人も犠牲ぎせいは出したくない。だから分かったか、グリッキン!!」
「ああ分かったよ!!クソッたれ、俺は何があっても集落の人達を守ってみせる。だからお前も絶対に死ぬんじゃねえぞ!!」
 浜面とグリッキンは携帯電話の番号を交換すると、プラスチックの本体をぶつけ合うかのように、互いのてのひらを軽くたたいた。それ以上、彼らは何も言わない。会話が終わったと判断した滝壺たきつぼが、女の子を連れて戻ってくる。グリッキンは女の子と手を繋ぎ、縛った兵士を肩でかつぐと、4WDを隠してある方へと向かって行った。
 浜面はまづらは携帯電話をポケットにしまい、傍々かたわらの滝壺たきつぼに言う。
「俺たちも行こう」
「はまづら。レポートにあった気象や地形のデータから考えると、多分、ここから北へ五〇〇メートルほど進んだ所が怪しい」
『アイテム』で偵察を担当していたせいか、滝壺はすらすらと告げる。能力とは関係ないが、データから必要な方針を囲めるスキルもみがかれていたのだろう。
「一〇〇メートル以下の小さな山があって、風はそこから吹き下ろす形で核発射サイロや集落へ向かうようになっている」
「山頂はないな。向こうだって、一刻も早く設置を終えたいと思うはずだ。できるだけふもとに近い位置で、手っ取り早くスチームディスペンサーを備えつけようとするんじゃないか」
 浜面は先ほどまで兵士が倒れていた場所まで歩き、兵士が持っていたアサルトライフルとマガジンを手に取った。拳銃けんじゅうと全く違う重さと質感。まともに扱えるとは思えないが、拳銃一丁というのはあまりにも心許無こころもとない。
 殺人兵器の冷たさに、一瞬いっしゅんだけ動きを止める浜面。
 しかしそこで振り切るように目線を上げると、彼は肩紐かたひもでライフルを引っ掛け、北の山へと大きくみ出す。
「はまづら。早く終わらせよう。もうこんな戦争はうんざりだよ」
「それにしても、いや日蝕にっしょくだぜ。どうせならオーロラでも見せてくれりゃ良いのに」

  7

 地面の白い雪を爆風のように吹き飛ばしながら、一方通行アクセラレータは二体の天使に向けて突撃とつげきした。互いに刃をぶつけ合う二体の内、どちらへ先制攻撃を仕掛けるか、一瞬だけ一方通行アクセラレータは思案する。
 いずれにしても、背中からつばさを生やすような怪物だ。
 どちらかを助ける義理もない。
 よって。

 一方通行アクセラレータは『反射』を通用し、わざわざ二体の天使のど真ん中へと割り込んだ。

 ゴバッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 二体の天使の内、人形のような顔で水の翼を振るう天使については、『反射』がまともに機能しなかった。空軍基地跡地のヴォジャノーイ達と同じだ。『反射』を使っているはずなのに、水の翼はあめのようにグニャリと曲がって横合いの森を雪や土ごとえぐり取って宙へ飛ばした。
 はじかれる角度が浅い。
 このまま強く切り込まれれば、一方通行アクセラレータの体にも直撃ちょくげきする。
 しかし彼の表情は変わらなかった。もう一体の天使―――メガネをかけた女のように見える天使のつばさには、まともに『反射』が機能した。まるで人間のようにおどろく天使を無視し、一方通行アクセラレータはメガネをかけている方の天使の攻撃の『向きベクトル』を強制的に変換。
 一点に収束し、水の天使の胸板へ容赦ようしゃなくたたき込む。
 音という音が消えた。
 重力を無視し、自在に空中を舞っていた水の天使の体が、三〇〇メートル以上後方へ吹き飛ばされた。航空機の落下事故のように、地面をまとめてぎ払いながら、怪物は派手に転がっていく。
 一方通行アクセラレータが先に水の天使へ攻撃を仕掛けた理由は単純だった。
 片方には自分の能力が通じ、もう片方には通じなかった。ならば、厄介やっかいな方から片付けるのが道理である。
「あなた、は……?」
 メガネの、おそらくは一方通行アクセラレータでも理解できるたぐいの力を操っている天使が、呆然ぼうぜんとした調子でつぶやいた。
 日本語で。エイワスのようなブレもなく。
「AIM拡散力場の集合体で作られた翼を、操った……?」
「オマエみてェな怪物に、まっとうなQ&Aを処理する頭があるのに驚きだがよ」
 一方通行アクセラレータはジャケットのふところを開いて、内ポケットに突っ込んだ羊皮紙ようひしの束を見せる。
「オマエもこいつの『におい』にさそわれたクチか?」
「……?」
 困ったようにまゆをひそめた科学の天使。
 その時だった。
 ゾン!! と、周囲一面に、重圧の壁のようなものが広がっていった。見えない爆風のようなそれの正体は、得体えたいの知れない殺気だ。もはや、一人の人間では噴出不可能なレベルに達する莫大ばくだいな負の感情の爆心地へ目をやると、薙ぎ払われた水の天使が起き上がる所だった。
 雪が消える。
 水の天使を中心に、五〇〇メートル四方に積もっていた雪が解けて水になる。
 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞッッッ!!!!!! という気味の悪い音と共に、膨大ぼうだいな液体が水の天使の元へと吸い寄せられていく。あっという間に、ただでさえ巨大だった翼がさらに凶悪なものへと変わっていった。
露骨ろこつな野郎だ。自己紹介のつもりか?」
一方通行アクセラレータはジャケットの前を閉じ、水の天使の方へと向き直る。
 あたかも、科学の天使のとなりに並ぶように。
「え、と……」
「オマエは後回しだ」
 退屈そうな調子で、一方通行アクセラレータは言う。
「学園都市製には興味がねェ。あのガキを助けるのに必要なかぎは、あっちの怪物が持っていそォな雰囲気ふんいきだからな」
 今の激突で分かった事がある。
 二体の天使は両方とも怪物だが、エイワスほどではない。
『反射』やベクトル操作の通じる科学の天使はいわずもがな。正体不明の水の天使にしても、科学の天使の力を操作した攻撃こうげきで吹き飛ばされる程度なら、エイワスには程遠い。
 何しろ。
 エイワスには、反撃の糸口さえ存在しなかったのだから。
 (勝てる)
 皮肉な判断方法だったが、間違いではないと一方通行アクセラレータは思う。
 その時だった。
「……hbuiesdfosfnisadofhjohnvouazeswhfpiASNFcpiAENFpiAENFpiANJvpidnkljndsigps……」
 水の天使の口が、もぞもぞと動いていた。
 何かがれている。
 聞き取りにくい小さな音、というだけではない。
 そもそも、どこの国の言葉で語っているかも分からなかったが、
「……sergv範hy設定……」
 一方通行アクセラレータの耳がクリアな革命を起こした。
 だまし絵の中に込められたもう一枚の絵画を見つけたような気分だった。
「投gre準備……djku完了」
 知っている。
 一方通行アクセラレータはこの言語を知っている。
 ハッと顔を上げた彼の前で、ありとあらゆる水のつばさ先端せんたんが、禍々まがまがしい夜空へ向いた。まるで電波塔のアンテナのように。天空にいる何かに合図を送るがごとく。
 そして。
 今や明確となった『声』は、こう告げる。

命令名コマンド『一掃』―――投下」

 夜空がまたたいた。
 それを確認するひまもなかった。
 半径二キロと設定された領域の中に、数千万の破壊はかいつぶてが降り注いだ。
 一方通行アクセラレータでさえ、完璧かんぺきには『反射』のできなかった力と同種の天罰てんばつが。
 「ッッッ!?」
 反応できなかった。
 けるか防ぐか。それを考える前に、破壊のあらし一方通行アクセラレータへと容赦ようしゃなくたたきつけられた。天地の概念がいねんが消失する。直撃ちょくげきした、と感じた時には、その体は空中に投げ出されていた。ベクトルの操作によってダメージを軽減させようとしたが、のどの奥から血の味がせり上がってきた。雪も土砂もすべて巻き上げられ、一方通行アクセラレータの視界は真っ白に塗りつぶされていた。
 「ご……ご……がッ!?」
 地面に叩きつけられ、咆哮ほうこうを発しようとした一方通行アクセラレータだが、発声が上手うまくいかない。呼吸が詰まっている。能力を使い、ベクトルを制御し、喉にまっていた血液をまとめてき出し、ようやく息を吸う事ができるようになる。
 (クソったれ……ッ!! 一体、何が……ッ!?)
 舞い上げられた雪で真っ白になった視界の中、前方に唯一異なる色が存在した。
 青い光。
 大天使という破壊の象徴。
「……、」
 夜空が再び不気味な輝々かがやきを増すのを、一方通行アクセラレータは自覚した。
 あの一発では終わらない。
 五発目でも一〇発目でも、水の天使は標的が動かなくなるまで確実に実行し続ける。
(ふざけ、やがって)
 ミシミシと体をきしませながらも、一方通行アクセラレータはゆっくりと立ち上がる。
 ここで死ぬ訳にはいかない。
 まだやるべき事がある。
 打ち止めラストオーダーしばりつける『理不尽りふじん』を一つ残らず引き千切ちぎるまで、倒れる訳にはいかない。
(倒せるかどォかなンざ関係ねェ。叩き潰すための理由がありゃあ十分だ!!)
 ドン!! という爆音が炸裂さくれつした。
 脚力のベクトルを操り、一方通行アクセラレータぐに青い光の怪物へと突っ込んでいく。
 そこへ、水の天使の無慈悲むじひな言葉がさらに放たれる。
「第二ko披。攻wager撃準備ws開始。『一掃』再ise投下までnvsp三〇秒」

 同時刻。
 ゴォォォォォォ!!!!!! という轟音ごうおんがロシアの夜空を揺さぶった。
一発目の『一掃』だ。
「……やりすぎだ」
 高度七〇〇〇メートルに浮かぶ『ベツレヘムの星』の上で、右方のフィアンマはわずかにつぶやいた。壮絶な揺さぶりは彼の足元にまで伝わったが、今回のは地上の衝撃波しょうげきはがここまで上ってきたのとは違う。
 巻き込まれた。
 大天使が用意した『一掃』の魔法陣まほうじんは、『ベツレヘムの星』よりさらに上空で展開されていた。そして『神の力ガブリエル』が『一掃』を限定的に投下した際、真下にあった『ベツレヘムの星』の一部を削り取ったのだ。
 夜空の色を見る限り、第二波も三〇秒以内に放たれるだろう。『ベツレヘムの星』に対する被害もさらに拡大するはずだ。
 しかし、フィアンマの表情に大きな変化はない。
 やりたいようにやらせれば良い。どうせ一定以上にふくらんだ『ベツレヘムの星』は自己修復機能を手に入れている。こうしている今も、砕けた城の一部は宙に浮かび、元あった場所へと戻ろうとしていた。
 自らが使役する『神の力ガブリエル』とある程度五感をリンクさせたフィアンマは、
「こんなものか」
 退屈そうな調子で言った。
「こんなものか、俺様の敵は。大天使が出てくればどういう風に戦況が傾くか、シミュレートができていなかったとは言わせんぞ」
 学園都市製のものと思われる天使が出てきた時は少しだけ興味をそそられたが、大勢に影響えいきょうは出なかった。そして、その学園都市の天使と共闘きょうとう関係にある能力者。おそらく科学サイドのとらの子というヤツだろうが、それを組み合わせてもミーシャ=クロイツェフを撃破げきはする事はできなかった。
 『一掃』の効力は甚大じんだいだった。
 こうしている今も、学園都市の怪物たちはミーシャに喰い下がろうとしている。しかしダメージの蓄積は否定できなかった。このまま第二波、第三波と立て続けに『一掃』を投下していけば、確実に動きは止まる。何しろ、彼らには回避かいひも防御もできないのだから。
 一撃で決める必要はない。
 確実に削り取れる力があれば、後はその積み重ねで殲滅せんめつできる。
 これがローマ正教の得意とする数の暴力だった。
 川の水が大地をえぐり取るのと同じである。
「この程度で終わるのなら」
 すいっ、とフィアンマの指先がつえでる。
だれも俺様を止めんと言うのなら」
 インデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうを組み込み、大天使の操縦へ応用した霊装を。
「俺様の『一掃』は、世界をおおうぞ?」
 その時だった。
 聴覚ちょうかくを無視して、右方のフィアンマの中心からいきなり『声』が広がった。
 その『声』の主を、フィアンマは知っていた。
「……久しいな、アックア。まだ『神の右席』の一角を名乗るつもりはあるか? それとも、今はただの傭兵稼業ようへいかぎょうに逆戻りかな」
『いずれでも構わん。貴様の暴虐ぼうぎゃくを止められる立場であれば』
「どうやって?」
 右方のフィアンマは、杖をくるくると回しながら気軽な調子でつぶやいた。
「世界六〇億が戦乱の中でやいばを交えている。この状況で、あくまでも個に過ぎんお前はどうやって皆を救う?」
『……、』
「お前はむしろ、そうした戦乱の象徴だよ。暴力性を帯びた善の肯定。各地で人知れず危機を打破し、救われた民衆へその種をいてきたお前は素晴らしいこまだった。おかげで皆はお前にあこがれているぞ。暴力によって問題を解決するお前のやり方を」
 そして役目を終えた駒に用はない。
 フィアンマの口調には、絶大な戦力を手放す事に対する未練すらも感じられなかった。
「この戦争がなぜ起きたのか、分からぬお前でもあるまい。引き金を引いたのは俺様だ。しかし火薬もなしに弾丸は発射されん。この機構の意味を理解していると判断した上で、お前にこう尋ねよう。どうやって皆を救う、と」
『だからと言って、大天使などを民衆に振りかざす理由になるか』
「止めるのか。結局は武力による解決だな。茶番にもならん展開だが、しかしどうする。学園都市製の天使に加勢した所で勝敗は決している。九月三〇日、ヴェント回収のためあの街へもぐり込んだお前は知っているはずだ」
 嘲笑あぎわらう声。
「学園都市の天使の存在は、各界へゆがみを生み、魔術まじゅつの制御に強い悪影響あくえいきょうを及ぼす。ヴェントが必要以上の苦戦をいられたのはそのためだ。アレとお前が共闘きょうとうする事はできんよ。無理に武力を行使すれば、互いに競合を起こして暴走し会うのが関の山だ」
『……、』
「そして、個々が連戦を仕掛けた所で、ミーシャ=クロイツェフの総量はお前たちを上回る。曲がりなりにも本物の大天使だぞ。正面からの争いで勝てるのは俺様ぐらいのものだろう」
 結論を告げる。
 右方のフィアンマからの最後通牒つうちょうという、あまりにも一方的な結論を。
「お前にはそこそこの力があるが、それはあくまでも駒としての強さだ。今さらお前がどう刃を振るおうが、どう武力を行使しようが、大天使の動きは止められん。無駄むだな抵抗を続ける権利ぐらいは与えてやっても艮いが、指をくわえて眺めているのが得策さ」
『そうか』
 そこで、フィアンマは笑い声を聞いた。
 アックアの、失笑だった。
『ならば、武力を使わぬ方法とやらを提示してやろう』

 ドッ!!!!!! と。
 直後に、ミーシャ=クロイツェフの力の総量が、三分の一ほど削り取られた。

 天使とは、ある種の力のかたまりだ。本来は物質的な肉体を持たない。その『物質的ではない』肉体の中身と言うべきものが、一気にうすらいだのだ。それは、五感を部分的にリンクしているフイアンマの息を詰まらせるのに十分な出来事だった。
「何を……した? いや、これは……」
『忘れたのであるか。私は後方のアックア。ローマ正教最暗部『神の右席』の一員。青と月と後方の象徴。―――そして、四大天使の「神の力ガブリエル」をつかさどる者』
「お前、まさか……自分の体の中に……ッ!?」
『十字教の術式において、「天使の力テレズマ」の封入と解放など基本の基本。そして、私の肉体そのものが「神の力ガブリエル」とリンクする最大の媒体ばいたいとして機能する。……仮に私が水属性の「天使の力テレズマ」を徹底的てっていてきに吸い上げた場合、その源である「神の力ガブリエル」の総量がどうなるか、考えるまでもあるまい』
「……、」
 正気の沙汰さたとは思えない。
 人間一人の体の中に、大天使の総量を丸ごと詰め込もうとするなど、通常の魔術師まじゅつしであればまず考えられない。どう考えた所で、その作業の途中で爆死するのは明らかだ。
 しかし、
『不可能な訳ではあるまい』
 アックアの声が、常識の壁を切り崩す。
『現に、貴様が利用したロシア成教の修道女とて、それが「できた」からこそ貴様の目に留まったのであろうからな』
馬鹿ばかが……。あれは元々の素養と許容量があってこそ、『御使堕しエンゼルフォール』の時も自然と流れ込んだのだ!! だれにでもできるというものではない。仮にサーシャ=クロイツェフそのものを複製したとしても、同じ許容量を得られるとは思えん!! それほどの才でなければ、この俺様が利用しようなどと思う訳がなかろう!!」
『そういう事を言っているのではない。……他人の手でできる事なら、この私にもできる。それだけの、単純な事実を述べているだけである』
 なるほど、とフィアンマは思う。
 腐っても『神の右席』の一員。常識で語ろうとする事そのものが間違っているという訳か。
「ならばやってみろ」
『やってみるとも』
「だが分かっているのか。その無謀むぼうな挑戦は、お前という戦力を確実に砕くものであるという事を。お前の行いはただの自滅だよ」

 雪のロシアに、一人の大男が立っていた。
 ロシアとエリザリーナ独立国同盟の国境から少しだけほなれた場所だ。フィアンマの要塞ようさいから距離きょりは離れていたが、これから行う『術式』に不都合はない。
 その男は身の丈をはるかに超える大剣を半ばまで地面に突き刺し、その巨躯きょくを支えている。
 周囲の空気はゆがんでいた。
 まるで水の中に大量の砂糖を溶かし込んだような、異様なゆらめきの中に、男は立っていた。
 流れ込む。
 大量の力が。
 青い色をつけられ、月の光に反応する、莫大ばくだいな『天使の力テレズマ』が。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!???」
 殺到。
 毛穴という毛穴からもぐり込み、体の中心へと集約されていく力の渦。それは人間の体の中にめ込める量ではない。風船には決まった量の空気しか入らないのと同じだ。それ以上の量を無理矢理に詰め込めば、どういう末路を迎えるかは明白である。
 腕や足から赤い血の飛沫しぶきが舞った。
 背筋や首から火花が散ったような気がした。
 血管も神経も無事では済まなかった。無数の枝のように分かれたそれらの配線が、ブチブチと引き千切ちぎれていく感覚を男は知った。二本の脚はがくがくとふるえ、あれだけ屈強だった体が今にも折れそうになっている。
 だが倒れない。
 地面に突き刺した大剣と己の心。その二つだけをたよりに、男は決して崩れ落ちたりはしない。
 ダメージは肉体にとどまらない。
 彼を魔術師まじゅつしとして機能させ続けてきた、決定的な何かが断線していく。
 男は『聖人』であり、『神の右席』だ。二つの才能を体内で融合ゆうごうさせ、莫大な力を振るう世界有数の魔術師だ。その力の源が、バラバラに砕けていくのが分かった。こうしている今も、刻一刻と魔術の力は失われていく。おそらく彼は枯渇する。それだけでは済まない可能性も高い。内側から砕けていく己を自覚しながらも、しかし男は決して留まらなかった。
 自分の元へ『天使の力テレズマ』が流れ込むだけ、敵の力は弱体化する。
 人を救うための天使の力が、人を殺す機会は減る。
 それだけで十分だった。
 その事実さえあれば、男は歯を食いしばって膨大ぼうだいな『天使の力テレズマ』と対峙たいじする事ができた。
 そして……。

 ゴッ!!!!!! と。
 一方通行アクセラレータ攻撃こうげきが、ミーシャ=クロイツェフへまともに通った。
 降り注ごうとしていた『一掃』は、途中で照準制御を失い夜空をぐらりと揺らがせるにとどまった。
 ぎ払われるミーシャ=クロイツェフへ、一方通行アクセヲレータと科学の天使は向かう。
 追撃を仕掛けるため。
 これ以上、戦場を鉄クズと瓦礫がれきの山にさせないために。
 そして……。

 右方のフィアンマは、かすかに笑った。
 後方のアックアが体内へ強引に呼び寄せた『天使の力テレズマ』の総量は、およそ『神の力ガブリエル』の半分程度。これだけでも十分脅威きょういに値するが、やはり人間は人間だ。サーシャ=クロイツェフのような特殊な例でもない限り、大天使を丸ごと一つ抱え込む事などできないのだ。
 そして。
「五〇%台でも十分に勝利できる」
 フィアンマは退屈そうにそう告げた。
「『聖人』も『神の右席』も、すべてを失ったというのに、ここでおしまいか。むくわれんよ、お前の人生は」
 殺せ、と彼は命じた。
 それで終わり。
 大天使ミーシャ=クロイツェフは科学の天使と学園都市の能力者を殺害し、すみやかに学園都市の機甲部隊を殲滅せんめつするだろう。フィアンマの計画を止められる者はだれもいない。ミーシャがいる限り、五万発以上の核ミサイルを同時に放たれても、『ベツレヘムの星』を落とす事はできない。
 そのはずだった。

 だが動かない。
 殺せと命じたはずのミーシャ=クロイツェフが、ピクリとも動かない。

 いやな感じだった。
 完全な優勢だったはずなのに、ほんのわずかな傾きが生じた。それは極めて少ない動きであったはずなのに、不思議と全てがすべり落ちそうな、無視のできない胸騒むなさわぎを覚える。
 そして、
「あの野郎……」
 右方のフィアンマは気づいた。
 もう一つ。このイレギュラーな戦場において、だからこそ最大の力を発揮できる存在を。
「あの野郎」

  8

 その時。
 上条かみじょう当麻とうまは、『ベツレヘムの星』の一角にいた。サーシャの体を使ってミーシャ=クロイツェフの召喚を行ったとされる、要塞ようさい最右部の儀式場ぎしきじょうだ。
 フィアンマはインデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうつえに組み込み、ミーシャの操縦を行っているという話だった。その杖を右手で破壊はかいしてしまえばミーシャを止められるはずだが、そのためには未知数のフィアンマと激突しなければならない。
 もう一つ。
 もっと確実かつ迅速じんそくに、ミーシャ=クロイツェフを止められるかもしれない可能性を、上条は思いついたのだ。
「……ミーシャ=クロイツェフが現れたのは、この『ベツレヘムの星』が現れた後だった」
 上条はつぶやく。
 かたわらのサーシャに説明するように。あるいは、自分自身に確認を取るように。
「大天使なんて大戦力を振るえるなら、出し惜しみする必要なんてなかったのに。第三次世界大戦なんて起こさなくても、大天使一体だけで決着がついていたかもしれないのに。にもかかわらず、フィアンマはそれをしなかった。『ベツレヘムの星』が現れる、その時まで」
 つまり、と。
 彼のくちびるが、そう動く。
「大天使ミーシャ=クロイツェフを呼び出し、維持するためには、『ベツレヘムの星』が必要だった!! この要塞が浮上するまでは、便いたくでも使えなかったんだ!! だったら、話は簡単だ。この『ベツレヘムの星』の中に、ミーシャの存在を支えている『何か』がある。その『何か』を、俺の右手でぶっこわしてしまえば―――ッ!!」
 上条当麻は、儀式場にある細い柱のようなものをつかんでいた。
 直径三センチほど。直線的な柱は何十本もあり、中には黒い液体が通っていた。別の柱には白い液体もある。サーシャの話では、白と黒で一対になっていて、儀式場の『門』をつかさどり、外部から内部へオカルトな『力』を呼び込むために使うらしい。何十本も用意しているのは、その『力』に複雑な経路を通らせる必要性があるから、との事だった。

 それを。
 片っぱしからぎ払う。

 ガキガキバキンッッッ!! と甲高かんだかい音が鳴り、透明なケースが砕け散った。中にあった白と黒の液体がこぼれ落ち、床の上でマーブル模様を作り出す。
 何かが、がくんっ、とかしぐのを感じた。
 目には見えないのに、明確にそこに存在するもの。その根幹が揺らぐのを、上条かみじょう当麻とうまは確かに感じていた。

 そして。
 後方のアックアに力の総量の半分を削り取られ。
 上条当麻に存在を支える根幹を破壊はかいされ。
 学園都市が生み出した最強の超能力者レベル5と科学の天使の猛攻を受けたミーシャ=クロイツェフは……。

 ロシアの夜空に、大天使の咆哮ほうこう炸裂さくれつした。

 人間の頭では決して理解のできない、しかし単なる爆発音とは明らかに違う、禍々まがまがしい感情の込められた絶叫。
 かろうじて、人の体のようなものを維持していたミーシャの形が、ぐにゃりと崩れた。
 力のかたまりに戻る。
 莫大ばくだいな量のエネルギーに。
 それは爆弾だった。
 大天使と最も近い位置で対峙たいじしていた一方通行アクセラレータはハッとすると、電極の使用時間など無視して全力で大天使へ突き進んだ。
(……たとえ場違いだろォが何だろォが、そンな事は問題じゃねェ)
 前へ進む力。
 学園都市から逃げ出し、このロシアをさまよっていたころには決してなかった力。
 あの少年との戦いを機にきっかけを手に入れた『それ』へ、一方通行アクセラレータは今まさに点火させる。
 一気に起爆させる。
(ああそォだ!! 守りてェンだ! 失いたくねェンだ!! そンな事を想像もしたくねェンだ!! あのたった一つの幻想を守り抜くためなら、俺はどンな現実とだって立ち向かってやる!!)
 単純な『反射』だけでは、あの莫大な力は制御できない。
 彼は敵か味方かも分からない科学の天使に向けて、こう叫ぶ。
「抑え込めェェェえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!」
 動くひまはあったか。
 間に合う事はできたか。
 直後。

 起爆した。

 純白の閃光せんこうがドーム状に炸裂さくれつする。すべてをみ込む、純粋すぎて恐ろしい光。目を閉じていても眼球を焼き尽くすほどの莫大ばくだいな光が、不自然な夜を真っ白に塗りつぶす。
 本来であれば、半径数十キロが灰になっていただろう。
 単純な爆発とは違う『特殊な力』による爆発だ。それ以外にも、奇妙な副産物が生まれてきてもおかしくはない。文字通りの不毛の地になっていた可能性だって高い。
 だが。
 爆発は広がる前に、不自然なゆがみを発した。
 科学の天使がその身に宿す莫大な力を一方通行アクセラレータたたきつけ、一方通行アクセラレータはそのベクトルを操って透明な壁を作り、爆発を球状に取り囲んだのだ。瞬間的しゅんかんてきに三〇〇メートルほどにまで広がった爆発はそこで完全に『外殻がいかく』におおわれるも、さらに内側から引き裂こうと力を増す。
 光と音が炸裂した。
 だが一方通行アクセラレータは抑え込んだ。
 内側からと外側からとで、莫大な力がせめぎ合う。
 時間にして、ほんの数秒の出来事。
 そして……。

天使の力テレズマ』の霧散むさんを確認したアックアの手が、巨大な剣からゆっくりとはなれた。
 血まみれの手だった。いいや、赤く汚れているのは手だけではなかった。
 力が抜ける。
 半ばまで地面に突き刺した剣を残し、そのまま雪の上に崩れ落ちたアックアの顔は、あまり変わらなかった。ただし、その口元だけが、ほんのわずかにゆるんでいた。
 これで良い。
 大天使『神の力ガブリエル』さえ排除できれば、戦況は大きく変わる。フィアンマには強力な力があるが、彼はその力を過信し過ぎた。だから人々は手を取り合って強大な敵と戦える事を忘れている。同じ目的を持つ者に、戦況を託すという選択が見えなくなっている。そう、かつての自分と同じように。
 神経も血管もズタズタにされ、魔術まじゅつを扱うための土台は失われた。
 この命もそう長くはないだろう。
 大天使を道連れに、自分は死ぬ。
 これで良い。
 決着を見届ける事が目的なのではない。自分はそのために必要な土台を一つ用意した。これによって皆は天高くにいるフィアンマへまた一歩近づいた。だから構わない。遠い未来に、皆の笑顔があるのであれば、傭兵ようへいの自分にとっては立派な勝利だ。その中に自分がいるかどうかは問題ではない。
 その時だった。
「ちくしょう……ッ!!」
 声が聞こえた。何者かが雪の中を走って近づいてくるのが見えた。若い男だ。東洋人だった。確か、ロシア製の高射砲を使って外国人傭兵部隊から集落を守ろうとしていた一人。
「どうなってんだ? これ、ただの銃創とかじゃねえよな。何があったんだ、くそ!! こっちはスチームディスペンサーの件でも忙しいっつーのに!! おい滝壺たきつぼ、俺は応急手当の詳しい方法なんて分からない。お前の方で何とかできるか!?」
 男女のペアは、アックアの近くでかがみ込むと、包帯のようなものを取り出した。しかしアックアの表情は変わらなかった。自分の体の事は分かっている。
「やめ、て……おけ」
 血の味の混じる口を動かし、アックアは言う。
「どのみち、私は助からん。ここは戦場である。医療いりょう物資が余る事はあるまい。他の者へ回すなり、のちのちを考え温存するなりしろ。いずれにしても、ここで無駄むだ遣いする事はない」
「うるせえな」
「詳しい事は明かせんが、この戦争を仕掛けた張本人へケンカを売った所だ。とりあえず一泡吹かせる事には成功したが、追撃ついげきが来る可能性は否定できない。ここにとどまるのは危険である。私を置いて早く行け」
「うるせえっつってんだろうがよ!! そんな状況ならなおさら置いて行けるか!! こっちはもういい加減に戦争なんてうんざりなんだ!! これ以上人が死ぬ所なんて見てたまるか!!」
「私は目的を果たした。これ以上は足手まといになるだけだ」
「だったら……アンタを待ってる人はどうするんだよ」
 浜面はまづらの絞り出すような声に、アックアの動きがわずかに止まった。
 構わずに、浜面は言う。
「今までだってそんな風に生きてきたんだろ。俺やディグルヴたちを助けてくれた時のあれは、アンタにとって特別な事だったんじゃない。アンタはずっと、そんな風に生きてきたんだろ!! そういうヤツは絶対に孤独なんかじゃない。アンタが考えていなくたって、アンタの後ろには多くの人たちがついてきてる。そういう人達はどうするんだよ!!」
 それは、アックアの中には存在しない強さだった。
 ゆえに、彼は浜面はまづら仕上しあげという男を見据える。
 一つ一つの言葉は、まるでくさびだった。
 死の坂道をすべり落ちようとしていく彼の体を、い止めるような。
 浜面の言葉は、決して生易なまやさしい救いにはならない。
 むしろ、突き刺すような勢いは苦痛すら与える。
 しかし。
 それらの言葉が、アックアをギリギリの所で押しとどめる。
「世界を守って死にました。他人をかばって倒れました。そんなんで納得すると思ってんのかよ!! そんな訳ねえだろ!! アンタが掲げる『戦う理由』ってのは、アンタを待つ人達の泣き顔を見て笑みを作るようなくだらねえモンなのかよ!!」
 血液を失い、朦朧もうろうとなった頭に思い浮かんだのは、気障きざったらしい騎士団長ナイトリーダl、占星施術旅団の老人、オルレアン騎士団きしだん脅威きょういにさらされていたあの男女などだった。
 そして。
 イギリスの第三王女。
「……立てよ、ヒーロー」
 もはや相手が瀕死ひんし怪我人けがにんである事にすら気を配らず、浜面は倒れたアックアの襟首えりくびつかむ。
 掴んで言う。

「立てェェェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええツツツ!!!!!!」

 ズン、という音が聞こえた。
 仰向あおむけに倒れていたアックアの手が、雪の大地を掴み取った音だった。
 鼓動が聞こえる。
 自分はまだ生きている。
 ここで終わりではない。
 まだ動けるのならば。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 みしみしと全身からきしんだ音を立て、さらに多くの赤い鮮血を噴出させながらも、後方のア

ックアは再び起き上がった。
『聖人』としての力は失われた。
『神の右席』としての力を使う事もできない。
 体内をズタズタに引き裂かれ、『ただの人』にまで落ちたアックアは、しかし歯を食いしばり、再び体内で魔力まりょくを精製し始める。その力を身体制御のみに回し、傷口からこれ以上の出血を押しとどめていく。
 ろくな力は残っていない。
 武器として持参してきた、身の丈を超える大剣を持ち上げる事すらできないだろう。
 だが。
 だからどうした。

 本物のヒーローとは、一ど倒れた程度であきらめる者を指すのではない。
 民の声に応じて、何度でも起き上がる者を指し示す。

  9

「なるほど」
 右方のフィアンマは、つえに手をやった。
 上部にインデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうを取り付け、大天使の制御に利用していた杖だ。
神の力ガブリエル』は羊皮紙ようひしの反応を追って地上へ向かったようだが、その回収に失敗した。フィアンマの掲げる『プロジェクト=ベツレヘム』に必要な情報が詰まった羊皮紙である。
 しかし問題はない。
 フィアンマと『神の力ガブリエル』の五感はリンクしている。そして、『神の力ガブリエル』の知覚能力は人間のそれとは大きく異なる。たとえ標的のふところの中にしまってあったとしても、羊皮紙に記された魔術まじゅつ情報を入手する事はできる。
 必要な知識は手に入った。
 フィアンマは『神の如き者ミカエル』について極端きょくたんに深い知識がある。そして、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょの知識を入手した事によって、外堀を埋める事もできた。
 そんなフィアンマにも足りないものはあった。
神の如き者ミカエル』以外の四大天使―――つまり、他の『神の右席』の象徴である。
(広いロシアの全土からかき集めた未確認情報を再整理し、各天使の術式を推論したロシア成教の秘中の秘。これさえ手に入れば問題はない)
 もうこの杖は必要ない。
 フィアンマは上部に取り付けていたインデックスの遠隔制御霊装を取り外すと、
「なるほど、なるほど、なるほど」
 くるくると杖を回す。
 にっこりと微笑ほほえんだフィアンマは、

「ふざけやがって。クソッたれが」

 ゴキリ、と。
 杖を真ん中からへし折った。
 残骸ざんがいを軽く放ると、フィアンマは、すいっと右手を前へ突き出す。大まかな位置は分かっていた。その方角へてのひらをかざすと、彼は口の中で何かをつぶやく。
 音が消えた。
 莫大ばくだい閃光せんこうほとばしった。
 それは『ベツレヘムの星』の壁を一撃いちげきで砕いて溶かすと、さらに複数の建物を吹き飛ばし、標的へと一直線に突き進んだ。
 手応てごたえはない。
 あり過ぎても困る。
 どうせ、例の右手ではじかれている事だろう。
 メキメキと、フィアンマの右肩の辺りから異常な音が聞こえた。空中分解を起こした『第三の腕』が乖離かいりしかかっているのだ。しかし一〇万三〇〇〇冊の知識で補強している今のフィアンマにとっては、大した障害にはならない。
 トン、と。
 一歩だけ、前へみ出す。
 それだけで、フィアンマの体が五キロ以上も進んだ。間の床がなくなっていても、空中そのものになっていても、関係はなかった。ただ水平一直線にルートさえ開いていれば、彼はどこへでも移動できる。
 辿たどり着いたのは一室。
 サーシャ=クロイツェフの体を借りて大天使を呼び出した儀式場ぎしきじょうだった。先の一撃いちげきで部屋の半分以上は崩れ、多くの内装は引きずられるように下層へと落ちていた。儀式場の中には、例の少年が一人で立っていた。下層へとつながる穴に、何か赤いものがチラリと見える。ひょっとすると崩落に巻き込まれてだれかが落ちたのかもしれない。
「面倒な事をしてくれたな」
 フィアンマは告げる。
 インデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうを片手で弄々もてあそびながら。
「おかげで学園都市やイギリスから邪魔じゃまが入る前に儀式を執行する必要が出てきた。という訳で、そろそろその右手をいただこうか」
「……そう簡単に進むと思ってんのか。ミーシャはもういないぞ。どうしてここまで上手うまく話が転がったか今でも分からねえけど、人間は大天使に勝ったんだ。どう考えたって、天秤てんびんはこっちに傾いている」
「心配には及ばんよ」
 言って、フィアンマは天を指差した。
 建物の壁や天井てんじょうは、彼の一撃によって粉砕されていた。おかげで、崩れた建材の向こうに、不自然な夜空が見える。
 そう。
 ツンツン頭の少年は気づいただろう。
 大天使ミーシャ=クロイツェフが撃破されたというのに、空の様子が全く変わらないという意味を。
「天使の役割は、俺様好みに夜空を変えた時点で終わっていたんだよ」
 フィアンマは語る。
『第三の腕』を大きく広げながら。
「以前、『神の火ウリエル』と『神の薬ラファエル』の象徴がずれているという話をしたな。ミーシャ=クロイツェフの名は『神の如き者ミカエル』に由来するのであり、『神の力ガプリエル』が自称するには相応ふさわしくない事も」
 ツンツン頭の少年は警戒しているようだが、もう遅い。
 フィアンマが語った時には、終わっている。
「『神の力ガブリエル』を利用し、一度空からすべての星を消した上で、『天使の力テレズマ』に満たされた不完全な天空へ『ベツレヘムの星』だけを浮かべたのは、大きな力の流れを規定し、四つの属性を再設定するための儀式ぎしき。……『御使堕しエンゼルフォール』においてミーシャが起こした空一面をおお魔法陣まほうじんや、地上から見た星々の配置を利用した『使徒十字クローチェディピエトロ』を退けたお前なら、『天空というスクリーンの制御』にどれほど重要な魔術的まじゅつてき意味が付加されているかは説明するまでもあるまい。そもそも、夜空に『とある星』が出現した事によって、預言者は『神の子』の誕生を確信したのだからな。俺様がやっているのは、その神話的事実を応用した大規模術式といったものか」
 ま、世界各地の教会や聖堂を適度に破壊はかいした事で、『地上』の力の流れにも同時に手を加えてあるがな、とフィアンマは付け加える。
 天空と地上。
 三と四。
 十字教文化において重要な数を丸ごと独占って訳だ、と。
「なん、だ……? お前、何をしようと……」
「逆に尋ねようか? まさかと思うが、『ベツレヘムの星』を浮かべた程度ではいおしまいなんて考えてはいないだろうな」
 茶化すようにフィアンマは言う。
「こんなものはただの手段だ。目的はもっと上にある。『ベツレヘムの星』も、第三次世界大戦も、一〇万三〇〇〇冊の遠隔えんかく制御霊装れいそうも。全ては単なるお膳立ぜんだてって訳だ。なんて事はない。重要なのは、この右腕。全てはこれ一本だ」
 フィアンマは気軽に言う。
「あれだよ。事前にそうして場を整えなければ、俺様が望む儀式は執行できんと言っているだけだ。第一段階は終了、といった所だが、この時点でもうれしい特典がついてくる」
 バヂンッ!!という異音が発せられた。
 星空が広がる。
 まずは黄、次に赤、そして青、最後に緑。奇怪な色の星々が、フィアンマの合図に合わせてヴェールを重ねていくように暗黒の夜空へ広がっていく。
『ベツレヘムの星』は大仰なプラネタリウムだった。
「知っているか?」
 大自然では決してありえない色の星空。その詳細な意味は、魔術を知らぬ素人しろうとには解析できないはずだ。しかし生命の深い部分では理解しているだろう。この透き通った本物の世界を。四つの属性が本来の位置へと戻った実感を。
「火、水、風、土、これら四属性の一つ一つは、それぞれの力のはしになっていながら、しかし同時に、一つの属性を操るという事は、広義において他の全ての属性にも影響を与えるものとなる。だからこそ、即物的な戦闘せんとう行為を除く大規模な儀式ぎしきでは、象徴武器シンボリックウエポンは一つではなく一式全すべてをそろえるのが基本となる。たとえ、『火』の儀式であってもな。つまり、俺様の『火』の中には最初から四属性全てを制御する条件が備わっていた。その全てを制御する事で、俺様は莫大ばくだいな力を得るはずだった。……世界全体の属性の布陣に『ゆがみ』さえ存在しなければ」
 その上で、フィアンマは言う。
「正しい力とは、正しい世界でこそ万全に振るえるものだ」
 ドン!!!!!! と、見えざる何かがフィアンマを中心に炸裂さくれつした。
 それは殺気。
 ジリジリと肌を刺すような刺激を上条かみじょうに感じさせるほどの、圧倒的な重圧だ。
「……、」
 だが、後ろへ下がる理由はない。
 目の前にいるあの男は、インデックスの遠隔えんかく制御霊装れいそうつかんでいる。それを破壊はかいするためには、この重圧を生む元凶を撃破げきはしなくてはならない。
 上条は自然と右拳みぎこぶしを強く握りめる。
 フィアンマの右肩へと、自然と意識を吸い寄せられる。
 うごめく。
『第三の腕』が。
 空中分解に苦しんでいたはずの力に、莫大な何かが宿っていく。

「さあ、正しい力の意味を知ってもらおうか」

戦況報告2

 ロシアの雪原で、美琴みことはぐったりと座り込んでいた。
 そんな彼女に、妹達シスターズは声をかける。
「冷静になりましたか、とミサカは質問します」
「ええ……。悪かったわね。もう一回説明してくれる?」
「Nu-AD1967。旧ソ連製の戦略核弾頭の発射準備が進められています、とミサカは内容をまとめて報告します」
「待ってよ。待って。核弾頭って、あの核兵器の核って事!? ロシアの大統領はそんなもんのゴーサインを出したって訳?」
 顔面蒼白そうはくになる美琴に対し、妹達シスターズはあくまでも無表情のまま、首を小さくかしげて、
「通常の軍用回線などで調整を図るような会話は行われていません、とミサカは自分に確認を取ります。また、核発射認証用コードの無線送信などの兆候も見られません、とミサカは追加報告します。推測ですが、おそらくニコライ=トルストイなる人物が主導する独立部隊の行動ではないかと」
「それって……?」
 美琴はまゆをひそめ、
「つまり、ロシア軍の部隊の一つが、勝手に核弾頭をミサイルに積んで持ち出したって事? でも、あれっで大統領の認証用コードがなければ起爆はできないはずよね」
 そうでなければ、危険な思想を持った軍人Aの独断で人類滅亡への引き金が引かれてしまう危険が出てくる。大量のミサイルと多数の発射施設を持つ大国だからこそ、その手のセキュリティは堅牢けんろうであるはずだ。
「そうとも限りません、とミサカは通信内容に耳を傾けつつ困り顔になります」
「アンタ眉一つ動いていないわよ」
「どうやら独立部隊は『交換弾頭』を使おうとしているらしいのです、とミサカはあきれ返ります」
 妹達シスターズは首を横に振って、
「東西の冷戦終結直後、体制の崩壊ほうかいしたロシアから多数の核弾頭や放射性物質が『流れた』という話は知っていますでしょうか、とミサカは確認を取ります」
「なんとなく、話程度は……。でも、どこまでが真実でどこからが都市伝説なのかも分からないレベルよ」
「では、同時に多くの核技術者や技術情報も流出したという話は?」
「……、」
「これらの弾頭は使用を目的として売買されましたが、その多くは認証コードの問題で実際に起爆する事は不可能なはずです、とミサカは告げます。ただ、一部の弾頭については例外が発生します。核弾頭のセキュリティロックは、核物質を取り囲む『外殻』にセッティングされています、とミサカは説明します。つまり……」
「一度『中身』を抜いて、新しく作った『外殻』に詰め直してしまえば」
「核物質の起爆は可能となる訳です、とミサカは結論を出します。それも、全く同じ威力で、とミサカは補足します」
 妹達シスターズはすらすらと言った。
 たった今傍受した軍用通信だけで補完できる情報量とは思えない。もしかすると、ミサカネットワークを利用してリアルタイムで情報を収集しているのかもしれない。
「これら『交換弾頭』はソ連崩壊ほうかい後、主にロシアから独立しようとする複数の機関で製造計画が持ち上がったようですが、ロシアの国力が回復すると、今度は『核に対する自国の責任と世界平和へ貢献するため』、軍の特殊作戦によって徹底的てっていてきに狩り出されています、とミサカは解説します。公式記録では、これらの『交換弾頭』は分解され、濃度をうすめて原子力発電の燃料に再利用されたとありますが」
「その実、独立部隊が回収して自前の『蓄え』にしていたって事? 大統領のゴーサインなしで、いつでも発射できる核兵器として」
「彼らは車両発射型のランチャーを用意し、Nu-AD1967を応用した『交換弾頭』を空中の要塞ようさいへ打ち込もうとしているようです、とミサカは計画内容を暴露ばくろします」
 冗談じゃない……と美琴みことつぶやいた。
 いくら不可解な要塞であっても、そこに乗っているのが何度も死地から生還した男であっても、流石さすがにそんなものを起爆されればただでは済まない。
 さらに、被害はそこにとどまらない。
 仮にあの奇怪な要塞がとんでもない防御機能を持っていて、核爆発にすら耐えたとしでも、そこでハッピーエンドとはならない。
 問題なのは、標的とされている要塞の高度だ。
「…‥確か、アメリカ辺りが『安全な小規模核弾頭』の研究をしていたわよね」
「直径三~五キロ程度の破壊規模の核兵器で、爆発の規模ゆえに『死の灰』を上空にき散らせずに済むというプロジェクトの事でしょうか、とミサカは確認を取ります。あれは地下施設の破壊を前提としていたはずですが」
 そう。
 冷戦当時の過熱した核兵器開発競争の中でさえ、禁忌きんきは存在した。『死の灰』を一定以上の高度まで舞い上げない事。そのために、一個の巨大な爆弾ではなく、小さな核爆弾を雨のように降らせるMIRVという弾頭まで開発されたほどだ。
『死の灰』を一定の高度まで舞い上げてはいけない理由は何か。
 大規模核戦争まで視野に入れていた大国同士が、それでも絶対に回避かいひしなくてはならないと自らをいましめるほどの『懸念けねん』とは何か。
「まずいなんて次元じゃないわ……。あんな高い所にあるターゲットをねらって、核兵器なんて発射したら……ッ!!」
「Nu-AD1967の爆発規模から察するに、浮遊している要塞を攻撃した事によって発生した『死の灰』は、上空を絶えず流れる空気の層へ大量に巻き込まれ、地球全土が汚染される可能性が極めて高いでしょう、とミサカはネットワーク上のシミュレート結果を報告します。放射性物質による生物への悪影響々あくえいきょう、及び『死の灰』で日光が遮蔽しゃへいされる事で、地球環境そのものが変質し、植物の成長状況の悪化から深刻な食糧難が訪れると予測されます、とミサカは懸念します」
 地上を席巻する核爆発ですら、『死の灰』のリスクは常にあったのだ。
 そこへ高度数千~一万メートルも上乗せすれば、どれほどの『死の灰』が舞い上げられるか分かったものではない。
「車両発射型のランチャーを用意しているって言ったわよね。具体的な場所は分かる?」
「通信内容からおおよその位置は。ただし彼らは核爆発による被害を回避するため、現地点から七〇キロ以上はなれた地点からミサイルを発射しようとしています、とミサカは付け足します」
「ふむ」
 美琴みことは辺りを見回し、ある一点を適当にあごで指した。
 そちらにあるのは学園都市の車両団だ。複数の駆動鎧パワードスーツたずさえ、多くの戦車や装甲車が今も移動や砲撃ほうげきを行っている。
「……その辺の適当に奪うとするか。アンタ、車の運転ってできたっけ?」

 聖ジョージ大聖堂。
 その地下を、ステイル=マグヌスは走っていた。どこかの部屋ではない。延々と続く石造りの通路だった。聖ジョージ大聖堂は、そこを中心にして蜘蛛くもの巣のように無数の脱出用通路が何キロも伸びていた。本命のもの、ダミーのもの、トラップ用のもの、通路内で包囲されそうになった際の迂回路うかいろなど、用途も重要度も様々だ。
 背後から足音が近づいてくる。
 歩数と距離きょりとが一致しない、奇怪な足音だ。
(いつまでも逃げ続けている訳にはいかない)
 ステイルは歯噛はがみした。
 (あの子の計算能力に余裕を与えては、それだけフィアンマがあの子を使いやすい状況を作ってしまう!!)
 直後だった。
「第一五章第四節。敵性人物の退路を断ち、確実に処分を実行します」
 ズズン!! と空間全体が大きく揺れた。
 そう思った時には、ステイルの前方の地下通路が、巨人の手で押しつぶされるように崩落する。
 ステイルは勢い良く振り返った。
 やみの奥に、光る眼球が二つ。
 さらに、インデックスの周囲に白くかがやく光が三つも漂っていた。
「第一七草第三三節。敵性人物から北欧神話の特色を確認。対抗手段として豊穣神ほうじょうしんの剣を再現、即時実行します」
 ブォン!! と三つの白い光が勢い良く飛来した。
「チッ!!」
 ステイルはとっさに炎剣を生み出すが、三つの光は突如とつじょ直線的な軌道から、ぬるりとした生物的な動きに切り替えてステイルの炎剣をくぐり抜ける。
(フレイの剣……ッ!?)
 北欧神話に限らず、世界中のあちこちの神話には、『自動的に宙を舞い、確実に敵の息の根を止めてくれる武具』というものがたびたび登場する。豊穣神フレイの剣もその一種。賢い者が所持をすればひとりでに戦い、持ち主に勝利をもたらしてくれるという伝説を持つ。
 北欧神話は神も人も『死ぬ』『敗北する』可能性のある宗教だ。にもかかわらず、このフレイの剣は北欧神話の中で、たった一度も敗北するシーンは描写されていない。
 それほどの伝説。
 それほどの破壊力はかいりょく
 炎剣という防備の隙間すきまを潜り抜けられ、喉元のどもとへと剣の切っ先を向けられたステイルは、
「―――『魔女狩りの王イノケンティウス』!!」
 もはや自分へのダメージも気にせず、一気に叫んだ。
 直後に現れた炎の巨神は、宙を舞う三本の剣をはじき飛ばすと同時に、使用者であるステイル自身をも爆風で真後ろへ吹き飛ばしてしまった。
 崩落によってふさがれた壁へと、ステイルの背中が激突する。
 わずかに得た猶予ゆうよ
 しかし、それは逆転のための策にはならない。
「第二〇章第九節。曲解した十字教のモチーフを確認。上記の術式に対し最も有効な術式の構築を開始します。命名、『神よ、何故私を見捨てたのですかエリ・エリ・レマ・サバクタニ』発動準備完了。即時実行します」
 インデックスの顔を起点に巨大な魔法陣まはうじんが宙に浮かび、そこから赤黒い光線が放たれた。
 それは軽々と『魔女狩りの王イノケンティウス』を千切ちぎり、霧散むさんさせ、ステイルのすぐ横を突き抜け、瓦礫がれきの山をまとめてえぐり取った。
「……なるほど」
 壁に手を突き、かろうじて二本の足で起き上がりながら、ステイルは口を開く。
「相手は一〇万三〇〇〇冊だ。たかが『魔女狩りの王イノケンティウス』の一つだけでは太刀打たちうちできないのも無理はないか」
 ただし、とステイルは付け加える。
 彼は続けてこう言ったのだ。

「こちらも、切り札が一つだけとは言っていないけどね」

 ボン!! という爆音が生じた。
 ステイルのとなりには、炎の巨神があった。
 ただし、左右のどちらか片方だけではない。
 左右の両方に一体ずつ、『魔女狩りの王イノケンティウス』は君臨していた。
「ダブル」
 インデックスはしばしその現象を凝視ぎょうししていた。
 やがて、感情のないひとみのまま、彼女は口を開く。
「第二一章第四四節。複数目標への対応策の構築を実行。即時―――」
 その時だった。
「トリプル」
 ボン!! と、さらにもう一つ爆音が発せられる。
 インデックスの言葉がピタリと止まった。実行途中のコマンドが足を引っ張るかどうかを考えているらしい。
 ステイルは大量消費される魔力まりょく―――さらにその原材料である生命力を自覚しながら、脂汗と共に笑う。
「まさか……あの時、あの場面で力不足を感じた僕が、そのまま自分の実力を放っておいたとは思っていないよな?」
 もちろんステイル一人だけの力で、三体もの『魔女狩りの王イノケンティウス』を常時使える訳ではない。どれだけ新しい術式を設計しても、個人の力だけでは成し遂げられないレベルというものが存在する。いまだにステイルはその壁を越えられていない。
 だから、足りない物は、聖ジョージ大聖堂にある霊装れいそうで補った。
 必要な物資を探し出し、回収し、利用するために、ステイルは今の今まで逃げ回っていたのだ。
 だが、魔道書まどうしょ図書館はとどまらない。
 彼女はあくまでも作業的に分析を進めていき、
「第二三章第一一節。三位一体さんみもいったいの構造を確認。対象の術式は三つで一つの役割をになっており、三体の間で魔力まりょくを循環させる事によって魔力消費量の節約をねらっているものと判明しました」
 ビュン!! と三本の『豊穣神ほうじょうしんの剣』を周囲にはべらせ、背中からは赤い血のようなつばさを飛び出させ、ひとみの中の魔法陣まほうじんを不気味にかがやかせながら、インデックスはこう告げた。
「対応策は一つ。三体の内の一体を集中攻撃こうげきし、三位一体の構造を崩してしまう事と判断します」

 見つけた。
 アックアと別れてしばらく雪原を進んだ浜面はまづら滝壺たきつぼは、針葉樹の林の木陰に身を隠し、首だけを出してはなれた場所を観察する。五〇メートルぐらい先に、うごめく人影があった。一般の軍服とも少しデザインの違う、白系の戦闘服せんとうふくに身を包み、アサルトライフルで武装した兵士が立っている。
 見張りのようだった。
 さらにその奥は、低い山のふもとだった。そこには大型のタンクローリーが三台もまっている。ほかにも細々とした車両が何台も集まっている。麓の近くでは、数人の男たちが今も作業を行っている。
 五メートル程度の、ポールのような物があった。
 一本二本ではない。男達は一〇本以上のポールを等間隔とうかんかくで地面に突き立て、タンクローリーから伸びた太いホースを接続しようとしている。
「あれがスチームディスペンサー……?」
 浜面は身を隠したままつぶやく。傍々かたわらの滝壺はうなずき、
「タンクローリーの方は、保温性のジェルかもしれない。あのポールは霧吹きりふきみたいなものなのかな」
 見張りの兵がこっちへ首を動かし、浜面達はあわてて木の陰へ首を引っ込める。
 浜面は携帯電話を取り出し、グリッキンと連絡を取った。
 集落、スチームディスペンサー、風向き、これらの条件さえ分かれば、どこへ逃げるべきかも計算できる。
 ただし。
 実際に散布されてしまえば、被害をゼロに抑えられる保証はない。
 電話を切って前方を観察すると、麓の作業場を中心に、大きな円を描くように一〇人近い見張りが展開されているようだった。彼らは一点で棒立ちしているのではなく、一定のエリアをゆっくりと往復しているらしい。しかし、だからと言って見張りの目をかいくぐつて中央のタンクローリーに近づくのは難しそうだ。仮に死角をって移動できたとしても、戻ってきた見張りの兵に、雪の上の足跡を見咎みとがめられる可能性も高い。
 浜面はまづらは手の中で冷たくなっているアサルトライフルを意識するが、
(……この人数差じゃ勝てねえ。っつか、向こうはプロの軍人だぞ。一対一のち合いだってどうにもならねえに決まってる。最初の一発目の銃声が鳴ったら、もう後がねえぞ)
 だが、いつまでもだまって様子を見ているひまはない。こうしている今も細菌兵器をばらくための準備は着実に進められている。彼らは準備が終わると同時に最悪の選択を行うだろう。その前にケリを着けなければならないのだ。
 極寒ごっかん吹雪ふぶきの中で緊張きんちょうの汗を流す浜面だったが、そこで滝壺たきつぼが意外な言葉を放ってきた。
「……はまづら、ここは連中が立ち去るのを待った方が良い」
「何だって?」
 浜面はまゆをひそめる。このままでは、ロシア軍の工作部隊は細菌兵器を使用してしまう。そうなったらディグルヴたちの集落はおしまいだというのに……。
「はまづら、レポートにはこう書いてあった。クレムリン・レポートで使われる『細菌の壁』は空気感染するタイプで、呼吸器のほか皮膚ひふ上からも体内にもぐり込む。さらに油分を分解する効果もあり、BC兵器用のマスクやダクトに使われるフィルター類に穴を空けてしまうから、既存の防護は通用しないって」
「だったらどうした。そんな危ないモン、より一層ばら撒かせる訳にはいかねえだろ」
 浜面の疑問に対し、滝壺は林の向こう―――白い雪原で作業を続ける工作部隊の面々を指差した。
「彼らはどうやって『細菌の壁』から逃れるの?」
「は……?」
「防護マスクも分厚いスーツも通じない。最新の戦車に乗っていたって貫通する。だったら、工作部隊の兵士達は『細菌の壁』をばら撒くと同時に道連れになっちゃうでしょ」
 言われてみればその通りだ。
 そして、改めて観察してみれば、見張りの兵は仰々ぎょうぎょうしいマスクなどつけていない。物騒ぶっそうな細菌兵器を取り扱っているにもかかわらず、だ。
「はまづら。彼らは時限装置を使うと思う。スチームディスペンサーと『細菌の壁』を設置したら、安全な場所まで急いではなれるはず。マスクもスーツも使えない状況で生き残るなら、それしかない。でも、だとすれば……」
「そうか、無理に戦う必要はないんだ。工作部隊が立ち去ってから、タイマーがゼロになるまでに、若干じゃっかんのラグが発生する。その間にスチームディスペンサーに接近して装置をこわしちまえば、細菌兵器の拡散は止められる!!」
「でも、その猶予ゆうよはそんなに長くはないはず。工作部隊だって、安全を確保しつつ、できるだけ迅速じんそくに『細菌の壁』を散布しようと考えて時限装置をセットするはずだから。あれだけ大規模な装置になると、すべてを破壊はかいしているひまはないと思う。『弱点』を探しておいた方が良さそう」
 浜面達はまづらたちの手持ちの武器は、拳銃けんじゅうとアサルトライフルだ。いわゆる『爆破』には向いていない。タンクローリーや車両類の燃料タンクにはガソリンが入っているだろうから、使うとすればその辺りか。
 装置の大雑把おおざっぱな構成は、一〇本近いスチームディスペンサーのポールと三台のタンクローリー。その他にも細々とした車両の内のいくつかは、作業用のもののはずだ。
 率直に言って、燃料タンクを利用して一台二台を爆破するのは容易たやすい。
 だが、その時発生した炎、煙、熱などが、続けて作業を行う事をはばんでしまうだろう。壁のような熱風は、火災現場に直接入らなくても、風向き一つで人間の皮膚ひふから肺まで焼き焦がす。装置を構成する全ての車両を的確に爆破するには、それこそビルの解体作業並の計算が必要になる。当然ながら、今の浜面達にはそんな猶予はない。
 そこで『弱点』だ。
 滝壺たきつぼの言っているような、そこだけを破壊すれば装置全体が止まってしまう……そんな『弱点』を見つける事ができれば、こういった問題を回避かいひできる。
 目を細め、吹雪ふぶきの向こうを眺めていた浜面は、やがてポツリとつぶやいた。
「……電源車両がある」
「?」
「右のタンクローリーの近くにある装甲車。太い送電ケーブルが集中しているだろ。あの中身はきっと発電機だ。前に絹旗きぬはたせられたC級ミリタリー映画とかで、近頃ちかごろの軍用品は照準装置を中心に、電子化が進んでるって話が出てた。暗視だのUAVからの補助だの色々便利らしいが、バッテリーが頻繁ひんぱんに切れるのが困るんだと。だから砂漠だのジャングルだの、戦地で充電するためのステーションを用意する必要も出てきたって訳だ」
「でも、あれは外装は装甲車だよ。そう簡単には爆破できないはず。内部から仕掛ければ話は変わるかもしれないけど、工作部隊がハッチのかぎをかけて立ち去ったら、外側からこじ開けるだけでも難しいんじゃ……」
「吹き飛ばす必要はない」
 浜面は滝壺と顔の高さを合わせ、指先で彼女の視線を装甲車の後部へ誘導ゆうどうする。
「電源車両のケツから真上に、排気パイプが三本も突き出ているだろ。装甲車のエンジンだけにしちゃあ数が多すぎる。電源車両の核は、ディーゼルの発電機なんじゃないか。俺達の目的は、電源車両からスチームディスペンサー装置全体へ電気が送られるのを阻止そしする事。つまり、発電機を止められればそれで良い」
「?」
「ガソリンだろうがディーゼルだろうが、車のエンジンだろうが発電機だろうが、基本的な仕組みは同じだ。排気パイプに土でも詰めちまえば、内燃機関はストップしちまう。学園都市の警備員アンチスキルの連中も、逃走車両のエンストを誘発ゆうはつさせるためのゼリーバズーカなんてもんを導入してた」
「あれが巨大なリチウムイオン電池のかたまりだったら?」
「その時は電源車両から伸びているケーブルを片っぱしから切断していこう。感電が怖いから、できればけたいけどな」
 そこで、滝壺たきつぼの小さな手が浜面はまづらの服を引っ張った。
 吹雪ふぶきの先で作業をしていた工作部隊の連中に、動きがあった。今まで装置の間を忙しそうに行ったり来たりしていたが、無線でどこかへ連絡を取ると、次々と小型の車両へ乗り込んで行ったのだ。
「はまづら」
「分かってる」
 工作部隊が現場をはなれたら、すみやかにスチームディスペンサー装置群へ近づき、電源車両の排気パイプへ攻撃こうげきを仕掛ける。時間は少ない。下手へたすると数分で時限装置が作動してしまうかもしれない。正確な時間が分からない所も、浜面たちたちあせりを加速させていた。
 しかし、だからと言って、ここで下手を打つ訳にはいかない。
 工作部隊の連中とは戦っても勝てない。つまり、見つかる訳にはいかない。彼らが完全に立ち去るその時まで、チラリとでも目撃されてはいけないのだ。
 浜面と滝壺は林の中で身をかがめ、息をひそめる。
(……上手うまくいくのか)
 自分の心臓の鼓動を必要以上に感じながら、浜面は考える。
 あれだけの事をしでかす兵隊だ。装置の周囲に地雷などを設置している可能性だって否定できない。この国ではそういう卑劣ひれつわなが公然と使用されている事を、浜面はディグルヴ達の集落で思い知らされていた。
 複数の車のエンジンが始動する音が重なった。
 もうすぐ工作部隊は立ち去る。
 罠の有無は、彼らの車の動きを追えば分かる。少なくとも、自分達の通り道に地雷を置くほど間抜けではないだろう。浜面は身を屈めたまま、目を皿のようにして意識を集中する。この吹雪の中では、いつまで車のわだちが残っているかも分からない。安全なルートは頭の中にたたき込んでおくに限る。
 その時だった。
 予想もしなかった事が起こった。

 タァァァン!! という銃声が鳴りひびいたのだ。

 浜面はまづらのすぐ近くの雪がはじけ飛んだ。ライフル弾が着弾したのだ、と気づいて彼はあわてて身を低くする。だが間に合わない。どういう状況なのかはいやというほど理解できてしまう。
「ヤべえ。気づかれちまった!!」
 この場を去ろうとしていた複数の車両が急ブレーキをしていた。いくつかのドアが開き、重装備の兵士たちが降りてくる。元からまともにやっても勝てない事は分かっているのだ。真正面からのち合いでは、人数的にも一人当たりの戦力でも、あまりにも不利だ。
 その瞬間しゅんかん、浜面がとっさにはじき出した方針はこれが限界だった。
 何があっても滝壺たきつぼだけは逃がす。
 手にしたアサルトライフルの安全装置を外し、勝手にあふれる浅い呼吸を必死に整えようとしながら、浜面は決意する。
 だが、具体的にどうする。
 グリップを握る手に汗がにじむ。頭の中にいやな空白が生じる。極限の緊張きんちょうの中、そこで浜面は笛のように甲高かんだかい音を耳にした。
 真上を見上げる。
 大空を悠々と飛んでいたのは、
(学園都市の……超大型戦闘機せんとうき!?)
 全長八〇メートルを超える、あまりにも長大な機体。大空を引き裂く怪物航空機について、浜面がそれ以上何かを考えるひまはなかった。
 直後に爆発があった。
 単純に爆弾を投下したのとは違う。
 磁力か何かで強引に加速させた砲弾が一直線に射出され、音速以上の速度で地面に突き刺さったのだと気づいたのは随分ずいぶん後になってからだった。
 グワッ!!!!!! というすさまじい爆発音が浜面の全身を包む。
 山のふもとに設置されていたスチームディスペンサーや関連車両がまとめて火の海の中へと消えていく。多少距離きょりはなれていたはずなのに、工作部隊の逃走用車両も大きく転がされていた。浜面や滝壺でさえ、雪の中に身を埋める羽目になる。
 爆風に吹き飛ばされたのか、倒れた浜面のすぐ近くに無線機が落ちていた。おそらく元は工作部隊の物だったのだろう。
 そこから声が聞こえた。
 日本語だった。
『よお。磁気の反応から、そこにだれかがいるのは分かってる。善意のボランティアってヤツなら握手をしよう。俺も似たようなもんだ』
「がはっ、くそ、学園都市……?」
 浜面はまづらには違和感があった。
 ロシア軍の無線機から声が聞こえているという事は、敵味方の区別もなく、だれでも聞こえる周波数を使っているという事だ。学園都市の『暗部』のやり方とは思えない。
 となると、
 (……同じ、学園都市でも、俺たちみたいな、『暗部』とは違う……? こいつ、正規部隊の人間……つまり教師なのか……?)
『おうよ。日本海に攻め込んでたエカリエーリャちゃん達が道をゆずってくれたおかげでな。こうして慈善じぜん事業に精を出す事ができたって訳だ。近頃ちかごろ戦闘機せんとうき攻撃機こうげききの区分も曖昧あいまいになってきてるから、やる事多くて大変ってトコか』
 その瞬間しゅんかん
 浜面仕上しあげの心理状態は奇怪な化学反応を起こしていた。
 彼は学園都市から逃亡している身だ。増援があるのはうれしいが、しかしあんな怪物航空機に追い掛け回されたらどうしようもない。
 しかし一方で、全身から力が抜けるほどの安堵あんどがあるのも事実だった。やはり今までが普通ではなかったのだ。プライベーティアやロシア軍の工作部隊などを相手に、ただの不良が立ち向かう方がおかしかったのだ。
 そんな事を考える浜面などお構いなしで、上空で鋭角にターンした怪物航空機が、もう一度戻ってくる。飛行コースに沿う形で大量の爆弾を磁力で射出し、地上へ一直線の爆炎を広げていく。
 光。
 音。
 ある程度はなれていた浜面が思わず顔をかぼうほどだったが、しかし彼はどこか体の力が抜けていくのが分かった。必要以上に強張こわばった筋肉がほぐされていく。
(助かるかもしれない)
 治安を守るべき人間の手で、理不尽りふじんな暴力から守ってもらえるという事実。
 それは、この後にあの怪物航空機の矛先が自分達に向くかもしれないにもかかわらず、浜面に当たり前の平穏へいおんと安堵を感じさせていたのだ。
(俺達も、ディグルヴ達の集落も、あんな馬鹿ばかげた細菌兵器にやられずに済むかもしれないんだ……)
 向こうはどう考えているのだろう。
 すでに決着はついていると思っているのか、磁気反応だけで人間の位置を特定しているため、詳しい身元までは分かっていないのか。
 さらに、別の問題も浮上していた。
 それは、
「おい、これ、大丈夫だいじょうぶなのか? 『細菌の壁』って殺人ウィルスなんだろ……?」
『だから徹底的てっていてきに焼き払う。ちょいと身をかがめて目をつぶり、耳をふさいで口を開けてな。白燐はくりんベースの爆弾だから音はそれほどじゃねえが、それでも衝撃波しょうげきはがないって訳でもないからな』
 やはりこちらが異論を挟むひまはなかった。
 直後に複数の爆弾がロシアの大地へ突き刺さった。
 自然落下だけでも相当の位置エネルギーがあるにもかかわらず、さらに磁力か何かで強引に加速させた爆弾だ。
 莫大ばくだいな衝撃波と共にスチームディスペンサー設置位置へクレーターが生じ、直後に火の海へと転じた。単純な火炎放射とも違う、もっと粘つくように広がる不気味な炎だった。
 あっという間に、悪魔あくまの装置が二重三重に破壊はかいされていく。
 ロシア軍の工作部隊もただでは済まなかった。
 上空からの爆撃は、人間を直接ねらったものではない。だが爆発の余波は容赦ようしゃなく彼らを巻き込んだ。舞い上げられ、地面を転がされた工作部隊に、プロの軍人としての動きはもはやなかった。気を失っているようだった。
 爆音や衝撃波につられたのか、山の斜面から大量の雪が突き崩された。
 浜面はまづらの立っている場所は多少距離きょりはなれていたが、地面にぶつかって舞い上がった雪は、まるで消火器の粉末のように浜面たちを一気におおい尽くした。
 視界がゼロになる。すぐとなりにいるはずの滝壺たきつぼの顔さえ見えない。自分が本当に木々の生い茂る林の中にいるのかどうかも分からなくなる。
「(……滝壺っ!? どこだ、大丈夫か!?)」
 声をひそめ、しかし辺りへ話しかける浜面。両手を伸ばし、手探りで周囲を確認しても、硬い木の幹の感触しか伝わって来ない。
 スチームディスペンサーは、細菌兵器は、工作部隊はどうなった?
 視界がかない中で混乱する浜面は、ひたすらにさまよった。
 何分経っただろうか。一〇分以上経っただろうか。
 時間の感覚すらも分からなくなったその時、彼の手が柔らかい感触をつかみ取った。
「滝壺!!」
 あわてて抱き寄せ、その顔を確認する。
 確かに滝壺理后りこうだった。
 短めの黒い髪。眠たそうなひとみ。ただでさえ白い肌は、衣類で身を守っていても寒さの影響えいきょうを受けているのか、若干じゃっかん青ざめたように見えた。
 しかし、
「……はま、づら……」
 直前までとなりにいた滝壺たきつぼ理后りこうは、薄手うすでで秋物の黄色いコートなど着ていたか? ストッキングで脚をおおっていたか? こんなに背丈は高かったか? こんなに声は低かったか?「……はまづら……」
 そして。
 浜面の知る滝壺は、こんな邪悪な顔で笑い掛けてきたか?

「ひっさしぶりだねえ、はーまづらぁあああああああああああああああああああーっ!!」

 ビキビキガギンッッッ!!!!!! と、小動物を思わせる滝壺の顔に内側から亀裂きれつが走った。その中から全く別の女の顔がのぞいていた。
 もっと凶暴で。
 凶悪で。
 どうしようもないほど学園都市の『やみ』を表現する、その顔立ち。
 (……こいつ……ッ!!)
 彼女の片目の奥から、純白すぎる純白の光が生じる。
 目尻めじりが裂けるほど大きく開かれた途端とたん莫大ばくだいな光の砲撃ほうげき浜面はまづらの顔へおそいかかってきた。
 全力で首を横に振った浜面の耳のすぐ近くを、猛烈な光と熱が通過する。それは針葉樹の木々をぎ払い、上方へと大きく放たれ、ロシアの天空を支配していた学園都市の超大型戦闘機せんとうき主翼しゅよくをわずかにかすめた。制御を失った航空機から、細長いボックスのような物が射出されるのが分かるが、いちいちそちらへ首を動かす事ができない。
 第四位の超能力レべル5
 原子崩しメルトダウナー
麦野むぎの沈利しずり……ッ!!」
 その体を突き飛ばし、あわてて後ろへ下がろうとして、背中を木の幹にぶつける浜面。
 何故なぜここにいるのか。そんな事を問うのに意味などなかった。特殊メイクを引きがし、片目に指を突っ込み溶けた義眼の残骸ざんがいぬぐう女の表情を見れば、すべての理屈を吹き飛ばす『執念』をいやというほど感じ取れる。
 滝壺理后はどこへ行った。
 彼女と二人で生き残るためにはどうすれば良い。
 間近に迫る死の危機に対し、浅い呼吸ばかりをり返す浜面は、心の中でこう思った。

 やるしかない。
 この怪物と、麦野沈利と、決着をつけるしかない。

あとがき

 一冊ずつご購入いただいた貴方あなたはお久しぶり。
 二三冊もまとめ買いしてくださった貴方は初めまして。
 鎌池かまち和馬かずまです。
 まっぷたつ!!……いきなり何をとお思いでしょうが、今回は真っ二つなのです。実を言うと、ここは当初予定していた『とある魔術まじゅつ禁書目録インデックス二一巻』の折り返し地点だった訳で、本当はこの後に同じ程度のページが控えていたはずだったのですが……担当編集様の『駄目だめだぜこいつはちょっと分厚すぎるぜ』という賢明なアドバイスをいただきまして、急遽きゅうきょ真っ二つという事になりました。このあとがきも大慌おおあわてで付け加えている感じです。
 真ん中で区切ってしまったおかげか、今回の二一巻は、四巻に出てきた『あの子』が思いっきりフィーチャーされる形になったような気がします。複数のキャラクターが立て続けにぶつかったとはいえ、この作品世界の人間はここまで来たか、とちょっと感慨かんがい深かったりします。
 問題の解決に向かって走る者、まだ糸口の見えていない者、さらにカオスな地獄にたたき込まれる者。いろんな状況におちいっている主人公たちですが、次の巻も楽しんでいただければと思います。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。戦争の激化に伴って、イラスト側に要求されるハードルも高くなっていると思います。今回もお付き合いいただきありがとうございました。
 そして読者の皆さんにも感謝を。二三冊と言えばそれなりの数だと思いますが、ここまで積み重ねる事ができたのもあなた達のおかげです。この先もよろしくお願いします。

 それでは、この辺りでページを閉じていただいて。
 次回もページを開いてもらえる事を願いつつ。
 今回は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 でもこの作品世界の『大天使』はミーシャだけじゃないんだぜ鎌池和馬

とある魔術の禁書目録21
鎌池和馬

発 行  二〇一〇年八月十日 初版発行
発行者 高野潔
発行所 株式会社アスキー・メディアワークス

小説ーとある魔法禁書目録20

とある魔術の禁書目録インデックス20

 鎌池和馬
 イラスト/灰村キヨタカ

 contents

宣戦布告
序 章 火薬が鼻につく天空 Shooting_Game.
第一章 善と悪、各々の入国 World_War_III.
第二章 侵攻と逆襲の幕開け Angel_Staiker.
第三章 疑念の壁と対峙せよ Great_Complex.
第四章 ここからが反撃の時 Heroes_Congregate.
戦況報告

 鎌池和馬
 この巻のボスキャラは「あのキャラクター」です。ちょっと見方を変えると随分印象が変わるんだなぁ、という事を感じていただければ、と思って書いてみました。何度も何度も立ち上がる、頭を使って本来の力以上の戦果を上げる、というのも立派な戦力ですよね。

 10月18日。
 ロシアより、第三次世界大戦の宣戦が布告された。
 学園都市とロシアの激突は全世界を巻き込む大規模なものとなる。この背景には『神の右席』最後の一人、フィアンマの政治的暗躍があった。
 そんな世界大戦戦火の渦中で、奔走する者達がいた。
 学園都市の高校生・上条当麻は、フィアンマによる霊装奪取の影響で昏睡状態になったインデックスを解き放つため。
 最強の超能力者レベル5一方通行アクセラレータは、謎の存在『エイワス』出現による高負荷が掛かった打ち止めラストオーダーを救うため。
 元・暗部組織『アイテム』小間使い・浜面仕上は、能力促進剤『体晶』の乱用によって衰弱した滝壺理后を治療するため。
 彼らは三者三様の想いを抱き、緊迫のロシアへ向かう! そこで待ち受けていたものとは……。
 科学と魔術が交差するとき、物語は始まる──!

宣戦布告

 これは世界とそこに住む全人類を守るための戦いである。
 今日、各地で起こっている温暖化や海面上昇などの環境破壊、石油やその他の化石燃料などの不足問題は、全て学園都市の特異な科学技術が元凶となっている。彼らの無秩序な科学技術の氾濫を食い止めなければ、この惑星に住むあらゆる生命体は、すべからく絶滅する事だろう。
 学園都市は全人類、全生命体の未来のために、速やかに各地で行われているプロジェクトを完全に凍結する必要がある。また、諸処の問題を分析し解決するため、その元凶となった最先端の科学技術を我々に開示しなければならない。
 平和を求める我々の提案を拒んだ場合、それは学園都市には世界との融和の意思はなく、ただ己の利権のためだけに、この地球に住むあらゆる生命体を危機にさらす邪悪な存在であると判断する。

 学園都市からの返答は、モスクワ標準時間一〇月一九日午前〇時まで受け付けるものとする。それまでに為されるべき返答がなかった場合、戦意ありとして我々は大陸間弾道ミサイルの使用も考慮した侵攻作戦を開始する。

 なお、我々は学園都市と特に強い友好関係にあるグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国に対しても、同様の判断を行う。己の利権のためだけに他の全ての生命体をないがしろにし、学園都市から得られる甘い汁をただ求めるだけの存在ならば、我々はこの後の長い未来を歩む子孫のためにも、敵国と全力で戦う必要があるのだから。

         一〇月一八日    ロシア連邦大統領 ソールジエ=I=クライニコフ

   序 章 火薬が鼻につく天空 Shooting_Game.

 そして、第三次世界大戦が始まった。
 一〇月一九日は運命の日として、長く人々の記憶に留められる事になる。
 どれだけ綺麗事が並べられていようが、どれだけその裏で『神の右席』が糸を引き、ドロドロとした思惑を隠していようが、一度始まってしまった戦争はそうそう簡単には終わらない。
 日本海上空。
 そこは学園都市側の最終防衛ラインだ。ここを『敵国』ロシア側の強襲揚陸艦や戦略爆撃機が突破した場合、小さな島国は火の海と血の海になる。
 そうなるものだと、誰もが思っていた。
 いかに学園都市が二、三〇年ほど進んだ科学技術を掌握しているとはいえ、所詮、大人から子供まで合わせても二三〇万人程度しかいない『都市』に過ぎない。対して、大国ロシアはアメリカ、中国と並ぶ世界三大軍事勢力だ。学園都市と比べて技術力が多少劣っていた所で、数で押してしまえばあっという間に駆逐できるはずだった。
 だが。
 圧倒的優位に立っているはずのロシア空軍女性パイロット、エカリエーリャ=A=プロンスカヤは、操縦桿を握る手袋の内側に、汗がにじむのを自覚していた。興奮によるものではない。それは明らかに冷や汗だった。
 カナード翼を用いた極限の機動性で、格闘戦ならアメリカ製のステルス機を軽々といなせると評価される最新鋭機を操り、さらに同型の機体を数十機以上伴わせながら、エカリエーリャはこの空域に来た事を真剣に後悔し始めていた。
 戦争なんて、軍の上層部や政治家の都合で行われる。
 現場の兵士にどうこうできるものではない。
 時には望まぬ相手をち落とす覚悟を決める必要も出てくる。
 特に、今回突発的に起こってしまった戦争については、どんな理由があったとしても、先に仕掛けたという後ろめたさはどうしても生まれてしまう。
 しかし、今はそういう事を言っているのではない。
 エカリエーリャは、純粋に自分が死ぬかもしれない今の戦況に対して後悔をしていた。
『何だあれは』
 無線を通して、同じ戦闘機を操る同僚からの声が届く。軍用の短縮暗号を用いない、まるで怯える子供のような言葉だけが続けて放たれる。

『私達の敵は本当に戦闘機か!? いくら何でもデカすぎる!!』
 敵の名はHsF-00。学園都市製の超音速戦闘機だ。元々は超音速爆撃機のHsB-02のフレームだったものを応用しているせいか、全長八〇メートル近い巨体が、時速七〇〇〇キロオーバーの猛烈な速度で日本海上空を席巻している。
 しかし。
 本来、戦闘機とは全長一五~二〇メートル程度のサイズだ。速度にしても時速二五〇〇キロ程度のものだろう。学園都市の兵器はサイズも速度も異常だった。重い物を速く動かせば、その分大きな慣性の力が働く。あれだけの巨体を小型戦闘機のように鋭角に飛ばせば、それだけで機体がバラバラになるのが普通だった。そうでなかったとしても、壮絶な重圧によってパイロットの内臓がつぶれているはずだ。
「(……自然科学Hard Scienceか)」
 エカリエーリャは忌々しそうに口の中で呟く。
 学園都市の兵器につけられるイニシャルには、科学の力によって、あらゆる不可思議な闇をぎ払うという意味が込められているらしい。
「ふざけやがって。何が科学の力だ。ヤツらの方がよっぽどオカルトの領域に足を突っ込んでいるじゃないか!!」
 わずか一〇機。
 それが、日本海全域に配備されたHsF-OOの総数だった。
 時速七〇〇〇キロオーバーという圧倒的な速度と搭載火器の圧倒的な射程距離は、一機ごとの制空範囲を極限まで広げているのだ。
 このHsF-OOを軸に、周囲を飛び交う無数の小型機(それでも、HsF-OOと比べればの話であって、エカリエーリャの乗るスホーイと同サイズだが)と合わせて、彼ら学園都市はロシア空軍を圧倒する。小型機の方は強化ガラス製の風防キヤノピーが真っ黒になっていて、中に人が乗っているかどうかも確認できなかった。
『知ってるか。学園都市には軍隊は存在しないらしい。今、私達が相対しているのも警備員アンチスキルとかいう警察みたいな連中らしい』
「攻めるための力は持ちませんとでも言うつもりか? あれのどこが防衛兵器だ!! 補給なしで地球の裏側まで飛び続けられるステルス航空機って時点で、明らかに侵攻目的で開発されているだろう!!」
『宣戦布告に対する連中の公式発表聞いたか? 我々は無理に殺し合う必要はないが、戦争と悲劇を止めるために必要な力を持つ者が何もしないで眺めているのは正しいだろうか、だってさ。殺し合う気まんまんじゃねえか!!』
 敵の総力がこれだけとは思えない。
 そして、防衛のために使っている兵器は、目的を変えれば侵略にだって十分使える。
 どちらが追い詰められているか分からない状況だった。
 エカリエーリャが精神的に諦めたその瞬間に、ロシアの街が火の海になるような得体の知れない強迫観念すらも感じられた。
 理不尽な現象に対する怒りに燃えるエカリエーリャの前で、HsF-OOの巨体が大きく動いた。
 本格的な交戦が始まる。
 元々、三倍以上の速度差のある機体が相手となると、エカリエーリャ達には追い掛けようがなかった。相手の背後について安全にロックをするどころか、攻撃可能範囲に敵機をとらえる事すらできない。何しろ、相手は最大で時速七〇〇〇キロを超す。ちょっと本気を出されただけで、軽く一〇〇キロ以上の距離を離して仕切り直しされてしまう。
(……まともな燃料を使っているとは思えない)
 純粋な実力で負けている事を自覚しながら、それでもプロの軍人であるエカリエーリャは必死で活路を見出そうとする。
(つまり、莫大な速度と引き換えに航続時間も圧倒的に短いはず。持久戦に持ち込めば勝機があるかもしれない)
 だが、そこで暗号を無視して敵から通信が入る。
『マラソン勝負なら諦めな。俺の機体は装甲表面の摩擦熱をエネルギーとして利用する機構が備えられている。つまり、速度を出せば出すほど効率が上がる。最大じゃ九〇%ぐらい削減できるんじゃないか』
「ッ!?」
『小型機の方にしても、そういう方法で何とかできるとは思うな。……おいおい。元々、俺達の兵器は迎撃専門に開発されたもんだぞ。航続時間の対策を講じない訳がないだろ』
 言っている傍から、エカリエーリャの視界の端でおかしな事が起こった。小型機がミサイルを点火もしないで切り離したと思ったら、その後から追い抜いた同型の小型機が翼のジョイントでそのミサイルをキャッチ……『補給』したのだ。
 他にも機銃の弾薬が詰まった金属製のボックスを空中でやり取りしたり、アクロバット飛行のように寄り添った機体が触手のようなチューブを伸ばして空中給油を行ったりしていた。高速飛行中なら絶対にありえない、もはやジャグリングのような現象だった。
 特別な空中給油機を用意したり、基地に引き返す必要はない。
 彼らは基地から戦場まで続く大空の補給ネットワークを構築する事で、通常ではありえないほどの航続時間と距離を実現する。
(く……!! なら、その補給路を断つ所から……ッ!!)
 改めて操縦桿を握り直すエカリエーリャだが、具体的な逆転の策へは繋がらない。
 小型機の人間離れした鋭角な挙動はもちろんだが、とにかく全長八〇メートルのHsF-OOの動き方があまりにも異様だった。
 既存の戦闘機にも、イレギュラーで敵の目をくらますような挙動は存在する。スプリットS、バレルロール、そしてロシア発のプガチョフ・コブラ。敵に背後を取られた不利な状況から一瞬で逆転するための策だが……実は、意外と現場のパイロットはこれらの特殊挙動を嫌う。
 機体を振り回し、特殊でイレギュラーな挙動を行えば、それだけ強力な慣性Gが発生しパイロットの体を苦しめる。ただでさえ脳から血液が不足し判断能力が鈍る中、機首を派手に動かして視界がブレるような真似をすれば……結果的に、奇抜な方法で敵の後ろを取ったとしても、具体的な逆襲を行う前に敵機が逃げてしまうといった間抜けな展開にもなりかねない。
 なのに。
 HsF-OOはそもそも機首を前に向けない。機体を九〇度横に向けたまま前方へ進んだり、独楽こまのように高速回転したりする。一番最初の大前提として、飛行機が飛行機としての形を保っている事に疑問を抱くような動きだった。機体がバラバラにならないのはもちろん、中のパイロットが生きているのが不思議なぐらいだった。
 それでいて、向こうの攻撃は正確だった。
 放たれるミサイルはこちらの数倍も鋭く曲がって標的を追い続ける。機銃の弾丸は一直線に主翼を噛み砕く。挙げ句の果てにはレーザーのような物まで使ってきた。どう回避すれば良いのかも分からない攻撃に、仲間達が次々と撃墜されていく。
 その上、
『あっあー。聞こえてるかな? こちら学園都市防空部隊所属の亀山琉太かめやまりゅうた。一応警備員アンチスキル、つまり学校の先生やってるが、本職の軍人が俺をロックする事にあまり負い目を感じる必要はないぞ。俺の場合、むしろ防空のパイロット志望で、学園都市内のポジション的な問題があったから、必要な肩書きとして教員免許を利用しているに過ぎないんでな』
 敵からの呑気な通信が聞こえてきた。
『自己紹介も済んだ所で本題に入ろう。ミサイルの起爆距離は長めに設定してあるが無事だったか。一応、パラシュートで全貝脱出できるように創意工夫したつもりだがな』
「っ!! 舐めているのか、貴様は……ッ!!」
 己の無線用暗号をあっさり解析された事も忘れ、思わずエカリエーリャは激昂げっこうした。しかし、無線越しの男はいぶかしんだような間を空けると、
『くそっ、女性パイロットかよ。確かに小柄な方が慣性を受ける力が少ないから重宝されるって話を聞いた事はあるが……参ったね。これで、ますます殺せなくなっちまった』
 逆に言えば、やろうと思えばいつでもやれると宣言されているようなものだった。
 弱い者いじめの構図だ。
 得体の知れない科学技術を振りかざし、それを理解できない者を原始人とし侮蔑ぶべつする。その姿勢そのものが、見た目は紳士的にも思える態度によって数倍も際立たせられる。
 だが、どれほどはらわたが煮えくりかえった所で、戦力の差は埋まらない。
 まるでライト兄弟のレシプロ機で最新鋭のジェット戦闘機を追い掛けるように、エカリエーリャの機体では学園都市のHsF-OOへは届かない。
「クソッたれのデカいハエめ! さっさと慣性Gで潰れりゃ良いのに!! 何であの挙動でパイロットが自滅しないんだ!?」
『別に大した事はしていないんだがな。ようは、人間のお肉じゃ一定以上の速度の戦闘には耐えられないってだけの事だろ。なら、話は簡単だ。お肉の強度を高くする事ができれば、それだけデカくて速い乗り物にも対応できる』
「……?」
『|肉体をマイナス七〇度で凍結させてんのさ[#「肉体をマイナス七〇度で凍結させてんのさ」に傍点]。各種内臓機能は生命維持用の機器に代理させて、脳の判断能力だけを稼働させる仕組みになってる。演算の一部も機械任せにした上で、頭皮から微弱な電流を読み取って操縦している訳だ。……ほら、これなら体は「硬く」なるから、従来の慣性の限界は超えられるだろ? いや、医療関係者の話によると、体を凍らせておきながら思考能力だけを維持させるための「半端な凍結技術」には、多少気を配ってもらっているらしいがな』
 ぶるり、と。
 エカリエーリャの体がわずかに震えた。
 彼我ひがの『根本的な違い』のようなものの片鱗を見せられた気分になったのだ。
『さて、つまらん解説が終わった所で本題に入ろうか』
 告げられた直後、HsF-OOのシルエットに変化があった。
 バゴン!! と。
 巨大な主翼の上部が、まるで小さな鳥のように剥離はくりして後方へ飛ばされたのだ。数は左右合
わせて一〇ほど。細いワイヤーか何かで接合されているらしく、それぞれが独立したスポーツカイトのように飛び回っている。
『多方向から同時に敵を貫くためのレーザーユニットだ』
 機体を旋回させ、モーニングスターのように小型兵器を振り回しながら、亀山というパイロットは告げる。
 明らかな余裕と侮蔑を口調に惨ませながら。
『光の速度からは逃げられんぞ。優しく落としてやるから覚悟しろよ、お嬢ちゃん』

   第一章 善と悪、各々の入国 World_War_III.

     1

 一〇月三〇日、というデジタル表示さえも寒さでふるえているようだった。
 車内の暖房がほとんど壊れかけている。
 白い雪に覆われた大地にボロボロの乗用車を走らせながら、浜面仕上はまづらしあげはハンドルを握る手に寒さを感じていた。どこまで行っても何もない、平べったい大地だけが広がっていた。おざなりなアスファルトの道路も、ほとんど雪に埋もれて見えない。仮に道から外れてしまっても気づかなさそうなぐらい、周囲には何もなかった。
 日本で見られるような光景ではない。
 北海道辺りも結構広大な大地が広がっているようだが、ここまでの規模ではないだろう。
 まるで白い砂漠。
 ここは、ロシアの西部だった。
 エリザリーナ独立国同盟との国境の近くらしい。
 彼らは学園都市の追っ手から逃れるため、超音速旅客機の無人操縦機能を使って、このロシアまでやってきたのだ。十分な準備などしていられる状況ではなかったため、逃走資金はほとんどない。
(……盗んだ物だから文句は言わねえが、くそっ。エアコンがどうのこうのじゃなくて、根本的に服装が間違ってんのかもしれねえな。防寒具に求められるレベルが日本と大違いだぞ……)
 塗装が剥げ、茶色い錆まで見えている乗用車。そのハンドルを握りながら、浜面は隣の助手席をチラリと見る。
 そこには、ピンク色のジャージを着た小柄な女の子が座っていた。
 滝壺理后たきつぼりこう
体晶たいしよう』という薬品(?)のような物の副作用で、体がボロボロになった少女だった。今もシートにぐったりと体を預けていて、風邪で高熱が出た時のように気持ちの悪い汗を流している。すぐにでも医者に見せたいが、それは叶わない事を浜面は知っていた。『体晶』は学園都市のトップシークレットだ。『外』の医者に滝壺を見せても、治療法など分かるはずもない。
 彼らは逃走していた。
 滝壺を唯一助けられるはずの、学園都市から。
(……俺達だけで学園都市と戦えるはずがねえ。そもそも、完全にぶっ壊しちまったら滝壺を治療する技術も失われちまう。どっちみち、滝壺を助けるには学園都市に帰って、あの街の最先端技術に頼るしかねえんだ)
 ただし、今のまま両手を挙げて学園都市に戻っても、浜面と滝壺に自由はない。殺されてしまう可能性だって低くはない。そこで、身の安全を確保するための策を練る必要が出てくる。
(……だから、俺達の戦いはこうだ。このロシアで逃げている間に『何か』を見つけて、それを取り引き材料に『交渉』する。できるだけ有利に話を進めて、滝壺を治療してもらう算段をつける。それしかない)
「はまづら。どうしたの?」
「何でもねえよ」
 浜面は笑って答える。
「……ここで何をするにしても、金がいるなと思っただけだ。学園都市から出てくる時、財布に入れてきた額なんて微々たるモンだ。ロシアの通貨じゃねえからすぐには使えねえし。どっかで『調達』する必要があるだろ」
 今運転している盗難車を売ってしまうという手もあるのだが、浜面は得策ではないと感じていた。盗難車を受け付けてくれるグレーなディーラーは、そうそう簡単に見分けがつくものではない。学園都市内部ならともかく、ロシアの事情など分からない。

 それに、ロシア語にも詳しくはなかった。学園都市とロシアが大規模な戦争をしている中、日本語を話す東洋人を目撃されたら、それだけで大問題になるかもしれなかった。
 となると、
「やっば、盗むしかねえよな。強盗だ」
「それは……」
 滝壺は言い淀んだ。
 しかしこれしかないのだ。
 そんな浜面達の意見に応じるように、前方には小さな商店が見えた。ガソリンスタンドを併設しているお店で、おそらく長距離ドライブ客のために、缶詰などの保存食などを売っているのだろう。
「ここで待ってろ」
 商店からわずかに離れた場所で車を停めた浜面は、滝壺に向けてこう言った。
「ちょっと稼いでくるから」

 ……と言ったは良いが、実は浜面も相当悩んでいた。
 まず、ここは日本ではない。銃器の取り扱い方が違う。彼の手元には小さな拳銃があるのだが、向こうだって自衛のために拳銃や……下手をするとライフルを持っている可能性だってあるのだ。
 加えて、
(……今は戦争中)
 ロシア語のカーラジオを滝壺に翻訳してもらっていた浜面は、ほとんど現実昧のない単語を頭の中で思い浮かべる。
(ロシアの人達にとっては、俺達は敵の中の敵だ。もしも学園都市からやってきた事がバレたりしたら、それだけで袋叩きにされたって不思議はねえ)
 戦争。
 言われた所で、ピンとこない言葉だった。遠い国の、あるいはテレビニュースの中でしか出てこないと思っていた戦火は、今や世界のどこででも起こっている事らしい。実感が湧かないのは、学園都市から追われていて深く考えるだけの余裕がなかったからか、それとも今の所は浜面達が銃弾や砲弾の飛び交う戦場に放り込まれずに済んでいるからか。ロシア国内の協力機関の撤退に協力したり、施設を防衛するために学園都市の部隊が展開されている……らしいのだが、そんなニュースを車載ラジオで聞いても、まだ危機感を得られないほどだ。
 これからは、どうなるか分からないが。
 どこの誰が勝とうが負けようが、世界の舵取りの権利がどうなろうが、正直、浜面はどうでも良かった。ただ、一刻も早くふざけた戦争が終わって、自分達を守ってくれるような人間が舵取りをしてくれれば、後は何でも構わない。
 ……とか何とか考えている浜面だったが、実は一番の懸念はそこではなかった。もしかすると、『それ』から目を逸らしたいがために、戦力的な問題ばかりを思い浮かべているのかもしれない。
 一番の懸念。
 それは、店員さんのいるお店を襲わなければならないという事だった。……極めて勝手な言い分かもしれないが、自動車やATMを盗むのとは話が違う。もしも『拳銃を使わなければならない場面』になってしまったらと思うと、どうしても腹の奥に重たいものがのしかかる。
 浜面はポケットの中にある小さな拳銃の安全装置を何度も確認しながら、
(……絶対、ぜったいに、店員さんは傷つけない事っ!! 必要なのはレジの中身だけだ。銃は突きつけるだけ。威嚇いかくをする時は銃口を上に上げてからっ!!)
 必要な事を頭の中で繰り返し、最後は何か漠然としたものに軽く祈る。浜面は店に入る直前でパーカーのフードを深く被り、盗難車の中にあった手袋をはめた。
 店のドアを開け、同時に拳銃を抜く。
(絶対にっ! 店員さんは傷つけないっ!!)
 そして、浜面は見た。

 ダクトテープで両手足を縛られ、口を塞がれてむーむー言っている女の店貝さんと。
 彼女を押し倒して、首元に刃物を押し付けているプロレスラーみたいな覆面男ふくめんおとこを。

 身長ニメートルオーバーの大男は、一人ではなかった。三人もいる。彼らは小さなドアを開けてやってきた浜面を見て、ロシア語で何かを言った。
『誰だお前?』
 対して、言葉も分からない浜面は、ただあらかじめ用意していた日本語だけを突き返した。
「強盗だ。両手を上げろ」

 パンパンパパン!! と立て続けに銃声が鳴るのを、滝壺は耳にした。
 盗難車の助手席から首を動かした彼女は、店を出てこちらへ近づいてくる浜面仕上を見つけた。どうやら強盗は終わったらしい。彼は両手でベージュ色の大きな紙袋をいくつも抱えている。多くの食料品でも詰め込んであるのか、袋の口から長いフランスパンが飛び出しているものもあったし、別の袋からは毛糸のマフラーや丸めたコートのようなものの端が見えている。
 運転席のドアを開けて乗り込んできた浜面に、滝壺は質問する。
「はまづら、成功したの?」
「なんか店員さんにメチヤクチャ感謝されてお土産いっぱいくれた!! 車の燃料もくれるってさ!!」
「?」
 首を傾げる滝壺を乗せて、盗難車は再び動き出す。

     2

 一方通行アクセラレータは貨物列車に潜り込んでいた。
 連邦横断鉄道。
 ユーラシア大陸を横断する世界最大の路線は、本来なら始発駅から終着駅まで二週間以上かけて走破するはずのものだった。しかし今だけは例外らしい。第三次世界大戦が開戦した事によって、多くの軍用物資を搬送する必要が出てきたのだ。おかげで通常のダイヤは完全に無視され、安全規定を無視したハイスピードで運行されている。
 兼ねてから準備だけは進めていたのか、あるいは研究所にある試作機でも引っ張り出してきたのか。一方通行アクセラレータを乗せた貨物列車は、時速五〇〇キロオーバー……リニアモーターカーに匹敵する速度を出していた。先頭の車両は戦闘機かスペースシャトルの先端のように尖っていて、車両の壁は最新の競泳水着のようにザラザラしていた。
(戦争、か……。くだらねェ)
 一瞬、逃走した一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーを追うために学園都市が仕掛けた謀略ぼうりゃくの可能性について疑ってもみたが、流石にそれは考え過ぎだろう。つい最近まであの街の暗部で動いていたからこそ分かるが、ここまで派手な動きは学園都市らしくなかった。むしろ、できる限り問題を表に出さないやり方を好むはずだ。
 フランスのアビニョンという街では相当派手にやったようだが、あれはおそらく、それをせざるを得ない『何か』があったのだろう。それが具体的にどんなものかまでは分からないが。
 しかし、
(……あのクソッたれの学園都市が画策しているかどォかはさておいて、何か裏があるって可能性までは否定できねェか)
 学園都市の影響力は大きい。通常なら、こんな大規模な戦争になる前に手を打つのが彼らのやり方だ。にも拘らず、科学が支配する世界が崩壊するほどの大戦争が起きてしまっている。何かが動いたと考えるのは突飛な意見ではない。
 そして、学園都市は売られたケンカに応じた。応じてでも手に入れたいと思っているものがあるのかもしれない。
 そんな事など、一方通行アクセラレータにはどうでも良いのだが。
 今、一番重要なのはそこではない。
(……ちくしょう……)
 彼は一人ではない。
 そのかたわらには、見た目一〇歳前後の少女がいる。
 打ち止めラストオーダー
 第三位の超能力者レベル5の体細胞を使って作られた、クローン人間の少女だった。彼女はエイワスという怪物をこの世界に出現させるために利用され、脳に重大な負荷がかかってしまっている。おかげで自分の足で自由に歩き回る事もできず、今もぐったりとしたままだ。
 キャミソールの上からYシャツを着ていた打ち止めラストオーダーだったが、今はその上からさらに分厚い毛布を槻せてあった。貨物列車の中にあったものだ。一方通行アクセラレータも同様に、白を基調とした冬服を見つけて勝手に着込んでいる。
「……ここどこ? ってミサカはミサカは辺りを見回してみたり」
「列車の中だ」
「ヨミカワやヨシカワは? ってミサカはミサカは質問してみる」
「今はいない。でも絶対にすぐに会える。必ずだ」
「そっか……」
 打ち止めラストオーダーの言葉が、わずかに途切れた。
「みんな一緒だったら、ヨミカワにまた煮込みハンバーグを作ってもらえたのに、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみる」
「……、」
「でも、良かった、ってミサカはミサカはホッとしてみたり。やっと、久しぶりに、あなたの顔を見られたから、ってミサカはミサカは手を伸ばしてみる」
 そう言ったが、彼女の小さな手は動かなかった。
 ぴくぴくと震えるだけの指先。
 気づいているのかいないのか、打ち止めラストオーダーはさらにこんな事を言う。
「また、みんなと一緒にご飯食べようね、ってミサカはミサカは提案してみる。ヨミカワの煮込みハンバーグは美味しかったんだよ、ってミサカはミサカは自慢してみたり」
 笑顔とは裏腹に、言葉を出すのも辛そうだった。
(……何でこォなった)
 うずくまったまま、一方通行アクセラレータは歯を食いしばる。
(……このガキが一体何をした。こンな、自分の指を自分で動かせないよォな状態にならなくちゃならねェ事をやったってのか。何で、このガキがこンな目に遭わなくちゃならねェンだ)
 ギリギリと、顎に力が加わるたびに嫌な音だけが鳴る。
 この場に、彼女の自由や安全はない。
 一方通行アクセラレータは、この世界にある漠然とした運命のようなものに、激しい憤りを感じていた。どこの誰を恨んで済む話ではないのは理解している。しかし、それでも、怒りを覚えずにはいられなかったのだ。
 現代的なデザインの杖のグリップを、握り潰すほどの力で掴む。
 今、この惑星では世界規模の戦争が始まっている。
 各々の国にいる様々な人は、それぞれの大事なもののために戦っているのだろう。
 だが。
 彼女のために戦ってくれる者は一人もいない。
 世界中の人間が命を掛けて戦う覚悟を決めているくせに、何も悪い事をしていない打ち止めラストオーダーを助けるために立ち上がってくれる者は、たったの一人だって存在しないのだ。
「……ふざけやがって……」
 一方通行アクセラレータは、ポツリと呟く。
 その理不尽と戦うために、彼はここまでやってきた。どこかの誰かが企てた『計画』の過程で、滅びる事が当然とされた一人の少女。彼女を救うため、過酷な運命に抗うため、一方通行アクセラレータは己の立場もプライドも全てを捨ててロシアに来た。
 ロシアへ行け。
 かつて、一方通行アクセラレータを徹底的に叩きのめした反則的な存在。エイワスはそんな事を言っていた。そこで何かを掴む事ができれば、打ち止めラストオーダーを助ける事もできるかもしれない、と。
 ここに何があるのかは分からない。
 そもそもエイワスの言葉がどこまで信じられるかも一切が不明だ。
 だが。
(……やってやる)
 一方通行アクセラレータは、静かに決意する。
(……どのみち、学園都市の中に留まってるだけじゃ、あのガキを助ける事はできねェのは分かってンだ。だったらそれ以外の方法を探すしかねェ。エイワスがどォのこォのは関係ねェ)
 一方通行アクセラレータは学園都市第一位の超能力者レベル5打ち止めラストオーダーは学園都市の計画の中枢に位置する特殊な個体だ。もしかすると、ロシア側から見れば、自分達は脅威的な戦略兵器や重要な軍事拠点とみなされるかもしれない。だが、それについても知った事ではない。あんな腐った街の手先だと思われるのは心外だが、いちいち誤解を解く必要はない。今の目的は一つだけだ。それを妨害する者は、何であっても粉々に破壊して突き進むだけである。
 その時だった。
 ベコンッ!! という音が頭上から聞こえてきた。
 分厚い金属がへこむような音だった。
 おそらく、貨物列車のコンテナが盃んだのだろう。一方通行アクセラレータが顔を上げると、さらに続けて二回、三回と似たような音が響く。
 この車両だけではない。
 列車の走る音の中でもかき消される事のない異様な音は、列車の各所から鳴っていた。場所も天井だけではない。壁や、床下からも聞こえてくる。
 それと同時にロシア語で何かをののしる声と、複数の銃声が飛んできた。
 すぐにそれは悲鳴へと切り替わっていった。
 何者かが高速移動中の貨物列車に飛び移ってきたのだと、一方通行アクセラレータは推測した。
 そして、時速五〇〇キロ超で走る列車へそんな事ができる者など、限られてくる。
 学園都市だ。
(……追ってきたか)
「どうしたの、ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
 小さな少女の声が聞こえた。
 一方通行アクセラレータは、ゆっくりとした動作で床の上で横たわっている打ち止めラストオーダーの方を見る。第一位は打ち止めラストオーダーのポケットからハンカチを取り出すと、小さく畳み、彼女の両目の部分だけを覆うような形で置いた。
 血みどろの世界を見せないようにするために。
「……何でもねェよ」

 言いながら、一方通行アタセラレータは首筋の電極に手を伸ばした。
 学園都市最強の怪物としての力を振るうためのスイッチだ。
「また、あんな風にケンカしたりしないよね、ってミサカはミサカは聞いてみる」
「……、あァ、約束する」
 一言で、切り捨てるように嘘をついた。
 いつもの打ち止めラストオーダーなら、ミサカネットワークを強引に切断し、一方通行アタセラレータから全ての力を奪う事もできたはずだ。にも拘らず、そういった事はなかった。今の彼女には、それだけの行動さえも起こせなくなっているという事なのか。
 少しだけ、一方通行アクセラレータは両目を塞がれた打ち止めラストオーダーの顔を見下ろした。
 やがて彼は、静かに立ち上がる。
 小さな少女の命を脅かす可能性のある者を、片っ端から粉砕するために。

 ドゴンッ!! と。
 直後に、一方通行アクセラレータ華奢きゃしゃな体が、鋼鉄製の天井を突き破って列車の屋根へ飛び出す。

 破れたビニールのような亀裂の中から出現した一方通行アクセラレータを見て、ものすごい烈風の吹きすさぶ貨物列車の上に飛び乗っていた襲撃者達はわずかに後ろへ下がった。
 白い駆動鎧パワードスーツだった。
 同一の装備で身を固める兵隊が、一〇人ほどいる。
 上半身が驚くほどスリムなのに対し、両足は極端に太い。おそらく移動速度のみを追求した特殊なモデルなのだろう。高速で動くのはもちろん、その状況で正確にバランスを保ったり衝撃を緩和するために必要な機構が全て備えられているはずだ。
 駆動鎧パワードスーツと言っても作業用や災害救助用など色々ある。今が第三次世界大戦であるためか、アビニョン侵攻作戦時の軍用機種もロシアへ投入されているようだった。ただし、ここにある機種は明らかに違う。極限の性能を発揮するため、開発費や整備費を度外視している印象すらあった。どうやら襲撃者達に命令を出している上層部は、よほどこの作戦を成功させたいらしい。
 大量の銃器に取り囲まれた一方通行アクセラレータは、しかし揺らぐ事はなかった。
 赤く光る眼球で周辺を見回し、それから口の中で呟くように、ボソリと言葉を放つ。
「……ゴミクズが。俺の癇に障ってンじゃねェよ」

 ロシア兵は恐怖に震えていた。
 彼は最前線で戦うための厳しい訓練を受けている訳ではない。戦争に必要な物資を的確に運ぶための補給を専門とする人間だ。とはいえ、それでもやっぱり軍人なのだ。通常なら、銃を向けられた程度でどうこうするような軟弱な精神は持ち合わせていない。
 しかし、彼の目の前にあるのはそんな次元ではなかった。
 突如貨物列車へ飛来した、おぞましい白色の機械の兵隊。
 さらに。
 それらを一撃で粉砕した、正体不明の白い髪と赤い瞳の怪物。
 天井は抜け、壁は吹き飛び、裂け目から暴風が入り込み、いくつかの機械の兵隊はその外へと蹴り落とされていた。厚さ五センチはある鋼鉄製のコンテナ車両が、ただの人間の手足によって紙のように引き裂かれたのだ。まともな所業とは思えなかった。『日本の学園都市では超能力が科学的に開発されている』という情報は何となく知っていても、それを実際に目の当たりにするのは全く別問題だった。
「チッ。この程度じゃ死なねェか」
 外を覗いていた怪物が、そんな言葉を漏らす。時速五〇〇キロ超で走る列車から人間を蹴り落としておいて、出てきた言葉はそれだった。どちらかが化け物なのではない。どっちもまともではないのだ。
 怪物は周囲を見回した。
 直後、貨物列車の車両と車両を遮る壁を突き破り、巨大な機械の兵隊が飛び出してきた。怪物の真横からだ。しかし白い怪物は動じない。片手を軽く振るっただけで、どれだけ重量があるかも分からない機械の兵隊が、装甲の残骸を撒き散らして吹き飛ばされていった。
 機械の兵隊が持っていた物が、怪物の足元に転がっていた。
 おそらく強奪した一品だ。
 それはジュラルミン製のトランクだった。取っ手の所に千切れた手錠の残骸がぶら下がっていた。元々はロシア兵の手首と繋がっていた物だったが、あの機械の兵隊に指先だけで鎖を千切られたのだった。
 怪物はトランクへ向かったが、ロシア兵には止められなかった。
 意識をこちらに向けられたら死ぬ。
 狭いおりの中に、肉食獣と一緒に放り込まれたようなものだった。
 トランクには鍵がかかっていたが、怪物は自分の財布を開けるような気軽さで開けた。施錠されているはずだった。あの怪物は鍵の機構そのものを力技で粉砕したのだ。
「……何だこりゃ?」
 怪物は呟く。ロシア兵も中身については聞かされていなかった。そして、トランクの中から出てきたのは数十枚の羊皮紙だった。そこには古いインクで、不気味な呪文や魔法陣のようなものが記されている。
 くだらないガセだった。
 おまじないに対して、漠然とした期待や不安を抱く者はいるだろう。だが、その通りに実行して得体の知れない悪魔が物質として出現するとまで思ったりするだろうか。例えば殺人事件が起きて、『それは悪魔がやったのです』と真面目に語る者が現れたら、皆はどう思うだろうか?
 しかし……。
 軍上層部は、何の意味もない物を『手錠付きのトランク』で運ばせるとは思えない。そして、そのトランクを狙うように学園都市らしき機械の兵隊はやってきた。
 これはどういう事だ、とロシア兵は思う。
 ロシア軍上層部の陽動作戦に学園都市が引っ掛かったのか。
 それとも、あるいは。
 学園都市の特殊部隊が全力で奪いに来るぐらい、トランクの羊皮紙には重大な価値があるとでも言うのだろうか。
「……面白れェ」
 怪物が、ポツリと呟いた。
 この怪物が壮絶な笑みを浮かべている事が、何よりも羊皮紙の異常性を示しているように、ロシア兵には思えた。
「この俺と、学園都市最強の超能力者レベル5の回収任務と同レベルの作戦、か。……いまいち効果は見えねェが、これがあのクソ野郎の語る『もう一つの法則』に繋がるかもしれねェな」

     3

 そして、上条当麻かみじょうとうまもロシアにいた。
 一〇月下句だが、すでに辺り四面は白い雪に覆われていた。数センチ程度の雪は交通機関を完全に麻痺させる事はなかったが、バッシュを履いた足には堪えた。溶けた雪は冷たい水となって靴を貫通し、寒さはピリピリした痛みとなって指をさいなむ。
 着ているのは学生服。普段は不便だと思っていたが、こうしてみると、意外に『対応できる環境の幅』は広めに作ってあるんだなぁと上条は感心していた。……もちろん、学園都市製の繊維技術を利用しているからなのかもしれないし、コートがあった方が嬉しいのは確実なのだが、こんな状況で賛沢は言っていられない。
 戦争。
 突然言われてもピンとこない言葉だった。イギリスの女王エリザードの話によると、国際情勢をかんがみても『不自然な』起こり方でもあったらしい。ローマ正教・ロシア成教が裏で絡んでいる可能性が高いという事は、やはり一番奥では右方のフィアンマが糸を引いているのだろうか。
 本当に、それだけなのだろうか。
 シンプルな理由を提示し、それにすがりつくだけなら簡単だ。
 だが、対する学園都市の方も、あまりにもすんなりと武力で対抗してはいないか。まるで何年も前から応じる準備を整えていたかのように、開戦と同時に大量の部隊や無人兵器をロシアに投入してはいないか。
 裏で何が起こっているのか。
 この戦争の中心に近い位置にいながら、しかし高校生でしかない上条には、奥の奥では何が起こっているのかまでは、全く掴みきれない。
 だが。
 フイアンマを止める事で、ひとまずこの戦争を終わらせられるのだとすれば、やるべき行動の方向性は見えてくる。そして、彼の計画を阻止する事は、上条の極めて個人的な戦闘理由にも繋がるのだ。
 インデックスという、一人の少女がいる。
 一〇万三〇〇〇冊の魔道書を完全に暗記しているという特性を持っているものの、それ以外はごくごく普通の少女のはずだった。そして、そんな彼女の『莫大な知識』を狙う者がいた。
 右方のフィアンマ。
 彼はインデックスの頭の中にある知識を、遠隔地から自由に引き出すための霊装を、イギリスから強奪した。その起動と共に、インデックスの頭や精神に莫大な負荷がかかり、彼女は意識不明になってしまった。
 インデックスを救うためには、一刻も早くフィアンマを倒し、遠隔制御霊装を破壊する必要がある。
 そのために、上条は右方のフィアンマが潜んでいるとされる、ロシアまでやってきた訳だが……。

「……何で、レッサーがここにいる訳?」

 どんよりした調子で上条は呟く。
 いきなりレッサーとか言われてもキョトンな子もいるかもしれない。レッサーというのはイギリスの結社予備軍『新たなる光』の一員である女の子だ。第二王女キャーリサがカーテナ=オリジナルを使ってクーデターを起こそうとした際、そのカーテナを発掘・輸送するために暗躍していた魔術師だ。
 色白で、背は低い。歳は一〇代前半ぐらいだろうか? 長くて黒い髪は先端の方だけ三つ編みにしてあった。ラクロスのユニフォームにジャケットを足したような格好をしているが、一番目立つのは、尻の辺りから伸びている『尻尾』だろう。平べったい鎖が透明なチューブの中を走っているような代物で、先端にやじりのような物が取り付けられている事から、どこか小悪魔っぽい印象がある。
 前に会った時は敵同士だったはずだ。
 クーデター終結と共にそういうわだかまりも解けたはずだが、かといって、いきなり何の前触れもなくロシアにいて良い人物ではない。
 当然の疑問を放つ上条に対し、レッサーは自慢の『尻尾』をひゅんひゅんと軽く左右に振りながら、
「んー? 別にイギリス王室から命令を受けているとか、右方のフィアンマとやらに恨みがあるとか、上条勢力の一員に加わりたいとか、そういう意図はないんですけどね」
 極めて適当な調子で答えた。
「ただ、あなたがここで死んでしまう事が、イギリス全体にとって不利益となるのであれば、我々としてはサポートした方がよいんではないかな、と考えてまして。……我々って言っちゃって大丈夫かな。ベイロープのヤツに尻を鷲掴みにされないかな……」
 回答途中で独り言モードに入ってしまうレッサー。……初めて会った時から何となくは感じていたのだが、もしかするとこの子はとんでもなく自分中心な思考回路を持っているのではないだろうか、と上条は推測する。
 そんな上条の感想などには気づかず、レッサーは幼い顔に人の悪そうな笑みを浮かべながら、
「ま、この辺は利用し利用されるってぐらいに考えてもらえれば。プロの魔術師が戦力として使えるって考えれば、そっちだって悪いものではないでしょ?」
「……レッサ一って、そもそも強いんだっけ? 変なカバンを持って夜のロンドンを逃げ回っていたのは覚えているんだけど」
「何ならぶっ飛ばして証明してあげましょうか? どうせ『必要悪の教会ネセサリウス』の連中はサポートできないんでしょ。だったら、もうちょっと重宝した方が良いんじゃないですか。そうそう、単純な『鋼の手袋』の扱いならベイロープより上ですよん。『知の角杯ギヤツラルホルン』さえ使われなければ負ける事はありませんし」
 まぁ実戦でそんな泣き言は言ってられませんけど、とレッサーは付け加え、
「そしてっ!! 今回の『鋼の手袋』はパワーアップしているのです!! じゃじゃんっ、レッサースペシャルカスターム! この先っぽから赤いレーザーみたいなのが飛び出してですね、刃状の『指』が触れていない、遠方にある物体であっても問答無用で掴み取って振り回す事ができるのです!!」
「……頼んでないんだけどなぁ……」
「ホントに戦力だって思われてないですね。クーデターの印象が派手すぎたせいかな……?」
 ブツブツ落ち込むレッサーは、アピールするポイントを変更する事にしたようだ。
「それに、そっちだって、ロシア語の使える通訳を一人置いておいた方が、色々とやりやすいでしょ」
「というか、大前提として、何でレッサーは俺がこっそり進めていたロシア入りの情報を掴んでいるんだよ……」
 クーデター終結直後に、エリザードやステイルにはロシアへ行くむねは伝えていたが、具体的な方法や日程については話していない。にも拘らず、どこでレッサーは上条の足取りを知ったのだろう。
 というか、誰にも言わずに一人でロシアに乗り込んできた身としては、いきなりお仲間と合流というのは結構情けない。そんな事を言っている場合ではないのかもしれないが、やっぱりそう感じてしまうのは仕方がない事なのだ。
 と、レッサーは困り顔の上条に気づいたようで、
「ははん。もしやロンドンの大聖堂で眠っているインデックスに悪いかなーとか思っているんですか? 彼女を助けるために俺は頑張るんだーとか言っておきながら、開始一発目でいきなり他の女と合流してしまった事とか」
「ぐ……っ!?」
「ここで耳寄りなお知らせがあります。スカートの下から『尻尾』を伸ばしているわたくしレッサーですが、実はスカートの下はスパッツではなく直パンツです」
「その何の役にも立たねえ情報を渡されて俺にどうしろってんだ!?」
「後ろに回れよ!! そしてめくれ!! 昔の女なんか忘れちまえ一っ!!」
「お前は今俺にぶん殴られてもおかしくない事を言っているからね!!」
 こめかみに青筋を浮かべて叫ぶ上条。
 しかしレッサーの方は堪えておらず、パンツを見せる事も辞さない調子で、呑気に『尻尾』を振りながら上条に質問してくる。
「そもそも、この広いロシアで、どうやって右方のフィアンマを捜すんですか?」
 どうせ何も考えてねーだろと言っているような口調だった。
「ロシアは広いですよ。ユーラシア大陸の西から東まで、ほぼ一直線に繋がっていますし、一つの国の中で時差が九時間以上ある国なんて、そうそうありませんよ。偶然たまたまで一人の人間と出会うにしては、あまりにも広すぎると思いますがね」
「だと思うだろ」
「?」
 予想外の反応に、レッサーはキョトンとした顔になった。
 対して上条の方は、
「……こっちが今までどんだけ魔術師と戦ってきたと思ってんだ。いい加減に、ああいう連中のやり方も少しずつ分かってきてんだよ」

     4

 ドーヴァー海峡。
 イギリスとフランスの間にある、三〇キロ程度の海峡だ。
 古くから二国間の関係が悪化するごとに重要なポイントと位置づけられた、血塗られた歴史を持つ海でもある。そしてその海は、今また多くの血と命を吸おうとしていた。
「『清教派』、『騎士派』双方の混成部隊の展開は完了しました」
 声に、神裂火織かんざきかおりは静かに頷いた。
 彼女達が立っているのは、陸の上ではない。船だ。木でできた、全長一〇〇メートル級の巨大な帆船が、海を埋め尽くすように乱立していた。皆、魔術によって補強された船だった。並の戦艦よりも硬く、そして速く移動する事ができる性能を持っている。
 異様な光景と言えた。
 帆船がこれだけ浮かんでいる事が、ではない。
 魔術師同士の戦争が、ここまで大々的に展開される事が、だ。
「時代は変わっちまったんですかね」
 神裂の隣に立って、そんな事を言ったのはアニェーゼ=サンクティス。
 小柄な少女は、不器用な敬札のように眉の上にてのひらをかざし、遠くの方を眺めながら、
「イギリスで起こった例のクーデター、「ブリテン・ザ・ハロウィン』って言葉で片付けられちまってるそうですね。ネッシーとかナスカの地上絵と同じ、世界の七不思議みたいな扱いになってるとか。人間ってのはタフですよね。自分の頭で理解できないものであっても、時間に押されるように受け入れていくって言うんですから」
「その本質が、魔術というものである事にまで気づいている者はいないようですが」
 神裂はゆっくりと息を吐き、
「元々、日本の学園都市では『不可思議な超能力』が科学的に開発されている事は、ぼんやりと伝わってきてはいるんです。法則は全く違いますが、彼らにはほんの少しの耐性があった。そういうものもどこかで実在はしているんだから、ひょっとしたら、自分達の近くにもあるかもしれない、と」
 言いながら、しかし、神裂は喉の奥に引っ掛かるような感じがした。魔術サイドという勢力を安定化させるために、科学サイドの常識が手助けをしている。逆に、それがなければもっと深刻なパニックが起きていたかもしれない。知らず知らずの内に入り込んでいた『何か』に、神裂はわずかに警戒心を抱いていたのだ。
「ともあれ」
 話題を変えるように、神裂は言う。
「ここを抜けられれば、後はロンドンまで一直線です。可能な限り交戦は避けたいですが、フランス勢力が攻めてきた場合は、何としても守り切らなければ」
「ほぼ一〇〇%来る事は分かっちまってんでしょう?」
 一部隊を率いる小柄な修道女は、鼻で笑うように応じた。
「元々、クーデター発生前からイギリスとフランスは極めて危険な緊張状態にあったんです。……本当に忌々しい事に、ローマ正教上層部の後押しのおかげでね。そんな下地があった上で、さらに第三次世界大戦が勃発。しかも背景にはやはりローマ正教・ロシア成教の影がチラついてる。これでフランスがイギリス側に攻めてこないっていうのはありえねえでしょう。ローマ正教の尖兵としてなのか、それともフランスがイギリスとの歴史的・魔術的な対立関係に終止符を打とうとしてやがるのかは分かりませんけどね」
 アニェーゼがそう言った時だった。
 彼女の部下である修道女・アガターからの通信が入る。
『フランス側からの干渉を確認!! 彼らが来ます、警戒してください!!』
 直後だった。
 緩やかな波を永続的に生み出していたドーヴァーの海が、フランス国境側から一気に固体化した。まるで氷が一瞬で広がっていくかのように、海水がビキビキと固まっていく。
「塩!?」
「チッ、適当な足場を作ると同時、こっちの船の機動力を奪う作戦みてえですね!!」
 矢のように走る影があった。
 一つ二つではない。
 一〇〇、一〇〇〇を超える魔術師が、フランス国境側から神裂達に向けて、白く固化した海面を一直線に走ってくる。このままではなぶり殺しだ。陸に打ち上げられたシャチがカラスの群れに喰われるように潰されてしまう。
 船が丸ごと使えないとなれば、神裂達が用意した戦力はいきなり半分以上削がれたようなものだ。
 しかし、そこで留まっている訳にはいかない。
 神裂を始めとして、白兵戦を得意とする新生天草式十字凄教の魔術師達が船から飛び降り、フランス側の魔術師達の迎撃に当たろうとする。
 そこで、神裂は足元に違和感を覚えた。
「ッ!?」
 慌てて横に跳ぶ。
 つい先ほどまで、自分が立っていた塩の大地がポッカリと穴を空けていた。あと一瞬遅れていれば海に落ちていただろう。そして移動力を奪われた所で集中攻撃されていたはずだ。
(……ただでさえ、全力で戦うべき相手だというのに、これでは……ッ!!)
 身動きの取れない船の上にいても不利。
 かと言って、塩の大地に下りれば相手に主導権を握られる。
 いずれにしても厄介な状況だった。
 そもそも、本気で戦争をしようと思っている人間が、敵に有利な状況を作らせるはずもなかった。
 そこへ、

「この程度でうろたえてどーするの。お前達はこのイギリスを守るための戦力だろーが」

 威圧感のある女の声が響いた。
 直後、塩の大地の上から、さらにコーティングをするように薄い膜が広がった。今度はフランス側からではない。イギリス側からフランスへと侵食していぐように、一気に海全体へと現象が広がっていく。
 足場は確保された。
 力強く踏み込んだ神裂の鞘が、彼女を取り囲もうとしていたフランスの魔術師達をまとめて二〇人以上吹き飛ばす。
 そうしながら、神裂は女の声がした方を見る。
 そこに立っているのは。
 真っ赤なドレスを身にまとう、この国の第二王女。

     5

 右方のフィアンマ。
 ローマ正教の秘密組織『神の右席』のリーダー。当然、彼は本来、世界で二〇億人いるとされるローマ正教の様々な部署を顎で操ってきた。
 しかし、前方のヴェント、左方のテッラ、後方のアックアら、他の『神の右席』は次々と撃破され、あるいは自らの意思で組織を脱した。
 そんな時、彼なら欠けた戦力を補うため、何を利用しようとするだろうか。
 ローマ正教・ロシア成教の連合状態の中で、一体何を。
「そこで出てきたのがロシア軍だ」
 上条は雪の中を歩きながらそう言った。
「当然、フィアンマに仲間意識なんてないだろうさ。せいぜい『自分の計画』を邪魔されないように時間を稼ぐ、防波堤ぐらいの考えしかないかもな。でも、あいつは利用できるものは何でも利用する。ロシア国内で自由に動くためには、ローマ正教系の組織よりも、元々ロシアにいた連中を動かした方が、やりやすいし見た目も『自然』だ。だから、ロシア軍の動きには、絶対にフィアンマの影がチラつく。その『違和感』を迫って行けば、あいつに会える」
「フィアンマは、サーシャ=クロイツェフを捜すためにロシアに入国したって話でしたよね」
「何のためにかは分からない」
 レッサーの質問に、上条は素直に白旗を挙げる。
「ても、本当に『それだけ』なら、フィァンマ自身が入国する理由にはならない」
「え?」
 前提をくつがえすような発言だった。
「ロシア軍やロシア成教に命令して、広い国土を捜索させれば良い。フィアンマは温かい暖炉の前で安楽椅子に座って結果を待っていれば良い。でもフィアンマはそうしなかった」
「それ以外にも……何かがある?」
「フィアンマが直接、自分の手で触れてやらなければならないような『何か』が、な」
 上条の言葉を聞きながら、レッサーは彼の横顔を見た。
 馬鹿なのか頭が良いのか、いまいち分からない少年だ。
 おそらく得意分野的な問題だろう。ジグソーパズルのように、かっちりとはまる極めて狭い範囲でしか、この少年は頭の回転を発揮する事はできない。テレビゲームが得意な人間は、かと言ってその反射神経や動体視力を別の分野……例えば格闘技などで使う事はできない。それと同じようなものだ。
 おそらくは。
 ロンドンの大聖堂で眠る少女こそが、彼にとっての『パズルのピース』なのだろう。
「でも、今は第三次世界大戦の真っ最中ですよ? 軍事行動なんて、大小合わせればロシアのあちこちで行われています。中国もインドも、学園都市の方についてしまったのはロシア軍にとって予想外だったんでしょう、慌ててあちこちに部隊を向かわせていますしね。そんな大混乱の中から、フィアンマが関わっているものだけを探し出す事なんてできるんですか」
「フィアンマは絶対に、自分の計画を隠そうとする」
 上条はそう答えた。
「ロシア軍を利用しながら、ロシア軍には秘密にするんだよ。だから、もっともらしい理由がある作戦で、なおかつ騙し絵みたいに、ちょっと視点を変えると全く別の意味が浮上してくるものが怪しいんだ。……例えば、『魔術』って単語を混ぜると、変な化学反応が出てくるような作戦とかな」
「それが、ここ?」
「じゃなければ、わぎわざこんな所までやっては来ない」
 上条は、白い雪の景色の向こうを見据えて、ポツリと呟く。
「……待ってろよ」

     6

 エリザリーナ独立国同盟。
 近年、ロシアのやり方に反発したいくつかの独立国の同盟だった。EUのように共通の通貨を持ち、国家間の人や物資のやり取りにパスポートはいらない。
 ロシア側からすれば目の上のたんこぶで、この戦争が始まる前から、何か理由があれば侵攻しようと考えられていた場所だ。そして今回、どさくさに紛れてその機会はやってきた。
「ロシア軍は、国境近くに基地を展開させようとしているみたいですね」
 事前に近隣の住人から情報を集めていたのか、レッサーがそんな事を言う。
「基本的な構成はミサイルランチャーと榴弾砲りゅうだんほうの車両のワンセット。大体、三、四〇キロ辺りの距離から、エリザリーナ独立国同盟の国境の内側に爆薬を投げ込むつもりみたいですね」
 半径四〇キロと言えば、日本の学園都市より大きいレベルである。さらに、それらの装甲車両は基地の周囲にも展開されるため、実際の攻撃範囲は二倍、三倍と広がるはずだ。
 当然、事が戦争となれば一発二発の爆弾で終わるはずがない。基地の構築が終われば一〇〇〇発でも二〇〇〇発でも殺人兵器が空を飛ぶ事になるだろう。
「でも、これは本命じゃない」
「……、」
「本気で爆撃をしたいなら、空軍の力を借りて攻撃機や爆撃機を使うはずだ。それなら射程距離はほぼ無視できる。国の奥の奥まで一気に火の海にできる。……見た目のスペックで目を晦まそうとしているんだよ。本来、この基地は建造する必要のないものだ」
 その時だった。
 ギィィィィ!! という甲高い爆音が上条達の頭上を抜けた。単なる旅客機のものとは違う、超音速時特有の爆音だった。
 とはいえ、それはロシア空軍の軍用機のエンジン音ではない。
 逆だ。敵対する学園都市製の超音速爆撃機がロシアの空を引き裂いているのだ。もっとも、目的は都市を火の海に変える事ではなく、ロシア内陸部に直接基地を建造するための物資や兵器を次々と投下しているらしい。
 通常、空挺部隊はそういう使われ方をしない。
 確かに、大空から一気に敵陣の真ん中へ降下し、要塞を築く事ができれば、有利に戦う事ができるだろう。……ただし、建造した要塞を維持する事ができれば、の話だが。実際には大量の物資を輸送するための地上ルートを確保できないため、そんな方法で要塞を作っても、あっという間に孤立してしまうだけである。
 だが、学園都市はこの問題を力技でクリアした。
 超音速爆撃機は時速七〇〇〇キロオーバーで大空を突き抜ける。ロシア軍の対空兵器網の真上を悠々と通過し、迎撃用の戦闘機を圧倒的な速度で振り切る怪物航空機は、迅速かつ確実に大量の物資を要塞へ供給し続ける。おかげで現在、広いロシア国内のあちこちに、すでに学園都市製の急造要塞が点在していた。
「すごいですよねえ」
 と、レッサーが『遠い世界かがくの技術』を眺めながら、どこかのんびりした調子で言った。
「聞きました? ロシア側からの宣戦布告に対して、学園都市は、無理に争う必要はないけど、争いを止める術があるのに黙っているのは果たして本当に正しい事だろうか、って返答したみたいですよ。純粋な兵器の力比べなら、よっぽど余裕があるんでしょうね」
「……。本来なら、ロシア側は何としても、その『力の差がありすぎる兵器をばら撒きまくる大型航空機』を撃ち落としたいんじゃないのか?」
 上条はレッサーの言い分に対してわずかに黙ったが、やがて口を開く。
 彼は二、三〇分ごとに大空を通過していく軍用機を見上げながら、
「ここが『大通り』だっていうのは、エンジン音を聞いていれば犬や猫だって分かる。にも拘らず、その基地は陸上の兵器ばっかりで、戦闘機用の滑走路なんかは全くないんだろ。ロシア側の戦闘機もあんまり見ないし。やっぱ、何かがアベコベになってるんだよ」
 そう断言できるのは、上条が科学サイドに属する人間だからだろうか?
 一応戦闘のプロであるレッサーだが、事が科学的な軍事行動になると、会話の主導権を握れなくなってくる。
「そんなの、どこから掴んだんですか?」
「地図だよ」
 言って、上条はどこにでも売っているような、折り畳まれた紙の地図を見せる。レッサーは眉をひそめて、
「地図を見ただけでそんなのが分かるんですか?」
「違う。プロの軍人じゃあるまいし、陣形を見たぐらいで軍の妻側まで推測できるかよ」
 上条は畳んだ紙を軽く振りながら、
「本当に重要な軍事作戦が行われているなら、こんな地図なんて売ってない。現に、いくつかの地域のものは本当に回収されてたみたいだし。でも、この一帯については制限がなかった。基地の規模からすれば奇妙なほどにな。重要だと思われたくない。それでわざとセキュリティを低くした。でもかえって浮いてしまった訳だ」
 はー、とレッサーは感心しているのか適当に流そうとしているのか、いまいち良く分からないリアクションをした。
「となると、フィアンマはその基地にいるんですか?」
「実際に基地があるのかどうかも怪しいけどな」
「でも、一応ロシア軍が駐留しているんでしょ。どうやって侵入します?」
「それは……」
 上条が言い掛けたその時、遠くから自動車のエンジン音が聞こえてきた。相当野太い。乗用車ではなく、大型のトラックのような感じだ。
 事実、白い雪原の遠くの方を、何台もの大型車両が車列を組んで走っているのが見えた。詳しい車種は分からないが、重々しい金属で要所を補強してあるトラックは、軍用っぽい匂いが感じられる。
 それだけなら、戦争中の今なら珍しくもないのかもしれない。
 しかし、明らかにおかしいものがあった。
 車列の先頭と最後尾。
 その双方に、二頭の馬に引っ張られる馬車が走っていたのだ。しかも、馬の方は銀色の金属製だ。鎧のような物を着せているのではなく、完全に『金属でできた馬』が走行していた。
 馬車全休も木や布ではなく、西洋の鎧のような外殻で覆われているようだった。
 方角は、上条達がこれから向かう基地の方からだった。
 今度は上条の方が眉をひそめる。
「何だありゃ?」
「ご自慢の科学サイドトークはもう品切れなんですか?」
「トラックはともかく、あの妙な馬車のどの辺が科学的なんだよ。ロシア軍は独自技術で馬型のペットロボットでも開発しているって言うのか?」
「ふーむ。ロシア成教製のスレイプニルですかね。雪原移動用のアシを開発しているって話は聞いた事がありますけど」
「……って事は、やっぱり今度の敵は魔術師って訳か」
「トラックの方は、おそらく軍から借りているだけでしょうねえ。最先端の科学技術に疎いって言っても、車の運転ぐらいなら魔術師でも何とかなりますし」
 とにかく見よう見まねで雪の上に伏せてみようとした上条だが、防水加工を施していない衣服越しに突き刺すような寒さが襲いかかって来て、慌てて飛び上がった。
 レッサーが呆れたような顔で、
「中途半端に不自然な事をしていると、逆に怪しまれますよ」
「いや、分かっているんだけどな」
 上条は白い息を吐きつつ、
「ロシア成教の連中って言ってたけど、あのトラックの中身は何なんだろうな。やっぱり、戦争に使う霊装とかか」
 答えが返ってくると思って質問した訳ではない。しかし、そこでレッサーが予想外の一言を放ってきた。
「住人じゃないですか?」
「?」
「だから」
 レッサーは上条の手から地図を奪うと、『怪しい基地』のある場所を適当に指差し、
「エリザリーナ独立国同盟を襲うため、急拵きゅうごしらえで作った……って建前の基地なんでしょ? だったら、基地ができる前から住んでる人だっていたはずじゃないですか」
「……、」
 上条の肩が、ピクリと動く。
 気づいているのかいないのか、レッサーは呑気な調子でさらに続けた。
「ちなみに、こちらに向かって来ている、あのスレイプニルの馬車に護衛されたトラックの車列。このまま私達の横を通り抜けるとすると、その先にあるのは政治犯強制収容所ですね。どんな名目で強制退去させているのかは知りませんけど……こんな風に住居を奪ってるって事は、ロシア成教は彼らの命なんて何とも思っていないみたいですね。こっそり使った基地を稼動させるため、周辺住民を一斉に退去させたのかも」
「集落はいくつある?」
 上条はレッサーの横から地図を覗き込んだ。
「基地の建設予定地に元々あった集落の数は?」
「二、三〇人ほどの集落が八つほど。ほとんど原野級で、あんまり開発はされていない場所みたいですね。乗り心地は最悪ですが、あれだけの台数のトラックに積め込めば全員収まるかもしれませ───って、ちょっと。どこ行くんですか?」
 ふらっと自分の下を離れて行った上条に、思わずレッサーが声をかける。
 彼が向かっているのは、近くにある丸太のログハウスのような場所だ。周囲一帯、地平線の向こうまで何もないので、山小屋のような休憩所の役割を果たしているのかもしれない。
 どういう目的なのか、無人のログハウスには一台の4WDが備えられていた。側面の記号を見る限り、一応ロシア軍のものらしい。となると、このログハウス状の建物も何らかの見張りや監視を行うためのものなのだろうか? 上条はその自動車へ近づくと、肘を使って迷わず窓を割り、ドァロックを内側から開ける。
 ガラスの砕ける派手な音が聞こえたが、レッサーは身をすくめたりはしなかった。
 むしろ、呆れたように息を吐いた。
「……工具箱なんて取り出して、一体どうするつもりなんですか? まさか連行中の住人達を助けるとでも? そんなL字のバールぐらいで?」
「相手が何人いるかも分からない、どんな魔術を使ってくるかもサッパリ。そんな状況で真正面から突っ込んで何とかなるほど楽じゃないだろ。こっちだって、別に好きで死地に飛び込んでいる訳じゃないんだぞ」
 連行中の住人達を助けるかどうかについては否定しない辺りに、レッサーは思わずこめかみに人差し指を当てた。ロンドンのクーデター時から思っていた事だが、この少年はどこか重要な頭のネジがぶっ壊れているんじゃないかと思う。
(……まぁ、だからこそ、上手に寵絡ろうらくすればイギリスのために働いてくれそうなチャンスはありそうなんですけどね。むふ)
 と、レッサーがこっそり自分の目的を確認している内に、上条はL字のバールを雪の上へ突き刺した。工具箱からナイロン製の丈夫な糸を取り出しつつ、彼は携帯電話の画面にわざわざ表示させたアナログ時計盤をチラチラ見て、地面に立っているバールに糸を結びつける。
「?」
 少し離れた場所に鉄の杭を刺し、そちらにも糸を結んでピンと張っている上条を見て、レッサーは眉をひそめた。
(……測量?)
 とっさにそう思ったのは、大きな魔術の儀式では正確な方位を測ったり、魔法陣のサイズを目的に合わせてピッタリ設定する必要があるので、そういった知識や技術を有していたからだ。
「さっきから何をやっているんです?」
「見て分からないか。方角を測ってる。厳密には飛行ルートってのが正しいけど」
 上条はさらに雪の上に数本の杭を刺し、地面近くに糸を張っていく。
「はぁ。L字のバール片手に大暴れするんじゃないんですか」
「いくら何でも、それは俺を馬鹿にしすぎだろう。あの車列、護送だけでどれだけの人数使っているんだ? 本職の魔術師の集団相手に真正面からケンカ売ってどうするんだよ。向こうは殺しのプロだぞ。少年漫画のキャラクターの紹介文かよ。そんな連中相手に戦ったって勝てる訳がないんだ。……俺の右手には特殊な力があるけど、数で押されたらどうにもならなくなる事だってあるんだからな」
「じゃあ何をするつもりなんですか」
「その前に確認するけど、ロシア成教の連中は連行している住人達の命なんて、何とも思っていないんだな?」
「じゃなけりゃ強制収容所なんかに運ぶ訳がないでしょ。日本っていう平和ボケの国にはない概念だから、どんな所か想像できていないんですか?」
「いや」
 何故か、上条はニヤリと笑った。
「それなら良いんだ。何とかなるかもしれない」
「だから、一体何をするつもりなんですか?」
「そんなに難しい事じゃない。使える物は何でも使いましょうってだけだ」
 上条は何本かの糸を張り終えると、頭上を指差した。
 レッサーが素直に見上げると、そこには細長い飛行機雲が伸びていた。

     7

 ブラッシャ=P=マールハイスクは顔をしかめていた。
 囚人護送用のトラックの車列の先頭で、ブラッシャはスレイプニルを利用した小さな八輪の馬車を操っている。まるで鎧のように、銀色の金属板で覆われたダンゴ虫みたいな馬車だった。とはいえ、別に不機嫌なのではない。耐久性向上のため、横一線のスリットのように細長いガラスから前を見るしかないので、ブラッシャに限らず、装甲車両の運転手は大体こんな顔になる。魔術的なものであれ、科学的なものであれ。
 一面に広がるのは白い雪原だった。
 アスファルトと土の区別もほとんどつかない。
 一見すれば、道なんて無視してグワーッと走らせても問題なさそうに見える。しかし、実際にはそうではない。問題なのは雪だ。それがどれだけ深いかは、表面上では分からない。その中に太い倒木が埋まっているかどうかも分からない。
 不用意にそうした物に引っ掛かって八本足の馬の霊装が壊れるのだけは絶対に避けたい。何しろ、ロシアはとにかく広い。都市部は世界有数の発展ぶりを見せているが、逆に言えば、何もない所には本当に何もないのがロシアなのだ。正直、この辺りはそこらの砂漠と同じぐらい遭難したくない場所だった。
 そもそも地図を開けば『何もない』とだけしか描きようのない場所だ。何年も更新されておらず、どこに何が転がっているかは分からない。となると、やはり雪で隠れかかっている細い道路から逸れるのは避けたかった。
『収容所まであと何時間だ』
 車列を構成するトラックの方から、退屈そうな通信が入ってきた。
 もちろん、魔術的な霊装によるものだ。
『人口密度が高すぎるぜ、クソッたれ。おかげでこっちはサウナみたいになってるよ』
「ドアでも開けて換気するか。ほんの一〇秒で熱気が恋しくなるぞ」
 同僚の言葉に適当な調子でブラッシャは答える。
 その時、頭上を甲高い音が突き抜けた。
 学園都市製の超音速爆撃機だ。
 HsB-02だったか。フランスのアビニョンを溶岩の海に変えたという報告は受けていた。今は空爆ではなく輸送任務に就いているらしいが、頭上を通られて冷静でいられるような相手ではない。
『クソッたれ。正規のロシア軍はどうしてる。地対空ミサイルで何とかならねえのか』
「時速七〇〇〇キロって話だろ。ロックしてミサイルを発射しても追い着かないなんて、空戦のセオリーを舐めているとしか思えないな」
『ミグは? スホーイは? ロシア空軍の大型機はアメリカ製のステルスとケンカができるんじやなかったのか』
「知らないよ。科学的な事については詳しくない」
 ブラッシャは忌々しそうに大空の爆撃機を睨みつける。
(……ヨハネの迎撃術式のおかげで、魔術師は空を飛べる時代じゃなくなったからな。それさえなければ……)
 もししあの飛行機に爆弾が積んであれば、今この瞬間にもブラッシャ達は死んでいたかもしれないのだ。軽量小型の空挺戦車をパラシュートでばら撒いているのも問題だが、直接的に『本来の仕事』をしない爆撃機に対し、ブラッシャは安堵よりも屈辱の方が先立っていた。
「(……ふざけやがって。今に見ていろよ)」
 思わず呟いた、直後だった。

 ボゴッ!! と。
 ブラッシャ達の進行ルート上で、唐突に爆炎が噴き出した。

「っ!?」
 ほんの三〇〇メートルほど先だった。ブラッシャは慌てて装甲馬車を引っ張っているスレイプニルに命令して、急ブレーキをかける。車列全体が路上で止まる。
 地平線の向こうまで、何もない雪原のはずだった。
 しかし、途中でエンストなどのトラブルを起こした人のためのものだろうか。丸太のログハウスのような建物があった。爆発はそのすぐ側だ。注意深く観察してみると、どうやら4WDらしき物であるのが分かる。
 そこへ、爆発はさらに続いた。
 今度はログハウスそのものが吹き飛ばされた。広い雪原の中にある、唯一の人工物が吹き飛ばされていた。
 単なる爆弾ではない。
 一直線に地面を走るように、三キロ以上も爆発が続いた。白い雪が一瞬で巻き上げられ、続いて地面がオレンジ色に発光した。まるでマグマが噴き出すように、膨大な熱で溶けた地盤がロシアの大地を引き裂いていく。
『何だおい、空爆か!?』
 仲間からの言葉に、普通なら答えられなかっただろう。
 しかしブラッシャはこんな話を聞いている。
 学園都市製の超音速爆撃機は、フランスのアビニョンという街を地図から四角く切り抜いた、という話を。時速七〇〇〇キロオーバーの速度が生み出す空気摩擦を利用し、恐るべき破壊力を生み出す兵器が存在すると。
「ついにやりやがったか……ッ!!」
 ブラッシャの背筋に嫌な汗が流れる。複数のトラックと装甲馬車が織り成す車列は、何もない雪原では、大空から見れば格好の的だ。どこにも隠れる場所はないし、巨大な塊はレーダーで簡単にロックできる。
『おい、「人払い」とかで狙われないように細工を施す事は可能か!?』
「のんびり準備している時間はない」
 答えながら、ブラッシャは自分で自分の危機感を再認識する。
「ヤバいな、ここは降りた方が良い。このままじゃ嬲り殺しにされる」
『空爆だぜ!? しかも学園都市の得体の知れない超兵器だ!! 降りたら爆風から身を守るものがなくなっちまう!!』
「さっきの威力は見ただろ!! 手持ちの霊装だけじゃ、車両ごと木端微塵にされるのがオチだ!! むしろ狙われないようにした方が良い。白系の装束で身を隠して、雪原に散らばった方がまだ生き残れる可能性は高い!!」
『さらってきた集落の連中はどうする!?』
「置いておけ」
 ブラッシャは手に馴染んだ杖を掴み、装甲馬車の出口に向かう。
「どっちみち、強制収容所に送るつもりだったんだ。ここで空爆の餌食になったって問題はない!!」

 その時。
 上条当麻がレッサーにお願いしたのは、実に簡単な事だった。
「確か、レッサーの持っている『鋼の手袋』は、改良してあるって言ってたよな。刃状の『指』が触れなくても、赤いレーザーみたいなのが当たった物体を遠くからでも掴む事ができるとか何とか」
「それがどうかしたんですか?」
 少女の質問に対し、上条は頭上を指差し、
「なら、ちょっとアレを掴んでくれる?」
「?」
 彼女は眉をひそめたまま、とりあえず指示に従う。
「ちょっと待って。もう一つリクエスト。こう、『鋼の手袋』を地面に突き刺してさ、少し離れた所からエイって念じて動かせる?」
「……何でそんな面倒臭い事を……」
「できないの」
「できますよ」
 言いながら、レッサーは雪の上に『鋼の手袋』を逆さまに突き刺し、数メートル離れる。そのまま霊装にゆっくりと魔力を送り込み、遠くにある物体を『掴む』。
 そう。
 高度一万メートルの上空を飛んでいる、時速七〇〇〇キロオーバーで進む超音速爆撃機を。

 直後。
 超音速爆撃機に引きずられた『鋼の手袋』が、ロシアの大地を真っ二つに引き裂いた。

 単純な空気摩擦の問題だった。
 時速七〇〇〇キロオーバーという速度で地面近くの『空気の多い空間』を引き裂いた結果、ものすごいエネルギーが生じたのだ。
 ゴッ!! という凄まじい爆音と共に、超音速爆撃機のルートをなぞる形で白い大地にオレンジ色の光のラインが走り抜ける。長さはざっと三キロほどか。マグマのように溶けた地面が、白い雪をまとめて吹き飛ばす。途中で摩擦に耐えられなくなったのだろう。『鋼の手袋』がバラバラになると同時に、ようやく破壊のラインは勢いを止める。
 驚いたのはレッサーだ。
「おおおおおおゥゥゥゥあああああああああああああああああああああッッッ!? わっ、わたっ、私の『鋼の手袋』がっ!? この世に二つとないレッサースペシャルカスタムがーっ!!」
「んー。良い感じにアビニョンっぼいエフェクトになったな。これならロシア成教の連中も騙されてくれるかもしれない」
 堅牢けんろうな術式で守られた馬車とトラックの車列は、今や雪原の真ん中に乗り捨てられていた。平凡な高校生では到底太刀打ちできないであろう屈強な魔術師の集団が、少しでも車列から離れるために徒歩で遠ざかっていくのが見える。
 単なる爆発物を使って『空爆』に見せかけただけでは、ここまで簡単にはいかなかったかもしれない。素人の上条には区別はつかないが、爆弾にも型番があり、爆発の広がり方や音の響きにも種類がある。例えば、プロパンガスやガソリンを使った偽装の爆発を行っても、そうした差異でバレていた可能性もある。
 ところが、空気摩擦を使った爆撃は学園都市の科学技術特有の兵器だ。自国ロシア製の兵器リストと見比べても参考例は一つもない。
 だからこそ、騙せる。
 プロの魔術師だろうが屈強な軍人だろうが、一度ぐらいなら判断能力を誤らせる事ができる。
「トラックで輸送していたのが、命に代えても守らなければならないゲストだっていうなら、こう上手くはいかなかっただろうな。でも、何とも思っていないんだったら、窮地に立たされれば見捨てるだろ」
「……何やら達成感を得ているようですけど、あの『鋼の手袋』は私のなんですからねっ!!ぶっ壊した落とし前はどうつけてもらおうかーっ!!」
「霊装って、具体的にいくらぐらいするものなの? そもそも売ってるものなのか」
 適当に尋ねつつ、上条は三〇〇メートルほど先にある車列に向かって走り出した。ブツブツ言いながらレッサーもついてくる。
 基地建設予定地に住んでいた住人達は、トラックの中に押し込められているらしい。
 トラックの背後に回った上条だったが、どうやって扉を開けるのかが分からなかった。巨大な金具をガチャガチャ揺さぶってみるが、びくともしない。ロシア成教の魔術師が運転していたかもしれない、という話をレッサーはしていたが、ここには魔術的な澱は使われていないのか、右手で触っても特に変化はなかった。
 すると、横からレッサーが手を伸ばした。意外にシンプルな動作で、彼女はあっさりとトラックの扉を開ける。
 うずくまった老若男女の目が、こちらに集中した。
 怯えと戸惑いがあった。
 どこか決定的にまずい場所へ到着したのではないかという恐怖と、トラックの扉を開けたのがロシア成教の人間ではなかった事に対する疑問だ。
 上条は相手を安心させるため何か話しかけようとしたが、ロシア語なんて分からない。身ぶり手ぶりを使おうかとも思ったが、諦めた。隣のレッサーに耳打ちする。
「これから逃げるから手伝ってくれって言ってくれるか」
「面倒臭いです」
 レッサーは率直に言った。
「これはイギリスのためになる行動とは思えません」
 すると、上条は適当な調子で雪原の方を指差して、
「早くしないと、違和感に気づいたロシア成教の魔術師が戻ってくるぞ?」
「……、」
 むすっとした顔だったが、レッサーは素直に応じる気になったようだ。トラックの中の人々と向き合うのを見て、上条は概のトラックへと近づく。同じ構造の扉を、今度は自分の手で開けていく。何度も説明するのは面倒だろうから、身ぶりでレッサーの方へ集まるように指示を出す。
「どうやって逃げるんですか?」
「トラックをそのまま使おう。ここの人達の中にだって、自動車の運転ができる大人はいるだろ。とにかく手近な街まで行ってもらうんだ」
「……まぁ、それで良いですけど。ただ、隠蔽いんべい用の術式はほとんど施されていないみたいです。
これ、ロシア軍のトラックっぽいですし、内陸で展開中の学園都市の戦車に襲われない事を期待したいですね」
「俺達は先頭の馬車をいただく。その、金属板で覆われたダンゴ虫みたいなヤツだ」
 上条は小さな馬車を見ながら、
「あれが一番、外から中の人間の顔が見えにくそうだからな。俺は明らかに東洋人の顔だし、レッサーだって……俺から見るとあんまり実感ないけど、やっぱりイギリス人とロシア人じゃ若干体形に違いとかあったりするんだろ。だったら、できるだけ顔が見えないまま進めるものが望ましい。あの装甲馬車なら、例の基地に向かうにはうってつけなんだけど……一つ問題がある。相談しても良いか?」
「まさか、馬車の運転ができないとかって言うんじゃないでしょうね」
「きょうび、ケロッとした顔で馬車を運転できる高校生がいるのなら一度は見てみたいぞ」
「それを言うなら私は中学生ですけど?」
 言いながら、しかしレッサーは率先して装甲馬車の方へ向かった。どうやら多少の自信はあるらしい。上条もそちらへ向かおうとした所で、ふと服の端を誰かに引っ張られた。
 振り返ると、小さな女の子がいた。
 何かを言おうとしているようだが、自分の使っている言葉と上条の使っている言葉が根本的に違う事を理解しているらしい。
 上条は.自分の服を掴む小さな手をゆっくりと離し、相手に伝わっているかどうかも考えず、日本語でそのまま話しかけようとした。
 だが、実際には声は出なかった。
 少女の母親らしき赤ん坊を抱えている女性が、慌てたように少女の腕を掴んで上条から引き離したからだった。母親が何を言っているのかはやはり分からなかったが、視線には敵意や怯えがあった。
(……第三次世界大戦。学園都市の日本人はロシアの敵、か)
 チクリと刺すようなものがあったが、上条は表情には出さずに、日本語で言うだけの事は言う事にした。
「いつか、俺が同じようなピンチになった時に、借りを返してくれりゃあ良い。だからあんまり気にするな」
 装甲馬車から短いベルのような音が鳴った。クラクションとか、そういう所は普通の自動車と同じなんだな、と感心しながら、上条は装甲馬車の方へと走って行った。

     8

 装甲馬車の中は快適とは言えなかった。一応内部の温度を調整するエアコンのような霊装があるので寒くはないのだが、それとは別に汗のような匂いがこもっていた。分厚い鋼鉄で密閉され、外の様子も観察できないので、妙な閉塞感もあった。
 レッサーは停まったままの装甲馬車の中で、御者の座る運転席にすっぱりと収まっていた。
そこも露出はなく、完全に金属板に覆われた中だ。スレイプニルという金属の馬に繋がった手綱だけが、スリットから伸びている。
「うわー、予想はしていましたけど、やっぱり蒸し暑いですねえ」
「……このエアコンみたいなの、設定が大雑把過ぎるぞ。多分、目盛りをもうちょっとずらすと、今度は急速に寒くなるんだろうな。それ以前に、下手に右手で触ったら壊れそうだ」
「はー、駄目だ。シャツのボタンを外してスカートをバサバサしましょう」
「ぶふ!! お前何なの!? 唐突な行動の意味が分からないんだけど!!」
「色目使ってんだから反応しろよ!! とっとと押し倒せば既成事実になってイギリスのための尖兵一丁上がりになるのに!!」
「ははーん!! さてはこいつ、きっとエロい言葉の意味が分からないまま笑顔で口走る子だ

ぞ!! 人生のちょっぴり先輩から言わせてもらうとだな、もう、ホントにヤバい事言っているんだからね!! お気をつけなさい!!」
(馬鹿め、引っかかりましたね!!)
 すると、小悪魔少女レッサーはミニスカートの奥から伸びる『尻尾』を軽く振りつつ、反撃の糸口を掴んだといった邪悪な笑みを浮かべて、
「おっけーです、了解しました!! それなら私が具体的にどれぐらい本気なのかを証明してあげましょう!!」

     9

 そしてドーヴァー海峡の戦場で、新生天草式十字凄教の少女、五和いつわは両手で槍を握ったまま背筋に寒いものを感じ取った。
「は、はうあーっ!?」
「っ!? ど、どうしたのよ五和?」
 奇行に驚く建宮斎字たてみやさいじに、五和はおどおどとした調子でゆっくりと目を逸らし、
「い、いえ……。その、何か、嫌な予感が……」

     10

 もちろん奥手な少女が危惧するような事は何も起こらず、スレイプニルの手綱を握るミニ少女レッサーは、ぶすーっとしたまま装甲馬車を走らせている。
「ロシア製の金属馬なんでちょっとビビってましたけど、基本的には普通の馬車と同じなんですね」
「普通の馬車って何だよ……」
 ロシア成教の装甲馬車に乗っているため、多少は警戒心を削ぐ効果もあるだろう。しかし、まさかこのまま厳重な要塞の敷地内に入れるとまでは思っていない。
 レッサーは三〇分ほど装甲馬車を走らせたのち、何もない雪原で唐突にストップさせた。
「そろそろ要塞の防衛線に差し掛かります。平たく言うと、これ以上進むとミサイルランチャーと榴弾砲を浴びる羽目になるって事です。この馬車に施された防御用の霊装では、おそらく防ぎきれないでしょうね」
「雪の上には、似たようなサイズのわだちがたくさんあるけどな。まぁ、そう簡単にはいかないか。基地が同型の『馬車』を受け入れてるってだけで、今は十分だ。やっぱりあそこは普通の軍事施設じゃない」
「普通の軍事施設って何ですか……?」
 要塞そのものは、せいぜい一〇キロ四方ぐらいのサイズだ。エリザリーナ独立国同盟の国境と隣接する前線基地……という名目だが、本来通りには機能していないだろう。そこにはフィアンマの目論見もくろみが隠れているはずだ。
 そして、その要塞の周囲に、半径四〇キロほどの防衛線が築かれていた。
 当然、万里の長城のように高い壁で覆われている訳ではない。要塞の各方角に監視塔が設置されており、不審な影が見つかり次第、そこに大量の砲弾を撃ち込むシステムが構築されているという訳だ。
「……っていう事は、日本の学園都市より広い範囲から、全ての住人を強制退去させていたっていうのか」
「この辺りはほぼ原野ですから、全員かき集めても日本の村落に及ばないと思いますけどね」
 改めてロシアという国のスケールの大きさを思い知らされるような話だった。日本列島のどこを見回しても、そんな広大な手つかずの自然は残されていない。
「で、ここから先はどうするんですか」
 レッサーは運転席からそんな事を尋ねてくる。
「このまま防衛線の内側に踏み込めば、まず間違いなくミサイルや榴弾砲の餌食になるでしょうね。あれは馬車の速度で回避できるものじゃありません。方法を考えないとまずいんじやないですか? とはいえ、死角が用意されているとは思えませんけど」
「いいや、そうとも限らない」
 半ば挑発するような口調のレッサーに対し、上条はそう答えた。
「さっきも言ったろ。フィアンマはロシア軍を利用していながら、ロシア軍に自分の魔術的な計画の詳細を話そうとはしない。第三次世界大戦の理由を大義名分でごまかしたみたいにな。だったら、魔術的な機材を搬入するための『秘密のルート』を作っているはずだ。絶対に」
「それを見つければ、織にも気づかれずに要塞の内部に入れるって事ですか」
「ロシア側の大部分は魔術を知らない。少なくとも、普通の軍の連中が魔術の戦いをできるとは思えない。真正面から突っ込むよりかは楽じゃないか」
「……右方のフィアンマってのも、相当なんでしょう? 『神の右席』のトップだっていう話じゃないですか。そいつが用意した魔術的なトラップや配下にしたって、レベルの高いのが待ち構えていそうな感じですけど」
「それこそ、ようやく俺の出番だろ」
 上条は笑いながら、自分の右手をひらひらと振った。
 その手には、あらゆる異能の力を打ち消す『幻想殺しイマジンブレイカー』という力がある。
「ライフルや爆弾で身を固めるプロの兵隊なんて、本来俺が戦って良いような相性の人間じゃない。大勢のロシア成教の魔術師達との集団戦とかもな。正直、いつもの調子が出ないと思っていた所だ。……ここからだ。ようやくここから、本当に俺の舞台になるんだよ」
 上条当麻は、装甲馬車のスリットのような窓から、正面を見据えた。
 はるか地平線の近くに、目的となる施設の影に向かって、彼は口の中で呟くようにこう告げた。
「……今から行くぞ、フィアンマ」

     11

 モスクワの奥の奥で、戦場の兵士なら逆に身につけないであろう、豪箸な軍服を着た初老の男が佇んでいた。場所はまるで宮殿のような建物だったが、正式に軍の施設として登録されている要塞だった。数々の勲章で飾られた軍服の男は、今まで自分はロシアの闇の一番底にいるのだと信じていた。しかし実際にはそうではなかったらしい。
 同じような軍服の男は、他にも集まっていた。
 彼らは服装や経歴の他に、現在の立場も似たような者達だった。
「……ロシア成教の総大主教、か。思わぬ方向に、世界は大きく広がっていたらしい」
「彼らの思惑に従って起こしてはみたものの、さて、この戦争、学園都市の兵力を押し返す事はできるかね」
「意外なほどに、学園都市に協力する者が多い。科学技術が与える恩恵は、そこまで大きなラインを築いていたという事か」
「実質的に、ローマ正教・ロシア成教の支配圏と、それ以外の世界との戦争へと発展しつつあるぞ。インドや中国の協力を取り付けられなかったのは痛かったな」
「学園都市の思惑が見えん。無人兵器を含め、これだけの兵力を有しているとアピールしてしまう事は、ヤツらにとってもプラスにはならんはずだ」
「単なる迎撃や防衛以外の目的があると?」
「サイロかもしれない」
「最悪でも、サイロだけは奪われてはならん。ヤツらの技術力があれば、正規の信号がなくとも起動できるかもしれん。外部から『持ち込まれる』可能性もある」
「となると」
「あれの発動も考慮に入れないか、という提案をしたいのだよ」
 その言葉に、全員が押し黙った。
 彼らの間でも、その議論はすでに何度か行われていた。それだけの事を経ても、まだ決定のゴーサインを出すのにはためらわれるほど、今の台詞には重みがあった。
 やがて、誰かがポツリと呟いた。
 テーブルの上にある、書類の束に目をやりながら。
「クレムリン・レポートか」

   行間 一

 学園都市も慌ただしくなってきた。
 女子饗室内で、御坂美琴みさかみことは自分のベッドに腰掛けていた。ルームメイトの白井黒子しらいくろこはここにはいない。どうやら風紀委員ジャッジメントとして、何らかの仕事に駆り出されているらしい。
 今日は休校だった。
 別に台風が上陸した訳ではない。
 可能性は『まだ』低いようだが、ロシア側の弾道ミサイルや爆撃機が学園都市の真上へやってくる確率も、決してゼロではないからだ。
 ちなみに。
 学園都市とロシアは戦う気満々のようだが、日本政府自体は戦争には消極的だった。当たり前である。日本は軍隊を持っていないのだから、戦争をしましょうと言われてハイかしこまりましたとは言えない。ロシア側が『世界的な戦争』を前提に行動している以上、アメリカの抑止力とやらも通用しない。
 まともにぶつかれば勝ち目はない以上、日本政府は学園都市に圧力すらかけようとした。ロシアの要求を速やかに呑み、この戦争を回避せよ、という訳だ。
 対して、学園都市が提示したのは、とてもシンプルな動画だった。
 大気圏外で爆発する弾道ミサイルの映像だ。
 一発二発ではない。
 一度に三〇発以上の影が高速で突っ切り、その全てを学園都市の迎撃兵器が撃ち落とす。
『我々はあなた達に一切の強要をしません』
 モバイルのワンセグ放送の中で、学園都市の報道官はこう語る。
『てすが、我々は我々の昧方以外の者を守る義務もありません。すでにロシア側からは、無警告で弾道ミサイルが発射されています。幸い、今の所は核弾頭の搭載は確認されていませんが、それもいつ禁忌の一線を越えるかは分かりません。あなた達には、ご自身の頭で、自らが正しいと思う選択をしていただきたい。もっとも、日本国には莫大な税金を投じて確保したイージス艦やPAC3もありますから、大した問題はないかと思われますが』
(……ほとんど脅迫ね)
 邪魔立てすれば防空火器の『網』から、日本の各都市を外すと言っているのだ。自衛隊が躍起になって調達したアメリカ製の迎撃兵器群が優秀なのは事実だが、科学技術が二、三〇年進んでいると言われる学園都市製の物とは比較にならない。百発百中の精度でない事ぐらいは子供でも分かる。そして、一発でも見逃してしまえばどれだけの悲劇が訪れるかも。
 まるでロシア製のミサイルを使って学園都市が脅しているかのような状況だが、民衆の多くはこう思った。何でも良い。とにかく自分の頭の上にだけは落とさないでくれ。
 おかげで、大勢の市民が政治家の下へと押し寄せているらしい。あの街を刺激するなと。自分達の街を安全地帯のままにしてくれと。莫大な民意の洪水は政治家達の身動きを封じてしまい、その間に学園都市はやりたい事をやっていく。
 宣戦布告の内容は全世界に発表され、美琴もネット上で閲覧した。
 その内容は常軌を逸していて、学園都市が呑む訳がない事も理解している。
 だが。
 得体の知れない不快感があるのもまた、事実だった。間接的な恐怖によって大衆を扇動しておきながら、自分自身は決して手を汚さずにクリーンな『市民を守る正義の味方』であり続ける学園都市。その清廉潔白さは、まるで漂白剤で全てを洗い流したような不気味さがあった。その奥底に何かがない方が逆におかしいのではないかと思ってしまうほどに。
(……何か、ね……)
 美琴はモバイルとは別の、携帯電話に目をやる。
 ゲコ太のストラップのくっついている携帯電話だ。
 とあるツンツン頭の少年の番号に何度か掛けているのだが、全く繋がる様子がなかった。そして、つい最近あの少年はこう言っていたのだ。自分は今、クーデター下のロンドンにいると。
 何かの冗談かと思っていた。
 だが、もしかすると。

 あの少年は、まだ学園都市に帰って来ていないのではないか?

 調べる必要がある、と美琴は思った。
 大戦の宣戦布告と共に、第二三学区の空港の民間利用は制限されている。そしてクーデターと大戦のタイミングから考えると、戻るのは難しいかもしれない。
 まるで外の騒乱から切り離されたような、しかし実際には大戦のもう一つの中心であるはずの学園都市。
 あの少年がその『外』にいるのだとすれば、危険度は格段に跳ね上がる。放っておく訳にもいかないだろう。

   第二章 侵攻と逆襲の幕開け Angel_Stalker.

     1

 レッサーは白い雪の上を歩きながら、ガチャガチャと小さな金属パーツを組み合わせている。
「……うーん。スペアパーツをかき集めてもレッサースペシャルカスタムは無理かー。結局、元の旧『鋼の手袋』に逆戻り。くそう、例のカスタム、理論数値だけでも文書化していれば良かった。手探りで試しながらパーツを付け加えていったから、もう自分でもバランス配分掴めないし……」
 ブツブツ言っているレッサーは、そこで雪の中を覗き込む。
「おっと。あったあった、ありましたよ」
 何をやっているのか分からなかった上条だが、レッサーと同じポーズになってみると、何を見ているのかが判明した。
 三〇センチ程度積もっていると思っていた雪だったが、レッサーが覗き込んでいる所には、明らかに三メートル以上の空洞が口を空けていた。まるで雪でできたトンネルだった。
「元々はV字の溝みたいな所だったんでしょうね。その上に雪が積もったから、上から見ると平らに見えていたんです」
「……でも、この上って、普通に輸送用のトラックとか基地に向かって走ってたはずだよな」
「そもそも、『普通に積もった』のなら、V字に合わせて雪の形も変化していますよ。積もり方も強度も、魔術的に手を加えてあります。今なら旅客機が着陸したってびくともしないんじゃないですか?」
 上条は自分の右手に目をやりながら、
「……触った途端に生き埋めなんて事にはならないだろうな」
「さあ? 念のため、壁に触れるのは避けておいた方が無難かもしれませんけど」
 レッサーは適当に言いながら、空洞の中へと身を滑り込ませた。
 上条もその後を追おうとした所で、ふと彼女は動きを止めてこんな事を言った。
「しまった……。雪で足を滑らせた事にすれば、自然な形で抱きついたりパンツを見せたり色色と道が開けたかもしれないのに」
「分かったよ。今日はアンタが王様だよ。だからさっさと前に進んでくれ」
 内部には列車の線路が走っていた。並行するように、二本の路線が奥の奥まで伸びている。そして、貨物用の列車が停められていた。五両ぐらいの車両が連結されている。電線のような物は見当たらないから、ディーゼル機関なのかもしれない。
「これで必要な物資をこっそり運び込んでいた訳だ」
「意外ですね」
 レッサーはキョトンとした顔で、
「右方のフィアンマって、ローマ教皇や第二王女キャーリサを一撃で吹っ飛ばしたりしてたんでしょ。こういうコソコソした創意工夫を凝らすタイプとは考えていなかったんですけど。気に入らない事があったら、何でも真正面から薙ぎ払っていくような人間をイメージしていました」
「元々、『神の右席』の権限を使ってローマ正教を動かして、自分の手を使わないであれこれ話を進めてきたヤツだぞ。むしろこっちが普通なんだ。直接手を下すようになってきたってのは、あいつの弾幕の厚みが減ってきたって証だろ」
 上条としては、ここで貨物列車があったのは僥倖ぎょうこうだった。何しろ、基地までは三、四〇キロはある。いくら抜け道を探し当てたとしても、『移動手段はないので雪の中を歩いてきてください』では、フィアンマとぶつかる前にスタミナが切れてしまう。
「とはいえ、好き勝手に貨物列車を動かしたら、流石に向こうに気づかれてしまいますよね」
「だから定時で動くのを待つんだよ。こっちだ。適当なコンテナの中に隠れよう」
 言いながら、上条は先頭車両と連結されたコンテナの方へと向かう。扉はサイドからも開けられるようになっていた。ワンボックスカーの後部座席のようにスライドする鉄の扉を動かし、上条達は内部に潜り込む。
 レッサーは上条のズボンのポケットの辺りをじ一つと眺め、
「ところで、さっきから気になっていたんですが、そのカエルのストラップは何なんですか?」
「ゲコ太だって。俺も詳しくは知らないけど」
「……自分でも詳細不明なファンシー系のマスコット……? なんか女の匂いがしますね。作戦を変更する必要があるかもしれません。ここは私が手っ取り早く払拭しなくては」
 ブツブツ言っていたレッサーだったが、彼女はコンテナの内部を軽く見回すと、表情がわずかに険しいものに変わっていく。
「うーん。記号だけ見ると、やっぱり基本的には十字教系の霊装が多いですね。正確に、何に使うための物かまでは分かりませんけど」
 暗闇の中で早くも目が慣れたのか、レッサーはそんな事を言う。
「それにしても、随分と手慣れていますね」
「……クーデターの時は、『騎士派』満載の貨物列車に潜り込んでフォークストーンまで向かった事があるからな」
「おおっ。そういえば、ウチのフロリスが言ってましたよ。あの日本人はもう一回会ったら絶対にぶっ飛ばすって」
「ああそう。ところであの子、何で『騎士派』に捕まってたんだ?」
 などと言い合っていると、外から複数の足音と話し声が聞こえてきた。二人は無駄話をやめて、耳をそばだてる。
 会話はロシア語らしかったので意味は分からなかったが、いくつかのコンテナの扉を開けて、追加の荷物を積み込んでいるようだった。自分達が隠れているコンテナも開けられるかと思って霊装の山の裏に身を潜める上条達だったが、その心配はなかった。扉は開く事なく、先頭車両の方からエンジン音が鳴る。がくん、という揺れと共に、貨物列車が動き始める。
「……あいつらはロシア兵か? それとも魔術師?」
「確証はありませんが、おそらく後者でしょうね。ロシア成教の連中である可能性が高いです。積んでる霊装について、愚痴ってるのが聞こえましたから」
 コンテナの中で息を潜めている二人。
 彼らを乗せた貨物列車は刻一刻と、謎の要塞の中心部へと向かっていく。
 と、
「……うあー。やっば暑いですね。基本的に密閉された所は自分の体温のせいで体感温度が上がってしまうものなんでしょうか」
「ここでスカートをバサバサするのは禁止な」
「やりませんよ。あれはここぞという時に不意打ちでやるから効果があるん───」
 言いかけたレッサーの声が、不意にピタリと止まる。
 上条も一瞬遅れてその原因に気づいた。
 彼女は知ったのだ。
 汗をかいたおかげで、着ていたスポーツ用のシャツが透けてしまっていた事に。そして、その下から、女スパイが持っている小型チップすら隠せないんじゃないかというほど面積の小さなブラが見えている事に。
 しかしレッサーは、顔を真っ赤にして両手で胸をカバーするような事はなく、
「しまった!! とっておきの場面まで温存しておくはずだった秘密兵器を、こんなにあっさりと消費してしまうなんて……ッ!!」
「お前は何しにロシアまでやってきた訳!? さっきスカートバサバサやってた時も何か違和感があるなーと思ってたけど、あれ、まさか、嘘だよな!?」
 ガタガタと震える上条だが、そうこうしている間にも列車は目的地へ近づいている。
 列車は二、三〇分ほどかけて、基地の中心部へと向かう。
 貨物列車が停まり、再び外からロシア語が聞こえてきたところで、レッサーが話しかけてきた。
「降りますよ」
「え? 連中が立ち去ってから動いた方が良いんじゃないのか」
「変な所で抜けている人ですね。連中は物資を運ぶために貨物列車を動かしていたんでしょう。今度はこのコンテナにある荷物も確実に下ろします。その時に連中と必ず鉢合わせる。その前に外に出ないとまずいでしょう」
 言われてみればその通りだが、明らかに人が動いているのが分かる所へ飛び込んでいくのは、やはり勇気がいる。
 上条はコンテナのスライド扉をほんの少しだけ開けた。外を覗くと、奇跡的に近くには人はいないようだった。平べったい雪の上には複数の木箱が山のように積んであり、そこを隠れて進む事ができれば何とか見つからずに進めそうだった。
(……ビビった所でどうにもならない)
「行くか」
 そう告げて、上条はさらに少しだけ扉の隙間の幅を広げる。そこから体をねじ入れるように、外へと飛び出す。一メートルほどの高さから地面ヘジャンプすると、そのまま木箱の山の陰へと身を隠す。レッサーもその後についてきた。肉食獣のようにしなやかな挙動だった。
 こうしている今も木箱の山の向こうでは荷物の積み下ろし作業が行われていて、足音や話し声に取り囲まれているような感じがする。その音を聞くたびに体から汗が噴き出すのが分かる。
「ポジティブに考えましょう」
 対照的に、ケロリとした顔でレッサーが言う。
「周りが騒がしければ、私達が多少の物音を立てても気づかれません」
 急拵えのホームの出口は、木箱の山から一〇メートルほど離れた所にあった。上りの階段のようなものが見える。このホームは雪の下にあるので、おそもく地上に出るためのものだろう。
 これから上条達は、フィアンマの作る要塞の中心部へと向かうのだ。
 そこは、こんな荷物の積み下ろしとは比べ物にもならないぐらい監視の目も多く、危険な場所であるだろう。
 この程度のレベルで足をすくませている場合ではない。
 上条は周囲に気を配りながら、改めて出口の方へ足を進めようとした所で、

 ロシア成教の魔術師と鉢合わせた。

 上条よりも年上の青年だった。荷物の積み下ろしのための要員だろう。両手で木箱を抱えた格好だった。向こうも向こうで予想外だったのか、ギョッとした顔をしている。
 両手が塞がれていたのは、上条にとっては不幸中の幸いだっただろう。
 魔術師の対応が、ほんの一瞬だけ遅れた。
その間に、レッサーが動いた。
「っ!!」
ものすごく冷徹な挙動だった。音もなく一瞬でレッサーは間を詰めると、魔術師の無防備な喉に向かって腕を突き出した。単純な拳とも違う、もっと鋭い一撃が走り、魔術師の体がかくんと真下に落ちる。レッサーは倒れる魔術師ではなく、彼が手放した木箱の方へ手を伸ばした。
 最小限の物音だけが響き、周囲は何事もなく作業を続けていた。
 ぞわぞわと、上条の指先に嫌な感覚が走り抜けた。
「気をつけてください」
 レッサーはそれだけ言うと、ゆっくりした動作で木箱を下ろした。針金のような物で青年の両足首を縛ると、辺りにある木箱の山を組み替え、口の字の空間を作ってその中に青年を隠す。
「……し、死んでないよな?」
「殺した方が簡単ですがね。だったら『封の足枷ドローミ』なんて貴重な拘束霊装を使わずに済みますし」
 足首の針金は、全身の動きを阻害する効果があるらしい。そうした事をサラリと答えるレッサーは、やっぱり上条の住んでいる世界とは違う所の住人のように感じられた。
 一方の彼女は『尻尾』を動かしてミニスカートの端を揺らしつつ、
(……『こっち』が芳しくない様子ですので、こういう地道な形でポイントを稼いだ方が、結果としては効率的なんですかね。いやいや、私はせくしぃであるはず!!)
 二人が出口の階段を上って地上に出ると、そこは基地の敷地内だった。数百メートル先に、鉄柵のバリケードのような物が見える。
 そして。
 全体で一〇キロ四方の基地の内、中央の七キロ程度が、大きく盛り上がっていた。二〇メートルぐらいの高さの段差になっている。雪という大きなシートで、巨大な影を覆っているような感じだった。
「普通、基地ってのは平べったくするのが定石なんだけどな」
「それだけ、普通の場所じゃないって事なんですかね」
 貨物搬入用か、巨大な段差の『壁』の部分に、大きな出入り口が開いていた。上条とレッサーはそこから内部に侵入する。
 西洋の城のような内装だった。とはいえ、煌びやかな金銀財宝で飾ってある感じではない。石造りのジメジメした空間で、罪人でも幽閉しておくための空間のようだった。
 壁には一定の間隔で蝋燭ろうそくがあり、その揺れる光を頼りに二人は進む。
 幸い、途中で見張りや巡回などとぶつかる事はなかった。
 ひょっとすると、フィアンマ自身が立ち入りを禁じているのかもしれない。
「っ」
 さらに先を進もうとしたレッサーの肩を、上条が掴んだ。
 扉の前だった。
 わずかに開いた隅際から奥を覗くと、その先には広大な空間があった。何のための空間かは分からない。ただ、そちらから声が聞こえていた。聞き覚えのある声だった。
「(……フィアンマだ。まさか、いきなり大本命にぶつかるとはな)」
 上条がささやくと、霧のレッサーもわずかに身を強張らせた。
 修復作業を行っている教会のように、古めかしい石造りのあちこちに、現代的な鉄骨が走っていた。フィアンマはそんな鉄骨の上に佇んでいる。場違いに高級なテーブルと椅子があり、そこに腰掛けていたのだ。テーブルの上には分厚い本が開いていて、そこから淡い光が漏れていた。
 他には誰もいない。
 フィアンマの声だけが聞こえる。
 あの本は、通信用の霊装か何かだろうか?
「必要なんだよ。ここは『空間』だ。座標と容積、その両方が重要って訳だ」
 久しぶりに耳にした声に、上条の心がざわついた。
「ロシアの宮殿なんぞに興味はない。玉座に座るのに憧れているだけなら、わざわざ聖ピエトロ大聖堂を吹き飛ばす訳がないだろう。俺様にとって、ここはモスクワよりも重要なんだよ。若干、情勢を知るのにラグがあるのは問題だがな。それでも、計画を進める上でこの場所は外せんよ。『プロジェクト=ベツレヘム』という観点から考えればな」
(……、)
 上条は、意識して沈黙を貫いた。努力をしなければ、今すぐにでも叫び声を上げて突撃してしまいそうだった。
「分かっている。そもそもが、そっちにとっては不本意な戦いだったはずだ。この第三次世界大戦が、じゃない。学園都市とローマ正教が対立する、この大きな流れそのものが、だ」
 かなり距離は離れていたが、他に誰もいないためか、フィアンマの言葉は上条の耳まで届いていた。それは逆に、こちらの言葉も向こうに届く危険があるという事だ。上条はこれまで以上に緊張する。
 フィアンマが話をしている相手は、一体誰だ?
「学園都市が勝てば科学サイドの時代がやってくる。ローマ正教が勝てば魔術サイドの時代がやってくる。しかし、いずれにしてもロシア成教に旨昧は少ない。仮に魔術サイドの時代がやってきたとしても、ローマ正教が主導権を握るのでは、ロシア成教の立場がなくなるからな」
 ロシア語をレッサーに翻訳してもらいながら、上条は考える。
 が、その思考は寸断された。
 見えたからだ。
 テーブルの上にある、もう一つの霊装を。
「だから、お前達は早期に手を打った。自分達にとって、一番利益の出る勢力と手を組む事で、この大きな争いが終わった後に、最も旨味が得られるようにな。なら、さっさと調査結果を出せ。方々に放ったロシア兵からの報告を」
 それは、小さな円筒形の道具だった。
 リング状の金具がいくつもあり、まるでダイヤル式の南京錠のようにも見える。
 インデックスの遠隔制御霊装。
 彼女を苦しめ、意識不明にしている物。
 あれさえ。
 あれさえ、破壊する事ができれば。
「そう、そうだ。良い子だ。……エリザリーナ独立国同盟、か。確かに、それならロシア国内を捜し回っても、サーシャ=クロイツェフを見つけられなかった訳だ」
 思わず身を乗り出そうとした上条。
 しかしそこで、上条は後ろから口を塞がれた。
 レッサーだ。
 さらにもう片方の手で、脇腹に鋭い一撃を放たれる。苦痛に咳き込もうとするが、がっちりと口を押さえつけられているため、それもできない。
 体から力が抜けていく。
「いや。曲がりなりにも一線で働く魔術師だ。ただの兵隊では対処しきれんだろう。射殺されてしまったら、それはそれで困るがな。ロシア成教? 『殲滅白書Annihilatus』の連中も使い物にはならん。元同僚が相手で知らず知らずの内に手心を加えてしまっているのか、単純にスペックが低いのかは知らんが、今この段階になっても捕縛できていないのは事実だからな。……面倒だが、ここは俺様が動くしかあるまい。計画に確実性を持たせるなら、それが一番だ」
 体を押さえつけられたまま、上条は扉の隙間からフィアンマを睨みつけていた。
 向こうはこちらに気づいていない。
「……それから、一つだけ言っておく。お前だって、司教のままで終わるつもりはないんだろう。ロシア成教の最高権力者は総大主教だったか。だが、お前の伸び率では寿命を終えるまでにその地位には就けない。そういう事だ。この俺様を利用したいのなら、まず俺様が利用したいと思えるような働きをしろ。次、妙な出し惜しみをしてつまらん交渉事を行うつもりなら、俺様は容赦なくお前を切って別口を捜す。分かったか?」
 話を打ち切るように分厚い本を閉じると、フィアンマは本をそのままにして、インデックスの遠隔制御霊装を掴んだ。
 今まで気づかなかったが、彼のすぐ側には鋼鉄の窓のような物があった。フィアンマがそれを開け放つと、暗い室内に光が射し込んだ。彼はそこからひらりと外へ飛び出してしまう。
 あと一歩の所で、遠隔制御霊装は遠ざかってしまった。
 レッサーが上条の口から手を離すと同時、上条は勢い良く振り返った。
 もう少しで、彼女の胸倉を掴む所だった。
「(……何のつもりだ!? あと少しだったのに!!)」
「(……あなたこそ何のつもりだったんですか? 室内には二〇〇人以上の魔術師がいるっていうのに)」
 言われて、上条はギョッとした。
 全然気づかなかった。
 しかし言われてから改めて扉の隙間を覗き込んでみると、広い空間のあちこちにある暗がりの奥に、光る目のようなものがいくつもあった。何かの作業をしているのかもしれないし、フィアンマの護衛として待機していたのかもしれない。
「(……ここで正面から乗り込んでも、フィアンマには届きません。フィアンマがあなたの言う通りの人物だとすれば、どのみち、部下で私達を足止めしている間にあの窓から逃げられていたでしょう)」
 レッサーは興奮している上条をなだめるため、一言一言ゆっくりと告げた。
「(……彼はエリザリーナ独立国同盟と言っていました。あと、サーシャ=クロイツェフとも。ロシア兵に下がるように命令を飛ばしていたので、サーシャには一人で接触するつもりかもしれません。あの霊装を奪いたいなら、先回りするしかないでしょう。向こうより先にサーシャ=クロイツェフを押さえる事ができれば、フィアンマに奇襲を仕掛けるための準備に手間と時間をかけられます)」
「(……くそっ)」
 上条は吐き捨てた。
 右方のフィアンマ。元々、多くの人間を操って世界の混乱を引き起こし、高みの見物をしていたような人間だ。そう簡単には手が届かない事は分かっていたが……。
「(……とにかくサーシャを捜すか。フィアンマが欲している以上、ろくでもない事に繋がりそうだし……それに何より、いい加減にインデックスの事でケリをつけなくちゃならねえからな)」

     2

 浜面仕上は盗難車を走らせる。
 当面の食料と軍資金と車の燃料は手に入った。
 いよいよ学園都市と『戦う』ために行動する時だ。
 このロシアで何らかの『取り引き材料』を見つけて、自分と滝壺の身の安全を保障してもらわなければならない。
「……とは言っても、具体的に何を探せば良いのやら」
「不幸中の幸いなのは、今が戦争中で、ロシアの中にも学園都市の軍や兵器がウロウロしている事。はまづら、その辺りから攻めてみた方が良いかもしれない」
「最新式の軍用兵器とかを鹵獲ろかくして、そのテクノロジーで交渉するってのか?」
「ロシア側の軍事行動をモニターして、有利な情報を学園都市に渡すっていう手もある」
 そんな事を話している浜面だったが、実はあんまりピンと来ていなかった。
 無理もない。
 色々な事を経験したとはいえ、彼は本質的には単なる不良少年だ。軍だ兵器だと言われても実感など湧かない。学園都市という巨大勢力との『取り引き』だって、具体的なプロセスは何も分かっていなかった。
 一方、学園都市の闇の奥まで覗いてきた少女は、そんな浜面にアドバイスする。
「はまづら。この戦争で、学園都市が何を狙っているのかを考えるの」
「え? ロシアに攻め込まれると困るから、学園都市を守ろうとしているんだろ」
「本当にそうなら、ロシア国内まで侵攻する意味はない。日本の周辺海域に徹底的な防衛線を築くだけで良い。普通なら大量の爆撃機や弾道ミサイルを全て抑える事はできないかもしれないけど、学園都市ならそれもできる。そうやって時間を稼いでいる内に世界経済をゆっくりと操って、ロシアに戦争ができないような財政難を突きつけてやれば良い」
「……って事は、学園都市には別の目的があるっていうのか?」
「それを掴んだ上で、その中心へと向かっていくの。拮抗した天秤を思い浮かべて。はまづらは小さなおもりだけど、天秤のどっちの皿に乗っても傾かせられるポジションを奪えば良い。そうすれば、学園都市にどんな要求だって突きつける事ができる」
「……、」
 となると、学園都市とロシア軍が激しく戦闘している所へ突っ込んでいくしかない。体当たりで情報を手に入れてくるしかない。比揄抜きで寿命を削るような作戦だが、そうでもしないと数少ないチャンスを手放す事になってしまう。
「この辺りでも結構派手にやってたな。エリザリーナ独立国同盟だっけ? 確かあの近くで。
あそこらへんから探りを入れてみるか」
「……うん、そうだね、はまづら……」
「? 滝壺?」
 掠れた返事を聞いて、浜面は嫌な感じがした。
 助手席の方ヘチラリと目をやった浜面は、そこで思わずブレーキを踏んでしまった。
 滝壺の様子が変だ。
 顔中にびっしりと汗が浮かんでいる。
「おい、どうしたんだよ。滝壺、大丈夫なのか!?」
「問題、ない。大丈夫、だから、はまづら、早く動こう」
 冗談じゃない。
 誰がどう見ても普通ではなかった。やはり滝壺は『体晶』の悪影響を受けているのだ。改めて突きつけられたが、かと言って浜面にはどうする事もできない。無駄と分かっていても、やはり病院に連れて行った方が良いのだろうか。だが、『外』の医者に滝壺を診せても治療法など分かる訳がない。よしんば分かったとしても、滝壺の身柄も心配だった。今は戦争中で、学園都市とロシアの仲は悪い。それにそもそも、浜面達はパスポートさえ持っていない不法人国者だ。
 だが。
 放っておきたくない。このままにしておきたくない。合理的な理由以外の感情論で、浜面は少しでも滝壺の体に負担をかけたくなかった。なら、どうすれば良いのだ。学園都市と『取り引き』するための材料を探すには、戦争のど真ん中に突っ込んで情報を手に入れてくるしかないというのに。
 苦悩する浜面は、そこでコンコンという小さな音を聞いた。
 運転席の窓を、拳で軽く叩く音だった。
 顔をそちらに向けると、大柄な白人の男が立っていた。おそらくロシア人だろう。浜面は思わず、覗き込む彼からは見えない位置で、ドアに寄り添わせるように拳銃を抜く。先ほども言った通り、今は学園都市とロシアの仲は悪い。浜面が日本の学園都市からやってきたというだけで、危害を加えられる恐れもあるのだ。
 浜面は拳銃を隠したまま、慎重に窓を開けた。
 白人の大男はこう言ってきた。
「観光客相手に、日本語でガイドをした事がある。これで言葉は通じているか?」
「アンタは何だ?」
「医者が必要みたいだな」
 大男が顎で差したのは、助手席の滝壺だ。
 思わぬ問いかけに面喰らう浜面に、大男は笑いながら話を続けた。
「ギブアンドテイクだ。ウチの集落は発電用の燃料を切らせちまってな。このままじゃ氷点下でみんな凍えちまう。これはディーゼル車だろ? アンタがこのオンボロの中に溜め込んでいる燃料を渡してくれるなら、そっちのお嬢ちゃんをウチの医者の所まで案内してやっても良いぞ。どうする?」

     3

 戦車の乗り心地というのは、本当に進歩しているんだろうか。
 エンジンの音がうるさく、油や排気の匂いと、汗や垢のものが混ざり合ってとてつもない臭気を生み出していた。もっとも、狭いスペースに中年のおっさんが五人も詰め込まれていれば、どんな環境であっても居心地は良くないものなのかもしれない。
 指揮官用の椅子に座るアンツェカ=S=クファルクはため息をつく。
 ここはロシアの中央部だ。
 外敵から身を守るための防衛要綱に、本来ならこの地方で部隊を展開するためのマニュアルは存在しない。防衛とはもっと国境に近い所で行うべきものだし、場合によっては先んじて相手国の国境を割ってしまう形で部隊を展開させる想定の計画も多い。
 こんな奥深くまで切り込まれる事など、計算されていないのだ。
 にも拘らず、学園都市の地上部隊はやってくる。
 あろう事か、ど真ん中から外周へ向けて食い荒らしていくように。
「……ちくしょう、また降ってきやがる」
 アンツェカはハッチの隙間から目線を白い空に向け、忌々しげな調子で呟いた。
「何が平和を守るために必要最低限な防衛兵器の投入だ、クソッたれ。小隊で突っ込んだって、一つ吹き飛ばせるかも分からん最新鋭車両を紙吹雪みたいにばら撒きやがって。明らかに侵略、占領のためのスペックじゃねえか」
「連中、二三〇万人の八割が学生なんだろ。それで俺達ロシア軍と対等だなんて、兵貝の数が矛盾してる。聞いたか、あの戦車の中には、乗員を乗せないで動き回るものもあるらしいぜ」
 車内の同僚が気味悪そうに言う。
 アンツェカもより一層眉を不快げにひそめて、
「馬鹿馬鹿しいウワサだろうが、連中なら何でもありって気もするな」
 学園都市の超音速爆撃機が上空を突っ切ったかと思ったら、そのラインをなぞるように大量のパラシュートが落下していった。今回は空挺戦車ではなく、おそらく簡易基地構築用の建材だろう。
 ヤツらの基地には、いくつかの段階がある。
 複数の鋼板を組み立てて作られる『ログハウス』から、速乾性の強化セメントを使った『シエルター』まで。駆動鎧というのだったか。甲胄兵器が驚異的な速度で組み立てていく基地は、ゴキブリの巣のように、あっという間にロシアのあちこちに展開されていく。学園都市は、自分達の技術が外に流出する事を嫌っているらしい。
 だとすると、ああいった要塞にも後で爆破したり回収したりするための仕組みが取り付けられているのだろう。戦うのに精一杯の自分達とは違って、戦闘後の事にまで気を配っているはずだ。
「これじゃキリがないぜ」
 同僚が吐き捨てるように言う。
「前方にいきなり現れた基地を攻略するための作戦を練っている間に、気がついたら後ろにも基地ができてる。ビビってる間に、今度は補給路を断つように別の基地が。ヤツらの速度は速すぎる。夜逃げ業者だって、もう少しはもたつくモンだろ」
 最初の頃は、パラシュートを撃ち落とそうとしていた。しかし効果は少なかった。高射砲や機関銃で布地に穴を空けても、今度はグライダーのような翼が生えたり、別のパラシュートが次々と現れたりと、際限がなかったのだ。
 得意の舞台に上がれない。
 アンツェカ達の率直な感想はその二言だった。
 彼らとて馬鹿ではない。実戦経験だけなら、テクノロジー一点張りの学園都市よりもはるかに豊富だろう。まともに撃ち合いをすれば、最低でも五分五分の戦果を挙げるだけの自信はある。膠着こうちゃく状態に持ち込み、これ以上の侵攻を食い止める、という意味で。
 だが。
 そもそも、彼らの良く知る砲撃戦にならないのだ。
 百戦錬磨の戦車兵達の戦いになってくれないのだ。
 学園都市の特異な戦術は、本来ならば絶対にありえないものだった。基地の構築に必要な資材、基地を構築するために必要な人員と時間、基地を維持するために必要な物資やエネルギー。これらを考えれば、敵陣のど真ん中へ次々と基地を構築し、施設同士を補給ラインで結んでいくようなやり方は現実的とは言えなかった。軍人どころか、その辺のジャーナリストでも、パッと見ていくつもの問題点を指摘できるだろう。
 にも拘らず。
 学園都市ぼ、圧倒的なテクノロジーでその弱点を克服する。
 通常ではありえない速度で大質量の資材や燃料を常に投下していく超音速爆撃機。着地した資材を超高速で正確に組み上げていく駆動鎧パワードスーツの群れ。考えるだけで馬鹿馬鹿しくなるような状態だった。訓練時代のテキストを書き換える所から始めなければ、ついていけそうにない。
「どうします?」
 車内の中では若い方に入る、それでも間違いなく中年の兵が質問する。
「燃料も砲弾もそろそろ底を尽きます。退路も補給路も例の基地に封鎖されました。軍師どのに、画期的な反撃策を提示していただきたいのですが」
「このままじゃ、一度も戦車同士でぶつからずに干上がっちまう」
 別の兵が、うんざりした調子で言った。
 最初に超音速爆撃機が大量のパラシュートを投下した時、彼らの部隊は基地の建造を最優先で阻止しようとした。しかしパラシュートを撃ち落とそうとしても効果はなかったし、一足先に降下してきた駆動鎧パワードスーツの連中も、驚異的な挙動で砲弾を回避し、シェルターでも掘り返すために用意したのか、超巨大なショットガンを使って的確に反撃してきた。
 相手の奇抜な動きに翻弄され、もたもたしている内に追加の資材や空挺戦車などが次々と投下され、気がつけば分厚い戦力差がアンツェカ達の行動を遮ってしまっていた。
 我ながら、無駄弾を撃ったという自覚はある。
 最初からこういう戦術でやってくるのだと分かっていれば、もう少しは冷静に砲弾を温存できたかもしれないが、今その事を言及しても仕方がない。
 その状況を思い出しながら、同僚はアンツェカの方を見る。
「もう投降しなくちゃならねえのは目に見えてる。だが、何もしないで終わるのはいただけねえ。せめて、最後に一台でも吹き飛ばそうぜ。焼け石に水だろうが、少しでも戦力を削らねえと、本当にこの国は駄目になっちまう」
 アンツェカはハッチの隙間から、白い空を見上げていた。
 こうしている今も時速七〇〇〇キロ超で複数の爆撃機がロシアの空を引き裂き、大量のパラシュートを一直線に投下している。
「なぁ。仮にあれが補給物資じゃなくて、トーチカ破壊用の大型爆弾だったら、俺達どうなってたと思う?」
「……、」
 嫌な沈黙が、戦車の中に広がっていった。
 そう、超音速爆撃機の本来の役割は、まさにそれのはずだったのだ。そしてそちらの方が、シンプルにアンツェカ達を黙らせられたかもしれない。
 何故、学園都市はわざわざ回りくどい戦術をるのか。
 アンツェカは忌々しげに空を見上げたまま、吐き捨てるように呟いた。
「人道的な兵器の運用法って訳か。舐めやがって」

     4

 エリザリーナ独立国同盟。
 上条とレッサーはその内部へとやってきた。戦争中で侵攻されかけているというから、さぞかし国境は厳戒態勢になっているのかと思いきや、ほとんど素通りだった。
「日本やイギリスのような島国ならともかく、地続きの国の国境なんて結構あっさり抜けられるものですよ」
「それにしたって簡単すぎるだろ。この情勢なら射殺されてもおかしくないはずだぞ」
「そんな事をしているだけの余裕もないんでしょうね。でも、あなただってロシアに入るまでにいくつか国境をくぐり抜けてきたんじゃ?」
「いや、あちこちでヒッチハイクしてる内にロシアに来ちゃったから、具体的な方法なんて知らないんだ」
「……うーん。言葉が通じてないから気づかなかっただけで、じつはかなりの冒険があったのかも……?」
 レッサーはボソリと呟く。
 ここは広場のような所で、様々な人が周りを行き交っていた。特定の四民族だけでなく、様々な人種の人達がいるようだった。話している言葉も、詳しくは分からないがいくつかの種類が混在しているように感じられる。
「エリザリーナ独立国同盟って、元々はロシアのやり方に賛成できない小さな地方が、独立して国になったんだったよな」
「正確には、そうした国の集まりですね」
 訂正するように、レッサーは言う。
「ここは内陸部ですからね。一国だけが独立したとしても、周りは三六〇度全部ロシア領土。そうなってしまうと、人員や物資のやり取りに『ロシア政府からの詐可』が必要な状況になってしまいます。エリザリーナ独立国同盟ではそういった間接的支配から脱するために、小さな国をいくつか繋げて、ロシア外の東ヨーロッパの国々までのルートを自力で構築するようにしたようです。……おかげで、独立した国の中でも、特にロシアから疎んじられてしまっていますがね」
 そういった経緯もあってエリザリーナ独立国同盟は東西に細長く伸びていた。長さは大体三〇〇キロ程度。……道を歩いていて、たまたま捜している人物とバッタリ出くわす可能性は限りなく低そうだった。
「とにかく、フィアンマより先にサーシャとコンタクトを取らないとな」
 上条は自分自身を急かすように言った。
「さて、と。どうやってあいつを捜せば良いのやら」
「まずは拠点となる宿を取りましょう」
「やっば、これだけ広い範囲を捜すとなると、一日で済むとも限らないか」
「もちろん資金を温存するためにも一室だけです。多少卑猥な意味が含まれていても構いません」
「基本的な思考回路がそっちにセットされてんのかお前は!?」
「宿は駄目ですか? じゃあお外で!? で、でも、困りましたね。野外そのものは問題ありませんが、極寒の気候を鑑みると地味にしんどいと思いますけど」
「……分かった。ちょっと真剣にお話をしよう」
 レッサーの首根っこを掴んで路地の方へ向かっていき、ガチで一五分ほど説教をする上条。精神的にボッコボコになったレッサーを引き連れ、少年は再び広場へと戻ってくる。
「どうやってあいつを捜す? サーシャも魔術師だし、そういう『不可思議なものを使った痕跡』みたいなのが分かれば、見つけ出す事ができるかもしれないけど」
「そ、それより、もっと簡単な方法がありますよ」
「?」
 レッサーの言葉に上条は首を傾げそうになったが、直後に異変に気づいた。
 周囲。
 行き交う人々の中に隠れるように、四、五人の男達が上条達をじっと見据えていた。深い緑色の軍服を着ているのだが、白い雪の中ではかえって目立ってしまいそうな感じだった。
「国境警備隊です」
 レッサーは簡単に言う。
「さっき、それにしたって簡単すぎるって言っていましたね。その通りです。彼らだって馬鹿じゃありません。環境に合わせた迷彩服を入手する事もできないような状態ですが、この国を守ろうとしている事に変わりはありません」
「お、おい。どうするんだ?」
「決まっています。彼らに尋ねるんですよ」
 意味不明な事を言うレッサー。
 怪詩な顔をする上条に、彼女は改めてゆっくりと説明する。
「フィアンマはロシア軍を使ってサーシャ=クロイツェフの動向を探っていたんでしよう? となると、連中の一部は国境を割って捜索活動を行っていた事になります。魔術師サーシャ自体は見つけられなくても、彼女を追っていたロシア軍の動きならエリザリーナの軍人にも分かるのでは? そして、戦争の首謀者が今からエリザリーナ独立国同盟へ潜入しようとしているという事実は、彼らにとっても無視のできない『交渉材料』にはなりませんかね?」

     5

 イギリスとフランスの間にあるドーヴァー海峡は、両勢力が正面から睨み合う戦場と化していた。
 海面は得体の知れない半透明な物質で覆われており、その上で数十、数百、数千の刃が交錯していた。それはもう、単なる『戦闘』の領域ではない。『戦争』と表現するに足るスケールのぶつかり合いと化していた。
 陣営の数そのものはフランスの方が多いが、押しているのはイギリスの側だった。
 やはり、神裂火織の存在が大きいのだろう。
 世界で二〇人といない『聖人』の力が、一振りで大勢の魔術師を一気に薙ぎ払う。しかも、彼女の周囲にいる新生天草式十字凄教の面々が、時に彼女をサポートし、時に神裂を囮に使って別方向から的確に狙撃を行い、本来の人員以上の戦果を挙げていた。
「ふ───ッ!!」
 神裂の刀の鞘が足元の半透明の大地を大きく破壊し、砕けて盛り上がる足場の上を、黒い修道服を着た少女達が飛び上がり、上空からフランス側の魔術師達へ奇襲を仕掛けていく。
 元アニェーゼ部隊のシスター達だ。
 アニェーゼ=サンクティスを中心とした部隊もまた、新生天草式十字凄教と同じようば戦場で活躍している。こちらは純粋な戦力の他に、『敵対するローマ正教側の戦い方を熟知している』のも効果的に働いているのだろう。
 しかし、それだけでフランス側を撃退する事はできない。
 彼らの中には「聖人』のような、特殊すぎるポジションの魔術師はいない。その代わりに、二〇億以上の信徒を誇るローマ正教から、莫大な量の兵器や霊装を借りて戦力を増強していた。杖や杯といった個人で装備する典型的な武具だけでなく、砲身代わりに大剣を、装甲代わりに甲胄の鉄板を取り付けた、奇怪な戦車のような霊装車両ですら珍しくなくなっている。
 それを見た第二王女キャーリサは、退屈そうに言った。
「この辺はまだまだ小手調べ。どーせ、こちらの戦力を探るための斥候って所だろーし」
 彼女は未だに武具を握ってはいない。
 多くの騎士達に守られているキャーリサは、どこか優美で揺るがし難い雰囲気をまとっていた。
 彼女は傍らにいる騎士団長ナイトリーダーへ、軽い調子で質問する。
「さて、フランス陣営の主力はどんなかな。ローマ正教ベースの魔術師の他に、騎士関係のものも混ざってるよーに見えるの。もっとも、その騎士にしても十字教の範疇はんちゅうで説明できるレベルのもののよーだが」
「フランス製の騎士で十字教系と言いますと、シャルルマーニュ辺りが妥当な線では?」
「あるいは、ヴェルサイユであくびをかいてる『首脳』の聖女様が、なりふり構わずオルレアン騎士団の残党にでも泣きついた、とかな」
『……あまり、私を舐めないで欲しいものです……』
 不意に、音源の分からない声が横槍を入れた。
 キャーリサの眉が、微かに動く。
『あんなものを保身のために残しておくほど、我々のプライドは安くはありません。イギリス製の傭兵に解決されてしまった事に、むしろ憤りを感じるぐらいです』
「おやおや。寝ぼけてるよーだから顔を洗ってきたらどーだ? ヴェルサイユから出られぬ身とはいえ、あれは一重にお前の対応の遅さが全ての元凶だろーが。ちょーど、今回と同じよーにね」
『何もできないのは貴女も同じです』
 ヴェルサイユの『首脳』は、静かな調子で呟く。
『カーテナ=オリジナルが破損したという情報は我々も掴んでいます。セカンドが女王エリザードの所にある事も。つまり今の貴女には、さしたる力もありません。そこがイギリス国境の外である以上、周囲の騎士達の力もそれほどではありません。戦を好む気質なのは理解しましたが、自分が足手まといである事は自覚しているのですか?』
「阿呆が」
 キャーリサは、短く呟いた。
 直後だった。

 ゾワッ!! と。
 第二王女の周囲にいた騎士達が、カーテナから莫大な力を受け取る。

 力の供給自体は、カーテナ=セカンドからのものだ。おそらくエリザードが何らかの命令を出したのだろう。ただし、それだけでは説明がつかなかった。カーテナの効力は、あくまでもイギリスの国境の中だけの話なのだ。
「仮に、カーテナ=オリジナルを使ったイギリス国内のクーデターが成功してた場合、私はヨーロッパに進出し、全ての敵対勢力を葬るつもりだった事は知ってるよな?」
『まさか……』
「具体的にどーやって実行するつもりだったと思う。まさか、国境の外だからカーテナの力は使えませんなんて泣き言を言うとでも考えてたの?」
 ゴゥン、という大きな音が聞こえた。
 キャーリサの背後、一〇キロ以上後方からだ。
 そちらには、何かが浮かんでいた。とてつもなく巨大な構造物だった。重たい石でできた立方体が、数十もランダムに組み合わさった『四角い泡』とでも言うべき謎の構造物。まっとうな建築技術から大きく外れたそれは、人工的な城のようにも見えたし、巨大な岩を無理矢理に切り出して宙に浮かべているようにも見えた。
「移動要塞グラストンベリ」
 その名を、キャーリサは告げる。
「この要塞の周囲を強引にイギリス領内であると規定する事で、カーテナ使用圏を飛躍的に延長させるための施設よ。まさに、相手側の意向を全く考えない『侵略』のための大規模霊装だとは思わない?」
 状況は一変する。
 力を得た騎士達が、キャーリサを守るように剣を抜く。
「これは防衛のための消耗戦ではないの」
 キャーリサを護衛するために展開されていた騎士の布陣が、緩やかに変化していく。
 受動から能動へと。
 その意味する所を、『軍事』の王女の声が宣告する。
「攻撃を行うための掃討戦よ」

     6

 上条とレッサーの二人は、複数の大男達に取り囲まれる形で広場を歩く。言葉の通じない、しかも軍人らしき者達に連行されていくのは良い気持ちではない。ビクビクしながら進む上条に対し、隣を歩くレッサーは退屈そうな調子でこんな事を言った。
「大丈夫ですよ。エリザリーナ独立国同盟側は、フィアンマの情報なら何でも欲しいはずです。缶喉から手が出るほどにね。だから私達がこのまま収容所に送られるような事はありません。そもそも、この同盟にはそこまで物騒な施設は存在しませんしね」
「……ホントに? そこで予想を覆す出来事が待っているのが不幸な上条さんのパターンなのよ? もしもこれでベルトのついた椅子だけ置いてある部屋とかに案内されたらどうすんだ」
「はいはい。その時にはお詫びとしてベビードールを着て四つん這いになってお尻を振ってあげますよ。……んん、それ良いな。何なら今からやりましょうよ」
「まだ説教が足りなかったようだなレッサー君。ここじゃ迷惑になるから、ちょっとそっちの路地へ行こうか」
 少女の首根っこを掴んだ上条がふらっと人の輪から外れようとした途端、周囲からロシア語の怒声が炸裂した。大男の内の数人は、すでにホルスターに入った拳銃に手が触れている。
「わあ!! 分かった分かった、くそ、やっぱり歓迎されている感じじゃないぞ!?」
「私だって冗談ですよ。周りの連中にまでサービスするつもりはありません。イギリスの国益になりそうにはないですしね。今は大人しくついていきましょう。後で宿の部屋に入った時、ベビードールを着るかどうかはさておいて」
 そんな風に言い合っている上条達に、彼らを取り囲む大男の内の一人が、極めて不機嫌そうに何かをボソッと呟いた。ロシア語なので上条には分からなかったが、隣にいたレッサーが通訳してくれる。
「ロシア国内で、トラックで移送中だった母娘を助けたか、ですって。娘は二歳ぐらいの赤ちやんと、一〇歳ぐらいの女の子らしいですけど」
「……? トラックと装甲馬車の車列には手を出したけど、あれ、何十人ぐらい乗ってたっけ? それだけじゃピンとこないな」
 怪謡な顔をする上条に、大男はさらにロシア語で、吐き捨てるように言った。
 それを聞いたレッサーは、一瞬、眉をひそめた。それから肩をすくめて、レッサーは上条の方を見る。
「あれは俺の姉と彼女の娘達だ、だそうです」
 ……その話を知っているという事は、トラックの人達は無事に近くの街に辿り着いて、電話か何かで連絡を取ったのかもしれない。
 もしかすると、ホルスターに手が伸びたものの、明確に拳銃を上条に向けなかったのは、そういう借りがあったから、なのだろうか?
 そうこうしている内に、上条とレッサーの二人は、広場の近くにある四角い石の建物に連れて行かれた。元々は大きな教会の中の建物の一つなのだろうが、今は別の目的で使われているらしい。
 軍事施設だ。
 オフィスと呼ぶには噸弱と紙の資料が乱雑に散らばっていた。スチールデスクの位置も一定ではない。壁際のホワイトボードには近隣の地図が貼り付けてあった。色の違うマグネットはエリザリーナ独立国同盟とロシアの双方の戦車か何かの配置図だろうか。片方の色だけが、圧倒的に多かった。
 金髪の女性が待っていた。
 随分と痩せた女性だった。仮に水着を着ていたとしても、期観する前に相手を心配してしまいそうな細さがある。彼女はわずかに落ち窪んだ瞳をこちらに向け、そしてうっすらと笑った。
 日本語で、彼女はこう言った。
「右方のフィアンマがこちらへ来るそうね」
 ひゅう、と口笛を吹いたのはレッサーだ。
 顔見知りなのだろうか。
 そう思った上条だったが、どうやら違ったらしい。
 レッサーはこう言ったのだ。
「……エリザリーナ独立国同盟の名前の由来になった女性ですよ。複数の国家を独立させ、結びつけるために活躍した聖女様ってヤツです」
「右方のフィアンマがこちらへ来るそうね」
 当のエリザリーナが、もう一度繰り返した。
 不法人国者へいきなりそんな人物が顔を合わせるという事は、右方のフィアンマという名前はよほどエリザリーナ独立国同盟にとって不吉なのだろう。
 無理もない。
 第三次世界大戦の引き金を引いた男なのだから。
 それさえなければ、ロシア軍は独立国へ侵攻作戦を行おうとも思わなかったのだから。
「国境の向こう側に隣接しているロシア軍の基地で、当人の口から直接出た言葉だからな。多分間違いないとは思うけど」
 そこまで説明して、上条は何か違和感を覚えた。
「……ちょっと待て。エリザリーナさんは、その、右方のフィアンマっていうのが何を差しているのか分かるのか?」
 それはつまり、魔術サイドを知っているという事だ。
 そして、ローマ正教のかなり深い所までも。
 対して、エリザリーナはほとんど唇を動かさないで答える。
「拙い腕ではあるけれど、私も魔術師の一人よ」
「そうでもなけりゃ、部下からの断片的な報告だけで、ここまで迅速に対応できる訳がないでしょ。私達の価値を知っている、即座に一国の中枢まで連れてくるように指示を出す。これができた時点で、すでに『魔術を知っている者』の対応であるのは明らかです」
 適当な調子でレッサーが付け加えた。どうやら彼女は知っていたらしい。エリザリーナという人物の功績や伝説を。
「彼女は表で政治的・経済的な国家独立のための基盤を整えると共に、裏ではオカルト的な工作活動幸行おうとするロシア成教の魔術師達を片っ端から押し返した実力者です。本気でやり合ったら、私もぶっ飛ばされるかもしれませんね」
「そこまで大それた事じゃないわ。いくつかの手続きの提案と手伝いをしただけ。『フランスの姉さん』に比べればまだまだよ」
 適当に受け流すエリザリーナは、どうやら自分を必要以上に高く持ち上げられる事を嫌うらしい。
 彼女はさっさと本題に戻る。
「右方のフィアンマは、この戦争……いえ、我が国への侵攻に関する重要人物よ。彼をこの機会に撃破できるとすれば、それだけで民の命が脅かされる可能性はかなり減るでしょうね」
 そこまでは、上条も同意だった。
 だが、ここからが違う。
「一方で、私はこの場で簡単に右方のフィアンマを倒せるとも思っていない。これは、魔術師としての技量の問題よ。この国にある全てをかき集めても、彼一人を倒す事はできない」
 そう言ったエリザリーナの顔には、苦悩の色があった。
 彼女とて、簡単に見過ごしたくはないのだろう。
 手を伸ばせば届く以上、可能なら一刻も早く危機から脱するための行動は取りたいのだ。
 そこで留まった彼女は、やはり有能な政治家なのだろうか。
 一見チャンスに思えるそれが、実はとてつもない危険を孕んでいるのだとすれば。
「我々にとって最も重要なのは、独立国同盟の住民の命よ。いたずらにそれが失われるようであれば、我々はフィアンマとの交戦を避けなければならないわ」
「ここまで来て、好きにやらせると?」
 そう尋ねたのは、レッサーだ。
 エリザリーナは首を横に振って、
「いいえ」
 即座に彼女はこう答えた。
「部下から話は聞いているわ。そちらの、そしてフィアンマの目的はサーシャ=クロイツェフ。彼女の動向については、我々でも掴めている。すぐ近くにいるわよ。命令すれば、いつでもここに召喚できるレベルでね。その上で、我々は国民の命を守りつつ、フィアンマの撃破をも考えている。……私が何を言いたいか、分かる?」
「……一度俺達やサーシャをエリザリーナ独立国同盟の外……ロシア国内に送り返した後に、対フィアンマ用の作戦を実行するって訳か?」
「そうよ」
 エリザリーナは頷く。
「冷たい人間だと思ってもらって構わないわ。でも、事態はそれぐらいデリケートな事になっているの。不用意な選択一つで、多くの無関係な人達が殺されるかもしれないほどにね」
「いや」
 上条はわずかに笑った。
「元々、俺達だってサーシャの行方を捜すために、アンタ達を利用しようとしたんだ。むしろ、問答無用で手錠をかけられなかっただけでも感謝できる」
「規模や程度は違うとはいえ、あなたにも守るべきものがあるようね」
「誰にでもある」
 エリザリーナの独り言のような言葉に、上条の方も気負わずに応じた。
「……そいつに気づくのが遅れたせいで、危うく奪われそうになっちまったがな。今ならまだ間に合うかもしれないんだ」
 ともあれ。
 一刻も早くサーシャ=クロイツェフと合流し、エリザリーナ独立国同盟の外でフィアンマを誘い出し、彼を倒さなければならない。今の所はまだフィアンマより有利な状況を作れる可能性もあるのだが、それも時間の経過に従ってドンドン削り取られていってしまう。
 インデックスを助け出せる確率も、それだけ減る。
 状況を改めて確認した上条は、エリザリーナに正面から質問する。
「具体的にどう動く」
「こちらへ。……とはいえ、急な事なので、勝算は確約できないわよ」
 言いながら、エリザリーナは部屋の隅にあったホワイトボードの方へ向かう。
 その時だった。

『そうだな。この段階でまだ作戦会議をしている時点で、もう遅過ぎるな』

 突然、男の声が響いた。
 聞き覚えのある声だった。忘れる事のできない声だった。
 右方のフィアンマ。
 音源は窓だ。上条が慌てて振り返り、レッサーとエリザリーナが同時に動いた。レッサーはスチールデスクの上にあった警棒のように伸縮する指揮棒の先端に棒磁石を結びつけ、エリザリーナは水の入ったグラスの側面に、菓子を包むための青い半透明のセロファンを張り付ける。
 わずか数秒。
 即興で霊装を作り上げたのだろう。
 直後、炎と水が飛び出した。
 ゴッ!! という空気を引き裂く轟音と共に、窓へ雪崩のように殺到する二種類の攻撃。ガラスは粉々に砕け散った。だが声は止まらなかった。
『挨拶だよ』
 フィアンマの言葉だけが続く。
 割れた窓の向こうに、小麦粉を練った小さな人形が漂っていた。
『本番はこれからだ』
 直後だった。

 ゴガッ!! と。
 上条当麻の脳が大きく揺さぶられた。

 一瞬で視界がぐらつく。何か重たいもので顔を殴られたのかと思った。いつの間にか床の上に倒れていた上条はそこでようやく自分自身の顔へ衝撃を与えたものの正体を知る。
 野球のボールよりも少し小さいぐらいの、瓦礫の塊だった。
 天井の半分ほどが崩れていた。
 瓦礫に引きずられ、天井の一部も倒れている。
 全てを押し潰したその場所に、何か、オレンジ色の光の壁のようなものが見えた。
 その時。
 長さだけで三~四〇キロはある巨大な剣のようなものが、上から下へと振り下ろされたのだという事に、現場に一番近かった上条には分からなかった。何しろ剣の根元が地平線の向こうに消えてしまうようなスケールなのだから。シュウシュウと蒸気のような音を立てる大剣は、まるで巨木に食い込んだ斧を引き抜く時のように、左右へ細かく揺さぶってから、ゆっくりと抜かれた。
『サイズが大きいと狙いを定めるのも面倒だな』
 気軽な声が聞こえた。
 戦慄する上条の前で、もう一度、無造作に、山脈を真っ二つにするほどの大剣が持ち上げられていく。
 ほぼ垂直。
 そこから一気に、フィアンマの剣が振り下ろされる。

 空気が、揺さぶられた。

 今度こそ容赦はなかった。
 狙いを修正し、真上から巨大な剣が落ちた。エリザリーナ独立国同盟の街が一直線に切り裂かれ、その威力が最も高い場所にあった、上条達のいる石造りの建物が木端微塵に砕け散った。
 雲が生じた。
 大気が割かれ、気圧差が生じた結果、飛行機雲のようなものが生み出されたのだ。
 天候へ影響を与えるほどの一撃。
 そして。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 咆哮。
 上条当麻が、真上に右手の掌を突き出していた。
 ミシミシという嫌な音が、骨の奥から聞こえていた。
 だが。
 少年の何の変哲もない一本の腕は、地図を裂くほどの一撃を真正面から受け止める。
(押さえ、た……か?)
 初めて幻想殺しを見るエリザリーナの顔には驚きがあった。初めてではないレッサーにしても、やはり簡単には受け入れられないようだった。しかし、いちいち説明している暇はない。本当に骨が折れていないのか、その自信すらも上条にはないぐらいだ。
 そこへ。

「何だ、『ブリテン・ザ・ハロウィン』で少しは学習したと思っていたのだがな」

 唐突に、間近から声が聞こえた。
 右方のフィアンマ。
 真正面から飛び込んできた赤い人影を見て、とつさに上条は知った。
 魔術を発動した者と、魔術が発動した場所に誤差がある。
 カーテナ=オリジナルとバンカークラスターを併用した、第二王女キャーリサと同じ。
 まずは大規模な攻撃に意識を集中させた上で、がら空きの懐へ本命の攻撃をブチ込むようなやり方。
「───ッ!?」
 とっさに右手を構えようとしたが、ようやく上条の掌がオレンジ色の大剣を砕いた所だった。まだ腕にはビリビリと痺れるような痛みが走っている。そのせいで、反応が遅れた。わずかな間を利用し、フィアンマは余裕の表情で、自らの手を上条の方へと伸ばしてくる。
 どんな効果があるかも分からない、謎の手を。
「くっ!!」
 間に、エリザリーナが割り込んだ。
 彼女の体の前面は淡く輝いていた。妨そらく何らかの魔術が発動しているのだろう。ロシアという大国から複数の国を独立させるほどの腕を持ち、その力を水面下で使い続けてきた魔術師。その経歴からも、凄まじい術式を自由に扱えるのだという事は推測できる。
 しかしフィアンマは無視した。
 上条とエリザリーナの二人が、容赦なく数メートルも飛ばされた。
 息が止まる。
 さらに正体不明の追撃を仕掛けようとしたフィアンマだったが、そこで彼の動きが止まった。
原因は右腕。肩の辺りから、得体の知れない第三の腕のようなものが飛び出していた。
 エリザリーナの技量に助けられたのだ。
 そうでなければ、上条の上半身と下半身は分断されていたかもしれない。
「なるほど」
 フイアンマは感心したように、自分の肩口を左手で叩いた。
「気軽に破るには、少々硬い壁だったらしい」
 そこで、今までエリザリーナの側に付き従ってきた二人の大男が飛び出した。
「ベラッギ!! ロンギエ!! 下がりなさい!!」
 倒れたままのエリザリーナが慌てたように大声を出したが、彼らは止まらなかった。そして、フィアンマも容赦をしなかった。
「だが、叩き壊せんほどではない。あまり俺様を舐めるなよ?」
 音が消えた。
 フイアンマが第三の腕を振るった直後、ベラッギとロンギエが真横に吹き飛ばされた。間合いなど関係ない。ベラッギはともかく、ロンギエは明らかに第三の腕の範囲外にいたはずだ。にも拘らず、同じように薙ぎ払われていた。彼らは最初の一撃目で砕かれた瓦礫の穴から建物の外へと大きく飛ばされてしまう。
 上条はダメージの残る体を無理矢理引きずるようにして起き上がり、
「フィアンマ!!」
「お前はメインディッシュだ。食べる前には下準備をしなくてはな」
 襲撃者の視線はエリザリーナの方に向いている。
 エリザリーナの体の表面から、再び正体不明の淡い光が放たれる。
 しかし、先ほどのやり取りからも分かる通り、フィアンマとエリザリーナでは力の差は明らかだ。防御術式も貫かれてしまっている。彼が本気になれば、エリザリーナは殺されてしまうかもしれない。
(俺の右手なら……)
 未だに痛みの残る腕を気にしながら、上条は歯を食いしばる。
(でも、本当に全ての攻撃を、一発残らず防ぎ切れるか!? 防ぐ、なんて受け身の姿勢のままでインデックスを助けられるのか!?)
 フィアンマは、上条達の驚愕や逡巡しゅんじゅんなど気に留めない。
 無造作に、ただ動く。
「っ!!」

 しかし、フィアンマの右腕がエリザリーナの喉を掴んで毟り取る事はなかった。
 原因はレッサー。
 両者の間に割り込んだ小柄な少女の手には、いつの間にか槍のような物が握られていた。
『鋼の手袋』。四本指のような刃を備えた魔術的な武器だ。レッサーはそれを、ギロチンのように勢い良く振り下ろしたのだが、
「邪魔だ」
 裏拳というより、蜘蛛の巣を払うような仕草だった。
 にも拘らず、『鋼の手袋』が一撃で砕け散った。そればかりか、レッサーの小柄な体が砲弾のように吹き飛ばされた。壁に激突する直前、建物の中へと再び飛び込んできたベラッギが両腕を伸ばす。レッサーの衝撃をかろうじて受け止める。
 命懸けで得た一瞬の問。
 エリザリーナは体勢を立て直すべく、倒れた体勢から飛び下がるように起き上がり、五本の指を複雑に動かした。その指先に躍る淡い光が不規則に揺れる。
 それを見たフィアンマが、失笑するような息を漏らした。
「この俺様に向けて、『右腕』で術式を組むつもりか?」
 直後だった。
 ゴバッ!! という閃光がほとばしった。
 フィアンマの右腕からだ。
 力を誇示するなどという次元ではない。まるで顔の前を跳ぶ目障りな羽虫を潰すような動作だった。エリザリーナが何をしようが、その抵抗ごと肉体を粉砕する動きだった。
 彼女は始めから、こう言っていた。
 エリザリーナ独立国同盟の全兵力を注いでも、右方のフィアンマに勝つ事はできない。だからこそ、フィァンマを倒す際には、エリザリーナ独立国同盟の外で迎撃作戦を実行したい、と。
 だとすれば。
 フィアンマがこの場に立っている時点で、すでにエリザリーナの命運は決まっていたのかもしれない。
 だが、そうはならなかった。

 ガッギィィィ!! と拮抗する音が炸裂した。
 フィアンマの閃光と、上条の右手が激突した音だった。

 その時、エリザリーナの前へ飛び込んだ上条は、確実にフィアンマの一撃を受け止めていたはずだった。閃光は即座に消えなかったが、上条の右手から逃れるように四方へ散っていた。それはいわば、本命とは全く異なる余波のようなものに過ぎないはずだった。
 にも拘らず。
 上条の鼓膜から音が消し飛ばされた。
 脇に弾かれた閃光の余波は、かろうじて残っていた部屋の壁を、今度こそ完全に薙ぎ払った。さらにその向こうにある広場へと直進する。軌道は斜め上だった。おかげで広場に立っていた人々を直接吹き飛ばす事は避けられたが、広場に面した石造りの建物の屋根が、まとめてごっそりと削り取られていく。
 上条当麻と右方のフィアンマ。
 共に特殊な右腕を持つ二人が、真正面から睨み合う。
「俺とやろうぜ。戦う理由は分かってるだろ」
「何だ」
 叫ぶ上条に対し、フィアンマはゆつくりと首を傾げてこう言った。
 上条の右肩の辺りに目をやりながら。
「お前はメインデイッシュだと言ったはずだがな。先にくれるのか?」
「ッ!!」
 壁際まで吹き飛ばされていたレッサーが動いた。『鋼の手袋』の残骸の鉄クズを拾い上げると、それを弾丸のように投げつける。
 狙いはフィアンマではない。
通用しない事は先ほどの一撃で証明してしまった。
 レッサーの投擲物とうてきぶつは、上条の脇腹に直撃した。硬直していた彼の体はくの字に折れ曲がって真横へ飛ばされた。直後、フィアンマの右腕がギロチンのように落ちる。床が溶けていた。人肉で受けていればどうなっていたか、想像するまでもなかった。
「……ごっ、がは……ツ!?」
 転がる上条は、ほとんどの壁が壊され、かろうじて床と一部の壁の残骸だけが残っているような状態の『敷地』の外の広場へと飛び出していた。雪の上でもがく上条の方へ、フィアンマはゆつっくりと歩いてくる。当初の目的であるはずのエリザリーナへは見向きもしない。戦術的に重要な標的というより、目障りな羽虫を叩く程度の考えしかなかったのだろう。
 右方のフィアンマにとって、重要な標的は二つしかない。
 一つ目は、上条当麻の右腕。
 二つ目は、サーシャ=クロイツェフ。
(……まずい)
 率直に、上条は思った。
(一方的にされるがままだ。こんな状態じゃ、サーシャを守りながら戦うなんて無理だぞ……)
 不幸中の幸いなのは、フィアンマはまだサーシャを発見していない事だ。エリザリーナの話によればすぐ近くにいるらしいが、見つかっていないのであれば、行動の幅も広がる。
 そう思っていた上条だったが、
「知っているか?」
 ふと、フィアンマがそんな事を言った。
「一九世紀末に確立された現代の魔術師ってのは、基本的に集団行動を嫌う。『黄金』を始めとした天才集団も、大抵は人格的な問題から内部分裂を起こしているしな。ローマ正教じゃ教義を軸とした集団戦の構築を目標に掲げていた訳だが……まぁ、実情は分かるだろう? 魔術師が個人を重要視するからこそ、魔法名という主観的な目標が今でも最重要視されていたり、『神の右席』という秘密組織が誕生した訳だ」
「何が、言いたい?」
「つまり、だ」
 フィアンマは右手をゆらりと水平に上げる。
 広場の中央にいる彼は、周囲にいる民衆など全く気に留めていない。恐怖にからめ捕られ、逃げる事すらできなくなっている人々の前で、『魔術』というものを隠蔽しようともせずに、上条に向けてこう告げた。
「目の前で殺されそうなヤツがいる。これから、さらに罪もない民間人が何百人、何千人と侵攻作戦で殺されそうになっている。そんな状況で、『力を持つ魔術師』が、戦術的に重要な意味を持つという理由だけで黙って隠れていられると思うのか?」
「ッ!?」
 上条の体が強張った。
 その時、人混みの中に天使を見つけた。
 正体は赤い影だ。黒いベルトで体を締め付け、赤いイソナーとマントを着込んだような不自然な影。それが広場の中にあっても注目を浴びていないのは、何らかの魔術的な細工をしているからだろうか。
 サーシャ=クロイツェフ。
 彼女を見つけた時、上条は不覚にも、直前までの状況を忘れてわずかに安堵してしまった。
『聖人』の神裂火織を片手間で牽制し、その間に六〇億人を皆殺しにする『一掃』の術式を構築していた大天使。そんなものの力を借りられるなら、これ以上に心強いものはないだろうから。
 しかし、直後に気づく。
 あれは、上条当麻の知っている大天使・ミーシヤ=クロイツェフではない。
 ロシア成教の人間の魔術師・サーシャ=クロイツェフに過ぎない。
 彼女は何かをしようとした。
 ロシア成教のプロの魔術師なのだから、おそらく一流の腕を持っていたはずだ。
 だが。
「今日はラッキーデイだな」
 フィアンマは指で何かを弾いた。
 それだけで、矢のような勢いで人混みの間を縫って襲いかかってきたサーシャが、そのままの速度で真後ろへ薙ぎ払われた。
「もう少し骨が折れるかと思ったんだが、まさかこんな簡単に目的のものが二つとも手に入るとは」
 一撃でサーシャの行動を完全に封じた自信があるのだろう。フィアンマは特に追撃をしないで、改めて上条の方に目をやる。
「……、」
 上条は静かに身構えた。
 魔術的な戦闘について、それほど詳しい訳ではない。しかし、この場でフィアンマの右腕に唯一拮抗できたのは、上条の幻想殺しイマジンブレイカーだけだ。やれるかどうかを論じている場合ではない。ここで突っ込まなければ、目の前で多くの人達がフィアンマの良いように殺されてしまう。
 一対一。
 頼りになるものも、すがるべき武器も存在しない。
 そこで。
 右方のフィアンマが、奇妙な動きをした。
 何気ない仕草で、首を横に振ったのだ。
 直後、フィアンマの頼を掠るように何かが通過した。彼の背後にあった建物の壁に、正体不明の亀裂が走る。
 広場にいる人々は、何が起きたか分かっていないようだった。
 現実味のない光景は、彼らの判断能力を麻痺させてしまう一因になっているようだ。
「……、」
 しかし、素人なりにも『魔術』というものを知る上条は、わずかに息を呑んだ。
 あのフィアンマが、回避行動に出た。
 正体不明の攻撃そのものにも驚いていた上条だったが、それ以上にフィアンマがそういった対応をした事に、上条は驚愕していた。
「懐かしい顔だ」
 右方のフィアンマが言う。
 上条は振り返る。
 黄色い色彩が見えた。
 目元に派手な化粧を施し、顔中にたくさんのピアスを取り付けた女だった。意図的に他人から嫌悪される事を望んでいるかのような格好だ。服装は中世の女性のものを基調としているようだが、色が派手な黄色であるためか、そういった古臭い印象は全く感じられない。むしろ、ド派手なパンクファッションの仲間に見える。
 上条当麻は『彼女』を知っている。
 九月三〇日、天罰を利用した術式を使って、学園都市の全機能をほぽ完壁に停止させかけた魔術師。『神の右席」の一人として、それまでとは一線を越えた戦いを上条に見せつけた女だ。
 じゃらりという音が聞こえた。
 彼女の舌にはピアスがあり、それは細い鎖と連結されていた。腰までの高さまで伸びる鎖の先端には、氷のように透明な十字架がぶら下がっていた。その十字架だけが、上条の知っているものとは違った。
 前方のヴェント。
 右方のフィアンマに初めて回避行動を取らせたのは、同じ組織にいるはずの魔術師だった。
「別に、そこらのガキやロシア成教のシスターに肩入れする義理はないんだけどさ。いい加減、アンタがローマ正教を引っ掻き回すの、見てらんないのよねえ」
「得意の『天罰』は使えんと報告は受けているが?」
「その程度で終わるとでも思ってるワケ?」
 轟!! と見えない何かが渦を巻いた。
『神の右席」の二人。
 共に二〇億人もの信徒達の頂点に立ち続けてきた、次元の違う魔術師同士が激突する。

     7

 一方通行アクセラレータは現代的なデザインの杖をつき、軽く周囲を見回した。
 貨物列車での戦闘中に発見した羊皮紙の束。学園都市暗部が『逃亡中の一方通行アクセラレータの追撃』と同レベルの権限で回収作戦を実行していた以上、それが単なる迷信の落書きではない可能性もある。
 オカルトなど全く信じていない一方通行アクセラレータだが、もしかすると、それは現代にも通ずる科学技術を、当時の人達の価値観の中で必死に記したものなのかもしれない、などと考えていた。
(……と、ここまでは無理矢理に自分の『アタマ』で語ろォとしているだけだが)
 一方通行アクセラレータは一度だけ深呼吸する。
 極めて主観的な感覚の問題として、彼はこの羊皮紙に違和感を覚えていた。
 胸の中心を圧迫されるような感覚。
 たまに、海原光貴が近づくと受けるものに近かった。そう言えば、あの男も単純な超能力とは違う力を使っている……といった言動をしていたが(もちろん、手の内を明かさないためのハッタリである可能性も低くはないのだが)、それと関係があるのだろうか。
 となると、気になるのは羊皮紙の運搬先だ。
 流石にこの羊皮紙だけでは、一方通行アクセラレータも『どんな情報が記されているか』は理解できなかった。となれば、この羊皮紙を『受け取るはずだった人間』から情報を聞き出すのが一番手っ取り早い。もちろん、行き先は中継地点の一つで、そこで受け取る人間は最終的な目的を知らないままかもしれないが、その場合は中継地点を一つ一つ追っていき、『羊皮紙の使い方を知っている人間』まで辿り着けば良い。
 それが、学園都市の最先端技術を使っても助けられないとされる、打ち止めラストオーダーの命を救う手掛かりとなるのであれば。
 最悪、軍事施設を直接襲撃しても良いとまで思っていた一方通行アクセラレータだったのだが……。

「チッ。一足先に襲われてやがる」

 焦げ臭い匂いが充満していた。
 元々は、ロシア軍の空軍基地の一つだったのだろう。白い雪原はアスファルトによってキロ単位で切り取られ、フェンス状のバリケードで覆われていた。中には複数の滑走路と、トーチカ用の特殊なコンクリートで作られた大きな建物がたくさん並んでいた。
 今は見る影もない。
 フェンスはむレり取られ、分厚いコンクリートの壁は丸ごと薙ぎ倒され、滑走路上でオモチャのように転がる戦闘機から火が噴いていた。今もどこかで弾薬が誘爆しているのか、人の声が全くしない蹴搬の中で、打ち上げ花火のような腹に響く爆音が断続的に炸裂している。
 ここに『羊皮紙の使い方を知っている人間』がいたのか、それとも単なる空輸のための中継地点だったのか。それすらも分からなくなってしまった。
(……学園都市、か)
 一方通行アクセラレータは適当に考える。
 とはいえ、ロシア軍と真正面からぶつかり合っている正規軍ではないだろう。やり方が違う。その陰でこっそりとロシア内部に潜り込んだ、『悪』の世界の暗部組織だ。
 薬莢やつきよう一つ見つからない。
 壁には亀裂が走っているが、中にめり込んでいだであろう弾丸も取り除かれている。
 元々学園都市は、自分達のテクノロジーが外部に流出する事を忌避する傾向がある。とはいえ、これはあまりにも露骨だった。
 単に拠点を押さえるだけなら、暗部の組織を利用する必要はない。正規軍を動かし、基地へ侵攻すれば済む話だ。
 目的は、やはり一方通行アクセラレータふの懐にある羊皮紙だろうか。
 羊皮紙そのものにも回収部隊が差し向けられ、その運搬先である空軍基地にも別働隊を投入された。基地の中をくまなく探せば生存者は見つかるかもしれない。だが、少なくとも羊皮紙について知る者は皆殺しにされたか、あるいは暗部組織の手で連行されただろう。
ここにヒントはない。
 ただでさえ頼りない命綱を断たれたような状態だが、一方通行アクセラレータの頭にあるのは焦りではなく疑問だった。
(……この羊皮紙には、そこまでの価値があるってのか?)
 だとすれば、その具体的な使い道は?
 それは、学園都市にとって是が非でも手に入れたいようなものなのか。
 そして。
 ボロボロになった打ち止めラストオーダーの体を治療するのに、少しでも役に立つのか。
(……エイワスのクソ野郎が言っていた『ロシアに行け』という指示。それもこいつに繋がってンのか。あいつは、学園都市とは違う『全く別の法則』に鍵があるとかって言ってやがったが……)
 考え込むが、答えなど出る訳もない。
 ひとまず中断し、一方通行アクセラレータは今後の方針を考える。
(……この羊皮紙の正体が何なのか、ロシア側の出所を探る線はここで断たれた。となると、次に追えるルートは学園都市の暗部組織か。妨害している側の人間なら、『この羊皮紙がどれだけの価値があるか』も理解しているはずだ)
 具体的にどこの誰が必要な情報を持っているか分からないため、戦闘は長期化する恐れがある。電極のバッテリーが有限である以上、一方通行アクセラレータにとって好ましい展開とは言えないが、知った事ではなかった。必要なら、雪の中を這いずり回ってでもターゲットの暗部組織を潰し続けるだけだ。
 極めて好戦的な思考だった。
 一方通行アクセラレータはぐったりと意識を失った打ち止めラストオーダーの体重を思い出し、そこで苦笑した。
「ヤベェな……」
 今までなら、隠そうとしたはずだ。
 たとえどれだけ血みどろの世界に生きていても、この少女の前でだけはそういった場面を見せたくないと思っていたはずだ。
(……歯止めが利かなくなってきてやがる)
 最後の台詞を口に出さなかったのは、打ち止めラストオーダーに聞かれたくなかったからか。あるいは自分自身の中に、わずかな不安がよぎっていたからか。
 とはいえ、ここで止まる訳にはいかない。
 学園都市は、超昔速の大型機を複数保有している。時速七〇〇〇キロ以上の速度で大空を突っ切り、地球の裏側までわずか二時間で到着させるような怪物航空機だ。この基地を襲った暗部組織の人間に、そういった機を使って移動されたら追撃のしようがなくなる。奇襲を仕掛けるなら、早急に足取りを追う必要があるのだ。
 迷っている暇などない。
 にも拘らず、踵を返そうとした一方通行アクセラレータの足が、止まった。
 複数の影があった。
 空軍基地は滑走路を主軸に置いた、平面のだだっ広い構成だ。人が隠れられるスペースは少ない。だというのに、一〇人近い人影はいつの間にか一方通行アクセラレータを取り囲んでいた。いや、一〇人だけではないのかもしれない。
 人影は大体二〇代の男女で、全貝が統一された衣服をまとっていた。
 一方通行が眉をひそめたのは、それが最先端技術の塊である軍服ではなく、ある種古めかしい修道服のようなものだったからだ。彼らから、海原や羊皮紙と同じ圧迫を感じる。
 彼らの内の一人が、ロシア語で話しかけていた。
「学園都市か?」
「そオ言うオマエの方こそ、この基地を襲った連中じゃねエのか?」
「否定はしないのだな」
 修道服の男の重心が低く落ちた。
 殺し合いの覚悟を決めた合図だと、一方通行アクセラレータは受け取った。
「時間がねェンだ」
 彼は首筋にある電極のスイッチへ手を伸ばし、伸縮式の杖を縮めると、
「手早く済ませるが、構わねェな?」

     8

 右方のフィアンマ。
 前方のヴェント。
 対峠する二人の怪物は、いきなり高い建物の屋根まで跳んだり、目にも留まらない速度で高速戦闘を行ったりはしなかった。
 すい、と。
 互いは睨み合ったまま、無言で水平に動いた。ゆっくりとした、そして滑らかな挙措きょそだった。距離を均等に保ち、彼らは並行するような格好で、雪の広場の中央の方へと移動していく。
 極端に分かりやすい爆音や閃光はなかった。
 にも拘らず、フィアンマの襲撃のせいでパニックに陥りかけていた人々が、凍りついた。まるで巨人が浴槽に身を沈めた時に大量の水が溢れ返るように、ヴェントとフィアンマの周囲から自然と人の山が遠ざかっていく。
 上条は、動けなかった。
 加勢した方が良い。
 エリザリーナ、レッサー、サーシャ=クロイツェフ。誰かを助け起こした方が良いのも分かる。
 だが、動けない。
 いつ爆発するか分からない爆弾のすぐ側で救助活動を行おうとすれば、自然と爆弾の方に意識が向かってしまう。そんな感じの心理状態だった。
 ゴトン、という音が聞こえた。
 四陣の風が吹いたかと思ったら、ヴェントの右手には有刺鉄線を巻いたハンマーのような物が握られていた。一メートルほどの巨大なハンマーの先端が、地面にぶつかっている。
 フイアンマの眉が、微かに動いた。
「おかしなもんだ」
「どの辺が」
「『神の右席』は、普通の魔術を使えない。我々のために極端な調整を施した術式でなければな。お前の中には学園都市を麻痺させかけた『天罰術式』が保管されているが、その発動を支えるための霊装は、九月三〇日に粉砕されたはずだった。にも拘らず」
「こうして不可思議な現象を起こしたコトが、そんなに意外だと?」
 ヴェントは重たいハンマーを肩で担ぎながら、呆れたように言う。
 そう。
 各々が凄まじい戦果を挙げているから忘れがちになるかもしれないが、フィアンマもヴェントも人間なのだ。物理法則を無視した超常現象は、何の仕組みもなく発動できるものではない。
 ヴェントが虚空からハンマーを取り出したという事は、その現象を支えるための法則があるはずなのだ。
 つまり。
(……今のヴエントは、魔術を使える……?)
 学園都市住人のほぽ全ての意識を奪ったあの魔術を思い出し、顔を青くする上条。
 しかしフィアンマの方は、大して驚いてもいなかった。
「とはいえ、『天罰』の復元までは成功していないだろう。仮にそうだったとしても、その方法論ではこの俺様を倒す事はできんぞ」
「悪意や敵意の考え方そのものが盃みまくっているアンタに、あんなもんを使おうとは思わないわよ」
「それなら、どうする?」
「『神の如き者ミカエル』のアンタは、現状では完全な力を振るえない」
「そうだな。そのためにサーシャ=クロイツェフと、幻想殺しイマジンブレイカーを欲している」
「その右腕」
 軽口を遮るように、ヴエントは言う。
「使用制限があるはずよ」
「……、」
 フィアンマの口が、止まった。
 片方の声がなくなり、もう片方の声だけが続いていく。
「そこらの雑魚に構って遊んでくれたおかげで、もう『空中分解』しているじゃない。魔術師が超人的な力を振るうには理屈がいる。そして『神の右席』は、自分用に調整された特注品以外の術式は、そうそう簡単には扱えない。ストックが切れれば、アンタはただの人間ってワケよ」
 笑みが漏れた。
 ヴェントのものではない。
 フィアンマの唇が、微かなカーブを描いていたのだ。
「まさか」
 ゾワリ、と彼の周囲の空気に薄気味悪い重圧が放射された。
 右腕を、その五本の指を、緩やかに動かしながら、彼は言う。
「その程度で、俺様との差を埋められるとでも?」
「いいや」
 ヴェントの肩に担がれていたハンマーの柄が、わずかに浮いた。
 ほんの数センチ。
 微細な挙動と共に、彼女は告げる。
「面白いのは、ここからよ」

 ゴバッ!! と。
 直後に、右方のフィアンマの体が真後ろへ薙ぎ払われた。

 数十メートル離れた所にいた上条でさえ、その時何が起こったのか、とっさに把握できなかった。
 異常だったのは、スピードではなくスケール。
 突如、広場の中央から雪の大地を割って巨大な構造物が顔を出した。斜め上へと飛び出したのは、透明な氷で作られた帆船だ。全長は四〇メートルほどだが、船体は完全には現れていない。今あるだけで四〇メートルだ。
 ギチギチと、船の側面に取り付けられた氷の砲がフィアンマへ向く。
 爆音と共に飛び出したのは、火薬の炎ではなく氷の粉末だった。
 フィアンマの意味する炎と対極にある氷の一撃の正体は、単なる砲弾ではない。それは透明ないかり。二~三メートルものサイズの塊が、フィアンマの体に直撃し、そのまま彼の体ごと数キロ先まで飛んで行った。
 ベッゴォ!! と、衝撃音がわずかに遅れて広場全体へ炸裂する。
 周囲で起こる騒ぎなど気にも留めず、ヴェントは告げる。
「……イタリアのキオッジアで、ビアージオ=ブゾー二が『アドリア海の女王』と護衛の『女王艦隊』を指揮していたのは知っているかしら?」
 何らかの意味があるのか、それとも単なる気分の問題か、巨大なハンマーを片手でくるくると回しながらヴェントは口を動かす。ささやくような声だが、おそらく魔術的な手段を用いてフイアンマの耳に届けているのだろう。
「あの『聖霊十式』を実用レベルに再調整したのは、この私。『アドリア海の女王』全体の制御は不可能だけど、大艦隊の一部分だけなら、私にも操船するだけの親和性はあるのよ」
 じゃらり、という音が聞こえた。
 ヴェントの舌からだ。
「そうそう、もう一つ」
 そこからは、ネックレスに使うような細い鎖が伸びていた。
 そしてその先端に、十字架がぶら下がっていた。
 透明な、まるで氷のような材質の。
 どこか、錨にも似た装飾の十字架が。
「十字教じゃ海の嵐を鎮め、船の安全を守るエピソードが結構多い。『神の子』やら聖ニコラウスやらね。本来、私が司るべき属性は『風』や『空気』だが、海の嵐は『風』と『水』の混合属性。このエピソードを介するコトによって、私は部分的に『水』への干渉も可能となる。……アンタの『火』一辺倒とは違う、複雑で巨大な効果も生み出せる」
 爆音が生じた。
 数キ口先で、氷の巨大な錨がフィアンマを抱えたまま起爆した音だった。
 それは単純な火薬の爆発ではない。
 爆風は数百メートルサイズの氷の杭という形で出現した。下手なよりも鋼の槍よりも鋭い氷の先端が、四方八方へ、数万数十万と爆発的に伸びていく。大地が大きく挟れ、大量の雪と黒土が舞い上げられた。圏内が原野だったのは幸いだった。あれだけの数と威力があれば、おそらく地下のシェルターを蜂の巣にしていたに違いない。
 広場の人々は、詳しく何が起こったのかは理解できなかっただろう。しかし、突如現れた氷の剣山に込められた戦意や殺意といったものは敏感に受け取ったらしい。中には両手を組んで、必死に何かを析っている人までいた。
 フィアンマがどうなったのか、ここからでは分からない。
 間近まで近づいて捜索しても、判明するかどうかは謎だ。
 それほどの破壊力だった。
 前方のヴェント。
 やはり彼女もまた、二〇億人の信徒の頂点に立つ『神の右席』として、桁外れの力を有していたのだ。
「私を殺すコトだけを考えて戦術を組み立てていれば、多少は結果も変わったかもしれない。でも、『空中分解』してしまったその右腕では、今の一撃を防ぐコトはできないわ」
 まるで相手を嘲るように、霊装のついた舌を出しながら、彼女は言う。
「無駄弾を撃ちすぎなのよ、間抜け。……っつっても、もう聞こえていないか」

『そうか?? 俺様はお前が思っているより物持ちは良い方だぞ』

 音源不明の声が、ヴェントの軽口を止めた。
 直後だった。
 ドバッ!! という轟音が炸裂した。数キ口先に生じていた、氷の剣山が内側から粉々に砕かれる音だった。噴火どころの話ではなかった。あまりの威力に、残骸は地上へ降り注ぐ事すらしなかった。全てが散って風に流されたのだ。
 バラバラになった氷の剣山は、数メートル単位の塊となって四方八方へと飛ばされた。上条達のいる広場の方へも例外なく。まるで砲撃だった。複数の建物が押し潰され、広場にいる人々が頭を両手で醗いながら身を伏せる。理不尽な災害に対する嘆きや叫びに似た声が響き渡った。
 数キロ先を見渡すヴェントの眉が、苦渋に盃む。
 閃光があった。
 あまりにも遠くて、上条達にはその詳細は目で見る事ができない。しかし、上条には分かる。あれは腕だ。フィアンマの肩から新たに出現した、第三の腕なのだ。
『空中分解そのものは避けられないようだが、その状態で固定する事には成功した』
 何かがキラリと光っていた。
 第三の腕の閃光の照り返しを受けているのだ。
 それは、フィアンマの右手の中から光を放っていた。
 そちらも細部は見えなかったが、大体の予測はついた。
 インデックスの遠隔制御霊装。
 一〇万三〇〇〇冊の魔道書の知識を、好きな時に、好きなだけ引き出す事のできる装置。
『有り体に言えば、もはや今の俺様に、制限など存在しない』
 対して、ヴェントの方もただ黙ってはいなかった。
 彼女の近くにあった帆船から、複数の砲が爆音を撒き散らす。二つ目、三つ目の錨が空気を引き裂き、次々とフィアンマへ突き進んでいく。
 先ほどはフィアンマの体を数キロも押しのけた、桁違いの砲撃。
 しかし、着弾点にいるフィアンマは横に避ける事すらしなかった。
 ただ。
 その右腕を、軽く横に振るった。
『破壊力はいらない』
 それだけだった。
 錨の砕ける轟音が炸裂した。ある錨は空中で破裂し、別の物は見当違いの地面へと突き刺さった。それに伴って、数十メートル規模の爆発が巻き起こる。冗談みたいな光景だった。山や川といった、風景そのものが削り取られていく。
『触れれば終わるのだから、相手を壊すための努力は必要ない』
「チッ!!」
 ヴェントは慌ててハンマーを構え直す。口の中で何かを呟く。もしかしたら、まだ他に切り札があったのかもしれない。魔術について疎い上条にも、高速であやとりを行うような雰囲気だけは伝わってくる。
 だが。
『速度はいらない』
 そっけない声が、それら全てを中断させる。
 強引に。
 あまりにも、圧倒的に。
『振れば当たるのだから、当てるための努力は必要ない』
 何が起きたか分からなかった。
 気づいた時にはヴェントの顎の下に、直前まで数キ口先にいたはずのフィアンマの体が潜り込んでいて、次の瞬間には彼女の体が真後ろに吹き飛ばされていた。
 そこでフィアンマの動きは留まらない。
 真後ろに流れるヴェントの動きを追うように、舌の鎖が尾を引いていた。フィアンマは空中にあったそれを無造作に掴んだ。風に流れてきた紙切れを掴むような気軽さだった。
 ヴェントの体を放ったまま。
 当然。
 細い鎖は、ヴェントの体重を支えきれない。ブチリ、という音が聞こえた。鎖を留めていたピアスが千切れた音だった。ヴェントという女の、舌からだ。
 叫び声を上げている暇などなかった。
 黄色い装束の女は、そのまま数十メートルも薙ぎ払われた。広場の中央から飛び出している氷の帆船のど真ん中に直撃し、砲撃の象徴だった巨大なオブジェを上下真っ二つにへし折ってしまった。
 ようやく。
 そこまで経ってから、ヴェントの絶叫が炸裂する。
「がァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
「舌を丸ごと引っこ抜いた訳じゃない。ちょっと裂けた程度で大袈裟だな。氷の帆船にしても、直撃した時は消えかかった防御術式の恩恵をかろうじて得ていただろうが」
 叫び、数十メートル先で転がるヴェントをつまらなさそうに眺め、フィアンマは千切った鎖を軽く投げた。右肩から突き出した第三の腕が空中で振るわれ、透明な十字架が粉々に砕かれる。
 へし折れた氷の帆船の残骸が広場へ倒れかかり、周囲の住民達は慌てて転がるように逃げて行った。当然、フィアンマはそちらへ目を向ける事すらしない。
 ボタボタと、白い雪に赤い汚れを撒き散らしながら、それでもヴェントは起き上がろうとする。
「ご、ぶっ!? な、にが……ッ!!」
「簡単な事だよ。俺様が保有しているのは、右腕そのものではなく、右腕に備わっているべき力だ。十字教じゃ大抵の儀式は右で行われる。大天使『神の如き者ミカエル』が堕天使の長を斬り伏せたのも右手、『神の子』が病人を癒したのも右手、聖書が記されたのも右手と、まぁ色々だ。つまり、俺様はそれだけ多くの十字教的超自然現象を自在に行使できるという訳だ。後はお前が想像しろ。それができないほど無能でもないだろ」
「馬、鹿な……。その右腕、は……」
「そうだよ、不完全だ。本来ならお見せできるような品じゃあない。ただな、それはお前が得意気に言えたような事でもないんだぞ。『神の右席』は……いや、この世界全体はそんな風なあやふやな状態になりつつあるんだからな」
「……?」
「『御使堕しエンゼルフォール』時、不完全な状態で現れた天使は、自らの名をミーシャと呼んでいたそうだな」
 そこだけは、わずかに憂鬱そうな調子でフィアンマは言う。
「ミハイルは『神の如き者ミカエル』の別名だ。『神の力ガブリエル』の名には相応しくない。にも拘らず、あの大天使は自らの名をミーシャと呼んだんだ。神に作られた役割そのものであるはずの名前を。これがどれだけ重大な事かを理解できるか?」
 そして、とフィアンマは続ける。
「前方のヴェントは風と黄色と『神の火ウリエル』を、左方のテッラは土と緑と『神の薬ラファエル』を担っているとされているが、これもまたズレている。本来ならば風は『神の薬ラファエル』が、土は『神の火ウリエル』が対応していなければおかしいんだ」
 ヴェントが、心臓でも止まったかのような表情になった。
 舌に受けた直接的なダメージよりも、自身の心の柱となっていたものを覆された、精神的なダメージの方が大きいとでも言っているかのような顔色だった。
「誰も気づかない」
 フィアンマの言葉だけが、ゆっくりと響く。
「誰も気づかないまま、世界は何事もなく回っている。魔術は発動できてしまう。これで大きな四つの属性全てが少しずつ盃み始めている事は分かったか? お前が思っているより、この世界は危機的状況にあるんだよ。誰かが何とかしなければならんだろう」
「ま、さか……」
 首を横に振ったヴェントは、自分でも確証の持てない事をそのまま口に出す。
「『御使堕しエンゼルフォール』が、そこまでの余波を残していたとでも言うワケ?」
「逆だ。元々大きな法則に盃みがあったからこそ、あんなデタラメな術式が発動してしまう隙が生じていたんだよ。……分かったか? なら、もう良いな?」
 ニィ、と笑ってフィアンマは第三の腕を振り上げる。
 極めて原始的な動き。
 距離は数十メートル開いているが、彼の桁外れな力を鑑みるに、全く安心はできない。
 しかし、その動作が完了する前に、上条は横合いからフィアンマに向けて突撃した。
「振り返る必要は」
 対して、フィアンマの反応は実にシンプルだった。
「ない」
 軌道を変えて、振るわれる腕。
 その本来の役割をまっとうするかのように、上条の体が薙ぎ倒された。木の棒で殴るような、原始的で、だからこそごまかしようのない一撃だった。内臓どころか背骨までもがミシミシと軋んだ。しかしおかしい。巨大な錨を砕き、帆船そのものさえ一発で破壊するようなものなら、人体など粉々になっているはずである。
 与えられた役割。
 自動的に選択されたそれは、上条当麻を薙ぎ払うために最適な力を算出したのだろうか。
 力や速度で押す『聖人』などとは違う。
 RPGの戦闘でたとえよう。
 戦う、防御、呪文、道具などというコマンドの中に、『倒す』というふざけた項目が直接存在しているかのような状況。
 おそらくフィアンマは、神裂やアックアに対しても同じように対応し、同じように君臨するだろう。速度が劣っていても、筋力が劣っていても、関係はないのだ。あまりにも圧倒的な『力』は、敵対者が直前まで取っていた行動を無視して一気に撃破してしまう。まるで、巨大な壁を押して子供の作っていた砂山を突き崩してしまうように。
 正面から殴り合っても勝てない。
 かと言って、後ろに下がる訳にもいかない。
 このまま放っておけば、フィアンマはヴェントにとどめを刺してしまう。レッサーやエリザリーナも見逃されるとは限らない。サーシャ=クロイツェフも連れ去られてしまう。
 そして何より。
 フイアンマの手の中には、インデックスの遠隔制御霊装がある。
「……、」
 唇が切れたのか、血の味がした。
 それを無視して、上条はもう一度起き上がる。
 その拳を、強く握り締める。
「愉快なヤツだ」
 フィアンマは確実にヴェントを射程に収めたまま、上条の方をチラリと見た。
「今まで、どれだけの人間のために立ち上がってきた。どれだけの事件を解決するために、その拳を振るってきた。本当に、お前は愉快なヤツだよ。一番愉快なのは、多くの他者に触発されて自ら危地へと赴いておきながら、結局全ての成果や報酬はお前自身の中へと蓄積されていっている所だな」
「何が、言いたい?」
「妨前は自分の行動が本当に正しい事だと、確信を持っているのか?」
 フィアンマは緩やかに腕を動かす。
 第三の腕。
 単なる魔術でも単なる科学でも説明のできないであろう、極めてイレギュラーな持ち物。
「お前が憤っている俺様の行動と、お前自身が今まで行ってきた事は、根本的な所では何も変わらない。俺様は自身の問題を解決するために右腕を振るい、お前は自身の周囲で起こる事件を解決するために右腕を振るう。他人が必死に積み上げてきた努力を一撃で粉々に砕くようなやり方でな。手段に差はないぞ。そして俺様には確信がある。……自らの行動が、絶対的な善の到来を意味するものであるとな」
「……そのために、インデックスがさんざん苦しめられても放っておけって言うのか」
 上条は一秒も迷わずにそう告げる。
「ふざけるんじゃねえよ。ローマ正教の人達を自分の都合で利用して、フランスからの圧迫を強めてイギリスのクーデターを後押しして、そんなものが絶対的な善だって? 頭がどうにかなってんじゃねえのか」
「なら、それを止めるお前は善だとでも?」
「善かどうかなんて問題じゃない」
「……、」
「インデックスが苦しんでいるんだ。お前が始めたクソくだらない戦争のせいで、どれだけの人が泣いていると思ってやがる。立ち上がりたいと思う事は、そんなにおかしい事かよ。目を覚ます事もできない女の子のために戦おうと思う事は、そんなに悪い事かよ。少なくとも、大勢の人を苦しめて喜んでいるような野郎に、いちいち文句を言われるような筋合いはねえ」
 だが。
「愉快だな」
 フィアンマは笑いながら、右腕を上条の方に差し出した。
 そこにあるのは、小さな円筒形の装置だった。
 インデックスの遠隔制御霊装。
 顔色の変わる上条に対し、フィアンマはニヤニヤと頬を緩めながらこう告げた。

「その台詞。お前が嘘をつき続けるシスターの前でも言えるのか?」

 ピクリ、と。
 上条の肩がわずかに動いた。
(こいつ……)
「遠隔制御霊装を通して、あの女の意識は俺様と繋がる時がある。俺様の見聞きした情報が、あの女へと伝わる事もある」
(まさか……)
「さあ、この状況で、この条件で、お前はまだ同じ事を言えるのか? 間違っていても問題はない。本当にそう思っているのだとすれば、お前は何故あの女の前で白々しい演技を続けている」
(気づいて……)
 ゾッという悪寒が走った。
 自分自身の危機に対する感情ではなかった。
 とある少女。
 彼女を支えている見えない柱のようなものが、少しずつ削り取られていくのを感じたからだ。
 一方。
 フィアンマは普通の指で、自分のこめかみに軽く触れ、笑ったままこう告げた。
「お前が隠しているものを消化しているのはお前だけだ。あの女がどう思っているかは、あの女にしかジャッジを下せない。お前は自己満足であの女を庇っているようだが、それが本当にあの女にとって救いになっているのか否か。ジャッジが下るのが楽しみだ」
 第三の腕が振るわれた。
 悪意のある言葉によって、確実に身動きを封じられていた上条には、対応する事はできなかった。
 狙いは上条ではない。
 一撃でフィアンマに薙ぎ倒され、広場に倒れていたままだったサーシャ=クロイツェフだ。
「まず一つ」
 気がつけば、フィアンマの第三の腕が小柄な少女の体を掴んでいた。
 互いの距離は無視されていた。
 まるで、鞭のようにしなった腕が、カメレオンの舌のように巻き取ったかに見えた。
「ッ!? フィアンマ!!」
「二つ目もいただきたい所だが、やはり相性の問題があるな」
 我に返って叫ぶ上条に、フィアンマの方は口笛でも吹きそうなほど気軽な調子で応じた。
「天使の媒体を確実に封じて輸送したい所だが、そうなるとお前の右手の特殊効果が阻害してしまう。二つを同時に運ぶのは難しそうだ」
 枝に絡まった袋のようにサーシャを掴んだまま、フィアンマは上条に背を向けた。
「簡単に死ぬなよ」
 そんな言葉を掛けられたが、上条は無視してフィアンマの元へと突撃した。
 しかしフィアンマは振り返りもしなかった。
「その右手には、用があるからな」
 爆風が生じた。
 上条がとっさに右手でそれを打ち消した時には、すでにフィアンマはどこにもいなかった。
 危機が去った事で、ようやく広場にどよめきが戻ってきた。
 動き始めた景色の中で、上条だけが止まっていた。
 彼の頭の中に、フィアンマの言葉だけが響いていた。

『それが本当にあの女にとって救いになっているのか否か。ジャッジが下るのが楽しみだ』

     9

 浜面仕上は雪の上をうろうろしていた。始めは建物の中にいたのだが、じっとしているのに耐えられなくなったのだ。特に目的も持たず、腹の底に溜まっている重圧をどうにかしようと、とにかく浜面は雪の上を行ったり来たりしている。
 小さな集落だった。
 丸太でできた民家が五〇軒ぐらいあるだけだ。ここに住む人間以外には、住居と店舗の区別はつかない。いや、それらを両立している建物しか存在しない。
「やっぱり、あの子には対症療法が限界だな」
 そんな浜面に、背の高い男が話しかけてきた。
 盗難車の中の燃料と引き換えに、浜面と滝壺をこの集落まで連れて来てくれた男だ。
 名前はディグルヴというらしい。
「技術レベルが二、三〇年以上も離れている学園都市製の薬品の影響だろ。根本的な治療法は、こんな小さな診療所で分かるはずもない。下手に手を加えて悪化させてしまう危険の方が高そうだ」
「だよな。分かってる」
 浜面は顔に不安の色を浮かべながら、首を横に振った。
「それでも、今までまともなベッドに寝かせてやる事もできなかったんだ。なあ頼むよ。体調が少しでも安定してくれれば良いんだ。あいつが苦しむ所なんか見たくないんだよ」
「それは構わないが、結局、最終的にはどうするつもりなんだ?」
 デイグルヴに尋ねられ、浜面はわずかに黙り込んだ。
 滝壺は言っていた。
 学園都市がロシア内部にまで侵攻している理由には、何か裏があるかもしれない、と。それを掴み、戦況を左右できるようなポジションに立つ事ができれば、学園都市という巨大組織と対等に交渉を行う事もできるようになるかもしれない、と。
 探すしかない。
 滝壺理后が完全にダウンしてしまう前に、たった一人で世界大戦の中心に向かうしかない。
 あまりにも巨大な壁に気が滅入りそうになった浜面は、話題を変えた。
 彼は周囲に目をやりながら、
「何だか慌ただしいな」
「確かに。近くの集落がロシア軍に襲われたらしいんだが、強制収容所への移送中に、トラックの車列から東洋人の少年に助けてもらったようだ。村の住人より、逃げ込んできた人達の数の方が多いぐらいだよ」
 物資が不足しているというのは、そういう事情もあるのだろうか。
「……発電機の方は大丈夫なのか?」
「一応な。元々、定期的に物資や燃料は運搬される予定だったんだが、こんな状態だろ。ロシア軍が進路上に駐留したおかげで、ルートが分断されてしまったんだ。正直、あそこでアンタが通りかからなかったら、かなりまずい事になっていたな」
 それは、学園都市とロシアが戦争を起こさなければ発生しなかった問題だ。
「済まねえ……。俺達のせいだ」
 一瞬、浜面の脳裏に馬鹿馬鹿しい妄想がよぎる。
 ひょっとすると、浜面や滝壺がロシアへ逃げ込んだから、こんな大規模な戦争が始まってしまったのではないか、と。ちっぽけな自分達にそこまでの価値はない事ぐらい、重々承知なのだが、どうしても小さな棘が抜けない。
 しかし、ディグルヴは首を横に振った。
「そうじゃない。嫌な思いをさせてしまったのなら、済まなかった。本当は分かっているんだ」
「?」
「第三次大戦が始まる前から、この集落はロシア軍に狙われていたんだ。すぐ近くにエリザリーナ独立国同盟の国境があるだろ。侵攻用の前線基地を作るには、格好の土地なんだよ。だから何度も接収の危機にさらされてきた。地上げなんてもんじゃないぞ。『独立国同盟からの侵略行為を防止するため』なんて名目で、輸送機から大量の地雷をばら撒かれたりもしているぐらいだ。ロシア側には確実に地雷を発見し、回収する機材があるのかもしれないが、当然、この集落にそんな物はない」
 想像を絶する話だった。
 政府がそんな事をするなんて、日本でなら絶対に考えられない事だ。
「気にするなよ。こっちじゃポイントシールみたいな扱いさ。地雷だって似たようなもんだ。回収してNGOに渡すと食料や物資と交換してくれる。実際にはその場で爆破しちまった方が安全なんだが、平和活動には分かりやすい成果が欲しいらしいからな」
 ディグルヴは集落の端にある小さな小屋を指差した。地面から掘り返し、信管のピンを固定した地雷はあそこにまとめて放り込んであるとの事だった。
「……そうまでしてロシアはエリザリーナ独立国同盟に攻め込みたいのか? その国には一体何があるんだ」
「さあな。具体的な危機の問題じゃなくて、ロシア政府は単にこれ以上広い国土が分断されるのを恐れているだけかもしれない。少なくとも、独立国同盟がロシアにとって軍事的な脅威になるとは思えない。いくら何でも、真正面から戦争するほどの戦力なんてあるはずがないんだ」
 現地の人間だからと言って、その国の全ての事情を知っている訳もない。ディグルヴの口調も、誰かに聞いた内容を話しているかのような調子だった。彼も一般人なのだ。テレビのニュース以上の情報なんて、そうそう簡単には手に入れられない。
 その時だった。
 ザク、と雪を踏む音が浜面の耳に届いた。
 デイグルヴは音のした方へ振り返り、直後に浜面を雪の上へと突き飛ばした。抗議の声を上げる暇もない。ディグルヴは倒れた浜面の服を引っ張り、建物の陰へと慌てて飛び込む。
「なんっ、だ? 何があった?」
「ロシア兵だ」
 自分の唇に人差し指を当て、意図的に小さな声でデイグルヴが答える。ギョッとする浜面が壁からそっと顔を出すと、確かに軍服を着た二〇代の男が雪の上に立っていた。
 ディグルヴの顔に真剣味が増す。
「集落の周囲には一応、侵入者防止用のセンサー類を取り付けていたんだがな。どこかで調子が悪くなっていたか?」
「……なあ。ロシア軍って、この集落の土地を狙っているんだよな」
 そんな風に尋ねた浜面だったが、そこで異変が起きた。
 のろのろと歩いていたロシア兵が、突然雪の上に倒れ込んだのだ。
 顔を見合わせる浜面とディグルヴだったが、それっきり、ロシア兵は動く様子がない。たっぷり三〇秒以上観察してから、彼らはゆっくりと建物の陰から出る。
 倒れたロシア兵の間近まで接近しても、奇襲は来なかった。
 うつ伏せになった兵士を仰向けにしてみると、彼の顔は所々が青や紫に変色していた。
「凍傷だな」
 ディグルヴが言う。
 兵士はほとんど閉じかけている瞳で、浜面達を見上げてロシア語で何かを呟いた。それを聞いたディグルヴが、浜面の方へ視線を投げる。
「助けてほしい、だと。近くにある空軍基地で『荷物」を待っていたんだが、それが到着する前に学園都市の連中に襲われたらしい。内勤の服装では、この寒さはきつかっただろう」
 ……今日は本当に来客が多いな、とディグルヴは付け加える。
 学園都市、という言葉に浜面の顔が引きつりそうになるが、今はそこだけを気にしていても始まらない。
「……どうすんだ?? 助けんのか。招かれざる客って感じだけど」
「そんな目で質問をするな。助けてほしいって言いたそうなのが丸分かりだぞ」
 呆れたように言うと、ディグルヴは凍傷のロシア兵に肩を貸して起き上がらせた。浜面も体を支えるのを手伝い、その肌の冷たさにゾッとしながらも、
「なあ。デイグルヴ達としては、それで大丈夫なのか?」
「できれば冷酷に行きたい所だ。だが、こいつを見捨てても何も状況は変わらないだろう」
 行き先は、滝壺も休んでいる小さな診療所だ。
 凍傷に対する具体的な治療法など浜面には分からなかったが、とにかくストーブや暖炉の前まで運ぶだけでも随分変わるんじゃないだろうか、などと適当に予測をつける。
(……『荷物』か)
 冷たいロシア兵の体を支えながら、浜面はふと考える。
 仮に学園都市の部隊が表向きの戦争とは違う理由……つまり、その空軍基地に届くはずだった『荷物』を狙って襲撃作戦を実行したとしたら……その『荷物』の存在は、自分や滝壺が学園都市と取り引きを行うための材料にはならないだろうか、と。
 そう。
 学園都市の部隊は、『荷物』が届くはずだった空軍基地を襲った、と言っていた。
 となると、『荷物」はまだ部隊の手には渡っていない可能性もあるのではないだろうか?
 浜面は、ぐったりしたロシア兵の横顔をチラリと見る。
 日頃から訓練を重ね、実戦で経験を積んでいるプロの軍人から『話を聞き出す』なんて事を、素人の高校生にできるとは思えない。しかし、ここまで弱った状態なら、チャンスはあるかもしれない。
 そこまで打算した浜面は、
「……クソッたれ。それじゃ滝壺に顔を合わせられねえ」
「?」
 ディグルヴが怪課な顔をしたが、浜面はそれ以上何も言わなかった。
 方法は一つだけではない。
 他人の不幸を踏み台にするようなやり方じゃなくても、学園都市と取り引きする機会はあるはずだ。
(今はとにかく、こいつを温かい所まで運ぶ方が先だ)
 だが、診療所の扉を開けようとした所で、中から誰かが飛び出してきた。
 一〇歳ぐらいの少女だった。元々の集落の住人ではなく、移送中の車列から救出されてここへやってきた人間の一人だろう。服装のセンスの違いなどから、何となくの区別がつく。彼女はディグルヴの顔を見るなり、ロシア語で何かをまくしたてた。何らかの伝言のようだが、ディグルヴは眉をひそめている。あまりにも興奮していて、言葉が上手く伝えられていないのかもしれない。
 しかし、やがて少女の言いたい事が分かったのか、ディグルヴの顔色が変わった。彼は凍傷のロシア兵を浜面に預けると、診療所の中へと飛び込んでいく。
 何が何だか分からなかったが、浜面もロシア兵を抱えて診療所に入る。
 緊張があった。
 少女が飛び出してきた建物は、滝壺理后を休ませていたはずの診療所だったからだ。
 何かあったのかもしれない。
 嫌な予感がする。
 だが、浜面の予想は外れた。
 事態は、もっと深刻だった。
「いきなりどうしたんだ!! 何があったんだよ!?」
 診療所の人口近くにあった電気ストーブの前の床にロシア兵を下ろし、浜面は日本語で叫ぶ。
 早口で会話をしていたディグルヴが、ようやく浜面の方を振り返った。まるで夜逃げでもするかのような慌ただしさだった。
「……プライベーティアだ」
「何だよそれ」
「日本語では私掠船っていう。元々は、中世の軍事制度の名前だ。政府公認の海賊で、敵対する国の船だけを優先的に襲う事で、敵国の財政を苦しめると同時に、奪った金品で自国の財政を潤そうっていう制度なんだ。その間、海賊達は『政府公認」として国に保護される。騎士の名誉を得た海賊もいたそうだ」
「それがどうしたんだよ」
「ロシア軍は現代でも、そのプライベーティアを採用している」
 デイグルヴは顔に浮かぶ緊張の汗も気に留めず、血走った目でそう答えた。
「軍の中に、空白の部隊が存在するんだ。正式要貝はゼロ。プライベーティアって名前の通り、敵対する勢力を攻撃する事で資金を得るための作戦も多いようだ。元々は敵の補給路を断って間接的に戦力を奪う作戦を行う必要があったが、軽装備の人間を狙う襲撃作戦は人気が少なく、無用な不満を広める要因になりかねなかったので、専用の部隊を設立したとも聞いている。そこから次第にダーティな任務を任されるようになっていったらしい」
 どこまでが本当なのかは知らないがな、とディグルヴは付け加え、
「……連中は西欧を中心に、軍隊経験があって暴れたい連中を集めてくる。ネットで募集をするんだと。軍の規律に縛られる事もなく、短期間で稼げるからある程度の人気もあるらしい。その上で、ロシア製の最新装備を渡して汚れ仕事を押し付ける。いざとなれば、書類ごとすぐに部隊を解体できるように。『問題を起こした兵士達』は、書類の上でだけ政治犯収容所へ放り込まれた事にされて、本人達は元の国へと帰っていく。そういう風にして、国際社会からの批判を浴びるような作戦を円滑に進めていくための仕組みを作り上げているんだ」
「嘘だろ……。まさかこれから、そんなごろつきみてえな連中がやってくるっていうのか」
 浜面は電気ストーブの前まで運んだロシア兵の方を見て、
「そ、そうだ。ロシア軍にとっての味方だっているんだぞ。そんな、集落丸ごとぶっ潰すような真似はしないだろ。少なくとも、最初に多少は様子見するはずだ」
「相手はプライベーティアだ。そんな事情なんて考えない」
 ディグルヴは首を横に振った。
 ロシア兵の方も、プライベーティアという言葉を聞いて呻くような声を出した。
 ポツリと、ディグルヴは言う。
「今までも、何度かプライベーティアの実戦投入はあったんだ」
 元々、ロシア軍はエリザリーナ独立国同盟攻略用の前線基地を作るために、この土地を狙っていたと。そのための地上げの一環として、輸送機で地雷をばら撒く事すらあったと。
「でも、今までならヤツらの接近を察知して、本格的な攻撃に入る前に逃げてしまえば何とかなったんだ。そりゃ、建物は壊されてしまうし、金目の物は奪われてしまうけど、囮と割り切ってきた。そういった事も重なって、まだ何とか再建できるぐらいのチャンスはあったんだ」
「じゃ、じゃあ、今回だって」
「……状況が変わったんだよ。第三次世界大戦だ。ロシア軍はプライベーティアの装備を一新した。もう逃げられない。あいつらの持っている装甲車両は、俺達の足よりもはるかに速いし、俺達で対抗できるような火力じゃない」
「冗談じゃねえぞ……」
 デイグルヴ達は、燃料がないせいで発電機が動かせないとも言っていた。もしかすると、集落の全員を乗せるだけの逃走用の自動車も今回は動かせないのかもしれない。
 いつものパターンは使えない。
 使えなかったらどうなってしまう?
「ここから離れた所に、磁気で人間の接近を察知する見張り用の鉄塔がある。そいつを吹き飛ばされた。おそらくプライベーティアだ。ヤツらは、もう間近まで迫って来ている。時間がない。あいつらは戦争条約なんて気にしないから、踏み込まれたら逮捕も拘束もしないでその場で皆殺しにされてしまう」
 浜面は診療所の壁の方に目をやった。
 AKというのだろうか? 詳しい型番は知らないが、所々に木が使われたアサルトライフルが立てかけてあった。滝壺を連れて診療所に初めて入った時は驚いたが、この辺りでは消火器よりも普及しているらしい。
 だが、駄目だ。
 あんなものを抱えて走り回った程度で、プライベーティアとやらは撃退できないだろう。向こうだって、こうした『事情』は知っているはずだ。知った上で、この集落にいる人間を一方的に虐殺するための準備を整えてやってきているのだろうから。戦える訳がない。
 そもそも、浜面は日本の裏路地で多少拳銃を扱った事はあるが、あそこまで大きな銃には触れた事もない。使い勝手も全く違うだろう。
「どうすんだ……? どこに逃げりゃ良いんだよ!?」
「それを今探してる」

     10

 学園都市暗部組織に襲撃されたロシア軍の空軍基地跡地で、一方通行アクセラレータは静かに考える。
 彼を取り囲むように一〇人近い男女が身構えている。
 異様な連中だった。
 単なるロシア兵とは思えない。暗い色の修道服に身を包んだ連中の手には、特殊な装飾の剣や槍、杖、斧のような物が握られていた。普通に考えれば、とても合理的な武器とは思えない。時代が一回りも二回りもズレているはずなのに、不思議と炎と煙を噴き出す基地の残骸……ロシアの戦場にしつくりと溶け込んでいる。彼らからは海原と同じ圧迫を感じた。
 何かある。
 が、最優先はそちらではない。
 腕の中には、打ち止めラストオーダーという少女がいる。
 意識はなく、体はぐったりとしていた。
 彼女を片手で抱えたまま戦う事になるため、全身に『反射』を適用させると、打ち止めラストオーダーにまで危害を加えてしまう恐れがある。能力の使用には注意を払わなければならない。
 二本足での自立歩行。
 打ち止めラストオーダーを傷つけないため、意図的に防御力を低下。
 そして。
「───、」
 わずかに考え、一方通行アタセラレータは顔をしかめた。
 その上で、彼は実行する。

 攻撃用のベクトル変換能力を、右手に集中。

 ゴッ!! という轟音が炸裂した。
 一方通行アクセラレータは脚力のベクトルを操作し、一瞬で投げ槍のように前へ飛び出す。一〇人の男女の内、一番近くにいた者の懐へと踏み込んでいく。
 右手を前へ突き出す。
 軽く触れるような一撃で、修道服を着た男の休がノーバウンドで一〇メートル以上飛んだ。
 そして、薙ぎ払われながらも男は的確に言葉を紡いだ。
「ヴォジャノーイ!!」
 コードネームのようなものだろうか。
 唐突に巻き起こった味方の損害に怯みかけていた集団は、それで体の自由を取り戻していた。ちょうど一方通行アクセラレータの斜め後ろの死角に立っていた女───おそらくはヴォジャノーイが、手の指を不自然に動かした。
 直後だった。
 彼女の周囲の雪が溶け、水の槍となって一方通行アクセラレータへ襲いかかった。
 銃弾でも爆弾でもない、不可思議な攻撃。
普通の人間なら、それだけで身動きを止め、その間に貫かれていたかもしれない。しかし一方通行アクセラレータは動じなかった。彼自身が不可思議の塊だったからだ。
 唯一『反射』を適用させた右手をかざす。
 水の槍が粉々に散る。
 水は七色の光と化し、右手から斜め後方へと流れていった。それは重圧のある壁となって、ヴォジャノーイの味方であったはずの修道服の人間を四、五人ほど薙ぎ払ってしまう。
 防いだはずの一方通行アクセラレータは眉をひそめた。
 不可解だった。
『反射』が成功していれば、水の槍はヴォジャノーイ自身に向かって突き進み、彼女の腕を貫いていたはずだ。にも拘らず、槍は逸れた。しかも、七色の光に分解されて。紺かしな現象だった。水とか氷とか水蒸気ではない。光に分解されるためのプロセスが、『反射』を起こした彼自身にも分からなかった。
(……何だ……?)
 ぬるりと、指先に引っ掛かったものが逃げていくような感触があった。
 空間移動テレポート系の能力を『反射』した時、三次元の世界では奇怪な現象が起こる事があるのを一方通行アクセラレータは経験から学んでいるが、それともまた違う感覚だった。
 だが、ゆっくりと考えている暇はなかった。
 ヴォジャノーイの方も疑問を感じたのだろう。もう一度それを確かめるように、彼女は敢えて全く同じ水の槍を生み出した。丁寧に観察し、次こそ突破口を見つけようとするかのように。
 一方通行アクセラレータとしても好都合だった。
 掌をかざすと、やはり水の槍は七色の光となった。
 しかし、前回との違いもあった。
 七色の光の一部が、危うく打ち止めラストオーダーの顔を掠めそうになった事だ。

「……気をつけろ」

 ドンッ!! と腹に響くような爆音が蝦炸裂した。
 一方通行アクセラレータが軽く足で地面を踏み、大量の雪を津波のように持ち上げた音だった。それはヴオジャノーイ達をまとめて呑み込んでいく。ただの津波とは違った。圧倒的な速度がある。ボウガンよりも高速で放たれた雪の壁は、叩きつけるような衝撃で襲撃者達を一瞬で気絶させてしまう。
「やっば、俺には右手は似合わねェか」
 敵を全て排除した事を確認してから、電極のスイッチを切り替え、一方通行アクセラレータは少しだけ考える。
 今の水の蹴は何だ?
 学園都市で開発されていた科学的な能力とは、全くベクトルの掴み方が違っていた。
 違うベクトル。
 |違う法則[#「違う法則」に傍点]。
 一方通行は思わず、貨物列車の中で入手した羊皮紙を思い浮かべる。
 この基地を襲ったか襲わなかったか。学園都市の者かそうでないか。彼らはそういう風に一方通行アクセラレータを問い詰めてきた。となると、どうやら学園都市暗部ではなくロシア側の人間のようだが……。
 羊皮紙について、何かを知っているかもしれない。
 あるいは、扱い方も。
 それが打ち止めラストオーダーの危機的状況を救うための突破口となる可能性も、ゼロではない。
(面倒臭せェ……)
 どうやら気絶した襲撃者達から話を聞く必要が出てきたようだ。
 うっかり殺してしまわないように気をつける必要がある。
 そう思っていた一方通行アクセラレータだったが、そこで動きを止めた。
 顔を上げる。
 学園都市製の超音速爆撃機が大空を裂いていた。それだけなら、戦争中のこの国では珍しい事ではない。しかし、その爆撃機は基地跡地上空から何かを投下した。パラシュートではない。ハンググライダーを複雑化させたような、滑空用の翼を備えたものだ。
 人型に見えた。
 それ以上は深く考えなかった。
 敵だ。
 一度だけ舌打ちし、そう結論付ける。
 直後に一方通行アクセラレータは電極のスイッチを入れて、足元の小石を蹴った。
 ゴッ!! という爆音と共に、空中の翼は撃ち落とされた。
 しかし、人型が地面に叩きつけられる事はない。
 紫電が散った。
 翼を失った人型の落下速度が段階を分けて落とされていき、最後はふわりと地面に着地する。
(……空気を爆発させた?)
 適当に予測した一方通行アクセラレータだが、そこで驚く事はなかった。
 彼自身、フランスのアビニョンでは爆撃機からパラシュートなしで飛び降りた事があったからだ。
 気になるのは使用されていた能力だった。
 電力。
 それも、一方通行アクセラレータにはとても見覚えのある能力だった。
「誰だ」
 その人物は雪原用の、白いピッタリとした戦闘用の衣類に身を包んでいた。仮面のような、顔全体を覆う特殊なゴーグルをつけている。目や鼻の位置は不明だった。のっぺりとした仮面には、八つの小型レンズがアナログ時計の文字盤のような円形に取り付けられているだけだった。隙間のない衣類なので、内部に好きなだけ詰め物をする事ができる。よって、見た目の体格はあまりあてにならないのだが、あくまで第一印象としては、高校生ぐらいの少女のようにも見えた。
 チリチリと。
 妙な緊張感が走る。
 仮面の横からわずかに漏れる耳の肌の白さや、肩まである茶色い髪の揺らめきに、一方通行はものすごく嫌な予感がした。
 そう。
 今、腕の中に抱えている小さな少女と、とても似通っているような気がするのだ。
「オマエは誰だ」
 白い人影は仮面を取らない。

 表情も見えない。
 時計盤のように設置された小さなレンズだけをわずかに動かし、彼女はこう答える。

第三次製造計画サードシーズンって言えば、ミサカの事は分かるかな?」

 思わず、一方通行アクセラレータの呼吸が止まるかと思った。
 しかし自らを『ミサカ』と名乗った女は、さらに続けてこう言った。
「やっほう。殺しに来たよ、第一位。ミサカは戦争の行方なんか興味ない。そういう風なオーダーはインプットされていない。ミサカの目的は第一位の抹殺のみ。ミサカはそのために、そのためだけに、わざわざ培養器の中から放り出されたんだからね」

   行間 二

 調べようと思って調べられるものではない。
(……まぁ、当たり前と言えばそうなんだけどね)
 御坂美琴はPDAから目を離し、わずかに息を吐いた。
 今までも『書庫バンク』の中から機密データを取り出したりしてきた彼女だったが、今回は事情が違った。セキュリティの強度がかなり上がっている。戦争という言葉が、思いもよらない所で実感を与えてきた。
 彼女が触れようとしていた情報には、それだけの価値があったという事。
 作戦の内容などが漏洩した場合、多くの人の命に関わるという事なのだろう。
 しかし、そんな中でも得られたものは一つではない。
 戦争に関わらない情報なら、いくつか入手する事ができたのだ。
 御坂美琴は九月にあった大規模な体育祭『大覇星祭だいはせいさい』で、上条当麻の学校の競技を観戦した事がある。つまり、学校名は分かっていた。そこから出席簿のデータを参照したのだが、やはり『ロンドンから電話のあった日』以降、彼が出席している様子はない。
 出席日数を確認してみると、すでに最低限の日数を割っていた。補習確定である。普通なら、まずありえない……とは思う。少なくとも慌てるような痕跡はデータにも残るはずだ。『以降、一日も出てこない』というのは、いくら何でも異常だろう。
 やはり。
 あの少年は、学園都市にはいないのかもしれない。
 電話での話が本当なら、日本にすらいない可能性もある。
 戦争の中心はロシアであり、イギリスは若干ながら逸れている。しかし、だからと言って戦争に巻き込まれない保証はない。というよりも、これは世界規模の戦争なのだ。安全な場所の方が珍しいのだ。学園都市は一見平和そうに見えるが、実はすでに複数の弾道ミサイルを迎撃している。『安全な場所』などを探す方が間違っているのかもしれない。
(……どうする? ある程度の危険を承知で、もつとデイープな情報に触れてみるか)
 美琴は真剣に考え始めたが、そこで深く息を吐いた。頭に血が上っている事を自覚する。侵入を試みるにしても、こんな精神状態で始めれば絶対に失敗する。一度休憩して、頭を休めてから今後の方針を考えた方が良い。
 そう思い、PDAをワンセグのテレビに切り替える美琴。
 やはり戦争のニュースが多かった。通常の番組プログラムが中断されているものも多かった。バラエティも流れていたが、どこかぎこちなさがある。戦争に関する、あるいは連想させるようなワードを自粛しているためだ。
 何を見ても気は休まらない。
 プラウザの方に切り替えてインターネットの番組を観た方が良いかもしれない、と思った美琴だったが、そこで画面を直接操作する人差し指がピタリと止まった。
 ニュース番組の中では、アナウンサーが雪のロシアの状況を説明している。生中継というテロップはないので、少し前に撮影されたものだろう。
 その画面の端に、小さく誰かが映っていた。
 ズボンのポケットからゲコ太のストラップをぶら下げている、あのツンツン頭の少年は、一体どこの誰だったっけ?

   第三章 疑念の壁と対峠せよ Great_Complex.

     1

 外国人傭兵部隊・プライベーティアの侵攻が始まった。
 浜面仕上達にはどうにもできない。
 やはり、負傷したロシア兵の事を気にしている様子もない。全力の『侵攻』だ。
「こっちだ」
 デイグルヴに案内されたのは、診療所の地下だった。元々はチーズや燻製くんせいにした肉などを貯蔵するためのスペースのようだ。当然、シェルターとしての耐久性など期待できるはずがない。攻撃を防ぐためではなく、敵に見つからないようにするだけにしか利用できない。
 凍傷のロシア兵は、電気ストーブの前で体を温めた事で、多少は動けるようになったらしい。今は保存食のチーズを分けてもらって、体力の回復に努めている。ただし、その表情は沈痛そのものだった。体調よりも、軍に見捨てられた事が大きいようだ。
 浜面はぐったりとした滝壺を抱き寄せていた。
 こんな事になるなんて想像もつかなかった。学園都市の裏路地も相当なものだと思っていたが、そこだけが地獄ではなかったのだ。各々の場所に、各々の闇が口を開いている。浜面達は必死に闇から逃げてきたと思っていたのだが、『ここではないどこか』が必ずしも楽園とは限らない。
 天井の方から低い振動音が響いてきた。
 爆弾のようなものではなさそうだ。車のエンジンにも似ているが、それにしては随分と震動が大きい。
「何だこれ。キャタピラか?」
「戦車でも送り込んで来ているのかもしれない」
 ディグルヴがそう答えた。
「数は少ない。おそらく二台ぐらいだ。連中は正規軍のセオリーとかは全く気にしないからな。歩兵とかも引き連れてはいないだろう。……もっとも、その独断専行の装甲車両だけでも、十分に脅威的な訳だが」
 浜面は低い震動に恐怖を覚えながらも、疑問を感じる。
「実際にあるかどうかはさておいて、建物の中とか陰に、対戦車ロケットを持った伏兵が待ち構えているかもしれないのに? 普通は瀦瞬からめぼしい遮蔽物を爆破した後に突入するもんだろ」
「あいつらは正規兵じゃない。暴れたいだけの人間に、最新鋭の装備を支給されただけの連中だ。だから軍のセオリーは通用しない。隙をつけるかもしれないが、機械的な軍隊よりも残忍だ。見つからないようにした方が良い」
 メリメリという嫌な音が天井の方から響いてきた。
 二人の口が止まる。
 まるでビルの解体現場みたいな轟音だけが続く。砲弾を撃っているのではなく、分厚い装甲で覆われた車体そのものを突っ込ませているのだろう。まともな運用方法とは思えなかった。
(……遊んでいるんだ)
 浜面は、滝壺の体を抱き寄せながら、思わず歯を食いしばった。
(……俺達が恐怖に耐えられなくなって飛び出すのを待っているんだ。我慢できなくなってパニックを起こした所を、じつくり狙って撃ち抜くために)
 プライベーティアは戦略上の目的よりも、殺しそのものを優先して楽しんでいる。泣きながら投降しても無駄だろう。滝壺だけは助けてくれとすがりついても意味はないだろう。そのまま額を撃ち抜かれるに決まっている。
 猛烈な怒りが腹の底から湧いてくるが、かと言ってどうする事しできない。ここでプライベーティアの前に飛び出してしまえば、それこそ向こうの作戦通りなのだ。
 デイグルヴは、浜面以上の怒りを感じているだろう。
 この土地で色々な物を積み重ねてきたのは、浜面ではなくデイグルヴ達である。その分だけ、遊び半分で容赦なく崩されていく事は、怒りを倍増させていっているはずだ。
 そのディグルヴが耐えている。
 自分自身が生き残るため、そして同じ場所に隠れている浜面達を巻き込ませないために。
 軽率な行動を取ってはいけないと、浜面は改めて思う。
 しかし。
 危機は、それぐらいでは去ってくれなかった。

 ベゴッ!! と。
 突如天井が崩れ、雪崩のように装甲車両が降り注いできたからだ。

 おそらくプライベーティアの連中も、意図してこの状況を作り出した訳ではないだろう。地下がある事に気づかずに診療所の中を通過しようとして、床が抜けてしまったのだ。
 だが、浜面達としてはたまったものではない。
 大量の木の板が飛び出してきた。浜面もディグルヴも必死で転がった。ギザギザになった板の断面が、漆喰の壁に突き刺さっていく。装甲車両の正体は、上部に砲塔を取り付けられた装甲車だった。その砲塔は動かない。あまりにも急角度で地下に向かったため、砲の先端が至んでいた。
「走れ!!」
 ディグルヴが叫んだ。
 装甲車前部の鉄の扉が開こうとしていた。
 浜面は意識を失った滝壺を引きずる。先に崩れた地下から地上へ出ていたディグルヴに、彼女を一度預けて引き上げてもらう。
 そこで、バコンと装甲車の扉が開いた。
 浜面が凍傷のロシア兵と一緒に慌てて地上に這い出すのと、闇雲にライフル弾が撒き散らされるのはほぽ同時だった。診療所は見る影もない。屋根はおろか、壁すらもなくなっていた。メチヤクチャになった瓦礫だけが積まれていた。
 ひとまず地上に出た事で、ライフル弾に撃ち抜かれるのは避けられた。
 だが、ホッとしている暇はない。
 顔を青くしたディグルヴがこんな事を言う。
「このまま地上にいたら殺される。辺りにいる連中に見つかるかもしれないし、足元から装甲車の連中が這い出てきたらおしまいだ。だから追い着かれる前に他のシェルターに潜るんだ!!」
 その時、彼らの間近で何かが爆発した。浜面とディグルヴが、それぞれ別の方向へと転がされる。鼓膜の調子がおかしかった。
 倒れたままの浜面は、目だけでディグルヴを見た。彼の方がダメージは少なかったらしい。滝壺を抱えているディグルヴは、一瞬浜面の方を見たが、状況に押されるようにどこかへ走り去ってしまった。別の地下へ逃げ込もうとしているのだろう。
(……くそ、俺はその地下の場所が分からねえんだよッッッ!! 滝壺を死なせやがったら承知しねえぞ!!)
 浜面はのろのろとした動きで起き上がる。頭の中はほとんどパニック状態だった。凍傷のロシア兵がどこに行ったのか、もう分からなかった。禍々しい煙の匂いがした。これまであった料理や煙草などの、人々の営みの匂いはなくなっていた。まとめて吹き飛ばされていた。
 身を低くし、瓦礫の陰に隠れながら、辺りを見回す。
 丸太でできた建物は、もう半数近くが崩れていた。そして、白い雪の上にはキャタピラの跡がくっきりと残っている。先ほどの装甲車のものではないようだ。
(武器。何か武器になるものはねえのか……?)
 懐にある拳銃だけで、こんな危機を乗り越えられる訳もない。
 幸か不幸か、ほんの一〇メートルぐらい先に、機関銃の銃座があった。土嚢どのうを半円状に積んだ上で、かなり大きなサイズの機関銃が設置されているものだ。まさか攻撃ヘリを撃ち落とすためのものではないだろう。もしかすると、実際の効果はさておいて『そういう対策もある』事をアピールする事で、安易に上空を通過されるのを防ごうとしていたのかもしれない。
 当然ながら、機関銃の扱いなど分かる訳もない。
 反動を抑えきれずに振り回されるのがオチだろう。
 しかし、何もないよりはマシだ。
 浜面は心拍数が上がり過ぎて心臓が破裂するかと心配するほどの緊張感の中、瓦礫の陰から白い雪の上へと飛び出した。走るというより転がるような格好で、何重もの土嚢に囲まれた銃座へと辿り着く。たった一〇メートルの距離だった。だが、浜面にとっては地獄の道のりだった。
 機関銃は三脚で固定されていた。ジョイント部分が回転するようになっていて、三脚の先端部分は釘のようなもので完全に四角いコンクリートの板に固定されている。工具がなければ取り外せそうにない。
「くそっ!!」
 浜面は毒づき、今度こそ拳銃を取り出した。辺りでは今も爆音が続いているが、銃声を鳴らしても気づかれないだろうか。
 そんな事を思った時だった。
 別の建物の陰から、キャタピラのついた装甲車両が出てきた。距離は二〇メートルほど。回転式の砲塔の両サイドに一門ずつ、平行するように砲身が並んでいた。皿のようなアンテナもある。もしかすると、戦車ではなく対空用の高射砲なのかもしれない。戦車のように爆発する砲弾を撃つのではなく、マシンガンを極端に大きくしたようなものだ。やはり、通常の使い方ではなかった。地上の標的を追って最前線を突っ走るような車両ではない。
 とはいえ、生身の人間が受けたらミンチになるのは確実だ。
 浜面は舌を噛むかと思うほど驚いたが、どうやら向こうはこちらに気づいていないようだ。
 別の標的を追っているのだ。
 幼い赤ん坊を抱えて必死に走る、三〇代ぐらいの女性だった。そんな彼女の背中を追うように、一〇歳ぐらいの少女も逃げ続けている。赤ん坊を抱える女性はあまりの恐怖と疲労と屈辱に、表情は豹変していた。浜面は彼女が誰だか分からなかったが、頭の奥の方から情報が絞り出されていくのを感じた。おそらく、車列から救出されてこの集落へやってきた人達だ。服装の微妙な違いから、ディグルヴ達のセンスではないのは分かる。
 そんな彼女達の背中を狙うように、高射砲の砲身が微調整されていく。
 一発でも当たれば、どう墓穴に収めれば良いか分からなくなるほどの損傷を受けるであろう、必殺の砲を。
 浜面の腕が跳ね上がった。
 気がつけば銃座に固定された機関銃を掴んでいた。
 細かい狙いなど付ける暇もない。
 引き金を引く。
 地面に固定されているはずなのに、右肩に電動工具を押し付けられたような衝撃が走り抜けた。あまりの衝撃に視界がブレる。それでも浜面は歯を食いしばって引き金を引き続けた。
 高射砲の装甲に火花が散った。
『もしも当てる事ができれば』という前置きはつくが、一応は小型の航空機にダメージを与えられる程度の破壊力は秘めている大型の機関銃だ。
 威力に押され、ほんの少しだけ砲塔の回転角度がずれたのだろうか。
 直後に放たれた巨大な砲弾は、逃げる女性達の背中ではなく、そのすぐ横を突き抜けた。
「走れ!!」
 日本語が通じているはずもないが、銃声に負けないように浜面は叫ぶ。
 高射砲の方も黙っていなかった。
 グルン!! と、巨大なモーターの出力に任せ、砲塔が勢い良く回転する。趣昧を邪魔された苛立ちが感じられた。ゴルフボールがそのまま入りそうな砲口が、浜面のいる銃座へと突きつけられる。
「くっそ!?」
 とっさに機関銃から手を離し、浜面はその場で伏せた。
 直後に掃射があった。
 壁となっている土嚢が次々と弾け、中に詰まっていた黒土が吹き飛ばされていく。大型の機関銃がバラバラになっだ。このままでは数十秒も保たずに壁が失われる。かといって、こんな砲弾の嵐の中で顔を上げれば、それだけで体が爆発するかもしれない。
 身動きの取れなくなった浜面だったが、そこで高射砲の掃射が止まった。
(……弾、詰まりか……?)
 楽観的な事を考えていた浜面だが、そうではなかった。
 彼らプライベーティアは、正規兵とは違って軍のセオリーには従わない。
 趣味。
 そのために、高射砲は砲の脇に取り付けられた、地対空ミサイルを強引に発射させた。
 白い噴射煙と共に、半壊した銃座に向けて爆発物が飛んでくる。
「ちくしようっ!!」
 目を剥いた浜面は盾にしていた銃座から、慌てて横へ飛び出した。
 直後に爆発があった。
 聴覚が消える。
 猛烈な爆風に叩かれ、浜面の体が宙に舞った。雪の上を転がり、辺りを見回すと、そこはちょうど建物の陰になった所だった。銃座から一〇メートルは離れていたはずだった。浜面の脚力が並外れていた、という訳ではない。それぐらい、ものすごい爆風だったのだ。
 恐怖に足が震えた。
 プライベーティアはまともじゃない。
 浜面達も学園都市の裏路地で、決して人には褒められないような生活を送ってきた。そんな浜面でも怯えるぐらい、彼らのモラルは常軌を逸している。人を殺したいという欲求のために、わざわざ国境を越えて戦場へやってくるなんてまともじゃない。
 じわじわとその事に気づかされた浜面は、身動きが取れなくなってしまう。
 そこで、ガタリという物音が聞こえた。
「っ!?」
 危うくパニックを起こして後先考えずに拳銃の引き金を引きそうになるが、そこで気づく。やってきたのは、滝壺を抱えたディグルヴだったのだ。別のルートからこの瓦礫の物陰にやってきたのだろう。デイグルヴは意識を失った滝壺を、見捨てないで抱えてくれていた。
 彼女の寝顔が、挫けそうになった浜面の心をかろうじて支えた。
「大丈夫か? これ以上の病人や怪我人はやめてくれ」
「おい、他のシェルターに逃げたんじゃなかったのか」
「プライベーティアの連中の目を逃れるように走り回っている内に、気がついたらこっちに来ていたんだ」
 ……となると、包囲網は狭まりつつあるという事になるのだろうか。浜面は口の中が緊張で渇くのを感じた。足元の雪でも口に放り込んでやろうかと思いつつ、彼はもう一度質問をする。
「別のシェルターってのはどうなったんだ」
「出入り口の近くに、連中の仲間がうろついていた。まだ気づいていなかったみたいだが、俺が近づいたらシェルターの存在を勘付かれるかもしれない」
 クソッたれ、と浜面は呟いた。
 改めて確認すると、エンジン音は意外と少ない。さっきの高射砲だけだろう。装甲車は床を踏み抜いて行動不能になっていた。そちらから出てきた少数の兵隊が、シェルター近くを偶然遮っているのだ。
「連中はどんな感じだった?」
「屋根裏や束ねたカーテンの奥まで徹底的に調べてる。子供用のベッドの下を覗き込んでヘソクリまで探し出そうとしていたよ。ターゲットの人間が見つからない事にイライラしているようでもあった。どいつもこいつも、敵を殺したくってウズウズしている」
「……逃がすつもりはねえってか。情に訴えられそうな様子じゃねえな」
 プライベーティアはシェルターの出入り口を塞いでしまっている。
 もう、安全地帯に駆け込む事はできない。
 元々、そんな場所などなかったのかもしれない。
 浜面は意識を失ったままの滝壺の顔を見た。気持ちの悪い汗に濡れた額に、前髪が引っ掛かっている。それを優しく整えてやると、不思議と指先の震えがなくなっている事に気づいた。
 ここで彼女を死なせる訳にはいかない。
 滝壺の事を心配してくれた人達だって死なせたくはない。
 そういう風に、力のない自分達が何もできずに打ちのめされていくのは、学園都市の裏路地だけでもう十分だ。
 そこから抜け出すと、浜面仕上は決めたはずじゃなかったのか。
 理不尽な暴力に対する怒りがあった。何で滝壺がこんな所で命を狙われなくてはならない。何で見も知らない滝壺を心配してくれるような人達が、こんなくだらない理由で襲われなくてはならない。いい加減に反撃しても良いだろう。これが互いの命を賭けた勝負なら、浜面にだって噛みつく資格はあるはずだ。
「……もうちょっとだけ、滝壺の事を任せられるか」
「ど、どうするんだ」
 顔色や雰囲気の違いに、ディグルヴは気づいたのかもしれない。
 浜面はデイグルヴの腕の中にいる滝壺の顔を、もう一度だけ見てから答えた。
「ふざけやがって。鉄クズの山に変えてやる」
「言っておくが、RPGなんかないぞ。戦車に比べれば装甲は薄いだろうが、それでも高射砲はAKぐらいで撃ち抜けるようなものじゃない!!」
「ポイントシールみたいなもんだ」
 浜面は意味不明な事を言った。
 怪訝な顔をするディグルヴに、浜面はもう一度、分かりやすいように言い直した。
「……確か、NGOに渡すために、掘り返した地雷を一ヶ所に保管していたんだよな?」

     2

 基地を飛び出した。
 一方通行アクセラレータは雪の中を走っていた。
 獲物を追うためではない。目的地を目指して疾走している訳でもない。
 逃げるために。
 あの学園都市第一位の超能力者レベル5が、打ち止めラストオーダーを抱えて逃亡のために走っていた。
 恐ろしい。
 彼は素直にそう思う。
 木原数多きはらあまたよりも。
 垣根帝督かきねていとくよりも。
 エイワスよりも。
 あの少年よりも。
 背後に迫るこの敵は、ある意味において、一方通行アクセラレータの価値観を支えている柱のようなものをー撃で揺さぶるほど、圧倒的に恐ろしすぎる。
 バヂッ、という紫電の弾ける音が背後から聞こえた。
 第三位の超電磁砲レールガンに比べれば、多少は小規模なものだろう。
 だが標準的な妹達シスターズと比べると、格段に大規模だ。
 風船が弾けるような音が聞こえた。
 ニセンチ程度の短い鉄釘が、音速をわずかに超えた程度の速度で射出された音だった。
 拳銃の銃弾程度の威力だ。
 鉄釘は一方通行アクセラレータの後方から放たれ、彼の左腕……肘と肩の中間を正確に貫いた。
『反射』ができなかったのではない。
『反射』をしても良いのかどうかが分からなかった。
 いいや。
『反射』を実行した結果、襲撃者を死なせてしまっても良いのかどうかが、判断できなかった。
 角度を変えれば対象を傷つけずに済ませられるかもしれない。しかし何かの間違いで、いつもの癖で、相手を殺す形で『反射』をしてしまう可能性も否定できない。そういう風に考えてしまうと、もう動けない。
 腕から力が抜ける。
 支えていたはずの、小さな少女の体が宙に浮く。
 一方通行アクセラレータの精神の支えになっていたはずの少女の温もりが、雪原の切り裂くような冷気に吹き払われていく。
「がアァァああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」
 絶叫が響く。
 打ち止めラストオーダーの体が深い雪に受け止められる。
 一方通行アクセラレータは手を差し伸べる事もできなかった。体のバランスを崩し、まるで転がるような格好で、白い雪をかき乱していく。
 腹の底から笑いが溢れそうになった。
 一方通行アクセラレータには、自分に課したルールがある。
 彼は過去に、自分自身の『実験』のために、多くの体細胞クローンを殺害してきた。
 だからこそ、今後はたとえ何があったとしても、妹達シスターズ打ち止めラストオーダーといったクローン達を傷つけない、といったものだ。
 そのために、一方通行アクセラレータは今まで血みどろの殺し合いを繰り広げてきた。木原数多や垣根帝督、統括理事会の潮岸しおきし。様々な怪物達と命のやり取りを行い、そのたびに体と心をポロボロにすり減らしてきた。エイワスには敗北した。そいつに従って、自分はこんな雪の大地まで逃亡した。決して一〇〇点満点なんて呼べたものではないが、打ち止めラストオーダー妹達シスターズの命や生活を、多少なりとも守ってこれたとは思っていたのだ。そのために必要な事をやってきたとは信じられたのだ。
 なのに、よりにもよって。
 学園都市の連中は、まさにピンポイントで『そこ』を折るための策を講じてきた。世界の全部を敵に回してでも、守りたいものがあるという想い、戦闘のための原動力を砕く作戦を。
(イカれてやがる……)
 守るべきは打ち止めラストオーダー
 倒すべきは妹達シスターズの刺客。
 いずれかが生き残るにしても、いずれかを守るにしても、一方通行アクセラレータは命を賭けて守ってきたルールを、自身の手で破らなくてはならない。
第三次製造計画サードシーズンだと? この状況を作るために、俺のトラウマを刺激するためだけに、俺の心を折るためだけに、そンなくだらねェ理由だけで、|また作ったっていうのか!? 学園都市はまともじやねェ。クソッたれが、『外』側から改めて観察してみて分かった。あの街の連中は根本的な所がぶっ飛ンでやがる!!)
 普段の思考パターンが成立していなかった。
 襲撃者の存在が一方通行アクセラレータの精神を揺さぶっている証拠だろう。
 確かに、核攻撃を反射するほどの力の持ち主に対する戦術としては、そこそこの成果を上げているのかもしれない。
「おやおや。もしかして、ミサカの事を守ってあげているとかって考えてるつもり? 誰も頼んでないっつーの。そもそも一万人以上も殺しておいて、それでチャラになるって思っているのがすでに傲慢なんだよ」
 言葉が刺さる。
 声色は同じ。だが込められた感情が圧倒的に違い過ぎる。
「さっさと『自滅』しちゃえば良いのに。ルールさえ破って全力で戦ってしまえば、ミサカを殺す事もできただろうにさ」
 アナログ時計の文字盤のようにレンズを配置した仮面の内側から、襲撃者の声が届く。
 声に怯えはない。
 そんな事できる訳がない、襲撃者だけが一方的に攻撃できる、という確信があるのだろうか。
 距離はわずか一〇メートルほど。
「これじゃ、ミサカが電極対策をしてきたのは余計だったかな」
 バヂッ、と仮面の端からこぽれた前髪から紫電が散る。電気系の能力を応用し、ジャミングでも行うつもりだったのだろう。あるいは、ミサカネットワークに直接干渉するのか。
 そこまで考えて、一方通行アクセラレータの胸の内にわずかな疑問が浮かんだ。
 打ち止めラストオーダー
 彼女はミサカネットワークに接続されている全ての妹達シスターズの命令系統を司る特殊な個体だ。この襲撃者も『その一人」だとすれば、打ち止めの命令一つで身動きを封じられるはずだ。
 一方通行アクセラレータ打ち止めラストオーダーを連れて逃亡している事は、おそらく上層部も掴んでいる。
 にも拘らず、『いつでも制御を乗っ取られるかもしれない妹達シスターズ』に、暗殺を任せるか?
 となると……、
(偽装!!)
 そう結論付けた直後、一方通行アクセラレータの足が動いた。
 ボバッ!! と。
 白い雪どころか、その下の地面までも砕き、圧倒的な速度で襲撃者に向けて放たれた。それは自然物を利用して発射された散弾銃のようなものだ。
 対して、襲撃者はわずかに身を伏せる。
 いや、伏せるというより腰を落とすぐらいの気軽さだった。
 主に顔や上半身を狙って放たれたアッパーカットのような一撃は、あっさりと回避された。しかし黒土の欠片が仮面に引っ掛かり、空中へと吹き飛ばす。
 その顔が露になる。
 そして。
 今度こそ、一方通行アクセラレータは白い雪の上を転がった。
 特に奇妙な攻撃を受けたのではない。単純に、仮面の下にあった素顔を認めるのに、激しい抵抗があったからだ。
「む・だ」
 襲撃者は。
 打ち止めラストオーダーがそのまま高校生ぐらいまで成長したような顔の少女は、ニコリとも笑わずに言う。
「ミサ力達のネットワークを利用して代理演算を行っているんだもの。第三次製造計画サードシーズンのミサカは、ミサカネットワークの稼働状況をモニターする事で、次の攻撃を先読みできる。滅多な事じゃあ、このミサカには致命傷は与えられないよ。手加減なんてしている余裕はないんじゃない? やるんだったら確実にミサカを殺す気で来ないと、ね。ほら、分かったらミサカを殺してみろよ。まぁできる訳ないよね。それやっちゃったら今までの努力が全部水の泡になっちやうんだもん。じゃあ黙ってボコボコにされちゃう? ぎゃははは!!」
 偽者だ。
 特殊メイクだ。
 何らかの能力を使っているんだ。
 そう思って立ち上がろうとした一方通行アクセラレータだが、
「怖いよ。助けて」
「……っ!!」
 少女の声色《を耳にして、怪物の動きが止まってしまう。
 鉄釘の貫通した左腕からボタボタと血をこぼしながらも、一方通行アクセラレータは自衛ですら拳を振り上げる事ができない。
「ちなみに」
 襲撃者は首筋に手を置いた。
 そこには、注意しないと見逃しそうなほど薄い傷跡が残っている。
「ミサカの体内には『シート』や『セレクター』が取り付けられている。最終信号ラストオーダー側から停止信号を受信した場合でも、統括理事会からの許可コードがない限り、自動的に信号を拒絶する機構を用意するためにね。無様に女の子にすがった所で、このミサカを止められる事は、ない」
「───、」
 突きつけられた答えは、とてもシンプルなものだった。
 殺さなければ殺される。
 それは、一方通行アクセラレータ自身に対するものではない。
 それだけなら、一方通行はここで諦めて首を差し出していたかもしれない。
 問題なのは。
 この暗殺のために、打ち止めラストオーダーまで巻き込まれている事だ。
 ただの三下をぶちのめすのとは訳が違う。
 自分が命を捨てれば全てが解決するのとも話が違う。
 どちらも救う方法はないのか。
 一方通行アクセラレータはたとえ何があっても、自分の眉間に銃口を突きつけられても、妹達シスターズを二度と殺さない。殺してはいけない。世界を全部敵に回しても、血みどろの闇の中でどれだけの怪物どもと殺し合う羽目になろうとも、この顔を持つ少女へ苦痛や恐怖を与える事だけは、絶対に、絶対に、やってはいけない事なのだ。こんな血まみれの自分が彼女達の笑顔を作れるとは思っていないが、せめて、彼女達が自分の内側から生み出した笑顔を守りたいとは願っているのだ。
 それなのに。
 勝っても負けても、どちらかの妹達シスターズが窮地に立たされる。
 あの『実験』を経た一方通行アクセラレータは、学園都市は冗談でも何でもなく、やると言ったら本当にシスターズ達を殺害する事を知っていた。半端な所で手心を加えるような猶予など、存在しない事も。
 しかし。
 これは。
 こんな展開になってしまったら、おそらく一方通行アクセラレータの最後のタガが外れてしまう。
 たとえ、どちらの妹達シスターズが死のうとも。
「……第三次製造計画サードシーズン
 一方通行アクセラレータは呟く。
「実際にそれが開始されて、オマエが生み出されたって事は、他の妹達シスターズだっていつでも作って交換できるって訳だ。コストの面でも、倫理の面でも、ヤツらはそォいう決定を下した」
「そう。司令塔である最終信号ラストオーダーであっても例外じゃない」
 学園都市は何らかの実験を行おうとしている。その計画にはエイワスというものが関わっていて、妹達シスターズのネットワークが利用されているのも何となく分かる。
「でも、いつでもミサカネットワークを操作できる状況を維持したい統括理事会からすれば、最終信号ラストオーダーの失綜さえなければ、作り直すなんて大胆な決定は下さなかったんじゃないかな?余計な真似さえしなけりゃ良かったのに、ぜーんぶ裏目に出ちゃったね」
 結局は、そういう事だったのだ。
 回収ではなく殺害。
 新たにミサカネットワークと司令塔を作り直すのだとすれば、旧ナンバーは必要なくなる。むしろ、司令塔が二つある事はネットワークにとって不都合なのかもしれない。だから、学園都市は率先して打ち止めラストオーダーを殺す事にしたのだ。
 何も悪い事をしていないのに。
 誰かの都合で勝手に作られたはずなのに、不要になったという理由だけで。
「どうする?」
 襲撃者は笑った。
 妹達シスターズの印象からは似合わない、邪悪で感情的な笑みだった。
妹達シスターズを殺したくないなら、ここでボコボコにされるしかないよねえ。でも、ミサカはあなたを殺した後に最終信号ラストオーダーも襲うよ。まぁ、力で止めようとしても、『ミサカ』は死ぬんだけどさあ、ぎやははははは!! どっちにしろあなたの心はここで死ぬ。人格が粉々になるまで遊んであげるから存分に楽しんでよ!!」
 絶望的な言葉と共に、戦闘が始まった。
 一方通行アクセラレータがようやく作り上げてきた、心の柱を徹底的に砕くための戦いが。

     3

 激戦区の日本海を避け、太平洋を大きく迂回する形で、ロシア海軍の潜水艦はインドネシア近海までやってきていた。
 奇襲攻撃で弾道ミサイルを学園都市へち込むための準備ではない。
 様々な角度から、すでに複数のミサイルを放っているが、その全てが正確に撃ち落とされていた。大概は大気圏外で迎撃されているが、中にはミサイル発射五秒後に『正体不明の閃光』に吹き飛ばされる事さえあった。
 既存のミサイル開発の歴史から考えれば、絶対にありえない事だった。
 人類の築き上げた迎撃システムには様々なテクノロジーが結集しているが、それでも百発百中の精度には至らない。弾道ミサイル対策とは、基本的に『そもそも撃たれないように政治的な配慮をする』のがセオリーだったはずだ。
 こちらについての対策は、上の連中が考えるだろう。
 インドネシア近海に展開している潜水艦の目的は、補給路の遮断だ。
 学園都市は、というより日本は基本的に島国だ。ロシアと違って資源は乏しい。こんな長期戦になるとは思わなかったが、ならば、海外からの補給物資を断つ事で、あっという間に干上がらせるという戦術が有効になる。
 いつまでも、万全の状態でテクノロジーを振るえるものではない。
 スタミナが切れた時が彼らの命日だ。
 彼らはそう思っていた。
 一隻も輸送船を逃さないよう、二〇隻以上の潜水艦を用意していた。
 だが……、
「現れないな」
 いつまで経っても出てこない船影に、誰ともなく呟いた。
 この海峡は、日本行きだけでなく、世界中の船が行き交うハイウェイのような場所だった。事実、様々な国の船の出入りは確認している。しかし、日本行きの輸送船だけが現れない。
 別のルートを使っているのか、または他の国への輸送船にして偽装いるのか。様々な可能性について考えたが、答えは出なかった。分かっているのは、大量の輸送船を行き来させなければ、学園都市は機能を維持できなくなる事だけだ。
 艦隊を組んでいる他の潜水艦の通信士から声が届く。やる事がなければ暇になるのは、素人も軍人も変わらない。一向に標的を発見できないという事実は、密閉された艦内では必要以上に人間の感情を逆撫でするものだ。
『本当に船を使っているのか? 内陸部じゃ、連中はとんでもない航空機を使っているって報告があるじゃないか』
「生活物資まで含めて、ありとあらゆる資材をあんな怪物だけで運搬しているとは思えない。ヤツらのテクノロジーのインパクトに惑わされるな。重量のある物資を大量に運搬するには、海路が一番ポピュラーなのは事実なんだ」
『でも学園都市へ向かう輸送船なんて一隻も見当たらない。海賊紛いの荷物検査だって何度もやったけど、全部空振りだった。ヤツらはどこにいる? 海の上にも空の上にもいない。まさか、海の底にでも潜っているんじゃないだろうな』
「まさか。潜水艦が音を感知させないために必要なサイズというのは決まっている。大規模な輸送船の代わりは務まらないよ」

「……どうします? ニアピンですけど」
 と言ったのは、学園都市製の潜水艦の若い通信士だ。
 インドネシア近海に展開しているロシア製潜水艦の、わずか数メートルの所を彼らはすり抜けていく。積み荷の大半は、学園都市のための物資だ。ロシア軍の世間話は、真実を突いていたのである。
 異常なサイズだった。
 ロシア軍のものがせいぜい一〇〇メートル台なのに対し、学園都市製のものは軽く五倍以上はある。
 学園都市は海に面してはいないが、協力機関のいくつかは、技術情報を基にこうした隠し玉を用意していた。日本の領海に入ったら、小型の潜水艦と連携して物資を港へ運んでいく訳である。
 若い通信士の近くにいる、別の航海士は面倒臭そうな調子で、
「具体的に、彼らのレーダーやソナー上で感知されている訳ではない。それはつまり、我々は公式には存在していないという事だ」
 これほど巨大な潜水艦なら、通常はスクリュー音だけで相当なものになる。水をかき分ける音も確実に感知されるだろう。
 そういった事態にならないのは、そもそもこの潜水艦にはスクリューが存在しないからだ。艦の表面は海流の動きを読み取り、その音の中に上手に溶け込む形でウォータージェットを噴射させて前へ進む。どう努力しても完全には消せない、艦が進む事で撒き散らされる『音』そのものについてもウォータージェットで干渉しているので、敵側のソナーには異常が感知できなくなっているのだ。
「超音波兵器を使えば、交戦の結果ではなく、スクリューのトラブルという事にできますけど」
 他にも、念には念を入れて艦表面にはステルス用の処理を施しているし、磁気で検知されるのを防ぐための機構も取り入れている。
 それでも、一定以上の水深まで上がってしまえば、勘付かれる可能性は否定できなくなる。
 逆に言えば、一定以下まで潜ってしまえば、その可能性は限りなくゼロに近づくという訳だ。
「我々の命令は敵対者の撃沈ではない」
 航海士は自分自身に確認を取るような格好で応じた。
「本来の仕事を行うんだ。我々にとっての最大の勝利は『安全を確保する事』だ」

     4

 地雷は集落の外れにまとめて置いてある。
 高射砲のエンジン音に怯えながらも、浜面は瓦礫の陰から飛び出す。かろうじて建物の原型を留めている遮蔽物の陰に身を隠しながら、雪の上を進んでいく。
 小さな小屋のようなものがあった。
 ワンボックスカーも入らないような小さな木の建物だ。
 便所の個室に似た簡素な扉を開けると、雑誌の束のように無造作に積んであるものがあった。ホームベースのような、五角形の金属製の板だ。紐で縛ってまとめてあるものとは別に、缶ジュースほどの大きさの円筒も積まれている。
「これが……」
 浜面は呻くように言う。
 ディグルヴの話では、対戦車地雷はホームベースの方らしい。浜面は紐で束ねられた塊を両手で掴むと、雪の上へと置く。地雷の性能を知っていれば、絶対にできないような挙動だった。
 紐を解き、ホームベースの端を掴む。
 五角形の各頂点には小さな三角形状の盛り上がったパーツがあった。おそらく、これが重量を感知する信管なのだろう。ひっくり返すと中央部分がわずかに窪んでいて、数センチ程度の長さの木の枝が水平に差し込んであった。何かピンのような物を押さえているようだ。本来のパーツではなく、地面から掘り出した集落の人間が急拵えで取り付けたものだろう。使い方は手榴弾と同じだとディグルヴは言っていた。これを抜いて地面に置けば設置完了、という訳である。後は、カブトムシが上を歩いただけでドカンだ。ひょっとすると、地雷を置いてからピンを操るための工具などもあるのかもしれない。
 できるだけたくさん持っていきたかったが、地雷には重量があった。瓦二、三枚分程度といった所か。こんな物を四つも五つも持ち運んでいたら、まともに走れなくなる。ただでさえ不利な状態なのだ。ハンデはできるだけ少ない方が良い。
(……二つが限界か)
 その時、小屋から比較的近い民家の壁が吹き飛ばされた。
 高射砲の巨大な砲弾だ。
 ディグルヴは、集落にやってきた装甲車両は二台ぐらいだろうと言っていた。そして装甲車は、勝手に床を抜いて地下のシェルターへと落ちてしまった。後は、あの高射砲を潰せれば、ひとまず脅威は去るはずだ。
 浜面は高射砲の砲撃音に身をすくめ、地雷を抱えて小屋を離れる。
 次はあの高射砲に近づかなければならない。
 高射砲の通りそうな場所に地雷を仕掛けておく、という方法もあるのだが、必ず高射砲がそこを通過する保証はない。数に限りがある、建物の陰から出て大っぴらに地面の真ん中で地雷を設置している猶予がない、といった事も加味すれば、あまり現実的な作戦とは言えなかった。
 確実に仕留めたければ、高射砲に近づいて地雷を投げつけるのが最も手っ取り早い。ディグルヴはたとえ話で言ったのだろうが、本当に手榴弾のように使う訳である。
 とはいえ、
(……その『走って近づく』っていうのが、とてつもなく高いハードルだけどな)
 何しろ、相手は人体どころか建物を薙ぎ払うほどの威力を持った大口径機関砲を備えている。気づかれたらおしまいの状況で、わざわざ気づかれやすいリスクのど真ん中に飛び込んでいくようなものなのだ。
 我ながら、まともな戦術とは思えなかった。
 しかし、これを成功させなければ集落のみんなは助からない。
 滝壺だって殺されてしまう。
 何のために学園都市から逃げ出してきたのかも分からない。交渉材料を探して『取引』を行って、元の日々に戻る事もできなくなる。
(やるしかねえっ!!)
 浜面は崩れた瓦礫の陰をなぞるように走り出す。高射砲は獲物を捜すため、建物を崩して遊んでいた。そろそろ、集落の人達が隠れている場所を見つけてしまうかもしれない。落ちかけた屋根と倒れかかった壁がかろうじて均衡を保っているその下を、浜面は駆け抜ける。
 キャタピラの音と震動が、心臓を鷲掴みにする。
 ガラスの割れた窓のすぐ向こうを、鋼鉄の塊が進んでいた。
 崩れそうな壁に背中を預け、窓から視線を投げる浜面。
 距離は近い。
 ほんの五メートルほどだ。
 対戦車地雷の裏にある小さな枝に手が伸びる。
 引き抜けば、地雷の機能が復活する。わずかな衝撃で爆発するようになる。当然、投げつけても起爆するはずだ。
 一度だけ、大きく息を吸う。
 そして止める。
 地雷の裏の枝を引き抜き、壁に預けていた背を離す。ガラスの割れた窓から身を乗り出す。
 高射砲も気づいたようだ。
 だが、巨大な砲塔を回転させるのと、人間の腕を振り回すのは、流石に浜面の方が早い。
 爆発物を投げつけ、壁に身を隠す。
 地雷は砲塔の横にぶつかり、そして起爆した。
 轟音が炸裂し、浜面の脳が揺さぶられる。
 ところが、地雷は手榴弾とは違う。地面に設置して使う爆弾だ。当然ながら、全方向に爆風が広がるのではなく、上方向に向けて爆風を集中させた方が、限られた爆薬の威力を効率良く発揮する事ができる。
 浜面が投げた対戦車地雷にも、そういった工夫が施されていた。
 そして、回転しながら飛んでいった地雷は、ちょうど裏面の方が高射砲の砲塔にぶつかっていた。衝撃を感知して爆発したものの、爆風の大半はあらぬ方向へと逸れてしまったのだ。
 高射砲は吹き飛ばなかった。
 ギチギチと砲塔が回転し、こちらに向くのを浜面は見る。
 そこで、さらなる異音が響いた。
 本来のターゲットから逸れてしまった爆風が、崩れかけた建物の壁を倒していく音だった。浜面の隠れる民家の向かいは、集落で唯一の石造りである、小さな教会だった。鐘のある尖塔部分が崩れ、高射砲の方へと倒れてくる。
 高射砲の操縦士達も気づいたのだろう。
 だが、キャタピラを使って逃げ出す前に、尖塔の鉄鎚が振り下ろされた。分厚い鋼鉄の塊である高射砲の車両は、それだけでは壊れなかった。しかし、圧倒的な重量にのしかかられ、完全に身動きを封じられていた。機関砲を備えた砲塔も、回転できなくなっている。
「……、」
 浜面は、しばし無言だった。
 本来なら胸の内から湧き上がるであろう、様々な感情が出てこなかった。
 彼は一度窓に顔を引っ込めると、メチヤクチャに破壊された民家の中を見回した。単なるセットではない、確かに先ほどまで人が生活していたであろう部屋を。
 そして横倒しになった棚の中から、まだ割れていないウォッカの搬を手に取った。
 建物を出て、高射砲の前に立つ。
 本格的な戦車の場合、近づく歩兵を蹴散らすために、砲とは別に軽機関銃などを装備しているものだ。しかし、そもそも敵陣に切り込む事を前提としていない高射砲には、そういった銃器は備え付けられていなかった。
 浜面を傷つけるものは、もうない。
 彼は分厚い高射砲の車内に酸素を供給するための小さな通気口に口を寄せて、静かに言う。
「……今日は冷えるよな」
 思いっきり日本語だったが、気にはしなかった。
 言葉を合わせるのは、彼の仕事ではない。

「肉を焼くには、格好の天気だ」

 高射砲の屋根にウオッカの蹴を噸きつけた所で、金属製のハッチから備ててプライベーティアの兵隊が飛び出してきた。
 浜面はそんなハッチに向けて小さな拳銃を向ける。
 銃口を向ける事に、躊躇はなかった。

     5

 上条当麻は、ボロボロになった広場の中を走り回っていた。
 散々な結果だった。
 プロの魔術師であるレッサー、エリザリーナ、前方のヴェントは撃破された。サーシャ=クロイツエフはフィアンマの手で連れ去られ、後には戦闘の爪痕しか残らなかった。
 今現在、上条は負傷した魔術師達の手当てを行っていた。といっても、彼にはまともな知識はない。ほとんど、身動きの取れないエリザリーナ達の指示に従っているだけの状態だった。
「ヴェント……」
「感謝の言葉なら筋違いよ」
 ろくに手足も動かせない状態で、それでも彼女は舌を出して吐き捨てた。
「私はフィアンマのやり方が気に入らないだけ。あいつがこれ以上ローマ正教を引っ掻き回すのが許せないだけ。その過程で、たまたまアンタの利益になる行動を取ったワケ」
「……、」
 憎たらしげな声だったが、上条はどこかホッとしていた。
 ローマ正教のみんなが、フィアンマみたいな事を言っているのではない。きちんと反論してくれる人は、あの組織の中にもいる。改めてその事実を教えられた事は、彼が思っているよりも、ずっと彼の重荷を取り払っていた。
 同じように寝かされているエリザリーナが話しかけてくる。
「それにしても、まさかフィアンマが一〇万三〇〇〇冊の知識を利用できる状態だったなんて」
「インデックスは、『神の右席』の術式までは完全にカバーできていなかった。多分、フィアンマは外堀を埋めて効率を上げるために使ってるんだ」
「右方のフィアンマがどこに行ったかは分かる?」
 救急車に乗せた方が良かったのかもしれないが、それを拒んだのはエリザリーナ自身だった。フィアンマとの戦いの中で民衆の前で魔術を露呈してしまったため、そこに後ろめたさを感じているのかもしれない。今この難しい局面で現場から退く事は避けたかったのかもしれない。それはエリザリーナ本人にしか分からないだろう。
「……多分、国境の向こう側にある基地だ」
 上条は少し考え、エリザリーナの質問にそう答えた。
「元々、フィアンマはあそこで何らかの準備を行っていた。そこに住んでいた人達を強制的に立ち退かせてまで、だ。おそらくサーシャをそこに運んで何かをしようとしているんだと思う」
 フィアンマが何をしようとしているかは、未だに判然としない。
 しかし、『下準備』だけでこれだけの被害が出ているのだ。第三次世界大戦そのものさえ、その中に収まるのかもしれない。そう考えると、フィアンマがこれからやろうとしている事は、『それ以上』である可能性も出てくる。何にしても、黙って見ている事はできなかった。これ以上、こんな事を起こさせないためにも。
「何とかする」
 少し考え、上条はエリザリーナにこう言った。
「あいつについては俺が何とかする。インデックスも助けなくちゃならねえしな。だからアンタ達はここにいてくれ。フィアンマが巻き起こした事態が、巡り巡ってもう一度ここまで広がって来ないとも限らない」
 そのまま上条は表へ飛び出そうとした。
 そこで腕を掴まれた。
 比較的軽傷だった、レッサーだ。彼女は特に何も言わなかったが、一緒に行く事を許可しなければ腕を離さないという意思は感じられた。
 上条は一瞬ためらったが、やがて頷いた。
 レッサーは手を離し、上条の横に並ぶ。
「時間がありません。エリザリーナ独立国同盟の力を借りましょう。彼らに車を借りて基地の近くまで接近するんです」
「敵国同士だろ。より一層警戒されるんじゃないか」
「エリザリーナ独立国同盟は、近年ロシアから独立した国の集まりです。使っている車の種類はほぼ同じ。国境警備の薄い所を突破できれば、後は問題ないでしょう」
「……、」
 上条はわずかに口ごもる。
「……巻き込んじまって、大丈夫なのかな」
「?」
「さっきも言ったけど、敵国同士だぞ。協力してくれるのは良いけど、ロシアの国内で彼らが見つかったら、それこそ命の保証なんてない。そんな状況で、協力なんて頼んじまっても大丈夫なのか……?」
「それを決めるのは私達じゃありません」
 レッサーは迷わずに言った。
 一見すると適当にも見えるが、それだけ命のやり取りに慣れているからだろうか。
「命を賭ける当人が決めれば良い。少なくとも、彼らの人生は彼らが選ぶべきです。彼らが拒んだ時は別の方法を探しましょう」
「……、」
 しかし、上条はまたわずかに黙った。
 レッサーはこめかみに人差し指を当て、面倒臭そうな調子で告げる。
「結局、同じ事だと思いますけどね」
「何が?」
「フィアンマが何を言おうが、当人の人生は当人が選ぶべきなんじゃないですか」
「……、かもしれない」
「それに、あなたが何を隠しているにせよ、あなたはそのままの状態で止まっていた訳じゃないんでしょう。それでも必死に前へ進み続けていたんでしょう。その結果としてあなたは幾人かの人生を救い、その中にはイギリスのクーデター阻止も含まれていた。率直に言って、胸を張れる人生だと思いますよ」
 記憶を失いながらも、それを隠して過ごしてきたのは、間違いではなかったのだろうか。
 インデックスの笑顔を守るためにやってきた行いは、独りよがりではなかったのだろうか。
 確かに。
 上条は、これまでにもいくつかの事件を解決し、何人かの人生を救ってきた。多分、それは褒められる事なんだろう。記憶を失った後に知り合った人達もたくさんいる。そうした人達にとっては、記憶の有無なんてどちらでも良いのだろう。いずれにせよ、上条が彼らのために戦った事に変わりはないのだから。
 だけど。
「それでもさ」
 上条は、ポツリと呟いた。
 自らの胸に、突き刺すように。
「それでも、今まで俺が取ってきた行動が、インデックスのためになっていたかどうかは、俺には決められないんじゃないか」

     6

 ドーヴァー海峡の海面は固化し、その上ではイギリスとフランスの魔術師が激突していた。状況は混戦に近いが、カーテナ=オリジナルと移動要塞グラストンベリの力を借りた『騎士派』を中心に、少しずつ巻き返しが図られていく。
 しかし、押されればより強く押し返そうとするのが人間だ。
 フランス側の魔術師とて、数値や条件を見比べてあっさり下がるような連中ではない。押されれば押されるだけ、より一層鬼気迫る表情で様々な攻撃用の術式を行使してくる。
 イギリスの『騎士』の内の数人が、後ろへ下がろうとした。
 ほんのわずかに、間合いを計り直そうとする構え。
 それを弱気と受け取ったイギリスの第二王女キャーリサは、無造作に最前線ヘ一歩踏み出して、
「うわー。このままではフランスの馬鹿野郎にさらわれて死ぬほどレイプされまくるー」
「……ッ!!!???」
 こうなってしまうとイギリスの『騎士』達は意地でも下がれない。
 肉体の限界をちょっぴりぶっちぎる感じで剣を振るい、かろうじてキャーリサがフランス側の人混みに呑み込まれるのを防いでいく。
 一方のキャーリサは両手を腰に当てて、
「まったく、戦場で出し惜しみなどするな。最初っからそれぐらいの勢いで戦ってれば良かったの」
 そこでついに騎士団長ナイトリーダーは通信用の霊装を使って、こっそりとウィンザー城へ連絡を取った。
「そうだ、女王エリザード様に繋いでくれ! 大至急だ!! キャーリサ様の尻を引っ叩く許可をいただきたい!!」
「コラやめろ!! あの母上ならそのためだけに、カーテナ=セカンドの力を全てお前ヘ一点集中させかねないの!!」
 ぎゃあぎゃあと通信用霊装を奪い合っている最中も、集団対集団の戦闘は進行している。多くの剣や魔術が交差する中、キャーリサはフランス側の魔術師を一瞥し、唇を動かす。
「ふん。個性のない連中だ」
 吐き捨てるような言葉だった。
「及第点の実力を持つ小粒は多いが、決定打には欠けるの。兵力の近代組織化とでも言い訳するつもりか? こんな程度では、『聖人』や『騎士』を含む我々には対応できないぞ」
 ゴバッ!! という爆音が発せられた。
 キャーリサの頭上からだ。
 天空からの雷が、第二王女を抹殺するべく降り注いだのだ。
 しかし姫には傷一つない。
 どんな手段を用いたのか、周囲の騎士達が頭上に剣を振るい、雷撃を逆に吹き飛ばしたのだ。
「結局、ヴェルサイユの聖女様が遠距離から頑張るしかない訳だ」
 キャーリサはくだらなさそうな調子で言った。
「だが、根本的にお前は宮殿から外に出られない事は明白よ。宮殿にお前を逃がさないよーな封印が施されてるのではない。逆に、お前の体の方が、宮殿の中の魔術環境でしか生きられないよーに、内臓のレベルで再調整を施されてしまってるの。……お前を恐れるフランスの馬鹿な重鎮どもの手によってね」
 声はおそらく、遠く離れたヴェルサイユの聖女にも聞こえているだろう。
 返事はなかった。
 キャーリサは気にせず、さらに告げる。
「そして、必要以上に射程を伸ばした術式では、そー簡単にとどめを刺す事はできない」
 魔術師に一〇〇の力があったとする。
 単に攻撃のために全ての力を使えるなら、攻撃力は一〇〇になる。しかし射程距離を伸ばすための術式を組み込んだ場合、その分だけ攻撃に割ける割合は減ってしまう。
 世の中には、最初から物理的な距離を考えず、宇宙のどこへでも同じダメージを与える術式も存在する。しかしヴェルサイユの聖女の術式に、そういった特徴はなかった。距離が伸びれば伸びるほど威力が減る、典型的な術式でしかない。
 その上、カーテナ=セカンドの力を借りた『騎士派』は、元々の性能が人間離れしている。力の削がれた魔術でどうこうできるような兵力ではない。
「さて」
 キャーリサは遠方から戦況を観測しているであろう、ヴェルサイユの聖女へと声をかける。
「そろそろ本気で行かせてもらおーか。お前はそこで、上陸される瞬間を、指を咥えて見てると良い」

     7

 紫電の弾ける音が、雪の中で炸裂した。
 第三次製造計画サードシーズン
 エイワスの影響で使い物にならなくなりつつある打ち止めラストオーダー達と、手綱を御しきれなくなってきた一方通行アクセラレータを、確実に仕留めるために実行されてしまったプロジェクト。
 二万+αワンセットの妹達シスターズとは違うシリーズ。
 差し詰め、
番外個体ミサカワーストといった所かな」
 襲撃者は、自らの名をそう呼んだ。
 おそらくは、生み出されてはいけない、特に誰にも望まれていなかった枠の生命体である事を自覚した上で。
 彼女の手の中には、ニセンチ程度の短い鉄釘が躍っていた。
 時折、風船が割れるような音と共に、鉄釘が音速以上の速度で射出されてくる。
 だが、
(使用電力から考えて、実用的な超電磁砲レールガンとは違うよォだ)
 状況に追い詰められ、混乱しかかった頭を必死に動かし、一方通行アクセラレータは分析を行う。
(どっかのスナイパーが使ってた磁力狙撃砲と同じ方式か。フレミングの左手じゃなくて、もっとシンプルに電磁石を使って鉄製の弾を撃ち出してやがる)
 ここまで来て、一方通行アクセラレータはまだ『反射』を使っていなかった。
 脚力のベクトルを操作し、小刻みな超高速移動を行って、番外個体ミサカワーストの照準から渡れるための回避行動を取っているのだ。
 状況に合わせて、そして打ち止めラストオーダーを守るためにも、戦う事は避けられない。
 しかし、できる事なら番外個体ミサカワーストにとどめを刺したくないのも事実だったのだ。それが二万+αワンセットの、妹達シスターズとは違う計画で生み出された者でも、」一方通行アクセラレータ達を殺すために発動した第三次製造計画サードシーズンの個体であったとしても、やはり一方通行アクセラレータには一連の体細胞クローンを死なせてしまう事には、極度の抵抗がある。
 残酷な話をしてしまうが、もしもここにいるのが木原数多だったら、垣根帝督だったら、と一方通行は思ってしまう。そういったクソ野郎どもなら、彼は迷わないだろう。|打ち止めラストオーダーを守るという目的のため、容赦なく上下左右に引き裂くだろう。一方通行アクセラレータは博愛主義者ではない。己の目的に合致するなら敵と殺し合う事は辞さない。だが、だからと言って、今ここに現れた『敵』に、その法則を適用させるのだけは何としても避けたかった。
 そして。
 当然ながら、番外個体ミサカワーストもその事には気づいていた。
 一方通行アクセラレータが躊躇っている事に気づいていながら、彼女はそれを戦術に組み込んで利用した。
 そのために生み出されたのだから。
「気をつけた方が良いよ」
 ニヤニヤと。
 これまでの妹達シスターズとは明確に違う『表情』で、番外個体ミサカワーストは告げる。
 そう、悪意を含んだ笑みを浮かべながら。
お姉様オリジナルほどの出力はないけど、ミサカだって二億ボルトぐらいまでなら何とかなるんだし。大体、大能力レベル4ぐらいになるのかな」
 ゴッ!! という爆音が炸裂した。
 番外個体ミサカワーストの体が消えた。
 莫大な高圧電流を使って空気を爆発させ、その勢いで飛翔したのだ。輸送機から地面に着地した時に使ったものと同じ方法だった。
 一方通行アクセラレータが気づいた時にはもう遅い。
「ほらもう一発」
 声は真上から聞こえた。
 そしてニセンチの鉄釘が降り注ぐ。
 真横へ飛んだが、一方通行アクセラレータは途中で体のバランスを崩し、雪の上を盛大に転がる。
 ふくらはぎの辺りに、赤黒い傷があった。
 今度の鉄釘は、体内に留まったらしい。
「もっと逃げ回ってよ」
 雪を踏み、上空から着地する番外個体ミサカワースト
 手の中で、ジャリジャリと鉄の釘が音を立てている。
 耳りなその音は、標的を少しでもいたぶるための演出か。
「あなたはミサカ達を一万人以上、一万回以上殺してきたんでしょう?」
 突き刺さる言葉だった。
 赤の他人から好き勝手にぶつけられる言葉とは、全く意味の異なる言葉だった。
 声というほんのわずかな空気の震えが、核攻撃すら反射する一方通行アクセラレータを内側から崩していく。
「だから逃げ回ってよ。無様に命乞いしてよ。普通の人間が普通に死んでいくんじゃなくてさ。最低でも一万倍は人権を踏みにじらないと帳尻が合わない。言っておくけど、これは最低ラインだよ。利子を含めば三倍返しじゃ済まないからね」
 番外個体ミサカワーストの、顔の皮膚が、内側から盃む。
 繊細で整った少女の顔が、まるで火で焙ったビニール人形のように盃んでいく。
 原因は憎悪。
 それでいて単純な怒りではなく、少女の顔面の枠が二度と元に戻らなくなりそうなほどの、極隈の笑みが広がつている。
(……惑わされるな)
 一方通行アクセラレータは、腕や足から広がってくる激痛を抑えながら、必死に考える。
(これは、あいつらじゃねェ。『実験』のために直接生み出された連中じゃねェ。文字通り、顔と体を借りてしゃべってるだけの偽者。こいつの言葉に、いちいち踏み止まる必要はねェンだ)
 ゾワゾワと、額の中心に向けて得体の知れない感覚が集まっていく。
『反射』を全身に適用させるか。
 番外個体ミサカワーストの声すらも『反射』で遮るべきか、天秤が傾こうとする。
 しかし。
「同じだよ」
 その一言が。
 たった五つの音が、一方通行アクセラレータの決断を食い止めてしまう。
「ミサカはあなたを殺すために生み出された。別に生まれたくもなかったのに、無理矢理に生み出されてしまった。最終信ラストオーダ号からの信号を遮断するために、皮膚を切り開いて得体の知れない『シート』や『セレクター』を山ほど埋め込まれた。あなたさえいなければこんな事にはならなかった。あなたがそんな選択さえしなければミサカが生み出される事はなかった。生まれてくるにしても、こんな未来のないやり方じゃなかったはずだった。痛いよ、助けて。そんな言葉を知った時には、もうそんな事は言えない状態になっていた。だからミサカには糾弾ずる権利がある。あなたを殺すべき理由がある」
 それに、とは番外個体ミサカワースト付け加える。
 一つ一つ、自慢の凶器を見せびらかす猟奇殺人犯のように。
「ミサカ達は各々の個体であると同時に、ネットワークで繋がった一つの大きなミサカでもある。これはミサカという個体だけが持っている、特有の思考方法ではない。ネットワークという『大きなミサカ』が抱えている一部分なんだから」
 ゴッ!! という鈍い音が聞こえた。
 一方通行アクセラレータの視界がブレた。
 空気を爆発させて高速移動した番外個体ミサカワーストが、自分の顔を蹴飛ばしたのだと気づくまで、わずかなタイムラグが必要だった。
「どうして今まで───最終信号ラストオーダーを含めて、他のミサカ達があなたを糾弾しなかったと思う? 不自然だとは思わなかった? 一万人、一万回も殺され続けているのに、どうして憎悪を抱かなかったのかな。答えは簡単。ミサカ達は聖人君子じゃない。ミサカ達は清く正しいお姫様でもない。……自らの意思で恨まなかったんじゃない。ただ、それを理解し、表現するほどの『人間らしい感情の処理方法』が不完全であったため、表に出なかっただけ」
 それが狙いなのだ。
 一方通行アクセラレータを追い詰める事が狙いなのだ。
 だから気にしなくて良い。
 単に演出されたものなのだから、いちいち真に受ける必要はない。
 しかし。
 どうしても、一方通行アクセラレータ番外個体ミサカワーストの……妹達シスターズからぶつけられる悪意を、無視する事はできない。
 たとえ、それが作戦の一環だと分かっていても、引っかかってしまう。
 もしかしたら。
 打ち止めラストオーダーのあの笑顔は、自分を許してくれたものではなく、単に『学習装置』によって急速に形成された人格が、憎悪や恐怖といった負の感情を正しく認識できるほど成熟していないだけなのではないか。あれだけの事をした自分が、そうそう簡単に許されるはずがないではないか。そういう懸念が、一方通行アクセラレータをぐらつかせてしまう。
 白い雪の上に、赤い血がいくつも散った。
 一方通行アクセラレータの体の流れに沿って、ラインを引いていくかのようだった。
 番外個体ミサカワーストは、靴の爪先についた赤い液体を雪に擦りつけ、
「ぎゃはは!! ミサカ達は少しずつ『人間らしく』なってきている? 『人間らしく』いろいろな事ができるようになってきている!! でも『人間らしく』っていうのは、別にプラスにだけ働くものじゃない? じきに多くのミサカ達が僧悪に気づく。正当な復讐の権利について考えるようになる!! あなたが今まで勝手に酔いしれていた願罪行為は、所詮あなたの中でだけ消費されてきた自己満足に過ぎない!! ミサカの憎悪を軽減させる効果は全くない!! この先、あなたはネットワークに繋がったあらゆるミサカから『人間らしく』恨みを抱かれ命を狙われる!! それが成功して命を落とすか、失敗してあなたが全てのミサカを殺すか。いずれにしても、あなたの思い描く都合の良い未来はやっては来ない!!」
 言葉と共に、次々と靴の爪先が飛んできた。
 そのたびに一方通行アクセラレータのあちこちから血が噴いた。
 避けようと思えば避けられたはずだ。
 反撃しようと思えば反撃できたはずだ。
 しかし、一方通行アクセラレータにはそれができない。
 それをしようという心の動きが、体の内側から湧いて来ない。
 心の中で、何かが折れかけていた。
 外からのダメージだけではない。それに対抗するために怒りを燃やしただけで、完全に砕けてしまいそうだった。
 取り返しがつかないほどに。
 あるいは、『実験』をやっていたあの頃よりも、さらに壮絶な怪物へ変貌しかねないほどに。
「甘ったるい妄想に浸り、ミサカの言葉を否定したければすれば良い。だけど、すでにミサカの言った事は証明されている。このミサカは、番外個体ミサカワーストは、他のミサカと違って負の感情を表に出しやすいよう脳内物質の分泌パターンを意図的に再調整されている。巨大なネットワークの中から、負の感情を読み取りやすいように。よって、『ミサカ達には憎悪の感情が存在しない』のではなく、『存在しているものの、それを表に出すための手段がない』だけだという事は判明した。……そこの最終信号ラストオーダーを含む、全ミサカ達に、だ!!」
 顔を踏みにじるように叩き込まれた番外個体ミサカワーストの足が、ふと止まった。
 彼女は何かを見ている。
 少し離れた雪の上に、打ち止めラストオーダーが倒れていた。エイワス出現の影響で、意識すらも危うくなっている幼い少女。彼女は雪の上に埋もれたまま、もぞもぞと手を伸ばしていた。一方通行アクセラレータの方に。血を流して躁踊される彼を、どうにか守ろうとしているかのように。
 実際に、その手が届くかどうか。
 現実的な数値の問題など、気に留めずに。
 打ち止めラストオーダーは何らかの能力を使って襲撃者の動きを封じようとしているらしいのだが、番外個体ミサカワーストに変化はない。彼女はそのための『対策』を講じているようだし、何よりも、ボロボロになった今の打ち止めラストオーダーに、司令塔として正確に機能する余力があるかどうかは定かではない。
 小さな少女の顔から、ドロドロした汗がこぼれていた。
 その体の内側で何か不吉な事が起こっているのは明白だった。
「……、」
 番外個体ミサカワーストは、ほんの少しだけ動きを止めていた。
 そして、これまで以上に大きく盃んだ笑みを広げた。
「そうね。まずは、あっちの不良品から片付けるか。その方が効果的っぽいしね」
 ゾワリ、 と
 学園都市第一位の心の奥底で、嫌な予感がこれまで以上に膨らんだ。
第三次製造計画サードシーズンの下でミサカ達は刷新され、ネットワークの拡大と再配備に伴って、さらなる性能の強化と躍進を遂げる」
 ジャリジヤリと。
 番外個体ミサカワーストの手の中にある、ニセンチぐらいの鉄釘が、耳障りな音を立てる。
「もはや最終信号ラストオーダーという旧世代の司令塔は必要ない。むしろその存在は、これから配備されるであろう全てのミサカにとっての邪魔な足枷に過ぎない」
 まるで共食いのような状況だが、仮に妹達シスターズが『一つの巨大なネットワーク』に支配された存在だとすれば、彼女の言動は、人間の思考回路に当てはめて処理する事もできる。
 人間だって、都合の良い事を考えるだろう。
 今のあなたは本物ではありません。あなたの中には素晴らしい才能が隠れているのです。それを引き出して本物のあなたになりましょう。古いあなたを捨てるのです。
 普通の人間なら、そういった都合の良い考えは、体の内側、精神的な部分によって行われる。しかし、妹達シスターズは複数の体を使って構成される巨大なネットワークだ。『古い自分を捨てる』という言葉は、比揄ではなく物理的に行使される事になってしまう。
(……ああ)
 彼女達の自発的な『進歩』を食い止め、今のままに留まってほしいと思うのは、単なるエゴでしかないのだろう。いつまで経っても子供は子供のままでいてほしいという親の考えにも似た、相手の自由を奪うような考えでしかないのだろう。
(……つまり、そォいう事か)
 誰も死なせずに場を収める事はできない。
 突きつけられた選択肢は、以下の二つ。
 打ち止めラストオーダーを守るために、番外個体ミサカワーストを殺すか。
 妹達シスターズを殺さずに、打ち止めラストオーダーが死ぬのを黙って見るか。
 鉄釘で体を貫かれ、至る所に蹴りを入れられ、踏みにじられ、打ち止めラストオーダーにまでその矛先を向けけられて。
 ようやく、一方通行アクセラレータはこう自覚した。

 もう 諦めるしかないのか。

 ボバッ!! という爆音が炸裂した。
 一方通行アクセラレータの顔を踏みにじり、鉄釘で打ち止めラストオーダーを狙っていた番外個体ミサカワーストの体が、宙へ投げ飛ばされた音だった。大きく弧を描いて投げ出された番外個体ミサカワーストは、たっぷり一〇メートル以上滞空してから雪の上に落ちた。
 そう。
 学園都市第一位が本気を出せば、こんなものなのだ。
 ニ億ボルトの高圧電流だろうが、音速以上で飛ぶ鉄釘だろうが、妹達シスターズの中の一人だろうが。
 たかが雑魚の一匹二匹で、どうにかできる訳がないのだ。
「がっ!?」
 呻く番外個体ミサカワーストは、そこらでゆらりと立ち上がる人影を認めた.
 まるで蜃気楼のように、中心の芯を失った一方通行アクセラレータ
 本来であれば、弱体化に成功し千載一遇のチャンスが到来していたはずだった。
 なのに、
「───ッ!!」
 番外個体ミサカワーストは短く息を岬き、磁力を借りて鉄釘を放つ。
 音速以上の速度で飛んだ鉄釘は、正確に一方通行アクセラレータの眉間へと吸い込まれる。一方通行アクセラレータは回避をしなかった。首を振るどころか目も瞑らなかった。にも拘らず、彼の皮膚は一ミリも裂けず、彼の血液は一滴もこぽれなかった。
『反射』だ。
 跳ね返った鉄釘は、番外個体ミサカワーストの腕へ正確に突き刺さった。一方通行アクセラレータに迷いや躊躇いは一切なかった。転がる番外個体ミサカワーストは、さらに鉄釘を取り出す。今度の狙いは打ち止めラストオーダー。腕を伸ばし、一方通行アクセラレータの代理演算を行っている中核を破壊しようとする。
 そこで、蜃気楼のようだった一方通行アクセラレータが、明確に動いた。
 脚力のベクトルを操作して一瞬で近づいたかと思ったら、番外個体ミサカワーストの伸ばした腕へと、自分の拳を容赦なく振り下ろす。
 折った。
 内部に鉄釘が埋まったままの腕の骨を、力を込めて思い切りへし折った。
 絶叫し、高圧電流で空気を爆発させ、一気に後ろへ下がろうとする番外個体ミサカワースト。しかし、
 一方通行アクセラレータはその足を掴んで雪の上へと叩きつけた。
 ズズン……ッ!! と、花火大会の会場のような震動が周囲へ撒き散らされる。
 咳き込む番外個体ミサカワーストへ、さらに拳を振り下ろす。
 肉が打たれ、骨が軋み、血が撒き散らされる音だけが続いた。
 番外個体ミサカワースト一方通行アクセラレータの電極に干渉する術を用意してきたようだったが、そんなものを使わせる隙を与えなかった。立て続けの激痛によって能力使用時のわずかな集中すら許さないのだ。
 そうしながら、一方通行アクセラレータは自分の中にあったものがグズグズに崩れていく感覚を得ていた。お世辞にも褒められたような道は歩んでいないが、それでもつたない手で組み上げてきた、自分なりの生き方というものが片っ端から失われていくのを自覚した。世界を全部敵に回してでも、血みどろの世界の中を這いずりながら怪物達と殺し合いをする羽目になってでも。この顔の少女達だけは、何が何でも守りたかったという願いが、だ。
 いいや、違う。
 崩れるのではない。
 ゼロになってしまうのではない。
 それ以下。
 打ち止めラストオーダーと出会う前よりも、『実験』をやっていた頃よりも、はるかに恐ろしい怪物へと変貌していくのが、自分で分かる。
「は、はは」
 気がついた時には、番外個体ミサカワーストはもう動いていなかった。
「……苦しい……ミサ、カ……」
 かろうじて息を吸って吐いていたが、体のあちこちが裂けていた。腕は変な方向に曲がっていた。整った顔立ちは腫れ上がっていた。命を賭けて守るべき少女が、その内の一人が、虫の息になっていた。
「助けて。誰か……」
 一方通行アクセラレータは、それを認識した。
 自分の手が血まみれになっている事を知って、彼は雪の中で膝をついた。
「ぎゃははははは!! ぎぃはぁはははははははははははははははははははははははは!!」
 乾いた笑いだけが広がった。
 もう駄目だ。もう動けない。学園都市の連中はみんなどうかしている。あんなのには付き合えない。そして、あんなのの力を借りて繁栄しているこの世界にも付き合えない。この世のありとあらゆる平和や幸福や笑顔にどす黒い裏を感じる。テレビコマーシャルの中にある好感度の高い笑顔が莫大な富を生むために作られたものであるのと同じく、あれだけ憧れてきた『光』や『善』といったものが信じられなくなっている。
 どうせこれで終わりじゃない。
 仮に第一位の心がまだ壊れていないと知ったら、第二、第三の作戦が実行されるに決まっている。今度はまた別の妹達シスターズが出てくるか、あのガキに似た体形に調整された個体が出てくるか、黄泉川や芳川が利用されるか、あるいは全く関係のない村や街が丸ごと使い潰されるか。
 いずれにしても、ここが限界だ。今後、相手は絶対にこれ以上の痛みを与えてくる。そんなのには耐えられない。挑戦したいとも思わない。ここで壊れてしまった方が、多分気が楽だ。学園都市が形作る『闇』は普通じゃない。
 その時、もぞりという物音を聞いた。
 あれだけメチヤクチャに蹂躙じゅうりんされた番外個体ミサカワーストが、赤く汚れた雪の中でうごめいている音だった。
 確か、番外個体ミサカワーストは自分の能力を使って、一方通行アクセラレータの代理演算を阻止するための策を講じてきたと言っていた。
 先ほどの連打の中では使うだけの暇もなかったのだろう。
 今度こそ、逆襲のために使っでくるのかもしれない。
 一方通行アクセラレータは笑ったまま、何故か首を横に振った。自分の動作の意味が分からなかっただが、これ以上動きたくはなかった。もうどうでも良かった。あまりの心の痛みに、直前まで抱えていたものが全て消え去ってしまった。心の内側をボロボロにされた一方通行アクセラレータは、ここで殺されてしまうのならそれでも構わないと思っていた。
 しかし。
 学園都市は、一方通行アクセラレータが思っているよりも、さらにどうかしていた。

 ぶちゅり、という小うな音が聞こえた。
 番外個体ミサカワーストの体の中に埋め込まれた『セレクター』が、破裂する音だった。

「……は?」
 今後はどうであれ、ひとまず心のダメージはここが上限だ。
 これ以上の痛みはない。
 もうこれで番外個体ミサカワーストが仕掛けてきた、嫌がらせのような精神攻撃は終わったはずだ。
 そう思っていたからこそ、一方通行アクセラレータの思考が一瞬だが確実に振り切れた。
 全ての感情の波が、完全に平坦になった。
 直後。
 人間の持つありとあらゆる感情が、彼の頭の中で爆発した。
「くっ、はは!? ぎはははッッッ!! ぎゃああアははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
 あまりの衝撃に、実際に視界が眩んでしまった。
 色の区別のつかなくなった世界の中で、小さな赤い色彩だけが不必要に広がった。
 番外個体ミサカワーストの首から後頭部にかけて、何かが裂けていた。
 決して少なくない量の血が溢れていた。
 そんな中で、横向きに倒れた少女は笑っていた。まるで、負の感情で顔の皮膚を固められてしまったかのような笑顔だった。悪意という見えない指で、顔の内側から肌を引っ張られているみたいだった。
 ぱくぱくと、番外個体ミサカワーストの口が動く。
 掠れるような声で、彼女はこう呟いていた。
「……あ、な、た、の、せ、い、だ」
 吐瀉物としゃぶつを撒き散らすかと思った。
「がふっ!! がはぐふっ!! ぎばっ、ぎはは、ぎゃハハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははァァァ───ッ!!!!!!」
 学園都市のクソッたれどもは、番外個体ミサカワーストがどんな戦績を出そうが、必ず一方通行アクセラレータの息の根を止められるように彼女の体を設計していたのだ。仮に一方通行アクセラレータが圧倒的な力を振るって、殺さずに事を収められるような『半端な事態』に陥ったとしても、そこからさらに一方通行アクセラレータの精神をズタズタに引き裂けるように。
 今までは、こう考えていた。
 第一位のトラウマを利用して弱体化させ、彼を殺害できればそれでよし。
 仮に敗北したとしても、妹達シスターズを殺害したという事実が彼を精神的に死滅させる。
 しかし、違ったのだ。
 そんなに甘くはなかったのだ。
 勝っても負けても、どころの話ではない。
 勝とうが負けようが引き分けだろうが逃げようが和解しようが、どんな状況であっても必ず一方通行アクセラレータにとどめを刺すという結果を導き出すための装置。それが番外個体ミサカワーストという一人の少女だったのだ。
 崩壊、という単語が浮かぶ。
 精神論の問題で、学園都市第一位は本当に死んだと思ってしまうほどだった。
 実際、一方通行アクセラレータの心はほぽ完全に砕かれた。
 人間を人間として動かすための力が失われてしまった。
 こんな腐った世界の中で生きていきたくない。こんな腐った世界を変えようとも思わない。もうこの世界は駄目だ。人間の力でどうこうできるレベルではない。こんな世界から離れる事ができるのなら、雪の中に沈んでいった方がマシなのかもしれない。
 ぴくぴくと、番外個体ミサカワーストの体がうごめいていた。
 自らの意思とは無関係だった。
 おそらく体の中から急激に血が失われていった事で、ショック症状が出ているのだろう。
 学園都市の腐った連中が生み出した結果。
 最低最悪の結末を見せつけられた一方通行アクセラレータは、

「ふざけンじゃねェェぞオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

 ついに絶叫し、今にも死にかけている番外個体ミサカワーストの下へと向かった。
 彼の能力はベクトル操作。
 主に攻撃的な理由で使われる事の多い力だが、別に、それだけにしか使えないという訳ではない。人の体の中を流れる血液や電気信号の向きを読み取る事で健康状態を調べる事もできるし、さらに深く切り込んでいけば、ある程度の治療や応急手当てにも扱う事ができる。
「ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって!!」
 一方通行アクセラレータの目が血走る。
 新たな目的が生まれる。
 それはちっぽけな反抗だった。
 そう、
「これが全部、学園都市のクソどもの計画だったンだろ……。どオあがいてもこのガキがくたばって、俺の精神がズタズタになって、温かい部屋の中で酒でも飲みながらどこかの誰かが笑ってる。そォいうのを全部ひっくるめたのが、連中の手の内って事なンだろ……」
 ふつふつと、感情が湧き出てくる。
 人間を人間として動かすために必要な原動力が。
「だったら!! 俺がその全部をメチャクチャにしてやる!! このガキが死ななきゃ計画が『成功』しねェって言うなら、俺の手でこいつを救う事で『失敗』させてやる!! クソッたれども、今に見ていろ!! オマエ達の余裕の表情を、今からここで粉々にしてやる!!」
 圧倒的な怒り。
 一方通行アクセラレータの瞳に、明確な意思が宿る。
「クソッたれのクソッたれのクソッたれども!! 俺に殺す力しかないと思って見下してやがる性根の腐ったクソ野郎ども!! 今からオマエ達に見せてやる!! あの時、あのガキを天井のウィルスから守ったよォに、俺にだって何かを守れる力があるって事をよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

     8

 ぼやけていた視界は、いつまで経っても途切れる事はなかった。
 番外個体ミサカワーストは、ようやくそれが生きているのだと理解する事ができた。
 体内には、最終信号ラストオーダーからの信号を拒絶するための『セレクター』が埋め込まれていた。彼女はそれを自分の意志で起爆させたのだった。爆発は極めて小規模なものだが、いくつもの破片が体内の奥深くへと潜り込んだ。普通なら絶対に助からない。最新鋭の設備を整えられた病院の手術室でも無理だっただろう。まして、こんな何もない雪原ではどうしようもなかった。
 自分は使い捨ての個体だ。
 仮にここで勝てたとしても、それ以外の使い道は考えられていない。第三次製造計画サードシーズンの中でも正式なネットワークが構築される前に死亡する予定だった個体だ。
 なのに……、
(……?)
 いつまで経っても、明確な死はやってこない。
 曖昧な生だけがいつまでも続いていく。やがてこれは安定したバイタルへと変わっていく事も、何となく予測がつく。
 自分は生き残ったのか。
 学園都市の計画は失敗してしまったのか。
 学園都市第一位の超能力者レベル5は、世界レベルのグローバルな悪意に打ち克つ事ができたとでも言うのか。
 通常よりも負の感情をネットワークから拾い上げやすいように調整されている彼女には、受け入れ難い話だった。しかし現実として、番外個体ミサカワーストは絶対に死んでいなければおかしい状況から生き延びていた。それも第三者の手を借りて、だ。
 番外個体ミサカワーストは、しばらく沈黙していた。
 その静寂は、負の感情ばかりを受け入れるように作られた彼女にとっては戸惑うものであり、同時にどこか心地の良いものでもあった。
 だが。
「ぎゃは」
 何か、嫌な音が聞こえた。
 ようやく受け入れようとしていた何かを、粉々に砕いてしまうような音だった。
「ぎゃはは。駄目だ、駄目だ。くっははははは」
 声の波が安定しない、高くも低くも大きくも小さくもある声だった。ガスの元栓から何かが漏れる音よりも、それははるかに危機感を煽らせる音だった。
番外個体ミサカワーストは、ゆっくりと首を動かす。
 その先にいたのは……。
「いひゃはははははははははははははッッッ!! もォ抑えらンねェよ!! あのガキの笑顔だけじゃ止まンねェンだよォ!! ぎゃは! ぎゃはははは!! 全部ぶっ壊してェ! 片っ端から薙ぎ払いてェ!! こンなモンを作って喜んでるよォな連中も、その恩恵を得て『幸せ』っつーモンを手に入れている連中も! 一人残らず!! 一人残らずゥ!! ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
 ドォ!! という爆風が炸裂した。
 怒りに我を忘れた学園都市第一位が、全方位に能力を撒き散らしているのだと、番外個体ミサカワーストは考えた。
 しかし違う。
 黒い翼があった。
 ありとあらゆる絶望で固めたような翼があった。
 一対の翼は、互いが互いを潰し合うように絡み合い、毟り取っていた。おそらく彼の中の心の動きが、何らかの形で表に出ているのだ。そのたびに一方通行アクセラレータの喉から絶叫が迸った。空気がビリビリと震え、余波となるエネルギーがロシアの白い大地をミシミシと痛めつけていくのが分かる。雪を踏む一方通行アクセラレータの両足を中心として、地盤に蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。
 どこまで膨らむかは分からない。
 これが世界の終わる日の光景なのかもしれない。
 もしかしたら、番外個体ミサカワーストが直前まで抱いていたのは、間違いではなかったのかもしれない。学園都市第一位の超能力者レベル5の中にも、そういった温かいものが流れていたのかもしれない。
 だが。
 それらは全て、粉々に砕かれた。
 自分が何の引き金を引いてしまったのか。ようやくその事を自覚し始めていた番外個体ミサカワーストの全身が、ガクガクと得体の知れない震えを発し始めていた。

     9

 集落を襲ってきた高射砲は動きを止めた。
 他にあちこちに展開していた歩兵達は、元々動けなくなった装甲車の中に乗っていた連中だ。本格的な白兵戦のための準備を整えていた訳ではない。兵士としての錬度はともかくとして、単純に『アサルトライフルを持っている人数』だけなら、実は集落の方が多かった。何しろ、消火器の数より普及しているというぐらいなのだから。
 互いに銃口を向け合い、両者の動きは止まった。
 しかしプライベーティア側は、装甲車も高射砲も破壊されていた。その事実が、普通ならおびえていたであろう集落の人々の心を、必要以上に高揚させていた。
 一歩も退かない集落の人々を見て、プライベーティア側に動揺が広がるまで時間はかからなかった。どちらかの緊張の糸が切れ、一度撃ち合いになってしまえば、確実に共倒れになる。殺人ツアー感覚で戦場にやってきたプライベーティアの兵隊達は、そんな展開など考えたくなかったのだろう。
 心が折れ、両手を上げるまで時間はかからなかった。
 そうすれば助かると思っている時点で、彼らは自分が今までしてきた事の重さを、まだ自覚していないのかもしれなかった。
「……一応、ボデイチェックした上で、まだ使えるシェルターの中に放り込んでおいた」
 ディグルヴが、浜面に向けてそんな報告をしてきた。
 浜面はあちこちについた擦り傷に消毒液をかけている所だった。
「そうか」
「本当なら両足を折って野犬の餌にでもしてしまいたいぐらいだ。実際、そうしようと言っている連中もいる。高射砲を吹き飛ばしたアンタの願いじゃなければ、誰も聞かなかっただろう」
「……、」
 浜面は、懐にある拳銃の重さを少しだけ考えた。
 結局、動けなくなった高射砲から出てきた兵隊達を、浜面は撃つ事ができなかった。どれだけ憎たらしい相手であっても、引き金を引く事ができなかったのだ。自分の命が奪われようとしている、まさにその一瞬だったのなら、浜面は撃っていただろう。というより、考えるだけの余裕がなかっただろう。だが、あの時にはその余裕ができてしまっていた。相手が同じ人間である事を考えてしまうだけの、余裕が。
 ともあれ、一時的かもしれないが、危機は去ったのだ。
 殺伐とした思考回路はもう止めたい。
 ほとんどの建物が瓦礫になってしまったが、それでも、人はもっと笑顔であっても良いはずだ。ここで両手を上げたプライベーティアの人達を撃たなかった事は、いつかきっと、この集落の人達にとって大きな力になるはずだ。そう思っても良いはずだ。
 なのに、
「来てくれ!! まずいぞ! さっきの連中どころの話じゃない!!」
 ロシア語で誰かが叫んだ。浜面には分からなかったが、ただごとではなさそうだった。ディグルヴと一緒にそちらへ走ると、まだ壊れていない建物の中に多くの人達が集まっていた。単純に寒さを凌いでいるだけではない。時代遅れのテレビのようなものがあった。映っているのは緑色の光点だった。
「古い世代のレーダーだよ」
 ディグルヴがそう教えてくれた。
「金属反応の反射を捉えて映し出す。中央に向かうほど、この集落に近づいている。地面の側にあるものは映らない」
「そっちの三つの点は何なんだ?」
「大きい影だ。三〇メートル以上あるかもしれない。戦闘機ではなさそうだ。となると……」
「じゃあ何なんだ」
「ヘリだ」
 デイグルヴは自分で言った言葉に緊張したのか、表情がみるみる変わっていく。
「地上を爆撃するための攻撃ヘリだ。詳しい機種は分からないが、かなり大きい。三機とも同じ攻撃ヘリだとしたら、この集落にあるものだけじゃ対抗できない。今度は地雷を掴んだぐらいでどうにかなる相手じゃない」
 この集落にはAKなどのアサルトライフルがあるが、ヘリには当たらないだろう。攻撃ヘリは戦車や高射砲に比べると装甲は薄いが、その分高速に動き回る。専用の携行型地対空ミサイルであっても、相手の後ろを取って発射しなければ回避されてしまうぐらいだ。
 その上、速く動くという事は、逃げるのも難しいという事も意味している。自動車で逃走するぐらいならあっという間に追い着かれるだろう。空中から放たれる大量のミサイルや機銃の掃射に耐えられるとも思えない。
「……またプライベーティアなのか?」
「おそらくな。正式な掃討作戦なら、こんな単一の兵器だけでは攻めてこない。複数の兵器や兵科を組み合わせて、互いの弱点を補うように展開するのがセオリーだ。プライベーティアの連中には、そういうセオリーが存在しない」
 装甲車と高射砲がいつまで経っても帰還しない事を鑑みて、第二陣がやってきた……といった所か。だとすれば、彼らの執着心は並大抵のものではないだろう。仲間をやられた腹いせに、というよりは、身内の恥を消去するために、といった感覚で、彼らは猛烈な攻撃を仕掛けてくるに違いない。
「地下はもう使えない。さっきの戦闘で相当に傷んでいる。上からミサイルを撃たれたら生き埋めになってしまう」
 ディグルヴは地図を広げながら浜面に言う。
 すでに、基本的な方針はロシア語で皆に伝わっているのだろう。
「集落の南方に森が広がっている。枝や葉が空からの視線を遮ってくれる。できるだけまとまらずに、広がりながら森を走るしかない。気づかれない内は、ヘリは集落の方を重点的に狙ってくるはずだ」
 できるだけまとまらずに、という言葉が気に掛かった。
 おそらく、ヘリには熱源や磁気を感知するセンサーがあるのだろう。まとまって行動すると、それが『人の集まり』だとパイロットに知られてしまう。しかしバラバラに行動する事で、
『森の中を移動している獣」だと勘違いしてもらえれば、それだけ生き残れる可能性も上がる。
 だが、それは建前だろう。
 本当は、仮にヘリから掃射された時に、できるだけ一度に死ぬ人間の数を軽減させようとしているだけなのだ。
(……被害はゼロにはできない)
 織もが理解している。
 でも、怖くて口には出せない。
 浜面は、それじゃ駄目だと思った。地図を見ながら説明するデイグルヴの言葉を遮るように、彼はこう言った。
「……高射砲を使えば勝てるかもしれない」
「航空機を落とすための弾幕でも張るつもりか? でも、ここはロシア軍の軍事施設なんかじゃない。そんな都合の良い兵器なんて───ッ!!」
 言いかけて、ディグルヴは言葉を呑んだ。
 気づいたのだ。

 つい先ほど、浜面が行動不能にしたのは、キャタピラ式の高射砲ではなかったか。

 今度こそ、浜面は逃げるために用意された地図を払いのけ、ディグルヴに言う。
「建設重機はないか? パワーショベルでも何でも良い! とにかく、あの高射砲の上に覆い被さっている瓦礫をどけられれば話は変わってくるんだ!!」
「しかし……」
「このまま何もしないで殺されろって言うのか!? どっちみち、高射砲を動かす以外の方針は変わらない。戦場から離れてもらう意味でも、他の人達には南方の森へ隠れてもらうのは同じなんだ! 策は一つでも多い方が良いだろ! 最悪、失敗して俺の乗る高射砲が吹き飛ばされたとしても、連中は『歯応えのある標的』を倒した事で満足して帰るかもしれない!! 何もしないよりかははるかにマシだろ!!」
 ディグルヴは建物の出口に向かって走った。
 浜面もその後に続いた。
 どうやら、数メートル単位で雪が積もってしまって交通が封じられた時の対策として、除雪用のショベルカーを用意していたらしい。
 浜面は、学園都市でATM盗難をしていた時に、この手の建設重機を操った事がある。
 瓦礫をどかすと、中からキャタピラ式の高射砲が出てきた。
 キャタピラ自体は傷ついていない。
 しかし平行するように二門設置されている砲の内、片方が大きく歪められていた。このまま撃ったら間違いなく自分達を傷つける。かと言って、浜面達には砲を取り外すだけの専門知識はない。応急策として、浜面達は壊れた砲から全ての弾薬を抜き取った。これで、砲を撃っても正常な方からしか弾は出なくなる。
「命中率は格段に下がるぞ」
 ディグルヴが言った。
「何で、わざわざ同じ方向に二門も取り付けていると思う? 滅多に当たらないからだ。対空用に作られた専門の高射砲だって、普通は一台だけじゃ使わない。同じ車両を何十台も用意して、空一面に大量の弾幕を張って、その内の数発を当てる事ができれば、ようやく撃ち落とせる。そういうレベルの兵器なんだぞ……」
「泣き言は良い」
 浜面は遮るように言った。
「どうせ、潤沢な兵器なんて用意できるはずもないんだ。少しでも可能性があれば良い。空を見上げて殺されるのを待っている、なんてのはまっぴらだ。自分の力で何かをするチャンスさえ残っていれば、それで十分幸せだろ」
「高射砲の扱い方なんて分かるのか」
「キャタピラを使う部分は変わらない。基本的にはショベルカーと同じだろ」
 ベコベコにへこんだ車体に改めてよじ登る浜面を見て、ディグルヴは苦笑いを浮かべた。
「高射砲は基本的に一人じゃ動かせないぞ」
「なに?」
「車体を動かす係、砲を動かして射撃する係、周囲の状況を確認して指揮を執る係……最低でも三人はいる。通常スペックなら五人は必要なぐらいだ」
 浜面の動きが止まった。
 それらを一人で行うとすれば、一つ一つの作業を止めてから行うしかない。大空を自由に飛び回る攻撃ヘリ相手に回避行動なんて意昧もないかもしれないが、それでも動きながら戦うのと、いちいち止まって射撃をするのでは、取れる戦術も生き残れる確率もかなり変わるだろう。
「だから、俺も行かせてもらう」
 ディグルヴがそんな事を言った。
「集落の連中にも声をかけて来よう。二、三人もいれば高射砲を動かせるだろう。話を聞いた連中がみんな揃って戦いたいとか言い出さないか、そっちの方が心配だな」
「ま、待ってくれよ」
 浜面はうろたえた。
 自分一人が死地に向かうのとは、また違った緊張が走った。
「良いのかよ。さっきアンタが言っていた通り、絶対に勝てるって訳じゃないんだぞ。こんな壊れかけの高射砲だけじゃ、三機の攻撃ヘリにやられちまう可能性の方が高いんじゃないのか」
「おい」
 と、その時だった。
 あらぬ方向から、日本語で声を掛けられた。振り返った浜面とディグルヴの二人は、そこで怪課な顔になる。
 話しかけてきたのは、今まで凍傷で苦しんでいたロシア兵だったのだ。
「それなら俺にも手伝わせろよ。空軍基地所属だが、転属前はこういう対空兵器の訓練も受けていた。正規の軍人が協力した方が、勝ち目があるだろ」
「……なっ、何考えてんだ? プライベーティアって、同じロシア軍だろ」
 浜面は若干警戒しながら質問したが、対するロシア兵は吐き捨てるようにこう答えた。
「何が同じロシア軍だ、クソッたれ」
「……、」
「アンタ達は、見捨てられて当然の俺を助けてくれた。連中は、そんなアンタ達を虫けらみたいに殺そうとしやがる。……もううんざりだ。何が軍隊だよ。迫われる事になったって構わねえ。何ならエリザリーナ独立国同盟にでも亡命してやるよ。そんな事よりも、借りを返す方が重要だ。俺は、俺の命を助けてくれた人達のために、この力を使いてえ」
「……そうだな」
 ディグルヴも、わずかに肩から力を抜いて笑った。
「アンタは自分が思っているよりも、俺達が巻き込まれるのを恐れているらしい。そういう顔をする人間を見殺しにはしたくない。そんな理由のためなら、正々堂々と戦える。……それに、そもそも可能性に賭けたいのは、アンタ一人じゃない。俺達だって、いい加減にプライベーティアのやり方にはうんざりしているんだ」
 その言葉を聞いて、浜面は二人に黙って頭を下げた。
 一緒に戦ってくれるという心強さを、彼は静かに噛み締める。
 それから、改めて高射砲の方を振り返った。
 浜面が勝利し、敵から奪い取った兵器。
 自分の命よりも大切な少女と、そんな少女を心配してくれる人達を助ける事ができるかもしれない、最後の可能性。
 負ける訳にはいかない。
 浜面仕上はもう一度だけ、強くそう思う。
 外国人傭兵部隊・殺人ツアーのプライベーティア達が操る攻撃ヘリは、間もなくやってくる。

     10

 一方通行アクセラレータの中で、彼を支えていたものが砕け散った。
 悪意の象徴である黒い翼が、どこまでもどこまで広がっていった。
 しかし、それだっていつまでもは続かない。
 負の感情を湧き出すための心の芯がなくなっているのだ。蝋燭ろうそくだってライターだって、可燃物がなければ火は維持できない。
 その時だった。
 視界の端に何かが映った。それは車列だった。雪の中を、何台かの大型車が進んでいる。学園都市製のものではなかった。使っている技術のレベルが違う。暗部組織の連中がわざとロシア車を使って偽装している可能性は否定できないのだが。
 それだけなら、気に留めなかったのかもしれない。
 いつもの鋭敏な一方通行アクセラレータなら必ず注意して観察しただろう。暗部組織の可能性を考え、警戒しただろう。だが、気力を失った一方通行アクセラレータは、その程度の事では気に留めない。最悪、それが原因で射殺されたとしても構わないとまで思っていたかもしれない。
 だが。
 そんな脱け殻になってしまった一方通行アクセラレータの心が、確実に動いた。
 原因は、大型車の一台。そこに乗っていた男の横顔。
 それは、学園都市の操車場で一方通行アクセラレータを倒した男の顔だった。『実験』を阻止し、絶対能力進化計画を永久凍結させ、一万人弱の妹達シスターズの命を救った男の顔だった。どんなに危機的な状況であっても必ず立ち上がり、どんなに絶望的な状況であっても絶対に窮地に陥った人々を助ける。そういう男のはずだった。
 あいつは学園都市にいるはずだ。
 何でロシアなんかにいる。
 そして。
 そのヒーローが。
 こんな中途半端な学園都市第一位と違って、きちんと人を助けられるヒーローが。

 何で、すぐ近くであんなに苦しんでいる打ち止めラストオーダーの危機には気づいてくれず、ただここを素通りしようとしているんだ。

 いつの間にか、一方通行アクセラレータは全力で絶叫していた。
 喉を引き裂くほどの叫びと共に、雪の中に埋もれていた岩を掴み取り、ベクトルを操って遠くにある車列に向けて思い切り投げつけていた。大型車の後部が風船のように吹き飛ばされ、車列の動きが止まる。
 八つ当たりなのは分かっていた。
 本来なら、これは一方通行アクセラレータが成し遂げるべき仕事だ。それを自分から放棄した上、何の縁もないあいつが糾弾されるのは筋違いだというのは百も承知だ。
 だけど。
「……オマエは妹達シスターズを全貝救ったヒーローなンだろォが。一万人近くいるクローン達を、片っ端から助け出した、本物のヒーローなンだろォが」
 弾け飛んだ大型車の中から、あの男は降りてきた。
 あの男は黒い翼を生み出す一方通行アクセラレータに気づいたようだった。
「だったら、あのガキの命だって救ってやれよ!! 何であのガキだけが、何も悪い事なンかしてねェのに、こンなに苦しめられなくちゃならねェンだよオォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
 咆哮と共に、黒い翼がより一層強烈に広がっていく。
 自分が間違っている事は分かっている。
 分かっている上で、もう一方通行アクセラレータは自分の力を止められなくなっている。
 打ち止めラストオーダー
 善意の象徴である、彼女の笑顔があっても抑えられないほどに。
 学園都市第一位。
 あまりの怒りによって、その枠さえ越えてしまった怪物の戦闘が始まる。

   行間 三

 御坂美琴は本格的に学園都市の情報を探る事にした。
 ニュース内のロシアからの映像の端に、あの少年を確認できた。やはり、日本にはいないのだ。しかも、よりにもよってこの戦争の中で、最も危険な場所をノコノコ歩いている。何かがある。美琴の知らない場所で、あの少年はまた右の拳を握って何か強大で凶悪なものと戦っているのかもしれない。
 PDAの画面へ意識を集中させ、いくつかの情報を得る。
 嫌な予感はした。
 妹達シスターズに関する『実験』の情報を入手しようと躍起になっていた頃を思い出す。
 画面にはこう表示されていた。
『ロシア、及びエリザリーナ独立国同盟で確認された幻想殺イマジンブレイカーしについて』
 幻想殺イマジンブレイカーしというのは、あのツンツン頭の少年の事だろう。そんな能力の名前を口に出していたのは、何となく覚えている。
 美琴は画面をスクロールしていく。
 いくつかの地図と共に、何かの注釈が細かく書かれていた。地図の上には何本もの矢印が描かれている。学園都市の軍や兵器の動きか、あるいはあの少年が通ったルートなのか。
『統括理事長からの通達により、幻想殺イマジンブレイカーしについては通常の対応とは異なるものとする』
 通常の対応とは、学園都市の超能力開発技術を外部機関へ漏洩ろうえいしようとする勢力を抑えるやり方の事らしい。最悪で射殺をも容認する厳しいやり方だった。
 しかし、どういう訳かあの少年には当てはまらないようだ。
 胸を撫で下ろそうとする美琴。
 だが甘い。
 美琴は、そもそも妹達シスターズの件で、いやというほど学園都市の暗部の黒い所を思い知らされていたはずではなかったのか。
幻想殺イマジンブレイカーしは学園都市全体の中でも、稀少な価値を持つ能力者だ。その稀少性を留意し、できる限り生きたまま回収する事を目標とする。
 ただし。
 その稀少な幻想殺イマジンブレイカーしが学園都市以外の組織に与する事が判明した場合、幻想殺イマジンブレイカーしを速やかに襲撃し、第二位同様の処置を施して生命維持装置内に『回収』する事で、これ以上の混乱を最小限に食い止める事を第二目標として設定する。
 現在、幻想殺イマジンブレイカーしは外部組織の人間と行動を共にしている事は確認している。
 これが一時的なガイドとして扱っているだけならば処分は保留とするが、それ以上に踏み込んだ場合は第二目標を実行。
 統括理事長からの承認は得ているので問題はない。
 その場合、権限の関係で詳細は閲覧不能だが、統括理事長の「プラン」は続行可能との事』
「───、」
 御坂美琴はしばらく黙っていた。
 確かに驚いてはいたが、同時に、そんな事だろうとも思っていた。
 PDAには、具体的にあの少年を襲撃するため、パラシュートで降下させる部隊の人員や装備、作戦スケジュールなども記載されていた。当然、軍の飛行機は航空・宇宙関連の技術が集中する第二三学区に停まっている。
 美琴はPDAの電源を切ると、第二三学区へ向かう。
 ……かつて、絶対能力進化レベル6シフト計画で『妹達シスターズ』が虐殺されるのを防ぐため、あの少年は命を賭けて、学園都市の大きな闇に立ち向かってくれた。実際に、それがどれだけ恐ろしい事かを、あの少年は具体的にイメージしていなかったのかもしれない。だが、自分や『妹』のために危ない橋を渡ってくれた事は紛れもない真実だ。
 あの少年には、大きな借りがある。
 いい加減に少しはそれを返しても良いかなと、走りながら美琴は思う。

   第四章 ここからが反撃の時 Heroes_Congregate.

     1

 ロシア陸軍から提供された攻撃用のヘリコプターが三機、白い風景を切り裂くように飛んでいた。時速三〇〇キロ程度の速度を出しているヘリは大型で、大量の弾薬を搭載していた。ローターが空気を叩く音も盛大だった。ヘリコプターというと莫大な騒音を撒き散らして空を飛ぶ印象があるかもしれないが、軍用のものはその辺を意識して、相当に『静かに飛ぶ』工夫を講じているものだ。
 設計思想の違いだろう。
 小型、高速、静穏を旨とするアメリカ軍式のものとは、大分様相が変わっていた。一機のヘリを動かすために三人の乗員を必要としている時点で、ありふれた機体とは言えないだろう。空の王者は隠れる必要を感じない。その代わりに、できるだけ大量の弾薬を搭載する事で、できるだけ敵に多くの損害を与える。そのための機体なのだ。
 速度と機動性の両立が必須である空中戦はミグやスホーイといった戦闘機に完全に任せてしまい、同じヘリとヘリの戦闘すら考慮しない。代わりに攻撃ヘリは地上のあらゆる標的を確実に爆破できるように設計する。そういった分業を意識した作りだった。『陸軍所属の航空機』というのには、そういう事情がある訳だ。
「良いねえ。こういうレイアウトは嫌いじゃない」
 呟いたのは、プライベーティアのパイロットだった。
 彼らに共通する国籍はない。共通する宗教はない。共通する人種はない。共通する性別はない。共通する年齢はない。食べ物の好みも音楽のジャンルも、面白いぐらいバラバラだ。
 共通するのはただ一つ。
 人を殺したい、それもできるだけ一方的に……という考えのみ。
「世界で一、二を争う巨大な軍が二つそり開発していた自慢の試作機だぜ。たまんねえよな。横スクロールのシューティングゲームなら主人公機の位置づけだぜ」
『単なるテスト機体じゃない』
 編隊を組んでいる別のパイロットから通信が入る。
『大型機路線が現実的に通用するかどうか、戦術の組み立てレベルの試作テストだ。作戦の前提となる理論そのものが、成功するとは限らん。……ロシア軍の連中も、実際に正式投入する際には小型ヘリや戦闘機との連携を基本パターンに据えているみたいだしな。色々短所があるかもしれない。特に、機体の横幅が増すと地上からの攻撃が当たりやすくなるぞ』
「関係ねえよ。やられる前にやっちまえば良いんだ。向こうの射程に入る前に長射程のミサイルをぶち込んじまえば良いんだ。そのための大型機だろ。横スクロールのシューティングゲームみてえに、残弾気にせず撃ちまくれるようにってなぁ」
 そうこうしている内に、標的のポイントが近づいてきた。
 瓦礫ばかりが積まれた、小さな集落だ。
 先行した装甲車と高射砲は、そこの抵杭を受けて行動不能になったらしい。だが彼らに憤りはない。同じプライベーティアの人間が捕まっていようが死んでいようが関係はない。それ以上に、彼らは純粋に今から始まる戦闘を心待ちにしている。
 操縦桿にミシミシと力を加え(暗にその無茶な力の加え方が独学らしさを露呈しつつ)、パイロットはローター音を間いて鬱するように大声を張り上げる。
「あはは!! 殺すぜ殺すぜぶっち殺すぜェええええええええ!!」

     2

 一方通行アクセラレータの喉から低い唸りが発せられていた。
 数十メートル先には、大型車の車列が止まっていた。その内の一台の後部が大破されていた。
 そして、その破壊された車の前部のドアが開き、一人の少年が雪の上に立つのが見えた。
 かつて。
 二万人の妹達シスターズを殺害する事で成就される『実験』を、たった一人で止めた少年だった。
 彼に対する怒りが、単なる八つ当たりであるのは、一方通行アクセラレータも理解していた。自分の言動には何の正当性も一貫性もない。客観的に見れば、紛れもなく一方通行アクセラレータが断ぜられる側だろう。
 だが。
 もしも、クソくだらない『実験』を止めたほどのヒーローが、こんなくだらない理由であっさり死んだとしたら。一方通行アクセラレータが知る中で、最も重要な位置に存在する『悲劇を食い止めるための存在』が、こんなにも簡単に失われてしまうとしたら。

 この世界は。
 多分、もう本当の意味で終わってしまっている。

「おおォォォォあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」
 絶叫。
 一方通行アクセラレータの背中から、爆発的に黒い翼が広がった。一気に一〇〇メートル以上も伸び上がった翼は、壮絶な武器と化して無能力者レベル0の少年の頭上へと振り下ろされる。
 轟音が炸裂した。
 一撃で、高層ビルを縦に割れる破壊力だった。
 にも拘らず、標的の少年がグチャグチャの肉塊になる事はなかった。
 原因は右手。
 真上に掲げたその一本の腕が、漆黒の闇を吹き散らす。
「───、」
 一方通行アクセラレータの唇が微かに歪む。
 最初の一発目で死ななかった事に、彼は心の奥で何を思っているのだろうか。
 自分自身でも明確な答えを出さないまま、一方通行アクセラレータは更に黒い翼を振るう。
 今度は横薙ぎ。
 この世に存在する、ありとあらゆる物体を胸の高さに切り揃えてしまいそうな一撃が、無能力者レベル0の少年へと容赦なく襲いかかる。
 今度もまた、右手によって弾かれた。
 しかし状況は同じではない。
 黒い翼はかき消されたものの、少年の方も威力に押されるように、ぐらりと横へ揺らいだ。
 一方通行アクセラレータは知っている。
 あの少年は、学園都市第一位の超能力レベル5を、触れただけで打ち消す『秘密』がある。
 だが一方で、莫大な烈風や高電離気体プラズマなど、一定の範囲をまとめて吹き飛ばすような攻撃には対応できない事も。あるレベルを超えた破壊力は打ち消しきれないのか、広範囲に及ぶ能力は消しきれないのか、能力を使って起こされた二次的な物理現象を消す力はないのか。一方通行アクセラレータは正しい答えを導き出せていなかったが、理屈や法則が分からなくても、何をすれば無能力者レベル0の少年を叩きのめせるのかは理解できていた。
 つまり。
(圧倒的な破壊力で、反撃の機会を与えずに粉々にしてやる……ッ!!) 
 ミシミシという鈍い痛みが、頭の奥から伝わってきた。
 まるで右脳と左脳が真っ二つに割れて、その奥から何かが飛び出してくるかのようだった。
 これは普通の状態じゃない。
 本当に学園都市第一位の超能力レベル5なのかどうかさえも定かではない。
 何が起こるか分からない。
 空中分解だってありえるかもしれない。
 だからどォした、と一方通行アクセラレータは歯を食いしばる。
 ここは。
 この場面でだけは。
 ありとあらゆる力を振り絞り、全力でもって戦わなければならない。
 轟!! と風が唸った。
 一対の黒い翼が何十もの鋭い杭に変わり、こちらへ走ってこようとする無能力者レベル0の少年の元へと勢い良く突っ込んでいく。様々な角度から小さな標的を狙うのではなく、少年を含む一帯へ絨毯じゅうたん爆撃するような攻撃だった。
 衝撃波が巻き起こった。
 白い雪と黒い土が一〇メートル以上も噴き上がり、視界が遮られた。地面のあちこちに大きな亀裂が入っていくのが分かった。おそらく遠方の地震計も今の揺れを感知していただろう。
 爆風の中心に立っている少年が無事であるはずがない。
 たとえ右手一本で力をかき消す事ができたとしても、全ての攻撃を残らず迎撃する事はできなかったはずだ。
 ダメージは、確実に通った。
 無能力者レベル0の少年が助かる道理はない。
 そして、数十あった杭の内、一発が生み出す衝撃波の余波だけでも、生身の人間の休をグシヤグシャにする程度の破壊力は秘めている。
 これで終わったはずだ。
 勝利と同時に、一方通行アクセラレータは何かしらの希望を失ったはずだった。
 なのに。

 一方通行アクセラレータの前に、ゆらりと立つ人影がある。
 白い雪と黒い土の粉塵の向こうに、あの無能力者レベル0の少年は立っている。

 もちろん無傷ではなかった。
 少年の衣服は泥にまみれていた。こめかみの辺りに、赤く惨むものがあった。体の重心は、どこか斜めに傾いでいるようにも感じられた。
 それでも、少年は立っていた。
 決して折れずに、二本の脚で立っていた。
「は、はは……」
 一方通行アクセラレータは、微かに笑う。
 理屈なんて分からなかった。右手一本でどうにかできる攻撃ではなかったはずだった。しかし、確実に一方通行アクセラレータは笑っていた。楽しそうだった。むしろ、絶対に倒せるはずの攻撃というセオリーが覆された事を喜んでいるかのようだった。
 それこそが。
 どうしようもない運命のレールとやらを、軽々と飛び越える象徴のように見えたのだ。
「ははははは!! ぎゃははははははははははははははははははははははははっっっ!!」
 笑う一方通行アクセラレータは、さらに黒い翼に莫大な力を込めていく。
 メキメキと、頭蓋骨の内側でさらに嫌な音が増す。
 無能力者の少年は、その拳を握って一方通行アクセラレータの元へと走ってくる。
 今度こそ、小手調べではない。
 本当の激突が始まる。

     3

「来やがった」
 高射砲の上部ハッチから頭だけを出したディグルヴが、双眼鏡を片手にしたまま呟く。浜面は同じ高射砲の前部……キャタピラを操って、車体を運転するための座席に座っていた。……それ以外にやれる事がなかったのだ。車体の操縦はショベルカーなどの建設重機と似ていたが、レーダーを操作したり機銃で標的を狙ったり、といった専門的な作業には対応しきれない。
 強化ガラスでできた横長のスリットみたいな所を覗き込み、外の雪原に目をやりながら、浜面はディグルヴに質問する。
「やっぱ攻撃ヘリか」
「三機編隊だ」
 デイグルヴは浜面の方は見ないまま答える。
「見た事もない機種だ。かなり大きい。もしかしたら試作機のテストでも兼ねているのかもしれない」
「ロシアは元々、大型ヘリの開発に力を注いできた兵器開発の歴史を持っている」
 凍傷のロシア兵が横から割り込むように口を開いた。
 名前はグリッキンというらしかった。
「何しろ、世界最大の輸送ヘリなんてC-130輸送機と同じぐらいの積載量を持つらしいからな。技術的にどうこう以前に、そんな設計思想でヘリを作ろうとする国家なんて、ロシアの他には存在しない」
 グリッキンの言葉を聞きながら、浜面は自分の顔が青くなっていくのが分かった。
「デカいヘリって事は、それだけたくさんの弾薬や爆弾を積んでいるって事だよな」
 高射砲の無骨なレバーの表面を指でなぞる。
 自分達の兵力の存在を確かめる事で安心しようと考えたのだが、ちっとも効果はなかった。
「最新鋭の試作機が相手なんて、大丈夫なのかよ。くそ、壊れかけの対空兵器で戦って良いようなレベルじゃねえぞ」
「いいや、逆にチャンスかもしれない」
 と、ディグルヴは浜面《の言葉を否定した。
「?」
「あれは、正規兵ではなくプライベーティアなんてならず者達を使ってテストをするレベルの、信頼性の低い試作機という可能性もあるって訳だ。仮にあれが、実戦経験豊富で信頼性の高い第一線の攻撃ヘリだったとしたら、それこそ俺達の勝ち目はほとんどなくなっていた」
「いずれにしても、死闘であるのに変わりはねえぞ」
「来るぞ」
 双眼鏡を搬くデイグルヴの短い言葉に、車内に盟攣走る。
「……おそらく最高速度重視のヒット&アウェイ型。小回りは利かないから、一直線に戦場を抜けた後に、大きくUターンして戻ってくると思う」
「つまり、西部劇の撃ち合いだ。すれ違いざまに弾丸を交差させて勝つしかない」
 バタタタタッ!! という巨大なローターで空気を咄く音が響いてきた。
 運転席の小さなスリットからでも、白い空に三つの影が確認できた。このままではあっという間に頭上を通過される。
 大前提として、あのヘリを通過させる訳にはいかない。
 ここで足止めしなければ、逃走中の集落の人々が皆殺しにされてしまう。
「始めるぞ!!」
 ディグルヴが叫び、浜面がキャタピラを操縦するためのレバーを掴み、グリッキンが砲塔を旋回させるための装置に手を伸ばす。
 戦闘開始だ。
 攻撃ヘリまでの距離が三〇〇メートルまで近づいた所で、高射砲の砲口が勢い良く火を噴いた。通常の機関銃よりも連射の間隔が若干長めである代わりに、太鼓のように太く低い轟音が浜面の耳を打つ。
 三角形の各頂点を作っていた攻撃ヘリの編隊は、砲撃音と共にバラバラに分かれた。その内の一機の表面にオレンジ色の火花が散った。砲弾が当たったのだ。しかし撃墜には至らない。
「機体が大型だから装甲も分厚いってのか!?」
「浜面、向こうのターンだ! 今度はミサイルが雨のように降ってくるぞ!!」
 ディグルヴの声と共に、浜面は高射砲の車体を勢い良くバックさせた。雪を蹴散らすような勢いで鋼鉄のキャタピラが地面を噛み、重たい車体を強引に進ませていく。
 キャタピラというと遅い印象があるが、そこは霧軍用車両。速度計を見ると、最高で時速七〇キロぐらいまでは出せるように設計されているらしい。
 しかし。
 大空を引き裂く攻撃ヘリの速度は、さらにケタが違う。
「ん一っふっふーん」
 その時、攻撃ヘリのパイロットは操縦桿を握る手に力を込めながら、舌舐めずりすら行っていた。機銃でもミサイルでも、いずれの装備でも高射砲は粉々にできる。一度空域を外れてから大きくUターンをさせ、標的を狙うために速度を上げつつ高度を落とす。
「馬鹿が! 生き残ったのなら素直に死んだふりをしてりゃ良かったんだ!! それなら助かる確率も少しはあったかもしれねえのになぁ!!」
 対空射撃に失敗した高射砲は、必死に逃げようとしているようだった。しかし、多数のセンサーで強化された攻撃ヘリにとっては遮蔽にならない。パイロットは親指で操縦桿上部の保護カバーを押し上げると、そのままミサイル発射用の赤いボタンを押した。
 白い煙と共に、小型のミサイルが高射砲へ勢い良く突っ込んでいく。今から回避行動を取っても、もう遅い。そもそも、キャタピラ式の高射砲如きで避けられるような速度ではない。背の高い針葉樹の林の中に逃げ込もうとしているようだったが、今から隠れてももう遅い。すでにミサイルは発射されている。
「あっは!! 粉々になれ!!」
 叫ぶパイロットだが、望んだ結果にはならなかった。
 背の高い針葉樹の林へ身を隠したからだろう。ちょうど高射砲の屋根のように広がる針葉樹の木のてっぺんに、ミサイルが激突したのだ。
 爆炎と衝撃波が広がったが、戦車に比べて比較的装甲の薄い高射砲でもほとんど無傷だ。ミサイルで吹き飛ばされた針葉樹がバラバラに粉砕され、辺り一面へと降り注ぐ。
 しかも
「風穴が空いた意味を知れクソッたれ!! グリッキン!!」
 浜面が叫ぶと、砲塔を管理しているグリッキンがレバーを操作した。機銃の横に取り付けられた地対空ミサイルが火を噴いて空へ向かう。
 先ほどまでは、針葉樹に阻まれていた空。
 しかし攻撃ヘリからの攻撃で風穴が空いた所を、地対空ミサイルが突っ切っていく。
「っ!?」
 パイロットの喉が一瞬干上がったが、ミサイルは彼の元へは飛んで来なかった。そのすぐ横で第二波の準備を進めていた、別のヘリへと突き刺さったのだ。
 爆音と黒い煙がロシアの空を汚す。
 オレンジ色の塊となった攻撃ヘリが、白い雪の地面へと激突した。そこからさらに一際大きな爆発が巻き起こる。
 しかし、パイロットには同僚を落とされた哀しみはなかった。
 自分の看板に泥を塗られた怒りだけがあった。
「雨だ」
 通信を使って、もう一機の攻撃ヘリとの連携を促す。
「ミサイルじゃ阻まれる。機銃の雨で蝿の巣にしてやるぞ!!」
 二機のヘリは、一度バラバラの方向へと大きく逸れた。Uターンをすると、そこから一気に最高速度で高射砲の隠れている林へと突っ込んでくる。
 二つの方向から同時に掃射を行う構えだ。
 高射砲は慌てて針葉樹の中に身を隠すが、何度も同じ手は通用しない。攻撃ヘリのセンサーは大きな金属反応を確実に慨えているし、三〇ミリのガトリング砲があれば針葉樹を紙屑のように貫通できる。今度は遮蔽物には使えない。
 しかし改めてレーダーに目をやってみると、
「あぁ!?」
 パイロットが怪訝な声を出す。
 レーダーの表示がおかしい。彼はわずかに戸惑ったが、それでも正確に操縦桿を操る。ガトリング砲の掃射は正確に地面を縫っていった。
 ヘリの移動に合わせて、白い地面ヘ一直線に銃弾のラインが引かれていく。
 太い木が何本もまとめてベキベキとへし折られ、その奥に隠れていた金属の塊に太い穴が空いた。一つ二つではない。ミシンのように次々と風穴が空く。
 ドン!!という爆炎が林の中から広がった。
 標的は確実に仕留めた……はずだ。
 にも拘らず、パイロットの表情は優れなかった。
「おい、どういう事だ」
 動揺よりも苛立ちの方が強い調子で、パイロットは同僚に尋ねた。
「何でレーダー上の反応が増えてんだよ!? 手応えを感じねえぞ!!」
 林の中に高射砲が一台あるだけなら、絶対にありえない現象だった。そして、その疑問に答えるように同僚から通信が入る。
『見ろ、乗用車だ! あいつら、自分達が狙われるのを見越して、集落の中にあった一般車両をあらかじめ林の中に隠していたんだ!! だから俺達は間違った金属反応に照準を合わせ───ッ!?』
 声は、途中で切れた。
 オレンジ色の火花がいくつも散った。同僚の攻撃ヘリの装甲が撃ち抜かれたのだ。高射砲からの連射を受けた同僚のヘリが、空中で爆発する。
「……、」
 ここで、残ったパイロットには一度基地へ帰還する、という選択肢もあったはずだ。
 にも拘らず、彼はその選択をしなかった。
 頭に血が上っていたのも理由の一つ。
 しかしそれ以上に、先ほどの機銃掃射で、林の針葉樹はほとんど薙ぎ倒されていたのが強かった。高射砲はもう身を隠せない。たとえ複数の乗用車で金属反応をごまかしていたとしても、目視で確認できる状況であれば惑わされる事はない。
「こ・ろ・すう」
 パイロットは一度だけ空域を離脱し、高射砲の届かない所まで逸れ、大きくUターンをした。
 次の直進で終わり。
 遮蔽物を失った高射砲は、今度の今度こそ頭上からの攻撃を避けられない。
「ぎゃははははははは!! 蜂の巣にしてやるぜえ!!」

     4

 ドーヴァー海峡。
 固化した海面の上で戦うイギリスとフランスの魔術師達だったが、第二王女キャーリサや『騎士派』が最前線に出てきた事で、イギリス側が徐々にだが押し返す格好になっていた。特に、『騎士派』が移動要塞グラストンベリを利用し、カーテナ=セカンドから力の供給を受けているのが大きい。騎士団長ナイトリーダーの『自分の認識した武器の力をゼロにする』術式も効果的に働いた。通常の『国境』を無視する形で、騎士の剣は縦横無尽の活躍を見せていく。
 フランスの魔術師を押しながら、しかし騎士団長ナイトリーダーの顔色は優れない。
「……順調に勝ち進んでいると、敵の隠し玉の布石だと警戒してしまうのは職業病ですかね」
「相手が相手だからか」
「……、」
 キャーリサからの返答に、騎士団長ナイトリーダーは思わず黙り込んだ。
 常識の通用しない相手。
 フランス側の軍師……『首脳』だの聖女サマだのと言われている女は、フランス特有の奇妙な性質を持った人物である。
『傾国の女』。
 ジャンヌ=ダルク。マリー=アントワネット。フランスには、本人の善悪に拘らず、その存在だけで国家の歴史を大きく揺るがしてしまう女性がしばしば登場する。例の軍師もそうなのだ。理不尽に処刑するにはあまりにも惜しいが、自由を与えてしまうのはあまりにも恐ろしい。故に、彼女はフランス政府の手でヴェルサイユの地下へと幽閉されている。
 そんな人物が相手なら、セオリー通りに事が進む方がおかしいのかもしれない。
 あるいは、何かがあると思ってしまう事が、すでに『傾国の女』の雰囲気にあてられてしまっているのだろうか?
「連中も一筋縄ではいかないだろう」
 キャーリサは適当な調子で告げる。
「追い詰められたと自覚すれば、通常の軍事行動ではありえない暴挙に出る危険性もある。それを防ぐにはどーすれば良いか分かるか?」
「?」
「連中が混乱する暇も与えずに、戦場を制圧してしまう事だ。あまりの戦果は、恐怖を通り越して敵を唖然とさせる」
『我々を舐めないでいただきたい』
 音源不明な声が聞こえた。
 フランス側の魔術師達を遠方から指揮している『首脳』の聖女サマだ。
 しかしキャーリサは笑った。
「確かに、お前が直接出てくれば戦況は変わったかもな」
 多くの騎士に守られながら、キャーリサは告げる。
「ただし、お前は何があってもヴェルサイユの地下からは出て来れない。遠方からチマチマと長距離砲撃をしてる程度では、我々の『騎士」を薙ぎ払う事はできないぞ。いくら頭を使おーが、現場の兵士の力は変わらん。力を上手に引き出す事と、その力そのものの上限を吊り上げる事は全くの別物だ」
 第二王女は笑いながらも、口調にはどこか退屈そうな響きがあった。
「我々の目的はフランスではないの。小物に付き合ってる暇はないから、余計な被害を拡大させたくなければ道を譲れ。お前の役割は『首脳』だろう。ここでどう動くべきか、その程度の判断もできないとは言わせないの」
『ふふ』
 そこで、『傾国の女』は笑った。
『私が頭を使う人間だというのは分かっているのに、どうしてその可能性を考えられないのでしょうね』
「何だと?」
 キャーリサの目が訝しげになった時だった。

 ゴツ!! と。
 傍らにいた騎士団長ナイトリーダーの体が、莫大な衝撃によって薙ぎ倒される。

「ッ!?」
 キャーリサには驚いている暇はなかった。
 突如、飛来したのは一人の女だった。白いゆったりとした布を基調にした、華美なドレスを着た女。しかし、そのドレスに反して彼女の肌は不健康なほど白く、瞳はわずかに落ち窪んでいた。手にした一本の剣が、あまりにも似合わない。図書館の隅でいつも本を読んでいる青年が野球のバットを振っているような印象があった。
 彼女は。
 彼女の正体は。
「……実は、この私が動ける事。それこそがフランスの張った最強の策ですよ?」
 赤や金を基調とした、派手な西洋剣がキャーリサに向く。
 真っ先に反応したのは騎士団長ナイトリーダーだ。
「───ゼロにする!!」
 その一言で、『傾国の女』の持っている武具の攻撃力は消えてなくなるはずだった。スポンジよりも安全になるはずだった。
 しかし。
「甘い」
『傾国の女』は、ただ静かに告げる。
「イギリスとフランスの歴史は、実は意外に曖昧です。イングランドの王、ウィリアム一世は元々フランスの貴族でもあったぐらいですし」
 即座に動かないのは、必勝の自信があるからか。
「……確か、あなたの術式は王家に関する武具には適用されないんでしたよね?」
「しま───ッ!?」
 騎士団長ナイトリーダーの驚愕を確認してから、『傾国の女』は西洋剣を振るった。
 速度は音速を超えていた。
 おそらくはカーテナと同じく、フランス特有の国家的な術式が施された特殊な剣なのだろう。
 キャーリサに防御策はない。
『騎士派』はカーテナ=セカンドから力を借りているが、剣を持っているのは女王のエリザードだ。キャーリサ自身は、その剣の恩恵を受けてはいない。そして、仮じ騎士達がその身を呈しても、『傾国の女』の剣は盾ごとまとめてキャーリサを切断するだろう。
 そして。

 ガッギィィィィィィ!! という甲高い音と共に。
 第二王女キャーリサの手にした刃が、絶対に防げないはずの一撃と拮抗する。

 カーテナ=オリジナルはクーデターの終結と共に失われたはずだった。
 カーテナ=セカンドはエリザードが手にしており、キャーリサは何の力もないはずだった。
「デュランダル、か」
 しかし、キャーリサは呟く。

 彼女の体は両断されていない。傷一つすらついていない。至近距離の鍔迫り合いの中、キャーリサだけが笑っている。
「何故?」
『傾国の女』はポツリと呟いた。
 キャーリサが手にしているのは、わずか数センチの銀色の金属だった。そこから、光の剣が飛び出していたのだ。自分が手にしている武器の威力から鑑みれば、絶対にありえない現象だった。これはフランスの剣だ。フランスそのものの破壊力だ。それと拮抗するとすれば、やはりイギリスの象徴である、あの力ーテナを持ち出さなければならないはずなのに……。
「イギリスとフランスの歴史は意外と曖昧。お前が言った台詞だし」
「な、に?」
「お前達の王、シャルルマーニュの考え方と同じだぞ。確か、あの王は自分の剣の柄に、聖なる槍の欠片を埋め込む事で、神聖な力と価値を与えよーとしたのではなかったの?」
「……まさか」
 わずか数センチの金属に改めて目をやる『傾国の女』。
「カーテナ=セカンドの、欠片ですか!?」
「母上と戦った際に、カーテナ=オリジナルとカーテナ=セカンドがぶつかり合った事があったの。その時の副産物よ。……それにしても、由緒ある王族の手に渡れば、これだけである程度の力を発揮するとはな。単純に破壊するだけでは駄目。こーいう抜け穴や裏技がたくさんあるから、私はこの剣が嫌いなんだ。───クーデターを起こしたほどにね」
 キャーリサと『傾国の女』の間で、魔力の爆発が起こる。
 両者は互いに距離を取り、剣を構え直す。
「実は、この私が動ける事。これが、我がイギリス最大の秘策よ」

     5

 一方通行アクセラレータの取った行動はシンプルだった。
 背中から生えた漆黒の翼を、二本とも上から下へと振り下ろす。
 ただし、今度の標的はこちらに向けて走ってくる無能力者レベル0の少年ではない。
 その手前にある、何もない白い地面だ。
 轟音が炸裂した。
 莫大な破壊力によって、大量の土砂が巻き上げられた。高さは一五メートル以上、幅に至っては三〇〇メートル以上もの土の津波が現れた。それは風景そのものを巻き込み、ちっぽけな少年の体を丸呑みしようと襲いかかる。
 これで死んだはずだ。
 たとえあの少年が軍用の駆動鎧バワードスーツを身にまとっていたとしても、複合素材製の装甲ごと血肉をグシャグシャに押し潰していただろう。
 にも拘らず。
 ズバッ!!と。無能力者レベル0の少年は土煙を真正面から突っ切ってくる。
 多くの石に体を叩かれながらも、決して致命傷は受けずに。
(───、)
 最初は驚かされた一方通行アクセラレータだが、次第にそのからくりが読めてきた。
 事前情報もある。
 学園都市第三位の超能力者レベル5超電磁砲レールガンは、一方通行アクセラレータにとっても因縁のある相手だった。その超電磁砲レールガンに付随するウワサの一つとして、『あの超電磁砲レールガンを右手一本であしらう、正体不明の無能力者レベル0が存在するらしい』というものがあるらしかった。
 疑問があった。
 例えば、あらゆる能力を打ち消す右手があったとしよう。
 しかし、どうやってタイミングを合わせる?
 超電磁砲レールガンは音速の三倍以上。雷撃の槍ならそれ以上の速度を誇る。たとえ迎撃に有効な手段があったとしても、そのタイミングを合わせるのは至難の業だ。そして、一瞬でも誤れば即死してしまうかもしれない。その状況で、『何度でも簡単にあしらう』とは、どういう事か? 今のを見て、大雑把な予測はできた。
 つまり、
(前兆の感知)
 例えば、超電磁砲レールガンの場合は能力を使用するに当たって、周囲に微弱な磁場や電磁波を撒き散らす。それは周囲に落ちているクリップやドアノブなどを揺らしているはずだ。直後に起こる大爆発のせいで、超電磁砲レールガン自身気づいていないかもしれないが、地震の前兆となる小さな揺れのように。『見えない磁力線を知るために、砂鉄を撒いて、その流れを知る』小学校の実験のように。そして、そういった『本人の意図しない微弱な動き』は、超電磁砲レールガンがこれから行おうとしている攻撃を如実に示していたはずだ。
 強大な能力になればなるほど、本人の意図しない余波を周囲へ撒き散らしてしまう。それはジャンケンの時の癖のように、彼らが次に行うべき行動を提示してしまうのかもしれない。
 もちろん、それだけではない。
 一種類に留まらない。
 一方通行アクセラレータに比べれば陳腐だろうが、それでも第三位の超能力者レベル5は、そう簡単にあしらえる存在ではない。
 おそらく、他にもあるのだ。
 例えば雷撃の槍。
 純粋な高圧電流なのだから、右手を前へ突き出しておけば、多少は狙いを外したとしても、雷は自然と突出した右手へと吸い込まれる。避雷針と似たようなものだ。
 例えば砂鉄の剣。
 手の中に集まる『剣』の他にも、周囲一帯の砂鉄はうっすらと磁力線の流れに応じて形を変えていく。すると、『目に見える磁力のライン』から、次に振るわれる一撃がどこへどう流れていくかを推測できる。場合によっては『実は砂鉄の剣には触れられなかったのに、周囲に散らばる砂鉄のラインに触れただけで、剣を分解してしまっている』事もあったかもしれない。
 その時々で必勝法は変わる。
 本命ど真ん中の能力か、そこから派生するわずかな余波か。
 どちらが重要視されるかさえ、その時々で変わってしまう。
 重要なのは、勝つための方法があるかどうかではない。
 一種類のパターンには決して頼らず、常に新しい切り口で問題を見直す。その上で、その時に最も適した解決法を模索する。たとえ同じ能力者が相手だったとしても、同じ解決法が必ず通用するものではない事を理解している。『雷撃の槍』一つに対しても、攻略のための始点に何を選ぶかによって全く別のルートを辿らなくてはならない事を知っている。
 だからこそ、戦い方は変わる。
 あらゆる能力を無効化するという防御性能を頼りに瞬殺されるのを避けた上で、そこで得たわずかな時間を最大限に活用して、文字通り体当たりで手に入れた情報を基に、ギリギリの活路を見出していく。
 思考方法だけでは駄目だった。
 能力があるだけでも駄目だった。
 その双方が揃って、初めてかろうじて成功を収める事ができる戦法だった。
 死と隣り合わせの状況で、体と思考を動かし続けるだけの度胸もプラスに働いているだろう。
 しかし。
 無能力者レベル0自身、その事に自覚はしていないはずだ。
 能力そのものと、そこから派生する余波を、どう利用するかという判断基準。そして具体的に行われる臨機応変な戦術の切り替え。彼はただ、それを反射神経と組み合わせて行使しているだけだろう。超電磁砲レールガンに対する『周囲の鉄製品のわずかな揺れ』についても、明確に視界の中心に収めているのではなく、視界の端でわずかに動くものを、彼の頭の裏側にある部分で処理しているだけなのだろう。だから、百発百中で成功するという保証はない。逆に、意識してやろうとしたら失敗してしまう可能性の方が高い。
 だが。
 一方通行アクセラレータの攻撃を受けて生き残っているという時点で、それは立派な戦力だった。たとえ右手に特殊な力が宿っていたとしても、同じ戦果を上げられる人間が一体どれぐらいいるだろうか。
 単純な能力としては、決して強くはない。
 総合的に評価すれば弱いのかもしれない。
 だからこそ。
 この少年は、生き抜くために行う努力の意義を知っている。
「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!!」」
 二つの叫びが重なった。
 無能力者レベル0の少年が、拳の届く圏内まで容赦なく飛び込んできた。
 一方通行アクセラレータは黒い翼を振るう。
 対するように固く握られた右拳が飛んでくる。
 交差する二つの攻撃は、一瞬だけ無能力者レベル0の少年の方が早く届いた。一方通行アクセラレータの顔が殴り飛ばされ、体のバランスがわずかに崩れた。黒い翼の軌道が逸れ、無能力者の少年には当たらず、間一髪の所を突き抜けていく。
 余波が発生した。
 爆風が吹き荒れ、無能力者レベル0の少年どころか、一方通行アクセラレータの体まで十数メートル後ろへ転がされた。二人は雪の中から起き上がり、さらに拳を握り、それぞれが距離をゼロまで縮めるべく、最短距離で突撃していく。
 一方通行アクセラレータの胸の内から、どす黒いものが噴き出した。
 無能力者レベル0の少年に対してだけではない。もっと漠然とした、この不条理で理不尽な世界そのものに対する憎悪や憤りが、言葉という形で一気に噴出していく。
「何でだよ!! 何で誰もあのガキを助けてくれねェンだよ!! オマエはヒーローだろォが!あの『実験』を拳一つで止められたほどのヒーローなンだろォが!! だったら助けろよ!! 他の誰にもできねェ事ができンなら、そいつをちっとはあのガキにも向けてやれってンだよォ!!」
 咆哮と共に、黒い翼の内側からさらに強大な力が吹き荒れていく。
 それと一緒に、自分の心の中からボロボロと何かが剥がれていくのが分かる。
 もう止まれない。
 打ち止めラストオーダーの笑顔を思い出しても、暴力を止めるための枷にはなってくれない。
「俺みてェなクソッたれな悪党が今まで立ち上がっていた方がおかしかったンだよ!! どォ考えたって場違いだろォがよ!! ヒーローなンかなれる訳がねェだろ!! 何をどォしたって、俺は血みどろの解決方法しか選べねェンだよ!! 何で俺がこンな事をしなくちゃならなかったンだ!! オマエみてェなヒーローが駆けつけてくれたら、最初っからこンな間違いなンか起こらなかったンだ!! あのガキだって、あンなに苦しむ事はなかったンだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 翼と拳を振るい、互いに殺し合いながらも、無能力者レベル0の少年は何でこんな事になっているか分かっていないだろう。一方通行アクセラレータ自身、自分で何が言いたいのか分かっていないまま叫びを口から出しているのだから、他人に理解できるはずもない。
 一瞬だけ、二人は沈黙した。
 彼らの視線は逸れ、離れた所に倒れている小さな少女に向いた。
 そして。
 黒い翼が今まで以上に膨らんだ。
 その翼が一〇〇以上に分断され、ありとあらゆる方向から無能力者レベル0へと襲いかかった。
 爆音と衝撃波が撒き散らされ、地盤そのものが低く揺れた。
(これで死ンだろ……。死ななきゃおかしいだろ)
 一方通行アクセラレータはそう思う。
 そうでなければおかしいはずだった。
 にも拘らず。
「何でだよ……」
 思わず、呻くように彼は呟いた。
 やがて、それは巨大な叫び声になる。
「何で今ので死なねェンだよヒーローッ!? ここで死ななきゃ全部破綻しちまうだろォがよォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 言葉が返ってきた。
 間近で両者の血に濡れた拳を握る、少年の口から。
「……ヒーローなんか必要ねえだろ」
 複数の足音が雪を弾く。
 拳と翼が交差する。
 空気が叩かれ、いくつかの攻撃が当たり、血が飛び散った。
「俺みたいなただの無能力者レベル0が、そんなご大層な人間に見えるのか!? 善人? 悪人? ふざけるんじゃねえ。そんな位置に立ってなきゃ、誰も助けちゃいけないのか!! 目の前で泣いてほしくない人が泣いているんだ! 助けてくれって一言を言う事もできずに、唇を噛んで耐えている人がいるんだ!! それだけで十分だろ!! 立ち上がったって良いだろ!! 特別なポジションも理由もいらねえ!! それだけあれば、もう盾になるように立ち塞がったって構わねえだろうがよ!!」
 言葉を吐くごとに、無能力者レベル0の少年の力が増していく。
 一方通行アクセラレータに向けて放たれている、だけではない。
 彼の言葉は、彼自身の中にあった迷いをも断ち切っていくかのようだった。
「お前が何を守りたくて、どんな風に傷ついてきたかなんて詳しい事は知らない。でも、その子を守りたかったんなら胸を張って守れよ!! 今この時、守りたいって思える事を誇りに思えよ!! お前の人生だろ、お前が決めろよ!! 自分の手で守りたいんならそうすれば良いし、見捨てたいんなら全部持ち去ってやる。でも、お前自身は何をどうしたいんだよ!! 本当にそれで良いのかよ。大して知りもしない人間を勝手に持ち上げて、そいつに自分の一番大切なものを預けて、それで全部満足できんのかよ!!」
 爆音が撒き散らされた。
 黒い翼が乱雑に振るわれた。
 土や雪が宙高くへと飛ばされた。
 しかし、無能力者レベル0の少年は倒れない。面を埋め尽くすような莫大な攻撃に対し、かろうじて致命傷を負わない弱い部分へ強引に体をねじ込み、さらに前へ前へと突き進む。
 ゾッと。
 一方通行アクセラレータの背筋に、寒いものが走り抜けた。
 今の今まで、一方通行アクセラレータ無能力者レベル0の恐ろしい所は、強力な能力者に対する臨機応変な戦術だと思っていた。強大な能力者自身が気づいていない裏をかいて真正面から突っ込んできて、その小さな死角を突くように強力な拳を叩き込んでくる。それが最も恐ろしいのだと思っていた。
 だが、違ったのだ。
 最も恐ろしいのは、そんなに複雑な事ではなかったのだ。

 そう。
 諦めないという想いが。たとえ何があっても絶対に諦めずに真っ直ぐ突っ込んでくる敵というものが、これほどまでに恐ろしい存在であるという事に、学園都市最強の超能力者レベル5はようやく気づいたのだ。
 その証拠に。
(今の一撃……)
 一方通行アクセラレータは、ゴクリと喉を鳴らす。
(一番威力の弱い層だったとしても、生身の体で耐えられるよォな破壊力じゃねェぞ!?)
 そんな事など関係はない。
 恐怖の根底は、些細な理屈などではない。
 今ここで重要なのは、『最も恐ろしい敵』が間近に迫っているという事。
 そういえば、と一方通行アクセラレータはそこでようやく思い出した。
 かつて、操車場で妹達シスターズを利用した『実験』を巡って、同じように激突した時。
 あの少年を最も恐ろしいと感じたのも、やはり絶対に立ち上がれないはずの場面で、それでも諦めずに二本の脚で起き上がった時ではなかったか。
「お前が選べよ……」
 無能力者レベル0の少年は、あのどうしようもないほど血まみれだった操車場の時と同じように、学園都市最強の超能力者レベル5の懐へと踏み込んでいた。
「このままお前の手で守り続けるのか、他人に全部預けて逃げるのか、それとも俺の手を借りて協力して欲しいのか!!」
 その拳が。
 この上なく強く握られる。

傲慢ごうまんだろうが何だろうが、お前自身が胸を張れるものを自分で選んでみろよ!!」

 轟音が炸裂した。
 無能力者レベル0の少年の拳が、一方通行アクセラレータの顔面を確実に捉えた音だった。
『悪』の道を突き進み、いくつかの偶然を経て手に入れた黒い翼の力は、あの少年には通用しなかった。
 いや。
 そもそも。
 自分には、本当に『悪』の道を進まなければならない、などという枷などあったのだろうか。
 絶対に。
 何があっても守りたかったもの。
 それは打ち止めラストオーダーの笑顔であって、彼女との立ち位置の問題とは違うものではなかったのか。本当の意味で彼女を守りたいのであれば、自分が『善』だろうが『悪』だろうが、そんな垣根は飛び越えてしまうべきではなかったのか。
 今まで背中を追っていた人物は、つまりそういう存在だったのかもしれない。『善』だから『悪』だからではない。始めからそんな事を考えてもいなかったからこそ、何をどうやっても『単なる悪』の一方通行アクセラレータには追い着けなかったのかもしれない。
 だとしたら。
 真後ろに倒れ込みながら、一方通行アクセラレータは思う。
 自分の中にわだかまっていた、何かしらの幻想が破裂するのを感じていた。

 そして。
 上条当麻と同行していた魔術師の少女レッサーも、今の戦いを眺めていた。
 魔術的な視点から観察すると、謎の襲撃者の黒い翼には恐るべき意味が込められている。
 しかし一番恐ろしいのは、やはりその翼をねじ伏せてしまった上条当麻の方だ。
(……今)
 レッサーは、つい先ほど目撃したものを、もう一度頭の中で反勢はんすうするように思い出す。
(……あの少年。一〇〇以上に分かれた黒い翼の一本を、掴んで、ひねった……?)
 あの少年の右手はありとあらゆる異能の力を打ち消す効果があるらしい。しかし条件や限度はあるらしく、あまりにも莫大な力に関しては、打ち消し切る事ができずに、受け止めるに留まってしまう例もあるようだ。現に、フィアンマが使った特殊な大剣は、打ち消すまでに多少の時間がかかっていた。
 普段ならば、打ち消す事のできない……という状況は、彼にとってマイナスになっていたはずだ。
 しかし。
 今、あの少年は、そのデメリットを逆手に取って、わざと『消せない』黒い翼を掴み取った。そして翼をねじった事によって襲撃者のバランスを崩し、均等に放たれた一〇〇の翼の包囲網の中で、わずかな安全地帯を作り上げていたのだ。
 消去と干渉。
 相手の強さに合わせて使い分ける事ができるようになった特異な力。
 この過酷な戦争は、あの少年の力を増大させるためにも機能したという事だろうか。
 だが。

(……それだけで、本当にあの状況を突破できるものなんですか……?)
 たとえ強大な力を右手によって『掴めた』としても、やはりそれだけで切り抜けられたとは思えなかった。仮にレッサーに同じ力が宿っていたとしても、あの状況をクリアできるとは考えられない。
 だとすれば。
 一体、何が起こった?
 本当に理屈なんてなかったのか?
 それとも……。

     6

 一方通行アクセラレータの視界が明滅していた。
 横倒しになった視界の中に、打ち止めラストオーダーがいた。冷たい雪の中に埋もれたままだった。今さらながら、その事に顔をしかめそうになった一方通行アクセラレータは、彼女のすぐ横に誰かが屈み込んでいるのを発見した。
 ロシアに入国した頃の一方通行アクセラレータなら、それだけで殺人の引き金になっていたかもしれない。
 しかし、今はもう動けなかった。
 打ち止めラストオーダーの傍らに屈んでいるのは、ツンツン頭の少年だった。彼は意識を失った小さな少女の顔を覗きの込んでいたが、やがて、その右手を打ち止めラストオーダー額へと向けた。まるで風邪になった時に熱を測るような仕草だった。
 それだけで、何かが起きた。
 硬い物が砕けるような、甲高い音が白いロシアの大地に響き渡ったのだ。
 何を意昧しているのか、一方通行アクセラレータには理解できなかった。
 彼の意識は再び沈んでいく。

 次に目を覚ました時、一方通行アクセラレータは車内にいた。
 一般的な乗用車ではない。人が乗るための内装どころか、窓さえ存在しなかった。おそらくトラックか何かの荷台だろう。無骨な金属製の床や壁に、警戒心が募る。学園都市の暗部組織の手で回収されたのではないかと考えたのだ。
 しかし、直後に気づく。
 あのツンツン頭の少年は、複数の車で構成された車列の中にいた。一方通行アクセラレータが乗せられているのも、その中の一台なのかもしれない。
 振動はなかった。
 車は停まっているのだ。一方通行アクセラレータが目を覚ました時には、すでに目的地に着いていたのかもしれない。
 傍らには、打ち止めラストオーダーが寝かされていた。
 先ほどまで全身に流れていた気持ちの悪い汗は、何故かどこにもなかった。意識を失う直前にツンツン頭の少年が触れていた、あの右手が何らかの効果を与えていたのだろうか。
 しかし、たとえ何らかの効果があったとしても、一時的なものだとは思う。
 彼のベクトル変換能力は、人体の脳波の乱れすらも正確に掴み取る。そうした力を使って打ち止めラストオーダーの体を調べてみると、根本的な体調は治っていないのが分かるのだ。
 今は安定していても、いずれ必ずぶり返す。
 だが、解決までのタイムリミットが伸びた事は事実だ。
 この状況をどう判断して良いか分からない一方通行アクセラレータ。カサリと、懐にしまった羊皮紙の感触が伝わってくる。彼はそこで、打ち止めラストオーダーの小さな体のすぐ横に、小さなメモが置いてあるのを見つけた。
 タイミングから考えて、あのツンツン頭の少年の可能性が高い。
 手に取って広げてみると、紙切れにはこう書いてあった。

 Index-Librorum-Prohibitorum。
 禁書目録、と。

 学園都市から離れる直前、一方通行アクセラレータを打ちのめしたエイワスは、禁書目録という言葉を覚えておけ、という台詞を吐いていた。
 繋がったのかもしれない。
 打ち止めラストオーダーを助けるための鍵を、メモの形で示しておいてくれたのかもしれない。
 その時、停車したトラックの荷台の扉が、外側から開け放たれた。光が差し込む。扉を開けた金髪碧眼の大男が、中にいる一方通行アクセラレータ達に話しかけてくる。
「エリザリーナ独立国同盟へ招待しよう。どこまでできるか分からないが、その子の回復方法を一緒に考えるとしようか」
 一方通行アクセラレータは、言葉で返事をしなかった。
 彼はただ、手の中のメモを両手で握り締めたまま、打ち止めラストオーダーの前で項垂れていた。
 まるで、白い天使が祈りでも捧げているかのような格好だった。

 そして。
 遠く離れた科学の街で、人間の範囲を超えた存在は静かに笑っていた。
 エイワス。
 並の人間であれば、脂汗でもかいていたかもしれない。そういったニュアンスを含む笑みだった。彼は、他の何者にも正しい意味の分からない笑みを浮かべながら、ただ呟く。
「やはり……彼の右手は面白いな」
 エイワスから『面白い』と評価される事は、まっとうな人生を過ごしたいと願う人間にとって、本当にプラスに働くかどうかは不明だ。
 そしてエイワス自身、矮小わいしょうな人間の一生など気に留める思考回路は存在しない。
 その存在は、ただ己の興味に従った行動しか取らない。
「あの少年が街を離れる前に、向こうについても会っていれば良かったかもしれない」

     7

 針葉樹の林を利用した遮蔽物は失われた。
 攻撃ヘリはまだ一機残っている。
 もう上空から攻撃をごまかす事はできない。正真正銘の一対一。このタイミングで落とせなければ、プライベーティアの攻撃ヘリは逃げ惑う集落の人々を皆殺しにしてしまう。その中には身動きの取れない滝壺理后も含まれる。だから、何としても浜面達はここで勝たなければならない。
 なのに。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 狭い高射砲の車内で、誰もが叫んでいた。実際に引き金に触れていない浜面やディグルヴまでもが高揚していた。
 攻撃ヘリが迫る。
 地面ヘ一直線に銃撃のラインが走ってくる。
 本気を出した攻撃ヘリは、あまりにも素早かった。機銃で狙いをつけてもまともに当たらない。ミサイルでロックはできたが、おそらく発射しても駄目だろう。通常、地対空ミサイルは逃げる航空機の後ろから撃つものだ。高速で動く飛来物の真正面から撃っても直撃する可能性は低いのだ。針葉樹の林を遮蔽物に使った奇襲時は、『まさか反撃なんて来ないだろう』と相手は油断をしていて、回避行動が遅れていたのだ。全力で警戒された状況では使い物にならない。
 西部劇の撃ち合いだ、とグリッキンは言っていた。
 互いに銃弾を交差させ、早く撃ち抜いた方が勝ち。
 浜面もそう思う。
 ただし。
 上空の攻撃ヘリの方が、浜面達より何倍も有利だ。
(くそ……ッ!!)
 浜面は慌ててキャタピラを操作し、迫る銃弾のラインから逃れようと車体の動きを捻じ曲げた。しかし間に合わない。細かく軌道を修正され、攻撃ヘリは的確に高射砲を撃ち抜こうと迫ってくる。
 おしまいだ。
 思わず滝壺の名を叫んだその時、心臓を鷲掴みにするかのような音が、浜面の耳元で炸裂した。それは分厚い金属板が貫通される音だ。
 意識が飛んだ。
 何の比揄表現でもなく、本当に呼吸が止まった。
 しかし。
 浜面は死ななかった。
 そもそも、鼓膜を叩いた貫通音は高射砲の車体が吹き飛ばされる音ではなかったのだ。

 その不気味な音は、上空を飛ぶ攻撃ヘリから聞こえたものだった。
 全長三.五メートルもの大剣が、ヘリを真横から串刺しにする音だったのだ。

「……は?」
 Ascalonアスカロンという側面の文字が、やたらと目に焼きついた。
 あまりにも常識外れな光景を前に、浜面は思わず間抜けな声を上げていた。自分の命を助けられたにも拘らず、その現象を認めようとしない自分が存在する。
 その間にも、さらに理不尽な現実が目の前に広がる。
 二〇メートル以上上空を飛んでいた攻撃ヘリに、何者かが飛び移った。そう、白い地面から誰かが飛んだのだ。それは青系の衣装をまとった大男だった。そいつは攻撃ヘリの横に突き刺さった大剣のグリップを掴むと、勢い良く振り回した。
 空の王者は、それだけで斌期のハンマーのように翻弄された。
 重力落下に従い、大男は雪原の真ん中へと着地する。それと同時に、大剣を地面へと叩きつけた。攻撃ヘリが勢い良く爆発し、オレンジ色の炎が周囲へ撒き散らされていった。
「……いわれなき暴虐から人々を守り、流れる必要のない涙を止めるために、敵の武器を奪いながら全力で戦う姿勢は見事である」
 炎の中から、低い男の声が響き渡った。
 浜面でもかろうじて単語の所々は理解できるレベルの、流暢りゅうちょうな英語だった。
 直後に、炎は内側から吹き散らされた。
 男の周囲には、雪を溶かして生み出したのか、水の塊が漂っていた。無重力空間でジュースをこぽしたような、不自然な動きだった。

「詳しい事情は分からぬが、この後方のアックア、僭越せんえつながら助力させてもらおうか」

 複数の想いは交差し、主人公達の邂逅はさらなる物語を生み出す。
 ここからが反撃の時。
 激化する巨大な戦争の中で、彼らが自らの目的を見失わずに走り続ける限り。
 人々の笑顔を作り続けてきたこの世界は、そう簡単には壊れはしない。

戦況報告

 ローマ市内の病院には、一室だけ奇妙な空気に包まれた個室が存在する。
 静謐せいひつ
 そこで眠っている人物の像が、部屋全体にまで浸み渡っているかのような光景だった。
 ベッドの上に横たわっているのは、ローマ教皇だった。
 つい先日までバチカン大聖堂の奥深くに鎮座していたはずの老人は、手術衣を着せられ、いくつものチューブを口や鼻へ取り付けられていた。
 若い神父は、病室に入るなり、思わず首を横に振っていた。
 心のどこかでは、願っていたのかもしれない。
 世界中で巻き起こっている混乱を受けて、それこそ伝説のように彼が起き上がってくれるのではないか、と。
「……フィアンマの横暴は、誰にも止める事はできません……」
 絞り出すように、若い神父は告げる。
「彼の力を目の当たりにした枢機卿すうききょう達は、恐怖に屈したか、あるいは利を選んで従う者ばかり。あろう事か、この戦争の最中に新たな教皇選挙を実施しようと言い出す者まで現れる始末です」
 若い神父の言葉だけが続く。
「イギリスとフランスの間でも、魔術的に大きな戦闘が起こっているようです。おそらく、フランスを後押ししているのはフィアンマでしょう。……いえ、一ヶ所だけとは思えません。今や、世界の至る所で、フィアンマの思惑に従う形で様々な戦いが巻き起こされているはずです」
 つまり、返事は一つたりとも返って来なかった。
 その事に、若い神父は思わず崩れ落ちそうになる。しかし、事態はそこで留まらない。さらに別のシスターが、息を切らせて病室に飛び込んできた。
「たっ、大変です!!」
「我らが教皇の御前だぞ!!」
 若い神父が短く叱責すると、シスターは身をすくませた。だが、彼女は顔を青くしたまま、まるで陸に上げられた魚のように口をパクパクと動かして、
「ろ、ローマ市内の市民達が、こんな戦争に加担するのはもう懲り懲りだと言い始めて!! 大通りに集まり始めているんです! バチカンに向かって行進を始めるかもしれません!!」
 表向き、この第三次世界大戦はロシアと学園都市の戦争だという事になっている。しかし学園都市とイギリスが味方同士である事や、ロシアとローマ正教が何となく支持的な関係にある事は、民間人もうっすらと理解しているはずだ。現に、イタリア軍のいくつかの部隊は戦争のために出陣している。
 ローマ正教を束ねる枢機卿すうききよう達は、フィアンマの力に魅せられてしまい、もはや使い物にならない。ひょっとすると、まっとうな憤りを覚えて行動する、普通の市民の方が正しく歴史を変える力を持っているのかもしれない。
 だが、
「……止めなくては」
「神父様?」
「歴史上、そういった市民達の革命はいくつか成功している。だが、それは事前に入念な下準備が揃ってこそ、初めて成立する大事なんだ! こんな、その場限りで思いついたままの暴動で歴史が変わるはずがない!! このままでは彼らはローマ正教の戦闘部隊の手で抹殺されてしまうのがオチだ!!」
「そっ、それでは、どうしましょう。どうすれば!?」
「彼らはローマ正教の未来を真剣に考えてくれている。だからこそ、彼らが暴徒として動く前に食い止めるぞ。こんな所で死なせる訳にはいかない」
 若い神父とシスターは急いで病室を飛び出そうとする。しかし、神父は出口の辺りで一度だけ立ち止まった。ベッドの上のローマ教皇をわずかに眺め、惨むように呟く。
「あなたさえ……。あなたが皆にお顔を見せ、一声でもかけてくだされば、それだけで皆の不安は払拭できたかもしれないのに……」
 ありえない可能性を自ら振り払うように、若い神父は首を横に振った。それから目の前の問題を現実的に解決するために、彼は暴動の起こりかけたローマ市内へと向かっていく。
 病室には、再び静謐せいひつな空気が戻った。
 そして。
 絶対にありえない事が、起こった。

 びくりと、ローマ教皇の指先が動いたのだ。

 ほんの小さな震え。それが全ての引き金になったかのように、ローマ教皇は閉じた瞼を開けた。口や鼻に取り付けられたチューブを引き抜き、ベッドから起き上がり、周囲を見回す。教皇としての豪箸な衣装はなかったが、壁際に質素かつ要所を押さえた修道服が掛けられている。
 ローマ教皇はサイドテーブルにあったリモコンを掴み、テレビのスイッチを入れる。そこで流れているニュースを耳にしながら、手術衣を脱いで修道服へと着替えていく。
 悲劇が報じられていた。
 理不尽な暴虐の前に嘆く母親が映っていた。不安をより一層増大させるようなアナウンサーの言葉が続いた。祈りを捧げる少女の横顔があった。彼女の父親は、家の近くで爆発が起こってから見つかっていないという報告があった。何でこんな戦争が起こってしまったのかと、どこかの誰かが泣いていた。
 しばし、ローマ教皇は黙っていた。
 彼が具体的に次のアクションを起こす前に、頭の中に魔術的な通信が直接入ってきた。
『はぁい、ダンディな紳士様。まだローマ教皇ってポジションで良いのかしらん?』
「ワシリーサか」
 以前、ロシア成教のトップ、総大主教と協力関係を強化するための対談を行った際、彼女との連絡方法を密かに交換していた。
「枢機卿は教皇選挙を実施しようとしているらしい。すでに私の権威は失われたと判断しているのだろう。この口から出た言葉だけでは、戦争を止める事はできないぞ」
『それでもあなたは立ち上がった。それだけ分かれば十分十分』
「そっちは今、何をしている?」
『んー?』
 声と同時に、ボンッ!! という大きな音がローマ教皇の頭を引っ掻いた。
 顔をしかめるローマ教皇。
 今のは明らかに爆発音だった。一つ二つではなく、断続的に炸裂している。一緒に怒号も聞こえていた。おそらくワシリーサは世間話をしつつ何者かと魔術の死闘を繰り広げているのだ。
『聞きたい? 「殲滅白書ぶか」の造反組を泣かしまくっている最中なんだけど。あはは、スクーグズヌフラとかいう変態女魔術師なんて鼻水まみれになっているわね。あなたって、同胞同士の殺し合いとか聞くと涙が出ちゃうタイプじゃなかったっけ?』
 ワシリーサの口調は変わらない。
 それだけで、実際の戦況がどこまで一方的かは手に取るように分かった。
「……加減はしてやれ。どうせお前の部下なんだろう」
『言うと思った』
 くすくすと、ワシリーサはどこまで本気か分からないような調子で笑う。
『でも、こういうのが苦手なあなたは、一体どういう風に戦争を終わらせるつもりかしら?』
「なに、やるべき事をやるだけだ」
 ローマ教皇はシンプルに答えた。
「……二〇億の信徒を束ねる教皇として、ではない。一人のローマ正教徒として、為すべき事を為せば良い。何か重大な方向性の盃みが発生した際、内側からそれを止める事。あの傭兵と交わした約束だからな」
 そこまで言うと、ローマ教皇は口の中だけでささやく。
「効率良く信徒を救うために『神の右席』とも接触したが、どうやら主はまだまだ私に試練を与えるつもりらしい」
 ローマ教皇は病室の窓を開けて、迷わず飛んだ。
 老人の、新たな戦いが幕を開ける。

 右方のフィアンマは、ロシア国内にある基地へと帰ってきた。
「そう怯えるなよ、ニコライ」
 歩きながらうそぶくフィアンマに、本の形の通信用の霊装から壮年の男の声が返ってくる。
『お前が始めた戦争だぞ』
「正確には、俺様が提案をした戦争だ。公式な引き金はお前達が引いたんじゃなかったか?」
『魔術サイドと科学サイドの戦争の行方によっては、終戦後のロシアの立ち位置は面白くないものになる。そう言われて提案に乗ってみれば、結果はこれだ! 学園都市製の無人兵器を織り交ぜた大戦力が、どのような戦果を挙げているかはお前の耳にも届いているだろう!!』
「だから、怯えるなと言っているんだがな」
『このまま状況が進めば、私もお前も牙城がじようを失う事になる。それが何を意味しているかまで、分からないとは言わせないぞ。ついでに言えば、策がないのならここまでだ。我々はお前を排除した上で、自分の起こした戦争に自分なりの決着をつける。最もダメージの少ない終わらせ方を模索する方向でな』
「悲観的だな。総大主教の陰でこっそり戦争の準備を進めていたお前も、その場合はロシア成教から追われる立場になるだろうに」
 フィアンマは小さく肩を震わせて笑った。
「もしもの話をしようか。もしも、俺様の手に一瞬で逆転するほどの隠し玉があるとしたら?」
「核兵器でも手に入れたか? 生憎と、ロシアにはごまんとあるぞ』
 ニコライは早口だった。
 口調には嘲りも含まれていた。
『だが正規ルートの弾道ミサイルを試射した限り、学園都市や協力機関には届かないのはほぼ確実だ。弾頭を交換したとしても、当たらなければ意味はない。百発百中で迎撃されてしまうのでは、核兵器など持ち出した所で相手の手を止める事には繋がらない』
「大天使『神の力ガブリエル』」
『ッ!?』
 囁くように言った一言で、ニコライの口が止まってしまった。
「そちらとしては、ミーシャ=クロイツェフの方が馴染みがあるかな?」
『手に入れたのか……?』
「媒体となっていた修道女は確保した。これを基に大天使を形作り、手駒として扱えるとしたら? 言っておくが、いつでも出撃できる状態だぞ。さて、お前がさんざん気にしてきた戦況とやらは、これっぽっちも揺らがんものかね」
 何かしらの争いが起こると漁夫の利を狙うと言われるニコライ=トルストイは、早速皮算用を始めたのだろう。通信用の霊装から興奮したした早口が聞こえてくるが、フィアンマは大して聞いていなかった。
 本の形の霊装を無視して、フィァンマは口の中だけで呟く。
「(……まぁ、あれを手に入れた本当の目的は、違うものなのだがね。『神の如き者ミカエル』の俺様が、『神の力ガブリエル』の力を我がものにできる事。その対応属性の暖昧さこそを忌むべきはずなのだが)」
 内の思惑をそこで断ち切り、フィアンマは改めて、世界へ宣告するようにこう告げた。
「さて、これから楽しいプロジェクト=ベツレヘムの時間だ」

「……何だって?」
 日本海の上空で戦い続けるロシア空軍のパイロット、エカリエーリャ=A=プロンスカヤは眉をひそめていた。ヘルメットと連動した通信装置から、敵対する学園都市の超大型戦闘機の乗り手の言葉が届いてくる。
『だから、クレムリン・レポートだよ』
 互いに最新鋭の金属の塊を振り回すように飛ばしながら、敵兵は半ば呆れたように告げた。
『ロシア国防上の最優先重要マニュアルだ。軍に所属している人間なら聞いた事ぐらいはあるんじゃないのか?』
「……、」
 名前だけは聞いた事がある、という程度だ。
 しかしそれは、正式な閲覧許可を得て目にしたというものではない。半ば、軍の人間の中で広まっている伝説のようなものだった。本当に実在するかどうかは分からない。エカリエーリャは、クレムリン・レポートそのものではなく、公式記録には存在しない(はずの)風のウワサのようなものまで敵側に掴まれている事に驚いていた。
『具体的な内容は知ってるか』
「答える必要があるか」
『「細菌の壁」だ』
 いきなり、学園都市のパイロットは話題を強引に切り替えた。そういう風に、エカリエーリャは思った。しかし違う。実際には繋がっていた。
『空気感染する殺人ウィルスだな。呼吸器の他に、皮膚上からも血管の中に潜り込むタイプ。おまけに、こいつには油分を分解する効果がある。動物の息の根を止める他に、耐BC兵器用のマスクやダクトなんかのフィルター類に穴を空けちまう。一度ばら撒かれたら、いつも通りの対処はできなくなるって訳だ』
「何が言いたい」
『クレムリン・レポートってのはな、核兵器発射施設の防衛マニュアルだ。……仮に本国へ武力侵攻があり、核発射施設が乗っ取られそうになった際は、「細菌の壁」を施設周辺へ散布し、発射施設は無傷のまま、人員だけを確実に抹消するべし。そのための具体的なマニュアルがクレムリン・レポートって訳だ』
「───、」
『当然、施設で働いているロシア軍の人間や、周囲で普通に暮らしている民間人に膿鰕勧告を送る事はない。核発射施設の安全確保のみを優先したマニュアルだからな。「細菌の壁」には、まだ対応したワクチンは完成していない。熱処理に対しても極端な耐性がある。極めて濃度の高いオゾンを使えば細菌を死滅させる事ができるという報告はあるにはあるが……感染して苦しんでいる人達にそんな事をすれば、何が起こるかは分かっているよな』
 エカリエーリャの、操縦桿を握る手が微かに震えていた。
 その話が本当なら、戦争の意味は変わってしまう。
学園都市は[#「学園都市は」に傍点]、|ロシアの人々を苦しめるために戦っているのではない[#「ロシアの人々を苦しめるために戦っているのではない」に傍点]。ロシア軍の上層部が勝手に始めた戦争。その趨勢すうせいに恐れを抱き、暴走を始め、守るべきロシア国民をさらに苦しめるための作戦にゴーサインを出そうとしている……そういった流れを食い止めるために、彼ら学園都市は戦っている事になるではないか。
 心の中心にある、芯のようなものが折れかかるのを感じた。
 しかし、エカリエーリャは首を横に振る。
 そう。
 今の話が、戦意を失わせるためのプロパガンダである可能性は否定できない。
「敵国の言葉だ。そんなものが信用できるか! 現に、お前達は武力を行使し、我が国の領土に入り込み、人々に兵器の矛先を向けているんだ!! 何の証拠もない与太話のために、今現実に起こっている侵攻を見過ごせるか!?」
『そう言うと思った』
 学園都市のパイロットは、どこか楽しげに呟いた。
『だから用意もしておいたよ』
 ビュン!! という音が聞こえた。
 近頃の戦闘機の計器類はデジタルのモニターになっていて、複数の情報を多角的に表示できるようになっている。複数ある小さな液晶モニターの一つが、突如違う画面に切り替わった。
 通信用のポートを強引に解放され、ねじ込むように情報を送りこまれた。
 だが、エカリエーリャが驚いていたのはそこではない。
 画面に表示された数値や文章が、彼女の心臓を強引に止めようとする。
『どう判断する?』
 学園都市のパイロットの質問が飛んでくる。
『お前達の上層部は、本当にロシアの人々を守ってくれると思うのか?』

 英国第二王女・キャーリサもまた、クレムリン・レポートの名を口に出していた。
 キャーリサと『傾国の女』の距離は、ほとんど鼻先を押し付けそうなほどに接近していた。互いの剣と剣を押し付け合い、さらにその刃よりも己の首を前へ突き出している。
 カーテナ=セカンドの欠片が生み出す光の剣と、フランスの剣デュランダル。
 互いに伝説の域にある武具を押し付け合いながら、彼女達は言葉を交わす。
「……何ですって?」
「『首脳』のお前なら、ロシアの事情と技術力、そして現在の学園都市の侵攻度合いなどを鑑みれば、私の言葉が真実かどーかは分かるはずよ。それとも、わざわざクレムリン・レポートを自分の目で見るまでは信じない、などというつまらない台詞を吐くつもりか?」
 二つの刃の間で、巨大な力が爆発した。
 両者は一〇メートルほど下がる。
『傾国の女』はデュランダルを構えたまま、静かに告げる。
「貴女がいかなる正当な理由を掲げた所で、ロシアへ干渉するためにフランスの地を踏み台にするのは確実。そして、ローマ正教からの庇護を受けて成長を遂げてきた我々フランスは、ここで彼らの命令を反故にする訳にはいきません。クレムリン・レポートの話が真実だったとしても、私が剣を収める理由にはならないのです」
「本気で言ってるの」
「貴女だって、自国の民を守るためにクーデターを起こし、ヨーロッパの民を駆逐しようとしたでしょう」
「それが必要な分ならね」
 キャーリサは否定しなかった。
 都合の良い言葉だけを吐くのではなく、自分の醜い所をあっさりと認めた。
 その上で、彼女は言う。
「だが、私は私の民を守るのに必要のない人員を殺害するつもりはないの。一人たりともだ」
「……、」
「クレムリン・レポートの発動によって、ロシアの民が苦しめられる事が、お前達フランスの民を守る事と何の関係があるの」
「それは……」
「ローマ正教の庇護ひご? それは本当にお前達が自ら望んでたものだったの。本当にお前達を守ってくれるものだったの? 現に、ローマ正教からの圧力のおかげで、お前達は起こす必要のない戦争を起こし、自国の民を窮地に立たせてたんじゃなかったのか?」
『傾国の女』はわずかに黙る。
 キャーリサは力ーテナ=セカンドの欠片を、それが生み出す光の剣を、静かに構える。
「ヨーロッパの中で、実際にイギリスへ本格的な魔術攻撃を仕掛けてるのはフランスだけ。本当は皆、気づいてる。この戦争はローマ正教ではなくフィアンマによるものだと。……こんな小競り合いさえなければ、私達はロシアへ行ける。今なら最悪の事態を回避できる」
 彼女に迷いはない。
 そんなものがある訳がない。
「さーどーする。私が己の宿敵と定めたフランスは、この程度のくだらない存在だったの?」

 学園都市、第二三学区。
 航空・宇宙関連の技術が集約されたこの学区には、様々な航空機が待機していた。普段は人員や物資を、雛するための旅客機が多いのだが、今は軍事色に染まっていた。様々な戦闘機や爆撃機、輸送機などが整列し、整備のためのスタッフがその間を走り回っている。
 そんな中に、一機の爆撃機があった。
 超音速爆撃機HsB-02。
 全長八〇メートル超。最大で時速七〇〇〇キロ以上叩き出す、地球の大気下での限界を超越したような航空機だった。
 爆撃機。
 しかし、広大なスペースの中には爆弾など積まれていなかった。ガランとしたスペースだけがあるのだが、事情を知る者が見れば背筋を凍らせていただろう。そこには単純な爆弾よりもはるかに恐ろしいものが搭載されていた。
「ふっふっふーん」
 女の鼻歌が聞こえた。
 楽しそうな感情の乗った声と共に、バチバチという火花のような音が聞こえる。椅子が一つ置いてあり、そこに誰かが座っていた。左腕を失い、右目の潰れた女だった。黄色いコートの端は黒く焦げており、そこから青白い閃光のアームが飛び出している。椅子の周囲には無数の医療機器が並べてあり、何本ものチューブやコードが女の体に取り付けられていた。
 麦野沈利むぎのしずり
 学園都市第四位の超能力者レベル5
 ロシア国内への、彼女の戦線投入が決定した理由は簡単なものだった。
「……たーのしみだねー、はーまづらぁー」

 そして、それとは別の爆撃機に、もう一人の超能力者レベル5が乗り込んでいた。
「うっ、うああ? 何だ、何だこれ!?」
 叫んだのは爆撃機のパイロットだった。この機には黒ずくめの男達が乗せられるはずだった。ロシアの上空からパラシュートで降下するために用意された特殊部隊だった。幻想殺イマジンブレイカーしという無能力者レベル0の動向を確かめ、敵対勢力の下につく事が確認できた場合は速やかに襲撃し、意識を奪うように命令を下されている部隊のはずだった。
 彼らは能力者ではない。
 しかし最新鋭の火器で身を固め、人間離れした動きで確実に標的を仕留める腕を持ったプロの集団のはずだった。
 それが。
 どうして、広大なスペースの中で全員気を失っている?
 そして。
 彼らの真ん中でバチバチ火花を散らせている中学生ぐらいの少女は、一体誰なのだ?
「はぁーい。ちよーっと相乗りさせてもらうわよ」
「……ッ!?」
 パイロットの全身が危険信号を発していた。速やかに機外へ飛び出し、叫び声をあげて危機を周りへ知らせようとした。
 しかし、その前に火花が飛んだ。
 後遣症を残さない程度に調整された高圧電流が、パイロットの筋肉を強引に収縮させ、指一本動かすどころか声の一つも発せられないようにさせてしまう。
「があ……ッ!?」
「悪いわね。こっちもいい加減にブチ切れているから、次は容赦できる保証はないわよ?」
 ひいひいと呼吸をするパイロットに、彼女は告げる。
 御坂美琴は、こう告げる。
「ロシアまで行ってちょうだい。本来通りの仕事をしてくれれば褒めてあげる」

「さて、どうする」
 学園都市のどこかで、そう告げたのはエイワスだ。
 エイワスは人間ではない。
 そして向かいにいるのもまた、まるで呼応するかのように人間ではない、
「……、」
 わずかに茶色の混じった黒くて長い髪。メガネ越しのオドオドした瞳。スタイルの良い体の少女。そういう風に見える彼女は、実はAIM拡散力場の集合体である。
 風斬氷華かざきりひょうか
 エイワスと対時する風斬の目には、いつもの不安そうな眼差しはない。
 そこには、若干ながらも芯のある戦意があった。
 そんな彼女に、エイワスは言う。
「ロシア国内では、君と似たような存在が確認されたな。大天使『神の力』。いや、不完全性を個性として認めるならば、ここはミーシャ=クロイツェフと呼んであげるべきか。ともあれ、あれは現在の人類の技術や軍事力でどうこうできる存在ではあるまい。一度蹂躙が始まれば、あの地にいる全ての人々に悲劇が訪れるだろう」
「だから、私に戦えって言うんですか」
「それもまた、興味深い選択肢の一つだ。もっとも、君にはそれを選ばなくてはならないという義務はないが」
「……、」
「具体的な方策について考え始めたか。しかし、やると言うのなら心配はいらない。我々はAIM拡散力場に満ちたこの街を好む傾向があるが、全世界に散らばった妹達シスターズを媒介として使用し、AIM拡散力場に方向性を与えてやれば、学園都市からロシアの深部まで、帯状のAIM拡散力場エリアを伸ばしてやる事もできるだろう」
「それは……」
 風斬はわずかに言い淀み、しかしもう一度口を動かす。
「それは、またあの人達の頭に、ウィルスを送り込むという事ですか?」
「必要ならば」
 エイワスは簡単に言った。
「しかし必要はあるまい。打ち止めラストオーダーが手元にないので難解だというのもあるが、今回の目的はおそらく妹達シスターズの利害とも一致する。司令塔から強制的に命令を出さなくても、各々の個体は協力的になってくれるのではないかな」
「……、」
「さて、どうする?」
「あなたは、どうするんですか」
「何も」
 回答までに、一秒すら存在しなかった。
「私は見ていて興味のある事しか実行しない。ロシア国内での動きは多少面白そうだが、そのために戦うという事にまでは興味も価値も感じない」
 これがエイワス。たとえ人類が滅び、世界が消えてなくなったとしても、エイワスは顔色を変える事はないのだろう。
 何か大きな目的のために、繊細な計画を一つ一つ積み上げていく者と、指先一つで世界を滅ぼすだけの力を持っていながら、興味と気紛れでしか動かない者は、はたしてどちらが恐ろしいのだろうか。
「行っても良い」
 風斬はしばらく考え、ポツリと呟いた。
「ただし、条件があります」
「それは私に言う事か? 大仰な『プラン』とやらを考えているのは私ではないぞ」
「私の『友達』に、手を出さないでください」
「興味が湧かなかったのならば、いくらでも」
「……手を出せば、たとえ『共食い』になったとしても、私はあなた達の敵に回ります」
「脅しと言うには、まだ甘いな」
 エイワスは微かに笑った。
「それは逆に、私の興昧を惹きつけかねない台詞だぞ?」

 そして、日本海上空で展開していた、学園都市の超音速戦闘機のパイロットは、戦闘に入って初めて切羽詰まった声を発した。
『ッ!? 回避だ!! 今すぐ旋回しろォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!』
「?」
 敵対するロシア空軍の工カリエーリャはまゆをひそめたが、理由は直後に分かった。
 何か。
 巨大な塊が、両軍の航空機の間を縫って一直線に突き進んだのだ。
 轟!! と。
 空気を引き裂く爆音と衝撃波は、現象よりも遅れてやってきた。エカリエーリャの操る最新鋭の戦闘機が、まるで木の葉のように揺さぶられた。機動性と安定性に優れたロシア機でなければ失速して墜落していただろう。見れば、全長八〇メートルを超す学園都市製の巨体ですら、今の衝撃で挙動を崩しかけていた。
「なん……だ!? 今のは!?」
 学園都市の方角からだった。おそらく彼らが開発した『何か』ではあるのだろう。状況を鑑みて、最新鋭の航空機である可能性は高い。しかし、エカリエーリャには自分の目で見たものが信じられなかった。つい先ほど自分の目で目撃した物体は、明らかに既存の航空機の常識を無視した代物だった。UFOどころの話ではない。『未知の技術で作られた金属製の航空機』という扱いのUFOは、まだ『人間が何とか納得しようと思えるレベルの不思議』だと、エカリエーリャは思う。『内部で何らかの生物が操っている乗り物』であるからだ。
 だが、今のは違った。
 一瞬だけ、エカリエーリャの目に飛び込んできたものは……、
「天、使……?」
 ポツリと、彼女は呟く。
「今のは、一体何なんだ……?」
『俺に聞くなよ、クソッたれ……。驚いているのはこっちも一緒だ』
 彼らの知る由もない事だが、それはヒューズ=カザキリと呼ばれる存在だった。
 ただし。
 今回の彼女は、第三者の手によって操られている訳ではない。その瞳には自らの意思がある。空気を引き裂きながら飛ぶ彼女の右手から、パキパキと何かが伸びてきた。それは一本の剣だ。普段の彼女とあまりに不釣り合いな、破壊力の塊が生じていた。
 まるで、彼女の戦意が表に飛び出したかのように。
 ヒューズ=カザキリは何物よりも速くロシアの空を飛ぶ。
『友達』を守るという素朴な想いは、天使と天使が直接衝突する激戦へと発展していくだろう。
 そう。
 科学と魔術。
 全く異なる方法で作られた、
 二体の天使の戦いに。

 そんな戦場の中心へと、上条当麻は向かっていた。
 エリザリーナ独立国同盟の車列の中の一台に、彼は乗り込んでいた。途中で一方通行アクセラレータ達を送るため、一台だけは別の所へと向かわせていたが、他の車は今の所、順調にフィアンマの居城へと向かっている。
 上条は気絶した一方通行アクセラレータの懐に羊皮紙の束があるのを見つけていた。
 魔術の品かもしれないので下手に触らなかったが、代わりにインデックスの名を残しておいた。羊皮紙の意味を教えてくれる少女の名を。
「……そうだよな」
 彼は、小さく笑っていた。
 学園都市第一位との戦いは予想外だったが、そこから得られたものは少なくなかったのだ。
「勝手にグズグズ悩みやがって。一方通行アクセラレータに偉そうな事を言えた義理かよ」
 隣に座っていたレッサーが、上条の横顔を見る。
 彼は前を見据えたまま、今までの自分を殴り飛ばすような勢いで、笑いながらこう続けた。
「何が理由だ、何が正当性だ。そんなもん、欠片も必要ねえじゃねえか!! 筋の通った論理的な動機がなけりゃ、立ち上がっちゃいけないのか!! インデックスが苦しんでいるんだ。いつも通りの笑顔を浮かべる事もできないんだ。それだけで戦えよ!! もう十分だろ! 言い訳なんか考えてんじゃねえ!! それ以上合理的な理由なんてのをウジウジウジウジ探してんじゃねえよ!!」
 声には、得体の知れない芯があった。
 そう。
 ロンドンでクーデターが発生した時に、カーテナ=オリジナルを手にした新女王へと迷いなく立ち向かったのと同じように。
「フィアンマに全部預けておけば、それで何もかも解決すんのか!? インデックスに対して後ろめたさがあるかどうかなんて、関係あんのか!! あんな野郎が何をどう言った所で、インデックスを助けたいって気持ちを変えなきゃいけない事になるのか!? どれだけ偉そうな事を言われたとしても、俺が止まる理由にはならなかったじゃねえかよ!!」
 戻っていた。
 この少年に力を与えていた原動力が、元の位置へと収まっていた。
「正しいから守るんじゃねえ!! ルールブックにそう書いてあるから仕方なく助けるんじゃねえんだ!! 俺が、この俺がただ助けたいだけなんだ!! だったら止まる必要なんかねえだろうが!! 正しいかどうかを論じる必要もねえし、そのための材料を探す必要もねえじゃねえか!!」
 そこまで大声を張り上げると、上条は一瞬だけ黙った。
 やがて、彼は小さな声でこう続ける。
「……確かに俺は最低の人間だ。インデックスを騙し続けてきたくだらない人間だ。ひょっとしたら、胸を張ってあいつを守ってきたなんて言えないような人生を送ってきたかもしれない」
 上条当麻は。
 再び右の拳に力を込めた少年は、前を見据えたままこう告げる。
「でも、だからと言って……俺が頭を下げるべき相手は、フィアンマなんかじゃない」

 ロンドン。
 聖ジョージ大聖堂は、この戦争において重要な『見えない拠点』となっていた。多くの人員、つまり魔術師が直接的にはフランス側からの侵攻勢力への対処に、間接的にはこの大きな戦争そのものの終結のために動き回っていたが、そんな中で、たった一人だけ全体的な流れのようなものから外れている者がいた。
 ステイル=マグヌス。
必要悪の教会ネセサリウス』の戦闘要員でありながら、彼は戦地へ向かう事はない。そもそも戦争の行方にも興味はない。ステイルは、護衛のためにこの大聖堂にいた。広い部屋の中、ベッドの上で眠り続ける一人の少女のために。
 インデックス。
 一〇万三〇〇〇冊の魔道書を脳に記憶・保管している修道女。
 ずっと昔から、奇妙な右手を持つ少年が現れる前から、やってきた事だった。
 だからこそ、
「ふざけるな」
 正面を睨みつけ、口の端で煙草を咥えた魔術師は強い口調で言い放った。
 数メートル先に、長い金髪の女性が立っていた。あまりにも長い、身長の二・五倍はありそうな金髪の女性が。
 ローラ=スチュアート。
 イギリス清教の最大主教アークビショップであり、同時に『必要悪の教会ネセサリウス』のトップでもある女性。本来ならばステイルには対等な言葉で話す事すら禁じられるほどの権限を持っている人間だ。
 しかしステイルの表情は険しい。
 まるで、敵に対する視線だった。
 対するローラの方は、非礼に対する訓戒を告げる様子もなく、ただニヤニヤとした笑みを浮かべているだけだ。
「あら。とってもとっても苦しみたる可愛い部下へ、見舞いに来てやりけるというだけの事なのに。フルーツもありけるわよ?」
「……あの子の遠隔制御霊装は二つあった。『王室派』の物はフィアンマに奪われたが、『清教派』の物は健在だ。そして、それを誰が持っているかは明白だろう」
 低く静かにステイルは言う。
「一〇万三〇〇〇冊の知識をフィアンマ側へ悪用されないようにするため、『清教派』の霊装で割り込みをかけようとしているんだな。現在は、先に起動したフィアンマの方が繋がりは強い。だからわざわざ、あの子の体をいじくり回して優先順位の変更まで考えた訳だ」
「名案名案。それは気づかねどなぁ。何なら試してみたる?」
「ふざけるなと言っている!! ただでさえ高い負荷に苦しめられている彼女に、さらに負担をかければどういう結果を招くか分からないはずがないだろう!!」
「ふむ。仮に、お前の妄想が正しかったとして」
 ローラは丸っきり小馬鹿にした調子でステイルに尋ねた。
「私はこの組織の長なりけるのよ? 顎と指先で使えたる人員はいくらでもいる。お前一人でどこまで対処できたるのかしら」
「その場合は」
 ステイルは、口で咥えていた煙草を、荘厳な大聖堂の床へと吐き捨てた。
 気がついた時には、その手に複数のルーンのカードがあった。
「最低でも、ここで司令塔だけは潰す」
「なるほどなるほど。大したものなりけるわね」
 ローラ=スチュアートは肩をすくめ、持っていたフルーツのバスケットの中から、掌に収まるサイズの霊装を取り出した。
 ステイルの表情が怒りに盃むが、ローラは気にせずにこう続けた。
「けど、事態はのんびり待ちていてくれたるかしら?」
「な、に?」
 ステイルが聞き返す暇もなかった。
 もぞり、と。
 彼の背後にあるベッドから、何者かがゆっくりと起き上がったのだ。
 Index-Librorum-Prohibitorum。
 禁書目録。
 ステイル=マグヌスが世界で一番守りたかった少女。しかし様子が違う。まるでカメラのレンズのように感情のない瞳で一度だけ周囲を見回したインデックスは、小さな唇を動かしてこんな事を言った。
「……警告……。ジジ……第四章ガガガ……第八節。遠隔……利用者、による……接続を、確認。ガガギギ……情報の開示を、許可……。作業中、情報の……送、受信が遮断、される……危険性の……ある因子の、自動排除を開始します……」
 ブゥン!! と異様な音を立て、インデックスの周囲に複数の光が躍る。
 それはあっという間に繊細な魔法陣を描き始める。
 ボロボロになった小さな少女の体に、さらに強い負荷をかけながら。
「どうしたる、ステイル?」
 追い詰められたステイルをさらに圧迫するように、ローラの楽しげな声が響き渡る。
 史上最悪の霊装を、手の中で弄びながら。
「チャンスをやりけるから何とかしろ。できなければ、私が何とかしたるわ」
「言われなくても……」
 ギリ、とステイルは歯を食いしばる。
「言われなくても、これは僕がずっとやってきた仕事だ!!」
 機械のような瞳の少女は、そんな叫び声を聞き、炎の魔術師の方へと首を向けた。
 そして、彼女はこう告げた。
「───敵性を、確認。これより……使用術式の解析、及び……対応した特定魔術ローカルウエポンの、構築を実行します……」

   あとがき

 一冊ずつお買い上げいただいたあなたはお久しぶり。
 ニニ冊一気にご購入いただいたあなたは初めまして。
 鎌池和馬です。
 ついに科学と魔術の戦争です! 前回は『一つの国家の中の戦い』でしたが、今回はさらにもう一つスケールの大きな戦いになっています。
 上条当麻、一方通行アクセラレータ、浜面仕上は、それぞれ別々の視点から一つの戦争を眺めています。それとは別に、この世界の中では精一杯生きてきて、それでも日の目を見る事のなかった人々も、今回ばかりは命懸けで全てをなげうって戦っております。『一人の主人公を中心とした』これまでの話とは構成を若干変えているのは、『これは世界規模の戦いの話であって、どこを切り取っても危険な戦いの物語になってしまう事』を提示したいという狙いがあったからです。
 話の終盤で、いがみ合っていた人々の心が、少しずつではありますが、一つの方向へと集まり始めています。この流れを決して絶やさない事。大きな戦いを『言い訳』にしないで、自らの進む道を曲げない事。おそらく、これが数多くの主人公達が『戦争というあまりにも大きな流れ』に勝つために、一番大切な事なのでしょう。
 それが成功するのかどうか、彼らの活躍を見守っていただけると感無量です。

 イラストの灰村さん、担当の三木さんと藤原さんには感謝を。さらにさらにややこしく面倒な話になっています。科学やら魔術やら、正義やら悪やら、いろんな色が混ざり合っているため、『どういう風にイラスト全体の方向性をまとめていくのか』も大変だったのでは、と推測します。毎度の無茶ぶりに応えていただき、今回も本当にありがとうございました。
 そして読者の皆様にも感謝を。正直、最初の一冊目でこういう話は書かせてもらえなかったかな、と思います。好き勝手にやらせていただける環境を支えていただき、本当にありがとうございます。

 それでは、この辺りでページを閉じていただいて。
 次回もページを開いていただける事を願いつつ。
 今回は、ここで筆を置かせていただきます。

 一体主人公は何人になるのやら                      鎌池和馬

底本:「とある魔術の禁書目録インデックス20」電撃文庫
   2010年3月10日初版第1刷発行

※ルビは一部のみ記載
※アルファベット表記の単語・熟語は、全角/半角を区別して入力してある

入力:mitsu514
校正:mitsu514
2010年10月15日作成

小説ーとある魔法禁書目録19

とある魔術の禁書目録インデツクス19
鎌池和馬

   c o n t e n t s
序 章 悪党の退屈なやりとり Key_Shop.
第一章 善意ぐらい信じている Dark_Hero.
第二章 単純かつ複雑な問題点 V.S._Calamity.
第三章 破滅はさらに道を開く Battle_to_Die.
第四章 地獄へ誘う二つの怪物 Dragon(≠Angel).
終 章 悲劇では終わらせない Brave_in_Hand.

   とある魔術まじゅつ禁書目録インデックス

 学園都市の暗部で起きる事件を処理する『グループ』。最強の一方通行アクセラレータ、魔術師でもあり能力者でもある土御門つちみ かど元春もとはるらで構成されたそのチームは、謎のキーワード『ドラゴン』について探っていた。それが、いまの〝クソったれ〟な現状を打破する唯一の手がかりであると信じて。
 一方、上層部に無断で行っていたその活動を煩わしく思う者がいた。その人物は、学園都市で最高の権力を持つ統括理事会メンバーの一人。彼の強大な勢力が、『グループ』に牙をむく。
 同じ時。元『アイテム』構成員の浜面はまづら絹旗きぬはたは、滝壺たきつぼの見舞いにやってきていた。そこで突然巻き起こる、浜面の「バニーガール超好き疑惑」。どん引きする絹旗と滝壺を他所に、浜面は決死の釈明をするが……!? ⑮巻、SSシリーズに続き描かれる、『学園都市の暗部』編登場!

鎌池かまち和馬かずま

今回は明るくて熱い話、暗くて冷たい話、という枠を試しに取っ払ってみました。ダークなのにやたらと熱い本筋や、悪党達しかいないのにコメディが巻き起こる状況などなど、一見相反する属性がきちんと混ざっているかどうかご確認くださいませ。

【電撃文庫作品】

とある魔術の禁書目録インデックス①~⑲
とある魔術の禁書目録インデックスSS①②
ヘヴィーオブジェクト

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

ちょうどアニメ版『超電磁砲』が放送中の模様ですが、本編はこんな状況に…。機会が有ればあちらのキャラもこっちでイラスト化してみたいですね。

とある魔術の
禁書目録インデツクス
19

鎌池和馬
イラスト・灰村キヨタカ

デザイン・渡邊宏一

※本書⑲巻は、⑮巻の続編に位置する物語です。原作小説の⑬巻.⑮巻、SS①巻、SS②巻をかたわらに置いた状態で読み始めてくださいますと、より一層本書をお楽しみいただけます。

序 章 悪党の退屈なやりとり Key_Shop.

 学園都市の第一五学区は最大級の繁華街はんか がいであり、流行の発信基地として機能していた。テレビ局やマスコミ関係の施設も多く立ち並ぶこの学区は、街の中で最も土地の値段が高い場所でもある。
 そんな中に、マンションと企業オフィスを組み合わせたような、巨大な総合ビルがある。こんな所を借りて住むぐらいなら、いっそ一戸建てでも一括購入してしまった方が負担は少ないんじゃないかというほど豪華な建物だ。
 学園都市第一位のである一方通行アクセラレータは、その最上階にいた。
 そこは『』と呼ばれる男の住居であり、仕事場でもある。一面のウィンドウから広がる夕暮れの街並みは、ここをレストランにすれば味のしなど関係なく、風景だけで一定の客が見込めそうなほどだった。
「そうねたむなよ。別に居心地の良い場所って訳じゃない。あくまで『隠れ家』の一つだからな。ガサ入れがあればすぐに捨てなきゃいけない物件なんて、くつろげるものじゃないぞ」
 部屋のあるじである大学生ぐらいの男は、に座ったまま肩をすくめてそんな事を言った。
 一方通行アクセラレータに対する警戒感はない。
 赤いひとみに白い髪。片手でつえをついていても全く弱さを感じさせない、少しかんさわっただけで肉体をつぶされかねない雰囲気ふんい き を全身から放っているを見ても、だ。
 おそらくは、慣れているのだろう。
 そもそも、取り扱っている商品を考えれば、『』と商売を行おうとする手合いに、まともな人間がいるはずもないのだから。
「まあ、何があったかは聞かねえよ。アンタは可愛か わ いいウェイトレスに注文をたのむような気軽さで、必要な物を言ってくれれば良い」
 いつまでっても無言な一方通行アクセラレータにも、特に苛立いらだ った様子も見せずに『』は言う。
「お望みの品は何かな。逃走用の車? 隠れ家のかぎ? それとも『両替』かな。強盗した現金のロンダリングなら、今日のレートは〇・八倍だ。つい最近まで〇・七五だったから、今が替え得なんじゃないか? アンタは目立つ風貌ふうぼうだし、何なら変装とか整形とかも紹介するよ」
 お勧めの料理を説明するような調子で羅列ら れつされているのは、主に逃走や潜伏せんぷくに必要な品々だった。学園都市は高い外壁に囲まれた街であるため、『遠くへ逃げる』方法で捜査の目をくぐり抜けるのは難しい。よって、安全な隠れ家を用意したり、素性すじょうを隠したまま貨物列車に忍び込んで学園都市の外に出る方法を模索も さくしたり(もちろん、そういった細工をほどこしても成功率は決して高くないが)……というのが重要になる。
 一方通行アクセラレータは、それを聞いてもしばし無言だった。
 やがて、彼はゆっくりと大きな部屋を見渡す。
「隠れ家、か。ここも隠れ家の一つっつーのは、モデルルームでも兼ねてンのか?」
「まあ、何と言っても主力商品だからな。おれは隠れ家から始めて、ビジネスの幅を広げてきたんだ。だから取り扱っている商品には自信があるし、それなりのこだわりもある。一等地の高級マンションから第二一学区の山間部にめてるキャンピングカーまで、色んな『カギ』を取りそろえてるぜ。見るかい?」
 しかし一方通行アクセラレータは食いついてこない。
 彼は横合いに目をやったまま、視線を固定させている。部屋の隅、街の景色を大きく見せるウィンドウから家具に隠れ死角になる位置に、何かがサンドバッグのようにるしてある。
「『アレ』も取り扱ってる商品の一つなのか?」
「ん-? そっちに興味があるのかな。ただ、悪いんだがあれはオプションじゃない。俺の趣味しゅみ みたいなもんだよ」
』もそちらに目をやり、くさりで吊り下げられた物を見て、わずかに苦い顔になる。
 意外な趣味を友人に知られてしまった時のような表情だった。
 それは、一五歳程度の少女だった。
 白い肌に下着だけの人間が、両手をかせいましめられたまま、り下げられている。
 動きはなかった。
 所々に青黒いあざを残す少女は、羞恥しゅうちに身をよじる事もなく、全身の力を抜いたまま小さく揺れていた。呼吸音はするのでまだ生きているのだろうが、ひとみに光はない。
 一方通行アクセラレータは少女を見たまま言った。
あく趣味しゅみ だな。高かったンじゃねェのか?」
「そこそこね。あ、おい。ホントにこわすなよ。使い捨ての隠れ家とはいえ、死体の処分は面倒なんだ。そもそも処分は別にしても、マジで高かったんだって。殺しちまったら、最低でも七〇〇万は払ってもらうぞ」
「その割にゃボロボロだな。売春させてる様子もなさそォだが」
「だから趣味だって言ってんだろ。そいつはなぐる用なの。普通に抱くにしちゃ、その女は落第点だよ。それともアンタ、こういう貧乳が好みな訳? 信じらんないな」
 すると、一方通行アクセラレータつえをついているのとは逆の手でつかんでいたカバンから封筒を取り出し、『』のデスクへと軽く放った。封筒の開いた口から、一〇〇万円の束が一〇個ほど飛び出す。
 それを見た『』は、くちびるゆがめて苦笑した。
「おいおい」
「前払いだ。こっちもつまンねェ仕事を回されてイライラしてンだよ。うっかり殺しちまわねェって保証が全くできねェ」
「チッ。言っておくけど、殺すだけで七〇〇万だからな。死体の処分については別料金だぞ」
 わずかに残念そうな口調で言う『』。趣味の一品のようだが、簡単にあきらめられる程度の執着しかないようだった。おそらく『新品』を買い直せば良いと考えているのだろう。
「ところで、そんなガキのどこに興味がいた訳? もしかして、ほかの男の手でボロボロにされた女じゃないと燃えないタイプなのか」
「そっかそっか、なンか勘違かんちがいさせちまったみてェだな」
』の質問に対し、一方通行アクセラレータは軽い調子で否定した。
おれが買ったのは、そっちでぶら下がってる女じゃねェよ」
「?」
「オマエの方だ」
一方通行アクセラレータが言ったその意味を、『』はとっさに理解できなかった。

 ぐちゃり、と。
 自分自身の鼻が砕ける湿っぽい音が聞こえた、その瞬間しゅんかんまで。

「ごっ、がっ、ァァああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 激痛に叫び、から転げ落ちる『』。彼の近くには、小さなカバンが落ちていた。それを一方通行アクセラレータが自分の顔に投げつけてきた物だとは気づいたが、どうもおかしい。とてもつえをついた人間が片手で投げた威力とは思えない。まるでピッチングマシーンの硬球を顔面で受けたような激痛だった。
』はつぶれて赤黒い血を噴き出す鼻を片手で押さえ、何とか床から起き上がる。
「てっ、テメ……ふぐっ……なに、な、何しやがる!?」
 高価なデスクの引き出しを開け、そこからけんじゅうを取り出す『』。しかし銃口を突きつけられても、一方通行アクセラレータは全く動じていない。カバンを放した手を首元のチョーカーに押し当てたまま、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
 そして、笑いながら彼はこう言った。
「オマエの基準じゃ……確か、人間一人の価値は七〇〇万程度だったンだよな?」
「……ッ!!」
 まさか、と『』のくちびるが動いた。
 その最悪の予想を肯定するように、一方通行アクセラレータは続けて言う。
「ったく、あの電話の野郎。ホントにくだらねェ仕事を回しやがって。一応金も払った事だし、今ちょっとイライラしてっからよォ―――殺しちまって構わねェな?」
 表面に見える以上の圧倒的な恐怖におそわれた『』は、ふるえる手で引き金を引いた。しかし一方通行アクセラレータは構わず、舌舐したな めずりをしたまま『』へと突撃とつげきしていく。
 肉が裂けて骨が砕ける音と、単なる絶叫以上の雄叫お たけびのようなものが炸裂さくれつした。

 五分後。
 血だるまになった肉をくつ爪先つまさきでつつく一方通行アクセラレータは、くだらなさそうにチョーカーについたスイッチを切った。その身に傷は一つもない。彼はその能力を解放した時に限り、あらゆる攻撃を反射させる事ができるからだ。
 一方通行アクセラレータは杖をついたまま、もう片方の手で携帯電話を取り出した。どこかに掛けると、電話を耳に当てる。
「一応終わらせた。クソみてェな仕事で退屈過ぎたがよ。あ? 必要な物? そォだな、息を吸ってくだけの肉塊にくかいの回収班と」
 そこまで言って、一方通行アクセラレータは少しだけ言葉を切った。
 り下げられたままの少女の方を見ると、彼はチョーカーのスイッチを再び入れる。
 指を軽く動かしただけで、か遠くにいる少女を吊り下げていたくさりが切断された。
「……後は、女物の着替えを一式ってトコか。サイズ? 知らねェよ。フリーサイズのを適当に持ってくりゃ良いだろ。オマエらセンスねェから、どォせ細かく注文してもだろォしよ。回収班も女の人員を回して来い。男が一人でも混じっていたらそいつの金玉をつぶす」
 言うだけ言うと、一方通行アクセラレータは携帯電話の通話を切った。デスクの上の札束を適当につかむと、くさりが切れて床に崩れ落ちた少女の方へとぞんざいに放り投げる。
 一方通行アクセラレータは少女の方を見ずにチョーカーのスイッチを切ると、つえをついて出口へ向かいながら素気ない調子で言った。
「後は勝手に生きろ。残りの人生、成功するも失敗するもォマエ次第だ」
「……、」
 今までろくに反応も示さなかった下着の少女は、ようやくのろのろと首を動かして一方通行アクセラレータの背中を見た。彼女は赤く切れたくちびるを動かし、ポツリとつぶやくようにこう尋ねた。
「あなたは……?」
「悪党だ」
 一方通行アクセラレータは玄関のドアをくぐりながら、歌うように答える。
「クソッたれの悪党だよ」

 それが彼の、あるいは彼らの日々だった。
 一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる海原うなばら光貴みつき 結標むすじめ淡希あわき 
 彼ら四人を『グループ』と呼び、『グループ』は今日もこの街のやみ駆逐く ちくする。

第一章 善意ぐらい信じている Dark_Hero.

     1

 一〇月一七日、午後六時。
 一方通行アクセラレータ隠れ家として使っているホテルの一室で、窓際まどぎわの床に直接座り込んでいた。壁に背を預けるようにしている理由は単純で、広げた新聞の上に自作の機材を並べているからだ。こういう作業はベッドの上ではできない。
 作業を行いながら、一方通行アクセラレータは首と肩で携帯電話を挟んでいた。
 そちらからは、小さな女の子の声が届いてくる。
『それでねー、今日の晩ご飯は煮込みハンバーグらしいの、ってミサカはミサカは偵察結果を報告してみたり』
「そォかよ。黄泉川よ み かわの野郎、とォとォ炊飯器でそンな大技までり出すよォになったのか」
 新聞紙の上の機材とは、つえだった。
 右腕の下腕と半ば組み合わさるように装着する、現代的なデザインのトンファーのような杖だ。それが『機材』と呼ばれるのは、新たにいくつかの改造をほどこし、いくつか小型のモーターや重量感知センサーなどを組み込んでいるからである。
 一方通行アクセラレータは、まるでマイクスタンドのように下端か たんに四本の脚のついた杖に軽く触れる。
(……一応組み立ててみたが、重量感知センサーだけで重心をとらえられるモンかね。角度調整用にジャイロでも突っ込ンでみるべきだったか?)
 頭の中で的確に分析を行いながら、同時に携帯電話で話をする一方通行アクセラレータ、通話相手の名前は打ち止めラストオーダーと呼ばれる、見た目は一〇歳程度の少女である。
『必要ならあなたの分も作ってもらえるようにミサカはネゴシエーションしてみる、ってミサカはミサカは台所の方をチラ見してみたり』
「そりゃイイな。冷凍して箱詰めして郵便で送りつけても味が落ちねェならだが」
 右腕を杖に通してグリップを握ると、四本の脚が昆虫のように動いた。座ったまま適当に杖で床をたたくと、床に対してほぼ水平な状態にもかかわらず、機械の脚が的確に床をつかみ支え始める。
(最低限の点数は採ったってトコだな)
『週末になったら会えるって言ってたよね、ってミサカはミサカは確認を取ってみる』
「……予定が変わらなかったらな」
 さらにグリップを操作すると、ガシャッ!! という音と共に、杖がいきなり縮んだ。伸縮式の特殊警棒のようになっているのだ。ひじから下をおおう巨大な腕輪のようになったパーツをくっつけたまま、一方通行アクセラレータは右手の手首を動かして調子を確かめる。
(ま、こっちも合格か。つえがねェと歩けねェが、能力使う時は邪魔じゃま だからなァ)
 一方通行アクセラレータは適当な感想をらしながら、もう一度グリップを動かして杖を伸ばす。ジャコン!! という音と共に勢い良く四本の脚のついた棒が伸び、新聞紙の上に置いていたいくつかの工具を飛ばしてしまう。
(……もうちっと威力が増せば武器になるかもしンねェが……意味がねェな。能力使用時にはほかの武器なンざ必要ねェし、非使用時は杖を持ち上げるとコケちまう)
『ミサカは今から次の土日が楽しみで仕方がなかっ―――おおっ!! ヨミカワが煮込みハンバーグを持って来た!! ってミサカはミサカは最優先事項を報告してみたり!!』
「そォかよ。オマエって寄り道ばっかの人生だよな」
 その時だった。
 携帯電話とは別に、ホテルのベッドサイドに備え付けられている電話のベルが鳴った。一方通行アクセラレータはそちらを見る。受話器を取る前にベルはんだ。きっかり三回、計ったようにベルの音をひびかせて、だ。
 それは合図だった。
 おそらくホテルの近くの車道わきに、キャンピングカーでもやってきたのだろう。
『どうしたの!? ってミサカはミサカは電話の音に首をかしげてみたり』
「……何でもねェよ。ルームサービスの確認だ」
 一方通行アクセラレータは適当に答えると、自作の杖に体重を預け、ゆっくりと立ち上がる。腰の後ろ、ズボンのベルトに挟んだ小型のけんじゅうの感触を改めて思い出す。
 そこで、電話の向こうの打ち止めラストオーダーがふとこんな事を言った。
大丈夫だいじょうぶ?』
 彼女は一方通行アクセラレータの仕事を知らない。そして、具体的に知らなくても心配はできる。
『危ない事しちゃやだよ、ってミサカはミサカはお願いしてみたり』
だれに向かってささやきかけてンだ」
 携帯電話からの声に、一方通行アクセラレータは突き放すように言った。
「核をっても死なねェ野郎に、そォいう気遣いは必要ねェだろ」
 通話を切ると、一方通行アクセラレータは携帯電話をズボンのポケットにしまった。
 後ろを振り返らず、彼は客室の出口へと向かう。
 部屋には新聞紙や工具などが散らばっていたが、どうせどこかの組織のした綺麗き れいに掃除していく事だろう。

 土御門つちみ かど元春もとはるは第七学区の繁華街はんか がいを歩いていた。学校から学生りょうに帰る途中にある大きな通りだ。金髪にサングラス、アロハシャツの上から学生服を羽織るなど、それなりに目立つ格好をしている土御門だが、現在はそれよりもインパクトのある人物がチラホラと見える。
 何らかのお店のチラシを配っているアルバイトのメイドさんだ。
 土御門は繁華街を歩きながらそうしたバイト少女たちを見て、わずかにサングラス越しのひとみを細くすると、
「……本当に、時代は良い方に傾いたんだにゃー……」
 などとつぶやいた直後、長身の土御門の背中の真ん中に勢い良く正拳せいけんきがめり込んだ。彼の妹、土御門舞夏まいか 仕業し わざである。華奢きゃしゃなグーから発せられるとは思えないドグッシャア!! という暴力的な音を鳴らした少女は、かドラム缶型の清掃ロボットの上に正座している。
 義理の兄を物理的に弓なりにした少女は、別に嫉妬しっと しているとかそんなものではなく、
「……あんなモンはプロのメイドとは呼べないんだぞー。メイドとウェイトレスとコンパニオンをごちゃ混ぜにしやがってー。どの辺が良い方に傾いてんだー? あ? 適当にゴスまで突っ込んでんじゃないかー。ニーソックスなら何でも許されるとでも思ってんのかー」
 ショートカットの前髪を上に上げて大きく露出ろしゅつするおでこに、青筋をビキビキ浮かべながら低い声で質問する舞夏。見れば、彼女の服装は紺色こんいろをベースにした、ロングスカートのメイド服。それもチラシ配りと違って地味だが実用性の高いデザインのものだった。
「ま、舞夏さん? ギスギスした真っ黒なオーラのせいで、オレの胃袋にものすごい重圧がのしかかっていますよ?」
「つまりだなー。メイドという言葉が世の中に広く浸透するのは大変よい事だけどー、それが誤った形で伝播でんぱ されても困ってしまうという事なのだぞー。この服を着ているだけでいかがわしい目を向けられてもだなー」
「いっ、いかがわしい目だとう!?」
 義理の妹からの指摘に土御門は巨大なリアクションを決行。
 とはいえ、別に我が妹に不将ふ らちな視線を向ける不特定多数の野郎ども許すまじ、などと思っているのではなく、
「そっ、それはいけない事だったのか……? そもそもメイドさんが健全なものだと? エロくないメイドさんなんて、一体どこに存在意義があると言うんだにゃーっ!!」
「……このクソ兄貴は本当にいっぺんプロのメイドというものを教えてやらねばならんようだなー」
 やめてやめてっ、ぐおおっ、義理の妹からプロのメイドさんのテクニックを体でアピールされる!? といかがわしい言葉の連呼と共に小さなグーでボコボコにされる土御門。
 そこで、彼のすぐ横を通り過ぎたキャンピングカーが短くクラクションを鳴らした。低速のろのろ運転の乗用車をせかしたようにしか見えないが、そうではない。
 それは合図だった。
 おそらく、ウィンカーを出して横道に入ったキャンピングカーは、そこで土御門つちみ かどを待つために一時停車している事だろう。
 土御門はキャンピングカーが消えた方には振り返らず、すぐ近くにあったコンビニの方へ足を向けて、
「にゃー。ちょっとシャーペンのしんを補充してくるぜい」
「んー? なら私も」
「お汚う手伝ってくれるか!! 実は今日は宿題がてんこ盛りでにゃー。正直二人でやっても終わるか終わらないか怪しいトコだけど、舞夏まいか は優秀だから一・五人分ぐらいの働きは見せてくれるだろ。それなら兄妹の共同作戦で何とか朝までには終わりそうだぜい」
「……今夜は兄貴の部屋に行くのはやめておこうー……。中学生の妹に高校の宿題をヘルプさせようとしている所がすでに切羽せっぱ まりすぎてるしなー。なあに、作り置きのご飯はまだ残っているはずだからロつえ死にする事はないはずー。そんな訳であでゅー」
 清掃ロボットの上に正座したまま、その側面を小さなてのひらでバシバシとたたく舞夏。どういう風にセンサーに感知させているのか、清掃ロボットはまるでハンドルで操作されているように方向転換していく。
 はくじょうものーっ!! とコンビニ前で打ちひしがれた土御門は、しばしうなだれ、それからコンビニに入り、シャーペンの芯をきっちり買って、繁華街はんか がいの横道に入った。
 そこにまっていたキャンピングカーのドアを開けると、中には先客なのか、白い髪のが簡易ベッドでふてくされたように寝転がっていた。
 そんなを見ながら、土御門は言う。
「……で、今日の宿題は?」

 結標むすじめ淡希あわき は第一〇学区にいた。原子力や細菌関連の研究施設、実験動物の焼却廃棄はいき 処分場などが並ぶこの学区には、もう一つ有名な施設がある。
 少年院だ。
 本来なら能力開発の名門校、霧ヶ丘きりが おか女学院の制服を着た少女がやってくるような場所ではないが、彼女の『仲間』たちが収容されているのだから仕方がない。
『仲間』とは、共に大きな計画を成しげようとした者、という意味でのものだ。
 それは犯罪行為とも表現できる。
 霧ヶ丘と同じく、いや、あるいはそれ以上に有力なお嬢様じょうさま学校ののコンビによって、その計画そのものはすでに頓挫とんざ している。多くの『仲間』達は圧倒的な力によって撃破げきは され、あの少年院に収容されていた。そして結標だけが助かった、計画の首謀者しゅぼうしゃであるはずの、最も優先して収容されるべき、彼女だけが。
 暗黙あんもくのルールが設定されたのだ。
 結標むすじめ淡希あわき の持つ強大な能力『座標移動ムーブポイント』を、学園都市のより深いやみと戦うために使用する。それに承諾しょうだくすれば『仲間』たちを肉体・社会的に保護するが、承諾しない場合はその保証はなくなる……と。
 いつかこの街を出し抜く。
 絶対に勝てないはずのゲームに勝利する。
 そして、『仲間』達に再び自由を与えなければならない。
 それだけが結標淡希の目的であり、それ以外は何もなかった。いや、残らなかった。法を無視してまで成しげたかった『大きな計画』についての執着心すらも、すでに消滅していた。アクティブな理由によって、自ら足を動かす事はもうない。今の結標はどこまでもネガティブに、周囲の状況に押されて体を前に進ませている。
 構わない、と彼女は思う。
 ある程度までは、この街の思惑に乗って動いてやる。
 ただし、その結果に待つものが、学園都市上層部の大崩壊だいほうかいであったとしても、もう止まってやらない。もしそうなったら、自分の背中をそこまで押した貴様自身を恨むが良い、と。
 日没寸前の薄暗うすぐらい街を歩きながら、そんな事を考える結標。
 その時だった。
 彼女のスカートのポケットから、携帯電話の着信メロディが鳴った。このたぐいに興味がなかったのでデフォルトの着信音のままだった、数日前までのそれとは違う。同居人のオススメとかいうものを勝手に設定されたので、そのまま放ったらかしにしておいた着信メロディだった。
 結標は小さく息をくと、ポケットから携帯電話を取り出した。
 通話ボタンを押して耳に当てると、聞き慣れた同居人の言葉が飛んでくる。
『結標ちゃーん!! どこほっつき歩いているんですかーっ!?』
 甘ったるい、第二次性徴期に入る前の女の子のような声だった。
 同居人の名前は月詠つくよみ小萌こ もえ
 これで高校の教師らしいからおどろきである。
『今日という今日は野菜妙めが作れるようになるまで頑張るっていう事で、先生はおなかかして待っているのですー。さっさと帰ってきて挑戦してくださいー。結標ちゃんもいい加減に得意メニューの一つぐらいは習得しないとまずいのですー』
 一見すると同居人が家事の面で楽をしようとしているだけのように聞こえなくもないが、この甘ったるい声の教師にそういう思惑がない事を、結標は短い期間の内に思い知らされている。
 その証拠に今も、
『別に女の子が家事をしなければならないなんて事ではないですけど、長い人生ですからいろんなスキルを覚えておいた方が、進む道の幅も広がるってものなのですよー。料理だけじゃありません。先生、結標むすじめちゃんの進路希望を聞いた事はないですけど、いざ進みたい道が決まった時に困らないように、いろんな事を見聞きした方が良いと思うのです。とはいえ、それは個人の時間をつぶさない範囲で、本当に進みたい道を阻害そ がいしないレベルで、という絶対的な条件がありますけどねー』
 そんな言葉を聞きながら、結標はふと足を止めていた。薄暗うすぐらい第一〇学区の中で、腹の奥へゆるやかにのしかかっていたどす黒い重圧が、いつの間にか消えている事に気づく。
 おそらく、うわつらの表層ではない、もっと心の奥にある所がおどろいているのだろう。
 こんな自分に、まだこういう言葉を掛けてくれる人が残っているのかと。
「……、」
 野菜妙め野菜妙めー、という教師の言葉にどう返答しようか、と考えていた結標だが、その時、一台のキャンピングカーが彼女のすぐ近くを追い越した。その車はジュースの自動販売機の近くで停車し、運転席から男が自販機に向かった。
 二人は一度も目を合わせなかったが、それで意図は伝わった。
 仕事の合図だ。
 怒るだろうな、いや、怒ってくれるだろうな、と思いながら、結標は携帯電話に話しかける。
「……直球で言うけど急用できたから野菜妙めは無理みたいね」
『ええっ!? 今日もなのですか! じゃあ野菜妙めを待つ先生はこれからどうしたらっ!? 実を言うとムチャクチャ失敗するんじゃないかと思って大量の野菜を買い込み冷蔵庫はパンパンなのですよーっ!?』
「それは良かったわね。ベジタリアンは長生きするわよ?」
 適当に言って、結標は通話を切る。
 しばし携帯電話を見て、それをスカートのポケットにしまうと、キャンピングカーへと向かっていく。車のドアを開けると、簡易ベッドには白い髪のが寝転がり、テーブルの前では金髪にサングラスの男が、デカいレーザー砲を装備したミニスカートのメイドが大暴れする携帯ゲームで遊んでいた。
 そんな同乗者たちの顔をいやそうに見ながら、結標は言う。
「……確か、キャンピングカーなんだからキッチンあったわよね?」

 第七学区の病院に、海原うなばら光貴みつき はいた。午後六時を過ぎているが、ここの病院の方針なのか、面会時間は割と遅くまで設定されているらしい。今はそのギリギリ、といった所だ。
 海原がいるのは個室の病室だった。
 とはいえ、別に彼が入院している訳ではない。
 海原うなばら光貴みつき はここに入院している少女の見舞いにやってきたのだ。
「……相変わらず、その『顔』がお気に入りのようだな、エツァリ」
 ベッドの上で上半身だけ起こしているかっしょくの少女は、わざと低くしたような声でそんな事を言ってきた。肩までかかるウェーブの髪は黒い色をしているが、日本人のものとはまた違った印象がある。彼女……ショチトルは、中米出身なのだ。
「そちらは相変わらず不機嫌ふ き げんそうですね。化学繊維せんい は肌に合いませんか?」
 言いながら、海原は持って来た大きな包みをサイドテーブルに置いた。
「アステカ系の民族衣装です。調達するのに苦労しましたが……まあ、この格好で病院内をウロウロしていたら目立つでしょうね。消灯時間後にこっそり着替えて眠るためにでも使ってください」
「だから感謝しろと?」
「先ほどから、一体何が気に入らないんですか」
「口で言わなきゃ分からないようだから、真正面から言ってやる」
 ショチトルは首だけを動かし、改めて海原の目をにらみつけた。
「私が一番気に入らないのはな、貴様が何事もなかったような顔で笑いかけてくる事だ」
「?」
魔道書ま どうしょの『原典』……貴様が拾ったんだろう」
 ショチトルは、自分の手に目を落とした。
 五本の指をゆっくりと開いたり閉じたりしながら、
「本来ならば、今の私の体は三分の一を除けばすべてダミーのはずだった。……それがどうだ。知らない間に丁寧ていねいに引きがしやがって。改めて、魔術師まじゅつしとしての技術と度量の違いを思い知らされた所だよ」
 かつて、ショチトルは強大な魔道書の『原典』を兵器化して扱うために、とある魔術結社の手で肉体の三分の二をすりつぶして『素材』にされた経緯を持つ。そして、それを人知れず救ったのが海原という訳だ。
 ショチトルは自分のてのひらから海原へと視線を向けて、
「……『原典』は、貴様が確保しているんだろう?」
「こちらに」
 海原は、着ているスーツのロるりを片手で開いた。
 そこには刑事ドラマのけんじゅうを収めるホルスターのような物があり、丸めた皮の書物が突っ込んであった。ショチトルが書物に注目する前に、海原はスーツを元に戻す。
「私が人肉を粉末にしてでも扱いされなかったものを、貴様は素のままで掌握しょうあくするか」
「いやまぁ……押さえておくのが精一杯というのが正直な感想ですよ」
 のんびりとした口調だったが、海原はこの『原典』がどれだけ恐ろしいものか、その片鱗へんりんぐらいは理解できている。
 そして、こんなものを手駒て ごまとして利用するための材料にされたショチトルが、どれほどイレギュラーな環境に身を置いていたか。
「何があったんですか」
 海原うなばらは、そう尋ねた。
 再会した時からずっといだいていた疑問。それをここで口にしたのは、ようやくショチトルが心身ともに安定してきたと判断したからだった。
 ショチトルはわずかにだまり、海原から顔をそむけた。かっしょくほおをこちらに見せたまま、彼女はポツリとつぶやく。
「『学芸都市』との戦いは知っているな。アメリカの研究機関だ」
「一応、顛末てんまつも。公式発表では、安価な旧式戦闘機せんとうき を買い付けたテロリストたちによって破壊は かいされたと聞きましたが」
「もちろん真実は私達による魔術まじゅつ攻撃こうげきだ」
 ショチトルはそこまで言って、また少しだけ黙った。
 中米最大の魔術結社と、表向きの『世界の警察』の、正面切っての戦い。彼女は、その戦いを後方から協力していたはずだった。
「ヘマをしたのさ」
 つまらない報告をするような調子で、ショチトルは言った。
「終結間際ま ぎわの最後の最後で、ちょっとした命令違反を起こしてな。そのつぐないとして、多少体をいじり回された。結社の規約としても間違った事じゃない」
 そんな訳がなかった。海原も長い事その結社に身を置いているが、どれだけの重罪を犯した者であっても、体をすりつぶして『原典』と融合ゆうごうさせるなんて事例は聞いた事がない。
「止める者はいなかったんですか? トチトリは? あなたの戦友だったでしょう」
 終わった事と知りながらも、思わず海原はショチトルのどうりょうの、別の少女の名を口に出す。
 しかしショチトルは首を横に振った。
「『原典』の執行以来、トチトリとは会っていない。私はそいつを抜き取られるまでは兵器だったからな。作戦指揮をしているテクパトル辺りなら分かるかもしれないが、あのいけすかない男ともあれっきり顔を合わせてはいない」
 言って、ショチトルは海原のスーツの胸の辺り……『原典』が収められているであろう所へと、改めて視線を投げた。
「とはいえ、魔術師の資質以前の問題として、『原典』を都合良く扱おうなどという考えは、人体の構造上難しかったようだな。あれだけやっても、私は『原典』に振り回されていた」
「……それについては同感ですかね。『原典』なんてものは切り札として行使できるようなものじゃありません。威力の分からない物をチームプレイで持ち出しても破滅を招くだけです。……いや私の『グループ』の場合。冗談抜きで迷惑かけたら袋叩ふくろだたきにされそうですしね」
 すると、ショチトルはか少しだけだまった。
「……チームプレイ、か」
「?」
「何でもない。今の貴様は『仲聞』と言うと、私の知らない顔を真っ先に思い浮かべるのだろうな」
「ショチトル……」
「違う、とは言うなよ」
 かっしょくの少女は分厚い壁を作るような調子で海原うなばらの言葉を封じた。
「理由はどうあれ、貴様が学園都市に寝返り、その手駒て ごまとして秘密裏に活動している事は事実なんだ。それは、貴様がかつて『仲間』と呼んでいた者たちへの裏切りである事を分かった上で。現に貴様はこうして私を撃破げきは したんだ。見事なチームプレイだったじゃないか」
 敗北した事は認めた上で、なお傷口に塩を塗るようにつぶやくショチトル。海原の表情がわずかに固まるのを見ると、彼女はようやく満足げな、しかしそれでいて薄暗うすぐらい表情を浮かべた。
「そうだろう?」
 そこまで言うと、ショチトルは海原からわずかに顔をらした。
 小さなくちびるとがらせ、彼女は聞こえるか聞こえないか分からない声でこんな事を言う。

「……エツァリお兄ちゃん」

 わずかに時が止まった。
 そして海原光貴みつき が何らかのリアクションを返す前に、病室のドアがズバーン!! と勢い良く開かれた。
 中に飛び込んできたのは、金髪にサングラスの少年、土御門つちみ かど元春もとはるだ。
「テメェ海原っ!! さっきの一言はどういう事なんだにゃーっ!!」
「エツァリ下がれ!! おそらく『組織』からの新たな追っ手だ!! くそっ、私ごと消す方針に変更したか!!」
 いやそれは変態ですが自分の味方です、と海原が忠告する前に、土御門はこめかみに青筋を立てながらズンズンと海原の方へ近づいてくる。
「海原ぁ……ッ!! お前は故郷に妹というものを残しておきながら、学園都市で常盤と き わだい中学の女子中学生相手にうつつを抜かしていたとでも言うのかにゃーっ!!」
「いやっ、ちょ、何言っているんですー!?」
 ビクゥッ!! と海原の肩が大きくふるえた。
 今まで土御門を警戒していたショチトルは、その一言にピタリと動きを止めると、改めて海原うなばら光貴みつき の顔を見た。
「……女子中学生だと。貴様、まさかそんな理由で『組織』を裏切っていたとでも言うのか?」
 否定はできない海原はダラダラと汗を流して目をらすが、別に相手が中学生だったからのめり込んだ訳ではない。高校生だろうが大学生だろうが関係ないのであって、命をけた大いなるロリコンではないのだ。
「いやそもそも兄妹って言っても結社内の師弟関係みたいなものでしかない訳でしてね!!」
「つまり義理っ!! むしろそっちの方が最高じゃないかにゃーっ!!」
 などとわめき散らしている海原と土御門つちみ かどを、病室の外からのぞき込んでいるのは結標むすじめ淡希あわき 
 仕事があるので人員の招集にやってきた訳だが、これならワンマンで事件解決に当たった方がマシなんじゃないか!? と彼女は少々真剣に検討してしまう。
 結標はすぐ近くの壁に背中を預けている一方通行アクセラレータの方を見ないまま話しかける。
「兄だの妹だの訳の分からない事をグチャグチャと。まったく、これから銃弾飛び交う戦場に向かうっていうんだから、もう少しまともな気構えをしてほしいものね」
 しかし一方通行アクセラレータからの反応がない。
 怪訝け げんな目で改めてそちらを見る結標は、一方通行アクセラレータの口が小さく動いている事に気づいた。
 ちょっと注意して聞いてみると、
「(……年下のガキに色々振り回されンのは、人間ならだれでも通る道だ。何やら鹿鹿しい事になってやがるが、これについては邪魔じゃま する資格はおれにはねェな)」

「あらいやだ。この『グループ』ときたら、私以外は変態ロリコンしかいないのかしら」
すると、一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる海原うなばら光貴みつき の三人は同時に発言者・結標むすじめ淡希あわき の方へと視線を集中させた。
 彼らは特に事前に打ち合わせる事なく、自然な調子でこう言った。
「あからさまなショタコン女に変態扱いされてもなァ」「だにゃー」「ですね」
「ぶふっ!? ゲフゴホ!! なっ、なんななななななななん何をコンッ根拠にショタむぐショタコンって……ッ!!」
 あわてふためく先輩系巨乳女子高生の結標淡希だったが、残る三人はいちいち説明するのが億劫おっくうなのか、適当に首を横に振った。ジェスチャーはこう告げる。今まで隠していたつもりだったのか? と。
 ……そんな一致団結の反応が気に喰わないショチトルな訳だが、海原の方はそういう機微に気づいていない。ムクれるかっしょくの少女に挨拶あいさつをすると、海原は病室を出た。
 廊下を歩きながら、海原は質問する。
「さて、『グループ』を招集するほどの仕事とは何でしょう?」
「なぁに。ありきたりな事件の解決だよ」
 土御門が口笛でも吹くような気軽さでこう答えた。
「人質取って立てこもってるテロリストを皆殺しにしろってさ」

     2

 一方、同じ病院の売店に二人組の少年と少女がやって来ていた。基本的にはお菓子やジュースなどの軽食メインの店だが、退屈しのぎのための小説やら、病院のどこで使うのか分からない水鉄砲やらもラインナップにあった。
 少女は首を素早く動かしてあちこちの商品をチェックしていて、少年はその様子を後ろから適当に眺めている。
 少年の名前は浜面はまづら仕上し あげ
 茶色い髪の少年で、上はったいジャージ、下はジーンズという格好だ。アホなチンピラみたいな顔つきだが、実際にアホなチンピラなのだから仕方がない。学園都市第四位の麦野むぎの 沈利しずり 撃破げきは したチンピラなのだから。
 少女の名前は絹旗きぬはた最愛さいあい
 一二歳ぐらいの少女で、こちらも茶色い髪だがサラサラ具合が全く違う。髪型は肩までかかるかかからないかぐらいのボブだった。格好はセーターのようなウール地の丈の短いワンピースで、見ていて危ういほど白い太股ふともも露出ろしゅつしている。電車の向かいの座席に座られたらずっと気まずくなりそうな少女だった。
 絹旗きぬはたは売店の床に直接置いてある、いくつかの種類の花を眺めながら、
「せっかく見舞いに来たのに、お花を超忘れるとはどういう事ですか浜面はまづら。やっぱり浜面は超浜面という評価で超オーケーですか?」
「おい腰を曲げてのぞき込むなよ。後ろから見るとしりがすごい事になってるぞお前」
「このポーズなのに確実に見えないのが超すごいでしょう。そこらのビッチとは角度が超違うんです」
 くそっ計算されてやがる!! と浜面は心の中で舌打ちする。
 しばし熟考していた絹旗は、浜面には名前も分からない花を選んで店員を呼んでいた。花束としてまとめてもらったそれを運ぶのは、当然のように浜面の仕事だった。
 一般病棟に向かうエレベーターへ歩きながら、絹旗は言う。
「花束はこれで超よしとして、ほかに見舞いの品は超用意してきました?」
「一応な。っつっても、滝壼たきつぼもそろそろ退院するだろうから、あんまり気合いの入ったひまつぶしのオモチャじゃねえけど」
「バニースーツとか超やめてくださいね」
「お前はおれを何だと思っているんだ」
「超バニーガール好きの超変態ですかね」
 そんな事を言い合いながら、浜面と絹旗の二人はエレベーターに乗って目的の階へ。廊下を歩いて目的の病室のドアをノックすると、聞き慣れた声が返ってきた。
 ドアを開けると、そこには、かつての『激戦』から生き残った浜面たちの戦友がいる。
 滝壺理后り こう
 いつも眠たそうにしている少女だった、と浜面は記憶き おくしている。黒い髪は肩の辺りで切りそろえられている。普段ふ だんはピンク色のジャージを着ていたが、あれは部屋着にももなるらしい。ベッドから起き上がった彼女も、いつものようにジャージだった。
「体の具合は超どんな感じですか!?」
 花束を分解して花瓶か びんにザクザク移し替えている絹旗が、あっさりとそうした質問をしている時点で、すでに快方に向かっている事は知っていると言ってしまっているようなものだった。
 事実、滝壺自身も特に深く考える事なく、
「放っておいても大丈夫だいじょうぶみたい。今夜には出て行けるように、もう退院の準備もするし」
「うおい!! 何でそういう事を早く言わねえんだよ!!」
「お見舞いの品も買ってきちゃいましたけど、そういう事なら超お邪魔じゃま でしたかねー」
 絹旗が余計な事を言ったので、病人の滝壺が『ごめんなさい、お土産み や げはちゃんと家に持って帰るから』と頭を下げてきた。浜面は絹旗の頭のてっぺんを早押しクイズの解答者のようにたたきつつ、
「そういう事じゃねえよ。それなら退院祝いの準備もできねえじゃねえかって言ってるだけだ」
「……浜面、それはそれとして後で超一発殴り返しますからね」
 おれのポジションも変わんねえな!! と浜面は心の中だけで絶叫する。
 当然、そんな事には全く気づかない絹旗きぬはたは、
「しっかし、『たいしょう』の使いすぎで超ぶっ倒れたなんて話でしたから、結構心配したんですよ。何しろ、とかと違って説明されても具体的にどんなもんか、全く想像が超できないもんですからね。何にしても、退院できるようになって超良かったです」
 浜面もそこには同意した。
「そうだな。『体晶』を利用した能力使用は二度とできないけど、それでも何事もなくてホッとしてるぜ。……ああそうだ。これ、退院するなら必要ないかもしんないけど、ひまつぶしの道具だ。ジグソーパズル」
「超バニースーツじゃなかったんですね……」
「俺は目を丸くしておどろいているお前を一度本気で泣かしてやりたいんだが良いか良いよな?」
「浜面の貧弱なテクじゃ一生かかっても超無理ですよ。そうそう、私からは超こんなもんを。じゃーん、ウサギの超ぬいぐるみでーす!!」
 と大声で言いながら絹旗が(浜面に運ばせていた)箱から取り出したのは、全長五〇センチぐらいのぬいぐるみだ。全体的にはファンシーでモコモコなのに、か口元からは人間の髪の毛のようなものがもっさり伸びていて『……今、なに喰った?』と思わされるようなものだった。
 シュール系マスコットは人を選ぶぞ、と浜面はちょっと心配だったが、当の滝壼たきつぼはと言えば、「かわいい」
「なにィ!! 俺は絶対『実用性がない……』のリアクションだと思っていたのに!! これが元『アイテム』正式メンバー間にだけある強いきずなそして性格の不一致の傾向ありかーっ!!」
「私は目を丸くして超わなわなしている浜面を毎度のように泣かしてやりたいんですが良いですか良いですよね今超泣かす」
「くくくお前の貧弱なボデイじゃ一生かかっ―――どががががががががががっ!? 鹿やめっ、人の足の裏をぐりぐりと指圧すんっ……ぐわあ痛てえ死ぬ分かった泣く今泣くっ!!」
 得体え たいの知れないプロレス技からギブアップするように床をバンバンたたく、押し倒され男の浜面。一通り攻撃こうげきを終えた絹旗は額の汗をぬぐいつつ、
「そもそも、バニーガールマニアの超変態浜面が、私たちに対する敬意とを一度でも忘れそうになる事自体が罪なんです。超自覚できましたか?」
「……そこらの箱入り高飛車たかび しゃ嬢様じょうさまなら身悶み もだえする台詞せ り ふなんだが、バリバリ裏稼業うらかぎょうで物理攻撃力マックスの怪力女に言われると洒落し ゃ れにならんな。そもそも俺は別にバニーガールだけが好きという訳ではないぞ?」
 ほほう、と絹旗きぬはたは言うと、滝壺たきつぼが抱きしめていたウサギのぬいぐるみを手に取った。そのまま滝壺の後ろに回ると、ちょうど彼女の頭に重なる形でウサギのぬいぐるみを配置する。
 すると、無表情な滝壺の頭から、ぬいぐるみの耳だけが飛び出しているように見える訳で。その状態を演出した絹旗が、とどめの一言を放った。
「じゃーん。当店自慢じ まんのウサギちゃんでーす。人恋しくて寂しいと死んじゃうタイプの理后り こうちゃん。ご指名のバニーはこの子でよろしいですかー?」

 直後。
 迂闊う かつにも、浜面はまづら仕上し あげの鼻から何かドロッとしたものが流れ出てきた。

 思わず顔を押さえ、それが鼻水ではない事に愕然がくぜんとする浜面だったが、今はそれどころではない。見れば、仕掛け人であるはずの絹旗最愛さいあいと、勝手に仕掛けられた滝壺理后の二人がドン引きしている。
「……浜面……あなた、超そこまでバニーですか……?」
「ちっ違う!! こんなタイミングで鼻血なんて絶対におかしい!! これは何かもっと別の……そうテメェの足裏マッサージがものすごい方向で迂回してやってきたに違いない!! そうに違いないんだ!! おれはバニーなんて別に……ッ!!」
 必死に否定する浜面の肩に、無表情いやし系の少女・滝壺理后がそっと手を置いた。
大丈夫だいじょうぶ。はまづら、ここは病院だから。鼻血が出ても大丈夫。すぐにお医者さんが治してくれるからね」
「う、うう……ッ!! こんな時に俺の身を心配してくれるのはお前だけだーっ!!」
 小さな優しさを前に、本当に崩れ落ちそうになる浜面だったが、
「大丈夫だよ、はまづら。確かここの病院は、心の病気もケアしてくれるはずだから。バニーで鼻血を出しても全然心配いらないからね」
 一転して、今度は別の意味で崩れ落ちそうになった。

     3

 一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる結標むすじめ淡希あわき 海原うなばら光貴みつき の四人は、キャンピングカーの中にいた。
「事件を起こしたテロリストは、迎電部隊スパークシグナルと呼ばれる組織らしい。オレたち『グループ』と同じ、学園都市の裏方の一つが暴走したようだ」
 土御門がくだらなさそうに言うと、海原がまゆをひそめた。
「その、迎電部隊スパークシグナルというのは何ですか?」
「学園都市の外周を囲む壁には、電波で情報を送受信できないように、極めて指向性の高い妨害ぼうがい電波が上空に向けて発せられている。壁から一メートルはなれた場所でも自由に携帯電話を使えるが、壁を越えるような通信は一切遮断しゃだんするようなヤツだ。レーダーなんかは壁の外側にあるし、普通の通信なんかは、一度外部接続ターミナルを迂回う かいしている訳だ」
 壁の上を通る警備ロボットについては、機体下面から垂らした情報ケーブルと床面のレールを接触させて情報の送受信を行っているらしいけどな、と土御門つちみ かどは続ける。
「が、それでも例外はある。上の連中も秘密の通信手段を持っているようだし。色々手を回して、学園都市の情報を外部へらそうとする連中は出てくるもんでな。そいつを専門につぶすための部隊だそうだ」
 結標むすじめの表情がわずかに不快なものになる。
 彼女は『残骸ざんがい』関連の事件で『外』とコンタクトを取っていた事がある。もしかすると以前に迎電部隊スパークシグナルと戦った事があるのかもしれない。
 機密ランクは猟犬部隊ハウンドドッグってのと同じらしい、と土御門がつぶやくと、一方通行アクセラレータまゆかすかに動いた。土御門は無視して話を続ける。
「で、その元迎電部隊スパークシグナルが妙な占拠事件を起こしたという訳だ。ヤツらが立てもったのは、学園都市にある世界最大の粒子加速装置。通称は『フラフープ』だ」
 土御門は言いながら、テレビのリモコンのようなものを操作する。
 車内にある大きなスクリーンに、学園都市の地図が表示される。一ヶ所だけ色の違う箇所があった。それはどこかの学区ではない。学園都市の外周をぐるりとおおう、円形の壁だった。
「外周の壁をなぞる形で、地下二〇〇メートルの位置にサークル状の巨大な加速装置が構築されている。元迎電部隊スパークシグナルのテロリストは同じく地下にある制御施設を乗っ取り、リミッターを外した上で加速装置を稼働か どう。現在、陽子を光速の三〇%まで加速させているそうだ。……当然、気に入らない事があれば臨界オーバーまで出力を上げ、円形加速装置のトンネルをぶち破り、装置もろとも学園都市の三分の一に放射線をばらくらしい」
 外周の『どこ』が爆発するかは運次第だがな、と土御門は言う。
 つまり、本当に学園都市の中心部以外のすべての土地にいる人間に危険が及ぶ訳だ。
 話を聞きながら、海原うなばらは首をかしげ、
「その加速装置は、よほど大きな電力を使うものなんでしょう? なら、発電施設から送電を切ってしまえば良いのでは?」
きんきゅう停止時にも相応の電力を消費するからな。そのための自家発電施設も完備している。当然、元迎電部隊スパークシグナルの連中はそいつを利用して加速装置を動かしている訳だ」
「……建物を占拠しておきながら、すぐに暴走を起こす訳ではない。という事は、何らかの『要求』がある訳よね?」
 結標からの質問に、土御門は首を横に振った。
「おそらく上層部―――学園都市統括理事会のどこかには伝わっているだろうが、オレたちまでその情報は回っていないな。『余計な事は考えず、刃向かう者を皆殺しにしろ』って所だろ」
「解決までのタイムリミットを設定されてねェって事は、そこまで切羽せっぱ まった状況じゃねェみてェだな」
 一方通行アクセラレータの言葉を聞きながら、土御門つちみ かどはさらにリモコンを操作した。
 学園都市外周をなぞる大きな円とは別に、もう一回り、二回りと小さい円が、二つほど追加される。それはかたよった年輪のように、外周の一点で接触していた。
「そうとも言えないぜい。『フラフープ』は加速段階に合わせてファースト、セカンド、サードの三つの円を使って粒子を加速させる。小さな円から大きな円へ、ってな。現在確認が取れている限り、テロリストはすでに最も巨大なサードサークル―――街の外周をなぞる加速装置へ移行しているようだが」
「それがどうかしたんですか?」
 海原うなばらに促されると、土御門は笑ってこう答えた。
「施設のスペックをかんがみるに、サードサークルは光速の三〇%なんて低速じゃ使わない。最低でも光速の七〇%以上の実験で使われるモンだ。……どうやらすべての情報が提示されているという訳じゃないらしい、それが単なる『見栄』なのか、ヤバ過ぎてパニックを起こしかねない情報を隠すためなのかは知らないけどな」
「実際にはもっと深刻な状況にもかかわらず、それを俺達おれたちには伝えてねェってのか」
 いかにもくだらなさそうな調子で、一方通行アクセラレータき捨てた。
「やる気がねェな。そりゃ深刻な事態っつっても、『なりふり構わず泣きつくような事態』ってレベルでもねェンだろ。だったら放っておけよ。上層部がそォしてくるまで放置しときゃ良いだろ」
「やる気の出る情報が一つだけある」
 土御門がリモコンを操作すると、スクリーン上に新しいウィンドウが表示された。そこに映っているのは、一台のスクールバスだ。か前輪がパンクしていて、ドアが強引に破壊は かいされている。
「元迎電部隊スパークシグナルの連中は『フラフープ』をおそう前に、課外授業で天体観測を行う予定だった小学生三〇人ほどと引率の教師、運転手をしてやがる。使い勝手の良い『交渉アイテム』だろう。何らかの要求が断られ続け、時間経過していくたびに一人ずつ殺していくための、だ」
「……、」
「人質は『フラフープ』の職員でも良い訳だが、職員には『フラフープ』の操作を強要する必要があるからな。時間と共に消費していくやり方だと、長期戦に持ち込めなくなる。そういった事態をけるために、わざと別口の人質を補充してきたらしい。『フラフープ』施設そのもののリミットに関しちゃ上層部はあわてふためくだろうが、こっちのリミットについてはどうなんだろうな。……子供の命なんて気にする連中だと思うか?」
「くだらねェな。付き合う義理が見つからねェ」
 一方通行アクセラレータは、遮断しゃだんするように言い放った。
 そこには一切の同情もなかった。
 彼は悪党。
 根本的な所で黒い心を持つ最強のは、他人の事情や人生そのものをぎ払うような口調で、さらに続けてこう言った。
「……目障め ざわりだ。くだらねェ事はさっさと終わらせるに限る」

     4

 浜面はまづら仕上し あげ絹旗きぬはた最愛さいあいの二人は、夜の繁華街はんか がいに来ていた。
 ……特に色っぽい展開が待っている訳ではなく、単に滝壺たきつぼ理后り こうの退院祝いパーティの準備を進めるためだ。とはいえ、あまりにも唐突な事だったので、それほどったものを用意する事はできなくなってしまった訳だが。
「っていうか、退院祝いって具体的にどうするんだ?」
「第三学区の個室サロンを一室取ってありますので、パーティグッズを一通り超そろえたら病院まで戻って滝壺さんを超回収。そのまま会場へ超向かいましょう」
「個室サロンねえ……」
 浜面は適当につぶやいた。
 カラオケボックスを豪華にしたような感じのサービスで、手軽に秘密基地を借りられる事から、特に上流階級のお子様に人気の施設だった。……そんなもんに何の価値が、と首をかしげる人もいるかもしれないが、学生の住居の大半が学生りょうという学園都市では、『監視の目が完全にない場所』というのは、それなりに重宝されたりする。
 ただし、一歩間違えると性犯罪の温床になったりもする危険性をはらんでいるので、教師だの保護者代表だのは割とピリピリしていたりと、良い事だけではないようなのだが……。
 そんな事をつらつらと考えていると、となりを歩いている絹旗がこんな事を言った。
「浜面は、これから超どうするんですか?」
「あん? そうだな、食い物関係は個室サロンの内線で注文できるだろうし、なんか大人数で遊べるジョークグッズ系でも見て回―――」
「そうではなく」
 絹旗は一度さえぎり、それからもう一度質問する。
「私たちの所属していた組織『アイテム』は事実上、超壊滅かいめつしました。従って、浜面もその下で働く必要は超ありません。その上で聞いているんですよ。……これから超どうするんですか、と」
「質問を質問で返すけど、お前の方はどうするんだ?」
「まあ、私の方は超相変わらずですね。『アイテム』は超なくなりましたが、この間もスターゲート関連の暗殺を超押し付けられましたし。今なんて新チームの発足準備中です。上の人間―――『電話』の連中から話があれば、また血生臭ち なまぐさい仕事が超待っているでしょう。とはいえ、戦力外の滝壼たきつぽさんなどを改めて組み込むメリットは超ないから、そこを心配する必要はありませんけどね」
 絹旗きぬはたはスラスラと答えた。
 その境遇に関しては、彼女は特に反感を持っていないようだった。
浜面はまづらの方は超どうするんですか?」
「……そうだな」
 浜面は一度だけ空を見上げた、
 完全に日没した後の夜空には、都会でもいくつかの星が見える。
半蔵はんぞうのヤツには悪りいけど、当分スキルアウトに戻る気はねえな。今の自分に何ができるかは分かんねえけど、でも滝壺を表の世界に戻すために何かしねえといけねえ。あいつはもう『たいしょう』は使えねえし、そんな状態でしのいでいけるほど、こっちの世界が甘くねえ事も何となく分かるんだ。だから、何をするかを考えねえとな」
 答えとして成立していないような、まさにその辺の頭の悪いチンピラのような言葉だった。しかしその意見は、その場限りで適当に口を動かしているのではないと分かるものだった。
 浜面仕上し あげは、かつての女をたった一人で撃破げきは した。
 だが、その戦いは決して簡単なものではなかった。死の寸前まで追い詰められた浜面が、それでも最後の最後までふるえる足を動かして立ち向かった時の原動力が、まさに『これ』なのだ。その言葉が重みを持たない訳がない。
 ほかすべての部分が頭の悪いチンピラであろうとも、この部分だけは。
 絹旗は夜空を見上げる浜面の横顔をしばらく眺めていたが、
「……つまり浜面は、いかにして滝壺さんの人生に自分の趣味しゅみ を超押し付ける事だけを考えていて、あの実用性抜群なジャージを超取っ払い、バニースーツを着せられるかに全ての情熱を超ささげると言いたいんですね」
「なあおれもうそのキャラなの? 固定? この際だからバニーさん好きなのは認めるけどよ、違うんだって。一番重要なのはだな、水着みたいな格好が、いかにも水着の似合わない場所で見られるこのアンバランスな所の素晴らしさであって、別にモーターショーのコンパニオンとかでも俺は全然だいじょう―――」
「うわー、超やめてくださいよ浜面。あなたが世界全土の女性全員にバニースーツを超着せたい条約を締結させようとしているのは超分かりましたから、その卑猥ひ わいな視線をこちらに超向けないでくださいって」
 おいおい、と浜面は首を横に振った。
「このき、浜面はまづら仕上し あげから率直に言わせてもらうけどな。お前にバニースーツは無理だ」
「……私からも超言わせてもらいますが、実は女子高生の滝壺たきつぼさんより、中学生の私の方が超スタイル良いですよ?」
「いいや違うね!! 滝壺はジャージだから分からないだけで、実は脱いだらとんでもない事になると見たね!! 後お前の場合は脱いでも特に意外性はないと見たね!!」
「超ブチ殺しますがよろしいですかよろしいですね超殺す」
 ごう!! と絹旗きぬはたの両手に風のようなものが集まっていく。
 彼女の力は『窒素装甲オフェンスアーマー』。空気中の窒素ちっそ を自在に操るだ。その効果範囲は極めて狭く、てのひらから数センチ辺りが精一杯だが……逆に、威力は絶大。狙撃そ げきじゅうのライフル弾を生身ではじき返したり、数十キロの重さのテーブルを片手で持ち上げたりもできる。
 そんな物騒ぶっそうなものを使ってぶんなぐられてはたまらない浜面だったのだが、
「むう!?」
 彼が何かアクションを起こす前に、絹旗が勝手に驚愕きょうがくした。掌に大量の窒素を集めた途端と たん、そのてきな風に押されてワンピースのスカートが大きく揺れたのだ。
 そのスカートの内側すなわちパンツが見えるまさにその一瞬前いっしゅんまえで、絹旗はガッ!! と片手でスカートの前を押さえる。
「超まさに間一発。危うく浜面に今日のずりネタを超提供する所でした」
「……お前今おれ人生史上ワーストファイブに残る最悪な台詞せ り ふいてるぞ。ただ正直、ガキんちょのったいパンツになど興味はないから安心しろ。やっぱセクシーっつったら年上のお姉さんだよなぁほらバニーさんとか似合いそうな……」
「……、」
 すると、実は負けずきらい少女の絹旗最愛さいあいはミニスカートの前の部分を両手でつかみ、何の前触れもなくその手を上にやって、
「浜面浜面。ほらほら、勢い良く超ぴらーん」
「うおおおおおおおおおおおあっー!? みっ、みみ、見え……ねえ!! 何だよおいフェイントかよ直前でスカートから手をはなして腕だけ振り上げやがってびっくりさせん―――」
 そこまで素直なリアクションをした浜面は、そこで絹旗がニヤリと笑っている事に気づく。
「ほほう。超興味がない……ねえ?」
「俺を試しやがったな……ッ!! だが今のは不意打ちにおどろいたのであって、べ、別に変な期待をしていた訳では」
「もう一回ぴらーん」
「ふぬうううううううううううっ!! く、くぞ。たちの悪いフェイントだって分かっているのに、ちくしょう!! 俺ってヤツは何で―――」
「なーんだ、超翻弄ほんろうされまくりじゃないですか。浜面は所詮しょせん超浜面という事なんです、分かりましたか? まったくもう原始人以下の性欲動物が、この絹旗きぬはたサマがセクシーかセクシーでないかを超論じるなど一〇万年早いんです。率直に言いますけど、が超高い。まずは動物として進化しろ」
「……いいや」
 打ちひしがれ、やみの中に沈みかけていた浜面はまづらは、そこでもう一度顔を上げた。
 彼のひとみには、戦う意志がある。
おれは変わった!! ありきたりな絶望だけで終わる男じゃなくなったんだ!! 俺はもう一度立ち上がる。来い絹旗! 次こそはそのフトモモの誘惑ゆうわくに打ち勝ってみせる!!」
「くっくっ。超どこまで行っても村人Aのくせに、この私に超あらがうですって? 面白おもしろい事を言ってくれますね超浜面。ならば己の性と書いてサガと読むに超苦しめられるが良いーっ!!」
 そーれぴらーん!! と大魔王だいま おう絹旗が最終攻撃こうげきに入る。
 勇者浜面は『おおお滝壺たきつぼ! 俺に力をーっ!!』と叫び、彼自身の内側に秘められたブレイブハートでもって待ち構えるが、

 なんか絹旗の小指がミニスカートに引っ掛かったのか。
 三度目にして、今度こそ本当にワンピースのスカートが勢い良く真上に持ち上がった。

 セーターのようなウール地のスカートがひらりと舞い上がり、本来ならその奥で厳重に隠れているべき小さな白い布地がばっちりと。二つの太股ふとももこすり合わせるような立ち方は意外に女の子っぽく、その根元にあるべき下着がちょっとだけ、きゅっと食い込んでいる事まで完璧かんぺきに見えてしまっている。
 そして勇者浜面はまづらは敗北した。
 鼻から本日二度目の赤い液体を噴出しつつ、勇者は遺言を述べる。
卑怯ひきょうだァあああああああああああああああああ!! 何それ。フェイント、フェイント、ガチの三拍子!? 正面からの攻撃こうげきにガッチリ待ち構えていた所で別角度から落とすこの手法。コントの天才もしくはお化け屋敷や しきの設計理論に通じる綿密な頭脳プレイじゃねえか!!」
 もちろん実態は頭脳プレイなどではなく、完全なるアクシデントな訳であって、重力に従ってスカートが元通りになった後も両腕を天高く上げたままの絹旗きぬはたは、しばし無言でぶるぶるとふるえていたが、
「浜面超殺す!!」
「心を打ちのめした上で体にまでとどめ刺す気か!! 容赦ようしゃねえなこの大魔王だいま おう!!」
 逃げる浜面追う絹旗。
 そして愉快な破壊音は かいおんが学園都市の繁華街はんか がいに鳴り響く。

     5

 一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる結標むすじめ淡希あわき 海原うなばら光貴みつき の四人を乗せたキャンピングカーは、第二三学区に向かっていた。
 世界最大の粒子加速装置『フラフープ』は、学園都市外周を取り囲む円形の外壁をなぞる形で、地下二〇〇メートルの所に設置されている。その制御施設も同様に、外壁に面した学区の一つ―――つまり第二三学区の一番はしにあった。当然ながら、深さは二〇〇メートルの地下。テロリストはそこを占拠し、人質をたてにネットを介して『要求』を突きつけているのだ。
「そォいや、いつもの『電話の声』はどォしやがったンだ。こォいう事が起きりゃ、我先にケータイ鳴らしてくるはずじゃねェのか」
「知るか。向こうにコンタクトを取る気がない状況で何をやってもつながるはずがないし。別の仕事をしているか休みでも取っているんだろ」
「あら。連絡取れないと心配なのかしら?」
「歯とあごと舌をすりつぶすそボケ」
 一方通行アクセラレータと結標淡希がにらみ合うが、それを気にする『グループ』ではない。
 海原は黒曜石こくようせきでできたナイフをうすぎながら、土御門に質問した。
警備員アンチスキルはどうしています?」
「対テロ専門の部隊を投入するって名目で、出動自体を禁じているみたいだな。……確かに、この状況で普通の警備員アンチスキルが動いても事態を悪化させる可能性の方が高そうだが」
 土御門つちみ かどは土御門で、けんじゅうを簡単に分解して動作チェックを行いながら答える。
「地下二〇〇メートルに設置された『フラフープ』は、破裂事故が起きた際にガンマ線が放出しないように、核シェルター並の防御壁を用意された施設だ。壁はもちろん、扉についても、並のカッターや爆薬で穴を空けられるようなものじゃない」
「エレベーターシャフトなどを利用すれば良いのでは?」
「そっちについても大量の隔壁かくへきがあるんだ。ご丁寧ていねいに、エレベーターのワイヤーの所だけけるようにくぼみがあって、ぴったり収まるようになっている自動ドアみたいなヤツがな。ダクトについても似たようなものだ」
「モタモタやっている所だけは相手側に伝わるでしょうから、下手に壁や扉に傷をつけようとすると、元迎電部隊スパークシグナルのテロリストが反応して人質の頭を吹き飛ばしかねないのよね」
 結標むすじめ淡希あわき は武器に使うコルク抜きを取り出しやすいように、ポケットの中で位置調整をり返している。
 ナイフ表面についているにごった水を、海原うなばらはハンカチでぬぐいつつ、
「内部の様子はどうですか?」
「言ったろ。ガンマ線対策で壁が分厚くなっているって。普通の電波も届かない。ドリルで穴を空けて『胃カメラ』を通す事もできない。見取り図自体は入手しているが、どこにだれが何人配置されているかはつかめていないな」
「……例の『ナノデバイス』はどうなのよ?」
 結標が言うと、キャンピングカーに不穏ふ おんな空気が流れた。
 この街全体には『滞空回線アンダーライン』というナノサイズの機械がばらかれ、絶えず監視の目にさらされている。当然、『フラフープ』もその対象であるはずだが……、
「非常扉を完全に封じると、ネットワーク構築用の電子ビームも阻害そ がいされると考えた方が妥当だ とうだな。……まあ、さらに裏技がありましたって言われてもおどろかないが」
 土御門は一度そこまで言うと、言葉を切って、
「あとは、オレたちは『公式には』そのナノデバイスの存在を知らない事になっている。たとえ情報があったとしても、オレ達の所まで回ってくる事はないだろう」
「……何人殺せば作戦成功なのか分からないのはつらい所ですね。一安心した所で背中をたれてはたまりません」
「なら、撃たれても構わないヤツを突っ込ませれば良い」
 土御門は一度分解し、組み立てなおした拳銃で簡易ベッドを示した。
 そこに座っているのは一方通行アクセラレータ。彼はありとあらゆる攻撃こうげきを『反射』できる。
「くそサングラスの命令を受ける気はサラサラねェが、オマエたちに背中を預けるよりは気が楽かもな」
 ジロリとにらみ返しながら、一方通行アクセラレータは言う。
「だが突入方法はどォする? 二〇〇メートルの地盤と防御壁を直接ブチ抜くってのか」
 ……そもそもの前提をくつがえすような発言だが、それが可能な人物が第一位である。
 しかし土御門つちみ かどは首を横に振った。
「やめておけよ。元迎電部隊スパークシグナルはともかく、人質だの稼働中かどうちゅうの加速装置だのまで巻き込むと面倒な事になる。ここはセオリー通り、結標むすじめの力で三次元的な制約を無視させてもらおう」
 彼女の『座標移動ムーブポイント』は分類的にはテレポートの仲間で、壁やてんじょうなどの遮蔽物しゃへいぶつを無視して、任意の物体や人物を好きな場所へ運ぶ事ができる。
 ところが、当の結標がまゆをひそめた。
「人間大の質量を、見取り図しか見た事のない場所の、見えない地点に、二〇〇メートル単位の距離きょり で正確に移動させる? 多分五〇%ぐらいの確率で壁か地面に埋まるわよ。それでも試すのなら私は止めないけれど」
「そこまで難易度の高い事は要求しない」
 土御門は笑って、
「第二三学区ってのは航空・宇宙関係の施設ばかりだから、地上のほとんどは平たい滑走路だ。だがそれだと土地のづかいでな。そのままだと航空機の開発施設などを設置するスペースを確保できなくなってしまう」
「何が言いたいのよ?」
「……つまり、それなりに地下が広がっているって事だ。『フラフープ』とは直結していないが、壁や地面を通した直線距離でだけなら、ある程度は接近できる。そこから結標の『座標移動ムーブポイント』で、ウチの戦略兵器アクセラレータをブチ込めば良い」
 そうこうしている内に、キャンピングカーは第二三学区に入った。
 本来ならテロ対策のため、業務用車両や専用のバス以外の一般車両は立ち入りを禁止されているが、当然のように素通りだった。
 複数の滑走路が乱立する第二三学区は、対照的に背の高いビルが少ない。キャンピングカーがまったのも、学校の体育館をさらに横へ横へと伸ばしたような建物のすぐ近くだった。
 四人は車から降りる。
 一方通行アクセラレータつえの四本の脚のパーツで地面をとらえると、それを見ていた結標が目を丸くした。
「その杖、わざわざ新調したの? お仕事熱心な事ね」
だまって歩けよ。オマエは服装の変化から浮気を疑うウザいババァか」
 適当に言い合いながら、一方通行アクセラレータ達は平べったい建物に入る。そこは空軍関係の兵器試験場だったが、当然ながら、彼らが用があるのはその地下の方だ。
 どこで調達したかも分からないパスを使って、土御門つちみ かどが職員用のエレベーターのロックを解除する。四人を乗せた四角い箱は、そのまま一気に一五〇メートルほど降下した。
 一方通行アクセラレータは、そこでこめかみの辺りにチリチリした感触を得る。
(……地下深くにもぐったせいで、電波の受信状況が悪くなってきやがったのか……?)
 思わず首筋のチョーカーに手をやるが、それでどうにかなるものでもない。
 エレベーターの向こうに広がるのはデパートやオフィスビルのように、ピカピカにみがかれた大きなフロアだった。窓はないが、照明の数が多いため、地下である事を忘れそうなほどだ。ここは有名百貨店の一二階です、と紹介されればそのまま信じてしまう人も多いだろう。
 一方通行アクセラレータたちが向かうのは、どこかの部屋ではなく、フロアの一番はしにある壁だった。
 土御門は携帯電話の画面に表示された地図を見てから、社長室のドアにノックするように、手の甲で優しく壁をたたく。
「ここだな。斜め下、東方向三〇度に八〇メートルほど下った所に、『フラフープ』制御施設の通路があるはずだ。これ以上の最短距離きょり はなさそうだ。移動先も広いスペースだし」
「八〇メートル、ね」
「スペック的にはどこかの風紀委員ジャッジメントの中学生にでもできるレベルだけどな~」
「……言ってくれるわね。やれば良いんでしょう」
 わざとツインテールの空間移動テレポート能力者を思い出させた土御門をにらみながら、結標むすじめは壁に向かう。それから一方通行アクセラレータの方を振り返り、
「で、今すぐ飛び込むのかしら?」
「待った」
 と言ったのは、一方通行アクセラレータではなく土御門の方だ。
 彼は自分の首の横を軽く指差しつつ、
「お前、電極のチョーカーに異変が出ているだろう」
「……、」
「一五分待て。エレベーターシャフトから垂直に伸びているワイヤーを利用して、制御施設内に電磁波が届くような即席のアンテナを作ってみる」
「自分もそちらを手伝いましょうか」
 手ぶらですしね、と付け加えた海原うなばらだったが、土御門は首を横に振った。
「お前は『電話の男』の代わりをやれ。きんきゅう用コールを使えば統括理事会と一時的に連絡できる。やつらと連絡を取り合って、念のためにほかの部隊だのエージェントだのを動かさないように釘を刺しておけ。オレ達の知らない所で別の部隊を動かして、そっちが勝手に自滅するのに巻き込まれても困る」
 自分が、と首をかしげる海原に、土御門は笑ってこう言った。
「お前のツラが一番老人受けしそうだからだよ」
「思いっきり借り物ですけどね」
 本来なら日本人どころか黄色人種ですらないはずの少年は、いかにも日本人が好みそうな柔和にゅうわな顔のほおを人差し指でいた。
 土御門つちみ かど一方通行アクセラレータの方を振り返り、
「いいか、作戦決行は一五分後だ。大丈夫だいじょうぶだとは思うが、一応それまでに電極のチョーカーをチェックして、ほかに不具合が起きそうな所をつぶしておけ。お前が死ぬ分には構わないが、それで人質の子供たちが死ぬのは忍びないからな」

     6

 世界最大の粒子加速装置『フラフープ』。
 地下二〇〇メートルの位置に建造されたその施設は、陽子ならば最大で光速の九九・二二%まで加速させる事ができ、またその状態を三〇〇秒間維持する事ができる。
 とはいえ、その大規模施設にも限界は存在する。
 想定以上の速度、あるいは想定以上の時間をいる事は、『フラフープ』の破壊は かいと、学園都市の三分の一を巻き込むほどの甚大じんだいなガンマ線の放射を意味している。
 少年は、今の今までそんな事など知らなかった。
 いいや。覆面ふくめんかぶった男に頭へけんじゅうを突きつけられた事もないし、両手を後ろに回されてしばられた事もない。同じスクールバスに乗っていた三〇人近いクラスメイト達や引率の先生、バスの運転手達と共にふるえているこの時間そのものが、少年にとって何一つ経験した事もない現実のかたまりだった。
「光速の五〇%で固定しろ。『フラフープ』は牽制けんせいだ。これを使った交渉は行わない。そのためにガキどもをさらってきたのだからな」
「やりすぎると上層部が地下施設ごとおれ達を爆撃ばくげきしようとしないか。真上は民聞施設のない滑走路だ。その気になれば存分に吹き飛ばせるぞ」
「そのための『フラフープ』だ。こいつが常に爆破可能な状況であると示す事で、統括理事会の思い切った行動を封じる事ができる訳だ」
「逃走経路の確認をするぞ。交渉成立後は光速の七〇%領域で『フラフープ』の壁を爆破し、意図的に制御施設を低規模で吹き飛ばす。我々はB特別避難ひ なん区画にて耐放射線装備の重装甲駆動鎧パワードスーツをまとってこの放射線をしのぎ、連中が耐放射線装備の準備に苦労している間に、瓦礫が れきを渡って地上まで抜け出せば良い」
 不穏ふ おんで不気味な言葉だけが、少年の頭上を飛び交っていた。
 無事に解放される、という予想はできなかった。
 良い方向に進んでも悪い方向に進んでも、いずれにしても自分達は助からない。
 そんな想像しかできない。
「時間か」
 ガチガチとふるえる少年などお構いなしに、同じような覆面ふくめんの中で、リーダー的に振る舞う男が腕時計に目をやった。
「まあ、一人も利用せずに上層部が応じるとは思っていなかったが。……カメラの用意はできたか。これから本格的な『交渉』に入る。準備を進めろ」
 暗喩あんゆ の多い言葉だったが、周囲にいる部下らしき覆面は迅速じんそくに応じた。カメラと言っても特別な物ではなく、携帯電話についているものを利用するらしい。ただ、発信元を特定させないためか、変な機械がケーブルで取り付けられていた。
「映像、音声共にいつでもいけます」
警備員アンチスキルの詰め所を経由し、統括理事会へのホットラインも確立できました。合図一つでライブ中継可能です」
「よし、始めるぞ」
 言うやいなや、リーダー格の男は少年の髪を片手でつかんだ。痛みというよりおどろきで大声が出たが、相手は気にしていなかった。そのまま引きずるように運び、レンズの前に放り投げる。
 抗議の言葉は、のどを出る前に封じられた。
 リーダー格の男の手には、だれが見ても本物と分かるけんじゅうが握られていたからだ。
「せめてものだ。目隠しをしてやれ」
 暴れたがだった。そもそも両手は後ろ手にしばられているし、そうでなくとも子供一人ではどうにもできなかっただろう。あっという間に帯のような物が両目をふさぐように巻きつけられる。
膝立ひざだ ちにさせろ。送信を始めるぞ」
 暗闇くらやみの中、誰かに腕を掴まれて体を起こさせられた。そして真後ろに誰かが立った。後頭部の辺りに、冷たく硬い感触が押し当てられる。
 高性能な携帯電話のカメラのオートフォーカスが動く、小さなモーターのような音が耳にひびいた。
 真後ろに立つ男は、まるであらかじめ用意していた原稿を読み上げるような感じで言葉を放つ。
「我々は平和的な解決を望み、再三にわたって最も血の流れない選択肢を提示し続けてきたが、どうやらそれが裏目に出たようだ。貴君たちに、我々には具体的な行動を起こすだけの度胸がないと勘違かんちがいさせてしまったようだな。そうだとしたら、そこについては謝罪しよう」
 ゾクリと。
 少年の背中の産毛うぶげ が、総毛立つのが分かる。
「貴君達にまっとうな判断能力を与えるため、次は我々の本気を提示したいと思う。しかし、これは本来ならば採る必要のなかったはずの選択肢であり、流れる必要のないはずだった血だ。貴君たちはその胸を痛めつつ、自らのおろかな決断に後悔すると良い」
 後頭部に押し付けられたけんじゅうから、ガチリという音が聞こえた。
 ハンマーを親指で押し上げた音などとは少年には分析できなかったが、しかし、それが何か決定的な合図のようなものだというのは理解できた。
「また、貴君達が迅速じんそくな決断を行わない場合、流れる必要のない血はさらに増える事を我々は確約しよう。出し惜しみはしない。我々は貴君達の心を動かすために必要な物をすべそろえたつもりだ。ゆえに、最大でその全てを利用する事も検討している。そうならない事を我々は望んでいるが」
 逃げ出したかった。
 大声で何かを叫びたかった。
 しかしそんな事をすれば、即座に最悪の展開になるのは目に見えている。
「では、最初の一人を利用しよう」
 だまっていても殺されるだけ。
 それが分かっていても、抵抗した所でさらに早く殺されるだけ。
 身動きは取れなかった。
 動かなければ殺される事は分かっているのに、少年は後ろ手にしばられた指一本動かす事はできなかった。
「交渉開始だ」
 晦しかった。
 恐怖のさらに奥底にそんな感情がある事を自覚した少年は、ようやくふるえる口を動かした。
「……こんな……」
 それは命乞いのちごいではない。
「……こんな計画が、くいくもんか……」
 逆だ。
「どれだけ綿密に悪巧わるだくみをしたって、どれだけ怖い武器を用意したって、そんなものでお前達の悪事が許されるなんて事は絶対にないんだ」
 せめてもの、最後の最後の反撃はんげきだ。
「僕は信じてる。この世界は、お前達みたいな悪人が考えているよりずっと優しいんだって!! 大それた計画でごまかしたって、絶対にお前達を捕まえてくれるヒーローがいるんだって!! みんな助かるんだ。助けてくれる人が、この広い世界のどこかには絶対いるんだ!!」
「そうか」
 背後に立っていたリーダー格の男は、初めて少年に言葉を告げた。
 彼が言ったのは、実にシンプルなものだった。
「そんなヒーローがいたとしても、君には間に合わないようだ」
 キリキリという小さな音が聞こえた。
 それは頭に押し付けられた銃口越しに頭蓋骨ず がいこつに直接ひびく、けんじゅう内部の音だった。引き金にかかる指をゆっくりと動かした結果、小さなスプリングが収縮しているのだ。
 目隠しきれた少年は、その状態で、さらに両目をつぶった。
 それでいて、少年は最後まで口の中でつぶやいた。
「(……信じてる)」

 ドパァン!! という発砲音が炸裂さくれつした。
 それは少年の頭蓋骨をふるわせ、辺り一画に鉄のようなにおいをばらいた。

 その瞬間しゅんかん
 世界最大の粒子加速装置『フラフープ』の制御施設には、確かに正真正銘の銃声が鳴り響いた。床には赤黒い液体が飛び散り、鉄のような匂いを充満させ、うっすらと漂う硝煙しょうえん特有の臭気と混ざり合った。空のやっきょうが地面に落ちる甲高かんだかい音が遅れて響く。
 確実に、発砲された。
 問答無用に容赦ようしゃなく弾丸は発射され、肉と骨を貫いたのだ。
 ゴトン、という鈍い音が聞こえた。少年の小さな体が硬い床に倒れた音だった。キッズ向けのブランドの衣類は無残に赤く染まっていた。それは鮮血以外の何物でもなかった。
 ただし。
 それは、少年自身の血液ではない。

 少年の背後から拳銃を構えていた、リーダー格の男の腕から流れるものだった。
 横合いから、死角から、第三者が覆面ふくめんの男の腕をったのだ。

「な……」
 しばし呆然ぼうぜんと己の腕を……拳銃をはじき飛ばされ、不自然に四五度ほど折れ曲がった自分の腕を眺めていたリーダー格の男は、少し遅れてから痛みを覚えたらしい。
 しかし、絶叫が響く事はない。
 その男が携帯電話のカメラの撮影範囲の外へ視線を向けた直後、続けざまに発砲音が炸裂した。ガンバンダァン!! という派手な音と共に全身に弾丸が突き刺さり、リーダー格の男が横薙よこな ぎに吹き飛ばされる。
 ほかの覆面たちあわてた声がいくつも重なった。
 しかし『映像範囲の外にいるだれか』はさらに連続して銃弾を放つ。携帯電話で撮影していた男がたれ、持っていた携帯電話ごと床へ倒れた。それを通して眺めているであろう学園都市上層部の人間からは、てんじょうしか見えなくなり、そして灰色のノイズだけになる。レンズが割れたのだ。
 映像はなく、音声だけになった状態で、目隠しきれたままの少年の言葉だけがひびく。
 ガチガチにふるえる、小さな声だった。
「ひっ、ヒーロー……?」
「悪党だよ」
 そして。
 その場を塗りつぶすような、邪悪な返答があった。
「クソッたれの悪党だ」
 グシャリ、という音が聞こえた。
 悪党の靴底によって、撮影に使っていた携帯電話が完全にみ潰された音だった。
 その音を合図に、学園都市第一位の戦闘せんとうが始まる。

     7

 と言っても、人間は人間だ。
 第一位だろうが何だろうが、同じ霊長類れいちょうるいである事には変わりはないはずだ。
 いかに特殊な力を持っているとはいえ、空気を吸えなければ死んでしまうし、食べ物を食べなければ死んでしまう。寿命だってあるだろうし、内臓を刺されたりすれば殺されるはずだ。
 同じ弱点を持つ人間ならば殺せる。
 どんな怪物だろうが、それが人間と呼べる範囲にいるなら何とかなる。
 迎電部隊スパークシグナルは元々、学園都市内部の情報を外部へらそうとする者の徹底的てっていてきな排除が目的の特殊部隊だ。その活動中には、何度も強力な能力者とも戦ってきた。だからこそ、迎電部隊スパークシグナルは不可思議な現象を生み出す能力者にも、的確に対応できる。冷静に敵を見定め、打ち倒すための手段を算出できる。
 元迎電部隊スパークシグナル覆面ふくめんの男たちは、そう思っていた。
 本当に、信じていた。
 だが。

 学園都市第一位は、本当に人間なのか?

 ごう!! という空気が渦巻く爆音が鳴り響く。
 その手にある複数の弾丸が乱射され、そのどれもが正確に元迎電部隊スパークシグナルのテロリスト達を撃ち抜いていく。
 もちろん、彼らもただたれるためにこんな大それた計画を実行した訳ではない。彼らは一人の人間として自分の生命の危機を覚え、そこから脱するためにこれまでつちかってきた技術と知識を総動員し、全力でもって白い髪のに立ち向かおうとする。
 遮蔽物しゃへいぶつの陰に隠れてライフルを撃とうとした者がいた。
 人質を取って制止を促そうとする者がいた。
 爆薬を使って柱を折り、大質量の建材で押しつぶそうとする者がいた。
 しかし、意味などなかった。
 効果ではなく、意味の時点で何もなかった。
 弾丸は通じない。
 怪物の肌に触れた途端と たんそれは反射してテロリスト自身を撃ち抜いた。
 人質は通じない。
 子供をたてにしようと腕を伸ばした直後、その腕が不自然な方向に折れ曲がった。
 爆薬は通じない。
 起爆スイッチを押す前に、無線装置ごと指がひしゃげて吹き飛ばされた。
(いや……)
 それだけではない、と覆面ふくめんかぶった元迎電部隊スパークシグナルの一人は思った。
 外側からは見えない顔を冷や汗でベトベトにらす男は、自分の内側からき上がる恐怖の真髄しんずいはそこではないと自覚していた。
 そう。
 学園都市第一位の一方通行アクセラレータおごらない。
 その圧倒的な力を不必要に誇示しない。バタバタと倒れていくテロリストたちを見ても油断をしない。そうしてくれればまだチャンスはあったかもしれないのに、一方通行アクセラレータはその些細さ さいな可能性を与える事すら許さない。
 時に能力を使い、時にけんじゅうたより、最短のルートを通って最少の力を振るい、最大の戦果を得る。それはもう人間対人間とか、人間対怪物とか、そういう戦いではなかった。破壊は かい行為の中心に感情がない。
 たとえるならば。
 それは必死に逃げる戦闘機せんとうき の背後から確実に迫ってくる、追尾ミサイルだ。
 勝ち負けを論じるのではなく、攻撃こうげきが届くかいなかの問題。そして届いた時には確実に死が訪れる。一方通行アクセラレータき散らすわざわいは、すでにその領域に達している。
(どれだけ手間をかけて計画を練ってきたと思っている……)
 どういう風に能力を使っているのか、空中の低い所で弧を描いて元迎電部隊スパークシグナルの仲間へとおそいかかる呆然ぼうぜんと眺め、彼は混乱する頭をどうにか動かそうとする。
迎電部隊スパークシグナルの能力をフルに使って、メインの計画のほかにも軌道修正用の計画をいくつも用意して……。それなのに、それなのに……雑草をむしるように……ッ!?)
 その時だった。
 仲間の一人を押し倒し、真っ赤な鮮血と共にその意識を完全に奪った怪物の首が、グルリとこちらに向いた、
(どうしろっていうんだ……)
 正面から、赤いひとみと目が合う。
 まるで照準補正用のレーザーサイトのようだと、元迎電部隊スパークシグナルのテロリストは思った。
(どうしろって―――ッ!?)

 勝ち負けなどなかった。
 彼はロックされ、そして攻撃こうげきは届いた。
 所要時間、わずか三〇〇秒。
 世界最大の粒子加速装置『フラフープ』に、再び静寂と平穏へいおんが訪れる。

     8

 少年は、知った。
 目隠しをされて周囲の状況は分からない。しかし、その場からピリピリとした雰囲気ふんい き は取り除かれていた。複数のテロリストたちが作り出していた絶望の世界そのものが消えてなくなったのだった。
 辺りからは、息をむ音が聞こえる。
 おそらく少年のクラスメイトや教師達のものだろう。
 彼らの吐息と いき安堵あんど が感じられないのは、その解決手段が暴力的なものだったからだろうか。
 少年は後ろ手にしばられた両手を必死で動かす。ロープの表面でり切れるかと思ったその時、ようやく片手がロープの輪からすっぽ抜けた。ふるえる手を動かして、顔をおおう目隠しを取り外した。
 久しぶりの光に、しばし目がくらむ。
 蛍光灯の白い光に手をかざし、目を細め、それから周囲を見回した。『彼』はどこかにいるはずだ。そう思う少年の首が、ある一方向でピタリと止まった。
 壁際かべぎわ
 打ち倒され、それでもかろうじて息のあるテロリストが転がっていた。そしてそのテロリストと向き合うように、つえをついた白い髪の人間が立っていた。顔は見えない。こちらに背中を向けている人間がどんな表情を浮かべているのか、ここからでは見えない。
 ……そんな気がした。
 だが、それは現実ではなかったのかもしれない。
 ならば、次の瞬間しゅんかんには白い髪の人物は虚空こ くうへ消えていたからだ。本当に何の前触れもなく、間違った所で映画のフィルムをつなぎ合わせてしまったかのように、白い髪の人物はどこかへいなくなってしまったのだ。
 少年は、しばしだれもいなくなった虚空を眺めていた。
 クソッたれの悪党だ。
 ヒーローの登場を期待され、しかし迷いなくそう返答した何者かについて考えながら。

     9

「ご苦労様。なかなかの活躍かつやくだったわよ、ヒーロー」
 結標むすじめ淡希あわき にそう声をかけられ、一方通行アクセラレータは危うくけんじゅうの引き金を引く所だった。
 彼が唐突に消えたのは、当然彼女の『座標移動ムーブポイント』で撤退てったいしたからだった。元迎電部隊スパークシグナルを排除した今、後は『フラフープ』の職員が扉やエレベーターのロックを解除し、すみやかに子供たちを地上へ解放する事だろう。もはや悪党の出番はない。
 一方通行アクセラレータは周囲をぐるりと見回す。
 ここは突入前にやってきた、空軍関係の兵器実験場の地下だ。高級デパートのようにピカピカとみがかれた大きなフロアには、結標のほか土御門つちみ かど海原うなばらそろっている。
「一つだけ気になる事がある。クソッたれのテロリストどもが上層部に何を要求していたのかってトコだ」
 そう言った一方通行アクセラレータに、土御門がピクンとまゆを上げた。
「……お前が暴れている間にこっちも調べてみようと思ったが、予想よりもガードが堅い。どうやら、上の連中にとってはよっぽど好ましくない内容みたいだって事ぐらいしか分かっていないな」
「無能の言葉は期待しちゃいねェ。だまって人の話を聞いてろボンクラ」
 一方通行アクセラレータき捨てると、改めて話を戻す。
「『フラフープ』内でクソどもをすりつぶしている最中に、連中の叫び声をいくつか聞いた。どォやら、このままだと目的を達する事ができねェとか泣きついてたみてェだが」
「……彼らが、その時に『要求内容』についてもらしていた、と?」
 海原が促すと、一方通行アクセラレータはわずかに黙った。
 やがて、彼はこう答えた。
「―――『ドラゴン』」
 たった四文字の単語に、その場の空気が張り詰めた。
 それは『滞空回線アンダーライン』という秘匿ひ とくされたナノデバイスのネットワークもうの中にも、名前しか登場しなかった機密情報だ。やみの奥底にいる一方通行アクセラレータたちですら正体が分からず―――そして、その正体を探る事こそが、この巨大な学園都市の上層部に対抗できる突破口につながっているのではないか。そう推測できるほど、大きな大きな意味を持つ単語だった。
 一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる結標むすじめ淡希あわき 海原うなばら光貴みつき 
 彼らはそれぞれの目的のため、この『ドラゴン』の正体を共同で探ろうと一時的な共闘きょうとう関係を構築していた。
 しかし。
 どうやら、『ドラゴン』を追っているのは、彼らだけではなかったようだ。
 その証拠とでも言うかのように、一方通行アクセラレータはこう告げた。

「『ドラゴン』の情報をすみやかに開示せよ。―――クソッたれのテロリストどもの要求は、どォやらそれだけだったらしい。おれ達は上層部の口車に乗せられて、みすみすその糸口を自らつぶしちまったって訳だ」

   行間 一

 学園都市第一学区。
 司法・行政をつかさどる機関ばかりが立ち並ぶこの区画には、ほかの一般的な学区にあるような生活感は一切ない。住宅はもちろん、飲食店などもほとんどなかった。巨大な都市を円滑に運営する機能を集約させた代わりに、人間の集落として機能するために最低限必要なものが欠けている。そんな印象を抱かせる、とても機械的な風景が広がっていた。
 そこまで徹底てっていされた第一学区の中に、ひどく趣味的しゅみ てきな建造物が混じっていた。
 統括理事会の事務所である。
 高層ビルを丸々一棟占有している所をかんがみれば『事務所』などというレベルではないし、その管理維持を一〇〇%税金でまかなっているという事実も合わせると、『官邸』と呼ぶべきかもしれない。とにかくそんな豪奢ごうしゃなビルがあり、そこは学園都市でも一二人しかいない権力者の中の、そのまた一人きりのために用意されていた。
 トマス=プラチナバーグ。
 ビルのあるじであるその男は、まるでRPGの城に出てくる謁見えっけんの間のように華美で広い部屋にいた。ワンフロアを丸々使ったこの空間は、応接のために使われるものだ。周囲に部下はいない。彼の役職を考えれば無数の護衛を引き連れていてもおかしくはないのだが、えて広い部屋からは人を遠ざけていた。そして、統括理事会正式メンバーは今、確かに客を迎えているのだった。
 街の外部から個人的に呼び寄せた、傭兵ようへいのスナイパーという客を。
 長身の女だった。色白の肌、長い金髪。泥臭どろくさい戦場よりも、スポットライトの下で盛大に光りかがやくべき美が備わっている。しかしソファに座る彼女の足元には人間を丸ごと一人詰め込めそうなほど大きなカバンがあり、おそらくそこには彼女の『商売道具』が収まっている事だろう。
 業界ではそれなりに有名な女だった。
 有名である事が、彼女たちの職種にとって名誉かどうかは知らないが。
砂皿すなざら緻密ち みつさんの調子はいかがですかな。ステファニー=ゴージャスパレスさん」
 トマスは二つの人名を口に出した。
 ステファニーとはスナイパーの名前。そして砂皿とは、そのスナイパーが師と仰いでいた男の名前だ。
 トマスの問いかけに、彼女は素直にうなずいて、
「経過は順調ですよ。まだ意識は戻っていませんが。それもこれも、学園都市の生命維持装置を貸してくださった、貴方あ な たのおかげです。そうでなければ今頃いまごろ終わっていたでしょうね」
「そんなそんな。こちらの方こそ心苦しいのです。ちょっとしたすれ違いがあったようですが、学園都市の者の手で貴女あ な たのお仲間を傷つけてしまった事にはね」
 かつて、『グループ』『アイテム』『ブロック』『メンバー』『スクール』という五つの暗部組織が戦い、そのいくつかが崩壊ほうかいした。砂皿すなざら緻密ち みつは組織の一つに雇われ、別の組織の者に敗北したのだった。爆薬で建物ごと吹き飛ばされ、現在は意識不明の重傷である。
 トマス=プラチナバーグはその情報を聞きつけると、秘密裏に砂皿緻密を回収し、生命維持装置つきのベッドごと、街の『外』にいるステファニーへと送りつけた。
 もちろん、善意による行動ではない。
 恩を売って、トマスにとって有利なビジネスを持ち掛けるためである。
「で、私に仕留めてほしい標的とは?」
「ええ。資料は別に用意しますが……名前だけなら知っているかもしれませんな。学園都市第一位、一方通行アクセラレータと呼ばれるです」
 この依頼い らいは、別に学園都市上層部を代表したものではない。
 極めて個人的な依頼だった。
 九月三〇日、木原き はら数多あ ま た率いる『猟犬部隊ハウンドドッグ』と交戦した一方通行アクセラレータは、情報収集の過程でトマス=プラチナバーグ邸を襲撃しゅうげきし、トマス自身もショットガンを浴びている。今回の件は、純粋にその報復行動だった。
 もちろん、感情面での単純なふくしゅうと、手綱た づなの握れない部下を上手にしつけるためという、二つの意味を持った報復だが。
「できますかな」
「やれと言われれば」
 その答えは、予想通りのものだった。その具体的な交渉のために部下を遠ざける『配慮はいりょ』も行った訳だし、何より、トマスは『切り札』を一つ用意してある。
「ターゲット狙撃そ げき関して、周囲への被害ひ がいを考慮する必要はありません。その過程でだれを何を巻き込もうが、我々の方でカバーします。……そう、砂皿さんをあんな風にした元『アイテム』の絹旗きぬはた最愛さいあいたちへ、ついでに鉛弾をブチ込んでも構いません」
「それはそれは。ただでさえ貴方には砂皿さんの件でお世話になりましたのに。ええ、学園都市の技術とは本当に素晴らしいものですね。あんな医療いりょう機器はほかではお目にかかれません」
「はっはっ。この街の技術も良い事ばかりではありませんが、平和利用される分には鼻が高いものですな」
「ええ本当に。……傷ついた砂皿さんの体内に小型の発信器を仕込むなんて、大したものですよ。ナノデバイスとはちょっと違った方式のようですが。それにしたって、体内式であそこまで小型のものは、ほかではちょっとお目にかかれませんから」
 直後。
 ゾッとした冷気が、広い空間の隅々にまで浸透した。いや違う。それは空間の問題ではない。トマス=プラチナバーグ自身が、恐怖というフィルターを通し、改めて周囲の世界を認識しただけの事だ。
「待ってください」
 トマスは片手で制した。
「あの生命維持装置に、どれだけ重要な技術情報が使われているか、知らぬ訳ではありますまい。『外』向けにある程度グレードダウンしているとはいえ、それでも学園都市の技術には莫大ばくだいな価値があります。我々は砂皿すなざら緻密ち みつさんを貴女あ な たの元へ迅速じんそくかつ安全に届けたかった。しかし生命維持装置の技術情報が他にれても困る。そういう意図での細工だったのです。ほどこさねばベッドで眠る砂皿さんを、こんなに早く貴女の元へ届ける事はできませんでした」
「そうですか」
 この時、トマス=プラチナバーグが『ある事』に気づかなかったのは、仕方がなかったとはいえ致命的だった。
 つまり。
 ステファニー=ゴージャスパレスは本来こんな話し方をしない事。
 そして。
 わざわざ口調を変えているのは、それだけ感情を押し殺していたという事実。

「では、米粒サイズの発信機の他に特殊な刺激を与える機構も備わっており、信号一つで砂皿さんの四つの内臓をいつでも停止できる……というのも、単なる安全策の一環だと?」

 ドッ!! と。
 トマスの全身から、いやな汗がしたたり落ちた。
 しかしもう遅かった。
 気がつけばソファに座っていたはずのステファニーの体が高速でブレ、対面トイメンにいるトマスの目の前にいた。そして右手が伸び、握っていた羽根ペンがトマスの腹に直接刺さっていた。
 と肉の裂ける痛みを、トマスは認識していなかった。
 それどころではなかった。
「お返しします」
 羽根ペンを抜いたステファニーの手には、小型の無線機があった。傷口に何を埋め込まれたのか。そして無線機の周波数は何に信号を送るためにセットされているのか。それを想像したトマスは、原始的な痛覚信号をさせるほど、明確に死の恐怖を感じ取っていた。
な小細工をしたのは間違いでしたね。素直に砂皿すなざらさんを引き渡し、正面から依頼い らいしていれば、私は貴方あ な た手駒て ごまになっても良かったのに」
「……待、て……」
 ぶるぶると、ふるえる顔でステファニーの……より正確には、無線機にかかる親指をにらみつけるトマス=プラチナバーグ。彼はうわつらの敬語をかなぐり捨て、かすれた声で最後の交渉に入る。
「……ここで、さわぎを……起こせば、お前のふくしゅうの障害にも、なりかねん……。素直に、私の助力を……期待していれば、楽に砂皿の、復讐を……果たせるのだぞ……」
「ああ。言い忘れていましたね」
 対して、ステファニーは特に考える素振りもなく即答した。
 まるで、会話そのものを打ち切るかのように。

「私の復讐対象は、この学園都市にあるものすべてなんですよ」

 直後、ステファニーは迷いなく無線機のスイッチを押した。
 トマスの傷口に埋め込まれた発信機がすみやかに応答し、特殊な電気刺激を実行。正常に動いていた男の内臓の内、四つの動きを迅速じんそくに停止させ、確実に息の根を止める。
 断末魔だんまつま の声は、まさに絶叫だった。
 転がり、動きを止めた死体に目も向けず、ステファニーはくだらなさそうな表情で無線機をポケットにしまう。
 周囲からバタバタという足音が聞こえてきた。
 おそらくビルのあるじの悲鳴を耳にして、ようやく護衛の黒服たちがやってきたのだろう。この応接間にやってくる間に見た人口密度などから推測して、およそ二〇〇人程度はいるはずだ。
 しかしステファニーの表情にはくもり一つなかった。彼女は鼻歌を歌いながら、足元に置いていた巨大なバッグのファスナーを開けると、中に収めていた『商売道具』を取り出す。
 それはスナイパーライフルなどではない。
 軽機関散弾銃。
 一応持ち歩く事もできるものの、三脚などで固定して取り扱う事も多い高連射性の機関銃をベースに、使用弾薬を全て散弾銃のものに換装した特殊な銃だった。至近距離きょり った場合、装甲車をみ砕かれた空き缶のように変貌へんぼうさせるほどの破壊力はかいりょくを秘める軽機関散弾銃は、ステファニー自身のカスタムガンだ。
 スナイパーとして活動しているはずのステファニーがそんな物騒ぶっそうな武器を持ち出した理由は、とてもシンプルなものだった。
「砂皿さんは、遠くからねらってチマチマ撃っていましたけど」
 トマスの時とは違う、そしてどこかなつかしむような色を混ぜ、ようやくステファニー=ゴージャスパレスは『本来の口調』に戻って、独り言をつぶやく。
「標的に近づいてバーッと乱射した方が簡単じゃないですかねえ?」
 バン!! と大きな扉が外から開け放たれた。
 同時に、軽機関散弾銃から災厄さいやくあらしき散らされる。
 彼女のふくしゅうが、幕を開けた。

第二章 単純かつ複雑な問題点 V.S._Calamity.

     1

『そうか』
 キャンピングカーの中に、統括理事会の一人、潮岸しおきしの声がひびく。
 とはいえ、一方通行アクセラレータたちの乗っている車に、街の重鎮じゅうちんが直接やってきた訳ではない。
 スクリーンに映ったライブ映像だった。
『まぁ、「フラフープ」の方も大きな被害もなく解決する事ができて何より。……というか、転送してもらった交戦記録のレポートを見たが、君達は相変わらずとんでもないスペックだなあ』
 半ばあきれたような口調でそんな事を言われるが、一方通行アクセラレータ達としては、お前にだけはそんな事を言われたくはない、とめずらしく全員の意見を一致させていた。
 大きなスクリーンに映っているのは、タキシードの似合う柔和にゅうわな老人ではない。
 いや、中身はそうなのかもしれないが、少なくともパッと見た限りそんな事は分からない。
 駆動鎧パワードスーツ
 伸縮性の高いワイヤーや強力なモーターで運動能力を補助し、さらにその上から分厚い装甲でおおったもの。『防具』というより『兵器』という言葉がピッタリ合う、ずんぐりしたメカが、瀟洒しょうしゃをミシミシときしませている。
『気になるかね』
 四人の内のだれに向けて言ったか知らないが、当の潮岸は軽やかな声でそう言った。
 奇異の視線に対しても、不快感は抱いていないようだ。
『ちょっと冷静に考えれば分かるのだがね、人間を死に至らしめる要因などこの世界にはあふれ返っているよ。よく人は「こんな事になるなんて」「恨まれるような人じゃありませんでした」なんて事を言うが……とんでもない。人間ってものは、分かりやすい理由なんて用意しなくても死ぬ時は死ぬものだ。特に私みたいなポジションだと、より一層にね。不意に訪れる不幸から逃れたいのなら、常時気を張っているしかないと思うのだがね』
 潮岸は自分の正面にある、飴色あめいろのテーブルを分厚い手甲てっこうでカツカツとたたき、
『君達とじかに会わず、映像などで失礼させてもらっている理由もそんな感じだ。居場所なんて知られないに越した事はないんでね』
「何をビクビクしてやがる。どォせ核シェルター並のドーム施設にでも隠れてンだろォが」
『だから安心しろとでも? とんでもない。ここは学園都市だぞ。えーと、結標むすじめクンだったかな。彼女のような力の持ち主の前には、壁の厚さなど意味を持たないじゃないか。今もこの部屋の内側に爆弾を放り込まれないかビクビクしている所だ』
「……同じ統括理事会でも、親船おやふね最中も なかさんなどとは大分違う印象ですね」
 と、そう言ったのは海原うなばら光貴みつき だ。
『フラフープ』の件で、おそらくそちらと連絡を取り合っていたからだろう。
 親船は潮岸しおきしとは対照的に、人を信じる事から始め、融和ゆうわ や協調によって事を進めようとする、腹黒い権力者たちの集まりである統括理事会の中ではめずらしい人物であるのだが、
『いいや、親船クンのあれも防御機構の一種だよ』
 しかし、潮岸はそんな事を言った。
『自衛隊と同じでね、自分は侵攻用の戦力を保有していないという安全性をアピールする事で、逆に他者から攻め込まれる口実を封じているのだよ。あれはあれで高度な技術だぞ。私にはできない手法だな。……とはいえ、親船クンも昔は話術のやり手だったのだがね。やはり娘さんの事が大きいのかなあ……』
 とはいえこれでも不安なんだぞ、と潮岸は駆動鎧パワードスーツのずんぐりした体を、自らの両手で抱いた。
『できればこういう「着る」方式ではなく、体そのものを作り替えるサイボーグ技術などがあると少しは安心できるのだがね。あれは色々と問題点があるようだからなあ。まぁ確かに、精密機器は五年かそこらで寿命を迎えるから、人工臓器の交換でその大手術を行うのは負担がかかりすぎる。各種人工臓器―――生命維持装置をコンパクトにしたものを駆動鎧パワードスーツに組み込んで「外付け」にした方が負担は軽くなるし、サイボーグは「肉体の容量」の壁を越えられない一方、駆動鎧パワードスーツならいくらでも装置を上乗せできるし、病院のベッドや携行型の酸素ボンベからの発展形としては順当かつ正統な系譜であるのは認めるが、私としてはやはり―――』
「潮岸さん」
 鹿がこだわりについて語り出すと止まらなくなる事を知っている土御門つちみ かどが途中で封じる。
「わざわざこちらにコンタクトを求めてきたのは、交戦記録のレポートを提出させるためだけではないのでは? それなら『電話の声』を経由した方が手っ取り早いはずだ」
薄々うすうす勘付かんづ いているとは思うが、今回は君達を指揮する「エージェント」には外れてもらっているよ。学園都市で起きている事件は一つではないからね。……事前に食い止められると思っていたんだが、同じテーブルのあの「若造」、まさかホントにやられるとはねえ』
「……、」
『邪推しなくても良いよ。開示されない情報に不安がらなくても、すべてはつながっているからね。君達は君達のやるべき事をやっていれば、じきに情報は集約されるだろう』
 そこでカメラがグラッと揺れた。『杉谷すぎたにクン。クンも』と潮岸が短く名を呼ぶと、映像範囲の外から何者かがカメラをつかみ、再び固定する。
『という事で、次のお仕事をお願いしたい訳だよ』
「……何かが立て続けに起こっていると?」
 かつて『グループ』『スクール』『メンバー』『アイテム』『ブロック』という五つの組織が死闘し とうり広げた事件を思い出し、土御門つちみ かどが改めて質問する。
 しかし潮岸しおきしは、駆動鎧パワードスーツのヘルメット部分を横に振った。
『そんな深刻な事ではないよ。ようは、残党をたたいてほしいというだけだ。「フラフープ」をおそった元迎電部隊スパークシグナルの仲間が、まだ学園都市の中にひそんでいるようでね。放っておくと、おかしな第二プランを考案しかねない』
 連中の仲間。
 学園都市の最暗部『ドラゴン』の情報を求める者たち
『標的の詳細はデータで転送するが、まあ、「フラフープ」の時に比べれば簡単なものだと思うよ。……少なくとも、準備期間を与えずに叩く分にはね。あれを乗り切った君達なら、あっさり対処できるレベルだと思う』
 話はこんな所だ、と切り上げようとした潮岸に、ふと一方通行アクセラレータがこんな事を言った。
「……『ドラゴン』って言葉に聞き覚えはあるか」
『有名な単語だね。テレビゲームのタイトルに、世界へ誇るべきものがあったはずだけど』 チッ、と彼は舌打ちした。
『知らない』と答えてくれれば、そこからつつく事もできたのだが、機を失った。これ以上ここで追及してもかわされるだけだろう。
 一方通行アクセラレータの意図を知ってか知らずか、潮岸は分厚い鋼鉄のてのひらをパンパンと叩いて、こんな風に話をまとめた。
『君達だって学生なんだからさ。こんなつまらない事はさっさと済ませて、君達なりの日々へと帰りたまえ』

     2

 今夜は滝壺たきつぼ理后り こうの退院祝いだ。
 急遽きゅうきょその準備に追われる羽目になった浜面はまづら仕上し あげ絹旗きぬはた最愛さいあいの二人は、第七学区にある繁華街はんか がいでジョークグッズなどを買い込んでいたのだが、
「……おい、訳分かんねえぞ。何でいつの間にかおれ達は映画館にいるんだそしてこの映画館は上映二分前でも俺達二人しかいないんだ」
「ショートフイルム専門ですから超大丈夫だいじょうぶです一〇分間の短い映像作品と五分間の休憩を延々と超繰り返すヤツです計算なら二本はても滝壼さんとの合流時間に超間に合うはず」
「ちょっと待て俺達二人しかいないガラガラな理由については何ら説明がねえぞ」
「やかましいですね実はおトイレ超我慢が まんしているんですから話しかけないでください浜面」
 そうまでしてたいのかよ、と浜面はまづらは肩を落とす。
 絹旗きぬはた趣味しゅみ は映画観賞なのだが、ハリウッド超大作などにはあまり興味がないらしい。B級C級と呼ばれるものに目がないようなのだが、
「ぐわーです。たった今上映が始まったこの作品ですけど、開始二分でもう超クソ映画の雰囲気ふんい き が……」
「お前がおれを巻き込む時は大抵そうだよな!! 自分から映画館に引きずり込んでおいてよーっ!!」
 客が二人しかいないためか、浜面は暗闇くらやみの中で精一杯叫ぶ。
 しかし浜面の事情など全く気に留めていない絹旗は沈痛な面持おもも ちで首を横に振り、
「違うんです。超そうじゃないんです。私が超観たいのは『いえーい、今回はみんなでC級の鹿鹿しい映画を作るぜーっ!!』みたいな超自覚のあるC級ではなく、超本気でハリウッドと戦う気構えで作ったものが、超色々あってC級になってしまった天然モノなんです」
「そうかよ。俺は近未来系なのにヒロインが何の説明もなく中世っぽいドレスを着ているのは『そういう世界観』として納得できるんだが……真冬の物語のはずなのに、撮影時期が夏だったせいか、みんな妙に汗だくな所については、気になって仕方ねえんだがよ」
「浜面。画面の左端ひだりはしを見てください。海岸の対岸に火力発電所の煙突らしきものが超見えるのですが……」
「マジかよ。今まで頑張って作ってきた、SFっぽい雰囲気が一発で台無しに……ッ!? たまに撮影中に飛行機が飛んでいてNGに……なんて話は聞くが、建物に関しちゃ下見をすれば分かるモンだろうがよ……ッ!!」
 特に映画にこだわりを持たない浜面でさえも頭を抱えてしまう出来なのだった。絹旗はしばらく両足の太股ふとももをモジモジとこすり合わせていたが、
「……やっぱ駄目です。こんな駄作に付き合う気力が超ありません。私はちょっとおトイレに行ってきます。次のショートフィルムに超期待する事にしましょう」
 ええっ、トライすんの俺一人!? とうろたえる浜面だったが、絹旗はさっさと上映室の外へ出て行ってしまった。
 仕方がないので、映画を楽しむというよりは時間をつぶす感覚で、何やらクライマックス直前の作戦会議をしているらしいスクリーンに目をやっていた浜面だったのだが、
(……あれ? このお嬢様じょうさまの後ろの壁に張ってある地図)
 死んだ魚のような目になっていた浜面は、ふと改めて注目する。
(……火星のクレーターと山脈マップ? 何で普通の世界地図じゃないんだ。わざわざこんな地図を用意しているって事は……うわあああああッ!?)
 そして彼は電撃でんげきにでもたれたかのように両目をまん丸にする。
(これ、真冬の物語って言っても『地球の』ものじゃなかったんだ!! 実はそういうフリしていたけど、異様に発展した火星における、現代IF世界の話だったんだ!! だとするとキャストが暑そうにしているのも、テラフォーミングの仕様によっては不自然じゃなくなる。さっきの煙突も撮影上のミスなんかじゃなくて、ぐわーっ!! やられたーっ!?)
 そして後半五分で一気にめくるめく物語。前半のつまらなさすらも監督の意図。この五分間を光りかがやくものにするため、えてくすんだ時間を与えていただけ。そう、例えばつらいマラソンの後に、一杯の水を与えるように。
 一〇〇分の映画でこの手法を使えば、客はあっさり白旗を挙げてしまうだろう。しかしこれはショートフィルム。このわずかな時間なら、『序盤がものすごくつまらない』ものであっても客はダラダラと見続けてくれるだろう、そしてその間に後半に突入できるだろうという、そこまで計算され尽くした一品だった。
(うわーっ! うわーっ!! うわーっ!!!!!! 何これ、C級なんかじゃねえ。こいつら一〇〇%ハリウッドをたたつぶす気でカメラ回してやがる!! おいふざけんな。これ一〇分間の作品だろ。おざなりな三部作どころの世界じゃねえぞ!! どんだけ密度濃くしてなおかつそれに気づかせない作りをしてやがるんだーっ!?)
 はははははははははーっ!! と、もう思わず笑ってしまう浜面はまづら仕上し あげ。今なら絹旗きぬはた最愛さいあいの足の裏にキスしても良いと本気で思う。そうかそうだよこういう新人発掘が低予算のショートフィルムをたくさん上映する意義だよなー、と人生の経験値をたっぷり積んで笑顔が止まらない浜面だったのだが……。
 ふと、ゾクリとした悪寒お かんが背筋に走った。
 視線を感じる。
 恐る恐る振り返る浜面だったが、

 そこには、おトイレを済ませて今まさに帰ってきたであろう無類の映画好き少女が。
『しまったーっ!! この私がこんな面白おもしろそうな作品を切ってしまうなんてーっ!!』という顔で、わずかに開いた扉の隙間すきま から上映室をのぞき込んでわなわなしていた。

 上映終了後。
 そっかー、あの監督はビバリー=シースルーっていうのか、チェックだ絶対チェックだ……などと心のメモを取っていた浜面は、となりを歩く絹旗の方を見た。
 彼女は現在、全身の力が抜けてグニョグニョになり、どす黒い雷雲のようなオーラに包まれてこの世の終わりみたいな顔をしている。
「絹旗。絹旗ってば。大丈夫だいじょうぶだぜ、お前は人生の勝者だ。おれだけだったら絶対にあの作品に巡り合う事はできなかった。星の数ほどある映画の中から、あの一作をきちんと検索できたお前のアンテナは本物だったんだよ」
「……こんな超浜面はまづらごときに同情されるだなんて。C級映画は運なんです。もしかしたら、これは私の選択センスが超ゆがみ始めている兆候なのかも……」
 そんな事をブツブツ言う絹旗きぬはた一緒いっしょに映画館を出る浜面。
 さあ時間もつぶしたし病院に戻って滝壺たきつぼと合流しよう……という所だったのだが、そこで絹旗の携帯電話が突然鳴った。
 暗いひとみでグニャングニャンになっている絹旗はしばらく反応しなかったが、やがて妙にゆっくりとした動きで携帯電話を取り出すと、それを耳に当てる。
 短いやり取りをしていた絹旗は、やがて電話を切ると浜面の方を見た。
「浜面。先に行って滝壼さんを超拾ってきてください。場所は超分かっていますよね。そのまま第三学区にある個室サロンまで超向かって待っててもらえると超助かります」
「あん?」
「『仕事』ですよ。ようやく新チームを発足するから超集まって、学園都市を超ねらう元迎電部隊スパークシグナルとかいうテロリストどもを皆殺しにしろっていう」

     3

「……そんな訳で秘密の集合場所にやってきた絹旗最愛さいあいじゃなかったのかよ」
「……そんな訳で秘密の集合場所にやってきたけど五分で愛想あいそ かせて超戻ってきた絹旗最愛なんですよ」
 浜面と絹旗は互いの顔を突き合わせてそんな事を言い合った。
 一度別れた二人だったが、浜面が病院へ辿たどり着く前に、再び戻ってきた絹旗に捕まえられたのだ。……どこかに発信機でもつけられているんじゃないだろうかと思う浜面だが、特にそんな事はないらしい。
 完全下校時刻が過ぎ、終電終バスも過ぎたため病院に向かって徒歩で移動しながら、浜面はあきれた調子で質問する。
「おい、一体何があったんだ。確か新チーム作ってテロリストたちと戦うって話じゃなかったのか?」
「そうですよ。こんな事があったんです」
 と、絹旗は自分の経験してきた一部始終について語り始める。

 薄暗うすぐらい地下空間へやってきた絹旗最愛は、そこで待っていた複数の顔を見回す。まゆをひそめている彼女は、タイミング良く鳴った携帯電話越しにこんな言葉を聞いた。
『やーご苦労さん。この前の戦いで「アイテム」「スクール」「ブロック」「メンバー」って壊滅かいめつしたよね、こいつときたら☆ そいつらの残存勢力集めて新チーム作るから、昔殺し合ったお仲間同士仲良くしてねー』

「おい待てちょっと待てダウトだろ今の!! 思い出話の一番最初から変なのが混じってなかったかー?」
「私も冗談だと思っていましたが超マジみたいでしたよ。超やってらんないので逃げ帰ってきましたが。そうそう、『心理定規メジャーハート』のドレスの女が、浜面はまづらに超よろしくですって」
「……くそ、その女に関してはいやな心当たりがありすぎるぞ」
 浜面は心の底からげんなりしたが、そこでふと顔を上げた。
「でもお前、大丈夫だいじょうぶなのか?『電話』の連中って、結構な権限持ってそうだけど。オーダーぶっちぎっちゃっても平気なのかよ」
「超でしょうね。だから浜面、ちょっと手伝ってください。こんなのは新チームに連れ戻される前に、私一人でノルマを超こなしちまえば文句は出ないもんです」
 は? と目を点にする少年に、絹旗きぬはたはあっさりとした調子で言う。
「いつものように超その辺から車盗んできて、アシを確保してください。そいつで『フラフープ』をおそった連中のお仲間とかいう元迎電部隊スパークシグナルの隊員を追って、超さっさとトドメを刺します。あまり滝壺たきつぼさんを待たせられませんからね。超サクッと済ませてしまいましょう」
「待てコラ。おまっ、ついさっきもうおれは『アイテム』に従う必要はないとか言ってなかったっけ? 裏稼業うらかぎょうから足を洗っていとしの滝壺ちゃんを支えたい浜面仕上し あげの気持ちを何だと思―――」
「じゃー滝壺さんと二人で個室サロンに超行けば良いじゃないですか私の事は超放っておけば良いじゃないですか多分滝壺さんはいつまでっても超やってこない私に不審がるでしょうが勝手に超楽しんでいれば良いじゃないですかー」
「ちくしょう!! せっかくの退院祝いだっつーのに、そういう所でしこり残すようなするかお前!?」
「嫌なら超さっさと車用意してくださいよー早く元迎電部隊スパークシグナルのテロリストのクソども超ぶっ殺して退院祝いしましょうよーねー浜面ねーねー」
 最後には甘ったるい猫撫ねこな で声まで使われ、浜面は半分涙目で舌打ちしながらポケットに手を突っ込む。そこから出てきたのは開錠用かいじょうようの針金のようなツールだ。
 携帯電話を使って、一足先に第三学区の個室サロンへ向かうように滝壺へ連絡を入れている絹旗の方をチラリと見ながら、浜面は路上駐車してあるファミリーカーのドアをあっさり開ける。
「しっかし、お前って実は知り合いに依存するタイプだよな」
「超何か言いましたかした浜面はまづら

     4

 一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる結標むすじめ淡希あわき 海原うなばら光貴みつき の四人を乗せたキャンピングカーは、セレブたちの集まる第三学区までやってきていた。
 土御門は、統括理事会の一人、潮岸しおきしから転送されたオーダーのデータを大きなスクリーンに表示させながら、
「残党の数は二〇人。人数分のサブマシンガンとグレネードが用意してあるようだが……まぁ確かに、潮岸の言う通り簡単な仕事だろうな。こいつらの仕事は、主に『フラフープ』で事を起こした連中のサポートだったみたいだし」
「殺すのは簡単だがよ」
 一方通行アクセラレータは簡易ベッドに腰かけたまま、ジロリと土御門をにらみつける。
「このままクソッたれの統括理事会の命令を素直に聞くだけかよ。立ち回り方によっては『ドラゴン』の片鱗へんりんに迫るチャンスかもしンねェってのに」
「なら、元迎電部隊スパークシグナルのテロリストどもと共闘きょうとうしろとでも?『フラフープ』を占拠して、交渉アイテムのために子供をさらうような連中相手と」
「……、」
「『ドラゴン』について探るのは、オレ達の立場からすれば当然の事だ。ただし、方法を間違えるなよ。この元迎電部隊スパークシグナルはクソ野郎の集まりだ。野放しにしたらまた人質を取って適当な建物を占拠しかねない。……もっとも、赤の他人の一般人を巻き込んでも『ドラゴン』のなぞに迫りたいって言うなら、ここでオレ達は四人とも『決裂』だがな」
 チッ、と一方通行アクセラレータはくだらなさそうに舌打ちする。
 戦略兵器として扱われ、時には爆撃機ばくげきき から投下される事もあるほどの極悪ごくあくだが、実は民間人への被害を―――より正確に言うなら、とある小さな少女が平穏へいおんに暮らす世界そのものの破壊は かいを―――極力きらう傾向がある。
 一方通行アクセラレータだまると、今度は結標が口を開いた。
「その元迎電部隊スパークシグナルの残党っていうのは、一体どこに潜伏せんぷくしているのよ」
「駅の真下にある地下街を移動中。すでに閉店して人はいない。わざわざそんな所を通っている所を見ると、セキュリティを突破する事をそれほど労力とは思っていないらしいな」
 大抵の繁華街はんか がいは夜遅くまでやっているが、駅に関する施設は例外だ。終電の時間が完全下校時刻に合わせてあるこの街では、地下街の方も早くから店じまいをする。
 土御門はリモコンを操作し、スクリーンに地下街の見取り図を表示させながら、
「おそらく『フラフープ』の主力がつぶされた事は知られているだろう。連中は地下街を経由して別の所にめてある自動車まで移動し、そこから次の行動に移ろうとしているらしい。単純な逃走なのか、より高威力の兵器をたずさえて第二プランに移ろうとしているかは定かではないがな」
「連中は具体的に、どこに『逃走車両』を用意しているんですか?」
 海原うなばらは質問したが、土御門つちみ かどは適当にキャンピングカーの壁の方を指差して、
「そこ」
「……はい?」
「運転手にゃ先回りするよう指示を出している。車を先につぶしてオレたちの中のだれかを待機させておけば、とりあえず元迎電部隊スパークシグナルどもの思惑通りの展開は潰せる訳だ」
 当然、それだけでは終わらせないがな、と土御門は付け加えた上で、
「ここにアンカーを一人残して、残る三人で地下街を一掃する。なあに、結標むすじめの『座標移動ムーブポイント』でピンポイント狙撃そ げきして、混乱する元迎電部隊スパークシグナルどもをオレと海原で一人ずつブチ抜いていけば手早く終わらせられるだろう」
 ピクン、とそこでまゆをひそめたのは一方通行アクセラレータだ。
 ジロリとにらむ第一位に、土御門は薄笑うすわらいを浮かべながら、自分の首筋を軽くたたき、
「『』と『フラフープ』で連戦だっただろ。電極のバッテリーは温存しておけ」
「チッ」
 特に従う義理はないが、自ら進んで土御門達に協力する必要もない。鹿が勝手に雑用をしてくれるのなら、放っておけば良いだろうと一方通行アクセラレータは判断する。
 そこで、キャンピングカーが動きを止めた。
 土御門は外へつながる後部ドアへ手を伸ばしながら、
「さて行くか。ありきたりな殺し合いだ」

     5

 第三学区駅前の地下街は、お財布的な意味で足をみ入れるには勇気のいる場所だった。
 元迎電部隊スパークシグナルの隊員達が進んでいるエリアは、すでに閉店していて人はいない。ここは様々なスポーツブランドの衣類を取り扱っている一角だった。世界的に有名なサッカーリーグのユニフォームなどが、年代ごとに並べられている。分かる人には納得できる値段だが、分からない人にはサッパリ理解できない。そんな価値観で埋め尽くされた場所だった。
「(……いるいる。片手で使える軽量低反動サブマシンガンに、わざわざ重たいグレネードを取り付けて台無しにしているな。予想よりもさらに簡単そうで何よりだ)」
「(……一応、密閉された空間でグレネードを使われる危険性について考慮こうりょしてあげるべきでは?)」
 通路の角からのぞき込みながら、土御門つちみ かど海原うなばらの二人はそんな事を言う。
 彼らは携帯電話を使って、少しはなれた場所で待機しているであろう結標むすじめに連絡を入れる。
「ポイントBBEで標的を発見。そっちで確認できるか」
『さっさと全員ブチ抜きたい所よ。合図出してもらえないかしら』
「カウント五で始めるぞ。外周からつぶしていけ」
 土御門は携帯電話の通話を切って、両手でけんじゅうを握る。
 二〇人の元迎電部隊スパークシグナルのテロリストたち暗闇くらやみを進み、こちらへと近づいてくる。
 電話を切ってから、きっちり五秒後だった。

 トンッ、と。
 ほとんど音もなく、武装した者達の内の一人の肩を、コルク抜きが貫いた。

 本来、結標淡希あわき の『座標移動ムーブポイント』には一切の音がしない。おそらく微弱な音の正体は、三次元を無視して現れたコルク抜きによって、傷口周辺の肉が押し広げられた音だろう。
 絶叫がひびいた。
 しかし、最初元迎電部隊スパークシグナルの連中は自分がおそわれた事すら認識できていなかっただろう。
 さらに続けて、三人、四人へとコルク抜きが襲いかかる。
 ひとかたまりになっていたテロリスト達の前後左右にいた男達が一斉に倒れ、のたうち回った。ようやく事態に気づいた元迎電部隊スパークシグナルだが、周囲すべての方向の仲間達が均等に倒されたため、どちらの方向へ逃げれば良いか分からず、その場で棒立ちになってしまう。
 混乱による硬直時間は、せいぜい二秒か三秒が良い所だろう。
 そして、土御門達はそれを見逃さなかった。
「行くぞ」
 海原へ小さく声をかけると、土御門は通路の角から拳銃を構える。
 迷わず引き金を引いた。
 パンッ!! と。
 これまでと違い、あからさまに分かりやすい銃声と閃光せんこうが発せられ、さらにテロリストが倒れる。『なぞ攻撃こうげき』と違って自分達の頭で簡単に理解できたせいか、残る標的達は土御門のいる方向へとサブマシンガンで反撃しながら、たてになるものを探して後退を始めた。
 正面からは土御門や海原の銃撃で、さらに迂回路う かいろ として結標が『座標移動ムーブポイント』を使って、次々と元迎電部隊スパークシグナルの連中をち抜いていく。
 あっという間に元迎電部隊スパークシグナルの数は半分ほどまで減った。
 その時だった。
「(……まずい、グレネードだ!!)」
 サブマシンガンの引き金のすぐ近くにある、もう一つの引き金に指がかかるのを見て、土御門つちみ かどは集中的にけんじゅうねらおうとする。
 しかし元迎電部隊スパークシグナルの方が上手だった。
 一〇人ほどになった彼らはぴったりと息を合わせ、一斉にグレネードの矛先ほこさきを土御門たちに向ける。一〇発の爆発物が同時に放たれ、缶コーヒーのようなかたまりが弧を描いて飛んできた。
「(……跳べ!!)」
 土御門は叫び、通路横にあるウィンドウをたたき割るようにして、店舗てんぽ の中へと飛び込んだ。
 しかし海原うなばらはそうしなかった。
 彼は壁際かべぎわにある大きなボタンへ手を伸ばした。それは防犯と防火用を兼ねたシャッターだ。
 てのひらを叩きつけるようにボタンを押すと、グレネードが着弾するその直前で、分厚い金属製の隔壁かくへきが勢い良く降りてきた。
 爆発物がはばまれる。
 ドカドガッ!! と壁の向こうで巨大な炸裂音さくれつおんが発せられ、シャッターがこちら側に大きくゆがむ。しかし爆風や破片が海原を傷つける事はなかった。
鹿野郎!!」
 しかし、土御門は大声を叩きつけた。
「テメェで攻撃こうげきする機会を減らしてどうする!! 向こうに時間を与えれば、それだけ反撃の火力を高めるだけだぞ!!」
 彼ら二人はシャッターを回り込むように、砕けたウィンドウから店舗を迂回う かいして戦場に戻ろうとしたが、その数秒のタイムラグが先の展開を大きく左右させた。
 ドバッ!! という爆音が新たに炸裂した。
 それは土御門や結標むすじめ達を攻撃するためのものではない。
「ッ!!」
 あわてて土御門が通路の様子を確認すると、砂煙の向こうで、てんじょうに大きく穴が空けられていた。さっきまで元迎電部隊スパークシグナルの連中がいたはずの場所だ。崩れ落ちた瓦礫が れきの山はちょうど階段のように積み上げられていて、地上までのルートを完成させてしまっている。
 そして、元迎電部隊スパークシグナルは影も形もなかった。
 まんまと逃げられたのだ。
「クソッ!!」
 大きくき捨て、土御門は携帯電話をつかんだ。
 連絡先は、地上で待機している一方通行アクセラレータだ。
「地下街から逃げられた!! 数は大体一〇人! オレ達もこれから結標の『座標移動ムーブポイント』で上に上がるが、お前もそこをはなれて追撃しろ!! どうせ連中はそこには戻って来ないだろうしな!!」

     6

 その爆発は、待機している一方通行アクセラレータからでも良く見えた。
 白いものの正体は煙なのか建材の粉塵ふんじんなのか、もくもくと何かが立ち上っている。現代的なデザインのつえをついてそちらへ移動していくと、さらに多くの情報が手に入った。
 アスファルトが、下から噴き上がるように吹き飛ばされていた。
 多くの破片がき散らされ、車のフロントガラスやレストランのウィンドウなどを粉々に砕いていた。
 うずくまるような格好で頭を押さえている少女は、出血しているのだろうか。
 あちこちでうめき声や泣き声のようなものが聞こえ、遠くから救急車が近づいてくるサイレンの音も混じってくる。
 元迎電部隊スパークシグナルはすでに逃走した後なのだろう。
「(……悪党が)」
 一方通行アクセラレータは訳の分からないわめき声を口にしている当事者や、何事かと集まってきた野次馬や じ うまたちを眺めながら、わずかに、ほんのわずかに、奥歯をんだ。
「(……クソッたれの悪党が雁首がんくびそろえて突っ込ンで、もぎ取ってきたモンがこれかよ)」
 おそらく土御門つちみ かど達は今も鹿正直に元迎電部隊スパークシグナルを追っているのだろうが、一方通行アクセラレータには素直に従う気が起きなかった。何なら、元迎電部隊スパークシグナルごとあいつらをち抜いてやろうかと、本気で考え始めていた。
 ジリジリと、その指先が首筋のチョーカー型電極のスイッチへ向かって行った、その時だった。
 一際ひときわ大きな喚き声が飛んできた。
 突然の事件に混乱を起こしている者は多いが、その声は中でも飛び抜けていた。思わずそちらに目をやり、近づくと、高校生ぐらいの少年が救急隊員に噛みついている。どうやら知り合いの女性に処置をほどこそうとしている救急隊員を、高校生の方が必死に押しとどめようとしているらしい。
「……?」
 女性は大学生かそれ以上……といったぐらいの年齢だ。カバンからこぼれた書類は学校に関するものなので、教師なのかもしれない。彼女は額から一筋の血を流している高校生よりも、さらに重傷のように見えた。意識を失い、ぐったりと倒れている。普通に考えれば、一刻も早く応急手当をしなければならないはずなのだが……。
「やめろよっ!! やめろ!! 薬は使うな、使っちゃダメなんだ!! そんなの使ったら逆効果なんだよっ!!」
「しかし、強壮剤を使わない事には病院までたない! 彼女の心拍数が分かっているのか!? そもそも簡易キットで調べたが、この薬に対するアレルギー反応は見られなかった。一体どうして治療ちりょうを拒む!?」
 高校生も救急隊員も、どちらも切迫した状況で気が立っているようだった。
「……とにかくダメなんだ」
 やがて、救急隊員の腕にしがみついていた高校生は、絞り出すように言う。

「妊娠しているんだよ、そいつ……」

 その一言に、救急隊員がギョッとした顔になった。だれが誰を、などと、わざわざ質問する必要はないだろう。
 高校生は顔をそむけ、それでもふるえるくちびるを必死に動かす。
「普通の人なら問題ない薬でも、胎児たいじ に悪いえいきょうを及ぼすなんて話は良く聞くだろう!? その薬はどうなんだ。本当に大丈夫だいじょうぶなのか!? 死んじまったらどうするんだよ!!」
「そ、それは……」
 デリケートな問題だった。そもそも『乳幼児や妊婦には使わないように』という大前提で開発されているため、まともな試験を行った事もないだろう。理論値はともかく、実地でどういう風に事が進むかはプロの救急隊員でも分からないはずだ。
「正直に言うよ。おれ、こいつから妊娠しているって話を聞いた時、目の前が真っ暗になったんだ。どうして良いか分からなくなった。こんな問題、きりみたいに消えちまえば良いって思った。いや、今でも本気で思ってる。どうしてこんな事になっちまったんだって」
 高校生は唇をむ。
「ここ歩いてたのだって、デートって言えば聞こえは良いけど、パニクってた俺をこの人がなだめてくれようとしたからなんだ。どうすれば良いのか、全く答えが出なかったんだ。でも、こんなのってねえだろ。これでおしまいなのかよ。俺、どうしたいんだ。別れたかったのか? だったら何ですがりついてんだ……」
 そこまで言うと、彼は少しだけだまった。
 必死に唇を動かし、かすれるような声で高校生はつぶやく。
「失いたくない……」
 ぶるぶると震えていた高校生は、やがて目元に涙すら浮かべ、ありったけの力を込めて叫んだ。
「覚悟を決めるにしても、それはこんな方法なんかじゃねえ!! 自分でもどうして良いか全然分からないけど、こんなやり方で決着なんて認めたくねえ!! なぁ、どうにかしてくれよ!! アンタは人の命を助けるエキスパートなんだろ!! だったら二人とも助けてくれよ!!」
 切実な声に対し、救急隊員はうろたえた。
 しかし、どれだけ考えた所で、やれる事は一つしかない。
 二人とも助けられない可能性と、とりあえず一人だけは確実に助けられる可能性。
 どちらを取るかと問われれば、プロだからこそ、救急隊員の選択は決まっている。
「……強壮剤を使わせてもらう。このままでは母子ともに死亡するだけだ!!」
「でも……ッ!!」
 なおも拘泥こうでいする二人の耳に、カツッというつえをつく音が聞こえた。
 一方通行アクセラレータだった。
「どけ」
「は……? ちょ、ちょっと待て! 部外者が手を出―――ッ!!」
 返事を待たず、一方通行アクセラレータは救急隊員を片手で突き飛ばし、場所を陣取った。その場にかがみ込むと、チョーカーの電極のスイッチに手を伸ばす。それから、改めて妊婦の腹にゆっくりと手を伸ばした。
 かつて彼は、とある小さな少女を救うために、上の電気信号から逆算して、脳の構造を丸ごと解析し尽くした事がある。
 その彼からすれば。
 妊婦の腹に触れる事で、その胎児の正確な情報を採取する事など造作もない。
(―――性別女体重二四四グラム栄養供給値三八二五意識稼働率か どうりつ三・八心拍数六〇刺激反応率五・五二細胞分化八八―――)
 ほんの数秒目をつぶっていた一方通行アクセラレータは、やがて電極のスイッチを元に戻した。
 彼は尻餅しりもちをついていた救急隊員に言う。
「強壮剤。エクトリンを二・五グラム。塗布型のチップをけい動脈どうみゃくり付けて、一〇秒ごとに二〇秒小休憩し、五回に分けて体内浸透させろ。それで助かる」
「待てよ!!」
 と反論したのは、救急隊員ではなく高校生の方だった。
「そんな事したら胎児の方はどうなるんだ!?」
「だからそのための計算をしたんだろうがクソッたれ!!」
 一方通行アクセラレータが叫び返すと、その気迫に押されて高校生が思わずだまり込んだ。
 構わずに第一位は言う。
「本気で死なせたくねェなら言う通りにしろ。今言った値で投与する分には、母体にも胎児にもあくえいきょうは出ねェ。オマエだって拘泥している間に両方死なせたくはねェンだろォが」
 言うだけ言うと、一方通行アクセラレータは相手の返事を待たずに、救急隊員の方を見た。
「始めるなら、決断まで五分しかねェぞ。オマエだって、できる事なら両方助けてェンだろォが。だったら、おれの方法で試してみろ。どっちにしたって同じ強壮剤を使うンだ。拒む理由があるか?」
 ぶんぶんと首を横に振った救急隊員は、やがてげのキットの中から板ガムのようなチップを取り出した。一方通行アクセラレータの言う通り、チップを首筋に短時間当てては再び引きがし、という動作を繰り返していく。
 一方通行アクセラレータが告げた、五回目の処置をほどこした時だった。
「……ぅ……」
 小さなうめき声が聞こえた。
 最初、高校生はそれがだれの声か分からなかった。
 そして。
 今まで意識を失っていた女性がうっすらと目を開けた瞬聞しゅんかん、彼は本当にその場に崩れ落ちそうになった。
「……胎児たいじ の方もえいきょうはねェな。細胞の分裂速度に異変もなさそォだ。このまま病院に運べ」
 一方通行アクセラレータは電極のスイッチをわずかな間だけ入れて、指先を使って簡単に調べると、救急隊員に告げる。
搬送はんそうするなら、規定の第三学区管内じゃなくて、第七学区の方にしろ。直線的な距離きょり なら少しかかるが、あそこの病院なら絶対にタライ回しにはしねェ。こんなデリケートな患者、普通に搬送を要請したって受け入れてくれる場所があるとも限らねェからな。一発で必ずそォしてくれる場所に回した方が、結果として最短時間になるだろ」
 それだけ言うと、一方通行アクセラレータは背を向けた。
 いつまでもここにいる訳にもいかない。こんな事態を繰り返させないためにも、逃走中の元迎電部隊スパークシグナルの連中は確実にたたつぶす必要がある。
 その時だった。
「なぁ!! 待ってくれよ、なぁってば!!」
 さっきの高校生だった。大声で呼び掛けてくる少年に、一方通行アクセラレータは振り返らず、しかし立ち去る事もなくその場で止まった。
 そんな一方通行アクセラレータの背中に、高校生は必死で話しかける。
「ありがとう。アンタがあそこで何とかしてくれなかったら、きっとおれは脱け殻になって残りの人生を過ごしていくだけだった」
「……さっさとせろ」
 つぶやくように言ったが、高校生の方には聞こえていなかったのかもしれない。
 彼は続けてこう言った。
「俺、アンタがしてくれた事は忘れない。俺の命よりも大切なものを助けてくれた事は、絶対に一生忘れない!! いつでも良い、借りは返したい。だから―――」
 高校生の言葉は、途中で断たれた。
 原因は、パァン! という鋭い音と、ほおに受けた鈍い衝撃しょうげき
 何が起きたか分からない高校生の眉間み けんに、黒くて硬い物が押し付けられていた。それは小型のけんじゅうだった。一方通行アクセラレータはズボンのベルトから抜いた銃のグリップで高校生の頬を軽くたたき、さらに銃口を眉間に突き付けていたのだ。新たなさわぎが起こりそうになるが、気に掛ける第一位ではない。
 彼は一言だけ繰り返した。
せろ」
 言われた高校生はしばらく声を出せなかった。そのまま後ろへ数歩下がる。やがて、それでも一方通行アクセラレータに頭を下げた。深く、深く。それから背を向けると、知り合いの乗せられた救急車に向かって一直線に走っていく。
 救急車が走り去った後、一方通行アクセラレータは拳銃をズボンにしまい、ゆっくりと周囲を見回した。
「……、」
 彼は何かをつぶやいた。
 それはだれの耳にも届かなかった。
 やがて、細い指が電極のスイッチへと伸びる。

 ゴガッ!! という爆音が鳴りひびいた。
 現場にいた当事者も野次馬や じ うまも、その後の一方通行アクセラレータを見る事はなかった。
 ただ。
 まるで怪物の怒りを示すかのように、アスファルトには新たな、そして巨大な亀裂き れつが走っていたという。

     7

 浜面はまづら仕上し あげの運転するファミリーカー(盗難車)は、第七学区から第三学区に進んでいた。高架道路のバイパスだ。絹旗きぬはたの仕事を手伝うため、テロリストたちを追う事になったのだが……。
「おい、何だよ。オイ!! なんか後ろからスゲェのが追ってきてんぞ!?」
 バックミラーで確認し、それから改めて首を後ろに回した浜面の表情は唖然あ ぜんとしたものだった。
 無理もない。
「HsAFH-11『六枚羽』。……無人戦闘せんとう攻撃ヘリですね」
 絹旗が渋滞に捕まった程度の軽い苛立いらだ ちの表情を浮かべてそんな事を言う。
 アパッチとか何とか、胴体の左右からミサイルとかがくっついた羽が伸びている軍用ヘリコプター……のように見えた。しかし違う。ゴチャゴチャした羽はそれぞれ三対に分かれると、ガシャッ!! という音と共に六枚の羽となり、まるで人間の腕のように各関節を動かしてウネウネと照準を合わせてくる。
 その六枚すべてが浜面はまづらの運転するファミリーカーへ首ったけだ。
 ご丁寧ていねいに速度を合わせて低空飛行するヘリコプターをミラー越しに眺めながら、浜面ののどが一気にがる。
「ふざけんなっ!! 確かにアシを確保するために車盗んだけどよ、それだけでここまでヤバいの出てくるか普通!?」
「あれが警備員アンチスキルのオモチャに見えるんですか浜面!? 超そんな訳がないでしょう!!」
「じゃあ何か。絹旗きぬはたの追ってるテロリストってのが反撃はんげきしてきたって事か? テロリストってのはこんなモンまで用意してんのかよ!?」
「いえ、『六枚羽』って学園都市の防空部隊所属の無人兵器でしょう? 犯罪者ごときの戦力として投入されるはずは超ないんじゃないですか」
「結局学園都市なのかよ!? しかも上層部からねらわれてんのか!? だったら心当たりは一つしかないじゃん! お前が『電話』の指示を無視して帰ってきたりするからーっ!!」
「……うーん。超そこまで短絡的なんですかねー?」
「何でそんなにのんびりしてんだっ! 状況分かってんのか!? 軍用のヘリがどんだけ速く飛ぶと思ってやがる!!」
「ん-? 超 HsAFH-11 だから、最大で時速三〇〇〇キロぐらいですかね?」
「マッハ二・五!? それヘリって分類で良いのかよ!?」
「ロケットエンジンは『羽』の展開時には超使用されません。風圧で自分の関節を超いためてしまう可能性がありますからね。今ならせいぜい時速三、四〇〇キロ程度のものでしょう」
「どっちにしろファミリーカーじゃ話にならねえがな!!」
 そうこうしている間にも、『六枚羽』の動きがファミリーカーに合わせ、相対的にはピタリと止まっているようにすら見える風になる。……詳しい事は分からないが、どうやら正確にロック完了したらしい。
「どうすんだっ!! ミサイルなんかち込まれたら一発でおしまいだぞ!!」
短距離たんきょり 対装甲車両用ミサイルが使われる事を祈りましょう」
 と、何やら靴紐くつひもを結ぶように身をかがめてモゾモゾ動きながら、絹旗はとんでもない事を言ってくる。
「そんなもん撃ち込まれたらそれこそ一発だろうがよ!!」
「いえいえ」
 と絹旗は上半身を起こして、
「『六枚羽』の短距離対装甲車両用ミサイルに超採用されているのは SRM21 みたいですからね。ロックには赤外線センサーが超使われているはずです」
「だから何!? 超短波レーダーだろうが赤外線だろうが紫外線だろうが、一度ねらわれたら逃げられねえよ!! ミサイルがどんな速度で飛んでくるのか分かってんのか!?」
「ほら冷静に。煙幕でも超吸って気をしずめてください」
「ガハゴホッ!? はっ、発煙筒!! そんなん車内でけてんじゃねえ!!」
「そうですか? こういう風に活用する事も超できるんですけど」
 絹旗きぬはたはケロリとした顔で言うと、助手席の窓を開けて発煙筒を外へ投げた。
 直後、『六枚羽』のアームような羽から、比較的短い長さのミサイルが放たれた。
 思わず心臓が止まるかと思った浜面はまづらだったが、ミサイルがファミリーカーの排気口に直撃ちょくげきし、爆炎と共に吹き飛ばすような事はなかった。
 原因は発煙筒。
 ダミーの熱源を放たれた事によって、短距離たんきょり ミサイルがそちらへれたのだ。
「超いわゆるフレアってヤツです」
 絹旗はサラッと言ったが、脅威きょういはそこで終わらなかった。
 バガッ!! という爆発音と共に、路上に投げた発煙筒へと逸れたミサイルが爆発した。直撃こそ免れたものの、すさまじい爆風は浜面のファミリーカーへともろにおそいかかる。車の窓ガラスが砕け散り、車体が不自然に揺れ動いた。ハンドルを取られないように、浜面はスピンしかけたファミリーカーの挙動を必死で抑えつける。
 しかも、『六枚羽』は自ら生み出した爆煙をローターの烈風でぎ払うようにしながら、なお浜面のファミリーカーを追跡し続ける。
 車の数は少ないから思い切りアクセルをめるものの、そもそもファミリーカーの速度では攻撃ヘリを振り切る事などできる訳がない。
「どうする? 発煙筒って確か一つしかねえだろうし、演算機能が対応を学習して機銃に兵装変更しちまったら、フレア的な防御はもう通じないぞ」
「浜面、次の分かれ道を超左です」
「は、え? 何言ってんの。ビュービュー風吹いて聞こえ」
「ふんぬっ!!」
 絹旗はそれ以上言わず、助手席からいきなりハンドブレーキのレバーを引き上げた。
 ガクン!! と急減速し、ドリフトのように横滑よこすベりするファミリーカー。
 いきなり斜めに動いた自動車が、分かれ道の左へスポッと突入した。
「うおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
 あわててハンドブレーキを元に戻し、ハンドルを動かす浜面。にブレーキを踏めば間違いなくスピンするので、えて減速せずにハンドルさばきだけでベクトルを流す方向で車の挙動を取り戻していく。
「どうしたいんだお前!!」
「超生き残りたいに決まっているでしょう。浜面はまづら、後はこの大通りを直進。片側三車線の超大きな道ですが、極力車線変更もしないで超ぐ進んでください」
「ひょっとして、おれ、知らない内にまたヤバい事に首突っ込んでないか?」
「超いつもの事じゃないですか。とにかく超真っ直ぐです」
大丈夫だいじょうぶなのかよ。って分かってても蛇行だ こう運転してねらいをらそうとした方が良いんじゃねえのか……?」
 ブチブチ文句を言いながらも、浜面は指示の通りにファミリーカーを走らせる。アクセルをみながら周囲を確認すると、どうもこの辺りは高層ビルが多く、ファミリーカーを追い掛けていると、『六枚羽』の方も自然と直進するようになるらしい。下手に動き回ると、ヘリコプターがビルの壁面にぶつかりそうだ。
 おまけに、時折ビルの壁面に看板があったり、高架道路をまたぐように交差する別の道路がある事から、『六枚羽』はファミリーカーを追いながら、高度を下げてくる。あっという間にファミリーカーと同じか少し高いぐらいの、地面スレスレの低空飛行になった。
「おい絹旗きぬはた、これって―――ぶふっ!?」
 助手席の方に目をやった浜面は、そこで思わず噴き出しそうになった。
 絹旗最愛さいあいは、助手席の窓から身を乗り出している。……とかいう次元ではなく、両足を除いた全身のほぼすべてを窓の外に出していた。細い足を助手席のシートにからめて体を固定しつつ、手にしていたけんじゅうを、車体の後ろへと向けている。
 しかし前に進んでいる車は、当然のように相対的な風を常に生み出している訳で、
「すごっ! すごいっ!! すごいパンツ!! 絹旗、お前もうそれはチラッてレベルじゃないパンツだけどパンツどうする!?」
 すると絹旗は車内を通って運転席のドアへ一発ブチ込む軌道で銃弾をち、
「……超ひたすら前を向いて運転に集中してください」
「イエス!! でもパンツ!!」
 変なテンションになった浜面を放っておいて、絹旗はファミリーカーの後ろへと改めて拳銃の狙いを定める。まるで応じるように、『六枚羽』も機銃の銃口を動かしてきた。
「絹旗、無理だって!! 専用の高射砲ならともかく、チャチな九ミリ程度で軍用ヘリの装甲を撃ち抜けるかよ!!」
「……私が超使っている弾頭は粉砕式弾頭ってヤツでしてね。狭い場所で超撃っても跳弾が味方を傷つけないように、紙粘土のような材質で、簡単に砕け散るように超作られているんです」
「なら、より一層装甲とは相性が悪いだろ!!」
だれが装甲を撃ち抜くなんて言いました?」
 絹旗はあきれたようにつぶやくと、

「私が超ち抜きたいのは、エンジンの吸気口エアインテークですよ」

 ババン! ガンガン!! と銃声が連続して鳴りひびいた。それらはヘリコプターのローターのすぐ下にある、穴のような所へと吸い込まれた。
 ヘリコプターも車と同様、燃料と空気を反応させてエネルギーを得るため、空気を吸い込むための穴を用意する必要がある。そこに不純物を放り込めば、エンジンを停止させる―――つまり墜落ついらくさせる事もできるだろう。
 ただし、一般的に吸気口にはそういったトラブルを防止するため、いくつかの対策も講じられている。ヘリのローターが生み出す下向きの風によってすなぼこりの侵入を防いだり、不純物が入らないように目の細かい金網かなあみかぶせてあるのが常だ。九ミリもの大きさの物体をみ込むとは思えない。
 ここで。
 ただし、ともう一回否定させてもらおう。
 絹旗きぬはた最愛さいあいの使っていた弾頭は粉砕式弾頭。紙粘土のような材質で、狭い場所での跳弾を防ぐため、標的に当たると即座に粉々に砕け散るように設計されているものだ。
 そう。
 粉々に―――それこそ、乾いた紙粘土を砕いた時と同じように、粉々に、だ。
 砂粒よりも細かい粒子となった弾頭の破片は、吸気口を守る金網の細かい目の隙間すきま 容赦ようしゃなくくぐり抜けた。そしてエンジン内部に入り込んだ不純物は、あっという間にげ付きを起こしてエンジンに不調をきたし、『六枚羽』の揚力全体を大幅に低下させる。
 ボンッ!! という爆発音と共に、ヘリのエンジンから黒煙が立ち上った。
『六枚羽』の機首が道路の流れからわずかにれた―――と思った直後、その腹がアスファルトにこすりつけられる。
 ローター用の大量の航空燃料と、ロケットエンジン用の特殊な燃焼剤、さらにミサイルや機銃の弾薬などの爆発物を満載したヘリコプタロが、盛大に爆発した。
「うっし!! 超やりました!!」
 にゅるっとへびみたいな軌道で助手席に戻ってきた絹旗だったが、浜面はまづらとしてはそれどころではない。
 先ほどの短距離たんきょり ミサイルの比にならないほど巨大な衝撃しょうげきが背後からファミリーカーにおそいかかる。あっという間にハンドルの制御が奪われ、今度こそ明確に車体がスピンを始めてしまう。
「くっそ! 絹旗! お前は『窒素装甲オフェンスアーマー』使え!! 狙撃そ げきじゅうのライフル弾を防げるほどなら、それで何とかなるはずだ!!」
「ちょ、浜面は―――ッ!!」
 絹旗きぬはたが何か抗議するような声をあげそうになったが、聞いている暇はなかった。

 完全に制御を失ったファミリーカーは、高架道路の側壁へと勢い良く激突した。

「く……っ」
 わずかに意識の断絶していた浜面はまづらは、やがてゆっくりと体を起こした。体は車の外へと飛び出していたが、大量の水を合成繊維せんい に詰めたバルーンにぶつかったおかげで難を逃れたらしい。事故の衝撃しょうげき緩和かんわするために、道路の側面に並べられているものだ。
(絹旗は……?)
 浜面は周囲に目をやり、こわれたファミリーカーの方も見たが、それらしい人影はいない。そもそも自分がどれぐらい気絶していたのかは分からないが、絹旗の方が先に目を覚ましたのだろう。浜面の事を発見できず、そのまま単独で行動再開してしまったのかもしれない。
んだりったりだな)
 体を起こし、手足を確認するが、どこかが折れているような事はなかった。
 案内板を見る限り、どうやらヘリに追われて車を走らせている内に、第三学区まで入っていたようだ。
 絹旗を探して協力を続けるか、ここで一旦いったん滝壺たきつぼの方と合流するべきか。今後の方針について考え始めた浜面はまづらだったが、それらはすべとなった。

 原因は携帯電話の着信音だ。
 非通知の怪しげなものだったが、このタイミングでかかってきた事に薄寒うすさむい感覚を得た浜面は、ほとんど直感で電話に出た。
『あらお久しぶり。「心理定規メジャーハート」って言えば、顔ぐらいは思い出してもらえるかしら』
「……何でおれの番号を知っているんだ……?」
『いちいち説明して欲しい? でも面倒だからやめておくわ。それより質問があるんだけど、そっちに絹旗きぬはた最愛さいあいはいない? 本人に連絡入れても全く通じないので困っているわ』
「……、」
 浜面仕上し あげは、撃墜げきついされた『六枚羽』の方を見た。
「やっぱ、あれはお前たちの差し金なのか」
『?』
 言葉ではなく、妙な息をむ音だけが聞こえてきた。
 何かキョトンとしているような印象だった。
『言っている意味は分からないけど、ともあれ、絹旗と連絡がつくようなら伝えておいて。あなたが一人でやるって言うから放置しておいたけど、例の元迎電部隊スパークシグナルのテロリスト達が第三学区の個室サロンを占拠しちゃったって。もうギブアップして私達に任せてもらえるとうれしいんだけど』
「第三学区の……個室サロン……だって?」
 浜面仕上はうめくようにつぶやいた。
 それは。
 たった今退院したばかりの、滝壺たきつぼ理后り こうを待たせてある施設ではなかったか?

     8

 浜面仕上は、夜の第三学区を走っていた。
 うそに違いないと、何度も祈るように考えながら。
 しかし、状況はシビアだった。
 滝壺を待たせてあるはずの高層ビルの周囲は警備員アンチスキルの手によって立入禁止とされ、その中に入る事もできなかった。事件現場を示す黄色いテープが、危険信号となって浜面の心にたたきつけられる。
 パァン!! という乾いた音が炸裂さくれつした。
 高層ビルの上層階の方から、銃声らしき音が聞こえた時……浜面仕上は一度だけ深く息を吸って、それから覚悟を決めた。
 テロリストたちはこの個室サロンのビルを占拠している。
 滝壺たきつぼ理后り こうもおそらく脱出できていない。
 だとすれば、自分がやるべき事は一つのはずだ。
「クソッたれ……」
 こういう事件にはあまりかかわりたくなかった浜面はまづらは、心の底からそうつぶやいた。
 やがて、彼は大きな声で同じ言葉を繰り返す。
「クソッたれ! クソッたれ!! クソッたれ!! !! !! 何で、何で、よりにもよって! ビルなんてほかにも色々あるだろ! ちくしょう、何でピンポイントでそこをねらうんだ!?」
 叫ぶだけ叫ぶと、個室サロンのビルから一度背を向ける浜面。彼は周囲を見回し、そして不自然な清掃車を見つけた。迷わず近づくと、助手席のドアを強引に開けて中に乗り込む。
 おどろいたのは運転手だった。
「うわあああっ!? なに、何だよ強盗かテメェ!!」
「面倒な事は省こうぜ。テメェもおれと同じ『裏稼業うらかぎょう』のしただろ」
 浜面はズボンのポケットに片手を突っ込んだまま、低い声で質問する。思わず顔が引きつる作業服の清掃員に、さらに続けて浜面はこう言った。
「大ボス様のサポートのために、一足先に下準備をしていますってツラしてりゃ分かるんだよ。……持ってる補給用の銃器出せ。何なら殺して奪っても良いんだぞ」
 冷静に考えれば、武器を持っている人間が武器を要求する訳はないのだが、清掃員はそこまで気づけなかった。安物のカバンを取り出し、中にあった小型のけんじゅうと数本のマガジンを浜面に手渡す。
「あ、アンタ。 一体どこの部署なんだ? 武器が欲しいんだったら、ちゃんとした手順をんでくれれば―――」
 見当違いな事を言われて、しかし浜面はわずかに顔をらした。
 自分は何をやっている。
 浜面仕上し あげは単なるだ。絹旗きぬはた最愛さいあいみたいに、特殊な力を存分に振るって向かってくる敵をぎ倒せたりはしない。をすれば不良同士のケンカですら死にかねないほどの弱者にすぎない。
「俺はどこでもねえ。もう引退してる」
 少し考え、彼はそう呟いた。
 弱者であるがゆえに、浜面は知っている。この世界は甘くはない。駒場こまば 利徳り とくのような不良集団のリーダーだって、あっさりと死んだ。考えたくないが、おそらく滝壺理后も同じなのだ。だからこそ、浜面は武器を手に取る。だろうが何だろうが、関係はない。
「……それでも、知り合いがあのビルで捕まっているみたいなんだよ。行かなきゃならねえだろ、そんなの」
 言うだけ言うと、浜面はまづらは清掃車の助手席から降りた。
 銃器は手に入ったが、このまま個室サロンへ飛び込む事はできない。どう考えても周辺を包囲している警備員アンチスキルに捕まってしまう。
(……全方位死角なし。犯人に逃げられるようなルートを残すほど、警備員アンチスキルだって鹿じゃねえ。それはつまり、こっちから侵入できるルートもないって事なんだが)
 浜面はそこまで考えると、星空を見上げた。
(……地上がなら、空中から行くしかねえか)
 そう。
 浜面仕上し あげは、つい先ほどヘリコプターにおそわれたばかりである。
 彼はあちこちを見回すと、個室サロンではなく、そのすぐ近くにある高層ホテルへと入っていく。エレベーターを使って屋上まで移動すると、そこは予想通りヘリポートだった。おそらく夜景を楽しむための客でも待っているのだろう。卵のように丸まった胴体の小さなヘリコプターもまっている。
 浜面はぐヘリコプターに向かい、ドアを開けた。
 計器のチェックを行っていた女性パイロットにけんじゅうを突きつけて、浜面は言う。
「悪いが今すぐ出してもらう。通りを三つ行った所にある個室サロンまでだ」
 銃口を頭に向けられた女性パイロットは、数秒だけだまっていた。
 やがて、彼女はヘッドセットも外さないで、こう言った。
「……生憎あいにくと、これでも元は学園都市の防空をつかさどる部署に所属していてな」
 ボソボソとした言葉にまゆをひそめた浜面は、そこで気づいた。
 いつの間にか、女性パイロットの手にはカッターナイフが握られている。
「パイロットは武器の扱いにはけていないとでも思ったか。敵地で墜落ついらくした時には単独行動をいられる以上、潤沢じゅんたくな火器を持ち大人数で行動する事が前提の陸軍どもよりもよほど過酷か こくだぞ?」
(……ちょっと待て。いつつかんだこいつ?)
 確かに、コックピットに乗り込んだ時、女性パイロットは両手の細い指をフルに使って計器のチェックを行っていた。どこかに隠していた刃物を、いつの間にか手に取った。それは分かるのだが、具体的な現象が全く理解できない。
 目をはなしたらヤバい。
 拳銃を持っているにもかかわらず、浜面の背筋の方が寒くなる番だった。
 その時だった。
 浜面仕上のポケットに入っている携帯電話が、唐突に着信音を鳴らした。こんな時に、と浜面は顔をしかめる。対照的に、女性パイロットの方はに収まったまま、うすら笑いを浮かべて挑発するように言う。
「……出なくて良いのか? 離陸り りく前なら通話制限もないぞ」
「―――、」
 浜面はまづらは首を動かさず、けんじゅうを持たない方の手だけを使って、ゆっくりとポケットへ手を伸ばしていった。慎重に、たっぷり三〇秒も使って。取り出した電話の画面へ視線を移す瞬間しゅんかんが一番恐ろしかったが……そこに表示された名前を見た途端と たん、浜面ははじかれたように通話ボタンを押して耳に当てた。
『……はま、づら……』
滝壺たきつぼ、無事か!? 今どこにいる!?」
『……待ち合わせ、場所。個室サロンの……』
 なつかしい声が聞けた事で安堵あんど しそうになった浜面だが、直後に温かい感覚が疑問によって失われた。ちょっと待て。滝壺の声はどうしてこんなにかすれているんだ?
「話は聞いた。個室サロンの方にテロリストたちが飛び込んで行ったって。お前の方は大丈夫だいじょうぶなのか。流れ弾とか当たっていないだろうな!?」
『だい、じょうぶ……』
 その声が終わるか終わらないかといった時に、パァン!! という電話越しの銃声がさえぎった。バタバタというあわただしい足音らしきものも聞こえてくる。
「滝壺!!」
『本当に、大丈夫だから……。今は、物陰に隠れてる。向こうは、まだ気づいていないはず』
 ゴン、という小さな音が電話の向こうから聞こえてくる。
 壁に体を預けるような物音だった。
「待てよ。だったら何でお前、そんなにぐったりしてるんだよ!?」
『ちょっと、気分が悪くなっただけだから。はまづらが、心配するような事じゃない』
 くそっ!! と思わず浜面はき捨てた。
 滝壺理后り こうは退院直後なのだ。普通の生活を送るならともかく、激しい運動や極度のきんちょうは彼女の体を苦しめてもおかしくはない。その上、元々彼女の体調を崩していたものの正体は『たいしょう』などという訳の分からない代物しろものだ。どれだけのダメージが蓄積されているのか、全く想像もつかない。
『はま、づら……』
「分かった。大丈夫だ。おれの方から言うぞ、大丈夫だからな。今すぐそっちに行く。必ずお前を助けに行く。だから、もう少しだけ我慢が まんしてくれ。できるか?」
、違うの』
 必死に口を動かす浜面だったが、滝壺からのリアクションは正反対のものだった。
『はまづらは、来ないで。こんな所に来ないで。テロリストの数は一〇人。全員がサブマシンガンとグレネードで武装しているみたい。はまづら、拳銃ならともかく、小銃の方は扱い方を知らないでしょう? に飛び込んで、火力を集中されたら、はまづらじゃ対処できない。だから、来ないで』
「……ふざけんなよ……」
 ぶるぶるとふるえながら、浜面はまづらは思わずつぶやいていた。
 今までの震えとは違った。それは恐怖ではなく怒りだった。
「行くよ。行くに決まってんだろ!! そんな所にお前を置いていけるか! どんな方法を使ったって、必ずお前を助け出してみせる。だから待ってろ。あきらめるな!! 分不相応だろうが何だろうが、絶対に行くから!!」
 滝壺たきつぼからの返事はなかった。
 個室サロン内の携帯電話中継アンテナが直接破壊は かいされたのか、唐突に通話が途切れたのだ。浜面はしばらくつながらない携帯電話を眺め、そこで震えが最大に達した。のどの奥から爆発したように叫び声を発する。
 コックピットに座っていた女性パイロットは、そんな浜面を見て、ほんのわずかにまゆを動かした。
たのむよ……」
 いつでも攻撃こうげき可能なカッターナイフを手の中でもてあそぶ女性パイロットに、浜面は震える手でけんじゅうを突きつけながらも、涙と鼻水でグシャグシャになった顔で話しかける。
「どんな罪に問われても良い。地獄の底まで落とされたって文句は言わねえ。だから、あいつを助け出すために、今だけは協力してくれよ……」
 絞り出すような言葉だけが、ヘリコプターの中にひびき渡った。
 数秒。
 沈黙ちんもくだけが続き、やがて女性パイロットは大きく息をいた。ほとんど聞こえないような声で、彼女は言う。
「……それを先に言え」
「?」
 聞こえなかった浜面は首をかしげそうになったが、そこで轟音ごうおんが彼の耳に突き刺さった。ヘリのローターが急速に回転数を上げているのだ。大きな音のする方―――頭上へ目をやった浜面は、ぐんっと足元の感覚が消えるのが分かった。機体が浮かんだのだ。
 女性パイロットはカッターナイフを適当に放り捨てると、飲み残しの缶コーヒーをつかむ。テンキーのような物を操作して数字を打ち込み、操縦桿そうじゅうかんのすぐ近くにある小さな扉のような物をガパッと開けると、その中にコーヒーを流し込んでいった。
(……フライトレコーダー……?)
 墜落ついらく時の原因を探るため、機内でのやり取りを録音するための機材だ。耐火・耐水・耐衝撃しょうげきなど各種装甲の内側にコーヒーを浴びせた事で、ここであった会話……つまり浜面や滝壼の素性すじょうを推測できるであろう記録はすべて失われた事になる。
 女性パイロットはヘリコプターの高度を上げながら、浜面はまづらの方は見ないでヘッドセットのマイクに話しかける。
「H3389 便でハイジャック発生。操り返す、H3389 便でハイジャック発生!! 犯人はけんじゅうと液体の入った小型のドラム缶を所持。おそらく容積は八から一〇リットル! その言動が正しければ、ドラム缶の中身は液化爆薬で、指示に従わなければ着火装置と共に中身を空中からばらくと脅迫きょうはくされている。当機は地域住民の人命を優先し、ひとまず犯人の指示に従う!!」
 ヘッドセットの耳当ての方から、空港の管制官らしき男のあわてた声が返ってくる。対して、今度はパイロットが暗号めいた会話を行う。
「ティーエー、テイーエー。コードブラック。方位二〇二、高度八〇で航行、許可を! ビーアイエル、時間単位三五から四〇。ラージ。このまま行くぞ、分かったか!?」
 最初、航空無線特有の単語かと思っていた浜面だったが、改めて思い返してみれば、何の意味もない事に気づく。これは『犯人の特徴』を羅列ら れつしているのだ。おそらく『としは三五から四〇、身長二〇二センチ、体重八〇キロ前後、肌の色はブラック……そんな事を伝えたいのだろう。
 当然ながら、浜面の特徴などとは全く一致していない。
 おどろく浜面に、女性パイロットは通信を完全に切ってから、改めて彼に言葉を放った。
「……子供のわがままで飛ばせるほど簡単じゃなくてな。悪いが派手にやらせてもらったぞ」
「アンタ……」
 浜面は何を言って良いのか分からなかったが、そうしている間にもヘリコプターは進む。個室サロンのビルは、飛び立った高層ホテルから、わずか通りを三つ越した所。あっという問に辿たどり着く。
 先ほどのホテルに負けず劣らず、豪奢ごうしゃな作りの建物だった。
 ライトアップされたヘリポートには、数人の影があった。救助を求める客たちではない。彼らの手にはサブマシンガンがある。
 心臓をつかまれたようにきんちょうする浜面だったが、彼らは上空を飛ぶヘリコプターを見ても銃撃じゅうげきを仕掛けてこない。
 浜面は首をかしげた。
「どうなってるんだ?」
「……どこと連絡を取り合っているかは知らないが、『要求』の一つに脱出手段も含まれているんじゃないか。私達のヘリコプターは、要求が通ったものだと勘違いしているのかもしれない」
 女性パイロットは個室サロンのビルの周辺を旋回させながら、
「……とはいえ、向こうから警戒されている事に変わりはない。流石さ す がにヘリポトに着陸させる事はできないぞ。この機が本当にテロリストに占拠される事はけたいからな」
「分かってる。そこまで面倒掛ける気はねえよ」
 浜面はまづらは眼下に広がるヘリポートをにらみつけ、それから一点を指差した。
「あれは何だ?」
「……イミテーションのツリーだろう。気の早い話だがな。ヨットの帆みたいに張った白い布を何重にも重ねてツリーの形を作って、色とりどりのライトで飾り付ける訳だ。本物の木を用意すると、風で折れた枝などが散乱してヘリの離着陸りちゃくりくあくえいきょうを及ぼすかもしれないからな」
「そうか」
 浜面は少しだけ考えた。
 そして、躊躇ちゅうちょなくヘリコプターのドアを開ける。
「それは良い事を聞いた」
「ッ!?」
 さしもの女性パイロットも流石さ す がに息をんだ。
 浜面仕上し あげは、そのまま夜空に向かって飛び出したのだ。
 ヘリポートまでの高さは、およそ二〇メートル前後。重力落下していく浜面の体は、布を束ねて作ったツリーへと勢い良く突っ込んだ。ヨットの帆のような飾りをバキバキと破壊は かいし、しかし致命傷はけられる程度に衝撃しょうげきを吸収した浜面は、ヘリポートの床へと足をつける。
 サブマシンガンとグレネードで武装していた三人のテロリストたちは最初、キョトンとしていた。自分達の要求に従ってやってきたと思い込んでいたヘリコプターの中から、変な男が降ってきたのだから。
 そして浜面は彼らが冷静さを取り戻すのを待たなかった。
 容赦ようしゃなくけんじゅうを突きつけ、立て続けに引き金を引く。
 バンバンタァン!! と乾いた銃声が炸裂さくれつし、テロリスト達は本来の力を発揮できないままぎ倒されていった。
 浜面は空中を旋回するヘリコプターに一度だけ手を振って、この空域からはなれるように指示を出すと、視線をビル内部へつながるドアへと向け直す。
 彼のくちびるが、わずかに動く。
「……来たぜ相棒。地獄の底まで」
 おそらくは、浜面仕上し あげ自身気づいていないだろう。
 確かに、この男はくだらない三流のチンピラだ。実はとんでもない力や才能が秘められているのです、なんて都合の良いどんでん返しはない。本当にうわつらを見た通りの、ちっぽけなでしかない。
 ただし。
 その命をけて、とある少女を守ろうとする時だけ、彼は正真正銘の主人公となる。

     9

 個室サロンを占拠していた元迎電部隊スパークシグナルのテロリストたちは、思わず顔を上げていた。
 銃声が聞こえた。
 それも、彼らが準備してきた銃弾とは違う音域の銃声だった。おそらく口径は同じだが、使っている弾薬の種類が違う。
「屋上には要求通りヘリが来るかどうか、様子を見に行っている班がいたはずだが」
「ステファニーとはいつ合流する。あいつの出方次第では―――」
「あるいは、空間移動テレポート系の能力者について考慮こうりょするべきか?」
 しかし、だからと言ってすぐさま全員で音源に向かうほど、彼らは単純ではない。建物内の人間はほぼ完璧かんぺきに制圧したが、彼らの動きを的確に封じるために最低限必要な人数というものがある。
 おまけに、銃声そのものがわなで、その音源を追った所で爆弾など仕掛けられていたら一網打尽いちもうだ じんにされてしまうリスクもある。
 七人の元迎電部隊スパークシグナルは即座にそれらの事を考え、班を三つに分けようとした。
 迅速じんそくな対応だったと判断できるだろう。
 しかし。

災厄さいやく』とは、そんな規格を無視して唐突におそいかかってくるものだ。

 その『災厄』は、窓の外からやってきた。
 ドバッ!! と。
 まるで、戦艦せんかんの主砲でもち込まれたかのような爆音が鳴り響き、一面に夜景をとらえるウィンドウがまとめて砕け散った。しかし飛び込んできたのは、火力のかたまりなどではない。
 人影だった。
 白い髪の、赤いひとみの、引き裂かれたような笑みの。
 学園都市最強の一方通行アクセラレータだった。
(……にっ、二八階だぞ……ッ!?)
 これだけの異常現象を前に、まだそんなありふれた事を考えてしまった元迎電部隊スパークシグナル。そしてその小さなラグでさえ、一方通行アクセラレータの前では致命的となった。
 が取った行動は簡単なものだった。
 一番近くにいた元迎電部隊スパークシグナルの一人を片手でつかみ、それを別の元迎電部隊スパークシグナルに向かって放り投げる。まるでかんしゃくを起こした子供のような動きだったが、そこに『あらゆるベクトルを集中制御する』という能力が加わると、砲弾レベルの破壊力はかいりょくを生み出す事になる。
 ゴバッ!! という爆音が炸裂さくれつした。
 三人もの元迎電部隊スパークシグナルが巻き込まれ、すべもなく吹き飛ばされた。
 肉と骨の砕ける音を聞きもせず、一方通行アクセラレータはその赤いひとみを次の標的へと向ける。
 ようやく遮蔽物しゃへいぶつの陰に飛び込み、サブマシンガンを構え始める元迎電部隊スパークシグナルのテロリストたち
 しかし。
 予想外の所から、銃声が次々と鳴りひびいた。
「……ッ」
 バンバンドガン!! と、フロアの出口の方から炸裂する銃声。一方通行アクセラレータに気を取られていたテロリスト達は、その連射に対応する事ができず、床に血をき散らして倒れていく。どのターゲットも、頭と腹の真ん中へ一発ずつ正確に弾丸をち込まれていた。間違いなく即死である。断末魔だんまつま の絶叫を上げた者は一人もいない、というほどだった。
 一方通行アクセラレータは銃声のした方を振り返る。
 そこには、見覚えのないスーツの男が立っていた。としは三〇ぐらいか。手にしたけんじゅうから硝煙しょうえんが立ち上っている事からも、彼が元迎電部隊スパークシグナルの連中を射殺したのは確実だろう。
だれだ!?」
「誰でも良いだろう」
 スーツの男は言いながら、さらに拳銃をよそに向けた。一方通行アクセラレータがベクトル能力を使って薙ぎ倒したはずのテロリスト達の頭と腹へ、念入りに銃弾をたたき込んでいく。拳銃のサイズと比例するように、銃声は大きかった。おそらく標準的な九ミリではない。もっと大口径の弾丸を使っている。
 マガジンを交換しながら、スーツの男は一方通行アクセラレータに言う。
「本気で街を守りたいのなら、これぐらい丁寧ていねいにやれ」
「誰だっつってンだろォがよ。ここで死ぬか?」
杉谷すぎたにだよ」
 スーツの男は表情を変えずに、適当な調子でつぶやいた。
 彼は死体を一つ一つばし、反応がない事を確認しながら、
「二度と出会わない事を祈っている。そのための努力はお前がしろ」
 それだけ告げると、スーツの男は拳銃をしまってフロアの出口の方へと向かって行った。消える背中をにらみつけていた一方通行アクセラレータの方も、やがて電極のスイッチを通常モードに戻す。経緯はどうあれ、ひとまず個室サロンの危機は去った。
 一方通行アクセラレータは携帯電話を取り出した。
 あれだけのヘマをした連中に協力を求めるのは忌々いまいましいが、一人で雑用を行うのも面倒だ。
「……おい土御門つちみ かど。オマエ達が取り逃がした連中は個室サロンのビルで一掃した。さっさと上がってにんやトラップの有無を確かめろ。これぐれェの事もできねェってンなら、その時は今度こそ眉間み けんに鉛弾をブチ込ンでやる」
 携帯電話をしまい、フロアを歩く。
 扉を開けて、パーティ用の大広間のような場所をのぞくと、そこに人質らしき民間人が集められていた。ザッと見て三〇〇人以上いる。方々からうす悪いすすり泣くような声がれているが、死人がいるような雰囲気ふんい き ではなかった。
 その時、別方向からゴトッという音が聞こえた。
 大広間に入ろうとしていた一方通行アクセラレータは、そこで足を止める。現代的なデザインのつえをついて廊下を歩くと、柱の陰から何かが転がり出てきた。
 ピンク色のジャージを着た、高校生ぐらいの少女だ。
 全身の力が抜けていて、体からいやな汗が出ている。一方通行アクセラレータはその時、かつてウィルスに人格を冒された打ち止めラストオーダーという少女の状態を連想してしまった。
 ジャージの少女は意識が朦朧もうろうとしているらしく、うっすらとまぶたを開閉させているものの、近づいてくる一方通行アクセラレータを見ても起き上がろうとはしない。
 身をかがめて様子を確認した一方通行アクセラレータは、わずかにまゆを動かす。
(……目立った出血はねェな。たれたって訳じゃねェらしい。急病人か何かか?)
 まさかまた妊婦じゃねェだろォな、などと考えていた一方通行アクセラレータだったが、とりあえずこいつだけはさっさと病院に運んだ方が良いだろうと判断し、携帯電話を取り出す。
 その時だった。
「……何してんだテメェ」
 低い男の声が聞こえた。
 とっさにそちらを見た一方通行アクセラレータは、通路の奥から歩いてくる一人の男を見つけた。
 彼は。
 浜面はまづら仕上し あげは、ぐったりとして動かないジャージの少女と一方通行アクセラレータにらみ、絞り出すような声で言う。
滝壺たきつぼに何してんだって聞いてんだ」

     10

 浜面は冷静さを失っていた。
 屋上から個室サロンのビル内へせんにゅうした彼だったが、まさか鹿正直にエレベーターを使う訳にもいかない。非常階段を通って下へ下へと移動していく訳だが、この階段にしてもほぼ一直線。敵対するテロリストと遭遇そうぐうすれば不利な銃撃戦じゅうげきせんけられない。
 そんな極度のきんちょういられ続けていた浜面は、ある階層まで降りた所でたくさんの銃声を聞いた。はじかれるように二八階までやってきた彼は、そこで目撃もくげきしてしまったのだ。
 学園都市最強の一方通行アクセラレータが、意識を失った滝壺たきつぼ理后り こうのすぐそばかがみ込んで、何かをしようとしている事を。
 本当に客観的に、第三者視点でこの状況を観察していれば、一方通行アクセラレータは手当てのようなものを行おうとしていたのかもしれない……と判断できた可能性もある。
 しかし浜面はまづらにはそれができなかった。
 理由は簡単だ。
 浜面仕上し あげは、かつてスキルアウトという不良集団に所属していた。そのころは、駒場こまば 利徳り とくというリーダーがその組織を収めていた。だが、スキルアウトは学園都市にとって不利益を生む集団だと、上層部に判断されてしまった。
 その結果、派遣されたのが一方通行アクセラレータ
 そして、リーダーの駒場利徳は射殺され、スキルアウトは一時的に壊滅かいめつ寸前まで追い込まれた。
「……これもアンタの差し金か」
 そんな人間が、『上層部の犬』が、再び浜面の前に現れ、あろう事か滝壼理后に接触して何事かを実行しようとしているのだ。
「このテロリストを指揮していて一人だけ生き残ったのか。それとも仲間割れでもしてテメェが皆殺しにしたのか。どっちにしろ、やみの奥で汚ねえ事をコソコソやりやがって」
 つい先ほど学園都市の『六枚羽』に襲撃しゅうげきされた直後という事実を照らし合わせれば、浜面がどんな結論を導き出してしまうかはすぐに分かるだろう。
「スキルアウト壊滅の時は、俺達おれたちにも非があった。駒場のリーダーだって、覚悟を決めてテメェと最後の戦いに挑んでいた。だからそれについてはもう言わねえ。本当は言いたくて言いたくて仕方がねえが、駒場のリーダーのためにだまっておいてやる」
 おそらくその言葉は、第三者が聞いても理解できないものだろう。
 浜面としても、理解してほしくて発している訳ではない。
 口が、勝手に動いているだけなのだ。
「……ただ、テメェがもう一回、俺から大切なものを奪おうって言うなら。今度は覚悟も何も決まってねえ、そもそもこれから普通の一般人として暮らしていくつもりだった滝壺の命まで奪っていくって言うなら」
 ぶるぶる、と。
 だのだのといった小さな分類など一切気に留めず、浜面仕上は身動きの取れない少女を守るために、手にしていたけんじゅう一方通行アクセラレータへと突きつける。
「ここでハラァくくってもらうぜ!! 最強ォおおおおおおおおおおおお!!」
 対して。
 一方通行アクセラレータは、大まかな事情を知った。
 誤解をされていると理解しながら、彼はそれを否定しようとしなかった。
「……イイなァ、オマエ」
 ゆらりとした動きで立ち上がった一方通行アクセラレータは、チョーカー型の電極のスイッチへ手を伸ばしながら、引き裂くように笑って浜面はまづら仕上し あげと向き合う。
 そして一方通行アクセラレータは、極悪ごくあくな笑顔と共にこう言った。

「イイ悪党だ」

 一見して意味不明な台詞せ り ふだが、彼がこういう評価を下すのは極めてめずらしい。
 それでいて、その事実に浜面が気づくより早く、一方通行アクセラレータは脚力のベクトルを操作し、一気に浜面のふところへと飛び込んだ。
 ドッ!! という轟音ごうおんが遅れて炸裂さくれつする。
 超低空で弧を描いて飛びかかる一方通行アクセラレータに、浜面仕上はけんじゅうを構えたまま後ろへ飛び下がろうとする。
(……っつったって、同じ人間である事に変わりはねえ!! 銃弾一発で殺す事はできるはずだ。言ってみれば、ヤツらはトリックを使って銃弾が当たらないようにしているようなもの。『その一発の銃弾が、確実に当たる環境』にまでおとしめる所から始めれば!!)
 それは、実際に第四位の、『原子崩しメルトダウナー』の麦野むぎの 沈利しずり を射殺した浜面だからこそ、はじき出せた答えだろう。
 いいや。
 浜面は、そういう思考方法を確立したを、もう一人だけ知っている。かつてのリーダー、駒場こまば 利徳り とく一方通行アクセラレータの動きを観察し、その特徴を調べ上げる事で、『電波障害を起こす事でその能力を一時的に封じる事ができる』という答えを、自力で導いていた。
 ならば。
(……あのチョーカーを誤作動させる。でもどうやって!? 駒場のリーダーはチャフを使って電波障害を起こしていたけど……ッ!!)
 方針は分かったが、具体的な方法にまでは結びつかない。
 そうこうしている間にも、一方通行アクセラレータは胴を大きく回し、その握りこぶしを振り回す。
 触れただけで、人間を殺すとまでウワサされているその腕を。
「―――ッ!! !? ??」
 とっさに体を横に振ってけようとする浜面。
 実際、腕は接触しなかった。
 だが、得体え たいの知れない爆風が発生し、浜面の体はその余波だけで大きく吹き飛ばされた。二メートル以上ノーバウンドで空中を進み、廊下の壁に勢い良くたたきつけられる。けんじゅうの引き金にかかる指に不自然な力が加わり、てんじょうへ無意味に発砲してしまう。
 一方通行アクセラレータの首が、さらにこちらへ向く。
 このままでは殺される。
 そんな事を思った浜面はまづらは、そこで廊下を進む警備ロボットがこちらへ近づいてくるのを見た。テロリストたちが一ヶ所の部屋に封じていたものが、ようやく解放されて普段ふ だん通りのルートを通り始めたのだろう。
 浜面は近づいてきた警備ロボットにありったけの鉛弾をブチ込んだ。
 それなりの耐久性を持つ装甲が砕け散り、内部の部品がメチャクチャに破壊は かいされる。浜面はそこへ手を突っ込んだ。感電特有の不気味にしびれるような感覚が指先から肩へ、胸へとおそいかかったが、無視して中にあった物を強引に引き抜いた。
 ロボットの移動に使う、巨大なモーターのパーツ。
 ブチブチとコードを引きった浜面は、モーターに使われている大きな永久磁石を一方通行アクセラレータに向けて投げつけた。
 警備ロボットや清掃ロボットは盗難防止のため、意図的に重量を重たくするように設計されている。その機械を上り坂でもスムーズに動かせるように、モーターも相当出力の大きい物が使われていた。
 そう、部品の永久磁力を電子機器に押し付ければ誤作動を誘発ゆうはつさせるほどに。
(……いけるか!!)
 今拳銃に残っている弾丸は二発。マガジンを交換する暇はない。だが一方通行アクセラレータが『銃弾を浴びて死ぬ程度』に弱体化してくれれば、ここで勝負は決まる。
 しかし。
 そもそも一方通行アクセラレータの表情にはあせりがない。
 巨大な永久磁石が届く前に不自然な烈風が炸裂さくれつし、投擲物とうてきぶつはあらぬ方向へと飛ばされてしまう。
「まず……ッ!?」
 回避かいひ しようにも、壁に叩きつけられたダメージから両脚の方が回復しきっていない。反応の遅れた浜面の襟首えりくびを、一方通行アクセラレータ容赦ようしゃなくつかみ取る。
 死と鮮血を炸裂させるその腕で。
 勝敗は決した。
 一方通行アクセラレータは、ぐいっと浜面の襟首を掴んで手前に引き寄せると、無造作な動きで横合いへ放り捨てた。たったそれだけの仕草のはずなのに、浜面の体が砲弾のように投げ飛ばされた。硬い床の上を何度も転がり、ようやく動きを止める浜面。骨と骨の隙間すきま まで、内臓の奥の奥まで鈍いダメージが浸透し、もはや起き上がる事もできなかった。いた息に血が混じらない事がこんなに不自然だと思った事はなかった。
「が……は……ッ!!」
 激痛に歯を食いしばり、それでも指先で床をつかみ取ろうとする浜面はまづら
 そんな浜面を見て、一方通行アクセラレータは電極のスイッチを切り替え、伸縮式のつえを伸ばしながらも、油断なくけんじゅうねらいを定める。
 一発で、浜面を即死にできるように。
「仕舞いだ。寝てる分なら放ってやるが、起きるよォならここでブチ抜く。とはいえ、こいつはオマエの人生だ。好きな方を選べ」
「……決まっ、ゴボッ……てん、だろうが……」
 倒れたまま、それでも一方通行アクセラレータにらみ続ける浜面。
「……テメェの、方こそ……下がる理由なんか、ねえ……じゃねえかよ……」
「そりゃあな。何も言わずに鉛弾をブチ込ンでやっても構わねェ。ここでオマエをブチ殺しておいた方が、後腐れはねェしな。わざわざ報復のリスクを背負ってまでオマエを見逃す義理もねェし、サクッとやっておいた方が簡単ではある」
 ただな、と面倒めんどうくさそうに一方通行アクセラレータは付け加え、

「病人のガキの方が、オマエを守るために立ち上がろォとしてンのは反則じゃねェのか?」

 その言葉に、浜面はまづらは初めて一方通行アクセラレータから目をらした。
 おどろきと共に倒れたまま首を動かすと、意識が朦朧もうろうとし、全身からいやな汗を流している滝壺たきつぼ理后り こうが、必死に壁へ手をついて、こちらへ近づいてくる所だった。
 守るために。
 助けるために。
 おそらくは浜面よりもボロボロになっているであろう体を、精一杯動かして。
「どォする。そのガキをたてに利用して、二対一で続行するってンなら、リクエストにこたえてオマエを血みどろにしてやる。ただ、戦う上でそのガキが邪魔じゃま になるってンなら、ここは仕切り直しだ。忌々いまいましいが一度だけ下がってやるよ。それが悪党の美学ってモンだ」
 質問され、浜面は床に落ちたけんじゅうへ伸ばそうとした腕から、ようやく力を抜いた。
 そして、、と、ようやく思う。
 滝壺に危害を加えようとしていたはずの一方通行アクセラレータが、何故滝壺が戦闘せんとうに参加する事をする。そのつもりなら、むしろまとめて殺してしまった方が簡単なはずなのに。
(……まさか)
 ぼんやりと、思う。
(……まさか、おれは……何か、勘違いを……?)
 しかし、首を一方通行アクセラレータの方へ向ける前に、タンッという軽い音が聞こえた。
 どういう風に脚力のベクトルを操作したのか、つい先ほどまで目の前に迫っていたはずの学園都市第一位は、気がつけばどこにもいなかった。ほんのかすかに、フロアの奥の方から、タンッ、タンッ、と小刻みに似たような音がひびくだけだった。
「はまづら……」
 しばし呆然ぼうぜんとしていた浜面は、そこで自分の名を呼ぶ少女の声を聞いた。
 滝壺理后。
 一番守りたかったその少女は、体を引きずるようにこちらへ近づいてくる。体の至る所を痛めつけられ、身動きの取れない浜面の体を抱き起こしてくれる。
「はまづらっ!!」
「情けねえな、俺……」
 手足から力が抜けたまま、浜面は思わずつぶやいていた。
「さんざんお前を助けるとか言っておいて、結局できた事って、これだけかよ。ははっ、情けねえ。よりにもよって、お前の命の恩人だったかもしれないヤツに、きばいちまうだなんてよ。情けねえにもほどがあるよな……」
「そんな事ない」
 滝壺は、自分も相当苦しいだろうに、必死で首を横に振った。
 ふるえるくちびるで、彼女は浜面はまづらの意見を否定した。
「はまづらは、たった一人でここまで来てくれた。警備員アンチスキルでさえも攻めあぐねるようなビルの中に、はまづらは飛び込んで来てくれた。だから、情けなくなんかない」
「そうかよ……」
 浜面はかすかに笑ったが、心の中ではこうつぶやいた。
(……だったら)
 奥歯をめるのを、間近にいる少女に気づかれないようにしながら。

(……だったら、何でお前が泣いているんだよ)

 別に学園都市最強のが目の前に現れたから、浜面はボコボコにされた訳ではない。仮にあの怪物が現れず、本来通りにテロリストたちと戦う事になったとして、浜面は果たして本当に滝壺たきつぼ理后り こうを助ける事ができたのか。いいや、もっとグレードを落として、仮に敵が不良グループ程度の集団だったとしても、確実にそれを成功できたのか。
 断言などできない。
 むしろ可能性は低い。彼は特別な訓練を積んだプロではないし、天才的な戦闘せんとうのセンスもないし、で強大な能力を扱える訳でもない。いざ大規模なケンカになれば、集団と集団の争いの中で、気がついたら路上の片隅に倒れているような、そんな三下さんしたに過ぎないのだから。
 たとえ命をけても、すべてをなげうって立ち向かっても、そんな簡単な事ですら、今の浜面には確約ができない。自分が生まれた時から素晴らしく恵まれた主人公のような人間だったら、もっとスマートに滝壺を助けられただろう。こんな風に心配をかける必要もなかっただろう。何か大きな喪失感そうしつかんを覚え、浜面はその正体を知って、ボロボロの体で歯を食いしばる。
 積み上げてきたものが崩れたのではない。
 逆だ。過去に麦野むぎの 沈利しずり との激戦を勝利しておきながら、実はそこから何も得ていなかった事に、浜面はもう一度強く自覚させられていた。
(……何が、を倒した男だ。たった一人で第四位を撃破げきは した男だ。そんなまぐれで良い気になったって、何の意味もない。結局、おれはこれまで通りの浜面仕上し あげでしかないんだ。あの一件で何かが劇的に変化しただなんて、都合の良い話なんかなかったんだ)
 くそ、と浜面はき捨てそうになる。
 これ以上滝壺を心配させまいと考えながら、しかし彼は心の中で強くこう思う。
 あんな第一位みたいな悪のカリスマのようにならなくても良い。
 三流のチンピラのままでも結構だ。
 だから、せめて。
 ただの浜面仕上として、この少女の笑顔を守れるような男になりたい、と。

     11

(超派手にやっているみたいですね……)
 絹旗きぬはた最愛さいあいは、さわぎの起きている個室サロンのビルをやや遠巻きに観察していた。元迎電部隊スパークシグナル自体はすでに一掃された後らしく、今までビルの周辺を厳重に封鎖ふうさ していた警備員アンチスキルたちは、突然の状況に困惑しながらも建物の中へと向かって行っているようだった。
心理定規メジャーハート』のドレスの女から、浜面はまづら仕上し あげ滝壺たきつぼ理后り こうを助けるため、銃器を持って個室サロンのビルへ突入した事は告げられていた。
 あの浜面が一〇人近い元迎電部隊スパークシグナルと戦えるとは思えないが、どうやら二人とも無事ではあるらしい。しかし問題はそこで終わらない。
 浜面や滝壺は、現在『裏稼業うらかぎょう』としては活動していない。学園都市は様々な事件を隠す機構を備えているが、そのサービスを受けられない状況にある。……となると、銃器を持ったまま警備員アンチスキルに見つかるのはまずいだろう。
(こんな事になるなら、超さっさと行動に出ていれば良かったですかね)
 絹旗が個室サロンのビルに到着しなかった理由は簡単で、ファミリーカーをおそった例の攻撃こうげきヘリ『六枚羽』について調べていたからだ。少なくとも『電話の声』の女は関与していないと言い張っているが、しかし元迎電部隊スパークシグナルが何らかの方法で操っていたというのも考えにくい。
 結局、徒労に終わってしまったのだ。
(……出遅れたびも超しなけりゃなりませんし、借りってのは何事も超早く返済しておくに限りますからね。超さっさと脱出を外から手伝うとしましょうか)
 そんな事を考えていた絹旗だったが、実際にそのプランが実行される事はなかった。

 ドバッ!! と。
 唐突に、真横からショットガンを浴び、絹旗の小さな体が吹き飛ばされたからだ。

 ウール地の白いワンピースに包まれた少女の小柄な肉体が、路上を二回、三回とバウンドしていく。いきなり鳴りひびいた銃声に周辺の野次馬や じ うま達がパニックを起こしそうになるが、当の絹旗は転がりながらも冷静だった。右のほおから胸にかけて散弾を浴びてはいるが、『窒素装甲オフェンスアーマー』のおかげで出血はない。
(……一回の銃声に対して二〇発の散弾。一発当たりの弾丸の大きさは五ミリ強。これなら能力を超使わなくても、その場にあるものでたてにできるはずです旦)
 受けた攻撃から威力を逆算した絹旗は、跳ね飛ぶような動きで、近くに路上駐車してあった自動車の陰へと隠れる。
 しかし襲撃者しゅうげきしゃの方も的確に銃口を向ける。
 次の一撃は、ショットガンにありがちな単発の発射音ではなかった。
 ドガガガガガガガッ!! というフルオート射撃音だった。
「なっ……。ただのショットガンじゃ、ない!?」
 自動車の壁は二秒たなかった。
 風穴が空くとか、そんなレベルではない。まるで内側から風船がはじけ飛ぶように、金属製のボディが大きくめくれ上がる。突き抜けた散弾の豪雨は、一直線に絹旗きぬはたの体へたたきつけられた。彼女は窒素ちっそ うすい壁を作っているにもかかわらず、その壁すらもまとめてぎ払おうと、圧倒的な数の凶器がおそいかかる。
 一〇メートル以上も薙ぎ払われた。
 絹旗がむくりと起き上がったその時、ほおに一筋の血が垂れている事に気づいた。
 致命傷ではないものの、『装甲』を貫かれてしまったのだ。
 ゾッと戦慄せんりつする絹旗の耳に、場にそぐわない陽気な声がひびき渡る。
「やっほー。絹旗最愛さいあいちゃんで良いんですよね? いやぁ、割とガード堅そうな感じで難儀なんぎ するかと思いましたけど、ちょうど同時期に動こうとしていた無関係な元迎電部隊どもとコンタクトを取って、おとり手駒て ごまとして利用したのは正解でしたかね。そっちに意識を集中させている間に、こう脇腹わきばらの柔らかーい所をガブリとやらせてもらいましたー」
 それにしても学園都市の超能力ってのはやっぱ面倒じゃないですか? などと言いながら、女は浜辺に差すパラソル並に巨大な銃器を操作する。
 ガシャコンという機械音が聞こえる。
 硝煙しょうえんけむる空気を自ら破るように、金髪で長身の女が近づいてくる。
 手にしているのは、連射能力の極めて高い軽機関銃か。
 全長は一メートル以上。歩兵が長期間徒歩で移動してもえいきょうのないレベルに調整されたアサルトライフルとはまた違う、さらに大型の銃だ。一五〇発から二〇〇発は入りそうなボックスマガジンを備えた、人間というよりは陣地を制圧するために使うようなものだった。
 ただし、使っている弾丸は明らかにカスタムの散弾銃のものだった。あんなあく趣味しゅみ な火器は、正規の軍隊ではまず採用されない。近距離きんきょり で使うべきショットガンと、接近戦に不向きな重量は組み合わせが悪すぎる。逆に言えば、この女はそれを押し通すだけの速度と技量があるのだろう。
 軽機関散弾銃をたずさえた女は、にっこりと微笑ほ ほ えみながらこう言った。
砂皿すなざら緻密ち みつって言えば通じるんじゃないですか? あなたが爆殺しようとしたんですから」
 ね? と浜面はまづら辺りだったら鼻血を出しそうなほどキュートに同意を求める女は、
「私はステファニー=ゴージャスパレス。砂皿さんの仇討あだう ちに来たんですけど、覚悟を決めた方が良いんじゃないですか?」
 怪物サイズの巨大な銃を絹旗に向け、笑顔と共に死刑宣告を言い放った。

   行間 二

 平和で平和でどうしようもない国で生活し、何不自由ない人生を送っていたステファニーは、そのぬるま湯の安全な環境ゆえにこそ疑問を抱き(あるいは抱く余裕ができたため)、その外へ飛び出す事を決意した。民間人が傭兵ようへいとして戦場へおもむく事になったその動機は極めて幼稚なものだった。それなりに社会のゆがみのようなものには関心があり、苦しめられている人を放っておく事ができなかった時期もあったのだ。自分の力で直接、という前置きがなければ気が済まないような時期が。
 そして。
 コスタリカの内戦は、そんなステファニーにとって初めての地獄となった。
 正規の軍人とは違う、傭兵ならではの洗礼。それは、情報の食い違いという形で新人のステファニーへとおそいかかる。攻撃こうげきヘリの存在は知らされていたが、追加の電子機器を装着し、地上に設置された高感度の対人アンブッシュレーダーとリンクする機材まではんにゅうされている事は初耳だった。おかげで茂みに隠れてしのぐ事もできなくなったステファニーたち傭兵部隊は、頭上から大量のロケット砲を浴びせかけられる事になったのだ。
 寄せ集めの部隊は即日壊滅かいめつした。
 仲間は皆、死体どころか、依頼主い らいぬしから支給された借り物のドッグタグも残らないような状態になった。ステファニー自身、五体満足でいられるのが奇跡と呼べるような状況だったが、その唯一の生存は自らの手でつかみ取ったものではなかった。
 大口径の対戦車ライフルが、はるか遠方から正確に攻撃ヘリの燃料タンクを貫いたのだ。
 それが砂皿すなざら緻密ち みつとの出会いだった。
 彼はステファニーとは違い、特にチームを作らずに一人きりで戦場へ向かう、めずらしいタイプの傭兵だった。傷ついた彼女は砂皿に拾われ、命を救われた。いいや、それだけにとどまらない。半端はんぱ かたよった知識で戦場にやってきたステファニーは、砂皿から一つ一つの技術を改めて学び直さなければ、どこか別の戦場で似たような状況に見舞われて野垂れ死んでいた事だろう。
 コスタリカの内戦が終わっても、ステファニーは砂皿についていく事にした。それは単純なあごがれでもあったし、強いヤツのそばにいる事が傭兵として生き残るためのすべだという打算的な考えがあったのも否定できない。
 そして、様々な戦場に参戦していくにつれて、ステファニーはふと疑問に思ったのだ。
 彼女の方はともかく、砂皿にとっての利益は何なのか。
 砂皿緻密というスナイパーは、元々チームを作らずに一人で行動する傭兵だ。味方に足を引っ張られて窮地きゅうちおちいったのがその原因らしいのだが、ならば、なおさら新米のステファニーを連れて歩く理由はどうなる? あの男が、単に若い女をはべらせておきたいなどという動機でそんなをするとも思えない。
 その理由について、砂皿すなざら本人に直接尋ねる事はなかったが、ステファニーは砂皿の何気ない言動から、おおよその事を推測していく。
 もしかすると、砂皿はスナイパーという生き方に疲れているのかもしれない。
 彼はその仕事柄、ほぼ確実に人を死なせてしまう。たとえ急所を外して手足をねらった所で、高速高威力のライフル弾はを引きり、大量の出血と激痛でショック死させてしまうだろう。『長距離ちょうきょりからピンポイントで標的を狙う』スナイパーの特性上、弾の威力を削るなどという方法は決して取れない。
 一方で、ステファニーの専門は遠距離狙撃そ げきではない。
 砂皿にならってスナイパーライフルをいじり回しているが、本質的にはしょうに合っていない事を自覚している。彼女の本領は超至近距離まで接近してから行う高速戦だ。
 そしてその方法には、『必ず敵対者を殺さなければならない』法則など存在しない。
 一〇メートル、五メートル、時には一メートル以下の距離で敵と戦うステファニーは、低威力の拳銃弾けんじゅうだんなどで手足をって、殺さずに事を収める事もできる。また、敵か民間人か分からない人物には、『とりあえず格闘かくとうじゅつで押し倒して無力化する』という選択肢も採れる。
 その選択の柔軟性は、殺し一本の砂皿からすれば、うらやむべきものだったのかもしれない。単なるないものねだりかもしれないが、砂皿にとっては価値があるように見えたのかもしれない。
 狙撃手としての技術をかしつつ、ステファニーの行動パターンを分析して、中距離や至近距離まで音もなく接近する能力を得る。
 そうすれば、低威力の弾丸を用いて正確に手足を撃ち、殺さずに事を収める戦術の組み立ても可能となるかもしれない。
 もちろん、本物の戦場で慣れない事をすれば、それが致命傷につながる危険性もある。
 しかし。
 戦術の組み立てに成功すれば、それでよし。
 戦術の組み立てに失敗しても、少なくとも砂皿自身の手で無用に殺される人は減る。
 ……もしかしたら、寡黙か もくな彼はそんな事を考えていたのかもしれない。

 そう思った時、ステファニーはこの人を助けたいと思った。
 砂皿自身が無意識の内に願っている、最悪の方法以外で。

 にもかかわらず、結局ステファニーの決意はに終わる。
『グループ』『スクール』『アイテム』『メンバー』『ブロック』。学園都市の最暗部である五つの組織の争いへ傭兵ようへいとして参戦した砂皿すなざらは、そこで返り討ちにって意識不明の重体となった。
 しくも。
 砂皿自身が、『最悪の場合における、最低限の救い』として設定していたであろう事態に。
 そして、ステファニー=ゴージャスパレスはふくしゅうを誓う。
 身勝手と知りながら。
 それでも、本来ならばもっと複雑で難しかったであろう救いの道を、こんなにも安易でくだらない、死と暴力という方法でかなえてしまった絹旗きぬはた最愛さいあいへと。

第三章 破滅はさらに道を開く Battle_to_Die.

     1

 一方通行アクセラレータたちはキャンピングカーまで戻ってきた。
 空気は重い。
 元より、彼ら四人の間に和気あいあいとしたムードなど存在しない方が普通なのだが、それにしても今のキャンピングカーの車内はピリピリとしすぎている。ちょっとした小動物ぐらいならストレスで死んでしまいそうなほどだった。
「……結局、潮岸しおきしの野郎の思惑通りだ」
 一方通行アクセラレータき捨てるように言った。
「『ドラゴン』について知ろォとするヤツらは片っぱしから消される。おそらく『フラフープ』でおれ達が捕縛ほ ばくした連中も、もォ生きちゃいねェだろォな」
杉谷すぎたに、って言ったか」
 土御門つちみ かどは壁に背中を預けたまま、ポツリと言った。
「確か、さっき潮岸がビデオカメラ越しに通信をよこしてきた時、カメラの位置を調整させるために、杉谷とかとか、そんな部下の名前を言っていたな」
「それにしても」
 結標むすじめは自分の髪を指先でいじりながら、疲れたような調子で言う。
「結局、『ドラゴン』っていうのは、何なのかしらね」
 その質問に答えられればだれも苦労はしない訳だが、思わず質問せずにはいられないのだろう。
 海原うなばらは、いっしゅんだけ土御門の顔をチラリと見た。
 同じ『魔術師まじゅつし』である土御門が特にリアクションをしなかったので、海原は話に加わる事にした。
「……あなた達科学サイドと違って、自分のような魔術サイドの意見ですと、『ドラゴン』という単語は宗教的な暗喩あんゆ をイメージさせますね。例えば……『天使』とか」
「―――、」
 一方通行アクセラレータはその言葉を聞いて、ピクンと肩を動かした。
 九月三〇日。
 打ち止めラストオーダーという一人の少女を巡って、一方通行アクセラレータと『猟犬部隊ハウンドドッグ』の木原き はら数多あ ま た死闘し とうり広げた夜に、一方通行アクセラレータはそれらしいものを目撃もくげきしている。全長数十メートルに及ぶ光のつばさの乱舞。あの日の事件についてはいまだに全貌ぜんぼうが分からない部分もあるが、一方通行アクセラレータなりにいくつか調べてみて、分かった事もある。
 あの光のつばさの出現には、木原き はら数多あ ま た打ち止めラストオーダーが関連している事。
 そして、木原があの時使用したウィルスの名が『ANGEL』である事。
 魔術まじゅつだから、オカルトだから……というだけで・切り捨てられるような学園都市ではない。
 海原うなばらの意見が全くの見当違いで、実質『ドラゴン』の正体は全然違うものかもしれないが……仮にあの『天使』と『ドラゴン』が一つに結び付けられるものだとしたら、もはや無関係では済まされない。あの打ち止めラストオーダーと、学園都市最重要機密『ドラゴン』がつながってしまう。
(……何が隠れている?)
 本来、打ち止めラストオーダーやその他の妹達シスターズは、一方通行アクセラレータの『実験』の材料として作られたはずだった。しかし、『実験』終了に伴って用済みになったはずの材料たちが、学園都市の奥底に深く深くかかわりを持っている。
 こうなると、最初の前提からくつがえされそうな気がしてならない。
 つまり、絶対能力進化レ ベ ル 6 シ フ ト実験には裏があったのではないか、という事だ。
 これがすべて何者かの計画にのっとった結果だとしたら、最初から失敗させるつもりで『実験』は立案されていたのかもしれないのだから。
(……おれやあのガキは、知らねェ間に何に関わらされていた?)
 一方通行アクセラレータとしては、個室サロンを占拠した元迎電部隊スパークシグナルがどうなろうが知った事ではない。ただ、立ち回り方次第では『ドラゴン』のなぞに迫れるかもしれなかった状況で、そのヒントを片っぱしから奪われてしまった事が、気持ちの悪い無気力感を増大させてしまっていた。
「ひとまず」
 と、海原が口を開く。
「『フラフープ』から続いた一連の事件は終わりましたので、これで解散……という事になるんですかね」
「『ドラゴン』の方はどォする」
 一方通行アクセラレータは突き刺すような調子で言う。
「このまま何もつかまねェでベッドにもぐり込めってのか」
「……なら、潮岸しおきしのアジトまで乗り込むのか!?」
 土御門つちみ かどあきれたように言った。
「四六時中駆動鎧パワードスーツを身にまとっている潮岸の警戒心は本物だ。おそらく本拠地の方もシェルター級だろう。そう簡単に侵入できるもんじゃない。……オレ達みたいな連中が暴走した時の事を想定して設計されているはずだからな」
 すると、一方通行アクセラレータは無言で結標むすじめの方をジロリとにらんだ。
 彼女には、三次元的な制約を無視した『座標移動ムーブポイント』という移動方法がある。
 しかし、結標むすじめは肩をすくめると、
「方法の問題ではないんじゃないかしら」
「どォいう事だ」
「どんな方法にしたって、それだけの規模の要塞ようさいなら『穏便おんびんに』突入なんて事はできない、というだけよ。相手は学園都市でも一二人しかいない重鎮じゅうちん。言ってみれば、『フラフープ』級のテロリストになる覚悟がなければ話は始まらないわ」
「……同じ規模の、つまり統括理事会の正式メンバーが味方についてくれれば、あるいは政治的な観点からスムーズに突入、または開城させる事もできるかもしれませんね」
 そんな都合の良い味方がいればの話ですけど、と海原うなばらは付け加える。
 一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる、結標淡希あわき 、海原光貴みつき の四人には、それぞれ守るべき者がいる。すると、テロリスト級の行いで強引に『ドラゴン』のなぞを追うのは、あまり得策ではない。
 学園都市第一位はしばし小さな少女の事を思い浮かべ、何気なくキャンピングカーの小窓の方へ視線をやって……それから、ポツリとつぶやいた。
「―――そンな、のンびり構えている暇はなさそォだぜ」
「?」
 言葉の意味が分からず、とりあえず一方通行アクセラレータの見ている物を観察しようと、同じように小窓へ目を向ける土御門たち
 直後だった。

 ゴバッ!! と。
 携行型の対戦車ミサイルを受けたキャンピングカーが、爆炎と共に鉄屑てつくずと化した。

 当然、その程度では一方通行アクセラレータ達は死なない。
 キャンピングカーには出入り口がいくつか用意されている。土御門と海原は別々のドアから飛び出し、結標は座標移動ムーブポイントを使って脱出、一方通行アクセラレータに至ってはその能力を使って強引に壁を破り、ミサイルが飛んできた方向とは逆へと逃れている。
 四人は一致団結し、新たな敵に立ち向かう―――などという事はしない。
 それぞれバラバラのルートを通って、勝手に逃走していた。それが一方通行アクセラレータ達『グループ』のやり方だった。
(……潮岸しおきしの野郎か。事件を通じて『ドラゴン』について知り過ぎたおれ達もターゲットになっちまったって訳だな)
 一方通行アクセラレータはひとまず細い路地に飛び込みながら、適当に予測する。
(……だとすると、俺の『弱点』を知った上で襲撃しゅうげき部隊を編成している可能性が高い。最短最速で殺すンじゃなくて、電極のバッテリーをわざと消耗させるよォな長期戦パターンだ。そのまま突っ込ンでも翻弄ほんろうされるだけだろォが)
 いっしゅん、キャンピングカーの運転手の事が脳裏に浮かんだが、一方通行アクセラレータはあまり気に留めなかった。爆破の前後、悲鳴が聞こえた様子はなかった。おそらく運転手はグルで、襲撃しゅうげき前には逃げていたのだろう。
(……だが、だからと言って鹿正直に逃亡オンリーって必要もねェ。敵が明確になったのは、むしろプラスだ。少なくとも、だれと戦うかも分からねェよりはな。まずは敵の布陣を確認し、その上で最速で壊滅かいめつさせるために必要な『盲点』にらいつけば問題はねェ)
 そういう戦術を取るためにも、一度敵の目をくらましておいた方が良い、という訳だ。一方通行アクセラレータはひとまず大きくコの字を描くように路地を通り、襲撃者たちの背後から布陣を観察しようとしていたのだが、

 ギィン、と。
 その時、一方通行アクセラレータの電極が唐突に機能を奪われた。

(―――ッ!?)
 ベクトル能力によって脚力を調整していた一方通行アクセラレータは、いきなりそれを失って路上に倒れ込んだ。単純な肉体だけの問題ではない。脳の奥の……さらに言えば精神的な深い部分に至るまで、細やかなしびれに似た感覚が走り抜けている。
 まるで泥酔か寝起き直後の寝ぼけた頭のように、思考が支離滅裂し り めつれつとなり連続性がなくなる。
『倒れている』という現状は理解できるのに、『そこからどうすれば良いか』までプロセスがつながらなくなる。
 モゾモゾと芋虫いもむしのように一方通行アクセラレータおそったのは、とても簡単な現象だった。
 外部から電極のスイッチを遠隔えんかく操作された。
 それも路地の奥の奥までえいきょうを発揮しているという事は、おそらく遠隔操作用の電波を広範囲にき散らしているのだろう、一方通行アクセラレータの能力は、一万人弱の軍用クローンが織り成す電磁的ネットワークの力を借りているため、そこから寸断されてしまうと能力を使えなくなるのだ。
 普段ふ だん一方通行アクセラレータなら即座にここまで考え、さらに対策を練る事もできただろう。
 しかし、現状ではその『考える頭』さえも奪われてしまっている。
「……、」
 歯を食いしばり、一方通行アクセラレータは倒れたまま右手の方を見る。
 そちらには、こういう時のために手を加えた自作のつえがあった。
 様々なモーターやセンサーなどを組み込んでいた訳だが、やはり能力を奪われた一方通行アクセラレータを適切に運ぶだけの機能は維持できていない。倒れたままの一方通行アクセラレータは、現実問題として起き上がる事もできなかった。
 そうこうしている内に、路地のやみから複数の足音が近づいてくる。
 何となく危機感は覚えるのに、具体的に『ならどうすれば良いか』に結び付けられない。
「……、」
 別の方向からも足音が近づいてきた。路地の出口の方だ。これで八方塞はっぽうふさがりになった訳だが、一方通行アクセラレータにはその危機感を冷静に分析する事もできない。腕をつかまれた。そのまま出口の近くにめてあったスポーツカーの助手席に放り込まれる。なすすべもなかった。スポーツカーは急発進し、高速で夜の道路を走る。
 潮岸しおきしの追跡部隊から距離きょり はなれて遠隔えんかく操作用の電波の効力が弱まってきたせいか、一方通行アクセラレータの感覚が元に戻ってきた。電極のスイッチを元に戻し、自作のつえをジロリと見た第一位は、そこで改めて運転手の顔を見る。
「……オマエ」
 見覚えはあった。
 第三学区で爆発に巻き込まれた現場にいた、高校生ぐらいの少年だ。を負った妊婦に付き添う形で、第七学区の病院へ向かっていたはずだが……。
「いきなりなんでおどろいたよ」
 高校生はスポーツカーを法定速度まで落としながら、そんな事を言う。
「ただ、いざって時にも体ってのは動いてくれるものなんだな。おかげで命の恩人を……いや、それよりずっと大切なものを守ってくれた人を死なせずに済んだ」
 目元に笑みを浮かべる高校生。
 しかし、一方通行アクセラレータはズボンのベルトからけんじゅうを抜くと、それを迷わず高校生へと突きつけた。
「……こンなくだらねェ世界でも、それなりに学べる事はある」
 き捨てるように、彼は言う。
「そォそォ都合良く助けなンてモンはやってこねェって事ぐれェはな。仮にも統括理事会の一人、潮岸がセッティングした襲撃しゅうげき計画に、知り合いが『偶然』居合わせるなンて事はありえねェだろ」
「……、」
「オマエもおれと同じ、『悪』の世界の住人だな。だれの差し金だ。潮岸が張った二重のわなか!?」
 銃を突きつけられた高校生は、一方通行アクセラレータの顔ではなく、正面を見据えていた。
「確かに……」
 にじむような口調で、高校生は口を開いた。
「俺はアンタと同じにおいのする人間だ。っつっても、グレードは全然違うがな。こっちの仕事は、アンタみたいな大物のサポートするためのしたさ。ワゴンセールみたいに大量消費されるキャラってヤツだな」
 ただし、と彼は付け加え、
「……おれがどんなに汚い人間だろうが、アンタが俺の命よりも大切な人を助けてくれた事に変わりはねえ。そして俺は、そんなヤツを見殺しにするほど腐っちゃいねえ」
「―――、」
「安っぽい貸し借りの問題じゃねえ。そんなレベルじゃないんだ。これは恩だ。恩を返させてもらうぜ。それがいやならここでってもらって構わない」
 一方通行アクセラレータは、しばらく高校生の横顔をにらみつけていた。
 彼は一度もこちらを見なかった。
 おそらく撃たれない事を確信しているからだろう。
 一方通行アクセラレータは舌打ちすると、けんじゅうねらいを高校生の顔から外した。
「このまま進め」
「どこまで行く気だ」
 ハンドルを握る高校生は笑いながら尋ねてくる。
 一方通行アクセラレータは大して考えずに、こう答えた。
潮岸しおきしの野郎をぶち殺さねェとな」
『ドラゴン』の情報を徹底的てっていてきに封じるため、統括理事会の潮岸は一方通行アクセラレータたちきばいてきた。第一波の攻撃こうげきで仕留められなかった事を知れば、潮岸は『最も有効な弱点』を突こうとするだろう。
 すなわち、打ち止めラストオーダーという人質を。
 現状、そのカードはまだ切られていないと、一方通行アクセラレータは予測している。もしも最初から人質を用意していれば、襲撃しゅうげき前におどして一方通行アクセラレータ達の動きを牽制けんせいしているはずだからだ。
 潮岸が第二プランを実行する前に、勝負をつけなくてはならない。
 守るか攻めるか。
 打ち止めラストオーダーを早期回収して逃亡生活に入る……という選択肢もあるにはあるが、得策ではないと一方通行アクセラレータは思う。それではなのだ。守りたい者は彼女一人ではなく、彼女が愛する世界そのものだからだ。黄泉川よ み かわ愛穂あいほ芳川よしかわ桔梗ききょうといった、打ち止めラストオーダーの周囲にいるすべての人々を同時に守りながら戦い続けるなど、一方通行アクセラレータでも難しすぎる。
 だとすれば、どうすれば良いか。
 少しだけ考えた一方通行アクセラレータは、そこで凶悪な笑みを浮かべる。
 やる事は簡単だ。
 先手必勝。
 やられる前にやれ。
 どちらが先に敵陣営の人間を殺し尽くすかのスピード勝負。
(……まァ、そりゃそォだ)
 くっく、と思わず笑みをこぼしながら、学園都市第一位は腹の奥でこう思う。
(……こンな血みどろのおれには、そっちの方が相応ふ さ わしいよなァ!!)

     2

 絹旗きぬはた最愛さいあいの頭に、ズキズキという鈍い痛みが走った。
 ステファニーの軽機関散弾銃は、絹旗の『窒素装甲オフェンスアーマー』にさえ強烈なダメージを与えてくる。これがなくなってしまえば、絹旗はか弱い(断言)女の子だ。続けざまに散弾を浴びたら致命傷にもなりかねない。
(……痛っつ。五メートル以下の至近距離きょり から七発以上連続で受けるのは超まずい……ッ!!)
 受けたダメージから大雑把おおざっぱ な分析を行う絹旗。
 彼女は第三学区の大通りから地下へと下るスロープへ飛び込む。
 何やらテロリストたちが暴れたせいで、封鎖中ふうさちゅうの地下街らしいのだが……、
「にゃっははーん」
 一メートルを超すはがねかたまりを両手で構えながら、背後のステファニーが笑う。
 日本の都市という風景にはあまりに不釣り合いな大型銃器を手にした彼女は、
「銃弾から逃れるにしては、逃走ルートが直線過ぎませんかね?」
「!?」
 迷わず掃射が来た。
 ドジャーッ!! という連続性を失った音の塊が炸裂さくれつする。
 ステファニーはスロープの上―――地上から絹旗をねらっていたはずだった。つまり、間にはアスファルトやコンクリートの分厚い『地面』がはばんでいるはずだった。
 にもかかわらず、銃弾の雨が絹旗をおそう。
 まるで土砂崩れだった。
 装甲車を三秒でスポンジに変える破壊力はかいりょくを持つ軽機関散弾銃が、人工の地面そのものをえぐって吹き飛ばしているのだと気づくのに、数秒の時間が必要だった。そしてその間にも、大量の散弾が絹旗の小柄な体へ直撃ちょくげきした。
 一度床に強くたたきつけられ、さらにバスケットボールのように跳ねる絹旗。そうしながら、彼女は必死に体を丸めて地下街の床を転がって集中攻撃をけようとする。地下街から見ればてんじょう、地上から見れば地面と呼ばれるコンクリートが破壊されたせいか、土砂崩れに巻き込まれるように路上駐車の乗用車なども降り注いでくる。
(ッ!!)
 絹旗は迷わなかった。
 頭上に迫る乗用車を、そのまま片手でつかみ取る。小さなてのひらに触れたドアの辺りが、ベコリといやな音を立てた。まるでクッションを手に取ったように、金属製の車体に無数の『しわ』が走る。
 五〇〇キロ程度のかたまりを入手した絹旗きぬはただが、それは防御用のたてに使うためのものではない。
 投げつけて、ステファニーを粉砕するための武器だ。
 その時、ステファニー=ゴージャスパレスは土砂崩れのように崩落したコンクリートの残骸ざんがいんで、地下街へとやってくる所だった。
 足場は不安定て、即座に左右へ跳んで回避かいひ できる状況ではなかった。
 そして、絹旗は全力でステファニーを殺すつもりだった。
(―――超吹き飛べ!!)
 一度上半身をひねるように力を加え、乗用車を振り回す。後は手をはなせば、建物を破壊は かいする時に使う、巨大鉄球のような攻撃こうげきぐステファニーへおそいかかる。
『外』から来た軍人だろうが傭兵ようへいだろうが、学園都市製のにはかなわない。
 そう思っていた絹旗だったが、

 ボゴッ!! と。
 ステファニーの軽機関散弾銃が、乗用車の燃料タンクを正確にち抜いた。

 まさに絹旗が手を離す直前だった。
(な……)
 乗用車の後部がはじけた空き缶のように変貌へんぼうする。そしてタンクに収められていた大量の液体が、爆弾のように起爆する。
 音が消えた。
 閃光せんこうだけが視界を埋めた。
 爆風にたたかれ、絹旗の体が真横へぎ払われる。光量を抑えられた地下街に蛍光灯以外の強烈な光と熱があふれ、黒煙がてんじょうっていく。
 逆転のための一手が、さらなる逆襲ぎゃくしゅうによって封じられた。
 しかし絹旗がおどろいていたのは、単純なステファニーの気転の速さだけではない。
 それを支えるための、土台や基礎となっているものだ。
(こいつ……慣れている?『外』からやってきた超部外者のくせに、私のような能力者と戦うためのセオリーを超熟知しているんですか……?)
 普通に考えればありえない事だ。
 超能力が当たり前となっている学園都市の中でさえ、の絹旗を簡単に手玉に取れる人間は少ないだろう。まして、そんな力とは無縁の『外』の連中の戦術やテクノロジーだけで、絹旗に追い着く事のできる個人などそうそういる訳がない。
「まさか……」
 そこまで考えて、絹旗きぬはたはよろよろと顔を上げた。
 軽機関散弾銃を手にしたステファニーは、瓦礫が れきを下って地下街へと足をみ入れてくる。
「まさか、あなたは……」
「いい加減、気づいたんじゃないですか。私は傭兵ようへいになる前は、平和な国に住んでいた一般人だったんです。……まぁ、一方で銃弾や砲弾、地雷なんかにおびえて苦しんでいる人々がいる事を知っていながら、呑気のんき に平和を享受きょうじゅする事に罪悪感を覚えたからこそ、戦争に巻き込まれている人たちを助けようかなーなんて思っちゃったんですけどね」
 熱を帯びる銃口をこちらに向ける金髪の女は、笑顔と共にこう言った。
「そう、私は元々学園都市の人間なんですよ。警備員アンチスキル捕縛術ほばくじゅつを殺しに応用していたので、スナイパーの砂皿すなざらさんは奇妙な目を向けていたんじゃないですか?」
 だからこぞ。
 ステファニー=ゴージャスパレスは、能力者の殺し方を熟知している。
「確か、あなたは空気中の窒素ちっそ を利用して、私の攻撃こうげきを防いでいるはずじゃないですか」
 すい、と。
 彼女は絹旗から、全く見当違いの所へ軽機関散弾銃の銃口を向け、
「なら、そいつをかき乱す所から始めましょうかね。幸い、ここの地下街には美味しいレストランもたくさんあるみたいですし。……プロパンガスのボンベも多いようじゃないですか?」
 引き金を、引いた。

     3

 高校生の運転するスポーツカーに乗って、一方通行アクセラレータは夜の街を進んでいる。携帯電話を使って土御門つちみ かどと連絡を取ると、やはり他のメンバーもそれぞれバラバラに逃走している最中らしい。
『よし。どうやらお前が潮岸しおきしの追跡部隊の包囲網ほういもうから一番乗りで抜け出したみたいだな。そのまま第二一学区に行くんだ。山中に天文台がある』
「あァ? 潮岸のシェルターは山ン中にでもあンのか?」
『違う。統括理事会正式メンバーの潮岸をたたくには、それなりの政治的準備が必要だ。……同じ統括理事会レベルの権限を持つ協力者が、って意味だ。一二人の理事会メンバーは曲者揃くせものぞろいだ。オレ達が協力を仰げるような人間は、おそらくそこにいるヤツしかいない』
 貝積かいづみ継敏つぐとし辺りも善人ではあるが、あいつの場合はそばに従えているブレインの女子高生・雲川くもかわ芹亜せりあ が天才過ぎて手がつけられないからな、と土御門はき捨てるようにつぶやく。
「結局、協力者にできそォなヤツってのはだれなンだ?」
親船おやふね最中も なか
 土御門は即答した。
『「フラフープ」の件で誘拐ゆうかいされた子供たちと、チャリティーで天体観測会を開いている……統括理事会ナンバーワンの善人だ。こういうやり方は好まないが、あいつはオレ達に借りがある。生涯一度ぐらいなら、交渉の余地があるかもしれないな』
 という訳で、一方通行アクセラレータを乗せたスポーツカーは第二一学区へ向かった。
 この学区は、学園都市で唯一の山岳地帯だ。……とはいえ、標高は極めて低く、最も高い山頂であっても二〇〇メートルあるかどうかといった所だ。水源や動植物の研究などで有名な学区ではあるのだが、ここは同時に、天文系の学問でも名の知られた場所である。
 電波望遠鏡の一種なのか、直径一メートルほどの小さなパラボラアンテナが、斜面に沿って一定の間隔かんかくで並べられていた。意図的に人工的な街灯を少なめに抑えられた山道を、一方通行アクセラレータ達の車は進む。いくつもカーブが続く坂道にはタイヤの跡があった。もしかしたら、週末には非公式レースでも行われているのかもしれない。
 天文台は、山の中腹の辺りにあった。
 山の斜面に真っ向から逆らうように、そこだけが真っ平らなコンクリートの大地だった。スポーツカーは駐車場の方へ入る。そこで一方通行アクセラレータは小型のバスを見つけた。車内に人はいない。どうやら、元迎電部隊スパークシグナルに誘拐された子供達は、無事に本来のイベントを楽しんでいるらしい。
「オマエはここまでで良い」
 一方通行アクセラレータは助手席のドアを開け、アスファルトにつえ先端せんたんを押しつけながらそう言った。
 運転手を務めていた高校生は、あわてて食い下がる。
「ちょ、ちょっと待てよ。恩を返すっつったろ。アンタがヤバい事に巻き込まれているってのは、おれみたいなザコでも何となく分かる。こんな半端はんぱ な所で切り上げられるかよ」
「俺はそこまで大層な事はしちゃいねェ。これ以上もらうと今度はこっちの借りになる」
 一方通行アクセラレータは杖をついて駐車場に立ち、ポツリと言った。
「……それに、これ以上深入りするとオマエもターゲットになりかねねェ。チンピラ一人がどォなろォが知った事じゃねェが、せっかく助けた妊婦が人質に使われンのは寝覚めが悪りィからな」
「アンタ……」
「協力が必要なら随時ずいじ 連絡する、オマエはそれまで潜伏せんぷくしてろ。自由に使える手駒て ごまを隠し持っておく、ってのも生き残るためには重要な策だ、そォいう形で利用されろ」
「分かったよ。おい、ケータイの番号交換するぞ。ヤバくなったら絶対に連絡入れろよ」
 二人は携帯電話を操作し、赤外線の通信機能を使って互いの番号を交換する。
 その作業を完了させると、高校生は名残惜な ごりお しそうだったが、ようやくスポーツカーを走らせて天文台を去った。
(……さて)
 一方通行アクセラレータは短く息をく。
 当然ながら教えた番号はあらかじめ設定してあるダミーのものだし、自分の携帯電話に高校生の番号を受信するのも拒否していた。これで互いのつながりは完全に消えた。これが一方通行アクセラレータなりのケジメだった。
 駐車場から、天文台の大きな建物の方に目を向ける。
 この先に統括理事会の一人、親船おやふね最中も なかがいる。同じ統括理事会の潮岸しおきし撃破げきは するための足掛かりとなるVIP。
 統括理事会でもナンバーワンの善人という事は、一方通行アクセラレータとは対極の人物だろう。
 実際に会話をした事はないが、一方通行アクセラレータには親船に二つの貸しがある。
 一つ目は、先ほど土御門つちみ かどが言った通り、『フラフープ』で子供たちを助けた事。
 二つ目は、かつて『グループ』『スクール』『アイテム』『メンバー』『ブロック』の五つの組織が激突した際、親船の狙撃そ げき計画を未然に防いだ事。
 二枚舌の土御門は、そこらへんを上手につついて協力を取り付けろ、と言っているのだろう。……これまでの一方通行アクセラレータの言動を見れば分かる通り、これほど彼に不向きな事はないのだが。
(……面倒めんどうくさエ事になりそォだ)
 ボリボリと頭をきながら、つえをついて天文台の方へ向かう一方通行アクセラレータ
 とりあえず、何はともあれ顔を突き合わせて会話をしない事には始まらない訳だが……、

「帰ってくれ」

 一発目からこれかよ、と一方通行アクセラレータは思った。
 ちなみに天文台からわずかにはなれた駐車場で、彼へ開口一番罵声ば せいを浴びせてきたのは、当の親船最中本人ではない。彼女の秘書らしき小男だった。一体何人いる秘書の内の何番目なのかも分からない小男は、神経質そうな素振りで一方通行アクセラレータの前に立ち、まるで親船最中への道をふさぐような格好で学園都市第一位をにらみつける。
「そりゃ、親船さんだって昔は相当の手腕だった。あの人の本領は武力を用いない交渉術だったが、『平和的な侵略行為』とまで言われるほど、諸外国の外交官から恐れられていた人だったよ」
 秘書の小男は人をなぐった事もないこぶしをぶるぶるとふるわせて、そんな事を言う。
「でも、あの人はもうやめたんだ。そういう光とやみの間を行ったり来たりするような生き方はやめたんだよ。アンタには分からないか? 闇側の視点から平和な世界を眺めてきたアンタなら、それを捨てて生きていくのがどれだけ難しくて大切な事か理解できるんじゃないのか、それとも、そんな事も分からないぐらい、アンタは染まってしまっているのか」
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちした。
 彼は苛立いらだ っていたが、それは別に秘書の小男の物言いに対してではない。
(……土御門つちみ かどの野郎何が『唯一協力を仰げそうなヤツ』だァ? やっぱり一番面倒めんどうくせェ事になってンじゃねェか。人をくだらねェチンピラ役にしやがって。次に顔合わせたら五発は鉛弾をブチ込まねェと気が済まねェぞ……)
 胃袋の辺りで何かが煮えるような感覚がしたが、表面上には出さないで一方通行アクセラレータは言う。
邪魔じゃま したな」
「……あきらめて、くれるのか」
「そォ仕向けたのはオマエだろォが。それとも何か、ここで食い下がって殺し合いでもした方が良かったってのか?」
「だとしても、私のやる事は変わらない」
 今さらながらその可能性について考慮こうりょしたのか、秘書の小男の顔が青くなった。それでも道をゆずろうとはしない秘書を見て、一方通行アクセラレータはこう尋ねた。
「最後に質問しよォか。親船おやふねの野郎には、一体何があった?」
「……娘さんだよ」
 ポツリと、秘書の小男は答えた。
「『外』への武器輸出規制に関する条項を統括理事会の間で決めようって時に、軍需反対派の親船さんは自前の交渉術で有利に話を進めてきた。あの人は本当に戦争がきらいだったからね。そんな時、親船さんの事務所に一通の封筒が届いたんだ。中には娘さんの写真と未使用のマグナムけんじゅうが一丁入っていた。……結局何も起こらなかったが、私は軍需推進派の潮岸しおきしが怪しいとんでいる」
「―――、」
 一方通行アクセラレータまゆが、ほんのわずかに、しかし確実に、動く。
 秘書の小男は、ここで退くと言った学園都市第一位を人間として認めたのか、目をそむけながらも話を続けた。
「それで、親船さんは第一線を退いたんだ。この街のやみに触れない範囲に生き、しかし彼らの矛先を向けられない範囲で、知らず知らずの間に闇の動きを牽制けんせいする……。そういう昼行燈ひるあんどんを目指すようになったんだ。この絶妙なバランスは、まさに『交渉術』の親船最中も なかが作った最高の黄金比だよ。……アンタたちが介入すれば、そのバランスが崩れてしまう、再び娘さんや、その他の身近な人々がねらわれる事になるだろうね」
 そォかよ、と一方通行アクセラレータは小さくつぶやいた。
 秘書の小男に背を向けようとしたその時、ようやく親船最中が小競り合いに気づいたのだろう。一方通行アクセラレータ達の所へ、老女が小走りに近づいてきた。秘書の顔色が変わるが、彼女は気づいていないようだ。
「あの……そちらの方は?」
 一方通行アクセラレータの方を見て、不思議そうな顔をする親船。かつて一方通行アクセラレータは秘密裏に狙撃犯そ げきはんの手から彼女の命を救った事があるのだが、秘密裏であるがゆえに、親船おやふね一方通行アクセラレータの事を知らないのだろう。
「……何でもねェよ」
 彼としても、わざわざそんな事を自慢じ まんするつもりはない。
 土御門つちみ かどは利用しろと言ったが、あの厚顔無恥は一度地獄に落ちた方が良いと本気で思う。
「ちょっと道を尋ねていただけだ」
 言うだけ言うと、一方通行アクセラレータは親船や秘書に背を向けようとした。
 そこで、今度は秘書の小男の方が質問してきた。
「……アンタの方は、どうなんだ。まともな方向に話が進まない事ぐらい、何となく予測はできていたはずだ。にもかかわらず、アンタは来た。最後に尋ねたい。何があったんだ?」
「知ってどォする」
 一方通行アクセラレータき捨てるように答えた。
「拒否しておいてから事情だけを尋ねても、重荷が増すだけだ。おれ潮岸しおきしのクソ野郎との間にどンなトラブルがあろォが、オマエは知らない方が良い」
「っ」
 その短いやり取りだけで、秘書の小男の顔色が変わった。
 細かい事情はさておいて、秘書は何となく大まかな所を知ったのだろう。統括理事会の一人と戦わなければならない事情があり、そのためには同じ統括理事会の親船の助力が必要である事。その助力なしに戦えば十中八九潮岸には勝てないし、仮に勝ったとしてもテロリスト扱いである事も。
 彼は一方通行アクセラレータから思わず視線をらし、
「……済まない」
「俺の問題だ。オマエが深入りする事じゃねェ」
 一方通行アクセラレータはくだらなさそうに言う。
「最初っから一人でやってりゃ良かったンだ。多少面倒な事になるかもしンねェが、そっちの方が状況が複雑にからまる事もなかった」
 潮岸との戦いが終われば、一方通行アクセラレータはテロリスト扱いになるだろう。
 あらゆるサポートを失った彼は、これまで通りの生活はできなくなる。打ち止めラストオーダーともそうそう簡単に会えなくなる。利害の関係で問題が生じれば、土御門元春もとはる海原うなばら光貴みつき 結標むすじめ淡希あわき らとも争う事になるかもしれない。
 だが。
 だからどうした。
 そもそも、自分で決めたはずではなかったのか。たとえ守るべき打ち止めラストオーダー自身を敵に回してでも、その打ち止めラストオーダーを守るために戦い続けると。だとすれば、やるべき事は変わらない。わざわざ親船おやふねを巻き込むまでもなく、進むべき道は決まっている。
邪魔じゃま したな。ここでの事は忘れろ。あのクソ野郎はこっちで片付けておいてやる」
 返事を待たず、一方通行アクセラレータは今度こそ完全に背を向ける。
 その時だった。

「なにしてるの!?」

 唐突に聞こえた新たな声。
 それは一〇歳にも満たない少年のものだった。チャリティーの天体観測会に参加していた、小学生のものだった。そして、『フラフープ』の中で間一髪の所を一方通行アクセラレータに救われた人質の少年のものだった。
 少年はもう一度言う。
「あの時のヒーローでしょう。そこで何してるの?」
「……何でもねェよ」
「さっき話してるの聞いた」
 その言葉に、一方通行アクセラレータと秘書の小男が改めて少年の顔を見た。そうしている間にも、少年はこちらに近づいてくる。学園都市第一位の怪物の元へと、躊躇ちゅうちょなく。かつて命を救われたからか、警戒心を全くいだかず。
「何の事か分からなかったけど、また戦いに行くんでしょ。あの時の僕みたいな人を助けるために、また戦いに行くんでしょ」
 少年はぐに一方通行アクセラレータを見上げ、そしてこう言った。
「だったら、僕も行く」
 ……冗談じゃねェぞ、と一方通行アクセラレータは思わず頭を抱えそうになった。
「ふざけンなクソガキ。だれが、誰と一緒いっしょに戦うだと?」
「だって、あの人たちは見捨てるって言ってた!!」
 突然指差され、一番面喰めんく らったのは親船最中も なかだっただろう。
 秘書の小男の方は心当たりがあるせいか、わずかに奥歯をんでいる。
「僕は、あなたがくだらない事のために戦わないって事を知ってる。そして、すごく危ない所に行くんだって事も知ってる! だったら僕も行く。一人なんかにはさせない。僕と同じように困っている人がいるなら、僕だって一緒に戦いたい!!」
 全く事情を知らないくせに、口調だけはいっぱしだった。
 実際の戦力をかんがみれば、どうしようもなく現実味のない意見だった。
 にもかかわらず、一方通行アクセラレータは無視して立ち去らなかった。真上から見下ろす格好にはなっているものの、彼はきちんとした言葉にはきちんとした言葉で返した。
「……必要ねェよ」
「でも」
「『フラフープ』の時も、おれは一人だっただろォが。あの時、この俺が、たかがくだらねェテロリストごときに危なっかしいよォに見えてたのか?」
「目隠しきれてたから分かんない」
「そォかよ。なら教えてやるが、危なげなかったンだ。だから今回も問題はねェ」
 そんな訳がなかった。
 それはやみの世界に君臨する一方通行アクセラレータだけでなく、親船おやふね最中も なかや秘書の小男でも分かる事だった。
 一方通行アクセラレータは強い。
 しかし、彼が闇の中で存分に力を振るえるのは、統括理事会を始め、様々な部署や機関によってサポートされているからだ。それらすべてを失い、逆に敵に回し、学園都市の全兵力を同時に敵に回す事は、とてつもない危険をはらんでいた。
 もはや一方通行アクセラレータだけの問題ではない。
 彼が抱える、守るべき人々にも降りかかる問題だ。
 電極のスイッチも自由に操られ、好きな時に能力を封じられる。猟犬部隊ハウンドドッグ木原き はら数多あ ま たと戦った時のように、泥と雨水の中をいずりながら戦う羽目になるのはけられないだろう。
 だが、
「俺は最強のだ。いちいちガキに心配される筋合いはねェよ」
 一方通行アクセラレータは、そんな事を言わない。
 わざわざ少年に知らしめる必要はない。
 これ以上、闇の中に引きずり込まれないようにするため。一方通行アクセラレータは自身に降り注ぐであろうリスクを一片も表には出さず、ただ告げる。
「良いか。目の前でだれかが苦しめられていたとしても、そこで迷わず武器を握って凶漢をブチ殺すようなヤツは、似たような悪党だ。人の気持ちも考えず、更生の機会も与えず、理にかなってるってだけで人を殺せるヤツは善人なンかじゃねェ。オマエはそォいう野郎になる必要はねェ。そいつは俺の領分だ。俺一人だけがやるべき事だ」
 その胆力は、事情を知る者にしか分からないだろう。
 親船最中や秘書の小男にも、片鱗へんりんしか理解できない事だろう。
「俺は一人でも十分に戦える。オマエみてェなヤツが出てくる幕じゃねェ」
「……いやだよ」
 優しく引きがすような言葉に対し、あらがうように少年はポツリとつぶやいた。
「僕だって戦いたいんだ」
 学園都市最強のの顔を見上げ、少年は全力でこう叫ぶ。

「あんな卑怯者ひきょうものたちに、学園都市を渡したくなんかないんだ!!」

 その時、ようやくさわぎに気づいたのだろう。
 小男とは違う秘書か、私設の警備の人間か……とにかく数人の男達が近づいてきて、少年の肩に手を置いた。挙措こそは優しげだったが、実際には的確に親船おやふねの元からはなれさせるための動きだった。体を押さえられた少年は、それでも一方通行アクセラレータから目をらさない。引率の教師が遅れてやって来ても、最後まで彼の顔を見据えていた。
 一方通行アクセラレータは、天体観測会のクラスメイト達の方へ帰されていく少年を、しばらく眺めていた。そしてそれは、彼だけではなかった。
 学園都市統括理事会正式メンバー、親船最中も なかも同じように、少年の行方を眺めていた。
「……先ほど、潮岸しおきしと言っていましたね」
「親船さんっ!!」
 秘書の小男があわてて食い止めるように言ったが、親船はぐに一方通行アクセラレータの顔を見ている。
 親船最中は、娘の一件で潮岸の政治的な恐ろしさを知っているはずだ。
 そして、その統括理事会の正式メンバーと戦おうとしている一方通行アクセラレータが、どれほど危険な死地へおもむこうとしているかを。
 対して、一方通行アクセラレータの方がき捨てるようにこう言った。
「オマエが気にする事じゃねェ」
「その様子ですと……やはり、あの少年の言った通り、戦うつもりなのですね」
 そこまで言うと、親船は短く息を吐いた。
 彼女は今、あの少年が最後に放った言葉を思い出しているのだろう。
 ―――あんな卑怯者達に、学園都市を渡したくなんかない。
 少年は具体的な敵の顔を思い浮かべてはいない。『卑怯者』というのも、この街にひそやみに対する、漠然としたイメージなのだろう。
 しかし、だからこそ、親船最中はこう思ったのかもしれない。
 この街の闇を知りながら、戦う事をやめた自分は、少年が糾弾きゅうだんした『卑怯者』には当てはまらないのかと。
 武力を使わず、交渉術をたよりに、血を流さずに世界と渡り合おうとした一人の老女。親船最中は『卑怯者』という言葉を聞いた時に、胸を張って反論できるような人間ではなかったのか。
「……私は、どうするべきなんでしょうね」
「知るかよ」
 ポツリとつぶやく親船に、一方通行アクセラレータは舌打ちしてからくだらなさそうに応じた。
「オマエの人生だ。オマエが決めろ」
 突き放すような言い方に、親船は思わず、ふっと笑った。
 そういう風に断言できるのは、おそらく一方通行アクセラレータ自身が答えた通りの生き方をしているからだろう。今も、何かを守るために。
 親船おやふね最中も なかは、すぐ近くにあったものに手をついた。
 それは親船自身を乗せて運ぶための、黒塗りの防弾車だった。
 最初に高級車の屋根に右手を置いた親船は、続いて左手も同じように屋根に乗せる。そうして自分の乗る車へと正面から向き合った親船は、

 ゴドン!! と。
 自らのこぶしを、防弾車へと思い切りたたきつけた。

 親船さん!! という秘書の小男の叫びがひびく。
 しかし、当の親船の方は気に留めてもいなかった。久しぶりに、本当に久しぶりに、何かを傷つける痛みを拳に感じ取った親船最中は、むしろ腹の中にあった気持ちの悪い感情をすべて消し飛ばしたような表情で、改めて一方通行アクセラレータの顔を見る。
「……ようやく目が覚めました」
「ふざけンなよ。こっちは一人でやるって決めたトコだぞ」
「私の人生です。私が決めます」
 確認を取る一方通行アクセラレータに、親船最中は即答した。
「娘の写真とマグナムけんじゅうが送られてきた時、私は自らのきばを折る事が、大切なものを守るために一番最適な方法だと考えました」
「……、」
「でも、何でこう考えなかったんでしょうね。娘がねらわれたのは私自身がナメられていたからだと。悪の根を断たなければ、大切なものはいつまでっても危機から脱する事はできないのだと」
 学園都市最強のの正面に、親船最中は立つ。
 その関係はもはや対等だった。
 くだらない暴力的な力などとは別次元の、もっと人間の中心にある柱の部分で、両者は対等の位置に立っていた。
 一方通行アクセラレータは、こういう目をした人間を知っている。
 警備員アンチスキル黄泉川よ み かわ愛穂あいほ や、元研究員の芳川よしかわ桔梗ききょうだ。
潮岸しおきしの所へ乗り込みましょう、それが最善策です。彼の本拠地は単純な武力のほかに政治的な意味でも難攻不落ですが、同じ統括理事会としての権限を持つ私が参戦すれば、後者の問題については解決できます」
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちした。
 しかし、それでは済まないのは秘書の小男の方だ。
親船おやふねさん! しかし、その方法は……ッ!!」
「私が決めた事ですよ。たとえあの人がここから去っても、私は一人でも潮岸しおきしと戦うでしょう。それなら、共に動いた方が得策ではありませんか?」
 返答され、その意志の強さを感じ取った秘書の小男は、そこで一方通行アクセラレータの方をキッとにらんだ。さっきは親船は巻き込まないと言っていたはずだが、
「彼は、私に『決めろ』と言ってくれました。何一つ強要はしていません。そして私は私の人生を決めたのです。その人を責めるのは筋違いですよ。彼は、最大限の配慮はいりょをしてくれていました」
「くそ……ッ!!」
 秘書の小男は普段ふ だんなら絶対にやらないようなき捨て方をすると、黒塗りの防弾車のドアを開け、ダッシュボードの中を探った。そこから出てきたのは一丁のけんじゅう
 とはいえ、それは一方通行アクセラレータや親船最中も なかに向けるためのものではない。
 逆だ。
「親船さんみたいな素晴らしい人は、こんなつまらない所で死ぬべきじゃない。この人は、もっと大きなフィールドで活躍かつやくして、大勢の人々を幸せにできるだけの資質があるんだ」
 慣れない手つきでマガジンの装弾数を確認しながら、秘書は一方通行アクセラレータを睨みつける。
「おい! 協力を取り付けたからには、最低限の義理は尽くしてもらうぞ!! 全力で守れよ! もしも親船さんを死なせてしまったら、私はアンタを鉛弾のスポンジにしてやるからな!!」
「良いなァオマエ。実は悪党向きだろ?」
め言葉みたいな調子で、とんでもない事を言わないでくれないか」
 ゴチャゴチャと言いながら、一方通行アクセラレータ、親船最中、秘書の小男は黒塗りの防弾車へと乗り込む。
 行き先は今度こそ統括理事会の黒幕、潮岸しおきしの本拠地。
 史上最強の悪党を引き連れて、統括理事会の交渉役、親船最中はもう一度立ち上がる。

     4

 絹旗きぬはた最愛さいあいに何かがあったらしい。
 テロリスト選による占拠が終わり、警備員アンチスキル達が現場検証を行っている個室サロンのビルからこっそり抜け出した浜面はまづら滝壺たきつぼは、ようやくその事を察知した。
「……私の携帯電話に、きぬはたからメールが来てた」
 可愛か わ いらしいデザインの電話の画面には、『これから脱出の手引きをするから少しだけ待っていてほしい』という内容のメールが表示されていた。そこから時間がっているが、一向に絹旗からのアクションがないのだ。
 結局、浜面はまづらたちは自力で個室サロンのビルから脱出してしまった訳なのだが、
「おい、絹旗きぬはたとは連絡つながったか? 行き違いになってなけりゃ良いんだけど」
「きぬはたに電話してるけど、全然繋がらない」
 滝壺たきつぼはぼんやりとしたひとみで、自分の携帯電話を眺めている。
 それが『たいしょう』のあくえいきょうが抜け切れていないからか、単にいつでもこんな感じなのか、浜面にはいまいち判断できなかった。そもそも初めて会った時には、すでに滝壺は『体晶』を使い続けている状態だったからだ。
「はまづら。これからどうするの?」
「まあ、絹旗はおれ達よりもよっぽど頑丈なだからな一応メールも送ってあるんだろ。だったらに動かないで、絹旗からの連絡を待った方が良いかもしれない。あいつは滅多めった な事じゃ死なないだろうし―――」
 などと、浜面が言いかけた時だった。

 ボゴッ!! と。
 突然、第三学区の一角から派手な爆発が巻き起こった。

 吹き飛ばされたのは、どこかの建物という訳ではない。地下だ。いきなり遠くの地面が割れたと思ったら、そこから紅蓮ぐ れんの炎が大きく噴き上がってきたのだ。
 爆発は一回ではない。
 ドゴバコベゴン!! と立て続けに炎のかたまりがいくつも地中から飛び出した。アスファルトが裂け、あり地獄じ ごくのように路上駐車されている乗用車をみ込んでいく。個室サロンでテロさわぎがあったせいか付近に人は少なく、幸い、人間が呑み込まれているような様子はない。
 心なしか、爆発は少しずつこちらへ近づいてきているようにも見えた。
 それを眺めていた浜面は、やがてふるえるくちびるを動かしてこう言った。
「ふざけんな。滅多な事が起こってんじゃねえか!!」
 あの爆発に絹旗が直接かかわっているなどという保証はどこにもないが、ああいう派手な爆破事件には、大抵浜面や滝壺といった『やみ』の側の人間が関わっているのだ。可能性はゼロよりは高い。
「それにしても、何が爆発しているんだ?」
「はまづら。地下街かもしれない」
 滝壺が指差した方を見ると、デパートの出入り口から大勢の客がわらわらと出てきた所だった。どうやら地下から黒い煙が出てきたせいで、あわてて避難ひ なんしているらしい。
 浜面はあちこちを見回し、地下鉄の改札口にも連結している、地下街への出入り口を見つけた。黒い煙をき出す煙突のようになっている階段を下っていくと、その先に待っていたのはオレンジ色の光だった。
 業火ごうか だ。
 浜面はまづらの立つ辺りはまだ炎そのものはない。ただし、奥の方で燃え盛る莫大ばくだいなオレンジ色の光が、周囲にあるタイル状の床やてんじょう、ガラス張りの壁などに乱反射し、まるで分厚い光の壁のようになっていた。空気そのものが異様に温められ、まるで巨大なオーブンの中にでもいるかのような錯覚さっかくを感じる。
 確実に何かが起きているが、かと言って絹旗きぬはたがいるという証拠はどこにもない。
 浜面は迷った。
 いるかどうかも分からない相手を探すために足をみ入れるには、この火炎のあらしは危険すぎる。迷っている間にこちらが炎に巻かれてしまってはどうしようもないのだ。
(……進むか戻るか。どうする……?)
「はまづら。あれ!!」
 と、滝壺たきつぼが何かを指差した。
 オレンジ色の炎の向こうで、何かが揺らいでいる。いや、それは人影だ。小柄な人影が、炎の壁にさえぎられた、その先にたたずんでいる。
 それを見つけた浜面は思わず大声で名前を呼んだ、
「絹旗!!」
 呼ばれ、ギョッとした調子でこちらを見る絹旗。彼女は知り合いの顔を見つけても安堵あんど せず、むしろより一層きんちょうした面持おもも ちでこう叫び返した。
「超伏せてください!! 遮蔽物しゃへいぶつに隠れるだけじゃダメです!!」
 その言葉を聞いた直後、浜面は気づいた。
 絹旗のほかに、もう一人、かなり長身の人影が炎の向こうに見える。
 その人影は何か細長い―――機関銃のような物をこちらに向けている。
「ッ!!」
 浜面は滝壼に飛び付くような格好で、まとめて床の上へ倒れ込んだ。熱せられたタイルは焼けるような痛みを与えてきたが、それどころではなかった。

 ドバッ!! と。
 炎の向こうから、大量の弾丸が飛んでくる。

 人間の腰ぐらいの高さの所を、横一線に掃射された。しかも弾丸はただのライフル弾とは違うらしい。ガラス張りの壁どころか、階段近くにあるコンクリート製の柱までがごっそりとえぐり取られている。
「にゃっははーん」
 銃撃じゅうげきはほんの数秒で止まった。
 あらしのような破壊力はかいりょくがったが、それでも本気で浜面はまづらたちを殺すつもりはないのだろう。長身の人影のターゲットは多分絹旗きぬはただ。長大な銃を改めて絹旗の方に向け直し、長身の……おそらくは女の人影が、こんな事を言う。
窒素ちっそ を使って壁を作っているんだから、空気をどうにかしちゃえば封じられると思ったんですけどね。やっぱり空気中の七〇%を占める窒素を完全に追い出すのは難しそうじゃないですか」
(……こいつがやったのか……?)
 火災現場で身を伏せる浜面は、どうにか情報を集めようとする。料理店のプロパンガスなどを利用して地下街を火の海にしているのだろうか。
 銃の構え方は……不良を取りまる警備員アンチスキルに似ている気がする。
 しかし、子供を守るために戦う彼らが、能力者と戦うために地下街を火の海にするような事はない。
おれ達と同じ、学園都市の暗部の人間……? あのデカい銃は、隠し持つ事を前提にしたテロリスト達のサブマシンガンとは明らかにセンスが違うみたいだけど……)
 敵は絹旗の能力の正体を知り、その弱点を突こうとしている。
 そこまで考え、浜面は小型のけんじゅうを取り出した。
 携帯性にはすぐれるが、銃身が短いので遠距離えんきょり での命中精度はかなり低い。確実に当てるためには、最低でも三〇メートルぐらいまでは近づきたい所だった。
(……銃の性能はあっちの機関銃の方が明らかに上。こっちがとうとしている事を勘付かんづ かれれば、迷わず本気の掃射が飛んでくる。どうする? どうやってられずに接近する……?) そんな風に頭を働かせていたが、相手は待たなかった。
 長身の女の人影は、続けてこう言ったのだ。
「でも、特定の条件をそろえて爆破すると、いっしゅんだけ真空に似た状態を作り出せるみたいじゃないですか。ま、かまいたちを作るような、極めて局地的な……せいぜい、数十センチ程度の穴ですが」
「ッ!? 浜面、超早く脱出を―――ッ!!」

「その穴から鉛弾をたたき込めば、自慢じ まんのシールドは使えないんじゃないですか!?」

 ボバッ!! と複数の爆発が同時に巻き起こった。
 それはまるで絹旗の小柄な体を取り囲むように発生した。圧倒的な閃光せんこうが目をおおい、チューブの中を通るように衝撃波しょうげきはが浜面達の元へとおそいかかってくる。
 浜面はとっさに滝壺たきつぼの口と鼻を両手でふさぎ、まぶたを固く閉じた。こんな熱波を吸い込んだらのどや内臓をやられてしまう。
 灼熱しゃくねつの烈風が過ぎ去った後、浜面はまづらはようやく目を開けた。
 炎の向こうで、長身の人影が機関銃を絹旗きぬはたに向けていた。
 敵はこう言っていた。
 局地的な真空状態を作ってしまえば、絹旗最愛さいあいはそこをシールドでおおう事ができない。その穴を通す形で弾丸をち込めば、無防備な体に弾をねじ込む事ができるはずだ、と。
「絹旗!!」
 返事はなかった。
 ただ、長身の人影が構える機関銃から恐ろしい銃声だけが連続した。

     5

 一方通行アクセラレータたちは再び集合した。
 場所は第二学区。自動車や爆薬など、とにかく騒音そうおんの大きい分野の研究施設が多く並ぶ学区だ。学区の周囲を取り囲むように大きな防音壁があり、逆位相の音波を発する事で騒音を打ち消す機構まで備えられている場所だった。
「その特性か人気の少ない学区ではある訳だが……軍需関連の施設も多いからな。兵器の設計に強い潮岸しおきしにしてみれば、ホームタウンみたいなものなんだろうな」
 土御門つちみ かどが半ばあきれたように言った。
 彼らがいるのは、大きなバイパスに寄り添う形で作られた、ガソリンスタンドや軽食店が並ぶ一角だ。高速道路のサービスエリアを思い浮かべれば分かりやすいかもしれない。
 結標むすじめは黒塗りの防弾車のボディに背中を預けながら、
「その潮岸ってヤツの隠れ家は分かったのかしら?」
親船おやふねの話によりゃあ、この学区で試験的に作られているシェルターの一つだと」
 一方通行アクセラレータき捨てるように答えた。
「ここは爆薬を使う学区だろ。だからシェルターのモデルハウスを作って、様々な角度から爆風を浴びせて耐久試験を行う制度があるらしい。そいつの中にまぎれ込ませる形で、潮岸は私設のとびきり硬い要塞ようさいを風景の中に溶け込ませてンだよ」
「その親船は……」
 土御門が首を巡らせると、にっこりと微笑ほ ほ えみ返す老女がいた。服はスーツに変わっている。
 彼女は土御門の視線を受けると、小さく会釈えしゃくしながら、
「ええ。準備はできていますよ」
「秘書の男の方は、『安全な場所』で待っててもらっているんだったか」
 土御門は肩をすくめてそう言った。
 一方通行アクセラレータ親船おやふねの方を見ながら、
「しっかし、秘書の方はよく許可を出したよな」
「まぁ、危険なはさせられませんからね」
 答えになっているのかいないのか、曖昧あいまいな事を親船最中も なかは言う。
 土御門つちみ かどはパンパンと両手をたたいて、
「必要な物はそろった。それなら手早く終わらせよう。顔を突き合わせてニコニコ世間話をするような間柄じゃないからな」

 一方で、学園都市でも一二人しかいない統括理事会正式メンバーの一人、潮岸しおきしは顔をしかめていた。
 特殊な装甲で作られたドーム状の建物は、空間こそ広いが内装は質素だった。全体的な印象は、戦艦せんかんや空母の中のようなものにも近い。所々にある瀟洒しょうしゃや戸棚といったものだけが、持ち主の趣味しゅみ にじませている程度だった。
 潮岸にとっては『安泰あんたい』こそが最大の贅沢ぜいたくであり、そのために最大限の努力と資金を費やした成果だった。事実、この軍事機密のかたまりは、丸ごと骨董品こっとうひんなヨーロッパの古城を買い取るよりも莫大ばくだいな費用をかけている。
 そして。
 大富豪の道楽として極めたはずの『安泰』が、足元から揺るがされていた。
「……同じ統括理事会の正式メンバーによる、同権限者視察制度の執行だと……う・」
 彼ら一二人の間には、確かにそんな取り決めがあった。
 統括理事会正式メンバーは、常に均一の力を持っていなければならない。だれかが突出した力を蓄え、パワーバランスを崩してはならない。議会では一二人全員の意見を平等に扱い、極めて民主的に学園都市を動かしていくために必要なのだ……という目的だったと思う。
 もちろん単なる建前だ。
 一二人はそれぞれが他人を出し抜くために得意分野の力を蓄え、同権限者をとし、少しでも自分にとって都合の良いように学園都市を動かしていこうとする。
 こんなお飾りの制度が振るわれる事など、本来なら絶対にありえないはずなのだ。
(……突き返せるか)
 潮岸は即座に考える。普通ならそういう対応で何とかなる。
 しかし今回は通じなかった。
 改めて統括理事会用のネットワークで確認すると、一二人のメンバーそれぞれに、どうでも良い小さな条約が結ばれていた。それら一つ一つは大した効力を持たないが、不思議と『同権限者視察制度』に干渉するように組み込まれていた。ある方法を使って封じようとすれば別の条約が邪魔じゃま をし、それを取り除こうとすればさらにほかの条約が食い込んでくる。まるで、何年も何年もかけて蜘蜘の糸を張り巡らし、標的を袋小路に追い詰めようとするかのような執拗しつようさを感じられた。
「あの女狐めぎつねめ……ッ!! 自分の権限や支配部署を切りはなしてでもつまらない平和条約を締結ていけつさせ続けていると思ったら、こういうからくりだったのか!!」
 この執拗さもさる事ながら、トラップが行使されたこの時まで、片鱗へんりんも見せなかった事が恐ろしい。親船おやふね最中も なかについては、その動向をチェックし続けてきたはずだったのに。
「いかがいたしましょう」
 かたわらに控えていた子飼いの暗殺者・杉谷すぎたにが率直に質問した。
「このシェルターは物理的・政治的に第三者からの介入を阻害そ がいする機構が備わっていますが、親船最中による『同権限者視察制度』の執行によって、政治的な防御機能はほぼ無力化されました。そして……」
「カメラの情報が正しければ、今の親船は一方通行アクセラレータを始めとした『グループ』の四人を手駒て ごまにしているか、共闘きょうとう関係にあると考えて良い。視察を拒み、シェルター内に立てもっても『安泰あんたい』とはいかないだろう。……何しろ、万全の準備を整えて暗殺を仕掛けたというのに、失敗に終わったのだからな。今のヤツらは、核兵器以上の戦略的価値があると考えた方が良い」
 分厚い駆動鎧パワードスーツに包まれたまま、潮岸しおきしは神経質そうに何度も両手の指を組み直している。対照的に、従えられている杉谷の方が泰然としていた。
「……しかし、彼らは本気でそこまで強硬的な手段に出るでしょうか。仮に『正規ルートの視察を無視された』という大義名分はあるとはいえ、ここで攻め込めば統括理事会同士の戦争に発展しますが」
「……来るさ」
 西洋のよろいのように一体化した足回りでタンタンと床をみながら、潮岸は答える。
「事は『ドラゴン』にかかわるからな。わらにもすがりたい連中なら必ず来る」
「『グループ』の四人はともかく、親船最中にその意思はないのでは?」
「あの女こそ、行動理由の面では最も恐ろしいのだよ。今の今まできばを抜かれていたはずだったが、元々、親船最中は名も知らぬ幼子が泣いているだけで、命をけて国家相手に戦えるような女だった。いかなる政治的手段も通用しない。ヤツが動き出したのなら、こちらも武力で応じるしかあるまい」
「娘の親船素甘す あまを押さえますか?」
「親船はともかく『グループ』には通用せん。余計な事に時間をつぶしている場合か」
 その可能性について自分の頭の中で何度もシミュレートしていたのか、潮岸は半ば言葉をかぶせるように即答した。
「人質を確保するために戦力をき、その間にこのシェルターを占拠されたらどうする? せっかく人質を確保しても、私自身の喉元のどもとに刃が突きつけられれば意味はない。そんなものは『安泰あんたい』の基盤にはつながらないのだよ」
 ……敵が命よりも大切にしているものを確保していれば、たとえ頭に銃口を突きつけられていても交渉の余地ぐらいはありそうだが……この辺りは、潮岸しおきしの主義の問題だろう。彼は、たとえ冗談でも自分の命を作戦に組み込もうとはしないのだ。
 ともあれ、潮岸はこう決断した。
「ここで迎えつ」
 杉谷すぎたには異を唱えなかった。決定には従うまでだ。
 その態度に『安泰』を感じたのか、潮岸はやや口調を穏やかにしながらも、続けて言う。
「総力戦だ。『グループ』の追跡部隊や、人質回収部隊をすべてこちらに集めろ。シェルター内部から侵攻を抑えつつ、後続の部隊を使って外側からも『グループ』を囲い込む。挟撃きょうげきして粉砕するぞ」
「行動の正当性は親船おやふね側にあります。その点については?」
「ただ突き返すだけではだな。情報解析部門の班を動かして、視察の申請書類を徹底的てっていてきに洗い直させろ。『書類の判子はんこ かすんでいる』でも良い。とにかく受理できないための判断材料を提示してしまえばこちらのものだ」
 駆動鎧パワードスーツに包まれた潮岸は、迅速じんそくに頭を動かす。
『安泰』を求める時に、彼の頭脳は最も高速に演算を行うようにできている。
「互いが提示する『行動理由』には、それぞれの思惑が隠れている。胡散う さんくさい正当性を突きつけた後に残るのは、武力による勝敗のみ。後はこちらが勝ってしまえば、ほかの統括理事会正式メンバーについても働きかけやすくなる。……今までもそれで成功してきた。そしてこれからも変わらないのだよ」
「では」
「始めるぞ。何はともあれ、親船最中も なかと『グループ』を殲滅せんめつしない事には一安心もできない」

 似たようなドーム状のシェルターが並ぶ一角までやってきた一方通行アクセラレータたちは、そこで足を止めた。
 路上駐車された乗用車の陰、建物の角、工場の屋根。
 一見すると何でもない風景の中に、特殊な防弾装備に身を包み、サブマシンガンやライフルなどで武装したプロの戦闘せんとう要員が溶け込んでいた。
 潮岸の手駒て ごまだ。
 一方通行アクセラレータ達が立ち止まった事を、彼らは一つのサインとして受け取った。
 降参や降伏などではない。
 逆に、徹底てってい抗戦のジェスチャーであると。
 身の丈が七メートル近い駆動鎧パワードスーツが、建物の屋上から次々と飛び下りてきた。爆弾処理にも使う、アーム付きの遠隔えんかく操縦装甲車がバリケードを作るように急停車する。装甲車の屋根には、戦車のような巨大な砲塔が取り付けられていた。
 土御門つちみ かどは思わず笑ってしまった。
流石さ す がは軍需部門の潮岸しおきし手駒て ごまに配る兵器にも遊び心があふれているな」
「……どう思うかしら? 統括理事会なら、一方通行アクセラレータに普通の戦力が通川しない事ぐらい分かっているはずよ」
「気づいてねェのか」
 つえを突いた一方通行アクセラレータは、あごで空中を示す。そちらにあるのは、潮岸が立てもっているであろうドーム状のシェルターの頂点部分だ。何やらバスケットボール状の金属球が取り付けられている。まるでジャミング用の全方位送信レーダーのようだった。
「AIM拡散力場に干渉する装置だ。本体はドームの何割かを占めてるだろォがな。この街の少年院には、能力を使った脱走を防止するためのAIMジャマーがあンだろ、あれの統括理事会スペシャルってトコか。おそらく今の設定はオマエだろォな。核爆発に耐えるシェルターにとって一番怖いのは、そォいう三次元的な防御機能の通じない、空間移動テレポート系の能力のはずだ」
 言われ、結標むすじめは腰に差してあった軍用のかいちゅう電灯を取り出した。手の中でバトンのように軽く回し、まゆをひそめる。
「……能力自体は使えるけど、強引にねらいを外される印象ね。飛ばす事はできても地面に埋まりそうだわ」
「統括理事会の、それも兵器や軍需のスペシャリストなら、当然おれの軍事的価値も理解してンだろ。この程度の手駒で始末できるはずはねェって事もな」
 一方通行アクセラレータはくだらなさそうな調子でき捨てる。
「ただ、その戦闘せんとう結果から俺のAIM拡散力場のサンプルを入手すれば、そこからデータを算出して妨害ぼうがい電波みてェなものを放てるかもしれねェ。データ算出が進めば、最低でも俺と結標の二人は『能力の暴走』で吹き飛ばせるって寸法だ」
「どうするのですか?」
 戦闘とは無縁な調子の親船おやふね最中も なかが、ややきんちょうした面持おもも ちで質問してきた。
「決まってンだろ」
 対して、一方通行アクセラレータは首の関節を鳴らすように、首の横へ手をやった。
 そこにはチョーカーの電極のスイッチがある。
「正面突破だ」

     6

 統括理事会正式メンバーの一人、潮岸しおきしは用心深い事で有名な人物だ。それは、ほぼ二四時間駆動鎧パワードスーツに身を包んでいる事からも明らかだろう。当然ながら、その本拠地自体の硬度も高い。第二学区の試験シェルターの中にまぎれ込ませた、直径二〇〇メートルほどのドーム施設は、並の戦略兵器程度ならしのぎ切れるとまで言われていた。
 が。
「強度が足りねェンじゃねェか」
 一方通行アクセラレータのささやきが風に乗る。

「核をっても大丈夫だいじょうぶってキャッチコピーは、こォいうチカラに使うンだよ」

 ゴバッ!! という爆音が炸裂さくれつした。
 ドームの前方、三分の一がグシャグシャにはじけて夜空に散った。
 一方通行アクセラレータが放ったのは簡単なものだった。付近停めてあった乗用車を片手でつかみ、それを思い切り投げつける。利用した物理法則は大した事はない。使っている道具も特殊な材質ではない。しかし、『あらゆるベクトルを操作する』という異物が混じるだけで、単なる投擲とうてきはシェルターを粉砕するほどの結果を生む。
「行くか」
 当の一方通行アクセラレータはくだらなさそうにつぶやき、電極のスイッチを元に戻す。少しでも電力を節約するため、自作のつえを使って前へ進む。止められる者はいなかった。シェルター破壊は かい時にき散らされた衝撃波しょうげきはは辺りの兵隊の意識を奪い、遠隔えんかく操縦の装甲車を横転させ、駆動鎧パワードスーツの関節部分を破壊していた。
 一方通行アクセラレータは吹き飛ばされた壁の跡地から、施設の中へとみ込みながら、
「潮岸の部隊が再起動するまで一〇分から二〇分ってトコか。それまでに潮岸を押さえて武装解除させるぞ」
「面倒ね。そんな大技を連発できるなら、さっさと遠距離えんきょり から圧殺してしまえば良いのに」
 結標むすじめは退屈そうに言ったが、一方通行アクセラレータは舌打ちで応じた。
つぶすのは『ドラゴン』について聞き出してからだ」
「あ、あの……」
 一緒いっしょについてきた親船おやふねが、後ろを振り返りながら質問してくる。
土御門つちみ かどさんがついてきませんけど」
「あいつは外で足止めだ。全員きちんと行動不能になったか確かめてねェし、後から増援が来るかもしれねェからな」
「私や一方通行アクセラレータはAIM拡散力場を解析されると困るけれど、あのサングラスは能力にたよっていないから問題ないのよ」
 一人で大丈夫だいじょうぶだろうか、という目の親船おやふねだったが、一方通行アクセラレータ結標むすじめ淡希あわき も気にしていなかった。死んだらそれまでの話である。彼ら『グループ』は、戦力としての価値でのみつながっている集団だ。無言でその価値を示してこその『グループ』なのだ。
 一方通行アクセラレータ一撃いちげきで、ドームの中はグシャグシャになっていた。フォークを使って汚くつぶしてしまったロールケーキのようになった施設内を、一方通行アクセラレータたちは進む。通常の順路は関係なかった。潰れ、崩れ、強引に開いた壁の裂け目から奥へ奥へと入り込む。
 途中、潮岸しおきしの私兵らしき男達がポツポツと倒れているのが見えた。おそらく一方通行アクセラレータの一撃でドーム全体が揺さぶられた際、その余波を浴びて気を失ったのだろう。
「建前じゃ『視察』って事になっている。潮岸とサシで話をつけるのは親船の仕事で、おれ達はそのサイドで身辺警護するって構図だ」
「問題の隠れ家までは私達で壁をこわして進むけど、最後の最後では矢面やおもてに立ってもらう事になるわ―――」
 結標が言いかけた時、変化があった。
 突然、てんじょうからギロチンのように隔壁かくへきが下りたのだ。それは一方通行アクセラレータ・結標の二人と、親船最中も なか綺麗き れいに寸断する形で通路をふさいでしまう。
「結標!!」
「ッ!!」
 彼女の能力は、三次元的な制約を無視して遠くはなれた者を自由に移動できる。しかし隔壁の方をにらんだ結標は首を横に振った。
手応て ごたえなし。隔壁の向こうでさらに何かがあったみたいね。親船は向こう側にいないわよ」
「チッ、役立たずが!!」
 一方通行アクセラレータは首筋にある電極のスイッチに手を伸ばそうとしたが、そこで新たな足音が聞こえてきた。
「手合わせ願おうか」
 そう言ったのは、スーツの男だった。一方通行アクセラレータには見覚えがある。第三学区の個室サロンを占拠した元迎電部隊スパークシグナルを大型のけんじゅうで皆殺しにした潮岸の私兵だった。確か名前は杉谷すぎたにだったか。
 杉谷はスーツの内ポケットから煙草タ バ コの箱を取り出し、、くちびるを使って細い煙草を一本引き抜きながら、
「二度と会わない事を祈っている、と言ったつもりだったがな」
「オマエの方から仕掛けてきたんだろォが」
「そのための努力はお前の方でやれ、とも言ったはずだ」
 煙草タ バ コに火をけるため、杉谷すぎたには煙草の箱と交換するように、安物のライターを取り出す。格好や雰囲気ふんい き に反して、コンビニでも売っているような、透明なプラスチックのライターだった。
「オマエは『ドラゴン』について知っているのか」
「あれはな」
 口にくわえた煙草に火を点けるため、ライターを近づけながら杉谷は言う。
 少なくとも、一方通行アクセラレータにはそう見えた。

 しかし、直後に聞こえたのは、パシュッ!! という小さなガス発射音だった。

 杉谷のライターから音はひびき、一方通行アクセラレータとなりに立っていた結標むすじめ淡希あわき なぐられたように床に倒れ込んだ。悲鳴はなかった。そして結標は正体不明の一撃いちげきで完全に意識を失っていた。
(ライター用のガスじゃねェのか……?)
 おそらくもっと高圧のガスを封入しておき、それを一気に解放する事で、小さな麻酔弾を射出したのだろう。真正面から奇襲きしゅうを成功させた杉谷は、演技に使った煙草を床にき捨て、一方通行アクセラレータにこう言った。
「現代の戦闘せんとうの基本は総力戦ではなく、そうなる前にケリをつける事だ」
「……、」
潮岸しおきしからのオーダーでな。単純に高破壊力はかいりょく一方通行アクセラレータより、あらゆる壁を素通りできる結標の方が破壊の優先順位を高く設定されていた」
「何なンだオマエ」
甲賀こうが だよ。甲賀の末裔まつえいだ」
 自嘲じちょうするように杉谷は答えた。
「ずっとずっと昔から、正義と名乗ってこんな事を続けてきた、卑怯者ひきょうものの集団さ」
 言いながら、杉谷は大型のけんじゅうを取り出す。
 しかしそれは本命ではないだろう。これまでの戦い方から考えて、そんな分かりやすい方法は使わない。あるいは、その裏の裏をかいて、えて真正面から弾丸が来るか。
 考えれば考えるほど深みにはまりそうな敵だった。
 油断を与えぬよう手足の先まで観察する一方通行アクセラレータに、杉谷は言う。
親船おやふねは終わりだ」
 その一言に、一方通行アクセラレータまゆが動く。
「統括理事会の老人二人が正面から向き合う事は実現してしまったが、潮岸は特注の駆動鎧パワードスーツに身を包んでいる。親船の服の中に隠せるレベルの武装で応じられるレベルの強度ではない。あの老女は建設重機以上の力で引き裂かれて死ぬだろう」
「あの潮岸が、自分の命や体を策に組み込む許可を出すとは思えねェがな」
「それはこちらのわがままのようなものだ。潮岸しおきし今頃いまごろ面喰めんく らっているだろうが、役割ぐらいは果たすはずだ。駆動鎧パワードスーツで武装したあの男が、ただの老女に敗北するとも思えない」
 杉谷すぎたには特に勝ち誇る事もなく、ただ事実を事実として告げる。
「統括理事会の親船おやふねさえ排除できれば、政治的な対等関係は排除できる。後は学園都市の総力を動員してお前たちをここから追い出し、しかるべきルートを使って打ち止めラストオーダーなどの『切り札』を確保すればおしまいだな」

     7

 学園都市の最高幹部、統括理事会の二人は正面から向き合っていた。
 間にあるのはテーブル。
 紅茶とお茶菓子がないのは減点だが、それを除けば上流階級らしいおだやかな雰囲気ふんい き に包まれた対話の場が構築されていた。一方通行アクセラレータ攻撃こうげきのおかげでドームには亀裂き れつが走り、星空が顔をのぞかせていたが、それもインテリアの一つとして許容できそうだった。
 親船と潮岸。
 共に歴史の中で多くの事柄に深くかかわってきた二人の老人は、それぞれ柔和にゅうわな笑みを浮かべている。
「ええ。私から要求したい事は本当に簡単なものなんですよ。それはお金でも、権限でも、ましてあなたの生命でもありません」
 口火を切ったのは親船の方だった。
「今後、あなたが立案・実行するすべての計画・作戦から、『あなた以外の生命を勝手に組み込み消費する』という条項を永久削除してほしい、というだけなんです。ええ、簡単でしょう。あなた以外の人間ならば、だれもが当たり前に守っている事なんですから」
 確かに、言っている事だけなら簡単に聞こえる。
 しかし親船最中も なかは、それを『徹底てってい』するはずだ。ここで『分かった。もうしないと約束しよう』などという口約束では終わらせない。潮岸が直接的に動かせる私兵を全て解散させ、さらには間接的に他部隊に働きかけたり、傭兵ようへいを雇って動かすための力や権限も完璧かんぺきに奪わなければ納得しないはずだ。
 それは、潮岸から全てを奪うのと同義だ。
 彼をたくましく見せている全てを取り除き、ただの凡人になれと宣告しているようなものだ。
「そうそう、『ドラゴン』についてもお聞きしましょうか」
「君にそれが必要かね?」
「私にというよりは、協力者である『グループ』の方々からたのまれていましてね」
 潮岸はわずかに沈黙ちんもくし、それから口を開いた。
 駆動鎧パワードスーツのヘルメット越しに、正面に座る親船おやふねの顔を見ながら。
「……親船クン。君は『ドラゴン』について、どこまで知っている?」
「知りませんよ。私の権限が書類通りなら触れる機会もあったでしょうけどね。そうでなかったのはあなたが一番良く分かっているはずです」
「あれは人の目に触れてはならないものだ」
 潮岸しおきしは、自分が非難されている事にも気づかずにそうつぶやいた。
「私は学園都市を守るために必要な事柄を一つ一つ果たしているに過ぎない。『ドラゴン』とは、それほどの危険な価値のある単語なのだよ。君は私を野蛮や ばんと称するだろうが、それは『ドラゴン』について知らないからだ。そして私も知らせるつもりはない」
「私もまた同様ですよ」
 親船は、柔和にゅうわな笑みを崩さずに即答した。
「そして、必要ならば野蛮と呼ばれる行動を起こすまでです。あなたの魔手ま しゅから大切な人たちを守るために有用とあれば、『ドラゴン』について迫るのもやむなし、といった所です」
「決裂かね」
「我々が守りたいという『学園都市』は、おそらく違うものを差しているのでしょうね。だから我々の道はたがえてしまった」
「そうか」
 潮岸は、ヘルメットの中で一度だけ短い息をいた。

 ごう!! と。

 直後に、駆動鎧パワードスーツの全出力を費やし、潮岸は親船へ特殊合金のこぶしを放つ。

 潮岸が装着している駆動鎧パワードスーツは、学園都市が軍用に採用しているものをさらにグレードアップさせた特注品だ。機動性や他の火器との相性よりも防御力・耐久性を中心に改造をほどこしているが、それはつまり、親船に放った巨大な拳がどれだけ頑強なものかを示していた。
 建設重機どころの話ではない。
 老女の体など、粉微塵こなみ じんになってしまうはずだ。
 だが、
「……少しは考えなかったんですか?」
 親船最中も なかの体はグシャグシャにひしゃげるどころか、傷一つなかった。
 いや違う。彼女が潮岸の拳を受け止めたのでも回避かいひ したのでもない。駆動鎧パワードスーツの拳は、途中で止まっていた。電源が落ちたかのように、ただの重たい金属のオブジェになっている。
駆動鎧パワードスーツに身を包むあなたと同様に、親船最中も自分のへらを守るための策を講じないのか、という可能性について」

「な、に……!?」
 老女の手に握られているのは、黒曜石こくようせきでできたナイフ。
 一方通行アクセラレータ攻撃こうげきのダメージによって開いたてんじょう亀裂き れつからのぞく、金星の光を反射させて利用するその霊装れいそうは、ありとあらゆる物体をバラバラに分解する。
 しかし、当然ながらそんなものは親船おやふね最中も なか得物え ものではない。
 老女は顔に手をやった。
 まるでパックのようにベリベリと顔の表面ががれていく。いっしゅんだけかっしょくの肌が見えたが、正体不明の人物は再び別の『顔』をり付けていた。
 その先にいたのは……、
海原うなばら光貴みつき ……ッ!?」
「おや、その名で良いんですか? てっきりエツァリと呼ばれるかと思っていましたが」
 海原は黒曜石のナイフを軽く振るいながら応じる。
 その間にも、潮岸しおきしを守っていた駆動鎧パワードスーツはポロポロボロボロと崩れていく。ありとあらゆるネジが外れ、鋼板と鋼板の隙間すきま が広がり、モーターや歯車が床へ落ちていく。
 完全に装甲を失い、礼服の老人が外気にさらされるまで、そんなに時間はかからなかった。守りを失った事でドッときんちょうの汗を流す潮岸を見て、海原はうっすらと嘲笑ちょうしょうう。
「割と運は良い方なんですね。この『やり』の効果範囲が肉体にも及んでいれば、今頃いまごろ肉と骨がバラバラになっていたはずなんですけど」
 まあ、『ドラゴン』について尋ねる前にそうなっても困る訳ですが、と彼は付け加えた。
 一方の潮岸しおきしは、わずかにこびりつく機械の残骸ざんがいを振り払いながら、
親船おやふねは……結局、あの腰抜けは安全地帯から高みの見物をしているという事か……ッ!!」
「どうなんでしょうね」
 海原うなばらの目がわずかに細くなった。
 己の認めた人物が侮辱ぶじょくされた時のような表情だった。
「自分の護符は人間のを材料としますが、親船さんはいっしゅんも迷いませんでしたよ。腕とはいえ、一〇センチ大の皮膚を裂くのは結構な痛みだと思いますけど」
 海原は黒曜石こくようせきのナイフに指をわせ、一歩一歩近づきながら言う。
「『ドラゴン』についてお聞きしましょうか。それとも、腰抜け呼ばわりした親船さんが、どれだけの痛みに歯を食いしばったか、確かめてみます?」
「く……ッ!! !!」
 潮岸は後ろに下がりながら、礼服の内ポケットに仕込んでいたボタンを押した。
 その途端と たんに、隔壁かくへきが開いて二人の大男が現れた。おそらくその片方が『美濃部』とやらなのだろう。
 彼らは潮岸を守るたてのように、海原の前に立つ。
「警備の柱は杉谷すぎたにだけだと思っていたのか」
 潮岸は追い詰められ、顔を引きつらせたまま、不自然な笑みを浮かべていた。
「私は身内に裏切られた時のために、常に警備組織を『杉谷班』と『美濃部班』の二つを用意しているのだよ。いざとなったら互いに殺し合えるようにな。……君は有能な戦闘せんとう要員のようだが、個人で対応できる戦力ではないぞ」
 二人の大男を足止めにしたまま、潮岸は一人で脱出しようとする。
 海原の顔が強張こわば る。
 しかし出口の辺りで、潮岸の動きが不意に止まった。彼は出口の向こうにある何かを眺めておどろいている。
なんだ」
 逃げるのも忘れ、潮岸は再びこちらを振り返った。
 自分の部下である二人の大男に向かって、潮岸は疑問をたたきつけていた。
「何故、お前達二人以外の警備が皆殺しにされている!?」
 対して、二人の大男の内の片方が口を開いた。
 しかし彼は潮岸の疑問には答えなかった。大男は海原の顔を見ながらこう言ったのだ。

「割と早かったな、エツァリ」

 どす、という鈍い音が聞こえた。
 統括理事会、潮岸しおきしの腹から何かが生えていた。それはナイフだった。適当に投げつけたものだ。ただし一般的な、はがねを使った刃物とは違う。黒曜石こくようせきという石を徹底的てっていてきみがいて作られた、とある部族で使用されているナイフだった。
 海原うなばらのものではない。
 投げたのは潮岸を守るために動いていたはずの、と呼ばれていた男だ。
 振り返りもせず、ぞんざいに投げつけられたナイフを見て、潮岸はしばらく固まっていた。しかし彼の体は横にぐらりと揺れ、そのまま倒れ込む。
 エツァリという名前。
 黒曜石などという、一見金属に比べて合理性の低い武器の選択。
「まさか」
「考えなかったのか」
 二人の大男は、それぞれ顔に手をやった。
「お前と同じ方法で、学園都市の暗部にもぐり込んでいる者がいる可能性を」
 ベリベリとがされる顔の。その後から新たに現れる別人の顔。その顔に合わせ、体格や性別すらも迅速じんそくに変更していく。それは海原と全く同じ現象だった。アステカの魔術まじゅつを利用した現象だった。
 現れたのは、二〇代後半の男と、一〇代半ばの少女だった。
「テクパトル……それに、トチトリ!!」
 テクパトルは、かつて海原……エツァリが所属していた組織で、作戦の立案などを行っていた男だ。そしてトチトリは、ショチトルの戦友だった少女である。
「潮岸の警備ラインから中枢に潜り込み、やがては潮岸そのものと入れ替わる予定だったんだがな。ヤツは駆動鎧パワードスーツを脱ごうとしないし、強引に装甲を破壊は かいすればセンサーで杉谷すぎたにの方に伝わってしまう。どうしたものかと迷っている内に、お前たちが攻め込んできた、という訳だ」
 かっしょくの男、テクパトルは海原の顔を見て、大して悔しくもなさそうな調子で言う。
「『潮岸というポスト』そのものが砕かれてしまうのでは、入れ替わっても意味はない。この辺りで幕引きする事にした訳だが……最後の最後で良い土産み や げができた」
「……自分の首を持ち帰った所で、『組織』そのものにとって大きな利益を生むとは思えませんけど」
「いいや。そうじゃない。そうじゃないんだよ」
 テクパトルは肩をすくめてこう答えた。
「そもそも、我々が学園都市の中枢に潜り込み、潮岸と入れ替わろうとしたのは、暗部に隠れたお前を捜し出して殺すためだったんだ。何しろ、『グループ』なんて部署に所属されちゃ、そんじょそこらの情報もうでは居場所はつかめないからな。……逆に言えば、お前の首さえあれば問題ないんだよ」

     8

 結標むすじめ淡希あわき はダウンした。
 よって、ここで戦うのは一方通行アクセラレータ杉谷すぎたにのみ。甲賀こうが 末裔まつえいと名乗った暗殺者を正面からにらみ、一方通行アクセラレータは首筋にある電極のスイッチに触れる。
「ここで殺すが、構わねェな」
「構わんよ。寝言一つで憤慨ふんがいするほど小さい器ではないのでな」
 ドッ!! と二人は同時に前へ出た。
 一方通行アクセラレータは脚力のベクトルを制御し、砲弾のように突っ込んだのだが、それに対して杉谷の方はポケットから複数のライターを取り出した。ガスを噴出したままロックする改良をほどこしたライターを適当に放り投げると、そこへ火のいた煙草タ バ コを投げ捨てる。
 ボバッ!! という爆炎がこわれた通路の壁となった。
 しかし一方通行アクセラレータの『反射』の前には通じない。
 彼は迷わず炎の壁を突き破り、
(いない?)
 目標を見失い、靴底くつぞこで急ブレーキをかける一方通行アクセラレータ。だがもう遅い。目くらましを使った杉谷は、彼の背後へ鋭く回り込んでいる。
「確か、木原き はら数多あ ま たはインパクトの直前にこぶしを引く事で『反射』の壁を破っていたな」
「ッ!?」
 死角から声と拳が飛んできた。
 一方通行アクセラレータあわててそこから飛び退き、
「そして、垣根かきね 帝督ていとくはこの世界に存在しない物質を使って、この世界に存在しないベクトルを生み出していた」
 声と拳はそのままピッタリと追跡してきた。
 人間ばなれした、あまりにもなめらかすぎる足捌あしさばきをする杉谷は、海中の魚よりも鋭角に素早く曲線を描き、至近距離きんきょり を保ち続ける。
 ゴッキィ!! という大きな音が鳴った。
 一方通行アクセラレータの顔面にビリビリとした痛みが走り、そして杉谷の方も初めて後ろへ下がる。
「なるほど」
 杉谷は自分の手首をぷらぷらと振りながらつぶやいた。
 まるで捻挫ねんざ でもしたかのように、関節が大きくれ上がっている。
「一部の特殊な例外は、彼らの得意分野を突きつめた結果のもの。私がそれを参考にした所で、完璧かんぺきとはいかないか」
「……、」
 それでも、何の能力もなく一方通行アクセラレータの脳を揺さぶったのは、一流の腕があってこそだろう。その辺の不良なら手首の骨どころか、血流の制御を奪われて内臓を粉砕されていた所だ。
三下さんしただな」
 冷静に分析して、しかし一方通行アクセラレータき捨てるように告げた。
「そこそこの腕を持っていても、実行できるのは腹黒ジジィの命令に従うだけか。そンな野郎が、正義を名乗ってきた連中の末裔まつえいだと?」
「……、」
潮岸しおきしの野郎が善人に見えンのか。それに従ってるオマエは正しいのか? 笑わせンじゃねェよ。答えはだれでも分かる」
「……確かに、善なんて言葉はいつでも権力者に利用される。仮にそうではなかったとしても、完璧な制度など築けない」
 だが、と杉谷すぎたには付け加えた。
 迷わずに。

「だからと言って、すべてを悪にゆだねれば、地球上の問題は一つ残らず丸く収まるのか?」

 一方通行アクセラレータと杉谷は正面からにらみ合う。
 悪の視線を受け、善は真正面から糾弾きゅうだんする。
「ふざけるんじゃない。お前たちのような悪がやっているのは、善が取りこぼした食べ残しをあさっているだけだ。二、三の悲劇を食い止めた程度で、一〇〇や一〇〇〇の悲劇と常に立ち向かっている我々に勝ったつもりなのか? いやしい残飯拾いの分際ぶんざいで、その残飯だけで世界の腹を満たせるとでも思っているのか?」
「クソ野郎が」
 対して、一方通行アクセラレータの方も真正面からののしった。
「その残飯を、卑しいと思っている時点で、オマエの善は本物なンかじゃねェンだよ」
「本物だと?」
 杉谷のまゆが動いた。
「お前のような悪党が、善人を知っているとでも言うのか?」
「……、」
 今度の問いには、わずかな間があった。
 しかしそれでも、一方通行アクセラレータはこう言った。
「知っているさ。……思い返すだけで頭にくるぐらいにな」
「そうか」
 言いながら、杉谷すぎたにはズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「だが、お前がその善人と会う事はもうないだろう。……ここで死ぬのだからな」

 直後。
 一方通行アクセラレータの電極が、唐突に効力を失った。

 学園都市最強のが、ひとりでに床へ崩れ落ちた。もぞもぞと手足の先を動かそうとしているようだが、大した結果は生んでいない。
「もはや人の言葉を理解できる状態ではないだろうが、お前の電極は遠距離えんきょり から操作できるように改造がほどこされていた。ミサカネットワークから乖離かいり してしまえば、お前の戦力はゼロになる」
 杉谷はそこまで言うと、一方通行アクセラレータつえに目をやった。
 支給時の資料とは形状が変わっていた。多少の改良が施されており、おそらく電極の力を完璧かんぺきに失っても自立できるようにしたかったのだろう。だが、それもかんばしくはなさそうだ。
「これが私の言う善だ」
 言いながら、杉谷は大型のけんじゅうを取り出した。
 第三学区の個室サロンのビルで、『ドラゴン』について知りたがっていたテロリストたちを皆殺しにした拳銃だ。『反射』を失った今の一方通行アクセラレータなら、一発で殺せるだろう。
卑怯者ひきょうものの世界に生きながら、それでも善であろうとあらがい続けた男のやり方さ」

 ドパン!! という大きな銃声だけが鳴りひびいた。

     9

 ステファニー=ゴージャスパレスは軽機関散弾銃の引き金を引いていた。
 地下街にあふれる炎の照り返しを受けて、無骨ぶ こつな金属のかたまりが不気味にかがやいている。その散弾のあらしは一〇メートル以内なら並の装甲車を数秒でぎ払う威力を秘める。冗談でも何でもなく、切り開いたサイコロの展開図のようにしてしまえるのだ。
 絹旗きぬはた最愛さいあいは『窒素装甲オフェンスアーマー』という能力で自分の身を守っているが、それにも限界はある。
 ステファニーはプロパンガスのボンベを立て続けに爆発させる事で瞬聞的しゅんかんてきに空気を吹き飛ばし、絹旗の近辺にはごく小さな真空空間を作っていた。そこには窒素ちっそ の壁もない。ステファニーの散弾はそのまま素通りする。
 ステファニーは迷わなかった。
 このいっしゅんすきに、ありったけの散弾をブチ込むべく人差し指を動かす。

 ボバッ!! と空気が破裂した。

 莫大ばくだいな威力を秘める散弾のあらしは辺りの空気を巻き込み、黒煙をみ込み、炎の壁すら揺らがせた。すべての音をたたき割るほどの銃声が連続し、絹旗きぬはたのいる空間へと鉛弾が突っ切っていく。どう考えても致命傷。しかしステファニーはそこで止まらない。さらにさらにさらに引き金を引き続けて散弾をち込んでいく。
 軽機関散弾銃などという怪物兵器を操っているせいで分かりにくいかもしれないが、ステファニー=ゴージャスパレスの戦い方は警備員アンチスキルの基礎に基づくものだ。
 強大な能力者ほど自分の能力だけが実現できるイレギュラーな戦い方を好む傾向があるが、彼女はその逆。しかし、それは決して並で平凡な実力を意味しているのではない。
 基礎とは、人間が長い年月を掛けて最適化してきた、一番のない効率的な戦い方だ。それを追求する事が、人をどれだけ強くするかは明らかだろう。
 つまり。
 彼女の弾丸は、無駄なく正確に標的をおそう。
 同じ地下街の……だが炎の壁にはばまれた向こうから、少年らしき声が聞こえた。
「きっ、きぬっ、絹旗ああああああああああああああああああああああああああ!!」
 本人の代わりに断末魔だんまつま の悲鳴を上げているようだった。
 ステファニーの顔は晴れない。
 手応て ごたえがないのではない。炎と煙にさえぎられていて見えないが、今こうしている間にも絹旗最愛さいあいの肉体はグチャグチャの肉へ変貌へんぼうし続けているはずだ。
 気に入らないのはあっさり過ぎた事だ。
 砂皿すなざら緻密ち みつのためのふくしゅうのはずなのに、こうも簡単に終わってしまった事だ。
 もっともっともっと苦しめなくてはならないのに。
 どうしてこんな簡単に終わってしまう?
「……ふざけてんじゃないですか」
 ギリギリと、ステファニーは自分の奥歯がきしむ音を聞いた。頭蓋骨ず がいこつゆがむのではと思うほどの勢いで、歯を食いしばっている自分がいた。
「私があなたに叩きつけたかったのは、こんなもんじゃないんですよ。ここはまだまだ序ノ口なんですよ! 勝手に終わってんじゃないですよッ!! あなたは砂皿さんを叩きつぶしたんだ!そんな野郎があっさり死んでいるんじゃねえ!! もっと苦しめ! もっと命乞いのちごいしろ!! 立てよ、立って殺されろ!! 一〇〇〇回殺されるために生き返れっつってんだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 あまりの散弾の勢いに、空気がぼうちょうしたような突風が吹いた。
 自分の顔に黒煙がぶつかり、鼻から勢い良く吸い込み、き込みながらステファニーはようやく軽機関散弾銃の引き金から指をはなした。
 黒煙の壁が途切れる。
 その向こうにある物が見える。
 この程度で終わりかよ、とステファニーはき捨てる。
 その時だった。

 パン!! という乾いた音。
 銃声がひびき、ステファニーの腹に風穴が空き、そして彼女は見る。
 黒煙の向こうから、絹旗きぬはた最愛さいあいがこちらにけんじゅうを向けているのを。

「な、に……!?」
 ステファニーはおどろいた顔で、絹旗の全身を眺めていた。
 無傷ではない。小さな顔はなぐられたように大きな青痣あおあざができているし、大きく露出ろしゅつした太股ふとももからは真っ赤な血が垂れている。しかし、それだけだった。軽機関散弾銃が本来引き起こすべき、肉と骨と内臓がグチャグチャに混ざったような傷口はどこにもない。
 理解できなかった。
 しかしとにかく、ステファニーは軽機関散弾銃を改めて絹旗に向け直そうとした。
 だが、一発の弾丸は思った以上にステファニーの動きを鈍らせた。
 軽機関散弾銃の銃口がターゲットに向くより早く、さらに絹旗は拳銃をつ。二発、三発と弾丸がステファニーの腕へ突き刺さり、巨大な銃器が床をすべった。
「死ぬなと言うのでご期待に沿ってみたんですけど、超迷惑でしたかね?」
「どうやって……」
 疑問を口にしたステファニーは、そこで床に転がっているものを見た。ヘアスプレーぐらいの金属缶だ。ただし、サイズに比べて金属の厚さは随分ずいぶんぶ厚そうに見える。内圧に耐えられなくなったのか、分厚い缶は内側から破裂していた。
 金属缶の表面には、アルファベットが刻まれていた。
 ステファニーはそれが、原子記号の一種であると読み取った。
「……液体、窒素ちっそ ……ッ!?」
「そんなに超驚くような事ですかね。壁と壁の間を超真空にして断熱してしまえば、持ち歩くのはそれほど難しくないんですけど」
 ようは、局地的な真空状態を作り出したステファニーに対し、絹旗の方は液体窒素を常温の空気中に放って、瞬間的しゅんかんてきに大量の窒素ちっそ を『補給』したのだ。
 絹旗きぬはたけんじゅうを突きつけながら、うっすらと笑う。
「私は窒素を操る能力者です。言ってしまえば、超それだけしかできない人間なんです。そんな人間が、『窒素を奪われたらどうしようもない』事を超理解している人間が、その対策を全く講じていないとでも? まして私は学園都市の最暗部の人間ですよ。超必要な物を用意させる事は何ら難しくはありません」
 床の上にあった軽機関散弾銃へ炎がおおかぶさり、中に収まっていた弾薬がはじける。
 しかし絹旗はそちらを見る事もしなかった。
「元警備員アンチスキルのあなたは、確かに能力者との戦いを超熟知し、その弱点を見抜く能力を有していました。ですが、そもそも私が勝ち残り生き残るために超あがき続ける『人間』である事を理解していなかったようですね」
 言いながら、絹旗は拳銃をしまった。
 見逃すのではない。
 最後の一撃いちげきは、一番自信のある……能力によって確実にケリをつけたいというだけの事。
「ああ、そうそう」
 別れの言葉のように、絹旗は言う。
「強力なシールドを有し、自動車をつかんで超投げつけるような能力者である私は、接近戦ではほぼ無敵です。私にとって最も厄介やっかいな敵は、自分の攻撃の届かない所から一方的に超的確な狙撃そ げきを受け続けてしまう事。……あなたみたいな火力鹿より、砂皿すなざら緻密ち みつの方がよっぽど的を射ていましたよ!?」
 ステファニーは腰から予備の拳銃を抜こうとした。
 それより早く、絹旗は動いた。
 自動車すら軽々と持ち上げるほどの腕が、ステファニーをねらう。

     10

 アステカの『組織』を実質的に動かしていた男、テクパトル。
 彼はショチトルの戦友である少女、トチトリを引き連れて海原うなばらの前に立った。離反者り はんしゃである彼を殺すためだけに。
 おかしな組み合わせだな、と直感で思った。
 トチトリとテクパトルは、それほど折り合いの良い方ではなかったはずだ。死地で背中を預けるような信頼しんらいがあるとは思えないが、そこは組織としての上下関係だけで払拭ふつしょくできるか。ともあれ、今最も気にするべきはそこではない。
「……、」
 海原うなばらは思わず、自分の手の中にある黒曜石こくようせきのナイフに目をやる。
 トラウィスカルパンテクウトリのやり
 金星の光を反射させて浴びせる事で、あらゆる装甲をバラバラに分解させる霊装れいそう。その効力は人体であっても変わらない。テクパトルやトチトリに当てれば、その体は職人が牛や豚をさばくよりも的確に肉と骨を分けてしまうだろう。
 できるのか。
 たもとを分かったとはいえ、かつての仲間たちに使って良いのか。
「おいおい」
 逡巡しゅんじゅんする海原に対し、テクパトルは悩みすらしなかった。
「そんなチャチなもので良いのか? ……おれはてっきり、『こういうもの』が飛び出してくるものだとばかり思っていたんだがな」
 言いながら、テクパトルはトチトリの手から何かを受け取った。
 それは平べったい学生かばんのような、四角い物体だった。
 下面には細長いスリットがあり、そこからまるでトースターから食パンが飛び出すように、極めてうすい数ミリの石板が伸びてきた。
 一面にびっしりと刻まれているのは、文字とも記号とも絵画とも受け取れる、彼らアステカの民特有の情報記録媒体ばいたい
(まさか……ッ!? )
 海原の全身に悪寒お かんが走ると同時、その脳の奥深くに、ズギン!! と何かが突き刺さった。知ってはいけない知識によって、脳が汚染されていく痛みだ。
 彼にとって、これは初めての事ではない。
 その心当たりを裏付けるかのように、テクパトルは笑いながらこう言った。

「そう、『原典』だよ」

 立ちくらみのような状態で必死に首を横に振って意識を保とうとする海原に、テクパトルは笑顔と共にさらに続ける。
「ショチトルに『改造』をほどこし、『原典』を埋め込んだのは知っているだろう? 尖兵せんぺいにさえ『原典』を配布するような状態なんだ。それを立案・実行している俺だって『原典』を持っていてもおかしくはないだろう?」
「あなた、は……」
「出せよ、お前の『原典』を。ショチトルが生きている事は知っているし、そうであればお前が『原典』を摘出したはずだ。……言っておくが、たかが黒曜石の槍で分解できるほど、俺の『原典』は甘くはないぞ」
(……本気で『原典』を実戦投入している……? くそ、あの石板に刻まれていた文字は)
 二度も読み返すつもりはない。海原うなばらは脳にこびりついてはなれない毒をもう一度味わうように、頭の中でテクパトルの操る『原典』について考える。
 おそらくは『暦石こよみいし』。
 アステカ世界に諮ける複雑なカレンダーであり、同時に世界の破滅と再生の仕組みを記述した円盤状の巨大な石だ。ショチトルの体に埋め込まれていたものも『暦石』の派生系だったが、テクパトルはそれとは違う部分を強調した、別の派生系の『原典』を手にしているのだと思う。
 海原は顔を上げた。
 なるべくテクパトルの『原典』に意識を向けないよう気をつけながら、彼は言う。
「『月のウサギ』の記述ですか……」
「わざわざこいつを『読んだ』のか? 存外、命知らずなヤツだな」
 テクパトルは何らかの手段で石板の知識が頭に入らないよう細工をほどこしているのか、気軽な調子でポンポンと石板をたたきながら言う。
「五つ目の太陽が作られた時の話だ。その時一緒いっしょに生まれた月は、当初神々の予想を上回るほどにかがやき過ぎた。このままでは太陽と月の見分けがつかなくなるため、神々は月にウサギを投げつけて光を弱めた訳だが……その神話を応用すると、こんな事ができるんだぞ?」
 その言葉が終わるかいなか、といった所だった。

 ゴバッ!! と。
 テクパトルの手から何かが放たれ、シェルターの壁を内側から粉々に砕いた。

 一直線の一撃いちげきだった。曲がりなりにも戦略兵器に耐えられるように作られていたはずのシェルターは簡単に破れ、外で戦っていた潮岸しおきしたちの私兵へと直撃する。
けるなよ」
 テクパトルはニヤニヤと笑いながらそう告げた。
「今ので外の私兵が二、三〇人は死んだんじゃないか? もっとも、本来なら他天体に直撃する一撃でなければならないはずなんだが……どうも素材となる『ウサギの骨』がまずいらしい」
 海原はおどろいていた。
 ただし、それはテクパトルが放った一撃の破壊力はかいりょくに、ではない。
 彼が見ているのは、テクパトルのかたわらにいるトチトリ。
 彼女の人差し指が、ぷらん……と、イカの脚のように揺れていた。
「……何をしたんですか?」
 ふるえるくちびるで、海原は質問した。
「トチトリに何をした!!」
「『ウサギの骨』だよ。一から一〇まで説明しなければ分からないか?」
 テクパトルが放ったのは、何らかの射出攻撃こうげきだった。そして『ウサギの骨』という単語。何が起こったのかを想像するのは難しくない。
(トチトリは従っている……?)
 当然の疑問をいだき、かっしょくの少女の顔をにらみつける海原うなばらに対し、トチトリは初めて口を開いた。
そこかられたのは、

「……ぅ……ぁう……ぅぐ……」

 その瞬間しゅんかん、今度こそ海原光貴みつき の背筋から、すべての温度が消えた。
 もはや人語ではなかった。考える頭が、心が、残されていなかった。あまりの事態に絶句する海原を見て、テクパトルはこらえ切れないといった調子で笑い出す。
 何故そこまで協力するのか。
 トチトリとテクパトルの折り合いは良い方ではなかったのに。
 その答えは、とてもとても簡単な事だった。
 そもそも。
 まともな人間なら、麻酔も使わず、自分の骨を生きたまま提供するはずがないではないか。
「ははっは!! そいつ見てると楽しいだろう? もう体の骨の半分も残っていないんじゃないか? 一応『原典』の方で人骨と黒曜石こくようせきを交換する機構が組み上がっているようだが、その作業中は結構な痛みが走るらしくてな。使い始めて早々にぶっ飛んじまったんだよ。まあ、おれとしては『ウサギの骨』さえ補充できればどうでも良いんだけどな」
「テク、パトル……」
 ぶるぶると、海原のくちびるふるえた。
 そうこうしている間にも、イカの脚のようだったトチトリの指が、内側からビキビキとふくらんで強引に元の形に戻されていく。骨の抜けた所を黒曜石で埋め合わせているのだ。
 どれだけの痛みがあっただろうか。
 そして、どれほどのくつじょくがあっただろうか。
「テクパトルぅぅうううううううううううううううううううううううううううううう!!」
 海原は吼えるように叫び、自らの顔に手を掛けた。
 彼の顔をおおっていたが勢い良くがされ、褐色の素顔を外気にさらす。
 その怒りに呼応したのか、何かが動いた。
 海原のスーツのふところから、自動的に巻き物状の『原典』が広がり、伸びた。へびのように宙をうごめくその書物を、海原は改めて自分の意志でつかみ取る。

 海原の……かつてショチトルに組み込まれていた『原典』の迎撃用記述内容は『武具を持つ者への反撃はんげき』。彼女の場合は武器を持つ者をその武器で自害させる術式を築いていたが、今の海原うなばらにはそこまでの力は引き出せない。
 対するテクパトルの……トチトリという少女の骨を消費する『原典』の迎撃用記述内容は『長距離ちょうきょり砲撃』。ウサギを投げつけて天体を整えた伝承に基づいて築き上げられた、あらゆる敵をち落とす飛び道具の術式を得意とする。
『原典』と『原典』の衝突しょうとつ
 もはや、海原はそこに忌避感き ひ かんを覚えなかった。それ以上に、テクパトルはみ込んではいけない領域に足を突っ込んでしまった。沸騰ふっとうした彼の頭は、テクパトルを打ち倒す事しか考えていなかった。
「いいね」
 同じ『暦石こよみいし』から派生した魔道書ま どうしょを持つ者として、テクパトルは石板をかざして応じる。

「これでこそ俺達おれたちの戦いだ。叡智えいち を尽くし、アステカのかじを奪い合おう」

 ゴバッ!! という爆音が生じた。
 テクパトルの手の中から複数の閃光せんこうが生じ、海原の皮の巻き物が大きく広がってこれを受け止める。返す刀で巻物の表面がザラついた粉末のあらしとなり、その嵐をテクパトルの石板は大きくあおいで吹き飛ばす。
 衝撃波しょうげきはだけでシェルター状のドームがミシミシとふくらむ。
 まともな戦いではなかった。海原うなばらの本来のスペックを大きく凌駕りょうがしていた。
 それでいて、『原典』は単純に彼の味方という訳でもなかった。
(……ぐっ、頭痛が……ッ!!)
 戦うたびに、次々に流れ込んでくる知識。頭から始まり手足の先まで広がる激痛。それに耐えながら、海原はさらに『原典』を振るう。
『原典』は、自らの知識を広めようとする者に対して助力する。よって、単純な所有者の武器とはならない。仮に今の所有者よりも相応ふ さ わしい者が現れた時には、容赦ようしゃなく『用済みの所有者』を抹殺まっさつして乗り換える。
 まるで、試されているようだった。
 生かすか殺すか、どちらが『原典』自身にとって有益か見極めるために。
(……構わない……)
 海原は、歯を食いしばる。
 その隙間すきま から、赤い血がこぼれる。
(……たとえこの身を滅ぼそうとも、倒さなければならない敵がいる!!)
 しかし、気合いだけで勝敗は決まらない。
 テクパトルの手から、さらに立て続けに閃光せんこうが連射された。それは海原の防御能力を超えていた。巻き物のたての隙間をうように、数発の弾丸が海原の上半身に突き刺さった。それでも『原典』側から補助があったのか、彼の体は引きられる事なく、ゴロゴロと床の上を転がるにとどまった。
 だが、起き上がるほどの体力は残されていない。
 巻き物を空中に展開させる海原に、テクパトルは正面から近づいてくる。
「場数の違いだな。それに、そもそも『原典』に対する保護も甘い。こいつを武器として扱うためには、知識の逆流を防ぐ措置を取るのは基本だろ」
「……、」
 正面からにらみつける海原を見ても、テクパトルの表情は変わらない。
 その手の中に、さらなる光が生じる。
 トチトリという少女の骨を使って作り出された光が。
「何が……あったんです?」
「なぁに」
 テクパトルは笑った。
「一つの大きな戦いが終わった。世界の警察と名乗る無礼者との戦いが。それが終われば、我々は元のおだやかな暮らしが送れると信じていた。だから戦いを続けられた」
 その笑いは、延々と続く。
「しかし、何も変わらなかった。我々の地位も立場も暮らしも、何一つ変わらなかったんだ。それでは、何のために戦ってきた。あれだけ苦しかった戦いは、結局、俺達おれたちの上に立っていた一部の老人どもの利益しか守らなかったという事になるのか」
 そして、ついに笑みが崩れた。
「くだらん寝言で我々を扇動してきた老人どもはすでに粛清しゅくせいした。だが、処刑をしても何も変わらなかった。それだけさ。指針や目的は失われた。我々は、もはやどこへ進めば良いのかも分からなくなったというだけだ」

 ゴバッ!! という爆音が炸裂さくれつした。
 今度こそ、テクパトルの手から必殺の一撃いちげきが放たれた。

 しかし、海原うなばら光貴みつき は絶命しなかった。
 テクパトルの手から放たれた一撃は、曲線を描いて彼自身を貫いていたのだ。
「……は……?」
 自らの腹に空いた巨大な穴を眺めながら、テクパトルはうめき声を上げた。それに対して、海原は床に崩れたまま、静かに質問する。
「知っていますか?『原典』は単なる道具や武器ではありません。『その知識を最も広める者に味方する』性質を持つ『原典』は、必要とあれば所有者自身にきばく事さえあるんですよ」
 その時、テクパトルは見た。
 海原は、自分の血で床に何かを描いていた。それはテクパトルの持つ石板の文章だった。
『原典』の文書を書き写す―――魔道書ま どうしょの『写本』を作って知識を広めようとしていた所へ、テクパトルは攻撃を仕掛けようとした。だからこそ、『原典』自身に反撃されたのだ。
「……あなたが『原典』の知識と向き合っていれば、ここまで極端きょくたんな結果にはならなかった。あなたは『原典』に汚染されるのを防ぐため、何らかの措置を行っていたようですからね。他人に知識を広めないどころか、自分でも読もうとしない。そんな『死蔵』を、魔道書の『原典』が許すとでも思っていたんですか……?」
 返事はなかった。
 ぺたりとひざをついたテクパトルは、まるでひれ伏すような格好で床に崩れた。複数の石板を収めた学生かばんのようなかたまりから、不自然に細長い影が伸びていた。まるで手招きする細い手のように見えた。受け取れ、さもなくばここで殺す。そう告げられているように、海原には感じられた。
(どうやら、自分はよほど『原典』に気に入られているらしいですね)
「……良いでしょう……」
 海原うなばら光貴みつき は、『原典』からの申し出にそう答える。
 二冊目の『原典』。汚染の速度はより一層高まるはずだが、海原は迷わなかった。
「ただし」
 海原は、そこでテクパトルから目をはなした。彼が視界の中心に収めたのは、人の言葉を理解する事もできなくなった一人の少女、トチトリだった。
 ここまでする義理はない。
 しかし、ここまでしなければショチトルに顔向けできない。
「その前に、手伝ってもらう事が一つあります」
 契約は成立した。
 一人の少女の人生と引き換えに、海原光貴はさらなる暗黒の道へと突き進む。

     11

 杉谷すぎたには大型のけんじゅうを前へ突きつけたまま、しばし無言で立ち尽くしていた。
 床には一方通行アクセラレータがうつ伏せに倒れていた。
 火薬の炸裂さくれつする時の、独特のにおいが鼻についた。
 そこに血の匂いが混じる。
 しかし。
 それは一方通行アクセラレータのものではない。

 絶対的に優勢であったはずの、杉谷の腹に風穴が空いていた。

……?」
 わずかに、杉谷の体がよろめいた。
 彼は壁に背中を預け、そこで力を失ったのか、ずるずると床に尻餅しりもちをつく。
 それとは対照的に、一方通行アクセラレータがむくりと起き上がった。電極の補助を失った状態の動きとは思えない。しかし、確かに杉谷の手の中にある遠隔えんかく制御装置は機能していた。電極は使えないはずなのだが……。
おれつえに細工がしてある事には気づいていたな?」
 一方通行アクセラレータは、力を失った杉谷へき捨てるように言った。
「自立歩行を補助するための脚だのモーターだのセンサーだのは、全部ダミーだ。こいつの本質は、『遠隔操作用の電波だけを妨害するジャミング装置』なンだよ」
「なんだと」
「単なる妨害電波だけだと、ミサカネットワークに使っている電磁波も乱されて本末転倒になる。だから、オマエらが電波を使うのを待っていた。そして、そこから周波数を厳密に分析し、その周波数のみピンポイントで封じるためのジャミング電波をつえの装置に逆算させたって訳だ」
 そう。
 キャンピングカーを襲撃しゅうげきした時にも、潮岸しおきしたちは『遠隔えんかく操作用の電波』を使っている。一方通行アクセラレータはそれを逆手に取って、相手の使う電波のサンプルを入手していたのだ。
『遠隔操作用の電波』は、杖に妨害されて電極まで届いていない。
 だから一方通行アクセラレータは能力を失っていないし、自立歩行や会話もできる。
 一方通行アクセラレータはズボンのベルトに差したけんじゅうを抜き、杉谷すぎたにへと突きつけた。
「これが悪のやり方だ」
 くだらない調子で、怪物は言った。
おれもォマエも、何一つ変わらねェ。そして俺は間違っても善じゃねェ。だから同じ方法を使ってるオマエも立派な悪党って訳だ」
 言われ、杉谷はわずかに笑った。
 直後、二人は迷わず引き金を引いた。
 複数の銃声が炸裂さくれつした。
 一方通行アクセラレータの弾丸は杉谷の体に突き刺さり、杉谷の弾丸はすべて『反射』にはじかれた、
「……つまンねェな」
 電極のスイッチを元に戻し、一方通行アクセラレータは奥へ進む。
「善人を名乗るなら、もォちっと気合いを入れてくれよ」
 大量の弾丸を浴びて意識を失った杉谷は、かろうじて息をいていた。
 それが、彼なりの悪だった。

     12

 炎に熱された空気を吸い込み、絹旗きぬはたは地下街の床に座り込んだ。
 近くにはステファニーが倒れている。
 炎の壁の向こうには浜面はまづら滝壺たきつぼもいるようだが、ここを突っ込んで合流するのは面倒だ。一度地上に上がってから集まった方が得策だろう。
 絹旗は、傷だらけのほおを片手でこすり、それからかたわらに倒れているステファニーの方を見た。
「……それにしても、この超強い私を相手にするためとはいえ、ちょっとやりすぎなんですよ」
「いやあ、砂皿すなざらさんのために戦うんなら、これでもまだまだ控え目レベルじゃないですか」
 倒れたまま、口から血を吐きつつも、ステファニーは応じた。
 本当にタフな女だ、と絹旗は思う。
「しっかし、軽機関散弾銃は自前で用意したんでしょうけど、攻撃こうげきヘリの『六枚羽』については超どうやって仕向けたんですか。ほかにも協力者がいるとか?」
「……?」
 不自然な沈黙ちんもくがあった。
 絹旗きぬはたは、その沈黙にいやなものを感じ取った。
 だから、もう一度質問する。
「攻撃ヘリの『六枚羽』は、超どうやって差し向けたんですか?」
「何の事ですか?」
 ステファニーは、半ばキョトンとした調子で答えた。
「こんな街中で攻撃ヘリを用意できるなら、アウトレンジから一方的に砲撃するに決まっているじゃないですか」
「……、」
 絹旗の動きが止まった。
 では、あれは何だったのだ?
 浜面はまづらの運転する盗難車をねらって、確かに『六枚羽』は襲撃しゅうげきしてきた。あれは学園都市の防空をになう特殊な無人兵器で、そう簡単に動かせるものではない。
『電話の声』の女は関与していないという。ドレスの女も、そんなものを用意できれば苦労はしないと言っていた。
 さらに、ステファニーまでそこにかかわっていないとなると……、
(私たちを超狙っている人物が、ステファニー以外にもいる? それも、『六枚羽』を超自由に出撃させられるほどの権限を持った上層部の人間が……?)
 絹旗がそう思った時だった。

 ドバッ!! と絹旗の周囲のコンクリート壁がいきなり吹き飛ばされた。
 その砕けた後から、黒一色の特殊部隊が一斉に押し寄せてきた。

 それはステファニーを押さえるためのものではない。
 むしろ、絹旗の方を拘束するために、より一層の人員がかれてしまっている。
「浜面っ!!」
 絹旗は地面に押し付けられながら、それでも口だけを動かして叫んだ。
「超逃げてください!! おそらく彼らの狙いは私ではありません!! むしろ本命はあなたの方です!!」
 そう。
 確かに絹旗最愛さいあいは強大な力と特殊なポジションを得た人間だ。しかし、だからこそ、自分がどれぐらいの価値のある人間で、どれぐらいの人間にねらわれているのかぐらいは推測できる。
 今回の『六枚羽』の件は、その条件に合致しない。
 となると、『六枚羽』があの時盗難車を狙ったのは、もっと未知数の―――浜面はまづら仕上し あげの方にこそ、原因があると考えた方が良い。
「……ッ!!」
 炎の向こうで、浜面が何かを叫んだ。
 しかし滝壺たきつぼが浜面の腕を引っ張り、逃走を促した。浜面はしばらく迷ったようだが、滝壺についていくようにしたようだった。それで正解だ、と絹旗きぬはたは思う。絹旗最愛さいあいは学園都市にとって、有用な価値を持つ戦闘せんとう要員だ。使える内に切り捨てられる可能性は低いし、そうならないように立ち回るつもりだった。
 浜面や絹旗が立ち去った後、地下街の出入り口の方から、カツコツという足音が聞こえてきた。絹旗は押さえつけられたまま、そちらを見る。やってきたのはドレスの女だった。
心理定規メジャーハート』という能力を使う少女で、『アイテム』や『スクール』なき後、それらの生き残りを集めた新チームのメンバーでもあるはずの人間だった。
 書類上では味方として登録されている二人が、正面からにらみ合う。
「超何のつもりですか?」
「私としても、とても不可解な命令でね。よりにもよって、猟犬部隊ハウンドドッグの残党と一緒いっしょに仕事をさせられるだなんて。できればあなたの口から説明してほしいぐらいだわ」
 ドレスの女はおかしな事を言った。
「アレイスターが、何らかの『プラン』を立案・実行している事は知っている?」
 絹旗はまゆをひそめた。
 ドレスの女は気に留めなかった。
上条当麻かみじょうとうま一方通行アクセラレータといったイレギュラーな因子は、あくまでもその『プラン』の許容範囲内においてのイレギュラーらしいわね。だからこそ『プラン』の軸に据える事ができるし、彼らが暴れた所で『プラン』の利益のためにいくらでも応用ができる」
『プラン』の内容は全く知らないけどね、とドレスの女は言う。
「ところが、浜面仕上はそうじゃない」
 しばしの沈黙ちんもくがあった。
 再び、ドレスの女は口を開く。
「あのは、本来『グループ』『スクール』『アイテム』『メンバー』『ブロック』の争いの中で、殺されていなければならない因子だった。にもかかわらず、あろう事か、浜面仕上は第四位の麦野むぎの 沈利しずり をたった一人で撃破げきは し、今日まで生存している。……流石さ す がのアレイスターも、これだけは完全に計算できなかったようね」
 男たちに体を押さえつけられた絹旗は、話を聞きながら必死に考える。
 このドレスの女が言っている事は本当か。
「何の力も役割もないはずの浜面はまづら仕上し あげ。それが自らの手で何かを手に入れようとしている。アレイスター自身も知らないような、新しい真価を」
 そこで、ドレスの女は挑発するように絹旗きぬはたを見下ろした。
 あるいは、そうやって相手から答えを引き出そうとするように。
「場合によっては、それこそが上条当麻かみじょうとうま一方通行アクセラレータ以上に、アレイスターの『プラン』ヘダメージを与えるかもしれないらしいわ。よって、学園都市は全力をもって浜面仕上を抹殺まっさつしようとしているようだけど……どう思う? あの男に、それだけの価値があると本当に思う?」

 訳が分からなかった。
 とにかく逃げ続けた。
 浜面仕上は滝壺たきつぼ理后り こうと手をつないだまま、夜の街を走った。地下街を出て、入混みの中を突き抜け、終電後も走っている貨物列車のコンテナの屋根に飛び移った。途中の駅を飛ばし、複数のトンネルの中を高速で走る列車の上に座り込みながら、彼らは荒い息をいていた。どれだけ深呼吸をしても、失ったスタミナは戻って来なかった。
 それでも追っ手はやってくる。
 まともな集団とは思えなかった。
 高速で走る列車の真横に、並走する黒い影があった。いつの問に飛び移ったのか、列車の屋根からも複数の影がじりじりと近づいてくる。単に『特殊な訓練を積んだ』程度でどうにかなるとは思えなかった。もうほとんど都市伝説のような連中だ。口裂け女をグーでたたきのめせそうな連中相手に、まともに戦っても勝てるとは思えない。
 心当たりがあるとすれば、
(……『発条包帯ハードテーピング』。駒場こまば のリーダーが使っていた、電気で伸縮する布状のバネでも全身に巻いてんのか!?)
 しかし、運命の女神は浜面たち微笑ほ ほ えんだ。
 追い着かれる直前に、貨物列車は減速した。到着駅に近づいたのだろう。浜面は滝壺の小さな体を支えたまま、列車が完全に止まる前に飛び降りた。危うく砂利じゃり の上を転がって血まみれになる所だったが、かろうじてバランスを保つ。
 ここが第何学区なのかも分からなかった。
 トンネルの壁に設置されていた扉を開け放ち、細い通路を必死で走る。どこまで逃げれば良いのか、いつまで逃げ続ければ良いのか。条件が何一つつかめない以上、細かい作戦なんて考えられる訳がない。とにかく今この瞬間しゅんかんを全力で走る。永遠に続く、コースも分からないまま始まってしまったマラソンを駆け抜け続ける。
 だが、浜面はまづらには支えがあった。
 かたわらにいる滝壺たきつぼだ。
 以前、浜面は第四位の麦野むぎの 沈利しずり に追われた事がある。あの時は絶体絶命の状況で、たった一人で戦わなければならなかった。だけど今回は一人ではない。最もたのもしい仲間がそぼにいる。だから浜面は以前ほどきんちょうしていなかった。どうにかしてここを切り抜け、捕まった絹旗きぬはたを助けなければ……とまで考えていたほどだった。
 ところが、だ。
 不意に、その支えが折れそうになった。
「っ?」
 ぐいっと、浜面は腕を引っ張られた。そう思った。しかし、振り返ってみるとそうではなかった。ピンク色のジャージを着た滝壺が、浜面の手をつかんだまま通路の床に倒れ込みそうになっていた。
「おい、滝壺?」
 あわてて体を抱えようとしたが、妙に重たかった。力の入っている人間の重さではなかった。まるで泥の詰まった大きな袋を抱えるような質感に、浜面の全身の毛が逆立ちそうになる。
「はま、づら……」
「どうしたんだよ。おい、滝壺! 一体何があったんだ!?」
 混乱する浜面は大声でそう言ったが、しかし心のどこかで予測はできていた。
 元々、滝壼理后り こうは退院直後だった。第三学区の個室サロンのビルから電話をかけてきた時も、具合が悪そうだった。そして個室サロンで再会した時、滝壺はぐったりと意識を失っていた。
 ぶり返したのだ。
 今の滝壺に、長期間の全力疾走しっそうなどできるはずもない。常に命をねらわれ続けるような逃走など不可能なのだ。
 しかし敵は待ってくれない。
 こうしている今も、正休不明の追っ手は着実に近づいてきている。
「立てるか、滝壺?」
 気持ちの悪そうな汗を流す滝壺に、浜面はできるだけあせりを押し殺して質問する。それに対して、滝壺は浜面の目を見たままこう言った。
「逃げて、はまづら」
 ほとんど極限状態に近い浜面の心を、さらに打ちのめすような言葉だった。
「こんな状態じゃ、二人とも捕まる。だから、はまづらは一人で逃げて」
 ふざけんな、と浜面は口の中でつぶやいた。
 ぐったりした滝壺の腕を掴み、自分の肩に回し、まるでかつぐように小柄な体を持ち上げる。
「はまづら」
だまってろ」
 何かを言おうとした滝壺たきつぼの言葉を封じるように、浜面はまづらは言う。
 小柄な少女とはいえ、完璧かんぺきに力の抜けた少女の休は、大昔の囚人しゅうじんの脚に取り付ける鉄球のように重たかった。
 だからどうした、と浜面は思う。
 正面だけをにらみつける。
 歯を食いしばり、半ば体を引きずるように、浜面仕上し あげは前へ進む。滝壺は絶対に見捨てない。こんな所には置いていかない。絹旗きぬはた最愛さいあいも必ず助け出すし、そもそもこんな訳の分からない逃亡生活なんていつまでも続けない。逆転する。こんな生活から抜け出してみせる。それだけを思って、浜面は前へ前へと足を動かし続ける。
 しかし、長くは続かなかった。
たいしょう』に体をむしばまれた滝壺ほどではないが、浜面も万全ではなかった。今日だっていくつかの戦いを切り抜け、全力で何キロも走り続けた。スタミナはたない。筋肉は悲鳴を上げている。両足はガクガクにふるえ、いつ床に崩れるか分からなかった。その間にも、背後からは複数の足音が近づいて来ていた。サブマシンガンの金具がガチャガチャと鳴る音も混ざっている。
 このままでは捕まる。
 捕まったら殺される。
 そう思い、さらに前へ進もうとした浜面のひざから、ついに力が抜けた。二人は抱き合うような格好で、無様ぶ ざまに床へ崩れ落ちた。浜面は起き上がり、もう一度滝壺の小柄な体を支えようとした。しかし持ち上がらない。どこにでもいるはずの少女の体が、まるで重たいバーベルのように見える。
「はまづら」
 間近で、絞り出すように滝壺が言った。
大丈夫だいじょうぶだよ、はまづら。私が時間をかせぐから」
 ふざけんじゃねえ!! と浜面は爆発したように叫んだ。
 しかし体は動かない。
 浜面は半ば滝壺におおかぶさるような格好になり、銃弾のたてになろうと思った。生身の体では銃弾ぐらい貫通する事を知っていながら、彼は迷わなかった。
(……だれか)
 目尻め じりに涙すら浮かべ、浜面は思う。
(……お願いだから、おれにもできない事をやってくれ。颯爽さっそうと現れてこいつの命を救ってくれる、そんなヒーローが現れてくれよ……)
 都合の良い者など現れないのは知っている。そんな人間が本当にいるのなら、浜面仕上はそもそもこんなどん底にいないのだから。
 だが、祈らずにはいられない。
 滝壺たきつぼ理后り こうだけは失いたくない。
 足音が近づいてくる。その数が増える。どうしようもなかった。いくつもの銃口が自分たちに向けられるのが分かる。手の中には小さなけんじゅうが一丁しかない。今の状態では、取り出そうとしただけではちの巣にされるだろう。
 絶体絶命だった。
 奇跡など起こるはずもなかった。
 そこへ、

 ズバァ!! と無数の閃光せんこうほとばしった。
 それは正体不明の追っ手達を片っぱしからぎ払い、浜面はまづら達の脅威きょういを取り払った。

 何が起こったか分からなかった。
 とにかく何らかの『能力』らしきものが使われた。そう思った時には、目前まで迫っていた一〇人以上の追っ手達は引きられ、臓物をき散らし、通路の辺り一面を鮮血で染めていた。だれがやったか知らないが、本当に誰かが助けてくれたのだ。滝壺理后を抱き寄せたまま、浜面はぼんやりとそう思った。
「へ、へへ……」
 それはじわじわと浜面の外側から内側へとみ込んでいき、ようやく思い出したように安堵感あんど かんを脳へ伝えてくる。
「おい、やったぜ。誰が援護してくれたか知らねえけど、おれ達は生き残ったんだ……ッ!!」
 その時だった。
「……はーまづらぁ……」
 一言。
 その呼び方だけで、浜面の全身にゾッとした感覚がおそいかかった。
 聞き覚えがあった。そして、思い返してみれば先ほどの能力にも心当たりがあった。
原子崩しメルトダウナー』。電子を操る能力の一種で、波でも粒子でもなく、電子そのものを操り射出する能力だった。それは第四位の超能力レ ベ ル 5に登録されているもので、その使用者は、その使用者は、その使用者は……浜面仕上し あげが、かつて撃破げきは したはずだった。
 そいつは近づいてくる。
 それは。
 浜面仕上を助けてくれるためにやってきた、ヒーローなどではなかった。

 カツコツと、カツコツと。得意げに足音を鳴らし、その存在自体を自慢じ まんするかのように、そいつはゆっくりと近づいてくる。自らの手で引き千切り、殺害した死者の鮮血や内臓をみつけながら、一直線に近づいてくる。
 見知った女だった。
 その女の右目はなかった。
 その女の左腕はれていた。
 赤黒い空洞となった眼窩がんか の奥から、溶接のような青白い光がほとばしっていた。左腕にしても同様。本来なら存在しない腕を補うように、その断面からまばゆ閃光せんこうのアームが飛び出している。相当の高ユネルギーなのか、まるで誘蛾灯ゆうが とうの虫を焼く高圧電流のような音まで聞こえてくる。
 能力によるものだった。
 第四位の超能力レ ベ ル 5によるものだった。
 原子崩しメルトダウナー
 だれでも発現できるような安い能力ではない。浜面はまづらの知る限り、その能力を使える人間は一人しかいない。
 浜面仕上し あげの口から、かすれた声がれた。
 声帯どころか、全身がふるえてまともな言葉が出ないまま、彼はその名を絞り出す。
麦野むぎの 沈利しずり ……ッ!?」
「こんなチンケな野郎どもに命狙ねらわれてんじゃないわよ。お前はこの私が上下左右に裂いてブチ殺すって決めてんだからさぁ!!」
 ゾワッ!! と。
 今度こそ、正真正銘の絶望が口を開き、浜面はまづらたち丸呑まるの みにする。

     13

 一方通行アクセラレータ土御門つちみ かど元春もとはる結標むすじめ淡希あわき 海原うなばら光貴みつき の四人はドーム状のシェルターの最深部にいた。彼らの前には、打ちのめされた潮岸しおきしがいる。駆動鎧パワードスーツはバラバラに分解され、腹には黒い石でできたナイフが刺さっていた。
おれ達の身内を守るためにできる事は二つある」
 一方通行アクセラレータつえをつきながら、もう片方の手を首に当てて関節をコキコキと鳴らす、
「一つ目は、『ドラゴン』についてここで知っている事をかせる事。二つ目は、ここでオマエに刺さっているナイフを上下に動かして、ハラワタを全部床にさらけ出す事だ」
「『ドラゴン』か……」
 潮岸は刺された腹を気にする事すら忘れて、小さくつぶやいた。
「推測はできているかね」
「まさか、『実は私も知らないのだよ』とかぬかすつもりじゃねェだろォな」
「だとすれば、気が楽だったんだけどな。生憎あいにくと私は知ってしまった。知ってしまえるポジションにいた。だからこそ悩んでいた」
 四人はだまっていた。
 潮岸の声だけが続いた。
「あれは人の目に触れてはならないものだ。内容を話せと言われれば応じるが、私は君達のために言っておこう。知らない方が良い。これは安っぽいおどしという意味で、という訳ではない。純粋に『知っている者』としての発言だ。正直、私は知りたくなかった。知らなければ良かったと、心の底から思う」
「『ドラゴン』とは何だ?」
 一方通行アクセラレータはそう質問した。
 忠告を聞いた上で、なお前へ進んだ。
「『ドラゴン』ってのは、一体どこにいる?」
 土御門や海原の話では、ドラゴンは天使の隠語だとも言う。そして一方通行アクセラレータは、九月三〇日に光のつばさのようなものを目撃もくげきしていた。木原き はら数多あ ま たが何かを行い、打ち止めラストオーダーとウィルスも関連しているらしき光の翼を。
「……何を言っている」
 質問に、思わず潮岸は笑ってしまった。
 全く見当違いの事を真顔で語る者が、おかしくてたまらないといった調子で。

「『ドラゴン』はどこにでもいる。ほら、今は君の後ろにいるだろう」

 たちの悪い冗談かと思った。
 しかし直後に、ゴトンという鈍い音が聞こえた。
土御門つちみ かど?」
 一方通行アクセラレータは思わず振り返った。
 振り返って、そこで名をつぶやいた。
結標むすじめ? 海原うなばら?」
 全員が倒れていた。完全に意識を奪われていた。目立った外傷はないが、すぐに起き上がるという風でもなかった。一方通行アクセラレータも所属している『グループ』の面々は、それぞれが並外れた戦闘せんとうりょくを誇る集団だ、それを、原因不明の攻撃こうげき容易たやす ぎ払ってしまった。反撃の機会すらも許さずに、だ。
 そして。
 一方通行アクセラレータは、見た。
「ヒューズ=カザキリではない」
 両目を見開き、呆然ぼうぜんと立ち尽くしている一方通行アクセラレータの耳に、潮岸しおきしの声だけが届く。
「あれは、『ドラゴン』を形成するために用いられた、単なる製造ラインに過ぎない」
 言うだけ言った潮岸は、失血のせいか、そこで意識を失った。うめくような声と共に床に崩れた潮岸だったが、一方通行アクセラレータにはそちらを見る余裕すらなかった。
 ただ前方に、視線は固定されている。
 金色の長い髪。
 光りかがやくような長身と、その肢体し たいを包むゆったりとした白い布の装束しょうぞく。正確な性別など全く分からないが、少なくとも外観の見た目だけなら女性的に見える。
 喜怒哀楽のすべてがあり、それでいて人の持つ感情とは明らかに異質なものを根幹に秘めた、極めてフラットな顔つき。
「―――『ドラゴン』か」
 それは口を開く。
 人の形をしたものが、人の言葉を放つ事に、これほど違和感を覚えた事はなかった。
「その呼び名も間違いではない。天使という記号にも対応はしている。……少なくとも、ちまたささやかれる地球外知的生命体や聖守護天使、近代西洋魔術まじゅつ結杜群におけるシークレットチーフの真なる者、などという仰々ぎょうぎょうしいものに比べれば、ずっと本質に近い。だが、私という存在は既存の聖書に記述される天使とは概念がいねんが異なる。よって、より一層私を的確に表現するならば、以下のような単語を選ぶべきであろう」
 それは告げる。
「ここまでらいついてくる者もめずらしい。そこには私が名乗るべき価値と興味がある事だろう。だからこそ、私は君の質問に答えておこうか」
 一方通行アクセラレータたちが追い求めた、その正体について。
「かつて、クロウリーと呼ばれた変わり者の魔術師まじゅつしに、必要な知識を必要な分だけ授けた者―――『エイワス』、と」

第四章 地獄へ誘う二つの怪物 Dragon(≠Angel).

     1

 エイワス。
『ドラゴン』というコードネームで分類されているらしきその存在は、自らの名をそう呼んだ。
 正面から向かい合う一方通行アクセラレータは注意深く金髪のエイワスを観察する。
 正直、次のアクションへ思考がつながらなかった。
 学園都市の最高機密である『ドラゴン』の正体を探り、その情報でもって上層部の人間と対等の交渉を行う。それが、一方通行アクセラレータ含む『グループ』の基本方針だった。しかし、彼らは同時にこう考えていたのだ。自分たちは『情報』を使って取引を行う、と。まさか、『ドラゴン』の現物そのものがこうも簡単に目の前に現れるとは思っていなかったのだ。
 もしかすると。
 一方通行アクセラレータは、心のどこかで『ドラゴン』の正体については永遠に判明しない可能性もある、と思っていたのかもしれない。
 だからこそ、いきなり眼前に出現されて、思考の方が追い着いていないのだろうか。
「不思議そうな顔をしているな」
 エイワスという金髪の存在は、表情を変えずに口を開いた。
 黄金の髪は、それ自体がうっすらと光を放っているように見える。
「私がこうして現れた事が、そこまで不可解か?」
 当たり前だ。
 今の今まで学園都市がひた隠しにしていた存在が、、よりにもよって向こうから顔を出す? 一方通行アクセラレータはいくつかの可能性を考え、その中から一番合理的なものを選んだ。
「……潮岸しおきしの使い走りか? 増援にしちゃ遅すぎたな」
「本気で言っているのか」
 エイワスは首を横に振った。
 明確な意思表示をしているくせに、何を考えているのか全くつかめない。
「―――、」
 一方通行アクセラレータはわずかにだまり、自分が口にした可能性を否定した。そう、潮岸は『ドラゴン』を嫌悪けんお ……いや、恐怖の対象としてとらえていた気がする。間違っても、あれは自分の手駒て ごまに対する反応ではなかった。
 しかし。
 だとすれば、エイワスはこのタイミングで一方通行アクセラレータの前に現れたのだ。
「君に一定の価値を認め、それによって……ちょっと興味がいたから、だよ」
 エイワスはそう言った。
『グループ』や潮岸しおきしたちがこれまでやってきた事を、すべて否定するかのような気軽さで。
「会いたがっていただろう、この私に。だから私は現れた。それでは不満かね?」
 まともではない。
 しかし、何かを隠しているような素振りもない。
 土御門つちみ かど達三人が音もなく倒されたのは、一方通行アクセラレータ以外には価値も興味も見出み いだせなかったから、とでも言うつもりか。
(どォする……?)
 一方通行アクセラレータは、わずかに重心を低く落とす。
猟犬部隊ハウンドドッグ』の木原き はら数多あ ま た『スクール』の垣根かきね 帝督ていとくこれまでも一方通行アクセラレータの命をおびやかす存在はいくつか現れたが、このエイワスは完全に性質が違う。こいつは悪意すらも感じない。
 エイワスは、学園都市上層部にとって最も重要な因子だ。
 だが、その利用の仕方は一つではない。エイワスを撃破げきは する事が、学園都市上層部のくわだてる『計画』に大きなダメージを与える事は確実だが、それよりももっと効果的な使い道があるかもしれない。
 そもそも、エイワスがどんな役割を持った存在なのかも不明なのだ。
 まずはそれを知らなければ、効果的に利用する方法も考案できない。
 まるでくさりつながれた犬のような心境の一方通行アクセラレータに、エイワスは初めて感情を見せた。それは意外そうな表情だった。
「私の予測とは違う結果だな。てっきり仲間をやられた腹いせに突撃を行い、三秒で地面に伏しているものだとばかり思っていたよ」
「……その一言の方が、引き金にはピッタリだがな」
 一方通行アクセラレータは低い声で応じた。
 そう、エイワスは土御門元春もとはる結標むすじめ淡希あわき 海原うなばら光貴みつき の三人を音もなく撃破している。
 これが敵対行動のきっかけになるかと問われれば、一方通行アクセラレータとしてはノーだ。すでに何度も言っている通り、一方通行アクセラレータにとって『グループ』とは利用価値でのみ繋がっている集団なのだから。
 まずは使えそうな情報を引き出す。
 敵対するかどうかはその後に決める。
 一方通行アクセラレータは行動の指針を選択し、改めてエイワスを正面からにらみつける。
「オマエは何なンだ? 何で『ドラゴン』なンてコードでかくまわれてやがる」
「そこから説明しなければならないのか」
 案外頭の悪いヤツだな、とでも付け加えそうな調子で、金髪のエイワスは言う。
「正体なんて、大したものではない。ちょっとした hboie 在 ab というだけなんだが……」
 エイワスの言葉が、プレた。
 まゆをひそめる一方通行アクセラレータだったが、言葉を発したエイワス自身も怪訝け げんそうにのどに手をやり、声の調子を確かめている。
「……しまったな。この程度の『意味』すらも表現できないのか、この世界は。ヘッダが足りないな。これでは説明するのも苦労する。少々回り道をするが構わないか? 直接伝えられれば簡単なんだが、それでは wgbud 崩 wsrui が起こってしまうようなのでな」
 洒落し ゃ れや冗談で言っているような調子ではなかった。
 そもそも、音の聞こえ方がおかしい。エイワスの声がブレる瞬間しゅんかんだけ、音源の方向そのものがズレるのだ。まるでステレオのヘッドホンを左右逆さまにつけているような、不自然な音の広がりを感じる。
「ヒューズ=カザキリという言葉を知っているか?」
「……?」
 確か、潮岸しおきしもそんな名前について言及していたが、一方通行アクセラレータに心当たりはない。しかし、そんな顔を見てエイワスはそっと息をいた。
「一から一〇まで語るのは流石さ す が面倒めんどうくさい。私の言葉を覚えておいて、後日勝手に検索したまえ。ともかくあれは人工的な『天使』などと言われる存在だ。性質的には間違いではないが、それはヒューズ=カザキリの本質を突いていない。彼女の正体は、この私、エイワスを形成するための製造ラインのようなものだ」
 大半は理解できなかったが、『天使』という単語だけが引っ掛かった。
 木原き はら数多あ ま た打ち止めラストオーダーにウィルスを注入し、出現させた光のつばさ。あれすらも本命ではなく、このエイワスのために用意された計画の一部だった、という事か。
「結晶にたとえようか。身近な所にある物質だと、水か塩か。そうだな、今回は塩にしておこう。AIM拡散力場という、『高い濃度の塩水』があったとする。しかしこれだけで結晶化は起こらない。効率良く進めるには、塩水の中に不純物を投入するのがベターだ。それは一本の棒でも良いし、小さなまこりのような物でも良いし、ヒューズ=カザキリのような nsrio 天 gau でも良い。……まぁ、『結晶化』それ自体は簡単なんだが、望む形望むサイズのものを目指すとなると、『核』の質にも気を配る必要が出てくる訳だが」
「……つまり、オマエはヒューズ=カザキリとかいうモノを参考にして作られた存在、とでも言うつもりか?」
「厳密には、ヒューズ=カザキリの方こそが私を作るために調整された、工場の製造ラインととらえるのが正解だがね。ともあれ、私がヒューズ=カザキリをなぞるように生まれた事は否定しない。生まれたというより uy 顕 idvif が正しいが、くそ、言葉が追い着かない。生まれたのではなく現出したとでも言っておこうか。厳密には違うがそれ以外に表現できない」
 エイワスは己の胸から腹にかけてなぞるように、人差し指をゆっくりと縦に下ろし、
「アレイスターも回りくどい方法を好んでいるようだが、まあ、私はクローン技術でどうにかできるものでもないからな」
 AIM拡散力場のかたまりという事は、こいつは人間ではないという事になってしまう。
 何とも荒唐こうとう無稽む けいな話だったが、一方通行アクセラレータには笑い飛ばせなかった。
 むしろ。
 目の前に立っているエイワスが、私はあなたと同じ人間ですと答えた方が強い違和感を覚えていただろう。
「どうするかね」
 エイワスは言った。
「興味本位で現れたは良いが、さて、これからどうしたものか。君はどうしたい? 私からの情報を基にアレイスターの野望でも打ち砕いてみせるかね」
「……本気で言ってやがンのか?」
 その言葉に、一方通行アクセラレータは警戒心を高めた。
「統括理事長の目的は何だか知らねェが、中心核にはオマエがいる。アレイスターの計画をつぶすってのは、つまり人工的な方法で存在を支えられたオマエを再び無に帰すって事だろォがよ」
「そうだな」
 長い金髪を揺らし、エイワスはうなずいた。
「しかし、だからどうしたのかね?」
「なに……?」
「歴史の話をしようか」
 いきなり、エイワスは話題を大きくじ曲げた。
「この地表に住む人間はエコだの環境保護だのとうたってあれこれしているな。このままでは多くの動植物が絶滅するとか何とか言って、せっせと空き缶を拾ったり煙の量を減らしたりしようとしている訳だ」
「よくもまァ熱心にのぞき見してるモンだ」
「君たち人間が、眺めてもらうだけの行いをしているとでも?」
「そのふざけた寝言に何の意味がある?」
「歴史は何も揺らがない、というだけの話だよ」
 エイワスはサラリと答えた。
「かつてこの惑星に氷河期が訪れ、環境が激変し、多くの動植物が絶滅した。……しかし歴史そのものが途絶えたかね? 表面に張り付いている小さな生き物が死のうが生きようが、時間という流れはびくともしない訳だ。仮に今ここで世界的な核戦争が起こって地球上すべての動植物が丸ごと消えてなくなったとしても、歴史の太い柱には何の関係もない話だ。一万年、一〇万年という時間の中で、今の動植物に代わるものが勝手にき出てくるだけだろうな」
「……、」
「同じ事だよ。私はこの次元の歴史で語るべき存在ではないのかもしれないがね。アレイスターという男は性懲しょうこりもなく私を利用したいようだが、別にその計画が頓挫とんざ した所で困るのは私ではない。一万年でも一〇万年でもかけて、私はまたほかの機会に asbu 顕 oagbv ……いや、現出するだろう。それすらも、私にとっては特に価値のある事ではないのだが」
 さて、と付け加えられる。
 エイワスは長い金髪を揺らし、ゆっくりと両手を広げて、
「どうするかね。ここで一度私を殺して、アレイスターに一泡吹かせてみるのも一興だぞ? もっとも、君の全能力で私を殺害できればの話だがね」
 読めない。
 何かの歯車が取り除かれたせいで、普段ふ だん攻撃的こうげきてきな思考が一切回らない。そんな感覚だった。根拠の問題ではない。長い時間をかけて計算すれば突破口が見つかるとも思えない。単純に戦う事に意味はない。まるで、地平線に沈む太陽まで辿たどり着こうとして地上を走り続けるような間抜けさすら感じる。
 動かない一方通行アクセラレータに、エイワスは両手を広げたままさらに言う。
「おや。それで良いのかね。先に言っておくが、君が負の意味で実力を信じているアレイスターは、決して完璧かんぺきな人間ではないというのに」
「何だと?」
「彼のくわだてる計画には、すでにいくつかのほころびが生じているという事だよ」
 自身の存在そのものにかかわる問題のくせに、エイワスは何でもない事のように言った。
「アレイスター自身はイレギュラーな現象が発生するたびに、それを計画へ有利に組み込む事でリカバリーしていると思い込んでいるようだが、小さな亀裂き れつは少しずつ広がり始めている。このままでは、計画の実行者であるアレイスターの予想もしていない事態に発展するだろう。そう……」
 いやな予感がする。
 聞いてはいけない気がする。
 しかしエイワスは続ける。
 まるで、矮小わいしょうで浅ましい人間の精神を追い詰める事こそが、この退屈な世界で唯一楽しめる娯楽であるかのように。

「―――そう、計画のかなめとなっている打ち止めラストオーダーが、このままではいずれ必ず『崩壊ほうかい』するだろう、とかね。ま、単なるクローンなんだから、同じ機能の個体を作り直せば済む話かもしれないが」

 その単語だけで十分だった。
 最優先事項によってすべての不安材料は取り除かれ、一方通行アクセラレータの行動は決定された。

     2

 ここはどこだ。
 浜面はまづら仕上し あげは暗い暗い通路をひたすら走りながらそう思った。
 ここはどこなんだ。
 彼は一人だった。今まで片時もはなさなかった滝壺たきつぼ理后り こうはもういない。理由は簡単だ。強引に二人の間を引き裂かれた。浜面の背中をゆっくりとなぶるように追う人影は、それほどまでの力を持っていた。単純な腕力や能力の問題ではない。それ以上に圧倒的な恐怖が根底にあった。
「……はーまづらぁ」
「ッ!?」
 やみの向こうから聞こえる声。
 浜面は振り返りもせず、全力で横へ飛んだ。金属製の手すりにぶつかり、ぐらりと身を乗り出す。ここが橋のような空中に走る通路なんだと気づいた時には、すでに浜面の体は落下していた。
 しかし、それでもマシだっただろう。
 直後、ゴバッ!! という恐るべき閃光せんこうほとばしった。それは直前まで浜面のいた金属製の通路そのものを溶かして吹き飛ばし、オレンジ色の滝を作り出す。
 原子崩しメルトダウナー
 第四位の超能力レ ベ ル 5
「がっ!!」
 その単語が脳裏に浮かんだ直後、浜面は背中から床へ落ちた。落下距離きょり は三メートルぐらいだっただろうか。そこもまだ空中の通路だった。金属製の網目あみめのような床の下に、さらなる人工の床が広がっている。
 かなり広大な空間だった。
 幅だけで一〇〇メートル以上、長さの方はキロ単位はあるだろう。そして浜面の足のさらに下には、複数の小型の戦闘機せんとうき が並べられていた。ざっと見ても二〇機以上ある。
(………って事は、航空専門の第二三学区……?)
 ただの整備場とは思えなかった。おそらく新型機のテストを行うための試験場なのだろう。浜面はまづら滝壺たきつぼが相乗りした貨物列車は、ここへ資材を運ぶためのものだったのだ。
 その時だった。
 カツンという足音が聞こえた。
 上方からだった。おそらく浜面が落ちてきた連絡通路の方からだろう。浜面はとっさに身を隠す。クレーンの操縦席らしきボックス状の遮蔽物しゃへいぶつへ飛び込む。
「相っ変わらず逃げ足だけは速いみたいだけど。良いのかなー? いとしの滝壺ちゃんを置いて行っちゃってー?」
「………ッ!! !! !!」
 ミシミシ!! と浜面の奥歯がめられる。
 遮蔽物のせいで見えないが、浜面には分かる。おそらく麦野むぎの 沈利しずり は、ぐったりして動けない滝壺を片腕でつかんで引きずっているだろう。えて殺さない理由は簡単―――少しでも浜面をいたぶるためだ。
 本当なら、今すぐにでも飛び出したかった。
 しかし、正面から向かってもあの怪物には絶対に勝てない。いっしゅんで消し炭にされるのがオチだ。そうなったら滝壺を助けられる人間はいなくなる。『浜面をいたぶる』という目的が消えれば、滝壺はあっさり殺されてしまう。
(……くそっ、くそっっ! くそっっっ!! 何で、何でだ? 何でよりにもよって、こんなタイミングであいつが出てくるんだ!?)
 ガチガチとふるえる手でけんじゅうを取り出し、一度マガジンを抜いて残りの弾数を確かめる。そうこうしている間にも麦野のあざけるような悪魔あくま の声だけが戦闘機せんとうき の試験場にひびき渡る。
「どうして私が生き返ったか理解できなくてパニクってんのかしら? サイボーグ、クローニング、それともナノデバイス☆ 当てる事ができたらボーナスやっても良いけど、どうせお前にゃ分かんないわよね。鹿っぽいし」
 ゴバッ!! ドバッ!! と立て続けに光線がち下ろされた。
 明確に浜面をねらったものではないが、余波の震動しんどうだけで全身を恐怖が包む。
「ま、『冥土帰しヘブンズキャンセラー』とかいう偏屈な医者が残した『負の遺産』の応用らしいけどさ。油脂系の『溶ける骨組み』を使って肉の再生ペースを整えた上で、急速な細胞分裂を促しているんだと。本人はこんな使われ方しているなんて思ってないだろうけどねえ。そんな事はどうでも良いか。今はお前の泣き顔見る方が楽しみだし」
 ボックスからわずかに顔を出して、浜面は状況を確認する。
「はーまづらぁ。かくれんぼも良いけど、そろそろ顔出してくんないかな。さもないと矛先をかわいー滝壺ちゃんの方に向けちゃうよ?」
 あぐっ!! といううめき声が聞こえた。
 麦野が滝壺の髪を欄み、自分のたてにするように正面へかざしているのだ。
 その肌に触れるか触れないかの所を、麦野むぎの のもう一本の腕『原子崩しメルトダウナー』のループで作られた、莫大ばくだい閃光せんこうのアームがゆっくりと行き来する。
「ぎゃはは!! おーおー、どこから焼いてやろうかしら? この小さな顔をジュージューやっちゃう? それともピンクの×××に押し当てて真っ黒にしてやろうかぁ!? おい浜面はまづらどうするよ。このままじゃ黒っぽいミイラみたいになっちまうけど、それでも穴に突っ込みゃイケるもんかねえ!!」
(ちくしょう……)
「三つ数えるわよ。出てこなかったら滝壺たきつぼの×××に焼きごての刑だ。見捨てる気だっていうなら、処女の焼けるにおいでもぎながらオナニーしてるんだね」
 麦野のカウントは、ありがちな間延びしたものではなかった。
 むしろ、
「さんにーいちドバーン!!」
「くそつ!!」
 早口言葉のようなムチャクチャなカウントに、浜面はクレーンの操縦ボックスから勢い良く飛び出した。とっさに麦野に向けてけんじゅうを向けたが、相手の方が何倍も速い。おまけに麦野は滝壺をたてにしていた。
「良い子よ浜面」
 ゴバッ!! という爆音がすべてを引き裂いた。
 丸めたカスを指先ではじくような動きだった。にもかかわらず、飛び出したのは戦艦せんかんの砲弾よりも恐ろしい一撃いちげきだった。それは浜面のすぐ横を突き抜け、置かれていたドラム缶に直撃した。グワッ!! と燃料に引火して爆風が広がり、浜面の体が五メートル以上も宙を舞う。
 やろうと思えば瞬殺しゅんさつできたはずだ。
 それをやらなかったのは、文字通りいたぶってから殺したいからだ。
(……くそ……)
 うつ伏せに倒れた体を、仰向あおむ けに転がすのが精一杯だった。そうしながら、何が過去に麦野沈利しずり を倒しただ、と自分自身にき捨てた。あの一件が、いかに偶然や奇跡に助けられたものかをまざまざと見せつけられた。麦野沈利という女は、そうそう何度も簡単に倒せるような軽いレベルの怪物ではない。浜面仕上し あげという因子は、彼女に対する切り札として機能していない。このままでは勝てない。
「はまづらっ、はまづらぁ!!」
 自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
 その声を聞き、浜面仕上は歯を食いしばって起き上がろうとした、
 しかし、それより早く麦野が動いた。
 とはいえ、ろくに身動きの取れない浜面へとどめを刺すためではない。彼女は最初から、浜面を徹底的てっていてきにいたぶるためだけに地獄の時間を引き延ばそうとしている。
 麦野むぎの 沈利しずり の矛先が、滝壺たきつぼ理后り こうに向く。
「なぁーに一人だけ悲劇のヒロインっぽく自分を仕上げてんのよ。お前は単なるお姫様じゃないでしょ? 戦うための力があったんじゃなかったっけ」
「ッ!?」
 ひくっと、滝壺ののどが引きつったような音を立てた。
 麦野はぐったりした滝壺の体を適当に投げると、一本しかない生身の腕をポケットに突っ込んだ。そこから出てきたのはシャーペンのしんのケースほどの大きさの物体。
たいしょう』のケースだ。
「『能力追跡AIMストーカー』。そいつをフルに使えば、AIM拡散力場から逆流して、私の能力を乗っ取れるかもしれないんじゃなかったかにゃーん?」
 ぴんっ、と『体晶』のケースが指先ではじかれる。カラカラと音を立ててすべる小さなケースが、倒れた滝壺のすぐ近くで止まる。逆転できるかもしれない、最後のピース。しかしそれを使えば、滝壺は確実に『崩壊ほうかい』する。今、彼女の体がぐったりしているのも『体晶』の副作用によるものなのだ。これ以上の余裕はない。たった一度でも『体晶』を利用すれば、それで終わる。
 だが、
「別に逃げたきゃ逃げれば良いんじゃない?」
 麦野沈利の言葉が、瀕死ひんし の滝壺の心を揺さぶる。
 いいや、揺さぶるどころか、半ば砕くほどの強引さがあった。
「ただし浜面はまづら黒焦くろこ げになって死ぬけどね。お前が見殺しにしたせいで。ぎゃははは!! 別にどっちでも良いのよ。いずれにしても楽しいもんが見られそうだしねぇ!!」
「うう……」
 滝壼理后の手が、伸びる。
 使えば身の破滅を招くと分かっていながら、その手が伸びてしまう。
 理由は一つ。
 打ちのめされ、今まさに殺されようとしている浜面仕上し あげを助けるために。
「うううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ!!」
 けもののようにうめき、ついに滝壺の手が『体晶』のケースをつかんだ。まるでナイフで自分の胸を突くように、半端はんぱ にためらわないために一気にふたを開ける。それを見て、麦野はゲラゲラと笑った。大切な人を助けたいというおもいが最悪の結果を招く事が、楽しくて楽しくて仕方がないといった調子で。
(……はまづら……)
 滝壺は両目を強く閉じて、口を開けた。
 ふるえる手を動かし、『体晶』のケースの中身をその中へ投じようとする。
 その時だった。

麦野むぎの オォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお治ッ!!」

 浜面はまづら仕上し あげの絶叫がほとばしった。
 直後、巨大なモーターが動く音がひびく。戦闘機せんとうき を整備するために使うクレーンのアームを動かす音だ、と麦野は気づき、軽く身を退く。大きくスイングされたワイヤーと、アームの先端せんたんで荷物をったままのフックが、モーニングスターのように振るわれた。それは回避かいひ した麦野ではなく、今まさに『たいしょう』を使おうとしていた滝壺たきつぼ脇腹わきばら直撃ちょくげきした。
 ゴッキィ!! といういやな音が炸裂さくれつする。
『体晶』のケースが大きくはじかれ、滝壺の体は手すりを乗り越えて下層へと消えて行った。
「は、はは」
 思わず、麦野の口に笑みが浮かんだ。
 自分が演出したのとは違った結果だが、偶然は時にそれ以上の楽しさを運んでくる。
「ぎゃはははははは!! 何だそりゃあ浜面! お前は一体だれを守りたかったんだっつの!! 自分のその手でとどめ刺してりゃ世話はないわよねえ!!」
 と、そこまで大笑いした麦野は、そこでふとゾクリと寒気のようなものを感じた。
 嘲笑ちょうしょうをぶつけられたはずの浜面から、反応がない、くつじょくや後悔などというものが一切ない。そして麦野は遅れて気づく。浜面のねらいは、最初から滝壺だったのだ。彼女に『体晶』を使わせるのをやめさせ、なおかつ麦野の手元から遠ざけた。本来守るべき滝壺自身を傷つけてでも、決定的な致命傷だけは回避させるために。
 麦野は思い返す。
 クレーンのフックに吊ってあった荷物。あれは、危険物の航空爆弾を取り扱うための作業用駆動鎧パワードスーツではなかったか。そう、華奢きゃしゃな滝壺に渡し、少しでも死なせる可能性を減らすための。
「……麦野沈利しずり ……」
 そこまでする理由は何か。
 決まっている。

「どうやら、一回殺した程度じゃ足りなかったみたいだな」

 かつて第四位のを粉砕したが、本当の意味でもう一度立ち上がる。
 しくもあの時と同じ、滝壺理后り こうという少女を守るために。

     3

 一方通行アクセラレータはチョーカー型の電極のスイッチを入れた。
 第一位の超能力レ ベ ル 5はこれでいつでも使える。ベクトル変換能力。ありとあらゆる攻撃を『反射』し、わずかな能力から絶大な破壊力はかいりょくを生むチカラ。これさえあれば勝てない敵はいない。
 エイワスは無表情の中にわずかなあざけりを混ぜて、こう言った。
 このままアレイスターの計画が進めば、打ち止めラストオーダーは遠からず『崩壊ほうかい』すると。
 そして言外にこうも告げていた。
 殺せるものならやってみろ。どうせ、お前程度の力では私の存在を一時的に消失させる事すらできないだろうがな、と。
(……上等じゃねェか)
 一方通行アクセラレータは脚力のベクトルを制御し、爆発的に前へ出る。
(……AIM拡散力場のかたまりだか天使だか知らねェが、悪意をもってあのガキの害になるってンなら容赦ようしゃはしねェ。宣言通りこっちの都合で消えてもらおオかァ!! )
 エイワスは回避かいひ しようともしなかった。両手をゆっくり広げたまま一方通行アクセラレータを眺めていた。そのふところへ彼は飛び込んだ。開いた五本の指を思い切り突き出す。後はベクトルを操作すれば、エイワスを体内から破壊できるはずだった。
 しかし

 ドバッ!! と。
 直後に、原因不明の衝撃しょうげき一方通行アクセラレータの上半身を斜め一直線に貫いた。

 重たい刀のようなもので一刀両断された。そう知覚した直後には、一方通行アクセラレータの体は床にたたきつけられ、後ろへ二回、三回と転がされていた。信じられない量の鮮血があふれる。それは上半身の傷口からだけでなく、口や鼻からも溢れた。洒落し ゃ れや冗談ではなく、傷口から内臓がこぼれ出ないのが不思議なほどの大きな傷口だった。
「ごっ……ぼ、ァァがあああああああああああああああああああああああああッ!?」
 何が起きたか分からなかった。これまでも、木原き はら数多あ ま た垣根かきね 帝督ていとくなど『反射』の壁を貫いた者は何人かいる。しかしエイワスは違った。何らかの理屈があって、例外的にすり抜けているのではない。決定的な攻撃を受けた後になっても、まだ自分の身に何が起きたのかを分析する事もできない。
「しまった。これはこちらの落ち度だな」
 対して、エイワスはのんびりした調子で言った。
 金色の長い髪をかき分けるように、その背中から何かが生えていた。それはつばさだった。核爆発よりも人体に悪そうな、かがやき過ぎる輝きを放つその翼こそが、一方通行アクセラレータを引き裂いたものの正体なのだろうか。
 異様だった。
 単純な金色とも違う。白色のしんを含む、青ざめた輝きのプラチナ。……言葉として成立していないかもしれないが、一方通行アクセラレータの脳ではこうとしか表現できない。目で見ているものを理解できない事に、強い違和感を覚える。
「アレイスターめ、sn 構 bozl 用ウィルスに何か細工をしたな。打ち止めラストオーダーを経由して私の beuo 顕 dnn に自己防衛 bseou 能 gbu を埋め込んだか。いやはやすまない。自殺防止装置のようなものを nbspg 加 npisr らしい。私をsbgp 殺 napedv ければ勝手に動く nspidh 翼 gprws をどうにかしてくれ」
 いよいよ言葉がおかしくなってきたエイワス。
 だが、一方通行アクセラレータはろくに聞いていなかった。そのひとみの色が、体内から噴き出す血の色よりも禍々まがまがしい赤色に変化する。倒れたまま、地面をつかむように伸ばされた手が、ベキリと床板を粉砕する。

「abeoughabaeougbao 殺 wobnoweuferya……ッ!!」

 ドバッ!! と一方通行アクセラレータの背中がはじけた。そこから漆黒しっこくの翼が飛び出した。エイワスの青ざめたプラチナのような翼とは対照的なやみの羽。上半身を真っ赤に染め、くちびるや歯までも紅蓮ぐ れんに色を変えた悪魔あくま が、ゆらりと、重力を無視したようななめらかさで起き上がる。
「―――なんじの欲する所をせ。それが汝の法とならん、か」
 しかし、その黒い翼を見たエイワスはわずかに首を横に振った。
 一方通行アクセラレータの知るよしもないが、その一文は、かつて『法の書』を記した、とある魔術師まじゅつし の中心にある柱を示す言葉だった。
「残念ながら、それは rgg 時 ri 代 piregi が違うな。君のは所詮しょせん、オシリスのころのrsg 力 nophe だ。その程度ではホルスを生きる私に hosef 敵 qierd ないよ」
 轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 それは漆黒と青ざめたプラチナ、二種類の翼が正面から激突した衝撃波しょうげきはだった。
 衝突はあらしだった。
 ゴッパァァァァン!! と、一方通行アクセラレータとエイワスを中心とした爆風が巻き起こる。しかし戦いは互角ではなかった。最初の一撃で一方通行アクセラレータの黒い翼は根元かられかけ、続く二撃目で完全に分断される。絶叫というより咆哮ほうこうが響き渡った。その間にもエイワスの青ざめたプラチナの翼が振るわれた。真っ赤な鮮血だけが飛び散り、爆風にかき消されるように宙を舞う。
 次元が違い過ぎる。
 一方通行アクセラレータの黒いつばさは威力が高いとはいえ、単に重たい木の棍棒こんぼうを振り回しているようなもの。対して、エイワスのものは高度な技術によって徹底的てっていてききたえ上げられた、鋭い刃のついた名剣のようだった。
 ものの倒れる音が聞こえた。
 いや、それは人の倒れる音だった。
「こんなものか」
 血だまりの中心に沈む一方通行アクセラレータを見つめて、エイワスは簡素な言葉をらした。
 通常の人間なら確実に死んでいる。しかし、一方通行アクセラレータにはまだ息があった。ベクトル変換能力を無意識の内に使い、破れた血管から血管へと血液を循環させているのだ。おかげで、彼の周辺には宇宙空間でジュースをこぼしたように、無数の赤い液体が駆け巡っている。
 しかし、それだけだ。
 命をつなぎ止めるのに精一杯。そこから先の起死回生はやってこない。
「分かりやすく打ち止めラストオーダーの話を持ち出してさそってみたが、思った以上にあっさりしていたな。そもそも、この程度の成熟度ではヒューズ=カザキリにすら対応できまい。アレイスターめ、さては『今回も』あせっているのかな? ……垣根かきね 帝督ていとくの方も気になるしな」
 言うだけ言うと、エイワスはきびすを返した。その場から足を使って立ち去る。むしろ、いきなり消失したり飛行したりしない事の方に違和感を覚えるような光景だった。
 その時だった。

 バキリ!! とエイワスの体の中心が細かく砕けるような感触があった。

 エイワスの存在をつかさどる、AIM拡散力場の集合体の結合にエラーが生じている。その原因を考え、それからエイワスは振り返った。黄金の髪の毛先からザラザラと分解しつつあるエイワスは、それでも顔色を変えようとはしない。
「確か……」
 かすれた声が聞こえた。
 それは確かに一方通行アクセラレータのものだったが、これまでのエイワスのような理解不能の言語ではなかった。彼は、確かに人間の言葉でこう言っていた。
「……オマエは、学園都市中の……AIM拡散力場を、利用して……現出しているン、だったな……。そしてその制御のために、あのガキに、ウィルスを……ブチ込ンでヒューズ=カザキリとか、いう……モノを、作り……上げた。だとしたら―――」
「考えたな」
 エイワスは笑う。その間にも、ザラザラと指先が形を失っていく。
 そのひとみ一方通行アクセラレータつえを眺めていた。
「チョーカーの遠隔えんかく操作用の電波を遮断しゃだんするためのジャミング装置を、ミサカネットワーク全体に設定し直したか。あのネットワークは、学園都市全体のAIM拡散力場のかたまり誘導ゆうどうするための道標のようなもの。確かに、この空間からミサカネットワークによる干渉を妨げる事は、この場に限って、結晶の『核』を抜き取って、元の塩水に戻すような行為ではあるが―――」
 その言葉が放たれている最中も、一方通行アクセラレータの足はガクガクとふるえていた。
 エイワスが何かをしたのではない。
「理解しているか? それは、君の命をつなぎ止めていた命綱いのちづなを、自ら切断するようなものだという事に」
「……、」
 ボタボタ、と血がこぼれる音だけが連続した。
 一方通行アクセラレータは、その能力を使って破れた血管と血管の間で血液を行き来させ、かろうじて失血を防いでいた。ベクトル変換能力を自ら封じてしまえば、辿たどる道は一つである。
「……うる、せェよ……」
 しかし、一方通行アクセラレータは震えるくちびるを動かしてそう言った。
 ジャミングは時間と共に強力になっていくように設定してある。じきに会話もできなくなるし、自立歩行もできなくなる。その前に決着をつけるべく、一方通行アクセラレータは残る力を振り絞って、けんじゅうを抜いた。
 ―――天使だの悪魔あくま だのといった得体え たいの知れない力ではなく、人として振るう武器を。
 打ち止めラストオーダーという、一人の少女を救うために血みどろの道を歩んできた。そのために打ち止めラストオーダー自身すら敵に回し、真っ黒な悪の王として君臨する事を決意した、
 その悪党は、こんな所で命惜しさに平伏ひれふ すような人間ではない。
 そんな小物は、一方通行アクセラレータが世界へ提示する悪党ではない。
 だからこそ、彼はこの選択に迷わない。
 たとえここで血をき散らして倒れようが、大きく開いた傷口からすべての内臓をさらけ出そうが―――打ち止めラストオーダーを助けるために、引き金に掛かった指を引く事こそが彼の悪だ。
なんじの欲する所をせ。それが汝の法とならん」
 エイワスは歌うように何かをつぶやいた。
 両手はすでにひじの辺りまで分解されており、白色のしんを秘める青ざめたかがやきのプラチナのつばさも歯車を抜いたように動かない。体が半透明に透け、頭部の中心に三角柱のような物が見え隠れした。その表面はキーボードのようにガチャガチャガシャガシャと絶えず動き回っている。
 そこヘピタリと銃口を向けられている事に気付きながら、エイワスは肘までしかない両腕を広げ、まるで歓迎するように笑いながらこう言った。

「なるほど。ならば示してみたまえ、なんじの法を」

 銃声が炸裂さくれつした。
 水晶が砕けるような音と、人間が倒れる鈍い音の二つだけが残った。

     4

 麦野むぎの 沈利しずり は溶けた連絡通路から下層へと飛び下りた。
 ガシャン、という金網かなあみ状の床を鳴らす音が戦闘機せんとうき の試験場にひびく、同じ階層には浜面はまづら仕上し あげが立っていた。彼はクレーン操縦用のボックスの外側に傷ついた体を預け、片目しかない麦野の顔を見据えている。
「一回殺した程度じゃ足りない、ねえ」
 失った片腕の代わりに大量の電子線をループさせて作り出した光のアームをバチバチ鳴らしながら、麦野は楽しそうに浜面の言葉を繰り返す。
「足りないね。ぜんっぜん足りねえよ。―――この私と渡り合いたいってんなら、もう少し脳細胞を使った文句をぶつけてほしいモンだけどねぇ!!」
 ズバヂィ!! と閃光せんこうの腕が爆発的にふくらむ。
 しかしその前に浜面が動いた。
 だらりと下げた手に握られたけんじゅうをこちらに向け、ねらいをつけ、発砲する。それだけの時間があれば、麦野は浜面の丁寧ていねいに吹き飛ばせただろう。
 ところが、浜面はそう動かなかった。
 彼はだらりと手を下げたまま引き金を引いたのだ。当然弾丸はあらぬ方向へと飛び……彼のすぐ近くにあった消火器を正確にち抜いた。
 ボバッ!! とガスに押されて大量の白い粉が彼の輪郭を包み込む。
(……雲隠れのつもりか?)
「ナメてんのか浜面ぁ!!」
 三文芝居を見せられた観客が舞台へ物を投げるような感覚で、麦野は『原子崩しメルトダウナー』の閃光を発射する。二発、三発と立て続けに放たれた純自の光線は、消火器の粉の向こうに映るシルエットを致命的にえぐり取り、吹き飛ばしていく。
「チッ、じっくりすりつぶすつもりが思わず瞬殺しゅんさつしちゃったかな?」
 思わずつぶやいた麦野だったが、結果はそうはならなかった。
 彼女が吹き飛ばしたと思っていたものは、元々彼のすぐ近くに適当に積まれていた段ボール箱だった。麦野がダミーに気を取られている間に、浜面はさっさと金網状の通路から下へ飛び降り、最下層へ逃げていたのだ。
「ははっ、ははははは。煙幕とダミーで逃走? ……どこの忍者だテメェは!!」
 苛立いらだ まぎれに下方へ閃光せんこうを放ち、それから自分も最下層へと飛び下りる。
 広い空間に、何機もの戦闘機せんとうき が並んでいた。一応試作品という事だが、すでに塗装も含めて完璧かんぺきに仕上げられている。これから装備品の荷重耐久テストでも行う予定なのか、つばさの下面には大小様々なミサイルや爆弾まで設置されていた。
(さってっと)
 片目しかない首を動かし、麦野むぎの は辺りを見回す。
 浜面はまづら仕上し あげはどこかからこちらをうかがい、チャンスを待っているだろう。これ以上逃げても背中をたれるだけだという事ぐらいは理解しているはずだから。
「……、」
 いっしゅん、戦闘機の方をチラリと見て、これで反撃はんげきしてくる可能性はないだろうか、と麦野は思った。二~三〇ミリのガトリング砲と各種ミサイルを使われれば多少は手こずるだろうが、
(……流石さ す がにそれはないか)
 麦野は否定した。浜面仕上のようなチンピラに、戦闘機のような特殊な乗り物を操るすべがあるとも思えない。仮に操縦できたとしても、ここは倉庫の中だ。棒立ち状態の戦闘機など、麦野の能力を使えば一撃で蒸発できる。
 カツコツとキロ単位の通路をゆっくり歩きながら、麦野はニタニタと笑う。これだ。これなのだ。あんなでは、に正面などに立たれると一撃で昇天させてしまう。じっくりいたぶるためには相手にも頑張ってもらわなければ。
「どーこにいるのーかなー、はーまづらぁ」
 閃光のアームをゆらゆらと動かしながら適当なリズムで歌う麦野。
 その時、

「ここだ」
 と、不意に鹿正直な返事があった。

「ッ!?」
 すぐ近くだった。前回、けんじゅうで派手な逆襲ぎゃくしゅうを受けた麦野は身をひねるように勢い良く振り返ると、標的を確かめる前に『原子崩しメルトダウナー』を放った。ズバァ!! とすさまじい閃光がほとばしり、放たれた方角にあった戦闘機がオレンジ色に溶ける。
 しかしその直前で、麦野は見た。
 自分が攻撃を放った場所に、整備用のトラクターと、公園の土管のように積まれた細長い爆弾と……その上に置かれた、周囲に音がくサれるように最大音量にした無線用のヘッドセットと、機体のメンテナンス用に使うであろう、無線LAN付きのファイバースコープを。
 考える時間はなかった。
 麦野むぎの が何かを思うよりも早く、自らが莫大ばくだいな熱で吹き飛ばしてしまった一つ二〇〇キロの爆弾が勢い良く破裂し―――周囲にあったほかの爆弾やミサイル、航空燃料などを巻き込む盛大な誘爆ゆうばくを引き起こした。

 遠くはなれた所に隠れていた浜面はまづらも、ただでは済まなかった。
 戦闘機せんとうき を引っ張って運ぶための電動トラクターのようなものを見つけて静かに高速移動していた浜面は、爆発現場から五〇〇メートルほど離れた所にある遮蔽物しゃへいぶつの陰にいた。戦闘機のカラーを変えるためのペイント機材が一式載った小型トラックをたてにしたのだ。メンテナンスクルー用の無線機を使って声を放った浜面は、膨大ぼうだいな爆風にたたかれて床を転げ回る羽目になる。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 鼓膜こ まくが破裂しそうになった。眼球が内側から飛び出そうな、変な圧力が内側から加わった。しかしそれより心配なのは、どこにいるか確認のできない滝壺たきつぼだった。一応、彼女を落とした所から離れた場所に誘導用の無線機を置いておいたし、作業用の駆動鎧パワードスーツもクレーン経由で渡しておいた。通常モードでは動作が重すぎるし、高機動モードには専用の電子キーが必要らしいので戦闘には使えないが、爆風をしのぐだけなら多少は効果があるはずだった。……それでも、滝壺には爆発の圏内にいてほしくはないが。
 ともあれ、麦野沈利しずり は爆風に巻き込まれたはずだ。
 浜面にとって幸いだったのは、再び目の前に現れた彼女が、相変わらず自分の敵をすべて格下に見る傾向があった、という事だ。実際、その評価は決して間違いではないのだが、それが彼女に必要のないすきや油断を生み出していた。
(……分厚いコンクリートのトーチカをつぶすために用意された二〇〇キロ爆弾だ。生身の人間に使うようなモンじゃねえ。麦野はこれで大丈夫だいじょうぶだろ。後は滝壺を見つけて、ここから立ち去らねえと……)
 浜面はそう考え、無線機とファイバースコープ用の小さなモニタを投げ捨て、来た道を走って戻る。
 熱風が吹き荒れた。
 爆発現場の方は床が大きく崩れ、その下にある地下スペースを巻き込んだ崩落を引き起こしていた。上方を走る連絡通路はねじ曲がって落ちている。浜面はそんな中を歩いた。滝壺の名前を大声で呼びながら、いつ第二、第三の誘爆が起こるか分からない場所をひたすら探す。
 その時、ガサリという物音が聞こえた。
「滝壺!?」
 浜面はそちらへ振り返る。
 しかし、

「はーまづらぁ」

 ゾッと。いっしゅんで全身の体温が消えた。その時にはもう遅かった。黒い煙の中から、閃光せんこうのアームが伸びてきた。浜面はまづらは思い切り身をひねったが、耳の方からいやな音とにおいがき散らされた。ジュウ、と。とても良く熱したフライパンに油を垂らしたような。
「うがあああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 のたうち回る浜面を見下ろすように、煙を引き裂いて麦野むぎの が現れた。
「こーんな程度の量産兵器で、第四位が倒せるとでも思っていたのかな。浜面ぁ?」
「くそっ、くそくそくそくそ!!」
 浜面は耳にらいつく激痛を必死に抑えつけ、両手でけんじゅうを握って発砲した。
 しかし、唐突に麦野が消えた。
原子崩しメルトダウナー』をロケットエンジンのように放ったのだ。二〇〇キロ爆弾からも同じ方法で緊急回避きんきゅうかいひしたのだろう。ブォン!! と鈍器を振るうような音と共に視界の外へ回避した麦野は、
「そんな見え見えの反撃はんげきが通じるとでも思ってんのかしらぁ!!」
 轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 彼女のくつ先端せんたんが倒れた浜面の背中へ突き刺さり、数メートルも宙に飛ばした音だった。もはや声も出ない。呼吸の止まった浜面の体は、そのまま床……ではなく、爆弾で吹き飛ばされた亀裂き れつの中へと放り込まれた。
 がんっ、ごんっ、と複数回の衝撃しょうげきが走る。
 背骨の一部が外れたんじゃないかと本気で思うほどの激痛におそわれた浜面だが、いちいち泣き叫んでいる暇はない。上方からのゾクリとした殺気に対し、全力で床を転がる浜面。直後、麦野の閃光が次々と襲いかかる。
「逃げろ! 逃げろ!! 獲物の豚野郎!! 少しでも長くこの私を楽しませろ!!」
 床の破片が体の至る所へと突き刺さった。自分で転がっているのか、破片のあらしに転がされているのかも分からなくなってきた。それでも身をひねり、物陰へ飛び込む浜面。標的を見失って苛立いらだ ったのか、直後に麦野も地下空間へと飛び込んできた。
(……ここは? 出口は……?)
 浜面は遮蔽物しゃへいぶつに隠れながら、ようやく周囲に目をやった。
 おかしな空間だった。一〇〇メートル四方の部屋だったが、壁から均等に突起物が飛び出している。さらに突起物の向こうには、エアコンの送風口のようなものが一面埋め尽くしているのが見えた。一方だけは強化ガラスでおおわれ、その先に何らかの操作室のようなものが見える。
 ここは戦闘機せんとうき の試験場だ。
 となると、
(……空気摩擦ま さつ用の耐久試験室か……?)
 浜面はまづらが寄りかかっているのは、三メートル程度のカプセル状の模型だった。戦闘機せんとうき のコックピットの原寸大の模型だ。模型と言っても強化ガラスの風防はきちんと上下するし、素材も本物の戦闘機と同じ複合素材でできている。
 元々は脚立きゃたつのようなもので空中に固定されていたようだが、爆風に吹き飛ばされて横倒しになっていたのだ。コックピットをおおう強化ガラスの風防も、半開きになっている。
「はーまづらぁ」
 ビクリと。名前を呼ばれただけで、浜面仕上し あげの肩が大きく動いた。彼は必死に出口の扉を探し、それを見つける。しかし距離きょり があった。コックピットの模型から飛び出してから出口の扉を開けるまでに、五〇〇回はち抜かれそうだった。
 出口は使えない。
 ここで決着をつけるしかない。
 しかし、手の中のけんじゅうを使うだけで麦野むぎの を殺せるとは思えない。二〇〇キロ爆弾を誘爆ゆうばくさせても、自分の能力をロケットエンジンのように応用して範囲外まで逃げるような女だ。生身の人間が九ミリの弾丸を使った所でねらいを定める事もできない。
 もっと強力に、逃げる事を許さないほど圧倒的な範囲攻撃を使わなければ、麦野沈利しずり は倒せない。しかし強大な能力者でもあるまいし、単なるの浜面にそんなものは用意できない。
「ったく、それにしてもふざけた話よね。アンタも迷惑だったかもしんないけどさ、こっちもこっちで大迷惑なんだっつの」
 カツコツと、足音が近づいてくる。こちらに回り込まれたらおしまいだ。
「しかしまぁ、垣根かきね 帝督ていとくよりはマシなのかな。あの第二位、私より散々な状態で回収されたらしくてね、ネバネバした液体の入った容器に、三つに分かれた脳をそれぞれ収めたり、つぶれた内臓一つを補うために冷蔵庫よりもデカい機材を腹の横に直接取り付けたり、そんな状態だとさ。もうほとんど超能力レ ベ ル 5き出すだけのかたまりになってるらしいわよ」
 浜面は必死に首を動かして辺りを見た。
「そうまでして統括理事長は私たちを再利用したがってるみたいだけど、さてどうしたもんかしらね。とりあえず、お前にはここで死んでもらうってのは確定だけど」
 逆転のヒントを探した。そして……一縷いちる の希望を見つけた。
「なあ浜面」
 その時だった。
「どうして」
 ふと、麦野の声色こわいろの変化に気づいた。浜面は少し考え、首を横に振った。それは考えたくなかった。考えてしまえば、この場面で動きが止まってしまう。いっしゅんの遅れが致命的になるこの場面で動きが止まってしまう。
 しかし、麦野むぎの 沈利しずり はこう言った。

「……どうして、ここまでひどい怪物になっちゃったのかな」

 くそっ!! !! !! と、浜面はまづらはあと少しで声を上げてしまう所だった。
 最もここで考えたくなかった事。それは、麦野沈利は怪物であると同時に一人の女の子でもあったという事だった。彼女が何に対して『ここまで』と言ったのかは分からない。得体え たいの知れない技術で死に損った事か、『アイテム』なんて裏組織で働き始めた事か、あるいはになってしまった事か。いずれにしてもその問いかけに対する答えは浜面仕上し あげなどには用意できない。それはただ、彼に苦悩だけを突きつけてくる。
 浜面は、手の中にある小さなヒントをもてあそびながら、もう一度だけ考える。
 彼女を殺して良いのか。
 単純な怪物としてほうむっておいて、ニコニコ笑顔でハッピーエンドにできるのか。

「とか言って欲しかったか? はーまづらぁ」

 ギュン!! という壮絶な音がひびき渡った。
 いっしゅんコックピットの模型を回り込んだ麦野むぎの りが、浜面はまづらの腹へ直撃ちょくげきした。攻撃は一発では済まなかった。続けて七発、八発と速く鋭く重たい一撃が、浜面の表面だけではなく内臓にまで深い痛みを与えてくる。
「ぎゃはは!! 何をビクビクふるえてんだぁ!? えー? 口って血ぃくためについてるもんだっけ? どうせならレアで楽しい悲鳴でも上げてくんねーかしらねえ!!」
「ごっ……げぁ! ごぼ……ッ!?」
(……く、ぞ。おれの内臓、一体どうなっちまった……?)
 体の内側が不自然に震えた。内臓の動きがおかしい。まるで革袋の中で別々の生き物がうごめいているかのような動きだった。人間の体がこんな風に機能する事を、浜面は生まれて初めて知った。
(まだ、元の場所にあんのか……。……腹ん中で、シャッフルされちまってんじゃねえだろうな……)
「おいおいだまんないでよ。優しくさすってやれば感覚戻るかにゃーん?」
 ドゴォ!! と一際ひときわ大きく腹に爪先つまさきが突きこまれた。
 まるでゴミ箱へ投げ込むような勢いで、彼の体が半開きのコックピットの中へ突っ込まされた。バチバチ、という音が聞こえた。麦野の閃光せんこうのアームが、今まで見た事がないぐらいぼうちょうしていた。
「溶けた鉄と一緒いっしょからめて冷やして面白おもしろオブジェに変えてやる」
 考える時間はなかった。
 浜面はけんじゅうの引き金を引いた。しかし麦野に当たる事はなかった。外れた弾丸は壁の一方……強化ガラスを粉々に砕く。麦野の笑顔がより凶悪なものになるが、浜面の表情は変わらなかった。それがねらいだったのだ。どうせ彼女には当たらない。弾丸を浴びて砕け散った重量のあるガラスが操作室の内側へと雪崩くずれ込む。それは、操作パネルの上にも降り注いだ。様々なボタンが乱雑に押され、巨大な『装置』に命令を送ってしまう。
 ゴウン、という鈍い音が響き渡った。
 麦野は『?』と辺りを見回し、周囲の壁に設置されたエアコンの送風口のようなものが蠢いているのを発見する。その間に、浜面はコックピットへより深くもぐり込む。計器をすべて取り外された『模型』の中、たった一つだけ残っていたボタンを押すと、半開きだったガラスの風防が完金に閉まり、コックピットが密閉される。
 麦野沈利しずり が何かに気づいて、ようやく浜面の方を振り返った。
 彼女のくちびるが動いたが、強化ガラスにさえぎられて浜面の耳まで届かなかった。
 ただ。
 その時、麦野むぎの ひとみは泣き出す寸前の女の子のように揺らいでいるようにも見えた。

 直後。
 コックピットの外が、オレンジ色の爆風で埋め尽くされた。

 彼らがいた部屋は、空気摩擦ま さつ用の耐久試験室だ。戦闘機せんとうき は音速以上の速度で進むと、膨大ぼうだいな空気摩擦を受ける。その表面温度は、数百度にまで達するのだ。その摩擦に機体が耐えられるかどうかを試すのが、この耐久試験室。『音速の空気』は流石さ す がに作れないため、大量の砂鉄を使ってヤスリのように『摩擦』を増幅させた、特殊な烈風を人工的に作り出す部屋だったのだ。
 浜面はまづらは、コックピットの模型によって守られていた。
 そして、麦野にはそんな守りはなかった。
 ゴバッ!! というすさまじい音が炸裂さくれつした。一〇〇メートル四方の空間そのものが数百度の摩擦を生み出す爆風空間へと変じてしまったのだ。麦野にはロケットエンジンのように高速移動する術があったが、空間すべてが埋められてしまっては逃げられない。事実、彼女の体は巨大なハエたたきで横殴よこなぐりにはじかれたように、ノーバウンドではしの壁まで吹き飛ばされていた。
 その後、何がどうなったか観察する事はできなかった。
 透明な強化ガラスの外側全てがオレンジ色に染まり、視界が確保できなかった。まるで大気圏を進むスペースシャトルから窓の外を眺めているようだった。
 浜面は両手で自分の顔をおおった。
 勝利の愉悦などなかった。
 一刻も早く、この地獄が消えてなくなる事だけを祈って両目を固く閉じていた。本当にこんな事しかできなかったのか。自問自答だけが、いつまでもいつまでも続いていた。
 やがて、現象は収まった。
 しばらくピクリとも動かなかった浜面だが、やがてコックピットのシートからのそりと起き上がった。ボタンを押し、強化ガラスの風防を開け、転がり出る。蒸し暑い空気が肌にぶつかった。まるで温めたオーブンの中だった。
 麦野沈利しずり はどうなったのか。
 彼には、確かめる余裕がなかった。
「はまづら。はまづらっ!!」
 どこかから、聞き慣れた女の子の声が聞こえてきた。浜面が顔を上げると、二〇〇キロ爆弾によって破壊は かいされたてんじょう亀裂き れつから、滝壺たきつぼがこちらを見ていた。浜面は手を振った。大丈夫だいじょうぶだと、彼は言った。
 滝壺理后り こうを選び、そのために麦野沈利を切り捨てた。
 浜面はもう一度だけその事を考え、それから、もう一度自分の足で前へ進む事にした。
 その時だった。
 浜面はまづらの携帯電話が鳴った。電話に出ると、相手は絹旗きぬはた最愛さいあいだった。
「浜面っ!! 良いですか、一刻も早く超そこからはなれてください!!』
「絹旗……!?」
『あなたが第二三学区の戦闘機せんとうき 試験場にいるのは超つかめているんです! そんな事は超良いからっ! 学園都市の別動隊が、あなたの身柄を拘束するために超そちらへ向かっています。捕まれば命の保証は超できないような連中です!! 滝壺たきつぼさんを連れて超早く離れて!!』
 何だって? と浜面はまゆをひそめる。
 滝壺や絹旗のために部隊が動くならまだ分かる。しかし、単なるチンピラの浜面のためにそこまで大規模な事が起こる? 麦野むぎの の登場におどろかされたが、そもそも、その前に浜面たちを追い掛けていたあの部隊は一体何だったのだ?
 ともあれ、考えている暇はなかった。
 浜面は耐久試験室の出口に走り、階段を上り、急いで滝壼と合流する。
「おい、逃げるって言ってもどこへ行けば良いんだ!? いくら広いって言っても、学園都市は壁に囲まれた限定空間だぞ。ずっとずっと追っ手を差し向けられ続けたらいつかは捕まっちまう!!」
『ええい、スキルアウト特有の潜伏せんぷく場所みたいなものはないんですか!?』
「敵対する不良グループ程度の目から逃れるレベルのものならな。特殊部隊みたいなのから恒久的に目をくらますレベルの潜伏場所なんて用意できる訳ないだろ!!」
 滝壺の手を引っ張り、格納庫のようなスペースを走りながら、浜面は携帯電話に向かって大声で叫ぶ。そうこうしている内にも、追っ手は確実に迫っているだろう。このままでは殺されてしまう。
 と、そこで浜面は足を止めた。
 確実に学園都市の追っ手から逃げ切るためのルートが、一つだけあった。
「おい絹旗。確か学園都市製の超音速旅客機には、自動操縦機能があったよな」
『まさか、浜面……』
流石さ す が離着陸りちゃくりくまでは対応しちゃいねえだろうが、一度飛んじまえばこっちのモンだ! おい、なんかマニュアルみたいなモンってねえのか!? とにかく浮かべばそれで良い。着陸の事は考えない。パラシュートで途中下車するから墜落ついらくしても問題ねえ!!」
 言いながら、浜面は改めて正面を見据える。
 多くの戦闘機と一緒いっしょに、全長八〇メートル近い巨体がめてあった。時速七〇〇〇キロオーバーで突き進む超音速旅客機だ。学園都市の特殊部隊から逃れるためには、そう、街の『外』まで逃げるしかない。
 その巨体は、専用のタラップ車を用意しなければ乗り込む事もできなかった。
 しかし、二〇〇キロ爆弾のえいきょうか、連絡通路が斜めに落ちていた。浜面と滝壺はそこを伝うように宙を進み、超音速旅客機の側面に張り付く。幸い、ロックはかかっていなかった。ハッチを開き、そこから内部へ乗り込む。
浜面はまづら、聞こえていますか? そこの地下格納庫は超スクランブル用の離陸り りく機能を有しています。平たく言えば、超上り坂の電磁カタパルトになっているんです』
「どうすれば良い。どうすれば大空へ逃げられる!?」
『カタパルトの射出機能はコックピット側と超リンクしています。操縦用のコンピュータさえ起動できれば、後は画面を人差し指で超タッチするだけで離陸できるみたいですね』
 機体先頭のコックピットまで走り、扉を開けると、一〇〇以上のボタンや操縦かんが待っていた。思わず眩暈め ま いを感じる浜面だが、どうやらマニュアルを見ているらしき絹旗きぬはたの声に従ってボタンを押していく。
 いくつもの画面に光がき、四つの巨大なエンジンが低いうなりを上げ始める。モニタの一つに、カタパルトの図面が表示されていた。指示に従ってモニタに指をわせると、いくつかの項目が赤から緑へ色を変えていく。
 その時だった。
 地下格納庫の扉が大きく開け放たれ、追っ手らしき黒ずくめの男たちがわらわらと現れた。彼らは離陸直前の超音速旅客機を見て、即座に行動した。な発砲などをしないで、作業用のトラクターを回し、カタパルトを封じるようにめたのだ。
「くそっ!?」
 浜面は思わず叫んだが、もうカタパルトへの命令は止められない。
 ゴシュッ!! というすさまじい音と共に、超音速旅客機がカタパルトのレールに従って高速で突き進む。トラクターを操っていた黒ずくめの一人が急いで飛び下りるのが見えた、そこへ超音速旅客機はぐ向かってしまう。
 直撃ちょくげきする。
 そう思った浜面だったが、そこで予想外の事が起こった。
 ズバァ!! と莫大ばくだい閃光せんこうが飛び出し、トラクターを真横にぎ払ったのだ。浜面がその正体について考える前に、電磁カタパルトは超音速旅客機を上り坂のトンネルから地上へと勢い良く飛ばした。巨大な手で紙飛行機を飛ばすように、浜面と滝壺たきつぼを乗せた旅客機はそのまま夜空へと放たれる。
 浜面は下手に操縦桿に触らなかった。
 自動操縦のプログラムが、機体をゆっくりと水平に保っていく。乱気流にでも突入しない限りは、このままにしておいた方が良い。
麦野むぎの ……)
 最後に見えた閃光は、おそらく彼女のものだろう。どういうつもりで一撃を放ったかは知らないが、きっと、あいつとはまたどこかで会うような気がする。
「はまづら……」
 ポツリと、かたわらの滝壺たきつぼつぶやいた。
 浜面はまづらは、自然と少女の肩を抱きしめる事ができた。そこでようやくきんちょうの糸が切れたのか、二人はぺたりとコックピットの床へと座り込んでしまう。
 一つの戦いは終わった。
 彼の腕の中には、一人の少女がいる。

     5

 一方通行アクセラレータは、血まみれの床に倒れていた。まともではない出血量だったが、不思議と痛みは感じなかった。手足がまともに動かない。しかし恐怖はない。あるいは、それを感じる余裕すらもなくなっているのか。
(……終わった、のか……?)
 ぼんやりと、一方通行アクセラレータは思う。
 命懸いのちがけの一撃いちげき。最後に放った弾丸は、半透明になったエイワスの頭部に見えた、三角柱のようなものへ正確に突き刺さっていた。そして水晶の砕けるような音。あれが何だか良く分からなかったが、エイワスにとって弱点であれと一方通行アクセラレータは思う。
 しかし、

「まぁまぁ、といった所かな?」

 今度こそ。
 今度こそ、本物の絶望が一方通行アクセラレータおそいかかった。いつの間にか、彼の前にエイワスが立っていた。どのタイミングで現れたのか分からなかった。どうやって回復したのか、そもそもダメージはきちんと入っていたのか、あの三角柱は何だったのか。これまで死闘し とうり広げていたはずなのに、情報らしい情報が何一つ入って来ない。
「いや、本来ならヒューズ=カザキリ同様、私はあそこでダウンしていただろうね。明確に死亡とまではいかなくても、数年は出て来れなかったんじゃないかな。アレイスターの計画は大幅な修正を求められ、君はその間に打ち止めラストオーダーを助け出せたかもしれない」
 ただ、とエイワスは気軽な調子で言う。
 生き残ろうが死んでしまおうが、どうでも良いと言っているかのように。
「アレイスターは、思ったより慎重にセキュリティを構築しているらしい。心配しょうなのかもしれないな。ともあれ、どうやら私が思っていた以上に、私の防壁は堅牢けんろうに作られていたらしいんだよ」
「……クソッたれ……」
 一方通行アクセラレータは必死に起き上がろうとする。
 しかし出血が多過ぎた。一方通行アクセラレータはまともに手足を動かす事もできなかった。そうしている間にも、エイワスの言葉が続く。
「ここまで精一杯戦ってくれた君には悪いんだけどね」
 うっすらと、エイワスは笑う。
 その頭の上に、かがやく天使の輪が生じる。
 内部に白いしんを秘める、青ざめた輝きのプラチナの輪が。
 主観的な価値によって興味を持ち、興味によって人の前に現れる金髪の怪物は、最後にこんな事を言った。

「……どうやら、私には変形機能があるらしいぞ?」

 ゴゥバッッッ!! !! !! という爆音が炸裂さくれつした。
 一方通行アクセラレータの意識が、容赦ようしゃなく断絶させられた。
 たった一人の少女を守るための最後の希望が、こぼれ落ちた。

終 章 悲劇では終わらせない Brave_in_Hand.

 金髪の怪物、エイワスは二本の足で歩き、ありきたりな携帯電話を耳に当てていた。
 建設中のビルの、き出しになっている鉄骨のはしだった。月を見上げながら歩くエイワスは、細い細い足場になど一瞥いちべつもくれない。価値がないし、興味もないから。理由はそれだけだった。
「そんなに不思議かね、アレイスター」
 エイワスはどこで手に入れたのかも分からない携帯電話に向かって、ゆっくりと言った。相手は少しだけだまり、それから返答する。
『その気になれば、移動に足など必要あるまい。意志の疎通そ つうに関しても同様のはずだ。確かに不可解ではある。効率的とは思えない』
「二本の足で立ち、文明の利器で会話をする。……それなりに価値の見出み いだせる行為じゃないか。もっとも、効率優先でガラス容器の中に逆さまで浮かぶ男にはせぬ風情ふ ぜいかもしれないがね」
 効率と価値。
 二人の怪物を分ける差異は、そこにあるようだった。
「そうそう。君が五〇年以上もかけてこんな酔狂な街を作り、ようやく発現させる事に成功したあの第一位だがね」
『思った通りには進んでいないという話か』
「まあ、誤差範囲を含めて何とか許容できるんじゃないか? とはいえ、思った以上に幼い精神だったな。彼は自らを悪とさげすんでいたが、それは善に対する強烈な渇望の裏返しであると、本人は気づいていたのかね。……彼が背中を追う幻想殺しイマジンブレイカーは、そもそも善悪に属するから行動しているのではなく、自身の内からき出る精神活動に従った行動が、他人からは勝手に善と評価されているだけなのにね」
 エイワスは月を見上げながら、うすく薄く微笑ほ ほ えんだ。世界を滅ぼす事よりも、つかの世間話の方が価値や興味があるとでも言っているかのような表情だった。
「もしかして、君は彼らにあこがれているんじゃないのか?」
『……、』
「一口にヒーローと言っても、様々な分類がある。……だれに教えられなくても、自身の内から湧く感情に従ってぐに進もうとする者。……過去に大きな過ちを犯し、その罪に苦悩しながらも正しい道を歩もうとする者。……誰にも選ばれず、資質らしいものを何一つ持っていなくても、たった一人の大切な者のためにヒーローになれる者。そのいずれもが、何度たたきのめされても自分の足で立ち上がるような者たちだ」
『……エイワス』
「そんな三種類のヒーローは君の持っていないものを備えているようだ。ゆえに、君があこがれるのも無理はない。……何せ君は『あの時』、崩れ落ちて嘆く事しかできなかったんだからね」
『エイワス』
 もう一度、アレイスターは名を呼んだ。
 男性にも女性にも、大人にも子供にも、聖人にも罪人にも見えるその人間の声色こわいろが、ほんのいっしゅんだけ、チリッとしたいびつな感触を含んだ。哀楽あいらくすべてを内包する普段ふ だんのものとは何かが違った。
 エイワスの顔色は変わらなかった。
 あるいは、エイワスにはそれすらも興味を向ける価値がなかったのだろうか。
『使えるものなら何でも使わせてもらう。それがたとえ、あなたであってもだ。あなたは私のプランに誤差があると笑うが、私からも言わせてもらおう。……その絶対的優位こそ、永劫えいごうに続く保証などどこにもないのだという事を』
「別に、望んで力を持ち、努力によって維持しているのではないのだがね」
 エイワスは、携帯電話に向かってそう言った。
「まぁ良いだろう。また価値と興味がいたその時に、私はここへ現出しようか」

 夜明け前のひととき。黄泉川よ み かわ愛穂あいほ 目を覚ましたかは、本人にも分からなかった。彼女はすぐれた警備員アンチスキルであり、その訓練の成果は人の気配を正確につかむ。電気もけずに寝室を抜けると、マンションのリビングの窓が不自然に開いていた。
 警戒し、部屋の中を調べると、分かった事は二つあった。一つ目は、同居人である打ち止めラストオーダーという少女がどこにもいなくなっている事。そして二つ目は、リビングの窓から彼女の部屋まで、べったりとした血で汚されていた事。
 黄泉川の顔色が変わるが、そこで彼女は三つ目の『あるもの』を見つける。
 それは小さなメモだった。
 真っ赤な血を使って、ふるえる文字で書かれた短い文章。署名も何もあったものではないが、黄泉川はだれが書いたのかすぐに思い当たった。文章の詳しい意味までは読み取れなかったが、そこには端的たんてきにこう書かれていたのだ。
 このガキの命は、必ず助けてみせる、と。

 定期的な震動音しんどうおんだけが一方通行アクセラレータを揺さぶっていた。暗い空間の正体は貨物列車のコンテナで、始発前でも走っているこの貨物列車は、そのまま学園都市の『外』へ向かうようになっていた。途中、外壁の辺りで荷のチェックをするはずだが、一定のプロセスを経ればすり抜けられる事を、最暗部で動いていた一方通行アクセラレータは知っていた。
 声はない。
 この場に『二人』もの人間が息をひそめている事が不自然であるほど、音はなかった。うずくまったまま動かない一方通行アクセラレータの腕の中には、さらに身動きを取らない一人の少女がいた。完全に意識を失い、ぐったりと体重を預ける打ち止めラストオーダーだ。エイワス出現と共に相当の負荷がかかったのか、今まで見た事もないほどに、幼い少女は消耗していた。
『あの子は難しいな』
 完全につぶされた後、上から投げつけられた言葉を一方通行アクセラレータは思い出す。
『アレイスターのプラン次第だが、今すぐであれ遠い未来であれ、いずれ潰れてしまう事は間違いない。私の存在をプランに組み込むための過程で、あの子は死滅するだろう。あの医者をたよるのはやめておけ。ハッキリ言うが、彼もまた人間だ。その腕は完璧かんぺきではないし、そもそも、この街の技術でどうにかなるならアレイスターも不安材料を放ってはおかないだろう。まぁ、ヤツのプランの崩壊ほうかいに伴ってこの体を失うのも、数ある可能性の一つに過ぎないがね。後で嘆くのがいやならば、既存のものとは違う道でも歩んでみたまえ』
 その言葉には、どういう意図があったのだろうか。
 何らかの価値と興味を見出み いだしたのか、エイワスの言葉だけが流れていく。
『ロシアに行け』
 一方通行アクセラレータだまって聞いていた。
 怒りに任せて八つ裂きにできるような相手ではなく、その事が一方通行アクセラレータの神経細胞を焼き切るほどの怒りを生んでいた。
『正確にはそこから独立したエリザリーナ独立国同盟か。そこは今、惑星規模の戦乱の中心点へと変貌へんぼうしつつある。ありとあらゆる文明の知識や技術が、軍事と兵器にきたえられて集結する事だろう。……君が見た事もないような、「全く別の法則」もね』
 エイワスは他者の心など意に介さず、ただ己の言葉だけを続ける。
『禁書目録という言葉を覚えておくといい。アレ自体はそこにはないが、それにかかわる重要な品がある』
「―――、」
 あまりにも圧倒的な力の前に、悪など通用しなかった。
 自分はこれからどうすれば良いのか。GPSの地図をたよりに原野を進んでいたのに、いきなり表示が消えてしまったような感覚だった。目指すべきものが見当たらない。
 学園都市最強の怪物。貨物列車に潜む彼を見る者は誰もいないが、もしも見る事ができたなら、誰もがこんな感想をいだいたかもしれない。
 まるで、両親に捨てられ、広い街の中を歩き回り、疲れ果ててうずくまる子供のようだと。
 ぐしゃり、という音が聞こえた。
『グループ』との、そして黄泉川よ み かわ愛穂あいほ 芳川よしかわ桔梗ききょうとの唯一のつながりだった携帯電話を、自らの手で握りつぶした音だった。
 腕の中の幼い少女をもう一度抱き寄せた一方通行アクセラレータくちびるが、ほんのわずかに動く。ほとんど声にならない言葉で、彼はこうつぶやいていた。
 ロシアへ、と。

 浜面はまづら仕上し あげ滝壺たきつぼ理后り こうを乗せた超音速旅客機は、バランスを安定させて一定の航路を進むだけの自動操縦に従って大空を突き進んでいた。しかしそれもいつまでも続けられない。浜面には大型機を安全に着陸させるような技術はないのだ。
(……パラシュートで途中下車するしかない)
 考えながら、浜面は機内のあちこちに爆薬を仕掛けていた。戦闘機せんとうき の試験場にあった物だ。この旅客機もまた学園都市の最先端さいせんたん技術。に第三国に回収させる訳にはいかないし、こんな巨大な質量をそのまま墜落ついらくさせたくはない。海か原野の上で爆破してしまうのが一番だ。
 一通りセットした浜面は、コックピットではなく客席の扉の方へ向かった。そこにはぐったりと壁に背中を預ける滝壺がいる。
「準備は終わったぞ。本当にこれで大丈夫だいじょうぶなのか!?」
「……大丈夫。この機には、墜落時に主要な回路を強酸で溶かして技術隠蔽いんぺいするセキュリティパッケージが仕込まれているから。機密情報が第三国に渡って兵器化されるリスクはほとんどないはず……」
 声に張りはなかった。
たいしょう』がどれだけ彼女をむしばんでいるかは、学者ではない浜面には予想もできない。しかし、だまっていて回復するものではないだろう。『外』の医療いりょう技術でどうにかできるものでもないのも、何となく想像がつく。
 結局、学園都市の技術を借りなくては滝壺は生きていけない。
(……勝利条件は、あの学園都市から逃げ切る事じゃねえ。科学サイド全体をぶっこわす事でもねえ)
 浜面仕上は、たった一人で決意する。
(……いかに最高の状態で学園都市に降服するか。どうせ、ハナから勝負にならない事は分かっている以上、後は『いかに上手に負けるか』だけに焦点を絞った方が良い)
 最低でも滝壺の身の安全だけは『交渉』で確保する。
 この超音速旅客機が強酸を使ってでも技術隠蔽しなくてはならない機密情報のかたまりであるのと同じく、の滝壺の肉体やDNAマップも『第三国に渡ってはいけない機密情報』であるはずだ。これを使って巨大な学園都市と駆け引きをする。それしか生き残るすべはない。
 たとえ。
 滝壺たきつぼが無事に回収された後、取り引き材料を失った自分がどんな危険な目におうとも。
「??? はまづら、どうしたの?」
「何でもねえよ」
 浜面はまづらは無理に笑って、それから客席から外へつながるドアへ爆薬を取り付けた。爆風に巻き込まれないよう、ぐったりした滝壺を抱えてその場をはなれようとする。
 そこで、滝壺の方から首の後ろに両手を回された。
 そのまま顔が近づけられ、くちびると唇が触れた。
 たった数秒の出来事が、浜面のこれまでの悲観的な計画を粉々に破壊は かいした。
「離れないで」
 滝壺は、それだけ言った。
 そこにどれほどの意味が込められているか、浜面は何となく知った。
「分かったよ……」
 自分の方からも改めて滝壼の小さな体を抱き寄せ、ふるえる唇を動かして浜面は思う。
 何があっても、二人で生き残ると。
「離れるもんか。ちくしょう、絶対だ。絶対に離さないからな!!」
 そのがむしゃらな言葉を聞いて、滝壺はかすかに笑みを浮かべた。
 超音速旅客機の速度は落ちていた。浜面には理解できないが、彼が機内に爆薬をセットしている内に、滝壺が自動操縦の設定を少しいじったらしい。彼女も操縦かんを握って飛行機を飛ばすような事はできないようだが、マニュアルを読んでちょっとした設定を変更するぐらいなら、何とかなるようだった。
「ここはどの辺だろうな」
「GPSの情報が正しければ、おそらくロシア。エリザリーナ独立国同盟って所の近くだと思う。ここなら民間施設はないから、機を爆破しても被害はないはず」
「そうか」
 と浜面は言った。どこだろうが必ず逃げ続け、すべてを利用し、滝壺の身の安全を確定させて、二人で幸せになってみせる。改めてそう決意した浜面は、そこで客席のドアに取り付けた爆薬を無線で爆発させた。
 ドアはいっしゅんで吹き飛んだ。
 気圧の関係で、機内にいた浜面と滝壺は風船の中の空気が逃げるように、内から外への突風に巻き込まれて大空へ投げ出される。パラシュートを背負った二人は、まるでスカイダイビングの競技のように、手を繋ぎながら落下していった。
 自らの手で希望をつかみ取るために、二人は新たな戦場へと飛び込んでいく。

 そして、とあるツンツン頭の少年もまた、ロシアへと足を向けていた。
 ローマ正教・ロシア成教との戦いは佳境に入っていた。その過程で、一〇万三〇〇〇冊の魔道書ま どうしょ記憶き おくする少女の命が危険にさらされている。彼女を助け出すためには、ロシア国内で活動しているらしき黒幕・右方のフィアンマを早急にたたかなくてはならない。
「待っていろ」
 少年は、それだけつぶやいた。
 とある少女を助け出すため、惑星規模の騒乱そうらんの中心へと、彼の足は迷わず進む。

 悲劇では終わらせない。
 それぞれのおもいを抱え、多くの主人公たちが一ヶ所につどう。
 別々の道を進んでいた彼らの道が一点で交差するその時。
 世界で最も苛烈か れつな戦場を舞台にした、本当の物語が始まる。

   あとがき

 一冊目から続けて読んでいただいている貴方あ な たはお久しぶり。
 二一冊も一気にご購入していただいた貴方は、本当にありがとうございます。
 鎌池かまち 和馬かずま です。
 今回の話は冒頭で説明しました通り、原作小説一五巻と密接に関係する物語です。科学ワード満載で、一五巻のラストで思わせぶりに出てきたキーワード『ドラゴン』を軸にしています。
 今回の話の最後にエイワスも言っていますが、一口にヒーローと言っても色々な種類があります。だれよりも善を求めた悪党である一方通行アクセラレータや、ワゴンセールのキャラ状態で『殺されるのが当たり前』のポジションから自力でい上がってヒーローとなった浜面はまづら仕上し あげ。彼らのヒーロー像は上条当麻かみじょうとうまとはまた違ったもので、唐突に登場させるのが楽しくて仕方がなかったりします。……もっとも、これは『上条当麻の物語』という主軸があるからこそ効率的に盛り上げられる、『それとは対照的な悪党やチンピラの物語』だと思っているんですけどね。
 白井しらい 黒子くろこ にしても後方のアックアにしても、『何らかの大切な人や物を守る』ために命懸いのちがけで戦うキャラクターが、どうしようもなく好きなのかもしれません。終章のサブタイトルは当初 Hope_in_Hand. で『手の中の希望』にしようかなと考えていたのですが、 Brave ……勇気と変更したのも、そんな主人公たちにはそっちの方が相応ふ さ わしいはず! というイメージがあったからだと思います。
 イラストの灰村はいむらさんと担当のさん、藤原ふじわらさん、それと今回は駆動鎧パワードスーツのデザインに協力していただいた岩倉いわくらさんには感謝を。正直な話一方通行アクセラレータや浜面仕上がまとっている『悪党サイド特有の雰囲気ふんい き 』というイメージは文章よりもイラスト的な効果がとても強く働いていると思います。今回もご協力いただき、本当にありがとうございました。
 そして読者の皆様にも感謝を。巻によって雰囲気が大きく変わるイレギュラーなシリーズを続けられるのは、『そういうやり方もありだよね』と認めてくださる貴方達のおかげです。今後も色々な事をやっていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。

 それでは、この辺りでページを閉じていただいて。
 次回もヒーロー達の戦いをページに記せる事を願いつつ。
 今回は、ここで一度筆を置かせていただきます。

 それぞれの勇気を手にした彼らがり広げる戦いとは?鎌池和馬

小説ーとある魔法禁書目録18

とある魔術の禁書目録インデックス18

鎌池和馬

第五章 傭兵と騎士の邂逅と激突 Another_Hero
第六章 騎士と王女の防衛線破壊 Safety_in_Subway.
第七章 王女と女王の素敵な悪党 Curtana_Original.
第八章 女王と国家の国民総選挙 Union_Jack.

第五章 傭兵と騎士の邂逅と激突 Another_Hero

     1

 一〇月一八日、午前〇時三〇分。
 イギリス南部、フォークストーン近郊の山道にて。

 目の前に広がるは精鋭の騎士きし四三名と、それらを束ねる騎士団長ナイトリーダー
 そしてクーデターの首諜者しゅぼうしゃであり、カーテナー=オリジナルを握る者、キャーリサ。
 第三王女ヴィリアンの命をねら凶刃きょうじんは数知れず。
 しかし、そこへ立ちふさがる一人の男がいた。
 ウィリアム=オルウェル。
 かって騎士になるはずだった、傭兵ようへい崩れのごろつきである。
 実在する伝説を、とある作家が極端きょくたんに誇張した結果、本来ならば登場しないはずの剣の効果を実現するために必要な数値をすべて算出し、理論上なら五〇フィート級の悪竜を殺す事が可能と言われる霊装れいそうアスカロンを手にした彼が取った行動は、極めてシンプルなものだった。
 敵陣へ突っ込み、がむしゃらに騎士たち斬殺ざんさつしていったのではない。
 何らかのわなや策を使って、集団を一気に翻弄ほんろうさせるのでもない。

 彼はただ、アスカロンを上から下へと振り下ろす。
 己の足元にある地面を爆発させるために。

 ドバッ!! という爆音と衝撃波しょうげきは炸裂さくれつした。
 莫大ばくだい粉塵ふんじんが舞い上がり、あっという間に土埃つちぼこりのカーテンが騎士達の視界をさえぎっていく。地面を揺さぶる震動しんどうはほとんど地震に近く、屈強に訓練された軍馬でさえもおびえのいななきを上げた。
「チッ!!」
 そんな中、騎士団長ナイトリーダーが舌打ちをする。
 部下である騎士の数人がとっさに弓を引き爆心地へ矢を放ったが、意味はなかった。
 夜風が粉塵を払う。
 すでに、そこにはだれもいなかった。ただ、アスカロンを振り下ろされた地面だけが、不気味な亀裂きれつを残している。
「なるほど。まず第一にヴィリアンの安全を考えたの。この場で乱戦になれば、まとめて死にかねないしな」
 第二王女のキャーリサが、自分の乗る軍馬を軽くなだめながらつぶやいた。
「……一見、冷静に対応してるよーにも見えるが、弱点が露呈ろていしてるし。最盛期の貴様なら、不出来な我が妹を守りながらでも戦おーとしただろーに」
「いかがいたしましよう」
 騎士団長ナイトリーダーの問いかけに、キャーリサはつまらなさそうに息をく。
「首を二つ持って来い」
 彼女は刃も切っ先もない剣を改めて強く握り、
「私はカーテナ=オリジナルの調子を確かめ、手に馴染なじませるの。この作業が終わるまでに結果を出せ」
「了解しました」
「旧知の『敵』になるが、手を抜かないよーに」
「敵兵の知り合いなど、心当たりはありません」
 騎士団長ナイトリーダーはそれだけ言うと、軍馬には乗らず、直接やみの奥へと足を向ける。
 敵は近い。
 この距離きょりならば、己の足で進んだ方が早く着く。

     2

 第三王女ヴィリアンは、とある傭兵ようへいの腕の中にいた。
 片手に一人の人間を、もう片方の手に人間よりも巨大な剣を抱える傭兵だが、その動きに重さのようなものは感じられない。というより、ウィリアム=オルウェルの軌道は普通の人間のものではなかった。
 走る、という動きではない。
 ほとんどボールの遠投のように、一歩一歩で二〇メートル以上も進む。地面だけでなく、木々の幹や枝を足場にして、大きく跳んでいく。
 青い月明かりが印象的だった。
 切り裂くような冷気が心地良い。
 独特の浮遊感は、粘つく閉塞感へいそくかんからの解放のようにも思えた。
 夜空を行く傭兵とお姫様は、まるで絵本に出てくるみたいだった。
 くだらない政治的駆け引きに翻弄ほんろうされる現実の王室ではなく。それこそ童話に登場する、何でもありの『おうさまの国』の一場面のようだった。
「ふ、ふふ」
 第三王女ヴィリアンの口元に、笑みが浮かぶ。
 彼女は自分でも、何故なぜ笑ったのか分からなかった。
 直接的な危機を脱した安堵あんどからか、絶壁のように見えた第二王女キャーリサを上回る事ができた愉悦からか、たった一人でも自分のために立ち上がってくれる者がいた事実からか、それとも単純に目の前の景色が綺麗きれいだったからか。
 とにかく、彼女は笑っていた。
 久しぶりに、大きく口を開けて。イギリスという王国の第三王女というしがらみをすべてかなぐり捨てた、ありふれた少女のように無防備な笑みを。
「あはは!! あはははははははははははは!!」
 ともすればウィリアムの手からすっぽ抜けそうなほど、バタバタと手足を振って笑う彼女だったが、傭兵ようへいは特に止めなかった。
 やがて、ウィリアム=オルウェルは明かりのない山道に着地した。
 抱えていた姫君をそっと地面に下ろすウィリアムに、ヴィリアンは質問する。
「ふふ。これからどうするのです?」
「逃げましょう。安全な所まで」
 答えながら、ウィリアムは山道からやや外れたくさむらへと歩を進めていく。土でも盛ってあるのか、一メートル程度の小山のようなものがあり、そこにぼろ布が掛けてあった。ウィリアムがぼろ布を取り外すと、そこにあったのは、四本の脚を折りたたんだ金属製の馬だった。
 銀色の馬の表面に彫られた文字を見て、ヴィリアンは怪訝けげんな顔をする。
「ベイヤード……?」
「一六世紀末の作家が夢想したような効果はありませんが、魔術的まじゅつてきなサーチをある程度かいくぐる隠蔽いんぺい性能を持っています。直接、肉眼で確認されない限りは『騎士派きしは』に発見される事はありません」
「そう、ですか」
「ベイヤードには『必要悪の教会ネセサリウス』の隠れ家の座標がセットされてます。カンタベリーの馬鹿ばかな老人どもと違い、実戦的な魔術師たちなら貴女あなたを見捨てる事はないでしょう」
 第三王女ヴィリアンは、細く細く息をいた。
 それに気づかず、傭兵はさらにベイヤードの各所をチェックしながら。
「私もすぐに追いつきますので、姫君はベイヤードへ。『騎士派』については私が対処します。最低限、追跡作業は行えないよう手順をみますので、ご安心を―――」
 言いかけたウィリアムの言葉が、初めて止まった。
 原因は、ヴィリアンの指先。
 第三王女はうつむいたまま、わずかに伸ばした手で、傭兵の衣服を小さくつかんでいた。
「もう、良いです」
 ポツリと言った彼女の口元には、わずかな笑みがあった。
「ここから逃げて、どうしろと言うのですか。とりあえず命が助かった所で、そこからどうしろと? 姉君はすぐにでもイギリス全土を制圧し、ビクビクしながら隠れる私を処刑台へ引きずり出すでしょう。すぐに殺されるか、少し後に殺されるか。それだけの違いしかないじゃないですか」
 力のない笑みだった。
 ウィリアム=オルウェルは、ただその顔を見ていた。
「ベイヤードが送ってくれる『必要悪の教会ネセサリウス』の隠れ家だって、私を受け入れてくれるとは限りません。王家の人間と言っても。実質的に何の力も権限もない第三王女の私を、リスクを負ってまで守る必要なんてないでしょう」
 姫君の揺れるひとみは、それが真実ではないと告げているようなものだった。
 ならば、何故なぜこの場で、彼女は傭兵ようへいうそをつくのか。
「だから、もう良いです。私は信じる事をやめました。そう、そうです。今までずっと手を貸してくれた騎士団長ナイトリーダーだって、クーデターの発生と共に私の命をねらいに来ました。あなただって同じなんでしょう? やむにやまれぬ事情ができた時には、結局裏切ってしまうのでしょう? ならもう良いです。私はあなたの事など信じません。信じない事にします」
 ヴィリアンの言葉だけが続く。
 切れ切れにならないよう、慎重に感情を抑制した声だけが。
「おそらく私は、この国と世界を恨みながら死んでいく事でしょう。あなたもこれ以上戦う必要はありません。どれだけ努力をしても自分の事を信じてくれない者のために剣を握っても、むなしいだけでしょう?」
 つまり、第三王女ヴィリアンはこう告げているのだ。
 見捨てろ、と。
 いかに強靭きょうじんな傭兵と言っても、所詮しょせんは個人。イギリスという国家そのものを制圧する第二王女キャーリサの勢力とまともにぶつかれば、ウィリアム=オルウェルがただでは済まなくなるのは目に見えている。
 だから。自分の事はもう見捨てろ、と。
 さっさと愛想あいそを尽かせてここから立ち去れと、ヴィリアンは命じているのだ。
「……、」
 ウィリアムは、かたわらの地面ヘアスカロンを手放した。
 そして、自由になった両手を動かすと、
「ひゃっ!?」
 思わず小さく叫んだのは第三王女ヴィリアンだ。
 傭兵ようへいは姫君の両腋りょうわきの下に手を通すと、まるで小さな子供のように、彼女の体を持ち上げたのだ。
「えっ、えと、あの……」
 突然の事におどろくヴィリアンを無視して、ウィリアムは姫君をベイヤードのくらへと載せる。それから金属製の馬の首の辺りを軽くでると、何らかの信号が伝わったのか、今まで脚を折りたたんでいたベイヤードがゆっくりと起き上がった。
 傭兵を見下ろす格好になったヴィリアンの手を取り、しっかりと手綱たづなを握らせながら、ウィリアム=オルウェルはこう言った。
「ご安心を」
 彼は笑わない。
 人を安心させる方法を知らない傭兵は、だからこそ、行動によってそれを示す。
貴女あなたが私を信じなかったとしても、私が貴女のために戦う理由は何ら揺らぎません」
「待―――」
 ヴィリアンが思わず何かを言い返す前に、ウィリアム=オルウェルは手の甲で軽くノックをするように、ベイヤードの体を軽くたたいた。
 応じるように、金属製の馬が動く。
 ぐんっ!! と後ろへ引っ張られるような反動に、思わず第三王女ヴィリアンは手綱をつかみ直す。ベイヤードは完全に自動操縦で、モードを解除する方法もすぐには分からない。そうこうしている内に、ぐんぐんと距離きょりだけが開いていく。
馬鹿者ばかもの……」
 飛び下りる事もできず、ヴィリアンはその小さな手で、握りつぶすように手綱を掴む。
 あの傭兵を死地から違ざけるために放った言葉だったのに、それが結果として、あの傭兵をさらに一人ぼっちにさせてしまった。その事実に、彼女は奥歯をめる。
「そんな言葉が聞きたかったのではなかったのですのに! この馬鹿者ォおおおおおお!!」

     3

 ウイリアム=オルウェルは、ベイヤードが見えなくなるまでやみの奥へ目をやっていた。
 やがて肩の力を抜くと、地面に転がっていたアスカロンを拾い上げる。
 人の気配に応じ、ウィリアムはゆっくりと振り返る。
「第三王女はそちらか」
 聞き慣れた声は、旧知である騎士きしおさのものだ。
「だが、何故なぜ貴様がここで立ちふさがる。ローマ正教『神の右席』の一員である「後方のアックア」には、我が国の第三王女のために命をける理由などないはずだが?」
 対して、傭兵ようへい崩れのごろつきは言葉ではなく、行動で返した。
 全長三・五メートル、重量二〇〇キロを超す鉄塊てっかいを、真横に振るう。
 空気を裂く音が聞こえた。
 直後に、閃光せんこう炸裂さくれつする。
 大剣を裏返し、背の部分の根元近くにある鋭利かつ分厚いスパイクを使って、手近にあった巨大な岩を打ち飛ばしたと、視認できた者は少なかっただろう。
 すぐ近くにあった山肌が、爆発するように砕けた。大量の土砂どしゃが真横から流れ込み、ウィリアムの背後に広がっていた細い山道を完全にふさぐ。それは第三王女ヴィリアンへの追撃ついげきを防ぐと同時に、ウィリアム自身の退路を塞ぐ壁として機能した。
 おどろき、警戒を高める周囲の騎士きしに対し、その長である旧知の男だけが静かにうなずいた。
「なるほど、自分がどこに所属する何者であっても、やるべき事は変わらない、か。実に貴様らしい考え方だな」
「……、」
 ウィリアムは片手一本で重いアスカロンを水平に構えたまま、周囲へ視線を走らせる。
 傭兵を中心にした、半径三〇メートル前後の半円。それが、銀色のよろいをまとう『騎士派』の包囲網ほういもうだった。剣、やりおの、弓、棒、その他色々な武具が、月明かりを浴びてギラリとかがやく。
 数は四〇弱。
 その中心に立つ騎士団長ナイトリーダーを見て、ウィリアムはわずかにくちびるを動かした。
「……人死にが増えるのであるな」
 その一言で取り囲む騎士たちの殺気がふくらんだが、やはり、騎士団長ナイトリーダーだけが率直に頷いた。
「カーテナの力である程度増強しているとはいえ。貴様のレベルに付き合える者はそう多くはいるまい」
 告げながら、騎士団長ナイトリーダーは己の親指で、自らの胸を差す。
 そして、一言で言った。
決闘けっとうだ」
「ここは本物の戦場である。お上品な貴族の礼儀れいぎ作法に興味はない。本気でやるなら全員来い。無駄死むだじにがいやならすみやかに退け」
「心配はするな」
 騎士団長ナイトリーダーは、軽く腕を振る。
 いつの間にか、その手には三センチほどの幅の刃を備えた、一振りのロングソードがあった。
 軍馬を操りながら戦う戦士が扱うために最適化された、八〇センチ程度の長さの刃の剣だ。ただし、その剣の銀色の表面が、赤黒いザラザラした物におおわれていく。

「殺し合いという意昧での、古い決闘だ」

 ボゴッ!! と騎士団長ナイトリーダーの持つ赤黒いロングソードの表面が泡立った。
 単なる薬品による化学反応ではない。一つ一つの気泡はバスケットボールほどもある。剣の太さよりも明らかに巨大な泡はあっという間に数十数百と増殖していくと、一気にそのシルエットを崩していく。
 新たなる刃が形成されていく。
 ウィリアムの持つアスカロンと同じく、三メートル級の長剣が。
「フルンティングであるか」
 その名は古い伝承に登場する。り伏せた敵の返り血によってきたえ上げられ、強敵を殺すごとにその強度と切れ味を増していったとされる伝説の魔剣まけんだ。
「……貴様が出て行ってからの一〇年が、ここにある。もはやドーバーで貴様に昏倒こんとうさせられたころの私ではない」
 伝説の剣と同名の霊装れいそうを手にした騎士団長ナイトリーダーは、ただ静かに告げた。
「貴様の一〇年がどれほどの実を結んだか、我が一〇年で試させてもらおう」

 それが合図。
 共に人を超えた怪物を殺すための武具を構える傭兵ようへい騎士きしの激突が始まる。

 音は消えた。
 光は飛んだ。
 ただ真正面から飛び込んだウィリアムと騎士団長ナイトリーダーが、アスカロンとフルンティングをたたきつけた。それだけのシンプルな動作にもかかわらず、周囲にき散らされた余波は甚大じんだいだった。
 数瞬すうしゅん遅れて、爆風が発生した。
 ゴバッ!! という轟音ごうおんと共に、二人を中心にドーム状の衝撃波しょうげきはが広がった。半径一〇〇メートルを超す爆風のあらしが、周囲を包囲する完全武装の騎士たちぎ払う。木々が千切ちぎれ、山肌が削れ、アスファルトの山道がガラスのように砕け散る。
 しかし、その衡撃波が広がった頃には、すでに二人の姿はそこにない。
 彼らは夜空を跳んでいる。
 ドッ!! と発射音のような足音が、彼らの動作に遅れてやみひびく。一〇メートル近い空中で二回、三回と巨大な刃が激突した。火花は雷光のようだった。そして、続けざまに撒き散らされる衝撃波が、打ち上げ花火のように球状へ広がっていくのを、騎士達は見た。
 悲鳴を上げる者がいた。
 身をかがめ、ダメージを受け止めようとする者もいる。
 衝撃波の渦は、それらを平等に叩き伏せていった。
「なるほど」
 太い木のてっぺんに着地した騎士団長ナイトリーダーは、不甲斐ふがいない部下をわずかに見下ろす。
 ウィリアム=オルウェルが第三王女を先に逃がしたのは、おそらくこれが理由だ。守りながら戦うのが苦なのではない。死しても王女の命を守り抜くという悲壮感でもない。ただ、自らの力で護衛対象を死なせてしまうけるための策だったのだ。
 騎士団長ナイトリーダーは、別の巨木の上に立つ旧知の傭兵ようへいを改めてにらみつける。
 一見して、二人の男は剣と剣をぶつける肉弾戦で戦っているように見えるかもしれないが、その本質は『魔術まじゅつ』にある。そもそも、馬鹿正直に筋力だけを増強した所で、あれだけの破壊はかいりょくを生み出す事はできない。せいぜい一定のラインを越えた所で、自分の筋肉が内臓を圧迫してしまい。自滅するのがオチだろう。
 彼らの真髄しんずいは人の身で圧倒的な破壊力を生み出すと同時に、無理な力や速度を出した結果起こるであろう。あらゆる弊害へいがいや副作用を事前に推測し、補助的な魔術によってつまみ取っていく周到さにこそある。戦闘中せんとうちゅうは常に数百、数千も生み出され、なおかつ戦況によって一瞬いっしゅん一瞬で種類の変わっていく『弊害』を一つでも見逃せば、その直後に高速戦闘中の術者は死亡する。
『限界を超える』と口に出すのは簡単だが、そこまでやって初めて成しげられるわざであり……そこまでやったとしても、『生身の体の限界』はやはり完全にはぬぐえない。場合によっては、神裂かんざき火織かおりのように抜刀術で短期決戦を挑むなど、戦術の組み立て自体に工夫をらす事も有効だ。聖人にしてもカーテナの力にしても、単に強大な力を持っていれば強い、などという話ではない。結局、莫大ばくだいな力を振るう者には莫大な力を操るだけの技術や資質が必要とされているのだ。
 ウィリアムは強い。
 騎士団長ナイトリーダーは強い。
 何らかの力を得ただけで、そのポジションに立てる訳ではない。元から強大な力や技術を持つ者だからこそ、特殊な『力』を上乗せする事で彼らは常人には想像もできない領域にまで足をみ入れる。
 逆に言えば、相手が高速戦闘を補うために使用している魔術を妨害してしまえば、間接的に術者を倒す事もできるだろう。……しかし、今ここで戦う二人には当てはまらない。
 ウィリアムは聖人という生まれついての資質や、『神の右席』でみがき上げた術式群。
 騎士団長ナイトリーダーはカーテナと『全英大陸』、さらには騎士きしとして効率化された魔術。
 それぞれ魔術のキーとなっている象徴は容易に奪えるものではなく、なおかつ、極端きょくたんすぐれた術者である二人は、数々の戦争を乗り越えた過程で容易には揺らがない精神を手に入れている。たとえ手足の一本二本を切断されても、魔術が暴走する事はないだろう。
 二人はその構えを見据えるだけで、単なる兵士以上の情報を入手していく。
 旧知である事など関係ない。
 過ぎた時間と歩んだ道のりが、互いの知らぬ術式を構築している。
「ふん。確かに、聖人にしてはすぐれた方だが……貴様の本領は発揮できていないようだ」
「……、」
一撃いちげき一撃に、貴様の傷口がうずくのが伝わるぞ。得意の『水』を使わぬのも、すべるような高速移動を行わぬのも、やはり学園都市での敗北が尾を引いているのか」
 ウィリアムは答えない。
 彼はただ、三メートルを超す巨大な剣をゆらりと構え直す。
「そうまでして、第三王女を守る理由はあるか」
 応じるように、騎士団長ナイトリーダーも動く。
 巨木の頂点で、彼は赤黒いフルンティングを静かに、なめらかに動かす。
 下方の地面では部下の騎士きしたちがもがき、それでもふるえる手で弓をつかもうとしているのが見えたが、改めて視線をやる事すらなかった。
「確かに、彼女の根幹にある慈愛じあいとモラルは特筆すべきだろう。だが、それで国家を動かせるとは思えん。ようは、どういう政策でこの国を動かすのが最も有効か、という問題だ。『軍事』と『人徳』、どちらの政策が今の英国を救うかと聞かれれば、答えは一つしかないだろう。そもそも、キャーリサ様は懸念けねんしているようだが、あの第三王女にカーテナ=オリジナルを振るえるとは思えん。人格的にも、能力的にもな」
「……、」
「カーテナがすべてとは言わん。だが有効な戦力であるのは事実。我々『騎士派』はイギリスにとって最優良な選択肢を採る。現状のそれがカーテナ=オリジナルを手にしたキャーリサ様である以上、我々は全力で支持する構えでいるのだ」
 そこで、騎士団長ナイトリーダーはふと言葉を止めた。
 小さな笑い声が上がったのだ。
 傭兵ようへいの肩がわずかに上下している。しかし彼の顔にあるのは、騎士団長ナイトリーダーが知るような、強敵を前にした時に浮かべる荒々しい笑みとは違う。
 失笑だった。
「言葉が多いな、我が友よ」
 ウィリアム=オルウェルは、耳に入った言葉を全て否定した。
 記憶きおくに留める事すら馬鹿馬鹿ばかばかしいという表情で。
「そうやって、自分にも他人にも言い訳を重ねなければ、自らの手で剣を取って戦う事すらできなくなったのであるか」
 応じる声はなかった。

 ごうッ!! と。
 巨木の頂点を蹴飛けとばした傭兵ようへい騎士きしが、ただ上空で激突した。

 あまりの脚力に、足場にしていた二本の木々が砕ける。
 ウィリアムと騎士団長ナイトリーダーは木の頂点から、ぐ前方へと飛んだ。それこそ空中をスライドするかのような、重力を力技でねじ伏せた二人の体が、剣が―――中間地点で容赦ようしゃなく激突する。
 火花が爆発した。
 衝撃波しょうげきは無尽蔵むじんぞうき散らされる。
 前進に使ったエネルギーは初撃で完全に失い、傭兵と騎士は真下へ降下を開始。しかし二人にとって、重力落下は脅威きょういではない。彼らは構わず、さらに至近距離きょりで剣を振るう。
 ドガザザガガッギギギギ!! と刃と刃が複雑にみ合う。
 足場のない空中戦では、まっとうに自分の体重を預ける斬撃ざんげきり出せない。そこでウィリアムと騎士団長ナイトリーダーは、相手の攻繋を受け止めたエネルギーを逆に利用して体を回転させ、様々な角度からさらに強力な一撃を返し、返し、返し、返し、返していく。
 それは複雑にからみ合いながら落下していく、二枚の歯車のようにも見えた。
 工業用の円盤型カッターのように、分厚い刃を備えて互いを削り合う歯車だ。
 足場なき状況を最大限に利用した、三六〇度からの応酬おうしゅうも、永遠に続く事はない。地面は確実に近づいている。そして着地の瞬間しゅんかんこそが、拮抗きっこうした状況を崩す大きなきっかけとなる。
 それはすぐにやってきた。
 二人の足が、下草の生えた地面へと接触する。
「ッ!!」
「ッ!!」
 ドバッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 ウィリアム=オルウェルと騎士団長ナイトリーダーの体が、それぞれ爆心地から五〇メートルほど後ろへはなれる。それこそ、大きな爆弾に吹き飛ばされる小石のように。
 しかし、彼ら二人は自らの意志で仕切り直した訳ではない。
 着地と同時に前へ更とみ込み、渾身こんしんの一撃を放った結果、互いが互いの攻撃の力に押されて地面をすべったのだ。
 ザリザリザリ!! とウィリアムの靴底からいやな音がひびく。
 下草ごと地面の黒土を削り取った音だ。まるで線路のように、ウィリアムの辿たどった順路だけがまとめてえぐり取られている。
 余波によって多くの騎士たちが倒れる湯所から、戦場は移動していた。
 ウィリアムの背は、自らが退路を断つために土砂崩れを起こした、幅数百メートルに広がるその斜面に触れそうだった。対する騎士団長ナイトリーダーは、赤黒い長剣を改めて構え直す。ウィリアムはこれ以上後ろには下がらないだろう。それは壁の厚さや高さによるものではない。その『壁』を越えられる事は、第三王女へつながるルートを明け渡すのと同義だからだ。
 そして、ウィリアムを見れば分かる。
 彼はすでに、巨大なアスカロンを手に体重を前に傾け始めている。
 まるで、短距離走たんきょりそうのスタート直前のように。
 かくいう騎士団長ナイトリーダーも、似たように突撃とつげき寸前の状態なのだが。
「怒れる理由は第三王女か。戦場で多くの人間を『敵』と定めてほふってきた我々が、今さらそんな理由で剣を取って何になる!!」
「軽いな。うわつらの言葉では軽すぎるのである!!」
「ふん。戦場に立つ者であっても、降伏勧告に従うような人物までるのは気にわんとでも言うつもりか! お前らしいと言えばそれまでだがな!!」
 爆音が炸裂さくれつする。
 騎士団長ナイトリーダーが赤黒い長剣を手にウィリアムの元へと突っ込み、応じるように傭兵ようへい騎士きしおさへと一直線に突き進む。
「だとしても、『人徳』を守るために『軍事』を敵に回すとは。そこまでして擁立ようりつするべき価値があると確信できるのか、あの『人徳』に!!」
 火花と衝撃波しきうげはが飛び散り、き散らされ、その間にも二人は高速で動く。
 刃と刃が激突し、二人は至近距離でにらみ合う。
「ごちゃごちゃと、語って聞かせる建前かざりなど必要ない」
 ミシリ、と。
 ウィリアムのアスカロンが、騎士団長ナイトリーダーの剣を、押す。
「私の戦う理由はすべて、この身と剣で示せるものである!!」
 傭兵は一度、わざと己の剣を退くと、わずかに空いたスペースを埋めるように、勢い良く騎士団長ナイトリーダーの赤黒い長剣に己の刃をたたきつけた。すさまじい衝撃に対し、ほんの少しだけバランスを揺さぶられた騎士団長ナイトリーダーふところへ、続くウィリアムの二撃目がおそいかかる。
 その程度で絶命する騎士の長ではない。
 彼は赤黒い長剣を振り回してこれを受けると、勢いに逆らわず後ろへ下がる。
 両者の間に、一〇メートルの距離が開く。
(……おそらく、この傭兵は軍事的、政治的な理由など考えずに戦っている。第三王女が一国の姫君であるかいなかすら、こいつの前では意味を成さない)
騎士団長ナイトリーダーは相手の内心を予測し、長剣の柄を握る手により一層の力を込める。
 その涙の理由を変える者F l e r e 2 1 0
 掲げる魔法名まほうめいの通り、冷たい涙を暖かい涙へ変換する事こそが、武器を取る理由なのだから。
(だが、その程度ではまだ浅い。この私を殺すに足る理由には程遠ほどとおいぞ、傭兵崩れ)
「……、」
 一方、ようやく動きを止めたウィリアムは、改めて手の中にある大剣のつかを握り直す。
 霊装れいそうアスカロン。
 全長三・五メートル、重量二〇〇キロオーバー。一六世紀末の作家が、実在する伝承を基につむいだ物語に登場する聖剣と同じ効果の剣を、現実に存在する本物の魔術師まじゅつしが改めて必要な数値をすべて算出し直して作り出した、『理論上では全長五〇フィート級の悪竜を殺すための性能を持っ剣』。
 両刃の剣の切れ味は均一ではなく、各々おのおのの部位によって厚みや角度が調節され、おののようにも剃刀かみそりのようにものこぎりのようにも扱う事ができる。中には缶切りのようなスパイクや糸鋸いとのこのように剣身に寄り添うワイヤーなどまで備えられており、いかにこの剣を作った魔術師が酔狂だったかがうかがえる。うろこ、肉、骨、筋、けんきばつめつばさ、脂肪、内臓、筋肉、血管、神経……どうやら、本気で『これ一本で悪竜の全てを切断する事』を志したらしい。
 一方の騎士団長ナイトリーダーの手にあるのは赤黒い長剣。
 霊装フルンティング。
 全長三・九メートル、重量は不明だが、おそらくは原型のロングソードと同程度。かつてベーオウルフと呼ばれる神話の人物が使用していた魔剣まけんと同名の霊装。立ちふさがる敵を殺すごとに、その返り血によって硬度と切れ味が増していくらしいが……おそらくは、騎士団長ナイトリーダーの剣は『天使の力テ レ ズ マ』を『返り血』に対応させ。大量に圧縮封入する事によって、莫大ばくだい破壊はかいりょくを得ているのだろう。すでに、そのはがねに通常の物理法則は通用しない。本来の質量に伴わぬ軽量感や、アスカロンを受けても傷一つつかない硬度―――そして何より、まともに受ければ一撃いちげきでウィリアムを即死させるであろう鋭利すぎる切れ味も、それで説明がつく。
(……結局は十字教における十字架と同じ、偶像崇拝の理論であるか)
 荒々しい挙措きょそとは対照的に、ウィリアムは冷静に解析を行う。
(英国を象徴する剣、カーテナとフルンティングを対応させ、英国の領内において『異質な力を制御する能カ』をさらに増強させている。……ふん、並の聖人を上回る総量の『天使の力テ レ ズ マ』を、生身の体でどのように保存、運用しているかと思っていたが……剣と国家に命を預けるとは、相変わらず騎士きしのセオリーに忠実な男である)
 相変わらず、の所でウィリアム=オルウェルはわずかにくちびるゆがめた。
 気づかず、騎士団長ナイトリーダーはこう告げた。
「一対一の戦いで隠し事は不要。何なら、詳細に説明してやろうか」
「女王をあざむいた者の台詞せりふとは思えぬのである」
「第二王女の策は有効ではあるが、正直、少し辟易へきえきしていた所だ。まあ、傭兵ようへい相手の、『息抜き』程度なら、我が流儀りゅうぎを貫いても許容していただけるだろう」
「そうか。だが不要である」
 ウィリアムは拒否した。
「タネは知れたが、その程度で倒れる敵でもあるまい」
「早いな」
 率直に、騎士団長ナイトリーダーは称賛。
 その上で、彼はこう言った。

「そして惜しい。一生で一度の勝負なら、万全の貴様と戦ってみたかったよ」

 ドバッ!! という異様な音が、夜のやみ炸裂さくれつした。
 騎士団長ナイトリーダーはその場を一歩も動かなかった。
 ただ、フルンティングを無造作に振るっていた。
 しかし、距離きょりなど関係なかった。
 音を聞いてからとっさに横へ回避かいひしたウィリアムだったが、すでに間に合わなかった。
 左肩が鎖骨さこつごと数センテほどえぐれていた。
(……フルンティングでは、ない……ッ!?)
 今までとは明らかに異質な攻撃こうげき
 血が噴き出すより前に、ウィリアムはとっさにアスカロンを右手一本で構え直す。
「知っているか。魔剣まけんフルンティングで知られるベーオウルフだが、人生のかなめとなるいくさでは不思議なほど。その剣は活躍していない」
 音はなかった。
 ウィリアムのふところへ、騎士団長ナイトリーダーは音より早くみ込んだ。
 横薙よこなぎに振るわれたフルンティングを、ウィリアムは片手だけでつかんだアスカロンで受ける。しかしそれとは別に、ウィリアムの耳に風切り音が届く。異様な悪寒おかんに応じ、ウィリアムが全力で首を振った所で、そのほおに浅い傷が走る。
「ベーオウルフの名を知らしめた対グレンデル戦では己の腕力を、続く対水妖戦では敵のアジトにあった古い剣を、極めつけには人生最後の戦いとなる対悪竜戦では、やはり別の刃物を使用している」
 そこで、騎士団長ナイトリーダーがさらに動く。
 回避のためわずかに体のバランスを崩したウィリアムの目の前で、アスカロンと合わせていたフルンティングを解く。
 そのまま長剣が振るわれた。
 ウィリアムはアスカロンで受けたが、不安定で体重を預けられなかった事と、片手だけで握っている事がわざわいしたのか、その体が浮いた。
 ゴッ!! と。
すさまじい轟音ごうおんと共に、ウィリアム=オルウェルが飛ぶ。
「この話の教釧は一つ。己が命運を分かつ切り札は、常に複数用意しておけという話だ」
 騎士団長ナイトリーダーくちびるが動くと同時に傭兵ようへいの体が巨木に激突し、その太い幹をへし折った。
 ベキベキと音を立てて倒れていく木を無視して。彼は言う。
「やはり、傭兵崩れではこの辺りが限界だな」
 左肩から血を噴き、それでも右手でアスカロンを手にしたウィリアムは立ち上がる。
 そんな傭兵の耳に、騎士団長ナイトリーダーの言葉が届く。
「一対一の戦いで、隠し事など不要。何なら、詳細に説明してやろうか」

     4

 ロンドン発フォークストーン行き、ユーロスター路線の貨物列車内。
 上条かみじょう当麻とうまはその屋根に身を伏して、潜伏せんぷくしていた。
 列車の速度は速い。外国の列車の平均速度がどんなものかは知らないが、それでも普通は時速三〇〇キロ近くまでは出さないだろう。ロンドン市内では送電トラブル時用のディーゼルを使って低速で進んでいたが、途中で電力が回復したのか、速度が一気に増したのだ。
 元々深夜で終電近い時間帯なので列車の本数は少なかっただろうし、何より、今はイギリスのほぼ全域でクーデターが発生していて、通常のダイヤなど守られていない。線路上にほかの列車がないからこそ、こんな無茶むちゃな速度で突っ走る事ができるのだ。そんな訳で、
「もががががががががががががががががががががががががががががががががががががが」
 時速三〇〇キロが生み出す相対的な突風を真正面から受け、微妙に顔の皮膚ひふゆがませる上条。
 車内見回りの騎士きしたちが、寒さにガチガチとふるえるド素人しろうとの彼を見つけられない理由は単純だ。
 こんな所に身を隠すバカなどいる訳がないと思われているからである。
 ……いや、上条的にも自ら望んで屋根の上にいるのではない。最初は確かに貨物車両の中に隠れていたのだ。しかし不定期に巡回をする騎士の目から逃れるためには、一ヶ所にとどまっているのはかえって危ない。そんな訳で、騎士の助きに合わせてあちこちをコソコソ移動している内に……何だか、気がついたらこんな所へ追いやられていた訳だ。
(ああ、なんかメキシコからアメリカへ密入国する不法移民は貨物列車の壁や屋根に張り付いていくって話だったけど、こんな感じだったのかなぁ……}
 学園都市の学生寮で観たドキュメント番組を思い浮かべる上条。
 しかし彼の場合、目的地に辿たどり着けばそれでゴールという訳でもない。
(インデックス……)
 上条はわずかに歯を食いしばる。
 クーデター勃発ぼっぱつ当時、インデックスはその首謀者しゅぼうしゃであると言われる第二王女キャーリサと行動を共にしていた。現状、インデックスがどのような状況なのか全く分からないが、無事を保証されないような事態なのは明白だ。
 彼女の頭には、一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしょの知識がある。
 少しでも戦力を増強しようと考える者なら、それを悪用しようと考えてもおかしくはない。
 正直に言って、素人しろうとが一人で立ち向かえるような甘い場所ではないだろうが、
(……別に敵の親玉と、そいつを守ってる部隊を全部倒さなくちゃならない訳じゃねぇ)
 上条かみじょうは己の右拳みぎこぶしに目をやり、
(とにかくすきを突いてインデックスを助け出す。それだけを考えるなら、むしろ大人数で敵陣に向かうよりも都合は良いはずなんだ)
 と、そこで上条の視界のはしに何かが映った。
 改めて目をやると、貨物列車の車両と車両の連結部の辺りに、銀色のかぶとの頭頂部が見えている。単に車両を移ろうとしているのではなく、梯子はしごに手を掛けているようだ。
(巡回……? まずい、誰かが昇ってきてる!?)
 よろいの着用者は前方だ。上条はあわてて車両の後部に向かう。高速で動く車両と相対的な突風に後押しされるように、上条は平べったい貨物車両の屋根をすべりながら移動していく。高速で流れていく砂利じゃりの方へ落ちたら終わりだという事に悪寒おかんを覚えつつも、そのまま車両と車両の隙間にある、わずかなスペースへと飛び降りる。
 貨物列車の連結部は、一般の電車と違って通路状にはなっていない。各車両は独立しており、上条が飛び降りたのも、金属製の手すりに囲まれた小さなスペースだった。
 車両と車両の間は狭く、手すりを乗り越えれば車両間の移動もできそうだ。上条は足元を高速で通り過ぎるレールや砂利に背筋を寒くしながらも、となりの車両へと移動していく。
(くそっ、結構な速度で進んでるから、そろそろフォークストーンに着きそうなんだけどな)
 心の中で悪態をつくが、到着一〇分前だろうが一分前だろうが、見つかればそれまでだ。高速で移動する列車の中では逃げ場がないし、大量の騎士きしたちが一点にわらわら集まってきたら、右手一本で対処するのも難しい。正確な人数は把握はあくしていないが、元々この列車は追加の兵員を第二王女の元へ運搬うんぱんするために走らされている。ざっと一〇〇人から二〇〇人の人間が詰め込まれていると見て間違いなさそうなのだ。
(……ったく、不良のケンカのレベルを振り切ってんぞ)
 上条は両手を使って車両のドアをスライドさせ、中に体を滑り込ませる。
 彼が身をひそめているこの辺りの車両は、人員の代わりに多数の装備品を積載している、正真正銘しょうしんしょうめいの貨物車両だった。大量の剣ややりがカテゴリごとに、まるで昔話に出てくるき木のように無造作に束ねられている様子は、見ていて割と恐ろしいものがある。それらは屋敷やしきに置かれている装飾用の鎧の部品ではなく、一つ一つが人間を殺すために手入れされた、本物の凶器なのだ。
(それにしても)
 明かりのない貨物車両の中で、上条かみじょうは息をく。
 彼は大して英話を話せない。教科書英語のように一字一句を区切って発音されれば多少は理解できそうだが、現地の人間が話しやすいように語句をつなげだり省いたりする高速発音になってしまうとサッパリ分からなくなる。
 そんな上条でも、この列車に乗っている騎士きしたちが、何やらあわてているのがうかがえた。どうやら、緊急きんきゅう事態が発生したらしい。詳しい理由までは伝わらなかったが、彼らの口々から一つの名前が何度も何度も出ていた気がする。
(ウィリアム……か)
 西洋人の名前としては割とポピュラーな気もするし、そんな名前の人物に心当たりはない。
 イギリスにはそんな名前の人物にたくさんいるだろう。『必要悪の教会ネセサリウス』の魔術師まじゅつしか何かだろうか、とも思ったが。これ以上深く考えても仕方なさそうだ。
 と、

ヘイおい

 不意に貨物車両の奥から声をかけられて、上条は心臓が止まるかと思った。
 少女の声だ。
 バッ!! と上条がそちらへ勢い良く振り返ると、ゴロゴロと積み上げられた銀色の甲冑かっちゅうの山の陰で、何かがモソリとうごめいた。それは人間だ。後ろ手に回された両手と、両足の足首をそれぞれ拘束具で固定された女の子だった。
(あれ。この服……?)
 まるでラクロスのユニフォームのような少女の服装に、上条は首をかしげそうになる。
(どっかで見たような……。ロンドンじゃ流行はやってるのか?)
 と、そんな上条などお構いなしに少女は言う。
「『騎士派』の連中じゃなさそうだね。見習い従者の若造とかって感じでもなさそうだし。アンタも捕まって輸送されてる最中って感じ?」
 いかにもかったるそうな口調だが、早口の英語ではサッパリ分からない。
 向こうも上条の表情から考えている考えを察したのか、
「んー? そうかそうか、悪い悪い。どうやら日本人みたいだし、そっちの言葉に合わせた方が良いのかな?」
「わっ、分かるのか。おれが日本人だって……」
「初対面の人間を見て、とりあえず気持ち悪いうすら笑いを浮かべるアジア系は日本人だ」
 ……日本人の愛想あいそわらいはそんな風に受け止められているのか、と上条はげんなりしたが、少女の方は気づいていないようだ。
「そんじゃ、もう一回質問するけど、アンタは『騎士派きしは』じゃないんだよね?」
 上条かみじょうは相手の真意が分からず、改めて少女の顔を見返した。
 としは一五歳ぐらいだろうか。色白の肌に金色の髪の女の子だ。後ろ手に回された両手と、両足の足首には、それぞれ拘束具がある。近代的な手錠てじょうではなく、なんかギロチンに首を固定させるような、穴の空いた木の板みたいなものだ。
 と、いつまでっても答えない上条に、金髪の少女は不快そうにまゆをひそめ、
「……日本語で通じるんじゃないの? それともワタシの発音の方が間違っているのか」
「いっ、いや、通じてる、通じてるけど」
「あっそ。ワタシはフロリス。まあ、ちょっとした魔術まじゅつ結社の真似まねごとをしてたんだけど……その辺の話はどうでも良いか。とにかくアンタ手伝ってよ」

     5

 ウィリアム=オルウェルの左肩は五センチほどえぐれていた。
 その赤黒い傷からは、決して少なくない量の鮮血があふれる。腕力を失った左腕を無視して、傭兵ようへいは右手一本で巨大な剣を構えていた。
 騎士団長ナイトリーダーとの距離きょりは、およそ一〇メートル弱。
 互いに一瞬で激突できる間隔かんかくだが、騎士団長ナイトリーダーは一歩すら動かない。
 軽い素振りのように、赤黒い長剣が虚空こくうを裂く。
「ッ!!」
 全く別角度の真横から、ウィリアムの首を飛ばすように斬撃ざんげきおそう。
 身をかがめてこれをけた所で、ウィリアムの周囲で複数の直線的な閃光せんこうが、チカッ!! とまたたく。
 直後、
 騎士団長ナイトリーダーがバトンを振るうように動かす長剣に従い、見えざる斬撃が全方位からウィリアムへ襲いかかった。下草が直線的に裂け、太い木の幹に爪痕つめあとのような傷が走り、夜空を舞う複数の葉が次々と切断されていく。
 対し、ウィリアムは風の音でも聞き分けているのか。あるいは何らかの別の識別方法があるのか、それとも第六感的な未分類情報にすべてを預けているのか―――首を振り、後ろへ飛び、右腕を振るい、アスカロンの分厚い剣身で受け止め、はじき返し、騎士団長ナイトリーダーが放つ凶刃きょうじんを、決定的な圏内から遠ざける。
 ザザザギギギガガガガッ!! と火花のあらし炸裂さくれつした。
 音速を超える勢いで大剣を振るい、時には振り返らずに背中を守りながら、ウィリアムはわずかに遠い敵へ言葉を放つ。
「『射程距離きょり』に細工をほどこした程度で、安易に私を殺せるとは思っていないのであるな」
「……これも、早々に勘付かんづかれたか。相変わらず、憎らしいほど必要な事以外は口に出さない男だ」
 同じように高速で赤黒い長剣を振り回しながら、騎士団長ナイトリーダーは苦い顔になる。
 彼が扱っているのは『パターン』だ。
 北欧、ケルト、シャルルマーニュ、ゲルマン、それら戦士や騎士きしの物語には数多くの伝説の武器が登場するが、それらの武具には一定のパターンが存在する。
数多あまたの騎士の道をきわめ、統合していく事で一つ一つの弱点を補っていこうと考えた訳だが……どうも、複雑に複雑を重ねていくと、逆にシンプルな一撃いちげきへと簡略化が進んでいくようだな。太陽のような恒星の終焉しゅうえんにも近いか。肥大化し過ぎた星はやがて爆発し、ブラックホールを生み出す。……ただの重力の場という、理論は簡単だがあまりにも強大な力へとな」
 あらゆる術式を重ね合わせた上で生まれた一撃。
 ゆえに、魔術的まじゅつてきな妨害や解除も極めて難しいはずだ。紐解ひもとくくためには騎士団長ナイトリーダーの道のりをすべ辿たどる必要がある。
「とはいえ、今のは『完全な終焉としてのブラックホール』という訳ではない。恒星の終わりと言っても色々あるからな。星の質量が一定未満だと、中性子星や星間雲という別物になるらしい。私の一撃も、不完全故の『剣の個性』を得ているようだな」
 騎士団長ナイトリーダー繊細せんさいな指先で赤黒い長剣を力強く握りめる。
「理論上、このレベルの一『剣の個性』は一種類に束ねきる事なく、いくつかの種類に区別される。分かりやすい所では、何でも切り裂く『切断威カ』、同じく絶大な破壊はかいりょくを生み出す『武具重量』、絶対に破壊されない『耐久硬度』、何者にも追い着けない『移動速度』……レアな所では、特定の怪物を殺すのに必要な『専門用途』、ひとりでに動いて急所に向かう『的確精度』といった所だが……そんな中に、私が今操っている『パターン』も存在する」
「……つまりは、『射程距離』であるな」
 北欧の主神の槍グングニル雷神の槌ミョルニル、ケルトの空飛ぶ剣フラガラッハ貫通の槍ブリューナクなどに使われている法則を改めて分析し、組み合わせ、凝縮ぎょうしゅくしていったのだろう。彼なりの進化の形は、まるであまりにも膨張ぼうちょうしすぎた恒星の終わり方としてブラックホールを生み出すように、全く新しい術式を構築している。
 しかも、騎士団長ナイトリーダーが好んで術式に組み込んでいるヨーロッパの伝承以外でも、世界中に似たような伝説が……ブラックホールを生む『素材』があるはずだ。
「この『射程距離』を組み上げるために様々な文化や伝説、霊装れいそう、武具などを改めて分析し直した結果、分かった事がある。相手の攻撃の届かない所から、一方的に強力な攻撃を浴びせて勝利したい、という諸々もろもろの人間の願望だ。……つまらん銃社会を肯定するようで気に食わんが、それなりに有効なのは認めざるを得ない」
(そして、それを具体的に実現する材料は……)
「ふっ!!」
 真横からこめかみに迫る『長射程』の一撃いちげきを、ウィリアムはアスカロンではじき返す。剣の前面へ糸鋸いとのこのように張られた細いワイヤーに当たって火花を散らし、手近な木の幹に突き刺さったのは、わずか数ミリの、赤黒いさびのような刃だ。
「剣の欠片かけらだよ」
 騎士団長ナイトリーダーは本来隠し通すべきトリックを、あっさりと開示する。
 彼は相変わらず。赤黒い長剣を振り回しながら、
すぐれた武具や霊装れいそうの中には欠片となってもその力を誇示するものもある。シャルルマーニュの王が使っていた剣には聖槍せいそうの破片が組み込まれていた事だしな」
「これからフランスと戦おうとしている者が、その国の王の伝承を利用するのであるか?」
めずらしく無駄むだぐちだな」
 ニヤリと笑う騎士団長ナイトリーダー
 ごう!! と。剣の動きに導かれ、錆の刃が数十ヶ所からウィリアムをねらう。
「私は使える物なら何でも使う。大体、それを言うならカーテナにしても、その語源はフランス語にあるだろう。そういえば、あれも切っ先が折れた事による『短い剣』という意味だったか」
 と、そこで騎士団長ナイトリーダーはふと手を止めた。
 いぶかしんだのはウィリアムの方だ。
「そんな顔をするな」
 騎士団長ナイトリーダーは改めてフルンティングを構え直し、それから言う。
「くだらん銃社会を肯定するのは気に食わんと言ったはずだ。誇り高き騎士きしは、相手に全力を出させた上で撃破する事を信条とする」
「……その誇りを自慢じまんするために、力を持たぬ使用人たちにまで剣を向ける気であるか」
 ウィリアム=オルウェルはわずかに舌打ちした。
 右手一本で構える大剣アスカロンが、赤い閃光せんこうを。放つ。
 違う。その光は一色ではない。刃の角度に合わせてCDの表面のようにかがやきを変える。
 厳密には、それも正しくない。
 全長三・五メートルのアスカロンの刃は一つではない。厚さや角度を変えて、おののような部位も剃刀かみそりのような部位ものこぎりのような部位も存在する。中には缶切りのようなスパイクや、剣身に寄り添う糸鋸のようなワイヤーまでも備えているほどだ。
 アスカロンの輝きは、それらの機能に由来する。
 数多くの攻撃手段を持つアスカロンの内、『どこをどのように』扱うかで変色するのだ。斧のような刃なら赤、剃刀かみそりのような刃なら青、缶切り状のスパイクなら緑、糸鋸いとのこ的なワイヤーなら黄……といったように、霊装れいそうの一部分へ集中的に魔力まりょくを供給し、その時々で最大限の破壊はかいりょくを生み出すようリアルタイムで調整が行われた結果、各々おのおのの刃のルートに分かれて光の色が決められていくのである。
「可能なら、使わずに済ませられたらと思ったのであるがな」
「らしくないな。悪竜が示すものに遠慮えんりょでもしているのか」
 騎士団長ナイトリーダーは笑って、フルンティングのつかを強く握る。
 十字教の価値観の中で、悪竜が象徴するものは一つではない。
 例えば。
 異教、異民族からの侵攻勢力。
 そして。悪に染まった堕天使。

     6

 貨物列車の中で、上条当麻かみじょうとうまは両手足を拘束された少女と向き合っていた。
 彼女の名前はフロリスと言うらしい。
 ……今回の事件の全貌ぜんぼうを知る者なら、とっさに『新たなる光』という組織名を思い浮かべたかもしれない。が、上条はあくまでも飛び入り参加の素人しろうとだ。『必要悪の教会ネセサリウス』の情報を完全に共有している訳ではない。目の前で大怪我々おおけがを負ったレッサー以外、メンバーの顔や名前を大して知らないのだ。
「ほら。ボケっと突っ立ってないで、さっさと手伝えってば」
「手伝うって……何をだよ」
「見りゃ分かんでしょ。これよこれ、外すの手伝って」
 えいっ、と声を上げて差し出されたのは、両足首をいましめる木製のかせだ。
 それを見た上条が、何かいやそうな顔になる。
「……こんなゴツいのめられるなんて、お前一体何をやったんだ?」
「いやぁ、悪い事なんて何もしてないと思うんだけどねー」
 ははは、と笑うフロリス。
 それから彼女は、ボソッと早口の英語でこう追加した。
「(……『騎士派きしは』のヤツらに『必要悪の教会ネセサリウス』の聖堂から助け出された時は少し感心したけど、そのまま拘束されて貨物列車に詰め込まれるとは。やっぱ最初から口封じするつもりだったみたいね。ったく、『騎士派』のクソ公僕なんぞ信用するからこんな事になるんだ、ベイロープの馬鹿ばか野郎め。……ワタシはレッサーみたいにミッション一つのためにいさぎよく人生終わらせるつもりもないしなぁ)」
「は?」
「何でもにゃーい。っつか、そっちも似たような境遇じゃないの? 『騎士派きしは』の不興を買って連行中とか」
おれはフォークストーンに行くために、この列車にもぐり込んだんだよ」
 こっちもこっちで意味深な台詞せりふなのだが、フロリスは取り合わない。
 とりあえず、『騎士派』側の人間でない事さえ分かれば問題ない。
「とにかく、ほれ。こいつを外すの手伝えって。ワタシは霊装れいそうの効果のおかげで、二メートル四方から外に出られない。だから……その……そっち。そっちの壁に掛けてあるかぎつかむ事もできないんだ」
「あん? こんなんで良いのか?」
 上条かみじょうは壁に掛けてある鍵の束に手を伸ばそうとして、その動きがピタリと止まった。
 フロリスが怪訝けげんな顔をする。
「どしたの?」
「いや、俺の右手は幻想殺しイマジンブレイカーと言いましてね。手っ取り早く言っちゃうと、この鍵が魔術まじゅつの一品だったら触った途端とたんに砕け散っちゃう訳で、そうなるとお前のかせを外す方法がなくなるという訳なんだ」
 自分で説明しながら、上条はふと顔を上げた。
「あれ? でも、そうすると鍵がどうとか面倒な事しなくて良いじゃん。俺の右手で魔術の拘束具を直接こわしちまえば良いんだから―――」
「は? え、ちょ、待て待て待て!! 何をするつもりか知らないけど……ッ!?」
 フロリスがごちゃごちゃ言っているそばから、上条はその足首にある拘束具を右手で掴んだ。
 バキン、という音と共に枷が粉々になる。
「ほらな。最初からこうしてりゃ良かったんだ」
「あ、あ……」
 さらに後ろに回った上条は、フロリスの両手をいましめていた拘束具も破壊はかいする。
「これでよし、と。はっはー、死ぬまで感謝したまえフロリス君―――」
「ちょっ、ぐわーっ!? そんな雑な方法で枷を壊したら、アンタ……ッ」

 びー、と。
 当然のように貨物車両に警報が鳴った。

 車両の前と後ろの両方からざわざわという気配が。さらに続いて物理的なよろいっぽい足音がガチャガチャとひびいてくる。
 フロリスが死ぬほど血走った眼で上条をにらみつけた。
「どっ、どうすんの!? 試合開始一〇分でどん詰まりですけど!!」
「い、いや、あきらめるのはまだ早いぞ!!」
 上条かみじょうは適当に言いながら鉄の扉へ向かった。
 貨物車両なので、前後の扉のほかにも、車両側面の壁は荷物搬入はんにゅう用の巨大なスライドドアになっている。上条は金具を外し、両手を使ってスライドドアをわずかに開ける。
 突風が車両の中に吹き荒れた。
「どこだこの辺は?」
「そろそろフォークストーンに着くんじゃない?」
 フロリスの言葉を聞きながら、上条は改めてドアの外へ目をやり、列車の進行方向を見る。
 広がっているのは緑色の平原だ。ただし高速で流れ去る地面を見る限り、迂闊うかつに飛び下りればどうなるかは一目瞭然いちもくりょうぜんである。
 だから上条は言った。
「飛ぶしかないな」
「バッカじゃないの自殺なら一人でやれ!!」
「そうじゃない。もうすぐ川に差し掛かる! 脱出するならあそこしかない!!」
「えー、無理だって。水をクッションに高所からダイブで奇跡の生還って。そんなハリウッド的お約束は現実じゃ通用しな―――」
「行くぞ。手をつないでいれば怖くないっ!!」
「え、え、ちょ、ホントに死ぬっつってんだろォォおおおおおおおおおおおおお!!」
 貨物列車が古い石橋を通過する。
 上条はいつまでってもグダグダ言っているフロリスの腕をつかんで、開いたスライドドアから跳んだ。
 水面まではおよそ一〇メートル前後。
 落下への恐怖からか、上条の胴にしがみつくフロリスはこめかみに血管を浮かべて叫ぶ。
「終わったーっ!!」
「いや大丈夫だいじょうぶ、水面をクッションにすれば……ッ!!」
「その川は水深一メートルねーんだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「……………………………………………………………………………………………ッ!!」
 上条の目が点になる。
 ぐりっと首を回して頭上を見れば、石橋通過中の貨物列車上にいる騎士きしたちの数人が長弓を手にしていたが、その肩の力の抜けっぷりは、どこか呆気あっけに取られているように見えた。そう、なんというか、『一応職務なんで追いちはしますけど、でもこれ絶対に税金の無駄むだづかいだよなー』的な。
「だぁーもーちくしょう!!」

 空中のフロリスが叫ぶと。突然彼女の両肩が光を放った。
 何か金属のパーツのような物が取り付けられていて、そこから質量保存の法則を無視して、傘の骨のような細い金属棒が左右数本ずつニョキニョキと飛び出す。
「捕まってろ!! ワタシのつばさで何とか速度を相殺そうさいしてみる!!」
 ボシュッ!! という音と共に、傘の骨と骨をつなぐように、光の膜が噴き出した。まるでコウモリのように展開するそれを見て、上条かみじょうほおがわずかに引きる。彼はこう思っていた。

 えーっと。おれの右手の説明聞いてた?
 魔術まじゅつを使って速度を落とすって、なんかものすごーく不幸な予感がするなー、と。

     7

 様々な色彩の閃光せんこうを発するアスカロンと。
 赤黒い血のようなさびのような一色に染まる騎士団長ナイトリーダーの長剣。
 剣と剣の距離きょりは一〇メートル弱。
「行くぞ」
 ウィリアム=オルウェルは静かに告げた。
「来い」
騎士団長ナイトリーダーは静かに応じた。

 ごう!! と。
 四方八方から、騎士団長ナイトリーダー長距離ちょうきょり斬撃ざんげきがウィリアムをおそう。

 様々な文化圏の騎士きしの神話に登場する術式や霊装れいそうを分析し、組み合わせ、凝縮ぎょうしゅくしていった結果、膨張ぼうちょうしすぎた恒星がブラックホールを生むように構築された、進化系としての『射程距難』の一撃。それは『ありえない距離から一方的に敵を攻撃する』という各種攻撃を徹底的てっていてきに突き詰めた上で、さびのように細かい剣の破片を組み合わせて放たれる、騎士団長ナイトリーダーの包囲斬撃だ。
 対し、ウィリアムは右手一本で、全長三・五メートルの大剣を振り上げ、手首を返して剣の背の部分を前面に出す。
 その剣身が紅蓮ぐれんかがやく。
 示すはおの
 一直線に真下へ放たれた傭兵ようへいの一撃は、全万位から襲いかかる攻撃を打ち返すためのものではない。
 ねらうは地面。
 ドッ!! と大地そのものが震動しんどうした。
 ウィリアムを中心に、半径二〇メートルほどが深く深く沈む。騎士団長ナイトリーダーの足場をも巻き込み、一瞬いっしゅんで三メートルほど沈下した傭兵の頭上を、無数の斬撃が空を裂く。
「なっ」
 必殺の攻撃を外されたからか、足場が不安定になったからか、騎士団長ナイトリーダーの動きがわずかに鈍る。
 時間にして、およそ一瞬ほど。
 しかしウィリアム=オルウェルは真下へ刃を振り下ろす事で、身をかがめた体勢を最大限に利用して縮めた筋肉を爆発的に伸ばし、一気に騎士団長ナイトリーダーふところへ飛び込んでいく。
 ゴバッ!! という爆発的な足音は遅れてひびいた。
 ただでさえすべる地盤が、徹底的に破壊はかいされていく。
 アスカロンの輝きは赤から青へ。両刃の剣をもう一度手首で返し、今度は剃刀かみそりのようにうすく鋭い部位を正面に構え直すウィリアムが、真っ向から騎士団長ナイトリーダーの胴を両断するべく真横にがれる。
『射程距離』の長い短いなど問題ないと。
 その程度の小細工で勝敗が揺らぐ事などありえないと、言外に語るがごとく。
 ただし、

「扱える『パターン』とは『射程距離』だけだと言った覚えはないぞ、傭兵ようへい崩れ」

 音が消えた。
 ただウィリアムの目の前から、騎士団長ナイトリーダーが消えた。
 傭兵の動体視力をもってしても、敵の動きを追えなかった。
「移動速度」
 真後ろからの声。
 迫る風圧に、ウィリアムは振り返らずに大剣だけをわきから背後へ突き出す。
 ゴッキィン!! とはがねと鋼のぶつかる音がひびく。
 無理な体勢から攻撃こうげきを放ったせいか、ウィリアムの手首に鈍い痛みが返る。
 それを無視して、傭兵は体ごと旋回した。
 刃の色は青から緑へ。手首を返してアスカロンの刃の背を前面に。剣の中ほどに備え付けられた缶切りのようなスパイクが、自分の背中を取った騎士団長ナイトリーダーへとおそいかかる。
「武具重量」
 そこへ、予想外の衝撃しょうげきが返る。
 不安定な状態で受けた前の一撃より、なお強力な反動が襲う。まるでスコップで岩を思い切りなぐりつけたように、ウィリアムの体が逆にけ反りそうになる。
 ジリジリと、黒土の上を傭兵の足がすべる。
 わずか三センチの予備動作。
 その間に、騎士団長ナイトリーダーは赤黒い長剣を頭上に振り上げている。
「切断威力」
「ッ!?」
 その不気味な響きに、ウィリアムは受け止める事を切り上げた。
 とっさに距離を取るように後ろへ跳ぶ傭兵。
 数ミリの所で回避かいひした騎士団長ナイトリーダーの刃が、黒土にカツッと接触する。
 ゴバッ!! と大地が割れた。
 裂け目にまれぬよう、さらにウィリアムはあわてて横へ跳ぶ。
 そこへ、
「射程距離」
 ドバッ!! といういやな音が炸裂さくれつした。
 ウィリアム=オルウェルの脇腹が、浅く切られている。
 騎士団長ナイトリーダーの起こした現象は、彼の大言を証明していた。
 操れるのは、『射程距離』だけではない。
 何でも切り裂く『切断威力』、絶大な破壊はかいりょくを生み出す『武具重量』、何者にも追い着けない『移動速度』……そして、まだ見てはいないが、おそらくは―――絶対に破壊されない『耐久硬度』、特定の怪物を殺すのに必要な『専門用途』、ひとりでに動いて急所へ向かう『的確精度』なども。
 北欧、ケルト、シャルルマーニュ、ゲルマン、その他ありとあらゆる戦士や騎士きしの文化に登場する、伝説の霊装れいそうや儀式を凝縮ぎょうしゅくに凝縮を重ねた結果、逆に簡略化するほどに突き詰めてしまった攻撃こうげきの『パターン』……それを手中に収め、攻撃手段として自由自在に行使する。
「死ぬぞ」
 赤黒い『武器』を手にした男は、ウィリアムからあふれる血を見て、静かに告げる。
 もはや、騎士団長ナイトリーダー得物えものはフルンティングではない。
 剣ですらない。
「底は見えた。今の貴様に、私の刃を超える事はできん」
 ただ、武器。
 人間も魔物まものも問わず、敵となる者すべてを絶滅させる……作り出してはいけなかった道具。
 その一撃は、圧倒的に鋭く、圧倒的に重く、圧倒的に速く、圧倒的に硬く、圧倒的に長く、刃の通らぬ性質の怪物であっても両断する専用性を秘め、なおかつ、それほどの大破壊を最も効率の良い弱点へ的確に導くもの。
 先ほど、騎士団長ナイトリーダーは自身の攻撃を恒星の爆発にたとえていた。
 今までのものが質量不足の恒星が中性子星や星間雲へと変じるのに対し、今度の攻撃はあまりにも肥大化し過ぎた恒星が最後に生み出す『究極のブラックホール』とでも言うべきか。
 けようとも『射程距離きょり』や『移動速度』が許さず、受けようとも『切断威力』や『武具重量』が許さず、砕こうとも『耐久硬度』が許さない。
 騎士団長ナイトリーダーが全力を出せば、次の一撃で決まる。
 ウィリアム=オルウェルの両断は決定的だ。
 今までそれをしなかった理由は何か。
 それは感傷か。
「剣を捨て、英国より立ち去るか」
 騎士団長ナイトリーダーは、両手でつかんだ『武器』をゆっくりと動かした。
「剣と共に、英国の土の一部となるか」
 その長大な剣の切っ先を、遠くはなれたウィリアムへと突きつける。
「選ばせてやる。どちらが望みだ」
 結果は見えていた。
 ウィリアム=オルウェルは無傷ではない。左肩をえぐられた事によって、片手の感覚は消えている。脇腹わきばらを切られた事で、さらに出血は増している。そしてそれ以前に、学園都市での戦闘せんとうに敗北した事で、木来のポテンシャルを発揮する事すらできない。
 騎士団長ナイトリーダーの放つ最大級の一撃いちげき喧伝けんでん通りならば。
 現状の傭兵ようへいがどうあがいた所で、絶対に勝ち目はない。
 ならば、ここで何をすべきかは明白だ。
「……選ぶ前に、尋ねておくのである」
 ウィリアムはアスカロンを手にしたまま、そう言った。
 まゆをひそめる騎士団長ナイトリーダーに、傭兵は続ける。
「貴様は本当に、第二王女を擁護ようごして第三王女をれば、この国が救われるとでも思っているのであるか」
 この傭兵は本来、多くを語らぬ人格だ。
 ならば、その言葉には放たねばならぬ理由がある。
「第一王女の『頭脳』、第二王女の『軍事』、第三王女の『人徳』。……貴様が選び、そして切り捨てたものが本当に正しいものだったと、断言する事はできるのであるか」
「……最良とは言いがたい」
 騎士団長ナイトリーダーはポツリと言った。
 それでいて、彼の眼光が揺らぐ事はなかった。
「しかし、すでに歴史は動いてしまった。時が元には戻らぬ以上、いずれかの陣営につくしかあるまい。この国にとって、最も高い利益を生み出す陣営に、だ」
 そうか、とウィリアムはくちびるを動かした。
 彼は動く。
 改めて、血まみれの左手を、右手一本でつかんでいたアスカロンのつかへ添える。すべり止め用に巻かれた白い布が。あっという間に赤く染まっていく。
「答えは決まったか」
 騎士団長ナイトリーダーは、不動のままに質問した。
「敗走か、死か」
「いいや」
 ウィリアム=オルウェルはその選択そのものを否定した。
 その上で、彼はこう言った。
「選択は次の二つ。―――貴様をるか、斬らぬかの問題である」
「……、なるほど。答えは決まったようだな」
 息を騎士団長ナイトリーダー
 直接口には出さないが、おそらくウィリアムの目的は第三王女の救出。
 傭兵の撤退てったいは、イギリス全土で侵攻中の制圧作戦の完全成功と、第三王女の処刑を決定づけるようなものだ。最後のとりでとなっている以上、逃げるとは考えにくい。
「どうあっても、退かぬか」
「語る事に、意味などない」
 騎士団長ナイトリーダーの言葉に、ウイリアムは即答した。
 その返答に、騎士きしおさは舌打ちをする。
「率直に言って、確かに第三王女ヴィリアン様を処断するのはしのびない。第二王女キャーリサ様のやり方に辟易へきえきする事もある」
「……、」
「だが、すでにキャーリサ様は『変革』という形で動いてしまった。あの方が口先の言葉程度で止まるような人物ではないのは、この国の騎士ならだれでも知っている事だ」
 すでに戦いは終わった。
 必殺の一撃いちげきたずえた騎士団長ナイトリーダーは、傭兵ようへいに向けて最後の言葉をかける。
「歴史が大きく動き出してしまった以上、もはや半端はんぱ真似まねは許されん。この『変革』を内戦という形で長期化させれば、イギリス全体の国力は低下し、そのすきを突いて外敵は容易に我が国を攻め落とすはずだ」
 それは、敗者への慈悲じひを問われる騎士の流儀りゅうぎのっとったものか。
 騎士の長が剣を取って戦う理由は、最初から最後まで、そこにあった。
「この国を救うためには、一刻も早くほこを収め、新体制を構築するしかない。そして問題なのは誰がトップに立つか、という事だ。女王陛下を頂点に戻しても、現状の窮状きゅうじょうからは抜けられん。となると、それ以外の……『頭脳』の第一王女、『軍事』の第二王女、『人徳』の第三王女の誰を玉座に君臨させれば迫る危機を打開できるか。考えるまでもないだろう」
「くだらんな」
 ウイリアム=オルウェルは一言で切り捨てた。
「そうやって、いらぬ台詞せりふを重ねれば、正義という言葉で己の蛮行ばんこうの溝を埋められるとでも思ったのであるか」
「かくいう貴様は、このに及んでまだ語らぬか」
「わざわざ口に出して言う事であるか」
 傭兵は傷だらけの体を無視して、それだけ告げた。
 騎士の長はその後に続くであろう言葉を推測し、くちびるを動かす。
「国家が『人徳』を失い『軍事』に奔走ほんそうすればどうなるか、とでも言いたいのか。だが、その質問に対して、絶対的に正しい優先順位など存在しない。ただ、私たちはどのカードを選ぶか決めていくだけだ」
 数多くの攻撃手段を有し、生意気にもその側面に騎士の紋章すら備えた大剣を構えるウィリアム。
「そうか。だが我が理由はすでに示されているのである」
「なに?」
「ふん。それこそ、語る必要もない事である」
 勝算など不要。
 己の血に染まる大剣のつかを握る手にさらなる力を加え、傭兵ようへい騎士きしおさを正面からにらむ。
(そういう男だったな)
 騎士団長ナイトリーダーはわずかに目を細めると、突きつけた切っ先を真上へ向け直し、振り上げる体勢で構えを取る。
 切断威力、武具重量、移動速度、耐久硬度、射程距離きょり、専門用途、的確精度―――それらすべてを内包する究極の一撃いちげき
「ならば」
 騎士団長ナイトリーダーに迷いはなかった。
 旧知の敵に対し、彼は最後に一言だけこう告げた。
退かぬのなら、ここで死ね」

 二人は同時に動く。
 ドッ!! という衝撃波しょうげきはじみた爆音が闇夜やみよ炸裂さくれつした。

 ウィリアム=オルウェルは駆ける。
 ただ前へ。
 己の持つ全ての力を使って、一刻も早く敵のふところへ飛び込むために。
 対し、騎士団長ナイトリーダーの一歩は移動のためではない。
 体重を移動し、全力をもって両手で構えた剣を振り下ろすためのものだ。
 彼に、敵の元まで走る必要はない。
 ただその剣を振り下ろせば、莫大な『射程距離』を誇る一撃が放たれる。その圧倒的な『移動速度』は回避かいひを許さず、その圧倒的な『切断威力』と『武具重量』は防御を許さず、その圧倒的な『耐久硬度』は騎士団長ナイトリーダーの刃を折る事を許さない。
 これぞ必殺。
 果たして、騎士団長ナイトリーダーは傭兵が自分の懐へ飛び込む一瞬いっしゅんまえに、容赦ようしゃなくその長剣を振り下ろした。
 シュパッ!! という空気の切断音がひぴく。
 そして直後に、剣にしては長大すぎる斬撃ざんげきが、真上からウィリアムへおそいかかる。とっさに反応した傭兵が、そのアスカロンを頭上に構え直すが、

 ゴッキィィィン!! と。
 二つの斬撃ざんげきが激突し、はじかれる。
 必殺であるはずの騎士団長ナイトリーダーの攻撃までもが、相殺そうさいされる。

「ッ!?」
(……口で言うほどの事はない)
 ウィリアムは駆けながら、思う。
(鋭く、重く、速く、硬く、長射程の必殺。……本当にそんなものが放てるのなら、左肩をえぐられる程度で終わる訳がないのである!!)
 そう。
 確かに、騎士団長ナイトリーダーは『切断威力』も『武具重量』も『移動速度』も『耐久硬度』も『射程距離きょり』も『専門用途』も『的確精度』も、そのすべてを自由自在に操り、攻撃手段として行使する事ができるだろう。
 ただし。
 それらが同時に振るわれる瞬間を、ウィリアムは見た事がない。
 つまり、一度に使える『パターン』は一つだけ。『切断威力』を優先すれば『射程距離』が損なわれ、『射程距離』を優先すれば『武具重量』が損なわれる。騎士団長ナイトリーダーの一つ一つの攻撃は各方面へ極限まで突き誌められているため、逆に併用させる事ができないのだ。
 今まで全てを備える『必殺』が来なかったのは、何らかの理由によって躊躇ちゅうちょされていた訳ではない。本物の戦場において、戦力を出し惜しみする理由などある訳がない。
 単純に、そんな都合の良い必殺技など存在しなかったのだ。
 ならば、そこに勝機がある。
『射程距離』だけを優先した一撃いちげきなら、傭兵ようへいの手で受け止める事は可能!!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 そして、ウィリアムは騎士団長ナイトリーダーを射程圏にとらえた。
 全長三・五メートルの大剣を、横薙よこなぎに振るう。
「ッ!! 『移動速度』!!」
「甘い」
 騎士団長ナイトリーダーの腕が高速で動き、かろうじて傭兵の一撃を受ける。
 しかしそこには重さも硬さもない。
 全力の一撃に対し、騎士団長ナイトリーダーの体がわずかにけ反りそうになる。
 一秒にも満たないロス。
 その間に、ウィリアムは手首で刃を返すと、背側の根元にあるスパイクへ意識を集中する。さらにアスカロンを振るう。
 閃光せんこうの色は白へ。
 ウィリアムや騎士団長ナイトリーダーの扱うような大剣は、超至近距離きょりにおいては逆に威力が減る。その打開策として用意されているのが、剣の根元近くに取り付けられた鋭いスパイクだ。
 一点に集約したウィリアムの魔力まりょくが、その貫通力をさらに増す。
 これを止められなければ、倒れるのは騎士団長ナイトリーダーだ。
「『耐久硬度』だ!!」
「遅い」
 ウィリアム=オルウェルが告げた直後。
 接近戦用に取り付けられた―――おそらく本来はテコの原理でも使って悪竜の太い神経を肉の中からえぐり出すためにでも使うのだろう―――根元近くにあるスパイクが、騎士団長ナイトリーダーの防御をすり抜けるように、その右胸に容赦ようしゃなく突き立てられた。
 すべては。
 軍事的クーデターに翻弄ほんろうされ、とがなく処刑されようとしていた第三王女を救うため。
 ドッパァァァン!! という爆音が炸裂さくれつする。
 今さらおどろいて飛び立つような鳥はいない。
 周囲の森の木々は半分以上が吹き飛ばされ、鳥やけものはとっくに逃げ去った後なのだから。

     8

 一方、上条かみじょう当麻とうまとは別の列車に身をひそめる者たちがいた。
 アニェーゼ、ルチア、アンジェレネの三人である。
 彼女達が乗っているのは、一〇両編成のごく一般的な電車だった。エジンバラ発ロンドン行き。イギリスの北から南へ縦一直線に進む路線である。
 ただし、やはりクーデターによってほかの全ての列車がめられているせいか、車両は普通ではありえない速度でビュンビュン進んでいくし、本来なら途中で停車するべき駅を次々と通過していく。
 アニェーゼ=サンクティスのほおに、冷たい風が吹きつける。
 彼女達がたたずんでいるのは、車両の中でも、屋根でもない。壁だ。ルチアは木製の巨大な車輪を爆破させ、その破片で攻撃こうげきする事を得意としているが、今は鋭い破片をアルミ製の壁に突き刺し、それを足場や手すりとして利用しているのだ。
 フリークライミングの練習場みたいな状態で、アニェーゼは身をよじって窓の中をのぞき込む。普段ふだんは大勢の学生や会社員が乗り合わせているであろう車内には、白々しい蛍光灯の光しかなかった。ただし、『騎士派きしは』の連中が持ち込んだのか、剣やよろいを調整するための工具や機材が転がっていたし、通信用の霊装れいそうのような物もある。
 それらを観察しながら、アニェーゼはほとんど口を動かさずに言った。
「(……やはり、前方の車両で捕らえたシスターたちを集中管理しちまっているようですね。『騎士派きしは』の増員は後部でまとまってやがるみたいです)」
 アニェーゼの言葉に、ルチアやアンジェレネもうなずく。
「(……ここはちょうど、両者の中間地点という訳ですか)」
「(……だ、だとすると、車両の連結を外してしまえば、『騎士派』と真っ向から戦わなくても仲間の皆さんを解放できそうですね)」
 元アニェーゼ部隊のシスター達の多くは、エジンバラで拘束されているはずだ。それが。その場で斬首ざんしゅされなかったのは、形式上だけでも宗教裁判を通して『理不尽りふじん殺戮さつりくではなく、法に基づいた正義の行い』であるとするためか、第二王女キャーリサの女王戴冠たいかんの祭典の中で、盛天に旧敵対者達を処断するつもりか。
 いずれにしても、ロンドンへの輸送が完了すれば、ろくでもない未来が待っているだろう。
 だとすれば、アニェーゼ達がやるべき事は明快だ。
「(……始めましょう。シスター・ルチア、アンジェレネはそれぞれ飛び道具を使って、車両の外から窓を通して見張りの騎士達へ攻撃こうげきを)」
 えて窓の外から騎士達をねらう事で、『襲撃者しゅうげきしゃは列車の外から狙撃そげきしている』と錯覚さっかくさせる事ができる。いずれ狙撃者の位置を逆探知されるかもしれないが、それより前に短期決着させてしまえば問題はないはずだ。
「(…私は『蓮の杖ロータスワンド』で車両連結部を破壊はかいしたのち、攪乱かくらんされている騎士達へ直接攻撃を仕掛けます。二人は私の援護を)」
「(……きっ、気をつけてくださいね。先制攻撃の奇襲作戦ならともかく、正面切って戦った場合、私達三人が束になっても騎士一人を倒せるかどうかは分からないんですから)」
 アンジェレネの心配そうな顔に、アニェーゼは思わずその頭を軽くたたこうとしたが、壁から付き立った木片をつかんでいるだけの体勢がグラリとよろめきあわててくいを掴み直す。
 三人は頷き合うと、行動を開始する。
 ルチアとアンジェレネの二人は、木片から木片へと足場を変えて、列車の屋根に向かう。それを見送る事なく、アニェーゼの方は壁を伝って車両後部へ進む。目指すは車両と車両をつなげる連結部だ。
万物照応Tutto il paragone五大の素の第五Il quinto dei cinque elementi平和と秩序の象徴『司教杖』を展開Ordina la canna che mostra pace ed ordine
 彼女の武器である『蓮の杖ロータスワンド』は、ロープで結んで肩にかけている。
 小さなくちびるから言葉がつむがれると、つえ先端せんたんにあるうずくまった天使像のつばさが花のように開いていく。
「偶像のPrima一。神の子と十字架の法則に従いSegua la di Dio ed una croce異なる物と異なる者を接続せよDue cose diverse sono connesse
 アニェーゼは連結部の間近まで接近すると、片手だけで壁に刺さった木片をつかみ直し、もう片方の手で『蓮の杖ロータスワンド』を握る。
 彼女のつえ距離きょりを無視して、空間そのものを直接たたく。術式の威力は杖を振る力……つまり、アニェーゼの腕力にかかってくる訳だが、
流石さすがに、鋼鉄の連結部を生身の腕で引き千切ちぎれるとは思えませんが)
 彼女は足元を高速で流れる砂利じゃりに目をやる。
(地面に杖を押し付け、総体的には列車の勢いそのものを利用して、その力を連結部に当てちまえば、破壊はかいする事も可能でしょう)
 わずかに身をひねり、連結部の位置座標を確認すると、杖の下端かたんをゆっくりと砂利の方へと下ろしていく。
 その時だった。
 突然、車両と車両をつなぐドアが開くと、そこから銀色のよろいをまとった男が入ってきたのだ。
 連結部に近づくため、ほとんど自動ドアに張り付くようになっていたアニェーゼはあわてて身を隠そうとしたが、もう遅い。
 が。
 車両の座席に置かれた通信用の霊装れいそうが、小さな音を発した。騎士きしがちょっと首を向ければアニェーゼに気づく位置だが、彼は慌てて通信用の霊装の方へ走った。
 彼は通信の内容を耳にしながら、
「例の幻想殺しがフォークストーン行きの貨物列車にもぐり込んでいただと。おのれ、キャーリサ様に一矢むくいるつもりだったか……?」
「(……ナイスです少年! 愛しています!!)」
 アニェーゼは屋根で待機していたルチアやアンジェレネに身振りで指示を出すと、『蓮の杖ロータスワンド』の矛先ほこさきを変えた。
 ドバッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつする。
 列車の自動ドアが外側からぎ倒されると同時、騎士の頭上の天井てんじょうが一気に崩れた。騎士は慌てて腰の剣を抜こうとしたが、そこへ三人の集中攻撃こうげきが炸裂する。
 三方向からの奇襲きしゅうに対し、騎士はそれでもルチアとアンジェレネの二人の攻撃を正確に受け止めていた。
 カーテナ=オリジナルと『全英大陸』の力を借りた、『騎士派』に、真っ向から攻撃を加えても勝てるとは思えない。
 だからこそ、アニェーゼは騎士本人ではなく、その足元の列車の床に攻撃を加えた。
「……ッ!?」
 とっさに騎士が全力で応じたのも後押ししたか。普通の人間ならまずみ抜く事はないであろう列車の床を、銀色の鎧の足は発泡スチロールの板のように突き破った。
 もちろん、それだけで百戦錬磨れんま騎士きしが倒れる事はないのだが、
(まずい、このまま無理に力を加えれば、この車両そのものが分断される。そうなれば前方の車両に集中させている『清教派』の捕虜達ほりょたちをみすみす逃がす事に……ッ!!)
 瞬時しゅんじにそこまで考え、とっさに動きを止めた騎士は聡明と評価できるだろう。
 そこへ。
 ズドム!! と鈍い音がひびき渡り、空間を無視したアニェーゼの『蓮の杖ロータスワンド』の打撃だげきが、容赦ようしゃなく騎士の体へおそいかかった。分厚いよろいを無視して、生身の体へ直接、だ。
 当たった場所は人体の急所だった。
 より厳密に言うと、騎士の股間こかんだった。
 時代劇で武士と武士が居合いあい切りを放った直後のように、騎士は数秒静止していた。
 やがて、彼はつぶやくようにこう言った。
「……そ、その攻撃は、騎士道精神に反する……」
 一撃で倒れなかったのは、やはりカーテナや『全英大陸』のおかげなのか。
 鼻から息をいたアニェーゼ=サンクティスは、胸を張ってこう反論した。
「我々は修道女だっつーんですッッッ!!」
 ズドムズドムドゴン!! と同じ場所からいやな音が連続し、騎士の鎧がビクビクとふるえた。かぶとのせいで表情は読めないが、おそらくすさまじい事になっているだろう。
「ふむ。やはり、距離きょりを無視できる私の攻撃が一番有効みてぇですね。分厚い鎧の中にある生身の肉体を直接たたけますから」
 身動きの取れない騎士の体をつえでつつき、抵抗の有無を確かめながらアニェーゼが言う。
 あわわわわ、と顔を赤くしたアンジェレネは、気をまぎらわせるためか、通信用の霊装れいそうの方に向かい、『騎士派』の情報を傍受する。
「え、ええと……何だかあのツンツン頭が、『新たなる光』の女魔術師おんなまじゅつし一緒いっしょに貨物列車内から逃走しているみたいですよ?」
 ルチアは思わずため息をつく。
「まったく、どんな状況なんですか。いや、あの少年なら逆にいつも通りかもしれませんが」
「そ、それから川へのダイブに失敗して派手に水面へ叩きつけられ、下流へ流れていった所で同じく逃亡中の第三王女ヴィリアンに偶然拾われたみたいです。今、『騎士派』の追っ手を相手取って三人一緒に猛ダッシュしているとか」
「どんな状況ですか!? ジャパニーズモモタローッ!?」
 ルチアが思わずみつくように言うと、アンジェレネはビクッと肩を震わせ、
「いっ、いえ、私に言われても……ッ!? し、シスター・アニェーゼの方からも何か言ってやってくださ―――ひぃい!!」
 再びアニェーゼの方を見たアンジェレネが、思わず悲鳴を上げる。
 視線の先では、撃破げきはした騎士きしから力づくで情報を引き出そうとしているらしきアニェーゼが、何やら怪しげな手つきで『蓮の杖ロータスワンド』を動かしていて、
「あら。やっぱたたかれるよりでられる方がお好みですか。あはは、体をビクビクふるわせて何が言いたいんです。あら、あらあら? こっちも反応する? 先ほどよりも敏感じゃないですか。ふっふふ、殿方のくせに穴をいじられる方が感じるだなんて、この変態。いっその事、直接このつえを奥まで突っ込んで差し上げましょうか」
「うっ、うぎゃああああッ!! し、シスター・アニェーゼがイケないモード大全開に!?」
「……シスター・アンジェレネ。今さらおどろくような事ですか。シスター・アニェーゼは『法の書』の件で、建設中のオルソラ教会でもあんな感じだったでしょう?」
「いっ、いえ、で、でも、シスター・アニェーゼは実は純情可憐かれんな乙女ではなかったんですか!? その、少年に裸を見られただけで卒倒するレベルの!!」
「ええ。シスター・アニェーゼは他人のスカートをめくるのはご満悦でも、自分のスカートをめくられるのは死ぬほどいやがる人なんですよ」
 さっ、最悪じゃないですか!? とうろたえるアンジェレネに、ルチアは『……あなたも似たような事をやっているでしょう』と面倒くさそうに息をく。
「そろそろ止めますか。愛も欲もない単なる情報収集手段の一つに過ぎませんが、この辺りで中断しないと騎士の男の方が勝手に堕落だらくしそうですし」
「あっ、あんなマックスにトリップしたシスター・アニェーゼを阻止そしできるんですか!?」
「正気に戻すのは簡単ですよ。ですから先ほど言ったでしょう?」
 ルチアは『蓮の杖ロータスワンド』を操作するのに夢中でこちらの会話に気づいていないアニェーゼのしりにらみつけながら、
「シスター・アンジェレネ。あなたの出番ですよ。シスター・アニェーゼは自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌がる人なんですから」

     9

 闇夜やみよに二つのシルエットが浮かんでいた。
 一人はウィリアム=オルウェル。
 一人は騎士団長ナイトリーダー
 今まで音速を超える勢いで動いていた彼らは、ピタリと静止していた。騎士団長ナイトリーダーの長剣は防御を失敗した不格好な体勢のままで宙で固定され、ウィリアムの大剣の根元近くにあるスパイクは、その防御をけて騎士団長ナイトリーダーの右胸へと突き込まれている。
 背側の根元近くに取り付けられたスパイクは、五寸釘どころのサイズではない、
 全長三・五メートルの大剣に相応ふさわしく、そのスパイクもほとんどくいのようだった。
 まっとうに予想すれば、即死と言わずとも、右側の肋骨ろっこつすべて砕けているはずだ。
 やみに隠れる二人の表情は、対照的だった。
 一人は苦悶くもん
 一人は超然。
 ただし、

 苦悶の表情を浮かべているのがウィリアムで。
 超然としているのが騎士団長ナイトリーダーだった。

 必殺と言わなくとも、ウィリアムが放った一撃いちげき騎士団長ナイトリーダーを確実に行動不能におちいらせられる程度の破壊はかいりょくはあったはずだった。
 だが、実際には傷一つない。
 右胸に突き立てたはずのスパイクは、たった一滴の出血はおろか、騎士団長ナイトリーダーのスーツの布を破く事すらもなかった。
 まるでスポンジのように不自然な感触に、流石さすがのウィリアムにも不審な表情が浮かぶ。
(……インパクトを外された……いや、違うのである。これは……ッ!?)
「ソーロルムという北欧の戦士を知っているか」
 右胸にスパイクを押し当てられたまま、騎士団長ナイトリーダーは表情を変えずに言った。
「その戦士は魔術まじゅつを使い、敵の剣の切れ味をゼロにする力があったそうだ。ゆえに、どんな攻繋を受けても傷一つつかず、ソーロルムの剣は一方的に相手を切り刻んだという」
「ま、さか……」
「私は私が認識したあらゆる武器の攻撃力をゼロに帰す術式を構築している。言っておくが、科学も魔術も問わんぞ。理論上は核兵器も無力化できるし、実証したものの中では……そうだな。極東の聖人が扱う、対神格用の斬撃ざんげき程度なら何とかなるようだ」
 騎士団長ナイトリーダーは、ゆっくりと首を横に振った。
 切り札は複数用意するべきだと言ったはずだ、と彼は続ける。
各々おのおのの武器に対する効果時間はせいぜい一〇分間程度のものだ。まあ、弓矢や弾丸の場合は地面に落ちればそれまでだし、爆弾も一度不発になれば一〇分後にいきなり爆発するのではなく、再び外的要因で『起爆のきっかけ』を与えなければならないみたいだが。これは貴様には関係のない話だったな。とにかく、私が生み出すのはたった一〇分の猶予ゆうよだが……本物の戦場でそれだけの待ち時間を敵に与えれば、どのような末路を迎えるかは明白だろう」
 騎士団長ナイトリーダーは、ぐにウィリアムをにらみつけた。
「昔、ドーバーでひどい不意打ちを受けたからな。こういう対策を講じたくなるものだ」
「ッ!!」
 何でもない素手でアスカロンの刃をつかまれそうになり、急いで剣を後ろへ退くウィリアム。
 そしてわずかに距離きょりが開けた所で、次々と攻撃こうげき方法を変えた斬撃さんげきを放つ。
 光の色は赤―――悪竜の筋肉をるためのおののように分厚い刃。
「ゼロにする」
 光の色は青―――悪竜の脂肪を切り取るための剃刀かみそりのようにうすい刃。
「ゼロにする」
 光の色は緑―――悪竜のうろこをめくるための剣身中ほどにある缶切り状のスパイク。
「ゼロにする」
 光の色は黄―――悪竜の内臓を取り出すための剣身に寄り添う糸鋸いとのこ状のワイヤー。
「ゼロにする」
 光の色は紫―――悪竜の骨格を切断するために背側にある巨大なのこぎり
「ゼロにする」
 光の色は桜―――悪竜の歯牙しがを抜くためにある柄尻つかじりに取り付けられたフック状スパイク。
「ゼロにする」
 光の色は白―――悪竜の神経をえぐり出すためにある背側の根元近くにある接近戦用スパイク。
「それは先ほどゼロにしたぞ!! …そろそろ品切れか!!」
 ドガガガガッ!! という連続音が。いきなり途切れる。
 至近距離から放たれたアスカロンを、騎士団長ナイトリーダーは発泡スチロールの板のように素手で掴み取っていた。ギリギリと大剣の柄を握る手にさらなる力を込め、ウィリアムと騎士団長ナイトリーダーにらみ合う。
 絶対的優位に立った騎士団長ナイトリーダーは、もう片方の手で赤黒い長剣を掴み直す。
「終わりだ」
 動きを止めた二人は、至近距離で視線をぶつける。
 騎士団長ナイトリーダー傭兵ようへいの大剣をいましめながら、揺るざない声で言う。
「あるいは武器を使わずに行使する魔術まじゅつ―――そう、お前の場合はルーンなどを使え私を殺す事もできるかもしれんが、試してみるか?」
 その提案が本気ではない事は、声色からも伝わっていた。
 ウィリアムと騎士団長ナイトリーダーの速度は同格だ。ここで別の魔術を扱うために肉体制御用の術式をおろそかにすれば、それこそあっさりと斬り殺されてしまうだろう。
「この力は、カーテナ=オリジナルを介して英国を守るために貸与されたもの。後先を考えもせず、ただ己の感傷のために国家を乱そうとする傭兵ごときに、この私を殺す事などできん」
 騎士団長ナイトリーダーの赤黒い長剣が、ウィリアムをねらう。
 一振りで傭兵を殺せる状態で、彼は最後にこう言った。
「第三王女と共に。天に昇れ」
「……まだ分からぬのであるか」
 そこで、き捨てるような言葉を聞いた。
 それは、目の前にいる旧知の敵から放たれたものだった。
「こんなもの、わざわざ口に出すほどの事でもないだろうに」
「何だと……?」
 いぶかしむ騎士団長ナイトリーダーは、そこで自分がつかんで動きを封じたアスカロンを見た。
 より正確にはその側面―――金具で固定された、一つの紋章を。
「お前、何を考えている。何をたくらんでいるのだ」
「しつこいぞ。このに及んで、まだ言葉で問いかけるのであるか」
 その言葉を聞いて、騎士団長ナイトリーダーはますます怪訝けげんな顔になった。
 ウィリアム=オルウェルは単なる楽観主義者ではない。下手へたをすると。イギリスにとどまり続ける騎士団長ナイトリーダーよりも、戦争の悲惨ひさんさを熟知しているかもしれない。
 そんな傭兵ようへいならば、分かっているはずだ。この局面で『軍事』と『人徳』、どちらの政策を擁立ようりつすればイギリスを守る事ができるか。キャーリサを排除してヴィリアンを支持した所で、彼女の思考ではローマ正教の尖兵せんぺいと化したフランス一国すら退けられないだろう。
 この男には、常にしんがある。
 しかし、こんな破滅への道がウィリアムの揺るぎない心を構築しているとは思えない。
 何か、騎士団長ナイトリーダーは勘違いをしているのではないか。
 ウィリアム=オルウェルという傭兵は、一体価のために戦っているのか。
 そこで、騎士団長ナイトリーダーは改めてウィリアムの握る武器を見た。
 より正確には、大剣の根元に取り付けられている、盾の紋章エスカッシャンを。
(まさか……)
 その紋章は本来、とある傭兵が騎士きしに任命された際に使われるはずだったものだ。
 結局その機会は失われ、バッキンガム宮殿の廊下には永遠に空白のスペースがわだかまるはずだったものだ。
(まさか)
 その紋章は、盾を四つに分けて、それぞれを青系の模様に塗り分けたものだった。
 さらにその上から緑系でドラゴン、ユニコーン、シルキーの三つの動物を配したものだった。
(まさか!)
 四つの区分と三つの動物。
 それが示すものはただ一つ。
(まさか!!)
 青の下地はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド。
 緑の動物は『王室派』、『騎士派』、『清教派』。

 その紋章が示すのは、英国という組織の完全な調和。
 この傭兵ようへいは、だれを殺して誰を擁立ようりつするという話ではなく。
 第二王女も第三王女すら関係なく、三姉妹と女王の力を合わせたいと考えているのか。

「……本気か」
 うめくように、騎士団長ナイトリーダーは言った。
「貴様は本気で、そんな事を考えているのか?」
 対して、ウィリアム=オルウェルはその固まった顔の筋肉を、ほんのわずかにゆるめた。
 ようやくそこまで考えが及んだかと、言っているように。
「言ったはずだ。語る事に意味などないと」
「不可能だ」
「構わん」
 絶体絶命の状況下、ウィリアムはおどろくほど気軽に返した、
うわつらの言葉を重ね、万人に理解してもらうために用意した『理由』ではない。貴様がさんざん語って聞かせた通り、元よりくだらん傭兵の個人的な感傷である。言葉で分かれとは言わん。貴様は貴様が信じる行いを、ただ無言のままに実行すればそれで良い」
「―――、」
 しくも、ここにきて騎士団長ナイトリーダーは言葉を失った。
 かと言って、やはり傭兵の言う通り、ここで刃が止まる事もなかった。
 どう考えた所で、変革を完遂かんすいさせるのがイギリスのためだ。
 この危機的状況下で第二王女が君臨しないと、どれだけの敵が押し寄せるか分からない。
 故に、
(……結局、やるべき事は変わらんか)
 互いの理由は提示された。
 そこに言葉はいらなかった。
 どちらかが勝ち、どちらかが負ける。
 彼らの世界にあるのは、それだけだ。
(だが、すべての武器を失った貴様に勝ち目はない)
 アスカロンの刃は騎士団長ナイトリーダーつかんで動きを止めているし、こちらの剣はいつでもウィリアムに向けてりかかる事ができる。
 武器の攻撃刀こうげきりょくをゼロにするソーロルムの術式の発動時間はおよそ一〇分間。ウィリアム=オルウェルという強敵が武器を取り戻す前に、職務を遂行すいこうする必要がある。
「決着、つけさせてもらうぞ」
「そうであるな」
 率直な返答に騎士団長ナイトリーダーがわずかに怪訝けげんな顔をした直後だった。
 直後、ウィリアム=オルウェルは全力を込めてアスカロンのつかを思い切り手前に引き―――そして、その柄が不意にすっぽ抜けた。
 一時的に攻撃力こうげきりょくを失ったアスカロンの刃をつかんだままの騎士団長ナイトリーダーの方が。わずかにバランスを崩しそうになる。
(っ? 自壊じかいさせたか)
 そう思った騎士団長ナイトリーダーだが、それは正しくない。

 ウィリアム=オルウェルの柄の先には、長さ一メートル以上の刃があった。
 三・五メートルもの大剣の中に隠された、最後の名剣だった。

 通常、刀剣のはがねは、その一部分を柄の中にもぐらせ(あるいは二枚の板で挟んで柄にする)ネジやくさびで留める事で、『振った瞬間しゅんかんに柄から刃がすっぽ抜ける』のを防いでいる。
 アスカロンはその逆。
 柄へ潜り込む鋼に寄り添う形で、大剣の中にさらに細い剣を収納していたのだ。
 それは、巨大すぎる剣だからこそ実現できたギミックだろう。

 そして。
 隠されていたからこそ、騎士団長ナイトリーダーはその刃を認識できなかった。
 ウィリアムはその巨躯きょくで剣を隠すように、一度騎士団長ナイトリーダーに背を向ける。そしてその勢いのまま高速で身をひぬり、横から振り回す軌道で一撃いちげきを放った。
 ビュオ!! と大気が裂ける音がひびき渡る。
「ッ!?」
 初めて騎士団長ナイトリーダーの顔色が変わる。全力で後ろに下がる彼のスーツが裂け、胸板に真一文宇の傷が走る。赤い液体の噴出が、その後を追う。
 そう。
 北欧神話に登場するソーロルムを殺したのは、そでの中から飛び出した隠し刃ではなかったか。
 ズキリという痛みは、鋭さよりも重さを騎士団長ナイトリーダーに押し付ける。
 その奥の手が、継続する闘志とうしが、無言のままに放たれた一撃が。
 ウィリアム=オルウェルの正当性を証明するように思えて、騎士団長ナイトリーダーは思わず咆哮ほうこうした。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 叫んだのは、騎士団長ナイトリーダーだけではない。
 最後の名剣を、あるいはそれこそが霊装れいそうアスカロンの核心であろう刃を手にしたウィリアム=オルウェルは、さらに飛び退騎士団長ナイトリーダーを追い、そのふところもぐろうとする。
 えぐられた傷が、失血が、騎士団長ナイトリーダーの動きを鈍らせる。
 だが、まだ致命傷ではない。
 騎士団長ナイトリーダーには二つの手段があった。
 赤黒い長剣の攻撃力でウィリアムの肉体を切断するか。
 ソーロルムの術式を使って、ウィリアムの剣の攻撃力をなくすか。
(剣をつぶす)
 騎士団長ナイトリーダーは即断した。
(抵抗の象徴たるその武器を粉砕してから傭兵ようへいらねば『勝利』にならん!!)
 己の正義を信じるゆえに。
 安易に逃げ切る事をよしとせず、相手の正義を徹底的てっていてきみ潰そうとする騎士団長ナイトリーダー
 浅く胸を裂かれた痛みを無視し、騎士団長ナイトリーダーはウィリアムの最後の武器を潰しに掛かる。この一振りさえどうにかできれば、後は騎士団長ナイトリーダーから一方的に攻撃できる。
「ゼロにす―――ッ!!」
 言いかけたその口が、止まる。
 ウィリアム=オルウェルの手の中に、刃はない。
 両手でつかを握っているが、その上にあるべき刃がないのだ。
(な……どこに!?)
 騎士団長ナイトリーダーの操るソーロルムの術式は、己が認識した武器の中で、標的とする物を選択して、その攻撃力こうげきりょくをゼロにする。
 逆に言えば。認識のできない武器には干渉できない。
 その時、騎士団長ナイトリーダーはキラリと光る物を見た。
 ウィリアムの握る剣のつかから真上に、極めて細いワイヤーが伸びている。そして傭兵ようへいの親指は、柄に隠されたボタンのような物に触れていた。
(一度真上に射出したか!?)
 おそらく騎士団長ナイトリーダーのタイミングを外した上で、ワイヤーを巻き取って刃を柄に再接続し、そのまま二撃目を放とうとしているのだろう。
 確かに成功すれば騎士団長ナイトリーダーに大きなダメージを与えられただろうが、
 気づいてしまえばそれまでだ! ゼロに―――ッ!!)
 正面のウィリアムからその頭上へと視線を移そうとした所で、騎士団長ナイトリーダーの視界の隅で何かが動いた。
 ニメートル前後の、人聞の腕ほどの太さの枝。
 折れて地面に転がっていたそれの先端せんたんをウィリアムがみつけ、シーソーのような動きで強引に直立させたのだ。
 上の剣身と下の倒木。
 いずれも武器として扱えるが、どちらがより危険かは言うまでもない。
(迷い、時間を与えるとでも思ったか!!)
 騎士団長ナイトリーダーの視線は迷わず上へ。
 己に致命傷を与えるであろう名剣の刃の攻撃刀をゼロに帰す。
(これで―――ッ!!)
 必勝を確信し、騎士団長ナイトリーダーは赤黒い長剣を握る両手にさらなる力を込める。
 しかし異変があった。
 ウィリアムの持っ剣の柄と、宙にある刃をつなぐ細いワイヤー。厳密にはミクロサイズのチューブの内側から、樹脂の液体のような物が噴出していた。それは空気に触れるとにかわのように固化し、四方八方にくいを飛び出させた、原始的な棍棒こんぼうへと生まれ変わる。
 そう。
 ウィリアム=オルウェルが最も愛用していた武器、巨大な棍棒メイスへと。
「ッ!!」
「ッ!!」
(間に合うか)
 これが最後の一撃。
 しのぎ切れば騎士団長ナイトリーダーが勝利し、押し切ればウィリアムが勝利する。
 すでに目の前に迫ったメイスを前に、騎士団長ナイトリーダーは意識を集中させる。
(ゼロにする!!)
 傭兵ようへい崩れは、全身の力を込めてメイスを振り下ろしていた。
 騎士きしおさは、防御を考えずに赤黒い長剣を振るって応じた。
 二つの巨大な武器が交差する。

 ドッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 人肉をつぶいやな振動が、辺り一面にひびき渡った。

 その瞬間しゅんかん
 土壇場どたんば騎士団長ナイトリーダーの術式は効果を発揮していた。
 ウィリアム=オルウェルの握るくいつきのメイスは攻撃力こうげきりょくをゼロにされ、たとえ音速を超える速度で直撃させたとしても、騎士団長ナイトリーダーに傷一つ与える事はできない状態にあった。
 やみの中、二人の男は静止していた。
 だれの目から見ても、結果は明らかだった。
「……ふん」
 先に口を開いたのは、騎士団長ナイトリーダーだった。
 神話に登場する武具の『パターン』そのものを自由自在に操り、攻撃手段として行使する者。彼が最後の一撃で選択したのは、すべてを切り裂く『切断威カ』。刃に触れただけで地盤を断ち割るその破壊はかいりょくは、いかに相手が聖人といえども、直撃すれば致命傷はけられない。
「まったく、つまらん結末だな」
「……、」
 騎士団長ナイトリーダーの言葉に、傭兵は答えない。
 そして、騎士団長ナイトリーダーの体がグラリと横に揺れた。
 その首の横に、ウィリアムのメイスがめり込んでいた。
 より正確には、メイスの―――そして、剣のつか
 さらに厳密に表現するなら、剣の刃を射出する機構の一部として、その剣身を柄に固定しておくための小さな留め金がわずかに飛び出していて、それが騎士団長ナイトリーダーの首元にめり込んでいたのだ。
 騎士団長ナイトリーダーは、自分が認識している武器の中から標的となる物を選択し、その攻撃力をゼロにする。逆に言えば、たとえ最初から目の前にあったとしても、それを武器と認識していなければ、その攻撃力に干渉する事はできないのだ。
「貴様と別れて一〇年……さんざん、己をきたえてきたと……思ってきたが、結局はあの時のドーバーと同じく、不意打ちで決まった、か……」
騎士団長ナイトリーダーの持つ赤黒い長剣は、ウィリアムの一撃いちげきを受けて軌道がれ、その手からすっぽ抜けて遠くの地面に落ちていた。
「それに、しても……騎士きしも……顔負けの、気障きざな男だ。……よもや、その三派閥四文化の調和を示す……紋章の中に、私の名まで加えるとは……」
 決着は、ついた。
「……思えば、昔から……貴様は、そういう男だったよ……」
 彼の体の傾きがさらに大きくなり、そして地面へ崩れ落ちた。
 死んだのではない。
 日本刀による峰打みねうち同様、首を打たれて気絶したのだ。
 攻撃力を干渉されなかったとはいえ、元々騎士団長ナイトリーダーは留め金一本で殺せるような軟弱者ではない。そしてウィリアム=オルウェルはそれを知った上で、えて明暗を分ける最後の一撃を、その小さな留め金に託したのだ。
 理由は明白だった。
所詮しょせんは浅ましき傭兵ようへい崩れのごろつき。お堅い騎士に比べて自由奔放ほんぽうに戦う身ではあるが」
 たった一人で、傭兵はポツリとつぶやいた。
「……生憎あいにくと、古き友をる刃までは持ち合わせがないのである」
 彼にしては珍しい、無駄むだぐちだった。

     10

 上条当麻かみじょうとうまはフォークストーンへ到着した。
 川の水でびっちょびちょになった彼はガチガチと身をふるわせているが、今はそんな事に不満をらしているだけの余裕もない。敵陣の真っ只中ただなかにいる緊張きんちょうからか、まっとうな感覚がうすれ始めているのもある。
(くそ、ユーロトンネルのターミナルってのはどっちにあるんだ!? インデックスがそこから運び出されていなければ良いけど……)
 ろくな街灯もない山林の中、上条ばじっとやみの向こうを見据える。
 道中でなぞ女魔術師おんなまじゅつしフロリスや第三王女ヴィリアンと出会っていた上条だが、現在、その二人は近くにいない。途中で新生天草式あまくさしき斥候せっこう遭遇そうぐうし、彼らに二人の身柄を預けたのだ。どうやらアニェーゼから『上条たちがフォークストーンにいる』という情報を受けていたらしく、ちょうど水上レスキュー機を使って近くまで来ていた新生天草式は辺りへ斥候を放って、捜索そうさくしてくれていたようだった。……何故なぜかフロリスは天草式を見るなり『だっ、だましやがったなこの野郎!!』と絶叫したが、あれは何だったのだろう、と上条は首をかしげる。
 どうやらフォークストーンでは騎士団長ナイトリーダーという強敵が第二王女キャーリサを守っているらしく、あの聖人の神裂火織かんざきかおり撃破げきはされ、一時的に行動不能におちいっていた。
 負傷した神裂に追撃が及ぶのはけたいし、そこに重要人物の第三王女まで加わると、天草式あまくさしきは必然的に防戦を選択せざるを得なくなる。今は気配を隠して『騎士派きしは』の索敵さくてきを逃れ、すきを見つけて水上レスキュー機を動かそうとしているようだった。
『一応、「布陣」を崩して人員整理をすれば、何名か同行させる事もできますが』
天草式からそう言われた時は、正直、素直に甘えそうになった。しかし上条かみじょうは思いとどまり、改めて冷静に考え直す。
「いや、お前たちはレスキュー機の方に専念してくれ。ここでもう一回ヴィリアンがさらわれたらまずいし、神裂だって回復魔術まじゅつとかやってんじゃないのか? だったら、こっちに来てもらうより、一刻も早く彼女に戦線復帰してもらった方が安心できるはずだし」
「しかし……」
「インデックスを助け出した後、どうやってフォークストーンから逃げるんだよ。ゴール地点を守ってほしいって言ってるんだ。そっちの方がおれも安心できる」
 という訳で、間接的な『大きな輪』の中に組み込む事で、ようやく新生天草式は不承不承ふしょうぶしょう納得したようだった。どうやら、彼らはよっぽど他人を見捨てられない性質らしい。
『騎士派』の最優先破壊はかい目標は、第三王女ヴィリアンだ。
 新生天草式という戦力は、彼女や神裂を守るために投入した方が理にかなっている。
(……なーんか顔が赤くなってる五和いつわがみんなに羽交はがめにされてたけど。そんなにインデックスを助けたかったのか。やっぱ、この前の後方のアックア戦の時に仲良くなったのかなぁ)
 それこそ五和に聞かれたらやりで刺されそうな事を平気で考える上条。
 ともあれ、今の彼は一人である。
「……?」
 そこで、上条はピクンと顔を上げた。
 何か音が聞こえる。
 そう思った上条の耳に、直後、衝撃波しょうげきはのような爆音がたたきつけられた。
(ッ!? 何だ……ッ!!)
 特に意味もなく身を低くしながら、そちらを見る上条。
 やはり、暗闇くらやみの向こうは見えない。
 近づいてもろくな事にならないのは目に見えているが、危険に飛び込まないとインデックスを助け出せない。
 ゆっくりと、音源へ向かう上条。
 途中までは、落ち葉の感触はするものの、基本的には舖装ほそうされた細い道だった。それがある地点から亀裂きれつが入り、砕け、かえって歩くのに苦労するような状態になり、最後には黒い土が掘り返されたり。太い木々がぎ倒されたりしていた。
 相変わらず、街灯はない。
 ただし、光源はあった。
「あれは……」
 馬車、だろうか。
 一〇メートルぐらい先に、何かがある。
 えらく古風な乗り物の前方に、ガラスでできたランプをコの字型の反射板でおおったような物がぶら下がっていた。懐中かいちゅう電灯の前身である、カンテラというヤツかもしれない。どうやらイミテーションではなく、本当に火を使っているらしい。やみを照らす光は時折、不安定にゆらゆら揺らぐ。
 だが、光はそれだけではなかった。

 打ち合う刃と刃に、はがねよろいと共に砕ける火花。
 そこは、人と人とが戦う本物の戦場だった。

 よくよく見れば。馬車は無事ではなかった。
 四つある車輪の一つがこわれ、不自然に傾いている。
 そして、戦いが展開されているのは、その壊れた馬車の周辺だ。いいや、戦いと呼んでも良いのか。少なくとも、互角の力を持つ者同士が対等に戦っているようには見えなかった。
 銀色の鎧をまとった複数の騎士きしが、様々な角度から飛びかかる。
 中心に立つのは、全長三メートルを超す大剣を狩つ男。
 何かが起きた。
 上条かみじょうの目ではとらえきれなかった。
 ただ圧倒的な速度で攻防がり広げられ―――結果として、銀色の鎧から派手な火花が連続的に炸裂さくれつし、遠く遠くへ吹き飛ばされていく。
 その内の一つが、上条のすぐ横に激突した。
 偶然ではない。
 中央に立っていた男は、首を向けずに、眼球だけでジロリと上条を見据えていた。
 屈強な肉体。
 青系の装束しょうぞく
 巨大な武器。
 それらは総合して、上条当麻とうまにゾクリとした悪寒おかんを与えてくる。単なる予感などという曖昧あいまいな感覚ではない、学園都市第二二学区で、実際に死の直前まで追い詰められたという『経験』が、上条当麻に危険信号を発してくる。
 その元凶は、上条の顔を見ながらこう言った。
「ふん。忌々いまいましい顔と出会ったものである」
「後方の……アックア!?」
 思わず叫ぶ上条かみじょう
『神の右席』の中でも格別に強大な力を振るう大男。一度は学園都市で退けた事もあるが、それは天草式あまくさしきのフルメンバーと『聖人』の神裂火織かんざきかおりの力を借りて、それでもギリギリの所でようやく勝てるような相手だ。
(生き……てた!? 確かにあの時、地下街の湖で大爆発を起こしたはずなのに……まさか、あれすらもしのいで学園都市を脱出していたっていうのかよ!!)
 混乱する頭は、それでも様々な可能性を上条に提示する。
 彼は強張こわばる体をふるわせながら、
(でも、何でこの局面でアックアが出てくる? もしかして、この面倒なクーデターをさらに『神の右席』が引っき回そうとしているのか!?)
 どういう目的でここにいるかは知らないが、上条一人でどうにかできる人間ではない。
 思わず歯噛はがみする上条は、知らず知らずの内に、口の中でつぶやく。
「(……くそ、ただでさえクーデターだの何だの色々大変なのに。なんつー不幸な偶然が起こっちまうんだよ!!)」
「偶然ではなかろう」
 と、はなれた場所に立っているにもかかわらず、アックアは上条の口の中の声にまで反応した。その五感の鋭さに改めて警戒する上条に対し、アックアは無造作にこわれた馬車の方を差す。
「貴様の目的が長期的にはクーデターの解決、短期的には禁書目録の再回収というのなら、我らの行動基準はいくつか合致する点があるのである」
 なに? と上条はアックアの指先を目で追う。
 すると、壊れた馬車のドアが半開きになっていて、そこから修道服のフードのような布地が飛び出しているのが見えた。普通のものではない。白地に金刺繍きんししゅうの、紅茶のカップのようなものだ。
「インデックス!!」
 思わず大声を出すが、返事はない。
 今すぐ駆け付けたいが、あのアックアから集中をほかに移すのも危険すぎる。
 しかし、警戒する上条に対し、アックアの方はそれほど興味を持っていないらしい。何の気のない動きで馬車から離れると、そのまま上条に背を向ける。
「再回収が目的なら、手早く済ませろ。ある意味において、ここは制圧されたロンドンよりも危険度が高いのである」
「……?」
 不思議と敵意のない『神の右席』に、いぶかしげな視線を送る上条。
 しかし、事態はそれだけにとどまらなかった。

「ふん。この調子だと、騎士団長ナイトリーダー撃破げきはされたよーだな」

 突然の声。
 上条かみじょうとアックアがそちらを振り返ると、木々の合間から一人の女性がやってくる所だった。
 赤を基調としたドレスの要所要所に、同色のレザーをあしらった英国王室の一員。その右手には、刃も切っ先もない剣が握られている。
「こいつを手に馴染なじませるまでに、首を二つ持って来いと命令しておいたはずなのに……手傷を負わせる程度に留まったか。面倒事ばかり増やしてくれるの」
 第二王女キャーリサ。
 このクーデターの首謀者しゅぼうしゃだ。
「ッ!!」
 上条は思わず身構えるが、第二王女は彼の方を見ていない。
 アックアを見据えた彼女は、カーテナ=オリジナルを軽く振り上げる。
「面倒な事をしてくれたし。露払つゆはらいがいなくなると、私が自分で雑魚ざこどもに対処しなければならなくなるのに」
「面倒事はもう消える。ここでクーデターの幕は下りるのであるからな」
「あまり私をめるなよ。この手にカーテナ=オリジナルがある事を忘れたの」
 巨大な剣を構え直すアックアを見て、第二王女はかすかに笑った。
 アックアの顔色が変わり、その大剣が動く。
 それはキャーリサをねらったものではない。彼は大剣の側面で手近な巨木をなぐり、その衝撃波しょうげきはを利用して上条を吹き飛ばし、転ばせたのだ。
 一方。
 第二王女キャーリサは頭上に掲げた奇怪な剣を、
「これは本来、地球という惑星から英国の領土を切りはなし、その内部を管理制御するための儀礼ぎれいけんだが―――その特性を応用すれば、こんな真似まねもできるんだぞ?」
 素気なく、振り下ろす。

 ドッ!! と。
 次の瞬間しゅんかん、次元が切断される光景を、上条当麻は初めて見た。

 射程はおよそ二〇メートル弱。
 ついさっきまで上条とアックアのいた射線上を、異様な音と共に何かが通過した。カーテナ=オリジナルの剣の幅の分だけ、何か帯か壁のようなものが展開されているのが分かる。色は白。まるで色を塗る前のプラモデルのように、物体として完成されていないはずの物体が上条かみじょうの眼前に現れている。
「さっきの『手慣らし』の時にも感じたけど……霊装れいそうそれ自体は古臭ふるくさい物だが、使用者の私が最新の『軍事』知識を基に振るうと、ちょっと毛色が変わるよーだし。……ま、同じ性質を持つ母上にも似たよーな事はできそーだが」
 キャーリサの声に、愉悦が混じる。
「知ってるか。三次元物質を切断するとその断面は二次元になる。二次元物質を切断すると、その断面は一次元という形で現れるの」
 ゴトン、という音が聞こえた。
 不条理にも空中に浮かんでいたなぞの帯状物質は、上条のすぐ近くに落下する。
 質感は陶器にも近いが、見た目の質量に反して極端きょくたんに重量があるようだ。落下した後も、ずぶずぶと黒土の中へ沈み続けている。
「同じよーに、この三次元とは別の高次元物質または空間を切断した場合、断面は三次元という形で世界に出力されるの。結果として、このよーな断面の残骸物質が表出する訳だ」
 ヒュン、と第二王女はカーテナ=オリジナルを肩にかつぐ。
 今のは攻撃こうげきではない。
 にも拘らず、第二王女の剣の軌道に合わせてバキバキと次元は断ち切られ、鉛筆を削ったカスのように、色の欠けた帯状物質がその足元へ落ちていく。
「もっとも、こいつは高次元低次元問わず、今この座標にあるあらゆる次元を同時に切断するのだがな。表出される断面物質の内、我々に知覚できるのは『三次元世界に現れるもの』だけであるよーだし」
(何だ、これ……?)
 上条は呆然ぼうぜんとしていた。
 相手の言葉が真実なら、あの剣は次元なんていう存在するのは分かるがほとんど概念がいねんに近いものをまとめてたたき切る怪物武器のようだ。どれだけの鋼鉄を使って身を守っても、カーテナ=オリジナルは構わず次元ごと敵の体を両断するだろう。
 にも拘らず。
 もはや、上条は恐怖を感じる事もなかった。スケールが違いすざるのだ。ビックバンによって絶えず宇宙は膨張ぼうちょうしているらしいが、具体的に自分の五感で広がっていく宇宙を実感できる者はいないだろう。第二王女キャーリサが操っているのは、そういう領域の力なのだ。
「全次元切断術式」
 キャーリサは手首のスナップでカーテナ=オリジナルをくるくると回し、世界の残骸ざんがいである断面物質をボロボロこぼしながら、ゆっくりと笑みを広げる。
「私も扱うのはこれが初めてだし……思った以上に使い勝手は良さそーだし。ただ一つ欠点があるとすれば、あまりにも簡単に決着がつくから、面白見おもしろみに欠けるといった所か」
 ここまでって、ようやく上条は驚愕きょうがく状態から徐々に思考能力を取り戻していった。
 第二王女キャーリサ、クーデターの首謀者しゅぼうしゃ
 バッキンガム宮殿ではまともに会話できたし、一緒いっしょに笑う事もできた。できれば殴り合いたくないが、現状、話し合いだけで場を収める事は難しそうだ。そして手を誤れば、馬車の中で気を失っているインデックスの身も危ない。
(……くそっ、話し合うのは戦ってからか!!)
 人間の作った核シェルターどころか、地球も宇宙も丸ごと切断できそうな剣をこちらに向けるキャーリサ。
 上条はチラリと横目でアックアを見た。
 信用できるか。
 だれが何と言った所で、アックアがローマ正教『神の右席』の一員である事に変わりはない。
 しかし一方で、こいつはこいつで騎士団長ナイトリーダー率いる『騎士派きしは』と戦っていた。
 どうやら共通の敵であるらしい事は推測できる。
 わずかに逡巡しゅんじゅんした上条だが、迷っている暇はなさそうだ。
「おい、時間をかせげるか」
「……、」
 キャーリサを見据えたまま上条が話しかけると、アックアは案の定顔をしかめる。
 無視して上条は言った。
「あのヤベえ切れ味は剣のエッジの部分だけみたいだ。側面辺りは普通のはがねだろ。あそこにテメェの刃をぶつけて、一瞬いっしゅんでも良いからよろめかせろ。後はおれの右手で霊装れいそうをぶっこわす」
「おー怖い」
 キャーリサは丸っきりふざけた口調でさえぎった。
「確か、お前の専売特許は幻想殺しイマジンブレイカーと呼ばれてたよーだな」
 彼女はくるくると回していたカーテナ=オリジナルを止める。
 切っ先のない平らな先端せんたんは下へ。
 ピタリと剣を静止させたまま、
「ならば、そいつに適した応用技をお見舞いしてやろう」
 言って、キャーリサはカーテナ=オリジナルの先端を、思いきり地面に突き刺す。

 ドッ!! という衝撃波しょうげきは炸裂さくれつする大音響だいおんきょうが上条の耳をたたいた。
 第二王女を中心に、半径五〇〇メートル級のドーム状の破壊はかいあらしが巻き起こる。

 おそらく全次元切断に使用するため集中させてある魔力まりょくの流れを、別のルートに変更させたのだろう。発生した破壊はかいりょくは他次元を切断するほどの高出力には届かなかった代わりに、この三次元世界の全万位へ均等に衝撃波しょうげきはをばらいていく。
 まさしく爆発だった。
 地面がめくれ上がり、木々はぎ倒され、そして上条かみじょうの元へと一瞬いっしゅんで巨大な壁は到達する。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
 上条は叫び、とっさに右手を構える。
 だが、それは失敗だったのか。
 あまりにも莫大ばくだいかつ連続的に放たれる力は、上条の右手だけで完全に消し飛ばす事はできなかった。記憶喪失きおくそうしつとなった彼の頭に残る『知識』だけが、『魔女狩りの王イノケンティウス』や『竜王の殺息ドラゴンブレス』を無理矢理に想起させる。
 凶暴な重圧が右手をおそい、ミシミシギシギシと骨のきしいやな音と痛みが走る。
 力に押され、両足が地面から浮くまで二秒もかからなかった。
 そして体が一度宙に放り出されれば、後は簡単だった。
 グワッ!! と上条の体が一気に飛ぶ。
 半径五〇〇メートルのドーム状の爆発。
 それに押されて斜め上方に射出された上条の体が、高度二〇〇メートルの夜空まで到達する。
 下から押し上げられる力と、重力との均衡きんこうがピタリと合ったその一瞬、上条当麻とうまはふわりと空中で静止しながら、フォークストーンのまばらな夜景を眺めていた。
(どうする……)
 落下開始まで秒読み状態。
 そして上条の右手には、二〇〇メートルの高さから無事に着陸できるような便利な能力は備わっていない。
(どうする!?)
 重力という当たり前の力が、上条当麻にきばく。

   行間 三

 英国女王エリザードは馬に乗っていた。
 乗馬のために整備されたお上品なダートの上ではない。ウインザーからロンドンへ向かう、細い舗装路ほそうろだ。つい先ほどまで暗い森の中を突っ走っていたのだが、今彼女の周囲に広がっているのは地平線の向こうまでなだらかに続いていく牧草地だった。
(……まったく、英国の国旗はイングランドやスコットランドなどの旗を融合ゆうごうさせて作り上げた連合の象徴なのに、思いっきリバラバラになってしまっているな。やはり、もう一度まとめ上げるにはロンドンにある『あれ』を回収せねば……)
 およその移動距離きょりは五〇キロ弱。
 先ほどの森や丘に比べれば、道はそれほど複雑ではない。(法定速度を無視すれば)自動車なら三〇分程度でロンドンに到着できるかもしれない。
 ただ、
(軍馬とはいえ、やはりこいつでは限度があるか)
 エリザードは手綱たづなを握りながら、わずかに息をく。
 競馬に出てくるサラブレッドの中には自動車よりも早く走るものもいるが、それは柔らかい土や芝生の上だからこそ可能な速さだ。硬いアスファルトの上で馬を全力疾走しっそうさせれば、たちまちひづめが割れてしまうだろう。
 おまけに、競馬場は馬にとっては短・中距離走みたいなもので、五〇キロという長距離走にその法則は当てはめられない。
 結果として、女王は時速二、三〇キロ程度で流しつつ、時折短い休憩を挟ませて軍馬がつぶれないように配慮はいりょする必要があった。
(一応、公道用の特殊な蹄鉄ていてつをはめたり、私の術式で馬の筋力やスタミナを増強してはいるものの……やはり無茶むちゃはさせられん。古い街道の各所にある、軍馬の馬力を増強する大規楳な陣を利用できれば話が早いんだが……流石にそいつは使えんしなあ)
 古い街道にほどこされた陣は英国政府の管轄かんかつ……つまり、使用すれば第二王女の息のかかった連中に情報が伝わってしまう。そうなったら面倒事になるのは間違いないだろう。
 もどかしい状況だが、女王の表情に苛立いらだちはない。
 むしろ、エリザードの視線は酷使こくしさせている軍馬をいたわるものだった。
「すまんなあ。こんな綱渡りみたいな場面に付き合わせてしまって」
 軍馬に人語が分かるはずもないのだが、女王はついそうつぶやいてしまう。当然ながら馬は何の反応も示さなかったが、そのたくましい躍動やくどうには不満やおびえ、戸惑いなどの感情はない。ただエリザードを乗せて前へ前へと進む筋肉のかたまりを見て、自分は本当に良い部下に恵まれているなぁと女王は思った。
 そこへ、後ろから自動車のヘッドライトが照らされた。
騎士派きしは』か『王室派』の追っ手か、と女王は腰にげたカーテナ=セカンドに意識を集中させたが、実際には違った。
 チャラいオープンカーに乗ったチャラい若者が、エリザードの乗る軍馬の横を並走している。運転席の男もチャラければ助手席に乗っている女もチャラい。
 というか、よくよく見てみると。
「いえーい。ヒッチハイク成功なりけるのよー」
「うっ、うそだろ!? ホントにあれから森の中でずっと車が通りかかるのを待ち続けたとでも言うのか!!」
 馬上で驚愕きょうがくするエリザードに、助手席のローラ=スチュアートは笑顔でうなずく。
 一方、運転席のチャラい若造はくちびるを曲げて、
「っつか最初は『ヒッチハイクをする幽霊ゆうれい』の一種だと思ってビビッてたんだけど、冷静に考えるとただのウザい変態だし。その辺で適当に捨てる予定だったんだけど、知り合いだったらさっさと回収してくんね?」
「それはすまんな。浮世うきよばなれした馬鹿ばかはこちらで拾っておこう」
 エリザードは心から謝罪すると、助手席の女をヒョイと片腕でつかみ上げ、オープンカーから軍馬の後ろへと強引に乗せ換える。
 すると、オープンカーのハンドルを握っている男は今さら気づいたようにこう言った。
「あっれ? そういえば馬だ、馬じゃね?」
「……見れば分かるであろう」
「ギャハハ! この馬ブルルって言ったよ今ブルルって! やべー、こんなに間近で馬見んの初めてかも。とりあえず一枚いっときますかー?」
「オイ馬鹿やめろケータイのカメラとか! フラッシュたいたら馬がおどろくだろ! それから運転中に携帯電話を使うのも良くな―――ッ!!」
「はい、いただきまーす」
 チャリチャリチーン、と馬鹿げた電子音と共にシャッターが切られる。
 思わず反射的に対写真撮影用女王様スマイルを完璧かんぺきに決めたエリザードだったが、
「やっべー。チョー馬ブレてる。何が何だかサッパリ分かんねえよこれ。なんか上に乗ってるババァが昇天しそうになってるみたいに見えるし。っつか、あれー? こいつどっかで見た事あんなー。親戚しんせきのおばちゃんだっけか?」
「―――、」
 英国女王エリザードは笑顔のままカーテナ=セカンドに手を伸ばす。
 ざっと二割程度の力しか残っていない訳だが、ちょっとした次元程度なら切断できる儀礼剣ぎれいけんだ。
 ズバンという音と共にオープンカーのラジエーターが綺麗きれいに切断され、あふれ出した冷却液がエンジンに焼き付きを誘発ゆうはつさせる。
 エンストを起こして路上にまるオープンカーに、女王はフンと鼻息を鳴らしかけたが、
「うーむ。せっかくの車がもったいなしにつきなのよ」
「くっ、しまった! あの車をかっぱらってロンドンに向かった方が時間を節約できたか!!」
 ローラの言葉を聞いてちょっと後悔したエリザードだったが、やがてポジティブに思い返す。
 彼女は軍馬の手綱たづなを握り直しながら、
「まぁ、こんな所で置き去りにする訳にもいかないしな」
 適当に言いながら、エリザードとローラ=スチュアートはさらにロンドンへ向かっていく。

第六章 騎士と王女の防衛線破壊 Safety_in_Subway.

     1

 第二王女キャーリサはフォークストーンの暗い深にたたずんでいた。
 いや、元森林地帯とでも呼ぶべきか。
 周囲にあった何十本、何百本という木々は先ほどの一撃いちげきすべてへし折られ、ぎ払われ、遠くへ追いやられている。今キャーリサを中心とした全方位にあるのは、掘り返された黒土と、かろうじて根元だけ取り残された、ギザギザの切り株のような物だけだった。
「ふん、やりすぎたか。……しかしまあ、この剣さえあれば『変革』も確実に成功できるという確証は得られた訳だし」
 第二王女はカーテナ=オリジナルを肩でかつぐと、軽く息をいた。
 全方位へのドーム状爆発は、カーテナの本来の扱い方ではない。それが影響えいきょうしているのか、担いだ剣はビリビリと小刻みに震動しんどうしていた。じきに収まるだろうが、同じ事をり返せばふるえの方が剣を折りかねない不気味さがあった。
(やはり、道具は取扱説明書を読んで正しく扱うべきだし。戦地での応急処置だけでなく、今一度バッキンガム宮殿で本格的な調整を行う必要があるの)
 傭兵ようへいウィリアム=オルウェルに奇襲きしゅうされていた馬車もまた、跡形もなくなっていた。確か、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょを搭載した禁書目録を運搬うんぱんしていたはずだが、その生死ももはや確認できない。
 あの禁書目録には、今回の事件の発端ほったんであるユーロトンネル爆破の首謀者しゅぼうしゃがフランス政府であると証言してもらう必要があった訳だが、
(……まぁ、『合理的な言いがかり』程度の価値しかないから構わないだろう。もはや国家の舵取かじとりをする権限は私にあるし。『合理的ではない言いがかり』で戦争を始めてしまった所で、どこからも文句は来ないの)
 キャーリサは刃も切っ先もない剣を肩で担いだまま、もう片方の手で携帯電話を取り出し、親指で操作する。メモリの中から短縮番号を一つ選択し、耳に当てた。
 相手はロンドンのバッキンガム宮殿で待機している『騎士派きしは』の部下だ。
「ロンドンの方はどーなったの?」
『我が国の首都を含め、英国の主要都市はほぼ全て手中に収める事に成功しました。現状、ロンドンのさわざは収束しており、民間による無謀な暴動なども発生するきざしはありません』
「そう。こちらは騎士団長ナイトリーダーが敗れたよーだ」
『……ッ!! そ、それは……』
「気づいてただろう。否定して欲しかったの?」
 第二王女キャーリサはせせら笑った。カーテナ=オリジナルを使って膨大ぼうだいな『天使の力テレズマ』が『騎士派きしは』や騎士団長ナイトリーダーへと送られている都合上、トップが敗れれば力の総量に『揺らぎ』が生じるはずだ。
(とはいえ、流石さすがに動揺は禁じ得ないよーだし)
 キャーリサは適当な感想を抱いたが、特に気にせずこう続けた。
「これからそちらへ戻るが、ユーロスターの列車は動かせるの?」
『さ、先ほど兵員増強のための貨物列車が現地に到着したとの報告は受けましたが……』
 部下の声はどこかたよりない。
『直後に、ロンドン―フォークストーン間の路線の内、複数箇所で線路のレールが何者かの手で取り外された模様です。……現在、三ヶ所で復旧作業を行っていますが、ほかにも線路に細工をされている可能性を考慮こうりょし、全長一〇〇キロの路線をすべて再チェックするとなると……』
「なるほど」
(先ほどの東洋人は、その貨物列車にまぎれてやってきた訳か。それを確認したのち、後続の列車に用はないので線路に工作し、我々のインフラをつぶしに掛かったの)
 ゲリラ的な反抗にキャーリサは含み笑いをらす。
 彼女は頭上の星空を見上げ、
「なら、フォークストーン近辺で哨戒しょうかい行動中の空軍のヘリを呼んで来い」
『しかし……その、大丈夫だいじょうぶですか? 対空術式の的にされるリスクもありますが』
「カーテナ=オリジナルに含まれる『天使の力テレズマ』の総量を考えれば、空中分解に巻き込まれた程度で死ぬ身でもないの。一刻も早くバッキンガム宮殿へ向かう方が重要だし」
 了解しました、と『騎士派』の部下は返答した。
 さらに続けて、彼は言う。
『他に、留守中の出来事としては……フランス側から入電がありますが』
「議員程度なら無視しろ」
『一応、大統領も議員の一人に含まれるのですが、いかがいたしましょう?』
「無視してみるのも面白おもしろそーだけどな。そこを経由してこちらにつなげ。お前も横で傍受した状態で良い。新しい国家元首の外交手腕を見せてやるの」
 今度の『了解』には、わずかな笑みすらにおわせた。
 数秒の間があって、通信のノイズの質が変わる。別の人物と接続したのだ。
『きっ、協力しよう』
 開口一番、相手はそんな事を言った。
 頻繁ひんぱんにメディアに登場する、フランスの大統領だ。
『今回の、ユーロトンネル爆破テロに関して、我々は協力するべきだ』
「おっと、ひどい雑音だな」
 キャーリサは相手に伝わってもいないのに、分かりやすくいやそうな顔を作った。
「ストリップバーから掛けてるの? いやらしい雑音ばかりでお前の言葉が聞こえてこないし。ダンサーのストッキングに紙幣を差し込む手を止めて、ちょっと真面目まじめに話をしてくれないか」
『きっ、貴様こそ真面目にしろ!! お互いにとって最も賢明な選択をするために協議しようと言っているのだぞ!!』
「おいおい協議だと? 我々は殺し合うべきだろーが。お前は私のケツでもめたいの。まぁ個人の趣味しゅみについてとやかく言う気はないが、有権者には知られないよーに気をつけないと選挙に悪い影響えいきょうが出るんじゃないか?」
『ふっふざけるな!! 分かっているんだぞッ!!』
 受話器に鼻息がかかったのか、今度こそ本物のノイズがキャーリサの耳に入る。
 小さく舌を出してふざける第二王女の耳に、切羽せっぱまったフランス大統領の言葉が続く。
『ドーバー海峡に駆逐艦くちくかんを派遣しているだろう! それも、かなり大型のミサイルを搭載して、だ! 威嚇いかく行動のつもりか知らないが、それが両国の関係に重大なダメージを与える事が分からないのか!?』
「ほう」
 キャーリサはくだらなさそうな調子でつぶやいた。
「ドーバー海峡の海中に原子力潜水艦せんすいかんを待機させてる人間に、そんな事を言われる筋合いはないと思ってたのに。頻繁にやり取りされてる暗号電信を傍受した限り、極めてフランス的な特徴を有するよーな気もするし、核ミサイルの照準をロンドンに合わせてるよーな気もするんだがな」
『……ッ!?』
 ぱくぱく、と声もなく口を開閉する音が聞こえてくるようだった。
 構わずにキャーリサは続けた。
「フランスはアメリカやロシアと同様の核保有国だし。そーいう選択肢があるのは分かるんだが……それにしても、おいおい。あからさまじゃないか。かつてローマ正教の力を借りてEUに働きかけ、禁止条約を盾に我が国から核兵器とその開発能力を奪った余裕なの? ともあれ、まさか先制の奇襲攻撃きしゅうこうげき一発で仕留められるとでも思ってないよな」
 ドォン!! という爆音が聞こえた。
 音源は遠い。遠雷のように光と音に齟齬そごが生まれるほどの長距離ちょうきょりだ。キャーリサははるか向こうにある、海側の方へ目をやった。
「んん、心配するな。駆逐艦からの連絡によると、ただのウミネコらしいの」
 言いながら、キャーリサは電話を持つのとは逆の手でカーテナ=オリジナルを軽く振るった。ゴッ!! と一〇〇メートルサイズで次元が切断され、剣の軌道に合わせて扇型の白い残骸ざんがい物質が生み出される。
 キャーリサは巨大な扇を『神の如き者ミカエル』の力の一端いったんを秘める足で蹴飛けとばし、夜空へと勢い良く吹き飛ばす。扇はヘリコプターのように高速回転しながら地平線の向こうへと消えて行った。
「……我が国のレーダーと対空防衛兵器はこの精度で空中の異物を発見・迎撃げいげきできるの。旧式の大型ミサイル程度なら、ただの的だし。何の隠蔽いんぺい術式もほどこしてない鉄の塊如かたまりごとき、一〇〇発飛んで来ても一〇〇発ち落とせるだろう」
 さらに続けて、キャーリサは二つ三つと巨大な扇を生み出しては蹴飛ばしていく。
『ち、違う。違う!! その潜水艦せんすいかんは我々のものではない。暗号電信? そんなものは、フランスの関与をにおわせるための工作だろう!!』
「まぁ、証拠はない訳だしなぁ」
 第二王女キャーリサはあっさりとそれを認めた。
 認めた上で、彼女はこう切り返した。
「なら、我が国の首都をねら不埒ふらちな所属不明艦は、こちらの自衛行動で撃沈させてもらって構わないな? フランスは一切関与してないのだから、乗組員の救助を手助けするはずもないし。……逆にこの作戦行動を少しでも妨害した場合、フランスもまた『所属不明艦』の協力者とみなして構わない、という事になる訳だが」
 ッドォォォォォン!! という地響じひびきのような轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 今度は駆逐艦くちくかんの砲ではない。キャーリサの放った巨大な扇が海面に直撃し、その莫大ばくだいな重量を使って海中に隠れる『所属不明』の潜水艦を撃沈した音だった。
「ホールインワンっ、かな? ミサイル発射のために浅い所で待機してたのはまずかったな。今からあわててもぐっても間に合わん。このままだと『所属不明艦』の艦隊は一分もたないぞ」
『きっ、貴様……ッ!?』
「そーだな。所属不明艦がフランス海軍に救援を求めるたびに、フランス国境側へ一ミリでも退避たいひしよーとするたびに、我が国の駆逐鑑からバンカークラスターを搭載した巡航ミサイルを発射しよう。一発目はヴェルサイユ、二発目はパリ、三発目は……まー良いか。そこまで撃ってもまだりなければ、その時決めれば済む事だし。……統治者の評価はどれだけの民の命を守れたかで決まる。今のお前の対応では赤点を取るんじゃないか?」
 これで、せっかく展開していた切り札が沈められていくのを、だまって見ている事しかできなくなった訳だ。仲間の悲鳴を聞きながら、ただ耐える以外の選択肢を封じられたのだ。
 言葉を失うフランス大統領に、キャーリサはあざけりを含めて言う。
「もう、揺りかごで不貞寝ふてねしてる『首脳』のお姫様にバトンタッチしたらどーだ? 議会政治を勝ち取ったプライドかもしれないが、馬鹿ばかが頭数をそろえた所で我々に対抗できる策が出てくる事もないの。お前はさっさとヴェルサイユの聖女サマに死ぬほど頭を下げて、あの忌々いまいましい軍師にお伺いを立てた方が身のためだぞ。……さもなければ、個人のおごりで戦争を起こして自国を滅ぼした、歴史上最も無能な統治者として汚名を残す羽目になりかねないし」
 子供の癇癪かんしゃくのようなわめき声が聞こえたが、キャーリサは無視して電話を切った。
 バタバタバタバタ、というヘリのローター音が頭上でひびく。
 フォークストーンで哨戒しょうかい行動中だった、空軍のヘリだ。観測用ヘリコプターというのは、ようは武装を外した攻撃こうげきヘリの事なので、横幅は一メートル未満という極めて小型のものだった。本来は二人乗りだが、おそらくキャーリサを乗せるため。途中でパイロットの片割を地面に下ろすのに手間取ったのだろう。そうでなければ、この到着の遅さは許容できない。
 キャーリサの存在に気づいた観測用のヘリは高度二〇メートル程度の高さでピタリと動きを止めると、ゆっくりと下降してこようとする。
 しかし、その前に第二王女の方が動いた。
 ダン!! と、垂直跳びで二〇メートルの高さまで飛び上がったキャーリサは、ヘリの側面に片腕で張り付き、鋭いヒールを装甲に突き立てた。おどろいて息をむパイロットの目の前でドアを開け、自家用車の後部座席に乗り込むような気軽さで中に入ってくる。
「……ヘリは便利だが、セットした髪が乱れるのが問題だし」
 脚力だけで大空まで飛んだキャーリサは、頭に手をやって不快そうな表情を浮かべていた。
 彼女は腕組みしたまま、お抱えの運転手に行き先を告げるような調子でこう続ける。
「バッキンガム宮殿までたのもーか。向こうでこいつの仕様を組み替える必要がある訳だし」
 キャーリサはカーテナ=オリジナルの側面を手の甲で軽くたたぎながら、適当な調子でこう告げた。
「あまりもたもたするなよ。使えないよーならこの機を落とし、自力で走破しても構わないんだし」

     2

「痛っつ……」
 上条当麻かみじょうとうまは背骨の辺りに鈍い痛みを感じ、目を覚ました。
 ボロボロになった建物の基盤に寄り添うように、山中に取り残された廃車の中だった。いかにも外国の車らしい、燃費の悪そうなデカい乗用車なのだが……中と呼んで良いのだろうか。天井がない。ドアもすべて外れている。廃車というよりはとんどシャーシしかないような場所に、上条は仰向あおむけに転がっていたのだ。
 ドアの外れたその向こうにあるのは暗い森だった。相変わらずの真夜中だが、いい加減に目が慣れてきたのか、黒一色のやみ―――ではなく、闇は闇なりに明暗や濃淡があり、物のシルエットが分かる。東京暮らしの上条かみじょうからすれば、星明かりというものをリアルに体感できるのは、割とレアな経験である。
(どう……なった……?)
 ソファのように漠然と放置された後部座席のシートから上条はむくりと体を起こしながら、頭の中で情報を整理しようとする。
(……確か、第二王女の攻撃こうげきを打ち消しきれずに吹っ飛ばされて……ものすごく上空まで投げ出されなかったか……?)
 常識的に考えれば、あの数百メートルの高さから落ちて無事でいられるはずがない。下にクッションがあれば何とかなるとか、そんなレベルを超えていた。しかし、現に上条は五体満足で、骨が折れている様子もないどころか、せいぜいり傷がある程度のものだった。
 と、そこへ、
呑気のんきなものだ。ようやく目覚めたのであるか」
 低い男の声が聞こえ、そちらへ上条が目をやると、
「いっ!? 後方のアックア!!」
 思わず身構えそうになる上条だが、不安定な廃車の上で足がもつれ、浮かびかけた腰がもう一度後部座席にドスンと沈む。
 後方のアックアは廃車の中へ入ろうとはしない。
 相変わらず(しかし学園都市で戦った時とは違う)馬鹿ばかデカい武器を手にしたまま、廃車の外に突っ立っている。
 上条は注意深くアックアを見据えながら、ゆっくりと尋ねる。
「生きて……やがったのか……?」
「その台詞せりふは、相手を殺すつもりで攻撃を放ち、きちんと敵を殺した確信を得た者だけが放つべきものである」
 アックアはくだらなさそうに息をき、
「まぁもっとも、流石さすがに聖母崇拝の術式を使って蓄えていた力を内側から爆破させられるとは思っていなかったのであるがな。とっさにバイパスを築いて力のかたまりを体外に放出して事なきを得たが、おかげで一時的に並の聖人クラスにまで力が落ちる始末である」
 割と無言でいるのが好みなアックアが、べらべらべらべらと意味不明な事をしゃべっている。言葉と一緒いっしょに放たれる怨念おんねんに、『わーおれここで超ダイレクトに粉砕されるかもー』と上条はガタガタふるえ始めた。
「つ、つーか、めの爆発の後、俺は一体どうなったんだ?」
「ふん。大した事ではない。私が空中で拾って地面に着地しただけである」
 さらっとすごい事言われた!? と上条は驚愕きょうがくしたが、
「ん? おい、ちょっと待て。インデックスはどうなった!? 確か、キャーリサの最後の一撃って、全方位に爆発みたいに放たれてただろ! それなら、あいつの乗ってた馬車は!?」
「質問するなら周りを良く見て、自分なりに考えてからにしろ」
 アックアが心の底から侮蔑ぶべつしたような目で指を差す。上条かみじょうがそちらを見ると、廃車の助手席に座らされたまま気を失っている、白い修道服のシスターがいた。
「……まさか、こいつも拾ったのか?」
「まぁ、あの状況では二人ぐらいが限度であろう」
 そっけない調子で言ったが、キャーリサの一撃いちげきは間違いなく『爆発』だった。アックアはあの一瞬いっしゅんで馬車の中にいたインデックスを拾う、空中に飛ばされた上条を拾う、自分も最低限の防御をする、という三つの行動を実行したとでも言うのか。
(……ま、ますます勝てる気がしねえ。っつーか、そもそも何で学園都市の時はこんな怪物相手に生き残る事ができたんだ……?)
「何で……おれを助けたんだ」
「確かに、見殺しにした方が簡単ではあったのであるがな」
 アックアはためらいなくそう言った。
「自分が騒乱そうらんの元凶である事には自覚があるか」
「……、」
「とは言っても、私が学園都市で語った時とは状況が違うのである。単に、貴様がローマ正教の人員を撃破してきた事が問題なのではない。正真正銘しょうしんしょうめい、親玉のねらいが貴様の右手だったという事である」
「何だと? 親玉ってのは……?」
「現在、ローマ正教とロシア成教の連合を束ねているのは、右方のフィアンマという男である。そして、そのフィアンマが狙っているのが。貴様の右腕と、その本領を発揮するために必要な禁書目録の知識である」
 アックアは上条の戸惑いを無視して、一方的に言ってくる。
「だとすれば、ここで貴様の右腕を跡形もなく粉砕するか、禁書目録の脳を破壊はかいする事でフィアンマの野望はついえる、という解釈もできるのである」
「ッ!?」
 状況はつかめないが、目の前にある危機に上条の身が強張こわばる。
 しかしアックア自身が、その選択について否定した。
「だから、そのつもりなら最初から見捨てていれば、二人とも勝手に死んだはずである」
「……なら、お前は何を考えて動いているんだ」
「騒乱の元凶を粉砕する事」
 アックアはサラリと答えた。
「ただし、幻想殺しや禁書目録は、真の元凶に寄り添う付属品に過ぎない事も承知したのである。計画のかなめを失えばフィアンマもあせるであろうが、ヤツが計画を変更して再稼働さいかどうする恐れもあるし、自暴自棄じぼうじきになってより一層の無意味な破壊はかいき散らされる恐れもある。……となれば、やはり元凶の中の元凶を破壊するほかあるまい」
 それだけ言うと、アックアは上条かみじょうに背を向けた。
 巨大な剣を手にした大男は、
「もっとも、その前に真の元凶から派生した、このちっぽけないさかいに歯止めをかける必要が出てきたのであるがな。イギリス勢力の力を高める事で、ヨーロッパの勢力図のローマ正教化に歯止めをかけるきっかけを生む可能性も出てくるのであるし……結果として、それがフィアンマのねらいをぐ要因にもつながるかもしれないのであるからな」
「止める方法が、あるのか?」
「小細工など不要である。私のやり方については、貴様も多少は見知っているものと思ったのであるが?」
「でも、キャーリサと『騎士派きしは』はイギリス全土を制圧してるんだぞ?」
「障害の大きさは問題ではない。……まあ、カーテナ=オリジナルを軸にした『キャーリサ』と『騎士派』の新体制は、だからこそ特有のもろさも内包している訳であるが……」
「?」
「そこを突くのは私の流儀りゅうぎではない。やはり、正々堂々と真正面から向かうべきであろう」
 き捨てるように言うと、不意にアックアの体が消えた。
 よほど高速で立ち去ったのか、上条の目でとらえる事ができなかったのだ。
(後方のアックア、か)
 上条は助手席に座らされたまま気絶しているインデックスの肩に手を置きながら、考える。敵に回すと死ぬほど厄介なあの男が、あるいは状況をくつがえす一手になるのだろうか、と。

     3

 気を失っているインデックスをどう手当てすれば良いのかも分からなかった上条だったが、
 しばらく待っていると、ようやく少女は目を覚ました。
「う、ううん……」
「インデックス! 大丈夫か、どっか怪我けがとかしてないか!?」
 思わず表情を明るくする上条。
 対して、インデックスはわずかに身じろぎして、
「……とうまが『騎士派』から助けてくれたの?」
「だと思うだろ」
 上条はインデックスから目をらし、
「ところが、そんなに都合は良くない訳だ」
 インデックスはしばしキョトンとしていた。
 そして、
「むっ!? もしやまた知らない女の人と一緒いっしょにここまで来て――っ!?」
「だと思うだろ。でもそんなに甘くはなかったんだっ!!」
 上条かみじょうは大声で否定しつつ、
「でも、いつもの調子で良かったよ」
「とうま、夜食がほしいかも」
「それはいつも通りすぎる」
「?」
 そんな訳で、肩の力を抜いた上条とキョトンとした顔のインデックスが暗い森を少しウロウロしていると、天草式あまくさしきのメンバーと合流できた。単なる偶然ではなく、第二王女キャーリサが巻き起こした大爆発を感知した天草式が、彼女に気づかれないよう隠密おんみつ行動で辺り一帯を捜索そうさくしてくれた結果のようだ。
 彼らの暫定的ざんていてきな拠点は、水上で離着陸りちゃくりくできるレスキュー用の大型飛行機だった。上条やインデックスを来せたレスキュー機は、細い川を無理に利用して、プロのパイロットでも青ざめるような勢いで夜空へ飛んだ。
 飛行機は外から見ると大きく思えたが、流石さすがに五〇人以上の人間を乗せると手狭に感じられる。そんな中で、上条に話しかけてきたのは、建宮斎字たてみやさいじだった。
「第二王女キャーリサは、一足先に空軍のヘリを使ってバッキンガム宮殿に入ったようなのよ」
 なんか、飛行機の奥の方から、『五和いつわ、このチャンスに行けってーっ!!』『むっ、無理ですまだ酒くさいです私!!』『気のせいだって! 何時間前の話をしてんだお前!!』などという声が聞こえてくるような気がするのだが、良い感じに建宮が通せんぼをしている。
「クーデターを抑えるためには、やはり第二王女をどうにかするしかないのよ。幸い、キャーリサは女教皇様プリエステスと違って、生まれつき肉体そのものが『聖人』のように特別な訳ではない。クーデターの核は、あのカーテナ=オリジナルなのよ。あれさえ破壊はかいできれば、キャーリサの保有しているすべての力を奪う事もできるんだが……」
 女教皇様プリエステスという言葉に、上条は思わず神裂火織かんざきかおりの方を見た。
 彼女は飛行機の壁に背中を預けたまま、床に座り込んでいる。所々に包帯が巻かれていて、露出ろしゅつした肌のあちこちに青痣あおあざが浮かんでいた。神裂は上条の視線に気づくと、ポニーテールの頭を申し訳なさそうに小さく下げる。
「……すみません。元アニェーゼ部隊やシェリー=クロムウェルたち命懸いのちがけで『騎士派きしは』と交戦している現状、本来なら私も率先して戦うべきなのですが……見ての通り、不覚を取りました。体力の回復に努めますが、動けるようになるまで時間がかかるかもしれません」
「いや、別に良いんだけど……大丈夫だいじょうぶなのかよ、お前」
「問題はありません、と強がってみたいものですね」
 神裂かんざきは小さく切れたくちびるをわずかにゆるめ、笑みを作ったらしかった。彼女が目配せをすると、小さくうなずいた建宮たてみやが会話を引き継ぐ。
 彼が口にしたのは、上条かみじょうがアックアから聞かされた事について、だ。
「しかし、その大きな障害だった騎士団長ナイトリーダーがアックアの手で撃破げきはされたという情報が本当なら、経緯はどうあれ状況は有利に運ばれたみたいなのよな」
「……言っておくけど、相手は『神の右席』だぞ? それに俺は、アックアから話を聞いただけで、その騎士団長ナイトリーダーが実際に倒れている所は見ていない。そういう策だっていう可能性も考えておいた方が良いんじゃないか?」
「一応、斥候せっこうには確認させているのよ。どうやら、あの二人がフォークストーンで戦っている所までは確認できている。それでいてアックアが自由に動いている所を見ると、やはり『騎士派きしは』のトップは敗北したと考えるのが妥当だとうなのよな」
 もちろん、それすら含めてわなの可能性も捨てちゃいないが、と建宮は『一応』というニュアンスで付け加える。
 上条は少し考え、
「……仮にアックアの言っている事が本当だとすれば」
「後はカーテナ=オリジナルを持った第二王女キャーリサのみ。……もっとも、これが一番厄介やっかいな相手であるのも事実なのよな」
 とはいえ、彼女を何とかしない限り問題は解決しない。
 そこで、神裂が横から口を挟んだ。
「女王のエリザード様と、『清教派』トップのローラ=スチュアートはどうなっているんでしょう」
「報告なし。『騎士派』の通信もうによると、ウィンザー城からロンドンへ移送中に逃走を図ったらしいけど、その後どうなったかは分かっていないのよな」
 建宮が苦い表情で神裂に答えた。
 上条はそんな二人の顔を見て、
「やっぱ、百戦練磨れんまっぽい女王様なら、こういう時でも一発逆転の秘策を思いついたりできるのか?」
「女王の手腕ならそういうストレートな戦力としても期待できますが、仮にそうではなかったとしても、エリザード様の存在自体が内政と外交の双方に強力な価値を生むでしょう。……逆に言えば、そこがキャーリサ新体制攻略への突破口になるかもしれませんが……」
「?」
 首をかしげる上条に、建宮がめくくるように言う。
「とにかく、このクーデターを一刻も早く終結させるため、その中心核である第二王女キャーリサをたたくのよ。そのためには、まず彼女の持っているカーテナ=オリジナルの機能を停止させる必要があるのよな」
 どうやってカーテナ=オリジナルという霊装れいそう破壊はかいするかについては、上条かみじょうの右手があれば何とかなるかもしれない。
「でも、王女様はバッキンガム宮殿の中だろ? ロンドンも含めて国中が『騎士派きしは』に制圧されている状況で、警備を固めた宮殿の内部に突っ込む事なんてできるのか」
「今のバッキンガム宮殿に正面からぶつかるのは、一国家の全軍隊と直接激突するよようなものなのよな。……ただし、ロンドン市内だけならもぐる事もできるかもしれないのよ」
「?」
「ロンドン市内にはいくつもの地下鉄の路線が走っているが、その中にヴィクトリア線ってのがあんのよ。そしてこいつはバッキンガム宮殿のほぼ真下を通っている。こいつを利用すれば、バッキンガム宮殿の敷地しきちに入らなくても、その周辺の地下鉄駅からちょっかいを出す事もできるって訳なのよな」
 そこまで言うと、建宮たてみやは一旦言葉を切った。
 それから話題を少し変え、彼は言う。
「そもそも、第二王女キャーリサは何でバッキンガム宮殿に戻ったと思うのよ?」
「あん? そりゃお前、クーデターのリーダーなんだから、簡単に倒れちゃまずいだろ。だから警備の一番厳重な要塞ようさいに―――」
「カーテナ=オリジナルの力は絶大だし、そもそも今のバッキンガム宮殿には魔術的まじゅつてきな防護術式はほどこされちゃいないのよ。生身でぶらぶら歩いていてもそう簡単に倒せる相手じゃないし、立てもるにしても、もっと魔術的防護もうの厳重な……例えば、王室別宅のウィンザー城とか、適切な建物はいっぱいあるのよ」
「じゃあ何だよ。意味もなく宮殿に入った訳じゃないだろ。正当な政府として、ロンドンっていう首都から命令を飛ばす事になんか付加価値があるとか、そういう話か?」
「まぁ、そういうメツセージ性もあるにはあるだろうけど、もっと直接的な理由があんのよ。それがさっきも話に出てきたカーテナ=オリシナル」
「あの剣がどうしたんだよ?」
「カーテナ=オリジナルは強すざる。この国の中だけに限るけど、天使長に匹敵する力を扱える訳だからな。……だが、だとすると一つの懸念けねんが生まれるのよ。カーテナ=オリジナルは外敵を徹底的てっていてきに滅ぼす力を持つが、その力の制御を間違えた場合―――真っ先にその暴走に巻き込まれて消滅するのは、当の持ち主本人である、って感じにな」
 そうか、と上条は思わず声に出した。
 建宮は彼の表情を見て、一度うなずく。
「当然ながら、オリジナルだろうがセカンドだろうが、カーテナを握るのはイギリスの中で最も偉い王様か女王様……万が一にも死なれちゃ困る相手なのよ。だから、暴走を抑えるための大型施設が必ず必要になる。例えば、万が一カーテナが暴走した場合、その力を的確に逃がし、大爆発を免れるための設備群が……一年で最も長い期間滞在している、バッキンガム宮殿に組み込まれているとかな」
「カーテナ=オリジナルは一度歴史から消失し、代わりにカーテナ=セカンドを使う事になった。この原因はピューリタン革命にあるって言われちゃいるんだが……そもそも、カーテナの力が万全なら、こんな革命は成功せずに、カーテナが抵抗勢力を皆殺しにしたはずなのよ。それが上手うまくいかなかったのは……」
「過去に一度、カーテナ=オリジナルは暴走した事があるのか……」
 仮説に仮説を重ねるような状況だが、建宮たてみやの話によると、どうも天草式あまくさしきが保護した第三王女ヴィリアンもそうした『仮説』を肯定的に見ているようだ。
「となるとやはり、それを防ぐための策を講じているってのは信憑性しんぴょうせいの高そうな話なのよ。何しろ、かつてはその暴走が原因で革命を許すほどのすきを作ってしまったんだから」
 建宮の言葉に、床に座り込んだ神裂かんざきが言葉を続ける。
「エネルギー的にカーテナ=オリジナルとやり取りを行う大型施設がある場合、そこから魔力まりょくを逆流させる事で、カーテナ=オリジナルへ干渉できるかもしれない……という仮説が生まれます。キャーリサがバッキンガム宮殿に入り、カーテナ=オリジナルの安定を求めた今だからこそ、その力を暴走・使用不可能にするチャンスが生じたんです」
 カーテナ=オリジナルさえ使えなくなれば、第二王女は普通の人間レベルまで力が落ちる。
 イギリス国内に限り絶大な力を振るう『騎士派きしは』の連中も、そのブースト効果を失う。
 なおかつ、
「キャーリサと『騎士派』は、それほど強い結束がある訳ではありません。そもそも、『騎士派』を束ねているトップは騎士団長ナイトリーダーという別の人物ですからね」
「? でも、一緒いっしょにクーデターを実行してるんだろ?」
「それは、キャーリサの新体制がイギリスにとって最も有益であると『騎士派』が判断しているからです。逆に言えば、キャーリサに従い続ける事でイギリスが不利益をこうむると判断した場合、『騎士派』は容赦ようしゃなく第二王女を見限って撤退てったいするでしょう。つまり……」
「カーテナ=オリジナルを使えるか使えないかが、そのまま英国全土のクーデター成否に直結してる……?」
 上条かみじょうはそのビジョンに顔色を明るくしかけたが、ふと思いとどまる。
「待てよ。でも、バッキンガム宮殿って魔術的な仕掛けはないんじゃなかったのか? 確か、魔術っぽいものを用意すると、ゲストをわなの中に放り込む構図になるから外交上問題があるとか何とか」
「ですから、そのための地下鉄なんです」
 神裂かんざきは即座に反論した。
「確かに、平時のバッキンガム宮殿には魔術的まじゅつてき設備はありません。ですが、宮殿の地下には地下鉄の線路が走っています。普通の路線から枝分かれした場所には魔法陣まほうじんほどこした待殊車両が控えていて、カーテナ=オリジナル暴走時にはすみやかに特殊車両を動かし、バッキンガム宮殿真下へ運び込む仕掛けがあるんです」
 確かにその方法なら、『あくまでもバッキンガム宮殿の敷地しきち内には魔術的設備はない』という尾理屈へりくつは成立する。どうも、かつては大型の馬車に搭載して宮殿の敷地のすぐ外にでも置いておいたらしいものを、地下鉄の開通に合わせて乗せ換えたのではないだろうか……と新生天草式あまくさしきでは推測しているようだ。
 カーテナ=オリジナルは何百年もの間、行方不明になっていて、バッキンガム宮殿にある地下鉄を使った安全装置はカーテナ=セカンド用に組み込まれたものだ。ただし、同じカーテナ系の霊装れいそうなので、第二王女キャーリサも地下鉄の安全装置を利用していてもおかしくはない。
「現在、イギリス清教の空中要塞ようさいカヴン=コンパスと連絡を取り合っている所です。準備が整えば、カヴン=コンパスの大規模閃光せんこう術式に使う超大容量の魔力を使って、地下鉄経由でカーテナ=オリジナルに強制干渉し、その暴走を促す作戦が実行される…という訳です」

「カヴン=コンパスからバッキンガム宮殿までの距離きょりは五〇〇キロ超ありますが、潜伏せんぷくしているイギリス清教の者が『中継ポイント』となる霊装を途中の一〇ヵ所ほどに設置して、膨大ぼうだいな魔力を誘導ゆうどうする手はずになっているそうです。成功すれば、あの厄介やっかいな剣を使用不能にしたり、弱体化を促したりできる可能性が出てきます」
「じゃあ、俺達おれたちが今ロンドンに向かってるのは、カーテナ=オリジナルを封じた後に、バッキンガム宮殿に突っ込むためって訳か?」
「それもあるんですが……」
 神裂がめずしく言いよどんだ。
 仕方がないといった調子で、建宮たてみやが先を言う。
「さっき、カーテナ暴走用の特殊車両は、地下鉄路線の枝分かれした所に待機しているって言ったのよな」
「まぁ。それが?」
「その枝分かれした路線の出入り口は、魔術的な隔壁かくへきが下りていて、普段ふだんは普通の壁と全く変わらないようなのよ。だからその隔壁をこわして、ルートを確保する必要があるのよな」
 なるほど、と上条かみじょうは自分の右手を見た。
 大体、やるべき事は分かってきた。
「ようは、俺達の手でバッキンガム宮殿近くの地下鉄駅まで行って、その近くのトンネル内にある隔壁かくへきを右手でぶっこわせば良いんだな」
「そこで、問題が一つある訳なのよ」
「?」
「第二王女キャーリサを迎えたロンドンは、新しい警備体制をいているのよ。それも。魔術まじゅつに関して特に過敏に反応するようにな。平たく言うと、魔力まりょくを持つ者がうろうろすれば、一発でバレる。居場所は地図で表示され、あっという間に完全武装の騎士きしたちが急行しちまうのよ。……となると、自分の力で魔力を精製できる魔術師はこの作戦には参加できない、という事になるんだが」
「え、それって……」
 上条かみじょうが『聞き間違いか』みたいな感じで建宮たてみや神裂かんざきの顔を見返すと、建宮どころか神裂までもが思わず彼から目をらした。
「……え、ええと、完全に魔力を精製できないか、あるいは民間人レベルの微弱な者……つまり、あなたとインデックスしか、この作戦で戦える人物はいないんです」
 しかし、目を逸らしながらちゃっかり言う事は言う。
 彼女はそむけた視線の先にいる第三王女ヴィリアンの横顔を跳めながら、
「地下鉄トンネル内に設置された魔術隔壁や魔法陣まほうじんを設置した特殊車両へは、『王室派』のヴィリアン様がいなければ干渉できません。従って、あなた達三人に頑張ってもらうしかないんです」

     4

 そんなこんなで敵陣中央超突破である。
 上条、インデックス、ヴィリアンの三人はロンドン西部の高級住宅街・ケンジントンの辺りから、東へ進んでいた。
 といっても、徒歩ではない。
 ロンドンは東西数十キロの広さがあるので、単純に歩いて行けるものではない。今は第三王女ヴィリアンの運転する小さな車を使って、ガラガラの道路を進んでいる最中ある。絵本に出てくるようなお姫様がハンドルを握っているのにものすごく違和感を覚える上条だったが、
「……いくら何でも、そこまで箱入りじゃありません……」
 というのが、二四歳ヴィリアン様の弁だった。
 正真正銘しょうしんしょうめいの王女様を運転手扱いするのがとてつもなく申し訳ない上条だったのだが、かと言って、彼やインデックスには車を運転する事などできない。
 目指す目的地はロンドン中央のバッキンガム宮殿間近にある地下鉄駅。宮殿の敷地しきち内までは入らないにしても、目と鼻の先まで接近しなければならないのだから、割と絶体絶命の状態だったりする。
 ロンドンには数十万台の防犯カメラが設置されている、という話だったが、市街に着陸したレスキュー機で待機している建宮達たてみやたちによると、現在、そのカメラは機能していないらしい。
『本来、魔術的まじゅつてき活動を行う者はカメラの死角をうように移動したり、カメラに記録されないような術式をほどこしたりする訳だが……すでに国家機能をほぼ完全に掌握しょうあくした第二王女キャーリサは、面倒くさくなったんだろうな。おそらく市内の主要警備会社三社に命じたのよ。防犯カメラは止まっているみたいなのよな』
「カメラが止まってるって……どうやって警備会社の映像を盗んできてるんだ。天草式あまくさしきって、科学サイドのセキュリティにも精通しているのか?」
『いや、単に遠距離えんきょりから望遠鏡で観察しただけなのよ。防犯カメラにもオートフォーカスがついているけど、そいつが全く動いている様子がないのよな。ありゃあ機能していない。人間で言うと、瞳孔どうこうが開いたままって感じなのよ』
 ……えらくアナログな方法で解析されてしまった訳だが、おそらく建宮達の言っていた事は真実だろう。『新たなる光』という魔術組織の連中はカメラの死角を縫ってロンドン市内までもぐり込んで来ていたが、素人しろうと上条かみじょうにそんな真似まねはできないし、インデックスも科学的なものにはうとい。一応、上条達は裏通りを選んで進んでいるとはいえ、防犯カメラのセキュリティもうが正常に機能していれば、あっという間に見つかっていたはずだ。
 助手席にいる上条は、街中にある動かないカメラを眺めながら口を開いた。
「でも、こんな風にだれもいない街でエンジン音を鳴らして車で進んだりしたら、『騎士派きしは』の連中にバレないもんかな?」
大丈夫だいじょうぶだよ」
 そう答えたのは、後部座席に収まっているインデックスだ。
「現在の『騎士派』は魔術を使って警戒に当たってるの。体の五感にたよらず、術式で増強した五感を利用した警備網だね。いくら『騎士派』が大勢だからといって、数十キロ単位のロンドン全域を指定の人数でカバーするには必要な事なんだよ。……でも、魔術的に逆手に取れば、目の前を通過しても気づかれないようにもできるんだね」
 はー、と一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょ図書館の言い分に感心する上条だったが、そこでふと彼は思い直した。
「ちょっと待てインデックス。何でお前、『騎士派』の今の魔術を知ってるんだ?」
「え? だってそっちのビルの屋上にいるから」
 うわっ!? と上条があわててインデックスの指差した方を振り返ると、確かにビルの屋上には黒い人影が。ただし銀色のよろいを着たシルエットはこちらに気づかず、ビュンッと別のビルへと飛び移っていく。
(……これだけ人がいなければ、エンジン音ぐらい聞こえそうなもんだけどな……)
 魔術まじゅつたより過ぎている弊害へいがいだろうか。
 とはいえ、インデックスが時折ヴィリアンに『あっちに曲がってそっちはゆっくり』と適当に(見える)指示を出さなければ、またたく間に発見されている事だろう。
「でも、『王室派』とか『騎士派きしは』とかって、軍とか警察も使ってなかったっけ?」
「そっちは民間人の対応に追われているんじゃないかな? 天草式あまくさしきの話だとホテルとか劇場とか大きな施設に集めているって話だったけど、何も知らない人達に言う事を聞かせるなら、『分かりにくい魔術』じゃ遠回りだもん」
 言われてみれば、確かに得体えたいの知れないつえやら水晶球やらを突きつけるより、銃口を向けた方が手っ取り早い。もちろん魔術も『威嚇射撃いかくしゃげき』すれば話は変わるだろうが、事あるごとに無駄むだちするのも面倒だろう。
(それにしても……)
 人のいないロンドンの風景を眺めていた助手席の上条かみじょうは、ふととなりの運転席でハンドルを握っているヴィリアンの方へ目を移した。
 絵本に出てくるような緑色のドレスをまとった、白い肌に金髪の女性。浮世うきよばなれしているという点ならインデックスも同じはずだが、二人を見比べると明らかに雰囲気ふんいきが違う。インデックスが科学などの異文化を見ても真正面から衝突しょうとつするのに対し、ヴィリアンはひっそりと花を咲かせる高山植物のように、繊細せんさいな環境を整えなければそのまま消えてしまいそうな印象があった。
 と、ヴィリアンが上条の視線に気づいた。
「いかがなさいましたか?」
「い、いや……」
 上条は何でもないと首を横に振る。
 何故なぜかこの作戦を決行する前、新生天草式の神裂かんざき建宮たてみや達から『曲がりなりにも英国王室に血を連ねる方ですからね!』『うっかりスカートめくれちゃいましたで不敬罪に問われるのよ!!』などと釘を刺されまくった訳だが、あれは何だったのだろうか?
「そういえば、魔力を練る事ができないヤツじゃないと、キャーリサ達の感知に引っ掛かるって話だったけど」
「え、ええ」
ヴィリアンは気まずそうな調子で、まるで上条の視線から逃げるように、緑色のドレスに包まれた身をよじった。
「申し訳ありません。王家の者として身に付けるべき教養だというのは存じているのですが、どうしても武力に応用可能な知識や枝術を学ぶ事に拒否感があって……。今の私にできるのは、せいぜい『すでに発動している霊装れいそうに触れて操作する』ぐらいのものでしかありません。姉君のキャーリサはカーテナ=オリジナルを扱える可能性があるとして私を処断しようとしていたようですが、私にそんな物を渡されても、実質的に扱う事はできないでしょうね……」
「あれ? でも、地下鉄駅の隔壁かくへきの問題は王家の血を引く者がいないと突破できないとか何とかって話じゃなかったっけ?」
「ええ……。せめて、母君かリメエアの姉君がいれば完璧かんぺきだったのですけど……私のような未熟者では、禁書目録に補佐していただいても、職務をまっとうできるかどうか……」
「そっ、そんなに落ち込まなくても大丈夫だいじょうぶだと思うぞっ! というか、そもそも王様は魔術まじゅつを学ばないといけないとか意味が分かんなくなってるし!!」
「……そうなのでしょうか……? 今回の作戦にあたって、バッキンガム宮殿側からも一般の使用人や料理人、庭師などが地下鉄トンネルに向かってきてくださるそうですし……。安易な暴力にたよらないにしても、私にもっと皆を守るための手立てがあれば、あなたたちにも危険な所へおもむいていただく必要もなかったでしょうに」
 どーん、と気落ちしているヴィリアン。どうやらクーデター下で直接的な戦力を提供できない事に、彼女なりの負い目があるらしい。
 どうにか話題を変えるため、上条かみじょうは強引に視線をロンドンの街並みの方へ移した。
「しっかし……一口に裏通りっつっても、やっぱ学園都市とは違うもんだな」
「とうま。路地裏の違いが分かる男って、別に何の自慢じまんにもならないかも」
 別に自慢してる訳じゃねえよ、と上条は返し、
「それにしても、首謀者しゅぼうしゃのキャーリサをどうにかしなくちゃならないし、その足掛かりとしてカーテナ=オリジナルの機能をつぶさないといけないのは分かるけど……大ボスをやっつけたぐらいで、こんな大規模なクーデターってあっさり収まるモンなのか? なんか、そのまま泥沼の戦いが続いていく、なんて事にならないか心配なんだけど」
 異変はロンドン市内だけではない。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド……イギリスの主要四地域のほぼ全域が、第二王女キャーリサ率いる『騎士派きしは』によって占拠されている。そこまで進行してしまった問題が、たった一人の柱を失っただけで奇麗きれいサッパリ元に戻るのか……正直、上条には自信がない。
 ところが第三王女ヴィリアンが、おずおずとこんな事を言ってきた。
「おそらく、姉君のキャーリサさえ封じられれば、クーデターは終結すると思います」
「?」
 上条が首をかしげると、ヴィリアンは困ったようにまゆを寄せながら、
「一口にクーデターと言っても色々あるとは思います。ですが、今回イギリスで起きている件に関してのみならば、首謀者を失った後も泥沼化する可能牲は低いのではないでしょうか」
 オドオドとした調子のヴィリアンに合わせるように、インデックスもうないた。
「さっき、天草式あまくさしきが『騎士派』の通信を傍受していたよね。『傭兵ようへいの手によって騎士団長ナイトリーダー撃破げきはされたため、ほかの騎士達に動揺が広がっている』って。……クーデター側は『騎士派』のトップと第二王女を精神的な柱に掲げているんだよ。そして、その内の一本はボキッと折れた。だから、残る最後の柱がこわれちゃったら、おそらく『騎士派きしは』の意志は瓦解がかいしちゃうかも」
「……計画に参加しろ参加しろと言っていた張本人が真っ先に倒れてしまったら、残された大勢の人々は戸惑うしかないとは思いませんか?」
 ヴィリアンの言葉を聞いて、そんなものかもしれない、と上条かみじょうは考える。
 さらに、インデックスは続けてこう言った。
「それに、イギリスは『王室派』、『騎士派』、『清教派』の三派閥で役割分担しているんだけど、これもクーデターに歯止めをかける材料になるんだよ」
「どうして?」
ほかの国との外交は『王室派』が一手に引き受けているからだよ。つまり、『騎士派』は直接的に戦う事は得意でも、他国と駆け引きを行うすべがないの。おそらく、国家間で対等の取り引きを行えるのは第二王女のキャーリサか、『王室派』を一番近くから補佐してきた騎士団長ナイトリーダーぐらいじゃないかな」
「でも、それでほこが収まるか? 先行きが分からなくなった途端とたんに、『騎士派』の連中が暴走を始めたりしないだろうな」
「確証はないけど、多分大丈夫だいじょうぶだと思う。『騎士派』の目的はイギリスを守る事でしょ。そのために最も有効な方法として、第二王女主導のクーデターに賛同した。……でも、そのキャーリサを失った結果、これ以上クーデターを続ける事でイギリスが壊滅的かいめつてきなダメージをこうむると分かってしまったら……おそらく、その時点で剣を収めるはずなんだよ。剣を収める事こそが、イギリスにとって最もダメージを小さく収め、最もこの国のためになる、って判断すればね」
「……、」
 上条はしばしだまって後部座席のインデックスの顔を見た。
 それから彼は、ゆっくりとこう言った。
神裂かんざきとか五和いつわとかならともかく、インデックスにそういう事を言われてもあんまり信憑性しんぴょうせいがないかもしれないなあ」
「……とうま。ひょっとして私が魔術まじゅつ以外は全くダメな子だと思っていない?」
 いや現に食べて寝てテレビを見る子じゃない、と上条は進言しかけたが、そんな事を言ったら後頭部をガブリとやられるに決まっているので、ここは賢い沈黙ちんもくを選択する。
 そうこうしている間に、目的の地下鉄駅に近づいてきた。
まって。この辺からは流石さすがに車の音を鳴らし続けるのはまずいと思う。本拠地であるバッキンガム宮殿も近いしね」
 インデックスに促されるままに、ヴィリアンは小さな自動車を路肩に停車させる。車から降りた三人は、改めて周囲を見回した。
 今は深夜の二時近いが、それにしても、イギリスの首都にすれば極端に人口は少ない方だろう。通りにはだれもいないし、車道にも車は走っていない。フォークストーンへ向かう前には野次馬やじうまになりかけている住人たちを警官が押し返したりしていたのだが、今はそんなさわぎもない。
騎士派きしは』と『清教派』の市街戦も一応決着し、住人達の動きも制圧した結果、今ではロンドン市内のあちこちに人員を記置し、異常があれば増援を呼ぶ……という方法が取られているのかもしれない。
 上条かみじょうは辺りを見回したが、少なくともそれらしい人影はない。
 それどころか、地下鉄駅の向こうに見えるバッキンガム宮殿の方にも人の気配がしないのだが、
「?」
 ふと、上条の右手が何か柔らかいものに包まれた。
 改めてそちらに視線を移すと、ヴィリアンが手袋に包まれた小さな両手で上条のてのひらおおっている。野暮やぼったい防寒具ではなく、王候貴族の装飾品としてのお上品な手袋だ。
「……くれぐれも敷地しきちには入らないでください」
 彼女は上条の顔を見上げて、そっと言った。
魔術まじゅつうとい私には分かりかねますが、木々に留まる羽虫の数まで正確にサーチできると、以前姉君のキャーリサが豪語しているのを聞いた事があります」
「えっ、ええと、ハイ」
 シルクのうすい手袋越しでも分かる、明らかに男のゴツいものとは違う柔らかいマシュマロの表面のような感触に、上条はカクカクとうなずく。ヴィリアンの方は、そうした上条の反応に全く気づいていないらしい。
 それを冷めた目で眺めていたインデックスが、ヴィリアンの言葉を補足する。
「おそらく狙撃そげき系の術式を備えた騎士達が、窓や屋上から何重にも走査を続けているんだと思うよ。『ロビンフッド』の補助に使われていた術式の広域応用版じゃないかな」
 そう言われて、上条は地下鉄駅へみ出そうとした足を止めた。
「じゃあ、このまま駅に向かうのもまずいのか」
「サーチの隙間すきまってみる。私の後についてきて」
 言って、インデックスは物陰から飛び出した。特に何がある訳ではないのだが、彼女はまるで見えないサーチライトをけるように、何もない空間を不自然に迂回うかいして地下鉄の駅へ向かう。ついていく上条やヴィリアンとしては、何を基準に何を避けるのかも分からないので、不安この上ない。
 やがて、三人は地下鉄の駅に辿たどり着いた。
 下りの階段を駆け降りると、インデックスがようやく安堵あんどの息をく。
「ここまで来れば大丈夫だいじょうぶそうだね」
「……何がどうなったのかさっぱりなんだが、おれはとりあえず感謝をすべきですか?」
「感謝はしてほしいけど、これはどうするの?」
 は? と上条かみじょう怪訝けげんな顔をすると、インデックスは丁寧に前方を指差した。
「なんか、ピコピコのついた壁みたいなのが下りているんだよ」
 それじゃあみんな、インデックス語を翻訳ほんやくしてみよう☆
 目の前に電子ロックのついた隔壁シャッターが下りて出入り口をふさいでいるけど、どうするの?

     5

 問答無用の午前中授業だ!!
 なので、超能力開発の名門校・常盤台ときわだい中学のエースである御坂みさか美琴みことはファミレスにいた。今の時刻は午前一一時前。お昼時にはまだちょっと時間があるため、客足はやや少なめ。美琴はここで早めの昼食を食べて、再び常盤台中学に戻る予定である。
 何故なぜ舞い戻るのかというと、今が学園都市最大の文化祭『一端覧祭いちはならんさい』の準備期間だからだ。学校見学やオープンキャンパスも兼ねるイベントであるため、最大規模の体育祭『大覇だいは星祭せいさい』のように外部に開かれたものではないが……反面、『進学』という言葉に敏感な名門校ほど、多くの見学者がくせいを呼び込むべく熱を上げる傾向があるのだった。
 当然、『大覇星祭』の時は開放されなかった常盤台中学も。この『一端覧祭』だけは部分的に一般開放される。美琴ものんびりしている訳にはいかないのだ。
(……それにしても)
 美琴は鉄板の上に乗ったデカいハンバーグを一口サイズに細かく切り分けながら、
(何よこのファミレスは。たまたま今日初めて入ったけど、ここは巨乳の国なのか……?)
 もはや悔しさを通り越し、あきれたような調子で辺りを見回す。
 どうやら地理的に中学生よりも高校生が活用する店らしく、長い黒髪におでこな巨乳セーラー(とその向かいに座る、特に胸も大きくない巫女みこ装束しょうぞくの似合いそうな女)に、そこの学校の教師なのか、緑色のジャージを着たもう馬鹿ばかみたいに爆乳の体育教師。おまけに、あの窓際まどぎわの座席に座っている、メガネで巨乳の……立体映像? 能力を利用した新手のサクラかもしれないが、それにしたってそこまで胸を大きくする必要はないだろう。
(ん? 待てよ。ほぼ全員にこんなにも分かりやすい身体的特徴があるという事は、もしや……この店の料理には乳を大きくする成分が!? な、何よそれノーベル賞確定じゃないよしそういう事なら!!)
 と、割とポジティブに立ち直った美琴が、いつもよりも素早い動きでせっせとハンバーグを口に入れていた時だった。
 テーブルのはしに置いていた携帯電話が小刻みに振動した。
 ひとりでに動いた電話がテーブルの端から落ちる直前に、バシッと美琴は携帯電話をつかみ取る。
(こんな時に、黒子くろこのヤツじゃないでしょうね)
 などと考えて携帯電話を開いた美琴みことは、小さな画面に表示された番号を見てひっくり返りそうになる。
 ツンツン頭のあの馬鹿ばかだ。
「むぐっ!? ガハゴホゲホゲホ!!」
 衝撃しょうげきに思わずのどを詰まらせそうになる美琴。
(なっ、何で!? 何の用なの! あの馬鹿の方から電話がかかってくるなんて滅多に……だーっ! 事前にメールで何の用かを送ってくれれば、こんなにあわてなくて済んだのに―――いやダメだその場合だと今度は緊張きんちょうしてメールを開けない……ッ!!)
 などと一人でわなわなしている美琴だったが、このまま電話が切れてしまってもあれだ。着信履歴を元にこちらからかけ直すというのも、それはそれでハードルが高い。美琴はふるえる親指を着信ボタンに伸ばし、
(そっ、そうよね。今日は学園都市中の学校が午前中授業なんだから、白由時間だって多いはず! 『一端覧祭いちはならんさい』の準備もサボれないけど、でも時間のやりくりをできれば少しぐらい……)
 何やら両手で携帯電話をつかむと、普段は見せないお嬢様じょうさまスタイルで耳を当てる。混乱する美琴の耳に入ってきた最初の一声は、
『悪りぃ御坂みさか! これから地下鉄駅に忍び込みたいんだけどシャッターの電子ロックの開け方とか分かるか!!』

「………………………………………………………………………………………………………、」
 御坂美琴は携帯電話を耳から遠ざけ、一度大きくため息をつくと、極めて冷静な動作で親指を使って電話を切った。
 電話をテーブルに置いて巨大ハンバーグと向き合う美琴の耳に、再びマナーモードの小刻みな振動音がヴィィィ、と届いてくる。
 彼女は気分をしずめるためにノンシュガーのラテを一口だけ含み、紙ナプキンでお上品にくちびるぬぐってから、ようやく携帯電話に手を伸ばす。
『悪りい御坂! これから地下鉄駅に忍び込みたいんだけど―――ッ!!』
「聞こえてた上でシカトしてんのよ!! 気づけド馬鹿!!」
 腹の底に力を込めて思い切り叫び、ようやくいつもの調子に戻ってきた美琴は怪訝けげんな顔で、
「大体、駅に忍び込むってどういう状況よ? 駅員しか入れない所にでも用がある訳?」
『違う違う。なんか出入り口のシャッターが下りちゃっててさ、中に入れないんだ。まあ緊急事態だから仕方がないし、そもそも本来この時間は終電を過ぎてるんだから、シャッター下りてる方が普通ではあるんだけど』
「は? 終電?」
 美琴みこと怪訝けげんを通り越して不審な表情になった。
 今は午前一一時ぐらいのはずだ。昼前に終電が出る路線など聞いた事がない。
 すると、向こうも美琴の疑問に気づいたようで、
『そっかそっか。時差があったんだっけか。悪りぃ御坂みさか、もしかして授業中とかにかけちまったか?』
「いやそれは大丈夫だいじょうぶだけど……ちょっと待ちなさいアンタ。時差って、今どこにいんのよ?」
『ロンドン』
 その回答に、美琴はもう一度電話を切ろうとした。
 いくら何でもそれはない。彼女はファミレス店内の壁に据え付けられた巨大薄型うすがたモニタに目をやった。画面の中では、深夜の真っ暗闇くらやみの中、外国人の取材クルーが同じようなニュースを何度も何度も伝えてきている。ロンドン中心部の人々はホテル、劇場、映画館、教会などの大型施般に身柄を移され、自宅にいる事すら許されない状態にあるらしい。何の冗談でもなく、指定された建物・施般から出たら銃器の使用も辞さないと伝令されているとまで報道されている。イギリス側から公式発表はされていないが、どうもクーデターが発生したという説は極めて濃厚らしいのだ。
(……でもこいつ、前はフランスに行っていたような……?)
 一瞬いっしゅん、不吉な予感にとらわれた美琴だが、あわてて首を振って否定する。
 そうそう何度もあってたまるか。
「アンタ、学園都市の『外』に出るのにどんだけ大変な手続きむか分かってんの? 広域社会見学みたいな学園都市認定のイベントであっても結構面倒なのよ」
『本当にそのロンドンにいるんだけどなぁ』
 何やらそれなりに困っているのか、電話の向こうで軽く頭をく音が聞こえる。
『それに、ここのシャッターが開かない事にはどうにもならないのもマジなんだけど……』
「一体何に巻き込まれてんのか知らないけど、女の子にたのむような事じゃないわね」
 美琴が呆れたように言うと、携帯電話は『う―――――――――ん』としばらくうなった。
 その上で、上条当麻かみじょうとうまはほとんど投げやりになった調子で、一言だけこう言った。
『……ダメ?』
 ダメじゃない、と美琴は思わず口に出しそうになった。

     6

『ふむふむ、マーベラスロック社の225式パッシブね。それならパネル下のツメを二つ外すとメンテナンス用のジャックが出てくるわよ』
 携帯電話のカメラで電子ロックのパネルを写して美琴みことへ送信したら、五秒で答えが返ってきた。開口一番もうついていけなくなる感じのコメントを聞いて、上条かみじょうは『うっ』と言葉を詰まらせる。
「おい、学園都市の『中』と『外』の技術って、二、三〇年ズレてんだろ。『外』についても詳しいのか?」
『マーベラスロック社は学園都市と提携している協力機関なの。だからそこで使ってる技術はスペックダウンしたお下がりなのよ』
 美琴は軽い調子で言った。
流石さすがに「外」で独自に作ったモノまでは私も分かんないけど、開けられないとは思わないわね。だって、技術レベルなら二、三〇年も昔のモンなのよ。「外」にある軍事研究所のセキュリティですら、学園都市で投げ売りされてるパソコンのログイン管理にも届かないわよ』
「……おれ南京錠ナンキンじょうも開けられないのですが」
『アンタの技術レベルは江戸時代ね』
 などとチクチク言われながら、上条は電子ロックのパネルを指示通りに操作していく。
「しっかしお前、相談した俺が言うのも何だけど……こういうの本当に詳しいよな」
『かっ、勘違いするんじゃないわよ。私は自分の力の誤作動で万が一電子ロックに干渉しちゃわないか注意するために学んでいるだけで、別にコソ泥とかクラッカーなんかじゃないんだからね』
「オイその台詞せりふ、もうちょっと穏便おんびんなパターンで言えんのか?」
 ハンカチを使って最低限指紋がつかないように気をつけている指先が色々動くが、正直、言われた事を言われたままやっているだけの上条には全く理解が追い着かない。
 そうこうしている内に、ガコン、という音が聞こえた。
 目の前にそびえていたシャッターが、ガラガラと音を立てて上に上がっていく。表通りを制圧されているせいでだれもいないからか、意外に大きくひびく音に上条とインデックスは心臓に悪い気分を味わわされたが、『騎士派きしは』の連中が聞きつけてくる事はなかった。
「開いた! サンキュー御坂みさか!」
『あいよー。言っておくけどこれは貸しだかんね』
「うん分かった。じゃあ俺急いでるから!」
『って、ちょっと!? これからほら「一端覧祭いちはならんさい」の準備期間で午前中授業が増える訳じゃない? だからええと時間を調節すれば色々遊べる時間も―――ッ!?』
 何かやたら早口で言っていたが、不意にブツっと通話が切れた。『?』と上条が携帯電話の画面を見ると、アンテナがゼロになっている。
(……ま、大事な用なら後でかけ直せば良いか)
 上条かみじょうは適当に考えて携帯電話をポケットにしまった。今はとにかく地下鉄駅の構内からトンネルに入り、『王室派』のヴィリアンの協力を得て魔術的まじゅつてき隔壁かくへき破壊はかいしなければ。
 と、くだんのヴィリアン様は、ほおに片手を当てたまま、開いたシャッターへ純粋に感心したひとみを向けていた。
流石さすがは科学技術の最先端さいせんたん、学園都市……。お友達の力を借りるだけで、こんな事までできるのですね」
「は、はぁ……。まあ第三位のビリビリだし、確かにこういう時はたよりになるヤツだけど。……っつかインデックス、お前はお前で何でムスッとしてる訳?」
「……何でもないもん」
 インデックスはそれだけ言うと、ようやく足を動かして上条のとなりまで歩いてきた。ただしその小さい足で上条のすねの辺りを軽く蹴飛けとばすオプション付きである。
(??? 何このイライラオーラ?)
 疑問だらけな上条だが、迂闊うかつに聞き返すとインデックスが爆発してガブリとやってきそうな雰囲気ふんいきなのは伝わってきたので、それ以上は言及しない事にする。
 上条は視線を前に。
 元々、シャッターが下りているような状態なので、地下鉄駅の構内に明かりはない。ただし、所々に非常口や避難ひなん経路を示すランプがあるため、完全な暗闇くらやみという訳でもなかった。床に直接ランプが設置されているので、懐中かいちゅう電灯がなくてもとりあえず通路を歩ける感じだ。
 少し進んで、上条は後ろを振り返り、
(……そういえば、出入り口のシャッターは閉めておいた方が良かったのか?)
 などと思ったのだが、開け方も閉め方も上条には分からない。閉めるのにも美琴みことに電話をかけなければならないし、脱出時にもさらにもう一回美琴にお願いする羽目になる。
「どうなされたのですか?」
「いや、何でもない。……そうだよな。もしもトンネルでトラブって緊急きんきゅう脱出する場合、いちいち御坂みさかに頼んでる時間もなさそうだし」
「?」
 ヴィリアンは首をかしげたが、上条は勝手に言葉を切って自己完結する。
 地下鉄駅からホームへの階段を下るまで人影らしい人影もなかったし、人の気配らしい気配もなかった。別に上条は索敵さくてきや捜索のプロではないが、その、なんというか……『人がひそんでいるのなら、潜んでいるなりの吐息といき』すら聞こえてきそうなほどの静寂に包まれていたのだ。
 非常口や避難経路を伝えるランプを頼りに、それらのルートを逆走する形で地下鉄駅の奥へ奥へと進んでいく上条、インデックス、ヴィリアンの三人。
 階段を下りて駅のホームまでやってくると、ようやく蛍光灯の明かりが見えた。
 とはいっても、天井てんじょうに設置されているものではない。トンネルは駅とは電気系統が別なのか、ホームの向こうにあるトンネル壁面に取り付けられた蛍光灯だけが光を放っているのだ。
 当然ながら、ホーム全体を照らし出せるだけの光量はない。
 消灯時間の過ぎた病院のようだった。
 上条かみじょうはホームのはしから身を乗り出し、等間隔とうかんかくで蛍光灯の続くトンネルの先に目をやりながら、「……終電過ぎてるとはいえ、飛び下りるのには抵抗があるよな……」
 とはいえ、先に進まない事には始まらない。
 上条とインデックスの二人はホームから線路に降りたが、ヴィリアンはお姫様のように広がったロングスカートが邪魔じゃまをするのか、一息に移動できないようだった。手間取っているヴィリアンの体を支えるために上条が両手を差し出すと。予想外に全体重をかけてしなだれかかってきたので、うわぁーっと上条はそのまま線路上に倒れ込んでしまう。
「すっ、すみません。このような時の作法というものを存じていなくて……」
「だっ、だだだ大丈夫だいじょうぶですよ!! というか駅のホームから降ろしてもらう際のQ&Aとかマナー教室でも教えてくれないと思うし!! でもそろそろはなれていただいた方がよろしいんじゃないでしょうかヴィリアン様!!」
「とうま、不敬罪」
 インデックスの冷たい言葉が上条の胸を貫く。一方、ヴィリアンの方は『は、はい。本当に申し訳ありませんでした』などと言いながら、そそくさと上条の上から移動した。
 線路から起き上がった上条は、視線をトンネルの奥へと投げる。
 事前に天草式あまくさしきに指定されたポイントは、ほんの数十メートル先らしい。ただし、バッキンガム宮殿の方向とは逆である。
「あっちか」
「ええ。私も話に聞いていただけで、実際に見るのは初めてですが」
 ヴィリアンがわずかに緊張きんちょうした面持おももちで、そんな事を言った。
 その時だった。

 カツン、という足音が、上条たちの真後ろから聞こえてきた。

「!?」
 上条達はあわてて背後を振り返る。
(『騎士派きしは』か……ッ!?)
 一瞬いっしゅん長距離ちょうきょりからの狙撃そげきで肩を切断されかけた『新たなる光』の魔術師まじゅつし・レッサーの事が思い出される。仮に暗闇くらやみの向こうからあれと同じ霊装れいそうで狙われていた場合、右手だけで防げるだろうか。
 そんな事を考えていた上条だったが、彼の予測は外れた。インデックスと共にかばわれる位置にいたヴィリアンが、上条かみじょうの後からこんな事を言ったのだ。
「お、お待ちください! 彼らは敵ではないようです。バッキンガム官殿側から合流する予定だった使用人たちですよ』
「……そのお声は、ヴィリアン様ですか……?」
 確認作業のような言葉が飛んできた。
 直前にヴィリアンが日本語で上条に話しかけていたせいか、暗闇くらやみからの声も日本語に合わせたようだった。
 それから、複数の人影がゾロゾロとやってくる。トンネルから駅のホームに来たのは、合計二〇人近い男女だ。色のせた作業服の初老の男から、どこに注文を出しているのかも分からないメイド服をまとう少女まで、多種多様な人々であふれている。
 ヴィリアンは上条を追い抜き、前に立ちながら、彼らの顔を見回した。
「これで、全員ですか?」
 尋ねると、二〇歳ぐらいのメイドがうなずいた。
「夜勤の者は数が限られていますし、本日は、その……フォークストーンへ随伴ずいはんするためにも人員をいていましたから。バッキンガム宮殿に待機していた者の内、民間出身の人材はこれで全員となります」
「そう、ですか……」
 フォークストーン、という言葉にヴィリアンはわずかに顔色をくもらせた。
 言葉を詰まらせた彼女に代わって、上条が口を開く。
「アンタ達は、この作戦が終わったらおれ達と一緒いっしょにロンドンを脱出する……って事で良いんだよな?」
「はい。本来ならヴィリアン様のお手をわずらわせる事なく、我々だけで地下鉄のトンネルに細工をほどこせれば良かったのですが……。民間出身の我々だけでは魔術まじゅつとやらの不可思議現象の仕組みも分かりかねますし、『王室派』特有の機密情報にも詳しくありませんので。危険を承知で、こうしてご協力願おうという訳です」
 そうか、と上条は頷いた。
(だったら、こんなつまんない仕事はさっさと終わらせて、早く安全な所まで連れて行ってやらないとな)
 そんな事を考え、上条は目的地である―――バッキンガム宮殿とは反対方向のトンネルに足を向ける。目的地はほんの数十メートル進んだ所らしい。
 二〇人以上の人数で、息をひそめて向かう。
 相変わらず両サイドはコンクリートの壁で、等間隔とうかんかくに蛍光灯が光っている。線路は左右に二本あり、その中間地点にトンネルを支えるための柱が、同じように等間隔に並べられていた。
建宮たてみやとか神裂かんざきとかの話だと、特殊な列車を本線に載せるための枝分かれした線路があるって話だったけど……」
 上条かみじょうは辺りを見回す。
 見た所、それらしい出入り口はない。
 ヴィリアンは不安そうな面持おももちで、周囲ヘキョロキョロ目をやっていた。
「この辺りにあるのは間違いないのですけど」
「分かるのか?」
「いえ、ええと……そのはず、なんですけど」
 ますます弱々しい口調になるヴィリアンだったが、そこでインデックスが口を挟んだ。
「この辺り、あらかじめ魔力まりょくを利用したマーキングがほどこされているよ。おそらく霊装れいそうを整備する魔術師まじゅつしが場所を見失わないようにするためのものなんだよ」
「そっ、そうだ。そうでした。言われてみれば、目印になるマークがあったはずです。ええと、描くもの描くもの……」
 ヴィリアンが口に出すと、かたわらにいたメイドが上質なレターセットと羽ペンという面倒くさそうな文房具を差し出した。インクボトルはメイド自身がキープしている。
 第三王女はまゆを寄せ、迷いながらも羽ペンを助かす。
「そう、確か、こう……こうです。こんな感じのマークが目印になっているんです。魔術についての知識が乏しいため、これが何を意味しているかまでは存知ないのですけど」
 と、そんな前置きと共に差し出された便箋びんせんには、確かに一見して何を意味しているのか分からない、記号のようなものが記されていた。日常生活ではまず見かけないものの、得体えたいの知れない魔法陣まほうじんというほど分かりやすい異物感もない。『地図記号のレアなマークだよと言われたら信じてしまいそうな』感じのレベルである。
 ただ一人だけ、魔術知識のかたまりであるインデックスだけが、ヴィリアンの提示した便箋を眺めてわずかに眉をひそめた。
「どうしたインデックス?」
「ううん。……でも変かも、『心臓』を警報の象徴に使うって、どういう応用なんだろ」
 ブツブツ言っているが、上条の耳まで明確には伝わらない。
 とにかくヴィリアンが描いたマークがどこかにないか探せば良い。そういう結論に至った上条たちは、各々おのおのバラバラに散らばって、トンネル内の壁や床を調べてみる事にした。二〇人弱の使用人達も、ただ隠れているマークを見つけるだけなら……と手伝っている。
等間隔とうかんかくに蛍光灯があるから歩けないってレベルじゃないけど、やっぱり小さなマークを探すのには不便だな。トンネルに来るって分かってたんだから、ライトでも用意していれば良かったんだ……)
 薄暗闇うすくらやみの中で目をらしながら、上条は壁に沿ってゆっくりと歩く。
 ともあれ、マークさえ見つけてしまえば、後は上条の仕事だ。どんなに強固な術式で守られていようが、幻想殺しイマジンブレイカーを使えば手っ取り早く破壊はかいできるはずである。
 と、上条かみじょうの右手の指が、カサリとした物に触れた。
「?」
 壁から指をはなし、改めて暗がりを凝視ぎょうししてみると、何やらポスターのような物があった。大きさは縦が二メートル、横が一メートル前後。明かりがたよりなく薄暗闇うすくらやみであるため何が描かれているかまでは分からなかったが……何やらテープががれたのか、上方右側のはしがぺらりとめくれ、こちらに向けてお辞儀じぎをしているように見えた。
(あれ……?)
 上条はそこで、まゆをひそめた。
 剥がれかかったポスターへ顔を近づけ、何が描かれているかを確かめようとする。
(さっきまで、こんなのあったか?)
 そして、見た。
 それは、ポスターではない。
 壁だ。
 トンネルの壁の色や質感と全く同じものが、薄っぺらにり付けてあった。まるで安い時代劇に出てくる忍者が身を隠す時に使うような。そんな大きな壁紙が、だ。
「これ……」
 上条が思わずつぶやいた途端とたん、動きがあった。
 バシュ!! という音が聞こえた。
 剥がれかかった壁紙を中心に、トンネル壁面全体へ縦横に淡い光線が走った。ポスターと全く同じサイズの長方形の格子があっという間に広がっていき、
「これは……ッ!?」
「とうま!!」
 異変に気づいたインデックスの叫びは、何かにさえぎられた。
 紙をこするような音。
 トンネルの壁一面が、大きく波打ったように思えた。上条が身構えた途端、四角く分断された壁のそれぞれがポスターのようにめくれ、剥がれ、巨大な紙片の集合体となる。
 その内の何枚かは、枯葉のように地面へ落ちた。
 おそらく、上条の右手に触れたか、そこから崩壊が連鎖れんさした個体なのだろう。
 だが、それ以外は力強く宙を舞う。
魔術的まじゅつてきな……隔壁かくへき
 そこまで考えて、上条は思わず笑いそうになった。
 グシャグシャグシャ!! と巨人の手で紙を丸めるような轟音ごうおんひびく。
「魔術なんてもんに、俺達おれたちの常識が通じる訳はねえとは思ってたけど」
 オフィスの中であらしが起こったみたいに渦巻いていた膨大ぼうだいな紙切れは、やがて一点に集中した。
 その上、そこにはとある一定の法則性があった。
「壁が人に変形しておそいかかってくるとか、常識外れにもほどがあるだろ!!」

     7

 トンネルの壁一面をおおっていた紙片が移動した事で、半円状の新たなトンネルが出てきた。
 強引に本線へ線路をつなげるためか、まるで消防車の梯子はしごのように伸縮する特殊なレールまで備えられている。
 だが。
 代わりに立ちふさがったのは、紙でできた巨人だ。
 全長は三メートル前後。
 紙というと軽い印象がするが、
「ッ!?」
 横に回すように振るわれた巨人のこぶしが、進行上にあるトンネルの柱を砕き、全く勢いを落とされずに上条かみじょうほおへ襲いかかってくる。一つ一つが学生かばんよりも大きなコンクリートのかたまりをまとう拳に、上条は右手で迎撃げいげきするのをあきらめた。ほとんど後ろへ倒れ込むような格好で、どうにか一撃を回避かいひする。
 短く、そして甲高かんだかい悲鳴が聞こえた。その主は民間出身のメイドか、あるいは第三王女のヴィリアンか。今まさに撲殺ぼくさつされようとしている上条は、いちいちそちらに気を配っているだけの余裕すらない。
 コンクリートを一撃で破壊した紙の巨人に目をやる。
 ボコボコ、と。
 体内で紙の束が動いているのか、まるで硬い筋肉のように巨人の表面が隆起していた。
(くっそ! ただの紙でも、あれだけ集まると逆に重量感が出てくる訳か!!)
 いわば、分厚い本を満載した本棚を振り回されるようなものだ。人間の一人二人、あの巨人の腕なら文字通り粉砕できるだろう。
「とうま、はなれて! あれはモックルカールヴィの作り方を参考にした霊装れいそうなんだよ!」
 少し離れた所から、インデックスが大声で言った。
 何だそりゃ、と上条が尋ねる前に、彼女は相手の正体を看破する。
「北欧神話に出てくる組み立て式の巨人! 神々の中でも最強クラスの剛腕で知られる雷神トールと戦うために設計されたんだけど、最後の最後で『心臓』に使う材料を間違えて貧弱な結果に終わったって話があるの。そいつはイギリス式の理論で材料を一から考え直し、この場を守るために最適化したカスタムモデルなんだよ! さっきヴィリアンが描いていた記号は、その新設計した『心臓』の記号だったんだと思う!!」
(また、由緒ゆいしょ正しい物騒ぶっそうなヤツだな!!)
 上条かみじょうが舌打ちした途端とたん、紙の巨人が大きく動いた。
 思わず距離きょりを取ろうとした上条だったが、巨人は自分が砕いた柱の残骸ざんがい蹴飛けとばした。サッカーボールほどのかたまりは下から突き上げるアッパーカットのような軌道で、上条のあごを思い切り跳ね上げる。
「が……ッ!!」
 上条の背中がけ反る。口の中に血の味が広がる。
 しかしそこで紙の巨人の動きは収まらない。
 その巨大な足を利用し、一歩で大きく距離を詰めてくる。体重が完全に後ろへ傾きつつある無防備な上条に向けて、今度こそ紙の塊でできた、本棚以上の重量を持つこぶしを振り上げる。
 絶体絶命の状況に対し、
(……チャンス)
 上条はとっさに右拳に力を込める。
 紙の巨人と接近する時こそ、上条の幻想殺しイマジンブレイカーにとって最大の攻撃の機会。外せば一発でミンチとなるが、おそいかかる紙の拳を受け止められれば、それが必殺の反撃となる。
(ビビるな―――行け!!)
 ごう!! と二つの拳が飛んだ。
 一撃で自動車をスクラップにしかねない巨大な拳の中央に、上条の右拳が激突する。その瞬間しゅんかんに巨大な拳が動きを止めた。紙の巨人の結合が解け、大量の紙片の洪水と化す。何十、何百という大量のポスターに流され、上条の体は半ば埋もれそうになった。ゾゾゾゾゾ、という不気味な音響おんきょうと共に、その体が水流に流されるようにトンネルの壁際かべぎわまで移動させられる。
「ぐ……ッ!! くっそ、やったか!!」
 背中や後頭部に痛みが走る。上条は四肢ししを動かしてもがくが、布団ふとん簀巻すまきにされたように自由がかない。それでも、ただの紙の集まりに戻った事から、モックルなんとかとかいう難しい名前の巨人はもう機能しないはずだ。ゆっくり時間をかけて、何ならインデックスに協力してもらって、紙の山から外にい出れば問題ない。
 だが。
 クシャクシャクシャ、と紙を丸めるような音に、上条の背筋に冷たいものが走る。
うそ、だろ……」
 改めて目をやれば、奇怪なシルエットがある。最低限の紙を丸めてこよりにしただけの、針金のような四肢と背骨。それに反して、顔面だけは先ほどと同じく巨大なままだった。
 人間の顔にも見えるしわを動かし、巨人は弓を引くように、その右手を後ろへ下げる。そこに屈強な拳はない。ただし、代わりにくいのようにとがった先端が待ち構えていた。
(ヤバい、動っ、逃げらんねえ!!)
 上条かみじょうは大量の紙束に体を押さえつけられ、身動きが取れない。
 紙の巨人は、そんな上条の顔面の真ん中へ、正確に右のくいの照準を合わせている。
 そして躊躇ちゅうちょなく、壁でもブチ抜くように杭が射出された。
(ちくしょう!!)
 その時だった。
 突然横合いから、人影が割り込んだ。
 それはバッキンガム宮殿の方からやってきた二〇人近い使用人たちの一人だった。色のせた作業服を着た中年の庭師は、紙の巨人の腕にしがみつくようにして、何とか杭の照準をズラしたのだ。
 おかげで、上条の頭は砕かれずに済んだ。
 ドガッ!! と、杭の腕は顔のすぐ横のコンクリート壁へ深々と突き刺さっている。
 ただし、庭師の方も無事ではない。
 紙の巨人の腕を押さえようとした庭師だったが、あまりにも威力が高すぎて、はじき飛ばされていた。その上、紙の巨人の体はのりを何重にも何重にも塗って固めたような硬度で、ほとんどゴツゴヅした岩場の表面と変わらない状態になっていたのだ。おかげで庭師の作業服は強引に削り取られ、決して少なくない量の血も流れている。
 上条は感謝の気持ちよりも、相手の命の危機に全身が総毛立った。
馬鹿ばか野郎!! 無茶むちゃな事しやがって……ッ!!」
 崩れた本棚のような重たい紙の山から何とか抜け出そうともがきながら、上条は叫ぶ。そんな彼の様子を見ながら、倒れた庭師はうっすらと笑った。まるで自分を心配してくれる人を見て、喜んでいるような顔だった。
「……すみません……。おれにゃあ魔術まじゅつとか言われてもサッパリ分かりませんが、とにかく、あなたの力があれば、こいつに対抗する事もできるんでしょう……?」
 ギッギッ、と紙の巨人は壁に埋まった杭を引き抜こうとする。
 亀裂の入ったコンクリートから、パラパラと細かい欠片かけらが地面へ落ちていく。
「だったら、お願いします。こいつを何とかしてください。こいつの馬鹿げた杭がヴィリアン様に向かう前に、早く!!」

     8

 紙の巨人が現れると同時に、ヴィリアンのたてになるように前へ出た使用人は、庭師の言葉を聞いてふと肩の力を放いたようだった。
 ヴィリアンは、いやな予感がした。
 この一夜だけですでに何度も味わった、いやな予感が。
 体を強張こわばらせるヴィリアンの方へ、若い女の使用人はゆっくりと振り返って、こう言った。
 第三王女の直感が正しいものだと証明するかのように。
「ここは我々にお任せください、ヴィリアン様」
「……ッ!?」
「あの少年が復帰するまでの時間をかせげれば、状況をくつがえす事もできるようです。ろくに格闘かくとうの術も学んでいない我々ですが、それでも二〇人がかりで押しつぶしてしまえば身動きを封じる事もできるでしょう」
 確かに、一般的ならそういう風に考えられるだろう。
 だが、魔術まじゅつについて詳しくないヴィリアンでも分かる。今目の前で起こっている不可思議な現象には、そういう普通の法則は通用しない。何の力も持たない民間人が二〇人で突っ込んだとしても、紙の巨人は『普通では考えられない腕力や現象』を用いて蹴散けちらしてしまうだろう。
 使用人たちの方も馬鹿ばかではない。
 厳密に数値を算出できないにしても、クーデター発生当初から肌で感じてきた経験によって、それぐらいは推測できている事だろう。
 なのに。彼らはその事について一言も語らなかった。
 まるで、ヴィリアンを心配させまいとでも言うかのように。
 とある使用人は仕方がないといった調子で上着を脱いだ。とある料理人は少しでも手を保護するためか、ネクタイを解いてこぶしに巻いていた。とある服飾デザイナーは一瞬いっしゅん出口の方へ目をやったが、それでも勇気を振り絞って視線を紙の巨人の方へと戻していた。そうしながらも、同時に彼らは顔色が青ざめ、足だけでなく全身をふるわせていた。
 怖くない訳がない、
 にもかかわらず、自ら死地へ向かおうとする使用人達を見て、ヴィリアンは思わず尋ねた。
何故なぜ、ですか……?」
「理屈などありません」
 若い女の使用人は、ほとんど苦笑いのような表情で答えた。
「人が立ち上がるのに必要な理由は、それほど特別なものでもありません。あなたのために戦いたいからつどっている。理由なんてそんなものですよ、ヴィリアン様」
 その時だった。
今まで上条かみじょう当麻とうまの顔のすぐ横の壁にくいを突き刺していた紙の巨人に動きがあった。埋まった杭を引き抜くのは不可能と処理されたのか、腕の先端せんたん部分の紙束がバラバラとひとりでに崩れていく。自らの体積を犠牲ぎせいに自由を取り戻した紙の巨人は、改めてその腕の先端を固く鋭くとがらせていく。
 もう一度、今度こそ、確実に上条当麻を刺殺するために。
 あの巨人に対抗する手段を持つ少年を排除するために。
 それを見て、使用人たちも動こうとした。
 そこで、第三王女ヴィリアンは若い使用人の肩へそっと手を置いた。
「あなた達の気持ちは理解できました」
 今までにないほど、どこか強い力で。

「ですが、あなた達が死んでも良い理由にはなりません。あの霊装れいそうが『隔壁かくへきとしての自己を突破する危険因子を優先的に排除するためにある』なら、おとりの役割は私が一番適任でしょう」

 言葉を終えると同時に、ヴィリアンは飛び出した。
 今までだれかの背中に隠れるように過ごしていた彼女が、誰よりも前へ出た。
「待―――ッ!!」
 背後から使用人達の止めようとする声が聞こえたが、具体的にヴィリアンを羽交はがめにする者はいなかった。とっさの事に反応できなかったのではないだろう。それ以前に、おそらく恐怖で足が言う事を聞かなくなっていたはずだ。
 怖くて当たり前だ。
 逃げ出したくても当たり前だ。
 ギリッ!! と奥歯をめ、ヴイリアンは暗いトンネルを走る。おそらく緊急時きんきゅうじに手動でレールを切り替えるためのものだろう、壁際かべぎわに配置されていたモップほどのサイズの巨大なスパナを両手で拾いながら、さらに先へ。走って走って走って、紙の巨人へと一直線に突っ込んだヴィリアンは、ズシリと重いスパナへすべての力を込める。
 人が立ち上がるのに必要な理由は、それほど特別なものではない―――と、使用人は言ってくれた。ヴィリアンもそう信じたかった。だから彼女は、紙の巨人の頭目がけて巨大なスパナを真横にいだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 スパナを振り抜くと共に、公務では一度も発した事のない雄叫おたけびをあげるヴィリアン。
 対して、紙の巨人の方も動いた。
 霊装はくいと化した腕の狙いを変更すると、迫るスパナに向けて鋭利な先端せんたんを勢い良く射出した。
 ベギン!! という鈍い音と共に、ヴィリアンの頭に衝撃しょうげきが走った。
 杭が直撃した訳ではない。
 半分ほどの所で折れたスパナの先端部分が、ヴィリアンの顔にぶつかったのだ。
(……おそらく、姉君のキャーリサにとって、こんな仕掛けは全体の力から考えれば、小指の先にも満たない雑魚ざこ戦力にすぎないでしょう。私達がこんな風に努力している所を見ても、その無能さを嘲笑あざわらうだけでしょう)
 け反り、倒れるヴィリアンは、しかし視線を揺らがしたりはしない。
 折れたスパナの残骸ざんがいを投げ捨てる。
 もとより、天草式あまくさしきからは『魔術的まじゅつてき隔壁かくへきを開放するには王室の人間が必要だ』と言われていた。そのために必要な術式についてもレクチャーはされていた。
(ですが、そのちっぽけな戦力でも、私を支えるために立ち上がってくれな者たちを傷つけるのなら。さらに、これほどの恐怖が『ちっぽけ』と思えるほど圧倒的な力で、姉君がだれかを苦しめようとするならば)
 後は発動するのみ。
 ヴィリアンは、自分一人で魔術を成功させるために動き出す。
 あの紙の巨人は、地下鉄のトンネルとカーテナ用の特殊車両を守る隔壁そのものだ。そして、隔壁は王族専用の魔術によって制御される事をヴィリアンは知っている。
 だから、突きつけてやるとヴィリアンは思った。
 自分が英国王室の一員である事を、この紙の巨人に。
 ここまで来てくれた使用人達を助けるために、さらにはカーテナ=オリジナルの暴走を促してキャーリサ支配下のイギリス全土を救うために!!
 普段ふだんなら恐怖にふるえて目尻めじりに涙を浮かべていたかもしれない第三王女は、しかし明確に紙の巨人をにらみつける。
(―――私はあらがう!! なんとしてでも、最後の一瞬いっしゅんまで抗ってみせる!!)
 だが、彼女が立ち上がる前に紙の巨人は再び腕のくいの照準をヴィリアンに合わせる。第三王女は無視した。回避かいひや防御に時間をいとまで、口の中で必死に早口のように呪文じゅもんの詠唱を進めていく。
 声はない。
 紙の巨人は霊装れいそうとして、あくまでも自動的に外敵を排除しようとする。
 ゴッ!! と、腕の杭が飛んだ。
 ヴィリアンの顔を正確に狙うコースだった。
 そして、
軌道を変更C A O 右腕を右へMARATTR!!」
 どこかからインデックスの言葉がひびいたと思ったら、唐突に紙の巨人の杭のルートが不自然にれた。ヴィリアンの顔を貫くはずだった杭は、コンクリートの地面に深々と刺さる。
 そこへ、第三王女の詠唱が追い着いた。
 厳密には、一から一〇まで丁寧ていねいに詠唱を行ってきたヴィリアンが、途中からインデックスの言葉を参考にして、高速詠唱へ切り替える事に成功したのだ。
正しき血を継ぐ者の命に従い、速やかに開門せよO A C P A T A C O T P O T R B!!」
 最後の言葉と共に、紙の巨人の体の大半が砕け散った。
 しかし、断末魔だんまつまのように右腕部分だけが形を取り残し、崩れながらもくいのように鋭い先端せんたんをヴィリアンの顔を目がけて突き出そうとする。
 第三王女は目をつぶらなかった。
 そこへ、
「悪りぃ。助かったよ、ヴィリアン」
 紙の巨人の腕が、動きを止めた。
 背後からケンカを止めるように、少年の手が強引に巨人の二の腕をつかんでいたのだ。
 さらに崩れる巨人。
 もはや原型をとどめておらず、それでも少年の方に振り返ったのは、その右手が危機の優先順位を強引に変更させられたからか。
「後は任せとけ。今度こそ、ここで仕留める」
 上条当麻かみじょうとうまと紙の巨人。
 彼らは共に一瞬いっしゅんも待たなかった。
 幻想殺しイマジンブレイカーと杭の腕。
 共に相手を必殺させる破壊はかいりょくを持った一撃いちげきが、躊躇ちゅうちょなく交差する。

 ゴバッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 今度こそ、上条当麻のこぶしは紙の巨人を完膚かんぷなきまでバラバラに粉砕する。

 今までかろうじて人の形を保っていた紙の巨人は、上条の拳を受けた場所を起点に、まるで爆発するように飛び散った。大量の四角い羊皮紙ようひしはトンネルの天井てんじょう近くまで吹き上げられ、それから重力に従ってゆっくりと落ちてくる。
「―――、」
 第三王女ヴイリアンは、しばらく呆然ぼうぜんとその光景を跳めていた。
 生まれて初めて明確に敵を倒すために行動し、その結果として大量の羊皮紙が舞い散る光景を。
 彼女が何を思っているか、上条には分からない。
 しばらくそっとしておこうと思った彼の体に、携帯電話の着信の振動が伝わってくる。
 知らない番号だが、電話を耳に当てると聞き慣れた人物の声が飛んできた。
『あっ、良かった、つながりました!』
「その声、五和いつわか……?」
『は、はい! 完全に酒は抜けました五和ですこんばんは!!』
「?」
 何やら元気いっぱいな五和いつわに首をかしげる上条かみじょうだが、五和は気づかない。
『作戦は成功です。ヴィリアン様たち魔術的まじゅつてき隔壁かくへきのロックを開放した事によって、遠隔地から特殊車両の動力源にアクセスできたんです』
「そっか。それならカーテナ=オリジナルへ間接攻撃こうげきを加える事ができるんだな」
『それなんですが……現在、カーテナ用の特殊列車はバッキンガム宮殿直下へ配置するため、そちらに向けて猛スピードで走行しています! ですから早くはなれれてください!!』
 ギョッとする上条に、五和はさらにこう言った。
『と、とにかく、これから特殊車両を経由して、空中要塞ようさいカヴン=コンパスの心臓部とカーテナ=オリジナルをリンクさせます。力の「逆流」に伴い、大規模な魔力放出が発生する事でしよう。おそらく異変を察知した「騎士派きしは」がそちらへ調査活動におもむくはずですし、そこにいると「爆発」に巻き込まれるリスクも高いんです! 大至急こちらに戻ってきてください!!』

     9

 一〇月一八日。午前二時三〇分。
 カーテナ=オリジナルは暴走した。
 英国王室の住居であるバッキンガム宮殿を中心に、その爆発は半径五〇キロにも及んだ。とはいえ、それは普通に暮らしているごく一般の人達には感知のできない、あくまでも魔術的にしか意味を持たない爆発だった。
 ビリビリビリ!! とガラスが小刻みに震動しんどうした。まるで、人間に感知のできない低周波に反応しているようにも思えた。
 そして、血をく音。
 宮殿の豪奢ごうしゃ絨毯じゅうたんを汚すように、血のかたまりが落ちる。
 第二王女キャーリサだった。
「……カヴン=コンパスからの強制逆流、か」
 いかに空中要塞の心臓部の力をまとめてたたきつけられたとはいえ、そんなものはカーテナ=オリジナルが制御する分の一割にも満たない。ただし、イレギュラーな力を強引に通された事でカーテナ自体が悪い方向に刺激され、かき乱された。安定を失ったカーテナ=オリジナルかられた力の欠片かけらが、まるで袋いっぱいに詰めた刃物が内側から突き出るように、第二王女キャーリサの体を傷つける。
(だから、『大半』の拠点を制圧した事で満足をせず、『すべて』をつぶすまで気をゆるめるなと言ったのに……。いや、ここは連中の悪知恵に敬意を表するべきなの?)
 カーテナ=オリジナルを使って『騎士派』に分配されていた力はほぼ失われた。
 第二王女キャーリサ自身の力も、いくらか失われた。
 実に五割程度がえぐり取られただろうか。
 だが、
(押さえつけた)
 キャーリサには確信がある。
 おそらく連中はピューリタン革命時にカーテナ=オリジナルが紛失したという史実から、カーテナの暴走こそ打倒国家元首の足掛かりになると判断し、こんな策をろうしたのだろう。しかし、倒れない。この程度ではキャーリサ勢力に致命的なダメージは与えられていない。
「きっ、キャーリサ様」
 大きな扉の向こうから、部下の騎士きしの声が飛んできた。
「宮殿直下に配置された特殊車両の回収と再封印、完了いたしました。これで『清教派』によるカーテナ=オリジナルへの逆流干渉は行えなくなります」
「ふん」
 キャーリサは手の甲でくちびるに残る血をぬぐい、
「それなら、カーテナ=オリジナルの暴走によってき散らされた力がロンドン一帯にどのよーな影響えいきょうを与えたかを実測しろ。それから、宮殿に備蓄してある霊装れいそうも一通りだ。下手へたをすると半分近くは使い物にならなくなってるかもしれないし」
 刃も切っ先もない剣を、キャーリサは改めて握りめる。
「霊装干渉用の工具を持ってこい。私はカーテナ=オリジナルの再チェックに移るし。よって、剣に対する仕様の変更・再調整は一時中断。カーテナに対する『小細工』よりも、今は国内の残存勢力の殱滅せんめつに重きを置く事にするの」
 了解しました、という言葉と共に、騎士は去る。
 一見すると従順に見えて、心の天秤てんびんが揺らいでいるのをキャーリサはつかんでいた。
 元々、『騎士派』は騎士団長ナイトリーダーというトップによって統率されていた集団だ。そしてキャーリサも騎士団長ナイトリーダーを『騎士派』の窓口として使っていた。それが失われた今、『騎士派』の水面下では動揺が広がっており、またキャーリサと『騎士派』の間には小さな溝が生じている。
 なおかつ、ここでカーテナ=オリジナルの暴走だ。
 実際には『清教派』による破壊工作の結果なのだが、心情的に『騎士派』の面々は心のどこかでチラリとでも、思うはずだ。第二王女はカーテナの制御を行えない女だ、と。
 すでに直接的なリーダーを失い、さらには垣間見かいまみえる『劣勢』のきざし。
 ここで旧女王エリザードと『清教派』が結託して大々的な反攻作戦を展開した場合、『騎士派』の精神は持ちこたえられるか。実際の数字の上でキャーリサ側が断然有利である事など関係ない。人間の心情の問題として、『勝てる』と思い続ける事はできるか。国家元首キャーリサを『信じて』ついていく事はできるか。
(まー正直な所……反攻作戦が開始されれば、半数近くは意志が砕けるだろーな)
 率直に算出しながらも、キャーリサはうすく笑う。
 笑いながら、彼女は手にしたカーテナ=オリジナルを肩にかつぐ。
(さて、と。腰抜けに用はないが、寝返ってもらっても面倒だし。……先手を打たせてもらおーか)

     10

 新生天草式十宇凄教あまくさしきじゅうじせいきょう建宮斎字たてみやさいじは望遠鏡を手にしていた。
 カーテナの暴走圏外である、ロンドン近郊の平原だ。どこまでが人工的な牧草地で、どこからが自然に放置された土地かも分からない、緑色の下草だけが広がっている場所。その一点に、イギリスの各所に散らばっていた、『清教派』のメンバーたちつどいつつあった。
「やっべーのよ。カーテナ=オリジナルの力をある程度ぐ事には成功したみたいだけど、やっぱりその反動みたいなもんの発生はけられなかったみたいなのよな」
 建宮が座っているのは、庭師が好むような脚立きゃたつの上だ。まるでテニスの審判みたいな体勢で、望遠鏡をのぞき込んでいる。
 一方、脚立の下にいる大柄な牛深うしぶかが低くうめくような声を出す。
「……第二王女を中心に、莫大ばくだいな『天使の力テレズマ』が全方位に放出されましたからね。ロンドン市内に置かれた霊装れいそうや設備にも影響えいきょうが出ているみたいですよ。小型の教会が三つほど倒壊とうかいしたようですし」
「聖ジョージ大聖堂に残してきた観測装置の数値が正確なら、ロンドン市内に滞留たいりゅうする『天使の力テレズマ』はメチャクチャ濃慶が強いんすよ。現状、下手へたに市内で魔術まじゅつを使用するとロンドン全域が起爆する恐れもあるみたいすね」
 小柄な香焼こうやぎが手帳に細かい数字を書き込みながらそんな事を言う。
 建宮は望遠鏡を覗き込んだまま小さくうなずき、
「『騎士派きしは』は団長を失って統制を欠き、そこヘカーテナ=オリジナルの暴走が重なった事で、第二王女への信頼しんらいすら揺らぎ始めているのよな。ここで一気にたたみかける事ができれば、正面衝突しょうとつしないまま『騎士派』を精神的に瓦解がかいさせる事もできたかもしれなかったんだが」
 彼の言葉を、初老の諫早いさはやが引き継ぐ。
「……やはり『天使の力テレズマ』の自然拡散を待ち、ロンドンが安定してから敵の本陣へ突っ込むしかないか。その間にカーテナ=オリジナルの力が回復したり、『騎士派』の戦力をバッキンガム宮殿へ集中されたりする可能性は?」
「『騎士派』の戦力については確信はないが、カーテナについてはほぼ問題はないのよ。あれは扱う力が強すぎるために、一度暴走してしまえばそうそう簡単に機能回復はできない。カーテナ=オリジナルが制御している力の理論値から逆算すれば、最低でも一ヶ月はかかるのよな」
「となると……」
「こっちも向こうも小休止。と同時に、ここが最後の戦闘せんとう準備期間になるのよ」
 皆の間を走る緊張きんちょうに、だれかがごくりとのどを鳴らす。
 と、そこへ、
「アンタら……それが分かってんなら真面目まじめに仕事しなさいよ」
 ふわふわ金髪の女性、対馬つしまが少し離れた所からあきれたように言った。対して建宮たてみやを中心とする男衆は口をとがらせてぶーぶーと反論する。
「変な言いがかりはやめてほしいのよな」
「そうですよ俺達おれたちは極めて真剣に作戦会議をやっているんだから」
「ここが正念場なんすから色々意見を調整しておかないとまずいんすよ」
「うむ。明暗を分けるという事については素直に賛同できるな」
 満場一致な感じで対馬に言葉を浴びせかける男衆だったが、やはり対馬の方の態度も変わらない。彼女は細い人差し指で自分のこめかみをつつきながら、片目をつぶってこう言った。
「だったら、何でその望遠鏡がエプロン着けた五和いつわの方に向いてんのよ」

 そんなこんなで最後の晩餐ばんさんである。
 首都ロンドンから退去していた『必要悪の教会ネセサリウス』のメンバーを始め、水上レスキュー機を操っていた新生天草式あまくさしき、貨物列車から解放された元アニェーゼ部隊などなど、種々様々な宗派文化の人々が一ヶ所につどっていた。
 上条かみじょうの周囲を行き交うシスターさん達は、様々な報告を交わしている。
「テオドシア=エレクトラ班も到着しました。これでイングランド地方にいる『清教派』の残存勢力はほぼ集結したようです」
「ステイル=マグヌス班がまだですね。スカイバス365の件で輸送機を借りていたのですが、どうもクーデター発生と共に軍の空港で交戦状態に入ったようです。自力でねじ伏せると豪語していたので問題はないでしょうが、もう少しかかるかもしれませんね」
 などという声もあったが、おおむね残存勢力のほとんどはここに結集しているようだ。
『清教派』の魔術師まじゅつし達は自分が扱う武具や霊装れいそうなどの準備・調整を進めると同時に、自身の体調管理―――その代表格である食事も重要視していた。何しろクーデター発生からバタバタし続けたせいで、長時間の戦闘や逃走でスタミナの切れかけた者や、夜勤を考慮こうりょして夕食を採らずに夜食をメインにしようとして食いそびれた者なども少なくない。
 そして当然、色々な人が集まれば色々な種類の料理が集まる訳で、
「やっやべえ! みる……あったかいスープって胃袋だけじゃなく全身に染みるものなんだ……ッ!!」
「え、えーっと、運動前ですから、何事もほどほどに―――」
「この局面で軽いサラダとかありえねえってんです!! こう、ガツーンと! 胃袋にボーリングの球が落っこちるみたいに重たい肉を!!」
「は、腹八分目辺りがちょうど良いと言いましてですね、満腹になってしまうと―――」
「おかわりを!! 問答無用のおかわりを要求する!!」
「よ、良くんでー、ゆっくり少しずつ食べて、おなかがびっくりしないように―――」
「みゃーっ!!」
 ……大小無数のシスターさんたちが修道女らしからぬ暴飲暴食モードに突入しているし、そんなシスターさん達の間で新生天草式あまくさしきのエプロン少女五和いつわがあわあわオロオロしているし、挙げ句の果てにはなんかウチの子らしき三毛猫みけねこまで料理にがっついているような気がするのがちょっと申し訳ない上条かみじょうである。
 何も載っていない小さな取り皿だけを手にした上条は、殺到するシスターさんや魔術師まじゅつしなどについていく事ができず、やや呆然ぼうぜんんと立ち尽くしている。
 一方、それらのさわぎから少しはなれた所では、食いしん坊シスターの双頭であるインデックスとアンジェレネが同じテーブルに着いている。一見、彼女達は仲良くとなりに座って料理を食べているように見えるのだが、
「わっ!! い、今、食べたでしょう? 私の料理食べたでしょう!!」
「食べてないよ』
「し、シスター・ルチアも見ていましたよね!? この食いしん坊が私のお皿にフォークを伸ばす所!!」
 すると、アンジェレネの向かいに座っていた背の高い猫目のシスターは(目を閉じて食前の祈りをささげていたので見てないし興味もない)ため息をつき、
「シスター・アンジェレネ。隣人りんじんを愛すべき我々が人を疑うような事があってはいけませんよ」
「むぐっ!? そ、そうですかね。こいつ絶対に今、私の料理を食べていたような……」
「ひょいぱく」
「確実に今食べましたよね!! もうすきを見てコッソリとかいうレベルじゃなくて、正々堂々と真正面から私のミートボール食べたでしょう!!」
「食べてないげっぷ」
「語尾わざとでしょう!! し、シスター・ルチアも何とか言ってやってくださいよ!!」
 半泣きでわめくアンジェレネに、ルチアは仕方がないといった調子で、自分の取り皿を斜めに傾けながら、
「それなら私の分をあげますから、『怒り』と『大食』と『嫉妬しっと』の三重苦からさっさと脱しなさい」
「ぎゃーっ!! 野菜それも苦い系のベジタブルが満載です! 何ですかこれ、シスター・ルチアは食事にも試練や修行を持ち込むような人ですか!?」
 恐る恐る一口かじってのたうち回り、ルチアがあわてて差し出した野菜ジュースを一気飲みしてさらに身をよじらせるアンジェレネ。ほとんど痙攣けいれんする猫背三つ編みシスターを放って、インデックスはさらなる料理を求めて旅立っていく。
 とはいえ、そんなインデックスにも災難はある。その正体は、たくさんの肉料理が並んでいるテーブルの近くにいた『清教派』の修道女たちだった。
「うわぁー、なっつかしい!! あたしの事覚えてる? レイチェルだよレイチェル。いつも一緒いっしょに遊んでたろー。お、そうだ。ハンバーグ食べる?」
「もぐもぐ。さっきから人のほっぺたをつまんでいるあなたはだれなの?』
「くくく、レイチュルのヤツ、やっぱり禁書目録の記憶喪失きおくそうしつ関連ですっかり忘れられてやんの。まぁ私の事も覚えてないだろうけど。でもまぁ良いや、相変わらず食いしん坊なのかなー。こっちの料理食べる? ほらあーん」
「むがっ!? さっきハンバーグは食べたしムガゲムッ!!」
「いやァァァァ!! やっぱり可愛かわいすぎる! 料理を口いっぱいに頬張ほおばっているだけなのにすごく愛らしい!! 私のっ、ほら私のハンバーグも食べちゃって!!」
「……う、うええ。もっ、もういらないかも……」
 あのインデックスにしては異様にめずらしいレアな台詞せりふらす銀髪碧眼へきがんシスターさん。しかし『清教派』の修道女連は『私も私も!』『ワシも!!』『あたしも食べさせるっ!!』などと言いながらさらに増殖中である。

 一方、様々な料理を提供している普通少女五和いつわも五和で心情的ピンチにおちいっていた。
 例の少年はすぐ近くにいる。
 イモ焼酎じょうちゅうも体の中で完璧かんぺきに分解され、いつもの調子も取り戻している。
 ……のだが、辺り一面に展開しているシスター達が料理を料理をもっともっとグォオオオオオオオオオ!! と怒涛どとうのリクエストを放ちまくるせいで、身動きが取れなくなってしまったのだ。これは恋する乙女おとめ伊達だてや酔狂ではなく、ガチで彼のためなら死んでも良いレベル)にとってはかなりこたえる事態である。
 と、そこへ救援がやってきた。
 同じ新生天草式あまくさしきの女性であるふわふわ金髪の対馬つしまだ。
「だー。目に見えて分かる空回りっぷりを発揮してるみたいだから、ここらで交代してあげる。ほら、例の少年は食欲シスター達に圧倒されて料理を取っていないようだし、あなたが持って行ってあげたらポイント上がるかもよ?」
「なっ、そっ、い、いや!! いいですよ、私は別に! そういうのは全然……ッ!?」
「打算的なアクションはきらい? でも、そんな事を言っていたらいつまでっても距離きょりが縮まる事はないわよ」
「いえでも、戦闘せんとう続きで結構ボロボロですし汗くさいですし、こんな格好で顔を合わせるというのも……」
 同じ女同士だからか、ごにょごにょしながらも本音が垣間見かいまみえる五和いつわ
 そこへ余計な男衆が首を突っ込んだ。
「じゃーん!! そんな五和にシンデレラ大作戦なのよ!! 先行販売ロードショーッ!!」
「とっ、突然出てきてロードショーとか意味が分からヒック!?」
 五和の語尾が何となくしゃっくりみたいになったのは、あまりにおどろき過ぎて呼吸が止まりかけたせいだ。ひゅーひゅーと声にならない声を出したまま、五和はふるえる人差し指で建宮たてみやが手にしているものを差す。
 彼が両手で広げているものは、
「イエス!! これぞまさしく大精霊だいせいれいチラメイドなのよーっ!!」
「なっ、げほっ!? ゴホゴホ!! たったた建宮さんが何故なぜその最終兵器を!?」
「ふっ。お前さんが背中を押して欲しがっている事は承知の上なのよ。実はデザイナーの活動拠点がロンドンだったから、ちょっくらクーデター発生直後に調達してきたのよな。発売日前の大フライングというヤツなのよ」

「あの局面で何故なぜその余裕!? おまけに私の個人情報の管理状況はどうなっていますか!!」
 うわっスリーナイズもピッタリ過ぎて逆に不気味です!! とガタガタしている五和いつわだったが、『あの少年』へ猛攻を仕掛けるカギとなるとは思っているのか、思い切ってバシンと地面にたたきつける事もできない所がアレである。
 一方、その騒動そうどうからほんの数メートルの地点で、ようやく体力の回復してきた神裂かんざき火織おりは、だれにも気づかれないようにそっと安堵あんどの息をいた。
「(……ま、まぁ、イギリス清教の女子りょうにあった荷物の大半は運び出せなかったようですし、堕天使だてんしエロメイドもまたやみから闇へとほうむられていったでしょう。私としては、水上機の中へ持ち込んだ、ペットの熱帯魚と友である洗濯機せんたくきさえ無事であれば構いませんし)」
 小声でブツブツ言っている事に自分で気づいていない神裂。
 そこへ建宮たてみやはグルン!! といやな予感を誘発ゆうはつさせる勢いでこちらへ振り返ると、
「ご安心を!! 女教皇様プリエステスの大切な嫁入り衣装はきちんと死守していますなのよ!! 堕天使メイドと堕天使エロメイド、両方ここに保存しておりますのでお好きな方をなのよな!!」
「よっ、余計な事をォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 思わず本気で絶叫する神裂の目の前に提示されたのは、クリーニング店から帰ってきたばかりと見間違うように丁寧ていねいたたまれた例の悪夢。というか、建宮や牛深うしぶか香焼達こうやぎたちの様子を見る限り、一人で真面目まじめな顔をして騎士団長ナイトリーダーに立ち向かい、ひたすらボコられた自分の方が馬鹿ばかだったんじゃないかと思わなくもない。
「こっ、こんな物は不要です!! そもそも女子寮に入るだけの時間的余裕があったのなら、素直に浴衣ゆかたなどを持ってきてもらえば良かったものを……ッ!!」
「堕天使エロメイドなど、不要……? まっ、まさか、その先にハイパー堕天使ドエロメイドなどが待ち構えて!? ……ど、努力を惜しまぬ人なのよな……」
「そんなものなどありません!! なっ、何ですかハイパーとかドエロとか! もはやメイドという基本の軸がかすんでしまっているじゃないですか!! あなた達はエロけりゃ何でも良いのか!?」
 神裂は顔を真っ赤にしてぎゃーぎゃーとわめく。
 が、新生天草式あまくさしき男衆とて、単なる一発芸のために命を張っている訳ではない。
 彼らの根底にあるのは、
「(…実は我々は女教皇様プリエステスの堕天使エロメイドをこの目で見ていないのよ! このままでは死んでも死に切れんのよな!!)」
「(……我々全員、当時は後方のアックアにボッコボコにやられてベッドの上でのたうち回っていましたからね。まさに一瞬いっしゅんすきをついた早技でしたよ、あれは)」
「(……五和からの報告を受けて目から血の涙を流すかと思ったっす。そんなエロくて面白おもしろそうなものを見ないで終わるとかありえないすよ)」
「(……ぬう。さらには堕天使だてんしエロメイドと大精霊だいせいれいチラメイドが直接対決するかもしれんという一〇〇年に一度の好機に恵まれたのならば、命をける程度の価値もあろう)」
 牛深うしぶか香焼こうやぎといった若者だけでなく、既婚者の野母崎のもざきや初老の諫早いさはやまでもが割とみんな元気な新生天草式あまくさしき男衆を見て、もしや自分が無責任に出奔しゅっぽんしたせいで天草式の方向性がゆがんでしまったのでは……と生真面目きまじめに心配し始める天然リーダー気質の神裂かんざき火織かおり。もはや姉というより母的な思考に近いが、そんな彼女は正真正銘しょうしんしょうめいの一八歳である。

 さらに影響えいきょう伝播でんぱしていく。
 ルチアの善意による苦い野莱パーティをらったアンジェレネは、涙目で草食動物の気持ちを味わっているその手と口を止めて、新生天草式十字じゅうじ凄教せいきょうの内紛(?)に注目していた。
 アンジェレネは後から合流してきたリーダー・アニェーゼ=サンクティス(さっきからサラミとかウィンナーとかいろんな肉の載ったデカいピザを一人占めしている。超うらやましい)の脇腹わきばらひじでつつきながら、
「し、シスター=アニェーゼ! 何やら極東宗派が有り余る乳を無駄遣むだづかいして面白おもしろそうな事を話しています! 放っておいて良いんですか!?」
「うむ。ようはだれが一番オトナでセクシーなメイドかという勝負って事でしょう? 二五〇名ものシスターたちを抱える我々がここでだまって退くなんざありえませんが、かといって我々には彼女のように持て余すほどの乳がねぇのも事実。さて我が陣営は誰を柱に対抗策を練るのが最も効果的か……」
 神裂や五和いつわが聞いたら口から火を噴いておそいかかってきそうな台詞せりふだが、そんな馬鹿ばかげた会話を聞いていたルチアにとって重要なのはそこではない。一番ヤバいのは、アニェーゼとアンジェレネの二人の視線が、何やら自分の方に向けられている事である。
 女性らしいエロさの足りない(だが実は巨乳)ルチアは先手を打った。
「無理ですからね」
「世の中には小悪魔こあくまベタメイドというものもあるみたいですね」
「しっかり聞いた上で先に進めているようですが、私は絶対にやりませんからね」
「悪魔ではなく小悪魔である事に特殊な意図があるようでしてね」
 彼女達の口調はどんどん早口になっていく。

 少しはなれた所からそういったさわぎを眺めているシェリー=クロムウェルは、ひっそりと座っていた。ライオンのように乱れた金髪に、小麦色の肌の女。黒を基調にしたゴスロリのドレスはボロボロにいたんでいて、深夜のやみに溶け込もうとしているようだった。
 彼女は食べ物らしい食べ物を手にしていない。
 食欲はなかった。
 胃袋に重くのしかかっているのは、自戒と自嘲じちょうが生み出す猛烈な後悔だ。
 『騎士派きしは』に対して引け目がある訳ではない。
 むしろ、たかが『騎士派』のクソ野郎どものために、ここまで自分の感情が揺さぶられたという事実の方が頭にきているのだ。どれだけ頭では否定した所で、自分を構成する柱の深い所にまでヤツらは食い込んできている。それを証明されたような気がした。自分の手で今まで積み上げていった経験や成果のようなものを、横取りされたような気分になるのだ。
(最悪だ……)
 小麦色の肌に残る青痣あおあざを軽くさすりながら、シェリーはき捨てる。
 ロンドン市内で『騎士派』の連中をつぶすべくゴーレム=エリスを放ったシェリーだったが、どこかで意識が途絶えていた。彼女を気絶させたのが『騎士派』による決死の反撃はんげきだったのか、それとも途中から割り込んできた露出狂ろしゅつきょう女魔術師おんなまじゅつしによるものだったのかも覚えていない。朦朧もうろうとする精神がかろうじて覚えていたのは、くだんの女魔術師の手でかつがれ、混乱する戦線から強引に離脱りだつさせられたという事だけだ。
 気だるい無力感がシェリー=クロムウェルの全身を包む。
 そんな彼女の元へ、一つの人影がゆっくりと近づいてくる。
「差し入れでございますよ」
「チッ、アンタか」
 必要以上に丁寧ていねいな物腰の修道女は、オルソラ=アクィナス。元ローマ正教の人間で魔道書まどうしょの解読を得意としていたはずだが、気がつけば情報解析や鑑識かんしき関連の仕事でペアを組まされる羽目になっていた。
 オルソラはシェリーの事情を知ってか知らずか、とりあえずサラリと口に含めそうな、野菜中心のサンドイッチを一通り持って来たらしく、
「これから忙しくなりそうでございますし。食べられる時に食べておく事も重要なのでございますよ。スタミナの有無が勝負を分ける事もあるみたいでございますからね」
「……鬱陶うっとうしいわね。そんなつまんない条件で死んでみるのも私らしいだろ―――ぶごっ!? てめっ、にっこり笑顔でサンドイッチを口に押し付けんモガブゴ!!」
 ほとんど窒息ちっそくしそうになり、生命の危機を回避かいひするために仕方なく咀嚼そしゃくを始めるシェリー。
 オルソラはオルソラで、今度はサンドイッチの載った取り皿を丸ごとグイーッと押しつけながら、くすくすと微笑ほほえんでいる。
 シェリーは乱暴にサンドイッチをつかみ取りながら、
「……そういや、アンタは女子りょうを出るのが遅れたみたいだって話を聞いたんだけどよ」
「何かモタモタしている間に皆さん出て行ってしまったのでございますよ。最低限必要な荷物だけは持ち出すように、という話でしたのでございますけど、何やら予想以上の大荷物になってしまいまして」
「ハッ、アンタらしいわね」
 シェリーは表面上は鼻で笑った。
 しかしそこに、侮蔑ぶべつ嘲弄ちょうろうはなかった。彼女はほんの数秒だけ沈黙ちんもくし、それから改めてオルソラの顔を見直した。
「で、命がけで運び出した大荷物の中には、こいつも含まれていたって訳?」
 短い下草の上に座ったまま、シェリーは足で何かをった。
 それは大理石でできた子供の像だった。
 台座には『Ellisエリス』とある。
「あはは。バレてしまったのでございますか」
「余計な真似まねをしやがって……」
 シェリーは心の底から不機嫌ふきげんそうに息をいて、
「こんな失敗作、別に命をけて運び出すようなものでもないでしよ。……っつーか、いっその事消えてなくなっちまった方がすっきりすんのによ」
「まぁまぁ。別に、無理してすっきりしなくてもよろしいのではございませんか?」
「……、」
「未練を晴らす事は、死者を否定する事とは違うものでございますよ。過去を断ち切る、という言葉には語弊ごへいがあるとは思いませんか? 死者との思い出を大切にする人間には、新しい人生を歩み、新しい家庭を築く資格がないなどと、この世のだれが断言できるのでございましょう」
「……知ったような口を」
 シェリーは雑な調子でつぶやいたが、それ以上の文句は言わなかった。
 エリスの像の台座から足をどけ、ただ無言で失敗作の顔を見上げている。
 しばらく、音はなかった。
 これまでとは違う、優しい静寂だった。
「そうそうでございますよ」
「何だよ……?」
「シェリーさんのドレスも度重たびかさなる戦闘せんとうでボロボロになっているみたいでございますので、代わりとなる衣装を用意してきたのでございますよ。いやー、女子りょうから出てくる時にとにかく必要になりそうなものを片っぱしから運び出しておいて正解だったのでございます」
「別にこいつは私の趣味しゅみなんだから、ボロボロのままでも構わな―――べゴブゥ!?」
「じゃーん! 女神様ゴスメイドというらしいのでございますよ!!」
「ゴシックなめてんだろォォおおおおおおおお!! っつか、『何となく西洋っぽくて古そうな服』っていう以外に何の接点もないでしよォォがァァあああああああああああああ!!」
 あら? とオルソラは小首をかしげている。
 魔術師まじゅつしシェリーの珍しい反応……と思いきや、実はこの褐色のゴーレム使い、(特に戦闘中せんとうちゅうには)割と頻繁ひんぱんにテンションが上昇する人格の持ち主である。
 とはいえ、流石さすがのオルソラでも女神様ゴスメイドが不評らしい事は分かったらしい。彼女は両手で特殊なメイド服を広げたまま、困ったようにまゆを寄せると、
「おかしいのでございますね……。世界各地の文化圏へ浸透し、いち早く流行を取り入れる事で有名な天草式あまくさしきの皆さんが、先ほどから堕天使だてんしエロメイドやら大精霊だいせいれいチラメイドやらの話をしていましたので、とりめえず流行最前線なのは間違いなしなのでございますけど……」
「くっ、精神的ババァキャラの語る流行とか全くあてにならねえ!!」
「しかしこのまま捨ててしまうのももったいないのでございますし……。あら、ではこうしましょう。着る人がいないのでしたら、仕方がないので私が」
「おい待て、ちょっと待て!! やめなさい! テメェみてえな無自覚系の爆乳がそんなふざけたメイド服を着たらとんでもない事になるわよ!! オイやめ、馬鹿ばか―――ッ」

     11

 そんな『清教派』の野営地から一キロほどはなれた場所に、傭兵ようへいはいた。
 ウィリアム=オルウェルがたたずんでいるのは、乳牛用の家畜小屋やサイロなどが連なる酪農らくのう施設のそばだった。もっとも、農家の住居は別の場所に建てられているらしく、現在は完全に無人である。
 全長三・五メートル、重量二〇〇キロ以上の大剣アスカロンは複数の刃で構成された、見た目以上に繊細せんさいで複雑な得物えものだ。ウィリアムはそれらの機能を一つ一つチェックしていき、時には分解しながら調整を続けていく。
(……むしろ、剣より左肩の方が問題であるか。あれから多少は回復魔術をほどこしているが……)
 そんなウィリアムは、ふと顔を上げた。
 やみの向こうから聞こえてくる遠吠とおぼえに反応したおおかみのようだった。
 実際、その印象は間違いではない。
 彼は、遠方からやってくる魔術的な通信をとらえたのだ。
『聞こえているか、ウィリアム』
「……ふん。お互い、悪運の強さでも拮抗きっこうするのであるか」
 そっけない調子で言いながらも、傭兵はわずかに、自分でも気づかぬほど小さくくちびるゆるめる。
 聞き慣れた声は、騎士団長ナイトリーダーのものだった。
『カーテナ=オリジナルがロンドン市内で暴走したようだな。バッキンガム宮殿直下にある安全装置を応用した人為的暴走だったようだが……お前は関与しているか? まぁともかく、おかげで「騎士派きしは」の意志統一は瓦解がかい寸前だ。……とはいえ、それについては私自身の敗北も起因しているようだから、偉そうな事は言えないのだがな』
「あれはこの国がようする魔術まじゅつの専門家たち仕業しわざであろう」
 ウィリアムは一度分解したパーツを組み直し、一本の大剣を形作りながら、
「それから、貴様がここで戦線復帰すれば、『騎士派』全体の意志も固まるのではないか?」
『……、』
「迷っているか」
 傭兵ようへいは率直に言った。
「ならば皆の動きを眺めているが良い。いつまで時が待つかは分からぬが、軽率に命運を分けるよりかはマシであろう」
『その結果として、私が再び貴様の前に立つ事があった場合はどうするつもりだ』
「やる事は変わらん。同じようにたたき伏せるのみである」
『チッ。かなわんな』
 表情までは分からないが、騎士団長ナイトリーダーは苦笑しているようだった。
 ウィリアムは、ふとアスカロンの調子を確かめる手を止めて、
「確か、貴様の扱うソーロルムの術式は、自身の認識する武具の中から標的となる物を、一〇分間程度使い物にならなくするものであったな。それを使えばカーテナ=オリジナルをつぶす事もできるのではないのか?」
阿呆あほうが、何事にも例外はある。そもそも確実に国家元首を殺害させるに足る兵装を常備している騎士など不敬罪に当たって当然だ。術式の理論構築時に王室関係者を殺害できぬよう細工をほどこす事で、忠義を示すようにできているのだ』
「……第三王女を処刑用のおの斬首ざんしゅしようとした者の台詞せりふとは思えんのである」
『だからヴィリアン様には己の武器を使っていなかっただろう。あの方の首をねるには「普通の道具」を使わざるを得なかったという訳だ』
 いつの間にか、かつての軽口が戻っていたが、もはや騎士団長ナイトリーダーは気に留めなかった。彼はそのまま言葉を続ける。
『これから死地へ向かうであろうお前に、一つだけ忠告をしておく』
「何であるか」
『先ほどの戦いで、お前は一度だけこう懸念けねんしたな。私の秘める最大級の一撃いちげきは、「切断威力」「武具重量」「耐久硬度」「移動速度」「射程距離」「専門用途」「的確精度」……それら全てを兼ね備えた、回避かいひも防御も反撃も許さぬ必殺であると。……実際、私が一度に操れる「パターン」は一つしかなく、複数同時に操る事はできなかったのだが』
 騎士団長ナイトリーダーは、そこで一度だけ言葉を切った。
 それから、意を決するように彼はこう言った。
『第二王女キャーリサ様とカーテナ=オリジナルは、おそらくその一撃いちげきを実現するぞ』
「……、」
『本気で打倒するつもりなら、備えておけ。「実はその強さにはトリックがあった」「弱点さえ見つければ状況はひっくり返る」……そんな過小評価で乗り切れるような方ではないからな』
「敵が何であれ、私のやるべき事は変わらん」
 ウィリアムは返答までに、一瞬いっしゅんも迷わなかった。
 必要以上の言葉を語らぬ男は、己の言葉で己を鼓舞する事すら行おうとしない。
騒乱そうらんの元凶は断ち切らせてもらう。ただしカーテナを手放す事で命を奪わずとも済むのなら、それもまた選択肢の一つではあろう」
 ウィリアム=オルウェルも、後方のアックアも、その行動の指針にはわずかな差異もない。
 かつて幻想殺しの少年を襲撃しゅうげきした時も、現状と同じ。騒乱の中心である(と思われた)右手を粉砕する事で少年を一般の生活に戻し、同時に世界中で起こる科学と魔術の争いを止められるのでは、と思ったまでである。
『どこでだれと剣を取るかは分からぬが、会えるとすればまた会おう』
「うむ。いずれの場合にしても、全力を尽くす事は同―――ぬうッッッ!?」
 そこで、無駄口むだぐちを省く男がめずらしく無意味なうめき声を上げた。
 むしろ緊張きんちょうしたのは騎士団長ナイトリーダーの方だ。
『どうした、敵襲か!?』
「(……いかん。第三王女がこちらの気配に勘付き、接近して来ているのである! どうやら魔術的な運び屋も協力しているらしい。確実にこちらに向かっているのである!!)」
 ウィリアムは小声で言いながら、大剣を分離するための工具を片付け、アスカロンの根元にある運搬うんぱん用肩当てに体を押し当ててかつぎ上げる。
「(……つい先ほどこっ恥ずかしい台詞せりふいたばかりである! 精神安定作用を期待したとはいえ、やはり不慣れな事は控えるべきであったか!!)」
 いや、良く分からんがお前は大概たいがい恥ずかしい事を言っているよ、という騎士団長ナイトリーダーの言葉を無視して、傭兵ようへいはそそくさとその場を後にする。

 各々おのおの晩餐ばんさんは終わる。
 後に待つのは英国の命運を分ける一つの戦争。
 敵味方双方の生死すら保証のできない本物のたたかいに。
 しかし彼らは、自然とつどう。

   行間 四

 ようやくロンドン近郊までやってきた女王エリザードだったが、軍馬の方がスタミナ的にへばってしまった。もっとも、慣れないアスファルトの道路を五〇キロ近くも走破したというのだから、馬にしてみれば上出来な方だろう。
「いや、本当にすまんなぁ。さっきから迷惑をかけっ放しだ。もしも私が政権を取り戻す事ができた時には、世界で初めて勲章くんしょうを与えられた馬にしてやりたいぐらいだ」
 気遣きづかわしげに言うエリザードの両手には、水の入ったバケツがある。ここは平原だが、ちょっと先に進んだ所は人工の牧草地になっていた。そこの廐舎きゅうしゃの水道から失敬してきたのだ。
 ちなみに軍馬の方は『何を言いますか! 行けます、まだまだ全然行けますって!!』と首をロンドンの方角へと向けようとしているが、流石さすがにここは休ませなければ後がたない。女王は多少強引な手つきで手綱たづなを握ると。強引に首を下に向けさせ、水を飲ませてやる事にする。
 多少興奮こうふん気味の軍馬だったが、水がのどを通ると疲れを自覚してきたのか、ブルルとうなった後に四本脚をたたんで地面に座り込んだ。そのままの体勢で、アスファルトの横に生えた短い下草をむしゃむしゃと食べ始める。
(……本当に、皆には迷惑をかけているな)
 この軍馬だけではない、イギリス中で戦っている者たちを思い。女王はわずかに目を細める。
 彼女はカーテナ=セカンドに目をやって、
(……こいつの力を全開にして突っ走った方が早い気もするが、あれは長時間は避けたいしな)
 と、
「ふっ、ふひぃ~。やはり軍馬というのは慣れぬと疲れたるのよー」
 しんみりしたムードをたたこわ台詞せりふを発しているのは、中腰で腰の辺りを押さえている金髪の女、ローラ=スチュアートだ。
 エリザードは先ほどとは打って変わって軽蔑けいべつした視線を向けると、
「軟弱だな。そもそもお前が軍馬のリズムに合わせて体を動かさないから、こいつが余計にスタミナを消耗しているんだろうが」
 ギスギスした口調に反応したのか、軍馬の方が牧車を食べる口を止めて、エリザードの方に首を向けた。その優しげなひとみは『まぁまぁ。人や物を運ぶのがおれの仕事ですから』とでも言いたげな感じである。
(まったく、馬の方がよほど有能に見えるな)
 その時だった。
 ガサリという物音を、エリザードは聞いた。
 鋭く視線を走らせると、そちらには一っの人影があった。
「あらまぁ、食欲旺盛おうせいなお馬さん。こちらの人参にんじんなどはお一ついかが?」
 しっとりとした妙齢の女の声がエリザードの耳を打った。
 ほとんど力を失ったカーテナ=セカンドを手に振り返った女王は、そこで力を抜く。
「リメエアか?」
「はい。第一王女のリメエアよ、お母様」
 オレンジ色の人参を片手に持ったまま、片眼鏡の王女はニヤリと笑みを浮かべる。
 エリザードは実の娘の顔を見て、怪訝けげんな顔になった。
「こんな所で何をしている?」
「あら。これでも一応、お母様を待っていたのだけど。『騎士派きしは』の通信を傍受した限り、お母様たちが消息を絶った地点からロンドンを目指すとすれば、このルートを通る可能性が最も高いと判断できたものだから」
「……用件は何だ? お前の事だから、容易に私と手を組もうという訳でもあるまい。むしろ、私を叩き伏せてカーテナ=セカンドを奪い、そこからキャーリサ攻略の足掛かりを構築するといった方がお前の思考パターンとしては妥当だとうだな」
「ま、一時はその作戦もちょっと考えたのだけど……大部分の力を失ったとはいえ、カーテナ=セカンドと真正面から戦うのも面倒そうなのよね。『頭脳』の私としては、もう少しスマートな役割にてっしたいという訳よ、お母様」
「……足元にゴツい霊装れいそうをゴロゴロ転がしてある娘から意味深な笑顔と共に言われてもな。それと、そっちの茂みから伸びているワイヤーはクレイモア地雷だろう。一般車も通るかもしれんから撤去てっきょしておけよ」
 エリザードが適当な調子で指摘すると、リメエアは軽く舌を出しながら道路を横切るように張られたワイヤーを取り外す。
「よいしょっと。ところで、お馬さんは人参が好物だという話は本当かしら?」
「……草食動物だから食うには食うが、別段そればかりを好んで食べるという訳でもないぞ。こいつの主食は牧草だ」
「おや。山羊やぎは紙を食べない、というのと似たようなオチだったのね。ごめんなさい」
 リメエアは人参を引っ込めようとしたが、軍馬の方は『何で? もらえるもんは全部食べますよ?』とばかりに首を伸ばしてオレンジ色の野菜をかぷっとくわえる。
 よしよしー、と笑顔で馬の頭をでるリメエアに、エリザードはあきれたような顔になる。
「お前は本当に、権力や権益を伴わぬ相手に対しては素直な表情になるんだな」
「当たり前でしょう、お母様。私は私を知る者に私の信頼しんらいを預けるつもりはないわ。私は私を第一王女と知らなくても親切に接してくれる者達こそを信頼したいもの」
「……それもまた統治者として大切な事の一つであるのは認めるが……ええい、何で私の娘たちはこう色々と極端きょくたんなんだ。長女は策をろうし過ぎて人間不信になるし、次女は戦う事に夢中で周りまで巻き込みまくるし、三女は他人に気をつかうあまり自分の意見を持たなくなるし……」
 くしゃくしゃっと前髪をむしるエリザード。
 言われたリメエアの方は、口元に力のないうすら笑いを浮かべながら、
「あら心外ね、説教できるような立場かしら。そもそも放任主義かつ超スパルタなお母様の教育方針にも問題があるのではなくて? 特にヴィリアンなんて、その気になれば不自由ない生活を提供できたでしょうに」
「何を言う。パーソナリティの確立は自らの手で行わなければ依存を招くだけだ。特にヴィリアンの『人徳』は、ちょっとひねくれると他力本願に傾きかねないから、安易な救いは厳禁だ。だから長期的に見れば私のやり方に間違いはない。私はお前達と違って良識派だからな」
「まぁ。一〇年前にヴィリアンをおとりに差し出して南米を手に入れようとしたやからが出てきた時に、カーテナ=セカンドを振り回して『王室派』で執政気取りだった政治屋達を片っぱしからなぐり倒していたのはどこのどなただったかしら」
「よっ、余計な事を言うんじゃない。あれもあれで親として必要な行動だった」
 エリザードは否定するように言ったが、その辺でぐにゃぐにゃしているローラも『……いや、あれはかように甘っちょろきものじゃなりぬだったわよ』とボソリとつぶやいている。
「そうそう。極瑞と言えば、今回はキャーリサの方もかなりとがった方法に出たものね」
「……やはり、お前もキャーリサのねらいはカーテナの『機能拡大』にあると思うか?」
 でしょうね、とリメエアはうなずいた。
「カーテナ=オリジナルは英国内部でのみ、天使長『神の如き者ミ カ エ ル』を国家元首に当てはめる霊装れいそう。でも、もしも英国の外に出てもカーテナの効果を発揮できるとしたら、イギリスの女王様はヨーロッパ全土を蹂躙じゅうりんする人災そのものと化すでしょうね。……たった一人で水爆よりも黒死病こくしびょうよりも甚大じんだいな死者を生む、人為的に策定された天罰てんばつの実行者として」
「あの剣はイギリスを構成する四文化の地理的条件を組み込んだ巨大術式を制御する指揮棒のようなもの。『騎士派きしは』は全勢力を使ってイギリス本土の防戦にてっし、その間にカーテナを手にしたキャーリサが一人でヨーロッパを粉砕する。……確かに、その方法なら何とかなるかもしれんな。何しろ、カーテナ=オリジナルの力を完全解放できた場合、人類の魔術まじゅつでは傷一つつける事もできないかもしれないんだし」
 もしもそれが実現した場合、本物の天使か、あるいは魔神まじんでも出てこない限り、キャーリサと拮抗きっこうするのは難しいだろう。
「……でも、本当にそれだけかしら」
「なに?」
「スコットランド地方のエジンバラ……キャーリサの使い捨ての手足として動いていた『新たなる光』の活動拠点に、密偵を放っていまして。ふふ、『確証が持てるまでは話せない』っていうベタな台詞せりふを口にするのは、やはり頭脳派の特権でしょう?」
 密偵、という言葉を使っているものの、それは英国王室御用達ごようたし魔術師まじゅつしや、軍の諜報員ちょうほういんという訳ではないだろう。リメエアは、そういった権力構造の中にあるプロやエリートを特にきらう。おそらくエジンバラで活動しているのは、第一王女リメエアが頻繁ひんぱんに宮殿を抜け出し、『王女ではない顔』のまま、何の権力も使わずに己の手できずなを構築した仲間たちを差しているのだ。
(この自力で頑張る自立心や独立心は三姉妹の中でも最優良なのだが……根底にあるのが人間不信でなければ……。やはり、手放しでは喜べんのがあれなんだよなぁ)
 はぁ、とエリザードはため息をつく。
 と、リメエアが続けて軍馬に新たな人参にんじんを与えているのを女王は怪訝けげんな目で見て。
「おい。その食材は一体どこから手に入れてきたんだ」
「あらご存知ない? つい先ほどまで、この辺りで『清教派』の残存勢力が結集して最後の晩餐ばんさんを催していたというのに。どうやら戦闘せんとうに必要のない機材や食器などはここに置いておいて、勝てる事ができたら回収に戻ってくるつもりだったみたいね」
「なっ」
大丈夫だいじょうぶよ。残っている食材や食品に関しては、一通りペットに『味見』させてあるから。少なくとも、食べて困るような物は含まれていないわ」
 チチチッと第一王女が舌で小さな音を立てる。それは彼女がいつも可愛かわいがっている小型の室内犬を呼ぶ時のサインだ。
 が、リメエアが合図を送っても、一向にペットがやってくる様子はない。
『?』と第一王女が辺りへ視線を走らせると、何やら扉のこわれた小さなケージから飛び出した三毛猫みけねこと室内犬が超至近距離きょりにらみ合い、『何だテメェは!?』『ここは我が国の領土だ!!』と低いうなりり声を放っている。
「まぁまぁ可愛い三毛猫さん。アジアの種にも以前から興味はあったけど、実際に見てみると予想以上に愛らしいものね」
 リメエアは完全無警戒の子供のような笑みで三毛猫を抱き上げ、室内犬が『おいちょっと! 命がけでその人参を「味見」してんのはおれでしょうが!!』とキャンキャンわめいている。
 だが、女王エリザードが気にかけているのはそこではない。
「くそう!! ついさっきまでそんなオイシイ事をやっていただとう!? これはあれだ、おそらくポケットの中から恋人の写真などを取り出して、『俺、この戦いが終わったら結婚するんだぜ』的なあれこれがあったんだろう!! おのれ……私はこう今一番熱い所を見逃してしまう運命なのか!?」
「何だか皆で鼻息荒げてロンドンの中心部へ向かって行ったようだけど?」
「しかも置いてきぼりかよ!! ち、ちくしょう。行けるか馬! 私はこれから大至急ロンドンへ向かわなければならん!!」
 あいよ、やっぱ女王はそうでなくっちゃ、と軍馬は四本脚を伸ばして起き上がる。
 エリザードは軽やかに軍馬へ飛び乗り、相変わらずグニャグニャしているローラ=スチュアートを片腕でつかんで馬の後部に乗せながら、
「おい。例の『旗』の準備はどうなっている?」
「五分五分なりしといった所かしらね。モノ自体は大英だいえい博物館の一般展示品の中にまぎれさせたるから、あれが霊装れいそうである事まで気づきたる者は少ない。後は博物館所属のチャールズ=コンダーが期待通りの働きをしてくれたれば、何とか使い物になりけるかもね」
「一般の社会人か。『騎士派きしは』に動きを察知されれば命にかかわるというのに……この国の紳士たちには敬意を払わねばならんな」
 そこまで言うと、エリザードはわずかに沈黙ちんもくした。
 心の中で、思う。
 この野営地で準備を固め、ロンドンへ向かった者達の事を。また、魔術まじゅつを扱えなくても命懸いのちがけで協力してくれる協力者達の事を。
(……ふん。『カーテナの権限を「外」でも扱えるようになる』だの『天使長のポジションを利用してほぼ無敵と化したキャーリサがヨーロッパを蹂躙じゅうりんする』というのも問題だが)
 女王の顔色は変わる。
 ロンドンの方角を見たエリザードの表情が、険しいものになっていく。
(カーテナ=オリジナルを手にしたキャーリサは、すでにイギリス国内ならその力を発揮できるという事実を忘れているのか。これからお前達が戦うのは、たった一人でヨーロッパを滅ぼしかねないほどの、水爆よりも恐ろしい人災そのものなんだぞ!!)
「まったく!英国の行く末のためとはいえ、ろくに切り札も持たんまま気合と根性だけで最終戦に臨みやがって、あの馬鹿ばかども! 勝手にくたばったら承知せんぞ!!」
「うふふ。口調の割に結構うれしそうね、お母様」

第七章 王女と女王の素敵な悪党 Curtana_Original.

     1

 午前三時。
 上条かみじょうは『清教派』のメンバーたちと共に、ロンドンへ突入した。
 とは言っても、今回ばかりは馬鹿正直に徒歩では移動しない。迅速じんそくにバッキンガム宮殿へ向かうため、彼らは二〇台以上の大型トラックに分乗している。
 ロンドンに入った今も、一度も検問らしい検問はなかったのだが、上条にはそれが逆に不気味だった。『騎士派きしは』はおろか、警察や軍を利用したものすらない。そうした検問を突破するための術式を用意していた新生天草式あまくさしき五和いつわ達もまゆをひそめているようだった。
『「騎士派」の検問がないのは、戦力をバッキンガム宮殿に集結させているせいでしょうか』などと神裂かんざき危惧きぐしていたが、考えても答えが出ない以上は拘泥こうでいしても仕方がない。今は本陣にぶつかる前に戦力を削られなくて良かった、と思うしかない。
 ほろのない荷台に座っている上条の顔を、冷たい秋風がたたく。
 なまじ完全に制圧されているためか、ロンドンの大通りにはほかに人や車などはない。そのため、上条達の乗るトラックも法定速度を無視していた。制圧時にあわてて逃げたせいか、無人の自動車が車道の真ん中に放置されている事もあるらしく。時折トラックがうねるように蛇行だこうし、上条達の体を大きく揺らす。
 上条は、同乗している『清教派』の面子メンツの顔を、こっそりと見た。
 彼らはだれが政権を握るか、といった事にはあまり興味がないらしい。誰の下で国の舵取かじとりが行われようが、イギリスの住人さえ普通に暮らしていければ問題ないそうだ。ただし、逆に言えば、誰が指導者になろうとも、軍を使った虐殺ぎゃくさつ行為が公然と許される新体制の構築を、『清教派』は許さない。だからこそ、キャーリサと戦う決意に揺らぎはないのだ。
 迷える子羊に、救いの手を差し伸べる事。
 そういう意味では、『清教派』の目的は実に明快だろう。
「最後の確認をします」
 同乗している紳裂が口を開いた。
「我々の目的は、一刻も早くバッキンガム宮殿に急行し、クーデター首謀者しゅぼうしゃであるキャーリサを抑える事。その一番手っ取り早い方法として、彼女の持つカーテナ=オリジナルの破壊はかいを提案します」
「……確か、『騎士派きしは』は騎士団長ナイトリーダーを失って、そこにカーテナまで暴走したおかげで、ホントに第二王女の実力を信じられるかどうか、自信が揺らいでいるんだっけか?」
 いまいちピンとこない上条かみじょう
 しかし、近くでお上品に腰掛けている第三王女ヴィリアンはうなずいた。
『……カーテナ=オリジナルは、彼らが掲げるクーデターの象徴そのものです。それを目の前で砕かれれば、『騎士派』の心も折れるでしょう。姉君の怪物のような力は、カーテナによって支えられたもの。剣を失えば、ただの人に戻ってしまう訳ですからね」
「核ミサイルによって、国を変えようとするテロリストがいたとしましょう」
 神裂かんざきは極めて物騒ぶっそうたとえ話を持ち出した。
「計画の中心にある核を失って、なおその計画をそのまま続行しようとする者がいますか?」
「まぁ、そりゃそうだけど……」
 言いよどむ上条。
 と、横からインデックスがこんな事を言った。
「カーテナ一本でクーデターは終わる。でも、口で言うほど簡単じゃないかも。何しろ『全英大陸』の中において、カーテナ=オリジナルを持つ国家元首は天使長『神の如き者ミ カ エ ル』として、人間ではありえないレベルの力を振るえるんだからね」
「……確かに。残存勢力を結集しても、正攻法であの剣を折るのは難しいかもしれませんね」
 神裂の言葉には、どこか口先以上の重さがある。
 それは実際に、ミーシャ=クロイツェフという天使と戦った経験があるからか。
「ですので、規格外の敵に対しては、規格外の人材にたよる事にしましょう」
「や、やっぱ、そうなるのか」
 正面から見据えられ、上条はわずかにたじろぐ。
「確かに、おれの右手なら『魔術まじゅつを使った物品』っつーだけで、カーテナだろうが何だろうが片っぱしからぶっこわせるかもしれない。でも、今のキャーリサって神裂とかアックアより強いかもしれないんだろ。あんなものすごい速度でビュンビュン飛び回られたら、触る事ももできないぞ」
「ええ。分かっていますよ。元より普通の高校生に、聖人以上の戦いについて来いとは言いません」
 神裂は頷く。
「ですので、あなたは『ゆっくりと動く高威力の移動砲台』として使わせていただきます。仮にキャーリサが高速機動で翻弄ほんろうする方向で攻めてきた場合……新生天草式あまくさしきと聖人の私が速度で対応し、どうにかして、あなたのいる方向へ強引にはじき飛ばします」
『清教派』の残存勢力には、新生天草式のほかにも、元アニェーゼ部隊やシェリーのように独立した魔術師も存在する。しかし、やはり速度という問題では『聖人』を軸に据えた新生天草式が最もすぐれているのだろう。
 後は、速度に特化した新生天草式あまくさしきと、その他のメンバーが放つ遠距離えんきょり攻撃こうげきや補助的魔術まじゅつがどこまで連携を成功させられるかで勝負が決まる。
「難しく考える必要はありませんよ」
 わずかにだまった上条かみじょうに、神裂かんざきは言った。
「最後まで生き残ってください。それがあなたに与えられた、一番大きな役割です」
 それは全員に共通する役割だろう。
 だれ一人欠ける事なく終わらせる。
 上条当麻とうまは、自分の右手に視線を落としながら、改めてそれを確認する。
「……それにしても、大丈夫なのか? なんだかんだで五〇〇人以上の大移動だろ。さっきから『騎士派きしは』が一人も出てこないのが逆に気になるし。この街を制圧しているキャーリサの方に気づかれたら……」
「ええ。今頃いまごろは察知されているでしょうね。このままではバッキンガム宮殿に到着する前に、大規模な交戦が始まるでしょう」
 神裂はサラリと肯定した。
 ギョッとする上条に、続けて彼女はこう言った。
「ですが、たとえ察知されたとしても、具体的な迎撃策を実行できなければ問題はありません」
「?」
 上条がまゆをひそめると、何故なぜか神裂は自分の片耳に人差し指を差し込むようなジェスチャーを示し、
「始まりますよ。耳をふさいでおいた方が賢明でしょう」

     2

 大西洋。
 アイレイ島からさらに北西へ移動した空中要塞ようさいカヴン=コンパスは、イギリスの国境のギリギリ外側の海上で待機していた。
 イギリスの外側まで出た事によって、カーテナと『全英大陸』の追加補助を受けた『騎士派』の猛攻は一時的に中断されていた。
 巨大な円盤状の要塞の各所から黒い煙が立ち上り、姿勢制御用の霊装れいそうにもダメージが入っているせいか、カヴン=コンパスは全体的に斜めにかしいでいる。それでも、要塞は物理法則を無視して、いまだに宙に浮かんでいた。主要機関はまだ動く。
 深夜の黒い海には、鋼鉄でできた島のような物が浮いていた。
 こちらは『騎士派』が用意した海上要塞だったが、カヴン=コンパスと違って完全に航行機能を破壊はかいされて、ほぼ沈みかけていた。『清教派』の魔女達まじょたちは一矢むくいたと言って良いだろう。
 黒煙を上げるカヴン=コンパスを守る魔女達まじょたちと、それを攻め落とそうとする騎士きし達のにらみ合いは続いていた。
 国境の外に出て、通常通りの力に戻った『騎士派』の数名は、ほうきに乗った魔女の手で撃墜げきついされている。暗い海面を見れば、今もストロボ状の救難信号を放つ救助待ちの敗北者がいくつも揺れていた。
 国境の外は魔女、国境の内は騎士。
 人の決めた見えないラインをへだてて拮抗きっこうする両勢力。
 そんな中で、魔女の一人であるスマートヴェリーは、国境の向こう側から断続的に飛んでくる遠距離えんきょり用の術式に注意しながら、通信用の霊装れいそうに意識を傾けていた。
 オペレーターからの声が届く。
『―――バッキンガム宮殿に向けての大規模閃光せんこう砲撃、準備開始。所定の魔女は射線から逃れ、大規模術式の準備及び発射時にかき乱される大気の流れに箒の制御を奪われぬよう、細心の注意を払ってください』
 事務的な言葉を聞いて、スマートヴェリーは思わず口笛を吹いた。
「直線距難で五〇〇キロオーバー……設計上想定している最大射程の一・五倍以上の距離。しかも今回は直接攻撃だから、中継ポイントを使った魔力の誘導ゆうどうも使えないしねー」
 スマートヴェリーの口調はのんびりしたものだ。
「おまけに途中にはマン島の遺跡とか『干渉』を起こしそうな物も乱立しているって状況で、よくもまぁ頭の固い連中が承認したものねー」
 思わずつぶやくと、別の通信ラインから同僚どうりょうの魔女が口を挟んできた。
『私としては、むしろバッキンガム宮殿に砲口を向ける許可が下りた方が信じられないがな』
「面倒な手続きに関しては、第三王女が『王室派』の権限を使ってゴリ押ししたみたいだけどねー。ま、こういう時は思い切りの良い権力者に感謝するしかないっしょー」
『……思い切りの良い権力者という意味では、クーデター首謀者しゅぼうしゃの第二王女も似たようなものだがな』
「その辺、意外に似た者同士かもしんないよ? 方向性はズレてるけどさー」
 と、魔女達の会話が途切れた。
 通信用の霊装が、ガリガリガリガリ!! とノイズのような異音を発する。同時、スマートヴェリーの箒もグラリと揺れた。彼女があわてて制御を取り戻すと、通信用霊装の方からも同僚のおどろいた声が飛んできた。
『ジ、ジ……始まっ、たか……ッ!?』
 自然界にはありえないほど真っ白な光が、大西洋の暗い海からやみを払う。
 カヴン=コンパス上面。円盤状の空中要塞ようさいの中心から。上方二〇メートル辺りにある空中の一点に、純白の球体が生じていた。大規模神殿が作り出す強大なエネルギーが辺りの空気を膨張ぼうちょうさせ、気圧の変化を生み、あらしのような暴風を生み出している。魔女まじょの空母としても機能するカヴン=コンパスのもう一つの切り札が起動しようとしているのだ。
 下面の空母と、上面の砲撃ほうげき
 実に巨大要塞ようさいの半分もの力と役割を持つ大規模閃光せんこう砲撃の矛先ほこさきが、イギリスという王国の首都に向けてギリギリギリギリと合わせられる。
『ザザ、発射に合わせ……て、「騎士きし」から……ガガガ……妨害が入、ると思……うか?』
「多少はあると思うけど、捨て身で射線に飛び込むような勇者様バカまでは現れないかなー? 大体。それをやる度胸があるなら、国境を割って全軍まとめて攻め込んできそうだしねー」
 いや、騎士団長ナイトリーダーが健在だったころなら、それもあったかもしれない。
 エリザードが統治していた頃ならば、喜んで実行した者もいただろう。
(……やっぱり、この辺が暴力の限界かねー。新女王のキャーリサ様)
 動かぬ『騎士派』を眺めながら、スマートヴェリーはわずかにせせら笑う。
 そんな彼女の耳に、オペレーターから通信が入る。
『―――砲撃開始。バッキンガム宮殿を破壊はかいします!!』

     3

 ゴッ!! という爆音が、辺りのビルの窓ガラスをまとめて砕いた。
 高速で動く大型トラックの直上、ロンドンの夜空を、直径五メートル以上の太い光の柱が突っ切っていく。
 両手で耳をふさいでいても、体の平衡へいこう感覚をひっくり返すような衝撃波しょうげきはが、上条かみじょうの脳の奥までふるわせてきた。運転手の五和いつわ轟音ごうおんおどろいたせいか、あるいはトラックそのものが物理的に揺さぶられたのか、巨大な車体が不自然に横滑よこすべりする。
 砲撃は一度ではない。
 二度、三度と……数秒の間隔かんかくを置いて、次から次へとバッキンガム宮殿の方角へ向かって発射されていく。
 爆音に負けないように、上条は目の前の神裂かんざきに対して全力で声を張り上げた。
「お前……ッ!? 察知されても迎撃策を実行できなければって、こういう事だったのかよ!?」
「ええ、キャーリサ側には砲撃の防御にてっしていただければ、その間に我々が戦場へ駆けつける事も可能となります。遠距離えんきょりからの砲撃支援は、上陸戦の基本ですよ」
神裂はこの轟音にも表情を変えず、平然とした顔でそう言った。
 さらに続けて、別の方角から追加の砲撃ほうげきがバッキンガム宮殿をおそう。今度は星空や夜景を裂くような、細く鋭い漆黒しっこくやみのようなものだ。ただし、多い。一〇〇から二〇〇もの弾幕が、弧を描きながらまとめて宮殿のあるエリアへ突き刺さっていく。
要塞ようさいって、一つじゃねえのか!?」
「あれはドーバーの海底を航行中の、セルキー=アクアリウムでしょうね。『騎士派きしは』の猛攻に耐え、活動可能な状態を維持しているのはセルキー1、2、4、5の四せきと聞いていますが。3、8は活動可能ではあるものの、キャーリサ率いる『騎士派』や英海軍と応戦するために専念しているようです」
 どうやら人魚みたいに水中活動する魔術師まじゅつしたちのための、潜水せんすい型の母艦ぼかんのようなものがあるらしい。イギリス―フランス間の国境で決定的な動きがあった際、すみやかに行動するために待機させていたものを、ここに来て砲撃支援に回してきたようだ。
(いや、デカい攻撃で協力してくれるのはありがたいんだけど)
「……正直、あんな状態のバッキンガム宮殿に入ったら、マジで死ぬかもよ?」
「むしろ、あれだけの大規模砲撃を使っても、キャーリサが倒れない現実を留意した方が良いでしょう。これから我々が刃を打ち合わせる相手は、そのレベルの強敵という訳ですから」
 怪物どもめ、と思わず上条かみじょうき捨ててしまった。
 戦艦の主砲みたいなもので集中砲火しても倒れない相手に、ド素人しろうとこぶし一っで突っ込んでいくと言うのだから、我ながら無謀むぼうな戦場に向かっているものである。
「……しっかし、あんだけバカスカちまくって、周りに被害とか出てないだろうな」
「一応バッキンガム宮殿の周囲の区画は大きな公園になってたから、流れ弾については大丈夫だいじょうぶなんじゃないかな」
 インデックスが自分の完璧かんぺき記憶きおくと照らし合わせているのか、そんな事を答えた。
 神裂かんざきもインデックスの意見に賛同した上で、
「それに、おそらくキャーリサ側も住民を管理しやすいよう、人口を所定の位置へ誘導ゆうどうしているでしょう。ホテル、映画館、劇場、教会などに街中の人々を集めているという訳です。仮に民家に誤爆したとしても、ただちに犠牲者ぎせいしゃが出る可能性は低いですね」
 ……とはいえもちろん油断はできませんが、と神裂は予想外の悲劇まで視野に入れているような台詞せりふを告げる。
 ただ、その話だとやはりバッキンガム宮殿そのものは破壊はかいされてしまう可能性も高い。上条には建築物や美術品の価値は分からないが、あの宮殿の中にある物、そして宮殿そのものも、おそらく国宝の山になっているんだとは思う。
 そんな事を考えながら、上条はチラリと第三王女ヴィリアンの横顔を見たが、
「……構いません」
 彼女はしっかりとした口調で言った。
「ロンドンのみならず、イギリス全土で皆が痛みを分かち合っているのに、我々英国王室だけは無傷で済ましてほしいというのも虫の良い話です。……それで国中の騒乱そうらんが収まるのなら、あんな宮殿など微塵みじんにしてしまいましょう」
 上条かみじょうは、そんなヴィリアンの口調と表情に違和感を覚えた。
 出会ったばかりなので詳しい事は知らないが、どうも、バッキンガム宮殿でビクビクオドオドしていたころとは雰囲気ふんいきが変わっている気がする。
「気づかされたのです」
 少年の視線を受けたヴィリアンは、手元のボウガンの各部をチェックしながら口を開いた。ボウガンと言っても野暮やぼな金属製ではなく、王室の特注品なのか、バーカウンターに使われていそうな、飴色あめいろの光沢を放つ木製のものだ。取り付けられたスコープも、ダヴィンチの愛用品だと言われても信じてしまいそうな、アンティークな質感の品だった。
「何の魔術まじゅつも使えない使用人や料理人は、戦いを恐れる私を逃がすために、自ら窮地きゅうちに立ってくれました。あの傭兵ようへいもまた、私の身の安全を守るために、『騎士派きしは』の集団と戦ってくれました」
 ボウガンの全長は一メートルを超える大型のもので、女性の細腕で弦を引くのは難しそうだ。が、その事も考慮こうりょしているのか、ボウガンの下部にはポンプアクション式のショットガンにあるようなスライドがついていた。おそらく歯車や滑車かっしゃを利用して、簡単に弦を引けるようになっているのだろう。
「私が戦いから逃げる事で彼らを守れるのなら、私はどこへでも隠れましょう。ですが、もしもそんな事をしても彼らの窮地が変わらないのなら……後は戦う以外に道などありません」
 緑色のドレスの上から古い時代の狩人かりゅうどのように矢筒のべルトをたすき掛けにしたヴィリアンは、控え目ながらも強いしんのある視線を上条に返す。
「あなたの方は……どうなのですか? イギリスという国家の危機に命をけるほどの責務はないでしょうし、騒乱に巻き込まれた知り合いも、ひとまずは救出できた状態にあるはず。いわば安全地帯へ退避たいひしても問題はないはずなのに、何故なぜあなたは死地へと向かうのです?」
「……大層な理由なんかねえよ」
 上条は夜空を突っ切っていく純白の閃光せんこうを見上げながら、口を開く。
「そりゃ、できる事なら危ねえ所になんか行きたくねえよ。切り捨てられる程度のもんなら切り捨てちまいてえよ。このクーデターに巻き込まれた人間みんながみんな、シューテイングゲームの雑魚ざこキャラみたいに『ねらちされるためだけに生まれてきました』オンリーのペラッペラな連中だったら、俺だってあっさり見捨てて学園都市に帰る方法を探してるはずだ」
 彼はヴィリアンと違って、準備に必要な物などない。
 ただ、右のこぶしを握りめるだけで完了する。
「でも、違うんだろ」
 立て続けに起こる轟音ごうおんのせいで相手に聞こえていないかもしれないが、上条かみじょうは構わず続けた。
「そんなに分かりやすくて都合の良い人間なんか、どこにもいねえじゃねえか。みんなそれぞれ死ぬほど重いものを抱えて、そいつを失わないように走り回ってんだろうが。……だったら、そう簡単に切り捨てられるかよ。大それた理由とか責務の問題じゃない。立ち上がりたいと思ったら、もう立ち上がっても良いと思うぞ」
 ヴィリアンは、しばらく上条の顔を見ていた。
 やがて彼女はこう言った。
「……自身の中に完成された主義や思想はなくとも、その場その場で皆の声を聞き、どんな状況であっても最良の選択を採るための手段を惜しまない……」
「?」
「あなたは……ウィリアムとはまた違った種類の、傭兵ようへいなのですね」
 うぃりあむ? と上条は聞き返そうとした。
 しかし、その前に異変が起こった。
 バタタタタタタタタ!! という風を切る連続的な音が、彼らの頭上からひびき渡ったのだ。
(ヘリ……!?)
 上条は最初そう思ったが、それは間違いだった。
 白。
 未完成のプラモデルのように色の欠けた巨大な物質があった。扇型の巨大な物体が、高速で回転する事で浮力を得ている。
 サイズは半径五〇メートル、扇の角度は九〇度ほど。
 馬鹿ばかげた大きさの構造物の色彩に、上条は見覚えがめる。
「……カーテナ=オリジナルが生み出す、全次元切断の残骸ざんがいか……ッ!?」
 彼が叫んだ直後だった。
 水平状態を維持したまま高速回転していた巨大な扇が、カクン……と斜めにかしいだのだ。あっという間に浮力を失った回転物質は、まるでヘリコプターの墜落ついらくシーンにも似た挙動で地上目がけて落下してくる。
 そう、上条たちの乗る大型トラックをねらうように。
 材木を一瞬いっしゅんで切断する巨大な回転刃のように。
「くそっ。ここに来るまで検問がなかったのって、こういう目的があったからか!?」
『……ガガッ……しっかり捕まっていてください……ッ!!』
 運転席にいる五和いつわの声が、荷台にくくりつけられた無線機から響く。
 直後だった。
 下端かたんに軸を据える事で実質直径一〇〇メートルの回転刃になり、上空からおそいかかってくる構造物をけるため、大型トラックが後部を振り回す無茶むちゃな挙動で車線を変更した。回転刃は一気に二〇メートルほど地面へ沈むと、アスファルトどころか地中の地下鉄駅の構造物まで引きずり上げて辺り一面にばらいていく。
 かろうじて直撃ちょくげきけた。
 だが、衝撃しょうげきは大型トラックの横から来た。
 巨大な回転刃は地面とぶつかった事で軌道を変え、ビルの側面にぶつかり、地面の上を跳ね、不規則にうごめいていた。そのランダムに軸を変える回転刃の角が大型トラックの側面をとらえたのだ。
 横殴よこなぐりの一撃だった。
 一〇トン級の大型トラックが、一撃で車道から歩道を飛び越え、ビルの壁に直撃した。
「ぐああああっ!?」
 体中を走る重たい衝撃に、上条かみじょうは思わず声を張り上げる。
 とりあえず荷台から放り出される事はなかったが、トラック自体がくの字に折れ曲がっている。この状態で再び走り出すのは不可能だろう。
 そこへ、さらに凶報が訪れる。
 バタタッバタバタバタタタタタタタタタタタッ!! というヘリのローターのような轟音ごうおん
 一つではない。
 身を強張こわばらせた上条が恐る恐る頭上を見上げると、一〇〇メートルを超す扇型の回転刃が四つち五つもフリスビーのように飛んでくる。
「くっそ!! 逃げろ!!」
 上条が叫ぶまでもなく、荷台の上にいたメンバーは各々おのおのこわれた車道へ飛び降り、できるだけはなれようと走り出している。上条は痛む体を引きずり、もたもたしているインデックスの手を引っ張って、荷台を降りた。
 その時だった。
 密集して飛んでいた複数の回転刃同士が、それぞれ勝手に激突した。空中で互いをはじき返そうとする回転刃の群れは、ランダムであるがゆえに余計に避けづらい軌道を演出し、こちらに向かって墜落ついらくしてくる。
(―――ッ!!!???)
 もはや、声は出なかった。
 無数の刃がアスファルトを吹き飛ばし、ビルの壁面を容赦ようしゃなく崩した。つないでいたはずのインデックスの手が離れた……そう思った時、上条の体は空中に投げ出されていた。直撃自体は避けられたものの、めくれ上がったアスファルトと一緒いっしょに体を持ち上げられたのだ。
 受け身を取る余裕などなかった。
 硬い地面にたたきつけられ、上条の呼吸が止まりそうになる。
(げほっ!? く、そ……)
「イン、デックス……? 神裂かんざき五和いつわ!! ちくしょう、みんなは!?」
 着弾の衝撃しょうげき粉塵ふんじんが舞い上がり、視界を確保できない。上条はゲホゴホと不定期にき込みながら、辺りにひびくような大声でとにかく仲間の名前を叫ぶ。
 爆音だけが鼓膜に返る。
 浮力を得て、一定の速度で夜空を舞う回転刃と、遠方からおそいかかる太い光線とが激突し、空中で巨大な閃光せんこう炸裂さくれつしている。
 そんな絶望的な状況で、上条は弱々しい声を聞いた。
 聞き慣れた人物の言葉だ。
「こ、ちら……です」
「五和か!?」
「え、ええ」
 上条は駆け寄ろうとしたが、行き止まりだった。いや、厳密には裏路地への出入り口が、崩れたビルの壁によってふさがれている。その向こうから、瓦礫がれき隙間すきまうように声が飛んできているのだ。
「それより、ヴィリアン様を追ってもらえませんか? みんながバラバラになった直後、ヴィリアン様が一人でバッキンガム宮殿へ向かってしまったのを見たんです」
「ッ!?」
 上条は辺りを見回したが、ヴィリアンらしき人影はいない。まさか、本当に一人で先行してしまったのか。
(くそっ!!)
 上条は思わずバッキンガム宮殿の方へ目をやったが、そこで何かに気づき、改めて五和の方へ視線を戻した。すると、壁の向こうにいる五和は、わずかな音か、あるいは声の『間』から何かを察したのか、こんな事を言ってくる。
「あはは。生き埋めになっている訳ではないのでご心記なく。我々は路地を通って、別のルートからバッキンガム宮殿を目指します。あなたとすぐに合流するのは難しいでしょうから、宮殿で落ち合う事にしましょう」
「でも、おい、大丈夫だいじょうぶなのか? 本当に大丈夫なんだろうな!!」
「皆さんも、各々おのおの独自のルートからバッキンガム宮殿へ向かっているはずです。……とにかく、動いてください。一ヶ所にとどまっていては、ねらちにされるだけですから」
 それだけ言葉が続くと、瓦礫の向こうで走り去るような足音が聞こえた。どうやら本当に、五和は路地を通ってバッキンガム宮殿へ進もうとしているようだ。
ほかのみんなは……ッ!?)
 上条は辺りを見回す。
 いくつかの影が、大通りの先へ走っているのが見えた。ビルの屋上から屋上へ跳んでいるのは神裂かんざきか。彼女に抱えられているインデックスが、こちらに向けて何かを叫んでいるようだったが、上条かみじょうの耳までは届かない。
 見慣れた少女の顔に、とりあえずホッとした上条だったが……直後に、その顔が再び強張こわばる。ヴィリアンが引っ掛けたのか、近くの崩れたコンクリートのギザギザした断面に、緑色の布の破片があったのだ。乱暴に千切ちぎられた小さな布は、ひどく不吉な暗喩あんゆに見え……上条は根拠のない予感を振り切るように、あわてて首を横に振った。
 五和いつわの話では、ヴィリアンは一人で先に行ってしまった、という事だった。
 とにかく、バッキンガム宮殿まで走るしかない。
 直線距離で二キロもないはずだ。
 ただし、その二〇〇〇メートルは苦難と地獄の道のりと化した。
 ゴン!! という鈍い音が聞こえる。
 上条がハッと顔を上げた時には、直径二〇メートルを越える球体が落ちてくる所だった。色の欠けた、のっぺりとした白い球体。それは上条の行く手をはばむように一〇〇メートルほど前方に落下すると、不良然なほど深く沈む。おそらく地中の地下鉄の線路でもつぶしているのだろう。
 それでも、バウンドするような格好で球体はさらに浮かび上がる。
 車道に乗り捨てられた乗用車をみ潰し、爆破させ、ビルの壁面にたたきつけられ、反対方向へ転がり……まるで生き物のようにランダムな動きで上条の方へ向かってくる。
「ちっくしょう!!」
 上条はとっさに歩道に面したビルの壁に張り付いた。
 そこヘ二〇メートル級の巨大球体が突っ込んだ。
 軌道で言えばストレート。上条の体をローラーのように潰して地面にり付けていたであろうコースだ。
 だが、上条は即死せずに済んだ。
 四角い箱の中に、同じ直径の球体を収めた場合、角に隙間すきまができるはずだ。上条はビルの壁に貼り付く事で、その隙間の部分にもぐり込んだのだ。
 ただし、破壊はかいはそこで終わらない。
 上条の頭上―――巨大球体のめり込んだビルの壁が、ボロボロと崩れ落ちた。頭上から降り注ぐ大量の瓦礫がれきに巻き込まれぬよう、上条は全力で前へ前へと走り抜ける。地響じひびきのような音が鳴り響き、背中を叩くように粉塵ふんじんが追いかけてくる。
 休む暇などなかった。
 扇のような回転刃がいくつもおそいかかってきた。
 重心が偏っているのか、起き上がりこぼしのように不自然にうごめく巨大な柱が道路を砕いた。
 いくつものビルが倒壊とうかいし、上条の行く手を阻む。
(一つ一つの構造物自体は、それほど複雑な形はしていねえ……)
 がむしゃらに前へ走りながら、上条かみじょうは歯を食いしばる。
(でも、サイズがケタ違いすぎる! 本当に戦艦せんかん砲撃ほうげきみたいになってんじゃねえか!!)
 一発二発の『砲撃』を回避かいひする事に全力を注いでも安堵あんどはできない。一刻も早く距離きょりを詰めて『砲撃』そのものを止めなくては、上条やバラバラに行動しているほかの仲間たちの危機は終わらない。
 もしかしたら、ロンドン市内に『騎士派きしは』がいなかったり、他の住人が別の場所に軟禁されているのは、いつでもこの攻撃を行えるようにするための下準備だったのかもしれない。
 上条は瓦礫がれきと瓦礫の間にめる隙間すきまくぐり抜け、粉塵ふんじんのカーテンの中を突っ切り、崩れて地下鉄線路の見えている亀裂きれつを飛び越え、夜のロンドンをひたすら駆けていく。
 五和いつわは『ヴィリアンは先に行った』と言っていたが。走っても走っても一向に人影は見えない。本当にこんな激戦地を通ったのだろうか、という疑問まで浮かんでくるぐらいだ。
 そうこうしている間に、ようやくバッキンガム宮殿の敷地しきちが見えてきた。
 カヴン=コンパスやセルキー=アクアリウムからの魔術的まじゅつてきな爆撃の影響えいきょうか、公園を取り囲む大きなさくはねじ曲がり、吹き飛ばされ、緑色の短い芝生しばふおおわれた地面は巨人がゴルフクラブでミスショットをしたように、黒土が噴き上がり、クレーターを作り上げている。
 こわれた柵の残骸ざんがいの隙間をくぐり、上条は迷わず宮殿の敷地内へ飛び込んだ。
 そして、直後にゾッとした悪寒おかんおそわれた。
 理由もなく足が止まりそうになる。
 時刻は深夜三時過ぎだが、地面から装飾用ライトの光を浴びた宮殿は、深夜のやみの中でも白白しく浮かび上がっていた。遠方からの爆撃の影響か、宮殿の右側三分の一程度が瓦解がかいし、豪奢ごうしゃな内装がここからでも見える。なまじ現実味のないほど華美な建造物であるためか、悲惨ひさんさは消えていた。巨大なドールハウスの屋根や壁を取り外したようにも見える。
 そう。
 敷地内にみ込んだ上条当麻とうまにとって、半壊した宮殿は景色の中心にはならない。
 彼が見ているのは、宮殿の正面にある庭園。
 カーテナ=オリジナルが生み出したものだろう。全次元切断の余波として生まれる、白色の不可思議な巨大物体がいくつも突き刺さり、横倒しになったために、芝生もアスファルトもメチャクチャにめくれ上がっていた。
 そんな中に、二人の女性が立っていた。
 一人は第三王女ヴィリアン。
 絵本に出てくるお姫様のような、スカートの大きく広がった緑色のドレスを着た色白の肌に金髪の女性。両手で持っているのはかなり大型のボウガンだが、華奢きゃしゃな女性でも強い弦を引けるように、下部にショットガンのようなスライドの取り付けられているものだ。
 もう一人は第二王女キャーリサ。
 要所要所にレザーを織り交ぜた、赤いドレスの女。その手にあるのは刃も切っ先もない剣。何らかの方法で爆撃を防いだ過程でかぶったのか、そのほおには多少の黒土や泥があった。しかし、そこにみっともなさはない。己の汗と混じった泥は、彼女のすごみをより一層増している。
「ッ」
「―――」
 二人は何かを言い争っている―――というより、正確には一方的にヴィリアンがみついて、キャーリサは軽く受け流しているようだった。
 ヴィリアンは両手でボウガンを持っているものの、まだ弦を引いていないし、構えてもいない。まるで受賞式でトロフィーでも受け取るような、武器を武器として機能させられない持ち方だ。
 対して、キャーリサは刃も切っ先もない剣を持った手をダラリと下げているものの、その手には一切ふるえがなかった。筋肉はいつでも準備態勢を整えていて、今この瞬間しゅんかんにも跳ね上げるような一撃いちげきが飛んできそうな状況だった。
 それは両者のスタンスを示しているのか。
 あくまでも会話を前に押して武器をおろそかにするヴィリアンと、会話を雑に済ませて武器の扱いへ全神経を集中させるキャーリサ。
 なら、ここから起きる事は明白だ。
 上条かみじょうからでは二人が何を話しているかまでは分からなかったし、いちいちじっくり耳を傾けているだけの余裕は与えられなかった。
(あの馬鹿ばか……ッ!!)
 上条は全力で走り、ヴィリアンの背中からおおい被さるように突き飛ばす。
 直後、迷わずキャーリサのカーテナ=オリジナルが動いた。

 ゴバッ!! と。
 轟音ごうおんと共に、ついさっきまでヴィリアンのいた場所の全次元が切断される。

 全長一〇〇メートルにもわたって、不自然に白い物質が帯のように生み出された。整数で表現できる全次元を切断した、その『断面』としての三次元物質が、数瞬遅れてゴトンと地面に落ちていく。
 突然の事に目を白黒させているヴィリアンの上から起き上がりながら、上条当麻とうまは強大な敵をにらみつけた。
 英国第二王女。
 クーデターの首謀者しゅぼうしゃにして、三姉妹の中でも特に『軍事』の才を持つ姫君。
 そして、カーテナ=オリジナルと『全英大陸』を利用し、天使長の力を振るう者。
「キャーリサ!!」
「おめでとう、表彰モノのファインプレーだったぞ。ウチの弱腰な騎士きしどもに見せてやりたいぐらいだし。まったく、妹の『人徳』は思わぬ所で力を発揮するからあなどれないの」
 上条かみじょうの叫びに、キャーリサは平然とした顔で応じる。
 本来、やみの中から豪奢ごうしゃな宮殿を浮かび上がらせるためにある無数のライトの光が、第二王女に浴びせかけられている。そうであるのが当然だとばかりに、王女は光の中に君臨する。
 上条当麻とうまは、その全身から目をはなせない。
 美しさに起因するものではない。少しでも注意をらせばどうなるか。
 素人しろうとの少年でさえ、それを肌で感じる事ができた。
「ところで、他々ほかはどーしたの。お前の友軍は皆、瓦礫がれきの下か?」
「ッ!!」
 上条の顔が強張こわばったが、彼は最悪の想像を自ら振り切る。
 彼らは無事だ。必ずここへやってくる。今はそう思って行動するしかない。キャーリサの注意をこちらに引きつける事が、結果として巨大構造物による『砲撃ほうげき』を止め、彼らの危険を取り除く事にもつながるのだから。
 しかし、そんな上条の楽観的な希望を打ち消すように、カーテナ=オリジナルを肩でかついだキャーリサは、凶悪な笑みをさらに広げていく。
「だとすれば、意外に期待外れだったな、『清教派』も。わざわざ大それた準備をしてやった自分が馬鹿ばかみたいだし」
「準備……?」
 胸の内からき出たいやな予感を、そのまま口かららしたようにヴィリアンがつぶやく。
 直後だった。

 ゴッ!! と。
 上条たちの頭上を、何かとてつもなく巨大な物体が通過して行った。

 それはハンググライダーのようなフォルムの物体だった。
 ただし大きい。全幅が八〇メートル近くある。大型旅客機スカイバス365に匹敵する巨体は、一度上条達の頭上を通り過ぎた後、再び大きく弧を描いてこちらに機首を向ける。
「そんなにおどろいた顔をするな。移動要塞ようさいがカヴン=コンパスとセルキー=アクアリウムの二機種しかないとでも思ってたの? 大体、我々がイギリス国内の主要施設の大半を押さえた事ぐらいは知ってるだろう。特に、『騎士派』は直接的な戦闘せんとう行為のための霊装れいそうを大小無数に備えてるし。お前達を退屈させる事はないと思うぞ」
 笑うキャーリサの言葉をかき消すように、さらに複数の轟音ごうおん・爆音が夜空を引き裂く。先ほどと同じ、八〇メートル級のハンググライダーのような『要塞ようさい』が、二〇機近くバッキンガム宮殿上空をゆっくりと旋回していた。要所要所を補強する銀色の金属パーツが、まるでよろいかプロテクターのようにも見える。
 キャーリサのドレスと同じく真っ赤に染め上げられた『要塞』を眺め、第二王女は言う。
「攻城戦用移動要塞・グリフォン=スカイ」
 どんな攻撃こうげきを放ってくるか分からない移動要塞を見上げて絶句する上条かみじょうに、キャーリサの声だけが届く。
「地上の城塞じょうさいを攻撃するためのものだからスカイバス365のような高空は飛行できないし、無人式の霊装れいそうであるがゆえにカヴン=コンパスのよーな柔軟・応用性がないのが難ではあるが、連携戦闘せんとう行動は我が国の要塞の中でも随一ずいいちだし。愚鈍ぐどんだが従順。実に『軍事』の私好みのレイアウトだな」
(これが……全部)
 個人の戦闘のスケールを超えた光景に、上条はしばし呆然ぼうぜんとしていた。
(あのカヴン=コンパスと同列の移動要塞が、二〇機だって……ッ!?)
 視線を夜空から正面へ戻す。
 その上、本命のキャーリサにはカーテナ=オリジナルによる圧倒的な攻撃力があり、さらには『騎士派きしは』の軍勢すらどこかに控えているはずだ。
 いかに右手一発で剣を折れるとは言っても、この状況で上条とヴィリアンの二人だけで戦えるのか。
 思わず、『新たなる光』の魔術師まじゅつし・レッサーを狙撃した『ロビンフッド』という霊装の事を想像し、周囲の暗がりに目をやって、より一層警戒心を強くする上条。
 しかし、反してキャーリサはこんな事を言ってきた。
「伏兵などはいないの。まーちょっとしたライブ中継に使ってしまったし」
「……?」
騎士団長ナイトリーダーを撃破した上で、カーテナ=オリジナルを暴走させる事で『騎士派』に私の国家元首としての資質を疑わせる……。いくつもの偶然に助けられたとはいえ、なかなかに鮮やかな心理戦だったと評価できるの」
 キャーリサはくるくると回したカーテナ=オリジナルを肩でかつぎ、
「だから、こっちとしても瓦解がかいしかけた『騎士派』全体の闘志を再びまとめ上げる必要が出てきた駅だし。多少荒っぽい方法を採らせてもらったがな」
 ライブ中継。荒っぽい方法。
 嫌な予感がする上条は、そこで見た。カーテナ=オリジナルの刃も切っ先もない剣身に、数滴の赤黒い液体がこびりついているのを。
「お、前……まさか……」
「んー、ちょっとした『制裁』って所だよ。バッキンガム宮殿周辺の警備レベルは下がってしまうが、それでも英国全土を管理制圧してる『騎士派きしは』全体が崩壊ほうかいして、支配体制そのものが失われてしまうよりはマシだろーし。……それに、国家元首は天使長の力を使うからな。正直、近衛兵このえへいなど必要ないの」
ったのか!? テメェ自身の仲間だろうが!!」
 愕然がくぜんとしたまま、上条かみじょうは思わず叫んだ。
 その場面を思い浮かべたのか、ヴィリアンの肩が小刻みにふるえた。
 しかし第二王女キャーリサの返答は、さらにその上を行く。
「その点は心配するな。なまじあっさり殺してしまうと、想像力が追い着かなくなるよーだし。最小の消費で最大の演出をほどこすために、もー少し楽しい事になってるの」
 死より恐ろしい生。
 具体的にイメージもできない言葉を頭の中で思い浮かべ、上条は奥歯をめる。
「……『騎士派』の連中だって、あいつらなりに信じるものがあって、今までテメェに従ってきたんだろうが。そんな風に一緒いっしょに戦ってきた仲間をあっさり『消費』するなんて、どういう神経してんだテメェは!!」
 ミシィ……!! という鈍い音がひびいた。
 上条当麻とうまが、知らず知らずの内に右手へさらに力を込めた音だった。
「ぬかせ」
 対して、キヤーリサは顔色を変えずにこう返した。
「何のために高い地位を与え、血税の中から多くの報酬ほうしゅうを支払ってると思ってるのやら。国家有事の際には身を粉にし、英国の危機にわずかでも助力する事。それこそが騎士の本懐ほんかいであろーよ」
「テ、メェ……」
「彼らは実に役立ったの。おかげで浮き足立ってた臆病者おくびょうものどもが寝返るのを防げたんだし」
 キャーリサは、肩でかついでいたカーテナ=オリジナルを改めてゆっくりと構えた。
 手のかかる可愛かわいげのない子供を評価するような口調で、彼女は言った。
「ただまぁ、所詮は自らの足で死地にもおもむけないチキンどもの集まりだし。ここは私自信の手で地均じならしを行い、『クーデターを必ず成功させる』という流れをもー一度作ってやらなければな!!」
 いくつもの巨大な要塞ようさいが天空を舞い、半壊した王宮を背に、伝説の剣を手にした第二王女キャーリサが大声を放つ。
 それが、戦いの合図となった。

     4

 第二王女キャーリサを倒せば、このクーデターは終わる。
 上条かみじょう当麻とうまは改めてそう思った。
 今の『騎士派きしは』は騎士団長ナイトリーダーが不在なため、このままクーデターを進めるか止めるか、判断が揺らいでいる。それをつなぎ止めたのは、キャーリサの手による『制裁』だ。だからこそ、一時的に結束は固まったものの、キャーリサが力を失う事で、すべては瓦解がかいする。
 イギリスの全土を回って、騎士きしの集団を一人一人たたいていく事に比べれば、大ボス一人で決着がつくというのだから、そちらの方がまだ楽なのだろう。
無理にでもポジティブに考え、体の緊張きんちょうを少しでも解こうと考えていた上条だったが、

「死ぬぞ」
 と。真後ろから声が聞こえた時には、すでに風を切るような音がひびいていた。

 一瞬いっしゅんで背後に回られた、どころの話ではない。
 すでにカーテナ=オリジナルは、上条の首を目がけて横薙よこなぎに振るわれている。
「―――ッ!?」
 いちいち振り返るだけの暇もない。上条はそのまま真下に腰を落とし、かろうじてその一撃いちげき回避かいひする。いや、したように見えた。それでも耳の辺りに熱い痛みが走る。それを見たヴィリアンが短い悲鳴を発する。
 さらに、ゴキィン!! という異音が発せられた。
 横薙ぎに振るわれた軌道をなぞるように、不自然に白いのっぺりとした物体が生じたのだ。全次元切断の余波として現れる残骸ざんがい物質。それは鋼鉄のかたまり以上の重量で、真下へけた上条の元へと自然落下してこようとする。
(くっ、そ……ッ!!)
 上条は転がるように残骸物質の落下地点から逃れる。ズズン!! といういや震動しんどうが上条の腹まで響く。
 そこへ、
「―――遅いぞ豚。そんな事では切断だし」
 ごう!! とカーテナ=オリジナルが振るわれた。
 上から下への振り下ろし。整数全次元をまとめて切断する一撃は、カーテナから二〇メートルまでの直線軌遺で巨大な斬撃ざんげきを作り出す。
 上条の上半身と下半身を分けるルートで、だ。
「ッ!?」
 とっさに右手をかざした。
 シッパァァン!! とむちを打つような音と共に、生み出された斬撃ざんげきは途中で消失する。
(消、えた……?)
上条かみじょうは跳ね上がるように起き上がり、キャーリサのふところに飛び込もうとする。
 握ったこぶしが一発でち当たれば、それでカーテナ=オリジナルはこわれるはずだ。
 しかし、拳が届く前に第二王女はさらに剣を振るう。
 剣の先端せんたんを立てたまま、右から左へ窓を開閉するような挙勤。まるでシャッターのように白い残骸ざんがい物質の壁が生み出され、上条の拳がはばまれたのだ。
 鋼鉄をなぐったような、鈍い痛みが拳に返る。
 ビリビリという感覚に顔をしかめる上条。
(今度はダメか! くそ、打ち消すための条件が分からねえ!!)
 ゾッとする悪寒おかんおそわれた。何しろ相手の得物えものは整数で表現される全次元を切断する一撃。
 読み違えれば右腕一本どころか、全身をまとめて両断されかねないのだ。
 しかし、そんな事を心配している余裕はなかった。
 のんびりと戦術を組み立てるだけの暇など、なかった。
「ふっ」
 キヤーリサの吐息といき
 同時に、ゴッ!! という爆音がひびいた。
 上条とキャーリサを阻む白色の壁を、第二王女自身が真上へり上げたのだ。
 鋼鉄よりも重たい残骸物質のたてが、一発で軽く一〇メートル以上も吹き飛ばされる。
 キャーリサは足を下ろさなかった。
 さらに続けて放たれた二発目の蹴りが、容赦ようしゃなく上条の腹に突き刺さった。人間の格闘技かくとうぎというよりも、ほとんどマシンガンに近かった。
 ズドン!! という轟音ごうおん炸裂さくれつする。
 上条の体が、軽く数メートルは飛ばされ、さらに地面を不規則にバウンドしていく。
「がっ、ば、ァァあああッ!!!???」
 込み上げたき気にあらがわないでいると、予想外にも赤い色のかたまりが噴き出した。
 のたうち回る上条に対し、キャーリサは刃も切っ先もない剣をバトンのようにくるくると回し、細かい残骸物質を地面に振り落としながら笑っている。ヴィリアンはようやくボウガンを構えようとしたが、あまりにも目まぐるしく状況が変わるため、細かくねらいを定めている余裕がないらしかった。
(ごっ……くそ……げふ……やっぱ、ついていける速さじゃねえ……ッ!!)
 体のしんからごっそり体力が失われたのを自覚しながら、それでも上条は起き上がる。意識もしていないのに、指先が不自然にふるえている、
「おいおい、どーしたの。これでもセーブをしてる方なのに」
 キャーリサの表情は変わらなかった。
 起き上がろうと起き上がるまいと、大勢など揺らぎはしないと言っているように。
「不用意に莫大ばくだいな『天使の力テ レ ズ マ』を肉体に封入すると、それはそれで副作用のよーなものが出てくるらしいしな。いずれ、その辺のかせを外すための術式も組み上げないと、とは思うのだが」
(これで、セーブしているだって……?)
 信じられないものを見るような目になる上条かみじょう
 そんな上条を見て、キャーリサはカーテナ=オリジナルを適当に振り、切っ先のない先端せんたんを使って、ある方角を指し示した。
「それより良いのか? ボーッとしてると危ないぞ」
 その瞬間しゅんかん、上条は自分に迫るものの正体に気づいていなかった。
 上空を飛ぶグリフォン=スカイ。全幅八〇メートル級の真っ赤なハンググライダーそのものには、これといった変化はなかった。ただし、月明かりが生む巨大な影に変化があった。それはギュルリと回転するように形状を変えると―――全くありえない事に、騎士きしの馬上やりのような形と重さを伴い、真っ赤に色を変えて、地面スレスレの所を浮かんでいた。
 どうやら。上空の『要塞ようさい』と地上の赤い『馬上槍』は連動しているらしい。
 そんな状態で、グリフォン=スカイはバッキンガム宮殿上空を横断した。
 当然ながら、連動している二〇メートル級のくいは地面スレスレを猛スピードで突っ切った。
 するとどうなるか。

 ドバッ!! と。
 直撃ちょくげきを受けた上条当麻とうまの体が、くの字に折れ曲がって宙を舞った。

「どっ、ぼ……ッ!?」
 痛みの間隔が誤作動を起こして逆に麻痺まひしかけるほどの激痛が、上条の上半身におそいかかった。ノーバウンドで一五メートル以上吹き飛ばされた少年の体が、ゴロゴロと土の地面を転がつていく。
 蒸し返すように、痛みは後から襲いかかってきた。
「ごォォああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 激痛にのたうち回る上条は、しかし別の方向から砲弾のようにやってくる別の杭を見て、あわてて転がる。歯を食いしばっているはずなのに、口の中から赤い液体がこぼれた。
 しかし、ダメージを与えた側であるキャーリサの方は不満そうな表情だった。
「チッ、霊装れいそうの自動判断能力か。本来なら城塞じょうさいの壁を直接破壊はかいするためのものだから、上半身と下半身が千切ちぎれるぐらいの事は起きなければおかしいの。所詮しょせんは無人霊装れいそう、『標的の強度を自動算出し、無駄むだを省いて最低限の消費で対象を破壊はかいする機能』が裏目に出たみたいだし」
 そこまで言うと、一転して第二王女の顔に嗜虐しぎゃくの笑みが広がる。
「くくっ、ははは!! だが、くだらん誤判断に救われる事はもーないの! ―――手動判断能力を実行、全兵器の破壊力を『対ウィンザー城攻略レベルで固定』せよ。さあ、軽く触れただけで人肉が消し飛ぶ攻撃こうげき霊装の完成だし!!」
 キャーリサの言葉に、上条の背筋にゾッとした悪寒おかんが走る。
 あれで、手加滅。
 霊装のリミッターが解除された今、同じものをらえば上条かみじょうの体はミンチになる。
(くそ、カーテナ=オリジナルを持ってるキャーリサだけでも、倒すための糸口が見つからないのに)
 血をき、それでもこぶしを握り直し、上条は正面をにらみつける。
(その上、城塞じょうさいこわすための移動要塞ようさいが二〇機も飛び回ってるだって。こんなの、どうやって逆転の策を練れば良いんだ!!)
 その時だった。
 はるか遠方にあるカヴン=コンパスから、強烈な閃光せんこうの柱がキャーリサ目がけておそいかかった。上空を一発通っただけで、ロンドン市街の窓ガラスが片っぱしから砕け散るほどの破壊力を秘めた一撃だ。
 対して、キャーリサはそちらを見る事もなかった。
 ただ横に手をやり、カーテナ=オリジナルをバトンのように一回転させただけだった。
 ガゴォン!! という轟音ごうおんひびく。
 剣の動きに合わせて全次元が切断される。それは半径二〇メートルほどの円盤だ。切断面という形で残骸ざんがい物質が生じ、地中深くまでえぐり取りながら巨大な円形のたてと化す。
 そこへ大規模閃光術式が激突した。
 爆音が炸裂さくれつする。
 しかし盾は壊されず、行き場を失った閃光の柱は四方八方へと飛び散っていった。余波は庭園の大木をむしり取り、街灯をじ曲げ、アスファルトをめくり上げる。上空のグリフォン=スカイの数機が、いやがるように一時的に高度を上げて余波から逃れようとする。
 それだけだった。
 第二王女キャーリサ自身には、傷一つない。
(マジか…)
 上条は、しばし呆然ぼうぜんとしていた。
(あれだけ派手な爆撃を使っても、かすり傷も負わせられない。カーテナを持つ国家元首っていうのは、あんなレベルの怪物だっていうのか……)
おどろくよーな事か」
 思考を断ち切るように、キャーリサは言った。
 彼女はたてを形成したカーテナ=オリジナルを、さらに手首のスナップで回転させながら、
「天使長を殺せる人間など、どこにいるの?」
 ザギン!! と、第二王女は円盤の盾にカーテナ=オリジナルの先端せんたんを突き刺す。
 次元を切断した事で生まれた残骸ざんがい物質の上から、さらに新たに次元を切断した結果か。
 まるで巨大なジャガイモを突き刺すフォークのようになった状態で、キャーリサは片手だけでカーテナ=オリジナルを横薙よこなぎに振るった。
 半径二〇メートルもの、巨大な円盤の盾を引っ掛けた状態で。
「くっ、そ……ッ!?」
 上条かみじょうは思わず両手で顔をかばうようにしたが、意味などなかった。

 ゴバッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。

 円盤の盾を半分ほど地面に埋めた状態で、半ば強引にカーテナ=オリジナルを振り回したのだ。巨大な重機で掘り上げられるように、地面は一気に崩れた。黒土もコンクリートもアスファルトも街路樹も地下を走る水道管やガス管も、全てまとめて一つのかたまりと化した。それは土石流にも似た状態で、津波のように上条の元へと突っ込んでくる。
 回避かいひなどできなかった。
 ただ圧倒的に莫大ばくだいな質量が、上条当麻とうまの体を吹き飛ばした。
 大量の土砂どしゃの先端部分に押し出される形で、軽く一〇メートルは薙ざ払われた。それでいて、まるで生物のあごのように土砂は上条の下半身にみついた。膨大ぼうだいな圧力に叫び声を上げる上条の視界のはしで、カーテナ=オリジナルから円盤の盾がすっぽ抜けるのが映った。その巨大な構造物は宙を舞い、バッキンガム宮殿に激突し、崩れかけていた建物にさらなるダメージを与えていく。
「ぐぅ、ァ、ああ多ああああああああああああああッ!!」
 太股ふとももまで埋まった足を、土砂の中から強引に引き抜く上条。その右足の太股に、いやに熱い感覚があった。見れば、ボールペンぐらいの太さの、折れた街路樹の枝が貫いている。
 こちらに走ってきたヴィリアンが何かを呼び掛けてくれたが、激痛に眩暈めまいすら覚える上条には、何を言われているかも判断できなかった。ヴィリアンはどう手当てしたら良いかオロオロしているようだ。
 上条は舌を噛まないよう、代わりに自分のそでを思い切り噛む。
 その上で、自分の足に突き刺さった枝に手をやり、ふるえる指でその感触を確かめ―――それから一気に引き抜いた。
 絶叫は、声にならなかった。
 決して少なくない量の血を流しながら、上条かみじょうは砕けそうなほど歯を食いしばる。
「考えが甘かったんじゃないか?」
 激痛を押さえつける上条を見て、キャーリサは平然とした顔で言った。
「多少、その手に不可思議な力が宿ってるとはいえ、たかが生身の人間ごときが、天使長に触れよーなどとは、おこがましいにもほどがあるの。何をせば勝利できるのか。そのための最初の条件そのものが、すでに間違ってるし」
 たった一度、触れる事すらも許されない実力差。
 イギリス国内に限るとはいえ、天使長『神の如き者ミカエル』の力を振るう者。
 今の第二王女キャーリサは、おそらく後方のアックアか、それ以上の力を持っているだろう。詳しい理論や技術は全く別物なのかもしれないが、次元を切断する事で生み出される奇妙な物体についても、どこかミーシャ=クロイツェフの『水翼すいよく』を連想させるものがあった。
「戦って勝てると思ってるのが間違いなのではないの」
 キャーリサは一度、カーテナ=オリジナルの先端せんたんを下ろす。
 先の攻撃こうげき破壊はかいされた黒土の中からは、シューという気体のれる音が聞こえている、
「たとえたてを突いても本気で逃げよーと思えば生存できる。……そんなレベルですら、すでに認識を誤ってるの。天使長とは、国家元首とは、そーいうものを意味してるんだし」
 歯向かう者には容赦ようしゃをしない。
 天からの罰は、ただ一方的に壊滅的に降り注ぐ。対して人々に選択できる唯一の道は、ただひたすらにひれ伏して、一刻も早く怒りが収まるのを待つ事のみ。
 すでにスケールは神話の領域。
 そこに立つだけで、一つの伝説を構築してしまう女。
 それこそが―――、
「……第二王女……キャーリサ……」
「国家元首だし、間抜け」
 一瞬いっしゅんだけ不快そうな顔をしたキャーリサは、地面に下ろしたカーテナ=オリジナルの先端を、メチャクチャになったアスファルトに、コツンと軽くたたいた。
 直後、シューという熱体の漏れるような音が途切れる。
 地中で破れたガス管から漏れる、都市ガスの音が。

 ボバッ!! と。
 直後、第二王女キャーリサの背後の夜がまとめて紅蓮ぐれんの爆発を引き起こす。

 爆炎自体は上条には届かない。しかし衝撃波しょうげきははキャーリサを追い越し、少年の生身の体に容赦ようしゃなくたたきつけられる。
「ごっ……ぼ!?」
 壁に叩きつけられたように上条かみじょうの呼吸が止まり、その両足が地面から浮く。かたわらにいたヴィリアンも同じように宙へ飛ばされている。
 滞空時間は一秒半。
 対してキャーリサは、上条よりも間近で爆風を浴びたにもかかわらず、苦痛の色はない。宙に浮いた標的を見てニヤリと笑うと、むしろ心地良い追い風に背中を押されるように、トンッと地面をって前へ出る。
 そう、辺り一面に広がる炎や爆風すら、キャーリサにとっては『攻撃こうげき』ではない。
 ここまでやっても、それは単なる移動手段を『補強』するための一手に過ぎなかった。
 キャーリサの軽い一歩と共に、ガス爆発よりも恐ろしい爆音が炸裂さくれつした。
 バガッッッ!! と地面をみ砕いて、キャーリサが飛ぶ。前へ進むというより、ほとんど空間に突き刺すような挙動。ようやくたたらを踏んでバランスを取り戻そうとする上条は、ほぼ完全に無防備だった。
 とっさに右手を振り回すが。そんなものは何の役にも立たない。
 キャーリサは力技ではなく、しっかり上条の動きを目で追った上で、カーテナ=オリジナルの軌道を斜めにじ曲げ、防御の死角から首をねらう。
 刃も切っ先もない剣の軌跡に合わせ、全次元が切断されていく。
 その切断面として、残骸ざんがい物質の帯が剣の後を追う。
 科学の核シェルターだろうが魔術まじゅつの大聖堂だろうが、問答無用で両断するであろうその一撃を目だけで追いながら、上条は頭の中で考える。
 脅威きょういとなるのは、カーテナ=オリジナルだけではなかったのだ。
 磐石ばんじゃくの体制を維持していた英国で、ほぼ完全にクーデターを成功させるほどの人物。
 圧倒的に『軍事』にすぐれた第二王女キャーリサが、武芸にうとい訳がないではないか。
「死ね」
 簡潔な単語だけが、上条の脳に伝わった、

 直後、ドッ! という鈍い音が、その脳を不気味に揺さぶった。

 上条当麻とうまの視界が、グラグラとかすんだ。
 両足は地面からはなれ、重力を認識できなくなる。
 呼吸は止まった。
 そして、
(生きて……る?)
 衣服の背中の辺りを強引につかまれるような感触に、ようやく上条かみじょうは我に返った。
 ついさっきまで自分の立っていた場所が、少し遠くに見える。キャーリサの振るったカーテナ=オリジナルは空振りしていて、策二王女はその結果に小さく舌打ちしていた。
 断じて、上条当麻とうまの身体能力では実現不可能なものだった。
 その証拠に、
「……ようやく、まともな方法で大きな借りの中の一つを返す事ができましたね」
 涼やかな女性の声が聞こえた。
 同時に、背中の所を掴まれているような感触は消え、上条は優しく地面に下ろされた。見れば、上条と一緒いっしょにヴィリアンも回収されていたらしい。第三王女はキョトンとした顔で、自分を守ってくれた者へと視線をやっている。
 上条は振り返る。
 そこに立っていたのは、
かんざき……?」
「私だけではありません。皆もすぐに追い着くでしょう」
 サラリと言うと、神裂は一度だけ上条から目をはなし、
「インデックス。魔術まじゅつの解析を申請します。『王室派』からの圧力で一〇万三〇〇〇冊にかたよりが生まれ、カーテナ関連の術式は記憶きおくされていない可能性もありますが、既存の魔術知識のみで再分析は可能でしょうか?』
「制御を奪うか、封じるかだね。分かったんだよ」
 先ほど、大型トラック破壊はかい後に神裂と共に行動していたインデックスもまた、ここに到着していた。呆然ぼうぜんとした顔で眺めている上条に対し、インデックスはフンと鼻から息をく。
 世界で二〇人といない聖人と、世界中の魔道書まどうしょの知識を蓄えた魔道書図書館。
 共に魔術サイドでは大きな価値を持つ増援に対し、キャーリサの余裕は消えなかった。
「主戦場に到着する事すらままならなかった雑兵が、今さらいくさの主役にでもなれると思ってるの?」
「どこかの物知らずなお姫様が市街地で派手にやってくれたおかげで、少々手間取りまして。いくつかの構造物が一般人ごと劇場を押しつぶそうとするのを、迎撃げいげきする必要があったんですよ」
 最大で一〇〇メートル級もの大きさを持つ構造物を、生身の体で受け止めた。
 平然とした顔で恐ろしい事を言う神裂は、刀のつかに手を伸ばしながら言う。
「……それに、私一人ですべてを解決するつもりもありません。今の私には、背中を預けるに足る仲間がいるのですから」

     5

『聖人』神裂かんざき火織かおりと、第二王女キャーリサ。
 二人の女性の間に、チリッと焼きつくよう緊張感が走る。
 具体的な物理現象などは引き金にならない。
 その思念が火蓋ひぶたとなった。
「ッ!!」
「ッ!!」
 先に動いたのは神裂だ。
 二メートル近い長大な刀を抜く……と見せかけ、その手で七本のワイヤーを操る。
 七閃ななせん
 様々な角度から同時におそいかかる鋼糸に対し、カーテナ=オリジナルをつかむキャーリサは、
「この私を相手に出し惜しみ、ね。―――死ぬぞ」
 ゴッキィィ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 気がついた時には、神裂とキャーリサは超至近距離きょり鍔迫つばぜり合いをしていた。ただぐ走って剣を振るっただけ。その単純な動作が、すでに上条かみじょうには見えなかった。
「この全次元切断に拮抗きっこうする、か。あらゆるものを切断する必殺同士、どーやら二つの法則の間に齟齬そごや矛盾でも生じてるのかもしれないの」
「……先ほどまでの動きとは違いますね。かくいう貴女あなたこそ、出し惜しみをしていると足元をすくわれますよ」
 上条を擁護ようごしてくれるような台詞せりふだったが、『違う』と少年自身が心の中で否定した。
 直感で分かる。『軍事』にすぐれたあの王女は、調節はしても加減はしない人物だろう。
何分なにぶん、こいつは扱いにくいじゃじゃ馬でな。余計な副作用やすきを生まないためにも、状況に適したコストを払って必要な成果を上げよーとするのは当然だし。消費を軽減し、息切れを防ぐのもまた戦術には必要な技量だぞ」
 ドッ!! と二人は互いの得物えものはじき合い、そして再び刃を振るう。
 両者の体がかすんだ。
 そこから先は、二人の位置を把握するのも難しい攻防だった。ゴガガガザザガガギギギ!! とマシンガンのように連続する爆音が続き、同時に彼女たちの間にキラリと光るものが舞う。神裂の周囲にあるのは千切ちぎられたワイヤー、キャーリサの周囲にあるのは鋭利な切り口と共に次々と切断されていく残骸ざんがい物質のきばだ。
 直接的に、上条に加勢できるような状況ではない。しかし、カーテナ=オリジナルにとって、
幻想殺しイマジンブレイカーがイレギュラーな脅威きょういである事に違いはない。
(なら、やれる事は……ッ!!)
 上条は意を決すると、二人の戦いを大きく迂回うかいするように走る。キャーリサの視界の外へ移動するように。実際には不可能であっても、キャーリサがほんの少しでもこちらに注意をかなければならないように。
「ふっ、そこまで行くと健気けなげだし」
 上条の意図に気づいたキャーリサが、神裂かんざきと高速で剣を交えながら、振り返りもせずに口を開いた。
「だがくたばれ」
 ゴバッ!! という爆音が炸裂さくれつした。
 今までの攻防の間に自然と生み出されていた残骸ざんがい物質。その内の一つ、とびきり鋭利な先端せんたんを持つ物を、かかとを使って真後ろに―――上条の立つ位置へと、正確にち込んできたのだ。
 それこそ、屈強な兵士が放つ投げやりのように。
「ッ!?」
 あわてて体をひねった上条だったが、ほおに傷が走る。鋭い刃の切り傷というより、海辺の岩場で転んだ時のような鈍い傷だ。
 それを見た神裂が、自身の危機すら無視して叫んだ。
「上条当麻とうま!!」
「構うな! 押せ!!」
 他人を巻き込まないよう戦術を切り替えかけた神裂を、上条は怒声で食い止める。
 その間にも、援軍は来た。
 ―――フランベルジェの建宮斎字たてみやさいじ海軍用船上槍フリウリスピア五和いつわたちを中心とした、剣や槍やおのつちや弓や棒などをたずさえる、新生天草式あまくさしき十字凄教じゅうじせいきょうが。
 ―――『蓮の杖ロータスワンド』のアニェーゼや巨大な車輪を持つルチア、複数の金貨袋を備えるアンジェレネ達、各種の霊装れいそうで身を固める修道女で構成された、元アニェーゼ部隊が。
 ほかにもゴーレムを引き連れたシェリー=クロムウェルやオルソラ=アクィナス達も集まっていた。おおよそ、突入時から欠けた人物はいないようだった。
 遅れてやってきた彼らは、最初神裂やキャーリサの戦い方を見てわずかにおどろいたようだが、そこで退かずにとどまって加勢に入る。ある者は攻防の合間をって遠距離えんきょりからキャーリサをねらい、またある者は神裂の負担を軽減するべく集団で近接戦を挑もうとする。
 わずかに、キャーリサが舌打ちした。
「まったく、余計なコストを払わせてくれるし。雑魚ざこどもを露払つゆはらいさせるために、多少は『騎士派きしは』でも残しておくべきだったかな」
 それでも、第二王女は倒れない。
 ゴッ!! という爆音が発せられた。
 神裂かんざきと連続的に打ち合いながら、キャーリサはその軌道が生み出す残骸ざんがい物質の流れすらも戦術に組み込んでいく。巨大なきば肋骨ろっこつのように鋭くとがった構造物が、全方位に飛び出した。それらは恐ろしい速度で様々な角度からおそいかかる攻撃を防ぎ、突撃を食い止める壁となり、返す刀の飛び道具と化していく。
 まるでお手玉だ、と自身も必死に攻撃をけながら、上条かみじょうは思う。
 キャーリサの手は二本、武器は一本しかない。それなのに、彼女は同時に一〇でも一〇〇でも敵の攻撃・動きに対応する。『一定以上の集団の人の波を使って、個人を押し流してしまう』という路地裏のケンカの常識も通用しない。
 さらに、そこへ上空のグリフォン=スカイが割り込んでくる。
 上空の真っ赤な『要塞ようさい』と連動するように地上スレスレを移動する二〇メートル級の巨大な馬上やりが、シェリー=クロムウェルの操るゴーレム=エリスへ突っ込み、真正面から吹き飛ばした。最大級の一撃を受けた岩のかたまりが、空中で分解しながら元アニェエーゼ部隊の頭上へと降り注いだ。
 あわてて回避するアニェーゼやルチアたちを見て、神裂が舌打ちする。
 彼女は仲間の新生天草式あまくさしきに向かってこう言った。
「対キャーリサ班と対グリフォン班に分かれましょう! 移動要塞の高度は二〇~五〇メートル前後……ペテロ系の撃墜げきつい術式が通用する高度です。牛深うしぶか香焼こうやぎ野母崎のもざき! あなた達で、あれを落とすための術式を構築できますか!?」
「やってはみますが、向こうもデカいシールドで保護しているでしょう。削り取れる保証はありませんよ!!」
 そう言った牛深達だが、彼らは迅速じんそくに動いた。
 ゴーレム=エリスを破壊はかいし、さらに旋回して新生天草式の方へ突っ込もうとしていたグリフォン=スカイが、いきなりガクンとバランスを崩す。地面スレスレを走っていた巨大な馬上槍が、黒土の地面にぶつかって津波のように土砂どしゃき散らす。見た目の質量や速度以上の、霊装れいそうとしての莫大ばくだいな破壊力を示していた。
だが、明確に墜落とまではいかなかった。
 機体をぐらつかせたグリフォン=スカイは立ち直り、再び新生天草式の集団の下へと攻撃を加えようとする。
「ヤバ……ッ!!」
「いえ、ここまでやれば十分です!!」
 牛深の叫びを神裂が打ち消し、彼女は聖人の脚力で前へ突進した。ねらいは地面にぶつかった事で速度を落とした巨大な馬上槍。神裂はその馬上槍を側面から、霊装としての爆発的な破壊力のない場所を抱き抱えるように両手でつかみ取ると、腰をひねるようにして体を回し、容赦ようしゃなく振り回した。
 巨大なくいとグリフォン=スカイは『影』を利用し、動きを連動させている。
 その状態で神裂かんざきが馬上やりつかんで振り回した結果、上空にあったグリフォン=スカイまでもが竜巻のように回転した。
 もしかしたら、グリフォン=スカイの馬上槍には、本当に堅牢けんろう城塞じょうさいにぶつけて引っ掛かるのを恐れるため、魔術的まじゅつてきな連動機能を切断・分離ぶんりするための機能でもあったのかもしれない。しかし無駄だった。神裂は単に腕力だけでグリフォン=スカイを振り回しているのではない。高度な魔術によってそういった緊急きんきゅう用の解除機能を妨害しつつ、同時に聖人としての腕力を行使しているのだ。
 神裂はグリフォン=スカイを大きく振り回して、上空を飛んでいる同型機の内の四機ほどを巻き込み、かたまりにした上で、トドメとばかりに振り回す『軸』の角度を変えて、上から下へと一直線に落とす。
 それは超巨大なモーニングスターだ。
 そして当然、ねらいはカーテナ=オリジナルを持つ第二王女キャーリサである。
 ゴバッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 ただしそれは、複数のグリフォン=スカイが墜落ついらくした事で起きたのではない。
 第二王女キャーリサがカーテナ=オリジナルを下から上へと突き上げて、モーニングスターを一撃いちげきで両断した爆音だった。
「くそっ!! 移動要塞ようさい五機分の鉄槌てっついだぞ!?」
 歯噛はがみする神裂の言葉を代弁するように、初老の諫早いさはやが叫ぶ。一方、海軍用船上槍フリウリスピアを構える五和いつわは皆を鼓舞するように大声で言った。
「しっ、しかし落とせない訳ではない事は証明されたんです! 引き続き班を分けて、グリフォン=スカイにも攻撃を加えていきましょう。移動要塞の数が減る事でキャーリサに専念できる人員が増えれば、それだけ勝算も上がるはずですから!!」
 彼らはうなずくと、だれと相談するまでもなく二つのグループに分かれて、それぞれの敵へと向かって行く。
 と、一時的に戦線を離脱し、仲間に打ち合いを預けた神裂が、失ったスタミナを回復させるために呼吸を整えながらも、上条かみじょうの方へと軽く跳んできた。
「心苦しいのですが、やはりあなたの右手にたよる必要があるようですね。キャーリサの斬撃ざんげき―――全次元切断攻撃そのものを打ち消す事はできますか?」
 神裂は断続的に飛んでくる白色の構造物をはじき返しながら、小声で上条に言う。
「あれは強力な斬撃であると同時、飛び道具の砲弾を作る機能も兼ねています。一発でも打ち消せれば第二王女が組み立てる戦術は揺らぎ、そこにすき見出みいだせる可能性も出てくるんですが」
「一応やってはみるけど、確証は持てねえぞ」
 上条は改めて右手を握り直しながら、
「どうも法則がつかめない。お前が到着する前にも何回かぶつかったけど、打ち消せる時と打ち消せない時があったんだ」
 そこで、遠方から放たれた移動要塞ようさいセルキー=アクアリウムの漆黒しっこくやみの弾幕が、空中の真っ赤なグリフォン=スカイを一機ち落とした。旅客機の墜落ついらく事故のように迫ってくる巨休に、神裂かんざき上条かみじょうの首根っこを掴んで一跳びで二〇〇メートル以上移動する、
「中国には三種の剣の伝説があります。中でも最高の剣は、人をっても斬った感触がなく、斬られた方も自覚がなく、何事もなく生きていくそうです。……まあ、思想教育のためのたとえ話に出てくるものなんですが、どうもカーテナはその譬え話を本当に実現してしまったようなものみたいです」
「?」
「ようは、本当に鋭すぎる斬撃ざんげきは、物体を切断してから現象が表出するまでにラグが生じるという事ですよ。具体的には全次元切断後一・二五秒後に切断面としての残骸ざんがい物質が三次元空間に出現します」
「……あの高速戦闘せんとうの中で、分析までやってたっていうのか……?」
 呆然ぼうぜんとする上条に対し、必要な事ですからね、と神裂は普通に返した。
 彼女は続けて、
魔術まじゅつ現象は次元切断能力のみ。残骸物質はあくまでも魔術後に生じる物理現象にすぎません。いわば、魔術の炎と燃え尽きた灰の関係でしょうか。あなたの右手は『斬撃』そのものを打ち消す事はできますが、そこから生じる残骸物質までは対応できないのでしょう」
「って事は……」
「カーテナ攻撃後一・二五秒以内に通過地点を攻撃すれば、斬撃を打ち消し残骸物質の出現を止められます」
 一・二五秒。
 コンマ以下までの正確な時間など、単なる高校生に実感できる単位ではない。
「……失敗すりゃ即座に窮地きゅうちに立たされるクロスカウンター、か」
「必ず決めろとは言いません。仮にカーテナ=オリジナルが大規模・長距離ちょうきょりの次元を切断して巨大構造物を生み出そうとした際、手が届けば伸ばしてもらう……程度に考えてください」
「了解。あせらず機を待てってトコか」
 神裂は一度、自分の背中を預ける合図であるかのように、上条の肩をたたいた。それから改めて腹に力を込め、キャーリサとカーテナ=オリジナルの舞う主戦場へ飛び込もうとする。
 しかし、状況は待たなかった。
 ドバッ!! という轟音ごうおんと共に、第二王女を中心とした巨大な華が開いた。それは白色の鋭利な構造物が織り成す殺人の花弁だ。全方位に放たれた飛び道具が、新生天草式あまくさしきを中心とした近接部隊をまとめて遠くへ吹き飛ばす。
五和いつわ!! 建宮たてみや!?」
 上条かみじょうが叫ぶが、彼らの返事の前にキャーリサが口を開いた。
「おいおい、大事な護衛対象を残して作戦会議か。ねらちにしてほしーみたいだし」
 言葉が終わると同時に第二王女が跳んだ。
 カーテナから『天使の力テ レ ズ マ』でも借りているのか、垂直跳びで一〇メートル以上だ。空中で刃も切っ先もない剣を構え、降下と共に『標的』を狙おうとするキャーリサに、神裂かんざきはとっさに動いた。
 カーテナ=オリジナルを破壊はかいするためには、上条当麻とうまの右手が重要な役割を持つ。
 だからこそ、神裂はキャーリサが真っ先に少年を殺すだろうと考えたようだが、
「違う! おれじゃない!!」
 その上条の方が神裂を押しのけようとした時、キャーリサは空中でカーテナを振るった。白色ののっぺりとした板が空中に生まれ、築二王女は勢い良くそれをる。
 軌道が鋭角に変化する。
 上条当麻を狙うコースから、それを呆然ぼうぜんと眺めていた第三王女ヴィリアンの元へと。
「ッ!?」
 とっさにボウガンを構えようとしたヴィリアンだったが、もう遅かった。
 ドッ! という音と共にキャーリサは第三王女の間近に着地し、片手で己の妹を地面に引きずり倒す。ヴィリアンが顔を上げた時には、すでにその喉元のどもとにカーテナ=オリジナルの先端せんたんが突きつけられていた。刃も切っ先もなく、それでいてあらゆる整数次元を切断する剣が。
「そもそも、ろくに魔術まじゅつも扱えないお前が、どーしてこんな所にいるの。妙な正義感にでも駆られたか? それとも主戦力のみんなに置いてかれて、一人ぼっちで待ってるのが怖くなったの?」
 ヴィリアンの持つボウガンの矢には、『清教派』からの助言でもあったのか、多少の細工がほどこされている。しかし、カーテナ=オリジナルという英国最大級の霊装れいそうを握るキャーリサからすれば、ゴミ同然だ。赤、青、黄、緑……四つの属性色のマジックでラインを引き、その配分によって様々な魔術を形成しようとしているらしいが、こんな程度ではガキの恋占い程度の効果も生まないだろう。
「他人が起動した魔術を動かすのではなく、生まれて初めて自分の力だけで他人を害する魔術を発動し、地下鉄を利用して私のカーテナ=オリジナルを暴走させた事で、有頂天にでもなってたの? ……たった一度の偶然で無邪気にはしゃぎやがって。所詮しよせん、この辺りが無能なお前の上限じゃないか、お・ひ・め・さ・ま?」
 ほとんど馬乗りになるような格好で、せせら笑うキャーリサ。
 しかしその表情が、ピクリと止まる。
「……これが、そうなのですね。私を逃がしてくれるために、何の罪もない使用人や料理人、
そしてウィリアムが突きつけられたものは、こんなにも恐ろしいものだったのですね」
 第三王女は、ぐに自分の姉をにらみ返していた。
 勝つための意思を、率直に示すために。
「ならば、いい加減に私も立ち上がりましょう。一国の姫として、このような多大な恐怖から、皆を守るための屋根となれるような人物になるために!!」
 叫ぶと、ヴィリアンは喉元のどもとの剣も無視してボウガンを構えた。
 頭上にあるキャーリサ目がけて、相打ちも覚悟と言わんばかりに迷わず引き金を引く。
 放たれたのは、先端せんたん霊装れいそうとして機能するやじりを取り付けた、特殊な矢だ。
「ッ!?」
 初めて、キャーリサの顔色が変わった。
 彼女が行ったのは、首を横に振っただけだ。
 ただし、第二王女キャーリサは、それこそ全力を込めて妹の矢を回避かいひしていた。
 いかに女性の細腕でも扱いやすいように加工がほどこされているとはいえ、全長一メートルを超すボウガンに次の矢をつがえるには、最短でも五秒前後の時間を要する。
 その間に、カーテナ=オリジナルに命令を下せば、全次元ごとヴィリアンの首は飛ぶだろう。
「眠れ、夢想家」
 これまでとは違う、恐ろしいほどの無表情で、キャーリサは告げる。
 そして、

 バガッ!! と。
 キャーリサがけて夜空に放たれた矢に、カヴン=コンパスの大規模閃光せんこう術式が直撃した。

 元々、ヴィリアンの扱っている矢の先端には、魔術的まじゅつてきな効果を生み出す細工が施されていた。てっきりキャーリサは、それは傷口を広げるたぐいのものだと思っていたが……。
 矢に当たった大規模閃光術式が変質した。
 純白の閃光は数十トンもの水のかたまりとなり、夜空で不気味にうねる。むちというにはあまりにも巨大な、電波塔のような大質量の先端がしなりながら、空中を旋回する真っ赤なグリフォン=スカイをも巻き込んでキャーリサにおそいかかる。
(コンビネーション攻撃!?)
 ヴィリアン自身は具体的に魔術を扱う力も知識もない。しかし、遠距離えんきょりから飛んでくるカヴン=コンパスの魔力を利用すれば、状況は変わってくる。ヴィリアンは大爆発を起こす莫大ばくだいな魔術を用意しなくても、その起爆剤となる小さな魔術だけ自分で発動ですれば済む訳だ。
 まして、『清教派』には一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしょを保管する禁書目録がいる。
 複数の魔術師の助言を受けて、見よう見まねで鏃に魔術的記号を織り込むだけでも、これらの現象を起こす事は可能だろう。
「くそ、小細工を!!」
 直接的なボウガンの一撃いちげきに続けて、キャーリサは転がるように全力で巨大な水のかたまり回避かいひする。その間にも、ヴィリアンはかすかにふるえる手を強引に抑え、ショットガンのようなスライドを引いて次の矢をつがえている。
「ご存じありませんでした? 姉君が『軍事』にすぐれているように、私は『人徳』に優れていると言われている事を」
「他力本願の正当化か。同じ姉妹と思うのも忌々いまいましいし!!」
 ズォ!! とキャーリサの周囲へ見えない何かが噴出する。
 ヴィリアンは気圧けおされず、冷静にボウガンの照準をキャーリサ頭上の夜空へと定める。放たれた矢に再びカヴン=コンパスの大規模閃光せんこう術式がぶつかるが、キャーリサはそちらを見もしないで、ヴィリアン目がけてぐ駆けた。
 巨大な光の柱ははじけてゴルフボールぐらいの球の集合となり、豪雨のようにキャーリサの元へと降り注ぐ。しかしカーテナの力を借りたキャーリサの動きは人の領域を超えていた。ジグザグと小刻みな挙動で豪雨を回避しながら、的確にヴィリアンまでの距離きょりを詰める。
「これが他力本願の限界げんかいだ!!」
 今度こそ打つ手を失ったヴィリアンへと、キャーリサはカーテナ=オリジナルを振るう。
 このタイミングでは回避も防御も不可能。
 後は第三王女の首が飛ぶだけだったのだが、
「ええ、これが他力本願の限界ちょうてんです。姉君」
 ドバッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 それは大量の足音だ。目の前にいたはずのヴィリアンの体が消え、入れ替わりに建宮たてみや五和いつわなど、新生天草式あまくさしきを中心とした近接戦闘用のメンバーが飛びかかってきたのだ。
 明らかに、先ほどまでの速さとは違う。
 三倍も四倍も素早く動き回る尖兵達せんぺいたちに対し、やたらめったらにカーテナ=オリジナルを振るって迎撃用の残骸ざんがい物質を生み出しながら、奥歯をめるキャーリサ。
(まさか、先ほどの豪雨の正体は―――攻撃ではなく、身体能力増強用の術式か!!)
 高速で戦いながらも、思わずはなれた所にいるヴィリアンをにらみつけるキャーリサ。
 神裂かんざきという聖人の腕から降りた第三王女は、これまでなかった自信と共にこう告げた。
「だからこう言ったでしょう。私は『人徳』に優れたお姫様だと」
「ほざけ、こんな浅知恵で勝ったつもりか!!」
 キャーリサは一度大きく後ろへ離れると、改めてカーテナ=オリジナルを大きく振り回す。カヴン=コンパスの力を借りて尖兵達の身体能力を補っている術式は、弾丸という形で地面に埋まっている。ならば一〇〇メートル級の巨大な残骸物質を生み出し、地面を丸ごと耕してし
まえば、それらの魔術まじゅつを支えている数百個の核をすべつぶす事もできるだろう。
(終わりだヴィリアン。こいつらの動きを止めたら公開処刑でお前を八つ裂きにする!!)
 そう思い、全力でカーテナ=オリジナルを体ごと回すように振り抜くキャーリサ。
 しかし全次元は切断されなかった。
 手応てごたえが逃げ、すっぽ抜けるような感触に、キャーリサはまゆをひそめる。
 原因は一人の少年。上条かみじょう当麻とうま
 そう。
 この少年は、大規模・長距離ちょうきょりにわたって全次元を切り裂く大振りな一撃いちげきに合わせてこぶしを振るうよう、神裂かんざき火織かおりと事前に打ち合わせている。
 シッパァァァン!! とむちを打つような音と共に、半端はんぱに裂かれた次元が元へと戻った。
 その『不発』と合わせるような格好で、

第三王女ヴィリアンが、さらに夜空に向けてボウガンの矢を放つ。

(来るか……ッ!?)
 キャーリサは思わずカーテナ=オリジナルを頭上に構え、カヴン=コンパスと連動した強大な攻撃に備えようとする。
 しかし第三王女の『人徳』はそこにとどまらなかった。
 さらに続けて、こんな言葉がひびいたのだ。
軌道を歪曲B A O下方向へ変更C D!!」
 それは、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょを正確に記憶きおくした少女の言葉。本来は『強制詠唱スペルインターセプト』と呼ばれる他人の魔術に干渉するために使われる、一種の迎撃方法だ。
 ただし、それはキャーリサの持つカーテナ=オリジナルに対するものではなかった。
 その少女、インデックスはカーテナの魔術術式をまだ完璧かんぺきには解析できていなかった。
 彼女が手にしているのは、カヴン=コンパスとつながる通信用の霊装れいそう
 つまり。
 じ曲げたのは、ぐ直進していたはずの大規模閃光せんこう術式そのものだ。
「な―――」
 第二王女キャーリサは、初めて怒りではなくおどろきの表情を浮かべた。
 ヴィリアンの放ったボウガンの矢をけるように、カヴン=コンパスが放つ巨大な光の柱が、直角に折れた。それは上空から真下へ軌道を変えると、間にあったグリフォン=スカイを容赦ようしゃなく貫通し、構えたカーテナ=オリジナルの死角をうように、一直線にキャーリサへと突き刺さる。

 爆発が、起きた。
 キャーリサの周囲に展開していた魔術師まじゅつしたちすら転ばせるほどの、すさまじい爆発が。

 上条かみじょう当麻とうま聴覚ちょうかくが飛びかけた。
 莫大ばくだいな量の粉塵ふんじんが夜空に舞い上げられる。大規模閃光せんこう術式が直撃ちょくげきした地点を中心に、半径二〇メートル以上のクレーターが出来上がっていた。新生天草式あまくさしきを中心とした近接戦闘せんとう部隊の面々が、ゲホゲホとき込みながらも起き上がるのが分かる。
 やりすぎたんじゃないだろうか、と上条が思うほどの状態だった。
 思わず敵の心配をしてしまうほどだったが、すぐにそんな考えは改めさせられる。
「……流石に、今のは効いたし」
 ゾクリと、上条の背に悪寒おかんが走る。
 皆の間に広がっていた安堵あんど雰囲気ふんいきが、一瞬いっしゅんで消失する。
 そして。
 ビュオ!! という旋風と共に、粉塵の山が中心から吹き飛ばされていく。そこに立っているのは、カーテナ=オリジナルを手にした第二王女キャーリサ。所々にレザーをあしらった赤いドレスには泥がつき、破れている箇所もあった。その肌にも赤くにじんだものが見える。だが、キャーリサは健在だった。カーテナも折れてはいない。
(マジかよ……)
 上条は、足にわずかなふるえが走るのを自覚した。
 RPGで膨大ぼうだいな体力を持つモンスターと永遠に戦わせられる状態を想像してしまう。
(あのレベルでも、正面から受け止められるのか。詳しい事は知らないけど、要塞ようさいから飛んでくる砲撃だぞ。応用性や総合的な戦闘能力ならともかく、単純な破壊はかいりょくだけなら神裂かんざきの攻撃より上かもしんないんだぞ。それなのに、直撃してもかすり傷でおしまいなのかよ!?)
「……やはり、カーテナ=オリジナルを破壊しない限り、どうにもならないようですね」
 神裂が、苦い顔でポツリとつぶやいた。
 もっとも、あれだけの事をやっても倒れないキャーリサ相手に、上条の右手をどう近づけるかという大きな問題が浮上している訳だが。
 対して、キャーリサは自慢じまんの剣を一度肩でかつぐと、軽く夜空を見回した。
 最初は二〇機近くあった移動要塞グリフォン=スカイだったが、カヴン=コンパスやセルキー=アクアリウムからの遠距離えんきょり砲撃や、地上の『清教派』からの攻撃によって、ほとんど全滅状態だった。ダメージを押してかろうじて飛行していた最後の一機も、キャーリサの見ている前でバランスを崩して墜落ついらくしていく。
「やはり、無人機ではこの辺が限界だし。いや、攻撃用に設計されたものを真逆の迎撃に使ったのだから、単にスペックの問題という訳でもないかもしれないが」
「いずれにしても、後はお前だけだ、このまま押していけば……」
「おやおや。雑魚ざこを倒してレベルアップでもしたつもりになってるの? カーテナ=オリジナルを手にした国家元首も、随分ずいぶんと低く評価されたものだな」
 キャーリサは視線を夜空から正面へ戻し、剣を肩でかついだまま上条かみじょうを見据える。彼女はドレスの開いた胸元に手を伸ばすと、そこから小型の無線機を取り出した。
「それに、そもそも雑魚はこれだけだと言った覚えもないぞ?」
「ッ!?」
 一瞬いっしゅん、新たに別の移動要塞ようさいを呼び出されるかと思ってキャーリサの無線機へ意識を集中させる上条。
 しかし、その予想は外れた。
 冷静に考えれば、何故なぜ魔術的まじゅつてき霊装れいそうではなく、無線機を取り出したのかが分かったかもしれない。とにかくキャーリサは無線機に向けてこう言ったのだ。

「ドーバー海峡で哨戒しょうかい行動中の駆逐鑑くちくかんウィンブルドンに告ぐ。バンカークラスター弾頭を搭載した巡航ミサイルを準備するの。弾頭の起爆深度をマイナス五メートルに設定、ミサイルの照準をバッキンガム宮殿に合わせ―――即時発射せよ」

 一番最初にギクリと身を強張こわばらせたのは、やはり科学サイドの上条当麻とうまだった。
「ばっ、バンカークラスターだって!?」
「やはり知ってるか? 軍用シェルター施設を破壊はかいするために開発された特殊弾頭だし。ま、空中で子弾を二〇〇発ほどばらく爆弾だからな、グリフフォン=スカイが飛んでる間にってしまうと同士討ちを起こして破壊はかいりょくぎ落としかねなかったの」
 右手にカーテナ=オリジナルを、左手に駆逐艦へつながる無線機を手にしたキャーリサは、今まで以上に凶悪な笑みを広げていく。
「本来はもーちょっと危機感をあおって、母上のエリザードを招き寄せてから撃ち込む予定だったが、スケジュールよりも早くグリフォン=スカイがやられたものでな。り上げざるを得なくなったという訳だ」
「くそ!! 半径三キロ四方が吹き飛ぶ弾頭だぞ!! このバッキンガム宮殿だけじゃない。一発落ちるだけで、ロンドンだってただじゃ済まないはずなのに!!」
わめくのは結構だが、巡航ミサイルは速いぞ? コンコルドだのユーロファイターだの。フランスやEU諸国には随分と開発費をねだられたものだが、そのおかげで我が国は超音速関連の技術に強くなったの。収納式のつばさの形状にこだわった巡航ミサイルは、確か低空でもマッハ5に届くかどーかといった所だったはずだ。一〇〇キロ程度の距離きょりなど一分たないはずだし」
「ちくしょう……ッ!!」
 六〇秒で三キロ。人間の足では範囲外まで逃げきれないだろう。神裂かんざきのような聖人なら話は変わるかもしれないが、ここにいる『清教派』のほとんどは間に合わない。
「やらせはしません」
 と、上条かみじょうの思考をさえぎるように言ったのは、神裂火織かおりだ。
 彼女は手の中にあるワイヤーを確かめながら、
「空中に防護結界を張って迎撃げいげきします。効果範囲は半径三キロ、放出される子弾の数は二〇〇発……その程度なら、決して不可能なスケールではないはず!!」
「確かに、魔術まじゅつの力を使えばバンカークラスターもどーにかできるかもしれないけど」
 ニヤリと笑うキャーリサ。彼女自身、堂々と立っているのはカーテナ=オリジナルの力を借りる事で、爆風にさらされても無傷でいられるという確信があるからだろう。
 そんなキャーリサは無線機を持つ左手で、夜空を示した。
 そこに、星のまたたきとは明らかに違う人工的な光点があった。
「―――ただ、のんびり準備してる時間はないぞ?」
「ッ!!」
 神裂はその言葉にはじかれるように、夜空に七本のワイヤーを張り巡らせた。その糸が三次元的な魔法陣まほうじんを描き出し青白い光を走らせ、街の一ブロックを巨大で分厚い壁でおおい尽くそうとした。
 それは聖人特有の、ケタ違いの魔術だっただろう。
 だが、
「無防備だな。思惑通りだし」
「……ッ!? 神裂!!」
 上条がとっさに叫んだが、舌舐したなめずりするキャーリサがカーテナ=オリジナルを振るう方が速かった。ゴバッ!! という全次元が切断される音と共に、何もかもが瓦解がかいしていく。一〇〇メートル級の切断面をかろうじて回避かいひした神裂だったが、そのせいで術式の準備がとどこおり、さらには夜空に張っていたはずの分厚い壁が、一直線に切り裂かれていたのだ。
 そこへ迫る巡航ミサイル。
 神裂は再び防御術式を構築しようとするが、間に合わない。
 上空四〇〇〇メートルの辺りで、円筒形のミサイルが四つに分かれた。外殻が取り払われた後に現れたのは、まとめて詰め込まれた二〇〇発の爆弾。それらは空中でばらかれると、『高空から一直線に落下するエネルギーを使って地中深くにあるシェルターを貫通させる』機能を発動するために、やりのように降り注いでくる。
 起爆深度をマイナス五メートルに設定、とキャーリサは言っていた。
 地上の上条たちを吹き飛ばすため、わざと地上近くで爆発させるようにしているのだ。
 逃げろ、という叫び声を聞いた気がした。
 上条かみじょうは体を動かす事もできず、ただ呆然ぼうぜんとキャーリサを眺めていた。
 己の敵。
 イギリスの第二王女は、恵みの光を身に受けるように両手を広げていた。夜空に浮かぶ二〇〇発の光点を満足げに見ていたキャーリサは、そこで上条の視線に気づいたのだろう。視線を正面に戻すと、今まで見た事もなかった、笑顔という名前の全く違う表情を顔全体で表現しながら、何かをつぶやいた。
 何を言ったのか、上条には分からなかった。

 直後、バンカークラスターがバッキンガム宮殿へおそいかかった。

 音はなかった。
 視界は真っ白に塗りつぶされた。
 ただ、上条の体がどこかに投げ出されたような感覚があった。大量の爆弾は空中や地表で爆発するのではない。一度地中にもぐってから、地面を下から突き上げるように起爆するのだ。
 意識の断絶があった。
 しばらくうめき、指を動かし……ようやく、上条は自分がまだ生きている事を何とか自覚した。
(ごっ……ぶ……)
 き込むように息をいたが、自分の声が耳から入ってこない。首を振ろうとしたが思ったように体が動かない。それでもギクシャクした仕草で泥まみれの手足を動かし、上条はのろのうと起き上がった。自分の手足がワンセットそろっている事が、これほど奇跡的だと思ったのはこれが初めてだった。
 周囲を見回す。
 意外にも、ロンドン市街に火災や倒壊とうかいは広がっていなかった。神裂かんざきが途中まで張っていた防御結界のおかげなのかもしれない。実質、二〇〇発の子弾の大半は空中で誤爆し、上条たちの頭上に降り注いだのは、カーテナ=オリジナルで切断された結界の隙間すきまからこぼれ落ちた分だったのだろう。そのこぼれた分にしても、魔術師まじゅつし達はとっさに防御用の術式を張って爆風の威力を軽減しようとしていたはずだ。
 だが……、
「イン、デックス……?」
 上条は土をかぶった頭も気にしないで、呆然と呟いた。
 返事はなかった。
「神裂、五和いつわ?」
 少年の声だけが寒々とひびく。
 土は掘り返され、建物は崩れ、自分の足元すらもおぼつかない。徹底的てっていてきに破壊された焼け野原の真ん中で、上条かみじょうふるえるくちびるを何とか動かす。
「シェリー、アニェーゼ! オリアナ!! くそっ……オルソラ、ルチア、アンジェレネ! 建宮たてみやっ、ヴィリアン!! ちくしょう。だれか……だれか答えてくれ!!」
 いくつかのうめき声は返ってきたが、明確な言葉はなかった。
 大勢の人が倒れていた。土の中に埋まっている人もいるかもしれ。その光景は、衝撃波しょうげきはに打ちのめされた体のダメージ以上に、上条の心に強烈なダメージを与えてきた。相手が奥の手を何段階用意しているか、予想も難しくなっていた。上条の心の方が追い着かなくなってきている。
 そんな中で、たった一人だけ超然と立つ人影がある。
 第二王女キャーリサ。
 カーテナ=オリジナルを肩でかついだ赤いドレスの女は、
「さぁーって、と。希望はまだ残ってるの?」
 ニヤリと笑って、もう片方の手にある無線機を口に寄せる。
 彼女は見せつけるように、容赦ようしゃなくこう言った。
「―――駆逐艦くちくかんウィンブルドンに告ぐ。バンカークラスター、続けて発射準備せよ」

     6

 第一王女リメエアは、トレードマークの片眼鏡を外していた。代わりに、大航海時代の船長が扱っていそうな、えらくアンティークな望遠鏡をのぞき込んでいる。
(……あらあら。カーテナ=オリジナルを持つ国家元首がどれだけ恐ろしい存在かぐらい、この国の魔術師まじゅつしなら分かっていて当然のはずなのに。実際にまざまざと見せつけられて、『清教派』の残存勢力は壊滅かいめつ寸前といった所かしらね)
 ロンドン市内のビルの屋上で、こっそり身を伏せていたリメエアは、遠くはなれた戦場を見ながらも、口元には笑みを浮かべていた。
 そんな彼女の耳に、通信用の霊装れいそうから声が届く。
 今までは使用を控えていたが、キャーリサの意識がバッキンガム近辺に集中した今となっては、魔力の発生源を探知される事もないだろうと判断したのだ。
『おう、おじょうちゃん。ウチの若い連中にエジンバラの一帯を調べさせちゃいるが、どうも嬢ちゃんのにらんだ通りの事になってるみたいだな』
 気の良いオヤジみたいな言葉だった。英国王室の血を引く者への配慮はいりょもない。しかしリメエアの顔色は逆にほころんだ。そう、彼女は自分を第一王女と知らず、その立場を利用しようとしない者に対してはとても素直になる人物なのだ。
「という事は、やはり……『墓所』という方向でよろしいのかしら?」
『規模は小っせえが、それに反して精度のレベルがハンパじゃねえ。こりゃあ間違いなく一文明の王様クラスの「墓所」に相当すんだろうな。クフ王のピラミッドをワンルームに押し込めると、こんな風になるのかね』
 資料を送るぞ、という言葉と共に、リメエアのかたわらに置いてあった羊皮紙ようひしに、インクのような黒い点が生じた。それは見えない羽ペンが走るように、図面やなめらかな筆記体の文字をびっしりと記していく。
 片眼鏡を掛け直し、具体的な数値を目にしながら、リメエアは満足そうにうなずいた。
「なるほど……。となると、クーデター首謀者しゅぼうしゃねらいはつかめたも同然ね」
 彼女はしばし羊皮紙から視線を外し、思い返すようにポツリとつぶやいた。
「まぁ確かに、その方が彼らを殺していない事にも合理性があるかしら」
『……なぁ嬢ちゃん。アンタはどっからこんなヤバい情報を仕入れてくるんだ? 確かストーンヘンジの管理維持を務める古い魔術師の一族とかって蝕れ込みだったけど、本当に……』
「うふふ。美人のなぞを明かしたいのなら、もう少し仲良くなってからにしてくださいな」
 適当に言いくるめると、リメエアは一度通信を切った。
 そして矛先ほこさきを変えると、再び通信用霊装を起動させる。
素性すじょうは明かせずとも心強い仲間たちのおかげで、必要なピースはそろっている。
 後は、『頭脳』の第一王女らしい行動を実行するだけだ。

 その時。
 バッキンガム宮殿で第二王女キャーリサ護衛の任に就いていた騎士きし達は皆、倒れていた。カーテナ=オリジナル暴走によって浮足立った『騎士派』を再びまとめ上げるために、見せしめに『制裁』を受けた者達だった。
 正直、カーテナを扱いきれなかったキャーリサに失望しかけていたのは事実だった。
 しかし、その考えは甘かった。
 一度暴走したとはいえ、カーテナ=オリジナルを振るうキャーリサはあまりにも圧倒的で、若い騎士達にはすべもなかったのだ。
 そんな中で、もぞりと動く気配があった。
 ガラクタのように転がるよろいの中の一つだけが、ゆっくりと起き上がったのだ。
 ここはどこだ、と彼は思った。
 今まで自分達の血飛沫ちしぶきり付けていた、バッキンガム宮殿の中ではない。どこかの大きなビルのようだった。遠くの方から断続的に閃光せんこう瞬々またたき、爆音と震動が伝わってくる。それは落雷のように時間差のあるものだった。
 痛む体を引きずるようにして、若い騎士は何かを探すように首を動かす。今まで気絶していた彼の意識を刺激したのは、通信用の霊装れいそうから聞こえてくる女性の声だった。
『聞きなさい。私は英国王室第一王女・リメエアです』
 本来ならば、通信に割り込みをかけられているという事態に業務的な警戒を抱くべきだろう。しかし、あまりの激痛で朦朧もうろうとしていた若い騎士は、そんな職務上必要なプロセスすら頭の中に構築する事ができず、ただ呆然ぼうぜんと流れてくる言葉を耳にしていた。
『エジンバラに放っていた密偵からの報告により、クーデター首謀者しゅぼうしゃキャーリサの真のねらいが分かりました。これはおそらく、あなた達「騎士派」の者にも伝えられていないであろう、我が妹キャーリサが胸に秘めた本当の狙いです』
(……、)
 若い騎士は、ゆっくりと周囲を見回した。
 死屍累々ししるいるい惨状さんじょうの中、どうやら自分だけは生き残ったらしい。
 何故なぜ、という疑問もあった。
『暴君』と化したキャーリサに筋肉も骨格も内臓も神経も痛めつけられた自分が生き残った理由についてもそうだし、バッキンガム宮殿で意識を失ったはずの自分が、何者の手によってここまで運ばれたのかという事もなぞだった。
 しかし。深く考えようとはしなかった。
 理由が何であれ、第二王女キャーリサの『変革』のために命をけて尽力した自分たちは、結局ただの捨てごまだった事に変わりはない。もはや、裏切られた事に対する当たり前の怒りすらかなかった。ただ圧倒的な無気力感に、若い騎士きしは再び崩れ落ちそうになる。
『彼女はこの国の「軍事」をつかさどる代表者として、ローマ・ロシア勢力からイギリス国民が脅威きょういにさらされている事に、だれよりも責任を感じていました。EUを手駒として、クラスター爆弾や他の兵器類の禁止条約をたてに国の兵力を奪われ、ユーロトンネルの爆破によってイギリスという国家そのものが挑発される状況に追いやられ、キャーリサは次のように結論付けたのです』
 崩れそうになっている若い騎士は、そこで別の音を耳にした。
 彼一人だけではなかった。
 金属をこするような音を聞き、若い騎士は振り返る。そちらでは彼と同じように、朦朧もうろうとしながらも何とか身を起こそうとする同僚どうりょうがいた。
『このままでは、イギリスという国家そのものの価値や威厳を奪われてしまう、と。イギリスの民であるというだけで、よその国からあざけられ、迫害されるような時代がやってきてしまうと。だからキャーリサはこう考えたのです。戦争によって激変する時代そのものにイギリスの民が滅ぼされぬようにするには、武力によって国家の価値や威厳を保つしかない、と』
 彼らは最初、リメエアの言薬など注意深く聞いていなかった。
 全身を走る激痛でそれどころではなかったし、何よりこれだけの横暴を振るわれた直後だ。キャーリサをかばう言葉のすべてが欺瞞ぎまんに思えたのだ。
『そして同時に、キャーリサは悩みました。彼女は「軍事」にすぐれた才能を持っていたがゆえに、カーテナの強さと恐ろしさの双方を、誰よりも理解していたのです。……もしも国家元首の手にカーテナがなければ、そこまで絶対的な王政でなければ、ローマ正教との戦争がここまでひどくなる前に民の声に耳を傾けて、国家の舵取かじとりを修正する機会があったのではないか、と』
 しかし。
 若い騎士達は、じわじわと気づいていく。
 関節も内臓も骨格も痛めつけられていたはずだった。キャーリサはそういう風にねらって『制裁』を放っていったはずだった。単純な死よりもおぞましい激痛を与え、それを眺めている者達を恐怖でしばりつける……それだけのために、彼らは体の奥の奥までつぶされているはずだった。
 なのに、どうして自分達はきちんと起き上がる事ができる?
 骨を折るような行動不能におちいる事もなく、一生引きずるような後遺症を残す事もなく……まるで、人間の急所だけを狙って外しているようではないか。
 そして。
 あれだけの暴虐ぼうぎゃくの中、たった一人の死者も出ていないのはどういう事だ?
『キャーリサは対フランス・ローマ正教の切り札としてカーテナ=オリジナルを振るう覚悟を決めた一方で、その戦いが終わった後には、この最終兵器を完全に封じようと考えています。……誤った国家の舵取かじとりを、だれかが止められる制度を作るために。そのためには、カーテナを完全破壊はかいするだけでは駄目だめだったのです』
 リメエアの声だけが続く。
『たとえここですべての王族を殺害し、カーテナ=オリジナルとセカンドの両方を破壊したとしても、一〇〇年、一〇〇〇年の時間の中で新たな王の血統が出現するかもしれません。破壊された残骸ざんがいを解析する事で、カーテナ=サードや、現代の我々では想像もつかないような霊装れいそうが開発されるかもしれません。……実際、歴史から消えたはずのカーテナ=オリジナルは、長い時を経てキャーリサの手に渡りました。それはキャーリサを優位に立たせると同時に、どうしようもないほど彼女を苦しめたのです』
 自ら疑問を解決できない若い騎士きしは、ただその言葉を聞く。
『カーテナと「全英大陸」が形成する、王と騎士の支配体制には、元々「余力」が用意されていました。オリジナルが紛失した際にも統治を続けられるよう、セカンドを作る余地が意図的に残されていたのです。例えばオリジナルに「セカンドを作るための解析の糸口」を準備したり、オリジナル紛失下でセカンドを起動した場合、「全英大陸」の機構が混乱・競合を起こさないように配慮はいりょしたり、といった事です。……キャーリサは今存在するオリジナル、セカンドだけでなく、長い時間の中で別のカーテナが作られるかもしれない可能性すら完全封印しようとしているのです』
 若い騎士は、見た。
 窓の外。
 崩れた宮殿の敷地内で戦うキャーリサの背中を。
 直線距離きょりで数キロもはなれていたが、遠距離狙撃そげき用のサーチ術式を備えている彼らには関係ない。今もバッキンガム宮殿で激戦をり広げているその光景が、手に取るように分かる。
 カーテナ=オリジナルの力を存分に振るい、バンカークラスターを搭載した巡航ミサイルまで扱い、まるであらしの中心のように君臨するキャーリサだが、何故なぜだか若い騎士には、その様子がどこか寂しそうに見えた。
『キャーリサのねらいはカーテナを使える可能性のある王族を全て殺害し、現存するオリジナル、セカンドの両方に干渉し、「サードを作るための解析の糸口」をつぶす事。それによって、再び王とカーテナが現れてイギリスの舵取りを誤る―――という最悪のリスクを完全排除する事にあります。バッキンガム宮殿が破壊されたのも、「清教派」による攻撃だけではありません。キャーリサは、カーテナ=セカンド製造時に解析されたと思われる、現代の魔術師まじゅつしでは解読不能な暗号文書や絵画群を徹底的てっていてきに破壊し、歴史の中でカーテナ=サードが生まれる可能性を潰したのです。……フランスやローマ正教との戦争が終わった後は、キャーリサ自身の手で封印し、破壊はかいしたカーテナ=オリジナル、セカンドの残骸ざんがいと共に、残りの人生を死ぬまで「墓所」の奥深くで過ごす覚悟まで決めて』
 だれかが、ゆっくりと立ち上がった。
 不思議と、立ち上がる事ができた。
 それは、彼ら『騎士派きしは』だけの力によるものではない。キャーリサは最初からそう配慮はいりょしてくれたのだ。クーデターに協力した『騎士派』を生き残らせるために、第二王女一人が暴君となり、『騎士派』が負うべき責任まで彼女だけが抱え込む事で。
 あの人のために戦いたいと、若い騎士は素直に思った。だがそれは、キャーリサの命令に従ってクーデターを成功させる事とは一致しない、とも考えていた。
『結論を言います。キャーリサのねらいは二つ。一つ目は、圧倒的な暴君と化してフランスやローマ正教を排除し、後世にこの国の汚点と言われるようになってでも、イギリスを守る事。そして二つ目は、その最強最悪の兵器であるカーテナを封じ、無能な王政を排除する事で、国家の暴走を民衆の考えで止められるようにする事です。……仮にこの先、何らかの要因が重なって私たちとは違う新しい王政が成立したとしても、その王が間違えた選択をしようとしかけた時に、王が民衆の言葉に耳を傾ける程度の「弱さ」を残すために。キャーリサはそれらの目的のために、「カーテナという極悪ごくあくな兵器を振るい、国の内外にいる多くの敵を虐殺ぎゃくさつしてしまった罪」を、暴君としてたった一人で背負おうとしているのです』
 もしもキャーリサが、自分へ失望の目を向ける部下すら殺さないような人物でいてくれているとしたら。
 これ以上、道をみ違えさせる訳にはいかない。
 カーテナ=オリジナルの力を使わなくても、ローマ正教との危機的状況を乗り切るための方法はあるはずだ。
 そう。
 キャーリサをも含む、英国王室の女王と三姉妹が全員すべて力を合わせる事ができるなら。

 そして。
 ビルの屋上に立っていた騎士団長ナイトリーダーは、つむがれる第一王女リメエアの言葉を聞いていた。
「私はあなた方の行動を強制しません。あなた方にも国家のほかに守るべき家族がいて、友人がいて、恋人がいる事でしょう。彼らをかなしませぬため、逃げ出す事を否定はしません」
 彼は、だまって目をつぶっていた。
 リメエアは構わず、こうめくくった。
『ですが、もしも我が妹キャーリサをあわれと思う方がいるのでしたら。第二王女という立場に関係なく、一人の女を助けたいと思う騎士がいらっしゃるのでしたら。今一度、剣を取ってはいただけませんか。おそらく、それだけで救われる女がいるはずです。どれだけの力を振るえるかではない。本当の意味で自分のために戦ってくれる人物がいる。その事実が伝わるだけで、救われる女が」
 しばし、沈黙ちんもくがあった。
 おそらくはイギリス中で、同じような沈黙があるはずだった。
 彼らは黙考し、そして一つの決断を下すだろう。
 一人の騎士きしとして、男性として、人間として……それぞれが、自由な決断を。
(もはや、イギリス全土へ命令を飛ばす必要すらあるまい)
 騎士団長ナイトリーダーは音もなくうなずくと、どこからともなく一本の剣を抜いた。
 カーテナと『全英大陸』からの力を失い、赤く変色する事すらできなくなった、銀色のロングソード。しかし、そのき出しのはがねは今までよりも力強く見えた。
(言葉に出さずとも、我らのすべき事は決まっている)
 本来の用途を取り戻した、騎士の剣。
 それを手にした騎士のおさが、ビルからビルへと高速で跳んでいく。

 第一王女リメエアは、うっすらと微笑ほほえんでいた。
 つい先ほどまで背後に騎士団長ナイトリーダーが立っていたが、彼女は結局一度も振り返らなかった。
 彼女は、自分を第一王女だと知っている者を信用しない。
 だからこそ振り返らなかったのかと聞かれれば、それは違う。むしろ信じられない人物に背中を見せるようなリメエアではない。
(……民を思い、クーデターを実行するほどに変わってしまったキャーリサに、そのクーデターで苦しめられる民を見て成長したヴィリアン)
 再び望遠鏡で戦況を確認しながら、リメエアは考える。
(同じように、今度の件で私も少しは『強く』なったのかしらね)

     7

 髪にからまる泥をぬぐいもせず、地面に倒れたままのヴィリアンは、朦朧もうろうとした視線をとある少年の背中に向けていた。バンカークラスター爆弾によってほぼ壊滅かいめつ状態になった『清教派』残存勢力の中で、必死にキャーリサにあらがい続ける一人の少年の背中に。
 他の多くの『清教派』と同じく、ほぼ瀕死ひんしで行動不能となったヴィリアンの耳には、姉である第一王女リメエアからの通信が届いていた。
 あの少年は、今の通信を聞いただろうか。もしかすると、瓦礫がれきとなった戦場に落ちている霊装れいそうから、同じような放送を耳にしていたかもしれないし、していないのかもしれない。
 ただ、彼は揺らいでいなかった。
 キャーリサの意図を知って揺らぐ『清教派』残存勢力の中で、彼だけが。
「さーどーする? 二発目のバンカークラスターは発射されたし! 先ほどとは違い、今度は魔術師まじゅつしどもも防御結界を張るだけの余力はないだろーなぁ!!」
「ッ!! ちくしょう、あきらめてたまるか!!」
「はははっ!! カーテナ=オリジナルを折れば、私が命惜しさにミサイルへ自爆信号を送るとでも? 核兵器ではあるまいし、生憎あいにくとあの弾頭にそんな機能はついてないの!!」
「まだだ!! セルキー=アクアリウムの弾幕を借りれば!!」
「そちらの方が幾分いくぶん現実的か。だがそんな事ができるなら、先ほどの一発目も迎撃げいげきされてるはずだし。自国開発・自国生産に固執し続けたせいで適応力を失ったフランス製のガラクタならともかく、この私が手掛けた巡航ミサイルはそー簡単にはち落とせないの!!」
 ウィリアム=オルウェルとは違い、完成した主義や思想など持っていない傭兵ようへい。確かに彼は、常に正しい選択はできないだろう。実際、キャーリサや『騎士派きしは』にだまされ、クーデターの発生を止められなかったのだから。
 だけど、あの少年はそこにとどまらない。
 たとえ間違えたとしても、絶対に諦めない。どれだけ状況が悪化しても、そこからきちんと逆転できる最良の策を、どうあってもつかみ取ろうとする。
 だから。
 あの少年は、この現状に揺らがない。
 笑って迎え入れる事はあっても、おどろいて迷うような事はありえない。
 最初から完全に正しくあろうとする者と、最後にはみんなが笑える事をしようとする者は、果たしてどちらが尊いのだろうか。
「ほーら、バンカークラスターのご到着だし」
 リメエアに胸の内を暴かれ、なお暴君として君臨しようとするキャーリサは、両手を広げて夜空を見上げた。
 暗い空の一点に、星空とは違うミサイルの光点が生じている。
「吹き飛べ愚民ぐみんども!! これが我が『軍事』の本領だ!!」
「ッ!!」
 少年はわずかな可能性にけようとしているのか、カヴン=コンパスやセルキー=アクアリウムにつながる通信用霊装れいそうを探そうと辺りを見回している。しかしミサイルで瓦礫がれきの山となった宮殿敷地しきち内からそれを見つけるのは困難だったし、そもそも魔術知識にとぼしい彼は、すぐ近くに落ちていても発見できなかったかもしれない。
 そうこうしている内に、巡航ミサイルはバッキンガム宮殿の直上まで迫る。
 このままでは二〇〇発の子弾がばらかれ、今度こそ宮殿を中心に半径三キロ近くの街並みが粉々に吹き飛ばされてしまう。
 そこへ、

「――ゼロにする!!」

 遠方から、新たな声が届いた。
 直後、四つに分解して大量の子弾をばら撒くはずだった巡航ミサイルが誤作動を起こした。既定のポイントに到達してもミサイル外殻が開く事はなく、後部の噴射炎がいきなり消滅し、暴投したようにバッキンガム宮殿敷地しきち外の道路へと落ちる。巡航ミサイルはかなりの重量のはずだが、道路に突き刺さる事なく、何度もバウンドしながら転がっていった。
 まるで兵器の持つ攻撃力こうげきりょくを丸ごと奪ったような、不自然な現象。
 呆然ぼうぜんとする第三王女の耳に、空気を引き裂く鋭い音が聞こえてきた。
 カーテナ=オリジナルが生み出す残骸ざんがい物質。
 長さ三メートルほどの鋭いくいは、戦いの最中にキャーリサが蹴飛けとばしてきた物だった。ごう!! とぐヴィリアンの顔をねらう杭だったが、それが彼女を貫く事はなかった。
 莫横から。
 唐突に飛び込んできた騎士団長ナイトリーダーが、右拳みぎこぶしで三メートル級の杭をなぐり飛ばしたからだ。
 ゴッキィィン!! という轟音と共に、その挙の指の間から赤黒い血が噴き出す。
 しかし騎士団長ナイトリーダーの顔色に変化はなかった。
 彼はただ、己の拳に目をやって結果だけを眺めている。
「……やはり、カーテナ=オリジナルと、そこから派生する諸現象には通用せんか」
騎士団長ナイトリーダー……?」
 泥まみれのヴィリアンはふるえる声でそう呼んだが、彼の方は振り返らなかった。大勢の『騎士派きしは』の男たちと共に現れた騎士のおさは、ヴィリアンの顔も見ずにこう言った。
ばつには応じます。このクーデターが終わったら、私の首は切断してもらって結構」
 迷いのない言葉だった。
 騎士団長ナイトリーダーは、自分がこれまで行ってきた事を『変革』ではなく、『クーデター』と初めて呼んだ。
「ですが、せめて処断を受けるための下準備程度は、我らの手で。なおかつ、願わくば……再び貴女あなた達『王室派』が力を合わせ、フランスやローマ正教と正しく向き合ってくれる事を」
 言いながら、騎士団長ナイトリーダーは血まみれの手で一本の剣を握り直す。
 カーテナ=オリジナルからの力の供給を断たれ、もはや本来通りの力を発輝する事もできなくなった騎士のロングソード。
「……キャーリサ様は、たった一人であれだけの事を成せる方です。その力を正しく扱い、なおかつ他の『王室派』の方々と力を合わせる事ができれば、必ずやローマ正教を退けられる事でしょう」
 明らかに不利な状況で死地へとおもむここうとする騎士団長ナイトリーダーを見て、ヴィリアンのくちびるが自然と動いた。彼女は痛む体を引きずるように起き上がりながら、こう言った。
「待ちなさい」
 その、今までの第三王女とは思えないほどしっかりとしんの通った言葉に、思わず騎士団長ナイトリーダーは動きを止めた。『騎士派きしは』のおさを思わず振り向かせるほどの力を、すでにヴィリアンは内包していた。
「身勝手な死を押し付けられても迷惑なだけです。本気でつぐないをしたいというのなら、喜ぶような事をしていただきましょう。何をすべきかは、各々が自らの頭で考えてください。強要されて嫌々いやいや行うのではなく、自ら率先して行う事にこそ、意義はあるのでしょうから」
 その言棄を、騎士団長ナイトリーダーはしばしめた。
 それから今なお戦う上条かみじょうとキャーリサの間へと迷う事なく足をみ入れた。
「班を二つに分けろ。一つは辺りに倒れている『清教派』の回収と回復を。一つはキャーリサ様を直接止めるための攻撃こうげきを」
 騎士団長ナイトリーダーの短い指示に、傷だらけのよろいをまとった男たち迅速じんそくに動く。一から一〇まで命令に従うのではない。トップから末端まったんまでの全員が、各々の意志で動いていた。
「……必ず勝つぞ。これ以上、キャーリサ様を一人きりにさせる訳にはいかん」
 白色の巨大構造物を回避かいひし、すきあればキャーリサの全次元切断を無効化させようとする上条のとなりに、騎士の長は立つ。
「すまない。我が国と王女の行く末を、君達に預けっ放しにしてしまったな」
 対して、上条の答えは簡潔だった。
 彼は騎士団長ナイトリーダーの方を見もしないで、ただこう答えたのだ。

「おう。あいつを止めるために、協力してもらうぞ」

 二人は同時に動いた。
 上条は全次元切断を打ち消すために。騎士団長ナイトリーダーは直接的に切り込み、カーテナ=オリジナル自体の動きを食い止めるために。
 騎士団長ナイトリーダーが握っているのはロングソードだ。八〇センチ程度の長さの刃を持つ、軍馬に乗りながら戦うための剣。己の振るう武器に目をやり、彼は苦い表情で何かをつぶやいた。
「(……やはり、長大化は封じられている。世界各地の騎士道の術式を結合した『パターン』系の魔術まじゅつは使用不能。カーテナからの力の供給は断たれて当然か。扱えるのは自力で構築したソーロルムの術式と。高速移動用の補助術式。しかしソーロルムの術式はカーテナとそこから派生する諸現象には通じない。剣術にしても、カーテナからの供給がなければ力が大幅に減じてしまうのはけられまい)
 明らかに不利な状況を思い浮かべ、しかし騎士団長ナイトリーダーは小さく笑う。
 本来の調子を取り戻したような、わずかに気障きざったらしい笑みを。
「(……半分の速度を出せれば良い所、か。だが殺さずに止めるためには、この状況の方が有難ありがたい!!)」
「なるほど。『人徳』のヴィリアンに続いて、『頭脳』の姉上まで来るとはな!!」
 キャーリサは剣と剣をぶつけ合いながら。大きく叫ぶ。
 そう、騎士団長ナイトリーダーのロングソードはカーテナ=オリジナルをはじいた。全次元切断のフィールドの発生しない、剣の側面を正確にたたいたのだ。
「最高のタイミングをねらった演説だったよ! 『騎士派きしは』にしても『清教派』にしても、カーテナ=オリジナルの力で心を折られかけた直後だったの! だから余計にひびいたんだろーさ! からい食べ物を食べた後に、甘い飲み物を口に含んだ時のよーにな!!」
 それでもキャーリサの猛攻は止まらない。
 騎士団長ナイトリーダーや『騎士派』という怪物たちを相手にお手玉のように攻防をり返す。
「おまけにあれは、『騎士派』全体に向けて放たれたものではないし! そーいう風に見せかけて、お前個人に向けて発信されたメッセージだった! そりゃそーだよ。『騎士派』の実質的な柱はおさだからな!! お前一人の決定で、『騎士派』っていう集団の意見は大きく傾くだろう。一人一人に自由に選べというより、お前一人の意見を調整してしまった方が、結果として組織全体の動きを予測しやすいの。まったく、あの『頭脳』の姉上らしい、狡猾こうかつな演説だったじゃないか!!」
「構いません」
 対して、騎士団長ナイトリーダーはキャーリサの攻撃こうげき回避かいひしながら、表情を崩さなかった。
 彼の決意は、すでに固まっていた。
「どれだけ演出されたものであっても、あなた様をお助けする原動力となるならば。『頭脳』のリメエア様に踊らされるのまた一興でしょう!!」
騎士団長ナイトリーダーとしての誇りか? だがカーテナ=オリジナル側からの供給を断たれては本領を発揮できないの。それともセカンド側からの微弱な供給だけで私に追い着けるとでも思ってるのか!?」
「力の有無など瑣末さまつな事! その程度では揺らぎはしません!!」
「チッ、気持ちの悪い男だな!!」
 叫ぶキャーリサは、しかし確かに『騎士派』の闘志とうしが回復……いや、最初よりも増大し、これまで以上に強烈な攻撃を繰り出してくるのを感じていた。おそらく倒れている『清教派』にしても、肉体面はともかく精神面では完全に復帰している事だろう。集団としての厚みが違う。その上、イギリス各地から続々と追加の騎士きしたちが集まってくるとなっては、流石さすがにこれ以上遊んでいると面倒な事になりそうだ。
忌々いまいましいが、巡航ミサイル出し惜しみはなしだ!!)
 一度大きくカーテナ=オリジナルを振るって牽制けんせいすると、キャーリサは大きく後ろへ跳んで距離きょりを取る。
 わずかに時間的な『間』が生じた事で、改めて間合いを測り直そうとする上条かみじょうや『騎士派』の面々を見て、キャーリサはカーテナ=オリジナルを肩でかついだ。
「対フランス攻撃こうげき用に残しておきたかったが、やはりここでバンカークラスターを使い切るしかなさそーだし」
 キャーリサの手には、小型の無線機がある。
 ギョッとした上条かみじょうだが、騎士団長ナイトリーダーが挑むように一歩前へ出た。
「私の扱うソーロルムの術式にはカーテナ=オリジナルとその剣が生み出す諸現象を封じるほどの性能はありませんが、バンカークラスター程度なら攻撃力をゼロにできます。それでも無駄遣むだづかいをなさいますか?」
「確か、お前の扱う防御術式は『術者の認識する武器の内、標的となる物を選択して攻撃力を無効化する』といったものだったはずだし」
 まるで部下に仕事の確認を求めるような口調で、キャーリサは言った。
 そうしながら、彼女は無線機に口を寄せる。
「ならばこー指示しよう。―――バンカークラスター弾頭を搭載した巡航ミサイルを準備せよ。ドーバーで待機中の駆逐艦くちくかんウィンブルドンから二四発、キングヘンリー7から二六発、シャーウッドから二〇発、ヘイスティングズから一五発、シェイクスピアから一五発。関係各位はバッキンガム宮殿に照準を合わせ、総勢八〇発のバンカークラスターを私の合図とともに発射せよ。さーて、私はどのミサイルを幻術で隠すと思う?」
「……ッ!!」
 身を強張こわばらせる騎士団長ナイトリーダーに、キャーリサは凶悪な笑みで応じた。
「単なるハッタリかもしれないが、すり抜けたら終わりだし。その上、私がカーテナ=オリジナルで同時攻撃を仕掛ければダメ押しだな。一発でも逃せば全員が死滅する状況で、我が剣を押し返す事ができるかどーか、英国の騎士の真髄しんずいをテストしてやろう」
「チッ! 止めるぞ!!」
 上条は騎士のおさを促しながら、自身もこぶしを握ってキャーリサの元へ突っ込もうとする。
 だが、第二王女が指先を動かして通信ボタンを押す方が早い。
 上条の拳が届くまえに、キャーリサは小さな無信機に向けて破壊はかいの命令を飛ばしてしまう。
「該当する五せきの駆逐艦に告ぐ。巡航ミサイルを発射せ―――」
 歯噛はがみする上条かみじょうだったが、対するキャーリサは何故なぜ怪訝けげんな顔をした。
 それからハッと頭上を見上げ、直後に真後ろへと跳び下がる。
 そこへ、

 ドッパァァァ!! と。
 軍用通信に使う巨大なアンテナ塔が、先ほどまでキャーリサの立っていた場所へと勢い良く突き刺さった。

 キャーリサに向かおうとしていた上条の体が、爆風に押されて後ろへ転がる。砂塵さじんの舞う瓦礫がれきの中央に突き刺さった巨大アンテナの残骸ざんがいの上には、だれかが立っていた。その大柄な人影は、第二王女キャーリサを見下ろしながらこう告げる。
「これで英軍への無謀むぼうな指示は出せまい。彼らとてイギリスの民である。独裁者からの強引な指示なしに、本来死力を尽くして守るべき自国の首都へ巡航ミサイルを発射しようとは思わないであろうからな」
「なるほど、余計な真似まねをしてくれるし……ッ!!」
 今まで以上に……もしかしたら、クーデターを通して一番忌々いまいましそうな表情で低い声を放つキャーリサ。

 それに対して、大男はアンテナ塔から飛び降り、上条かみじょう騎士団長ナイトリーダーの間に立ってこう言った。
「遅れたか。科学については見聞きする程度でな。付近の軍用アンテナを片っぱしから探し出して破壊はかいするのに、少々手間取ってしまったようである」
そう言って。
 とある傭兵ようへいは、三メートルを超す大剣を改めて構え直した。
 個人の戦闘せんとうはおろか、集団の戦争においても戦い慣れたあの傭兵が、ついに戦線に加わる。
相変わらず、憎らしいほど最高のタイミングで。

   行間 五

 結局は、くだらない事の積み重ねだった。
 とある一つの特別な瞬間しゅんかんがあったのではない。最悪の結末へ向かうレールのようなものは、昔からチラホラと見えてはいたのだ。
『賛成多数により、以上の兵器の使用は禁じられる事になりました』
 バンカークラスターだけではない。
 ローマ正教に牛耳ぎゅうじられたEUの会議は、イギリスの主力として開発を進めてきた兵器だけを、ピンポイントで塗りつぶすように次々と禁止条約を可決させていった。その態度は、時代遅れの大国など、もはや怒らせた所で怖くはないと言外に突きつけられているようなものだった。
 もっとも。
 一番初めは、まだキャーリサが『軍事』を担当する前、母親のエリザードの頃からだったらしい。その時にはイギリスの核兵器だけが禁じられた。フランスの核兵器は禁じられなかった。両者を分けたのは『爆発の破壊はかいりょくの差』らしいのだが、以降のイギリスは『威力を低めに設定した核兵器』を開発する事も封じられ、挙げ句の果てにはイギリス製の核兵器は、すべてフランスに渡る事になったそうだ。表向きの建前は『EUの中で唯一の核兵器保有国となったフランスは、安全に核兵器を解体する技術を有している』との事だったが、真の理由は明白だった。
攻撃こうげき』は、昔からあったのだ。
 それがエスカレートした結果が、キャーリサの見ている惨状さんじょうだった。
 EU加盟国の彼らは、陰ではこうささやいているだろう。
 ローマ正教の庇護ひごさえあれば問題ない。
 イギリスが難癖なんくせをつけてきた所で二〇億人もの大集団と正面から戦う訳がない。
 時代遅れの大国。
 お前たち繁栄はんえいは、二〇世紀の序盤で終わったのだ。

 ―――国の価値が下げられている、と思った。

 これらあからさまな挑発行為に乗る必戻はないと、国を治める母上は言った。しかしその結果は、周辺国家からナメられ、あの国には何をやっても許されるという環境を築きつつある。この状態が続いていけば、やがてはイギリスという国家は国家として認められる事すらなくなり、イギリス国民というだけで人々があざけられ、ののしられ、自分がイギリス国民である事を隠して生活しなくてはならないような時代がやってくるだろう。
 そんな事は、止めなくてはならない。
 国の皆が笑って過ごせるような時代を失わせる訳にはいかない。
 そのために、何年もかけて準備を進めてきた。方法はいくつかあっただろうが、自分は最初からその内の一つを自然と選んでいた。元より『軍事』だけにすぐれた女、剣を取って泥にまみれた戦場へ向かう事しか知らぬ者である。この自分が成功させるとすれば、クーデター以外の選択肢に、現実味があるとは思えなかった。
 ただし、これはあくまでも準備だった。
 いくつかの条件さえ整わなければ、決して実行される事のない準備。
 あるいは、国を治める母上が外交手腕を発揮して国の威厳を取り戻せば、それで問題はないだろう。周辺国家がローマ正教の支配から脱し、各々おのおのが自らの意志で国を動かすようになれば、自分が行動を起こさずとも、危機的状況は自然と消滅しただろう。
 しかし。
 イギリスとフランスをつなぐユーロトンネルは爆破された。
 それと合わせるように、イギリス行きの路線をふさぐようにハイジャック事件は起きた。
 あらかじめ戦略的に設定していたいくつかのチェックポイントやボーダーラインといったものは、最悪の形で通過されてしまった。
 もはや、一刻の猶予ゆうよもないと判断した。
 この機に動かねば、イギリス国民の価値は奴隷どれいよりも劣る位置まで落ちると。

 結局、キャーリサはカーテナ=オリジナルを手に取った。
 あれだけ忌々いまいましく思っていた、王を決めるための剣を。
 暴君になろう、と静かに決意した。
 歴史上に最悪の汚点を残すほどの、圧倒的な暴君に。
 元より自分は『軍事』に優れただけの、剣を取って戦う事しか知らぬ女、国家や世界を変える方法など、一つしかない。
 キャーリサはだれにも伝えずに、たった一人で決定する。
 この戦いを終えたら、二本のカーテナと共に歴史から消える覚悟を。そして自ら作り上げた墓所の深くにもぐり、誰にも知られぬまま眠り続ける末路を。

第八章 女王と国家の国民総選挙 Union_Jack.

     1

 後方のアックアと騎士団長ナイトリーダーの二人は、並んで立っていた。
 アックアは霊装れいそうアスカロンを、騎士団長ナイトリーダーは大きな武器のしんだけが残ったような一本のロングソードを、それぞれ握っている。
 騎士団長ナイトリーダーは、旧友に話しかけているとも独り言とも取れる声でつぶやいた。
「……よもや、この人生でもう一度、お前に背中を預ける時が来るとはな」
「フルンテイングへの移行は不能、であるか。せいぜい足は引っ張らぬようにな」
「ぬかせ」
 そこまで言うと、騎士団長ナイトリーダーはロングソードを軽く振るって前を見た。
 もはや、いちいち一目置いて、注意深く目を見ながら語る必要もない。かつて共に数々の強敵を打ち破ってきた時と同じように、彼はぞんざいな調子で信頼しんらいを預けるように、こう言った。

「行くぞ。互いの一〇年の研鑽けんさんを。それぞれ点検してみる事にしよう」

 ゴバッ!! と大地が裂けた。
 二人が同時に駆けた事で、地面の方が耐えきれなくなったのだ。
 アックアは右から、騎士団長ナイトリーダーは左から。
 それぞれ回り込むような挙動で、もはや肉眼で追い掛けるのも難しい速度で、彼らはキャーリサの元へと突き進み剣を振るう。
「チッ」
 対して、キャーリサはアックアの方へ反応した。全長三・五メートルもの大剣を身をひねって回避かいひすると同時、その動きをかしてカーテナ=オリジナルを横回転するように振り回す。生み出された残骸ざんがい物質のたて騎士団長ナイトリーダーのロングソードの動きを止め、
「―――切り飛ばすぞ、首」
 キャーリサは超至近距離きょりで、アツクアにささやく。
 直後。
 ゴッ!! と二つの斬撃ざんげきが激突した。続けて放たれた袈裟けさりに、アックアもアスカロンで応じる。彼はカーテナ=オリジナルの力を考慮こうりょし、刃と刃をぶつける事はなかった。剣のつばと鍔をたたき合うように、根元の部分で拮抗きっこうしたのだ。
(……痛っつ……ッ!?)
 今まで一方的に振るう側だったキャーリサが。予想外の反動に驚愕きょうがくする。
 純粋な衝撃しょうげきが生まれ、両者の体が強引に後ろへ押し出される。下がるというより土を削りながらすべるような動きだが、そこはまだ両者の射程の内。
 続けて互いの必殺が走る。
「ッ!!」
「ッ!?」
 剣の大きさなど気にかけず、武器ごと致命打を与えようと攻撃を放つ二人。それは西部劇の決闘けっとうのように、わずかな差で勝敗を決する事は間違いない。
 だが、
「―――二人だけでっ、戦っているとは……ッ!! 思わない事です!!」
「なっ」
 そこへ、真横から傷だらけの神裂かんざき火織かおりが突っ込んだ。ある程度結界で防御していたとはいえ、バンカークラスターの爆風に打たれた体を酷使こくしして、だ。ほかの『清教派』がいまだに身動きが取れない中、唯一立ち上がる事ができたのは、やはり『聖人』という資質によるものか。放たれたのは一神教の天使すら切断する『唯閃ゆいせん』。決して無視のできない一撃に対し、キャーリサは土壇場どたんばで剣の軌道をじ曲げ、これの防御に当てる。
 当然ながら、そうするとアックアの攻撃に身をきらす羽目になる。
 しかも、ダメ押しとばかりに騎士団長ナイトリーダーも動いていた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 一人だけではない、複数の雄叫おたけびが重なって独特の震動しんどうを生み出す。
 ビリビリと戦場を高揚させる心地良い衝撃と共に、複数の影が音速を超える。
 キャーリサはアックアの足をってバランスを揺らがせ、わずかに剣の軌道を曲げる。ギリギリの所をアスカロンが通過するのも待たず、カーテナ=オリジナルと拮抗する神裂の七天七刀しちてんしちとうはじくと、騎士団長ナイトリーダーの追撃から逃れるべく大きく後ろへ跳び下がる。
 これまでとは違う、全力の回避かいひだった。
 しかし三人の超人は、それをだまって許す事はない。
 ガガガガガザザザザギギギギギギッ!! と火花のあらしが、下がるキャーリサを追うように一直線に進んだ。様々な角度から迫る攻撃に対し、キャーリサは転がっている瓦礫がれき残骸ざんがい物質を蹴り上げ、カーテナ=オリジナルを振るい、次々と受け止め、いなし、弾き返す。対するアックアや神裂も瓦礫を切断し、残骸物質をち返し、迫る妨害を逆手に取って優勢を構築しようとする。
 カーテナ=オリジナルは、斬撃ざんげきから残骸物質を作るまでに一瞬いっしゅんの間を空ける。
 その残骸ざんがい物質の発生が遅れるほどの勢いで、四者の斬撃ざんげきが続く。
 ひぅ、という息を吸い込む音が神裂かんざきの耳についた。
 会話はおろか単語の発音すら許されぬ世界の中、それがキャーリサの意志を示すものだった。
第二王女は足元から二つの残骸物質をり上げると、シンバルをたたくように二つを思い切り打ち合わせて自ら破壊はかいする。
 ドッパァァァン!! という衝撃波しょうげきはと共に、打ち上げ花火のように破片が散った。
「ッ!?」
 全員は衝撃に押されてわずかに動きを止める。キャーリサだけが、その勢いをも利用して五〇メートルほど距離きょりを取る。
 彼女たちのような怪物にとって、その程度の距離は一瞬いっしゅんで詰められるレベルのものだ。
「……なるほど……」
 キャーリサの額から、一筋の赤い血が垂れていた。
 神裂やアックア達が傷つけたのではない。キャーリサ自身が回避かいひ行動の時間を取るために破壊した、残骸物質同士の破片。それが第二王女に血を流させたのだ。
「そろそろお手玉も許容量を超えたか。いかに特別な力を手に入れているとはいえ、流石さすがに聖人級の怪物が三人集まるのは面倒だし」
「『特別な人間』だけで、すべてを成し遂げられるとは思わない事です」
 神裂は特殊な呼吸法で体力を取り戻しながら、静かに告げる。
「我々が全力を出せるのも、それを支えてくれる者がいればこそ。現に、多くの魔術師まじゅつしによって全方位から常に照準を合わせ続けられる事で、あなたは自然と死角からの攻撃を意識せざるを得ず、本来なら数多あまたとあるべき選択肢をせばめられてはいませんか?」
「かもしれない」
 キャーリサは目だけをジロリと動かす。
「確かに、味方の数が勝敗を決するという事も、『軍事』においては間違いではないのだが」
 すきあらば聖人や騎士団長ナイトリーダーの攻撃をって遠距離攻撃を放とうとする魔術師達をにらみつけ、

「だが、だからこそ―――そこに勝機があるとは考えなかったの?」

 ゾワリ、と。
 第二王女キャーリサから、これまでになかった嗜虐性しぎゃくせいのようなものが広がっていく。
 直後。
 彼女は足元にあった残骸物質を恐るべき脚力で蹴り上げた。限定的に天使長の力を振るうキャーリサの足は、五メートル以上もの鉄より重いかたまりを砲弾のように射出する。
 それは、神裂やアックア、騎士団長ナイトリーダーなどに向けて放たれたものではない。
 倒れている『清教派』の傷を手当てするために後方で動いていた『騎士派きしは』の集団の元へと、意図的に突っ込ませたのだ。
「なっ」
 ドバッ!! という爆音と共に、複数の影が宙に飛ばされる。
 神裂かんざきの視線がそちらへ向いた一瞬いっしゅんの間に、キャーリサはさらにカーテナ=オリジナルを大きく振るう。生み出されるのは一〇〇メートル級の残骸ざんがい物質。中央の所でじれた長方形の板は、どこか竹トンボを連想させる形をしていた。
 キャーリサは竹トンボのはしを爆発させ、その勢いを利用して巨大なプロペラを回す。斜め四五度に傾いた竹トンボは、すべてを引き裂く回転刃と化して壁のように群衆へおそいかかる。
「くそっ!!」
 これに対し、騎士団長ナイトリーダーは音速を超える速度でプロペラの前へ飛び出し、その回転刃をはじき飛ばそうとする。
 そこへ、ドッ!! 真後ろから衝撃しょうげきがあった。
 キャーリサによる攻撃ではない。そちらの殺気に対しては最大限に配慮はいりょをしていた。
 騎士団長ナイトリーダーを襲った一撃は、本来味方であるはずの『清教派』の魔術師まじゅつしが、傷だらけの体を無理に動かして必死で放ったものだった。
「……ぁ……」
 握り返れば、向こうも向こうで愕然がくぜんとした顔をしている。
 悪意があったのではない。流れ弾だったのだ。
 しかし。
 容赦ようしゃなく、バランスを失った騎士団長ナイトリーダーへと巨大な回転刃が襲いかかった。
「ッ!?」
 あわててロングソードで迎撃しようとする騎士団長ナイトリーダーだったが、体勢を崩した状態では本来の力は入らない。中途半端ちゅうとはんぱに弾こうとした結果、重たい衝撃に騎士団長ナイトリーダーの体は地面に叩きつけられ、回転刃は軌道を曲げて、生き物のようにのたうち回った。それがさらに別の被害を増大させていく。
「―――どれほどの数が結集した集団であっても、その本質が個と個のつながりである事に変わりはないし」
 続けてキャーリサは頭上に向けてカーテナ=オリジナルを大きく振るう。生み出された巨大な残骸物質は斜めにかしいだ巨大な天井てんじょうと化し、天空から多くの魔術師を押しつぶそうとする。
「―――ならば、個と個を切り裂くためのすきは、どのよーな組織であっても必ず存在するの。たとえ魔術的な思念や科学的な脳波を接続した所で、これは絶対に消える事はない」
神裂は味方を守るために七閃ななせんのワイヤーで切り裂こうするが、そこへ第二王女キャーリサが跳んだ。むちのようにしなるりを腹に受けて、神裂の体が大きく吹き飛ばされる。
「―――真の意味で一つの個として完成された集団など、所詮しょせんは夢想の産物」
 数十もの遠距離えんきょり攻撃こうげきが突き刺さり、かろうじて天井てんじょう魔術師まじゅつしたちを押しつぶさずに終わる。その間にアックアは跳ね回り、地震じしんのような震動を与える吊り天井と大地の間を高速でくぐり抜け、大剣アスカロンを手にキャーリサへと突撃する。
「―――むしろ。数が増えれば増えた分だけ、切り裂く糸口も増すというものだぞ」
 ドッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 アスカロンとカーテナ=オリジナルが、つばに近い位置で拮抗きっこうした音だった。
 だが。
 ここまで連携が切り崩れてしまえば、もはや集団ではなく個と個の戦いへと劣化している。そして個としての力なら、学園都市での戦いで深手を負っているアックアよりも、英国内部に限り天使長の力を全開で使えるキャーリサの方が上なのだ。
 ガガッギギギン!! といくつかの斬撃ざんげきが交差した後、アックアの体が後ろへ跳んだ。流石さすがに転がされる事はなかったが、彼の脇腹わきばらの辺りにジワリとした赤黒いものがにじむ。
「数千だろーが。数万だろーが、集まった所で揺らぎはしないの」
 キャーリサはカーテナ=オリジナルを肩でかつぎ、明確に宣言した。
 ガキのケンカとは違う。
 常に優勢なのではない。劣勢になるきっかけがあれば即座に封じ、大勢が揺らぐ前にすべてを予防してしまうからこそ、彼女の優勢はひっくり返らない。
「集団との戦いなど手慣れてるし。私が英国王室の中でも『軍事』に優れた者である事を忘れたの」
 その言葉を合図に、悪夢が再開される。

     2

 そんな戦いを眺めている者達がいた。
 いわゆる魔術師と呼ばれる人間ではない。しかし、全く無関係な一般人と割り切る事もできはしない。彼らはバッキンガム宮殿で英国王室のために働いていた、下働きの使用人や料理人、庭師などだった。
 本当の意味で王家の者に最接近できるのは、主に近衛このえ侍女や武装側近と呼ばれる、魔術的にも洗練された専門の迎撃職の人間だが、ここにいる人々は違う。そのほとんどが、第三王女ヴィリアンによって招かれた、本当に王室とは縁のない民間出身の者達だ。
 彼らはロンドンまでみ込む事はできたものの、戦場の中心地であるバッキンガム宮殿まで突入する事はできなかった。しかし、その逡巡しゅんじゅんは逆に彼らの素人しろうとくささを露呈ろていしていた。何故なぜなら、安全と思っているその場所は、実際にはキャーリサの気紛きまぐれでいつでも吹き飛ばせるポジションでしかなかったからだ。
 そんな事にも気づかず、彼らは戦いを眺めている。
 今までの日々は、英国人として身に余る幸福だった。それを与えてくれたヴィリアンを守りたいとも思うし、純粋に英国王室のためなら戦いたいとも思っている。
 だが。
 目の前の、この圧倒的な光景を前に、どうすれば良いのか。
 軍事的なクーデターという意味でも、物理法則を超える『魔術まじゅつ』の大規模内戦という意味でも、もはや使用人たちの心のキャパシティを軽く凌駕りょうがしてしまっていた。地下鉄のトンネル内でも戦おうと思っていながら、結局足がふるえて肝心の場面で動く事ができなかった。今もそうだ。恥も外聞もない。彼らは正直に、それこそちっぽけな一般人として、眼前でり広げられる戦いを『怖い』とも思った。勇気とか正義感とかそういう次元ではなく、それは人間としてまっとうな心の動きだったのかもしれない。
 キャーリサの『暴君』は、まさに絶望の象徴だった。
 彼女の戦う真の理由を提示されてなお、一般人の使用人達を震え上がらせるほどに。
 破壊はかいされたバッキンガム宮殿の敷地しきち内で、後方のアックアや神裂かんざき火織かおりという怪物と同時に戦い、『騎士派きしは』の大多数とも決別しているにもかかわらず、第二王女の残虐性ざんぎゃくせいは一向におとろえる様子がない。むしろこれまでより苛烈かれつに、圧倒的に、逆らう者への暴力を加えていく。事実、それはプロと呼ばれる魔術師の大半が地面に倒れてしまっているほどだった。
 簡単に飛び込める戦いではなかった。
 行って、一瞬いっしゅんで絶命する事も十分あるだろう。自分が足を引っ張った結果、プロの魔術師の方が倒されてしまい、それが勝敗を大きく左右する事にもつながりかねない。
 そういう風に考えていくと、彼らは立ち尽くすしかないのだ。
 民間人という領域から、飛び出す事もできずに。
 仕方がないじゃないか、とだれかが言った。
 自分達は単なる民間人だ。魔術なんて訳の分からないものが出てきたら、もう出番なんてある訳がない。それは民間人の中でも、右手を握って戦っている少年だっている。だけど、あの少年には特別な力があるらしいじゃないか。魔術に対抗できるだけの力を初めから持っていて、スカイバス365を乗っ取ったテロリストと戦ったりするような人間だったら、自分達だって迷わず駆けつけられる。でも、自分達にはそんな特別な力なんてありはしないのだ。
 だから、仕方がないじゃないか。
「本当に、そう思っているのか」
 その時、そんな声が聞こえた。
 使用人達があわてて振り返ると、そこには見知った顔があった。
「あの少年とお前達の違いは、単なる右手の性能の差だけと、本気で思っているのか?」
「……、」
 他人の口から改めて質問され、使用人達は黙り込んだ。
 本当は、分かっている。
 あの少年は右手に特別な力が宿っているから、あんな最前線で戦っている訳ではない。むしろ、最前線で戦っている少年の右手に、たまたま特別な力が宿っている、という風に考えた方が、すんなりとしているような気さえした。つまりは、それが答え。この内戦に参加できるかいなかは、勇気や度胸によって決まるのだ。
「お前達には、それがあるか?」
 もう一度、その女は質問してきた。
「どんなに個人的な感情であっても構わない。どんなに主観的な理由であっても問題ない。このイギリスの危機を救うために、圧倒的な恐怖に立ち上がるだけの、ちっぽけな勇気はあるか」
 質問に、だれかが顔を上げた。
 うつむく必要はないと判断したから、彼らは顔を上げた。
 答えは決まっていた。
 気持ちの部分だけはあの少年にも負けないと、使用人達は思った。ふるえ上がるほどの恐怖を自覚していても、戦いたいと願っていたからこそ、彼らはかろうじて逃げずにとどまっていた。それが『戦いを眺める』という形につながっていたのだ。
 だから、彼らはこう言った。
 自分達も、一緒いっしょに戦いたいと。
「よろしい」
 と、その女は言った。
 言って、英国女王エリザードは顔全体で大型船の船長のように力強い笑みを浮かべた。
「ならばついて来い。足りない部分は全部私が埋め合わせてやる」
 必要なものはすべそろっている。
 ここから先は逆転劇だ。

     3

 ゴバッ!! という轟音ごうおんが、バッキンガム宮殿の敷地しきち内に炸裂さくれつした。
「……ッ!!」
 あわててカーテナ=オリジナルを構えて応じ、それでもビリビリとした感触を両手に感じるキャーリサは、遠距離えんきょりから音速を超えて突っ込んできた襲撃者しゅうげきしゃの顔を見て、今までで一番大きな声を張り上げた。
「よーやく顔を出したの、元凶たる母上よ!!」
 たたきつけられたのは、全く同じ形をしたカーテナ=セカンド。
 これまで押され気味だったアックアや騎士団長ナイトリーダーの間に割り込むように、真の国家元首はもう一つの『王を決めるための剣』を振るっていた。
 二つのカーテナをギリギリと押し付け合い、二人の王族は正面からにらみ合う。
「好きにやるのは構わんが、やるならば徹底的てっていてきに、そう、私以上の良策を提示してもらわなければな。どうやら私以下の展開になりそうだったので止めに来たぞ、という訳だ」
「ほざくな元凶、そーまでして玉座が惜しいの!!」
 ズッ……といういやな音がひびいた。
 カーテナ=オリジナルとセカンドでは、当然ながらオリジナルの方により強い力が集まっている。鍔迫つばぜり合いなど成立する訳もなく、セカンド側の刃に、オリジナル側の刃がゆっくりと沈み込んできているのだ。
 それが一センチほどにまで達した時、両者が動いた。
 ギギギッ!! と三発だけ、彼女たちは短く高速で剣を交差させる。
 そのたびにカーテナ=セカンドの刃から火花が散った。同じ材質のはがねがぶつかり合っている印象はない。彫金のように柔らかい金属が削り取られていくようだった。
「……どれだけお膳立ぜんだてをして、組織と組織がぶつかった所で、最後はカーテナ同士の激突となるか。難しく考えてきたのが馬鹿ばからしくなるよーな展開だし」
 傷一つないカーテナ=オリジナルを手に、キャーリサは自嘲じちょうするように笑った。
 互いの力は歴然だった。
「だが、カーテナ同士の戦いとなれば、それこそ私に負けはありえないし。八割以上の力を集めた私のオリジナルと、二割に満たない母上のセカンド。同種の力を取り扱ってる以上、単純に量の差が勝負を決するぐらい分からなかったの?」
 対して、エリザードは小さく笑った。
 意図的な演出ではない。本当に、思わずれてしまったという感じの笑みだ。
「……意外と小さい女だな、我が娘よ」
「なに?」
愚劣ぐれつな王政の責任を取り、そしてイギリスの国民を守るため―――暴君と化してヨーロッパ中の敵国を丸ごと粉砕し、その後は政治の舵取かじとりを民衆に明け渡す。何やらスケールの大きな話だが、その端々はしばしにお前の小心が見え隠れしている事には気づいているか?」
「……、」
 キヤーリサは言葉で答えなかった。
 ゴッ!! とカーテナ=オリジナルが振るわれた。エリザードは己の剣で応じるが、その途端とたんに、これまで以上に大きくセカンドの刃に傷がつく。
 エリザードの表情は、それでも変わらなかった。
「本当にこの国を変えたいか。政治を形作る巨大な柱をへし折ってでも、民を守りたいと願うのか。それなら既存のシステムになどたよるんじゃない。やるならせめて―――これぐらいやってみろ」
 言って。
 女王は一度大きくカーテナ=セカンドを振ると、そのまま手をはなし、キャーリサ目がけて思い切り投げつけた。あわててキャーリサはそれをはじき飛ばすが、そこでふと気づく。
 軌道を曲げ、あらぬ方向へと弾かれたカーテナ=セカンドはやみへと消えた。
 女王エリザードは、その力を支える特別な剣を、自ら手放したのだ。
「何を……考えてるの?」
 あまりにも無謀むぼうで、無防備で、逆にキャーリサは身構えてしまった。
 カーテナという因子を戦術に組み込んだ上で、普通に考えれば絶対にありえない選択肢。
 それを望んで選び取った女王は、絶対の自信と共にこう答えた。
「変革だよ」
 エリザードはその時、キャーリサ以上に堂々とこの場に立っていた。
「今までにない事、というのはここまでのレベルで初めて成立する。粋など取り払え。停滞するセオリーをくつがえそうとする者が、そのセオリーにすがるんじゃない。史上初の行動を見ておどろいている時点で、お前はまだまだこの国の太い柱にしばられているぞ」
(度胸の違いでも示したいのか)
 あるいは、それもうろたえる群衆をふるい立たせる策の一環かもしれない、とキャーリサは判断した。確かに、今のは効果的だ。馬鹿ばかな人間なら、エリザードの方が肝が据わっていると誤解してもおかしくはない。
 だが、
(ならば暴君のやり方でこたえさせてもらうの。ヤツらの目の前でってしまえばおしまいだ!! エリザードの惨殺ざんさつ死体と共に、こいつらは決定的な絶望に崩れ落ちる事になるし!!)
 結論を出し、最も効率良く恐怖を与える死体として、縦に真っ二つにしようとカーテナ=オリジナルを振り上げるキャーリサ。
 しかし、そこで彼女は気づいた。
 我ながら、ようやく気づいたと判断するべき遅さだった。
「こ、れは……まさか……」
 カーテナ=オリジナルの調子がおかしい。
 その違和感の正体を知る者をにらみつけると、女王エリザードはこう答えた。
「だから言っただろう。これが変革というものだと」
 バサリ、という空気を布でたたくような音が聞こえた。いつの間にか、エリザードの手には大きな布―――いや、旗があった。表には現在のイギリスの国旗、裏には白と緑を基調にした、かつてウェールズの国旗として使われていたものだ。
「英国の国旗はイングランド、アイルランド、スコットランドのものを併合したデザインを採用している。ウェールズについては、国旗制定の前に当時のイングランドが吸収してしまっていたからな。彼らの文化に敬意を表し、こうして表と裏を合わせて一枚の旗とした訳だ。……まぁ、大英だいえい博物館までこいつを回収しに行くのは骨だったが」
 イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド。
 英国を構成する四文化の象徴。
 そして、カーテナ=オリジナルの操る力の基盤となるもの。
「もちろんこれがあればだれでも『できる』ものではないが……私の抹殺まっさつを最優先しなかったのは間違いだったな。英国王室専用に設定された国家レベルの魔術まじゅつの中には、こんなものもふくまれているんだよ」
 エリザードは一枚の旗を大きく振るい、夜空へ広げた。
 連合の意義ユニオンジャック、と。
 女王は術式の名をつぶやいてから、一度だけゆっくりと息を吸い込んだ。
「命じる」
 そして、大きな声を張り上げる。
 どこまでもひびき渡るであろう、大きな声を。
「カーテナに宿り、四文化から構築される『全英大陸』を利用して集められる莫大ばくだいな力よ! そのすべてを解放し、今一度イギリス国民の全員へ平等に再分配せよ!!」

     4

 エリザードの言葉と共に、カーテナ=オリジナルから力が失われた。
 いや、違う。
 今までめ込んでいた力が、集めたはしから別の所へと流されていくのだ。
「この力に上乗せして、英国女王クイーンレグナントエリザードから全国民に告ぐ」
 カーテナの力は、王様と騎士きしを中心にしたピラミッドに力を与える。
 だが、そもそも『王様になれる権利』とは何か?
 それを究極まで突き詰めると、エリザードの示した術式の正体が見えてくる。
「クーデターの発生によって、今日一日で色々な事があった。軍の出動、都市の制圧、ドーバーに放たれた駆逐艦くちくかん、騎士たちによる戦闘行為、おまけにバンカークラスターによる首都への爆撃ばくげき。多くの者は本質として何が起きているかも分からないまま、しかしそれでも異様な被害にっている事だろう」
 そう。
 そもそも、イギリス国民ならだれにでも資格はあったはずなのだ。
「だが、今のお前たちにはあらがう力がある」
 英国王室は様々な戦いを経て成立したものだ。そこで歴史にちょっとしたIFが起きていれば、同じイギリスに住む別の誰かが『王の血筋』となっていたかもしれない。国外からの移住や政略結婚などを考えると、『IF』の幅はさらに広がっていく。
 となると、重要なのはただ一点。
 イギリスの民であるかいなか。血筋や国籍こくせきの問題ではない。イギリスを愛し、イギリスを故郷としたいと願うか否か。
「詳しい理屈は明かせんが、今宵こよいこの一夜に限り、お前達は平等にヒーローになれる。その目で見てきた、法則も分からない不可思議な現象そのものと戦える人間だ! 今のお前達なら何でもできる!! その上で、お前達には選んでほしい。誰のために、誰と共に戦うかは、お前達のその頭で判断しろ!!」
 その上へ、女王はこう投げたのだ。
 もしかしたら、王様になっていたかもしれない者達へ。
 歴史にちょっとした変化さえあれば、玉座に座っていたかもしれない人々へ。
「私に協力したい者には感謝をする! クーデターに協力する者がいても一向に構わん! また、全く違う第三の道を提示してくれても問題はない!! 力があるからと言って、無理に戦う必要もない!! 迷惑だと感じた者は『返す』と念じれば良い、自分よりも信用できる者がいると判断した場合は『渡す』と念じればそれで済む!! 今この時だけ、それは正真正銘しょうしんしょうめい、お前達の力だ、戦うか、逃げるか。それすらもお前達が自由に判断しろ!!」
 お前がつかむかもしれなかった力の欠片々かけらは、そこにあると。
 国家を動かし、変えるための確かな力は、そこにあると。
「誰かが言っていたから、それが正しいと教えられたから、そんな風に踊らされるな! 私自身の言葉すら否定しろ!! あらゆる情報に主観の優先順位をつけずに一度整理して、すべてを自分の頭で考えた上で、最後に残った正義と勇気と度胸にただ従え!!」
 もしかしたら、女王エリザードが明け渡したのは、とても簡単なものだったのかもしれない。民主主義において最も基本となる、そして最も大事なものだったとも解釈できる。
「……いい加減に、お偉い人間に好き勝手やられて振り回されっ放しなのも飽きただろう?」
 それは、ちっぽけな一票。
 しかし確実に一つの国家を左右するであろう『力』を手にした者達に、英国女王エリザードはこう叫ぶ。
「さあ、群雄割拠ぐんゆうかっきょたる国民総選挙の始まりだ!!」


 その時。
 ―――ある所では、一人の少年が顔を上げた。突然起こったテロとも戦争ともつかない非常事態。軍の人間に腕を引っ張られて家の外へと引きずり出され、車両に乗せられて運ばれた先は映画館だった。建物から出れば射殺すると勧告され、暗闇くらやみの中でただただふるえる事しかできなかった少年。しかし彼は、頭の中にひびいた声を聞いて、ゆっくりと立ち上がったのだ。
(……逃げても良い、他人に預けたって構わない)
 提示された条件を自分の中で確認する。戦いというのは、数ある選択肢の一つにすぎない。自分の頭でよく考えて判断しろと、頭の中に響いた声は何度も言っていたが、
(戦う)
 彼は、そう結論した。
 映画館にある暗い階段状の通路を上って出口へ向かおうとすると、少年の両親と出くわした。彼らは少年の顔を見ても、おどろかなかった。ただ一度、小さくうなずいただけだった。
(戦いたい!!)
 同じ事を考えていた少年たちは、出口のドアを開けて外へと飛び出す。
 み越えれば射殺するとおどされた、最後の一線を。
 力の有無など問題ではない。
 その一歩を踏み出した勇気は、彼らの心の中にだけあるものだ。

 ―――ある所では、多くの一般人を大型ホテルの中に軟禁していた軍人が、握ったこぶしをギリギリと震わせていた。自分なりにイギリスのためにと考え、行動し、クーデターに協力していたのに、その首謀者しゅぼうしゃを助けるために、クーデターを止めてほしいという話のようだった。それでは、一体自分は何のために戦ってきたというのだ。
 軍人は壁に背を押し付けて、ずるずると床に座り込んだ。戦意を失った軍人の目の前でホテル出入り口の扉が開き、我先にとロンドンの住人達は外へ飛び出していく。おそらく彼らは女王の言う通り、ヒーローになるのだろう。しかし今までクーデターに協力してきた木偶でくの自分には、その資格がない。
 その時だった。
 うずくまる軍人の目の前に、だれかが立った。その人物はかがみ込む。小さな子供に目線を合わせるような格好で、その人物は軍人に話しかけてくる。
 おそらくは、大型ホテルに軟禁されていた一人だろう。中年のその男は、一家を守る者として暴虐ぼうぎゃくあらがおうとしているようだった。父親として戦おうとするまっとうなヒーローは、今まで自分達を軟禁していた悪党に向かって、こう言ったのだ。
「あんたの力が必要だ。共に戦おう。確か、装甲車を運転していたな。そいつで戦場まで連れて行ってくれ」
 しばし、軍人はその言葉をだまって反芻はんすうしていた。やがて彼はズボンのポケットから装甲車のかぎを取り出すと、もう一度自分の力で立ち上がる。

 ―――ある所では、イギリスに本拠地を置く魔術まじゅつ結社のボスがため息をついていた。一二歳程度の幼い少女は、魔術業界においてあまりにも非常識な事態を前に、半ばあきれさえしていた。
「ボス。どうするんですか?」
阿呆あほうが、まさか若さに任せて大参戦とか期待しているんじゃないだろうな。迷惑なら『返せ』と言って来ているんだ。そのまま返してやれば良いだろう」
「これを機に、カーテナについて解析してみるのも良いのでは?」
下手へたに細工をするとあの王冠ババァがブチ切れるぞ。ここは一度不参加を決め込んで、ノーマークになった所を外側から観察する事にしよう」
「はぁ。でもボスの妹のパトリシアじょうは鼻息荒らげてどっか行っちゃいましたけど?」
 連れ戻せ馬鹿!! というめずらしくあわてた声が、深夜のロンドンにひびき渡る。

 ―――ある所では、『新たなる光』と呼ばれている組織の少女、ベイロープが傷だらけの体を起こしていた。『清教派』との戦闘せんとうに敗れた彼女は治療ちりょうと拘束を兼ねて大聖堂に連れて来られていたが、クーデター開始と共に良く分からない隠し部屋へ押し込まれていたのだ。
 彼女は近くにあったペン立ての中からマジックを取り出すと、即席で魔法陣まほうじんを描いて通信用の術式を発動させる。
 連終先は考えるまでもない。
「届いてる、レッサー?」
『届いてますよん、ベイロープ。フロリスやランシスともつながってます』
 返答はすぐにあった。
『ぶっちゃけ、どうします?』
「どうしますって言われてもね……」
 ベイロープは自分の頭を軽くきながら、ゆっくりと立ち上がる。
「はぁ。ま、クーデターの共謀者きょうぼうしゃが何を今さらって感じだろうけど……一番イギリスのためになる事をやるのが私たち流儀りゅうぎなのよね。それならやっぱり、恥も外聞もなく動くしかないか」

 ―――ある所では、バッキンガム宮殿に勤めていた使用人や庭師達が、我先にと戦場へ飛び込んで行った。プロだとか民間人だとか。場違いだとかどうとか、そういう問題はすべて解決されてしまっている。後はただ最初の一歩をみ出す勇気さえあれば、彼らは平等に戦える。
「ヴィリアン様!!」
「ご無事ですか!? どこかお怪我けがは!!」
 一斉に取り囲まれ、声を掛けられた第三王女の方が面喰めんくらっていた。やはり女王たる母君は違う、あれなら多くの人が集まるのもうなずける……と、ひっそり思っていた彼女は、まさか自分の方に集まってくる人がいるなどとは考えもしなかったのだ。
「……何故なぜ、ですか……?」
 だから、ヴィリアンは素直に質問した。
 フォークストーンでは使用人たちに助けられた事もあった。地下鉄のトンネルで協力してくれた事もあった。だが、今は状況が違う。ここは本来、皆の心が女王へと集束していくべき場面のはずなのだ。
 それをどうして、こんな所に寄り道する?
「もはや、王室も使用人もありません。皆は皆で判断し、皆のためにその力を使わなければ。まして、皆に希望を託され、一人で先に逃げ出したものの、結局は何の役にも立たなかった私に追従する必要など、どこにもないのですよ……?」
「自分の頭で判断し、自由に使えと、女王陛下はおっしゃいました」
 使用人の中の一人が、ヴィリアンの顔を見て言った。
「ならば、使わせてはいただけませんか。クーデター発生時、そして地下鉄のトンネルでも、力及ばず示す事もできなかった勇気を! ここにいる皆は、あなたに傷ついてほしくないと願ってきた者です。そう願っておきながら、結局は剣を取って戦う事もできなかったおろか者の集まりです!! ですから、今一度! 今度こそ戦わせてください、あなたと共に!!」
 その言葉を聞いて、ヴィリアンは己を恥じた。
 何が『人徳』の第三王女か。
 身近にある、こんなにも切実なおもいを知りもしなかった自分には、大きすぎる冠だ。
「……それなら、私も自分のために使わせていただきましょう」
 ヴィリアンはそう言うと、改めてボウガンを握る両手に力を込める。
 ―――この者達と共に行く未来を守るために、と心の中で付け加えながら。

「お、のれ……」
 第二王女キャーリサは、カーテナ=オリジナルを手に低い声を発した。
 対して、英国女王エリザードは何も持たない素手を構え直し、一代で築き上げた大企業を自慢じまんする社長のような笑顔でこう言った。
「大した変革だろう? どうせ歴史を変えるなら、国民みんなに活気を与えるようなものでなければな。特権階級だけが喜ぶようなやり方ではだれもついては来ないぞ」
 至近距離きょりにらみ合う、新旧の国家元首。
 しかし怒れるキャーリサに対して、エリザードの表情には余裕がある。
「ガキの悪戯いたずらはもうおしまいだ。今から私が本物の国政を見せてやる」
「ふざけるな!! お前がやってるのは、何の力もない国民に武器を与えて戦場に送り出し、自分だけは安全な玉座の上で享楽きょうらく耽溺たんできするよーな事だし!! 身に余る力を押し付けるだけ押し付けておいて、守るべき国民をたてにしてでも己の利権が惜しーのか!?」
「……そういう風に考える事こそが、王の傲慢ごうまん何故なぜ気がつかない?」
 激昂げっこうするキャーリサに対し、エリザードは笑みを引っ込めた。
 ただし、それはキャーリサに気圧けおされたからではない。
 逆だ。これから第二王女を圧すためにこそ、女王は笑みを消した。
「普通の民にはカーテナの力を扱えぬなどと、だれが決めた? カーテナ=オリジナルを持つ新女王だけが英国を収め続けなければ国家が崩壊ほうかいするなどと、誰が決めた!? カーテナによって戦争に勝利する、国家の暴走を民衆の考えで止められるようにする。―――確かに都合は良いが、結局お前はカーテナ=オリジナルの莫大ばくだいな戦力を唯一存分に使える特権階級……『国家元首』という呪縛じゅばくとらわれたままだ!! その程度の小さな変化など、ゆがみしか生まん。本当にじ曲げるほどの変革を求めるならば、自分の立ち位置の行方など恐れるな!!」
「なん、だと……ッ!!」
「ガキのくだらん自殺願望に説教をしてやると、一人の母親が言っているだけだ。後は……そうだな。お前があっさり絶望したほど、この国は安くはない。九〇〇〇万人もの民が、ヒーローとなる決意をしてまでお前を助けようと思ってくれている事を今から知ると良い!!」
 女王の言葉と同時だった。
 ドッ!! という爆音が鳴った。それが人の作り出すすさまじい足音だとキャーリサが気づいた途端とたん、使用人や庭師といった、本来なら魔術まじゅつを知らぬはずの人物たちが、立派な脅威きょういとしておそいかかってきた。
 そう。
 イギリス中の人々が、自らの旗ユニオンジャックの下につどい、この国を守るために。

     5

 バンカークラスターの余波で泥まみれになって体をふらつかせるインデックスは、一〇万三
〇〇〇冊もの魔道書まどうしょの知識を使い、カーテナ=オリジナルに関する術式を解析しながらも、純粋にその光景に目を奪われていた。
 視界の中央で戦うのは、カーテナ=オリジナルを手にしたキャーリサと、自らそれを手放した素手のエリザード。
 そして徒手空拳としゅくうけんのエリザードを守るように、あるいは武器となるように、大勢の人影が宙を舞っていた。ただの魔術師だけではない。明らかに魔術を知らない風のメイドが一〇メートル以上の上空らキャーリサをねらい、残骸ざんがい物質で作られた巨大なくいをスーツの会社員がたたき落す。普通の世界と魔術まじゅつの世界の景色が交差し混ざり全く見た事もない舞台を作り上げる。
 その光景を見て、今まで倒れたまま『騎士派』の介抱を受けていた『清教派』の魔術師たちが、もう一度自分の力だけで起き上がった。それはやはり女王の術式『連合の意義ユニオンジャック』によるものか、あるいは素人しろうとが全力で戦っているのに自分達だけが寝ている事などできないというブロの魔術師の矜持きょうじによるものか。
 神裂かんざき火織かおりやアックア、騎士団長ナイトリーダー達を中心とした大勢力がキャーリサに向かっていくのを眺め、女王は笑って自分の娘を挑発する。
「ほらほらどうしたキャーリサ、顔色が悪いぞ! 確かにオリジナルとセカンドでの力の奪い合いでは負けを認めるが……九〇〇〇万対一の綱引つなひきでも力を保ち続けられるか!?」
「ほざけ!! このっ、程度で……カーテナ=オリジナルが揺らぐと思うな! 現に今も、我がカーテナには……地下鉄での暴走である程度の力を失ったとはいえ、残された総量の八割強の力を維持し続けてるの!!」
「確かに。だが一瞬いっしゅんでも集中が途切れれば、即座にその力は九〇〇〇万人もの手によって、丸ごとぎ落とされるぞ。内の制御に躍起やっきになって、外からの攻撃をおろそかにせんようにな!!」
「ッ!! それが狙いか、この策士め!!」
 今もやみに沈むロンドンの向こうからごく普通の学生や店員みたいな人達が増援として続々と駆け付け、距離きょりてきにすぐには難しいと判断した者もいるのか、さらに遠方上空から数十もの光弾が鋭角的な弧を描いてキャーリサに向かってくる。
「いわば巨大神殿の中で執り行われる最大級に精密な儀式ぎしき魔術の途中に、義勇軍の大部隊が突っ込んできたようなものだ。力の制御を失えば失った分だけ、こちらの軍が増強される事も忘れるなよ?」
「まやかしだっ!! どれだけ人口が増えた所で、総量ならば二割弱! 変わらず八割を掌握しょうあくするこの私を倒す事などできないはずだし!!」
 いかにカーテナの力を再分配し、『天使の力テ レ ズ マ』を手に入れたとはいえ、それだけで人は超常的な力を扱えるものではない。『その力をどう変質させて何を制御するのか』という部分には、やはり魔術的な知識が必須となる。
 当然ながら、ただの民間人にそんなものがある訳がない。
 となると、一体だれがどこからサポートをしているのか。
「そうか。ならば民だけには任せられん。なに、私も元々玉座よりは現場向きでな。―――正直、純粋に手合わせする楽しみも感じてはいるんだ」
「ッ!! お前、その力……ッ!? カーテナ=セカンドは自ら捨てただろーが!!」
阿呆あほうが、女王とてイギリス国民の一人、清き一票を投じる権利ぐらいは持っているぞ。もはや生身のこぶししか振るえぬ身だが、僭越せんえつながら花の舞台の最前線に立たせてもらおうか!!」
 インデックスは、ある一点で視線を固定させた。
 英国女王クイーンレグナントエリザード。
 そんな細工ができるとすれば、彼女しかいない。カーテナから全国民へ平等に力が配布される際、演説に使った通信用術式を応用して、すべての『天使の力テ レ ズ マ』そのものに手を加える。使用者の思念に応じて性質を変え、なおかつ使用者を暴走に巻き込まない安定性を付加された『都合の良い形』に調整された『天使の力テ レ ズ マ』を受け取る事で、初めて民間人は『自分が手に入れた力を使って、自分の考えた通りのアクションを起こす』事が可能となるのだ。
 言葉にすれば簡単だろう。
 かくいうインデックスも、かつては月詠つくよみ小萌こもえ誘導ゆうどうする事で、間接的に回復魔術まじゅつを行使した事があるようだ(『自動書記ヨハネのペン』モードだったので、完全記憶きおく能力の彼女にしてはめずらしく記憶が曖昧あいまいなのだが)。
 だが、それは一対一の関係だからこそ成立した事だ。
 イギリス全国民―――九〇〇〇万人もの人間を同時に誘導し、なおかつたった一人も暴走に巻き込ませない安定性を維持し続けるなど、一〇万三〇〇〇冊の魔道書まどうしょを最大限に利用しても不可能だろう。
 しかも、最も恐ろしいのはそこではない。
 バッキンガム宮殿に集まってきた学生や会社員たちは、不可思議な現象をの当たりにしている。そしてエリザードから受け取った力を使って、その争いを止めるために戦っている。
 彼らはその目で見た超常的な現象に対し、自分なりの解釈で納得しようとするだろう。
 ―――人体に秘められた力が覚醒かくせいしたと考える人もいるかもしれない。
 ―――占いの結果が最高過ぎたせいでこうなったと信じる可能性もある。
 ―――実はエリザードは宇宙船でやって来た異星人の女王様だと思う人もいるだろう。
 ―――ネス湖にひそなぞの恐竜のパワーを借りているのだと判断する場合だってありえる。
 ただし、それら全ての仮説に言える事がある。
 九〇〇〇万人の国民の中で、『魔術』という正解を導き出せる者はおそらく一人もいない。
 インデックスが魔道書の知識を前面に押し出して月詠小萌を誘導するのと違い、女王エリザードはそうした魔術の『におい』を徹底的てっていてきに隠す。それを民間人の胸中に忍ばせ、自由に扱わせつつも、決してその本質には近づけさせない。これによって、『魔道書の知識で民間人の脳を汚染する』という最悪のリスクすらもエリザードは除外しているのだ。
 インデツクスは、宙を飛び交うメイドや料理人などを見回す。
 彼らは自分が扱っているものの正体には気づかないだろう。
 そして、そんな状態でも満足するだろう。どういう理屈とかどういう仕組みとか、そんな次元を超越した所にある、もっと本質的な気持ちの問題の部分で―――今宵こよい一夜限りのハロウィンパーティに全力で挑むはずだ。
 これがエリザード。
 様々な魔術まじゅつあふれ、そしてイギリス清教の総本山がある国を治める、本物の女王様。
(もしかして……)
 一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしょを完全に記憶きおくする少女は、この戦いを跳めながら、今まで考えても来なかった事をふと思った。
(もしかして、禁書目録わたしが作り出されたもう一つの理由は、これをサポートするためなのかも……?)

 そして、上条かみじょう当麻とうまもこの戦いを目にしていた。
 負傷した騎士きしから武器を受け取ったメイドが巨大な剣を大きく振り回し、回転刃のようにおそいかかる巨大な残骸ざんがい物質に対し、数十人もの警察官が同時に飛びりを放って逆にはじき返す。
 カーテナの力を身の内で制御しようと躍起やっきになるキャーリサには『軍事』の才としての頭の切れはなく、ただがむしゃらに剣を振るう内にどんどん追い詰められていく。
 もちろん、本職の魔術師も負けてはいない。
 二〇〇人を超す元ローマ正教のシスターたちが、一つの集団となって武器を振るう。辺り一面の物体を取り込んだ巨大なゴーレムが残骸物質の攻撃こうげきを受け止める。深夜の大空を軍の輸送機が通り過ぎたと思ったら、大量のルーンのカードがばらかれ、炎の巨人が坐み出される。
(すげえな……)
 上条は素直に思った。
 女王エリザードが行った逆転劇だけではない。
 もはやバッキンガム宮殿の敷地しきちを埋め尽くさんばかりに駆けつけてきた、大勢のヒーロー達を眺めて、上条は純粋に目をかがやかせていた。
(あまりにも主人公が多すぎて、おれも、インデックスも、神裂かんざきも、アックアも、みんなかすんじまってるじゃねえか。何だよこの国、全員が主人公ってどういう事だよ)
 おそらく、この光景の核は女王エリザードや連合の意義ユニオンジャックなどではない。
 力はあくまでも手段。
 それをつかみ、自らの意志で立ち向かう事を決めた国民達こそがすべての核だったのだ。
 上条はキャーリサを見た。
 カーテナ=オリジナルを振るい、莫大ばくだいな攻撃を次々と振るう第二王女。戦場という名前の巨大な台風の目として、決して人の波に呑み込まれない彼女は、しかし何故なぜか寂しげな印象を上条に与えてきた。どういう訳か、今のキャーリサには『王者』という言葉が似合わない。
 きっと、本当はキャーリサも知っていた。
 イギリスの人々の中に、どれほど輝くものが眠っているか。
 だからこそ、それを守るために必死になった。
 今回の戦いは、言ってしまえばそれだけなのかもしれない。
 ただし、その過程で彼女は『軍事』にたより過ぎてしまった。破壊はかい一撃いちげきは外から攻めてくる者だけでなく、その内に抱えていたはずの国民までも傷つけようとした。差し詰め、極端きょくたんに威力の高いマグナム拳銃けんじゅうが、射手の手を痛めてしまうように。
(守ろう)
 上条かみじょう当麻とうまは、戦場の中で改めてこぶしを握りめた。
(こんなふざけた負の連鎖れんさから、必ずあいつを引きずり上げよう)
 そして。カーテナ=オリジナルによる圧倒的な斬撃ざんげきと、巨大な残骸ざんがい物質による牽制けんせい攻撃の渦巻く地獄の戦場へと、改めて彼は自らの足でみ込んでいく。
 その時だった。
カーテナの軌道を上に!C T O O C U 斬撃を停止S A A余剰分の『天使の力』を再分配せよR T S T!!」
 インデックスの叫び声がひびいた途端とたん、カーテナ=オリジナルを握るキャーリサの腕が、不自然に跳ね上がった。『強制泳唱インターセプト』―――魔術まじゅつの仕組みを解析したインデックスが、それを邪魔じゃまするべく割り込みをかけたのだ。
「く……っ!?」
 キャーリサが歯噛はがみし、あわてて剣の制御を取り戻そうとする。
 わそらく硬直時間は数秒とない。
 上条は改めて右手を握り締めたが、ここからでは間に合わない。
 だから、上条は素直に自軍へ協力を求めた。
 この最高の一夜へと、本当の意味で全力を注いで参加するために。
「アックア!!」
 叫ぶと、屈強な傭兵ようへいは応じた。
 上条が地面をって数十センチ程度の高さに跳ぶと、地面との隙間すきまくぐるように、アックアの大剣アスカロンが差し込まれる。上条はサーフボードのように巨大な剣の側面に足の裏をつけて着地する。
 上条とアックアの二人は、作戦会議どころか言葉を交わす事もなかった。
 そんな余裕はなかったし、言わなくてもやるべき事は分かっていた。
 もはやここまで来たらうわつらの言葉など必要ない。上条の覚悟はそういった考えを全身から訴えていて、その覚悟の重みを受け取ったからこそ、アックアはかつて敵対した者へと力を貸したのだ。
「―――ッ!!」
 アックアが短く息をき、横に振り回すような軌道でアスカロンを思い切りぐ。
負傷しているとはいえ、世界で二〇人といない聖人の全力だ。そんな事をすれば、剣の側面に立っていた上条かみじょうがどうなるかは明らかである。
 ドッ!! という爆音が炸裂さくれつした。
 上条当麻とうまの体が、アックアの膂力りょりょくを借りて砲弾のように射出されたのだ。
(なっ……)
 その瞬間しゅんかん、キャーリサは掛け値なしに絶句した。
 暴走寸前のカーテナ=オリジナルの制御はまだ手中に戻らない。そしてあらゆる魔術まじゅつを打ち消す右手を持った少年は、数多くの味方たち隙間すきまをかいくぐり、一直線にこちらに向けて突っ込んでくる。
 着弾まで、〇・一秒あったか否か。
 しかしその一瞬の間に、第二王女キャーリサは確かに見た。
 強く強くこぶしを握る上条当麻の顔は、力強く笑っていた事を。

 ズッドォォォォォォ!! と。
 ノーバウンドで三〇メートル以上もの距離きょりを突き進んだ上条の拳は、ぐにカーテナー=オリジナルへと直撃ちょくげきした。

 王様を決めるための剣、カーテナ=オリジナルが一撃で砕かれた。
 キャーリサにはそれを確認している暇もなかった。
 剣を砕いた拳はそのまま彼女の顔面へと向かい、容赦ようしゃなく突き刺さった。
 糸にるした鉄球と鉄球をぶつけたように、今度は運動量を受け取ったキャーリサの方が砲弾のように夜空へと突き飛ばされる。崩れかけたバッギンガム宮殿の屋根の辺りに一度激突したキャーリサの体は、そこから跳ね上がるように軌道をじ曲げ、さらに遠く遠くへと吹き飛ばされていく。
 上条の手首とひじと肩の三点で、同時に骨が外れるようないやな音が聞こえた。
 だが彼が苦痛を感じ表情をゆがめるより前に、彼の体は一〇メートル以上前進してようやく地面に着地した。だが当然ながら二本の足で立ち止まる事などできる訳もなく、ほとんど転がるような格好で、さらに二回、三回とバウンドしていく。
(終わっ……た、か……?)
 全身傷だらけになった上条は声を出そうとしたが、うめき声しか出なかった。
 しかし質問をしなくても、答えは目の前に提示されていた。
 キン、という甲高かんだかい音。
 見れば、半ばから折れた剣の先端せんたんが、数々の攻撃で耕された黒土の上に突き刺さっていた。それは上条の見ている前でボロボロと風化するように崩れていき、夜風に流れるように消えていったのだ。
カーテナ=オリジナルは失われた。
それは第二王女キャーリサの敗北と同時に、この長いクーデターの終結を意味していた。

   終 章 国家と黒幕の更なる強敵 Next_Step.

 クーデターは終わった。
 それと共に、女王魔術まじゅつ連合の意義ユニオンジャック』によって民間人に与えられていた力も失われ、彼らは元の『普通の人』へと戻っていった。力がなくなって冷静になったせいか、あるいは戦闘せんとうが終わって物事を考える余裕が出てきたからか、ようやく学生や会社員たちは目の前の惨状さんじょうに、疑問の視線を投げるようになってきたようだ。
「……我ながら、随分ずいぶんとド派手にやったものだな」
 女王エリザードは自嘲じちょう気味に笑うと、自ら投げ捨てたカーテナ=セカンドを、もう一度拾い上げた。オリジナルとの攻防によって、剣身の欠けてしまった『伝説の剣』。いっそスッキリあの少年に砕いてもらおうかとも考えていた所で、ふと近づいてくる人影に気づいた。
騎士団長ナイトリーダーだ。
「そもそもの発端ほったんが私にもあるため、心苦しいのですが……これから、いかがいたしましょう」
「いつまでも終わった事でくよくよするな、馬鹿者ばかものめ。貴婦人の前では死ぬほど強がるのが我が国の騎士道きしどう精神ではなかったのか?」
 一国を揺るがすほどのクーデターの主犯格を前に、エリザードは投げやりに言った。
「それに、今日の事については問題ないだろう。参加した民間人は各々おのおの、この不可思議な現象を自分なりに解釈しようとするが、それで術式の構成まで暴かれる事はない。彼らは将来、孫に聞かせるべき良い思い出話を手に入れたというだけの話だ」
「しかし、魔術について思い至る者が出てくる可能性も、否定はできませんが」
「その時はその時だ」
 エリザードは即答した。
 何も考えていないのではない。逆だ。考えていなければ、あんな大技を簡単には使えない。
「もしそうなったら、認めてやれば良い。この世界には魔術というものがあり、それは日々お前達を陰ながら守っているとな。魔術国家イギリスの新生とでも言うベきか」
「それは……」
「歴史なんぞ常に変わる。魔術というものが永遠に人目についてはならない、なんて法則もどこにもない。なぁに、別に我らが世界初という訳ではないぞ。アフリカの部族などでは魔術師まじゅつしの一種が部族の意志決定―――つまり政治の舵取かじとりを任されていたりもする。決して不可能な政治形態ではないという事だ。歴史にちょっとした『もしも』が起これば、いつでも実現するかもしれない変革程度のものなんだよ」
 それは実際に英国をほぼ完全に掌握しょうあくしていたキャーリサに、真正面から『変革』を突きつけたエリザードから発せられると、恐ろしく現実味を帯びる言葉だった。
 一方、当の本人は極めて気楽な調子でこう言った。
「……さて。吹っ飛ばされたキャーリサを回収しに行かなくてはな。ん? 表彰モノの少年はどこへ行った?」

 第三王女ヴィリアンは、クーデターを収めた『清教派』や『騎士派』の集団から少し離れた所で、きょろきょろと辺りを見回していた。人を捜しているのだが、一向に見つかる様子はない。やがてあきらめたように動きを止めるヴィリアンは、くもった表情でポツリとつぶやいた。
「……やはり、ウィリアムは一言も言わずに、もう去ってしまったのですね」
「―――、」
 そのかたわらにやってきた騎士団長ナイトリーダーは、どう答えるべきか逡巡しゅんじゅんしたが、やがてうなずいた。
「ロシア成教圏に大きな動きがあるそうです。今、魔術まじゅつと科学が正面からぶつかっている、この大きないくさかかわる重大な動きが。ウィリアムは共に『神の右席』を抜けた仲間からの情報を基に、イギリス清教とは別の方向からこの争いを止めるために行動するそうです」
「仲間、ですか」
ヴィリアンは小さな声で、そう言った。
「あなたもそうですが、一〇年という歳月で、皆は色々なものを手に入れていたのですね。私だけが、何もせずに止まっていたような気がします」
 別れの言葉も言えなかった事に、ヴィリアンは人並み以上に傷ついているようだった。
 そんな顔を見て、騎士団長ナイトリーダーは顔色に苦いものを混ぜる。
「(…まったくあの野郎。傭兵ようへいという身軽な立場を利用して、この私にこんな厄介やっかいな役割を押しつけやがって……)」
「?」
 独り言が口から出ていたのか、ヴィリアンが小さく首をかしげていた。
 騎士団長ナイトリーダーあわててかしこまった顔を作り直し、それから改めて口を開く。
「とある傭兵から伝言があります。他の者に聞かれぬよう、必ずヴィリアン様が一人の時に伝えてくれと前置きされたものですが」
「なん、でしょう……?」
「―――いつか、この戦争が終わって世界が平和になったら、イギリスに戻りたい。願わくば、その時にバッキンガム宮殿の廊下へ飾られるはずだった盾の紋章エスカッシャンを、改めて飾ってほしい、と。自分はそれまで必ず剣と共に紋章を守り抜くので、あなたにはバッキンガム宮殿の修復と、障害となるであろう様々な事柄に打ち勝つだけの強さを手に入れてほしい……との事です。まぁ、あの傭兵ようへいが誓いを立てるに足る姫君に成長してほしいという、あの男なりのプロポーズではないでしょうか?」
「……ッ」
 第三王女ヴィリアンは目をまん丸にしておどろいていたが、実は騎士団長ナイトリーダー、伝言の中に本来のウィリアム=オルウェルは告げていない台詞せりふを勝手に織り交ぜてしまっている。
(……ま、言葉の足らないあの男だ。そのまま伝えては味も素っ気もなさすぎる)
 どこまでが伝言で、どこからが脚色なのかは、メッセージを直接受けたこの男にしか分からない。ただし、ヴィリアンに見えないようにこっそり舌を出す騎士団長ナイトリーダーはこうも思っていた。
(この私の人格を熟知した上で、なおクサい伝言をたのんできた訳だから、どういう風に伝えられるかは分かっているだろう、ウィリアム?)

 負傷者の手当て、及び傷のひどい者の搬送はんそう手続きを終えた神裂かんざきたち・新生天草式あまくさしき十字凄教じゅうじせいきょうのメンバーは、一仕事を終えると一息ついて、自然と一ヶ所に集まっていた。
 口火を切ったのは建宮斎字たてみやさいじだ。
「……で、結局今回も上条かみじょう当麻とうま美味おいしい所を持っていかれてしまったのよな。これはこれはデカい借りが高利貸し級にふくらみまくっていると思いませんかなのよ、女教皇様プリエステス
「ちょっ!? 何を土御門つちみかどのような事を!! こっ、今回はチャラでしょう! ほらほら、みんなで力を合わせて頑張ったのだから、功績は皆で平等に分配するべきです。そこに借りや貸しなどはありません。ねっ?」
「という訳で堕天使だてんしエロメイドの出動という方向で。んっ? 堕天使メイドの方はまだだったのよな。この場合はどちらで攻めるべきなのよ」
「勝手に決めないでください! あんなものを着るのは二度と御免です!! のっ、野母崎のもざき諫早いさはやも!! いいとしをしてダブルでダブルでなどとは叫ばないでください!!」
 ぐだぐだ言っている神裂だが、彼ら新生天草式の男衆全員の気持ちは一つ。おれ達はまだ堕天使エロメイドを生で見てないんだから着ろ早く今着ろここで、である。
 一方、そんなさわぎからわずかにへだてた所では、
「(……こっ、今回は、みんなのために戦ってくれたという事は、私もあの人に借りがあるっていう風に解釈して良いんですよねっ。そうすると、私にだって、その、資格があるって訳で……いやぁ……☆)」
「ちょっと。一見ピュアそうに見えて女の欲望がき出しになってない?」
 同じ女性の対馬つしまから小声で指摘されるも、いちいち気に留める五和いつわではない。
 と、
「ひっ、ひっ、ひぃいい~~。ようやくバッキンガム宮殿まで到着につきなのよ……」
 変な日本語が聞こえたと思って神裂かんざきが振り返ると、何やら軍馬の上でぐったりと突っ伏している最大主教アークビショップのローラ=スチュアートが、こちらへやってくる所だった。
「く、くそ、エリザードの野郎……大英だいえい博物館で例の旗を受け取りたる途端とたん、人に軍馬を預けてさっさと跳びて行きやがりて……。う、馬の動きとリズムを取る事ができなかったから、こ、こ、腰が……」
 疲労でグニャグニャになっているローラと対照的に、馬も馬で不機嫌ふきげんそうだ。『こいつ相性悪いからきらい』という感じで怒りのいななきを発している。
「ぬうう……おかげですっかり役立たずなりけるのよ。私は一体何のためにここまでやってきたりたのかしら」
「……そんな事を言って……どうせ、裏では貴女あなた一枚噛んでいたんでしょう。『連合の意義ユニオンジャック』という国家レベルの大規模術式が歴史上これまで一度も使われてこなかった所をかんがみるに、おそらく『王室派』の一存で発動できるものではないはず。貴女が何らかの許可を与えたか、あるいは強引にロックを外したか。どちらかではないのですか?」
 部下からの指摘に、軍馬の上でぐったりしているローラは肯定も否定もせずに、ただ口元に意味深な笑みだけを浮かべる。
 あれこれ勘操かんぐる神裂だったが、そこでローラ=スチュアートが意外なヘルプを求めてきた。
「だ、駄目だめだ……。もう力が入らずにつき、馬を止める事もできぬのよ。かっ、神裂ぃー……この馬止めて、そして私を降ろしてー」
「えっ、で、できませんよ。私、馬の扱い方とかは正直苦手ですし」
「その格好で!? 明らかに西部劇っぽい感じなりけるのに!?」
「いえこれは術式の構築にあたって、必要な物品を集めているだけでして。特に乗馬に思い入れがある訳では―――ぐわァァあああああッ!? 食ってる、この馬私のポニーテールをんでますけど!?」
 神裂は馬のよだれまみれな黒髪を見て絶叫するが、軍馬の方は彼女の方が気に入ったらしい。自然と立ち止まってじゃれつこうとするすきに、ローラはのろのろとした動きでようやく軍馬から地上へ足をつける。
「う、うむ。ところで神裂がエロ極まりなき格好でご奉仕したる少年はどこにいるのよ? イギリスに来たると言いしなのだから一度は見てみたいのだけど」
「くっ、後から出てきたくせに痛い所ばかり突きやがって! そもそも魔術的まじゅつてきな事件にあの少年をかかわらせている点を考慮こうりょすれば、あなたの方こそ堕天使だてんしエロメイドを着るべきなのではないですか!?」

 第二王女キャーリサは、ロンドンの路上にぶっ倒れていた。
 夜明けまではまだ少しだけ時間があるのだろう。クーデターは終結したものの、その影響えいきょうがまだ残っているためか、大通りにも車はない。
 ここはどこだろうか。
 バッキンガム宮殿の敷地しきちから、二キロはなれたか、三キロ離れたか。とにかく派手に飛ばされすぎて、もはや居場所の確認に戸惑うほどだった。
「……、」
 キャーリサは、倒れたまま自分の右手に目をやる。
 このに及んで、未練がましくカーテナ=オリジナルのつかつかんだままの右手。だが、その剣は真ん中の辺りでへし折れていて、魔術的まじゅつてきな力も失われていた。今頃いまごろ、天使長としての莫大ばくだいな力はカーテナ=セカンドの方へ移行している事だろう。あの母上が、そんな力に固執するとも思えないが。
 しばらく、キヤーリサは無言だった。
 九〇〇〇万人もの戦う意思について、少しだけ考えていた。何が、国民を守るだ。あれだけ強い人間たちが、他国から多少小突かれた程度で人間としての尊厳を暴落させられるものか。結局、目の前の状況に対して最もおびえていたのは、キャーリサ自身だったという事だろう。
 と、その時だった。
「ハハッ、こいつはすごいな。お前がそんな風に血と泥にまみれて地面に転がっている様なんぞ、なかなか見られんモノだと思っていたが……実際、の当たりにしてみると予想以上に愉快な光景だ」
 男の声が聞こえた。
 キャーリサが痛む体を引きずるように起き上がると、そちらにだれかがいた。赤を基調にした服装の男。大してきたえているとも思えない体つきだが、その印象以上に不自然なまでの異様な重圧を与えてくる人間だ。
「誰だ……?」
 右手に力を込め、カーテナ=オリジナルが折れている事を思い出し、舌打ちと共にキャーリサは剣の柄を投げ捨てる。
「お前は誰だ……?」
「右方のフィアンマって言えば分かってくれるかな? ここまでヒントを出しても分からんのなら、諜報ちょうほう系の部門を一度解体して組み直した方が賢明だ」
「っ」
 右方のフィアンマ。
 ローマ正教を陰から操る『神の右席』の最後の一人にして、最大の力を振るう者。記録によれば、たった一撃いちげきで聖ピエトロ大聖堂を半壊はんかいさせ、矛先を向けられたローマ教皇は今も予断を許さない状況にあるらしい。
 そこまで情報を引き出していたキャーリサは、ふと何かに思い至って顔を上げた。
「対応してる天使は『神の如き者ミカエル』……。カーテナが操るものと同質となると、ねらいはこの剣か!?」
「んー? そっかそっか。そういうやり方もあったかもしれんなぁ」
 ふざけた調子のフィアンマを、キャーリサは注意深く観察する。
 挑発を放ち、相手からの反応を見る。
「だが、ここにあるカーテナ=オリジナルは、すでに機能を失ったし。クーデターの混乱を機に奪いに来たのなら期待外れだったな」
「いやぁ、そいつは純粋に惜しかったな。もしかすると、そっちの方が楽だったかもしれん」
 フィアンマは本当に深い事を考えない感じでつぶやいた。
 真剣に感心しているように見えた。
「まぁ、やっぱ無理か。無理だよな。力の質という部分ではクリアしているものの、おそらく容量の方がたんだろう。おれ様の力を移した途端とたんに剣の方が爆砕するのがオチだろうなぁ」
「何を……言ってるの?」
「くだらん世間話だよ。ついでに言うと、お前の意見は半分正解。この混乱を機にイギリス清教の最暗部に保管されている『あれ』を奪いに来た訳だが、そいつの正体はカーテナなんてつまらんモンじゃない」
 フィアンマはパチパチと白々しい拍手をしながら、
「いやぁ、正解は四分の一かな。何しろローマ正教経由でフランス政府をせっつかせて、イギリス国内に不穏ふおんな動きを誘発ゆうはつさせたのはこのためだったんだからな」
「なん、だと」
「ま、フランスとイギリスをガチで戦争させて、焼け野原になったロンドンから回収するって方向でも良かったんだが、その点ではお前は優秀だったぞ? 現実に、お前のくだらんママゴトのおかげで、この首都は虐殺ぎゃくさつと略奪と陵辱りょうじょくあらしにならず俺様の目的を達せられる事になったんだから」
 カッと、キャーリサの頭に血が上った。
 カーテナのない第二王女には、直接的な攻撃こうげき術式はそれほどない。人並み程度は保持しているものの、そのレベルでフィアンマに立ち向かえるはずもない。
 現に、飛びかかるキャーリサに、フィアンマは指も動かさなかった。
 ただ、ゴバッ!! というすさまじい衝撃しょうげきが走り、キャーリサの体が一〇〇メートル以上吹き飛ばされた。
「おいおい、やめとけよ。俺様の目的はもう済んでいるんだ。夢見がちなお姫様を相手にする必要も特にない。女王のババァならともかく、お前みたいな雑魚ざこなら見逃しても良いんだぞ」
 フィアンマの右肩の辺りから、何か巨大なものが生えている。つばさのような、腕のような……
 この世のものとは思えない、不可思議な物質だ。
「チッ、やはり空中分解か。我ながら扱いにくいじゃじゃ馬を手にしてるもんだ」
 フィアンマはわざとらしく靴底を鳴らしながら近づいてくる。
「何を、だ……。カーテナすらもかすむほどの物品だと。わざわざ戦争を起こしてまですきを作り、その間に何をコソコソ盗み出そーとしてたの!?」
 キャーリサは血をきながら激昂げっこうするが、フィアンマの調子は変わらない。
「分からんか」
 己の口を引き裂くように笑ったフィアンマは、両手を広げて自慢話じまんばなしのように宣言した。
「ちょっとしたお宝だよ。お前たち、『王室派』の方こそがコソコソ作っていた、な」
 その言葉に、キャーリサはギョッと身を強張こわばらせた。
 フィアンマの言っている意味が分かったからだ。
「まさか……実在、したのか……ッ!?」
「やはり、お前は知らされていなかったか。バッキンガム宮殿の中にポンと置かれていたから、おれ様の方もおどろいたぞ。ま、本当の意味で秘密の品だからな。『クーデター発生と共に、重要な物品を持って逃げ出すように』指示されていた魔術師まじゅつし達も知らなかったのでは持ち出せない訳か」
 歌うようにつぶやきながら、フィアンマは右肩から生えた第三の腕をゆっくりと動かす。
 あれが本領を発輝すれば、今のキャーリサぐらいなら粉微塵こなみじんにされるかもしれない。
「で、結局どうする? あきらめて生き延びるか、もうちょっと頑張ってみて死んじまうか」
「ぬ、かせ……」
 キャーリサは口からボタボタと血をこぼしながら、ゆっくりと立ち上がった。
 もはや体は斜めにかしぎ、バランスを保つのも難しいが、それでも眼光だけはおとろえない。
「……ローマ教皇が、どーして最後までお前にあらがったか……。分かるよーな気がするの……」
「そうかい。なら同じようにくたばるが良い」
 グワッ!! という強大な風圧のようなものがキャーリサにおそいかかった。
 キャーリサはボロボロの体を引きずり、それでも目を閉じずに前へ向かおうとする。
 そして、

 ゴッキィィィィ!! と。
 すさまじい音と共に、突然横から割り込んだ少年の右手が、フィアンマの一撃いちげきを防いでいた。

 あまりにも巨大な力は、それを受け止めようとした少年の体を大きく後ろへ吹き飛ばそうとする。しかしそれを、後ろからキャーリサが支えた。二人分の靴底が地面に削り取られたが、かろうじてその場にとどまる。
「何やってんだ……テメェ……」
 上条かみじょうは低い声で言うと、腕の調子を確かめるように、一度だけ右腕を大きくグルリと回す。やはり骨や関節の調子に影響えいきょうがあるのか、それだけでゴキゴキと妙な音がキャーリサの耳まで届いた。
 それを無視してにらみつける上条に対し、フィアンマは笑った。
 これまでにないほどの、それこそ腹を抱えるほどの笑みを浮かべていた。
「くっ、はは!! 何だ今日は? 本日のラッキーな星座のアナタはピンポイントでおれ様でしたってオチか!? お前は最後の仕上げだと思っていたのに、まさかこんな所でダブルで手に入るとはなぁ!!」
「……、だれだテメェ」
 上条は短く尋ねたが、フィアンマは笑うばかりで答えない。
 ふらりと彼の体からはなれ、地面に突っ伏しそうになるキャーリサの方が、告げる。
「フィアンマだ……。右方のフィアンマ。『神の右席』の実質的なリーダーだし」
 思わぬ声にギョッとする上条。
 ようやく、フィアンマは笑いながらも上条の方を改めて見た。
「おいおい、自己紹介ぐらい自分でやらせてくれよ」
「フィアンマ……」
 ローマ正教を牛耳ぎゅうじる『神の右席』の最後の一人。すべての戦争の元凶。こいつを倒せさえすれば、大きな争いが終わるかもしれない重要人物。
 自然と今まで以上にこぶしを強く握りめる上条を見て、フィアンマは応じるように右肩から伸びる第三の腕を動かした。ほとんど舌舐したなめずりでもしそうな表情で、彼は言う。
「やるか? 良いぞ。こちらは不格好で申し訳ないが、温まってきた所だ」
「黙れ!!」
 上条が激昂げっこうして走り出そうとした瞬間しゅんかん、フィアンマの第三の腕が爆発的な光を発した。
 音は消えた。
 ただ、突き出した右手に強烈な衝撃しょうげきだけが、ドバッ!! と恐ろしく伝わってくる。
 光が消えた時、上条とフィアンマは相変わらず睨み合っていた。
 今の一撃だけで、そこらの大聖堂なら地図から消せる程度の破壊はかいりょくは秘めていた。
「なるほど、流石さすがは俺様が求める稀少きしょうな右手。間近で見ると、改めてその特異性におどろかされる」
 自らの攻撃を打ち消されて、しかしフィアンマは満足そうだった。
 その第三の腕が独立した生き物のようにうごめき、苦悶くもんするへびのようにのたうち、空気の中へと溶けそうになっている。
 時間切れか、とフィアンマはつぶやいた。
 彼は第三の腕に注目している上条を見ながら、
「驚くなよ。お前が扱っている『右手』だって似たようなものなんだしな。まぁ、おれ様もお前も不完全である所までそっくりなんだが」
 その時、フィアンマの第三の腕が一際ひときわ大きく、暴れるように動いた。
 フィアンマは初めてわずかに顔をしかめ、
「しかしまぁ、やはり、欲を張るのは良くないな。今日はこの辺にしておくか。ここで殺すのは簡単だが、万に一つでも奪った霊装れいそう破壊はかいされてしまうリスクを負ってまで拘泥こうでいする事でもない。……いずれ、近い内に手に入るであろう物な訳だし」
「奪った、霊装……?」
「すごいぞ。見るか?」
 言ったフィアンマの手には、いつの間にか何かが握られていた。それは金属製の錠前じょうまえだ。
 ダイヤル錠のようなものだろうが、数字が多い。いや違う、数字の代わりに刻まれているのはアルファベットだ。本来、その小さなリングに二六文字ものアルファベットを刻めるスペースはないはずなのに、不自然なトリックアートのように収まってしまっている。文字が一つずつ刻んでいるというよりは、リング状の液晶に必要な文字だけを表示させているようなものなのかもしれない。
(何だ、あれは……?)
 上条かみじょういぶかしげにまゆをひそめたが、
「まずい!! あれを使わせるな!!」
 キャーリサの方が切迫した叫びを発した。
 だが、フィアンマは聞かなかった。右手のてのひらの中で霊装を転がし、親指だけを使って円筒形の錠前に取り付けられたダイヤルを的確に回していく。
 直後、

 ドッ!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 何か白いものが、アスファルトを突き破って真下から飛び出してきた。

 それは地下鉄か下水道でも通ってきたのだろうか。爆砕地点を中心として、半径一〇メートルほどのアスファルトが突き上げられて吹き飛ばされた。ちょうどそのはしに立っていた上条の体が後ろに転がり、キャーリサは危うく地下空間へと落ちそうになる。
 その破壊力はすさまじかった。
 しかし、上条はそんな事になど驚いていなかった。
(なん……っ!?)
 突然おそいかかってきたものの正体。
 それは人間だった。
 銀髪碧眼へきがんの少女だった。
 紅茶のカップのような、白地に金刺繍きんししゅうの修道服を着たシスターだった。
 そう、
「……イン、デックス……ッ!?」
 上条かみじょうは思わずその名を叫んでいた。
 何故なぜ、彼女がフィアンマの合図に応じるように現れたのか。そして明らかに普通の腕力では不可能なほどの破壊はかいをどうやって生み出したのか―――そう、魔術まじゅつを使えないはずの彼女が、魔術らしき補助を受けているのはどういう理屈か。
 数々の疑問に答えるものは、二つあった。
 一つ目はフィアンマの台詞せりふ
「禁書目録に備え付けられた安全装置……『自動書記ヨハネのペン』の外部制御霊装れいそうといった所か。『王室派』と『清教派』のトップだけが持っている秘蔵の品だ。とはいえ、『原典』の汚染もあるから、こいつを使うのは本当に最後の手段になるようだ。―――おかしいとは思わなかったか? いくら少女が望んだとはいえ、一〇万三〇〇〇冊もの魔道書まどうしょを保存する禁書目録を、何の保険もなく科学の街にポンと預けるなんてありえるか? まして、こんな残酷ざんこくなシステムを築き上げた、あの最大主教アークビショップが、だ』
 二つ目はインデックス自身の台詞。

「はい、私はイギリス、清教内……第零聖堂、区『必要悪の教会ネセサリウス』……所属の魔道まどうしょ図書、館です。正式名……称はIndex-Librorum-Prohibitrumで……すが、呼び名は略称の……ジジジザザザガガガガガガ」
 無表情にブツブツと言っていたインデックスは、突然ガクガクと不自然にふるえると、そのままフラリと地面に崩れ落ちた。
「インデックス!!」
「おや。もしかして『自動書記ヨハネのペン』にダメージでも入っているのかな。まぁ、肉体の完会制御ができないのは残念だが、この程度なら何とかなるか。……ちょっと霊装れいそうを細かく調整して『出力』を上げれば、一〇万三〇〇〇冊の中から自由に魔道書の知識とアクセスできるだろうしな」
 フィアンマは思った以上につまらない玩具おもちゃを手にしてしまったような顔で、
「何をした……インデックスに何をしたんだ!?」
 上条かみじょうは今までにないほど大きな声で叫んだが、フィアンマは両手を広げて肩をすくめた。
「知らんよ。整備不良はそっちのミスだろ」
「テメェ!!」
 こぶしを握り、今度こそフィアンマをなぐり飛ばすべく、走り出そうとする上条。
 しかしそれより早く、右方のフィアンマの方が動いた。
 彼は第三の腕に命令を飛ばすと、莫大ばくだい閃光せんこうを上条に放つ。
「そうだな。ちょっとロシアに行って天使を下ろした『素材』の方も回収しておかなくちゃならないし、それまでその右腕の管理はお前に任せておくか」
「―――ッ!?」
 思わず右手で閃光の一撃いちげきを押さえつけた上条だったが、視界が元に戻った時には、すでにフィアンマはどこにもいなかった。後には血にまみれたキャーリサと、意識を失ったインデックスと、彼女が強引にこわしたアスファルトの残骸ざんがいが残されているだけだった。

 バタバタバタバタ!! という複数の足音が建物の中にひびき渡った。
 ロシア成教『殲滅白書Annihilatus』のメンバー、サーシャ=クロイツェフはピクンと顔を上げる。読んでいた分厚い本をテーブルに置き、死ぬほどブランデーの入った紅茶を一口含むと、ゆっくりとした挙動で椅子いすから立ち上がった。
 窓の方を見る。そちらには、外の様子をうかがっている上司のワシリーサがいた。
「まっずいわねー。だからローマ・ロシア連合なんて無茶むちゃな事はやめときなさいって進言していたのに。どうも『神の右席』の影響力えいきょうりょくがロシア成教の方にも伝わってきているみたい。サーシャちゃん捕獲命令を受けて、同胞のロシア成教徒までバリバリ出動しちゃってるよー」
「第一の質問ですが、長い物に巻かれて漁夫の利ねらいなニコライ=トルストイ司教辺りが動いているのでは?」
「あのクソ野郎に付けねらわれるような心当たりはおあり?」
「……、」
 その質問に、サーシャはわずかにだまり込んだ。
 魔術的まじゅつてき、十字教的に考えれば……やはり、いつの間にか身の内に収まっていたとおぼしき、あの莫大ばくだいな量の『天使の力テ レ ズ マ』の一件か。サーシャ自身には全く身に覚えはないのだが、どうも痕跡こんせきを調べる限り……天使を丸ごと一つ格納するほどの量が一時的に体内にあったらしいのだ。
 と、ワシリーサもしばし深刻な表情で、
「うーむ。あまりにもサーシャちゃんが可愛かわいすぎるから、私の所から引き抜こうとしているのかしら。……だとしたら首をねる程度では許せねえなあのジジィ」
馬鹿ばかげた意見は放っておいて解答しますと、何らかの理由からローマ正教が私の身柄を求めて傀儡かいらいとなったロシア成教に掛け合った結果なのでしょう。第二の質問ですが、あなたはこれからどうするつもりですか?」
 サーシヤは素気ない調子で尋ねた。
「補足説明しますが、いかにニコライ=トルストイ司教の思惑が別にあるとはいえ、ロシア成教正式の命令ならば、あなたにも従う義務が発生します。これ以上私に協力すれば、あなたもばっせられる事になりますが」
「むぃーん」
 と、ワシリーサは訳の分からない声を発した。
 彼女は自分の持ち物であるカバンの中から古い紙束を取り出した。それはどうやら仕事上の契約書のようなものらしい。腐っても上役なので、結構面倒そうな書類がいっぱいある訳だが、
「とりゃー」
 ビリビリビリビリビリビリビリーッ!! とワシリーサはいきなりそれら契約書を片っぱしから破り始めた。
「ちょっ、バ……第三の質問ですがそれは何をやっているのですか!?」
「えーっと、ロシア成教に対する背信とー、国家に対する反逆とー、関係各位に対する契約違反かしらねー」
 あまりの事態に口をパクパクさせるサーシャに、ワシリーサはバチーンと気持ちの悪いウィンクを一発かまして、
「いえーい、割と世界の広い範囲を敵に回してしまったZE!! これでロシア成教の命令を聞く必要はないから、ずーっとサーシャちゃんの味方だよー?」
「よっ、酔っているんですか? 第四の質問なのですがあなたは正気を保てていますか?」
「んもー、私の事なんかどうでも良いから逃げちゃえ逃げちゃえ。ほら、こっちのカバンに着替えとかお金とか逃亡に必要な物はワンセットで詰まっているから、これ持ってそこの窓から脱出しちゃいなさーい」
 話を勝手に進めるワシリーサは、窓を開けると先ほどとは違うカバンを取り出し、窓際でうろたえているサーシャに向けて思い切りぶん投げた。バスン!! とすさまじい音と共にサーシャの体が窓の外へ消え、そのまま建物の外へと投げだされる。
 下は深い新雪……落ちた所で大きな怪我けがはしないだろう。
 ワシリーサが小さく息をいた途端とたん、ドアが錠前ごと破壊はかいされて部屋の内側へ飛んできた。
 そちらを見ると、同じ『殲滅白書Annihilatus』のメンバーである妖艶ようえんな女がみ込んでくる所だった。
「おやまぁ、サーシャ=クロイツェフがこっちに来ているって話だったんだが」
 スクーグズヌフラ。
 語源はロシアの妖精だ。森にむ者で、特に害意はなく、人間に恋をする事もあるのだが……あまりにもその性行為が激しすぎて、相手の人間を死なせてしまうといわれる妖精である。
 拘束服―――それも実用重視ではなく、レースとレザーで構成されたセックスアピール最優先の拘束服でその肢体したいをギッチギチにめ付ける女の正体は、ありとあらゆる性魔術せいまじゅつのエキスパートだった。
「あらー。私好みの魅惑的みわくてきな格好だけど……サーシャちゃんにみさおを立てている私にあなたを差し向けてくるとは、これはニコライクソ野郎のいやがらせかしらねー」
「私はそのサーシャ=クロイツェフの方と『遊び』たかったんだけどねぇ。今の気分はババァ趣味しゅみじゃないんだけど、ヤルべき事はヤッておかなきゃこっちが怒られちゃうわ。上の連中はローマ正教と仲良くしたいらしいしね。悪いんだけどあきらめてくれない?」
 参ったわねー、とワシリーサはのんびりした調子でつぶやいた。
 それから、彼女は人差し指をくちびるに当てて、こう尋ねる。
「そうそう、何で私が、『殲滅白書Annihilatus』のまとめ役になっていると思うかしら」
「あん?」
「―――この組織の中で、私が一番強いからよ?」
 ごう!! と見えない何かが渦巻いた。
 ワシリーサを中心に噴き出す何かに、スクーグズヌフラはまゆをひそめる。
「一本足の家の人喰ひとくばあさん、幸薄さちうすく誠実な娘のために力を貸してくださいな」
 年齢に似合わぬ、童女のような声でワシリーサは歌う。
 ワシリーサの名の語源は、ロシアの代表的な童話に出てくるヒロインの名だ。幸薄く継母ままははや姉にしいたげられてきたヒロインは、森に棲む人喰いの魔女まじょからき実母をおもい続ける誠実さを気に入られ。命を奪われる事もなく、魔術の品々をもらって幸せを手に入れた事になっている。
「一本足の家の人喰い婆さん」
 そっと。
 ワシリーサは唇に当てていた人差し指を外し、大きなブランデーグラスをつかむように、てのひらを上にしたまま五本の指をゆるやかに曲げる。
 魔女まじょの手による、しあわせをてにいれるほうほうを実践するために。
髑髏どくろのランプをくださいな。不実な継母ままははたちを焼き殺す、炎を噴き出す髑髏のランプを」
 ボバッ!! と。
 爆音と共に、二人の魔術師まじゅつし戦闘せんとうが始まる。

 窓から深雪の上へ落とされたサーシャ=クロイツェフは、後ろ髪を引かれながらも、ワシリーサの決意を無駄むだにしないよう、極寒ごっかんの大地を走る事にした。
 気温はマイナス五度
 これでもまだまだ暖かい方だ。ロシアの中では緩やかな方とはいえ、最低でマイナス二〇度になるこの地方の寒さは、下手へたな戦車ぐらいなら動きを止めてしまうほどの激しさを誇る。
 魔術を使って最低限の断熱・保温性を確保しながら、サーシャは地吹雪じふぶきの舞う大地を進む。突風によって柔らかい雪が舞い上げられると、視界がすべて塗りつぶされるのだ。
それでも、『追っ手』は正確にサーシャの位置を捕捉ほそくする。
 チカッと、景色の向うで何かがまたたいた。そう思った直後、サーシャのすぐ近くにある雪のかたまりが、クレーターのように大きく吹き飛ばされた。サーシャはあわてて身を伏せる。続けざまに二度、三度と遠距離えんきょりからの飛び道具が爆発を生み出す。
 そうやってサーシャの動きを封じながら、別動隊がこちらへ近づいてくるのが分かった。スレイプニル。極寒ごっかんの地で運用する事を前提とした、八本足の金属の馬。移動用霊装れいそうにまたがっているのは、おそらく『殲滅白書Annihilatus』のメンバー達で構成される追跡隊だろう。
(このままでは……ッ!!)
サーシャが歯噛はがみした時、その細い腕をグイッと何者かにつかまれた。伏せていた体勢から強引に起き上がらせるその人物は、
「こっちよ。ったく面倒くさいコトになっているわね」
 全身を黄色い服装で統一した奇妙な女だった。顔の化粧も濃く、ピアスまでついている。
 女の格好も不自然と言えば不自然だが。
「だっ、第一の質問ですが、どこから……」
「そこ。雪のせいで洞窟どうくつの出入り口が隠れているのよ」
 黄色い服の女はサーシャの腕をグイグイ引っ張りながら、
「やっぱ、イギリスではなくロシアにルートを変えておいて正解だったわね。状況的に考えて、フィアンマのクソ野郎はこいつをねらってくると思っていたよ」
「あっ、あの……第二の質問ですが、どちらに……?」
「『どこから』だの『どちらに』だの、アンタはガイドのしりについていくしかできない初心者観光客か。そもそも私がいなかったらどういうルートで逃げるつもりだったんだ」
 う……、とワシリーサが見たら悶絶もんぜつしそうな表情で、サーシャは押しだまる。
 逃げよう逃げようとにかく逃げようという思いばかりが先行して、具体的な計画を全く考えていなかったのだ。とはいえ、いきなり大国ロシアの中で、国中の人間にウォンテッドされてしまえば無理もない事ではあるのだが。
 しかし、黄色い服の女は間答無用であきれた表情になった。
「まぁ良い。とにかくローマ・ロシア勢力の連合状態によって、ロシア国内も『神の右席』からの影響えいきょうを受けちまっている。とにかくこの国から出ない限りは一息つくコトもできない」
「……、」
「ここから一番近い国境は、エリザリーナ独立国同盟か。別にここまで協力する義理はないんだが、アンタを欲しがってる連中が気に食わなくってね。あいつに一泡吹かせるためなら慣れない事でもやってやるわよ」
「第三の質問ですが、エリザリーナ独立国同盟とは―――」
「だから私はガイドじゃないっつーの。ま、近年ロシアのやり方に納得できずに独立した小国の集まりだ。あそこの中ならロシア成教もローマ正教も関係ない」
「いえ、そうではなく……第三の質問をり返しますが、私たちはローマ・ロシア勢力にとって最重要回収項目のはず。他国へおもむいてしまっては、戦争―――いえ、軍事的侵略行為の口実を作ってしまうのではないでしょうか?」
「もう遅い。……ロシア軍部を利用した独立国への攻撃こうげきは、とっくに始まってるわよ」
 黄色い服の女の言葉に、思わずサーシャは息をんだ。
「ローマ正教とくっつくコトで、戦争の勝者になれる。そういう風に勇み足っぼく考えたロシアの連中は、すでに『新しい世界の支配者』顔で独立国に侵攻を始めているのよ。このままだまっていたって、エリザリーナ独立国同盟もじきに無差別空爆の餌食えじきになるだろうさ」
「そんな……しかし……第一の解答ですが、だからといって、一〇〇%確実に悲劇を生むであろう火種を持ち込んで良い理由にはならないはずです」
「逆よ、間抜け」
 黄色い服の女は、サーシャの意見を一刀両断した。
「私達みたいな最重要人物が領内にいるコトで、ロシア側は無差別的な空爆や砲撃、虐殺ぎゃくさつなどは行えなくなる。回収対象である私達を殺してしまうワケにはいかないからね。それと同時に、『神の右席』―――というより、右方のフィアンマの目論見もくろみを止めたいイギリス清教や学園都市の視線も、自然とエリザリーナ独立国同盟へと向けられる。知らぬ存ぜぬの国際社会を介入させるには良い機会なのよ。それが結果として、ロシア側の横暴を止めるかせになる可能性もゼロじゃあない」
「第四の質問ですが、それでは……」
「ま、これから潜伏先せんぷくさきの宿を借りる身だからね。宿代ぐらいは払うのが礼儀れいぎだろ」
 正体は分からないが、思わぬ味方ができたサーシャは、素直にうなずいた。
 すると、黄色い服の女はあきれたような表情でサーシャの服装を眺めて、
「それにしても、何だその拘束服は? 潜伏するならもうちょっと目立たない感じにならないの?」
「第二の解答ですが、衣服に関して全身黄色なあなたに言われる筋合いはありませんが。一応、上司から必要な物は一揃ひとそろえ用意してもらっています」
 サーシャは言いながら、ワシリーサに渡されたカバンを開けて着替えを取り出す。
 超機動少女マジカルパワードカナミンのドレススーツだった。
「おい待て、何で戻ろうとするのよ。……は? あのクソ上司をぶんむぐってやる? ちょっとストップおいたのむ止まれ止まれよ止まれってば!!」

 上条かみじょう当麻とうまは、呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。
 路上に倒れたインデックスの周りを、多くの人々が取り囲んでいた。イギリス清教のプロの魔術師まじゅつしたちですら、その表情には困惑があった。
 気を失ったインデックスは、いつまでっても意識を取り戻さない。
 かたわらにかがみ込んでいた神裂かんざき火織かおりは、こちらを見上げてこう言った。
「呼吸と脈拍は正常です。命に別状はないでしょう」
 それを聞いても、上条の心は安らがなかった。
 一体何が起こったのか、いまだに理解が追い着いていないのだ。
「……どういう事だ」
 ボソリという声が聞こえた。
 上条ではない。少しはなれた所でローラ=スチュアートに詰め寄っている、ステイル=マグヌスが発した言葉だ。ようやく皆と合流した彼が最初に見たものが、倒れているインデックスだった。
「どういう事だ!! 一体……一体、どこまで他人をだまして、あの子を傷つけ続ければ気が済むんだッ!!」
 上司と部下という関係もかなぐり捨て、ローラの胸倉をつかんで激昂げっこうするステイル。しかしローラの方の表情に大きな変化はない。
「やめておけ。禁書目録に複数の安全装置を取り付ける事は、その子の基本的な人権を保障する上でも必要な措置だった」
 エリザードの方が、横から口を挟んだ。
 無言でいるステイルに、女王はさらに続けてこう言った。
遠隔えんかく操作でロンドンから操れる仕組みを作っておかなければ、我々は常に『禁書目録が何者かに連れ去られる危険』を考慮こうりょしなければならなかっただろう。例えば処刑ロンドン塔の一室で永遠に幽閉ゆうへいしたり、逃走を防ぐために四肢ししを切断したりといった……だ」
「本気で……言っているんですか?」
「我々の個人的感情だけで済まされる一〇万三〇〇〇冊ではない。『これは完全に制御のできる安全なものだ』という事にしなければ、いざ窮地きゅうちおちいった際、『禁書目録は危険だから殺してしまった方が安全だ』という意見に反論できなくなる。……そういった極論を封じるためにも、安全装置を複数用意しておくのは必要な事だった」
「くそっ!!」
 ステイルはき捨て、ローラを乱暴に突き飛ばした。
 何だこれは、と上条かみじょうは思う。
 ついほんのさっきまで、みんなは一つになっていたはずではないか。ハッビーエンドで終わるはずだったではないか。それを、あの右方のフィアンマが登場しただけで、こんな風になってしまった。たった一瞬いっしゅんすべてはバラバラに散らばり、いがみ合う状況になってしまった。
『神の右席』の最後の一人。
 右方のフィアンマ。
「本来、『自動書記ヨハネのペン』を構成する重要な因子である『首輪』が、幻想殺しイマジンブレイカーによってこうも簡単にこわされる事など、当初の計画で予測するのは不可能だった」
 いつまでも固まっている上条に、エリザードは告げる。
「あんな風に『首輪』を壊された状態で、遠隔制御霊装れいそうを使用する状況など実験していなかったため、こんな風な不具合が生じたんだな。この状態でフィアンマが禁書目録の知識にアクセスしようとすれば、そのたびにその子の体に重大な負荷が加わるだろう」
 言いながら、彼女は路上に倒れているインデックスのかたわらにかがむ。
 両手を使ってその小さな体を抱き上げながら、
「どうすれば良いかは分かっているな」
 まるで挑むように、エリザードは言った。
「禁書目録の身柄は一度、こちらで預かるものとする。禁書目録という枠組みそのものを作り上げた我々の手によって専門的な治療ちりょうを行いつつ、可能な限りフィアンマ側からの干渉を遮断しゃだんするように努める。だが、それだけでは足りない。あいつを倒し、遠隔制御霊装を完全に破壊はかいしなければ、この子の身の安全は永遠に保証されないだろう」
「……、」
 この女王様は、イギリスという国を守るために、ここをはなれる訳にはいかないのだろう。
 それはとても正しい事で、上条には反論などしょうがない。
 そして、無理に手伝ってほしいと言うつもりも、ない。
「ステイル」
 上条かみじょうは、赤い髪の魔術師まじゅつしに声をかけた。
おれはフィアンマをなぐりに行って来る。その間、インデックスを任せられるか」
「……本気で言っているのか? この子をこんな風にした人間を、このまま何もしないで見過ごせと言うのか、この僕にッ!!」
 それこそ殴りかかるような格好で大声を張り上げたステイルだったが、逆に上条はステイルの胸倉をつかんで手前に引き寄せた。
 耳を寄せるような形で、上条はステイルにだけ耳打ちする。
「(……こんな風にいくつも策を巡らせている連中が、この先インデックスに何もしないなんて保証があるのか!!)」
「……ッ!?」
「(……俺には魔術的な詳しい仕組みは分からないから、四六時中インデックスに張り付いていても、小細工を見過ごす危険もある。右手のせいで、魔術的な施設には入らないでくださいなんて言われたらお手上げだ。だから、お前にたのんでいるんだよ!! 最後の最後の土壇場どたんばで、組織の思惑なんてものに振り回されずに、インデックスを守ってくれるような魔術師に!!)」
 言うだけ言うと、上条はステイルを突き放した。
 こんな風に考えるのはいやだが、どうしても考えざるを得ない。フィアンマが振りまいた悪意が、先ほどまで確かにつながっていた集団に個と個の溝を思い出させる。
 苦いものを感じながら、上条は女王エリザードに向けて声を放つ。
「…もちろん意図的な攪乱かくらんの可能性もあるけど、もしもフィアンマの言葉が本当なら、あいつの次のねらいはサーシャ=クロイツェフらしい。『神の右席』ってのは天使の術式を扱う連中なんだろ。だったら、サーシャは旨味うまみがありすぎる。……何しろ、かつて本物の大天使をその身に宿したんだからな」
「禁書目録の制御を奪われかけているという情報は、極力隠しておきたい。となると、あの子を助けるため、というのは大義名分として成立しない。つまり……」
「……協力なら、必要ねえよ」
 ポツリと、上条当麻とうまつぶやいた。
 感情がないのではない。ふつふつと胸の内からき出てくる怒りの感情は、ようやく上条の体から外界へと噴出しつつあった。
「アシは自分で確保する。ロシアまで行って来て、フィアンマのクソ野郎を殴り倒してきてやる」

 上条当麻は、最後まで言わなかった事が二つある。
 一つ目は、自分がインデックスの件にかかわった事で記憶きおくを失っている事。
 二つ目は、右方のフィアンマの右肩から飛び出した第三の腕について。
 まるで本来ある右腕を突き破って現れたような、不可思議な力のかたまり。フィアンマ自身の口から出てきた『お互いの使っている右手の力は似たようなものだ』という台詞せりふ
 聞くべき事は、山ほどある。
 すべてを聞いた上で迷わずなぐろうと、上条は静かに誓った。

   あとがき

 一冊目から順番に追い掛けてきてくれているあなたはお久しぶり。
 二〇冊もまとめて一気にお読みいただいたあなたは初めまして。
 鎌池かまち和馬かずまです。
 ついに二〇冊目です! そして英国王室編完結です!! なので今回のあとがきは一七&一八巻の内容についてという事でっ! イギリスにある伝説の剣カーテナにまつわる物語はいかがだったでしょうか。一七巻ではとある傭兵ようへいを登場させる事で『騎士』という言葉を際立きわだたせていますが、こちらの一八巻ではカーテナを使って『女王』の存在を際立たせてみました。ちなみにこのカーテナ、きちんと実在する剣ですので要チェック。現代でも国家元首の戴冠式たいかんしきで使われているものだったりします。
 当作品の女王であるエリザードは、鎌池が考える理想の統治者そのものです。第一王女リメエア、第二王女キャーリサ、第三王女ヴィリアンのすべての長所を備えた完璧かんぺきな女王様、という感じですね。女王自身が本編で『私の娘たちは何で極端きょくたんすぎるんだ』と嘆いていますが、それは『彼女自身がバランス良く三つ全部そろえた人物だから』こそ、自然に出た台詞せりふでもあります。その下にいるお姫様グループは、絵本や童話のイメージが強く出ているかもしれません。特に他の姉からしいたげられる健気けなげな第三王女ヴィリアンとかは典型的な絵本系のヒロインですよね。
 王室以外の所では、SS2に出てきたシルビアの設定がチラホラと出てきたり、電撃でんげき文庫 MAGAZINEという雑誌の方で活躍していたとある魔術まじゅつ結社のボスなどもこっそり登場させています。お暇があればそういう所もチェックしてみてください。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。相変わらず面倒な戦闘せんとうシーンばかりで目を通す方も大変だったでしょうが、本当にありがとうございました。
 そして読者の皆さんにも感謝を。主人公である上条かみじょう当麻とうまが二〇冊という膨大ぼうだいな道のりを歩んでこれたのも、あなた達の応援があっての事です。これからもよろしくお願いします。

 それでは、ここで一度ページを閉じていただいて。
 次も新たなページを開いていただける事を祈りつつ。
 今回は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 この世界、ゲテモノメイド服は何種類あるのやら鎌池和馬

とある魔術まじゆつ禁書目録インデツクス18 鎌池和馬

     発 行 二〇〇九年七月十日 初版発行

     発行者 高野 潔
     発行所 株式会社アスキー・メディアワークス

     入 力 二〇〇九年十月十八日
     校 正     年 月  日

小説ーとある魔法禁書目録17

とある魔術の禁書目録インデツクス17
鎌池和馬

   c o n t e n t s
第一章 何気ないやり取りの違和 Irregular_Spark.
第二章 雲の上に浮かぶ鋼の戦場 Sky_Bus_365
第三章 イギリス迷路の魔術結社 N∴L∴
第四章 その剣は戦と災厄を招く Sword_of_Mercy.
終 章 それぞれの思惑と胸の内 War_in_Britain.

とある魔術の禁書目録インデツクス17

 イギリス清教『必要悪の教会ネセサリウス最大主教アークビシヨツプ・ローラ=スチュアートによって『禁書目録召集令状』が布告された。フランスとイギリスを結ぶユーロトンネルで起きた爆破事件を、英国『王室』と共に調査せよ、という任務だった。
 その命を受けたインデックスと彼女の保護者・上条当麻かみじようとうまは、イギリス行きの飛行機に搭乗する。和気藹々あいあいと空の旅を楽しもうとする二人だったが、機内では謎の人物がハイジャック計画を進めており……! 銀髪シスターさんの空腹を全力でなだめつつ、事態解決を図る上条の運命は如何いかに!?
 今度の“不幸”は、英国にて開幕!

 鎌池かまち 和馬かずま 

二〇〇四年四月にデビューしたので、ザ・五周年! というネタでいこうかなと考えていたのですが、ギリギリ寸止め三月刊という状態に。……こんな感じですが、これからもよろしくお願いします。

 イラスト:灰村はいむらキヨタカ

この巻が発売される時期は、TVアニメも終盤に差し掛かるところ? ……吹寄や五和や木原先生の出番はあるのでしょうか(ありません)

【カーテナ=セカンド】
英国王室に代々伝わる、王の戴冠式で使う儀礼剣。その剣
の所有者は、擬似的であるが『神の如き者(ミカエル)』
と同質の力を得ることが出来る。ただし英国女王エリザー
ドが持つこの『カーテナ』は、二本目である。『カーテナ
=セコンド』は、『オリジナル』の代替品で、『王室派』
の手によって人為的に作られた。歴史上、最初に登場した
『カーテナ=オリジナル』は現在所在不明となっている。

序 章
昔々、ある所に一つの町があったという。
町は城壁で囲まれ、
その中には王と民が暮らしていたそうだ。

ある時、町の近くに悪竜がやってきた。
王と民は協力して悪竜を倒そうとしたが、
失敗してしまった。
怒った悪竜は強力なブレスを放ち、
町を苦しめたという。

王と民は悪竜を鎮めるため、
毎日二頭の羊を捧げる事にしたそうだ。
しかし羊の数は限られている。
羊が足りなくなってくると、
毎日一頭の羊と一人の子供を捧げる事になったという。

町からは子供が消えていった。
とうとう王の娘――
姫君が羊と共に捧げられる事になった。
王は姫君だけは許してくれと懇願したが、
民は許さなかったそうだ。
自分たちの子供も、
すでに捧げられていたからだった。

そして、姫君は羊と共に
悪竜の住処へと連れて行かれた。

姫君は己の運命を悲観した。
その時、姫君の元へ馬に乗った放浪の騎士がやってきた。

一本の槍と聖なる剣を携えた、
騎士の中の騎士。
彼の名は、聖ジョージという。

  とある魔術の禁書目録インデツクス17

第一章 何気ないやり取りの違和 Irregular_Spark.

     1

 一〇月一七日の朝。
 ついこの間までは、あれだけエルニーニョ現象などで猛暑が長引いていたくせに、ロンドンの日本人街は足元にわだかまるような冷気に包まれていた。
 通勤、通学ラッシュの真っ最中で、どこを見回しても人があふれていた。何故なぜかその中に観光客は一切含まれていないのだが、いちいち言及したり首をかしげる者はいない。皆、その理由を知っているからだ。
 天草式あまくさしき十字じゆうじ凄教せいきようの少女・五和いつわ も、そんな観光客の消えた日本人街にいた。
 中華街、インド人街などと同じく、日本人街を構成する柱の一本は『食』だ。食べ慣れた味を外国でも楽しめるよう、文字通り『話の通じる』人々は自然と集まり、様々な料理を作る。
事実、日本人街の大きな通りには、寿司屋すしやや定食屋、各種なべの店などが色々並んでいた。
 五和が居を構えているアパートメントも、一階部分は弁当屋の店舗てんぽ になっている。ロンドン在住の日本人はもちろん、『手軽に買って本格的に楽しめる』事から、通勤途中に立ち寄ってくる和風贔屓びいき のイギリス人の会社員も多い。日本人の美点は『時間に正確」である事から、F1レースのピットイン級の速度で買い物ができる所も、忙しい社会人には好評らしかった。
 かくいう五和もたまに弁当屋の手伝いに駆り出されたりする訳だが、今現在はそういった仕事はしていない。服装も弁当屋の仕事の時とは違って私服である。
 ロンドンにおける五和の格好はシックでオトナな感じのものが多い。現在も、うすいベージュのトレーナーの上にジャケットのようにも見える丈の短いコートを着て、下はこげ茶色の細いパンツという服装である。以外に衣類さえ気をつけておけば、『必要悪の教会ネセサリウス』の仕事で、未成年の五和が夜中の酒場に潜り込んでも、警官に職務質問されたりしないで済んだりするのだ。
 彼女は店舗の奥にある店員用の休憩所で、ノートパソコンに表示された日本語のホームページを見てわなわなしている。
遠距離えんきより 恋愛の決め手は彼氏彼女の記憶き おくに残るかいなか! 影の薄いヤツはぷっつり糸が切れてしまう!? 成功する者と失敗する者の分かれ目はここだ!!』
 ふるえる指で画面をスクロールさせると、その下には『成功例その一、略奪スペシャル!? より強いオンナの大アピールが彼の気持ちを上書きする!!』とか何とか書かれている。
 その瞬間しゆんかん、五和の脳裏に浮かんだのはつい数日前の事だ。
 後方のアックアにねらわれた上条当麻かみじようとうまを護衛するため、彼のそばにぴったり張りつく事になった五和いつわ 。日本とイギリスという、もう地球を半周するほど開いた距離きより をどうにか縮めるべくあれこれ頑張ったのだが……なんか途中で新生天草式あまくさしき十字じゆうじ凄教せいきよう女教皇の神裂かんざき火織か おりが現れ、インフレのあらしを起こしてグッチャグチャにした挙げ句、最後の最後でとんでもないい一撃いちげき必殺の秘奥義ひ おうぎ り出してきたのだ。
 つまり、
(だっ、堕天使だ てんしエロメイド……ッ!! まさかあんなすさまじい隠し玉を用意しているとは、流石さすが女教皇様プリエステス! あんなものを開陳されたら、対アックア戦の思い出は全部一つに集約されてしまうに決まっているじゃないですか……ッ!?)
 両手で頭を抱えて苦悩する五和。
 自分のシックでオトナな……言い換えてしまえば『無難極まりない服装』に目をやって、深い深いため息をつく。
 これが凡人と天才の差なのか。所詮しよせんただの魔術師まじゆつしでは聖人には届かないのか。同じ天草式の建宮たてみやなどからは『隠れ巨乳』だなんだとからかわれているが、『普通に巨乳』の神裂にはかなわないのか。あまりにも鮮烈に脳裏へ焼き付いた、例のオッパイでフトモモでエロくてアレなポニーテールのメイドを思い浮かべ、五和はいつしゆんそのまま気絶しそうになる。勝てる訳がない。
 ……一応念のために補足しておくと、別に上条と五和の問に特別な関係が築かれている訳ではないのだが、何かもうその辺はどうでも良いらしい。恋する乙女おとめは色々な部分が盲目なのだ。(ふ、普通にデカい乳を完全にものにした上で、堕天使エロメイドでさらに強調した末のインパクト作戦。まさに心技体をそろえたおっぱい戦略だったという事ですか……。恐るべし女教皇様プリエステス。一発で、たった一発で全部やられました。もはや逆転する機会はないのでしょうか……)
 はぁ、と気の抜けた息をきながら胡散臭う さんくさいニュースサイトにあれこれ目を通す五和。
 そこで彼女の目が留まる。
 一般的な記事から切りはなされた、『今週のちっぽけニュース10』のコーナーにそれはあった。

『ウワサの新商品の名は大精霊だいせいれいチラメイド!! 相変わらず作っている人間の脳がZ区分になっているとしか思えない破壊力はかいりよく! なんか微妙に需要があるらしく今秋発売決定!!』

 五和の中で、わずかに時間が止まる。
 もしや、自分はあの聖人に追い着いてしまったのか。
 いや、ここから先は自分の方こそがあの聖人の前を行く時がやってきたのか。
 まさに千載一遇せんざいいちぐうのチャンスを前に、五和はしばし考え込んでいたが……、

「う、うう……。私にはこんなの着れないッッッ!!」

 ぐしゃぐしゃぐしゃーっ!! と両手で髪をむしり、至極し ごく『まっとうな』答えを選択するいつ。そんな自分がいやになり、テーブルに突っ伏してしまう。おそらく、ここでとどまるか踏み込んでしまうかが、凡人と非凡の差なのだろうと彼女はちょっと真剣にめそめそした。
 ……ちなみに休憩室のてんじよううらの一角から『ノーッ!! 五和、もう一押しなのよ、だーっ!!ノーッ!!』『いっそ俺達おれたちが先に購入して五和の部屋の前に段ボールごと置いておきましょうよ!!』『教皇代理……いや建宮たてみやさん! アンタはマッサージ大作戦で五和の体形や乳サイズなどを大まかに把握していたはずだ!!』『うむ。堕天使だ てんしエロメイドと大精霊だいせいれいチラメイドが戦うさまを拝むためには、俺達も相応の血と汗を流すべきだな!!』『良いから仕事しろっつってんでしょアンタら……』などとささやかれている事に、五和は気づかない。

     2

 そんなウワサの堕天使エロメイド、神裂かんざき火織か おり遠距離えんきより から放たれる得体え たいの知れない情念を感じ取ったのか、わずかにぶるっと身震み ぶるいした。
 現在、彼女が歩いているのはバッキンガム宮殿近郊の街路だ。英国王室の本拠地であるその辺りは神裂――というより、英国三派閥の一つ『清教派』にとって、あまり馴染なじみのないエリアだった。ほかの二派閥である『王室派』『騎士派きしは』の影響力えいきようりよくが強すぎるのだ。
 ……何で神裂がそのような所にいるかと問われれば、バッキンガム宮殿の近くにある内務省に書類の開示を求めてきたからなのだが、その途中で顔見知りと遭遇そうぐうした。
『騎士派』のトップ、騎士団長ナイトリーダーである。
 多少若作りしている感はあるが、としは三〇代半ばほど――神裂と倍程度の開きがある。整った金色の髪や目鼻立ちといった体の作りから、着ているスーツの質、さらには背筋を伸ばした歩き方の一つ一つに至るまで、王城や宮殿でのフォーマットがみついていた。
 実は神裂、この騎士団長ナイトリーダーがちょっと苦手である。
 理由は、貴族社会特有の空気が鼻につくとか、そういうものではなく、
「一〇月のもよおし物となると、ウィンザー城での夜会やリヴァプールの船上パーティなどがあるが、やはり最適なのはジェイムズ上院議員の誕生会を兼ねたクイーンズハウスの舞踏会ぶ とうかいだろう。
多少、招待客の層は『雑』だが、主賓しゆひんの顔を立てる程度の思慮し りよがあれば、ここで無暗む やみに婦女子にからむ男もおるまい。仮にパーティが原因で『何か』が起これば、ジェイムズ上院議員の顔に泥を塗る事になるのだからな」
「いや、その、ええと……」
 書類の入ったデカい封筒を手にしたまま、うろたえる神裂。
 騎士団長ナイトリーダーは、そんな彼女の顔を見てわずかにまゆをひそめ、
「ふむ。これ以上のグレードとなると、ハロウィンに合わせてバッキンガム宮殿で行われる仮面舞踏会ぶ とうかいぐらいになってしまうが、初めておもむくパーティで顔と名を隠すというのもな。……それとも、客層が気に入らないのか。好色の目を向けられるのは耐えられないと。それなら多少遠くなるが、エジンバラに完全招待制の……」
「ですから、そういう事ではなくてですね」
 神裂かんざきは言いづらそうに、騎士団長ナイトリーダーから目をらしつつ、
「そ、そもそも、その手の夜会や舞踏会は……ええと、出会い系のような意味合いを含んでいたような……? 曲がりなりにもイギリス清教の傘下部隊を率いる身としては、そういうのはけるべきでして」
「しかしだな」
 騎士団長ナイトリーダーさえぎるように言った。
「そもそも、英国での立ち振る舞いを教えてほしいとたのんできたのは貴女あなたのはずだが?」
「そ、それは……」
 通勤・通学ラッシュで多くの人々が行き交う中、神裂がモゴモゴと言いよどむ。
 そんな様子を見ながら、騎士団長ナイトリーダー怪訝け げんそうな表情になる。
「予定が会わずに先延ばしにしてしまったのは謝罪するが、一度任された事に関しては最後まで面倒を見たいのは本当だ。是非ぜひ、社交界での作法については私にたよってほしい」
「い、いえ、それはまだイギリスに来た直後の話であって、天草式あまくさしきの術式の関係上、イギリス国内の礼儀れいぎ 作法や環境風土について学んでおきたかっただけなのです。別段、貴族の世界に生きたいという訳ではなかったんです」
 同じ日本人の土御門つちみ かど元春もとはるの協力もあって、今ではもう『イギリス』という大雑把おおざつぱ な枠はおろか、各地方の細かい方言まで学んでしまった神裂からすれば、今さら騎士団長ナイトリーダーから教わる事など何もなかったりする。
「しかしだな、現に貴女は夜会や舞踏会などには、ほとんど顔を出さない。やはり社交界に苦手意識があるのではないのか」
「……イギリス清教の者として特に必要性を感じないので、わざわざそういう所へ近づこうとは思わないだけなのですが」
「正しい道を生きる事と、貴婦人としての美しさをみがく事は別だろう。また、美しい事とたぶらかす事は同義ではない。それこそ、貴女自身が正しいのなら、どこへ足を運ぼうが貴女は正しいままのはずだ。聖女アグネスが連れ込まれた娼館しようかんが、またたく間に光りかがやく布教の場に変わったという伝説は、そういう心の強さを示しているのではないのか」
「……たとえ話に娼館を持ち出したという事は、夜会というものが女性にとってそれなりに危険な場である事を自覚した上でさそってはいるのですね」
 私の留守中には一輪の花を持って舞踏会に誘いに来た事もあったそうですし……、と神裂はため息をつく。
 その反応を見て、何故なぜ騎士団長ナイトリーダーは首をかしげた。
「とは言うが、貴女あなたも貴女で貴婦人としての生き方を模索も さくし始めているのではないのか?」
「どこから出たウワサですかそれは?」
「……ふむ、おかしいな。堕天便だ てんしエロメイドの情報はデマだったのか……?」
 ポツリとつぶやかれた一言に、神裂かんざきがゴバハァ!! とすさまじい息を噴き出す
 騎士団長ナイトリーダーまゆをひそめ、
「その挙措きよそ は貴婦人らしいとは言えないな」
「なっ、なななんなんなななななななん何を……ッ!?」
「まぁ、確かに英国紳士の一人として、エロもメイドも興味がないと言えばうそになるのだが……堕天使というのはいただけない。貴婦人としての美しさというのは、別に外面の妖艶ようえんさだけで決まるというものでもあるまい。むしろ重点を置くべきは内面的、人格的な美しさというものであってだな――」
「待ってください。ちょっと私の話を聞いてください!! アレは短めでイレギュラーな現象であって、別に己の未来予想図としてあんなふざけた衣装をまとった訳ではありません!!」

「思えば近衛次女このえ じ じよのシルビアじようも、貴女と同じ聖人でありながら下女として武者修行中だったな。……この国の女性は女らしい振る舞いを学ぶというと、とりあえずメイドとして下積みするものなのか……?」
「ええと、シルビアの場合は王権神授制のトップに仕える巫女みことしての役割もになっていますから、それなりの地位は築いているような……。 ハッ!? 今重要なのはそっちの議論ではなく、私の進路希望はやけにエロいメイドではないという事です!!」
 慌てふためく神裂かんざきだが、騎士団長ナイトリーダー的にはあんまり気になるポイントでもないのか、深くは追及してこない。
「しかしまぁ、どうせなら一挙両得だ。社交界で貴婦人としての振る舞いを学ぶと同時に、武人としての名と顔を紹介してもよかろう。その意味でも、それらを隠してしまう仮面舞踏会ぶ とうかいは避けるべきだと助言しておこう」
「……結局それが本音ですか」
 神裂はようやく平静を取り戻し、あきれたように言う。
「何度も申し上げていますが、私は『清教派』から『騎士派きしは』へ移籍い せきするつもりはありません。この剣技は術式群の一環であって、私のしんは信仰にあります。本質としての剣の道を歩んでいる訳ではないので、私が騎士や武士としての地位を得るのは失礼でしょう。そもそも騎士の世界は女人禁制によにんきんせいではないんですか」
「国家元首が女王であっても許されるのに、その下で働く騎士に女性がいてはいけないというのも矛盾した話だろう。私は、実益のない伝統と実益のある戦力を比べた場合、後者を選ぶぐらいの度量はあるつもりだ」
「だとしても、こちらの返答は同じです。今の神裂火織か おり天草式あまくさしきと共にいる事で本領を発揮するものです。私は私をしたってくれる仲間を捨ててまで地位を築くつもりはありませんので」
 なるほど、と騎士団長ナイトリーダーつぶやいた。
 ならば天草式は騎士の下で働く傭兵ようへい扱いにするか、とかいう意味深な言葉がブツブツれる。
「夜の催しに修道女をさそうのも結構ですが」
 神裂は強引に話題を変えるように、手にした大きな封筒を軽く振った。
 騎士団長ナイトリーダーに提示したのは、内務省から得た『資料』だ。
「浮かれるのは、この問題を片づけてからにするべきです」
「ふむ」
 封筒の中身は透視できないはずだが、騎士団長ナイトリーダーは何も書かれていない表面に軽く目をやっただけで、何を言いたいかを察したらしい。
 そんな彼の顔を見ながら、神裂は尋ねた。
「ユーロトンネルの方はいかがでしたか?」
 それは、島国のイギリスと大陸にあるフランスをつなぐ唯一の陸路となる、鉄道用の巨大な海底トンネルの名前だ。寄り添うように地中を走る三本のトンネルは、人員、物資の運搬うんぱんにおける生命線とも言えるインフラなのだが……。
「復旧のめどは立っていない」
 騎士団長ナイトリーダー端的たんてきに答えた。
「水没エリアでの救助活動はあらかた終了した。ここから先は原因の究明だな。明らかに人為的な事件であるのは確実だとして、魔術的まじゆつてきなのか、科学的なのか。どこの組織の人間が何をしたのか。その結果によっては、『騎士派きしは』も宣戦を布告する時が来るかもしれん」
 つまりはそのレベルの危機が、イギリスでは展開されている訳だ。
 ……そのために今日の勧誘かんゆうは強引だったのか、と神裂かんざき勘繰かんぐ ったが、今はそんな脇道わきみちれている場合ではない。
「フランス側とのきんちようが高まっているという話も開きましたが」
「色々込み入った事情もあるが……向こうも向こうで言いがかりをつけてきている。まぁ、これについてはお互い様だ。英国ウチの議会でも、軍部の中でもプライドの高い連中が主張する対フランス先制攻撃策こうげきさくをなだめるのに苦労しているようだ」
 議会政治の掌握しようあくは『王室派』の仕事であり、その『王室派』を守るのが『騎士派』の務めだ。仕事の過程で様々な話を聞いているのだろう。
「こちらも、この混乱に乗じて国内組織のいくつかが不穏ふ おんな動きを見せています。今までとどまっていた連中が、『勝てる』と思い込み始めているようですね」
「……封筒の中身の話だな。その反政府組織の中に、本物の魔術結社が混ざっていると?」
「確定はしていませんが、仮にそうだった場合、通常の警察では制圧行動に出た所でほぼ一〇〇%返りちにいます。一応、一通りは精査しませんと。そのための『清教派』ですから」
「外敵に内敵。お互いにやるべき事は山積みか」
「ええ」
 騎士団長ナイトリーダーの言葉に、神裂はうなずいた。
「遊んでいる暇はなさそうです。無論、夜会に着ていくドレスの色で悩んでいる余裕も」

     3

 と、そんな不穏な会話など露知つゆし らず、ごく普通の不幸な高校生、ツンツン頭の上条当麻かみじようとうまは本日最後の授業を終え、ホームルームが始まるまでの短い休み時間を満喫していた。
 ここは日本の学園都市。
 東京都の三分の一ほどの面積を誇る、二三〇万人弱の人口を抱える超能力開発機関だ。あっちを見てもこっちを見ても学校学校また学校な学生たちの街で、今は一一月に控えている超巨大文化祭『一端覧祭いちはならんさい』の準備そろそろ始めるぞーという気配がさざ波のように近づいてきている。色々あって中間テストが中止になり、心に余裕がある所も拍車をかけているのだろう。
 教室のあちこちで自由に小規模のグループを作っている生徒達も、やや浮かれモードな感じである。現に今も、かみじようの近くにいる青髪ピアスや土御門つちみ かど元春もとはるなどは、
「っつか、高校の一端覧祭いちはならんさいって中学の時とは何か違うんかいな。予算とかいっぱいもらえると色々やれる事の幅も広がったりするんやけど」
「にゃー。ぶっちゃけ学校見学会やオープンキャンパスも兼ねたりしてるから、そういうのに積極的なトコじゃないと予算はいっぱい出ないにゃー。ウチの高校はそういう欲が全然ない平凡学校だから思いっきり地味そうだぜい」
 と、早くも金の話になってグダグダになっている二人に対し、黒髪でおでこで巨乳で実行委員に目がない女子生徒(別に実行委員の男の子を見ると飛びかかるという意味ではない)、吹寄ふきよせ制理せいり は腕組みして鼻からフンと息をきつつ、
「世界最大の文化祭である一端覧祭が近いという事は、ようやくこの私の季節がやってきたという訳ね。貴様たちも時間を無駄むだにしているようなら、少しは有意義な使い方をしてみたら? 自分の新しい一面を見つけられるかもしれないわよ。……特にそこで消しゴムのカスを丸めて遊んでいるツンツン頭の貴様!!」
 指摘された上条当麻とうま はビックゥ!! と肩をふるわせ、
「えっ、ええー? 新しい自分とか良いっすよ。どうせあれだよ、今までメイド好きだと思っていたら実はウェイトレス好きだった事が判明するぐらいだよ」
「にゃーっ!! それは超重要な事ですたい!! メイドはウェイトレスの仕事もできるけど、ウェイトレスにメイドの仕事は務まらないという事実を忘れていないかにゃーっ!!」
「ふっ……馬鹿ばかやね。メイドが好きだからってウェイトレスを好きになってはならないという法則はどこにもあらへんのに。まぁ、たった一つのフェイバリットジャンルにみさおを立てようとするその純粋さが悪いとは言わへんけど」
 馬鹿が三者三様の反応を見せた所で、迫る一端覧祭を前に燃え上がっていた仕切り屋だましい(?)をみにじられた吹寄が毎度のように大噴火。『貴様らは……そのふざけた思考回路をどうにか変えろと言ってるんだ馬鹿ぼけクソこらーっ!!』『いやこの議論は普通の喫茶店かメイド喫茶にするかで絶対必要になるはずだゴキュ!!』などという叫びと共に、上条が頭突きで吹っ飛ばされていく。
 ごろんごろんと床を転がっていく上条だったが、クラスメイトの姫神ひめがみ秋沙あいさ の席の近くでようやく勢いが止まる。こっちもこっちで黒くて長い髪(だが巨乳ではない)の女の子は、何か真剣な顔で分厚い本のページをめくっている。
 むくりと起き上がった上条は、何を読んでいるのかしら? と姫神の肩越しに細かい文字をちょっと目で追い掛けてみようと思ったのだが、
『――パワーあふれるクラスの中で埋もれないためには、何と言っても他者を押しのけるために放たれる光、そう、攻撃こうげきりよくが重要です。そしてその攻撃力を得るために必要なのは間違いなく個性。何らかの特技があるのがベストですが、急には難しいと言うのなら、部活や委員会などに所属してみるのも一つの手です。生活リズムの変化はそれだけであなたの外面や内面に変化を与える格好の材料になり――』
「………………………………………………………………………………………………………、」
 上条当麻かみじようとうまは何とも微妙な視線で、姫神ひめがみの後頭部に目をやった。
「……なあ。何か悩み事があるようなら、相談に乗るぞ」
「いい。一人で頑張ってみる」
「そ、そうか。ただ一つだけ助言させてもらうとだな、なんだかんだでお前はそつなく料理をこなすという平和的な個性があったはずだ」
「!?」
「はっはっはー。毎日自分でお弁当を作ってくるというのは、すでに強烈な攻撃力こうげきりよくではないかね? 上条さんも自炊派だがそこまで本格的ではないんだからさー」
「わ。私……。もしかして。求めていたものは。すでに自分の中に備わっていた……?」
「うんうん」
「これからは私の時代。魔法ま ほうのお弁当を行使する事で。もうはじっこの方で無表情でいるのはおしまい……」
「い、いや……うん、多分……?」
 その時だった。
 担任の女教師、月詠小萌つくよみこ もえが教室に入ってきた。
「はーい。それではホームルームを始めますー。今日は一端覧祭いちはならんさいに向けて、各自の役割分担を決めるのですよー。部活や委員会の関係で優先順位のある子は先生に申告してくださいー」
「――。」
 姫神秋沙あいさ の動きがピタリと止まった。
 身長一三五センチ、見た目は一二歳前後、ランドセルが似合いそうな外見のくせにビールや煙草タ バ コに目がなく、専攻の発火能力パイロキネシスほかにも多種多様な学問に通じ、学者の間でも扱い方が分かれるAIM拡散力場関連の研究にも余念がないという……個性が一つ二つあるないではなく、もうどこから眺めても個性しかない怪人イレギュラー先生をの当たりにし、改めてその特殊性を再確認させられた彼女は、
「……。はう」
「ひっ、姫神? 何で真っ黒に絶望して倒れているんだ? 姫神っ、姫神ィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!」
 がくがくと肩を揺さぶられても、もう彼女は返事をしない。

     4

 御坂み さか美琴み ことはそわそわしていた。
 夕暮れというより、ほとんど夜に近い繁華街はんか がいだった。行動時間帯そのものに変化はないのだが、季節の移り変わりによって日照時間が変わってきたのだ。もう少しすると、完全下校時刻もり上げられるだろう。
 彼女がそわそわしている理由は明白だ。
(……とっ、とんでもない事を言ってしまった!! 後先考えずになんかものすごい事を言ってしまった……ッ!!)
 脳裏にあるのは、第二二学区――学回都市最大の地下街で繰り広げられた、とあるツンツン頭の少年との一連の会話だった。
 あの時はなんか上条当麻かみじようとうまは死にそうだったし、死にそうな体を引きずって何らかの事件の中心に飛び込もうとしていたしで、美琴の方も平静ではいられなかった。おかげで、とにかく上条を止めるために、打算も出し惜しみもせず、自分の心の中にあった言葉を全部き出してしまったのだが……。
(まっ、まずい。なんか思い出すとわきの下の辺りがものすごくムズムズしてくるぐらい色々とまずい!!)
 と、ここ数日は一人で身悶み もだえてはルームメイトの白井黒子しらい くろこ に不審がられている訳だが、唯一の救いは(おそらく美琴自身の防衛本能が働いているおかげでもあるのだろうが)、くだんの少年と街中で遭遇そうぐうする機会がなかった事だ。
 今、顔を合わせたら間違いなく意識が飛ぶ。
 とりあえず自分の中で心の問題に決着がつくのを待ってから、いつもの通りいつもの感じで顔を合わせようと考えているのだが、
「んー? あれ、ビリビリじゃん。お前ここで何やってんの?」
「ッ!! !? ??」
 突然後ろからかけられた声に、美琴はビックゥ!! と肩を大きくふるわせる。
 恐る恐る振り返ると、そこには例のツンツン頭が。
「べっ、別に何でも良いでしょ。いつもの通り自販機ってんのよ自販機!!」
「いや、ええと、何でも良くはねーだろ」
 げんなりしている上条だったが、美琴は美琴で今の状態に内心で『あれ???』と首をかしげていた。
 ……そんなにいやじゃない。
 事前に色々シミュレートした所によると、上条と遭遇した瞬間しゆんかんに恥ずかしくて死ぬと思っていた。たとえかみじようの方が何も言及しなかったとしても、美琴み ことの方が勝手に気まずくなると予想していたのだ。
 しかし、ふたを開けてみると何ともない。
 むしろ、数日ぶりの会話に安堵あんど している自分がいる。
「その、アンタ……もう怪我けが大丈夫だいじようぶな訳?」
「まぁ一応。でも、そっか……。意識が朦朧もうろうとしていたからあんまり覚えていないけど、やっぱお前は知っちまったんだよな」
 対して、上条の方はわずかに寂しそうな表情を浮かべていた。
 あまり見た事のない顔色だと、美琴は思う。
ほかのヤツらにはだまっておいてもらえると、助かる。記憶き おく喪失そうしつだなんてさ、変に気を遣われても仕方のない問題だし。普段ふ だん通りの生活は送れるから、今まで通りに接してくれるとありがたいかな」
「そ、そう」
 美琴が自分の感情に戸惑っている内に、上条は話題を変えてしまう。
 彼女の方は、目まぐるしく変わる状況(と思うほど美琴の頭が猛烈に空回りしているだけなのだが)についていけなくなる。
「っつ-か自販機の事もそうだけどさー。人前でスカートのままでハイキックとかも自重しとこうぜ。下が短パンだからって太股ふとももの根元まで見えてんのに変わりはないんだからさ」
「……、」
「ありゃ? ……なんか素直だな。あの御坂み さかが自販機に小銭を入れ始めたぞ」
 指摘されても美琴は言い返せない。せっかく分厚い心の防壁を築いていたと思っていたのに、実は壁は全部スポンジ製で、思いっきり水が浸透してきていますが、的な状況に美琴はぐるぐるぐるぐると目を回すと、
「ど、どうにゃってんのよ……。普通はここで思いっきり拒絶してとりあえず走り去る場面でしょ何で居心地良くなってんのよ私のココローっ!?」
「は? ていうか、お前、何でいきなりビリビリ出してんだ……? お、おい、暴走してるぞ。お前なんか全身がものすごくビリビリっつーかバチバチいってんだけどおれなんか悪い事したっけかーっ!?」
「ふにゃー」
「ふにやァァあああぁあああじゃねェェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
 バヂバヂバッヂィィィィン!! と心臓に悪いスパーク音が炸裂さくれつする。

     5

 姫神ひめがみ美琴み ことも何だかおかしな一日だった。
 疲れにドッとおそわれたかみじようは、学生りようの玄関のドアを開ける。
「……まさか、インデックスの調子もおかしくなったりしてねえだろうな」
「??? 何がなの、とうま?」
 上条の独り言に反応したのは、リビングで寝転がっている白い修道服の少女だ。長い銀髪に緑色のひとみを持つ幼い女の子で、『一度見たものは絶対に忘れない』完全記憶き おく能力の持ち主。その特異体質を駆使して一〇万三〇〇〇冊の魔道書ま どうしよを一字一句らさず保存している魔道書図書舘・禁書目録な訳なのだが、ここ最近はもっぱら役に立っていない。今も豚の角煮の缶詰の開け方が分からないらしく、飽きて捨てられた缶切りがその辺に転がっていた。ちなみにその近くに座っている小さな三毛猫み け ねこは『あきらめるな! 豚肉を諦めるのはまだ早い!!』と大の字になったインデックスのほおを肉球でパンチしている。
 その様子を見て、上条はホッと息をいた。
「インデックスはいつも通りだな」
「あからさまな馬鹿ばかにしてるサインを受け取ったんだよ」
 そんな事はない、と上条は即座に否定。
 うすっぺらな学生カバンをその辺の床に置くと、とりあえず適当にテレビのスイッチをける。二時間の特番のCMが流れていた。なんか世界各国の奇跡の救出劇などをまとめたものらしく、今も水没した海底トンネルから三七〇人を全員救出したイギリスの海中作戦部隊の話が紹介されている。
「……なんつーか、ちょっと肌寒いな。三毛猫は完全に冬毛モードだし、そろそろアレを出す時がやってきたかもしれん」
「なっ、何を!? 何を出すの!? ハッ!! もしや今日はウワサのフグなベを出すという事なんだね!!」
「勝手に確定すんな!! それは体はあったかくなるが家計が氷河期に突入する!! そうではなくて、ウチもいよいよコタツを出す時がやってきたと言っているのだインデックスさんよ」
「何それ? コタツ鍋って何入れるナベ? タツノオトシゴ?」
「食べ物からちょっとはなれようインデックス。コタツというのはこれの事だーっ!!」
 上条は叫び、壁際かベぎわの小さな収納スペースから布団ふ とんとテーブルが合体した例のアレをズバーン!! と大公開。ガラステーブルの代わりに部屋の中央へ設置すると、インデックスはわなわなとふるえながら、
かきの種だーっ!!」
「コタツの上に乗ってるお茶菓子がメインじゃねえ!! たのむからコタツに足を突っ込んでみて! そして日本発の特殊暖房器具の素晴らしさを体感しろコラーっ!!」
「?」
 首をかしげつつも、両足をズボッと布団ふ とんの中へねじ込むインデックス。
 と、
「むにゃ……。何だかとっても眠たくなってきたんだよ」
「使用五秒でコタツの真理を体得するとは恐るべしインデックス。しかしその眠気は風邪かぜ誘発ゆうはつするわなだから負けてはいけない」
 なんだかんだでインデックスはコタツを満喫しているようだ。三毛猫み け ねこもコクツの中央にチョコンと座り、『この気持ち良いポカポカ空間はおれの城だからね!!』と自己主張している。
(良かった良かった。自信満々で出したのに『日本の文化だから分からないんだよ』で一刀両断されなくて)
 などと考えながらかみじようもコタツに足を入れる。
 と、インデックスは眠気でムニャムニャした顔つきのまま、コタツの上に置いてあったかごの中からかきの種の袋を取り出した。彼女は小さな手で透明な袋を開けると、
「はい、これはとうまの分」
「……ッ!?」
 奇跡である。
 あの、カップラーメンを作れない少女(理由は目の前にある食べ物を三分待てないため)が、まさか自分の手の中にある食べ物をこちらに渡してくるとは……ッ!!
「なに、何で意外そうな顔してるの?」
「い、いや、何でもないぞー」
「?」
 やや怪訝け げんな顔をしていたインデックスだったが、どうやら初めて見るコタツに対する興味の方が大きいらしい。それとも眠気を吹き飛ばすための抵抗の一環なのか、一度コタツから足を出すと、今度は頭からコタツの中へ探検を開始している。いやー、大好評みたいで本当に良かったー、と気をゆるめた上条だったが、

 ばぶう、と。
 コタツ内にある上条のしりから変な昔が聞こえた。

 その瞬間しゆんかん、コタツの中に顔を突っ込んでいたインデックスは、そのままの体勢から勢い良く立ち上がり、重量挙げのバーベルのように両手でコタツを丸ごと持ち上げた。
「とーうまァァああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
「ひっひいいいいいいいいいいい!! すまんインデックス、今のはおれが油断した!! だがそのコタツを振り下ろすのだけは!? 空中要塞ようさいコタツの上で三毛猫み け ねこも困っているぞ!!」
 と、その時だった。
 かみじようの家の電話がプルルルと着信音を発した。携帯電話全盛の時代、何気に家の電話が鳴るのはちょっとレアだったりする。これでインデックスから逃げられる、っつーかなんかきんきゆうの連絡もうかも……などと思った上条は、どうにかインデックスをなだめつつ受話器をつかむ。
 電話の相手は土御門つちみ かど元春もとはるだった。
『にゃー。カミやん、ちょっと長話するけど今は大丈夫だいじようぶかにゃー』
「はぁ。となりに住んでるのに何で電話使ってんだ? 訪ねてくりゃ良いのに」
『まぁやむにやまれぬ事情があってだにゃー。それにしても、夕飯時の忙しい時間帯に申し訳ないぜい』
「色々あってむしろ感謝してるぐらいなんだけど……ってもうそんな時間か!? まずい、ご飯の準備が何もできてない!! 土御門、用件あるなら手短にたのむ!!」
『ん? そっかそっか。でも、まぁ、いやー……。どこから説明するべきなんだろ……? ユーロトンネルの爆破……から説明してもいきなりだし。まずは情勢の方までさかのぼらないとまずいんだけどなぁ……』
「手短に!! 今日のご飯は遅くなりそうだと勘付かんづ き始めたインデックスさんが怒りの炎に包まれそうな感じになってるから!!」
 そうかー、と土御門は釈然しやくぜんとしない感じの声を出した後、

『じゃあ手短に言うぞ。今からイギリスに行ってこい』

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
「は、あの、ええと。何だって?」
『飛行機はこっちで用意しておいたから。第二三学区に着いたら、国際空港の第三受付にあるクロークサービスで三二九三番のロッカーの荷物を受け取れにゃー。パスポートとか必要な物は全部そこに入ってるから。学国都市のIDがそのままクロークの番号札代わりになってるから、受付に上条当麻とうま って名乗れば荷物は出てくるぜい』
「え、ちょ、待って! なんか色々ハショりすぎて意味が分かんない!! イギリス? 今から? お前、もっと説明するべき事がいっぱいあるはずだろーっ!!」
『だから手短にって言ったのはカミやんじゃん』
「そりゃ確かに言ったけど!! でも何だか今日のお前はやけにぶっちゃけすぎ!! っていうかそもそも何で今からイギリスに行かなくちやならな……待てよ。なんかいやな予感がする。イタリアのキオッジア、フランスのアビニョンって感じで海外旅行がからむと大体ろくな目にってない気がする!! しかも今回は魔術まじゆつ結社山盛りの国にしてイギリス清教総本山の国!! これは絶対にヤバ――ッ!!」
『んー、カミやん。その予想は大体合ってるけど、もう手遅れとだけ言っておくぜい』
 そんな言葉の直後にベランダの方から、鉄パイプが地面に落ちるような、カコーンという甲高かんだかい音が聞こえてきた。どうやら、となりの部屋のスペースから何かを投げ込まれたらしい。
 見ると、そちらにはヘアスプレーのような小さな缶が。
 シュー、という気体のれる音にかみじようは、
「うぶふっ! ガハゴホ!! きっ、吸引性昏倒こんとうガスだと!?」
『そうそう、最後にもう一つ。海外だろうがどこだろうが、カミやんって基本的に大変な目に遭ってんじゃね?』
 心外な台詞せ り ふだったが反論する余裕もなし。
 全身麻酔のような無茶む ちやな眠気におそわれた上条とインデックス(+三毛猫み け ねこ)が、強制的にスヤスヤモードへ移行する。

     6

『イギリス - フランス間をつなぐユーロトンネルの爆発事故のえいきようが、空路の方にも広がっています。両国間で物資・人員を運搬うんぱんするために多数の飛行機が動員されているため、通常のスケジュールが遅延する可能性があります。詳しい発着予定については、各受付カウンターにて――』
 上条当麻とうま は、そんなアナウンスで目が覚めた。
 気づいたら空港ロビーにあるベンチの上だったのだ。
「……ちょっと今回は色々ダイナミックすぎねーか……」
 何だか妙に重たい頭を振って起き上がると、カサリとした感触が。手元にあるのは小さなメモだ。それによると、
『にゃー。すでに完全下校時刻に合わせた終電終バスの時間は過ぎているし、財布の中身は抜いておいたからタクシー使って帰る事もできないにゃー。クロークの荷物の中にイギリスの通貨がいくらか入っているから、それを使って楽しい旅を』
(……おのれあのクソ野郎)
 クロークの荷物だけ取って帰っちゃおうか、とも思ったのだが、イギリスの通貨ポンドでは日本のタクシーを利用できない。日本円に両替してしまえば良いのだろうが、こんな夜では銀行窓口も開いていないだろう。
(っつーか、学園都市の『外』に出るのって、発信機機能のついたナノデバイスを体内に入れたり、保護者を同伴させなきゃいけないんじゃなかったっけ? なんか最近、色々と裏技だらけな気がするぞ……)
 一体何なんだ、と思いながら、かみじようは同じようにベンチで眠りこけているインデックスの肩をつかんで揺さぶる。
「おいインデックス、起きろってば」
「む、むおお……。何だかこのまま三日ぐらいは眠っていられそうな感じなんだよ」
「逆にその不自然な眠気に恐れを抱け。ほら、三毛猫み け ねこも」
 前脚をひくひくさせて夢を見ていた小さな猫は、上条の指先に鼻をつつかれて覚醒かくせい完了。上条は相変わらずぐにょぐにょになっているインデックスを強引に引っ張り、指示にあった第三受付とやらまで足を運ぶ。
「上条当麻とうま 様ですね。三二九三番の荷物をお預かりしております。こちらでよろしいですか?」
 受付のねーちゃんがそんな事を尋ねてきたが、上条には荷物が足りているか欠けているか判断はできない。とりあえず適当にうなずいてデカいスーツケースを受け取ると、パカッと開けて中身を確認してみる。
 中にあるのは外国のものっぽい紙幣し へいとパスポート、フライトチケット、いかにも指令書っぽい紙束、後は激安チェーン店で買ったと思われる着替えが数日分だ。
 上条はフライトチケットを手に取り、そこに表記されている内容を読んで思わずうめく。
「……マジかよ。ホントにロンドンの空港の名前が書いてあるぞ」
「というか、そもそも何でこれからイギリスに行かなくちゃならないの?」
「ええっとー……なんかゴチャゴチャ書いてあるなぁ」
 上条は指令書らしき紙束に目をやったが、何分なにぶん吸引性昏倒こんとうガスをらってふらふら状態である。普段ふ だんならもうちょっと注意して読んだだろうが、何だか文字を目で追っても頭の中できちんと理解できない。
「……うーん……。なんかー……イギリスでデカいじゆつトラブルが起こったから、インデックスを国家公式に召集したいってー……」
 むにゃむにゃくちびるを動かしながら、上条は続ける。
「でー……現状のインデックスの保護者役が上条当麻だからー……おれ一緒いつしよについて行かなくちゃダメとか何とか……」
「とうまに保護されているというのは心外な評価なんだよ」
「そういうのは毎日ご飯を作ってもらっている子の発言じゃありません。はぁ……行くしかねえのか。ぶっちやけ面倒くさいなぁ」
 わざわざインデックスを呼び出すほどのデカい魔術トラブルなど、見るからに行きたくない感じなのだが、ここでぶっちぎって学生りように帰ったら、炎の魔術師ステイル=マグヌス辺りがリアルに攻め込んできそうだ。問題が大きいからこそ、無視する訳にもいかないっぽい。
(っつーかイギリスってこの前どっかのトンネルでデカい爆発とか起こってなかったっけ?……なんかもう色々といやな予感がするなー……)
 ブチブチ言っても仕方がない。
 となると、搭乗の手続きをする必要がある。
 ペットの猫をタグのついたケージに載せたり、金属探知器のゲートをくぐったりしている内に(キオッジアの時と同じく、インデックスが着ている安全ピンだらけの修道服はここでも引っ掛かった)、時間はどんどん過ぎていく。
「それにしても、イギリスかぁ」
 スーツケース内の激安着替えの一着である簡素なワンピースを着たインデックスがそんな事を言った。
 かみじようはキョトンとした顔で、
「そういや、イギリス清教の本拠地からお呼びがかかっているって事は、お前の生まれ故郷に行くって事なんだよな」
「うーん。あんまり実感はないんだよ。私は一年ぐらい前より昔の思い出はないからね」
 そんな事を言うインデックスは、特に無理をしている訳ではなく、本当に特別な思い入れはないようだ。イギリスでの行動を示す指令書すら上条にお任せである。
(……思い出がない、か)
 と、そんな上条の内心など気づかず、インデックスは尋ねてくる。
「とうま、私たちの乗るひこーきってどこにあるの?」
「んー? 土御門つちみ かどのヤツが特別に手配しているって」
 発着ロビーの一面はガラス張りで、その先は夜の滑走路が広がっている。大きな旅客機がいくつかあった。作業用の自動車がそれらの間をくぐるように進んでいる。
「ええーと、四番ゲートで待っている0001便だって言ってたけど――」
 そちらの方を見た上条の動きが、ピタリと止まった。
 彼らの視線の先に、旅客機がたたずんでいる。

 最大時速七〇〇〇キロオーバー。
 日本と西欧の間をおよそ二時間で突っ切る例の怪物飛行機だ。

 その瞬間しゆんかん、上条とインデックスの脳裏に浮かんだのは、キオッジアから日本へきんきゆう帰国する際に受けた、強烈なGと内臓を圧迫する不気味な苦しみとその状況でインデックスが無理矢理機内食を注文したためすベてを後ろ方向へ吹っ飛ばしたあの悪夢だった。
「……、」
「……、」
 そうこうしている間にも、超音速旅客機は順調に離陸り りくの準備を進めている。フォークリフトで運ばれているあのコンテナの中には、先に預けておいた三毛猫み け ねこが入っているのだろうか。そんな事を考えながら、どちらともなく彼らはつぶやく。
「おいインデックス」
「なぁに、とうま」
「……あの便はわざとあきらめて、キャンセル待ちでも良いから次の飛行機に乗ろう。もっと普通で、人体の害にならない飛行機に」
「私はとにかく、ご飯が後ろへ飛ばないひこーきなら何でも良いんだよ」
 かみじようとインデックスは固い握手を交わし、超音速旅客機を静かに見送った。
 薄情者はくじようものという、三毛猫の叫びが聞こえたような気がした。

   行間 一

 ついにフランスも動き出したみたいね。
 それにしても、ローマ正教に後ろからせっつかれているとはいえ、随分ずいぶんと従順な反応じゃない。イギリスとフランスをつなぐ唯一の陸路、ユーロトンネルが爆破されたっていうのは、フランス経済にとっても大打撃だいだ げきであるコトに違いはないでしょうに。わざわざ三本構成の海底トンネルを、全部まとめて爆破しちまうとはね。
 それでも、イギリスに比べればマシであろう、か。
 確かにね。アンタの言う通りよ。
 島国イギリスにとって、唯一の陸路をつぶされるのは生命線の半分を断たれるようなもんよ。今は海路や空路を増便するコトで物資不足になるのを防いでいるが、じきにコスト面の赤字がふくらみ、許容量を超えるでしょう。
 同じ量の荷物でも、列車で運ぶのと飛行機で運ぶのでは、費用のケタが違うからさ。
 海上輸送にたよれば解決できる――楽観的な評論家はそんなコトを言っていたけど、まぁ無理でしょ。ユーロトンネルの開通と共に、『海底トンネルを使うコトを前提に』いくつもの港が潰れちまっているもの。今さら『全部海上輸送に戻しましょう』っつったって、荷物の量が飽和しちまうのがオチよ。交通渋滞が起きたり、バーゲンやってるデパートのレジカウンターみたいに、単純な物量でパンクしちまうって寸法ね。
 あの海底トンネルは復旧するのに最低でも三ヶ月はかかるでしょう。それが終わるころまで、店の陳列棚がいつも通りとは思えないわ。おまけに、その復旧工事にもあれこれ複雑な思惑があるっていうんだから、面倒な事態にならない方がおかしいわよ。
 ん? そうそう、アンタの言う通り。
 フランスの後ろ盾には、ローマ・ロシア勢力が仕切るヨーロッパ諸国がついているわ。これに対してイギリスは学園都市のほかに、アメリカにも救援を求めたらしいし。
 ハッ。
 ユーロとドルの戦争ってコトでしょ。
 アビニョンで起きたC文書の一件で、経済的な打撃を一番受けたのはアメリカよ。おかげで投資家の注目はすでにそこかられているわ。彼らは自らの窮状きゆうじようを自覚しているからこそ、ユーロやげんの市場が活気づくコトを極端きよくたんに恐れている訳ね。敵の足を引っ張りたがるほどに。
 我らが無能な左方のテッラが引き起こした間抜けな結未よ。
 アンタだって詳しく知っているでしょう?
 その手で始末したんだから。
 今回の件は直接的には、イギリスとフランスの間にある数百年単位の確執が原因ね。しかし、そこにアメリカ中心の経済とヨーロッパ中心の経済がぶつかり合ったコトによって、すっかり『英仏冷戦』状態に突入しちまっているわ。
 荒れるわね、欧州は。
 これから始まるのは単一の国家と国家の戦争じゃない。
 そんなものでは終わらないわ。
 どうやら、フィアンマのクソ野郎は欧州を火の海にしてまで欲しいものがあるらしい。そして頭にくるコトに、ローマ・ロシア勢力をほぼ完全に掌握しようあくしているのは、そのフィアンマよ。私やアンタが命令を出した所で、もはや従う者などだれもいない。権限がないからね。
 それでも、行くの?
 確かにアンタの戦力はそこそこよ。馬鹿ばか正直になぐり合うだけなら、私よりも上かもね。
 ただ、国家そのものが、世界そのものが、丸ごと破壊は かいされるような災厄さいやくを前に、アンタの力は通用するのかしら。敵も味方もない、方向性なんて何もない、それこそ全方向から均等におそいかかるパニック映画みたいな事態に、アンタの力はどこまで通用するもんかしらね。
 まぁ、アンタが行くって言うなら構わない。
 私に止める権利はないし、アンタの命を気にかける義理もないんだから。
 ただし、私の方針を伝えておく。私は行かない。あ? ナメた口を開くんじゃないわよ。別に怖気おじけ づいたワケじゃない。例の『天罰てんばつ術式』が使えなくなっちまったからね。『神の右席』は――まぁ、アンタは別だろうけど――普通のじゆつ霊装れいそうは使えないし。ちょいとあちこち立ち寄って、やっておくべき準備を済ませておくだけよ。
 それに、馬鹿正直にそっちへ行くよりも、私の作戦の方がフィアンマに一泡吹かせるのに効果的っぽいからね。
 この私に命令形はない。
 アンタがアンタの道を行くように、私も私の道を行く。
 ん?
 お前の口癖くちぐせは、『この私に否定形はない』ではなかったか、だって?
 別に何でも良いのよ。
 その時の気分で適当に言ってるだけなんだからさ。自分で自分をしばるような、器用な人間に見えんのかしら。この私が。

第二章 雲の上に浮かぶ鋼の戦場 Sky_Bus_365

     1

 天草式あまくさしきの少女、五和いつわ 不機嫌ふ き げんそうな目つきで、ほおふくらませていた。
 学園都市製の超音速旅客機を使ってあの少年・上条当麻かみじようとうまがやってくると聞いた時はドタバタと慌てて準備を整え、日本語の分かる案内役としてロンドンの空港へ向かったものだが、ふたを開けてみれば上条当麻はいない。なんか変な手違いでもあったのか、ペット登録された三毛猫み け ねこのケージだけを渡される羽目になったのだ。
 これは突然のチャンス! もう大精霊だいせいれいチラメイドセットでも何でも買ってやる!! とまで勢い込んでいた彼女としては、この肩透かしっぷりの落胆は相当なものだった。三毛猫内蔵型小さなかごを抱えてロンドンの日本人街に帰ってきた五和(未成年)は、ちゃぶ台の上に一升瓶いつしようびんを置いてグビグビやっている。小皿の上にはスルメまで用意してあった。
 禁書目録の管理業務の一環として、あの少年もロンドンへやってくるという話だったのに。
 と、そんな五和を見て顔を真っ青にしているのは、どうりようの小柄な香焼こうやぎや女性の対馬つしま などだ。特に台所の床下収納スペースにこっそりイモ焼酎じようちゆうを隠していた大柄な牛深うしぶか衝撃しようげきはものすごい。
「あっあの、五和、さん……? こ、今回はちょっとした手違いがあった訳だけれども、何もそこまで落ち込む事はないんじゃないかなー……?」
 あいつ! おれのっ!! イモ男爵だんしやくを!! と暴れそうになっている牛深を羽交はがめにしながら、既婚者の野母崎の も ざき愛想笑あいそ わらい全開で、そーっと言葉を投げかける。
 対して、五和は本当に飾り気のない透明なコップにドボドボと液体を注ぎ込みながら、首が斜めの状態でドローンとしたひとみを向けてくる。
「ひっく……べっつにー……落ち込んじゃいませんよ……。ちくしょう、そうです、そうなんです。何で私が……」
 ぶつぶつぶつぶつぶつぶっぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ、と五和はほとんどくちびるを動かさないで何かをつぶやき、ほとんど八つ当たり気味に、
「……ったく、大体……イモ男爵って、何なんですかー……? こんな……ジャガイモか、サツマイモかも分かりづらい、面倒な名前のお酒なんて……」
 じゃあまないで! 俺の楽しみを奪わないで!! と涙目になる牛深。
 その時だった。
 初老の諌早いさはやが血相を変えて部屋に入ってくると、開口一番こんな事を言ってきた。

「おっ、おい!! あの少年、やはり予定を戻してロンドンへ来ているらしいぞ!!」

 ガタガターン!! と五和いつわ が慌てて立ち上がった。その途端と たん一升瓶いつしようびんが真横に倒れ、どっばー……とちゃぶ台の上に高級な液体が流れる。『はぎゃああイモ男爵だんしやくがァァああ!!』と絶叫した牛深うしぶかの首に女性の対馬つしま が手刀を放ってだまらせているが、五和としてはそれどころではない。
 あの少年がロンドンに?
 空港では『そんな人は乗っていない』という報告を受けたが、やっぱり何かの手違いで、あの少年は飛行機に乗っていた? すると、もしかすると……訪ねに来てくれる可能性も!?
 五和の顔全体から、キラキラキラァァ!! という柔らかい光が発せられそうになったが、そこで彼女の幸せな表情が、不意に固まった。
 気づいたのだ。
 自分自身の惨状に。
 ……まさか、こんなイモ焼酎じようちゆうでべろんべろんになって、息を吸ってくだけで酒臭さけくさにおいが充満するような状態で、口のはしにスルメの足までくわえた、ここまでひど醜態しゆうたいを見られてしまう……?
「おっ、終わりだ!! そんな事になったら全部が終わりです!!」
 とにかく見た目だけでも何とかするべく、五和はスルメの足を全部食べて、消臭用のキャンディを口に放り込み、顔を洗ってシャッキリ背筋を伸ばそうとする。しかしその足取りはどう考えても酔っ払いのそれだし、真っ赤になった顔は競馬場にいるおっさんみたいである。
(い、いや、ロンドンへ来ると言っても即座にこの日本人街へ足を向けるという保証はないはず。普通に考えればホテルに寄るはずですし、そのままバッキンガム宮殿の方に向かうとなれば、すぐに日本人街には来ないはず! まずは体裁ていさいを取りつくろう事に全力を……ッ!!)
 と、少し楽観的な事を考えた五和だったが、初老の諌早は神妙な顔つきで首を横に振った。
駄目だめだ五和。もうあの少年はここへ来ようとしている」
 ビックゥ!! と五和の肩が大きくふるえる。
 ふらふらしながら彼女は考える。
(しかし、何故なぜ!? 単なる偶然でこんな所へやってくるとは思えないのに……ッ!!)
 あの少年をぐ呼び寄せるための心当たりと言えば、
(そういえば空港で猫ちゃんを預かって……しまったーっ!! それなら自分の飼い猫を受け取るために、こちらへ訪ねて来てもおかしくはありません!!)
 あわわあわあわわわわ、とうろたえまくる五和の耳に、ドカドカと接近してくる足音が届く。そうこうしている内に、がちゃりとドアが開く音が聞こえた。
「来たぞ!!」
 初老の諫早いさはやの叫びが五和いつわ の耳にひびく。
 部屋の構造は洋室なのだが、ドアと奥を区切るように、障子戸しようじど が設置されている。その障子のうすい紙に、ツンツン頭のシルエットがドバーン!! と映し出される。
 どう考えてもこっちへ一直線に決まっている。
(どっどどどどどどっどどどっどうどうしっどうしよう!?)
 まさに絶体絶命。
 顔を全部真っ青にした五和の目の前で、障子戸が真横へスライドしていく。ぐでんぐでんになってく息どころか毛穴からも酒臭さけくさい何かが噴出しているとしか思えない五和に対し、預かってきた三毛猫み け ねこすら『おじようさん。そのにおいはいただけませんな』と逃げ出す始末。その現状を再確認した五和の頭が極限の混乱におそわれ、
(あわーっ!!)
 そして、

「じゃーん!! ツンツン頭の建宮斎字たてみやさいじ さんなのぶゴゥおおおおおおおおおおおおおッ!?」

 どうりようとがった黒髪の男が乙女おとめ の心をもてあそんだ直後、ちゃぶ台返しどころか、片手でちゃぶ台をつかんだ五和いつわ 容赦ようしやなく建宮たてみやなぐり飛ばす。大男の体が部屋の外まで転がっていき、いらぬドッキリに付き合わされた諌早いさはやの顔が真っ青になった。

     2

 スカイバス365。
 かみじようとインデックスが三毛猫み け ねこを見捨てて乗り込んだのは、極めてゆったりとした大型旅客機だった。座席部分は二階建てになっていて、単純に面積も広くなった以上、乗員の数も多いし座席一つ当たりの面積も大きい。エコノミー席というと映画館の椅子いすのような窮屈きゆうくつさを連想させるが、このスカイバス365に関してはその法則は通じない。一番格安の座席であっても足を伸ばせる程度の広さがあり、マッサージチェアとしての機能も有していた。
 ただ一つ、問題があるとすれば……。
「いやあ……まさかロンドン行きの飛行機が一機もなかったなんてなぁ」
 上条はボソリとつぶやいてしまう。
 ロンドン行きの飛行機は予約で一杯だったのだ。なので、上条達は同じイギリス行きだが、スコットランドのエジンバラ行きの飛行機に一度乗って、そこから国内線の飛行機に乗り換えてロンドンへ行こう、という話になったのだ。……すベては空港のサービスカウンターのお姉さんが色々アドバイスしてくれたおかげである。
 ちなみに、スコットランドはイギリス北部、ロンドンはイギリス南部である。
 とにかくキャンセル待ちの飛行機を探してイギリスへ向かった上条達だが、当然ながらフライトチケットの購入には金がかかる。土御門つちみ かどに『タクシーで空港から逃げるの禁止作戦』の一環として財布の中身を奪われていた上条だったが、不幸中の幸いにも、お財布ケータイの機能でフライトチケットの精算ができたので事なきを得た訳だ。
(……ただ、お財布ケータイってクレジットカードみたいなもんだからなぁ。後で請求書見て悲鳴を上げたりしなきゃ良いけど……)
 そんな庶民的な事情で頭を抱えている上条とは対照的に、安全ピンだらけの修道服から簡素なワンピースに着替えた(じゃないと危険物だらけで飛行機に乗れない)インデックスは極めて楽観的だ。『ひこーき』というイレギュラー空間に夢中になってしまっている。
「とっ、とうま。この椅子にはピコピコがついでいるんだよ!!」
「確かにボタンはいっぱいついてるけど、それはゲームじゃないっての。っつーかただのテレビだろうが……じゃねえ!? 今すぐその手をはなせインデックス!  お前が操作しているのは有料チャンネルだ!!」
「ビーフオアフィッシュ!! ビーフオアフィッシュ!!」
「今から機内食が心待ちなのは分かったから!! うわーっ!! 最新映画チャンネルとか超高そう!!」
「このボタンはなーに? わひゃあ!! ひものついた透明なカップが出てきたんだよ!!」
「それは緊急時きんきゆうじ用の酸素マスクだーっ!!」
 超シリアスな信号を受け取ったのか、金髪ナイスバディのフライトアテンダントさんが血相変えて走ってくる。相変わらずあちこちのボタンをポチポチ押すのに夢中なインデックスに代わって、かみじようがペコペコと頭を下げる羽目に。
 インデックスに機内のマナーを一通り教えていると、彼女は首をかしげて、
「お金を取られるピコピコとお金を取られないピコピコがあるの?」
「だからその画面でゲームはできないって。ボタンの数がやけに多いのは有料チャンネルのわなだ。ほらほらー、無料の番組だってこんなに面白おもしろいのが……ううっ!?」
「とうま。カブとか何とか細かい数字が並んでいるだけなんだよ」
「くそう。わざとつまらん番組を流す事で、有料サービスに目を向けさせるつもりだな」
 ややげんなりしている上条の耳に、テレビに映るにしては華のなさすぎるおっさんが、世界の経済についてあれこれ持論を語っている。なんかユーロトンネル爆破のえいきようで市場にも色々な混乱が起きているらしい。
 と、インデックスはおもむろに背筋を正すと、
「ところで、とうま。ひこーきのご飯はいつになったら届くの?」
「機内食? んー、夕食の時間は終わってるし、次の機内食は九時間後ぐらいじゃねえの? 周りの人たちは乗る前に食べてたっぽいし、遅めのご飯はないプランだから安いんだよ」
「……ッ!! !? ??」
「ノーッ! 衝撃しようげきを受けたのは分かったから思わず上条さんの頭にみつこうとするなインデックス!! そういう仕組みなのだから仕方がないのだよ!!」
 しかし夕食前に土御門つちみ かどからガスをらって空港に運ばれたため、上条だっておなかはすいている。旅客機って売店とかないよなー……と辺りを見回すと、何か座席の群れの一番前の方に、フリードリンクコーナーの案内板があるのが分かる。
 上条当麻とうま は静かに言った。
「インデックス。おれは旅に出てくる」
「おっ、おにぎりの国!?」
「そんなに素敵す てきな穀物国家ではないが、とりあえずコーヒーぐらいはゲットしてこよう」
 座席からすっくと立ち上がった上条は、フリードリンクコーナーへ向かう。スカイバス365は超大型の旅客機で、二つ一組の座席が縦三列にズラリと並んでいる。総勢五〇〇席を超える客室空間は、エコノミー、ビジネス、ファーストと三つのクラスによって、壁で仕切られている。さらに各座席スペースは一階と二階に分かれているため、実質的には二倍の容量を誇るというのだから、とんでもない話だ。
 こうして見る限り、乗客は外国人が多い。NASAが作ったらしい厚さ三ミリでテカテカした素材の毛布を体の上にかぶせて居眠りしている人たちの大半は、日本の学園都市で営業活動を行い、帰国する途中のビジネスマンだろう。
 かみじようがいるのは一番後方にあるエコノミー。フリードリンクコーナーは、エコノミーとビジネスを区切る壁の部分に取り付けられているようだ。
(……あれも確かテロ対策だっけ?)
 確か、液化爆薬を持ち込ませないように、イマドキの飛行機はペットボトルどころか歯磨は みがき粉のチューブも持ち込んではいけないらしい。その代わりに、航空会社側は無料のドリンクコーナーを設置する事で、『自由を奪われた』お客様をなだめようという訳だ。
 ドリンクコーナーには、そこらのファミレスにでも置いてありそうな機材が置いてあった。あの、紙コップを置いてボタンを押すと、ジャーと飲み物が出てくるアレである。ただ、種類はそれほどない。コーヒーと紅茶とオレンジジュースと世界で一番有名な炭酸飲料の四つぐらいだ。コーヒーは『コーヒー』とあるだけで、産地とか苦味とか酸味とか、そういったこだわりはバッサリ省略されていた。ホットとアイスの選択すらない。
(まぁ、何もないよりはマシだけど、夕飯抜いてるからちょっとキツいかなー……っと?)
 そこで上条の目が留まる。
 縦に合体した紙コップタワーのすぐ近くに、紅茶のお供なのか、四角いクラッカーのようなものがたくさん置いてある。うすい塩味のいたそれは本来お茶を引き立てるためにあるはずなのだが……いっぱい食べればいっぱいおなかふくらむ事に間違いはあるまい。
(へぇー、最近の飛行機はこんなのもタダなんだなー。おっ、バターとかブルーベリーとか、上に乗っけるものも結構そろってる。海外旅行は燃料費だなんだで伸び悩んでて、今はサービス戦争になってるって話は開いた事があるけど、こういうトコでも頑張ってるんだなー)
 そういう事ならいただいておこう、今までそんなに意識してなかったけど、食べ物を前にすると急に胃袋がギリギリ訴えてきてるしな!! と上条はクラッカーに手を伸ばそうとしたが……そこでふと彼の動きがピタリと止まった。
「――、」
 クラッカーの皿の横に、小さな箱が設置されている。
 そして、クラッカーの皿にはフライトアテンダントさんの手書きらしき可愛か わいらしい字で、こんな言葉が書いてあった。
 有料 。

     3

 九時間後。
 結局、有料のクラッカーには手が出せず、空腹のままのかみじようとインデックスを乗せた大型旅客機スカイバス365は、一度フランスの空港に着陸した。
 燃料を補給したり、直行便がないためにほかの空港を経由する……という事はありえる。しかし今回はそういう訳ではないらしい。
 ポーン、という柔らかい電子音の後に、女性の声のアナウンスが流れる。英語や中国語など、複数の言語で同じ内容の説明を行った後、上条の耳にも日本語のアナウンスが聞こえてきた。
『――ユーロトンネル爆破事故のえいきようで、当機もフランス - イギリス間の物資運搬うんぱんサービスに協力しております。乗客の皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、荷物の追加積載が完了するまで、今しばらくお待ちください』
 アナウンスを聞いていた上条は、座席にくっついている小さなテレビを操作しながらつぶやく。
「そういや、デカいトンネルが使い物にならなくなってるから、船や飛行機で荷物を運んでいるってニュースでも言ってたっけ」
「とうま、まだ出発しないの?」
「まぁ、困った時はお互い様だからなー」
 窓の外はやみに包まれている。日没後に飛行機に乗って、九時間って日没後というのでは計算が合わぬ……ッ!! と上条の体内時計が訴えているが、それこそ地球規模の時差ボケマジックなのだった。
 この窓からでは見えないが、おそらく旅客機の胴体の一部分がパカッと開いて、たくさんのフォークリフトがコンテナを積み込んでいる事だろう。
「とうまー。ビーフとフィッシュはまだなのー?」
「機内食はどちらか片方を選ぶのであって、いつの間にか両方とも一緒いつしよに食べる事を前提にしてんじゃねえよ。まさかおれの分まで食べる気まんまんなんじゃねえだろうな……」
「んんっ! あそこで作業服着たおじさんがサンドイッチ食べてる!!」
「メシ食いながら仕事するなんて、空港の人たちも大変そうだなぁ……って、何でケダモノ状態になってんだインデックス!? お前がここでどれだけ暴れた所でサンドイッチはワープしてきませんよッ痛って!! ……ん?」
 バタバタと暴れる上条は、そこで何かがひじにぶつかった。
 見ると、ついさっきまでなかったものが存在している。窓際まどぎわの内壁の一部が四角く切り取られていて、それが車のダッシュボードのように、ひとりでにオープン済み。そして中には二〇本以上のデンジャラスなケーブル類が。
 おや。
 へんなものがかってにひらいたよ?
「……、」
 上条はちょっと考え、それから全身を使って、バタム!! とふたを閉じる。
 と、かみじようたちの会話を聞いていたのか、通路を歩いていた金髪ナイスバディのフライトアテンダントさんが丁寧ていねいな日本語で話しかけてきた。
「申し訳ありません。お客様のご予定について最大限に配慮はいりよさせていただいているのですが」
「だっ、だっ、だっ、大丈夫だいじようぶっす。別にクレームとかそういうのじゃないんで」
 上条はパタパタと手を振り、慌てて否定する。
 ごまかすように、彼は話題を変えた。
「それにしても、飛行機で日用品を運ぶっていうのは、割に合うものなんですか?」
「いえ、その……」
 フライトアテンダントさんは言いづらそうな感じだった。
「ただ、当然ながら、わざわざ外国から輸入している物ですから、イギリスでは調達できない物も多いみたいですね。海底鉄道トンネルが封じられた事で、現在は船舶と航空に割り振っているようですが……」
「イギリスでは調達できない、ねえ……」
「英国は島国ですが、魚介類の半分近くは輸入にたよっています。そうした物は、船でのんびり運んでいるといたんでしまいますから、飛行機を使う必要があるみたいです。あとは、そう、この便のコンテナだと……オートミールなんかも含まれていたような気がします」
流動食オートミール?」
「ええと、病名までは分かりませんが……普通のご飯が食べられない人達のために、色々と調整された食品だそうです。フランスにある食品会社の付属施設でしか作られていないものらしいのですが」
 色々大変そうだな、と上条は改めて窓の外を眺める。
 今も飛行機の中にいろんなコンテナが載せられているが、当然ながら、必要のない荷物などないのだ。この荷物の追加作業の時間の分だけ、イギリスでは困っている人達がいるはずだ。
 と、
「……しょくひん……」
 ボソリとインデックスが言った。
「……しょくひん……食べ物……ひこーきのご飯……きないしょく……ビーフ……ビーフオアフィッシュ!!」
「ぐおおっ!! インデックス、夕飯抜きで空腹がマックスになっているのは分かったからとりあえず気をしずめろ!! ご飯の時間まであとちょっとだ!!」
「あとちょっとってどのくらい!?」
「……一時間ぐらい?」
「――ッ!! !? ??」
「ばっ、馬鹿ばかもの!! 上条さんの頭はビーフ味でもフィッシュ味でもなガボッ!!」
 肉食精神に支配されたインデックスにおそわれるかみじよう。フライトアテンダントさんが『すっ、すぐにお持ちします!!』と叫んで走り去るのがとても心苦しい。
 空腹のインデックスに襲撃しゆうげきされた上条は思わず叫んだ。
「こらインデックス!! お前が大暴れするから迷惑かけちゃっただろ!! というか機内食を一人だけ早弁状態って、相当のクレーマーですよ!?」
「そんな事を言われた所で私の空腹はすでに限界地点を三周ぐらい回っているんだよ!! もう一分一秒すら待てない切迫した状況を理解して欲しいかも!!」
 インデックスはフライトアテンダントさんから去りぎわにもらった笛のおもちゃ(多分フライトチケット料金とかでまるポイントの景品みたいなもので、ボールみたいな形をしている)をぎゅむぎゅむ握ってぴーぴー鳴らし、気をまぎらわせている。
 と、そんなこんなで色々言い合っていた上条とインデックスだが、予想に反していつまで経っても金髪ナイスバディなフライトアテンダントさんは帰ってこない。
 ? と首をかしげる上条の耳に、こんなアナウンスが聞こえてきた。
『――お待たせいたしました。追加荷物のはんにゆうが完了しました。これより当機は離陸り りく準備に入ります。乗客の皆様は座席に着席の上、シートベルトを着用してください』
「ん? そうか。離陸時は飛行機がナナメになるから、通路に立ってたりすると危ないんだよな。機内食を運ぶカートとかも金具で固定したりするみたいだし、ご飯はきちんと空を飛ぶまでお預けみたいだな」
「……、」
「まあ二〇分ぐらい経てば機体も安定するし、それまで我慢が まんすれば良いんじゃね? つて、あれ? インデックスさん、うつむいてどうし――」
 返事はない。
 ただ、『ぐるる……』というけものライクな音がれた。
 イッコクもハヤくキナイショクをハコんでキてください!! と身の危険を感じた上条は念を送るが、にテレパシーは使えない。
 インデックスの歯が、カチカチと音を鳴らす。

     4

 スカイバス365は無事に離陸した。
 飛行機の角度も安定し、乗客に対するシートベルトの制限も解かれる。
 大型旅客機は、再び快適な天空のサービスを提供する。
 と、そんな上条とインデックスの様子を、少しはなれた所から観察している男がいた。
 いや、呆然ぼうぜんとしていた、と表現した方が正しいかもしれない。
 男は通路に立っていた。
 本来、その男はかみじようたちのいるエコノミークラスの乗客ではない。余計な疑いを持たれぬよう、となりのビジネスクラスのチケットを取っていた。彼はビジネスクラスとエコノミークラスの間を分ける『壁』のエリア――つまり機内トイレを経由して、自然な挙動でエコノミークラスへやってきたのだが……。
(どういう事だ?)
 男は疑問に思い、それから手帳を取り出した。
 できるだけ手帳は見るなと、事前に念を押されていた。本当に重要な案件にぶつかった時だけ、再確認の意味で手帳を使えと。今がその時だと感じた男は、様々な単語や数字がバラバラに書かれたページを急いでめくる。
 そこに記されているのは座席番号だ。
 確認したが、間違いない。
 あのツンツン頭の東洋人が座っている場所は、空席でなければおかしい。
 男の仲間が、偽名を使ってチケットを取っているはずなのだから。
「……、」
 手帳に書かれた座席番号を人差し指でなぞりながら考える男は、一つの答えを出す。
(くそ、キャンセル待ちで座席が埋まったのか……ッ!?)
 あらかじめ座席を予約しておいても、搭乗め切り後にも乗客がやってこなかった場合、その座席はキャンセル待ち扱いになり、ほかの客へと移されてしまう事がある。あのツンツン頭の東洋人はそういう経緯で、空席でなければならない座席に着いているのだろう。
 状況は分かった。
 しかし、打開策までは浮かばない。
(どうする……)
 いつまでも通路の中央に立っていては怪しまれる。男はゆっくりと通路を歩くと、ひとまずその奥にある階段を目指す。大型旅客機スカイバス365は二階建てだ。一度階段を使い別の階層に移動してから通路を引き返せば、『あの人、さっきも見たな』と不審がられる危険も滅る。
 手帳をふところへしまい、通路を歩き、ツンツン頭の東洋人のすぐ横を通り過ぎながら、男は頭だけをフル回転させる。
(どうする。あの座席が使えなければ、『計画』を実行に移せないぞ)

     5

 機内食の時間は延び延びだ。
 滑走路をはなれた旅者機が大空を飛び、機体の傾きが安定しても、相変わらずフライトアテンダントさんはやってこない。……そもそも、機内食を前倒しする事なんて可能なのだろうか。もしかするとどうりようや上司などに怒られたりしていないだろうか?
「うーん、心配になってきた。おれ、ちょっとフライトアテンダントさんの所まで行ってみるわ」
「私だってビーフオアフィッシュが心配なんだよ!!」
「ややこしくなるから、お前はそこでじっとしてろ」
 そもそも、ガチで金髪ナイスバディのフライトアテンダントさんが説教らっていた場合、『やっ、やっぱり良いです、大丈夫だいじようぶです!!』と止めに入る予定なのだ。そこへ空腹丸出しのインデックスがビーフオアフィッシュ! ビーフオアフィッシュ!! と怒涛ど とうのスローガンを放ったら、状況がメチャクチャになるに決まっている。
 そんな訳で窓際まどぎわの席からインデックスのひざの上を大きくまたぎ、やっとの事で通路へ出るかみ
じよう。行き先はエコノミーとビジネスクラスの間にある『壁』の区画……機内トイレやフリードリンクコーナー、機内食用のエリア、他階層への急な階段など、複数の設備が集まった場所だ。
(ううむ。マジで説教されてたらどうしよう……?)
 と、ちょっとビクビクしながら通路を一直線に進み、『壁』の区画に入る上条。相変わらず、客席よりも薄暗うすぐらい空間だ。
 少し辺りを見回してみるが、フライトアテンダントさんは見当たらない。
(ありゃ? こっちじゃなかったのか)
 機内食の準備をしていると勝手に予測していたから、てっきりここにいるかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
 機内食をまとめているエリアらしき小部屋のドアも見つけるが、何となく、乗客が勝手にドアを開けて良いものか分からなかったので、とどまってしまう上条。
 とりあえずドアに耳を近づけてみるが、中でだれかが作業しているような物音は聞こえない。
ほかのエリアの方を捜すっつーのもな……。別に迷惑かけてる訳じゃないなら、わざわざあちこちを歩き回ってまで、フライトアテンダントさんを追い掛ける事もないだろうし)
 一度インデックスの所へ帰るか、と上条がきびすを返した時だった。
「きゃあっ!?」
 いきなり甲高かんだかい声が聞こえたと思ったら、ドン、とぶつかるような感触があった。どうやら上条のすぐ横を通り過ぎようとした何者かを床へ突き飛ばしてしまったらしい。
 見れば、例の金髪ナイスバディなフライトアテンダントさんだった。
 何やら両手で紙束を抱えていたようだが、上条とぶつかった時に、盛大にぶちまけてしまったみたいだ。A4の大きな紙の表面にはワープロの細かい文字がズラリと並んでいたが、外国語なので上条にはサッパリ分からない。
 そもそも、文章なんて読んでいる場合ではない。
「わっ! すみません、だいじょう――」
 思わず頭を下げる一瞬前いつしゆんまえに、フライトアテンダントさんが、ババッ!! と動いた。床に崩れた体勢のまま、ものすごい速度で辺りに散らばった紙をかき集める。
 そして、金髪ナイスバディなフライトアテンダントさんはこう言った。
「み、見ました……?」
 上条当麻かみじようとうまは素直に答えた。
「スカートの中は見えていません!!」
「?」
 キョトンとするタイトスカートのナイスバディ。
 どうやらそういう方面の心配をしている訳ではないらしい。
(??? じゃあ、何を『見ました?』なんだ……?)
 今さらながら、フライトアテンダントさんが抱えている紙束へ目をやろうとする上条。
 しかし文字を追うより早く、彼女は慌てて立ち上がった。
「もっ、申し訳ありません。機内食の方は、その、すぐにお持ちいたしますからっ!!」
「はぁ、ええと」
 上条は何か言おうとしたが、その前に、フライトアテンダントさんはさらに『申し訳ありません!』と頭を下げて、そのままどこかへ行ってしまった。
(……何だったんだ……?)
 上条は首をひねる。
 彼にはインデックスのような完全記憶き おく能力はない。だから、チラリと見ただけの紙切れの内容など、そう簡単には頭の中で反芻はんすうできない。
 ただ、アルファベットの羅列ら れつを見た上条が、わずかに覚えているのは、
(何だあれ? 飛行機の便名か?)
 というだけだった。

     6

 スカイバス365は、機首から順に、ファースト、ビジネス、エコノミーと三つのクラスに分かれている。
 しかし当然ながら、ファーストクラスよりもさらに先に、もう一つの区画がある。
 コックピットだ。
 正面や側面はおろか、てんじようにまでびっしりとボタンやスイッチで埋め尽くされた小さな空間には、四脚の椅子いすがあった。前の二脚は操縦用、後ろの二脚は待機用だ。現在は機長と二人の副操縦士の三人が常駐しており、一つはスペアとして空いていた。
「管制からのレポートの出力、終わりました」
 そう言ったのは、金髪のフライトアテンダントだった。
 使っている言葉は、日本語である。
 本来なら、コックピットに入るような人物ではない。それは単にモラルの問題ではなく、社の規則で入ってはいけないと記載されている。にもかかわらず、フライトアテンダントがコックピットに足をみ入れている理由は単純。
 今がきんきゆう事態だからだ。
「それが、航空会社に届いた脅迫きようはくメールの全文ってヤツか」
 つぶやいたのは、白を基調にした軍服のようなものを着込んだ大男。
 この旅客機の機長を務めるパイロットだ。
 短く刈った黒髪に、わずかに浅黒い肌。
 その言葉が示す通り、彼は日本人だった。
 そして、彼が声をかけた相手は、フライトアテンダントではない。
 ヘッドセット越しにつながっている、日本の学園都市国際空港の管制センターだ。
『最悪な内容だろう?』
 航空警備員とやらの言葉に、機長は低くうめいた。
「確かに、最悪だ。こんな要求をむヤツはいない」
『ただし、その場合はその機に「攻撃こうげき」が加えられる恐れがある訳だ』
 航空警備員は苦い口調で続ける。
「敵は……フランス系の反イギリス組織、ねぇ」
『元々、歴史的にはイギリスとフランスは敵になったり味方になったりした訳だが、どうやら彼らはその内のマイナス的な感情のみを凝縮ぎようしゆくさせているらしい』
 どういう経路で情報を集めているか知らないが、学園都市の航空警備員がもたらす情報はやたらと正確だ。
『今回のユーロトンネル爆破も、連中は「すべてはイギリスが行った自作自演のぼうりやく。フランスは一方的に被害を受けたから、イギリスにも同等の損害を受けてもらう」と考えているらしい』
「それでイギリス側の空路を徹底的てつていてきつぶす……って訳か」
 ナメた要求だ、と機長は低い声を出す。
 ユーロトンネルは、フランスにとっては『重要な陸路の一つ』に過ぎないが、イギリスにとっては『他国に繋がる唯一の陸路』だ。イギリス側に、進んであのトンネルを爆破する理由などないはずなのだが……。
『脅迫メールを送った人物そのものは、フランス当局の手で逮捕されているが、どうも実行犯は別にいるらしい。もっとも、取調室の彼はだんまりで、普通のやり方じゃ情報を引き出すのは難しそうだがな』
「時間かせぎされると面倒だな。パリからエジンバラまでは、四〇分から一時間程度で着く」
 機長は操縦桿そうじゆうかんを握りながら、静かに告げた。
『テロリストが本気なら、その間に動きがある可能性が高い』
「しかし、本当に?」
 機長は思わずそう返した。
「これから落ちる機に、ヤツらの仲間が乗っているだって?」
『彼らの第一目標は、そっちへ送った脅迫きようはくメールにある通りだろう。ただし、要求が果たされなかった場合に自殺するぐらいの覚悟はあると考えた方が無難だ』
「……、」
『無事に要求がまれても、呑まれずにスカイバス365が落ちても、いずれにしてもテロリストが目標とするダメージは与えられる。なら、どちらの結末にしても、彼らにとっては「成功」という扱いなんだろうな』
「……最悪だな。今すぐパリの空港に引き返したい気分だ」
『機を急旋回させれば、不審に思ったテロリストが即座に「動く」リスクが生じる。かと言って、旋回を気づかせないように「大回り」をするほどの燃料の余裕はない。……航空産業も原油高のえいきようを受けているからな。その辺の事情は、あなただって分かっているはずだが?』
「結局、テロリストが動く前に、こちらで潜伏者せんぷくしやを見つけるしかないって訳か」
 クソッたれ、と機長はつぶやく。
 スカイバス365は客席エリアを二階構造にした、世界でもまれな大型旅客機だ。乗客は五〇〇人以上。一人ずつチェックするだけで『一時間』のリミットは過ぎてしまう。いや、事情聴取ちようしゆもできず、ただ遠方から観察するだけで犯人を特定するなど、警察でも難しいだろう。
「……こっちは素人しろうとの集まりなんだぞ」
『それでもやってもらうしかない。学園都市の空間移動系能力者でも使えれば話は別だが、現状、その機内に警察機関の人間を投入する事はできないだろうからな』
 航空警備員の言葉に皮肉はない。
 なまじ、『具体的な方法』としてテレポートという単語が使えるからこそ、学園都市の人間の言葉には、苦渋しかない。
『後は……そうだな。分かっているとは思うが、くれぐれも、こういう問題が生じている事を乗客にはらすなよ。逃げ場のない機内が混乱と暴動で地獄になるからな』
「分かってる。これでも機と乗客の命を預かっている身だからな。客にすがって自分の盾にするほど、腐っちゃいねえさ」
 機長がそう言った時だった。
 ヘッドセットに、航空管制官以外のチャンネルが割り込んだ。
 それは機内からだ。
きんきゆうです。動きがありました。おそらく例のテロリストです!!』
「ッ!?」
 乗務員の言葉に、機長の体が強張こわば る。
 報告はさらに続いた。
『負傷者一名。意識はあります。背後から突然おそわれたらしく、襲撃者しゆうげきしやの詳細は見ていないとの事ですが。どうしますか、機長!?」

     7

 インデックスの空腹がマキシマムだ。
「きーないーしょくー、きーないーしょくー。びーふおあふぃーっしゅー……」
「……すぐ横からひしひしと感じるこのプレッシャー。となりの座席にかしこまった顔のライオンが座っているニュアンスなのですが、かみじようさんは一体どうしたら良いのですか?」
「ビーフオアフィッシュがいつまでってもやってこないのに加えて、すぐ近くのブルジョワジーが有料のクラッカーをボリボリ食べているので私の胃袋がグラグラと煮えているんだよ」
 そう言われても土御門つちみ かどに財布を奪われたからどうにもならんしなー、荷物にはイギリス通貨のポンドしか入ってないし……と頭をボリボリいていた上条、そこでピタリと動きを止める。
『?』と首をかしげるインデックスに、上条はつぶやく。
「……待てよ。この飛行機は学固都市発イギリス行きなんだから、もしやイギリスのお金も普通に使えるのでは……?」
「ッッッ!! !? ??」
「ノォ!! インデックスさんのお怒りはごもっともですが、ここでおれ頭蓋骨ず がいこつみ砕いたら有料のクラッカーは永遠にやってこないぞ!!」
 ガパーン!! と目の前で大きく開いた猛獣の口を、土壇場ど たんば 牽制けんせいする上条。
 かろうじて命をつなぎ止めた彼は、席を立ってフリードリンクコーナーへ。
(……っつーか、さっきからウロチョロしてるなー俺。不審者と思われてないだろうか)
 いらぬ心配をする上条だが、通路を歩きながらあちこちを見回してみると、長時間座席に座るのに疲れた人達が簡単なストレッチをしていたりと、結構通路に出ている人も多い。座席にはマッサージチェアとしての機能もあるが、所詮しよせんは一番安いエコノミークラス。全身をくまなくほぐすほど高性能ではないようだ。
 エコノミーとビジネスクラスの間を分ける『壁』の区画に、フリードリンクコーナーはある。有料クラッカーの横に置かれた透明な箱には、いろんな国の紙幣し へいが収められていた。小さな黒板に、各国の通貨レートが書かれている。どうやら、イギリスのお金も通用するらしい。
(えーと……三ポンドで一〇枚もらえるのか。っつか、三ポンドって何円だ?)
 外国のお金なので、いまいち物の価値が分からなくなっているかみじよう。高いか安いかも分からないまま紙幣を投入してしまう。
 お金を収めた上条は、透明なフィルムでパッケージされた一〇枚入りのクラッカーをつかむ。
 と
「……、あれ?」
 インデックスの元へ引き返そうとした彼は、ふと足を止めた。
『壁』の区画には、フリードリンクコーナーのほかにも、機内トイレや清掃用具を入れるスペース、機内食を保管したり温めたりする小部屋など、いろんな設備が集まっている。
 そんな中、一枚のドアが半開きになっていた。
 先ほどは閉まっていたはずのドア。
 機内食スペースの小部屋の扉だ。
(……こういう飛行機のドアって、半開きにしておいて良いんだっけ?)
 旅客機は離着陸時りちやくりくじに機体が大きく傾くし、乱気流などで揺さぶられる事もある。そういった時、ドアが半開きだと急に大きく開閉して指を傷つけたり、ドアの金具をこわしてしまったりといったトラブルを起こす……とか、ドキュメント番組でた事があるのだが。
「閉めといた方が……良いのか?」
 何気なくつぶやき、ドアの方に近づく上条。
 まぁ、閉めるだけなら怒られないだろうし、とノブをつかむ直前、上条のまゆがわずかに動いた。
 見たのだ。
 半開きになったドアの向こうに広がる光景を。
 部屋自体は狭かった。どうやらたくさんの機内食を温めるためのスペースらしく、金属製の棚の上に、たくさんの電子レンジがボルトで固定されていた。
 問題なのはそこではない。
 壁一面に固定されている電子レンジに、何か赤黒いものがべったりとこびりついていた。幅は一五センチ程度、長さは五〇センチ程度。少し考えて、上条は、それが『何者かが汚れた手を壁につけて、立ち上がろうとしている』ように思えてきた。
 赤黒いものの正体は何だろうか。
 機内食を温めるスペースなのだから、何らかのソースやシチューなどがこぼれたのかもしれないが……。

「見てしまいましたね」

 不意に、背後からそんな声が聞こえた。
 女性のものだった。
 かみじようが振り返ると、金髪ナイスバディのフライトアテンダントさんが立っていた。
 申し訳なさそうな顔で、彼女はもう一度言った。
「その血痕けつこん、見てしまいましたね」
 彼の知らない事まで告げるフライトアテンダントさん。
「これは――」
 上条は何かを言おうとしたが、言葉はロから出なかった。
 ゴン!! という音が聞こえた。
 それが、自分の腕をねじられた上で、床に体を倒された音だと気づくまでに、上条は一秒以上の時間を必要とした。
 ほとんど馬乗りになったフライトアテンダントさんは、うつ伏せに倒れた上条に耳を寄せ、彼にしか聞こえない声でこう謝った。
「(……すみません。武器を持ち込めない機内で各種トラブルに対応するために、乗務員は全員この手の格闘かくとうマニュアルをたたき込まれているんです。訓練程度ですけどね)」
「なっ、なに、何が……?」
 目を白黒させる上条にそれ以上言わず、フライトアテンダントさんは上条の腕をひねるのとは別の手で、無線機のようなもののスイッチを入れた。
「機長、きんきゆうです」
 フライトアテンダントさんは日本語で言う。
 ひどく冷徹れいてつで事務的な口調だけだった。
「血痕をき取る前に、乗客の一人に確認されました。彼に機内で進行中の『事件』について知られてしまったと判断しますが、対応はいかがいたしましょう」

     8

 上条を組み伏せた金髪ナイスバディのフライトアテンダントさんは、どうやらだれかが来るのを待っているらしかった。
 空白の時間が続く。
 その間に、フライトアテンダントさんはこう言った。
「テロリストです……」
「フライトアテンダントさんが!?」
 ちっ違います!! と金髪ナイスバディは慌てて否定する。
「機内に潜伏せんぷくしているらしい、という情報を空港の管制から伝えられました。ある要求がまれない場合、犯人はスカイバス365の構造的な欠陥を突いて、この機の着陸を失敗させる――つまり、墜落ついらく、炎上させると」
「……マジかよ」
「あなたが見た血痕けつこんは、私のどうりようの添乗員のものです。いきなり背後からおそわれたらしくて、おそらく、それもテロリストによる犯行だと」
「まさか、おれが犯人とか考えてるんじゃないだろうな……?」
 いやな予感がしたかみじようだったが、どうやらフライトアテンダントさんは首を横に振ったようだ。もっとも、うつ伏せの上条の上に馬乗りになっているので顔は見えないのだが。
「そこまでは考えていませんが……。しかし、こういった情報を、ほかのお客様へ伝えられては困るんです。ただでさえ危険な状況なのに、そんな情報が広まってしまえば、逃げ場のない機内で大パニックが起こります。多くの血が流れる危険もありますし、最悪、そのパニックが犯人を刺激してしまったら……」
 口調は困り果てているようだった。
 色々教えてくれたのも、負い目があるからだろうか。
 護身術のようなもので上条を完全に封じているにもかかわらず、彼女の方が劣勢に思えた。
「具体的に、どうするつもりだ」
「それは……」
 彼女が言いよどんだその時、増援は来た。
 上条の、ではなく、フライトアテンダントさんの、だが。
 そいつはかなりの大男だった。白い軍服みたいな格好をしているから、おそらくパイロットなのだろう。
 どうやら機長らしい大男は、床につぶされた上条の顔を見るなり、日本語でこう言った。
「……他の客から切りはなすしかねえか」
「し、しかし、そこまでやってしまって良いのでしょうか? 確かに私たちには乗客の安全を守る義務がありますが、そのためにお客様を隔離かくり するほどの権限はないはずです」
 上条を組み伏せた張本人である金髪ナイスバディなフライトアテンダントさんの方が、何やら戸惑っているようだ。
 対して、機長の方は揺るがない。
 わずかな苦渋が見え隠れするが、それで意見まで曲がるようには思えない。
「適当に口止めして、座席に帰せば済む話か? こいつは絶対にさわぐ。そうなったら機内は大パニックだ。……お前だって分かっているから、押し倒して指示を仰いだんじゃなかったのか」
「……、」
「事態が収束するまで、こいつにはとどまってもらうしかない。協力の謝礼として、フライト料金はタダにする。それでも騒ぐようなら、会社の弁護士部門に任せるしかないな」
「ちょ、ちょっと待てよ!!」
 かみじようは途中で割り込んだ。
 うつ伏せに倒され、後ろ手に片腕をめられながら、それでも彼は大声で言う。
「テロリストがいるかもしれないって話は聞いたけど、それが本当だとしたら、こんな事をしている場合じゃないだろ!? アンタたちだけで確実に犯人を見つけられるのか? 少しでも戦力は多い方が良いだろ。だったらおれも――ッ!!」
 言いかけた上条の言葉は、機長の舌打ちで途切れた。
 彼は、フライトアテンダントさんを一度だけジロリとにらみ、それから再び上条の顔を見る。
「……そういう事を言いかねねえから、ここでお前の動きを封じているんだよ」
「何だって?」
「良いか。この機には乗客だけで五〇〇人以上いる。その中にまぎれ込んだテロリストは、その全員の命を握っている。こんな最悪な状況で、お前みたいな素人しろうとにぴーちくぱーちくさわがれて、好き勝手に動き回られちゃあ困るんだよ」
 ケンカを売るような言い方に思わずカッとしかけた上条だったが、機長はそこへさらに冷たい言葉を言い放った。
「お前はその五〇〇人の命を預かる事ができるのか」
「……ッ!?」
「俺には機長として、それを行う義務がある。だからそのためなら、この件が大きくなって会社をクビにされても、必ず乗客全員の命を守るために考え、行動する。協力なんて言葉は、そこまでの覚悟をもって放つモンだ。お前にそれはできないだろうし、できる必要もない」
 機長は身振りでフライトアテンダントに『どけ』と指示を出す。
 それは上条を解放するためのものではない。
 別の場所に、上条を隔離かくり するためのものだ。
「ちょうど、すぐ近くの機内食の加熱スペースが空いているな。そこに放り込んでおけ。のちに大きな問題に発展した時は、俺のせいにしてもらって構わない」

     9

 ドアが閉められ、何らかのロックがかかる鈍い音がひびく。
 電子レンジと血痕けつこんしかない部屋で、上条は金属棚の適当な段に腰を引っ掛けるように体重を預ける。
 機長が去って、フライトアテンダントさんの手でこの小部屋に放り込まれる寸前に、彼女は申し訳なさそうに頭を下げてきた。
『す、すみません。機内の混乱をけるために、どうしても必要な処置なんです』
 せめて置かれた状況の説明ぐらいはするべきだ、と彼女は考えたのだろう。
 かみじようは、フライトアテンダントさんの言葉を思い出す。
 どうやら『テロリストが入り込んでいるらしい』という情報は相当正確なもののようだった。
 航空会社に届いた脅迫きようはくメールの内容は次の通り。
 スカイバス365モデルの旅客機には、構造的な欠陥が存在する。我々はいくつかのテストを行い、それを実証した。イギリスの大手航空会社四社のマスターレコーダーを破壊は かいしなければ、学園都市発エジンバラ行きのスカイバス365の欠陥を突き、確実に機を落とす。
『マスターレコーダー?』
『乗客のフライトチケットや、荷物の荷札などを集中管理するコンピュータです。それがないと、航空業務は完全にストップしてしまいます。手作業でどうにかなる情報量でもありません』
 具体的な破壊方法については、脅迫メールに添付されていたコンピュータウィルスをマスターレコーダーに感染させる事、とあるらしい。
『ネットワークにつながった状態でウィルスに感染すると、マスターレコーダーのデータを完全に破壊した上で、破壊完了のログファイルを大手ブログのコメント欄へ一斉に送りつける機能があるそうです。ログの形式さえ解析できれば「ダミーのログ」を放って、マスターレコーダーがこわれたようによそおう事もできるそうですが、問題のログは暗号化されていて、解析に数日かかるらしいです』
『そう』とか『らしい』とかいう言葉が多いのは、おそらくそっちの分野についてはフライトアテンダントさんも不慣れだからなのだろう。
『……構造的な欠陥ってのは?』
『分かりません。ですが、脅迫メールに記載されていた便名を改めて調査してみたところ、この機と同型のスカイバス365モデルの内、パリ発モスクワ行き5991便、ニース発ニューヨーク行き4135便、マルセイユ発ペキン行き7558便で……いずれもフライト中に一五秒間ほどエンジンが停止していた事があったそうです。各々おのおのの件は部品単位で分解して調査を行ったそうですが、特に原因らしい原因は見当たらず、現在もそのまま使用されているようで』
 以前の三機は、テロリストによる予行練習。
 そして今回が本番。
 捜査当局はそういう風に解釈しているらしい。
『じゃあ、さっきの血痕けつこんは? 確か、どうりようおそわれたとかって話だったけど』
『真意までは……。そもそも、機内のテロリストがどういう手順で「欠陥を突く」のかも判明していませんから。でも、もしかすると、「計画」に必要な事なのかも……』
 ドアを閉める直前の彼女の表情には、疲れの色があったように思えた。
「……テロリストの目的は、イギリスの空路の完全封鎖ふうさ 、か」
 だれもいない小部屋で、上条は思わずつぶやいた。
 要求をめばマスターレコーダーの完全破壊、拒めばスカイバス365の墜落ついらく。いずれにしても、イギリスの航空業界には大打撃だいだ げきだ。
 まして、ユーロトンネルという『唯一の陸路』をつぶされた現状で、そんな事になれば……。
(となると、やっぱり『陸路』もテロリストがかかわっているって事なのか……?)
 かみじようは少し考えたが、やがて首を横に振った。
 情報が何もない状況で、素人しろうとがあれこれ考えた所で真実が分かる訳もない。
 狭い小部屋に放り込まれた、という現状についても、
(……客の扱いとしちや最悪の一言だけど、でもまぁ、確かに五〇〇人の命を抱えられるかって尋ねられると、厳しいよなぁ……)
 上条は、ふっと肩の力を抜いた。
 次にドアが開く時には、良い知らせでもあるだろうか、とポジティブに考える事にする。

     10

 スカイバス365は機首の方から順番に、ファースト、ビジネス、エコノミーの三クラスに分けられる。さらに客席は二階建ての構造になっているので、合計六つの区画で成立する訳だ。
 一階と二階を行き来するための階段は、各クラスをへだてる『壁』のエリアにある。『壁』と言っても厚さは七メートル以上あって、そこには機内トイレやフリードリンクコーナーなど、小さな設備が集まっていた。
 そんな『壁』のエリアの中に、とある一つのハッチがある。
 貨物室につながる、防火用のハッチだ。
 スカイバス365の貨物室は、客席一階のさらに下に広がっている。本来、客席と貸物室を繋ぐ必要性はないのだが、万が一貨物室で火災が発生した時に、消火活動ができないのでは墜落ついらくを待つだけだ。なので、きんきゆう用のハッチが用意されている訳だが……。
「……、」
 男はハッチの前で立ち尽くしていた。
 ピー、という小さな電子音が、男の行動を拒絶する。
 彼の手にはカードキーがあった。
 わざわざフライトアテンダントを背後からおそってまで手に入れた、カードキーだ。
(……くそ)
 もう一度、男はカードキーを読み取り機のスリットに挟み、一直線に下ろす。
 だが、やはり聞こえるのは先ほどと同じ、拒絶の電子音だ。
(ちくしょう。ここが開かなきゃどうにもならないっていうのに……)
 男はのどから、うめきに似た音をらす。
 彼の手には、黒い色の携帯電話があった。そこに、『必要なプログラム』はすべて入っていた。後は携帯電話の下部コネクタにケーブルをつなぎ、このスカイバス365に『必要なプログラム』を流せば、『構造的な欠陥』を突いたテロの準備は整うはずだった。
 そのための『プログラムを流すポイント』は、本来ならエコノミークラスの空席だった。仲間が偽名を使って座席を確保しているはずだったが、そこはツンツン頭の東洋人がキャンセル待ちで陣取ってしまっている。
 腕力を使って強引に退けさせる事もできるが、下手に暴れれば一〇〇人単位の乗客を一斉に敵に回す羽目になる。
 もうこの方法は使えない。
 よって、『計画通りに行かなかった場合の予備プラン』に計画を移行するため、どうしてもこのハッチを開けなくてはならなかったのだが、
(くそ、くそ、くそっ!! やっぱりフライトアテンダント程度のセキュリティ権限じゃ、このハッチは開けられないか。かといって、もっと権限の高い操縦士クラスの人間は全員コックピットだ。あそこへなぐり込みをかけられるようなら、最初っからスカイバス365の構造的な欠陥を突く、なんて回りくどい手を使う必要もねえし……)
 未練がましく、男は『壁』のエリアの出口方向……エコノミークラスの通路の方へ目をやる。そもそも、あそこにツンツン頭の東洋人さえいなければ、フライトアテンダントを襲撃しゆうげきするなどという『目立ちすぎる行動』に出る必要もなかったはずだったのだが……。
(ちくしょう。そもそも貨物室の『アレ』を使うなんて、最悪の事態だ! あの座席さえ空いていれば、もっともっとスマートに事を運ばせられたのに……ッ!!)
「……あれ?」
 と、そこで男は思わず声を出した。
 いない。
 機内トイレでも使っているのか、問題の座席に座っているはずのツンツン頭の少年がいない。しかも、その連れ合いらしき銀髪碧眼へきがんの少女も、席を立って通路でウロウロしている。
 チャンスだ、と男は思った。
 貨物室の『アレ』を使わずにスカイバス365を制圧するための、ラストチャンス。
 男はポケットから手袋を取り出す。このまま通路を進むと、あの銀髪の少女とぶつかる。ここは一度階段を使って別の階層へ行き、そこの通路を経由して、少女の後ろを回り込むように問題の座席へ近づく方が良さそうだ。

     11

 上条当麻かみじようとうまが帰ってこない。
 少年及び有料のクラッカーを待っていたインデックスは、ついに空腹に耐えられず席を立つ。
 捜しに行こう。
 もしかしたら、とうまは美味おいしいのを一人占めしているかもしれないし。
 ……などと考えていたインデックスだったが、早々に探索は難航する。かみじようが直線の通路を歩いて、『壁』となるブロックへ入っていったはずだ。大した距離きより ではないのだが、何故なぜか上条を発見する事ができない。
「?」
 首をかしげつつも、来た道を引き返すインデックス。
 と、ここでも彼女は足を止める事になる。
 上条当麻とうま の席に、ほかだれかが座っている。
 地味な色合いのスーツを着た、色白の男だった。歳は二〇代前半だろうか。背丈はそこそこ。フランス語で書かれた新聞を大きく広げているため、顔の下半分が隠れていて、人相は良く分からない。
 座席を間違えているのかな、とインデックスは思った。
 彼女には完全記憶き おく能力がある。インデックスの方が間違えているという事はない。
 なので、インデックスはためらいなく自分の席に座ると、となりで新聞を広げている男に言った。
「そこはとうまの席だよ」
 声に、ピクリと新聞男はわずかに肩を動かした。
 改めて確認すると、彼は片手で新聞を広げていた。もう片方の手は空いている。新聞に隠されていたその手の行方を目で追ってみると、何やら黒っぽい色のケータイデンワーを握っていた。同じく新聞にさえぎられていた男の膝上ひざうえには、デンワーのパーツなのだろうか……細いケーブルのようなものや、爪切つめき りのようなものがあって……。
「……くそ。何で一二〇秒も待てねえんだ」
 つぶやく声はフランス語だった。
 インデックスがキョトンとした顔で、次の言葉を放つ前に、男の方が動いた。
 男は広げた新聞をたたんで膝上に載せると、彼女に向けて、さりげない調子で手を差し出す。
 その手には、何かが握られていた。
 鋭くとがった物が、他の乗客には見えないように、インデックスの脇腹わきばらに押し付けられていた。
「空港のセキュリティは、基本的に金属探知をメインに行う」
 男はフランス語でそんな事を言った。
「だから、意外に気づかない。……動物の骨を削って作ったナイフだって、内臓を刺せるし動脈を切る事もできるっていう、簡単な事実がな」

 と、ひとまず目撃者もくげきしやの動きを封じた男だったが、
(……最悪だ。一番最初の一手で間違えてから、何一つ計画通りに進まない!!)
 この状況、男にとってチェックメイト寸前である。
 すぐとなりで固まっている少女が大声でさわいだら、それでおしまいなのだ。この少女を殺す事はできるが、ここでそれをやってしまえば、最低でもエコノミークラスの乗客一〇〇人以上を一気に敵に回す羽目になる。そうなれば、正義感からの行動というよりは、パニックを起こした人の群れに巻き込まれるだろう。小さな刃物一本でどうにかなる状況ではない。
「……何してるの?」
 隣の少女が言う。
 男に答える義理はないが、ほとんど独り言のような声で彼はこう告げた。
「プログラムを流す。携帯電話のデータ通信機能を使って不時着安定装置に干渉できるようにするためのプログラムだ」
「ふじちゃく?」
 まゆをひそめる少女を無視して、男は窓際まどぎわの座席の横……窓のすぐ下にある壁に手をやる。丸めた針金を引き延ばし、壁に空いた隙間すきま すベり込ませると、そのまま横へ動かしていく。まるでカッターで切り取るように、一直線のラインが生まれる。
 男がそのラインにつめの先を当て、手前に引くと、まるで自動車のダッシュボードのようにふたが開いた。その先にあるのは、二〇本以上のケーブル類だ。
「要求が無事にまれれば、こいつを使う必要はなくなる。そうだ、おれだって好きでこんな事をやっている訳じゃ……」
 言いかけた男の言葉が、いきなり途切れた。
 携帯電話の下部コネクタから伸びたケーブルを、旅客機の壁の中にあるメンテナンス用ケーブルに接続する手はずだったのだが、それが上手うまくいかない。ケーブルとケーブルをつなぐコネクタに、小さな亀裂き れつが走っているのだ。
 カチャカチャガチャガチャ、というプラスチック同士のこすれる音だけが神経質にひびく。男の眉間み けんしわが寄り、時折舌打ちが混じる。しかし何度試しても同じだった。
 ケーブルは繋がらない。プログラムは流せない。
「あれ、それはとうまが」
 隣の少女が何か言っていたが、男は聞いていない。
「くそっ!!」
 男がフランス語で叫ぶと、周りにいた乗客たちがチラリとこちらを見た。男は壁から開いた蓋を乱暴に閉めると、隣の少女に動物の骨のナイフを突き付けたまま、静かにてんじようを見上げる。
 どうする。
 エコノミークラスの座席からプログラムを流す事はできない。構造的な欠陥を使った『交渉』はもう続行できない。
 やはり、この方法は使えない。
(……最悪だ。もうこれで、計画の意味は半分近く消えたと言っても過言じゃねえ。あと残された方法は……やっぱ、使いたくねえが、『アレ』にたよるしかねえか……ッ!!)
 そこまで考えて、男は気持ちを新たにした。
 エコノミークラスの座席はもう使えない。となると、やはり貨物室へのハッチをこじ開ける方法を探すしかない。フライトアテンダント以上のセキュリティ権限を持つカードキーを手に入れる方法を、残りの短い時間で考えるべきだ。
 さらに、男にはもう一つの問題がある。
 すぐとなりで身を強張こわば らせている少女。
 このまま解放すれば、テロの進行を周囲へ知らせてしまう事になる。どうにかして、完全にだまらせる必要がある。
 やるしかない。
 男はゴクリとのどを鳴らすと、膝上ひざうえの工具や携帯電話をポケットにしまい、フランス語の新聞で刃物を隠すようにしながら、すぐ隣の少女を促す。
「立て。少しでも逆らえば刺す」
 計画は、こわれ始めていた。
 その首謀者しゆぼうしやたる男自身にすら、事態の制御ができなくなるほどに。

     12

 たくさんの電子レンジが壁際かべぎわに並ぶ機内食の加熱スペースで、かみじようはピクンと顔を上げた。
(……足音?)
 ふと、ドアの向こうから、そういう風に聞こえる音があった。
 一つではない。
 最低でも二つ。
 一体だれだろう、と思う上条の耳に、さらなる音が届く。
 ぴーぴー、という笛のような音だ。
(……これ、インデックスの?)
 確か、彼女がいつまでっても機内食の時間にならない事にイライラしていた時、金髪ナイスバディのフライトアテンダントさんから安っぽいボールのようなおもちゃをもらっていた。おそらく何らかの景品であろうそれは、握ると笛の音が出る仕組みになっていたのだ。
 自発的にぎゅむぎゅむ握っているとは思えない。規則的な音は、おそらく衣服のポケットに入れたおもちゃが体とこすれて、勝手に鳴っているだけだろう。
 あのおもちゃが航空会社のポイント景品か何かなら、別にインデックスだけが持っているとは限らない……のだが、何となく簡素なワンピースを着ている彼女の事を連想してしまうかみじよう
 もし本当にインデックスだとしたら、彼女と一緒いつしよにいる人物はだれだろう? 金髪ナイスバディのフライトアテンダントさんでも捕まえているのかもしれない。
 しかし、そこで上条はふと、別の考えを思い浮かべた。
 楽観的な意見に、自ら冷や水を浴びせるような思考だ。
 待てよ、と彼は思う。
 本当に、そんなほのぼのしたものなのか。
 危険ならあるではないか。
 そもそも、上条当麻とうま はどういう理由でこんな所に放り込まれているというのだ。
(いや、そんな訳が……)
 上条は否定しようと思ったが、そこで二つの足音は止まった。
 ぴーぴーという笛の音もむ。
 どこかの扉が開く音が聞こえる。
 ここは『壁』となるエリアだ。ほかの乗客から目撃もくげきされるような事はない。
 そして、

「入れ。刺されたくなかったらな」

 声はフランス語で、上条に内容は分からなかった。
 しかし野太い男の声は、どう考えてもサービス業の添乗員のものではなかった。
(ふざけんなッ!?)
 上条は思わず叫んでドアに飛びつこうとしたが、下手へたさわいでも、確実にドアを破れなければ犯人を刺激するだけだ。
 ドアは金属製ではないようだが、単に体当たりするだけでこわせるようなものではなさそうだ。カギは電子ロックで、針金ごときでどうにかなるとも思えない。
 そうこうしている間にも、ドアの向こうでは動きがある。
 恫喝どうかつしている者とされている者は、すぐ近くの別の小部屋に入ったらしい。
(くそっ!!)
 上条は軽く周囲を見回し、機内食を運ぶためのアルミ製のカートに目をつける。乳母うばぐるまを四角くしたような物だ。
 乱暴にカートのハンドルをつかむと、その矛先ほこさきをドアへ向ける上条。
 べんしようとか何とか、そんな事を考えている余裕はなかった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 叫び、思いきり前進する。
 そして激突。
 グッシャア!! というすさまじい音が炸裂さくれつして、アルミ製のカートの前面が大きくつぶれた。しかしドアの方もただでは済まなかった。ロック部分がバチンとはじけ、蹴破け やぶるようにドアが大きく開かれる。勢いに負けて、かみじようこわれたカートごと通路に転がり出た。
 上条はカートを放り、辺りを見回す。
『壁』となるエリアには複数の小部屋があるが、閉じているドアは一つしかなかった。
 ノブをつかみ、勢い良く開け放つ。
 掃除用具入れだった。モップが数本と、プラスチック製のバケツが入った小さなスペース。
 そこに、見知った顔があった。
 インデックスだ。
 彼女は仰向あおむ けに転がされており、そこに見知らぬ男が馬乗りになっていた。男の両手には用具入れにあったであろうゴムホースがあり、それがインデックスの細い首に巻き付いている。
 何をしているのか。
 考えるより早く、上条の両手は動いていた。
「っ?」
 インデックスの首を絞めていた男は、その行為に夢中になっていたのか、自分のえりの後ろを上条に掴まれるその瞬間しゆんかんまで、自分の危機に気づかなかったようだ。
 上条は男のスーツを掴んだまま、勢い良く体を回す。
 遠心力の力を受けた男の体が、掃除用具入れから外へと放り出された。床に落ちる事なく、そのままノーバウンドで壁に激突する。
 ゴドン!! という轟音ごうおんが炸裂した。
 男の肺から強引に酸素がき出される。ズルズルとその体が床へ崩れていく。
 上条は無視した。
 自分でも訳の分からない絶叫をのどからほとばしらせながら、上条は勢い良く足を振り上げ、男の胸板目がけて、肋骨ろつこつたたき潰すように突き入れる。
 今度はけられた。
 横へ転がるように、男が動く。
 原油高のえいきようで重量削減でも考えたのか、内壁はうすい。上条の足の裏がそのままめり込む。
 そこへ、男は腕を振るった。
 上条のふくらはぎの後ろの辺りに、何か熱い感触があった。
 見れば、金属探知器対策なのか、男の手には動物の骨を削って作られたナイフがあった。
「……、」
 上条はこぶしを握らなかった。
 彼は通路で傾いたまま停止している、機内食用の壊れたカートから、ハンドルに使われていたアルミ製のバーを引き抜いた。
 なぐればただでは済まないだろうが、かみじようは気に留めなかった。
 明らかな鈍器を手にした上条に、男の方が、じりっ……と後ずさる。
 そこへ、ドタドタという足音が聞こえてきた。
 テロリストに気づいた……というよりは、上条がドアを破った轟音ごうおんに、フライトアテンダントたちが勘付いたのだろう。
 それで、男の方針は決まったらしい。
 彼は刃物をふところへしまうと、近くにある急な階段を使って別の階層へと逃げていく。そちらを追うべきか迷うが、上条は掃除用具入れでぐったりしているインデックスの方へ向かう。
「インデックス!!」
 上条が彼女の耳元で大きな声を出すと、インデックスはわずかに身じろぎした。首には青黒いあとが残っているが、命に別条はないらしい。
 彼女の小さな口が、わずかに動いた。
「なに? 不時着、安定装置……?」
 そこから出てきたのは、聞き慣れない単語だった。
 増して、機械音痴のインデックスから出てくるとは思えないものだ。
 その時、ようやく増援がやってきた。
 フライトアテンダントさんと大男……この旅客機の機長もいる。どうやら機内のテロリストを最優先しているらしく、操縦桿そうじゆうかんほかの副操縦士に任せているらしい。
 彼らは機内食の加熱スペースのドアがこわされている事に不快な顔つきになったが、ぐったりしているインデックスや、上条のふくらはぎにある切り傷などを見て、ただごとではないと察したのだろう。
 ここであった事を説明した上条は、機長達にこう質問した。
「不時着安定装置っていうのは何の事だ? インデックスが犯人から聞いた可能性がある」
「……胴体着陸って知っているか」
 機長はゆっくりと息をいて、そう答える。
「たまにテレビのニュースで見るだろ。車輪を出せないまま着陸態勢に入って、滑走路でバチバネ火花を散らすヤツ。あれがどうして危険なのかは分かるか?」
「そりゃ……火花が燃料タンクに引火するから、とか」
「旅客機の燃料タンクは左右の主翼しゆよくの中だ。胴体をこすった所で、普通なら引火しない」
「じゃあ」
「エンジンだよ。主翼の下にぶら下がっているだろ。スカイバス365モデルは胴体着陸時にもエンジンを地面に接触させないように設計されているが、それでもものすごい振動がエンジン内部に伝わるんだ。回転中のエンジンの中は、ただでさえ燃えやすい航空燃料を空気と反応させて、爆弾みたいになってる。そこに不安定な振動が伝わると、一気に爆発する恐れがある。エンジンでの出火から燃料パイプを伝って、主翼しゆよくのタンクにまで火が回ればドカンだ」
 事情をみこめないかみじように、機長は少しずつ告げる。
「そこで、スカイバス365には不時着安定装置が組み込まれている。胴体着陸時の衝撃しようげきをセンサーが自動で検出して、すべてのエンジンを自動停止。燃料パイプを完全にふさいで、エンジンからの出火と燃料タンクへの引火を阻止そし、後は慣性の力だけで滑走路を進み、減速していく……って感じだな」
「全てのエンジンを、自動停止させる……?」
 上条は胸の奥に生まれたいやな予感を、そのままロに出す。
「じゃあ、もしもその装置が、今ここで誤作動したら……」
 その言葉に、全員がだまる。
 機長はわずかにうめき、それから言った。
「……事情は大体分かった。お前の知り合いが傷つけられた事もな。こちらの力が及ばなかったのは残念だったが……」
 何が分かったんだ、と上条は口の中でつぶやいた。
 機長は気づかず、さらに続けた。
「大事にならずに済んで何よりだった。しかし、添乗員に加えて乗客まで具体的な被害を受けた事を、ほかの人間に知られる訳にはいかない。そんな事になったら、五〇〇人以上の乗客が一斉に『安全』を求めて大パニックを起こしてしまう」
 冷静な口調が苛立いらだ ちをつのらせる。
 どこまでいっても他人ひとごとのくせに、他人の意志を決定させようとするのが気に食わない。
「お前たちには申し訳ないが、やはり、引き続き別の場所で一時的に隔離かくり させてもらう。おれには乗客の命を預かる義務があるからな。そのために必要ならば、俺は何だって――」
 気がつけば、上条の右手は動いていた。
 こぶしを振り上げてから、自分がアルミ製のバーを握ったままだと思い出した。
 しかし、上条はそのまま手を止める事はなかった。

 ゴン!! という轟音ごうおんと共に。
 機長の体が、思いきり後ろへけ反る。

「……ふざけるんじゃねえよ」
低くうなるように、上条は言った。
「何が乗客の命を預かる、だ。テメエらの言葉に従って、大人しく言う事を聞いてりゃこのザマだ! どういう状況か分かってんのか!? 偉そうな台詞せ り ふくだけ吐いて、失敗しても反省しねぇっつーのはどういう理屈だ!!」
「っ」
 鼻を押さえ、何か言いかけた機長に、かみじようはもう一度鈍器を突きつける。
「こっちは知り合いに手ぇ出されてんだ!! 五〇〇人の命を預かるとか言っておきながら、しっかりれてんじゃねぇか!! 書類上の名簿めいぼ で人間を区別しやがって。テメェみてえな赤の他人を仕事の規定で守るのとは話が違うんだよ!! おれにはあのクソ野郎をたたつぶす権利がある。アンタらは勝手にやってろ! こっちも自分のやり方でやらせてもらうからな!!」
 上条は金髪ナイスバディなフライトアテンダントさんに介抱されているインデックスを一度だけ見て、それから鈍器をその辺に投げ捨てた。
(……ちくしょう。俺がしっかりしていれば)
 それから、スーツの男が消えた急な階段の方へ足を向ける。
「……クツッたれ。気絶するまでなぐり倒してやる」
 暴力的な口調は、いつもの上条のそれではなかった。

 そして、普段ふ だんと様子が違うのは上条だけではなかった。
「……痛ってえな」
 低くつぶやいたのは、突然鈍器で殴られた機長だ。彼は殴られた鼻の辺りを指ででて確認する。
 彼は上条の消えた方をにらみ、ゆっくりとした動きで壁に手をつくと、そこに引っ掛けてあったマイクを手にする。フライトアテンダントが乗客にシートベルトを装着するよう全体に指示を出したり、コックピットだけに直通で指示を仰いだりするためのものだ。
 機長はコックピットのみに聞こえるようチャンネルを調節すると、低い声で言う。
「ワッシュ……」
 それは、彼の部下である二名の副操縦士の内の片割れの名前だった。
「機の操縦はリッチモンドに任せておけば良い。そう、そうだ。きんきゆう事態だよ。お前はボックスのかぎを開けて、『アーチェリー』をここまで持って来い」
 その言葉に、ギョッとした顔で機長を見る金髪ナイスバディなフライトアテンダント。
『アーチェリー』というのは、操縦桿そうじゆうかんを奪われないようにコックピットに用意された、スカイバス365で唯一の『武器』だ。日本の銃刀法に配慮はいりよして、分類こそ『ボウガンの一種』という事になっているが、実質的に弓矢としての機構や仕組みはほとんどない。引き金を引くと窒素ちつそ ガスの力で全長四〇センチ強の金属矢を高速で射出する、ほぼ猟銃りようじゆうも同然の『武器』だった。
 フライトアテンダントの呆然ぼうぜんとした視線を受けて、機長は鼻を鳴らした。
「……あいつはだれの命令も聞かない。機長の俺にも手を上げた。認識として危険人物とみなす。テロリストが一人増えたようなもんだ。何をするか分からないような人間を、野放しにするつもりはねえ」
 聞いている方がゾッとするような声だった。
『アーチェリー』は、すぐに届けられた。

     13

 かみじようは階段を通って別のフロアへ辿たどり着くと、辺りを見回した。日没後の機内は柔らかい照明の光に照らされていたが、彼のいる『壁』の区画は若干簿暗じやつかんうすぐらい。
 スーツの男はいない。
 前はビジネスクラス、後ろはエコノミークラスの座席だ。
 いずれの座席にしても、乗客は新聞を広げたり、席に取り付けられたヘッドフォンを耳に当てたり、小型モニタを操作していたりと、広い空間の中で各々おのおのの時間を過ごしていた。
(……どっちだ? どっちに行った?)
 とりあえず『壁』のエリアから、後ろのエコノミーの方へ移動する上条。犯人たるスーツの男の人相は覚えているはずなのだが、どいつもこいつも座席でかしこまった顔をしていて、迷彩のように思えてくる。
 上条には、インデックスのような完全記憶き おく能力はない。
 このままだと、せっかく見たはずの男の顔のイメージがグチャグチャになりそうだった。
(分かりやすく動揺してくれりゃ、すぐに見分けがつくものを……)
 舌打ちする上条だったが、そこで彼はピタリと動きを止める。
 犯人はマスターレコーダーの破壊は かいだか何だかで、イギリス側と交渉を行っていたはずだ。逆に言えば、交渉の是非ぜひが明確になるまで、大きなアクションを起こしては困るという事になる。
 例えば。
 旅客機が落ちるか落ちないかの瀬戸せとぎわになるとか。
(なるほど)
 上条は一人でうなずくと、再び『壁』のエリアの方へ引き返す。
(揺さぶる方法が見えてきた)

 ビィィィ!! という甲高かんだかいブザーが男の耳を打った。
 実は彼は、上条が向かったエコノミーとは逆方向――つまりビジネスクラスにある自分の座席に、ごくごく自然な調子で座っていた。旅客機に逃げ場はない。追っ手の目をあざむくには、
ほかの乗客にまぎれる』のが一番効率的なのだ。
 そこへ、彼の胸を貫くような電子音だ。
 どうやらきんきゆうようのものらしく、すべての座席が自動的に連動し、酸素吸入用の透明なマスクが一斉にこぼれ出した。それを見た乗客たちいつしゆんキョトンとして、それからまるで髪に火がいたような大騒おおさわぎを起こす。
(何だ、おい。何だ、どうなってる!?)
 男は座席の肘掛ひじかけをつかみながら、辺りを見回す。
(酸素マスクが出たって事は、機体がヤバい事になってる……? でも、おれはまだ『必要なプログラム』を流していない。スカイバス365の不時着安定装置を掌握しようあくした覚えはない!!)
 そうこうしている間にも、甲高かんだかいブザーは続いている。
 周りでほかの乗客達が騒いでいるからか、何だか機体が変に揺れているような錯覚さつかくさえ感じるようになってきた。
 仮に。
 もしも本当に、何かのイレギュラーで機体の調子がおかしくなったとしたら……?
(まずい)
 男の……いや、彼の所属するテロ組織の目的は、イギリスの大手航空会社四社のマスターレコーダーの破壊は かいだ。イギリス側からの返答はまだない。こんな状態で、スカイバス365が組織の思惑とは関係なく、勝手に墜落ついらく事故を起こしてしまったら……。
 マスターレコーダーは破壊されない。
 いや、『単なる航空事故』扱いになってしまったら、テロ事件そのものが消えてしまう。
(まずい、まずい、まずい! くそ、どうにかしねぇと!!)
 男は座席から立ち上がる。
 事態を打開しなければならないのだが、そのための具体的な方法は、ない。

 一方、機長の方も苛立いらだ っていた。
 スカイバス365唯一の飛び道具『アーチェリー』を手にした機長は、甲高いブザーの音に顔をしかめながら、壁に掛けられたマイクを掴み取る。
 回線は、コックピットのみとつながっていた。
「どうなってる!! テメエ、高度を急に下げたりしたんじゃねえだろうな!?」
『いっ、いえ。機体のバランスは保持しています。これは計器類の自動警報ではありません。機内の手動スイッチによるアラームです』
「クソッたれ。あのテロリストども!!」
『アーチェリー』を手に大声を出す機長。もはや、彼の中ではテロリストどころか上条当麻かみじようとうまについても一般の乗客であるという認識はないようだった。
「これ以上、おれの機で好き勝手にやるようなら、こっちにも考えがある……。おいリッチモンド!! テメェもこの警報を切れ! 計器に問題ないのが分かってんなら、さっさと自動音声を流すんだよ! これは誤報だから問題ありませんってヤツをな!!」
 叫ぶだけ叫ぶと、機長はマイクを床にたたきつけ、『アーチェリー』を構え直す。あの東洋人は、階段を使って別の階層へ行った。しかし、いくら広いと言ってもスカイバス365は旅客機だ。虱潰しらみつぶしに調べれば、すぐに見つかるはずだ。
「ちくしょう。あの馬鹿ばかども、手足をブチ抜いてでも動きを止めてやる」
 き捨てるように言って、機長が急な階段に向かおうとした時だった。
 床に投げ捨てたマイク兼小型スピーカーから、切羽詰せつぱ つ まった副操縦士の声が飛んできた。
『きっ、機長!! きんきゆうです!!』
 本来、そのマイクは顔に寄せてやり取りをするためのものだ。床にあるマイクから聞こえてきたという事は、それだけ副操縦士の声がなりふり構わないものだった、という証拠である。
「何だ? またあいつらが何かやったのか!?」
『分かりません!』
 副操縦士は叫びに叫びを返す。
『とっ、とにかく、コックピットまで戻ってください! 俺一人だけじゃどうにも……ちくしょう。どうなってんだ。どうなってんだよこれ。ねっ、燃料メーターがっ!! この減り方はおかしい! タンクに穴が空いているとしか思えません!!』
「マジか……」
 機長の腹の辺りに、冷たい緊張が渦巻く。
 ただ単純に機内のブザーを押しただけで、そんな変化が訪れるはずはない。それともまさか、不時着安定装置にかかわる何かが起こっているのか……?
(……どうなってやがる)
 丸腰の相手なら一撃いちげきで射殺できるであろう『アーチェリー』を両手で抱えたまま、テロリストを追うかコックピットに戻るか逡巡しゆんじゆんしていた機長だったが、
『機長、指示を!! このままだと空港までちません! 最悪、幹線道路に不時着するための準備を進めておく必要があります!!』
「ちくしょう!!」
 その言葉で、機長は決断した。
 彼は急な階段ではなく、『アーチェリー』を届けに来た副操縦士の一人と共に、コックピットの方へと全力で走る。

     14

 ロンドンのランベス区には、聖ジョージ大聖堂という名の教会がある。
 聖ジョージというのは有名な名前で、学校や病院、公園、そして教会など、様々な施設に冠せられているものだった。聖ジョージ大聖堂という教会自体、ロンドンにはいくつもある。これはそうした教会の中の一つだった。
 夜の教会と言えば、揺れる蝋燭ろうそくの光やステンドグラスによって色づいた月明かりが、冷たくも荘厳そうごんな空気を作り出すものだが、今日に限ってその法則は通じなかった。科学サイドの総本山・学園都市の協力機関から提供された、様々なモニタ類が説教台やなが椅子いすなどの上に置かれ、地面には四角いボックス型の通信機器があったり、ケーブル類がい回っている。液晶やパイロットランプの光が、夜の教会が作る柔らかいやみをかき乱す。
 多くのシスターたちが、慣れない機材の扱いに戸惑いながら右往左往う おうさ おうしている中で、ゆったりと椅子に座る影が二つある。
 片方は『清教派』のトップ、最大主教アークビシヨツプのローラ=スチュアート。
 片方は『騎士派きしは』のトップ、騎士団長ナイトリーダー
 柔らかい表情のローラに対して、騎士のおさの表情は険しい。
「結局、『王室派』のトップはやりてこなかったわね。一応、三派閥がそろいて協議をせねば示しがつかぬと思いしけど」
「……女王陛下を始め、『王室派』の方々は、警察や議会など、様々な関係機関を掌握しようあくし、適切に動かすために尽力なさってくださっている。このような場所に来るほど暇ではないのだ」
 その言葉を受けて、ローラは息をく。
 イギリスの三派閥には、明確な力関係がある。
『王室派』は『騎士派』に強く、
『騎士派』は『清教派』に強く、
『清教派』は『王室派』に強い。
 だからこそ、それぞれの代表が会議の場に出席する事によって、各々おのおのが対等に発言できるようになる訳なのだが……『王室派』が欠けてしまうと、『清教派』のローラとしては色々とやりにくい。わざと逃げたんじゃないだろうな英国女王あのオンナと内心では毒づくほどである。
 騎士団長ナイトリーダーはそうしたローラの懸念け ねんに気づかす、実直な調子で言う。
「……それより、貴様達が仕掛けた幻術が効果を表し始めたようだな」
「ふふん。確かに、科学のかたまりなりける旅客機の制御を遠隔地えんかくち から丸ごと乗っ取りたるのは難しいけど、その計器の一つを幻影でごまかしたる事ぐらいは簡単なのよ」
「つまり、コックピットの燃料メーターに細工をした訳だ」
 言いながら、彼は大聖堂に設置されたコンピュータに目をやる。
 二脚の椅子いすを取り囲むように、複数の液晶モニタや計器類がある。スカイバス365のコックピットと同じ、訓練用のシミュレータだ。これを元に、幻術の『ねらい』を定めているらしい。
今頃いまごろ、向こうは大騒おおさわぎなりけるでしょうね。タンクに穴が空いているとしか思えぬほどの速度でメーターが急速に減じているのだから。もう空港までは絶対にたぬと認識したるはずよ」
「そうして空港ではなく、建物の少ない田舎い な かの幹線道路へ不時着させるという訳か」
 騎士団長ナイトリーダーまゆを不快そうに動かした。
「確かに、報告ではテロリスト自身は即座に機を落とすつもりはないと聞いている。しかし、ヤツらの口に上っている『旅客機の欠陥』についても分かっていないはずだ。不時着は難易度が高い。そこへ妨害が入れば、ただでは済まねと思うが」
「ほう。ならば大都市や住宅地、国際空港の滑走路上や管制ビルで爆発させたる方が好みなの? 最悪の場合、乗員乗客の数倍を超えたる被害者が生まれたると思うけど」
「……、」
 騎士団長ナイトリーダーはわずかにだまった。
 ローラはレポートを持って近くを歩いていたシスターの一人を捕まえ、こう尋ねた。
「不時着に使いける道路は?」
「ロンドンからスコットランドへ向かう直線道路の内、ケンドル - カーライル間の辺りとなるでしょう」
 報告を聞くと、ローラはパチンと指を鳴らした。
 騎士団長ナイトリーダーは眉をひそめる。
「……それは何の合図だ?」
「該当せし幹線道路の封鎖ふうさ と、そこへ乗り入れたるすべての道路の遮断しやだん。あとはテロリストを抑えたるための装備一式。『騎士派きしは』には狙撃用そ げきようの『ロビンフッド』がありしと思いけるけど?」
「宗教をかたる策士ごときが、一国を守る騎士に指図をする気か」
「華を持たせてやると受け取りてほしいけどね。報告では、くだんのテロリストは魔術師まじゆつしではないし、銃や爆弾などを携帯したる素振そぶりも見せぬのよ。機が無事に着陸してしまいければ、五〇〇人強の乗員乗客を抑えたる事すらできぬでしょう。経験値かせぎにはピッタリの雑魚ざこゆずりてやると言いけるんだけど?」
 くだらん、と騎士団長ナイトリーダーき捨てた。
「……事を急ぐのは構わんが、仮に旅客機が空中分解でもした場合はどうするつもりだ」
「その場合は、同乗したる禁書目録だけは回収しないとね。なぁに、こちらにはチャーター機を使いて逃走しようとしたリドヴィア=ロレンツェッティ捕縛時ほ ばくじ の術式がありけるし。仮に空中で爆発するような事になりけるとしても、一人だけなら地上で受け止められたるわよ」
「心の底から言おう。貴様は早死にするべきだ」

     15

 ガクン、と機体が大きく傾くのを、男は感じた。
 機首方向を下に――つまり、高度を急激に下げるために、だ。
(不時着? まずい!!)
 男の目的はマスターレコーダーの破壊は かい。その要求をむかいなか、イギリス側が判断する前にどこかへ不時着されてしまうのでは、『交渉』を続けられなくなる。
 そして、伝統的に『どこかへ着陸した旅客機』は大勢の警察機関に取り囲まれて籠城戦ろうじようせんになるのがオチだ。航空機の窓や壁が軽くて簿うすいのは、原油高の問題を解消するための重量削減のほかに、大型ライフルで確実に狙撃そ げきを成功させるためだというウワサもある。
 イギリスの空港や幹線道路など、敵地のど真ん中だ。
 そんな所に不時着し、おうじようする訳にはいかない。
「くそっ!!」
 男ははじかれたように走る。ビジネスクラスから前方……ファーストクラスを経てコックピットまでなぐり込みをかけようかと思ったが、途中でとどまった。テロ対策の一環として、コックピットのドアは最も頑丈に作られているはずだ。何の策もなく、打ち破れるものではない。
 そうこうしている間にも、機体はぐんぐん高度を下げていく。
 それはエレベーターに乗っているような、奇妙な浮遊感を男に伝えてくる。
「どうにか、どうにかしねえと……」
 男は一人でつぶやき、ビジネスとファーストクラスの間にある『壁』のエリアへと飛び込んだ。ここにも他の『壁』のエリアと同様、フライトアテンダント用のマイクが壁に掛けられている。
 男はマイクを手に取った。
 ふるえる手でチャンネルを操作し、コックピット直通になるよう調整した上で、彼はフランス語で開口一番こう叫んだ。
「不時着はやめろ!! 今すぐこの機を落とすぞ!!」
『ッ!?』
 向こうで息が詰まるような音が聞こえた。
 唐突な恫喝どうかつに、どう反応すれば良いのか判断できないのだろう。
 構わず男は大声で続けた。
おれはスカイバス365の構造的な欠陥を掌握しようあくしている。いつでもこの機は墜落ついらくさせられる! 五〇〇人以上の乗客を殺されたくなかったら、今すぐ高度を元に戻せ!!」
 それは完全なハッタリで、実際にはエコノミークラスの座席は使い物にならなかったし、予備の計画についても、貨物室へつながるハッチを開けられなければどうにもならなかったのだが、男はうそをつく事にためらわなかった。
駄目だめだ』
 しかし、そのハッタリを受けてなお、返答は予想していたものではなかった。
 声はきんちようしていたが、それでもはっきりとこう答えた。
『どういう訳か、燃料メーターの数字が急激に減っている。おそらく燃料がれているんだ。このままじゃエジンバラの空港まで辿たどり着けない。ロンドンの空港に引き返すのも無理だ! それどころか、下手すると燃料に火がいて、エンジンそのものが爆発するかもしれない!!』
 そんな事はどうでも良い。
 機体が爆発しようが、男には関係ない。
 彼にとって重要なのは、これがテロ事件という形で華々しく結末を飾る事なのだ。
「クソッたれ。殺してやる。良いか、三分だ。三分以内に高度を元に戻さなければ、乗客を一人ずつぶっ殺してやる!!」
『事態が分かってんのか!?』
 ほとんど金切り声の返答だったが、男はさらに錯乱さくらんした声をおおかぶせた。
「そっちこそ分かってるんだろうな! 乗客の命を握っているのはおれなんだ!! 人質は五〇〇人以上いる。半分ぐらいぶっ殺したって、人質のストックは十分保てる事を忘れるな!!」
 言うだけ言うと、男はたたきつけるようにマイクを壁に掛ける。
 そのまま、ずるずると床に腰を下ろした。
 ふところにある、動物の骨のナイフへ手を伸ばす。
 高度は上がるか、それとも下がるか。
 カチカチと歯を鳴らし、男は機体の傾きに全神経を集中させる。

     16

 聖ジョージ大聖堂の一角で、最大主教アークビシヨツプローラ=スチュアートはまゆをひそめた。
「……妙なりけるわね」
「何がだ」
 応じたのは、騎士団長ナイトリーダーだ。
 ローラはモニタではなく、かたわらにあるホワイトボードへ目をやる。イギリスの地図といくつかの丸い磁石がり付けてあるのだが、磁石はひとりでに地図の上を進んでいる。
「例の旅客機が高度を上げたるのよ。不時着を取りやめたるとしか思えぬわ」
「貴様の命令で幻術を解いたのではないのか?」
「違いけるわよ」
 ローラは独り言のようにつぶやいた。
「幹線道路に不時着させたるまで、幻術を解きたるはずがないでしょう。にもかかわらず、この機に仕掛けたる遠距離えんきより からの幻術は効果を失いたりける。これは……」
最大主教アークビシヨツプ! きんきゆうです!!」
 と、そこへ駆け込んできたのは、『清教派』の幼いシスターだ。
「スコットランド方面から大規模な妨害を確認しました。我々の幻術は、第三者の手によって封じられています!! これでは燃料メーターの表示は元に戻っているはずです!!」
「妨害、だと……?」
 ローラのまゆが、初めて不快げにゆがむ。
だれが、何の目的で……?)
 当然ながら、それは魔術的まじゆつてきな『妨害』という事になる。しかし、くだんのテロリストが魔術とは無縁の『単なる犯罪者』であるのも事実。犯人たちと協力関係にある魔術師がいるとも思えない。
 まして、
「スコットランド地方……。よりにもよって、イギリス国内からの妨害か」
 騎士団長ナイトリーダーの表情は、ローラよりも分かりやすく変化した。
 それは怒りだ。
「フランスの魔術師がいつの間にかまぎれ込んでいたのか、あるいはイギリスの魔術結社が寝返ったのかは知らん。だが、これは貴様の失態だぞ、最大主教アークビシヨツプ。こういうトラブルを未然に回避かいひ するために、貴様はイギリス清教の全権を任されているはずなのだからな」
「……分かりているわよ」
 そして、表情には出ないものの、ローラ=スチュアートの中にも確かに激情が渦を巻いていた。彼女は何らかの感情を含みながら、告げる。
「この件、ただの派手好き不良どもだけでなく、まだ何かありけるわね」
 ローラは指をパチンと鳴らした。
 気がつくと、彼女の真後ろにオレンジ色の光点があった。それは煙草タ バ コ先端せんたんいた火だ。口のはしで煙草をくわえた魔術師に向かって、ローラは言う。
「念のため、例のスカイバス365に布石を打ちておきたいわね。必要な物は?」
「そうですね」
 煙をき出し、赤い髪の神父は静かに言った。
「では、輸送機を一機ほど。武力をつかさどる『騎士派きしは』の方から空軍へ連絡していただけますか?」

     17

 男は顔を上げた。
 機体の傾きが変わった。先ほどまでとは反対に、機首の方が上になる。
 高度が再び上がっているのだ。
(不時着は……回避かいひ された?)
 はぁはぁと荒い息をきながら、男は周囲を見回す。
 コックピットの方で何らかの操作をされたのか、甲高かんだかいブザーが途切れた。様々な国の言語で、『今のは誤報なので心配はない』というむねの自動アナウンスが流れていく。
(何とか……なったか)
 ビジネスクラスとファーストクラスの間にある『壁』のエリアで、男はようやく肩の力を抜いた。テロ計画はほとんど手詰まりだが、まだ決定的な『失敗』とはなっていない。貨物室へつながるハッチの開け方さえ分かれば、十分に挽回ばんかいできる。
 そこへ、

「ここにいたのか」

 男はギョッとした顔で、声のした方を見た。
 ビジネスクラス側の入口に、ツンツン頭の東洋人が立っていた。
 上条当麻かみじようとうまは、実はあまり事情を理解していなかった。
 きんきゆうブザーを押したのは彼自身だが、その後、旅客機の高度が急激に下がった事については身に覚えがない。もしかすると、機長たちが何かしたのだろうか。
 とにかく、機内にある程度の混乱を起こして犯人を揺さぶった上条は、男が何らかのイレギュラーなリアクションをしないかどうか、あちこちを見て回っていた。
 そして、見つけたのだ。
 ビジネスクラスとファーストクラスの間にある『壁』のエリア。
 そこにあるマイクをつかみ、コックピットに向けて怒鳴り声を出している男を。
「……、」
 男はほんの数秒・上条の顔を呆然ぼうぜんと眺めていた。
 それからふところへ手を伸ばす。
 おそらく入っているのは動物の骨のナイフだろう。
 丁寧ていねいに削って角度をつけ、動脈を切断したり内臓を突き刺す程度の鋭利さを秘めた、金属探知器では見つけられない刃物。
 だからこそ、上条は男が懐から手を抜く前に動いた。
 ダン! と勢い良く至近距離きより まで近づくと、ナイフを抜くために曲げていたひじへ、自分のてのひらを思い切り押し付ける。
 ぐぐっと押し出される自分の腕の動きを見て、男の体が強張こわば った。
 日本語が通じるかどうかもお構いなしに、上条は男の間近でこう言った。
「自分の刃で腹を刺されたいか」
「ッ!?」
 冷や汗をかいた男は、上条の腕を振り払うように、自分の体を大きく回そうとした。しかしその前に、上条は自分の頭を一度後ろへ引くと、勢い良く額を男の頭へ打ち付ける。
 ゴン!! という轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 男の体がふらつく。
 上条はさらに開いた距離を埋めるように、勢い良く膝蹴ひざげ りを放つ。
 直撃ちよくげきし、腹を中心に男の体が浮いた。そのままゴロンと床を転がる男へ追撃を仕掛けようとしたが上条だつたが、
「……、」
 男の手が、今度こそスーツの懐へ伸びた。
 そうしたまま、男はうっすらと笑う。
「文句はねえよな」
 フランス語で上条には分からなかったが、何やら勝ち誇った台詞せ り ふらしい事だけは伝わった。
 身動きを取れない上条に、男は懐から勢い良くナイフを抜く。
 どう考えた所で、素手と刃物なら、刃物を持っている方が有利だ。最悪、相打ち覚悟で突っ込んでしまえば、男はなぐられるだけで済むが、かみじようの方は腹を刺されて死ぬ。

 ……はずだったのだが。
 問題の動物の骨のナイフは、上条の膝蹴ひざげ りを受けて根元から折れていた

「……、マジかよ」
 男はグリップだけになったナイフを、未練がましくにらみつける。
 それから、彼はハッと顔を上げた。
 岩のようなこぶしを握り締めた上条当麻とうま が、ゆっくりと近づいてきた所だった。
 彼は言う。
 伝わらないだろうと分かっていながら、えて日本語で。

 「文句はねえよな?」

 ガンゴンバギン!! と、こぶしを振り下ろす音が連続した。
 上条当麻にしてはめずらしく、一撃いちげきでは済まさなかった。

     18

 ビジネスとファーストクラスの間にある『壁』のエリアにある小さな部屋で、テロリストの男は上条の手でしばられ、転がされていた。
 燃料メーターの数値が急速に減じていた、というのはどうやら機長たちの誤読だったらしく、問題はなかったようだ(とはいえ、機長はやたら不機ふきげんで上条と話す気はないらしく、金髪ナイスバディなフライトアテンダントさんから伝え聞いた話なのだが)。今は不時着をやめ、高度を上げて、当初の予定通りエジンバラ空港へ向かっている。
 男に首を絞められていたインデックスの事が心配な上条だったが、当の本人はというと
「ビーフオアフィッシュ、ビーフオアフィッシュ! 問題が解決したなら後はひこーきのご飯を食べるだけなんだよ!!」
「……インデックスさんよ。ナイフ突きつけられて首絞められてのどに青黒いあざを残している訳ですが、随分ずいぶんと平和的なコメントですね」
 そんなこんなで、すベては順調のはずだった。
 だが、
「……、」
「どうしたの、とうま?」
 何かがしっくりこない。一つ一つピースをはめていたはずのジグソーパズルなのに、絵が完成する前にピースがなくなってしまったような、不自然な感じだ。
「そういえば、あいつは何でこんなタイミングでテロを起こそうとしたんだろう」
「それは、反イギリス系のグループらしいですから、イギリスの上空で問題を発生させたかったのでは?」
 フライトアテンダントさんが怪訝け げんな顔になる。もしかすると、乗客のかみじようにこれ以上動き回ってほしくないのかもしれない。しかし上条は首をひねったまま、
「でも、あいつはイギリス国内に不時着されそうになったり、時間切れで交渉を中断せざるを得ない状況におちいる事を恐れているみたいだった。……さっさと事を起こしていれば、それだけ『交渉時間』にもリミットにも余裕を持たせられた。そうすれば、『犯人側からのアクション』をいっぱい起こして、イギリス側を揺さぶる事もできたかもしれないのに」
「どっちみち、もうテロリストはいないんだよ。気にする必要はないんじゃないの?」
 それよりもビーフオアフィッシュ!! と叫ぶインデックスを、フライトアテンダントさんが笑顔でなだめている。
(考えすぎなのか……? さっさとハイジャックをしていたとしても、パイロットの手で空路上にある国の空港へ強制着陸させられた可能性もあるし。でも……)
 上条はゆっくりと歩きながら考える。
(もしも、このタイミングでなければテロを起こせないような必然性があったとしたら、それは何なんだろう。イギリスの航空会社に脅迫きようはくメールを送る、マスターレコーダーを指示通りに破壊は かいさせるっていうだけなら、イギリス上空で問題を起こす必然性はない。どこで墜落ついらくしようが、『イギリスに向かう便が攻撃こうげきされた』という事実は維持できるはずなんだから)
 そもそもテロリストたちだって、その場限りで適当に思いついた事を実行している訳ではないはずだ。現に、ほかの便で一五秒間ほどエンジンを止めて、不時着安定装置をきちんと使えるかどうかをテストしているぐらいなのだから。
 彼らは何度も何度も計画をシミュレートし、考えられる限り様々な状況に対応できるように練ってきたはずだ。それが、『不時着安定装置が使えないから計画は中止』で終わるのか。
 何か。
 保険となるべき第二プランは存在しないのか。
(……一〇時間近いフライトの内、わざわざ最後の一時間をねらってテロが決行された理由)
 その間に、何か特別な事が起こったかと言われれば……。
(そうか。途中でパリの空港に寄って、追加の荷物を積み込んでいる!!)
 ついに、上条は立ち止まった。
 怪訝そうな顔をするインデックスとフライトアテンダントさんに、彼は言う。
「……まだいるぞ」
「?」
「貨物室だ!! あいつは、パリの空港で荷物の積み込みが終わるのを待ってから、テロを実行しようとした。その理由は何故なぜか。荷物にまぎれ込んで、あいつの仲間がスカイバス365に入ってくるのを待っていたからだ!!」
 かみじようの言葉に、インデックスとフライトアテンダントさんの二人はギョッとした。
「普通の乗客として飛行機に乗ると、武器を持ち込めない。だからあいつの仲間はコンテナの中に紛れる形で、このスカイバス365へ乗り込んだ。問題が起きて第一プランが実行できなくなった時は、外からしか開かないハッチを開けてもらって第二プランに移れるように」
「九時間近くもフライトしておいて、一切攻撃こうげきがなかったのは、フランスで仲間と合流するためだった……? だからコンテナを積み込んでから行動を始める事になった、という事ですか」
「だとすると、このままじゃマズい」
 上条は靴底で床をコツコツ叩きながら言う。
「普通のチェックをくぐり抜ける形で貨物室に乗り込んでいるんだ。ボディチェックなんてしている訳がない。貨物室の敵は、銃や爆弾で武装している可能性が高い。そして計画が失敗したと分かれば、その火力でみんなを道連れにするかもしれない」
 大型旅客機の飛んでいる一万メートルの高空は、とにかく空気がうすい。人間では呼吸が難しいほどだ。そのため、旅客機の中は人工的に気圧を調整して、人間が過ごしやすいようにされている。ちょうど、風船の中に空気を入れるようなものだろうか。
 銃弾は、その風船である旅客機の胴体へ、簡単に風穴を空けてしまう。そうなったらおしまいだ。飛行機の中にある空気は一斉に外へ逃げ出すために動き、結果として小さな穴を内側からめくり上げ、飛行機そのものを大破させてしまう。
「……貨物室への入ロは、あそこしかないのか?」
「え、ええ。ロックを開けるには、副操縦士以上のカードキーが必要になりますけど」
 貨物は専門ではないのか、フライトアテンダントさんは、やや不安そうな表情で答える。
「カードキー、か。……あの機長に協力を求めるのは、もう難しそうだな」
 そもそも、機長は『アーチェリー』という飛び道具を持っているのだが、それも貸してもらえないだろう。一応はテロリストを倒して名誉を回復した上条だが、個人的な感情まで修復できているとは思えない。
 すると、フライトアテンダントさんはこんな事を言った。
「……機長は難しいかもしれませんけど、副操縦士の方にたのめば、カードキーは何とかなるかもしれません」
「……そうなのか?」
流石さすがに、『アーチェリー』までは無理でしょうけどね」
 申し訳なさそうに言うフライトアテンダントさんだが、かみじようとしては、貨物室のハッチが開くだけでもありがたい。
「それから、スカイバス365の貨物室は三つのブロックに分かれています。フランスで積んだ荷物はすべて、真ん中のブロックに集中されているみたいですね」
 となると、やはりそこにいる可能性が一番高い。
 しかし、入口が一つしかないとなると……。
「……ドアを開けた直後が一番ヤバそうだな」
「でも、ほかに出口なんて……」
 言いよどむフライトアテンダントさんに、上条は言う。
「そうだ。通気用のダクトは使えないか?」
「そんな、映画のようにはいきませんよ。スカイバス365のダクトの口径は、三〇センチ四方しかありません。とてもではありませんが、人が通れるようなスペースは……」
「いや、それで良いんだ」
「?」
「どういう事、とうま?」
 キョトンとするフライトアテンダントさんとインデックスに、上条は言う。
「フリードリンクに、コーヒーと紅茶のボトルがあったよな。あれを持ってきてくれ。冷めているなら、電子レンジでも何でも良いから、とにかく温め直してもらえると助かる。とにかくムチャクチャ熱いヤツをたのむ」

     19

 貨物室には、四角いコンテナがいくつも並べられている。
 といっても、港のタンカーに乗せられるような、細長いものではない。一辺が二メートル程度の、サイコロのような立方体だった。素材も鉄ではなく、もっと軽いアルミ製。銀色の表面に、航空会社のロゴがり付けられている。
 それらのコンテナの一つだけ、扉が開いていた。そして、開いたコンテナの壁に背中を預けるように、一人の男はたたずんでいた。
 エーカー=ルゴーニ。
 パリ国際空港の作業服を着込んでいるものの、その手には最新のけんじゆうが握られていた。足元のバッグの中には、手榴弾しゆりゆうだんやプラスチック爆弾などの爆薬も詰まっている。とはいえ、これらを使うのは本当に最悪の場合なのだが。
 可能なら、ありきたりな武器は使わない方が良い。
 実はエーカー達は、今回の計画を実行に移すにあたって、複数の組織から情報や隠れ家の提供など様々な協力を受けている。それは『銃器の持ち込みの難しい旅客機で、武器らしい武器を使わずにハイジャックを成功させる方法を確立し、協力してくれた組織へノウハウを教える』事を条件としていた。
 従って、『不時着安定装置』を利用した未知のテロを成功させなければ、彼らは笑い者になってしまう訳なのだ。
 だが、その第一候補は成功するきざしがない。
 おそらくスカイバス365を使った『交渉』は失敗した。イギリス側はこちらの要求には答えないだろうし、このままではダメージを与える事にもならない。
 第二候補、つまり最悪の時は近づきつつあった。
(……頃合ころあ いか)
 簿暗うすぐらい貨物室で、エーカーは太い腕に巻いた腕時計に目をやる。そろそろエジンバラ空港に着く計算になるが、いまだに客室にいるはずの仲間のミュッセに動く様子はない。怖気おじけ づいたか、何らかのへマをしたか。どちらにしても、計画が順調に進んでいる感触はない。
 最悪でも、この機だけは落とす。
 爆薬を使えばハッチを破る事もできるかもしれないが、彼はそんな回りくどい事はしない。
 エーカーは、あと五分、と己に定めた。動きがなければ、貨物室の壁へ攻撃こうげきを加える。外壁に風穴を空ければ、後は空気の力が勝手にスカイバス365を破壊は かいしてくれるだろう。中途ちゆうと半端はんぱ な結果しか出せず、エーカーたちは後々まで笑い者にされるだろうが、それでも何も結果を残せないよりは良い。
 その時だった。
 ベコン、という音が聞こえた。金属の板をへこませるような音だった。それは一回ではない。二回、三回と音は連続している。
 音源を探したエーカーは、やがて頭上に顔をやった。
 金属板の音はそこから聞こえた。てんじように張り巡らされているのは、ダクトだ。その板が、ゆがむのだ。一ヶ所だけでなく、まるで少しずつ移動しているかのように。
(……まさか、本気で……? しゆうのつもりなのか……?)
 映画などでは良くある話なのだが……スカイバス365のダクトは、人間が通るにはあまりにも小さく、そして簿うすかった。一つしかない出入り口を使って正面から突っ込んでくるのが自殺行為……というのは認めるが、狭すぎるダクトの中で詰まって身動きが取れなくなる、というのも同等の間抜けさではないだろうか。
 エーカーは頭上にけんじゆうを向けた。
 ベコン、ともう一度鳴った。
 彼は慎重にねらいを定め、金属板が歪んだその一点へと立て続けに銃弾を放った。
 ダンダンダン!! という銃声が連続した。
 原油高で燃料費も高騰こうとうしているのか、ダクトの壁はやたらとうすかった。そして、簡単に空いた指先ほどの穴から、熱い液体がこぼれてきた。
 そう、熱い。
 ただし、人間の血液にしても熱すぎる。
「な……ッ!?」
 刺すような痛みは、硫酸りゆうさんに触れたように強烈だった。薄い朱の液体の正体は、においで分かった。紅茶だ。今も湯気を放つ、熱湯状態の紅茶が垂れてきているのだ。
 そして、エーカーは気づいていなかった。
 銃声によって開閉音が隠れるようにタイミングを合わせたかみじようが、真正面から扉を開けて貨物室に飛び込んできた事を。
「ようテロリスト。熱膨ねつぼうちようって知ってるか?」
 物体は加熱する事で体積を変える。分かりやすい例が、ステンレスの流しに熱湯を捨てた時にベコベコ音を立てる、あれだ。上条はエーカーの気を引くためダクトに紅茶を流したのだ。
「ッ!!」
 自分に向かって放たれた声に対し、エーカーは迷わず銃口を向けた。
 しかしその前に、上条はき火に向かって水をぶっかけるように、両手でつかんだバケツの中身を思い切りエーカーに浴びせかけた。
 中身はグツグツに煮えたコーヒー。
 頭からかぶればどうなるか、いちいち説明する必要もない。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 絶叫し、のたうち回るエーカーに、空のバケツを捨てた上条は笑う。エーカーが手放したけんじゆうを、軽く蹴飛けとばす。銃は熱湯のようなコーヒーの水溜みずた まりの中へと沈んでいった。
 しかし、エーカーはそこで止まらなかった。
 彼は絶叫しながら両手で上条の襟首えりくびを掴むと、そのまま持ち上げたのだ。両足が宙に浮く感覚に上条がゾッとした直後、エーカーは思い切り床へとたたきつけた。ドッパァン!! という轟音ごうおんと共に上条の背中に衝撃しようげきが走り、彼の口から空気が漏れる。
「ごっ、ぶ……ッ!?」
 上条の息が詰まるが、ご丁寧ていねいき込んでいる暇さえなかった。
 エーカーは腰の後ろへ手を回すと、大振りなナイフを抜いたのだ。
「ッ!!」
 顔面目がけてぐ振り下ろされたナイフに、上条は首だけを強引に振る。耳のすぐ横で、ガキィィン!! という甲高かんだかい音がひびいた。どうやら床を突いたナイフは半分ほど折れたようだが、エーカーは構わず二撃目を振り下ろそうとする。
 上条は床へ手を伸ばす。
 折れた方の刃を指でつかみ、のしかかるエーカーの太股ふとももに突き刺す。
 絶叫がほとばしった。
 ぐらりと横によろめいたエーカーとは反対の方へ転がり、どうにか距離きより を取ろうとするかみじよう
 しかし、それが失敗だったとすぐに気づいた。
 片膝かたひざをついたエーカーの近くには、コーヒーの水溜みずた まりがあった。そして今も湯気を出し続けている水溜まりの中央には、上条が先ほどったけんじゆうが沈んでいたのだ。
 エーカーは迷わず掴んだ。
 一口に拳銃の材質と言っても色々だが、エーカーが持っていたのはステンレス製だ。当然、熱を良く通す。熱湯の中に沈んでいた銃は、まるで灼熱しやくねつの石のようになっているはずだったが、エーカーはそれを強く握りめた。そこには憤怒ふんぬ の表情しかなかった。
「……この機は、落とす」
 全身に火傷や け どを負ったエーカーは、自分に話しかけられた言葉に合わせたのか、わざわざ日本語で上条に言った。
「ユーロトンネルの爆破によって、我々フランスは多大な損害をこうむった。だからこそ、ヤツらにも同じ分だけ財を失ってもらう。陸路に続いて、空路も封じる形でな……ッ!!」
「イギリスがやったなんて証拠は、どこにもねえんだろ」
 周囲には多くのコンテナがある。その中には武器になる物だってあるかもしれない。しかし、わざわざ開けて中を確かめるだけの時間を、エーカーは許さないだろう。
「そもそも、島国のイギリスが唯一の陸路を自ら破壊は かいする訳ねえだろ!! そんな事をしたって、自分で自分が損をするだけだ。現に今だって苦しんでいるじゃねえか!!」
「それが、そうとも限らない」
 灼熱の拳銃に、ほとんどてのひらの表面を融合ゆうごうさせながら、エーカーは言う。
「ユーロトンネルは過去に建造中止された事がある。軍事や政治の問題でな。あのトンネルはフランスとイギリスをつなぐ重要な陸路だが、いまだにその有効性を認めようとせず、ユーロトンネルを遮断しやだんしようとしている連中もいる訳だ」
「……、」
「我々はイギリスと手を結ぶ友好のあかしとして、ユーロトンネルの管理業務を共同で行う事にした。にもかかわらず、連中は一方的にその流れを断ち切ったのだ!!」
「……その話には、根拠があるのかよ?」
 上条は、慎重にロを開いた。
「イギリスが悪いとか、フランスが悪いとか、いがみ合う理由なんて、本当にあるのかよ! ここにあるコンテナの中身については、フライトアテンダントから話を開いた。普通のご飯を食べられない人たちのための流動食なんだろ。フランスの食品会社の人達が作って、イギリスの人達を助けるために届けられるはずの荷物なんだ!! イギリスとフランスの関係って、そういうものなんじゃねえのかよ? 世界中にいるすべての人間が、テメエみたいに陰謀いんぼうだの何だのに付き合うとでも思ってんのか!!」
「確かに、イギリス国民の全てが悪いのではないかもしれないが、どこにでも馬鹿ばかはいる。善良な民衆の中に混じっているからと言って、その馬鹿を見逃してやるつもりはない」
 エーカーは言いながら、けんじゆうの引き金にかかった指に力を込める。
 感覚が麻痺まひしたのか、彼はどこか笑っていた。
「どのみち、お前はここで死ぬ。だからお前が悩むような問題じゃない」
「……てんのかよ。コーヒーの中に沈んでいた拳銃だぞ」
近頃ちかごろの拳銃は、泥水の中に三〇分け込んでも、そのまま取り出して発砲できる。水でらした程度で弾が出なくなるとは思わない事だ。この辺りが、銃にうとい日本人の考え方だな」
 言いながら、エーカーは迷わず引き金を引いた。
 かみじようは思わず目をつぶりそうになったが、かろうじてそれを押さえつけた。
 そして、

 ガキッという音が聞こえた。
 それ以上は何も起こらず、銃口から弾が飛び出す事はなかった。
 安全装置がかかっているのではない。弾が切れている訳でもない。
 二度、三度と引き金を引き、呆然ぼうぜんとするエーカーの目の前で、上条はみぎこぶしを握りめる。
 彼は言った。
熱膨ねつぼうちようって知ってるか?」
「ッ!?」
 返事を待つより早く、上条の拳が飛んだ。ゴッ!! という鈍い感触が、エーカーの顔から全体へと拡散した。それでも彼は倒れない。上条はさらに左の拳を握る。
「さっきのダクトと同じだよ。物体は加熱すると体積を変える!」
 左の拳が飛ぶ。
 なぐられたエーカーの頭が、後ろへ揺らぐ。
「銃のパーツだって似たようなモンだ! 熱湯の中に浸け込んでりゃ、細かいパーツの一つ二つはゆがんじまうだろ!!」
 さらに続けて放たれた上条の右拳が、今度こそエーカーの体をぎ倒した。
 ふう、と上条は息をく。
 元々、銃器は火薬を破裂させる事で、その小さな爆風を使って弾丸を射出する。一〇〇発、二〇〇発と撃ち続ける事で加熱される事もあるため、ある程度は熱に強くできている。しかし逆に言えば『普通に銃を撃っているだけでは熱くならない場所』は弱点になりかねないのだ。
(……とはいえ、本当にきちんと動作不良を起こすかどうかは、ほとんどけだったんだけどな。不幸なのか幸運なのか……いや、テロリストと遭遇そうぐうしている時点ですでに幸せじゃねえな)
 ともあれ、ここから怒涛ど とうの三人目が現れたりしない限り、ひとまずスカイバス365の危機は去ったと考えて良いだろう。
 ようやく肩から力を抜いたかみじようだったが、

 ガサリ、という物音が聞こえた。

 上条はそちらを見る。
 なぐり飛ばされたはずのエーカーが、静かに起き上がろうとしていた。そして彼の足元には、バッグがあった。その中をまさぐっていた手が、抜かれる。中から出てきたのは、手榴弾しゆりゆうだんだ。
「……ッ!!」
 上条は慌ててエーカーの腕を押さえつけようとしたが、エーカーの動きの方が早い。彼はものすごい笑顔を浮かべると、片手で持った手榴弾のピンへ、もう片方の手を伸ばす。
 このままでは起爆する。
 狭い空間では、上条に逃げ道はない。それに、おそらく対人殺傷用だろうが、確実にスカイバス365の外壁にダメージが加わる。もしそうなったらおしまいだ。この旅客機は落ちる。
 その時だった。

『まったく、相変わらずの素人しろうとだね。君は殺す事を迷うから、周りまで危険にさらすんだよ』

 声が、聞こえた。
 それは上条の見知った男の声だった。
 エーカーはこの不可思議な状況にまゆをひそめたが、それでも手榴弾のピンを抜く動きを止めようとはしなかった。
 そして、

     20

 コックピットで操縦桿そうじゆうかんを握っていた機長はまず音に気づき、怪訝け げんな顔でレーダーを見て異様に小さな点を発見し、それから窓に視線を移し、ビクリと肩をふるわせた。
 ステルス性能でもあるのか、真っ黒で巨大な輸送機がすぐ近くを飛んでいた。
 互いの間隔かんかくは一〇メートルもない。まるで空中給油を受けるような格好だが、それは小さな戦闘機せんとうき だからこそ許される芸当だ。八〇メートルクラスの大型航空機同士がこの間隔で空を飛ぶなど、アクロバットどころのさわぎではない。ほとんど自殺行為だった。

 ビジネスクラスの通路を歩いていた金髪ナイスバディのフライトアテンダントは、窓の外を見ておどろいていた。輸送機の後部が開き、そこから何かがばらかれていた。紙吹雪かみ ふ ぶ きのように高空を舞っているものの正体は分からなかったが、彼女は無邪気に綺麗き れいだと思った。

 貨物室につながるハッチの前でかみじようの帰りを待っていたインデックスは、周囲のさわぎに引き寄せられるように窓の外へ目をやり、そして愕然がくぜんとした。彼女の持つ一〇万三〇〇〇冊分の魔道ま どうしよの知識は、紙吹雪のように舞うものの正体が、ルーンのカードである事を看破していた。

 そして、
 貨物室では、エーカーのすぐ近くの壁で、異変があった。
 ズン!! という音。
 オレンジ色の何かが、壁から噴き出した。それは剣だった。炎で作られた一本の剣が旅客機の外壁を貫通し、機内にまで到達したのだ。
 炎剣はエーカーの服をがしたが、肉体までは破壊は かいしなかった。
 そして炎剣を生み出した張本人は、結果のしなどお構いなしに、炎剣を引っ込める。
 直後だった。

 ゴッ!! と空気が荒れ狂った。
 貨物室にあるすべての空気が、エーカーの間近に空いた穴に向かって動き出したのだ。

 当然、真っ先に被害を受けたのはエーカーだった。
 まるで乱暴にドアを開閉するように、エーカーの体が壁に突っ込んだ。彼の腹が、航空機の穴に吸われていた。普通なら内部からバラバラになるはずだったスカイバス365という大型旅客機は、エーカーというふたを得る事でかろうじて崩壊を免れているのだ。
 ただし、
「ぐごごごごごごごごごががががががががががががががががァァあああああああッ!?」
 常時肉体を吸われ続けるエーカーが絶叫する。
 それは文字通り、腹の肉をむしり取られるようなものだった。
 ちやちやな状況に目をみはる上条に、炎の魔術師まじゆつしの声だけが聞こえる。
『エジンバラ空港まであと一〇分だ。それぐらいならそいつの命もつんじゃないかな。……まったく、曲がりなりにも「あの子」の管理業務を負っているんだから、これぐらいの覚悟は見せてほしいものだね』
 言うだけ言うと、通信のような声は唐突に消えた。
 しばし呆然ぼうぜんとしていたかみじようだったが、絶叫するエーカーがまだ手榴弾しゆりゆうだんを手にしている事に気づいた。彼はほとんど泡を吹きながらも、必死でピンを抜こうとしている。
 それを、上条は片手で払った。
 手榴弾は、面白おもしろいほど簡単に遠くへ転がっていった。
 最後の抵抗を失ったエーカーの背中を押さえつけながら、上条は笑ってこう言った。
「頑張れ」

     21

 黒幕はそんなニュースをテレビでていた。
 イギリス北部、スコットランド地方にあるエジンバラ空港に着陸したスカイバス365は、一時的に危険な状態にあったものの、乗員乗客の協力によって無事に問題を解決したようだ。そんな明るいニュースを眺める一方で、黒幕は様々な資料に目を通す。
 黒幕が気に留めたのは、輸送機という項目だった。
 事件を解決するために、イギリス空軍の輸送機が一機貸し出されている。
 それもレーダー断面積の極めて小さい、学園都市の技術を借りたステルス輸送機だ。
 思わずため息をつく。
 イギリスという国は限界だ、と黒幕は考えていた。
 この程度の問題を解決するのに、学園都市の力や技術を借りなければならないという事態に、落胆していたのだ。こんな状態で、本当に強い国になどできるものか。イギリス清教とローマ正教の戦争などというのは、やはり夢物語だったのだ。……少なくとも、他人の力を借りて戦うような連中に舵取かじと りを任せているようでは。
 黒幕はテレビを消して、資料を束ね、丁寧ていねいに整理しながら静かに思った。
 ――やはり、我々が動くしかなさそうだ、と。

   行間 二

 よう。
 これで二回目か。またアンタに助けられるとはな。
 そうだよ。ロシア成教の支配地域から無事に亡命できたと思ったんだけどさ。ローマ正教とロシア成教が手を組んじまっただろ。おかげでローマ正教の支配地域だったはずのフランスにもロシア成教のヤツらの手が伸びてきた。ま、そんなこんなで大ピンチだったって訳だ。こういう逃走劇は、じーちゃんの老体にはこたえるぜ。
 せっかく組織を再編して名前も変えたっつーのに、占星施術旅団せんせいせじゆつりよだんはおかげさまで大人気だ。
 で、今度は礼ぐらいはさせてもらえるんだろうな。前ん時は……そりゃ、ワシらも自分たちの事で必死だったが、それにしたってアンタが何も言わずに消えちまったモンだから、これでも結構後悔していたんだぜ。
 そうそう、アンタはワシらをたよってくれれば、それで良い。
 必要なのは……武器ねえ。
 しかしまぁ、アンタが自分の武器を失うってのは、一体どんな事情か……ってのは聞かねえ方が良いのか。にらむなよ。ヤバいエピソードだっつーのは想像がつく。
 ただまぁ、武器については良いもんが揃ってるよ。こっちもロシア側からの束縛そくばくが消えて、自由に世界を渡ってきた身だ。古今東西のいろんな道具に触れて、仕入れて、取り引きしている。アンタ好みの、怪物サイズの珍品ちんぴんだって取り扱ってる。
 いくつか出しておくから、好きにテストしてみりゃ良い。
 武器の方がこわれるって? あのな。アンタに借りを返すって場面で、そんな半端はんぱ なもんを持ち出す訳ねえだろ。今から見せんのは一級品なんつー、そんな次元の安物じゃねえんだよ。正真正銘しようしんしようめい業物わざものだ。歴史に名を残すどころか、歴史を作りかねないレベルのな。
 ……いや待てよ。ここまで下手に前振りしてあっさり壊れちまったら、ワシの立場がねえな。ちょっとこっち来い。今から出し惜しみなしのナンバーワンの武器がある所まで案内してやるから。
 あん? 別にもったいぶってんじゃねえよ。ありゃあワシ一人じゃ持ち運べるような物じゃねえんだ。重機使えば移動できるけど、そんならアンタを連れて行った方が手っ取り早いだろ。
 こっちだこっち。
 そうそう、この荷台。ローブを解いて、布を取り外してっと。
 どうだ。
 自分で言うのもなんだが、すげえだろ?
 聖剣アスカロンだよ。
 ハハッ。怪訝け げんな顔をしてんじゃねえよ。ワシだって分かってる。本物の伝承に、そんな名前の聖剣は存在しない。こいつは一六世紀未にとある作家が勝手に作っちまった『聖剣の物語』に基づいて、本物の魔術師まじゆつしが手掛けた霊装れいそうさ。『作中に登場する全長五〇フィートの悪竜が実在するものとして、その悪竜を斬り殺すために必要な剣の理論値とは何か』を徹底的てつていてきに計算し尽くして作り上げた、正真正銘しようしんしようめいの怪物兵器だよ。
 全長三・五メートル、総重量二〇〇キロのはがねかたまり
 とある作家は片手で扱えるフォールションだって書いてやがったが、ちゃんと理論に基づいて悪竜殺しの聖剣を算出すると、こんな馬鹿ばかげたサイズになっちまうって訳さ。
 持って行きな。アンタほど似合う持ち主もいねえだろ。
 だがまぁ、そっちも大変だな。
 アンタがワシら『元』占星施術旅団せんせいせじゆつりよだんを助けたのは、単なるイレギュラーな出来事だったはずだ。本来接触する予定じゃなかったワシらに武器の調達を依頼い らいしている時点で、アンタが急いで戦う準備を整えようとしてんのは目に見えてる。
 まぁ、何を言ってもアンタは戦いに行くんだろうけどな。それならワシは止めねえよ。ただ、出かけていく前に一つだけ、アンタに渡しておく物がある。イギリスに住んでる、とある職人から預かっていた物だ。あいつもワシと同じで、いきなり消えたアンタを簡単には忘れられなかったみたいだな。アンタは図面を破棄はきしろと言ったみたいだが、あのジジィ、こっそり完成させてやがったぞ。
 ハハ、何だよ。
 物を見るなり、そんなにしかめっつらするんじゃねえ。
 いろんな事情があったとはいえ、元はと言えば、アンタが職人に依頼したものなんだろう?
 その盾の紋章エスカツシヤン

第三章 イギリス迷路の魔術結社 N∴L∴

     1

 そんなこんなでエジンバラ空港に到着である。
 エジンバラはスコットランド――イギリスの北の地方にある街の名前だ。ちなみにロンドンは南。今からさらに国内線の飛行機に乗り換え、ロンドンの空港へ行く必要がある。
「しっかし、いっぱいテレビカメラが来てたな。やっぱテロがあったからか?」
 出入国ゲートを片言の英語で何とか乗り越えたかみじようは、携帯電話の画面で現在の時刻を確認しようとして、
「ん? ああそうか、時差の調節しなくちゃならねえのか」
 おそらく世界の主要都市の時間に一発で切り替えられる機能みたいなものもあるのだろうが、生憎あいにくと上条は携帯電話の分厚い説明書とかあんまり読まない人である。彼は携帯電話をポケットにしまうと、辺りをキョロキョロと見回し、壁に掛けられた時計を発見する。
「……夜の八時かー……。また最終便に近かったりしないだろうな……」
 飛行機の事情にあんまり詳しくない上条は思わずつぶやいてしまう。
 と、
「……とうグルまグルル……」
「ひっ!? い、インデックスさん!! わたくしの名を呼ぶ合間合間にけもののようなうなり声を感じるのですが!?」
何故なぜなら空腹で空腹で空腹でぶっ倒れそうだからなんだよ!! なんか結局ビーフオアフィッシュは有耶無耶うやむやにされて何にも食べていないし! これ以上は死んじゃう!! 何か食べなきゃホントに死んじゃうーっ!!」
 相変わらず修道服ではなくワンピースを着ているインデックス(国内線とはいえ、飛行機にあの安全ピンだらけで乗り込むのは色々マズそうなので)は、両手をバタバタ振って全力のアピール。対して、上条はスーツケースに腰掛け、うーむと両腕を組んで、
「国内線でも機内食は出るんじゃね?」
「出ない気がする!! 根拠はないけど次も出ない気がする!!」
 ……確かに、国内線のフライトスケジュールを見る限り、エジンバラ - ロンドン間の飛行時間は一時間もない。もしかすると、わざわざご飯なんて用意していないかもしれなかった。
 上条、さらにうーむと考えて、
「……駄目だめだ。おなかがすいた。なんか食べに行こう」
「とーォうまアァあああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
「喜び過ぎてて怖えよ!! ヒトミん中が星だらけ! お前、ここ一番のダイナミックな笑顔になってるぞ!!」
 とか何とか言い合いながら、かみじようはインデックスを引き連れて、空港内の軽食コーナーを探すためにウロウロ開始。携帯電話のアプリである程度英語を勉強し始めているものの、相変わらず『実用』には程遠い。が、案内板にあるナイフやフォーク、コーヒーカップみたいな記号をたよりに広い空港を歩いていく。
(……確か、土御門つちみ かどから渡された荷物の中に、イギリスの通貨が入ってたっけ。まぁ、ここで少し使っちまっでも必要経費だよな)
「とっ、とうま! 向こうの方からコーヒーのにおいがするんだよッ!!」
「ええー? そんなん別に感じないん――なにィ!? 本当に角の向こうに喫茶店が!!」
 上条の視線の先に、全面ガラス張りになったちょっとお酒落し や れなコーヒーショップが。……本当に旅慣れた人から言えば、わざわざイギリスまでやって来て、日本にも展開されているチェーン店っていうのもアレだろう、というさらなるツッコミが待っていそうな気もするが、平凡な小市民(テロ事件解決に尽力)である上条当麻とうま からすれば『ワーォご飯だーっ!!』という感じである。
 まるで普段ふ だんのインデックスだな、と言うなかれ。当の彼女はと言えば、
「☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆!!」
「うわっ、うわっ、うわぁーっ!! インデックス、なんか言葉にならなくなってるぞ!! すごいひとみ! すごいまゆ! すごいくちびる! 総じて言えばすごい笑顔!!」
 これは一刻も早く喫茶店に入って、ハムとレタスのサンドイッチでもロに放り込むしかないな、と上条は決意を新たにし、彼女の手を引っ張ってガラスの入口へと向かっていく。
 その時だった。
 唐突に、上条は後ろから、ポンと肩をたたかれた。
 振り返ると、そちらにいたのは一人の女性だった。年齢は一八歳ぐらい。東洋系の顔立ちをしているものの、平均身長よりも長身だ。長い黒髪はポニーテールにしてあって、束ねた状態でも腰まで伸びている。服装は、片脚だけ根元からスッパリ切ったジーンズに、へそが見えるように絞ったTシャツ。さらにその上から、同じく片腕だけしゆつするよう切断されたジャケットを羽織はおっている。……そうした特徴的な服装以上に、何よりも西部劇のガンマンのようにベルトでげた馬鹿ばかデカい日本刀『七天七刀しちてんしちとう』が全部をかっさらってしまっている。
 お久しぶりです、と彼女の唇が動いた。
 それを聞いた上条は、こう返答した。

「な、何故なぜ堕天使だ てんしエロメイドがこんな所に……ッ!?」

 その声を聞き、日本刀ガール神裂かんざき火織か おりはブゴゥ!! と、いきなりき込んだ。ガハゴホと呼吸困難におちいっている神裂は、半ばあえぐように息を吸い込みながら、必死にくちびるを動かし、
「えっ、英国王室からの要求で、あなたとインデックスをロンドンにある王家の住居・バッキンガム宮殿まで連れてくるようたのまれたからです。そもそも、学園都市が用意した超音速旅客機の直行便に乗っていれば、こんな事をする必要もなかったのに……」
「いや、理由になっていない。この局面で、堕天使エロメイドでなければならない必然性は特にないはずだ……ッ!!」
「私は堕天使でもエロでもメイドでもありませんッッッ!! た、確かに、アックア戦の後に、恩を返すために、い、い、色々やりました。それは認めます。だが人の顔を見るなり第一声が堕天使エロメイドとはどういう事なのですか!?」
「仕方がないだろ!! 実際に堕天使みたいなエロメイドだったんだから!!」
「詳細に思い出しながら錯乱さくらんするのはやめなさいっ!! かっ、顔を真っ赤にするなーっ!!」
 神裂はかみじようが両肩をつかんでがくがくと揺さぶったが、何だか上条の方は神裂の目を見れない感じである。
「とっ、とにかく!! 今の私はそんないかがわしい存在ではありません! イギリス清教の使
いにして、新生天草式あまくさしき十字じゆうじ凄教せいきよう女教皇プリエステスとしてあなたたちのお迎えに来たんです恥ずかしくないっ!!」
「それもそれで色々マズいっつーか、そもそも日本刀ぶらげたまま空港の中をウロウロしているってどうなんだ!? もう、今日は何しに来たんだお前! 大体マジュツシってのが二人か三人ぐらい集まるととんでもない事が起こるんだ!! 上条さんに言ってみなさい!!」
 ぎゃあぎゃあと叫び合う上条と神裂。
 と、そこへインデックスが言った。
「とーうーまー……」
 彼女の目は、すぐ近くにいる上条や神裂になど向いていない。その視線の先にあるのは、例のお酒落し や れな喫茶店だ。
「……これ以上延ばし延ばしにされたら、私はとうまを許さないんだよ?」
「ええーっ!! おれのせい!? 違うと思うよ! 旅客機でテロが起こったのも、ここで神裂に話しかけられたのも、俺のせいじゃないと思うよ!!」
 なんと弁解しようが、空腹に支配されたインデックスには届かない。わー、もう一刻も早く神裂との話を切り上げるか、彼女にも一緒いつしよに喫茶店に来てもらうしかねーなーと上条は打算を始めていたのだが、
「そっ、そうですね。ごほん。急ぎましよう。時間も差し迫っています」
 と、エロいメイドこと神裂かんざき火織か おりがそんな事を言ってきた。
 おおっ、話の分かるヤツ!! 空気の読める子ってステキです!! っつーか実はおれも腹が減ってる事に変わりはないんだし!! とかみじようは感動し、早速さつそく喫茶店の方へ足を向けようとした所で、神裂はさらに言う。

「先ほどのテロ事件のえいきようで、旅客機は全便が再点検のために一時欠航しています。ヘリとパイロットを用意していますので、それでロンドンへ向かいましよう」

 ………………………………………………………………………………………………………。
 上条はしばし沈黙ちんもくし、それから神裂の顔へ目をやった。
「……どういうこと?」
「元々、学園都市の超音速旅客機で直接ロンドンの空港へ向かう予定だったでしょう。それを急遽きゆうきよほかの旅客機に乗り換えてしまうものですから、おかげで予定を七時間もオーバーしています。もはや一刻の猶予ゆうよ もありません。今回は英国の正式命令によって禁書目録を召集しているのですから、保護管理責任を負うあなたにもその辺りは自覚してもらわないと。……ちなみに、その子は修道服『歩く教会』の方へ着替えていただきますよ。ヘリの後部座席に着替えるためのスペースは確保させますから」
「……ごはんは?」
「食べている暇などあるはずがないでしょう。さあ、参りますよ。まったく、我々を待たせるだけなら問題ありませんが、事が英国王室の皆様にまで及ぶとなれば話は別です。それにしても、王家の血を引く者との約束を連絡なしで七時間もすっぽかすなんて……『王室派』自身よりも、頭の固い『騎士派きしは』の連中が知ったらと思うとゾッとします……」
 まったくイミのワカンナイ事を言いながら、ずるずるずるずるーっと上条の手を引いて歩き出す神裂火織。上条としては、最優先に伝えるべき事柄は以下の通りである。
「っていうか現場からり返しお伝えしますがご飯は!? さっきからインデックスさんが限界なのです!! このままでは空腹が生み出す怒りのエナジーがものすごい勢いで放出されそうな予感が……ッ!?」
「この子の管理業務はあなたの領分でしよう。あなたが何とかしてください」
他人ひとごとだと思って!! ……っつーか、キレてるでしょ? 堕天使だ てんしエロメイドでいじりまくったからちょっとキレてるでしょそこのお姉さん!!」
「いえ全く。完璧かんぺきと言って良いほど平然としていますからさっさとヘリに乗りますよ」
 世界で二〇人といない『聖人』の握力を使って、神裂は上条の腕をつかんで移動していく。

     2

 英国第三王女・ヴィリアンは広い部屋にたたずんでいた。
 テニスコートの半分ぐらいの大きさのこの空間が、ヴィリアンのテリトリーだった。ていに言えば、彼女の私室である。国の内外どころか自宅の内側でさえ権謀術策けんぼうじゆつさくり広げられる英国王室において、ここだけがすべてをめ出し、一人になれる『安全な場所』だ。
「……そうですか。はい、はい。何にしても、旅客機が無事にエジンバラ空港に着陸できたようで、何よりです」
 ヴィリアンは表面が陶器でできた、アンティークな電話の受話器を握っていた。実際にはバッキンガム宮殿内にある最新鋭の交換器を通じて、巌重なセキュリティ暗号をほどこされているらしいが、詳しい技術については知らない。
 電話の相手は、エジンバラ空港の責任者だ。
 そして、ヴィリアンが目下気にかけているのは、旅客機に積まれた荷物である。
「はい。テロ事件の直後という事で、色々と調べるとは思いますが……可能な限り、迅速じんそくに流動食を各家庭へ配れるように、お願いします。普通の食品をロにできない方々にとっては、文字通りの死活問題でしょうから……はい。一刻も早く、安心させてあげてください」
 ゆっくりと受話器を置くと、ヴィリアンは軽く息をいた。
 正直、諜報ちようほう機関の人間に(暗号の有無などお構いなしに)盗み聞きされていた可能性もあるのだが、聞かれて困るような事は何も言っていない。
 イギリスは複雑な国家だ。
 イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドの『四文化』。
 王室派、騎士派きしは、清教派の『三派閥』。
 この二つの相関図がからみ合って、『連合王国United Kingdom』という統治体制が確立されている。場合によっては同じ『騎士派』でもイングランド出身とスコットランド出身でいがみ合ったり、『王室派』と『清教派』でも同じウェールズ出身者の間でパイプが築かれていたりする。
 第三王女・ヴィリアンが所属しているのは、当然ながら『王室派』。これは、彼女が王室の者として生まれた時からの定めでもある。そもそも、『王室派』の加入条件は、王の家系に連なる者か、その側近として政治的手腕を発揮できる者かの二択になる。国家を代表する三派閥と称されているが、単純な人口だけで言うなら、『騎士派』や『清教派』に比べると極端きよくたんに少ない。
 『王室派』の役割は、議会政治を干渉・掌握しようあくし、実質的に国の舵取かじと りを行う事。『騎士派』や『清教派』のように陰ながら活動するのではなく、警察や軍にも干渉できるため、最も表立った『力』を行使する勢力と言えるだろう。
 とはいえ、第三王女・ヴィリアンには、特に何の権限もない。
 英国の女王の娘である三人の娘は、上から順にこう評されている。
 長女は頭脳。
 次女は軍事。
 三女は人徳。
 ……つまり、ある程度の人望を得ているものの、ヴィリアンには『国を動かす』ほどの切り札が存在しないのだ。先ほどの電話の相手――エジンバラ空港の責任者にしても、『こんなにも気を配ってくれるなんて、お姫様はなんて優しいんだろう』などと思っているかもしれないが、だからと言って、『じゃあ忠誠を誓って一生仕えよう』とは決して考えないはずだ。
 彼女の人徳は、派閥の拡大にはつながらない。
 ほかの姉たちから言わせれば『無駄むだな努力』だけを続けるのがヴィリアンなのだ。
 公務では『王室の顔』としてメディアに取り上げられ、下世話な週刊誌では『最も結婚したい姫君』などと書かれたりもするが……結局の所、英国王室における彼女の役割は『それ』しかなかった。
 本気でする気もない政略結婚のえさをチラつかせ、相手国の重鎮じゆうちんの集中を乱す。そのすきを突いて、女王や二人の姉達がイギリスにとって有利な条約を締結ていけつさせる。
 王室としての礼儀れいぎ 作法や、しとやかな挙措きよそ などでそつなく『公務』をこなしているが、やっている事はほとんど精神的なストリッパーだと、ヴィリアンは思う。そして、いつかイギリスが回避かいひ のできない危機に見舞われた時には、本当に政略結婚させられるだろうとも。
「……、」
 広い部屋の中で、ヴィリアンは重たい息をく。
 ここ最近起こっているイギリスとフランスの間のいさかい。それは、彼女に『最悪の切り札』を連想させるには十分だった。
 その時、彼女の考えを断つように、小さなノックの音が聞こえてきた。
「――ヴィリアン様」
 分厚い扉の向こうから声を放ったのは、若い使用人の一人だった。彼女は民間出身の一般人で、じゆつにもうとい。王室の補佐役には、王権神授――神の力の一部を権限という形で王に授ける、という伝統にのつとり『神聖なモノの世話をする人員=ある種の巫女みこ』という役割をになう『近衛次女このえ じ じよ』という特別な役職もある訳だが、ヴィリアンはえて民間出身のメイドを従えている。
「――『騎士派きしは』『清教派』それぞれのおさと、日本の学園都市より訪英した『ゲスト』の少年達が当宮殿に到着いたしました。間もなく『謁見』です。ヴィリアン様も、ご準備のほどを」
「……分かりました」
 彼女は返事をするが、今さら準備をする事などない。というより、私室の中であってもヴィリアンは最低限の公務を行える服装を解かない。彼女の人生は、常にある種のきんちようと共にある。
 広い部屋を歩き、ドアを開けて外に出ると、扉のすぐそばでありながら、ヴィリアンの進路をふさがない位置に緑色のメイド服を着た女性が立っていた。目礼する使用人を従え、廊下を歩くヴィリアンは、ふと足を止めて頭上を見上げた。
 長い長い直線の廊下は、てんじようも高い。そして、トンネルの照明のように、壁の左右には、盾の形をした紋章が等間隔とうかんかくにズラリと並んでいる。
 歴代の騎士きしたちの紋章だ。
 英国王室の別宅であるウィンザー城にも似たような廊下があるが、バッキンガム宮殿にあるのは魔術的まじゆつてきな派閥という意味での『騎士派』の紋章だけだ。この廊下に家の紋章を飾れる事こそが『名門』の第一歩であるとされ、英国のために剣を持つ者のあこがれであるという。
 元々が『戦場で見分けがつくように』と開発された紋章であるせいか、各々おのおのの紋章は自己主張が激しく、ともすれば空間の調和を乱しかねないほどだ。しかし、それらを押して、この廊下の調和を最も乱しているものが一つある。
 空白だ。
 等間隔に盾の紋章エスカツシヤンが飾られている中で、一ヶ所だけ、何も飾られていない場所がある。それは歯の欠けたくしのように、ヴィリアンに強烈な違和感を突きつけてくる。
 彼女は、その空白の正体を知っている。
 本来ならば、英国のために戦い、その功績が認められて騎士の一員となるはずだった、一人の男。『傭兵ようへい』のままこの国を去った彼に、『騎士派』のトップは敬意を表し、今でもそこは欠番となっているのだ。
 その空白を見つめ、ヴィリアンのくちびるは自然と動く。
「……ウィリアム……」
 かたわらにいる使用人は、何も語らない。

     3

 かみじよう達を乗せたヘリコプターが、ロンドンの一角にあるデカい公園に着陸する。……と上条は思っていたのだが、どうやらこれがイギリスの女王様が暮らしているバッキンガム宮殿とかいう住居の敷地しきち らしい。実際に隣接りんせつする二つの公園と融合ゆうごうするように存在し、英国の首都の一区画が丸々開けているのだから、まぁ勘違いしても無理もない話なのだが。
 本来なら、そのスケールのデカさに感嘆の声をあげるであろう上条だったが、ぶっちゃけ今はどうでも良い。それをはるかにりようする事態に見舞われている。
 それは、
「とうまー……ごォォはァァんゥゥゥゥンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!!」
「ひがぎゃああああぁああああぁあぁ!? もうみつくとかそういう次元じゃなくてしやくが始まってませんかインデックスすわぁーん!!」
 かみじようの背中によじ登り、恐るべし意思表示を放つ銀髪碧眼へきがんモンスター(ヘリの中で修道服に着替え済み)。それを横目に見ながら、神裂かんざき火織か おりは一足先にヘリから降りる。
「……向かい風のえいきようで到着予定時刻を過ぎてしまうとは、我ながら失策。急ぎましょう。もう皆様お集まりのはずです」
「ねえ!! この惨劇さんげきを前にして、なんかコメントねえの!? 例えばサンドイッチぐらいならありますが的な!! もうそろそろ空腹にやられすぎたインデックスが別の生き物に変わりそうになっているんですがーっ!?」
「うふふ禁書目録の管理業務はあなたの領分でしょう。その様子だと想像以上にそつなくこなしているようで安心しました」
「やっぱキレてるよね!? 堕天使だ てんしエロメイドの件でぶちキレてるよね!? でも、そもそもあんな格好で病室へ飛び込んできたのは神裂じゃぐぎゅぅうううううう!!」
 上条の言葉が唐突におかしくなったのは、神裂が彼の口をふさいだからだ。
「(……パイロットやほかの皆がいる場所でその会話は禁止です。分かりましたか?)」
「もぐぐががが砕けがごご聖人ごごごがぐぐ聖人の握力ってぐぐぐっ!?」
 神裂はミシミシいってる上条を引きずるようにして、こっそり誘導灯ゆうどうとうを設置して書類上はヘリポートとしても使える四角い休憩スペースからくだんのバッキンガム宮殿へと歩いていく。ちなみにインデックスは上条の背中に張り付いているので、何とも奇妙なエスコートに見える。
 神裂が出入りに使おうとしているのは、表にあるであろうデカい門ではなく、いわゆる小さな裏口だった。
 が、彼女がドアノブをつかむ直前に、上条が口を開く。
「ちょっと神裂さんお待ちを!!」
「何ですかバレーボールのように顔を掴まれたまま」
「掴んでいる張本人が言う台詞せ り ふじゃないよね! あと、この宮殿に上条さんが入っても大丈夫だいじようぶでしょうか!? わたくしの右手には幻想殺しイマジンブレイカーという力が宿っている訳ですが、足をみ入れた途端と たんに国宝のアレやコレが片っぱしからぶっこわれて不幸なべんしようライフじゃないですよね!?」
「……何だ。そんな事ですか」
 神裂はようやく上条の顔から手をはなしつつ、
「それについては大丈夫ですよ。イギリスはじゆつの発達した国ですが、現在、このバッキンガム宮殿はその手のセキュリティ機構がすべ撤去てつきよされていますから」
「え、そうなの? 女王様が住んでいる所とかって言うから、てっきりとんでもない魔術要塞ようさいになってるもんだと思ってたんだけど」
「確かに、そういう城塞じようさいもあります。王室の別宅であるウィンザー城などが典型例ですが」
 言いながら、神裂は軽く息をいた。
「このバッキンガム宮殿は他国との会談などにも使われますから。下手に魔術的まじゆつてきな機構を組み込んでしまうと、相手国の重鎮じゆうちんわなの中へさそい込む構図になるため、外交上問題が生じます。別宅のウィンザー城でも公のパーティは開かれますが、こちらの場合は『英国女王クイーンレグナントは我々を罠にはかけない』という信頼しんらいを持つ者だけが招待される形になっていますね」
 危険というのは物理的なものだけではないという事です、と神裂かんざきは言った。
 彼女はインデックスを頭にくっつけたままのかみじようの方から目をらし、
「それに」
「?」
「あの女王に関しては、そういうセキュリティは必要ないでしょう」
 意味深な事をつぶやきながら、神裂は裏口のドアを開ける。
 ドア自体は小さなものだったが、その先に広がっている景色は半端はんぱ ではなかった。そもそも室内の表現に『景色』と使っている時点で、どれだけスケールがぶっ飛んでいるか、その片鱗へんりんが見えると思う。
 宮殿――と名のつくぐらいだから、ピッカピカの成金ワールドでも広がっているものだと思っていた上条だったが、現実はそんなものではなかった。ちょっとした部屋ぐらいの幅のある廊下、むのではなく眺めるためにあるような絨毯じゆうたん、あっちこっちに掛けられた絵画とか彫刻とか、おまけになんか紅茶のセットを運んでいるメイドまでいるのだから尋常ではない。
「来たか」
 と、そんな景色とかメイドとかに圧倒されている上条の耳に、男の声が届いてきた。日本語だ。やってきたのはスーツの男だった。と言っても満員電車に揺られてヨレヨレになっているようなものではなく、パーティで己のステータスを誇示するために着こなすような……ぶっちゃけ上条には一生緑のなさそうなスーツだった。
 その男を見るなり、神裂が口を開いた。
騎士団長ナイトリーダー。移動手段の供与には感謝します」
「ヘリの事なら気にする事はない。我らにとっても必要な支出だった」
 ナイトリーダーと呼ばれた金髪の男は、それから視線を上条の方に移した。
「ふむ。君が禁書目録の管理業務を負う者か」
「え、ええ? 管理業務とかって言われると微妙ですけど……」
「あの一〇万三〇〇〇冊を保全する人物とは、どのような者かと興味を抱いていたのだが……まさか頭に張り付ける形で管理していたとはな。恐るべし東洋の神秘」
「やっぱ変ですよね!? このようなイレギュラーにおちいった原因はズバリ空腹一本勝負!! もしよろしければ、わたくしの頭が本格的にみ砕かれる前に食パンなどをいただけないでしょうか!?」
 はしたないですよ、と神裂が目で注意しようとしたが、騎士団長ナイトリーダーは片手で制すると、紅茶のセットを運んでいたメイドを引き留める。かみじようたちはメイドからスコーンとかいう、パンとクッキーの中間みたいな食べ物をいただく事に。
「ん。――んん!? 何だこれ! しっ、みる、こう胃袋にじわじわーっと染みていくよこのスコーン!」
「そうか、それは良かった。では、皆も集まっているのでそろそろ行こう……」
「えっ、タダなの? これタダなの!? そうと分かれば遠慮えんりよはしねえ。インデックス! 思いっきりやってしまいなさい!!」「こちとらハナから手加減するつもりはないんだよ!! スコーンスコーン!!」「そうだインデックス、やっちまえ!! 全部食っちまえ!!」
「……、いや、だからだな。事態は今も進行しているので、そろそろ出発……」
「バターをつけるとさらにレベルアップだな!!」「ブルーベリーもいけるんだよ!!」「だがえてなにも付けずに食うね!! 素材の美味おいしさを堪能するね!!」「じゃあバターとブルーベリーとイチゴジャムとハチミツは全部私のだからね!!」「それとこれとは話が別だこのクソ馬鹿ばかシスターッ!!」「ははははははは!!」「わはははははははは!!」「うまアハうま!!」
 騎士団長ナイトリーダーはちょっと無言になると、うつむいたままボソリとつぶやいた。
「……剣を抜くが構わんか?」
「説得ならこの私が!! 何とかしますからご安心をッ!!」
 慌てて言いながら上条をぶんなぐりインデックスを羽交はがめにする神裂かんざき。メイドがそそくさと立ち去った事でスコーン天国はとりあえず終了である。

     4

 バッキンガム宮殿のデカい廊下を歩きながら、ふと上条はこう言った。
「っつか、そもそも何でおれ達はここに呼ばれたの?」
「……学国都市の案内役である土御門つちみ かどは何も言っていなかったのですか……?」
 それを聞いた神裂がややうろたえたように告げる。
 上条はこくりとうなずき、
「いきなり変なガスをらって空港に置き去りにされた」
「あの野郎……」
 神裂は思わず目をつぶって奥歯をむが、上条としては、土御門っていつもあんな調子じゃね? アビニョンの時にはパラシュートつけて大空から突き落とされたし、程度の感想しかない。
 横で話を聞いた騎士団長ナイトリーダーがロを開く。
「今から行うのは作戦会議のようなものだ。王室派、騎士派きしは、清教派のメンバーが集まった、な。王室派のトップ――つまり、王の血を引く方々が参加するため、建前では『謁見』という形になるが」
 そこまで言うと、騎士団長ナイトリーダーは横目でチラリとかみじようの衣服を確認して、
「……なので、できれば正装してもらいたかったが、まぁ、そういう事情なら仕方あるまい。Tシャツとズボンだからと言って、怒るような方でもないしな」
 控え目の指摘を受けて、上条の肩がビックゥ!! と動く。
 あれ、もしかして自分は今シャカイの常識レベルのヘマをしていませんか!? とあせる上条だったが、そこで一緒いつしよに歩いている神裂かんざきのおへそや生足を見ると、
「神裂もあんな感じだし、意外に大丈夫だいじようぶか……?」
「何か失礼な評価をしていませんか。私の場合は術式の構成上必要と認められています」
 神裂は言葉の上では怒りつつ、上条の視線から逃れるようにやや身をよじる。そこへ、インデックスがこんな事を言った。
「作戦会議って、そもそも一体何の作戦について話し合うの?」
「ふむ。禁書目録を正式に召集したのは『女王』のご判断だが、その程度には重要度の高い案件だ」
 騎士団長ナイトリーダーは一つの扉の前で足を止める。
 大きな宮殿の中でも、一際ひときわ巨大で荘厳そうごんな両開きの扉だ。
「君達もテレビのニュースで聞いた事はあるだろう。イギリスとフランスをつなぐユーロトンネルが、何者かによって爆破された。三本並んで走っているはずのトンネルの、そのすべてがな。この海底トンネルの破壊は かいに伴い、人員、物資の輸送がとどこおり、イギリス国内の経済に大きな打撃だ げきが与えられている」
「???」
「ようは、そのトンネルの爆破にじゆつからんでいる可能性が出てきたという訳だ。国家レベルの攻撃としてな」
 言いながら、騎士団長ナイトリーダーは巨大な扉のノブに触れる。
 その先が『謁見』の舞台――イギリスの女王が待つ作戦会議の部屋なのか。そう考えると、上条の背筋にも自然ときんちようが走る。禁書目録の保護者役、という扱いなのだから、特に発言を求められるような事はないだろうが、これから始まるのは、国の舵取かじと りクラスの会議なのだ。
 ごくり、と上条は息をむ。
 騎士団長ナイトリーダーはノブを回す。
 しかし扉が開け放たれる前に、隙間すきま からこんな言葉が漏れてきた。

「ぐおおー……。ドレスめんどくさいな。ジャージじゃダメなのかこれ……」

 騎士団長ナイトリーダーの動きがピタリと止まる。
 英語が分からず『?』と首をかしげているかみじように向かって、騎士団長ナイトリーダーはこう言った。
「……しばしお待ちを」
 ボソッと放たれた言葉と共に、扉の隙間すきま に身を挟むように室内へ入り込む騎士団長ナイトリーダー
「ぬぐお!? 入る時はノックぐらいせんか貴様!!」
「謝罪はしますがその前に一言を。――テメェ公務だっつってんのにまたジャージで登場しようとしただろボケ馬鹿ばかコラ!!」
「いえーい騎士団長ナイトリーダーが一番乗りー」
「部屋へやってきた順番とかそんなのはどうでも良いんです!! いいから、女王らしく!! いや良いです。意外なキャラクターとかだれも求めていませんから無理にエレキギターとか持ち出さないでくださいッ!!」
 ドッタンバッタン、という物音に、扉へ不審そうな目を向ける上条だが、何故なぜ神裂かんざきは日本語に訳してくれないし、インデックスはご飯を食べた後だからか眠そうに目をこすっている。
 ややあって、騎士団長ナイトリーダーが扉の隙間から顔をのぞかせた。
「……色々と面倒をかけて申し訳ない。もう大丈夫だいじようぶだ。女王エリザード様は目を覚ました」
「?」
 結局何だか良く分からないまま、上条は扉をくぐって中へ入る。
 RPGなんかに出てくるような、階段状のだんじようにデカいぎよくがある訳ではない。だだっ広いだけの空間は、パーティ会場として使う大部屋のようにも見えた。木の年輪のように、丸く何重にもテーブルが配置されているのが特徴的だ。たまにテレビでる、国連の会議場みたいだった。
 そして、その中央。
『彼女』こそが、英国の女王様なのだろう。確か、エリザードと呼ばれていた。年齢は五〇歳前後。流石さすがに肌や髪など表面的な所は老いの影が見え始めているが、もっと根本的な部分……しんや骨格といった所が、一〇代の上条をりようしているようにも見える。
 身にまとっているのは、足の爪先つまさきが見えなくなるほど長いドレスだ。白と黒のツートンカラーでまとめられたその衣装は、おそらくガムでもくっつけたらクリーニング代で一生を費やす羽目はめになるだろう。
 さらに気になるのが、女王エリザードの右手。
 そこにあるのは一本の剣だ。西洋風の典型的な両刃の剣で、長さはつかまで入れて八〇センチぐらい。ただし、切っ先はないし、刃もついていない。細長く四角い板のようなものが剣の柄についているだけだ。
 イギリスの淑女しゆくじよの見本たる女王様なのに剣を……しかもさやに収めて腰にるしているのではなく、抜き身のままでウロウロ状態。
 上条はその剣を見て、ぐに感想を抱いた。
 そしてぐに感想を述べた。
「意外なキャラクター……ッ!? う、ウチの姫神ひめがみがあれほど努力しても手に入らなかった強大な個性を、こんなにも簡単に……ッ!!」
「いや違う、あれで正常だ! エレキギターや、サッカーボール、剣玉、サーフボードなどのいらぬ道具はすべ撤去てつきよしてある!! 馴染なじみがないかもしれないが、あの剣こそが英国女王クイーンレグナントエリザード様の象徴なのだ!!」
 騎士団長ナイトリーダーが悪夢を思い出すような顔で首を横に振った。
 対照的に、女王は大口を開けて笑顔を作ると、
「これはカーテナと呼ばれる、王族専用の剣だ」
「かーてな?」
 かみじようが首をかしげると、女王より先に騎士団長ナイトリーダーが言う。
「代々の国家元首が手にしてきた神聖な剣だ。その剣の歴史を紐解ひもと く事は、英園王室を理解する事と等しい」
「そんなに大したものでもなかろう。便利な道具であるのは認めるが、別にこの剣が折れた所で、王室がついえる訳ではないのだからな」
 仰々ぎようぎようしい言葉を、エリザードは笑って否定した。
 その大雑把おおざつぱ な、言ってしまえば『扱い慣れた』感じが、連に女王の手にカーテナという剣が馴染んでいる証拠のように思えなくもない。
 女王は改めて上条の方を見て、カーテナについて語る。
「カーテナというのは、王の戴冠たいかんに使う儀礼剣ぎ れいけんだな。王様であるあかしではなくて、王様を選ぶ者が持つ証。ま、見れば分かる通り、刃はついておらんし、切っ先も平らだ。ぶら下げていても問題はなかろう」
「奇異に見えるかもしれないが、文化の壁を乗り越えてもらえると、とても助かる」
 騎士団長ナイトリーダーがそんな事を言った。
 騎士きしとかサムライではない上条としては、刃のない剣の価値など分からない。
 なので、神裂かんざきに尋ねてみた。
「(……あれって、そんなにすごい剣なのか)」
「ええ、まぁ」
 神裂はうなずいた。
「あの剣の所有者は、擬似的ぎ じ てきですが『神の如き者ミカエル』と同質の力を得ますからね。大天使どころか天使長の力を自在に扱える時点で、まともな剣とは呼べないでしょう」
「てんし、ちょう……?」
 不穏ふ おんなワードに硬直する上条に対し、眠そうなインデックスが言った。
「あらゆる天使の中で一番偉くて強い存在の事なんだよ」
「……、」
 天使という単語だけでもろくな思い出がないのに、その中でも一番強いヤツと来た。
 かみじようが改めてエリザードの方へ向き直ると、女王は刃のないカーテナを肩でかつぎ、
「使えると言っても、英国という限られた土地の中だけだがな。平たく言えば、カーテナは王と騎士きし莫大ばくだいな『天使の力テレズマ』を与える剣、といった所か」
 そっけない調子で、そんな事を言う。
「ようは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドの『四文化』中だけで適用する特殊ルールがあって、それを守るために王室派、騎士派、清教派の『三派閥』が存在する、という訳だ。そして、カーテナは『イギリスの中だけで成立するルールを束ね、イギリスを守る者に莫大な力を分配する剣』として機能している事だ」
「特殊ルールってのは……?」
 上条が尋ねると、騎士団長ナイトリーダーがエリザードの言葉を引き継いだ。
「この国にはイギリス清教という独自の十字教様式が存在する。これは一五〇〇年代にヘンリー八世という王が、自国の政治を他国に干渉されるのをきらって生み出されたもの。だからこそ、外部からのえいきようを跳ねけるため、『我が国はいかなる外部勢力からも絶対不可侵である事』と『イギリス清教の最高トップは国王であり、イギリス国王はローマ教皇の言葉を聞く必要はない事』の二点を確定させている」
「ローマ教皇よりも偉いもの、という訳で、ヘンリー八世は国王の立ち位置を『天使長』に定めた。そして、国王の元に従う騎士団を『天使軍』へと対応させ、イギリスの民を導く事にした訳だ。おかげで今では『カーテナを持つ英国女王クイーンレグナントは、その国内に限り、天使長「神の如き者ミカエル」と同質の力を持つ』ようになった」
 そう告げたエリザードは肩で担いだカーテナを一度下ろす。
 女王は刃も切っ先もない剣をバトンのようにくるくると回しながら、さらに騎士団長ナイトリーダーの言葉を引き継ぎ直して言う。
「ヘンリー八世は一五〇〇年代のイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの四国を利用して、この機構を成立させようとした。四は『大地』を示す数字だからな。意味ある数の国家を材料に地図を組み立てる事で、『四国のみで成り立つ「全英大陸」』という魔術的まじゆつてき意味を生み出したかったようだな。……当時のローマ教皇を代表とする様々な権力からの干渉を受けず、ひたすらに高度な独自文化を謳歌おうか する、偉大なる大陸。もしかすると、近隣きんりん諸国との煩雑はんざつな政治に頭を悩ませていた王は、昔から伝えられている『でんせつの大陸』にでもあこがれていたのかもしれんな」
 宗教的ではなく、政治的な理由。
 イギリスという大きな国境に含まれる四つの国家だけで成立する『全英大陸』を用意し、『天使長』を国王に、『天使軍』を騎士団に対応させる事で、その大陸を手中に収める。
 一国のみでは構築できない、複数の国家を『象徴』に使用した『全英大陸』の恩恵を受けられる仕組みを作った上で、政治的には『イギリスという大きな単体国家』が舵取かじと りできるように調整したという、極めて都合の良い政治的メリットを生み出す制度。
 連合王国。
 そして、頂点に君臨して王国をまとめ、その力を最大限に扱う者。
 女王。
「(……とはいえ、流石さすがに『御使堕しエンゼルフオール』で感知されたほどド派手にはいかぬがな。力はあっても、私は人間。そう簡単に天使の術式を振るう事はできんようだ)」
「は?」
「何でもない。しかしまぁ、ヘンリー八世も一筋縄ひとすじなわではいかなかったようだな。元々彼は一五〇〇年代のイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの四国を素材に『ヘンリー八世は天使長ルール』を組み立てたかったようだが、当時のスコットランドは独立国で、イングランドと戦争を起こしていた。容易た やすく征服できるとんでルールを制定してしまったものの、予想以上にスコットランドは手強て ごわく、『四国なくては成立しないルール』を危うくこわされそうになったりしたようだしな」
 ほかにも、『四国の中で成立するルール』だから、かつて広がっていた国外の植民地では『ヘンリー八世は天使長ルール』を使えなくて困ったりもしたらしい。
「ちなみに現在ではアイルランドの独立を尊重して、該当エリアは『象徴』としては利用しておらん。北部アイルランドという形で一部地域を英国が維持しているのは、『四文化体制』をキープするのに必要だったからだな」
 エリザードはカーテナをくるくる回しながらそんな事を言う。
「そんなこんなで、カーテナは『イギリスの王様を決めるための剣』から『イギリスの天使長を決める剣』にレベルアップしたという訳だ。……まぁ、王侯貴族にしか作用しない剣だから、民に対しては申し訳ないのだがな」
 そこへ、横から神裂かんざきが付け加えるようにこう言った。
「私のような『清教派』の場合、天使長や天使に対応する事はありません。これまで通り『人間として十字教の力を振るう者』という扱いですから、カーテナの恩恵を受ける事はないんです。カーテナは『王様』と『騎士きし』に莫大ばくだいな力を与えるものとお考えください」
「イギリスは『四文化』の土地で成り立ち、それを守るために『三派閥』の組織がある。その『三派閥』の関係を構築するために、カーテナという小道具を応用している訳だな」
 カーテナについて語る時、女王だけはその調子が軽い。
 実感がないのではない。理解をした上で、伝統を笑い飛ばすだけの余力があるのだ。
「そんな訳で、カーテナについてのレクチャーはおしまいだ。少しはイギリスの歴史に出てくる小道具について分かったか?」
「じゃあ、このバッキンガム宮殿にセキュリティは必要ないって話は……」
 かみじようが恐る恐る尋ねると、女王はくだらなさそうな調子で言った。
「天使長を殺せる人間がいるか? 少なくとも、私はお目にかかった事がない」
 ……なんか良く分からんが、とんでもない『儀式ぎ しき』に使う物らしいから、うっかり右手で触らないようにしよう、と上条は警戒心をマックスに移行。『王様を選ぶ儀式に使う剣』なんて、どう考えても国宝っぼいし、仮に色々やっちまったら大変な事になるに決まっている。
 ところが、当の女王エリザードは、剣の価値にドン引きしている上条を見ると、さらに屈託のない笑みを広げて、
「仮に何かの因果でこいつが傷つき、破壊は かいされたとしても、別にだれも責めはせんよ。そもそもこいつは、歴史的には『カーテナ=セカンド』だからな」
「いや、名前だけ言われてもサッパリなんですけど……」
「ようは、二本目って事だ。歴史上、最初に登場した『カーテナ=オリジナル』はどこかへ行ってしまってな。儀式に支障が出るから急遽きゆうきよ作られたのが、この『カーテナ=セカンド』。だから、仮にこいつが折れても、新たなカーテナが生まれるだけだ。そう気負わんでも良いよ」
 そんなもんなのか……? と首をひねる上条だったが、そこへ後ろから声がかかる。
「まったく、そんな訳がないわ。『カーテナ=セカンド』は確かに『王室派』の手によって人為的に作られた二本目ですが、現在ではその二本目を作る製法すら失われているもの。軽々しく三本目、四本目が作れるだなんて、そんなそんな」
 音源は、出入り口の扉だった。
 部屋に入ってきたのは、女王に負けず劣らず豪奢ごうしやなドレスをまとった、三〇代前半ぐらいの美女だった。こちらは青を基調としたドレスだが、スカートに広がりはなく、脚のラインにピタリと吸いついているようだった。左目には片眼鏡がかけられていて、それも知的というか冷徹れいてつな印象を強くしている。肩にかかる程度の髪は、黒。それも染めているのか、不自然なほどつやのある黒髪だ。
 豪奢だが、派手ではない。不思議としっとりした印象だけを与えてくる女の人だった。
「(……第一王女・リメエア様です)」
 神裂かんざきがこっそり耳打ちする。
 一方で騎士団長ナイトリーダーは、くだんの第一王女が側近どころかメイドの一人も従わせず、たった一人でやつてきた事におどろいたようだった。
「言ってくだされば、部下の者を……いいえ、私が直接出迎えに上がりましたが」
「ああ。いけません、いけません。そんな、他人を従わせるなど。みすみす背中を刺される危険を増やしてどうするの。私は、私を知る者に、私の信頼しんらいを預けるつもりはないのだから」
「……、」
 言われた騎士団長ナイトリーダーは、機嫌き げんを悪くするかと思いきや、あきれたように息をいただけだった。どうやらリメエア王女の人間不信はいつもの事らしい。
「まーた姉上はジメジメしてるの?」
 と、今度は赤いドレスを着た女性が入ってきた。ドレス……と言っても先ほどまでの二人とは違い、所々に真っ赤なレザーがあしらわれているため、何だかボンテージっぽく見えなくもない。赤いドレスの女性の歳は二〇代ギリギリ後半ぐらい。彼女の方は、左右に二人の騎士きしを従えている。
 こちらは対照的に、華美な女性だった。
 彼女のスカートも広がりはなかったのだが……どうやら、ワイヤーか骨組みでも入っているらしい。入口をくぐると、赤いドレスのスカートがパンッと音を立てて、パラソルのように不自然なほど大きく展開される。
「まったく、この姉上は相変わらず鬱陶うつとうしーな。世界の全部が信じらんないなら、とっとと死んでしまえば丸く収まるのに」
 あねうえ? とかみじようが首をかしげていると、赤いドレスの女性がこちらをジロリと見る。
「第二王女のキャーリサ。歴史ぐらいは学んでおいたら? 少年」
 生まれただけで歴史年表に名前が載るのか……と上条はスケールのデカさにおどろく。キャーリサの方は上条になど興味がないようで、
「ヴィリアン。何だ、お前も来てたの」
 不意に投げられた言葉に、いつの間にか部屋の隅にいた緑色のドレスを着た女性がビクッと肩をふるわせた。長い金髪に色白の肌、そしてスカートが大きく広がったドレスと、こちらは典型的な、それこそ絵本にでも出てきそうなお姫様だったが、彼女自身は目立つ格好を好んでいないらしい。身を縮め、広がったドレスのスカートを両手で押さえつけるようにしながら、ヴィリアンと呼ばれた女性は音もなく目礼すると、そのままそそくさと距離きより を取る。
「私の妹の第三王女。つまらないヤツだろう?」
 何ともコメントのしづらい言葉を平然と放つキャーリサ。その声はヴィリアンにも届いているはずだが、第三王女の方は身を小さくするだけだった。
 と、女王のエリザードは三人の王女が部屋に入ってきた事を確認すると、こんな事を言った。
「そろそろみんな集まってきたな」
 その掛け声は、『謁見』という名の作戦会議が始まる事を暗示しているのか。おそらくこれから、軍人とか魔術師まじゆつしとか、いろんな人たちがいっぱい入ってくるのだろう。この場に用意された椅子いすの数だけ数えてみても、一〇〇人以上の大規模な『会議』になるのは目に見えている。
(……なんつーか、場違いだな)
 上条が心の中で苦笑した時、さらに女王は告げる。

「さて、それじゃ適当にトンズラするか」

 …………………………………………………………………………………………………。
 かみじようがポカンとし、インデックスの方を見たが、彼女もキョトンとした顔のままだった。さらに神裂かんざきの顔を見ると、彼女はあきれたように息をき、騎士団長ナイトリーダーも苦い表情で疑問顔の上条から目をらす。
 そんな中、エリザードは笑顔でこう言った。
「大きすぎる議場の場合、すべての発言が記録されるため、思うように自分の意見を述べられない事も多い。それに現在一秒一秒進行中の事態に対して、一〇〇人単位の人間がああでもないこうでもないと言い合っても時間を浪費するだけだ。時には少人数短時間で話を決めてしまった方が効果的な場合もある」
「……女王陛下の場合、その事例が多すぎる気もしますけど」
 騎士団長ナイトリーダーがボソッと言う。
 面食らった上条は、巨大な会議場を見回し、
「でも、ええと、その良いんですか? 少人数でやるのは良いけど、仲間外れにされた方は快く思わないんじゃ……」
「なぁに。その場合はこう言ってやればよい。……文句を言って横槍よこやりを入れたがるのは結構だが、貴様の政策通りに事を進めて失敗した場合、全ての責任を貴様が負っても良いのだな、と」
「……うわあ」
「専門家ヅラして『意見』を言いたがる連中は多いが、その『責任』まで覚悟している者は意外と少ない。そして、そんなレベルの連中に場を乱されても困るのだ。特に、国の舵取かじと りをする場面ではな」
 女王エリザードの言葉に、第二王女のキャーリサもうなずく。
「最低でも『王室派』、『騎士派きしは』、『清教派』の各代表がそろってれば構わないの。……私としては、禁書目録を召集した『清教派』のトップがここにいないのが気に食わないけど、まぁ『聖人』が代理に現れたんなら許容しよーか、といった所か」
「す、すみません。ウチの最大主教アークビシヨツプは例によって、裏でコソコソやっているようです」
 神裂がそんな事を言いながら頭を下げた。
 それにしても、と上条は思う。
『騎士派』は騎士団長ナイトリーダー、『清教派』は神裂火織か おりとして……『王室派』は『女王』に第一、第二、第三王女と目白押しだ。なんというか、招待される人員にかたよりがあるようにも感じられるが、
「うふふ。結局、良かれしかれ、この国は『王国』……王様の国という事なのよ」
 第一王女のリメエアが、上条の顔を見てそんな事を言った。国家としての意志決定に関してやはり『王室派』の意見が最重要視される、という訳か。上条がそう思っていると、何故なぜか第三王女のヴィリアンが申し訳なさそうに無言で頭を下げてきた。
 一方で、キャーリサはかみじようを指差して言う。
「ところで、『王室派』、『騎士派きしは』、『清教派』の代表はよしとして……そこの小僧はどーいう役割なの? 会議に出席させる上での立場を明確にしておきたい」
 不要な人員なら省きたい、と暗に示しているような口調だった。
 上条としても、特に絶対参加しなくては気が済まない、という訳ではないのだが、女王はニヤリと笑ってこんな事をロにした。
「そいつは旅客機を乗っ取ろうとしたフランス系テロリストの排除にしようじんりよくし、我がイギリスの国益と国民の命を救った、いわば勇敢なる功労者だ。その功績と経験を認め、意見をはいちようしても構わんと思うが?」
「ふーん。なるほど、そーくるの」
 第二王女は何故なぜだか笑みを広げ、自分の顔を上条のそれに近づけると、
「勇敢、か。なら問題ない。悪くない言葉だし」
 ううっ、と上条がちょっと引き気味になっているのもお構いなしに、女王のエリザードは話を締めくくる。
「それでは、適当に会議を始めるか。このまま時間を浪費しては、何のためにトンズラするか分からなくなる」

     5

 女王を始めとして上条たちが集まったのは、会議場のある一階から階段を使って三階まで上った上で、広い廊下の曲がり角にある、応接用の簡素なスペースだった。各々おのおのがソファに座り、適当にくつろいでいる様子を見て、通りかかったメイドがビクッと肩をふるわせている。
 上条は軽く面々の顔を見る。
 イギリスの女王様に、お姫様が三人、騎士派なんて大仰な組織のトップと、絵本に出てきそうな役職の人達がてんこ盛りである。上条の知り合いのインデックスや神裂かんざきにしても、片や一〇万三〇〇〇冊の魔道書ま どうしよを正確に記憶き おくする禁書目録に、片や世界で二〇人といない聖人。……ここは本当に二一世紀の現代社会なのか、と疑いたくなる面子メンツだった。
(……ホント、何でおれはこんな場違いな所にいるんだ……?)
 居心地の悪くなった上条はソファから立ち、何となくのくせでポケットから携帯電話を取り出し、モニタで時間の確認などをしてしまうのだが、そこでふと電話に小さなレンズがついているのを思い出す。
 カメラだ。
「(……うーん、女王様にお姫様か。どいつもこいつも思わず一枚撮りたいほど有名人だらけだけど、こんな派手派手な宮殿の中で携帯電話を構えるってのは相当アレだよなぁ……)」
 思わずブツブツ言いながら、携帯電話を折りたたもうとするかみじよう
 と。
 気がつくと、いつの間にか第二王女のキャーリサが今まで以上に急接近していた。さっきまで上条の前で向き合っていたはずなのに、今は上条のとなりに並び、しゆつした肩がちょこんと触れるか触れないかの位置にいる。その状態で、上条の方へ首を傾け、携帯電話の画面を見ているのだ。まるで電車の中で、つい隣の座席の人が読んでいる雑誌に目が向いてしまった。そんな感じの体勢だった。
 別にメールなどを読んでいた訳ではないのだが、何となく上条は画面を隠しつつ、
「……フィルムがってあるので、横からじゃ見えないっすよ」
馬鹿ばかもの、王女はコソコソそんな事しない。そーではなく、撮影したいのではなかったの?」
 怪訝け げんな顔になった上条が携帯電話片手に改めて首だけ回して振り返ってみると、何やらキャーリサは正面(=カメラのある方向)に対して体を斜めに傾け、あごを小さく引いてここ一番の柔らかい表情を作り上げている。
 ドン引きした上条は言った。
「……なぁ、その写真用の顔って練習してんのか?」
「何を言う、この程度は基礎の基礎。大衆の前で演説するのと違って、いくらでも撮り直しができるし、最も優れたものを使うだけで安易に威厳い げんを保てるの。これでも、料理の見本写真のよーに専用の光源や化粧を用意しないだけ十分以上にフェアなんだけど」
 撮影用の表情で固定されたまま反論するキャーリサ。
 そこから感じられるのは『はよ撮れ、はよ』という催促さいそくだ。……わざわざ表情を作っている所を見ると、別にカメラを向けられる事自体がいやという訳ではないらしい。
 もう一枚撮らないとキャーリサは永遠にこの表情のままな気がしてきたので、上条は携帯電話を撮影モードに切り替え、にゅーっと椀を伸ばす。
「しかし、まぁ……良いのか、これ。携帯電話のカメラで王女と記念撮影って、おれはもしかして相当に世間知らずの馬鹿な子なんじゃなかろうか……?」
流石さすがにケータイのカメラはめずらしーけど、どーせやるなら少しでも綺麗き れいな顔を残した方が良いというのはほとんど条件反射のよーなものだし。……言っておくけど、私だけの悪癖あくへきという訳じゃないから。ほら、姉上もカメラの気配に気づいて接近してる」
「うわっ!?」
 気がつくとキャーリサとは反対側の隣に第一王女のリメエアが立っていた。彼女は上条が握っている携帯電話の画面に目をやりながら、
「……おやおや。妹のキャーリサがバッチリ映っているのに、この私が見切れているのは許せないわね。ううんと、こう、もっと、こう、近づけば、これでオーケー……?」
 そもそも携帯電話の小さな画面に三人収まるのは難しいのだが、リメエアは強引にかみじようの方へ体をぐいぐいと寄せ、何とかフレームに収まろうとする。そのせいで色々としっとりした柔らかい所が色々と上条の腕にぶつかり、
「(……ぐわあ!? ちょっと、何これ。何この唐突な状況!?)」
「(……ん? 別に構わないけど、堅物の騎士団長ナイトリーダーが気づくと剣を抜くので隠しておいてね)」
「――ッ!! !? ??」
 ものすごい笑顔で固まる上条。
 さらにそこへ、
「……、」
 こそっと。だれにも気づかれないほど静かに、上条の背後に立つ第三の影。無言のままちゃっかりフレームに収まっているのは、第三王女のヴィリアンだ。
(待ってくれ。ほかの二人と違って、この人はおしとやかなお姫様とお見受けしたのに!!)
「おー。やっぱり、どーせ撮られるなら主導権ぐらいは握っておきたいものだしねえ」
「……私は、別に……」
 姉の言葉にゴニョゴニョ反応する第三王女だが、顔はしっかり証明写真系のクールな表情をキープしている。
 もうイギリス王室って一体どうなってるんだ……と首をかしげる上条は、とにかくさっさと一枚撮って終わりにしよう、と適当に考える。
 しかしそこで待ったをかけた者がいた。
 イギリスの女王様・エリザードだ。
「……まったく、お前たちはここがどこだか分かっているのか?」
 刃も切っ先もない剣、カーテナ=セカンドの先端せんたんをくるりと回し、ドカリと床に押し付けた女王はあきれたようなため息をついていた。それを見て、(第一王女の乳が上条の乳に密着している事には気づいていない)騎士団長ナイトリーダー神裂かんざき火織か おりがうんうんとうなずいている。そうだそうだ、言ってやれ言ってやれ、という感じに。
 だからエリザードはこう言った。
「ここは連合王国、女王の国だぞ? 主役の私を置いて撮影開始とはどォいう事だあーッ!?」
「ああもう馬鹿ばかめ!! 他国の者の前で遠慮えんりよなくお祭り好きのたましいを見せつけやがって……ッ!! 今は作戦会議の時間です!!」
 上条達の元へダッシュしようとする女王を、両手で頭をむしった騎士団長ナイトリーダーが全力のタックルではばむ。ドタバタと転がる二人を見て顔を青くする上条のわきを、第二王女がひじの先でちょいちょいとつついた。彼女は目で語っている。馬鹿は良いからさっさと撮れ。
 ばちーん、と電子音つきでシャッターを切ると、床に押し倒されたエリザードが、ガバア!!と絶望的な表情で顔を上げた。
「わあ撮りやがった!! ホントに私をけ者にしたまま撮りやがった!! やり直しやり直し、私も写るからもう一枚どうだろう!?」
 カーテナ=セカンドをぶんぶん振り回してわめく女王だったが、三人のお姫様たちは『やるべき事はやった』という表情を浮かべると、それぞれがソファの元の位置へと歩いていく。
 しばらく床の上で色々と打ちひしがれていたエリザードだったが、作戦会議の事を思い出したのか、やがてふらふらとした動作で起き上がると、こんな事を言った。
「ぎ、議題はフランスについてだ」
 かみじように気を遣っているのか、その他全員は日本語ぐらいマスターしているのか、彼女の言葉は日本語だった。
 第一王女のリメエアは占いの載っている複数の雑誌を広げながら、
「フランスとは?」
「うむ。順を追って説明するか。問題の発端ほつたんは今から五日前に起こった、ユーロトンネルの爆破事故だ」
 娘である第一王女の言葉に、女王のエリザードは軽くうなずく。
「イギリスとフランスをつなぐ唯一の陸路であるユーロトンネルは、三本並んで海底を走っているはずなのだが、それが全部まとめて吹っ飛ばされた訳だ。私はこれを、フランス政府による破壊は かい工作であると判断した」
「……証拠は、あ・る・の・か・な?」
 口を挟んだのは、第二王女のキャーリサ。
 ただし、それは懐疑かいぎ てきなのではなく、さっさと戦争の引き金を引いて物理的に問題を収拾したい――そう言っているような、物騒ぶつそうな口調と表情だった。
 女王は首を横に振った。
「そのために召集したのが禁書目録だ。事にフランス系ローマ正教の術式が使用されていれば、そこの一〇万三〇〇〇冊が正しく解析してくれるだろう」
 エリザードに見据えられ、インデックスはキョトンとした顔をする。
 女王は自分のこめかみを人差し指で軽くたたきながら、
「証拠が集まり次第、こちらからアクションを起こす。私に言えた義理ではないが、フランスもフランスで国家の意思決定は割と複雑な手順をんでいる。中にはローマ正教からの一方的な干渉をきらう部門もある。穏便おんびんに済ませたい勢力と接触できれば、対話で問題を解決できるかもしれない。……もちろん、イギリス側の希望的観測に基づく策だから、できたらいいなレベルの実現性しかないのは認めるがな」
「フランス……って事は」
 と、まゆをひそめたのは上条だ。
 重要な会議の場で発言しても大丈夫だいじようぶかな、とおっかなびっくり彼は言う。
「今日起きた旅客機のハイジャックも関係してんのか? 確か、あいつらもフランス系だった気がするけど」
 ふむ、とエリザードはかみじようの顔を見た。
「あれに関しては、おそらくシロだな。少なくとも、政府の息がかかっているとは思えない。ただし、起こると分かって泳がせていた可能性までは否定できんがな」
 女王は息をいて、
「現地の警察によると、どうも連中は『銃器を使わないハイジャック方法のノウハウを教える代わりに、複数の組織から協力を得ていた』と供述しているようだが……それについても、本当に『複数のテロ組織』なんて実在していたかどうかは分からん。……フランス政府が、何かと『我が国の犯罪者は我が国で裁く』と言って犯人たちの身柄の引き渡しを求めてくるのも、きな臭いと言えばきな臭いな」
 ある程度の疑問は口にするものの、深くは切り込まない。
 情報が少なく、考えても分からない問題に対し無意味に拘泥こうでいするような人物ではないようだ。
「例のハイジャックによって弱点を指摘されたおかげで、イギリスにおける空輸の主役だったスカイバス365モデルは当分使い物にならん。スカイバス365以外のすべての旅客機に関しても、安全確認のためにきんきゆう点検を行う。平時なら許容範囲内のロスだが……陸路をふさがれている身としては、この損失は笑い事にならん」
「これで、海路を封じられれば完全に孤立してしまうけど、どう?」
 第一王女のリメエアが、何故なぜか色々な雑誌にある占いを読みながら、退屈そうに発言する。
 星座や血液型、タロットや九気学(……漢字なのに、上条には読み方も分からない)など、複数の方式の記事に目をやりながら、
「例えば、そう、イギリスの周辺海域に航空機を使って機雷をばらくなどはいかが? 仮に一発でもヒットすれば、民間企業は及び腰になるかもしれないわ。……本来は機雷のない海域であっても、ね」
「……相変わらず、悪知恵ばかり働いてるな」
 キャーリサが忌々いまいましそうにつぶやく。
 リメエアの方はめ言葉と受け取ったのか、単に雑誌の占いで幸運とでも書かれていたのか、うっすらと微笑ほ ほ えみながら、
「しかし、仮にフランスをつぶした所で、本当に解決するかは疑問の一言ね。フランス系ローマ正教の術式。……確かに今回の件は、直接的にはフランスの手によるものでしょうが、どうせ、バックには『連中』がからんでいるのよね。この問題の構図は、イギリスとフランスのいさかいではなく、イギリス・学園都市とローマ・ロシア勢力の対立と考えるべきよ。尖兵フランスを討った程度で満足してはいけないし、尖兵フランスを討つためだけに全力を使い果たしては、後が保たないわね」
 騎士団長ナイトリーダーもその言葉に同意した。
「……ローマ正教とロシア成教が手を結んだ事で、EUのみならず、非加盟の国家も含めて、ヨーロッパのほとんどの国家はローマ・ロシア勢力の息がかかっています。現状、イギリスは孤立しつつある。ここでフランスを退けても、ほかの国が尖兵せんぺいとなる可能性が高いでしょう」
「しかも、問題はそれだけではない」
 エリザードの言葉に、全員がそちらへ注目した。
「先ほどの旅客機へのハイジャック事件の渦中で、一つ気になる事が見つかった」
「気になる事……?」
 思わずつぶやいてしまったかみじように、女王はうなずく。
「あの件の解決にあたっては、『清教派』の『必要悪の教会ネセサリウス』の手を借りていた。一種の幻術を使って、コックピットの燃料メーターの表示を改ざんする形でな。成功していれば、燃料が急速に減じている――つまり燃料がれていると勘違いし、こちらでねらい定めた幹線道路に不時着を余儀よぎなくされる。後は待機していた『騎士派きしは』の『ロビンフッド』による狙撃そ げきで、間髪入れずに壁ごとテロリストをぶち抜くはずだった」
「でも……そんな事ってあったつけ?」
 その機に乗って奮闘ふんとうしていた上条は、そんな事実はなかったと記憶き おくしている。
 女王のエリザードもこう言った。
「そう、実際には失敗に終わった。何者かが、遠距離から幻術を妨害したからだ」
 彼女は騎士団長ナイトリーダーから紙の資料を受け取ると、それを目の前のテーブルへ軽く放った。ちょうどインデックスの目の前で、複数のレポートが扇のように広がって、止まる。
「一応『調査中』となっているが、一〇万三〇〇〇冊でも同じかな?」
 女王が簡単に言うと、インデックスはわずかに資料へ目をやった。
 魔道書ま どうしよ図書館・禁書目録は、悩む素振そぶりも見せなかった。
「北欧系の術式だね」
 スラスラと、迷いなくインデックスは答える。
「北欧の女の術者が得意とするセイズじゆつは、ある種の歌なんかを利用して『幻覚を見ながら』扱うものだけど、その『酔い覚まし』に使われる術式を応用しているみたいだよ。これは脳をごまかす種類の幻影と、直接的に映像を出現させる幻像の両方に対応しているね」
 ふむふむ、とエリザードは頷いた。
 と、占いは読み終えたのか、リメエアは効果的なマッサージのページのはしを折りながら、
「妨害というと、相手も魔術師かしら」
 その言葉に、キャーリサはまゆをひそめる。
「……先ほどの話では、ハイジャックに参加したテロリストはそっちの専門家ではないという事だったけど?」
「問題は、その『妨害』の出所が、同じ英国のスコットランド地方だった事だ」
 苦い調子で女王は答える。
 キャーリサの表情が、サディスティックにゆがむ。
「敵は外だけではないのか」
「フランス系の魔術師まじゆつしがいつの間にか入り込んでいたのか、イギリスの魔術師が寝返ったのか。どちらであるかによって対応が変わるけど、いかがかしら?」
 ある雑誌を放り捨て、別のものを広げつつ、リメエアは笑う。
 だが、エリザードは首を横に振った。
「違うな。問題の魔術師がやった事は、たった一回、こちらの幻術を妨害した事だけ。……本気でテロの成功を願っているなら、最後まで面倒を見るはずだ。例えば、問題が終結した旅客機を、地上からち落とすとかな」
その意見に、かみじようの背筋がゾッとする。
「こう考えてみろ。遠距離えんきより から幻術を妨害できる腕がある以上、応用すれば攻撃こうげきにも転じられる可能性が高い。にもかかわらず、魔術師はそれ以上の事をしなかった。となると、魔術師の目的はテロを手助けする事ではない、という可能性が浮上する」
「犯人に協力しないのに、幻術だけは妨害する理由……?」
 キャーリサが疑問をロにすると、女王はこう付け加える。
「我らの作戦は、都合上旅客機を不時着させるために滑走路を用意する必要があった。大きな幹線道路を封鎖ふうさ する形でな。……くだんの魔術師が旅客機の行方ゆくえ に興味がないとすれば、そいつのねらいは『幹線道路の封鎖を解除する』事だったのかもしれん」
「……って事は、その魔術師ってヤツは、何としても、近々その道を通らなければならない理由があった……?」
 上条がつぶやく。
 エリザードはつまらなさそうに息をくと、
「仮に、その魔術師が『幻術は「必要悪の教会ネセサリウス」が発動しているもの』と認識した上で、己の目的のために妨害したとすれば、そいつは相当の馬鹿ばかだ。だが、国を敵に回してでも実行したいという願いを感じる。当然ながら、極めて不穏ふ おんな願いをな」
「イギリスとフランスの間のいさかいだけでも頭が痛いのに、国内にも独立した危険分子テロリストが存在する、と。そういう訳ですか?」
 騎士団長ナイトリーダーが答えると、女王はうなずいた。
 これで、大きな問題は二つに増えた。外側と内側……イギリスは現在、その両方からの攻撃に対処しなくてはならないのだ。
「問題の幹線道路は、スコットランドからイングランドへつながる道だ。そして妨害自体は、スコットランドから放たれていた。……となると、不穏な魔術師とやらは、スコットランドを南下してこちらへ向かっているかもしれん」
「念のため、『清教派こちら』でもスコットランドを本拠地とする結社群を調べさせますが」
 と、発言したのは神裂だ。
何分なにぶん、今回の混乱を好機とみなしている国内のじゆつ勢力も大小色々ありまして。すぐに特定できるかどうかは保証できないのが現状です」
「それで構わん。全力を尽くしてくれれば結構」
 エリザードは言う。
 そこで、今まで口を開かなかった第三王女のヴィリアンが、部外者のかみじようよりもオドオドしながら口を開いた。
「フランスにローマ正教、さらにテロリスト……」
 伏し目がちの彼女は、胸の前でそわそわと両手の指をからませながら、
「彼らにしても、伝えたい事があるからこそ、行動を起こしているはず。その意見に耳を傾け、武力以外の方法で解決を導く事はできないものでしょうか」
「無理に決まってる」
 断じたのは、第二王女のキャーリサだ。
「会話が重要なのは認める。だが、必要のない場面でベラベラしゃべっても意味はないの。そもそも、会話に応じるにしても、やられた分ぐらいは返しておかないと」
 第一王女のリメエアも、雑誌に載っている美容に良い洗顔の特集をチェックしながらうなずいた。
「私はキャーリサほど物理的な方法は好まないけど、この局面を手早く切り抜ける事には賛成。なに、国家間の遺恨い こんを最小限にとどめるすべも存在するので、ご心配なさらずに」
「……、」
 二人の姉の言葉に第三王女のヴィリアンは何か言いたげだったが、結局だまったままだった。
 その様子を見ていた女王が、やがて口を開く。
「ともあれ、我々のやるべき事は二つ。一つ目は、外敵であるフランスに『応対』するため、ユーロトンネル爆破の原因を調べる事。二つ目は、内敵である魔術師の所属とねらいを探り、必要ならば的確に撃破げきは する事だ」
「優先順位は?」
第二王女のキャーリサが口を挟む。
「……私としては、一つ目の方が良い。『武力的な外交』のために、とっとと戦力の準備を始めたい事もあるし」
「いいや」
 対して、エリザードは首を横に振る。
「すでに起こった事件の調査と、これから起こる事件の阻止そしだ。優先すべきは国内の魔術結社の排除とする」
「チッ」
 キャーリサは露骨ろ こつに舌打ちしたが、それ以上は食い下がらなかった。その様子を見ながら、女王は続ける。
「ここはセオリー通りに進めるか。外敵……対フランス用のユーロトンネル調査は『騎士派きしは』に、内敵……イギリス国内のじゆつ結社については『清教派』に、それぞれ主導権を預ける。ただし、禁書目録は通常の『清教派』の魔術結社の捜索ではなく、こちらの調査のために別行動とさせてもらう」
 端的たんてきに、各々おのおのの方向性を示していく女王。
 おおぎよう威厳い げんや組織の沽券こ けんなど、権力者にありがちな『余計な装飾』など一切付け加えない。あるのは、現場を知る者としてやるべき事をわきまえた、事務的な指示だけだ。
 その割り振り方は、まさに指揮官のものだった。
「決定事項は各組織に伝達しろ。……いずれの懸案けんあんにしても、素早く終わらせる事にしよう。何せ、事件は同時に一つしか起こらない、などという優しい法則はどこにもないのだからな」

     6

 神裂かんざき火織か おりは携帯電話を耳に当てていた。
 一見すると通話しているように思えるが、実は違う。情報を送受信しているのは電話機ではなく、そこに取り付けられたはとのストラップだ。ゴム製のマスコットが振動し、それが『声』を作り出している。
『ええ、はい、はい。そうです。一応、エジンバラを中心にスコットランドの魔術勢力について調べていますが、やはりこちらの組織構造は「結社予備軍」が主流のようですね』
 声の主はアニューゼ=サンクティス。
 元々はローマ正教で一部隊を率いていた少女で、現在は部隊ごとイギリス清教の傘下さんか に収まっている。どうやら、彼女たちはその最大の武器である『数』を使って、例の『幻術を使って不時着を妨害し、幹線道路を使ってスコットランドからイングランドへ向かっている集団』について調査をしているらしい。
 近くで聞いているかみじようやインデックスを横目で見ながら、神裂はロを動かす。
「『結社予備軍』というと……魔術結社と呼ばれるほど洗練されたものではなく、単に魔術に興味を持った新入りが固まって作り出す、クラブ活動や同好会のようなものですか」
『大体三~五人ぐらいの集まりみたいですね。活動内容は恋の占い程度といった組織が、一〇○から二〇〇ほど確認されています。大抵の場合、活動といっても「瞑想めいそう」や「精神的活動」に終始するようで、他人や実社会に影響を及ぼす事なく自然消滅するようですが』
「……そんな連中が、国家を相手に事件を起こすと?」
『「結社予備軍」の特徴は、本当にくだらない小物と、本当に洗練された大物が混在している事です。今回の件については、金の卵の集まりだった、という事でしょう』
「すると、すでにある程度じようは割れているんですか」
『詳しい事はのちほど話しますが、随分ずいぶん前からコソコソ活動している痕跡こんせきがありましてね。どうやら以前から色々くわだてていたようですが、実行に移すだけの「きっかけ」がなかったようです。不自然な機材の購入先や、不審な目撃もくげき情報などを追い掛けている内に浮上しました』
 アニェーゼは自然な調子で答えた。
『私たちは数で勝負する部隊ですからね。人海戦術に加えてイギリス清教の権限も貸してもらえりゃあ、ある程度の情報を入手する事はできちまうんです』
 アニェーゼは何かのメモを読み上げるように言う。
『彼女達の組織名は「新たなる光」。典型的な「結社予備軍」の組織構造をしていますが、その洗練ぶりは他を圧倒しています。どうやら、身軽なポジションを維持するために、えて「結社予備軍」という立場を利用しているようです。構成メンバーは四人。名前や写真などの資料は後でそちらへ送ります』
「本拠地は?」
み込みましたが、遅かったです』
 アニェーゼの口調に苦いものが混じる。
『ただ、そこそこの霊装れいそうを製作できる環境は整っていました。北欧系のにおいがしましたがね。それと、ある都市の詳細な地図もあります。単に道や建物の配置だけじゃない。市内に数十万台あると言われる防犯カメラの位置も含めた、相当に詳細な地図です』
「数十万台のカメラ……まさか」
『ええ』
 アニェーゼは一拍置いて、こう言った。

『ロンドンです。どうやら相手は、本当にそっちでコトを起こすつもりのようですね』

 神裂かんざきはわずかにくちびるむ。
 今度は、アニェーゼの方から質問が来た。
『連中が使用する幹線道路は割れているんでしょう。そこからロンドンまでのルートを算出して、検問をいちまってみては?』
「……手配はしますが、完璧かんぺきという保証はありません。北欧系と言うと、都合良く気配や存在を隠す霊装も存在しますし、最悪、一本道の検問をぐ突破される恐れもあります」
『そんなに生ぬるい事を言っていないで、物理的に道を全部ふさいじまえば……』
「できる事なら私もやっています。ですが、国外との物資のやり取りすら不足しているのに、イギリス国内の輸送路まで封じてしまっては、自分の首を絞める結果につながりかねません。検問程度が限界でしょう」
『となると……』
「可能な限り市外で食い止めるよう努めますが、最悪、ロンドン市内で動くかもしれません」
 神裂かんざきは携帯電話を持ち直し、
「連中のねらいについては? 具体的に、ロンドンで何をするかはつかめましたか」
『これは先ほども「連中は以前からコソコソ活動している」と、ちょっと触れましたが……』
 やや言葉をにごすように、アニェーゼは小さな声になった。
『確証は持てませんけど、「新たなる光」のメンバーは、このスコットランド地方で何らかの「発掘作業」を行っていた節があります。……まあ、作戦計画書のような物を手に入れた訳ではなく、ヤツらが購入した機材のリストからの推測ですけどね』
「発掘作業……?」
 神裂はまゆをひそめる。
 アニェーゼの方も、『確証が持てない』のは本音であるのか、やや戸惑いを含む声色で続ける。
『主に城塞じようさい跡地で活動していたようですが、具体的に何を得ようとしていたかは不明。ただし、時間と資金の比重の掛け方からして、計画の中枢をになう「何か」なんでしょうね』
 おそらくは、魔術的まじゆつてきな物品――霊装れいそう
 しかも、作るのではなく掘り出すとなると、『現代の材料で作り出すのは難しい』レベルのもの、という事だろうか。
「となると、『発掘』した霊装をロンドンへ持ち込み、何らかの破壊は かい活動を行うと考えた方が良いのでしょうか」
『確証は持てませんが、暗喩あんゆ めいたメモがあります。今日の日付と、簡単な文章だけですが』
 アニェーゼは一拍置いて、
『――「今日、イギリスを変える」だ、そうです』
「確かに、意味は分かりかねますが……とても、平和的な意味には解釈できませんね」
 神裂は携帯電話を改めて掴み直し、
「アニェーゼは引き続き『新たなる光』の本拠地の調査を。スコットランド地方の『発掘』で何を入手したのか、それをロンドンへ持ち込んでどうする気なのか。その辺りの狙いを掴む事で、先回りできる可能性も増えます。……私たちは『新たなる光』を可能な限りロンドン市外で迎撃げいげきするつもりですが、最悪、ロンドン市内での交戦も考慮こうりよします。その場合に備える意味でも、『新たなる光』の装備品について調べてください」
 了解、という声と共に、通信は切れる。
 今までボケーッと突っ立っていたかみじようとインデックスに、神裂は言う。
「……私は天草式あまくさしきと共に、これからロンドン市内の警戒に当たります」
「例の、国内の魔術師まじゆつしたちと戦うためにか?」
「ええ。あなた……というか、インデックスはユーロトンネルの爆破現場へ。そちらの調査に同行するため、フォークストーンへ向かってください」
「フォークストーン? ユーロトンネルって、ドーバーって所を通っているんだろ」
「ええ。ですがユーロトンネルのイギリス側の入り口であるターミナルは、そこから数キロはなれたフォークストーンという街にあるんです。ですから、早くそちらへ向かってください」
 え? え? とうろたえるかみじようだったが、そこへ横槍よこやりが入った。
「いーや。悪いが少年、お前はフォークストーンには同行できないみたいだ」
 近づいてきたのは第二王女のキャーリサだ。
 彼女は上条の右手を指差して、
「一応報告は受けてるが、そいつはあらゆる魔術を無効化するはず。だとすると、魔術的な方法で現場を保存してるユーロトンネルに近づけさせるのはまずそーなの。解析作業にもえいきようを及ぼすかもしれないし」
「しかし、彼はイギリス清教と学固都市が共に認める、インデックスの保護者役です」
「それは分かるが、事はイギリスとフランスの関係を左右させるの。おまけに、その右手は詳しい原理や仕組みについては『不明』なんだろう? 本当に調査に影響を及ぼさないか、保証がある訳ではないし」
「では……」
 神裂かんざきが言いよどむと、キャーリサはこう言った。
「これから、私達三姉妹と禁書目録の手で、ユーロトンネルの調査を行うため、ターミナルのあるフォークストーンへ向かう。護衛には『騎士派きしは』の部隊をつける。騎士団長ナイトリーダー直属の部隊だ。それなら問題ないだろう」
 キャーリサは軽い調子で、
「『清教派』の護衛が一人もいないのが不満と言うなら、お前がフォークストーンまでついてくれば良いけど……この局面で、そちらも人員をくのは難しいだろう。私としても、足を引っ張るつもりはないの」
「それは、そうですが……」
 言葉をにごす神裂。立場上、どの道、文句は言えないのかもしれない。
 むしろ、部外者である上条の方が発言しやすそうな環境だ。
「三姉妹って事は、女王様は行かないのか?」
「母上は別宅のウィンザー城で何やら作業があるらしいの。フランスに対する小細工の準備かもしれない。おそらく、『清教派』のトップがコソコソしてるのと関係あるんだろう」
 神裂や『必要悪の教会ネセサリウス』はロンドンへ向かう魔術師達の捜索。
 三人のお姫様とインデックスはユーロトンネルで調査活動。
『女王』と『清教派』のトップはウィンザー城でコソコソ。
「……で、ぶっちゃけおれは何したら良い?」
「とうま!!」
 第二王女が答える前に、インデックスが腰に両手を当てて叫んだ。
「事件が起こると行かなきゃいけない、っていうのは、とうまの悪いくせだよ!! とうまは単なる一般人なんだから、全部終わるまでここで待っていれば良いの!!」
「いやぁ、良いんじゃないの? 『必要悪の教会ネセサリウス』だって国内外で幅広く活動してるために、今は人員不足なんだろう。使える人材は使える所へ回した方が効率的だ」
「い、いえ。確かに、現状では人手がいくらあっても足りない状況ですが……それでも、民間人を危険にさらすのは得策とは思えません」
 と、そこへ女王のエリザードが通りかかった。
 彼女はこう言った。
「ああ、そうか、そうだな。民間人なら無理に協力してもらう必要はない。事態が収拾するまで、ここで好きにしてもらって結構だ」
「そうだよ、とうま」
 うんうん、とインデックスはうなずいていたが、
「ただし、国益を伴わぬ人員の滞在たいざい費用については、国民の血税でまかなう訳にはいかない。後日、別途で計上させてもらう事になるが構わないな? なぁに、悪趣味あくしゆみ な高級ホテルのスイートルーム二、三部屋分と思ってもらえば安いものだろう」
 ……イギリスの平和のために、つつしんで協力させていただきます、とかみじようは頭を下げた。

     7

 牛乳かバターのCMにでも使えそうな風景だった。
 地平線の向こうまで、なだらかに凹凸する緑色の大地。所々にポツポツと建っている牛舎やサイロ。今は午後一一時ごろなので、牛も小屋の中で眠っているのだろうが、昼間ならゆっくりと牧草をんでいる乳牛をたくさん見られた事だろう。
 そんな緑色の牧草地を切断するように、一本の道が走っている。
 そして、その一本の道を、一台の自動車が走っていた。家族で来るにしては、少々手狭な感のある、小さな自動車だ。どこかで借りてきたレンタカーらしき車の中には、四人の少女たちが詰め込まれている。
 後部座席に座っている一人の少女が、窓を開けて首を外に出していた。青っぽい色のミニスカートに、野暮やぼったいジャケットのファスナーを首まで上げた格好をした、一〇代前半の女の子だ。長い黒髪は、先端せんたんの方だけ三編みにされて束ねられている。
「だー、もうすぐこの緑のにおいともお別れですかぁ……」
「ちょっとレッサー。ケツが見えているわ。あとあなたの尻尾しつぽがすごく邪魔じやま 
 不機ふきげんそうな調子で言ったのは、彼女のとなりに座っている一八歳ぐらいの女だ。銀髪の彼女もレッサーと同様の格好だが、ジャケットはない。上着は長袖ながそでのスポーツ用のシャツで、やたらと胸の部分がぐぐっと盛り上がっていた。首元には小さなボタンが二、三個あるが、すべて外されているので、ちょっと谷間が見えている。ミニスカートの内側にある脚は、青いレギンスによって足首までおおわれていた。
 彼女は目の前で揺れる『尻尾』をてのひらでペシリと打つと、
「引っ込めないと引っこ抜くから」
「ベイロープのケチんぼ。というか、何をそんなにイライラしているんです?」
 レッサーは窓の外に目をやったまま、『尻尾』に命令を送る。引っ込めると言っても体内に収納するとかいう訳ではなく、ミニスカートの内側……太股ふとももの付け根の部分に、へびのように巻きつかせるだけだ。
 と、『尻尾』を収納するための挙動なのか、今度はしりを高く上げるレッサー。
 顔の前に白いパンツを突きつけられたベイロープのまゆがピクビクとうごめき、
「だからっ!! 引っ込めろとっ!! 言ったはずだわッッッ!! !! !!」
「ぐわァァああああああああ!? いきなり両手で鷲掴わしづかみ!? ちょっと、ベイロープが作戦前で実はテンパってるんですけど!! フロリスも何とか言ってやってください!!」
「えー、ワタシは今、運転で忙しいからなぁ」
 ハンドルを握った金髪の少女はやる気なさげだ。一五歳程度の年齢で、やはり格好は前述の二人と似たり寄ったり。こちらはスポーツ用のシャツの上からジャケットを羽織はおり、ミニスカートの下はスパッツである。
「……それより、いつまでっても景色が変わんないなぁ。迷うような道じゃないはずだけど。ランシス、本当にこの道で合っているんだろね?」
 と、フロリスと呼ばれた運転手は、助手席にいるナビ役で茶色い髪の少女に話題を振ったが、
「や、やめて……。くすぐった、あふぁ、まっ、りよくが、魔力を受けりゅと、かっ、からだがっ、くすぐったくなって、いひひひひひ……」
「くそっ、自分で作った魔力に当てられてぷるぷるしてやがる。生命力を魔力に精製する途中で、何がどうなったら、こんな『くすぐったさ』におそわれるんだ……?」
 フロリスは舌打ちすると、ルームミラー越しに後部座席に目をやり、
「そこで官能小説に突入しかけているレズ二人。スキーズブラズニルの準備は終わってんの? せっかくアレを『発掘』したんだから、入れ物の方にも気を配ってもらわなきゃ困るんだよ」
馬鹿ばかもの!! そんな手つきでは尻が痛いだけですッ!? えっ? あの『ケース』の事? そんなら四つ全部調整終わっていますけど」
「上出来だレッサー。あと、ベイロープの弱点はふくらはぎだと伝えておこう」
 バタバタン!! と体勢が入れ替わる震動しんどうが小さな自動車を揺らす。フロリスは肩凝かたこ りを気にするように、片手をハンドルからはなしてもう片方の肩を軽くさすると、
「『つばさ』の調子も良好、と。……その分だと、『尻尾しつぽ』の方も心配なさそうだな」
 ルームミラーには、どったんばったん暴れるレッサーのミニスカートからウニョウニョうごめ霊装れいそうが映っている。動物というよりは、デフォルメされた悪魔あくま に近い『尻尾』だ。
「ランシスの『つめ』は大丈夫だいじようぶなの?」
「あふぇ……じゅんびおっけー……く、くすぐった、いひ」
 助手席からの返事を聞くと、フロリスは改めてルームミラーに視線をやる。
「おい、まだ『ハサミ』の調整が終わってないだろ。向こうに着く前にやっておけよ。ワタシはご覧の通り、運転するのに手一杯。ランシスはくすぐったさでぷるぷるしていて使い物になんない。手を動かせるのはアンタたちだけなんだからさ」
「テンパったベイロープをしばってくれるんならいくらでもやりますよっ!! というかコイツ、ふくらはぎ程度じゃビクともしないんですけど!!」
 そりゃあ面倒くさいなぁ、とフロリスは無視して正面をにらむ。
「さて、と。そろそろ気を引きめろ。これから英国って枠組みそのものをぶっつぶすんだから」
 道路は分かれ道になっており、その手前に交通標識が立っていた。そこには英文と矢印の簡単な図面で、こんな事が表記されていた。
 ――直進、ロンドンまで三〇キロ。

     8

 かみじようは赤いオープンカーの助手席にいた。
 夜のロンドンは、なんというか、排気ガスくさい。何百年単位の歴史的な建物が数多く並んでいる訳だが、そんな景色に反する形で、ムードぶちこわしな臭気しゆうきに包まれている。
「しっかし、まさかここでアンタが出てくるとはなぁ」
「あら。お姉さんとしても、意外な展開だったわよ?」
 マニキュアでギラッギラになっている指をハンドルに添えている魔術師まじゆつしは、くすくすと微笑ほ ほ えみながらそんな事を言った。
 オリアナ=トムソン。
 金髪碧眼へきがんでとにかく爆乳のお姉さんだ。かつて、学園都市の大規模な体育祭『大覇だいは 星祭せいさい』に乗じて、相棒のリドヴィア=ロレンツェッティと共に破壊は かい活動を行おうとした過去がある。
 上条、ステイル、土御門つちみ かどの三人を同時に相手にして互角以上に戦うなど、驚異的きよういてき戦闘せんとう能力で知られるが、最終的にその野望は阻止そしされ、身柄をイギリス清教に預けられたという事だったが……。
「まぁ、お姉さんにも色々あってね。ちょっとした取り引きをして、今ではイギリスのために腕を振るう事になっているのよ」
「……っつーか、ユーロトンネルの爆破って、フランスと、その背後にいるローマ正教が関係してんだろ。イギリス国内で動いてる魔術師まじゆつしについては知らんけど、関係性あるかもしれないし。アンタ、牙剥きばむ いちまって大丈夫だいじようぶなのか?」
「一応断っておくけど、お姉さんの本分は魔術系の運び屋。どこかの組織に忠誠を誓っている訳ではないわ。どの勢力に協力してだれと戦うかは自由よ。……だから、ほうしゆうさえいただけるなら、あなた個人のために汗を流してあげても構わないって、ワ・ケ」
 甘い息を吹きかけられて、思わず体をガチガチにさせるかみじよう。なんというか、この色っぽい姉ちゃんは色々とニガテな高校生である。
「ふ、ふうん。じゃあ何か、運び屋としてのスキルを活用して、どこにいるか分からない魔術師を見つけ出すのを期待されてるって感じなのか」
「まぁ、逃げる技術と追う技術は、実際には全然違うものなんだけど。この辺は実際に肌で感じてみないと分からないものなんでしょうね」
「で、今はどこに向かっているんだ?」

「容疑者である四人構成のじゆつ組織『新たなる光』がロンドンに入る入らないって話があったけど……どうも、道中に張られた検問は無駄むだに終わったようね。おかしな痕跡こんせきが見つかったわ」
「……もう入っちまったっていうのか?」
「ロンドンには数十万台の防犯カメラが設置されているって話は知ってる? その中にある、ロンドン北部の映像なんだけど」
 言いながら、オリアナは細い指先でカーナビのボタンを操作した。街灯の視点から道路を見下ろしたような、不思議なビデオ映像に切り替わる。
「今から一〇分前の映像よ」
 早送りになった映像をしばらくにらんでいたかみじようだったが、
「……おい、何も起こらないぞ」
「起きているでしょ。画面の上のはし。自動車の影ができているのが見えない?」
 言われてみればそんな感じがするが、だったら無理にこのカメラの映像を見せる必要はないんじゃないだろうか、と上条は首をひねる。数十万台もカメラがあるなら、画像の中央に自動車を映しているものだってありそうなものなのに……。
「ないのよ」
 上条の疑問に、オリアナはあっさり答えた。
「どの映像を見ても、その自動車がどの経路からやってきたのか、それを示す映像が見当たらないの。こいつは数十万台あるカメラの配置をすべて把握した上で、その死角となるポイントを選んで移動し、車をめた。……偶然で片付けるのはちょっと難しい状況ね」
「でも、それだけで、本当に魔術師って分かるのか?」
「分からないから、調べに行くの」
 オリアナはカーナビを、ビデオからナビへ戻しながら言う。
「ロンドン自体はあみの目のように道路が走っているけど、交通の要所となるべきポイントは限られている。まして、カメラの死角をうように進むなら、なおさらにね。……こいつが問題の魔術師にしろ、そうでないにしろ、すぐに追い着く。気になる事があったら調べて確かめれば良いのよ。そうやって、ヒットするのを待つしかない」
 後手に回るような発言だが、事実なのだから仕方がない。何しろ、上条たちはまだ『新たなる光』という集団が、ロンドンへやってきて何をしようとしているのかも分からないのだから。
「……そんなんで見つかんのかよ?」
「あら。一から一〇までねらいが分かった上で追い掛ける方が現実にはめずらしいわよ」

     9

『新たなる光』の一人、ベイロープは地下鉄駅の出入り口である下り階段近辺で、壁に背中を預けていた。足元にある古ぼけた四角いかばんを気にしつつ、時折ライトアップされた時計台の文字盤に目を向けている。
 彼女は通信用の霊装れいそうを通して、ほかの仲間と連絡を取り合う。
「さて、と。いよいよ試合開始って感じ? キーパーはランシスに任せたわ。私たちが勝利すればイギリスの現政権は土台から崩壊ほうかい、ロンドンもただでは済まないかも。まぁ、必要以上に市街地をぶっこわす理由も特にないけど」

『新たなる光』の一人、ランシスは古ぼけた四角い鞄を地面に置いて、その上に腰掛けていた。細長い包みを手にしたまま、彼女は体をぷるぷるさせながら夜空を見上げている。
 彼女は通信用の霊装を通して、他の仲間と連絡を取り合う。
「……くっ、くすぐったい、……そ、そにょ、そのために、ふわ……皆が帰途に着いた、この時間帯をねらったはずだもん……あは。少なくとも、昼間にやるよりは、……混乱も少ないはず……ひゃううう……」

『新たなる光』の一人、フロリスは大通りから少し外れた、小さな道を歩いていた。彼女は髪をかき上げる仕草にも似た調子で、古ぼけた四角い鞄を肩の後ろにやっている。
 彼女は通信用の霊装を通して、他の仲間と連絡を取り合う。
「できる事なら『人払い』でも張ってやりたいトコだけど、結界なんて使ったら一発で連中に見つかるからなぁ。……逆に、そいつを応用して連中の注意をらす事もできる訳だが。とにかく、ワタシらハーフが速攻で決めて、さっさと終わらせよう」
 そして……。

『新たなる光』の一人、レッサーは場末の酒場にいた。ロンドン北部にあるイズリントン区のはしにある、最低でも一人二リットルはんでいそうな連中ばかりが集まっている酒場である。
 一〇代前半の少女であるレッサーは明らかに浮きまくっていたが、『せっかく旅行でやってきたのに、もうどこのレストランも開いていない』と言ったら、筋肉もりもりの店長が魚のフライをサービスしてくれた。飲み物はオレンジジュースである。
 そんなこんなでカウンター席でジュージュー音を立てているフライを頬張ほおば っているレッサーは、一メートルぐらいの細長いケースのひもを肩に掛けていた。それから、足元には古ぼけた四角い鞄が置いてある。
 と、そこへ、レッサーの頭に直接『声』が届いた。
『勝手にご飯食べるのは良いけど、あなただってハーフの一人だっていうの忘れていない? こんなトコでへマしたら承知しないから』
『しませんよん。でも、どうせならフォワードが良いですよねー。というかベイロープ、ロンドン市内で通信にじゆつ使うのマズいんじゃないんですか? 仮にも第零聖堂区の本拠地なんだし』
『「必要悪の教会ネセサリウス」のふところだからこそ、余計に心配しているの。うう、あなたなんかに背中を預けたくない……』
『実はおなかがすいてイライラしていますね? ほらほら、今なら通信に嗅覚きゆうかく情報も混ぜちゃいますよー。ほーらー、この脂のはじけるにおいが素晴らしいでしょう?』
『……(まったく、実力的には確実に「新たなる光」の中で最強なのに。ふう、それにしても何か食べたくなってきた魚のフライかぁ)』
『んふ。思考がダダれありがとうございまブギャア!?』
 ガッギィィ!! というすさまじいノイズと共に通信が切れた。明らかないやがらせに頭をくわんくわんさせたレッサーは改めて魚のフライと格闘かくとうしながら、
(さて、と。こいつを平らげたらカバンを所定の位置まで運んで、あとは指示待ちですか。変わるかなー、イギリス。変わってくれると良いですなー……)
 ふんふふんと鼻歌を歌いつつ、スツールの下で足をバタバタ振り回すレッサー。と、その爪先つまさきくだんの四角いかばんにゴツッとぶつかった。
(おっとっとっと……っと?)
 そこで、レツサーの動きがピタリと止まる。
 四角い鞄がない、のではない。
 足元には今もきちんと、彼女が持ってきた四角い鞄が置いてある。
 ただし、

 なんか、もう一つ四角い鞄がある。
 お互いの特徴がほとんど同じ、ぶっちゃけ見分けのつかなさそうな四角い鞄が、二つある。

「……、」
 レッサーは、恐る恐るとなりを見た。
 ついさっきまでいた客と入れ替わりに、黒人の大男が小さなスツールに座っていた。泡だらけのビールをグビグビんでいる彼の持ち物が、もう一つの四角い鞄なのだろう。
 さて。
 レッサーが持って来た四角い鞄は、どっち?
(ぎゃあああああああぁあああああああッ!! やっ、やばやばやばやばやばやばやば!!)
 つい先ほど、ベイロープに釘を刺されたばかりなのに、早くもトラブル発生である。
 当然ながら、中身を確認すれば分かる。レッサーの四角い鞄自体も『大船の鞄スキーズブラズニル』という霊装れいそうなので、魔術を発動すれば判断できる。だがダメだ。ここで四角い鞄を『開ける』訳にはいかないし、下手にデカいじゆつを発動すれば『必要悪の教会ネセサリウス』に見つかるリスクも増す。
 そうこうしている内に、黒人の大男は巨大なジョッキの中身を飲み干してしまう。
「うぃーい。今日はこんぐらいにしとくわー」
「何だぁー? まだ三杯目じゃねえか」
「医者に止められてるんだよーう。酒はほどほどにしときなさいってな」
「じゃあ三杯でもアウトだろ」
 店長とそんな事を言い合いながら、カウンターで紙幣し へいを数え始める大男。
(まずい、どっちか分かんないかも……)
 レッサーはいつしゆん、肩にかけた一メートルぐらいの細長いケースに意識を向けるが、すんでの所で思いとどまる。ここで『武器』を取り出したら、それこそ大騒おおさわぎになる。
(だぁーもう!! どっち? こっち!? 右!? 左!? 『大船の鞄スキーズブラズニル』は!?)
 悩むレッサーの目の前で、黒人の大男はふらふらした手つきで足元の四角いかばんへ手を伸ばす。
 と、
 ガシィ!! と、レッサーの小さな手が、大男の手首をつかむ。
「んん?」
 怪訝け げんそうな顔でこちらを見る黒人の大男に、レッサーは言う。
「こっ、こっちが私のです。おじさんのカバンはそっち」
「ん、んん!? おーそっかそっか。済まなかったな、じようちゃん」
 苦笑いしながら、大男はもう一つの四角い鞄を持ち直す。
 席を立つ黒人の酔っ払いを見ながら、レッサーは重たい息をいた。
(……セェーフ……。いやー、あとちょっとでベイロープにしりを握りつぶされる所でした……)
 どちらかと言うと、レッサーの四角い鞄の方がり切れていた気がする。指先で表面をなぞり、自分の持ち物の感触を確かめ、何とか判断できたのだ。
 ようやく肩の力を抜いたレッサーは、ぐにゃぐにゃとした動きでカウンターに突っ伏す。その様子を見た店長が『あれ? 酒ませてないよな?』とやや心配そうな顔になる。
 と、そこでレッサーは見た。

 なんか、三個目の四角い鞄が床に置いてある。

 だらだらだらだら、とレッサーのほおに汗が伝った。
 それもほかの酔っ払いの持ち物なのだろう。あるいは忘れ物かもしれない。しかし、改めて『三個目』を見せられたレッサーの自信が、揺らいだ。どれが本物でしたっけ? これで正しいんでしたっけ? 光の加減で持ち物の雰囲気ふんい き って変わったりしていません? さっきの黒人の持ってたヤツは? 全部並べて見比べてみたい! ああ、でもおじさんが店から出ちゃいます!! と色々テンパったレッサーは、

「ぜっ、全員動くなァァあああああああああああぁああああああああッ!!」

 ……霊装れいそうによる通信で事の次第を知ったベイロープは、泡を吹いて倒れそうになったという。

     10

 防犯カメラの死角にめられていたという自動車。
 オープンカーに乗るかみじようとオリアナはそのすぐ近くまで来たが、そこでオリアナは急に車の方向を変えた。無線機の機能でもついているのか、カーナビからはノイズ混じりの男の英語が聞こえてくる。
「連絡が入ったわ。ヤツらの一人がヘマしたみたい!!」
「うわっと!? 何だ、『必要悪の教会ネセサリウス』からか?」
「今のは『王室派』から干渉を受けているロンドン市警よ。なんか、近くにある酒場でトラブった馬鹿ばかがいるようね!!」
 車道には、赤と青のランプをまたたかせるパトカーが多い。そんな中を、何らかの許可でももらっているのか、法定速度を無視したオリアナのオープンカーが爆走していく。ウィンカーもけずに交差点を勢い良く右折した所で、上条の視界が『変なもの』をとらえた。
 煉瓦れんが の歩道を突っ走っている、小柄な女の子だ。
 分厚いジャケットにミニスカートという格好の少女は、何故なぜか三つもの四角いかばんを抱えつつ、
「ええっと、どれです、どれです、これですかっ!? これでしたっ!! くっそ、ちょっと持ち上げて重さを確かめればすぐに分かったのにッ!!」
 早口の英語は上条には理解できないが、表情や身振りから察するに、どうやら後悔しているらしい。抱えている鞄の内の二つを路上に投げ捨て、残る一つを手に、さらに走る。
 それだけでもおかしな状態だが、さらに目をくものがある。
 彼女がビジネスマンの電話のように、肩とほおで挟んでいるもの。

 やりだ。

 厳密に言うと、一・五メートル前後の金属製のシャフトだ。どうやら携帯性を増すために、『太いシャフトの中に細いシャフトを収納できる』ように作られているらしい。その先端せんたんに、さらに四〇センチぐらいの刃が取り付けられていた。それも一本だけではない。上段に三本、下段に一本。槍の下端が自転車のブレーキみたいな形になっている所をかんがみると、どうやらレバー動作で開閉できる仕組みになっているようだ。
「何だありゃ……?」
「何らかの霊装れいそうなんでしょう。あからさまに怪しさ爆発。あれが『新たなる光』の一員で間違いなさそうね。まったく魔術師まじゆつしは自分が変な格好をしているって自覚がないのかしら」
「……、」
 かみじようは無言でオリアナの全身を見たが、彼女はその事実に気づかない。
 オリアナは両手で握っていたハンドルから片手をはなし、胸元へと差し込む。そこから取り出されたのは単語帳のような紙束だ。彼女は単語帳のページを口でみ、あごを動かして金属製のリングから千切ちぎり取ると、歩道を走る少女とすれ違いざまに、そのページを歩道へ放つ。
「人払いよ」
 彼女がつぶやくと同時に何かが発動したらしい。
 上条には分からないが、ターゲットの少女の方がハッと顔を上げた。
 そこで、オリアナの放ったカードがぺらりとめくれる。彼女は同時に二枚放っていたのだ。
 白紙だったページに、いつの間にか文字が浮かび上がっている。
 黄色い文字で記されたのは『Fire Symbol』。
 それこそが、『運び屋』であり、一度使った術式は二度と使わないとされるオリアナ=トムソンの魔術のカギだ。

 ボゴッ!! という爆炎が歩道で炸裂さくれつする。
 辺りのシャッターや窓がビリビリとふるえ、夜のやみが赤く照らし出される。

 爆発を確認すると、オリアナはハンドブレーキを動かし、ハンドルを急激に切って、ほとんど勢いを殺さずにUターンした。オープンカーの鼻先を爆炎に向け直し、自動車はその動きを止める。
 慌てたのは上条だ。
「おっ、おい!! ちょっとやりすぎじゃねえのか!?」
「いいえ、むしろまずそうよ!!」
 叫び返しながら、オリアナは運転席のドアを開け放ち、ほとんど転がるようにオープンカーから降りていく。
 ? と上条が首をひねった直後、

 ジャキン、という金属をこする音が耳についた。

 音源は横から。
 かみじようには首を向ける時間もない。いつしゆんと呼ばれる時間の中で、かろうじて眼球だけを動かしてそちらを見ると、助手席のすぐそばにまで、例の女の子がすべり込んでいた。砲弾のような速度で走行する少女の後ろを、何かが追う。それは『尻尾しつぽ』だった。スカートの中から伸びているのは、自転車のチェーンロックのように、透明なチューブの中を金属製の平べったいくさりのようなものが走っている『尻尾』だ。
 ふと、少女と目が合った。彼女は英語でこう言った。
「文句はないですよね?」
 少女は、その『やり』の先端せんたんを鉄のドアに突きつけていた。
 ドアごと貫通し、上条の腹を破るために。
「オッ……ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
 上条は車の構造を無視して、助手席のシートをみつけると、オープンカーの前方――ボンネットへ向けて、とっさに跳んだ。助手席のシートをる瞬間、ドアを貫いた四本の刃が上条のバッシュの底を浅く切り裂く感触が確かに伝わった。
 ドスン!! と鉄のドアを貫通する衝撃しようげきが、一瞬遅れてやってくる。
 ボンネットの上に着地した上条は、そのままさらに路上へ跳ぶ。
 そこで、グワッ!! という妙な轟音ごうおんを聞いた。
 振り返れば、一〇代前半の小柄な少女が、オープンカーの助手席のドアをむしり取っていた。
『槍』の先端が突き刺さったまま、強引にそのつかつかんで振り回したのだ。馬鹿馬鹿ばかばかしいほど暴力的な光景とは裏腹に、ミニスカートの中では『尻尾』がユーモラスに揺れ動く。
 四本の刃に貫かれた助手席のドアごと、少女はさらに『槍』を振るう。刺すのではなく振り下ろす。ただしそれは上条に向けて、ではない。
 オープンカーの後部……燃料タンクに向けて、だ。
 メキメキと音を立てて、鉄の壁が簡単に破れた。『槍』の先端が、燃料タンクの中に沈み込む。
 すさまじい轟音と共に、オープンカーが爆発した。
 しかし、上条がおどろいたのはそこではなかった。

 本来なら四方八方へ広がるはずの炎を。
 少女の持つ四本の刃が強引に『掴み取った』のだ。

 一体どういう仕組みなのか、『槍』を形成している四本の刃が、まるで人間の指のように大きく開く。それが再び勢い良く閉じると、今まさに周囲一面へき散らされそうになっていく爆炎を、まとめて押さえつけたのだ。
 炎は四本の刃の隙間すきま かられ、しかし空気中で新たな形を作り出す。
 最大で一メートル程度の、一辺の長さが均等ではない、ブロック状の不自然な紅蓮ぐ れんかたまり
 四本の刃は、まるで巨大な人参にんじんを突き刺すフォークのようだった。
 爆炎は吹き消されず、四本刃に従うように大きく動く。
 炎の塊を伴う『やり』をハンマーのように振り上げた少女は、へたり込むかみじようと目を合わせる。
 彼女は笑っていた。
 とっさにかばうように右手を構える上条だったが、少女はその防御をかいくぐるように、わずかに斜めへ回すような軌道で『槍』を振り下ろしてくる。
うそだろ……ッ!?」
 ギクリと体を強張こわば らせる上条の目だけが、ミニスカートから『尻尾しつぽ』を垂らす少女の持つ、炎をまとう『槍』を追い掛ける。
 その時、

 ボッ!! という衝撃しようげきが、少女を横からぎ払った。
 彼女の体をくの字に折り曲げて吹き飛ばしたのは、先に車を降りたオリアナのじゆつだった。

 少女の小柄な体が数メートル跳んだ。彼女は『槍』をつかんだままだったが、その先端せんたんにまとっていた巨大な炎の塊が、刺さった人参ごとフォークを振り回したようにすっぽ抜けて、あらぬ方向へと飛び散り、爆発し、オレンジ色の光を路面へ広げていく。
 それでも、彼女は倒れなかった。
 靴底をガリガリ削るようにして速度を殺した彼女は、もう片方の手で掴んでいた四角いかばんを使って、オリアナの施術を受け止めていたのだ。
 しゅううう……、と表面から煙を上げる四角い鞄と、その盾の奥で鋭い眼光を放つ少女。
 ただし、
「おおぅぅわァァああああああああああああッ!? やっちゃった、思わずガードに使っちゃったけど、一番大事なのを盾にしちゃいましたーっ!!」
 ネイティブな英語はサッパリだが、どうも魔術師は慌てているらしい。
 うろたえる少女に対し、たった今殺されかけた上条は率直に言った。
「おいオリアナ。何だか良く分からんが、あの四角い鞄が最重要アイテムらしい。女の子をぶっ飛ばすとか気が進まなかったんだ。四角い鞄を集中砲火してボッコボコにしちまおうぜ」
「いいですとも。あれも霊装れいそうの一種だとしたら、あなたの右手でなぐってみるのも面白おもしろそうじゃない?」
 そんな作戦会議を耳にした少女がビクッと肩をふるわせ、
「よっ、よくぞこの短時間で私の弱点を見破りましたっ! しかしここでやられる訳にはいかんのです! ベイロープにしりを握りつぶされないためにも、ここは戦略的撤退てつたいをさせていただきましょう。とォうッ!!」
 一度、『尻尾しつぽ』を振り子のように大きく動かすと、少女は真上に飛んだ。
 垂直跳びで三階ぐらいまでの高さまで上昇すると、ビルの窓を突き破って建物の中へと飛び込んでいく。
 周りにさわぎがないのは、土壇場ど たんば でオリアナが『人払い』を使ったため。
 あの少女自身は、全く騒動そうどうが起こる事に気を配っていない。
「くっそ……。あんなの追えんのかよ!?」
 かみじようは思わず毒づいた。
 あれだけの跳躍力ちようやくりよくがあれば、道路を無視して自由に街を行き来できる。あれでは徒歩どころか、自動車があっても追うのは難しい。何しろ、車は道に沿ってしか移動できないのだから。
「そうでもないわ」
 ところが、オリアナは上条の不安を否定した。
「建物の中や屋上を移動できると言っても、限度はあるわ。そもそも建物は道路に沿って建てられるもの。その建物を伝って移動するとしたら、自然とその流れに従うしかなくなるのよ」
「?」
「分からない? 片側三車線、四車線と広がる大通りにぶつかったら、建物から建物へ移動する事は封じられるのよ。ちょうど、道路が広い川にさえぎられてしまうようにね」
「建物から道路に飛び降りられる可能性は!?」
「それができていたら、あの『尻尾』は必要ないでしょう。あれは空中でバランスを取るための保険よ。ある種の猿が枝から枝へジャンプする時に使っているものと同じ。あんな霊装れいそうを用意しているって事は、あいつにとっても『一定以上の高さ』は怖いものなのよ!」
 という事は、あの魔術師まじゆつしは万能ではない。
 逃げるルートも自然と限られてくる。
「追うか」
「当然!!」
 上条とオリアナはうなずくと、夜のロンドンを走る。

     11

 そんな騒動から一キロほどはなれた、地下鉄駅の出入り口近辺で、『新たなる光』の一人、ベイロープは真剣に頭を抱えていた。
(あの馬鹿ばか……ッ!! よりにもよって、第零聖堂区どころかー般のロンドン市警にまで筒抜けになるレベルのさわぎを起こすなんて……ッ!!)
 今も通信用の霊装からは『ヘルプー、ヘルプですーっ!』という甲高かんだかい声が届いているが、むしろあいつに関しては私がとどめを刺したい、とベイロープは歯を食いしばる。
 地下鉄の出入り口である階段は、コの字型の壁でおおわれている。深夜一二時近い、いわゆる終電間際ま ぎわであるためか、多くの会社員や酔っ払いが階段に吸い込まれていく。そんな中、ベイロープはコの字の壁に背中を預け、肩に提げた一メートルほどの包みと、足元に倒してある古ぼけた四角いかばんへ意識を向けた。
(……ともあれ、最悪、一個だけでも必ず『起動』させる。今はランシスからの連絡待ちか。土壇場ど たんば までだれにも座標情報が分からないっていうのはネックね。目的地が不明な分、とっさのアドリブが難しいわ)
 鼻から息をいて腕組みしながら、ベイロープは行き交う会社員たちを眺める。典型的な英国人の証券マンだけでなく、チラホラと日本人も確認できた。金髪の頭がいっぱいある中で、黒い髪が目立つ。何気なくそちらへ目をやると、八つ九つと黒髪が増えていき――気がつけば、ベイロープの周りには日本人しかいなくなっていた。
「……ッ!?」
 いつの間にか取り囲まれていたベイロープは、肩に提げた『包み』に目をやる。そうこうしている内に、日本人の団体の中から一人の少女がベイロープの前へ、ズイッと近寄ってきた。
「イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会ネセサリウス』です。――よろしいですか?」
 警官のような口調で告げたのは、天草式あまくさしき十字じゆうじ凄教せいきよう五和いつわ だ。雑踏ざつとうの中にいるにもかかわらず、彼女はすでに十字やりの一種を片手で握っていた。
 その道の人間にしか分からない意味不明な自己紹介に対し、ベイロープは腕を組んだまま、くちびるはしを引きつらせるように笑った。
「……もうここまで辿たどり着いたって訳?」
「我々は、環境に溶け込む事をむねとする一派でして。逆に、不自然な者を捜し出す術にもけているんですよ。元々は、町民にまぎれた幕府の監視役を早期発見するための技術ですけどね」
「チッ。なるほど、ヤツらの『傘下さんか 』って訳。まったく、第零聖堂区の連中は本当に手当たり次第に人材をかき集めてくるものね」
処刑ロンドン塔までご一緒いつしよしていただきます。念のため、罪状を確認しますか?」
「いいえ、結構」
 ベイロープは組んでいた腕を解き、ふところへ手をやった。まるでヘッドホンを取り付けるような動作で装着したのは、耳の後ろに引っ掛ける補聴器ほちようきのようなものだ。ただし、そこから真空管のようなものが左右二本ずつ飛び出している。
「このカバンを『起動』させるまで」
 特殊な耳、もしくは角を取り付けたベイロープは、地面に倒してある四角い鞄の取っ手へ、足の爪先つまさきを差し込み、
「捕まるつもりはないんだからッ!!」
 四角いかばんり上げるように宙へ持ち上げ、それを片手でつかむベイロープ。同時、その動作を合図に五和いつわ 遠慮えんりよなしにやりを突き出した。ねらいは右肩。肩と腕の関節部へ刃をねじ込むように、彼女の切っ先がベイロープを狙う。
 ごう!! という空気を裂く音が炸裂さくれつする。
 しかしベイロープの柔らかい肌が引き裂かれる事はなかった。
 原因はベイロープの肩に提げてあった『包み』。それは彼女の意志に応じて内側から破かれ、中にあった『武器』が横薙よこな ぎに振るわれた。槍とも手とも取れない、長い金属棒の先端せんたんに四本の刃を取り付けた『武器』。それはぐ放たれた五和の槍と激突し、火花を散らし、そして互いが互いをはじき飛ばす。
 もしもこの場にかみじようがいれば、こう思っただろう。
 ベイロープの持っている 『武器』は、自分が遭遇そうぐうした魔術師まじゆつしの少女と同じものだと。
「……ッ!!」
 ガッキィィ!! という甲高かんだかい音と同時に、五和とベイロープの周囲にいた数十人の日本人が、一斉に隠し持っていた剣やおのを取り出した。禍々まがまがしいはがねかがやきに包まれる中、しかしベイロープは不敵に笑う。『武器』を握る手に、より一層の力を込める。
 体ごと回転させるように、ベイロープは『武器』を振るう。
 思わず身構えた五和だが、攻撃は天草式あまくさしきだれも向けられなかった。ベイロープが破壊は かいしたのは、自分が今まで背を預けていた、コンクリート製の壁だった。
 地下鉄の出入り口の階段を、コの字状に囲んでいた壁だ。それをビスケットのように粉砕したベイロープの意図は明白である。
 すなわち、逃走。
「く……ッ!!」
 悔やむような五和の吐息と いきと共に放たれる槍。しかしその刺突がベイロープの体を貫く事はない。彼女はすでに、瓦礫が れき一緒いつしよに地下鉄駅につながる階段へ急降下している。
「五和!!」
「分かっています!! 建宮たてみやさんたちすべての出入り口へ人員を配置してください!!」
 どうりようからの呼びかけに叫び返しながら、五和は地下へ繋がる階段へ飛び込む。階段を使う、というよりは、一息に下階層まで飛び降りていた。
 着地と同時に、五和はふところへ手をやる。中から出てきたのはけんじゆうだ。マガジンの中に入っているのは空砲なのだが、五和は構わず引き金を引いた。
 ガンガンバァン!! という鼓膜を打つ轟音ごうおんが何度もはんきようし、地下空間のはしまで伝わる。
 その音を聞き、地下鉄駅にいた乗客達が一斉に出口を目指す。テロリストか乱射事件かと思われたのだろう。ほとんど錯乱さくらんするような格好で、あっという間に地下から人がいなくなる。
(各出入り口は建宮さん達が押さえている。仮に駅の中に魔術師が残っていたとしても、これで民間人を巻き込む懸念け ねんはなくなった)
 五和いつわ は空になったけんじゆうを適当に放り捨て、改めてやりつかみ直す。彼女のような魔術師まじゆつしは『人払い』という術式も扱うが、きんきゆうを要する場合は物理的な手口の方が効果が高い事もある訳だ。特に天草式あまくさしきは『周囲にある普通の物品から魔術的意味を抽出する』ため、その条件に見合う物を探すのに手間取る場合は、こうしてしまった方が手っ取り早いのである。
 やや長い通路を走ると、その先にあるのが券売機と自動改札だ。五和はハードルのように改札を飛び越すと、そのまま地下鉄のホームへ走る。
 到着すると、ちょうどベイロープが無人のホームから飛び降りようとしている所だった。おそらく電車に乗る事なく、トンネルを直接走っていこうと考えているのだろう。
 五和とベイロープの視線がぶつかる。
「……ッ!!」
「……ッ!?」
 その瞬間しゆんかん、最初に動いたのはベイロープの方だった。
 彼女は片手で四角いかばんを掴んだまま、もう片方の手だけで、例の槍のような手のような、四本の刃を取り付けた武器を豪快に振るう。その先端せんたんで挟んだ、巨大な看板を投げるように。
 一〇メートル以上の距離きより を飛んだ看板は、しかし五和の目の前で、七つの斬撃ざんげきに裂かれて周囲にき散らされる。
 それは槍による効果ではない。
 彼女の周囲に、七本のワイヤーが張り巡らされている。
「北欧における、怪力の象徴……」
 五和は槍を構え直し、慎重に距離を測るように音もなく歩を進めながら、くちびるを動かす。
「形状に惑わされそうになりますが、その本質は槍ではありませんね。魔術的な記号からは、豪胆で知られる雷神トールのものを感じますが……」
馬鹿ばか正直に、雷の大槌おおつちミョルニルなんて言わないでよ。十字教を北欧に伝える際、十字架のない文化圏でその代わりに使われたあのハンマーは、確かに近代西洋魔術的にも色々と応用できる。でも、私たちが扱っているのはそれじゃないわ」
 ベイロープはニヤリと笑う。
「ミョルニルで有名なトールだけど、あの雷神は一度だけそれ以外の武器を使った事があるわ。とある女巨人から借りる形でね。これは、その逸話いつわ を分析して製造した霊装れいそうはがねの手袋』。そっちの方が、女の子が扱う武器としては都合が良い」
「女の子が扱う、武器……?」
生憎あいにくと、『新たなる光』のメンバーは全員、華奢きやしやな女の子である事は自覚していてね。ミョルニルを分析した霊装では、ちょっとヘビーすぎて扱いづらいって言えば分かる?」
 ベイロープは、『手袋』の先端を前へ突きつける。
 つか下端か たんにあるレバーを動かすと、まるで人間の指のように四本の刃が開閉する。
「そもそも、私たちはトールを単なる『雷神』だなんて思っていない。トールの本質は農耕神であって、雷撃らいげきは自然の恵みをつかさどる神が持つ、天候制御能力の一つだと解釈しているわ。そういう意味でも、ミョルニルは雷神としての『特色』が強すぎる。攻撃的こうげきてきな能力だけでなく、もっと柔軟に農耕神の力を振るうためには、それ以外の武器を用意するべきなのね」
 五和いつわ やり穂先ほ さきを突きつけ、慎重に距離きより を測る。
 そうしている間にも、ベイロープは言う。
「トールがミョルニルの代わりに借りたのは、腕力を増強させる力帯と、極めて強大な破壊は かいりよくを生む鉄の棍棒こんぼう、そして鉄の手袋の三点セット。手袋の役割は不明とされているけど、私達は『高威力の霊装れいそうを正確に操るためのインターフェイス』と解釈しているわ。――いずれにしても言えるのは一つ」
 言いながら、彼女は『はがねの手袋』をくるりと回すと、その四本の切っ先でホームの床をたたき、

「何なら、全部まとめたワンセットの霊装を用意した方が楽じゃない? ってコト」

 ズ……ッ!! と、四本の刃がタイル状の床へ沈み込んだ。
 彼女は『鋼の手袋』を床に突き刺したまま、思いきり前へ振るう。ゴルフクラブでバンカーを叩くように、大量の細かい破片が五和に向かっておそいかかる。
「……ッ!!」
 五和は身を低くかがめて散弾の弾幕をやりすごし、一気に近づく。しかしベイロープは『鋼の手袋』を片手で木の枝のように振り回し、即座に迎撃へ移る。
 ただの斬撃ざんげきではない。
『鋼の手袋』は、何かを『つかんで』いる。
(空気中の――風、いや、粉塵ふんじんを……ッ!?)
 五和が気づいた途端と たん、顔のすぐ近くで、それこそ『爆発』でも起こったようにすさまじい速度でぼうちようするコンクリートの粉末。
 ドッパァァン!! という轟音ごうおんと共に、五和の体が構えた槍ごと真横へ吹き飛ばされる。靴底を削って急ブレーキをかけようとする五和に対し、ベイロープは跳んだ。一メートルぐらいの高さの所を、ひざを丸めるような格好で、縦に回転しながら突っ込んできたのだ。
 その手に、『鋼の手袋』を握ったまま。
 先ほどと同じく、大量の凝縮ぎようしゆくした粉塵を『掴んだ』状態で。
(ま、ず……ッ!? ただでさえ、腕力だけでも厄介やつかいだというのに……ッ!!)
 五和はいつしゆん、条件反射で槍を使って防ごうとしたが、直後に硬直を解いて横へ跳ぶ。受け止めるには重すぎるのだ。その間にも、空中で二回転したベイロープは遠心力すら利用して『鋼の手袋』を振り下ろす。彼女の腕力と粉塵ふんじんの力が、地下鉄駅の床を火山のように爆発させる。
 直撃ちよくげきけたはずの五和いつわ の体が、錐揉きりも み状に宙へ浮く。
 散乱した破片のいくつかを受けたためだ。
 それでも床には倒れず、ジャンプに失敗しかけたフィギュアスケート選手のように爪先つまさきから着地した五和の元へ、ベイロープが空気中の粉塵を『つかみ』、追加の打撃を横薙よこな ぎに放つ。
 バランスを崩しかけた五和には、そこからさらに後ろへ下がる事はできなかった。
 大量の粉塵がぼうちようし、間近で爆発するように展開される。
「ごッ……ァァ、がァああああああああああああああああああああああああッ!?」
 今度こそ直撃した五和の体が、一度床の上へたたきつけられ、そこから一気に後方へ吹き飛ばされた。手にしていた海軍用船上槍フリウリスピアつかの部分がバラバラに砕け、辺りへ散乱していく。ヒュンヒュンと回転する切っ先が、倒れた五和の顔のすぐ近くへ落下し、突き刺さった。
 片手に四角いかばんを持ったベイロープは、もう片方の手にある『はがねの手袋』を肩にかつぎ、
「勝負ありってトコ? まだやっても良いけど、次は『知の角杯ギヤツラルホルン』を使わせてもらうわ」
 言いながら、彼女はヘッドホンの調子を確かめるように、四角い鞄を持つ手で自分の側頭部を軽くでる。
 顔の左右にあるのは補聴器ほちようきのように、耳の後ろに引っ掛ける装置だ。さらにそこから、真空管のような物が二本ずつ飛び出している。

「『はがねの手袋』が再現するのは、女巨人の武器である鉄の棍棒こんぼうを振るう破壊は かいりよくと、力帯による腕力の増強と、『つかむ』に代表される応用性だけ。でもそこに知力を加える事で、『新たなる光』の中で私だけは雷の属性を部分的に追加させられる。……雷神トールとは違って、ミョルニルとは別の方法でね。消し炭になりたくなければ、そこでじっとしている事よ」
 五和いつわ くちびるからこぼれる血を手の甲でぬぐうが、起き上がれない。
 ベイロープは四角いかばんを抱え直しながら、こう言った。
「こいつによって、イギリスの歴史は変わる。王室派、騎士派きしは、清教派、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド。それらを含めた英国そのものが。でも、それは悪い事ばかりじゃない。アンタはこれから生じる変化を楽しみにしていなさい」
 ベイロープは片手で四角い鞄を持ったまま、まるで魔女ま じよほうきのように『鋼の手袋』にまたがった。
 彼女は空を飛ばない。
『鋼の手袋』の先端せんたん――四本の刃が、床を掴む。そして各々おのおのの刃を器用に動かすと、まるで触手を使って地面を移動するような動きで、ベイロープを乗せた『鋼の手袋』がホームを飛び降り、列車の走っていないトンネルへと高速で消えていく。
「……、っ……」
 五和はしばらく、そのまま動かなかった。
 やがて彼女はゆっくりと起き上がると、柱にあるアナウンス用のマイクへ手を伸ばす。

 魔女の箒のように『鋼の手袋』にまたがったベイロープは、片手で四角い鞄を持ち、もう片方の手を逆さにした『鋼の手袋』の根元のグリップへ添え、高速で線路上を移動していた。その速度はハイウエイを走る自動車並みだ。
 ゆっくりと息をき、ベイロープは肩の力を抜く。
(……とりあえず難を逃れたか。ランシスは無事だろうけど、フロリスが心配。まったく、それもこれも全部レッサーの馬鹿ばかがヘマをするから……ッ!!)
 ベイロープは思わず舌打ちする。
 ゆるやかにカーブするトンネルに合わせて、彼女は高速移動する『鋼の手袋』に追加の命令を送る。とりあえず近場の駅を目指すか、作業員用の出入り口を探すか。そんな事を考えていたベイロープは、そこでふと違和感に気づいた。
 ……今、何でカーブした?
 路線図によれば、このレールは次の駅まで直線の一本道。わざわざカーブするようなルートはないし、分かれ道もないはずだ。
 ベイロープは思わず『鋼の手袋』の動きを止め、線路上で立ち止まる。
 どこかで変な道へ入ったかと思ったが、違う。どう考えてもここまでは一本道だった。しかし、だとすれば、この線路がカーブしている理由は? いや、そもそも、この不自然にカーブした線路は、一体どこへつながっているのだ?
 そんな事を考えていたベイロープの耳へ、唐突に声が届く。
 それは、地下鉄のトンネルに仕込まれたスピーカーからだった。おそらくトンネルの作業員に列車が接近してくる事を伝えるためのものだろう。そこから、聞き覚えのある声が放たれる。
『……今さら説明しても仕方のない事ですけど、「必要悪の教会ネセサリウス」の戦闘せんとう要員は完全実力制である事はご存知でしょうか?』
 それは、先ほど地下鉄駅のホームで戦った少女の声だった。
 話の意図は分からないが、何かいやな予感がする。
 そうこうしている内にも、五和いつわ はスピーカー越しにこんな事を言ってくる。
『ですから、スカウトしてきた新人の実力を試すための魔術的まじゆつてきな施設や設備といったものが、このロンドンの市内には意外に多いんです。トラップだらけの迷路とか、そんな感じの演習場が、です。さて、本来なら必要のない、極めて不自然なカーブを描く形で、魔術的に強引な「切り替え」を行ったその線路が、どこと接続されているかはもうお分かりですね?』
「まさか……」
 絶句するベイロープだったが、すでに術中にとらわれている。
 身動きの取れなくなったベイロープに対し、五和は最後にこう言った。

『――本当に、死なないように頑張ってくださいね。聞いた話によると、そこの迷宮は難易度の調整に失敗したせいで死者が続出し、現在は立入禁止になっているそうですから』

     12

 最近のトラップというのは便利にできているもので、迷宮という方式の巨大霊装れいそうの中でボコられた負傷者を自動で搬送はんそうしたり、道中で落とした物品などを分別回収したりする機能も備わっているらしい。
 そんなこんなで、五和は地下鉄駅の遺失物保管庫にいた。平たく言えば、忘れ物や落とし物などを集めておくための部屋である。
 四角いかばん一緒いつしよに、一枚の羊皮紙ようひ し が添えられていた。そこには、迷宮内における『テスト対象』の行動と戦闘の記録と、極めて客観的な『魔術師としての戦力評価』が記載されていた。どうやら、あくまでも現在も定期テストが続行されている事になっているらしい。
 ゴソゴソ、というかすかな物音が聞こえる。
 てんじよう近くのダクトの方からだ。新入りの五和には良く分からないが、おそらく『迷宮と遣失物保管庫をつなぐ何らかの機構』に関係あるのだろう。思わずのぞき込もうとした五和いつわ だったが、
いやな音が聞こえる時は無視しろ。自衛機能が働くわよ」
 不意に後ろから声をかけられ、五和は慌ててそちらへ振り返る。
 ボロボロにり切れた、ゴスロリの黒いドレスをまとった女が立っていた。ライオンのような金髪に、小麦色の肌が特徴的な女性の名前はシェリー=クロムウェル。『必要悪の教会ネセサリウス』の中では、五和の先輩にあたる魔術師まじゆつしだ。
「元々・百戦錬磨れんまの『必要悪の教会ネセサリウス』のメンバーへきばくために作られた、テスト機構だ。今回は体良ていよ く利用したみたいだけど、油断していると八つ裂きにされるわよ」
「……は、あはは」
 五和は思わず引きつった笑みを浮かべてしまう。
『新たなる光』のベイロープがしよう大事に抱えていた四角いかばんには、所々に赤黒いみがある。
「ビビるなよ。ここのテスト機構はヤバ過ぎて、現在は使用されてないんだから。今時の定期テストは何もない部屋に一週間ぐらい放り込まれて、水とか食糧しよくりようとか生きていくために必要な物資を魔術的に生み出せとか、そんなもんだし」
「ええと……それはそれで、十分にゾッとする話です」
 対応に困った五和は苦笑いするしかない。
「すみません、こんな時間にお呼びしてしまって」
生憎あいにくと、私は規則正しい修道女じゃないんでね。既定の就寝時間なんざ存在しないわよ」
 シェリーはゴーレムを使った直接的な戦闘せんとうもとより、寓意画ぐうい が や宗教彫刻などの美術・工芸・霊装れいそうの中に隠された魔術的暗号を解読する専門家でもある。
 彼女は、ただでさえ乱雑な金髪を、適当に片手でき上げながら、
「……っつっても、『清教派』の魔術師はともかく、『騎士派きしは』のクソどもの利益にも繋がるっつーのは気に食わねえけどな」
「は?」
「何でもねえよ。大昔エリスの事を気にしても仕方がねえ時もある。今は仕事に専念してやるわよ。私をここに呼び出したのは、なんか見てほしいモンがあるんだろ」
「え、ええ」
 五和がシェリーを呼び出したのは、とある霊装の仕組みを調べてもらうためである。
 遺失物保管庫の金属棚に載せられている、四角い鞄にシェリーは目をやりながら、
「問題のカバンってのは、これか?」
「ええ。解析の方、お願いできますか」
 ふん、とシェリーは鼻から息を吐くと、骨董品こつとうひんでも扱うようなうすい手袋を両手にはめる。
「立体ってのは、絵画よりも錯覚系さつかくけいのテクニックが扱いにくい。大きい小さいで遠近法を表現したりとか、そういうものにたよらずに組み立てたり削り出したりする必要があるからね。まぁ、だからこそ、私はこういうジャンルがきらいじゃないんだけどよ」
「あれ? でも、トリックアート系で、大きなボールと小さなボールを使って遠近法を表現する立体芸術とかってありませんでしたっけ。単なる二つのボールかと思ったら、実は角度を変えると……っていう感じの」
「観察できる方向を決めつけてしまう立体は、平面的な絵画とあまり変わらないのよ。その錯覚さつかくは、すべての角度で成立するものじゃないだろ。『前から見たパターン』と『横から見たパターン』の二点で完結するわね。率直に言えば、絵画で構築できる芸術だ」
 彼女は四角いかばんの輪郭を指先でなぞる。
 彫刻を得意とする魔術師まじゆつしの解析が始まる。
「……基本はオーク材だな。ミリ単位の厚みに削り出した木材に、蒸気を当ててゆるやかに曲げているわね。複雑に組んであるが、釘やネジみたいなものは使われていない。組み上げ方は、竹かごを編んだり、寄木よせぎ 細工を作ったりするのに似ているかしら。手作業で複雑に組んであるが、逆に言えば、それは手作業で紐解ひもと く事もできるし、別の形に組み直す事もできる……」
「え、ぇえと……? つまり、どういう事でしょう?」
「変形を前提に作られたカバンって訳よ」
 シェリーは軽くこぶしを握ると、ノックするように手の甲で四角い鞄の側面を軽くたたき、
「むしろ、元々の形はカバンじゃないわね。何か別の物体を、折り紙みたいに規則的な手順でたたんで、強引にカバンのシルエットを作り出している。『新たなる光』の得意分野は、確か北欧だったな。となると――」
「へえ。折り紙ですか」
 シェリーの説明を聞きながら、五和いつわ は何気ない手つきで四角い鞄の表面に手を伸ばす。
 すると、パチンという音が聞こえた。
 試験場で『タコなぐり』されたえいきようこわれかかっていたかぎが、ひとりでに外れた音だった。
 途端と たんに、
「あっ、わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわっ!?」
 ボンッ!! と四角い鞄がふくらんだ。
 二倍とか三倍とか、そんなレベルではない。むくむくと形を変えて巨大化する木材のかたまりは、自分が載っていた棚を爆砕させ、さらに図書館のように並んでいた金属棚を次々とぎ倒す。
 ぼうちようが止まった時、四角い鞄は巨大な船になっていた。
 木材で作られた、大きなカヌーのようなデザインの船だ。全長は一〇メートル以上ある。
 シュリーはあきれたように息を吐きながら、
「……お前は、あれだな。オルソラ=アクィナス級の天然ぶりを秘めているのね」
「しっ、心外です!! いくらなんでも、あんなほわほわシスターはどじゃありませんよ!!」
 五和いつわ は慌てて否定した。
 オルソラ=アクィナスというのは、文書の中の暗号を解く専門家なのだが、とにかく天然マイペースで知られる超巨乳のシスターの事だ。
 遺失物保管庫のさんじように気まずくなった五和は、シェリーから目をらしつつ、
「そ、そういえば、オルソラさんは呼ばなかったんですか? 分野は違いますが、あの人も解析作業を得意としていた気がするんですけど」
「こういうヘマをしないように、えて放っておいたんだよ」
 はう、と五和は(男から見れば)可愛か わ いらしい声を出す。
 シェリーはうんざりした調子で、巨大な船へと形を変えたカバンに目をやり、
「……それにしても、元々の形は船、か。北欧神話のエピソードに当てはめると、スキーズブラズニル辺りが妥当な線って所かしら?」
「スキーズブラズニルって言うと……あれですか。主神オーディン含む、アース神族を全員乗せる事ができる船。確か、折りたたむと袋の中に収納できるサイズになるという話でしたけど」
 もちろん神話に出てくる伝説の船……ではなく、そういう名前の霊装れいそうというだけなのだろうが、わざわざそのエピソードを参考にした以上、必ず関連性はあるはずだ。
「ま、カバンはあくまで輸送手段。この船に、別の『何か』を搭載して持ち運ぶのが目的なんでしょうけど。……仮にも神様の乗り物に見立てたご大層な船まで用意して、何を運ぶつもりなんだかね」
「……それが、『新たなる光』の計画の、かなめ
 五和はポツリとつぶやいた。
 かばんではなく、その中身にあるべき物こそが――イギリス転覆てんぷくのための最重要物品。
 ご覧の通り、四角い鞄の中身は空っぽだった訳だが、まさかそれを運ぶ事だけが目的ではないだろう。『新たなる光』はスコットランドで何らかの物品を『発掘』していて、それをロンドンへ持ち込む事が計画の中枢という予測だったのだが……。
 しかし、かといって、ベイロープはダミーで、本命はほかの仲間たちだ……というのもせない。
「これを持っていた魔術師まじゆつしは、私との戦闘せんとうちゆうにも絶対にカバンを手放しませんでした。単なる保険のダミーというだけなら、『片手だけで戦う』リスクを抱えてまで、死守し続ける理由にはならないと思います。……ダミーと一緒いつしよに心中してしまっては、元も子もない訳ですし」
『試験場』からカバンと一緒に吐き出された羊皮紙ようひ し には、『テスト対象』の行動と戦闘の記録が記載されている。それを見る限り、ベイロープは『はがねの手袋』を砕かれ、気を失う直前まで四角い鞄を死守していたようだ。……どう考えても、単なるダミーに対する扱いではない。
「つまり、まだ秘密があるって訳ね。この空っぽのカバンには、しよう大事に抱えなければならないような、秘密が」
 シェリーはふところから、化石でも採掘するような、小さな刷毛はけだのルーペだのを取り出した。どうやら、本格的に調べてみる気が起きたらしい。
「単なるびっくり箱でおしまい……って訳じゃないでしょ。霊装れいそうとしての詳しい効果については調べてみるが、すぐに判明する保証はねえぞ。確か、アニューゼたちがエジンバラで『新たなる光』のガサ入れをしていたわね。そっちの方から当たった方が早いかもしれねえ」
「わっ、分かりました。それじゃ、申し訳ありませんけど」
「おう。お前はさっさと地上に上がって、残りのクズどもをつぶして来い」
 こちらを振り返らず、気安く承諾しようだくしたシェリーに、五和いつわ はもう一度頭を下げてから、遺失物保管庫を出る。
 彼女は地下鉄駅の構内を走り、出口を目指しながら、念のためにアニェーゼの方にも携帯電話で(厳密には電話回線は利用せず、魔術的まじゆつてきな手法を用いているのだが)連絡を入れる。
 電話に搭載されている小型スピーカーではなく、ストラップが小刻みに振動し、連絡先――スコットランド地方のエジンバラで調査中のアニェーゼの『声』を作り出す。
『いえ、すみません。こちらも調べていますが、スキーズブラズニルという情報すらつかめていませんでした。今後はその線で重点的に探ってみようと思います』
「そう、ですか。よろしくお願いします」
 五和は受け答えをしながら、階段を駆け上がって地上へ出た。
『それにしても、ようやく一人撃破げきは ですか。情報によると「新たなる光」は四人構成。まだ三人もいるとなると、正直少々厄介やつかいですね』
「いえ、そちらについては朗報があります」
 五和が携帯電話に向かって、そうつぶやいた時だった。
 何かが五和のすぐ目の前を横切った。ベッコォ!! という破壊音は かいおん炸裂さくれつする。音のした方を見ると、一人の少女が巨大な看板にめり込んでいた。翼状の霊装の残骸を散らばらせつつ、ノーバウンドで二〇メートル以上吹き飛ばされた人間が、そのまま突っ込んだのだ。
 完全に気を失った少女を眺めながら、五和は言う。

「あと二人です」

 少女がめり込んでいる方とは反対へ視線を移すと、女教皇プリエステス神裂かんざき火織か おりが振り抜いた長刀のさやを元の位置に戻している所だった。どうやらあれで思いっきりなぐり飛ばしたらしい。世界で二〇人といない『聖人』の腕力は、『はがねの手袋』の効果どころではなかったようだ。
 五和は携帯電話を切ると、歩道に転がっていた新たな四角いかばんを拾い上げ、神裂や、彼女が従える天草式あまくさしきの集団の元へと合流していく。
「か、カバンは、一つだけじゃなかったみたいですね」
「ええ。そのカバンに『本命』と判断するべき何らかの中身が入っていなければ、ほかを当たるしかありません。やはり全員を止めるまで、安心はできないようですね。できる事なら、暴力的な方法はけたいんですが」

     13

 豪奢ごうしやな内装にいろどられた馬車のてんじようで、淡い光を放つランプが小さく揺れていた。
 ロンドン中心部から一〇〇キロほどはなれた、街灯の光すらもない暗い道を、馬車が走る。それも一台ではない。大きな馬車を中心に、その前後に一〇台以上の馬車が連なっていた。馬車とは別に、儀礼ぎ れい用の防具を取り付けられた騎兵き へい用の馬も隊列に加わっている。
 絵本や童話に出てくるような光景だが、そのアンティークな見た目に反して、速度は時速五〇〇キロを超えている。一台一台の性能ではなく、古い街道を敷設ふ せつする際にも一定の間隔かんかくで設置された魔法陣ま ほうじんとも合わせたじゆつ効果だった。遠目に見れば、馬車の隊列は明かりをけたリニアモーターカーのように見えたかもしれない。
 金箔きんぱくや貴金属で彩られた馬車の隊列は、どれもこれも現実離れしたかがやきを放っていたが、やはり一際ひときわ目立って見えるのは、数多くの人員に護衛されながら移動する、中央の大きな馬車だ。
 通称は『移動鉄壁』。
 英国王室専用の長距離ちようきより 護送馬車だ。
 公道を走れるようにナンバープレートを取り付けたり、車輪や木材のフレームの強度などを調整されたパレード用の馬車は、同時に七〇〇以上の霊装れいそうや魔法陣によって、徹底的てつていてきに守りを固められた一品である。
 まるで童話に出てくるような装飾の馬車の中に乗っているのは、三人の女性たち
 第二王女キャーリサ、第三王女ヴィリアン、そしてインデックスだ。
「……結局、姉上は来なかったし」
 窓の外を見ながら、キャーリサがつぶやく。
 ドレスのスカートを限界に広げ、三人分ほどのスペースを陣取る彼女に対して、できるだけ衣服をたたみ、半人分のスペースに無理矢理縮こまるヴィリアンが、オドオドした口調で応じる。
「姉君は少々、他人を信じにくい人ですから」
「少々どころか筋金入りだ。太陽に直接放り込んでも、三日間は耐えられるほどの強度を誇る馬車を用意しても、なお襲撃しゆうげきのリスクを捨てきれないのか」
「だからこそ、ではありませんか。姉君は他者が構築したセキュリティを絶対に信じない人です。なまじ一から一〇まで全部用意されているからこそ、自分の入り込む余地がない。そして、その手で確かめられないものを、姉君は信じる事ができない。……別宅であるウィンザー城の私室を切り離し、自分好みに作り替えてしまった話はご存知でしょう?」
「まぁ、『味見』のためにペットを飼ってるぐらいだし……。その割に、姉上はしょっちゅー宮殿を抜け出して城下へおもむいてるよーだが」
「自分のじようを知らぬ民の言葉には邪気がない、との事でしたけど」
 ふむ、とキャーリサは息をいた。
「今は姉上よりも、ユーロトンネルの方が重要か」
 手持ち無沙汰ぶさたで足をぶらぶらさせているインデックスをチラリと見ながら、彼女は言う。
「カーテナ=セカンドによって守られてる我が国も、永遠の繁栄はんえいが決定づけられてる訳ではないの。『天使長』を国王に、『天使軍』を騎士きしだんに見立てて民衆を従えた所で、当の民衆の大多数が暴走してしまえば、国家はその機能を失う。……神話のよーに、大洪水で一掃してしまう訳にもいかないし」
「……、」
「そーいった危機を防ぐため、表からは『騎士派』が、らしは裏から『清教派』が、それぞれ治安の維持に努めてた訳だが……ユーロトンネル爆破に旅客機のテロ未遂み すい……今回立て続けに起こった問題は、我が国の民を揺さぶるには十分すぎた」
「しかし……」
 ヴィリアンは慎重に言葉を選ぶ。
「仮に一連の件にフランスが関与しているにしても、その背後にはローマ正教の影響力えいきようりよくがあるはず。フランスだけを責めたところで何が解決するというのです?」
「かもしれないが、どちらが黒幕にしても、フランスをねじ伏せる必要がある」
 キャーリサは両腕を組み、
「バチカンは堅い。一朝一夕で攻め落とせない以上、長期戦に備え、前線補給基地を建造する必要があるだろう。となると、後は地理的な問題だ。どんな手を使ってでもフランス側に『協力』を取り付け、バチカンの目と鼻の先に基地を建造しなければならないの」
「ふ、フランスでなくとも、例えば地中海の洋上に補給基地の役割をになう大規模な補給基地を作って圧力のみを与えるという選択肢もあるのでは?」
「その場合、地中海を守るのがフランスだ。どのみち、だまらせなければならない事に変わりはないの。……なおかつ、海上要塞ようさいは上空と海中、双方を警戒しなければならない分、あまり現実的な選択肢とは言えない。強度の問題もあるし」
 陸上の基地は壁が破れてもふさぐだけだけど、海上の場合は穴一つで沈んでしまう訳だ、とキャーリサは付け加える。
 不安そうにまゆを寄せるヴィリアンは、胸元に両手を当てながら、
「……フランスへの協力要請。それは、本当に軍事行動でしか求められないのでしょうか」
「真剣にそれを望むなら、具体的な方法を考える事だ」
 キャーリサの言葉に、ヴィリアンは顔を上げる。
「姉上は頭脳、私は軍事、そしてお前は人徳に特化してる。私は自然とそーいう方法ばかり頭に浮かぶよーになってしまったが、お前ならもっと効率の良い方法を模索できるかもしれない。……あるいはフランスだけでなく、ローマ正教に対しても」
「姉君……」
「そーした判断材料を集めるためにも、ユーロトンネル爆破の原困を今一度調べてみる必要があるの。ベストの回答を導きたければ、気を引きめろ。もーすぐフォークストーンだ。ドーバーにつながるユーロトンネルのターミナルは近いし」

     14

 上条当麻かみじようとうまは深夜のロンドンを突っ走っていた。
 馬鹿ばか正直に少女――彼は名前を知らないが、『新たなる光』の一人であるレッサーを追っている訳ではない。上条はビルとビルの間にある細い道を一直線に駆けているのだ。
 頭上では、甲高かんだかい音が夜の街を移動していた。
 各々おのおののビルに設置されている、防犯ベルだ。レッサーは今も、ビルの三~四階程度の窓から窓へと、ガラスを割りながら飛び移っている。そのたびに次々と防犯ベルが作動するため、はたで見ていると『音のかたまりが移動しているように』見えるのだ。
 どうやら無人の商業ビルらしく、さわぎや悲鳴などは聞こえていないが、少女の方がそれに気を配ってはいないだろう。『人払い』のようなものが使われている様子もない。たとえ怒号や絶叫がひびいても、彼女はそのまま突っ切るつもりなのだろう。
(ええいっ!! 大雑把おおざつぱ なヤツだな! とても潜伏せんぷく活動している魔術師まじゆつしには見えない!!)
 心の中で文句を叫びながら、上条はさらに走る。
 そこで、異変が生じた。
 気がつくと、上条と並走するように、何かがあった。
 それはオレンジ色の小さなカボチャだった。
 握りこぶしぐらいの大きさのカボチャには目と口が彫ってあった。その小さなカボチャが、上条と目線を合わせるように、手近な路地の壁を走っている。
『見た所、魔術師でもなければイギリス人でもないご様子。あなた様は何故なぜにこの私を追いかけていますかな?』
 ふざけた調子の言葉は、幼い少女のものだった。
 わざわざ日本語で少女の声は続く。
『ま、日本人街に住んでいる移民だったらごめんなさいだけど、違うよね? においで分かりますもん。あなたはイギリスについて、それほど知っているとは思えません』
「……『新たなる光』か!?」
『大正解。「新たなる光」のレッサーです。第零聖堂区と共闘きようとうしている事といい、組織の名前を知っているって事といい……うーん。ただの一般人ならさっさと帰れと忠告したかったんですけど、この状況ってどうなんでしょうねえ』
 悩むような調子でありつつ、そこに深刻さはない。
 完璧かんぺき馬鹿ばかにされている、とかみじようは歯を食いしばる。
『ともあれ、あなたが魔術師まじゆつしであろうがなかろうが、イギリス人ではないという時点でアウトです。参加資格がない。変な事に首を突っ込んでいないで、さっさと帰ってくださいな』
「参加資格!? 何を言ってやがるんだ!!」
 狭い路地に、上条の怒鳴り声がひびく。
 対して、カボチャは道案内をするような調子で答える。
『そりゃあそうですよ。私たちはイギリスに住んでいる魔術師の代表として、イギリスをより良い方向へ持っていくために、わざわざこんな大それた事を実行しているんですからね。仮に私達の前に立ちふさがる者が現れるなら、最低限、私達と同じ程度にはイギリスを愛していませんと、お話になりません。その辺の旅行者が首を突っ込んで良い問題ではないんですよ』
「ふざけんな! お前達がスコットランドで変な霊装れいそうを『発掘』して、ロンドンに持ってきているのは分かってんだ! 明らかにヤバい事をされるっていうのに放っておけるか!!」
『参りましたねー。第零聖堂区の分析ではそんな事になっているんですか。まぁ、敵にヒントを与えるのも馬鹿らしいので、別にそう思ってもらっていても構わないんですけどね』
「何を……言ってやがる?」
『分からなくて結構ですよ。ただ言えるのは、私達は「戦争」の過程で、確実に敗北するであろうイギリスを、ギリギリの所で方向転換させたいだけって事です』
 発掘された霊装の存在。
 それをロンドンに持ち込み、発動させる事自体は否定しない、少女の台詞せ り ふ
 ……具体的に『新たなる光』がどんな計画を練っているかは不明だが、どう考えてもまともなものとは思えない。
『ともあれ、この問題はイギリスに住む国民でなければ、切迫感をリアルに体感する事はできないでしょう。明確な悪人でもない人間を進んで殺したいとも思いませんし、対岸の火事を眺めて 憤 《いきどお》るようなお人好ひとよ しはだまっていてくださいな』
 言葉と同時に、パン! とカボチャがはじけた。
 パーティ用のクラッカーのように、色とりどりの紙テープをき出すカボチャを、上条は無駄むだと知りつつ思わず右手でなぐり飛ばす。
(くそっ! 単に逃げ足が早いだけじゃなくて、見えない位置にいるはずのおれの追跡ルートを確実に捕捉ほ そくしてやがる!! あいつの方は大丈夫だいじようぶなんだろうな!?)
 舌打ちする上条は、小さな道を抜けて大きな通りに飛び出した。片側三車線の大きな道路だ。もう深夜一二時近いが、いまだに帰宅途中の車や深夜バスなどが結構行き来している。
 と、そこでかみじようは足を止めた。
 靴底をこするように急停止しながら、ビルの一角へ目をやる。
 三階の窓。
 ばんっ!! と強化ガラスに両手を当ててびっくりしているレッサーがいた。彼女は驚異的きよういてき跳躍力ちようやくりよくを誇るが、『下から上へ跳ぶ』のは得意でも、『上から下へ飛び下りる』衝撃しようげきまでは緩和かんわ しきれないらしい。
 そして、片側三車線の道路を一跳びで飛び越えるほどの跳躍力はない。
 言うなれば行き止まりにぶつかった状態のレッサーへ、さらなる苦難が待ち受ける。

 ゴッ!! と。
 背後から追い着いたオリアナが、レッサーの背中に思い切りドロップキックを放ったのだ。

 強化ガラスが粉々に破れ、レッサーの体が空中へ放り出された。
 オリアナから提示された作戦は以下の通り。
 大通りのビルからレッサーをぶん投げるから、彼女を地上で受け止めるように。
 上条は両手を広げてこう叫んだ。
 「はっはっはーっ!! デッド・オア・拘束ゥゥうううううううううううう!!」
「……ッ!?」
 レッサーは絶句したが、空中ではどうしようもない。
 と、そこで上条は気づいた。
 少女の小柄な体と一緒いつしよに、キラキラとかがやく数百のガラス片が降り注ごうとしている事に。
「しっ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!」
「こら伏せないで!! 受け止めてくんないと私が死ぬーっ!!」
 英語で何やら叫ぶレッサーは、四本刃のやり――『はがねの手袋』を振り回す。その先端せんたんでビルの壁面を叩いた直後、バァン!! というすさまじい音と共に、レッサーの体が水平に飛んだ。
 彼女はそのまま街路樹と街路樹の間にある、ハロウィン用の飾りの山へ直撃すると、バキバキと装飾をこわしながら下へ下へ。どうやらクッションに使ったらしく、衣服のあちこちを切り裂きながらも、的確に地面へ着地し、レッサーは上条に背を向けて再び走り出す。
 呆気あつけ に取られる上条に、三階の砕けた窓からオリアナが顔をのぞかせた。
 彼女は両手を口元へ筒状に当てて、遠くまで届くように、こう叫ぶ。
「大ァい減エん点ェんンンンンンぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんんんんんんんんんんんッ!!」
「悪かったなっ!! 追えば良いんだろ追えば!!」
 ガラスの雨の恐怖にちょっぴり目尻め じりに涙を浮かべつつ、上条はレッサーの背中を追う。

     15

 アニェーゼ=サンクティスはイギリス北部、スコットランド地方にいた。
 大都市エジンバラのヨットハーバーだ。湾の内部に位置するこのヨットハーバーは高波が発生しにくい事から、所有するヨットやクルーザーを長期間保管しておくために重宝されている。
 アニェーゼは船の上にいた。
 ただし、海の上ではない。
 ヨットハーバーの手前には、アスファルトの大きな広場があった。そこに並べられているのは、風雨にさらされてボロボロになったクルーザーだ。老朽化して穴が空いているため、海に浮かべられなくなったものが、こうして陸に揚げられている訳だ。
 ここにあるのは解体待ちか、新品を買う余裕のない会社員が安値で買ったクルーザーを修理するために一時保管しているものが大半だ。
「これで三ヶ所目、ですか」
 つぶやくアニェーゼに、どうりようの修道女、ルチアが声を放つ。
「……航行機能は失われていますが、居住スペースは手入れされています。それから、過去二つの『隠れ家』と共通するセキュリティを確認しました。やはり、『新たなる光』の拠点ですね」
 その言葉に、アニェーゼは目を細める。
 現代に生きる近代魔術師アドバンスドウイザードの大半は、仰々ぎようぎようしい城や塔などを建造しない。一ヶ所に力を注いだ所で、そこをガサ入れされたらすべてを失うからだ。よって、彼らはアパートや雑居ビルの一室、キャンピングカーなど、『いつでも捨てられる簡単な拠点』を複数用意する。財産を小分けする事で、少しでもリスクを減らせるように、だ。
『新たなる光』は、暗黙あんもくの了解を理解している。
 それは端的たんてきに、彼女たちが興味本位で恋占いをするような連中ではなく、本格的なじゆつ結社としての力を有している事を示していた。
(面倒くさそうな相手です……)
 アニェーゼはため息をつき、それからルチアに言った。
「内部に何か情報は残されていましたか? 今、彼女達が使っているカバン――スキーズブラズニルの詳細や、そのカバンを使った魔術師達の計画などについてです」
「セオリー通り、全ての拠点にある情報源は、信号一つで遠隔地えんかくち から抹消まつしようできるように設計されているようです。今、シスター・カテリナとアガターが内部の詳細を調べている最中ですが」
「シスター・アニェーゼ」
 と、クルーザーの床面に直接取り付けられたハッチが上に開いた。そこから顔をのぞかせたメガネの修道女、アガターがこちらに手招きしている。
「機関室から、例のカバンの試作品を見つけました。霊装れいそうを直接破壊は かいし損ねた所をかんがみるに、連中はここには立ち寄らず、急遽きゆうきよ遠隔えんかく操作で情報のみを破棄はきしたのでしょう。『新たなる光』にとっても、今回の計画を早めるイレギュラーな要因があった可能性が指摘されます」
「で、そのカバン……スキーズブラズニルの霊装としての効果は?」
「実証していませんので保証はできませんが、ある程度分解してみた限りですと」
 アガターは手にしたメモをめくりながら、
「おそらく、『かばんA』に入っている物品を『鞄B』『鞄C』『鞄D』……と同系の霊装へ自由に空間移動させるものです。効果範囲はおよそ半径一〇〇キロ。その圏内であれば、彼女たちは好きな相手に『パス』する事ができます」
「なるほど……。何らかの重要なアイテムを、ラクロスのように四人でパス回ししながらロンドン内へ切り込もうとしていた訳ですか」
 その『重要なアイテム』が何であるかは知らないが、わざわざこんな霊装を用意するぐらいだ。ろくでもない意味で『重要』なのは間違いない。
「順当に行けば、爆弾ないし武器の代わりになる物でしょうか」
「そちらについても調べる必要がありますね」
 すでに四人構成の『新たなる光』の内、二人は天草式あまくさしきの手でリタイヤしている。しかしスキーズブラズニルの『中身』が自由にパス回しできる以上、『中身』はだれでも自由に発動できる可能性が極めて高い。
 アニェーゼはかたわらにやってきた修道女のアンジェレネから報告書を受け取りながら、
「……過去二つの『隠れ家』から得た情報によれば、彼女達『新たなる光』はエジンバラ近辺で何らかの発掘作業にいそしんでいた様子。おそらくそいつが、くだんの『ろくでもないアイテム』なんでしょうけど」
「シスター・アニェーゼ! きんきゆうです!!」
 と、居住ブロックにつながる扉を開け、カテリナが大声を放った。そちらを見るアニェーゼに、カテリナは丸めた羊皮紙ようひ し を投げる。それを広げたアニェーゼの肩が、ビクリと硬直した。
「……うそでしょう……?」

     16

 上条当麻かみじようとうまは裏通りを走っていた。
 レッサーがまたもや驚異的きよういてきな大ジャンプをしたらどうしよう、と思っていたのだが、どうも向こうでも不具合が生じているらしい。街路樹をクッションにしたとはいえ、やはりビルから無傷で着地する事はできなかったのだろう。
 現在、彼女は透明なチューブで金属製の背骨をおおったような尻尾しつぽを左右に振りながら、普通の人間のように路地を走っている。とはいえ、一般的な少女よりもはるかに速い。短距離走たんきより そうのスプリンターが、そのままの速度を維持してマラソンに参加しているようなものだ。
 オリアナはビルから降りるのに手間取ったのか、近くにはいない。
 ここで見失ったら、本当におしまいだ。
 レッサーが路地の角を曲がるたびにきんちよういられるかみじようの耳に、携帯電話の着信音が聞こえた。画面を見ると知らない番号だ。そもそも先頭の番号からして日本ではお目にかかれない。
 走りながら通話ボタンを押すと、聞き慣れた少女の声があった。
『良かった、つながりました! 天草式あまくさしき経由で情報を聞き出して正解でした!!』
「アニェーゼか……?」
 っつか、何で天草式はおれの携帯電話の番号を調べているの? と素朴な疑問を持つ上条だったが、アニェーゼの口調はそんな質問を受け付けないほど切羽せつぱ まっている。
『「新たなる光」の目的の一部が分かりました! 彼女たちの最終的な標的は、現在ユーロトンネルの調査のために、フォークストーンのトンネルターミナルへおもむいた、英国の王女達です!!』
「本当かよ……?」
 上条はギョッと身を強張こわば らせた。
『バッキンガム宮殿は外交上の問題で、魔術的まじゆつてきなセキュリティは構築されていません。ですが、それにしても、多数の騎士きしや魔術師……そして何より、女王陛下本人の力によって堅く守られているのは事実。馬車を使って王女達が宮殿をはなれたのは、「新たなる光」にとっては好機だったんです!!』
 英国の王女の暗殺。
 背筋に冷たいものが走る上条に、アニェーゼはさらに言う。
『問題はそれだけじゃありません。英国王室は「公式には」否定しちゃあいますが、カーテナ=セカンドの存在を考えると、一つの懸念け ねんがあるんです。「王家の者」を発動キーとする大規模術式の存在ですよ』
 アニェーゼの言う『王家の者』とは、単純な血筋の問題ではなく、『英国王室という枠組みに、魔術的に組み込まれた人物』を差すらしい。政略結婚などの事情で、様々な国の重鎮じゆうちんと繋がりを持つ英国王室は、単純に『イギリス人の王の血筋』だけでは説明できるものではないようだ。
 仮に血筋だけで王家かいなかを判断すると、例えば『外国のお姫様が英国のお后様きさきさまとして王室に加わった場合、お后様だけ「王室の魔術」が使えない』という事態になってしまうのだ。
『その「王家の者」を発動キーとする魔術は、色々とウワサされているんですけど……その中でも、最も過激なものが「王家の者」の死を発動条件に応用しちまった、大規模術式です』
「何だ……そりゃ」
『兼ねてよりウワサされているんですが……平たく言えば、イギリスでも最大級の「国家単位の大破壊だいは かいを生み出す」攻撃こうげき術式ですよ。一六世紀辺りに配備されたものらしく、当然、想定している敵はヨーロッパ諸国。発動すればその全域がほぼ完璧かんぺきに吹き飛ぶと言われています』
 アニェーゼの言葉は、もはや現実味がなかった。ウワサなので誇張されている可能性もありますが……という彼女の言葉も、何の気休めにもならない。
『ですが、そんな馬鹿ばかげた威力の術式を発動すれば、イギリス国内だって地殻変動や天変地異におそわれちまいます。……文字通り「最後の一撃」だから、後先を全く考えていないんです。メチャクチャな威力のマグナムけんじゆうを片手でつようなものかもしれません。あくまでウワサですが、発動と同時にイギリス国民の大半も「反動や余波」で死亡すると言われています』
 もし、それらの情報が正しかったとしたら。
『新たなる光』の真の目的とは……。
「確か、『新たなる光』の一人は、イギリスのために命をけられるようなヤツじゃないと、この戦いの参加資格がない……みたいな事を言っていたけど」
『その程度には、本気で王女暗殺を考えているって事でしょう。そして、王族の絶命をきっかけに放たれるじゆつについても』
 背筋に寒気が走るかみじようは、慌ててアニェーゼに言う。
「待てよ。イギリスの王室だって、何百年も続いているもんだろ。その間に何人もの王様だって倒れているんだろ。本当にそんな大規模術式があるなら、とっくの昔にイギリスやヨーロッパは消滅していないとおかしいんじゃないのか!?」
『十字教には「しゆう」の秘蹟ひ せきというものがあるんです。平たく言えばある種の儀式ぎ しきで、死者を天国へ届けるため最後の審判に向けた下準備……って感じなんですが、おそらくそれが回避かいひ コードとして機能しているんじゃないでしょうか? 歴史上、城内で崩御したり処刑された王族は、皆「終油」の秘蹟を実行されていた。しかし、それ以外の……「終油」を実行する暇もないほどの、突発的な戦死や暗殺などが成功しちまった場合……』
「この国に仕掛けられていた、王族専用の術式が発動する……」
 王の死は国の死。
 すべての力を結集した最後の一撃を使ってでも、そのあだを討つべし。
 そんな風に信じられてきた時代の魔術施設が、いまだに機能しているとしたら……。
 思わず想像して、上条は身震み ぶるいした。
 慌てて否定材料を探す。
『新たなる光』は発信機となる霊装れいそうを、王族専用の馬車に取り付けた。
 しかし、それだけですぐさま暗殺が成功する訳ではないはずだ。
「そうだ。お姫様だって丸腰で外には出ないだろ! 一般的かどうかは知らないけど、大統領の乗る車とか飛行機とかって、特別製だったりするもんじゃないのか!?」
『確かに、あの馬車は「移動鉄壁」という異名を持つほど、多種多様なセキュリティを構築しています。ただ、取り付けられた発信機は馬車の位置情報だけでなく、扉の開閉状況なども知る事ができるようで……』
「お姫様自らが馬車を降りた所で、何らかの『襲撃しゆうげき』が起こる……?」
 かみじようは自分でつぶやいてから、ゾッと背筋に寒いものを感じる。
「その馬車には、護衛とかはついていないのか!?」
『当然ありますが……彼らは「馬車の防衛機能が正常に働いている事を前提に」警備体制を築いているでしょうね。前提がズレれば、完壁かんぺきな体制にもすきが生まれちまいます。そこをうように、遠距離えんきより から狙撃そ げきでもされちまったら……』
 くそ、と上条はき捨てる。
「それにしても発信機なんて……何で王様の馬車にそんなもんが取り付けられてるんだ」
手際て ぎわについては分かりません。そして、発信機を取り付けられた以上、ほかの細工がほどこされている可能性も否定はできません。……例えば、馬車の魔術的まじゆつてきな防御機能を一時的に弱めるとか』
「……最悪だ」
 上条はうめき声を上げた。
 あそこには王女様はもちろん、インデックスも同行しているはずだ。
『襲撃方法はいまだ不明です。ロンドンはフォークストーンのトンネルターミナルへ向かうための「近道」にすぎないのか、それとも何らかの遠距離攻撃を放つ事ができるのか。いずれにしても、手早くメンバーを拘束してください!』
 上条は前方を逃げるレッサーの背中をにらみつける。
「まだ見つかっていないメンバーだっているんだろ!?」
『「新たなる光」は四人構成で、その内の二人はすでに撃破済みです。後はあなたが追っている一人と、どこにいるか分からない別の一人だけ。ただし、先ほど判明したスキーズブラズニルの特性上、おそらく複数犯でなければ彼女たちの行動力は減衰します』
 アニェーゼは、スキーズブラズニルと呼ばれる四角いかばんの、霊装れいそうとしての効果を説明する。どうやら、四角い鞄Aから四角い鞄Bへ、『中身』を自由にやり取りできるアイテムらしい。
『敵の残りは二人。どちらかのカバンに「本命」となる中身が入っているはずですが』
 仮に上条が追っているレッサーが『中身』を持っていたとしても、追い詰められればレッサーは最後の一人に『パス』をしてしまうだろう。
 つまり、
「確かに、一人になりゃパス回しは封じられるが、本質的な暗殺攻撃を止められるとまでは行かねえな!! 『中身』さえあれば、だれでも本命の攻撃は実行できそうな雰囲気ふんい き じゃねえか!!」
『ええ。結局は一人一人あぶり出して、全員拘束するまでは安心できません。ですから急いで!』
 上条は携帯電話を切ってポケットにねじ込むと、改めて前方を見据える。
 と、レッサーが角に曲がり、かみじようがその後を追った所で――唐突に、彼女が消えた。
(ッ!?)
 いつしゆん、心臓が止まりかけた上条だったが、すぐに否定する。
 ビルの壁面に、非常階段が伸びている。
 上条が見上げると、鉄製の階段を駆け上がるカンカンという音が遠ざかっていく。
「上か」
 彼は一度息を整えると、改めて階段に駆け込む。ビルの高さはおよそ五階程度。その内、四階の扉が開いている。何度も折れ曲がる踊り場に目を回しそうになりながら、一気にそこまで走ろうとした所で、
 バギン、という音が聞こえた。
 そして、銀色に光る四本の刃が見えた。
 レッサーが鉄の非常階段と煉瓦れんが の壁の間に刃をねじ込み、強引につながりを断ったのだ。
「う、そ……だろッ!?」
 一ヶ所のボルトが破断すると、階段全体がグラリと揺れた。その重みにつられるように、ほかの階にあるボルトも、シャツのボタンがはじけるようにこわされていく。上条はとっさに手すりをつかんだが、階段全体が大きく傾いた。もう保たない。
 が、
 非常階段全体が一五度ほどかしいだ所で、唐突にその動きが止まった。見れば、元々細い路地に設置されていたためか、非常階段の頂点の辺りが、となりのビルにぶつかっている。
「……ッ!!」
 レッサーもその様子を確認し、さらに『はがねの手袋』を放とうとする。
 しかしその前に、上条が動いた。斜めに傾いだ階段の上を、段数を無視して手すりに足を乗せ、そのままレッサーのいる四階に向けて大きく飛ぶ。その途端と たんに、自重でくの字に折れ曲がった非常階段が大きく崩れて下へ落下し始めた。
「このおっ!!」
 迫る上条に対して、レッサーはとっさに『鋼の手袋』を突き出す。
 しかし彼女は知らなかった。
 彼の右手には、幻想殺しイマジンブレイカーという力が宿っている事に。
「ォ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 落下しながら振り下ろした上条のこぶしが、レッサーの『鋼の手袋』の先端に直撃ちよくげきし、四本の刃をバラバラに吹き飛ばした。その事実に驚愕きようがくするより前に、レッサーは上条とぶつかり、そのまま突き飛ばされる羽目はめになる。
 背後で、非常階段が完全に崩れる轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 バランスを崩して床に転がっていた上条は、荒い息をきながら起き上がる。
 前方にいるレッサーは、武器である『はがねの手袋』を失っても、かたわらの四角いかばんはなさなかった。スキーズブラズニルと呼ばれる、『中身』を自由にパス回しするための霊装れいそうだ。
 レッサーは逃げ道を求めて周囲に目をやったが、割り込むようにかみじようが言った。
「終わりだ」
「……、」
「最初に持っていた高速で逃げるための力はない。その上、とんでもない力を持っていた、変なやりみたいな武器も失われた。……今なら、おれの手でもなぐり倒せるんじゃねえのか」
 なおも未練がましくエレベーターの方へ目をやるレッサーだったが、そこで決定打を突きつけられた。さわぎを聞きつけてやってきたのか、そちらの方からオリアナが現れたのだ。
 出口を封じられ、二人に挟まれたレッサーは、短く息をいた。
 それから、手近なドアを開け放ち、部屋の中へと飛び込んでいく。しかしそちらに出口はない。上条とオリアナは互いにうなずくと、内部へ入っていく。
 どうやらここは雑居ビルのようで、部屋はオフィスになっていた。煉瓦れんが 造りの洒落し や れた建物の中に典型的なスチールデスクや業務用のコピー機などが鎮座ちんざ している様子は少しシュールだ。
 レッサーは窓際まどぎわにいた。
 しかし彼女には飛び下りられない。それをすれば、ただでは済まない事を知っているからだ。
「テメェのねらいは分かっている」
 上条は言った。
「バッキンガム宮殿をはなれたお姫様を狙うつもりだったみたいだけど、どうやら失敗したみたいだな。ほかの連中ももう捕まってるぞ」
「ふ」
 その言葉を聞いて、レッサーは笑みを含んだ。
 彼女はわざわざ日本語で応じた。
「でも、ランシスだけはどこにいるか分からない。でしょう?」
「……、」
「答えは簡単です。ランシスはロンドンにはいないんですから」
 上条の背筋が凍った。
 いつしゆん、すでに『新たなる光』のメンバーがロンドンを突破して、王女たちのいるフォークストーンへ向かっていると想像したからだ。
 しかし、答えは違ったらしい。
「ランシスは、ロンドンから北へ三〇キロほど離れた所で待機しています。対して、私達三人は『中継役』。王室専用の馬車の位置に合わせて、各々おのおのが距離を調節すればそれで良かった。三人の内のだれを『経由』しても、私達の計画は成功という事になるんですから」
「何を、言っている……?」
 かみじようは不審そうにまゆをひそめたが、その時、オリアナがハッと顔を上げた。『運び屋』としての勘が何かを告げたのか、
「『中継役』……まさか!!」
 慌てて単語帳を構えようとするオリアナに対し、レッサーはふふんと笑った。
 笑いながら、彼女はこう言った。

「何で量産されているのが分かった時点で気がつかないんですかね。五個目の『大船の鞄スキーズブラズニル』がある可能性を!!」

 レッサーが四角いかばんを大きく掲げた。
 そこへ、壁を無視して青いレーザー光のようなものが四角い鞄へ突き刺さった。光線はそこで屈折するように方向を変え、また別の地点を目指して放たれる。
 アニェーゼから聞いた話では、スキーズブラズニルの効果範囲は半径一〇〇キロ。ここからフォークストーンまで届いてしまう。
 だが、
(……ランシスつてヤツから、こいつに一度『中身』が渡ったのは間違いない)
「お前、だれに『中身』を飛ばしたんだ? 一体誰が五個目のカバンを持っているんだ!?」
 上条は思わずつかみかかろうとしたが、レッサーは用済みになった四角い鞄を軽く放り捨てると、両手を大きく広げた。怪訝け げんな顔をする上条に、レッサーは言う。
「……目的は達成したけど、試合に負けたのも事実。こんなつまらない結果で、同盟を組んでいるあなたたち、フォワードに迷惑をかけるのもアレですし」
 今度の笑みは、何かをあきらめたようなものだった。

「受け入れましょう。口封じするなら、今がベストです」

 窓の外に広がる夜景の一点が、チカッとまたたくのを上条は見た。
 とっさに前へ出て、レッサーを突き飛ばそうとしたが、腕を掴んだ所で何かが起こる。
 レッサーの背後にあった窓ガラスが粉々に砕け散り、そして真っ赤な鮮血が噴き出した。
狙撃そ げき!?」
 オリアナが叫ぶ。
 上条が引きずり倒すまでもなく、衝撃しようげきを受けたレッサーは錐揉きりも み状に回転し、床に激突した。彼女の腕を掴んだせいか、若干じやつかんながらねらいはれている。それでも肩口に直撃した何かは、彼女の腕をほとんどもぎ取ろうとしていた。動脈を破られたのか、傷口から信じられない量の血液があふれている。
馬鹿ばか、伏せなさい!!」
 言葉をたたきつけられたが、かみじようは身動きが取れなかった。
 口封じ。
 その言葉が真実だとすれば、これは断じて何者かが上条を援護した訳ではない。
 明らかに、害意のある攻撃こうげきだ。
「くそっ!!」
 ようやく動けるようになった上条は辺りを見回し、コピー用紙の束を見つけた。それをグシャグシャに丸めるようにして、傷口へと押し付けていく。レッサーの体は急激に血を奪われたせいか、小刻みに痙攣けいれんを始めていた。ショック症状が起こりかけている。
 このままでは、本当にまずい。
「救急車を呼べ、オリアナ!! いや、お前の扱うじゆつの中に回復系の術式はないのか!?」
「残念だけど……」
 悔やむように、オリアナは言う。
 と、そこで彼女の動きが止まった。
 窓を突き破り、レッサーの肩を貫通した『何か』が、オフィスのスチールデスクに突き刺さっていたのだ。三〇センチほどの棒に、その半分まで流線形のやじりを取り付けたような、特殊な飛翔体ひしようたいだ。
 オリアナがおどろいたのは、その破壊は かいりよくの大きさゆえに、ではない。
 その飛翔体に、見覚えがあったからだ。
「……『ロビンフッド』……」
「何だって!?」
「『騎士派きしは』が使っている遠距離えんきより 狙撃そ げき用の霊装れいそうよ。でも、イギリス国内の魔術事件に関しては、『清教派』が主導していたはず。この件に『騎士派』が協力しているなんて聞いていないわ」
 オリアナはスチールデスクから狙撃に使われた飛翔体を抜き取った。
 その表面を指先でなぞりながら、
「『ロビンフッド』は軍事方面で有名な第二王女キャーリサの直属部隊で開発されたもの。……『新たなる光』の口封じにあの部隊がかかわっているという事は……まさか……ッ!?」
 オリアナが驚愕きようがくしているかたわらで、上条も身を強張こわば らせていた。
 原因はレッサー。
 大量のコピー用紙で傷口を押さえられている彼女は、上条へ勝ち誇るためか、それとも応急手当に対する何らかの感傷のつもりか、ふるえるくちびるを動かして、こう言ったのだ。
「……私たちが輸送していたのは、カーテナ=オリジナル……」
 にっこりと。
 血まみれの顔に笑みを浮かべながら。
「……かつて歴史の中で失われた戴冠たいかん用の儀礼剣ぎ れいけんにして、王家の者しか扱えない慈悲じひの剣。……当然ながら……後世に作られ、現在の女王が持つ……カーテナ=セカンドなど、はるかにしのぐ、英国最大の霊装れいそう……。正真正銘しようしんしようめい、イギリスを変えるに相応ふ さ わしい剣です……」

     17

 フォークストーン。
 ロンドンから一〇〇キロほどはなれた港町。ここにはドーヴァー海峡を横断する海底鉄道トンネル、ユーロトンネルのイギリス側のターミナルが存在する。
 夜のやみに包まれたターミナルの近くに、無数の馬車がまっていた。王室専用のものと、それを守る護衛用のものだ。ほかにも多数の軍馬が休ませてあり、その周りには銀色のよろいをまとった騎士きしたちが数十人待機している。
 出入り口に明かりはない。
 海底鉄道トンネルが途中で爆破されたため、ターミナルも稼働か どうしていないのだ。そして、そちらにはインデックスが向かっていた。少しはなれた所にいる第三王女のヴィリアンは、若い使用人から魔法ま ほうびんに入った紅茶を受け取っている。
 その時、騎士団長ナイトリーダーまゆがピクリと動いた。
 彼は手にしていた四角いかばんに目をやった。
 四角い鞄の重さを確かめると、騎士団長ナイトリーダーは静かに第二王女の元へと向かう。彼はカバンをつかんだまま、キャーリサの耳元でささやいた。
「――届きました」
「なるほど」
 第二王女のキャーリサはうっすらと笑う。
 騎士団長ナイトリーダーは彼女にしか聞こえない声で、さらに続ける。
「電子、じゆつの双方の通信を傍受した限り……『清教派』の連中は、『新たなる光』が王女を暗殺する事で、イギリス全土に仕掛けられた対ヨーロッパ用の大規模攻撃こうげき術式を自動発動させようとしている……などと勘違いしていたようですね」
「ふん。そんな胡散臭う さんくさい伝説など、実在しないというのに」
「そこまで高威力の魔術が用意できるなら、もっと簡単に交渉を進められたでしょうし、何より、安易に民を死なせないための、『計画』ですからね」
 右腕たる男の言葉を聞いて、キャーリサはさらに笑みを深くする。
 そうしながら、彼女はこう言った。
「イギリス全土にひそませた『騎士派』の全軍に伝えよ」
 それは合図だ。
 とある国家を内側から焼きがすために放たれた、一つの号令だった。
「侵攻を開始せよ。王を選ぶための剣、カーテナ=オリジナルは我が手中にあり。これより英国の国家元首はこの私、キャーリサが務める。平和主義の『前女王』と共にイギリスを腐らせたくない者は、自らの意志で立ち上がるが良い。新たなる英国の起動に必要な分だけ地均じ ならしを行い、必要な分だけ破壊は かいを行え、とな」

第四章 その剣は戦と災厄を招く Sword_of_Mercy.

     1

 午前一二時。
 日付の変更と共に、それは起こった。

 例えば。
 北部アイルランドにあるベルファスト、エニスキレン、ロンドンデリーなど各地の都市の病院や警察署などの主要施設が、大勢の警官や軍人によって封鎖ふうさ された。彼らは『騎士派』あるいは『王室派』の第二王女派閥の息がかかった集団だった。一般人はただならぬ雰囲気ふんい き に屋内でおびえるか、好奇心に押されて野次馬や じ うまになろうとした所を、警察に捕らえられたりしていた。

 例えば。
 スコットランドの独自通貨を製造している造幣ぞうへいきよくや、宗教的な拠点であるホリールード宮殿などが、その施設を守っているはずの警備員や騎士たちによって占拠された。また、エジンバラのヨットハーバーで調査活動を行っていた元アニェーゼ部隊は、数で圧倒する 『騎士派』の集団によって包囲される事になる。

 例えば。
 ウェールズにあるカーディフ城、スウォンジー城、オイスターマウス城、コンウィ城、ペンリン城、ボーマリス城、カナーヴォン城などの各種城塞じようさいが、『騎士派』の手によって次々と陥落していった。地方議会や裁判所などは言うに及ばず、だ。

 例えば。
 イングランドの中心部、ロンドンとその近郊にも『騎士派』の手が伸びた。というより、最も『騎士派』が多くいるのは、イングランドだった。彼らは聖ジョージ大聖堂やウェストミンスター寺院といった宗教的拠点、バッキンガム宮殿や国会議事堂などの政治的ようしようへと、次々と足をみ入れていった。

 もちろん、『清教派』の魔術師まじゆつしたち――『必要悪の教会ネセサリウス』の面々も、無抵抗のままただ侵略されていった訳ではない。

 ウェールズ。
 この地方には城やとりでが多い。この地に攻め込むための拠点として、あるいは逆にこの地を守る要所として……様々な人々の様々な思惑によって建造された石造りの軍事施設だが、現在はそれらをすべて一つの派閥がまとめている。
 すなわち、『騎士派きしは』。
「ぜっ、はっ、くそっ!!」
 浅い呼吸をり返し、やみの中を修道女は走る。
 彼女は城塞じようさいの中に備え付けられた礼拝堂を、『騎士派』に委託される形で管理していた。第二王女のキャーリサがカーテナ=オリジナルを手にした事で始まった『侵攻』で、真っ先にきゆうに立たされたのは、彼女のような『清教派』から出張していた城塞所属の修道女だろう。何しろ、自分以外の全員が、一斉に全方向から矛先を突きつけてくるようなものなのだから。
(いきなり刃を向けてくるなんて、『騎士派』の連中はどうしちゃったんだ!?)
 数では圧倒的に不利。
 この状況をくつがえすには、まず『組織的戦闘せんとう』を行えるだけの頭数をそろえる必要がある。
(くそっ、一人一人ならまだ何とかなったかもしれないのに……ッ!!)
 走りながら、修道女は舌打ちする。
 彼女が思っているのは、何も完全装備の騎士をたたき殺す、という意味ではない。英国の中に限るとはいえ、カーテナ=オリジナルの力を借りて、『天使』としての力を部分的に振るう騎士達と、まともに戦うつもりはない。
 それでも、全力で魔術を振るえば時間かせぎぐらいはできるはずだった。目眩め くらましぐらいにはなるはずだった。……相手が一人なら。
 時間稼ぎは所詮しよせん、短時間だけ敵の動きを封じるものだ。一人の動きを封じている間に別の所から新手が現れ、そちらに対処している問に動きを封じた敵が復活して……と繰り返してしまっては、何の意味もない。
(とにかく、ほかの城塞に詰めていたシスター達と合流する! そこから連携して、集団と集団のぶつかり合いまで持っていく! せめて効率良く撤退てつたいするぐらいの組織的戦果を挙げられれば良いんだけど……ッ!!)
 その時だった。
 突然、横合いから銀色のよろいが飛び出してきた。『騎士派きしは』の追っ手だ。殺すのではなく捕獲するよう命じられているようだが、その後でどんな目にうかまで保証はされていない。
「ッ!!」
 修道女はそでの中から方位磁石を取り出す。
 彼女の術式は方位が大きくえいきようする。修道女は方位磁石の示す通りの北へ、一枚のカードを放る。そこから光のかたまりを取り出そうとしたのだが、
(何も、出ない……ッ!?)
 顔が強張こねば る。術式が失敗した……その理由を考え、そして気づく。方位磁石の針を動かす力――つまり、磁力そのものを外部から干渉されていた、という可能性を。
 つまり、方位磁石が示した方角は北ではなかった。
 そうと知らずに針が示す方向へカードを放ったのだから、術式が発動するはずがない。
 「しま……」
 不発のタイムラグを見極め、銀色の鎧の腕が修道女に迫る。

 大西洋、アイレイ島近辺。
 真夜中の漆黒しつこくの海から二〇メートルほど上がった空中に、その要塞ようさいは浮かんでいた。
『カヴン=コンパス』と名付けられた移動要塞の輪郭は、直径二〇〇メートル、厚さ一〇メートルほどの、石でできた巨大な円盤だった。円盤の上面には『コンパス』の名を表すように、中心から各方位に向けて鋭いラインが走っていたが、この要塞のきもはそこではない。
 下面だ。
 そこには、たるんだロープが何十本も、何百本も張られていた。そして、ローブの一本ー本に、ほうきたずさえた魔女ま じよが腰かけていた。まるで渡り鳥がつかの休息を得るような格好だが、彼女たちは皆、臨戦態勢にあった。
 彼女達は、古ぼけた箒に一種の薬品を塗り込んでいる。
 魔女は箒に乗るのではない。こうした薬品で飛行能力を追加した物品を乗り回すのだ。なので、この薬さえあれば箒以外の道具を操縦する事もできる。
(……まぁ、魔女の薬って言っても複数の魔草ま そうを使っているだけで、流石さすがに洗礼を受けなかった嬰児えいじ を煮詰めるような真似まねはしないけどねー)
 ロープ上で待機する魔女の一人、スマートヴェリーは軽く息をく。同種の『魔女の薬』は彼女の服の内の肌にも塗られており、ぬるぬるした感触がちょっと気持ち悪い。
 要塞下面の中央にある小さなドーム――通信用霊装れいそうから、オペレーターの声がひびく。
『三番から二〇番、三〇番から三五番、四三番から五二番、射出準備完了しました! 所定の魔女ま じよは順次加速し、向かってくる「騎士派きしは」の迎撃げいげきに当たってください!!』
 その言葉を聞いたスマートヴエリーは片手に持ったほうきつかみ直すと、もう片方の手でじゆつを発動し、自分が腰かけているロープをスッパリと断ち切った。
 途端と たんに、重力による落下が始まる。
 スマートヴェリーは切れたローブの先端を片手で掴む。二〇メートル級の巨大な振り子と化した彼女の体が、空中ブランコのように大きく揺れ、加速する。そして最も下端――その力を最大限に蓄えた所で、スマートヴエリーは手をはなした。空中で箒にまたがった魔女は、そのまま黒い海面スレスレのラインを高速で突っ切っていく。
 現代の魔女は天空を飛ばない。
 一二使徒の一人、ペテロは『悪魔の力を借りて空を飛ぶ魔術師』と言われたシモン=マグスを、主に祈るだけで撃墜げきついした。その伝承を利用した『撃墜術式』が十字教圏内で発達してしまったため、『十字教の教義で説明できる範囲の異端や異教の飛行術式』は、飛ぶのは簡単だが落とされるのも簡単という面倒なジレンマにおちいってしまっている。
 ゆえに、現代の魔女は天空を飛ばない。移動要塞ようさい『カヴン=コンパス』のように、『撃墜術式を防ぎ切るだけの大型防壁』を搭載するための積載量を持たない小柄な魔女は、『天空を飛行しているのではなく地上を走行している』とごまかし、低空を高速で移動する事によって、ペテロ系統の『撃墜術式』から逃れるのが常識なのだ。
 そんな事情もあって、海面スレスレを箒で爆走する魔女・スマートヴエリーの横に、どうりようの魔女が数名、並走する。すでに海上を進む彼女たちの総数は一〇〇名を超えていた。
 魔女達は通信用の霊装れいそうを介して高速で意志の疎通を実行する。
『どうするスマートヴェリーッ! 機動性では我々が上回っているが、総合的な攻撃性能では「騎士派」が上だ! ただでさえ「生身の力が強すぎて魔術的な仕組みを自ら破壊は かいしてしまうため、よろいに霊装としての強化機能をつけられない」ような怪物どもだからな!! しかも情報が正確なら、カーテナ=オリジナルを応用して「天使の力テ レ ズ マ」の供給を受けているらしい! 私達の攻撃を直撃させても致命傷を与えられるかは分からんぞ!!』
『そのカーテナ=オリジナルとやらは、イギリス国内で最大限に力を発揮するんでしょー。……ま、ヨーロッパヘ 「侵攻」する事を考えると、まだまだ秘密がありそうだけど、少なくとも、ここで使用される様子はなさそうだし。だったら話は簡単。せっかくの移動要塞なんだから、国の外まで逃げちゃえば「騎士派」の力も半減するんじゃなーい?』
 スマートヴェリーは無暗む やみに甘ったるい言葉で、同僚の背中を押す。
『「カヴン=コンパス」が国境の外に出るまでの我慢が まんって感じ? あの要塞の上面は大規模閃光せんこう術式の照射装置になってるからさー。適当に戦いながら「騎士派」を国境の外までおびき出せれば、あの馬鹿ばかどもをまとめて焼き払えるかもねん』
『私たち疑似餌ぎじえか。まったく、いつの時代も騎士というのは魔女ま じよしりを追うのがお好きらしい』
「というのがセオリーだけど、海洋制御系術式で迎撃げいげきしてみるのも楽しいかもよー?」
『おいちょっと待て。結局どっちで行くんだよ!?』
 その時、魔女達の行く手をはばむように、前面の海面が揺れた。
 黒い水の中から、不気味にかがやく眼球のような光が複数うごめく。
『来るぞ!!』
 どうりようが叫んだ直後、ミサイルのように海面から大量の何かが飛び出した。
 それは『騎士派』の銀色のよろいだった。
 大勢の鎧が手にしたやり先端せんたんには、稲妻のように攻撃的な閃光せんこうおどっている。
 魔女の方も、応じるようにほうきの先端に火のような光をける。
 一〇〇対一〇〇。
 無数の光線が交差し、魔女と騎士の戦いが始まる。

 スコットランド地方、エジンバラ。
 ヨットハーバーで『新たなる光』についての調査活動を行っていた元アニェーゼ部隊は、二五〇人を超す、そこそこの組織だった。
 そして現在、彼女達はさらに大規模な『騎士派』の面々に包囲されつつあった。
「……双方合わせて七〇〇人以上。普段ふ だんなら無許可のデモ活動とかで警察がすっ飛んできそうな事になっちまってますね。以前からいけすかねえ連中だとは思っていましたけど、まさかここまで倣憤ごうまんな態度に出られるとは」
 アニェーゼが銀でできた『蓮の杖ロータスワンド』を構えながら、低い声で言った。
 彼女に背中を合わせるように立ち、木製の巨大な車輪を両手でつかんでいるのは、ルチアだ。
「特に『人払い』などが使われている様子もありませんし、もはや気を配る必要もない……となると、やはり、広範囲にわたって『騎士派』の侵攻が進んでいるようですね」
「れ、連絡の途絶えたロンドンの方も、気になりますね」
 ボソボソと言う猫背のアンジェレネの周囲には、四つの金貨袋が浮かんでいた。
 臨戦態勢の修道女達に対して、騎士の中の一人が歩み出た。
 彼は言う。
「一応、可能な限り殺さぬよう指示は受けているが、これだけの人数が衝突しようとつした場合、それを貫徹かんてつできる保証はない。殺す意志はなくとも、単純に圧死させてしまうリスクは否定できん」
「だから怪我けがにんが出る前に降伏しろと? 随分ずいぶんとお優しい事で」
「……死人が出るが、構わんな」
 改めて剣を構え直す騎士きしに対して、アニェーゼも不敵に笑う。
 笑いながら、彼女は『蓮の杖ロータスワンド』を足元の地面に打ち付けた。
 思わずそちらに注目したのは、『騎士派』にとっては失敗だっただろう。

 何故なぜなら、そこから爆発的な閃光せんこうほとばしったのだから。

 カッ!! という真っ白な光が視界を奪ったのは、おそらく五秒もなかっただろう。
 しかし光が消えた時、すでに修道女たちはいなかった。
 二五〇人もの数のシスター達が、一人残らず消えていたのだ。
「な、に……?」
 かぶとの中で目をまばたかせた騎士は、周囲を見回したが、それらしい影は見当たらない。やがて彼らは互いに示し合わせると、どこかへ逃げたシスター達を探すため、広範囲の索敵さくてきを開始する。

「いやー。意外にバレないモンですね……」
『騎士派』の連中が去った後、ポツリとつぶやいたのはアニェーゼだ。彼女の周囲にはジャポジャポという音がひびいている。
「……まぁ、黒という色が保護色として機能する環境であるのは認めますが」
「な、何も、とっさに海へ飛び込む事はないんじゃないですか……?」
 一〇月下旬の海の中でも割と冷静なのがルチア、ガチガチと歯を鳴らしているのがアンジェレネだ。海にいるのはこの三人だけで、ほかのシスター達も思い思いの場所へと逃走していた。
 アニェーゼはコンクリート製の堤防へ手を掛けて、ゆっくりとい上がる。水を吸った修道服は、外気に触れる事で一気に冷たくなっていく。
「あそこまで『騎士派』が堂々と活動してやがるという事は、エジンバラはもう陥落しちまったと見た方が良いでしょうね」
「こっ、これから、どうするんですか?」
 堤防の上からアンジェレネの手をつかんで引き上げてやると、猫背の少女はそんな質問をした。
 答えたのは、その横から自力で這い上がったルチアだ。
「ロンドンの方とも連絡が取れませんし、我々も自力で動くしかないでしょう。シスター・アニェーゼ。あなたの計算では、部隊の人間は、どれぐらい使い物になると思いますか?」
「……まぁ、散り散りに逃げたとはいえ、半数以上は『騎士派』に捕まっちまうでしょうね」
「そんなっ!!」
 アンジェレネが悲鳴のような声を上げたが、アニェーゼは人差し指で彼女のくちびるふさぐ。
「連中のトップ……第二王女のキャーリサは、イングランド地方にいるはずです。捕らえられた修道女達がそちらへ連行される可能性も高い。逆に言えば、たとえ捕まっちまったとしても、イングランドに到着するまでは無事って事でしょう」
「ようは、輸送中のシスターたちを再び救出してしまえば問題ない、という事ですよ。彼女達は我々を自由にするために働いてくれたのですから、こちらも最大限の働きでこたえましょう」
 アニェーゼ、ルチア、アンジェレネの三人は、深夜のヨットハーバーで静かにうなずきき合う。
 それから、彼女達はこう言った。
「……さて、と。では手始めに……このびしょれの服をどうにかしましょうか」

 第二王女キャーリサと『騎士派きしは』の反乱は英国全土に広がっていく。
 結局、『必要悪の教会ネセサリウス』にとっての戦いとは『「清教派」と「騎士派」が正面から激突し、どちらかが倒れるまで徹底的てつていてきに戦い続ける』というものではなかった。
『騎士派』からの唐突な不意打ちを受けた『清教派』は、そこで無理に態勢を立て直す事に余計な力を注ぐよりも、一度退いて力を温存し、逆転の可能性を高める事に尽力したのだ。
『清教派』の彼らは単純な力比べでは負けてしまう事を理解し、教会や大聖堂の中から『本当に重要な物品』だけを取り出した上で、局地的に抗戦しつつも総合的にはすみやかに撤退する、という選択肢を採る事になる。
『騎士派』と『清教派』は共に三派閥の一角だ。しかし英国の内部では、その序列は『騎士派』が優先される。この国の中では国王は天使長で、それに従う騎士は天使と認識されるからだ。
 ただの魔術師まじゆつしである『清教派』と、天使の力を上乗せした『騎士派』が正面からぶつかれば、互いに消耗するのは必至。最悪、『清教派』全体が倒れる可能性も否定できない。
 魔術師はその本分にのつとり、やみまぎれて機会を待つ。
 そして。

 ロンドン郊外にある魔術的城塞じようさい、ウインザー城に、女王と最大主教アークビシヨツプたたずんでいた。エリザードが口にしているのは紅茶で、ローラ=スチュアートのグラスにはミネラルウオーターが注がれている。
 ここには二人しかいない。
 部屋の出入り口である両開きの扉は、魔術的なロックがかけられている。王室を守るに値する、超一流のかぎだ。
 しかし、
(……ま、外側から破られたるまで三〇秒もかからぬわね)
 物騒ぶつそうな事を考えているローラ=スチュアートだが、そう考えるだけの理由がある。
 窓の外には、いくつもの松明たいまつの明かりが見えた。
 バタバタ!! という荒々しい足音が城内からも聞こえてきた。
 それらすべては、女王の統率から外れたものだった。いかに強固な守りを構築しているといっても、そのために働いている騎士きしたちが丸ごと裏切ったのではどうしようもない。現在、城の中でまともに忠誠を誓っているのは、『王室派』や『騎士派』とは切りはなされた庭師や使用人ぐらいのものだろう。
 日付変更と同時に異変に気づいたエリザードとローラだったが、すでに逃げ場はなかった。かろうじて部屋の扉のロックをかける事には成功したが、この程度では時間かせぎにもならない。
「……まったく」
 ローラは透明な液体の入ったグラスを軽く揺らしながら、ため息をついた。
「かようになりし前に禁書目録を召集し、第一、第二、第三、いずれの王女が不穏ふ おんなりしか、その動きを分析させたるつもりだったのに。『騎士派』をここまで束ねたるといいし事は、軍事の第二王女、か。思うたよりも早く動きたるわね」
「うむ。我が娘ながら、この迅速じんそくな戦略は見事なり。やはりあいつは戦術の才に恵まれていたようだな」
「このおや馬鹿ばかは。今すぐ首を絞めてやりたし所なりけるけど、具体的にどうする訳。ご自慢じ まんのカーテナ=セカンドの力はまだちている?」
「ざっと二割。残りはカーテナ=オリジナルに持っていかれたな」
 女王はかたわらにある、刃と切っ先のない剣に目をやり、
「この状態でぶつかれば、カーテナ=セカンドごと両断されるだろう。元々、こいつは失われたオリジナルの機能を埋め合わせるための、間に合わせだからな。奪われたというより、本来の配置に戻ったといった方が近い。私の剣に力が宿っている方が不自然だったんだからな」
 こんこん、と刃の側面を人差し指でたたく。
 エリザードの口調はどこか楽しげだ。
「しかし、よくもまぁオリジナルなんぞ発掘したものだ。あの革命で失われて以来、数百年にわたって代々の王が調査計画を実行して、それでもヒントも得られなかったというのに。……そういえば、『新たなる光』は北欧系の術式を得意としていたか。となると、発掘作業にドヴェルグ辺りから伝わった金脈探査術式でも応用したのかもしれん。いずれにしても、カーテナ=オリジナルが出てきた以上、単純に剣と剣をぶつけても勝ち目はないなぁ」
「はっはっは。このクソッたれ」
 水でもぶっかけてやろうかとローラが思ったその時、ノックもなしに巨大な扉が開け放たれた。というより、魔術的まじゆつてきなロックごと破壊は かいされたのだろう。十数名の完全武装の騎士達は、すでに各々おのおのさやから剣を抜いている。不作法どころか、強盗のようだった。
 その中の一人が言った。
「すでにロンドンのみならず、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド、四文化全域の主要施設は我ら『騎士派きしは』が押さえました。つまり我々は『王室派』と『清教派』の拠点の大半を奪い、ほぼすべての機能を封じる事に成功しています」
「なるほど。それで英国全土をキャーリサ率いる『騎士派』一色に染め上げる、という訳か。斬首ざんしゆと鮮血のあらしにならんのは、カーテナ=オリジナルによって新体制を確立させる前に処刑を実行すると、ただでさえ繊細せんさいな三派閥四文化の『連合王国』の方々で抵抗が一斉に起こり、国家の枠組みそのものが崩壊ほうかいするリスクがあるためだな」
 エリザードがつぶやくと、騎士は小さくうなずいた。
 問答無用でりかからない辺りは、敵対すれども多少なりの敬意が残っているのか。
「抵抗しなければ、余計な傷を負わせる事もありません。どうか、無用な血を流させぬよう、賢明なご判断をお願いします」
「お前も大変だな」
 剣の切っ先を突きつけられ、女王エリザードは、それでもあきれたようなため息をつく。
「それはキャーリサのやり方ではない。伝言は正確に言わねば、第二王女の不興を買うぞ」
「……、」
「私の娘ならこう命令しているだろう。極めて事務的な降服勧告を突きつけ、従わなければ迷わず斬れと。後は……そうだな。斬ると判断した時は容赦ようしやをするな、周囲にいる一般出身の庭師や使用人を巻き込んでも良いから、とにかく女王を迅速じんそくに切断しろ……と、まぁ、最低でもこれぐらいは言っているだろうな」
 騎士の手甲てつこうが、わずかにきしんだ音を立てた。
 剣を握る手により一層の力を込め、押し殺した声で刺客し かくは告げる。
「……カーテナ=セカンドをこちらに引き渡し、我々の監視下に入っていただきます。……『清教派』の貴様もだ」
「くっく。一応、私とて『女王』と同じく三派閥の一角なれど、随分ずいぶん扱いが違いけるわね」
「貴様に関しては、ここで斬り捨てても構わん。我々の慈悲じひを知る事だ」
 騎士の恫喝どうかつに対して、ローラは表情を動かさなかった。騎士の用意したさやに女王がカーテナ=セカンドを収めているのを眺める目にも、どこか余裕がある。
 旧知の仲であるエリザードに対して、ローラは笑ってこう言った。
「さぁて、どうする?」

     2

 ドーバー海峡の下を走るユーロトンネルの爆破跡地に、インデックスはいた。
 彼女の足元には線路が走っている。
 ユーロトンネルの入り口である巨大なターミナルは、ドーバーからややはなれたフォークストーンという街にある。多くの鉄道線路はここへ集約し、三本の海底トンネルへと再分配される。
 インデックスは三本のトンネルの内の一つへ足をみ入れる。
 トンネルが実際に海中に入るまで数キロの道のりがあるはずだったが、インデックスはトンネルの入り口から下り坂を二〇メートルほど進んだ所で立ち止まった。鉄とコンクリートに囲まれた下り坂は、唐突に途切れていた。実際にトンネルがへし折れた場所ははなれているが、地面より下に位置するため、流れ込んだ海水がここまでせり上がっているのだ。
 ユーロトンネルは二ヶ所の爆発によって、丁寧ていねいに三等分されていた。
 やみの色を吸って黒々となった海水のせいで、本当の爆破ポイントまで近づく事はできない。
 しかしインデックスは、目の前でトンネルを遮断しやだんする海水を眺めながら、こう言った。
「『ロレートの家』の伝承を基にした、ローマ正教系の術式が破壊は かいの象徴に使われているね」
 イタリアのとある町にある家屋で、聖母マリアの住居といわれる。この家は『ひとりでに消え、ひとりでに現れる』事で有名で、伝承では過去に二度ほど瞬間しゆんかん移動を果たしたらしい。
「……ただ、このトンネルには『建物が移動する』という半端はんぱ な効果だけを付加しているみたい。一部分だけが不自然に『動いた』結果、トンネルに亀裂き れつが入っちゃったみたいだね」
「ふむ」
「オリジナルの『ロレートの家』に関しては、フランスの王様であるルイ九世が訪れている事で有名だね。おそらくその時、断片的に分析してフランスへ持ち帰った霊装れいそうの理論を、現代になって、何者かが今回のトンネル爆破に応用したんだよ。……術式の所々に、『フランス国内を移動するように』設定を変更した記述が見受けられるからね」
「なるほど。これでフランス系ローマ正数の派閥が関与したのは、ほぼ決定だな」
 第二王女のキャーリサはそう言って、わずかに笑う。
 うつむくように、含むように。
「……フランス製の術式のみならず、よりにもよって王家が分析に関与した術式を持ち出したか。その辺の魔術師まじゆつし程度では扱えないはず。首脳陣直属の部隊が動いたと考えるべきだ」
「それは確定できないかも。フランスの王政はすでに断絶して久しいから、かつての王様がかかわった術式だからと言って、それが現政権にまでつながっているとは限らないんだよ」
「あそこを治める現政権を操るブレインのいしずえは、歴代の王に知恵を授けてきた軍師や策士などの集合体だ。組織化されぬ頭脳集団なら、王宮の宝を所有しててもおかしくはないの」
 とはいえ、とキャーリサは言葉を区切った。
 彼女はインデックスの顔を、改めて見る。
「しかし、本当に良かった」
「?」
「私としては、フランスの関与さえ判明すれば、それで問題なしだ。お前が『今回の件にフランスは関わっていない』と評価を下してしまわなければ。いや、もう一度り返すが、本当に良かった。――お前が望み通りの回答をしなければ、ここで斬らねばならなかったからな」
「――、ッ!?」
 間近で広がる笑みを見て、思わずインデックスが身構えた。
 しかし背後は水没したトンネルだけ。逃げ場など、どこにもない。
 そこへ『騎士派きしは』のトップ、騎士団長ナイトリーダーがやってきた。
 本来は王女やインデックスなどの護衛であるはずの男の手には、古ぼけた四角いかばんがある。
「『大船の鞄スキーズブラズニル』を解放します。本格的に参戦する前に、剣の調子を確かめた方が良いでしょう」
 第二王女が片手を差し出すと、騎士団長ナイトリーダーは四角い鞄のかぎを外す。
 四角い鞄の表面にある寄木よせぎ 細工のような構造が複雑にうごめき、ぼうちようし、巨大なカヌーへと形を変える。そしてその船の中に、さやに収まった一本の剣が置かれていた。
 キャーリサは鞘をつかみ、刃と切っ先のない剣を引き抜きながら、鼻で笑う。
「カーテナ=オリジナルか……」
 状況を掴めぬインデックスの前で、キャーリサは指揮棒のように剣を軽く振るう。
「英国の伝統をきらうなら、むしろ率先してへし折るべきだが。せいぜい、利用できる内は利用させてもらうとしよう」
「英国全域の支配権の確立は完了しています。すでにあなたの言葉は英国全体の意志表示となりますが、フランス側への声明はいかがいたしましょう?」
「禁書目録からの報告を、そのまま告げてやれ。その上で最後つうちようを突きつけるの。せっかく我々イギリスの手で編纂へんさんした一〇万三〇〇〇冊だ。国益のために使ってやるのが筋だろう」
 キャーリサの笑みに対し、インデックスはにらみ返す。
 第二王女は無視して、騎士団長ナイトリーダーに告げる。
「……『王室派』と『騎士派』の間接的な働きかけで、軍を動かせるな? ドーバー海峡に逐艦ちくかんを配備しろ。返答次第では、いつでもヴェルサイユへミサイルをち込めるように、だ」
「軍を動かす事はできますが、科学サイドの学園都市への配慮はいりよはいかがいたしましよう」
「無視しろ」
 キャーリサはあっさりと切り捨てた。
「我が国の軍事力は我が国が手綱た づなを握るべきだ。他国から干渉を受けている方がおかしい」
「了解しました」
 それは学園都市とイギリス清教の危うい綱渡りを破綻は たんさせるリスクのある決断だったが、キャーリサは気にしている様子はないし、騎士団長ナイトリーダーも特に言及しなかった。
「しかし、標的はあの宮殿でよろしいのですか? フランスの現政権を陰で操る軍師たちは、特定の拠点を持たず、意図的に組織化もけているとの報告を受けていますが」
「だが、軍師の中でも最大の頭脳を持つ『あの女』がかくまわれてるのは事実だ。そいつを吹き飛ばせば、ほかの連中も思い知るだろう。くだらない隠れ家ごとき、街ごと爆破されるとな」
「弾頭についてはいかがいたしましょう?」
「英国の独自技術で開発したバンカークラスターを使うの。地中五〇メートル級のシェルターを貫通させるための特殊子弾を二〇〇発ほどばらく弾頭だ。そいつであの宮殿を街のブロックごとはちの巣にしよう」
「……一応、分類上はクラスター爆弾の禁止条約に抵触しますが」
「ふん」
 第二王女のキャーリサは鼻で笑った。
「イギリス軍部は本来、その条約に調印するつもりはなかった。フランスを始めとするEU加盟国からの圧力で、強引に結ばされたの。しかしまぁ、ちょーど良い。現在、他国と結んでるすべての条約を再確認し、不要なものは残らず破棄はきする。手始めにバンカークラスターから、な。どーせ現在のEUはローマ正教の息がかかってる連中ばかりだ。ヤツらと手を切るには良い機会だろう」
「……、」
「それとは別に、アメリカからのドル関係の支援も断て。母上が進めた対話は全て白紙に戻す」
 そこまで言うと、彼女はわずかにだまった。
「何が『イギリス清教・学園都市』と『ローマ正教・ロシア成教』の戦争だ……」
 キャーリサは小さな声でき捨てる。
「この戦い、じゆつサイドが勝っても科学サイドが勝っても、イギリスは沈む。ローマ正教側が勝利すれば、ストレートにイギリスは滅ぼされるだろう。仮に学園都市側が勝利しても、科学一色に染め上げられた世界の中で、魔術国家イギリスは確実に孤立するだろう。……属国以外に道のない戦争になど、何の意味があるの」
「そのための、意志表示ですか」
「そーだ。属国という未来を回避かいひ するためには、戦争が終わってから行動するのではもー遅い。我らはローマ正教・ロシア成教の猛威を払いのける事はもちろん、学園都市とも手を切らなければならない。この戦争を三つの勢力による争い』ではなく、『イギリスを独立させた、どもえの戦い』にしむければ、イギリスに未来はないの。これはそのための布告だ。駆逐艦く ちくかんの使用によって学園都市とのラインを断ち、バンカークラスターによってEUを始めとしたヨーロッパからの干渉も断つ。独立こそがイギリスを救う唯一の手立てという訳だ」
「……EUからの孤立は、経済や物資を中心とした国内の枯渇を誘発ゆうはつさせる懸念け ねんもありますが。今回のユーロトンネル爆破や、ハイジャックによる輸送経路の封鎖ふうさ よりも、さらに深刻な事態を招く可能性についてはどうお考えで?」
「確かに、一時的な混乱はある」
 キャーリサはその可能性を否定しなかった。
 その上で、彼女はこう続けた。
「だが、この世界を揺るがす戦争に勝利する事で、世界の図式は大きく変わる。ヨーロッパ全域からローマ正教の支配を追い出し、イギリス中心の世界を構築する事で、経済や物資の問題は解決できる。……なーぁに、よーは簡単な事だ。かつて『世界の警察』という言葉でアメリカが目指し、日本の学園都市が秘密裏にほぼ成功させた様式と同じ――世界がイギリスを必要とせざるを得なくなる社会を形成してしまえば、我々が枯渇する事はありえないの」
 それは夢物語ではない。
 世界をじわじわと侵食している『戦争』の規模は、もはやそのレベルにまで達している。すなわち、勝者に世界の舵取かじと りを許すほどにまで、だ。
「……母上の平和主義は認めてやっても良いが、それは世界情勢がおだやかな時代でなければ成立しないの。もはや目の前の問題は表面上そー見えないだけで、実情は惑星規模の戦争に発展してる事を、母上は自覚するべきだった」
 キャーリサは吐き捨てるように言う。
 カーテナ=オリジナルを荒々しく肩でかつぎながら、
「ともあれ、この国の未来のためにも、我々は何者からの協力や干渉を受けずに、この戦争に勝利する必要があるの。バンカークラスターを積んだ駆逐艦く ちくかんをドーヴァー海峡に浮かばせるのは、そーいった策の一環だよ」
「了解しました。では、軍港に停泊中の駆逐艦に搭載するよう準備を進めさせます」
「我が国にも核があれば良かったけどな。いっそ国内の情勢を整理したら、開発してみるか」
「……恐れながら、最悪の場合は着弾後に宮殿内部へみ込む我々の身も案じていただけるとありがたいのですが」
「はは。放射能ごときで倒れる体でもないくせに。貴様が案じてるのは敵国の民だろう。発射前には勧告を送る。……どのみち、『あの女』はヴェルサイユから抜けられない。それぐらいはじようしてやっても構わないし」
 苦笑する騎士団長ナイトリーダーは、『さて』と言葉を切った。
 彼は戸惑うインデックスに目をやり、そして言った。
魔道書ま どうしよ図書館はいかがいたしましょう」
「少なくとも、フランスへ送る最後つうちようの正当性を、周辺諸国へ認めさせるまでは生きてもらわなければな」
「公式の場において、意見をくつがえす可能性については?」
「こいつの完全記憶き おく能力は、自らの発言をも正確に記録してるはずだ。そいつを読み取らせれば、信憑性しんぴようせいについては疑いよーがないだろう」
 話題を振られ、インデックスは無駄むだと分かっていても、じり……と後ろへ下がろうとする。しかし、すでに靴や修道服のスカートのはしは海水に浸り始めている。
 騎士団長ナイトリーダー端的たんてきに言った。
「では長期的にはそういう方向として。短期的には、いかように扱いましょう?」
 ふむ、とキャーリサは鼻から息を吐いて、
「眠らせろ」
 インデックスに抵抗する暇はなかった。
 騎士団長ナイトリーダーこぶしが、彼女のみぞおちにたたき込まれた。

     3

 上条当麻かみじようとうまの目の前で『新たなる光』の魔術師まじゆつしレッサーが狙撃そ げきされるのを合図にしたように、ロンドンの街は様変わりしていた。
 銀色のよろいを身につけた一団が、表通りを進んでいた。
 ロンドンのあちこちにあるイギリス清教の施設を中心に、夜の街には断続的に閃光せんこうと爆音が続いていた。おそらく今も、重武装の騎士きしと神父やシスターが飛び交っている事だろう。
 魔術も超能力も知らなかった普通の人々は、この光景を頭の中でどう処理するのだろう。
 少なくとも、彼らが野次やじうまになる事はなかった。
 パトカーを使って道路にバリケードを築き、不自然に行く手をはばむ警官たちが、現場へ近づこうとする市民を押し返しているのだ。それでも抵抗を続ける者に対しては、容赦ようしやなく地面に組み伏せて拘束まで行っている。
「……『人払い』だけでは、ごまかしきれないんだわ」
 ビルの角に身を隠すオリアナが、うめくようにつぶやいた。
「元々、イギリスは魔術的事件が多い。そのための大規模な隠蔽策いんぺいさくも色々用意されているはずなのに、それすらも許容量を超えて飽和してしまっているというの……?」
 プロの魔術師が放った言葉が示す意味は、極めて単純。
 すでに『騎士派』によるクーデターはほぼ完遂かんすいしている。ほかの大都市と同じく、イギリスの首都ロンドンの機能もまた、『敵』の手によって完全に奪われた。
「クソ。こんな混乱のせいで、救急車は来てくれないのかよ」
 気を失ったレッサーを抱えたまま、上条は忌々いまいましそうにき捨てる。
「やっぱり、『必要悪の教会ネセサリウス』の連中と合流するしかなさそうだな。その中には、回復魔術を扱える魔術師だっているんだろうし」
「ええ。でも……」
 オリアナはわずかに言いよどんだ。
 今まで上条と一緒いつしよに行動していたインデックスは、現在は、フォークストーンにあるユーロトンネルの爆破跡地で調査活動を行っているはずだった。それも、クーデターの首謀者しゆぼうしやおぼしき、第二王女のキャーリサや騎士団長ナイトリーダーと共に。
 何も起こっていない訳がない。
 インデックスの事も心配だ。
「……早く、こいつをりようしてもらわないと」
 かみじようは腕の中のレッサーを見て、それから遠くの方からひびく爆発音に耳をやる。
「問題は一つだけじゃねえんだから」
「そうね……」
 上条とオリアナはうなずき合うと、ビルの陰から出る。
 目指すのは、ランベス区にあるイギリス清教の女子りようだ。
 オリアナの話によれば、今回の騒動そうどうを経て大半の『清教派』の魔術師まじゆつしは、散発的に交戦しながら時間をかせぎつつ、教会や宗教施設から本当に重要な書物や霊装れいそうなどを手にして、撤退てつたいを始めているらしい。イギリス清教の教会へおもむいても、そこに魔術師がいる可能性は低いようだ。
 そしてネックなのが、オリアナの身分が『実力のある罪人を、取り引きによって一時的に利用しているだけ』という事。
 つまり、イギリス清教の緊急避難きんきゆうひなんルートを教えてもらえるほど、彼女は信頼しんらいされていなかったという訳だ。
「……でも、あそこの女子寮には、しんがりの人員がギリギリまで残っているでしょうね。重要な資料や霊装を安全に隠すための時間稼ぎとして。接触するなら彼女たちたよるしかないわ」
 ところが、そんな上条達の行く手をはばむものがあった。
 巨大な川だ。
 ロンドンの東西を横断するように、二〇〇メートル以上の川幅を誇る大きな川がある。イギリス清教の女子寮へ向かうには、そこにかかる橋を渡らなければならないのだが……。
「くそ、あの銀色のよろい……『騎士派きしは』の連中か!?」
 橋の根元の辺りに、トラックがまっていた。その荷台には重装甲の鎧に身を包んだ人間が八人ぐらい乗っている。人員を乗り降りさせる途中なのか、それとも検問でもしているつもりなのか……とにかく、あの連中をどうにかしないと橋を渡る事ができない。
 と、騎士達の様子を観察していたオリアナが、無言でふところから単語帳を抜いた。
「その子の調子を見ている限り、ここで長居するだけの余裕はなさそうね」
 彼女はいつしゆんだけ気絶したレッサーに目をやり、それから再び騎士達をにらみつける。
「排除するわ」
「……できるのか?」
たのめるか、と聞いてほしかったわね」
 笑顔で答えたオリアナだったが、その顔にはわずかな緊張が見て取れた。
 元々、オリアナ=トムソンは運び屋であり、逃走の専門家だ。相手をけむに巻きながら脱落させていく事は得意でも、ああも完全武装した八人もの騎士きしたちに対して、正面からぶつかる事など慣れている訳がない。
 それでも、オリアナは『排除する』と言った。
 傷ついたレッサーを抱えるかみじようを一刻も早く橋の向こうへ進ませるために。
「その子を女子りようまで運んだら、同じランベス区にあるウオータールー駅に向かいなさい」
「何だって?」
「ユーロスターって路線が、そのままフランスまで直結しているのよ。ドーヴァー海峡を走るユーロトンネルを通る形でね。今は爆破されて海底トンネルは使えないけど、トンネル出入り口のフォークストーンまでなら今もつながっているはずよ」
「お前……」
「ロンドンからフォークストーンまでは直線距離で一〇〇キロ。禁書目録を助けるにしても、走って行ける距離じゃないわ。……それは『騎士派』の連中も同じ。イギリス全域を支配したら、今度は人員と物資のやり取りを行う必要は必ず出てくる。だから、あなたは『騎士派』の動かすユーロスターの列車へ、上手にまぎれ込みなさい」
 上条は一度うなずくと、改めて橋の方へ意識を向ける。
 仮にあそこを突破できても、それですべて丸く収まるという訳ではない。女子寮の周囲にも『騎士派』の刺客し かくは展開されているだろうし、そもそも、レッサーの問題を解決した後には、インデックスの救出――イギリスという国家そのものを掌握しようあくした、クーデター首謀者しゆぼうしやである第二王女のふところもぐり込む必要があるのだ。まさに、命がいくつあっても足りないような状況である。
 だが、
(やるしかねえ)
 上条は腕の中で気を失っているレッサーを見て、心の中で思う。
(絶望的な状況だからこそ、立ち止まる訳にはいかねえんだ!!)
 その時だった。
 ズズン……という低い震動しんどうを、上条の耳と体が同時にとらえた。オリアナも感じたようで、怪訝け げんな表情であちこちを見回している。
 そこへ、もう一度震動があった。
 今度は先ほどよりも明確だった。上条はそちらの方角へ目をやり――。
 思わず、うめくようにこう言った。
うそだろ……」

     4

「さて。問題は母上と我が姉妹だな。殺しておく必要があるの。カーテナは王族にしか扱えない。なら、その使用権は制限しといた方が良いだろうし」
 ユーロトンネルの出口から地上へ上がりながら、キャーリサは言う。
 明かりのない夜は、どこまでも暗い。
「母上はウィンザー城で拘束したとの報告があったが、姉上のリメエアはどこにいるのやら。あの人間不信は生存本能の賜物たまものだ。おそらくユーロトンネルへついてこなかったのも殺気を察したからだろーし、あの女が自らの隠れ家を他人に明かすとも思えない」
「……その上、リメエア様はじようを隠して城下へおもむいていましたからね。彼女を第一王女と認識しないままかくまってくれる人物も、潜在的せんざいてきには一定数確保されているのかもしれません」
「とはいえ、十中八九じつちゆうはつくロンドンかその近郊のどこかにいるだろーけど」
 そこで、第二王女は周囲を見回した。
 彼女のまゆが、不快そうに動く。
「で、有能な第一王女サマはともかく、無能な第三王女はどこへ行ったの?」
「それについてですが……」
 騎士団長ナイトリーダーはその指先で、馬車の群れを差した。王族が乗るためのものと、その護衛や世話役などが隊列を組んでいたものだ。
 そして、その内の一台が消えていた。
 状況を考えれば、おそらく第三王女のヴィリアンが乗っていったとするのが妥当だ とうだ。しかしその答えを導き出しても、キャーリサの怪訝け げんそうな表情はそのままだった。
「……あの妹は、どーやって危機を察知したの? 元々、他人を疑うより信じる方が得意な人格だったと思うのだが」
「――、」
 騎士団長ナイトリーダーいつしゆん、答える事に迷った。
 しかし彼が口を開くより前に、キャーリサはこう言った。
「そーか、そーか。姉上は頭脳、私は軍事、そしてあいつは人徳に特化してたな。あいつ自身が無能であっても、その周りに優秀な人材が集まってれば問題はない訳だ」
 彼女は言いながら、馬車がめられているのとは別の一角へと足を進めた。そちらではすでに、ヴィリアンを逃がした下手人と思われる複数の使用人が、完全武装の騎士きしたちによって取り囲まれている。
近衛次女このえ じ じよや武装側近といった迎撃げいげきしよくはいないよーだ。『聖人』のシルビアでもいれば、多少は手こずったかもしれないのに」
「……ヴィリアン様は、特に兵力を有する事をきらっていましたから。ここにいるのは、そのほとんどが平民出身の一般的な使用人です」
「ふん。だから途端と たん機嫌き げんが悪くなったのか? 身分や役職がどーあれ、こいつらが危機を察知し妹を逃がした事を帳消しにする理由にはならないの」
「しかし」
「どーせ、ヴィリアンの行き先については、すでに『尋ねた』後だろう? その上で何も語らなかった。そーでもなければ、行き先が不明などという報告が上がってくる訳がないし」
 互いに身を寄せ合うように立ち尽くす使用人たちの前で、キャーリサはさやから剣を抜いた。
 刃も切っ先もない特殊な剣。
「こいつはその形状から、慈悲じひの剣などと呼ばれてるが……。果たして真実はどーなのやら。むしろスッパリ即死できない分、よほど残酷ざんこくな作りをしてると思うけどね」
 振り上げられた剣を見て、だれかが息をんだ。
 ごくり、という音がやけに強くやみひびく。
 第二王女は、最初から質問する気がなかった。
 殺すつもりしかなかった。
 そして、

 騎士団長ナイトリーダーが、おびえる使用人達の前に立ちふさがる。

 キャーリサは無言で自分の前に立つ男を見て、わずかに動きを止めた。
 ほとんどくちびるを動かさずに、彼女は言う。
「何の真似まねだ」
「剣を引くべきだと、進言させていただきます」
「聞き入れる必要はないが」
「その場合は、私ごと両断していただいて結構」
 迷いなく放たれる言葉を受けて、キャーリサの肩が動いた。
 くっく、と彼女は笑っていた。
 にもかかわらず、騎士団長ナイトリーダーの背後からその笑みを見ていた使用人の何人かが、思わず短い悲鳴をあげかけた。人は笑顔で恐怖を与えられる。そんな事を教えさせるような笑いだった。
「……実直とは程遠い」
 心の底から楽しそうに、第二王女は騎士団長ナイトリーダーの闇をのぞく。
「お前は今、こー打算したはずだ。私にとって、自分はまだ必要な人間であると。第二王女どころか、国家元首となった私の自由を抑えてでも、自分は守られるべき切り札であると。だから、使用人の前に立つ事ができたの。……大した交渉術だよ。確かに現状では、平民の命を奪うためだけに、お前の命まで奪う訳にもいかない」
「……、」
「だが、覚えておけ」
 第二王女は最大限に笑みを広げた。
 月明かりに剣をかがやかせ、彼女は裂けた袋のような表情でこう突きつけた。
「母上と姉妹については、話が別だ。彼女たちの処刑に際して、お前が同じよーに割り込んだ場合は、容赦なく両断する。これはお前の命よりも重要な事なのだからな」
「……承知しております」
 騎士団長ナイトリーダーは感情を押し殺す調子で、そう答えた。
「私はただ、不要な処断は控えるべきだと進言したまで。……本当に必要な行動に関しては、引き止める理由などありません」
「だと良いがな」
 第二王女はカーテナ=オリジナルをさやに収めると、肩をすくめて去る。騎士団長ナイトリーダーが視線を投げると、使用人達を取り囲んでいた騎士きし達も、ゆっくりと間隔かんかくを空けるように包囲を解く。
 ポツンと残された使用人達の顔を見ないで、騎士団長は言った。
「行け」
「……騎士団長ナイトリーダー様。我々は構いません。何卒なにとぞ、何卒、ヴィリアン様を……」
「早く!!」
 爆発したように叫ぶと、使用人達は戸惑ったようにだまり込む。それでも一度だけ頭を下げると、彼女達は暗い森へと走っていった。
 一人残された騎士団長ナイトリーダーに、声をかける騎士はいない。
 騎士団長ナイトリーダーは最後まで使用人達の行方を見ないまま、き捨てるようにつぶやいた。
「……私を殺して止めたければ、『あの男』を連れて来い」

     5

 上条当麻かみじようとうまとオリアナ=トムソンが、巨大な石橋の手前で見たもの。
 それは、全長四メートルを超す、石でできた巨人だった。いや、正確にはコンクリートやアスファルトなどをやたらめったらにかき集めたものだ。
 上条は知っている。
 ありとあらゆる物質を素材とするゴーレムと、それを操るゴスロリの魔術師まじゆつしを。
「ゴーレム=エリス……ッ!? シェリーが動いてんのか!!」
 上条の声に応じるように、雄叫お たけびが上がった。
 エリスのものではない。エリスに発声器官はない。
 その雄叫お たけびは、ゴーレムを操っているライオンのような魔術師まじゆつしの口から直接発せられている。
「ごォォうァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 怒りで我を忘れたようなシェリーの叫びと共に、エリスが大きく動いた。
 石橋の根元で慌てて動く騎士きしたちに向かって、エリスの巨体が迷わず突っ込む。銀色のよろいを搭載していたトラックが一撃いちげきで爆発し、オレンジ色の炎と一緒いつしよに騎士達が四方八方へ散らばった。流石さすがにそれだけで百戦錬磨れんまの騎士が敗れる事はなかったが、
「――、」
 アスファルトの上に転がった騎士の一人に向けて、エリスは大きく足を振り上げる。
 とっさにメイスを使って防御しようとするのを無視して、ゴーレムはくいでも打ち込むような勢いで足を落とした。
 ゴドン!! という衝撃しようげきが、遠くはなれたかみじようやオリアナの足元すらすくいそうになった。
 周囲の騎士達は仲間を助けるために剣ややりを突き込むが、エリスは無数の刃に貫かれながらも、さらに二度、三度と倒れた騎士へ足を振り下ろしていく。
 シェリーの怒号が、さらにひびき渡った。
(そうか、あいつ……ッ!!)
 上条当麻とうま は、シェリー=クロムウェルの魔法名ま ほうめいと、その理由を思い出した。
 彼女は二〇年はど前に、エリスという名前の親友をくしている。理由は極めて政治的なものだったが、その時、直接的に手を下したのが『騎士派』の一団だったのだ。
 長い時を経て、多少なりとも傷がえた彼女の前に、再び『騎士派』は現れた。しくもあの時と同じく、政治的な理由で横暴を振るうイギリスの騎士達が。
 一度目は、かろうじて許せた。だが二度目に対して同じように許せるか。
 その疑問に対する答えが、今のシェリーだ。
「くそ、完全にブチ切れてやがる! 今はエリスを突っ込ませているから押してるように見えるけど、シェリー本人をねらわれたら、あんなのすぐに逆転されちまうぞ!!」
「……まずいわね」
 オリアナもポツリとつぶやいた。
 上条は腕の中のレッサーに一度視線を落としてから、
「どうする? 加勢するか!? このままじゃシェリーが――ッ!!」
馬鹿ばか、逆よ!!」
 言いかけた上条の言葉を封じるように、オリアナは叫び返した。
「あの魔術師、一人でも多くの敵を殺す事しか考えていないのよ! たとえ自分が殺されようともね!! 放っておいたら、『騎士派』どころか街並みまで破壊は かいしかねないわよ!!」
 ギクリ、と上条の体が強張こわば った。
 オリアナは、先ほどよりも強いきんちようを顔に表しながら、
「あなたはこの混乱のすきに、さっさと橋を渡って女子りようへ向かいなさい。……お姉さんも混乱に乗じて『騎士派きしは』に横槍よこやりを入れる。ゴーレムに気を取られている連中を昏倒こんとうさせて、同時にあの魔術師まじゆつしを正気に戻すチャンスをうかがうわよ!!」
「できんのかよ、そんなの! それもたった一人で!!」
「じゃあ、あなたが助けたその子を見捨てて、お姉さんについてくる?」
 オリアナは、かみじようの腕の中で気絶しているレッサーに目をやった。
 それから、今度は上条の顔を正面から見据える。
「単に役割分担の問題よ。罪人扱いのお姉さんが『敵』の魔術師の少女を連れて女子寮に向かうより、ある程度の信頼しんらいがあるあなたが回復魔術をたのんだ方がスムーズに進むでしょ。それに、あなたの右手は集団戦には向いていないように思えるけど?」
 くそ、と上条はき捨てた。
 オリアナを行かせるのは止めたいが、かといって、確かにレッサーを見捨てられない。
「頼めるか、オリアナ」
「任せておきなさい」
 上条とオリアナは一度だけうなずき合うと、物陰から飛び出した。
 ゴーレム=エリスの乱入によって、騎士たちは石橋から少し離れた所へ追いやられていた。レッサーを抱えた上条は、その横を通り抜けて石橋へ向かう。何人かが気づいたようだが、そこへエリスとオリアナが割り込むように『騎士派』へ飛びかかっていった。
 背後で聞こえる爆音や震動しんどう歯噛はがみしながら、上条は全力で走る。
 石橋の長さは二〇〇メートル強。
 両手で抱えたレッサーがズシリと重たく感じられたが、何とか上条は石橋を渡り切る。
 そこで、異変が生じた。
 川の対岸で、エリスが巨大な腕を振り回した。その勢いにぎ払われ、銀色のよろいの何人かが吹き飛ばされる。同時に、剣や槍も折れて砕けて宙を舞った。
 プロの魔術師なら、そこで気づいたかもしれない。
 砕かれた槍の中の一本に、『ブリューナク』と呼ばれる霊装れいそうが含まれている事に。
 半分に折れた槍は、ヒュンヒュンと空中で回転していた。そしてその先端せんたんから、稲妻のような閃光せんこうほとばしる。
 音はなかった。
 カッ!! というすさまじい光だけが炸裂さくれつした。それはビーム砲のような五本の光線だった。白い閃光の群れは時に直線的に、時に屈折しながら、いつしゆんで川の上を飛び越え、ランベス区のあちこちへ突き刺さる。
 低い震動が、上条の足元と精神に突き刺さる。
(市街が……ッ!!)
 思わず足を止め、遠くの方へ目をやろうとするかみじよう。ここからでは詳しい事は分からないが、少なくとも、ビルが倒壊とうかいして粉塵ふんじんの山が出来上がったり……といった事はなさそうだ。
 わずかに安堵あんど の息を吐いた上条だったが、そこで彼の動きがギクリと止まった。
 気づいたからだ。
 ずっと遠くの方にある、鉄道用の陸橋が崩壊していた。橋の構造自体が崩れ、地上にもたれかかるようになっている。そして、引き千切ちぎられた電線がバチバチと火花を散らしていた。
「くそ……」
 ユーロスター。
 インデックスの待つ、一〇〇キロ先のフォークストーンへつながる鉄道の電線が。
「どうするんだ、ちくしよう!!」

     6

 第三王女ヴィリアンに対する追跡作業はすぐに始まった。
 元々、王室やその護衛が使用する馬車は、様々なトラブルを防止する目的で、位置情報を探知するシステムが標準装備されている。騎士団長ナイトリーダーはアスファルトの路面にかがみ込み、てのひらをかざして何かをつぶやく。すると、まるで夜光塗料でも塗ってあるかのように、数本のラインが道路を走った。馬車の車輪が通った跡だ。
「距離は二〇〇〇メートル前後。速度は時速五〇キロ。方角をかんがみるに、どうやら山を迂回う かいするため、ドーバーを経由してカンタベリーを目指しているようです」
「なるほど。あそこにはイギリス清教の表向きの総本山があったはず。『王室派』と『騎士派きしは』の双方が使えないと理解した上で、『清教派』の拠点へと駆け込む事にしたのか」
 キャーリサはそこで、小さく笑った。
「くだらない浅知恵だ」
「追いますか?」
「その前に確認するが、馬車を提供した使用人どもも、この程度の探知システムぐらいは知ってたのではないの。ダミーに利用されてる可能性は?」
「彼らはじゆつを見た事はありますが、使った事はありません。民間の出身だと報告しましたが」
「では、仮にダミーだった場合はお前の首をねよう」
 軽い調子で言って、第二王女は騎士たちを視線だけで押しのけ、多くの馬車が停まっている一角へ向かう。しかし彼女が乗ったのは王室専用の豪奢ごうしやな馬車ではない。歴戦の騎士が乗りこなすためにきたえられた軍馬の方だ。
「行くぞ。無能な妹に付き合ってる暇もないし。さっさと殺して、新体制のばんじやくを固める。フランスが迅速じんそくに動くとは思えないが、今このすきを突かれてもつまらないからな」
 だが、騎士団長ナイトリーダーは答えなかった。
 彼は小さな物音を聞いたおおかみのように、ピクンと顔を上げた。
「どーした?」
「航空機です」
 キャーリサの質問に、騎士団長ナイトリーダーは短く答える。
 彼女は周囲を見回すが、それらしい機影はない。すると、騎士団長ナイトリーダーは無言で自分の耳を差した。どうやら、本当に音を聞き分けているらしい。
「ですが、妙ですね。現状、我々は交通機関のほぼすべてを掌握しようあくしています。民間、軍用問わず、イングランド地方の空港は全て閉鎖へいさ され、滑走路を使用できる状態ではないはずです」
 第二王女が馬上から右手を差し出すと、騎士団長ナイトリーダーは双眼鏡を軽く投げた。片手で受け取ったキャーリサが改めて周囲をぐるりと見回すと、その動きが一点で止まった。
「いた、低空飛行だな。地面スレスレを飛行してる。……レーダーけのつもりか?」
 双眼鏡の狭い視界の中、確かに巨大な飛行機がアスファルトから五メートル程度の高さを飛んでいる。どうやら輸送機らしく、主翼しゆよくにはプロペラが四つも取り付けられていた。
 双眼鏡から目をはなし、キャーリサは笑う。
「『騎士派きしは』の増援でなければ、乗っ取られたな」
「ですが、滑走路は全て封鎖しているはずです! 仮に強行突破されたとしても、報告が上がってこないのは不自然です!!」
霊装れいそうの通信状況を再確認しろ。案外、本当に必要な通信だけ切り分けられて、ジャミングをかけられているかもしれない」
 叫ぶ騎士団長ナイトリーダーに、第二王女のキャーリサは双眼鏡を投げ返した。
「滑走路の問題については、あれだ。見ろ。機体の下部にフロートが取り付けられてる。水上機だよ。滑走路の代わりに川面や海面から離着陸りちやくりくできるの。……そーいえば、飛行機ファンのためのもよおしで、ロンドンにあるハイドパークの湖に海難救助用のレスキュー機が停泊してたな」
「落としましょう」
 騎士団長ナイトリーダー端的たんてきに言った。
 軍馬の上のキャーリサは、つまらなさそうな表情で応じた。
「遅い。もー来る」
 ボッ!! という強風が暗い森をたたいた。
 そのレスキュー機は空を飛んでいるというよりも、ほとんどプロペラで移動するホバークラフトのようだった。地面スレスレを高速移動するレスキュー機は弾丸のように『騎士派』の一団の真横を突き抜ける。
 ただし、その側面のスライドドアが開いていた。
 そして、そこから飛び降りた人影が、容赦ようしやなく『騎士派きしは』の真ん中へおどり出る。
 レスキュー機の出力である、時速五〇〇キロ以上の速度でもって。
 上から落ちるというより、横から着弾するような軌道だった。
 普通の人間なら、間違いなく路上のみになっているだろう。いや、半径数メートルのクレーターを作っていてもおかしくはない。
 しかし、その人物は敵陣のど真ん中で柔らかく着地していた。
 ふわりと。
 まるで、羽毛のように。
 演武のように分かりやすい格闘かくとうパフォーマンスではない。しかし人並み以上の体術を会得え とくした者なら、目の前で起きた現象を構築する一つ一つの小さな動作に、どれだけ恐ろしいレベルの技術を使われているかが自然と伝わる。そういう動きだった。
 突然のしゆうげきしやに周囲の騎士たちは慌てて剣を抜くが、その中心に立つ人影は気にせず、キャーリサを睨みつける。
「聖人か」
 視線を受けたキャーリサは静かに言う。
「となると、あれを動かしてるのは残りの天草式あまくさしきかな」
「……言葉なら後で聞きます」

 多くの騎士きしに取り囲まれながら、神裂かんざき火織か おりは刀のつかへと手を伸ばす。
すべての混乱が簡単に収まるとは思えませんが、首謀者しゆぼうしやから撃破げきは させていただきましょう」
 キャーリサは適当な調子で言葉を放つ。
「付き合ってられない」
 第二王女の言葉を受けて、騎士団長ナイトリーダーが馬上のキャーリサをかばうように、一歩前へ出た。
「私が片づけておきましょう」
 ふん、とキャーリサは鼻から息をくと、軍馬の手綱た づなを握り直す。ゆっくりと馬の向きを変え、第三王女の後を追って走り去るキャーリサに、神裂の目つきが厳しくなる。
 しかし、それをさえぎるように、騎士団長ナイトリーダーがさらに横へ一歩動いた。
 神裂は刀の柄へ手をやったまま、ゆっくりと、不自然なほどのゆるやかさで息を吐く。
「私をしつこく勧誘かんゆうしていたのは、こういう結果を知っていたからですか」
「貴婦人として過ごして欲しかったという願いはうそではない」
 騎士団長ナイトリーダーの眼光に、ドロリとした感情の色が混じる。
「だが、どうやらそれも手遅れだったようだ。敵として目の前に立った以上、容赦ようしやなくねじ伏せさせてもらおう」

     7

 神裂火織は『聖人』だ。
 世界で二〇人といない才能、あるいは身体的特徴を有する人物で、生まれた時から『神の子』と似た魔術的まじゆつてき記号を持つゆえに、その力の一端いつたんを手に入れ、自由に操る事のできる者なのだ。
 大抵の敵など、さやから刀を抜くまでもない。
 ワイヤーを軸とした中遠距離ちゆうえんきより用の格闘かくとうじゆつ七閃ななせん』もあるし、七天七刀しちてんしちとうの長い鞘で振るうだけでも、大抵の魔術師ならば吹き飛ばされているほどだ。
(……相手は『騎士派きしは』のトップ、騎士団長ナイトリーダー。そう簡単に撃破できるとは思えませんが)
 神裂は騎士団長ナイトリーダーの挙動を注視しながら、柄に軽く添えていた指に、強く力を込める。
(全力を出すしかなさそうですが、殺さずに済ませられれば……。鞘で昏倒こんとうさせ、すみやかに第二王女を拘束する!! この馬鹿ばかげた反乱を迅速じんそくに収拾するにはそれしかありません!!)
 しかし、

 ぞわり、と。
 唐突に、騎士団長ナイトリーダーの体から、見えない何かが放出される。
 神裂かんざき火織か おりの視界から騎士団長ナイトリーダーが消えせる。
 すさまじい速度で神裂の視界の外へ移動されたと気づくまで、いつしゆんの時間が必要だった。
 そしてその時には、ビュオ!! という風を切る音が神裂の真後ろからひびいていた。
「ッ!?」
 とっさに後ろへ振り返りながら、その刀のさやで防御に入る神裂。
 騎士団長ナイトリーダーが放ったのは、ただのりだった。
 にもかかわらず、『聖人』の神裂の体が、ガードした刀の鞘ごと大きく吹き飛ばされた。け反り、バランスを崩す神裂の腹へ、騎士団長ナイトリーダーは握ったこぶしをただ放つ。
 ズッパァァン!! と、凄まじい轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 神裂の体がノーバウンドで一〇メートルも飛び、護衛用の馬車の一台に直撃ちよくげきした。複数の霊装れいそうによって守られているはずの馬車が粉々に砕け、神裂の体がさらに地面をすべる。馬車につながれていた馬が暴れ出した。
「がっ……、な、ァ……ッ!?」
一筋縄ひとすじなわではいかないとは思っていましたが……それにしても、この力は……ッ!?)
 聖人含め、生身の人間に扱える力の量には上限があるはずだが、彼は明らかにそれを上回っている。
(まさか、後方のアックアのような……高速安定ライン……ッ!!)
 呼吸因難になった神裂の頭に疑問が浮かぶが、冷静に考える暇はなかった。
 騎士団長ナイトリーダーはすでに五メートルもの高さを飛び、神裂をつぶすために靴底をそろえていた。
「ッ!?」
 とっさに横へ転がる神裂。
 しかし聖人としての運動性能をもってしても、安全圏へは逃げられない。
 直撃こそけたが、周囲へき散らされたアスファルトの残骸ざんがいが、神裂の体をたたいたのだ。血を噴きながら転がる神裂を、騎士団長ナイトリーダーは着地点から静かに見下ろしていた。注意深く観察しているというよりは、慌てて追う必要はないとでも言わんばかりの表情だった。
「何を意外な顔をしている」
 全身から警戒心を発し、指先、髪の先まで注目する神裂に対して、騎士団長ナイトリーダーは両手をゆるやかに広げた。そこにあるのは余裕ではない。失望に近かった。
「私は三派閥の一角、『騎士派きしは』のおさだぞ。聖人とはいえ、たかが『清教派』の一員ごときが、対等に戦えるとでも思っていたのか」
「ッ!!」
 神裂は応じず、七本のワイヤーを放つ。
 七閃ななせん
「……昔、ドーバーで古い友にひどい不意打ちを受けてな」
 しかし騎士団長ナイトリーダーは動じない。彼は空中へ手をやると、自らの手で放たれたワイヤーをすべつかみ取り、そして強引に引き千切ちぎった。道具を使うどころか、両手すらも使わない。
「以来、そういうしゆうには何かと警戒するようになった」
 つぶやき、騎士団長ナイトリーダーは千切ったワイヤーを『投げた』。鋭いとはいえ、常識的に考えればただの糸。威力はないはずなのだが――直撃ちよくげきを受けた神裂かんざきの体が、砲弾のように真後ろへ飛んだ。
「ごっ、ぼ……ッ!!」
 今度は森の木々の一本に激突し、ようやく動きを止める神裂。
 千切られたワイヤーは、もはやワイヤーではなかった。あまりの握力で握りつぶされた金属糸は圧縮され、一つのかたまりとなってしまい、それがけんじゆうの弾丸のように放たれたのだ。
「私の前に立つべきは、最低限でも同じ『清教派』のおさでなければならない」
 騎士団長ナイトリーダーは指を動かし、関節をゴキゴキ鳴らしながら、静かに語る。
「いいや、単純な実力だけなら『清教派』では足りない。『王室派』も敬うべきだが、暴力では私が上。率直に言おう。貴女あ な たなどでは役不足だ」
 ドッ!! という轟音ごうおんひびいた。
 騎士団長ナイトリーダーの体が消えた時には、すでに神裂の真正面にいた。彼女が横へ跳んだ直後、騎士団長ナイトリーダーの足が大木の幹を一撃で吹き飛ばす。折るではなく、飛んでいた。その威力に戦慄せんりつする神裂の手が、無意識に動く。刀のつかへ伸ばした手が。
(しま……ッ!?」
 神裂の背筋に寒いものが走った原因は、自分の命の危機ではない。
 とっさに手が動いてしまった。
 そう思った時には、すでに神裂の右手は、勢い良くさやから刀を抜いていた。真説の『唯閃ゆいせん』。一神教の天使すらもり捨てる必殺の一撃が、騎士団長ナイトリーダーの首をめがけて正確に放たれる。
 彼は丸腰だった。武器らしい武器はなかったし、スーツに霊装れいそうとしての効果もなかった。
 だが、

 ゴッキィィ!! という轟音と共に。
 騎士団長ナイトリーダーは、片手で神裂の刀身を掴み取る。

 今度こそ、神裂の全身を恐怖ではなく困惑が包み込んだ。
 動きを止めた彼女に、騎士団長ナイトリーダーは言う。
「イギリス制圧時、『必要悪の教会ネセサリウス』の古参が、何故なぜ、組織的かつ大規模な抵抗に出る事なく、すみやかにやみまぎれてチャンスをうかがったのか、その理由が分かるか?」
 刀の刃を掴んだまま、彼は片足を地面からはなす。
「彼らは知っていたからだ。この英国の内部に限り、真正面から戦った所で、絶対に『騎士派』に勝つ事はできない事をな」
 ドッパァァン!! と、爆発音が炸裂さくれつする。
 騎士団長ナイトリーダー神裂かんざきりを放った音だった。あまりの威力に七天七刀しちてんしちとうを手放した神裂の体が、遠く遠くへとぎ払われる。
「カーテナと四文化によって構築される我が国……いや、『全英大陸』は、それ自体が特殊な十字教のルールにしばられる。その領土において、王は天使長であり、騎士は天使となる。……この国の中にいる限り、単純に力の総量が違うのだよ。私を殺したければ、英国の国境の外まで引きずり出すべきだったな」
「……う、……」
 朦朧もうろうとする神裂は、七天七刀をかたわらへ放り捨てる騎士団長ナイトリーダーを見た。
「さらに我々『騎士派』にとって、政治上の問題からヘンリー八世の手で分離ぶんり 独立したイギリス清教など、信じるのではなく利用するものに過ぎん。北欧、ケルト、シャルルマーニュ、ゲルマン、それらありとあらゆる騎士の道を統合し、一つの思想にするのが我らの真髄しんずい。……今のは複数の術式を迂回う かいし天使を傷つける攻撃こうげきらしいが、その程度の回り道では迂回にもならん」
 神裂は立ち上がろうとする。
 しかし、その足に力が入らない。
 特殊な環境、状況にあるとはいえ、これまで戦ってきたどの敵よりも理不尽だった。不完全に顕現した大天使の『神の力』、そしてその天使を象徴として扱う後方のアックア。そういった強敵とも戦った事はあるが、彼らとはまだ『打ち合う』事ぐらいはできた。
 だが、騎士団長ナイトリーダーはそれすらも許さない。
 そして彼は、その力を誇りすらしない。
「まだやるか」
 騎士団長ナイトリーダーの目が細くなる。
 その表情は、つまらなさそうだった。
「どのみち、聖人程度では本領を発揮する私を殺す事などできん」
 何とか力を振り絞ろうとする神裂に対し、騎士団長ナイトリーダーは無造作に正面から近づいた。
 そうしながら、彼はこう言った。

「それに、私はまだ『剣』を抜いてもいないのだが?」

 ドッ!! と彼は神裂の体を蹴飛ばした。
 格闘技かくとうぎ のようなものではなく、まるでサッカーボールを蹴るようなものだった。
 神裂の体が宙を舞い、地面をゴロゴロと転がる。
 騎士団長ナイトリーダーはそちらを見ようともしないで、周りの部下へと身振りで指示を送る。各々おのおのは馬車や軍馬に乗り、第二王女の去った方へと鼻先を向ける。
 馬上の騎士団長ナイトリーダーは、いつしゆんだけ神裂かんざきの方へ目をやった。
 完全に気を失った彼女を見て、彼はつまらなさそうにこう言った。
「聖人と言っても、こんなものか」

     8

 第三王女のヴィリアンは馬車の中にいた。
 今まで乗っていた王室専用のものではない。それを差し引いても豪奢ごうしやである事に違いないその馬車は、あちこちに機能的で実用的な工夫がらされている。護衛用の馬車なのだ。
 御者ぎよしやはいない。
 魔術的まじゆつてきな仕掛けを組み込まれたこの馬車は、目的地を設定すれば自動的に二頭の馬へと命令を送り、ひとりでに走行させる事ができる。乗馬を得意としないヴィリアンからすれば、これほどありがたい機能はなかった。
 とにかく急ぎ、必要以上にあせっていたため、ヴィリアンはランプに火をける余裕すら失っていた。ほとんど真っ暗な馬車の中を、自動操縦の霊装れいそうが放つ淡い光だけがうっすらと照らす。
(カンタベリー大聖堂へ……)
 ヴィリアンは、ここから一〇キロほど先にある荘厳そうごんな大聖堂を思い浮かべる。
(とにかくそこまで逃げ込まなくては。まだ『清教派』の者が残っているのなら、せめて、私を逃がしてくれた使用人だけでも助けてもらわないと……ッ!!)
 しかし、そんな願いはかなえられなかった。
 唐突に、馬車を動かしている二頭の馬が暴れ出した。互いに見当違いの方向へ進もうとする馬は馬車の行き先を乱暴にじ曲げ、強引に横転させてしまう。ズッシャァァア!! という轟音ごうおんと共に、第三王女の意識が断絶しかけた。
「く……っ」
 弱々しい馬のいななきを受けて、ヴィリアンはかろうじて目を覚ます。
 横倒しになった馬車の中で、自動操縦の霊装がかき乱されていた。通常とは違う、警戒性の高い赤色の光がおどっている。
 そして、馬車の隅に取り付けられた通信用の霊装からこんな声が聞こえてきた。
『もーあきらめろ。大人しく出てこよーが、そこにろうじようしよーが、いずれにしてもお前は死ぬの。未練が残ってるなら自分で取り除け。祈りたいのなら勝手にしろ』
「……ッ!!」
 聞き慣れた姉の言葉に、背筋を凍らせるヴィリアン。
 通信用の霊装れいそうからは、キャーリサの言葉だけが無慈悲むじひに続く。
『三』
 それはカウントダウンだった。
 しかしヴィリアンに何かを求めるためのものではない。
『二』
 いずれにしても殺す。
 つまり、単にヴィリアンをおびえさせ、苦しめるためのものだった。
『一』
 ヴィリアンは決断を迫られる。
 常識的に考えれば、横転したといっても、ある程度の霊装で守られた馬車の中にいた方がまだ安全だ。ヴィリアンは姉と違って、攻撃的こうげきてきじゆつは一切扱えないのだから。

『〇』

 しかし、ヴィリアンはとっさにドアへ手を伸ばした。
 横倒しになった馬車の中で、潜水艦せんすいかんのハッチのように頭上のドアを開け放つと、持っている力のすべてを使って身を乗り出す。
 そこへ、馬車の外から何らかの壮絶な力が加わった。
 破壊は かいの力は防衛用の霊装ごと、容赦ようしやなく馬車を粉々に砕く。かろうじて馬車の上に体を乗せていた第三王女の体が、地面に転がる。自分の体が五体満足か、確かめる余裕すらなかった。
「カンタベリー大聖堂をたよるなら無駄むだだ。分かってるだろう?」
 キャーリサの声が聞こえた。
 見れば、すぐ近くに一頭の軍馬がいた。キャーリサはその上から、地面にへたり込むヴィリアンを見下ろしていた。
 その手にあるのは、一本の剣。
 刃も切っ先もないその剣を見て、ヴィリアンの表情が不審そうに色を変えた。
(……カーテナ=セカンド……では、ない……?)
「護衛用の馬車の自動操縦が制御を失ったのは、私たちが細工をしたからではない。目的地であるカンタベリー側が、座標情報を見失わせるよーにジャミングを仕掛けたため。……理由は分かるな。お前は見捨てられたんだよ」
「……ッ!? そんな……そんな、まさか……ッ!!」
「『王室派』と『騎士派きしは』は私の手中にあるの。『清教派』もお前をかばうつもりはないらしい。どーやら、話は決まったな。お前の味方はもはや一人もいない。一人もだ」
 第二王女の背後から、複数の光源が近づいてきた。ランプをけた馬車や軍馬だ。今まで、ヴィリアンの身を守っていた数十名の騎士きしたち。それらはすべて、第二王女が掌握しようあくした『力』に過ぎなかった。
 地面に崩れ、恐怖で身動きの取れない第三王女を、騎士達はあっという間に取り囲む。
 その中の一人である、騎士団長ナイトリーダーがキャーリサに告げた。
「聖人は片付けました。障害はありません」
「ふむ。では、もー一仕事たのもーか?」
 キャーリサの言葉に、第三王女の肩がビクッ!! と動く。
 騎士団長ナイトリーダーはキャーリサの顔を見返した。
 真意を尋ねるような表情の騎士団長ナイトリーダーに、第二王女はこう言った。
「前に言ったはずだ。第三王女の時は、わがままを聞かないとな」
「……了解しました」
 応じながら、騎士団長ナイトリーダーは馬から降りた。
 ヴィリアンには信じられなかった。
 確かに、彼は第二王女の直属。単純に命令を聞くというだけなら、この決定は妥当だ とうだ。しかし、騎士団長ナイトリーダーとは昨日今日出会ったのではない。かれこれ一〇年以上前からの知り合いなのだ。
 背中を預けた回数は数えきれない。
 夜会では、常に陰ながら護衛してくれた。幾度いくど となく話のあった政略結婚が形だけで終わり、実現せずに済んだのも、おそらく彼が歴史に見えない位置で尽力してくれたからだろう。
 それを、そう簡単にるとは思えない。頭脳でも軍事でもなく、人徳に特化した第三王女だからこそ、彼女は強くそう願ってしまう。
 もしかしたら、騎士団長ナイトリーダーは演技をするだけかもしれない。
 自分を殺したように見せかけて、第二王女をごまかし、逃がしてくれるための作戦かも。
 そんな風に思ってしまったのは、楽観的というよりも現実逃避とうひ に近かったのだろう。
 そして、ごまかしようのない絶望が、そんな考えをいつしゆんで粉々に打ち砕く。
「……剣で首をねては切断面をつぶしてしまう。王侯貴族の処刑に使うおのを持って来い。可能な限り重く、綺麗き れいに切断できるものを。死した所で姫は姫。汚い仕上がりの首を見せて、民の前で恥をさらす訳にはいかん」
 部下にそんな注文を出した騎士団長ナイトリーダーに、ヴィリアンののどが限界まで干上ひあがる。
「……ひ、……ぁ……」
 もはや、言葉は出なかった。
 口の中が張り付いて、ろくな音が出なかった。
 完全武装の騎士が、一本の斧を持ってきた。長さは一メートル程度で、斧の刃は片方にしかついていない。ただの鉄とは思えなかった。もっと重厚な何かを感じるのは、単なるお飾りではなく、実際に多くの血を吸ってきたからか。
 騎士団長ナイトリーダーは無言でおのを受け取ると、何故なぜか一度だけ周囲を見回した。
 暗い道の左右は森だ。明かりらしいものは何もない。自分たちほかだれもいない事を確認すると、騎士団長ナイトリーダーは静かに目を閉じて、息をく。
 それは、何かを期待するような顔色だった。
 そして、何かに失望するような顔色だった。
「始めるぞ」
 まぶたを開けて、騎士団長ナイトリーダーつぶやいた。
 ズン……ッ!! という鈍い音がひびく。騎士団長ナイトリーダーが斧を一度肩でかつぎ、そこからさらに大きく振り上げた音だ。
「う、うああ……。うあああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 もはや言葉にならず、ただへたり込んだまま、雄叫お たけびを上げるヴィリアン。
 それでも、騎士団長ナイトリーダーの表情は揺らがない。
 振り上げた処刑用の斧は、ヴィリアンの首へねらいを定めている。彼の腕なら、わざわざヴィリアンを取り押さえなくても、正確に切断できるだろう。
 キャーリサだけが、鬱陶うつとうしそうな調子で告げた。
「助けを求めても構わないし、聞いている者もいるだろう。だが、応じる者がいると思うなよ」
 その言葉が、一番ヴィリアンの胸に突き刺さった。
 世界にはこんなにたくさんの人がいるのに、とんでもない力を持った人が大勢いるのに、その誰もが、ヴィリアンのために立ち上がってくれない。様々な武器を持つ騎士きし達に取り囲まれた第三王女は、孤独だった。失墜しつついした王家の末路を示すがごとく、圧倒的に孤独だった。
 ボロボロと、涙があふれる。
 その原因は、恐怖か、悲哀か、くつじよくか。
 騎士団長ナイトリーダーまゆが、その胸中を示すように、いつしゆんだけ動いた。
 しかし彼もまた、第二王女の手先だった。
「……お別れです。最期さいご に一つだけ、約束しましょう。切り落とした後の首の取り扱いについてはお任せください。筋肉や皮膚ひふに手を加え、生前と同じく……いえ、生前よりも美しいお顔となるように演出させていただきます。その首を見た多くの民が、あなたをしのべるように」
 最後の言葉が放たれた。
 そして、騎士団長ナイトリーダーは両手で握った処刑用の斧を、一切の迷いなく振り下ろした。
 第三王女ヴィリアンの首をめがけて。
 迷う事で、余計な痛みを与えまいとでも言うかのように。
 同時、

 ドッパァァァ!! というすさまじい衝撃しようげきが、取り囲む『騎士派』へとおそいかかった。
 それは居並ぶ騎士きしたちぎ倒し、騎士団長ナイトリーダーの持つ処刑用のおのを粉々に打ち砕いた。

 その瞬間しゆんかん
 吹き飛ばされた騎士の中の数名が、呆然ぼうぜんとした調子でつぶやいた。
「……戻ったか」

 その瞬間。
 馬上にいた第二王女キャーリサは、カーテナ=オリジナルを手にしたまま、余裕の態度を崩さずにこう言った。
「戻ったか」

 その瞬間。
 砕けた斧のつかを適当に放り捨て、正面をにらみつける騎士団長ナイトリーダーは、目の前に現れた強敵に対し、笑みすら浮かべて大声を張り上げた。
「戻ったかッ!」

 そして、複数の口が同時に動いた。
 だれかが、あるいは、誰もがその名を告げたのだ。

「「「ウィリアム=オルウェル!!」」」

 第三王女のヴィリアンは、自分の身に起きた事が理解できなかった。
 先ほどまで地面にへたり込んでいたはずの自分の体が、宙に浮いている。いや、違う。とある男の腕の中にいた。片腕で第三王女の体を抱える屈強なその男は、もう片方に巨大な剣を握っていた。三メートル以上もの長さを誇る、あまりにも大きすぎる武器を、軽々と。
 大剣の側面に刻まれている文字は『Ascalon《アスカロン》』。
 さらにその根元には、何かが取り付けられていた。
 それは、紋章だった。
 本来ならバッキンガム宮殿の廊下に飾りつけられるはずだった、永遠に日の目を見る事のないはずだった一つの紋章。青の上に緑を重ね、ドラゴンとユニコーンとシルキーがどもえを構成する、とある傭兵ようへいの紋章だった。
 ヴィリアンは、知っている。
 その男の名前を知っている。
「ご無事ですか。王の国の姫君よ」
 最低限の札節だけをわきまえた、短い言葉だった。多くを語る事を好まね傭兵ようへいの言葉だった。その端的たんてきな言葉を受けて、第三王女はようやく事態を理解した。
 この暖かい腕の持ち主は、ヴィリアンのために立ち上がってくれた。
『王室派』、『騎士派きしは』、『清教派』、そのすべてに見捨てられても。
 傭兵だけは、駆けつけてくれた。
「……遅い、です……」
 その事実を前に、ヴィリアンのひとみから、ボロッと涙があふれた。
 これまでのものとは明らかに違った。
 涙の理由は変わっていた。
 こんなにも流したい涙があったのかと、おどろいてしまうほどだった。
 彼女は自分の中から込み上げるものに逆らわず、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、ありったけの力を込めてこう叫んだ。
「遅いんですよ! この傭兵崩れのごろつきがぁ!!」

 そして、姫君は羊と一緒いつしよに悪竜の住処すみかへと連れて行かれた。
 姫君は己の運命を悲観した。
 その時、姫君の元へ馬に乗った放浪の騎士がやってきた。

 一本のやりと聖なる剣をたずさえた、騎士の中の騎士。
 彼の名は、聖ジョージという。

   終 章 それぞれの思惑と胸の内 War_in_Britain.

 街灯の明かりもない暗い森の道を、一台の馬車が進んでいた。古いランプをたずさえるその馬車は、絵本にでも出てきそうな雰囲気ふんい き だった。現に、乗っているのがイギリスの女王様と最大主教アークビシヨツプなのだから、絵本の題材としてはぴったりかもしれない。
 ただし。
 対面で四人乗りの馬車の中、五〇の拘束具でガッチガチに椅子いすへ固定されているという状態は、あんまり寝る前の子供に語って聞かせるような内容ではないかもしれない。クーデターによって征服済みのロンドンへ、捕虜ほ りよとして運ばれているという真実まで含むと……悪い夢でも見る可能性もある。
 エリザードとローラは、となり同士で座らされていた。
 そして、護送用の騎士きしが一人、反対側の椅子に座っている。
「……結局、『騎士派』のほとんどは第二王女のキャーリサの手中にありける訳なのよね。まったく、意外に人望が少なしわね女王様」
「かくいうお前も、トップが捕まっているというのに『必要悪の教会ネセサリウス』の魔術師まじゆつしだれも助けに来る様子がないな。これは単に見捨てられているのか、それとも信頼しんらいの裏返しなのか。いまいち分からん状況だな」
 お互いの増援を勝手に期待していたトップ二人は、あてが外れた事にため息をく。それはタクシーを呼び止めようと手を挙げたのに目の前を通過された時のような、軽いものだった。
 ローラは拘束された体をギッシギッシときしませて、
「うぬう。それにしても、おっぱいを強調するように上下をしばるとは、よほどの玄人くろうとと見たわね。だが、イギリス清教の最大主教アークビシヨツプであるこの私をなめてもらいては困るのよ!!」
「……実はパッドで痛くないから大丈夫だいじようぶとか?」
馬鹿ばかもの!! これは本物である事につきよ! そうではなく、拘束具の歴史は魔女ま じよりの歴史という訳よ。つまり、この国で開発されたる拘束具や拷問具ごうもんぐ、処刑道具にはすべて我々の息がかかりている。ならば、その解除法を知らぬというのもおかしかろう?」
 不穏ふ おんな会話に対し、思わず護送用の騎士がガタリと腰を浮かせそうになったが、女王が冷めた調子でこんな事を言った。
「どうせできないんだろう?」
「なっ」
「長年の付き合いだからな。見栄を張りたいのは分かったが、後になって失敗してからアタフタするのは目に見えている。だから、周りの期待がふくらむ前に釘を刺しておくぞ。やめておけ。三〇秒後のお前は拘束具をギシギシ鳴らしてむーむー言っているだけだ。全方位から同時におそいかかるドン引きムードに耐えられなくなるだろうから無理はするな」
「でっ、できたるわよ!! イギリス清教の最大主教アークビシヨツプは、『必要悪の教会ネセサリウス』のトップでもありけるのよ!? 世界各地の種々様々なじゆつに対応できなくてどうするの!!」
「……というプレッシャーがお前を襲っている訳だな。分かる分かる」
「なっ、なっ。よっ、ようし!! ならば今から見せたるわよ! ショーターイム!!」
 五〇の拘束具で椅子いすに固定されたローラ=スチュアートが叫ぶと、何故なぜか、彼女の異様に長い金髪がテカーッと光り始めた。
 もしや、髪がうねうねとうごめいてかぎでも外すのか、と護送用の騎士が腰の剣へ手を伸ばそうとしたが、様子がおかしい。
 擬音ぎ おんで表現しよう。
 てかー、が、ビッガァァァァァァァ!! に変化している。
 もう少し説明的な言葉を使うと、目も開けられないほどの黄金色の閃光せんこうが馬車の中を埋め尽くしている。そう、今にも大爆発しそうな感じで。
 騎士は思わず叫んだ。
「ぐっ、ぐわああああああああ!? ばっ馬鹿ばか、お前それは縄抜なわぬ けっていうかもしかして単なる爆――ッ!!」
だまりていろ!! ようは、五〇の拘束具が全部外れたれば私の勝ちじゃーっ!!」

 そして。
 バウーン!! という愉快な炸裂音さくれつおんと共に、馬車そのものが内側から爆発する。

 あまりの衝撃しようげきに馬車をいていた二頭の馬がヒヒィンと悲鳴をあげ、御者ぎよしやは爆発の勢いに押されて近くの川にドボン&ドンブラコ。そして花のように残骸ざんがいき散らし、車輪をなくした馬車の中央で、ローラ=スチュアートだけが両手を腰に当てて仁王立に おうだ ちである。
「うむ。『髪留め』に抑えられたるからな。この程度が妥当だ とうなりけるわね」
「……な、なるほど。お前がどれだけ常識を知らんのか。それがよーく分かったぞ」
 相変わらず拘束具で固定されたまま、椅子ごと横倒しな女王様がうめくように言った。
「まぁ、ばくが解かれたのなら、それで良い。早く私の拘束具も外せ。ほかの騎士どもが異常を察知して増援を送ってくる前に、さっさとここをはなれなくては――」
「ええー……? お前の拘束具につきてはどうしよっかにゃー?」
「……おい」
 エリザードは背筋に寒いものを感じながら、慎重に尋ねた。
「今がどういう状況か、分かっているんだろうな? あの騎士きしたちの話が本当なら、イギリスのほぼ全域がクーデターで制圧されている。その首謀者しゆぼうしやである娘のキャーリサは、学国都市と手を切り、フランスへミサイルをぶち込むかもしれない。それを止められる起死回生の一手になるかもしれんというのに……」
「でーもー、 私は女王様の心なき言葉でとても傷ついたるしなー。うーむ、そうね。『どうもすみませんでした最大主教アークビシヨツプ様。私のようなちっぽけなりし人間は、「清教派」によりける助言だけがたよりです』とでも言いてもらえれば気特も安らぎて、冷静な判断ができたるようになるかもしれないけどなー」
「こっ、この……ッ!?」
 エリザードのほおがピクピクと痙攣けいれんしたが、ここで言い争っても仕方がない。個人のプライドよりも国の明日をうれうべきが英国女王クイーンレグナントの務め。要求をむしかあるまい……と女王が腹をくくった所で、パキンという音が聞こえた。
 どうやら、ローラの爆発に椅子いすの方が耐えられなかったのだろう。ビキビキと亀裂き れつが広がっていくと女王のエリザードを戒めていた椅子と拘束具がひとりでにこわれていく。
「……、」
「……、」
 エリザードとローラはしばし無言だった。
 やがて、女王はゆっくりとした動作で起き上がると、豪奢ごうしやなドレスについた土をポンポンと払う。そして馬車の残骸ざんがい一緒いつしよに落ちていた物に手を伸ばすと、
「おや、こんな所にカーテナ=セカンドが」
「待て待て! 調子に乗りたのは悪かったから、国宝の剣とか向けたるんじゃないわよ!!」
大丈夫だいじようぶ大丈夫。こいつは元々、殺傷用の刃物じゃない。刃も切っ先もない儀礼ぎ れい用の剣だぞ? ……せいぜい、ちょっと次元が切断される程度の破壊は かいりよくしかないから安心しろ」
「死!? ってかオリジナルにほとんど力を奪われたれどもそんだけの破壊力!?」
 体を小さくしてガタガタとふるえるローラだが、まさか本気でアジの開き状態にする女王ではない。彼女はカーテナ=セカンドをさやに戻すと、あきれたように息をいた。
「しかし、どのみちロンドンへ用があった事を考えると、お前がやった事は丸っきり無駄むだだったな。どうせなら、首都に入ってから暴れれば良かったものを」
 言いながら、エリザードはあちこちを見回し、
「馬車も見事に壊れているし、代わりの足がいるな」
「……そ、それなら妙案がありけるのよ」
 ローラはのろのろと起き上がると、やみの向こうへ目をやった。
 そちらから、車のヘッドライトらしきものが近づいてくるのが小さく見える。
 エリザードは驚愕きようがくし、
「おっ、お前、まさか伝説のアレをやるのか!?」
「じゃーん! ヒッチハイク大作戦!! へーい、そこのむさ苦しいトラックの運転手! この美人の姉ちゃんとドライブする気はなしにつきかーい!!」
 親指を立てた右手を差し出し、バチーン! と悩殺ウィンクを決めるローラ=スチュアート。
 すると、トラックは彼女の五〇メートル手前で丁寧ていねいに停車すると、ゆっくりとUターンし、正確な運転テクニックでその場を去った。
 ニッコリ笑顔で悩殺ウィンクしたローラ=スチュアートは、そのままの表情でこう言った。
「……やっちまうか」
阿呆あ ほうが、あれは運転手の判断が正しい」
 役に立たないゴミを見るような目のエリザードは、ふと馬車の残骸ざんがいの中から霊装れいそうを見つけた。騎士達が通信に使っている物らしい。
「なるほど。……アスカロンを手に、ウィリアム=オルウェルが戻った、か」
「ローマ正教の後方のアックア、ね。『清教派』としては複雑な気持ちたるけど、あれが『騎士派』のような組織の思惑に左右されぬ傭兵ようへいとしてやってきたのなら、第三王女ヴィリアンにとって最強のふところがたな。まさに起死回生って感じなりけるかしら?」
「最強、か」
 女王は通信用の霊装を適当に投げ捨て、それからポツリとつぶやいた。
「……そんな簡単に進むかね」
「自分にしか理解できぬ意味深な台詞せ り ふきて余韻よ いんに浸りける所申し訳ないんだけど、具体的にどうする訳? まさか、この暗い森の中をトボトボ歩きたるとかって言わぬでしょうね」
「ふむ。せっかくの雰囲気ふんい き をぶちこわしやがって」
 エリザードは簡単に吐き捨てると、辺りを見回した。それから、馬車をいていた二頭の馬に目をつける。馬車に固定するための道具は千切ちぎれていた。女王はそれを丁寧に取り払ってやると、くらもついていない馬へ軽やかに乗る。
 馬車の御者ぎよしやが扱う事を前提にしているためやたらと長い手綱た づなを、馬上で扱いやすいように強引に束ねているエリザードを見て、ローラはあからさまに不満そうな顔になる。
「ええー……? 私は軍馬の乗り方とか野蛮や ばんな事は分からぬのだけど」
「よーし行くぞ、 行き先はロンドンだー」
「にっこり笑顔で置き去りにしたる気まんまんだなオイ!! 待って待って、このままじゃ本当に私一人ぼっちになりて……ヒッチハイクとか不可能だってばーっ!!」

 上条当麻かみじようとうまは、どうにかイギリス清教の女子りようまでやってきた。
 初めて入る建物だが、のんびり観察する余裕はない。すでに、この女子寮からは最低限必要な物はすべて持ち運ばれ、また、多くの人員も逃走した後だった。残っているのは、しんがりとして『騎士派きしは』の追撃ついげきから時間をかせぐ、本職の戦闘せんとう要員。彼女たちに、本来なら敵である『新たなる光』の魔術師まじゆつしレッサーを回復魔術で助けてほしい、と申し出るのは心苦しいかみじようだったが、
「おやまぁ。お久しぶりでございますよー」
「あれぇオルソラ!? 真っ先に逃げるべき戦闘能力ゼロのお前が何故なぜここに!?」
「なんか皆さんバタバタしていて、ついていけなかったのでございますよ」
 トロいにもほどがある感じのシスターは、上条の知り合いのオルソラ=アクィナス。魔道書ま どうしよの暗号解読を得意とする年上で巨乳な女性である。
 彼女は上条の腕の中でぐったりしているレッサーに目をやると、
「まぁ。いつも通りの展開でございますね」
「……意味が分からんが、とにかくお前に預けても大丈夫だいじようぶか?」
 オッケー、回復魔術でございますね? と軽く了承されたので、上条は『新たなる光』の少女をオルソラへと引き渡す。……どうもこのシスターさん、臨機応変な高速戦闘が苦手である代わりに、のんびりじっくり行う作業はそこそこいけるらしい。回復魔術も専門ではないものの、千切ちぎれた血管をつなぐだけの応急手当レベルなら何とかなるようだ。
「その代わりと言っては何でございますけど……」
「分かってる。しんがりの一人として、脱出の手助けぐらいはしてやるよ」
 上条は右手を軽く握って、オルソラに答えた。
 幻想殺しイマジンブレイカーが術式の邪魔じやま になるとかで、一度オルソラとは別れる上条。照明を落としてある暗い通路を歩くと、しんがりとして残っている(今度はキリリとした表情の)修道女と遭遇そうぐうする。
 金髪碧眼へきがんの彼女はわざわざ日本語で話しかけてくれた。
「あなたがこっそり入ってきた裏口も含めて、ほぼ全てのルートは『騎士派』に固められつつあります。やはり、強行突破するほかありませんが……協力していただけますね?」
「作戦は?」
「ありったけの遠距離えんきより 砲撃ほうげきで『騎士派』を揺さぶった後、全員バラバラの方向へ強引に逃走します。相手がひるんだり迷ったりした分だけ時間を稼げますが、だれが『ハズレくじ』を引く羽目はめになるかは計算できません」
 また大雑把おおざつぱ だな、と上条は思わず笑う。
「それにしても、『騎士派』の連中は、こんなクーデターを起こして一体どうするつもりなんだ。今の今まで、物資の補給が受けられなくて困っているって話だったはずなのに、自ら孤立しようとするなんて……」
「色々傍受した限りですと、どうやら海洋資源に目をつけているらしいですけどね」
 修道女はそんな事を言った。
「元々、イギリスの自給率はそれほど低くありません。生活面で様々な弊害へいがいが生じるものの、今すぐ飢餓きがに苦しむという事はないんです。女王のエリザードは民衆が不満から暴動を起こすのを懸念け ねんして慎重に行動していましたが、第二王女のキャーリサは、それを全く違う方法で押さえつけようとしているみたいですね」
「国家レベルの武力を使った、強制的な鎖圧ちんあつ作戦か……」
食糧しよくりように関して、一番の懸念は魚介類の半分ほどを輸入にたよっている所ですが、閉鎖へいさ ちゆうの港を復活させる事で何とかなるかもしれません。いずれにしても、『具体的に一〇〇人、一〇〇〇人の単位で虐殺ぎやくさつされるリスクを負ってまで』一般人が暴動を起こすような事はないでしょうね。普通だったら、剣の切っ先を突きつけられれば大抵の事は我慢が まんします」
「でも、問題は食べ物だけじゃないだろ。石油とか、あと、鉄とかの金属なんかは?」
「海底の山々から採掘できると、本気で信じているようですね。元々、イギリスは海という天然の防壁に守られた島国ですが、その防壁の効果を高めるために、海底にも色々細工をしているんです。キャーリサと『騎士派きしは』はそいつへ秘密裏に手を加えて、大規模な採掘施設に作り替える準備を進めていたとか……」
 しかし本当にそんな都合良く話が進むなら、海底トンネルが爆破された程度で女王があせったりしなかった気もしますけどね、と修道女は言った。
 彼女はこの話題を切り上げ、本来の作戦会議に戻る。
「女子りようを取り囲む『騎士派』の包囲網ほうい もう突破後についてです。私たちは所定の合流地点に向かいますが、あなたはウォータールー駅に向かった方が良いかと。……大体の事情は知っています。大丈夫だいじようぶ、ユーロスター路線を利用すれば、禁書目録の待つフォークストーンまで一直線ですよ」
「……そりゃ難しいな」
 かみじようは苦い顔をした。
 インデックスの顔を思い浮かべながら、彼は言う。
 「さっき、戦闘せんとうの流れ弾を受けて高架と電線が千切ちぎれられたんだ。多分、あの電車は動かない」
 ロンドンからフォークストーンまでは直線距離で一〇〇キロ超。徒歩ではどうにもならない距離だ。列車でも使わなければ話にならないだろう。
「そうとも限りません」
 修道女の言葉に、上条は改めて彼女の顔を見る。
「いかにカーテナ=オリジナルを手にしているとはいえ、『騎士派』の総大将である第二王女キャーリサは特定の要塞ようさいに入らず、現在フォークストーンで丸裸です。私達『清教派』との総力戦に備えるため、『騎士派』は何としても人員・物資を輸送し、すみやかに防護体制を固める必要があります。……つまり、何としてもあの列車を動かす必要があるんです」
「つまり……?」
「停電や送電トラブルの際、列車を牽引けんいんするためのディーゼル車両があります。電線を切られて使い物にならなくても、動かせるんです。おそらく『騎士派』はクレーンを使って、高架の千切ちぎれた所だけ乗り越えようとするでしょう。そこへこっそりもぐり込む事ができれば……」
 フォークストーンまでの道が開ける。
 修道女の言葉に、かみじようみぎこぶしに自然と力が集まった。
 そんな様子を見て、修道女は小さく笑う。
「……それもこれも、まずはここを無事に脱出してからという事になりますけどね」
「上等。……目的さえハッキリすりゃ、後は勝ったも同然だ」
 言って、上条と修道女は戦闘せんとう準備に入る。

 イギリス南部、フォークストーンの街に、あの男はやってきた。
 ウィリアム=オルウェル。
 アスカロンと呼ばれる霊装れいそうを手にし、第三王女のヴィリアンを助けるために駆け付けた大男を見て、第二王女キャーリサはうっすらと微笑ほ ほ えんでいた。
 組織の思惑に左右されず、時には『王室派』の張り巡らせた策謀さくぼうすらも『英国のために』と躊躇ちゆうちよなく打ち破ってきた、忌々いまいましいあの男。
 とある傭兵ようへいの登場と共にだれもが絶句していた中、彼女はひそかにこう思っていた。
(アスカロン? 聖ジョージの伝承にのつとった聖剣の霊装だと)
 キャーリサは知っている。
 その男は本来、水を得意としていた事を。傭兵時代はもとより、『神の右席』の一員として、さらにその力を進化させたため、圧倒的な力を振るえなければおかしい事を。
何故なぜそんなものを用意する必要がある。このフォークストーンは港町だ。そしてすぐ近くには水源を持つ山もあるの。ヤツの得意な水はどこにでもあるはずなのに、何故、わざわざアスカロンなどという分かりやすい兵器にたよってしまう?)
 そして彼女は、知っている。
 とある傭兵が、水を扱わない理由を。イギリスと学園都市の間には今までパイプが築かれていた。そのために、『神の力』をつかさどる後方のアックアという人間が、学園都市に攻め込み、そして敗北したという報告も受けていた。
(ヤツは、手負いだ。それゆえに、水を扱えない。だからこそ、アスカロンなどという仰々ぎようぎようしい霊装に頼らざるを得なくなってる。そして、力をある程度失った『ただの聖人』レベルなら、今の騎士団長ナイトリーダーでも十分に退けられる。これは単なる理論値ではないの。現に極東の聖人と戦って実証してるのだから)
 事前に得ていた情報と、自らの目で確かめた情報を照らし合わせ、キャーリサは笑う。
 彼女は総合的に、こう結論付けた。
(――今なら、殺せる。あの忌々しい傭兵を、我らの手で)

あとがき

 一冊ずつ読み進めていただいているあなたはお久しぶり。
 全巻まとめて一九冊も読破していただいたあなたは初めまして。
 鎌池かまち 和馬かずま です。
 一七巻です。今回は、これまでもチラホラと話に出てきたイギリスの事をいっぱい出してみました。『王室派』、『騎士派きしは』、『清教派』、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドといった組織構造から、本場英国のじゆつ結社、さらには国家と国家の不穏ふ おんな動きまで、色々詰め込んでおります。
 英国のお話という訳で、騎士とお姫様が出てきます。
 聖ジョージについてですが、これはとある実在した聖人の英語読みです。灰村はいむらさんにもご協力いただき、口絵や本文などで取り扱っているお話は、『実在した伝承を基に、イギリスの騎士たちが親しみやすいように、さらに絵本っぽい変化を加えたもの』という設定にしてあります。
 なので、(本編でも、とあるキャラクターが少しだけ言及していますが)史実の聖ジョージの剣はアスカロンなどという名前のものではないそうですし、騎士やお姫様の服装も『より絵本っぼく』と注文しています。この辺りは、あくまでも『作中に登場する絵本の中のお話』という事でよろしくお願いします。

 イラストの灰村さんと担当の三木みきさんには感謝を。口絵を利用した特殊な試みにも協力していただき、本当にありがとうございました。
 そして読者の皆様にも感謝を。ここまでページをめくってくれるあなた達が応援してくれるおかげで、鎌池は二〇冊目も書けそうです。

 それでは、ここで一度ページを閉じていただいて、
 できれば、二〇冊目も手に取っていただける事を願いつつ、
 今回は、この辺りで筆を置かせていただきます。

 次は騎士と傭兵ようへいのバトルです!!  鎌池和馬

小説ーとある魔法禁書目録16.5SS2

とある魔術の禁書目録SS2
鎌池和馬

第一章 札束とバトルを求める者たち 一月、第三金曜日
第二章 北欧神話圏の戦士と踊り子 二月、第一金曜日
第三章 父親の願いは接点と交流を 二月、第四金曜日
第四章 七人の内の七番目の実力は 三月、第三金曜日
第五章 世界に足りないものは何か 四月、第一金曜日
第六章 美容院にて世間話と核心を 四月、第四金曜日
第七章 ある黒幕の下準備と後始末 五月、第二金曜日
第八章 くノ一は突然出現するもの 五月、第四金曜日
第九章 電子に現世の関係性は不要 六月、第二金曜日
第一〇章 一夜の誘いは乗るか蹴るか 七月、第一金曜日
第一一章 例外はどんな分野にでもある 七月、第二金曜日
第一二章 狙撃手と爆弾魔による討論 七月、第四金曜日
第一四章 門番と侵入者は踊り踊られ 九月、第三金曜日
第一五章 芸術は天才と変人を分ける 九月、第四金曜日
第一六章 母に見えないのには訳がある 九月、第五金曜日
第一七章 B級の映画と未研磨の原石一〇月、第一金曜日
第一八章 その名を継ぐにふさわしき 一〇月、第一金曜日
第一九章 輝く原石と血みどろの利権一〇月、第二金曜日
第二〇章 複数同時悲劇への対応とは一〇月、第二金曜日
第二一章 正体など判断できない者達 一〇月、第二金曜日
第二二章 個人にその結末は掴めない 一〇月、第二金曜日

とある魔術の禁書目録SS2

 ジーンズ切り裂き魔を追う神裂、ヘンテコ魔草売り少女と出会う上条かみじょう刀夜とうや、微妙な強さの超能力者レベル5・ナンバーセブン、殺人を決意した少女の前に立ちはだかる『御坂みさか』と名乗る男性、サボり美容師にキレる白井、『魔人』になれなかった優しい男、半蔵はんぞうに恋する少女・くるわちゃん、初春に挑戦するハッカー少年、血液型占いに夢中なミサカシスターズ、何かに目覚めたシェリー、絹旗きぬはたと映画デート(!?)の浜面……もう一度見たかったあのキャラたち&新キャラが活躍! 本編を補完するSSシリーズ第二段!

鎌池かまち和馬かずま

今回は変則的に。『聖人崩し』の対極、整形式(霊装補助済み)聖人唯一の成功例・神裂キゴミの紋章です。国旗みたいな簡略図。ツリーは生命の樹と成長を、特に幹は魔術的な進化への道筋を示し、そこへ伸びる手は不完全な人工物で、彼女の強い渇望を表現しているとか、そんな感じです。整形式? 聖人の紋章? 神裂? ……最後まで世界は広がりっ放しです。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

この文を書いている時点ではまだですが、いよいよアニメが放映です。漫画でネタ扱いだった姫神もちゃんと登場してるみたいですよ(←ここポイント

第一章 札束とバトルを求める者たち 一月、第三金曜日

 東京西部を切り開いて作られた学園都市を、一台のステーションワゴンが走り抜ける。乗っているのは三人の少年。駒場こまば利徳りとく半蔵はんぞう、そして浜面はまづら仕上しあげ。彼らはスキルアウトと呼ばれる、一種の不良集団に所属している。
 ハンドルを握っている浜面は、どう考えても運転免許を採れる年齢とは思えない。しかし、そんな事を吹き飛ばすぐらいのルール違反が二つある。
 一つ、そもそもこのステーションワゴン自体が盗難車であること。
 二つ、ステーションワゴンの後部座席には、銃器で拾ったATMが突っ込んである事。
 少年たちを乗せたステーションワゴンは風力発電のプロペラが並ぶ道路を勢い良く走り抜け、青空を漂う飛行船の下をくぐり抜けていく。
「わおわお。これ一台で二千万ぐらい入ってんだって?」
 半蔵は画面が砕けてボディが潰れたATMを見ながら目をかがやかせている。彼はすぐ前の運転席でハンドルを握っている浜面に、
「やっぱお前をスカウトして正解だったなあ。耐震たいしん補強具むしり取って機材盗むには、建設重機動かせるヤツがいないとどうにもならんし」
「っつーか、今までどうやって資金集めてた訳?」
「んー? 鉄板盗んでスタコラサ」
「ダセェ!!」
「ぶっちゃけ気弱そうなのを路地裏に引っ張り込んで二、三発なぐった方が早いんだけどさ。ほら駒場のリーダーはか弱い女子供には手を出さないヒトだからさー」
 でもこれで当面ウハウハだな!! と、浜面と半蔵の二人は頭悪そうにバカ笑いしていたが、話題に出てきた駒場からの反応がない。浜面がルームミラーで確認すると、後部座席に収まっている大男は甲子園ベンチ控えのようにずーんと座り込んでいるだけだ。
「駒場さんどうしちゃった訳?」
「あーさっきの見たろ。三学期早々小学校に侵入しようとしたボウガン男を、駒場のリーダーがコブシで五メートルほど吹っ飛ばしたの。ガラにもない事して小っちゃな女の子からなつかれて激しく照れてんじゃね?」
 ぴく、と泣く子もだまるゴリラ駒場の肩が動く。
「え……? でも駒場さんPDAでネット通販のサイト見てるつぽいけど。XLサイズのサンタ衣装と白ヒゲセット見たまま、かれこれ一〇分は固まってるよな」
 ぴくぴく、というのはふるえているのだろうか。
「あれだろー。言われちゃったもんなーリーダー。サンタクロースってホントにいるんだよね……? とか何とか色々さー。だからよー、今年の年末には来るんじゃね? 暴れん坊のサンタクロースがさー!!」
 ぎゃははゲラゲラないわそれーっ!! と馬鹿ばか二人が大笑いしていると、不意に駒場こまばは手の中のPDAを雑巾ぞうきんのように絞り上げて、
「ふがァァあああああああああああああああああああああああああッ!!」
「ひっ、ひいい!? 駒場のリーダーが羞恥心しゅうちしんから御乱心!?」
 特にハンドル操作している訳ではないのに、ステーションワゴンが不自然に横滑よこすべりする。

「なあ浜面はまづら。ATMってバラし方の作法とかある訳?」
 相変わらずステーションワゴンの中、アジトに向かう途中で半蔵はんぞうが尋ねてきた。
「あー。そっちの分解もおれがやるわ。ほら、なんつーの。金庫の中にカプセル入ってるから不用意にこじ開けないようにな」
「カプセル?」
「蛍光塗料が入ったヤツ。ちゃんとした手順で開けないと札束全部使い物にならなくなる」
 だからアジトに着くまで触るなよー、と浜面は釘を刺しておいたのだが、
「……浜面。これは、何だと思う……?」
「おい駒場さん!! 触んなっつったでしょーよ五秒前に―――って、ありゃ?」
 浜面はルームミラーを通して後部座席に目をやり、そこで動きが止まる。
 駒場利徳りとくの太い指につままれているのは、USBメモリのような細長いスティックだ。
 やっべ、と顔を青くする浜面に、駒場はボソッとした声でこう言った。
「……GPS発信器のように、見えるのだが……」
 その途端とたん、真後ろから甲高かんだかいサイレンが鳴りひびいた。確認するまでもなくかがやくのは赤色灯。街の治安をつかさど警備員アンチスキルが運転している、スポーツカーをベースにした高速車両だ。
 しかも前方一〇〇メートル辺りの道路の真ん中には、前面に分厚い緩衝材かんしょうざいを備えた巨大な円筒形の特殊なバリケードロボットが展開されていた。縦に起き上がった巨大な巻物のようなロボットが回転しながらほどけていくと、あっという間に分厚い緩衝材の壁が道をふさぐ。
 トドメとばかりにバリケードのすぐ向こうに警備員アンチスキルの高速車両が二、三台滑り込み、さらに防壁の強度を高めていく。
 半蔵が思わず頭を抱えた。
「前も後ろも大ピンチ!? おい浜面どうすんだこれ!!」
「どうするってお前」
 浜面はまづらはちょっと考え、
「突っ込みますか」

 アクセルを底までんでいますと言わんばかりの猛加速に、バリケード近辺で待機していた警備員達アンチスキルたちが慌てて飛び退く。念のために路上へめていた高速車両の運転席から、女の警備員アンチスキルが転がり出た直後―――すべてをぎ払うように、ステーションワゴンがバリケードを突き破った。
 学園都市の住人の八割は学生であり、この街で起こるのも、その大半は少年犯罪。当然ながら、治安を維持する側もそれに適した装備を開発・配備していく。
 バリケードロボットの緩衝材かんしょうざいは『子供を安全に捕獲するため』のものであり、コンクリートブロックのように衝突=即死というほどの強度はない。おまけにステーションワゴンは横向きに停められた高速車両の鼻先へぶつけるように激突したため、ちょうど高速車両と高速車両の隙間すきまをこじ開け、バンパーの金属パーツをき散らしながらも一気にバリケードを突破したのだ。
 後方からステーションワゴンを追っていた高速車両は、バリケードの残骸ぎんがいに激突する寸前で慌てて急ブレーキを踏む。
 そうこうしている内に、ステーションワゴンは急カーブを切って交差点の向こうへ消えていった。
「わおわお」
 バリケードを作っていた高速車両から転がり出て、アスファルトの路上に突っ伏していた女の警備員アンチスキルは、辺り一面の散々な様子を眺めて、楽しそうに笑った。
「こいつはまた、久しぶりに面白おもしろそうな馬鹿ばかを見つけた予感じゃんよー」

 半蔵はんぞうは後ろへ首を回し、高速で消えていく風景を眺めながら口笛を吹いた。
「すっげ!! あの手のバリケードって力枝でブチ破れるものなんだな」
「まー、どういう種類の壁かを見極める必要もあるんだけどな。『車体潰してでも止める』とか『わざと通過させてタイヤをパンクさせる』とか、そういう場合は逆効果」
 駒場は駒場で、無表情なまま車の窓を開け、そこからGPS発信器のパーツを投げ捨てた。
「……とりあえず、新しい車に乗り換えるか……」
「もうちょっと走ったらな。後ろにゃ連中の影はなさそうだけど念のため―――」
 言いかけた浜面の言葉が、途中でいきなり寸断された。
 バオッ!! と、真横の道からタンクローリーのような大型特殊車両が飛び出してきたからだ。見た目はタンクローリーっぽいのだが、何だかやけに車体が角ぼっているし装甲みたいなものが取り付けであるし、とにかくものすごくゴツい車だ。
「ッ!?」
 浜面はまづらが反応するより先に、大型特殊車両の先端せんたんがステーションワゴン後部の角にかするように激突した。車の速度そのままで、強引に角度だけが六〇度ほど急回転させられる。真横にあったはずガードレールが間近に見える。浜面は無理にハンドルを切って戻そうとせず、車体をすべらせ流すような挙動でどうにかスピンさせずに済んだ。
 タイヤの悲鳴がつんざき、路面にべったりと黒い帯がなすりつけられる。
 下手にブレーキをめば逆に制御が奪われる。浜面はアクセルを踏み込み挙動を安定させる。
「ちっくしょ、何だ!?」
 浜面は叫びながら後ろへ首を回す。
 そこで目が点になった。

 大型特殊車両のてっぺんに、小っこい赤色灯が乗っかっているのが見えたからだ。

「アホかおい!! まさかあれで警備員アンチスキルの高速車両とかっつーんじゃねえだろうなーっ!?」
 浜面が思わず大声で突っ込んだ途端、向こうも向こうで後部のタンク部分を振り回すように急カーブを切り、こちらのステーションワゴンへロックオンするように向かってきた。
 半蔵はんぞうが顔色を変える。
「ちっくしょう!! やっぱ殺す気まんまんみたいだ!!」
 一方、いかにも手帳バッジ見せて強引にお借りしましたという感じで大型特殊車両の運転席にいる巨乳の女が、メガホンみたいな拡声器を片手になんか言う。
『あっ、あー。こちらは警備員アンチスキル第七三支部所属の黄泉川よみかわ愛穂あいほ。テメェら盗難と器物損壊そんかいと殺人未遂みすいと公務執行妨害その他もろもろで地獄送りだくそったれじゃんよー』
「チッ!! 一番最後クライマックスに公務執行妨害を持ってきた辺り、ほとんど私怨しえんだぞあの巨乳!!」
 半蔵が叫んで拳銃けんじゅうを取り出した途端、呼応するように大型特殊車両はすさまじい馬力で迫ってくる。

 黄泉川愛穂は大型特殊車両の運転席で、フラフープのように巨大なハンドルを操り、ステーションワゴンの横を追い抜こうとする。車の窓から拳銃を持ったバンダナ男が身を乗り出そうとしていたが、その前に黄泉川はハンドルを切ってタンク部分のしりを振り、そのまま車体を横から激突させる。
 ゴッシャア!! という面白おもしろい音が聞こえた。
 大型特殊車両の車体とガードレールの間に挟まれながら強引に前へ進んでいたステーションワゴンだが、その内ガードレールの方が耐えきれなくなったのだろう、金属板を引き千切ちぎり、制御を失ったステーションワゴンが大型特殊車両もろともわきにあった無人の倉庫へと突っ込んでいく。
 分厚い鋼鉄の扉を破壊はかいし、倉庫内の段ボールの山を蹴散けちらした所で、ステーションワゴンと大型特殊車両の軌道が分かれた。ワゴンはさらに段ボールの山脈へ向かっていき、大型特殊車両は倉庫の内壁へ激突する。
 ばふん!! という音と共にハンドルのエアバッグが作動し、黄泉川よみかわの顔面に直撃ちょくげきした。
「うぇっぷ!……おのれあのクソガキども、こいつで地の果てまで追いかけ回してやるじゃんよー」
 とりあえずバックで壁から抜け出すか、とシフトレバーを動かしてアクセルをみ込んだのだが、大型特殊車両はちっとも後ろへ進まない。
 どうも車体がつぶれたせいで何かが引っ掛かっているようだ、と気づいた時、倉庫の奥から拳銃けんじゅうを持った少年が二、三人出てくるのが見えた。
「やっべ」
 黄泉川は小さくつぶやくと、運転席のドアを開けて転がり出る。
 直後、パパパン!! と助手席側から複数の弾丸が飛んできた。
(…三点バースト?)
 大型特殊車両のタンク部分の陰に身を隠していた黄泉川はまゆをひそめる。三点バーストとは、一回引き金を引くと自動的に三発の弾丸が発射される仕掛けだ。それによって破壊力を増す訳だが……。
「痛ってえ!? 馬鹿ばかこの半蔵、何でこんなデカいマグナムに三点バーストつけてんだ!? しかもモードの切り替えもできねえし!」
「えーでもタマいっぱい出た方が強くて格好良くね?」
「……わざわざそのためにマガジンの長さまで調節したのか……」
(ようし、馬鹿ばっかりで何とかなりそうじゃんよ)
 どうせ改造された三点バースト拳銃なんて、反動に負けてまともにねらいを定められる訳がない。こっそり勝利を確信していた黄泉川だが、ふと大型特殊車両の方から足元へコロコロと転がってくる物に気づいた。サッカーボールほどの塊々かたまりに目をやった彼女は、
「げ」
 今度こそ全力で逃げ出す。

 半蔵製三点バースト付きマグナムはコンセプトは馬鹿丸出しだが威力はそこそこだった。警備員アンチスキル遮蔽物しゃへいぶつとなっている大型特殊車両が邪魔じゃまだと感じた浜面はまづらが運転席の下の方にある燃料タンクの辺りを集中砲火していく。
 と、わたわたと逃げていく女の影が見えた。
 このままでは燃料タンクが爆発すると警戒したのだろう。
「ようしとりあえずは追っ払ったか。あの巨乳め、ホントなら拉致ってケジメつけさせたいトコだけどな」
「……性犯罪は、ノーだぞ……」
「わーったよ駒場こまばさん。とにかくATMだ。応援呼ばれて囲まれちまったら面倒臭いし。車はまだ動くかなっと」
 と、段ボールの山へ突っ込んだステーションワゴンの方へ足を向けた浜面の爪先つまさきに、何かがぶつかった。
 そっちに目を向けると、サッカーボールぐらいの球体がコロコロと転がっている。
 浜面の顔が強張こわばり、半蔵はんぞうは真っ青になり、駒場は相変わらず無表情だった。
「おい浜面、それって……」
「……ああ……」

 花火大会でしか見られない、巨大な打ち上げ花火だ。

 改めて大型特殊車両の側面を見れば、そこには『噴丘ふくおか火薬工業』の文字。そして倉庫のあちこちに、似たようなボール状のシルエットが。
その時、チカッと何かがまたたいた。
 三点バースト付きマグナムで吹き飛ばした運転席下の燃料タンク付近には、何やら千切ちぎれた電気コードらしきものが。青白い光を放つその先端せんたんが、床に広がるガソリンへポチャンと落ちる。
「「「ッ!?」」」
 馬鹿ばか三人の叫びが、冬の空に舞う大輪の花にき消された。

 そんなこんなで、コントの爆破オチのように大空を飛んだ浜面、半蔵、駒場の三人は戻ってきた黄泉川よみかわ捕縛ほばくされ、留置場にぶち込まれていた。部屋にはほかにも柄の悪そうな不良少年が何人かいたが、全身すすだらけでボロボロの浜面たちに何かを感じたのか、先ほどから少しも目を合わせてくれない。
 浜面は鉄格子を両手でつかみながら、ぐったりとうなだれ、
「……確かにATM泥棒って悪い事だと思うんだけどさ。でも一番ヤバいのはあの巨乳なんじゃね!? っつーか結局ATMの札束も全部燃えちゃったしな!!」
「……犯人を野放しにした方が平和とは、恐るべし警備員アンチスキル。いるんだな……ああいう刑事ドラマみたいな破天荒お祭り馬鹿ばかというのが……。やはり巨乳は侮れん……」
「だーちくしょう!! なあ駒場こまばさん、あれはか弱い女子供の範囲じゃねえだろ! どうにかしてここから抜け出して、あの巨乳だけはきっちりケジメつけさせてやろうぜな-なーこうんで挟んで!!」
 浜面はまづらだけでなく、無口な駒場もめずらしくぶーぶー文句を垂れているのだが、どうも先ほどから半蔵はんぞうが何も言わない。例の打ち上げ花火大爆発がよほどショックだったのか、留置場の片隅で体育座りをしたままちっとも動かない。
 やがて彼は、意を決したように、重たいロを開いた。
「悪い。浜面、それに駒場のリーダーも。本当にすまない」
「あん? お前どうした訳?」
 二人がそっちを見ると、半蔵は視線に耐えられないように顔を逸らしたまま、
 ポツリと一言。
「……恋したかも」
「「うげえ!?」」

第二章 北欧神話圏の戦士と踊り子 二月、第一金曜日

 ロンドンにある小さなジーンズショップにて。
「もうヤダ。オメーには何も売ってやんない」
「なっ、何故なぜですか!?」
 神裂かんざき火織かおりは小さなカウンターにバムと両手をたたきつけ、
「こうして代金はちゃんと持って来ているでしょう! そもそもヴィンテージなんて相場のハッキリしないものを、ふっかけられた分+店主へのチップまで含めてお金をモろえてきたというのに何故そっぽを向いているんです!!」
「だってオメーさあ!!」
 店主は神裂の太股ふとももの辺りをズビシと差す。
 彼女の穿いているジーンズは、片足だけが太股の根元からバッサリ切られている。おかげで左右非対称的な美しさ&ストレートなエロさがかもし出されている訳だが、
「せっかく世界各地を回って手に入れたヴィンテージをジョキジョキ切られちゃうとさあ!! オメー価値分かってねーようだから説明するけど、そいつはゴールドラッシュ時代に鉱山で働く男達のために様々な創意工夫があ?たヤツをだなあ……ッ!!」
「分かっていますよ。ですからちゃんと切り取った部分もこう巾着きんちゃくにして―――」
「もォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!」
 店主は両手で頭をると猛牛のように叫んだ。
「とにかくオメーには何も売ってやんないし、一緒いっしょに『仕事』もしてやんない! 悔しかったらジーンズとプレミアの神様を拝み泣いて謝れ!!」
「……そう、ですか。まだ内容の方も詳しく説明していないのですが……。『仕事』の方も協力してくれないと。それは残念です……」
 神裂はシュンと肩を落とすと、
「となると、ちまたでウワサのなぞの怪人、ジーンズちょきちょき切り裂きは私一人でどうにかしないと」
「それを早く言え」

 神裂火織の仕事は悪い魔術師まじゅつしをやっつける事だ。
 まるで絵本に出てくるようなアバウトな職業だが、実在するものは仕方がない。しかも国家宗教の関係組織に所属しているため、こっそり公務員級に安定した収入ももらえる。こうしてイギリス国民の血税は何だか良く分からないものに支払われていく訳である。
(絵本のような……ですか)
 神裂かんざきはわずかに自嘲じちょうしてしまう。
 現在、彼女の心はとある事情によって深く閉ざされている。……のだが、人間というのは、自分の心を一つの感情だけで固めておく事のできない生き物である。根本的な人格そのものが修復不可能なレベルでねじ曲がらない限り、生来の義理や情はひょっこり顔を出してしまうものだ。
「そういえば、ステイルの野郎はどうしてんだ」
 ステイルというのは神裂の同僚どうりょうだ。
「『あの子』を追っていますよ」
「相変わらずそんな事を続けてんのかよ」
「……、」
「ま、おれにどうこう言えた義理じゃねえけどな。どっかの馬鹿ばか颯爽さっそうと駆けつけてきてくれんのを祈るだけだ」
 そこまで言って、店主は話題を変えた。
「……つーか神裂。オメー二月の寒空でその格好は寒くない訳?」
 店王が自分の肩を両手で抱きながらガタガタとふるえる。二月のロンドンは雪の季節だ。しかも今年はこりゃマッチ売りの少女は死ぬよねと言わんばかりの大寒波がイギリス全土をおおってしまっている。ちょっとした湖ならガチガチに凍って歩いて渡れるぐらいの状況である。
 しかし片方だけとはいえ、太股ふとももをバッチリ露出ろしゅつしている神裂は、
「いえ特に」
「信じらんねー……」
 唇々くちびるを青くして白い息をく店主は、エベレストを目指す人ぐらいの重装備だ。
「で、例のジーンズちょきちょき切り裂きってのは何なんだ?」
「その名の通りですよ。道行く人に対し、すれ違いざまにジーンズだけを切断していくという正体不明の怪人です。今の所、主立った被害はジーンズだけで負傷者は出ていないようですが」
「殺して良いな?」
「その結論は音速すぎます」
「しっかしジーンズ切り裂き魔か……。お前、よく疑われなかったな」
「??? 何故なぜこの私が疑われなければならないのですか?」
 首をかしげる太股露出女神裂に、店主はため息をつく。
「そういや、犯人の居場所に目星はついているのか」
「一応は。犯人の行動に北欧神話的な『におい』があるようでして」
「……根拠あんの? 詞べたのだれ
「テオドシアです」
「あいつねえ。あてになるのかよ。―――と」
 店主と神裂かんざきの視線の先に、ガクゥ!! と全身の力を失い崩れ落ちている初老のヒゲが。彼の穿いているジーンズは両足とも付け根の部分からスッパリやられていて、『カットジーンズっていうか、もうそれブリーフだよね?』級の大惨事だいさんじと化していた。
 店主は思わず両手で顔をおおった。
「こいつはひでぇ……。誇り高き英国紳士がすべてのプライドをなくしてヒゲを整える気力すら奪われてやがる!!」
「そうですね。どうせ切るならもっとこうエレガンスに」
「やっぱりもうオメーには何も売ってやんない」
 その時、神裂の耳に、シャキンという金属板をこするような音が聞こえた。
 まるでハサミを動かすような音。
「ッ!?」
 間一髪。
 とっさに神裂が振り返り、装備していた長刀のさやを振るうのと、刃物を持った何者かが高速で迫るのはほぼ同時だった。交差する影と影。ドッパァ!! という無意味な効果音が炸裂さくれつするが、とりあえず神裂のジーンズはデニムのブリーフにはなっていない。
何奴なにやつ!!」
 神裂が叫び、相手を強くにらむ。
 くだんのジーンズちょきちょき切り裂きおぼしき襲撃者しゅうげきしゃの正体は神裂と同年代の女性だった。金というよりほとんど銀に近い髪の、スラリとした美女。着ているものは布の上から複数のはがねを配置して形を整えたであろう特殊な胸当てと同じく鋼の腰部装甲に両手はひじの上辺りまである長い手袋両足は太股ふとももまである長いブーツ何故なぜか白と黒の牛柄ってちょっと得て。
 神裂火織かおりの目が点になってしまう。
 ジーンズショップの店主も驚愕きょうがくしていた。彼は体をふるわせながらこう言った。

「こりゃあ……伝説のビキニ甲冑アーマーだ」

 目の前のあんまりな格好に対し、神裂火織はオロオロしながら、
「ええとその、どこからどう対処して良いのやら……ッ!! とりあえず上着が足りていないと思うのですがその辺はどうなんですか!!」
 するとなぞ露出狂ろしゅつきょう何故なぜ無駄むだにでかい胸を張ると、
「上着が足りないのはそちらも同じにつき。そこまでエロいとはこの私も感心感心」

「……ッ!!」
「ちょっと待て神裂かんざき!! 抜刀するにはまだ早い!! そして言わせてもらうが客観的に見てもお前はエロすぎる!!」
「なっ、何を羽交はがめしながら同意しているんですか!! というかあの露出狂ろしゅつきょうのジーンズちょきちょき切り裂きとこれから戦うんだという事を忘れていませんか!?」
「いいや、まだ話は通じるかもしれない!! 俺達おれたちはここで頑張ってみるべきだ!!」
「そ、そうですか!? 実を言うと私はもう半分ぐらいあきらめ始めているんですが!! さっさとあの変態を仕留めませんか!?」
「あと少しだけ頑張ろう!! 確かに服飾関連のプロから言わせてもらうと、あの格好は終わっている。もう牛柄なんて何の意味もない! ただ単におっぱい属性を強調させたいだけじゃん!! 何故なぜならオメー、先ほどから俺の視線は釘付けに―――ッ!!」
「単に思いっきりハマってるだけじゃねえか!!」
 神裂のゲンコツが放たれ店主が香港ホンコソ映画のように五メートルほど飛んでいく。
 それを見た例のビキニがくすりと笑う。格好に反して静かでつやのある笑みだ。
「その殿方が興奮こうふんするのも無理なき事。何故ならば、それこそがこのヴァルキリーに込められた存在意義である事につき」
(ヴァルキリー?)
 北欧神話に出てくる天女てんにょ、または戦乙女いくさおとめとも呼ばれる『人間』だ。来たるべき最終戦争ラグナロクに備えて戦士のたましいを神の住むヴァルハラへ送る役割を持つと言われているが、実はその正体は天使や精霊せいれいといった『元から人間と違うもの』ではない、という学派もある。人間の娘として生まれた乙女が何よりも戦を望み、主神オーディンに力を与えてもらう法則に合致することで、人の子はヴァルキリーとなるらしい。ていに言ってしまえば、勇猛果敢な女の子が特殊な道に走ると神格化される訳だ。
 人はヴァルキリーになれる。
 となれば、そいつを人為的に目指す宗派が現れるのは、魔術まじゅつ業界的にはめずらしくもない。魔術とは人工のダイヤだ。偶発的に起こる奇跡的な現象を必然的に起こす事だ。『ヴァルキリーになるためのお手軽簡単レシピ』みたいなものを作りたがるのは、まぁ間違いではないのだが。
「……そのヴァルキリー見習いが何でまたこんな所業を……? マッチョの魂が欲しいならここにはありませんよ」
「チッチッチィ。ヴァルキリーの役割は戦士の魂の運搬うんぱんだけではありませんの事。より重要なのはヴァルハラへ招待した殿方へ酒を振る舞い踊りをせ、その心をヴァルハラのためにしばり付けて『教育』する事にあり。色香を使い優れた部下エインヘリヤルを増やし、たった一人で魔術結社級の力を蓄える事こそ我が目的」
 つまりぃ!! と戦乙女はさらに胸を張ると、
「時に戦い時に舞い、勇猛と美を兼ね備えるべきヴァルキリーの辿たどり着いた結論はこれこの事!! エロいよろいの踊り子さんにつきィィいいいいいいいいいいいっ!!」

 ……格好じゃなくて、思考回路が馬鹿ばかなのかな?

 一瞬いっしゅん、本当に一瞬、珍しくすべてをあきらめかけた神裂かんざき火織かおりだったが、ぶんぶんと首を振って何とか否定する。神裂の魔法名は『救われぬ者に救いの手をSalvere000』。こんな所で諦める訳にはいかない。
 しかしどうにも錯乱さくらんしているのはいなめないらしく、
「分かりましたっ! 今がっかりしましたからよく話し合って戦いましょう!!」
「ハッハァ!! こちとらわざわざ恥ずかしい格好をしてまで人間捨てた身である事につき! このヴァルキリーをそこらの魔術師で止められる訳がないとの事ォォォォっ!!」
「一応羞恥心しゅうちしんはあったのですね! それならまだ助かる……ッ!!」
 割と感極まった神裂だが、エロいヴァルキリーの攻撃こうげきはヴァルキリーを自称するだけあって結構速くて重くて強い。しかもバッキンバッキンと刃物をぶつけ合いつつヴァルキリーは、
「これぞ戦乙女の真骨頂との事。―――イッツ・ア『九人祝いナインサポート』!!」
 なんか大声で唱えると、唐突にヴァルキリーの足元にあった影が九つに分かれた。まるで円形の魔方陣まほうじんのようになったなぞの影に、神裂かんざきは警戒する。
「ッ!?」
 だが、九人の影は特に何も起こさず、ヴァルキリーを中心にくるりと回ると、そのままあっさり消滅してしまった。『?』といぶかしむ神裂の耳に、
「むっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!?」
 唐突に炸裂さくれつする、ジーンズショップ店主の絶叫。
 何だ何だ何が起きた? と神裂が思わずそっちを見ると、今まで倒れていた店主の体がカクカクと変な動きで起き上がった所だった。いや違う。何やら九人の乙女おとめが店主の手や足や腰や首をつかみ、結構強引に動かしている。
「うっふっふー。戦士を魔術的まじゅつてきに応援する際、ヴァルキリーは九人で実行する事につき。我が術式は九人の乙女で殿方を操り手駒てごまとする!!」
「してその心は?」
「ぶっちゃけ、この私の肢体したいが『他の何者とも比べられない最高の女性美だ! あなた様はまことに美しすぎる!! もう仲間(女)も人生も全部投げ売ってあなた様にお仕えしたい!! つーかこの美しさがあれば割と神様とかどうでもいんじゃね?』と思えば思うほど術中にはまりやすいの事よ」
 つまりあのエロいビキニを見て欲情した男はそのまま操られるという訳か、と状況を理解した神裂火織かおりは白い眼で店主の顔を見る。
 彼は神裂から何だか居心地悪そうに目をらすと『……すまん』と一言。
 神裂は簡単にうなずくと、
「首をります」
「待て待て神裂!! おれの正義は今まさに精神内部で葛藤中かっとうちゅう!! ここから愛と勇気で卑怯ひきょう魔術の支配を打ち破ってやるから見てろよオトコの生き様をーっ!!」
 するとヴァルキリーは分かりやすく中腰になり、両手のてのひらひざに押し当てつつ二の腕でおっぱいを強調するようにギュッと挟み、片目だけをパチッと閉じてウィンクしながらこう言った。
「そいつ斬ったら色々見せちゃうの事よ? するのとされるのどっちが好き?」
「―――すまん神裂。何だか今もう巻き返しができないぐらい俺の心は大きく動い」
「やっぱり斬ります」
 それでも一応優しさは残っていたのか、峰打ちにとどめた神裂の斬撃ざんげきを思いっきり喰らってロンドンの空を舞うジーンズショップのむっつり店主。
 裏切り者を粛清しゅくせいした神裂はバトルを再開しつつふと今回の核心を尋ねた。
「ところで何故なぜ殿方のジーンズばかりを切断していたんですか?」
「ああ。私の戦士接待の得意分野は羞恥しゅうちプレイ(攻め)である事につき」
 ハタ迷惑なのでこいつもぶんなぐっておこう二割増しで。

第三章 父親の願いは接点と交流を 二月、第四金曜日

 バレンタインの終わった二月など残りカスだ。
 と、しょぼくれた中年親父おやじ上条かみじょう刀夜とうやは思っていたのだが……。
「そうか。欧州こっちはカーニバルがあったんだっけ」
 カーニバルと言うと刀夜が思い浮かべるのはブラジル辺りで孔雀くじゃくの羽みたいなのをつけた姉ちゃんがものすごい速度で腰を左右に振りまくるアレだが、イタリアには孔雀の姉ちゃんはいないらしい。残念。なんかガラスでできた仮面をかぶった男女があっちこっちを行き来していてとてもシュールと言うか、その格好でデパート入ったら通報されるよね的な光景である。
 と、ここまで彼の内面をのぞいた方ならお分かりの通り、上条刀夜は特定の宗教に属しておらず、そもそも世界的な宗教と新興宗教とカルト教団の区別もついておらず、このカーニバルって何のお祭りだったっけ? と首をかしげる程度の典型的日本人である。
 なので、石畳いしだたみはしっこでテントを広げていた現地のお土産屋みやげやさんのバイト少女に尋ねてみると、
「えーえーはいはい。もうすぐ四旬節しじゅんせつっていう断食だんじきイベントがあるんですよ。今はその断食前の食いめ期間のお祭りって事なんだけど、なんつーかもういろんなモンが混ざってるね。リオのカーニバルのサンバとかは、元々アフリカの宗教的な音楽だったものをブラジルで成長させたもんだし」
「またアバウトな……。じゃああの仮面の方が正式なのかな?」
「どーかねえ。ありゃヴェネツィア辺りの風習を面白おもしろそうだからって引っ張って来てるだけだよ。ここミラノの伝統工芸にガラス製の仮面は存在しません。そうだ、仮面買ってく?」
 地元土産でもないものを笑顔で勧めてくる金髪碧眼へきがんのバイト少女。
 刀夜は半分呆あきれながら、
「はは、商売の基本を分かっていないな」
「ありゃ? おっさんカーニバルの時期ネタに釣られた旅行者じゃないの?」
「これでも一応一仕事終えた所だよ。ちょっとした商談をまとめてきたって所か」
 刀夜は外資系企業の営業担当だ。
 ……と言ってしまうと平凡なサラリーマンに聞こえるかもしれないが、実際の彼の業務内容はかなり特殊で、厳密には『証券取引対策室』という部署に所属している。
 彼の役割は『本社にとって有害となる株式売買や吸収合併などを、あらゆる手段をもって全力で阻止する事』。だれもがコンピュータを使って株を売買し、数時間単位で売り買いできる世の中になったからこそ重要視され始めたポストだ。
 この手の証券取引は原則として自由に行われるべき事であり、なおかつ国境をまたいでしまうため一国による法的な規制は難しい……のだが、そこはそれ。『証券取引対策室』に所属するわずか一一人の精鋭は経済学や心理学などの知識技術をフル稼動かどうさせ、グレーゾーンのラインを駆使して職務を遂行すいこうする訳だ。
(まぁ、平たく言えば『この証券を買うのをやめろ』ではなく、『この証券を買い占めても損をするかも』と思ってもらうのはオーケーという事なんだがな)
「ショーバイがどうのと言われでもね。私は見ての通りのアルバイト。マッチ売りの少女ばりに経営にうとくて道端みちばたでポツンよ」
「まずはそれだな。とにかく取り扱っている商品に自信を持つと良い。縁日の焼きそばが美味おいしそうに見えるのは、別に祭りって雰囲気ふんいきに当てられているからじゃない。屋台のオヤジがいかにも美味うまそうに作っているからだよ」
「エンニチって何?」
「チェーン店なんかの接客がマニュアル化されているのも同じ理由。一つの店の中で店員によって自信があったりなかったりとバラつきがあると、それだけで客の見る目は変わる。だから一律平均的に自信たっぷりなマニュアルを作っているという事だ」
「そういや買うの、買わないの? ひやかしでも暇潰ひまつぶしになりゃ構わないけど」
 本格的にやる気がないな、と刀夜とうやはため息をつく。
「イタリア土産みやげを探してる。こう、一発でイタリアに行ってきましたっていうのがアピールできて、だれに渡しても引かれなくて、それとなくカミサマの御利益ごりやくっぽいものまでプラスしているとありがたい」
「あーあ-あーご当地開運グッズね。日本人はそーゆーアバウトなの好きだよねぇ」
 バイト少女は適当に相槌あいづちを打つと、その辺の荷物の山をゴソゴソとあさり、
「じゃあこれだ。幸運を呼ぶ一ドル紙幣。今なら一〇〇ユーロでどうでしょう?」
「そもそもイタリアでドルはねえだろ」
「ちゃんとレシートは出すよー。じゃないとこの国じゃ脱税扱いされるからね」
「おいまだ買ってないのに勝手にレシートを出力するな。なんていう押し売りなんだ」
「……おっかしいな。日本人は幸運ってつけりゃ何でも買ってくって話だったんだけど」
 ブツブツ言っていたバイト少女は、そこで何かを発見したのか、ハッと顔を青くした。慌てて荷物をまとめるとひもを引っ張るだけでテントをたたみ、わずか一五秒で逃走準備を完了させる。その早業はやわざに目を白黒させる刀夜に対してバイト少女はこう言った。
「ヤバい、変なのが来た! 悪いねお客さん、また緑があったら!!」
「は、ええと、何が?」
「こういうアバウトなお土産売ってるのが許せないってヤツが猛接近中!! あいつは特にこう日本人観光客相手にぼったくるのに厳しいんだ! 最後に私のきらいなものを三つ教えてあげる。親と先生と宣教師よ!!」
 まくしたてるように言うと、商品の山を背負い、丸めたテントを登山家の寝袋のようにバックパック上部へジョイントさせたバイト少女が高速で走り去る。
(縁日は知らなくても、エンって言葉は分かってたんだな)
 取り残された刀夜とうやはズレた感想を抱きつつ、しばらく呆然ぼうぜんとしていたが、
「……む。確かにこの辺りからバルビナ特有の魔力まりょくが放出されていたはずなのですが」
 いきなり怪しげなイタリア系独り言と共に、何者かがぬっと現れた。
 り切れたように古臭ふるくさい、白系統の修道服を着た女性だ。歳は二〇代後半から三〇代。元は美人であったであろう事はうかがえるのだが、何分何もかもが色褪せいろあ》せていて、彼女だけがいたんだフィルムの中の住人のようだった。
 その修道女は、つい先ほどまでバイト少女が露店ろてんを広げていたスペースにしゃがみ込むと、ゆっくりと掌々てのひらをかざし、
「やはりぬくもりは残されていますが。となると、また逃げたのかあの野郎。もしそこの方、ここにいかにも頭悪そうな反抗期真っ最中の子羊がいませんでしたか?」
 いきなり言葉を投げられ刀夜は面食らったが、やがて彼はこう言った。
「いいえ。ここにいたのはそばかすがチャーミングなおじょうさんでしたよ」
「その歯の浮くような台詞せりふと笑顔は果てしなく減点ですが。そもそもあなたはここで何をしていたのですか?」
「イタリア土産みやげを見ていたんですけどね。ところであなたは? あの子の保護者か先生ですか?」
 刀夜がそう尋ねたのは、例の少女が嫌いなものとして挙げていたからだ。
「いいえ」
 しかしそのどちらでもなかったらしい。となると答えは一つである。
「私はローマ正教の宣教師ですが。名前はリドヴィア=ロレンツェッティ。神に興味があるか、朝の説教を途中で抜け出して小遣いかせぎをしていたバルビナに心当たりがあればご連絡を」

 ……という話だったのだが、上条かみじょう刀夜はその日だけで五回も宣教師リドヴィアと鉢合わせする事になった。
何故なぜあなたはバルビナの行きそうな場所ばかりに立っているので?」
「だからイタリア土産を探しているだけですって。たまたま行く先々にあの子がいるだけですよ。というか、何故あなたが出てくるたびにあの露店商は高速で逃げ出してしまうんですか?」
「? お土産ならどこにでも売っていますが。ほらあそこにはミラノクッキーにミラノ饅頭まんじゅうが。適当に買い込んでさっさと帰れば良いので」
「……というか、イタリアに饅頭まんじゅう売ってたのか」
「日本にもナポリタンというパスタがあるはずですので。そもそも、バルビナが取り扱うようなった『商品』を手にする必要はないかと思われますが」
「まぁ、色々ありましてね」
 刀夜とうやは割と疲れたため息をついて、
「不幸っていうものを信じますか?」
「?」
「私は信じます。見た事があるから。実を言うと、一人息子がとんでもない不幸なヤツでしてね。特に何も悪い事をしていないはずなのに、いつでもあいつだけがトラブルに巻き込まれる。もうそれは『いつもの事』であって・あいつが理不尽りふじんな目にっても周りの連中は指を差して笑う事しかないぐらいに」
 刀夜は別の露店ろてんに並べられていた小さな人形を指先でつつきながら、こう言った。
「……みじめですよね。周りに対してはいくらでも文句を言えるのに、結局私は何もしてやれていない。開運グッズでも買い込めば何かの足しになるかもとは思うのですが、これだって自分に対するなぐさめかもしれません。自分はちゃんと頑張ってるぞ、お前たちとは違うんだぞ。そう言いたいだけなのかも」
 リドヴィアは何も言わない。
 いきなりこんな愚痴ぐちを聞かされても迷惑か、と思いながらも、どうしても刀夜はだまれない。
「本当なら、自分の手であいつの抱えている問題を取り除いてやりたい。私は父親なんだから。でも、不幸なんて見えないものを相手にどうすれば良いのか。本当に、情けないんです。馬鹿ばかですよね。こんなものにすがって」
「……ふ……」
 と、気がつくと何故なぜかリドヴィアはうつむいている。
 どうしたんだろう? と首をひねる刀夜だったが、
「ふふ。素敵すてきです、これはまことに素晴らしい。このような困難、まるでお前には絶対にできないだろうと突きつけられたような状況、何もかも……何もかもが……」
「え、ええと、ひっ!?」
 刀夜は、思わず息をんでしまう。
 何だか、リドヴィアが笑顔だ。それも人を安心させるとかそういう笑顔ではなく、注意しないとよだれがだらだらとあふれ出てきそうな感じの、自分オンリーの大笑顔だ。
「すっばらしい!! なんという不可能! なんという不条理!! 状況が困難ならば困難なほど、俄然がぜんやる気が出てくるものですから!! うふふ、要件は息子さんのまとう不幸の除去ですね。そうと分かれば話は早い。バルビナ! 魔草まそう調合師のバァルビナァぁぁああああああああああ
ああ!!」
 叫びながらリドヴィアはマッハで小さな路地に飛び込んでいくと、たった十数秒でバイト少女の首根っこをつかんで戻ってきた。ズルズルと引きずられるバイト少女バルビナは口をとがらせながら、
「いていて痛てててて!! なに、何なのもう良いじゃんアルバイトぐらいしたって!!」
「それどころではありませんので! かくかくしかじか事情がありまして!!」
「げぇ-っ!! この馬鹿ばか! 人助けとかそういう話は早く教えろよーっ!!」
 何だかイタリア人の異様なテンションについていけない刀夜とうや。そんな中年男性を放ったらかしで、リドヴィアとバルビナはさらにボルテージを上げていく。何が何だかサッパリな刀夜に向けて、バルビナは荷物の中から得体えたいの知れない人形や枯れ草のようなものなどをゴロコロ取り出すと、それらに小さなメモをつけつつも片っぱしから押し付けてくる。
「とりあえず詠唱や儀式ぎしきのいらない『置くだけで効果アリ』ってもんだけ集めてみた! 保管に関してこっちの注意書きさえ守りゃ何とかなるから!!」
「その辺の対魔術師まじゅつし機関に目をつけられると厄介やっかいですので。そちらの隠蔽いんぺいはどうなので?」
「心配すんな問題ねえ!! 一個一個は『霊装れいそうと呼べなくもないけどそれ専用じゃないから裁きの対象にはならないレベル』だ。これなら『変なお土産みやげ』で何とかなる。ホワイトに近い辺りのグレーだからプロの魔術師でも見分けんのは難しいさ!!」
 とにかく大丈夫だいじょうぶっ!! と二人そろって変な太鼓判を押した挙げ句、とどめとばかりにリドヴィアが一冊の聖書を取り出して刀夜のふところへと半ば強引にねじ込んだ。
「どうしても駄目だめなら最寄もよりの教会へ。我々は理由なき災禍さいかに苦しむ子羊を守るための屋根を作っていますから!!」
「は、はは。そうですね」
 刀夜は小さく笑いながらこう言った。
「正直、いきなり神様とか言われても信じられませんけど。あなた達のように親切な方が信じているものなら、私も信じられるかもしれません」

 同市内。いつもリドヴィアと一緒いっしょに行動している爆乳女運び屋オリアナ=トムソンがなまめかしい舌を出してアイスクリームと格闘かくとうしていると、くだんのリドヴィアがとこからともなくものすごい速度でオリアナへタックルしてきた。
「オッリアナァァああああああああああああああああああああああああああああん!!」
「ごぶへぇあっ!?」
 割と体はきたえテいるつもりだったオリアナの体がい一撃いちげきでくの字に折れ曲がり、アイスは吹っ飛び路上にべちゃり。わなわなとふるえる運び屋など露知つゆしらず、リドヴィアは両手をほっぺたに当てたまま何やら高速で腰を左右にくねくねさせて、
「きっ、今日は!! 今日はなんという良い日なのでしょう!! 私は日本人に対して誤解をしていたのかもしれません! 学園都市などという野蛮やばんなものがあるから社会の敵だと思っていましたが、まさかあんな子供思いの父親がいようとは!! これは学園都市の攻略方法をもっと穏便おんびんかつ平和的に変更する必要が出てきたかもしれませんので!!」
「どっ……とうした訳……このハイテンションぶり……ら」
 やや呼吸困難のまま、オリアナはリドヴィアに引きずり回されたであろうバルビナへ尋ねる。かくかくしかじか。話を聞いたオリアナは少しだけ悩むような仕草をすると、
「な、なるほど。いや、というか……はぁー。また面倒くさいアッパーぶりを発揮して―――」
「よォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうし!!」
 言い終える前にリドヴィアは突然絶叫した。超高速にくねくねさせていたリドヴィアの腰がぶつかり、オリアナの体が横方向へスライトして吹っ飛んでいく。メッキョオ!! といういやな音を聞いてバルビナの顔が真っ青になる。
 気にせずリドヴィアは言った。
「この調子で行きましょう!! 困難とは、そう簡単には解けないからこそ困難ですから! その楽しみが分からぬやかちのために、我らが片っぱしから解いてしまうとしましょう!! まずは霊装れいそうの準備です。あれは星の配置に大きく影響えいきょうされますから、該当座標で使用するために、今一度

現地での計測を行う必要がありますので!!」
 やたらとノリノリになっちゃってるリドヴィアに、バルビナは再び逃走を開始。わきに吹っ飛ばされたオリアナも走ろうとするが、それより前にリドヴィアが運び屋を捕獲する。

第四章 七人の内の七番目の実力は 三月、第三金曜日

 三月一五日、午後八時一〇分。
 特に大きな事もなかったホワイトデーの翌日、何の気なしに繁華街はんかがいをブラブラしていた原谷はらたに矢文やぶみは、ガラの悪い兄ちゃんスキルアウトたち襟首えりくびつかまれて真っ暗でジメジメした裏路地へ引きずりこまれていた。まさに少年漫画的大ピンチ。とりあえず二、三発殴なぐられた上、財布は没収されるし携帯電話もお財布機能がついていたから取り上げられた。早い所サービスセンターに連絡しないとクレジットカード盗難級の大災難に見舞われてしまう訳だが……、
「うっし。ケータイ止められると面倒くせぇから、とりあえずここらにこいつしばって時間かせぎしね?」
「あっれ? 良いの、都会の鳥は凶暴よ? 無抵抗なお肉が落ちてたらついばまれちゃうんじゃね?」
「お財布ケータイって便利だよなぁ。番号さえ聞き出しゃ限度額とかねえし」
(ぴやっあああああああああああああああああああああああああああ!? サービスセンターのお姉さんに勧められるままに、使いもしない新機能ケータイなんて機種変するんじゃなかったアああああああああああああああああああああああ!!)
 そう、これが昔ながらのカツアゲさんなら、単にお財布られて解放されるだけで済んだはずなのだ。恐るべし文明の利器。持っているだけでユーザーの危機も大進化ときたもんだ。
 五、六人の兄ちゃん達に取り囲まれ、さてどう切り抜けるこのピンチ、と地味に追い詰められていた原谷矢文だったが、

「根性ってモンが足りてねえな、兄ちゃん。そんなんじゃだれも満足しねえぞ!!」

 唐突にひびく大きな声。
 そっちを見ると、路地の出入り口辺りに仁王立におうだちする一つの影。
 五、六人の少年達はほんのわずかな間、だまって人影の方へ首を向けていたが、

 ドパン!! と。
 人影の正体が分かる前に、いきなり不良少年が拳銃けんじゅうを取り出して発砲した。

 ばったり倒れるなぞの影。つまらなさそうに舌打ちする不良少年。ナニこのムチャクチャ大雑把おおざっぱな展開!? と心の中で神様に不平をらす原谷はらたにだったが
「ふるわァァあああああああああああああああ!!」
 さらに、むくぅ!! と起き上がるなぞの影。ここまでの所要経過時間、わずか三秒。ほとんど起き上がりこぼし状態の人影に対し、流石さすがに少年達もペースを乱されてしまう。
 明らかに心臓に一発もらったはずの謎の影は、まるで撤夜てつや明けのおかしなテンションみたいな足取りでズンズンこちらへ近づいてくると、
「何の前触れもなく一発くれるとは、やっぱ根性が足りてねえな。あるいは我慢がまんか? 我慢が足りねえのか? 総合的に判断するに、さてはお前、近頃ちかごろのキレやすい子供達だろう!! マスコミから好き勝手言われるような立場になってかなしいと思った事はねえのか!?」
 訳が分からないのでとりあえずもう一回ってみようと思ったのだろう、さらに不良少年はバンバン引き金を引くが、もはや人影はビクンビクンふるえるだけで倒れもしない。
 流石にいやそうになった少年は、一度だけ手の中の銃に視線を落とすと、
「……お前、何で死なねえんだよ……?」
「根性だよ、根性!!」
「それ以外にもなんかあんだろ!!」
いて挙げれば学園都市の超能力者レベル5の一人、七人の内の七番目、ナンバーセブンの削板そぎいた軍覇ぐんはという事もある訳だが、そんなのは些細ささいな事だ。―――今ここで論じるべきは、このオレの中には怒涛どとうごとく煮えたぎる根性が満ちあふれているという事だーッ!!」
 両手を大きく広げ、背中を弓のように反らし、天に向かってえるように宣言する削板もしくは謎の根性さん。どういう理論か知らないが、彼の背後がドバーン!! と爆発して赤青黄色のカラフルな煙がもくもく出てくる。
 原谷は呆然ぼうぜんとそれを眺めていた。
 不良少年達はちょっと互いの距離きょりを縮めると、コソコソとこんな内緒話ないしょばなしをする。
「七人の内の七番目って事は、一番弱い超能力者レベル5って事だろ?」
「それなら無能力者おれたちにも何とかなりそうだな」
 その言葉にだまっていなかったのは、例のナンバーセブンだ。
「のんのん!! だから超能力者レベル5だとか七番目だとか、そんなのはつまんねえ脇道わきみちだっつってんだろ!! 今ここで重要なのはオレの根性の話!! 今からでも遅くはない! だからお前達もっとオレの話を―――痛っ!? 自転車のチェーンロックでなぐるなアイスピックで刺すな痛たたたたこの根性無しども!!」
 まるで冗談のような光景だが、二時間もののサスペンスドラマなら一〇本ぐらい撮れそうな暴力のあらしだ。
 そして、いつまでっても死なない削板軍覇に、むしろ加害者である不良少年達の方が不気味に思った(しかし手はゆるめられない)時だった。
「だァァァらっしゃァァあああああああああああああああああああああああああ!!」
 ぶちキレたナンバーセブンが叫んだ瞬間しゅんかん、彼を中心に変な爆発が巻き起こった。バゥーン!! というトクサツ的な効果音と共にぎ倒される悪党たち
「さっきっから自分達だけ好き勝手しやがって!! もう許さん! 本物の根性というものを今から思う存分見せつけてくれるわーっ!!」
 ……勝手にテンション高くなっている所申し訳ないのだが、すでにさっきの一発で不良達は軒並みノックアウト状態。この有り様で追加攻撃こうげきを加えると、どっちが悪党か分からなくなってしまう事必至である。あと、これから根性見せる羽目になるのは不良達の方になるんじゃないのか、と原谷はらたには少々冷静に感想を思い浮かべる。
 その時だった。
「ふっ。やはり雑魚ざこどもではこの程度が限界か」
 暗闇くらやみの向こうから新たな気配。ザリ、という足音。そして近づいてくる学園都市の闇が生んだ都市型モンスター。明らかに外国人傭兵ようへい部隊とかで三ヶ国以上は渡り歩いてきただろお前と言わんばかりの巨漢むきむき人間兵器が、ついにその威容をあらわにする。
おれは内臓つぶしの横須賀よこすか。あいつらを可愛かわいがってくれたようだな」
 ……そんなに偉そうなら路地裏でカツアゲとかやってないで、もっと自分の知らない所で世界を根底からくつがえす大それた計画とか練っていなさいよ、と小市民・原谷矢文やぶみは思わなくもないのだが、ラスボスむきむき男に心の声は届かない。
「だがしかし、まずい所へ首を突っ込んでしまったようだな。ここは後悔の通じない場所。対能力者戦闘せんとうのエキスパート、この内臓潰しの横須賀サマの前に立っちまった以上、貴様はここで」
「すみませんオナラが出ました!!」
「ちょ、もーっ! 人の話はだまって最後まで聞けって!! だから、あの、何だ。どこまで話したっけ? そうそう、こほん。内臓潰しの横須賀サマの前に立っちまった以上、貴様はここで」
「すごいパーンチ」
「だから人の話を開けっつってんブギュルワ!?」
 何か言いかけたモツなべナントカの横須賀さんが、突如竹トンボのように高速回転した。ナンバーセブンとモツ鍋さんの間は一〇メートル以上の距離きょりがあったはずなのだが、なんか変な衝撃波しょうげきはか念動力でも出たのか、お構いなしのクリーンヒットだった。
「……ちょ、げぶっ。なに……今のナニ……?」
「んっふっふーん。これぞ学園都市第七位の真骨頂。体の前にえて不安定な念動力の壁を作り、それを自らのこぶしで刺激を与えてこわす事によって、爆発の余波を遠距離えんきょりまで飛ばす必殺技。念動砲弾アタッククラッシュとはこの事だァァああああああああああああああああああああああああ!!」
 ドバーン!! と一般公開される新事実。
 しかし原谷はらたには冷静にこう言った。
「いや、それは無理でしょ」
「?」
「不安定な念動力の力場に刺激を与えるだけじゃ、そういう反応はしないと思うし。おれ、能力開発の時間割りカリキュラムの選択授秦がそっちの方なんで、ちょっとだけ詳しいし」
「……、」
「……、」
 ぶんなぐった方とぶん殴られた方、双方に気まずい沈黙ちんもくが訪れる。
 削板そぎいた軍覇ぐんははしばし自分の握りこぶしに視線を落とした後、
「じゃあ、どういう理論で何が出たんだ?」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぅい!! アバウト!! 必殺技の取り扱いがものすごく大雑把おおざっぱ!! そんなんで倒される方の身にもなってみろテメェちくしょう!!」
「すごいパーンチ」
「一発目と何も変わらブルゥヘ!?」
 ぐるくるぐるぐるーっ、と回転しながら吹っ飛ぶモツなべ槙須賀よこすかさん。
 何だか助けてもらっているのにちっとも喜べねーなー、と原谷は肩を落とす。
 モツ鍋さんはこんなお祭り野郎に負かされるのだけは死んでもいやなようだが、物理的なダメージはどうしようもない。立ち上がろうとするのだが、両足がガクガクとふるえるだけで、それもかなわないようだ。
「くっ。さ、流石さすがはナンバーセブンだ」
 戦う事はおろか、逃げるだけの体力も残されていないモツ鍋さん。
 彼は己の末路を理解したのか、やがて削板の顔を見上げてこう言った。
「……一つだけ良いか」
 ふっ、と。悪党とは思えないほど純粋な笑みを浮かべた男は、
「せめて、最後はとびっきりの一発で決めてくれ。すごいパンチとか超おざなりなヤツじゃなくて、ぶっ飛ばされるなりに意義があったと感じられるような、正真正銘の一撃いちげきをな」
 その言葉を聞いて、ナンバーセブンは静かにうなずいた。
 彼はゆっくりと拳を握り、
「すごいパーンチ」
「だからそれやめろっつっただろうがビブルチ!?」

第五章 世界に足りないものは何か 四月、第一金曜日

 ブラジル。
 中国やインドに続き、世界でも経済成長の著しい期待国とされているが、まだまだその恩恵は国のすべてを照らせない。大都市リオデジャネイロの中にあっても、貧と富の差は歴然で、まるで見えないラインで人生がキッチリと分けられているかのようだった。
 そんなブラジルの大都会の、とりわけ『影』の色が強い一角に、東洋人の男はたたずんでいた。としは三〇代の半ばから後半の間くらいで、そこそこの長身と整った顔立ち。生まれた国では目立ってしまう容姿だが、こちらの国では逆に埋没しそうな感じだった。
 ただ、近づきたいとは思わないかもしれない。
 そこそこ金は持っていそうだが、馬鹿ばかな観光客とは完全に毛色が違う。そもそもこんな裏通りが似合う種類の『身なりの良い男』だ。迂闊うかつに近づけばどんなトラブルに巻き込まれるか分かったものではない。
「おやまぁおじょうさん。良い物を持っているな」
 男は暗がりに声をかけた。返事はない。ただしそちらで身じろぎするような気配があった。の光のほとんど入らない一角だが、それでも人の輪郭ぐらいは浮かび上がる。そこに立っているのは小麦色の肌をした、ラテン系の顔立ちの少女だった。
 少女は割と余裕のない感じで、目をギョロつかせて男を見る。
「なに、あんた。その歳で子供の小遣いまでむしり取ろうって言うの?」
「銃が入っているだろう、そのハンドバッグ」
 男が簡単に指摘すると、今度こそ少女の肩が大きくふるえた。動いたというよりも、硬直した、という方が似合う。男は気にせず、鼻歌でも歌うように続けた。
「自殺じゃなくて心中ねらいか。それも相手は家族や恋人じゃない。対象は憎しみの相手。大方、借金取りでもぶっ殺して家族に楽させであげようって所かな?」
「……、どうして知ってるの」
「これでも人を見る目はあるんでな」
 男は自分の右目を人差し指で差しながら、悪戯いたずら好きのような顔つきになる。
「お話をしよう。残念ながら君の殺意に気づいてしまった以上、止めないと殺人幇助ほうじょと言われかねない状況な訳だし。もしかしたら君にとってもプラスになる会話かもしれない」
「あんた、誰?」
「んん。ミサカだよ。御坂みさか旅掛たびがけ

 その東洋人が御坂みさかと名乗った後は、少女の名乗る番だった。彼女は自分の名前をイネスと呼んだ。偽名の可能性もあるのだが、御坂は直感でそれは低いと思った。はっきり言えば、今のイネスはそんな打算を働かせるだけの余裕がない。
「あんた、日本人? どんな仕事してんの? つか金持ってる?」
「仕事は……そうだな。統合コンサルタントといった所か。金ならない。おれの仕事は金を作る事であって、金を貯める事ではないからな。一応『報酬ほうしゅう』はもらっているはずなんだが、財布の管理は妻の仕事だし。実際に俺が使える金なんて、酒をやめるかどうか真剣に悩むレベルでしかない」
「役立たず」
「一言で切り捨てたな。だがあきらめるのは早いぞ。俺との会話をヒントに泥沼から脱するチャンスが得られるかもしれない。実際そういう風に人生を切り抜けた人間を、俺は何人も知っているからな」
「?」
「俺の仕事は世界に足りないものを示す事でな」
「何言っているの?」
「まぁ平たく言えば『新しいビジネスの可能性を提示する事』だ。俺が提示するアイディアを正しく形にできれば社長になれる。札束のベッドでウハウハだ」
馬鹿馬鹿ばかばかしい」
 イネスはつまらなさそうにさえぎった。
 彼女は周囲をぐるりと見回し、家電ゴミばかりが山のように績み上げられた一角を指差しながら、
「この街にあるものなんてゴミ《あれ》だけよ。リオデジャネイロには色んな物があるけど、私達が触れられるのはあれだけ。分かる? 回収業者に払う金もないから、ゴミの収集さえとどこおる。目の前にチャンスがあっても指をくわえるしかないの。貧富っていうのはそういうもの。今、裕福な連中は逆転なんてされたくない。だからチャンスまで奪っていく」
「言い訳か。言い訳は気持ちが良いな。おそらく極上のエンターテイメントだ。ネタはやっぱり政府か社会か生まれた境遇か?」
「あんたに何が分かる」
 イネスは激昂げっこうすらしなかった。ただ静かな怒りがあった。
としも若い、学歴もない。こんな人間にできるのは車の窓をくぐらい。そんな小銭でどうしろって。借金の利子にもならない。せいぜい取り立てにやってきた男達へのチップに消えるぐらいよ」
「そうでもない」
 そんなあきらめの表情を見ても、御坂みさかはあっさりと答えた。
「チャンスなんて案外その辺に転がってるもんだ。見えないだけでな。……なぁなぁ。一個だけ質問なんだが、まさかおれが善意のボランティア精神にあふれた聖人君子とは思っていないよな。俺にも俺の目的がある。だから安心しろ。ちゃんと考えてる。適当な事を言ってお茶をにごして自己満足しようって訳じゃない。俺は、自分が利用する者の面倒ぐらいは自分で見る人間だ」
「目的? ガキでも抱いてかせがせてくれるって言うの?」
「それは素敵すてきなおさそいだが、生憎あいにくと妻に悪いし君ぐらいの歳だと娘を思い出す」
「じゃあほかにどうしろって? こんな自分たちで不法投棄とうきした粗大ゴミだらけの場所にどんなチャンスが転がっているって? ふざけるんじゃないわよ」
「そう、それだ」
「?」
「種を明かすと、俺はある人物から依頼いらいを受けていてね。ブラジル国内の不法投棄をどうにかしてくれと言われている。だから何とかしないといけない訳だ。面倒くさいが仕事でね」
馬鹿馬鹿ばかばかしい。できる訳がない。『ゴミのポイ捨てはやめましょう』って看板でも立てる気? だれも従わないわよ。捨てる方だって好きでやってる訳じゃない。良くない事だって分かってる。でも不法投棄は減らない。ゴミのために金を払うほど余裕がないからよ」
「本当にそうかね」
 御坂みさかはニヤリと笑った。
「俺は言ったはずだぞ。世界に足りないものを示すのが仕事だってな。家電ゴミの不法投棄と、君達の貧困と、それらが取り巻くこのスラムの小さな世界に足りないものはなーんだ。はいイネス君、分かったら手を挙げで」
「決まっているじゃない」
 イネスはつまらなさそうに息をいて、一秒もかからず即答した。
「金よ」
「ピンポーン」

「……それが、コンサルタントと呼ばれる東洋人との出会いだったのですか?」
「ええ、まぁ。私も最初は半信半疑だったんだけど。でも、可能性にけても良いとは思った。マフィアまがいの借金取りの所へ拳銃けんじゅう持って飛び込むよりはね」
 イネスがいるのはリオデジャネイロでも一、二を争う高級ホテルのラウンジだ。録音機材を持ったライターはブランドもののスーツで固めているが、イメスの方は相変わらずの格好だった。とはいえ、文句を言う者はいない。
 ライターは言う。
「それにしても、家電ゴミの基盤の中にあるレアメタルの回収業務とは、随分ずいぶんと思い切った事業を立ち上げましたね」
「元々、ICやLSlの内部には微量の純金ゴールドが入っている事は、だれでも知ってた。いちいち回収するのが面倒だったから誰もやらなかったけど、私にそんな余裕はなかったわ。だからやった。特別な決意なんてものじゃない」
 そう、最初のころは機械も作業場もなかった。本当に手作業でICのプラスチックをこじ開けて、糸くずのような純金を根気良く集めた。それが弁当箱ぐらいの大きさにふくらんだ時、ようやく紙幣に換金した。それを元手に工作機械を開発し、もっと効率良くレアメタルを回収し、さらに大きな金を得て……それが『企業』と呼ばれるまでに肥大化するのに、そう時間はかからなかった。あれからまだ一年もっていないのだ。
「サイズの違う各々おのおの々の集積回路のふたを正確にこじ開けるためのアームマシンを準備するのに多少手間取ったけど、超音波を利用してサイズを算出する事を思いついてからは簡単だったわね」
「超音波……ですか?」
「学校にも通っていないガキにはできない発想だとでも? 本気で学ぶ気さえあれば、それぐらい何とかなるものよ」
 リオデジャネイロは貧富の差の激しい場所だが、逆に言えば一度土台さえ作ってしまえば安定した『伸び』が期待できる事を意味している。イネスはそのソステムに上手うまく乗った訳だ。
「今ではリオデジャネイロはおろか、ブラジル全域の不法投棄とうきが七割以上減ったそうですね。環境大臣から近く表彰されるとか」
「ゴミを捨てるのは、そうしないと給料をもらえないからよ。そこまで追い詰められた人たちに、性善説のモラルを説いても話を聞くだけの余裕はないわ。彼らを止めたければ、彼らをかせがせる方法を提示するのが一番だった」
「ゴミは金になる、という情報を伝える事で、世界の流れをも変えてしまった訳ですね」
「……、」
 そのコメントに、イネスは少しだけだまった。
 御坂みさかと名乗ったあの男。彼が行っていたのは、つまりそういう事か。
 世界は変わる。
 変えようという意思を持つ者が立ち上がれば、必ず。
 重要なのは、動き出す事。
 そのための力を与えるのが、彼の仕事だったのか。
「次はこの元手を使って、プラスチックや鉄、鋼などの金属の効率的な再利用方法を模索してやる。これに成功すれば、家電ゴミはほぼ一〇〇%の割合で『使える資源』に生まれ変わるでしょうね」
 それは楽しみですね、明るい未来の話題も欲しい所でしたし、とご機嫌きげんを取ろうとするライターの言葉を軽く聞き流しながら、ふとイネスは御坂みさか旅掛たびがけの言葉を思い出した。

―――世界に足りないものはなーんだ?

 彼は多分、今でも世界と戦っているだろう。
 それが仕事だと言っていたのだから。

第六章 美容院にて世間話と核心を 四月、第四金曜日

 ピヨピヨ、という電子音が聞こえた。
 自動ドアに連動したチャイムの書だ。
「ん? ああ、客が釆た」
「……良いから携帯ゲーム機から顔を上げなさいなこの馬鹿ばか店主。客商売という単語をトラウマにして胸へ刻みつけますわよ」
 茶髪ツインテールのお嬢様じょうさま白井しらい黒子くろこは入店早々やる気ゼロの美容師をにらみつけて低い声を出す。すぐに店の奥から若い男のスタッフが数人出てきて、白井にペコペコと頭を下げ始める。
 採用三ヶ月の新人たちの方がお店の心配をするとはどういう事だ、と白井はあきれ返るが、店主の腕は良いのだから仕方がない。白井は保健室のベッドみたいに布の衝立ついたてで分割されたスペースに入ると、これまた歯医者さんの椅子いすみたいなのに案内されて、そこに腰掛ける。
 やる気のない店主は白井の背後に回ると、男のくせに異様に細くなめらかな指先で、彼女の髪をまとめているリボンをほどいていく。
 店主こと坂島道端さかしまみちばたあごヒゲを片手でジョリジョリこすりながら、
「最近アイロンの使い方に凝っちゃってさー。ウルトラ一四連ドリルとか試してんだけど、どうする? 試しにクロワッサンやっちゃう? 白井ちゃんは高飛車たかびしゃだから似合うと思うなぁお嬢様系縦ロール」
「あたくしは元々クセッ毛ですの。寝言は良いから毛先を整えてストレートパーマをかけなさいな」
「えーと……アフロだっけ?」
「ストパだっつってんだろ!!」
 半球型ボウル状の機械を頭に乗せようとする坂島に、白井は目をいで叫ぶ。はいはいだーつまんねlとボソボソ言う坂島は、『まずは毛先を整えてからな』と薄刃うすばのハサミを取り出しながら、
「しっかし白井ちゃんも大変だねぇ」
「何がですの?」
「超能力開発の名門常盤台ときわだい中学は、髪を切る店を選ぶのも先生の許可がいるんだろ。まぁ学校指定に選んでもらってるこっちとしちゃあ、ぼろもうけだからありがたい話だけど。学生としちゃ窮屈きゅうくつで仕方ないでしょ」
「まぁ、その辺は文句を言っても始まりませんわよ。髪と血液は典型的な遺伝子サンプル組織ですもの。こっそり回収されてDNAマップでも解析されたらたまったもんじゃありませんわ」
「ふうん」
 店主は歯の間隔の違う金属製の櫛を何本か左手で挟みながら、頭上を見上げる。そこにあるのは大小無数のカメラ群。過剰かじょつ設置されたそれらは、警備会社ではなく常盤台ときわだい中学によるものだ。
 坂島道端さかしまみちばた白井しらいの髪を一房ほど指先でつまみ、
「そういやぁ、空間移動テレポート系の能力開発研究に新しい助成金がテコ入れされるって話があるんだってねぇ。やっぱ一一次元座標関係は難しくって学者さんにも人気がないのかね」
「……シュレディンガーがらみの量子系理論には大抵出てきますわよ、一一次元。そうじゃなくて、単に空間移動テレボート系の能力者の数が少ないから、上の連中が変な危機感に見舞われているんですわ。まったく、一口に能力者と言っても、発現しやすいオ能としにくい才能があるというだけの話ですのに」
「それもなぞの一つだっけ。確か小学一年生なんて選択授業もなくて、みんな同じ時間割りカリキュラムを受けるのに、それでも炎が出たり風が出たり、いろんな能力に分かれるとかってヤツ」
 ペチャクチャとおしゃべりしながら、坂島は白井の髪の先を五ミリほど切る。最適の角度で整えられた刃先が、細胞をつぶさず綺麗きれいに切断していく。
「しかしまぁ、超能力なんて開発してどうするのかね」
「……学園都市の存在意義を根底から否定しないでくださいな」
「いやぁ、かれるものがあるのは理解できるけどね。ありゃあ不老不死とか世界征服とか、権力者が夢見るようなものに思えちゃうんだよなぁ」
 ハサミを動かす道端は首をコキコキ鳴らしながら、
「白井ちゃんぐらいの学生さんだと能力関連テキストにも載ってないかな。昔、冷戦ってのがあったんだけどね。その時もさわがれたんだ、超能力開発。アメリカとソビエトが子供みたいな対抗心き出しでバカスカ予算をぎ込んで……まぁぶっちゃけ、失敗に終わったんだけどさ」
「スターゲート計画とかいうヤツでしょう?」
 おっ、知ってるんだ、という間の抜けた声に、白井はため息をついて、
「歴史の授業で習いましたわよ。的外れな理論に従って大規模な実験をり返し、『どういう数値が出たら成功なのか、失敗なのか』すら分からないまま、手探りで国家予算を食い物にした、科学者達のブルジョワ遊びだとか何とか」
「ふうん。表向き、あれは超能力者を軍事利用しようってプロジェクトだったんだけどさ、ホントの所はどうだったのかね。おれにはどうも、もっと私的で感情的で主観的な動機があったんじゃないかなぁと思う訳。そう、なんていうか、『特別な人間』とか『選ばれた人間』とか、そういうものにあこがれる、すんごくチープな願望がさ」
 坂島は白井の髪に櫛を通し、次の一房を摘みながら言う。
 悔しいが、その感触は悪くない、と白井しらいは思う。
「……しかし、あれって何だったんだろうな?」
「何がですの?」
「いやだから、冷戦当時の超能力開発。実用段階の超能力研究に成功したのは、結局日本の学園都市だけだっただろ。なら、当時のアメリカやソビエトはどこから「超能力者のサンプル」を手に入れてきたんだろうな、って」
「成功ゼロじゃ税金を納めている国民に示しがつかないから、ハッタリかましていただけじゃありませんの?」
「でも、今でもたまに見るだろ。テレビとかで。未解決事件に挑む元エリート捜査官とか、そういうヤツ。全部が全部ハッタリとは思えないんだよ。少なくとも、『こういうものを目撃もくげきした』 って証言がない限り、『じゃあそれを作ってみよう』って願望は持たないと思うからさ」
「……貴方あなた、中世の錬金術詐欺れんきんじゅつさぎって知っています? 王侯貴族はみんな本物の錬金術を目撃したから錬金術はあるんだって信じたと思うんですの?」
「だー。残念ながら、俺は錬金術もUFOもニュージャージーデビルも信じている人だ」
「……、」
 白井はあきれた顔になる。まさか、チェーン店のバンバーガlにはミミズの肉が使われているとか言い出したりしないだろうか。
「じゃあ何ですの? 冷戦時にアメリカやロシアへ学園都市の技術情報の一部が漏洩ろうえいしたとでも言うんですの」
「当時はソビエトな。いやぁ、それは無理だろ。学園都市の中と外じゃ科学技術が二、三〇年はズレている。仮に情報が丸ごと外に出たとしても、進んだ暗号を解く技術がないから、どうしようもない。そこから辿たどるのは難しいな」
 当時の『外』のスーパーコンピュータじゃ、さっきの携帯ゲームのソフトも動かせないんだぜ、と坂島さかしまは笑う。暗号を解くどころか、学園都市のディスクが目の前にどんと置いてあっても、読み込む事ができないと。
「じゃあ何だって言うんですのよ?」
「いやぁ、白井ちゃん。聞いた事ない? 『原石』の話」
「……、」
「ありゃま。不機嫌ふきげんになっちゃう?」
「そりゃそうですのよ。電極や薬物を使って脳に刺激を与え、催眠暗示まで使って日々能力を研磨けんまさせているっていうのに、そんな話をされましてもね」
「人工のダイヤと天然のダイヤの違いにすぎないと思うけど」
 坂島はハサミを前髪の方へ移しつつ、
「ある一つの現象を人工的に成立させられる以上、自然界で何らかの要因が重なって実験施設と全く同じ環境が整えられた場合、人の手を借りなくとも同じ現象が起こる。ダイヤの例が気に食わないなら、スタンガンと落雷みたいな感じかな?」
「仮説ですわね」
 白井しらいは退屈そうに切り返した。
「わたくしはそういう例は見た事がありませんし、仮に実在したとしても、サンプル数は極端きょくたん稀少きしょうでしょう。それこそ、データ上では『誤差』とみなされ、集計結果上でゼロと表記されてしまうほどに」
「ふうん」
 坂島さかしまは目を細め、愉快そうに笑う。
 彼はふとハサミを止め、まるで白井を挑発するようにこう言った。
「でもさ、雷って結構頻繁ひんぱんに落ちるものだと思うけど?」
「自分の頭の上に落ちる事は、極めてめずらしいですけれどね」

第七章 ある黒幕の下準備と後始末 五月、第二金曜日

 ふらりと寄ったミラノの街で。
 人身売買組織を丸ごと一つぶっつぶしてきた。
「いや、それは分かったんだけど……」
 玄関の扉を開いた背の高い女、シルビアは、胡乱うろんひとみでその男を見つめた。
 より正確には、彼、オッレルスの背後を。
「その後ろにいるの、ナニ?」
「い、いや。あれだよ、こっちとしても組織の本拠地をぶっ横して大満足の予定だったんだけどね、なんか奥の方からわらわらと子供たちが出てきちゃって。あのまま放っておいても別の人間にさらわれるだけって危険もあったしね、つまり何が言いたいかって言うと」
「連れてきたの?」
「うっ」
「ハーメルンの笛吹きよろしく、一〇〇人近い子供達をゾロブロ連れて帰ってきたって訳?」
 シルビアの質問に、オッレルスは答えられない。
 しばしの無言。
 そして、シルビアは一度ため息をつくと、玄関の扉を閉めた。
「おおう!! 待って待って!! これがまさにベストの解答!! 何も今からこのアパートメントをおれ達の学校(全寮制ぜんりょうせい)に改装しようとは言いません!! 里親が見つかるまででよいのです!!」
「捨ててきなさい」
大雑把おおざっぱすぎる!! そんな事できる訳ねーだろこの冷血女!! 動物ぎらいのお母さんかアンタは! 困った時は手を差し伸べる、これすなわち世界の基本法則なのですよ!!」
「こんの、ほこりまみれの没落貴族が……ホントにそうならだれも苦労はしないっつぅぅんだよォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 ドバーン!! と玄関のドアが再び大きく開き、そしてドアの直撃ちょくげきを受けて香港ホンコン映画のように吹っ飛ばされるオッレルス。
 対して、シルビアは両手を腰に当ててプンスカ怒りながら、
「偉そうな事を言うのは勝手だけどね、具体的にどう養っていくつもりなんだ、ええ!? できもしない約束ばっか口にしやがって、ちょっとこっち来い!! ロープで全身をしばった上で犬小屋の屋根にまたがらせてやる!! ボンヌドダームのシルビア様を怒らせるとどういう事になるか、その体に刻みつけてくれるわーっ!!」
「ひぃぎゃあああああああああああッ!? 家庭でできるカンタン三角木馬ぁーっ!?」
 と、そんな感じでアパートメント前方にあるちょっとした芝生の上でグイグイまたを割られるオッレルスだったが、なんだかんだで一〇〇人近い子供たちを放ったらかしにする訳にもいかず、とりあえずアパートメントのビルの中へ招いてしまうシルビア。
 と、シルビアと大勢の子供達が建物の中へ去った所で、玄関のそばにある犬小屋の上に乗せられたまんまのオッレルスの元へ、子供の内の一人がトコトコと接近してきた。
 女の子は言う。
「恩返しがしたい」
「ふ、ふふふ。何もそういう見返りが欲しくて人助けした訳ではないのだよ」
 すると女の子は、犬小屋にまたがったままのオッレルスをじっと眺め、
「……そのままの方が良いの?」
「そういう訳ではない」
 木馬の上でキッパリと言い放つオッレルス。
「結局、それでは意味がないというだけだ」
「?」
したってくれるのはありがたいがね。達うんだ。束縛そくばくし、労働をいては人身売買組織と大して変わらないだろう。おれは別にそういうのは求めていない」
「でも、恩返しがしたい」
「もしも本気でそう思っているなら、いっぱしの幸福を自力で手に入れてみると良い」
 オッレルスは犬小屋に股を割られながら、至極しごく真面目まじめな表情でそう言った。
「わざわざシルビアにどつかれてまで助けたんだから、幸せになってもらいたいと願うのは当然の事だ。逆に言えば、それ以外のものを求めるのは筋違いだろう」

 しかしまぁ、そんな事を言われた所で恩返しがしたいのだ。
 借りを作ったままではモヤモヤが取れないのだ。
 オッレルスが喜ぶ事をしっかり返すためには、まずオッレルスという人となりを知る必要がある。
 次に女の子がやってきたのは、シルビアの方だった。アパートメントの大家に頭を下げまくったり、一〇〇人分の料埋ってどうやって調理すんだ? っつか毛布とか寝る場所はどうすんだ……? などと首をひねったりしていたシルビアは、女の子の質問に対してこう答えた。
「あいつは魔神まじんになるはずだった男だよ」
「?」
魔界まかいの神って意味じゃなくて、魔術まじゅつを極めた結果、神様の領域にまで足を突っ込んだ人間。そういう意味での魔人まじんだ」
 シルビアの口調はゆっくりだった。
「数多くの魔道書まどうしょの『原典オリジン』を閲覧するだけでもまともな人間なら死にかねないけど、あいつの場合、それ以上に問題だったのは魔神として振るう力があまりにも特殊過ぎたって事かな。必要な知識があっても、それを実用化するためのエネルギーがなければ意味がないからな。結局その辺は『北欧王座フリズスキャルヴ』の論文を利用して、生命力を魔力に精製する過程で『特殊な力』に変換させる事で、かろうじて事なきを得たって所か」
 仮にごく普通の魔力だけで魔神の力を行使する者がいたら、そいつは正真正銘の怪物だな、とシルビアはつぶやいた。
 み砕いて説明されたような印象はあるものの、実質的には何が何やらサッパリな女の子。そんな彼女の顔を見て、シルビアは息をく。
「ようは、だれもが夢見る素敵すてきな職業みたいなもん。メジャーリーガーとかワールドカップの代表選手とか、そういう感じ」
「……、なるはずだったっていうのは?」
「そうだ。あの馬鹿ばか野郎」
 シルビアは口汚く吐き捨てた。
「……一万年に一度あるかないかの稀少きしょうなチャンスだったのに。これを逃せば次はいつ来るか誰にも予想できないような状態だったのに。あいつ、何やったと思う? もう人助けとかじゃないんだ。傷ついた子猫を助けるために、動物病院を探して街を駆け回っている内に、そのチャンスを棒に振っちまったのさ」
「……、」
「さっさと魔神になっちまえば良かったのに。半端はんぱにしくじったおかげで、あいつは色々と厄介やっかい事に巻き込まれ続けている。……しかも、馬鹿なんだな。あるいは、感情的とでも言うべきか。あいつ、完璧かんぺきじゃないんだよ。今でもたまにあの時の事を思い出して、夜遅くに一人ぼっちでめそめそしくしく泣いている事がある」
 ふう、とシルビアは息を吐いた。
 それから、彼女は続けた。
「ただな、あいつはこう言うんだよ」
「何を?」
「今でもずっと後悔しているし、同じ場面に遭遇そうぐようしたら、次も同じ事ができるなんて保証はない。だけど、あの時は、本当にこれが一番正しい事だと思ったんだ、って」
「……、」
「まぁ、そういう事だ。基本的に馬鹿なんだな。で、その馬鹿を見ている内に、私も馬鹿みたいな考えであいつを守る羽目になった。おかげでイギリスに帰りもしないで、こんな所で半端にとどまっちまってる」

 なんとか確保した一〇〇人分の毛布にくるまって子供たちが寝静まると、疲れという巨大なかたまりに押しつぶされるような格好で、シルビアはテーブルに突っ伏した。そのままのろいの言葉を吐く。
「……アンタ、後で体中にうるしの恐怖を味わわせてやる」
「ひぃひ!? 三角木馬でまたを割られるのもアレだけど、かゆい地獄もそれはそれでキツいですよ!?」
「ま、近所の教会に預けるまでの辛抱か。……せいぜい一週間ぐらい? 毎日痒いと思うが、心をきたえる良い機会ね」
「うわお目!! もしやこれは塗りっ放し!?」
「それよりも、やっぱり『符号』した訳?」
「ああ、まぁ、『リスト』の方と一致した。ほんの数人だけだったけど。やっぱりあの人身売買組織、大小様々な個性を持った人間を取り扱っていたらしい」
「……となると、証明された訳だ」
「そうだな」
 オッレルスはポツリとつぶやくと、うーんと大きく伸びをした。
「また忙しくなりそうだ」

 恩返しがしたい、と女の子は言った。
 しかし時間は待たなかった。
 魔神まじんになるはずだった男はその日の内に街を出て、それから帰ってこない。

第八章 くノ一は突然出現するもの 五月、第四金曜日

(……それにしても、駒場こまばの野郎。おれに何かあったらお前がスキルアウトのリーダーだ、なんて何をシリアスに語ってやがったんだろ?)
 学園都市の不良少年、浜面はまづら仕上しあげがいつものように数本の針金を駆使してスポーツカーのドアの鍵穴かぎあな格闘かくとうしている最中だった。
「……浜面
 ? と、唐突に聞こえた女性の声に、浜面は作業の手を止めてあちこちを見回した。しかし、路上駐車してあるスポーツカーの近辺に人はいない。
 空耳かな、と浜面は改ゆてカチャカチャと針金を動かし始めたのだが、
「……浜面氏」
 ナニ!? なんか変な泉の精霊せいれいでもいんのか!? その辺のマンホールからドバーッと水があふれ返り、あなたが落としたのは金のスポーツカーですか、それとも銀のスポーツカーですか、そんな無茶むちゃな展開でも待ってんじゃねえだろうな!? とわなわなしている浜面だったが、
「浜面氏!!」
 唐突に、スポーツカーの真下から、整備工のようにニュッと出てくるなぞの人影。
「ふっ、ふわぅ!? 俺が落としたのは普通のスポーツカーです!! ハッ、しまった!? そもそも何も落としてねえから結局正直者じゃねえ!!」
「?」
 首をかしげながら、それでもズルゥーっとい出て来る謎の影。
 女の子だ。
 一応浴衣ゆかたを着ている女の子なのだが、大和撫子やまとなでしこ的な雰囲気ふんいきはゼロ。とりあえず黒髪なのだが前髪の辺りにチョコチョコ茶色いものが加えられ、ビーズのついた色とりどりのかんざし付きで両手のつめにはギラギラのネイルアート。片方の腕にはレースの手袋もはめてあった。足は下駄げたというよりは思いっきりサンダルの一種で、細いストラップが膝の辺りまで伸びているヤツである。何だか、片足の足首だけ金属製の足枷あしかせみたいなものまでくっついている。
 ……というか、そもそも着ている浴衣自体、その道の頑固オヤジ系職人が見たら泡を吹きそうな真っ黄色のミニ浴衣。まばゆいフトモモはバッチリ露出ろしゅつ済み、何故なぜか左腕だけがノースリーブのように肩まで肌が見えている。幅広の帯は何故か透明の素材で、浴衣のおなかの部分もそれに合わせてあるのか、浴衣のくせにおへそがバッチリ露出している。その帯の上から細い革ベルトが二本も巻きつけてあり、挙げ句の果てにやたら長いくさりまでデコレーションに使われている。
 ただでさえちゃらちゃらしているワゴンセールの不良少年・浜面はまづら仕上しあげら見ても、もうちゃらちゃらしていてどうしようもない感じなのだが、こういうのに限って浴衣ゆかたに使われている反物たんものが意外に上質で、それが余計にもったいない。
(……この格好にムカついてるって事は、意外に残ってるもんだなーおれの和のココロ)
 オリンピックかワールドカップの時ぐらいにしか表に出てこないと思っていた例のアレが、こんなネガティブな所で発揮されておどろく浜面。
 しかし今は変な郷土愛に目覚めている場合ではない。
くるわちゃんだっけ? 半蔵はんぞうのヤツなら俺も見てないけど」
「くう、先手を打たれた。しかし浜面氏でも知らないという事は、半蔵様はいずこへ……?」
「……、」
 格好どころか言動までおかしい少女だが、
(まぁ、胸がデカけりゃ何でも良いか)
 ……そうではなく、実は浜面、この郭という少女の事をほとんど何も知らない。どうやら随分ずいぶん前から悪友・半蔵のそばをウロチョロしているらしく、つい最近、ほんの一週間ぐらい前に、隠れ家のガレージで半蔵と一緒いっしょに盗んできた金庫の扉をこじ開けている所で、半蔵目当ての郭と偶然出会っただけなのだ。
 どうやら半蔵の方は郭を避けているらしく、半蔵が行方をくらませるたびに、郭はこうして浜面やもう一人の悪友、駒場こまば利徳りとくの方へ訪ねてきたりする。
(半蔵のヤツめ。こんなに胸はデカいのになぁ)
 うすい夏物の浴衣の上からぐぐっと盛り上がっている部分を眺めて、ふむぅとうなっている浜面。しかし、郭のあまりにも改造されまくった浴衣を見ていると、もう着物の一種というよりくノ一かなんかの格好に思えなくもない。
 と、そこで浜面は『ん?』と思った。
 くノ一。
 女忍者。
 忍者に追われている半蔵。
 半蔵。
「あっはっは。服部はっとり半蔵、なんちゃってー」
 思わずつぶやいてから、ないない、バッカじゃねえのハットリハンゾーって、と浜面は改めてスポーツカーに再挑戦しょうと考えたのだが、

「けっ、けけけけけっけけ消さっ、浜両氏を消さないとォォおおおおおっ!?」

「ぐえっぶ!? 極めて分かりやすい伏線である上に忍者と言うにはあまりにもドンくさそうなこの反応!! そっ、そうなのか? 半蔵はんぞうのヤツ、もしや現代まで生き残った近未来的SHINOBIソルジャーの末裔まつえいだったりすんのか!?」
 あわわあわあわとうろたえているくるわを見ていると、どうもそういう方向らしい。……っていうか、何だ忍者の末裔って。良く分からんニンポーとか使ったりするんじゃねえだろうな、と浜面はまづら得体えたいの知れないイメージを思い浮かべるが、
「あれ? でも何で半蔵のヤツはくノ一に追われてるんだ?」
「うっ!?」
「半蔵がハットリ家の人間だとしたら、郭ちゃんってどこの所属なの?」
「ううっ!?」
服部はっとり半蔵って、なんかワードだけ聞くとウルトラ重要人物って感じだもんなぁ。あれだ、忍びの一派を巡る陰謀いんぼうとかなんとかあって、半蔵はこれからミラクルバトルに突入するって寸法だな!!」
 パチーン、と指を鳴らして、思いっきり他人事ひとごとライクに友人の危機を想像する浜面。
 ところが郭は全身からダラダラと汗を流しながら、どこかおぼつかないひとみで、
「……そこまで知られた以上は、やはり生きては帰さん……ッ!!」
「うそーっ!! 安いなアンタらの世界の陰謀!!」
 頭を抱える浜面だったが、郭は割と本気で切羽詰せっぱつまっているようだ。スポーツカーはあきらめてダッシュで逃げるかな、と思っていると、郭は浴衣ゆかたの右腕―――左と違って、指先だけがチョコンと出るほど長いそでの中から、何やら黒い金属のかたまりを取り出した。
 くノ一少女、郭が自信満々に語る所によると、
「じゃーん、拳銃けんじゅうだ!! 浜面氏、お覚悟をォおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ええl……?」
「なっ、何だそのやる気のない反応!? 今は真面目まどじめな場面!! ほらほら、心の扉を閉めていないで! もっとこっち、こっち来る!!」
「だって、その、忍者なのに、良いのかよ……。拳銃とか、そういうの」
 途方もないガッカリ感におそわれている浜面を見て、ちょっと罪悪感のようなものが芽生えてきたのか、現代のくノ一少女・郭は慌てて解説に入る。
「忍びというものは、常に最新の装備で身を固めていたんだ! だからセーフ!! 戦国から江戸の世まで支えた歴戦の忍びたちだって、つえ印籠いんろうにカムフラージュした火縄銃ひなわじゅうを用意したりしたんだ!! だからセェェェーッフ!!」
「そうじゃねえんだよ。聞きたくねえんだよ、歴史の上ではどうだったとか、そういうウンチクなんて。人の夢をこわすんじゃねえ!! おれはボワンと煙が出ていっぱい分身したりするのが見たいんだ!! もううんざりだよ! そうだよ!! 勝手に変な思い込みしていた俺の方が間抜けだったんだ!! ちょっと土手まで行って泣いてくる!!」
「まっ、待って! 待ってください!! うああ、そんなにかなしそうな目で走り去ろうとしないで!!」
 離婚りこん直前の夫とすがりつく嫁みたいな感じになる浜面はまづらくるわ。チッ、今のノリと勢いで立ち去ってしまおうと思っていたのに、と浜面は内心だけで舌打ちする。
 郭の方は、そういう黒い浜面に気づいていないらしく、もう当初の目的である半蔵はんぞうの事などすっかり忘れているようで、
「わっ、わわわ分かった! 見せます! おーっし、お姉さん今から見せちゃうぞー忍法!!」
「……ええー? またテキトーな事ばっか言って」
「本当だってばっ!! ガチです、ガチ忍術!! い、いやぁ、浜面氏はラッキーだなぁ、こんなチャンスはなかなかやってくるものじゃないっていうのに!!」
 追い詰められた者特有の、半笑い+ちょっと涙目という顔の郭。え、マジで見れるのニンポー? とちょっと興味をそそられた浜面、ちょいちょいと手招きする郭にさそわれ、そのままふらふらと路地裏へ入っていく。
「む、やっぱ秘密の忍法。大っぴらにはいかねえのか?」
「それもあるけど、その、恥ずかしいし」
「は?」
 しゅりしゅり、という布のれるような音。
 その先で展開されたのは……、
「え、ちょ、待っ!? ナニ、何してんのお前!?」

「いえその、だって浜面はまづら氏がくノ一の技を見せろって言うから」
「そういう見せるじゃねえよ!! でも、だって、見えちゃうよ? 馬鹿ばか、ホントに見えるって!? ぐわぁもう!! もうお父さんは許しません! そんなに腰をひねったらお前、一体何をどうする気だ!?」
「どうすると言われれば、この辺を、こう、こういう風にして……」
「ふあああっl!? だっ、これっ、これェェェ!! その角度で来ちゃう!? もう見えるとか見えないとか、げぶるっちゃ、ふわ、ふわぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
「えい、すきあり☆」
 ん? と浜面が思った時には手遅れ。
 ゴスン!! という鈍い音と共に、浜面仕上しあげが地面に倒れる。

第九章 電子に現世の関係性は不要 六月、第二金曜日

(あそこには、『守護神ゴールキーパー』がいる。それが、ボクの戦う理由だ)
 工山くやま規範きはんはハッカーである。
 一時期フィクションの中で語られたハッカーとクラッカーの違いとか、そういうものをあんまり気にしないタイプのハッカーである。もっと簡単に言ってしまえばネット犯罪者だろうか。工山が初めてコンピュータに触れたのは小学校低学年のころ。たまたま適当ランダムにキーをたたいていたら偶然に教職員用のパスワードロックを解いてしまい、それ以降システムの穴に興味を持つ。そこから色々調べていく内に、高校生になる頃には妙な肩書きを得ていたという訳だ。
(この辺かな)
 工山は無線LANスポットを備えたごく一般的なオープンカフェの一角に腰を掛ける。『相手』に追跡されるようなヘマをする気はないし、されたとしても発信元を詐称しているので十中八九じっちゅうはっく問題にはならないのだが、どうしても自宅で『戦う』気にはなれない。
 彼は笑顔で近づいてきたウエイトレスに適当な注文を出しながら、一台のノートパソコンを取り出す。これが工山の『武器』だ。外面はメーカー製の安物だが、中身は基盤から入れ替えた全くの別物。というのも、学園都市のコンピュータはDからSまでの端末たんまつ用セキュリティランクと製造番号のようなものが刻まれていて、どんなに発信元を詐称しても、LSIに直接埋め込まれたこの番号をどうにかしないと身元を特定される危険が跳ね上がるからだ。
(柄にもなく緊張きんちょうしているな)
 本体に内蔵されているものとは別に、通信用のカードをスロットに差し込みながら、工山は思う。
(無理もないか。ボクはこれから、あの『守護神ゴールキーパー』のシステムを破るんだから)
 それは情報というより、都市伝説のようなものだった。
 学園都市の治安を守る者の中に、凄腕すごうでのハッカーがいる。彼、あるいは彼女の実力は飛び抜けていて、その知識と技術をフルに駆使して作られたセキュリティの強度も学園都市十指に入るらしい。しかし統括理事会はその実力を信じておらず、公的なシステムに導入される事はなかった。おかげで、そのハッカーの所属する小さな詰め所だけが、学園都市全域の情報を管理する『書庫バンク』よりも数段強固な防壁を築いているという、奇妙な状況を作っているらしい。
 冗談だと思っていた。
 顔も名前も分からない連中が作るのがハッカーの世界だ。世間をあおったり、あるいは自分を大きく見せるために、根も葉もない情報が横行するのはいつもの事なのだから。
 しかし、曖昧あいまいうわさは、確たる情報を持って来た。
 ここ一週間で知り合いのハッカーが数人逮捕されたのだ。そう、『とあるシステム』へ侵入を試みようとした連中ばかりが、きっちりそろって。
 実際に会った事はないヤツばかりだが、その実力ぐらいは認識している。一緒いっしょにオンラインゲームのステータスの不正改造方法について論議チャットした事があったからだ。彼らの手際てぎわから考えれば、単なる警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントの詰め所程度のシステムでヘマをするとも思えなかった。
 何かがある。
 いや、おそらくそこに『守護神ゴールキーパー』はいる。
(別に盗みたい情報があるって訳じゃない。その『守護神ゴールキーパー』とやらが気に入らないっていう訳でもない)
 学園都市の条例では、電子情報に対する不正行為は二〇年以下の懲役ちょうえきもしくは五千万円以下の罰金ばっきん。何の意味もなくみ込むには、決して少なくないリスクだが、
(ただ、ボクのマスターキーは万能でなければならない。開かない扉が一つでもある時点で、マスターキーは単なるゴミになってしまうんだ)
 負けずぎらいというよりは、不当に張られたレッテルをがすような行為。
 自由を求め、それが少しでもさまたげられる事は許さない。
 利益を求めぬハッカー、工山くやま規範きはんを動かすものは、それだ。

 工山が最初に行うのは、得体えたいの知れない方法でIDを詐称する事でも、ものすごい速さでキーをたたいてパスワードロックを解除する事でもない。
 いわゆる、ショートカットキーの割り当てだ。
(今日はコンディション3で行くかな。4とか1とかでも良いかもしれない)
 手持ちのハッキング用プログラムの一覧を参照して、自分の取り扱うプログラムを選択。後はキーボード上の余ったキーにそれらを一斉に配置し、キー一つで好みのプログラムを起動できる状態にしておく。
 工山がやっているのは、オンラインゲームで『回復して』とか『一度退くよ』とか、良く使う会話パターンをあらかじめ記録させておいて、対応したボタンを数回叩くだけで会話を成立させるようなものだ。一から一〇まで根気良く手打ちで頑張る、というのは労力の無駄むだだし、何より素早い対応ができなくなってしまう。
 欠点と言えば、あらかじめ配置しておいたコマンド以外は、手打ちにモードを切り替えて頑張るしかない事。これはほとんど『使えない』と認識しておくべきだ。なので、侵入先のレベル、侵入先でやるべき事などを考慮こうりょし、最も効率的なキー配置を組み立てる必要がある。
(何しろ相手は実力未知数の『守護神ゴールキーパー』となるとけむに巻く構図の方が無難か。慎重すぎるのはビビっているようにも見えるけど、それぐらい敬意を払うべき敵としておこうかな)
 敵をおもい、限られた手札を配置するこの瞬間しゅんかんが、工山くやまは好きだ。あるいはシステムを突破した後よりも。何か、ネットの向こうにいる見えない何者かとつながった気になれるのだ。
 ……と、そんな特殊な愉悦を払うように、近くのテーブルでガタンと音がした。工山がそちらを見ると、なんか緑色のジャージを着た胸のデカい女が腰を下ろした所だった。
「ぶひ-。ああレポート書くの面倒臭せぇ。ヘイそこのウェイトレスねーちゃん、ここって無線LAN使える? いちいち学校まで戻って提出すんのヤダじゃんよー」
(……何だありゃ)
 無線LANが使えるかどうかなんて、店の入り口に書いてあったはずだ。というか、どこで信号を拾われるか分からない無線LANを使って公式の報告書を提出しようという事自体、ハッカーの工山には信じられない選択だ。工山のように、『拾われない対策』を講じているようにも見えない。
素人しろうとが)
 コンピュータ好きに限らず、あらゆるジャンルの趣味人しゅみじんにありがちな『分かっていない人』に対する侮蔑ぶべつを込めて心の中でき捨て、工山は己の行為に没頭していく。

 ショートカットキーをあらかた配置すると、工山はいよいよ犯罪行為に手を染める。
 と言っても、別にハッカーは超人ではない。彼がやっているのは、開発者用の少々特殊なプログラムを通して、普通に検索エンジンでインターネット上にあるホームページを探しているだけだ。
 ノートパソコンのモニタには中央に『普通のインターネット画面ブラウザ』が立ち上がっており、その周辺に複数の『変な数字や記号がいっぱいスクロールしているウィンドウ』がある。ようは、表面には見えない情報を表に持って来ているだけで、これ自体も実はコンピュータ上では普通に処理されている事柄にすぎない。
 ハッカーとそうでない人の有無は、知識の差だと工山は思う。
 表には出ていない情報を、いかに多く認識しているか。金魚すくいの得意な人は、コツを知っている。ハッカーなどそんなものだ。
 り返すが、ハッカーは超人ではない。
 本来ならば、普通のパソコンの裏側で行われている処理を表に持って来ているだけだ。
(さてと。行きますか)
 『守護神ゴールキーパー』が管理する目的のシステムは見つかった。
 当然ながら一般人が閲覧できるようには作られていないが、警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントが情報交換するための窓口は用意されている。工山はそこを伝ってシステム内部へもぐり込む。
 アクセスした途端とたんに、数字や記号をスクロールさせていたウィンドウに変化があった。いくつかの文字列が赤く色分けされ、警告の記号が複数表示される。
(へえ、『リンク飛ばし』か!!)
 あるホームページに入った者を、問答無用で別のホームページへ移動させてしまうシステムだ。大抵の場合、移動先のページは『閲覧するとウィルスに感染する』とかいう極悪ごくあくなものが多い。
 おそらくこの場合、移動先は『個人情報を抜き取り特定する」ものだろう。警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントの規定上・過度の個人情報取得システムを組み込めないため、わざわざ『組織の外』に侵入者を飛ばしてから料理しようという魂胆こんたんだ。
 今回はこちらの感知が上回った。
守護神ゴールキーバー』の地雷にかかる前に気づき、迂回うかいしながらも、工山くやまは笑う。
 こいつは守る者の構成じゃない。リンク飛ばしに極悪な移動先。使っている『武器』の本来の用途を考えれば分かる通り、明らかにハッカーとして攻撃こうげきする側の構成だ。
 システムを見れば人格が読める。
 少々穿うがった方法で芸術を楽しむように・工山規範きはんの気分は高揚していく。

 と、ここでまた水を差された。
「あったあった! ここですここ!!」
 耳をつんざくような少女の声だった。工山が鬱陶うっとうしそうにそちらを見れば、報告書を書いている途中で飽きてダウンした緑ジャージの向こうのテーブルに、中学生ぐらいの少女がいた。なんか、頭に大量の花飽りをつけているのが妙に視界をチラつかせる。どうやら携帯ゲーム機の通信モードで遊んでいるらしく、
「はぁあー。ようやく速度が安定しました。……って何か知らない内に大変な事!?」
 ガチャガチャガチャ、とボタンをつぶしそうな勢いで押しまくる少女。外で『攻撃』している時には浸れないのが難点だな、と工山は適当に考えて、意識をパソコンのモニタへ向ける。

 その後もいろんなトラップがあった。
 システムを突破したと見せかけるもの、延々と同じコマンドをループさせるもの、絶対に読めない形式のファイルを強引に開かせてエラーを誘発ゆうはつさせるもの。工山の読み通り、どれもこれもハッカー側の攻撃方法だらけで、本職の彼ですら『そういう使い方もあったのか』と舌を巻くような事も多かった。
 だが、今の所は一発も引っ掛かっていない。それらが直撃する前に危険な文字列が色分けマーカーされ、工山くやま迂回うかいしながらもさらに深く切り込んでいく。
(勝ったかな)
 そう思った時だった。
 唐突に画面のはしに小さなウィンドウが現れた。『回線が切断されました』というそっけない文字。工山はいぶかしむが、無線LANの電波状況に問題はない。「守護神ゴールキーパl』のシステム側が、何らかの理由で電源を落としたのだ。
(気づかれたか!?)
 工山はいくつかのウィンドウに目をやったが、幸い、こちらの情報が特定された様子はない。おそらく『何者かの侵入はあった』事は分かったが、それが『具体的に何者か』である所まではつかめなかったのだろう。それで、これ以上泳がせるのは危険だと判断して強制的に電源を落としたのだ。
 念のためにいくつかの『回り道』をほどこし、自分の痕跡こんせきを残さないように気を配りつつも、工山の表情に深刻な色はない。
(良いタイミングだった。とりあえず、ここは引き分けといった所かな)
 こちらがあくまでも電子的な方法に終始したのに対し、『守護神ゴールキーパー』は電源を切るなどという物理的で強引な手段に出るしかなかった。つまりハックの技術では勝っていたのだ。マスターキーの性能はほぼ証明されたも同然だ。
 その時だった。
 ふと彼は気づいたのだ。
 先ほどの「回線が切断されました』という簡単なメッセージ。これは工山のパソコンで起きるのと同時に、『守護神ゴールキーパー』のシステムでも表示されたはずだ。糸電話を結ぶ一本の糸を切れば、両方とも聞こえなくなるのだから。
 となると、同年同月同日同時同分間秒で全く同じ事が起こった訳だ。

 それは……『守護神ゴールキーパー」のシステムに残るメッセージ表示日時を参考にして調べられたら、一発でヒットしてしまうという事ではないか?

「……ッ!?」
 工山の顔一面に冷や汗が噴き出す。
(い、いや、発信元を詐称するプログラムは組み込み済みだ。すぐにここが分かるはず……ッ!!)
 そう思ったが、店の防犯カメラや路上を走る警備ロボットなど複数のレンズが、まるで狙撃銃そげきじゅうのように工山へ正確にねらいを定めていた。極めつけに、工山の肩に何者かの手が乗った。振り返るまでもない。この街の治安を守る警備員アンチスキルのものだ。
「電子情報不正操作防止条例違反だ。これは任意同行じゃない。分かっているな」
 その太い声を、しかし工山くやまは聞いていなかった。
 それどころではなかった。
(待てよ。通信が切れてから、まだ三分もっていない。いくら発信元を特定できたからと言って、すぐに警備員アンチスキルが駆けつけられる訳じゃない。という事は……)
 もっと早くから、この場所は気づかれていたという事か。
 だとすれば、いつ? どこで? 何が原因で?
 と、そこでガタンという音が聞こえた。工山がそちらを見ると、携帯ゲーム機をいじっていた少女が立ち上がった所だった。頭に花飾りをつけた少女は伝票を持ってレジへ向かうと、こんな事を言った。
「うlんと、領収証をお願いします。ええ、風紀委員ジャッジメント初春ういはる飾利かざりで」
 ゲームで遊んでいただけで領収証ときた。しかし工山の表情が苦痛を受けたようにゆがむ。彼女の手にしているものに気づいたからだ。
(ま、さか……)
 通信機能のついた携帯ゲーム機。
 無線LANを利用できるのだから、ネット上でプログラムを走らせる事もできる。
 だが、
 実際問題。本当に、あんなもので、ハック専用に組んだ工山のシステムと戦えるのか。
(そういえば、あいつがここに来た時、ようやく速度が安定したとか、知らない間に大変な事にとか叫んでいたが、あれはもしかすると……)
「おい……おい、アン夕!!」
 思わず工山は少女の背中へ近づこうとしたが、逃亡すると勘違いされたのか、警備員アンチスキルに組み伏せられた。工山は地面につぶされながら、それでも少女の背中をにらみつける。彼女は振り返らない。たった一度も。
 その花飾りの少女が『守護神ゴールキーパー』であるという確証はない。
 案外、本物は回線の向こうでほくそ笑んでいるのかもしれない。『守護神ゴールキーバl』は少女の知り合いで、単に陰ながら応援しているだけかもしれない。
 しかし、
 問題なのは、少女そのものではない。
 目の前にいながら実体がつかめず、揺らぐように垣間かいま見える『守護神ゴールキーパー』の影。
 その限りなく黒に近いグレーのまま、尻尾しっぽを掴ませずに踊る背中そのものが―――。
「ハッカーだ……」
 後ろ手に手錠てじょうをはめられながら、工山規範きはんうめくようにつぶやいた。
「本物の、ハッカーだ」

第一〇章 一夜の誘いは乗るか蹴るか 七月、第一金曜日

 夏のロンドンってばフェーンだかエルニーニョだかで熱気と湿気がすごくて蒸し暑くてぶっちャけこの熱帯夜はマジ死にそう。
「……その言葉遣いは何とかならないものかな、田中たなか君」
「そうは言われても暑ちぃですよ鬼アツ」
 とりあえずピアスだけは外してきましたという感じの新入社員の言葉を聞いて、上条かみじょう刀夜とうやはげんなりとした。
「大体、一仕事終わったからみに行こうと言い出したのは君だろうが」
「だからさっきから色々回ってるじゃないすか女の子のいる店それを上条さんが片っぱしからここはダメだそこもダメだと駄々だだ々をこねるから」
「……私が既婚者である事を考慮こうりょしていないだろう? もしくは仲を引き裂きたくてたまらないんだろうこの独身者め」
「けっ。ちゃっかり通りの角で金髪ウェーブの女学生とぶつかったり盲目のシスターさんと手をつないで道案内したり転んだ拍子に縦ロールの胸にダイブした男が何言ってんすか。ていうか昨日の女の子は何だったんすか? 七月っつってもあんな薄着うすぎはねっすよ」
「いやあの子はなんか駅の近くをウロウロしていてね。迷子かと思って声をかけたんだが何だったんだろうなぁワケありなのかなぁ」
 刀夜はぶつぶつ言い始めたが、田中は聞いていない。基本的に刀夜の話は独身者が聞いてもイラつくだけである。どうしてこんなヤツがあんな若くて美人の嫁さんをもらったのだ。
「暑っちぃから呑まなきゃやってらんねーのに、店を探しているだけで暑っつくなるんじゃどうにもならねっすよ」
「もうどこでも良いから目についた店に入らないか」
「最低限、座って呑めるトコがいっすね」
 という極めてアバウトな方針を固めた二人だったが、夢遊病のように入ったお店には、意外に美味おいしい黒い色の地ビールが。小魚のフライと一緒いっしょにぐびぐびもりもり飲んだり食べたりしていると、いつの間にか知らない酔っ払いが一人追加されていた。
「だからさー。地球のために木を切らないでくださいって言われたってさl、木を切らなきゃお給料もらえなくて家族を守れないのよ。そんな人たちにいきなり性善説のエコトークした所で聞いてくれるかっての。人間を動かすのは欲! 欲なのよ! つまりだね、環境を守るためには、木を切らなくても家族を守れる仕組みを作らなきゃなんないのよ馬鹿ばか野郎!!」
「……ええと、だれでしたっけ?」
「ん?? 御坂みさかだよ、御坂旅掛たびがけ。やっぱりフライはアジだな。子供のアジをいっぱいっちゃうのはちょっと気が引けるけど、でもやっぱりうめー」
 自己紹介しながら、人のたのんだ小魚のフライへ勝手にフォークを伸ばす御坂さん。見た目は黒塗りの高級車が似合いそうなダンディ紳士なのだが、どうも地ビールのアルコールにやられてべろんべろんになっているようだ。
「大体さ、木を切れ木を切れって大声で叫んでる木造住宅ラブの日本人がだよ、アマゾンの業者に対してアナタタチハマチガッテルYO! なーんてどの口で言ってやがんだバーカ! 何が地球温暖化への警鐘けいしょうだ、テメェの家のエアコンを切らないどころか温度設定も変えないような奴等やつらが善人ぶりやがって! 悔しかったら木を育てる事でみんなを守れる制度を作ってみろっていうんだちくしょ-う!!」
「ちょ、ちょ、上条かみじょう先輩、この酒くさいヒト一何なんすか?」
「……ところでお宅ら、なんのお仕事してんの?」
「いやオレたちは親会社に対する買収なんかを防止する対策室に勤めていて」
「あ、ナニ? シャチョーさん!? おいおいちょっと待て、おれは世界に足りないものを示す人でな。今ちょっとアマゾンが熱いんだけど俺の話を聞いてかないかなぁなぁ?」
 そんな感じでぎゃlぎゃーさわいでいると、奥の方のテーブルからため息が聞こえてきた。騒

ぎすぎたかな、と刀夜とうやがそっちを見ると、何やらぴっちりしたスーツを着た金髪碧眼へきがんのレディが。本人にそのつもりがあるのかどうかは不明だが、薄暗うすぐらい照明の下で一人きりでんでいる姿といい、物憂ものうげな表情といい、なんかそこはかとなく桃色なオーラが漂ってきそうな人だった。
 と、今まで御坂みさかさんにからまれていた田中たなかが、バキーンと背筋を伸ばして反応。
 まずいいつものくせだ、と刀夜が思う前に、田中がこう言った。
「ちょっと声をかけてきます! かけてきますったらかけてきます!!」
「やめなよ二秒で玉砕するよ」
 はっはっは、と笑っていた刀夜だったが、ふと御坂さんがこんな事を言った。
「いや、あのねーちゃんなら大丈夫だいじょうぶだよ」
「?」
 刀夜が不思議そうに御坂さんの顔を見ると、彼はつまらなさそうな表情で、

「だってあれ、娼婦っぽいし」

 ばぶーっ!! というとんでもない効果音と共に刀夜と田中が同時に吹き出した。刀夜はポケットから取り出したハンカチで突然顔に出てきた変な汗をぬぐいつつ、
「い、いや、それは大丈夫なのかね駄目だめなんじゃないのかね法律とか全くけしからん!」
「だってここ日本じゃないし」
 言われてみればその通りだった。
 と、そこで田中が紳士的な顔つきになると、何やら胸の内で決意を固め、それからすっくと立ち上がった。
「勝った」
「何にだ!?」
「ふふ、上条かみじょうさん。既婚者のアンタはここで動けまい! だが独身で彼女ナシのおれなら違う!! ここは俺の完全勝利って事っすよ!! ははは気持ち良いなぁいつも若くて美人な奥さん見せつけられている分は全部ここで取り返してやるlっ!!」
 そんな事を叫びながら店の奥のテーブルへとダッシュする新入社員の田中君。近づいてきた東洋人に胡乱うろんひとみを向けた妙齢みょうれいの美女に対し、彼は前置きどころか挨拶あいさつもなしに、いきなり直球でこう尋ねた。

今夜いくらハウマッチ!?」

 その瞬間しゅんかん、金髪碧眼のナイスバディは椅子いすに座ったままグーを作ると、それを思い切り真横へ突き出した。ズドン!! という鈍い音と共に、ちょうど田中たなか股間こかんにめり込む鉄拳てっけん。今日の田中君はくの字のちダウンするでしょう。思わず顔をおおった刀夜とうや御坂みさかさんの元へ、田中は歩く事もできず床をいずり戻ってきた。
 そして田中はこう叫んだ。
「たっ、ただのOLじゃねえかこの酔っ払い!!」
「あれー? おっかしいなぁ、絶対に娼婦だと思ったんだけどなぁ」
 御坂さんが呑気のんきに言うと、妙齢の美女はこっちをキッとにらんできた。どうやら日本語が通じるらしい。何故なぜか刀夜がペコペコ頭を下げる事に。
 肝を冷やした刀夜は、追加のビールをのどに通してごまかしながら、
「大体だね、私|達みたいな平凡な企業戦士がそんな冒険をしようと思っちゃダメなんだよ」
「そんなモンすかねー」
「ロンドンなんて洒落しゃれた街の片隅にある場末の酒場で娼婦に声をかけようなんてさ、もう見るからにキケンがいっぱいじゃないか。漫画に出てくるトラブル主人公だって、そんなロープ切れかけのり橋には向かわないって」
「おっ、そーだ。あんた達は『原石』って知ってる? なんか学園都市とは違う方式のさー」
 酔っ払った御坂さんが何か言っていたが、刀夜は取り合わない。
「だからどっかのトラブル体質みたいに変な事には首を突っ込まない事。慣れない事をやっても事件を招くだけだって。さもないと、あれだよ。なんか普通では考えられないようなトラブルに巻き込まれたりするんだよ。……ウチの息子を見てごらん。笑い話にならないのが怖いんだから」
「でもねーほら出会いがねー求めるとねーやっぱり冒険しないとねー」
「だからってギャンブルする必要ないって。若いんだろう。平凡な出会いにしときなさいって」
「平凡な出会いってなんすかもー美女と出会うのがすでに平凡じゃねっすよやっぱアンタはどうかしてんじゃないすかおのれ殴りたい」
 あははあははと笑っていると、不意に刀夜のそでがちょいちょいと引かれた。ん? と刀夜がそちらを見ると、そこには妙に薄着うすぎな、女性と一〇代後半ぐらいの少女が立っていた。彼女は何も言わない。ただ刀夜の目をじっと見ている。
だれすか?」
「ほら昨日会っただろう君いなかったっけ駅の辺りでウロウロしてて迷子になってるのかなって声を、かけたん、だけ、ど……」
 言いかけた刀夜の言葉が、途中で消える。
 彼はその少女の妙に色っぽい顔つきも、薄い布地からくっきりと浮かび上がる女性らしいボディラインも見ていない。彼の視線は、ただなぞの女性の右手の辺りに向けられているだけだ。
 細い手首にはキラリと光るものがある。
 そこにあるのは腕時計でもブレスレットでもない。
 手錠てじょう
 そしていかにも頑丈そうなアタッシュケース。手錠のもう片方はその取っ手に接続済み。
「おっ」
 しばらく置いてきぼりだった御坂みさかさんが、ふと指を差してこう言った。
 極めつけに。

めずらしいな。『原石』じゃん」

 いきなり放たれた不穏ふおんなぞワード。
 いやな予感がしたと同時に、ドバン!! と店のドアが蹴破けやぶられた。
 そこから現れる謎の黒服集団。
 しかし最も危険だったのは彼らではない。

キュガッ!! と。
 何だかとんでもない音と共に、一撃いちげきで黒服集団をぎ払った女の子の方だ。

「危険域に巻き込まれた者よ」
 一〇代後半の少女は振り返らず、静かに語る。
厄介やっかいな問題にかかわってしまったようだが、もう大丈夫だいじょうぶ。私がそなたの命を保証する」
 そんな事をいちいち聞いている上条かみじょう刀夜とうやではない。
 マッハで店の裏口から消える刀夜。こちとら経営戦略一つで南米の紛争地域にも出張ひとっ飛びというグローバルな企業戦士。その生存本能をなめるでないわ。そしてきっちりちゃっかり彼と一緒いっしょに逃げていた新入社員の田中たなか君と大声でののしり合う。
「ほらなーっ!! 私の言った通りじゃないか! 私たちみたいな平凡な企業戦士が変な背伸びとかしちゃダメなんだよ! こういう普通じゃない事を呼び込むから!! だからキケンがいっぱいだと言ったんだ!!」
「でも最終的にトラブル運んできたのは上条さんすよね!? だからこの人ヤバいと思ったんだ! 行く先々で一体どれだけ美味おいしいトラブルに巻き込まれてんだ奥さん泣くぞ!!」
「実はあの女の子は無関係で、君が声をかけたOLが謎組織のボスの愛娘まなむすめだったとかいう説はどうだろうか?」
「だとすれば話の持っていき方次第では素敵すてきなラブコメになりそうすけど、ほら。きっちりあの子ついてきてますよ」
「ちくしょう元凶確定!?」
 後ろを見れば手錠てじょう&アタッシュケースのなぞ少女。
 彼ら企業戦士はこれからとんでもないトラブルにさんざん翻弄ほんろうされた挙げ句、最終的には無人で空を飛ぶセスナ機を爆破して死んだふりをする訳だが、それにあたって言っておく事がある。
大丈夫だいじょうぶだ!! 私たちが力を合わせれば、きっと何とかなるさ!!」
駄目だめだ! 具体的な勝ち目が全くねえ!!」
「ハハハ母さんとくっついた時はこんなモンじゃなかったからなぁ!!」
「駄目だ! この状況でのろけやがった!!」
 そんなこんなでロンドンの刺激的な夜がけていく。

第一一章 例外はどんな分野にでもある 七月、第二金曜日

 昼休みも終わってだれもいなくなったはずの食堂で、女の子がお昼寝をしている。
「おい。オイってば。目立ってるぞ、お前」
 たまたま通りかかった男の教師が思わずそんな事を言ったが、白系の半袖はんそでセーラー服を着た少女の方は答えない。食堂にある椅子いすを三つ四つ縦に並べて、その上でグダーッと寝転がっている。
 いつまでっても教師の方が立ち去らない事を確認すると、ようやく少女はいかにも眠そうな、とろんとしたひとみをそちらへ向ける。
「……保健室のベッドが最高だったんだが、あそこはすぐに追い出されるから」
「お前、学校生括ってものをナメているだろう?」
「いやいや。断言すると、私は今の生活を愛してるけど」
「確かに楽しそうには見えるが、お前が満喫しているのは学校生活なんかじゃない。お前、そもそも何年何組に在籍ざいせきしているんだ。今から担任の先生を呼んでくるから―――」
 と、言いかけたその時、唐突に携帯電話が着信音を鳴らした。男の教師は面倒くさそうに通話ボタンを押したが、第一声を聞くなり背筋がズビシ!! とぐになる。
 はい、はい、すぐに伺います、と思いっきり敬語で電話を切った男の教師に、少女は眠そうな顔のまま、退屈そうな調子でこう尋ねた。
「急用みたいだけど」
「クソッたれ。すぐに代わりの先生を呼んでくるからな。すぐだぞ?」
 なんというか負け惜しみのような台詞せりふきつつ食堂から出ていく男の教師。廊下は走るなよ、と少女が口にした所、めずらしく怒鳴り声が返ってきた。
 切羽詰せっぱつまっているな、と適当な感想を思い浮かべた少女は、食堂から誰もいなくなるのを確認すると、寝転がったままテーブルの上にあった携帯端末たんまつに手を伸ばす。
 回線はすでにつながっている。
 あふぁ……と小さく欠伸あくびをしながら、少女は端末に向かってこう告げた。
「そろそろ始めるけど。ご老体」
『何をだ?』
不穏ふおんな会話だけど」

 少女の名前は雲川くもかわ芹亜せりあという。
 そして携帯端末たんまつの向こうにいる老人は貝積かいづみ継敏つぐとし
近頃ちかごろ、『外』がさわがしいようだけど」
『相変わらず、どこから情報を拾ってくるのやら。……「原石」の話だな?』
「幸せを自覚しろ。お前のブレインはこんなに優秀だけど」
『少々会話が脱線するのが玉にキズだがな』
 貝積は普段ふだん、秘書や部下の前では見せないようなため息をつきつつ、先を促す。
『どう思う?』
「放っておけ。ヤツらには何もできんよ」
『……その言葉を報告書に書いて、納得する馬鹿ばかがいるとでも思うのか?』
「はぁ。お前もよくよく小市民だけど」
 雲川は寝転がったまま、つんつんと細い人差し指の先で自分のこめかみをつつきつつ、
「仮にも学園都市の首脳陣、一二人しかいない統括理事会の正式メンバー様が、報告書に書いて納得してもらう? ちょっとにらめば周囲の文句などまとめて封殺できるけど」
『お役所仕事はそんなに楽ではないよ』
「そのポストをお役所仕事と言う辺りは、なかなかの大物だけど」
 雲川は言いながら、テーブルの上にあるコンビニ袋へ手を伸ばす。中に入っているのは、ホイップクリームやフルーツなどが詰まったデザートみたいなサンドイッチだ。
「仕方がない。ちょっとは真面目まじめに考えるけど」
『しゃべるのは口の中の物を飲み込んでからだ』
「例の『原石』の話だけど」
 寝転がったままサンドイッチを頬張ほおばり、雲川は適当に続ける。
「確かに、リストの作成は出遅れている。我々学園都市がリストを作っている事を、アメリカやロシアの連中がぎ付けたんだろうけど。ヤツらは協力を拒みつつ、独自に自国内のリストを作成し始めている。このままでは『作業』に支障をきたすかもしれんけど」
『……その内容をどうまとめると、「放っておけ。ヤツらには何もできんよ」につながるんだ』
「まだ話は終わっていないんだけど」
 雲川はそっけない調子でこう言った。
「今回、我々が抱えている懸案けんあんは、世界各地に散らばっている『原石』の問題を効率良く『つぶす』事だと思っているけど?」
『そうだ』
「お前たち懸念けねんしているのは、『原石』を他機関の手によって解析され、学園都市以外の超能力開発機関が生み出されてしまうかもしれない、という事だったけど」
『そうだ』
「なら、問題はないけど。今の所動いているのは、アメリカとロシアか。ふふん、冷戦当時に失敗して、いまだに夢を捨てきれずにいるか。だが、ヤツらに研究は成就じょうじゅできんけど。いくらサンプルをそろえた所で、彼らはそのデータの意味する所を理解できんのだからな」
何故なぜ言い切れる?』
 貝積かいづみはわずかに怪訝けげんな調子になった。
「ロシアの研究所の話だけど。の国の最先端さいせんたん技術の結晶として生み出された『実用化された超能力者』とやらは、マリアの名を呼び執心に祈ると特殊な力が発動するんだそうだ。……まぁ、私は別段宗教を否定するつもりはないし、そういう精神集中法と言われればそれまでの話だけど……言いたい事は分かるか。ヤツら、何のために『科学的な』研究施設を建造した? 何が不思議で何が不思議じゃないか、自分たちが追い求めている不思議はどういう種類の不思議なのか。その辺の区別もつかんまま『ひとまとめ』で取り扱っている内は、我々には追い着けん」
『……、』
「人間の技術など、いずれはだれでも追い着けるものだけど。ただし、どの道に進むか、そのレールすら見えていないヤツには何もできん」
 雲川くもかわ芹亜せりあはつまらなさそうな顔だった。
 不味まずい茶でも飲んだように、眠気も少しずつ取れてきたようだ。
「まだ納得できんか?」
『当たり前だ。君の意見には確証がない』
「それなら、お前が自分で確証を用意すれば良いだけだけど」
 雲川の口ぶりは、いつも通りそっけない。
「どうせ、自称開発機関なんぞいくらでも出現するけど、『原石』の数は世界でも稀少だ。総数は五〇程度か。……奇怪な学者どもと違って、『原石』はポコポコいてくるという訳でもないけど。たかがクラス二つ分にも満たんイレギュラーと、虫のように湧く変人ども。どっちに重点を置いて対処すれば良いかは分かるな」
『……やはり、そういう結論になるか』
「私は必要のある行為とは思えんが、お前が納得せんと言うなら仕方がないけど。書類が増えるのは我慢がまんしろ。ブレインとしての私が言えるのはここまでだけど」
 しばし、沈黙ちんもくがあった。
 やがて、貝積はこう言った。
『「原石」とは……一体何だ?』
「その質問は、学園都市の科学かぶれにやられた人間の台詞せりふだけど。自分の手でしか超能力者は作れないものと、最初から決めてかかっているけど」
『いや、理屈の上では理解できる』
 貝積かいづみは慎重に言葉を選んでいるようだ。しかし、それを雲川くもかわに知られている時点で失敗だ。ブレインとして彼女を雇っているのなら、頭の良いふりなどしなくても良いのだ。
『学園都市が作っているものは人工のダイヤであり、それと全く同じ環境が自然界で整った場合、天然のダイヤが生み出される事はな。……その上で質問しょう。「原石」とは、何だ?』
「……、」
『学園都市にも、何人か素体がいるな。例えば、「吸血殺々ディープブラッドし」や「幻想殺々イマジンブレイカーし」。……とてもではないが、まともな能力とは思えん。発火や発電などといった「発現しやすい能力」とは、完全に方向性が違うように感じられる」
馬鹿ばかが、馬鹿なりに悩んでいるようだけど」
 ふん、と雲川は鼻から息をいて、それから答える。
「お前が原理の解明に躍起やっきになっている学園都市第七位も含めて、それがヤツらの特性なんだろうけど。力が強いのではなく、とにかく稀少きしょう。そういう意味では、我々にとってもある程度の価値はある訳だけど」
 単にめずらしいだけで、現実に使い物になる能力者は少なそうなのがネックだがな、と雲川は心の中で付け加える。
「それから、曲がりなりにも学者であるお前に、ブレインとして助言しておくけど」
『何だ?』
幻想殺々イマジンブレイカーしについては、単に『原石』というカテゴリにまとめない方が良いけど。……詳細は分からんが、あれはきっと……我々が考えているよりも、もっともっと面白おもしろいものだろう」
『―――、』
 貝積継敏つぐとしは、わずかに声を詰まらせた。
 このブレインが『分からん』と言った。その意味を、少しだけ考えたのだろう。
『……楽しそうだな』
「当然だけど。考える事が、私の仕事だから」

 ホームルームが終わると舞台は放課後へ。部活へ行ったり街で遊ぶために、わらわらとあふれる学生たちに混じって、黒くてツンツンした頭の少年が歩いていた。
 しかしこの少年、どうにも不幸であるらしく、今日も何故なぜだか何の前触れもなく彼の頭上にあるスプリンクラーだけがピンポイントで誤作動開始。まるで演劇のスポットライトのように一人雨祭りを満喫する少年が、『ふばぁーっ!?』と奇怪な叫び声を発する。
 そこへやってきたのは、白い半袖はんそでセーラー服をまとった一人の少女だ。
 彼女はびしょれのツンツン頭の少年のそばまで来ると、特にタオルやハンカチを貸そうともせず、ただ単純にその場でけらけらと笑いながら、

「相変わらず、お前は意味不明な事になってるけどなぁ」
「……うっさいな。どうせおれは不幸なんですよ」
「どういう理屈なんだろうな、その不幸。詳しく調べてみると面白おもしろい法則でも見つかるかもしれんけどな」
「っつーか、楽しそうですね先輩」
「楽しいよ。これでなかなか、私は今の生活を愛してるけど」
 くすくすと笑いながら、彼女は続けてこう言った。
「この学校は、いろんな刺激にあふれているから」

第一二章 狙撃手と爆弾魔による討論 七月、第四金曜日

 今から三日前の事だ。
 狙撃そげきなんて古臭ふるくさい、と正面から言われた。
「……、」
 曲がりなりにも雇われのスナイパーとして日々の生活費をかせいでいる砂皿すなざら緻密ちみつとしては閉口するしかない。しかし銃身の中にまったわずかなすすを落としている彼の前で、その女はさらに話を続ける。
「っていうか狙撃って無駄むだが多くないですか? 五ミリとか七ミリとか、こーんな小っちゃな弾を使って頭とか胸とかねらうなんて、無駄じゃないですか無駄。ちょっと風が吹いたら弾道はれるし、標的がくしゃみをしただけで失敗するし、防弾装備で身を回めていたら一命を取り留めるリスクがあるし、だから無駄じゃないですか無駄」
「……、」
 長身の女だった。ガッチリした体格の砂皿よりも、さらに高い。その上細い。モデル体型とでも言うべきかもしれないし、それなりに整った顔立ちの美女でもあるのだが、彼女はこの仕事とは相性が悪い。あまりにも華がありすぎて、身を隠す上で障害となりかねないのだ。
 身を隠す、とは何も迷彩服を着てジャングルの中で息をひそめる事だけではない。
 例えば大都市圏での狙撃の場合、人混みにまぎれて高所へ向かい、狙撃完了後も人混みに紛れてこっそりはなれる。そういった事に向いていないのだ、こいつは。
 ステファニー=ゴージャスパレス。
 暗殺者なんてやっていないで、素直に舞台にでも立ってりゃ良いのに、と砂皿は思う。
「んー? 砂皿さん、もしかしてスネてませんか」
「……スネてなどいない」
 ボソッとした声で応じる砂皿。
「ただ、同業として尋ねておこう。狙撃以外の方法で、この状況をクリアできるか?」
 砂皿は綺麗きれいに汚れをぬぐい取った銃身をカチャカチャと組み直しつつ、テーブルに広げられた図面をあごで指した。典型的な悪党と、それらを取り巻く護衛たちの配置図だ。
華僑系かきょうけいグループを相手に超能力詐欺さぎを行った馬鹿ばかどもだ。確か、出資さえしてくれれば学園都市とは違う方式の超能力開発機関を稼動かどうできるとかいう宣伝文句であちこちから金を集めていたな。貴様はこいつをどうやって仕留めるつもりだ」
 刃物を持って突進すればどうにかなる相手ではないし、車体に爆弾を取りつけられるほど間抜けな連中でもない。一番手っ取り早いのは、建物から防弾車に乗り込むまでの数十秒の間に、眉間みけんに鉛玉をブチ込んでしまう事だと砂皿すなざらは思うのだが……。
「違いますからね? 別に私は、狙撃そげき全般が時代遅れとか言っているんじゃないですからね? 私が言っているのは砂皿さんみたいな狙撃用のライフルを使うのが古臭ふるくさいと言っているだけで、何もあらゆる狙撃行為を全否定している訳じゃないですからね」
「……、」
「やっぱりスネてません?」
 スネてはいない、と砂皿はき出しの機関部にカバーを取り付け、今度は照準装置の方へ手を伸ばす。
 ステファニーはそんな砂皿の様子を観察しながら、こう言った。
「別に狙撃をするからと言って、鉛弾を使わなくっちゃいけないというルールはないんじゃないですか。今の時代にはいろんな武器があるんだから、そっちを工夫したってよくないですか」
「つまり、何が言いたい?」
「ぶっちゃけ、ミサイルランチャーとかの方が簡単じゃないですか?」
「……、」
「なっ! 砂皿さんが邪道って顔をしてる!! あのねあのね、でも簡単じゃないですか。狙撃だったらちょっと急所から外れただけで失敗しますけど、ミサイルなら大雑把おおざっぱに着弾させれば、後は勝手に爆風が標的をぶっ殺してくれるじゃないですか!? 防弾装備で身を固めていようがお構いなしなんだから、絶対に楽だって!!」
「……、ふん」
「鼻で笑ったーっ!? ライフルの狙撃は頑張っても一〇〇〇メートル程度でしょ。でも、ミサイルなら五倍以上の距離きょりからねらえなくないですか? 作戦の幅が大きく広がるってもんじゃないですか!?」
「まぁ、良い。貴様の仕事だ。自分で調達したモノでこなせば良いだろう」
 言われんでもそうします!! とステファニーは鼻息を荒げながら、新製品らしき、眉でかつぐ方式のミサイルをジャキーンと取り出す。どうやら精密性と飛距離のため、対戦車用ではなく地対空のランチャーを選んだらしい。……地上の目標を攻撃するくせに、だ。
「……とことん邪道だな」
「良いんですっ! 標的さえ確実にぶっ殺せれば!!」

 というのが、おおよそ三日前にあった会話の全貌ぜんぼうで。
 今現在、ステフアニー=ゴージャスパレスは砂皿緻密ちみつの前でめそめそしている。
「……失敗したな」
「違いますから」
「……ニュース番組では、思いっきり奇跡の生還とか報道されているな」
「だから違いますから!!」
 ステファニーはテレビのリモコンを奪うべく、砂皿すなざらに飛びかかりつつ、
「きちんとミサイルランチャーで吹っ飛ばしたんですよ! 護衛の男達ごとまとめてドカンと!! 撤退てったいも含めて完璧かんぺきだったんです!! でも、あいつらは死体を隠して、標的が死亡したという事実を隠して、ああいう風に報道しているんですからねっ!! アンフェアじゃないですか? これで報酬ほうしゅうが出ないなんて契約違反じゃないですかーっ!?」
「……だから、ミサイルなんて大雑把おおざっぱな方法はやめろと言ったんだ」
「言っていませんからね!? 砂皿さんはそんな優しい台詞せりふは一言たりとも!!」
 砂皿はおそいかかるステファニーをひらりひらりとかわしながら、リモコンを使ってチャンネルを変えていく。どこの放送局も、大体流している内容は似たようなものだ。
「全員まとめて吹き飛ばしたのがわざわいしたな。手っ取り早く『死体』を提示してしまえばごまかしようがなかったものを」
 はぁ、と砂皿は疲れたような息をいて、
依頼人いらいにんからすれば、実際に標的が生きているか死んでいるかは関係ない。ヤツが『社会的に生き残っている』状態が維持されてしまうのではな。だから、あらゆる意味で『確実に殺す事』が、暗殺者に求められる技量なのだが」
「……、えへ」
「我々がわざわざ警備の厳重なパレードの中にもぐって、衆人環視の中で眉間みけんをブチ抜くのはそのためだ。言い訳をさせないためには、中途半端はんぱ損壊そんかいの方が良い。特に頭をはじくのが一番分かりやすくて効果的だ。古臭ふるくさい方法が現代でも好まれているのは、それだけ有効な手段であるからだ。まったく、間抜けにも程があるぞ」
 砂皿はリモコンをその辺に投げた。密着してくるステファニーを、腕を使って遠ざけつつ、砂皿は言う。
「貴様、どうする気だ?」
「へ? どうするとは?」
「……こうしてド派手に失敗したんだ。この状況で『社会的には生きている』標的を殺し直すのは極めて難しいだろう。ある意味、生存時よりも厄介やっかいな状況を作り上げてしまった訳だ。依頼人から逆恨みされるには十分な理由だな」
「うげ」
「何も考えていなかったのか。もはや、間抜けを通り越して馬鹿げかだな」
 ようやくオロオロあわあわし始めたステファニーを見て、砂皿はため息をついた。それから、テーブルの上に置いてあった狙撃銃そげきじゅうのケースをつかむ。
「行くぞ」
「ハッ、もしやタカトビですか!?」
依頼人いらいにん華僑系かきょうけいだから国境は関係ない。生き残りたければ、やはり標的を殺し直すしかないだろう」
「?」
 首をかしげるステファニーに、砂皿すなざらはテレビの画面をあごで指した。
「どこかのライターが原稿を作って演技しているものだと思っていたが、それにしては本人の個性に説得力がありすぎる。……やはり、生きているとしか思えん」
「えー、でも」
「きちんと死体がはじける瞬間しゅんかんを確認したか? 本当に爆破したのなら、影武者かもしれん。とにかく標的はこのさわぎに乗じて裏の世界の連中には死んだと推測させ、これ以上追っ手が来るのを防ごうとでも思ったのだろう」
「えーっと、もしかして……チャンスじゃないですか?」
 ステファニーの言葉に、砂皿は同意してから、
「良かったな。半端はんぱ極まりない未熟な腕のおかげで生き残る機会を得て。自分の殺しに確証の持てん殺し屋など、浮気にキレて重たい灰皿を振り回す主婦より低俗だ。私なら、どんな状況であっても爆薬で死ぬ事だけは絶対にありえない」
「うおおーっ!! 砂皿さんがいつになく辛辣しんらつだーっ!?」
 当たり前だ、と砂皿は心の中でき捨てる。
 何しろ、これから馬鹿ばからした後始末をするために、報酬ほうしゅうゼロの狙撃そげきおもむかなくてはならないのだから。

  第一三章 彼女達の集団的占いの精度 八月、第期金曜日

 学園都市第七学区にある病院には、全く同じ顔をした少女たちが一〇人ほど入院している。とある超能力者レベル5の体細胞を利用して作られた軍用クローン『妹達シスターズ』。薬品などを使い強引に成長速度を速めた結果、縮んでしまった寿命を克服するために、怪しげな医者の手によってあれこれ『調整』がほどこされている訳である。
 彼女達の具体的な格好は、白い肌、茶色いひとみ、同色の短い髪、常盤台ときわだい中学の夏服である灰色のプリーツスカート、白いブラウス、ベージュのサマーセーター、といった所か。別にクローンだからと言って服装まで統一する必要はない訳だが、彼女達の精神をつなぐ脳波ネットワークの影響えいきょうか、あるいはクローン作製時の人格設定を均一にされたせいか、彼女達はそろいも揃ってそんな感じになっている。
 現在、彼女達がいるのは病院内では臨床研究エリアなどと呼ばれている場所だ。特に立入禁止にされている訳ではないのだが、病棟と主要施設を繋ぐルートから大きくはなれた所にあるため、自然とだれも近づかないようになっている、不可思議な場所である。
 ミサカ一〇〇三二号、一〇〇三九号、一三五七七号、一九〇九〇号の四人がぼけーつと突っ立っているのは、そんな臨床研究エリアの廊下の片隅に設置されている、小さな待合所だ。おざなりなソファとテーブルに、暇潰ひまつぶし用の雑誌だけが何冊か、マガジンラックに差し込んであるだけの場所。四人のクローン少女達はその中から一冊を抜き取り、とあるページを開いたまま、じ――――――――――――っと凝視ぎょうししている。
 占いコーナーである。
 本格的な(?)オカルト系のものではなく、どんな雑誌の片隅にでも載っていそうな、お寿司すしのガリみたいな占いコーナーだ。一ページを一二等分した上で、各星座の幸不幸、健康、金運、恋愛などの簡単なパラメータと、ラッキーカラーやアイテムなどが簡単に記されている。
「ミサカの製造年月日を、ギリシア系一二宮の分類に当てはめてみると……」
 一〇〇三二号……とあるツンツン頭の少年から『御坂みさか妹』などと呼ばれている少女が、自分の星座の辺りへ目を向けると、
『今月のアナタは、ザ・転職のチャンス! 日頃ひごろお世話になっているいやな上司とおサラバするなら今!!」
「……、」
 軍用量産クローンの彼女にとっては転職もクソもない。一〇〇三二号はわずかに首を斜めに傾ける。
 他の『妹達シスターズ』もおおむね似たような感想を抱いているらしく、各々おのおの々の製造年月日に合致する星座のらんを読んだり指でなぞったりしながら、
「本当にこのような不確定情報でミサカたちが利益を得るのですか? とミサカ一〇〇三九号は疑問を口にします」
「このラッキーアイテムというヤツは、具体的にどのような形でミサカに幸福を運んでくるのでしょう、とミサカ一三五七七号はとりあえず猫のキーホルダーを探してみます」
「こ、今月の恋愛運がマイナス五というのが納得いきません、とミサカ一九〇九〇号はやり直しを要求します」
 何やら一九〇九〇号だけが微妙にごにょごにょ声だが、そんなものを気にする少女達ではない。と、そこで一〇〇三二号が何かに気づいたように、ハッと顔を上げた。
「……そもそも、ミサカ達は一体いつから生まれたとするべきなのでしょう、とミサカ一〇〇三二号は根本的な定義設定の再確認を行います」
「?」
「確かに培養機材から取り出されたのはこの製造年月日で会っていますが、ミサカ達は満〇歳ジャストで容器から取り出されたのではなく、薬品などを使い肉体年齢一四歳まで成長してから出荷されたはずです、とミサカ一〇〇三二号は長ったらしい補足説明を加えてみます」
「となると、それは人間で言うお母さんのお腹の中で一四年ほど成長した後に、ようやく出てきたようなものなのですね、とミサカ一〇〇三九号はとなりのミサカの話にノッてみます」
「……いえその、どれだけ成長しようが、お母さんのお腹の中から出てきた時がジャスト誕生日という事でオーケーなのでは? とミサカ一三五七七号は反対意見を発信してみます」
「いえ、ミサカ達は成長段階に応じて複数の機材の間を行ったり来たりしていたはずなので、その場合はどういう分類になるのでしょう、とミサカ一九〇九〇号は頭の中を?だらけにしてみます」
 ごにょごにょぶつぶつひそひそ、と話し合いを続ける『妹達シスターズ』は、
「あるいは、ミサカ達の発生を記念するべき日時は、ミサカ達のDNAマップを元に立案された製造計画に許可が下りた日かもしれません、とミサカ一〇〇三二号は別案を出してみます」
「それは人間で言うと、お父さんとお母さんが性交セックスした日に相当するのでは? とミサカ一〇〇三九号は反論してみます」
「というか、性交セックス以前にお父さんの体の中で精子が作られた日に相当するのでは? とミサカはさらに時をさかのぼってみます」
「ぶふぃー、とミサカ一九〇九〇号は一連の会話に対してとりあえず驚愕きょうがくあらわにしてみます」
 ツッコミ機能まで自分達で処理してしまう『妹達シスターズ』。
 さらにミサカ一〇〇三二号はこめかみの辺りを指でコリコリこすりながら、
「……というか、ミサカ達の製造計画は『量産能力者レディオノイズ計画』と『絶対能力レベル6進化シフト計画』の二段階に分かれていたはず、とミサカ一〇〇三二号はさらに頭をこんがらがらせてみます。一体どちらの計画が受理された時を参考にするべきなのでしょう?」
「それはまぁ、何事も早い方を参考にすればよいのでは? とミサカ一〇〇三九号はアバウトに自らの予測情報を述べてみます」
「厳密には超能力者レベル5の完全体を目指した前者と実験素体の量産を求めた後者では性質が異なるため、その辺の定義付けは少し面倒かもしれません、とミサカ一三五七七号は横からコソッと混乱を促します」
「そういえば、ネットワークから寸断された天井あまい亜雄あお00000号フルチューニングは今どこで何をやっているんでしょうね、とミサカ一九〇九〇号は新たな伏線を投入してみます」
 えい、星座なんか分からん、という結論に達した四人の少女たちは、自分の力で運命を切り開こうというポジティブな意見を手に入れかけたのだが、
「……ミサカはこんなものを発見してしまいました、とミサカ一〇〇三二号はさらなる火種を提示してみます」
「「「?」」」
 その他三人の少女達がそちらに顔を向けると、一〇〇三二号の手には今までとは違う別の雑誌が。ぺらっぺらの雑誌の後ろの方のページには、先ほどの星座占いよりもさらに小さな枠でこんなコーナーが載せられていた。
 血液型占い。

「……何やっているんですかね、あれ?」
 少しはなれた所から四人の少女達を観察していた若い看護師があきれたような声を放つ。そのとなりで紙コップのコーヒーを口に含んでいたカエル顔の医者は、
「口ゲンカのように見えるけど?」
「いや、そりゃそうなんですけど。ううん、もう一度言ってみよう。何やっているんですか?」
 そんな不可思議なやり取りをしている最中も、全く同じ顔をした四人の少女達は『むっ! AB型の恋愛運がハンパではありません! とミサカ一〇〇三二号は報告します!!』『そんな事を言ったらミサカだってAB型でハンパではありません! とミサカ一〇〇三九号も報告します!!』『いいえ! あらゆるミサカの中でも超AB型であるこのミサカが超ハンパではないのです! とミサカ超一三五七七号がすべてをかっさらいます!!』『いえいえ、最後に笑うのはこのミサカです、とミサカ一九〇九〇号はAB界の覇者はしゃとなる事を宣言します!!』とか何とか言い合いながら、髪をつかんだり服を引っ張ったり雑誌を奪い合ったりパンツが見えたりとやりたい放題だ。
 若い看護師はキョトンとした顔で、
「あの子達、確か脳波を電気的信号に変換して巨大なネットワークを形成しているんですよね?」
「まぁ、ミサカネットワークというヤツだね?」
「個人の自我がある一方、巨大なネットワークそのものが一つの脳として機能しているから、すべての個体が一つの大きな意志に干渉されている、という風にも受け取れる訳ですよね?」
「一応、そういう事になるね?」
「……その状況で、何故なぜ口ゲンカ?」
 若い看護師にはその辺が理解できないらしい。
 カエル顔の医者は、ちょっと苦すぎるコーヒーをめては舌を出しつつ、
「普通の人間なら、複数の選択肢の中から一つを選んで行動する。例えばダイエットをしている時、目の前のケーキを『太っても食べたい』「太るから食べたくない』と同時に二つの考えを持ったりする訳だ」
「は、はぁ」
「まぁ、普通の人間なら複数ある選択肢を頭の中で一つ一つ削り取って、最後に残った一つを『行動』として出力するしかない。体は一つしかない訳だから、複数の意見を持っていても、現実には一つの行動しか取れない訳だね?」
「……というと、あれは?」
「あれだよ。あの子達の場合、一つの巨大な意志が複数の肉体に干渉している以上、その辺の『考えを一つにまとめる」必要がない。とりあえず全部、が通用してしまうんだ。『太ってもケーキを食べる』か『太るからケーキは食べない』か、取捨選択する必要なく両方選べる。何しろ、実際に肉体が複数あるんだからね?」
「……、」
 若い看護師はもう一度、パンツ丸見えになっている少女達の方へ目を向ける。
 もしかして、自分は今、ものすごく貴重な光景を目にしてはいないか?
「結果として、彼女達は同一の巨大な意志から一方的に干渉されながら、各々おのおの々の個体がそれぞれ異なる行動傾向を手に入れ始めている訳だね? だから彼女達は同じミサカでありながら会話もするしケンカもする。良い事じゃないか、人間的で」
 カエル顔の医者の方は、特に気にしていないらしい。
 彼は苦いコーヒーの入った紙コップを軽く揺すりながら、ともすれば投げやりとも受け取れる声でこう言った。
「願わくば、それが個性とまで成長する事を祈っておこう」

第一四章 門番と侵入者は踊り踊られ 九月、第三金曜日

 今一度確認しておこう。初春ういはる飾利かざりは超人ではない。
「?」
 放課後、風紀委員ジャッジメント活動第一七七支部でクッキーをもりもり食べていた少女は、ふと何かに気づいたように、スチール製の机の上に載ったノートパソコンへ目をやった。
(むぐっ!? 厄介やっかいなのが来た!!)
 侵入者。
 それは初春のコンピュータ、そして風紀委員ジャッジメント活動第一七七支部に対してではない。ここの所、学園都市のあらゆる情報を管理する『書庫バンク』への電子的な攻撃が相次いでいるため、初春はその対策に追われていた。『警備』の一環として、『書庫バンク』アクセスする情報は一度すべ風紀委員ジャッジメントの大型サーバを経由して、回り道しながら『書庫バンク』へ向かうように設定が変更されている。
 その回り道を無視して、『書庫バンク』へ直行しているデータがある。
 普通に操作するだけでは絶対にありえないデータの流れ。
 ハッキングである。
 しかも、普通のハッキングではない。例えばセキュリティ上の穴を突いて、本来こちらが想定していない抜け道を通ってアクセスしている訳ではない。そういうつまらない穴は、事前に初春が全て埋めている。
 という事は……、

 超能力開発の名門・常盤台ときわだい中学のお嬢様じょうさま御坂みさか美琴みことは駅のベンチに座っていた。その手で操作している携帯端末たんまつは無線LANを利用してネットワークと接続状態にある。
 彼女は学園都市でも七人しかいない超能力者だ。
 超電磁砲レールガン
 この街全体で第三位、電子制御能力で言えば最高クラスの能力を持つ少女である。
 画面を直接人差し指で触れて色々と操作している美琴だが、どう考えでもその指の動きよりも大量、高速のやり取りが画面の中で展開されている。もはや目で追い掛けるのも難しいほど素早くスクロールしていく記号や文字列を、美琴はいちいち一つ一つ注目していない。頭の中で思い浮かべたものを機械の方へ移した結果、コンピュータの方が余波のような処理を勝手にやっているだけなのだ。
美琴みことがアクセスしようとしているのは、学園都市の『書庫バンク』だ。
 これまでも何度か侵入した事はあるのだが、今の所、美琴の上を行く人間から阻止そしされるような事はなかった。向こうも向こうで『侵入されたかも?』ぐらいの懸念けねんは抱いているようだが、いきなりネットワーク全体を切断、隔離かくりされるような事態には至っていない。
(……ま、向こうにとっても苦渋の決断だろうしね。『書庫バンク』のアクセスが止まるのって、電車が緊急きんきゅう停車するより時間ごとの損害が大きくなりそうだし)
 ピピピビピピピピピピピピピピ、と次々と現れては消えていくウィンドウを眺めながら、美琴はそっと息をく。
 フルパワーを出してさっさと終わらせたい所だが、自分で自分のマシンをこわしてしまうような事もしたくない。

(……ふうん)
 初春ういはるは『書庫バンク』へ直接アクセスしようとしているデータを目で追い掛けながら、食べかけのクッキーを皿に戻した。
(前にもありましたよね、こういうの。まぁ、今回はもうちょっと高度みたいですけど)
 彼女は画面を見ながら息を吐く。
 目の前に広がるのは、一般的なコンピュータの操作では、絶対に起こせないであろう現象。
 つまり、相手は能力を使ったハッカーだ。
 学園都市は超能力者たちの街だ。当然、そういった事のできる能力者もゴロゴロいる。ユーザーの心を読んでパスワードを得る者、電子を操ってコンピュータを掌握しょうあくする者、挙げ句の果てには『情報』そのものをダイレクトに制御している者まで。
 そういった連中は、普通にコンピュータを操作するだけで撃退げきたいする事は難しい。一般的なユーザlとハッカーの違いは、システムの表を利用するか裏まで読み取るかの違い程度でしかないが、この『能力を使っている連中』というのは、さらにもう一つ裏をめくっているようなものなのだ。
 ただし、
 ここは能力者がウジャウジヤいる街、学園都市。
(この程皮でひるんでいるようでは、治安なんて守れやしませんっ!!)
 決意を新たにする初春は、データの流れをもう一度確認。あらかじめ初春が設定しておいた『最短ルート』を通らないという事は、初春自身の思考を読み取っている訳ではない。防壁そのものを無視してデータがすり抜けるような事はないので、情報を直接操られている訳でもなさそうだ。
(となると……)
 おそらく相手は電子を操るタイプの能力者。しかし『電子』系の能力者はポピュラーであるため、この情報だけで相手を特定するのははぼ不可能。
「……、」
 初春ういはる眉間みけんしわを寄せ、データの移動パターンを目で追い掛けていく。
 そのわずかな情報を接点に、彼女はシステムという『花』を思い浮かべる。
 今、初春が眺めているのは根の先端せんたん。そこから茎や葉、水や栄養の流れ、そういったものを想像で補填ほてんしていき、やがては花という大きな全体像を頭の中で仮組みしていく。『とある機構を様々な角度から想像する』この計算式こそが、初春をハッカーとして活躍かつやくさせているものの正体だ。
 もしも初春飾利かざりに特別な才能があれば、恐るべき『自分だけの現実パーソナルリアリティ』を組み立てて、強大な力を発揮していたかもしれない。
 しかし、
(……っ、……)
 初春はわずかにくちびるむ。
 根の先端から始めた想像が、茎の辺りまで進んだ所で唐突にはじけた。相手はよほど高度な計算式を利用しているのか、『目の前の現象』から『それを引き起こしている「自分だけの現実パーソナルリアリティ」』までの道筋が読めない。
 そして、相手の手が分からなければ、対策を練る事もできない。
(どうする……?)
 初春はキーボードの前で、わずかに指をさまよわせる。
 迷いばしにも似た仕草が、彼女の苦悩を象徴する。

「よしよし、こんなトコか」
 美琴みことは高速展開する画面を眺めてつぶやいた。
 今現在、彼女がやっているのは典型的なパスワード解除だ。
 電気を操る能力者だからといって、その力だけでどんなセキュリティでも突破できる訳ではない。むしろ多数の能力者を有する学園都市では、そういったイレギュラーな攻撃こうげきに対する特殊な防壁の開発も進んでいる。
 しかし、どう理屈をつけた所で、能力を持っている者と持っていない者では、持っている者の方が有利だ。
 もちろん、能力だけで一点突破、などという事はしない。
 そこにこだわる必要はないからだ。
 通常のコンピュータでは解除の難しいセキュリティは電気を操る能力で乗り越え、対能力用の特殊なセキュリティは普通のコンピュータで対応する。お互いを効率良く使用する事によって、美琴みことは様々な『標的』へと侵入していく。
 作業は無事に完了。
 美琴はいくつかキーをたたくと、最後のセキュリティを突破する。
(さて、と。例のデータはどの辺にあるかなぁー……っと?)
 そこで、ピタリと美琴の動きが止まった。
 画面を見る彼女の眉だけが、ピクリと動く。
 そこに表示されていたのは、

 圧倒的な速度で暗号化されていく、『書庫バンク』内のデータ群だ。

(うそ……)
 ランダムに記号や数字の羅列られつに切り替わる文字列の特徴からかんがみるに、おそらくは『オメガシークレット』学園都市のネット上で展開される、ちょっとした絶対暗号コンクールで最優秀の評価を得た極めて特異な乱数暗号だ。
(うそ、うそ、うそ!?)
 この絶対暗号コンクール、人間とコンピュータがチェスの頂上決戦を行うぐらい実益のない大会だが、その分、際立ってとがった成果を上げる事でも有名だ。ここで生み出された『オメガシークレット』はとにかく解けない事で有名で、何しろランダムに暗号化されるデータはプログラマ自身でも解読不能、学園都市のスーパーコンピュータを利用しても二〇〇年はかかると言われるほど実用性のない高難易度最優先のゲテモノである。
(どこの馬鹿ばかよ!? こんなもんを持って来たヤツは!!)
『オメガシークレット』の厄介やっかいな所は、一度暗号化してしまうと、どんな小さなファイルもどんな大きなファイルも、等しく解読に二〇〇年かかるという点だ。ファイル一つ一つに異なる乱数処理がほどこされるため、『解読パターンが分かったから全部に当てはめよう』とはいかない。一つのファイルを解読したら、次のファイルのためにまた二〇〇年かける必要がある。
書庫バンク』全体が暗号化されていくので、目的のデータが巨大な『書庫バンク』内のどこにあるかも分からない。確実にデータを得る唯一の方法は、何らかのデータを選んで盗むのではなく、『書庫バンク』の保管サーバと同じ、超大容量データバンクを丸ごと用意して、あれだけの馬鹿でかいデータをすべて移してしまう事だけだが……。
 確かに、これなら手は出せない。
 そんなに巨大なサーバを用意したら、それだけで足がつく。仮にサーバを用意できたとしても、『書庫バンク』の膨大ぼうだいなデータを移すだけでどれだけの時間がかかるか。いくら何でも、これだけのデータがやり取りされているのをスルーするほど、監視側も甘くはないだろう。
 ただし、
(……正気じゃない。『書庫バンク』のサーバの管理やメンテ用のゴミファイルまで片っばしから暗号化させてやがる!! これじゃ大容量サーバ自体が使い物にならなくなるじゃない!?)
書庫バンク』に使われている機材の値段は、歴戦のお嬢様じょうさまでもゾっと青ざめるクラスのものだ。それを、こいつはためらいなく切り捨てた。これならサーバのふたを開けて水でもぶっかけた方が損害は少なかったんじゃないか、と疑いたくなるような方法で。
(こんな無茶むちゃなやり方で反撃はんげきしてきたって事は、おそらくを『書庫バンク』のデータ自体は、事前にどっか別の場所でバックアップを取っているはず。そっちを攻めれば、例のデータが手に入るかもしれないけど……)
 美琴みことは改めて、画面の中の大災厄だいさいやくに目をやった。
 何となく、この相手は、際限がない気がする。たとえがけっぷちのバックアップデータ群であっても、美琴を撃退するために手加減なく利用するような気がして仕方がない。
(ハッカーは、発見されない内が華)
 しばらく判断に迷っていた美琴は、やがてあきらめたように片手で髪をクシャクシャといじった。
(……ここはセオリー通り、一度撤退てったいするか。こんな大馬鹿おおばか野郎と一緒いっしょに破滅するまでしのぎを削るなんてゾッとするわ)

「ま、今日の所はこんな感じですか」
 画面を眺めていた初春ういはる飾利かざりはポツリと言った。
 もう少し侵入者が粘ってくれれば逆探知などもできたかもしれないが、この辺りが妥当な戦果だろう。今は深追いせず、侵入者が使っていた攻撃のパターンを解析し、防壁に応用するべきだ。
 電気を直接操るハッカーにそんな『普通の手段』で効果はあるのかと思うかもしれないが、もちろんある。相手はあくまで『能力というシステムの裏』を突いているに過ぎず、その例外部分を自由に行き来しているからこそ、『何でもできる』ように見えているだけなのだ。
 侵入者が具体的に実行しているのは『何らかの電気情報を送受信している事』に過ぎない以上、その『例外』となっている場所を探し出し、穴を埋めてしまう事で『普通の手段』でも能力者の侵入を十分防ぐ事ができる。
(さて、と。何事も勉強です。そこそこの手際でしたし、私にとってもプラスになると良いんですけど)
 と、そんな事を考えながら初春が皿に乗ったクッキーへ手を伸ばした時だった。
「……初春」
 ボソッとしたつぶやきに、彼女が振り返ると、部屋の入り口に『風紀委員ジャッジメント』の同僚の白井しらい黒子くろこが立っていた。うつむいている白井しらいに、初春ういはるが『?』と小首をかしげていると、ツインテールの同僚どうりょうは親指でドアの方をくいっと示し、さらにボソボソした声でこう言った。
 やりすぎ。よって説教ですわよ馬鹿ばか野郎。

第一五章 芸術は天才と変人を分ける 九月、第四金曜日

 ロンドンの女子りょうにはイギリス清教の戦闘せんとうメンバーが数多くつどっている。長い黒髪をポニーテールにした女性、神裂かんざき火織かおりもその中の一員だ。
 普段ふだんは二メートルを超える長大な日本刀『七天七刀しちてんしちとう』を腰に下げている神裂だが、

さやは刀をいろど素敵すてきなお洒落着しゃれぎ貴方あなたの愛刀も、より美しく着飾ってみませんか?』

と書かれたチラシを両手でつかんだまま、一人食堂でわなわなとふるえていた。
 四色カラーの綺麗きれいなチラシには、小さな四角で囲まれたサンプル写真が色々掲載されていて、お弁当の重箱の表面にあるような、黒地に朱色のかえで金箔きんぱくを細く丁寧ていねいに切り取って表現された動物などが紙面をおどっている。
 ごくり、という音が聞こえた。
 神裂はそれを、自分がつばみ込む昔だとは気づかなかった。
(……む、むうう……ッ!! こ、これは!? 確かにそっけない黒鞘では物足りないと感じていた今日このごろ。こちらの『紅楓べにかえで』や『黄鶴きづる』などをほどこしていただけるなら……いっ、いやいや!! 天草式あまくさしき十字じゅうじ凄教せいきょう真髄しんずいは、身近にある物品から魔術的まじゅつてき記号を抽出、応用する事にあるはず! 安易に鞘の記号を組み替えてしまう事は……で、でも……この『夜桜よざくら』なら記号的にも問題はないかも……?)
 常に冷静沈着なる大和やまと撫子なでしこ、神裂火織はうlんうーんとうなり続けている。そこへさらに追い打ちをかけるように、別のチラシがひらりと神裂の手からすべり、食堂のテーブルに舞い降りる。
 そこにはこう書いてあった。
甲冑かっちゅうは貴方の背中をお守りする、最高のパートナー。どんな窮地きゅうちの中であっても絶対に貴方の身に寄り添い続ける、素晴らしい相棒の息吹を感じていただきたい』
「むっ、むぅぅぅううううううううううううううううううううううううううううううう!!」
 まるで五月人形みたいな広告写真を穴が空くほど凝視ぎょうししながら、流石さすがに甲冑一式をそろえるのは、いや腕や足、胸当てだけを普段着の中に盛り込むという方向は、いやいや!! とあれこれ悩みまくっている神製火織。
 と、そこで彼女は我に返った。
 ハッ!! と顔を上げた彼女は、小さく咳払せきばらいをしてから、おもむろにチラシをわきにどける。今はこんなわなのように置かれたチラシに心を奪われている場会ではないのだ。
 神裂かんぎきは食堂から台所のスペースへ移る。
 大勢の食事を用意するため、そこはかなり広い空間が確保されていた。業務用オーブンに業務用冷蔵庫に業務用流し台と、なんでもかんでも業務用だらけな台所に入った神裂は、銀色のでっかい冷蔵庫をガパリと開けると、奥の方に置いてあった小さな保存容器を取り出した。
 たいのアラである。
 本日の食事当番だった神裂が、料理の合間に鯛の骨をキープ。包丁を使って太い骨にくっついたわずかな身をゴリゴリ削り落として手に入れた鯛のアラなのだ。
 いつも通りこっそりつまみ食いにやってきた小柄なシスター、アンジェレネから『わー。そんなに食い意地張ってるんですか?』とか何とか言われてややヘコみ気味だった神裂だが、今なら言える。そうとも、その通りだ。神裂火織には、とある一つの大好物があるのだ。
 神裂は学校の給食でも作るような巨大炊飯器の中からわずかに残ったご飯を茶碗ちゃわんによそい、その中央に鯛のアラを一摘み投入。さらに鯛の骨とおかしらをグッグッ煮込んで取り出したダシ汁を一度急須に入れてから、茶碗の上からドバーッと注いでいく。
 ゆっくりとした動作で急須を置くと、神裂は音の鳴らないように手と手の間隔を短くした上で、顔の前で小さく拍手しながら、
「ふふ。ふふふ。……鯛茶漬けー☆」
 わlぱちぱちばち、と一人でこっそりテンションを上げる神裂。実はお茶じゃなくてダシ汁じゃん、とか何とかツッコミが入りそうだが、良いのだ。神裂火織かおりは純粋なダシ汁の方が好きなのだ。だれに文句を言われようがこの一杯だけはやめられないのだ。
 そんなこんなで神裂は茶碗を食堂の方へ持っていくのももどかしく、戸棚にあったおはしを手に取ると、もう藍染あいぞめ浴衣ゆかたに包まれたしりを軽く振ってリズムを取りかねないほどの笑顔で、
「さて、と。いただきま」

「誰だーっ!! こんな夜中に大層美味うまそうなのを食ってるヤツーっ!?」
「良いにおいすぎます!! おなかが減ってちっとも眠れないじゃないですかーっ!!」

 唐突に天井てんじょうの方から炸裂さくれつした複数の女性の大声と、ドタバタという音を聞いて慌てる神裂。そうこうしている間にも慌ただしい足音は加速度的に増幅、そして徐々にこちらへ近づいてきている。
 鯛茶漬けは一つしかない。
 彼女たちぎつけられた所で、リクエストにこたえてやる事はできない。
 となると、道は一つ。
(……このままでは、奪い合いが始まる……ッ!?)
 神裂火織は決心すると、まだ熱々の湯気が立ち上っている茶碗をガッとつかむと、そのまま茶碗ちゃわんの緑へくちびるをつけ、ザザザゾゾーッ!!と音速ではしを動かした。思わず目元に涙が浮かぶがそれどころではない。無用な争いを止めるためにはこれしかないのだ。断じて目の前のたい茶漬けを他人に恋われる事が恐ろしいのではない。
 そして神裂かんざきは空っぽになった茶碗とお箸を水の張った洗いおけに放り込み、急須やおなべに残っていたわずかなダシ汁を廃棄はいき。トドメとばかりに消臭スプレーを周囲へブシャブシャーッ!! とき散らした。
 この間わずか三〇秒。
 神裂が消臭スプレーの缶を所定の位置へ戻して背筋をピンと伸ばしたその時、ドバーン!! というすさまじい音が鳴って、空腹におそわれたシスターたちがドタドタと台所へみ込んできた。
 先陣を切っているのは、やはり背の低い金髪三つ編みシスター、アンジェレネだ。彼女は小さな鼻をふんふんと動かしながら、
「かっ、神裂さん! 何かここに、ものすごく美味おいしそうな料理を持った怪人がうろついていませんでしたか!?」
「い、いえ。そんなラーメンの出前のおじさんみたいな怪人は見かけませんでしたけど」
「……おかしい。確かににおいはこの辺りから漂ってきているはずなのに……」
 ふんふんふんふんと音を鳴らしながら、獲物を見失った軍用犬のように台所を徘徊はいかいするアンジェレネ。その後ろには複数のシスター達がいる。神裂はアンジェレネ達からゆっくりと日をらし、何気なく窓へ目をやり、そこに映る自分の口元にご飯粒がくっついているのに気づき、慌てて指で取って口の中へ放り込む。
 と、そうこうしている間に、いつもアンジェレネと一緒いっしょに行動している背の高い猫目シスターのルチアが、物音に気づいてやってきたのか、何やらアンジェレネと一緒に話し込んでいる。
「シスター・アンジェレネ。……それは一体どういうつもりなんですか?」
「今は芸術の秋! という訳で、私の気持ちをぶつけてみました」
 ? と神裂がそっちに目をやると、アンジェレネの手元にはチョココロネが一つあって、そのパンの左右両側に三本ずつ、計六本の銀色フォークがブスブス突き刺してある。それを見たルチアの目が、食べ物を粗末にしやがって、後でしりを一〇〇発叩たたいてやる、と雄弁に語っている。
 何やらつばさライクに無数のフォークを展開させる菓子パンを手にしたアンジェレネは、
「これは私の中に渦巻く怒りを表現しているんですよ」
「はぁ」
「心は怒りの感情をもって私の胸から飛び立とうとしているんですけど、でも飛び立つためにもエネルギーが必要なんです。そのエネルギーのやり取りが意味する所は他人に向けた怒りはやがて自分に帰る訳であって、つまり何が言いたいのかというと、怒りすぎて余計におなかが減ったという事なんですよッ!!!!!!」
「……、」
 さて、アンジェレネ先生の作品解説オーディオコメンタリーが終わった所でしりを一〇〇発だな、とルチアが重たいため息をついた時、少々遅れてライオンのような金髪に小麦色の肌をしたゴスロリ魔術師まじゅつしシェリー=クロムウェルが台所へやってきた。
 王立芸術院の魔術的な管理者でもあるシェリーは、台所へ入ってくるなり、神裂かんざきたい茶漬けの事など一切気に留めず、尻をバンバンやられているアンジェレネの両手にある菓子パンフォーク(題名・人の怒りは自らを焼く)に目をやると、

 「芸術アートだ……ッ!?」

「わっ、分かりづらいボケはやめなさい!! ほら、貴女あなたが奇妙な事を言うからシスター・アンジェレネがホワァァァァとか叫びながらなぞ開眼かいがんをしているではないですか!!」
 実は変な開眼っぽく見えるのは、シェリーにみつくために力を込めた結果、いつもの八割増しの威力でアンジェレネの尻をぶったたいてしまったルチアによるものなのだが、彼女はその事実に気づかない。
 一方、シェリーはシェリーで、人間の感情を率直に表現した謎の菓子パンフォークに敬意を表しているのか、何やら骨董品こっとうひんでも取り扱うようなうすい手袋を両手にはめながら、
「おい! そこの大小シスターコンビ!!」

「「おトイレのレバーみたいな呼び方しないでくださいっ!!」」
「……そ、その菓子パン、さ、触ってみても……? いや!! 分かっているわ! 無粋ぶすいな申し出をしている事ぐらい百も承知だ!! だが、立体となると……どうしてもいろんな角度から眺めてみたくなるのよ……っ!!」
 褐色の彫刻家は何やら苦悩しているようだが、ルチアとしてはちゃんと食べてもらえるなら構わない。しかしあっさり手渡されると今度は、『このフォークの向き……このつばさの形……。そうか、これは空腹の怒りによってさらに空腹になるという事を意味していたのか……ッ!!』とうなりまくっている。
 はぁーまったく芸術家ってのは分かんねーなーもう、とつぶやきながらゾロゾロと台所から出ていく大量のシスターたち。それに混じってため息をつきながら廊下を歩く浴衣ゆかた神裂かんざきは、そこで『ん?』と首をかしげた。
 あれ?
 私達、何で芸術の話でまとまったんだっけ?

第一六章 母に見えないのには訳がある 九月、第五金曜日

 神奈川県の一番ホットな場所からやや外れた所にある、会員制のスポーツジム。
 壁も天井てんじょうも全部ガラス張りになった室内プールは、学校にある典型的な長方形のプールを、もっと豪華で精密にしたようなものだった。客層は結構バラバラで、本格的に〇・一秒のタイムを縮めようとしているアスリートから、インストラクターのお姉さんに泳ぎ方を教わっている主婦層、さらには健康法だのダイエットだので利用している人までいる。
 御坂みさか美鈴みすずが泳いでいるのは、そんなプールの一番外側のレーンだ。
 見た目は二〇代そこそこ、しかし実質一四歳の娘を持つ母親である美鈴は、大学の講義が終わると毎日このプールで泳いでいる。努力をおこたるとすぐに体に跳ね返ってくる……というかなり微妙な理由で『とりあえず運動している』彼女だが、その速度は恐ろしく高速。となりのレーンで勝手なライバル心を燃やすアスリートの女性が必死で追いすがろうとするものの、魚雷のような勢いで水中を突き進む美鈴には手も足も出ない。
 ところが、肝心の美鈴はと言うと、
(……まずいなぁ)
 プールの縁に手を突き、ザバァッ!! と顔を上げた美鈴は、最速タイムを前に絶句しているインストラクターなどお構いなしに、ややうんざりした調子でため息をつく。
(この水着、高性能すぎて意味がないなぁ。せっかく抵抗力のある水の中で運動してるのに、これじゃ結構台無しかも……)
 美鈴がまとっているのは、水着というよりサーファlが好む黒のウェットスーツのようなものだ。手足の部分がそれぞれひじひざの辺りでスッパリ切れていて、ボディラインを強調するような、ワンピース型の水着のようなラインの引いてあるものだ。
 とにかく速く泳げる水着という広告を見て、何となく通版で買ってしまったのだが、どうにも水流を効率良く調整しすぎてしまう。ガチで競技大会に出場するなら大成功なのだが、なんというか、美鈴は本来想定されていたお客様層ではなかったらしい。
 と、
「あらあら。大学の方はもう終わったんですか?」
「おや上条かみじょうさん。こんちはー」
 プールサイドからかけられた声に、美鈴はコースロープに体を預けたまま、水の中から手を振って答える。
 上条さんと言うのは上条詩菜しいなという女性の事だ。最近こっちへ引っ越してきたらしく、原動機付きパラグライダーを趣味しゅみにしているせいか、『空飛ぶお嬢様じょうさま』として近隣きんりんではちょっとした有名人になっていた。
 ちなみに、お嬢様と冠がついているものの、詩薬しいなは高校生の子供を持つ立派な母親。おそらく実年齢は自分より上だろう、と美鈴みすずは予想しているのだが、肌の張りだの水のはじきっぷりなどが半端はんぱではない。今も楚々そそ々とした(ように見えて要所要所は意外に攻撃的こうけきてきな)白いワンピース水着から伸びる手足は、どう見ても一〇代辺りである。
上条かみじょうさんは、またいつものあれですかフ」
「ええ。趣味の方で、意外に肺括量をきたえる必要がありますから」
 さりげない会話の中で二の腕とか太股ふとももとかをチェックしていた美鈴は、割と非の打ちどころのない感じの詩菜ボディにぐぬぬと心の中だけでうなる。
(……くつ、悔しい。一体どんなストレッチをすりゃあんなに瑞々みずみず々しくなるんだ……?)
 かくいう美鈴だって十分以上に美人である。その辺の学生たちと混じって大学の講義を聞いていたって、全く違和感のない若々しさである。しかし、彼女は知っているのだ。美人とか若々しいとか大学生に見えるとかという言葉の端々はしばし々に、『美人(だけど実はねぇ)』『(子持ちにしては)若々しい』『(おばさんなのに)大学生に見える』などなど、余計なワードが見え隠れしている事を。老いというモンスターは巨大な口を開け、今まさに猛ダッシュする美鈴を丸呑まるのみしようとしている事を!!
 そんな美鈴からすれば、目の前の詩菜がうらやましくて仕方がない。
 そういう努力をしている美鈴だからこそ、分かる。上条詩菜という女性は、自分よりも年上のくせに、その手の努力を全くしていない。しかも余裕で瑞々しい。
 今も、
「せーのっ」
 とか何とか言いながら、両手でビート板をつかんだまま、顔を水にけて、そのまま水死体のようにいずこかへとぷかぷか漂っていくだけだ。
(……いっそ学園都市にいる美琴みことちゃんに、トンデモ健康マシンでも紹介してもらおうかしら。いやいや、単純にダイエットしているだけだと、皮膚ひふつやを作ってる脂肪とかも減ってパサパサになったりすんのよね……)
 いつまでも水面でブツブツつぶやいていた美鈴は、一通り水死体モードを満喫した詩菜を連れて、一緒いっしょにプールサイドへ。
「いやー、意外に主婦の一人暮らしっていうのも気楽で楽しいもんですよねー。まぁ、定期的に帰ってくるって分かってるからこそ言える台詞せりふなんでしょうけど」
「あらあら。御坂みさかさんの旦那だんな様は単身赴任なんですか?」
「単身赴任っっーか、あれは何なんだろうな? もう今どこで何やってんのか分かんないような状態ですよ」
「ウチは単身赴任ではないですけど、とにかく海外出張が多くて多くて。しかも毎回毎回変なお土産みやげを買ってくるものですから、実は世界に残るトンデモ秘境の奥にでももぐっているんじゃないかと疑いたくなる時もあるんですけど」
 あははあはあはと笑い合う美鈴みすず詩菜しいな
 ……実は、くだん旦那だんなさんたち(新入社員の田中たなか君や旅先で出会った人達含む)が世界各地で本当にトラブルに見舞われて走り回っている事を、彼女達は知らない。
長いタオルで水気をぬぐいながら、ふと詩菜はこんな事を言った。
「そういえば、ウチの子の学校は、中間試験がなくなったとかいう話がありましたけど」
「んー? あ、そういやウチの美琴みことちゃんトコもそうだった。確か、期末テスト一発で二学期の成績が決まるとか何とか。まぁ、あの子はその手のプレッシャーは感じないだろうから、いつも通りって事で済まされんだろうけど」
「ウチの当麻とうまさんは、いつも通りだろうといつも通れりじゃなかろうと、結局赤点で補習だと思いますけどね」
 くすくすけらけらと笑う二人だったが、そこで美鈴はふと気づいたように、
「……こういう所は母親らしい会話になるんですよね……」
「あらあら。というか、思いっきり主婦ですもの」
 近くを通りかかった学生らしき女の子が『?』と首をかしげたが、まぁそういう事なのだ。
 美鈴は『うーん……』とちょっと考えてから、
「前から、ちょっとだけ気になっていた事があるんですけど」
「何でしょう?」
「私達の子供って、学園都市で勉強している訳じゃないですか。で、その街で最先端さいせんたん科学の技術を借りて、超能力者としての力の方も開発している訳ですよね」
「ええ、まぁ」
 ウチの当麻さんはちょっと微妙ですけど……と詩菜はくちびるだけを動かして付け加える。
「超能力の素質って、何で決まるものなんでしょうね」
「あらあら。流石さすがに私、そっちの話は良く分かりませんけど……やっぱり、その、遺伝子とか、DNAとか、そういうものでしょうか?」
 ですよねl、と美鈴はうなずいてから、
「でも、そうなると」
「?」
「いや。美琴ちゃんが学園都市第三位の超能力者レベル5になれたっていう事は、私もおんなじような時間割りカリキュラムを受ければ、前髪からビリビリ電気が出たりするのかなぁって思いまして」
 まぁ、とお上品におどろく詩菜。
 同じ学園都市に子供を預けた身だからなのか、美鈴はさらに自分の考えをスラスラと言う。
「……もしかしたら、世の中にはそういう人たちがいっぱいいるのかもしれないなぁ、とか考えると、ちょっと不思議な気分になるんですよね。ウチの美琴みことちゃんは第三位なんて地位にいるけど、本当は、もっとすごい才能がだれにも気づかれないまま、その辺にゴロゴロ転がっているのかなぁ、とか」
 最後の方は、ほとんど独り言にも近かった。
 世の中には、自分の才能に自分で気づかないまま、一生平凡な主婦のまま終わっていく人もいるのかもしれない。あるいは自分は普通の人間だと思い込んだまま、実は本人も気づかないまま不思議な力を使ってしまっている人もいるかもしれない。
 それは手から火が出たり、前髪から雷が出たりといった、見た目にも分かりやすい能力という訳ではないのかもしれない。日頃ひごろのちょっとした現象―――例えば少し勘が優れているとか、常人より字が綺麗きれいに書けるとか、外見が実年齢よりちょっと若く見えるとか、そういうどうでも良い、くだらない『ふしぎ』にも、そういう理論とか法則みたいなものがあって、人々は人々なりに自分や個性とくしゅのうりょくといったものを抱えて生きているのだろうか。
「あらあら。何なら、学園都市内の大学へ編入してみてはいかがですか?」
「うーん。それも面白おもしろそうなんですけど、私のとしだと能力開発用の時間割りカリキュラムには参加できないんですよねえ」
 あははと笑って美鈴みすずはこう言った。
「結局、真相は分かりません。でも、そっちの方が夢があるような気がするんですけどね」

第一七章 B級の映画と未研磨の原石一〇月、第一金曜日

 とある事情でスキルアウトを辞めた浜面はまづら仕上しあげは、学園都市暗部に存在する『アイテム』という小さな組織の下働きをしていた。『アイテム』の構成員はわずか四人だけだが、それなりに力はあるようで、どこから集めてきたか分からない予算をいっぱいもらっていたりする。
 そんななぞ組織の一員である一二歳ぐらいの少女、絹旗きぬはた最愛さいあいの一言によって物語は始まる。
「浜面、浜面。超特急で身分証を用意できますか?」
「一時的とはいえ一〇〇人以上のスキルアウトを束ねていたこのおれが、何でそんな雑用を……」
「超ぐだぐだ言っていないで、身分証ですよ身分証」
「ちくしょう。そりゃ『作れ』って事か。要求レベルによるなぁ。ICカードぐらいならすぐ済むけど、パスポートとかだと時間かかるぞ」
 できないとは言わない辺りが何ともアウトローな浜面。
 絹旗は小さな手をパタパタ振って、
「ええと、そんな超精巧なのじゃなくて良いです。単に年齢詐称したいだけで、どっかの高校の学生証とかで超構いませんから」
「??? そんなん用意してどんな仕事する訳?」
 浜面が素朴な質問を放つと、絹旗は『極めて超大事なミッションです』と前置きした上で、
「―――今週超公開のR15指定映画をるためです!!」
 こうして、浜面第二の人生初仕事が決定した。

 絹旗最愛の趣味しゅみは映画観賞だ。
 一口に映画と言っても色々なジャンルやランクが存在すると息うが、彼女の場合はタイトルを並べても『聞いた事ないなぁ』どころか、『……それ……なに……?』とドン引きされる事必須な作品ばかりに目が向くタイプの映画観賞マニアである。
「……っつーか、こんな所に映画館なんてあったのか……」
「今回はまだまだBですからね。Bならば超ここです。C級まで超いっちゃうと、さらにもぐる必要がありますけど」
「うえ……」
 浜面のうめき声が聞こえる。
 表通りから裏道に入って、さらに枝分かれした小道に入って、さらに入って入って入って最終的に何だか隙間すきまみたいな所をくぐり抜けた先に、ほとんど雑居ビルを上から押しつぶしたみたいな建物がある。
 人工衛星でも確認が難しそうな建物密集地帯に埋もれたこの映画館は、どうやら絹旗きぬはた最愛さいあいシークレットポイントらしい。当然のごとく単館上映専門の映画館で、つまり『ここを逃すとほかではられない』レベルのマイナー作品ばかりがおそいかかるという、素人しろうとさんはおネムです的恐怖施設だった。
 絹旗は腰に両手を当て、気合を入れるように鼻息をくと、
「一応身分証は用意してもらいましたが、私の外観を補強する要素がもう一つ欲しいんです。同じ身分証を二人で提示すればチケット売り場の姉ちゃんの目を超ごまかせるでしょう」
 そんなこんなで、インテリ系図書館の司書さん風味な売り子さんの警戒視線を何とかクリアして映画館内部へ侵入する二人。ほとんどホラーゲームの洋館ばりの汚い廊下を進んで両開きの扉を開けると、その先にあるのが上映室だ。
 元々建物も小さかったのだが、この上映室はさらに小さい。その辺の学校にある視聴覚室しちょうかくしつを大きくした程度で、段差状の観覧席も、何だかテレビに出てくる大学の講義室のように見える。
 しかしそれ以上に気になるのが、
「……おい。確か本日公開でここ以外じゃ日本のどこでも観られないんだよな。それが上映一五分前で客足ゼロってのはどういう事だ?」
「ああん☆」
 質問に対して変なあえぎ声が聞こえ、浜面はまづらはギョッとした顔をそっちに向ける。見れば、絹旗最愛は今にも卒倒しそうにひぎを笑わせながら、両手を組んでほっぺたの辺りに押しつけつつ、
「単館上映で公開初日の客は私だけ。それはつまり、この作品の素晴らしさを超分かっているのは私だけ!! ええ分かっていますとも、錯覚さっかくなのは分かっていますとも。それでも今この瞬間しゅんかんだけは監督サマの伝えたい事超一人占めェェえええええええええ!!」
 馬鹿ばかが変な方向にセルフトリップしているようなので、浜面は放っておいてポップコーンを買いに行く。上映室真ん中の座席に戻ってくると、絹旗がポップコーンを見て鼻で笑う。
「ふっ。キャラメル味のポップコーンは上映中に超のどが渇くから邪道だと言うのに。まったく超分かっていない男ですね浜面は」
「じゃあ横から手を伸ばしておれ以上にモリモリ食ってんじゃねえよ。ほら飲み物も」
「おやおや。それで対策になるとでも? よりにもよって炭酸のLサイズを選んでくるなんて、上映中にトイレに行きたくなったらどうするんですか。やはり浜面は所詮しょせん超浜面といった所ですね」
「その炭酸飲料を受け取りながら座席の下で足をパタパタ振ってる女には何も言われたくねえよ」
 そうこうしている内に上映室の明かりが落ちた。びー、というおざなりな電子ブザーと共にスクリーンに光が当てられる。普通なら始まって一〇分ぐらいは配給会社の予告編がダラダラ流れそうなものだが、ここでは一発で本編が始まった。なんか、ほかに紹介する作品を用意できないぐらい色々と余裕がないらしい。
 CG全盛の昨今、ハサミで切り取ってフィルムへ直に張り付けたよと言わんばかりのタイトルテロップに目をやりながら、浜面はまづらは素朴な質問をした。
「なぁ」
「何ですか浜面この人生超最高期に」
「……開始三〇秒で顔を青く塗っただけの血気盛んなゾンビが満載なんだが、おれはどうしたら良い?」
「B級の楽しみ方が超分かっていない人ですね」
 本来は上映中のおしゃべりは厳禁なのですが、と絹旗きぬはたは前置きしつつ、浜両が買ってきたポップコーンを勝手にバクバク食べながら言う。
「よいですか。B級の見た目がショボいのは当たり前です。ぶっちゃけ金も人員もない連中が超必死になって作ったものなんて、よほどの事がない限り見栄え良くとはいきませんからね」
「じゃあ何でわざわざこんな小さな映画館のエコノミー席みてーな椅子いすにスッポリ収まってる訳? 表通りにあるデカい映画館でハリウッド超大作でもてた方が良いじゃん」
「そうですか? 公開されるたびに大ヒット記録を塗り替えたり塗り替えられたりするものよりも、案外B級とかC級とか呼ばれているものの方が宝玉みたいにかがやいて見えたり心に残ったりするもんです。まったく超おバカなんだからー、とか何とか文句を言いながらも、気がついたら超しっかり楽しんでいるものなんですよ」
「はぁー。良く分からん」
 やっぱりハナから楽しんでいるヤツにどこが面白おもしろいかを尋ねても無駄むだか、と浜面はあきれる。
興味のないバンドの魅力的みりょくてきな点を延々と解説されているような気分になる。
(下手な超大作より、案外B級とかC級とか呼ばれている方が輝いて見える、ねぇ)
 自分たちも似たようなものかもしれないと思う。
 世の中にはいろんな才能を持った人間がいる。しかしその才能を発揮できる場をきちんと与えられている人間はどれほどいるだろうか。莫大ばくだいな予算も優秀な人材も、それらを活躍かつやくさせる設備や施設もないまま、本人すら気づかぬままに埋もれていく『不出の才能キャラクターというのは、世界にどれだけいるのだろうか。
 例えば浜面仕上しあげ無能力レベル0判定を受けているが、それは教師側の『才能の育て方」に問題があったのかもしれない。例えば絹旗最愛さいあいはもっとのあたる場所へ行けば、健全にその能力を発揮できるかもしれない。学園都市にはたった七人の超能力者レベル5がいるが、本当にそれだけか。学園都市の外に広がる大きな世界には、その才能を自他ともに知らないだけで、八人目、九人目となる資質を持った人間が、案外その辺の道端みちばたで花でも売っているかもしれない。
 そう考えると、このちっぽけな映画館のスクリーンに映る青色ゾンビをバンバンほうむるマグナム刑事は、この不平等な世界に対する挑戦なのだろうか。自分の才能を最大限に発揮できる場所や運命からはじかれていながら、それでもおれはこの地球で一番人生を楽しんでいるんだとしらしめるための。
「……、」
 浜面はまづらの中で、スクリーンの情報が情景に変わる。
 確かにそういうおもいが頭に入っていると、作品に対する見方が変わってくるような気がした。じめじめした同情心とも違う、何だか妙な理解感。今あるものが完壁かんぺき面白おもしろいとは思わないが、これから面白くなりそうだと期待できる。それは信頼しんらいとも高揚とも取れない、不可思議な感覚だった。この監督の作品を追いたいと思えるような、継続的な感覚だ。
 これが、絹旗きぬはたかれるものの正体だろうか。
 その横顔へさりげなく目をやる。スクリーンから照り返す光を受けた彼女は浜面の視線に気づかない。ある種真摯しんしとも表現できる顔で、ひたすらにスクリーンへ意識を集中させている。
 そんな絹旗が、ふと口を開いた。

「だぁ-。超つまんねー」

 その瞬間しゅんかん、ズダーン!! と浜両仕上しあげは座席からひっくり返ってキャラメル味のポップコーンを辺り一面にぶちけた。
「うォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうい!! 身分証作って人を付き合わせてまでこんなマイナー映画をに来てんだろ!! せめて一番先頭で映画好きの旗をぶんぶん振ってた張本人ぐらいは楽しそうな顔をしろォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「おかしいですね。確かにパンフ読んだ時は超面白おもしろそうだと思ったんですけど。始まって一〇分ぐらいで心がはなれてしまいました。やっぱり映画は実際に目を通さないと分からないって事ですか。奥が深い奥が深い……」
「ちょっと待ってくれ。じゃあついさっきおれの中に芽生えたB級への理解感とか変な一体感とかは何だったんだ!?」
「何ですかそれ? こんな超駄作ださくを観たところで一体何を理解したというんですか。少なくとも、今この場面ではB級の楽しみ方なんて絶対に分かる訳ないと思いますけど」
「……ッ!?」
 変な肩透かしを食らって一気に映画に対する心の扉が閉まってしまう浜面仕上。そんな彼に追い打ちをかけるように、絹旗はあくびをしながらこう言った。
「ふぁああ……。まぁ二〇分後ぐらいにヒロインが超死にますね。なんかさっきから、スタッフ一同さっさとこのヒロイン殺したいですサインがびんびん伝わってきますし」
「もはや完全に感情移入する気がゼロ!? い、いいや死なないね!! このヒロインはゾンビ地獄を抜け出して主人公と一緒いっしょに朝日を見るに決まってるね!!」
「じゃあ超けましょう。私は死ぬにガム一個」
「死なないの!! 何故なぜならこの口数少なくて健気けなげなヒロイン俺のツボに入ってるから!!」
 言ってるそばから、スクリーンの中の紅一点がガブリとやられた。即死ではないものの、いかにも花が散りそうな表情で肌がどんどん真っ青になっていく。
 浜面はまづら仕上しあげが頭を抱え、『ガム超げっとー』という絹旗きぬはた最愛さいあいのやる気のない声が上映室にひびいた。
 映画館には、途中で投げない人と一緒に行こう。

第一八章 その名を継ぐにふさわしき 一〇月、第一金曜日

「やっと見つけました。半蔵はんぞう様」
 全身にくさりを巻いた忍びの少女は、静かな声でそう言った。
 ここは第二二学区の地上部分だ。ほかの学区と異なり、都市としての機能をほぼ一〇〇%地下市街でまかなっているこの第二二学区は、地上部分がすべて風力発電用の施設になっていた。ジャングルジムのように縦横へ張り巡らされた鉄骨が地上三〇階分ぐらい積み上げられ、その随所ずいしょへ立体的に発電用プロペラが並べられている。
 プロペラだらけの奇怪な風景の中に立つのは、頭にバンダナを巻いた一人の少年。
 半蔵と呼ばれた男は、柱のように立った鉄骨に背中を預けたまま、へその所だけ透明な黄色いミニ浴衣ゆかたの少女……くるわの顔を見据える。
「まったく、わざわざ身分をいつわってこんな街にもぐり込んで、半年近くも人を追いかけ回しやがって。何がそこまでお前を駆り立ててるんだ」
「再興を。高潔なる服部はっとりの家と、さらには伊賀いがの台頭を」
 よどみなく答えた郭。
 しかしそれを聞いた半蔵は、あきれたように息をいた。
「忍びってものを勘違いしているだろう、お前」
「……、」
「忍者ってのは、元はと言えばどっかの偉い武将さんが、そこらの山賊を金で雇った所から始まる。高潔な家なんて程遠い。のちに家を与えられた者もいるにはいるが、その発祥を辿たどれば辿るほど、俺達おれたちの本質は『どこにでもいるだれか』になるんだよ」
 半蔵はズボンのポケットに両手を入れる。
 そうしながら、彼はさらに続ける。
「良いか、郭。忍びのあるべき形は、雑草であり、害虫であり、脇役わきやくだ。……高潔なる家、なんて事を言ってる時点で、お前はこの世界じゃ生き残れない。理由は分かるか? やみまぎれて生きる俺達がそんなに光を放っちまったら、またたく間に集中攻撃こうげきを受けて皆殺しにされるからだ」
「それは、我ら忍びが有力者にすら畏怖いふされる存在である証左。しかし、ここから先はもっと効率的に立ち回る時代が来たのです」
 そうまでして自分の居場所が欲しいか、と半蔵は首を横に振る。
 本当に残念なのは、馬鹿ばかなヤツだと思いつつも心境を理解する事はできるという所か。
「お前のために言っておく。雑草に学べ、害虫を参考にしろ、そして脇役を敬え。雑草はどこにでもある。害虫はなくならない。そして脇役わきやくは風景に溶け込む。それらすべてを兼ね備え、凝縮ぎょうしゅくすることこそが……我ら忍びの本質だよ」
「分かり合えませんか」
「分かろうと思う努力をしない相手とはな」
「ならば」
 チャキ、という昔が、くるわ右袖みぎそでの中から聞えた。肩まで露出ろしゅつしている左腕と違って、片方だけ伸びている袖の中から。彼女がわずかに動くと、体に巻いているくさりも音を立てる。
「もはや説得はいたしません。力によって我が軍門に下り、これより私の手により服部はっとり再興の部品となっていただきます」
「過激なプロポーズだな。子供でも作ってほしいのか」
「それもまた、必要ならば。たとえ力づくでも」
 真顔で答えた郭に、半蔵は思わずため息をつく。
拳銃々けんじゅうでも取り出す気か?」
「あ、あれはやめました。……忍びらしくないと言われましたので……」
「?」
「そ、それに、銃器は仕組みが複雑である反面、その動作が不安定になる事も、それを意図的に誘発ゆうはつする方法もあります」
 首をかしげる半蔵に、郭は努めて平静に口を動かす。
「ものによっては、マガジンが一ミリゆがんだだけで動作不良を起こす機種もあるほどですし。半蔵様が相手では、かえってシンプルな得物えもので立ち向かった方がよいでしょう」
 ジャガッ!! という金属音が炸裂さくれつした。
 郭の袖の中から飛び出したのは、三〇センチ程度のかま。郭は体に巻いていた鎖を取り外し、その先端せんたんに鎌を取り付ける。鎖のもう片方のはしにあるのは、彼女の足首にはめられていた金属製の足枷あしかせだ。
「鎖鎌か」
 ズボンのポケットに手を突っこんだまま、半蔵は目を細めた。
「忍びの道具じゃねえな。……奇抜な暗器だが、目立ちすぎる」
「……、」
 郭は会話に応じなかった。
 言葉を交わす事すら許さず、無言のままたたつぶそうとしている訳ではない。

 キュガッ!! と。
 半蔵の体が、一気に郭のふところへ飛び込んだからだ。

 くるわが息をんで後ろへ下がろうとした時には、すでに半蔵はんぞうは正面から最後の一歩をみ込んでいた。ズボンに突っ込んでいた右手が、いつの間にか抜かれている。その手はこぶしを振るうように後ろへ引かれている。
 ただし、そでの中にキラリと光る物があった。
 それが鋭い切っ先であると認識した瞬間しゅんかん、半蔵の五指が勢い良く郭の顔面へ飛んだ。
「ッ!?」
 あまりにも素早くて、もはや体全体は追い着けない。郭は首だけを振って、かろうじて迫る一撃いちげきを回避する。
「打ち根……ッ!!」
「これが忍びの得物えものだよ」
 半蔵の手にあるのは、全長一五センチ程度の極めて短い矢。ただし投擲とうてき用ではなく、刺突用の矢だ。その用途から、世界最小の短槍たんそうとも呼ばれる暗殺用の刃物である。
 続けて迫る半蔵の突きに、郭は手に太いくさりを巻き、それを使って防御するしかない。鎖鎌くさりがまの本来の用途は、遠心力を使っておもりのついた鎖を投擲し、相手の武器をからめ捕った上で、鎌の先端せんたんで敵を討つ事だ。しかし、こうも密着されて連打を受けてしまえば、いちいち鎖を振り向して遠心力を借りるだけの暇がなくなってしまう。
 防戦に追いこまれながら、郭は歯噛はがみする。
 半蔵は本気を出していない。
 本来の忍びの技なら、最初の一撃で確実に殺す。それに失敗したら、すみやかに逃走する。にもかかわらず、そのセオリーに反しているのは、郭を封じて穏便おんびんに済ませるつもりか。
「甘く、見てくれたものだ……ッ!!」
 目上に対する敬語すらかなぐり捨て、郭は両手で鎖をピンと張ったまま、余った鎖をそのまま振る。遠心力も何もないジャブのような一撃だったが、半蔵はそれを避けるために首を後ろへ振る。
 そのすきに、郭は大きく後ろへ下がった。
 遮蔽物しゃへいぶつを間に挟むつもりか、風力発電用の鉄柱の裏側へ飛び込む。
「―――ッ!!」
 半蔵は即座に前へ。
 郭に形勢を整える時間を与えず、そのまま柱を回り込む勢いすら利用して、グルリと横に回すような一撃を放つ。ひらりと揺れる黄色い布を裂くように、そのまま打ち根のやじりを一気に突き込む。
 しかし半蔵の顔がくもる。
 そこにあったのは、脱ぎ捨てられた浴衣ゆかただけだったのだ。

 ヒュン、という音が聞こえた。

 半蔵はんぞうはそちらへ目をやった。半蔵が柱を回るのと合わせるように、逆側へ回り込んだくるわがいた。下着だけの格好になった彼女はわずかな時間を得て、くさりを回している。半径一メートル程度の円。二回、三回と回転し、速度と威力を増すおもりを見て、半蔵の全身が危機感を訴える。
(来るか!!)
 投擲とうてきした鎖で武器をからめ、動きを封じた所でおそいかかるかまの切っ先。
 不幸中の幸いなのは、鎖鎌はタイミングを計るのが簡単だ、という事だ。ヒュンヒュンと回転させながら力を蓄えている以上、その動きに会わせて適切な角度やタイミングで手をはなさなければ、錘のついた先端せんたんはあらぬ方向へ飛んでしまう。
 回転する錘と、空気を裂く音。
 意識を集中させる半蔵の耳に、一際ひときわ大きな、ヒュン!! という音が聞こえ、
(避け、―――ッ!?)
 とっさに横へ跳ぼうと重心を動かした半蔵は、そこで気づいた。
 郭は、まだ鎖を放っていない。
 ヒュン、という音は、郭がくちびるを動かして鳴らした口真似くちまねに過ぎなかったのだ。
「しま……」
 半蔵は気づいたが、一度傾けてしまった重心は即座に修正する事はできない。半端はんぱにためらったがゆえに、結果としてほとんど硬直してしまった半蔵の元へ、今度こそ本命の鎖が勢い良く飛んでくる。

 錘のついた鎖を放ちながら、郭は勝利の確信を得た。
 半蔵はこの一撃いちげきを避けられない。太い鎖は半蔵の右腕へ巻き付き、その動きを封じられる。後は郭が鎖を強く引っ張り、相手のバランスを崩した所で、草刈り鎌でトドメを刺せば終わりだ。
 決定的な優勢を感じながら、しかし郭はどこかで寂しさに似た感情を抱いていた。
 結局、半蔵とは、服部はっとりの家の力とは、この程度のものだったのか。
 歯軋はぎしりしながらも、郭の鎖は正確に半蔵の腕を捕らえる。
 わきひじの間に飛び込んだ鎖は、そのまま蛇のように半蔵の腕へ服ごと巻き付き、

 ボヒュッ!! と。
 半蔵の腕をすり抜け、そのままあらぬ方向へと飛んでいった。

「な……?」
 くるわは予想外の方向へ進むくさりの力に押されるように、やや前のめりになる。
 半蔵はんぞうの腕に巻きつくはずだった鎖が、まるで和紙に武器を当てたように、あっさりと突き抜けてしまった。その事実に対し、郭は一瞬いっしゅん遅れて事態に気づく。
 半蔵の右腕が、ひらひらと揺れていた。
 長袖ながそでの服から腕を抜いていたのだ。郭は布だけになった袖に向かって鎖を放ってしまったのだ。
 半蔵の右腕は現在、上着の胴体の所に収まっているのだろう。
 その状態で打ち根を放つ事はできない。
 ただし、
 打ち根を持っているのは、右手だけとは限らない。
 キュパッ!! と半蔵は勢い良く前へ出た。郭はとっさに鎖で防御しようとするものの、外した鎖の勢いに体を引っ張られたせいで、思うように動けない。
 タイムロスはわずか一瞬。
 しかしその間に、半蔵は決定的な距離きょりまでみ込んでくる。
「さ……」
 その瞬間、郭は何故なぜか笑っていた。
 眼前に迫る一撃いちげきを見て、服部家はっとりけの再興を望んだ少女は微笑ほほえんでいた。
流石さすがです、半蔵様!!」
 半蔵の左手に、キラリと光るものがあった。

 半蔵は崩れ落ちた郭の顔を、静かに見下ろしていた。
 下着だけの格好で倒れている少女には、目立った出血はない。最後の瞬間、半蔵は手の中にあった打ち根を引っ込め、拳々こぶしでで郭をたたきのめしたのだ。
「……ったく、幸せそうな顔でぶっ倒れやがって」
 半蔵は舌打ちした。
 彼女の生き様は、忍びの極意ごくいとは違う。とある一つの目的のために死をもいとわぬ精神は、本来この国の治安を守ってきた武士道の専売特許だったはずだ。
 彼にはできない。
 雑草であり、害虫であり、脇役わきやくである忍び。結局彼は、駒場こまばという友をくしても、浜面はまづらという友を失っても、たった一人でいつも通りの日々を過ごしていた。
 忍者なんて、別に強くも偉くもない。
 先ほどの戦いを見れば分かる通り、ちょっとした工夫で戦闘せんとうのリズムをこちらへ傾け、そのすきに死角から攻撃こうげきを加えるのが忍術の極意ごくい
 ゆえに、『特別な人間』でない半蔵はんぞうは、最初の一撃で確実に敵を殺せる戦闘せんとう以外は一切参加しない。そうである事が、密偵として生きる者の基本である事は理解していたのだが、
胸糞むなくそ悪りいな……)
 半蔵は首を横に振って、くるわが脱ぎ捨てたミニ浴衣ゆかたを拾い上げた。そういう術を学んだくノ一とはいえ、無造作にポンと半裸があるのはしのびない。気を失った郭の上へ、シートのようにミニ浴衣をかぶせようとした半蔵だったが、
「……、」
 そこで、カサッとした紙の感触があった。
 ミニ浴衣のそでの中を軽くあさると、その中から出てきたのは、ちょっとしたレポートだった。
(『原石』の、リスト……?)
 学園都市の中でもわずかにウワサに上っていた、天然モノの能力者。郭は、彼らを仲間に引き入れて新たな忍術集団でも作るつもりだったのだろうか。
 確かに、厳密に言えば、忍びは科学的なものだ。そして郭は半蔵と違い、派手で豪者ごうしゃで高潔な忍術集団を目指していた。そういう点からすれば、『原石』だけで構成された部隊を有する、というだけでも、かなりのアピールポイントになるだろう。
 しかし、半蔵がまゆをひそめたのはそこではない。
 彼は『原石』のリストを手にしたまま、静かに思う。
(……何故なぜ、こんな学園都市の機密文書を郭が手にしている?)
 郭は忍びの末裔まつえいだが、半蔵を捕捉するのに半年近くもかけてしまった人間だ。風景に溶け込む、集団の中に潜り込む事は得意であっても、広域から情報を入手する術にはけていないはずなのだ。
(このリストを用意しただれかが、郭を利用して何かをしようとしていた。ただ、そいつは誰だ? そして、一体何が目的だったんだ)
 しばらく考えていたが、結論は出ない。
(……この街で、一体何が起きていやがる)
 半蔵の手の中で、レポートがぐしゃりと音を立てた。

第一九章 輝く原石と血みどろの利権一〇月、第二金曜日

 学園都市統括理事会のメンバーというのは、どいつもこいつも金持ちばかりで頭にくる。
 貝積かいづみ継敏つぐとしが個人的に用意したホームシアターをぐるりと見回し、天オ少女・雲川くもかわ芹亜せりあは思わずこめかみに指を当てた。
 個人の邸宅には不釣り合いなドーム状の室内は、ホームシアターと名付けられているものの、音響おんきょうに重きを置いた空間だった。三六〇度ぐるりと取り囲むスピーカーの群れは、あらゆる壁の隙間すきますらピッチリと埋め尽くし、扉の裏側にまでも設置されているという入念さだ。
「知り合いにプロの指揮者がいてな」
 これまたアンティークな装置が似合いそうな礼服の老人がそんな事を言う。
「生演奏マニアを唸らせてやろうとあれこれつまらん事をしている内に、気がつけばこんな物が出来上がってしまっていた。妻と娘にもあきれられているよ」
「面倒くさそうな話だけど。これだけ大量のスピーカーを使用するとなると、専用の音楽メディアを用意する必要があるんだろうけど」
「まぁな。音質は素晴らしいのだが、一曲辺り二〇〇〇万ほど消費するので苦労する」
「滅んでしまえ」
 雲川はき捨てながら、シアターの巨大なモニタへ目をやる。チャチなプロジェクタではない。三〇〇インチは軽く超える、超高密度ディスプレイだ。これ一台で映画館が土地ごと買える代物しろものである。
 映し出されているのは、公開一年ほどで忘れ去られる大ヒット作品ではない。
 つまらん男の顔だった。
 雲川はそのまま永眠できそうなほどふかふかな革張りの椅子いすに座り、サイドテーブルにあった飲み物を手にしつつ、画面の方へ目をやった。
「成金趣味しゅみは気に食わんけど、内緒話ないしょばなしできる程度には防音をほどこされている。……そろそろ聞いておこうか。貴様の泣き言をな」
『い、言い訳をするような事は、何もしていない』
 画面に表示された巨大な顔が、そんな事を言った。
『説明するのも億劫おっくうだが、今回の件に我々は関与していない。調べてみれば分かる。一連の行動はすべて、我々のあずかり知らぬ所で自然発生しただけだ』
「なるほどな」
 言ったのは、雲川の座る椅子の背もたれに手をやった、貝積だ。
「すると、フランス、インド、オーストリア、タイ、アルゼンチン、その他、世界各地で一斉に『原石』たちが研究サンプルとしてねらわれ始めている事に、貴様は関与していないと言うのだな?」
『そうだ』
 画面の男はうなく。
『我々は過去にスターゲート計画などを立案・実行し、本気で能力者の軍事利用を考えた事はある。しかし、今回は違う。各々わのおの々の組織の成り立ちを調べて行けば分かる。彼らの間につながりはない。我々の「出資」で生み出された組織でもない』
「確かに」
 雲川くもかわはストローでピンク色の液体を一口含みつつ、サイドテーブルに置かれた書類に目をやる。付け合わせのフルーツのように用意されているのは、『原石』達へちょっかいを出している組織に対する調査報告書だ。
「学術機関、科学思想団体、スポーツ工学系集団、果てはちょっと変わった人身売買組織まであるな。確かにこれらがネットワークを形成している証拠はないし、貴様達の後ろ盾があるようにも思えんけど」
『当たり前だ。いくらCIAが有名だからと言って、世界中の陰謀いんぼうすべて我々のせいにされては困る』
「だろうな。ところで、貴様にちょっとした質問があるんだけど」
 雲川はバサリと資料をその辺へ投げ捨て、
「これら学術機関、科学思想団体、スポーツ工学系集団、ちょっと変わった人身売買組織……いずれの機関にも、ご自慢じまんのCIAのスパイが二名ずつもぐり込んでいるんだけど、どういう事だ?」
『ッ!?』
「気づかんとでも思っていたのか。各々独立した組織の間で、こうして当人にも気づかせんままネットワークを形成していた訳だ。……けど、どうした? 貴様の国の首脳陣とて、こういう方法は望んでいないだろうけど」
 画面の男は何かをまくし立てたが、雲川は聞かずに通信を切った。
 貝積かいずみは雲川の頭頂部を見下ろした。
「どう思う?」
「そうだな」
 グラスを揺らし、中にあった氷を軽く回しながら、雲川は答える。
「各々の機関については心配ないけど。彼らが『原石』をどういじり回そうが、実用レベルの能力開発技術なんぞ手に入れられる訳がない。勝手に失敗するのなら放っておけば良い」
「……、」
「ただし、スターゲート側は各々おのおの々の失敗データを入手し、統合しようとするだろう。失敗は成功のもと、という訳だな。無数の失敗データを参考に外堀を埋める事で、成功データを手に入れようとしているのかもしれんな」
「具体的なリスクは?」
 質問に対し、そうだな、と雲川くもかわは気だるい返事をして、

「〇%だ。心配はないけど」

 そっけない答えに、貝積かいづみは思わず息をいた。
 安堵あんどではない。それはあきれに近い。おそらく予想していたのだろう。
 雲川は続けて言う。
「そこまでやっても、彼らは失敗するだろう。かき集めたデータの使い道も分からず、勝手に頓挫とんざするだろう。しかしその失敗に気づかん限り、彼らは『原石』たちを消費し続けるのだろうけど」
「そうか。瑣末さまつ懸念けねんはこれで去ったな」
 貝積継敏つぐとしは短く言った。
 その上で、彼はさらにこう切り出した。
「さて本題に入ろうか。……これから、どうする?」
「ふん。相変わらず、甘い男だし
「各々の組織、勢力が勝手に失敗するのは分かった。だが、そのために『原石』が消費されるのは気に食わん。……いいや、『原石』などという言葉で表現するのはやめよう。今、命をおびやかされているのは、ちょっとした才能を持っているだけの、ただの子供達だ」
 もう捕獲作戦は始まっているかもしれない。『原石』と呼ばれる子供達を無傷で保護したいのなら、各々の組織が本格的な『研究』を始める前に決着をつけなくてはならない。何しろ、自称『研究機関』であるものの、実質的に能力開発関連の知識・技術はゼロに近い連中ばかり。思い込みや先入観に偏った彼らは、下手をすると捕らえたはしから解剖してホルマリン漬けにすらしかねない。
「私は以前、その質問には答えたはずだけど」
 雲川はくだらなさそうな声で、
「『原石』の総数はわずか五〇前後。対して、それをねらう変人科学者どもは数知れず。それなら、『原石』の方を対処した方が手っ取り早いけど、とな」
「……、」
「招けよ、学園都市に。保護してしまうのが最も効率的だけど。それをお前は、あの子達にもあの子達の生活があるとか何とか言って、結局何もしなかった。後手に回ったのはお前の優しさが原因だけど」
「非は認めよう」
 貝積かいづみは硬い声で言った。
「その上で、ブレインである君に無理な注文をする。具体的に、どう動く? 我々とは違うルートでCIAが用意した『原石』のリストに従い、じきにヤツらはそれぞれ、手近な所にいる子供たちに対して『採掘』を始めてしまう。今から学園都市の人間を派遣しても、世界各地で同時に始まる『採掘』には間に合わん。これを阻止そしする手立てはあるか?」
「日本にある学園都市から派遣するだけでは、確かに間に合わん。超音速旅客機を使っても、地理的な限界というものがあるけど」
 ただし、と雲川くもかわ端的たんてきに付け加えて、
「世界各地にある、学園都市協力機関を利用すれば事情は変わるけど。彼らが世界中で同時に事を起こそうとするならば、こちらも世界中で同時に動いてしまえば問題ないけど」
「簡単に言うがな」
 貝積は難色聖示した。
「協力機関と言っても、そんなに大層なものではない。ようは、我々とビジネス的な取り引きを行っている企業や、資源などを提供してくれる団体などが大半だ。こういった荒事を任せられるような、軍事的な側面を持つ協力機関など、指で数える程度しか存在しない。彼らだけで五〇人前後の『原石』を即座に保護するのは不可能だ」
 学園都市は科学に頼る現代社会のほぼすべてを間接的に制御できるが、間接的だからこそ命令はゆるやかに実行され、即応性は低い。『今すぐ世界中の軍隊を動かす』という便利なカードはないのだ。
「まぁ、表向きはそうなるけど」
「?」
「あまり借りを作るのは好ましくないけど、ここは素直に、あのカエルに頭を下げる事にしよう」
「先ほどから、何を言っている?」
「なぁに」
 雲川はストローを使ってグラスの中身を飲み干し、それから笑った。
「ちょっと、同じ顔をした女の子達に戦ってもらおうってだけだけど」

第二〇章 複数同時悲劇への対応とは一〇月、第二金曜日

 定時報告の時間です。
『イギリス、ガラシールズ・高次コンタクト協会にて、第四、第八、第一三ドームの制圧を確認しました、とミサカ一七〇〇〇号は報告しますし』
『スイス、ローザンヌ・世界知的倶楽部クラブにて、武装警備員を排除しました、とミサカ一八〇二二号は確認作業を行います』
『メキシコ、グアダラハラ・第六の感覚本社にて、研究棟の正面扉を爆破しました、とミサカ一四三三三号はさらに奥へみ込みます』
『アルゼンチン、デセアド・人体スポーツ解析センターにて、セキュリティの電子ロックの掌握しょうあく完了しました、とミサカ一五一一〇号は機密エリアへのルートを開きます』
『フィリピン、ダヴァオ・人類の英知総本山にて、脱出ていを確認、逃走前に片をつけます、とミサカ一〇〇九〇号は攻撃こうげきに入ります』
 ザザ……。
 ……ザザザ、ザザ……。
 ザザザ……ザザ。
『インド、アーメドナガル・神々の設計図本部にて、A、D、Lブロックの破壊はかい完了、とミサカ一二〇五三号は作業を続行します』
『中国、ペキン・人類進化委員会にて、攻撃ヘリが出てきました、とミサカ一九〇〇九号は適当なため息をつきます』
『ベネズエラ、ラ・パラグア・特殊エネルギー研究所にて、研究設備の八割の破壊に成功しました、とミサカ一一八九九号は引き続き作業に追われます』
『カナダ、ムースニー・心の宇宙調査室にて、非常発電装置含む全電源の切断を完了しました、とミサカ一六八三六号は暗闇くらやみの中で報告します』
『オーストリア、ザルツブルク・国際優良遺伝子バンクにて、白い猫ちゃんを発見しましたが今はそれどころではありません、とミサカ一〇五〇二号は後ろ髪を引かれながら戦闘せんとうに復帰します』
 ドタッ!!
 ガガガガッ! ダダン!! バン!!
 ズッパァァァン!!
『南極・地球外カオス観測所にて、反撃が来ました、とミサカ一九九〇〇号は応戦します』
『タイ、チェンマイ・オーパーツ歴史資料館にて、この程度ならミサカ一人でも何とかなるでしょう、とミサカ一二〇八三号は評価します』
『ポーランド、スタロガルト・抗電波救済委員会にて、どうやらこれが最後の抵抗のようです、とミサカ一〇八五五号は淡々と報告してみます』
『イタリア、ファエンツァ・未来へのつばさ中心核にて、こちらは戦車がいっぱいで面倒です、とミサカ一七二〇三号はげんなりします』
『スペイン、ログローニョ・精密ミクロ信仰会にて、なんか軍人崩れの暗殺者が出てきました、とミサカ一九四八八号は速攻でたたつぶします』
 ジャキッ!!
 ドッパァ!! ズダダダダダダダ!!
ヒィィィィィィィィィン!!
『韓国・クンサン・先端せんたん科学研究所にて、主要研究員をすべて拘束しました、とミサカ一五三二七号は報告します』
『フランス、アングレーム・国立夢占い解析所にて、いつか後悔させてやるとのコメントをいただきましたが、ミサカ一三〇七二号は構わずぶっ飛ばします』
『ブラジル、コダジャス・全世界覚醒かくせい連合にて、拘束した首謀者達しゅぼうしゃたちの処理は後続に任せ、ミサカは先を急ぎます、とミサカ一七四〇三号は最深部へ足をみ入れます』
『グアテマラ、サカパ・脳分布解明センターにて、抵抗勢力ゼロ、ミサカは「原石」の保護に入ります、とミサカ一〇〇五〇号は第七研究棟へ向かいます』
『ドイツ、ザルツギッター・超常紹介事典にて、隠し扉を発見しました、とミサカ一〇八四〇号は奥をのぞき込みます』
 じり。
 ……カツン……コツン……。
 きゅっ、きゅっ。
『スロベニア、ツェリエ・新エネルギー採掘機関にて、「原石」を発見しました、とミサカ一二四八一号は報告します』
『ノルウェー、ベルゲン・霊長れいちょうあかしにて、ミサカも「原石」を発見しました、とミサカ一八〇七二号も報告します』
『フィンランド、ロヴァニエミ・黄道アクセスライン普及委員会にて、「原石」の保護を開始します、とミサカ一九三四八号は手を差し伸べます』
『オーストラリア、シドニー・UMA生態解明倶楽部クラブにて、逃走ルートを確認、「原石」と共に施設を出ます、とミサカ一七〇〇九号は移動します』
『ポルトガル、ブラガンサ・第七世代兵器研究所にて、脱出に成功、「原石」の身の安全を確保しました、とミサカ一五二三号は一息つきます』
 いいえ。
 安心するのは早いです、とミサカ一〇〇三二号は緊急きんきゅう報告します!!
『? 一〇〇三二号がいるのは学園都市のはずでは? とミサカ一四〇一四号は質問します』
『そこから緊急報告が来るというのはどういう意味ですか、とミサカ一八八二九号は説明を求めます』
 侵入者です。数は一人。
 学園都市最大の『原石』、第七位の超能力者レベル5が狙いのようです、とミサカ一〇〇三二号は追加報告します!!
 ざざ。
 ザザ……ザザ……ザ。
 ざざざザザザざざざざざザザザザざざざざざざ!!

第二一章 正体など判断できない者達 一〇月、第二金曜日

 異様な光景と言えた。
 第一一区のコンテナ集合地帯。鉄でできた巨大な箱ばかりが並ぶ一角に、九人ほどの少女たちが倒れている。服装から髪型、身長、体格、果ては顔の作りまですべて同一の少女達。とある超能力者レベル5の体細胞を利用して生み出された妹達シスターズ
 転がるライフル、散乱する薬莢やっきょう、そしてぐったりと意識を失った少女達。それらの中心点に、一人の男だけがポツンと立っている。
 無傷。
 魔神まじんになるはずだった男、オッレルスは夜風を受け、わずかに目を細める。
 その力の大きさゆえに、魔術まじゅつサイド全体に追われる身でありながらも、それら追っ手を全て撃破げきはしてきた男は、科学サイドの総本山、学園都市の中であっても敗北しなかった。
「すげぇな、こりゃ。すげぇ事になってる」
 そんな声が、不意に飛んできた。
 崩れ落ちた少女達の包囲もうからわずかにはなれた所に、もう一人、別の少年が立っていた。ナンバーセブン、削板そぎいた軍覇ぐんは。学園都市第七位の超能力者レベル5にして、愛と根性のヲトコだ。
 彼は目の前の光景に対して、いやそうな顔をする。
 しかしそれは、同じ顔の少女達が九人も存在している事についてではない。
 削板は、そんな些細ささいな事など気に留めない。
「……こんなに華奢きゃしゃな九つ子、……で良いのか? まぁともかく、女の子達を容赦ようしゃなくボッコボコにしてご満悦か。すげぇな、お前。こんなにすげぇ根性無しは初めて見た」
「それなりに、理由というものがあってな」
 オッレルスはくすりと笑う。
 ゆっくりと、首を回してナンバーセブンを見る。
「学園都市が世界中にいる五〇人前後の『原石』達を回収してくれると言うのなら、それについては止めはしない。ただし、彼らがこの街で『原石』達を得体えたいの知れない研究の素体にしてしまうリスクはぬぐえない」
 イレギュラーな手法で招かれた上、『原石』達は学園都市の研究者にとっても稀少きしょうな存在だと位置づけられるだろう。どこかの変態科学者にでも目をつけられて、暗い研究所へ押し込められてしまう可能性もゼロではない。
「そこで、ちょいと釘を刺しておく事にした訳だ。牽制けんせい……というほど曖昧あいまいではないか。武力を使った交渉といった所かな。学園都市第七位にして、世界最高の『原石』である君を軽くひねっておけば十分だろう。それでヤツに、学園都市が預かる事になった『原石』を使いつぶせばどうなるか、私の意図は正確に伝わるはずだ」
「へぇ」
 ナンバーセブンはわずかに笑う。
「良いな、お前。そいつは根性のある台詞せりふだ。たかだが五〇人程度の子供たちのために学園都市の最暗部にケンカを売って直接交渉、か。そのために、超能力者レベル5の一人と物理的に対決する、か。結構結構、そりゃあ大変根性のある心意気ってヤツだ」
 だがなぁ、と削板そぎいたは一度言葉を切ってから、
「この子達がどこのだれかは知らねえ。だが、それこそ根性出して、死ぬほど頑張って戦った。もしかしたら、赤の他人の第七位、話をした事もないこのオレを守るためかもしれないな」
「……、」
「別に命をけるほどの義理がある訳じゃねえが、ここはちょっと根性出す。まぁ、そんな訳だから……本気で潰すぞ」
 直後、ナンバーセブンが取った行動はシンプルだった。
 オッレルスの元へカツッとみ込み、その顔をつかみ、手近なコンテナの壁へとたたきつける。

 ただし、
 それら一連の行動を、音速の二倍の速度で行うとどうなるか。

 キュガッ!! というすさまじい轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 鋼鉄のコンテナがあっさりとつぶれ、削板そぎいたの手からすっぽ抜けたオッレルスの体がコンテナの山を突き崩しながら教十メートルも直進した。トランプのピラミッドが崩れるようにコンテナ群は倒壊とうかいし、削板や倒れた少女たちの上にも降り注ごうとしたが、彼が両手を頭上に掲げると、空中のコンテナは火山のように吹き飛ばされていく。
 もうもうと立ち込める粉塵ふんじん
 ガラガラという不気味な金属音だけが、いつまでも不規則に続く。
 そして、ナンバーセブンは目を細めた。
「チッ。性根は腐っているくせに、ねじ曲がった根性だけは見せやがる」
「いいや、おれはやっぱり根性無しだよ」
 粉塵の中から、声が聞こえた。
 普源はシルエットとなり、オッレルスはゆっくりとこちらへ歩いてくる。
 彼は少しも変化していない。一本たりとも髪が乱れた様子がない。
「ただまぁ、理由ならある。君と違って、戦う理由ぐらいはな」
「―――、」
 ナンバーセブンはまともに応じなかった。
 目の前の根性無しに根性をたたき込むべく、削板はオッレルスへ接近を試みる。
 そこへ、

 今度は、オッレルスの力が真価を見せる。

 それは、一言で言えば『説明のできない現象』だった。
 その攻撃こうげきを直に受けた削板ですら、自分の身に何が起こったのか全く理解のできない攻撃だった。
 ただ、気がついた時にはナンバーセブンの体は大きく吹き飛ばされていた。肉体の表面からしんまで、そのすべてに均等なダメージがおそう。どこかワンポイントの打点があって、そこから衝撃しょうげきが広がっているのではない。まるで布を水に浸したように、不自然なダメージが全体に浸透している。
「……、?」
 まともなクリーンヒットをもらって、足から力が抜け、そのまま地面に崩れ落ちたにもかかわらず、削板軍覇ぐんはの頭にあったのは、恐怖ではなく疑問だった。
 オッレルスの攻撃こうげきは、生命の危機を感じる事さえ許さなかった。
「この世で最も恐ろしい攻撃は、『説明のできない力』だ」
 魔神まじんになるはずだった男のくちびるが、動く。
「どんなに不可思議な力の源があったとしても、それが剣と同じように振り下ろしてくるなら、剣と同じように受け止めれば良い。銃と同じように撃ってくるなら、銃と同じように防げば良い。言われて分かる程度の『未知の攻撃』なんてのは、まぁ、その程度のものだ」
 ぐぐぐ、とナンバーセブンはうつ伏せになった体勢から、起き上がろうとする。
 オッレルスは動かなかった。
 説明や理解のできる動作など一切しなかった。
 ただ、何らかの現象が起き、削板そぎいたの体がさらに後方へ吹き飛ばされる。
「ところが、『説明のできない力」には、そういう対処ができない」
 オッレルスの口調は静かでゆっくりだった。
「この世で最も恐ろしいのは、理解のできない所から、説明のできない力が働いて、対策も考えられない内に倒されている事だ。曖昧あいまいであるがゆえに条件の定義づけすらできず、どの方向に何万キロ移動すれば回避した事になるのかも不明なまま戦わせられる。それがどれだけ厄介やっかいなものかは、身をもって知ったと思う」
 削板の方から、おどろきの声はない。
 不完全とはいえ、オッレルスの『北欧王座フリズスキャルヴ』が二度も直撃したのだ。本来、伝承に登場する王座にそのような攻撃的な機能は存在しないが、だからこそ、それを強引に利用したオッレルスの術式はより一層『説明のできないもの』へと進化している。攻撃の範囲や威力の定義すら曖昧なまま放たれた『北欧王座フリズスキャルヴ』を受けて、おそらくナンバーセブンは、すでに意識を断たれているはずだ。
おれと君に大した差はない」
 力を抜いて、オッレルスはつぶやいた。
「ただ自覚的に『説明のできない力』を振るっているか、いないか。俺たちの違いはそんな所だろう。学園都市の研究員にも手出しできなかった、繊細せんさいかつ複雑な第七位。……いや、そもそも本当に超能力者レベル5に分類されるべきかも確信を持てない特殊能力者。そいつを君自身が理解できれば、俺に勝てたかもしれないな」
 魔神になるはずだった男の目的は、第七位と戦い、圧倒的な力でねじ伏せる事。
 大量の『原石』をかき集めた学園都市に対する、ちょっとした牽制けんせい
 ここまで派手にやれば十分だろう。オッレルスはそう思い、静かにきびすを返す。
「これでも一応、負けられない理由があるものでね。君には災難だっただろうが、ここは素直に倒れておけ。根性ごときでどうにかなる問題じゃない」
 そこへ、

「……聞き捨てならねえ台詞せりふだな、オイ」

 むくりと起き上がる気配があった。
 オッレルスはゆっくりと振り返る。そこに、満身創痍まんしんそういの少年が立っていた。正体不明の攻撃こうげきである『北欧王座フリズスキャルヴ』を二発も喰らって、確実に意識を落としたはずなのに、しかし立ち上がっていた。オッレルスの計算とは会わない結果。しかし、これこそがオッレルスたちの生きる世界でもある。
「人があきらめる前から勝手に根性無し扱いしてんじゃねえよ、クソッたれが」
 額から血が垂れる。
 呼吸が乱れる。
 しかし激痛を無視して、ナンバーセブンはオッレルスの顔をにらみつける。
「そう簡単にやられると思ってんじゃねえよ。偉そうにふんぞり返るだけが強さじゃねえって事を教えてやる……ッ! 根性ってのはな、優劣とかそんな程度で失われるようなもんじゃねえんだよ!!」
 ゴォ!! と何らかの得体の知れない力が削板そぎいた軍覇ぐんはを包む。
「見せてやるよ、本物の根性ってヤツを!! 大それた理由なんかいらねえ。曲がらず腐らず正面を行く男は、赤の他人だろうが何だろうが、傷つけられた女の子のために立ち上がる事ができるんだ!!」
 ナンバーセブンはき出る力の勢いにあらがわず、そのまま前へ走った。
『説明のできない力』を振るうオッレルスと違い、だれの目から見ても分かるほどシンプルに、ただ前へ。
 対して、オッレルスは笑った。
 笑ったまま、彼は説明や理解のできる動作など一切しなかった。
 三発目の『北欧王座フリズスキャルヴ』と、第七位の超能力レベル5
 表現不能、説明不能、理解不能の怪物達が激突する。
 そして、

第二二章 個人にその結末は掴めない 一〇月、第二金曜日

 ジョージ=キングダムの全身から脂汗が噴き出した。
 彼は冷戦当時、とある国家で行われた超能力開発プロジェクト、スターゲートの(書類上ではなく)実質的な指導者だ。その計画こそ失敗したものの、現在でも時折ウワサとしてささやかれるいくつかの事業を任されている実力者だ。CIAを自由に扱えるのも、そうした伝説の価値が高いからである。
 だが、
 そんな彼は、今まさに追い詰められていた。
 おかしい。ありとあらゆる不測の事態に備えていたはずなのに、現実というヤツはその隙間すきまくぐり抜けるようにとんでもない結末を運んできた。全世界で同時に行われた『原石』の強奪作戦。出資も設立の経緯もすべて異なる独立した五〇あまりの研究機関は、それらの成果を上げるよりも早く、何者かの手によって一斉にたたつぶされ、計画そのものを粉砕されてしまった。
 保身、という言葉が脳裏をよぎる。
 独断で計画を実行した上、それらが一つの成果すら見せず、ただ莫大ばくだいな損失だけを生み出した。こうなれば、上院議会はジョージを許さないだろう。彼の行動のみならず、彼の生命そのものを許さないだろう。
 しかし、そういった恐怖以上に、ジョージの頭を占めるものがある。
(何が……)
 疑問。
 それは、一体何者が彼の計画を物理的に阻止そししたのか、という一点に尽きる。ただし、各機関を襲撃しゅうげきした人物が、全く見えなかったという訳ではない。各地にもぐらせていたスパイたちからの最後の報告は受けている。
(何が、起きた……?)
 その上での、疑問。
 作戦は極秘裏。ゆえに、それらの情報を統合できたのはジョージ=キングダムのみ。だからこそ、この疑問を抱いているのは、この作戦にかかわった者の中でもジョージ一人だけだろう。
 何故なぜ
 全く同じ顔をした少女達が、世界各地を同時に襲撃したのだ?
 その時、ザザッという短いノイズがジョージの耳に入った。無線の周波数は側近にしか教えておらず、その側近は皆、先の襲撃で全滅したはずだった。
『そろそろ身辺整理は終わったか? 裁判のない結末は陰湿だ。一国を敵に回す事の意味ぐらいは、暗部にいたお前なら分かると思うけど』
雲川くもかわ……」
 聞こえてきた統括理事会のブレインの声に、ジョージは呆然ぼうぜんとする。
 怒りすら忘れて、ただ彼は質問する。
「あれは、まさか……貴様たちは、そんな事を……量産化を……」
『そうそう、その事だけど』
 天才少女・雲川芹亜せりあは気軽な調子で同意した。
『一応、体細胞を使った人間の製造は国際条約で禁じられているし、何より、今回軍事的な行動を取らせてしまった「あの子達」に無用なリスクを負わせるのもしのびない。借りを作った者として、いっぱしのアフターケア程度はしてやろうと思っているんだけど』
「……、」
 ジョージ=キングダムは、何となく知った。
 自分は、踏み込んではいけない所へ踏み込んでしまった。彼が今たたずんでいるのは、シェルターとしても機能する特殊施設の中だが、そんな事は全く気休めにならない。古来から、触れてはならないものに触れてしまった愚か者の末路は一つと決まっている。
 カツン、という音が聞こえた。
 小さな足音だった。
「まったく……久しぶりに現場に超復帰できたと思ったら、こんな超勘違い野郎の脂オヤジの相手をさせられるとは。まぁ、仕事が終わったらどこかで映画でも超観ていきましょうかね。どうせなら、日本では公開されていないマイナー祭りでもしましょうか」
 少女の声が聞こえた。
 ジョージ=キングダムは振り返れない。
 彼が首の筋肉に命令を送ろうとするより早く、すでに決着はついていた。

 ナンバーセブン、削板そぎいた軍覇ぐんはは傷だらけの体をさらけ出したまま、路上にぶっ倒れていた。
 仰向あおむけに転がる彼の視界には、星空が広がっている。
 辺一面は、激闘げきとう爪跡つめあとを見せつけるように、ムチャクチャな有様になっていた。コンテナの山は片っぱしから崩れ、アスファルトはめくれ上がり、所々では地盤そのものが割れて、がけのように盛り上がっている。
 そこまでやっても、勝てなかった。
 戦いの中で、魔神まじんになるはずだったと言ったあの男は、削板軍覇以上だった。
(すげぇな……)
 ポツリと、思う。
 圧倒的な力でたたきのめされたにもかかわらず、彼のひとみにはどこか純粋な光があった。それは希望だ。世の中はまだまだとんでもない化け物たちあふれていて、自分の知らない事もいっぱいある。広い。それがナンバーセブンの抱いた正直な感想だ。当たり前だが、世界は広い。
(世の中、すげぇヤツらばっかりだ)
 今回、ナンバーセブンは及ばなかった。おそらく、あの魔神まじんになるはずだった男は手加減していただろう。遊ばれていた、という自覚がある。全力で立ち向かって、遊びで軽くあしらわれて、おまけに命も取らずに見逃された。
 圧倒的。
 その事実を正しく理解し、そして星空を見上げていた削板そぎいた軍覇ぐんはは、やがてゆっくりとした動作でむくりと起き上がった。
 まるで、ちょっとした昼寝から目を覚ますような仕草。
 両手を上にあげ、ゆっくりと伸びをしたナンバーセブンは、くちびるを動かしてこう言った。
「さて、と。それじゃ―――根性入れ替えて、きたえ直しますか」

 アリゾナの砂漠には、ものすごく大雑把おおざっぱな道がどこまでも一本だけ伸びている。
 その途中で停車しているオフロードカlのボンネットに腰をかけて、携帯電話を耳に当てている男がいた。
 御坂みさか旅掛たびがけ
 世界に足りないものを提案する事で、暴力にたよらずに世界をより良い方向へ導いていく事を生業なりわいとする男だ。
「なーんか、色々と面倒な事があったみたいだな」
『いつも通りの荒事だ。君が出てくるような話ではない』
「だろうな。おれならこういう方法は使わない。今ざっと考えただけでも、もっと穏便おんびんなパターンが三つほど浮かぶし」
『コストの問題だよ。状況にもよるが、この場合は荒事でまとめた方が安上がりだ』
「つまらん台詞せりふだな」
 御坂は適当に息をいて、ボンネットに乗ったコーヒーカップを手に取った。
「ま、こうして世界中に散らばっていたわずかな可能性は、全部まとめて学園都市へ回収されていく訳だ。ただでさえ糸口もつかめていないような連中だったが、これで超能力開発成功へのヒントはほぼ完璧かんぺきに断ち切られた。まさに、お前だけが得する展開だ」
 苦い液体を一口含んで、御坂は笑う。
「ところで、そのめ事に関して、ちょっと確認しておきたい事があるんだが」
『何だ?』
「いや、相当現場も混乱していたようだし、証言の信用度は低いんだから『確認』なんだけどな。いやいや、学園都市は能力者の街だ。分身の術でも使えるヤツがいる可能性もあるし、何千キロ、何万キロと瞬間しゅんかん移動できる怪物がいるだけかもしれないが」
『……、』
「何だか、世界各地にあった五〇ヶ所近くの研究機関で、全く同じ顔をした女の子たち目撃もくげきされている、とかいう話があるんだよな」
 御坂みさか旅掛たびがけの口調が、変わる。
 感情の波が極端きょくたんに激変した訳ではない。しかし確実に、何かが変化した。
「さっきも言った通り、目撃証言は当てにならない。それに、学園都市は能力者の街だ。見た目で矛盾している現象があったとしても、実はそれを克服するだけの特殊な能力があるのだと言われれば、それまでなんだけどな」
『その辺は、想像に任せておこう。少なくとも、君が気を揉むような問題ではないとだけ答えておこうか』
 そっか、と御坂は適当に相槌あいづちを打った。
 さらに、彼はこう尋ねた。
「……では、目撃されている少女達の特徴が、ウチの娘に酷似こくじしているかもしれないっていう情報も、気を揉むような問題ではないんだな?」
『……、ふむ」
「なぁアレイスター。お前がそう言うのなら、別に良いんだ。どうせ最初っから、お前の言葉は信用できないしな。ただし、一つだけ覚えておけ。もしも本当にお前が妻や娘に手を出していて、それがおれの耳にまで入った時、何が起こるか。くだらない父親を敵に回す事がどれほどの事を意味しているか、ちょっとだけでも考えておく事だ」
『どうやって?』
 アレイスターと呼ばれた声の主は、シンプルな質問をした。
『いっぱしのフリー一人の手で、学園都市の統括理事長にどう攻める?』
「確かに、今のこの世界には、お前を一発で倒せるようなものは何もないのかもしれないな」
 御坂旅掛は、それを認めた。
 認めた上で、彼は続けてこう言った。
「ただ、俺の仕事は世界に足りないものを示す事だ。それが『足りない』っていうなら、そいつは俺の領分だ。だから、こう忠告しておいたんだよ。一つだけ覚えておけ、とな」
 大人達の会話は終わる。
 不穏ふおんなやり取りの後に、彼らは再び世界の暗部へもぐり込む。

 シルビアはアパートメントの廊下で掃除機をかけていた。
 どっかの馬鹿ばかが連れてきた子供たちの大半は教会に預けられ、新たな里親に引き取られて第二の人生を歩んでいるようだが、今でも数人の子供達がアパートメントに残っている。だれにも引き取られなかったのではなく、自らの意志でどっかの馬鹿の帰りを待っていたいらしい。
 彼女は息をく。
 自分は何で、今でもこんな所にいるのだろうか。ボンヌドダームとしての腕をみがくための長期海外研修はもう終わり、イギリスからは再三にわたって帰国命令が出ている。そもそも特に給料をもらっている訳ではないし、古くからの伝統的な主従がある訳でもない。自分の生活費を自分でかせいで暮らしているのだから、別段このアパートメントにしばられる必要すらない。勝手に馬鹿が出て行った以上、こんな所にいても意味はない。さっさとイギリスに帰るか、あるいはもっと立地の良い場所へ引っ越してしまった方がベターな展開のはずだが、どうにもシルビアはこのアパートメントを出て行く気になれない。
 まぁ、理由はくだらないものだろう。
 青葉に出すのも馬鹿馬鹿しい。
 もう一度シルビアが息を吐いた時、窓の外に何かを発見した。シルビアはつまらなさそうに髪をくと、掃除機を置いて玄関へ向かう。いつものようにドアを開けると、いつものようにシルビアはこう言った。
「ようお帰り、大馬鹿野郎」

   あとがき

 一冊ずつ読破していただいているあなたはお久しぶり。
 一気にまとめて読破してしまったあなたは初めまして。
 鎌池かまち和馬かずまです。
 SSの2です!! 今回は『本編を読んでいなくてもある程度分かるものがいいよね』的な感じで話を書いてみたのですが、いかがでしたでしょうか。魔術まじゅつサイド、科学サイド、おまけに普通の人サイドまで、結構いろんな角度からこの作品世界を表現できたかなと思うのですが。
 全体的なテーマは『長い月日』、キーワードは『原石』といった所でしょうか。
 なんとびっくり、この巻だけでほぼ一年経過していますよ。
 一応、SSの2というか『原石』についてはこの一冊で完結していますが、おそらく最後まで読んで『おや?』と思った方もいるはず。本当に解決したのかな、とか、あっちのあの人は特に回収されていないけどどうなっているの? とか。そういう引っ掛かりは正しくて、『原石』を軸にしたこのSSの2、実はほかにも『名言のされていない軸』が存在します。あれこれ想像してみるのも面白おもしろいかもしれません。

 そうそう、今回出てきた最強ランクの二人についてですが、ヤツらは基本的に、この手のバトルものでは反則とされるキャラクターです。何故なぜって、まぁ、バトルの順序とか一切決められませんからね。あるいは、『説明のできない力』の総量を上回る力で正面から大撃破だいげきは、とかいう強引な方向でまとめる事もできるかもしれませんけど。

 めずらしい連中といえば忍者も二人ほど登場していますが、この世界ではそういう『切り口』や『角度』という事で。この作品の中の忍者は、侍と同じく職業ではなく精神論の話になっていて、その辺をどうしてくれようか、みたいなゴタゴタが今回の話となります。彼らの話を掘り下げてみても面白そうですが、『脇役わきやくてっする事に意義がある』とかいう微妙な鉄則を持っているキャラクター達ですので、おそらくこの辺が無難でしょうね。ある意味、魔術師よりも水面下にもぐっている方々です。

 あと今回、最も強力だったのは御坂みさかパパだったんじゃないかなぁ、と個人的には思うのですが、いかがでしたでしょうか。これもまた、インデックス本編とは違う『切り口』の人間で、『殺し合い以外の方法で世界を変えていく』ようなヤツのお話です。ただし、彼は『戦わない』のではなく『戦い方が違う』というだけで、戦いそのものを否定する種類の善人ではありません。なまじ社会の基盤や土台のようなものにまで干渉するため、単にこぶしを握ってなぐり合う子供たちよりも危険なのかも?
 一応、御坂みさかパパに対抗できる人物が上条かみじょう刀夜とうやとなります。ダンディ達にも彼らなりの戦いがあるのです。まぁ、片方は部下にも振り回される出世の遅い企業戦士だったり、もう片方は奥さんにお財布を管理されていたりと、ちょっと難儀なんぎなダンディ達ですが。

 ……というか、SSの一冊目と二冊目だけを追い掛けてみると、このつながりのなさに愕然がくぜんとしますな。かろうじてスキルアウト壊滅かいめつ辺りが繋がっている、という感じでしょうか。何がSSシリーズだ、と自分でツツコミを入れてしまう所ですが、もうそういった区切りや定義はえて全部取っ払って、何でもありの舞台にしてしまった方が面白おもしろいよね、という訳で、多分三冊目が出るとしたら、さらにSS間の繋がりはなくなると思います。

 イラストの灰村はいむらさんと編集の三木みきさんには感謝を。舞台がコロコロ変わって面倒な事になったり、章がいっぱいあって大変な事になっていますが、お付き合いいただきありがとうございます。
 そして読者の皆さんにも感謝を。今回、『短期間で一冊が終わるというセオリーを試しにちょっとぶっこわしてみよう』というだけで始めたこのSSに、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

 それでは、今回はこの辺でページを閉じていただいて、
 次の本の表紙も開いていただける事を願いつつ、
 本日は、この辺で筆を置かせていただきます。
 おい、上条ちゃんの知らない所で色々起きてるぞ?鎌池和馬

とある魔術の禁書目録SS2
鎌池和馬

発 行 二〇〇八年十一月十日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 高野潔
発行所 株式会礼アスキー・メディアワークス

小説ーとある魔法禁書目録13.5SS

とある魔術まじゅつ禁書目録インデックスSS

鎌池和馬 / イラスト・灰村キヨタカ

 contents

序章 開戦前の穏やかな一日 Breakfast.

第一章 鍋と肉と食欲の大戦術 A_Required_Thing.

第二章 灰色の無味乾燥な路池 Skiif-Out.

第三章 イギリス潰教の女子寮 Russian_Roulette.

第四章 酔っ払った母親の事情 The_Two_Leading_Roles.

終 章 一つの意志と小さな鍵 The_Present_Target.

とある魔術の禁書目録SS

序 章 開戦前の穏やかな一日 Breakfast.

ちくわが一本余ってしまった。
「……うーむ」
賞味期限が本日午前一〇時ジャストのちくわを眺め、上条当麻かみじょうとうまは台所で呻き声をあげる。
ハムの代わりにサラダへぶち込むのが最近のマイブームな訳だが、これ以上投入すると彩りが悪くなってしまう。かと言って、あと二、三時間で賞味期限をオーバーするちくわをこのまま放っておく道理はない。
学生にとって、朝の時間は貴重である。
いつまでもうんうん悩んでいられないんだけど、この余ったちくわどうしよう………?と上条が途方に暮れていると、台所スペースに三毛猫みけねこがにゃんにゃん鳴きながら突撃してきた。冬毛になったからか成長したのか、少し膨らんできた気がする。
(……、)
上条は台所スペースから、ベッドの置いてある方にそっと視線を向けた。
そこには一人の修道女がいる。
名前はインデックス。
早寝早起きが信条なのか、いつもはだらけて床の上をゴロゴロしているだけなのに、この時間だけはシャッキリと背筋を伸ばし、床に膝をついて、両手を組んで静かに朝のお祈りなどを行っている。
三毛猫みけねこがこちらに来たのは、インデックスが構ってくれないからかもしれない。
(ふむ)
上条は余ったちくわを欄むと、台所の床に屈み込んで、決してインデックスには届かないよう、細心の注意を払った小声でこう言った。
「……ちくわを食べたいかー?」
にゃーん!!と三毛猫みけねこが大きな声で鳴いた。
嬉しさMAXという感じでしっぽをピンと立てている小型の愛玩動物に、上条はちくわを一本丸ごと押し付ける。
と、三毛猫みけねこはちくわの真ん中辺りをがぶりと唖えると、まるで犬が骨をもらったような格好で、再び台所から走り去ってしまった。
猫は自分のエサを取られないようにするため、一定以上の大きさの食べ物は隠れてコソコソ食べる習性があるのだ。
おそらくテレビの裏とかに潜り込むんだろうな、と上条は適当に考え、朝ご飯の支度に戻ろうとする。
そこへ三毛猫みけねこと入れ替わりに、インデックスが突撃してきた。
彼女は叫ぶ。
「ちくわを食べさせたいかーっ!?」
「は?いやちくわは一本しか余ってないし!!」
三毛猫みけねこがちくわを唖えているのを目撃したのだろう、インデックスの目がギラギラと輝いていた。しかも『何故三毛猫みけねこは摘み食いが許されて私は許されないのか』的なドロドロした感情まで追加されている。
上条は慌ててインデックスを押し留めようとする。
彼女に好き嫌いはない。外国人における和食への戸惑いもないし、このままではちくわ一本どころか台所にあるものが全て消えてしまう。
「待てインデック!!あと一○分、いや七分で朝ご飯です!だから冷蔵庫の中身を勝手に漁ろうとするのは―――」
「ちくわをちくわちくわーっ!!」
「もう意味が分からないし、溢前さっきまで一体何を祈ってたんだ!?このシスターさんは欲望全開じゃない!!」
待ってそれ作りかけだから待って!!と上条が止める暇もなく、インデックスは台所でバクバクと口を動かし始めてしまった。
一〇月三日、午前七時二分。
自分の分の料理も食べ尽くされた上条は、菜ばし片手に呆然と立つしかなかった。

第一章 鍋と肉と食欲の大戦術 A_Required_Thing.

  1

そんなこんなでお昼休みである。
「ぶあー。腹がぐーぐー鳴ってるー……」
諸事情により朝ご飯を食べ損ねた上条は、何とか午前中の授業を耐え抜いた。
昼休み開始直後の教室からは、学食や購買へ向かう生徒達がダッシュで消えていた。廊下からは『こらーっ!廊下を走っちゃ駄目なのですよーっー!!』という小萌先生の声や、『走ってません!上履き脱いで靴下で滑ってます!!』『靴下ドリフト展開中!!』などという運動部の声が交錯している。よほどの速度なのか、運動部の方はドップラー効果が出ているぐらいだ。
ただでさえ体力のない上条はそういった高いテンションから完全に出遅れた。
いつもなら昼休みにこの遅れは致命的なものとなるのだが、しかし今日は問題ない。
彼は薄っぺらい学生鞄を机の上にドカンと置くと、その中から必殺お弁当箱を取り出した。
さーて食べるかー、と上条が蓋を開けようとした所で、ふとポケットの中の携帯電話がぶるぶると震えた。
見ると、最近電話番号とアドレスを交換したばかりの御坂美琴みさかみことからメールが届いている。
「ありゃ?」
と、その内容を確かめるため液晶画面を見た上条は首をひねった。
『データが破損しているためこのメールを開く事ができません』と書かれている。
(何だろ。とりあえずこっちからメール送っておくか)
上条は親指でポチポチとボタンを押して、意味分かんないのでもう一度送れこの野郎と書いてからメールを送信した。
とりあえず携帯電話はポケットにしまうとして、今はお弁当である。
「むむ。何だか今日は珍しい」
そこへ近づいてきたのは小さな巾着を持った姫神秋沙ひめがみあいさだ。
いかにも和風な長い黒髪の少女で、何気に彼女は毎日お弁当なのだった。
「また美味そうなのを持ったヤツが来たな」
「ただで分けるおかずはない。やるならトレード」
言いながら、姫神ひめがみはその辺にあった椅子をずずずと引きずってくる。
上条は自分のお弁当箱の蓋をカパッと開けつつ、
「……昨日のご飯の余りがあったから、朝ご飯作る前に適当に詰めておいたんだけど……この弁当だけはあいつに食われずに済んだんだよな……」
「?」
上条の眩きを理解できず、姫神ひめがみは首を傾げている。
昼休み開始直後の喧騒は、クラスの大半を占める食堂組や購買組が廊下へ消えて行った事で一時的に退いていた。残る弁当組は自分の机だろうが他入の机だろうがお構いなしに陣取り、勝手にくっつけて食事スペースを確保している。
上条は登校中に手に入れておいた冷たい麦茶(故にぬるくなった)を鞄の中からごそごそ取
り出しつつ、
姫神ひめがみってよく毎日弁当用意する気力があるよな。残り物を詰め込むだけでも面倒臭かったぞ」
「一度習慣づけてしまえば。それほど苦労する事もない」
二人のお弁当の出来は一目瞭然で、姫神ひめがみの方には野菜の天ぷらが入っているし主食は白米ではなく混ぜご飯だし、何だかものすごく美味しそうに見える。単に残り物を詰め込んだだけの上条と、最初からお弁当を作るつもりで料理を作った姫神ひめがみの違いだろう。おまけに上条の方は、煮物などをそのまま入れてきたため、どろりとした煮汁がご飯ゾーンに侵食していたりもする。
やや気の毒そうな姫神ひめがみの視線に、上条はプラスチックのお箸を握りつつ、
「お弁当は見た目じゃないのです。煮汁が染みてたりすると意外に美味かったりするのです」
「……。負け惜しみ?」
「負け惜しみではない!!今日の煮物は芋の柔らかさから煮汁の出来まで完壁であって、その煮汁が染み込んだご飯だって美味いんだよ!てっ、テメェ、そんな顔をするならこの里芋をつついてみなさい! みりんの使い方がまた一段とレベルアップした上条当麻とうまの底力を知る事になるから!!」
じゃあかぼちゃの天ぷらと交換、という事で上条と姫神ひめがみのお箸が交差する。
(どうでも良いけど朝っぱらから面倒臭い揚げ物を作るって、こいつ何時に起きてんだ?)
意外に努力家なのかもしれない、と上条は思いつつ天ぷらを口に放り込んでみる。悔しいが美味い。お弁当箱に長時間入れておいたはずなのに、未だにパリッとしているのが謎だ。これは頼み込んで姫神ひめがみレシピを伝授してもらわなければ。
一方、姫神ひめがみはあんまり形の良くない、単身赴任のお父さんが仕方なく料理を覚えました的な里芋をちょっと眺めると、それを口に運んでもぐもぐと噛み、
「うん。悪くはないかも―――」
言いかけた所で、姫神ひめがみが唐突に『むぐっ!?』と呻き声をあげた。そのまま背中を丸め、喉に手を当てている。
どうやら喉に詰まったらしい。
「だっ、大丈失か!?」
上条が思わず大声で言っても、姫神ひめがみから返事はない。
ペットボトルのミネラルウォーターに手を伸ばす姫神ひめがみは、やや涙目だ。上条はうろたえたが、姫神ひめがみが空いた手を自分の背中の方に回しているのを見て、
「え、何だ。さすった方が良いのか!」
そう叫ぶと、姫神ひめがみは水を口に含みながらこくこくと頷いた。
上条は長い髪に覆われた姫神ひめがみの背中の真ん中に手を当てて、どのぐらいの加減が良いんだろ、と優しく上下させる事にしたが、姫神ひめがみの苦しそうな震えは収まらない。
「くそっ! これはもう保健室に連れてった方が―――ッ!」
「むぐ。もぐぐ」
「あ、そうか。もっと強くか!?」
後ろに回した手で背中の真ん中辺りを指差しつつ、小刻みに首を縦に振る姫神ひめがみ。上条は一刻も早くこの状態から姫神ひめがみを助けるため、もう無我夢中で彼女の指示通りに強く背中をさすったが、

ぷちっ、と。
ブラのホックが外れるイレギュラーな感触が上条の指に伝わった。

その途端に姫神ひめがみは無言で拳を握ると、それを上条のお腹の真ん中へ容赦なく突き刺した(乳揺れ率上昇)。ズドム!! というとんでもない音と共に上条の体がくの字に折れ曲がり、そのまま床に転がった。姫神ひめがみは胸の辺りを押さえて化粧室へと走っていく。

「げぶっ。い、言われた通りにやったのに……何でこんな不幸な目に……」
床の上でぶるぶると小刻みに震えている上条の元に、おでこで長い黒髪で巨乳のクラスメイト、吹寄制理ふきよせせいりが惣菜パンのビニール袋を片手にやってきた。どうやら吹寄ふきよせはロッカーから食料を取ってきた帰りらしい。彼女は呆れた声でこう言った。
「……何やってんだか」
「ふ、吹寄ふきよせ?」
上条はのろのろと起き上がって椅子に座り直してから、彼女の昼食を眺めて、
「お前、何でいつもそんな味気なさそうなパン食べてる訳?」
「味気なさそうじゃない!!ちゃんと美味しいわよ!!」
むきになって吹寄ふきよせは叫ぶが、彼女の持っているパンの包みには『脳を渚性化させる一二の栄養素が入った能力上昇パン』とか書かれている。薬みたいなご飯だった。
ムスッとしている吹寄ふきよせは上条の机にドカリと腰掛けてガブガブとパンにかぶりついているが、やはり美味しそうには見えない。
「おかずがないなら、俺の里芋を食べるかね?」
「……言っておくけど、今日のあたしはフロントホックよ」
「?」
唐突なカミングアウトの意味が分からず、首を傾げる上条。そんな彼の様子を見て、吹寄ふきよせはごほんと咳払いをした。
「しっかし、貴様が弁当作ってくるというのも珍しいわね」
「さっき姫神ひめがみにも言われた。自分でも珍しいとは思うけど」
上条が改めてお弁当を箸でつつき始めると、購買に駆け込んでいた連中が惣菜パンを片手にぞろぞろと教室に戻ってくる所だった。食堂組はもうちょっと後になるだろう。旬の話題が好きなヤツは、わざわざ学校の外に出て、この頃解禁されたばかりのコンビニおでんなどを買ってきている。
生徒達の昼休みの過ごし方は色々だ。
食後にいらなくなったプリントを丸めてキャッチボールをするヤツもいれば、ご飯を食べながら携帯電話のテレビ機能を使ってバラエティ番組をチェックしているヤツもいる。
しかし、ここ最近の話題はある事に共通していた。
漫然とそれらを聞いていた吹寄ふきよせは彼らと同じように、何とはなしに口に出した。
「……戦争、か」
ポツリと出てきた物騒な言葉に、上条は思わず箸を止めてしまう。
吹寄ふきよせは上条の様子に眉をひそめ、
「なに、貴様知らないの?ちょっとはニュースぐらい確認しなさいよね」
「知ってるよ。流石にな」
むしろ、上条は誰よりもそれを深く知っているかもしれない。
言ってどうなる事でもないが。
「まあ、それぐらい貴様でも知ってるか。ウチとどっかのでかい宗教団体がぶつかるかもって話だったけど。なんか、世界中でデモ行進とか抗議活動とか起こっているんでしょ」
それこそニュースからの受け売りなのか、吹寄ふきよせの言葉はどこか頼りない。
「参ってしまうわよね」
吹寄ふきよせは若干の不安と懸念を口調に乗せて、そう言った。
上条の顔が曇る。
箸の止まった彼に気づかず、吹寄ふきよせはため息をついてさらに続ける。
「だって、戦争が始まったらお肉とか野菜とかの値段が上がっちゃうんでしょ。あとお決まりの石油とかも!」
いきなりの場違いな台詞に、上条は少しだけ面食らった。
しかし周りから聞こえるウワサも、そんなものである。
携帯電話のテレビを眺めている運動部の連中は、
「街の入退場制限が厳しくなるから、社会見学なくなるかもって話だぜ」
「マジでかーっ!? 一端覧祭いちはならんさいにまで影響しねーだろうな!!」
とか言っているし、その横にいる女子達は、
「さっき職員室の前で聞いたんだけど、警備員アンチスキル《アンチスキル》の先生達が対策練るから中間テストどころじゃなくなるってさ」
「おっしゃラッキーっ!! 今回の身体検査は全く自信がなかったから助かったわーっ!!」
「もしもし。むしろ皆を出し抜こうとスプーン片手に猛特訓していたガリ勉ちゃんの私はどうすれば?」
などと笑い合っている。
これが学校……というか、街中で流れている、現在の『戦争が起こす大きな問題』だった。
学園都市とローマ正教の大きな争いが起こる、というのは分かっていても、それが具体的に自分達の身へ降り注ぐ、という所までは想像が働いていない。
それで良い、と上条は思った。
あんな血みどろの戦いを緻密に想像できるような環境になってしまったら、もう終わりだ。
そうならないように、上条当麻とうまは行動するべきだ。
「??? 貴様、さっきから何を黙ってる訳?」
「い、いや、何ても」
「……人様の胸を見ながら言葉を詰まらせるのやめなさいよね。ったく、何を想像してんだか!」
「想像なんかしてねえよ!! くそう、たまに真剣になってみればこんな調子か!!」
上条は苛立ち紛れにお弁当の里芋に箸をザクザク突き刺し、
「でも、肉とか野菜ってそんなに高くなんのか? 学園都市って、クローン食肉とか野菜の人工栽培とかやってんじゃん。ほら、そこらの農業ビルとかで。第一七学区の工業地帯とかが有名だったと思うけど」
「それにも限度ってのがあるんじゃない? 完全な自給自足なんてできたら、よその協力機関と連携なんか取らないでしょ!」
「ふうん」
上条は教室に戻ってきた姫神ひめがみを視界の隅でチラリと追いつつ、
「なら、今の内に鍋とか食べておいた方がお得なのかな。後になって、値が高騰してから食べときゃ良かったー、みたいな事にならないように」
「ま、一理あるわね。もうスーパーとかだと値上がりはじわじわと始まってるみたいだし、そういう事なら冬にはまだ早いけどさっさと食べといた方が良いかもしれないわ」
と、そんな言葉が耳に入ったのか、黒板の辺りで話し込んでいた青髪あおがみピアスと土御門元春つちみかどもとはる
『だから、膝枕で耳かきなんて本当は存在しないねん。あれはフィクションの中だけの産物だっつの!』『……いや、あるんだけどにゃー……』という談義を止め、上条達の方を見た。
青髪あおがみピアスは言う。
「あれ、カミやん今日鍋にすんの?」
土御門つちみかど元春が続けてこう言った。
「にゃー。すき焼きだったら安くて美味い店を知ってるぜい」
その会話は伝播していき、隣にいた生徒も加わり、
「一〇月なのに鍋って早すぎないか。なあ?」
そこから一気に会話の輪が広がっていく。
クラスメイト達が次々と接近してくる。
「何だ。お前ら今日どっか店行く訳?」
「美味い店の独り占めとは許せませんな」
「俺はむしろ鍋より焼肉の方が好みなんだが」
「待て待て。みんなで金を出すんだから多数決で決めようぜー」
あれ? と上条は目を点にする。
いつの間にか会話の主題が捻じ曲がっている。『お肉高くなる前に鍋でも食べておこう』から『クラスのみんなで晩ご飯を食べに行こう』になってしまっている。
「つか、何でまたいきなり鍋な訳?」
大覇星祭だいはせいさいの打ち上げ―――はこの前やったよな」
「一端覧祭の準備式とかそんな感じじゃねーの?」
上条を取り巻く集団の中で様々な憶測が勝手に飛び交ったが、最終的には『もういいよ理由なんて!』『鍋が食えればそれで満足じゃーっ!!』という方向で収束していく。そもそも話題の中心にいた上条とかはポツンと置いてきぼりで。
「多数決多数決!!」
「すき焼き!」
「焼肉!」
「おでん」「ボクモオデンー」
「誰だ今腹話術使ったヤツ!?」
「しゃーぶーしゃーぶー(×6)」
「5.1チャンネルサラウンド!?誰か能力使って音源増やしてやがるぞ!!」
どばあ!!と教室全体がスタジアムみたいに大声で爆発する。
しまいには土御門つちみかど元春が『この土御門つちみかど式隠れた名店メモがあればどんな二ーズにも応えられるにゃーっ!!』と叫び、青髪あおがみピアスが『じゃあカッ飛んだウェイトレスさんのいるお店がええなあ! 巨乳で天使の笑顔で彼氏なしの!!』と切り返した事で、場の騒ぎが『いやチアリーダーみたいな制服のウェイトレスさんはいるって!!』『いないよそんなの!テニスウェアっぽいのは見た事あるけど!!』という訳の分からない討論へ移っていく。
ぎゃああ、と上条はおろおろした後、
「ふっ、吹寄ふきよせさん?どうしよう、なんか大変な事にっ!?」
「ったく……」
吹寄ふきよせは小さく息を吐くと、一度顔を洗うように両手で表情を隠し、その両手を一気に上にあげて頭の後ろへ回して、耳に引っ掛けていた髪を完壁な形でオールバック状に整え直したのち、さらにいくつかのヘアピンで固定していく。
彼女は本気だ。
上条は思わず叫んでいた。
「―――吹寄ふきよせおでこDXッッッ!?」
「さあ!! このあたしが面倒見てやるからさっさと清き一票を入れなさいッ!!」
吹寄ふきよせは教壇まで行くと、あんまり綺麗に掃除されていない黒板をドバンと叩いて大声を出す。

  2

見た目一二歳の女教師、月詠小萌つくよみこもえと年がら年中ジャージの爆乳女体育教師、黄泉川愛穂よみかわあいほは並んで廊下を歩いていた。もうそろそろお昼休みも終わりである。
「……なので、猫ちゃんの脳は人間で言うと「一歳半ぐらいなのです。学園都市の時間割々かりきゅらむりは最年少でも五歳から始まりますので、結論から言って猫ちゃんに能力は使えない……というのが霧ヶ丘女学院きりがおかじょがくいん磯塩いそしおさんの論文内容なんですけどー」
「何だか嘘臭いじゃんよー。他の動物だって能力が発現したって報告はないじゃんか。ま、イレギュラー能力開発が売りの霧ヶ丘なら、それぐらいぶっ飛んでる頭の方が色んなアイデア出てくんのかもしんないけどさ」
黄泉川は適当に後ろで束ねた黒髪を揺らしながら、
「霧ヶ丘って言えば月詠センセ、また新しい家出少女を保護したって言ってたじゃん。あの子どうなってるの~」
「えへへー。姫神ひめがみちゃんが学校の寮に入ってからちよっと寂しかったですけど、結標むすじめちゃんが来たからもう大丈夫なのですよ。その霧ヶ丘で何かあったみたいで、とりあえず向こうから事情を話してくれるまで先生は待っているのです。姫神ひめがみちゃんと違って家事ができない子なので、そっちの方も勉強中なのですよー」
へえー、と黄泉川は素直に感心した声を出し、
「……ウチの居候は、薄情にもさっさと出て行っちまったじゃんよー。それも書き置きの一つもなしじゃん。今朝、長点上機学園から転入手続き完了の紙切れが突然届いたって感じ。どうやら今はそっちの寮にいるらしいんだけど」
「えっ!? 長点上機ながてんじょうき学園って言ったら能力開発分野でナンバーワンなのですよ! ほら、今年の大覇星祭でも常盤台ときわだい中学を打ち破って学校部門で優勝したっていう」
「そうなんだけどねー。なーんか腑に落ちないっつーか、もう一人の居候を置いて出て行くのが不自然っつーか……ま、こっちも色々あるじゃんよ」
とか何とか言い合っている内に、それぞれ受け持っているクラスの前へやってきた、小萌先生と黄泉川のクラスはお隣さんなのだ。
同じ学年なのだが空気というかカラーの違いは一目瞭然で、黄泉川の方は昼休み終了五分前なのに、もう次の歴史の教科書などを揃え、余った時間で宿題を見せ合ったりしている。黄泉川が受け持っているのは体育なので関係ないが、おそらく歴史教師は心の中で涙を流して喜んでいるだろう。
それに対して小萌先生のクラスは、

「けってーっ!! 今夜はみんなですき焼きに決定しましたーッッッ!!」

どおお!! とロスタイムにゴールが決まったサッカースタジアムみたいな歓声が前から後ろへ突き抜け、その大轟音に小萌先生がひっくり返る。廊下の窓ガラスまでがビリビリと振動していた。
小萌先生はよたよたと起き上がると、
「わつわわわ!! よ、黄泉川先生っ。申し訳ないんですけどちょっと収拾をつけてくるのですーっ!!」
おろおろしながら自分の教室へ飛び込んでいく小萌先生。
その背中を眺めながら、黄泉川はポツリと眩いた。
「……良いなあ。馬鹿みたいな事ばかりで」

  3

そんなこんなで今夜はすき焼きである。
クラスメイト全貝+小萌先生+インデックス+三毛猫みけねこというメンツで、土御門つちみかど元春の知っている鍋の店へと歩いて行った。大覇星祭の打ち上げの際、すでにインデックスはクラスの中に乱入して五秒で馴染んでしまっていたので、今回はもう何というかクラスに対する説明すらも不要だった。
完全下校時刻を過ぎているため、電車もバスもない。
従って、お店は第七学区の中限定という事になる。
そこは複雑に入り組んだ地下街の一角で、様々な料理や栄養関係の学校が実験的にお店を集めているようだった。さては土御門つちみかどの義妹の舞夏まいかの家政学校の店も入っているな、と上条はこっそりため息をつく。
件のすき焼き屋さんはと言うと……
「……おわあ」
上条は思わず呻き声をあげた。
近代的なデザインばかりの地下街で、その一軒だけが妙にすすけているというか、もっと口語的に言うとポロっちい。客を集めている感は限りなくぜロだった。『こういう所が意外に美味しいんだよ、頑固オヤジとかいてな』ではなく、もはや『……逆にこの店構えで不味かったら、どうフォローすれば良い訳?』のレベルである。
よほど自信があるに違いない、と上条は息を呑みつつ、何となく最前列にいたので入口の戸をガラガラと横に引いてみる。
レジの所にいたのはやる気のなさそうな学生店員だったが、上条達の総数が四〇人に届くと聞くと店の奥へ引っ込み、そちらからは『おおっしゃーっ!! 大漁じゃあーっ!!』『おい売り上げグラフが今日だけ上にとんがっちまうぜーっ!!』というゼニ丸出しな声が飛び交う。
上条は肩を落としつつ、
「ま、団体様だもんな」
「そもそも電話もしないでいきなり四〇人も店に向かうのがおかしいし、そいつを笑顔で丸ごと受け入れられる時点で普段のガラガラぶりを感じて欲しいにゃー」
と言ったのは土御門つちみかどだ。そこへさらに、
「ところでなのです」
小萌先生が割り込んだ。彼女は壁にかかった、やや油を吸っているっぽい色合いのお品書きを眺めて、
土御門つちみかどちゃんは、何で地ビールだけで三〇種類も揃えているアルコール最高のこんなお店を知っているのです?」
「ぐっ!? い、いや!! 違うですにゃー高校生がアルコールの摂取など考えられないにゃーっ!!」
土御門つちみかどちゃん? 土御門つちみかどちゃーん?」
小萌先生が限りなく胡散臭い瞳を向けていたが、ここで騒がれると鍋はお預けになってしまう。上条達クラスメイトは小萌先生の全身を掴むと、まーまーまーまーと言いながら強引にお店の団体様用宴会席へ向かう。
先生は何か言いたそうだがみんな取り合わない。
当然ながら一つの鍋を四〇人前後でつつきまくる訳にはいかないので、自然といくつかのグループにテーブルが分かれる事になる。『始まるぞお!』「鍋が始まるぞおーっ!!』と各々は勝手にテンションを上げ、意味もなくテーブルの上にあるガスコンロのツマミをひねったり、割り箸を綺麗に割るコンテストを決行したりと大忙しだ。
三毛猫みけねこは小さな鼻をひくひく動かしては嬉しそうにみゃーみゃー鳴いていたが、またもやネギ類禁止令のためすき焼きはお預けである。
あまりにも無残なので、上条は鍋と一緒に注文したものの先に来てしまった手軽なおにぎりを三毛猫みけねこの前に置いた。『おのれーっ!! みんなは肉なのに俺だけシャケかよ!!』と三毛猫みけねこは不機嫌そうにしっぽを膨らませながら、前脚でおにぎりの両サイドを掴み、頭からガブリとやっている。
注文した鍋を待つ間、クラスで話題になっているのは、やはり学園都市の『外』で起きている混乱についてだ。
姫神ひめがみはボソボソした声で、背中合わせの位置にいる吹寄ふきよせに話しかけている。
「そういえば。大能力以上の子には。身元の申告書類を提出するようにって話がいっているみたいだけど」
「大能力とか超能力とかって言ったら相当の使い手でしょ。ふん、やっぱりやばくなったらあたし達も矢面に立たされるのかしらね!」
むしろ逆かも、と吹寄ふきよせの隣に座っている上条はこっそり思った。近くにいるインデックスは訳が分からなそうな顔で首をひねっている。
御坂美琴と御坂妹の関係を見れば分かる通り、能力は単純なDNA情報だけで決定するものではないらしい。となると、貴重な能力を持つ生徒達をみすみす失いたくはないだろう。特に超能力者レベル5となれば、それだけで専門の研究所が作られかねないほどの価値があるのだから。
それに関連する話題としては、
「なーなー。常盤台中学の学バスは耐爆防弾仕様だって本当なん? なんかウワサじゃ不意の砲撃でも安心とかいう話らしいんやけど」
「にゃー。つか巷でささやかれている『学舎の園』の情報なんて嘘臭いぜい。あそこの機密が一般に漏れるなんて事はある訳ねーだろ」
上条から見て斜めの席にいる青髪あおがみピアスと、どこかへ電話をするために席を立って、今戻ってきた所の土御門つちみかどの会話は、馬鹿馬鹿しいが妙に信憑性がある気がする。
仮に常盤台中学のお嬢様達がごっそり犠牲になったら、政財界を中心にあっちこっちで激震が走るのは間違いなしだ。人の命って平等じゃねえよな、と上条はため息をつく。
他にも、
「はああ!……。保護者の皆様から『もし戦争が起きたら学園都市は危ないから子供を返して』っていうお問い合わせが増えているのですよー」
「え、そんな話にもなってんですか」
ちょっとやつれた調子の小萌先生に、上条はきょとんとした。
テーブルを挟んで上条の向かいに座っている小萌先生はなかなか来ない鍋を気にしつつ、グラスに入った冷水を口に含み、
「ま、大切なお子様ですからね。理解できる一面もあるのですけど……でも学園都市より安全な場所ってどこなんでしょう? 国内外を問わず、これほど警備体制が充実した安全地帯はそうそうないと思うんですけど」
それはどうだろう、と上条は苦笑いになった。
この数ヶ月で何回病院送りにされたか、もう数えたくもなかったりする。
そこへ上条の隣にいるインデックスが、
「とうま、私はお腹がすいたんだよ」
「……もうすぐ鍋が来るから。つか、お前は本当にマイペースだな」
「私もおにぎり」
「駄目だ! それは三毛猫みけねこ用!!」
上条が叫ぶと、三毛猫みけねこは全身の毛を逆立てて『ふざけんな! 俺は肉も食べられないのにシャケすら取られんのか?』と威嚇の声で鳴きまくった。
と、
「鍋が来たぞーっ!!」
土御門つちみかどが嘘つき少年みたいな大声を出した。
上条達がそちらに注目すると、数人の店員さんが両手で黒い鉄の鍋を持ってきた所だった。
すでにぐつぐつ音を立てている鍋からは、確かに土御門つちみかどが勧めてくるだけあって、家庭では作れなさそうな良い匂いが漂ってきている.
どれどれ、と上条は店貝さんの持っている鍋を覗き込もうとする。
ここで上条は周辺のクラスメイト達から取り押さえられた。近くにいたインデックスが小さな悲鳴をあげ、吹寄ふきよせは鬱陶しそうな顔で息を吐く。
「ぐわっ!? テメェら何をする!!」
「馬鹿野郎! お前が関わったらあの鍋がひっくり返ったりするんだッ!!」
「唐突にな! ほら特にあの可愛い顔で胸は巨乳の店員さんとか超危険!!」
「お前の幸せのために俺達が空腹になるのは間違っているだろう!?」
色々と反論したいのだが、多勢に無勢である。彼の右手に宿る幻想殺々イマジンブレイカーしは食欲満載のクラスメイト達には何の効力もないのだ。
そんな事もあったせいか、今回は何の前触れもない不幸は訪れなかった。
ただ、例の可愛い顔で胸は巨乳の店員が、現行犯逮捕みたいになっている上条を見て『だ、大丈夫ですか?』と言ってきたので、クラスメイト達は結局やられたなと思ったらしく、
「……せめて不幸にならないと余計にイラついてくる」
「ボソッと言うなよ怖いんだよ!!」
たくさんの腕を振り解いた上条は叫ぶが、クラスの連中の注目は鍋である。
上条は気を取り直してすき焼き用の生卵をテープルの角にぶつけ、バコリと殻を割って中身を茶碗に落とす。それを割り箸でガチャガチャかき回していたが、
「……上条。何で貴様はそんなにモタモタと卵を溶いてる訳?」
不意に、隣に座っていた吹寄ふきよせが超不機嫌な声でそう言った。
「へ?」
「ぐああもう見てるとイライラする!! ちょっと貸しなさい、卵ってのはもっと素早くやるのよホラこうやって!!」
「ひぃ仕切り屋!?」
茶碗を奪われた上条は、さりげなく吹寄ふきよせから菜ばしを遠ざけて拓く。このままではせっかくのすき焼きで野菜だけをてんこ盛りにされかねない。
一方、青髪あおがみピアスはまるでこの展開を読んでいたかの如く吹寄ふきよせから一定の距離をキープした安全地帯で、のんびりと上条に声をかける。
「メニューを見る限りだと、まだ値段は変わっとらんようやね」
「あ、ああ。でも仕入れの段階では上がってるかもな。これが一時的なものかどうか分からないから今は様子見してるだけで、実は今すぐ値上げしたいかもしれないぞ」
「つまり今の内に食っておけって事やね!そりゃーっ!!」
「そりゃーじゃねえよテメェ肉ばっか取りやがって!吹寄ふきよせさんもこのブラックバスみたいに鍋の環境を破壊する肉食野郎をどうにかしてーっ!!」
上条も負けじと菜ばしを伸ばすが、こういう時に限って肉だと思ったら煮汁を吸ったしらたきだったり、掴めたと思っても小さな切れ端だけだったりと散々である。おまけに吹寄ふきよせから無闇に菜ばしで鍋をかき回すな豆腐が崩れると言われてグンコツをもらった。
それでも何だかんだ言ってもみんなで鍋を食べるのは楽しいものだ。むしろ何で今までウチでは鍋をやらなかったんだろう、と上条は首をひねっていたが、
「はっ!? そうか……インデックスの腹具合の問題が―――ッ!?」
その懸念に気づくより一足早く、白い修道服を着た少女の目がギラリと輝く。
とんでもなく嫌な予感がした。

  4

育ち盛りの高校生達はセットの鍋だけでは物足りず、追加注文がテーブルに届くまでは各自自由行動という事になった。大半のメンバーはお店の中でぎゃあぎゃあ騒いでいるが、上条はちょっと外に出て一休みしている。と言っても、そこは地下街なのであまり外という感じもしないのだが。
(戦争、か……)
実感の湧かない、いや、湧かない方が良い言葉を、上条はふと思い浮かべる。
地下街には、大学生を中心とした、上条よりもやや年上の人達が行き交っていた。その誰もが楽しげに笑っていた。それは平和そのものだ。どこにでもあるいつもの街並みだ。戦争という言葉の信愚性が薄れてしまいそうになるぐらいに。
それでも、爪痕は確実に残っている。
九月三〇日に起きた騒動で、街の一角は複数のビルが薙ぎ倒されているし、学園都市外周部は地形が変わるほどの爆撃を受けていた。そういった爪痕は、一日二日で直せるものではない。
これからは、あれが世界中で起こるのかもしれない。
地球儀をバラバラに打ち砕くような出来事だって、絶村起きないとは確約できない。
ローマ正教。
神の右席。
(……、何とかしないとな)
具体的に何ができるかなど知らない。そもそも、一介の高校生にできる事の範囲を超えてしまっている気もする。
しかし、つい先日この街へやってきた、前方のヴェントはこう言っていた。
上条当麻とうまを抹殺するために学園都市を襲撃した、と。
大きな流れの中に、上条がいるのではない。
上条を中心として、大きな流れができつつある。
(何が何だか分かんねえが、それなら俺にも何かができるかもしれない。蚊帳の外にいるんじゃない。誰が決めたか知らねえが、俺が話の軸にいるなら、その流れの方向性を動かす余地ぐらいは残されてんじゃねえのか)
せっかくの鍋なのに、考えれば考えるほど気持ちが沈んでくる。上条は気分を変えるために携帯電話を取り出してみると、いつの間にかメールが着信していた。
相手は御坂美琴みさかみこと
昼休みの件かなと思ってメールを開こうとしたが、受信フォルダを開いても『件数〇』とか書かれている。どうもスパム扱いされ、別のフォルダに自動で隔離されてしまったらしいが、親指であれこれ操作しても、そのスパム用フォルダが一向に見つからない。普段あまり使わない機能なので見当もつかなかった。
「???……何だったんだ?」
上条は首をひねるが、詳しい事は後にしようと携帯電話をポケットにしまう。
「カミやん」
と、そんな上条の背中に声がかかった。
振り返ると、そこには土御門つちみかど元春が立っていた。
その手には一五センチぐらいの小さな金属ボトルが握られていた。中身はウイスキー辺りだろう。小萌先生に内緒でこっそり飲みに来たのかもしれない。
土御門つちみかどの見た目はあくまで普通だった。絆創膏一つない。しかし九月三〇日にはこの男もこの男で命懸けの戦いをしていたらしく、注意して見ると、歩き方などが微妙にぎこちなかった。
普段からスパイを自称している土御門つちみかどが、素人の上条から見ても『ぎこちない』と分かってしまうぐらいなのだ。やはり、軽傷ではないのだろう。
土御門つちみかどは、上条がどうしてクラスの輪からこっそり抜けたのか、それを理解しているらしい。
彼は笑ってこう言った。
「……これから起こる『戦争』が、全部自分のせいだって思ってんなら間違いだぞ。お前のせいでクラスのみんなが巻き込まれるんじゃない。お前はこれまで、周りの連中を守ってきたんだ。だから、そこで疎外感を覚えるのは筋違いだな」
「……そうか、な」
「そうだよ。戦争が起こったのは裏方がしくじったからだ。カミやんみたいな素人は、『どこかの誰か』のせいだって憤ってりゃ十分だろ」
その声を聞いて、上条は思わず笑った。
結局上条も土御門つちみかども全く同じように、自分で自分の荷物を背負おうとしていたらしい。
土御門つちみかどは言った。
「始まるぞ」
「ああ」
「戦いの規模が変わる。ガキのケンカでどうにかなるレベルを超えちまう。カミやんも自覚した方が良い。今のままで、これからの局面を潜り抜けるのは難しいだろう」
「……そうだな」
上条はわずかに視線を落とした。
そこには、緩く握り締めた自分の右拳がある。
「俺だって、このままで良いとは思えない。何が不足している、っていうより、不足しているものの方が多いぐらいだからな。むしろ、今まで何とかできてきた方が奇跡的だったんだ。多分、そいつを正しく認識できなければ、俺はこの先には進めない」
「向こうはこっちの準備なんかのんびりと待ってくれないぞ」
「そうだろうな。それでも、やるべき事は分かってるんだ。どんなに小さい事でも、一つ一つ学んでいくしかない」
そこまで言って、上条は再び視線を上げる。
「足りないものに愚痴を言っても始まらねえだろ。「一センチでも一ミリでも前に進む。ただでさえ難しい問題なんだ。それぐらいしないと目的の連中には絶対に近づけねえよ」
「カミやん……」
土御門つちみかどは何かを言おうとして、しかし呑み込んだ。
彼は上条と違い、プロのスパイだ。『ガキのケンカで済まない世界』を上条よりも深く知る人物だ。その彼が言い淀むほど、上条の口調からは迷いがなくなっていた。
「今まで俺は甘えてたんだ。自分の知らない世界の事を、全部他人に任せてた。土御門つちみかどにも迷惑をかけたと思う。でもこれからはそれじゃ駄目だ。俺は、今まで見てこなかった新しい世界に足を踏み入れなくちゃいけないんだよ」
上条は、そんな土御門つちみかど元春を前にして、気を引き締めた。
幻想殺々イマジンブレイカーしの宿るその右手を静かに握り締め、
土御門つちみかど、俺は決めた」
強い意志の籠った声で、きっぱりと告げる。
ある意味で、この業界の先輩たるスパイに対して、

「そう、俺はこれから英語を勉強するッッッ!!」

……………………………………………………………………………………………………。
「は?」
思わずポカンとしてしまう土御門つちみかどなどお構いなしに、上条はズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、
「ほら見て土御門つちみかど!携帯のアプリで『らくらく英語トレーニング』をダウンロードしたんだよ! 今、日常会話編のレベル3に挑戦してんだけど、やっぱ英語って難しいな。でもいい加減に日本語以外の言葉も覚えないと。ローマ正教とか『神の右席』の連中だって、いつもこっちの言葉に合わせてくれるとは限らねえからな!!」
「あの」
あまりにも真後ろに退きすぎて、土御門つちみかどは思わず初対面の人に話しかけるような口調になっていた。
「何故、この局面で英語?」
「え? ローマだからイタリア語の方が良いのか。でも連中って、世界中に二〇億とかいるんだよな。なら英語の方が良くないか」
上条からキョトンとした声が返ってきた。
生き残るための具体的な方法とか、そういう事は念頭にもないらしい。
どうも、本気で二〇億相手に言葉を叩きつけるつもりのようだ。
「まあ言葉が通じなくたってソウルは伝わると思うけどさ、やっぱ通じるに越した事はないと思うんだよ。みんながみんなリドヴィアとかビアージオみたいに日本語できる訳じゃねーもんな。っつーか、今まではみんな日本語で合わせてくれてたけど、こっちがそれに甘え続けるのは駄目なんだよ。つまり結論を言うとだな」
「―――、」
ゴドン!! という鈍い音が地下街に響き渡った。
あまりにも馬鹿馬鹿しいので、土御門つちみかどがほぼ反射的にグーを放ったからだ。
土御門つちみかどはやれやれと首を横に振ると、その辺に転がっている少年を無視して、肩を落としながらすき焼きのお店に戻って行った。
その後、上条当麻とうまが追加されたお肉の山に少しもありつけなかった事は言うまでもない。

第二章 灰色の無味乾燥な路池 Skiif-Out.

  1

同日、一〇月三日早朝、と言っても、分厚いコンクリートに阻まれた四角い地下空間にいる一方通行アクセラレータには、今が朝か夜かも分からなかった。そして、分からなくても問題はなかった。均一な光を投げかける蛍光灯の下で、彼は杖をついて立っている。
射撃演習場だった。
部屋の奥行きは五〇メートルほどあるが、実際に人が歩けるエリアは手前の一〇メートルほどしかない。そこから先は横長のテーブルによって区切られ、立入はできない。テーブルの向こうには人型の的がたくさんあり、これらは訓練プログラムに応じて、網の目のように走る金属レールの上を縦横無尽に移動するようにできていた。
横長のテーブルには薄い仕切りがいくつも取り付けられていて、一三レーンほど射撃エリアが確保されていた。一レーン辺りのスペースは電話ボックスぐらいのものだ。
一方通行アクセラレータは、その中央部分、第八レーンに立っている。
その細い手には小型の拳銃が握られていて、辺りから花火のような匂いが漂っている。
『演習ナンバー四二、開始します』
録音された女性のアナウンスと共に、五つの的が同時に動いた。
(手前から順番に。一つずつブチ抜くだけ)
一方通行アクセラレータは片手だけで拳銃を構え、それらを正確に撃ち抜いていく。
広い地下空間に銃声が連続する。ただでさえ大きな音はより一層圧力を増して鼓膜へ跳ね返ってくる。
本来、一方通行アクセラレータは右利きだが、杖をつく関係上左手での射撃を強いられていた。
『演習ナンバー四三、開始します』
一回あたりの所要時間はおよそ七〇秒程度だ。
(照準に集中しすぎンな。視界の端の動きまで全体を見ろ)
その問、一方通行アクセラレータはひたすらに撃つ。彼の場合、射撃よりも銃弾の装填の方が難しい。右手で杖をついているため、左手一本でやるしかないからだ。
マガジンを抜き、引き金に人差し指をかけたまま拳銃をくるりと回し、マガジン挿入口を上にすると、左袖の中から口で引き抜いたマガジンを突き入れ、再び拳銃を半回転させて、今度は口でスライド部分を咥えて強引に引く。
この間、わずか二秒。
だが、これでも遅いと一方通行アクセラレータは思う。
『演習ナンバー四四、開始します』
他にもたくさんの銃を試し撃ちしたのだろう。
(選ぶ基準は装墳の速度と片手で振り回せる重量後は射撃の反動か)
レーン手前のテーブル部分には軍用、護身用、競技用など様々な拳銃の他にも、ショットガンやサブマシンガン、ライフルなどがゴロゴロと転がっている。
彼の足元には落ち葉の山のように空の薬莢が敷き詰められていた。こちらも銃の種類によって様々な形や大きさがあり、銅のような色をしている金属もあれば、青いプラスチックもあった。
『演習ナンバー四五、開始します』
レールの上を高速で移動する的は次々と撃ち抜かれていく。
(一発の破壊力に頼るな。使いやすい弾丸を何発もぶち込める方が汎用性は高ェンだ)
標的の速度に緩急をつけようが、無数の切り替えポイントを使って鋭角的に軌道を曲げようが、お構いなしの命中精度だった。
正式な訓練を受けた警備員アンチスキルでもこうはいかない。銃を使い始めてからまだ日が浅いのに、杖をついた不安定な体勢で、すでに一方通行アクセラレータは手の中の銃を使い慣れた万年筆のように扱っていた。
しかし、
「―――使えねェ」
機械が記録的な数値を出力する前に、一方通行アクセラレータは苛立った声を出した。レーンのテーブル部分にある電卓のようなものを叩くと、演習プログラムを中断させる。それから、手にしていた拳銃をテーブルの上へと叩きつけた.
彼は振り返らずに言う。
「何の用だ、変装野郎」
すると、わざとらしい足音が一つ、カツッと響いた。一方通行アクセラレータの背後からだ。おそらく、それはノックの代わりだろう、
「自分なりに気配ってヤツを断ってみたんですけどね。やはりまだまだ修行不足のようです」
柔らかい男の声だった。
改めて一方通行アクセラレータが後ろを向くと、そこには線の細い、茶色い髪の少年が立っていた。名前は、確か海原光貴うみはらみつき。ただ、名乗った直後から、顔も名前も偽物だと言っていた。
「よろしければ、参考にしたいのですが。射撃演習中ですから、音に頼っていた訳ではないでしょう。どうやって自分の存在を察知したのですか」
「ベラベラとやかましい野郎だ。オマエの補強に付き合うつもりはねエよ」
吐き捨てるように言ったが、実は一方通行アクセラレータは海原光貴の接近に気づいていなかった。
少なくとも、普通の感覚器官に頼った方法では。
だが、
(チッ。また震えてやがる……)
一方通行アクセラレータの拳銃を握る手が、射撃による疲労以外の理由で痛みを発していた。
どういう訳か知らないが、数日前に初めて会った時からこうだった。海原光貴という男が近くにくると、自分の意思とは関係なしに、指先が小刻みに震えてしまうのだ。おまけに胸の上にバスケットボールを置かれているような、ゆっくりとした圧力まで感じる。
こんな時に、決まって頭に思い浮かぶのは、
(木原数多きはらあまた)
土砂降りの雨と、鈍い痛みに、鉄のような血の味と匂い。
(打ち止々ラストオーダーめ)
理不尽な暴力に苛まれ、今にも消えそうだった小さな命。
そして、
(……あの時俺の背中から飛び出した、黒い翼)
曖昧で、抽象的なイメージに過ぎない。そしてその存在を意識し始めたのは、この『グループ』に関わってから……いや、より正確には木原数多きはらあまたという研究員を撃破してからか。
しかし、これを目の前の男に相談しても仕方がないだろう。
弱みを見せて得をする事など何もない。
「何の用だって聞いてンだよ」
「武器の方は決まりましたか」海原の笑みは崩れない。「精査している時間的余裕はありません。こちらも仕事が差し迫っていますしね。早い所、あなたにも手順を覚えていただかないと」
「しっくりくるモンはねェな」
一方通行アクセラレータは吐き捨て、それからテーブルの上に置かれた数々の銃を眺める。
「世界中の銃を集めても見つからねェかもなァ」
「能力使用を前提とした装備リストを固めてみては?」
「知ったよォな口利くンじゃねェよ」
彼は自分の首にある、チョーカー型の電極をトントンと叩いて、
「コイツは頼りにならねェ」
「何故でしょう。以前のものを改良したんでしょう?『グループ』の技術部の報告によると、能力使用時間が一五分から三〇分へ延長したという話ですが」
「『グループ』ね……」
一方通行アクセラレータはくだらなさそうに復唱する。
九月三〇日、木原数多きはらあまた粉砕後に現れた駆動鎧パワードスーツの連中にここへ連れてこられてから、一方通行アクセラレータはそういう名前の枠組みに組み込まれたのだが、そこの正規メンバーになった一方通行アクセラレータですらその詳細は不明。今の所、『グループ』は彼を含め四人ワンセットで行動する事になっているようだ。だが、同様の部隊が後いくつあるのか、あるいは一つだけなのか、それすらも把握できていない。あの駆動鎧パワードスーツ《パワードスーツ》の連中も、一方通行アクセラレータとは別の『グループ』の所属なのかもしれない。
長点上機ながてんじょうき学園への転入。
黄泉川愛穂や芳川桔梗きっかわききょうに対しては、そういう事になっている。良いやり方だ、と一方通行アクセラレータも思っていた。確かに学園都市最高峰の学校なら、機密重視の特別クラスがあってもおかしくはない。当の生徒達すら知らない、たった一人だけの研究室が。
そこに付け込んで、書類だけの生徒として登録させたのだろう。
(『グループ』を束ねる『連中』か。いまいち全貌は見えねェが、上の『連中』にはそこまでやる力と目的があるって訳か。何とも胡散臭ェ話だな)
一方通行アクセラレータのいる『グループ』には、数多くの下部組織が存在する事が分かっている。たった四人のための雑用……装備品の開発・整備、人員の輸送、証拠の隠滅などをこなすために、膨大な人数が割かれているようだ。
その恩恵を受けている一人、海原光貴はきょとんとした顔で、
「電極のチューン状況に不満があるのですか」
「ハッ。三〇分だろうが三日聞だろうが根本的にゃ変わンねエよ。イレギュラーが起きればそれまでだ。電極が故障したから戦えませンじゃ生き残れねェだろォが」
それは、実際にバッテリーが切れた状態で木原数多きはらあまたという強敵と対峙して得た実感だった。
もう、何かに頼っていれば安全という次元は終わっている。
これからは、どんな状況に追い込まれても戦わなくてはならない。
「はは。となると、苦心して電極を解析した技術部のメンツは丸潰れですか」
知った事か、と一方通行アクセラレータは一言で切って、
「用件はそれだけか」
「いえ。本題はこれからです」
海原はそこで一拍おいて、
「統括理事会から我々『グループ』に仕事のオーダーが入りました」
「……、」
「学園都市は対ローマ正教用の布陣を固めている所ですが、その『対ローマ正教用』に重点を置くあまり、内側への防御が手薄になりつつあるのも事実です。今回は、その隙をついて学園都市の機能へ打撃を与えようとしている勢力を一掃します」
「くっ。ははは」
一方通行アクセラレータはそれを聞いて思わず笑った。
「人間様をここまで堕として首輪までつけさせておいて、上からやってくるありがたいお達しがゴミ掃除の命令だと? 人生ってなァ分かシねェモンだよなァオイ」
赤い瞳のラインを楽しそうに細くして、その唇を嘲りの形に変えて。
「木原のクソ野郎の穴埋めをやらされるってェ話だったが、まさかここまでくだらねェ仕事を回されるとはなァ! ハハッ、『上』にとっちゃ俺も木原も同じクズって訳か!!」
「自分に当たられましても。勝手に堕ちてきたのは貴方ですし」
言葉に対し、一方通行アクセラレータはその細い腕を伸ばして海原の胸倉を掴み上げた。ちょうど胸の中心をわざと狙って。
その気になればあらゆるベクトルをそれこそ血液の流れをも『逆流』、させる指先が、海原の肉体を捉える。
「良いか小僧、一つだけ教えてやる」
掴んだシャツを手前に引きながら、一方通行アクセラレータは表情を変えずに言った。
「人間の命ってなァ貧弱だ。俺が指先で触れた程度で壊れちまうぐらいにな。だから少しは気を遣え。じゃねェといらねェモンまで砕いちまいそォだ」
「気をつけましょう」
しかし台詞とは裏腹に海原の口調はサラリとしたものだったし、口元にはゆったりとした笑みがある。
チッ、と一方通行アクセラレータは軽く舌打ちすると、海原の服から手を離した。
「続けてもよろしいですか」
「勝手にしろ」
「標的となる対象は『スキルアウト』。あなたの方が詳しいかもしれませんね」
海原の言葉に、一方通行アクセラレータは眉をひそめた。
『スキルアウト』というのは、平たく言えば無能力者レベル0の武装集団だ。
学園都市におけるステータスは学力と能力の二つで決まる。無能力認定というのは、つまり〇点のテストを首から提げて学校生活を送るようなもので、中にはそういった扱いに耐えられない者もいるらしい。
学園都市には潜在的に一万人ほどのスキルアウトが存在する。とはいえ、その大半が寮は借りているが学校には行かない者や、学校に通っているものの夜だけスキルアウトとして動いている者などとなる。武装集団というイメージを作っている、学校にも寮にも戻らない路上生活者は全体の一%ほどだ。
彼らに明確な目標はない。
夜道にたむろしている少年達が無能力者レベル0なら、それでもうスキルアウト扱いされてしまうのだ。従って、夜のコンビニの駐車場に集まっている三、四人のスキル・アウトもいれば、一〇〇人単位でチームを作って街を闊歩するスキルアウトも存在する。
「オイオイ、どンどン話のスケールが小さくなってねェか。上の連中はどこで俺がキレるか賭けてンじゃねェだろォな」
「いえいえ。ところが最近、スキルアウトの方でも再編成の話が出ているようでして。鎮圧に向かった警備員アンチスキルの一部隊が返り討ちに遭って逃げ帰ったというのですから、まあ非正規部隊である『グループ』に話が回ってきてもおかしくはないんじゃないですか」
ふン、と一方通行アクセラレータは忌々しげに息を吐く。
知力か武力か。路地裏の不良達は、そのどちらかを仕入れたという事か。
「現在、スキルアウト側はオモチャを作っているようです」
「オモチャだと」
「樫の木材をくり貫いて、中に爆薬を詰めたものです。直径五センチ、全長七〇センチほどで、どうやらロケット兵器のつもりらしく、全体的なラインは流線形ですし、側面には塩化ビニール製の羽が三枚ほど確認されていますね」
「オイオイ、棒火矢ぼうひやかよ」
一方通行アクセラレータは思わず鼻で笑ってしまった。
「江戸時代の試作兵器だぞ。連中は考古学にでもハマってやがンのかァ?飛距離は二〇〇〇メートルくれェとか言われてるが、威力の方は大した事ァねェ。先端に高級品のプラスチック爆弾でも積めば話は変わるだろォが、連中の事だからどうせ爆薬も手製だろ。それで騒ぎを起こすっつっても研究施設の外壁なンかは傷もつかねェンじゃねェのか」
「ところが、多少の下準備を行えばかなり大きな効果が出るようなんです」
海原は静かな声でそう言った。
分厚い壁に囲まれた射撃演習場に、彼の声が良く通る。
「彼らはこの数日の間に、あちこちで工作を行っています。災害時の誘導経路の傍に放置自転車を移動させたり、VIP施設の出入り口周辺の排水口にゴミを詰めて塞いだりと、やっている事のレベルは小さく、保安上の問題として取り上げるようなものではありませんが」
「……いつから俺達はガキのイタズラの後始末まで回されるよォになったンだ」
「ただ、この『エラーにする必要性の低い問題』はすでに二万件以上『設置』されているそうです。そして、平時では放っておかれるようなものであっても、第二級や第一級の警報時には『エラー』として検出されてしまうんです。つまり」
「例の棒火矢が起爆すると問題が発生するって訳か」
ロケット兵器を使えば第二級警報の誘発ぐらいはできるでしょう。警戒レベルが上昇すると同時に、スキルアウトが数日かけて設置した二万件の『爆弾』が一斉にエラー報告を打ち出す……という寸法です。大量のエラー報告によって通信網を整備する中継局がダウンしてしまえば、街でスキルアウト達が好き勝手に暴れても、警備員アンチスキルはやってこれなくなりますね」
この『穴』は一日二日で塞げるものではないそうです、と海原は言う。
「ご大層な話だが……何でオマエはそこまでヤツらの狙いをキッパリ断言できる?全部オマエの推測とかっつったら物理的に叩き潰すそ」
「いえいえ。何人か捕まえて個別にしゃべらせましたから、おそらく間違いありません」
海原の言葉に一方通行アクセラレータはわずかに黙ったが、非難する義理はないか、と思い直した。経歴で言えば、自分の方が軽く一万倍はぶっ飛んでいる。
「わざわざ下拵えをしねェと暴れる事もできねェとはな。ちまちまと面倒な事を考えた所で、根っこの部分はチキン野郎の集まりか」
一方通行アクセラレータは吐き捨てるように言って、
「連中の狙いは。軍事研究所でも襲って駆動鎧パワードスーツでも盗ンでくンのかね」
「いえ。その手の機関の場合、施設内に独立した警備局を置いています。おそらくスキルアウトの狙いはもっと単純に……能力者に対する反逆ではないかと」
「はン。通信網を切断して囲んで潰すだけか。数で押したがる無能力者レベル0が好みそォな方法だな」
数十人から数百人で一人の能力者を追い詰め、撃破する。これを繰り返して街を練り歩けば、無能力者レベル0の集まりであるスキルアウトでもそこそこの惨事を生み出せるはずだ。
「……スキルアウトの計画が成功した場合、最低でも二、三学区分の通信網は落ちるそうです。となると、予想される被害もかなりのものになると考えるべきでしょう」
しかし、と海原は言った。
彼は首を傾げ、一方通行アクセラレータに疑問を投げる。
「このように、スキルアウトは派手な事を考えているようですが、そうそう上手くいきますかね。拳銃や護身用品などで武装して、何十人という単位で囲んだとしても……例えばあなたのような超能力者レベル5を打倒できるとは思えませんが」
「多少の穴があっても魅力的に見えりゃあ、馬鹿どもは食いついてくンだろォさ。おそらくスキルアウトが立てたこの計画は不完全燃焼で終わンだろォな。半端な計画に半端な成果に半端な被害、そンなモンだ」
今のスキルアウト達が劣等感丸出しで最も憎んでいるのは、一方通行アクセラレータのような超能力者レベル5だ。
しかしこの程度の計画で、超能力者レベル5が倒れるとは思えない。そしてスキルアウト達は、もっと手っ取り早い標的に狙いを変更して満足しようとするだろう。
結局、そこで倒れるのは力のない低能力者や異能力者達だ。
異能力者達。
量産軍用能力者と、それを束ねる上位個体の少女。
目的すら見失ったくだらない暴力は、一体どこの誰にツケを払わせる気だ。
「……、」
くだらねェ、と一方通行アクセラレータは口の中だけで眩いた。
その上で、海原に言う。
「危険なのはスキルアウトじゃねェな」
一方通行アクセラレータは床に唾を吐いた。
「スキルアウトが与えたダメージを糸口にして、どっかの宗教団体が一気に攻め込ンでくンのが危険なンだろ。統括理事会なンて腐った連中は、元々路地裏の人間なンざ気にもかけてねェ」
「良くご存知で」
「で、オマエは何をチンタラやってンだ。連中の狙いが分かってンなら自動警報を解除すりゃ良いだろ。第二級警報以上が発令されなきゃ通信網はダウンしねェンだからよ」
「今が戦争中でなければ、そういう手も使えたんですけどね。それはいつ攻撃されるか分からないパソコンのセキュリティソフトを停止しろと言うようなものですよ」
「内も外も敵だらけ、か。学園都市ってなァよほど多くの人間から恨まれてるみてェだな」
「そういう人々を何とかするのが我々の仕事です」
海原はニコリと笑って話を続ける。
「今から学園都市の警備体制を見直しても間に合いません。警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントは、スキルアウト側が仕掛けた下拵え……エラーの元となる誘導経路やVIP施設出入り口周辺などの『妨害』を取り除こうとしているようですが、これも完了するまでスキルアウト側が大人しく待つという保証はありません。ですから、我々の手でスキルアウトを物理的に停止する必要があります」
「ハハッ。警備員アンチスキルの連中には頼めねェ汚ねェ方法でか」
「ターゲットの名前は駒場利徳こまばりとく《こまばりとく》。現在のスキルアウトを束ねるリーダーで、頭脳でもあります」
海原は携帯電話の画面に写真を表示しながら言う。
「第七学区の路地裏では結構な顔役らしいですが、ご存知ですか?」
「ねェな。覚える必要がねェ」
「今回は、この駒場利徳こまばりとくを速やかに処分する事で、スキルアウト側の計画を未然に防ぎます」
「その程度でクソ野郎どもの動きが収まるかよ。下準備は終わってンだろ。向こうは第二級以上を出しゃあ勝ちなンだ。今、学園都市全域に発令されてンのは第三級。ゴールは見えてンじゃねェか。りーダーが死ンでも後は勝手に部下が引き継ぐだろォが」
「いえ」
海原は、一方通行アクセラレータの言葉をあっさりと遮った。
「彼らの計画には正確な爆破地点が用意されているみたいです。先ほども言いました通り、彼らはVIP施設の出入り口周辺や誘導経路などに小細工を施しているんですが……どうもその『仕掛け方』に特徴があるようですね。一点の爆破によってある地点で第二級以上を発令し、まず一定エリア内で自動警備のエラーを誘発させます。後は機械の方が勝手に『該当エリアの施設は保安上問題があるので、人員を移すため近辺エリアのチェックに入る』と判断し……それに合わせてコンマ数秒で一気にエラーエリアを広範囲へ拡大させていく、という魂胆らしいです」
ちなみに、と海原は前置きして、
「その『第一爆破地点』は、駒場利徳こまばりとくしか知らないようです。少なくとも、自分が捕らえたスキルアウトのメンバーは情報を持っていませんでした。何でも『計画の暴走を防ぎ、正確に実行するには誰かが手綱を掴んでおく必要がある』という話ですが」
「ケッ。身内に対して保険をかけてるだけだろォが」
一方通行アクセラレータは吐き捨てるように言って、それから掌を軽く振った。
「その駒場って野郎を潰すのは自由だが、俺が暴れ回った事で第一級警報が発令したりはしねェだろォな。俺はオマエらと違って、ちょっとばかり派手だからよォ」
「駒場の指定した『第一爆破地点』以外で第二級以上が出たとしても、彼らの計画は成就されません。学園都市の警備区画は細分化されていますから、おそらくごく小さなエリア内で警報が発令されておしまいでしょう。広域エリアに飛び火させるには小細工が必要なんです」
「……ったく、そこまで分かっていながら、肝心の『第一爆破地点』の場所が全く掴めねェとはな。その情報がありゃ事前に警備も敷けただろォによ」
「まあ、それを知るには、駒場利徳こまばりとくに直接尋ねるしかありませんし……」
海原光貴はニコニコと微笑みながらこう言った。
「そんな事をするぐらいなら、さっさと潰してしまった方が手っ取り早いと思いませんか?」

  2

現場へは自動車で向かう。
一方通行アクセラレータが助手席に乗っているのはゴミ収集車だ。ただし、ボディは漆黒、ウィンドウも全てスモーク仕様になっているが。
「死体の処分などもありますから、こちらの方が何かと便利なんですよ」隣でハンドルを握る中年の男はそう言った。「後部の収納部分は、内装が使い捨てになっていましてね。一回の収集のたびに、死体ごと廃棄して交換する仕組みです」
掃除機の詰め替えパックかよ、と一方通行アクセラレータは呆れ返る。
「クソ野郎の死体を漁る収集車か。笑えねェ話だ」
動力部はガソリンではなく電力のようだ。おかげで駆動音はほとんど聞こえない。隠密行動には打ってつけと言えるだろう。
一方通行アクセラレータは窓の外に流れる景色を見ながら言う、
「しっかし黒塗りにスモークガラスってのはどォなンだか。成金野郎の送迎じゃねェンだぞ」
「ま、顔を見られたら困る仕事ですから」
この収集車も運転手の服装も、間に合わせとは思えなかった。この仕事のために学園都市が正規品を用意している。どこから予算を捻出しているかは知らないが、一学区の警備員アンチスキル級の資金を得て、それをフルに使って装備を開発しているはずだ。
中年の男は、車内無線で何らかのやり取りをしながら、その合間に口を挟む。
「確か、あなたは『グループ』の一員でしたね。今回が初陣だそうですが」
「だから何だ」
「いえね」前を見たまま、運転手は言う。「私みたいな下っ端は、こんな風に運搬するしか能はないんですけど、たまに思う訳ですよ。もしも私がここにいなければ、地獄に落ちる人が少しは減るんじゃないかって」
「……、」
「ま、運転手の代わりなんていくらでも補充できるとは思うんですけどね。それでも考えるんです。このままアクセル全開で振り切っちまえば、一人ぐらいは助けられるかもとか」
「ハッ、イイ根性だ。そォいうイイ根性はこンなトコで無駄遣いするべきじゃねェな」
つちみかどうなばらなぜ
土御門つちみかどさんとか、海原さんとか、助手席に乗る皆さんそう答えるんですよ。何故でしょうね」
そりゃあオマエが善人の甘ったれだからだ、と一方通行アクセラレータは口の中で眩いた。
GPSカーナビが、録音された女性の声で目的地に到着した旨を伝えてくる。電気動力の収集車は音もなく停止した。
一方通行アクセラレータは助手席のドアを開けると、現代的なデザインの杖を地面について、やや薄汚れた
路上へ靴をつける。
後ろから声が聞こえた。
「指示通り、二〇分後に回収に来ます。お気をつけて」
「勝っても負けてもソイツに乗る訳か。生身か死体かはさておいてな」
一方通行アクセラレータは振り返らずに、小さく笑ってそう答えた。背後から収集車が走り去る。そちらを無視して、彼はゆっくりと周囲を見回した。
どこにでもあるような、普通の街並みだった。
ただし空気が違う。ギスギスと刺さる気配は悪意ある視線のようで、そこかしこにある路地の入口は、一度入れば抜け出せない沼地のように見えた。
路地の入口に立つと、足元の路面には無数の鉄杭が打ち込んであった。
中途半端に錆びた杭は、長さ一〇センチから三〇センチとまちまちで、入口から奥へ一メートルほどの間に、びっしりと植えられている。まるで鉄の草むらだ。
(警備ロボット対策、か)
一方通行アクセラレータは鼻で笑う。
学園都市にあるドラム缶型のロボットは、多少の段差は乗り越えられるように作られているし、エレベーターなどを赤外線信号で操る事もできる。
しかし、こういう意図的なバリケードを敷かれると侵入できなくなる。
ある程度『障害物回避シークエンス』を繰り返した後、『保留・省略』して、よそへ行って
しまうのだ。
「……、」
頭上を見ると、空を覆うように、ビルとビルの間にビニールシートが張られていた。色は青を中心に赤や黄色もあって、とりあえず間に合わせの物で空間を埋めているのが分かる。おかげで日光に変な色がつき、まだらなステンドグラスのようになっていた。
こちらは人工衛星の監視を逃れるため。
こういう「妨害』は、警備員アンチスキルなどが週や月に一度の頻度で強制撤去する。しかしスキルアウトの連中は撤去と同時に再び『妨害』を繰り返し、意図的にいたちごっこの構図を築いている訳だ。
それがヤツらのやり方。
簡単に作り簡単に捨てて簡単にやり直す。
バリケードを破られれば新しいものを用意するし本拠地が壊されればすぐ近くに別の居場所を作るし組織が潰れればあぶれた人間を集めて次の組織が誕生する。
だから永遠になくならない.
ゴキブリが絶滅しないのと同じ理由で、彼らは少しずつ学び抗体を強めていく。
負を中心とした、誰にも望まれ組進化の形。
「……懐かしい空気だ」
思わず一方通行アクセラレータの口元が緩んだ。
前方に広がる暗い路地は、警備ロボットも人工衛星も届かない無法地帯。つまり何が起きても誰の目にも留まらない、助けがやってこない事が当たり前となっている世界だ。
「さて」
行くか、と思った所で携帯電話が鳴った。
欝陶しそうな顔でそれを取ると、表示には『登録3』とだけある。
土御門つちみかどか」
『そろそろ初陣だと思ってな。仕事を始める前に、お前に忠告しておく事がある』
忠告ときたか、と一方通行アクセラレータは吐き捨てた。
『内容は何だよ、センパイ』
『オレ達の事を信じるな』
土御門つちみかどは一言で言い切った。
『オレにしてもお前にしても、「グループ」のメンバーは全員、その存在が表に出ただけで問題になるような連中ばかりだ。そういう人間ばかりを選んで作られた「グループ」に、抜け穴はない』
「……この俺が、ご褒美を期待してるとでも言いてェのか?」
『統括理事会が決めたルールに従っているだけじゃ、ヤツらは出し抜けないって話だ。どうやったってヤツらが儲かるようにできている。その上で勝つにはどうすれば良いか、そいつを認識しておけよ。オレもお前も、守るべきものを持ってんだからな』
「、」
一方通行アクセラレータはほんのわずかに黙る。
思い出されるのは、今も病院にいるはずの一人の少女。
しかし、その表情も、その仕草も、その言葉も、鮮明になる前に全て封じた。
「用件はそれだけかよ」
『そうだな、それだけだ。早い所終わらせて帰って来い。結標むすじめの方も、そっちでそろそろ仕事を始めるだろうしな。一応言っておくが、勝手に巻き込まれるなよ』
仕事だと?と一方通行アクセラレータが眉をひそめた途端、

バガン!! と。
細い細い路地の向こうから、
甲高い爆発音が響き渡ってきた。

距離は遠そうだが、空気が押されてきたのか、生暖かい風が一方通行アクセラレータの顔に当たる。塵と埃にまみれた大気を浴びながら、一方通行アクセラレータ土御門つちみかどに尋ねた。
一瞬、駒場利徳こまばりとくの『計画』が頭をよぎったが……それにしては、電話先の土御門つちみかどは妙に冷静だ。少し考えて、一方通行アクセラレータは適当に予測をつける。
結標むすじめの野郎、爆弾でも使ってンのか。にしても、競争とは聞いてねェンだけどな」
『アイツが狙っているのは人じゃない。金だ』
土御門つちみかどは淡々と答えた。
『スキルアウトにも活動資金があるからな。いろんな手を使って分散しているようだが、あいつにはそっちを叩いてもらってる。持ち逃げされるぐらいなら燃やした方がマシという事だ』
爆発音は連続している。
しかしスキルアウトはそういった武器での争いに慣れている。その程度では怯まないだろう。
この戦場に個人が立つには、相応の能力が必要となる。
確か結標むすじめ淡希の能力は座標移動ムーブポイント……三次元的な制約に囚われず、物体を好きな場所へ移動させるものだ。
あの力を、再び行使しているという事だろうか。
「っつーか、アイツは『グループ』のお飾りだと思ってたンだけどよ。まだ使い物になったンか。
ヤツの場合、精神状態が不安定になると思うよォに動けなくなるンじゃなかったっけかァ?」
「お前と同じだよ』
土御門つちみかどは電話越しに爆発音を聞きながら、さらりと言った。
『補強してる』
「そォかいそりゃ結構。で、俺はこの混乱に乗じて、統制を失ったスキルアウトの連中を一気に潰せばイイって話か」
『資金源を直接叩かれてる最中だからりーダーがあっさり逃げるとは思わないが、最優先のターゲットの名前は駒場利徳こまばりとく、そこらの連中を束ねているクソ野郎だ。そいつだけは逃がすなよ』
「むしろ、壊しすぎねェかが心配だがな。瓦礫に埋まった肉を掘り返すのは面倒臭そうだし」
一方通行アクセラレータは適当に言いながら通話を切った。
携帯電話をポケットにしまうと、杖をついたまま、もう片方の手を首筋に軽く当てる。まるで関節の調子を確かめるような仕草だが、そこにはチョーカー型電極のスイッチがあった。
「そンじゃまァ、始めるとしますか」
ザワリ、と複数の人の気配が浮き上がる。
路地の奥から、ビルの窓から、ほんのわずかな物陰から、拳銃やボウガンなどの照準が二〇以上集められる。
それを前にして、一方通行アクセラレータは薄く薄く笑っていた。
かつては泥の中を這いずってでも抜け出したかった場所へ、
「お片づけだ。一〇分で終わらせてやる」
彼は、笑って帰ってきた。

  3

結標むすじめ淡希は暗い路地の中を歩いていた。
頭上は、ビルからビルへ様々な色のビニールシートが渡してあるため、日光に別の色が混ざり、路地が青や赤、黄色などに染まっていた。空気の流れは滞り、ゴミや埃の匂いも沈殿しているようだ。壁は粗雑な落書きで埋め尽くされ、どこから持ってきたのか蓋をこじ開けられたATMの残骸が錆びたまま置いてある。事件が絶えない地域なのか、歯の折れた鋸や砕けた木材なども転がっていた。
そんな中を歩く結標むすじめの格好は、裸の胸にインナーのような布を巻き、その上から学校指定のブレザーを羽織っているだけというもの。スカートの丈も極端に短く、まるで事件を誘っているような服装だった。`
しかし、彼女に触れられる者はいない。
たったの一人も。
「……単純ね」
鉄パイプを手に殴りかかってる大男も、ビルの窓から弓で狙撃してくる痩せぎすの女も、対処は同じ。結標むすじめ座標移動ムーブポイントの能力を使い、周囲にある錆びた廃自動車や金属製のダストボックスなどを強制的に自分の手前へ転移させ、それを盾にする。相手の攻撃を防いだら、今度はこちらが手持ちのコルク抜きを標的の手足へ直接叩き込む。そのワンパターンでおしまいだ。
彼女は能力を補助するための、警棒にも使える軍用懐中電灯を右手でくるくる回す。懐中電灯は主に能力の照準を合わせるためのアイテムだ。結標むすじめの力は自由度が高すぎるため、自分なりの基準を設けないと狙いが曖昧になってしまう。
手の中の道具を振りながら、結標むすじめは退屈そうに眩く。
「人数を集めれば有利という訳ではないし、武器を揃えれば勝てるという訳でもないわ。それに気づかない辺りは所詮、路地裏の不良集団といった所かしら」
冷静な彼女とは対照的に、その周囲は轟音の嵐と化していた。
全方向からの攻撃を防ぐため、結標むすじめは自分を中心に小型の竜巻を起こしていた。それを形成するのはマンホールの蓋や鉄板などの分厚い金属製品だ。彼女の座標移動ムーブポイントに音はないが、そういった盾に無数の弾丸がぶつかって大音響を作り出していた。
結標むすじめは手榴弾のピンを口で抜くと、蓋の消えたマンホールへ放った。
下水道内部でくぐもった爆発音が響く。
事前情報によると、そこにハンドバッグほどの手持ち金庫が隠されているらしかった。
「これで九個目。……歯応えが足りないわ」
彼女は九月一四日に起こした事件で風紀委員ジャッジメント白井黒子しらいくろこに返り討ちにされて以来、精神の変調から能力が使えない状態に陥っていた。
それが今、こうして復帰しているのは、
(……最初に話を聞いた時は胡散臭いと思ったけれど、技術部の腕もそれなりといった所かしら)
結標むすじめの両肩と背中には、湿布のような外観の電極が取り付けられている。小型の低周波振動治療器……平たく言えば体に電流を流すマッサージ器だ。機械は結標むすじめの脳波の乱れを測定し、そこから最も効果的なパルスパターンを作り出す。
完壁とは言えないまでも、確かに一定のストレス軽減効果は認められる。
(体中に湿布をつけて街を歩くなんて、女の子の生き方ではないけれどね)
機械の力を借りてまで結標むすじめが現場に復帰したのには、やはり九月一四日の事件が大きく影響している。
あの事件の首謀者は結標むすじめ淡希だが、犯行グループは彼女だけではない。『樹形図の設計者』の一部分である『残骸』を奪うため、結標むすじめは同じ思想を持った数十人の能力者達に協力を仰いでいた。その大半が、あの超電磁砲レールガンに撃破されて警備員アンチスキルに捕まってしまった。
そして、表に出られたのは彼女だけだった。
現在、学園都市には反逆罪という明確な罪状は存在しない。しかし、そもそも街の安全を脅かす裏切り者達の人権など誰も保護しようとは思わない。つまり、それなら法の及ばぬ範囲で人知れず制裁が行われるだけだ。法がない事を逆手に取るような、惨たらしい方法で。
何とかしなくてはならない。
かつては同じ道を進んだ『仲間』の危機なのだから。
「……、」
結標むすじめはエアコンの大型室外機の隙間に手榴弾を放り込み、中に隠されていた紙幣の束を隠し場所ごと粉々にした。
さらに結標むすじめは路地の奥へ進む。
(……にしても、現金、金塊、ITバンクの架空団体名義アクセスカード……相当分散しているわね。ヤツらはどうやってこれだけの活動資金を得ているのかしら〉
この辺り一帯を取り仕切るりーダー駒場利徳こまばりとくは、少女の売春を禁じているらしい。手っ取り早い稼ぎを自ら封じている以上、別の方法があるという事だが……。
(私の知った事ではないわね。こちらは破壊目標を確実に叩くだけ。あと一四ヶ所潰したらさっさと帰還するだけだし)
気楽に考えて、結標むすじめは手の中の懐中電灯を緩やかに回転させていたが、
「……少しは加減して欲しいものだな。能力者」
不意に、男の声が結標むすじめの思考に割り込んだ。

狭い直線の路地において、彼女の前方およそ一〇メートルの位置に、ゴリラのような大男が立っていた。どうやら、ビルの裏口から出てきたらしい。厳つい筋肉を安物のジャケットが覆っていたが、少しでも力を込めればすぐに内側から破れそうだ。
破壊の権化のような人相だが、それに反して口調は陰欝。
まるで、コピー用紙をそのまま吐き出しているみたいに、男は言う。
「こちらが資金を分散していたのは……一度の摘発で全て奪われるのを防ぐため。言ってみれば……カツアゲを恐れる小心者が複数の財布を持つようなもの。それを捕まえて、身包みを全部剥ぎ取るというのは些か大人気ないと思うが……」
結標むすじめは応じず、敵の前で堂々と携帯電話を取り出した。
画面を見て、そこにある写真を確かめ、呆れたようにため息をつく。
駒場利徳こまばりとく。……あらまあ、こちらが先にターグットとぶつかってしまったわ」
いつの間にか、結標むすじめを取り囲んでいたスキルアウトの面々はいなくなっていた。
駒場がその権限を使って退避させたのだろう。
己の足を引っ張らせないように。
「恨まないでね、一方通行アクセラレータ
「……その名前……。これは欲を張らずに資金を捨てて逃げるべきだった。そんな大物まで来ているとは……」
駒場の言葉にも、結標むすじめはあまり取り合わない。
パチンと二つ折りの携帯電話を畳み、彼女はポケットに仕舞った。
それから改めて軍用懐中電灯を緩やかに構え直す。
座標移動ムーブポイントか……。厄介な力だ」
「厄介程度で収まると思う?」
「ああ、まあ……そうだな。厄介以上に憎らしい」
無能力集団スキルアウトとしての特性か、コピー用紙のような駒場の言葉に暗い感情が混ざる。
だからどうした、と結標むすじめは思った。
距離は一〇メートル。地形は細い1本道。この状況ならコルク抜きで狙い撃ちだ。どれだけ駒場に体力があったとしても、三歩も進めずに地面へ崩れる。拳銃などの飛び道具を隠していたとしても、結標むすじめは『盾』を呼び出せばそれで済む。
「眉間にぶち込んで終わらせてあげるわ」
「痛みを与えるつもりはない、と。……涙が出るな」
それ以上は何も言わず、結標むすじめは懐申電灯を振ってポケットの中のコルク抜きに命令を飛ばす。三次元上の見た目のベクトルを無視し、二次元上にある理論上の数値を駆使してコルク抜きは空間を渡り、駒場利徳こまばりとくの額の真ん中へと、当たらなかった。

「な……」
何もない虚空へ取り残されたコルク抜きを見て、結標むすじめは驚愕に目を見開く。背筋がわずかな痛みを発した。緊張に応じて、ストレス軽減用の低周波振動治療器がより強いパルスを流したのだ。
結標むすじめ淡希が、狙いを間違えたのではない。
突如として、駒場の体が消えたのだ。
轟!! と。
ダンプカーが真横を通り過ぎたような鈍い烈風が、結標むすじめ淡希の真後ろから響いてくる。
「……遅いぞ」
平淡な声と共に、結標むすじめ淡希の頭の頂点、つむじの辺りに重いものを落としたような鈍痛が突き抜けた。駒場の拳が勢い良く振り下ろされたのだと、結標むすじめはぐらりと揺らぐ意識でそう思う。
ジリジリと肩や背中に電流が走る。
今まではこの器具に助けられてきたが、こんな風になっては邪魔でしかない。
「くっ!?」
彼女は振り向きざまに廃自動車を呼び出し、駒場の立っている位置へと叩き込む。防御のためではなく、標的を食い潰すために。
しかし駒場はそこにいなかった。
その揚から、真上に七メートルほど跳躍していたからだ。
「驚くなよ……」
おそらく以前は看板かエアコンの室外機でも取り付けていたのだろう、二階部分の壁面から伸びた四角柱の鉄棒を、空中にいる駒場の脚が捉える。
ズバン!! という破裂音と共に四角柱の鉄棒を蹴り破り、結標むすじめの元へと高速で叩き込む。
「こちらだって真面目にやるさ」
たん、という駒場の着地音を結標むすじめは聞いていられなかった。
凄まじい速度で鉄棒の鋭い断面が複数一気に襲いかかってきたからだ。
「ッ!?」
結標むすじめは攻撃に使った廃自動車を慌てて眼前に呼び戻す。
盾として使うつもりだったが、高速射出された何本もの鉄棒は、ビスドスガス!! と簡単にその防御を貫通する。思わず両手で顔を庇う結標むすじめの太股を掠め、凶悪な刺突兵器はアスファルトに突き刺さってようやく動きを止めた。
ビィィィン!! と細かく振動する鉄棒を見て、結標むすじめの背筋に冷たいものが走る。
(盾を使っても、それごと粉砕されては意味がない……ッ!!)
「……不満そうな顔をするな。貴様のような化け物と戦うんだ。これぐらいの準備があっても良いだろう……?」
結標むすじめの耳に、駒場利徳こまばりとくの低い笑い声が届く。
真っ赤に錆びた廃自動車の、ガラスのなくなった窓越しに、結標むすじめは駒場の顔を見つけた。左右をコンクリート壁に阻まれた狭い路地の前方一〇メートルほど先に立っている。
(仕留める!!)
結標むすじめの眉間に力が集中する。警棒にも使える軍用懐中電灯を軽く振り、手近な地面に転がっていた五本ものコルク抜きを呼び寄せ、一気に駒場の体内の座標へと叩き込む。
だが、
「……当たらんよ」
ブオン!! という轟音が鳴った。人間の体から出る音とは思えない捻りだった。駒場はその圧倒的な速度をもって狭い路地の中で左右ヘジグザグの軌道を描き、結標むすじめが放つ転移攻撃の連射を全て避けたのだ。
それだけでなく、
「お返ししよう。俺は上品な葡萄酒よりも、安酒の方が好みでな」
駒場は一通りコルク抜きを避けきると、その脚を振り上げ、
「コルク抜きなど、もらった所で使い道がない」
ビュン!! と鞭のような蹴りが炸裂した。その脚は、まだ空中にポツンと取り残されていたコルク抜きを正確に捉え、恐るべき速度で結標むすじめの元へと発射する。
「―――ッ!!」
軍用懐中電灯を動かし、『座標移動ムーブポイント』の力を使う暇もなかった。
手前にあった廃自動車の窓を通り抜け、コルク抜きは一気に結標むすじめの元へと返ってくる。
結標むすじめがとっさに首を横に振ると、右の頬に直線的な薄い傷が走った。耳一兀で鳴った鋭い風切り音に、肩や背中に貼り付けた電極が過剰なまでの緩和信号を出してくる。
(痛ッ……。生身の人間とは思えない、この運動性能……)
駒場の動きは、ただ直進するだけの自動車とは訳が違う。
そこには生物特有の繊細な微調整が備わっている。
「その機動力、服の内側に『発条包帯ハードテーピング』を仕込んでいるわね!!」
「流石に気づいたか」
駒場は足音を感じさせない歩みでじりじりと結標むすじめとの距離を測る。
間に廃自動車があっても、駒場の脚力なら軽々と乗り越えてこれるだろう。
結標むすじめはそれを阻止するため、前後に一歩ずつ、不定期的な歩みを使って間合いを乱す。
いつの間にか、攻防は完全に逆転していた。
「俺の場合は……膝にある六つの靭帯を保護し、大腿骨、脛骨、腓骨を繋ぐ足の各部筋肉を外側から補強している。後は靴に鉄板を仕込んで足が自壊するのを防いでいるぐらい……。超音波伸縮性の軍用特殊テーピング……手に入れるのに苦労した」
実際にはメインの脚だけでなく、補強用として全身にも細かくテーピングを施しているのだろう。体のバランスは脚だけで取れるものではない。それでは高速移動中に重心を崩して派手に倒れてしまう。
「いわば……駆動鎧パワードスーツの運動性能部分だけを抜き取って、独立化させたものだと思えば良い。俺を殺すつもりなら、貴様は対装甲兵器用の重火器を用意するべきだった……」
「ふん。『発条包帯ハードテーピング』とは、それほどに便利なものだったかしら」
結標むすじめは口元に笑みを貼り付けながらそう言った。
ただし、顔の表面には冷たい汗がうっすらと浮き出ている。
一一次元上の理論ベクトルから三次元上の制約を無視して様々な物体を移動させる結標むすじめだが、例外的に自分自身の肉体を移動させる事には極端な精神的ダメージを要する。低周波振動治療器による補助を受けているとはいえ、それでも確実に実行できるかは不明。むしろ可能性は五分五分より低いだろう。下手をすると精神面からの圧迫に耐えられず、ろくに力を使えないまま記憶の錯乱や判断能力の低下などに陥る危険もある。
簡単には下がれない。
しかし、不利な体勢を立て直すにしても、そのためのきっかけは自分で作らなくてはならない。
それを考えながら、結標むすじめは口を動かして時間を稼ぐ。
駆動鎧パワードスーツがあれほど大きなサイズになっているのは、何も動力部分や装甲の厚みがかさばっているせいではないわ。パイロットに対する安全装置に手間を割いているからよ」
言いながら、結標むすじめは周辺の確認を怠らない。
路地は狭く直線的。駒場が突撃してくれば逃げる事はほぼ不可能だろう。結標むすじめの手前には盾にしている廃自動車があるが、これだけで足止めできるかどうかは怪しい。
駆動鎧パワードスーツは装着者よりもはるかに高い機動力を……それこそ一〇倍以上の速度を出す事もできるわ。でも、それを着ているのはあくまで生身の人間よ」
駒場の攻撃は避ける事も防ぐ事も難しい。
結標むすじめは懐中電灯を握る力に強弱をつけつつ、さらに分析を続けていく。
「ふん。……身体的プロテクトの事か」
「直立状態からいきなり高機動を出力すれば、全身の筋肉が肉離れを起こす危険すらある。だから駆動鎧パワードスーツにはそれを防ぐための安全装置が複数用意されているのよ。私が使っている低周波振動治療器みたいに、常に筋肉へ電気的刺激を与えて、『準備運動状態』を維持し続けて急激な運動によるダメージを防ぐようにね」
結局、相手の攻撃が届く前に座標移動ムーブポイントの力で駒場利徳こまばりとくを叩き潰すしかない。
最初の一発が放たれるより先にとどめを刺さなければ、こちらの命が危ない。
「あなたの『発条包帯ハードテーピング』には、そういった安全装置がない」
結標むすじめは軍用懐中電灯をくるくると回しながら告げた。
駒場利徳こまばりとくの表情は、変わらない。
「それは警備員アンチスキルの試験運用からも落ちた欠陥品よ。貴方の体にも相当の負荷がかかっているのではないかしら。それこそ、私が手を下すまでもないほどに」
「ふ……」
明確な弱点を指摘され、それでも駒場は笑っていた。
「その程度の覚悟は、決まっている……。無能力の身で、貴様のような化け物どもと戦うと誓った時からな」
ゴリラのような巨体が、さらに一回りほど大きく膨らんでいく。
おそらくは少しでも負荷に耐えるため、プロのアスリート以上に繊細で合理的な調整を施した肉体が、一つの凶器に変わっていく。
「早急に決着をつけよう」
(チッ)
「……俺の前には、やるべき事が山積しているのでな!!」
(やはり下がりはしないわね!!)
ドン!! という轟音が炸裂した。
駒場利徳こまばりとくは己の身を削りながら、列車をも追い抜く速度で結標むすじめの元へと突っ込んでいく。
「ッ!!」
結標むすじめは思わず一歩下がり、軍用懐中電灯をくるくると回す。
駒場利徳こまばりとくの現在位置に、錆び付いた巨大な看板を叩き込む。
しかしその命令が実行された時、すでに駒場利徳こまばりとくはそこにいない。アスファルトを踏み砕き、ロケットのような勢いでさらに前へ前へと駆けていく。
(くっ……速すぎて、座標を指定している暇がない!!)
結標むすじめの喉が干上がる。
ダン!! という轟音が響く。
駒場の体が高速で飛来し、結標むすじめが盾にしている廃自動車の屋根の上に着地した。赤錆びた鉄板がバキバキと崩れ、彼の脚が深く沈む。それを無視して駒場は靴底を振り上げた。廃自動車を盾に身を守っていた結標むすじめを、上から踏み潰すために。
駒場利徳こまばりとくの魔手は、もうあと一歩の所まで迫っている。
「あ、ああああッ!!」
ゾッという悪寒と共に、結標むすじめは後ろへ下がる。
もはや攻撃は諦め、結標むすじめは手近にあった金属製のダストボックスを、とにかく自分の眼前に敷いた。ユニットバス四つ分ほどの、分厚い金属の箱を使ってとりあえず駒場からの一撃を防こうとしたのだ。
だが、
「薄いな……」
分厚いはずの壁の向こうから、うっすらとした笑い声を、結標むすじめは確かに聞いた。
そして、

「……その程度の膜では、この俺を止める事はできない」

結標むすじめ淡希は己の眼前で、ごあっ!! と、ダストボックスが中心から外周に向かって爆発的に膨張するのを確かに見た。
駒場利徳こまばりとくが、『発条包帯ハードテーピング』で補強した脚を使い、向こう側から鉄杭のような蹴りを叩き込んだのだ。
直後に巻き起こった轟音を、結標むすじめの耳は捉えられただろうか。
ズパァン!! と駒場の足の裏はダンプカーのようにダストボックスへ突っ込み、分厚い金属の箱を一撃で食い破り、その中身を撒き散らしながら全てをメチャクチャに引き裂いた。
がらんがらん、と金属が地面に落ちる嫌な音が響く。
爆発した残骸は、駒場から前方へ一〇メートル以上にわたって飛び散っていた。それは巨大
な竜が吐潟物の噴射を行ったようにも見えた。
死体など判別できない。腐りかけのゴミに混じって、赤黒いものが散乱しているだけだ。紫色の破片は内臓だろうか。そんな中に混じって、警棒にも使える軍用の懐中電灯が転がっていた。無残にひしゃげて、真っ赤な液体をべったりとこびりつかせて。
「ふん……」
血と一緒に髪の毛の付着した遺留品を見ても、駒場利徳こまばりとくの顔色は変わらなかった。
相変わらず、コピー用紙を吐き出すような口調で、彼は言う。
「……あっけない。本命を出す前に終わってしまった……」

  4

宣言通り、一方通行アクセラレータは一〇分間でスキルアウトの集団を黙らせた。
とはいえ、その間ずっと能力を使っていた訳ではない。
最初の一瞬で大気を操り、風速五〇メートル以上の突風を生み出し、敵をまとめて地面に転がす。能力を切ったら、集団の動きが乱れた所で銃弾を叩き込む。相手が反撃しそうになったら再び先手を打って突風を生み、無力化してから銃弾で黙らせる。この繰り返しだ。
一〇分間もあれば楽勝だった。
その上、実質的な能力使用時間は、三〇秒も経っていない。
木原数多きはらあまた率いる『猟犬部隊ハウンドドッグ』との戦闘で、この電極のバッテリーがどれほどの弱点かは思い知らされている。一方通行アクセラレータにはその節約法を学ぶ必要があった。
「さてさて。ウワサの駒場利徳こまばりとくって野郎はどこにいるのやら。まさか、今の中に混じってたとかっつう展開じゃねェだろォな」
一方通行アクセラレータは首筋に手をやり、電極のスイッチを切る。周囲を見回し、敵がいない事を確認してから、さらに路地裏の奥へと進んでいく。
暴風で何もかもを薙ぎ払ったはずだが、ほんの一〇〇メートルほど歩いただけで再び風景のあちこちに錆びた金属のゴミが目立ち始め、色とりどりのビニールシートが青空を隠す。
ふと、一方通行アクセラレータは足を止め、杖に体重を預けた。
遠方で行われているはずの結標むすじめの爆破が止まっていた。
「チッ、向こうのノルマは終わったか。やだねェ一人で残業ってのも」
やれやれと彼は首を横に振ったが、
「それなら……休ませてやろうか」
不意に、そんな声が一方通行アクセラレータの耳に届いた。
狭い路地を少し進むと、そこには建設途中らしきビルがある。巨大なジャングルジムのように鉄骨を組まれただけの建造物の、その中間階層四階の位置に、ゴリラのような大男が立っていた。
大男はコピー用紙を吐き出すような、平淡な声で語る。
一方通行アクセラレータ……か。随分と有名人がやってきたものだが……まさか統括理事会の犬になって、この程度の制圧作戦に駆り出されているとは……」
「そオいうオマエは駒場利徳こまばりとくだな」
一方通行アクセラレータは鉄骨を見上げて、
「一応理由を尋ねてやろオか。オマエがこの計画を立てた理由は何だ」
「スキルアウトが能力者を叩く理由なんて……聞いても面白いものではない」
「はン。その口ぶりだと、やっぱ街を混乱させた上で無差別攻撃ってトコか」
「無差別ではない。……標的ぐらいはこちらで選ぶ……」
「なかなか余裕があるみてェだが、今の状況掴めてンのか」
「先ほども……似たような事を言っていた女がいた」
言いながら、駒場はズボンのベルトに挟んでいた物を取り出し、それを鉄骨から下へ軽く投げた。
それは血まみれの軍用懐中電灯だ。
ガン、ゴン、と何回か下階の鉄骨にぶつかり、最後にアスファルトの上に墜落して、懐中電灯は保護ガラスと電球をまとめて砕かれる。
「俺が殺した」
「……、」
あっさりと放たれた言葉に、一方通行アクセラレータはわずかに黙った。
駒場の方が、逆に眉をひそめる。
「丸くなったな……。話に聞いていた人物像とは違う。……やはり昔と変わったのか。日陰者達は、普通ならここでためらわない。……俺の前に立ったから死人が増えた。死体の処分方法に頭を悩ませるなど三流のやる事だ……」
「そォかい」
小さく眩いて、一方通行アクセラレータは微かに笑った。
「知ってるか。俺の前に立ったクソ野郎は、普通ならミンチになるンだぜ」
笑いながら、彼は首筋にある電極のスイッチに手をかける。
「ふ……」
駒場は思わずといった調子で息を吐いた。
「いきがるなら……せめて体勢ぐらいは事前に整えておけ……」
「学園都市最強の超能力者レベル5にナニ語ってっか分かってンのか」
「……そういう化け物と対峙するのがスキルアウトの習性でな」
駒場は自分の人差し指で、首筋をトントンと叩くと、
「その電極……何らかの電子情報を送受信しているな」
チッ!! と一方通行アクセラレータは舌打ちして電極のスイッチを入れた。
脚力のベクトル変換を実行。足元のアスファルトを粉砕し、ロケットのような推進力で一気に駒場の立つ四階部分へと飛び上がる。
しかし駒場の方が早かった。
彼は懐からスプレー缶のような物を取り出すと、それを鞭のような蹴りで弾き飛ばした。常人とは思えない威力の足技は金属製の缶を紙屑のように引き裂き、その中身を空中に撒き散らす。
薄暗い路地裏でもキラキラと輝いているのは、シャーペンの芯ケースぐらいのサイズの、金属製の薄い膜だった。薄い二枚羽のそれらは、極めて小さなヘリコプターのローターのようにも見える。
何百という金属膜はゆっくりとした速度で竹とんぼのように回転しながら、空中でピタリと静止していた。
「……『攪乱のチャフシード』、電波蝿乱兵器の一種だよ。……マイクロモーターと、東南アジアに分布しているフタバガキ科の植物の種子の構造を参考にして空に浮かばせている……」
駒場は表情を変えずに言う。
「元々は無線機能を潰し……生意気な風紀委員ジャッジメントを叩くために用意したものだ」
「―――ッ!!」
ガクン、と一方通行アクセラレータの上昇力が一気に落ちる。
駒場の立つ四階部分に届かず、そのまま彼の体が下の三階部分の鉄骨へ墜落する。
最低限の『反射』も死んだのか、月並みな激痛が一方通行アクセラレータの背中一面に拡散していく。
「ごっ、ァ!?」
思わず声が漏れたが、のた打ち回る余裕はない。
「似たようなものを……先ほども見た」
頭上から聞こえる平淡な声に、一方通行アクセラレータはハッと顔を上げる。
「……あの空間移動系の襲撃者も、肩にそのような装置をつけていた。……おそらく使用している方式は異なるだろうし、それを装備する貴様達の事情までは分からんが……大方、能力補助のためなんだろう?」
影が差す。
上の四階部分から、駒場が両足を揃えて一方通行アクセラレータの腹目がけて飛び降りてきた。
あんなものを喰らえば内臓が破裂する。
手元には拳銃があるが、撃った所で落下してくる巨体は止められない。
「チッ、野郎!!」
一方通行アクセラレータは攻撃を諦め、手足を縮め、細い鉄骨の上をボールのように後ろへ転がった。
一瞬前に彼のいた場所へ、勢い良く駒場の両足が直撃する。
ゴォン旦という金属の鈍い音が響いた。
転がる動きを止め、一方通行アクセラレータは片手で拳銃を構えて反撃したが、駒場は上半身を大きく振っただけで二、三発の弾丸を避けた。弾を見ているのではなく、銃口から逃れている動きだった。
花火の匂いのする薬英が、はるか下の地面へ落ちていく。
「……無様だな」
駒場の笑みが広がる。
「お前の能力が万全ならば銃を使う必要もないし……俺の一撃を避ける必要もないだろうが」
(クソッたれが。それなら腰の中心をぶち抜いて動きを止めてやる!!)
歯噛みした一方通行アクセラレータは狙いを変えようとしたが、
「ふん……。振り落とされるなよ」
駒場の声と同時に脚が真下へ落とされ、三階部分の鉄骨が木の枝のようにへし折れた.
(……ッ!? この脚力―――ッ!!)
生身の体で繰り出せる攻撃ではないし、駒場は無能力者レベル0だ。となると、何らかの装備品で補強をしているのだろう。
「……くっ!!」
ただでさえ不安定な細い足場が斜めに傾いだせいで、一方通行アクセラレータの射線が駒場の中心から大きく逸れる。そして、狙いを戻す前に駒場の巨体が一方通行アクセラレータの元へ突っ込んできた。
(チ、カラは、まだ使えねェか!!)
視界の端でキラキラと輝いている無数の金属膜『攪乱のチャフシード』は、相変わらず竹とんぼのような動きで空中に静止したままだ。この一帯をまんべんなく覆っているため、多少手で振り払った程度では状況の打開もできない。
舌打ちする一方通行アクセラレータの眼前に、駒場利徳こまばりとくが迫る。
轟!! という風が吹く。
不安定な足場であるにも拘らず、駒場はほんのへ瞬で数メートルの距離を詰めてくる。
そして、その強靭な足を使い、踏み潰すような蹴りが襲い掛かる。
「―――ッ!!」
とっさに身をひねるが、その足は一方通行アクセラレータの拳銃を弾いて鉄骨の下へ落とした。初めから体ではなく武器を狙っていたのだろう。今のは反応できる速度ではなかった。
「……真っ赤に弾けろ」
そこへ今度は、駒場がズボンのベルトから自分の拳銃を引き抜いた。引き金の手前に太いマガジンが二本突き刺さった、奇妙なフォルムの大型拳銃だった。
左右へ首を振った程度で避けられる一撃ではない。
(クソッ!!)
意を決して、一方通行アクセラレータは勢い良く横へ転がり、そのまま鉄骨から飛び降りる。
次は二階部分。
だが下も見ないでダイブした結果、着地のタイミングを誤り、衝撃を殺せずに一方通行アクセラレータの体が鉄骨に激突した後、さらに一階まで落ちる。ゴン! という鈍い音が炸裂した。途中にワンクッションを置いたが、三階から地面まで墜落したのだ。歯を食いしばった程度で耐えられる痛みではない、まして、これまで体を鍛えず能力任せだった一方通行アクセラレータには余計に堪える。
「ぐおおおォォあッ!!」
肩口を押さえ、一方通行アクセラレータは絶叫する。
駒場は無視して引き金を引いた。
一方通行アクセラレータは汚い地面を転がりながら、どうにか弾丸を回避する。
放たれた弾丸の威力は尋常ではなかった。射線の途中にある鉄骨に突き刺さり、その太い金属の塊を内側から爆発させた。鉄骨は大量の細かい破片に変貌し、一方通行アクセラレータの上へと雨のように降り注ぐ。彼は地面の上を転がったが、それでも皮膚が細かく引き裂かれていく。
「チッ!!」
一方通行アクセラレータは何かを求め地面へ視線を走らせる。
(……ツ!あった!!)
そのまま、駒場の足で地面に蹴り落とされていた自分の拳銃を掴み取った。
仰向けに体勢を変え、両手で拳銃を構え、銃口を頭上の鉄骨に向けて引き金を引く。
ガァン!! という鋭い発砲音が響いた。
しかしそこに駒場はいなかった。何もない場所を突き抜けた弾丸は空を覆うビニールシートの端に当たった。留め具を吹き飛ばされたのか、シートが大きく煽られるだけだった。
「……チェックメイトだ……」
抑揚のない、文字を吐き出しているだけの声が、斜め上方の死角から聞こえた。
すでに別の鉄骨へ飛び移っていたらしい。
「最期に選べ……。どこを撃ち抜いて殺して欲しい」
「……スマートウェポンか」
忌々しげに眩くが、この状態から銃を動かすのは難しい。
視界の外から駒場の声が響く。
「俺の演算銃器は赤外線を使って……標的の材質厚さ、硬度、距離、それらを正確に計測する。……そして、破壊に最も適した火薬をその場で調合し……合成樹脂を瞬間的に固めて弾頭を成型する。鋼鉄の板を撃ち抜く事もできれば……豆腐の中に弾を残す事もできる。好みの死に方があるなら早めに言え。……マニュアル操作なら大抵の死体を作る自信がある……」
そォかい、と一方通行アクセラレータは眩いた。
ここで彼が倒れれば、駒場利徳こまばりとくは第二級警報の穴を突いて通信回線を潰し、その混乱に乗じて周辺一帯の能力者達へ無差別攻撃を行うだろう。しかし、それは何の成果も生まない。結局スキルアウトの力は学園都市全体を制圧するほどのものではない。
だから、その暴力の矛先は当初の目標から大きく外れ、自分達にでも倒せる適当な『敵』へ変更される。
本当に恨んでいるはずの超能力者レベル5や統括理事会ではなく、もっと手頃な『敵』へ。
一方通行アクセラレータの顔面の皮膚が歪む。
善と悪ではなく、強と弱によって成立する裏路地の法則。それを改めて突きつけられ、彼は自分の芯がじくりと痛むのが分かった。あまりにも馴染みがありすぎて、吐き気がする。そして『これ』と戦うために、一方通行アクセラレータは光の世界と決別して『グループ』へ飛び込んだのだ。
一方通行アクセラレータは奥歯を噛む。
――――そうやって、スキルアウト達を束ねていくつもりか。
『キミの場合、今後も他人からの甘い言葉に警戒する癖はそのままの方が良いかもしれないわね。守るべきものの価値を知っているのなら、特に』
――――そうやって、自分の都合で事件を起こして喜ぶつもりか。
『……どんなに無様だろうが、一円でも一銭でも払い続けるしかないじゃんよ。その積み重ねは必ず君の道を開く。なに、君には私と違って力がある。一気に返済する手はいくらでもあるじゃんよ』
――――そうやって、何の罪もない人間から順番に不幸にするつもりか。
『ただいまー、ってミサカはミサカは定番のあいさつをしてみたり……って痛ッ! 何で無言かつ連統でチョップするの? ってミサカはミサカは頭を押さえて嘘泣きしてみる!!』
――――自分だけが満足するために、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために、それだけのために他人の幸せを貪り尽くすとでもいうのか。
「ふざけンじゃねェぞ、このクソ野郎」
その言葉を合図に、二つの銃から弾丸が放たれた。

  5

それで勝負は決した。
勝敗は火を見るよりも明らかだ。一方通行アクセラレータの能力は空中にばら撒かれた金属膜『攪乱のチャフシード』に阻まれ、頼みの綱の拳銃も、標的たる駒場とは全然違う場所に向いていた。
その上で、彼の死角となる位置から、駒場利徳こまばりとくは正確に演算銃器の銃口を向けていた。これは将棋で言うなら完壁な王手。こちらの攻撃は届かず、あちらの攻撃が一方的に命を奪う、そういう構図だ。
放たれた銃弾は柔らかい肉を突き破った。
演算銃器の弾丸は、ぞふり、と脇腹の肉を食い千切る。弾き飛ばされた衣服の破片すら血に染まり、重量を得て浮かぶ事すら許されず、ボタボタと地面へ落ちていく。
一歩遅れて、焼けるような痛みが走った。
しかし、傷ロへ手を当てるだけの余裕すら、ない。
「何、故」
自然と、言葉が漏れる。
その口の中にも血の味が広がっていき、やがて唇の端から赤い液体がわずかにこぼれる。

「何故、お前の『反射』が生き返っている?」

鉄骨の上で血を吐いている駒場の様子を眺め、一方通行アクセラレータは汚い地面にぶっ倒れたまま薄く笑った。
「バッカじやねェの?」
薄く薄く薄く薄く、ひたすら薄く。
まるで剃刀の刃のように引き裂かれた、血に飢えた笑み。
「チャフってなァ、空気中に金属箔をばら撒く事で電波障害を起こすンだよ。なら話は簡単じゃねエか。辺りに漂ってる金属膜をどけちまえば良い。例えば換気するとかなア」
「……ま、さか……」
駒場は頭上を見上げた。
人工衛星対策として、ビルとビルの間を覆うように張られた色とりどりのビニールシートが大きくめくれ上がっていた。一方通行アクセラレータの弾丸が留め具を弾き飛ばしたせいだ。
『掩乱の羽』は不意に吹いた風のせいで、布陣を大きく乱されていた。『掩乱の羽』にはある程度の自律浮遊機能があるが、それでも強い突風に耐えられるほど高性能ではない。今までの平均的で緊密な配置から、大きくぽっかりと穴を空けてしまっていた。
「さァって、と」
ダン!! という地面を叩く音が響いた。
仰向けに倒れていた一方通行アクセラレータが、どういうベクトルを変換したのか、ドア板が開閉するようにそのまま起き上がる。
無能力者レベル0の分際で超能力者レベル5にケンカを売るその根性、もォ一度見せてもらおうかァ!!」
「……チッ!!」
駒場はもたもたとした動きで懐へ手を伸ばす。
特殊な銃器があろうが強靭な脚力があろうが、一方通行アクセラレータのベクトル変換能力が生きている間は、駒場利徳こまばりとくは何をやっても勝ち目がない。
となると、新たな『攪乱のチャフシード』を散布し、その間に撤退して状況を立て直す気か。
「遅っせェンだよ!!」
一方通行アクセラレータは足元にあった小石を蹴飛ばした。
それだけだった。
にも拘らず、ベクトル変換された石ころは弾丸のような速度で駒場の掌を貫いた。ゴバッ!! という轟音が、手の肉が弾けた後にやっと炸裂するほどだった。
「ぐァあああああああッ!!」
駒場は取り出しかけた『掩乱の羽』の容器を落とし、撃ち抜かれた手首を押さえてうずくまろうとする。しかしそこでバランスを崩した。丸まりかけた体勢のまま、鉄骨の三階部分から転落していく。
その程度で駒場利徳こまばりとくは死なない。彼には鉄骨を折るほどの脚力がある。途中でバランスさえ取り戻せれば、後は軽々と地面に着地できるはずだ。
だからこそ、一方通行アクセラレータは容赦をしない。
「ハハッ!もっと楽しませろコラ!!」
ドン!! と脚力ベクトルを変換し、ロケットのように前へ突っ込む。そして今まさに地面へ着地しようとしていた駒場の腹を掌で掴むと、手近な鉄骨の柱へ思い切り叩きつけた。
駒場の転落ペクトルすら正面方向へ変換した一撃。
それを受けた分厚い鉄骨が、ガギィン!! と不自然な歪みを生んだ。駒場の巨体がビクリと震えた。彼のポケットにあった携帯電話や『攪乱のチャフシード』の予備ストックなどが、バラバラと地面に落ちていく。
「ご、ぽっ!?」
駒場は血を吐くが、それは一方通行アクセラレータの顔に当たるや否や、一滴も付着せず左右へ弾かれる。
それすらも、彼は拒絶した。
「チェックメイトだよなァ。もう下半身の感覚ねェだろ?」
「くっ……」
「こォなっても演算銃器を手放さなかったのは褒めてやる。まだやりてェなら思う存分やってみろよ。そォいう自殺も面白ェンじゃねェか」
ターグットの腹を掴んでぶら下げたまま、一方通行アクセラレータは唇の端を吊り上げて言う。
無能力者レベル0ってなァ確かに弱ェが、それだけじゃ悪にはならねェ」
死に際すら汚して楽しむために。
「あァいう連中が邪魔者扱いされてンのは、ひとえにオマエらみてエなスキルアウトがハシャいでるせいだ。権利の獲得? 安全の保障? 馬鹿馬鹿しい、そォいった行動がオマエの首を絞めてるって事ぐれェ気づけなかったのか」
「……ふ」
歯を全部真っ赤に染めながら、しかし駒場は笑った。
「もしもの……話をしようか」
コピー用紙をそのまま口から吐き出しているような声で。
「……お前の語る『無害な無能力者レベル0』を意味もなく襲撃する……それが腐った能力者達の近頃の流行りだとしたら……どうする」
一方通行アクセラレータのまぶたが、つまらなさそうに細くなる。
「能力者としての優劣に、人格的な問題は考慮されない……。中には、強大な力を弱者に振りかざして、悦に入る事しかできない醜い人間もいる。……俺はそういう能力だけの能力者を、何入も何十人も見てきた……」
駒場利徳こまばりとくは命乞いすらせずに、ただ一方通行アクセラレータの目を見て語る。
スキルアウト。
その本来の結成目的は、強大な能力者から身を守るためのもの。
「もしもの話だ……。そういうヤツらが、組織されたスキルアウト以外の無能力者レベル0だけを、競って襲うゲームが流行っているとしたら……お前はどうする……」
地面に何か光るものがあった。
駒場利徳こまばりとくを鉄骨に叩き付けた時に落ちたものだろう、彼の携帯電話だ。二つ折りの電話は落下の衝撃で開き、待機状態だった画面に光が点っていたのだ。
待ち受け画面にあったのは、粗雑な解像度の写真だった。
小学生ぐらいの小さな女の子と、居心地の悪そうな顔で立っている駒場利徳こまばりとく
それは路地裏やスキルアウトという単語からはかけ離れた風景だった。
あるいは、駒場自身が努力して切り離した結果なのか。
(この野郎……)
スキルアウトの再編成。
事件の目的とその効果。
駒場利徳こまばりとくの抱えるもの。
「ふん。場違いな行動を取り続ければ、いずれこういう結末を招くとは分かっていたが……」
声に、一方通行アクセラレータは再び顔を上げる。
「……最期に良い物を見せてもらった。これでよしとする……」
駒場は一方通行アクセラレータの表情を見て、血まみれの口で笑う。
超能力者レベル5の顔色の変化に、駒場は一体何を得たというのか。
駒場はのろのろした動きで一方通行アクセラレータの眉間に銃口を突きつけた。
「どうやら……今の俺とお前は……同じような境遇にいるらしいな」
その顔に、迷いやためらいはない。

「手土産だ。この無様な光景を胸に刻んでおけ」

ドン!! という銃声が周囲を震わせた。
一方通行アクセラレータの『反射』に例外はない。跳ね返った弾丸は演算銃器の銃口へ飛び込み、鉄の凶器を内側から粉々に打ち砕き、さらに延長線上にあった駒場の顔へと突き進む。そして駒場利徳こまばりとくの顔面が消失した。ぼちょり、という生々しい音が地面に落ちる。引き千切れたパーツは、縁の欠けた丼のように見えた。脳みそを収めただけの、皮膚と髪のついた粗雑な容れ物に。
一方通行アクセラレータは、それを至近距離で眺めていた。
誰よりも近い位置で。.
「……、」
手を離す。
地面に落ちた胴体は、ぐにゃぐにゃとした動きで手足を折ると、そのままへばりついてしまった。それはもう何も言わない。あれだけ厄介な敵として立ち塞がった男からは、完全に抵抗が失われていた。
これで仕事は終わり,
初陣は、滞りなく完了した。

  6

『ご苦労様です』
携帯電話の向こうで、海原光貴はそう言った。
『死体の搬送、及び証拠の隠滅。薬英や血痕などの回収はこちらで行います。例の黒い収集車を送りますので、あなたはそちらに乗ってください』
「いや」
一方通行アクセラレータは電話を欄みながら、短く言った。
「こっちは勝手に帰る、オマエらの世話にはならねエよ」
『構いませんが、知人と遭遇するのは避けてください。我々は紛れる事に意義があり、浮き出る事はマイナスでしかありません。それは誰にとっても不利益にしかなりませんからね』
「いちいち上からモノを言ってンじゃねェよ。殺すぞ」
適当に言って、一方通行アクセラレータは携帯電話を切った。
(……それにしても、チャフか。人為的な電波障害の対策がいるな。爆弾でも携帯して、空気中の異物をまとめて吹っ飛ばしゃァ何とかなンのか?)
今後やるべき事を頭の中でまとめながら、もう一度汚い地面を見る。
そこには顔の上半分を失った駒場利徳こまばりとくの死体。そして、落下による衝撃で使い物にならなくなった、軍用の懐中電灯が転がっていた。
ケッ、と一方通行アクセラレータはつまらなさそうに息を吐いて、
「生きてンだろ、結標むすじめ淡希」
告げると、路地裏の奥からコツンという足音が聞こえた。
「途中からビルの窓際で見せてもらっていたけど……どこで気づいたのかしら?」
「ふン。バレバレなンだよ」
駒場利徳こまばりとくの銃撃を避けるため、自分から鉄骨の二階部分へ落下した後の事だ。
一方通行アクセラレータは地面に着いた後、先に落ちていた拳銃を拾って反撃に出ている。しかし、だ。冷静になれば分かる通り、それはあまりに都合が良すぎるだろう。ちょっと手を伸ばした範囲にきっちり自分の銃が落ちているなんて事は、普通に考えればありえない。あれは結標むすじめ淡希が座標移動ムーブポイントの能力を使って、事前に一方通行アクセラレータの手元に引き寄せておいたものだ。
「鬱陶しい真似しやがって……」
「あら。命の恩人に対してそういう言葉遣いで良いのかしら」
「―――、オマェ。殺して欲しいのか」
「そいつはお互い様ね」
結標むすじめはうっすらとした笑みを浮かべると、吐息がかかるほど顔を近づける。
彼女のまぶたが、皿のように見開かれた。
「忘れたの? 私が今こんな場所にいるのは、貴方があの日余計な真似をしてくれたからよ。あれさえなければ一度潜伏して体勢を立て直し、改めて武力と人貝を用意した上で、拘束施設を襲って『仲間』達を助けられたかもしれないのよねえ?」
真横に引き裂くような笑みを浮かべて、結標むすじめはゆっくりと語りかける.
「ふ、ふふ。その力で私を手伝って『グループ』に貢献し、その結果『仲間』達が解放されれば、私は貴方を許してあげる。だけど、少しでも足を引っ張るなら殺す。これ以上、自分の価値を落とさないように注意なさい。さもなくば体中にコルク抜きを突き刺してやるわ」
「ゴチャゴチャと騒がしい女だ」
一方通行アクセラレータはくだらなさそうに首の関節を鳴らしながら答える。
「オマエこそ分かってンのか。この俺に一撃で粉砕されたお荷物がハシャいでンじゃねェよ。その動作不良の脳みそに刻ンどけよ。俺の人生を一秒でも無駄にしたらオマエは路地裏の染みになるってなァ」
「……、」
「……、」
二人はしばらく睨み合っていたが、その時、短い問隔のクラクションが数回鳴った。どうやら黒い収集車が路地の出入り口近くに来たらしい。
気を削がれた彼らは同時に力を抜く。
馬鹿馬鹿しい、と一方通行アクセラレータは吐き捨てた。
その通りよね、と結標むすじめ淡希もあっさり頷いて身を退いた。
今はまだ、その時ではないのだから。
「駒場の野郎をどォやって騙した?」
「割と簡単よ。あいつの足技は威力が高すぎたから、どうせ死体なんて残らないし。ダストボックスを盾にしたのよ。料理店の裏手にあったもので、豚の骨や内臓なんかがそのまま捨ててあるゴミ箱をね」
自分の体に座標移動ムーブポイントを使ったから、途中で一度吐いたけどね、と結標むすじめは言う。
どうやらディティールを詰めるために、自分で引き抜いた髪の毛を懐中電灯に巻きつけたりもしたようだ。座標移動ムーブポイントを使って髪の毛を切断したのだろうが、そういう細かい事はできるくせに、自分の体を移動させるのは難しいらしい。
「……たまたまあった、内臓入りのゴミ箱ね。運の良いヤツだ」
「そうね。運が悪かったら別の盾を使っていたわ。例えばスキルアウトの一人とかね。使わずに済んだのはやっぱり幸運だったと私も思うけれど」
結標むすじめは死体の側にあった軍用懐中電灯を拾い、
「見事に壊れているわね」
退屈そうな口調で言った。
「海原から連絡があったでしょう。彼はなんて言っていたの?」
「収集車が来るから乗って帰れとさ。さっきのクラクションがそれだろ」
「そう。私の回収地点は少し遠いのよね」
「オマエはここで待って代わりに収集車に乗れ。俺は勝手に帰る」
その言葉に、結標むすじめは怪訝そうに眉をひそめる。
「あら。どこかへ寄って行くの? まだお昼には早い時間だと思うけれど」
「あの優男にも聞かれたが、大した事じゃねェよ」
一方通行アクセラレータの手には、携帯電話がもう一つあった。
今はいない人間の血を受けた、プラスチックの電子機器。
その待ち受け画面には、幼い少女の笑顔が映っている。
そしてボタンを操作すると、そこにはいくつかの電話番号があった。
登録カテゴリは『無能力者レベル0襲撃・要注意入物』。
彼はそれに目を通す。
そうしながら、力を抜いてこう言った。
「残業だよ。サァービス残業」

第三章 イギリス潰教の女子寮 Russian_Roulette.

  1

ロンドンの朝は学園都市より九時間遅く訪れる。
柔らかい陽射しと小鳥のさえずりの中、神裂火織かんざきかおりは女子寮の脱衣所で呆然と立ち尽くしていた。
彼女の眼前にあるのは、学園都市製の最新鋭全自動洗濯機だ。
「ですから言ったんです……。布団丸洗いオーケーなんて宣伝文句を簡単に鵜呑みにしては駄目だって」
流石に最近は冷えてきたため、神裂かんざきはいつものTシャツと片足ジーンズの他に、へそぐらいまでの長さのジャケットを羽織っている。その上着にしても、右腕部分がばっさり切断されていて、肩まで大きく見えていた。
「……ただでさえ、この洗濯機は小難しい理論で動いているのに……」
がしゃん、という物音が聞こえた。壁に立てかけておいた七天七刀しちてんしちとうが倒れたのだが、もはや神裂かんざきはそれすらも意識に入っていない。
一〇月三日の洗濯当番は神裂かんざきだったのだが、そこヘアニェーゼ=サンクティスが「布団も洗えるんならやっちまいましようよ』とか何とか言って、分厚い掛け布団を太巻きみたいにして洗濯機に放り込んだのが全ての元凶だった。
現在、AI完備の精密家電製品は今にも黒い煙を噴きだしそうな調子で『ぶこご。ぶこごこごご』と人を不安がらせるような低い捻り声をあげ、左右にガタガタと震えている。
「……、」
ちなみに件のアニェーゼは言うと、何やら彼女なりに追い詰められているらしく、半分涙目で青い顔になっていて、できる限り洗濯機から距離を取ろうと考えているのか脱衣所の壁に背中をぴったりと張り付け、洗濯機に負けず劣らず小刻みに振動している。生クリームぐらいなら泡立てられそうな勢いなので、これでは神裂かんざきとしても責めるに責められない。
そこへやってきたのはオルソラ=アクィナスだ。
頭の先から足の先まで全部黒い修道服で隠し、顔しか出ていない巨乳修道女はにこにこと微笑みながら、
「朝ご飯の時間でございますよー」
「唐突過ぎます! 今までの流れとか少しは考えてください!!」
「まあ。でもいつもこの時間に朝ご飯を用意する方が自然な流れでございますよ。むしろ洗濯機の方がイレギュラーでございましょう?」
む、と神裂かんざきは少し黙り込んだ。
確かに言われてみればその通りである。
一方、そちらに気を取られている隙に、アニェーゼが「あ、あああ朝ご飯―。あっさごっはんーっ』と歌いながら高速で脱衣所から出て行った。
神裂かんざきはため息をついて黒いポニーテールの頭をがしがし掻くと、床に落ちた刀を拾って食堂に向かった。隣のオルソラは実は眠いのか、廊下を歩いているにも拘らず、微笑みながら時々体が左右に揺れたりしている。
「そういえば、神裂かんざきさん」
「何ですか」
先日神裂かんざきさん宛てに届いた荷物は何だったのでございましょう。確か日本の土御門つちみかどさんからという事でございましたけど」
ビクゥ!! と神裂かんざきの肩が大きく動く。
彼女は人差し指と親指で自分の前髪をいじりながら、
「さ、さあ、大した物じゃありませんよ。わざわざ報告する必要性は感じられません」
「そうでございますか。荷札にデカデカと『堕天使メイド一式』などと書かれていたので皆さん大層気味悪がっていましたけど、気にする事はないのでございますね?」
「えっ、ええ!! ありませんともッ!!」
ガタガタガタガターッ!! と神裂かんざきは高速振動しながら首を縦に振りまくる。
オルソラはそんな神裂かんざきの様子に気づかないのか、もしくは思考パターンが戻ったり進んだりしているのか、
「ところで、その刀は長くて邪魔ではないのでございますか?」
「む、むしろ、私の場合は多少重量がある方が振り回しやすいのですが」
「まあまあ。宗教的に意味のある長さだと思っていたのでございますよ」
「いえ、もちろん日本神話上の意味はありますけど」
ようやく話題が逸れてきた、と神裂かんざきは胸を撫で下ろしつつ、オルソラと一緒に廊下を歩きながら言う。
「宗教的な刀が多いのは、単に日本の支配階級が剣や刀を重んじていたからに過ぎません。斧を重んじていれば斧が増えていたでしょう。地域によっては魚や野菜などを奉じる場所もありますし、包丁や鍋といった場合もあります。ようは、その地域の人にとって何が一番大切か、という事なんです」
彼女は七天七刀しちてんしちとうの柄を指先で軽くなぞり、
「神道の場合、基本的には八百万やおよろずの理論―――つまり神は何にでも宿り、何であっても魔術的な道具に成り得るという考え方がありますから。天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきょうで頻繁に使われる、身近な物品を使って術式を組み立てるという戦術もこの八百万を応用したものなんですよ。もっとも、物品によって宿る神は異なりますから、一品であらゆる術式を行使できるという訳ではないんですけどね」
「ふぁああ……ねむねむでございますよ!」
「ッ!! 自分で尋ねておきながら右から左ですか!?」
神裂かんざきは唖然として叫んでしまったが、当のオルソラは目元をごしごしと擦りながら、さっさと食堂の方へ行ってしまった。
置いてきぼりとなった神裂かんざきは、肩を落としてとぼとぼと食堂に入る。
中は広かった。
元々ここを使っていたのは七〇人程度だが、最近いきなり元アニェーゼ部隊が二五〇人ほど追加された。それでもきちんと収まるぐらいなのだから、どれほど空間が余っているかは分かるだろう。
『必要悪の教会ネセサリウス』の活動時間は特に決まっていないため、修道女達の食事のタイミングはまちまちだ。だから普段は食堂が満席になる事はないのだが、
「……オルソラが料理当番のリーダーを務める日だけは全員着席とは。なんというか、非常に現金です」
神裂かんざきは呆れながらもテーブルに着いた。
近くにはアニェーゼ、オルソラ、ルチア、アンジェレネらが座っている。鋭い目つきのルチアが小柄で猫背のアンジェレネのほっぺたを引っ張っている所を見ると、また食事前にこっそり摘み食いでもしたんだろう、と神裂かんざきは呆れていたのだが、
「ふぇ、ふぇすから私はシスター・オルソラに秘訣を聞こうとしただけなんですよ」
「何が秘訣ですか、馬鹿馬鹿しい」
「そうは言っても私だっておっぱいを大きくする方法を知りたいんです」
……何の話をしているんだ、と神裂かんざきは頭を抱えてしまった。
その間にもルチアとアンジェレネはぎゃあぎゃあ言い争いを続けている。
「シスター・アンジェレネ。修道女に胸など必要ありません。数多の欲から切り離されるべき修道女が殿方を誘惑させるような危険性を抱えてどうするのですか。むしろ私やシスター・オルソラの方が不完全と言えるでしよう」
「うわっ! とか言いつっ何でさりげなく巨乳宣言しているんですか!? その冷酷な線引きに私は反抗しますもんね!どうせ『いい加減に成長も止まったと思っていたのですが。最近何だか張ってきたような気がして、少し痛いんです……』とか困り顔で相談してくるようなシスター・ルチアに私の気持ちは分かりませアギュ!?」
何か言いかけたアンジェレネの金髪三つ編み頭を、ルチアは顔を赤くして全力で上から押さえつける。彼女達が暴れるたびに、テーブル上のナイフやフォークがガチャガチャ揺れた。
呆れ返った神裂かんざきは横から注意する事にした。
「アンジェレネ、それにルチアも。食事前の祈りを捧げる時間なんですから、あまりドタバタするものではありませんよ」
が、アンジェレネは人の話を聞いていない。
彼女は神裂かんざきの顔よりもやや下の辺りへ視線を投げると、
「ポイントは和食ッッッ!!」
「いい加減にこの冒涜的な話題は終わりにしなさい、シスター・アンジェレネ! それから神裂かんざき火織。あなたも修道女ならば、そのふしだらなものをしまうべきです!!」
「べっ、別に取り立てて表に出しているつもりはありません!!」
神裂かんざきは思わず叫び返したが、それを聞いた(心身ともに)控え目な修道女達が顔を逸らしたり小さく舌打ちする。
そんな訳で妙にギスギスした雰囲気を醸し出しつつも、食前の祈りを捧げたら朝食開始だ。
女子寮の食事なんてものはとても大雑把で、まず前日に集められた「明日の朝食は食べるカード』を数え、後は五右衛門風呂みたいに巨大な鍋で一種類の料理を一気にガーッ!! と作ってしまう訳だ。
が、オルソラはその辺がとても器用で、一度の朝食でいくつものメニューを同時にこなしてしまう。実際には彼女一人で何百人という朝食は用意できないので、他にも十数人の修道女達の手を借りているのだが、オルソラはとにかく様々な料理のレシピを知っていて、それを的確に伝えるのが上手いのだ。
だから神裂かんざきの前には白いご飯と味噌汁があるし、アニェーゼやルチアにはパスタ、アンジェレネにはフランスの郷土料理が並んでいる。
神裂かんざきは『いただきます』と眩いてから箸を手に取って、
「しかし、あの洗濯機はどうなんでしょうね。浴衣の帯は脱色されましたし、今回も簡単に壊れましたし。まさかと思いますが、学園都市側は我々の衣服に装着された霊装効果を排除するために洗濯機を送りつけてきたんじゃ……」
「あ、あはは。今はご飯に専念しましょうよ。ほら、ほら」
アニェーゼはやたら乾いた笑みで話題を変えていく。
一方、長身のルチアと猫背のアンジェレネは、
「うへえ。シスター・ルチアはそれだけでお昼まで足りるんですか?お皿の半分ぐらいしかパスタが載ってませんよ」
「シスター・アンジェレネ。むしろあなたの食事量が過剰なのですよ。何ですかそのメニューは。修道女の朝食にチョコレートドリンクやデザートのアイスクリームなど必要ありません。常に節制を心がけ、規律と信仰をもって食に感謝すれば、一皿の麺だけで満腹となるのです。むしろ今の私には多すぎるぐらいの恵みと言えるでしょう」
「へぇ……。じゃあいらないなら食べてあげますよ」
「ッ!? 人のパスタをフォークで絡めるのはやめなさい、シスター・アンジェレネ!!」
バタバタと暴れる大小修道女コンビに、神裂かんざきは焼き魚の身から骨を器用に外しながらため息をついた。先ほどの胸だの何だのの会話といい、ほんの数週間前まで刃を掲げて異教徒殺すぜうがーとか言っていたとは思えない光景だ。
(人の評価など切り口次第という事ですか……)
妙にしんみりしながら、神裂かんざきは焼き魚の骨を全て外し終えると小さなビンの蓋をバゴッと開けて、その中から梅干を取り出した。合成着色料を使っていないせいか、赤というよりはベージュに近い。
と。
ふと神裂かんざきが顔を上げると、ルチアとアンジェレネが目を丸くしてこちらを見ていた。
「な、何ですか?」
たじろぐ神裂かんざきに、二人の修道女はひそひそとした声で、
「(……シスター・アンジェレネ。東洋人が見た事もない変なのを食べようとしています。あれがウワサに聞く武士の国のウーメボシというヤツでしょうか)」
「(……多分アマクサ術式に必須なんですよ。ほら、確か向こうにはヒノマル弁当という言葉があったはず。何でも国旗を模しているそうですけど)」
「(……国旗を食べるという行為には何らかの宗教的な意味が付随しているのでしょうか。これは独特の方向牲を得て発展したアマクサ術式の経緯を知るチャンスかもしれません)」
妙な勘違いを訂正するべきかどうか悩む神裂かんざきの肩を、アニェーゼがちょんちょんとつつく。
見ると、アニェーゼは神裂かんざき製の梅干に目を釘付けにしたまま、
「それ、どんな味がするんですか。一つ分けて欲しいです」
「は、はあ、構いませんけど……って、パスタに!?」
ギョッとする神裂かんざきの目の前で、アニェーゼはすでにホワイトソースの絡んだクリーム色の麺に梅干をポトリと落としてフォークでぐちゃぐちゃにかき混ぜてしまった。パスタの色が薄いピンク色に変化していく。
見ている神裂かんざきの顔色が青くなるが、パスタを絡めて口に含んだアニェーぜは意外に好感触そうに表情を綻ばせ、
「むぐ、結構新鮮です。味がさっぱりすんですね」
マジか本当ですか!?とルチアとアンジェレネが異様なテンションで食いついてくる。しかし一番驚いたのは神裂かんざきだ。和風パスタと言えばしょうゆや明太子だが、クリームソースに梅干を突っ込んでも本当に美味しくなるのだろうか。
ちなみに唯一食いついてこないオルソラはというと、先ほどから首を斜めにしたまま、極めて幸せそうな顔で『うふふ。このパスタは何メートルあるのでございますかー……』と眩き、何もない空間で永遠にフォークをくるくる回していた。多分あれは寝ている。あの調子で作ったご飯がこんなに美味しいという事に神裂かんざきは思わず首を傾げてしまう。
そちらは放っておいて、
「かっ、神裂かんざきさん!はいはい私もはい!! くださいウーメボシ食べてみたいですそれ!!」
アンジェレネがテープるから身を乗り出して大声で言った。ちなみに彼女の主食は見るからに柔らかそうなクロワッサンだ。一体どこに梅干を使う気だ、と神裂かんざきは思わず口に出しかけたが、そこでふと、
(いや、梅干はご飯と一緒に食べるもの、という先入観がいけません。アニェーゼのように窓口はあくまで広く、まずは梅干の味を知ってもらった上で、そこから本来の和食というものへ踏み込んでいただけば何の問題もないはず)
「え、ええ。まあ数に不足はありませんし、食べてみたいというのでしたら……」
控え目な肯定だったが、実はこの梅干は市販品に満足できない神裂かんざきが女子寮の屋上を借りて天日干しにした自家製だ。頻繁に天気の変わるロンドンの空で日照不足に悩み、ビニールハウス状に梅干をガードし、もういっその事魔術で光を作るかいやいやそれでは天日の意味がと試行錯誤を繰り返した末に生み出された会心の出来であり、それが今まさに認められようとしているこの瞬間に内心では超嬉しかったりするのだが、そういった感情は全て冷静沈着な表情の下に隠しておくのが大和撫子である。
神裂かんざきが箸を使ってビンから取り出し、小皿に載せた梅干を、わーいと言って受け取るアンジェレネ。
さてどんな反応が返ってくるかと神裂かんざきはアンジェレネの顔色を窺っていたのだが、
「ウーメボシって主食につけて食べるものなんですよね。いやあ、私、ジャムとかマーマレードとか果物系のペーストには弱いんですよ」
は?と神裂かんざきは目を点にする。
何か壮絶な勘違いをしている気がする、と彼女が危惧するのもお構いなしに、
「東洋の甘味ってこちらのものとはまた違うんですよね。ワガシって言うんでしたっけ。前からずっと興味があったんですよー」
アンジェレネは警戒心ゼロで、ぽいっと自分の口に梅干を放り込んでしまった。
直後、両目をバッテンにし、唇を尖らせたアンジェレネが椅子ごと後ろにひっくり返った。
彼女は食事を放棄し、何事かを叫びながら食堂から飛び出していく。
天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきょうの歴史と技術の粋を集めた梅干は、市販品とは出来が違う。

  2

朝食が終わればいよいよ洗濯機と格闘再開である。
「取扱説明書よし、ドライバーなどの工具類よし。……い、いざという時の保証書は……え、お客様相談センターの電話窓口は日本……という事は国際料金ですか!?」
覚悟を決めているのか決意が鈍っているのか微妙なラインのまま、神裂かんざきは女子寮の廊下をとぼとぼ歩いていく。
と、ずらりと並んでいるドアの一つが不意に開いた。
中から出てきたのは、寝不足気味で乱雑に頭を掻いているシェリー=クロムウェルだ。ライオンのような金髪に、野性味のある小麦色の肌。もう陽も高くなりつつある時間だが、未だに黒いネグリジェを纏っていた。
その手には、彫刻用の盤と玄能が握られている。
「……おう神裂かんざき。朝飯まだ残ってる?」
「また石を削るのに夢中で時間が経つのを忘れていたんですか。朝食はないでしょうが、料理当番のリーダーはオルソラなので両手を合わせて拝み倒せば何か作ってくれるのでは?」
言いながら、神裂かんざきはシェリーの肩越しに部屋の中を見た。
シェリーは女子寮の部屋を二つ借りている。寝室と作業部屋だ。霊装などの管理のために複数の部屋を借りる者は少なくないが、純粋な趣味だけの部屋は比較的珍しい。
彫刻部屋、と銘打ってあるのものの、シェリーの部屋には彫刻がない。部屋の四隅には、バラバラに砕かれた石像の成れの果てが山のように積んであるだけだ。
ただ一つ、部屋の中央に置かれた小さな少年の像以外には。
等身大の大理石像の台座には、Ellisと刻まれている。
「そいつも失敗作よ」
神裂かんざきの視線を理解し、シェリーはつまらなさそうに息を吐いた。
「目も当てられない失敗作のくせに、それだけは何故か砕く気が起きなかった」
と、ほとんど独り言のように言われても、神裂かんざきには『「エリス」=「シェリーの使うゴーレムの名前」』という認識しかない。なので、『それは術式の名前じゃないんですか?』と素直に尋ねたところ、
「……名付けた時は、それしか思い浮かばなかったのよ」
ふてくされたような返事がきた。
「自分の身を守るための人形を作ってから、そいつの名前を決めようって段になった時、真っ先に浮かんだのがあいつの名前だった。未練がましいのは分かってんだけどさ」
シェリーは両手にあった彫刻道具を部屋の中へ適当に投げてドアの鍵を締めると、それ以上は一言も告げずに食堂へ向かった。神裂かんざきには詳しい事情は分からないが、その背中は何故か少しだけ小さく見えた。
(まあ、余計な詮索は無用でしょう。首を突っ込むだけが救いの道とは限りません)
救われぬ者に救いの手を、という魔法名を背負う神裂かんざきは微妙に全身がムズムズしているのだが、今はそっとしておく事にした。
「い、いたいた。神裂かんざきさーん……」
そこへ今度はアンジェレネが小走りに近づいてきた。朝食の途中で席を立ってどこかへ消えてしまった彼女だが、今は何故かその手に歯磨き粉のようなチューブが握られている。多分中身は生チョコだろう。
「どうしたんですか、アンジェレネ。あれからどこへ行っていたのですか。そうそう、あなたの分の朝食はもう片付けられてしまったと思いますけど」
「くっ……。い、いや、良いですよ。気にしません。その分次の昼食が美味しく食べられるだけですから」
「でしたら、その時はまた梅干を差し上げましょうか。次はちゃんとご飯に載せて」
「完全に結構ですからッ!! なっ、何がウーメボシですか、あんな悪魔の食べ物! 口の中がおかしくなって、ホットミルク飲んでも全然直らないから今チョコ食べてるんですよ!! 私は一気に日本への憧れがなくなっちゃいましたよーだ!」
そう言われてはしょんぼりするだけだが、神裂かんざき火織は奥ゆかしく感情を制御できる大和撫子なので見た目に変化はない。本人がそう思っているだけで実際には肩が落ちているのだが。
「無理には勧めませんが……。で、私に用件があるのでは?」
「そっ、そうでした。あ、いえ、用件と言っても私ではなくてですね、その……」
「ああ、誰かから伝言でも頼まれているんですか。アニェーゼからでしょうか」
「い、いえ、伝言ではなく寮の代表を呼んできて欲しいとの事で……。あのあの、それから、シスター・アニェーゼからじゃないです」
「じゃあルチアですか」
「えと、その、シスター・ルチアでもオルソラでもなくてですね、あと、シスター・カテリナとかアガターとか、とにかくここの寮の人じゃないんです」
「???」
ここは一応イギリス清教の女子寮なのだが、寮の人間以外に誰がいるというのだろう、と神裂かんざきは首を傾げた。
「うーん、なんて言いましたっけ……」
アンジェレネもちよっと首をひねってから、
「そうそう、サーシャさん。サーシャ=クロイツェフさんです」

  3

サーシャ=クロイツェフ。
ロシア成教が誇る魔術戦闘特化部隊『殲滅白書Annihilauts』の正式メンバーである。専攻分野は人間以外の『あらざる者』の殲滅。そのためならば、ラスプーチンの腐敗政治以後ロシアでは一切禁じられている魔術の行使もためらわず、対象出現エリアを遺跡ごと吹き飛ばし、地形を大きく変化させる事も珍しくないという。おかげで、文化財を守ろうとする一部の国家からは入国を制限されている状態にあるらしい。
魔術師同士の単体戦闘能力はイギリス清教の『必要悪の教会ネセサリウス』に比べると劣ってしまう。
しかしサーシャは鋸や金槌など、イギリス製の対人用拷問霊装を装備する事でその不利を補っている。見た目は小柄な金髪の少女だが、その腰に差してある七つ道具同様『戦術を切り替える事であらゆる局面に対応できる』オールマイティな魔術師と言える。組織のエージェントとしては理想的な実力を持つと評価できるだろう。
……他にも神裂かんざきは日本の海岸で『彼女』の別の側面を見ているようだが、その『彼女』の事は今は切り離しておいた方が良さそうである。
サーシャ=クロイツェフはロシア成教のエージェントだ。
その彼女が、何故ロンドンの、それもイギリス清教の女子寮へやってきたのか。
まさか観光や迷子という訳ではあるまい。
ローマ正教と学園都市が一触即発の状況にある最中では、サーシャの訪問にも自然と政治的な匂いを感じてしまう。
協議、対談、取引、あるいは警告か。
アンジェレネに連れられる形で、神裂かんざきは気を引き締めながら女子寮の玄関へ向かったが、

「第一の解答ですが、迷子になりました」

ええーっ!? と神裂かんざきは思わず叫んでしまった。
愕然とする彼女の顔色を見て、サーシャは小さく頷くと、
「第二の解答ですが、よいリアクションをありがとうございます」
「嘘なんですか!?」
はて、サーシャ=クロイツェフとはこんな軽口を叩く人間だったか、と神裂かんざきは疑問に感じた。
が、やはりあの『彼女』とは別人なのだろう。
「第三の解答ですが、おそらくそちらも感じている通り、私はロシア成教の使者としてこのたびこちらに伺いました。しかし補足説明させていただきますと、ロシア成教正式の会談という訳ではありません。ここには私個人の思惑があるため、あくまでも非公式対話という形にしていただきます」
どうやらロシア成教からの明確な敵対行動という線はないようだ。
神裂かんざきはやや警戒心を緩めた。
「そうですか……。では立ち話も何ですから、とりあえず中へどうぞ」
「第四の解答ですが、お気遣い感謝しま――」
言いかけて、不意にサーシャの声が途切れた。
神裂かんざきがそちらへ振り返ると、ちょうどサーシャが自分の右手を後ろへ回した所だった。
何となー、彼女の指先が不自然に震えていたようにも見えたが……。
「第一の質問ですが、やはりこの施設では魔術的な防衛策が施されているのですか」
「いえ……。この女子寮はイギリス国内の不穏分子をおびき寄せて叩くためのエサですから、意図的にそういう事は避けています」
「第二の質問ですが……なら、それ以外に何か魔術的な作業をこの施設内で行いませんでしたか?」
「はあ」
ええと、と神裂かんざきは少し考えてから、
「言われてみれば、女子寮のメンバーの中には霊装保護のために、保管用の術式を施している者もいます。ただ、ここまで漏れる魔力はほとんどないと思いますけど」
先ほどの指の震えと何か関係ある話なのだろうか、と神裂かんざきは首をひねる。
一方、サーシャはそれで納得したのか、小さく頷いた。
「……第五の解答ですが、何でもありません。では、話のできる場所はどこですか」
彼女は小さな手を胸に当てて一度深呼吸すると改めて前を見た。神裂かんざきの勘違いだったのか、
やはり彼女の指先に変化はない。
神裂かんざきはサーシャに道を譲るように横へ移動しつつ、どこへ案内しよう? と考えていた。ここは女子寮なので、来客をもてなすような空間はない。しかし、相手はロシア成教の特使として来た以上、神裂かんざきの寝室などという個人スペースに招待する訳にもいかない。
やはり食堂しかないかな、と思いつつ、
「しかし何故こちらに? イギリス清教の代表なら聖ジョージ大聖堂に控えていますが」
「第六の解答ですが、そちらにはワシリーサ……ああその、あまり補足説明をしたくない人柄の上司が向かっています。本来はそちらの『会談』がメインであり、私はワシリーサの補佐という形でイギリスへ入国しています」
神裂かんざき、アンジェレネ、サーシャの三人は廊下を逆戻りして食堂へ歩いていく。
「ますます状況が掴めませんが。補佐役ならば、今まさに会談を行っているロシア成教代表の側を離れてはまずいのでは」
「第七の解答ですが、ロシア側にも事情がありまして。イギリス側にとっては失礼な話に聞こえるかもしれませんが、私個人としてはこちらの方が重要と感じているほどです」
「……、」
この不安定な情勢下では、適当な理由ではロシア成教の魔術師はイギリスには入国できない。
だからサーシャは『会談』というイベントに乗じてやってきた、という訳だろう。
きな臭くなってきた、と神裂かんざきは警戒心を高めるが、
「(……あの、あのう。神裂かんざきさん)」
ちょいちょい、とアンジェレネが神裂かんざきのズボンを引っ張ってきた。
「何ですか、アンジェレネ」
又……この方は神裂かんざきさんのお知り合いですか。なんというか、その、とっても個性的な服装の人ですけど)」
ピクリ、とサーシャ=クロイツェフの肩が大きく動いた。
彼女の格好は黒いベルト状の拘束服にインナーそのもののようなすけすけの衣装、後はその上から羽織った赤いマントだけだ。
しっ!と神裂かんざきは人差し指を口に当てて、
「(……世の中には文化という言葉があります。あれにはきっとロシア成教に伝わる重要な意味があるんですよ)」
「(……え、ええっ? 本当にそうなんですか。私にはどうも、夜道に出没する変な中年男性みたいにしか見えな)」
「(……アンジェレネ!そのような口を利いてはいけません。あなただって自分の信仰心を馬鹿にされたら怒るでしょう!」
ぶるぶるぶるぶる、とサーシャは小刻みに振動しているが、爆発には至らなかった。ただ、その口から時折『……私だって好きでこんな格好を……』『……ロシア成教はそんな変態の集まりじゃ……』『……ワシリーサ殺す……』などという言葉の欠片が漏れている。
そうこうしている内に食堂に着いた。
朝食は終わっているが、元ローマ正教のシスター達を筆頭に、まだかなり多くの人数がテーブルで談笑していた。彼女達には明確な出勤時間はないので、待機する時はひたすら待機なのだ。
「ん?」
オルソラにありあわせの食材で作ってもらったらしきハムとレタスのサンドイッチ(オルソラはやっぱり眠いのか、サンドイッチの具がパンからはみ出ている)を頬張っていたシェリーは、食堂に入ってきた三人に目を向けて、
「夏でもないのに水着のヤツがいるぞ」
ビキリ、とサーシャのこめかみに青筋が立った。よりにもよって露出度満点のネグリジェ女に言われたのがよほどショックだったらしい。口の中で『ワシリーサに死をワシリーサに死をワシリーサに死を……』と念じているのが怖い。
神裂かんざきは人差し指を口に当てるジェスチャーでシェリーを黙らせつつ、
「え、ええと、彼女はサーシャ=クロイツェフ。ロシア成教のエージェントで、今回は非公式会談のためにここへ来たとの事です」
神裂かんざきの言葉に、食堂の皆が耳を傾けていた。例外はオルソラぐらいだろう。よほど眠たいのか、彼女は上品なティーセットの乗ったトレイを両手で抱えながら、ふらふらとした動きでテーブルとテーブルの間を行き来している。
代わりに、はあ、と眩いたのはトランプを持っているアニェーゼだ。彼女は向かいの席でポーカーフェイスを作っているルチア、隣で涙目になっているカテリナ、斜めで自分のカードを睨みつけているアガターらから目線を神裂かんざきに移すと、
「そのサーシャさんの非公式会談……。まさか亡命でも希望しているんですか?」
「なるほど。着の身着のままとはまさに言葉通りですね。もう大丈夫ですので安心してください」
トランプをテーブルに置きながら語るアニェーゼやルチアの言葉に対し、サーシャはついに口をへの字に曲げて傭いてしまったため、神裂かんざき火織は全力のジェスチャーで『服装に触れるの禁止!!』と示した。
気を取り直して、と神裂かんざきはサーシャに手近な席を勧めた。
ようやく眠気が覚めてきたらしきオルソラが紅茶の入ったカップを運んでくる。
サーシャはそれを一口含み、舌を湿らせてからこう言った。
「本日は皆様に第三の質問があります」
食堂全体に行き渡らせるように。
それでいて、粛々とした空気を生み出すように。
「此度のローマ正教と学園都市の間で起こる戦争あなた達は、どちらの側に着くつもりですか?」

  4

戦争。
もはや誰にとっても他人事ではない言葉だ。
従来の戦争は国境という区切りの元で行われていたが、これからの戦いは違う。思想と思想のぶつかり合いに国境は存在せず、地球上全ての領域が例外なく突発的に戦場となる可能性がある。『○○という国にいれば大丈夫』とか『××という基地は防衛が堅い』などという安全神話は存在しない。最悪、一つの部隊の中で争いが起こる危険すらありえるのだ。
「第八の解答ですが、ここは良い街ですね」
サーシャは大きな窓の外を眺めた。
「補足説明しますと、ロンドンではローマ正教や科学サイドによるデモ行動がそれほど見られません。ちなみに我々ロシア国内はとても緊迫した状況にあります。昼間でも不意の暴動を恐れ、シャッターを閉める店も増えています」
イギリス清教、ロシア成教はそれぞれ国教だが、別に『国民は全員それを信仰しなくてはならない』という制約はない。なので、ロシア国内にも多くのローマ正教徒がいるのだろう。科学の方は説明するまでもなく、もはやその恩恵に頼っていない人間の方が少ない。
神裂かんざきはそういった事情を思い浮かべつつ、
「しかし、何故私達の元へ? 私達はイギリス清教の一員に過ぎず、独断での組織的行動は禁じられています。これから起こるであろう戦争に関する今後の動向を探りたければ、やはり聖ジョージ大聖堂に控えている最大主教の方に……」
「第四の質問ですが、本当にその通りですか?」
「何ですって?」
神裂かんざきも、アニェーゼも、ルチアも、アンジェレネも、シェリーも、その他全員も、サーシャの一言で表情を訝しげにした。オルソラだけがのんびり居眠りしている。
「第五の質問ですが、この戦争において、あなた達は本当にイギリス清教に従い続けるつもりはあるのですか?」
「……、」
広い食堂に、ロシア成教の言葉だけが響く。
「補足説明しますと、神裂かんざき火織、及びアニェーゼ=サンクティスはそれぞれ元天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきょう、元ローマ正教アニェーゼ部隊という別組織の象徴的立場にあるはず。その他『必要悪の教会ネセサリウス』のメンバーの大半にしても同様……あなた達は目的を果たすためにイギリス清教にいるのであって、イギリス清教の人間だから『必要悪の教会ネセサリウス』に加入したのではありません」
単刀直入な断言だった。イギリスへの入国手段といい、今日のために色々と下準備を進めてきたようだ。
サーシャは続ける。
「さらに補足しますと、現在のローマ正教と学園都市の戦力はほぼ拮抗しているというのが我々ロシア成教の見解です。そこで勝敗を左右する項目としては、イギリス清教やロシア成教といった第三勢力の動向が大きいでしょう。我々ロシア成教は今回の戦争にあまり興味がありません。どちらが勝とうが構いませんが、どうせなら勝つ方に協力をして優位な位置を確保したい。そこで、イギリス側がどう動くのか、意見を調整しておきたいのです」
イギリス清教は魔術サイドの勢力だ。
しかし同時に宗派の違いからローマ正教との仲は悪く、学園都市とは特別なパイプがある。
この一大魔術組織がどちらに着くのか、予想するのは困難を極めるだろう。
おまけに、イギリス清教内には神裂かんざきやアニェーぜという『傘下に収まっているだけの小組織』が無数に存在する。個人にしても同様。ステイルは一人の少女を守れればどこへでもつくだろうし、土御門つちみかどはそもそもどの陣営にいるかも定かではない。シェリーなど、純粋なイギリス清教でありながら、派閥間の問題で同じ組織にいるインデックスの命を狙ったぐらいだ。
世界を揺るがす大戦争の鍵の動きが全く読めない。
確かに探りを入れたくもなるだろう。
(……あるいは、そこへ一石を投じる事で、我々の動きを分かりやすい方向へ誘導するつもりか)
ともすれば仲間割れをしろとも受け取れるサーシャの言動に、神裂かんざき火織はこの戦争の意味について考えてみる。
神裂かんざき火織はすでに天草式十字凄教あまくさしきじゅうじせいきょうから離反した存在だが、かといって彼らが守るべき者である事に違いはない。
そして、現天草式はオルソラ=アクィナス救出の際にローマ正教と敵対している。天草式の戦闘メンバーは五〇人程度しかいない事を考えると、イギリス清教の庇護なしに生活していくのはほぼ不可能だ。
同様に、元アニェーゼ部隊も『アドリア海の女王』の一件以降、ローマ正教からは完壁に敵として認識されている。この戦争に乗じて無理にイギリス清教から離反した所で何の得もないだろう。
しかも、神裂かんざき火織は過去に自分の大切な入達を、数回にわたって学園都市……いや、正確にはそこに暮らす一人の少年に助けられている.
(心情としては学園都市……)
この戦射にローマ正教が勝利し、世界中にその勢力が拡大すれば、イギリス清教の抑えは利かなくなり、現天草式も元アニェーぜ部隊も潰されてしまう。そう考えると学園都市に協力したい所だが、
(しかし、相手は科学サイド……)
学園都市が勝利しても危険な状況に変わりはない。戦勝の波に乗り、科学サイドが魔術サイドそのものを一気に職滅する可能性がある。その場合はもう小勢力も大勢力も関係ない。『滅ぼすべき世界中の魔術勢力』の一つとして、現天草式や元アニェーぜ部隊は消滅するだろう。
戦争の意味する所は大きい。
こうして考えると、普通に勝敗が決した所で、どちらに転がってもイギリス清教は大きな損失を受ける気がする。となると、おそらく最大主教はそれだけでは終わらせない、何らかの策を用意するつもりだろう。
サーシャ達がイギリスの動向を気にかけるのも頷ける。
この状況を乗り切るには、様々な策を巡らさなければならないのだ。
そんな中をどう立ち回るかも重要だが、
(くっ……。本当に戦う選択肢しかないのですか)
神裂かんざき火織は、打算する事そのものに苦悩した。
(こういう考え方が最も嫌いだから私は魔法名を名乗っているというのに、目の前にはそれを避ける道は一つもないのですか……)
場合によっては、神裂かんざきは『敵』に刃を向けなくてはならないかもしれない。
明確な『敵』を設定し、助けるためではなく殺すために。
あの少年と少女が自らの手で掴み取った、平和な生活を引き裂く可能性もある。
サーシャーークロイツェフから言い渡された命題。
この戦争でどちらの陣営に着くか。
(私は……)
神裂かんざきは思わず奥歯を噛み締め、
(私は……ッ!!)
「それなら大丈夫でございますよ」
その時、今まで居眠りしていたはずのオルソラ=アクイナスが唐突に言った。
食堂にいた全員が彼女の方を見た。
一体どこまで人の話を聞いていたかは疑問だが、それにしてはやけに堂々とした一言だった。
「第六の質問ですが、大丈夫、とはどういう意味ですか」
「そのままの意味でございます」
さらりと言葉は返ってきた。
考える素振りもない。あるいは、悩むほどの事でもないのか。
「たとえどのような情勢下であれ、私達のやるべき事は変わらないのでございますよ。救いを求めている入がいればこれに手を差し伸べ、痛みを訴える者がいればこれを癒し、争いを望ま戯者がいればその仲裁に当たる。それだけでございましょう?」
「第七の質問ですが、それができれば苦労はしません、補足説明しますと、これから始まる戦争は、そのような綺麗事では」
「だとしても」
オルソラはサーシャの言葉を寸断するように告げた。
「私達のやるべき事は変わらないのでございます。戦争が起きたからと言って、救いを求める人を拒む理由にはなりませんし、痛みを訴える者に鞭を打つ理由にはなりませんし、争いを望まぬ者に剣を握らせる理由になどなりません」
「……、」
そのきっぱりとした言葉に、サーシャ=クロイツェフはわずかに黙り込んだ。
オルソラ=アクィナスは異教の地で十字教を広めるためのエキスパートだ。
周囲からの敵意、思想上の暴力、そういったものに幾度となく触れてきて、それでも武器を持とうともせず、言葉だけで己の為すべき事を貫いてきた人間だ。
「私達は、小さな力の持つ意味を理解しているのでございます」
だからこそ、彼女の言葉には力が宿っていたのだろう。
少なくとも、争いが起きるたびに武器を振るってきた神裂かんざきなどよりは。
「絶対に不可避と思われた課いを、奪われる事が当然だという命を、決して折れずに前へ進むだけで解決してきた、小さな力を。味方の未来を救い、敵の未来すら奪わず、こうして一堂に揃う機会を与えてくださった、あの力を。……威光も背景もない『彼』にできて、何故私達にはできないのでございましょう? 『彼』一人であれだけの救いをもたらせるのならば、私達が力を合わせればどれほどの救いをもたらせるのでございましょう?諦める事に意味などございませんよ。意味を見出したければ、諦めない事が重要なのでございます」
その言葉を、皆が聞いていた。
アニェーゼはふんとそっぽを向き、アンジェレネはルチアの衣服を小さく掴んだ。ルチアはその小柄な同僚の肩に手を置き、シェリーは目を細める。その他の修道女達にしても同じだった。各々はオルソラの言葉を聞き、ある少年を思い出し、それから何事かを考えているのだろう。自分が進むべき道を。
神裂かんざきが自然と思い出したのは、『彼』と初めて遭遇した時の事だった。
鋼糸を使った『七閃』に拳を切り刻まれ、全身を七天七刀しちてんしちとうの鞘で強打され、それでも聖人の前に立ち塞がった少年は、確かにあの時こう言った。
『だったら、テメェはこんな所で何やってんだよ!』
彼女は。
『それだけの力があって、これだけ万能の力があるのに……何でそんなに無能なんだよ……』
神裂かんざき火織自身は、どんな顔をしていただろうか。
「では……」
その中で、ただ一人、あの少年を知らないサーシャは慎重に告げた。
「第八の質問ですが、あなた達はどう動くつもりですか」
「私一人に皆の決定権などございません。皆はそれぞれがやるべき事をやるのでございましょう。ただ」
オルソラ=アクィナスはにっこりと微笑んで、
「私個人としましては、勝ち負けの二元論などまっぴらでございます。そこには存在しない第三の選択肢そもそも誰も倒れない、というぐらいのハッピーエンドを用意しなければ、助けていただいた『彼』に申し訳が立たないと思うのでございますよ」
すでに開戦直前という状況で、世界で最も輝いている綺麗事を堂々と言い放った。

  5

結局何も掴めませんでした、とだけ言って、サーシャ=クロイツェフは去った。
神裂かんざき火織はその後も食堂の椅子に座り、背もたれに体を預け、しばらく天井を眺めていた。
(己の為すべき事……)
彼女の場合、オルソラとは事情が変わる。聖人という、世界で二〇人もいない才能を持つ彼女は、科学サイドにおける核兵器に近い戦力を誇る。戦争という事態に対し、言葉だけでなく、実行力を持った直接的行動を起こせるのだ。
(私の魔法名。そこに刻んだ意味。それをまっとうするには……)
大きな戦争の勝敗そのものを握る事はないが、局地的な戦況だけならひっくり返せる。
その小さな勝利は、連鎖的に大局をも揺るがす可能性もある。
目の前に広がる選択肢の山。
戦争だから何もできないのではなく、何かができるからこそ、神裂かんざきは悩む。
(私だけが持つ戦力、ですか。まったく、なんという傲慢な考え方でしょう。これなら洗濯機の事で頭を痛めていた方がまだ良いというものです)
はあ、と神裂かんざきは思わずため息をつく。
彼女の博愛精神は、聖人という強大な力の存在が大きな割合を占めている。つまり、自分には力があるから、周りより余裕があるから、その分だけ多くの人を救おうという……見方によっては他人を見下しているとも受け取れる、とても醜い性根によるものだ。
そんな神裂かんざきからすれば、何の力も持たずに(という、この表現自体が修行不足だと神裂かんざきは感じている)自己を貫き他人へ手を差し伸べる、オルソラや『あの少年』のような生き方はとても眩しく映る。
神裂かんざきさん、どうしたのでございますか」
そんな風にぐじぐじ考え事をしていると、件のオルソラが再び食堂へやってきた。
何となく目を合わせづらい神裂かんざきは、天井を見上げたまま、
「……己の鍛錬不足に恥じていた所です。このような未熟者が、一時とはいえ天草式を束ねていたなどと…-考えるだけで背筋がゾッとします」
「人とはそう簡単には熟せぬ存在でございましょう。主の教えを理解した気になるのは簡単ですが、真にその道を解するのは困難を極めるのでございますよ。かくいう私も、先ほどは随分と未熟な発言をしたと感じているのでございますけどね」
「そうですか? 私は概ねあなたの意見に賛同できました。戦争が起きるからといって、誰かを殺す事のみに固執するのは良くない。その通りだと私も思います」
「うふふ」
と、そこで何故かオルソラは含み笑いをした。
神裂かんざきは背もたれに体を預けたまま、横目でオルソラを見たが、
「概ね、でございますか」
「それがどうかしましたか?」
「いえいえ。となると、それ以外にも戦う理由があるのでございますね。やはり建宮さん達の言っていた『元女教皇プリエステスには学園都市に想い人がいるのよな』発言は的を射ていたようでございますよ」
がたーん!! と神裂かんざきは椅子ごと後ろにひっくり返った。
床に倒れたまま彼女は叫ぶ。
「なっ、何ですかその不的確な発言は!? 現天草式はどうなっているんですか!?」
「あらあら。一輪の花を携えた騎士団長ナイトリーダーが割と体をコチコチに固めて日本人街に訪ねてきた際、教皇代理の建宮さんが応対した時の話でございますよ。天草式の女教皇を舞踏会へ招待したいのだがいやいやそれは無理ってもんなのよという押し問答を繰り返したのち、建宮さんがしっしっと手を振りながら『元女教皇は年上にリードされるより年下をリードする方がお好みなのよ!!』という前置きと共に騎士団長に告げた一言として、それは半ば伝説となりつつありますけど」
「ねっ、根も葉もない事をーッ! しかも何故そこで伝説として語り継ぐんです!! おのれ建宮斎字たてみやさいじ、言い訳にしてももう少し穏当なものがあるでしょうに!!」

「ちなみにこの一件に関して、同天草式の五和さんから『がっ、がんばります!!』というコメントをいただいているのでございますよ」
「そのニュース原稿を読み上げるような発言は何なんですか!?」
神裂かんざきはぎゃあぎゃあと喚くが、元々オルソラは人の話を聞かない事に関しては折り紙つきである。彼女はほのぼのと笑って『あら。紅茶のストックは?』と言ったきり、台所へ引っ込んでしまった。
知らぬ間に大変な事になっている状況を遅まきながら気づかされた神裂かんざきは、しばらく青い顔で呆然としていたが、
「ぎゃあああああああああああああああああああッ!!」
今度は食堂の外からぶっ飛んだアニェーゼの悲鳴が聞こえてきた。
「ああもう次から次へと!!」
神裂かんざきは立ち上がると、勢い良く食堂を飛び出した。
声のした場所は分からないが、大雑把に方角だけあたりをつけて、後は長い廊下をひたすら走る。
と、脱衣所の前でへたり込んでいるアニェーゼ=サンクティスを発見した。
神裂かんざきが近づくと、アニェーゼは座り込んだまま、脱衣所の中を指差した。
「せっ、洗濯機が……洗濯機が……っ」
息も切れ切れの言葉に、神裂かんざきのこめかみがブチッと嫌な音を立てた。
またあの洗濯機か。
朝食前にも問題を起こしたのに、そっちの収拾がつく前にまた次の問題か。
こっちは戦争だの想い人発言だのでさんざん頭を悩ませているのに、この期に及んでまた洗濯機か。
(やはりあれは学園都市が送り込んだ憎きハイテクAIスパイなのでは!? そうでもなけれこう連続して様々なトラブルを引き起こすとは思えません!!)
これ以上何かあれば七天七刀しちてんしちとうでぶった斬ってやる、ぐらいの意気込みで神裂かんざきは脱衣所へ突撃した。
風呂場は西洋圏では珍しい大浴場なので、脱衣所も大きい。件の洗濯機は体重計と一緒に広広とした脱衣所の隅っこに置かれているはずだった。
そちらに視線を向ける。
神裂かんざきの浴衣の帯を脱色し、布団を詰め込まれて動作不良に陥っていたグズでノロマで役立たずの学園都市製ガラクタ洗濯機は、

ぐいんぐいんと音を立てて。
ぎゆうぎゅうに詰め込まれた布団をしっかり洗濯していた。

「なっ……」
神裂かんざきは思わず息が詰まる。
本来この洗濯機は静音設計が売りで、このように音を立てる事自体がイレギュラーだった。
つまり、それぐらい無理を重ねて動いているのだろう。設計上の限界値を超え、動作環境をはるかに凌ぐ注文を出され、それでもひたすら耐えて耐えて耐え抜いた結果、この洗濯機はついに布団丸洗いの偉業を成し遂げようとしていた。
(なんという事でしょう……)
神裂かんざきの全身から力が抜け、彼女は思わず脱衣所の床に膝をついた。
怒りという感情が、猛烈な恥へと切り替わっていく、
つい先ほど己の未熟ぶりを反省していたというのに、もうこれか、と神裂かんざきは思った。この洗濯機は、到底洗えるはずもない巨大な布団を詰め込まれ、強引にスイッチを押され、勝手に諦められて放置された後も、ずっとずっと一人で頑張ってきたというのに。痛いのも苦しいのも我慢して、ひたすら己の為すべき事を守り続け、ついに実現不可能な偉業を達成しようというのに、あろう事かそれを『これ以上何かあれば七天七刀しちてんしちとうでぶった斬る』などと……。
洗濯機は何も言わない。
搭載されたAIに会話機能がないのだから何も言わないのが当然だ。
しかし、確かに神裂かんざき火織は聞いた。
洗濯機の声を。

神裂かんざきさん。
俺、ちゃんとやりましたよ。

「~~~~~ッ!!」
ぶわっ!! と神裂かんざきの目尻に涙が浮かんだ。
もう言葉は出なかった。彼女は七天七刀しちてんしちとうを放り捨てると、まるで離れ離れになった家族と再会した時のように洗濯機の四角いボディにすがりついた。

第四章 酔っ払った母親の事情 The_Two_Leading_Roles.

  1

学園都市にとって、夜の一〇時は比較的遅い時間と言える。
そもそもこの街は電車やバスの最終便が、学校の最終下校時刻に設定されているためだ。場所によってはそれに合わせて閉店にしてしまう店舗もあるため、どうしても雰囲気が『大人向けのお店ばかりが開いている』状態となるのだ。
街中には教師と治安維持部隊を兼ねた警備員アンチスキルが巡回しているため、補導覚悟で出歩いているような連中でもない限り、普通の学生は寮で大人しくするだろう。
逆に言えば夜の学園都市はそういう不良連中ばかりが凝縮される時間帯でもあり、不用意に普通の学生が出歩くと『小さなトラブル』に巻き込まれやすい訳だが。
そんな中を、カツコツと杖をつく音が響いていた。
一方通行アクセラレータだ。
(あーあー……。『残業』のせいで結構遅れちまったなァ……)
彼の帰る先は、黄泉川愛穂のマンションではない。
長点上機学園の一生徒として書類登録してあるものの、そちらの寮でもない。
それ以外の、『グループ』の間では『仮眠室』というコードで呼ばれている建物だ。
とはいえ、それは「グループ』内の規則という訳ではない。土御門つちみかど元春は普通の高校に通い学生寮で生活しているし、結標むすじめ淡希はどこかのお節介な女教師の下に居候しているらしい。
海原光貴の話は聞かないが、彼は彼で勝手に自分の居場所を作っているようだ。あまり『表舞台』で派手に動かない限り、基本的に行動の自由は確保されているらしい。上の連中が『グループ』の住み家についてとやかく言ってくる事はなかった。
他のメンバーがどこで何をやっていようが関係ないし、向こうも同じような事を考えているだろう。ぶっちゃけた話、自分に被害がなければ、今すぐこの『グループ』という組織が潰れた所で何の問題もない。
その方がやりやすい、と一方通行アクセラレータは思う。
下手に馴れ合って好転するような事態はすでに終わっている。
「……チッ。コンビニ寄ってコーヒーでも買ってくっかな……」
今飲んでいる缶にもそろそろ飽きてきた頃なので、別のものに切り替えるか、と考えながら一方通行アクセラレータは進行方向をわずかに変えた。学園都市の雑多な夜景を作る蛍光灯に惹かれるように、その辺の雑居ビルの一階にあるコンビニへ向かった所で、
「うっ、ううーん……」
ふと横合いから寝言みたいな声が聞こえた。
しかしそちらに人間はいないはずだ。何せそこにあるのは赤いポストなのだから。メール全盛の時代に本当に役に立っているのか疑問な金属製の郵便ポストでしかなく、どう見てもそこはベッドではない。
なのに、
「う、うぎゃー……気持ち悪い……」
変な酔っ払いの女が寝転がっていた。抱き枕みたいにポストの支柱を両手で抱えて頬ずりしている。
おそらく大学生ぐらいだろう。格好は簡素なシャツと黒系の細いスラックス……なのだが、多分高めのブランドものだ。おまけに少し離れた所には財布以外に何も入らないような小型のハンドバッグが無造作に落っこちている。襲ってください馬鹿野郎と全身で表現していた。あまりにもウェルカムすぎて逆に構う気が起きなくなる。
さっさとコンビニ行くか、と一方通行アクセラレータは素通りしようとしたが、
(んン? そのツラ、どっかで見たよォな気が……?)
ふと立ち止まった。
酔っ払い大学生の顔を改めて見る。肩まである茶色い髪に、整った顔のライン。目は瞑っているので分からないが、おそらく元気が有り余っている感じだと簡単に予想できた。背丈やプロポーションは全然違うのに、妙にあの少女の事が頭にちらつく。
打ち止々ラストオーダーめの家族、という事はない。
量産型能力者にそんなものは存在しない。
(……何なンだコイツ? 他人の空似ってオチか……)
どうにも気になって、一方通行アクセラレータは女の近くによってじろじろと顔を見ていたのだが、
「うああー……はいはーい、御坂美鈴みさかみすずさんですよー……」
不意にパチッと彼女の目が開いたと思ったら、いきなり酔っ払いがこちらに抱きついてきた。
のろのろとした動きだが、そもそも一方通行アクセラレータは杖をついている身である。
一緒に汚い道路に転がる。
腰の辺りに抱きついた女は、自分の体が密着している事を全く気に留めず、
「趣味は数論のお勉強、特技は水泳、おっぱいは九一センチでーす……あ、いけね。私結婚してたんだった。ほらパパに悪いから馴れ馴れしく私に触るんじゃねー」
言うだけ言うと、一方通行アクセラレータをぐいっと押しのけて、ちょっと離れた所にぺたんと座り込んだ、一瞬、彼はその頭に鉛弾をぶち込みたくなる衝動に駆られたが、
「あれー……。断崖だんがい大学のデータベースセンターってどこだっけ? そこの白いの。アンタなんか知ってる?」
もはや酔っ払いは無敵状態だった。
多分この女は、今なら統括理事長だろうが米国大統領だろうが、誰にだって同じように管を巻くはずだ。
(ば、馬鹿馬鹿しすぎて相手にするとこっちの格が落ちそォだ……。さっさとコンビニ行ってコーヒー買って帰るぞ。こンな女なンざ知った事か)
一方通行アクセラレータは杖に体重を預ける形でゆっくりと立ち上がり、ズボンについた汚れを片手で簡単に払うと、ため息をついてその場から離れようとして、
「おいちょっと、つれないわねー。無視すんなよ白いのー……」
ガッと酔っ払いに足首を掴まれた。
ぐわっ!? という叫びと共に一方通行アクセラレータが再び転ぶ。
変な酔っ払いはそこへ乗りかかりつつ、
「この白いのー、私は年下なら男の子でも女の子でもチューしちゃう人だぞー」
「さっきっから意味の分かンねェ事ばっか言ってンじゃねェ!!」
一方通行アクセラレータは思わず叫んでから、しまったと思った。
見ると、ようやく相手にしてもらった寂しい酔っ払いが、にまぁ……と、すごく嫌な笑みを浮かべている。
「だからー、断崖だんがい大学のデータベースセンターってどこだっけえ? 美鈴さんはあ、これからそこでお勉強しなくてはいけないのでーす。何故ならレポート溜まってっからー、ぶはー」
酒臭ェ!!という怒濤の感想を一方通行アクセラレータはどうにか呑み込み、
「知るかボケ! そこらのタクシーでも捕まえてろ!!」
「ああん。タクシーってどうやって捕まえるんだっけえ?」
ちょうどその時、運良く一台のタクシーが通りかかった。一方通行アクセラレータはほとんど地面に押し倒されてしがみつかれた状態で、それでも手を挙げて勢い良く振る。
タクシーは緩やかに停車すると、何故か運転席から中年の男が飛び出してきた。
「だっ、大丈夫ですか!? 何かの事件!?」
「……これ以上ウザい事になったら一人残らず叩き殺すぞ……」
低い声で眩き、一方通行アクセラレータは自分の上にのしかかっていた酔っ払いを横へ押しのける。『あれー。ねえ白いの、タクシーってさあー』とか何とか言っている変な女を無視すると、タクシーの運転手に向かって『後は勝手にしろ!!』と叫んで、今度こそ彼は歩き出した。もうコンビニとか缶コーヒーとかはどうでも良い。とにかく一刻も早くあの酔っ払いから遠ざかりたかった。
学園都市最強の能力者も人間であり、苦手なものの一つはあるようだった。

  2

「だからさ、それを言ったらコロッケだってもはや鍋の一つだと思う訳よ」
上条当麻とうまは隣を歩いているインデックスにそう説明した。
彼らはすき焼きのお店から出て、クラスメイト達とも別れて、今は寮に帰る途中である。途中でコンビニに寄ったため、同じ寮に住む男子達もいなかった(もっとも、インデックスと同居している事が知られても困るので、何らかの時聞差は必要だったのだろうが)。
「こう、カセットコンロをテーブルに置いてだな、そこに油の入った鍋を乗っけて、あらかじめパン粉をつけておいた具を油の中に入れていくのが一番美味いんじゃね? 多少時間はかかるけど、その間は別のおかずで時間を稼げば、揚げたて直後のコロッケが待ってんだぜ」
「でも、作りたてが美味しいっていうのはどんな料理にも当てはまるかも」
「そりゃそうだけどな」
「はっ!? それならいっそ私の前でとうまが料理を作ってそれを全部私が食べちゃうのが一番美味しいんじゃ!? こっ、これは大発見だよとうま!!」
「ふざけんじやねえ!! 俺はその美味しい料理を一口も食べられないじゃん!!」
人として当然の抗議を行う上条だが、それに対してインデックスと三毛猫みけねこはとっても良い案なのにみゃーみゃーとふてくされるばかり。
何だか料理を作る気がしないので明日の朝食は冷凍食品でいいや、と上条が極めて投げやりな逆襲を決意したところで、ふと行き先の道にタクシーが停めてあるのが見えた。ちかちかと黄色いウィンカーが瞬いていて、後部ドアは開きっ放しで、何故かそこから大学生ぐらいの女性が上半身だけ、でうっとはみ出ている。
ぐべちゃー、と路面に突っ伏した女性は、運転手らしき中年男性と口論になっていた。
「だから、ドアを勝手に開けたら車を出せないでしょう?」
「なんだとこらー、それは全日本半ドア連合に対する挑戦かちくしょー」
「はいはい。そのナントカ連合のメンバーはあなた一人しかいないんですよね。聞き飽きましたからさっさと座席に戻ってください」
「何をー。そう言われた以上は意地でも戻れねーなー、へっへー」
運転手と女性客の全く噛み合わない会話が上条の耳まで届く。
(うわあ、嫌なお客さんだーっ!!)
上条は思わず道を変えようとかと真剣に思った。
あの女性は会話を楽しんでいるのではなく、とにかく構ってもらうのが楽しい人間だ。万が一にもあんなのに絡まれたら、それこそ朝になって酔いが覚めるまで延々とトラブルに巻き込まれ続けるに決まっている。
元々不幸が染み付いた上条からすれば、最も相手にしてはいけない人間だ。
「んー?」
と、酔っ払いの首がにょろっとこっちを向いた。
相変わらず下半身はタクシーの中に、上半身は地面にへばりついたままだ。
「あーあーあーっ! アンタは確か上条くんだ上条くん!!」
上条は、びくう!! と肩を大きく動かした。
何でコイツ俺の名前知ってんだ!? と上条が改めて酔っ払いを見てみれば、それは大覇星祭の時に出会った女性、御坂美鈴だった。あのビリビリ中学生、美琴の母親である。
「……まあ、あいつの家系ならこんな感じでも妥当かな」
誰にとっても失礼な発言だが、それを聞いた美鈴は、にへー、と弛緩しきった笑みを浮かべるだけだった。
「ちきゅーの重力って偉大よねえ」
「は?」
「なんつーか、美鈴さんはもーう何もいりまっせーん。このまま寝ますおやすみーむぎゃ」
直後、本当に寝息らしき音が聞こえてきたので上条は起こすかどうか迷ったが、
パチッ、といきなり美鈴の両目が開いた。
「あっ、いけね。ストレッチしてないし乳液も塗ってないじゃん!ちくしょー努力を怠るとすーぐ肌に返ってくんのか。どーせ私は一児の母ですよーっ!! うぶっ吐きそう!?」
とりあえず美琴には絶対にアルコールを飲ませないようにしよう、と上条は誓う。
未成年の飲酒は法律で禁止されているのだ。
一方、タクシーの運転手は『た、助かったーっ! やっと酔っ払いの保護者が出てきたか!!』
という目でこちらを見ていたが、あまりにもキラキラした瞳を上条は受け止め切れない。
美鈴も美鈴で、ターゲットを運転手から上条へと移そうとしているらしく、タクシーの後部座席に下半身を突っ込み、上半身だけ路上にはみ出ている格好から、
「おっふ、おっふ。た、立てない……」
どうやら起き上がろうとしているようだが、どうにもその動きは無駄が多いというか、水族館にいるオットセイみたいな仕草にしか見えない。
近づきたくないけどあのままじゃなあ……、と上条が不用意に傍に寄ったところ、そこへ美鈴が思い切り抱きついた。
「おっしゃーっ!! 年下の坊やげっとーっ!!」
「ぐおおおあっ!?」
むぎゅー、ぐらいなら胸も高鳴るが、どうも美鈴は普段から運動を欠かさない人物らしく、背骨の辺りがメシメシミシミシ!! と変な音を立てた。
「こーんな時間にぶらぶらしちゃってえ、美琴ちゃんはどうしたのよー? ぶはー」
「ぎゃわー刺激臭!?」
「あれえ? 酒臭くて目がとろんとしてるお母さんはセクシィじゃありませんー?」
「プラスの材料一個もないよそれ!! た、助けてインデックス!!」
上条はとっさにヘルプを求めるが、インデックスは思い切り冷たい目でこちらを睨むばかりで、何故かちっとも手を差し伸べてくれない。彼女に抱えられている三毛猫みけねこも、アルコールの匂いだけで駄目なのか、インデックスの手の中でバタバタと暴れていた。
美鈴はぼんやりした目でインデックスを眺め、
「そういやー、そっちの子って誰だっけ? 自己紹介プリーズ」
「ふ、ふん。別にあなたみたいな人に名乗る名前なんてないかも」
「なんだとこらーっ! さっさと自己紹介しねーとこっちの男の子の鼻に指突っ込んじゃうぞーっ!!」
「わわっ!! インデックス! 私はインデックス!!」
という感じで、人を振り回す事に関して右に出る者なしのインデックスすらも、今の美鈴タイフーンには翻弄されるだけだ.
「ねーねえー。断崖だんがい大学のデータベースセンターってどこだっけえ?」
「は?」
「あれよお、ほらAIとか演算ソフトとかー、プログラム関連の電子情報群を集めてる閲覧保管施設の事よおー」

「い、いやデータベースセンターの解説とかいいですから。ええと断崖だんがい大学って確か―――」
「そうだ、電話番号とアドレス交換しよう?」
「唐突!?」
「どうせ美琴ちゃんとも交換してんでしょー。こっちも仲間に入れなさいよー。んでね、私のアドレスはあー」
つらつらとアルファベットや数字を並べていく美鈴。かくして美琴が汗と涙の機種変大作戦によって得た成果を、この母親はものの三分でグットしてしまった。
「はいはーい。君の番号は『友達』のカテゴリに登録しとくからねえ」
「……なんか、この一連の会話にはオルソラパターンと共通するものを感じる……」
どっと疲れが溜まってきた上条は、とりあえずいつまでも万力のように抱きついてくる美鈴を強引に引き剥がし、
「つか、何で御坂のお母さんがこんなトコにいるんですか。許可もなく学園都市には入ってこれないと思うけど」
「へいへーい。美鈴さんは大学生であるからにして、レポートを提出しないと駄目なのです。だけどそのための資料が学園都市にしかねーとかいう話だから、わざわざここへやってくるしかなかったのですー」
「それでデータベースセンターか……。まあAI系のバンクは学園都市にしかないだろうけど」
上条は呆れたように言った。
タクシーの運転手は今すぐ逃げたそうだったが、上条は睨みを利かせて押し留める。
「ついでに美琴ちゃんの顔ても見てやろうかと思ったのによー、なーんか常盤台中学の女子寮はチェックが厳しいから駄目だってさ。親なめんなよー」
「……そりゃあ、酒臭い酔っ払いが『おたくの学生の保護者でーす』とか名乗ったところで誰も信じないでしょ。っつか、そもそも見た目が全然母親っぼくないんだし」
「おっ、こいつ今さりげに褒めやがった。でも違うのよー、ホントは美鈴さん結構努力してんのよー。毎週屋内プールでばしゃばしゃ泳いだり、風呂上りには体中に保湿クリーム塗ったくったりしてさあ。ちょっとでも怠るとすーぐに変化は訪れる訳よお。くああもうこの何もしないでぴちぴちしてる一〇代が憎たらしい!!」
美鈴はバタバタと暴れようとしたが、酔いが回っているせいか、足元がおぼつかない感じだ。
これ幸いとばかりに上条は相変わらずこっそり逃げようとしているタクシーの運転手を捕まえ、彼の協力を得て美鈴を車の後部座席へ押し込める。
「ちょっと、こら! 話はまだ終わってねっすよーっ!!」
「はいはい、続きはまた今度、その全身に行き渡ったアルコールをどうにかしてからな」
「ちくしょ、子供にあしらわれたーっ!!」
ぐだぐだの美鈴だが、上条が手を振ると、タクシーの運転手は『ホントにこいつ金払うんだろうな』という顔でしぶしぶ車を発進させた。ぷーんと遠ざかっていく排気音を聞きながら、彼は小さく息を吐く。
「さて」
上条はふと背後に殺気立つような人の気配を感じ取って、思わず身震いした。
発信源は言うまでもなく、三毛猫みけねこを抱えたあのシスターだ。
「……後はこの聞題をどう切り抜けるかだな……」

  3

結局盛大に頭を噛み付かれた上条は、後頭部をさすりながら寮の部屋の鍵を開けた。
「ん……。帰ってくると少し肌寒さを感じるなあ」
などと言いながら、上条は部屋の明かりと一緒にエアコンのリモコンを掴んでスイッチを入れた。インデックスがテレビの方へ走っていくのを尻目に、上条はユニットバスへ向かい、浴槽の側にあるパネルを操作して自動給湯モードをオンにする。今日は猫も体を洗う日なので、洗面器を一個用意しておく。
(ご飯を作ったり食器を洗ったりしなくて良いって……やっぱ楽ちんだー)
両手を上げて大きく伸びをしながら上条は風呂場から出た。お腹はいっぱいで、後はこのまま湯舟に浸かって歯を磨いて寝るだけとは極楽すぎる。今日みたいな事があると思わず外食派への誘惑に心がなびきそうになるが……しかし携帯電話の会計アプリを使って律儀につけている家計簿データを見る限り、それをやったら月の中旬から下旬辺りで『食事は水と塩だけ』になるのは確実だ。
あれ、今日の鍋でどれぐらい響いたかな、と小心者の上条は早速親指で携帯電話を操作していると、その電話が不意に着信音を鳴らした。
モードを切り替えると、画面に表示されたのは御坂美琴の番号だ。
上条は通話ボタンを押して、
「??? なんか用事か御坂?」
『っつーかメールの返事はいつになったら返ってくんのよー!?』
メール? と上条は首をひねる。
「うーん、なんかそんなのあった気がするなあ」
『ッ!? ちょ、アンタ、投げやりにも程度ってモンが―――』
美琴は何か叫びかけたが、その時、彼女の声が遠くなったと思ったら、いきなり通話がブツッと切れた。上条は携帯電話の画面を見るが、電波状況は別に悪くない。
(……御坂の方で電波が途切れたのかな)
適当に考え、上条は携帯電話を再び家計簿アプリに切り替える。
部屋の中央にあるガラステーブルの手前にドカリと座りつつ、
「インデックスー。お前テレビからもっと距離を取れって」
「そっ、そんな事を言われたって『思考力を高めるSF健康クイズ』は今まさに正念場を迎えているんだよ!!」
「……なんか、最近そういう風に科学とか脳と結びついたクイズって多いよな」
まあ学園都市の授業にも通じる部分はあるんだけど、などと上条は適当に思いつつ、クイズには興味がないよという素振りで仰向けになってエアコンの温風を浴びている三毛猫みけねこの方に視線を移す。
「ふうん。暇なら先にお前を洗っちまうか」
言いながら上条が動物用のシャンプーボトルや猫の顔っぽく切り抜かれたミニスポンジを引っ張り出すと、三毛猫みけねこは何かを察知したのか『泡とかお湯とか嫌いなんじゃーっ!!』と高速で台所の方へ引っ込んでしまった。軸そらく冷蔵庫と戸棚の間に隠れてぶるぶるしている事だろう。
埃まみれになったんじゃなおさら念入りに洗わなきゃな、と上条が重い腰を上げた所で、
「ん~」
携帯電話が小刻みに振動した。
今度は美琴からではない。
小さな画面には、ついさっき登録したばかりの番号があった。

  4

御坂。
道路にぶっ倒れていた酔っ払いの女は、確かにそう言った。
(……、偶然。いや)
一方通行アクセラレータは一人で杖をついて暗い路上を歩きながら、ぼんやりと思う。
打ち止々ラストオーダーめの遺伝子提供主である御坂美琴……ではない。となると、その姉か何かだろうか。
学園都市にいるという事は、彼女も何らかの能力者かもしれないが、一方通行アクセラレータはそういう情報を耳にした記憶はなかった。元々、他人にあまり興味のない彼は、他の能力者の詳細など大した事は知らないのだが。
しかし、一点だけ妙に気になる点と言えば、
(服装、だな。エルモに、Az、スケール、ロシブ、香水はゼロプラスの新作……って、ありゃティーン向けじゃなかったか? まァとにかく上から下まで片っ端からブランド品っぽかったが、どォも学園都市の『外』の企業ばかりみてェだった。むしろ『中』のものは一つもなかったのが引っかかる)
よほど好みのブランドがあるのなら、『外』から一式取り寄せるという事もありえるが……
酔っ払いの服装は、別に一種類のブランドで統一されている訳ではなかった。シャツもスラックスもベルトも靴もハンドバッグも、各々は気に入った物を適当に選んでいるだけで、特にブランド的なこだわりがあるようには思えなかった。
それなら学園都市の『中』の品が一つぐらいはあっても良さそうなものだ。
あの状況で、それが一切なかったという事は、
(あいつは『外』からやってきた可能性がある)
ただでさえ人通りの少ない夜の学園都市で、さらに滅多に入の通らない道を意図的に選びながら、一方通行アクセラレータは考える。
(だとすれば、理由は何だ。確かあの女は断崖だんがい大学のデータベースセンターに用があるとかって話だったが、この戦争直前の準備期間にそンな事ってあンのか? 外からのゲストどころか、物資の搬送業者だって背後関係を洗い直してる状況だってのに。それとも他に何か、あの女には別の理由があるのか)
理由。
御坂の家系がこのタイミングでやってくる理由。
それはオリジナルである御坂美琴に関するものかもしれないし、あるいは、
(……あのガキに関係ある事か)
チッ、と舌打ちして一方通行アクセラレータはポケットから携帯電話を取り出した。
アドレス帳を開き、そこに『登録3』とだけある項目にカーソルを合わせて通話ボタンを押す。
同じ『グループ』にいる、土御門つちみかど元春の番号だ。
電話に耳を当てると、コール音もなしにいきなり繋がった。
一方通行アクセラレータ。何か用件ですか』
応対したのは丁寧な男の声だった。しかし、それを聞いた一方通行アクセラレータはわずかに目を見開いた。
土御門つちみかど元春はこんな声をしていないはずだし、口調も全く違う。
割り込まれたか、と一方通行アクセラレータは思いつつ、
「悪趣味な野郎だ。オマエが『グループ』の『上』か」
『質問の内容を承ります』
「チッ。……オマエに聞くよォな事は何もねェよ。こっちの事はこっちでやる。だから図々しく保護者みてェな上っ面で人間を管理するンじゃねェ。抉るぞ」
『こっちの事、ですか。参りましたね、こちらからもお暇でしたらお耳に入れていただきたい案件があったのですが』
「あ?」
『御坂美鈴様の件について。と言っても、名前だけでは分かりませんよね』
「……、」
一方通行アクセラレータは思わず周囲に目をやった。
何の変哲もない夜の街を見ながら、
(ただの情報提供か、それとも衛星から見てやがったか……?)
「その御坂美鈴ってのは? 超電磁砲レールガンの関係者か」
『ええ、そうです。ちょうど良かった、こちらも今始まった所ですよ』
なに~と一方通行アクセラレータが眉をひそめた直後、

ドン!! と、
街の一角が、
唐突に爆炎で赤く照らされた。

距離は遠い。光に比べて音が数秒遅くやってきた。
一方通行アクセラレータは携帯電話を耳に当てたまま、そちらを振り返る。
無数のビルで隠れそうになっている地平線の近くで、不自然な光が揺らめいている。
『かの御坂美鈴様より、断崖だんがい大学のデータベースセンターの使用申請が出されていましたものですから、そちらを襲撃させていただきました。利用者は彼女一名のみ、私設警備の駐在が数名確認されていますが、まあ許容の範囲内でしょう。主要データは全てネットワーク上にバックアップがありますので損害を憂慮する必要はありません』
「襲撃だと?」
『ええ』
「……その御坂ってのは何者だ。プロの工作員って訳じゃあねエだろ」
「お察しの通り、御坂美鈴様は御坂美琴嬢の母親に当たります。背後関係は白。そこは安心していただいて結構です』
母親? と一方通行アクセラレータは美鈴の顔を思い出しながら、わずかに怪訝な顔になった。
しかしそれより気になるのは、
「何故その母親を襲う? 背後関係は白だってオマエが今言ったンだろォが」
「一般人には一般人なりの危険性というものがありまして。先ほど言いましたお耳に入れていただきたい案件というのは、ここからが本題なんです』
電話の声は平淡に告げる。
『回収運動という言葉はご存知ですか』
「最近ささやかれるアレか。学園都市が戦場になるかもしンねエから、保護者がガキを取り戻して安全な地方へ移ろォとかっていう」
『その考え方自体は国土防衛事情を全く考慮していない愚策に過ぎませんが、それでも問題は生じます。多くの学生達が学園都市を離れてしまうと、色々と困るのですよ』
「……、」
何故困るのか。
戦力としても使える学生達をみすみす手放したくはないのか。
研究サンプルとしての能力者が外部へ漏れるのは避けたいのか、
違う、と一方通行アクセラレータは思った。
電話の相手は『グループ』の『上』だ。そういった連中が、そんな一般論を語るはずがない。
ヤツらが困ると言ったら、それはもっと深い位置にある計画についてだろう。
例えば、
九月三〇日に垣間見た、木原数多きはらあまた猟犬部隊ハウンドドッグ、巨大な羽の化け物、打ち止々ラストオーダーめに対するウィルス注入、学園都市への静かな攻撃など様々な舞台裏の断片に関するものとかだ。
『御坂美鈴様は回収運動における保護者代表のような立場にあります。彼女が我々の問題を意図的に起こそうとしている訳ではないのは掴んでいますが、たとえ偶然であっても困るものは困りますので……ここで摘んでおく事に決定しました』
一瞬、一方通行アクセラレータの脳裏にあの酔っ払いの顔が浮かんだ。
確かに欝陶しい女だったが、かといって闇の世界に引きずり込まれる道理はないだろう。
しかし、もう遅い。
爆発はすでに起きている。おそらく御坂美鈴は最初の一発でバラバラに吹き飛んでいる。
ところが、電話の相手はこう言った。
『あなたも参加しますか、一方通行アクセラレータ
「何だと?」
『稼ぎになる、と言っているのですよ。今回の件はスキルアウトに金を渡して依頼したのですが、いやあ、手際が悪い。この程度の問題で下手に「グループ」を持ち出すのは露出の面から危険かと判断したのですが、逆に仇になりましたね。アシストしていただければ、多少はポイントアップします。九月三〇日の損失補填の第一歩にもなりますよ。約八兆円の借金、そちらも早く返済したいでしょう?』
「……、」
一方通行アクセラレータはわずかに考える。
電話の声が遊んでいなければ、御坂美鈴はまだ生きているという事になる。
「お断りだ」
そして、一言で切り捨てた。
「スキルアウトだと? 無能力のクソ野郎と混じって雑用なンざやってられっかよ。それに、そもそもオマエみてェなヤツに頭ァ下げて便宜を図ってもらう必要もねェな。俺は借金のためにここにいる訳じゃねェ」
言いながら、彼は首にあるチョーカー型の電極を確かめた。
昼間に多少暴れたが、バッテリーには余裕がある。
たかがスキルアウトの一集団なら、これだけあれば問題はない。
御坂美鈴を助ける。
一方通行アクセラレータは自然とそう思っていた。木原数多きはらあまたの時と同じ気持ちだった。理不尽なほど大きな力によって、ちっぽけな命が危機にさらされている。自分でも笑ってしまうが、それだけで嫌悪感があった。この状況を作った連中に、一泡吹かせてやりたいほどに。打ち止々ラストオーダーめのために戦った、あの時を思い出すほどに。
闇のくせに。
闇であっても。
「オマエみてェな人間にゃ分かンねェだろォが、俺の人生は俺のモンだ。そっちにどンな思惑があるかは関係ねェ。判断はこっちでする。いいか、俺はオマエの手足じゃねェンだよ」
『そうですか。仕事をしないというのでしたら、早く帰宅してください』
電話はやや落胆したようにこう言った。

『それまで、あなたの能力はこちらで預かって瀞きますね』
ピーッ!! と、首筋の電極がひとりでに変な電子音を鳴らした。
(なっ……に!?)
一方通行アクセラレータは慌ててスイッチに手を当てるが、反応がない。カチカチと音がするだけで、通常モードから能力使用モードに切り替えられない。
「オマエ、電極に細工しやがったな!!」
『おや、能力を使わなければならない用事でもありますか?』
チッ、と彼は舌打ちする。
『グループ』の技術部にバッテリーを改良するため一時的にチョーカ一型電極を接収されたが、その時に内部構造にも手を加えられたのだろう。おそらく電話の主の遠隔操作で自由に安全装置をかけられるようになっているのだ。
俺達の事を信じるな。
午前中に土御門つちみかど元春の言っていた台詞の意味が、ここにきて現実味を帯びてきた。
『では、これ以上の質問がなければ失礼させていただきます。おやすみなさい、一方通行アクセラレータ
通話は切れた。
フン、と一方通行アクセラレータはつまらなさそうに息を吐く。
(イイね。こォいう事になると、より一層ヤル気が出ちまう)
その瞳に凶悪な光が帯びる。
携帯電話をポケットにしまいながら、一方通行アクセラレータは歯噛みする。
(……使えンのは拳銃一丁に弾丸が五〇発ほど。スキルアウトの人数、武装、戦力は分からねエが、これだけであの酔っ払いを連れ出せるか)
難しいが、少なくとも木原数多きはらあまた率いる『猟犬部隊ハウンドドッグ』を相手にした時よりはマシだろう。スキルアウトは並の能力者程度なら武器だけであしらえるが、かといってプロの訓練を受けている訳ではない。
今一番問題なのは、むしろ美鈴だ。
すでに襲撃は始まっている。無能力集団とはいえ、銃器や護身用品で身を固めた不良達は、ただの一般人からすれば十分な脅威だ。下手をすると、向こうに到着する前に美鈴は殺されるかもしれない。
「……、」
一瞬だけ、駒場利徳こまばりとくの顔が脳裏にちらついたが、一方通行アクセラレータはそれを無視した。
場違いな行動を取ろうとした悪党の事など、今ここで思い浮かべる必要はない。
自分の意思で決め、傍若無人に突き進む。
それだけあれば良い。
(チッ。ウザってェ問題はさっさと済ませるか)
襲撃地点は断崖だんがい大学データベースセンター。
ここから数キロ先だ。杖をついて歩くよりは、どこかで車を拾うしかねェなと一方通行アクセラレータが大通りに向けて進路を変えようとした時、

ダッ!! と。
勢い良く、ある少年の背中が一方通行アクセラレータを追い抜いた。

「―――、」
見覚えのある少年だった.
というより、忘れる訳がなかった。
中肉中背の体格に、黒くてツンツンした頭、そして握られた右の拳。携帯電話を使って誰かと会話をしながら駆けていく方角には、燃え盛る断崖だんがい大学の襲撃地点がある。何をしに行くかは明白だった。想像するなという方が難しかった。
(あ、の――――野郎!!)
こちらが暗がりにいたせいか、完壁に意識がデータベースセンターに向いていたからか、あちらは一方通行アクセラレータに全く気づかなかったようだった。もっとも、ここで鉢合わせになれば二人は殺し合いをしていたかもしれない。それぐらいの相手だった。
一方通行アクセラレータは無理に首を振って、意識を切り替えようとする。
(チッ、今はそっちじゃねェ。潰すべきはスキルアウト。『上』の連中の都合なンざ知った事か。ヤツらの考えに従う義理はねェ。五〇発の弾丸で場を収める事だけ考えろ)
ギリギリと奥歯を噛みながら、彼は杖をついて歩き出した。
御坂美琴の母親。
別にそいつの人生に干渉する義理はないが、彼女もまたあのガキとは無関係ではない。
量産型能力者に肉親など存在しないし、美鈴は作り出された小さな命の存在すら知らないだろうが、それでも、美鈴とあのガキには繋がりがあるのだ。
おそらく一生二人が接する機会はないだろうし、あっては困るのだが、これを見殺しにして良い道理はない。多分、それはこんな所で失わせてはいけないものだ。たとえお互いが何も知らないままであっても。
一方通行アクセラレータは悪党だ。
だが、彼は自分が悪党である事に制限を設けない。悪人であるから善人は救わないとか、善人ではないから正しい道は進まないとか、そういうつまらない前提条件は全て捨てた。
(さァて、と)。
表通りに出て、酔っ払い客を捕まえるために緋徊していたタクシーのヘッドライトを見据え、学園都市最強の能力者は薄く微笑んだ。
(大真面目なツラを提げて、柄にもねェ事をやってやろォじゃねェか。最も救いから遠い方法で、何もかもを血みどろに救ってやるよ)

  5

今から少し前の事だ。
御坂美鈴はデータベースセンターにいた。
中心となるのは直径五〇メートルほどのドーム状の建物で、その周辺に小さな四角い構造物がいくつもくっついている。美鈴は最初、ドームの中でコンピュータを動かして調べ物をしていたのだが、今は隣接する別の建物へ移っている。
異変が起きたからだ。
最初は耳をつんざくような爆発だった。次に施設の明かりが全て落ちた。データを守るための補助電源があるのか、演算機器類だけが生き残った。
(なっ、なに、何なのよ、あれ)
ドーム施設の隣にある建物の、学校の教室三つ分ぐらいの空間で息を潜めながら、美鈴は神経を尖らせる。
アルコールで浮ついた気分まで吹き飛ばされた気がした。
爆発と同時にかなり大きな炎が出たようだが、そちらはすぐに消火されたようだった。壁のすぐ向こうドーム状のメイン施設をバタバタと行き来する、この異変を引き起こした連中にとってもイレギュラーな事態だったようで、
『ちくしょう、誰だセキュリティ切り忘れたのは!? ったく、本来なら最初に一発ぶち込んで逃げるだけだったのによぉ!!』
『時間は!? 向こうに自動通報が入ったんなら五分ねえぞ!』
『いや作動してるのは演算機器を守るために独立配備したものだけだ。通常のセキュリティはちゃんと切れてる』
『ようは火災報知機だけか。どのみち時間はねえが……よし、例の女を捜すぞ』
などという声が飛び交っている。
声色や口調から察するに、中高生ぐらいの少年達のようだ。数は一〇から二〇。手にしている物の詳細は分からないが、ガチャガチャという金属音を耳にしただけで身がすくみそうだった。先ほど聞こえた爆発音を聞く限り、銃弾や爆弾までありそうだ。
(女。例の女を捜す? わ、私以外に誰かいたかしら)
この時間帯で施設を利用しているのは自分だけだし、警備の人は皆男性だった……気がする。しかも、彼らの口ぶりから考えると、目的はただの強盗や破壊活動ではなく、『例の女』の方にあるようだ。
(駄目だ。私しかいない。この施設に女は私しかいない! もう、一体どうなってるのよ!)
美鈴は壁に背中を預け、ずるずると床に座り込んだ。
ここはサブの演算装置が置いてある部屋らしく、まるで図書室のように金属製の棚が並べられている。収められているのは分厚い本ではなく、透明なケースに覆われた大量のマザーボードだ。CPUの冷却には空冷ではなく液冷方式を採用していて、ファンのモーター音は聞こえない。代わりに血管のようなチューブが縦横無尽に走っていた。
蛍光灯の切れた真っ暗な部屋には、赤や緑のアクセスランプだけがチカチカと瞬いている。
(で、出口。非常口は……)
周囲を観察するが、それらしいドアは見当たらない。
逃げられない。見つかったら終わりだ、という事実を受けて、美鈴は何故か少しだけ興奮した。酔いが変な風に回ったのか、気分がおかしい。マラソンのスタート前のような、妙な高揚感に包まれている。先ほど、殴られたように酔いが飛んだかと思ったが、いくらか残っている。
こんな事態になったのだから完壁に覚めれば良いものを、そう簡単には切り替えられないらしかった。
(どうなってんのよ……〉
美鈴はポケットの中から携帯電話を取り出す。
最新の通信履歴には三ケタの電話番号がある。この街の治安維持機関、警備員アンチスキルに対する緊急通報番号だ。酔いの回った頭でも覚えている。自分は確かに襲撃直後に電話をしたし、丁寧な口調の男が応対に出た。ドーム状のメイン施設を闊歩している少年達は警報装置からの自動通報を恐れていたが、そうでなくても美鈴はきちんと連絡を入れている。あれから数分経っている以上、そろそろ警備員アンチスキルが駆けつけてくる頃なのだが、

何故か一向にやってくる気配がない。

(……何でよ)
美鈴は思わず通信履歴を凝視する。
そこにある番号に間違いはない。きちんと警備員アンチスキルの詰め所に連絡がいったはずだ。しかし現に誰もやってこない。彼女の心に不安がよぎる。あれは本当に警備員アンチスキルだったのか。あの妙に丁寧な口調の男は一体誰だったのか。
(何でよ。何で来ないのよ! 私は確かに電話した。私は何の手順も間違えていない! なのに何で私が損をしないといけないのよ!!)
指先の震えが増す。
酔いで拡散されていた恐怖心が、ついに美鈴の中心を蝕む。
少しでも物音を立てたら終わりなのに、何もかも忘れて叫び出したくなる。
(一人はまずい。一人はまずい。一人は追い詰められる。会話、何でも良い、誰でも良いからとにかく破裂しかかっているこれを吐き出す相手が欲しい)
携帯電話のアドレスを開く。
こんな時だが、何故か夫の顔は浮かばなかった。例えば学園都市外部の第三者に連絡して、そこから警察に通報してもらうという手もあるが、学園都市の内部はほとんど治外法権化していて警察の介入を許さない(一応、独自の『法律』ではなく『条例』になっているが、これは日本という国家のプライドを守るための方便に過ぎない、というのが大多数の意見だ)。そうなると、第三者に連絡を取るにしても街の内部にいる人聞でなければならない。
しかし自分の娘に電話をかけるのはためらわれた。それはおそらく、母親として最後のプライドだろう。そこに弱みを見せて寄りかかったら、多分自分はもう二度と親を名乗れなくなる。
学園都市の中にいて、すぐに連絡が取れる人物。
それも、自分の娘以外の人物。
合致するのは一人しかいなかった。
(はは……)
御坂美鈴は親指で携帯電話を操作する。
押し潰すような心の重圧を少しでも緩和させるため、彼女はある少年に電話をかけた。

  6

学園都市の電車やバスは最終下校時刻と共に役割を終える。
「くそっ!!」
なので、上条は暗い街を走るしかなかった。今度スクーターの免許でも採ろうかな、などと真剣に思いながら、目的地となる断崖だんがい大学データベースセンターへひたすら駆ける。
同時に、耳に当てている携帯電話に向かって叫ぶように言う。
「御坂さん。さっき連中は武器を持っているって言ったな。多分、今そっちで暴れてるのはスキルアウトだ。普通の能力者の集まりなら、その手の『力』に頼るはずだからな!」
『その、スキルアウトってのが分かんないんだけど』
「ようは武装したギャングみたいなもん。ものすごく危険な武器を持っている不良集団って考えれば良い!」
ようやく施設のシルエットが見えてきた.
走りながら、上条は最初に見えた炎がなくなっている事に気づいた。美鈴から報告された通り、データベースセンターには自動消火設備が整っているのだろう。
『その不良達が、私を狙うのは何故?』
「さあ……そいつは知らないけど!」
もしかしたら美琴関連かな、と上条は思い……そこでふと気づいた。
「御坂さん、アンタの娘には電話したのか」
『え?』
「アイツは学園都市でも七人しかいない超能力者レベル5だし、普通の警備員アンチスキルよりもよっぽど頼りになる! もしもまだ呼んでないなら―――」
『待って!』
美鈴はそれまでなかったほど強い調子で遮った。
「美琴ちゃんはパス! 戦力になるとかそういう問題じゃない。私の問題にあの子を巻き込んだら、その時点で私はもうあの子に顔を合わせられないわ!!』
普段なら、甘っちょろい意見だと上条は思っただろう。
まるで新聞でも読みながら正論だけを吐いているようにしか聞こえないと。
しかし、美鈴は現在進行形で命を狙われている。
その状況にあって、彼女は美琴の参戦を即答で拒否したのだ。
「……分かった」
上条は走りながら、携帯電話を握る手に力を込めて、
「それなら俺が行く。潜伏先は『サブ演算装置保管庫』で合ってるんだな!!」
『え、待っ……君にそこまで頼んでは――――ッ!!』
やかましい、と上条は思った。
もうデータベースセンターは目と鼻の先だ。
その施設は断崖だんがい大学の敷地に隣接していたが、メインとなる大学よりも、データベースセンターの方が二回りぐらい大きかった。ドーム状のシルエットの中から、今も散発的な銃声や破壊音が聞こえてくる。最初に大きな爆発があったせいか、結構な数の野次馬が集まっていた。
それに反して、警備員アンチスキルの数は極端に少ない。狙撃の可能性を恐れているのか、車を盾にしながら無線で応援を求めている。が、何らかのトラブルがあるのか、警備員アンチスキル同士でほとんど口論になりかけていた。
上条はその横を駆け抜け、一気に施設へ走る。
後ろから警備員アンチスキルの制止の声が飛んできたが、いちいち気にしていられない。
(スキルアウトの連中とは、これまで何度か路地裏でやり合った事はあるけど……)
不幸中の幸いか、彼らは施設内部の捜索に手一杯で、外への注意は怠っているようだ。遮蔽物のない広場を走っても、狙い撃ちされる事はない。
(基本的には、逃げるか道の角に隠れて反撃かの二択しかなかったからな。こんな風に、自分から飛び込んでいくのは初めてかもしんねえ!!)
面倒臭い事になってきた、と思いながら、彼はドアのガラスが全部砕けた正面入口へと突入した。

  7

浜面仕上はまづらしあげは苛立っていた。
当初の計画では、暗闇に紛れて盗難車で施設に近づき、手製の焼夷ロケット砲を八発撃ち込んで逃げるだけだった。施設の見取り図は入手しており、どこを焼けば全ての出口を塞ぎ、効率良く煙を内部へ充満させられるかも事前に知らされていた。
最初の失敗は、用意した八発の内、三発が不発で爆発しなかったという事。
さらに残る五発も、着火直後にデータベースセンターの自動消火設備によって、あっさりと鎮火されてしまった。爆発によって建物の構造を歪ませてはいるものの、外壁の一部を石鹸の泡のようなものに包まれた建物が全壊するほどではない。メインとなる炎と煙を使えなければターグットは生き残ってしまう。
おかげで浜面達は立ち去る事もできず、自分達の手でターゲットを殺す羽目になった。
しかも
「まだ見つかんねえのか……例の女は」
依頼人に渡されたのは顔写真だけで、具体的な素性は名前すら知らなかった。仮に施設から逃げられ、サングラスやニット帽などで顔の特徴を隠し、人混みに紛れられたら捜索のしようがない。何としてでもここで仕留めなければならないのだが……。
「まだ見つかんねえのかって聞いてんだよ! くそがぁ!!」
野太い声で叫ぶが、同じスキルアウトの連中はチラリとこちらを見るだけで、特に口も開かず捜索を再開してしまう。
そう、同じスキルアウトだ。
彼らを数時間前まで束ねていたのは駒場利徳こまばりとくという男だ。その駒場が消えた事で浜面がトップの座にスライドしたのだが、その新たな力関係はすぐに浸透するものではなかった。むしろ、漂う空気からは不満の色の方が強い。何か組織全体の失態があれば、すぐさまその責任を全て押し付けられるだろう。
駒場利徳こまばりとく浜面仕上はまづらしあげの違いは明白で、駒場が自然と人の輪の中心に立っていたのに対し、浜面は自分でもやりたくない仕事を無理矢理任されただけだ。だからどれだけの仕事をこなしても、自分自身の中から異物感が取れない。他人から見ても違和感は拭えない。
それが分かっているから浜面は苛立っている。
見つからないターゲットも、統制の取れていない捜索方法も、それら全てが自分の足を引っ張るための裏切り行為に思えてしまう。
浜面は苛立った顔のまま、鼻につけたピアスを指先でいじる。つい先月穴を空けたのだが、調子はすこぶる悪かった。わずかな感触が集中を乱すし、何より汗が溜まる。
「……後がねえ。俺達には後がねえんだ。くそ、駒場の野郎。大それた計画を企てながら、自分だけあっさり死にやがって。残された俺達はどうすりゃ良いんだちくしょう……」
と、数人の少年達がドアの前に集まり出した。
まだ調べていない部屋を発見したらしい。施設内には基本的に鍵のかかるドアはない。難なく少年達が中へ入っていくと、中から短い女性の悲鳴が聞こえた。
当たりのようだ。
誰も無線を使おうとしないので、浜面は仕方なく自分の手で他を捜索している仲間に指示を出す事にした。これじゃリーダーというより雑用係だな、と思いながら、浜面も少し遅れてそちらの部屋へ向かう。
「こちら中央ドーム。ターゲットをサブ演算装置保管庫で発見。こちらで始末するのでお前達は撤収の準備。車を回して来い」
りょーかい、というやる気のない返事が来るかと思ったが、
『がっ!? テメェ、待っ―――ザザざざざザざっ!!」
訳の分からない声と酷い雑音が鼓膜を打った。
おまけに、同じ施設のどこからか銃声が二回聞こえてきた。
(警備員アンチスキルか? チッ、時間をかけすぎたか!)
首の後ろを掴まれ、部屋から引きずり出されたターゲットを見ながら、浜面は無線を使ってどう指示を出すか考えていたが、
『はっあァーい、クソ野郎ども』
ビクリ、と浜面の肩が震えた。
音質の悪い無線越しでも分かる。これは明確に仲間の声ではない。こんな異質で、金属を擦り合わせたような声はそうそう耳にするものではない。そして相手の方も、ごまかそうともせず自分の声色をはっきりと伝えようとしている。
『全軍に告ぐ。オマエらスキルアウトに天国への日帰り旅行をプレゼントしてやる。いやァ、コイツはなかなかお得だぜェ。あまりにもイイ所だから帰る気起きなくなるかもなァ。そンな訳で、まァ手始めに臨死っとけ』
言うだけ言って、一方的に無線は切られた。
直後、
耳をつんざくような銃声が、連続して響き渡った。

  8

上条当麻とうまは通路の角に背中を張り付けていた。
その両手には、窓枠から外した四角い防弾ガラスが握られている。ズシリとした窓の重さは七キロから一〇キロ程度、サイズは一辺が一メートル前後というところか。
施設の中で見つけたものだが、防弾性能はそれほど高くないだろう。何せ、一番強固であるべき玄関の正面ガラスは襲撃の際に全部砕かれていたのだから。
それでも、何もないよりは良い。
スキルアウトは拳銃を持っている事も珍しくない。
漫画雑誌をシャツの下に仕込むぐらいなら、まだこちらの方が安全な気がする。
(……、)
足元にはスタンガンを持った男が気絶したまま転がっていた。ここで待ち伏せ、出会い頭に防弾ガラスを思い切り振り回し、枠部分のステンレスを思い切り鼻っ柱へ叩き込んだのだ。男はバナナの皮でも踏んだように大きく後ろへ倒れ、そのまま動かなくなった。
この調子で、すでに上条は四人ほどスキルアウトを沈めている。
武器を持った相手と戦うなら、向こうに攻撃の機会を与えないのが鉄則だ。お互いに正面から身構えるような事態になったら、もう負けると思った方が良い。しかし逆に言えば、どんな武器であっても使う前に封じてしまえば怖くない。刃物だろうが拳銃だろうがそれは同じだ。
(二人組とか三人組とかのセットで動かれてたら、この戦法は使えなかったんだけど……皆さん馬鹿でありがとう。揃いも揃って一人歩きしやがって、ちょっとは数の使い方を学んでおけっつーの)
スタンガンを拾い上げる。
一応倒したスキルアウトから武器は没収しているが、これは武装するというより、再び敵に持たせたくない、という意味の方が強い。
どのみち、防弾ガラスで両手を塞がれている以上、他の武器を並行して使うのは無理だ。
「さて……サブ演算装置保管庫ってのはどこだ」
大きなガラスを持ち直しながら、上条は眩く。
このデータベースセンターはドーム状のメイン施設を中心に、二階建てや三階建ての小さなビルが隣接している、という構造になっている。
どう考えても中心のメイン施設にはスキルアウト達が集合しているだろうから、上条はドームの周りにある小さな建物と建物を繋ぐ連絡通路を使って、ぐるっと遠回りしている訳だ。
場所によってはドームからしか入れない建物もあるようだが、今の所上条は行き詰まっていない。とりあえず連絡通路を使って一周回ってみるか、と次のビルへ向かおうとした所で、
ダン! バン! という銃声が聞こえた。
「……ッ!?」
一瞬、遅かったか……という悪寒が背筋に走るが、どうも音を聞く限り、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。当然、美鈴は銃など持っていない。となると、別の誰かが応戦している事になる。
(警備員アンチスキルか、それともスキルアウト同士の仲間割れか。まあ良い、どっちにしてもこれはチャンスだ!!)
上条は通路の角に来るたびに慎重に向こうの様子を窺い、誰もいないのを確認してから別の建物へと移っていく。
しかし、ほどなくして行き止まりに突き当たった。
より正確には、ドーム状のメイン施設への通路しかないのだ。
(ええい、結局こうなるのか! とはいえ、ここで立ち止まっている訳にはいかねえし!)
とりあえず通路を走り、中央ドームへ繋がるドアに近づく。
息を止め、手を伸ばし、そこで一度ためらって、ゆっくりとノブに触れる。
爆弾処理みたいな繊細さで、じりじりとノブを回す。カチリとドアの金具が動く音が聞こえた。ピタリと閉まっていたドアに、うっすらと線が開いた。
中を覗く。
木の年輪のように、同心円状にビジネスデスクが配置されていて、そこにはたくさんのコンピュータが置かれている。施設の照明は落ちているが、モニタだけは生きているのか、部屋の中はぼんやりとした光に包まれていた。
そのドーム状の建物の片隅に、四、五入の少年達が固まっていた。
しかもその中央には、御坂美鈴らしき女性が無理矢理座らされている。
距離にして一〇メートルほどだが、少年達はスキルアウトの中でも上位にいるのだろう。全員が拳銃で武装している。下手に近づけば蜂の巣にされるのは避けられない。
(……最悪すぎて笑えてくる。あんなのどうやって助けんだよ!!)
どうも、少年達は口論をしているようだった。施設内での銃撃戦に対し、美鈴をさっさと殺してここから立ち去るか、彼女を入質として使うかで意見が割れているみたいだ。
殺害派が美鈴の頭に銃口を押し付け、人質派がそれを押しのけるの繰り返し。あのままでは本当に殺す気はなくても、弾みで引き金を引かれるかもしれない。
「くそっ……」
上条は思わず眩き、一度だけドアから下がる。
(相手は四、五人。全員が銃を持ってる。叫び声を上げて突っ込めば良いってモンじゃねえな)
これまで倒してきたスキルアウトから奪った武装を確かめてみる。
スタンガンや警捧、催涙スプレーの代わりなのか、長射程の殺虫剤などもある。どれもこれも頼りない上に、
(防弾ガラスを運ぶのに両手を塞がれてるから、武器か防具か、どっちかを選ばなくちゃならないか……)
上条は改めて大きな防弾ガラスに目をやって、
(駄目だ、このガラスは捨てられない。スタンガンや殺虫剤ぐらいじゃ拳銃持った相手を一発で無力化できないし、それができなくちゃ絶対に反撃を食らっちまう)
となると、やはり防弾ガラスを持ってドームに入るしかない。
汗でぬるぬるする掌を使い、上条はもう一度防弾ガラスを掴み直す。それからドームの鉄扉に近づき、再びうっすらと開けた。
状況は相変わらず。
口論している四、五人の少年達と、彼らに囲まれている美鈴。
距離およそ一〇メートル程度だが、間はパソコンの載ったデスクの列に遮られている。
直進はできない。
(遠いな)
しかし、上条は自分のいる出入り口の近くに、薄汚れた鞄が置いてあるのを発見した。ビジネスデスクのすぐ横の床に、無造作に放ってある。おそらくスキルアウトの物だろう。ファスナーは開いていて、スプレー缶のような物や拳銃が顔を覗かせている。
(……、)
上条はゴクリと唾を飲み込んだ。
鞄はここから三メートルぐらい先の床に置いてあり、手を伸ばしても届かない。その中に入っている拳銃を掴むには、やはり扉をある程度開けてドームへ潜り込む必要がある。
(いける、か?)
施設の電源は落ちている。
現在ある明かりは、非常電源に守られているパソコン関連だけで、そのぼんやりとした光は中空を照らしているだけ。足元はほとんど真っ暗と言っても良い。
その上、ドームの床は毛の短いカーペットだ。
いくら何でもこっそり美鈴に近づいて、こっそり連れ出す事はできない。
だが、この三メートルの距離なら。
実際に撃つかどうかはさておいて、拳銃さえ手に入れてしまえば。
衆人環視の美鈴の下まで行くのではない。
誰にも気づかれていない状況で、たった三メートル進むだけなら。
(……やるしかない)
上条は防弾ガラスの窓枠を両手で欄み直し、
(鉄砲の使い方なんてサッパリ分かんねえけど、連中と対等の武器があれば威嚇ぐらいはできるはずだ。こっちには防弾ガラスもある。ヤバくなっても、俺の方が有利のはずだ)
無理にでも楽観的な材料を探し出し、震える足に力を入れて、上条はうっすらと開いている鋼鉄のドアの表面に掌を当てる。
ゆっくりと前へ押す。
スキルアウトの連中が、わずかなドアの動きに気づいた様子はない。上条は身を屈めながらドームの中へ歩を進めた。じりじりと慎重に。たった三メートル、拳銃の入った鞄までの距離が、いやに長く感じられる。
と、上条と一〇メートル先の美鈴の目が合った。

「え?」

思わず美鈴が声を出した瞬間、スキ〃アウトの連中が一斉にこちらを見た。
上条は、バッ!!と手近なデスクの陰へ飛び込みつつ、
(アホかあの女ーッ!!)
わなわなと震えるが、もうどうにもならない。隠れる所は見られていないかもしれないが、不自然にドアが開いているのは確実にバレた。
誰かがこちらに近づいてくるのが分かる。
デスクの陰にいる上条からでは、人相や武器は全く見えない。
かつかつこつこつという足音だけが響いてくる。
足音の聞隔は一定ではない。床は毛の短いカーペットだ。もしかすると足跡が残っていないか調べながら近づいてきているのかもしれない。この暗がりで正確にチェックできるかどうかは分からないが、仮に看破されれば上条は終わりだ。
(拳銃はっ!?)
上条は伏せたまま辺りを観察したが、床に置かれた鞄は、ちょうどデスクとデスクの間にある、細い通路の向かいにある。手を伸ばせば届きそうだが、そんな事をすれば即座に見つかってしまうだろう。
彼らの拳銃に、幻想殺々イマジンブレイカーしは通用しない。
冷や汗が背中一面から噴き出すのを感じた。
心臓の音が耳全体を支配するように思えた。
(くそ……)
上の歯と下の歯がカチカチと音を鳴らしそうになる。
極端な緊張のせいか、息を殺そうと思えば思うほど荒く吐き出されていく。
見えない位置から、足音だけが聞こえてくる。
(やるしかねえ。このまま丸まってても絶対に見つかる。だからやるしかねえ! 一発だ。一発で怯ませれば何とかなる。相手が体勢を取り戻す前に、拳銃の入った鞄に飛びつけば逆転できるはずだ!!)
その時、
かつっと。
身を屈めている上条のすぐ横に、大きな靴が踏み出された。

これ以上は待てない。
待っても相手に先手を取られるだけだ。
「ッ!!」
上条は大きく息を吸うと、身を屈めた状態から一気に身を躍らせ、ビジネスデスクの陰から飛び出した。急激に起き上がる動作に合わせ、手にしていた防弾ガラスを横殴りに振り回す。
鼻にピアスをつけていた大男は、ポカンとしているように見えた。
直後、上条の視界からそいつの顔が消える。ゴッ!!という鈍い音と共にスキルアウトの体
が床に叩きつけられたからだ。肉が干切れたのか、金属のピアスだけが妙にゆっくりと空中を漂っていた。
一人撃破。
しかし上条の顔に喜びはない。
すぐそこに拳銃の入った鞄があるのに、そちらへ手を伸ばす事すら忘れていた.
目と鼻の先に、ほんの一メートルもない距離にもう一人、妙に青白い顔をした少年が突っ立っていたからだ。
(見回りに、二人来てたのか!?)
思わず身を強張らせる上条だが、それは向こうも同じだったらしい。拳銃を持っている事を除けば、何の訓練も経験も積んでいない学生なのだ。いきなり同僚が吹き飛ばされた事に動揺を隠せないのだろう。
キン、という小さな音が聞こえる。
宙を舞っていた鼻ピアスが床に落ちた音だ。
「「……ッ!!」」
それで上条と青白い顔の少年は同時に動こうとしたが、そこへ別の動きがあった。
美鈴の側に待機していた別の男が、上条に銃口を向けたのだ。親指で拳銃のハンマーを押し上げたのか、ガチッ罵という鋭い金属音が鳴る。美鈴の近くには二人の少年がいて、その内の片方……手足に細いチェーンを巻いた男が震える手で銃を握っている。その近くにいた別の一人―――シャツやズボンに無数の切り込みを入れた少年が止めようとしたが、その前に引き金が動いた。
「オイ冗談だろ―――ッ!?」
叫びかけたのは上条ではなく、上条の間近にいた青白い顔の少年だった。
しかし銃声は連続した。
ガンゴンバギン!! という、轟音とも衝撃波とも取れない音が炸裂する。
とっさに防弾ガラスを構えた上条の手首に、ビリビリとした痛みが走る。弾が当たったのではなく、防弾ガラスが受けた衝撃が骨に伝わっているのだ。
一方で、上条の間近にいた青白い顔の少年が、ハンマーで殴られたように床へ吹き飛ばされる。脇腹の辺りから赤黒い液体が漏れている事に気づいて上条は歯噛みしたが、この状況ではどうにもならない。
一度物陰に隠れるかどうか迷った上条だったが、
(くそっ! とにかくあれを止めないと――――ッ!!)
彼は防弾ガラスを前面に構え、美鈴の元へより正確には美鈴の側に立っている二人のスキルアウトの元へと一気に駆ける。
距離は一〇メートル程度。
並べられたデスクとデスクの間をくぐるように走る上条だったが、
次の銃撃が来た。
弾丸は窓の表面に当たったが、それだけで上条の上半身が仰け反りそうになる。どうにかバランスを取り戻そうとする上条だったが、さらに弾丸が防弾ガラスに直撃し、彼の手が窓枠から離れた。
ガシャン、という金属質の音と共に、大きな窓が床に落ちてしまう。
再びそれを拾い上げる暇はない。
痛みと緊張でびっしりと汗の浮いた手から顔を上げると、二つの銃口がこちらを睨みつけていた。今度はチェーンの男だけでなく、切り込みズボンの方もためらわない。
わずか五メートル。
蛍光灯が消えているとはいえ、上条にはスキルアウトの少年達の表情が見えた。その内の一人の鼻の筋から唇の端にかけて汗が落ちるのを確かに見た。小刻みに震える照準、ギリギリと錆びた人形のように動く人差し指、それら全てが音のなくなった一瞬の中で、奇妙に生々しく上条の網膜に焼きついていく。
最後に、上条は視界の端に美鈴の顔を見つけた。
ぺたりと座り込んだ彼女は、呆然としたまま何かを叫んでいる。
唇は動いているのだが、上条の頭まで言葉が入ってこない。
指一本動かせない、まるで時間が止まったような状況の中、

ズパァン!! と甲高い銃声が炸裂した。
全ての音が元に戻った。

その瞬間、上条当麻とうまの心臓は掛け値なしに止まったと思う。,
しかし上条の体に九ミリの風穴は空いていなかった。こちらに銃口を向けていた二人の内の片方、手足にチェーンを巻いた男が、不自然な体勢で真横に吹き飛ばされるのが分かる。赤黒い血が尾を引き、そのまま抵抗なく床へと転がる。
美鈴の意味のない絶叫が聞こえた。
残る切り込みズボンの少年が、そのままグルリと視界を横へ向ける。
そちらにあるのは、上条が入ってきたのとは別の出入り口だ。
誰かがそこからスキルアウトを撃ったのだ。
「てっ、テメェ!!」
拳銃を持った切り込みズボンの少年の叫び声が聞こえた。
上条の金縛りに似た感覚はここでようやく解けた。
接着剤で固めた紐を指で折って再び柔軟性を取り戻したように、自由を得た上条はとっさにビジネスデスクの下へ身を隠す。
その体勢を維持したまま、上条は数メートル先で呆然と座り込んでいる美鈴に叫んだ。
「伏せろ!!」
叫んでも美鈴は呆然としているだけで、体を動かそうとしない。
「御坂さん、伏せるんだ!!」
ドンバン!!といくつもの銃声が上条の大声をかき消していく。
誰が銃撃戦を始めたか知らないが、このままでは美鈴に流れ弾が当たりかねない。
(くそっ!!)
ビジネスデスクの陰に隠れた上条は、一度だけ小さく息を吸うと、
(いけるか……。ちくしょう、この中を突っ切るしかない!!)
低い体勢のまま飛び出した。
五メートルの距離を駆け抜け、ぺたりと座り込んだままの美鈴へ覆い被さるようにぶつかり、そのまま床に押し倒す。
銃声は続いている。
「逃げるんだ……」
無理にこの戦闘を収める必要はない。
「早く!!」
上条は美鈴の腕を掴むと、一刻も早くこのドームから脱出するために走り出す。

  9

一方通行アクセラレータは、ドーム状のメイン施設に踏み込んだ際に、とりあえず銃を購えているヤツ全員に鉛弾を叩き込む事にした。手始めに美鈴の近くに立っていた二人の内の片方、手足にチェーンを巻いた男に銃口を向けて、無造作に引き金を引く。
パン! という乾いた音が響いた。
胴体から血を噴いて真横に吹っ飛んだ男を見て、近くに座り込んだ美鈴が短い悲鳴をあげる。
人間は不便だ。
どれだけ図体を大きくしても、たった九ミリの風穴が空いただけで簡単に倒れる。
「て、テメェ!!」
残る一人のスキルアウトが何か叫びながら拳銃を向けてきたが、一方通行アクセラレータは鉄扉の陰に隠れて何度か銃弾をやり過ごし、返す刀で銃弾をばら撒いていく。
上着やズボンに切り込みを入れた男はデスクの陰に隠れたが、それを無視してデスクごと体を撃ち抜いて黙らせる。
(さて、と。あと残ってるスキルアウトは)
「あれか」
美鈴の腕を引っ張って出口のドアへ向かおうとしている黒い人影に、一方通行アクセラレータは銃口を向けて適当に発砲した。、
「おわあああああっ!?」
派手な叫び声が聞こえたが、弾丸は人影からわずかに横へ逸れた。標的の側に美鈴がいる事を意識してしまったのだろう。照準が明らかに甘くなってしまった。
銃口から逃れるため、人影は美鈴を連れて走り続ける。両手を上げて立ち止まるという選択肢はそいつの頭にないらしい。
チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちして、
「ヘェ面白ェ……、まァだ依頼を諦めねェとはイイ根性じゃねェか」
一方通行アクセラレータは口元の笑みを引き裂くと改めて拳銃を握り直し、狙いをつける。
「出来損ないのクソ野郎が! ここでスクラップにしてやるぜェ!!」
「黙れ馬鹿野郎! 美鈴さんが何したってんだ!? 何の罪もない人を付け狙った挙げ句、スキルアウト同士で仲間割れまでしやがって!! もう勝手にやって勝手に死んでろ!!」
ぎゃあぎゃあと騒がしい声が耳に入るが、一方通行アクセラレータは構わず引き金にかけた人差し指へ意識を集中する。しかし、やはり美鈴の背中が邪魔で発砲できない。
そうこうしている内に彼ら二人は別の出入り口へと飛び込んでしまった。
一方通行アクセラレータは、自分の拳銃の銃口でこめかみを掻いて、
(……あン? スキルアウト同士で仲間割れ?)
先ほどの言葉を少し考え、
(俺もその一員だって思われたのか。って事は、アイツはスキルアウト以外の人間なのか。この施設の利用予定者は御坂美鈴一人のはずだし……風紀委員ジャッジメントとかなのか?)
銃を使って反撃してこなかったのも気になる。動き自体は訓練された警備貝や風紀委員ジャッジメントという感じにも見えなかった。

(御坂美鈴の名前を知ってたってのも引っかかるが……まァ、知り合いじゃなくとも標的の名前ぐらいスキルアウトにゃ伝達されてたかもしンねェし)
何となくそちらに銃口を向けて数発追い撃ちしつつ、一方通行アクセラレータはドーム施設の奥へ進む。
「さァって、と」
とにかく美鈴と、彼女を連れ去った人影を追う事にする。
あの人影の正体が何者かは知らないが、美鈴をここで殺して一人で逃げなかったという事は、最悪アイツがスキルアウトであっても、安全な場所へ行くまでは美鈴を殺すつもりはないらしい。一方通行アクセラレータがドームへ踏み込んできた時にも反撃して来なかったという事は、おそらく銃を持っていないのだろう。
となれば、
(ヤツらが敷地を出る前に追いついてケリを着けりゃイイ)
そう思っていたのだが、一方通行アクセラレータの耳にバタバタという複数の足音が複数の方角から届いてきた。
先ほどの銃撃戦の音を聞きつけたのだろう。
どうやら簡単には先へ進めないらしい。
(一度下がって潰すしかねェか。ドームの中の遮蔽物じゃ銃弾の盾にはならねェ)
戦う場所を探し、ぐるりと周囲を見回した一方通行アクセラレータは、そこでふと顔の動きを止めた。
ドームの中で倒れているクズは三人。
対して、床に落ちている拳銃は四丁。

  10

上条と美鈴はドーム状のメイン施設から連絡通路を通り、別の小さな四角い建物に入り、さらにそこにあった非常口からようやく外に出た。
正面出入り口の方は野次馬が集まっていたが、こちらは裏口であるためか、人気は全くなかった。
上条は美鈴の手を引きながら、
「とりあえず、人の多い所へ行こう。表の方なら野次馬とか警備員アンチスキルもいたし、そっちに回れば多分安全だと思う」
「はあ。なんだかんだ言っても男の子ねー。私は最初から最後までずっと頼りきりだったし。まったく、保護者って冠が霞んでくるわ」
美鈴は妙に沈んでいるが、あの状況で毅然としていうという方が難しいだろう。正直、上条だってもう一度同じ事をしたいとは思わない。
だから、特に責めたりはしないで先を促す事にした。
「早く。どうにか外に出たけど、別に連中を全滅させた訳じゃない。ここでまた襲われたら振り出しだ」
「はいはい、と。それじゃ手を引いてエスコートよろしくお願いします」
言われて、急に恥ずかしくなってきた。上条は掴んでいた手を離そうとするが、そこで美鈴から逆に握り返される。
からかっているようにも見えるが、実は本当に怖いのかもしれない。
上条はそのまま敷地を歩く事にした。
ドームの直径は五〇メートルほどで、その周囲の建物群を合わせても、それほど大きくはない。ここから正面玄関へは、歩いてもほんの数分だ。一番危険な状況は脱したので、上条は口で言うよりは安全だと思っていた。相手が野次馬ごと自分達を殺そうとするような連中でもない限り、正面玄関まで行ければそれでスキルアウトは勝手に退くだろうと。
だが。

「動くな」

正面玄関への道を遮るように、人影が立っていた。
あのドームの中で、防弾ガラスを使って殴ったヤツだった。
おそらくすぐに目を覚ましたのだろう。その鼻にはピアスを強引に千切られたためか、赤黒い色が付着している。状況が状況だったとはいえ、やはり気絶した後に手足を縛れなかったのがまずかった。
「動くんじゃねえ……。テメェは何なんだよ。何でこのタイミングでやってこれた。やっぱりあの依頼そのものがダミーで、俺達は嵌められたのか……?」
その言葉に、上条は眉をひそめる。
「依頼だと?」
「何だよその確認は。分かってんだろ。駒場の野郎が殺されて、代わりに俺が指揮を執るしかなくなっちまった。あいつの後始末だよ。路地裏に対する制圧作戦を回避するには『奴ら』に取り入るしかねえと踏んだんだが……くそ。やっぱりテメェら最初から見捨てる腹だったのか!!」
「何の事かサッパリなんだけどよ」
上条は断片的な言葉を整理しつつ、男に向かって言い放つ。
「俺はこの人から電話を受けてやってきただけだ。テメェが何を想像してるかは知らねえが、それほど複雑な事情は抱えちゃいねえさ」
言うと、男はポカンと口を開けた。
それから、彼は小さく笑った。
「はは、」
全然楽しくなさそうな笑みだった。
「つまり、あれか。俺達はここで全員リタイヤして、警備員アンチスキルに捕まっちまうのは確実だってのに、その中心にいるお前には思惑すらねえってのか? この浜面仕上はまづらしあげの人生がここで終わるっつーのに、その一番最後のフィナーレだっつーのに……せめて巨大な陰謀に巻き込まれたとか、とんでもない策士がいたとか、そういう風にごまかす事もできねえってのか。ははは。はははははははッ!!」
言いながら、浜面と名乗った男は右手を後ろに回した。
ズボンのベルトに挟んであったのだろう。
伸縮式の警棒を取り出し、勢い良く振って引き延ばす。

「たまんねえなオイ。殴り殺さなくちゃ気が済まねえよ」

浜面は一気にこちらへ駆けてくる。
上条は美鈴を横に突き飛ばす。
そのせいでワンテンポ遅れた彼の耳に、ビュン!! という風を切る音が響いた。テニスラケットを振るような音の正体は、当然警棒のものだ。
「ッ!!」
とっさに顔を守るように左腕を上げた。
こめかみを狙った一撃は、鈍い音を立てて上条の手首の下に直撃する。
ミシミシという嫌な振動が骨に伝わる。
痛みに顔を歪める彼の腹に、浜面はさらに思い切り膝を突き立てた。
ドン!! という、太鼓を叩くような轟音が鳴る。
「ごっ、あ!!」
上条の口から息が漏れた。
衝撃で、ズボンのべルトに挟んでおいた物がバラバラと地面に落ちた。それはスタンガンや警棒など、これまで倒してきたスキルアウト達から奪ってきた護身用品だ。
(ちくしょう、無能力者レベル0相手に幻想殺々イマジンブレイカーしは通用しねえ)
歯噛みする上条は、湿った地面にあるスタンガンを拾い上げるため素早く屈み込んだが、
「させると思うか?」
武器を掴んだ上条の手を、浜面の靴底が思い切り踏みつける。
鈍い痛みを感じるだけの暇もない。
「こういうモノの扱いは、俺達が一番良く知ってんだよ!!」
ゴッ!! という嫌な音が響いた。
上条の手を踏みつけたまま、浜面がもう片方の脚で上条の顎を蹴り上げたのだ。
「ぶ、がっ!?」
意識が揺らいだ。
それでも舌を噛まなかっただけマシだったかもしれない。
上条の体は真後ろヘブリッジを描くと、そのまま地面に仰向けに転がった。美鈴が小さな悲鳴をあげたが、そちらを構っていられない。上条は地面の土を雀り取ると、それを浜面の顔目がけて投げつける。
「ッ!!」
顔を片手で守られたため目潰しにはならなかったが、浜面は怯んで後ろに下がる。
上条は素早く起き上がると、中腰の体勢から浜面の腹の中心目がけて思い切りタックルをぶつけた。まるでドア板でもぶち破るように、ドン!! という轟音が肩から響く。
ずずっ、と浜面の脚が土の地面を滑る。
それでも、彼の体は後ろには倒れなかった。
(コイツ……ッ!?)
「悪いが、こっちは無能力者レベル0なんでね」
耳元で、ささやきかけるような声が聞こえた。
胴体に抱きつくような格好の上条に、至近距離で浜面は語る。
「路地裏で能力者達と渡り合うには、それなりの肉体作りが必要だ。まったく馬鹿だよな。そこらのスポーツ選手と同じ事やってんのに、誰にも褒められねえんだからよお!!」
言葉と共に、警棒の尻を首の後ろへ叩き込まれた。
ビキリ!! というこれまでになかった鋭い痛みが背骨全体に走る。
呻き声をあげる上条へさらに二、三回警棒が振り下ろされる。ようりと揺らいで倒れそうになった上条の胸倉を、浜面は警棒を持っていない左手で掴み上げる。
彼は至近距離で笑う。
「あーあー。って事はあれだよな、テメェが『奴ら』と関係ないって事は、『奴ら』と交わした取り引きはまだ有効って訳だ。そっちのターゲットの死体を持って行きゃあ、俺達だって匿ってもらえるかもしれないと。ははは!!」
しかし、その言葉は失敗だったかもしれない。
ギン!! と。
ぐったりしていたはずの上条の眼光に、明確な力が籠った。
「もう一度―――――言ってみろテメェ!!」
腹の底から叫び、上条は浜面の顎と下唇の間へ目がけて、自分の額を思い切り叩き付けた。
バゴッ!! と、高い所から植木鉢を落とすような音と共に、浜面の首が大きく後ろへ仰け反る。
そこへ、上条はさらに鼻のてっぺんに握った拳を叩き込んだ。
ブリッジを描きかけた浜面の体が、一気に地面へ叩き付けられる。
「あがあああッ!!」
鼻を押さえて転がる浜面に、上条はさらに足で追撃しようとした。が、思ったより体にダメージが染み込んでいるのか、足元がおぼつかない。
「くそ……雑な戦い方しやがって」
そうこうしている内に、浜面はもぞもぞと起き上がった。
先ほどの頭突きで前歯が折れたのか、唇は真っ赤に染まっている。
「無駄な事はやめて、さっさとその女の死体を差し出せよ。そういう取り引きになってんだ。駒場が失敗したせいで、俺達には後がねえ。依頼をこなさなくっちゃならねえんだ……」
あれだけ攻勢に出ていたにも拘らず、言葉が妙に弱々しい。
上条は眉をひそめたが、すぐに気づいた。
彼らは元々、強者から一方的に攻撃されるのを恐れて組織された無能力者レベル0の集団だ。
だからこそ、どれだけ力をつけた所で、本質的に他人から殴られる事には慣れていない。
それを考えながら、しかし上条は吐き捨てた。
「ふざけんなボケ」
言いながら、自分でも突き刺すような言葉だなと思った。
「依頼依頼って、殺す理由もねえヤツから宿題みてえな感覚で殺されてたまるか。人の命を何だと思ってやがる。簡単に物や金と天秤にかけられるって、本気で信じてんのかよ。馬鹿にすんのもいい加減にしやがれ!!」
「仕方ねえだろ。こうでもしねえと俺達無能力者レベル0は生きていけねえんだ! どこへ行っても馬鹿にされて、居場所を作れば景観の美化っつー名目で全部壊されて。……そんな状況で、他人を食い物にする以外に、無能力者レベル0にどんな道があるっつーんだ!? ああ!?」
スキルアウト。
無能力者レベル0達が結成した自衛集団。
自衛集団ができたからには、作らなければならない事情でもあったのだろう。
決して表沙汰にならないような、暴力と不条理が渦巻く出来事が。
だが、
「……一緒にするんじゃねえよ」
「なに?」
「全ての無能力者レベル0を、テメェみてえなクソ野郎と一緒にするんじゃねえよ」
「テメェ……。そうだ、テメェの能力は何だ……? さっきから一度も……」
口元の血を拭いながら、浜面はギョロギョロと目を動かして眩く。
上条は無視して自分の言いたい事を言う。
無能力者レベル0に居場所はあるのかだと、あるに決まってんだろ。他人を食い物にする以外に道はあるのかだと。あるに決まってんだろ!! 無能力の人間なんざ学園都市にはゴロゴロいる。そいつらはみんな普通に学校に通って普通に友達作って普通に生活してんだよ! 何がどこへ行っても馬鹿にされてるだ。そういう風に考えてるテメェ自身が一番無能力者レベル0を馬鹿にしてんじゃねぇか!!」
「そう、か。テメェも俺達と同じ……ッ!!」
「同じじゃねえよ。少なくとも、俺はそういう風には動かねえ。力がないからって理由で、力を持ってるヤツを攻撃しようとは思わない! 確かに俺は無能力だけどな、他人の足を引っ張って喜ぶほどマイナスになったつもりはねえんだよ!!」
「マイナス?」
浜面は眉をひそめて繰り返した。
「俺達がマイナスだと? 馬鹿馬鹿しい、俺達こそがプラスなんだ! 力がないって理由だけで人を排斥し、力を持っていても何も与えてくれないあんな連中に比べれば、俺達スキルアウトの方が一〇〇倍マシだろうが!!」
「じゃあ、そう言うテメェは助けを求めてる人に手を差し伸べたのか?」
「……ッ!?」
「答えられないなら、テメェも同類だよ。くだらねえ。誰にも力を貸そうとしない人間なんて、誰が助けようとするモンか。自分が幸せになるのが当然だって顔で、他人が幸せになる事を考えもしない人間になんて、誰が関わろうとするモンか! 結局それらは全部テメェらの問題だろうが!!」

あまりにも馬鹿馬鹿しくなって、上条は思わず叫んでいた。
この無能力者レベル0は、あまりにも弱い。
弱い上に、その弱さに理由をつけようとするから、いつまでも成長しない。
「もしもスキルアウトを結成するだけの力を使って、もっと弱い立場の人を助けていたら、それだけでテメェらの立場は変わったんだ!! 強大な能力者に反撃するだけの力を使って、困っている人に手を差し伸べていれば、テメェらは学園都市中の人達から認めてもらえたはずなんだよ!! そんなのいちいち改めて言うほどの事じゃねえだろ!!」
「黙れ!!」
浜面は顔面を歪ませて叫んだ。
「そういう風に生きてきた駒場利徳こまばりとくって無能力者レベル0のりーダーは、ほんの半日前に殺されたよ。場違いにも弱者を守ろうとしてなぁ! 結局俺達に綺麗事なんてこなせない。路地裏の落ちこぼれがそれをやろうとしても鼻で笑われるだけなんだ!!」
「そうかよ。だがそいつにはテメェにないものがあったはずだ。どんなヤツか見た事はねえが、絶対にテメェと違って駒場の世界はもっと広がってた! だから最期まで逃げずに戦ったんじゃねえのか? 『弱者』なんて呼ばずに、『仲間』を守るために! そんな駒場は本当に周りから鼻で笑われてたのか。実際に戦って死ねっていうんじゃない。それぐらいの気持ちで仲間を守ろうとした駒場は、テメェと違って仲間からも慕われてたんじゃねえのかよ!!」
「ふざけんな……」
浜面の唇から、どろりとした一言が漏れた。
溜まりに溜まった汚れが溢れるような言葉が、
「馬鹿にしやがって、無能力のくせに、ろくな力も持ってないくせに、俺達を馬鹿にしやがってええええええええええええツ!!」
警棒を構え直し、震える足を動かして浜面はこちらへ突っ込んできた。
上条当麻とうまは拳を握る。
こんな野郎はもう怖くない.
化けの皮が剥がれれば『こんな』程度の男でしかない。
「テメェらが馬鹿にされてきた理由は、力のあるなしなんかじゃねえ。今からそいつを見せてやる」
美鈴が止めるのも構わずに、上条は自分から前へ踏み込んだ。
向かってくる警棒も気に留めず、ただ己の拳をさらに固く握り締める、

「これが俺とテメェの違いだ! そんなつまんねえ幻想なんか自分でどうにかしやがれ、このクソ野郎が!!」
ゴン!! という鈍い音が響き渡った。
警棒と拳がそれぞれの顔面に叩きつけられ、割れた額から血が溢れ、双方共にグラリとバランスを崩した。
しかし、倒れたのは一人だ。
もう片方は、決して倒れない。

  11

上条としてはこのまま寮に帰って眠りたかったが、美鈴に言わせると流血がひどくて洒落にならないという事で、結局救急車を呼ばれる羽目になった。情けない話ではあるのだが、この治療代や入院費などが上条の家計を圧迫している大きな理由でもある。
そういう訳で彼は今、救急車への前段階として担架に乗せられている。白いヘルメットを被った救急隊員と一緒に、何故か美鈴がひょいっとこちらを覗き込んでいた。
「やっぱり学園都市も安全じゃないのね。いや、それを言ったらどんな街だって同じでしょうけど。もうこの国には、安心して子供を預けられる場所ってないのかしら」
ガラガラと担架の車輪の音がうるさくて、美鈴の声はあまり聞こえない。
「……実を言うとね、私は美琴ちゃんを連れ戻しに来たの」
それでも、その言葉だけは妙に鮮明に響いた。
美鈴は目を細めて言う。
「戦争が始まると危なくなるからね。ニュースじゃ国内の他の都市よりは学園都市の方が安全って言ってたけど、別にそれなら海外へ逃げちゃえば良いんだし。ま、私の大学の事は残念だけど、とりあえず長期休学って感じかな。別に留年でも困らないし。まだ辞める気はなかったから、レポート作成っていうのも一応本気なのよね」
そこまで言って、彼女は笑った。
上条の顔を見て、自然とこぼれたようだった。
「でもまあ、安心したよ」
何が、と上条が尋ねる前に、
「結局、この問題もさっきの彼と同じよね。どこへ逃げても本当の安全地帯なんてない。そこにいる人間の気持ち一つでいくらでも変わる。なら、下手にあの子の居場所を移すよりは、君みたいな子の側に置いておいた方が安全かもしれないわ」
そうこうしている内に、救急車に到着した。担架を支えている脚を折り畳んでいるのか、ガコガコと背中の辺りから小さな振動が伝わってくる。
救急車はすぐに発進するだろう。
美鈴もそう思ったのか、やや早口で結論を言った。
「つまり、君達みたいな子が美琴ちゃんを守ってくれれば、何の問題もないって話よん」
上条を乗せた担架が救急車に乗せられる。
彼は初め、美鈴の言葉を漫然と聞いていたが、やがて眉をひそめた。
(君『達』……?)
その疑問を口にしようとする前に、救急車の後部ドアは勢い良く閉められ、やかましいサイレンと共に出発してしまった。

終 章 一つの意志と小さな鍵 The_Present_Target.

「ふン」
暗がりに潜む一方通行アクセラレータ断崖だんがい大学データベースセンターの正面ゲートを一瞥し、そこに美鈴の顔を見つけると視線を逸らした。
施設内には予想より多くのスキルアウト達が残っていて、そいつらを無力化するのに時間を食ってしまったのだ。
しかし、ああして美鈴が無事なのを考えると、やはりドームで会ったあの人物は美鈴の敵ではなかったらしい。彼女が救急車を見送っている所から、途中で負傷でもしたのかもしれないが。
どうでも良いか、と一方通行アクセラレータは結論づけ、データベースセンターの裏口から敷地の外に出る。
そこで彼は声をかけられた。
「こちらにいると聞いたもので。その顔ですと、上手くいったようですね」
「海原か」
一方通行アクセラレータはつまらなさそうに言って、そちらを見る。
茶色いサラサラした髪や好青年らしい顔立ちは、この暗闇には似合わない。しかも彼が近づいてくると、胸に妙な重圧がのしかかってくる。
表情には出さず、一方通行アクセラレータはさりげなく海原から距離を取る。
ぼんやりと浮いた海原は、完全に闇を自分のものとした一方通行アクセラレータに向かってこう言った。
「それにしても、また残業ですか。給料も出ないというのに、過労は感心しませんよ」
やかましい、と一方通行アクセラレータは一蹴する。
改めて見れば、海原の近くには土御門つちみかど元春や結標むすじめ淡希まで立っている。これで『グループ』のメンバーは勢揃いという訳だ。
「……何の用だ。『上』に言われて俺に罰則でも与えに来たか」
「まさか。今後の確認だ」
土御門つちみかどはサングラスの奥から、ジロリと一方通行アクセラレータの顔を見て、
「まず、御坂美鈴の件について。どうも遠距離から話を聞いた限り、娘を学園都市から連れ出そうという気は失せたらしい。なので殺害は中止。怪我の功名だが、これで一応は落着だな」
「『上』がそンな曖昧な結論で認めンのか? 口だけの話なンざ、いつ心変わりするか分かンねェぞ」
「認めるだろうさ。……主に海原の馬鹿が一人で頑張ったからな」
土御門つちみかどはほとんど呆れたように眩いた。
一方通行アクセラレータは怪誹な顔で海原の方を見たが、彼は暗闇の中でニコニコと微笑みながら、
「いやあ、あの少年には一応、こちらの想い人とその周囲の世界を守ってもらうという『約束』を果たしていただけたようですし、自分も頑張らないといけないなあと思いまして。少しだけ肩に力が入りすぎてしまったんですよ」
「……この優男、さっきからずっとこの調子で具体的な回答を控えているのよ。おそらくよほど醜い手を使ったのでしょうね」
結標むすじめは額に手を当てて首を横に振った。
土御門つちみかどは肩の力を抜いて、
「とにかく、だ。御坂美鈴は大丈夫だろう。残業込みで初陣お疲れ様って訳だよ、一方通行アクセラレータ。『グループ』の仕事はどうだった? 基本的にゃ誰かが食い荒らした残飯の後始末だが、それでも多少のやりがいは見つかったか」
「クソッたれが。この一日だけで暴力裏切り殺し合いのオンパレードじゃねェか」
吐き捨てるように一方通行アクセラレータが答えると、土御門つちみかども頷いた。
「その通りだが、そんな中であってもオレ達は自分のウィークポイントを守らなくちゃならない。捨てちまった方が楽になれるが、どうやっても捨てられない……役立たずの宝物をだ」
「……、」
「オレには義妹の存在があるし、海原には想い人がいる。結標むすじめはかつて自分に協力してくれた仲間達、お前の場合は量産型能力者だな」
土御門つちみかどは皮肉げに唇を歪めて、
「その大切なものを守るには、普通の方法じゃ駄目だって事さ。『上』の連中は建前じゃ勝利条件を並べてくるが、はっきり言うがそれは全部嘘だ。場末の賭け事と同じだよ。結局終わってみれば主催者が勝つようにできている。だからルールに従ってるだけじゃ、ヤツらは出し抜けない。それでも勝つにはどうするか。ルールの抜け穴を探すか、それともチェス盤をひっくり返して暴れるか。そういう考え方で動くしかない」
「何故、そいつを俺に話す? 仲良しこよしになりてェ訳じゃねェだろ」
「お前がカードになるかもしれないからだ」
土御門つちみかどは軽い調子で答えた。
「何を企んでるかは知らないが、『上』にとってお前はよほど貴重なモノらしいからな。今の所は電極をいじって安心してるようだが、逆に言えばそこがチャンスでもある。手を結ぼうぜ、一方通行アクセラレータ。こっちでの生き方はオレが教えてやるから、お前は簡単に死ぬんじゃねえ」
「……、」
一方通行アクセラレータは『グループ』のメンバーを見る。
土御門つちみかど元春、海原光貴、結標むすじめ淡希。
どいつもこいつも一癖ありそうで、腹の内では何を考えているかも知れたものじゃない連中ばかりだ。だが、それを言うなら自分も一緒である。打ち止々ラストオーダーめを守るためなら、そのための手駒として使ってやっても構わないと考えているのだから。
「面白ェ」
彼は言った。
「ただし、オマエらが足を引っ張ンなら容赦なく切り捨てる。俺達の繋がりは有効価値の繋がりだ。それ以上を求めンなら破滅すンぞ」
「はん。威勢の良い小僧だ」
土御門つちみかどは笑いながら背を向けた。
まるでカラオケにでも誘うように、軽く手を銀って皆を促す。

「ついて来い。そろそろ『上』の連中へ反撃しようぜ」

一方通行アクセラレータにとって最大の枷は、『上』の連中に遠隔操作される、電趣の安全装置だ。
電波の届かない地域では妹達の代理演算が使えなくなるため、『上』からの遠隔操作信号を遮るという方法では回避できない。それでは妹達との繋がりまで絶たれてしまう。
一見すれば完壁な制御装置に思えるかもしれないが、逆に言えば、この問題さえクリアできれば『上』の連中を出し抜くきっかけになる可能性もある。
まずは設計図だ、と一方通行アクセラレータは思った。
カエル顔の医者の所へ赴いて、チョーカー型電極の設計図を手に入れる。そこから安全装置の仕組みを逆算しても良いし、もしかしたら時間をかければ二つ目を作れるかもしれない。
(楽しいね)
彼は自然と笑みをこぼした。
離れた所から見れば、同世代の仲間達と世間話をしながら夜の街を歩いているように感じられたかもしれない。
しかし一方通行アクセラレータの中には、ぐるぐると熱いものが鑑いているだけだった。
電極を遠隔操作される直前に電話越しに話した、あの『男』。
そいつはどこかのソファに体を沈めてくつろいでいるのかもしれないし、今まさに同じ場所を歩いている可能性もある。電話越しの声ぐらいなら機械でごまかせるので、性別だって当てにならない。
あのクソ野郎の延長線上に、黒幕がいる。
あらゆる不幸の元凶となっている黒幕が。
(目的があるっていうのは、本当に楽しい)

夜の病院で、打ち止々ラストオーダーめの体の調整を行っていたカエル顔の医者は、緊急の連絡を受けた。どうもいつもの少年がまた無理をして運ばれてきたらしい。救急隊員から苦笑いで急患の報告を受けるというのもどうなんだろうと思う。
九月三〇日に木原数多きはらあまたの手によって打ち止々ラストオーダーめの頭に入力されたウィルスは完壁に除去し終わっていた。後は軽いリハビリをこなせば、元の生活に戻れるはずだ。
(ウィルス、か)
これを打破した事でアレイスターの計画の一端を妨害できた……訳ではないだろう。それが可能ならば、打ち止々ラストオーダーめを簡単に解放するはずがない。いつも通り、重要な部分は全て塗り潰された上で、見た目だけは平穏無事という形で処理されるのだ。
しかし計画に打ち止々ラストオーダーめの特殊な体質が利用されているのは間違いない。その辺りを追っていけば、彼が実行しようとしている事が分かるかもしれない。
カエル顔の医者は、ベッドの上で横になっている少女を見た。
体格だけなら一〇歳前後。ベッドのサイズを間違えているのではと疑いたくなるほど小さな女の子だ。
「今日の調整はここまで。僕は他の患者を当たらないといけない。余計な事はしていないで、早く寝るんだよ?」
言葉に、少女は小さく頷いた。
それから、打ち止々ラストオーダーめは小さな唇を動かして言う。
「あの人は……」
カエル顔の医者は、それを黙って聞いていた。
「……あの人はどこ? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
おそらく、誰にも答えられないだろう質問だった。カエル顔の医者はもちろん、暫定的な保護者であった黄泉川愛穂や、量産型能力者を作り出した芳川桔梗ですら、→方通行が今どこにいるか掴めていないらしい。
それでも、カエル顔の医者は言った。
「すぐ戻ってくるよ。すぐにね」
「うん……ミサカも早く会いたい、ってミサカはミサカは頷いてみる」
おやすみ、と言ってカエル顔の医者は病室を出た。
運ばれてきた上条当麻とうまの元へ向かうため、暗くて長い廊下を歩く。
そうしながら、彼は打ち止々ラストオーダーめの言葉を胸に刻みつけた。
彼は、患者に必要なものなら何でも揃える人間だ。

小説ーとある魔法禁書目録16

とある魔術の禁書目録インデツクス16
鎌池和馬

   c o n t e n t s
序 章 指導者としての立ち位置 Stage_in_Roma.
第一章 平穏から破滅へと続く道筋 Battle_of_Collaps.
第二章 敗北から立ち上がる者達 Flere210.
第三章 桁の違う怪物同士の死闘 Saint_VS_Saint.
第四章 誰が誰を守り守られるか Leader_is_All_Members.
終 章 さらなる騒乱への案内人 True_Target_is……

とある魔術の禁書目録インデツクス16

 ローマ正教の暗部『神の右席』後方のアックアがついに動いた。『聖人』の力『神の右席』の「特性」を併せ持つその最強・最悪の敵は、上条かみじよう当麻とうまの「右手」を狙い学園都市に侵入する。
 アックアの宣告を受けたイギリス清教は、上条のもとに天草式十字凄教の五和をボディガードとして派遣していた。上条宅に泊まり込んで護衛する彼女は、圧倒的な料理スキルとかいがいしさをもってして、居候シスター・インデックスの立場すら危うくさせる。そして、それを見た上条の目からは一筋の涙が……。
 しかしそんな安息の時も束の間、ついに最強・最大の敵が現れる……!!

 鎌池かまち和馬かずま

15巻は科学メインだったので、今回は魔術メインです。今さらながら、一つのシリーズで色んな事ができる設定だなあと思います。

 イラスト:灰村はいむらキヨタカ

狩り専用携帯ゲーム機を買ってみました。この手のゲームはリアル活動に支陣をきたすので良い子は真似しちゃ駄目だぞ? と思いました。

序 章 指導者としての立ち位置 Stage_in_Roma.

 ローマ教皇には、とある一つの鮮烈な思い出がある。
 イギリス清教との会合を行うため、ロンドンへおもむいた時の事だ。
 旧教カトリツクの三大宗派の一つ、イギリス清教のトップはローラ=スチュアートという年齢不詳の女性だった。その女は、確かに巨大組織を束ねるに足る実力を持っていた。何しろ、自らの真意や本音を伏せる事はおろか、議題の隠された主旨や方向性に気づいた時には、すでにその採択が取りつけられているという状況を作り出せるほど、巧みに言葉を使う人間だ。少しでも気をゆるめれば、どんな粂約を取り決められるか分かったものではない。同席したローマ正教側の書記の三名は、緊張きんちように耐えかね途中で医務室に運ばれたほどだった。
 しかし、ローマ教皇にとって一番鮮烈なのは、そこではない。
 問題なのは、会合が終わってから三〇分後の事だった。
 場所は聖ジョージ大聖堂の近くにあるランベス宮。イギリス清教の最大主教アークビシヨツプが住まう官邸の前を、ローマ教皇を乗せた高級車が通りかかった時、信号待ちで一時停止している最中に窓を開けた所、宮殿の方からこんな声が聞こえてきたのだ。
「まーだ九月の始めだと言うのに、かようにクリスマスカードと言うのは大量に届きしものな
のね……」
「クリスマスになってからでは遅すぎます。この時期に届くというのは、それだけ我々の事情をかんがみてもらえているあかしでしょうね。毎年イギリス中から送られてくる二五万通ものクリスマスカードすべてに目を通すのは、それはそれで大変な重労働ですから」
ごとみたいに聞こえしなのよ、神裂かんざき
「さて、何の事やら。それより一二月のスケジュールが決定しました。時期が時期ですから、最大主教アークビシヨツプにはサンタクロースの格好をして四三ヶ所の児童養護・福祉施設を回ってもらいます。これも公務ですので、どうかご了承ください」
「うむ。鼻血必至の悩殺ミニスカサンタセットはすでに調達できたるのよ」
「ッ!! !? ?? 今、白信満々にウムとかうなずいて変な事を言いませんでしたか!?」
「いや実を言ふとわたしも恥ずかしゅうて恥ずかしゅうて仕方がなしなのだけれどそこはほれ敬虔けいけんなるイギリス清教信徒のためならば一肌脱がねばならぬといふ断腸の思いでだな」
「物理的に一肌脱いでどうするつもりなんですかこの変態!!」
「ハッ! まさか、ミニスカサンタは変態と呼ばれるまでにお寒く感じられしほどにしゆんが過ぎ去りたるものとでも言うの!?」
「いやええと、そういう次元ではなくそもそもイギリス清教の最大主教アークビシヨツプがミニスカートなどという脚部を大幅に露出ろしゆつするような衣装を選ぶ事自体に問題が―――」
「フッ。ミニスカサンタごときでは納得せぬか。やはりサービスショットのグラビア本家は違いたるわね。これぞ、わざわざ日本流の『オン=ガエーシ』で幻想殺しの少年相手に本気で一肌脱ぐ決意を固めた神裂かんざき火織かおり。常に露出度の最前線で戦いける女である事よ」
「やかましいこのド素人が!!」
「ッ!?」
「さっきっからだまって聞いてりゃベラベラと!! そもそもテメェがあの子に『首輪』なんて変な術式を組み込まなけりゃ変な所で借りを作ってその恩を返す事もできず土御門つちみかどにからかわれたりもしなかったのに!!」
「かっ、神裂? 神裂さーん……? あの、ええと、先ほどから口調がおかし―――」
「言葉遣いに関してテメェにゴチャゴチャ言われる筋合いはねえこのクソ野郎!!」
「ッ!? いっ、今ちょっと聞き捨てならない事を言われしような……よっ、ようししかりけるわよ。コラ神裂!! 仮にもイギリス清教のトップに向かいてその口ぶりはいかがなものなりしなの!?」
「黙れド素人が……。私は決めたんです。海の家で土御門の変態野郎にゲラゲラと爆笑された時から、すべての元凶はこのバカ女であり、このバカ女さえいなければ恩返しとかいう話もなかったのであり、従ってもうこのバカ女を尊敬するのはやめようってなァあああああああああああああああ!!」
「ひっ、ひいいい!? すている、ステイルーっ!!」
 どんがらがっしゃーん、とランペス宮の方から、やけに軽快な破壊音はかいおんや楽しげな悲鳴が飛んでくる。
 礼儀れいぎ作法で言えば間違いなく赤点と評されるし、身分や階級というものを考えればまずありえない会話の応酬おうしゆうだった。そもそもランペス宮という秘中の秘とも呼ばれる聖域から、魔術師まじゆつし同士の会話が表まで聞こえているという事自体がすでに問題でもある。現に、近くを歩いている子供連れの主婦は彼女たちの声に最初おどろき、それからくすくすと笑って通り過ぎている。
 何もかもが不可解。
 だが、そこには笑顔しかなかった。
 年齢による差異、力による上下関係、信仰による威光と威厳、それら全ては取り外され、ただただ平等な世界が広がっていた。
 多数の護衛に守られ、黒塗りの高級車の後部座席に腰を沈めていたローマ教皇は、その光景を呆然ぼうぜんと眺めていたものだ。
 とても聖ジョージ大聖堂で世界を動かす会合を軽々とこなしていた女性とは思えない。しかしそれでいて、十字教としての教義から圧倒的に外れているとも思えない。そう、あらゆる信徒を見守る父は確かにこう言った。隣人りんじんを愛せと、人類は皆兄弟であり、主の前において全ては平等であるのだと。それは、まさしくこういう事ではないのか。
 年齢や地位を重ねるごとに難しくなる事柄。
 ただ目上の者が乎等に接してやるのではない。ただ目下の者が相手を怒らせないように振る舞っているのでもない。ローラ=スチュアートはどんな相手ともケンカをし、悪態をつき、暴れ、時には少し涙声になる。しかし最後にあるのは笑い声だ。
 そんな昼下がりの些細ささい喧騒けんそうが、ローマ数皇にはとてもうらやましく感じられた。
 あれがイギリス清教の最大主教ア-クビシヨツプ
 一〇年前でも二〇年前でも……ローマ教皇が初めてイギリスの地を訪間したその時から、年齢不詳のあの女は、ずっとそんな風に笑っていたように、思う。
 皆の中で、皆と共に。

 そんな感慨かんがいにふけっていたローマ教皇は、現在イタリアの首都・ローマの市街地を歩いている。
 バチカンをはなれ、聖ゴスティーノ教会で軽く講演を終えた帰りだった。バチカンまでの道のりはおよそ一・五キロ。教皇は、ローマ市内で活動した折は、送迎車を便わずに徒歩で移動する事を心がけていた。それば単純に健康面の都合でもあるし、ローマ市内の空気を好んでいるからでもあるし、何よりせいの者と少しでも多くの接点を作っておきたかったからだ。
 今もすれ違う観光客はギョッと身を固めてカメラを構える事も忘れ、建物の窓には信心深い中年の女性が祈りをささげている。
 しかし、
「……好ましい状況とは言えませんね」
 かたわらにいた書記の男がボソリと、ローマ教皇の耳にだけ入る声で告げた。書記という肩書きはあるが、実質的には武闘派ぶとうはの護衛官だ。肩書きを変える事で、『武力を持つ者の入れない場所』でもローマ教皇のそばにいる権利を得ている訳である。
 書記は続ける。
「やはり、徒歩での移動はリスクが高すぎます。今も周辺に複数の護衛を配置していますが、これも万全とは言えないでしょう。移動には術的防護をほどこした車両団を編成するぺきです」
「分かっている」
「『十字教は皆に平等である』という宣伝ならば、ほかにも効率の良い方法はいくらでもあるでしょう。適切な寄付を行ったのち、児童養護施設や医療いりよう施設を訪間する方が好感度の調整には……」
「分かっていると言っている」
 気分をこわされたローマ教皇は、やや語気を強くして、もう一度り返した。
 書記は黙る。
 ローマ教皇は重たい息をいた。いくら平等を求めても、それが成功しているとは思えない。こちらを見る通行人や観光客は、おどろきや尊敬の眼差まなざしを向けてくるだけ。かつて見たローラ=スチュアートのような、『輪の中』へ入っている感じが全くしない。
 と、狭い路地から薄汚うすよごれたボールが転がってきた。
 直径は三〇センチほど。子供向けに作られた、ビニールのようなゴムのような、テカテカした素材の安っぽいボールだった。
 ローマ教皇は思わず身をかがめてボールを取ろうとしたが、書記の手がそれをさえぎった。ローマ教皇の身動きが止まった時、路地からボールを追って子供が飛び出してきた。この辺りでは珍しい、ストリートチルドレンなのだろう。泥だらけのボールよりも汚れた服を着た、一〇歳ぐらいの女の子だ。
 今度こそ、ローマ教皇は書記の手を振り払って、ボールを取ってやろうとする。
 しかしその前に、鋭い声が遮った。
「やめて」
 見ると、声の主は当の女の子だ。
「そんな大層な服を汚したら、どんな目にうか分からないから」
 その冷たいひびきに、ローマ教皇は雷撃らいげきでも浴びたように動きを止めた。その間の女の子はボールを拾うと、まるで暴漢にでも警戒するようにジリジリと距離きよりを取って、元来た狭い路地へと逃げ帰っていった。
「……、」
 呆然ぼうぜんとするしかなかった。
 隣人りんじんを愛せ、人類は皆兄弟であり、主の前においてすべては平等である。
 その言葉を思い浮かべ、ローマ教皇は深く深く、奥歯をめる。
「問題だな……」
 思わずポツリとつぶやくと、かたわらにいた書記はすぐにうなずいた。
「ええ、仮にも二〇億人もの信徒を一手に束ねるローマ教皇様に対して、あのぶしつけな言葉遺い。断じて、あってはならない事です。ましてイタリアと言えば総本山だと言うのに……。信徒を名乗るのなら、最低限の質ぐらいは維持して欲しいものですね」
「……、」
 まったくもって何も分かっていない書記の言葉に、ローマ教皇はさらにため息をく。
 一体、いつからこんな風になってしまったのか。
 もはや、たいの知れない距離感に寒気を覚えるしかなかった。

第一章 平穏から破滅へ続く道筋 Battle_of_Collapse.

     1

 本日の四時間目はとある事情で異様に長引いた。
 平凡な高校生・上条かみじよう 当麻とうまを含むクラスの面子メンツが購買や食堂へ走った時には、すでに後の祭り。完壁かんぺきに出遅れたために購買のバンはすべて消滅し、食堂の席も埋め尽くされ、昼休みが終わるまで空く様子もない。トドメに食券販売機は、真夜中の煙草タバコの自販機みたいに軒並み売り切れランプが点灯中。なんという不幸。この状況も上条当麻が歴史教師に放った一言『へー。じゃあもしも織田おだ信長のぶながが織田幕府を作っていたら日本はどうなってたんですか?」によって全てが脱線してしまったせいである。
 責任を感じた上条が職員室へ直訴におもむき、ヘルシーざるそばセット五八〇円を頬張ほおばっていたもえ先生に『何なら調理実習室を開放してください! 上条定食を開きますから!! 余り物の冷たいご飯と粉チーズとケチャップであら不思議!!」と懇願こんがんするも、先生は苦笑するばかりで応じてくれず。おまけにすぐ近くでウニとイクラのゴージャス海鮮丼かいせんどんをガッツリ食べている数学教師・親船おやふね素甘すあまや、もはやご飯とはあんまり関係なさそうな肉まんを多数消費している体育教師・黄泉川よみかわ愛穂あいほのせいで、職員室は無駄むだ美味おいしそうなにおいだけが充満し、上条は自分を見
失う前に職員室から逃げ帰る事になったのだ。
「の、残された道はジュースの自販機か……。しかしそれで午後の授業に耐えられるのか……」
 食糧難にあえぐのは上条当麻を始め青髪ピアスや土御門つちみかど元春もとはる、この日に限って弁当を作り忘れた姫神ひめがみ秋沙あいさや通販の健康食品が品切れ中の吹寄ふきよせ制理せいりなどを含めた食堂&購買組、男女合わせて二一名。
 ここぞとばかりに弁当組がものすごく美味しそうに小さなハンバーグやシューマイなどをもったいぶって頬張る中、彼ら空腹同盟はついに決意する。

「脱走だ!! 脱走してコンビニへ行くんだ!!」

 一体だれが叫んだのか。
 気がつけば食堂&購買組の男女が円陣を組んで作戦会議を実行する。
 こういう時、やはり力を発揮するのは吹寄制理だ。
「全員が一斉いつせいに学校の外に出れば、流石さすがに先生たちに気づかれるわ。実働部隊は三、四人に的を絞って、彼らに全員分のお金を渡してまとめ買いしてもらう方が成功率は高いのよ!!」
「じゃあ。ほかの人はどうすれば?」
 首をかしげる姫神ひめがみに、上条かみじようは手を挙げて言う。
「情報をゲットしたり陽動してもらったりと、バックアップにてつしてもらうって事だろ。とにかくこの作戦は先生に見つからないようにしないといけない。だからお前たちの協力が必要なんだ。ケータイはつなぎっ放しにしておけ。情報は最新のものでなければ意味がない」
「よし、どこから脱走するかだけどにゃー」
 土御門つちみかどはいらなくなったプリントの裏に、詳細な校内見取り図を描き上げると、
「これが不審者対策の警報関係の位置。こっちの赤外線センサーは夜間だけだから気にしなくて良い。……で、職員室の位置関係を考えると、正面から出ていけばフェンス周辺で即バレする。窓から校庭全体が丸見えだからにゃー。やっぱり基本は裏口からだぜい。ただ、購買のおじさんなども出入りするから、そことぶつかるとすごく厄介やつかいだにゃー」
「なるほど……ポイントは裏口を通るタイミングね。よし、じゃあ役割分担決めちゃうわよ!!」
 吹寄ふきよせの指示で二一人の反逆者達がいくつかのグループに分けられる。上条当麻とうま、青髪ピアス、土御門元春もとはる、吹寄制理せいりの四人が実際に脱走する実働部隊だ。どうやらいつものバカさわぎっぶりによって、機敏さを評価されたらしい。
「……でも上条って不幸だけど昼飯任せて大丈夫だいじようぶなのか?」
「……大丈夫。あいつにはオトリという重要な役割がある」
 ボソボソ言うクラスメイト達に上条はゲンコツを振り上げてだまらせる。
 彼ら全員は円陣を組んだまま携帯電話を取り出し、複数の回線を同時に繋げられるトランシーバーモードに設定し、さらにデジタル時計を秒単位で合わせると、

「―――行くわよ。作 戦 開 始ミツシヨンスタート!!」

 パンパン! と吹寄が両手を二回たたくと、食堂&購買組が蜘蛛くもの子を散らすようにバラバラに分かれていく。
 上条、青髪ピアス、土御門、吹寄の四人は急ぎつつも、『廊下を走っているのをとがめられる』というイージーミスを防ぐため、『早歩きに見えなくもない動作』で廊下を突き進む。
「この作戦は時間が勝負よ」
 数人の教師を笑顔でやり過ごしつつ、上条のとなりを早歩きする吹寄はそう言った。
「お昼のコンビニと言えば圧倒的なかせぎ時。せっかく外に出られたとしても、コンビニの棚からお弁当が消えていれば元も子もないわ!!」
 ばこへは行かない。革靴ローフア上履うわばきが入れ替わっている事を発見されれば、外出しているのがバレてしまう。靴がないのに校庭で遊んでもいない……というのは割と致命的なのだ。
 なので、一旦いつたん別れて別行動していた仲間たちから体育用の運動靴をゲットすると、代わりに上履うわばきを預ける。校舎から体育館へ繋がる『外にある通路』まで行くと、運動靴をいて一気に外へ。後はだれかにとがめられる前にそのまま校舎の裏へ走る。
 金属製のフェンスが見えた。
 辺りには誰もいない。ネックとなっていた購買のおじさんも見当たらない。
「ようし! このまま一気に脱走するぞ!!」
 上条かみじようは勢い込んでフェンスを乗り越えようとする。
 その時だった。

 ブッブー、というけたたましいクラクションの音。
 振り返れば、そちらには今ファミレスで外食してきた所ですと言わんばかりの災誤先生ゴリラが。

 生活指導が乗っているのはファミリー用の4ドアだが、あれは人間様のために作られたものであって、無差別級のゴリラが乗ると公衆電話みたいに窮屈きゆうくつに見える。
「チッ!! 教職員の車両用出入りにも裏口が使われる可能性を考慮こうりよすべきだったわ!!」
 吹寄ふきよせが己の失策に後悔するが、上条が感じたのはそれとは別だ。
 彼はただ思った事をそのまま叫ぶ。
「卑怯だーっ!! よりにもよって外食かよ!? あの生活指導の筋肉猛獣もうじゆう、俺達にはあんなキャパ不足の食堂で骨肉の争いをさせておいて、自分だけくつろぎ空間満喫まんきつ済みーっ!!」
「ば、馬鹿ばかカミやん。相手にすんな! ここで捕まったらみんなのお昼はどうなるんや!!」
 青髪ピアスの叫びで上条はハッとする。
 車を降りて、猛スピードで迫り来るゴリラ教師・災誤さいご先生から逃れるため、上条は金属のフェンスを乗り越えて外へ。吹寄は形勢の不利を感じていち早く別ルートへ逃走を開始し、土御門つちみかどは捕まりそうになった所で青髪ビアスをフェンスからり落としてミサイル回避かいひ用のフレアにささげた。
 尊い犠牲ぎせい無駄むだにしないため、上条と土御門は敷地しきちがいの道路を全力疾走しつそうする。
 土御門は走りながら、後ろを振り返ってギョッとした。
「おのれあのゴリラ教師、青髪ピアスをめ落としてこっちに走ってきたにゃーっ!?」
「マジでか!? 土御門、とにかく二手に分かれよう! ここで全減する訳にはいかんのだよ!!」
 上条と土御門はうなずき合うと、生き残る可能性を高めるために、十字路をそれぞれ左右へ突き進む。

     2

 天草式あまくさしき 十字じゆうじ凄教せいきように所属している少女・五和いつわ上条かみじようの高校の近くにいた。
 ふわふわした羊みたいなトレーナーの上からピンク色のタンクトップを着ていて、下は濃い色のパンツ……なのだが、パンツは巻きつくような切り込みが入っていて、布地がめくれないように透明なビニール素材を合わせてある、脚の肌色が大胆にのぞくように作られた学園都市最新のデザインだ。住民の八割が学生という稀有けうなこの街の中でも溶け込めるよう細心の注意を払った衣服の選び方だった。ビジネス街ならスーツだし、繁華はんかがいならミニスカート。これは五和だけでなく、天草式全体のセンスだった。
 五和が学園都市にいるのには理由がある。
 今から二日前、イギリス清教と学園都市の上層部へ、それぞれ同じ書面の手紙が届いていた。差出人はローマ正教最暗部『神の右席』の一人、後方のアックア。その内容は、これより上条当麻とうまの粉砕におもむく。止める気であれば全力で臨むようにされたし……という、一種の果たし状だった。
 もちろん偽物にせものという可能性もある。
 しかしイギリス清教に送られた手紙には、学園都市に送られたものとは違って、信憑しんぴようせいを補足するために、とある別の物品も送付されていた。

 すなわち、左方のテッラの遺体。

『それ』は最高級のビロードに優しく包まれた上で、ほのかに木の香りの漂うきりの箱に詰められて郵送されてきた。まるで宝石箱のように豪奢ごうしやな飾りに込められたのは、敵対者に向けた嘲弄ちようろうか、あるいは敬意の表れか。
 腰の辺りで寸断された上半身は、確かに『神の右席』の一員だった。
 テッラと直接戦闘せんとうした五和は遺体の確認のために聖ジョージ大聖堂に呼び出され……そしてそこで困惑する。
 原因は二つ。
 一つ目は、テッラは学園都市製の兵器によって、アビニョンで焼き尽くされたはずだが、遺体の死因は明らかに腰の切断面にある。
 二つ目は、その学園都市製の兵器すらしのいでいたテッラを、こうも軽々と処刑してしまった『後方のアックア』の実力について。
 一撃いちげき必殺。
 切断された傷口が語るのは、ただその一言。
 左方のテッラのカを、じかに戦った五和いつわは知っている。彼女たちをさんざんに苦しめ、学園都市が放った大部隊さえも正面突破した『神の右席』左方のテッラの最期さいごは―――体を強引に引き千切ちぎられる、という凄惨せいさんきわまりないものだった。
 さらに、疑間もある。
 これまでの『神の右席』に見られたからの戦術を使わず、何故なぜ古風な果たし状を出したのか。
 その果たし状の材料として使われた左方のテッラは、何故アックアの手で殺されたのか。
 あまりにもストレートすぎる後方のアックアのやり方は様々な憶測おくそくを呼び、イギリス清教と学園都市はわなの可能性も勘繰かんぐったが、しかしアックアの真意はつかめずじまいだ。ともあれ上条かみじよう当麻とうまねらってやってくるというのなら、ここでたたいておくのが最良だと判断したらしい。イギリス清教側から、天草式あまくさしき 十字じゆうじ凄教せいきようが派遣される事になった。
 学園都市内部における、魔術まじゆつの集団行動は、本来なら禁じられている。
 魔術サイドと科学サイドのラインを割る行為だと定義づけられているからだ。
 しかし今回、例外的にその協定は破られた。
 五和に詳細は分からないが、おそらくイギリス清教の最大主教アークビシヨツプと学園都市のトップの間で、何らかのやり取りがあったのだろう。
 イギリス清教としては、天草式という独立した傘下さんかの小組織なら都合が悪くなった際にトカゲの尻尾しつぽ切りするにはちょうど良いと考えたのかもしれないし、あるいは元々日本国内で活動していた事から、地の利にすぐれていると判断された可能性もある。
 ともあれ、本来いるべきではない五和は、現在この学園都市にいる。
 それは世界が『学園都市・イギリス清教』組と『ローマ正教・ロシア成教』組に分かれ始めているからでもあるし……何より、後方のアックアというあまりにも巨大な爆弾は、ルールを守るだけで倒せる相手ではないからでもある。
 逆に言えば、『科学と魔術のラインを割る事が生むであろう世界的混乱』よりも、『アックア一人が攻め込んでくる』方が脅威きよういだと、学園都市とイギリス清教の双方から受け止められた、という訳だ。後方のアックアとは、そのレベルに達する強敵なのだ。
「……、」
 そういう事情があり、上条の護衛役として、五和の参戦も決定した。
 と同時に、早急に上条と接触しなければならないものの、そこそこ常識と良識を持っている五和は、流石さすがに授業中の学校へ乗り込むような真似まねはしなかった。今は上条のクラスが良く見える位置で待機し、放課後になってから実行する予定だった。
(……頑張らないと)
 むん、と小さな拳に力をこめて、ひそかにやる気な五和。
 実は数日前のC文書の件では、力量不足のために最後まで上条を守り抜く事ができなかったのだ。その事実を払拭ふつしよくするたためにも、今回こそプロの魔術師として民間人・上条当麻にば指一本触れさせない覚悟を決めたりしていた。
 彼女は肩にげたバッグと、その中に分解しておさめた海軍用船上槍フリウリスピアの重さを確か吻つつ、(あの人は前方のヴェント、左方のテッラと、すでに二人もの『神の右席』を撃退げきたいしているという話ですけど。でも、私にもできる事はあるはず。だから頑張らないと)
 と、その時。
 五和いつわの目の前を、見知った人物が勢い良く横切っていった。
 くだん上条かみじよう 当麻とうまだ。
「え?」
 どうして? と五和は首をひねって、時間を確認する。どう考えても、まだ下校時間ではない。しかも街を走る上条は尋常ではない表情だった。まるで何かに追われているようだった。
 何かあったのかもしれない。
 わずかに緊張きんちようする五和の目に、

 何やらゴリラのような怪人が上条を追って五和の前を横切るのが見えた。
 なんというか、その、アクの強い洋ゲーに出てくる悪党ポリゴンみたいな顔の怪人だった。

 五和は上条の事を考え、洋ゲーの顔を思い浮かべ、もう一度上条の逃げ足を確認する。
 あんなのゴリラがまともな一般人であるはずがない。
 百戦錬磨れんま猛者もさ・上条当麻の表情は恐怖でいっぱいだった。
 もぎ取られる、と顔に書いてあるように見えた。
 やがて、彼女はこう判断した。
 九月三〇日の報告書によると、どうやら後方のアックアは男性であるらしい。
(―――さっそく現れたッッッ!!)
 五和は迅速じんそくやりを組み立てると、そのまま一気に洋ゲーへ突撃していく。

     3

 健康上の都合により、生活指導の災誤さいご先生は早退されました。
「……うはあ」
 放課後、何とかお昼ご飯大作戦をコンプリートした上条はちょっと重たい息をくと、下駄げたばこ下履したばき用のバッシュに履き替えて校門を出た。と、そこには今も顔を真っ青にしている五和がたたずんでいる。
 昼休みに何故なぜか突然現れ、鬼の形相で生活指導へ強烈なタックルをぶちかました五和(槍つき)だったが、何やら彼女なりの早とちりだったらしく、『あれ、後方のアックアじゃ、ない? ええ、学校の先生!? こっ、この顔で教師なんですか!?』とあたふたしていた。
 何で五和いつわが学園都市にやってきているのか、その辺も含めて色々話をしなくてはまずそうだったのだが、五和は目を回しているゴリラ教師を介抱するため、災誤さいご先生の巨体をかついで病院へ高速移動してしまった。
 そうして現在に至る。
「わ、私ったら……役立たずにもほどがあります……」
 どーん、と病院から戻ってきた五和は真っ暗に落ち込んでいる。
 上条かみじようとしては、あのゴリラ教師に捕まったら最後、ウルトラ破壊はかいりよくを誇る古武術の投げ技でアスファルトへたたきつけられて汗臭あせくさい寝技のコンボに持ち込まれたに決まっているので、役に立ったか立たなかったかで言えば断然役に立ったのだが、どうも五和の落ち込みポイントはそこではないらしい。
(……一般人を傷つけたかつけなかったか、という所も……あれだよなぁ。落石注意ゾーンでおそいかかる岩盤を両手で受け止めた伝説を持つゴリラが一般なのかどうかはすごく疑問な所だ)
 ともあれ上条は、魔術まじゆつサイドの住人である五和が、何で科学サイドの本拠地・学園都市にいるのかを聞いてみる事にする。
「……後方のアックア、という名前は覚えているでしょうか?」
 恐る恐る、という感じで五和はそう言った。
 上条のまゆが不審げに動く。
「確か、『神の右席』の一人……だよな。九月三〇日に会った事はあるけど」
 そう、学園都市で前方のヴェントを倒した際、そこへ横槍よこやりを入れたのが後方のアックアだ。
『神の右席』の一員でありながら、同時に『聖人』としての資質をも兼ね備えているという人物。具体的な戦闘せんとう能力は想像もつかないが、これまでの敵とは格が違う事ぐらいは分かる。
 どこに向かうでもなく何となく繁華はんかがいの方へ足を向けながら、上条は話しかける。
「その、アックアがどうしたって言うんだ? まさか、またどっかの外国の街で、妙な事を始めようとしているのか」
「い、いえ、そうではなくて……」
 五和はものすごく言いづらそうに、何度か頭の中で言葉を考えるようにして、やがて言った。
「後方のアックアのねらいは、あなたにあるようなんです」
「は?」
「ええと、イギリス清教と学園都市の双方に、後方のアックアから果たし状が届いているんです。そこには、数日内に上条当麻とうまを……うーん、襲撃しゆうげきするから用心しろ、と」
 五和は困ったように、言葉の端々はしばしを途切れさせる。まるで親が子供にするように、刺激の強い部分をごまかして説明しようとしているようだった。
『神の右席』や後方のアックアに命を狙われる……という事の重大さに、いまいちピンとこない平凡な高校生、上条かみじよう当麻とうまいぶかる。
「『神の右席』、か」
 上条は少し考え、
「前方のヴェントの話だと、わざわざおれ一人を殺すためにローマ教皇に書類を作らせたり、学園都市をおそったりしていたみたいだけど。何でまた、ただの高校生一人のためにそんなバカ高い出費を覚悟で襲ってくるんだろうな」
「ひっ!? いえいえいえいえ!! それはあなたがこれまで数々の人を助けたりローマ正教暗部のたくらみを次々と阻止そししたり色々してきた訳でしてつまり何が言いたいかと言いますともうただの高校生どころの話じゃ」
 五和いつわは何か慌てて叫んだが、良く分かんないけど多分彼女は天草式あまくさしき補正で自分を眺めてくれているのだろう、と上条は適当に結論付けた。おだてられるとくすぐったいが、こっちは正 真しようしん 正 銘しようめいただの高校生である。めたって何も出ないのだ。
「しっかし、前方、左方と来て……今度は後方のアックアか」
「今、英国図書館の方で彼の身元を洗っていますが、今の所、ほかの『神の右席』のメンバーの情報も含めて、それらしいものは何も出ていないみたいなんです」
「まあ、秘密組織の秘密メンバーだもんな」
「詳細をつかめない『神の右席』としての力はもちろん、『聖人』としての力もあるようですから。女教皇様プリエステスの協力を仰げれば良かったんですけど」
 女教皇様プリエステスと言うのは神裂かんざき火織かおりの事だ。
 彼女もまた世界で二〇人といない『聖人』の一人で、かつては本物の天使と戦って生き残った戦績を誇る。
 確かに神裂の協力があれば心強いが、色々な事情があって、今の天草式と神裂の間には溝がある。その上、ステイル辺りから聞いた話によると、聖人というのは莫大ばくだいな力を持つがゆえに、自由にあちこち動いて良い訳でもないそうだ。
「……でも、私たちにも策がない訳じゃないんです」
 五和は不安をぬぐうように言った。
「『神の右席』は魔術まじゆつサイドでは絶大な力を持つ集団で、正直、私達がまともに戦っても太刀たちちできるかどうかは保証できません。でも、前方のヴェント、左方のテッラ……これらの二人は現に退しりぞける事に成功しています。それば何故なぜか」
「ふんふん」
「詳しく分析した訳ではないので確定した情報と言いきれないのですが、双方に共通しているのは、『科学サイドから大規模な介入があった事』なんです。左方のテッラの時は駆 動 鎧パワードスーツと超音速爆撃機ばくげききが計画を変更させましたし、前方のヴェントの時は……ええと……天使のようなものが見えたとか?」
 言われてみればそんな気もする.
 魔術まじゆつサイドでは屈指のカを持つ『神の右席』を揺るがしたのは、いつでも科学サイドからのイレギュラーな反撃はんげきだった。最強の座を得た完襞かんぺきな舞台で戦うのではなく、不得手な科学サイドの舞台へ引きずり上げて戦わせる事が勝利へのかぎとなるのかもしれない。
「となると、そこらじゅう科学だらけな学園都市の中で戦う事に、大きな意味があるって訳だな」
「……わ、私は、それだけじゃないと思いますけど……」
「?」
 ごにょごにょ言う五和いつわ上条かみじようが首をかしげると、彼女は慌てて両手を振ってごまかした。
「とっ、ともかく! 後方のアックアがおそってきたとしても、私が必ず守ってみせます。私たちも表から陰から全部ひっくるめて護衛に当たるというのがイギリス清教からの命令ですから、どうぞご心配なくっ!!」
 元気いっぱいに言われてしまった訳だが、ちょっと今のは聞き捨てならない。
 聞き間違いかとも思ったので、念のため確認してみる。
「で、五和は何しに来たの?」
「決まっています。護衛に来たんですよ」
 むん、と小さなこぶしを握り締める五和に、上条はパチパチとまばたきをした。
 もう一度尋ねてみる。
「で、五和は何しに来たの?」
「だから護衛に来たんですよ。泊まり込みで」

     4

 天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきよう 教皇代理・建宮たてみや斎字さいじは物陰に隠れたまま、双眼鏡から目をはなした。
 彼らがいるのは小さな映画館のすぐそばだ。近くには細い横道があり、さらに横道の入口を視界からさえぎるように、宝くじの売店が設置されている。人混みの中にあるのに人の目に入りにくい、奇妙なポイントだった。
 双眼鏡片手に渋い顔で目を細めたまま、建宮は静かに語る。
「……つまらんのよ」
 その言葉に、彼のとなりで雑誌を読んでいるふりをしている大男、牛深うしぶかうなずいた。
「五和の野郎……さっきから業務運絡ばかりで、ちっともアタックしませんね」
「まったくよな。せっかく上条当麻とうまにゼロ距離きより攻撃できるチャンスを与えてやったというのに、アビールを開始しないどころか、あいつ、自分の武器にも気づいていないと見えるのよ」
「なんすか五和の武器って?」
 ポップコーンをもりもり食ぺている小柄な少年、香焼こうやぎが尋ねると、建宮はかたわらに置いたバッグをゴソゴソとあさり、まるでクイズ番組の解答者みたいなフリップボードを取り出して、黒のマジックをキュキュキューッと走らせる。
 彼は正解の書かれたフリップボードをドン!! と提示すると、
「―――そう、それは『五和いつわ隠れ巨乳説』ッッッ!!」
 クワァ!! と建宮たてみやが両目を見開いて宣言すると、牛深うしぶか香焼こうやぎだけではなく、周囲にまんべんなく展開していた初老の諫早いさはやや既婚者のざきといった男衆までもが、ガタガタッ!! と建宮に食いついてくる。
「そっ、その仮説には根拠があるんすか教皇代理!?」
「そんな事を言って……また競馬の予想みたいに遭当な事を言ったら承知せんぞ貴様!!」
 鼻息荒げる男衆に、建宮はさらにフリップボードへ黒マジックを走らせ、
「以前このおれが実行した五和マッサージ大作戦で得た調査結果によると、彼女の肩こり指数は四〇。しかし五和の筋力や運動量を考慮こうりよした上で、彼女の衣服・装備・持ち物の総量を足して計算しても、本来ならば肩こり指数は最大でも三七でなければおかしいのよ」
「それはつまり……」
ゴクリと息をむ一同。
 建宮はおごそかにうなずくと、腹の底から力をめて、声高に宣言する。
「そう。この肩こり指数の差『三』こそが、五和隠れ巨乳説を証明しているのよッ!!」
 ドバーン!! と驚愕きようがくの事実が書き加えられたフリップボードを突きつけられて腰を抜かす牛深・香焼。初老の諫旱が孫の成長を喜ぶように小さくガッツポーズを取る一方で、野母崎は乳は小さい方が良かったのか、肩を落として悔しがっている。
 そんな中、少しはなれた所に立っていたふわふわ金髪の女性、対馬つしま馬鹿ばかにしたような息を吐いた。
「……くだらない事言ってないで、護衛対象のマークに集中しなさいよ」
 すると、水を差された建宮たち男衆は、長身に反比例して胸は控え目な対馬の体を、頭の上から爪先つまさきの下までじっくり眺ぬた後に、
「対馬先輩って、どっちつかずで需要が少なそうすよね」
「なっ!?」
如何いかにも、せめて胸はデカくて背も高いか、胸は小さくて背も低いか、だったら良かったものを。対馬はキャラ付けが固定されておらん。それで一体どうしろと言うのだ」
 口をパクパクさせている対馬の横で、建宮は新しいフリップボードを取り出し、黒マジックを走らせると、
「チッチッ。お前さん達にはこれが分からんのよ。―――『対馬脚線美説』!!」
 何か得体えたいの知れない事を説明しかけた教皇代理の股間こかんり上げてだまらせる対馬。
 男衆は対馬にあんまり興味がないのか、そちらを放っておいて五和に注目する。
「でも、このままでいいんすか? 五和いつわの野郎、まだおしぼり作戦続けるみたいすよ」
「確かに五和は奥手すぎる。これではらちが明かんな……」
 歯噛はがみする初老の諫早いさはや。そこへ妙に涙目の建宮たてみやが、再び会話の主導権をもぎ取った。
「そう、五和特大オレンジ説を最大限に発揮するためには、このままではいかんのよ」
「え…-特大オレンジですか!? せいぜいリンゴぐらいだと思っていたのに!!」
 あわわとうろたえる牛深うしぶかをよそに、香焼こうやぎは疑わしそうに尋ねる。
「でも教皇代理。これって外野がわーわ言ってどうにかなる問題なんすか? 五和の奥手っぶりは筋金入りすよ」
「ふっ。だからこそ秘策を用意したってのよ」
 ニヤリと笑いながら、建宮が素敵なバッグから取り出したのは、
「サッカーボール?」
「このフィールドの狙撃そげきしゆ・建宮斎字さいじがフリーキック大作戦を提案するのよな」

     5

 御坂みさか美琴みことの頭はモヤモヤしたものでいっぱいだった。
 上条かみじよう当麻とうまに関する『ある事柄』を知って以来、ずっとこうだった。どれだけ考えても解決しない。時間がっても解決しない。まるで答えのない間題を解けと言われたように、いつまでもいつまでも思考は空転を続けるばかりだった。
(やっぱり、あれはうそなんかじゃない)
 ある事柄。
 すなわち―――記憶きおく喪失そうしつ
 たった数文字の単語に、美琴の心は大きく揺らぐ。
(でも、一体いつから……?)
 九月三〇日に携帯電話のペア契約をした時は、違和感はなかった。だい覇星はせいさいの時も目に見える変化はなかったと思う。八月三一日はどうだっただろうか。そして、妹達シスターズ一方通行アクセラレータかかわったあの時は?
「……、」
 練引きができない。
 こうして考えてみると、あの少年は身近な場所にいるように見えて、実は良く分からない所がかなり多かった。
(私が悩んだ所で仕方のない問題だってのは、分かってる……)
 それはいつからおちいっている事なのか。どの程度の記憶を失っているのか。生活に支障はないのか。きちんと医師に看てもらっているのか。治る見込みは本当にないのか。
 そして。
 自分との思い出は、どこからどこまで消えているのか。
(知り合いの精神系能力者に相談するって選択肢もあるんだけど)
 常磐ときわだい中学には、美琴みことほかにもう一人、第五位の超能力者レベル5がいる.精神系では学園都市最高―――つまり史上最強の『心理掌握メンタルアウト』。記憶きおくの読心・人格の洗脳・はなれた相手との念話・おもいいの消去・意志の増幅・思考の再現・感情の移植……ありとあらゆる精神的現象を一手にこなす、十徳じつとくナイフのような超能力者レベル5が。
「でもあいつは苦手なのよねえ……」
 思わず考えていた事を口に出してしまった。
 それぐらい美琴は『あの』超能力者レベル5が苦手だという事だ。
 何しろ特定の組織、集団、派閥に属さない美琴と違い、常盤台中学最大派閥の女王サマとして君臨している、という時点で馬が合わない。こんな事で相談すれば間連いなく『借り』となってしまうだろうし……最悪、治療ちりようと称してあの馬鹿ばかの精神にいらない細工をされる危険もある。ていに言えば、知り合いの体を任せられるほど信頼しんらいできないのだ。
 そっちの案は考えるぺきではない。
 美琴はもう一人の超能力者レベル5の存在を、とりあえず頭から追い払う。
(これはあの馬鹿自身の問題だってのも、分かってる。でも、だからって何も思わないなんて事はできない。私はそこまで、何でもかんでも割り切れる人間じゃない)
 何故なぜ相談してくれなかったのか。気づかないふりをしておいた方が良いのか。その辺りも含めて、もうみするしかない。何しろ、当の上条かみじよう当麻とうま本人は美琴がこの事実に気づいている事を知らないみたいだし、そうであって欲しいとも考えているらしいのだ。下手へたに問い詰めて強引に相談に乗る……という方法も、この場合では相手を傷つけるだけの可能性もある。
 どうすれば良いのか。
 どうにかできるような問題なのか。
(だぁーっ!! くそ、そもそも何で私があの馬鹿の事でこんなに頭を悩ませなくちゃならないのよ! なんか下手にあせって頭が回らなくなってるし、そのせいで余計に焦りまくってるし。
一度全部リフレッシュして考え直した方が良いのかしら)
 とはいえ、そう簡単に思考を切り替えられれば苦労はしない。
 そんな感じで、美琴が重たい息をいた時だった。
「……?」
 ふと街の片隅にある小さな映画館の近くで、こそこそ動いている人影を発見した。
 クワガタみたいに光沢のある黒髪の大男はアスファルトの地面にサッカーボールを置き、かたわらの数人とうなずき合って、二歩、三歩と短い助走をつけると、そのまま思い切りフリーキックを放つ。
 ポーン、と大きくり飛ばされたサッカーボールはギュルギュルと横回転しており、そのスピンによって鋭い弧を描いた。公式試合なら、DFの壁をけた後、真横からゴールへ突き刺さりそうな勢いだ。
 街中で何をやっているんだ? と美琴みことは自然とサッカーボールの行き先に目をやって、
 そこでギョッと身を固めた。

 バゴン!! という良い音と共に、上条かみじよう当麻とうまの側頭部にボールが激突する。
 しかもその勢いに押され、上条の頭がとなりを歩いていた少女の胸の谷間へと突っ込んだ。

 結構な威力だったらしく、上条は少女の胸にめり込んだまま気を失っている。少女の方はどう対応して良いのか困っているようで、顔を真っ赤にしながら、とりあえずボールの当たった辺りを小さなてのひらでたりしていた。その仕草が、どうにも上条の頭をギュッと受け入れているように見えてしまうのは錯覚さつかくか。
 あまりの事態に口をパクパクと開閉させる美琴の耳に、いえーい、という声が聞こえる。そちらに目をやると、道端みちばたでいきなりフリーキックを始めたクワガタや若者たちが喜び合ってハイタッチしている。
 バチバチ、という火花の散る音が聞こえた。

 それが、自分の出している高圧電流の音だと気づく前に、美琴みことが爆発した。
「人が色々抱えて困ってるってのに……変なモンを追加でゴロゴロ押し付けてんじゃないわよアンタらーっ!!」
 前髪から雷撃らいげきやりをズバンズバン!! と連続で射出すると、それに気づいたクワガタたちは四方八方へ散らばって、あっという間に消えてしまった。カメレオンみたいに入混みの中にまぎれ、どちらを見回しても一人も発見できない。
 ??? と美琴は首をかしげる。
 しかし、標的を見失ったからと言って、それで美琴の怒りが収まる訳ではない。
 何より、すべての元凶たるツンツン頭の少年は、なんだかんだでいまだに少女の胸にめり込みっ放しだ。しかも『うっ、ううん……』とか何とか言いながら、寝ぽけて少女のふくらみをわしづかみだ。
「あの馬鹿……いつまで母性のかたまりに甘えているのよーっ!!」
 美琴は叫び、直接裁きを下すべく上条かみじようの元へと突っ走る。

     6

 さんざんな一日だった。
 上条当麻とうまは重たい息をく。道端みちばたで唐突におそってきたフリーキック、さらに追い討ちをかけるようにやってきた美琴の電撃。護衛としての任務をまっとうするとして槍を組み立て始めた五和いつわめにし、何故か五和と密着した事に腹を立てた美琴から逃げるために学園都市中を走り回った。これだけ運動すればメタボリックな心配をする必要はないだろうというぐらいの走行距離きよりだ。
 そして上条当麻の前には、さらに新たな間題が立ちふさがる。
 そう、ここからが本番なのだ。
「……で、とうま。何で天草式あまくさしきのいつわが隣にいるの?」
 本日最大のデンジャラスチェックポイント。
 学生りようのドアを開けるなり、インデックスが放った一言に上条の全身から脂汗が出る。み付き準備完了いつでも行けますとばかりにうっすらと歯がのぞいているのがすごく怖い。
 ちなみにいつもインデックスと一緒いつしよにいるねこは、五和の周りをぐるぐる回って、「だれこの人。だれー?」と鼻をひくつかせてにおいをいでいる。
 上条は噴き出る汗をきながら。
「い、いや。それは、ええとですね、なんて説明したら良いのかなー……?」
 と、彼の隣にいた五和がキョトンとした顔で、
「つまりですね、『神の右席』の―――」
「でぇやあ!!」
 上条かみじようは突然大きな声を出すと、五和いつわの首筋にチョップ。ビクゥ!! と言葉を詰まらせた彼女の後ろから上条は腕を伸ばして首に巻きつかせると、インデックスから急速にはなれて内緒ないしよ ばなしを実行。
「(……いっつーわサン!! あのええとインデックスにはだまっておいてはいただけないでしょうか!?)」
「わっわっ」
「(……アックアのねらいはどうやらおれだけみたいだし、インデックスに矛先が向かないならそれは良い事だと思うんだっ! だから余計な事を言ってインデックスを変な所へ近づけさせるのはやめようそうしよう、ねっねっ!?)」
「わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわっ!?」
「(……五和、人の話聞いている?)」
「きっ、聞いていますですよ!! ばばばばばっバッチリでぇす!!」
 何故なぜか顔が真っ赤になったまま首をブンブンと縦に振りまくる五和。
 苦しかったかな? と上条は五和の肩から首にかけて回していた腕を取ったのだが、するとどことなく残念そうな表情になるのがなぞである。
 と、
「……、」
 いつの間にかインデックスが完全無感情。大きく爆発する事すらなく『……いいもん』と口の中でつぶやき、ごろんと向きを変えてテレビの方へ顔を向けてしまったのが本気で気まずい。あ
れはマジだ。『もうっばかばか、とうまのばか!!」レベルではない。時折、クラスメイトの姫神ひめがみがまとっているどんよりしたオーラみたいなのが見える。何故こうなった。というかインデ
ックスは一体何に怒っているのだ。上条は左右にガタガタとふるえた後、やがて静かに土下座どげざを決行し、インデックスの背中に向かって頭を差し出す形で、
「……その、何だか良く分かりませんが、完壁かんぺきに爆発する前に、いっそんでくれませぬか? 少しずつ怒りパワーを分散していけば、上条さんの頭蓋ずがいこつは噛み砕かれずに済むと思うのです」
 身動きのない二人に五和はオロオロとするものの、護衛を辞退しないのは使命感の表れか。
割と行き場を失った調子で視線をさまよわせると、においの確認が終わったねこと目が合った。
「そ、そうだ。猫ちゃんにはお土産みやげがあるんですよー?」
 場をなごますというよりは居心地の悪い会話の輪から逃れるように、五和は大きなバッグをゴソゴソと探った(おや? 彼女は上条宅で三毛猫を飼っている事は知らないはずなのだが……?)。『猫のお食事会・三ツ星プラチナランク』と側面に描かれた超高級な金色の缶詰を取り出すやいなや、三毛猫の全身がバキィン!! と固まった。目をまん丸に見開き、背筋を正す。バコッと開いた缶詰を五和から差し出されても、三毛猫は『ねっ、猫ですけど。こんなブルジョワっぽいものを食べても良いんですかにゃーっ!?』と何やら恐れおののいている。
 と、大好評土下座どげざ中の上条かみじようは、五和いつわのバッグの中からスーパーの袋らしきものがのぞいているのを発見する。
「……何故なぜ、五和のバッグの中に肉や野菜が? 天草式あまくさしきマル秘サンマ魔術まじゆつに使うとか?」
「いっ、いえいえ。今は断食だんじきなどの食事制限を行う必要はありませんから」
 話を振られて五和は顔の前でパタパタと手を振った。
「ついでなので近くのスーパーで食材を調達しておいたんです。その、簡単なものなら作れますから。いくら警護のためとはいえ、ただ居候いそうろうするのは気が引けますし。家事の方は任せてください。手伝える事なら何でもお手伝いしますよ」
 その瞬間しゆんかん、上条は何を言われたか理解できなかった。
 数秒の空白を用いてようやく五和の殊勝コメントの意味を解すると、今度は無言のまま首だけを動かしてインデックスを見る。
「なっ、なに、とうま。何で空気の流れが一変しているの?」
「自分の胸に聞いて御覧なさい。上条さんに全部任せきりで、今までお手伝いしてこなかったのはだれですか?」
「う、うん。それはごめんだけど。……? あ! そんな事を言って無理矢理に逆転しようとしている気じゃ……ッ!?」
 インデックスは上条のたくらみを看破しかけたが、もはや一度動いてしまった流れは変わらない。上条はいかにも自然体な感じで台所スペースへ顔を向け、『えーとおなべの場所とか教えた方が良いか?』『あ、はい。お願いします』などと言葉を交わし白い修道女を意識から外し、もう『何故なぜこんな事になっているのか』『いつもいつもどういうつもりなのか』などという一番初めにあった命題を丸ごと心のゴミ箱へ投げ捨てた。
(だって、何で五和がこんなにやる気なのかおれ自身にも分からないもん! 分からないものに説明なんてできないもん! い、いや、今はとにかく五和サンクスと言うだけだ! ふははーっ!! み付きなしでインデックスの追及を逃れるなんてこれは快挙じゃゴギュ)
 勝利の余韻よいんに浸りかけた所で、緒局イライラしたインデックスに後頭部を嗤み付かれて転げ回る上条。その拍子にゴージャスな猫の缶詰の中身が床にぶちまけられ、『もったいなーっ!! じゃあ食ぺる! 全部食ぺます!!』とねこがモグモグロを動かした。
 あははと苦笑して五和は台所スペースへ向かう。
 彼女の目にはほのぽのした光景に見えているようだが、当の本人にとっては地獄絵図である。
(それにしても)
 これもまた環境へ溶け込む事をむねとする天草式の能力か。なんだかんだでいつの間にか受け入れられていた五和のいる方へ、上条は首を動かす。
 後頭部に人間の歯形をつけ、変死体のようにうつ伏せでのびていた彼は、お鍋がぐらぐら煮える音や高温のフライパンがじゃーじゃー鳴る音を聞いて、
(……お、女の子のお料理風景だ)
 迂闊うかつにもまぶたのはしから一筋の涙が伝う所だった。
「むっ? 何でとうまは奇跡をの当たりにした子羊みたいな顔になっているの?」
 インデックスが言うが、上条かみじようはシスターさんなど放ったらかしでめぐみの光を一身に受ける。
 そして、ただ五和いつわを働かせてのんびりしているだけでは居心地も悪くなってくる。部屋の掃除でもやろうかしら、と上条は少々真剣に考えてみた。
 一方、一通り上条の頭にかじりついてストレスを発散させたインデックスは、料理のにおいにつられるようにふらふらと台所スペースへと近づいていき、
「あっ、駄目だめですよ勝手にちくわを食べちゃ!!」
「そんな事を言われた所でこの口はもう止まらないんだよ」
 さっそく空腹に負けて料理の邪魔じやまを始めたインデックスを見て、上条当麻はむくりと起き上がった。
 そして猛ダッシュするとインデックスの腰の辺りに両手を回し、高速で台所スペースから引き返す。その助走の勢いを利用し、得体えたいの知れないプロレス系の投げ技でベッドの上に、そり
ゃァァああ!! とぷん投げた。
「ヲトコの夢を妨害すんなアァああああああああああああああああああああッ!!」
「むぎょおおっ!? とっ、とうま、これは一体どういう事!?」
 目を回すインデックスが何事かを叫びねこ鬱陶うつとうしそうに距離きよりを取ったが、上条はまともに受け答えしない。
 上条は無言でインデックスの頭をつかんで、グリン!! と台所スペースへ回転させた。
「見なさいインデックス!! あれが居候いそうろうの正しいあり方だ!!」
「痛たたたたたっ!? 何で今日に限ってそんなに行動的なのとうま!?」
「冷静になれば、何でお前はいつも食べて寝てテレビを見る係なんだ!? 今日からは仕事もしてもらいます。ほらスポンジと洗剤持ってお風呂場ふろばの掃除をしなさい!!」
「えー。今から『超起動少女マジカルパワードカナミンインテグラル』のさいほーそーが始まる時間だよ?」
「良いから仕事しろオォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 なんでー? と首をかしげまくるインデックスをユニットバスに放り込む上条。五和のような真人間を見ていると、ふと心が洗われたりするものである。そう、周囲にいるのが煙草タバコくさ放火ほうかてきな神父であったり年がら年中ニャーニャー言ってる多重スパイだったりするのでインデックスが比較的『まとも』に見えていたのだが、よくよく考えてみれば常識的な少女とは五和のような人間に与えられるべき称号なのだ。
(さて。おれも真人間っぼく部屋の片づけでもしようかな)
 とか何とか考える上条だが……人のご飯を作ってあげている五和と、単に自分で散らかした部屋を自分で掃除するだけの上条かみじようでは釣り合いが取れる訳はない。でも、だからと言って何もしないよりかはマシだよな、と結局適当に持論をまとめつつ、ひとまずフローリングのあっちこっちで開きっ放しになっている雑誌を束ねてみる。
 その時だった.
「こっ、この本格的な和食のにおいは何なのかーっ!?」
 唐突に少女の叫ぴ声が上がったと思ったら、ベランダの方からメキャメキャーッ!! というプラスチックの破壊はかいおんらしきものがひびいてきた。上条がギョッとして首を回し、五和いつわがびっくりして料理の手を止めると、そちらから出現したのはメイド服を着た土御門つちみかど舞夏まいかだ。
 どうやら『火災時とか緊急きんきゆう以外は壊さないでね的に各部屋のベランダを区切っているボード』を遠慮えんりよなく破壊し、侵入してきたらしい。
「おのれェ!! 久しぶりに真人間的行動に心洗われている所へまた変人か!!」
 忌々いまいましげな上条などお構いなしに、普段ふだんは表情の変化にとぼしい舞夏は極めて真剣な顔つきでくんくんと鼻を鳴らして台所へ近づくと、
「……匂う、匂うぞー。……その味噌みそしる……隠し味に粉末状に削った乾燥ホタテを入れているなー……?」
「なっ、何故なぜそれを!? お母さんにも看破された事はないのに!!」
 美食家に指摘され驚愕きようがくする料理人五和。
 料理の基本はやっぱりお母さんなのですね! と、隠れた家庭的ワードにちょっとホロリとした上条など放っておいて、今まさに味見しようと小皿に少量の味噌汁をよそっていた五和は少し考え、そしてゆっくりとした動作でメイド服の少女へ小皿を手渡す。
 まるで茶道みたいな挙動で舞夏はそれを受け取ると、全く無音で唇をつけ、一拍の間をおいて―――クワァアア!! と勢い良く両目を見開いた。
 舞夏はわなわなと肩をふるわせながら、
「こっ、この女、できる……」
「ば、はい?」
「ぐォらァあああああ!! こ、こうしてはおれん!!」
 何やらロ調を一八〇度変えたまま、舞夏はいそいそとベランダを通って隣室りんしつへ再び戻っていった。
 開いた窓を通して兄妹の会話が飛んでくる。
『あ、あれーっ!? 何で今日のホワイトシチューを下げちゃうにゃーっ! っつかオレの晩ご飯は!?』
『外野はだまってろ!! あれだけの一品を見せられて、この程度で対抗できる訳があるかーっ! い、今に見ていろ、これからこの私が本物の味噌汁を味わわせてくれるわーっ!!』
 ええーっ!? 別に今のシチューで良いんですけどーっ!? という金髪サングラスのエージェントの嘆きを聞いて、五和いつわが不気味そうにブルッと肩をふるわせた。
「え、ええと、さっきの男性の声って、アビニョンで聞いたような……? というか、そもそもあの子は一体どうしちゃったんでしょうか」
 おれも良く分かんないけど、多分メイド候補生の理解不能な琴線きんせんに触れてライバル認定されたんだよ……と上条かみじようは言いかけたがやめた。五和はまっとうな人間であって、そうした変人的行動に償れているとは思えない。
 上条としては、心の中でこう思うしかない。
 願わくば、この少女だけは変人に染まりませんように、と。

     7

 一時はその人間関係が危ぶまれたインデックスと五和だったが、インデックスは五和が作った料理を食べてしまうとそれですべて丸く収まってしまったのか、今では床をゴロゴロしながら五和に八林目のおかわりを求めて困らせている。ねこはと言えば、五和の持ってきた丸まったおしぼりにガブリとみついて遊んでいるようだ。
(はー。まぁ、大きなトラブルにはならないようで何よりだ)
 こんなに簡単にインデックスの機嫌きげんが直ってしまうのなら、いっそ『インデックスが怒った時に投げる用』の魚肉ソーセージでも常備していようかしら、と上条は思わなくもないのだが……いや待て、お菓子を隠し持っている事に気づかれた時点でインデックスから噛みつかれるに決まっている、と思い直す。美味おいしい話というのはなかなか転がっていないものだ。
 ともあれ、ご飯を食べてしまえばもうやる事はない。
 今日は特に宿題も出ていないし、上条は自主的にお勉強をする子でもないので、もうお風呂ふろに入って寝るだけである。
 しかしここで問題が発生した。
「―――何でスポンジと洗剤で掃除しただけでお風呂がこわれるんだよ、インデックス!!」
「そっ、そんな事言ったって私はとうまに言われた通りにゴシゴシやっただけだもん!!」
 夜の街に上条とインデックスの叫びがひびき、五和が苦笑いを浮かぺる。
 彼ら三人が外出している理由は単純で、上条の部屋のお風呂(というか給湯機)が壊れて使い物にならなくなったため、近所の銭湯まで足を運ぶ羽目になったからだ。
「ちなみにインデックスは実は上条さんの言う通りにゴシゴシやっていないにける! っていうかバスタブの給湯口からプラスチックの溶けたみたいなにおいがしたのは何故なぜか。それはインデックスが給湯口に思いっきり洗剤の原液を注ぎ込んだからですどうだこの推理!?」
「え? 洗剤入れたらキレイになるんじゃないの?」
「おっしゃーっ! ここで驚異きよういの天然キョトンが来ました!! っつかおかげで給湯器内部が焦げ付いて火災寸前ですハイ!!」
「あ、あはは。ま、まぁ、たまにはお外のお風呂ふろを使うのも気分転換になって良いじゃないですか」
 五和いつわがカミワザなフォローを割り込ませ、上条かみじようとインデックスのさわぎがやわらぐ。
 人という生き物は、弱々しく気を遣ってもらうと大騒ぎできなくなるものである。
 五和は小さな手帳をパラパラとめくりながら、
「学園都市って意外にそういう公衆浴場が充実しているんですね。昔ながらの銭湯から天然ものの温泉、スバリゾートまでそろっていますし……そうだ、ここなんてどうでしょう。アミューズメント施設と合体しているみたいですよ」
「……っつか、何で五和はそんなに詳細な学園都市情報を入手しているんだ?」
 天然ものの温泉があるなんて話は地元の上条ですら知らない話だ。しかも五和が手にしているのは学園都市内部の出版社が発行しているガイドブックではなく、ボロボロになるまで手で書き込んだらしき古い手帳である。
「(……え、ええと、周辺の地理情報を把握しておく事は、対象を護衛する際に必要なものですし)」
 五和はインデックスに聞こえないように小声で、
「(……その上、アックアは魔術まじゆつサイドの人間ですから、この街を走る『脈』の流れなども向こうの行動を予測する際に役立つと思いまして)」
 ……お仕事熱心なのは大変結構なのだが、アックアの前に警備員アンチスキルなどが機密保護条例を守るためにおそいかかってきたりはしないだろうか、とちょっと不安な上条だった。
「で、そのレジャーお風呂ってどこにあんの?」
「ええと、第二二学区だそうです。ここは第七学区ですので、おとなりの学区って事になりますね」
「第二二学区って言うと……地下市街か」
 およそニキロ四方と、学区としての面積は一番狭いものの、地下数百メートルまで開発が進んでいるという、元々SFっぽい雰囲気ふんいきを持つ学園都市の中でも際立きわだって未来未来な場所だ。
「うーん。でも終電出てるしなぁ」
 五和は古臭ふるくさい手帳をパラパラゆくりつつ、
距離きよりはそんなでもないですし。サイドカー付きのレンタバイクを借りればすぐですよ。幸いショップも近くにあるみたいですし」
「え、五和バイク乗れんの?」
「まぁ、それは、その。一応、自動車と自動二輪、小型船舶と……飛行機は無理ですけど、ヘリコプターなら、何とか……」
 何だか肩身が狭い調子で言う五和。
 飛行機を操れない事がそんなに気になるのだろうか。
「日本の場合は交通もうが発達していますから、それほど必要ないんですけど……お仕事によっては延々と砂漠や草原が広がっている場所とかもありますし」
 特に自慢でも何でもないのだろう。むしろしかられたようなの鳴く声で言う五和だが、となると日本国内の免許ではなく、国際ライセンスの所有者という事になる。一輪車に乗れるだけでスゲースゲーの上条かみじようからすれば、すでに五和は尊敬の対象である。
 今日は普通少女五和の意外な面がいっぱい出てくるなぁ、と上条はちょっと感心しつつ、りようの近くにあるレンタバイクの支店へ足を運ぶ事に。学生ばかリの学園都市の場合、レンタカ
ーよりもレンタバイクの方が需用は高くてメジャーなのだ。
 バイクの値段表とにらめっこする上条は、やがて雷に打たれたような顔で、
「そっ、そうか。五和は第七学区の学生じゃないから地域割引が使えないんだッ!!」
「え、ええと。大丈夫だいじようぶですよ。軍資金はありますから」
 と五和は言うが、主婦的家計簿かけいぼスキルの身に付いた上条からすれば、少しでも安く、は物事の基本である。
 結局、主に終電を乗り過ごして帰れなくなった人用の深夜お得プランで中型バイクを借りてくると、追加料金を払ってサイドカーをつけてもらう。
 運転するのは五和で、その後ろに乗っかるのが上条。インデックスはサイドカーだ。
「とうま。私はこの構図に何らかの意図を感じるよ?」
「そっ、そんな事はないぞー。レディファースト的に言うとだなー、サイドカーが一番ふかふかで気持ち良い席だから上条さんは仕方なくゆずっているだけであってだなー」
 胡散うさんくさい棒読みで否定する上条だが、五和のおなかに手を回した時点で心臓バクバクである。
 五和は修道服のフードの上から強引にヘルメットをかぶろうとするインデックスの世話を焼きつつ、ふと思い出したように、
「そう言えば、猫ちゃんはお留守番させておいて大丈夫だったんでしようか?」
流石さすがに銭湯に動物連れていく訳にもいかないからなぁ。ま、あの猫はのんぴリゴロゴロしているようなヤツだし、問題ないとは思うけど」
 ちなみにそのねこは現在、五和が持参した超高級つめぎボードの前で、『ひっ、ひのき!? なんかものすごく良いにおいがするけどホントに爪立てても怒られないんですかこれ!!」とガタガタふるえている事にだれも気づいていない。
 そんなこんなで、インデックスが正しいヘルメットの被り方をマスターした所で、五和はバイクのエンジンをかける。
「うわお。夜の学園都市ってすいていますねー。ステアの挙動もエンジンのひびきも心地良いし、路面のコンディションも丁寧ていねいだから思わずスピードが出ちゃいそうです。……ああ、どうせなら学園都市名物の超電導リニアニ輪っていうのにも挑戦してみれば良かったかな.なんか車輪とシャフトの間を磁力で反発させて、ドーナツ状の車輪を電気で動かすバイクがあるって話だったんですけど」
「ま、バイクについては分かんないけど、『外』の技術と比べちゃあな。それと一応、安全運転でお願いしま―――バカ五和いつわホントにスピード出てる出てる!?」
 上条かみじようは反射的に五和のおなかの辺りに回した両手に力を込めてしまうのだが、実はその反応がうれしくてスピードが出ている事にまでは頭が回っていない。
 上条のりようは第七学区のはしだ。となりの第二二学区までは歩いて行ける距離きよりである。五和がバイクを持って来たのは、単に湯冷めするかもしれないから早めに帰れるように、という配慮だろう。
 第七学区を抜けて第ニニ学区へ入ると、サイドカーに乗っていたインデックスが目をまん丸にした。
「わっわっ! とうま、ジャングルジムがあるよ! でっかいジャングルジム!!」
 第二二学区の地上部分はほかの学区と大きく異なる。いわゆる一般的な家屋やビルは存在せず、風力発電のプロペラだけが並んでいるのだ。それも普通の学区にあるような『電信柱の代わり』ではなく、まるでビルの鉄骨のように縦横に柱を並べ、三〇階分ぐらいの高さまで大量のプロペラを立体的に設置している。その光景はインデックスの言った通り『巨大なジャングルジム』だ。
 地下市街へのゲートを目指しながら、ハンドルを握る五和は言う。
「地下に展開される第二二学区は他の学区のように風力発電や太陽光発電にたよれませんからね。その上、地下市街は大量の電気を使うらしくて、学区の至る所に発電対応策が講じられているそうですよ」
 何だか妙に博識な五和が操るバイクが、四角く切り抜かれた地下ゲートをくぐる。
 第二二学区の地下は巨大な円筒形だ。そして道路は直径ニキロの筒の外周をうように、ぐるりと回りながら下っていく。反対の上り車線と合わせると、理髪店の前でくるくる回ってい
るポールのような配置になるらしい。
 いつまでもゆるやかなカーブを描くトンネルは、オレンジ色の照明に照らされていた。普段ふだんの街並みとはまた違う電飾に、インデックスが両手を挙げて喜んでいる。
 上条はやや排気ガスのにおいのする空気を吸い込みながら、五和に言った。
「地下市街って、日本とは合わないよなー。地震じしんとかメチャクチャ怖いし。確か、どれだけ壁の強度を強くしても、地盤の断層ごとズレたら丸ごと引き裂かれちまうんだろ」
「一応、地震対策は万全って売り文句でしたけどね。そうそう、この螺旋らせんじようの道路は巨大なバネになっていて、地震が起きた時には衝撃しようげき緩和かんわする、とかいう話じゃありませんでしたっけ?」
「……それは根も葉もないウワサ話だ。つか、何で五和は設計図のスペックシートにも載っていないようなローカル都市伝説まで調べてるんだ?」
 あ、あはは、と笑ってごまかす五和いつわ
「そういや、レジャーお風呂ふろって第何階層にあるんだ?」
「ええと、第三階層だそうです」
「とうま、『かいそう』って何? わかめ?」
海藻かいそうじゃねーよ。階層。第二二学区は全部で一〇の地下階層に分かれてんの。で、これから俺達おれたちは上から三番目の階層に行くんだとさ」
 そうこうしている内に、第三階層―――地下九〇メートルへの入ロゲートが見えてきた。五和はウィンカーを点滅させ、減速しながらゲートへの分かれ道に進む。
 四角いゲートをくぐると、視界が一気に広がる。
「うわあ……!!」
 思わず声を出したのはインデックスだ。
 トンネル内のオレンジ色とは違い、こちらはうすい青の空間だった。直径ニキロ、高さ二〇メートルほどの広大な空間の天井てんじようは一面ブラネタリウムのスクリーンになっていて、地上部のカメラが撮影した『星空』をリアルタイムで映し出している。おまけに街の照明が同じ色で統一されているため、まるで星の海のど真ん中へ飛び込んだような印象を与えてくる。
 地上から天井まで、間にあるプラネタリウムのスクリーンをぶち抜く形でそびえるビル群は、同時にこの地下市街を支える柱としての役割もになう。もっとも、地下市街の屋根は体育館のよ
うに鉄骨を張り巡らせて重量を分散し、それだけでも自重に耐えられる構造になっているらしい。いざという時のために、複数の方式で支えられる設計になっているのだ。
 インデックスはサイドカーからぐるりと辺りを見回しつつ、
「こんなの、本当に地下にあるものなの? 川もあるし森もあるみたいなんだよ!!」
「森は農業ビルにある水栽培技術の応用だそうです。空気の浄化作用のほかに、精神的な面から生活を支えるのにも役立っているみたいですよ。あと、水は地下市街の重要な発電源だそうで、各階層へ順番に落としながら、それぞれの層で水力発電していくらしいですね」
 何だか今日の五和は学園都市の観光バスに乗っているバスガイドさんみたいになっている。
 インデックスは首をかしげつつ、
「いつわ。何でそんなに電気がいるの?」
「うーん。一番大きいのはポンプでしょうか。地上から酸素を取り込んで、逆にまった二酸化炭素を排出するのに必要ですし、雨水や生活廃水を下の層からき出すためにも、やっぱり大きなポンプが不可欠なんです。第二二学区の消費電力の四割以上がこういう大規模ポンプを動かすために使われているらしくて、その辺りが実用化のネックになっているみたいですね」
 学園都市は発電の大半を風力にたよっているから、どれだけ電気が増えても燃料費や環境破壊はかいについて、それほど悩む必要はない。しかし他の国や地域では遣う。環境問題が声高に叫ばれ、石油の値段が日々上がる中で化石燃料に頼りながら地下市街を作るというのは、現実的に難しかったりするらしい。……そもそも、敷地しきちに限りのある学園都市とは違って国土に余裕のある広大な国では地下に街を作る必要性そのものに迫られていない訳でもあるのだが。
(ま、研究が成功するのと、それが実際に市場に出るのはまた違う問題みたいだしな)
 人工的な星の海を、サイドカー付きの中型バイクが突き進む。
 後部シートに乗った上条かみじよう、遠くの方に見えたビルの電飾を指差して言った。
「ん? おい五和いつわ、例のレジャーお風呂ふろってあれじゃねえのか?」
「あ、そうみたいですね」
「しっかし、そこって結構話題になってんだろ」
「え、ええ。街のお風呂ランキング三位らしいですけど」
 ……本当にそんな情報が護衛の役に立ったりアックアを倒すのに必要なんだろうか、と上条は首をかしげてしまうが、五和はお構いなしだ。
「それがどうしたんですか?」
「いや……。そんなに有名な所なら、知り合いと顔合わせたりするかなーって」

     8

 御坂みさか美琴みことは足を止め、眼前にそびえる巨大な建物を軽く見上げた。
 第二二学区の地面から天井てんじようまで一気に貫くビルの出入り口には、『スパリゾート安泰泉あんたいせん』とある。平たく言えば、このビルは全部大きなお風呂なのだ。各階のフロアにはそれぞれ特殊な薬効成分やら電気やら超音波やらといった特殊なお風呂がズラリと勢揃せいぞろいしていて、それでも余ったスペースにはショッピングモールやゲームセンター、ボーリング場などをぎゅうぎゅうに詰め込んでいる訳である。
 昔ながらの『銭湯』というよりは、『お風呂という形をしたレジャー施設』という方がニュアンスは近い。ターゲット層も(学生ばかりの学園都市という背景もあってか)一〇代の少年たちに合わせて設計されている。
 アミューズメント主体の施設であるため、VIP用の浴場なども用意されている訳だが、美琴のねらいはそちらではない。
「……湯上がりゲコ太ストラップ……」
 サービス期間中にスタンブカードに一〇点ためると入手できるキャラクター商品である。このための『スパリゾート安泰泉』だ。このストラップがなければ、わざわざりようの門限をぶっちぎって脱出し、ルームメイトの白井しらい黒子くろこの追跡を振り切ってこんな所まで来る意味はない。
(まあ別に黒子は連れて来ても良かったんだけど……あいつはお風呂とか言うとへびみたいにからみついてくるに決まってるしなあ……)
 一瞬いつしゆんそれを想像しかけて、背筋に寒いものを感じる美琴。首を振っていやなイメージを払拭ふつしよくすると、美琴みことはお風呂ふろビルへ突撃とつげきした。入口をくぐると大きなホールがあるが、受付のようなものはない。料金は各フロアにある浴場入口で支払うようになっているのだ。
 団扇うちわをバタバタあおいで涼んでいる一団や、お風呂に飽きてゲームセンターへ走る子供たちの間をすり抜け、美琴はエレベーターへ向かう。
 壁に張り付けられた案内板を見ながら、
「さってと。今日はどこでスタンプかせぐかね……」
 超音波を使ったお風呂はもう入ったし、電気を使うお風呂なんて発電能力者エレクトロマスターの自分がわざわざ入るようなものではない。そんな風に消去法で一つ一つ消していくと、後は基本的な薬効成分を高めたお風呂ぐらいしか残っていなかった。薬効成分、などと書くと不気味なイメージがくだろうが、ようは温泉の仕組みを科学的に分析し、同じ効果を得られるように調整されたお風呂の事である。
「素直に入浴剤を使っていますと書けばいいものを」
 身もふたもない言葉と共にエレベーターに乗って八階へ。お風呂の入口で料金を払ってバスタオルを借りると、脱衣所に入って手早く衣服を脱ぐ。淡い色のタオルを体に巻き、ロッカーのかぎをかければ突撃準備完了だ。
(……意外に短いのがネックなのよね)
 バスタオルのはし太股ふとももの辺りをやや気にしながら、美琴は大浴場への扉を開く。
 ビル特有の高さは全く感じられない。窓がないからだ。風光明媚ふうこうめいびな山の中ならともかく、ここは都会のど真ん中。風景を見るために女湯に窓を用意するなど自殺行為に等しい。……もっとも第二二学区の場合、仮に窓があったとしても、そこに広がるのはやっぱりただの地下空間なのだが。
 お風呂の内装は典型的な銭湯に近いが、お湯の熱さに応じて浴槽よくそうは三分割されている。壁にはペンキで描かれた富士山……などはなく、代わりに一面が発色磁気粒子の巨大モニタになっていた。確か粒子を直接変色させる事で光を使わずに色を表現する画期的なモニタという売り文句だったが、値段が馬鹿ばか高いのと普通の人には今までのモニタでも何の問題もない事から、一部の芸術家や映画館などでしか買い取ってもらえなかったという悲劇の一品だったはずだ。
 モニタはタッチパネルも兼任しているらしく、二、三人の子供達が『いたって。だから白い天便がいたんだって』『いないよーそんなの』『本当、こんなの。悪をやっつけてたんだよ』とか何とか言いながてのひらをベタベタわせてお絵描きしたり、小さなウィンドウを切り抜いて夜のドラマを見ているキャリアウーマンらしき女性もいる。
 美琴はお湯の蛇口じやぐちが並ぶ一角で腰掛け、センサー付きの蛇口を軽く握る。そのまま数秒つと、蛇ロの根元にある小さなモニタに『三八度』と表示された。掌から体温を測り、体を洗う上で最も効率の良い温度のお湯を自動で調節してくれる訳だ。
(いっその事、スタンプをためるために数秒だけ湯船に入って往復するってのはどうかしら。ううん、それはそれで違うのよね。……やっば危険を承知で黒子くろこを呼んで、スタンプを二倍ゲ
ットするとか、いっ、いやいや……ッ!?)
 適当な事を考えながらボディソープを使って軽く体を洗い、お湯を使って柔らかい泡を流し落とす。
(にしても、スタンプまだ半分ぐらいしか溜まってないし。湯上がりゲコ太は遠いなぁ)
 実はあんまり熱いお風呂ふろが好きではない美琴みことは、三分割された浴槽よくそうの内、一番子供向けの方へ足を進めていく。
 と、そこで美琴の動きが止まった。
 視線の先に、

 見覚えのある銀髪碧眼へきがんのシスター少女が湯船にかっていたからだ。

「あっ、あれ!? 何でアンタこんな所にいるのよ!?」
 美琴は思わず大きな声で言ったが、白っぼくにごったお湯の中にいる少女インデックスは、自分の口の近くに人差し指を当てると、
「……お風呂では、静かに!」
 言われてみればその通りなので、美琴は口を閉じると、スゴスゴと湯船に足の先をつける。
 そこでさらにインデックスが言った。
「……お湯にタオルは入れない!」
 外国人から日本の銭湯ルールを注意されて地味にヘコむ美琴。淡い色のタオルを取って湯船に肩まで浸かった美琴は、ふとインデックスのとなりに、二重まぶたが特徴的な見知らぬ少女がたたずんでいる事に気づいた。
 いや、見知らぬ、ではない。
「そうだ、変なサッカーボールのせいであの馬鹿ばかに抱き着かれてた女じゃない!!」
 いきなり言われて、地味だった少女は『ぶぐぅば!?』と噴き出して顔を真っ赤にさせた。両手をバタバタと振りながら『いっ、いえっ、いえいえいえわた私はわたわわたわたわた……ッ!!』と何か言い訳をしようとして失敗している。一方で外国人のシスターの口がわずかに開き、そこからギラリとかがやく歯が。
 しかし美琴は地味っぽい少女の言葉など聞いていない。
 バタバタと手を振ったためにガードのうすになった胸元へ目をやり、白く濁ったお湯からわずかに見える部分だけから推察して、
(意外にデカそう……)
 素直に負けを認めるしかない状況だと気づいて舌打ち。今は色つきのお湯に隠されているが、この地味少女が浴槽から立ち上がったら、その瞬間しゆんかんに美琴は絶望に打ちひしがれる事間違いなしだ。
 ごにょごにょごにょごにょーっ!! と小声早口で言い訳らしきものを連続させる地味少女を見ながら、ふと美琴みことは考える。
 そういえば、この子たちは、あの馬鹿の抱えている『事情』を知っているのだろうか?
 事情。
 記憶喪失。
 美琴がそれを知ったのはつい最近だ。一体いつから記憶がないのか、どういう原因でそうなったのかなど詳しい事は何も分からず。ただ断片的な情報から察するに、あの馬鹿本人は自分が記憶喪失である事を隠したがっているように思える……という予想ができる程度だ。
(こいつらは……その……記憶喪失については知ってたのかしら)
 それとなく顔色をうかがったりしてみるのだが、もちろん読心能力者サイコメトラーでもあるまいし、それぐらいで人の考えが分かるはずがない。
 美琴は湯船にかりながらさらに頭を働かせ、
(っつか、そもそもこれはあの馬鹿が抱えてる問題であって、私は丸っきり部外者なのよね。私がどうこうして何が解決する訳でもない―――ってのは分かってんだけど。だー、大体何で私があの馬鹿の事でこんなに悩まなくちゃならないのよ面倒めんどうくさいったらありゃしないわぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく……)
「あっ、あれ!? 短髪がお湯の中に沈んで行っちゃうよ!?」
「のぼせてるんです!! 早く助けてあげないと!!」

「?」
 一足先にお風呂から上がっていた上条かみじようは自販機の前で、コーヒー牛乳とアイスクリームのどちらで攻めるぺきか考えていた所で、ふとバタバタという足音を聞いて振り返った。
 救護室、と書かれた部屋から出てきた女医さんが女湯へ突撃とつげきしていくのが見えたが、当然ながら中の事は分からない。

     9

 そんなこんなで楽しいお風呂タイムは終わった。
 上条はレジャーお風呂のビルから出て、正面入り口に突っ立っていた。別に煙草タバコを吸いに来た訳ではなく、夜風を浴びに釆たのだ。
「……地下市街だっつーのをすっかり忘れてた」
 しばらくってから完全な無風状態である事に気づき、屑を落とす上条。
 がっくりしながらも、彼はふと考える。
 ローマ正教の最暗部『神の右席』の一人、後方のアックアからの宣戦布告……。これ以上のねんが存在しないほどの非常事態だが、ふたを開けてみれば特に何も起こらない。
(ただのブラフだった……? いや、そう判断するのはまだ早いか)
 うーん、と悩む上条かみじようとなりに、何だか湯上がりで良いにおいがする五和いつわが近づいてきた。
「そんな所にいると湯冷めしてしまいますよ」
「いや、ちょっとのぼせ気味だったからちょうど良いかも」
「ええと、帰りもバイクを使いますので、その時間を考慮こうりよすると、やっぱり湯冷めするかもしれませんけど」
 控え目に指摘され、ガーンとへこむ上条。
 そんな彼の顔を見て、五和はくすくすと笑った。
「少し歩きませんか?」
「湯冷めするって言ったのは五和じゃない!!」
「どうせ湯冷めしてしまうのなら、もう構わないかなとも思いますけど。それに、何でしたら後でもう一度お風呂ふろに入っても良いんじゃないですか? プールみたいに遊べるお風呂もいっ
ぱいあるみたいですよ」
 それはそれでパラダイスだな、と上条は心の中だけで思ってうなずいた。
 ぶっちゃけ、一人で男湯は寂しかった。
「ああそうだ。インデックスはどうしよう?」
「何だか、ビルの中にある『食べ物空間』の試食コーナーを駆け回っていましたけど」
 そんな状態のインデックスを呼び止めて散歩にさそったら、その時点で頭をみ付かれるに決まっている。試食コーナーから出る事はないから迷子にはならないだろ、と上条は適当に結論を出す。
(……それに、アックアについても今の内に色々話し合った方が良さそうだしな)
 後方のアックアが学園都市へ来るかもしれない、という話はインデックスには内緒ないしよにしてある。今回のターゲットは上条一人だ。余計な事を言って彼女を危険な場所へ引きずり込むような真似まねけたいのだ。
 そんなこんなで五和と夜の地下市街を散策する事にした。
 青一色で統一された夜景は、たいの知れない南国のちよう鱗粉りんぷんのようにも、珊瑚さんごしようおおわれた海の中のようにも見える。お風呂から上がったばかりで体が火照ほてっているからか、不思議と冷たい印象はなかった。
「そういえば、天草式あまくさしきは日本からイギリスに引っ越したんだっけ?」
「ええ、まあ」
「イギリスでの生活って、どんなのなんだ」
「うーん」
 五和いつわは少しだけ考える素振りを見せて、
「ロンドンへ移住したと言っても、私たちが任されているのは日本人街のブロックですから、そんなに変わらないですよ。毎日三食、食べるものも日本と同じですし」
「え、そんなもんなの?」
「うーん……」
 五和はさらに曖昧あいまいに笑い、ほんの少しだけ間を空けて、
「そのう、そもそも天草式わたしたちはあらゆる環境を学習し、その環境に適した形で溶け込む集団ですから。『知らない場所』へ向かう時の反応は、普通の人とは違うかもしれません」
 となると、五和達が日本人街にいるのは『日本の風習を引きずっている』のではなく、『日本人の集団がいても違和感のない場所』を選んだだけかもしれない。おそらく本当は和洋中ドンと来いな感じなのだ。
「イギリス清教の待遇も良くしていただいていますし。もちろん『天草式あまくさしきとしての』感覚なんですけど、ロンドンでの生活も気楽なものですよ」
 五和は笑ってそう言ったが、そんなに単純なものではないだろう。
 イギリス清教として動く事に政治的な問題が生じる場合、天草式だけを動かして、いざとなればトカゲの尻尾しつぽのように切れる状況を、上条かみじようは何度か見ている。巨大組織の『傘下さんか』になるという事は、そういう便利屋的な仕事を押し付けられる事でもあるのだ。
「そっか」
 ただ、上条はそれらをみ込んで、一言だけ答えた。
 五和の表情は簡単な笑みではなかったが、それでも今ある境遇に満足しているように思えたからだ。
「あのさ、そういえば天草式ってのは街に溶け込むように存在している宗派なんだよな」
「ええ、一応そういうものを目指していますけど」
「となると」
 上条は改めて五和の格好に目をやる.
 今の彼女は、明るい色の羊みたいなトレーナーの上から、ピンク色のタンクトップを重ね着していた。濃い色の細いパンツは巻きつくような切れ目が入っていて、めくれるのを防ぐために透明なビニール素材を当ててある。
「それって、ロンドンの人達はみんなそういう格好をしているって事?」
「あっ、ええと、今は一応『学園都市の中にまぎれる事』を意識して選んでいるつもりなんですけど」
 もしかして浮いてます……? という不安げな五和に、上条は軽く首を横に振った。
 彼女はややホッとした様子で、
「こういうのはロで説明するのは難しいんですけど、その、ロンドンの方はもう少し大人っぽい感じかもしれません」
「はー、学園都市以外のブランドとか知らないからなぁ。やっぱ向こうのアイテムで固めるとそういう感じになったりすんの?」
「ええと、そうではなくて。向こうの人も国内品だけを好んでいる訳ではないので、逆にそういう選び方は危険な場合もあって……。それ以外にも、着ているものは同じでも、仕草や挙動に特徴をつけるだけで、結構雰囲気ふんいきは変わってしまうというか」
 ごにょごにょと言う五和いつわ。衣服に関してはほとんど感覚的な処理をしてきたため、改めて論理的に説明するのが難しいのだろう。『自転車の乗り方を教えて』と言われても、『自転車に乗るんだよ』以外に説明のしようがないのと同じである。
 ともあれ、ロンドンでの五和の格好がちょっと気になる上条かみじよう
 とっさに連想したのは、彼女以外に存在する、もう一人の天草式あまくさしきの知り合い。
 神裂かんざき火織かおりだ。
「―――でも神裂の服装って変じゃね?」
「ッ!? な、と、へ、変、とは……?」
「あいつ確かに大人っぽいけど大人しいっつーより絶対エロいと思うけどなぁ?」
「とっ、唐突に女教皇様プリエステスへなんてすさまじい評価を!? あれはエロいのではなくて術式を組むにあたって左右非対称のバランスが有効なために採用しているのであって別に体のラインを見せつけている訳では―――ッ!!」
 ハッ!? とそこで我に返る五和。
 胸の前で両手をグーにして力説する奥手少女の変貌へんぼうぶりに、上条はやや引き気味で、
「じ、じゃあ何だ。五和たちとしては結局『ロンドンに釆て正解だったぜイエーイ』っていう感じなのか」
「??? まぁ、女教皇様プリエステスのいらっしゃる場所に来れた事はうれしいです」
 上条の唐突な方向転換に五和はややキョトンとした。
「……ええと、距離きよりが遠くなっちゃったから、日本にいる人とはすぐに会えなくなっちゃったのが残念ですけど……」
 彼女は上条のとなりを歩きながら、少しだけ視線を下に向けて、口の中で何かをつぶやく。
「……でも、そういうのも良いかなって最近思っていて。その、織姫おりひめ彦星ひこぼしみたいだなぁって……」
「? どうしたの五和?」
「いっ、いえ!! 何でもないですハイ!!」
 上条がキョトンとした顔で質問すると、五和は唐突に顔を真っ赤にして両手をわたわたと振り始めた。

     10 

 建宮たてみや斎字さいじを中心とした現天草式のメンバーは、そんな上条かみじよう五和いつわから少しはなれた所にいた。彼らは一ヶ所ではなく、上条たちをぐるりと取り囲むように、主要なアクセスルートを押さえつつ、対象と同じ速度で絶えず移動する。しかも、それでいて完壁かんぺきに風景に溶け込み、何者かを守っているという素振りは見せない。もしもこの状況を要人護衛の専門家が見れば舌を巻いただろう。そして、天草式は専門家にすらその正体を勘付かせない。
 イギリス清教からの命を受けて任務に当たる天草式の中心人物である建宮は、数人の若者達とグループを組んで街を歩いている(ふりをしている)。彼らはカラオケボックスや屋内レジヤー施設などが並ぶルートを通り、どこの店に入るか品定めをするように見せかけながら、上条と五和を一定の間隔かんかくで追う。
「教皇代理、どう思います?」
 となりにいる牛深うしぶかが尋ねてきた。
「五和のインデックス押しのけ夜のデート大作戦?」
「後方のアックアです」
 短く言われて、建宮の表情がわずかに変わる。
 彼は周囲を軽く見回しながら、
「今の所、侵入の痕跡こんせきはなし。学園都市側からはそういう報告を受けちゃいるが」
「……やはり、信じられませんか」
「この場合、信じられないという言葉には二通りの意味があるのよ」
 建宮はニヤリと笑い、
「一つ目は、単純に学園都市のセキュリティが魔術まじゆつ関係にうとく、信用できない場合。二つ目は、学園都市上層部が何らかの意図で、本来得ている情報を隠している場合。さて牛深、お前さんの信じられないは、どっちの信じられないよな?」
「それは……」
「そもそも、上条当麻とうま一人のために、学園都市、イギリス清教、そしてローマ正教『神の右席』の三方が策略を巡らせる、というこの構図がすでに妙なのよな」
「教皇代理」
「ああ。分かってる。俺達おれたち天草式にとって、上条当麻って名前にゃそれなりの価値があるのよ。時に命を救ってもらい、時に共に戦ってもらった相手だし」
 ただ、と建宮は言葉を切って、
「学園都市にとって、上条当麻とは何だ? イギリス清教にとって、上条当麻とは何だ? ローマ正教『神の右席』にとって、上条当麻とは何だ? ……それは、『組織』ってデッカイものを動かすだけの価値があるものなのか」
 建宮たてみやを中心とするグループの数人は、わずかに黙った。
 答えが分からないのではない。
 思いはしたが、口に出すのがはばかられたのだ。
「……いくつかの仮説なら、立てられる」
 建宮斎字さいじが、やがてポツリとそう言った。
「ただ、そいつが……上条かみじよう当麻とうまの『価値』が、成り立ちも広がり方も違う三つの巨大組織に共通するものなのか。その辺りで思考が止まっちまう。どうにも、まだ俺達おれたちの知らない情報が隠れていそうな気がするのよな」
「教皇代理……」
「本気で上条当麻を護衛するんなら、そっちも含めて一度探ってみる必要があるのかもしんねえのよな。今みてえに一回二回の襲撃しゆうげきにガタガタしてんじゃなくて、そもそも『襲撃してくる者』の核を直接たたくために」
 と、そこで建宮の言葉が途切れた。
 違和感に気づいたのだ。
 消えているのは人。いつの間にか、夜の地下市街を歩いている者が建宮達だけになっている。何らかの手段で人の流れが操られた。それも、『風景に溶け込む事』を得意とする天草式あまくさしきの目をかいくぐるほどの高精度で。
「……、」
 言葉すらなかった。
 建宮が指先だけで合図すると、数人の若者達が隠し持っていた『武器』へ手を伸ばす。
 周囲を警戒する天草式は、ある感覚を得た。
 それは圧迫感。
 地下鉄のホームで列草が近づいてきた際にやってくるような空気のかたまりにも似た感覚。ただ単純に『巨大なもの』が近づいてくる事で巻き起こる、余波のような何か。
 建宮はそちらへ振り返る。
 そこには、

     11

 青で埋め尽くされた地下市街の中を、上条と五和いつわの二人は歩いている。普通の街と違って計画段階から景観を意識して作られたせいだろう。統一の取れた夜景は若干じやつかん 窮屈きゆうくつさを感じるものの、全体としてはやはり綺麗きれいなものだった。
 と、となりを歩いている五和が、ボツリと言った。
「動きませんね。アックア」
「……学園都市のセキュリティに引っ掛かっている、なんて都合の良い話じゃないんだろうけどなぁ」
 のんびりしていると忘れそうになるが、目下最大の問題はやはり『神の右席』だ。
 学園都市の警備員アンチスキル馬鹿ばかではないが、過去に魔術師まじゆつしが何度も侵入してくるのを見た上条かみじようとしては、彼らにすべてを任せておけば安心……とは思えない。ましてアックアは、前方のヴェントを回収するために実際に一度学園都市に侵入しているのだ。
 天草式あまくさしきの増援はたのもしいが、こちらもやはり、いざ政治的な問題になればトカゲの尻尾しつぽを切れる範囲での応援しかしない、と言外に宣言されている。もしもイギリス清教がなリふり構わず全力でアックアと戦う気なら、迷わず神裂かんざきを使うはずなのだ。
 話題が変わると、それだけで夜景の青の質が変わったような気がした。奇遇というか何というか、後方のアックアが掲げる色も青であるらしい。
襲撃しゆうげきがない事自体は、喜ぶべき事なんでしょうけど……」
 どう判断して良いのか分からないのだろう。五和いつわの口調もどこかふらふらとしている。
 青に染まる街を歩きながら、上条は少し考えて、
「また、学園都市の中でこそこそと下準備をしていたりとか、色々複雑な事になってるかもしれないな」
 ただ、これまでぶつかってきた「神の右席』の二人……前方のヴェントと左方のテッラは、それぞれ正反対の攻め方をしていた。片や真正面からつぶすように学園都市へ侵攻し、片や世界中に混乱を巻き起こして遠回しに科学サイドをめ上げようとした。
 サンプル数がたった二人しかいないのでは『神の右席』という全体像をつかむのは難しいし、ましてヴェントもテッラもとがりすぎていて参考にならない。
「とにかく、気をつけないといけませんよね……」
 五和は小さなこぶしをグッと握り締め、
「教皇代理を含めて、みんなも見えない所で頑張ってくれていますし。だれが来るにしたって、私たちがベストを尽くす事に変わりはないんです。いつもと同じ事をするだけなら、特別意識する必要もないんですよね」
「いつもと同じ事、ね」
 上条は五和の言葉を聞いて、思わず苦笑してしまった。
「……っつか、『神の右席』なんてご大層な組織からねらわれているのに、お風呂ふろこわれてレジャー施設へやってくるっていうのは、何だか情けないよなぁ……」
「いっ、いえいえ。そんな事はないと思いますよ」
 五和はわたわたと手を振って、上条の言葉を打ち消した。
「強敵がやってくるからと言って、必要以上に身構えていても気疲れするだけなんです。全力を出すためには最適のコンディションを保つのも重要です。そのため『力を抜く』っていうのは、実はとても効果的なんです。無理に頑張って『特別なリズム』の中で生きようとした所で、上手うまくいくはずがないんです。そんなの淡水魚を海水に放すようなものだと思います」
 そんなもんかな、と上条かみじようは首をひねる。
 散歩のコースは特に決めていない。インデックスの前でアックアの事を話せば一緒いつしよに戦うと言い出すのは間違いないので、今回の件については内緒という事にしてあるだけだ。話す事は話したし、ちょうど目の前に川が見えてきて、その川に鉄橋がかっている事から、あれを渡ったら別のルートから引き返すか、と上条は適当に考えた。
「そういや、ほか天草式あまくさしきの連中は? 建宮たてみやとか」
「ええとですね。今も少しはなれた所から見張ってくれていると思いますけど」
 五和いつわはそれから、ちょっと残念そうな口調で、
「……女教皇様プリエステスもいてくだされば、百人力だったんですけど」
「それって、神裂かんざきの事だよな。やっば、あいつってすごいのか」
「そっ、そうですよ! 女教皇様プリエステスは世界で二〇人といない聖人なんですから! どんなトラプルだって女教皇様プリエステスがいれば一発で解決するんです!!」
 へぇーなるほどなあー、と上条は超適当に相槌を打ちながら、
「ま、『神の力』とかいう大天使とケンカするぐらいだからな。やっぱすごいんだなぁ神裂って」
「ぶごぅえあ!? だっ、大天使と、ケンカ? それってどういう事ですか……ッ!?」
 おや? と上条は首をかしげる。あれは『御使堕しエンゼルフオール』という特殊な環境下での出来事だったから、五和は知らないのだろうか。でも、神裂のいる脱衣所へ突撃とつげきした事は土御門つちみかど辺りから聞いているようなのだが……。どうも、『御使堕しエンゼルフオール』については、いまいちイメージしにくい上条である。
 うーん、と上条は頭をきつつ、
「聖人も天使もすごいんだなー。世の中すごいヤツらばっかりだ」
「も、ものすごくアバウトに評価されていますけど……」
 五和はまだちょっとショックから抜け切れていないようだ。
「一応、天使と聖人でしたら、天使の方が格は上ですよ」
「そういうもんなの? 神裂でも頑張れば天使を倒せたりしない訳?」
「む、難しい質問ですね……。ただ、単純な力なら天使の方が断然上です。聖人として与えられる力よりも、天使一体が持っている許容量の方がケタ違いですからね」
 五和の話によると、人間が『聖人』として振るえる力には限界があって、それを無理に超えると自滅する恐れもあるらしい。魔術まじゆつ業界の学者の間でも、『天使が何故なぜあれほどのカをめ込んで暴走しないのか』というのは様々な学説があるだけでハッキリしていないそうだ。
「ちくしょう、勉強の事を考えると頭が痛くなるのはどこも一緒いつしよなんだな」
「アバウトに言ってくれましたけど、でも、多分その意見は正しいと思います……」
 肩を落として息をいている所を見ると、五和いつわも色々頑張っているらしい。
「話を戻そう。神裂かんざきの協力はないって事だったっけ。でも、今は神裂も天草式あまくさしきも、同じイギリス清教に所属してるんだろ。たのめば受けてくれるんじゃないの?」
「そう……ですね。いるにはいるんですけど、『聖人』というのは核兵器みたいなものですから、そんな簡単にイギリス国外で活動させられないみたいですし。それに、天草式にも色々事情があるもので、そう簡単に協力を仰げないというか……。やっばり、その辺りはデリケートな問題でして……」
 そんな事を言いながら、上条かみじようと五和の二人は鉄橋に足をみ入れる。
 鉄橋の長さは五〇メートルほど。
 橋のサイズとしてばそれほどでもないが、川全体が人工的なものである事を考えると、それはそれでちょっと感慨かんがい深い。
 これも照明の一環なのか、ライトアップされた鉄橋の基本色はやはり青だった。
「(……気をゆるめちゃいけないのは分かっているんですけど、二人きりだ、うわあ……)」
「どしたの五和?」
「いっ、いえいえ!! 何でも!! 何でもないですよ!?」
 顔の前で小さな手をブンブンブンプン!! と超高速で左右に振りまくる五和。
「え、ええとその、あんまり人気がないんだなーって思いまして。二人きりとかそういうのではなくてですね、せっかく綺麗きれいに飾り付けられているのに、も、もったいないなー、とか……」
 橋の歩道ゾーンを進みながら、上条は首をかしげた。
 何で五和はさっきから早口で愛想あいそわらい全開なんだろうか?
「まぁ、時間帯にもよるんじゃないのか? 夜の学園都市ってこんなもんだよ。終電とか終バスの時間をわざと早めに設定してさ、夜遊びしにくいようにしてるんだ。ま、それでも遊ぶヤツは遊ぷんだけどな」
 と言ったものの、直後に違和感が生じた。
 今は夜の一〇時過ぎ。確かに主要な交通機関は眠りに就いている。
 時間帯によって道路の交通量が変化する事自体は珍しくもない。住民の八割が学生である学園都市ならなおさらだ。

 ただし、
 午後一〇時を過ぎた辺りと言えば、夜遊び派なら全然普通に動いている時間のはずだ。

(ま、ずい……ッ!?」
 不自然なまでに無人の風景に得体えたいの知れない悪寒おかんを覚えた上条かみじようは、思わず五和いつわに危険を呼びかけようとした。
 しかしできない。
 それだけの暇がない。
「―――宣告は与えた」
 声が聞こえる。
 前方から。ある男を象徴する青いライトアップ。その照らしきれぬやみの向こうから、武骨ぶこつな男の声が飛んでくる。
「―――貴様の前には、いくつかの選択肢があったはずである」
 足音が聞こえる。
 しかしそれは、まっとうな人間の出す音ではない。一歩一歩み出すごとに、ズン……ッ!! と鉄橋から低い震動しんどうが伝わってくる。圧倒的な力の片鱗へんりん。あるいは明確化された死へのカウントダウン。青い闇から近づく奇怪な足音が示すものは、もはや暴力以前の理不尽りふじんさだった。
 五和はこの異常な事態に対して、唖然あぜんとしていた。やや緊張感きんちようかんの欠けた表情だが……上条は即座に気づく。天草式あまくさしき本体からの連絡はどうした。彼らはつかずはなれず上条たちを陰ながら護衛していたはずではなかったのか。
「―――私の宣告を受け止めた上で熟考し、自分の命を預けるに足ると判断した選択肢が『これ』だと言うのなら、私は真っ向から立ちふさがるのであるが」
 だが、と声はわらった。
「―――率直に言おう。もう少しまともな選択はなかったのかね」
 闇がぬぐわれる。
 あくまで光源は淡いライトアップのみ。夜を払うほど強い光が追加された訳ではない。ただ、その男が薄闇うすやみの奥からこちらへ近づいてきただけ。ただそれだけのはずなのに、まるで闇の方がカーテンを開くように男から遠ざかったように感じられた。
 茶色い髪に、石を削り取ったような顔立ち。衣服は青系のゴルフウェアを彷狒ほうふつとさせる。屈強な体つきだが、そこに健全さはない。それは血にまみれた兵隊の体だ。
「お前は……」
 知らない顔ではない。
 かつて一度―――九月三〇日の学園都市で、上条はこの男と出会っている。
 幻想殺しイマジンブレイカーを使ってかろうじて打ち倒した前方のヴェントを、横からさらっていった大男。
「後方のアックア。以前そう名乗っておいたはずであるがな」
 神の右席。
 そして同時に、『聖人』としての資質をも持ち合わせた者。
「宣言通り、って事か」
「策を練る必要性は惑じられない」
 アックアは簡単に言った。
「私はただ、この世界で起きている騒乱そうらんの元凶を排除しに来ただけである」
 言ってくれる、と上条かみじようは心の中で毒づいた。
 前方のヴェントは学園都市の機能を麻痺まひさせた。左方のテッラは世界中を混乱させた。彼らの事情が何であれ、『神の右帯』から騒乱の元凶などと言われる筋合いはない。
「話し合いはなし。最初っから殺す気か」
「ふん、確かに性急すざたかな」
 アックアはつまらなさそうに上条の体を上から下まで一瞥いちべつし、
「私の望みは騒乱の元凶を断ち切る事である」
「騒乱って何だよ」
「分からんとは言わせん」
「原因があるならそっちだろ!! アビニョンで何をやったか、忘れたとは言わせねえぞ!!」
「それすらも、『上条当麻とうま及び学園都市という危険分子を攻略するため』という原因が存在するのだがな」
 平行線の状況に、アックアはいら立つ事すらない。
 つまりは最初から、上粂の言葉など聞いていない。

すべての元凶は貴様の肉体の一部を起点とする特異体質にある。ならば、命までは奪わなくても良いであろう。―――その右腕を差し出せ。そいつをここで切断するなら、命だけは助けてやる」
 答えるまでもない申し出だった。
 アックア白身も、断られる事を前提に会話をしている。
天草式あまくさしきの本隊は……」
 その時、五和いつわがようやくボツリとつぶやいた。
 それが何らかのサインなのだろう、五和は周囲に目配せをするが、
無駄むだである」
 たった一言で、アックアが断ち切る。
「私の仲間は、一体どうしたんですか?」
「殺してはいない」
 アックアは簡単に言った。
「私が倒すぺきは、奴等やつらではないからな」
 言いながら、アックアの体がふらりと動く。
 お互いの距離きよりは一〇メートル前後。こうして観察する限りアックアの手には武器らしい武器は何もないし、衣服の中に隠している風でもない。ゴルフウェアにも似た服装は屈強な体に押し広げられ、そういった物を隠すスペースが残っているとは思えないのだ。
 それでも、上条かみじようと五和は全身の神経を集中して、アックアの指先の動きまでとらえていた。争いを回避かいひするのは不可能。そんな事は百も承知だからこそ、下手な一手は打たず、最適のタイミングを把握して突撃とつげきしようとしているのだ。
 だが、

 真横。

「ッ!?」
 上条が息をむ前に、すでにアックアは五和の真横へ飛び込んでいた。消えた。そう判断するしかないほどの速度でふところ深くへもぐり込んだアックアは、五和のほおを横からなぐるようにひじを放つ。
 音は聞こえなかった。
 ただ上条の視覚が、歩道を越えて車のない車道へ吹き飛び転がる五和の体をかろうじて捉えた。上条はまだ息も吸えない。それでも肺の中に残っている空気を使い、ほとんど反射的に叫ぶ。
「五和!?」
「人の心配をしている場合であるか」
 アックアの声がさえぎる。
 ごう!! という音がようやく聞こえた。音源はアックアの足から伸びる影。そこから巨大なシャチが海面へ跳ねるように、莫大ばくだいな金属のかたまりが飛び出した。全長五メートルを超す得物えものの正体は、騎士きしが馬上で使うランスに似ているが、違う。
 まるでビルの鉄骨を使ってパラソルの骨組みを組み上げたオブジェ。
それは撲殺ぼくさつ用の金属棍棒メイスだ。
「行くぞ。我が標的」
「くっ!!」
 上条かみじようが身構えるよりも早く、アックアの筋肉が爆発的にふくらむ。
 けろ、と頭が悲鳴を上げるよりも何倍も早く、残像すら渦巻かせて真上から巨大なメイスが振り下ろされる。
 死ななかったのは奇跡に近い。視界の外から飛んできた五和いつわのバッグが上条の体にぶつかり、彼の体がアックアの予期せぬ方向へ飛んだからだ。
 標的を逃した五メートルの鉄塊てつかいは空中に浮いていた五和のバッグを軽々と引き裂くと、それ自体がギロチンのように地面へ突き刺さる。
 アスファルトで固められたはずの鉄橋。
 それが、ズドン!! と一撃いちげきで揺さぶられた。あちこちで鉄骨を留めるボルトが破断していく不気味な音がひびく。ライトアップに使われていた青白い明かりのいくつかが不自然に消えた。しかし上条にそれらに注意を向けている余裕はなかった。隕石いんせきが海面に激突したように、アックアのメイスを中心に大量のアスファルト片が周囲にき散らされ、その一部が上条の体に直撃したからだ。
「がァああああああああッ!?」
 その余波だけで、すでにん張る事もできなかった。
 ふわりと足の裏が浮いたと思った時には、すでに上条の体は何メートルも転がされ、鉄橋を支える鉄骨の一つに背中をぶつけて、ようやくその動きを止める事ができた。
 バラバラ、という音。
 細かいアスファルトの破片が、まるで雨のように降り注いでいた。
 アックアは鉄骨を重ねたようなメイスを肩にかつぎ、倒れた上条の方ヘ一歩進む。
 粉塵ふんじんが、闘気とうきを可視化したようにアックアを取り巻き、吹き散らされる。
 と、そこで彼は眼球だけを横に向けた。
 のろのろと起き上がったのは、五和だ。バッグを投げる前に取り出しておいたのだろう、つかの部分を分解して収納できる海軍用船上槍フリウリスピアを組み上げ、その十字の切っ先をアックアに向けて突き付けている。
 しかし最初の一撃いちげきで相当のダメージを受けたのだろう。唇から赤い血の筋を垂らし、ほおを赤く変色させた五和いつわの切っ先は、風に流れる釣り竿ざおよりもたよりなく揺れていた。
 アックアは笑いもしない。
 ただ告げる。
「一組織の全体が束になってもかなわなかった相手に、その一員が挑んで勝てるとでも思っているのであるか」
「……私にも……意地があります」
 その一言に、どれだけの感情と決意が込められていたのか。
 対して、アックアは『そうか』と返しただけだった。
 それだけだった。
(まずい……ッ!!)
 上条かみじようは痛む体を無理に動かし、五和とアックアの間に割り込もうとした。だが思いに反して体は動かない。そうこうしている内に、五和とアックアが近距離きんきよりで激突する。
 五和の動きは速かった。
 しかしアックアはもはや消えていた。気がついた時には五和の腹に鉄骨のメイスの側面が食い込み、そのままアックアは体の向きを変え、遠心力を使って、上条に向けて五和の引っ掛かったメイスをそのままよこぎに振り回してきた。
 反応する、という選択肢すら頭に浮かばなかった。
 金属製のメイスの重量に加えて人間一人分の重さをプラスし、ただでさえ鉄骨に体を預けていた上条の体が決定的に圧迫された。肺からすべての空気がき出され、そこに鉄臭てつくさい味が混じる。数秒間、押し付けられた体が地面から浮いた。その後に遅れて、まるで地球の重力が数倍に増したようなダメージに襲われ、上粂は地面へ崩れ落ちる。
 おおかぶさるような五和は動かない。上条はぐったりした五和を横にどける事もできない。
 朦朧もうろうとする意識が、その場に君臨する後方のアックアをかろうじてとらえる。
(ケタが……違い過ぎる……)
 前方のヴェントにしても、左方のテッラにしても、まだ動きを目で見るぐらいはできた。攻撃の合間をかいくぐって反撃を放ち、逆にダメージを与える事もできた。
 だが、こいつは何だ……と、上条は思う。
 後方のアックア。
 こいつは本当に同じ人間なのか。
 人と人の実力差ではない。まるでネットワークRPGでレベルが一〇〇以上違うキャラクターを相手にしたように感じらられる。何かトリックがあって攻撃が効かないのではなく、単純に『実カ』がすごすぎて戦いにならない。それでどう勝てと言うのだ。
「右腕だ」
アックアはゆっくりとメイスを頭上に掲げて、告げる。
「差し出せば、命の方は見逃すのである」
「ふ、ざける、な……」
 立ち上がろうとしたが、力が出ない。
 自分の限界に気づきつつある上条かみじようは、それでもあきらめずに力を振り絞ろうとする。
 だが、
「そうか。それならば、もう少し現実を知ってもらうのである」

     12

(う……)
 五和いつわの意識は少しだけ断絶していた。
 にじむように戻った意識は、まず始めに鉄臭てつくさにおいを感じ取った。次に痛み。頭のしんがそれを知覚した途端とたん、全身から津波のように激痛が押し寄せた。意外にも普段ふだん最もたよっているはずの視覚や聴覚ちようかくが一番遅くやってくる。
 薄暗うすぐらやみ
 青で埋め尽くされた絶望。
 あちこちの鉄骨が引きれ、アスファルトが砕かれ、じんの舞う鉄橋。
 つい先ほどまで二人で歩いていた夜景そのものが引き千切られた惨状さんじよう
 そして手の中にあるやりつかの感触。
「ッ!?」
 ようやく状況を思い出した五和は慌てて手をついて起き上がろうとする。
 そこで、ぬるりとしたものてのひらに感じた。
 生温かく、頭のくらむような鉄臭さ。そして何より真っ赤に染まった液体の正体は単純だ。
 鮮血。
 しかし五和はそれほど出血していない。というより、これほどの血を流していれば意識を保つ事は難しいだろう。インクや何かのほかの液体、とも違う。これは聞連いなく人の血だ。
 じゃあだれの血だ、と考えようとして、意識は即座に否定しようとした。
 考えるまでもなかった。

 上条当麻とうまだ。

「気づいたか」
 冷静に考えれば、武器を持った後方のアックアは今もすぐ目の前に立っているはずだった。
「ならばそこをどけ。私の一撃いちげきは威力が大きすぎるのである。下手へたに本気を出すと周りにも被害を及ぼすのでな」
 しかし五和いつわの意識に入らない。彼女は力タカタと肩を小刻みにふるわせ、ゆっくりと、ただゆっくりと自分の後ろを振り返る。
 五和が気を失っていた間、今の今まで寄りかかっていたもの。
 ぐったりと力の抜けた上条かみじようの手足。顔は赤く染まっていた。ひとみは開いているとも閉じているとも取れず、まるでこわれたオートフォーカスのように半開きのまま停止している。全身を走る激痛は体を引き裂くようなもののはずだ。にもかかわらず、もはや少年の体はピクリとも動かない。
 生きているのか、死んでいるのか。
 それすらも分からなかった。
 単に物理的な距離きよりならぴったりと寄り添っているのに、たったそれだけの事もつかめない。
「あ……ぁ……」
 五和の判断能力が粉々に吹き飛んだ。
 後方のアックアという即物的な脅威きよういが、完壁かんぺきに頭から消えた。彼女は敵の前にも拘らず、他人の血にまみれた手を動かし、周囲に散らばったアスファルトの破片をかき集め、おしばりを取り出し、血だらけの上条のズボンのポケットに手を入れて財布を取り出した。
 天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようの扱う魔術まじゆつには、奇怪な呪文じゆもん霊装れいそうなどは使用しない。
 用いるのは、あくまでもどこにでもある日用品だ。
 五和はそうした日用品の中に秘められたオカルト的な残滓ざんしを組み直し、出血を止め、傷口をふさぎ、失われた生命力を充填じゆうてんするための回復魔術を実行しようとしていた。五和という少女にとって、今現在ある『問題』と『戦い』は、この少年が生きるか死ぬかの一点だけに絞られてしまっていた。
 実際、混乱の極みにありながらも、五和の手際てぎわおどろくほど的確かつ高速だった。
 あっという間に回復魔術は発動した。
 ぐったりと動かない上条の体から、うすく淡い光の玉がふわりと舞った。緑色の光は蛍のようにも見える。それらの光は引き裂かれた皮膚ひふ隙間すきまを埋めるようにもぐり込もうとする。
 しかし、
 バン!! という音が聞こえた。
 五和が組み上げたはずの回復魔術が、微塵みじんに、残滓も残さずに消滅した。
 原因は明確。
「……ぅ、あ」
 五和はのろのろとした動きで、上条の顔から、垂れ下がった右手へ目を向ける。
 右手。
 幻想殺しイマジンブレイカー
 あらゆる不可思議な現象を、善悪間わずに打ち消してしまう特異なカ。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 五和いつわは絶叫し、さらに破壊はかいされたはずの回復魔術まじゆつを組み直す。だが無意味。発動した途端とたんに魔術は破壊され、また組み上げては破壊される。どこにでもある目用品を使っているとはいえ、こうもづかいをしていればあっという間に消費されていく。気がつけば、回復魔術に扱えそうなものは残っていなかった。
「もう良いか」
 いつまでってもあがきをやめようとしない五和に、アックアは言葉を投げかける。
 しかし五和はまともに受け答えもできない。
 延々と叫び続ける事しかできない五和に、アックアはそれ以上何も言わなかった。
 何も言わないままその大きな足を振り上げ、うずくまる五和の背中を上からつぶした。
 ベゴォ!! という轟音ごうおんと共に絶叫が止まる。
 暴力的な音と共に、彼女の手足から力が抜ける。意識が断たれたようだった。
「ふん」
 地面に崩れ落ちた五和になど目も向けず、アックアは改めて巨大なメイスを構え直す。
 本来の仕事。
 ねらうは気を失った上条かみじようの右肩。
 しかしアックアのメイスは振り下ろされなかった。
 彼が手心を加えたのではない。
 全身に傷を負い、体のしんまでダメージを蓄積し、意識を失っていたはずの五和が、ドロドロの手を動かして己のやりつかみ、勢い良く立ち上がったからだ。
 しくも、上条とアックアの間をさえぎる壁のように。
「ぐっ、がっ、ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 内臓を震動しんどうさせるその叫びはまさしく死力だった。今の五和はもう勝算などを考えていない。血走った目を見れば、そんな余裕は残っている訳がないのは容易に想像がつく。
 死なせたくない。
 奪われたくない。
 立ち上がりたい。
 ただそれだけで動いているだけだ。
 ロから血のかたまりを吐き出しながら、五和のひとみにこれまでにない粘ついた眼光が宿る。
 アックアは退屈そうに息を吐いた。
 そうしながら、ゆっくりとメイスを握る腕がふくらんでいく。恐るぺき筋肉の力で、鋼鉄でできているはずのメイスのつかを漬しかねないほどに強く固く握り締める。
 アックアは五和を敵と認識したのではない。
 邪魔じやま五和いつわごと一撃いちげき上条かみじようを粉砕しようとしているだけだ。
 五和は唇をんだ。
 その雑な扱いを彼女は認識していた。
 そして、雑に扱われるだけの実力差が開いてしまっている事も。
(……。)
 しばし、五和はだまり込んだ。
 単に口を動かさないのではない。頭の中においても静寂。心の中が何も生まない奇妙な空白。それはある種の覚悟か、あるいはあきらめか。一 瞬いつしゆん後にすべて思考を取り戻した彼女は、ふらふら揺れる切っ先を、それでも明確にアックアへ突き付けた。
 死地へ挑む者が放つ、ただ純粋な宣職布告。
 五和の中に残されたわずかな力が、一ヶ所へと集約されていく。
 静寂は唐突に破られ、そして結末はやってくる。

「ありがとう、五和」

 五和の決意を砕いたのはアックアの一撃ではなかった。
 それは彼女の肩に後ろからそっと置かれた、とある少年の弱々しい手だった。
 五和の小さな体が、その一言にビクリとふるえた。
 彼女は振り返れない。
 肩に置かれた手はボロボロのはずだ。
 だが五和の脳裏に浮かぶのは、ただ優しい顔。
「お前の回復魔術まじゆつのおかげで、ちょっと元気が出た」
 そんなはずがなかった。彼の幻想殺しイマジンブレイカーはあらゆる魔術を砕いてしまう以上、五和の回復魔術など何の意味もないはずだった。
 実際、少年の声は絞り出すように小さなもので、声域もたよりなくふらふらと揺らぎ、今にも消え入りそうに惑じられた。
 にもかかわらず、その短い言葉には温かさがあった。
 五和は思わず崩れ落ちそうになるが、直後に少年が何を考えているかを知り背筋にかんが走る。
 何故なぜ、このタイミングで立ち上がったのか。
 指先を動かす事すら難しい状況で、どうして無理に立ち上がったのか。
 そして、後方のアックアへ飛びかかろうとした五和を引き止めるように肩へ手を置いた上条の真意は。
「待―――ッ。」
 声を出す暇もなかった。
 少年は五和いつわの肩に置いた手にカを込めると、まるで五和と立ち位置を交換するように、一気に前へ飛ぴ出した。ボロボロの体を動かし、後方のアックアへ向かう上条かみじようの背中を、五和は止められなかった。中途ちゆうと半端はんぱに決意を砕かれたせいで、精神力によって支えられていた体の力が抜けてしまったのだ.
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 いくらあの少年が戦闘せんとう素人しろうととはいえ、後方のアックアに勝てない事ぐらいは分かっているだろう。
 あの少年のねらいはそこではない。
 後方のアックアは、最初から標的は上条一人だと言っていた。周囲に展開していた天草式あまくさしきの本隊も殺していないと言っていた。つまり一刻も早く戦闘の決着を着ければ、周りへの被害は減る。
 例えば、
 すぐそばにいる五和は死なずに済む。
「……ッ!!」
 その背中を目で追う事しかできない五和の表情がゆがむ。
 彼女のまぶたから透明な液体がこぼれる。
 五和は何かを叫んだが、上条は振り返らなかった。
 振り返らないまま、一直線にアックアの元へと飛び込んだ。
「良い度胸である」
 後方のアックアはそれだけ言った。
 そうして、五和の見ている目の前で、恐るべき一撃いちげきが放たれた。鋼鉄で作られた、全長五メートル以上もの巨大なメイスが横に振るわれ、少年の脇腹わきばら容赦ようしやなく突き刺さる。人体にぶつけるものとは思えない轟音ごうおん炸裂さくれつし、橋を作る鉄骨の柱とメイスの間に挟まれた少年の体から、すべての力が奪われた。決死の思いで握られたこぶしは、アックアに向かって放たれる事すらなかった。
 今度こそ完襞かんぺきに意識の消えた少年の体が、巨大なメイスに寄りかかる。まるで布団ふとんを干すような格好になった少年を見て、アックアは笑う。
 敗北者の奮闘ふんとうたたえるように。
 少女のために死地へおもむいたその勇気を、認めるかのように。
「一日待つ」
 アックアは、意識を失った少年を引っ掛けたまま、腕一本でゆるやかに巨大なメイスを振り回す。
麻酔ますいもなくここで引き抜かれるのもこくだろう。義手の準糒でもしておくが良い。期限までに騒乱そうらんの中心―――その元凶たる右腕を自ら切断し、我々に差し出すと言うのならば、その命は見逃してやるのである」
 それだけ言うと、アックアは無造作にメイスを横へいだ。
『神の右席』にして、聖人としての資質をも兼ね備えた怪物の一撃いちげき
 メイスに引っ掛かっていた少年の体が、砲弾のような速度で鉄橋から飛んだ。手すりを飛び越した体は数百メートルもぐ突き進み、暗く冷たい水面に激突すると、そのまま沈まずに跳ね飛んだ。あまりの速度に少年の体は二回、三回と水面の上を跳ね跳び、最後には川を流れていたクルーザーのすぐ横に沈み、まるで爆風のように川の水を盛大にき散らす。
 ドッバァァン!! という轟音ごうおんが少し遅れて炸裂さくれつした。
 詳しい生死を確かめもせず、後方のアックアは五和いつわに背を向ける。
 彼は最後に、もう一度言った。
「一日待つ」

   行間 一

 何だ、眠れないのか。
 それじゃじーちゃんが話でもしてやろうな。ん? じーちゃんの話は長くてつまんないって。
 だからさっさと眠たくなるんだろ。
 ええと、それじゃ占星せんせい施術せじゆつ旅団について話すか。
 ああ、そうそう。昔はそういう名前で呼ばれていたんだよ。やってる事は今と変わんないかな。そうだよ。お前がガキんちょなりに入のお手伝いをしている、あれと一緒いつしよ。一応は十字教系の魔術まじゆつ結社で、あっちこっちで人から相談を聞いて、状況に合わせてこっそり魔術を発動する。そんな集まりだ。
 ただ、昔は依頼いらいの数が圧倒的に多かったな。うそじゃないぞ? 国中の人たちたよられたんだ。何しろ依頼のために集まる人があまりにも多いから一ヶ所にとどまれないってんで、じーちゃん達は何年もかけて、ゆっくりとロシア全土を回るような生活をしていたぐらいなんだからな。
 ところが、まあ、トラブルってのはどこにでもあるもんでな。
 厄介やつかいなのに目をつけられちまった。
 いやいやいやいや、断っておくけど、ロシア成教全部が悪いって訳じゃないんだぜ。ただ、その鹿野郎はロシア成教の一部門を完全に私物化していやがってな。おかげでじーちゃん達はプロの戦闘せんとう集団相手に追いかけっこをする羽目になっちまったんだ。
 馬鹿野郎の名前?
 じーちゃん達を捕まえてどうするつもりだったのかって?
 そいつはガキんちょには教えられないな。曲がりなりにも一国家の暗部ってヤツだ。教えるのは簡単だけど、そうなったら子供だって容赦ようしやはない。おいそれと吹聴ふいちようして良い内容じゃないって訳だ。
 とにかく、ロシア成教の追っ手ってのはおっかなくてな。そもそも人間の範疇はんちゅうにいない幽霊ゆうれいだの妖精だのと戦うために編成されたガチの化け物だ。『お手伝い』業務のじーちゃん逮じゃまともにぶつかってもどうにもならない相手だった。圧倒的なんだな。
 だから、じーちゃん達は国外へ逃げる事にしたんだ。不幸中の幸いにも、ヤツらはロシア成教。つまりロシアの国境から出ちまえば何とかなる。希望ってのはすごいもんでな。一掴ひとつかみのわらがあれば、人間はいくらでも頑張れるものなんだよ。
 でも、辺りはマイナス五〇度の地獄でな。国境までは何十キロもある。いやぁ、大変だったよ。なんていうか、もう痛みとかそういう世界じゃないんだな。ただ足の裏が重たくなっていく感覚しかないんだよ。そんな中を延々と徒歩で歩くんだ。じーちゃんみたいな老人も、お前よりも小さなガキんちょも、みんな平等に。お前なんか、かーちゃんのお腹の中にいたんだぞ。かーちゃんが怪力なのは多分あの時のせいだな。
 そんな状態なら、ロシア成教の追っ手だって動けなかったんじゃないかって?
 違うんだな。連中は、そラいう永久凍土の中で動くために訓練された、本物のプロなんだ。まるで機械とか人形みたいに規則的に動きやがる。しかも兵士も一流なら、装備も一級品だった。ヤツら、金属の馬を使うんだ。あれは八本足の馬だったかな。そうだよ、確かスレイプニルとかってコードネームで呼ばれている霊装れいそうだ。
 じーちゃんたちとロシア成教の速度なんて、一目いちもく 瞭 然りようぜんだった。
 吹雪ふぶきかすむ視界の向こうにうっすらと国境が見えるだろ。でも分かるんだ。あそこに辿たどり着く前に、ロシア成教の追っ手に捕まっちまうって。もう見えているのに届かない希望。みるみる後ろから近づいてくるのに、どうする事もできない追っ手の影。あきらめるしかないって思うだろ。な努力をするぐらいならひざをついた方が楽だって思うだろ。でも、できないんだ。なまじ目の前の国境っていう希望が見えちまうと、諦める事すらできないんだ。

 ん?

 その後どうなったのかって。
 そりゃお前、何とか逃げ切ったよ。そうでなけりゃじーちゃんはここにいないし、お前だって生まれていないだろ。どこが引っ掛かっているんだ?
 そっかそっか。
 どうやってロシア成教の精鋭から逃げきったのか、それが分かんないのか。
 そいつは簡単だよ

 じーちゃん達の前に、『ヤツ』が現れたんだ。
 ウィリアム=オルウェルがな。

第二章 敗北から立ち上がる者達 Flere210.

     1

 夜の病院に慌ただしい音がひびく。
 ここは第二二学区第七階層にある、救命救急病院だ。
 患者を乗せたストレッチャーの小さな車輪がガチャガチャと鳴る。複数の救急隊員がそれを取り囲みながら進み、音のかたまりは救急外来から建物の中へ。ストレッチャーを押す手が救急隊員から医師や看護師ヘバトンタッチされ、集中治療ちりようしつに入り、さらに手術室の扉の中へと消えていく。
「……何とか、終わりました。正直、安定した容態とは言いがたいですが」
 手術室から出てきたストレッチャーが再び集中治療室へと戻っていくのを見届けながら、若い男の医者はそう言った。
 面会時間の終わった病院の廊下は寂しいものだ。
 しかし現在、薄暗うすぐらい廊下には複数の人影がいた。大勢、と呼んでも良いかもしれない。老若ろうにやく 男女なんによ、合わせて五〇人前後の人間が壁に寄り掛かったり、ソファに座ったりして医者の言葉に耳を傾けている。その大半が衣服のあちこちを破き、包帯を巻いていた。しかも白い布の上からじわりと赤いものがにじみ出ている者も多い。
 彼らは『天草式あまくさしき』と名乗ったが、それが具体的にどんな組織を差しているのかは、若い男の医者には分からない。ていに言えばとてつもなく胡散臭うさんくさい集団なのだが、スキルアウトの大物などが入院したりすると、やはりこんな風に不良少年たちで待ち合いロビーがあふれ返る事もたまにある。なので、若い医者はあまり深入りしないようにした。
大雑把おおざつぱに言って、普通の人間なら絶対安静、といった所でしょうか。細かい内訳で言うと、まずは全身打撲だぼく脳震盪のうしんとう。後は右肩、左足首の関節が脱臼だつきゆうしています。後は内臓も圧迫されていて」
「……つまりは、予断を許さないって訳よな?」
 クワガタみたいな光沢の黒髪の大男が、慎重に言葉を選びながら尋ねてきた。
 医者は重たい息をいた。
「不幸中の幸いとでも言うべきでしょうか……。一番怖かったのは長時間水の中にいた事によって、脳へ酸素が回らなくなっていた危険性ですが……こっちはダメージは少なそうです」
 電子情報化されたカルテらしきものを見ながら、若い男の医者はスラスラと統ける。
「しかし……複数の目撃もくげき証言があるとはいえ、にわかに信じられない『原因』ですね。人間の体を鉄橋の上から数百メートル吹き飛ばし、川の水面を何回もバウンドさせて、水の中にたたき込むなんて……。状況そのものも信じられませんけど、それだけのだい惨事さんじに巻き込まれて、まだとうげの途中でふらふらできるという事が奇妙としか言えません」
「手加減されたんだ……」
 暗い廊下で、だれかがボソリとそう言った。
 若い男の医者はそちらを振り返るが、誰が言ったか分からなかった。彼らはおかしな集団で、病院の中では圧倒的に浮いているのに、誰も彼もが『突出』していない。『群衆という風景』のように見えるのだ。しかも『五〇人近い包帯を巻いた集団』であるにもかかららず、だ。
「とにかく、まだすべてが終わったって訳じゃねえのよな」
 唯一『突出』しているクワガタ男が、念を押すように医者に聞いた。
「話ができれば、一言だけでも謝っておきたい所なのよ」
「なっ、何を言っているんですか!? 絶対安静に決まっているでしょう!? そ、その、何に対して謝るのか存じませんけど、今は得策じゃありません。麻酔でぐっすり眠っていますし、仮に麻酔の影響えいきようがなかったとしても、体力レベル的に覚醒かくせいするとは思えませんよ。今は休ませてあげるぺきでしょう」
 それに何より、と若い男の医者はあごで集中治療ちりようしつを差した。
 外からでも患者の変化を逐一ちくいち確認できるようにするためか、集中治療室の壁はガラス張りで、廊下からでも数名の患者が寝かされているのが見えた。大量の機械に囲まれたべッドの一つに、ツンツン頭の少年が横たわっている。
 クワガタ男は若い男の医者に促されるように集中治療室に目をやり、そこでわずかに表情をくもらせた。
 ベッドに寄り添うように、あるいは床にひざまずくように、一人の少女がたたずんでいた。患者のてのひらを両手で包み込むように握っているのは、白い修道服を着た少女。
 インデックスだ。
「……こいつは医者としての経験ですが、そっとしておくべきだと思います」
 若い男の医者は感情を消したような顔で、そう警告した。
 クワガタ男も、あの中に割って入るだけの度胸はないらしい。だまってうなずくのを確認してから、若い男の医者は廊下を歩いて立ち去った。
 クワガタ男―――建宮たてみや斎宇さいじは、集中治療室のガラス壁から一歩だけ身を退いた。
 本当に悔しいが、あの少年に対してできる事は何もなかった。天草式あまくさしきに伝わるあらゆる回復や治癒ちゆ魔術まじゆつも通じない。せいぜい無事を祈るぐらいが関の山だが、それにしたって、祈るだけの資格があるかどうか。
 後方のアックアから身を守ると言っておきながら、実際には文字通り『蹴散けちらされた』。片手間のような攻撃こうげきでボロボロにされた建宮たてみやたちは、標的へ向かっていくアックアを地面に倒れながら見届けるしかなかったのだ。
 その上、最後は護衛対象自身が天草式あまくさしきの『仲間』を守るために戦って……この有り様だ。あちこちに巻かれた包帯や、り付けられたガーゼ。一般人には分からないだろうが、魔術まじゆつてきな観点からは一目いちもく 瞭然りようぜん。今の天草式は、平時のように環境と一体になる事すらうすらいでいる。
 今の天草式は、何もかもに負けていた。
 後方のアックアからも、そしてそれ以上に、上条かみじよう当麻とうまからも。
「……、くそったれが」
 建宮は奥歯をむ。
 どれだけ打ちひしがれようが、敵は待たない。五和いつわの話によると、後方のアックアは一日後に上条当麻の右腕を切断して渡さなければ、再び上条を襲撃しゆうげきすると伝えてきているという。当然ながら、右腕も、襲撃も、そのどちらも許せるはずがない。
 やるぺき事は分かっている。
 上条当麻を守るために、何があっても立ち上がるべきだ。
「で、お前さんはそこで何をうずくまってんのよ」
 建宮が問いかけると、薄暗い廊下の中でも、さらに光の少ない、ほとんど黒いかたまりのようになった一角で、ビクリと小動物がふるえるような気配があった。
 目をらさなければ分からない。
 しかし、ソファの隅で小さくなっているのは、間違いなく五和だ。
 手足には包帯、右類みぎほおを覆うような四角いガーゼ。痛々しい事この上ないが、肉体的な分かりやすい傷などとは比べ物にならないほど、彼女の精神は打ちのめされていた。
「……わ、たし……」
 声は不安定で、しゃっくりのようなものが混じっていた。鳴咽おえつ。あまりにも涙をこばしすぎたせいで、横隔膜おうかくまくの制御がおかしくなっているのだ。
「……私、守るって……そう言って。やりだって、魔術だって……何の役にも、立たなかったのに……ありがとうって、言ってくれて……。少しも守る事ができなかったのに、立ち去るアックアに一矢を報いる事もできなかったのに……ありがとうって……」
 ボタボタ。という音が聞こえる。
 それは涙かもしれないし、握りめたてのひらから血がこぼれているのかもしれない。
「私……あの人の話を聞いた時、なんてすごい力を持っているんだろうって、思いました。でも違ったんですよ。あの人は、どんな防御術式にたよる事もできない。どれだけの回復魔術があっても、かすり傷一つも治せない。本当に、体一つで戦っていただけなのに……」
「五和……」
「私、そんな人を見殺しにしたんですよ」
 その時、五和いつわは笑っていたかもしれない。
 ぐずぐずと鼻を鴫らしながら、その顔には笑みのようなゆがみが見えた。
「そんな人間が、何で一人だけのうのうと生きているんですか。被害者の集まりの中に一人だけ変なものが混じり込んで、何で天罰てんばつって降り注がないんですか!? こんなのはおかしいんです。私の方があのベッドで眠っているはずだったのに!! それで全部解決していたはずなのに!!」
 一つの言葉の中で強弱が曖昧あいまいに揺れる。それは相談であり、独り言であり、懺悔ざんげであり、八つ当たりであり、負け犬の泣き言であり、猛獣もうじゆうが放つ咆哮ほうこうでもあった。
 自分で自分の感情を把握しきれていない。
 そんなものに気を回す余裕がないほどに、五和は追い詰められている。
 それを知り、建宮たてみやはわずかに目を細めながら、たみを裂くように五和の元へとみ込んだ。
「立つ気はないのか」
「……、」
「お前さん、一体そこで何をやってんのよ?」
 建宮は軽く言いながら、しかし五和の胸倉を片手でつかみ上げた。周りが何か言うより前に、恐るべき筋力でり上げると、そのまま手近な壁に勢い良くたたきつける。
 バゴン!! というすさまじい音が鳴りひびいた。
 五和の背中に衝撃しようげきが走り、呼吸がおかしくなる。だが五和は、抵抗らしい抵抗を何もしなかった。ただあえぐように酸素を求め、涙にれたひとみで建宮をにらみ返している。
「……さん、だって……」
 息も絶え絶えに、しかし五和は唇を動かした。
「建宮さんだって、負けたじゃないですか」
「―――、」
 みにくい言葉だと言うのは、彼女自身気づいているだろう。そして本来、建宮に怒りをぶつけるべきではない事も。それでも彼女が建宮にとげのある言葉を放ったのは、もうそれぐらいの事をしないと自分の精神が耐えられないからだ。きっと五和という少女は、本当にあの少年を守りたかったのだろう。心の底から約束を果たしたかったに違いない。そして、そのおもいは、圧倒的な力によって粉々に打ち砕かれてしまった。
 建宮は、無理に理解しようとしなかった。
 その感情は、おそらく五和だけが理解するべき大切なものだ。
 だから代わりに、彼はこう言った。
「こんな女を助けるために、あいつは体を張ったのか?」
 その言葉に、五和の目が大きく見開かれた。
 刃物を刺されたかのような表情。壁に叩きつけられた時にも苦痛を表現しなかった顔が、建宮の言葉でグシャグシャの痛みを表していく。
「テメェの身内を目の前で痛めつけられて、ボロボロになった命の恩人を前にして……まだ動こうともしない。本当に、そんな女のためにあいつは命を投げ出したっていうのか。だとしたら、そいつは犬死にってヤツなのよ。正真しようしん 正銘しようめいの犬死にだ。ハッ。結局シンプルじゃねえの。こりゃあ馬鹿ばかが馬鹿を助けて馬鹿をやったって事なのよな?」
 五和いつわの頭に、カッと熱がこもった。彼女はり上げられたまま、けもののような叫び声をあげて建宮たてみやこぶしを打とうとする。しかしその前に、建宮は壁に押し付けていた五和の体を、思いきり床へ振り下ろした。
 ズン!! とひびきすら錯覚さつかくさせるだい音響おんきようだった。
 再び呼吸困難におちいる五和の上へ馬乗りになり、建宮は彼女の目を見る。
「良いか。分かんねえようなら教えてやるのよ」
 低く、ただ低く。
 建宮斎字さいじの声色には、怒りの火がともる。
「―――後方のアックアは、必ず来る」
 ビクリと五和の体が震えた。
 目をらしたいほど分かり切っている事を、建宮はもう一度再確認させる。
俺達おれたちがこうしてグダグダ悩んでいる今も、タイムリミットは確実に迫ってるのよな。一秒一秒の無駄むだが、ただでさえ低い幸福の確率をより一層引き下げちまうのよ! お前さんはそんな事を許せるのか。まだ可能性は残ってるのに、たとえどれだけ少なくても確実に残っているのに、そいつをつまんねえ後悔や罪悪感で全部捨てちまうのか!? そうやって勝手にあきらめられたあいつは、何も知らないままに右腕をぶち切られちまうのか!? 笑顔を守りたければ立ち上がれ。自分の都合で他人の人生を投げ捨てるんじゃないってのよ!!」
 ほとんど咆哮ほうこうに近い叫びだった。
 何も言わない五和に向かって、建宮はさらに言う。
「……助けを呼んで助けが来るなら、俺達だってそうするのよ。あの『聖人』が、女教皇様プリエステスが来てくれるって言うなら、後の事は全部任せられる。でも、そんな都合の良い事なんてありえねえってのよ。良いか。―――後方のアックアは、必ず釆る。お前さんは、この病院を戦場にしたいのか。つまんねえ現実から逃避とうひするために!!」
「たて、みや……さん」
だまってたってアックアは止まらねえ!! 助けを求めてもイギリス清教が今から作戦を変更して増援を送ってくれるなんて都合の良い事は起きねえってのよ!! だったら動ける者が動くしかねえ。今ここで戦えるのは俺達だけだ!! みじめだろうが何だろうが、今ここにいる俺達が動かなかったら、今も麻酔ますいで眠らされているあいつは一体だれに守ってもらうのよ!! そいつが分かってんのか!!」
 五和いつわの胸倉をつか建宮たてみやの手が、ギリギリと音を立てた。
 本当に、自分の手をこわしてしまいかねないほどの力だった。そして、五和は知る。怒りを覚えているのは、己を恥じているのは、自分一人ではない事に。全員が上条かみじよう当麻とうまを守ろうとして、全員がそれに失敗してしまった事実を受け止めている事に。
 彼らは、それでももう一度立ち上がると言った。
 負け犬の恥を知りながら、うずくまるのではなく、立ち上がると言ったのだ。
 大切なものを守るために。
 ならば、
(わ、たし……は……)
「あいつに謝りたいか?」
 目を見て語る。
「あんな風にしちまった『守るべき者』を、もう一度だまりの中に帰したいか?」
 五和はき込む事も忘れて、小さくうなずいた。
 何かを言ったが、それは鳴咽おえつふるえて聞き取れなかった。
「……だったら戦え。お前さんが最高に良い女である事を証明して、こんなヤツのために命を張って良かったって思わせてやれ。謝るにしても、笑うにしても、そいつは命がなくちゃできない事なのよな。墓前で懺悔ざんげをしたくなけりゃ、俺達おれたちは戦うしかねえのよ」
 建宮は五和の胸倉から手を放すと、ゆっくりと起き上がった。
 周囲を見回し、確認を取るように言う。
「……この中に。五和と同じ事を言う鹿はいるか?」
 後悔と無力感によって徹底てつていてきに沈み込んだ空気を打ち破るように、建宮の声が通る。
「いるって言うんなら、前に出ろ。目を覚ましてやるのよ」
 返事はなかった。
 しかし覚悟はあった。
 後梅と無力感が消えた訳ではない。だがそれ以上の戦う意思があった。
 建宮は薄暗うすぐらい病院の廊下にたたずむ五〇人近い仲間達を改めて眺めて、こう言った。
「いないって言うなら、それで良い。後は全力を尽くすだけなのよ」
 天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようの面々は振り返らない。
 集中治療ちりようしつに一人の少年と一人のシスターを残し、彼らは再び強敵と立ち向かうため戦場へ戻っていく。
「ったく。救われぬ者が目の前にいて、これに手を差し伸べねえって事はねえのよなあ」
 やるべき事は、ただ一つ。
 王手のかかった盤をひっくり返し、少年の命を守り抜く事のみ。

     2

 夜の暗いやみの中に、後方のアックアはたたずんでいた。
 第ニニ学区第三階層の市街地からはややはなれた一角にある、自然公園だ。彼がここにいる理由は単純で、少しでも科学技術にあふれた人工物から遠ざかりたかったからだ。もっとも、ここにある森林も水栽培技術を応用した科学のかたまりである事に気づかされ、落胆している最中でもあるのだが。
(そもそも、この空間全体からして人工的な地下空間だったのであるか)
 頭上を見上げれば星空が広がるが、それらもプラネタリウムのスクリーンに映る幻。少しでも魔術まじゆつを知る者なら、その差に気づくだろう。
 あまり維持費をかけていないのか、ライトアップもまばらな闇の中に、小さな四角い光がある。
 アックアの持っている携帯電話だ。
 話し相手はローマ教皇。しかし彼らは携帯電話の電源を入れていない。アンテナ部分の先端せんたんに光っているのは、あくまでも魔術による光だった。
(これでも傍受の危険はぬぐえんか。一応、天草式あまくさしきとかいうイギリス清教の尖兵せんぺいもいたようであるしな)
 とはいえ、科学サイドの総本山で鹿正直に電話を使うよりかはマシだろう。
『それにしても、殺すのをやめて右腕を奪うにとどまるとはな。『神の右席』は己の方針を変えないものだと、前方のヴェントからは聞いていたが?」
「あれはヴェントの性格的な問題である。実際には各々おのおのの局面に応じて臨機応変に立ち回っているものである。……テッラの場合、それが行き過ぎて暴走したがな」
 同じ組織の同僚どうりよう惨殺ざんさつし、その死体を敵対組織の元へ郵送したアックアだが、そこには後悔や罪悪感らしきものはうかがえない。
「実際、あの少年の特異性は『右腕』に集中している。それを奪えば脅威きよういは排除されるであろう。ただの未成年にかまけているほど、我々は暇ではないのである」
『私としては、そちらの方が好ましくもあるがな』
 ローマ教皇が、電話の向こうでわずかに笑った気がした。
『これは以前ヴェントにも言った事だが……自らの意志をもって明確に神の敵となったのならば粉砕するしかないが、くだんの少年はいまだ神を知らぬと聞いた。それをただ殺してしまうというやり方には正直、反発がある。……ヴェントには鼻で笑われたがな』
「……私に何を期待しているかは知らぬが、私は貴方あなたほど善人でも博愛主義者でもない」
 アックアの声が、平坦へいたんなものになる。
「殺すべき時が来たら殺す。今はその時ではなく、そしてその時が訪れれば殺すだけだ。いくつかの選択と時の運が重なれば、その時が訪れない未来もあるであろう。それだけの話である」
 彼の言葉にうそはない。
 世界でたった四人しかいない最高組織。その数少ない同僚どうりようである左方のテッラを容赦ようしやなく瞬殺しゆんさつしたのは、後方のアックアだ。
『右腕』が消失した事で、敵性が失われればそれでよし。
 それでもなら、あるいは『右腕』の提出を拒めば―――後は簡単だ。
 消す。
 言葉にすればあっけなく、そして言葉以上にそっけない一撃いちげきで、アックアはすべてを土にかえすだろう。
 彼にはそれだけの力と覚悟があるのだから。
 後方のアックアはそれを認識しつつも、表情が動く事はない。
『奇妙な状況だな』
 ふと、ローマ教皇がそんな事を言った。
『代々の教皇の「相談役」として設立された「神の右席」が敵地の中心へみ込み、この私がバチカンから傍観とは」
 十字教は一神教だ。
 神は一柱しかおらず、全ての奇跡はその一柱によって集中管理される。絶対的な神にあらがえる者はいないのだから。本来ならば世界の全ては幸福に満たされるはずであり、不幸な人が現れ
る事はないはずなのだ。
 だがしかし、現実にはどうか。
 歴史を省みれば分かるだろう。十字軍遠征の失敗、ペストの流行、オスマントルコ勢力の拡大。個人の幸不幸どころか、ヨーロッパ全土が死滅しかねない転換期など、幾度もあった。
 教皇一人の手に余る。
 かと言って、『神は絶対』を掲げる十字教の象徴たる教皇が、何者かに相談するという事自体が、ある種の不祥事とも言える。
 そこで生み出されたのが『神の右席』。
 時に教皇すらたよりにするほどの知識と力を保有する事を求められた、十字教社会のピラミッド構造に寄り添う特殊な『相談役』。
 すうきよう、執政、軍師。そういったものとは全く異なる、そもそも『ピラミッドの中に存在すらしない』、声なき助言を与える者としての役目を全うする存在。
 その座は常に四。天使の中で特に重要な四大天使に対応する『右席』のメンバーは、必要に応じて『中身』だけを次々と入れ替える事で存続する。
 だが、状況が状況だったとはいえ、時の教皇たちは『影の相談役』にたより過ぎたのかもしれない。いつしかローマ正教は、『神の右席』を中心に据えてしまっていた。
 アックアはその事を少しだけ考えた。
 だが、特に言及するような台詞せりふかなかった。
「次に連絡を入れるのは、事後の報告であろう。例の標的が生きるか死ぬかはさておいてな」
 その時、大きな音によって彼の言葉はさえぎられた。
 原因は大気。
 やみの色にまぎれるように、何かがチカッとまたたいた。それは常入の感覚器官ではとらえられないほど小さな光。アックアはそこに危険を察知すると、携帯電話を肩と耳で挟んだまま、気軽に飛び下がる。
 空気がひとりでに渦を巻き。つい先ほどまでアックアの立っていた空間が、地面ごとまとめてえぐられ、削れて消える。
 奇怪な現象にまゆをひそめるアックアは、やがて一つの予測を立てる。
(……空気中に何らかの微粒子を散布し、物質を分解しているのであるか)
 彼が科学に詳しい者なら、『オジギソウ』というナノサイズの反射合金を思い浮かべた事だろう。回路も動力もなく、特定の周波数に応じて特定の反応を示す極小の粒。それはテレビのリモコンを使ってラジコンを操るような感覚で、動植物の細胞を一つずつむりり取る事もできる。
 アックアが見えない魔手ましゆに警戒していると、今度は人工的な夜空を作る巨大プラネタリウムのスクリーンに異変が生じた。甲高かんだかいブザーと共に、一面に警告メッセージが流される。
『第三階層全域で無酸素警報が発令されました。住民の皆様はすみやかに災害対策指定を受けた建物になんするか、各家庭に設置された酸素ボンベを装着してください。り返します、第三階層全域で無酸素警報が発令されました―――』
「なるほど」
 アックアは不敵に笑う。
「どうやら、向こうはこの階層全域に攻撃こうげき用の微粒子を散布し、私の逃げ場をなくすつもりで
あるらしい」
『まずい状況かね』
「そう見えるか?」
 アックアが口の中で唱えると、空気中の水分が彼の味方となる。水分に触れる動きを感知し、彼は大雑把おおざつぱに『オジギソウ』の散布バターンを推測していく。
 すると今度は周辺の茂みからガサリという葉のれるかすかな音が聞こえてきた。目を走らせれば木々の合間から駆動鎧パワードスーツの装甲が月の光を照り返している。少しはなれた所からは別種の駆動音も聞こえる。ガソリンエンジンと電気を使い分ける、都市型短期警戒用の装甲車も用意してきたらしい。
 彼は笑いもしなかった。
「戦力調査の小手調べ、か。ならば、傭兵の流儀ハンドイズダーティというものを紹介してやるのである」
無暗むやみ殺生せつしようは控えてほしいものだがな』
「詳しくは知らないが、すべて無人機というヤツであろう。人間らしい気配がない。だからこそ、ここまで近づかれた訳であるが」
 ブォン!! という新たな音が炸裂さくれつする。
 アックアが足元の影から五メートル以上の全長を誇る特大のメイスを取り出した音だ。
「それにしても、素晴らしいのであるな。学園都市というものは」
 ズシリと重たい鉄塊てつかいを肩にかついで彼は言う。
「わざわざ血を流さぬ戦場を作るとは気がく。肩を慣らすにはちょうど良いのである」
 声にこたえるように、敵の集団が動く。
 夜の公園の一角で、アックアを中心に複数の影が取り囲む。
 無数の弾丸がおそいかかった。
 肉眼では見えないレベルから『オジギソウ』がらいついてきた。
 しかしアックアは倒れない。
 弾丸をけ、『オジギソウ』を吹き飛ばし、時に『オジギソウ』の力を借りて軌道を不自然にじ曲げる弾丸にまで正確に対処し、即座に反撃はんげきへ移る。
(科学の仕組みは分からんが、どこかに現場で指揮を執る者が隠れているはずである)
 アックアは一息で包囲もうを突き抜け、彼の持つ五メートル以上の長さのメイスがやりのように装甲車の側面に刺さる。彼はその重量を無視して装甲車ごとメイスを振り回し、無数の駆動鎧パワードスーツを吹き飛ばす。アックアはさらにメイスを地面へ振り下ろし、先端せんたんに引っ掛かっている装甲車を木端こつぱ微塵みじんに爆破させ、滞空する『オジギソウ』を牽制けんせいさせた挙げ句、どういう術式を使っているのか、燃え盛る炎の中からアックアは平然と歩いてくる。
(ならば、全ての駆動鎧パワードスーツの装甲をむしり取り、装甲単のボディをこじ開けて、片っぱしから確認するまでである!!)
『神の右席』後方のアックアが動く。
 轟音ごうおんと破壊が全てを支配する。

     3

 日本とイギリスの間には約九時間の時差がある。
 現在、日本は深夜と呼ばれる時間帯のはずだが、ロンドンではまだ夕方だ。もっとも、緯度の関係で、秋や冬の場合イギリスの日没は早い。すでに空の色は紫がかっていた。
 王立芸術院。
 英国でも屈指の名門と呼ばれる美術館は、次の時代のにない手を養成するための美術学校のスポンサーでもある。そしてそこからはいまだに講師の声は途絶えない。
 蛍光灯に照らされた教壇きようだんに立つのは、シェリー=クロムウェル。
「そんじゃ、今日は紋章について話すぞ」
 ライオンのような金色の髪に、チョコレートのような肌の女性だ。服装はボロボロにり切れたゴスロリの黒いドレス。優れた彫刻家としても知られるシェリーだが、その美的センスは己の作品以外には向いていない……というのが、生徒たちの間での評価だった。
「紋章っつってもあれだ、家紋に使われるヤツの事ね。得体えたいの知れないオカルト的なマークじゃない。……まぁ、そういう紋章もあるにはあるが、今は脱線しないでおこうか」
 生徒達の間からは含んだ笑みが返る。
 どうやら冗談だと思われたらしい。魔術まじゆつシェリーは気にせず話を先に進めた。
「一口に紋章っつーといくつかの部品を組み合わせたワンセットで扱われてるけど、今日持って来たのはその中で一番中心にある盾の紋章エスカツシヤン
 シェリーは気だるげな口調で、
「キャンバスに絵の具を塗って食べてく事を目標にしてるテメェらには関係ないって感じだろうけど、メッセージ性のある作品を描く時、こういう知識が助けになる事もあるのよ。ま、スランプ回避かいひさくの一つとして、適当に先生の話を聞き流してなさいってトコか」
 と、その時、講義室のドアが控え目にたたかれた。
 教壇の上に見本品の盾の紋章エスカツシヤンを乗せたまま、シェリーは怪訝けげんな目をそちらに向ける。
 うっすらと、音もなく少しだけドアを開けたのは、この美術学校の若い事務員だ。去年赴任したばかりの女の事務員は、その小さな頭をわずかに傾け、申し訳なさそうな声で言う。
「あのう……英国図書館の方からご連絡があるのですけど……」
「そうか」
 シェリーは適当に言って、紋章の縁を人差し指でなぞり、わずかに考えてから、
「という訳で、悪いがしばらく自習ね」
 極めて適当な調子で生徒達に言葉を投げると、ボリボリと頭をきながら講義室を出る。
 廊下に出ると、小柄な事務員はオドオドした目でシェリーを見た。
「その、何だかすみません」
「別に。あいつらも自習の方がうれしいだろ。作品ってのは教えられて作るようなものでもないし。自習を好まないようなヤツは、そもそも作り手には向いてないわよ」
「は、はぁ……」
 曖昧あいまい微笑ほほえんだ事務員に、シェリーは面倒めんどうくさそうな調子で尋ねた。
「で、連絡ってのは?」
「え、ええ。お電話です。事務室までいらしてください」
 事務員に先導されて小さな部屋に入ると、ビジネスデスクの上に置かれた電話機の一つが、保留中のランプをチカチカまたたかせている。
「あれか」
「英国図書館からの連絡というと……美術品の取り扱いとか、そちらの話ですか」
「そんなトコよ」
 大英博物館や聖ジョージ大聖堂などから頻繁ひんぱんに『連絡』を受けるシェリーは、周囲からは古い美術品の鑑定かんてい修繕しゆうぜんなどを請け負っていると思われているらしかった。
 ペコリと頭を下げて自分のデスクに戻っていく事務員を見ながら、シェリーは面倒めんどうくさそうな調子で受話器を取った。
 向こうからは、やたらのんびりした女性の声が聞こえてくる。
『あらあら。そちらはシェリーさんでよろしいのでございましょうか』
「……やっぱりテメェかオルソラ。ったく、ほかに書物のスペシャリストはいないのかしら」
 極めてうんざりした調子のシェリーに対し、オルソラと呼ばれた女性はころころと笑って、
『まぁ。粗大ゴミは月曜日と金曜日でございますよ』
「分かった分かった。言動が巻き戻るのは良く分かってるから本題を話せ」
 最近彼女の扱い方を覚えたシェリーは平坦へいたんに言って話の先を促す。
 オルソラの話はこんな感じだ。
『英国図警館に残されている過去の魔術まじゆつてき事件の帳簿ちようぼなどから、『神の右席』……後方のアックアについて調べていたのでございますけど』
「それは今朝、私が出勤する前に聞いたわよ。で、結果は?」
『九月三〇日の目撃もくげき証言などを検証した結果、くだんの「彼」は後方のアックアを名乗る前は、イギリス国内を中心に活動していたようで、複数の目撃談があるみたいでございます』
「それも昼休みに聞いた」
『で、一部では「彼」はイギリスの「」だった……という証言もあるみたいでございますけど』
「あ?」
 初めてシェリーのまゆ怪訝けげんに動いた。
(ローマ正教徒である後方のアックアが、イギリスの騎士……?)
 現在のイギリスでは、表向きの『騎士』の爵位しやくい勲章くんしようのようなものだ。家柄とかそういうものは関係なく、英国にとって優れた功績を残した者に、女王陛下から直接授けられるのである。その爵位が子供や孫に相続される事もない。感覚としては国民栄誉賞に似ているだろうか。
 だがそれとは別に、イギリスの暗部には今も『騎士派』という大きな派閥が存在する。王家と国家のために剣を取り、それをおびやかす者すべてを敵とみなして、命を尽くして殲滅せんめつする―――極東のサムライと同じく、火器の発達と共に消えたはずの『騎士』たちが。
「……今の他宗派の幹部が、昔はウチのだったなんて。それが本当だとしたら、厄介やつかいごとにもほどがあるわね。下手すりゃ後方のアックアが起こした事件の責任だ何だで学園都市側からしぼり取られるかもしれないぞ」
『ただ、バッキンガム宮殿に保管されている騎士人名記録からは、後方のアックアの特徴と一致する人物は見つからないのでございますよ』
「つまり情報はデマだったって事か?」
 魔術まじゆつてき傭兵ようへいか何かが、周囲から誤解された……という所だろうか。
 オルソラは『うーん』と少しだけ悩むような声を出して、
『確かに、騎士人名記録からは見つけられないのでございますけど』
「あん?」
『騎士に選ばれた者には、家柄一つにつき盾の紋章エスカツシヤンを用意するものでございましょう? ロンドン郊外の職人に尋ねた所、依頑いらいにん不明の盾の紋章エスカツシヤンの注文書が見つかったのでございますよ。……匿名とくめいで注文はされたものの、製作途中で取り消されたらしいのでございますが』
「……なるほど」
 シェリーは唇のはしゆがめた。
「紋章のデザインは、その家柄、歴史、役割を記号化したもんだ。そいつを調べて、『記録上存在しない騎士』の素性すじようを明かすって訳か」
『紋章の図版から得られる情報があれば……と思いまして、ええと「ふぁっくす」というので注文書をそちらへお送りしたのでございます』
 シェリーがファックスの方を見ると、ちょうど用紙がき出される所だった。先ほどの若い事務員がファックスの機材に向かって走っていく。
 事務員から一〇枚近い紙束を受け取ったシェリーは、一枚一枚デスクの上に並べ、そこに記されたものを人差し指でなぞっていく。芸術品と言うよりは、機械の設計図のようだ。モノクロの用紙のあちこちにカラーの指定が細かく書き込まれているのが、そういうイメージをさらに深めているのかもしれないが。
「……メインカラーは二色。原色の青をベースに、装飾で緑。使ってる動物は……ドラゴンと、ユニコーンと、こっちの女はシルキー……か? 盾を四つに分けて、三つの動物を配置したとなると」
『何か分かったのでございましょうか』
「分かったのは簡単な事だな」
 しばらく図版を眺めていたシェリーは、やがてあきれたように息を吐いた。
「何だか知らないけど、この紋章の持ち主は相当のひねくれ者ね」
『はあ』
「ドラゴン、ユニコーン、シルキー。共通するのは、すべて『現実には存在しない生き物』である事。それに、紋章の色もおかしい。基本色の青に、基本色の緑を重ねて配置するのはルール違反よ。……ここまでこつだと笑えてくる。こいつ、よっぽど『』としてリストアップされたのが不服だったみたいね」
 シェリーは蓄音機の針のように、図版に記された情報を人の言葉に直していく。
「大方、『王室派』から歓迎の言葉を受けて、断るに断れず、しぶしぶ任命式の召集状を受け取ったんだろうよ。となると……こいつは『騎士』になる前はフリーで活躍かつやくしていた戦闘せんとうのプロ。それも英国にとって利益になる活動を行っていたってトコかしら。……傭兵ようへいのくせに騎士に抜擢ばつてきされるって事は、汚い戦場の中でも正々堂々と己を貫いたあかし。人物背景に汚い所のない相手ほど、やりにくい敵はいないわね」
 念のために注文書のらい日時を尋ねると、一〇年以上前のものであるらしい。
 そんな昔の、それも依頼をされたはずの注文書を職人が後生大事に抱えている時点で、後方のアックアがイギリス活動時代にどれほど人望を集めていたかが垣間かいま見える。
『あと、魔術まじゆつ業界における「騎士派」の爵位しやくい任命資格は英国人にしか与えられないのでございますから、英国を本拠地に置いた傭兵をリストアップすればよろしいのでございましようか』
「いいや」
 シェリーは図版に描かれた動物を人差し指でコンコンとたたき、
「ドラゴン、ユニコーン、シルキー。これらば全部イングランドの伝承に登場すんのよ。英国って意味じゃなくて、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドの四分類で言う『イングランド』だ」
『……? ユニコーンはギリシアの方ではございませんか?』
「エリザベス一世がユニコーンの角をコレクションしているって伝承があったんだよ」
 実際は単なる動物の骨だったんだけどな、とシェリーはつぶやいてから、
「とにかくイングランド地方の出身者で、英国の利益となったフリーの傭兵……ガッチガチの魔術結社に所属していない『騎士に迎えやすい』一匹おおかみの傭兵が怪しいわね。おまけにいやな事をたのまれても断りきれなかった事から、ある程度『王室派』を大事に扱っていたヤツを洗い出せ」

     4

 建宮たてみや斎字さいじを始めとする天草式あまくさしきの本隊五〇人は、第二二学区第七階層の裏路地にいた。連絡を受けた建宮は、携帯電話を片手に周囲の仲間たちへ声をかける。
「第三階層の自然公園で、後方のアックアと学園都市の無人機甲部隊が衝突しょうとつしたようなのよ」
 その場の全員に緊張きんちようが走る。
 第三階層と言えば、ちょうど上条かみじよう五和いつわが襲われた場所だ。
 どちらが勝利したかは言うまでもない。後方のアックアという化け物は、量産品の機械の群れにやられる程度の存在ではない事ぐらいは分かり切っている。
 建宮たてみやの近くにいた牛深うしぶかうかがうような目で言う。
「……行きますか?」
「いや」
 建宮はパチンと携帯電話を閉じながら、首を横に振る。
闇雲やみくもに突っ込んだ所で、結果は目に見えてるってヤツなのよ。イギリスからの情報を待つ。最適の準備を整え、最適の作戦を練って、最適の時に、最適の戦いに臨む……これば、決戦だ。本気でヤルってのは、そういう事よ」
 大切な仲間であり、命の恩人である上条かみじようたたき伏せた後方のアックアの現在位置が判明していながら、ここはこらえる。建宮の内心には業火ごうかが吹き荒れているだろう。たった一度の勝利のためにそれら感情すべてを押し殺し、建宮は『待つ』と言ったのだ。
「最適の時は今じゃない。最適の作戦を練るのは、オルソラじようのデータ整理能力にたよってからでも遅くない。それなら今、俺達おれたちにできる事は何か。簡単よな。―――最適の準備を行うって事しかねえのよ」
 建宮は周囲を見回す。
 あちこちに散らばっている天草式あまくさしきの面々は、それぞれが剣ややりなどの手入れを行っていた。普段ふだんは『隠し持つ』事をむねとするため、ある程度の強度や威力を犠牲ぎせいにする必要があるのだが、今はそちらのリミッターを解除するための『補強』を行っている最中なのだ。
「……三時間ほど、待ってください」
 ボソリ、と声が聞こえた。
 建宮がそちらを見ると、そこにいるのは革ベルトを新撰組しんせんぐみのようにたすき掛けにした五和いつわだ。彼女はうつむいたまま槍の補強―――というより、ほとんど全面的な改造をしている所だった。
 彼女の槍は接続部アタツチメントによって短い棒をいくつもつなげているため、どうしても強度が弱くなる。今はスプレー状の固定剤をつかの全体に吹きつけ、樹脂のかたまりで一回り太くした上に、紙ヤスリを使って表面を丁寧ていねいみがいている状態だ。
「手にむように形を整えて、怪物用に刃をぎ直すのに、ちょっと時間がかかりますから。……任せておいてください。あいつの攻撃こうげきじかに受けたんですから、どれぐらいのものがあればぎわ良くヤレるかは分かっています……」
 紙ヤスリをかけ、形を整え、樹脂の塊がある程度うすくなったら、その上から再びスプレーをかける。彼女はこの作業を、何回も、何十回も、ひたすらにり返していた。
 ジャリ! ジャリ!! と、樹脂を削る音にさえ殺意が込められているように聞こえて、建宮はちょっと背筋に寒いものを感じた。まるで夜中に人食い山姥やまんばが包丁を研いでいるみたいだ。彼は心の中だけで思う。や、ヤバい。ちょっと調子に乗って追い詰め過ぎたかも?
 と、似たような事を考えていたのか、かたわらの牛深うしぶか建宮たてみやに耳打ちしてきた。
「(……どうすんですか。きつけすぎて石油化学コンビナートに大引火って感じになっちゃっていますよ、今の五和いつわ)」
「(……いっ、いや!? だってお前さん、病院じゃ何か抜け殻みたいになってたもんだから、ええとそのあれよ!! 元気づけるっていうの?)」
「(……このおお鹿野郎!! やっば考えなしに焚きつけただけだったんですか!? 俺達おれたち、これから恋する乙女の恐ろしさをの当たりにするかもしれないですよ!!)」
「(……ええー俺のせいなのよ!? じゃあ、あの時一体どうすりゃ良かったってのよ!!)」
「建宮さん、それに牛深さんも」
 ボソッと五和に言われて、男二人はビシィ!! と直立不動になった。
 五和はうつむいたまま、表情の読めない顔でこう言った。
「大丈夫、私は大丈夫ですから―――ちょっと、集中させてもらえます?」
 のっぺりと、ものすごく平坦へいたんな声だった。
 言葉はそれっきりで、再びジャリジャリと槍の側面に紙ヤスリをかけていく五和。持ちやすいように、使いやすいように、殺しやすいように、少しずつ槍は形を変えて進化していく。
 あわわわわわわわわーッ!! と全身でふるえる建宮や牛深を見て、周りにいたほかの仲間達が心底あきれたような息をらした。
 何だか今日の五和はやけにバイオレンスなので、建宮達はこそこそ革ベルトをたすき掛けにして衣服の魔術まじゆつてき補強を行ったり、全員の手帳を確認し合って周辺地形を頭にたたき込んだりする。
 そうこうしながらも、建宮と牛深の二人は、ここにはいない後方のアックアに対して、ちょっと真剣に両手を合わせて無事を祈った。
 お前さんにも色々あるんだろうけど、うちの五和がついうっかりブチコロシモードになっちゃった時は、自分の身は自分で守ってね、と。
「(……ぜっ、ぜぜぜぜ絶対、キレた五和をめにする係にはなりたくねえのよ)」
「(……そそそ、そいつは俺も同感です)」
 その時、建宮斎字さいじの携帯電話が着信音を鳴らした。
『あらあら。そちらは建宮さんでございますか?』
「うわあオルソラじよう!! この声すごくいやされるのよーっ!!」
 結構心の中の重要な所が決壊けつかいしかけて、その場で泣き崩れそうになる建宮。
 電話の向こうでは状況がつかめていないらしく、
『あのう、人違いでしたら申し訳ございませんでした。私はこれで―――』
「切らないで!! ここで切られたら再ぴあの緊張感きんちようかんの中に放り込まれてーっ!!」
 わらをも掴む感じで建宮はオルソラとの会話に没頭していく。彼は周りにも聞こえるよう、携

帯電話をスビーカーフォンにモードチェンジしてオルソラの言葉を待った。
『こ、後方のアックアについての新情報でございますよ』
 天然マイペースなオルソラが珍しく若干じやつかん引きながら報告してきた。
『後方のアックアの本名が判明したのでございます。ウィリアム=オルウェル。イングランド地方出身の魔術まじゆつてき傭兵ようへいで、所属はなし。当然ながら、生まれた時からローマ正教徒という訳ではなく、幼少期にイギリス清教の教会で洗礼を受けたという記録もございます。傭兵としては一匹おおかみで活動を続け、特に敵の拠点をたたく事を得意としていたようでございますよ』
 得意としていた。
 その言葉に含まれるのは、『拠点を叩くだけ』ではないという事だ。数ある戦闘せんとうの中で最も得意だったのが拠点制圧。だが、それ以外の戦闘にしてもできなかった訳ではない。もしそうなら、ウィリアム=オルウェルはとっくに敗北し、ここにはいないはずなのだから。
『また、ウィリアムは魔術師としての魔法名も持っていたようでございます。Flere210という名を胸に刻んでいたのでございますよ』
「……Flere……か」
 魔法名に使われるのはラテン語の単語だ。Flereの端的たんてきな意味は『涙』。そこにどんな意味を込めていたのかは不明。だがウィリアム=オルウェルには胸に刻むだけの理由があるのだろう。そして同時に、胸に刻むだけの圧倒的な実力が。
 聖人。
 自分たちとは圧倒的に違う存在を示す単語が、建宮たてみやの脳裏をよぎる。
「ウィリアム=オルウェルの傭兵ようへい時代の戦歴ってのは?」
『ロシア西部でり広げられた「占星せんせい施術せじゆつ旅団援護」、フランス中央部の「オルレアンだん殲滅せんめつ戦」、ドーヴァー海峡近辺での「英国第三王女救出戦」……数え上げればキリがないのでございますよ』
 数々の戦いに参加し、勝利を収め、生きて帰ってきたという事は、それだけで後方のアックアの強大な実力を示す証拠となる。
 オルソラはアックアが参加した戦闘せんとうの名を羅列られつした。建宮も聞いた事があるものがいくつかあった。いずれも激戦として知られる。今の天草式あまくさしきでは束になっても乗り越えられないような、悪夢とたとえるべき戦場ばかりだ。
「強敵……いや、難敵ってレベルよな」
『ただ、ウィリアム=オルウェルは目の前の問題をすべて暴力で解決するような人物でもなかったようでございます。例えば医療いりよう設備の乏しい紛争地域では医療に応用できる薬草の知識を伝えて死亡率を軽減したり、飢えに苦しむ村ではその地方では食用に使われていないゴボウの調理方法を教えたり……と、戦う以外の方法でも活躍かつやくしたとか。一部では「賢者」とも呼ばれているそうでございますよ』
 それは現実の戦争を理解しているからこそ、できる事だ。
 とりあえず大部隊を送ったり、とりあえず現金を寄付したり、といった方法では解決できない問題もある。実際に戦場の空気を肌で感じ、そこにいる人々が何を求めているのかを読み解き、その上で『彼らにもできる事』を示す事で、一時的ではなく恒久的に生活の質を向上させる。どうやら後方のアックアは、ただ単純な戦闘バカという訳ではないようだった。
 強靭きようじんな肉体と柔軟な思考を兼ね備えた、聡明なけもの
 建宮がイメージするのはそれだ。
『弱点と呼べるようなものは見つからないのでございます。フリーの傭兵のころから「聖人」として爆発的な力を行使していたようでございますし』
「……その上、今はローマ正教に改宗して『神の右席』としての力すら振りかざす、か」
 そう、傭兵時代の伝説の数々は、まだウィリアム=オルウェルが『後方のアックア』と呼ばれる前に打ち立てたものだ。今の実力はそれ以上。しかも単に実力が追加したのではなく、全く新しい戦闘の基盤を丸ごと一つ手に入れているのだ。改めて、敵に回している存在の大きさにおどろかされる。今回の敵は、おそらく彼らが掲げる女教皇様プリエステスきばくより恐ろしい。
(それほどの力、一体どうやって制御しているのよ?)
 神裂かんざきなどを見ると、聖人としての力を自然に扱っているように思えるが、実際にはそんなに甘くない。建宮など普通の魔術まじゆつが扱おうとすれば、即座に自滅するほどの量なのだ。
 その上、アックアが掌握しようあくするのはそれ以上。
(……やはり魔術まじゆつの腕でも超えられているって訳よな)
『ウィリアムは英国のとして迎えられる予定でございましたが、その任命式の一週間前に消息を絶っていたようでございます。だから作りかけの盾の紋章エスカツシヨンが、職人の家に放置されていたのでございますね』
 そして、再び出てきた時にはイギリスの敵となっていた。
 その過程に何があったのかはなぞだが、今はそれどころではない。
「弱点までは期待しない。せめて、アックアの戦闘せんとうスタイルぐらいは分からないのよ? 使っている武器とか、流派とか」
『流派の方は完璧かんぺきな独学のようでございますね。本人は「傭兵の流儀ハンドイズダーテイ」と語っていたようでございますけど。使っている武器に関しては、全長五メートルを超す、はがね棍棒メイス。外観は騎士の級うランスのようだという話もございますけど』
 それは実際に対時たいじした建宮達もつかんでいる情報だ。
『後は……戦闘中の移動方法が特殊で、走るのではなく、地面をすべるように動き回るそうでございます』
「……?」
 そこまで頭が回らなかった。接近時に音が聞こえなかったのはそのためだろうか。言われてみれば確かにそんな気もするが、何しろ後方のアックアの速度はあまりにも高速で『方向転換の一瞬いつしゆん以外、ほとんど消えているようにしか見えなかった』というぐらいなのだ。
『どうやら水を扱った移動術式の一種みたいでございますね。氷で馬車がすべるのは、氷と車輪の間にうすい水の膜ができるからでございましょう?』
「となると……ヤツは『後方のアックア』を名乗る前から水を使うのが得意だった、って訳なのよな……」
 前方のヴェント、左方のテッラ、後方のアックア。
 これらが四大天使の名にちなんだものなら、アックアの領分は『神の力ガブリエル』であり、その属性は水だ。前回の戦闘で『水の術式』を使った特殊な攻撃こうげきが来なかったのは、それだけ軽くあしらわれていたからだろう。
(……さて。本当にどう作戦を練るか)
 未知数―――それも想定している上限のはるか高みにある未知数の項目が多すぎて、建宮は思わず笑いそうになった。
 と、その時だった。
「敵が何であれ、私達がやるべき事は同じはずです……」
 ボソッと。
 やりの補強をしていた五和いつわが、ほとんど唇を動かさないでロを挟んだ。
「そうですよね。建宮たてみやさん」
 ニゲルナヨと言外に宣告され、建宮は携帯電話を握ったままガタガタとふるえる羽目になった。

     5

 深夜三時。
 第ニニ学区第三階層の鉄橋に、後方のアックアはたたずんでいた。
 公園からここまでの道中、これまで倒したのは『オジギソウ』制御用自走アンテナ八基、装甲車一七台、駆動鎧パワードスーツ三八体。いずれも無人機だった。敵を倒しては移動し、移動先で敵と遭遇そうぐうしては殲減せんめつし……とり返しているが、作戦を指揮している操縦者はいまだに発見できない。どうも、彼が考えている以上に相手も頭を使っているようだ。
 頭上にあるプラネタリウムのスクリーンに映された作り物の夜空になど目も向けず、アックアは思う。
(こういう時、ヴェントの『天罰てんばつ術式』があれば簡単なものであるがな……)
 それでも、ものの一時間もたずに敵の部隊は撤退てつたいした。
 あまりにも一方的な勝敗に、軍備のづかいだと学園都市上層部は判断したのだろう。アックアもその通りだと思う。あの鉄クズのかたまりが、元はどれだけの値段をかけて生産されたものかはあまり考えたくなかった。近代兵器というのは金の感覚がおかしくなるほど莫大ばくだいな費用をつぎ込まれるものだ。もっと上手な金の使い方を覚えれば良いものを、とアックアは考えたが、
「……しかし、案外鹿ではないようだ」
 手際てぎわの良い撤退に対する、彼の評価だ。
 どんな分野においても言える事だが、プロとは自分の領域に関してとても高いブライドを持つ一面がある。そして軍人ならばストレートに『カ』。あれだけ一方的にやられて、だまっている者はいないだろう。それを押さえつけ、納得させるだけの論理を組み立て実際に状況を理解させ、迅速じんそくな撤退を促した指導者が、この学園都市に存在するという訳だ。
 もっとも、指導者がどれほど優れた政治的手腕を発揮しようと、その下にどれほど屈強な戦力が結集しようとも、アックアのやるべき事は変わらない。
 幻想殺しイマジンブレーカーの粉砕。
 及び、それを妨害するすべての因子の迎撃げいげき
(さて)
 アックアは懐中かいちゆう時計を取り出し、時間を確かめる。
幻想殺しイマジンブレーカーの交渉期限まで、後一九時間ほどある訳であるが……)
 懐中時計のふたを閉じ、ズボンのポケットへとしまい、アックアはジロリと眼球だけを動かして横を見る。
「『結果』は出たのかね?」
 アックアは、やみの向こうへ言葉を放つ。
「刻限まで半日以上あるのであるが、準備はもう済んだのか」
 闇の奥から、ザリ……という足音が聞こえた。
 一つではない。
 足音の数は五〇前後。いずれもイギリス清教の分派として知られる、天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようのメンバーばかりだ。取り囲むような足音は立体的で、それは鉄橋を構成する鉄骨の合間合間から彼らがにじみ出るように出現した事を意味していた。
 男も女も子供も大人も、だれも彼もがどこにでもいそうな普通の服装をしているのに、その手には剣ややりおのや弓やむちなどが握られていて、街灯の光を禍々まがまがしく照り返している。中には傭兵ようへいのアックアも見た事もない、東洋特有の鎖 鎌くさりがま十手じつて、鉄製の笛のような武器まであった。
 先頭に立つのは天草式十字凄教の現教皇代理・建宮たてみや斎字さいじ
 名前を知っているのは単純で、前回の戦闘せんとう時、仲間同士の呼び掛けや戦術切り替えの際にわずかにれた単語を拾っていたからだ。戦地での情報収集能力も傭兵には必要な技能である。
「ま、ここまで決定的な無理難題を押し付けられると、悩む必要もなくなるってのよ。おかげで決断するのは速かった。そいつだけは感謝しておこうか」
 建宮が手にしているのは大剣フランベルジェ。クレイモア、トゥハンデッドソードと同じく、分厚い甲冑かつちゆうごと敵をたたつぶすために極限まで大型化された両手剣だ。
 全長一八〇センチを超す化け物サイズのもの
 しかし、アックアからすれば、それでも子供の持つ木の枝程度にしか見えない。
「無理難題、か」
 うそぶき、笑い、アックアは足の裏で軽く地面をたたく。
 音もなく影がうごめき、そこから五メートルを超す鉄のかたまりが突き出てくる。
「ローマ正教二〇億人を敵に回した状況から、腕一本で脱せられると言っているのだ。むしろ安い買い物だと思うのであるがな」
「敵はローマ正教なんかじゃねえ。に神様を信じている一般の人間を食い物にして、好き勝手に操ってるテメェらみたいな人間なのよ」
「ふむ、交渉は決裂、という訳であるか」
「それ以外に何があるってのよ」
「別に。私が困る問題ではないからな。むしろ困るのは貴様たちの方である。……唯一生き残る可能性のある選択肢を、自らの手で放棄ほうきしたというのだから」
 アックアは足元の影から伸びた特大のメイスをつかみ直し、テニスラケットを振るうような気軽さで手首の調子を確かめながら、言う。
「念のためにり返しておく。私は聖人である」
「……、」
「そして『神の右席』としての力も有している」
「……、」
「それを正しく理解した上で、なお守るぺき者のために命をして戦うと言うのならば、私は期待するのである。人の持つ可能性とやらに。その大言が寝言でない事を期待し、貴様たちが持てる力のすべてを注いで用意したであろう切り札を、一つ残らず受け止めてみせよう」
 アックアが、変わる。
 見た目に変化がある訳ではない。具体的に天使の羽が生えたり頭上に輪っかが浮かんだりする訳でもない。しかし、この時、確かにアックアの全身から見えない何かが噴き出した。
「その上で、勝つ」
 ズン……と、アックアの足が半歩だけ動く。
 それは移動のための半歩ではない。鉄塊てつかいのメイスを構えるための半歩。敵と認識したものを余さず粉砕する覚悟と決意を示す、静かで重たい決定的な動作だ。
「勝負とは善悪ではなく強弱によって決定するものだという事を、私は証明するのである。願わくば、せめて私の『切り札』の一つぐらいは引き出せる事を。それすら届かぬならば、貴様達には弱者ではなく愚者の称号が与えられるであ―――」
 しかし、アックアの言葉は最後まで続かなかった。

 ドバン!! と。
 しびれをきらした五和いつわが、二人の会話を無視していきなり本気の一撃いちげきを放ったからだ。

 無言で放たれた海軍用船上槍フリウリスピアは、雷光のような速度で一直線にアックアへ突き進むと、その刃先にある『冷たい夜気』を利用して作り上げた術式を一気に発動し―――そして起爆した。
 ズバァ!! と閃光せんこうが吹き荒れ、爆風がき散らされ、直撃を受けたアックアだけでなく、周辺のアスファルトまで容赦ようしやなく粉々に打ち砕く。
 味方であるはずの建宮たてみや斎字さいじまであおりを受けてひっくり返った。
「いっ、五和……ちゃーん?」
 面食らった建宮が小声で言ったが、五和は振り返りもしない。その肩からはピリピリした感情だけが伝わってくる。
 もうもうと立ち込める粉塵ふんじんにらみつけ、五和は槍を構えたまま舌打ちする。
 灰色のカーテンをメイスでき破り、無傷のアックアが出現したからだ。
「人の話は最後まで聞くものではないかね?」
「……話なら、後で聞いてあげますよ」
 おくするどころか、逆に一歩前へみ込んで五和は告げる。
「さんざんさんざんさんざんさんざんグチャグチャのグチャにブチのめした後に! まだあごが砕けていなかったらの話ですけどね!!」
 無表情ながら眉間みけんの真ん中に異様な力が集まりつつ、鼓膜を破るような大声を聞いた天草式あまくさしきの面々が、苦い顔で頭を抱えたり目をらしたりする。
「(……あばぁーっ!! 五和いつわの野郎、カンペキにはじけちゃっていますがーっ!?)」
「(……ほら病院で教皇代理が『最高に良い女である事を証明して』とか不用意に言うから、五和もうヲンナゴコロ全開じゃないすか!!)」
「(……鹿ね。恋する女は神様だって敵に回せるのよ)」
 さわぐ男衆に対して、何だか妙に冷静なコメントを残す女性の対馬つしま
 そんなやり取りを無視して、五和とアックアが正面からにらみ合う。
 いつの間にか、天草式の中心点がガラリと変わる。
「ふむ。勇ましい限りだが、その言動を現実的な実力として見せてほしいものである」
「ご心配なく。私たちはたとえ肉片の一つとなってでも、あなたを徹底てつていてきにメキャメキャのメキャにブチのめして自分のした事を後悔させてあげますから!!」
 ええ!! そこまですんのーっ!? という背後の声を無祝して、五和はさらに一歩前へ。
 決定的な射程圏にみ込んだ二人は、呆然ぼうぜんとする建宮たてみや斎字さいじを放ったらかしにして激突する。

     6

 深夜の鉄橋に爆音が炸裂さくれつする。
 聖人として莫大ばくだいな力を有するアックアと、ただの人間である五和では圧倒的に速度が違う。ほとんど肉眼から消える速さで真正面から突っ込んだアックアは、全身の筋肉を一気に膨張ぼうちようさせ、まるでギロチンのような勢いで巨大なメイスをたたきつける。
 半歩遅れて、五和のやりがかろうじて動く。
 アックアの攻撃こうげきの軌道へ槍を挟み、受け止める構えだ。だがアックアの一撃を止められるものなど存在しない。
 しかし。
「ッ!!」
 ガッキィィ!! と。
 岩と岩をぶつけるような轟音ごうおんと共に、五和の槍がアックアのメイスを止める。
 本来ならば海軍用船上槍フリウリスピアごと、五和の華奢きやしやな体を粉々に吹き飛ばさなければおかしいのに。
「その槍は……?」
「ええ、樹脂を一五〇〇回ほど重ねてコートしています」
 ギリギリと武器をませながら、五和いつわは笑う。
「表現する象徽は樹木の年輪であり、隠れた術式の正体は『植物の持つ繁殖カはんしよくりよく』。―――術式の限界を迎えるその時まで、時間の経過と共に文字通り成長するこの硬度。一秒ごとに増幅する耐久力を味わっていただきます!!」
『雑草』の力を知れ、と五和は宣言する。
「だが、ほかにも複数の術式を重ねがけしているな……」
「……古全果西あらゆる文明において衣服が何故なぜ生み出されたのか。その隠れた術式の意味を説明する必要がありますか?」
 見れば、五和の着ているトレーナーのわきの辺りが不自然にはじけ、白い肌が露出ろしゆつしていた。まるでメイスによる五和へのダメージを肩代わりしたかのように。
「『装着者の身を守る』……これが最も重要な意味のはずです。とはいえ、あくまで補助的なダメージ緩和かんわ術式であって、どんな攻撃こうげきでも丸腰で防げるほど便利なものではないですけどね」
 前回の戦闘せんとうでは、アックアはこんなものを見なかった。そして彼らに出し惜しみする必要はなかった。つまり、天草式あまくさしきの面々は即席でこれだけ高い効果を持つ霊装れいそう・術式を用意してきたという事だ。
 しかしアックアが一番おどろいているのはそこではない。
(私の速度に、ついてきただと……?)
 アックアは聖人だ。その速度は圧倒的で、生身の人間などに追い着けるものではない。本来ならば、五和は指一本動かせずに消減していたはずだ。
 それに反応を示した。
 半歩遅れてかろうじて追い着く程度のもので、反撃に転じるだけの余裕はない。だがしかし、確かに防御自体は成功している。
 何故だ、と疑間を感じたアックアは、直後にその正体を看破する。
 五〇人近い天草式のメンバーの動きには、一定の規則性がある。単に効率的な戦闘を行うための布陣とはまた違う、一種独特の規則性が。五和を中心にしたと思えば他へ中心が移り、中心を探せば全体へ散って中心そのものがなくなり、そして中心そのものを意識から外した途端とたんに再び五和へ中心点が戻る。一つの組織の中を『中心』という生き物がヌルリと移動していくような、奇妙な感覚だった。
 それは時にまとまり、時に散らばり、砂時計の砂のように、各々おのおのの動きが一つの大きな意味を作り出す。
(互いが互いの動体視力や運動能力を増強し合っているという訳であるか)
「小細工を……」
 まるで聖人との戦いに慣れているような挙動に、アックアはややまゆをひそめる。聖人は世界でも二〇人といない希少なオ能だ。一生の内にじかに目にできる者も限られている訳だが、
(ふん、そうか。天草式あまくさしき 十宇じゆうじ 凄教せいきよう。あそこにはかつて私と同じ聖人が属していたのであるな)
 その辺りの事情が加味され、彼らは聖人の速度・腕力・知性に『目が慣れていた』という訳か。そしてその経験をかすだけの頭があり、こうして術式を組んでアックアの動きについてきたという結果まで出した。
 アックアは一度メイスを後ろに引き、構え直し、改めて五和いつわの顔を見据えて、
「―――だが、それでも遅いのである」
「ッ!?」
 ズォ!! と再びアックアが迫る。
 暴風を認識する前に、五和に向けてよこぎのメイスがおそいかかる。かろうじて五和がそれを受け止め、衣服を裂いて魔術まじゆつてき衝撃しようげきを逃がした時には、すでに真上から次の一撃が追る。五和はやりを振るおうとするが、一撃目の衝撃が今頃いまごろになって伝わり、五和の体がけ反る。衝撃の伝導よりも素早く振るわれたアックアの二撃目を、初老の諫早いさはやが刀を犠牲ぎせいにして軌道を半秒遅らせ、その間に女性の対馬つしまが五和の首根っこをつかんで横へ跳ぶ。
 統けて放たれたアックアの三撃目が、ついさっきまで五和の立っていた場所を通過し、鉄橋のアスファルトを容赦ようしやなく粉砕した。
 ゴドン!! と、鉄橋そのものが不安定に揺れる。
 直撃を免れたものの、飛び散った大量の破片が諫早の全身をたたき、吹き飛ばす。
 アックアはさらに五和を追おうとしたが、その時、灰色の粉塵ふんじんに混じって何かがキラリと反射した。
 まるで、赤外線レーザーが煙幕によって視認できる状態になったように。
 その細く直線的な光の正体は、

 鋼糸ワイヤー

 それも一本二本ではない。
 気がつけば、五和を中心に五〇人近い、人間の指先から極細の糸が放たれていた。各人が操る糸はそれぞれ七本。合計三五〇本もの蜘蛛くもの糸が、全方向からアックアへとおそいかかる。
「ふん」
 アックアはけなかった。
 ギュバ!! と空気を引き裂く極細の刃にえて身をさらし、その上で力技を使って強引に引きる。
 必殺どころか、足止めにしても一秒すらたない。
 圧倒的な力を見せつけた『神の右席』、後方のアックアは、

 『―――殺したな』

 ボソりと。
 耳元で、ささやくような声を聞いた。

 『―――ワタシをコロしたな』

(なるほど、そう来るのであるか……ッ!?)
 アックアがみした瞬間しゆんかん、ワイヤーの切断面から赤いきりのようなものが噴き出した。それは深夜のやみみ渡るように拡大すると、あっという間にアックアの全身を包んでみ込んでいく。
「……隠れた術式の正体は、『殺人に対する罰』」
 こわれた鉄橋の中央に立つ五和いつわつぶやくと、赤い霧が、内側からボゴッ!! とふくらんだ。
 天草式あまくさしき魔術まじゆつが、霧の内部で莫大ばくだいな爆発を巻き起こしたのだ。逃れ得ぬろうを築いた上で、その内側で圧倒的な爆発を見舞う。これならどんなに素早い動きをしてもけられない。
「ワイヤーを一個人の生命線と再定義し、それを破壊はかいした者に罰を与える術式です。これは古今東西、あらゆる文化圏に共通する宗教観を利用していて―――つまり、どんな文化圏の防御術式を使っても防ぐ事はできない『負の怨瑳えんさ』を意味しているんですよ」
 アックアを包み込んだ赤いかたまりが続けて二度、三度と内側から膨らんだ。ボゴッ!! バゴッ!! という水中で爆発が起きたような鈍い音が次々と炸裂さくれつしていく。それは連鎖れんさてきに数を増し、いつしか赤い霧はブドウのようないびつな形になっていた。
 個人の力では行えない、天草式という『一つの塊』が織り成す最大級の奥義おうぎ
 しかし、五和たちの表情は優れない。

 ドバッ!! と。
 必殺の術式は中心から破られ、四方八方へと飛び散ったからだ。

 それは天草式が用意したものよりもはるかに膨大ぼうだいな爆発。彼らが殺人用に持ち出したものより一層強大な爆風が、軽々と牢を破壊してしまったのだ。
 粉塵ふんじんと水蒸気が混じり合い、周囲一面に灰色のカーテンが下ろされる。
 その向こうから、太い男の声が聞こえてきた。
「私の特性を教えよう」
 カーテンの向こうに揺らぐ巨大なシルエット。
 直立するその影には、しんのようなものが通っていた。
「私の特性は『神のカガブリエル』。そして受胎告知とのつながりから、私は聖母に関する術式―――聖母崇拝すうはいをある程度行使する事ができる」
 言葉だけが続く。
「聖母崇拝の特徴は、『厳罰げんばつに対する減衰』である」
『神の右席』後方のアックアの声だけが。
 世界を占める。
「信じる者は救われる。しかし規律を守らぬ者に相応の厳罰を科すのも『神の子』の特徴である。それを聖母崇拝は軽減する。修道院を抜け出した女の代わりに日々の点呼を肩代わりして、女が戻ってくるまで監視の目をごまかしたりな」
 ゆらり、とシルエットが動いた。
 粉塵ふんじんと水蒸気が作るカーテンを破るために、前へ。
「生まれながらにして、人と神と聖霊せいれいの子である『神の子』と違い、聖母は正 真 正 銘しようしんしようめいの人の子でありながら、神の領域に深くみ込んだ稀有けうな存在である。そこから転じて、聖母は『圧倒的な慈悲じひの心をもって、厳罰に苦しむ人の直訴を神へ届ける役割』を得たという」
 声がひびく。
 高らかに、隠す事もせず。
「―――結論を言おう。我が特性は罰を打ち消す『聖母の慈悲』。厳正にして的確なる最後の審判すらゆがめ、たましいを天国と地獄へ送り込む道標をも変更させるのである。あらゆる罪と悪に対する罰則などの制約行為は私に対して意味をなくす。『殺人罪』の払拭ふつしよくなど、指一つ動かす必要もない。『神の罪』すら打ち消すこの私に、そんなものが通じるとでも思ったのであるか」
 ドバァ!! という爆発音が響いた。
 アックアを包んでいた灰色の幕が、一気にまとめてぎ払われる。
「ふむ。人の話は、最後まで聞くものではないかね」
 アックアは巨大なメイスを肩でかつぎ、つまらなさそうに息をく。
 そこには彼以外、だれもいなかった。ご丁寧ていねいに『人の気配』だけ察知させる術式を置き土産みやげに、天草式あまくさしき戦闘せんとう要員五〇名は忽然こつぜんと消えている。
 彼は鉄橋に一人残され、しかし獲物の足跡を辿たど猟師りようしのように笑みを浮かぺる。
「まぁ、追う楽しみは増えたのであるが」

     7

 建宮たてみや斎字さいじを中心とした現天草式のメンバーは、鉄橋から三〇〇メートルほど離れた小さな広場まで移動していた。アックアに仕掛けた『殺人に対する禁忌きんき』の術式と連動し、それが破られた場合は問答無用で高速逃走する術式をあらかじめ組んでおいたのだ。
 だがそれは気休め。
 あれほどの使い手が、人間の気配や魔力まりよくの流れを感知できないはずはない。この閉鎖へいさされた地下市街では逃げられる場所も限られているし―――何より、彼ら天草式あまくさしきには逃げられないだけの理由がある。
「やはり破られましたね.どうするんですか、教皇代理」
 牛深うしぶかが木綿糸のようにられたワイヤーを回収しながら、建宮たてみやに指示を仰ぐ。
「……あれで倒れてくれれば簡単だったんだが、やっぱりそうはいかないのよ」
 建宮はフランベルジェを手にしたまま、皆を見回して言う。
 後方のアックアについていくほどの運動能力を見せた天草式だが、実はそれほど便利なものではない。というより、五〇人もの人間が常時『聖人』と同じ速度で動けるとしたら、もはや天草式は『聖人』一人よりも重宝されている事だろう。
「ごまかしにも限界があります、ね」
 五和いつわは荒い息をいて呼吸を整えながら言った。
 実はあの肉体強化術式は、背中に触れる事をキーに据えた術式だったのだ。隠れた術式の意味は『背中をさする事による体調回復』。彼らは戦いながら絶えず陣形を変化させ、移動・交差する際に仲間の背中へ手をやり、その体内機能を回復、また一時的に増強する。個人ではできない集団特有の『仲間のための』行動による術式であり、さらに風水上『寝所』や『休憩所』に相応ふさわしい『脈』のある場所エリアで効果が増幅するおまけつきだ。
 仲間同士で互いに幾重いくえにも運動能力を高め合う事で『聖人』にもついていく事に成功したが、敵の攻撃をさばき切れず、陣形そのものが乱れてしまえば仲間の『増強』に手が回らなくなる。一ヶ所のほころびが周囲全体の動きへ影響えいきようを与え、いつしか集団そのものの速度が鈍る。
 これだけでは、後方のアックアにば勝てない。
「聖人』とは、そういう怪物なのだ。
「となると、こっちも『本命』出すしかないってのよ。『神の子』の処刑の様式に従い、『やり』を持つ五和を起点として反撃する。出し惜しみはなしだ。覚悟を決ゆるぞ」
 彼は、特に五和の方を見て確認を求めた。
 五和は海軍用船上槍フリウリスピアを両手で握ったまま、小さくうなずく。
 その時だった。
 ゾワッ!! と、その場にいた全員の肌に寒気が走った。何か巨大な気配のようなものが、やみを引き裂いて高速で近づいてくる感覚が確かにあった。その正体を間うまでもない。後方のアックア以外にだれがいる。
 彼ら天草式には『本命』となる作戦がまだ残っている。
 しかし、それは『本命』であるがゆえに、そう簡単にり出せるものではない。
「チッ、一度態勢を立て直すぞ!!」
 建宮たてみやが叫ぶと、天草式あまくさしきの全員が波のように動いた。
 彼らが移動したのは、前後左右のいずれでもない。『下』だ。タイル状の人工的な地面に手を突いて、一メートル四方ほどのタイルをハッチのようにこじ開ける。その奥に待っているのは鋼鉄とコンクリートの織り成す地下空間だ。
 湿った金属の階段や手すりに、縦横に走る太いパイブ。ごうんごうんと音を立てる機材の群れに背中を押しつけるようにして、隙間すきまくぐり抜ける五和いつわは、ここが水力発電用のタービンと変電施設を兼ねている事に気づいた。
 地下市街の層と層の間にある隔壁かくへきは、厚さ一〇メートルほど、そのスペースはエネルギーの生産施設として利用されているのだろう。
 建宮や五和は入り組んだスペースを通りながら、あちこちにワイヤーを張ってトラップ術式を構成する。これだけでアックアが倒れるとは思わないが、時間がかせげればそれで良い。
 天草式が目指しているのは、ひたすら下。
 とにかくアックアのいる第三階層から、無害な第四階層ヘ一度撤退てつたいする事で時間を稼ぎ、その間に『本命』となる術式の準備を終わらせようとしているのだが、
『良いものを見せてもらったのである。こちらも返礼をしよう』
 不意に、薄暗うすぐらい空間に太い男の声がひびいた。
 何度も反響はんきようする声は、音源の方向をつかませない。
『「神の力ガブリエル」の性質を秘める私が、何をつかさどるかぐらいは理解しているのであるな』
「ッ!?」
 反応を見せるだけの余裕もなかった。
 突如とつじよ、コンクリー卜空間を縦横に走る巨大なパイプが、内側から勢い良く破裂した。直径一メートル超、厚さ五センチを超える水道管が紙のように引き裂かれ、ギターピックほどの金属片が無数にき散らされる。バヂバヂッ!! とオレンジ色の火花が方々で炸裂さくれつする。高速で飛来する金属片がコンクリートに直撃ちよくげきし、辺りを跳ね回っているのだ。
『水は容易に体積を変えられるものであってな。上手に使えば爆弾にもできる』
 ドガガガガッ!! と四方八方の水道管が次々と爆発した。
 水と水蒸気の混合物に押し出されるように、大量の金属片が散弾の豪雨と化して天草式におそいかかった。ようやく反応を示した五和が顔面に飛んできた金属片の一つをやりはじくが、逆にこちらの体がぎ倒されそうになる。
 その破壊はかいりよくもさる事ながら、五和にはもっと気になる事があった。
 水道管が破裂する寸前、光る文字のようなものが見えたのだ。
 浮かび上がるのはlaguzラグズ
 記号的な一文字の正体ば、
「なっ……水のルーン!?」
 極めて凡庸ぼんような、基本であるがゆえに代表的とまで呼ばれる魔術まじゆつ
『その反応……私が贈ったテッラの死体から、少しは「神の右席」を学んだのであるか?」
 イギリス清教からの報告によれば、『神の右席』はその肉体が人間よりも天使に近くなっているため、特別な術式を扱える反面、一般的な魔術師の扱う術式は行使できないという話だったはずなのに……。
おどろくような事であるか。確かに「神の右席」は普通の人間が使う魔術を扱えない。しかし私の持つ聖母崇拝すうはいの術式は、そういった約束・束縛そくばく・条件から免除される効力を持つのである』
 聖人と『神の右席』のカを同時に扱い、
 その上、人間と天使の術式を完壁かんぺき掌握しようあくする。
『おかしいとは思わなかったのであるか。最初の襲撃しゆうげきの際、一体どこの誰が「人払い」などというポピュラー極まりない魔術を使ったのかという事に』
 攻撃の種類も威力も圧倒的に違う。
 質と量を同時に備える怪物は、余計な感情を挟まずに、ただ事実として述べた。
『この後方のアックアを、そこらの「神の右席」ごときと同列に見てくれるなよ』
(くっ……ッ!!)
 さらに複数の水道管が破裂し、しまいには水力発電に使われるタービン装置そのものが爆発しておそいかかってきた。巨大な回転刃のように向かってくるタービンのプロペラを見て、五和いつわは階段を使わずに金属製の手すりを飛び越し、そのまま一気にやみの奥へと落下する。床に設置されたハッチ状のドアをやりで突き破り、身を乗り出すように外へ出ると、そこが今までいた第三階層から一階層分下のフロアである、第四階層の天井てんじよう部分だった。
 床から二〇メートルほどの高さにある空間。天井に沿うように金属製の細い通路や階段が縦横に走る光景は、演劇の舞台のようにも見える。そして真下に広がるのは、第四階層の街並み―――ではなく、巨大なブラネタリウムのスクリーンだった。地上部のカメラが撮影した空の様子を映し出すものだ。街をおおう巨大な布地は、規則的に配置された無数の細い柱とワイヤーによって、天井部からるされていたのだ。
 だが、今の五和にその奇怪な光景に目を奪われているだけの暇はない。
「……ッ!! アツクアは―――ツ!!」
「ここだ」
 不意に真横から声が聞こえたと思った時には、すでに風圧があった。そちらを振り向く前に反射的に五和の槍が動く。放たれた重たい一撃を受け止めた―――そう思った瞬間しゆんかん、五和の体は水平に一五メートルほど吹き飛ばされていた。防御した槍ごとぎ払われたのだ。
 ゴッシャア!! という鈍い音が後から耳にひびく。
 五和いつわは全身をおそうダメージをどうにか耐え、着地体勢を取ろうとした。しかし足場がない。すべもなく五和の体が巨大スクリーンの上へと落下していく。
 と、意外にもスクリーンは破れずに、五和の体を支えた。どうやら天井てんじようからの落下物を防止する役目も負っているらしい。
 不安定に沈む足場も気にせず、五和はやりを構え直して前を見る。
 後方のアックア。
 五和の槍とは比ぺ物にもならないほど巨大なメイスを肩にかついだ男は、自らも手すりから飛んでスクリーンの上へ着地した。
「さて、小手調べはこの辺りにしておこう」
 担いだメイスを構え直し、アックアは静かに語る。
「互いに武器を手にしているのなら、これを打ち合わせぬ道理はなかろう」
「……そうですね」
 五和は応じるように十字状の穂先ほさきをアックアに向け直し、ゆっくりとした調子で語る。
「ただし、私一人とは限りませんけど」
 言った途端とたん、アックアの頭上にある天井部のハッチが次々と開いた。そこから現れたのは天草式あまくさしきの人間だ。そのされもが傷を負い、衣服のあちこちを赤く汚しているものの、いまだに数は欠けていない。
 総勢五〇名、一〇〇の眼球がアックアをとらえる。
 対して、怪物は恐れすら抱かなかった。
「構わん」
 ゆらりと。
 一歩も動いていないのに、ただ重心だけが下に落ちる。
「来い」
 その言葉と同時に、天草式の全員が後方のアックアへ飛びかかる。

     8

 五和は正面からアックアの元へと飛び込んでいく。
 星空を映す巨大なスクリーンの上に乗るアックアがそれに応じる前に、左右から後方から上空から、次々と刃を持った天草式の少年たちが襲いかかった。
 二〇近い切っ先がアックアの体へ向かい、仮にそれをしのいだとしても、さらに三〇の切っ先が追加でアックアへ襲いかかる。
 常人ならば、まず対処できぬ絶対の数。
 しかしアックアは応じた。
 バォ!! と巨大なメイスが空気を引き裂いた。上空を舞う牛深うしぶか香焼こうやぎぎ払われ、わざと周囲へいた衝撃しようげきが他者をおそう。吹き飛び崩れる前方の天草式あまくさしきを無視して、アックアは振り向きざまに真後ろヘメイスをたたきつける。
 一連の動きは、ほとんど爆発だった。
 アックアを中心に、天草式の手錬てだれが四方八方へと発射されていく。
「ッ!!」
 追加攻撃を加える寸前だった五和いつわは、思わずスクリーン上で足を止めようとした。
 そこへ、アックアの体がスケートのようにすべりながら飛び込んでくる。
 とっさに身構える五和の防御のあみをかいくぐるように、振り上げられたメイスはやや斜め方向から彼女の頭蓋ずがいこつ目がけて一気に振り下ろされる。
 それは鋼鉄の雷光。
 だがその一撃は五和に当たらない。
 ボヒュッ!! という空振りの感触をアックアは得た。射程圏内にいたはずの五和が消えている。見れば、五和が着ていたはずの明るい色のトレーナーだけがメイスの先に取り残されていた。アックアは視線を手元から前方へ変更。少しはなれた所に立つ五和は、どういう方法を使ったのか、上にまとっていたタンクトップばそのままに、トレーナーだけを脱ぎ捨てたらしい。
 アックァはメイスを軽く振るい、布切れを捨てる。
「身代わりであるか」
生憎あいにくと、それほど数はないものでして」
 五和は十字のやりを構え直しながら、静かに言った。
「あまり恥ずかしい事をさせないでくださいね」
 言い終わるより前に、二人は再び激突する。
 大地すら軽々と叩き割りそうなアックアのメイス。
 しかし五和の槍が応じた。様々な術式で肉体を補強し、聖人の動きについていくための努力を重ねているのだろう。一撃、二撃、三撃と、アックアに対して半テンポほど遅れる挙動で、かろうじて五和は攻撃をはじき返す事に成功する。
「良い動きである」
 アックアは高速でメイスを振るいながら、素直に敵を称賛しようさんした。
「しかし良いのであるか。徐々にリズムが遅れているようであるが」
「く……ッ!!」
 じりじりと押されるように開いていく差。それが一定まで達すれば、アックアの一撃を止められず、五和の体は無数の肉片と化す。
 そんな五和の応援に回るため、対馬つしま諫早いさはやといった天草式の面々が様々な角度からアックアへ攻撃を加えるが、恐るべき速度で放たれるアックアのメイスは、防壁のように攻撃を通さない。五和いつわと刃を交えつつ、片手間のような素振りで周囲の天草式あまくさしき牽制けんせいし、そしてすきあらばルーンの文字を光らせて、高圧縮した水のかたまり反撃はんげきに転じる。
 猛攻をさばきながら、建宮たてみやは五和へ目配せする。
「(……『あれ』の準備の方はどうなってんのよ!?)」
「(……余裕がありまっ、せん……ッ!!)」
いつ……ッ!!」
 一度態勢を整えるために建宮は叫ぽうとして、そこでアックアの一撃が来た。
 思わず構えたフランベルジェが弾かれ、衝撃しようげきぎ払われた建宮の体が巨大スクリーンの上を二回、三回と跳ね転がる。
「さて」
 荒い息をく五和を見て、アックアはメイスを構え直す。
「何秒つか楽しみである」
 その言葉と共にアックアの全身の筋肉が一気に膨張ぼうちようする。
 アックアの射程から逃れるのは不可能。
 巨大なメイスと五和のやりが激突する。かろうじて直撃はけたが、そこが五和の限界だった。ドガガガガッ!! と二人の武器が激突するたびに、まるで攻撃を組み立てる歯車が欠けていくように、五和の速度が目に見えて落ちてくる。
 反撃に転じる余裕などない。
 完壁かんぺきに受け切れなかったアックアの攻撃の余波が、衝撃波となって足元のスクリーンをたたいた。おそらく防弾繊維せんいでも織り込んでいるであろう特殊な布地が、まるでストッキングのように引き裂かれていく。
 そのスタミナを削る地獄は、マラソンにも似ていた。
 ただし、走者の背後から人肉をすりつぶすミキサーがゆっくりと近づいてくるマラソンだ。
 立ち止まれば死。
 それでいて、無理に走り続けても限界を超えた体は砕け散る。
 刃と鈍器のぶつかり合いだけがひたすら続く。
「ふ……っ!!」
 アックアが息を吸い、さらに強力にみ込もうとした時、五和が動いた.
 彼女は前へ出たのではなく、アックアの攻撃から逃れるように、思い切り後ろへ下がったのだ。
 ほんの数メートルの、なけなしの逃避とうひ
 聖人としての運動能力を行使するアックアからすれば、一瞬いつしゆんで詰められる距離きよりだ。だが五和にとっては決死の判断だったのだろう。全力で跳んだ結果、体のバランスを崩し、今にも倒れそうになっている。
 五和いつわは次の行動に移れない。
 攻撃こうげきを回避する事も、防御する事も。
「ふん」
 アックアはつまらなさそうに息をらし、とどめを刺すぺく前へ。
 空気を引き裂き、ジェット戦闘せんとうのような速度で必殺の間合いへ飛び込もうとしだアックアは。

 ガクン!! と。
 その動きが、何かにい止められるように停止した。

「な……っ」
 アックアはおどろいて自分の足元に目をやる。
 彼の高速移動は、一種の術式に支えられたものだ。靴底と地面の間にうすい水の膜を張り、氷の上でタイヤがスリップするのと同じ理論で体を『滑らせる』のだ。
 その術式が、知らぬ間に破綻はたんしていた。
 天草式あまくさしきの五和に、アックアの術式を逆算し、破壊はかいするだけの余裕はなかったばずだ。現にそうした儀式ぎしきの動作は一切なかった。
 だが、
 気がついた時には、淡い光が割り込んでいた。それはアックアの足元からだ。不可思議な紋様が一気に広がり、アックアが使用していた移動術式を阻害する。
 五和が受け止め損ねたアックアの攻撃、その余波は衝撃しようげきとなって足場となるスクリーンを引き裂いていた。そして引き裂かれた布地が描く模様そのもののが一種の陣を築き上げ、しくもアックアの移動術式を妨害していたのだ。
 偶然ではない。
 天草式十字じゆうじ凄教せいきようは魔術を扱う際に特別な呪文じゆもん霊装れいそうなどは用いず、どこにでもある日用品や行事の中に隠された魔術的記号を回収・再編成して術式を作り上げるのだから。
 そして何より、

 一瞬いつしゆんだが確かにすきのできたアックアを見て、
 目の前の五和は薄く薄く笑っている。

 前につんのめる形になったアックアに向けて、五和のやりが容赦なく突き入れられた。
 ここに来てようやく放たれた、雷光の速度の反撃。
 ゴッ!! と空気を引き裂く一直線の攻撃に、アックアは初めて回避行動を取る。
「くっ!?」
 アックアは前後左右のいずれでもなく、上へ跳んだ。
 不安定なスクリーン上であっても関係はない。アックアはたった一歩で五メートル近くまで一気に突き進み、スクリーンをり下げる細い支柱の一つに足を引っ掛ける。
「―――建宮たてみやさん。それにみんなも!!」
 それでも、五和いつわの構えは変わらなかった。
 彼女は腰を低く落とし、改めて海軍用十宇槍フリウリスピア穂先ほさきをアックアへ正確に突きつける。
「今こそ『本命』を!!」
 五和が名を呼び、その全身に力を蓄えると、周囲に散らばっていたはずの天草式あまくさしきの面々が呼応した。あるいは五和に近づき、あるいは一定の決められた距離きよりを取り、彼らの陣形が五和を中心軸に備えたものへとより一層強調される。
 細い支柱に片足を引っ掛け、着地場所を探していたアックアは、眼下の風景の中で、意志や魔力まりよくといったものが五和に向けて一斉に集中していくのを確かに感じた。
 それは前兆。何か巨大な事が起きる手前の第一波。
(来るか……ッ!!)
 アックアが言葉に出す前に、五和が動いた。
 ゴバッ!! という爆音が炸裂さくれつする。
 それが、人間の足がスクリーンをった音だと知覚した時には、すでに五和はロケットやスペースシャトルのような勢いで夜空を突っ切っていた。あまりの威力に、巨大なスクリーンを吊る支柱のいくつかがへし折れた。圧倒的な加速で迫る五和の手には、おしぼりのような小さな布があった。それを使い、やりつかを包むように槍を構え直している。
管槍くだやりだと!?」
 槍とてのひらの間の摩擦まさつを軽減させる事で、槍を突き出す速度と威力を倍加させる。
 だが、五和のそれは本来の用途とは違う。
らいなさい」
 これから放つその一撃いちげき
 自身の掌を守るために細工をしなければ、魔術の途中で手首を失う羽目になる。

「―――聖人崩し!!」

 ドバァ!! と五和の手の中で槍が爆発した。
 比揄ひゆでも何でもなく、本当に五和の槍が雷光と化した。一直線に飛び出した鋭利な一撃が今度こそアックアの腹の真ん中へ容赦ようしやなく突き刺さり、青白い紫電がその背中から噴き出して、深夜の暗闇くらやみを引き裂いた。圧倒的な摩擦まさつによって槍の柄をつかんでいた布地が黒い煙をいて吹き飛ばされる。
 轟音ごうおんと共に、アックアの背中から火花とも違う、光の十字架が上下左右へ爆発的に伸びる。
「……ッ!!」
 アックアが何か一言をつむぐ前に、隠れた術式が発動する。
 五和が―――いや、天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようの全員が放ったのは、文字通り『聖人崩し』。
 聖人とは『神の子』と身体的特徴が似ているがゆえに、偶像崇拝すうはいの理論によって『神の子』と同種の力を引き出せる才能を持った人間を差す。
 ならば逆に、その『「神の子」と似た身体的特徴』のバランスを人為的に崩してしまう事によって、一時的に『聖人』としての力を封じてしまう事も可能となる。
 唐突にバランスを失った『聖人』は、単純に力を失うばかりか、体内に残っていた力の制御すらままならず、自らの暴走に巻き込まれて身動きが取れなくなってしまうのだ。
 かつて、
 天草式十宇凄教は、一人の聖人を失った事がある。
 自分の強さが他者を巻き込んでしまう事を恐れて自分の居場所から立ち去った、優しい聖人。彼女を止めるだけの力すら持たなかった天草式の面々は、一つの誓いを立てたのだ。
 いつか、彼女の負担にならないだけの強さを手に入れよう。
 今度は彼女の背中を追いかけ、その手をつかみ、大丈夫だいじようぶだと言えるだけの強さを手に入れよう。

 そうして血のにじむ努力によって得たのが『聖人崩し』。
 聖人である彼女を支えるためには、聖人である彼女を正しく理解し、そしてその壁を越えなくてはならず、そして聖人である彼女が『脅威きようい』と思うような問題にさえ立ち向かわなくて
はならない、という論理によって生み出された、
 正真 正銘しようしんしようめい
 天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようだけが編み出す事に成功した、
『聖人を倒すためだけに存在する』専用特殊攻撃こうげき術式、
(魔力の体内暴走による硬直時間は、おそらく三〇秒前後)
 理論上においては『聖人だけに通じる』術式であり。それ以外の『普通の魔術師』には何ら影響えいきようのない攻撃術式。その特性上、わざわざ体を張って実験台に付き合ってくれる「聖人』などいる訳もなく、ある意味においてはぶっつけ本番の一本勝負。
 しかし、五和いつわには確かに手応えがあった。
 彼女はその手応えから有効時間を算出し、
(その持ち時間のすべてを使って、『ただの人間』になったアックアを完壁かんぺきに無力化させる!!)
 だが、

「良い術式である」

 今度こそ、五和の表情が凍り付いた。
 雷光と化した海軍用船上槍フリウリスピアが、いつの間にか元の形に戻っていた。五和が指示したものではない。外部からの力によって、強制的に術式を逆算・解除されている。
 アックアの左手は腹に。
 傷口を押さえているのではない。皮膚ひふに触れるギリギリのラインで、彼のてのひらが五和のやりつかんでいる。おそらく五和の槍が雷光と化す直前に、アックアの腕が海軍用船上槍フリウリスピアの切っ先を強引に掴んでいたのだろう。発射前に細工をされていたのだ。だからこそ特殊な雷光は、その矛先を微妙にずらされてしまった。
「私がただの聖人なら、ここでやられていたかもしれないな」
 アックアの唇がゆがむ。
 あざけりではない。強敵と巡り合えた喜びを示す笑みが深く刻まれる。
「だが惜しい」
 左手一本で五和の槍を押さえたまま、アックアの右手が動く。
 全長五メートルを超す、鉄塊てつかいそのもののメイスが。
「―――私は聖人であると同時に、『神の右席』でもあるのだよ!!」
 ドッパァ!! という轟音ごうおんが、無人の広場に炸裂さくれつした。
 衣服を利用した身代わりの術式を使う暇もなかった。
 それが自分の体の出す音だと五和いつわが気づいた時には、すでに呼吸が止まっていた。上からたたきつけられた彼女の体は、一秒もかからずに分厚い防弾繊維せんいのスクリーンを突き破り、さらに二〇メートル下の地面へと勢い良く落下する。
「がっ、アアああああああああああああッ!!」
 途中で幾重いくえにもわたって防御術式が張り巡らされるかがやきが見えた。おそらく天草式あまくさしきの面々だろう。五和自身も今あるものを使って、必死で落下速度を軽減させるための術式を組み立てようとする。だが、それらすべてを突き破って五和の体はアスファルトへ叩きつけられた。
 灰色の粉塵ふんじんが、煙のように舞い上がる。
 ボロボロになった五和は、砕けたアスファルトに埋もれながら、首だけを動かして頭上を見上げた。縦横に引き裂かれたスクリーンの向こう側で、何かが炸裂さくれつした。ザバァ!! と波が岩を叩くような音が聞こえたと思った時には、その引き裂かれた亀裂きれつから大量の水が噴き出してきた。何十トンにも及ぶ大量の水は巨大な腕とも竜のあごのようにも見えた。その圧倒的な質量に叩きつぶされるように、天草式の人間がバラバラと落ちていく。いくつもの悲鳴が上がる。
 ただ一つだけ、ふわりと羽毛のように着地する影があった。
「つまらん。数をそろえ、策を練った所でもう限界であるか」
 後方のアックアだ。
 彼はほとんど漬れかけた五和のすぐ近くのアスファルトに足を乗せると、静かに話る。
「私が告げた期限まで、まだ幾ばくかの猶予ゆうよがある」
 ブラネタリウムに使われていたスクリーン上から滝のように水が流れ落ち、方々で機械的な警告音が鳴りひびいた。しかしアックアは動じない。きたるべき敵は全て粉砕するとばかりに、泰然たいぜんとした調子で五和を見下ろす。
「選択を与えよう。あの少年の右腕を差し出すか、ここで路上のみとなるか」
「……、」
 返事はない。
 しかし行動はあった。砕けたアスファルトの破片をつかみ、ボロボロの体を動かして、血まみれの五和がまだ立ち上がろうとしているのだ。
「ならば仕方がない」
 アックアは特大のメイスを構え直し、静かに語る。
「死を望むなら、波間に消えると良いのである」
 メイスの先端せんたんが頭上を指し示す。
 ドォ!! という爆音。
 引き裂かれたスクリーンから滝のように落ち、今まさに第四階層を蹂躙じゆうりんしかけていた膨大ぼうだいな水が、アックアの意志に応じて大きくうねる。サイズは全長二〇メートル弱。まるで地面から生えた、建設重機についているアームのような関節を持つ巨大なハンマーが、地上をいずる獲物を足元の大地ごとねらうように。
 五和は目をつぶらなかった。
 だからこそ、彼女は最後の最後で気づいた。
 ふと、アックアの手が止まった事に。

 ゾン!! と。
 不意に、辺り一面に、たしの知れない殺気が充満する。

 それは後方のアックアから放たれたものでも、周囲に倒れている建宮たてみや牛深うしぶかといった天草式あまくさしきの仲間たちから放たれたものでも、まして満身まんしん創痍そういの五和から放たれたものでもない。距離も方向も分からない。ただ確かな敵意の感情。アックアは手を止めて、標的から別のものへと注意を向ける。アックアほどの人物であっても注意を向けざるを得ない何かが、すぐ近くに存在するのだ。
「……なるほど」
 後方のアックアはわずかにつぶやき、そして笑った。
 一度は五和も間近で見た、強敵を前にした時の表情。だが今回は、五和に向けられたものよりも何倍も何十倍も、深く深く刻まれている。
 第四階層の空中をうねっていた数十トンもの水のかたまりが、解ける。魔術まじゆつてきな制御を失った膨大ぼうだいな水は人工的に作られた川へと身を沈め、津波のように巨大な波紋をき散らして堤防を水浸しにする。
 アックアは肩の力を抜き、巨大なメイスを肩にかつぎ直した。
 そして一度だけ、五和の顔を見て言った。
「命拾いしたのであるな。貴様の主に感謝しろ」
 バン!! という爆音がひびいた。
 そう思った時には、すでに後方のアックアは消えていた。あまりの速度に、肉眼で追い掛ける事すらできなかったのだ。
 五和は呆然ぼうぜんと、だれもいなくなった前方を眺めていた。
 生き残った。
 アスファルトもコンクリートも砕け、爆撃ばくげき直後のようになった瓦礫がれきに大量の水をぶっかけたような惨状さんじようの中でその事実をめても、うれしさはなかった。明確に負けたかどうかすら曖昧あいまいな結末。どう判断すれば良いのかも分からないまま、五和はただアックアの言葉を頭の中でり返す。
「……貴様の、主に、感謝しろ……?」
 五和いつわは首だけを動かし、辺りを見る。
 アックアが直前に見ていたであろうモノを追いかけたかったのだが、そこには何もなかった。アックアが消えたのと同じく、ただの暗いやみが広がっているだけだった。

     9

 五和が落下した路面から二〇〇メートルほどはなれた場所。
 コンクリートによって固められた河原は、小さな展望台になっていた。『人払い』によって完璧かんぺきに人気のなくなった冷たい施設に、二人の聖人は立っている。
 一人は後方のアックア。
 そしてもう一人は……、
「私の『仲間』たちが、世話になりましたね」
 長身に白い肌。黒い髪は後ろで束ねても腰まで届く。服装は腰の所で紋ったTシャツの上からデニム地のジャケットを羽織っていて、下はジーンズ。ただしジャケットの右腕部分は肩の所から切断され、逆にジーンズば左脚部分が太股ふとももの所から切断されている。
 だが、それら十分個性的である格好は、たった一つのアイテムによって吹き消されていた。
 ウェスタンベルトに差した、一本の刀。
 全長ニメートルを超える日本刀の銘は『七天七刀しちてんしちとう』。
「そういえば、極東には一撃いちげき必殺を信条とする聖人がいたのであるな」
 アックアは満足そうにうなずく。
 国家や組織に所属する聖人は、そうそう簡単にあちこちで活動する事はできない。この聖人はそれらのリスクを受けてでも、アックアの前に立ったのだろう。
 彼は、改めてメイスを握り直す。
 ようやく『弱い者いじめ』ではない、本当の戦いを楽しめると言外に語っている。
「しかし天草式あまくさしきの聖人は戦闘せんとうきらう性根と聞いているのであるが、私と戦う度胸はあるかね」
「ええ」
 彼女は、
「私もそう思っていたのですが、どうやら私は自分で考えていたよりも、ずっと幼稚な人間だったようです」
 神裂かんざき火織かおりは、
「彼らがらされる様子をまざまざと見せつけられたせいでしょうか。いけませんね、こんな魔法まほうめいを背負っているのに。『怒り』は七つの罪の一つだと、そう教えられたばずなのに」
 かつて女教皇プリエステスと呼ばれた聖人は、瓦礫がれきの聞すら吹き飛ばすように、
 ただ鮮烈に君臨する。
「ぐだぐだと悩むのはやめましょう。彼らの決意をにはしない。それだけで十分です」
 理不尽りふじんな暴力を受けて倒れた少年のために。
 その暴虐ぼうぎやくを止めるために立ち上がり、圧倒的な力によって蹂躙じゆうりんされた仲間たちのために。
 彼女は握りつぶすように、刀のつかへ手を伸ばす。

 二人の『聖人』の眼光が、正面から激突した。
 それが合図。
 世界で二〇人といない怪物と怪物の戦いが、ここに幕を開ける。

   行間 二

 オルレアンだん
 フランス最大の魔術まじゆつ結社。それが少年に絶望を与えた名前だった。
 その『組織]は、元々はジャンヌ=ダルクの人柄にかれ、公式の戦力とは異なり、陰ながら彼女の歩みを支えるために集まった有志によって結成された。魔術の扱いに特化した特殊な『組織』という訳でもなく、ただフランスを救いたいという目的さえ持っていれば身分や地位、家柄などは関係なく、(当時としては極めて珍しい事に)貴族から農民までありとあらゆる人人が肩を寄せて笑い合うような、そんな『組織』であったはずだった。
 しかし、一四三一年五月三〇日、彼らの方向性を決定的にゆがめる出釆事が起きた。
 イギリスに捕らえられたジャンヌ=ダルクが背信者として焼き殺されたのだ。
 以降のオルレアン騎士団は『ジャンヌ=ダルクの復讐ふくしゆう』を掲げる一種異様な『組織』に変貌へんぼうする。直接的にジャンヌ=ダルクを処刑したイギリスの殲滅せんめつはもちろん、ダルクの害となったフランスの兵や貴族、ダルクに救われておきながら、ダルク奪回のために具体的な行動を取らなかったフランス国民に至るまで(厳密にはやろうと思ってもできなかったのだが、情状酌量しやくりようを認める『組織』ではない)、『復讐』の対象は極めて広範囲の人々に向けられていった。
 いかにフランス最大の魔術結社といえど、それらすべてを同時に敵に回しては、勝算はうすい。はずなのだが、彼らはその事実に気づかない。
 オルレアン騎士団には、一つの希望がある。
 ジャンヌ=ダルクは、生まれながらに特別な才能を持っていた訳ではない。彼女は一三歳の時に『特別な声』を聞き、そこから一気に能力を開花させる事となった経緯がある。
 オルレアン騎士団は、その『ダルクの神託』を求めた。
 ダルクのようにだれかを守るためではなく、自らの復讐、ただそれだけのために。
 私情で奇跡を願う者に神の手は差し伸ぺられないと、何故なぜ誰も気づかなかったのか。必然的にオルレアン騎士団は『神秘を取り扱う集団』へと変貌し、その特色も魔術のにおいの強いものになっていく。
 そして数百年の時が流れ、オルレアン騎士団の人員も何世代にわたって交代していき、彼らはダルクの力を持っ者の人工的な量産作業という『できるはずのない実験』をいまだにり返していた。
 そんな中で巻き込まれたのが、一組の少年と少女。
『ダルクの神託』の『素体』として一人の少女が半ば強引に選ばれ、少年はそれに対抗した。少女を逃がすためにありとあらゆる策を講じ、持てる力のすべてを使って奮闘ふんとうし―――そして敗北した.
 今、少年のそばに少女はいない。
 瀕死ひんしの少年が最後に聞いたのは、『信じている』という少女の声。
 しかし、少年には立ち上がるだけの力がなかった。
 そんなものが残されているなら、あの時とっくに使っているはずだった。
 腐った路地の中、少年は汚い地面に倒れている。
「それで、貴様はそこでいつくばって、全てをあきらめる気かね?」
 声が聞こえた。
 フリーの傭兵ようへいだと言った屈強な男。
 オルレアンだんの横暴を止めるためにフランスへ入国したらしい。そこで一組の少年と少女に出会い、少女を逃がすために陽動を買って出てくれたのだが……肝心の少年があまりにも弱すぎて、結局少女は連れ去られてしまった。
「どうしろって、言うんだよ」
 倒れたまま、少年はつぶやく。
 手を伸ばせば、さやに収まった剣に手は届く。コリシュマルド。スポーツで使用されるサーベルを軍用に改良した、少年が片手でも扱える軽量なフランスの剣。それでもボロボロになった彼の手は、熱湯を恐れるように鞘へ触れる事すらためらわれる。
「僕は、特別な人間なんかじゃない。その場にあるものだけで、どんな危機でも乗り越えられるような人間じゃない!! 勝てる訳がないじゃないか。相手はフランス最大の魔術まじゆつ結社なんだぞ… そんなもん相手にどう戦えって言うんだよ!!」
「だから、彼女の事は諦めるのか」
「……、」
「それを容認できないから、貴様は立ち去る事なく、いつまでもこんな所で這いつくばっているのではないのか」
 少年は答えない。答えられない。
 泥と傷でボロボロになった体を動かし、何とか上半身だけは起こすが、そこが限界だった。体力だけでなく、気力まで折れているのだ。
 傭兵は気遺わない。
「くだらん絶望など、している暇はない」
 彼はいつまで経っても少年が拾おうとしない、鞘に収まった剣を手に取り、
「敵は強大であり、そしてその目的に対する実行力をかんがみれば、彼女がこれから迎える運命は明白である。ならば、貴様がここで考えるべきはただ一つのはずだ」
 すなわち、とそこで傭兵は言葉を区切って、

「あれだけの絶望的な状況で、それでも彼女は貴様を『信じている』と言った事である」

 少年の中で、時間が止まる。
 傭兵の言葉だけが、続く。
「貴様はどうする。愚か者の少女が描いた夢を守るために、もう一度立ち上がるか。それとも愚か者の少女に現実を教え、さらに深い絶望を与えてやるか」
 傭兵は剣のさやつかみ、いつまで経っても立ち上がろうとしない少年の鼻先に、彼が勇気ある者として振るうベき剣、コリシュマルドのつかを突きつける。
「選べ、貴様はどちらを選択する」
 悩むまでもなかった。
 考えるまでもなかった。
 目の前に積み上げられた問題は山のよう。あちこちに散らばるリスクは星の数。だが関係ない。それを悩むのは、それを考えるのは、まず動き出した者にだけ許される特権。
 少年は立ち上がる。
 満身まんしん創痍そういすべてを無視して、傭兵に突きつけられたフランス製の細い剣の柄を掴み取り、固定用の細い金具を外すと、己の武器、コリシュマルドを鞘から勢い良く引き抜いた。
「―――良い選択である」
傭兵が笑う。
 少年の表情は変わっていた。彼は傭兵のとなりに立ち、全く同列の存在として屑を並べ、戦友と共に暗い路地の出口を―――倒すべき敵と、救うぺき少女のいる『隠れ家』のある方角を見据
える。
「行こう」
 少年は静かに告げた。

おびえる時闘は、もう終わりだ」

 敵はフランス最大の魔術まじゆつ結社、オルレアンだん
 歴史的な復讐ふくしゆうに走るプロの戦闘せんとう集団を相手に、これより本当の反撃はんげきが始まる。

第三章 桁の違う怪物同士の死闘 Saint_VS_Saint

     1

 世界が破裂する音を聞いた事があるだろうか。
 それは爆音や衝撃波しようげきはの領域すら超えていた。人間に聞き取れる範囲をはるかに超えた、世界が放つ苦痛の悲鳴。悲鳴の余波の余波、その切れはしになって初めて爆風と化す。悲鳴の切れ端は街路樹の枝を吹き飛ばし、第四階層のコンクリートの地面をビリビリと振動させ、金属製の手すりをあめ細工のように捻じ曲げる。
 神裂かんざき火織かおりと後方のアックア。
 科学に埋め尽くされた街の中、二人の聖人の激突だけが、深夜の展望台にあるすべてだった。
「おおおァあああッ!!」
 裂帛れつぱくの気合と共に神裂の手から放たれるのは、神速の抜刀術。特定の宗教に対し、別の教義で用いられる術式をかいして傷つける事によって、一神教の天使すら切断する事を可能にした必殺の一撃だ。
 十字術式にできない事は仏教術式で。
 仏教術式にできない事は神道術式で。
 神道術式にできない事は十字術式で。
 互いの弱点をその都度適切な形で補い合う事によって、完全なる破壊はかいりよくを生み出す無二の攻撃術式。
 すなわち、唯閃ゆいせん
 何人なんぴとにも受け止める事のできないはずの斬撃ざんげきを、しかしアックアは巨大なメイスではじき返す。続けて複数のすじを見舞いながら、神裂は知る。アックアもまた、神裂と同等かそれ以上に多種多様な術式に精通しているのだ。ただの『神の右席』には不可能とされる、一般的な魔術まじゆつを行使する能力を思う存分に発揮する形で。
 神裂が仏教術式に迂回しようとすればそれに対応し、神道術式に転換しても即座に防御の型を変えていく。両者の間で莫大ばくだいな魔力が次々とその性質を変え、音速を超える肉弾戦の最中に別次元の『読み合い』という頭脳戦が並行して展開される。
 物理と魔術。
 肉体と精神
 騒乱そうらん瞑想めいそう
 ガガガザザザギギッ!! と互いに武器をぶつけて火花を散らしながら行われる聖人同士の戦いは並行的に見えて、しかしその中に一つの大きなうねりが存在する。
 一般に、魔術まじゆつを扱うのに才能は不要とされる。
 そもそも才能なき者が才能ある者と同じ奇跡を生むために生み出された技術こそが、魔術なのだから。
 しかし、彼らの動きを見てもまだ同じ事が言えるだろうか。
『聖人』という、極めて特殊で異例な才能を見ても。
「……素晴らしい。たった一人の危機にこれほどの人員・戦力が駆けつけるとは、大した人望。あの少年、敵ながら見事である」
 五メートル強もの鉄塊てつかいを木の枝のように軽々と振り回しながら、アックアは言う。
「しかし覚悟しろ。我が戦場に立つと言うのなら、らすほかに道はない!!」
 ゴァ!! という新たな爆音が炸裂さくれつする。
 神裂かんざきの背後は暗い川。その黒い水面が揺らいだと思った時には、二〇メートル近い水柱が上がっていた。それは関節を持つ巨大なハンマー。恐るべき鈍器は地下市街の天井てんじようかすめ、そのまま頭上から神裂をたたつぶそうと迫る。
 アックアとの連撃れんげきだけで手が一杯というのなら、ここで対処しきれずに神裂は死ぬ。
 しかし
 ドバッ!! という切断音がひびく。死闘しとうり広げる神裂の周囲で何かがキラリと光ったと思った瞬間しゆんかん、七つの斬撃ざんげきが後方から迫る水のハンマーを容赦ようしやなく切断し、川面に帰した。
 ワイヤーを使った『七閃ななせん』だ。
「……この程度で全力と思われるのは心外です」
 神裂の唇が動いた途端とたん、七つの斬撃は神裂の刀の軌道を補うように、様々な角度から一斉にアックアをおそう。
 アックアの連撃速度がさらに上がる。
 あるいはメイスではじき飛ばし、あるいは首を振ってけ、刀とワイヤーの双方をしのぎ切ったアックアの眼前を―――突如とつじよ紅蓮ぐれんの炎が埋め尽くす。
「―――ッ!?」
 空中を引き裂くワイヤーの軌跡が三次元的な魔法まほうじんを描いた。アックアがそう気づいた時には、すでに爆炎は彼の屈強な体を呑み込んでいた。
 さらに続けざまに二発、三発と爆発が続き、それらを引き裂くように七本のワイヤーが炎を切り裂き、最後に月明かりりを浴ぴた刀が一閃いつせんする。
 連続した音は鳴らなかった。
 あまりにも素早すぎて、音は数をなくしたかたまりとなる。
 バァン!! と空間そのものを巨大な腕で引きるような轟音ごうおん
 しかしアックアはそこにいなかった。
 神裂かんざきの視線が正面から遠方へと移る。一〇メートルほどはなれたコンクリートの地面に、アックアは飛び退いていた。
 そのほおに、一筋の切り傷がある。
 おそらくワイヤーに裂かれたものであろう、わずかなかすり傷。しかし、それは今まで何人なんぴとにも届かなかった傷だ。頬から赤い血を垂らしつつ、アックアは静かに告げる。
「やばり天草式あまくさしきの一員。基本的にやっている事は同じなのであるな」
 流れる血を人差し指ですくい、その指先をメイスの側面に押し付け、何らかの意味ある言葉を記しながら、
「だが、扱う者が聖人になるとここまで変わるのか。つくづく、才能とは残酷ざんこくなものである」
 魔術まじゆつとは才能なき者の反乱の歴史。しかしそれを天が与えた『聖人』という言葉が答易に押しつぶす。
 投げかけられた言葉に、神裂はわずかにだまる。
 単に戦闘せんとうの結果だけを見れば、その言い分は正しいのかもしれない。
 神裂のいない現天草式では、アックアに傷一つ負わせる事もできなかったのだから。
 しかし
「訂正をしていただきましよう」
 神裂は手にした刀をさやに収め、重心を低く落とし、抜刀の準備に入る。
「確かに、彼らに『唯閃』は扱えません。ですが、その土台となる剣術、鋼糸ワイヤー、術式、その組み立てと戦術のバターンばすべて天草式の先達せんだつに教えていただいたものです。この結果は才能などというちっぽけなものではなく、彼らの歴史が作り上げた結晶。私のまなは天草式であり、私の師は私の仲間たちです。それを侮辱ぶじよくする発言を認めるつもりはありません」
 ミシィ!! と、刀のつかを握る手に力がこもる。
「まして、それだけの力を自覚しておきながら、ただの高校生に容赦ようしやなく振りかざすような外道げどうに、だれかを見下すような資格などありません」
 それはひるがって神裂自身へと刺さる言葉。
 とある目的のために、一度はあの少年をった神裂の、己に対するいましめだ。
「……そこで怒りを覚える事自体、手ぬるいと評価して塘くのである」
 己の血で紋様を描いたメイスをゆっくりと構え直し、アックアは告げる。
 一〇メートルの距離きよりなど、彼ら聖人にとっては目と鼻の先。
 対時たいじする二人のイメージは、古き良き時代劇か、あるいは西部劇か。
「歩兵が偵察に出かけたところ、不意に敵の戦車と遭遇そうぐうした。……それが戦場である。対抗策は必ず用意されているものではない。逃げ道や安全地帯、まして紳士のマナーなど存在しない。全く同じ条件をわざわざそろえ、勝敗の確準を五分五分に調整した上で戦う行為はスポーツと言うのである。才能とは、戦力とはそういうもの。適切な装備を持たずに戦車と遭遇すれば、歩兵がどうなるかは考えるまでもない。容赦なく砲撃ほうげきを受け、ただ消し飛ぶのみ。貴様の戦場は違うのであるか?」
「それはあなたの論理です」
「だが、その領域にみ込んできたのは貴様たちである」
 アックアはあざけりすら向けず、ただ淡々と告げた。
「いや、あの少年に関して言えば、どこかのだれかに引っ張り上げられたのであるか?」
 合図はなかった。
 何の前触れもなく、神裂かんざきが動いた。彼女はプロの魔術まじゆつの目で見てもかすむ速度でアックアのふところへ潜り込む。さやの先がコンクリートの地面に接触していたのか、爆炎のような火花が神裂の軌跡を追い掛けた。しかし火花に追い着かれるより早く、抜刀された七天七刀しちてんしちとうの刃は容赦なくアックアへおそいかかる。
 ガッキィィン!! という甲高かんだかい金属音が炸裂さくれつした。
 神裂とアックアのものがぶつかり合い、二人は至近距離きよりにらみ合う。
「それが分かっていながら、巻き込まれただけの一般人と認識しておきながら! 何故なぜ『聖人』としてのカを叩きつけたんですか!?」
 普段ふだんでは聞く事もできない、感情き出しの怒号だった。
 神裂とアックアが同じ聖人だからか。
 あるいは、聖人としての性質が、過去に多くの人を傷つけた経験を背負っているからか。
「世界で二〇人といない、本物の魔術師ですら恐れるような力を振りかざせばどうなるか。そんな事も考えずに暴虐ぼうぎやくを働いていたんですか、あなたは!!」
「戦う理由だと。そんなものを語ってどうする」
 そんな神裂に対して、アックアはあくまでも冷静沈着。
「己の行いに自信を持つ者に、歩んだ道のりへの言い訳など必要ない。行動の結果として意志が伝わる事はあろう。だが、初めから語るために用意された台本に、どれほどの真実が含まれている」
 つばり合いを行うニ人の間で、表面化した魔力が小規模の爆発を巻き起こした。メイス側面の血文字が起爆したのだ。その拍子に聖人達の距離が少し開く。
 わずかにたじろいだ神裂と、不動の体勢で巨大なメイスを構えるアックア。
 揺るぎなき強敵のしんを支えるのは、おそらく一つの信念。
 だがそれが、神裂火織かおりには全く見えない。
「見せてみろ、極東の聖人」
 アックアの全身が、秘める気配が、一気に二回りもふくれ上がる。
 単に筋肉だけの問題ではない。まるで、彼の持つメイスの根元から先端せんたんまでもが重量、を増したように見えてくる。
「口先だけの言葉ではない。その刃にめた理由を、ただ無言のままに示してみせろ」
 そして再び聖人たちは激突する。
 何人なんぴとにも追い着けぬ速度で、何人にも叶わぬ力を振るって。

     2

 上条かみじよう当麻とうまのまぶたが動いた。
 それは自分の意志で動かしているとは思えないほどわずかなものだ。ほとんど痙攣けいれんにも近い感覚で、ゆっくりと、ゆっくりと、まぶたは細く開く。それでいて、数秒は視界が確保されなかった。フォーカスの遠近が揺らぎ、ようやく病院の天井てんじようらしきものを脳が認識する。
(……俺、は……)
 ここがどこなのか、上条には分からなかった。あるいは見覚えがあっても、その視覚情報を脳が処理できていないのかもしれない。目に映った風景よりも、鼻からいだ消毒用のアルコールのにおいの方が手っ取り早く知覚できた。
(……どう、なった……んだ……)
 胸や腹に、粘着テープのような感触があった。おそらくデータを採るための電極をり付けられているのだろう。
 部屋の照明は落とされていたが、だれかの気配があった。布団ふとんの腹の辺りに、わずかな重圧を感じる。目だけを動かしてそちらを見ると、ベッド横のパイプ椅子いすに座っているインデックスが眠っていた。長い髪に隠れて表情は見えないが、おそらく大分前から付き添ってくれていたのだろう。
 その事に上条はほんの少しだけ胸が痛んだが、
(……、)
 だらりと下がった己の手に、わずかな力が戻る。
 意識が戻るのに呼応して、頭の中に血液が巡るのが分かる。
 後方のアックア。
 五和いつわ
 天草式あまくさしき
 上条は鉄橋から投げ飛ばされて意識を失ったが、彼らの戦いは続いているはずだ。そうであって欲しい。もちろん『天草式が勝って戦いが終わった』可能性もゼロではない。しかし、彼らには悪いが、どうしてもそのビジョンは頭に浮かばない。後方のアックアは正真 正銘しようしんしようめいの怪物だ。自分のような高校生が立ち向かった所でどうにかなる訳ではないのは分かるが、それでも戦力は少しでも多い方が良いに決まっている。
 アックアは、上条かみじようの右手に宿る力を危険視していた。
 ならば逆に、それを使えば戦況に影響えいきようを与えられる可能性も残っているという事だ。
 神様の奇跡でも打ち消す事のできる、この右手。
 その存在を確認し、そして上条は一人でうなずく。
 彼は机に伏せるように眠っているインデックスを、もう一度見た。
 心の底から心配してくれているであろう、一人の少女。
(……悪い、インデックス。後で、死ぬほど謝る……)
 しかし、
(だから、今はやるべき事をやらせてくれ)

     3

 バォォ!! という爆発音が深夜の学園都市に炸裂さくれつする。
 炎による爆風ではない。水による爆風だった。
 アックアの魔術まじゆつによって膨大ぼうだいな川の水が操られ、地下市街の天井てんじようかすめるような巨大なハン

マーを神裂かんざきのワイヤーが容赦ようしやなくたたき切る。建設重機のアームのような形状だったトン単位の水のかたまり一瞬いつしゆんで水蒸気となってき散らされ、それらは再びアックアの手で操られ、キラキラとまたたくダイヤモンドダストへと変貌へんぼうする。
 アックアが制御するのは『ハンマー』一つではない。
 直径ニキロ近い第四階層のすべてが、もはやアックアに掌握しようあくされていた。元々人工的に引かれていた川は完全に干上がり、一滴残らず宙に浮いている。それらは細い線となって第四階層の隅々まで張り巡らされ、複雑怪奇な魔法まほうじんを形成していく。
 陣が組まれ、切り替わり、形を成すたびに、様々な術式がアックアを援護する。
 多種多様な攻撃こうげきが神裂をおそう。
 一つ一つが三〇メートル近い氷のやりが複数飛んだ。
 むちのようにしなる水の尾が様々な角度から襲いかかった。
 ボール状の巨大な塊が縦に振り下ろされ、また横にぎ払われた。
 それらの隙間すきまをかいくぐり、アックア自身が神裂のふところみ込んだ。
 ―――それぞれが必殺と言える攻撃を複数組み合わせ、さらに死亡率を跳ね上げた上での戦略。アックアの予想では、七〇秒で神裂の手は遅れ致命傷を負うばずだった。
「ッ!!」
 だが、その期限を過ぎても神裂は反撃する。
 次々と形を変える水の魔法陣に対し、神裂も七本のワイヤーを四方八方へ引き伸ばし、即席の結界を作ってこれに応じる。地力では負けている事を覚悟した上で、時に水の線を引き裂き、時に水の線の中にもぐって軌道をじ曲げ、アックアの魔術まじゆつを失敗させ、または途中で乗っ取り利用する。
 もはや電子戦にも似た、魔術によるハッキングだ。
 水と鋼糸ワイヤー。二つのネットワークが互いを食い破り、隙を突き、裏をかき、限りある世界の主導権を奪い合っていく。
 世界が無数の光線に染まる。
 アックアの魔法陣を構成する水と、それを打ち破る神裂のワイヤー。
 地下市街の全域を埋め尽くすアックアと、その中にぽっかりと空いた神裂。
 圧倒的な魔術戦を頭脳で行いながら、しかも同時に武術としての直接的な肉弾戦をも並行的に展開させる。
 どちらか片方すら並の魔術師では退い着けない所業を、二つ同時にこなしていく。
 複数の爆音が炸裂さくれつする。
 神裂とアックアの体が空間にかすむ。
 はがねと鋼は様々な角度から振るわれ、交差し、激突する。
(聖母崇拝すうはい術式の使い手……)
 刀とワイヤーと魔術まじゆつを同時に振るいながら、神裂かんざきは歯を食いしばる。
 その表情を作るのは、単に苦痛だけではない。
 十字教術式の厳格なルールをゆがめる特別な法則。アックアはそう言うが、本来、聖母崇拝はそんな事のためにあるものではないはずだ。それは敗者復活のチャンスなのだ。あるいは罪を犯し、あるいは神を捨てるほどの悲劇に見舞われ、一度ルールからあぶれて道をみ外した者のために、聖母の像は涙を流し、夢の中で微笑ほほえみ、そして奇跡を実行するカギを与える。人々はそれを起点に、ただただ一心に祈るという形で無自覚に術式を行使する。
 だからこそ人によっては無秩序に奇跡をき散らすと言われる。『神の子』以外の者を信仰していると誤解される。だが違う。聖母崇拝の本質は、教会と聖職者の作るネットワークの隙間すきまうように起こる悲劇を止めているだけだ。聖母は十字教社会を乱すものではない。人々がひざをついて拝み、家族の、友人の、仲間の無事を祈るのには、それだけの理由が存在するのだ。
 聖母崇拝。
『神の子』を産むという十字教史上最高の偉業を成し迷げた、歴史上でも最大クラスの聖人。人々に安息と救いを与えるために天使の言葉を受け入れ.『神の子』を身寵みごもり、夫と共に苦難と試練の道を歩む覚悟を決めた聖母と、そんな彼女をしたう人々の気持ちが作った信仰の緒晶。
 それを。
(そのおもいを……ッ!!)
 まっすぐな祈りの形で表現される聖母崇拝術式は理屈の解明が難しく、全く的外れな石像が奇跡のアイテムとして報告された例も多数あった。それに便乗した詐欺師さぎしも横行した。だがアックアはそれよりも性質たちが悪い。正真 正銘しようしんしようめい、本物の奇跡を使って暴虐ぼうぎやくを振るっているのだから。
「大したものである」
 長刀と鈍器がぶつかり合う轟音ごうおんの中、アックアの声が通る。
「直径ニキロ、質量五〇〇〇トンの陣を、力技でじ伏せに来るとはな」
 だが、とアックアは続け、
「―――その体、すでに限界に達していると見えるのであるが?」
「ッ!?」
 その指摘に神裂の動きがわずかに鈍った所で、アックアの攻撃こうげきがさらに苛烈かれつさを増しておそ
かかる。
 一瞬いつしゆんで差を引きはなされそうになり、しかし神裂はさらに逆転し返すべく刃を振るう。
唯閃ゆいせん』発動時の神裂は生身の肉体で制御できる運動量を超えたパワーを強引に引き出している。そんな状態で長時間の戦いなど行えるはずもなく、だからこそ神裂の『唯閃』は必然的に、一発で勝負を決められる抜刀術という形でまされていった。
 だが、アックアに一撃いちげき必殺は通じない。
 同等かそれ以上のカをもって立ちふさがるアックアは、聖人としての力に加えて『神の右席』という特性までも利用して、己の肉体を徹底的てつていてきに強化している。神裂かんざきですら瞬間しゆんかんてきみ込む事がやっとの世界を、後方のアックアは悠々と突き進む。
 まるで天使そのものだ、と神裂は奥歯をんだ。
 後方のアックアが司るのは『神のカ』。
(ミーシャ=クロイツェフというのも、事実上は不完全な顕現だったようですが……)
 しくも、一度だけ戦った事のある、あの『大天使』の名を冠した本物の強敵。
(それにしても、おかしい。アックアには、それ以上の何かを感じる……ッ!!)
 似たような許容量を持つ聖人とは思えぬ連撃。
 不完全だったとはいえ、あの大天使に匹敵するほどの感触を与えるアックア。
 だが、考えられるか。
 本当にそれほどの力を秘めた場合、人間とは自減しないものなのか。
「ふっ!!」
 アックアが息をく音が聞こえる。
 一瞬、ふわりという妙な感覚が神裂を包む。
 それはアックアが苛烈かれつな連統攻撃を止めてカの『溜め』を行ったのだと気づいた瞬間、渾身こんしんの一撃が来た。
 真上から思い切りたたきつけられた巨大なメイスを、神裂は刀を横に構えて受け止める。その拍子に、ズシン!! という特大の衝撃しようげきが刀から腕、胴体、足へと一気に走り抜け、ブーツをいた靴底が数センチほど地面へめり込んだ。足元は硬いタイルのはずなのに、まるで泥のように沈んでいた。
 頭をなぐられた訳ではないのに、脳震盪のうしんとうのような揺らぎが生じる。
 だが受け切った。
 そして全依重を乗せた渾身の一撃を放った直後のアックアには、すきが生じるはずだ。
「おおおおおおおおッ!!」
 神裂はびと共に七天七刀しちてんしちとうを振り抜いた。
 完璧かんぺきなタイミング。絶好のチャンス。起死回生の一手。
 にもかかわらず、それすらアックアのメイスは受け止めた。ガッギィィ!! という鈍い衝撃波が、刀に込めていた威力を分散させられてしまった事実を広く喧伝けんでんしていく。
「聖人同士の戦闘せんとうは三年ぶりである。久方ぶりに良い運動にはなった」
 至近距離きよりで、アックアは感情のない笑みを浮かべる。
「だが終わりにしよう。私は仕事をしに来たのである.『運動スポーツ』に興じる暇もない」
「ッ!?」
 神裂かんざきはまともに応じず、一度引いた刀をより強く振るい、苛烈かれつ一撃いちげきを見舞う。
 しかしアックアは眼前にいない。
 視力ではなく気配で神裂は察知する。標的は頭上。アックアの体が真上に二〇メートルほど飛び上がっていた。常人には不可能な、まるでロケット発射のような跳躍ちようやく。空中の一点と化したアックアは、『神のカ』の象徴たる衛星・月を背にしていた。
 厳密には違う。
 夜空を映す、ビリビリに引き裂かれたプラネタリウムのスクリーン。
 アックアは天井てんじよう近くで体を半転させると、作り物の天蓋てんがいへ足を乗せる。
「ッ!!」
 神裂は即座に追おうとするが、先ほどのダメージと、何よりここまで蓄積した体の負荷によって、ほんの数瞬すうしゆんのラグが生じてしまう。
 動きの止まった神裂を四方から取り囲むように寒気が包む。それは本物の武人だけが感知する生と死のリズム。戦闘せんとうという全体の流れが大きく揺らいだ時に垣間かいまる、物質的には存在しないシーソーの『傾き』のような何か。
 そして頭上のアックア。
「―――聖母の慈悲は厳罰を和らげるT H M I M S S P
 アックアのささやきに応じて、その背後にたたずむ月が爆発的な光を発する。違う。ブラネタリウムのスクリーンに映像を映す機構が何らかの負荷を受けてショートしているのだ。バヂバヂ
ッ!! と複数の火花が、得体の知れないカウントダウンのように炸裂さくれつする。
 本物の月の光は届かないのに、本物の月の加護を受けている。
 普通の魔術まじゆつならばありえないこの理屈を、アックアの聖母崇拝すうはいは強引に押し通す。
(これは……ッ!!)
 青白い閃光せんこうを受けた鋼鉄のメイス全体に、莫大ばくだいな力が宿っていくのを神裂は知る。
時に、神の理へ直訴するこのカ。慈悲に包まれ天へと昇れT C T C D B P T T R O G B W I M A A T H!!」
 怒号と共に天井をばし、勢い良く下降するアックア。ただでさえダメージを負っていたいつわりの空は、その一撃ぞ完膚かんぷなきまで破壊はかいされ、青い静謐せいひつ漆黒しつこくやみへと戻っていく。
 一直線の落下。
 そして振り下ろされる特大のメイス。
 そこから放たれたのは、斬撃ざんげきや刺突や射出や爆発や破裂や分断や粉砕ではない。

ただ重圧。
上から下へと突き進む圧倒的な破壊力は、小惑星との激突すらしのぐ。

 その時、世界から音が消えた。
 世界が破裂する音すらも、消えた。
 必殺の一撃いちげきを放ったアックアを中心に、学園都市第二二学区第四階層の地面そのものが、直径一〇〇メートルにわたって容赦ようしやなく突き崩された。落下の衝撃しようげきはクレーターを作る事すら許さず、そのまま鋼鉄とコンクリートの地面を粉々に砕き、巨大な穴と化す。
 シェルター級の硬度だろうが何だろうが関係なし。
 直径一〇〇メートルもの崩壊ほうかいした大地は、そのまま下の第五階層へ降り注ぐ。
 爆音と、震動しんどうと、粉塵ふんじん炸裂さくれつする。
 どどどどどどどどどど、という破滅の音響おんきようが、いつまでもいつまでも鳴りひびく。
 第四階層の川や水力発電用のパイプが寸断されたせいか、滝のように水が降り注ぐ。
「ぐっ……ごほっ……」
 そんな中に、神裂かんざき火織かおりは倒れていた。
 攻撃自体は七天七刀しちてんしちとうで受け止めたものの、足元の大地の方が耐えきれなかったのだ。
 莫大ばくだいな重圧を受けて、瓦礫がれきの山と一緒いつしよに二〇メートル以上の高さから落ちた神裂は、コンクリートのかたまりの上で、あおけに転がっていた。
 その全身はボロボロだった。アックアの一撃が直撃しなかったとしても、重圧は武器を通して体をむしばむ。特大のメイスと人工の大地の間に挟まれた神裂は、腕と言わず脚と言わず胴体と
言わず、ありとあらゆる所からドロリとした赤黒い液体をこぼしている。
 世界で二〇人といない聖人でさえ、この有り様だった。
 もう一度同じ攻撃を食らえば、今度ば絶命するという計算がすぐに導かれた。
だが、
「……、」
 ギシリ、と奥歯をめる神裂火織の顔に、恐怖や驚愕きようがくはない。
 あるのは怒り。
 クレーターの真下である第五階層。神裂の落ちた辺りは大きな広場になっていたせいか、不幸中の幸いにも犠牲ぎせいしやはいないようだった。しかしそれは結果論だ。もしもここが住宅街だったら。たまたま広場をだれかが歩いていたら。そう考えただけで、神裂の背筋に寒いものが走る。どうやら学園都市が何らかの処置を行っていたようだが、ここは第四階層と違って、最低限の魔術まじゆつてきな『人払い』すら行われていないのだ。
 同じ聖人のくせに。
 世界で二〇人といないオ能を持っているくせに。
 どうして、こんなつまらない事にしかカを振るえないのか。
「アックア……」
 傷だらけの体を引きずるように上半身を起こし、瓦礫の上に落ちていた七天七刀をつかみ直し、神裂はかすれるような声で呟いた。
 対して、同じように第五階層の地面へ荒々しく足を着けた後方のアックアは、
「幻想殺しはどこにいる」
 圧倒的な破壊はかいをもたらしたメイスを軽々と肩でかつぎながら、
「それとも、一つ一つ層をぶち抜いて行けば、いつかは会えるものであるか?」
「アックアああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 己の血を振りくような勢いで、神裂かんざきは猛然と立ち上がる。
 両手で構えた七天七刀しちてんしちとうはふらふらと揺れていた。
 あまりにも強く握りめ過ぎたのか、彼女のつめのいくつかは割れ、指と指の隙間からは赤い血が垂れている。受け流しきれなかった莫大ばくだい衝撃しようげきが神裂の全身を内側から傷つけたのか、呼吸をしようとした彼女の口から、ごぽっ、と血のかたまりが噴き出した。
 それでも、神裂の眼光だけは衰えない。
 そしてその眼光が消えない限り、神裂の刃が止まる事はない。
 己を鼓舞するためか、傷ついた呼吸器官を押してまでたけびをあげる神裂。同時に放たれた一撃をアックアがメイスではじき、金属音がひびき―――そこから重なる金属音の連続が、一瞬いつしゆんで空気を爆発させた。
 ドバァ!! という激突音が炸裂さくれつする。
 聖人と聖人が再び刃を交えた。

 その簡単な事実を確認する方が遅れるほどの速度だった。
 神裂かんざき火織かおり七天七刀しちてんしちとうを高速で振るい、その隙間すきまうように七本のワイヤーを走らせ、少しでも隙が生じれば刀をさやへ戻し、莫大ばくだいな速度の抜刀術を放っていく。さらにワイヤーが描く三次元的な魔法まほうじんや神裂自信の足運び、鋼鉄と鋼鉄がぶつかるリズムなどを利用し、合間合間に炎や氷などの攻撃こうげき術式を生み出して断続的な奇襲きしゆうを繰り広げる。
 対するアックアは巨大なメイスで刀をはじき落とすかたわら、『神のカ』としての属性か、月光の片鱗へんりんを秘める夜気を吸収し、メイスの破壊はかいりよくを増幅。さらには聖母崇拝すうはいが示す『厳罰げんばつに対する緩和かんわ』の特性を使い、『「神の右席」は普通の魔術まじゆつを使えない』という条件を克服。音速を超える連続攻撃を繰り出しつつ、同時に真空刃や岩のかたまりなどを使って多角的に神裂へ攻め込んでいく。
 ドガガガザザザギギギギギッ!!と火花が飛び散った。
 神裂とアックアの周囲に小規模の星空が舞う。
「ごっ、ふ!?」
 しかし結果は一目いちもく 瞭然りようぜん
 すでに限界を迎えている神裂の口からは断続的に血がこぼれる。体の見えない所に重大なダメージがあるのは明自だった。刃を振るう速度は目に見えて遅くなっていき、いつかは追い着けなくなってアックアの一撃を受ける絶望的な未来が脳裏をちらついた。ついていくだけでも精一杯の相手に対し、起死回生の一撃など放てない。逆転のチャンスとは、それを実行するための切り札を温存しておいて、初めて実現するものなのだから。
 すべてのカードを使わなくては対処できない神裂に、チャンスはない。
 たった一枚の切り札すら出し惜しみできないのでは、巻き返しを図るのは難しい。
 だが、

『うるっ……せえっつってんだろ!!』

 頭に浮かぶのは、この学園都市で初めて『彼』と出会った時に受けた言葉。
 それを思い出し、自然と神裂の全身に力が戻る。
 戻ってくれる。
『んなモン関係ねえ! テメェは力があるから、仕方なく人を守ってんのかよ!?』
 インデックスという一人の少女の処遇を巡り、聖人の前にただの握りこぶし一つで立ち向かったあの少年。
『遠うだろ、そうじゃねえだろ! き違えんじゃねえぞ! 守りたいモノがあるから、力を手に入れんだろうが!』
 別に、あの少年の言葉が世界で一番美しいものとは思わない。
 思想など人の数だけあるものだし、その内のどれかが頂点に立つという訳でもない。
 それを言ってしまえば、後方のアックアにも戦うぺき理由や信念が存在するのだろう。
 しかし。
 聖人や『神の右席』としての莫大ばくだいな力を認識していながら、それをただの一般人へ容赦ようしやなくたたきつける『理由』なんてものが、あの少年に勝てるとは思えなかった。
 ただの一般人のくせに、五和いつわを守るために自らアックアの攻撃こうげきを受けた少年の行いが、ただ『選ばれた人間』として当たり前のように君臨する者に、負けるとは考えられなかった。
 神裂かんざき火織かおりは、刃を振るいながら、思いきり奥歯をめる。
 あの少年が見せた『理由』を、
 いのち懸けで示してくれた『信念』を、

 こんな才能『しかない』卑怯者ひきようものに、みにじらせはしない。

     4

 五〇人近い天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようの面々は、治療ちりようのために巻いた包帯自体が引きられ、その内側から赤いものをにじませるという凄惨せいさんな状況も気に留めず、アックアが破壊はかいした第四階層の巨大な穴の縁から、第五階層でり広げられる聖人同士の戦いを呆然ぼうぜんと眺めていた。
爆音、爆風、衝撃しようげきは余波だけですさまじく、辺りに散らばる瓦礫がれきの量から考えて、一般人が巻き込まれていないのが奇跡に思えるぐらいの状況だ。
 同じ人間であるにもかかわらず、圧倒的な運動量と衝撃波によって、荒れ狂う魔力まりよくの渦すらぎ払って激闘げきとうを繰り広げる怪物たちたけびがひびき、金属と金属がぶつかる激突音が炸裂さくれつし、爆風が空気中の水蒸気を吹き消して飛行機雲のような残像を生む。攻撃の合闘合間に複数の閃光せんこうまたたき、その内の一つでも浴びれば現天草式など消し炭になるであろう術式が、これまた圧倒的な魔術でもって次々と迎撃されていく。
 はなれた所から見ると、それは銀河と銀河のぶつかり合いにも見えた。激突と共に複数の星が爆発し、空間がたわみ、暗黒にみ込まれ、そのやみすら振り払うように新たな光が生み出される。ならば仮初かりそめの銀河の中心に立つあの二人は何を示すのか。
 あの内の片方は、神裂火織だ。
 かつて自分達を率いてくれた、そして今も陰ながら温かいまなしを注いでくれる、世界で二〇人もいない本物の聖人だ。
 天草式の元女教皇プリエステスは今、戦ってくれている。
 おそらくばターゲットとして指定されてしまった一般人の少年を助けるために、そしてアックアにおそわれていた現天草式の仲間達のために。
 だが。
「……、」
 ガシャン、という音が聞こえた。
 戦いを眺めていた血まみれの五和いつわの手から、海軍用船上槍フリウリスピアすべり落ちた音だった。あのアックアに対抗するため、そして一人の少年を助けるために、ありったけの技術を注ぎ込んで補強した一本のやり。その努力の結晶が、まるで路傍ろぼうの石のように、ただ転がっていた。
 五和だけではない。
 ほかにも何人かが、同じように武器を落としていた。ひざから力を失い、壁に手をつく者もいた。そして、これもやはり同じような表情を浮かべていた。

 それは、ただ圧倒的な無気力感。

 自分は一体何をやっていたんだろう、と五和は思っていた。
 神裂かんざき火織かおりが自分達のために戦ってくれれば戦ってくれるほど、自分達の努力が否定されていく感覚があった。どこまで努力しても自分達は聖人のてのひらの上から逃れる事はできず、『彼女』は愛らしいものでも見るような目でそれらを眺め、そしていざ危険が迫ればだれにも到達できないような高みで戦いを繰り広げる。
 全然、本気で見てもらえていなかった。
 どこまでいっても、所詮しよせんは遊びでしかなかった。
 その厳然とした事実にたたつぶされそうになりながら、そして同時に、神裂火織が見ぜたいのちけの優しさに対して、そんな事しか考えられない自分の小ささに、さらに五和達は打ちのめされる事になる。だがだった。あまりにも矮小わいしようだった。とても割り込む事のできない圧倒的な戦闘せんとうを眺めているだけで、すさまじい無気力感が傷ついた体に残ったわずかな体力や気力を丸ごとぎ落としていく。
 あの少年がここにいれば、そんな事に構ったりはしないだろう。
 ただ目の前で神裂火織という『仲間』が戦い、傷つけられている様子を見れば、もうそれだけでこぶしを握って戦闘の真ん中へ割り込んでいけただろう。
 それもまた、 一つの強さ。
 だが、今の天草式あまくさしきにそれだけの強さを示す信念は、ない。
 聖人と聖人の戦いは統く。
 あまりにも圧倒的なカは、直接的にぶつからずとも、ただ見ているだけで人の心をえぐり取っていく事も知らずに。

   行間 三

 救難信号ならとっくに聞こえていた.
 しかし身動きの取れる者は一人もいなかった。別に、体に何か大きな傷があるという訳ではない。目的地まであまりにも距離きよりがあり、そして乗り物などが調達できないという訳でもない。
彼らが動けないのは、単に立場や政治的な問題だった。
 救難信号は英国王室専用の長距離護送用馬車から届いたものだった。
 そもそも、この馬車の魔術まじゆつてきな防護もう完璧かんぺきであるはずだった。馬車が作られた当初から、たとえこの惑星が真っ二つに割れたとしても救難信号が出る事などありえないと揶揄やゆされるほど強固なものであるはずだった。特殊な修道服『歩く数会』どころの話ではない。魔術大国イギリスの技術と歴史のすいを集めて設計され、『移動鉄壁』という異名まで持つ王室用の馬車は、たとえどんな襲撃しゆうげきしやにも止められる訳がなかった。
 その馬車から、救難信号が来た。
 普通なら絶対にありえない現象。
 それが示す意味ば簡潔だった。

 何らかの政治的な『取り引き』があった。
 馬車に乗っていた英国第三王女は、その捨てごまにされたのだ。

 ドーヴァー海峡を挟んだ国境沿いで、『』の面々は、悲痛の思いでり返し届けられる救難信号を、ただだまって聞いていた。
 だれもが無言で歯を食いしばり、てのひらから血がにじむほどこぶしを固く握りめていた。
 彼ら『騎士派』の目的は.三派閥四文化という複雑な関係を持つイギリスという国家の分裂を防ぎ、国家をまとめるに足る王家の血を引く者を、たとえ命に代えてでも守り抜く事だ。
 権謀けんぼう術策じゆつさくの渦中で活動する彼ら『騎士派』の男たちは、その苛酷かこくな環境に身を置いていたからこそ、特に何の説明も受けなくても、今置かれている状況を予測する事はできた。
 英国第三王女を簸撃しているのはスペイン星教派。ローマ正教の中でも極めて大きな派閥であり、エリザベス一世の時代に無敵艦隊かんたいほうむられて以来、スペインとイギリスの魔術勢力間には歴史的な確執が存在する。
 英国王室がえてこの襲撃を見逃したのは、スペイン星教派との戦争を起こすきっかけが欲しかったからだろう。大航海時代に十字教を伝えた関係で、今もスペイン星教派は南米大陸の旧教カトリック文化勢力を、ほぼ完璧かんぺき掌握しようあくするだけの影響えいきようりよくを持っている。イギリス側としてはこの南米への影響力をローマ正教スペイン星教派からもぎ取り、勢力圏を拡大しようとしているのだ。そして英国第三王女は、王室内ではそれほど強い権限を持っていなかった。大陸一つと天秤てんびんにかけられ、そして捨てごまにされたという訳である。
 王女を守るのが『』の務めだ。
 たとえ救いを求める声がなくとも駆けつけるのは当たり前。まして救難信号が出ているのにそれを無視するなど、本来ならば絶対にありえない事だった。
 しかし。
 今だけは、今この瞬間しゆんかんだけは、『騎士派』は石になるしかなかった。
 フランスでの魔術まじゆつてき戦闘せんとうがドーヴァー海峡を挟んでイギリスまで及んだ場合はすみやかに行動するよう求められていたが、逆に言えばイギリスに火の粉がかかるまでは、絶対に動いてはならないと暗に強制されていたのだ。
「……、」
 ウィリアム=オルウェルは『騎士派』が野営しているテントから.外へ出た。
 真夜中のドーヴァー海峡の向こうでは、今も断統的に光がまたたいていた。灯台の光ではない。
 フランス国境側かられているのは、スペイン星教派による魔術攻撃こうげきの余波だ。
「行くのか」
 背後から声がかかる。
 ウイリアムが振り返ると、そこには『騎士派』のトップ、騎士団長ナイトリーダーが立っていた。屈強なアックアとは違い、どこか優雅な立ち振る舞いを見せる男。それは生まれ育った家柄のおかげでもあるのだろうし、何より常に王家の血を引く者を守る責務から、王城や宮殿での作法を学ぶ必要が生じたからだろう。
 ウィリアム=オルウェルは金で雇われてだれの下でも戦う傭兵ようへいだ。
 一国家のために命を尽くす騎士団長ナイトリーダーとは、本来ならばあいれない存在のはずだ。
 しかし実際には、二人は暇さえあれば酒をみ交わす関係にあった。騎士団長ナイトリーダーは何度となくウィリアムを『騎士派』にさそい、ウィリアムはそれを断りつつ、しかし世界中で戦った後は、一杯の酒をのどに通すために自然とイギリスへ帰ってくる。地位も立場も、戦い方も生き様も、
何もかもが違っていたくせに、彼らは不思議なほどお互いを認め合っていた。
 だからこそ、騎士団長ナイトリーダーは知ったのだろう。
 何も告げず、ただだまってテントから出たウィリアムの考えを。
「貴様たちには一国を守る者としてのしがらみがある。国家の後ろ盾を持つ者の行動は、その国家を代表した意思表示になってしまうのである。そうした状態ではフランスとの国境を勝手に越えてスペイン星教派へ手を出す事も難しいのであろう」
 ウィリアムは巨大なメイスを肩でかつぎ直してから、静かに語った。
「だが私なら違う。私はただの傭兵ようへいである。国家の後ろ盾を持たぬ者が個人的に暴走したとしても、それはイギリスの思惑とは一切関係がないはずである」
「お前一人に行かせると思うか」
 騎士団長ナイトリーダーは口元をほころばせた。
「いくら歴戦の傭兵とはいえ、お前だけには任せられん。なに、お前の悪運ならば生き残る事はできるだろう。しかし王女を守る立場としては、出自も分からぬ傭兵に彼女を預ける訳にもいかないのでな。わずか一四ばかりの子供とばいえ、曲がりなりにも婚前の女性だぞ。不埒ふらちやからに連れ去られては国家の危機だ」
「人の話を閏いていたのであるか?」
 アックアはあきれたように言った。
 彼は気づいている。騎士団長ナイトリーダーの並べた反論は、単なる建前でしかない事に。
 そして騎士団長ナイトリーダーにとっても、気のいた冗談ぐらいの調子でしかない。
 彼ら二人は、目を合わせれば呼吸が合う。
 そういう腐れ縁なのだ。
「イギリスという国家を背負う『』には手出しができないという話だろう」
 騎士団長ナイトリーダーは簡単に言うと、胸元についていた純金の勲章のようなものを取り外した。それは彼の血統を証明する、家紋の紋章の中心に据えられる盾の紋章エスカツシヤンをあしらった識別章だった。騎士団長ナイトリーダーは少しだけ寂しげに識別章を眺めていたが、やがてそれを手からはなした
 地面に落ちた識別章には目を戻さず、騎士団長ナイトリーダーは正面からウィリアムの目を見据える。
「これで私も騎士失格だ。だから行かせてもらう。今も救難信号を出し続けているという事は、まだ第三王女は生きているはずなのだからな」
「なるほど。貴様らしい選択である」
 ウィリアム=オルウェルはその決意を知って、わずかに笑った。
 彼もまた騎士団長ナイトリーダーと同様に、知っていたのだろう。今まで共に酒をみ交わしていた相手が、一体どんな人間であるかを。
 知っていたからこそ、背中を預けて戦えたのだ。
 騎士団長ナイトリーダーは海峡の向こうでまたたく光を忌々いまいましそうににらみながら、ウィリアムを促す。
「急ごう。走行不能になったとはいえ、いまだに馬車の防護機能は生きているだろうが……『王室派』が直接工作をした以上、それもいつまで保つか分かったものではない、とにかく一刻も早く駆けつけねば」
「そうであるな」
 ウィリアムは率直に同意したが、次の瞬間しゆんかんには、騎士団長ナイトリーダーの腹へ深々とこぶしを突き込んでいた。ズドン!! という鈍い音に、騎士団長ナイトリーダーは信じられないものでも見るような目でウィリアムの顔を見る。
「お、前……何を……?」
「駄目だ。連れてはいけない。分かっているはずであろう」
 ウィリアムがこぶしを抜くと、騎士団長ナイトリーダーは支えを失ったように地面へ崩れ落ちた。それでも鍛えに鍛えた騎士団長ナイトリーダーの意識を完全に奪う事はできなかったらしい。もがく騎士団長ナイトリーダーを見もしない
で、ウィリアムはただ告げる。
「私は傭兵ようへいという身軽な立場を利用し、世界各地の戦場を自由に渡る。だが、そんな私でもイギリスの王城や宮殿の中には入れない。それは貴様にしかできない事である」
「ウィ……リ、アム……」
「本当に第三王女を守りたいと思うのなら、今だけでなく、先を見ろ。このような権謀けんぼう術策じゆつさくが招く人災は、おそらく今後も幾度いくどとなく第三王女をおそうであろう。その時、そばにいてやれる人間がいた方が良い。守ってやれ、おさ。第三王女だけではない。そのような政治的駆け引きに腐心する『王室派』そのものを。それは傭兵の私ではなく、騎士の貴様にこそ任せられる仕事である」
「ウィリアム=オルウェエエエエエエエル!!」
 倒れたまま叫ぶ騎士団長ナイトリーダーの言葉を振り切って、ウィリアムは戦場へ向かう。
 騎士団長ナイトリーダーは、一つの魔法名を聞いた。
 とある傭兵が掲げる魔法まほうめいを。
「名乗るべき時が来た。我が名は『その涙の理由を変える者Flere210』である!!」
 イギリスとフランスの間にあるのはドーヴァー海峡。
 しかし水中移動術式をほどこしたウィリアム=オルウェルは、まるで砲弾のような速度で一気に国境を突き抜ける。

第四章 誰が誰を守り守られるか Leader_is_All_Members.

     1

 御坂みさか美琴みことはトボトボと深夜の街を歩いていた。
 湯上がりゲコ太ストラップを得るために外のお風呂ふろ施設を利用した美琴だったが、折悪く、なんか『無酸素警報』とかいう第ニニ学区特有のデンジャラスイベントに遭遇そうぐうし、ビルの中で足止めを喰らっている内に、気がつけば時間は深夜になっているし完壁かんぺきに湯冷めしているし、お風呂に入った意味もなくなっていた。
(だーちくしょう……結局、りようのユニットバスを使う羽目になるのか)
 と思ったのだが、どういう訳か第ニニ学区の出入り口は封鎖ふうさされていた。
 現在、その『無酸素警報』については一応の決着がついたらしく、ビルからの出入り制限自体は解かれている。どうやら何らかのシステムの不具合らしく、ゲートを管理している中年のおじさんも頭をいていた。
 普通なら文句の一つも言いたい所だが、何しろおじさんの背後ではドタバタというものすごい足音や、あっちこっちで野太い怒号や叱責しつせきが飛び交っている。心なしか、対応したおじさんの顔色もすすけていた。今更いまさらクレームを重ねるのも不憫ふびんだ、と思った美琴はみつく事をあきらめた。
(うーん、一体何があったのやら)
 こう見えて、美琴もあの少年に負けず劣らずうま根性のトラブル体質の持ち主である。そっちのさわぎの方も少し気になったのだが、
「にょわっ!?」
 突然、バチン!! と美琴の前髪辺りから静電気のようなものが散った。彼女にしては珍しく、軽度の能力の暴走だ。美琴はびっくりしているおじさんに愛想あいそわらいを浮かべて頭を下げると、ひとまずそこから撤退てつたいする。これは学園都市特有の感覚かもしれないが、自分の能力を自分で制御できないヤツというのは、これはこれで案外恥ずかしいものだ。そうしている内に、いつの間にかトラブルの現場に首を突っ込んでみる気もえていた。
 もしも彼女が魔術まじゆつに精通していれば、今のが『人払い』という、人間の感覚や認識に影響えいきようを及ぼす術式の効果と,自身の能力の制御法が競合を起こしたのだと勘付いたかもしれない。
(しっかし、何だったんだろさっきの?)
 首をかしげつつ、とりあえずゲートの動作不良がどうにかなるまでは地上へは出られないとの事なので、美琴みことは第二二学区の案内板を眺め、第七階層にあるグレード高めなホテルへ足を運ぶ事にする。
(今から飛び入りでチェックインできるかしら……。つか、さりげなく寮監りようかんが怖いなぁ。やっば黒子くろこに電話して空間移動で脱出した方が良いのかも)
 そんなこんなで、螺旋状らせんじようの下り坂を降りて第七階層へ降りる。
 と、その時だった。
 不意に、前方の暗がりから、何者かの人影がふらっと出てきた。明らかに普通の歩き方ではない。たよりないというよりは、不安定さがきわつ挙動。変質者か? と美琴はまゆをひそめたが、人影が街灯の下に出てくると、彼女の顔は一気におどろききに染まった。
 上条かみじよう当麻とうまだ。
「ちょ、アンタ何やってんのよ!?」
 慌てて美琴は駆け寄る。
 普段ふだんの彼女なら、こういう反応は見せないだろう。この少年は日常的に夜の街をうろついている事は知っているし、美琴にとっては腐れ縁のようなものだ。顔を突き合わせてケンカをす
る事はあっても、心配をするというのは珍しい。
 だが、今の美琴は、いつもの行動パターンから外れざるを得ない状況に直面していた。
 上条当麻の様子が、明らかにおかしかったからだ。
 まるで氷の海にかっていたように青ざめた顔。体中に巻かれた包帯は無理な運動のせいか所々がずれていて、赤いものがにじんでいる箇所すらあった。着ている服もおかしい。見慣れた学生服ではなく、まるで病人用の手術衣のようなものをまとっているだけだ。
御坂みさか、か……?」
 街灯の柱に体を預けるようにして、かろうじて体勢を保ちながら、上条は言った。強引に引きったのか、ほおや腕には電極のついたテープらしきものがあって、コードのはしが地面まで垂れている。
 その目を改めて見て、美琴はギョッとした。
 良く見なければ分からない程度だが……上条の右目と左目は、わずかに瞳孔どうこうの開き方が違う。確実に焦点が合っていない。これではくもりガラスを通して風景を見ているようなものだろう。
 上条自身の表情から、その事に気づいている様子はなさそうに見える。
 あるいは、そんな瑣末さまつごとなど気にしていられないほど、切羽せつぱまっているのか。
「……、」
 上条の唇がかすかに動いたが、美琴の耳には聞き取れなかった。
 ただ彼は、ゆっくりとした動作で街灯の柱から手を放すと、再び歩き出す。そのまま美琴の横を通り抜けようとして、そこでひざから力が抜けた。
 ガクン、と地面に崩れそうになる上条を、美琴は慌てて支える。
「馬鹿!! アンタ、その怪我けがどうしたのよ!? そっちについている電極のコードとか……、まさか、どっかの病院から抜け出してきたとかって言うんじゃないでしょうね!?」
「行か、ないと……」
 間近に接近したからか、ようやく上条かみじようの声が聞こえた。
「あいつら、多分、今も戦ってる。だから、おれも行かないと……」
 断片的な言葉を聞いただけで、美琴みことは全身がふるえるのが分かった。
 この少年が、今までも何度か美琴の知らない所で事件に巻き込まれているらしいのは、何となく予想がついていた。ただし、それはケンカの延長線上にあるようなものだと思っていた。過去に一度だけ、学園報市最強の超能力者レベル5と戦う場面を目撃もくげきした事もあるが、あれはまさに人生一度の出来事だと考えていた。まさかこんな、生きるか死ぬかのぎわを何度も何度も行き来していただなんて、だれに想像できただろう。
 同時に、これなら考えられる、と美琴には納得できる部分があった。
 彼女の脳裏に浮かぶ単語はただ一つ。
(……記憶喪失)
 こんな風に、毎回毎回寿命を削って戦い統けていれば、体の方だってただでは済まないはずだ。記憶喪失の原因が精神的なショックなのか、それとも脳の構造的な問題なのかは美琴には分からない。だが、そのどちらの原因であっても『ありえる』と、思えてしまう。それぐらいに、上条当麻とうまの体はボロボロになっていた。
 止めるべきだ、と美琴は思う。
 今にも死にそうな体をひきずって、頭の中の記憶を失うほどの経験をして、それでも何らかの危機に立ち向かおうとするこの少年を。
「……?」
 上条は、いつまでっても自分の腕をつかみ続ける美琴を、不思議そうな目で見ていた。
 何で美琴が立ち尽くしているか、全く理解していない顔。
 他人に心配をかけさせるような事は全部内緒ないしよにしているから、誰かに声をかけてもらう事なんて絶対にありえないと、何も言わなくても誰かが自分のピンチを察して助けに来てくれるなんて都合の良い事は起こる訳がないと、本当にそう信じている顔。
 その小さな事が、頭にきた。
 心の底から。
「何で……言わないのよ」
 気がつけば、美琴はボツリとつぶいていた。
 後戻りはできなくなると分かっていながら、言葉を止める事はできなかった。
「助けてほしいって、力を貸してほしいって! ううん、そんな具体的な台詞せりふじゃなくて良い。もっと単純に!! 怖いとか不安だとか、そういう事を一言でも言いなさいよ!!」
御坂みさか……。なに、言って……」
「知ってるわよ」
 このに及んでまだごまかそうとするように……いや、美琴みことを巻き込ませないように演技を続ける上条かみじように、美琴は切り捨てるようにこう言った。

「アンタが記憶きおく喪失そうしつだって事ぐらい、私は知ってるわよ!!」

 その瞬間しゆんかん、上条の肩がビクンと大きく動いた。
 大きな―――それこそ人生を左右するほど大きな『揺らぎ』が見えた気がした。
 戸惑っている上条を見て、美琴の方も衝撃しようげきが走る。
 だがそれがどうした。
 美琴はかつて一度、本当にこの少年に命を救われた事がある。彼女一人だけではない、彼女が守るべき一万人近い少女と一緒いつしよに。
 その時、たった一人で学園都市最強の超能力者レベル5に立ち向かおうとした美琴の前に、上条当麻とうまは現れたのだ。すべてを一人で抱えて死のうとしていた美琴の心の奥深くへ、土足でズカズカとみ込んでくるようなやり方で。
 確かにそれはデリカシーの欠片かけらもない、ともすればプライバシーすら侵害するような意地汚い方法だっただろう。しかし、御坂美琴という少女は、そして彼女の『妹達シスターズ』は、そういう方法で救われたのだ。
 そのやり方を、上条当麻にだけは否定させない。
 この少年だって、そういう方法で救われたって良いはずだ。
 だからこそ、美琴は言う。
「アンタの中にはそれぐらい大きなものがあるってのは分かる。でも、それは全部アンタが一人で抱えなくちゃいけない事なの? こんなにボロボロになって、頭の中の記憶までなくして、それでもまだ一人で戦い続けなくちゃいけない理由って何なのよ!!」
 上条は、その言葉を聞いていた。
 彼が黙っているのを良い事に、美琴はさらにたたみかける。
「私だって、戦える」
 正面から挑むように、ただ真っ直ぐに意志をぶつけるために。
 今まで言えなかった事が、ただ自然と口から飛び出す。
「私だって、アンタの力になれる!!」
 それは学園都市第三位の『超電磁砲レベル5』があるからではない。そんな小さな次元の話ではない。たとえこの瞬間に全ての力を失ってただの無能力者レベル0になったとしても、それでも美琴は同じ事を言えると絶対に誓える。
「アンタ一人が傷つき続ける理由なんてどこにもないのよ! だから言いなさい。今からどこへ行くのか、だれと戦おうとしているのか!! 今日は私が戦う。私が安心させてみせる!!」
「み、さか……」
「人がどういう気持ちでアンタを待ってるのか、そいつを一度でも味わってみなさい! 病院のベッドに寝っ転がって、安全地帯で見ている事しかできない者の気持ちを知ってみなさい!! アンタ、妹達シスターズを助けた時もそうだったじゃない!! こっちには相談しろって言っておきながら、自分だけ学園都市最強の超能力者レベル5に一人で挑んで!! 何で自分の理論を自分にだけは当てはめないのよ。どうしてアンタ一人だけは助けを求めないのよ!?」
 叫びながら、美琴みこと上条かみじようの顔を見据えた。
 そこにあるのは愕然がくぜん
 だが、それは『知らない事』を突きつけられた表情ではない。『隠していた事』が明るみに出たおどろきだ。
 一方通行アクセラレータ妹達シスターズについての記憶きおくある。
 その事に美琴はホッとする反面、この局面で感情に打算が混じった己の意地汚さに嫌悪けんおする。本来なら上条の身を一番に心配するべきこの状況で、美琴は自分の『不安』を払拭ふつしよくするための行為に出てしまったのだ。
 上条当麻とうまは、気づかない。
 あるいは、気づいていながら、見逃してくれたのか。
「とっ、とにかく、行くわよ、病院に! アンタ口で言っても聞かないんだから、ちゃんと病室に戻るまで見逃したりはしないわよ!!」
 美琴は上条の腕をつかみながら、もう片方の手で携帯電話を操作して地図を呼び出し、病院の場所を検索していく。
「……そう、か」
 上条はしばらく呆然ぼうぜんとしていたが、やがてゆっくりと唇を動かした。
 それは、笑みのようにも見えた。
「知っちまったのか、お前」
 崩れ落ちそうでありながら、上条の体に妙なカがこもる。最も危険な状態だと美琴は判断した。だから彼女は上条の腕から手を離さない。
「でも、違うんだ」
 さらに何かを言おうとした美琴を封じるように、上条は言った。
おれ、記憶がないから詳しい事は分からないんだけどさ」
 上条当麻のしんは、折れていない。
「以前の自分の事なんて思い出せないけど、どんな気持ちで最期さいごの時を迎えたのか、もうイメージもできないけど。でも、ボロボロになるとか、記憶がなくなるまで戦うとか。自分一人が
傷つき続ける理由はどこにもないとかさ」
 記憶きおく喪失そうしつである事が露見ろけんした。それ自体はとてつもなく大きな出釆事のはずだ。だが、上条かみじようが抱えている本当のしんは、そこではない。

「多分、そういう事を言うために、記憶がなくなるまで体を張ったんじゃないと思うんだよ」

 美琴みことの表情が、止まった。
 その結論が、上条当麻の抱える本当のしん
 だからこそ、少年は記憶をなくした事実を隠す。だれかのせいだと、動かなければこんな事にはならなかったと、そんなつまらない台詞せりふを口に出して誰かを傷つけさせないために。
 もはや思い出す事すらできない、一つの過去。
 だが、そこでも上条は大切なものを守るために傷つく覚悟を決めて、実際にそれを一つの結果として成し遂げた。お涙頂戴ちようだいの美化された自殺願望ではなく、ただやるべき行動の先にある種の終わりが待ち構えていて、それでも前へ進んだのだという、一つの結果を。
「昔の事は思い出せないけど、でも、思い出せなくても、その見えない部分のおかげでおれはここにいる。もう覚えてもいないころの俺が、今の俺を動かしている。残っているんだ、『ここ』じゃなくて『ここ』に。だから俺は、俺を思い出せなくても、俺がやろうとしていた事、俺がやるぺき事ならきちんと分かる」
 おそらく上条当麻は、そんな曖昧あいまいで、自分自身すら確証を持てない『何か』に誇りを持っている。信念があるからこそ、彼は後悔をしない。もしも過去の自分に会えるとしたら、ためらいもなく『ありがとう』と笑って言える。この少年は、絶対にそう信じている。
「悪い、御坂みさか。お前はもう早く帰れ」
 気がつけば、美琴の手がはなれていた。
 異様に強いカで、上条の腕が動いていた。
「俺は行く。誰かに任せれば良いっていう訳じゃない。別にやらなきゃいけないなんて強制力がある訳でもない。……ただ、俺は行く。結局、変わんねえんだよ、そういうのって。もしも何かの歯車がズレて俺の記憶が失われなかったとしたって、俺のやるべき事は同じなんだ。上条当麻っていうのは、記憶のあるなしぐらいで揺らぐものじゃないんだよ」
 少年は美琴に背を向けて、再び歩き出す。
 追い掛けようと思えば、いくらでもできたであろう、あまりにも頼りない歩み。
(どうしよう……)
 だが、美琴は動けなかった。
 背中はすぐそこ。手を伸ばせば今なら届く。
(私は間違った事は言ってない。こいつは今すぐ病院に戻らなくっちゃいけない。それに、私がこいつと一緒いつしよに戦場へ行くっていう選択肢だって……。でも、こいつがうそをついていないのも分かる。多分、今、ここで、こうして、自分の足で立つ事に、こいつは特別な意味をいだしてる)
 そうこうしている間にも、上条かみじようは動く。
 美琴みことが悩んでいる間にも、上条は動いてしまう。
(だって、そんなの、止める事なんてできない。できる訳がない。きっと、ここで見送るのが正しいんだ。両手を組んで、神様にお祈りして、無事に帰ってくる事を願うのが一番正しいのよ。それ以外のすぺての選択肢は、どんなものであっても『余分』でしかない。こいつは、そんなものを、絶対に望んでなんかいない……)
 たよりない背中が遠ざかる。時間はない。
 止めなくてはいけないはずなのに、どうしても美琴には動けなかった。

(どうしよう。全然、納得できない)

 おそらく上条当麻とうまが言った台詞せりふには何一ついつわりはない。彼はただ自分の本心を明かし、それでも自分がやりたいから戦おうと決意している。
 理屈で言えば、その意見を尊重して見守るべきだ。
 そんな事は分かっている。鹿でも分からなければいけないはずだ。
 だが、納得できない。
 どうしてもできない。
(……そう、なんだ)
 知らず知らずの内に、彼女は白分の胸に手を当てていた。
 御坂みさか美琴という一人の少女は気づいた。
 それが、論理や理性や体面や世間体せけんていや恥や外聞までもが関係ない、ただただ白分自身を中心に据え置いた一つの意見こそが、まさしく御坂美琴という人間の核なのだと。みじめでみにくくわがままで駄々だだをこね―――それでいてどこまでも素直なき出しの『人間』なのだと。
 その感情の名を、美琴は知らない。
 どんなものに分類されるのかを、彼女はまだ理解していない。
 しかし、今日、この日、この時、この瞬間しゆんかん
 御坂美琴は知る。
 自分の内側には、こんなにも軽々と体裁を打ち破るほどの、莫大ばくだいな感情が眠っている事を。
 学園都市でも七人しかいない超能力者レベル5として、『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』という形で自分の精神の制御法を熟知しているにもかかわらず、それらすべてを粉砕するほどの、圧倒的な感情が。

 上条かみじよう当麻とうまの背中が、やみに消える。
 御坂みさか美琴みことは最後まで彼を止められなかった。
 その理由は、上条の行動に心を打たれたからではない。
 気づいてしまった感情の片鱗へんりんに胸を圧迫され、指一本動かせなかったからだ。

     2

 後方のアックアのメイスがうなる。
 持別な術式や霊装れいそうなどがある訳ではない。ただ体力。『唯閃ゆいせん』という特別な術式を使って一時的に力を増す神裂かんざきと、いつまでも天井てんじよう知らずの全力を出し続けるアックアの間に生じた『差』がまたたく間にふくれ上がり―――そしてついに限界が訪れた。
 ドッ!! という轟音ごうおんが炸裂する。
 メイスを受け止めた七天七刀しちてんしちとうごと、神裂火織かおりの体が大きく吹き飛ばされる。
「がァあああああああああああッ!?」
 瓦礫がれきの山をつぶすように戦っていた神裂は、そのままノーバウンドで一〇〇メートル近く突き進んだ。彼女自身が砲弾にでもなったかのように、次々と瓦礫を吹き飛ばし、コンクリートのかたまりを粉々に破壊はかいして粉塵ふんじんき散らす。
「もう終わりかね、極東の聖人」
 アックアの声に込められたのは失望。
 しかし瓦礫がれきに埋もれ、動きの止まった神裂かんざきには応じる余裕もない。
 血にまみれた体に入る力は、最初の半分にも満たないか。
(……なに、か……)
 小細工もトリックもない。
 ただ根本的な『カ』の違いを相手に、どう戦えば切り崩せるか。
(……あの力の……正体は……?)
 ごぶっ、と口から血をきながら、神裂は疑問を感じる。
唯閃ゆいせん』という形で聖人の力をフル稼働かどうさせる神裂には、分かる。聖人という性質は、そもそも生身の人間の限界を超えているのだ。本来の『唯閃』は、一撃いちげき必殺の抜刀術だ。そういう形で使わなくては、自分で自分の体を破壊はかいしてしまう事につながりかねないからである。
 その無理を、アックアは正面から通す。
 ゆえに、神裂との差が開いてしまう。
(―――『唯閃』の……魔術まじゆつ構造に、余裕は……ない)
 この術式は単に運動量を増幅させているだけではない。人間の体の限界を超えて筋肉がこわれないように、極端きよくたんな速度に振り回されて重心バランスを失わないように、それこそパズルのように繊細せんさいに術式の各ピースを組み合わせた『結晶』だ。これ以上を要求し、どれか一つのパーツに手を加えようとすれば、その途端にすべてのバランスが崩れてしまう。全てのピースをはめて完成させたジグソーバズルに、さらに新しいピースを加えようとしても駄目なのだ。
 ここが近接格闘戦かくとうせんをメインに戦う『聖人』の限界点。
 アックアはこれ以上に洗練された身体制御術式を組んでいるとでも言うのか。
 神裂はいくつかの仮説を立てたが、いずれも失敗した。
 やはり、どこかを増幅すればどこかに無理が生じる。アックアの性能を引き出した時点で人間の肉体は空中分解してしまう。物理的にも、魔術的にも。
(アックアの……力は……)
 そもそも、聖人は与えられた力を一〇〇%完全に引き出す事はできない。
『神の子』と似た身体的特徴を持って生まれた事で、恐れ多くもその力の一端を手に入れる事に成功したと言われる聖人。しかし、たとえ力の一端といえど、たかが人間ごときにその力を掌握しようあくする事などできないのだ。
 与えられたカの一端の、そのまた一端を操るのが精一杯。
 それが聖人の正体だ。
 どういう風に術式を組んでも、絶対には出てくる。有り体に言えば、せっかくの力が霧散むさんしてしまうのだ。偶像崇拝すうはいの理論によって体の中に入ってくる力に対して、実際に自分の意志で振るえる分というのは限られているものである。
 しかしそのは悪い事ではない。仮に一〇〇%完全にカを行使した場合、今度は高圧すぎる力によって聖人の肉体が粉々に吹き飛んでしまう恐れがあるからだ。それは魔術まじゆつというよりも自己防衛本能に近いものかもしれない。魔術の知識を知らぬ赤子のころから、その力を安定させるすべだけは知っているのだから。
 だが、
(……アックアには、『聖人』としての……限界が、ない……? ……あの力は、もう……人間が制御できる領域を……軽く、超えてしまっている……?)
 まして、アックアは聖人のほかに、さらに『神の右席』としての力を上乗せしている。後方のアックアと呼ばれる所以ゆえん、大天使『神の力』の属性を、一見すれば、単に力が倍増したと思うだろう。だが実際には、その分だけ跳ね返ってくる負荷も倍増しなければおかしいのだ。
 そう。
 奇妙なのは、アックアが軽く二〇〇%以上の力を完全に掌握しようあくし、なおかつ暴走を起こさず、顔色一つ変えていない事である。
(……できる、訳がない。素質とか天才とか、そういう次元じゃない。聖人と、『神の右席』。その相容あいいれない二つの性質を、たった一つの肉体で押さえつける事など、できるはずがないんです……)
 天才という言葉には、すべてを納得させてしまうだけの説得力がある。
 しかし、違うのだ。
 その領域にいる神裂かんざきだからこそ、分かる。
 天才とは、オ能とは、現実にはそんなに便利な言葉ではない。
(……何かが、ある……)
 トン、という軽やかな音が聞こえた。
 神裂の前に、後方のアックアが降り立った音だった。
(……聖人と、『神の右席』……)
 目の前にいる強敵をにらみつけながら、神裂は思う。
(……その双方の力を共存させるための術式トリツクが、必ずどこかに存在する……ッ!!)
「ッ!!」
 アックアに一歩み込まれる前に、神裂は倒れたまま真横へ転がった。
 地面に落ちていた七天七刀しちてんしちとうを強引につかみ取る。
 同時、アックアも五メートルを超すメイスを真横に振るった。瓦礫がれきも地面もまとめてぎ払うような、強引極まりない一撃いちげきだ。
 奇襲きしゆうするつもりだった神裂の刀は、防御に回さざるを得なくなる。
 メイスと刀がぶつかり、ガッギィィ!! と轟音ごうおんが鳴りひびく。再びメイスの勢いに押される前に吹き飛ばされそうになる神裂かんざきだが、彼女は刀を地面に突き刺す事で威力を殺す。それでも一〇メートル以上地面をすべってようやく動きを止める。
「まだ戦うのであるか」
 アックアは感心したように告げた。
 ただしそれは、自分が目上である事を自覚した上での感心だ。
「逆転のチャンスなど、ない。自分の手持ちと、こちらの切り札の数を考慮こうりよすれば分かるはずである。努力や祈りに応じて奇跡が訪れると言うのならば、我々のような少数の『聖人』がもてはやされる事はないのだからな」
「……もてはやされる、ですか」
 ボツリと、傷だらけの神裂はつぶいた。
 心の底から、き捨てるような声で。
「自分の力で手に入れたものではない、生まれた時から勝手についてきただけのオプション。そんなものを振りかざして、あなたはそれで満足なんですか?」
「語ってどうする」
 アックァは受け答えようとしない。
「前に言ったはずである。語って聞かせる信念に、どれほどの真実が含まれているのかとな」
 神裂とアックアが同時に飛んだ。
 正面からぶつかり合い、金属と金属が火花を散らせる。
「貴様はこういきどおっているのであろう。圧倒的に実力の違う一般人や天草式あまくさしきの人間を、聖人の戦いに巻き込むなと」
「……ッ!!」
「だがこれが戦場である。生まれ持った能力の差、手にした武器の性能、戦う人員の数。そういう歴然とした違いが堂々とおそいかかってくるのがこの場のルールである。そいつに巻き込ませるのがいやだと言うのなら、初めから『ここ』に立とうとするな」
 もはやつばり合いにもならない。
 アックアの押す力に負け、神裂の体があっさりと退く。
「力なき者に戦わせる必要など、どこにもない」
 崩れそうになる神裂に、アックアは言う。
「刃を交えるのは、真の兵隊だけであれば良いのである」
 それが、信念を語らぬアックアの片鱗へんりんか。
 ほかの『神の右席』とは違い、少年の右腕のみを粉砕すると」言ったこの男
 天使ではなく聖母―――徹底てつていして『慈悲じひのカ』を振るう者の心の断片なのだろうか。
 確かに、神裂にも似た想いはある。
 あまりにも無慈悲な戦場では、きたえる鍛えない以前に、単体の戦闘力せんとうりよくなど無意味。どれだけ準備を整えようが、死ぬ時は死ぬ。それがいやなら、あらかじめ神裂かんざきという聖人があちこちに散らばるリスクをすべて排除した上で、安全な戦場で戦わせるしかない。
 だが、そんな事ができる訳がない。
 単純に敵と味方の戦力を考慮こうりよし、伏兵の可能性を危惧きぐするぐらいならできるだろう。しかし本物の戦場とは違うのだ。本当に悪夢のようなタイミングで発生する偶然を、あらかじめ全て掌握しようあくし、それらを完璧かんぺきかつ未然に防ぐ事など実現できる訳がないのだ。
 神裂は、それを未熟と評した。
 自分のカが足りないから、絶えず変化する戦況をコントロールできず、大切な仲間たちが傷ついた。『あの時』は本当にそう思っていた。当時、女教皇プリエステスであった神裂はそれに耐えられずに、結局天草式あまくさしきを抜け出してしまう事になる。
 しかし、
(なんて……)
 神裂火織かおりは、後方のアックアに自分の姿を重ね、奥歯をめた。
(なんていう徹慢ごうまんな考え方でしょう)
 天草式の魔術まじゆつが弱いから死んでしまった、全員が聖人と同じような力を持っていればだれも死ななかった。本当にそうか? そんな訳があるか。だったらあの少年は何だ。みんなと一緒いつしよに戦い、みんなと一緒に勝利し、みんなと一緒に笑っているあの少年は何なのだ。
 結局、一緒に戦うと言っておきながら、神裂火織は天草式十宇じゆうじ 凄教せいきようの実力を信じられなかったのではないのか。人格や精神ではなく、その実力を。だからこそ、神裂は自分の背中を誰にも預ける事ができず、連携を崩し、自ら必要のない敗北を重ねていただけではないのか。
 天草式十字凄教とは、そんなに弱かったのか。
 本当に弱かったのは、一体どこの誰だったのか。
 こんなひどい状態で無理に勝利して、一体何が得られると言うのだ。
 たとえ時代がみんなの望む方向へ進んだとして、世界がより良い方向へ動いたとして、最後の最後まで勝者の力になれなかった人間は、そこへついていく事はできるだろうか。
 取り残されたと思うはずだ。
 辺り一面にあふれる幸福な光の中、たった一人で取り残されたと思うばずだ。
 聖人。
 ただ生まれた時から得ていただけの―――『選ばれた者』の特権を振りかざす愚か者同士の意志のぶつかり合いは、どこまで傲慢であれば気が済むのか。
「私は……おお鹿ものです」
 神裂火織は、き捨てた。
 今まで自分が行ってきた、無自覚な暴力をの当たりにした。
 つまり、そういう事か。
 後方のアックアも、『神の右席』も、神裂かんざき火織かおりも同じ。
『特別な誰か』がすべてを管理し、『それ以外の全て』はただ口を開けて管理されろ。それがお前たちのためであり、な努力などした所で無様な姿をさらし、限りある資源を無駄に消費し、皆に笑われるだけなのだから、もはや何もしないでだまって従え。神裂は知らず知らずの内に、自分の大切な仲間達に対して、そんな事を要求していたのか。
「―――、」
 神裂火織は血まみれの唇をぬぐい、改めて七天七刀しちてんしちとうを構え直す。
 自分が取るぺき選択は何か。
(分かってる)
 本当の意味で、『伸間』達を救い出すための選択は何か。
 正々堂々と『仲間』である事を認め、光の中に取り残さないための選択は何か。
(分かってる!)
 絶対の敵、後方のアックアの間違いを正すために相応ふさわしい選択は何か。
 アックアの持つ力のなぞを解き、その圧倒的な暴力に対抗するための選択は何か。
(分かってる!!)
 一つが解ければ、後は全てが連鎖れんさてきひもかれていく。七天七刀を握る両手から、ミシィ!! と音が鳴った。それは神裂火織の最後の力。正しいと信じら弛るからこそ、出し惜しみなく全てを出せる、信念の力。
 敵は聖人にして『神の右席』としての力さえ振るう後方のアックア。
 史上最悪の強敵を前に、神裂火織は最後の行動に出る。

     3

 二人の聖人が戦う第五階層から三〇メートルほど上方にある。クレーター状に崩れ落ちた第四階層の縁で呆然ぼうぜんと戦いを眺めていた現天草式あまくさしきの面々は、その瞬間しゆんかん、確かに声を聞いた。
「―――、……を」
 世界で二〇人もいない、本物の聖人の声を。
「……、して、ください」
 かつて天草式を率いていた、元女教皇プリエステスの声を。
「力を貸してください、あなた達の力を!!」
 神裂火織の声を。
 最初、五和いつわ建宮たてみやは、何を言われているのか分からなかった。言葉の意味を脳が処理しても、それが自分達に向けられているものとは思えなかった。
 だが、確かに神裂は自分達に言葉を放っている。
 あれだけ絶対に届かないと思っていた神裂かんざき火織かおりが、所詮しよせんは生まれた時から持っているものが違うのだと思っていた神裂火織が、大切な仲間を傷つけたくないと言って貧弱な自分たちに背を向けた、あの神裂火織が。
 協力を求めている。
 自分一人で倒せない敵を倒すための協力を。
「―――あ」
 ふるえている自分に気づいた者は、何人いたか。
 涙を流しかねない表情を浮かべている者に気づいた者は、何人いたか。
 つまり神裂火織が示した言動の意味は、こういう事だったのだ。

 あの女教皇様プリエステスが認めてくれた。
 単なる重荷としての仲間ではなく、共に肩を並べる戦力という意味での仲間として。

 今までそんな事は一度もなかった。
 何故なぜ、この局面になって神裂火織は天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきように助けを求めたのか。
 そんなのば簡単だ。
 神裂火織には、たった一人では倒せない敵がいる。
 それでも彼女には、立ち向かうべき理由がある。
 そして、
 その無理を通すための希望が、
 彼女の夢を守るための最後のピースが、
 建宮たてみや五和いつわといった、ごくごく普通の天草式十字凄教なのだ。
「……、」
 その時を、その瞬間しゆんかんを、どれだけの間待ちがれたか。
 無気力感から武器を落とした者は、その武器を拾い上げた。
 拒む者などいなかった。
 体中に包帯を巻き、その包帯すら赤いものがにじんだり、包帯自体が破けてしまうような状態であっても、そんなものは関係なかった。
 自分達が束になってもかなわず、神裂火織ですら歯が立たないほどの『怪物』の前にもう一度立てと言われても、おびえる者はいなかった。それ以上に心を占めるのはうれしさだ。女教皇プリエステスの力になれると、もう一度あの人と共に戦えると、ただそれだけの事実が生み出す喜びだ。
 たけびをあげて戦意をふるい立たせる者がいた。世界で最も明るい涙をこぼす者がいた。ただ静かに、だれにも気づかれぬよう幸福をめる者がいた。壁に寄りかかっていた者は、もう一度自分の足で立ち上がった。教墓『代理』の建宮はつかの間の重い荷が下りたとばかりに、そっと息を吐いた。
「……行くぞ」
 建宮たてみや斎字さいじは、天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようの仮の指導者として、最後の指示を出した。
 一言では足りなかったのか、彼は万感の思いを込めてもう一度、

「行くぞ! 我ら天草式十宇凄教のあるぺき場所へ!!」

 叫び声と共に、我先にと第四階層に空いた大穴から飛び降り、戦場へと突き進む。
 無力である事など百も承知。
 それでも戦うべき理由は揺らがない。
 だからこそ、天草式十字凄教は束になって強敵へ立ち向かう.
 彼らがリーダーと認めた、たった一人の女性と共に。

     4

(な、に……?)
 後方のアックアは、神裂かんざき火織かおりの取った行動を理解できなかった。
 聖人と聖人が起こす戦闘せんとうの真ん中へ、ただの魔術まじゆつが巻き込まれればどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。そもそも神裂は、それをきらっていたからこそ、後方のアックアを天草式から遠ざけ、えて専用の戦場を用意して戦っていたはずだ。
 なのに、
「おおおおおおおおおおおッ!!」
 ある者は剣をたずさえ走り抜け、ある者はやりを手に大きく跳ぶ。死を恐れぬ者たちはあっという間に集合すると、まるで満身創痍まんしんそういの神裂を守るように布陣を築き上げた。

 アックアからすれば、菓子に等しいもろき壁。
 彼はメイスを構え、険しい表情で告げた。
「弱者に救いを求めるだと……、それほどまでに、命が惜しいのであるか」
「そう見えますか」
 神裂かんざき火織かおりは血まみれの両手で七天七刀しちてんしちとうを構えながら、言った。
 彼女の口元には、笑みすらあった。
「確かに、私のそばにいる事で、傷つけられてしまった仲間たちがいました。私はそれを恐れて、一度は天草式あまくさしき 十宇じゆうじ 凄教せいきようからはなれようとも思いました」
 ただし、と神裂は力強く言葉を切り、
「その悲劇は、彼らが弱かったから起きたのではありません」
「……、」
「彼らを『弱い』と決めつけ、その実力を信じられなかった自分が、心のどこかで彼らを見下し、背中を預けられなかった自分が。そうしてすぐ近くにあるはずのカを放置し、未熟な腕にもかかわらずたった一人で戦い続け、敵に大きなすきを見せてしまったこの自分が! この傲慢ごうまんが、『守ってやる』という優越感が、すべての悲劇の元凶だったんですよ!!」
 己の弱さを自覚し、な埼かつ前へ進む者は成長する。
 神裂火織のボロボロの体の中に、新しい力が渦を巻く。
「だから私は克服します。彼らを信じ、背中を預け、互いが互いの力を最大限に発揮する事で、私は私の天草式十字凄教を取り戻してみせます!! 我々のリーダーは我々であり、我々の仲間は我々です!! そこには『聖人』などという、たった一人の上司トツプなど必要ありません!!」
(何だ……?)
 確かに、神裂火織には今までなかった自信のようなものが取り戻されていた。
 それはしんだ。
 己の行動に自信を持つ者だけが精神の中心に持つ、強固なる芯だ。
 だが、勝機がない事は変わらない。鳥合うごうの衆が五〇人ほど追加されたとして、何の問題もないのだ。現天草式など、わざわざ全力で戦うまでもない。神裂との激戦の最中、勝手に吹き飛ばされる背景のようなものなのだから。
(集団心理でも働いたのであるか。ありもしない錯覚さつかくにすがるとは)
「根拠なき希望は単なる妄想もうそう
 アックアの全身に力があふれる。
「そんなもので私を超えられるとでも思ったのであるか!!」
 くだらないものを吹き飛ばすように振るわれたメイスの射程圏内へ、神裂火織はおくせずに突っ込む。
 七天七刀とメイスが激突し、しかしその衝撃しようげきを殺すために複数の天草式の面々が防護術式を展開。いかに精神論を持ち出そうが、互いの実力差は変わらないはず。それなのに、ここにきて神裂かんざきはアックアと拮抗きつこうした。
「聖人とは、『神の子』と良く似た身体的特徴を持って生まれたために、偶像崇拝すうはいの理論によって恐れ多くも『神のカ』の一端いつたんを借り受けた者を差します」
 情報では、神裂と現天草式あまくさしきの間には、数年のブランクが存在するはずだ。
 しかし彼女たちは言葉すら交わさず、たった一息ですべての時間を克服する。
「だが、そんな『聖人』であっても、あなたほどの力を行使する事はできません。あなたは明らかに、ただの聖人わたし以上の力を有している。それは何故なぜか」
 その拮抗はまやかし。
 即座にアックアの反撃はんげきが入り、神裂を含む天草式の布陣が大きく揺らぐ。
 それでも天草式 十字じゆうじ 凄教せいきようは必死で戦う。
「―――答えは簡単、『聖母崇拝』に決まっています!!」
 そう、思えばアックアは包み隠さず、正々堂々と語っていた。
 自分は聖母の属性を振るう者だと。
 しかし、後方のアックアが本来つかさどるべきは大天使『神のカ』のはずなのだ。慈悲じひの象徴である聖母に比べ、『神のカ』はゴモラといラ都市を丸ごと焼いたり、最後の審判で世界をこわすために活躍かつやくしたりと、もっと直接的な攻撃を行った神話はいくつもある。何故そういった『分かりやすい攻撃方法』をけ、遠回りするように聖母の方を選んだのか。
「あなたの身体的特徴が似ているのは『神の子』一人ではなかったのでしょう?あなたは『神の子』のほかにも、聖母とも身体的特徴が似ているために、そちらの力も同様に手に入れていたんです!!」
『神の子』と聖母は親子の関係にある。その身体的特徴が似ている事については、それほど違和感がある事実ではないだろう。
 そして、聖母は『神の子』に次ぐ十字教のナンバー2、あらゆる聖入の中でも『神の子』を産むという最高の奇跡を成し遂げた存在として、やはり強大なカを持つと言われる。その聖母をたたえる聖母崇拝はあまりにも多くの民衆の心を動かし、世界のルールそのものである厳正な『神の子』よりも例外的な慈悲を与えてくれる存在として、聖母に祈り聖母がかなえる形の『奇跡の報告』が教会に多数寄せられ、『このままでは聖母崇拝だけで独立してしまうのではないか』と時のローマ正教上層部に危機感を与えたほどである。
 聖人と聖母。
 もしも、この二つの属性を同時に併せ持つ身体的特徴を有する者が存在するとしたら。
 それこそが、後方のアックア。
 おそらくは生まれた時から抱えていた才能を、『神の右席』でさらに開花させた完成形。
 彼の体内に収まったカの量は、一体どれほどになるのか。
「あなたは二種類の異なる性質を持つ存在と、同時に重なるような身体的特徴をもって生まれてきました。だからこそ、『ただの』聖人である私の資質だけでは力負けしてしまったんです」
 そもそも『神の右席』とは人間を超え、『神上かみじよう』を目指す者を差していたはず。つまり彼らの目指す所は、最初から『ただの聖人』どころではないのだ。
 神裂かんざき自身は『ただの聖人』であるため、その領域を想像するのは難しいが、おそらく聖人や天使が取り扱う『ある種のカ』とは、『一定以上のラインを突破すると安定する』性質を持つのだ。飛行機は速度が遅い方が扱いやすいが、遅すぎては失速して墜落ついらくする。アックアがやっているのはえて飛行機を高速で飛ばして機体を安定させるようなものだ。
 聖人から、さらに長い空白を経た高みにある、
 高速安定ライン。
 アックアは聖人と聖母、二つの性質を重ねる事で、通常の『速度を落として安定させようとする』聖人とは異なる高速安定ラインの中を生きているのだ。だからこそ、本来なら不安定になって暴走するはずの力を強引にまとめる事に成功したに違いない。
 しかし
「その反面、あなたには『弱点』があります」
 神裂火織かおりはそう言った。
 そう、のんぴりと飛行する機体よりも、音速の何倍もの速度で飛行する機体の方が、操縦がデリケートで難しいのは明白なのだから。
「あなたは私以上に、いえ全世界のどの聖人よりも、対聖人専用の術式に弱い側面も抱えてしまっているはずです!」
 そこで神裂は言葉を切った。
 話す相手を変えるために。
 アックアではなく、仲間の天草式あまくさしきに向けるために。
 つまりは、
「―――『聖人崩し』です!!」
「ッ」
「あらゆる攻撃こうげきをメイスでいなし、あるいはけたアックアが、唯一魔術的な手段を用いて本格的な『防御』行動に出たあの術式。そこに勝機はあります!!」
 普通の人間には、聖人の力を完壁かんぺきに操るのは難しい。まして『神の右席』と聖人の同時使用などできるはずがない。それは実際に聖人である神裂だからこそ分かる情報だった。
 神裂は当初、その二つの力を完璧に制御する特別な術式が存在するものと考えていた。
 それは結局見つからなかったが、当然と言えば当然だ。
 そんなものなどなかったのだ。
「元々試した事もない『聖人崩し』を、さらにほかに例のない存在であるアックアがらえばどうなるか。アックア自身も想像がつかなかったんですよ!!」
 アックアが『聖人崩し』を全力で防いだのは、何も自分の力のストックの何割かが、ほんの数十秒間使用できなくなるからではない。
「『聖人崩し』とは『神の子』に似た身体的特徴のバランスを強引に崩し、体内で力を暴走させる事によって聖人を一時的に行動不能におちいらせるためのもの。本来なら数十秒だまらせるのが限界ですが、聖人と聖母の表裏持つアックアが喰らえば、待っている緒未は単純明快―――アックア自身が起爆するのみです!!」
 彼の扱う術式は、聖人以上に繊細せんさいな『生まれつきの体質』に依存するものだ。
 言い換えれば、人工的な手段で補強できるようなものではないのだ。
 神業かみわざのようなバランスが少しでも崩れてしまえば、その瞬間しゆんかんすべてが暴発するかもしれない。それは時速一〇〇〇キロオーバーをたたき出すドラッグマシンと同じ。莫大ばくだいなカを扱うからこそ、取り扱いには細心の注意を払う必要がある。だからこそ後方のアックアは『全カ』で防御行動に出たのだ。
「―――、」
 その答えを看破されたアックアは、一言も告げなかった。
 ただし、その表情に変化があった。
 笑み。
 これまでの、見下すようなものではない。完璧かんぺきと称された彼にある、一点の穴。それを突きつけられてなお、アックアという人間は壮絶な笑みを浮かぺていた。
 弱点程度でばあせらない。
 戦いとはそんなものではない。
 さらに苛烈かれつ攻撃こうげきを連続してり出すアックアに対し、神裂かんざき七天七刀しちてんしちとうでその攻撃をかろうじて受け止めながら、ほんの少しだけ息をき、それから刀の角度を微調節し、攻撃の余波となる衝撃波しようげきはを意図的に生み出した。
 それはアックアに向かわず、彼の背後にある物を破壊はかいした。
 瓦礫がれきの山に埋もれていた背景の一つ、びついた有刺鉄線を。
(……なるほど、そう釆るか……ッ?)
 アックアが頭上を仰ぎ見た時、れて空を飛んだ鋭い針金が、ちょうど円の形になった所だった。さらに神裂のワイヤー、七閃ななせんが周囲一面を改めて切断する。瓦礫の山から次々と魔術まじゆつてきな意味が抽出され、彫刻のように出現する。
 現れたのは巨大な十字架であり、鋭い鉄杭てつくいのような釘であり、そしてイバラのかんむりだった。
 すなわち、
「『神の子]の処刑の象徴であるか!!」
 聖人としてその力の一端いつたんを振るっている者にとっては、その弱点をも継承している事になる。
 とはいえ、こんなガラクタで聖人を倒せるのならばだれも苦労はしない。
 実際、神裂かんざきのような『ただの聖人』には、それほどの効果はない。
 だが、
 後方のアックアとは、『特別な聖人』なのだ。
 世界で二〇人といない聖人よりも、さらに希少きしような身体的特徴を持つ者。聖人と聖母のカの一端いつたんを同時に振るう者。莫大ばくだいな力を得た代わりに極めて繊細せんさいなバランス制御を求められる存在になってしまったからこそ、神裂火織かおりがその場限りで形成した『処刑』の象徴は効果を表す。
『処刑』の術式は、聖母とは関係ないと思われがちだが、この場合は違う。
 そう。
 聖母は十字教史上最高の聖人としても扱われているのだから。
「―――ッ!!」
 物理を超えたアックアの中心で、何かが泡立つのを神裂は知覚した。
『ただの聖人』であっても分かるほど明白な変化。
 つまり、後方のアックアは、
「揺らいでいます」
 神裂はきっぱりと、自信を持ってそう告げた。
 アックアという存在の中心核に重なるように存在する、聖人と聖母の力。それらが外からの圧迫を受けて互いに競合を引き起こし、ギシギシといやな悲鳴を上げている。
 今ならできる。
 だからこそ、神裂火織は腹の底か喝力を込めて叫ぶ。
「準備は整いました! 槍を持つものよロンギヌス、今こそ『処刑』のの最後のかぎを!!」
「ッ!!」
『聖人崩し』のカギを握る五和いつわは、神裂の言葉をみ取り、即座に封しばりを取り出し、それでつかを包むように海軍用船上槍フリウリスピアを構えた。
「……面白おもしろい」
 しかしそれ以上に早く、アックアが動いた。
天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきようであるか。その名は我が胸に刻むに値するものとする!!」
 言葉と共に、アックアが一気に二〇メートル近く―――いや、第四階層と第五階層をつなぐクレーターを突き抜け、二倍以上も跳び上がる。途中で何十本、何百本というワイヤーが夜空を舞ったが、それでもアックアの動きを止める事はできなかった。
 円形のクレーターの奥から街の光がれるため、まるで巨大な月のように見えた。
 その人工的な月を背に、アックアがメイスを椴える。
聖母の慈悲は厳罰を和らげるT H M I M S S P
 以前、あの一撃いちげきは小惑星の激突にも似た破壊はかいりよくで神裂火織をおそった。万全の神裂すらたたき伏せるほどの威力。その上、今回は単純に二倍の滑空距離きより。今の天草式あまくさしきではちできる訳がない。この第五階層ごとまとめてたたつぶされる。
時に、神に直訴するこの力。慈悲に包まれ天へと昇れT C T C D B F T T R O G B W I M A A T H!!」
 莫大ばくだいな速度で、一直線に落下するアックア。月明かりを浴びたメイスが青白い尾を引いていた。
(まずい!?)
 あらかじめ配置された無数のワイヤーが防護の陣を築き、神裂かんざき自身が魔力まりよくを通し、その鉄槌てつかいを防ごうとする。だが足りない。アックアの一撃いちげきは、それらを容赦なく食い破って地面へ近づいてくる。
 じかにそれを受けた神裂だからこそ分かる。あれをもう一発受ければ、今度こそ命はない。神裂はおろか周辺にいる天草式の全員が殲滅せんめつされてしまう。
たのみのつなは―――ッ!!)
 みする神裂の横で、五和いつわが頭上にやりを構えた。『聖人崩し』。しかし術式の下準備がまだ終わっていない。このままでは間に合わない。
(諦めて……)
 神裂火織かおりは、七天七刀しちてんしちとうへ手を伸ばす。
 破壊のかたまりと化して落下するアックア。それを見上げ、にらみつけながら、彼女は瓦礫がれきだらけの広場を強くみしめる。一息に刀をさやから抜くと、それを水平に構えた。
 反撃のための挙動ではない。
 すべては防御。古今東西あらゆる記号を寄せ集め、即席で術式を組み、神裂火織は盾となる。
(諦めて、たまるか!!)

 後方のアックアが、全力をもって地面へ落ちる。

 光が吹き荒れた。
 神裂火織の目が、耳が、鼻が、舌が、肌が、全ての感覚が消えてなくなった。

     5

 破壊はかい
 そのたった二文字の単語すら、理解できなかった。
 五感が死んでいる。あるのは白、瓦礫の吹き飛ぶ音も、吹きすさぶ衝撃しようげきも、舞い上がる粉塵ふんじんも、鉄臭てつくさにおいも、何かの潰れる感触も、何もかもが脳まで入ってこない。本物の破壊とは、純粋な消滅とは、これほどまでに『何もない』のか。
(……、っ)
 真っ白に塗りつぶされた五感が戻るのに、しばらく時間が必要だった。
 そして神裂かんざきは知る。
 少しずつだが、五感は戻りつつあるのだという事実に。
 失われたのでばなく、回復しつつあるという事は……。
(な、にが……?)
 後方のアックアが放った一撃いちげきは、まさに絶対の破壊はかいりよくを秘めていたはずだ。神裂を含む、天草式あまくさしき全員の命を残さず奪い尽くしてもお釣りが返ってきたはずだ。それが、まるでアックアの術式そのものが消えてなくなったかのように、神裂は無傷。被害らしい被害が全くない。
(消えて、なくなる……? 術式が、魔術が、消える?)
 ハッと神裂は顔を上げた。
 善悪強弱間わず、魔術まじゆつというものすべてを間答無用で打ち消す行為。
 そんな鹿げた事ができる人間を、彼女はたった一人だけ知っている。
「ま、さか……」
 五感が戻る。
 自分の放った言葉が自分の耳に入り、それをきっかけにするように、全ての感覚が息を吹き返した。悪夢のようなアックアの一撃があったにもかかわらず、 正真しようしん 正銘しようめい、『何も起きていない』これまで通りの風景。そして、その中心点に立っているのは、

 上条かみじよう当麻とうま
 アックアの魔術攻撃を正面から押さえつけ、握り潰すような勢いでメイスをつかむ少年がいた。

 あるいは、後方のアックアがただの腕力でメイスを振るっていれば、血まみれの上条など右手ごと粉々になっていただろう。しかし今回はあくまでも魔術攻撃だ。そして少年の右手は、どんなものであれ異能の力を丸ごと吹き飛ばす性能を秘めている。
 アックアの攻撃が絶大な『魔術』攻撃であればこそ。
 少年の右手は、容赦ようしやなくその一撃を無効化させる!!
「な……ッ!!」
「―――、……」
 驚愕きようがくするアックアに、血まみれの上条は何かをつぶやいた。それはだれの耳にも届かない。そうしながら、上条はまるでメイスにもたれかかるように倒れ込んだ。カが尽きたのではない。アックアの動きを封じようとしているのだ。
「ッ!!」
 それを見た神裂も動いた.
 上条かみじよう一人では、メイスを振るっただけで払われてしまうだろう。だがアックアがおどろいた一瞬いつしゆんを突いて、神裂かんざき七天七刀しちてんしちとうを放り捨て、まるで丸太でもつかむような体勢で、巨大なメイスごとアックアの肩を封じにかかる。
「貴様ら!!」
 アックアが何かを叫んだが、二人は聞いていなかった。
 満身まんしん創痍そういの上条と神裂は、同じ所を見ていた。
 すなわち、天草式あまくさしき 十字じゆうじ 凄教せいきよう五和いつわへと。
 ただの魔術まじゆつである五和へと。
「任せておいてください……」
 五和がおしぱりでつかを包むように握ったやりを構え直すと、ほかの天草式の面々も特殊な術式の起動準備に入った。

「必ず当てます!!」

 咆哮ほうこうと共に、五和が爆走した。
 複数の術式の保護を受けた少女の小柄な体が、一気に加速しアックアへ突き進む。
 アックアはこれを回避かいひしようとした。
 しかし聖人としての腕力は同じ聖人の神裂が封じ込め、それを振り払うために『神の右席』として発動する聖母の特殊な術式は上条の右手がまとめて消し飛ばす。
「お、」
 身動きの取れない時間は、わずか数秒。
 しかしそれだけあれば問題ない。
 その瞬間、アックアが放ったのはたけびだった。
 それは恐怖によるものではない。
 次の一撃いちげきけられぬと分かり、なお己の内の信念を揺るがせず、むしろ突撃してくる五和に対して、大きく前へ一歩み込もうと力を加えるための、戦意ある雄叫びだ。
『聖人崩し』。
 五和の槍が分解され、一本の雷撃へと形を変える。物質的な束縛そくばくを超えた術式が、この場を制する一撃と化してアックアへとおそいかかる。

 ドバン!! という空気のふるえる音が炸裂さくれつした。
 雷光はアックアの腹に突き刺さり、背中から飛び出し、今度こそ彼の全身をくまなくむしばむ。
 直撃ちよくげき衝撃しようげきに押され、上条かみじよう神裂かんざきは思わず手をはなしていた。
 アックアの背中から、火花とも違う光の十字架が上下左右へ|爆発的に伸びた。しかしその十字架の中心点、交差するポイントを貫くように、衝撃を受けたアックアの体が大きく飛ぶ。
『聖人崩し』を受けたアックアの体はコンクリートのタイルの上を数十メートルも転がり、その手から巨大なメイスがはなれ、吹き飛ばされたアックアはそのまま第五階層に用意された人工の湖へと突っ込んだ。砲弾のように水中を進んだ彼の体が完全に見えなくなった所で、さらなる変化が起きる。
 魔力まりよくの暴走。
 後方のアックア自信の起爆。
 聖人と聖母の属性が『聖人崩し』をらうと同時に反応、競合を引き起こし、その体内で本来の『聖人崩し』ならばありえない急激な連鎖れんさ爆発を引き起こす。
 カッ!! と深夜の暗い湖が真昼のような閃光せんこうに包まれた。上条たちの視界が真っ白に塗りつぶされる。大量の水が丸ごと蒸発する不気味な音が耳についた。
 神裂火織かおりが再び目を開けた時、アックアは存在しなかった。
 ただ、人工の湖に張られた水がすべて蒸発していた。湖の縁はまとめて吹き飛ばされている。人工の湖と全く同じ太さの水蒸気の柱が、ぐ上に伸びていた。その巨大な柱は地下市街の天井てんじよう部分にぶつかり、そこから四方八方へと広がっていく。まるで一〇〇〇年の歳月を超える巨木のように圧倒的なその光景は、端的たんてきにアックアの起爆のすさまじさを示していた。

   行間 四

 今から一〇年ほど前の、寂れた港にて。
 ウィリアム=オルウェルはなぐられたほおを軽くさすっていた。
 殴ったのは騎士団長ナイトリーダー
 ムスッとしている二人の間でオロオロしているのは、世間では無能の烙印らくいんを押されている英国第三王女だ。もっとも、だからこそこうして城を抜け出しても問題にならないのだろうが。
「今のは私をだましてしい所を一人占めした分だ」
 ボッキボキと指の関節を嶋らしつつ、騎士団長ナイトリーダーは社交界では決して見せないような表情でウィリアムへ近づく。
「まだだぞ。まだ私は、お前がイギリスから出ていく分については殴っていない。だから確認を取っておこう。間違いがあってはいけないからな。よし質問だ。お前は本当にイギリスをはなれるつもりなのか」
「ああ。出ていく」
 ウィリアムが返した途端とたんに、騎士団長ナイトリーダーはもう一度ウィリアムの顔面を思い切り殴り飛ばした。
ゴン!! と鈍い音が炸裂さくれつし、第三王女が小さな悲鳴をあげて両手で自分の顔をおおった。
 むしろ殴られた本人であるウィリアムの方が何ともない顔で、
「……貴様、酔っているのであるか?」
「だとしたら、酒瓶さけびんでお前を殴っている」
 騎士団長ナイトリーダーは肩にかけた革のザックを下ろすと、中をごそごそとあさりつつ、
「スコッチの良いのがあるぞ。カラメルなど一滴も使っていない、純粋にたるの色だけがみ込んだ一級品だ。ああ、中身が満杯なのは目をつぶろう。今日は門出の日だからな。これぐらいは重量サービスしてぶん殴っても良いだろう」
「先ほどから何を怒っているのだ、貴様は」
 ウィリアムが尋ねると、騎士団長ナイトリーダーはわずかに動きを止めた。
 やがて、彼は言う。
「お前は傭兵ようへいの器では終わらない男だ」
「買いかぶりという言葉を知っているのであるか? いいや知らないであろう」
「私が方々に手を回して、ようやくお前を一人前の『』として迎え入れようというのに……そいつをあっさりりやがって。お前はどこぞの偉大な芸術家にでもなるつもりか。死後何百年もってからようやく認められるような人生を選ぶなど、どうかしているとしか思えない」
「芸術については分からんよ。そいつを作る者の生き様もな」
「……何を目指す気だ? さそいをるには、それなりの理由があるだろう」
「別に、特別な事をしようという訳ではない」
 ウィリアム=オルウェルはそっけない調子で答えた。
「前にも言ったであろう。傭兵ようへいの違いである。この国の騎士には絶大な権限があるが、それだけでは解決できない問題もある。傭兵にしても同じ。我らは身軽である反面、どうしても『信用』のいる場所へみ込む事は難しいのである」
「……お前」
「どちらかが欠けてもなのである。貴様も今回の騒動で分かったであろう。一組織が肥大するだけではまとまらない事がある。だからそれを外から監視する者が必要になってくる。その監視者だけが特別になってもいけない。社会を形成する歯車に大小はあっても、皆が互いに干渉し、回っているという事実を忘れてばいDないのである」
 ウィリアムの言葉は確かなもので、彼の人格を知るからこそ、騎士団長ナイトリーダー憮然ぶぜんとした顔でだまり込んだ。そんな旧友の顔を見て、ウィリアムはかすかに笑う。
何故なぜ、『王室派』が強硬策を使ってでも勢力圏を増やそうとしたのか、その裏も気になる。イギリスは『王室派』『騎士派』『清教派』の三派閥で成立している事は知っているのであるな。
『王室派』は『清教派』からの影響えいきようを受けやすい。何かあったと考えた方が良さそうである」
 その言棄に、騎士団長ナイトリーダーは清教派のトップを思い浮かべたようだ。
 最大主教アークビシヨツプ、ローラ=スチュアート。
 三派閥の一角を収める頂点という形では、騎士団長ナイトリーダー最大主教アークビシヨツプは同列の立場にある。だが、それをこの騎士は快く思わないだろう。それぐらい不気味な存在だった。
 さらにウィリアムは言う。
「問題は英国内部だけではない。ローマ正教やロシア成教、そして学園都市の動きも不穏ふおんの一言である。世界が動こうとしている。そういう時こそ『組織』は暴走するものである」
「『騎士派』の一員として、イギリス国内で盤石ばんじやくを固める趨択肢もあると思うが」
「それだけですべてを解決できるとは思えん。今回の件が良い見本であろう。私は外から守る事にする。だから貴様は内から守る事にしろ。そうすれば選択の幅が広がるはずである。仮に我々のどちらかが暴走しても、止められる可能性も増えるのだ」
「これ以上議論するのは無駄か」
 騎士団長ナイトリーダーは寂しそうな調子で言うと、それを払拭ふつしよくするように、ザックの中に入っていたスコ
ッチの酒瓶さけびんをウィリアムに押し付けた。
餞別せんべつだ。チェンバレンのじいさんが今年の自信作だと言っていたぐらいだからな」
「……一人で欽むにはもったいないレペルであるな」
「なら、旅先で良い仲間を見つける事だ。その一杯が似合うほどのな」
 騎士団長ナイトリーダーったらしい言い回しに、ウィリアムはあきれたように息を吐いた。どこまで行っても傭兵ようへい。これで今まで良く話が合ったものだと、本当に思う。
「そうだ。ロンドン郊外の職人に、盾の紋章エスカツシヤンの注文を出していたはずである。あれは廃棄はいきしておいてくれ。物として残っていると、一緒いつしよに未練まで残りそうであるからな」
 それが、傭兵の別れの言葉だった。
 特別なしきや作法などない。騎士団長ナイトリーダーが領土を持つ貴族の顔を見せたのなら、ウィリアムは根なし草としての傭兵の流儀でこたえる。
 一人の傭兵が去った後、騎士団長ナイトリーダーはポツリと言った。
「……捨てるものか」
 第三王女は騎士団長ナイトリーダーの顔を見たが、彼は自分の声がれていると気づいていないらしい。
「……捨てられるものか、ちくしょう」

終 章 さらなる騒乱への案内人 True_Target_is……

 上条かみじよう当麻とうまは病院のベッドで目を覚ました。
 もはや見慣れたいつもの病室だ。第二二学区ではなく、カエル顔の医者がいる第七学区の方に移されたらしい。事件性のある患者だからなのか、毎回毎回ほかの患者のいない個室へわざわざ運ばれる辺り、もしかすると結構な厄介やつかいものなのではないか、と実は上条、ちょっとビクビクしていたりもする。
「わっわっ、気づかれましたか?」
 そう言ったのは、見舞い客用に用意されたバイプに座っている五和いつわだ。上条は起き上がろうとしたが、体が思うように動かなかった。単に傷が深い、というのとは違う。何だか異様な疲労感があって、全く力が入らない。疲れのしんのようなものが、全身をくまなく貫いているような感覚がある。上条が慣れない感覚に戸惑っていると、五和の方はホッと肩の力を抜いてこう言った。
「う、動けないのも無理はないんですよ。絶対安静の中、病院を抜け出して戦場へ舞い戻った挙げ句、あのアックアに奇襲きしゆうを仕掛けちやったんですから」
 五和から、後方のアックアをとりあえず退けた事、民間・天草式あまくさしきの両方に死者は出ていない事などを聞いた上条だが、全くもって実感がない。
 というか、実の所、病院を抜け出して云々うんぬんという辺りはほどんど記憶が抜け落ちていた。何だか途中で美琴みことと出会ったような気もするのだが、あれは一体どこまでが夢だったのか。とはいえ、根本的に記憶喪失そうしつである事を隠している上条としては、そういう『記憶がないんです』とか『所々抜け落ちているんです』的な相談はあんまりしないので、とりあえず曖昧あいまいに笑ってみる。
「……しっかし、その、スゲェな。アックアって『神の右席』で聖人でもあるんだろ。そいつを倒しちまうって……なんつーか、歴史的瞬間しゆんかんに立ち会っちゃったんじゃないのか、これ?」
「いっ、一番の立役者が何を言っているんですか!? というか、世界で二〇人といない聖人を打ち破る事自体が奇跡的であって、その上、味方の損害がゼロなんていうのばもうサンタクロースが転んでプレゼントを空からばらいちゃうような大盤振る舞いであって……ッ!!」
 何だか五和が顔を真っ赤にして意外に大きな胸の前で両手をわたわたし始めたのだが、ようはアックアに勝利した天草式スゲーという事でオーケーなんだろうか、と魔術まじゆつ業界について何にも知らない上条は超アバウトに状況を判断する。
 ……ちなみに実の所、後方のアックアにトドメを刺したのは五和がカギを握る『聖人崩し』なのだが、五和いつわも五和でその事実に全く自覚がないようだ。天然バカとマジメ謙虚けんきよ人間はどちらが罪か。いずれにしてもアックアからすればむくわれないの一言に尽きるだろうが。
「だー……つか、今日何日だ? ま、まさか出席日数とか大丈夫だいじようぶだろうな!? ヤバい、なんかこの辺はしっかり確認しとかないとまずい気がする!! 何故なぜならここん所ずっと事件が起きている気がするから!!」
「あっ、だ、ダメですよ起き上がっちゃ!!」
 ベッドから身を起こそうとする上条かみじようと、その肩を両手でつかんで押し留めようとする五和。結果、二人の顔が急接近する。その距離きよりわずか五センチ弱。ぶっちゃけ目の前にはおどろいて顔を赤くした五和の顔がいっぱいに広がっている。上条は顔と顔の間にある空気が柔らかい壁になったような感覚を得たが、それでも何故か距離をはなす、という選択肢が頭に浮かばない。
 そこで、
「…………………………………………………………………とうまがもういつも通りなんだよ」
 低い声に促されるようにそちらを見れば、病室の出入り口近辺で呆然ぼうぜんと立ち尽くす少女つまりインデックス。しかもご丁寧ていねいにも彼女の心情を表すかのように、足元の床には割れた花瓶かびんのおまけつき。サスペンス準備完了いつでも事件ですと言わんばかりの神が与えたもうたナイスタイミングに対して上条は、
「ひっ、ひぃー!? 待ってクダナイヨインデックスサン!! 言葉がなくても分かる! 今のアナタナマはどことなくわたくし上条さんの存在や人間性をあきらめかけてはいませんか!?」
「……きっきまでそこに座っていたのは私なのに、ちょっと目を離した途端とたんにもうこれなんだよ……。そもそも、だまって病院を抜け出した事のごめんなさいもまだなのに……」
「そうそう、そうです! それについては私も賛成です! あんなボロボロの状態でアックアの元へ帰ってくるなんて正気のじゃありませんよ! 本当にもしもの事があったらどうするつもりだったんですか!?」
「アックア!? アックアってあの『神の右席』の!? そんな思いっきり魔術まじゆつてき強敵相手にこの禁書目録をたよらないって、とうまそれどういう事!!」
「あれーっ!? いつの間にかていく五和のポジションが変わってますがーっ!? これが天草式あまくさしき環境適応能力かーっ!》」

 と、そんなやり取りが行われている病室の手前。直線的な廊下に立ち尽くしている女性が一人。神裂かんざき火織かおりである。彼女も彼女で見舞いに釆たのだが、何だかタイミングを外されてしまい(五和に先を越されたとも言う)、どうして良いのか分からなくなっている訳だ。
「(……どうしましょう。明日にはロンドンへ戻らなくてはいけないのでスケジュール的には今しかないのですが、しかしまさにこの瞬間しゆんかん、五和や『あの子』がいるようですし……)」
「ねーちーん……。そうこうしている内に日が暮れちゃうぜーい?」
 唐突に真後ろから聞こえた声に、神裂かんざきの肩がビクゥ!! と大きく動く。振り返ると、そこにいるのは金髪サングラスの少年、土御門つちみかど元春もとはるだ。
 土御門は口元に軽く手を当てて含み笑いをしながら、
「せっかく激務の中で日本にやってくる機会に恵まれたんだから、ここらで今までインデックスや天草式あまくさしきが世話になったお礼を言わなくっちゃいけないよにゃー」
「そっ、そんな事は分かっています。しかし、その、なんと言うのでしょう。一対一でも気恥ずかしいというのに、今は五和いつわに『あの子』までいるので、ええと、もう少しだけ待っていただけるとありがたいというか……」
「で、天使てんしメイドセットは持って来たんだろうな?」
「ぶふげば!? も、もも持ってくる訳がないでしょう!! 七天七刀しちてんしちとう以上に税関が厳しいです!! そもそも、その鹿げた計画を実行に移すならより一層、一対一に決まっています!! 間に五和や『あの子』が挟まるなど絶対にありえません!! 『あの子』の完全記憶能力がどれほどのものか分かっているでしよう!?」
 想像するに恐ろしい情景を思い描いたのか、高速で首を横に振る神裂。しかし土御門は訳知り顔で鷹揚おうよううなずくと、
「そんなで恥ずかしがり屋のねーちんのために……じゃーん!! 今日はより進化した堕天使エロメイドセットを持って来たにゃーっ!!」
「一体どこがどう変わったと言うんですか!?」
「え、何言ってんの? ほらこの胸の開き具合とスカート部分の透け具合がですね―――」
 唐突に何らかの布地を広げかけた土御門の手を、神裂は渾身こんしんの力で押さえつける。聖人の握力でてのひらつぶされそうになりながら、土御門はそれでもやや引きった笑みを崩さず、
「じゃーどーすんの? ぶっちゃけどうするつもりなのねーちん。まさかテメェ、ここまで引っ張っておいてフツーににっこりほほんでちょっとほっぺた赤くして小首をかしげて感謝していますで終わりとかじゃねーだろうな。気づけよ馬鹿ねーちん! そんなんじゃもう収まりがつかない所まで話は進んでんだ!! らしに焦らして屑透かしなんて許されると思うなよーっ!!」
 ビッカァ!! とサングラス越しに両目から閃光せんこうを放つ土御門に、神裂火織かおり普段ふだんの冷静さをすっかり失ってしまう。
 やや後ろへたじろぎつつ、神裂は尋ねた。
「ならどうしろと言うんですか!! たとえどれだけ借りをふくらませようが、私にできる事と言ったら誠心誠意―――」
「挟んでこするぐらいの事はできんのかキサマはぁ!!」
「??? 挟むって、何をです?」
「こんのっ、お高くとまりやがって……ッ! ハイ質問ハイ質問!! ねーちんのそれは何のためについているのですか? その哺乳類ほにゆうるいのアカシすなわちおっぱいは何のためについているんですかって聞いてんだよォォォ!!」
「す、少なくとも、挟んでこするために使うものではありませんけど……」
 土御門つちみかどの言いたい事を頭の中でイメージできないのか、不可解な表情になる神裂かんざき
 意外にノッてこない彼女に土御門は軽く舌打ちして、
「でもねーちん。本当の所、そんなスローペースで良いのかにゃー?」
「な、何の事ですか」
「(……あの奥手少女、五和いつわちゃんなら天使てんしエロメイドぐらいやりかねんと言っておるのだよ)」
「(……ッッッ!! !? ?? そ、そんな事がある訳が……ツ!!)」
 土御門に合わせて、意味もなく内緒ないしよばなし卜ーンになる神裂。
 彼はにゃーにゃーと含み笑いをらしながら、
何故なぜ言い切れる? 確かに五和は奥手であるがゆえに大胆な行動には出ないと思われがちだが、実はおしぼり作戦が空回りしているだけであって、よくよく考えてみると行動力自体は結構あるもの。そして空回りを続ける五和が自らに足りないもの、すなわち堕天使エロメイドという歯車はぐるまとガッチリみ合ったその瞬間しゆんかん、そこに生まれる攻撃こうげきりよくは一体どれほどになるであろう
か」
「そ、そんなまさか! ウチの子に限って!!」
「つか、ぶっちゃけ五和のサイズなら挟んで擦るぐらい問題ないですよ?」
「??? その、ですから挟むとは?」
 またもやキョトンとしてしまう神裂に、珍しく自分のペースに巻き込めない土御門はちょっと頭を抱えた。これは別方向から攻めるぺきか、と方針を変更する。
「ねーちんば結局あれだ。自分の恥ずかしさばかりが先立って、カミやんに対する感謝の気持ちとかはもう全くゼロって事なんだにゃー?」
「ちっ、ちがっ、違いますよ!! あなたのたとえ話が堕天使エロメイドとか突飛すぎるだけです!! 私は普通に惑謝して!!」
「五和は多分気にしないよ? それはカミやんへの感謝の気持ちの方が強いから。正直な話、あの子は堕天使メイドぐらいなら普通にやるはず.それが堕天使エロメイドにパワーアップしようとな。この違いが何であるか分かるかにゃー?」
「な、何ですか。違いというのば……」
「つまりねーちんは五和に負けているんだにゃー。女の器のレベルで」
「ッ!?」
「っだー。ホントに大丈夫だいじようぶかよ今の天草式あまくさしきは。ったくこの女はプライドだけが高くて身を削るって言葉を全然分かっちゃいねえ。こんなんで迷える子羊を導けんの? ねーちんってさ、いざとなったら自分だけわいく思えてみんなを見放すんじゃねーのかにゃー」
「そっ、そんな……天使てんしエロメイドごときでそこまで言われる筋合いは……」
 自分は絶対に正しいばずなのだが、何だかさも当然という顔で突き放すように言われてしまうと色々揺らいでしまう神裂かんざき
 元々上条かみじように負い目がある事も重なったせいか、あっという間に神裂の頭がバンク状態になる。
(い、いや、これは土御門つちみかどの策略に違いないはず! 本当は堕天使エロメイド如きで女の器が決定する事などありえないはず!! え、ええと、論点はそこではないような……? 問題は女の器ではなく、あの方への感謝の示し方であって……。しかし堕天使エロメイドはないと言いつつ、私は具体的に反論できるだけのビジョンを頭に思い浮かべられるのでしょうか……。ハッ!! よ、弱気になってはいけません!! これは土御門のわな!! いや、しかし、ううん、ええと……冷静に。とにかく一度冷静になって考え直すのです!!)
「ん? あ、あれ。ねーちん?」
 内面世界で空回りする神裂に、やや引き気味に質問する土御門。
 その言葉が全く聞こえていないのか、神裂は顔からあらゆる感情を消したフラットな表情を作ると、病院の廊下で静かに正座し、華道の作法のようなゆるやかな動きで、どこからともなく
取り出した二〇枚近い屋根がわらを積み上げていくと、
「ぬううううラララうううううううううううん!!」
 真上から握りこぶしを叩きつけ、瓦どころか床にまでグーをめり込ませる神裂。
 ガラガラと崩れていく音を聞きながら、神裂は極めてクールな調子で土御門に言った。
大丈夫だいじようぶ。私はちゃんと考えています」
 一方、何だか妙にスワッた目つきの女教皇を見た土御門は、内心ちょっとあせっていた。
 ヤバい、面白おもしろ半分に追い詰め過ぎたかも?
 ちょっとダラダラと冷や汗を流し始める土御門に、神裂はゆらりと手を伸ばす。手刀のように五本指をそろえ、てのひらを上に、そのまま土御門の首をスッパリ切断できそうな感じで。
 神裂は言う。
「土御門」
「は、はい?」
「覚悟が決まりました。例の物を」

 およそ一〇分後。
 ゲラゲラ笑う土御門の顔面に拳を叩き込み、女性としての引き出しを増やし、また一段とレベルアップした天草式あまくさしき女教皇プリエステス・神裂火織かおりが一つの病室へ突撃とつげきしていく。
 その後、世界にどういう混乱が巻き起こったかは女教皇プリエステスの名誉を守るために割愛する。
 ただ言えるのは、上条当麻とうまはミーシャ=クロイツェフとも風斬かざきり氷華きようかとも違う、第三の天使の影に今後しばらくおびえ統けるという事だけだ。

 イギリス清教から連絡があった。
 戦略交渉人と呼ばれる者は、いくつかの資料と、降参するためのプランをいくつか提示してきた。最も望む結未を自分で選べと。言外に語っていた。ローマ教皇はそれらを半分も聞く前に、連絡を断ち切っていた。
 いきどおる。アックアがやぶれた事には二つの意味がある。一つは、それだけ重大な戦力を失ってしまった事。そしてもう一つは、敵側にそれ以上の戦力が存在するという事。
(そもそも、一体何をどうすればアックアが敗れるのだ……)
 上条かみじよう当麻とうま
 な力の持ち主とはいえ、それだけでアックアがやられるとは思えない。しかしあの少年を守るために、多くの人間が自然とつどった。単純な友人や仲間による、彼らの勢力が。
「……、」
 ローマ教皇は、静かに思う。
 確かに、あの少年は強敵だ。
 真剣な表情で考え込むローマ教皇の耳に、一つの足音が聞こえてきた。
「いかんなあ。アックアが倒れたって? 連中もそこそこ成長してきたって訳か。まあ、だからこそたたくための大義名分が仕上がる訳なんだが。ハッ、俸大なるローマ正教が収める世界に混乱生じる場合は、いかなる者であろうとその元凶をすみやかに排除すべし、って所か」
 バチカン聖ピエトロ大聖堂にひびく足音。
 その主を見て、ローマ教皇ば苦渋の表情を浮かべる。
「右方のフィアンマ……。ま、さか、『奥』から出てきたのか……」
「これはこれは険しい顔を浮かべている」
 ローマ教皇に声を放ったのは、一人の青年だ。
 フィアンマはローマ教皇の顔を見て、がっかりしたような顔になった。
「指導者の資質は窮地きゆうちにこそあらわになるって言うのに。いかんな、そういう反応は。まるで教皇としての器に合わんように見えてしまう」
「どうする……つもりだ?」
 ローマ教皇は慎重に尋ねた。
 前方のヴェントは療養りようようちゆう、左方のテッラは死亡、後方のアックアは生死不明。ならば、現状で『神の右席』の、そしてローマ正教の決定権を一手に握っているのは、このフイアンマだ。
 それ以前に、このフィアンマは『神の右席』の中でも不気味な存在だった。あれだけ我の強い『神の右席』の連中も、最終的な行動の決定権はフィアンマにゆだねていた気がする。
「ヴェントを使った学園都市への奇襲きしゆうも、テッラが出した世界的な集団操作も、そしてアックアの圧倒的な才能も……ことごとくが失敗に終わった。これ以上の手があるのか? 科学サイドの総本山、学園都市の動きを封じるだけの、圧倒的な策が」
 ローマ教皇の声色は暗い。確かにローマ教皇は科学サイドの台頭を容認できず、『神の右席』に指示を仰いだ。だからと言って、自分自身ならともかく、罪なき信徒まで巻き込んでまで、このまま籠城ろうじようするようなはしたくない。
 が、そんなローマ教皇の思惑とは裏腹に、フィアンマは軽い調子でこう言った。
「まずはイギリスを討つ」           1、
 なに? といぶかしむローマ教皇をほとんど無視するように、フィアンマは続けて言う。
「これが分からんかな。現状、我々はロシア成教を取り込んだ事によって、イギリス以外のヨーロッパ全域をほば完壁かんぺき掌握しようあくしている。諸国家へ連絡を入れ、イギリスを干上がらせるんだよ。人員、物資、金銭、それらすべての流れを断つ。基本的には島国だからな。逃げ場をなくしたヤツらは数ヶ月で力を失ってしまうって寸法さ」
「意味が、理解できないのだが」
 ローマ教皇はフィアンマの言葉をもう一度理解しようとして、そしてあきらめた。
 素直に質問する。
「確かに学園都市とイギリス清教の間にはバイプがある。しかしイギリスを攻め落とした所で、それが学園都市へ致命的なダメージを与えるとは思えん。仮にイギリス全体を巨大な人質にしても、学園都市は平気な顔で戦争を続行するに違いない。『彼らを助けるのだ』とでも言えば口実になるだろうしな」
 逆に、学園都市を先に攻め落としてしまえば、イギリスの動きは止まる。イギリス清教は旧教カトリツクの三大宗派の一つだが、それば『三大の一つ』という意味でもある。ローマ正教、ロシ
ア成教という『三大の二つ』とそのまま戦争を起こすとは思えない。
 イギリス側が強気になっているのは、学園都市―――科学サイドが丸ごと味方についているからであって、学園都市さえ無力化してしまえば、イギリスは無傷で目を覚ますはずだ。
「違うなあ。そいつは違うんだよローマ教皇さん」
 しかし.フィアンマは簡単にさえぎった。

「学園都市なんて、こっちは眼中にないんだよ」

 今度こそ、ローマ教皇の呼吸が止まった。
 右方のフィアンマの言っている事が、部分的ではなく、単語の一つまでも理解できなくなった。
 そんなローマ教皇に、フィアンマはあっさりと続ける。
「イギリスには『あれ』があるんだよ。どうしても必要な『あれ』がな。とはいえ、連中が素直に『あれ』を差し出すとは思えんし。だから騒ぎを起こす必要があったって訳だ。『あれ』を手に入れるために、ローマ正教としての大きな力に動いてもらわなくてはならなくてな」
「何を、言っている……?」
「んん? 質問には答えているつもりだがな。それに、あながちお前の願いから外れた行動って訳でもないよ。『あれ』さえ手に入ってしまえば、学園都市だろうが科学サイドだろうがまとめて粉砕できるだろうしさ」
「何だ……?」
 ローマ教皇は理解できないまま、ただ質問する。
「『あれ』とは、何だ……?」
「ああ」
 右方のフィアンマは簡単に口を開いた。
 そこから出てきた言葉は―――、

 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 ガタン、という音が聞こえた。
 よろめいたローマ教皇の背が、聖ピエトロ大聖堂の太い柱にぶつかった音だ。
鹿な……」
 かろうじて、絞り出すようにローマ教皇は告げる。
「貴様、本当に十字教徒なのか……?」
 フィアンマはあっさり返す。
「さあて。どっちだと思う?」
「くそ!!」
「いかんな。仮にもローマ教皇ともあろうかたが、そういうロをくのはとてもいかんよ」
 嘲弄しようろうするようなフィアンマの言葉を、ローマ教皇は無視した。
 それどころではなかった。
 前方のヴェント、左方のテッラ、後方のアックア。各人が異質な思想や流儀りゆうぎのつとって動いていたが、彼らはまだ『神の右席』という十字教の一集団だった。天使以上の力を手に入れ、『神上かみじよう』となって直接的に人を救う。その考え方は傲慢ごうまんかつ冒涜ぼうとくてきである一方、人として理解できなくもない部分もあった。
 だが違う。
 この右方のフィアンマだけは決定的に違う。
 フィアンマは『ローマ正教・ロシア成教』の力を使ってイギリスを孤立させろと言った。しかし、それをイギリス側がだまって見ているとは思えない。本気で枯渇すると分かれば、死に物狂いで戦おうとするだろう。このままではヨーロッパ全土が戦場と化す。学園都市へ潜り込んで、要人の一人二人をおそってくるのとは次元が違う―――|正真 正銘《しようしんしようめいの戦争が起きてしまう。
「き、さま……この私が黙って見過ごすとは思っていないだろうな」
 やらせる訳にはいかない。
 始めてはいけない争いを始めてしまった……その自覚はあるが、今ならまだ止められる。
「ヤル気かな」
 ローマ教皇の顔を見て、フィアンマはゆるやかに首を横に振った。
「『神の右席』を束ねるこの俺様おれさまに?」
「見くびるなよ。沈みかけた泥舟どろぶねおさが」
「言ってくれるな。確かに希少な『質』の持ち主とはいえ、たかが三人。『前方』『左方』『後方』の地位など、再びだれかをあてがってしまえばそれで済む。この俺様が生き続ける限りはさ」
「させると思うか」
 ローマ教皇の声が低くなる。
「右方のフィアンマ。貴様にはしばらく黙っていてもらおう。あるいは、永遠にな」
 ドン!! という爆音が炸裂さくれつした。特に何かが出現した訳ではない。ただ何も変化のないままに、周辺の空間そのものがミシミシと奇妙な音を立てて揺らいでいく。まるで巨大な箱の内側から、その箱がつぶされていくのを眺めるような情景だ。
「一から一二の使徒へ告ぐ。数に収まらぬ主に仰ぐ。満たされるべきは力、我はその意味を正しく知る者、その力をもって敵が倒れる事をただ願う」
 複数の光が舞う。それらは単なる光の玉に過ぎないはずなのに、不思議と逆さにした十字架や帆立ほたてがいなど、全く異なるイメージをそれぞれ内包していた。
 意味持つ光はフィアンマを取り囲み、それぞれが平面を築く。まるでサッカーボールのような牢獄の中央に、彼の体が閉じ込められる。
 口笛が聞こえた。
 完全包囲されたはずのフィアンマのロかられたものだった。
「『神の子』と一二使徒の象徴ね。良いのか。仮にも教皇様が裏切り者のユダの印まで借りて」
「勘違いするなよ。確かにユダは主を裏切ったが、そのユダをも使徒として招いたのが主のだ。なんじ隣人りんじんを愛せよ。都合の悪いものをほうむるのは簡単だ。しかしその安易を求めないのが教えの本意のはずなのだ」
 バォ!! と爆音が炸裂する。
 フイアンマを取り囲む一三角形が、それぞれ束縛そくばくの陣を形成した。それば物理的にフィアンマをしばるものではない。彼の肉体と精神を切りはなし、その肉体の中で永劫えいごうに空回りさせるための、『傷つけぬ束縛そくばく』である.
「ユダは裏切りの後、強い自戒に駆られて首をったそうだ。彼の世界は暗く寒く深く苦しく、どこを見回しても一縷いちるの希望すら見えなかったのであろう。覚えておくが良い、これから貴様が味わうものの正体だ」
 すでに聞こえぬだろうが、ローマ教皇はそれでも口を動かす。
「これより貴様を四〇年ほど空転させる。ユダのおちいった『己白身に対する孤独』を長く味わい、その未熟な精神を今一度けんし直すが良い」
 一三角形の中で、棒立ち状態のフィアンマの唇が、わずかにふるえた。
 指一本動かせぬ中での、精一杯の抵抗か。
「やめておけ。曲がりなりにも私は教皇。今ここで振るう力とは二〇〇〇年の時を経て、二〇億もの信徒を支え導く神聖なもの。一人二人の傲慢ごうまんで振り切れるようなものではない」
 それに加えて、この聖ピエトロ大聖堂は旧教カトリツク勢力圏の中でも最大最高の要塞ようさい。さらにばバチカン市国そのものが、ローマ教皇を何重にも補強する巨大霊装れいそうとして機能する。
「ふん」
 そこで、今度こそフィアンマの口が動いた。
 ローマ教皇の顔におどろきが出る。それは束縛された者の動きではなかった。
 自然な調子でフイアンマは言う。

「残念だが……たった二〇億人、たかが二〇〇〇年ではな」

 その瞬間しゆんかんすべてが消失した。
 ローマ教皇の瞳には、フィアンマの右肩の辺りが爆発的に光を放つのをかろうじてとらえるのが限界だった。次の瞬間には全ての視界が真っ白に塗りつぶされ、そして破壊はかいあらしが巻き起こる。
 ドーム状の爆風が炸裂さくれつした。
 聖ピエトロ大聖堂の三分の一が内側から粉々に吹き飛ばされた。
 莫大ばくだいな施設を支える魔術まじゆつてきな仕掛けが次々と切断され、このバチカンを守っているその他の施設が次々と連鎖れんさ崩壊を起こしていき、本来は領土を保護するためにあるはずの防護陣が大きく崩れ、行き場を失った魔力がそこかしこで吹き荒れ、景色をぐにゃりとじ曲げる。
 ローマ教皇の体は一〇〇メートル以上吹き飛ばされ、広場のいしだたみを転がっていた。
 彼は、砂煙をあげて崩れていく聖ピエトロ大聖堂を、呆然ぼうぜんとした顔で眺めていた。世界最大の要塞が、十宇教で最も巨大な聖堂が、まるで紙細工のように引き裂かれていく。そのあまりの惨状さんじようは、ローマ教皇から傷の痛みすらも忘れさせた。
 全ての破壊の中心に、右方のフィアンマは君臨する。
 彼はゆっくりと広場へ歩いてくる。
 その右肩の辺りに、奇妙なものがあった。
 本来あるべき腕とは別に、出来損ないのつばさのような、不格好な五本指を備えた巨人の腕のような、いびつな光のかたまりが。ギリシア神話では主神ゼウスの割れた額の傷口から女神アテナが生まれたとされるが、それと同等のあまりにもシュールな光景だ。
「つまらんな。これだけで空中分解したのか」
 フィアンマば己の右腕と、肩から生えた何かを交互に眺め、エンジンの調子の悪い車に乗ったように舌打ちする。
 ローマ教皇は砕けたいしだたみに体を預けたまま、うめくように呟いた。
「それは……腕……まさか、その力は……」
「そう。右腕というのは奇跡の象徴だ」
 ゆっくりと瓦礫がれきの中を歩きながら、フィアンマは言った。
「『神の子』は右手をかざすだけで病人をいやし、死者をよみがえらせた。十字を切るのは右手であり、洗礼の聖水を振りかけるのも右手で行われる。そして『神の如き者ミカエル』。こいつの右手には史上最強の武器が備わっていた。多くの天使てんしほおむり、かの『光を掲げる者ルシフエル』すらり伏せるほどの圧倒的な力がさ」
 右方。
 燃える赤フイアンマを象徴する男は、ただただ講釈を統ける。
 ローマ正教で最も偉いはずの、教皇に対して。
「ぐっ……」
「だが、当然ながらそんなに莫大ばくだいな力を持つ『聖なる右』ってなぁ、まともな人間にゃ扱いきれんのだよ。一般信徒が十字を切ったり聖水をたずさえたりというのは、まぁ、あれだ。神話の人物が振るう力の片鱗へんりんのようなものに過ぎないってのは分かるだろ? たとえ聖人だろうが『神の右席』だろうが、所詮しよせんベースとなってる肉体はただの人間だ。分かるかい、ローマ教皇さん。俺様おれさまはただの人間なんだよ、困った事に」
 フィアンマは退屈そうな調子で告げる。
 人間ばなれした力を軽々と振るうこの男は、それでも自分をただの人間と呼び、さげすんだ。
「つまり、だ。この俺様は素晴らしい『右腕で振るうペき奇跡』の結晶そのものを握っているが、そいつをめ込み操り発揮するだけの出力端子たんしがない。そんな状態で振るう力なんて、ちっぽけだっただろう? わざわざハイビジョンカメラで撮影した映像を、モノクロのテレビで見るようなものだ」
 いびつで巨大で禍々まがまがしい腕が、フィアンマの背後で揺らめく。
 彼は細い指先を軽く舐めながら、言う。
「なあ、おい。欲しいとは思わないか?」
 人の作り上げた聖堂など、ただ組み立てただけの神秘など、造作もないとばかりに聖ピエトロ大聖堂を破壊し尽くした、右方のフィアンマ。
「あらゆる奇跡の象徴たる『聖なる右』。どんな邪法だろうが悪法だろうが、問答無用でたたつぶし、悪魔あくまの王を地獄の底へしばり付け、一〇〇〇年の安息を保障した右方の力。そいつを完璧かんぺきに引き出せる『右腕』があるとしたら、その内部構造を知りたいとは思わないのか?」
(ま、さか……)
 報告書でなら、読んだ事がある。
 学園都市にいるという一人の少年が持っている、正体不明の異能の力。
 あらゆる神秘も魔術まじゆつも打ち消すとされる、その右腕。
俺様おれさまなら、扱える」
 フィアンマはニタニタと笑いながら、右手を水平に掲げた。
 呼応するように、己の力によって空中分解した第三の腕も動く。
「この『神の如き者ミカエル』なら、完璧かんぺきに扱ってみせる。そのための下準備が必要なのだよ」
 無論、『材料』だけがそろっても、術式は制御できない、圧倒的な力を押さえつけるのに必要なのは、やはり人の領域を超えた圧倒的な知識。そして、ローマ教皇は『知識の宝庫』を知っていた。世界中の魔道まどうしよをかき集めた、ある一つの知識の縞晶を。
 ローマ教皇の表情から、何を考えているのかを知ったのだろう。
 フィアンマはさらに笑みを広げる。
「禁書目録。イギリスの連中も愉快なものを用意してくれたもんだ」
 だからこそ、
 こいつはイギリスに用がある。
 学園都市に一時滞在している本人ではなく、えてイギリスの方へ。
「やら、せるか」
 ポツリと、ローマ教皇はつぶやいた。
 血まみれの体を引きずって、ローマ教皇は立ち上がった。彼は『神の右席』に指示を仰げば、その一員となって『神上かみじよう』を目指ぜば、より多くの信徒を救えると思っていた。ローマ教皇は自分の地位や立場を押し上げるために、そんなものを目指していたのではない。罪のない子羊がみ台にされるような世の中を作るために、ローマ教皇になったのではない。
 だからこそ、ローマ教皇は立ちふさがる。
 彼の背後には、二〇億人の未釆がある。
「楽しいな」
 巨大な腕を水平に掲げたまま、フィアンマは笑った。
「圧倒的な勝負というのは、鹿鹿しくてもやっぱり楽しい」

 ゴバッ!! という爆発音が|炸裂《さくれつした。
 二人は交差すらしなかった。
 ただ圧倒的な力が貫き、ローマ教皇の体が吹き飛ばされた。

 聖ピエトロ広場がこな微塵みじん破壊はかいされた。爆発の余波が複数の建物を突き崩し、ただでさえダメージを負っていた大聖堂がさらに倒壊とうかいしていく。バチカン市国を囲む外壁の一部が壊れていた。ローマ教皇はそちらに薙ぎ払われたのだ。
 その騒ぎで、『こんな所で危機的状況におちいる訳がない』と信じ切っていたバチカンの衛兵たちがもたもたと駆けつけてきた。彼らはフィアンマの事を、はじめポカンと眺めていた。まさか生身の人間がこれだけの破壊を巻き起こせるとは思っていなかったのだろう。ようやく我に返って職務を全うしようとした数名が、グチャグチャにつぶれて宙を舞った。それで『支配者』は確定した。
「ふん?」
 と、フィアンマは徹底的てつていてきに破壊されたバチカンの外壁の向こうを見た。
 おかしい。被害が少ない。
 本来なら先ほどの一撃いちげきの余波で、外壁の向こうに広がるローマ市街も、数百メートルにわたって瓦礫がれきの山になっているばずだった。しかし実際には、破壊はバチカン内部だけで、外に広がる市街地には及んでいない。
「全部自分一人で受け止めた、か。大した野郎だ」
 フィアンマは鼻歌を歌い、ほとんど崩れた聖ピエトロ大聖堂へ向かう。
 したの衛兵はおろか、大司教や枢機卿すうききようといった重鎮じゆうちんまでもが、一言も発する事ができなかっ。

.
 血まみれのローマ教皇は、家屋の外壁に寄りかかるように倒れていた。
 フィアンマは、爆発を隠そうともしなかった。おかげで周辺では爆弾テロだ何だと大騒ぎになっている。
 救急車のサイレンがどこかで鳴っていた。
 どこかで被薯が出たのかと思ったが、どうやら自分を運ぶための救急車が近づいてきているらしい。
 辺りを見回しても、家屋が倒壊している様子はない。
 砕け散った外壁の破片がいくつかの窓を割ってしまったが、死者は出ていないようだ。
 その事にローマ教皇がわずかに微笑んだ時、ふと家屋と家屋の隙間すきまにある小さな路地から、薄汚うすよごれた身なりの少女がこちらを見ているのに気づいた。
 ここは危ない。
 そう言おうとしたが、まともな言葉は出なかった。
 意識が飛ばないようにするためか、少女はローマ教皇に何かを叫んでいる。彼女の手には包帯も消毒液もない。だが、必要以上の科学を求めないローマ教皇には、こちらの方がむしろありがたかった。何よりも、莫大ばくだいな悪意に触れた直後には、この小さな善意が身にみた。
「はん。ご立派な事だね」
 声が聞こえた。
 ローマ教皇が顔を上げると、黄色い服に身を包んだ女が立っていた。
 前方のヴェント。
「迷える子羊を救って名誉の負傷、かたわらには御身おんみを心配してくれる小さな思い、か。それでも人に選ばれる事はおきらいなの? 選挙で決まったローマ教皇さん」
「……、イギリスだ」
 息も絶え絶えに、何とかローマ教皇は口を開いた。
 ほとんど血のかたまりを吐き出すように、彼は言う。
「フィアンマのねらいは、イギリスにある……」
「この私に、命令形はない」
 ヴェントは舌を出して、簡単に切り捨てた。
「だが、クソ野郎を殺すために合致するなら見逃してやっても良いってトコか」
 その時、ヴェントの言葉がわずかに止まった。
 薄汚うすよごれた身なりの少女が、挑むようにヴェントをにらんでいたからだ。
「良い悪意」
 彼女はうっすらと笑う。
「そして運も良い。本来の『武器』が手元にあったら、あなたはここで死んでいた」
 救急車のサイレンが近づいてくる。
 ヴェントはそれ以上何も言わず、家屋と家屋の隙間すきまにある路地へと姿を消した。それこそ.
薄汚れた身なりの少女よりも、見知った顔で。

 ロンドン、リトルヴェニス。
 イギリス清教を束ねる最高権力者、|最大主教《アークビシヨツプ>のローラ=スチュアートはボートの上に寝転がっていた。ボートが浮かんでいるのは復数の水門で管理された人工の川だ。ヴェニスという名前からも分かる通り、多少はヴェネツィアを意識しているようだが……何をどう間違ったのか、美しい景観を持つものの全くもってヴェネツィアらしくない。そもそも海上都市でも何でもない、三本の川が集まる船着場なのだ。
 なお、裏の意味として海の上に人工的に形作られたヴェネツィアの地形を魔術まじゆつてきな観点から再現・解明するための場所でもあるのだが、その正体を知る者は極めて少ない。
「せめてぎのボートぐらい浮かびておればよきものを……」
 ローラはつまらなさそうに、ボートの後ろをチラリと見た。一応船頭らしき男はいるのだが、ボートには小型のエンジンがくっついている。
「報告です」
 その船頭が仕事の話を持ってきた。
 せっかく聖ジョージ大聖堂から抜け出しているというのに雰囲気ふんいきぶちこわしな船頭に、ローラは口をとがらせつつも先を促す。
「ローマ正教内で内部抗争があった模様。ローマ教皇が巻き込まれたようですが、生死は不明。一応病院へ搬送はんそうされた事は確認できましたが、予断を許さない状況との事です」
「……、」
 船頭はローマ市内での目撃もくげき情報や魔力まりよくの流れなどから得た予測的な情報を交えて、『内部抗争』の詳細を話していく。
「バチカン内で観測された莫大ばくだいな魔力量から判断するに、本来の被害は数倍から数十倍にふくれ上がるという事ですが……計算にもう少し時間をください。どこかで間違っているのかもしれません」
「ふん、何も出なしわよ。ローマ教皇の背後は一般市街なりけるのでしょう。なれば結果は火を見るより明らかね」
 ごろんと寝返りを打って、船頭からは表情が見えなくなるローラ。
 そうしながら、彼女は一言だけポツリとつぶやいた。
「……善人め」
 その言葉に、どれだけの意味が、おもいが込められているのか。船頭には判別つかなかった。ローラ=スチュアートは見た目通りの年齢ではなく、積み重ねた経験の量も質もそこらの人間とはケタが違う。だからこそ、船頭にはローラの考えている事が分からなかった。
「……されど、貴様は笑うていたのであろうよ。この善人め」
 ただし、あくまでも凡人の船頭から見た感想では。
 ローラ=スチュアートの声色は、どこか寂しそうに思えた。

 学園都市の一角には、窓のないビルがある。
 核兵器でも破壊はかいできないほどの強度を誇る建物は、たった一人の『人間』のために用意されたものだ。
 学園都市統括理事長・アレイスター。
 巨大なガラス容器の中で逆さまに浮かぶ『人間』の口元には、笑みがある。
 彼が見ているのは、空中に直接表示された四角い画面だ.
 情報元は『滞空回線アンダーライン』。
 学園都市中にばらかれた極小機械が織り成す、特殊なネットワークだ。
 いつもはあらゆる情報を映し出す画面には、しかし灰色のノイズしかない。後方のアックア撃破げきは後に起きた大爆発によって、『滞空回線アンダーライン』の情報もうが一時的に寸断されてしまったのだ。極めて特異なテクノロジーによって作られた『滞空回線アンダーライン』だが、その母体はわずか七〇ナノメートルしかない。爆風や衝撃波しようげきはによって損壊そんかいしてしまう事もある訳だ。
 一エリアで発生したノイズはネットワークのあちこちに飛び火し、全体に大きな負荷をかけている。完全復旧までおよそ数時間。アレイスターにとっては片腕をもがれたような状況だが、しかし彼の口元には笑みしかない。
「やはり、この間題点はどうにかせねばならんな……」
 むしろうれしそうだった。やるぺき事が明らかになったとばかりに。
 アレイスターを取り囲む機械群は、『滞空回線アンダーラインの機能停止直前に得た情報を多角的に分析し、ノイズまみれの断片を明確かつ有効な情報へと統合処理していく。灰色の画面に鮮明な色がつき、それらはすぐさま重要なレポートとなって出力される。
 レポートの内容は、とある少年の右腕に備わっている力について。
 様々な化学式がおどり、吸入する酸索と排出される二酸化炭素の量から脳の作動状況を逆算し、学園都市に蔓延まんえんするAIM拡散力場の相殺そうさい具合のデータから、右手のカの質と量が導き出される。
 徹頭てつとう徹尾てつび、科学のみで構成された世界。
 それらのモニタの片隅にある文宇を目で追って、アレイスターの笑みはさらに深くなる。
 大人にも子供にも、男性にも女性にも、聖人にも罪人にも見える『人間』の前には、こんな報告が並んでいた。

 ―――非諭理的現象を否定するための基準点(Point Central 0)、安定レベル3を維持。
 ―――中心点でアイドリングを続けるコアの規定回転数を確認。
 ―――検体名称『幻想殺しイマジンブレイカー』、プラン影響率えいきようりつ九八%。
 ―――学園都市第一位と並び、メインブラン主軸としての力は計画通り稼働中。

   あとがき

 一冊ずつついてきていただいている貴方あなたはお久しぶり。
 一七冊一気読みという偉業を成し遂げた貴方は初めまして。
 鎌池かまち和馬かずま
 このあとがきも、もうそろそろ二〇回に届くのですね。いい加減に少しは慣れれば良いものを、本文ともどもつたない感じなのがとてもアレですが。
 今回のテーマは『選ばれたもの』。オカルトキーワードは『聖人』です。アックアの術式には聖母崇拝すうはいなどを組み込んでいますが、やっぱり土台となるのは聖人と聖人のぶつかり合いになっています。
 五和いつわ(というか天草式あまくさしき全員)が放った『聖人崩し』ですが、九巻を読み返していただければ分かる通り、これも結構な大技です。この隠し玉を放った時点で、魔術まじゆつサイドにおける天草式の組織的バランスは崩れてしまったものとお考えください(ゆえに、聖人の神裂かんざきがトップに返り咲かないと大変な事になる、という女教皇復帰を願う建宮たてみやたちの策士っぶりも発揮されている訳ですが)。
 この巻でもちょこちょことシリーズ全体の核にかかわる情報が出てきますね。この辺りで一度、提示された情報をまとめてみるのも面白おもしろいかもしれません。どの時点でどの情報が提示されたのか、そしてその情報がくつがえされたのはいつなのか。調べてみると、今後シリーズ内で起こるであろう流れのようなものの片鱗へんりんつかめるかも?

 担当のさんとイラストの灰村はいむらさんには感謝を。意外に面倒なバトル描写が多かったかなと反省しているのですが、お付き合いいただきありがとうございます。
 そして読者の皆様にも感謝を。何だかシリーズの舞台裏だけがゴチャゴチャしていく感じで申し訳ないのですが、ここまでお付き合いいただいてありがとうございます。

 それでは.今回はこの辺ウでページを閉じていただいて。
 次回も無事に開いていただける事を祈りつつ、
 この辺りで筆を置かせていただきます

 なんか、五和も普通の女の子じゃなくなっていく 鎌池和馬

とある魔術まじゆつ禁書目録インデツクス16
鎌池和馬

発 行 二〇〇八年 六月一〇日 初版発行

著 者 鎌池和馬
発行者 高野 潔
発行所 株式会社アスキー・メディアワークス

小説ーとある魔法禁書目録15

とある魔術の禁書目録15

鎌池和馬

   c o n t e n t s  

とある魔術の禁書目録15

 アビニョン侵攻作戦で治安部隊が不在の学園都市。無法地帯となったそこでは、闇の組織らが暗躍していた。
 ――己のために動く者。
 ――闇を好み、殺しを楽しむ者。
 ――他者の希望を打ち砕こうとする者。
 ――大切な人のために立ち向かう者。
 ――上層部へ戦いを挑む者。
 ――反乱分子を仕留める者。
 ――暴走を暴力によって食い止める者。
 科学が全てを支配するこの街で、生き残るのは……。
 『グループ』の超能力者レベル5一方通行アクセラレータが謎の組織『スクール』と邂逅したとき、物語は始まる――!

鎌池和馬かまちかずま

悪党大活躍の15巻です! バトルが多いので、学園都市のいろんな所を舞台にできて楽しかったです。それでも、まだまだ一度も登場していない学区も結構あるんですよね。今度はどこにしようか悩んでいます。

イラスト:灰村はいむらキヨタカ

最近コーヒーを飲む量が右肩上がりです。コーヒーメーカーに飽き足らず、そろそろロースターでも買って自力で生豆を煎ってみようかなどと無茶を考え中。

序 章 愛しい貴方へ極上の鉛弾を Management.

 死角というものがある。
 例えば大手デパートの清掃室。
 デパートの従業員は『外部の清掃業者が使っているんだろう』と思っているし、清掃業者は『あそこはデパートの従業員が使っているんだろう』と考えている。客が入るようなスペースではないから、内部に防犯カメラなども設置されず、だれの目にも留まらない。結果として、誰もが知っているのに誰も入った事のない、カギの置き場所も分からない部屋が出来上がる訳だ。
 普段ふだん施錠せじようされっ放しの鉄のドア。
 だが、今だけは違う。
 土御門元春つちみかどもとはるはあらかじめ受け取っていたカギを使い、デパートの隅にあるドアを開ける。そこは小酒落こじやれたバーのような内装だった。
 手前には一〇人以上が座れる大きなソファに、その近くにはやたら小さなテーブルがある。向かって奥にはバーカウンターのようなものまであった。明らかに扉の外と中で世界が変わってしまっている。
「いらっしゃーい」
 入ってきた土御門を見つけたのか、奥から陽気な男の声が飛んできた。
 カウンターのそばに立っているのば、土御門より背の低い、大学生ぐらいの男だった。軽薄けいはくそうな顔立ちに、衣服はどこかのブランドが出しているスーツ。ネクタイはしておらず、シャツばボタンが三つぐらい外してあって、胸板が見えていた。
 首に携帯電話を四つも五つもぶら下げている男の通り名は、人材派遣マネジメント
 彼はカウンターにひじをつきながら、こう言った。
「ああ、悪い悪い。軽そうに見せてんのは接客業だからでさ。話しかけやすい雰囲気ふんいきってのを作ってる訳。気に入らないならやめるけど、どうするよ?」
「いや、そのままで良い」
 土御門が言うと、人材派遣マネジメントはニヤリと笑った。
 持っていたカギを土御門は投げ、人材派遣マネジメントは片手で受け取る。とばいえ、この仕事が終われば人材派遣マネジメントは家具をすべて運び出し、ほかへ移るだろう。
「さてと、お探しの商品はどんなかな。今は開錠系の『センサー漬つぶし』が結構粒ぞろいのお買い得だ。ヤバいのはマネーロンダリングの札束洗浄係。例の『〇九三〇事件』以降に新しい条例ができたから品薄しなうすになってるよ。あとは普通かな」
 強盗や窃盗せつとうは複数の人間で行う事もある。
 そうした場合は運転手、鍵開かぎあけ、突入係、資金洗浄など役割分担をするものだが、中には『強盗をしたいけど人手が足りない』といった問題も出てくる。
 人材派遣マネジメントはそうした不足した人材を補充し、紹介料でかせいでいる人物だ。
「にしても、近頃ちかごろはネットやメールが多いからさ。アンタみたいに直接訪ねてくるヤツは珍しいよ」
「まずかったか」
「いや。この程度じゃリスクにはならねえよ。そうだ。なんか飲んでいくかい?」
 土御門つちみかどはカウンターにいる人材派遣マネジメントの奥にある棚に目をやり、そこに並んでいる分厚い缶を見て、わずかにまゆをひそめた。
「シンナーを飲む趣味しゆみはないな」
「勘違いするな。そこにある溶剤は油性インクを消すためのもんだ。こういう商売をしてると必要なんだよ。アルコールならそっちの冷蔵庫の中だ。結構良いのがそろってるよ」
「どちらにしても、遠慮しておこう」
 土御門が断っても、人材派遣マネジメントは特に顔色を変えなかった。
緊張きんちようして酔ってる暇もねえか。ま、『仕事』の前なんてそんなもんだ。それじゃビジネスの統きと行こう。お求めの品は?」
「悪い。オレはそっちじゃないんだ」
「?」
怪訝けげんそうな顔をする人材派遣マネジメント、土御門はあっさりと言った。

「オレは客じゃない。捕まえる方だ」

 入材派遣マネジメント一瞬いつしゆんだけ、ポカンとした表情になった。
 しかし土御門がズボンのべルトから拳銃けんじゆうを抜くところを見ると、慌ててカウンターの陰へ身を隠す。
 土御門は構わず引き金を引く。
 ダンゴンガン!!と立て続けに銃声がひびいた。カウンターの奥の棚にあったシンナーの缶に穴が空き、嫌なにおいがすぐさま充満していく。
(野郎……ッ!?)
 入材派遣マネジメントは身を隠したまま、カウンターの裏手に置いてあった防弾ジャケットやサブマシン
ガンに手を伸ばす。
 銃器にマガジンを差し込み、スライドを引いて初弾を装填そうてんした所で、ふと土御門の方からの銃声がやんだ。人材派遺マネジメントはカウンターの奥から顔だけ出して様子をうかがおうとする。
(弾切れか?)
シンナーまみれになった人材派遣マネジメントはそう思ったが、直後に違う答えが来た。

それはオイルライターをこする音だ。

「ッ!?」
 人材派遣マネジメントのどが干上がった。
 何か言う前に、土御門つちみかどは火のいたオイルライターをカウンターの奥に投げてくる。
 人材派遣マネジメントに何かを考えている余裕はない。防弾ジャケットもサブマシンガンもかなぐり捨て、とにかくシンナーの充満しているカウンターの奥から、床へ跳ぶように遠ざかる。
 オイルライターがシンナーの水溜みずたまりに落ち、ボン!! と爆発的に炎が巻き上がった。
 かろうじてその範囲外へ逃げた人材派遣マネジメントは、丸越し状態の自分が拳銃けんじゆうを突きつけられている事に気づく。
 彼は両手を上げて大声で言った。
「待てよ、待て待て! 分かった、分かったよ。抵抗はしねえから―――」
 土御門は構わず引き金を引いた。
 パン!! という発砲音と共に、人材派遣マネジメントおどろいたように自分の脇腹わきばらを見る。
 そこに赤黒い穴が空いていた。
「テ、メ……。抵抗しねえって、言ってん……」
 何か言いかけて、そのまま人材派遣マネジメントは床に倒れた。
 土御門は特に表情を変えず、とりあえず人材派遣マネジメントが息をしている事だけを確かめると、携帯電話を取り出した。
 登録されている番号へ掛けると、応答した相手に短く告げる。
「回収だ」
 電話が何かを言う。
 土御門は統けてこう答えた。
「これからこいつのアドレスを探って、色々と調べ物だ。下部組織に連絡しろ。いや、救急車じゃなくて護送車で良い。こっちは登録住所を元に情報を探すが、一方通行アクセラレータは―――いない?」
 チッ、と土御門は舌打ちして、
「そうか。アイツは今、あっちに行ってるんだったな。仕方がない、海原うなばら、お前が出ろ。バックアップは結標むすじめに交代だ。それじゃあな」
 土御門は通話を切る。
 土御門元春もとはる一方通行アクセラレータ、海原光貴みつき、結標淡希あわき
 彼ら四人を総称して『グループ』と呼ぶ。
 社会の裏にいながら、表舞台を守るために活動している小組織だ。

第一章 誰にも聞こえぬ確かな号砲 Compass.

     1

 一〇月九日。
 学園都市の独立記念日である今日は、その内部に限り祝日となる。
 第七学区の病院も、朝からのんびりした雰囲気ふんいきに包まれていた。カエル顔の医者は正面玄関から外に出て、柔らかい朝の陽射しを受けていた。
 医者のかたわらには、一〇歳ぐらいの小さな少女が立っている。
 打ち止めラストオーダーと呼ばれる少女だ。
 彼女は九月三〇日に木原数多きはらあまた率いる『猟犬部隊ハウンドドツグ』に連れ去られ、『学習装置テスタメント』という機材を使って脳内に特殊なデータを入力されていた。今まではそのデータの除去を行っていたのだが、その作業が終わったので退院する事になったのだ。
「せっかくの退院だというのに、だれも迎えに来ないとはね?」
 医者は呆れたように言ったが、打ち止めラストオーダーは大して気にしていないようで、
「ミサカは一人でもタクシーに乗れるもん、ってミサカはミサカは胸を張って宣言してみる」
「ま、頭の中のウィルスも完璧かんペきに駆除できたし、もう心配はないんだけどね。タクシー代は黄泉川よみかわさんの貸しにしておくから、ひとまずまっすぐ彼女のマンションへ向かうんだよ?」
 その時、ちょうど病院前のロータリーにタクシーがやってきた。
 カエル顔の医者が手を上げてタクシーを止め、荷物を抱えている打ち止めラストオーダーを後部座席へ乗せる。
 それを見守りながら、運転手は言った。
「お客さん、どちらまで?」
「第六学区の遊園地! ってミサカばミサ―――」
「第七学区のマンション『ファミリーサイド』の二号棟。忘れずにね?」
 打ち止めラストオーダーが言いかけた寝言を封じ、結局カエル顔の医者が面倒を見る羽目になった。
 運転手は苦笑しながら、
「了解しました」
「詳しい住所を教える必要はあるかい?」
「いいえ。この街は学生りようばかりでマンションは少ないですから。名前が分かればカーナビで検索もできますし」
 カエル顔の医者が車内から首を引っ込めると、後部ドアが自動で閉まった。窓に両手をつけて外を眺めている打ち止めラストオーダーを乗せて、タクシーば丁寧ていねいな挙動で病院の敷地しきちから出ていく。
 タクシーが消えると、彼ば仕事揚である病院へ戻った。清潔な通路を歩いていき、簡単なソファとテーブルだけが置かれた談話スペースに入ると、壁際かペぎわにあった自動販売機でコーヒーを買う。
 自販機は紙コップを使う方式のものだ。四角い金属製のボックスの中に『コーヒー』という液体が入っているのではなく、あらかじめ焙煎ばいせんされた豆を機材がすりつぶす所から自動で行われていく。そのため多少時間はかかるが、味と気分転換の効率はそこそこ良い。
 ふう、と医者ば息をいて、
(さて、と。次ば妹達シスターズの方の調整を終わらせて、一刻も早くここから出してあげないと―――)
 そう考えたカエル顔の医者の思考が、唐突に途切れた。

 ガキリ、と。
 彼の背中に、何者かが拳銃けんじゆうを押し付けたからだ。

 カエル顔の医者の動きが止まる。
 自分の真後ろから聞こえる浅い呼吸を耳にし、しばらく考えてから、医者は言った。
「アビニョンからはもう帰って来たのかい?」
「チッ。どこからそンな情報を仕入れてきやがった」
 声は聞き覚えのあるものだった。一方通行アクセラレータだ。
 右手で現代的なデザインのつえをついている一方通行アクセラレータだが、ここが病院の建物内であるためか、特に目立っている様子はない。そして左手の拳銃も、彼自身の体を使って他人の目に触れないように調整がされている。
 医者は両手を挙げたりはしない。
 後ろにいる患者のために、そういう目立つ行動はしないで、ささやくように言う。
「……また、随分ずいぶんなご挨拶あいきつだね?」
「情報が欲しい。電極の設計図だ」
 一方通行アクセラレータが言っているのは、彼の首にあるチョーカーの事だ。見た目はアクセサリだが、実は裏側には電極が仕込んであり、一方通行アクセラレータの脳波を別の電気信号に変換し、ミサカネットワークと呼ばれる特殊な電子通信もうへ限走的に接続させる機能を持つ。
 その電極を作った張本人であるカエル顔の医者は、表情を変えずに答えた。
「何で設計図が必要なんだい? チョーカーの調子が悪いなら僕が直してあげようか?」
「イイから設計図を出せ」
打ち止めラストオーダーが会いたがっていたよ。もう少し早く出て来てくれれば良かったのに」
だまれ。オマエの知った事じゃねェだろ」
「そうでもないさ。患者あのこが会いたがっていたからね。そいつをそろえるのが僕の仕事だ」
「チッ。……それが分かってるから、このタイミングまで待ってたンだよ。クソッたれが」
 本当に忌々いまいましそうに一方通行アクセラレータは言った。
 カエル顔の医者は白衣のポケットに手を入れ、そこからシャーペンのしんのケースのようなものを取り出した。USBメモリだ。医者はそれを握ったまま、片手を後ろへ回す。
「用意がイイな」
「だから言っただろう? 患者に必要なものを用意するのが僕の仕事だ」
 医者は稼働かどうを続ける自販機を眺めながら言った。
「とはいえ、そいつの中身を活用するのは難しいよ? 僕は必要な機材は全部自分で作ってしまうからね? 同じ電極を作るとなると、工作機械の作製から始めないといけない」
「……、」
 一方通行アクセラレータはそれを受け取ると、カエル顔の医者の背中から静かにはなれた。
 カエル顔の医者は振り返る。
 すでに、そこにはだれもいなかった。ベクトル変換能力を使って、すぐ近くにある階段へ飛び込んだのか、影すらも見当たらない。
「……、」
 医者はしばらく、誰もいない空間を眺めていた。
 ピー、という電子音が聞こえる。カエル顔の医者は自販機の取り出し口からコーヒーを取り出すと、苦い液体を一ロ含んだ。

     2

 海原光貴うなばらみつきは第七学区にあるマンションの一室にいた。
『ファミリーサイド』と呼ばれる集合住宅の二号棟だ。
 家庭用を想定しているのか、4LDKとかなり広い作りだ。しかし内装を見れば分かる通り、ここで生活していたのは一人だけだろう。誰もいなくなった室内を眺めているだけでも、それがうかがえる。ほかの住人も似たような感じだろうか。
 海原は携帯電話を使って土御門つちみかどと話をしながら、調ぺ物をする。
「……とりあえず、『人材派遣マネジメント』の部屋へ到着しました。今から捜索を始めます。情報を収めていそうなものは……パソコン、録画用のHDレコーダ、後はゲーム機なども記憶媒体きおくばいたいを内蔵していそうですね」
『わずかでも可能性があるものなら、片っ端から回収しろ。炊飯器とか洗濯機せんたくきのAI設定用メモリだって、分解すりゃ細かい情報を保存しておけるからな』
 面倒臭い事になりそうです、と海原うなばらつぶやいた。
「それにしても、『人材派遣マネジメント』はどんな『仕事』の手助けをしたんでしょうね?」
『それを今調べてる』
 土御門つちみかどはつまらなさそうに答えた。
『今から十数時間前に、「人材派遣マネジメント」の手で、何らかの犯罪集団が組織されちまった。元々面子メンツが足りない所を穴埋めする形でな。わざわざ金を払って外部から即戦力を手に入れた達中だ。近い内に必ず事件を起こす。そいつを調ぺて事前に止めるのがオレたちの仕事だ』
「わざわざ『グループ』が出張るほどの?」
『良いから手を動かせよ。愚痴ぐちりたくなるのは分かるが、「グループ」に回ってくる仕事なんざどれも同じだ。クソッたれ以外の何物でもない』
 了解、と海原は答えた。
 広い室内を歩き、パソコンや録画用のレコーダなどに、小さな付箋ふせんを張り付けていく。冷蔵庫や洗濯機せんたくきなどまで持ち運ぶつもりはない。とりあえず目印だけをつけておいて、後で『下部組織』にでも運ばせるのだ。
(まぁ、こんな所ですか)
 と、あらかたチェックを終えた海原は、そこで気になるものを見つけた。
 紙幣しへいだ。
「……、」
 腰ぐらいの高さの棚の上に、数枚の紙幣が置いてある。
 それ白体に不自然さはないが、財布などとは切りはなされているような印象を感じた。海原は少し部屋を調ぺて、クレジットカードや通帳などを見つけていく。
 部屋の中にある物の配置は、その人物の生活サイクルが密接にかかわってくる。しかし海原の見立てだと、この棚へ紙幣を置いておくのは不自然に思えた。財布から遠ざける事で、ほかの紙幣と混ざらないようにしている風にも受け取れるほどだ。
 海原は改めて紙幣を眺め、それから裏返して、電話越しの土御門に言った。
「土御門さん。ICチップの情報を読み取る装置はありますか?」
「何だって?」
「紙幣を五枚ほど発見しました。確か、学園都市の造幣局から発行されている日本円にはICチップが付随ふずいされていましたよね。こいつも調べてみた方が良さそうです」
『分かった、用意させる。……こっちはめぼしい情報はなかったな。デパートの清掃室は切り上げて、オレもそっちに向か―――』
 土御門の声は、最後まで聞こえなかった。

ボッ!! と。

 唐突に窓を突き破って飛んできたロケット弾が、部屋の真ん中で爆発したからだ。

 バタバタバタ! という複数の足音が玄関の方からひぴいてきた。
 濃いグレーの装甲服をまとった男たちは、トラップの有無を警戒しながらも迅速じんそくに室内へみ込んでいく。数は五人。一様に覆面ふくめんで顔を隠し、同じ装備で身を固める彼らに個性はない。
 言葉は交わさず、指先の合図で意志の疎通そつうを行い、彼らは二手に分かれて黒焦くろこげになった室内のチェックを行っていく。壁から外れて床に落ちたエアコンをまたぎ、うすい内壁が崩れて広々となった元4LDKの中を。
 白律消火機能が働かないどころか、一般的な火災報知機すらも作動していない。彼らが事前にセキュリティを切っていたのだ。
 彼らは言葉を交わさないため、カチャカチャという小さな金属音だけが妙に響く。
 銃器を構えて移動しているため、硬い装甲服とぶつかり合っているせいだ。
(まったく……)
 海原光貴うなばらみつきはそれらの様子を眺めてため息をく。彼はキッチンスペースの壁に背中を張り付け、爆破の衝撃しようげきで斜めになったドアの隙間すきまから観察していた。
 ロケット砲が窓を突き破ったのと同時に、海原はこの部屋へ飛び込んでいたのだ。
 彼はふところから黒曜石こくようせきでできたナイフを取り出しつつ、
(部屋ごと爆破して情報をつぶそうとするとは。『人材派遣マネジメント』の情報を手に入れられると困る人達が出迎えに来てくれたようです)
 ここは三階。
 音を立てないようゆっくり移動して、砕けた窓のそばへ寄る。そこから見ただけでも。地上にはざっと一五人ほど黒ずくめの男達がいた。おそらく見えない所にも大勢いるだろう。完璧かんぺきに囲まれてしまっている。
「……、」
 彼の使う分解魔術まじゆつ『トラウィスカルパンテクウトリのやり』は、金星の光を反射させ、その光を浴びせた物体を片っ端から分解していく、という極めて強力なものだ。
 しかしその反面、標的は一体ずつ設定していかなくてはならない。
 つまり、『どんな強力な敵でも一撃でほうむる』代わりに、『どんな弱い敵でも一人ずつ順番に攻撃しなくてはならない』のだ。
(向こうの装備は九ミリのサブマシンガンをメインに、同口径の軍用拳銃けんじゆう。この狭いスペースで乱射されれば。技術うんぬんとは関係なくはちの巣になりますね)
 そして何より、と海原は前置きして、
(まずいですね。こういう時に雑魚ざこがいっぱい出てくるというのは、とてもまずい)
 手段を選ばずに大勢の人間を一気に突っ込ませても、マンションの通路や扉などのスペースには限りがあるため、意味がない。渋滞を起こすように詰まってしまうのだ。
 突入班はできるだけ少なくし、むしろマンションの周囲に大量の人員をく事で、ターゲットが逃げる可能性をつぶしていく。仮に突入班が全滅した時は、次の突入班を再編成して突っ込ませるか、『とりあえず敵がロケット砲で死ななかった事は分かった』と判断し、今度はマンションごと爆破、倒壊とうかいさせる。
(……手慣れていますね。仮にここを出し抜いたとしても、包囲綱ほういもうを抜けられる訳ではない。まさに手詰まりですが……)
 海原光貴うなばらみつき黒曜石こくようせきのナイフを握り直す。
 いつの間にか、てのひらには汗がびっしょりとついていた。
(さて、どうしましよう?)

     3

「第七学区で火災発生。都合五件の通報から確認。該当する建物の自律消火機能を含むセキュリティが起動していないため、至急消火活動に当たってください」
 一般の通報から警備員アンチスキル風紀委員ジヤツジメントに連絡を繋ぐための緊急きんきゆう通信センターで、オペレーターの女性はモニタに表示された情報を関係機関に伝達していく。
「加えて、消防隊の現場検証に立ち会うため、警備員アンチスキルによる鑑識かんしきの出動も要請します。それから―――」
 オペレーターは通信ブースの壁に掛けてある火災時用のマニュアルシートを取ろうと、ほんの数秒だけモニタから目をばなした。
 その時、具体的な指示を待っている現場チームの方から、
『了解』
 という声が聞こえ、そのまま通信が終了してしまった。
「……あれ?」
 女性オペレーターは首をかしげる。
 モニタ上では、すでに必要な伝達はすべ完遂かんすいした事になっていた。

     4

 マンションの一室にロケット砲がち込まれてから一五分後。
 土御門元春つちみかどもとはる結標淡希むずじめあわきは、『ファミリーナイド一二号棟の一室にいた。
 消防隊や警備員アンチスキルはいない。建物の周囲には野次馬やじうまがちらほら見えたが、中に入ってくる者はいなかった。何しろ爆発だ。火災や倒壊に巻き込まれる危険を考慮こうりよしてまでやるような事ではないだろう。
 家庭用に作られたマンションだが、その部屋のほとんどが一人暮らしらしい。おまけに、マンションを利用するのは学生よりも教職員の方が圧倒的に多い。学園都市は『戦争』の準備で警傭員アンチスキルを駆り出し、そのしわ寄せでほかの教職員まで教材作りなどを手伝わされているため、祝日でも家を空けているようだった。
「ここか」
 元々は4LDKの高級マンションだったのだろうが、部屋の真ん中で爆発物でも吹き飛んだ
のか、家具も内壁も崩れて散らばっていた。おかげで今では部屋数が二つぐらいしかない。玄関のドアを入った所で、すでにバスルームが見えていた。
丁寧ていねいに証拠を消しているわね。読心系の能力者を運れて来ても駄目かもしれないわ」
 結標むすじめは黒ずんだ床を見ながらつぶやく。
 そこへ遅れて一方通行アクセラレータつえをついてやってきた。
「チッ。呼び出しがあったと思えば、また『上』からの残飯処理たのしいおしごとかよ」
 土御門つちみかど一方通行アクセラレータを見ないで言う。
「そっちの用事は済んだのか?」
「うるせエよ」
 一方通行アクセラレータは適当に一蹴いつしゆうして、周囲を見回した。
「ここか、海原うなばら馬鹿なかが消えたって場所は」
「そうだ。一応『人材派遣マネジメント』は生け捕りにして、下部組織の連中に護送車で運ばせているが、ヤツの口先だけの情報では信用度は低い。『情報はおれの頭の中だけだ』とか言って妙な駄々をこねられるのもアレだしな。裏付けのためのデータが欲しくて、海原をここへ回したんだが」
 土御門はつまらなさそうな口調で、
「その途中で第三者から襲撃しゆうげきを受けたらしい。この状況、『海原個人がねらわれた』のか『人材派遣マネジメントの情報が狙われた』のかはまだ分からないが、見た目の印象じゃ後者だな。海原からの事前の報告じゃパソコンやHDレコーダなんかがあったって話だが、ものの見事に消えてるし。AI搭載の家電製品も片っ端から奪われてる」
「一応、家電の中でも残っているものもあるみたいだけどね」
 結標が足で差しているのは、黒焦くろこげになった電子レンジだ。床の上に直接転がっている。
「おそらくAIを搭載していない製品なんでしょうね。情報を追加入力できないタイプのものは、そのまま捨て置いてあるのよ」
 部屋を調べてみると、他にも画面の砕けたテレビやアイロンなどもあった。しかし、やはりめぼしい物は片っ端から強奪されているらしい。
 一方通行アクセラレータは綿の飛び出したベッドに腰かけた。
 つまらなさそうに息をく。
「チッ、面倒臭エな。『人材派遣マネジメント』のクソ野郎の情報は分かンねエ。海原うなばらがどォなったかもつかめねェ。ったく、テメェの仕事ぐらいばテメェで処分してほしいモンだけどな」
 近くに転がっていた、こわれた電子レンジを軽く蹴飛けとばす。
 その拍子に合成樹脂製のドアが開き、中身が出てきた。
「……、あン?」
 紙幣しへいだ。
 黒いすすで汚れた五枚ほどの紙幣が、何故なぜか電子レンジの中に入っていたのだ。
「報告では、海原が気にしていたという話だけれど」
 腰をかがめて紙幣を拾い上げた結標むすじめが、小さく笑ってこう言った。
「紙幣の中には偽造防止用のICチップがあったはずだわ。何か書いてあるかもしれないわね。電子レンジの中に入れておけば、電波なんかをシャットアウトできる。仮に襲撃者しゆうげきしや側がそういうセンサーを持っていたとしても、これならごまかせたかもしれないわ」
「……あのクソ野郎が隠しておいたってのか?」
 一方通行アクセラレータが尋ねた時、はなれた所にいる土御門つちみかどが『ん?』と声を上げた。
 見ると、土御門の開けたクローゼットの中に、男の死体が詰め込まれていた。改めて確認してみると、男の右足のふくらはぎの辺りの皮膚ひふがごっそりとぎ取られている。
 土御門はポツリと言った。

「梅原の仕業しわざだな」
「足のそれは? 野郎の趣味しゆみか」
 その言葉に、結標は嫌そうな顔をした。彼女はかつて授業中の事故で足を負傷した事がある
のだ。その時のトラウマは今も消えていない。おかげで、能力を使う際はストレスを軽減させ
るため、低周波振動治療器ちりようきを利用しなければならないほどだ。
 土御門は首を横に振る。
「アイツは人間の皮膚を使って、一種の札を作る。お前たち魔術まじゆつを知らないから理屈の説明は省くが……ようは、他人とすり替わる事ができるスキルを持ってんだ」
 死体の足の傷を見ながら土御門は言う。
「海原の野郎は、こいつとそっくり入れ替わってる。今はここを襲撃したヤツらの中に混じって、機をうかがっているんだろう」
 つまり、と土御門は一拍置いて、
「あの変装野郎はまだ生きている。どこで笑っているかは知らないがな」

     5

 何やっているんだろう、と初春飾利ういはるかざりは首をかしげていた。
 前方では信号待ちっぽいタクシーがまっていて、そこでは一〇歳ぐらいの女の子が運転手と口論になっている。……というより、女の子の方が一方的にみついているように見える。
 近づくまでもなく、大きな声ば初春ういはるの耳まで届いていた。
「ここで降ろして降ろしてって言ってるのにどうしてミサカを放してくれないの!? ってミサカはミサカは腰に両手を当てほっぺたをふくらませて抗議してみる!!」
「いやでも、あのですね、目的地までの料金をすでにもらっている以上、途中下車は―――」
「その言い訳のすきにミサカは逃亡を図ってみる!! ってミサカはミサカは高速で車を降りて路地裏に駆け込んでみたり!!」
 小さな女の子は叫びながら、自転車も通れなさそうな細い路地へ入ってしまった。
 まいったな、と頭をいている運転手に、初春は近づいて行った。
「ん? おや、風紀委員ジヤツジメントの方ですか」
 運転手は初春の腕章を見てそう言った。
 風紀委員ジヤツジメントは学園都市の治安を守るための学生組織だ。その活動圏ば主に校内だが、一般の人にはあんまり区別はつかないらしい。
 初春はキョトンとした顔で、
「ええと、何かトラブルですか。あの子、お金を払わずに出て行っちゃったとか」
「逆ですよ逆」
 運転手は困り切った顔で、
「あの子の保護者のような方から事前に料金はいただいて、マンションまで送る事になっていたんですがね。ああして途中で降りちゃって、お釣りも返していませんし」
「はぁ。こういうのは乗り手の自由ですし、チップとして受け取っちゃって良いんじゃないですか?」
「タクシー料金は一二〇〇円。事前にお預かりした額は五〇〇〇円。チップで処理するには良心の痛む額ですよ」
 なんて心の優しい人だろう、と初春は心の中だけで思った。
 運転手は明らかに車の入って行けない路地に目をやり、
「……とはいえ、流石さすがに車を降りて追って行くのもね」
「私が捜してきましょうか?」
「はいはい、そうしてもらえると助かります。ちょっと待ってくださいね」
 運転手は車内の機材を使ってレシートを出力すると、それにお釣りを乗せて初春に手渡した。彼女が風紀委員ジヤツジメントの腕章をつけているので、特に金銭関係で警戒している様子はない。
「そいつを返してあげてください」
「分かりました」
 初春はスカートのポケットにそれらを収めると、一応タクシーの運転手と連絡先を交換してから、狭い路地に向かって歩き出した。
 陽の光の入らない、薄暗うすぐらい空間に向かって声をかける。
「ええと、名前なんだっけ? うーん、アホ毛ちゃーん!?」
「ミサカの識別名は打ち止めラストオーダーだもん!! ってミサカはミサ―――はっ!?」
とりあえず返事が来たので、初春ういはるはそちらに歩いて少女を捕獲した。

     6

 黒い煙が上がっていた。
 ガードレールに突っ込む形で、四角い護送車が停止している。ただし、前半分だけだ。車体
は強引に引き千切ちぎられていて、後ろ半分は道路の真ん中に転がっている。
 警備員アンチスキルのものと同型だが、所属が連う。『グループ』の下部組織が使っている護送車だった。
土御門つちみかどの命令で、とある重要参考人を秘密裏に運んでいたのだ。
「痛ぇ、くそ……」
 その断面から出てきたのは、大学生ぐらいの男。人材派遣マネジメントだ。手錠てじようを掛けられた両手を揺すりながらアスファルトへ降り立った彼は、自分の腹を見て顔をしかめた。銃弾をち込まれた所の傷が開き、乾き始めた赤黒いみに重なるように、再び赤い液体が広がり出しているのだ。
 それでも、彼は近くにいる少年を見つけると、柔和にゆうわな笑みを浮かべる。
「すまないな。ヘマしちまった」
「いや、こちらこそ」
 少年の顔には金属製のゴーグルがあった。いや、違う。目をおおうのではなく、土星の輪のように頭全体を覆っている。三六〇度にプラグがしてあり、無数のケーブルが腰の機械につなげてある。
 その異様なで立ちの少年に、人材派遣マネジメントは両手を差し出して、
「悪いが、こいつも切ってくんないか。これじゃ手当てもできないんだけど、カギを捜すのは手間だ。早くここから立ち去った方が良いだろうしな」
 分かった、と少年は言い、カードを通すように指をスッと移動さぜる。

 その途端に、人材派遣マネジメントの両手首がたたつぶされた。

「ア、ああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
 のたうち回る人材派遺マネジメントは、激痛とおどろきに満ちた目で少年を見上げていた。それを見た少年は、さらに人材派遣マネジメントの急所をねらいながら、ろくに声色も変えないで簡単に告げた。
「残念だ」

     7

『グループ』は薄情はくじような組織だ。
 居場所のヒントのない海原うなばらについて、残る三人の結諭はひとまず『保留』だった。しかし、仮にヒントがあったとしても助けに行ったかどうかは分からない。自分の不始末ぐらいは自分で何とかしろ、というのが『グループ』の基本的な考え方なのだ。
 なので、
「『グループ』の下部組織から連絡だ。人材派遣マネジメントを乗せた護送車が襲撃しゆうげきされたらしい」
「皆殺しか?」
「いや。ご丁寧ていねいにターゲットの人材派遺マネジメント以外は気絶で済ませてやがる。どっちにしても、あいつから直接話を聞く線はなくなっちまったな」
だれがやったか、ヒントぐらい残されていないものかしら」
「だから、そいつがこの紙幣しへいだろうな」
 そんな訳で、ひとまずは五枚の紙幣だ。
 マンション『ファミリーサイド』の二号棟からはなれた『グループ』の三人は、ひとまず隠れ家の一つに戻って紙幣のICチップに収められた電子情報を調べる事にした。
「にしても、隠れ家っつーのが地下街の空き店舖だとはなァ。希望を持った脱サラ組がのぞきに来たらどうすンだよ」
「その時は出ていくさ。隠れ家などそこらじゅうにあるし、本来は彼らのための施設だからな」
 土御門つちみかどは適当に言って、紙幣を読み取るための機材を床に置いた。
 ノートパソコンにケーブルで接続されているのは、
「……何よそれ?」
 結標むずじめあきれたように言うと、土御門は小さく笑う。
 そこにあるのは、コンビニのレジの横にあるお財布ケータイ用のセンサーだった。
「だー……。面倒臭いから業者にたのんで読み取り機をそのまま持ってきた」
「別に何でも構わねェ」
 一方通行アクセラレータはバイプ椅子いすに座り、拳銃けんじゆうの手入れをしながら言った。
「さっさと始めろ」
「了解」
 土御門は簡単に言って、五枚の紙幣の中から一枚を選んで装置に通した。
 表示されたのはどこの国の言葉でもない。乱雑な数字だ。土御門がさらに画面を操作すると。ようやく意味のありそうな文章に変換されていく。
「いきなりヒットしたな」
 画面に表示された文字列を、土御門つちみかどは眼で追い掛ける。
「……『人材派遣マネジメント』の商品リストみたいだ。取り引きされたのはプロのスナイパーが一人。ついでにスナイパーの武器についても面倒を見ているらしい」
 二枚目の紙幣しへいを装置に通す。
「スナイパーの名前は砂皿級密すなざらちみつ。……偽名かどうかは不明。経歴や実力についても、書いてはあるが信用はできない。ただ、紹介料だけで七〇万って事は、結構な『目玉商品』なんだろう」
 三枚目の紙幣を装置に通す。
「こっちはスナイパーの武器だな。用意したのは……MSR-001。磁力狙撃砲そげきうほうか」
 土御門は苦い口調で言った。
「磁力ですって?」
「その名の通り、電磁石を使ってスチール製の弾丸を飛ばすスナイパーライフルだ。当然ながら学園都市製。レールガンよりも仕組みは簡単だな。弾丸の初速は秒速二九〇メートル。音速にやや届かない程度だ」  、
「……それって、意昧あるのかしら。普通の狙撃銃の方が性能良さそうに聞こえるけれど」
 しかし土御門は笑ってこう言った。
「単純な威力ならな。ただ、火薬を使わないから反動がない。スナイパーライフルにありがちな『プレ』がないし、超精密で繊細せんさいな照準装置を取り付ける事もできる。火薬を使うものの場合、発射時の反動に耐えられるように、ある程度の強度が必要だからな。それに……」
「それに?」
「火薬を使わないから音がない。こっそりやるには最適って訳だ」
 言いながら、土御門は四枚目の紙幣を装置に通す。
 しかし画面にはエラー表示しか出なかった。
 肝心のデータを読み取れない。
「チッ。ICチップが熱か衝撃しようげきにやられたか……。断片的なヘッダを見る限り、こいつにスナイパーを雇った、具体的な取り引き相手が書かれていそうなんだが」
 何度か装置を通したが、やはり紙幣の内容が表示される事はなかった。
 土御門はひとまずあきらめ、最後の五枚目を装置に通す。
 表示されたのはどこかの見取り図だった。
 重要な物以外は省かれた、簡略的な地図。中央には赤い点が表示されていて、その周囲にある建物のそはには数字が書き込まれていた。何階建てか、全長は何メートルか。そんな『上から見た地図』だけでは分からない情報だ。
 それを見て、土御門は笑った。
「狙撃の計画書だな。人材派遣マネジメントってのはこんなもんまで取り扱ってんのか」
「ハッ。大した雑貨屋じゃねエか」
「場所は、第七学区コンサートホール前広場……」
 結標むすじめ天井てんじようを見上げて、
「ちょうど、この上ね」
「コンサートホール前広場は、統括理事会の一人が講演をするために貸し切っている。おそらくそのVIPが狙撃そげき対象だろう。名前は親船最中おやふねもなか。向こうがどういうつもりで頭をぶち抜こうとしているかは知らないが、どうやら達中は大それた計画をくわわだてて親船を暗殺しようとしているらしい。こいつを止めりゃお仕事完了だな。……海原うなばらの方は、まぁ、あれだ。この仕事で一番『得点』の低かったヤツが罰ゲームで助けるって事にしとくか」
「はン。これから駆けつけてスナイパーと追いかけっこかよ? そンな面倒臭ェ事やってねェで、つまンねェ講演の方を中止させりゃイイじゃねェかよ」
 一方通行アクセラレータが本当に鬱陶うつとうしそうに言ったが、土御門つちみかどは首を横に振った。
「それは無理だろうな」
「あァ?」
「簡単だ。講漬はもう始まっちまってんだよ」

     8

 一方通行アクセラレータと土御門元春もとはるの二人は地下街を出て、真上にあるコンサートホール前広場の近くへやってきた。
 階段やエレベーターといったまっとうな移動方法ではなく、結標の能力である『座標移動ムーブポイント』を使ったものだ。あの能力、便利は便利なのだが、結標本人の移動が難しいという欠点がある。なので、当の結標だけが隠れ家に残り、紙幣しへいのICチップの解析を続ける事となった。
 祝日という事もあってか、広場には多くの学生がいた。統括理事会の野外講演など面白いものでもないはずなのに、ざっと見回しただけでも二、三〇〇人は集まっている。
 一方通行アクセラレータの位置から、VIPの親船最中までの距離きよりは一〇〇メートル前後。
 広場の中央には文化祭に使うような簡単な舞台が作られていて、その壇上だんしように初老の女性が立っている。その周囲には黒服の護衛が四人ほど控えていたが、
「やる気がねェな」
 一方通行アクセラレータは一言で切り捨てた。
「お好きな内臓をぶち抜いてくださいって全身でシャウトしてやがる。あのVIP様、服の厚みを見りゃ防弾装備がねェの丸分かりじゃねェか」
「言うなよ。そのためにオレたちが働いているんだ」
「同じ統括理事会でも、潮岸しおぎしの野郎は四六時中駆動鎧パワードスーツを着込ンでンのによ。襲撃しゆうげきが怖いンじゃなくて、備えてねェと不安になるらしい」
「それは極端すぎる例だな」
 横で言う土御門つちみかどの言葉に、一方通行アクセラレータはジロリととなりを見た。
 壇上だんじよう親船最中おやふねもなかあごで差して尋ねる。
「オマエ、アレの盾になる気はあンのか?」
「どういう意味だ」
おれにはねェっつってンだ。統括理事会だと。そンなモンはクソ野郎の集まりだ。わざわざ体ァ張って守るよォな対象かよ」
 一方通行アクセラレータはトマス=プラチナバーグという人物を知っている。親船と同じ統括理事会の一人だ。ろくに会話などした事もないが、家具のセンスを見るだけで、悪意もなく自然に他人を見下しているような人物なのはずぐに分かった。
「学園都市の上層部っていうのは、二種類ある」
 土御門はコンサートホール前広場の人混みに紛れながら、小さな声で言った。
「真っ先に死ぬぺきクソ野郎と、真面目まじめに働いているのにクソ野郎と同列視されている善人だ。大抵の場合、そういうヤツは世渡りが下手で貧乏くじばかり引かされるんだがな」
「……、」
 一方通行アクセラレータだまって土御門をにらみつけた。
 わあ、という拍手や歓声が辺ウを包み込んでいる。
「親船最中は学園都市の子供達に選挙権を与えようと訴えているらしい。この街の住民の大半は未成年で、選挙権はないからな。オトナが上から決めた政策に文句を言えない。明日から消費税を三〇%に増税しますと言われても、反論する場が用意されてない。だからそいつを与えてやりたいんだと。ハハッ、分かりやすい『目の上のたんこぶ』だろう?」
 土御門の口調は軽い。
「仮に子供達の選挙権が認められたら、『戦争』だって止められるかもな」
馬鹿ばかじゃねェのか、そンなにあっさり進むかよ。平和的だが現実的じゃねェな。暴力って言葉をまるで理解してねェ」
「人種や男女の壁も、最初はそうだった。そういう間題が解決したのは、特別な有力者が一人で全部片付けたっていうだけじゃない。もちろん多くの人間を導いたヤツの功績は大きいが、何より『自分には力がない』と勝手に思い込んでるヤツらの意識が変わって、大勢が動いたからこそ、歴史はきちんと変わったんだ」
 土御門の言葉に、一方通行アクセラレータは改めて広場を見た。
 休日にもかかわらず、多くの子供達が集まっている広場を。
 土御門つちみかどは小さく笑ってこう言った。
「お前がどう思っているかは知らないが、オレは親船最中おやふねもなかには守るだけの価値があると考えている。だから命をける。ついて来いとは言わないが、止められる覚えもないな」
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちした。
 つえをついて、一歩先へ進みながら、
「面倒臭エ。さっさと狙撃手そげきしゆのクソ野郎をたたつぶすぞ」

     9

 一方通行アクセラレータと土御門が立っているのは親船最中のいる壇上だんじようから一〇〇メートルほどはなれた場所だ。本来はもっと近寄るべきだろうが、人混みで身動きが取れなくなる可能性を考慮こうりよすると、それは良い策とは言目えない。
 携帯電話のGPS地図を使って、位置情報を確かめる。
「狙撃可能地点はおよそ三二ヶ所。だが、壇上の舞台のバックにはステンレス製のボードがあるから、実際には後方一八〇度は死角になっちまってる。つまり」
「正面一八〇度に属する一五ヶ所だな。一つ一つ潰しちまえぱスナイパーを押さえられンだろォけどよ」
「……すでに狙撃態勢に入った砂皿緻密すなざらちみつがのんびり待っているとは限らない」
 言いながら、土御門は周囲を見回した。
 彼が見ているのは、壇上で柔和にゆうわな笑みを浮かべる親船や、その声を聞いて拍手をしている子供たちではない。広場から少し離れた所に、特殊車両がまっているのを確認する。クレーン車のような台車の上に、巨大な扇風機に似た機材が取り付けられたものだ。
「一応、スナイパー除けに『妨害気流ウインドデイフエンス』を張ってあるみたいだな」
「あン?」
「狙撃は風の影響えいきようを受けやすいってのは知ってるだろ。あれはVIPの周囲にわざと突風を発生させて、ねらいをらさせる装置だ。坊そらく四台ぐらい使って、会場を取り囲むように風の渦を作ってんだろう。第三世代だから、乱数を利用してランダムな気流を生んでるはずだぞ」
 土御門はそう言ったが、一方通行アクセラレータは別のものに気を取られていたらしい。
 彼は顔を横に向け、混雑の端の方へ目をやると、いきなり、バッ! と群衆の陰に隠れた。
 土御門がそちらを見ると少し離れた場所で、一〇歳ぐらいの少女と頭にたくさんの花飾りをつけた女子中学生が、手をつないで歩いている。
「だからミサカは迷子を捜しているの、ってミサカはミサカは行動指針を発表してみたり」
「はぁ、あの、ええと、迷子?」
「良く分かんないけどこの辺にいると思うの、ってミサカはミサカは予測を述べてみる。なんか頭の辺りがビビッとくるの、ってミサカはミサカは感覚的な補足情報も加えてみたり」
「はー……やっぱりとんでもないアホ毛ですねー」
 これはアホ毛じゃないもん!! という叫び声を聞いて、一方通行アクセラレータは思わず額に手をやった。
「(……何でこの局面であのガキが出てくるンだ!! 神様って野郎はふざけてンのか!!)」
「(……ハハッ、人生なんてそんなもんだ)」
 土御門つちみかどは適当に言ったが。群衆の中にメイド服の少女が混ざっている事に気づくと、こちらも一緒いつしよに頭を抱える。
 流れ弾が変な所へ飛ばないように気をつけようぜ、と珍しく二人は意見を一致させつつ、
「本命からねらいを外すための『妨害気流ウインドデイフエンス』があるってのが複雑だよな……」
「あの車体。側面には空気清浄車って書いてあるけどよ」
「別に聞違いじゃない。学校の職員室にある喫煙者用の空気清浄機と使っている理諭は同じだからな。ナイズは全く別物だが」
 土御門は得意そうに言ったが、一方通行アクセラレータの目は冷めていた。
 彼は言う。
「……そりゃ結構な話だが、ありゃ動いてねェぞ」
「はあ!?」
 ギョッとした土御門が慌てて確認すると、確かに大型の台車に乗った巨大扇風機のファンは

ピタリと停止している。
「さっきまでは稼働かどうしていたはずだぞ……」
 まさか重要なVIP警護で動作不良なのだろうか。
 そう思った土御門つちみかどの耳に、ベコンという妙な音が、周囲の雑音に紛れるようにひびいてきた。
 金属製のなべがへこむような音だ。
「―――、」
 一方通行アクセラレータと土御門は、同時に音のした方を見る。
 別の場所に停車していた『妨害気流ウインドデイフエンス』の特殊車両があった。やはりそちらの巨大扇風機も作動していない。そして、扇風機を取り囲む筒状の外壁に、親指ほどの穴が空いていた。
「やりやがったな。―――砂皿緻密すなざらちみつだ」
 一方通行アクセラレータが言った。
「野郎……。邪魔じやまな『妨害気流ウインドデイフエンス』をつぶしてから、ガードの消えた親船おやふねねらちしよォとしてやがる!!」
「くそっ!!」
 土御門は舌打ちすると、人混みの中を突っ込んで親船へ近づこラとした。しかし人が多すぎるせいか、思ったようには進めないらしい。その間にもベコン、ベコン、と金属を打つような音が連続した。一方通行アクセラレータからでは見えないが、おそらくほかの位置にある『妨害気流ウインドデイフエンス』の装置を片っ端から潰しているのだろう。
(チッ。磁力狙撃砲そげきほうはなまじ火薬を使わねェから、装置が狙撃されてる事すらだれも気づいてねェってのか!)
 もう人工的な突風のガードは存在しない。
 土御門は親船最中もなかに危機を伝えようとしているらしいが、間に合うとは思えない。
「ったく」
 壇上だんじようの親船最中の演説は続く。周囲にいる護衛たちも危機を知らずに突っ立っている。
 このままではチェックメイトだ。
「面倒臭ェ!!」

     10

 スナイパー、砂皿緻密は磁力狙撃砲を構えていた。
 彼がいるのはホテルの一室だ。チェックインはしておらず、電子ロックを勝手に解除して侵入した。窓ガラスはセキュリティを潰した上で四角く切り抜いてあり、そこから磁力狙撃砲の銃口を伸はしている。
 磁力狙撃砲―――と言うが、そのフォルムは既存の銃とは大きく異なり、人間の足首ぐらいの太さの金属筒に、はがねの箱をゴチャゴチャと取り付けたようなものだった。三脚に支えられたこの銃身が強力なソレノイドコイルになっている。
 砂皿すなざらかたわらにはスーツケースがあった。一つは分解した磁力狙撃砲そげきほうを収めておくためのもので、もう一つは磁力狙撃砲のための巨大バッテリーだ。
「……、」
 距離きよりはおよそ七〇〇メートル。
 障害となる『妨害気流ウインドデイフエンス』の装置もすべ破壊はかいした。
 遠くはなれた壇上だんじようにいる親船最中おやふねもなかは、スコープを通して見ると、抱きめられそうなほど間近に感じられる。
 当たる。
 砂皿緻密ちみつは自然にそう思い、そしてリラックスした様子で引き金を引いた。
 その時だった。

 ゴバッ!! と。
 唐突に、コンナートホール前広場の一角が爆発し、火の手と黒い煙が上がってきた。

 爆風のあおりを受けたターゲットが、思わず身をかがめる。彼女のイレギュラーな動作のせいで、砂皿の弾丸は親船最中に当たらなかった。
「何だ……?」
 あまりのタイミングの良さに、砂皿はまゆをひそめた。そうこうしている間にも、親船の周りにいた護衛の大男たちは、ターゲットを取り囲むようにしながら壇上を下りていく。
 彼には仕事がある。
 続けて引き金を引いたが、スチール製の弾丸は親船に寄り添う護衛の一人に着弾した。派手に体がぎ倒されたが、出血がない所を見ると『盾』となるために防弾装備をほどこしているらしい。
 護衛の配置が変更される。親船の体が、屈強な男達の陰へ完全に隠れてしまう。
「ひとまずは、潮時か」
 長距離狙撃は繊細せんさいだ。仮に音速で進む弾丸を使って七〇〇メートルから狙撃を行った場合、弾が出てから標的に当たるまで、実に二秒近い時間がかかる。無警戒で立ち止まっている人物ならともかく、複数の護衛に守られながら現在進行形で逃げ続ける標的の急所を的確にち抜くのは難しい。
 砂皿緻密は少し考え、今回は素直に退く事にした。
「それにしても、何が爆発した」
 スコープを使って確認してみると、黒煙をあげているのは『妨害気流ウインドデイフエンス』用の特殊軍両だった。砂皿すなざらの表情がますます怪訝けげんなものになる。確かに機能を停止させるために銃弾を浴びせたが、爆発するような場所に当てたつもりはない。
「……、」
 その時、砂皿はわずかに息を止めた。
 炎上する特殊車両のすぐ近く。現場にいながらさりげなく風景に溶け込んでいる白い髪の人物が、こちらをぐ見据えていた。つえをつき、炎と煙を背にして。
「なるほど」
 砂皿はスコープから目をはなすと、速やかに磁力狙撃砲そげきほうの分解に入る。部品の一つ一つをスーツケースに収めながら、彼はポツリとつぶやいた。
「その顔は覚えておこう」

     11

 土御門元春つちみかどもとはるがホテルの一室にみ込むと、すでにそこにはだれもいなかった。
 ただ、窓の一角が不自然に四角く切り取られているだけだった。
「チッ」
 土御門は携帯電話を取り出し、一方通行アクセラレータと連絡を取る。
「回収には失敗した。ただ、砂皿がここで逃げたって事は、続けて狙撃が行われる可能性は低いな。一応親船おやふねの講演は中止にさせて、警備態勢を組み直した上で移送させてくれ」
『こっちは結標むすじめから伝言だ』
 電話の向こうで一方通行アクセラレータは言った。
『読み取れなくなっていた四枚目の紙幣しへいのICチップが読めたらしい。中身は予想通り、スナイパー、砂皿緻密ちみつを雇った達中の名簿めいぼだとさ』
「誰だそいつは?」
 土御門が尋ねると、一方通行アクセラレータ鬱陶うつとうしそうな声で答える。
『―――「スクール」』
「何だと?」
俺達おれたちの「グループ」と同じ……学園都市の裏にひそンでる組織だとよ』

   行間 一

 昼時のオープンカフェに、その男はたたずんでいた。
 客で埋め尽くされたテーブルには様々な料理が並んでいるが、その男のテーブルだけは何もない。大量のコピー用紙が乱雑に置いてあるだけで、コーヒーの一杯すら見当たらなかった。
 男は羽織っている白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、テーブルに広げられたコピー用
紙を眺めていた。何十枚という紙束に印刷されているのは、『書庫バンク』にある、能力者たちのAIM拡散力場のデータだ。
 男の向かいの席に座っている赤いセーラー服の少女は、怪訝けげんな目をしていた。
「それを見て何が分かるというの?」
「色々だ」
 男は顔を上げずに答えた。
「魔術師である君は知らないかもしれないが、こいつには色んな情報が記されている。単に能力者から微弱にれるカというだけではない。この現実に対する無意識の干渉……その千差万別なカの種類や強さを調ぺる事で、能力者の心を探る事もできる」
「無意識の、千渉……?」
 少女は実感が持てない感じでつぶやいた。
「AIM拡散力場は解析を進めれば、その人物の持つ『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』の輪郭を浮き彫りにさせ、その人格や行動傾向を調査する上での資料となる。心理学のプロファイルなどより、よほど即物的で分かりやすいパラメータだと思うがね」
 男の座っている椅子いすかたわらには、銀色のけものが控えている。
 チタン合金と合成樹脂で作られた四足歩行の獣だ。基本フォルムはネコ科の肉食獣にくしよくじゆうに近いが、象のように不自然に鼻が長い。金属製の獣は盲導犬ロボット用の歩行プログラムを導入しているため、おどろくほど柔軟に入間社会へ溶け込んでいる。
 その獣の口が開いた。
『博士』
 合成とは思えない、抑揚に富んだ少年の声だった。
『「グループ」と「スクール」に動きがあったようです』
 博士と呼はれた男はギョロリと眼球を動かして、機械製の獣を見る。
 この会話機能はロボットのAIによるものではない。無線ネットワークを介して、別の場所にいる人物が話をしているだけだ。要は、電話を少し複雑にしたものと思えは良い。
「接触したか」
『いいえ。「グループ」側は捕捉ほそくに失敗した模様です。現状では「スクール」の影をつかみ切れるかどうか』
 ふむ、と博士は一度だけ息をくと、
「いずれにしても、他の連中も動き出すだろう」
 彼らは学園都市統括理事長、アレイスターの直轄ちよつかつ部隊。
 善悪関係なく、あの『人間』の手足として動く。それだけを期待された小組織だ。
「元々、私達のような組織は複雑な行動理由を持っているが、様々な力によって上から押さえつけられ、制御されていた。ところが『〇九三〇』事件を契機に発生した暴動のために、駆動鎧パワードスーツの大半がアビニョンの後始末に駆り出されてしまった。あの部隊は『電話』の人間にとって使い勝手の良い手足だ。そいつを自由に使えないのだから、これは大きなチャンスというヤツだ」
 博士はゆっくりとした調子で言う。
「そろそろ頃合ころあい、ですかね」
 ふと、赤いセーラー服の少女の真後ろからそんな声が聞こえた。
 今までだれもいなかったはずなのに、そこには何者かが立っている。全体的に大きくふくらんだダウンジャケットを羽織った少年だ。
 まるで、何もない空間から直接出てきたような感じだった。
「そうだな」
 けものの頭に手をやり、軽くでながら博士は気だるそうに言った。少年の出現におどろいている様子もない。向かいの席にいる少女はそんなやり取りを興味なさそうに眺めている。
 少女は不審そうな表情で尋ねた。
何故なぜ『連中』の動きが正確に分かる? 上からの情報が間違っているかもしれないのに」
「それを可能とする枝術を、上層部は握っているという訳だ」
 と、獣を撫でる博士の手が止まる。
 博士が眺めているのは、このオープンカフエとは車道を挟んだ向かいの歩道だ。そこを、俗に言うメイド服と呼はれるものを着込んだ少女が通行していた。しかし博士が見ているのは少女ではない。メイド服を着た少女は、ドラム缶型の清掃用ロボットに正座していた。そのロボットが、実にスムーズに進んでいくのを眺めていたのだ。
 博士は素直にうなずいた。
 彼は真剣に感心していた。
「そのアイディアは浮かはなかった」
『博士。妙な事を考えるのはやめてください』

第二章 ゆっくりと動き出した者達 Hikoboshi_Ⅱ.

     1

 部下の運転手が回してきたキャンビングカーの中に、一方通行アクセラレータ土御門元春つちむかどもとはる結標淡希むすじめあわきの三人は乗り込んでいた。
 時間は昼時。
 ボルトで床に固定された小さなテーブルには、ファーストフード系の食ぺ物が並んでいた。
 一方通行アクセラレータ辛口からくちのフライドチキンを、土御門は巨大なハンバーガーを、それぞれ勝手に買ってきて食べている。昼飯一つにしても意気投合しない面子メンツだった。
 一方、地中海にある産地直送プランドの高級サラダを口にしていた結標淡希はそれらを眺めながら、
「……早死にするわね、貴方達あなたたち
「にゃー。緑黄色野莱だけってのもヘルシーすぎねーかにゃー。肉も野菜も適度に食ぺてこそ健康体を維持できるのですよ? 肉も野菜もかたより過ぎは良くないぜい」
「ハッ。つか肉を食って死ぬってのは幸せじゃねェの? 最期さいごまで好きな事やって死ねるっつーンだからよ」
 一方通行アクセラレータは親指についた油を舌でめ取りながら、結標に言う。
「で、『スクール』って連中について何か分かったのかよ」
「『書庫バンク』にアクセスしてはみたけど、名前以外は何も。機密レベルは私達と同じようね。『グループ』『スクール』それしか記載されていないわ」
 ただ、と結標は言葉を切って、
「……調べてみると、ほかにもそれらしい組織名が複数出てきたわ」
「二つだけじゃないのか」
 土御門はハンバーガーにかぶりつき、反対側から肉がはみ出るのを慌てて押さえる。
「『グループ』『スクール』『アイテム』『メンバー』『ブロック』……分かっているだけでも五つはあるわね。実態は不明だけれど、おそらく私達と同じ―――少数の人員を寄せ集めて作られた非公式部隊って感じじゃないかしら」
 結標は指折り数えながら、
親船最中おやふねもなか狙撃そげぎくわだてたのは『スクール』。なら、人材派遣マネジメントのマンションを爆破したり、護送車を襲撃しゆうげきしたのもこいつらなのかしら? 海原光貴うなばらみつきもそこにもぐり込んでいるとか」
「さあな。ただ、『スクール』でスバイ活動をしているならサインぐらいは出してほしいもんだ。敵だと思ってうっかりつぶしてしまうかもしれないし」
 一方通行アクセラレータは缶コーヒーに口をつけながら、土御門つちみかど結標むすじめの話を聞いていた。
 ……それにしても、その『スクール』とやらは、どうして親船最中おやふねもなかを暗殺しようとしたのだろうか?

     2

 やりたい放題だな、と浜面仕上はまづらしあげは思った。
 今は昼時、ここは第七学区のファミレスだ。しかしテーブル席を陣取っている麦野沈利むぎのしずりという女は外で買ってきたコンビニ弁当を正々堂々と食べている。端でビクビクしている小柄なウェイトレスが、あまりにも不憫ふびんだ。
「あれ? 今日のシャケ弁と昨日のシャケ弁はなんか違う気がするけど。あれー?」
 店内なのに、秋物らしい明るい色の半袖はんそでコートを着込んだこの女は、ストッキングにおおわれた足を組み直しながら、窓際まどぎわでそんな事をつぶやいては首をかしげている。変わんねえよ、と浜面は心の中だけで突っ込んだ。
 同じテーブルに座っている達中はどいつもこいつも変人はかりだ。
「結局さ、サバの缶詰がキてる訳よ。カレーね、カレーが最高」
 麦野の隣にいるフレンダという金髪碧眼へきがんの女子高生はそんな事を言って缶詰をいじり回していたが、缶切りが上手に使えないのか、何かビニールテープのようなものを缶詰にぐるりと貼り付けると、電気信管を取りつけて爆薬で焼き切った。本来はドアをこじ開けるためのツールだったと思う。
 一方、フレンダの向かいに座っている絹旗最愛きぬはたさいあいという、ふわふわしたニットのワンピースを着た、一二歳ぐらいの大人しそうな少女は、そうした変人たちの行動を一切気に留めず(良識があるとか心が広いとかではなく、そういう種類の変入なのだ)、映画のパンフレットに目を通しながら、
「香港赤龍電影カンパニーが送るC級ウルトラ問題作……様々な意味で手に汗握りそうで、逆に超気になります。要チェック、と。滝壺たきつぼさんはどう思いますか」
 話を振られたのは、絹旗の隣にいる滝壺理后りこうという脱力系の少女。彼女は食事に手を着けず、ソファ状の席にだらっと手足を投げ出したまま、どことも取れない所へ視線をさまよわせ、
「……南南西から信号がきてる……」
 ―――彼女達は『アイテム』。
 学園都市の非公式組織で、主な業務は統括理事会を含む『上層部』暴走の阻止。たった四人でこの街を、ひいては科学サイドを左右させる面子メンツでもある。『グループ』や『スクール』などと同等の機密レベルで扱われる集団だ。
 浜面仕上はまずらしあげは『アイテム』の正規メンバーではない。
 その下部組織の所属で、雑用や運転手などを任されている。
 以前は路地裏の無能力者レベル0が作る武装組織『スキルアウト』のリーダーを一時的に任されていたのだが、そこでの作戦が失敗し、組織が壊滅的かいめつてきなダメージをこうむった事で、人の上に立つ生活は終止符を打たれた。今では学園都市の暗部で下働きをする毎日である。
(……にしても)
 浜面には、ここに配属されてから常々悩んでいる事がある。
(女ばっかりの中に一人だけ男がいるってのは、何とも居心地が悪いな)
 テーブルは六人掛けで、浜面は一番通路に近い所に座らされていた。彼にあてがわれた役目はドリンクバーを往復する係である。
「んでね」
 一通リシャケ弁当を食べ終えた麦野沈利むぎのしずりはそんな風に話を切り出した。
「昼前に統括理事会の一人、親船最中おやふねもなか狙撃そげきされかけた事件があったよね。あれについて、そろそろこっちも動きたい訳なんだけど」
「つか、結局その情報、私は持ってないよ」
 フレンダが簡単に言うと、麦野は『む?』と少し動きを止める。
 そして半袖はんそでコートの女は浜面に目をやった。
「浜面。全員のケータイに事件の詳細を転送」
 へいへい、と浜面は適当に答える。
 指図される事に文句は言わない。それが今の彼の仕事なのだ。浜面は自分の携帯電話を取り出すと、そこに保存されていたデータを、麦野を除く残り三人にまとめて送信する。
「ふむふむ」
『アイテム』の全員が自分の携帯電話で情報を確認する。

 すると、画面に出てきたのはネットで落としたエロ動画だった。

 その瞬間しゆんかん、『アイテム』の四人はバシンと携帯電話を畳んだ。彼女たち軽蔑けいべつ眼差まなざしと共に心の扉をガシャンと閉めると、しっかりと心の戸締とじまりをし、さらには心の地下エレベーターを下って、心の核シェルターへの退灘たいひを完了させた。
「違っ、待て!! やり直させろ! これは何かの間違いなんだッッッ!!」
 かつては一〇〇人以上のスキルアウトを束ねた不良のりーダー、浜面仕上は腹に力を込めて大声で弁解する。
 しかし『アイテム』の四人は、

浜面はまづら……」
「結局、浜面ってキモいんだけど」
「浜面的にはバニーさんが超ヒットだったんですか」
大丈夫だいじようぶだよ、はまづら。私はそんなはまづらを応援してる」
 温かい言葉を受けて小刻みにふるえる浜面は、今度こそ親船最中狙撃未遂おやふねもなかそげきみすい事件の情報を全員に転送する。
 すると、絹旗きぬはたあきれたような声を出した。
「ああ、『スクール』の違中が超計画していたあれですね。確か、あそこに所属していた暗殺用のスナイパーは三日ほど前にこちらで超始末したはずですけど」
「新しく雇ったんだろね。ま、つまりこっちの『警告』は無視されたって訳かな」
「緒局、あの時も『何で親船最中なのか』って事で論議してなかった?」
 フレンダはサバの缶詰の中身をフォークで刺しながら言った。
「親船って統括理事会の一人だけど、結局役立たずじゃん。影響力えいきようりよくほとんどないし、殺すだけの価値がない。なのに……」
「『スクール』は、わざわざ失ったスナイパーを補充、私たちの『警告』を無視してまで、親船の暗殺に取り掛かった」
 滝壺たきつぼがぼんやりした声でフレンダの言葉に続いた。
 麦野むぎのは軽い調子でうなずく。
親船最中おやふねもなかには殺すだけの価値はない。そして目をつけられるリスクを負ってでも、『スクール』は予定を無理に合わせて狙撃そげきを決行した。それは何故なぜでしょ。―――ハイ浜面ぼまづら君!」
 言われた浜面はビクゥ!! と肩を震わせる。
(はぁ!? 何だその『今から面白い事言って』的な話の振り方は!? こっ、この局面でおれに注目するんじゃねえ!!)
「え、ええとだな!! ちょっと待てのどまで出かかってるからあと少しで分かるんだ!!」
 と、勢いだけは良いのだが結局何も言えない浜面。
 それに村して『アイテム』の四入は、
「いやー、浜面……」
「結局、そのうろたえ方がキモいんだって」
「キモいと言っても超種類があるんですけど、浜面のは最悪のキモさですね」
「大丈夫だよ、はまづら。私はそんなキモいと呼はれ続けるはまづらを応援してる」
 失望したため息をつく少女たち無能力者レペル0の浜面は床にかがみ込んで動かなくなった。
 無視して麦野は三目った。
「ま、さっきも言ったけど、親船最中ってのは暗殺するだけの価値がない。それぐらい表裏が
ないんだよね。にもかかわらず『スクール』は親船をターゲットに選んだ。これってさ。親船に価値がないからこそ、親船が選ばれたって事じゃないのかな」
「価値がないからこそ? 超意味が分かりませんが」
「だからあれよ。『スクール』はだれでも良かったんじゃないかな。とにかくさわぎを起こせれば構わないから、とりあえずできるだけ『死んでも影響えいきようの少なそーなVIP』……つまり『最も警備の手薄てうすなVIP』が選ばれたって訳」
 麦野は楽しそうな声で、
ほかのVIP……まぁ統括理事会だけで考えても、ここ数日内に野外で講演をするような人間
は他にいなかった訳だし。潮岸しおきしの野郎なんて四六時中駆動鎧パワードスーツを着込んでいるんでしょ。そんな相手に狙撃が成功する訳ないんだから、『もっとねらいやすい相手』が選択されたんだって思うんだけど。正直、親船最中はかなり手薄だしねー」
「……緒局、かわいそうな親船」
「それが仮に正しいとするなら、『スクール』は何を求めてたのか。私はここで『VIP用安全保障体制』を提唱したい」
 麦野は半袖はんそでコートの上からでも分かる胸を張って言った。
「一二人の統括理事会を始めとして、学園都市にはいくつかVIP認定された人員・組織が存在する。こいつらは普通とは違う警備で守られてるし、命の危機に見舞われれは様々な部署から召集がかけられる。救急車の移動用に道路が封鎖ふうさされたり、手術のために各業界の大物が病院に集められたりってね」
 つまり、と麦野むぎのは言葉を切って、
「VIPが暗殺されかけたら、どうなると思う?」
「治療先の施設を守るために、よその人員が呼ばれますし、特殊な研究者や機材なんかも、必要なものは片っ端からかき集められます。ははん、その混乱に乗じて『スクール』は何かをしでかそうって訳ですか」
 つまんない手ですね、と絹旗きぬはたは付け足す。
 確かに『すき』を作るぐらいはできるが、決定力に欠ける方法だ。警備の厳重な第二三学区や『窓のないビル』などには大した効果はないだろう。元々『襲撃しゆうげきを仕掛けられる可能性のある施設』から、『その可能性をり上げる』程度の成果が限界だ。
「保険、かもしれないね。『スクール』の違中なら、本気になれは力技で大抵の施設は突破できるだろうし」
 ただし、と麦野は付け加えて、
「連中はその保険を実行するために、つぶされたスナイパーを急渡きゆうきよ補充したり、親船最中おやふねもなかの暗殺をくわだてたりした。かなり神経質に調整しているみたいだね」
「となると、結局親船は単なる『保険の一つ』で、『スクール』はこれから本命の『どこか』または『だれか』をおそう予定だと?」
「だね」
 麦野はあっさりうなずいた。
 ここで浜面はまづらが恐る恐る声をかける。
「……あれ? って事は、親船暗殺は『未遂みすい』で終わって正解なのか?」
「どっちでも良いんじゃない? 仮に親船が死んでいたとしても、今度は心肺蘇生そせいだ検視だ解剖だってので多くの人員がかれるんだし。曲がりなりにも統括理事会、一二人しかいない最高のVIPだからね。学園都市の得体えたいの知れない技術を総動員して対処するはずだよ」
 うえ、と浜面は嫌そうな顔をした。
 麦野は構わず、しれっとした表情で続ける。
「親船最中暗殺未遂によって、警備が手薄てうすになった施設をチェックする。……いや、これだけじゃ甘いかな。親船暗殺が『成功』した場合の変更点もチェック。『スクール』はスナイパーの狙撃そげきが『成功』しても『失敗』しても、そのどちらでも動ける状況を作っていたはずだから、その両方のパターンで合致する『警備の手薄になる施設』があるはず。おそらく次に『スクール』が現れるのはそこって訳」
 勢い良く席を立つ麦野沈利しずり
 彼女は浜面の方など見もしないで、口だけで伝達する。
「浜面、車を探して来てちょうだい。すぐに出る事になりそだし」
 その偉そうな物言いに、浜面はまづらはイラッとしたが、反論などできるはずがない。
 ここではただの下働きなのだ。
「くそっ。おれは一〇〇人以上のスキルアウトを束ねていた組織のリーダーなんだぞ……」
 それでも、思わず独り言のように言葉がれたが、
「そうね。だから何?」
(……ちくしょう)
 今度は心の中だけでき捨て、浜面は先にファミレスを出て車を探す事にした。

     3

 海原光貴うなばらみつきは第一〇学区の雑居ビルにいた。
 空きテナントの多いビルで、ここもそんなもらい手のいない部屋の一つだった。窓のすぐ向こうに学園都市唯一の少年院があるのも関係しているかもしれない。
 狭い部屋には武装した男たちが十数人と―――それらとは一線を画したボスクラスの面子メンツが四人ほどたたずんでいる。下手に放置されたビジネスデスクの上には、彼らが持ち込んだ銃器やノートパソコン、変装用の小道具、ハンドクリームなどが乱雑に置かれている。
(……しかし、参りましたね)
 今現在の彼は、『海原光貴』ではない。
 襲撃看しゆうげきしやの一人を撃退し、その人物の顔を新たに『借りている』状態なのだが、
(あんなに弱いのが、組織の中枢をになっていたとは……)
 適当に雑魚ざこの一人に変装して、頃合ころあいを見計らってパシリでも買って出て、集団の輪からこっそり外れ、そのまま逃走してしまおう……そんな風に考えていたのだが、どうやら海原が倒してしまったのは組織の中でもボスクラスの人物だったらしい。
 こうなると、こっそり輪から外れるのは難しい。何をやっても目立つ、というか、どこへ移動しても組織の輪の方が自分を囲むように、一緒いつしよに移動してきてしまうのだ。
 そんなこんなで、タイミングを失ったまま第七学区から第一〇学区まで移動してしまった海原なのだが……。
「どうした、山手やまて
 ふと横から声をかけられた。
 そちらには長身の女性が立っている。細身ではあるが、全身を硬い筋肉でおおわれた女性だ。引きまっている、というより、もはや彫刻のように見える。一目で裏稼業うらかぎようの人間と分かるが、話を聞くとどうも表向きは警備員アンチスキルとしての顔もあるらしく、本部の中にもぐり込んでいるようだ。
 そんな事を考えながら、海原は筋肉質の女性が放った言葉について思い返す。
 山手。
 それが今の自分の名前らしい。
「何でもねえよ」
「しっかりしろよ。君の力が、計画の成否を、握っているんだから」
 彼女の話し方は一言二言を丁寧ていねいに区切るものだった。優しく話しかけているようにも聞こえるし、あるいは上から見下されているようにも感じられる。
「『スクール』の連中が動き出しちまったな」
 くまのような大男がそんな事を言った。
「ヤツらに人材派遣マネジメントの情報を送ったのはこっちだが……チッ。もう少しアクションを遅くしてくれりゃあ良かったものを」
「結局、マンションをおそって、情報をつぶしたのも、無意味だったわ」
 その近くでつぶやいたのは、海原うなばらとなりにいる筋肉質の女性だった。
「『スクール』の行動によって、学園都市全域の、警戒レベルが、上がったはず。私たちの行動にも、影響えいきようが出なけれは、良いんだけど」
「やっぱり楽には進まねえな。学園都市を出し抜くっつーのは難しい。ま、だからと言ってここでやめる訳にもいかねえんだが」
(……、)
 女の言葉を聞きながら、海原は情報を整理する。
 ―――どうやら、この組織は『ブロック』と呼はれるものらしい。
 ―――この組織は『グループ』と同等の機密と権限を持っているらしい。
 ―――彼らは彼らで何かをくわだてているようだが、同日、別の組織である『スクール』が先に動いてしまったため、そのとばっちりを受けてしまったらしい。
 ―――その影響を可能な限り修正するため、先ほど『ブロック』は『スクール』の尻拭しりぬぐいという名の爆破を行った。海原が巻き込まれたのはそのためだった。
(そして)
 ―――『ブロック』は『スクール』による影響をあきらめ、現状のまま『計画』を実行に移そうとしているらしい。
(『スクール』に『ブロック』と。まったく、色々とややこしい事になりそうです……)
 と、筋肉質の女性が熊のような大男に向かってこう言った。
「向こうの方は、大丈夫だいじようぶなの」
「……ああ、例の『電話相手』か。問題ねえよ。手足として動かしてる駆動鎧パワードスーツの連中はアビニョンの後始末で身動きが取れねえんだしな。今なら『電話相手』ができる事もたかが知れてる。あいつも難儀なんぎだよなあ。普段ふだんは上から命令を飛ばしちゃあいるが、いざ俺たちが暴走を始めりゃあ責任取らされて処刑されるんじゃあねえのか。『猟犬部隊ハウンドドツグ』の方も、『〇九三〇』事件でリーダーの木原数多きはらまたごと壊滅かいめつしちまってるから邪魔じやまにゃあならねえし」
 どうやらこの組織にも『グループ』と同じ指示役がいるらしい、と海原うなばらは思う。しかし『電話の声』は一人なのか複数なのか、複数の人間が一つの組織に指示を出しているのか、一人に一組織の担当があるのか、見た目は複数でも実は機械音声を使っているだけなのか、その辺りは不明だ。
(ま、個人にしても複数にしても、それほど大きな組織ではないでしょう。それにしては、妙に小回りがいている気がしますし)
『電話の声』については後回しだ。海原は『ブロック』の会話に集中し、彼らの組織構造図などへと思考内容を変更していく。
(少なくとも、現状は学園都市上層部の意向を受けて動いている訳ではないようですが。駆動鎧パワードスーツがいない内に、一体何をやろうとしているんだか)
 海原はチラリと横に目をやった。『ブロック』の下部組織の男たちがいる。彼らは明らかな反逆行為に手を貸している訳だが……。
(いや、それに気づいている人間は何人いるか)
 仮に上層部が『緊急きんきゆう事態だ。地点Aに集合しろ』と命令を出した所で、その情報がうそである、という事も裏世界では珍しくない。常に影の思惑が錯綜さくそうするこの世界では、『命令』を表面通りに受け取る者などいない。結局、最後の最後では自分の見てきたものを信じて行動するしかない。嘘かもしれない情報と、とりあえず背を向けれは確実に銃殺される『ブロック』。どちらを信じるかと言われれば後者しかない。それが生き抜くためのすぺというものだ。
(ま、天罰ですかね。日頃ひごろから部下をだまし続けているから、いざという時に情報の信憑性しんぴようせいが下がってしまうんです)
「ようし」
 くまのような大男は、何かを吹っ切るように声を出した。
「これ以上の遅延は認められない。おれ達もそろそろ始めるとするか。何が『ブロック』だ。このまま一生ヤツらの下働きで終わるつもりはねえからな」
 彼はそう言ったが、即座に動く事はなく、ぐるりと周囲を見回した。
 海原は質間する。
「どうしたんだ」
「いいや、その前にいつもの『安全確認』をやっておきたい」
 熊のような大男はそう言うと、大きな両手をパンパンとたたいた。すると、その合図に合わせて陰気な少女がゆったりとした動作で前へ出てくる。
鉄綱てつもう。……お前の『意見解析スキルポリグラフ』を借りるぞ。念のため、裏切り者がいないか確かめてくれ」
「了解した。私の価値は、人の心を読む事しかないから」
(……ッ!?)
 海原光貴みつきおどろきが表情に出るかと思った。
 彼は何気ない仕草でビジネスデスクの上に置かれていたハンドクリームのボトルを取るふりをしながら、軽く周囲を見回す。『プロック』の四人(海原うなばら含む)と下部組織の人間が十数人。ここでバレるのはまずい。
「おっと。一応伝えておくが、『読み取り』を拒んだ時点で裏切り者って事にする。おれは不透明なのは好きじゃないからな」
 大男がそう宣言した後、鉄網てつもうと呼はれた少女は『ブロック』の同僚どうりよう一人一人と握手をしていく。彼女の口から、機械のような声だけが無機質に放たれる。
佐久辰彦さくたつひこ。年齢二八歳、『ブロック』のリーダー。学園都市の外部協力機関との連携の監視を主任務とする」
 くまのような大男の次は、筋肉質の女性だ。
手塩恵未てしおめぐみ。年齢二五歳。『ブロック』の正規要員。警備員アンチスキルとしての……、―――ッ!?」
 ビクッ、と鉄網の表情がゆがんだ。一瞬いつしゆん、場が殺気立つが、当の手塩は特に慌てずに、
「……そう熱心に、読まなくても、いい。あの子に両親がいない理由や、声を出せなくなった原因など、のぞいて楽しい過去では、ないだろうしね」
 軽く頭を振った鉄網は、今痩は海原の方へ目を向けた。
 ここで海原は持っていたハンドクリームのボトルをすべらせてしまった。
「……ッ、すまねえ」
 ボトルは下部組織の一人の方へ転がった。海原が手を伸はそうとすると、下部組織の青年が近づいてきて、ボトルを渡してくれた。
「ついでだ。先にやっとけよ」
 海原が促す。ちょうど青年が鉄網の前へ出る構図になったため、順番に割り込む形で彼はそのまま鉄綱に手を差し出す。さっさと『チェック』を終わらせたいらしい。
 二人が握手した時だった。
「―――がァあああああああああああああああああッ!?」
 青年と鉄綱の手が、いきなり赤い炎を噴いた。ボン! という爆発音と共に血が飛び散る。何本もの指が飛んだ。鉄網は右手を押さえたが、痛みと出血に耐えられず、そのまま床に倒れて動かなくなる。
 青年の方は慌てて応急処置キットに手を伸はそうとしたが、熊のような大男がそれをさえぎった。
「今、何をしやがった?」
「知らない。俺だって分かるか!」
「何をしたかって聞いているんだ!!」
「俺だって被害者だ!!」
 佐久はそれ以上何も言わなかった。ホルスターから拳銃けんじゆうを抜くと。青年の眉間みけんへ銃口を押し付けて、そのまま引き金を引く。
「待、おれは何も……ッ!?」
 下部組織の青年は呆然ぼうぜんとしていたが……発砲音が炸裂さくれつした。
 バンバンガン!! という轟音ごうおんと共に、血まみれになった青年が床に転がる。
 くまのような佐久きくは真っ赤になった死体を軽くにらみつけてから、
「……ま、始める前に見つかって良かったわな。ったく、どんな手を使ったんだか」
「どうする。統けるか?」
 海原うなばらが質問すると、佐久は首を横に振った。こわれた鉄網てつもうが元に戻らないようだ。
「補充している暇はねえからな。『確認装置』は後で用意する」
 彼は鉄網に興味はないようで、そのまま下部組織の人間に死体の処分を指示していく。
(……、)
 海原は床の上で動かない青年の死体をチラリと見た。
 あの青年は鉄網と握手する寸前、ハンドクリームのボトルを海原に手渡していた。その時、青年の手には海原の掌にあるクリームがぺっとりとこびりついていたのだ。そしてクリームの中には、少量の液化爆薬も混ぜてあった。
 海原はハンドクリームをてのひら馴染なじませていく。今度は液化爆薬を取り除くための薬品を混ぜたものだ。
(敵とはいえ……いや、今は考えている余裕はありませんね)
 海原が表情には出さずにそう思っていると、気を取り直したように佐久は言った。
「さて、と。それじゃあ改めて―――動くとするか」
 彼の前にあるのは、一台のノートパソコンだ。

     4

 ビーッ!! という警告の電子音がキャンピングカーにひぴき渡った。
『グルーブ』の各々おのおのはバラバラに昼食を食べ終え、今後の調査の方針などを話し合っていたのだが。それは即座に断ち切られた。
 車内スビーカーから、オペレーターを兼ねた運転手の慌てた声が飛んでくる。
『きっ、緊急きんきゆうです! 今。データをそちらへ送ります!!」
 一方通行達アクセラレータたちは音源のスピーカーの方へ目をやる。
 運転席と後部の居住区をへだてる壁に設置されたスクリーンに学園都市の地図が表示される。
「第五学区・ウィルス保管センターだと?」
「学園都市製のコンピュータウィルスを解析してワクチンソフトを作る施設だな。……そいつがクラッキングを受けているらしい」
 連統的に表示される文字列を目で追いながら、土御門つちみかどが言う。
 事件を知っても、彼らは警備員アンチスキルに通報したり協力を仰ぐ、という考えを持たない。一般人に解決できるレベルの仕事は『グループ』に回されてこないし、彼らがすべての案件を解決できるというのなら、そもそも『グループ』は生み出されていない。
 一方通行アクセラレータは面倒臭そうな調子で、
「にしても、俺達おれたちが動かなくちゃならねェのかよ。さっき『グループ』と似たような組織はいくつかあるっつってたろ。そいつらに任せちまえよ」
「部署が違うんだろう。連中が必ず動く保証はないし、その上、複数ある組織の一つは学園都市を裏切っている可能性が高い。ここはオレ達が行くしかないな」
 土御門つちみかどはさらに言った。
「そのウィルス保管センターだが……施設には未解析のウィルスのほかに、学園都市の研究機関が意図的に作り上げた実験用ウィルスも多数存在する。こいつが外に流れれは……まぁ、パニックにおちいるな」
「その『外』はどこまでの『外』かしら?」
 結標むすじめが意味ありげに笑みを作る。
 学園都市の『中』と「外』では科学技術に、二、三〇年分のへだたりがあり、それはウィルスに関しても同様だ。学園都市の機械にとっては型遅れのウィルスであっても、『外』の機械からすれは完全に未知の脅威きよういとなる。まして、学園都市でもワクチンソフトの開発が遅れているような最新式のウィルスが『外』にれれば……。
「確か、学園都市のセキュリティってのは『外から中へ』よりも『中から外へ』を優先的にガードするって話だったよなァ。なら、そのための設備があるはずだ」
「……外部接続ターミナルか」
 学園都市は一般的なインターネットからは切りはなされており、学園都市独白のネットワークを形成している。インターネットへつながる外部ラインは、全て一度『外部接続ターミナル』という施設を通してから接続する事になっている。
「ターミナルって、東西南北に四つあったわよね」
 その時、ザザッ、という音が車内スピーカーから聞こえてきた。オペレーターを兼ねる運転手の切羽詰せつぱつまった声が飛んでくる。
『外部接続ターミナルの緊急遮断きんきゆうしやだんを開始。第三学区・北部ターミナル遮断、第一二学区・東部ターミナル遮断、第二学区・南部ターミナル遮断、……ッ!? 第一三学区・西部ターミナルが応答しません! 遮断確認できず!!』
「ハハッ! まァた分かりやすい構図だな!!」
 一方通行アクセラレータはその報告を受けて大笑いした。
 土御門も不敵に笑って。
「十中八九オレ達をさそってるだろうな。どこのだれだか知らないが、スクラップになりたいらしい」

 キャンピングカーは間題の第一二学区に向かって発進する。
 運転手の不安そうな声が車内スピーカーを通して伝わってくる。
『お、親船最中おやふねもなかさんの暗殺未遂みすいの方はどうしましよう?』
「今は後回しだ」
「というか、これも『スクール』がやっているのかもしれないのだけれどね」
『ええと……海原うなばらさんの方は?』
「ハナから助ける気はねェよ」

     5

 浜面仕上はまづらしあげは、路地裏でピーピー鳴る電子音にうろたえていた。
 音源は麦野沈利むぎのしずりのポケットにある携帯端末だ。
「おい、それ放っておいて良いのか?」
「良いって良いって。私らがやらなくたって別のだれかが対処してるよ」
 とは言ったものの、端末はその後もピリピリピリピリ音を出し続けた。あまりのしつこさに麦野はブルブルとふるえると、勢い良く端末をつかみ取ってみつくように大声を出す。
「やっかましいなクソ馬鹿ばか!! 応答する気がない事ぐらい分かんないの!?」
『こいつときたら! こっちだって連絡したくて連絡してる訳じゃないんだっつーの!!』
 特にスピーカーフォンではないのだが、そばで聞いている浜面の耳にもばっちり届く大音量だった。声の主は女性のもので、いつも『アイテム』に指示を出してくるなぞの人物だ。
『第五学区のウィルス保管センターで緊急きんきゆう事態が発生してるから、アンタらも出動して問題を解決しなさい!」
「えー」
『えーじゃないわよこいつときたらーっ! ったく駆動鎧パワードスーツの連中はアビニョンの後始未とか「左方のテッラ」とかいうヤツの死体の捜索とかで忙しいんだからさ。そっちもきちんと動きなさいよね!!』
「私ら今忙しいから後にしてくんない?」
 麦野はものすごく嫌そうな声で言ったが、電話の相手は『こいつときたらーっ!』と叫ぶと、
『言っておくけど、アンタら『アイテム」の仕事は学園都市内の不穏ふおん分子の削除・抹消まつしようなんだっつの。ちゃんと仕事しろーっ!』
「そんな事言われてもねー」
『それとアンタ、この前「スクール」の正規スナイパーをぶっ殺したっつったよね? だから親船最中の狙撃そげきはないっつったよね? こいつときたら! じゃー何でこんな事になってんのよーっ!! あれでもう終わったと思ったから「危険度は下がった」って報告したのに……。ホント怒られんのこっちなんだからしっかりしてよねーっ!!』
 オーダーを開違えたウェイトレスをしかるような口調だった。
『ちくしょう、やってくれちゃって……。ウィルス保管センターはほかの部署にたのんでおくから、とにかく狙撃未遂そげきみすいに関して報告書ちょうだい。せめてそっちは大至急ね』
「悪いそれ無理だわ」
『何よそれどーなってんのよーっ!?』
何故なぜならこれからその『スクール』のクソ野郎どもを皆殺しにするからです」
 ぎゃあぎゃあ言っていた女性の声がピタリと止まった。
『ええと、追加で良い? 最低でも一人に一〇発は鉛弾をブチ込んであげて?』
「……あのー、つかぬ事をお聞きしますが、管理者のお前は止めるべき場面ですよ?」
さわぐなした。「スクール」の連中は前から嫌いだったのよ。この私の頭を悩ませるものはすぺて地球から消えてしまえは良いのだーっ!!』
 がははははーっ!! と巨大な武将みたいな笑い声と共に通話が切れる。
 ホントにあれが組織のまとめ役で良いのか、という表情で麦野むぎのは携帯端末をポケットに戻すと、軽くあちこち見回した。
「ところで浜面はまづら。本当にアシは手に入るの?」
「軽く流しやがった……。ま、その辺は何とかするけどよ」
 と言いながら、浜面は路上駐車してある乗用車に近づいた。携帯電話の下部コネクタにファイバースコープ装置を取り付け、鍵穴かぎあなにそうめんより細い光ケープルを通してピンの配置を調ぺていく。浜面は携帯電話の画面に表示される鍵穴内部の情報を元に、数本の針金を使ってあっさりとドアのロックを外してしまった。
 浜面は運転席に乗り込むと、ハンドル下にあるエンジンキーの鍵穴を調ぺる。
「はー、便利なスキルだね」
 本当に感心している声で、助手席に乗り込む麦野。
 後部座席にも、絹旗きぬはた、フレンダ、滝壺たきつぼの三人が入ってきた。その辺のタクシーと同じファミ
リー用の44ドアだが、五入乗ると流石さすが窮屈きゆうくつに感じてしまう。
「行き先は?」
「第一八学区・きりおか女学院。近くに素粒子工学研究所があるの。親船の騒ぎに乗って私設警備の人間が緊急きんきゆう召集されたり機材が運はれたりって混乱があったのはあそこだけ。それに合わせてガードもかなり手薄てうすになってる。分かりやすい計画犯罪だよね」
「一ヶ所だけって、随分ずいぶんと簡単な構図だな」
「失札、言い忘れた。数ある中で有益なポイントは一ヶ所でしたって話」
 そーかい、と浜面は適当に返して、
「それにしても、素粒子工学? 仮にそこが本当にターゲットだったとして、『スクール』は何をねらっているんだ」
「さあね。親船最中おやふねもなかの命よりは重要な用件なんじゃない? という訳で、クソ野郎どもの尻拭しりぬぐいツアーにしゅっぱーつ」
 ふうん、と言いながら、あっさりエンジンを始動させる浜面はまづら
 ふと後部座席から滝壺たきつぼが声をかけた。
「はまづら。免許持ってたの?」
「必要なのはカードじゃない。技術だ」
 遣当に答えて、浜面はオートマ車をなめらかに発進させた。

     6

 一方通行達アクセラレータたちを乗せるキャンビングカーが第七学区を突き進む。
 土御門つちみかどは時計を気にしながら、
「……第一三学区に入るまでざっと一〇分って所か」
 西部ターミナルの遮断しやだんができないという話だったが、それなら現場へ行って大容量ケーブルを直接的に切断してしまえは、とりあえずアクセスを封鎖ふうさする事はできる。予算の関係上お堅い役人はそういう解決策を嫌うが、もはやそんな事を言っていられる事態ではない。
 しかしそこで、またもや警告の電子音が鳴りひぴいた。
 土御門が応じるように大声で言う。
「今度は何だ!?」
『第二三学区でもクラッキングを確認! 航空宇宙工学研究所付属の衛星管制センターが電子攻撃こうげきを受けています!!」
 衛星だと? と一方通行アクセラレータまゆをひそめる。
 学園都市が打ち上げたものといえは、気象衛星という建前のスパイ衛星だ。これを使って学園都市や周辺地鐡を逐一ちくいち監視しているのだが、
「ますます面白くなってきたじゃねェか。確か衛星ひこぼしⅡ号にゃ地上攻撃用大口径レーザーが搭載されていたはずだよなァ」
「まずいわね。ウィルス保管センターへのクラッキングも継続中なんでしょう?」
「対策チームは右往左往しているだろうな。いつもの実力を出させないためのおとりって訳だが、ウィルス保管センターの方を放っておいて良いという事にもならない。囮だったとしても、被害の程度が変わる訳ではないからな」
「これも『スクール』だと思う?」
「さあな。別の組織かもしれない」
『どっ、どうしますか? 我々はどちらへ向かいましょう!!』
「ハハッ、そンなモン決まってンだろ」
 言いながら、一方通行アクセラレータはキャンビングカーの側面ドアを足の裏でりつけた。
 すでに電極のスイッチを入れていたのか、ベクトル変換された力の束は、金属製のドアを容赦ようしやなく道路へはじき飛ばす。
 土御門つちみかどは思わず叫んだ。
一方通行アクセラレータ!!」
「クソ野郎どものおとりに付き合わされンのはしように合わねェ。おれは第二三学区へ行く。衛星通信用の大規模地上アンテナをぶちこわしゃクラッキングも止まるだろ。その間、オマエたちは雑用でもこなしてンだな」
 言うだけ言うと、一方通行アクセラレータはためらう事なく車から飛び降りた。
 不自然な軌道を描いて跳んだ一方通行アクセラレータは、中央分離帯ぶんりたいを越えて反対車線を走るオープンカーの助手席にズドンと収まる。普通の人閥なら相対速度の関係でたたつぶされそうなものだが、あらゆるベクトルを味方につけた彼なら何の問題もない。
 むしろ、うろたえたのはオープンカーの運転手の方だ。
「わっわっ!? な、なに。何だ?」
「ガソリン代と入件費は払ってやる」
 ガチリという小さな音が聞こえた。
 ほおに何か押し付けられている感覚があるのだが、運転手は首を動かせない。しかしルームミラーには、何やら拳銃けんじゆうらしき黒っぽい金属が見える。
「第二三学区だ。よそ見はするなよ」

     7

 暇だ。
 浜面仕上ほまづらしあげは路上駐車した盗難車の運転席で、のんびりとそう思っていた。
 ここは第一八学区・きりおか女学院の近くだ。一〇〇メートルほど先には素粒子工学研究所の四角い建物があり、そちらでは研究所を強襲きようしゆうする『スクール』とその迎撃迎撃を行う『アイテム』、二つの組織が激闘げきとうり広げているはずだった。
 そちらヘ目をやりながら、浜面は思わずうめき声をらしていた。
「うわスゲェな……建物が半分ぐらい崩れてやがるし、なんかビーム砲みたいなのまで飛んでるぞ。麦野沈利むぎのしずりだっけか。相変わらず超能力レベル5全開って感じだな」
 もくもくという灰色の粉塵ふんじんと共に傾いていく鉄筋コンクリートの建物。その地響じひびきのような振動が、浜面の乗っている盗難車まで届いてくる。
超能力レベル5、ね)
 かつての武装無能力者集団スキルアウトりーダー、駒場利徳こまばりとくは本当にアレと戦って勝てると信じていたんだろうか。
 そのリーダーを失った今のスキルアウトは、まだ戦おうと思っているんだろうか。
「……チッ」
 浜面はまづらはつまらなさそうにハンドルを軽くたたく。
 どのみち、そのスキルアウトから逃げて能力者の軍門に下った今の自分に、何かを語るだけの資格はない。
 苛立いらだった彼は、運転席のドアを開けて外へ出た。
『アイテム』のためにいつでも発進できる準備をしておく事、そして駐車禁止の取りまりが強化された事を考えると、車から降りるのはあまり得策ではない。しかし、浜面はどうしても気分を変えたかった。
 今日は祝日なのできりおか女学院の近くには人が少ない。そして路上駐車したまま放って置かれているスポーツカーが三台ぐらい縦列駐車してあった。
 そこで浜面の目が点になる。
(おおおおッ!? ブースタの八九年モデルがあるじゃねえかー! 4ドアの帝王って呼ばれてるヤツだぞ!! い、いや、あんま目立つ車を無理に盗んでもリスクが高くなるだけなんだが……いいやちくしょう帰りはブースタだ!!)
 と、セレプの心を揺さぶる名車の低いエグゾーストを想像し、微妙に鼻息を荒げながらポケットから開錠用かいじようようのツールを取り出す浜面。そんな感じでグレードの高い、違いの分かる大人なスポーツカーに近づいた時だった。
「浜面ぁ!!」
「はひぃ!?」
 突然真後ろから飛んできた女性の大声に、浜面は慌ててツールをポケットにしまい直して振り返る。
 緑色のジャージを着た女教師がいた。
 ジャージを着ていてもスタイルの良さが分かる……というか、何でジャージなのか意味不明だ押し倒すぞコラと叫びたくなるほどの美人だが、浜面にとって重要なのはそちらではない。
 こいつはスキルアウトの天敵、警備員アンチスキルだ。
 名前は確か黄泉川愛穂よみかわあいほ
「あれー? お前どうしたじゃんよ。確か断崖だんがい大学データベースセンターの件で補導されたって聞いてたんだけど。結局、お前じゃなかったの? それなら良かった良かった」
 何やら気さくに話しかけてくるが、別に仲良しでも何でもなく、この好意は一方的なものだ。……そもそも、過去一四回も夜の街で自分を捕まえて留置湯にぶち込んだ女に好感など持てるはずがない。
「何でテメェがここにいるんだクソババァ」
「そんなの、アレ見りゃ分かるじゃんか」
 言いながら黄泉川よみかわが親指で示しているのは、くだんの素粒子工学研究所だ。
 浜面はまづらは思わず額に手を当てた。
『アイテム』の下部組織が色々と隠蔽いんぺいしているのだろうが、流石さすがに現在進行形で半壊はんかいしている研究所を完壁かんぺきに隠しおおせる事はできなかったらしい。
 と、黄泉川は両手を腰に当て、にこにこと微笑ほほえみながら、
「で、先生はいつでもお前の更生を願っているじゃんけど」
「は? あァ、お前ナニ言って―――」
「何で車のカギ穴をのぞき込むみたいな中腰じゃんよ。まさかと思うが、こんな所で私に手錠てじようを使わせるつもりじゃないじゃんな?」
 ギクゥ!! と浜面の肩が大きく動いた。
 ここでパクられる訳にはいかないので、首をプンプンと横に振りつつ、
「ちっ、違うんだ! 赤ちゃんが!! 車内に赤ちゃんが取り残されて!!」
 なにっ!? と黄泉川が慌てて近づいてきて、ぺたっと車のガラスに両手を押し付けて中を覗き込もうとする。
 途端に鑑動する警報装置。
 ピリピリピリピリーッ!! というけたたましい音に黄泉川があたふたとし、浜面が口笛を吹いて他人のふりをしていると、今まさに崩壊しつつある素粒子工学研究所の方から一台のステーションワゴンが猛スピードで走ってきた。
 浜面たちの横をステーションワゴンが通り過ぎると、今度は研究所から麦野沈利むぎのしずりが走ってきた。その片手は同じ『アイテム』のメンバー、天然系の滝壺理后たきつぼりこうの首根っこをつかんでいる。
 彼女達は先ほどまで浜面が乗っていた4ドアの後部座席に飛び込みつつ、
「浜面!! 下手なナンパしてないでこっち来い! あのステーションワゴンを追うの、早く!!」
「ナンパじゃねえよふざけんな!!」
 浜面は適当に叫び返して車に引き返した。本当はブースタの八九年モデルが惜しいのだが、まさか黄泉川の前で堂々と盗難する訳にもいかない。
 運転席に乗ってエンジンを鳴らすと、ようやく黄泉川が声を張り上げた。
「ちょっと待った浜面!! その車はどうしたじゃんよ!?」
「見りゃ分かんだろ免許取ったんだよ!!」
 超適当にうそをつくと。一刻も早く黄泉川の前から消えるために必要以上にアクセルをみつける。急発進にエンジンとタイヤが不気味な悲鳴を発し、ジャージ女教師を残してファミリーカーが爆走した。
 と、発進してから浜面はまづらは気づく。
「お、おい。絹旗きぬはたとフレンダの二人はどうしたんだよ!?」
「あいつらはあれぐらいじゃ死なない。今はあのステーションワゴンが先!!」
 苛立いらだった声で麦野むぎのが答えた。
 彼女の半袖はんそでコートの端は黒くげていて、ほおなぐられたようにれていた。ルームミラーでそれを確認しながら、浜面は研究所で起きた事を想像する。
「何でこんな事になってんだよ、お前。第四位のくせに」
「向こうにも超能力者レペル5がいたの。垣根帝督かきねていとく、第二位のクソッたれがね」
 ふてくされたように麦野は答えた。
「でもこっちもやられっ放しじゃない。『スクール』のメンバーを一人つぶしてきたし。ま、あの中じゃ大したカはなさそうだったけどね」
 戦利品なのか、ゴツい機械製のヘッドギアを軽く振った。土星の輪のように三六〇度ぐるりと頭をおおうもので、無数のプラグらしきものがある。そこから伸びるコードは、雑草を刈り取るように途中で千切ちぎれていた。何に使う装置かは知らないが、べっとりと血がついているのが怖い。
「で、あのステーションワゴンを追ってどうするんだ?」
「乗ってるヤツをたたつぶして積み荷は回収」
「積み荷って?」
「『ピンセット』。超微粒物体千渉用吸着式マニピュレータだね」
「……説明する気ねえだろ」
「とにかくそいつが『スクール』の目的だったんだっつの!! 分からなくてもステーションワゴンは追えんでしよ!! っつかこの車で追い着けるんだうね!?」
大丈夫だいじようぶ
 言ったのは、浜面ではなく滝壺たきつぼだった。
 彼女は後部座席で、だらっと手足を投げ出しつつ、
「私の『能力追跡AIMストーカー』は、一度記録したAIM拡散力場の持ち主を徹底的てつていてきに追い続ける。たとえ彼らが太陽系の外へ出たって私はいつでも検索・捕捉ほそくできる」
「だとさ」
 浜面は適当に言葉を引き継いで、
「優秀なナビがいてくれりゃ見逃す事はねえさ。それより、あの車の動きを封じた後はどうするん―――」
 浜面の言葉が途切れる。
 すぐ横の道から、いきなり大型のクレーン車が飛び出してきたからだ。
「ッ!?」
 ハンドル操作をする余裕もなかった。
 浜面達はまづらたちの乗る4ドアの腹に、怪物のよラなサイズのクレーン車が思い切り激突した。グシャア!! というすさまじい音が脳にひびく。センサーが反応してハンドルのエアバッグが作動したが、横からの衝撃しようげきなのであんまり意味があるとは思えなかった。
 まっすぐに走っていたはずの浜面の車が、クレーン車に押されるように真横へ進む。
 そのままガードレールを突き破り、歩道に乗り上げ、ビルの壁に激突した。
 黄色いクレーン車とコンクリートの壁に挟まれ、4ドアは完壁かんペきに動けなくなった。
 周囲へのさわぎや被害は考慮こうりよせず。
 どうやっても浜面達をここで殺す気だ。
「……痛っ……」
「くそ……。『スクール』ね。どうしてもあのステーションワゴンを逃がしたいらしい。私らの足止めに出てきたんだ!!」
 麦野が噛みつくように言うと、クレーン車は一〇メートルほど後退する。保護ガラスにおおわれた運転席には、一四歳ぐらいの少女が座っていた。小柄で華奢きやしやな体つきにもかかわらず、まるでホステスみたいな背中の開いた丈の短いドレスを着込んでいる。
 もう一度ぶつける気か、と浜面は痛む体で思ったが、そうではなかった。
 少女が何かレバーを操作すると、クレーンのアームが伸びた。その先端に取り付けられているのは、荷物をり上げるための金属製フックではない。
 建物をこわすための、直径数メートルものサイズの巨大鉄球だ。
「ちくしょう!!」
 麦野が叫び、後部ドアを開けようとしたが、車体がゆがんでいるせいか開く様子はない。
 浜面はレバーを動かして助手席を倒しながら、
「フロントガラスから出るんだ!! 早く!!」
 浜面は細かい亀裂きれつの入った前面のフロントガラスをたたき割り、ボンネットの上へ飛び出す。麦野と滝壺たきつぼが倒した助手席の上を通って前の席へと回ってくる。
 その時、振り子のように鉄球が放たれた。
 ゴォッ!! といううなる音と共に巨大な塊が向かってくる。先に麦野がフロントガラスからボンネットへ脱出し、浜面は慌てて滝壺の手をつかんで引っ張り出したが、そこへ思い切り鉄球が車の横へ突っ込んだ。
 轟音ごうおん炸裂さくれつする。
 ボンネット上にいた三人が横からの衝撃で地面に振り落とされる。顔を上げようとした浜面の後頭部を麦野が掴んだ。彼が地面に伏せる格好になった時、一拍遅れて乗用車が炎をき散らして爆発した。全員生きているのが不思議なぐらいの状況だ。
 ゴゥン、というクレーン車の不気味なエンジン音がひびく。
 爆発音を聞いて集まり始めた野次馬やじうまなど、お構いなしの反応だった。
 麦野沈利むぎのしずりは舌打ちして、
「三手に分かれよう」
「戦わないのかよ、超能力者レベル5
「私の目的はあのステーションワゴンと積み荷の『ピンセット』。雑魚ぎこに構って時間かせぎに付き合うつもりはないからね。……あのクレーン女のチカラは鬱陶しいし」
 言うなり、麦野は車道を横断して細い道に入った。
 取り残された滝壺たきつぼは別の方向へ走る。
 浜面はまづらもビルとビルの間の路地へ突っ込み、そのままがむしゃらに走る。しかし、彼の背後から湿った足音が聞こえてきた。
(ヤバいそオイ、おれを追ってきやがった!!)
 走る浜面ののどが干上がる。クレーン車に乗っていたのは小柄な少女だったが、あの『アイテム』の四人と互角以上に戦った『スクール』の一人だ。どんな極悪な能力を持っているか分かったものではない。何しろ、超能力者レベル5の麦野が『鬱陶うつとうしい』と表現するぐらいなのだから。
 さらに逃げ続け、浜面はビル横に設置された金属製の非常階段を駆け上がり、適当な階で建物に入る。
 どうやら学生りようらしい。
 直線的な通路を駆け抜けると、背後でガチャリと扉の開く音が聞こえた。
(追い着かれた……ッ!?)
 浜面は反射的に振り返る。
 自分が入ってきたドアから、やはり小柄な少女がやってきた。派手なドレスを着た少女の手にはレディース用の、やたらグリップの小さい拳銃けんじゆうが握られている。
(死ぬ!?)
 浜面はてのひらを壁にたたきつけた。
 手近にあるボタンを押すと、鋼鉄でできた暴走能力用のシャッターがギロチンのように下りてきた。少女の目がわずかに見開き、素早く拳銃を構えて浜面に向かって発砲する。
 パンパン!! という高い音が連続した。
 思わず目をつぶった浜面だが、改めて目を開けてみると、鋼鉄のシャッターに穴は空いていない。壁のボタン近くにあるモニタを見ると、少女は舌打ちして自分の拳銃に目を落としている。
 どうやら相手の火力では、このシャッターは破れないらしい。
(……つまり何をやろうが、あの女はこの壁を越えられない訳だ)
 全身を安署あんどが包む。
 そこで浜面は世界で一番人を馬鹿にしたオモシロイ表情を作ると、両手を上に挙げ、友右にしりを振りながら『いっひいっひいっひいっひ!!」と叫んだ。
「―――、」
 同じく向こう側のモニタを見ていたドレスの少女は拳銃けんじゆう太股ふとももに仕舞うと、今度は後ろへ手を回す。
 腰の辺りから取り出されたのは、コーヒーの缶ぐらいの太い銃身を持った拳銃。
 というか、四〇ミリの小型グレネード砲だ。
「や、やべえ。―――これ絶対死んだんじゃね!?」
 浜面はまづらが慌てて通路の奥へ走ろうとしたが、少女は容赦ようしやなくグレネードの引き金を引く。
 シャッターが爆発し、こちら側にふくらんで吹き飛び、浜面は破片のあおりを受けて五メートル以上ノーバウンドで通路を飛んだ。
「ぐ、がああっ!?」
 転がった浜面は何とか起き上がり、壁に手をつきながらよろよろと通路の奥へ走る。
 その先はテラスになっていて、つまり行き止まりだった。
 どうやらこちら側の通路には階段やエレベーターはないようだ。
 手すりの向こうは、およそ三階分の高さ。
 しかし背後には正体不明の『スクール』の少女。
 どちらを選ぶかなど聞くまでもなかった。
(もちろん三階ダイブに即決定!! あんなあからさまに強そうなのに立ち向かうぐらいなら気合と根性で飛んだ方が一〇〇倍マシだ! 小物には小物の生きる道があるのでっす!!)
「ハハッ!! 負け犬上等オおおおおおおおおおおおおォォう!!」
 走りながら大声で笑い、手すりに足を乗せてそのまま三階から飛ぶ浜面。
 彼は飛ぶ前に下を見ていなかった。
 追っ手の事を考えるといちいち確認している余裕もなかったし、何より一度確かめたら怖くなって飛び降りられなくなると思ったからだ。
 しかし三階という高さは馬鹿ばかにならない。
(くそっ、なんか下にクッションになるものは―――ッ!!)
 と、空中で浜面が初めて地面へ目をやると、そこには乳母車うぱぐるきを押す幸せそうな若奥様が。
 青空を舞ラ浜面仕上しあげの脳が全力でノーと叫んだ。
「ぐオオおおおおおおおおおおおおッッッ!?」
 手足をわたわた振って距離きよりかせごうとするエアウォーク浜面。その甲斐かいあってか、彼の大柄な体は乳母車の横一五センチの位置に着地した。
 ビキィィィン!! とかかとから足首にかけて鋭い痛みが走る。
 若奥様はお上品にロへ片手を当てておどろき、乳母車の赤ちゃんは泣く事も忘れて目をまん丸に見開いている。
 若奥様は言った。
「え、ええと……どちらさまでしょう?」
「空から落ちてくる系のヒロインです。ここは危ない、早くお逃げなさいおじようさん」
 浜面はまづらはさわやかな笑みと共に適当な事を言って、すぐ近くにある路地へ飛び込んでいく。

     8

「チッ!!」
 派手なドレスを着た一四歳ぐらいの少女はグレネード砲と拳銃けんじゆうをそれぞれ仕舞うと、テラスの手すりに両手を当てて、三階下の路上へ目をやった。
 今まで追っていたはずの、馬鹿ばかそうな面構えをしたターゲットはどこにもいない。
 乳母車と若奥様がいるぐらいだ。
 少女は携帯電話を取り出すと、『スクール』の仲間へ連絡を取る。
「標的を見失ったわ。近くにいるのは幼な妻とベビーカーだけ。……ターゲットの男が幼な妻またはベビーカーに偽装しているという可能性はあると思う?」
 ばーか死ね、という言葉が返ってきたので。少女は携帯電話の通話を切ってふところへ戻す。
雑魚ざこだと思って油断してた。最初から能力を使っていれは良かったな……)
 もう一度忌々いまいましそうに路上へ目をやると、彼女はあきらめたようにそこから背を向けて、学生りようのエレベーターを探し始めた。

     9

 一方通行アクセラレータを乗せたオープンカーは第二三学区へ向かっていく。
 彼はとなりの運転席でビクビクしている若い男を横目で見ながら、ポケットから携帯電話を取り出す。
 少し考え、警備員アンチスキルへの通報ナンバーである三ケタの番号をブッシュした。
 電話に耳を当てると、出たのは警備員アンチスキルの通信センターのオペレーターではない。別の人間―――『グループ』に上から指示を出している『電話の男』が割り込んだのだ。
『何のつもりですか』
「あそこに電話を掛けりゃ、割り込まざるを得ないと思っただけだ。操られンのが嫌なら、テメェの言動を改める事だな」
 一方通行アケセラレータは遣当に言う。
「っつっても、今回はそのタガが外れちまってるけどな。『スクール』だ何だでそっちも忙しいみてェじゃねェか。どォやら、電話でお話しするだけじゃ人間は操り切れねエらしいな。今まで俺達おれたちに口出ししてこなかったのも、そンな暇がねェほど切羽詰せつぱつまってるからか?」
『本当にそう思いますか?』
「取りつくろってるつもりか、みっともねェ」
 一方通行アクセラレータと『電話の声』はわずかな間、だまっていた。
 やがて、一方通行アケセラレータは本題に入る。
「乗っ取られかけている衛星……特に「ひごぽしⅡ号』のデータを出せ。あれに搭載されている軍用レーザーの出力は?」
『おや、そんな事で良いんですか。もっと核心的な質問をしてもよろしいのですが』
「命を預けられるほど、オマエの言葉は信用しちゃいねェからな」
 これは手厳しい、とゆったりした男の声が返り、
『クラックを受けているひごぽしⅡ号に搭載されているのは、厳密には白色光波を利用した光学爆撃ばくげき兵器です。それと、あの段階では軍用ではなく実験用ですね。対象を四〇〇〇度程度の高温で焼くものですが、白色光波は紫外線同様に細胞核を破壊はかいするカも有しますので、急速なガン化を促す事にもなります』
 ナメたオモチャだ、と一方通行アクセラレータは思ったが口には出さない。
「……照射範囲は?」
『最小で半径五メートル、最大では半径三キロほどです。連射性能は大した事はありません。一時間に一発てるかどうか、という所ですよ。それと、大気圏によって白色光波はランダムに屈折しますから、精度の方も若干じやつかんの誤差があります』
 実験用の域を出ませんからね、と電話の男は軽い調子で言った。
 一方通行アクセラレータはそれ以上何も言わず、だまって通話を切った。
 携帯電話を眺め、もう片方の手で拳銃けんじゆうを運転手に突きつけつつ、オープンカーの助手席で一方通行アクセラレータは考える。
(半径三キロを焼き払うだと。ヤツら、一体何をするつもりだ……?)
 と、携帯電話の着信音が鳴った。
 またあの電話の男か、と思ったのだが、相手は違った。
一方通行アクセラレータさん……で、合っていますよね。海原うなばらです』
 声を殺している、というか、マイクに手を当てているような聞き取りにくい声だった。
『今は変装中なので、「この声」で話しているだけで危険なんです。ですから、手短に行きたいと思います』
「なンだ。『スクール』の連中の目を盗ンでコソコソ内緒話ないしよばなしか? りィが助けに来いってンなら聞かねェよ。今は衛星へのクラッキングを止める必要があるからな。オマエが『スクール』を止めるっつーなら聞いてやっても良いが」
『「スクール」じゃないんです』
「あ?」
「今、自分がいるのは、そして衛星へのクラッキングを仕掛けているのは、「スクール」ではなく「ブロック」です」
「……、」
 海原うなばらが言うには、『スクール』のほかに、『ブロック』という組織もこの日に合わせて犯罪計画を練っていたらしい。
「面倒臭ェ。じゃあ『スクール』が起こした親船最中おやふねもなか狙撃そげきはどォなってンだ」
『自分に当たらないでください。……というか、狙撃?』
 海原は怪訝けげんな声を出したが、とりあえず話の軌道を戻していく。
『事前にウィルス保管センターや外部接続ターミナルへの「攻撃」が行われていますから、学園都市のネット対策チームも右往左往しているでしょう。現状だと……あと二〇分程度でクラッキングが完了し、「ひごぽしⅡ号」は「ブロック」の手に落ちてしまいます』
 くそったれが、と一方通行アクセラレータき捨てる。
「……何で第二三学区は衛星の管制を一時凍結させねェンだよ」
『理由は色々あるんでしょうけど、おそらく通常のマニュアルに従って一時凍結させようとすると、それだけで一時間以上は必要でしょうね』
 宇宙関連は扱う金のケタが違うだろうし、一時的でも衛星とのリンクを断つと膨大ぼうだいな損害を受けるのは分かるが、クラッキングが判明した時点で回線を切断してしまえば良いものを、と彼は苛立いらだち混じりに考える。
「その『ブロック』の連中は『ひごぽしⅡ号』で何をしよォとしている」
『おそらく予想してはいると思いますが……衛星に搭載されている光学兵器です』
「取り引きか」
『いいえ。直接的な攻撃でしよう』
 一方通行アクセラレータは舌打ちする。
「ターゲットは」
『……第一三学区ですよ』
 第一三学区? と一方通行アクセラレータまゆをひそめた。
 あそこには今、外部接続ターミナルの関係で土御門つちみかど結標むすじめが向かっているはずだ。
(あるいは、『グループ』を潰すために……?)
 少し考えたが、それはないと思った。衛星を乗っ取るという大規模な行動の割に、確実性に欠ける。事件が起きたからといって、必ず『グループ』がその対処を行うとは限らないのだ。
「あンな所をねらったって、外部接統ターミナル以外にロクな施設はなかっただろォが。幼稚園やら小学校ばかりが集まってるだけだぞ」
『ですから、それが狙いなんです』
 海原うなばらは説明するのも嫌だという感じで、忌々いまいましそうに低い声で答える。
『第一三学区は学園都市でも最も幼稚園や小学校が集中している学区です。そこを攻撃こうげきすれば最年少の住入の大半が虐殺ぎやくさつされる。するとどうなるか。……ぶっちゃけた話、そんな所へ自分の子供を預けたいと思う親がいると思いますか?』
「……、」
『学園都市はあくまでも学生の街です。どれだけの住人がいても、いつかは卒業していきます。新入生がいなくなってしまえは、都市の人口は減るばかりで、最後には機能もできなくなるでしょう』
「……一〇年単位で、この街をゆっくりと殺していくつもりか」
 実際には学園都市は様々な科学技術を掌握しようあくしているため、財政面ではそれほど簡単には倒れないだろう。しかし、それにしても『子供のいなくなった学園都市』はその存在意義を奪われるにも等しい事に変わりはない。
 一方通行アクセラレータは少し考え、
「オマエの方からそれを止められるか」
『それができれは相談していません』
「第一三学区の住人を避難ひなんさせる手は?」
『パニックを起こした子供たちが学区のあちこちで将棋倒しを起こす危険があります。しかも今日は祝日ですよ。りように残っている子供達は教師の手でまとめられるかもしれませんが、第一三学区で遊んでいる方まで管理しきれているとは思えません』
「役立たずが。結局、おれが衛星通信用の地上アンテナをぶちこわすしかなさそォだな」
『お願いします。こちらは引き統き情轍を収集して、可能な限りそちらへお伝えしたいと思います』
 言って、海原は通話を切った。
 一方通行アクセラレータは携帯電話をポケットに仕舞うと、オープンカーの進行方向へ目をやる。
(あと二〇分程度で『ひごぽしⅡ号』が乗っ取られる、か)
 オープンカーが第二三学区に到着するのは扮よそ一〇分後。
 のんびりやっている暇はなさそうだ。
「急げよ。こっちも予定が詰まってる」
 もう一度、分かりやすく銃口を押し付けると、律儀りちぎにオーブンカーの速度が上がった。

     10

 初春飾利ういはるかざリ打ち止めラストオーダーは第七学区の駅のホームにいた。打ち止めラストオーダーは電車は初めてらしく、辺りをウロチョロして危なっかしいので初春は手をつないでいる。
(まったく……何で私がこんな事を)
 元々はタクシーのお釣りを渡して警備員アンチスキルに預けたのだが、一体どういうスキルを使ったのか、気がつけは打ち止めラストオーダーは詰め所を抜け出して再び街の雑踏ざつとうをウロウロしていた。このままでは何度預けても同じ結果になるとんだ初春ういはるは、こうして迷子捜しを手伝っている訳である。
(それにしても、打ち止めラストオーダーってどんな能力なんだろう?)
 ちょっと聞いたぐらいでは中身の想像できない呼び名だった。能力名は学校側が決める『念動カテレキネシス』や『発電能力エレクトロマスター』といったシンプルなものと、学生自身が決める『超電磁砲レールガン』などに分けられる。おそらくこの子の能力名も自分で決定したものだろう、と初春は適当に想像した。
「何で電車が来ないの? ってミサカはミサカは首をかしげてみたり」
「貨物列車が通過するみたいですね。というか、迷子は一体どの辺にいると考えているんですか?」
「ううん、どうもあっちの方から近づいてくるような気がするの、ってミサカはミサカは眉間みけんにしわを寄せながら答えてみる」
 どうやら打ち止めラストオーダーは何らかの能力を使って迷子を捜しているようなのだが、いまいちその精度は正確でなさそうだ。
「こんなので本当に迷子を見つけられるのかな、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり」
大丈夫だいじようぶですよ」
「超アバウトな応援ありがとう、ってミサカはミサカは一応お礼は言ってみる」
「そんなあなたのアホ毛に元気が出るように、プレゼントを差し上げます」
「ええっ!? 頭のお花って自由白在に取り外せるの、ってミサカはミサカは驚愕きようがくあらわにしてみたり!!」
「はいこれ。ハイビスカスの花言葉は『まぁやってみたまえ』です」
「しかも間違った花言葉を堂々と宣言しているし、ってミサカはミサカは混乱してみる!!」
 打ち止めラストオーダーはぐだぐだ言っているが、初春は笑顔で無視した。
 その時、バォオオオ!! という爆音が初春の耳に入ってきた。そちらを見ても何も分からなかったが、どうもスポーツカーがものすごい勢いで走っているらしいのが、排気音のひびきで伝わってくる。
「一体どこを走ってるんでしょうね。警備員アンチスキルもしっかり取りまってくれないと」
 初春はあきれたように言ったが、打ち止めラストオーダーは何やら眉間みけんしわを寄せてうんうんと考え事を始めていた。

     11

 浜面仕上はまづらしあげは路地から大きな通リへ飛び出した。
 そこで立ち止まり、荒い息をいて、それから周囲を見回す。
 休日を楽しんでいる少年たち怪訝けげんな目を向けてくるが、とりあえず襲撃者しゆうげきしやの影はなかった。浜面はまづらは額の汗をぬぐって、近くにあった自動販売機で冷たい鳥龍茶ウーロンちやを買って、それに口をつけながらようやく安堵あんどする。
(と、とりあえず生き延びたか……。上の『アイテム』の連中は大丈夫だいじようぶだったのか? だーちくしょう。もう全部丸投げにして、どこか旅に出たい)
 しかし無情にも携帯電話が鳴りひびいた。
 画面を見て浜面はうめき声をあげる。
『アイテム』の麦野沈利むぎのしずりだった。
「よー。電話に出たって事は、とりあえず生きてるみたいだね。……手錠てじようをかけられて電話を耳に押し付けられてる、なんてヘマはしてないでしょね?」
「一応生きてるぜ……。おれが『当たり』を引いたんだから、そっちは無事なんだろうけど」
「そりゃご苦労さん。おかげで私は楽ができた。んで、悪いんだけどすぐに戻ってくれないかな。したの雑用係に仕事ができたの』
 仕事? と嫌そうな顔をする浜面に、麦野は続けて言う。
 あっさりと。
『死人が出たの。こいつの処分を頼みたいんだけど』

     12

 一方通行アクセラレータを乗せたオープンカーが第二三学区のターミナル駅の近くでまった。
 彼は呆然ぼうぜんとしている運転席の若い男に紙幣しへいを何枚か投げ渡し、オープンカーを降りる。
 ここは第二三学区唯一の駅だ。
 たくさんの路線がここへつながっているのだが、その駅の中で貨物用のホームは一番端にある。終点であるにもかかわらず、線路はさらに奥へ奥へと続いていた。列車を整備するための操車場に繋がっていて、コンテナが大量にある場合はそちらでも荷を下ろす事ができるのだ。
 一方通行アクセラレータ邪魔じやまつえを気にしつつ、駅の施設の外周をなぞるように移動しながら、地上アンテナを目指す。彼が歩いているのは関係者以外の立ち入りが禁止されたコンテナ置き場だ。
(時間はおよそ一〇分弱。大物アーティスト並のスケジュールだな)
 彼は首の電極へ意識を向ける。
(衛星用の地上アンテナはここから数キロって所だが、そこまで一般車で行くのは無理だな)
 バッテリーの残量は三〇分程度。可能な限り消費は抑えたいが、ここは使うしかないだろう。今から車を探すのは面倒だし、ベクトル変換能力を使って『走った』方が速そうだ。
 そう思い、一方通行アクセラレータは首筋にあるスイッチへ手をやろうとしたが、

「おやおや。これはいけませんね」

 真後ろから、いきなり柔らかい男の声が聞こえた。
 今までだれかがいるとは思えなかった。
「ッ!!」
 バッ!! と一方通行アクセラレータはズボンのベルトに挟んだ拳銃けんじゆうを引き抜きつつ振り返ったが、そこには誰もいない。
 現代的なデザインのつえをつく体が、わずかに揺れる。
 彼は左手にある拳銃の先端で、首の電極のスイッチを押そうとしたが。
「それがあなたの弱点ですね」
 その手を後ろからつかまれた。
「どんなに強い能力でも、スイッチさえ押さえてしまえは発動できないんですよね」
 一方通行アケセラレータがその手を振りほどく前に、ガギン!! と側頭部に重たい衝撃しようげきが走り抜けた。こぶしなぐる感じではない。まるで鉄パイプや鉄槌てつついで殴ったような鈍いものだった。
 彼の顔の横に、どろっとした液体が垂れる感触がした。
「っ! オマエ……『ブロック』か!?」
「いえいえ。私は『ブロック』ではなく『メンバー』ですね」
 背後からの声。
 メンバー。
『グループ』や『スクール』と同じ、五つの組織の一つ。
(クソッたれが。次から次へと―――ッ!!)
「連中とは利害が一致している訳ではないんですけどね。とりあえず、衛星の地上アンテナ破壊はかいめさせていただきますからね」
 ぐらぐらに揺らぐ頭で後ろを見たが、やはりそこには誰もいない。
 だが、一方通行アクセラレータは迷わなかった。
 そちらに目をやったまま、真後ろへ自分の足を振り、襲撃者しゆうげきしやの足をつぶす。その衝撃しようげきで左手の拘束が解けると、一方通行アクセラレータは振り返りもしないで拳銃だけを後ろへ向けて二、三発立て統けに発砲する。
「―――ッ?! チッ!!」
 当たりの感触を掴んでから、一方通行アクセラレータは首の電極のスイッチを素早く切り替える。
 通常モードから能力使用モードへ。
 それから勢い良く振り返る。
 やはりそこには誰もいなかった。
 しかし軽くあちこちへ目をやると、発砲音におどろいて近づいてきた鉄道員の背後に、だれかが立っていた。
 その男は、わき腹と太股ふとももかするような浅い傷を作り、血を流していた。ダウンジャケットが裂け、羽毛が赤く染まっていた。としは高校生ぐらいで、そいつは後ろから鉄道員の首に洋風のノコギリを押し付けている。
 一方通行アクセラレータは鼻で笑った。
「他人の背後に回る事しかできねェ空間移動系能力者、か。つまンねェ能力の持ち主だ。レベルは4まで届いてねェだろ。普通、自分の重量を動かせる空間移動系なら、その時点で大能力レペル4扱いされるのにな」
「っ」
「負け犬が。自分の力で一一次元上の理論値を計算できねェから、他人の位置情報を元に補強してもらわねェと能力の発動もできねェ。身に余ってンぜ、そのチカラ」
「……電極にたよるあなたには言われたくありませんがね。それと、おしゃべりは終わりですね。『博士』からもたのまれていますので、ここで足止めさせていただきますかね」
「人質か? 盾にもならねェよ。そもそもおれねらいはオマエじゃなくて衛星の地上アンテナだ」
「あなたは人質を捨て置けない」
 死角移動キルポイントとでも呼ぶべきか、とにかく襲撃者しゆうげきしやの男は鼻で笑った。
「そうでないなら、そもそもここまで来て『ひごぽしⅡ号』を止めようとも思わないはずですしね。他人こいつの命を使えば、あなたは必ず止まってくれますよね? まぁ足りないと言うのなら、もっとたくさんの血の海を作ってあげても良いんですけどね」
 ノコギリを首に押し付けると、若い鉄道員が『ひっ』と声を上げた。
「……美学が足りねェな」
 それを見た一方通行アクセラレータは、ゆっくりと拳銃けんじゆう構える。
「悪党の美学ってヤツが全く足りてねェよ、オマエ」
「私をつつもりなら、やめておいた方が良いですね。その銃の照準は、左右方向へかなりの誤差があると思いますからね」
 言われてみれは、確かにいつもと手応てごたえが違う。
 おそらく一方通行アクセラレータが背後に密着した死角移動キルポイントを撃った時に、死角移動キルポイントの手が照準装置を乱雑に動かしたのだろう。その気になれは再調節は可能だが、この緊迫きんぱくした状態でのんびりとメンテナンスを行っている暇はない。
 多少の照準がずれていたとしても、一方通行アクセラレータの腕ならターゲットに当てるのは難しくない。
 しかし、人質が盾に使われている場合は別だ。
 世の中には、勘で対処して良い問題といけない問題がある。
「なるほど。確かにこいつは面白い状況じゃねェな」
「で、どうします?」
「こォしてやる」
 言いながら一方通行アクセラレータは、拳銃けんじゆうを自分のこめかみに向けた。
 死角移動キルポイントが何か思う前に、一方通行アクセラレータは迷わず引き金を引く。
 パン!! という発砲音と共に、
「ぐッ、ああああああああああああああああッ!?」
 死角移動キルポイントの体が大きくけ反った。
 その肩に赤黒い風穴が空いている。死角移動キルポイントは何とかん張ろうとしたが、そのまま地面へ倒れ込んだ。
 一方通行アクセラレータが自分の頭に当てた弾丸を、ベクトル操作して死角移動キルポイントへ向けたのだ。
 拳銃を軽く横へ振り、一方通行アクセラレータは鉄道員に『どけ』と示す。
 慌てて転ぶように横へ逃げる鉄道員を見ながら、一方通行アクセラレータは改めて銃口を前へ。
「確かに銃の照準はズレてるみてェだが」
 引き金に指を掛ける。
「一度おれの体を介して、ベクトルを『操作』しちまえはそいつは修正できる。俺のカの精度は拳銃の照準なンかとは比べ物にもならねェンだよ」
「くっ……」
 死角移動キルポイント一方通行アタセラレータへ顔を向けたまま、眼球だけを動かして周囲の様子を観察する。
 それを見た一方通行アクセラレータの口にあざけりが浮かぶ。
「イイぜ。だれの後ろへ回ろォが知った事じゃねェが、俺はオマエをぶち抜く。どこへ逃げよォが必ず次の一手でオマエを粉砕する。逃げろよ豚。そいつを肝に銘じて恐怖しろ」
「……ッ!!」
 死角移動キルポイントのどが干上がる。
 その表情を一方通行アクセラレータは無視した。
「さてと。美学が足りねェオマエに一つ教えてやる」
 一方通行アクセラレータは口元に笑みを浮かぺ、静かに言った。

「これが超一流の悪党だ、クソ野郎」

 パンパン!! と銃声が連続した。
 死角移動キルポイントは多少抵抗したが、すぐに動かなくなった。

     13

 浜面仕上はまづらしあげは広大な空間にいた。
『スクール』の追っ手から逃げきった後に待っていた仕事は、得体えたいの知れない焼却処分だ。
 ここは今はだれも使っていない。廃墟はいきよとなったビルだ。その建物の半端はんぱな階の真ん中に、何故なぜか巨大な装置が鎮座ちんざしている。分厚い金属でできたコンテナほどの大きさの塊の正体は、実験動物廃棄用の電子炉だ。三五〇〇度近い膨大ぽうだいな熱を使って、動物の死骸しがいと各種細菌をまとめて殺菌処分してしまう。
「……どうやって電力を引っ張ってんだか。コンセントぐらいじゃ足りないだろうに」
 浜面は揚違いな大型装置を見てポツリとつぶやいた。
 彼の仕事は簡単だ。
 大金庫の扉のように巨大なハンドルのついた金属ふたを開け、その中に黒い寝袋を放り込み、再び金属蓋を閉めて、今度は電子炉を操作する。操作と言っても事前の調節は済ませてあるので、後は赤くて目立つ着火ボタンを押せば良いだけだ。
 寝袋の中身については考えない方が良い。
『アイテム』の麦野沈利むぎのしずりにはそう忠告されていた。
 浜面としてもそうしたい。
『アイテム』だの『スクール』だの、そういった極秘集団の思惑など、実の所したの浜面はあまり深く考えていない。この街で生き残るために必要だからここにいるだけなのだ。
(……、)
 しかし、黒い寝袋の妙に生々しい重さを感じるたび、分厚い合成布を通して伝わるぶよぶよした感触をてのひらとらえるたび、脳裏に見た事もない誰かの顔が想像された。浜面はそれを無理に振り切って。寝袋を電子炉の中へ放り込み、分厚い金属蓋を閉めてロックを掛ける。
 後は赤いボタンを押すだけだ。
 電気的に作られた三五〇〇度の熱は、あっという間に死体を処分し、DNA情報すら破壊はかいして、人間を単なる灰へと変えていくだろう。
 浜面は寝袋の中に入っている人間の事を少しだけ考えたが、それでも親指をボタンに掛けた。
 できるだけ何も考えないようにしていたら、本当に顔から表情が消えた。
 その事に少しだけ恐怖を覚え、指先がふるえた途端に、自分の意志とは関係なしに指の腹が赤いボタンを押してしまっていた。
 ゴゥン、という低い音と共に『処分』が始まる。
 浜面はしばらく何も言わずにそれを眺めていたが、やがて一歩、二歩と後ろへ下がると、そのままほこりだらけの床に座り込んでしまった。
「……、」
 あの寝袋には一体だれが入っていたんだろう。
 そいつは浜面はまづらと同じした無能力者レベル0かもしれないし、大物の能力者の可能性もある。子供とは限らないが、大人であるとも断言できない。敵だったのか、いや味方でもヘマをすれは麦野むぎのは殺すかもしれない。どんな事情を抱えていたかは知らないし、あるいは何の事情もなく巻き込まれただけという事もありえる。
 それら全すべてが焼かれて消える。
 あの分厚い金属の装置の中で、人間がまったく別の何かへ変わっていく。
 法的に『人間』と認められなくなった『灰』は、どこへともなく消えていくだろう。その辺にある生ゴミの自動処理オートメーシヨンの中にでも放り込まれ、グチャグチャにかき回されて肥料として出荷されるかもしれない。仮にゴミの中から『灰』が見つかったとしても、もうそれは人間として扱われない。DNA情報を紛失した肉体は、物的な証拠として認められないのだから。

「はまづら」

 後ろから声をかけられても、浜面仕上しあげはしばらく動けなかった。
 電子炉からはピーピーという甲高い音が鳴っていて、焼却処分が完了したというむねの文章がモニタに表示されている。
「はまづら。どうしたの?」
 彼の背後から話しかけているのは、『アイテム』の滝壺理后たきつぼりこうだろう。
 別名は能力追跡AIMストーカー
 浜面と違って、大能力レベル4という高いチカラを持つ少女。
 そのカゆえに道を誤ったのだろうが、浜面にとってはうらやましい限りだ。
「……人の命って、何なんだろうな」
 ぐったりと力を抜き、ただ視線を電子炉に向けたまま、浜面は言った。
 別に死体を見るのは初めてではないくせに、胸にかかる重圧は相当なものだった。
「ちくしょう。無能力者おれたちの命って、一体いつからこんなに安くなっちまったんだよ……」
 はまづら、と名前を呼ぶ声が聞こえた。
 彼はその声を無視して起き上がると、電子炉のふたを開けて中身の灰をかき集めた。
 浜面仕上の仕事は、まだ終わっていない。

     14

 海原光貴うなばらみつきは第一〇学区の雑居ビルにいた。
 ここは『ブロック』の隠れ家の一つとして機能している。
 今は『ブロック』の正規メンバー三人と、その下部組織の戦闘員せんとういんが十数人集まっていた。もっとも、その正規メンバーの一人に海原光貴うなばらみつきはすり替わっている訳だが。
「……そろそろだな」
 佐久辰彦さくたつひこくまのような巨体を揺らして言った。
 彼の前には一台のノートバソコンがあった。見た目はコンパクトだが、本体からコードが伸びていて、その先には積み過ぎたサンドイッチのようなものがある。どうやら市販のCPUを一五枚近く平積みし、その隙間すきま隙間に液冷チューブを通しているらしい。
 筋肉質の女性、手塩てしおは画面を見ながら、佐久に話しかける。
「成功したのか」
おおむねな。ウィルス保管センターをダミーに使ったおかげで、第二三学区も手薄てうすになった」
 佐久は手塩の方を見ないで口を動かす。
「これで、隅から隅までアレイスターのにおいがみ渡った、クソみたいな世界からおさらはできる。こいつはそのための第一歩って所だな」
 特にく者を意識した演説という訳ではない。佐久の口調は独り言に近い。
 にもかかわらず、彼の言葉には力を感じさせるものがあった。
「ここはまだ第一歩。ゴールまでにゃ距離きよりがあるが、それでも第一歩、だ」
「……、」
 海原は、さりげなく壁に掛けられた時計へ目をやる。
 衛星が乗っ取られるまで、あと数分しかない。
 一方通行アクセラレータからの連絡はない。地上アンテナの破壊はかいに成功したかどうかも分からない。海原は、自分のふところへ注意を向けた。そこにあるトラウィスカルパンテクウトリのやりについて考える。
(……あのパソコンを破壊すれば済む話ですが、そうなったら自分の命はないでしょうね)
 じっとりとてのひらに汗が浮かぶ。
 決断までの猶予ゆうよはない。
 しかしそこで、手塩恵未めぐみがこう言った。
「第二三学区で、動きが、あったようだ。現地の警備員アンチスキルが、数名倒されている。通信を、傍受した限り、救急隊が、首をかしげるほど、命に別条は、ないらしいがな」
 その場の全員が女の方を見た。
警備員アンチスキルが、倒れた点と点を、結べば分かるが、そいつは、ターミナル駅から、地上アンテナへ、ぐ進んでいる。すざまじい速度だな。とても、徒歩とは、思えない」
「どこの所属だ」
 佐久は尋ねた。
「どうせまともなヤツじゃあないだろう。アレイスターの犬となると、『メンバー』の連中か」
「いや」
 手塩てしおはあっさりと言う。
「『グループ』だろう。あの白髪には、見覚えがある。確か、最近こっちへ来た、超能力者レペル5だ」
(……見覚えがある?)
 海原うなばらは疑問に思ったが、それはすぐに解決した。
 手塩の手には携帯電話よりやや機能が充実した、ビジネス用の小型端末があった。そしてその画面には、超望遠で映したらしき粗い映像がある。
 画面端の数字によると、倍率は四〇〇〇倍。おそらく第二三学区の外に『ブロック』の下部組織の人間を置いて、そいつに撮影させているのだろう。
 モニタには、地上アンテナへ向かう一方通行アクセラレータが映っていた。
 彼の能力を使えは、直径二五メートルのパラボラを破壊はかいするなど造作もないだろう。
 そして、それをこの『ブロック』がだまって見ているとは思えない。
(まずい、いや、大丈夫だいじようぶか……? たとえ捕捉ほそくされていたとしても、あの距離きよりから正確に狙撃そげきするのは不可能でしょうし)
「どうするんだ」
 手塩恵未めぐみは端的に指示を仰いだ。
 くまのような巨体の佐久さくへ、全員の視線が移る。
「そりゃあ決まってる」
 特にあせりのない声を聞いて、海原の全身に緊張きんちようが走る。
 何か対策があるのだ。
 地上アンテナの近くに無線起爆式の爆弾か何か仕掛けてあるのだろうか、とも考えたが、熊のような大男の答えは別のものだった。

「あいつの成功を祈るだけだ」

 海原光貴みつき一瞬いつしゆん、訳が分からなくなった。
 しかしすぐに思考は回復する。
(しまった……。こいつらの狙いは!?)
「俺おれたちの能力じゃあ、第二三学区の正面突破は難しかったからな。しかしまあ、地上アンテナを破壊しない事には始まらない。だから、もっと有能な馬鹿ばかに手伝ってもらう必要があったって訳だ」
「意外に、考えすぎだったのかも、しれない。超能力者レペル5は、もうアンテナに、到着している」
「この状況をどっかで観察してる『上』が道を開けたんだろ。あそこには空軍関係の兵器がゴロゴロある。本来なら攻撃ヘリHsAFH-11を主力とした無人兵器が迎撃に当たってるはずだ。ま、あの超能力者レペル5ならそれでもぎ倒せそうだけどな」
(搭載されていた光学兵器に気を取られていましたが、ひこぼしⅡ号の主な使用目的は学園都
市と周辺地域の監視……。地上アンテナを奪うという事は、その攻撃こうげき能力だけでなく、監視機
能までも麻痺まひさせてしまうという事になる!!)
 海原うなばらはポケットの中の携帯電話の事を考えたが、いくら何でもこのタイミングで場所をはなれて連絡を取るのは難しい。
 手塩てしお佐久さくの顔をジロリと見る。
「第一一学区、外壁の『外』で、待機している連中……本当に、使えるんだろうな」
「今回の『計画』に限れば、ああいう連中の方が適任だ。何だ、まさか無関係な人間を巻き込むのをためらってんじゃあねえよな」
 大男は必要のなくなったノートパソコンのクラッキングプログラムを停止させると、機材の電源を切って下部組織の連中ヘパソコンを軽く投げた。

「行くぞ。壁の外じゃあ五〇〇〇人の傭兵達ようへいたちが待っている」

 一〇月九日午後一時二九分。
 衛星通信用の地上アンテナは破壊はかいされ、各衛星の機能は封じられた。
 これによって、上空からの監視もうを失った学園都市の防衛機能は大幅に低下した事になる。

   行間 二

『スクール』所属の超能力者レベル5垣根帝督かきねていとくは第四学区にいた。
 ここは学園都市でも数多くの料理店が並ぶ場所で、食品に関する施設も多い。それらの一つである食肉用の冷凍倉庫の中ヘステーションワゴンを隠しているのだ。
「『アイテム』の気配はないし、どうやらひとまず逃げきったみたいだな」
 垣根はステーションワゴンの後部扉を開け、その中身を確認する。
 中にあるのは冷凍肉ではない。小型のクローゼットほどの大きさの、金属製の巨大な箱だ。
「……これが、『ピンセット』……」
『スクール』の下部組織の一員である運転手が、うめくようにつぶやいた。
 垣根は口元に笑みを浮かべ、
「超微粒物体干渉用吸着式マニピュレータ。ま、平たく言えは原子よりも小さな素粒子をつかむ機械の指だな。だから『ピンセット』なんだ」
 世界中の物質は複数の素粒子の組み合わせで成立している。素粒子工学研究所では物質から意図的に素粒子を抜き取り、不安定な物質を作って色々な実験を行っていたらしい。
 原子よりも小さい物質を、一般的なアームで掴み取る事は難しい。『ピンセット』では磁力、光波、電子などを利用して『吸い取る』方法を樺築しているようだ。
「一歩間違えば、原子崩壊ほうかいが起きてたかもしれねえんだがな」
「は?」
 何でもねえよ、と坦根は告げた。
「『アイテム』にぶっ殺されたスナイパーを補充したり親船おやふねったり、色々と下準備が面倒だったが、まぁ、それなりの価値はありそうで一安心だ」
 運転手はしばらく大型装置を眺めていたが、
「しかし、こんなものを強奪して、一体何をするつもりなんですか?」
「何ってそりゃお前、そのまんまだよ。細かいものを掴みたいんだ。そいつがアレイスターへの突破口にも繋がっている」
「???」
 運転手は訳の分からなそうな顔をしていたが、垣根は特に説明を追加しなかった。ステーションワゴンの荷台にあった工具箱を開けると、中からドライバーを取り出して、大型装置『ピンセット』のネジをゆるめていく。
「こ、こわしてしまうんですか?」
「組み直すんだ」垣根かきねはつまらなさそうな声で、「こいつがどうしてこんなデカいか知ってるか。盗難防止のためだ。本来、必要最低限のパーツだけを集めりゃ、もっと小さくできるはずだ」
 ガチャガチャという音がしばらく続いた。
『ピンセット』はすぐに組み直され、本来の最適化された形に変化する。
 垣根が手にしているのは金属製のグローブのようなものだった。人差し指と中指の二本にはガラスでできた長いつめのようなものがついていて、そのガラスの爪の中に、さらに細い金属のくいのようなパーツが収まっている。手の甲の部分には携帯電話のような小さなモニタがあった。
 ガラスの爪から素粒子を抽出し、その中の金属杭が各種測定を行うらしい。
「そ、そんなに小さくなってしまうんですか」
「ま、それが学園都市の先端技術ってヤツだ。発展し過ぎても間題なんだよな」
 垣根はグローブを右手にはめて調子を確かめながら答えた。
「よし、良い感じだ。……ほかの連中と運絡つけろ。次の行動に移るぞ」
 はい、と運較手がうなずいた時だった。
 バギン!! という鋭い金属音が冷凍倉庫にひびき渡る。
 垣根と運転手がそちらを見ると、冷凍倉庫の分厚い壁が、ドアのように四角く切り取られて
いた。内側に倒れた壁の向こうから、真昼のまぶしい光が差し込んでくる。
 外にはだれもいない。
 しかし襲撃しゆうげきの手は確かにこちらへ向かってきた。
「ぎやっ。ぐあああああああああッ!?」
 運転手がいきなり絶叫する。
 垣根が目を向けると、運転手の顔の皮膚ひふが消失した所だった。さらに脂肪や筋肉が順番に消えていき、最後には脳みそもなくなり、服と骨だけになって地面に崩れていく。
 カラカラという音は、プラスチックのように軽かった。
 垣根はわずかにまゆをひそめる。
「垣根帝督ていとくか。超能力者レペル5をここで失うのは惜しい事だ」
 方向のつかめない声が垣根の耳に届く。
 彼は全方位に注意を向けながら、組み直したはかりの『ピンセット』を起動させる。
(まさかここで使うとはな)
「……『グループ』か、それとも『アイテム』か」
「残念だが、私は『メンバー』だ。時に垣根少年、君は煙草タバコを吸った事はあるかね?」
 音源不明な中年男性の声は、ゆったりとしていた。
「箱から煙草を取り出す時、指で箱をトントンとたたくだろう? 私は子供のころ、あの動作の意味が分からなかった。しかしとにかく見栄え良く思えたんだな。だから私は、菓子箱をトントンと叩いたものだ」
「ああ?」
「今の君がしているのは、そういう事だと言っているのだよ」
「ナメてやがるな。よほど愉快な死体になりてえと見える」
 その時、右手に装着した『ピンセット』からピッという電子音が聞こえた。
 モニタを見ると、採取した空気中の粒子の中に、機械の粒のようなものが見えた。電子顕微鏡サイズの世界の中に、明らかな人工物が混じっている。
「ナノデバイスか。人間の細胞を一つ一つむしり取っていやがったんだな」
「いや、私のはそんなに大層なものではないよ。回路も動力もない。特定の周波数に応じて侍定の反応を示すだけの、単なる反射合金の粒だ。私は『オジギソウ』と呼んでいるがね」
 どこにいるか分からない中年男性は退屈そうな声を出した。
「しかし、複数の周波数を利用すれは、テレビのリモコンを使ってラジコンを操るような感覚で制御できる。普段ふだんはこれを空気中の雑菌に付着させ、相乗りさせて散布している訳なのだよ」
 ザァ!! という音が垣根帝督かきねていとくの周囲を取り囲んだ。
 彼は辺りへ目を走らせたが、逃げ道を見つける前に『オジギソウ』がおそいかかる。

 機械製の獣を引き連れた『メンバー』の博士は、冷凍倉庫の外にのんびりとたたずんでいた。そ

の手にある小型端末には『オジギソウ』操作プログラムの稼働かどラ状況が表示されている。
 博士がいるのは、道路の歩道に沿うように築かれたバザーだ。この区画は業務用に限り路上駐車が認められていて、色とりどりの果物を積んだ、クレープの屋台のような商業用バンがズラリと展開されている。
 かたわらにいる機械のけものはこう言った。
『上からの情報通り、第四学区の冷凍倉庫でしたね』
「それが上層部の力なのだよ。学園都市は彼らの領土だ。この街には得体えたいの知れない技術があふれている。逃げ切る事などできんさ。どうあがいてもな」
 毒々しいほど真っ赤な南国の果物に口をつけながら、博士は静かに言う。
「私が芸術に絶望したのは、一二歳の冬だった」
 機械の獣は博士の言葉をだまって聞いている。
「ヨーロッパの建築にあこがれていた。たった一つの美を完成させるために、膨大ぼうだいな時間と人員を使って『作品』を築くスケールの大きさにれたのだ。だが、同時に理解するのは難しかった。ただ建物の外観を眺めて『美しい』と言うのは簡単だ。しかし細かな意匠の一つ一つまで丁寧ていねいに理解していこうとすると、建築はそのスケールゆえ莫大ばくだいな時間を必要とする。ていに言えば、見所が多すぎて疲れてしまうのだな」
『だから博士は数式に執着を抱いたのですか』
 うむ、と博士はうなずいた。
「数式は良い。無駄むだがなく、機能的で、最小のスペースに色とりどりの美が込められている。数式はそれ自体が芸術的な美しさを持ち、同時に俳句のような詩的な美をも兼ね備えているのだ。その上、それら数多くの美は、たった一行を紐解ひもとくだけで余す所なく堪能たんのうできるときた。……私は世界の隅に隠れた美を見つけ、この素晴らしい美をそっとでたいのだよ。そのためならは、だれの足元にでも平伏ひれふそう。アレイスターの犬と呼ばれても構わんよ」
 博士は腕時計に目をやった。
 そろそろ『オジギソウ』が敵性の排除を終えているころだ。
 第二位の超能力者レベル5を仕留めた事にアレイスターは良い顔をしないだろうが、それなら新しい超能力者レベル5を作ってしまえはそれで問題ないだろう。
「さて行くか。『ピンセット』を回収し、反乱分子である『スクール』のほかの正規要員をつぶせば仕事は終わりだ」
『我々「メンバー」の一人、査楽さらくが第二三学区のターミナル駅近辺でダウンした件は?』
「確か、一方通行アクセラレータからは『死角移動キルポイント』などと呼ばれていたな。まぁ死んでいないなら放っておいても大丈夫だいじようぶだろう。暇があるなら君が回収しておきたまえ」
 博士は言った。
 しかし機械製の獣は答えなかった。

 ゴッ!! という爆音と共に。
 冷凍倉庫が内側から粉々に吹き飛ばされたからだ。

 あまりの爆発力に、周囲のビルのガラスがまとめてたたき割られた。人々が悲鳴をあげて逃げ惑い、歩道に面したバザーの商業用バンでも軽いさわぎが起こる。
 もうもうと立ち込める粉塵ふんじん
 それを突き破って、垣根帝督かきねていとくがゆっくりと歩いてくる。
 彼の体に傷はない。
 傷一つない。
「よお。確か絶望したのは、一二歳の冬っつったよな」
 博士は慌てて『オジギソウ』へ指示を出すが、応答はない。空気中の微粒子が爆発によってまとめてぎ払われたせいで、近くを滞空する『オジギソウ』も遠くへ追いやられてしまったのだ。
 博士の切羽詰せつぱつまった様子を見て、垣根は小さく笑った。
 笑いながら、彼はこう言った。
「もう一度ここで絶望しろコラ」

第三章 超能力を封じられた土地で Reformatory.

     1

 馬場芳郎ばばよしおの全身から冷や汗が吹き出した。
 彼は博士と同じ『メンバー』の人間だ。遠隔操作で四足歩行のロボットを操って博士のサポートを行っていたのだが、
「あの野郎……真っ先に死んでんじゃねえよ!!」
 思わず悪態をついたが、死人は自分を助けてくれない。
 馬場は舌打ちすると、撤収てつしゆうの準備に取り掛かった。ここは第二二学区―――地下数百メートルまで開発の進んだ地下市街にある、『避暑地ひしよち』と呼はれるVIP用の核シェルターだ。本来は統括理事会の一人の私物なのだが、『避暑地』など減多めつたに使わないので、馬場はセキュリテイを勝手に解除して利用していた。別荘のように豪奢ごうしやな作りの内装に、ネット会議用の特殊回線まで備えた『避暑地』は、ハッカーの馬場にとっては素晴らしい環境だった。以前から目星はつけていたのだが、今日実際に居心地を確かめると、それは格別なものだった。
 しかしここも絶対安全な場所ではない。
 敵の能力は不明だが、空間移動系の能力なら、壁の分厚さは当てにならない。博士をあっさり殺したのは、学園都市でも七人しかいない超能力者レベル5だ。ああいう連中は、シェルターの扉を力技でこじ開けかねない。おまけに対隔壁用ショットガンなどの暴新装備を持ち込んでくる可能桂もある。
(じきにここも勘付かれる。その前にここをはなれるしかねえ!!)
 ノートパソコンを中心とした機材のいくつかをバッグへ詰め込み、ついでに『避暑地』内に保管されていた札束をつかんでから出口のエレベーターへ向かう。
 だが、ボタンを押しても反応はなかった。
「……?」
 別の所にある階段へのドアに向かったが、やはリロックは解除されない。
 その時、シェルター内の照明が真っ赤に切り替わった。ギョッとする馬場がシェルター保全用の管理モニタへ目をやると、『安全保障上の理由によりすペてのロックが閉鎖へいさされました』と表示されている。
 馬場が目をいた時、彼の耳に妙な音が聞こえてきた。
 ドドドドドドド、というのは……まるで滝のような音だった。
 相当な音だった。何しろ、シェルターの分厚い壁を通して聞こえるぐらいなのだから。
「水だと……ッ!?」
 馬場芳郎ばばよしおの脳裏に嫌な想像が駆け巡る。
 もしも、何者かがエレベーターシャフトや地下への階段に、消火ホースなどを使って何トンもの水を投入しているとしたら……。
 もう人間の手はおろか、モーターを使った自動制御であっても、あらゆるドアは莫大ばくだいな水圧を受けてまともに動かなくなっている。そして仮にドアが開いたとしても、その先に待っているのは恐ろしい量の水による圧倒的な蹂躙じゆうりんだ。
『メンバー』には空間移動系の能力者―――一方通行アクセラレータから『死角移動キルポイント』と呼はれていた査楽さらくがいたが、そちらも第二三学区で撃破げきはされてしまっている。この状況での救いにはならない。
「チッ!!」
 馬場は急いでバッグからノートパソコンを取り出して起動させると、ネット会議用の通信回線に接続し、同じ『メンバー』の仲間に連絡を取る。博士も『死角移動キルポイント』もいなくなった今、もう仲間はただ一人―――博士が魔術師まじゆつしと呼んでいた少女しかいない。
 しかし、事情をメールで知った仲間からの返答は簡潔なものだった。
『確か貴様が集めていた各組織の情報は、別サーバに保管されていたな。それさえあればお前に用はない。私は私の敵を追う。貴様の尻拭しりぬぐいに付き合うだけの時間はない』
「くそったれが!!」
 馬場は思わず叫んだ。もう恥も外聞も捨て、下部組織の連中や『電話の声』などに助けを求めようかとも思ったのだが、その時、パソコンの画面が急に止まった。嫌な予感がして色々操作してみると、どうも回線のケーブルを直接切断されたらしい。そのために情報の更新が止まってしまったのだ。
 ノートパソコンからコードを外し、馬場はうめき声を出す。無理にでも楽観的な事を考えようとしたが、どう頭を使っても出てくる答えは一つだけだった。
 閉じ込められた。
 馬場がその事実を認めた時。今までたのもしかった分厚い壁が、全方位から暗い重圧をぶつけてきた。食糧はどれだけあったか。酸素は足りるのか。救助が来るのはいつなのか。本当に救助はやってくるのか。
 ぐるぐると想像の中だけであせりを加速させていく馬場は、やがて抱えていたバッグを床にたたきつけ、髪の毛を両手でむしり、動物のように絶叫した。
 世界で一番安全な空間の中、実際には今後一年間は不自由なく生活できるほどの酸素と食糧
に囲まれておきながら、馬場芳郎の精神は想像という名の怪物にわれて消減していく。

     2

 第一一学区。
 海に面していない学園都市は物資のやり取りを陸路と空路の二種類でしか行えない。そして外壁に面した第一一学区は、陸路最大の玄関口として機能していた。
 海原光貴うなばらみつきを含む『ブロック』のメンバーはそこにいた。
 辺りには四角い建物が並んでいた。普通のビルとは違って壁のない建物で、立体駐車場にも似ている。学園都市製の電気自動車が、出荷を待って待機しているのだ。
 一日に七〇〇〇トン以上の物資をやり取りする第一一学区の倉庫街は広大だ。
 出入りを直接管理するゲート周辺の管理は厳重だが、それに反して倉庫街の方は、隅から隅まで監視をつける事はできない。この学区は、 一般的な港の埠頭ふとうとも似通っているだろう。昔なつかしいマフィア映画よろしく、夜な夜な怪しげな取り引きの場に使われる事も珍しくない。
 そして、
(あれが『外壁』……)
 海原は視線をそちらへ向ける。
 軽く五〇〇メートル以上はなれているにもかかわらず、その威眷をまざまざと見せつける巨大な壁。万里の長城のように壁の上には通路があり、双眼鏡で確認すれは今もドラム缶型の警備ロボットが行き来しているのが分かる。
 魔術師まじゆつしの中には外壁を乗り越える者もいる。しかしそれは、外壁の警備が『科学的』なセンサーに守られているからであり、『魔術的』な策に弱いという側面があるからだ(……と海原は信じたい。そこまでアレイスターに計算されて遊ばれているとは思いたくない)。
 しかし現在は衛星による監視が消えたため、警備強度は極端に下がっている。魔術的な手を使わない普通の人間にもチャンスは訪れる。
 あの向こうに、佐久さくが呼び寄せた五〇〇〇人の傭兵ようへいが待機しているはずだ。
 近くの建物や車内に散らばって身をひそめ、学園都市製の衛星のセキュリティが切れるのをじっと待っていたのだろう。
 それが分かっていても、海原には情報を確実に伝達する機会に恵まれなかった。『グループ』の人間はこれを知らない。学園都市の上層部もつかんでいるかどうか。『衛星による攻撃の阻止』というとりあえずの危機を自分たちの手で解決した彼らは、その事で安堵あんどしてしまっている可能性が高い。
(その傭兵達を招いて、何かを実行するのが『ブロック』の目的……。ですが、それは何でしょう。連中は一体どこをおそおうとしているのか……)
山手やまて。心配でも、しているの」
 ふと、近くにいた手塩恵未てしおめぐみがそんな事を言った。
 山手やまてというのは、海原うなばらが変装している男の名前だ。
「別に……」
 海原は短く答えた。
 本来、変装は元となる人物を最低一週間は追跡調査してから行う。モデルの人物像をつかめない内は、迂闇うかつな発言は控えた方が良い。
 手塩の方も、海原の態度を特に気にしなかった。
 大きな計画の最中で、緊張きんちようしていると判断したのだろう。
「衛星をつぶしたのは良いが、まあだ警備ロボットの方は動いてやがるな」
 佐久辰彦さくたつひこはそう言った。
 手塩はくまのような大男の方へ顔を向ける。
「間題が、あるのか」
「いいや。あの手のロボットには火器は搭載されちゃあいないし、障害にはならないだろう。タイミングさえ誤らなけれは外壁は越えられる」
「何で武装していねえんだ?」
 海原はとりあえず会話に混ざった。
 佐久は海原の目をチラリと見て、
「理由は色々だよ。あそこにあるロボットは、常に外周部を守ってるからな。万に一つでも誤作動して、へいの『外』を歩いている人間に弾が当たっちまったら問題だ。後は装弾数の都合もある。あの機種のロボットはマガジンの交換なんてできやしねえから、弾層が空になったらそれまでだし」
「では、仮に発見されたとしても、警報を鳴らして、終わりなの」
 手塩恵未は拍子抜けしたように言った。
「それなら、手間をかけなくても、強行突破で。良かったんじゃないの?」
「いいや。外壁警備のロボットは特殊回線を持っててな。警報が入ると第二三学区の管制へ直通で連絡を送って、そっちの無人攻撃こうげぎヘリを呼び寄せる仕組みになってる。今の主力は『六枚羽』っていう、迎撃兵器ショーにも登場した最新型だ。見つかったら苦労するぞ」
 佐久は太い腕に巻かれた腕時計に目をやった。
「あと一〇分で、外壁上の警備ロボットのローテーションが切り替わる」
「……、」
「ヤツらの動力は電気だからな。二四時間駆動させる訳にはいかない。どこかで充電しなくちゃあならないって訳だ。だから、駆動組と充電組に自然と分かれちまう」
 この交代作業のために、一日の内ロボットを使った外壁警備は、二〇分から三〇分ぐらいのすきが生まれるらしい。
 普段ふだんならそれでも問題はないのだろう。
 学園都市製の人工衛星は、絶えず学園都市とその周辺を監視しているのだから。
 しかし今は違う。
 その二〇分間は、正真正銘の『空白』となってしまう。
「可能な限り、車を用意しておけ。ナンバープレートを付け替えるのも忘れるな」
 佐久辰彦さくたつひこは、『プロック』の下部組織の連中へ指示を出した。
「その辺の立体駐車場にめてある、出荷予定の電気自動車だ。そいつを使って五〇〇〇人ほど運搬うんぱんしなくちゃあいけないからな」

     3

 空白の二〇分が始まった。
 第一一学区の倉厚街で、立体駐車場の四角い建物に取り囲まれたまま、海原光貴うなばらみつきふところにある黒曜石こくようせきのナイフに意識を集中する。
 一方通行達アクセラレータたち『グループ』に連絡するタイミングはない《ポ》。
 仮に今から連絡できたとしても、すぐさまここへ駆けつけてくる保証もない。
 無線でどこかと連絡を取り合っている佐久辰彦の言葉を盗み聞く限り、傭兵ようへい達は外壁の向こうからロープを投げて進路を確保しているらしい。また、『仲間』から渡された双眼鏡をのぞくと、すでに複数の人間が外壁の上によじ登っているのも確認できる。
(……やるしかない)
 海原は思う。
 トラウィスカルパンテクウトリのやりは金星の光を反射し、その反射光を浴びた者をバラバラに分解する、飛び道具的な術式だ。光さえ直撃ちよくげきさせれはどんな物質でも分解できる反面、一度に複数のターゲットをねらう事はできない。
(問題は、そのたった一度の攻撃をどこへ向けるか)
 傭兵の総数は五〇〇〇人。
 あそこへ槍を向けても無意味だろう。単に実行犯が四九九九人になるだけだ。
『ブロック』の正規メンバーを狙う。
 ……指揮を執っている佐久が倒れれは多少の効果はあるだろうが、すでにここまで計画が進行してしまっている以上、リーダーを失った程度で完全に制止できるとは思えない。
(もっと効果的なポイントを……)
 海原は顔から双眼鏡を外し、
(一撃でこの流れを断ち切れるような、そんな攻撃対象は……)
 彼は外壁をよじ登る傭兵達から、一気に視線を別に向ける。
 猛烈な緊張感きんちようかんおそいかかるが、ためらうだけの余裕もない。
(―――そこだ!!)
 そのまま一気に黒曜石こくようせきのナイフを抜いた。
 金星の光が向けられた先は、

 すぐ近くにある、立体駐車場。

 佐久辰彦さくたつひこ手塩恵未てしおめぐみは、海原うなばらが黒曜石のナイフを取り出してもポカンとしているだけだった。魔術まじゆつについての知識がないため、何をやっているか理解できなかったのだろう。
 しかし、海原が突然ビルに向かって走り出した事と、そしてその立体駐車場が何の前触れもなく崩れ始めた事を関連付けるぐらいの想像力は備えていたようだ。
 バキン、という鈍い音がひぴく。
 海原の進行方向にある鉄筋コンクリート製の立体駐寧場が、まるでビルを支える柱を一本一
本引き抜いていくように、バラバラと分解し始めた。それらの建材が地面に激突するたびにア
スファルトが粉々に砕け散り、粉塵ふんじんが舞った。
「なっ……。山手やまてエェえええええッ!!」
 佐久の叫び声が、海原の背後から飛んでくる。
 複数の銃器が向けられる金属音がその後に続く。
 海原は無視して走る。
 ガラガラという音と共に、落盤のように巨大なコンクリートが降ってくる。それが逆に銃弾の雨から海原の背中を守った。空中で押しつぶされた電気自動車が、鋭い破断面を向けて地面に突き刺さる。ガソリンを使っていないから爆発しないのは不幸申の幸いか。
 海原はさらに黒曜石のナイフを下へ向ける。
 金星の光で地面をはかいし、下水道の中へと飛び込み、上から降ってくるコンクリートから身を守ろうとした。
 しかし、あまりにも多くの建材は、下水道そのものを押し潰して海原へ迫る。
「おおおおおおおおおッ!!」
 転がるように走り、本当につまずいて地面に倒れ、それでもいずるように前へ進む。
 ようやく立体駐車場の崩落が終わった。
 衝撃しようげきは下水道の至る所にダメージを与えたのか、後ろはもちろん、前方の道までも崩れて進めなくなってしまっている。
 天井てんじようは破れていて、そこから明るい光が差し込んでいた。
 海原は崩れた壁に手を掛けて昇りながら、粉塵にまみれた青空を見上げた。
 そこには、

     4

 第二三学区・制空権保全管制センターは第一一学区・外壁近辺からの緊急きんきゆう信号を受信した。
 しかし、ここから即座に無人ヘリが飛び立つ事はない。信号は誤情報である可能性もある。最終的な判断はオペレーターの手にゆだねられ、人の手によって回線のプラグを接続し、出動命令を入力して、初めて無人ヘリによる防御行動が取られる事になる。
 普段ふだんなら、煩雑はんざつなマニュアルが数十ページも待っているはずだった。
 だが、衛星の制御を一時的に失った管制は特殊な警備態勢をいていた。オペレーターはそれらのマニュアルを一切確認せず、いきなりプラグを差し込み、出動命令を出す。
 広大なアスファルトの地面には、三機の無人攻撃こうげきヘリが待機していた。
 最新鋭のHsAFH-11、通称は『六枚羽』。
 それらは命令を受けると、ローターの回転数を上げ、ゆっくりと地面からはなれていく。

     5

 無人攻撃ヘリ『六枚羽』が第一一学区の空を舞う。
 AH-64アパッチにも似た、機体の左右に機銃やミサイルなどを搭載するための『羽』を備えたものだ。
 ヘリコプターの定義は、縦軸に取り付けられた回転翼ローターによって揚力を生み出し、そのつばさの角度によって移動する航空機の事だ。
 その難囲で判断するなら、『六枚羽』も確かにヘリコプターと言えるだろう。
 ただし、補助動力として二基のロケットエンジンを搭載し、最大速度マッハニ・五に達する『六枚羽』を、果たしてまともなヘリコプターと呼べるかどうかはなぞだ。
 無人攻撃ヘリの演算機能は最初に崩れた立体駐車場を確認し、そこからほんの数百メートルの位置にある学園都市の外壁に、不審人物の集団がよじ登っているのを確認した。
 数は五〇〇〇程度。
 敵性を確認した演算機能は即座に自動攻撃に入る。

「くそ、山手やまての野郎……ッ!!」
 佐久辰彦さくたつひこが憎しみの声を上げると同時に、『六枚羽』が動いた。
 ガショッ!! という金属音と共に、機体左右にある翼がそれそれ三対に分かれる。まさしく『六枚羽』。関節すら持つ細い羽は、まるで人間の腕のような動きでそれぞれ六方向へ武装の矛先を向けていく。
「来る!!」
 手塩恵未てしおめぐみが叫んだその時、『六枚羽』の機銃がうなりを上げた。
 掃射というより、ほとんど爆破だった。
 手塩恵未は移動用に使っていたステーションワゴンの陰に飛び込むが、遮蔽物しやへいぶつに使っていたステーションワゴンの方が銃撃じゆうげきを受けてボコボコと膨張ぼうちようした。オレンジ色のかがやきに侵食される車体が一気に爆発する。何メートルも吹き飛ばされて地面を転がる手塩は、それでも次の遮蔽物を求めて走り出す。
「ッ!? 摩擦弾頭フレイムクラツシユか!!」
 弾丸に特殊な溝を刻み、空気摩擦まさつを利用して二五〇〇度まで熱した超耐熱金属弾だ。弾丸は装甲に突き刺さると、その内部から電子回路や燃料タンクを焼き尽くしていく。
 数百メートル先では、外壁によじ登っている傭兵達ようへいたちへの攻撃も始まっていた。
 傭兵が一集団ごと風船のように飛び散った。この距離きよりからでも赤い飛沫しぶきが分かるほどの光景だった。その勢いにあおられたのか、無事だった他の傭兵達も外壁から転がり落ちていく。反撃をする者から順番に掃射されていった。
 このままでは皆殺しだ。
 手塩恵未は、はなれた所にいる佐久辰彦さくたつひこへ叫ぶ。
「傭兵は、あきらめた方が、いい!! 大人数で移動しても、上から見れは、ただの巨大な的にしか、ならないわ!!」
「五〇〇〇人だぞ! 今日この瞬間しゆんかんのために、どれだけ努力してきたと思ってる!! それを棒に振れっていうのか!?」
「どうせ、向こうも、裏切られたと、勘連いしているわ。今、壁の『外』にいる連中は、もうやってこない。『中』に落ちたヤツらを、回収して、下がるのよ!!」
山手やまての野郎……絶対にぶち殺してやる!!」
 佐久が太いのどから低い声を放つ。

「はは、流石さすがは一機二五〇億円の殺人兵器……」
 下水道からい出た海原うなばらは、瓦礫がれきの陰に隠れながらつぶやいた。自分でやっておいて何だが、背筋に寒気を覚える光景だ。
 遠くを観察すると、いくつかの集団が対空ミサイルを肩に担いでっている。
 しかし『六枚羽』はミサイルに向けて、ソフトボールのようなものを発射した。ボールから砂鉄が噴き出し、さらに高圧電流が流される。二〇メートル四方の『面』そのものが電流エリアと化すと、そこに飛び込んだミサイルが勝手に爆発してしまった。
 返す刀で『六枚羽』から大量の地上攻撃用ミサイルが放たれ、辺り一帯が紅蓮の炎に包まれていく。
(とりあえず、傭兵ようへいの侵入は可能な限り防げたようですが……)
 海原うなばらは巨大なコンクリートに背を押しつけ、自分の顔を両手でおおった。
山手やまて』という仮の顔を作っていた皮膚ひふの護符をベリベリとがし、そこへ『海原光貴みつき』の顔を張り直す。その途端に、顔だけでなく体格や声色までもが別人に切り替わっていった。
 もう『プロック』の顔は必要ない。
(問題は、ここからどうやって生き延びるか。あの『六枚羽』の演算機能は、自分の事も容赦ようしやなく敵と認識するでしょうしね)
 一応、『六枚羽』の目的は外壁をよじ登る傭兵の排除だ。
 彼らが下がるまで身を隠していれは、ヘリは勝手に飛び去るはずだが、
 バララララ!! と大気をく音が海原の心臓をめ付けた。
 瓦礫がれきの陰から目をやれば、一機の『六枚羽』がこちらに照準を合わせている。
「そう甘くは……ありませんか!!」
 叫ぶなり、海原は飛び出して黒曜石こくようせきのナイフを振るう。
 金星の光を反射させ、トラウィスカルパンテクウトリのやりを発動し、奇襲攻撃きしゆうニうげきで『六枚羽』をバラバラに分解させた。
 その報告を受けた別の『六枚羽』が海原へ機銃のついた羽の一つを向ける。
 機体は真横を向いていたが、そんな事は問題にもならない。関節のついた六枚の羽は、人間の腕のような動きで海原をねらっている。
 トラウィスカルパンテクウトリの槍は、あらゆる物体をバラバラに分解する。
 しかし、複数の標的を同時に狙う事はできない。
「くっ!!」
 慌てて遮蔽物しやへいぶつの陰へ飛び込もうとするが、ヘリの方が圧倒的に速い。
 自分が呼んだ攻撃ヘリが、自分の体を粉々に破壊はかいしようとする。
(ここまでか……ッ!!)
 海原は無理を承知で黒曜石のナイフを構えたが、それより先に動きがあった。
 ガン!! という音。
 無人攻撃ヘリの真上に、白い髪の超能力者レベル5が勢い良く降り立った。高速で回転するローターを強引に両手でつかみ、その動きを止めてしまう。あまりにも無茶むちやな行動に『六枚羽』も対処できず、そのまま地面に落下して爆炎をき散らした。
 炎の中から、『彼』はゆっくりと歩いてくる。
 海原光貴の全身から、ようやく力が抜けた。
一方通行アクセラレータさん、ですか……」
「外壁周辺で動きがあったっつー話を聞いて、やってきたらこのザマだ」
 一方通行アクセラレータは退屈そうに言いながら、電極のスイッチを通常に戻し、現代的なデザインのつえをつく。
土御門達つちみかどたちも外部接続ターミナルの仕事を片付けたようだし、衛星通信用のアンテナをぶっこわしゃ終わりだと思ったンだがな。今度は外周部で侵入者さわぎが起きてるって管制がわめきやがる」
「はは。利用されていた、ぐらいはそちらでもつかんでいましたか」
「目的もなく『六枚羽』を呼ンだって訳じゃねェンだろ。『ブロック』の違中は?」
「逃げられました」
 海原うなばらは汗をぬぐいながら、そう言った。
「『外』から来た傭兵ようへい達を、一〇〇人ほど引き連れていると思います」
「外から……。チッ、衛星の件はそのためだったのか。『ブロック』だの『メンバー』だの傭兵ようへいだの、クソみてェな人間が動き回ってやがる」
 ただ働きさせられた事に、一方通行アクセラレータは舌打ちしつつ、
「にしても、侵入を許すとはな。つくづく使えねェ野郎だ」
「一応、当初は五〇〇〇人ほどいたって話なんですけどね」
「オマェにイイ言葉を贈ってやる。五十歩百歩だ」
 彼の言葉をさえぎるように、『六枚羽』が大空を切り裂いた。
 ただし。今度は照準をこちらに向けてこない。
 一通り周囲を走査すると、残る最後の無人ヘリは第二三学区へと帰っていく。
「『掃除』は終わったみてェだな」
「同じ仲間に壊されるのが嫌だったんでしょう」
 海原は肩をすくめて言った。
「あれ、一機二五〇億円するらしいですよ」

     6

 第一一学区の倉庫街に、土御門元春もとはる一方通行アクセラレータ結標淡希むすじめあわき、海原光貴みつきの四人は集合していた。今まで蚊帳かやの外にいた海原は、土御門に尋ねる。
「外部接統ターミナルというのは?」
「ちょっとした施設だよ。色々と手続きが面倒で応答しないから、結標と一緒いつしよに中枢を爆破した。ま、ターミナルはあと三つあるから、アクセス状況に問題は出ないだろ」
 土御門と一緒に動いていた結標は、海原に尋ねた。
「この『ブロック』というのが、事件を起こした首謀者しゆぼうしやって事で良いのかしら。確か親船最中おやふねもまか狙撃そげきは『スクール』が行っていたという話だったと思うのだけれど」
「『ブロック』と『スクール』は直接的に協力し合っている訳ではないようですね。二つの組織は各々おのおのの思惑に従って、それぞれ勝手に事件を起こしていた。人材派遺マネジメントの紹介などで、多少の接点はあったようですけど」
「チッ。『メンバー』の野郎もコソコソ動いていやがったし、面倒臭ェ事になってンな」
 海原うなばら一方通行アクセラレータの言葉を聞きながら、土御門つちみかどは視線を移す。
 外壁の近くは血と肉が飛び散っていたが、それでも生存者は残っていた。死ぬ事もできず、逃げる事もできず、『ブロック』の運中からも回収され損ねた傭兵ようへいだ。
「さて質問だ」
 土御門は端的に言った。
「五〇〇〇人の傭兵を集めて、お前たちは一体どこを襲撃しゆうげきしようとしていた?」
「な、何の話だ」
「五〇〇〇人って言うと大した数に聞こえるが、別にそれで学園都市をつぶせるって物量でもない。『商売』の内容を言えよ、傭兵。それだけの人数を使ってどんな計画を立てていた?」
「……、」
 傭兵は、『グループ』の四人の顔を、それぞれ順番に見た。
 心の中で葛藤かつとうしているらしい。
 何か迷ったようだが、この惨状を見て仲間の『ブロック』は失敗したか、最初から自分達を裏切るつもりだったのかと思っているのだろう。やがて彼はゆっくりとロを開いた。
「……第一〇学区だ」
「第一〇学区?」
 最も土地の値段が安く、実験動物の廃棄場はいきじようや原子力関遵の研究所など、ろくな施設のない場所だ。
 傭兵は、統けてこう言った。
「第一〇学区にある、少年院を襲撃する予定だった」
「ッ!!」
 その言葉に過敏な反応を示したのは、結標淡希むすじめあわきだった。
 彼女は傭兵の胸倉をつかみ上げると、
「何でそんな所を襲撃するのよ……。VIPの犯罪者でも助け出すっていうの!?」
 焦燥しようそうに駆られる結標を眺めながら、一方通行アクセラレータは考える。
 学園都市の少年院は能力を使った犯罪者を収容する施設だ。詳しい事は不明だが、能力者用の対策がほどこされているという話は闘いている。となると、銃器を使った一般的な戦力をかき集めた方が、襲撃の成功率も上がるだろラ。
 結標に胸倉を掴まれている傭兵は、やがてポツリと呟いた。
おれ達の、標的は……座標移動ムーブポイントだ」
 ピクリ、と結標淡希のまゆが動く。
 目の前にいる女がだれなのか分かっていないのか、傭兵はそんな事を言った。
「あそこには、座標移動ムーブポイントの『仲間』が入っているという情報を、聞いた。だから『仲間』を捕まえて、座標移動ムーブポイントとの交渉に使う」
 わざわざ彼女を名指しで指走する理由は何か。
 結標むすじめは自分でその事を考えて、そしてすぐに答えを思いついた。
「アレイスターのいる、『窓のないビル』の……『案内人』……」
「そう。『案内人』の素性すじようは機密事項だ。アレイスターに直結しているからな。だが、『プロック』は座標移動ムーブポイントが『案内人』であるという情報をつかんだ。だから彼女を徹底的てつていてきに調ぺ上げ、交渉に使える材料を集める事にした」
「案内人と、何を交渉するつもりだ?」
 土御門つちみかどが尋ねると、傭兵ようへいはこう答えた。
「物資搬入路はんにゆうろのルート情報だ。窓のないビルに関するな。外からでは核兵器でも破壊はかいできないが、中からなら違う。入口も出口もないと言われているが、必ず何らかの物資のやり取りを行っているはずだ。そいつを利用して、『窓のないビル』を内側から吹き飛ばす」
「吹き飛ばす、だと?」
「多層同期爆弾の用意があると、『ブロック』は言っていた。お前たち、学園都市の作った戦術兵器だろ」
 多層同期爆弾は、複数の高性能爆薬を規則的に配置した大型爆弾の事だ。通常の戦術兵器が『ひたすら莫大ばくだいな爆風を広範囲へき散らす』ものであるのに対し、多層同期爆弾は『極めて小さな標的へ、高威力の爆風を一点集中させて徹底的に破壊する』事を目的とする。都市部に紛れた敵要塞ようさいを、民間への犠牲ぎせいを出さずに爆破するために編み出されたものだ。
「世界の混乱を収める必要があった。おれは傭兵をやっているから分かる。世界はもう限界なんだ。じきにあちこちで内紛が起こる。戦争ってのは、起きる前に止めなくちゃならないんだ」
 傭兵は『グループ』の顔を交互に見ながら言う。
座標移動ムーブポイント本人を、仲間として組み込む事は難しい。信用できないヤツは、いつまでっても信用できないままだからな。だから深追いはしない。座標移動ムーブポイントの力が情報通りなら、そいつの協力があれは物事は簡単に進むんだが、それはかりは仕方がない。こっちは協力を得られない事を前提に―――」
「そう」
 さえぎるように、結標は言った。
「ところで貴方あなた、目の前にいるのがだれだか分かってる?」
 は? と一瞬眉いつしゆんまゆをひそめた傭兵だが、直後に顔を真っ青にした。
「う、うそだろ、そんな……ッ!!」
 傭兵が言い終わる前に、彼の全身に鉄のくいのような物が一〇本近く突き刺さった。
 痛みのショックで気を失うが、それでも彼は生きているらしい。結標はボロボロになった傭兵から手をはなすと、ただうつむいたまま、奥歯をめる。
 最も守りたいものを、それこそ何を失ってでも絶対に守りたいものを、今まさに奪われつつあるという状況。それを前に、結標むすじめを除く三人は沈黙ちんもくしていた。同じようなものを抱いているからこそ、彼らは何も言わなかった。
 おそらくアレイスターは得体えたいの知れない技術を使って、この状況すら高みから見物しているだろう。そして見物していながら、手を貸すつもりはないだろう。自分の作った箱庭の中で、人々がもがく様を見て笑っているに違いない。
「行くぞ」
 やがて、土御門つちみかどは全員を促すように告げた。
 ここから先は『グループ』の事情ではなく、結標淡希あわきの事情だ。しかし、それについていちいち口に出す者はいなかった。海原うなばらが『ブロック』の中に紛れた時のように、『グループ』の人間が己に割り振られた仕事として窮地きゆうちを乗り越えるのとは、状況が違うからだ。
「第一〇学区だ。『ブロック』はまだ一〇〇人近い傭兵ようへいを抱えてやがる。連中の装備は分からないが、楽観できる状況じゃないのは間違いないからな」

     7

 一方通行達アクセラレータたち『グループ』の四人は、移動用の救急車に乗って第一一学区から移動する。目的地は第一〇学区にある少年院だ。
 「学園都市にある少年院はこれだけだ。敷地しきを半分に区切って、男子房と女子房に分けているみたいだな」
 土御門はノートパソコンを操りながら言った。
 「今の学園都市には反逆罪って罪状はない。となると、結標の『仲間』達は法的には裁けない状態にある。そんなヤツらを普通の房に入れる訳にはいかないんだよな」
「となると……隠し部屋があるという事ですか?」
 海原は結標の方を見たが、彼女は何も知らないようだった。
 「面倒臭ェな。少年院の見取り図はねェのか。施設の方から隠し通路込みのデータをハッキングできねェなら、建築会社のコンピュータからってくりゃ良いだろォが」
「普通のビルではないんだ。この手のデーダが会社に残っているとは思えない」
 土御門は画面に目をやる。
 少年院のデータがいくつか表示されているが、見取り図そのものは機密扱いになっていて、ここからでは手が出せないのだろう。
 同じように画面をのぞいていた一方通行アクセラレータは、ある事に気づいた。
「この少年院、消火部門がねェぞ」
 一方通行アクセラレータは改めて表示された情報に目を通しながら、
「施設内で火災が起こる頻度ひんどが低いから、経費を削るために除外してンだな。だが、だとするなら火事が起きりゃ消防署が動く。連中は迷路みてェな施設の中で的確に動けるよォに、事前に見取り図を受け取っているはずだ」
 その言葉を受けて、土御門つちみかどはクラックの矛先を変える。
 結果はすぐに出た。
「あった。一部の機密区画は塗りつぶされているが、隠し階段があるとすれは、構造的にはここしかない。この先が反逆者用の地下房だ」
 予測できる隠し階段が一ヶ所しかない所を見ると。反逆者用の房は男子女子の区別もされていないらしい。すぺて独房になっていて、共同空間が一切存在しないのだ。
「一応、隠されてはいるのね。それなら、少年院をおそっている『ブロック』の運中だって」
「ハッ。『グループ』と「ブロック』の権限は同等だぜ。俺達おれたちに調ぺられるよォな事は、向こォだって手に入れられンじゃねェの。『書庫バンク』内の機密レベルが同じっつったのは結標むすじめだろォがよ」
 結標は一方通行アクセラレータにらみつけたが、彼は動じない。
「土御門。少年院の警備はどォなってる?」
「看守が使っているのはMPS-79―――旧型の駆動鎧パワードスーツだ。対能力者装備って事だが、あまり期待はできないな。看守が持っているのはあくまで暴走能力者を止めるための護身具で、『ブロック』が使っているのは本物の殺人兵器。第一一学区に残っていた傭兵ようへいは刃物から拳銃けんじゆう、ライフル、爆薬まで『外』の武器を一式そろえていたが、今は『ブロック』の手で最新式の装備に切り替えているだろう。海原うなばらの話じゃ、その傭兵だけでも一〇〇人以上がまだ行動している。『ブロック』に関しては人数・能力ともに未知数。殺す力を持っているか持っていないかっていうのは重要だ。駆動鎧パワードスーツなんてただデカくて頑丈な的って所だな」
「そっちじゃねェよ」
 一方通行アケセラレータは適当に言葉をさえぎって、
「凶悪な能力者はかりを集めた少年院だろ。対能力用の設備はどォなってンだ」
「AIMジャマーを始めとして、ざっと二五ほど」
「って事は、施設の中では能力は使えねェのか?」
「いや。集中力を散らせるとか、読心能力サイコメトラーに追跡させやすい思念を意図的に残させるとか、そんな感じだ。ある程度の弱体化はするだろうが、打ち消すって所まではいかない。あそこの看守は保険会社に嫌われる職業のワースト3に入るらしい。それだけ大規模な施設を用意しても、完壁かんぺきに無効化させるのは不可能って訳だ」
 ただし、と土御門つちみかどは前置きして、
「下手に能力を使うと暴走が起こる可能性がある。特に複雑な演算を必要とする力はまずいな。並の能力者なら怪我けがぐらいで済むだろうが、お前や給標むすじめなんかの揚合は危険すぎる。つまらない自殺をしたくなけりゃ気をつける事だ」

     8

 第一〇学区・少年院前に救急車がまると、その中から一方通行アクセラレータ、土御門元春もとはる海原光貴うなばらみつき、結標淡希あわきの四人は後部ドアから勢い良く降りた。
 ここからでは少年院の内部はうかがえない。高さ一五メートル近い壁にはばまれているせいだ。ただし、今立っている場所からでも、体に悪そうな煙のにおいが鼻につく。
「……ッ!!」
 結標は歯軋はぎしりし、すでに破壊はかいされているゲートから敷地内しきちないへ飛びもうとしたが、一方通行アクセラレータが現代的なデザインのつえをつきながらまゆをひそめた。
「なンか様子がおかしくねェか?」
「気づいたか」
 土御門はふところから軍用拳銃けんじゆうを抜きながら、ゆっくりと言った。
「音がない。『ブロック』と少年院の看守たちが交戦状態にあるなら、銃声ぐらい聞こえても良さそうなものなんだけどな」
 四人が検問も兼ねたゲートをくぐって敷地に入ると、そこは囚人護送車用のロータリーだった。二〇メートル四方のアスファルトの平原にみ込んだ途端に、一方通行アクセラレータはこめかみの辺りに小さな痛みを覚えた。
「……AIMジャマーってヤツか」
 頭上を見上げると、一五メートル近い壁から壁へ、敷地全体をおおうように無数の細いワイヤーが張り巡らせてある。あそこから特殊な電磁波でも出ているのだろうか。
 能力者のAIM拡散力場を乱反射させて、自分で自分の能力に干渉させるように仕向けているのだろう。警備員アンチスキルの装備などに採用されているという話は聞いた事がないから、おそらく設備には膨大ぼうだいな電力や演算機器が必要で、こういう限られたスペースでしか使えないのだ。
(一応、歩行に支障はねェみてェだが……代理演算を使った能力使用モードは控えた方が良さそォだな)
 それでも、一方通行アクセラレータはこの敷地内で能力が使えなくなった、とは思えなかった。逆に暴走を促されているようで下手に扱えない。自分の能力に巻き込まれて手足が飛ぶかもしれない訳だ。
ほかにもいくつかの装置を使ってンな。わざと競合させてやがンのか)
 どんな機材を使っているかが分かれば打開策も見つかるかもしれないが、一方通行アクセラレータはそこで思考を中断した。少年院全体を包んでいる違和感の正体を見つけたからだ。
 死体。
 おそらく『ブロック』が外部から招き寄せた傭兵達ようへいたちだろう。実に五〇人近い大の男達が、各々おのおの血を流して倒れていた。こめかみを拳銃けんじゆうち抜かれた者、至近距離きよりからショットガンを受けて頭部を失った者、首筋をナイフで切り裂かれた者……死因は様々だが、それらの死体には共通する項目が一つある。
「こいつら……全員、自分の武器で自分の命を絶ってやがる……」
 土御門つちみかどがポツリとつぶやいた。
「自殺……? いや、これは」
 海原うなばらが呟きかけた時だった。

「見つけたぞ」

 四人の背後から声が聞こえた。
 一方通行アクセラレータが振り返れは、破壊はかいされたゲートをふさぐように、一人の少女が立っていた。どこか
の学校の制服らしき、赤いセーラー服を着た小柄な少女。しかしその眼光には暴様な光があっ
た。単なる殺人者のそれではない。
「ここにいるって事は、『ブロック』のクソ野郎か?」
「いいえ、私は『メンバー』。利用していただけだから、別に所属に興味はないけど」
 少女はこともなげに答えた。おそらく、周囲に倒れている傭兵達は彼女におそわれたのだろう。傷一つ負わずに五〇人近い傭兵を撃破げきはした事になるが、彼女はそれを誇示しなかった。本当に傭兵や『ブロック』には興味がなさそうだった。
(しかし……また『メンバー』か)
 少し前にも、一方通行アクセラレータは第二三学区で『メンバー』の人間と遣遇している。『ブロック』と仲間意識を持って動いている訳ではなさそうだ。いまいちどういう目的でどこの組織と敵対しているのか、良く分からない連中だ。いずれにしても、敵対するなら対応は変わらないが。
 しかし、少女の顔を見て過敏に反応する者がいた。
「……まさか、あなたは……」
 海原光貴みつき―――その名も顔も、だれも知らないエージェント。
「今さら私に素性すじようを尋ねるのか、エツァリ」
 少女は海原光貴を見て、全く別の名を呼んだ。
 あるいは、それこそが『彼』の本来の名前なのか。
 おどろいて固まっている海原の前で、少女は片手で自分の顔をぬぐった。そこに少女の顔はなかった。東洋人らしき風貌ふうぼうは消えていて、後には浅黒い肌の、彫りの深い顔立ちをした少女がたたずんでいるだけだった。
「『ブロック』には感謝しないと。ここでは能力者の力は半減される。貴様の『仲間』とやらに邪魔じやまをされる心配も多少は減るだろうし」
 その顔を見て、その声を聞いて、海原うなばらの表情がゆがむ。
「ショチトルだと。何故なぜあなたがこんな所まで……。あなたはこういった事をする術式を持たないはずだし、そもそも『組織』の中でも、あなたは汚れ仕事とは無縁のポジションに就いていたはずだ!!」
「理由は一つしかない」
 ショチトルと呼ばれた褐色かつしよくの少女は、表情も変えずにただ告げた。
「学園都市へ寝返った裏切り者め。貴様を処分するために、私はすべてを捨ててここへ来た」
「そういう事か」
 土御門つちみかどはポツリとつぶやき、視線を海原の方へ向けた。
 海原は静かに言った。
「……ここは自分が食い止めます。あなたたちは先へ行ってください」
 絞り出すような声で、
「彼女はショチトル。自分がここへ来る前、かつて同じ『組織』に所属していたアステカの魔術師まじゅつしです」

 ショチトルと呼はれた少女は、海原うなばらの言葉を聞いても顔色を変えなかった。
「用があるのはエツァリ一人だ。勝手に消えるのは構わないけど、彼らが行かせるかな」
 銃声が聞こえた。
 一方通行アクセラレータ土御門つちみかどはロータリーにめてある囚人護送車の陰へ隠れる。そうしている間にも、少年院の建物からバタバタという大量の足音が聞こえてくる。
「様子見していた『ブロック』の傭兵ようへいか……。あいつらの相手はしなくていいのか」
 土御門がショチトルに話しかける。少女はそれを無視した。ショチトルは本当に邪魔者じやまものを排除しただけであって、『ブロック』にも、その傭兵にも興味がないのだろう。
 しかし、あの傭兵たちに足止めされている間にも、『ブロック』の連中は少年院の奥深くにもぐり込んでいく。そこにいる、結標淡希むすじめあわきの仲間を人質として扱うために。
 チッ、と一方通行アクセラレータは舌打ちして、
「クソッたれが。さっさと行って来い」
貴方あなた……」
おれつえをつかなきゃ歩けねェ。下手に能力も使えねェンじゃ、オマエの『座標移動ムーブポイント』も期待できねェ。なら、一番足の遅いヤツが足止めに対処する」
 一方通行アクセラレータは早口で言った。
「土御門、オマエは結標のサポートだ。『ブロック』の連中が何人中にいるか分かンねェからな。最悪、大勢とで戦う事も考慮こうりよしろ」
 海原については、わざわざ指示を飛ばすまでもない。
 一方通行アクセラレータは建物から出てくる傭兵の迎撃げいげき、海原は『メンバー』のショチトルとの決着、そして土御門と結標は特別房にいる少年達の救出。
 各々おのおのの目的を考え『グループ』の四人は一度だけ、わずかに顔を合わせて小さくうなずくと、
「行くぞ!!」
 四人それぞれが行動を開始した。

     9

 土御門と緒標は『設計図の矛盾』から見つけた隠し階段を下りて、書類上存在しないとされる反逆者用の特殊房へと向かっていた。
 途中に傭兵らしき男が二、三人いたが、土御門が拳銃けんじゆうを使ってだまらせた。傭兵の大半はショチトルと呼ばれる少女にやられたか、一方通行アクセラレータが引き受けているおかげで、ほとんど出払っているらしい。
 と、結標は頭にチリチリとしたうすい痛みを感じた。
「……AIMジャマー。さらに強くなっているわね」
「屋外、建物、室内、それぞれにいくつもの装置、機材の効果を重ねているんだろう。ここは学園都市で唯一の少年院で、世界で唯一の対能力者収容施設だ。まともな警備じゃやっていられないはずだ」
 似たような感覚を、土御門つちみかども感じているのだろう。
 能力を食い止める、制限する、というよりは照準を狂わせる、という感覚に近い。迂闇うかつに力を使うと自分まで巻き込まれそうな気がする。
結標むすじめ。お前の能力はデカい反面、一回の暴発が命取りになる。ここじゃ力は使わない方が良いな」
「まるで能力以外にがないみたいな言い方ね」
「しっ」
 土御門が人差し指を立てて結標をだまらせる。
 階段と通路の関係はL字になっていて、その角の向こうからガタンという大きな音が聞こえた。ボルトで留めた鉄板の隙間すきまに鉄のくいでも差し込んで、強引にこじ開けているような音だ。土御門は無言で拳銃けんじゆうを構え直す。普段ふだん、能力にたよりきりの結標は飛び道具を持っていないのか、警棒にも使える懐中かいちゆう電灯を腰から抜く。
 土御門と結標が通路へ飛び出す。
 狭い通路だった。左右には独房用の鉄の扉がズラリと並んでいて、その内の一つに、くまのような大男が粘土みたいなものを張り付けていた。かたわらには筋肉質の女性がその様子を眺めている。
 彼らは土御門たちを見て、
「このタイミング……やっぱ『グループ』か」
 熊のような大男の方が言う。結標が即座に動かなかったのは、AIMジャマーを始めとする少年院の対能力者設備のせいだろう。土御門は銃口を大男の眉間みけんに照準する。しかし発砲するより先に、男はドアに張り付けた粘土に針金のようなものを突き刺した。
「プラスチック爆弾と、こいつは電気信管だ」
 筋肉質の女性の目つきが厳しくなる。
佐久さく!!」
駄目だめ手塩てしお。ここは人質を使う場面だ」
 佐久と呼はれた巨体の男は、信管を突き刺した爆弾から、ゆっくりと手をはなす。
 その手には無線機が握られている。爆弾を吹き飛ばすためのスイッチだ。
「……ここでそいつを使えは、真っ先にお前達が粉々になるぞ」
「火薬の量と指向性は調整済みだ。爆風は、ドアの中にしか行かない」
 佐久は人差し指でドアにられた爆弾を指差し、
「ただし、衝撃波しようげきはは房の中で吹き荒れる。バラバラになった金属扉の破片の雨と一緒いつしよにな。扉をこわすのは簡単だが、中の人間への配慮はいりよとなると難しいんだ。お前たち邪魔じやましてくれたおかげで、詰めの作業ができていないからな」
「……ッ!!」
 ブォ!! という轟音ごうおんが突如ひびいた。
 歯をき出しにした結標むすじめの能力が暴発したのだ。天井てんじようにあった蛍光灯のいくつかが消減し、壁や床へと乱雑に突き刺さる。
 それでも佐久さく手塩てしおの表情に動揺はなかった。
「……結標淡希あわき。例の『座標移動ムーブポイント』だな」
 佐久は爆弾を吹き飛ばすための無線機を握り直し、ニヤリと笑う。
「良いね、手間が省けた。人質も、取り引き相手も、全部整った。ここで直接交渉をしようか。『窓のないビル』の『案内人』だったお前にな」
「断ったら?」
「断れない。能力を暴走させても良いのか」
 その言葉に、結標はだまり込んだ。アンチ能力者用の設傭さえなけれは、佐久はとっくに串刺くしざしにされていただろう。
「にしても、『グループ』か。『〇九三〇事件』を体感して、何を学んだんだ」
「何ですって」
おれ達は学んだぞ。このふざけた世界は端から端までアレイスターに支配されてるもんだと思っていたが、実はそうじゃない。支配を逃れる方法があり、支配を逃れた場所がある。楽しい話じゃないか。今まで学園都市にしはられていたのが馬鹿馬鹿ばかばかしくなってくるぐらいに。そして『〇九三〇』事件からアビニョンの暴動に続いて、このチャンスだ。動くなっていう方が無理なんじゃあねえのか」
「他人をみ台にした新天地。偉そうに語るようなものではないわね。大航海時代の虐殺ぎやくさつしか連想できないわ」
「そうかい。今ここにない天国や楽園を願うのは人類共通の心理だろ」
 やり取りを聞きつつ、土御門つちみかどは佐久の持つ無線機を見る。
 彼の腕ならち落とせる。が、失敗する可能性も否定はできないし、撃ち落とした後、床に落ちた無線機のボタンが偶然押されてしまえは扉は粉々に吹き飛ぶ。そんな事になれば、狭い房のどこに隠れていようが、破片の雨が結標の仲間におそいかかってしまう。
 結標は、自分の歯を全部み砕いてしまいそうなほど、あごに力を入れている。
 それを見ていた筋肉質の女性、手塩が、となりにいる佐久へ話かける。
「……人質は、使っても好転しない」
「何を言っているんだ、手塩。ここからが本番だ。今、人質の価値は最高に跳ね上がっているんだぜ」
「それは、どこにいるか分からない座標移動ムーブポイントを、交渉の場につかせるまでに、必要なものだ。結標むすじめは、すでに手中にある。人質は、役割を終えた。ここで爆弾を使えは、逆に強情になる」
 手塩てしおはジロリとドアの爆弾を見る。
「思えば、最初から私は嫌だった。計画を遂行すいこうする上で、どうしても必要だというから、人質を便う案にも応じた。不要と分かれば、人質を維持しなくても構わない」
駄目だめだ手塩。俺達おれたちの前には、今、三八人の人質がそろっているんだ! 分かってんのか!? これは俺達の財産だ。ちょっとぐらい無駄遣むだづかいしても痛くもかゆくもないほど莫大ばくだいな財産なんだよ!! ……警備員アンチスキルの仕事が長くて、ガキに感情移入でもしてんのか!?」
「……、佐久さく
邪魔じやまするんじゃあねえ!! アレイスターのクソ野郎をぶち殺すんだろうが!! こいつはそのための第一歩だ。ここで終わりってえ訳じゃあねえんだよ!! こんな所で時間なんかかけてられるか。足い引っ張るならテメェからぶち殺すそ手塩!! そうされたくなけりゃ」
 佐久の言葉は最後まで続かなかった。

ゴドン!! と。
かたわらにいた手塩が、佐久の巨体を思い切りなぐり飛ばしたからだ。
 音を聞くだけですさまじい威力だと推測できた。おそらく、『ブロック』の男は自分の身に何が起きたか分からなかっただろう。一気に壁まで飛んで激突し、そのままズルズルと床に崩れ落ちてしまう。緒標淡希あわきは、本当に人間が口から泡を噴く瞬間しゆんかんというのを初めて見た。それほどまでに《なぐ》容赦ようしやがなかった。
「……、くだらん事に、時間をかけるな」
 手塩と呼ばれた女は、金属のドアへ手を伸ばした。張り付けられたプラスチック爆弾から信管を引き抜き、ドアから爆弾を外し、適当に床へ投げる。
「これで、良いか」
 彼女はゆっくりと告げる。
 結標は険しい表情のまま、静かに尋ねた。
「……何の真似まねよ」
「非礼については、びよう。気が済むまで、殴ってくれても、構わないわ」
 手塩の目は、土御門つちみかどから銃を向けられても揺らがない。
「しかし、勝ちまで。ゆずってやるつもりは、ない。私にも、アレイスターを、殺すべき理由が、
ある。人質は、使わない。ただし、お前を直接痛めつけて、情報を聞き出してやる」

     10

 海原光貴うなばらみつきとショチトルは少年院の運動場にたたずんでいた。
 褐色かつしよくの少女はポケットから取り出した羽飾りを耳の横に取り付けながら、
「私にいつわりの顔を向けるのが貴様の礼儀れいぎなのか、エツァリ」
「……生憎あいにく、自分はこの顔を気に入っているものでしてね。何より、『組織』を抜けた自分にあの顔を使う権利はないでしょう」
「それは違うな」
 ショチトルは静かに、断ち切るように言った。
「今の貴様には、生きる権利すらもない」
「ッ!!」
 異様な殺気を受けて。海原は思わずふところから黒曜石こくようせきのナイフを抜いていた。元の仲間に、トラウィスカルパンテクウトリのやリを即座に使うつもりはなかったのだが、
「ここに来るまでの間、今まで何を見ていたのか」
 あきれたように、ショチトルは言った。
 途端に、海原の右手首からひじにかけてが硬直した。彼がおどろきに声を上げるより前に、握りめた黒曜石のナイフが、自分の意志とは関係なしに自分の顔へ向かってくる。
「な、にっ!?」
 とっさに左手で自分の右手首をつかむ。
 ギリギリと少しずつ、ナイフの切っ先が眼球へ迫ってくる。き手の関係か、このままでは抑えきれない。
 ショチトルの表情は変わらない。
 優勢な状況に対する愉悦すらもない。むしろ退屈な劇を見ているようにも感じられた。
(く……ッ! こ、のまま、では―――ッ!!)
「おおおおおおおおおおおおおおッ!!」」
 海原は叫ぶと、左手を強引に動かして、右手首の関節を外した。骨と骨をこするような激痛がひびき、右手の感覚が消える。握力のなくなった手から、ようやく黒曜石のナイフが外れて地面に落ちた。
 彼は自分の手首を押さえながら、大きく後ろへ下がる。
 ショチトルは地面を指差しながら、特に表情を変えずに言った。
「落とし物だ。拾わないのか」
 彼女の術式は、おそらく他人の持つ『武器』に干渉するものだ。『武器』を乗っ取り、その破壊力はかいりよくを借りて、自分の手を汚さずに敵をほうむる自殺術式。その攻撃こうげきから逃れるためには、一切の武器や霊装れいそうなどを捨て、素手か肉体一つで発動できる術式だけで戦うしかない。対して、ショチトルはありったけの得物えものを使って攻撃こうげきり出す事ができる。
 人間の文明を否定するかのような、圧倒的なハンデ。
 しかし、と海原うなばらは思う。
 彼の知るショチトルはこんな術式を使わなかったはずだ。『死体職人』という異名を持ち、そのひびきだけ聞くと不気味に思えるかもしれないが、本来のショチトルの仕事は死体から残留情報を入手し、その人物の遺言が正しいかどうかを確認したり、葬儀そうぎの方法をまとめたりといった、死者のアフターケアにほかならない。
 世界中のありとあらゆる死者の魔術まじゆつを学んでいたものの、それはあくまでも平和利用のためだ。ショチトルという褐色かつしよくの少女は、人を傷つける事にも慣れていない人間のはずなのに。
「……何があったのですか。いや、『組織』では今、何が起きているのですか!?」
 海原は思わず問いただしたが、ショチトルは答えもしなかった。
 彼女は片手を振るうと、どう考えても手の中に収まらないほど巨大な剣が出現した。海原のものとは違う、白い玉髄ぎよくずいで作られた刀剣。一応は両刃だが、左右のどちら側にも、まるでサバイバルナイフの背にあるような鋭い凹凸が刻みつけられている。
(マクアフティルか……ッ!?)
 アステカの戦士が扱う剣だ。金属を武器として使わないアステカ文明では、日本刀のように『たたき切る』のではなく、木製の刀身の側面に綱かい石の刃をいくつも並べ、ノコギリのように『引き切る』剣が使われていたのだ。
「貴様の言葉は後で聞いてやる。運良く脳の損傷が軽微だったらね」
 マクアフティルを構え、ショチトルは勢い良くこちらへ駆けてくる。
 素手で戦うしかない海原としては、あまりに不利な状況だが、
「くそっ!!」
 ここで負ける訳にはいかない。
 海原はバックステップで距離きよりを取る。タイミングを外されたショチトルがさらにみ込もうとした所で、海原は地面の土を靴で堀り、前方へ飛ばす。目潰めつぶしをらったショチトルの動きが止まった所で、その脇腹わきばらへさらにりを叩き込もうとするが、
 ビュオ!! とショチトルのマクアフティルが横薙よこなぎに振るわれた。
 慌てて足を戻す海原の革靴に、剃刀かみそリで切られたような傷が走る。
流石さすがは裏切り者。姑息こそくな手が良く似合う」
 ショチトルの声は冷静だ。その声色にも海原には違和感があった。以前の彼女は、人殺しの武器を持つ事に躊躇ちゆうちよしていた。死者の残留情報を読み取る仕事をしているからこそ、彼女は凶器の秘める恐ろしさを常人以上に理解しすぎてしまっていたからだ。
 なのに、
「だけど、どれだけあがいた所で、貴様は素手で戦うしかない。防御する権利ぐらいは与えてやるが、その都度つど体がズタズタになっていく」
「……、あなたにそういう武器は似合いませんよ」
「なら、そこにいる貴様は貴様らしいのか。『組織』を抜げ出し、顔を隠して学園都市で安寧あんねいむさぽっている貴様は」
「ショチトル……」
「イエスというなら、やはり貴様は裏切り者だ。ノーだというなら、自分をいつわる貴様にとやかく言われる筋合いはない。どちらにせよ、貴様はここで死んだ方が良いという事だ!!」
 アステカ式の剣、マクアフティルを両手でつかみ、ショチトルは一気にこちらのふところみ込んでくる。その目にも、その顔にも、その手にも、その動きにも、一切の容赦ようしやは感じられない。
 彼女は本気で殺す気だ。
 一撃いちげき二撃は|避ける事ができるかもしれない。しかしそれをずっと続けるのは不可能だ。そして一発でもクリーンヒットをもらえば、大量の出血が海原うなばらの命を奪うだろう。一旦いつたん引くというのも難しい。逃げるためにも余裕は必要だ。背中を見せてもられないと判断できた場合に初めて取れる選択肢なのだ。
 かと言って、ショチトルの武器つぶしの魔術まじゆつが有効である以上、何らかの道具を使って防ぐ事もできない。それをやろうとすれは、自分の武器で自分の体を攻撃する羽目になる。
 絶体絶命だ。
「くそっ!!」
 海原は舌打ちし、とにかく後ろへ下がろうとした。振り回されるマクアフティルの切っ先は海原のジャケットを切り裂き、髪の毛を数本切り飛ばし、
「終わりだ」
 ダン!! とショチトルは勢い良く地面を踏みつけ、今度こそ必殺の間合いでマクアフティルを振り上げる。海原が絶対にけられないタイミングをもつて。
 元の仲間だとか、同じ組織の『人間』だとか、そういう感傷は一切なかった。
 ごう!! とそのまま一気に剣が振り下ろされる。
(―――ッ!?)
 海原は手首の関節もつなげていない右腕を、自分の頭上へ差し出した。ショチトルはそれを見て笑った。防御にならないと踏んだのだろう。ノコギリ状の刃を持つマクアフティルを、全体重を乗せてそのまま猛烈な速度でたたきつける。
 ベギン!! という音と共に、海原のジャケットを引き裂き、さらに腕の肉ヘギザギザの刀身が食い込んでいく。ゴリゴリという何かを削るような音は、骨にまで達していた。海原の顔が苦痛にゆがむ。
 しかし、
 それだけだった。
 海原光貴うなばらみつきの腕は切断されない。
 逆に彼は、自分の腕にマクアフティルを食い込ませたまま、一気に力を込めて、ぐいっと押し返そうとする。
「な……ッ!?」
 あまりの事態におどろくショチトルの腹へ、海原は思い切りりをたたき込んだ。彼女の小さな体が、勢いに負けて地面へ突き倒される。
「……金属を武器として加工する手段を持たないアステカの剣は、それほどの切れ味を持っていません。一本の鉄塊を刃にするのではなく、木製の棒の側面に細かい石のカミソリを並べて一本の刃にするものですからね。熟練者であっても、骨ごとるのではなく、刀身全体で動脈をで切るように振るうもの。言ってしまえば、骨を使って受け止められるんですよ、あなたの剣は」
 右腕にアステカの剣を食い込ませたまま、荒い息をいて、海原は言う。
何故なぜけるのをやめて腕で待ち構えたと思っているんですか。腕ごと体を切断されると思っていたら、それで防御をしようなんて考えないでしょう。半端はんぱに避け続けるだけじゃ、いつか失血で追い詰められると判断したからですよ」
 ショチトルが小柄な少女であり、剣術についてもうとかったからこそ、可能な戦術だった。本物の戦士であれは、骨を斬る事はできなくても叩き折るぐらいはできるだろう。
「だから言ったでしょう。あなたに武器は似合わないって」
 海原は、呼吸困難になって動けないショチトルを見下ろした。
 今も海原は武器を使えない。しかしショチトルもマクアフティルから手を放している。この状態なら、首を絞めるなり折るなりすれば勝つ事もできる。互いの体格差を孝えれは、彼女が次の武器を手に取る前に、馬乗りになって動きを封じてしまうのも難しくはないだろう。
(ショチトル……)
 だが。梅原にはそれができなかった。
 どうしても。
「命まで奪おうとは思いません。どこへでも消えてください」
 外れたままの手首の関節をつなぎ、右腕を振って食い込んだ剣を地面へ落としながら、海原は苦い調子でそう言った。
 それを聞いて、ショチトルの口元がわずかな笑みの形を作った。

 その途端に、褐色かつしよくの少女の体が崩れ始めた。

     11

 地下通路は狭い直線だ。
 そして、AIMジャマーを始め様々な対能力者手段が講じられた施設内では、結標むずじめの能力もあてにはならない。下手をすれば彼女の暴走で全員が即死する危険性もある。
 だからこそ土御門つちみかどは結標にはたよらず、どんな攻撃こうげきを行うかも分からない手塩てしおには近づこうとしなかった。ただ拳銃けんじゆうを構え、逃げ場のないように均等に弾丸をばらこうとする。
 対して、手塩は足元にあった物をり上げた。
 それは地面に倒れている佐久さくが持ち込んだらしき、弾薬の詰まった布袋だ。下手に当てれば無数の跳弾が狭い通路をピンボールのように跳ね回る。土御門がギョッとして引き金を引く指を止めた時には、手塩は通路を走っている。彼女のこぷしは固く握られていた。
「ッ!!」
 かろうじて、拳の射程圏内にもぐられる前に土御門は引き金を引く。
 しかし、手塩はボクサーのような体勢で、まるで土御門のひざにキスをするほど身を低くかがめて彼の弾丸をやり過ごす。
 土御門が照準を修正する前に、手塩は低い位置から伸び上がるような動きで、一気に彼の腹の真ん中ヘタックルを仕掛ける。ドアどころかうすい壁ぐらいなら破壊はかいできそうな一撃を受け、土御門の体が数メートルも飛んだ。
 すさまじい音がひびき、彼の呼吸が止まりかける。
「その動き……警備員アンチスキルの逮捕術か……?」
「これは、私のアレンジよ。こんなものを、使っては、子供を、死なせてしまう」
 会話をしている間も土御門は拳銃をっているのだが、手塩は上半身を振っただけで簡単にけた。弾切れになった瞬間しゆんかんねらって蹴りが放たれ、彼の手から銃がもぎ取られる。
 さらに、もう一度タックルが来た。
 グシャア!! という鈍い音が響き、土御門が手塩の肩と壁に挟まれる。手塩が彼の体から静かにはなれると、力の抜けた土御門がずるずると床に崩れていく。
「ッ!!」
 そこへ結標淡希あわきが、手塩の背後から懐中かいちゆう電灯を振り下ろした。
 手塩は頭上に手を上げただけで鈍器を軽々と受け止め、
「プロの行動に、奇抜な能力や、一発芸は、必要ない」
 返す刀で、もう片方の手が裏拳うらけん気味に結標の顔面をとらえた。ゴッ!! という鈍い音と共に結標の体が真横に吹き飛び、壁に並ぶ独房のドアの一つに激突する。
「ただ、基本的な戦術の、積み重ねが、合理的に、敵をたたつぶす」
 そこへ、手塩てしおはさらにりをたたき込んだ。
 バガン!! とすさまじい音が聞こえ、頑丈に作られているはずのドアごと結標むすじめの体が独房の中へと転がり込む。あまりの衝撃しようげきに、結標は内臓の調子が狂ったと思った。異様なき気に見舞われているくせに、まるでのどに栓をされたように何も出ない。
 この房にも結標の『仲間』がいたのか、しきりに自分の名前を呼ぶ声が近くから聞こえた。それだけで、全身から力の抜けかけた体に、わずかな活力が戻る。
 カツン、と。独房のこわれた出ロの前に、手塩は立ちふさがる。
 結標は懐中かいちゆう電灯を構えながら、壁に手をついてふらふらと起き上がった。すぐ近くにいる『仲間』に、自分の後ろへ下がるように促しながら、
「……確か、核攻撃でも壊れない『窓のないビル』への物資搬入はんにゆうルートを聞き出して、そこを突いて内側から多層同期爆弾で破壊はかいを試みるっていう話だったけど」
「話す気に、なった?」
「そんな方法で、アレイスターを倒せるはずがないでしょう。その程度で何とかなるなら、空間移動系の能力を持っている人間ならだれでも寝首をかく事ができてしまう。本当に、あのアレイスターが対策を講じていないとでも思っているの」
「確かに、アレイスターは、殺せないかもしれない。あれは、正真正銘の、怪物だ」
 だが、と手塩は言う。
「ヤツを支えている、生命維持装置なら、違う」
「……、」
「あれは、ただの、機械だ。アレイスターのような、怪物が、核シェルターより、硬い要塞ようさいに、こもっている理由は、明快だ。あの装置には、代わりがないと、聞いている。吹き飛ばされては、困るんだろう」
「無理よ」
 結標は少しでも息を整えるように努力しながら、
「そもそも、あれは『窓のないビル』なんかじゃないのよ。それすら分かっていないあなたは、まともな情報なんて握っていない。そんな状態で練った計画が成功するはずがないわ」
「なに?」
「気がつかなかった? ドアも窓もない建物なんて、普通はありえないでしょ。逆に、正解につながるヒントはいくらでもあるのよ。例えば、酸素を含む生活に必要なものをすぺて内部で生産できるとか。核攻撃に耐えられるって事は、放射線も遮断しやだんできる訳よね。恒星から放たれる各種宇宙線を」
「字宙線? ……まさか」
 いいえ、と緒標は一度言葉を切って、

「あれは、そんなものではないわ」

 自身の無力感を自覚しながら、小さく笑った。
 その答えには、流石さすが手塩てしおも虚を突かれたようだった。
「ここまでヒントが出れは、ある程度の推測はできる。私も仮説の一つや二つは用意してる。でも、アレイスターの答えはそこにない。今ここにある仮説は、今ここで提示された情報を元に組み上げられたものに過ぎないのよ。そしてあのアレイスターが、すぺての情報を私に提示しているとは思えない」
「……、」
「ただ言えるのは、ヤツが進行している『プラン』は私たちの想像をはるかに超えたものである、という事。おそらくアレイスターにとっては、この惑星だって使い捨ての道具にすぎないのよ。そんな巨大な『プラン』が、あなたの言う陳腐な方法ごときで倒れると思っているの?」
 結標むすじめとしては、少しでも時間かせぎをするつもりだった。
 その間に体に蓄積されたダメージが抜けれは、と思っていたのだが、
「大した話だが、やはり、私の意志は、変わらないね」
「……何故なぜ、そうまでしてアレイスターの首をねらっているの?」
「私も、この街で、それなりの、悲劇を経験していてね。それに、アレイスターが、関与しているのか、全く何も知らなかったのか。その真偽を、尋ねてみたかった。それだけよ」
 手塩の口調はそっけなかった。煮えたぎるような復讐心ふくしゆうしんがある訳ではない。しかし、それゆえに言葉には真実味だけが残っていた。感情のたかぶりによる、余計な自己演出が一切ない。
「陳腐な願いね」
「かもしれない」
「私もかつては『真実』ってヤツに取りかれた事があったわ。でも、そんなものを追った所で心の平静が取り戻せる訳じゃない」
 結標の声は、静かだった。
「アレイスターが悲劇に関与したと認めて、あなたはそれで納得できる? アレイスターが悲劇には関与しなかったと認めて、あなたはそれで納得できる? どちらの回答を得た所で、あなたはきっとその答えを偽物にせものだと思う。まだ裏があるんじゃないかって。尋ねる事に意味のない質問なんて、するだけ無駄むだよ」
「……、そう」
 手塩は、それ以上何も言わなかった。
 すでに答えが決まっているからだろう。だから手塩は一切揺らがない。
「それで、どうするの?」
 質問に、結標は答えなかった。
 ここは罪を犯した能力者を収める少年院の中でも、トップシークレットとされる区画だ。AIMジャマーを始め、そうした能カへの対策も最も強固にほどこされているだろう。従って、彼女が得意とする『座標移動ムーブポイント』を使った攻撃こうげきは行えない。
 しかし、それが奪われてしまえは結標淡希むすじめあわきはただの少女に過ぎない。一方通行アクセラレータのような射撃技術がある訳でもないし、土御門つちみかどのように白兵戦にすぐれている訳でもない。
 そこまで考えて、結標は小さく笑った。
 彼女は笑ってこう言った。
「……そんな風に考えているから、私はいつまでってもだれも守れないのよ」
 唇を動かしながら、結標は自分の手を背中に回した。そして、そこにあるコードの束をつかんで、強引に引っ張る。低周波振動治療器ちりようき。結標の脳波の乱れを測定し、それに合った刺激を与える事でストレス軽滅効果を与える器具の電極を、一気にまとめて引きがした。ついでに懐中かいちゆう電灯もまとめて横合いへ放り捨てる。
 すぺてを失った結標は、それでも笑みを崩さなかった。
 それを見た『ブロック』の手塩てしおは、興味深そうな目をして言った。
「使う気ね」
「ええ」
 結標は少しの間も置かず、きっぱりと答える。

「悪いけど、全力で行かせてもらうわ」

 何も握っていなかったはずの結標の手に、突然鉄のくいが出現した。独房の頑丈な錠前じようまえに使われていた部品の一つだろう。ただし『座標移動ムーブポイント』の精度が甘い。握り込んだ結標のてのひら皮膚ひふが、ガリガリと削れていくのが分かる。
 自分の心の奥底に巣食うトラウマが、一気に顔をのぞかせる。
 それを無理矢理にねじ伏せて、緒標はさらに『座標移動ムーブポイント』を発動させる。
 今度は彼女自身の体が消えた。
 一一次元上の諭理ベクトルを利用し、三次元的な制約を超えて、結標の体が筋肉質の女性のふところへともぐり込んだ。転移と同時に猛烈な重圧が胃袋をおそうが、それを無視して結標は鉄の杭を手塩の腹へと思い切り突き出そうとする。
 これに反応し、手塩は後ろへ下がった。
 ここを逃せばもう勝てないと、結標は本能で知っていた。
 しかし一歩み出そうとした所で、右足が動かない事に気づく。まるで強力な瞬間しゆんかん接着剤がべっとりとついているような感じだが、結標の記憶きおくはこの感覚を克明に覚えている。
 このおぞましい感触の原因は、転移の位置を間違えた結果、ふくらはぎの半分ぐらいから下が、まとめて床の中へ埋まってしまっているからだ。
 苦痛。
 恐怖。
 驚愕きようがく
 かつて経験した、それら爆発的な感情が一気に腹の底から噴き出しかけるが、
(超える……)
 ミシィ!! と結標むすじめは鉄のくいを勢い良く握りめ、唇をんですべてを封じ込める。彼女の背後には、守るべき『仲間』がいる。今ここで守らなくてはならないその命のために、結標淡希あわきい出る過去をつぶす!!

(私は超えてみせる!! このクソ忌々いまいましい傷の全てを!!)

 歯を食いしばり、結標淡希は泥から足を抜くように、一気に足を動かした。
 その途端にベリベリという音が聞こえた。
 結標淡希はその全てから目をらさなかった。
 そして前へ。
 仲間の命をおびやかす『ブロック』の刺客しかくふところへ、ボロボロになった足も気にせず、ただ鉄の杭を握り締めて、結標は一気に弾丸のように突っ込んでいく。

 ドン! と。
 一際ひときわ鈍い音が、独房の中にひぴき渡った。

 手塩てしおの全身から、力が抜けていく。まるで結標に向かって寄りかかるような体勢になりながら、手塩は結標の耳に口を寄せ、小さく唇を動かした。
「……余裕、だね」
 結標の手には、鉄の杭があった。しかしインパクトの直前、彼女は手の中の杭をクルリと回し、その鋭い先端ではなく、平坦へいたんな後部の方を腹の真ん中へ突っ込んだのだ。
生憎あいにくだけど」
 結標はつまらなさそうに答える。
「これが、私に求められているリーダー性なのよ」

     12

 海原光貴うなばらみつきは、目の前の光景が信じられなかった。
 少年院の運動場で倒れていたはずのショチトルの右腕が、いきなりポロッと崩れたのだ。それは、生物学的な腐敗のようなものではない。
 まるで透明人間の包帯を外していくような感じだった。
 皮膚ひふの外側の質感は限りなく人間のそれなのに、その包帯が外れた後にはただの空洞しかない。指先から始まった変化が、あっという間にひじの辺りまで侵食していく。
「ショチトル……? これは、一体―――ッ!!」
「私の体が、限界を迎えただけだ」
 手や足の先から少しずつ『ほどけていく』褐色かつしよくの少女は、うっすらと笑って言った。
「勉強になったか。足りない実力を、魔道書まどうしよで埋めようとすると、こういう結果を招く訳だ」
「まさか……読んだのですか」
「いいや、それ以上だ。貴様もアステカの魔術師まじゆつしなら分かるはず。儀式ぎしきでは、人の肉を食う事で天国へ届ける。つまり私と切りはなされた肉には術的なラインがつながっているのだ」
 その一言を聞いて、海原うなばらはギョッとした。他人の武器を操って自殺させる術式の『意味』が分かったからだ。自分の肉を乾燥させて粉末状にしたものを周囲に散布する。その粉未は魔術的には『ショチトルの体の一部』なのだから、脳で思っただけで手足のように扱える。同様に、それがびっしりとこびりついた物品についてもだ。
 他人の武器を、自分の肉体の一部とする。それがショチトルの持つ術式の正体だ。
 だが、
「そんな風に自分の体を削る術式なんて、すぐに破綻はたんする! これはもう霊装れいそうなどで補助できる領分を越えています! それぐらいあなたにも分かっていたはずでしょラ、ショチトル!!」
「構わない。『組織』は裏切り者の処分を求め、私はこれに応じた。私の消費期限の内に貴様を殺せれば、それで『組織』の目的は達せられる」
「くそ!! 自分の知っている『組織』もひどいものでしたが、何もここまでじゃなかった! 自分のいなくなっている間に、一体何があったと言うんですか!?」
 海原はそう叫んだが、不思議とショチトルは小さく笑っただけだった。
 バラバラバラ!! と、あっという間に褐色の少女の体がほどけていく。海原の目測では、おそらく残っている生身の体は、よくても三分の一程度。当然ながら、それだけを残されても生命を維持できるはずがない。肉や内蔵の塊を空気中に放置されるだけだ。
(……これだけの異常事態を、ただの術式や霊装だけで引き起こせるとは思えない)
 手足はおろか腹にまで及ぶ崩壊ほうかいを眺めながら、海原は必死に状況を観察する。
(それ以上の奥義おうぎと言えば―――思いつくのは『原典』ぐらいか!!)
 何人なんぴとたりとも破壊できず、完全自律起動している魔道書まどうしよの『原典』との融合ゆうごう……いや逆にそのパーツとなる事で、ショチトルはカを手に入れた。そう考えると辻褸つじつまが合う。『武器を持つ者をその武器で自殺させる』というのは、いかにも魔道書の『原典』らしい防御機能だ。そして、アステカには動物の皮に文字を記す『絵文書』という書物が存在する。
(動物の皮……まさか!!)
 海原うなばらは今まさにほどけていく、褐色の少女の皮膚ひふ呆然ぼうぜんと眺めていた。
 その内側に記されているのは―――

「ぐ、う、アァああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 迂闇うかつのぞき込もうとして、海原光貴みつきは直後に絶叫した。
 ほんの数文字。それも凝視ぎようししたのではなく、チラッと視界に入っただけで脳が割れそうになった。常人向けに解釈を改め、純度をうすくした『写本』とは違う。正真正銘の『原典』だ。
 ガンガンに痛むこめかみを押さえ、よろめきながらも海原は思考を統ける。
(くっ……。描かれているのは『暦石こよみいし』の派生系か)
 暦石とは円形に配置されたアステカ式のカレンダーのようなものだ。ただしアステカではニつの方式の暦を同時に扱い、また太陽の死や蘇生そせいなどが信じられている事から、その作りはとてつもなく複雑なものと化している。ショチトルの皮膚の内側に記述されているのは、そこから生と死に関する時間の内容だけを抽出し、宗教的な論説にまで発展させたものだろう。
 こんなものは手に負えない。対抗しようという考えそのものが間違っている。あの禁書目録ですら破壊はかいは不可能と言われている邪本悪書を、一介の魔術師まじゆつしにどうこうできるはずがない。
 しかし、
 それでも、
(死なせて、たまるか……)
 非戦闘ひせんとう要員だったショチトルが何故なぜこんな所まで潜入せんにゆうしてきたのか。『組織』は今どうなっているのか。聞きたい事なら山ほどある。だからここで彼女を死なせる訳にはいかない。
 魔道書まどうしよの『原典』は破壊できない。
 仮にできたとしても、『原典』に依存するショチトルの命はたない。
 海原光貴一人の力で、この状況を打破する事など不可能。
 ならば、
(人間のカで実現不能なら、この『原典』のカを借りるまで!!)
 あらゆる攻撃こうげきを防御し、何人なんぴとにも傷をつけられない『原典』だが、唯一の例外が存在する。それは『「原典」の知識を欲する者に、その知識を開示する』事だ。本当にあらゆる意味で『すべての干渉を防ぐ』機能があったらだれもぺージをめくる事はできず、それでは魔道書が存在する理由すらも失われてしまう。どういう理屈かは知らないが、『原典』は『読者』と『そうでない者』を識別し、『自らの知識を広める者』に協力する傾向があるのだ。
 だからこそ海原は、
(この魔道書まどうしよを自分が引き継ぐ)
『原典』の所有権を手にする事ができれは、『原典』からの自動迎撃術式は働かなくなるし、『引き継ぐ』事でショチトルの体から『原典』を自然に引きがす事もできる。『原典』は別にショチトルの人格をしたって協力している訳ではない。単に自らの知識の伝道者を求めているだけなのだから。
 その上で、
(『原典』の判断能力をだましてみせる。ショチトルが死亡したら引き継ぎが行えなくなると思い込ませる! そうすれは、『原典』の方が勝手にショチトルの命を助けるはずだ!!)
 海原光貴うなばらみつきにはショチトルを助ける事はできない。それならば、もっと強大な力を持つ『原典』に直接動いてもらえば良い。もちろん前例はない。ケタ外れの『原典』を騙しきれなけれは、その時のむくいは死という形で跳ね返ってくる。
 しかし、海原光貴は迷わなかった。
 褐色かつしよくの少女を助けるために、海原光貴は全てを受け入れる。

     13

 血まみれの足を引きずって、結標淡希むすじめあわきは独房からゆっくりと出てきた。
 ほかの房にはかぎがかかっている。そこから『仲間』たちが出てくる事はない。また、仮に強硬手段に出たとしたら、学園都市の上層部は『仲間』達を消しにかかるかもしれない。
 いくら『ブロック』を退けたと言っても、根本的な問題は解決していなかった。何者かに命を握られているという状況そのものがくつがえる訳ではなかった。
 しかし結標は、信じていた、という言葉を聞いた。
 独房の鉄扉に備え付けられた、食事を入れるための小窓。まるで郵便ポストの切り込みのようなそこから、『仲間』の声は確かに聞こえた。信じていた、と。やっぱりアンタを信じていて正解だった、と。その声には安堵あんどの感情が含まれていた。自分の命が守られた事はもちろん、ここへ結標が駆けつけて来てくれた事に対しても。
 結標淡希はしばらくの間、少しも身動きが取れなかった。
 やがて、彼女はゆっくりと口を開いた。しかし言葉が出ない。自分で思っている以上に唇がふるえていた。それでも、結標は少しずつ言葉をつむいでいく。
 長い時間をかけて、ようやく出たのは、たった二、三言。
 だが、彼らの間ではそれだけで十分だった。
「もう良いのか」
 土御門つちみかどが言うと、結標は片手で彼を押しのけ、出口の階段へ向かった。
 建物の外に出ると、一方通行アクセラレータ、海原光貴の二人もいた。それぞれがそれぞれの戦場で戦ってきたせいか、無傷の者は一人もいない。それでも、『グループ』の四人は再び合流した。
 結標むすじめは何も言わない。
 そんな彼女を見て、土御門つちみかどはつまらなさそうに言った。
「それじゃ戻るか、やみの中へ」

   行間 三

 彼女はゆっくりと街を歩く。
 就いている役職からすれは考えられない場所だ。だれもが自由に通行できる路上であり、護衛も用意せず、ただ一般人のように雑踏ざつとうに紛れている。彼女の片手にはヘリウムガスの詰まった風船が五個あり、通り過ぎる小さな子供が物欲しそうな視線を送ってきていた。
 彼女のもう片方の手には、携帯電話がある。
「あのさー。一応私が管理してんのは『アイテム』なんだけど。こいつときたら……。なーんでこんな残業代も出ない電話を掛けなきゃならないんだか」
『何言ってんだ。確かに「ブロック」については、おれも出し抜かれたのは認める。でもな、俺の力ならいくらでも巻き返せる。だから「プロック」の位置や情報に関する遮断しやだんを解けよ! 俺が彼らを再び掌握しようあくすれば、学園都市に被害が及ぶ事はないんだ―――』
「被害については、大丈夫だいじようぶ。ついさっき、『グルーブ』の連中が少年院で『ブロック』を行動不能にしたみたいだから。これ以上、ヤツらがトラブルを起こす事はないよ」
『そ、そうか』
電話の相手はそれなりに安堵あんどしたようだった。
『それなら、俺は』
「ええ」
彼女も安心して続きを言った。

『「ブロック」の脅威は消えたんだから、それを制御するアンタも必要ないわよね』

 電話の向こうで息をむ音が聞こえた。
 慌てて何かをまくし立てられたが、彼女はもう聞いていなかった。これは彼女たちの協議で決まった確定事項だ。彼女は携帯電話の通話を切って、再び人混みの中を歩いていく。
 彼女の手にある五つの風船の一つが手放され、空高くへと飛んでいった。
「さて、と」
 消えた風船には目も向けず、彼女は残る風船のひもを指先でもてあそぶ。
「『スクール』の制御役はなんて言うのかな」

第四章 自嘲と誇りの紙一重の違い Enemy_Level5.

     1

 結局、灰は川に流した。
 浜面仕上はまづらしあげには、どうしても生ゴミの自動処理オートメーションの中へ放り込む事ができなかったのだ。ただの自己満足にすぎないのは分かっているし、環境汚染でもあるのだが、それでも、元は人間だったものを生ゴミの中に混ぜて捨てる事には抵抗があった。
(……最低だな)
 滝壺たきつぼとも別れ、一人きりで川沿いの道を歩きながら、ぼんやりと思う。
(別におれは、あの寝袋の中身に同情した訳じゃねえ。単に、次は自分かもしれないって思うのが怖かっただけだ。俺が死んだ時にそういう風に処分されるのが気持ち悪かったからってだけなんだ)
「ちくしょう……」
 またあいつらの所に戻らなきゃならないのかよ、ときそうになるのをこらえ、『アイテム』の連中が待っている場所へ戻ろうとする浜面。
 おい、とそこで声を掛けられた。
 浜面は無視して先を進もうとしたが、後ろから肩をつかまれる。
 振り返る前に衝撃しようげきが来た。
 ゴッ!! という後頭部へのダメージを受けて、浜面の体が汚い地面へ転がる。
 笑い声が聞こえ、そちらへ目をやると、見た事もない少年たちが三人ほどいた。その中の一人がゴルフクラプを握っている。浜面をなぐったのはそいつだろう。
(……ッ!? 空き巣稼業かぎようか)
 学園都市の人口の八割は学生だ。時間帯によっては学生りようからほとんど人がいなくなる。そこをねらって組織的・集団的に空き巣を働く武装した不良グループもいるのだ。
「やっはそうだぜ。こいつ、見た顔だ。第七学区のスキルアウトじゃねえの?」
「あそこはつぶれたんじゃなかったっけか」
「事情なんてどうでも良いだろ。ここで漬すんだしさ」
 そこで一通りの笑いが来た。浜面が何か言う前に四方八方からりが飛んだ。そこには笑いしかなかった。
「知ってるかい、スキルアウト。俺達はついこの前まで生活に苦労してたんだぜ」
「お前らのアタマ……駒場こまばっつったっけか。あいつがなかなか鬱陶うつとうしくてさ。ろくに『仕事』もできない状態だったんだ」
「そんなこんなで、テメェの顔をつぶして少年Aにするぐらいにはムシャクシャしてんだわ。分かってもらえたかなー?」
 それはおれのせいじゃない、と浜面はまづらは言おうとしたが、その前に脇腹わきばらりが食い込んだ。呼吸困難になった浜面は声を出す事もできなくなってしまう。
(ち、くしょう……)
 顔も知らない寝袋の中身が頭に浮かんだ。電子炉の中で焼かれ、灰になって川へ流される光景が脳からはなれない。自分もそうやって消されていくのだという事が、無能力者レベル0の命の軽さが、何もかもが頭にきた。
 そして、汚い路上には親指ほどの太さの、プロパンガス用の鉄パイプが転がっていた。
 浜面仕上しあげは迷わなかった。
「ッ!!」
 L字に曲がった鉄パイプをつかみ、勢い良く横へ振る。
 ゴルフクラブを持っていたクソの足首に直撃ちよくげきし、ゴキリと骨を砕く感触が浜面の手に返った。絶叫して転がるバカと入れ替わるように、血まみれの浜面が起き上がる。そのまま鉄パイプを振り下ろし、さらに打撃を加えていく。
 残る二人の不良が何かを叫んだが、浜面は無視した。
 さらに倒れているヤツに鉄パイプを振り下ろすと、心地良い絶叫が耳にひびいた。
 それを聞いた少年の一人が、カバンの中から金槌かなづちを取り出した。
 これは死ぬかな、と浜面は思った。鉄パイプの破壊力はかいりよくは結構なものだが、かと言って一撃で相手を気絶させるのは難しい。泥沼の『なぐり合い』になれは、相打ちも十分考えられる。
 しかし、もう攻撃の手を止める気は起きなかった。
 黒い寝袋の合成布の感触が、おどろくほど鮮明にてのひらに浮かぶ。
 そこへ、
「こっちだ、浜面!!」
 叫び声が聞こえるのと同時に、金槌を握る少年の首が、ゴキン! と真横へ跳ねた。煉瓦れんがのようなものを投げつけられたのだと気づく前に、浜面はだれかに腕を掴まれた。
「来い、この馬鹿ばか! さっさと逃げるんだよ!!」
 不思議なほど無気力に、浜面は腕を引かれるままに走り出す。
 しばらく付き添ってから、ようやく声の主に思い当たった。
「お前……半蔵はんぞうか?」
 以前は同じスキルアウトのメンバーとして、行動を共にしていた少年だ。この辺りをウロウロしていたという事は、またATMの強奪でも考えていたのだろうか、と浜面はかつてのスキルアウトの習性を少しだけ思い出した。
 半蔵はんぞうあきれ返った声で、
「路地裏のルールをすっかり忘れやがって、この馬鹿ばか。勝ち負けにこだわったら行き着く先は死だ。生き死ににこだわりたかったら勝敗なんか捨てちまえ!」
 背後に目をやり、追っ手が来ないのを確認してから、二人は立ち止まる。
 浜面はまづらは不思議そうな表情で半蔵の顔を見ていた。
「何でおれを助けたんだ。スキルアウトをダメにして、その罰からも逃げたこの俺を」
「そういうのは、お前の台詞せりふじゃねえよ」
 半蔵はつまらなさそうな調子で答えた。
「つか、もう気づいてんだろ。別に俺たちはお前を恨んじゃいねえし、お前のせいだと思っちゃいねえさ。あのタイミングなら、だれがリーダーになってもスキルアウトはつぶれてた」
「……、」
「過去にすがるほど綺麗きれいな道は歩んじゃいねえさ。ま、俺が計画を練って、お前がアシを確保して、駒場こまば襲撃しゆうげきの指揮を執って……ってやってたころが楽しかったのは認めるがね」
「そうだな」
 浜面は感情のない声で言った。
「認めるよ。クソみてえな生活だったが、まだあの頃は楽しかった」
「……お前、これからどうする気だ」
「知るかよ。どこへ転がり込んでも同じ気がする。たとえスキルアウトに戻ったって、それは『あの頃』じゃねえんだ。そこに価値があるとも思えねえ」
 き捨てるように言って、浜面は半蔵に背を向けようとした。
 半蔵はポケットから何かを取り出すと、それを浜面に向かって軽く投げた。
「持ってけよ。あの調子じゃ、大した武器モノもないんだろ」
 グリップがてのひらの半分ぐらいしかない、小型の拳銃けんじゆうだった。
「……レディースだぞ、これ」
「良いだろ、別に。武器なんて使いづらいぐらいがちょうど良いんだ。手に馴染なじみ過ぎると、余計な血を流しちまう」
 浜面は手の中の拳銃を軽く回し、それからそでの中へ仕舞った。
 今度こそ半蔵へ目を向けず、彼は一人で路地を出る。
『アイテム』では、おそらく次の仕事が待っている。

     2

 浜面仕上しあげは『アイテム』の隠れ家の一つに帰ってきた。
「遅いよー浜面はまづら
 麦野沈利むぎのしずりがのんびりした調子で言った。
 ここは第三学区にある高層ビルの一角だ。スポーツジムやプールなど、屋内レジャーだけを集めた施設で、利用者のグレードはかなり高い。建物に入るだけで会員証の提示を求められ、そこからさらに各施設を利用する際に、会員証のランクを調べられる。いわゆる上流階級と呼ばれる人々が、ステータスとしてまず手に入れたいものが、ここの会員証らしかった。
 浜面たちがいるのは。VIP用のサロン。
 年間契約の貸し切り個室で、『二つ星』以上の会員証ランクがなけれぱ借りる資格すら与えられないという、まさに最高級な感じの部屋だ。
 個室と言っても軽く3LDKを超える広さの空間で、麦野はソファに身を沈めていた。
 浜面はそこに集まった面子メンツを見て、怪訪けげんそうに尋ねる。
「フレンダはどうしたんだ?」
「消えた」
 麦野はあっさりと答えた。
「死んだか捕まったか。補充している暇はなさそうだし、いずれにしても『アイテム』は三人でやってくしかないね。ま、『スクール』も一人減って三人だから、数はぴったり合ってる。巻き返すのは難しくないよ。ウチら『アイテム』には滝壺たきつぼもいるしね」
 三人と麦野は言った。
 数に入れられていない浜面はわずかにまゆをひそめたが、言及しても仕方がない。
「はまづら。怪我けがしてる」
 滝壺が浜面の顔を見てそう言った。
 何でもねえよ、と浜面は適当に答えて、
「これからどうするんだ。『スクール』の連中には『ピンセット』を奪われちまったんだろ」
「そだね」
 麦野はあっさりと認めて、
「だから、今度はこっちが反撃はんげきする番よ。滝壺の『能力追跡AIMストーカー』は、一度記憶きおくしたAIM拡散力場を元に、特定の能力者の位置情報を『検索』できる。素粒子工学研究所では連中と一戦やり合ってるからね。これでいつでも連中を追えるって訳。『アイテム』の存在意義は上層部や極秘集団の暴走を防ぐ事。そいつをまっとうしてやろうじゃない」
 浜面は滝壺の方を見た。
 相変わらずだらっと手足を投げ出している少女。いつも言動が不安定なのは、絶えず他者からのAIM拡散力場の影響えいきようを受けているせいなのだろうか。
「検索対象は、『未元物質ダークマター』でいい?」
だれだそりゃ」
「第二位の超能力者レベル5。『スクール』を指揮してるクソ野郎だよ」
 麦野むぎのがそう言っている間に、滝壺たきつぼはポケットから白い粉末の入った小さなケースを出した。
 絹旗きぬはたは不思議そうな目で透明なケースを見ている。
「滝壺さんも超難儀なんぎしていますよね。『体晶たいしよう』がないと能力を発動できないなんて」
「別に。私にとっては、こっちの方が普通だったから」
 滝壺は言いながら、白い粉末をほんの少しだけめた。
 彼女の目に光が戻る。
 まるでそちらの方が正常であるかのように、背筋を伸ばして滝壺理后りこうたたずんでいる。
「AIM拡散力場による検索を開始。近似・類似するAIM拡散力場のピックアップは停止。該当する単一のAIM拡散力場のみを結果報告するものとする。検索終了まで残り五秒」
 機械のように放たれる声。
 そして、正確な答えはやってきた。

「結論。『未元物質ダークマター』は、この建物の中にいる」

 なに!? とその場の全員が愕然がくぜんとする前に、次の動きがあった。
 個室サロンの扉が、向こうから思い切りり破られる。
 その奥から、一人の男が歩いてくる。
 その男を見て、麦野沈利しずり忌々いまいましそうな声を出した。
「『未元物質ダークマター』……ッ!!」
「名前で呼んで欲しいもんだな。おれには垣根帝督かきねていとくって名前があるんだからよ」
 男の手には、機械でできた奇妙な『つめ』があった。
「『ピンセット』か……」
「カッコイーだろ。勝利宣言をしに来たぜ」
「ハッ。アレイスターに選はれなかった『第二候補スペアプラン』に、はしゃがれてもさ。ついさっきまでさんざん逃げ回ってたくせに、態度がガラリと変わってくれたね」
「いやいや。素粒子工学研究所では世話になったし。おかげで四人しかいない『スクール』の正規要員を一人失っちまった」
「忘れてない? 数日前にはスナイパーも殺してるはずだけど。交換したんだ?」
 超能力者レペルー5二人の会話はいきなり途切れた。
 原因は絹旗最愛さいあい。彼女はソファから立ち上がりもせず、近くにあったテーブルを片手で持ち
上げた。ゴテゴテと装飾だらけで、数十キロはありそうな重さのテーブルを、一二歳ぐらいに
しか見えない少女は、ものすごい勢いで垣根帝督へ投げつける。
 バガン!! という轟音ごうおんひぴいた。
 テーブルは粉々に砕け散ったが、垣根かきねの表情に変化はなかった。
「痛ってえな」
 本当にそうなのかも分からないほど自然に、彼は言う。
「そしてムカついた。まずはテメェから粉々にしてやる」
 絹旗きぬはたはやはり応じなかった。
 彼女は壁際かべぎわまで走ると、その小さなこぶしでサロンの壁を容赦ようしやなく破壊はかいした。そして浜面はまづら滝壺たきつぼの手をつかむと、麦野むぎのに軽く目配せをしてから、こわれた壁の奥へと飛び込んでいく。
 その先は似たような構造の豪奢ごうしやなサロンだ。中には客がいたが、絹旗は拳でなぐって気絶させる。通路に出ると『スクール』の下部組織らしき男がいたが、これもやはり拳でぎ払う。
 絹旗最愛さいあいは怪力なのではない。彼女は空気中の窒素ちつそを自由に操る能力者なのだ。その力は極めて強大で、圧縮した窒素の塊を制御する事で、自動車を持ちあげ、弾丸を受け止める事すらできるものの、その効果範囲はとても狭く、てのひらから数センチの位置が限界。だから、見た目では『手で持ち上げているように』見えてしまうのだ。
「浜面。超急いで車の確保をお願いします」
 絹旗はそう言った。
「『スクール』のねらいの一つは滝壺さんでしょう。私たちの隠れ家がバレている以上、ほかの憶報も知られていると考えた方が超無難です。おそらく彼らは滝壺さんの厄介やつかいな能力を知って、追跡を振り切るためにまとめてつぶしに来たんです」
「こいっのサーチ能力が?」
 浜面は言った。
 見た目の破壊力で言うなら、麦野や絹旗の方が派手そうだが……。
「『アイテム』全員を確実に殺さなくても、滝壺さんさえ潰してしまえば、『アイテム』の活動はかなり制限できます。彼女がいるかいないかで、『追跡する側』と『追跡される側』がひっくり返るんです。私なら、真っ先に滝壺さんを狙います」
「……、」
「逆に言えば、私達は滝壺さんさえ無事なら状況を巻き返せるんです。だから、とにかく彼女を車に乗せてここから超はなれてください。『アイテム』の隠れ家を使わずに潜伏せんぷくすれば、多少は時間をかせげるはずです」
 絹旗は言いながら、ポケットからスタンガンを取り出した。
 それを滝壺の手に掴ませる。
「あなたはいつもボーっとしていて超危なっかしいですから、これぐらいの武器がちょうど良いでしょう。これなら暴発しても死にませんし」
 バガン!! という爆発音が聞こえた。
 麦野と垣根のいるサロンの方からだ。
「行ってください。超早く」
 絹旗きぬはたはそう言うと、浜面達はまづらたちから背を向けた。
 彼が何か言う前に、その小さな少女は戦場へと走って行った。

     3

 爆発の衝撃しようげきに、ビル全体がたよりなく揺れていた。
 上客が逃げ惑う屋内レジャー施設のロビーを、絹旗最愛さいあいは歩いている。
 床には『スクール』の下部組織の男達が倒れていた。絹旗がたたき伏せた者達だ。彼女は男達のそばへ行くと、その近くに転がっている拳銃けんじゆうやライフルなどを足で蹴飛けとばして遠ざける。
 と、不意に彼女の顔が、横方向にゴン!! とブレた。
 銃弾を浴びた、と分かった時にはさらに二回、三回と衝撃が走り、絹旗の小柄な体が床へ吹き飛ばされていく。彼女は衝撃に身を任せ、床をすぺって手近な柱の陰へ隠れつつ、
(……狙撃そげき。どこから?)
 衝撃のあった箇所は、頭と胸と腹の下。いずれも急所だった。能力によるシールドがなければ確実に死んでいた。絹旗は床に転がっていた、つぶれた弾丸をてのひらに載せる。
(スチール弾……例の磁力狙撃砲ですか。初速が音速以下だとすると、この潰れ具合から察するに、距離きよりは五〇〇から七〇〇)
 考えながら、絹旗は衣服のふところへ手を伸ばす。五本の指の間に挟んでいるのは、三〇センチぐらいの金属棒の先端に、缶ジュースぐらいの金属の塊がくっついたものだった。マラカスのようにも見えるし、古臭い柄付えつきの手榴弾しゆりゆうだんのようにも見えるのだが、どちらも正解ではない。

 それは携行型対戦車ミサイルの弾頭だ。

 逃げ惑っていた上客達がギョッとした顔をしたが、絹旗は無視した。
 彼女は五本の指で挟んだ複数の弾頭をそちらに向け、弾頭のしりについていた短いひもを、もう片方の手でつかむ。パーティのクラッカーを鳴らすような仕草にも、弓を構えるような仕草にも思える。彼女は一息に柱の陰から飛び出すと、砕けたウィンドウの先にある景色に目を向けた。その途端に眉間みけんの真ん中へ弾丸をもらったが、絹旗は無視してねらいを定める。
 彼女は迷わず紐を引いた。
 シュポン、という気の抜けた音と共に、圧縮空気の力を受けて、柄から弾頭が飛んだ。一〇メートルほど前方に進むとそこで着火し、爆炎をき散らしながら五〇〇メートルの距離をあっという間に詰めていく。
 複数のミサイルはビルの側面に激突すると、ミルフィーユを漬すように爆破した。優れた耐震たいしん構造の賜物たまものか、かろうじてビル全体が倒壊とうかいするのだけは免れたようだ。
「おーおースゲェな。砂皿すなざらの野郎、磁力狙撃砲そげきほう一緒いつしよにグチャグチャになってんじゃねえか? ま、急いで補充した人員だからあの程度が限界って感じかもな」
 陽気な声が飛んできた。
 絹旗きぬはたがそちらへ振り返ると、『未元物質ダークマター』の垣根帝督かきねていとくが通路から出てきた所だった。
「はん、『暗闇くらやみの五月計画』の残骸ざんがいか。難儀なんぎだよな。一方通行アクセラレータの演算パターンを参考に、各能力者の『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』を最適化しようとかって内容だっけか」
「……、」
「結果、テメェが得たのは自動防御能力。元は大気制御系の能力っぽいけどな。一方通行アクセラレータの『反射』と同じく、自分の周囲に能力で作った防御フィールドを自動展開させるのが限界、か。自分でみじめと思った事はねえのか」
「別に」
 絹旗はあっさりと答えた。
「『プロデュース』の被験者に比べれは超幸せですよ。彼ら、『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』は脳のどこに宿るのかを調ぺるために、クリスマスケーキみたいに脳みそを切り分けられたそうですし」
 そうかい、と垣根は興味なさそうに相槌あいづちを打った。
 絹旗は目の前の男を警戒しながらも、口を開く。
麦野むぎのはどうしたんですか」
「ああ。大した事はなかったな」
 そっけない言葉だった。それだけで、絹旗は知った。学園都市でも四番目に強力な超能力者レベル5をそんな風に扱える人間に、大能力者レペル4の自分では太刀打たちうちできない。素粒子工学研究所で戦った時に、すでに薄々うすうす気づいていた事が裏付けされてしまった。
「で、『能力追跡AIMストーカー』はどこにいる? こっちが知りたいのはそれだけだ。場所を教えりゃ見逃してやっても良いんだぜ」
「そんな交渉に応じる馬鹿ばかがいるとでも思うんですか」
「いるんじゃねえの? 例えば『アイテム』のフレンダとか」
「……、」
「そういう選択肢もあるって訳だ。言っておくが、大能力レベル4の『窒素装甲オフエンスアーマー』じゃ、おれの『未元物質ダークマター』にゃ勝てねえよ。工夫次第でどうにかなるレベルを超えちまってる」
 絹旗は何も言わなかった。
 だまってこちらをにらみつけてくる少女を見て、垣根は告げる。
「『能力追跡AIMストーカー』はどこだ」
「どうやら、拒否する権利はなさそうですね……」
 絹旗は小さく笑ってそう言った。

 言いながら、近くにあったベンチをつかみ、それを強引に投げ飛ばす。
 しかし、

 ゴァ!! と垣根かきねを中心に正体不明の爆発が巻き起こる。
 それは飛んできたベンチを粉々に破壊はかいし、さらに絹旗きぬはたの体までもぎ払った。

 彼女の小柄な体が一〇メートル以上ノーバウンドで空中を飛び、うすい壁を突き破ってどこかの部屋へと突っ込んで行った。
 それを眺めながら、垣根はうっすらと笑う。
「誇りと死を天秤てんびんにかけたか。感傷的だが、現実的じゃねえな」
 垣根は近くにいた下部組織の男へ、回収しろ、と小さく告げた。
「回収って……まだ生きているんですか、あれ」
「そういう能力者なんだよ、あいつ」

     4

 浜面仕上はまづらしあげ滝壺理后たきつぼりこうはエレベーターホールまで走ってきた。
 壁のスイッチを押すと、四八階にまっていた表示が、高速でこの二五階へと下がってくる。その間に、浜面はポケットの中から開錠用かいじようようのツールを取り出す。
(……駐車場は地下か。ここら辺のはみんな派手な車だろうけど、迷ってる暇はねえ。エレベーターから一番近い揚所にある軍をねらって―――)
 エレベーターが二五階に停まった。
 軽い電子音と共に、金属製の自動ドアが左右に開いていく。
「いたいた」
 そこで、浜面は絶望的な声を聞いた。
 通路の向こうから、『スクール』の人間が歩いてくる。麦野沈利むぎのしずりしのぐ、第二位の超能力者レベル5。右手に奇妙な『つめ』を装着したその男が、ゆっくりと近づいてくる。
「捜した捜した、捜したよん。テメェがサーチ能力者で良いんだよな?」
 言いながら、男は左手一本で引きずっていた『もの』を、こちらに向けて軽く投げる。数メートルの距離きよりを飛び、浜面の足元に転がったのは、先ほど別れたばかりの絹旗最愛さいあいだった。
「……ッ!!」
「そいつの判断は良かったな。テメェら『アイテム』の核は超能力者レペル5じゃなくて、そっちのアンタなんだろ。いやあ、ここで逃げられてたら厄介やつかいだったぜえ?」
 逆に言えば、ここまで来ればもう逃げられないと、垣根帝督ていとくは断言していた。
 あの一歩一歩が、浜面達ほまづらたちの寿命を削り取るカウントダウンだ。
 浜面は、そでの中にある拳銃けんじゆうの存在を意識した。そして、かたわらにある扉の開いたエレベーターを横目で見て、できるだけ小さな声で滝壺たきつぼに話しかける。
「(……お前はエレベーターに乗って下に降りろ)」
「(……でも、はまづら)」
「(……どっちみち、ここでテメェを見捨てて『スクール』から逃げたって、そんな事をすれば今度は『アイテム』につぶされんだ! 板挟みなんだよ、ちくしょう!!)」
 垣根帝督かきねていとくの足が止まった。
 逡巡しゆんじゆんしたのでも、見逃そうとしているのでもない。そこがもう、超能力者レペル5にとっての有効射程圏内なのだ。
「で、どうするよ。別れのあいさつってどれぐらい時間かかるものなんだ?」
「―――ッ!! 行け!!」
 浜面は滝壺の小さな体をエレベーターへ突き飛ばそうとした。
 しかし、滝壺は逆に浜面の方へ手を伸ばした。
 まるで社交ダンスのようにくるりと体の位置を変えると。滝壺は浜面の体をエレベーターの方へ押し出す。突然の行動に戸惑った浜面は、そのまま床に尻餅しりもちをついてしまった。
 滝壺の手だけが、エレベーターの中に入る。
 地下駐車場のあるB1のボタンが押されてしまう。
「テメェ、何してん―――」
「ごめん、はまづら」、
 左右から閉じていく自動ドアの向こうで、滝壺はこちらを見ていた。
「電子炉の話、みんなに聞いた。はまづらには、あんな『灰』にはなってほしくない」
 彼女の目は、うっすらと笑っていた。
大丈夫だいじようぶ。私は大能力者レペル4だから。無能力者レベル0のはまづらを、きっと守ってみせる」
「……ッ!!」
 何か言う前に、完全に扉は閉じて、高速エレベーターが下へ降りていく。何かとんでもない事が起きたが、一方で、直接的な危機を脱した事で、肉体の方が妙な安堵あんどに包まれていた。
 床に座り込んだまま、壁に背中を押しつけ、浜面は天井てんじようを見上げた。
(能力者の連中は、おれ達の命なんかどうでも良いって思ってんじゃなかったのかよ……)
 高速エレベーター特有の、浮遊感にも似た感覚を全身で受けながら、浜面は思う。
 天井を見上げたまま、片手で顔をおおう。
(一山いくらでさ、使い捨てのコンビニ傘みたいなもんでさ。俺達が死んだって、焼却炉で灰になるまで焼かれて生ゴミと一緒いつしよに捨てられんじゃなかったのかよ)
 ちくしょう、と浜面は小さくつぶやいた。
 おそらく、あの電子炉で黒い寝袋を焼いた時、ショックを受けていたのは浜面はまづらだけではなかったのだ。それを後ろから見ていた少女もまた、同じようにショックを受けていたのだ。滝壺理后たきつぼりこうが、これまでもずっと無能力者レベル0擁護ようごしようと考えていたのか、それともあの電子炉の一件で心変わりしたのかは分からない。
 とにかく言えるのは一つ。

 滝壺理后は、無能力者レベル0の浜面を助けるために、たった一人で学園都市第二位の男に立ち向かったという事だ。

「……ふざけやがって」
 浜面仕上しあげはボソリとつぶやき、壁に手をついて、ゆっくりと起き上がった。
「ふざけやがって  ッロ」
 てのひらたたきつけるように、壁際かぺぎわのボタンを勢い良く押してエレベーターを停止させる。
 ギリギリと奥歯をめ、浜面はゆっくりと深呼吸する。
 正直に言えば、勝てる見込みはほとんどない。あの垣根かきねとかいうヤツは超能力者レベル5で、しかも敵はヤツ一人ではない。少なくとも、下部組織らしき黒ずくめの男たちもいた。
 しかし、
無能力者レペル0に居場所はあるのかだと。あるに決まってんだろ。他人を食い物にする以外に道はあるのかだと。あるに決まってんだろ!!』
 かつて。断崖だんがい大学データベースセンターで遭遇した、自分とは全く違う無能力者レベル0の言葉が、ここに来て自然と頭に浮かんできた。
『もしもスキルアウトを結成するだけのカを使って、もっと弱い立場の人を助けていたら、それだけでテメエらの立場は変わったんだ!! 強大な能力考に反撃はんげきするだけの力を使って、困っている人に手を差し伸ぺていれは、テメェらは学園都市中の人達から認められていたはずなんだよ!!』
「……ああ」
 浜面仕上は、滝壺と別れた二五階のボタンを再び押して、エレベーターのドアを閉める。
「その通りだ、クソッたれ」
 彼は自ら退路を断ち、再び超能力者レペル5の待つ戦場へと帰っていく。

     5

 エレベーターが二五階で停止した。
 左右に開く自動ドアからフロアに出た浜面は、そこで予想通りの光景を目にした。
「何だ。戻ってきちまったのか」
 あっさりと言ったのは、『スクール』の超能力者レベル5垣根帝督かきねていとく
 その近くには、先ほど投げられたのと同じ格好で、絹旗最愛きぬはたさいあいが転がっている。
 さらに傷一つない男の足元には、うつ伏せで表情も見えない滝壺理后たきつぼりこうが、ぐったりと転がっていた。生きているのか死んでいるのか。それさえも、ここからでは判断できない。
 垣根は首の関節をコキコキ鳴らしながら、
「でもまぁ、直接的な戦闘力せんとうりよくはない割に、結構頑張ったんじゃねえの、こいつ。サーチ能力の応用なのか、おれの放つAIM拡散力場に干渉して、そこから『逆流』して俺の能力を乗っ取ろうとしやがった。ったく、順当に成長すれば『八人目』になれるかもしれねーぞ」
 称賛しようさんの一つ一つが人を馬鹿ばかにしているとしか思えなかった。
 浜面はまづらは一言も発さなかった。何も告げないま、そでの中に隠していた拳銃けんじゆうを、ガシャッ!! と一気に突き付ける。
「あら。まだ終わっていなかったの?」
 不意に声がかかった。
 垣根の後ろにあった曲がり角から、派手なドレスの少女がゆっくりと歩いてきた。
(あの時の……クレーン女!?)
 浜面はどちらに照準を合わせるか、一瞬逡巡いつしゆんしゆんじゆんしたが、
「やめといた方が良いよ」
 その途端に、浜面仕上しあげの体は指一本動かせなくなった。
「以前は殺す必要性があったけど、『ピンセット』が手に入った今、下部組織のあなたまで殺す事もないんだしね」
 何らかの理由で体が麻痺まひしているのではない。肉体的には何の問題もない。ただ、ちたくても撃てないという『意識』が、不自然なほどに浜面の中でふくらんだのだ。
 例えば、昼寝をしている子猫をつぶす事はできないように。
 例えば、病気の子供を殺して金品を奪えないように。
 例えば、滝壺理后に拳銃を向けてしまっているように。
面構つらがまえの割に、中身は結構優しいのね。やっぱり、最初から力を使っていれば良かったわ」
 ドレスの女は口元をほころばせた。
 「私の『心理定規メジヤーハート』は、人の心の距離を自在に調節できる。あなたが知り合いの一人一人に対して設定しているのと同じ距離を保ったらどうなると思う?」
「く……っ!!」
 (何だこれ。念話能力テレパスの応用か!?)
「やめておいたら? 今の私は距離単位二〇……つまり『浜面仕上ー滝壺理后』と同じ心の距離を維持している。あなたには滝壺たきつぼてないように、あなたには私を撃てない。わざわざ彼女のためにここまで戻ってくるぐらいだし、傷一つつけられないんじゃない?」
 ガチガチと拳銃けんじゆうを握る手がふるえる。
 撃てない。滝壺とドレスの女が別人だというのは分かるのに、どうしても撃てない。
 すると、垣根かきね興醒きようざめしたように言った。
「つまんねえな。これじゃまるで俺達おれたちが悪者だ」
「お互いをかばい合う男女なんて、美談よ。何だかレアすぎてこわすのが惜しくなってきた」
「そうだな、残念だ。俺達がどうこうするまでもなく、女の方は勝手に死んじまうってのがな」
 その言葉に、浜面はまづらの肩がビクンと大きく震えた。
「何だよ……それ。テメェら何言ってんだ?」
 垣根は滝壺の近くに転がっていた透明なケースを浜面の方に蹴飛けとばし、
「『体晶たいしよう』ってヤツだ。その女が使ってるのは知ってたか?」
「……能力を、発動させるための……」
「厳密には意図的に拒絶反応を起こし、能力を暴走させるものだ。ま、ちょっと詳しく言うと『暴走能力の法則解析用誘爆ゆうばく実験』ってので使われてたヤツだな。大抵の場合はデメリットしかないはずなんだが、ごくまれに『暴走状態の方が良い結果を出せる』ヤツもいる。この女もそういう能力者だったんだろ」
 垣根はいちいち説明するのが退屈だと言わんばかりの声で、
「こんな状態なら長くはたねえよ。今日から一生能力を使わないっつーなら大丈夫だいじようぶだろうが、あと一回か二回チカラを使えば、この女は『崩壊ほうかい』する」
 崩壊。その不穏ふおんな単語に、浜面の顔が強張こわばる。垣根は無視して続けた。
「これなら俺達がトドメを刺すまでもねぇわな。サーチ能力さえなければ、こいつの命なんざ興味ねえし」
「言っておくけど、その子が倒れているのは、その子自身の意志によるもの。この建物で私達『スクール』と戦うために、『体晶』を無理に使い続けたせいよ。……私達が本気でつぶしにかかっていたら、肉片も残らないだろうし」
 ドレスの女は淡々と告げた。浜面はろくに体を動かせないまま彼らをにらみつけるが、『スクール』の二人は無視してエレベーターのボタンを押した。
「さて、どうするかね」
 エレベーターを待ちながら、垣根は簡単に言った。
「殺すか、見逃すか」
「別に放っておいても問題ないんじゃない。全滅寸前の『アイテム』には私達を止められない訳だし」
 全滅寸前というドレスの女の言葉に浜面は歯軋はぎしりするが、どうしても引き金を引けない。『心理定規メジヤーハート』の能力に、完璧かんべきとらわれてしまっている。
「殺した方が簡単だがな」
「あなた、ナーチ能力者からAIM方面を経由して、『自分だけの現実パーソナルリアリテイ』を乱されかけたんでしょう。チェックしなくていいの? つぶれかけた『アイテム』より、あなたの暴走の方がよっぽど危険だわ。私、味方の暴走に巻き込まれて死ぬなんてごめんだからね」
 指摘を受け、垣根帝督かきねていとくはくだらなさそうに首を鳴らす。
 垣根は銃を持っていない。自分の能力にそれだけ自信があるのだろう。だが、万が一にもその能力が暴走すれは、真っ先に巻き込まれるのは垣根本人だ。
「しょうがねぇ、帰るか。チェックは簡単だが、ここには機材がねえし」
 タイミングを計ったように、エレベーターがこの階に到着した。
 くそっ!! と浜面はまづら拳銃けんじゆうのハンマーを親指で押し上げる。
 しかし、ドレスの女は顔色一つ変えなかった。
「今の距離きより単位は二〇。『浜面仕上しげ滝壺理后たきつぼりこう』と同じ心の距離。でも、私はもっと距離を縮める事もできるんだよ?」
「ッ!!」
「本物の感情が、いつわりに塗り潰されるほどかなしい事はないよね。あなたは生き残った喜びを、死にかけのその子と一緒いついよに分かち合いなさい」
 二人はまったエレベーターへ勝手に乗り込み、そして自動ドアは閉まった。
 浜面は足元に転がっている『体晶たいしよう』のケースと、倒れたまま動かない滝壺理后を見て、それからゆっくりと座り込んだ。
(あと一回か二回、能力を使えば滝壺は『崩壊ほうかい』する……)
 その『崩壊』が具体的にどのようなものか、馬鹿ばかで不良の浜面には分からない。しかし、ろくでもない事なのは予測がつく。
(どうする)
 浜面は滝壺の顔をのぞき込む。その体はピクリとも動かない。目を覚ますような様子もない。よほど自分の体に無茶むちやな負荷をかけたのか、彼女の体は気味の悪い汗でれていた。
 滝壺理后は、こうなるまで垣根と戦っていた。
 おそらくは、浜面仕上を助けるために。
『体晶』などという、訳の分からないものの力まで借りて。
(……、)
 浜面は、静かに奥歯をめた。
 覚悟というには足りないし、決意というほど高尚なものではない。それでも彼は、自分の手足を動かすための原動力ぐらいにはなるものを手に入れていた。
「くそ……」
 滝壺理后たきつぼりこうを『アイテム』へ帰す訳にはいかない。あの組織は、正規要員が消えても平気で入れ替える制度を持っている。滝壺が危険な状態であっても、容赦なく能力を使わせるはずだ。
 浜面はまづらふるえる手でレディース用の拳銃けんじゆうそでから取り出した。マガジンを抜き、弾数を確かめる。元々グリップが短く作られているせいか、装弾数も少ない。いや、仮に何万発もの弾丸を携行していたとして、そんな程度でこれからの危機を乗り越えられるだろうか。学園都市の暗部は滝壺を追い掛けるし、『アイテム』の敵対者だって存在する。彼らと戦えるのか。
「くそったれが!!」
 それでも、やるしかない。
 これ以上滝壺に能力を使わせたら、本当にもう終わりなのだ。
 と、滝壺と一緒いつしよに倒れていた絹旗きぬはたが、指一本動かさないで、眼球だけでこちらをジロリと見た。彼女は浜面の焦燥しようそうした様子から、大体の事情を察したらしく、
「……ま、それが妥当でしょう。滝壺さんを連れてどこへでも消えてください」
「すまねえ」
「別に感謝されるいわれはありません。これはただの悪口です。あなたや滝壺さんみたいな超使えない人間を我々『アイテム』の中にとどめていても、足手まといになるだけと言っているんですからね」
 言いながらも、絹旗の口元はわずがに笑っていた。
 彼女も無傷ではない。現に唇からは血をこぼしている。しかし絹旗は、滝壺のために動こうとする浜面を見て、笑ってくれた。
「何か、最後にできる事はあるか」
「……、そうですね。コード五二を使って下部組織に連絡、情報隠蔽いんぺい部隊と救急車を手配してください。見ての通り、私は超動けませんから」
 分かった、と浜面は言った。
 絹旗を置き去りにするのは心苦しいが、今は滝壺を連れて逃げなくてはならない。
(とにかく、能力さえ使わなければそれで良いんだ。『アイテム』からはリタイヤしちまうが、それでも『崩壊ほうかい』とやらが起こるよりはマシだろ)
 浜面はそう思ったが、しかしその時、彼の携帯電話が突然着信音を鳴らした。
 通話の相手は、麦野沈利むぎのしずりだった。
『はーまづらあ。そっちに滝壺理后はいるかな?』
(……お前、大丈夫だいじようぶなのか!? 確か、垣根かきねと戦って、それで……ッ!!」
『ゴチャゴチャとさわぐなよ。これから「スクール」に逆襲ぎやくしゆう開始。滝壺のチカラを使って追跡
させるの。そっちにいるならさっさと連れて来て。死んでも結果を出してもらうからね』

     6

 浜面はまづらは、死体のように動かない滝壺たきつぼを背負ったまま、ビルの外に出ていた。麦野沈利むぎのしずりの指示に従って、滝壺に力を使わせようとしているのではない。逆だ。もう『アイテム』に滝壺をかかわらせないように、少しでも遠くへ逃げようとしているのだ。
 ここは短い橋の上だ。下に流れているのは川ではなく、線路。地下鉄の路線が部分的に地上へ出ている所だった。そして、橋の向こうには一台のスポーツカーがまっている。
「で、何だか知らないけど、私にその子を預けようって訳じゃん?」
 車から降りて、あきれたように腰へ手を当てているのは、警備員アンチスキル黄泉川愛穂よみかわあいほだ。
 浜面や滝壺の使っている逃走ルートや潜伏先せんぷくさきは『アイテム』共通のもので、つまり麦野にも知られやすい。となると、全く別の『ルート』を持った人間に預けた方が良いだろうと思ったのだ。
「浜面ってさ、私の職業知ってる? 警備員アンチスキルじゃんよ。こんないかにも怪しげなシチュエーシ
ョンで気を失った女の子まで抱えて、このまま浜面一人だけを逃がすとでも思ってんの?」
「……だまれよ」
 浜面は奥歯をめて、そう言った。
 いつもと違う焦燥しようそうとした声色に、黄泉川は少しまゆをひそめたところで、
「事情なら、後でいくらでも話してやるよ。どこにだって出頭してやるよ! だから今はこいつを連れて、早くどこか安全な場所まで運んでやってくれ!! こいつ、まともな状態じゃねえんだ。『体晶たいしよう』っていう訳の分からないものを使ってて、もういつ『崩壊ほうかい』が来るか分からないって話なんだよ!!」
「「体晶』……? おい浜面。今『体晶』って言ったじゃんか!?」
 たった一つの単語で黄泉川の顔色がガラリと変わったが、浜面は説明をしなかった。
 それどころではなかった。
「……はーまづらあ」
 突然、後ろから聞こえた声。
 彼が振り返ると、短い橋の向こうに、血まみれの麦野沈利が立っていた。自分の血もあるし、他人の返り血もある。右手に引きずっているポロ布のようなものに、見覚えがあった。
「フレンダ……」
 より正確には、その上半身だけ。
 一体どこへ行ったのか、下半身はなく、断面からボトボトと赤黒いものが垂れている。
「そうそう。なんか『スクール』にビビって、ウチら『アイテム』を裏切って潜伏しようとしてたみたいだったからね。さっくり粛清しゆくせいしておいた。……で、これは何? お前も粛清が必要って訳じゃないよね」
 麦野むぎのが手をはなすと、ボトリという音と共にフレンダが落ちた。
 彼女はもうフレンダの方には目も向けない。
 結局、麦野にとってフレンダとは、仲間とは、その程度のものなのだろう。
 滝壺たきつぼとは様子が違う、明らかに死体のそれに、浜面はまづらの顔が強張ごわばった。それでいて、彼は迷わなかった。浜面は背負っていた少女を黄泉川よみかわに押し付けると、静かに言う。
「……行ってくれ」
「浜面。さっきも言ったけど、私は警備員アンチスキルだ。この状況で子供を盾にできる訳が―――」
「行けよ!!」
 言葉をさえぎるように、浜面は叫ぶ。
「殺人事件を放っておけないってのは分かる。でも、あいつはそんな次元にはいないんだ! 詳しい事は言えないけど、フレンダだって相当の使い手のはずなんだ。それを一発で殺せるようなヤツなんだよ、あそこにいる女は! だから滝壺を連れて行けって言ってるんだ!!」
 そこまで一気に言うと、浜面は崩れそうな表情で、気を失った滝壺を見る。
たのむよ……。おれ、そいつを死なせたくねえんだ。グダグダと迷ってばっかだったけど、やっとそれがやりたい事なんだって分かったんだ。だから、行ってくれよ。俺だけじゃ守れねえんだ。アンタの力がなくちゃ、ここで全部なくなっちまうんだ!!」
「浜面……」
「どのみち、アンタ一人で何とかなるか! あいつは超能力者レペル5だ。学園都市でも四番目に恐ろしい怪物なんだ! 俺が時間をかせぐから、お前は滝壺を逃がしてくれよ!!」
 自分ののどを引き裂くような叫びだった。その必苑さに、黄泉川は息をむ。彼女は逡巡しゆんじゆんしたが、それでも浜面の眼光に押されるように、やがて小さくうなずいた。
「この子を安全な所まで運んだら、すぐに完全装備の警備員アンチスキルを連れて戻ってくるじゃんよ。だからそれまで死ぬな」
「……、ああ」
 浜面が応じると、黄泉川は迷いを振り切るように運転席に乗り込んでアクセルをむ。滝壺理后りこうを乗せ、黄泉川のスポーツカーが高速で走り去っていく。
 口笛を吹く音が聞こえた。
 浜面がそちらを見ると、超能力者レベル5の麦野沈利しずりが短い橋を渡って近づいてくる所だった。
「死をした戦い、か。しぴれるねー、浜面」
「俺は―――」
 浜面が何かを言おうとした時だった。
 間近に迫った麦野が無造作に手を横に振った。それを受けた浜面の体が、一気に真横へ跳んだ。ガギン!! という鈍い音と共に、金属製の欄干らんかんに腹が食い込んだ。あまりの衝撃しようげきに、き気が込み上がる。手足から力が抜けそうになり、浜面はまづらの体は布団ふとんを干すような格好になった。橋の真下を地下鉄の線路が通っているのが見える。
だまってて。別に意見を求めてる訳じゃないし」
 うめく浜面を無視して、麦野むぎのは完全に橋を渡り切った。
 今のは超能力者レベル5としてのカではない。ただの腕力だ。無能力レベル0とか超能力レベル5とか、そういう言い訳をさせないように、彼女はわざと腕力で浜面をねじ伏せたのだ。
 麦野はまだあきらめていない。たとえ滝壺たきつぼが『崩壊ほうかい』してでも、「スクール』の唇場所を突き止めようとしている。
 ハハッ、と。ぐったりと欄干らんかんに身を預けたまま、浜面はそれでも笑う。
「良いのかよ。このままおれにとどめを刺さないで」
「あ?」
 欝陶うつとうしそうにジロリと眼球だけでこちらを見る麦野。
 そこで彼女の目が大きく見開いた。
 浜面仕上しあげの手には、滝壺理后りこうが使っていた『体晶たいしよう』のケースがあった。
「『能力退跡AIMストーカー』を使うには、絶対必要なものなんだよな?」
「テメエ、それは……ッ!!」
 麦野のひとみに明確な怒りが宿る前に、浜面は金属製の欄干を越え、橋から飛ぶ。
 そこへ、ちょうど地下鉄の列車が通過した。
 浜面の体が列車の屋根に激突する。イメージでは平べったい印象があったのだが、実際にはエアコンの室外機などが取り付けてあり、かなり起伏に富んでいる。着地と同時に何度も体が転がり、まるでヤスリに削り取られるように皮膚ひふが裂け、体の勢いを殺せずに車両から落ちそうになる。それでも何とかん張って体を支えた。
 列車の屋根の上で大の字になりながら、浜面は笑っていた。
(何とか振り切ったか。この『体晶』がなけりゃ、滝壺に能力を使わせる事はできねえ。無理
に戦う必要はねえんだ。麦野にこいつを渡さなければ……)
 その時、ガグン!! と列車が急停止した。
 浜面の体が列車の屋根をすべる。自分の体を支えた彼がギョッとして辺りを確認すると、はるか後方のレールに、麦野が立っていた。浜面と同じく、橋から飛んだのだろう。彼女の手は地面に深々と刺さっていた。学園都市の地下鉄の電線は、地面を走っている。麦野は能力を使ってその電線を強引に切断し、列車の動きをめてしまったのだ。
 数百メートル先で、麦野沈利しずりが何かを言っていた。
 声は聞こえなかったが、口の動きだけで浜面には理解できた。

 プ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね。

     7

 列車の屋根にいる浜面はまづらは、麦野むぎのからのサインを受け取った。
 強引に列単を停車させた超能力者レペル5は、ブチブチと引き裂くように笑っている。
「―――ッ!!」
 浜面の全身の毛が逆立った。彼は急いで列車の屋根から飛び降りると、砂利じやりの上を走る。左右は人工の川のようにコンクリー}の壁にはばまれていたが、途中で金属製の階段を見つけた。その階段を駆け上がり、地上部分の街並みへ飛び込んでいく。
 後ろを振り返る。
 少し遅れて麦野も階段を上ってきた。二、三〇メートルほど距離きよりはなれているものの、彼女は人混みの中で、ぐこちらを見ていた。すでに浜面仕上しあげを獲物として捕捉ほそくしている。
(くそっ!! 人混みに紛れても逃げ切れねえ!!)
 休日を満喫する人々の間をすり抜け、浜面は走り続ける。しかしすぐに限界が来た。彼は辺りを見回し、手近なビルへ向かう。ロックの有無など確認せず、ほとんど体当たりするように、入口のドアを押し開けて中へ転がり込んだ。
「……くそ。何だ、ここ……?」
 一般的な企業のビルとは違う。フロア一面に、浜面はまづらの背丈より少し高い木が植えてある。頭上には針金が張り巡らされており、そこに枝がからまっていた。ブドウだ。足元に目をやると、水栽培用の容器が並べられているのが分かる。青紫色っぽい照明は、光合成を促すための紫外線ライトだろうか。
(植物性エタノール燃料の自動精製工場か……)
 ガソリンの代替燃料として開発が進められているものだ。普通はサトウキビやトウモロコシを使うはずだが、えてアルコール精製率の低いブドウを選んでいる所を見ると、おそらくプランド重視の最高級品なのだろう。どうやら第三学区のセレプたちは、自分の車に入れる燃料も一般人とは区別させておきたいらしい。エンジンにワインでもませる気か。
「良い場所ね」
 真後ろから聞こえた声に、浜面の全身が強張ごわばった。
「無人の施設を選ぶとは良いセンスだよ、浜面。死ぬ時は一人の方が良い」
 慌てて振り返る前に、背中に衝撃しようげきが来た。
 ドバッ!! という嫌な轟音ごうおんと共に、浜面の体がノーバウンドで数メートルも飛んだ。水栽培の容器を盛大にひっくり返し、いくつものブドウの木をベキベキと折って、浜面の体がさらに転がっていく。
 一撃で死にそうな激痛が全身をおそう。
 どこの骨も折れていないのが逆に不思議なぐらいだった。
「くそ……ッ!!」
 痛む体を引きずるように、浜面はそのフロアを出る。階段があったので、とにかく上に昇った。浜面の背丈の二倍以上はある銀色の機材が大量に並んでいて、それらを金属製のパイプが縦横に結んでいた。たまにCMで見かける、ビールの製造工場のようだった。事実、ブドウを発酵はつこうさせてアルコールを採るのだから、仕組み的には大して変わらないのだろう。ほかにも、アルコール成分を高濃縮させて。自動車用の燃料に変換する機材もあるはずだ。
 先ほどに比べれは、死角は多い。
超能力者レベル5って言っても、別に無敵って訳じゃねえ)
 浜面は入り組んだパイプの隙間すきまくぐり、小部屋のようなサイズの機材の壁に背中を押しつけながら、必死に自分にとってのメリットを探していく。
(素粒子工学研究所の近くでクレーン車に襲われた時、あいつは自分の力を使って鉄球を破壊はかいしようとしなかった。さっきの列車だって、高速で移動する列車本体じゃなくて、地面に埋まった電線をねらってた)
 浜面は全身の痛みに歯を食いしはり、活路を見出みいだす。
(多分、麦野沈利むぎのしずりの力は強大である代わりに、照準を定めるのにある程度の時間がかかるんだ。つまり、奇襲きしゆうに弱い。物影からの突然の攻撃には対処できねえって事になる)
 それは麦野むぎののカが陳腐なのではなく、逆に強力すぎるがゆえの欠点だろう。細心の注意を払って能力の使用圏内を決めなくては、今度は自分自身をも巻き込んでしまいかねないのだ。
 ともあれ、どんな理由であっても、デメリットがあれば構わない。
 この遮蔽物しやへいぶつの多い状況ならは、浜面仕上はまづらしあげにも多少の勝機はあるはずだ。
 だが、
「はーまづらあ」
 一言。その声が聞こえただけで、浜面の全身が危機感を訴えた。
 理屈を無視してとにかく床に伏せると、次の瞬間しゆんかんに『それ』は来た。

 ズバァ!! という光線の雨。

 麦野沈利しずりという女を中心に、真っ白で不健康的な光の筋が、四方八方へおそいかかった。その正体は雷撃らいげきのような勢いで放たれる特殊な電子線だ。電子は光と同じく状況に応じて『粒子』と『波形』の双方の性質を示すものだが、麦野はこの二つの中間にある『曖味あいまいなままの電子』を強制的に操る能力を持っている。
 このように『曖昧なまま固定された電子』は物体にぶつかっても、『粒子』と『波形』のどちらの反応を示すかを決定できず、その場に『とどまる』性質を持ってしまう。本来、限りなくゼロに近い質量しか持たないはずの電子だが、この『留まる』効力によって擬似的ぎじてきな壁となり、その壁は放たれた速度のままに恐るべき威力で標的へたたきつけられる事になる。
 それが『原子崩しメルトダウナー』。
 正式な分類は粒機波形りゆうきはけい高速砲。
 第三位の超電磁砲レールガンとは違い、波も粒子も使わずに電子を操る超能力者レベル5
 光線の一本一本は金属を紙くずのように吹き飛ばし、分厚い壁を溶解させ、何もかもをオレンジ色に染め上げた。精製されたアルコールに熱が回ったのか、さらにそこかしこで小規模の爆発が巻き起こる。何とか直撃をけた浜面だが、その左肩にギターピックほどの金属片が突き刺さっていた。一つではない。四つも五つも刺さっている。
「ぐ、ああああッ!!」
 血まみれの肩を押さえながら、浜面は思わず叫んでいた。
 遮蔽物が邪魔じやまだというのなら、それらを片っ端から破壊はかいする。すべてを瓦礫がれきで狸め尽くされ、平坦へいたんとなったフロアで、浜面と麦野が絶望的に向かい合う。
「この辺にある機材なんて、金魚すくいのあれだよね。ええと、名前忘れた。とにかくこんなもんは『原子崩しメルトダウナー』の前じゃ遮蔽物にもならないよ」
 学園都市第四位。
 先ほどまでフロアを占めていた機械の群れは、たった一撃で瓦礫と化していた。あらゆる遮蔽物しやへいぶつを突き崩し、外壁にまで大規模なダメージを与え、ビルそのものが崩れかねない状況で、破壊はかいの中心に立つ麦野むぎのはゆっくりとゆっくりと笑みを広げていく。
「くそったれな学者が言うには、生存本能がセーブをかけてるからこの程度の威力しか出ないらしいんだけど、本来なら超電磁砲レールガンぐらいは瞬殺しゆんさつできるらしいよ。ま、泣き言ってのはオーバーに語られるもんだし、実際にそれをやると反動で私の体も粉々に吹き飛ぶって話だけど」
 浜面仕上はまづらしあげの全身に恐怖がみ渡る。
 超能力者レペル5の怪物が、ただ静かに近づいてくる。

     8

 圧倒的な威力で放たれた、麦野沈利しずりの『原子崩しメルトダウナー』。
 浜面は瓦礫がれきを背に、少しでも彼女から距離きよりを取るために必死で走る。
 そのまま植物性エタノール工場の別のフロアへと逃げていく浜面に、麦野は声を掛ける。
「浜面ぁ。人様の邪魔じやましてないで、さっさと『体晶たいしよう』と滝壺たきつぼを渡してくれないかな。私は『スクール』の連中を皆殺しにしなくちゃ気が済まないんだよ」
 足では逃げながら、浜面は麦野の言葉を拒絶した。
「断る。もう滝壺には『体晶』は使わせない。あいつは限界なんだ」
「だからどうしたの。滝壺がつぶれたらほかの能力者を補充すれは良い。AIM拡散力場からサーチをかけられるのはあいつだけだろうけど、別に他の方式の能力者でも構わないの。とにかく『スクール』のクソ野郎どもの居場所さえ分かれば問題ないんだからね」
 浜面は、アルコールを絞り終えたブドウの残骸ざんがいを一時的にまとめておくフロアまでやってきた。しかしそこも、麦野の『原子崩しメルトダウナー』によって数秒もたずに瓦礫の山へと変えられる。
 熱を帯びた金属の山に体を隠しながら、浜面は言う。
「……悪りぃけど。アンタには付き合えねえよ」
「あ?」
垣根かきねって野郎には勝てない。実際、素粒子工学研究所とさっきの戦いで、アンタは二回も逃げ出したんだからな」
 その言葉に、麦野が奥歯をむ音がここまで聞こえた気がした。
 それでも浜面は続ける。
「実際に対時たいじして分かった。第四位とか第二位とかの間題じゃねえ。多分、アンタはもっと違う部分でも垣根帝督ていとくに負けてやがる。今さら居場所が分かったって、それが何になるんだよ」
『スクール』の連中も外道げどうは外道だったが、それでも格下の人間を見逃すぐらいの人間性はあった。敵である滝壺が目の前で力尽きても、そこでとどめを刺す事はしなかった。
 気に入らないという理由だけで仲間にすらきばく麦野沈利が、彼らよりも『強い』とは思えなかった。どれだけ圧倒的な力を見せつけられても、その印象が揺らぐ事はなかった。
「勝てる勝てないの問題じゃねえ。命がけで戦って、それで勝ったとしても、得られるものはテメエ一人の自己満足だけじゃねえか。そんなもんに滝壺たきつぼを付き合わせる訳にはいかねえ。そんな無駄遣むだづかいであいつの命を終わらせてたまるか」
「は。ハハッ!!」
 浜面仕上はまづらしあげが手に入れた答えを聞いても、麦野むぎのは鼻で笑い飛ばすだけだった。
 瓦礫がれきから瓦礫へと遮蔽物しやへいぶつを変えて距離きよりを取る浜面を、麦野はゆっくりと追う。
「どういう風に餌付えづけされたの、浜面。滝壺のカワイー顔つきにやられたとか? それとも無能力者レベル0の自分にも優しい声をかけてくれたとか?」
 何も言わないでいる浜面に、麦野の笑みがさらに強くなる。
馬鹿ばかの一言ね。自分に優しい言葉をかけてくれるヤツは全部善人で、自分に厳しい言葉をかけてくるヤツは全部悪人か!! まるで世界の中心に立ってるような物言いよねえ!!」
「……、分かってる」
 浜面はそれを否定しなかった。
 もしも滝壺理后りこうが自分に優しい声をかけてこなかったら、浜面の心は動かなかっただろう。
「でも、あいつはこんな打算だらけのクソ野郎に、死んで欲しくないって言ったんだ。そういう事を言えるヤツなんだよ、滝壺理后は! ああいうヤツは幸せにならなくちゃいけないんだ。人の上に立つのはおれでもテメェでもねえ。優しい馬鹿が頂点に立って、みんなを導くような社会を作らなくちゃ、このクソッたれな世界はいつまでっても救われねえんだ!!」
 返事はなかった。
 ゴッ!! と核爆発を思わせる白すぎるほど白い光線が、浜面の隠れていた金属の山をまとめて吹き飛ばす。あおりを受けてけ反った浜面は、ふと自分の背中にピタリと何者かが寄り添っている事を気配で察知する。
 振り返る前に、右耳に違和感があった。
 麦野沈利しずりは、浜面の耳にドライバーを差し込んでいた。
「ちょーっと、頭のネジがゆるんでいるみたいだね」
 ずずっ……と、ドライバーの先端がゆっくりと耳の奥へ追ってくる。
「締め直して欲しい?」
 動けない。少しでも顔を動かせば、それだけで耳の内側が傷ついて血まみれになる。その状
態を作りながら、麦野は空いた左手を浜面の体の前に出し、てのひらを上に向けた。『体晶たいしよう』を出
せと、暗に告げているのだ。
 浜面はポケットの中に手を入れた。
 そこには『体晶』の透明なケースがあった。
(ちくしょう……)
 奥歯をめ、両目を閉じて、浜面仕上はまづらしあげは覚悟を決めた。

 ぐるん!! と。
 ドライバーを無視して、彼は勢い良く娠り返る。

     9

 浜面仕上は、自分の耳に入ったドライバーを無視して、勢い良く振り返った。
「な……」
 流石さすが麦野むぎのもわずかにおどろいた様子だった。
 ドライバーがガリガリと耳の中を削り取る。すさまじい激痛が頭の中で爆発し、耳栓をしたように右側からの音がくぐもった。その上、何故なぜだか視界の半分ほどが薄赤うすあかく染まって見えた。
 それらすぺてを無視して、浜面はポケットから『体晶たいしよう』のケースを抜き取った。
 シャーペンのしんのケースのように、四角く小さな透明のケース。
 それを握り締め、ケースの角を使って、ごく近くに密着している麦野の顔を縦に裂く。
 まるで海賊の船長のように、麦野の右目が一気につぶれた。
「ぐっ、ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 赤く濡れる顔を両手で押さえ、よろよろと後ろへ下がる麦野。
 それを見て、浜面は静かに笑った。
無能力者レベル0の耳一つで、超能力者レペル5の眼球一つ、か。……安い買い物だろ?」
 その言葉に、麦野の顔が怒りに染まる。
「浜面ァあああッ!!」
 ボッ!! と閃光せんこうほとぱしった。
 麦野沈利しずりの左腕が、手首からひじの辺りにかけて溶けるように吹き飛ばされた。そこから生じた純白の光が、浜面仕上の顔面をねらう。細かい照準を無視して『原子崩しメルトダウナー』を放とうとする。
「―――ッ!!」
 寸前で首を横に振る浜面。
 圧倒的な攻撃こうげきけられたのは、ただの偶然だった。
 麦野は血まみれの右手を伸ばし、バランスを崩して不安定になっている浜面の体を強引に押し倒し、その上に馬乗りになった。その拍子に浜面の手から『体晶』のケースがはなれ、カラカラと音を立てて床をすベったが、もう麦野はそちらに目も向けなかった。
 一つだけ残った左目で浜面の顔を凝視ぎようししながら、怒りで埋め尽くされた麦野は叫ぶ。
「関係ねえよ!! カァンケイねェェんだよオォォ!! 何が耳一つだ、何が眼球一つだ!! 手足がもげようが内臓が潰れようが、戦力差はひっくり返らねえ! これが超能力者レペル5だ。これが第四位の『原子崩しメルトダウナー』だ!! つけ上がってんじゃねえぞクソ野郎。テメェら無能力者レペル0なんざ、指一本動かさなくても一〇〇回ブチ殺せんだよォおおおおおッ!!」
 口から泡を飛ばしながら、麦野むぎの浜面はまづらの首を右手だけでつかんだ。この状態で能力を発動させれば、確かに浜面の頭部など丸ごと消滅するだろう。
 浜面仕上しあげは、缶ジュースのように首を掴まれながら笑っていた。
 何かをあきらめたように、力を抜く。
「……ま、おれだって馬鹿ばかじゃねえ。こうなるとは思ってたんだぜ」
 麦野のフーフーという荒い息を聞きながら、浜面は言う。
「アンタはテレビゲームをノーミスクリアできないと気が済まないような人間だ。少しでもミスがあったら怒り狂って、たとえエンディングを見ても納得しないような人間だ」
「あ?」
「そういう人間は、少しでもミスをすりゃ、そいつを帳消しにするために、別の目的を見出みいだす。ノーミスクリアができなかった代わりに、ハイスコアを更新して満足するようにな。……こんなつまんねえ無能力者レペル0相手にこだわる必要なんてなかった。アンタは白慢の超能力レベル5を使って、遠距離えんきよりからさっさとねらちしてりゃ良かったんだ」
 つまり、と浜面は笑った。

「その無駄むだ勝利宣言こだわりが、決定的なすきになるっつってんだよ」

 ジャカッ!! という金属音がひぴいた。
 浜面仕上の腕が伸び、その服のそでからレディース用の拳銃けんじゆうが飛び出した音だった。
「なっ」
 麦野が何か言う前に、浜面は引き金を引いていた。
 タンタンガン!! という乾いた音と共に、彼女の上半身に複数の風穴が空く。浜面は弾がなくなるまで引き金を引き続け、弾がなくなってもしばらく人差し指を動かし統けた。
「……、」
 おどろいたように、麦野は血まみれの体に目をやっていた。
 やがて、彼女は横方向にぐらりと揺れると、そのまま倒れて動かなくなった。
「楽勝だ、超能力者レペル5
 浜面は適当に言って、ボロボロの体を引きずるように起き上がった。床に落ちていた『体晶たいしよう』のケースを拾い上げ、もう一度ポケットにしまう。
 浜面仕上が最初から拳銃を取り出していたとしても、麦野沈利しずりには勝てなかっただろう。彼女の能力を使って、あっさりと防がれていたはずだ。だからこそ、限界まで出し惜しみをする必要があった。耳にドライバーを入れられても拳銃を出さなかったのは、『浜面はまともな武器を持っていない』と油断をさそうためだった。
 以前、駒場利徳こまばりとくというスキルアウトのりーダーは、学園都市最強の超能力者レベル5の能力を封じる事で、命を奪う一歩手前まで追い詰めた事がある。浜面はまづらがやったのもそれと同じだ。
 彼は傷ついた右耳に小指を突っ込んだ。
 鼓膜は傷ついていないらしい。詰まっていた血の塊を抜き取ると、聴覚ちようかくはいくらか回復した。
「……ったく、本当に安い買い物だな」
 あきれたように言って、そこから立ち去ろうとした時だった。
「―――ま、づら」
 地獄の底からひびくような声に、浜面の背筋にゾクリとした感覚が走り抜ける。
 彼がゆっくりと振り返ると、そこには、
「浜面ァァあああああああああああああああああああああああああああッ!!」
 体中に赤黒い穴を空けて、左手をひじから失い、右目がグチャグチャにつぶれた女が勢い良く立ち上がる所だった。その右手には不健康すぎる白い光がまっている。おそらく膨大ぼうだいな電子線を使った粒機波形りゆうきはけい高速砲を手の中でループさせているのだろう。あれ一発で確実に浜面を消し飛ばせる攻撃こうげきだ。
 右手にあるレディース用の拳銃けんじゆうに、弾丸は残っていない。
 だから浜面は、拳銃になどたよらなかった。
「お。ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」」
 拳銃を投げ捨てると、浜面は迷わず麦野むぎのふところへと飛び込んでいく。
 二人の腕が交差する。
 わずかでも逡巡しゆんじゆんすれば、それがすきとなっただろう。
 わずかでも隙があれは、それが死を呼んだだろう。
 しかし、浜面仕上しあげの覚悟は決まっていた。ただ力強くみ込み、そのこぶしを岩のように握りめ、ち倒すべき敵の顔を正面から見据え、自分の出せる最大級の一撃をたたきつける。

 ゴン!! というすさまじい音が炸裂さくれつした。

 麦野沈利しずりの体から力が抜け、ひざからストンと落ちるように床へ崩れていった。彼女の手の中にあった禍々まがまがしい白い光が空気に溶けるように消えていく。そこに危機感はなかった。
 自分で投げ捨てたレディース用の拳銃をもう一度拾い上げた浜面は、動かなくなった麦野を見下ろすと、ポケットから携帯電話を取り出した。以前、補導された際に相談相手になるとか何とか言われて教えられた黄泉川よみかわの番号に掛ける。
「浜面だ。警備員アンチスキルの応援はいらなくなった」
 メチャクチャになったフロアを歩き、出口に向かいながら、彼は言う。
「そうだ。全部終わらせた」

     10

 浜面仕上はまづらしあげは、第三学区の植物性エタノール工場から外へ出た。『アイテム』の下部組織の人間が証拠隠滅のために数名待機していたが、浜面を止めようとする者はいない。形だけ見れば、学園都市第四位の超能力者レベル5たたつぶしたのだ。迂闇うかつに手を出そうとは考えないだろう。
「おう」
 建物から少しはなれた所に立っていた人影が、こちらを見て声をかけてくる。
半蔵はんぞうか?」
 第七学区を根城とする不良メンバーは、セレブ御用達ごようたしな第三学区には縁がない。ただの偶然でここにいるとは思えなかった。無線でも傍受していたのだろうか。
「聞いたぜ浜面」
「何をどこまで」
「たった一人で超能力者レベル5を倒したんだろ」
 大した情報源だ、と浜面はあきれたが、そこで思い出したようにこう言った。
「役に立ったぞ、あれ」
「あれって?」
「レディース用の拳銃けんじゆうだよ。お前が渡してくれなかったら死んでたな」
「ハッ。あんなもんで超能力者レベル5を倒した時点で、お前はもう怪物だっての」
 半蔵は煙草タバコを取り出し、自分のほかにもう一本、浜面に手渡しながら言ってきた。
「ま、良い手土産てみやげじゃねえか。そんだけの功績があれは、だれだってお前を拒みはしねえだろ。ま、実際にお前の事を嫌ってるヤツなんてほとんどいないとおれは思うけどね」
「……、」
「返り咲けよ、浜面。お前を待ってるヤツだっているんだぜ」
「悪りぃ」
 浜面は煙草に火をけながら、小さく笑った。
「やる事ができたんだ、俺」
「チッ。うらやましい限りだ」
 半蔵はそう言ったが、食い下がらなかった。あの浜面が、麦野沈利むぎのしずりという怪物にたった一人で立ち向かった事。その心境の変化をどこかで感じ取っていたんだろう。
「まぁいいや。スキルアウトは当分こっちでまとめておくよ」
「済まねえな」
「ただ忘れんなよ。お前の席は取っておく。用事が済んだら戻って来い」
 言って、笑って、軽くこぶしを合わせると、二人はそれぞれの場所へと去っていく。

   行間 四

 ドレスの少女は一時間ぐらいホテルの一室にこもった後、再び『スクール』の隠れ家に戻ってきた。そこには超能力者レペル5垣根帝督かきねていとくがいる。
「あれ、お前どこ行ってた訳?」
「ちょっとお小遣いをかせぎに。やっぱり学者はダメね。基本料金をきっちり計算していて、ちっともチップを弾んでくれない」
「ふーん。一時間って時間が生々しいな」
「別にやましい事はしていないんだけど。ホテルの一室に入ったって言っても、雑誌をめくりながら少し話をしたぐらいだし」
「……エロい事しないの?」
「しないわよ。する必要もないし。場合にもよると思うけど、私の『客』はそういうのを求めてこないかな。金持ちがお店に通って、女に金を渡す理由って知ってる? 別に性欲を満たしたいんじゃなくてね、単に仕事以外の人間関係を自力で構築したいだけなのよ」
 よくわからん世界だ、と垣根は言う。
 ドレスの少女も半分あきれながら、
「仕事人間っているじゃない。仕事が楽しくて楽しくて仕方がなくて、家庭をこわしちゃうダメな人。そういう人たちにとって、お金で構築できる関係ってのは一種の救いなのよ。お金ってのは仕事の結果。そのお金で友情や愛情を買う事で、『自分は自分の力で人間関係を作れている』とか『自分は社会に適合できないヤツじゃないんだ』って自己満足したい訳。私はお金をもらってコンプレックスを緩和かんわさせてあげているだけよ」
 はー、と垣根は完壁かんペきに興味のない声で返事した。
 それを聞いて、ドレスの少女の方も説明をする気がうせる。
「そうそう。私達を追っていた『アイテム』が行動不能になったそうよ。原因は仲間割れ。第四位の麦野沈利むぎのしずりがダウンした事で、組織を維持する力は失われたって」
「あん? 仲間割れって事は、麦野は一応、おれ攻撃こうげきからは逃げ切ってたのか……。でも、だれが麦野を沈めたんだ。フレンダはウチと取り引きして逃げたし、絹旗最愛きぬはたさいあいは俺達でつぶした。滝壷理后たきつぼリこうには直接的な戦闘力せんとうりよくはねえし……」
 言いかけて、垣根は言葉を切った。
「まさか……;」
「ええ。正規メンバーにできないなら、下部組織の人間が怪しいね」
 二人が思い浮かべているのは、サーチ能力者の滝壺理后たきつぼりこうを守るためにエレベーターホールヘ戻ってきた無能力者レベル0だ。垣根かきねは軽く口笛を吹いて、浜面仕上はまづらしあげ称賛しようさんする。
 ドレスの少女はジロリと垣根を見た。
「で、『ピンセット』を使った『解析』は進んでるの?」
 垣根帝督ていとくの右手には機械製のグローブがつけられていて、人差し指と中指の二本には透明なつめが装着されている。さらに肉眼では確認できないが、爪の中には大気中から採取されたシリコンの塊が収まっているはずだった。もっとも、塊と言っても七〇ナノメートル、電子顕微鏡を使わないと確認できないようなものだが。
「いつも疑問に思ってた」
 垣根は爪をカキカキ鳴らしながらつぶやいた。
「アレイスターのクソ野郎は、俺達の動向を知りすぎてるってな。防犯カメラや警備ロボット、衛星なんかの監視だけじゃねえ。一体どうやって情報を集めてるのか不思議なもんだったが」
「……、」
「正体はなんて事はない。街中に見えない機械を五〇〇〇万ほどばらいて情報収集してたんだ。そりゃあ隅々まで知り尽くしてても当然だな」
 それが『滞空回線アンダーライン』。
 その形状は球体状のボディの側面から、針金状の繊毛せんもうが左右に三対、六本飛び出しているものだ。移動方法も地上を歩くのではなく、空気中を漂うといった感覚に近い。
 この極小の機械は空気の対流を受けて自家発電を行い、半永久的に情報を収集し、体内で生産した量子信号を直進型電子ビームを使って『滞空回線アンダーライン』間でやり取りし、一種のネットワークを形成している。『滞空回線アンダーライン』は『窓のないビル』と直結する唯一の情報玄関口であり、当然ながら、その小さな体内には世界を揺るがすほどの『最暗部』の情報がいくつも隠されているはずだ。
「ただ、『滞空回線アリダーライン』の存在を知った所で、電子顕微鏡サイズの機械を見つける事は困難だし、仮に捕まえられたとしても、情報を取り出す手段がないんだよな。何しろナノサイズの機体をこじ開けて、端子にコードを接統しなくちゃならない。その上、体内に収められた量子信号は、外部から不用意に『観察』されるとその情報を変質させちまうって話なんだからな」
 そこで必要とされたのが『ピンセット』という訳だ。
 ナノデバイスがどれだけ小さかろうが、素粒子そのものをつかむために開発された『ピンセット』なら問題はない。これなら『滞空回線アンダーライン』から情報を抜き取る事も十分に可能となる。
 ドレスの少女は垣根を見ながらこう言った。
「解析結果の方は?」
 予想通りだよ、と坦根は答え、
「ダメだな。確かに『滞空回線アンダーライン』には結構なデータが収められてるが、これだけでアレイスターと対等にやり合える立場に立てるとは思えねえ。このデータにプラスして、もう一押しする必要がある」
「なら、やっぱりやるのね」
「……ああ。学園都市の第一位を殺す。それしか道はねえな。アレイスターと交渉を優位に進めるためには、やっぱり『第二候補スペアプラン』じゃダメだ。代わりのかない『第一候補メインプラン』の核にならなくっちゃな」
「そう」
 ドレスの少女は特に感慨かんがいもなく返事をして、
「何でも良いけど、私は一方通行アクセラレータ戦にはかかわらないから」
「あ?」
「私の『心理定規メジヤーハート』は人の心の距離きよりを調節する能力よ。だから、一方通行アクセラレータの最も近しい人と同じ距離を保てば、一方通行アクセラレータ攻撃こうげき躊躇ちゆうちよさせる事もできるかもしれない」
「だから?」
「でもね、『最も近しい人』と敵対した時の反応は、必ずやいばめてくれるっていうものでもないの。中には逆上してより一層激しい攻撃を仕掛けてくるヤツもいる。何で裏切ったんだこの野郎ってね。……一方通行アクセラレータって、その辺を信用できる? 私、悪いんだけど、あいつにはどんな距離に調節しても攻撃されるような気がするのよ。ドロドロしていて全く読めない」
 ふうん、と垣根かきねはつまらなさそうに答えた。
 声に失望感はない。ドレスの少女の戦力をそれほど期待していないのだろう。
 ドレスの少女は、垣根の右手にはめられた『つめ』を見て、
「結果が分かったら教えてね。アレイスターとの『直接交渉権』をつかめたら」
 おう、と垣根が言うと、ドレスの少女は『スクール』の隠れ家から立ち去った。
 垣根帝督ていとくは『ピンセット』を眺めながら、ゆったりと笑った。
「―――一方通行アクセラレータ』か」

第五章 最強の黒い翼に打ち勝つ者 Drk_Matter.

     1

『ブロック』が壊減かいめつした事で、ひとまず事件は終了した。
 土御門つちみかどは事件の後始末、結標むすじめ怪我けが治療ちりよう海原うなばらはどこで何をやっているか知らないが、まぁおそらく無事だろう。特にやる事のない(そしてやる気もない)一方通行アクセラレータは、電車を使って第七学区へ戻ってくると、適当なコンビニに入って缶コーヒーを手に入れていた。
 と、そこで電話が鳴った。
 携帯電話の画面には土御門の番号を示す『登録3』が表示されていたが、実際に通話に応じると別人が出た。
『お疲れ様です、一方通行アクセラレータ。ひとまず「ブロック」による統括理事長暗殺未遂みすい事件は終結しました。これもすぺてあなた方「グループ」のおかげですよ』
「オマエか」
 電話の声に対して、あからさまに不機嫌な声で答える一方通行アクセラレータ
『有能な部下を持てた私は幸せです』
「……よっぽど殺して欲しいみてェだな」
「いえいえ。今回は本当に感謝をしているんです。ですから通常業務に対する規定報酬ほうしゆうほかにもう一つ、個人的な謝礼として有益な情報をお持ちいたしました』
「有益な情報だと?」
『ええ。検体番号シリアルナンバー二〇〇〇一号「最終信号ラストオーダー」の命の危機に関する情報です」

     2

 初春飾利ういはるかざり打ち止めラストオーダーはオープンカフェにいた。
 迷子を捜す、と息巻いている打ち止めラストオーダーだったが、どうも長時間歩いている内に足が痛くなってしまったらしく、今はテーブルに突っ伏してグターッとしている。初春は初春で、店の名物である大型甘味パフェに挑戦中だ。
「ところで、迷子はどうなったんですか。アホ毛のビビッと反応はもうなくなっちゃったんですか?」
「……ミサカはアホ毛じゃないもん、ってミサカはミサカはしおれながら答えてみたり」
 しかしそうは言っても、一〇歳前後の少女の頭頂部から一部だけ飛び出した髪の毛が、秋の風を受けてそよそよと左右に揺れている。どこに出しても恥ずかしくない天下無敵のアホ毛だ。
「うーん……さっきまで確かにこの辺りをウロウロしていると感じたんだけど、何だかいつの間にかどっかに行っちゃったみたい、ってミサカはミサカはあまりの徒労っぶりにげんなりしてみる」
 と、グニャグニャしていた打ち止めラストオーダーがいきなり顔を上げた。
 迷子が見つかったのかな、と初春ういはるは思ったのだが、どうも違うらしい。
 打ち止めラストオーダーめは通りすがりの少女たちが持っていた、チェーン系の喫茶店のセットについてくるキーホルダーを凝視ぎようししている。
「み、ミサカもあれが欲しい、ってミサカはミサカはお財布を持ってないので初春のお姉ちゃんの方にキラキラしたひとみを向けてみたり!!」
「あーもう、迷子を捜すんじゃなかったんですか」
「むむっ! あっちの喫茶店から迷子の反応をミサカは感じ―――ッ!!」
「真顔でうそいちゃダメですよ。大体、私の大型甘味パフェはまだ序章の生クリームゾーンを終えたばかりであって、ここで席を立つ事なんてありえないんです」
「何でそんなのんびりしてるのーっ! ってミサカはミサカはテーブルをバンバンたたいて駄々だだをこねてみたり!!」
「っていうか、タクシーのお釣りをいっぱいもらってませんでしたっけ?」
「ハッ!! 言われてみれば、ってミサカはミサカはポケットに突っ込んだサツを握りめて手近な喫茶店にダッシュしてみたり!!」
 言い終える前に走り出す打ち止めラストオーダー。初春はハンカチを振りながら『ちゃんと戻ってくるんですよー』とひとまず忠告だけはしておく。
 そんなこんなで大型甘味パフェのアイスクリームゾーンへ突入した初春だったが、
「失礼、おじようさん」
 不意に横からそんな事を言われた。
 やたらと小さいスプーンの動きを止めてそちらを見ると、何だかガラの悪そうな少年が立っていた。右手には、機械でできた怪しげなつめのような装飾をつけている。
 少年は風貌ふうぼうに似合わない、柔和にゆうわな笑みを浮かべていた。
「はぁ。どちら様ですか」
垣根帝督かきねていとく。人を捜しているんだけど」
 言いながら、垣根と名乗った少年は一枚の写真を取り出す。
「こういう子がどこへ行ったか、知らないかな。最終信号ラストオーダーって呼はれているんだけど」
「……、」
 初春は数秒間、じっと写真の中の少女に注目した。
 垣根と写真を何度か交互に見比べ、それから首を横に振った。
「いいえ。残念ですけど、見ていないですね」
「そうか」
「どうしても見つけられないなら、『警備員アンチスキル』の詰め所に届け出を出した方が良いと思いますけど」
「そうだね。その前にもう少し自分で捜してみる。ありがとう」
 にっこりと垣根は言って、そこから立ち去った。
 初春ういはるは細いスプーンを大型甘味パフェに突き刺して、再びアイスクリームゾーンへ突入しようとしかけたが、
「ああそうだ、おじようさん。言い忘れていた事があるけど」
「?」
 初春が顔を上げようとする前に、次の言葉が来た。

「テメェが最終信号ラストオーダー一緒いつしよにいた事は分かってんだよ、クソボケ」

 ゴン!! という衝撃しようげぎがこめかみの辺りに走り抜けた。
 なぐられた、と気づく前にすでに椅子いすから転げ落ちていた。乱暴に振り回された初春の足が、椅子やテープルを倒してしまう。ろくに食べてもいない大型甘味パフェが、つぶした果物のように路面に散らばった。
 周囲から、通行人の悲鳴がひびく。
 何が起きたか判断しきれないまま、とにかく初春は起き上がろうとした。
 しかし仰向けに倒れた初春の右肩へ、垣根は靴底を思い切りみつけ、地面へい止めた。
「だからおれはこう尋ねたんだぜ。『こういう子を知りませんか』じゃなくて、『こういう子がどこへ行ったか分かりませんか』ってな」
 垣根は足に体重を掛ける。
 グゴギッ!! という鈍い感触と共に、骨と骨をこすり合わせるような激痛が走り抜けた。関節が外れたのだ。あまりの痛みにのたうち回りたくなる初春だが、垣根の足は鉄柱みたいに動かない。
 悲鳴というより絶叫が響いたが、垣根の表情は少しも変わらなかった。
「テメェが俺の動きに気づいて最終信号ラストオーダーを『逃がした』って訳じゃねえのは予想できる。俺は外道げどうのクソ野郎だが、それでも極力一般人を巻き込むつもりはねえんだ。だから協力さえしてくれりゃ、暴力を振るおうとは思わない」
 オープンカフェは大きな通りに面していて、今は休日の午後だ。周囲にはたくさんの人々が往来していたが、彼らは一斉に現場から距離きよりを取っただけで、初春の所へ駆けつけてくれる人は一人もいなかった。
 無理もない。
 初春ういはるの腕には風紀委員ジヤツジメントの腕章がつけられている。実際には風紀委員ジヤツジメントは校内のめ事に対処するための組織だし、その風紀委員ジヤツジメントの中でもエリートや落ちこぼれというものが存在するのだが、詳しい事情を知らない普通の学生からすれば、『腕章をつけている人は治安維持組織の人聞だ』ぐらいにしか思えない。警察や自衛隊にも等しい人悶が、いとも簡単にねじ伏ぜられている状況を見て、それを助けるために飛び出そうとは考えられないだろう。
 孤立無援の中、さらに垣根かきねの靴底が関節の外れた肩に食い込んでくる。
「……ただな、おはは自分の敵には容赦ようしやをしない。何も知らずに最終信号ラストオーダーに付き合わされてたのならともかく、テメェの意思で最終信号ラストオーダーかばうって言うなら話は別だ。たのむぜーおじようさん。この俺にお前を殺させるんじゃねえ」
 グギギガリガリ!! と、外れた骨が無理に動かされ、強烈な痛みが連統する。
 こらえようと思った時には、すでに初春のひとみから涙があふれた後だった。何故なぜこうなったのか分からない理不尽りふじんさ、手も足も出ないほど圧倒的な暴力に対する恐怖、そして状況を打破できない悔しさ。負の感情のすべてがグチャグチャに混ざり合い、巨大な重圧となって初春の人格を内側から圧迫していく。
 そして、その中で意図的に提示された、一つの逃げ道。
最終信号ヲストオーダーはどこだ」
 激痛に明滅する意識の中、垣根帝督ていとくの声だけがひぴく。
「それだけを教えれば良い。それでテメェを解放してやる」
 どこを見回しても出口のない迷路に、たった一点だけ設けられたゴール。暴力という暗闇くらやみに押し込まれた初春は、その存在を意識せずにはいられなかった。風紀委員ジヤツジメントとしての矜持きようじ、初春飾利かざりとしての人格、それら全てが『痛みから解放される』という言葉に塗りつぶされていく。
 初巻の唇が、ゆっくりと動く。
 涙をボロボロと流しながら、その口が動く。
 だまっている事など、できなかった。
 自分の無様ぶざまさに歯噛はがみしながら、初春は最後の言葉を告げる。

「……、なに……?」

 垣根帝督のまゆが、理解できないようにひそめられた。
 初春飾利は、もう一度ふるえる唇を動かして、言う。
「聞こえ、なかったんですか……」
 ありったけのカを込めて。
「あの子は、あなたが絶対に見つけられない場所にいる、って言ったんですよ。うそを言った覚えは……ありません」
 できるだけ人を馬鹿ばかにしたように、舌まで出して彼女は言った。
 垣根帝督かきねていとくはしばし無言だった。
「……良いだろう」
 言って、確かに彼は初春ういはるの肩から足をどけた。
 ただしその足は地面に下ろさず、今度は初春飾利かざりの頭をねらってピタリと止まる。
おれは一般人にゃ手を出さないが、自分の敵には容赦ようしやをしないって言ったはずだぜ。それを理解した上で、まだ協力を拒むって判断したのなら、それはもう仕方がねえ」
 垣根帝督は振り上げた足に力を込めた。
 まるで空き缶でもつぶすような気軽さで足を動かし、

「だからここでお別れだ」

 ブォ!! という風圧に初春は思わず涙をめた目をつぶった。今の彼女には、それぐらいの事しかできなかった。
 しかし、垣根の足が初春の頭部をみ潰す事はなかった。
 新たな轟音ごうおんが、ガゴォン!! と学園都市中にひびき渡る。
 吹き荒れたのは膨大ぽうだいな烈風だった。それは衝撃波しようげきはに近い。初春が目を開けると、ATMを無人設置所の壁やガラスごと粉々に砕き、その破片の渦がものすごい速度で垣根帝督に激突する所だった。その一撃を|喰らった事で、バランスを崩す垣根。初春の顔を潰す予定だった足は、彼女のわずか数センチ横の地面に激突するにとどまる。
 徹底的てつていてき破壊はかいされたATMの中から、天使の羽のように紙幣しへいが舞う。
 そんな中で、初春飾利は確かに聞いた。
「……ったく、シケた遊びでハシャいでンじゃねェよ。三下さんした
 白熱し白濁はくだくし白狂した、
 学園都市最強の、悪魔あくまのような超能力者レペル5の声を。
「もっと面白い事して盛り上がろォぜ。悪党の立ち振る舞いってのを教えてやるからよォ」

     3

「痛ってえな」
 垣根帝督は視線を初春から一方通行アケセラレータへ向けると、静かに言った。
「そしてムカついた。流石さすがは第一位、大したムカつきぶりだ。やっぱテメェからぶち殺さなくちゃダメみてえだ」
「ハッ。俺と戦うのが怖くてハンデを求めたチキン野郎が何をすごンでンだ。あのガキをねらうなンつー手を選ンだ時点で、もォ戦力差は決まっちまってンだよ」
「バッカじゃねえの。そいつは保険だよ。だれがテメェみてえなクソ野郎相手に五分五分の勝負なんか仕掛けるか。面倒臭いっつってんだ。テメェにそれだけの価値があると思ってんのか」
 学園都市第一位と第二位。
 一方通行アクセラレータ垣根帝督かきねていとくも、コソコソとした隠蔽いんぺいなど気を配っていなかった。
 そういった後始末は、どこかの誰かに任せれば良い。
「ブタが。丸焼きの下拵したごしらえは終わってンだろォな」
「にしても、流石さすがは『滞空回線アンダーライン』。まったく予想以上に早く登場してくれたもんだ」
「あァ?」
「笑えるな、犬野郎。そうやって、弱者を守るために戦ってりゃ善人になれるとでも?」
「ハッ。分かってねェな」
 一方通行アクセラレータは現代的なデザインのつえを横に放り捨てながら、静かに告げた。
「ちょうどイイ。悪党にも種類があるって事を教えてやる」
 バォ!! という爆音が鳴りひびいた。
 一方通行アクセラレータと垣根帝督が真正面から激突する。その余波としての衝撃波しようげきはが周囲一帯へ均等に
炸裂さくれつし、人々はぎ倒され、ガラスが木端微塵こつぱみじんに砕け散った。方々でさわぎが起こるが、二人はそちらに目も向けない。
 激突の結果は明らかだった。
 一方通行アクセラレータの攻撃を受けた垣根帝督が後方へ吹き飛ばされる。道に面したカフェの中へと突っ込み、バキバキと内装を破る音が連続した。しかし一方通行アクセラレータの顔には不快しかない。手応てごたえを意図的に外された感触がてのひらに残っている。
「テメェは、今この場にあるベクトルを制御する能力者だ」
 爆弾テロにでもったような店内から、そんな声が聞こえてきた。
「なら、すぺてのベクトルを集めても動かせないほど巨大な質量をぶつけれは何とかなるかもと思ったんだが、やっはダメだな。おれ自身のベクトルも操作されるんじゃどうしようもない」
 無傷。
 店から出てきた垣根の全身を、白いまゆのようなものが包んでいた。いや違う。ひとりでに広がったそれらは、つばさだ。天使のような六枚の翼が、彼の背でゆったりと羽ばたく。
 一方通行アクセラレータはわずかにまゆをびそめた。
「似合わねェな、メルヘン野郎」
「心配するな。白覚はある」
 言葉と共に、二人は再び動いた。
 脚力のベクトルを操作してぐ突っ込む一方通行アクセラレータに対し、つばさで空気をたたいた垣根かきねは真横へ飛んだ。一息に数十メートルも突き進んで大通りの中央分離帯ぶんりたいの上に着地した垣根に対し、一方通行アクセラレータは腕を振って空気を引き裂き、その大気の流れのベクトルを文字通り掌握しようあくする。
 ごう!! という烈風が後ろから前へ突き抜けた。風速一二〇メートルに達する空気の塊が、砲弾となって中央分離帯上の垣根をち落とそうとする。
「ッ!!」
 器用に翼を動かして、これを坦根がけた所で、
 カツッという音を彼は聞いた。見れば、坦根の立つ中央分離帯のすぐ横の路面へ、一方通行アクセラレータが足を乗せた所だった。一体どうやって接近したのか、いつの間にそれを実行したのか。その疑問が解ける前に、一方通行アクセラレータは勢い良く垣根帝督ていとくふところへ飛び込んで右手を突き出す。
 垣根は言う。
「知ってるか。この世界はすべて素粒子によって作られている」
 そうしながら、彼は翼を使って身を守った。一方通行アクセラレータの右手が翼に突き刺さると同時、自ら翼の一枚を無数の羽に変換しばらく事で、衝撃しようげきが自分自身の体へ伝わるのを阻害する。
「素粒子ってのは、分子や原子よりもさらに小さい物体だな。ゲージ粒子、レプトン、クォーク……。さらに反粒子やクォークが集まって作られるハドロンなんてのもあるんだが、まぁ、大概たいがいはいくつかの種類に分けられる。この世界はそういう素粒子で構成されてる訳だな」
 だが、と垣根はつぶやいて、

おれの『未元物質ダークマター』に、その常識は通用しねえ」

 轟!! という風のうなりと共に、垣根帝督の背中から再び六枚の翼が生えた。
「俺の生み出す『未元物質ダークマター』は、この世界には存在しない物質だ。『まだ見つかっていない』だの『理論上は存在するはず』だのってチャチな話じゃない。本当に、存在しないんだよ」
 学問上の分類に当てはまらない、超能力レベル5によって生み出された新物質。
 物理法則を無視し、まるで異世界から直接引きずり出してきたような白い翼に、しかし一方通行アクセラレータは少しも動じない。
 素材が何だろうが、ベクトル変換能力は全てを粉砕するのだ。
「オーケー。クソと一緒いつしよに埋めてやる」
 さらにみ込み、垣根帝督の心臓を握りつぶそうとする一方通行アクセラレータ
 しかし、
「分かってねえな、テメェ」
 垣根が言った途端に、彼の白い翼が、ゴバッ!! とすさまじい光を発した。
「ッ!?」
 ジリジリと焼けるような痛みを感じた一方通行アクセラレータは思わず垣根かきねから距離きよりを取り、それから事態の異変さに気づいた。
 あらゆるベクトルを『反射』するはずの一方通行アクセラレータが、外部からの影響を受けた。
「今のは『回折かいせつ』だ。光波や電子の波は、狭い隙間スリツトを通ると波の向きを変えて拡散する。高校の教科書にも載っている現象だ。複数の隙間スリツトを使えば波同士を干渉させられる」
 ようは、白いつばさには目に見えないほど細かい隙間があり、その隙間を通った太陽光が性質を変えて一方通行アクセラレータおそった…-という事なのだろう。白い翼が光を放ったのではなく、白い翼を通過した光が質を変えたのだ。
「ま、何にしても応用次第というヤツだ。日焼けで死ぬ気分はどうだ」
 だが、
「……物理の勉強が足りてねェようだなボケ。いくら『回折』を利用したって、太陽光を殺人光線に変えられるはずがねェだろォが」
「それがこの世界にある普通の物理ならな」
 垣根は六枚の翼へ、弓をしならせるように力を加えていく。
「だが、おれの『未元物質ダークマター』ってのはこの世界に存在しない新物質だ。そいつに既存の物理法則は通じない。そして『未元物質ダークマター』に触れて反射した太陽光も独白の法則に従って動き出す。異物ってのはそういうもんだ。たった一つ混じっただけで、世界をガラリと変えちまうんだよ」
 ズァ!! と六枚の翼が勢い良く羽ばたいた。巻き起こる烈風を『反射』で押さえつけた一方通行アクセラレータは、そこで相手の意図をつかむ。正面をにらみつけると、垣根はうすく笑っていた。
「―――逆算、終わるぞ」
「ッ!!」
 その声を聞いた一方通行アクセラレータが初めて回避かいひに移ろうとした時、すでに六枚の翼は放たれていた。これまでと違う、単なる撲殺用ぼくさつようの鈍器として。
 ゴキゴリゴリ!! という鈍い音が一方通行アクセラレータの体内で炸裂さくれつする。
 あらゆるベクトルを『反射』する彼の体が勢い良く吹き飛ばされ、一〇メートル以上先にある街路樹に激突し、太い幹を一発でへし折った。
「ごっ、ぱあ……ッ!?」
(今の、太陽光と、烈風の意味は―――ッ!!)
一方通行アクセラレータ。テメェはすペてを『反射』するって言ってるが、そいつは正確じゃないな」
 坦根の翼が音もなく伸びる。
 ニ〇メートル以上に達した翼は巨大な剣のように見えた。ビルの屋上へ飛ぶ一方通行アクセラレータだが、垂直に構えられた垣根の翼は、まるで塔が崩れるように一方通行アクセラレータへ直撃する。
「音を反射すれば何も聞こえない。物体を反射すれば何も掴めない。テメェは無意識の内に有害と無害のフィルタを組み上げ、必要のないモノだけを選んで『反射』してる」
 口から血を一方通行アクセラレータは、貯水タンクの残骸ざんがいを突き破って横へ跳ぶ。        、
 振り下ろされた白いつばさは、ビルの屋上から中腹までを一気に引き裂いて粉塵ふんじんき散らす。
「『未元物質ダークマター』の影響えいきようを受けた今の太陽光と烈風には、それぞれ二万五〇〇〇のベクトルを注入しておいた。後はテメェの『反射』の具合から有害と無害のフィルタを識別し、テメェが『無意識の内に受け入れている』ベクトル方面から攻撃こうげきを加えれば良い」
 一方通行アクセラレータが仮に『反射』の組み立てを変更したとしても、垣根かきねはすぐにそれを再サーチするだろう。このままでは堂々巡り。攻防をり返している間にダメージが蓄積していくだけだ。
「これが『未元物質ダークマター』」
 垣根帝督ていとくは笑いながら六枚の翼を構え、
「異物の混ざった空間。ここはテメェの知る場所じゃねえんだよ」
 対する一方通行アクセラレータは大気を操って自分の周囲に四本の竜巻を巻き起こす。
 そして激突。
 一方通行アクセラレータの竜巻が垣根の白い翼をもぎ取り、垣根の白い翼が烈風を伴って一方通行アクセラレータの竜巻を吹き消した。その余波を受けて鉄筋コンクリート製の構造物がギシギシとたよりなく揺れるころには、すでに二人はそこから消えている。平行するように移動しながら互いの能力を激突させる両者は、時に風力発電のプロペラに飛び移り、時に信号機の側面を蹴飛けとばしながら、恐ろしい速度で街並みを駆け抜けていく。

「『ピンセット』を強奪したり『滞空回線アンダーライン』の中身を調べたり、おれも色々策を巡らせたが、どれも成功しなかった。やっぱ第一位のテメェをブチ殺すのが手っ取り早いみたいだな!!」
 垣根かきねは数十メートルにも伸びた白いつばさを振り回しながら叫ぶ。
「何だァウジ虫野郎。このに及ンで数字の順番がそこまでコンプレックスか!!」
「そんなんじゃねえよ。ただ俺は、アレイスターとの直接交渉権が欲しかっただけだ!!」
 一方通行アクセラレータはその言葉を無視し、足元のアスファルトをわざとみ砕いた。衝撃しようげきで浮かび上がる小石を、二段りの要領で一方通行アクセラレータは思い切り蹴りつける。
 ゴバッ!! というすさまじい音が炸裂さくれつする。
 ベクトル操作を受け、『超電磁砲レールガン』以上の速度で飛んだ小石は、ほんの四・五センチ進んで消滅した。ただし衝撃波は生きている。その爆音は、もはや音を破裂させていた。しかし垣根も白い翼にありったけのカを込めて衝撃波をき散らした。両者の中間で波と波が激突し、空気の津波が看板や信号などをもぎ取っていく。
「アレイスターのクソ野郎は複数のプランを同時並行で進めてやがる。ヤツにとっては最優先事項みたいだが、仮にそのご大層な計画が詰まったとしても、並列する別ラインに一度軌道を乗せ換えて、後で再び元のプランに戻すから性質たちが悪い。あみだくじで、一度別の線へ行った後、最終的に元のラインに戻ってくるようなもんだ」
 平行に走っていた一方通行アタセラレータと垣根帝督ていとくは。突如その軌道を直角に曲げ、お互いが最短距離きよりでぶつかるように駆け抜けた。そこは片側四車線の道路が縦横にぶつかる巨大なスクランブル交差点だ。彼らの激突によって交通の流れは完全に遮断しやだんされるが、文句を言う者はいない。いるはずがない。隠蔽いんぺいなど考えるまでもなく、しゃぺれば死ぬと本能が語っている。
 二人の体が交差する。
 空気が爆発し、数秒遅れて、ズバァ!! という爆音が鳴りひびく。
「なら話は簡単だ。予備のプランを全部ぶっ潰しちまえは、アレイスターは『別のラインに逃げる』って妥協ができなくなる。その上で、この俺自身が『第二候補スペアプラン』ではなく本命の核に居座っちまえば、アレイスターも俺を無視できねえ。別に学園都市を潰すつもりはねえ。この街は利用できる。だからそいつの中心に食い込み、手中に収めてやるっつってんだよ!!」
 一方通行アクセラレータと垣根帝督の双方から血が舞った。
「だから今現在『本命の核』にいる俺を殺せば、オマエが計画の柱に君臨する、か」
 二人は立ち止まり、それから互いにゆっくりと振り返る。
 そこまで豪語する以上、垣根帝督はアレイスダーがどれだけの数のプランを並行的に展開させているか、その正確な情報を集められるという自信があるのだろう。
 そして、垣根帝督にはそこまでさせるだけの、何らかの理由があるのだろう。それについて一方通行アクセラレータは深く考えない。学園都市の暗部に沈んでいれば、悲劇の数など山や星のようにある事が分かる。おそらく垣根帝督はそれらの一つに触れてこわれた。一方通行アクセラレータが『実験』で一万人以上の人間を殺したように。一方通行アクセラレータがたった一人の人間のために命を捨てたように。
だな」
 それらを予測した上で、彼は言う。
「オマエは聖人君子の正論を並ぺているつもりかもしンねェが。実際に汚ねェ口からプープーれてンのは屁だ」
「ハッ。アレイスターとの直接交渉権に最も近い場所にいながら、その価値すら分かっていなかったテメェにどうこう言われる筋合いはねえな」
「その一言が、すでに安い悪党なンだよ。オマエは」
 ボロボロになったスクランブル交差点で、一方通行アタセラレータはくだらなさそうに言った。
「悲劇の使い道は色々だ。胸に抱えるもよし、語って聞かせるもよし、人生の指針にするもよし。だがな、そいつを抱えた所で無関係なガキどもをねらってイイ理由にはならねェンだよ。ご大層な理由があれは一般人を殺してもイイなンて考えた時点で、オマエの悪はチープすぎる」
「説得力に欠ける説教だな」
 垣根帝督かきねていとくも興味のなさそうな調子で答えた。
 彼は統ける。
おれだって好き好んで一般人を狙うつもりはねえよ。気分が良けりゃ、悪党であっても格下なら見逃してやる。だが、そいつは命張ってまでやるような事じゃねえ。テメェにしても、今の戦闘せんとうでさんざん野次馬やじうまや通行人をたたつぶしただろうが。コンクリートやアスファルトの破片は音速を超えて飛んでいた。衝撃波しようげきはすぺてをぎ払った。俺たちの戦いでな」
「……、」
最終信号ラストオーダーを狙ったのも、その保護者らしきガキを狙ったのも、そういう事だ。上から説教たれてんじゃねえよ、人殺し。俺を殺すために野次馬を見殺しにしたテメェにどうこう言われる筋合いなんざねえ。自分だけは例外、なんて理屈が通ると思ってんのか」
「ハッ。オマエを殺すために野次馬を見殺しにした、ね」
 しかし、糾弾きゆうだんされた一方通行アクセラレータは笑う。
三下さんしただな。美学が足りねェからそンな台詞せりふしか出てこねェンだよ、オマエは」
「あ?」
「そもそも、何で俺とオマエが第一位と第二位に分けられてるか知ってるか」
 一方通行アクセラレータは笑いながら、ゆるやかに両手を広げてこう言った。

「その間に、絶対的な壁があるからだ」

 垣根帝督の頭が沸騰ふつとうしかけたが、そこで彼は気づいた。
 周囲の状況に。
 確かに一方通行アクセラレータ未元物質ダークマターの激突で街並みはメチャクチャになっていた。高層ビルの窓ガラスが砕け、信号機はへし折れて歩道に倒れかかり、街路樹が吹き飛んでコンクリートの壁に突き刺さっていたぐらいだ。
 だが、そこには足りないものがある。
 悲劇だ。
 雨のようにガラスの破片が降り注いだにもかかわらず、怪我人けがにんはいなかった。吹き荒れる強風がガラスの破片の軌道をらし、逃げ遅れた人をかぱうように看板が飛び、奇跡のように行き交う人々を守っていた。ほかも同じだ。怪我人が一人もいない。詳しく確かめた訳ではないが、おそらく自分たちが来た道を戻れば、見えざる手に守られた『一般人』がたくさんいるはずだ。
(ま、さか……)
 垣根かきねのどが干上がった。
「守ったって、言うのか……?」
 思えば、最初の一発目。一方通行アクセラレータは垣根帝督ていとくに烈風を使った一撃いちげきを放ったが、あそこではもっと威力の高い奇襲きしゆうを行う事もできた。ただし、それを実行していれは、余波を受けた最終信号ラストオーダーの知り合いは吹き飛ばされていたはずだが……。
 つまりは、それが彼の生き様。
 たとえ学園都市の超能力者レベル5同士の、それも第一位と第二位の本気の殺し合いの最中であっても、わずかでも気をらせはそれが致命的なすきとなる戦場の申であっても、一方通行アクセラレータは何の縁もない一般人を守り統けていたのだ。
「ふ、ざけんなよ。テメェ、どこまで掌握しようあくしていやがった?」
 一方通行アクセラレータは退屈そうだ。その程度は当然の所業だとはかりに、むしろそんな事もできなかった垣根帝督をさげずむように嘲笑あざわらっているだけだった。
「ムカついたかよ、チンピラ」
 驚愕きようがくに染まる坦根帝督に、一方通行アクセラレータはくだらなさそうに言う。
「これが悪党だ」
 ここまでやって、まだ悪党。ならば一方通行アケセラレータが思い描く善人とは、一体どこまでのレベルを要求されているのか。
「ッッッ!! テメェに酔ってんじゃねえぞ、一方通行アクセラレータァァあああああああッ!!」
 叫びと共に、ブォ!! と垣根帝督の六枚のつばさが一気に力を蓄えた。長さを変え、質量を変え、殺人兵器と化した白い翼が広がった。まるで引き絞られた弓のようにしなり、その照準が一方通行アクセラレータの急所六ヶ所へ正確に定められる。
 それを見ても、一方通行アクセラレータは笑っていた。笑いながら彼はこう言った。
「来いよ」
「余裕だな。テメェの『反射』の有害と無害のフィルタはすでに解析済みだ。インチキ臭せえその防御能力も、こいつにゃ通用しねえぞ」
「確かに、この世界にゃオマエの操る『未元物質ダークマター』なんてものは存在しねえ」
 一方通行アクセラレータは人差し指を動かしてさそいながら告げる。
「そいつに教科書の法則は通じねェし、素粒子ダークマターに触れた光波や電波が普通ならありえねェベクトル方向に曲がっちまう事もあンだろォよ。だからまァ、この世界のことわりに従ってベクトル演算式を組み立ててたンじゃ『隙間すきま』ができちまうのも無理はねェが」
 二人の間で殺意が膨張ぼうちようする。
 スクランブル交差点の中心点が死で埋め尽くされる。
「だったらそいつも含めて演算し直せばイイ。この世界は『未元物質デークマター』を含む素粒子で構成されていると再定義して、新世界オマエの公式を暴けばチェックメイトだ」
おれの『未元物質ダークマター』をも……テメェのベクトル変換で操るだと……?」
「できねェと思うか?」
「ハッ。俺の底までつかみ取るつもりか」
「浅い底だ」
「……ッ!!」
「悪リィが、いちいち掴むまでもねェよ」
 ドバン!! という爆音が炸裂さくれつする。
 お互いの交差は一瞬いつしゆん
 それで、第一位と第二位の勝負は決した。

     4

 一方通行アクセラレータは地面へ目をやった。松葉杖まつばづえが転がっている。おそらく戦闘せんとうの余波であおりを受けて野次馬やじうまの方から飛んできたものの一つだろう。彼はそれを拾い上げると、チョーカー型電極のスイッチを通常モードへ戻した。その途端に、スクランブル交差点を中心とした、周辺からの雑音が近づいてきた気がした。目撃者もくげきしやの数は一〇〇人から五〇〇人程度か。しかし隠蔽いんぺいに気を配るつもりはなかった。それは雑用係の仕事だ。そんな填末事きまつじで困るのは自分ではない。
「……、」
 振り返る。
 複雑に描かれたスクランブル交差点の中心に、垣根帝督かきねていとくがうつ伏せに倒れていた。自らの生み出した白いつばさのベクトルを読まれ、制御を奪われ、体を刺し貫かれて。まるで得体えたいの知れない魔法陣まほうじんのように、交差点のど真ん中に赤い血が広がっていた。
 しかし、まだ未元物質ダークマターは死んでいない。
 そして一方通行アクセラレータは善人ではなく、悪党だった。
 こんな時、あの忌々いまいましい『善人』ならとどめは刺さないだろう。そのまま立ち去るだろう。下手をすれば悪党相手に世話を焼いて、更生への足掛かりを残してくれるかもしれない。だが、一方通行アクセラレータはここでズボンのベルトから拳銃けんじゆうを抜いた。一方通行アクセラレータを倒すための弱点として打ち止めラストオーダーや一般人を選択した垣根帝督かきねていとくを見逃すという選択肢は頭になかった。それが善人と悪党の違いなのだなと、彼はぼんやり考えていた。
「あばよ、三下さんした
 一方通行アクセラレータは親指で拳銃のハンマーを押し上げ、気絶した垣根につぶやいた。
「ま、善人にやられるよりかはみじめじゃねェだろ」
 引き金に人差し指がかかる。これで終わり。人の善意や神の奇跡にたよらず、ただ行動の結果によって未来を作る悪の道。一方通行アクセラレータは自らの生き様をまっとうすべく、己の敵の頭に銃口をピタリと合わせ、その右手に最後の力を加えていく。
 全てが完遂し、死によって平和を築く一歩手前で、

「待つじゃんよ、一方通行アクセラレータ!!」

 彼の視界の外から、割って入るような大声がひびいてきた。そちらに目を向けると、野次馬やじうまの壁から見知った顔が飛び出してきた。信じられないほどセンスのない緑色のジャージに、化粧っけのない顔。学校の教師であると同時に治安維持組織である警備員アンチスキルの一員である女。
 黄泉川愛穂よみかわあいほ
 彼女はまっすぐこちらへ走ってくる。
「今までどこへ行ってたかは知らない。今この状況が何を示しているかも多分理解できてない。ただ、私にもこれだけは言えるじゃんよ。……その銃を、こっちに渡せ。そいつはお前には必要ないものじゃんか!!」
 黄泉川は銃を持っていない。特殊警棒やスタンガンといった最低限の護身具すらない。周りの野次馬たちは、馬鹿ばかだと思っただろう。あれだけの事をやってのけた暴走能力者を相手に、ただ素手で近づいていくなど自殺行為だと。
 おそらくは、黄泉川自身もその危険性を十分に理解している。
 むしろ警備員アンチスキルとして最前線に立つ彼女は、ただの野次馬よりも格段に理解している。
おれは悪党だ」
「それなら私が止める」
「本気で言ってンのか」
「止める以外の選択を私は知らないじゃんよ」
 倒すではなく、止めると言った。それが彼女のやり方だった。一方通行アクセラレータが悪党の生き様を選んだように、黄泉川愛穂よみかわあいほは守るべき子供に武器を向ける事を肯定しない。一方通行アクセラレータは、黄泉川愛穂のひとみを正面から見据えた。その目には意志の光があった。一方通行アクセラレータからすれば、馬鹿馬鹿ばかばかしく思える行動指針。おそらくそこに、彼女は自分の命をささげるだけの価値を見出みいだしている。
一方通行アクセラレータ。お前が善人か悪人かなんて関係ない。お前がどんな世界に浸っているかも関係ない。重要なのは、そこから連れ戻す事じゃんよ。どれだけ暗い世界にいようが、どれだけ深い世界にいようが、私は絶対にお前をあきらめない。そこから必ずお前を引きずり上げてやる」
 その瞬間しゆんかん、二人は同じフィールドにいた。学園都市最強の超能力者レベル5とか、何のカも持たないただの大人だとか、そんなものとは別の次元で、黄泉川愛穂は一方通行アクセラレータの前に立ちふさがった。
「だから私は立ち塞がる。守るぺき子供のために、愛すぺき平穏へいおんのために。それはお前がいて、打ち止めラストオーダーがいて、みんなが笑って暮らしている風景だ。その未来のためには、お前が今持っている拳銃けんじゆうは必要ないものじゃんか」
「……、」
 一方通行アクセラレータは、しばらくだまってその言葉を聞いていた。
 そして結論を出した。
 垣根かきねに向けていた銃口を、黄泉川へと突き付ける。
(だから)
 黄泉川愛穂は敵だ。たとえ善人であったとしても、その行動理由が一方通行アクセラレータ自身の幸福だったとしても、彼女は一方通行アクセラレータが君臨するべき悪の道を阻害してしまう。ゆえに排除する。殺しはしない。手加減をできる程度には、銃の扱いにも慣れていた。
(ここで)
 一方通行アクセラレータには、守るべき者がいる。それは打ち止めラストオーダーであり、妹達シスターズであり、芳川桔梗よしかわききようであり、そして黄泉川愛穂だ。だからこそ、冷酷れいこくてつする。たとえ世界のすべてを、それこそ守るぺき者を敵に回してでも、その守るべき者をやみから救うと決意したのだから。
つ!!)
「無理だ」
 気がつけば、黄泉川愛穂が間近にいて、一方通行アクセラレータの手を拳銃ごと優しく包み込んでいた。
「お前は、その程度の悪党なんかじゃないじゃんよ」
 それで勝負は決していた。拳銃をつか一方通行アクセラレータの手の指を、黄泉川は一本一本外していく。彼女はグリップの下からマガジンを抜くと、スライドを引いて銃身に収まっていた弾丸も取リ外した。一方通行アクセラレータはこの結末について、しばらく呆然ぼうぜんと考えていた。
 そこへ、

 ドバァ!! と
 垣根帝督ていとくの『未元物質ダークマター』がおそいかかり、一方通行アクセラレータの思考を遮断しやだんした。
 ねらわれたのは、彼ではない。
 黄泉川愛穂よみかわあいほの目が、おどろいたように見開かれていた。彼女はそれからゆっくりと、自分の目を下へ向ける。その脇腹わきばらから、正体不明の白いつばさの先端が、まるで刃物のように飛び出していた。緑色のジャージが、真っ赤に染まっていた。ただでさえ染まっている部分が、さらに時間の経過と共に恐ろしいほど広がっていく。
 黄泉川は、何かを言おうとした。しかしグラリとその体がよろめいて、抵抗なくアスファルトの上に倒れてしまった。一方通行アクセラレータは、それを眺めていた。黄泉川愛穂が倒れた向こう側に、一人の影があった。今まで気絶していたはずの、垣根帝督かきねていとくだった。
 彼の背にあるのは、六枚の翼。
 何が起きたかなど、改めて説明するまでもなかった。
 ズルリ、と。黄泉川の脇腹に突き刺さっていた鋭い羽が、静かに抜き取られる。
「……どれだけ暗い世界にいようが、どれだけ深い世界にいようが、必ずそこから連れ戻す、だと……」
 垣根帝督が、血まみれの顔で何かを言っていた。
 彼が黄泉川をねらったのは、黄泉川が邪魔じやまだったからではない。垣根は最初から一方通行アクセラレータしか見ていない。黄泉川の前で『悪』を中断しようとした、そのわずかなたゆらい。垣根帝督を殺す理由そのものを取り下げようという行為。それこそが『邪魔』だったのだ。
 これでは、何のせいで負けたのかも暖味あいまいだ。
 だからこそ、坦根帝督はいきどおる。
「できる訳ねえだろうが。そんな簡単な訳ねえだろうが! これが俺達おれたちの世界だ。これがやみと絶望の広がる果てだ!! さんざん上から偉そうな事を言っておきながら、最後の最後ですがりやがって。これがテメェの語る美学かよ!!」
 支離滅裂しりめつれつな言葉。怒りと悪意が先行し、緒果として論理と整合性が失われた言葉の数々が、ただ衝撃波となって一方通行アクセラレータの体をたたく。
「結局テメェは俺と同じだ。だれも守れやしない。これからもたくさんの人が死ぬ。俺みてえな人間に殺される。なぁ、そうだろ一方通行アクセラレータ!! 今までだってこんな風に大勢の人間を死なせて来たんだろうが!!」
 のろのろと、垣根帝督は血まみれの体を引きずって起き上がる。
 一方通行アクセラレータきぱくためではない。悪意というものを肌で知る彼には分かる。垣根の悪意は、もっと別の所に向いている。
 すなわち、地面に崩れている黄泉川愛穂へ。
「や、めろ」
「聞っこえねえよ」
 ゴリリ!! という音が聞こえた。何が起きたか分からなかった。垣根かきね黄泉川よみかわには触れていないのに、彼女の体が見えない何かにみにじられる。黄泉川の体がビクンとふるえた。赤黒いみが、圧迫を受けてあっという間に広がっていく。
「やめろ!!」
「聞っこえねえっつってんだろおがよおおおおおッ!!」
 一方通行アクセラレータの言葉は、垣根の怒声にかき消された。
「あてられてんじゃねえよバーカ! 何を会話で解決しようとしてんだぁ悪党!! 違うだろうが。そんなのは俺達おれたちのやり方じゃねえだろうがよ!!」
 さらに垣根の能力が重圧を増す。
 脇腹わきばらどころか、黄泉川の口からも粘着質の赤い液体があふれてくる。
「動きを止めたきゃ殺せば良い。気に食わないものがあるならこわせば良い。悪ってのはそういう事なんだよ! 救いなんか求めてんじゃねえ!! へらへら笑って流されようとしてんじゃねえよ!! テメェみてえなクソ野郎にそんなもんが与えられる訳ねえだろうが!! んだよ、見せてみろよ。さんざん偉そうに語ってやがった、テメェの悪ってヤツをよォおおおおお!!」
 ―――馬鹿ばかだ、とき捨てた。
 一般人や通行人を戦闘せんとうに巻き込まないと言っておきながら、結果はこれだ。光の道を捨てたのに、やみの頂点に君臨すると決めたのに、温かい言葉に惑わされて伸ばされた手をつかもうとしてしまった。自分のいる闇の世界から一瞬いつしゆんでも目をらし、もう届かない光の世界ヘ一瞬でも触れようとしてしまった。その行動の結果が、一刻も早く垣根帝督ていとくという障害を排除するという優先事項を見失わせ、生まれなくても良かったはずの悲劇を生み出した。
 だからこそ、

 一方通行アクセラレータは、今度こそ徹底てつていした『悪』となる。
 たとえ何を失ってでも、垣根帝督を粉砕するとここに誓う。

 右脳と左脳が割れた気がした。切り開かれたその隙間すきまから、何か鋭くとがったものが頭蓋骨ずがいこつの内側へ突き出してくる錯覚さつかくが確かにあった。脳に割り込んだ何かはあっという間に一方通行アクセラレータすべてをみ込んでいく。ぶじゅっ、という果物をつぶすような音が聞こえた。両目から涙のようなものが溢れた。それは涙ではなかった。もっと赤黒くて薄汚うすぎたなくて不快感をもよおす、鉄臭い液体でしかなかった。涙腺るいせんからこぼれるものすらも、すでに嫌悪感けんおかんしかなかった。
 そして訪れるのは、
 一つの暴走。
「ォ」

 自身を檬成する柱が砕ける音を聞いた。中心から末端までがドロドロした感情に染まった。歯を食いしはり、眼球を赤く染め、一方通行アクセラレータは世界の果てまで咆哮ほうこうひびかせる。
「ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 背中がはじけ飛んだ。そこからどす黒いつばさが飛び出した。噴射にも近い黒の翼。彼の意識すら飛ばし、自我すらもたたつぶすほどの怒りを受げて爆発的に展開される一対の翼は、あっという間に数十メートルも伸びてアスファルトを薙ぎ払い、ビルの外壁を削り取った。
「は」
 垣根帝督かきねていとくは、それを見て、知った。
 この世界に存在しないはずの素粒子、『未元物質ダークマター』。それは一体何だったのか、どこから引きずり出してきたものなのか、何を意味していたのか。
「スゲェな……。スゲェ悪だ。やりゃあできんじゃねえか、悪党。確かにこれなら『未元物質ダークマター』は『第二候補スペアプラン』だよ。ただし、そいつが勝敗まで決定するとは限らねえんだよなあ!!」
 叫びに呼応するように、垣根帝督の六枚の翼が爆発的に展開された。数十メートルにも達するそれらの翼は神秘的な光をたたえ、しかし同時に機械のような無機質さを秘めていた。まるで神や天使の手になじむ莫大ばくだいな兵器のように。
 バォ!! と六枚の翼に触れた空気が悲鳴を上げた。
 一方通行アクセラレータ未元物質ダークマターがそれぞれ抱えるのは、有機と無機。それも、こことは違う世界においての有機と無機だ。神にも等しい力の片鱗へんりんを振るう者と、神が住む天界の片鱗を振るう者。この条件ならは勝負は互角。そして垣根帝督は、一方通行アクセラレータと違って我を忘れてはいない。
 今まで感じた事もないほどのカが、体の中で暴れている。
 それでいて、その隅々までも完壁かんぺき掌握しようあくしているという自覚がある。
 これで学園都市の第一位と第二位の順位は逆転された、と垣根は思った。それは無理な虚勢や負け惜しみなどではない。感情による脚色はなかった。ただ単純な感想だった。今ならは、世界中の軍隊を相手にしても、学園都市にいるすぺての能力者と同時に敵対しても、傷一つなく打ち勝つ事ができる。彼は素直にそう思っていた。
「ははははは!! はははははははははははッ!!」
 笑いに笑いながら、垣根は真の覚醒かくせいを遂げた六枚の翼を一方通行アクセラレータたたきつける。
 もはや一方通行アクセラレータなど眼中にない。とりあえず近くにあるもので実験をしてみたい。垣根の心にはその程度の考えしかなかったが、

 ぐしゃり、と。
 直後に、垣根帝督の体が莫大なカを受けてアスファルトにめり込んだ。

「ご……ッ!?」
 何が起きたか分からなかった。
 一方通行アクセラレータは黒いつばさを動かしていない。ただこちらを見て、ゆるやかに手を動かしただけ。それだけで、絶対の位置に君臨していたはずの垣根かきねは敗北し、地面の奥の奥まで押しつぶされていた。
 ブチブチという音が聞こえる。
『ピンセット』を装着した右手が、ひじの辺りから一気に千切ちぎれた音だった。
(が……ば、ア!! な、何が、一体何が―――ッ!!)
 一方通行アクセラレータは何らかのベクトルを拾い、その向きを変換し、一点に集中して垣根帝督ていとく攻撃こうげきしている。それは分かるのだが、たとえ世界中にあるすぺてのベクトルをかき集めてでも、これだけの現象を起こせるとは思えなかった。今の垣根帝督がこの世界に負けるとは思えなかった。
 理屈がない。
 理解ができない。
 ただ圧倒的に君臨する一方通行アクセラレータは、押し潰された垣根帝督の元へと、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。その歩幅が垣根の寿命なのだと彼は知った。距離きよりがゼロに達した時に命が尽きる。そしてすでに、一方通行アクセラレータは最後の一歩をみ込んでいた。
「は、は」
「―――yjrp悪qw」
「ちくしょう。……テメェ、そういう事か!! テメェの役割は―――ッ!?」
 返事はなく、殺意のこぶしが振り下ろされる。
 圧倒的な虐殺ぎやくさつが始まった。

     5

 肉を打つ音だけが学園都市にひびき渡っていた。そのたびにアスファルトに亀裂きれつが走り、余震よしんのように大地がふるえ、建物が不気味に揺れる。野次馬やじうまは、声も出せなかった。目をらす事さえも、勇気を必要とした。多くの者は何もできず、ただ圧倒的な光景を眺めるしかなかった。
「くっ……」
 そんな中で、黄泉川愛穂よみかわあいほは目を覚ました。
 朦朧もうろうとする意識の中、彼女は咆哮ほうこうを聞いた。けものよりも恐ろしく、悪魔あくまよりもおぞましい叫び。しかし、黄泉川にはそれが子供の泣き声のようにも聞こえていた。
 止めなくてはならない。
 自然と、黄泉川はそう思った。
「黄泉川さん!!」
 しかし、倒れている黄泉川が動く前に、だれかが彼女の腕を取った。そのままかつぎ上げられ、急速に事件の現場から遠ざけられる。その手際てぎわの良さは、同じ警備員アンチスキルの手によるものだった。ただしジャージの黄泉川よみかわと違い、銃器と装甲服ボデイアーマーで完全武装している。
「……っ、才郷さいごう、か。放せ、私はまだ―――ッ!!」
駄目だめです、黄泉川さん!!」
 黄泉川は振りほどこうとするが、普段ふだんの力が出ない。そうこうしている内に、バダバタバタバタ!! という空気をたたく音が聞こえてきた。黄泉川が見上げると、青空を引き裂くように黒い戦闘せんとうヘリが頭上を舞った。最新鋭の『六枚羽』だ。
「先ほど一時的に回復した衛星が、異変をキャッチしました。相対性理論でも説明のつかないゆがみが、周囲一〇〇メートルにわたって広がっています。分析班の話では、おそらくAIM拡散力場が異様な干渉をしていると」
「だから自減覚悟で歪みの原因を攻撃こうげきする、か。ふざけるな!!」
 叫んだ途端に血をいたが、黄泉川は今度こそ警備員アンチスキル・才郷の腕を振りほどいた。改めて周囲を見回してみれは、ほかにも完全武装の警備員アンチスキルが大勢いて、駆動鎧バワードスーツや装甲車などの部隊まで展開されている。悪夢のような光景だった。一方通行アクセラレータの生い立ちを多少なりとも調ぺた事のある黄泉川には、デジャビュすら感じさせる場面だ。かつて幼かった彼は、こうやって包囲され、生きる希望を失って投降し、暗い研究所へと放り込まれたのだ。
 り返させる訳にはいかない。
 黄泉川は脇腹わきばらに受けた傷も気にしないで、血まみれのまま警備員アンチスキルに立ちふさがる。
「銃を下ろせ!! 一方通行アクセラレータを『説得』するのに、そんなものは必要ない!!」
「しかし、黄泉川さん!!」
「あそこにいるのがだれだか分かるか。私たちが守るべき子供じゃんよ! だからその子供に銃を向ける事を、私は認めない。そんなものを認めてたまるか!!」
 その時、一方通行アクセラレータが天を仰いだ。
 黒いつばさの噴射の勢いがさらに増す。
「ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 ズドン!! という衝撃しようげきがその場の全員に走り抜けた。
 それは物理的なものではない。ただ単なる命の危機だ。動物としての本能が、ギリギリと心をめ付けた。油断するとそのまま地面につぶれそうなほどの重圧だった。一方通行アクセラレータの怒りは、野次馬やじうま警傭員アンチスキル達に向いていない。彼はそんなものを見ていない。にもかかわらず、その感情の切れ端だけで彼は世界を支配し、ねじ伏せ、叩き潰しかけていた。
 一方通行アクセラレータねらいは、垣根帝督かきねていとくのはずだ。
 しかし、今の一方通行アクセラレータを見て、その一人だけで終わると信じられるか。標的が消えた後、行き場を失った怒りが別の場所へ向けられる可能性は? その可能性、いや危険性を考慮こうりよしない者などいないだろう。彼の事を良く知る黄泉川ですら、一方通行アクセラレータの動きを予測するのは難しい。
(くそ。何か……ないのか……)
 黄泉川よみかわ一方通行アクセラレータの方へ近づこうとして、そこで血をいた。才郷さいごうが慌てて羽交い紋めにし、黄泉川の動きを阻害する。身動きを封じられ、それでもかすむ目で一方通行アクセラレータを見て、彼女は思う。
(あいつを止める方法はないのか。こんな……こんなつまらない事で、あの子の未来を終わらせてしまうのか!!)
 さらに咆哮ほうこうが放たれ、世界が黒一色に染め上げられた。彼の背にある黒いつばさが与えるのは、人の領域を越えた絶望。指示がなくとも、反射的に銃を構えてしまう警備員アンチスキルも見えた。しかしその引き金が引かれたら、すべてが終わる。行動によって社会から拒絶された一方通行アクセラレータの心は再び砕け、そしてもう一度取り戻せるとは限らない。
 圧倒的なカを前に、だれもが希望を失った。
 その力の暴走に巻き込まれないよう、体を縮こませてふるえている事しかできなかった。
 そんな彼らの前に、

 ―――最後の希望ラストオーダーが舞い降りる。

 それは、一〇歳前後の少女の形をしていた。肩まである茶色い髪に、活発そうな顔立ち。空色のキャミソールの上から男物のぶかぶかワイシャツを羽織った服装の『希望』は、恐怖におそわれた野次馬やじうま一生懸命いつしようけんめい押しのけて、スクランブル交差点にやってきた。
 迷子を捜している、と彼女は言っていた。
 ようやく見つけたその迷子を前に、彼女はおくしなかった。圧倒的な光景が広がっていても、彼女はまっすぐに一方通行アクセラレータの元へと近づいた。それを見た者は、誰もが終わったと思った。そう感じながら、手を伸ばして彼女を止める事もできなかった。もうそれぐらいに、彼女は破滅の中心点へ接近しすぎていた。
「見つけたよ、ってミサカはミサカはゆっくりと話しかけてみる」
 彼女は咆哮を続ける一方通行アクセラレータの背中へ近づいていく。
 一方通行アクセラレータがゆっくりと振り返る。
 ブォ!! と風のうな轟音ごうおん炸裂さくれつした。
 学園都布最強の超能力者レベル5が取った行動は実に簡潔だった。その噴射のような黒い翼が空気を引き裂く。振り向きざまに圧倒的な威力を秘める翼を使い、無造作に莫大ばくだい攻撃こうげきを放っていた。
 その場の全員が悲劇を思い描いた。
 彼女の幼い体がグシャグシャにひしゃげて路面に散らばる光景を思い描いた。
 だが、

 ガキィィ!! というすさまじい音と共に、黒い翼は打ち止めラストオーダーの手前で停止する。

 一方通行アクセラレータの放った攻撃こうげきは、見えない壁に阻まれていた。彼女の顔からほんの数センチの位置で、ギリギリとふるえながら、しかしそれ以上は近づかない。ただ、彼女には一方通行アクセラレータの黒いつぱさを受け止めるような能力など持っていないはずだ。そもそも、世界中を捜してもそれをできる人間がいるかも分からない。
 彼女にできないというのなら、世界中のだれにも止められないというのなら、一体どこの誰がどうやって黒い翼を止めたのか。
 呆然ぼうぜんと眺めていた黄泉川よみかわは、やがて一つの答えを思いついた。
「一方通行だ……」
 学園都市最強の超能力者レペル5。誰にも届かないほど圧倒的な力を止められる者がいるとすれば、それは力を生み出している本人だけだ。最後の最後の土壇場どたんばで、一方通行アクセラレータは翼を止めたのだ。
 ギチギチと、黒い翼は震えている。
 怪物の鳴咽おえつのように、震えている。
 その時、バァン!! という火薬のはじける音がひびいた。
 ギョッとした黄泉川がそちらを見ると、警備員アンチスキルの一人が発砲した所だった。
 まずい、と黄泉川は思う。
 打ち止めラストオーダーが近くにいるという状況で、一方通行アクセラレータに向けての発砲だ。彼の黒い翼が裂け、複数の鋭い羽へと変貌へんぼうする。矛先は周囲の警備員アンチスキル打ち止めラストオーダーが攻撃されたと認識しているのだ。
 一方通行アクセラレータを中心に、ゴバッ!! と一斉に攻撃が放たれる。しかし、
「ストップ、ってミサカはミサカは忠告してみる」
 打ち止めラストオーダーの一言。
 それを合図に、警備員アンチスキル達の喉元のどもとまで迫っていた羽の先端が、ピタリと動きを止める。
大丈夫だいじようぶだよ、ってミサカはミサカは手を伸ばしてみる」
 小さな少女は、状況を理解していないのではない。一方通行アクセラレータがどれほど危険な存在かを知りながら、それでも華奢きやしやな手を差し伸べる。
「もうこんな事をしなくても大丈夫だよ、ってミサカはミサカは正しい事を伝えてみる」
 その言葉を振り払うように、一方通行アクセラレータはさらに黒い翼を彼女にたたきつける。
 しかし、やはり黒い翼は彼女の一歩手前で止まる。ガキィィン!! という鈍い音だけが炸裂さくれつした。それは一方通行アクセラレータ葛藤かつとうだった。彼の心は、捨ててしまえと言っていた。こんなおもいをするぐらいなら、悲劇をり返すぐらいなら、もう全部捨ててしまえと。だが、どうしても捨てられない。指先を少し動かせぱ殺せるくせに、彼女の小さな体を吹き飛ばす事など造作もないくせに、何をどうやっても一方通行アクセラレータにはこの希望を捨てられない。
「あァあああああああああああッ!! がァァあああああああああああああああッ!!」
 咆哮ほうこうが炸裂した。
 ひたすらに黒い翼を振るう音だけが連続した。
 しかし、そこにはもう圧倒的な重圧は感じられなかった。小さな子供が駄々だだをこねているようなものだった。彼女はそれを眺めていた。次々に振りかざされる攻撃こうげきに対し、目をつぶる事すらしなかった。信頼しんらいがあった。だから彼女はおどろかなかった。
 一際ひときわ大きくつばさが振り回され、渾身こんしんの一撃が彼女へ振り下ろされる。
 それが彼女の顔の手前でピタリと止まった時、一方通行アクセラレータの動きも止まった。
 うつむく彼の表情は、だれにも見えない。
 その背中にある一対の翼が、音もなく空気に溶けるように消えていた。それと同時に、一方通行アクセラレータの体からすベての力が抜けた。彼女は両手を広げて一方通行アクセラレータを迎え入れた。ぐらりと揺れた彼は、ゆっくりと彼女に向かって倒れかかる。
 一方通行アクセラレータの体重に押しつぶされそうになりながら、それでも彼女は抱き留めた。
 彼女は一方通行アクセラレータの耳元に口を寄せて、小さな声でこう言った。
「良かった、ってミサカはミサカは言ってみる」

終 章 生き残った者が得る戦利品 Nano_Size_Data.

 気がつけば、一方通行アクセラレータは救急車に乗せられていた。
 しかし、その内部にある機材は本物の救急車とは連う。おそらく、この救急車は病院には向かわない。そういう所とは違う場所へと運ばれていく事だろう。
 運転席にはだれかがいるのだろうが、ここからでは見えない。ほかに同乗している人物もいない。そして一方通行アクセラレータの近くの床には、携帯電話が置いてあった。彼がそれに気づくと、まるでどこかから監祝されているかのようなタイミングで、電話が着信音を鳴らした。
 一方通行アクセラレータが取ると、ある意味で聞き慣れた声が耳に届いた。
『今回はやりすぎましたね』
「……またオマエか。何もできずに高みの見物決めてたオマエらに、いちいち説教されるいわれはねェな。ふンぞり返る資格があるのは、実際に体を張って止めよォとしたヤツだけだ」
『分かっていますよね』
「チッ」
 人の話を聞かない電話の声に、一方通行アクセラレータ忌々いまいま々しそうに舌打ちする。
「分かってる」
『ま、垣根帝督かきねていとくに関する情報をお渡ししたのは私なので、あまりきつくも言えないんですがね。もう少し有効に私の情報を活用していただきたいものです』
「ペナルティは」
『さて、どうしましょうか。単に借金の量を増やしても、あなたには実感がないでしょうし。処分をするには惜しい人材でもあります。さてさて、本当にどうしましょうか』
 含みのある言葉だった。
 それが一方通行アクセラレータ苛立いらだたせたが、ふと電話の声はこんな事を言った。
『ところで、あなたは本当に戻る気があるのですか』
「あ?」
『単純な興味ですよ。そこまでちておいて、やみの頂点に立つと宣言しておいて、それでもあなたはあのぬくもりをあきらめられないのですか』
「そンなモンは、決まってる」
『そうですか』
「止めねェのか」
「あがく権利ぐらいは与えましょう。かなえる権利があるとは限りませんが』
 上等だ、と言って一方通行アクセラレータは通話を切った。
 しばらく画面を眺めていたが、やがて携帯電話をポケットにしまうと、カーテンによってさえぎられた窓を開放し、外の景色に目をやった。
(……、あァ)
 腕の中には、まだあの小さな少女のぬくもりが残っている。
 こぶしを握り、その感触を振り払うようにしながら、一方通行アクセラレータは静かに思う。
(必ず出し抜いてみせる。学園都市も、上層部のクソ野郎も、何もかも)
 ふところには、チョーカー型電極の設計図が収まったUSBメモリがある。
 作戦の合間に確認してみたのだが、仕組みは容易たやすいものではなかった。部品1を作るには材料2や機材3が必要になり、それらを作るためにはさらに設備4や5が必要で、さらにすべてカエル顔の医者の独自技術によるものだ。まるでかぐや姫の無理難題を見ているような気分だった。電極を解析して無駄むだな部品を取り除いたり、電極のコピーを作ったりするのは相当手間がかかるらしい。
 それでも、一方通行アクセラレータは誓う。
 ようやく手に入れた、小さなヒントを懐に隠しながら。

 海原光貴うなばらみつきは、病院の正面玄関から外に出た。
『組織』の刺客しかくとしてやってきたショチトルは、この結末を恨むだろう。目的を達成する事もできず、死という幕引きすらも許さず、最大の武器たる魔道書まどうしよの『原典』を奪われてただ生かされるなど、今の彼女にとっては苦痛にしかならないはずだ。
 それでもショチトルは生きている。
 本物の肉体は全体の三分の一にも満たず、残りは単なる皮膚ひふを巻いただけの擬似的ぎじてき身体からだであっても、それでも彼女の命はそこにある。それが海原にはうれしかった。自己満足的なものにすぎなくても、海原光貴にとっては一つの救いだった。
「ぐっ……」
 ぐらり、と意識が揺れる。
『原典』を受け入れた事で、膨大ぼうだいな知識が彼の頭にあった。しかしそれは人間の体には馴染なじまなかった。まるで脳みそのしわに砂鉄でもすり込んでいるように、気をゆるめれば頭の先から足の裏まで一気に激痛が走り抜ける。
(少々、血を流しすぎましたか……)
 海原光貴は、懐へ手を伸ばす。
 そこから取り出されたのは、ショチトルから分離ぶんりされた本来の『原典』だった。動物の皮を使って作られた、長い長い巻物状の魔道書。数メートルにも及ぶ知識の帯を広げ、その内容に目を通す。
 少しずつ、痛みは引いている。
 この痛みがすべて失われた時、海原光貴うなばらみつきは『原典』とやらを理解するのだろう。
(はは。イギリス清教に見つかったら、問答無用で始未されますね。これは)
 だが、この『原典』は力になる。
 そして今の海原光貴には、どうしても力が必要なのだ。
(……自分は、学園都市の暗部にもぐる事で必死だった)
 海原は広げた巻き物を丁寧ていねいに巻き直してから、再びふところの中へしまっていく。
(あの『組織』が今どうなっているのか。ショチトルのような優しい子が何故刺客なぜしかくへと変貌へんぼうしてしまったのか。―――自分には、もう一度あの『組織』と向かい合う必要がある)
 新たなカをたずさえて、海原光貴は先を見る。
 やみの奥はのぞけず、しかしアステカの魔術師まじゆつしおくしない。

 結標淡希むすじめあわきは黒い煙を上げる少年院を、はなれた所からじっと眺めていた。
 血まみれの足には包帯のようなものが巻いてあった。トウモロコシの繊維せんいを利用した、有機性人工皮膚ひふだ。今はまだ違和感があるが、やがては肉体の再生能力によって融合ゆうごうし、自然な形で傷跡が残らないように『人間の皮膚』を形作っていくらしい。
「……、」
 それら痛々しい傷口に目をやらず、彼女はただ少年院に視線を向けている。
 学園都市の暗部の手駒てごまとなる代わりに、身の安全を保障されたはずの『仲間』たち。しかし実際にふたを開けてみれば、少年院が襲撃しゆうげきされた時に学園都市側は警備員アンチスキルの増援すら寄越してこなかった。傭兵ようへい達が学園都市の外壁を越えた時には、最新鋭の攻撃ヘリHsAFH-11を展開させたというのに。
(やはり、連中の言葉を信用するには限界がある)
 だからといって、即座に反旗をひるがえせるはずがない。学園都市の実権はヤツらに掌握しようあくされている。例えば少年院の特殊房から『仲間』達を解放した所で、逃げ場がない。結標淡希は、ついこの前に路地裏で暗躍あんやくするスキルアウトを討伐したはかりだった。おそらく『仲間』達を闇雲に逃がしても、似たような末路が待っているだけだ。あるいはそれを連想させるために、上層部はあの作戦を結標に依頼いらいした可能性もある。
 だが、
(この借りは、絶対に返してもらう)
 結標は、そう誓った。今日ここであった事実と、そこで芽生えた感情を強く胸に刻みつける事を決めた。見も知らないだれかや何かにたよって『仲間』達を守ってもらうような段階は、ここで終わった。これから先は、自分の目で確かめ、自分の手で触れたものだけを信じて防壁を築き上げていく。
 結標淡希むすじめあわきはもう一度だけ少年院のある方角を眺め、それから背を向けた。
 音もなく立ち去る彼女は、静かに思う。
(必ず、あそこから救い出してみせる)

 そうして、いつとも知れぬ時聞、どことも知れぬ場所で、一方通行アクセラレータ土御門元春つちみかどもとはる海原光貴うなばらみつき、結標淡希の四人は再び集合した。
 土御門の手には、機械でできたグローブのようなものがあった。人差し指と中指の二本にはそれぞれ、ガラス製の長いつめが装着されている。血まみれの道具は、確か垣根帝督かきねていとくが持っていたはずのものだ。
 名前は『ピンセット』。
 一方通行アケセラレータはそれを眺め、あきれたようにつぶやいた。
「どさくさに紛れて回収しやがったのか。よくもまァ野次馬やじうまの中に隠れてたモンだ」
「こいつの中には『滞空回線アンダーライン』っていうナノデバイスが格納されているらしい。『スクール』の連中は、どうも大気中から『滞空回線アンダーライン』を採取して中身を調べるために動いていたみたいだな」
 何でそこまで分かってるんだ、と一方通行アクセラレータは不審に思ったが、どうせ自分の知らない所でまた暗躍あんやくしたんだろうと結論付ける。
 と、どうにも顔色が悪くなっている海原が、普段ふだんよりゆっくりした口調で尋ねた。
「中身のデータとやらは?」
「『滞空回線アンダーライン』は学園都市におけるアレイスターの直通情報もうを形成する中核だ。その体内に収められている内容も、一般の『書庫バンク』に収められているものとはレベルが違う」
 そういえば、以前一方通行アケセラレータはトマス=プラチナバーグという統括理事会の一人の邸宅を襲撃しゆうげきして、そこから情報を盗もうとした事がある。その時は一定以上の情報が得られなかったが、それは一股的なネットワークと『滞空回線アンダーライン』の作る特殊ネットワークとで情報の機密度を分けているからかもしれない。
 結標は退屈そうな表情で、
「面倒ね。結局そのナノデバイスの中にはどんな情執が隠されているというの?」
「待て、今出る所だ」
 ピッ、と『ピンセット』の手の甲に当たる部分にある小型モニタから電子音が鳴った。文字化けのような解析結果が高速でスクロールし、それに続いて文章が正しい形式に変換されていく。
「学園都市暗部にある機密扱いのコード類、だな」
「そいつが打開へのヒントになるっつーのか」
「名前は……『グループ』『スクール』『アイテム』『メンバー』『ブロック』……こっちのは『ピンセット』……これは『ひこぽしⅡ号』のデータ、後は『少年院の見取り図』と……」
「何が機密のコードよ。ご大層な事を言っておいて、ようは上層部が今回の『グループ』の動きを監視するために、情報を集めていただけじゃない。今さらそんなデータを見せられても」
「それと、もう一つ」
 土御門つちみかどがそう言うと、『グループ』の全員が『ピンセット』の画面に注目した。わざわざ土御門がほかと区別したという事は、それまでの情報とは違うという意味と受け取ったのだ。
 新たに得た情報。
 そこに表示された文字を、土御門元春もとはるはゆっくりとつぶやいた。

「最後に出てきたのは―――『ドラゴン』」

 戦いの果てに得たのは、小さな小さな突破口。
 確かなカギを手に入れた『グループ』の四人が、これより再び動き出す。

   あとがき

 一冊ずつご購入いただいたあなたはお久しぶり。
 全巻まとめてご購入いただいたあなたは初めまして。
 鎌池和馬かまちかずまです。
 とにかく科学全開の一五巻です。七人の超能力者レペル5、農業ビル、ナノデバイス、無人攻撃こうげきヘリ、人工衛星、コンピュータウィルス、スキルアウト……。今までシリーズの中でちょこちょこ出てきた科学サイドのキーワードを、ここらで大放出な感じでお届けしております。
 今回のテーマは『学園都市の暗部』と『乾いた物語』です。それに加えて、悪の道を突っ走る一方通行アクセラレータの凶悪ぶりがポイントとなります。悪と言っても後味の悪いものではなく、最後までページをめくっていただいた後に『あーすっきりした』と思っていただけるようなものを目指していたのですが、きちんと成功していますでしょうか。
 シリーズ中で一冊あたりに登場する新キャラの数は(妹達シスターズなどを除けば)今回が一番多かったかな、と思います。ただしこの輪は決して広がる事はなく、そこが上条当麻かみじようとうま一方通行アクセラレータの違いという所でしようか。

 イラストの灰村はいむらさんと担当の三木みきさんには感謝を。何だかゴチャゴチャとした話になってしまいましたが、最後までお付き合いいただいてありがとうございます。
 そして読者の皆様にも感謝を。相変わらず脇道わきみちを突っ走るような話でしたが、ここまでページをめくっていただいて、本当にありがとうございます。

 それでは、今回はこの辺りでページを閉じていただいて、
 次回もページをめくっていただける事を祈りつつ、
 本日は、ここで筆を置かせていただきます。

 ……あの白いの。その内、義賊ぎぞくとか名乗りそう鎌池和馬

とある魔術の禁書目録15
鎌池和馬

発 行 2008年1月25日 初版発行
著 者 鎌池和馬
発行者 久木敏行
発行所 株式会社メディアワークス